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中華民国期の革命勢力、2

1 :スレ長代理:2007/02/05(月) 12:09:09 0
マンネリパターンを続けましょう。

2 :世界@名無史さん:2007/02/05(月) 12:13:40 0
北伐のクライマックスは長沙から武漢三鎮攻略戦だった。
総指揮は第八軍の唐生智、
第四軍
軍長:李濟深
副軍長:陳可ト
參謀長:ケ演達
政治部主任:麥朝樞
第十師
師長:陳銘樞
副師長:蔣光鼐
下轄二(十八團蔡廷鍇)、二十九團(孫繩)、三十團(戴戟)
第十一師
師長:陳濟棠
副師長:徐景唐
下轄三十一團(余漢謀)、三十二團(香翰屏)、三十三團(黄鎮球)
第十二師
師長:張發奎
副師長:朱暉日
下轄三十四團(許志銳)、三十五團(缪培南)、三十六團黃h翔
獨立團(二十四團)
團長:葉挺
第7軍
汀泗橋、賀勝橋の作戦が最激戦だったがここで鉄軍と呼ばれるようになった
第四軍が活躍した。唐生智はここは避け回り道で、漢陽、漢口を落とし、
結局、武昌は落ちず、兵糧攻めにした。
郭沫若はケ演達の部下で副政治委員だった。

郭沫若著「北伐途次」河出書房新社、1971、現代中国文学
著者は政治委員だから、作戦そのものには参加していないので
あまり参考にならない。

3 :世界@名無史さん:2007/02/05(月) 12:26:52 0
東洋史限定ですが、人大杉に対する避難先です。

中国英雄板
http://hobby9.2ch.net/chinahero/

4 :世界@名無史さん:2007/02/05(月) 23:27:37 0
しかし、前スレのURLもないとわ。
モバク氏亡き後は、誰かの読書感想文スレと化してたから無理もないのか。
あれはあれで永山則夫チックで好きだったが。

5 :世界@名無史さん:2007/02/06(火) 09:06:24 0
>4
すいません。
新しいのを使い始めたらコピの仕方がまだ解らないのです。(A bone)
どなたか貼り付けてくださるとありがたいです。


6 :世界@名無史さん:2007/02/06(火) 10:51:47 0
ケ演達って第四軍参謀長だったのか
後で福建事変に関係するよね

7 :世界@名無史さん:2007/02/06(火) 23:11:14 0
ケ演達は1931年に銃殺されています。
福建事変は1933年ですから他の人たちですね。

8 :世界@名無史さん:2007/02/09(金) 22:38:54 0
「初期中国共産党群像、1,2」トロツキスト鄭超麟回想録、東洋文庫、2003年
じっくりよんだのは2巻だけ。1巻は流し読み。同じ話が何回も出てくる。
フランスにケ小平などと留学。選抜されてロシアに留学。陳独秀のグループに
入るが、第1次国共分裂後投獄され、改革開放後出獄。
理論派トロッキストだ。著者としては一生をかけた自分の主義がスターリン批判も
あり正しかったと主張したいのであろう。更に陳独秀が入獄後転向したとの説に
対し、一緒の入獄していた者として、最後までトロッキズムに共感していたと
証言している。左翼の常として少数派になったトロッキストが更に分裂し抗争
している。

9 :世界@名無史さん:2007/02/09(金) 23:25:19 0
郭沫若著「抗日戦回想録」河出書房新社、現代中国文学、1971年
郭沫若自伝の最後に収められたものだ。1948年に香港で新聞に連載。
1937年上海陥から、38年末の武漢陥落、重慶移転直前くらいまで。
日中戦開始で日本人の妻子を放り出して帰国。じきに若い女と再婚。
国共合作時期で陳誠の部下として蒋介石にもかわいがられながら
反日の文章などを書き、後方で幹部たちに囲まれ贅沢に暮らしていた。
終戦になり、国共内戦。郭沫若も中共の立場をはっきりさせ、文中では
蒋介石を罵倒して自分の立場を弁解している。
あの日本人妻は終戦後渡中したが、郭沫若は会ってもくれなかった。
郭沫若は更に検討したい。

10 :世界@名無史さん:2007/02/10(土) 01:27:26 0
>>7
連合通信に福建事変が起こることをリークした
胡鄂公がケ演達の信奉者だったんじゃないかな。
伊藤武雄は胡は黄興の影響を受けていたとか
李宗仁派だとか言ってるけど。

11 :世界@名無史さん:2007/02/10(土) 09:31:32 0
そのレベルになると知識が追いつきません。
郭沫若は鄭演達の部下でもどうもソリが合わないらしくゴタゴタしてるようでした。
鄭演達はマルキシジムに共感する部分と反対する部分があるらしく、郭沫若は
書いてました。
福建事変はそのうち勉強します。

12 :世界@名無史さん:2007/02/10(土) 11:26:51 0
というか、このスレ、ホンマもんの華僑の人とかいないのかな。



13 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 21:59:50 0
1966年文革時、郭沫若は
「今日の基準でいえば、私が以前書いてきたものはいささかの価値もない。
すべて焼き尽くすできだ」と発言。巴金や趙樹理などの誇り高く死んでいった
人たちと好対照。
堀田善衛全集12、p184、
ベトナム支援AA会議の席上、郭沫若はベトナム代表が反対するのにかかわらず
「むきだしのソ連非難決議案を主張」して嫌がられた。

14 :世界@名無史さん:2007/02/11(日) 23:03:53 0
北伐で活躍した第4軍はその後張発奎率いる第2方面軍(4,11,20軍)となる。
国共分裂で、共産党系が抜け、第4軍は半分以下になる。残留した蔡廷カイは
南昌蜂起鎮圧などに活躍、その功績で第19路軍長になる。
この第19路軍が第1次上海事変で活躍し日本軍を苦しめる。
この部隊が日本に対し好戦的なのを警戒した蒋介石はこの部隊を福建省に
移動させる。

15 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 10:21:24 0
>>13>>14

中国人。

16 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 22:08:08 0
ジェームズ・R・ハンズ著「チャイナ・ハンズ」元駐中米国大使の回想、1916−1991、
草思社、2006年3月、
天安門事件の大混乱をクライマックスにCIA勤務を経て大使になっていく。
私には若い時の話が興味深かった。名門高校からエール大学へレールが敷かれたように
進学していく。大学でブッシュ親子で有名なボーンなんとかクラブに所属する。
中国の研究はハーバードはフェアバンクなどのサヨが支配し、エールは保守系の学者の
ようだ。エール大学の中にCIAのスカウトがいて優秀な学生を勧誘していく。MI6と
オクスフォードの関係ダ。キシンジャーの米中若いで北京に赴任するパパブッシュの
部下になる。ブッシュがCIA長官から大統領になり、その引きで出世していく。

17 :世界@名無史さん:2007/02/12(月) 23:15:44 0
周偉嘉著「中国革命と第三党」慶応義塾大学出版会、1998年
1927年第1次国共分裂当時の武漢国民党政府で汪精衛は共産党を
切り離しに踏み切った。これを脱した人たちに内、譚平山は中共を
解体した上で共産主義の政党を作ろうと?中華革命党を作った。
登園達は国民党をマルクス主義をベースに改組しようと第三党を
作り人数を増やした蒋介石に殺される。
1930年汪精衛は馮玉祥等と北平国民政府をつくろうとして失敗。
1933年第三党は福建省に移動してきた第19路軍と結び
「中華共和国人民政府」を打ち立てたが路線が統一できず崩壊した。
もともと各々の人たちの思想もあいまいな所もあり、充分に理解
できたと思わないが非常に勉強になった。
慶応に来てる中国人はみんなすごい。

18 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 17:23:44 0
巴金「月夜」白水社、1992年
ネットで見つけて取り寄せたらなんと中国語の教材だった。
本文は23pで短い。初めて中文を終わりまで読んだ。
解ったのか解らないのか解らない。
舞台は広州の田舎。公共交通機関は舟。月夜の光景描写が美しいのは感じた。
なかなか来ない夫にしびれを切らした妻子が迎えに行くと、匪賊に通じたと
取調べを受けた夫の死体が池に浮いている。
悲惨な死体と美しい夜景の対比がポイントかとも思ったが自信ない。
匪賊は赤匪なのだろうか?巴金と赤の関係は知らない。

19 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 17:46:36 0
郭沫若著「屈原」岩波文庫、1955年
古代の話なので取り上げなかったがどうも関係ありそうかと採用した。
合従連衡の戦国時代、楚の国、湖北省?。秦に対抗する国の中で
楚と斉が大きいようだ。秦は楚と斉の連合を切り崩そうとする。屈原は
楚斉連合論者の詩人でもある楚の宰相格。秦の策略にのった楚の王は
屈原を降格し楚は滅びる。
詩人でもある者(郭沫若)の日本をもっと攻めろという提言を退ける蒋介石。
という意味なのだろうか?中国人なら誰でも知っている話なのだろうから、
今さらの題材なのだろう。

20 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 23:44:48 0
平野正著「中国革命と中間路線問題」研文出版、2000年
日本との戦いに終わりの気配が見えてくると、戦後の体制として
中共以外に、訓政を根拠とする蒋介石の独裁に反対する動きが
でてくる。知識人を主体とする上海の譚平山、陳銘枢、柳亜子
などの「三民主義同志連合会」。旧十九路軍を幹部とする
李済深、蔡廷?などの「国民党民主促進会」があった。
国共内戦においては中国国民党革命委員会内部に反蒋介石派が
でき、これが国府軍を内部崩壊させた。
反独裁、民主主義を主張して蒋介石に反対したが、中共が独裁的で
あるのか、民主主義的であるのかにはアイマイに妥協した。これらの
動きが政治協商会議に誘導されていく。
中共も最初は民族資本化に甘いエサで引き込んでいった。
以下私見。
孫文の国共合作、北伐による統一などは中国人の内発的な動き
ではなく、ロシア共産党の援助で行われた。ここに結局無理がある。
国府軍人も士官学校の内部から洗脳されている。
蒋介石批私利私欲によるものと、共産党の扇動によるものだ。
明治維新も起こせないし、福沢諭吉も現れない。

21 :世界@名無史さん:2007/02/23(金) 17:39:01 0
松田康博著「台湾における一党独裁体制の成立」慶応義塾大学出版会、2006年12月
図書館のお姉さんの話ではこの本は現在とても人気があるそうだ。売れているかどうかは
知らない。本屋のお姉さんじゃないので。
台湾に渡った蒋介石は策略をこらして権力基盤を確立する。朝鮮戦争という幸運にも
恵まれる。
何はともあれ、蒋介石は孫文のいう、訓政期から自由選挙のある民主政治に持ち込む
ことに成功する。孫文を共に国父とする体制で、孫文主義からいえば三民主義の理想に
先行した。
慶応は時勢にあった研究書を出すのがうまい。

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