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古代ローマ帝国の軍隊を語るスレ 其のU

1 :ほへぇ〜:2005/12/19(月) 12:02:33 0
いつの間にか、前スレがお蔵入りしてしまったので。


2 :ほへぇ〜:2005/12/19(月) 12:07:49 0
あぁ、よかった。立ち上げることが出来たよ。

ところで御存知か?
ロリカ・セグメンタタの1枚の軟鉄版を引き伸ばすのに
60時間・人ほど手間がかかっていたらしいということを。
オスプレイMAA『ローマ軍……カエサルからトラヤヌスまで』新紀元社刊より



3 :世界@名無史さん:2005/12/19(月) 14:08:03 0
前スレ埋めた香具師、スレも立てずに埋めるな ヽ(`Д´)ノバーヤ


>>1スレ立て乙

前スレ
古代ローマ帝国の軍隊を語るスレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046862617/



4 :世界@名無史さん:2005/12/19(月) 15:24:35 0
>>1
 ローマ軍の装備だけでなくダキアやパルティアの装備についても語り
たいですね。パルティアの弓矢なんてローマの弓矢より優れていたよう
な気がするのですが。

5 :ほへぇ〜:2005/12/19(月) 21:09:40 0
ササン朝ペルシアならば、攻城技術にも長けているしね。
トンネル掘ったり、築山を築いたり、攻城塔で押し寄せたり。

6 :世界@名無史さん:2005/12/20(火) 02:41:35 0
ゲルマン人はどこで武器とか調達してたんだろう。リメス沿いの交易都市か
なと思うんだけど、ローマ側は武器の引渡しは御法度みたいな規則作らなかった
んだろうか?あるいは末期になるとローマ軍の給与とかの保障もあやふやになる
から昔のロシア軍みたいに軍が横流ししてたのかな。

7 :世界@名無史さん:2005/12/20(火) 23:48:34 0
基本的にゲルマンの自由人男性は、全員普段から武装してるからな。
部族の鍛冶屋とか、親から子に受け継ぐとか、倒した敵から奪うとか
色々有るんじゃないかね。

8 :世界@名無史さん:2005/12/21(水) 03:38:58 0
>>6

実は、ゲルマン人の鍛冶の技術、意外に高かったりする。
帝国属州のケルト系等よりは余程、鉄の扱い上手かったりするのだ。


9 :ほへぇ〜:2005/12/21(水) 09:53:31 0
ケルト社会も鍛冶職人の社会的地位が高いしね。

10 :世界@名無史さん:2005/12/21(水) 10:47:14 0
 共和政ローマと帝政ローマ戦ったらどっちが強い?

11 :ほへぇ〜:2005/12/22(木) 22:45:07 0
>>10
市民軍と職業的軍隊のどちらが質的に強いのだろうか? ということでしょうか?

12 :世界@名無史さん:2005/12/22(木) 22:49:52 0
>>4
動物の腱と角と木材を組み合わせたコンポジット・ボウでしょう。
ローマでもフン族の影響で使うようになったとか。

13 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 01:16:43 0
 カルタゴと戦ってた頃のローマ兵が質的には一番高いんじゃない。市民の権利
と義務、そして愛国心が一番詰まってる時期。今のイタリアには1gも無い
けどな。

14 :ほへぇ〜:2005/12/23(金) 15:19:01 0
戦術のレベルで考えるのなら、共和制中期の三重戦列のマニプルス戦術より
帝政前期のコホルト戦術のほうが、命令を伝えるのにも効率が良いし、戦術
上の柔軟性にもさらに富んでいると思う。

マニプルスからコホルトへの変遷期におけるローマ軍の戦術的優位性は、
ガチガチで耐久性には抜群だけれども地形の変化のように臨機応変に対応し
なければならない柔軟さを欠く密集方陣には、手こずっても最終的には勝利
を得ることが出来た対ヘレニズム諸国との戦役で実証済み。

15 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 22:46:21 O
装備・戦術共に最も充実してたのはトラヤヌスらへんかな? 士気は指揮官の人気によって変わる

16 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 23:48:58 0
 補助兵制度が返ってローマの中心を空洞化させたような気がする。毒を持って
毒を制する宜しく、蛮族を持って蛮族を制すると言うのは確かに安上りだっただろう
けどそれに頼れば頼るほど本国ローマ人の実戦経験が減って行く。特に元老院階級
の能力低下はそれが原因だと思う。

17 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 23:54:32 0
近衛軍の数を3ヶ軍団位にして本国ローマ人の上流階級だけで徴兵・編成し
とけば元老院階級の質的低下も避けられたかもな。

18 :ほへぇ〜:2005/12/24(土) 00:17:51 0
工学的な能力なんかも、第]フレテンシス軍団のマサダ砦攻略におけるように
攻城櫓を城壁まで持ち上げるために、とてつもない攻城用傾斜路を作り上げて
(それもユダヤ最強硬派シカリ党の投擲兵器の攻撃の下で)破城槌で城壁に穴
を穿つというような芸当は、技術的蓄積が少なかった共和制中期の戦時にだけ
召集された市民軍には難しかったと。

>>13
兵士が持つ自信とか必勝の信念みたいなものは、この時期の後半が最高だったかも。
プラスそれに続く20〜30年。
『あのハンニバルと戦い、数々の敗戦はあったが、最後の勝者はローマだ』
という過酷な経験で鍛え上げられた自信は他の時期を凌駕しているのでは。

それにしても、ディスカバリチャンネルでやった破城槌の復元実験は凄かった。
まさに古代のスーパーウェポンと銘打つだけのことはありました。

19 :世界@名無史さん:2005/12/24(土) 00:52:11 0
マサダ砦なんて立て籠もった方も攻めた方も良くやるよ。って位なんに
も無い所だった。2年もかければ破城槌位できるだろう。市民軍の場合
2年もたかだか900人の為に同じ場所には居られなかっただろうな。

20 :世界@名無史さん:2005/12/24(土) 21:33:49 0
 補助兵も任期務めればローマ市民権貰えるけど、時間が経てば経つほど
税収減らなかったんだろうか?

21 :ほへぇ〜:2005/12/25(日) 23:06:46 0
共和制中期以前の市民軍も給料貰っておった時期があるよ。
前396年ころウェイィ攻略における包囲戦が10年にもおよび、兵役に長期拘束
された農民たちを経済的に救済するために、給料が支給されはじめた。

ポリビュオスによると前二世紀中期における日給は
兵卒   1/3ドラクマ
百人隊長 2/3ドラクマ
騎兵   1ドラクマ(おそらく馬糧と馬丁の分も含まれる)
となっております。換算率は1ドラクマ≒1デナリウス。
給料が主たる収入源である職業的軍隊とは違い、拘束期間に対する金銭的
歩哨の意味合いが強いとのこと。

22 :世界@名無史さん:2005/12/25(日) 23:46:26 0
 移動するだけで半年かかる程広い地域に拡大した時代と歩いて半日
で済む時代(比喩)では比べようもないけど安いなほんと。
 ところでチャリオットはローマ軍は使用しなかったのかな?
あるいは戦象はどうだろう。カルタゴやピュロス戦で痛い目にあってる
のに輸入しようとか意見は出なかったんだろうか。

23 :ほへぇ〜:2005/12/26(月) 21:18:16 0
本村凌二センセの『馬の世界史』という新書に書いてあったけど、
チャリオットというのは、馬体格が貧弱で人間が跨った騎乗に耐えられ
ないので、馬車を引かせていたそうである。馬の品種改良が充分進んだ
共和制ローマ時代では、チャリオットは軍事的には過去の遺物となって
おり、権威を示す凱旋式や所有者が富を誇示する戦車競技を除けば、使
われていなかったと思います。

象に関しては費用対効果の問題ではないでしょうか? 平時においても
飼い続けるには戦時における抜群の効果が期待できないと。象は投擲兵
器に対して弱点をさらすし、暴走が始まると味方の歩兵も踏み潰します
から。象よりも馬のほうが扱いやすいでしょう。騎兵の充実に力を入れ
とほうが利口だと思いますよ。象では偵察・威力偵察・警戒・追撃など
の細かい芸当もできませんしね。

24 :世界@名無史さん:2005/12/26(月) 21:36:42 0
チャリオットだとベンハー思い出すな。象は物資輸送とかに使えなかった
んだろうかタイやインドみたいに。ローマ兵は平時建設作業ばかりやって
たんだからガリアとかは別にし南伊やエジプトなんかでは使い道あると
思うんだが。

25 :ほへぇ〜:2005/12/27(火) 21:49:04 0
確かに使い道はあった。荷役用ではなくて見世物として。
ローマ時代の象は、アフリカゾウに比べて北アフリカ産のやや小型の種だと
思いますが、絶滅したのではなかったでしょうか? 理由は円形闘技場で闘
獣士と戦うべく乱獲されたのが原因だったと持ったけど。

それに象はいなくても、ロバと奴隷には事欠かなかった訳だし既にクレーン
とか持っていた連中ですから。


26 :世界@名無史さん:2005/12/28(水) 15:59:12 0
 砂漠化もあるだろう。リビアやチェニジアの現状観たらカルタゴ人はどう
思うだろう。象は扱い難いからな、繁殖率も馬や牛に比べて全然低いから
高価な兵器になってしまう。パオーンとローマ兵のコラボは萌えるものがある
けど。ところでラクダに揺られるローマ兵はあったんだろうか。クラッススや
アントニウスは馬が輸送の中心でパルティアと戦ったんだろうか。

27 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 03:25:13 0
マリウスの頃、徴兵制を廃止して、募兵制にしたことが、ローマの滅亡の遠因だったんじゃないの。?
というか徴兵制を維持できなくなっていた社会の変質を元に戻せなかったことが。
挙国一致での潜在的徴兵兵力はポエニ戦争時、70万人もいたんだから。
よくいわれることだけど、ハンニバルよりゲルマン民族の方が強敵だったかどうか。

28 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 03:33:59 0
象兵とチャリオット戦車はなぜ無くなったのか
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1063889839/l50

29 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 03:35:05 0
【家畜】世界史での動物【愛玩】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1125757096/l50

30 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 10:59:08 0
30get

31 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 16:39:28 0
>>19
昔は森だったんだがな

32 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 17:57:46 0
 無償たるべきとされる兵役を金銭で代替する風潮がローマを堕落させたの
は否定できない。特に権力者がそれを当然と考えるとコストを安くしようと
して結局蛮族とか失業者とか奴隷とかを多用する。そして戦争の味と政治の
仕方を覚えた彼等が生活を維持しようと土地確保に走り、群雄割拠してローマ
を空中分解させる。


33 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 22:34:35 O
冬になると一々冬営するのがわからない。ゲルマニアとかなら
まだしも、イタリアの冬の寒さなんてたかが知れてるだろうに。

34 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 23:34:46 0
>27
"自作農の軍隊"のままだったら環地中海帝国も築けなかっただろうし
史実よかよっぽど早く衰退したと思われ。

つかマリウスの軍制改革から西ローマ滅亡まで何世紀かかったよ。
その間にローマ社会もローマ軍制も変質しまくってるし

35 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2005/12/29(木) 23:35:57 0
>>32
「金銭で...」ではなく「志願兵(=マリウスのろば)」に移行したのではなかったのでしょうか?
強制徴募は例えば「内乱記」でポンペイウスが
"奴隷や牧人も武装させ,さらに馬もあてがい..."
とあるように,常識では問題にもならない禁じ手となる様に見受けられますね。

さて,退役した兵士たちが軍団への納入業者として軍団の兵站を下支えした事,退役百人体長が地域の名士であることを考えると
「ローマ化」とは軍団の存在が必要だったように思えますね。

36 :世界@名無史さん:2005/12/29(木) 23:38:59 0
>>33
雪も積るし。正月はヴェネツィアあたりには逝かんが良いですよ。
北イタリアとかはしゃれにならんぐらい寒いです。

37 :世界@名無史さん:2005/12/30(金) 00:17:53 0
第二次ポエニ戦争におけるカルタゴ勝利の可能性
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1129213215/l50

こっちの方も宜しく。ネタ切れ感漂ってスレが停滞気味。

38 :世界@名無史さん:2005/12/30(金) 00:40:30 0
 2月にヴェネツィア行ったけど、石の間から冷気が上って来てガクブル
だった。


39 :世界@名無史さん:2005/12/30(金) 00:45:16 0
ローマ軍は歩兵が命!
でも時流に逆らえず騎兵重視に切り替えてからおかしくなった。



40 :世界@名無史さん:2005/12/30(金) 01:00:56 0
>33
冬営には、再編成の意味もあったんじゃ


41 :ほへぇ〜:2005/12/30(金) 01:08:34 0
三世紀以降、軍人皇帝に率いられた軍団が一般社会から完全に遊離して
しまったことも、ローマ衰退に拍車をかけてしまったのではないかと思う。

人的流動性が失われ、カラカラ勅令以降の上層民・下層民の固定化を強化
してしまったのではなかろうか?

42 :ほへぇ〜:2005/12/30(金) 01:13:14 0
>>第20軍団兵さん
そういえば、前のスレでカロバリスタについて調べてくださるとのこと
でしたけど、どうなりました?
実はかなり期待していたものですから、折を見てお願いできないもので
消化?

43 :ほへぇ〜:2005/12/30(金) 01:17:53 0
>>37
覗いてきたら結構盛況ではありませんか。

ネタ切れというより議論が堂々巡りなので閉塞感を感じるのでは?


44 :世界@名無史さん:2005/12/30(金) 20:43:23 0
 キリスト教の司祭が政治将校みたいにローマ軍を管理始めた頃から影響
が出て来た気がする。

45 :ほへぇ〜:2005/12/31(土) 00:23:28 0
ジュード・ロウ主演の映画『スターリングラード』を思い出してしまった。
赤軍政治将校の人間性といったら……。

スレ違いなのであるが『世界最強の軍隊』とは
アメリカ人の将軍
ドイツ人の将校
日本人の下士官
ロシア人の兵卒
という要素からなるであろうというジョークがあったのを思い出す。

確かにしぶといな。ロシアの歩兵というのは。

46 :世界@名無史さん:2005/12/31(土) 10:37:27 0
こういう兜っていつ頃の時代の装備ですか?
ttp://www.irregularminiatures.co.uk/images2/54mmAncientTriari.jpg

47 :ほへぇ〜:2005/12/31(土) 13:31:07 0
>>46
こう言っては角が立つけど下手糞なフィギュアだなぁ。

前三世紀末期ころの共和制中期のトリアリィと思われます。
鼻筋の通った長円形の盾とランケア(長槍)が特徴です。
鎖帷子と胸当てらしきものも見えます。装備のよい部隊ですね。
兜はエトルリアン・コリント型のつもりなんだろうけど。う〜む。


48 :世界@名無史さん:2005/12/31(土) 20:42:25 0
>>47同意。
 ローマ軍ぽくないな、なんかオリエント臭がぷんぷん。

49 :世界@名無史さん:2005/12/31(土) 22:33:31 0
>>47
ありがとうございます。

外国のフィギュアって何がしたいのか分からない位下手なのがままありますね。
ウォーゲーム用のとか。

50 :ほへぇ〜:2005/12/31(土) 22:56:06 0
ttp://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Roman_Legion
複製したロリカ・ハマタとかロリカ・セグメンタタを着たおじさんたちが
実に楽しそうだなぁ。私も銭と暇があったら『オスプレ』してみたいと思ふ。

51 :世界@名無史さん:2006/01/01(日) 02:20:20 0
 去年は「小泉」と「純一郎」の年だったな。来年は誰の年になるのだろうか。

52 :世界@名無史さん:2006/01/02(月) 10:08:21 0
小泉・竹中路線のおかげで、わが国の社会構造も古代末期のローマ帝国にように変化しつつあるわけだな。
去年の衆議院選挙で日本の有権者が選択した結果なので、日本国民としてはその結果を受け入れざるをえないが。

小泉引退後に抵抗勢力が反撃を開始してくれて、『記録抹消刑』にしてくれないかな。
でも安部が反対するか。まるでアントニヌス・ピウスのように。

53 :世界@名無史さん:2006/01/02(月) 11:30:19 O
そういや堺屋太一が昔、日本をカルタゴになぞらえた本を
書いてたな。「ある通商国家の運命」だっけか。もちろん
ローマはかの国でつた。

54 :世界@名無史さん:2006/01/02(月) 14:05:08 0
それは森本哲郎では?

55 :ほへぇ〜:2006/01/03(火) 01:45:09 0
『太平洋のシーザー』ことダグラス・マッカーサーに占領され改造された
戦後の日本は、戦前の日本ともアメリカとも異なる文化圏が成立してしま
った。その経緯を考えると、ローマとも、またそれまでのガリアとも異な
るガロ・ローマン文化期を迎えて繁栄したガリアのほうがカルタゴよりも
日本に似ていると、私はそう考えます。

56 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/04(水) 23:02:56 0
>>42
前スレ765あたりの事でしょうか?

57 :ほへぇ〜:2006/01/04(水) 23:28:08 0
ええ、多分そのとおりだと思います。
どうぞよしなに。

58 :世界@名無史さん:2006/01/05(木) 18:12:59 0
 ローマ皇帝とローマ教皇の勢力争いって何時から始まったんだ。安芸

59 :世界@名無史さん:2006/01/05(木) 19:15:12 0
東西分裂後たびたび東ローマ皇帝がちょっかいだしてたっけ。

60 :世界@名無史さん:2006/01/06(金) 18:15:12 0
 皇帝・副帝による領土分割が中央集権崩したよな。あれでリメスが崩壊した。

61 :ほへぇ〜:2006/01/07(土) 02:57:20 0
>>22
先日ヒストリーチャンネルでみた『ガウガメラの戦い』
ペルシア軍の前衛の鎌付チャリオットが、マケドニア軍の密集方陣に簡単に
絡め取られる様子を見て、この辺でチャリオットの時代は終わったんだなと
感じた次第。

密集方陣の中央数列を後退させて凹型の陣形を取ると、馬というのは本能的
尖ったものに対して避けようとするので、くぼみの部分でチャリオットが立
ち往生する。あとは歩兵が搭乗している敵兵を引き摺り下ろして刺し殺すだ
けで、ペルシア軍秘蔵の決戦用機動兵種『鎌付チャリオット』はあっと言う
間に無力化される。こういう戦例があるとチャリオットというのはローマで
採用されなくなるわけだな。

62 :ほへぇ〜:2006/01/07(土) 06:41:42 0
>>61
訂正します。
×ヒストリーチャンネル
○ディスカバリーチャンネル


63 :世界@名無史さん:2006/01/07(土) 08:08:14 0
 槍車的な戦術はなかったんだろうか?

64 :世界@名無史さん:2006/01/07(土) 16:09:01 0
 地面が平らで車輪が良くできてないと使い難いだろう。でもファランクス
みたいな大人数要らないし、場所が場所なら大戦果挙げられそうだけどな。

65 :世界@名無史さん:2006/01/07(土) 18:50:26 0
競馬なんかでは馬の目隠してるんだが、そういう知恵ないんかの。

66 :ほへぇ〜:2006/01/08(日) 23:23:49 0
色々知恵はあったでしょうし試行錯誤も繰り返されたとは思います。

競走馬の調教よりも軍事用の馬の調教のほうがかなり難しいでしょう。
馬って基本的に天敵から逃れるために足が速くなるという方向へ進化した
動物ですから。視界の中の槍衾へ突撃をできるまでには時間も労力も掛か
るんではないかな……というのが私の考えです。

同じ労力と時間と資金を掛けるなら、間違いなくファランクス【密集方陣】
やホプリテス【ギリシア式重装歩兵】のほうが、費用対効果という面で優
れていると思います。

馬にこだわるならチャリオットより、騎兵を選択すると思います。
以前にも触れましたけど、チャリオットでは威力偵察、捜索、伝令、など
細かい芸当ができないでしょう。騎兵に比べれば。指揮については好都合
かとも思われますが、共和制ローマ軍には執政官軍団の指揮官は『重装歩
兵の伝統を重視するあまり、徒歩立ちで指揮する』という決まりがありま
す。部下の騎兵長官は騎乗指揮するのですけれども。

ということで、少なくともローマでは共和政期にはチャリオットの出番は
無かったと思いますよ。

帝政期でもスエトニウス・パウリヌス指揮下の第]W軍団と第]]軍団の
一部、補助軍の歩兵と騎兵で約10,000名の軍勢が、チャリオットと歩兵か
らなる数倍のボアディケアのブリタンニア反乱軍を破ってますから、堅い
陣形を組む歩兵に対するチャリオットの優位性というのは既に無かったと
いうことだと思います。

67 :世界@名無史さん:2006/01/09(月) 17:38:22 O
重装歩兵のファランクス隊型は正面からの攻撃には無敵だからな
ギリシャの6層のファランクスにペルシャ騎兵の大軍が正面から突撃したが、結果はペルシャ騎兵はほとんど壊滅状態でチャリオットも馬が串刺しになり、薄いギリシャ軍の層に穴をあけることはできなかったって話がたくさんある



68 :世界@名無史さん:2006/01/09(月) 20:18:29 0
逆に方向転換は難しかったんだろうな
長くて重い槍だから

69 :世界@名無史さん:2006/01/09(月) 20:24:45 0
あれだ、三国志大戦の槍に正面から突っ込むようなものだ。

70 :世界@名無史さん:2006/01/09(月) 21:13:47 0
前面が無敵な代わりに側面が弱いんだっけか。
あとは密集隊形が崩されたらきわめて脆弱

71 :世界@名無史さん:2006/01/10(火) 00:46:28 0
徹底して遠隔攻撃を重視された場合も結構弱いよね。
パルティアにはそれで何度か痛い目にあわされている、
しかし、クラッススとアントニウスが大敗したりしたが、
総じてローマ有利な情勢が多かったとも聞くから、
特にそれが決定的な弱点ってほどではなかったのか?

72 :世界@名無史さん:2006/01/10(火) 03:19:02 0
会戦に持ち込めればローマのほうが圧倒的に有利だったみたいだね。
歩兵は言うまでもなくローマ有利だし、パルティアの重装騎兵はあんま強くないし。
ゲリラ戦を延々と続けられるか否かが問題かな。

73 :世界@名無史さん:2006/01/10(火) 10:09:40 O
パルティア戦線ではゲリラ騎兵隊によっての後方の補給部隊襲撃にかなり悩まされいたらしい
それで前線の正規軍が勝利してもなかなか前に進めなかった

74 :世界@名無史さん:2006/01/10(火) 21:24:22 0
グラディウスって鍔無いのね
あれで斬り結んだら、すぐ拳割られそう
だから突き専科だったのかな


75 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 01:42:19 0
>>74
あれは密集隊形同士がぶつかったときに使うためのもので、
振り回す空間がないからあのように短く、つくのに特化した形になっている。

と本に書いてあった。タイトルは忘れたけど。

76 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 17:14:37 O
グラディウスの基本的な使い方は大盾で体当たりして(相手がのけぞるようにやや下から)相手が体制を崩した瞬間に喉、下腹部や脇を狙って下から刺す(相手が強固な鎧を着ていた場合は太ももを狙うことも)
ドンブス!って
そのほうが剣が痛みにくいし致命傷になりやすい
まあ場合によっちゃ振り回して相手の頭を兜ごとかち割るってのもあったみたいだが


77 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 17:45:18 0
309 :世界@名無史さん :2006/01/02(月) 22:07:43 0
敵が大声で威嚇する中、黙ったまま整然と隊列を前に進め、距離が15mほどに
詰まったら一斉にトキの声を上げピルムを同時に投擲する。
で、敵が怯んで混乱しているところに、隊列を組んだまま突入する。
スクトゥム(長盾)の中央にはホスと呼ばれる金属製の突起があり、ココで敵を
殴りつける。盾の重量は5.5〜10kgもあるため軍団兵が体重をかけて殴りつけ
られたら、体格がよくても装備の貧弱な蛮族戦士ではとても持ちこたえられない
でしょう。相手が体制を崩したところを下からミゾオチ目掛けて突き刺すという
のが、ネロの時代の軍団兵の基本的な戦い方です。


78 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 18:00:42 0
それ何処のスレ?

79 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 19:27:29 0
カエサルはファルサロスの戦いで対騎兵のために長槍歩兵を用いた。
なのに何故ローマ軍はギリシャ的長槍歩兵と標準的なローマの歩兵の混合戦術を採用しなかった?
しかも後世ギリシャの長槍歩兵はスコットランド軍やスイス傭兵によって復活しているし。

80 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 20:04:11 0
民族大移動期、ギリシャに侵入したゴート族を
スパルタ人がファランクスを組んで撃退したという
伝説があるらしい。

81 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 20:04:22 0
>>77
帝政末期になるとゲルマン人みたく雄叫びをあげて戦ったって聞いたことがある。
共和制初期は盾をバンバンならすとか。

>>79
対騎兵対策をするほど騎兵が脅威ではなかったんじゃないかな。鐙ないし。
ファルサロスでは自軍騎兵が大きく劣っていたから急遽第三列のベテランに任せたんだと思う。

82 :素人:2006/01/11(水) 20:08:13 0
>>76
それって剣じゃなくて矛って言わないか?

>>81
雄たけび上げなくても銅鑼を使えばいいじゃん。

83 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 20:11:33 0
>>雄たけび上げなくても銅鑼を使えばいいじゃん。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

84 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 20:49:16 0

ジャーン、ジャーン!!
わわー、伏兵だ!
げーっ、アルミニウス!

85 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 21:33:14 0
司令部から前線部隊への合図はホルンと太鼓の組み合わせではなかったっけ?

86 :ほへぇ〜:2006/01/11(水) 21:43:33 0
>>79
共和制中期のマニプルス戦術が、あなたの言う混合戦術だと思うのだが。
第三列兵は投槍ではなく、長槍を装備していたよ。

87 :世界@名無史さん:2006/01/12(木) 16:27:23 0
 後で槍持ってる奴が1列で並んでたら、督戦隊みたいでその前で戦ってる
連中は堪らないだろうな。

88 :世界@名無史さん:2006/01/12(木) 19:52:08 0
>>56
第20軍団兵さん
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1136992296/l50


89 :世界@名無史さん:2006/01/13(金) 16:36:55 0
>>81
騎兵は脅威でしょう、カンネーだって騎兵に回りこまれて包囲されたんだし。
ただ普通は騎兵には騎兵で対抗していたのでは?

つーかそれ以前に、既出だけど長槍兵もいたよね。

90 :世界@名無史さん:2006/01/13(金) 17:33:24 0
鐙が無くても鞍の4っつの出っ張りがあるから騎乗戦闘は問題無い。
これはローマだけでなくガリアもゲルマンもパルティアもペルシアも使ってた。

91 :世界@名無史さん:2006/01/13(金) 18:57:47 0
 鐙があると馬の統御がやり易い、また鐙が無いと内股で馬をずっと抑えて
いなければならず、御者が疲労しやすい。また騎乗戦闘を行う際、物にぶつ
かる際の反動を吸収しやすい。もし反動を吸収しきれないと御者は馬から転
げ落ちてしまう。これらを考えると鐙の有る無しは現代人における車のマニ
ュアルとオートマ以上の差を御者に与えたと考えられる。無論それらの差は
兵士の訓練費、雇用費にも大きな差を与えたと考えられる。

92 :世界@名無史さん:2006/01/13(金) 19:09:46 0
>>89
背後からは確かに脅威だけど、その対策としては友軍騎兵を増強する方向で行けばいいから
重装歩兵が長槍持って騎兵を抑えるとかは普通は考えないんじゃね?

あと長槍兵は共和制の時期はトリアリィがそれに当たる。でも帝政期はどうなんだろう?
イメージとしてはみんな同じピルム装備って感じがするんだけど。

93 :世界@名無史さん:2006/01/13(金) 20:38:07 0
>>91
それらの事は4っつの出っ張りに体重をかける事である程度解決される。
騎乗を習うのに鐙がある方がずっと簡単なのは当然だが。
もし鐙が無ければランスチャージが出来ないと言うのが本当ならパルティアのカタフラクトやササン朝ペルシアのクリバノフォロイはどうなる?

94 :世界@名無史さん:2006/01/13(金) 21:17:06 0
アリアノスは、アラン人の重装騎兵による攻撃への対応策として考えられた
隊形について、記している。軍団兵は八縦列で隊形を組み、前四列は投げ槍
で、後列はもっと軽い投げ槍で武装した、というのである。第一列は投げ槍
を角度四十五度にかまえ、槍の末端は地面につけていた。つまり、敵に対し
て槍の穂先をそろえて密集した槍ぶすまをつくったのである。のこりの三列
は投げ槍を投げると、前列の兵をしっかりと支えた。うしろの四列の兵も軽
い投げ槍を投げ、第九列目の弓兵、第十列目の騎馬弓兵、更には砲兵が矢や
石をあびせかけた。

「図説古代ローマの戦い」より抜粋

95 :世界@名無史さん:2006/01/13(金) 22:03:31 0
 出来ないとは言わないけど、やはり相当な訓練が要ったと思う。古代
が歩兵中心なのもその為、アレキサンダーの騎兵なんて中世の馬にまで
鎧着せた時代に比べれば遥かに軽装。ランスチャージの概念にしても
古代は側面から背後に回って敵歩兵の退路と士気を破壊する戦術、無論
槍だけでなく剣も弓矢も使う。部隊に与える損害の主力は当然歩兵。
 それに対して中世は重装備の騎兵が敵部隊に突っ込んで敵を壊乱させ
る。

96 :77:2006/01/13(金) 22:35:09 0
>>78
遅くなって申し訳ない。

「拳闘暗黒伝セスタスはどうよ?」
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1082784356/l50

もっとも77が書き込んだのだけれども。


97 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 14:35:38 0
 >>95
話はずれるけど、騎兵の重装備化が進んだ結果騎兵の最大の武器である機動力
が封殺されて、スイス傭兵みたいな槍一本と軽装備で戦う歩兵が主力として帰っ
てくると言う理解でいいんかい?

98 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 16:51:57 0
重装騎兵と騎士は違うのでは?

99 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 17:18:37 0
>>97
それは違うでしょう。
鐙等の発明により騎兵の攻撃力が増大したので、それも一因となって歩兵戦術が廃れた。

帰ってくるというからには、
おそらくそれ以前にはあった古代ギリシャ等の長槍装備の歩兵の存在を前提に、
一度廃れたそれが復活するという状況のことを言っているのだと思うが、
古代の長槍兵華やかなりし頃は、騎兵の攻撃力が相対的に弱かった時代のことだった。

ただし、そういった歩兵が軍の主力として廃れたのは騎兵の発展以上に、
それらの兵の根幹を成す、士気の旺盛な兵士が徐々に消滅したからだと思う。
だから、そういう重騎兵全盛の時代にも、士気の高いスイス人歩兵等は例外的に活躍できたと。

100 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 17:20:10 0
まとめると、
古代のおいて、特にギリシャ・ローマ等士気の高い歩兵が存在する地域では、
騎兵の攻撃力が後世に比べると劣っていたこともあって、歩兵が軍の主力だった。
しかし、その後社会状況の変化に伴い、士気の高い優れた歩兵が減少し、
加えて技術革新等によって騎兵の攻撃力が上がったこともあって歩兵戦術は衰退し、
スイス人傭兵隊等の例外を除いてあまり主力としては用いられなくなった。

歩兵戦術が本格的に復活するのはさらに時代が下って、銃器の出現により、
その火力との組み合わせによって容易に騎兵の突撃を阻止できるようになってからである。
といったところではあるまいか。

101 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 18:09:15 0
 ローマ衰退と共に貨幣経済が崩壊し、都市崩壊・土地放棄が増加した結果
人口も減少し土地中心の封建制度が出て来た影響もないか?結果、大規模な
歩兵動員が不可能になると共に歩兵戦術が不可能になり、戦争のプロである
騎兵が中心になる。スイス歩兵やランツクネヒトの台頭はスイスは粗放牧畜
で男手が必ずしも必要ない。ランツクネヒトは土地分割が進みすぎて次男、
三男に分ける土地が無くなった為と理解している。無論戦術はシーソーゲーム
だから一つの戦術が出てくればそれに対抗する戦術がでてくるのは時間の問題
だけど。

102 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 18:15:10 0
 どうでもいいことだけど、時代が下る程騎兵長官の名前が出て来る
のは騎兵の役割が増大した間接的な証明なんだろうな。

103 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 20:25:00 0
ローマ時代の重装騎兵といったらサルマタイ人とかかい?

104 :世界@名無史さん:2006/01/15(日) 00:56:39 0
 いつの時代かは判らんけど、共和制期はイタリア上流階級。共和制末期か
ら帝政期になると東方・西方の蛮族で東ローマになると遊牧民に土地を与えて
定住する土地プラス報奨金を要求されてだんだん勢力が減っていく。

105 :ほへぇ〜:2006/01/15(日) 02:51:03 0
前のスレでも書き込んでしまったようなので、自分の誤りを訂正しておきます。

鐙を知らないローマ時代の騎兵の戦闘能力が、鐙をつけた後代の騎兵と比較して
劣るような記述をしてしまいました。ピーター・コノリーP・Connollyの『The
Roman Cavalry Saddle(1991)』――ヴァン・ドゥリエル=マーレー共著――に
おけるローマ時代の四本角の鞍の復元実験で、定説とされていた『鐙の無い騎
兵の姿勢の不安定』というのが誤りであったということが実証されたというこ
とです。

発明者不詳のガリア起源の四本角の鞍は、
@騎手の重みが軽減。
A大腿部の鞍はまりも良好。
等の特徴があって、安定感はかなりのものだということです。

騎手が傾いた身体を立て直すことも、投槍を投げることも、突槍での突撃も、
スパタを振り回すこともさほど難儀ではないとのことでした。
【引用】E・ゴールズワーシー『古代ローマ軍団大百科』より

ただ鐙が無いと騎手は両脚を宙に吊った状態が続くので、鬱血しやすく長時間の
騎乗は苦痛を伴うものであることには変わりないようです。また鐙があったほう
がより姿勢を安定にできるというのも間違いありません。四世紀以降のゴート騎
兵の戦闘力の向上にも鐙の導入が大きく貢献したという見解は間違いないと思い
ます。

皆様の書込みに少なからずの影響を与えたことをお詫びします。ごめんね。




106 :ほへぇ〜:2006/01/15(日) 03:06:03 0
しかしながらヌミディア騎兵って
『鞍も鐙も無い裸馬に跨って、ハミが無いので縄を馬の首に回して』
馬をコントロールしていたのだな。それでいて騎乗戦闘力は

『ヌミディア騎兵は地中海世界最強〜ッ!』

という状況だった。すごいな。ホント。

107 :世界@名無史さん:2006/01/15(日) 15:22:19 0
ってことは、中世の騎士とローマ騎兵の衝撃力の違いは騎槍の持ち方くらいかな。
それにしても鐙なしでも足への負担を除けばさほど差がないというのは驚きだ。

ところで、帝政末期のローマ軍にもゲルマン傭兵以外に普通のローマ人がいたと思うんだけど、
西ローマ崩壊時、こういったローマ人兵士ってどうなっちゃったんだろう?
各駐屯地で蛮族と混じって土着しちゃったのかな?

108 :世界@名無史さん:2006/01/15(日) 16:08:58 0
>>107
全然違うよ。中世の騎士の騎槍は両手でないと持てない程重い、また固定式で
振り回すなんて不可能、鎧も一度倒れたら起き上がれない程重い。馬も古代
より大型で蹄鉄があるから瞬発的力もある。馬にも鎧があるから人馬の質量・速度
が全然違う。そういったエネルギーが全部槍先にかかってくるので相当な威力があ
ったと思う。一方古代の騎槍は片手で持てるし、鎧も後代より軽い。

109 :世界@名無史さん:2006/01/15(日) 16:10:10 0
あるものは地元に残り混血して消える、あるものは本国に帰える、といろいろだったのでは?

110 :ほへぇ〜:2006/01/15(日) 16:37:34 0
蹄鉄のローマ世界への普及について
@前一世紀、ゲルマニア由来
A後五世紀、フン族由来
と二説があるらしいが、どちらが正しいのだろうか?
出土資料で紀元前後にはケルト人が装蹄技術を持っていたという話もあるようです。

ローマ人は比較的長期にわたって、ヒポサンダール(馬のサンダル)を使って
いたようだが、>>108氏の書込みにあるように装蹄の馬とサンダル履きの馬では
その能力にかなりの差が出るかもしれませんね。ヒポサンダールでは小石など
が挟まると馬が苦痛で言うことを聞かなくなるだろう。

111 :世界@名無史さん:2006/01/15(日) 16:43:29 0
>>中世の騎士の騎槍は両手でないと持てない程重い
>>鎧も一度倒れたら起き上がれない程重い
まだそんな与太話を信じてるのか。

112 :世界@名無史さん:2006/01/15(日) 17:44:42 0
>>108
鎧については起き上がることも十分可能だったはず。重量はあってもバランスよく分散されてるから。

ただ、重装騎兵が完全に消滅する寸前の鎧(トーナメント専用とか)はもはや自ら乗馬などは不可能で
クレーンみたいので吊り上げて乗る、って聞いたことがある。

113 :世界@名無史さん:2006/01/15(日) 17:57:56 0
 個人的には2500年前に蹄鉄の元祖みたいなのが生まれて、3世紀
頃から馬のサンダルとの差が決定的になり、5世紀までにローマ全体に
広がったと考えています。3世紀にマルコマンニがリメスを破ってコリント
まで攻め込めたのは馬の機動力が今まで以上に伸びた可能性を示しています。
蹄鉄も馬の蹄の成長具合や削り具合の調整や
嵌める技術などを上手くやらないと馬が苦痛を感じるらしいのです。

114 :世界@名無史さん:2006/01/15(日) 18:59:23 0
中世騎士と言っても11世紀の騎兵と15世紀の装甲騎兵じゃ全くの別物だがどの頃を想定してる?

115 :世界@名無史さん:2006/01/16(月) 09:32:57 0
 蹄鉄の普及や馬の改良・鐙の普及で騎兵が歩兵より優位になった事を理解
すればいいんでないかい。時代や地域・国ごとに戦術なども異なるから物理
実験みたいにはいかないんだから。

116 :世界@名無史さん:2006/01/16(月) 15:11:43 0
ちがうだろ

117 :ほへぇ〜:2006/01/17(火) 00:14:00 0
>>116
すみませんが、誰の発言の何処が違うのか教えてもらえませんか?


118 :ほへぇ〜:2006/01/17(火) 00:26:43 0
>>113
現代の競走馬の場合は、全てオーダーメイドで内外6本の釘で固定する
ということですが、出血したり馬が苦痛を感じることはないそうです。
それだけ装蹄技術が進歩しているということでしょう。

20日ほどで軽金属製の蹄鉄を交換するとのことですが、古代後期の世界
ではどうだったのでしょうか?

日本でも上代には蹄を直接焼き焦がして硬化させるという方法をとったらしい。

119 :世界@名無史さん:2006/01/17(火) 01:12:09 0
 普通の農耕馬は半年に一回程度で取り替えたみたいです。無論、労働
条件や蹄の成長によって変化するみたいですけど。蹄は馬の命でこれが
駄目になると馬の価値がパアになってしまうので馬の蹄に釘を打ち込む
なんて新車打っ壊す位の覚悟がいったんではないでしょうか。特に古代
では。日本も鞍は早期に入ってくるのに、蹄鉄技術は明治期に入ってく
るのはそこいら辺に問題があったのではないでしょうか。

120 :世界@名無史さん:2006/01/17(火) 01:44:33 0
カタフラクト等の装甲騎兵はどれ位の速さで走れたの?
そもそもギャロップできたの?

121 :世界@名無史さん:2006/01/17(火) 02:05:32 0
ペルシャかパルティアかの重装騎兵は重すぎてランスチャージやっても
敵に槍を握られちゃうほどノロかった、という話がある。信憑性は微妙だが。

122 :ほへぇ〜:2006/01/17(火) 09:41:52 0
蹄鉄の歴史
人類が護蹄の必要性を認識した初源は十分明確になっているわけではない。
古代ギリシャ・ローマ時代、ローマ人はヒポサンダールという金属製のサン
ダルを使用していたこと、また一方紀元前すでにローマ帝国の辺境にあって
ケルト人が、蹄釘を用いた蹄鉄をもって装蹄を行った事実を物語る出土資料
がある。紀元前1世紀頃ローマ人は蹄釘を用いた蹄鉄を装着するいわゆる装
蹄を辺境のゲルマン人から学んだとする記録は、このケルト装蹄始源説とそ
の技術を継承するゲルマン人による装蹄技術伝承論を有力なものとするが、
紀元前5世紀ごろ装蹄技術がフン族(中央アジアを舞台とする騎馬民族)に
よってギリシャ・ローマ文化圏にもたらされたとする別説もある。

日本の蹄鉄の歴史
護蹄の意識は、7・8世紀ごろ蹄の裏を焼いて硬質にする方法や繊維質のもの
で保護する護蹄方法、また万葉集にも護蹄を示す記述があり、すでに古代から
民間にあったことをうかがえる。
護蹄手段を耐久性のある素材として鉄にもとめ、鉄沓(てつのくつ)として鋲
を打った鉄板を着用したのはわが国では、戦国時代であった。朝鮮からその技
術が伝わったとする見解もある。
江戸時代の享保年間オランダから来日したケイズルに同行した蹄鉄師カーラス
・レインボーが西洋式の装蹄法を伝授したが、その普及はなかったという事実
はたしかにある。
日本の近代装蹄のてががりは開国後で、日本産馬が諸外国産より劣ることを認
識した政府が欧米から積極的に技術を取り入れた。いくつかのルートがあるよ
うであるが、西洋装蹄術が学理を伴う装蹄技術として本格化するのは、明治6年
フランス人ビューストを招いての兵学寮での装蹄教育、さらには明治23年のド
イツ人ミューレンを招聘しての駒場農学校におけるドミック式装蹄法の教育に
始まる。その後、軍用馬の需要とともに発展するのである。
(日本装蹄師会発行の装蹄学参照)

【引用】栗東蹄鉄ホームページ
http://homepage1.nifty.com/koyuota/souteisi-02-00.htm


123 :世界@名無史さん:2006/01/17(火) 21:39:22 0
騎兵の役割は中世まで近世になってからはスイスの傭兵とかランツクネヒトとか
歩兵の役割がルネサンスのなかで復活。火器の普及で主力から降格。
おもに偵察と奇襲になる。

124 :世界@名無史さん:2006/01/17(火) 21:51:50 0
>>123
火砲の発展によって騎兵偏重の時代が終わったことは事実だけど、
変わって、騎兵・歩兵・砲兵を有機的に結びつけ運用する、
三兵戦術に徐々に移行していったのであって、
迂回や突破といった古来よりの騎兵の役割が変わったわけではないよ。

というか、なぜその書き込みをこのスレで?

125 :世界@名無史さん:2006/01/18(水) 20:02:36 0
ロリカ・セグメンタタは大して優れた鎧ではなかった。
ストラップがすぐに外れるわ重いわメンテナンスに時間がかかるわで唯一の利点はハマタより刺し傷に強い位で全体的に見るとハマタの方がずっと優れていた。
もし本当に優れていたのなら帝国全土の軍団に支給されてた筈だが実際は西方の領土の軍団にのみ支給されており東方の軍団は必ずハマタを装備していた。



126 :ほへぇ〜:2006/01/18(水) 23:31:45 0
>>123
>>124
ローマ帝国が生き延びて、20世紀初頭にインド洋の覇権を賭けて東アジア
連合(中韓日)と戦うなどというような佐藤大輔ばりの妄想にかき立てら
れることがあります。これに比べればスイス傭兵とかランツクネヒトに拘
るくらいカワイイモノデス。
でもフランク王国のスコラ重騎兵とか出てこないなぁ。一応西ローマ帝国
なのに……。
火器が登場しても連発性とか速射性に大きな問題があったナポレオン戦役
のころなら、騎兵が縦横無尽に戦場を駆け巡っているという印象もあるけど。
実際騎兵の役割が変化していくのは普仏戦役のころではないかな?

>>125
複製品の重量
 ロリカ・ハマタ(重量を分散させるベルト込み) 10〜15kg
 ロリカ・セグメンタタ 9kg
防御力を取ってみても、飛んでくる矢、突き刺す剣の打撃を反らす等
鎖帷子には無い特性を持っていた。
しかしながら、着心地は悪い、メンテナンスには時間がかかる、製造工程が
複雑すぎる、製造単価が高い、軟鉄板に青銅器の部品を組み込んであるので
イオン化傾向の関係から腐食が早く進む、……など問題が多かった。

ロリカ・セグメンタタというとトラヤヌス記念柱の軍団兵が有名だが、
アダムクリシのレリーフは同じダキア戦役を扱っているにもかかわらず
ロリカ・ハマタ装備の兵士が圧倒的に多い。
トラヤヌス記念柱は国内向けのプロパガンダの色彩が濃いが、
アダムクリシの場合は戦役に関わった兵士が自分たちの功績を後の世に
残そうとした記念碑なのでこちらのほうが実史に忠実なのではと言われて
います。

127 :世界@名無史さん:2006/01/19(木) 00:32:56 0
 火器の発達で一番不要になったのは盾だな、現代でも鎧変わりに
防弾チョッキはあるが盾を装備する軍なんて一つもない。とチラシ
の裏。

128 :世界@名無史さん:2006/01/19(木) 00:36:13 0
機動隊とかの装備してるセラミック盾は?米州警察とかでも持ってた気がするけど
あれはやっぱり暴徒鎮圧用なんだろうか。

やっぱりかさばるから軍隊にはいらんか

129 :世界@名無史さん:2006/01/19(木) 00:43:40 0
>>8
連カキ、超亀で済まないのだが

タキトゥスにゲルマンは一部のケルト族を隷属させ鍛冶製鉄を行わせているって節があった気がする。
隷下ケルトの技術だけじゃなくて、ゲルマン自体も高い技術を持ってたん?

130 :世界@名無史さん:2006/01/19(木) 01:05:49 0
 遊牧民は都市住民・商人・農耕民の安全を保障する代わりに金や武器
その他生活物資を貢献させるからそういう連中じゃない。古代では義務
教育や学校なんてなく技術は世襲で受け継がれる可能性が高いからそうい
う階級を部族内に持ってた可能性もあるけど、ローマに比べたら低いと思
うんだよな。


131 :世界@名無史さん:2006/01/19(木) 23:00:33 0
>>126
騎兵の衰退というよりも、
歩兵戦力の復活による相対的な関係の変化というべきではないだろうかと。

132 :世界@名無史さん:2006/01/20(金) 04:43:32 0
 ラッパの軍事活用っていつからだろう。

133 :世界@名無史さん:2006/01/21(土) 12:33:31 0
ラッパは古代からあるんじゃない。

134 :世界@名無史さん:2006/01/21(土) 12:36:27 0
旧約聖書でヨシュアがラッパを吹くとイェリコの城壁が崩壊した話とか。

135 :世界@名無史さん:2006/01/21(土) 22:59:58 0
我々はS.P.Q.Rだ。貴様達を同化する。
貴様達の文化的技術的特色は全て同化される。
抵抗は無意味だ。


136 :ほへぇ〜:2006/01/21(土) 23:24:17 0
帝政期って当時としては科学技術大国なんだけど、必ずしも先進技術地帯では
無いというのが不思議だ。ローマ軍の装備そのものが、外来技術に多く依存し
てますね。グラディウスはヒスパニア由来。スクトゥムはケルト由来。投擲兵
器や攻城櫓などはギリシア&マケドニア由来。王制期には鎧・兜がエトルリア
由来。ホプリテス【ギリシア式重装歩兵】をそのまま導入した時期もある。

ガリアやゲルマニアでは鍛冶職人の社会的地位がローマのそれに比べて高いの
で、冶金においてはローマの技術水準を凌いでいた可能性もあるのでは?


137 :ほへぇ〜:2006/01/21(土) 23:28:36 0
>>135
私もずっと以前からそう考えていたのだけれども
「新スタートレック」にでてくる[ボーグ」って
まるでローマの無機質なカリカルチュアみたい。


138 :世界@名無史さん:2006/01/21(土) 23:30:37 0
ピルムはサムニウム族由来じゃなかったっけ?

武器の質という点ではガリア人はローマ兵に及ばなかったようで。
例外は族長の武具で、あれだけはローマ兵のそれと遜色なかったっぽ。

139 :ほへぇ〜:2006/01/22(日) 00:09:10 0
ダキア人なんかもそうですが、族長クラスの装備だけはローマ軍団兵並みであった
ということは、ハイレベルの装備を軍隊全体にいきわたらせるだけの製造能力や
経済力が無かったということでしょう? 少数ならば製造可能なハイレベルな技術
を維持してたわけですから。ローマにまつろわぬ蛮族の特徴の一つは普段は氏族単
位でバラバラであって、一つのまとまった経済圏を構成することができなかった。

ローマ軍の蛮族に対する優位って、一定水準の装備を軍団兵全体に行き渡るくらい
大量に用意して軍団全体の質を高い水準に保つことにより、量的不利を質的優位で
補っていたということでしょう。貧乏な蛮族にはできないことですよ。 

140 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 01:10:44 0
帝政末期は兵士自身の質が悪く、武器の配給のほうもダメになってた。
確か戦列の前の数列だけ重装でその後ろ10列以上は金属鎧なしだったようだし。
ここらでの優位がなくなったってのも帝国崩壊の理由のひとつかな。

141 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 03:11:53 0
 ヨーロッパにおける家紋・エンブレムの発祥ってこの頃?

142 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 10:59:05 0
>>140
そんなとっくの昔の論破された説を信じるなよ。


143 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 12:04:25 0
>>142
どこがどう論破されたのか教えて欲しい。煽りとかじゃなくて純粋に知りたい。

144 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 12:23:07 0
帝政末期も殆どの兵に鎧は支給されてたし質も落ちていない。
過去の説の様にLimitaneiとComitatensesの装備に違いがあったわけでもない。
装備や戦術を新たな敵(サーサーン朝ペルシア等)に合わせただけだ。
兵の多くが蛮族出身だと言うのも間違い。
補助兵Auxiliaに合わせて国外兵Foederatiが増えたのは事実だがローマ市民の兵も多い(正確にはFoederatiは大体軍全体の20%程を占めていた)
ローマ軍は依然として世界最強の戦闘集団だった。
アドリアノープルの様な例外を除いて大敗する事は殆どなかったし蛮族相手には殆ど損害を受ける事無く勝ち続けた(ストラスブルグの戦い等)
西ローマ帝国が滅びたのは経済的及び政治的理由で軍事的敗北のせいではない。
ヒュー・エルトンやエイドリアン・ゴールズワージーの著作を読めば良い。

145 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 12:34:41 0
>>144
なるほど、勉強不足だった。ありがとう。
軍隊はまだまだ有力であったにもかかわらず、それを支える要素に問題があったということか。
あーなんか想像とは全然違うなあ。

146 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 12:56:25 0
 対外的にいくら勝ったってばかばか皇帝作って国家財政破綻させて
ちゃ意味が無い。ローマ末期の通貨のインフレなんてアウグステュス
が観たら自殺するレベル。

147 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 12:58:32 0
>>144
帝政末期のローマ軍は詳しくないんですが
ササン朝に合わせた装備や戦術とはどういうものでしょうか?

148 :世界@名無史さん:2006/01/23(月) 09:34:39 0
 歩兵・軽装弓騎兵・重騎兵の3種に移行していくのを言ってんじゃない。
これにあわせて騎兵長官が大きな地位を確保するようにもなるし、ローマ
市民兵・補助兵・外国兵の区別も省略・人員定数の概念も無くなっていく。


149 :世界@名無史さん:2006/01/23(月) 15:57:00 0
 アウレリアヌスも騎兵長官出身だったな、アウレリアヌスの城壁作ったり
世界の復興者と呼ばれても銀貨は銅貨に銀メッキしたもの。これでは街道な
んかのメンテなんて手が廻らないだろうし、リメスの防御に固定した兵力を
確保するなんて不可能。それにしても末期になればなるほど暗殺される皇帝
の多い事多い事。

150 :世界@名無史さん:2006/01/23(月) 16:40:36 0
暗殺されるほほぼ確定の皇帝になりたがる人物が多かった不思議

151 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 03:12:17 0
アウレリアヌスの城壁って全然役に立ってない気がする。
マクセンティウスがわざわざ城外で戦ったのは、城壁が頼りにならないことを
知ってたからだろう。
アラリック、ガイセリックのローマ劫略。
一千年もったコンスタンティノープルの城壁に比べてショボすぎるのでは。

152 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 08:34:05 0
城壁作ったって内部に守るもんなければ意味がない。財産も人材も東ローマ
に遷った後のローマは空き家状態で一時は3万人以下にまで人口が減った時も
あったらしい。復興のきっかけはローマ教皇がローマに本拠を置いて聖地にし
てから、100万人以上の人口が回復したのは近代になってから。

153 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 09:02:25 0
今でも観光頼み
イタリアの中心都市はミラノ

154 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 16:33:39 0
イタリアって北部が産業の中心なんだっけ。

>>152
コンスタンチノープルもビザンツ滅亡寸前の時は人口数万で街中は荒れ果てていたみたいだね。
ゲルマンに掠奪された頃のローマもそんな有様だったのかねえ。

155 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 17:19:19 0
 京都も千年の都なんて豪語しても一端無政府になったり戦乱・飢饉になる
と地獄絵図。ローマも廃墟のインスラや宮殿・墓ばかりのゴーストタウンで
コロッセオに貧民が住むって時代が長く続き、その後廃墟は寺院・家の材料
にされ放置されてゴミ捨て場になり、やがて草が生えると牧草地。ルネッサンス
の時代に脚光を浴びて調査される場所もあるが本格的調査は近代。だが近代に
なると中世・ルネッサンス期の建物も貴重だってんで壊せない。近代になって
人口が増えてマンションや店舗・アスファルト道路・政府機関ができるとそこ
も掘り返せない。世界遺産の上に世界遺産が乗っかってその上に大勢の人間が
乗っかってるのが現代ローマ。

156 :ほへぇ〜:2006/01/24(火) 22:03:13 0
岩波書店『コンクリートの文明誌』小林一輔/著 に書いてあったことなんだが
コンスタスンティノープルへの遷都――と言うかローマ放棄と言うか――の理由
の一つに、ローマに在った公共建築物のメンテナンスに注がなければならない労
力と資金が、新首都建設よりも高くついてしまったということだ。

五世紀になると、大量の老朽化した建築物に埋まったような状態になったローマは
新規事業はもちろん、メンテナンスもできずに荒廃の一途を辿ったのではないだろ
うか。

157 :世界@名無史さん:2006/01/25(水) 08:22:50 0
 地下水道や下水道に汚水が溜まってマラリアの巣になりローマ放棄の原因
になったって説があったな、ローマ最盛期10本あった上水道が中世一本もなく
なったのは戦乱による荒廃だけでなく自分達で打っ壊した可能性もあるという
意見だったと思う。

158 :世界@名無史さん:2006/01/25(水) 08:41:58 0
イタリアでマラリアかあ

159 :世界@名無史さん:2006/01/25(水) 09:21:47 0
http://www.forth.go.jp/keneki/nagoya/ryokou-mararia-rekisi.htm
チラシ裏だけどこんなんあった。

160 :ほへぇ〜:2006/01/25(水) 11:56:17 0
ローマ水道を閉鎖したのは、ビザンツのベリサリウスだろ。
ローマ市内への蛮族侵入を防ぐため。

161 :世界@名無史さん:2006/01/25(水) 13:46:22 0
 防衛云々で考えて坑道戦術に対抗するなら城壁下から何十mか埋めて
平時には元に戻せばよい。それを元に戻さなかったのは人々が水道を
都市生活に必要なインフラと考えず、もはや病気を蔓延させる邪魔な
物としか考えなくなった。結果的に現世の救いを宗教に求めるようにな
ったという意見。かなり端折るとそうなる。経済的・技術的ノウハウが
無くなった性も大きいだろうけど。

162 :世界@名無史さん:2006/01/26(木) 18:41:37 0
>>150
軍団が勝手に祭上げる。逆らえば殺され、その軍団が他の軍団に負けたり
軍団内部に問題が起きれば責任者として殺される。選ばれる基準は大食い・
巨漢・力自慢等かなりいい加減。皇帝乱立期に皇帝・共同皇帝・僭称含めて
皇帝になった奴は23人、そのうちベットで死んだのが1人で残りは暗殺や
戦死。そのおのおのが軍資金確保に通貨を乱造するんで経済大混乱。

163 :世界@名無史さん:2006/01/26(木) 21:10:27 0
しかしローマって何でその時期に滅びなかったのかね?

164 :世界@名無史さん:2006/01/26(木) 21:13:54 0
普通は滅ぶのに何故か滅びなかった。


165 :世界@名無史さん:2006/01/26(木) 21:22:02 0
 それでもがんばったのが底力と言うか運が良かったと言うべき意見が分かれ
る所だろうけど、まあポエニ戦争とかカエサルやアウグストスでの内戦とか、
それ以外にも皇帝位を巡って内乱等なんども滅亡の危機はあった訳だから結果
論だけどそんな状態でもローマ軍は強かったって事なんだろうな。

166 :世界@名無史さん:2006/01/26(木) 21:44:40 0
しかし、皇帝の血統は変わっているわけだよね。
国の名前が変わらないだけで、例えば中国あたりの言い方で言えば、
王朝が変わったといっていい。

一度混乱期になって、以前の皇帝家とは関係ないものが皇帝に即位し、
その結果安定して国力が盛り返すという流れは、
中国で言えば王朝の交代に相当するのではないか?

例えば、ユリウス・クラウディウス朝―混乱期―フラウィウス朝という流れは、
漢―三国時代―晋、或いは隋―混乱期―唐、などと同じだというか。

167 :世界@名無史さん:2006/01/26(木) 22:29:06 0
>>166
つっても、ローマは政体そのものが変化してるしな。
皇帝の血筋が変わろうとローマはローマって
当事者たちも思ってたんじゃないか。
支那とは国家の性質が随分違うので
無理に支那の王朝交代に当てはめることは無いと思うが。

168 :甲斐犬:2006/01/26(木) 22:59:14 0
1,人間の能力で最も格差が大きいのは経済、金儲けの能力である。低い者はマイナス
  値なのだ。
2,農業は、自然条件に左右される不安定で投機的な産業である。さらに、貨幣経済
 の発達とともに、市場という不安定要素が加わる。

 1と2を合わされれば、多数の自作農の維持など不可能だとわかる。例え、出兵が
無くとも、税が軽くとも、農民は二極分化していく。宋の旧法等やローマの閥族派は、
この事を感覚的に理解していたのだろう。経済法則に反した政策は成功し難い。


169 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/26(木) 23:25:04 0
>>168
それはどのような根拠に基づいているので?
実際のところ帝政が始まってしばらくするとと共にラティフンディウムは下火に向い始めるし,
そもそも奴隷制に立脚した農業社会が出現したと言い切れるのは南イタリア・シチリアに限られ,
北イタリアでは怪しく,ガリア・ブリタニアではウィラ農業が主流ではないですか。

そもそも16-17世紀程度の「自由」市場経済が出現したのかが怪しいし,その市場にアクセスできる農家が
どれほどあったのか疑わしい。
さらに「農業」への思い入れが強いだけあって各自治組織の規制も大きいことも忘れてはいけないところでは。

人と商人の動きが中世のどの時期よりずっと大きかったという事は認められるが,それが基本的生産品まで及ぶほど
「市場経済」が出来上がったとはいえないのでは。

170 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/26(木) 23:51:16 0
>>166
ウェスパシアヌスの命令権に関する法が示すように,元首ごとにリセットがかかるのが皇帝権な訳で。
そもそもよって立つ原理が違うので中国の王朝原理を持ち込むのはどうかと思いますね。
そもそも皇帝の権能は軍司令官(だからこそ軍団長は"legatus"なわけで)と裁判官(ハドリアヌスの逸話が最も適切にこれを物語るか?)
なわけで。
じゃあ,王朝として何でまとめられているのか?といえば,相続によっても帝権は引き継がれるので(引き継がれるが,連続するわけではない所が注意点)
そうやってくくっていると見えますね。
だからこそ例えばロストフツェフはユリウス=クラウディウス,ウェスパシアヌス-トラヤヌス,両アントニウス帝,軍事的アナーキーという風に
時代を区切っていると思えます。

171 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 00:06:56 0
すれ違いだったらごめんなさい。

いつも不思議なんだが、古代ローマの軍隊の軍服は、何かヒラヒラ
のスカートみたいな貫頭衣みたいな服で、結構肌が露出してる。
古代のゲルマン人も似たようなものだったと思う。

それが中世になると、ガラリと変わる。重装騎兵と歩兵が騎士
とその従士になるのかもしれないが、服装も装備(鎧兜)もガ
ラリと変わる。一体あの中世の騎士たちの装備や服装はどこか
ら生まれたの? 多分ゲルマン人由来だとは思うのだが・・・
どうも解らない。

それと多分「進歩」してそうなったと思うのだが、それも良く
解らない。頭からスッポリ全身を覆うあの中世騎士の出で立ち
は、どうやって成立したの?

と考えていると、そういえば、わが日本も、弥生時代の埴輪
に見る軍装と、武士の軍装は随分違うような・・・。あの武
士たちの鎧兜スタイルは、どうやって生まれたんだろう?


172 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 00:18:44 0
>>171
一般的なゲルマン人はズボンはいていたはずですよ。
あと「騎士」の鎧は長い間チェインメイルでした。板金鎧になったのは百年戦争の頃だったはず。
鎧が発達したのは冶金技術の向上じゃないですかねえ。

173 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 09:58:37 0
>>171 
 服の機能的分野における差は人間の体自体が変化してないので今も昔もそん
な変わらない。服は気候による変化と文化・地位・経済力といった人間社会の
環境で時代ごとに変わる。結論から言えばゲルマン化したって事なんだろうな
魚から肉中心の生活になったり風呂入らなくなったり。
 日本の鎧の場合、技術的面もあるが封建制が公地公民制を崩壊させた事が
大きい、農民徴収の義務的徴兵から権力者が個人的に個人・集団を雇う傭兵
制に変わる。雇われる側からすると自分がいかに勇敢で役に立つかを雇用者
に示す必要がある、結果として鎧は派手になり・やあやあ我こそはと名乗り
を上げてから戦する源平合戦方式になっていく。

174 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 11:02:01 0
>>風呂入らなくなったり。
石鹸を発明したのはゲルマン人だしほぼ毎日入浴してたんですが。
無知を晒すのはよしとけ。

175 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 11:13:35 0
入浴の習慣が廃れたのって中世後半じゃなかったっけ?
少なくとも初期は大衆浴場が結構繁盛していたはず

176 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 12:00:41 0
 入浴習慣が廃れたのは中世前半、もしくはローマ末期。大量の燃料
を確保するのが大変だったんだろうな、ローマの公衆浴場は伝統的に
赤字だったし。ゲルマン人には入浴習慣が無かったうえにキリスト教
が肌を人目に晒すのは恥として入浴習慣が無くなっていく。結局ゲル
マン・キリスト教的価値観が入浴習慣を失わせていく。
 石鹸の歴史はこんな感じ、近代的石鹸発明時にはゲルマン人っていう
よりドイツ人とかフランス人って言ったほうが時代的に合ってると思う。
http://pure-la.cside1.com/colum/soap_history.htm

177 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 13:28:45 0
>>172
ゲルマンというか北欧系の貴族は半ズボンじゃ?たしかオーディンがトール
の長ズボンを田舎者と馬鹿にしたくだりがサガにあったような

178 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 13:50:18 0
長ズボンはガリア人

179 :甲斐犬:2006/01/27(金) 20:16:04 0
169>

根拠もなにも、農業が不安定で投機的な産業であることは、事実です。天候や
市場は、人間が計画する事はできませんからね。農民にとっては常識ですが、
多くの歴史研究家は気づいていませんね。
また、貨幣があれば、価格があり、それを決定する市場は存在します。ローマ
に近代的な市場経済は存在しませんが、市場はあります。
自作農から、奴隷制になるか小作制になるか、はては株式会社による労働者が
耕作するかは、その地域や時代の経済によるでしょうが、自作農の維持の困難
は、いつの時代にも共通するでしょう。人間の経済能力格差は大変大きいです
からね。今も。

180 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 22:58:26 0
 農業が不安定なのは事実だが、産業革命が始まる以前の世界では何処の国
でも人口の80%までが農民なんだからその点を以ってローマ崩壊の原因と
はいえない。どちらかと言えば農民反乱で国が滅んだり弱体化した例の典型
は中国だろう。また経済の発展で地域的共同体が崩壊し、大土地所有者と小
作制ないし奴隷制という例はどこの国にも観られるがそれが即国を弱体化させ
る物でもない。大土地所有云々で言えば共和制末期の元老院議員のほとんど
が大土地所有者であるし、帝政になってもその傾向は十分観られる。

181 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 23:36:30 0


182 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/28(土) 01:22:29 0
>>179
だからこそリスク回避のために作物を多角化し,多様な地形で耕作するようにしたり,牧人に家畜を任せたりするわけで。
飢饉がきました-->即,枕を並べて飢え死にです。
なんて事態には,そんなにならないからこそ中世に比べて多数の人口を維持できたわけで。

で,問題の「市場」ですが,属州ブリタニアではローマの征服が行われ,市場へのアクセスがより簡単になった
元首制期が農業が停滞し,専制君主制期の方が農業生産が上がったと見積もられていますが。
あなたのモデルではこの考古学的知見に対する有効なモデルとはなりえないですよね。

で,「経済能力格差」って何を指しているんですか?市場への物理的な距離?帳簿等の資産管理能力?支店や代理人を用いた
情報収集能力?何かを語っていながら具体性に欠けるように思えるのですが。

今と過去を同列に語るのは問題外。古代社会ってのは帝国官房や元老院金庫でも「赤字」っていう考えが無い世界ですから。

183 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 01:29:39 0
「個人の」格差だろ
漏れが嫌と言うほど味わっているもの…
境遇に恵まれ、裕福な自作農を継いだとして、
食い詰めて切り売りして路頭に迷う自信がある。

でも、自作農というのは家単位、村単位でやっているから
「個人」と言えるかどうか。

184 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 07:56:44 0
>>182
今のフランスやドイツの地域では、三圃制の導入や農耕具の改良で
ローマの時代よりも中世の方が農業生産性が数倍から十倍程度
高かったと記憶していたが − 倍率は学者の見積もり方の違いに寄る
ローマ時代よりも流通経路がより狭くなり、他地域からの農産物
流入(不作時の援助)が期待できない分、改良の必要性が強くなったのでしょう。
必要は発明の母。

185 :ほへぇ〜:2006/01/28(土) 09:50:43 0
ローマ時代のゲルマニア属州って、農業生産性が同じ時期のエジプトや
アフリカ属州の1/20くらいじゃなかった?


186 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 10:39:49 0
 生産性というより経済差だと思われ、まあ当時の経済=農業って面
が無きにしもあらずだが、例えば1万円の収入がある人から10%の
税を取れば税収は1000円になる、それに対して100円の収入し
かない人から10%の税を取ると10円の収入になる。ローマも農民
の収獲は物納だが、収入計算は市場に物産を売って換金する事で行わ
れる。都市住民の経済力の高い、言い換えれば物価の高い地域で物を
売ればその人の収入は増加し、税収も増える。逆に物価の安い地域で
物を売っても収入はそこそこ税収もそこそこになる。物資の安い地域から
高い地域に輸出できれば商人の利潤が増えると考えられても、当時の
技術では船が使えるエジプト・コルシカ・等の地中海地域で良港がある
場所に限られる。まして穀物のように大量に消費され重いもんだと、
それを運ぶ船は大型で丈夫で高価になる。そんな船で荒れる大西洋を移動
するのはリスク高いし、エンジンの無い風任せの時代だから穀物が腐って
しまうかもしれない。結局ローマにとって利潤のあがる投資対象の土地
とは地中海沿岸地域になりヨーロッパは安全保障上守らなければならない
地域となる。西ローマが先に滅んで、東ローマががんばったのは必然だった
と思う。

187 :ほへぇ〜:2006/01/28(土) 14:53:10 0
元首制期には、ローマ商人はジブラルタル海峡を越えビスケー湾から北海沿岸
さらにバルト海沿岸まで進出してますよ。海上輸送網を使って。
なぜなら、輸送コストが海上:内陸河川:陸上=1:4.9:28も差があったと推計
されているからです。ゲルマニアに限っては1:5.9:62.5と言う説もあり。

地中海西部からブリタンニアまでの輸送もジブラルタル海峡〜大西洋ルートが
2500kmの距離を越えるにも拘らず、ローヌ川〜セーヌ川〜英仏海峡の最短ル
ートの半分以下のコストで済むと言う研究結果も出てますよ。

平凡社『ローマ経済の考古学』ケヴィン・グリーン著 に詳しく記述があるので
一読をお勧めします。

大航海時代以前ならば、ローマの航海技術は後の時代よりも劣っていたとする
見解は成り立たないと思います。

188 :ほへぇ〜:2006/01/28(土) 15:01:23 0
ここで農業生産性というのは、播収率のことです。
一粒の種をまいて、何粒の実りを収穫できるかという割合なんです。
出典が何処だか忘れてしまったので調べておきます。

冷涼な気候で開発の進んでいない北部と、温暖で灌漑施設、醗酵させ
た肥料、牧畜との混合農法と技術と開発が進んだ地中海南岸では、そ
れなりの格差は生まれてもしょうがないでしょう。

189 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 16:03:57 0
 エジプト・コルシカはローマの胃袋でギリシャ・中東はローマの頭脳
スペインは金庫。フランス・ドイツ・イギリスは・・・。何だ?

190 :甲斐犬:2006/01/28(土) 16:53:34 0
182>
多角化すればリスク分散・・・×
多角化をうまくすればリスク分散・・・・○

この「うまく」が、経済能力なんですよ。そして、誰でも「うまい」わけ
ではありません。
そして、「うまい」人は、儲けられますし、下手な人は相対的に貧しく
なります。
また、中世との人口比較は慎重にした方がいいと思いますよ。そもそも、
中央政府からの税逃れのための、人口ブラックボックスのための「荘園」
なのですから。

>元首制期が農業が停滞し,専制君主制期の方が農業生産が上がったと
見積もられていますが。

あのう・・・自作農の方が生産性が高いと思い込んでいませんか?
自作農のメリットは、生産意欲の向上にありますが、
1,経営者としての才覚が必要。
2,スケールメリットが得られない。
3,労働コストが高い
などなどの短所もあります。時代や地域によっては、自作農の方が生産性
が高い事もあるでしょうけども、それは長く続かないでしょう。

>で,「経済能力格差」って何を指しているんですか?市場への
物理的な距離?帳簿等の資産管理能力?支店や代理人を用いた
情報収集能力?何かを語っていながら具体性に欠けるように思
えるのですが。

運も含めてそれらすべてですよ。このスレッドの性質上、細分
化する必要なんてありませんよね。



191 :甲斐犬:2006/01/28(土) 17:03:44 0
種子を「資本」とすれば、農業がいかに投機的な産業かわかります。
1年間のリターンは、低かったとされる中世西欧の小麦でも100%。
現代の日本の水田なら、15000%。

ちなみに、江戸時代後期の飢饉の主原因は、南方系商品作物の寒冷地での耕作
強行にあると思います。津軽藩の村々の共同体は、群集心理で、暑い夏が続くと
驕って、米作りに賭け、しかも、夏前に備蓄米を高値で売ったところに冷害に会
いました。彼らは、金貨を握って飢え死にしたのです。群集心理がしばし、共同体
の破滅を呼びますな。

192 :甲斐犬:2006/01/28(土) 17:16:20 0
スマン。
190を訂正。再論。

>で,問題の「市場」ですが,属州ブリタニアではローマの征服が行われ,市場へのアクセスがより簡単になった
元首制期が農業が停滞し,専制君主制期の方が農業生産が上がったと見積もられていますが。
あなたのモデルではこの考古学的知見に対する有効なモデルとはなりえないですよね。

何も問題は、ありません。そもそも、「どの制度が生産性が高い」という論では
なく、「貧富の差が開く」という論だからです。
まあ、大局的には、生産性の高い移行していくものですが、必ずしも、自作農創出
がそれに当たるわけではありませんね。


193 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 17:38:15 0
 甲斐犬氏、貴方の農業がギャンブルであるという意見は良くわかりました
がそれがローマ崩壊とどう繋がるのでしょうか?確かに農業は不作の年もあ
れば豊作の年もありますが、それはどこの国でも起こってる話でローマだけ
の話ではありません。貴方の意見を借りれば天保の飢饉や天明の飢饉で江戸
幕府は崩壊したでしょうか?


194 :甲斐犬:2006/01/28(土) 19:01:25 0
>193

ローマが滅んだ理由は、わかりましぇーん。
もっとも、こうも考えられますな。
 ローマ朝などと言うモノは一度も存在せず、制度は変化し続けたが、歴代の最高
 権力者が名誉ある「ローマ」を名乗り続けただけ。もし、蛮族の王が「ローマ」
 を名乗ったなら、「ローマ」は続いたのである。

まあ、しかし、一般論として、宋の新法党やローマの平民派のような、経済法則に
逆らった政策は諦めて、大土地所有制や財産の偏在を認めた上で、徴税や兵制を
現実的に漸進的に変えていくべきでしょうな。
実際に、元首制のローマはそのように進んだのではないですか?

195 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 20:46:33 0
ローマは都市国家時代から財産権を認めてるんですが・・・。

196 :甲斐犬:2006/01/28(土) 20:58:52 0
財産権を認める=財産の偏在を認める ではないですよ。


197 :甲斐犬:2006/01/28(土) 21:00:36 0
例をあげときましょう。
現代の日本は財産権を認めてますが、相続税は累進ですよね。



198 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 21:01:02 O
ローマ市民に成り切るべく食事はオートミールにチーズ、飲み物は
ワインの水割りで一日過ごしてみました。水割りマズー

199 :ほへぇ〜:2006/01/28(土) 21:45:49 0
>>198
水割りワインには蜂蜜入れて飲みましょう。
『サイゼリア』に行ってフォッカチオも食べてきましょう。
あとは、ひたすら豆料理。

古代ローマ軍(?)の糧食メニュー
http://www5.ocn.ne.jp/~slg/saigen3-1.htm


200 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 21:57:49 0
ワインには鉛を入れるべし。

201 :世界@名無史さん:2006/01/28(土) 22:02:41 0
>>198
次はアウグストゥスの食事に挑戦なさっては?



半断食だけど

202 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/29(日) 02:43:40 0
>>191
なんで激しく場違いな例を持ってくるかなー。もったいない。
ローマ帝国(いわんや共和政期)に「大阪」に相当する穀物市場は無いですが。
経済要因によって引き起こされたと推定される飢饉の例を挙げるべきではないでしょうか。
スエトニウスとかヨセフス/タキトゥスで「包囲食らって人まで食った。でもアボンヌ」とか言う話はありますが。
行き当たった記憶がないですね。飢饉でアボンヌ...まあ,碑文までさらえたわけでないから絶対とは言えませんが。

『古代ギリシア・ローマの飢饉と食糧供給』に目を通していないので確定的なことは言えないですが,
ただ少なくともクラウディウス帝の場合は流通網のほうに問題があると見立てているように思えますね。





203 :世界@名無史さん:2006/01/29(日) 02:50:39 0
>>189
胃袋にはアフリカをつけたい所ですね。
英・仏・独は勲章生産所?時期によってはお荷物。

204 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/29(日) 03:35:03 0
>>190

>中世との人口比較は慎重にした方がいいと思いますよ。そもそも、 
>中央政府からの税逃れのための、人口ブラックボックスのための「荘園」 
>なのですから。 
だから比較には「所領明細帳」等を使うのでしょう。
これはただの確認ですが「荘園」って日本の荘園の事を言ったりはしてませんよね。

>自作農の方が生産性が高い事もあるでしょうけども、それは長く続かないでしょう。 
それこそ地域によりけりで,商圏がインドまで入っている南イタリア(ラティフンディウムの最先鋭地)とか,
海路3日の位置にローマという巨大市場があるアフリカ(ここは6人の地主の所領だったがネロ帝がボッシュート)
とかあるはありますがそっちが例外で,大部分は『博物誌』にでてくる解放奴隷のような農場主ではなかったのか
と推察しますね。

でデメリットへのカバーですが。
>1,経営者としての才覚が必要。-->そのためにクリエンテラ関係を結んでおく。 
>2,スケールメリットが得られない。 -->代わりに安定した納品先をつかんでおく。例えば軍団とか。
>3,労働コストが高い-->オリーブなど,瞬間的に大人数が必要な事のために奴隷を買っておくのは無駄。
むしろ賃金労働者の方が良い,ケルト・イベリア人みたいに良く働く。

>運も含めてそれらすべてですよ。このスレッドの性質上、細分化する必要なんてありませんよね。
せんと駄目でしょう。退役したらほとんどの兵隊は農業を選択するんだから。
毎年30万近くの自作農を生み出す仕掛けの上に軍団は乗っかっており,
かつ「ローマ化」は退役兵が持ち込む役割が大きいわけで。
そんなに見通しの暗い事のために人生の2/3を投げ出す人間が200年以上にわたって存在したと?

205 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/29(日) 03:45:05 0
>>187
良い本ですね。思わずamazonのレヴューを書いちゃうぐらい(笑)良い本です。

206 :甲斐犬:2006/01/29(日) 10:23:02 0
202>ローマ帝国(いわんや共和政期)に「大阪」に相当する穀物市場は無いですが。
 ここでの市場は、「特定の取引場所」ではなく、経済学の概念の「市場」です。
買い手と売り手、たったの二人で「市場」は成立します。

204>
荘園ではなくて、「荘園」。封建的な私有地一般を指します。「荘園」の正確な人口
を計るには、強力な中央政府の権力が必要です。普通、封建時代には、そんな権力
は生じません。また、その「荘園」の記録の多くは、節税対策後のものです。
ローマ帝国の滅亡の原因の一つに、属州の経済発展がありますね。続く中世も、
かつての暗黒史観ではなく、森を開拓して畑にしていく、明るい中世象が、現代の
主流ではないですか。

>1,経営者としての才覚が必要。-->そのためにクリエンテラ関係を結んでおく。
つまり、従属民化ですな。

>2,スケールメリットが得られない。 -->代わりに安定した納品先をつかんでおく。例えば軍団とか。
そのためには、才覚が必要ですな。

>3,労働コストが高い-->オリーブなど,瞬間的に大人数が必要な事のために奴隷を買っておくのは無駄。
純経済学的には、奴隷も無駄ですが、自作農の家族も無駄ですな。

>むしろ賃金労働者の方が良い,ケルト・イベリア人みたいに良く働く。
つまり、小規模家族経営ではなく、大土地所有制の擁護ですな。

>そんなに見通しの暗い事のために人生の2/3を投げ出す人間が200年以上にわたって存在したと?
退役した中年男が、小作人になりたがりますか?誰だって、自作農になりたがり
ますよ。
むしろ、毎年30万人も自作農を創出しても、それ以上のスピードで、家族経営零細農業企業(自作農)
が倒産していったという、農業経営の難しさを悟るべきですな。


207 :世界@名無史さん:2006/01/29(日) 10:26:41 0
>>206
アンカーくらいまともに付けてください。

208 :198:2006/01/29(日) 10:55:31 O
当時パンと大麦粥の頻度は一般市民だとどの程度だったので
しょうか。やはり燃料を多く使うパンは贅沢品で、粥がメイン、
たまにパンという感じでしょうか?何かの資料では「首都ローマの
高層住宅には事実上台所はなく、煮炊きのいらないパンが主食と
なった」とありましたが地方都市では粥?

209 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/29(日) 12:15:01 0
>>206
ほう、概念の市場はいつも批判されますよね。経済原理だけで動かないという事で。
威信が重要な社会において経済的合理性が常に最優先されるわけでもなし。
この社会の場合、これらの威信を手に入れないと階級上昇ができず経済的合理性をうんぬんできる立ち位置にも到達できないではないですか。
また、上りつめると制度が合理性を制約するようにはたらくようにできているし。
さらには祭礼等によってリセットをかける圧力もある。

>節税対策後のものです。
寄進を受けた土地に何の税金がかかるのかお聞きしたいものですね。
あなたは「所領明細帳」の性格をご存知ないようにお見受けしますが?
基礎史料の性格を知らずして所領経営の何を語るので?
まあ、比較的どうでも良い事、話は古代だし。



210 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/29(日) 12:17:32 0
つまりがでわかったつもりになっているところがイタイ。
(1.クリエンテラがただの従属民ではない事はもわかっておられないようで。
経済的関係だけにおいてもクリエンテラがコケれば元老院議員たる財産資格をいずれ失いますが。小プリニウスの収支の研究でそれは明らかになっているはず。

(2.軍での経歴が退役後の位置を左右しますね。百人隊長級のにはそれなりの地位が保証されていますし。
"いざ、鎌倉(というよりも賽は投げられた)"のあった時はポンペイウスへの恩義を果たすために退役兵が駆けつける。
ある意味ポンペイウスはこのために退役兵の世話を焼いている。
だからあなたの言うように漠然とした言葉(才覚、といっても何の才覚よ)で語ってもなーんにも見えてこないと思うのです。

(3.自作農の家族は有力な「働き手」でないですか。ケルト・イベリア人みたいに子供を産んだその日まで働いてくれる。
管理人のほうが驚いて日当を渡して帰らせていますが。子供も8歳ぐらいになったら雑用を、15になったら家畜の世話をしてくれる。
女にとっては3人の子供は法的権利をもたらしますしね。さらにアリメンタまで実施する事の意味を考えられた方が良いと思われ。

(4.なんで、賃金労働者=大土地所領擁護に直結ですか?大土地所領経営ならスケールメリットの効くラティフンディアが良いではないですか。
さらに言えば確かに、この舞台であるバエティカではラティフンディアも形成されたが、アンフォラはその他の農園があった事も示していますね。
また、バエティカはセネカは生んだが、トラヤヌスを生んだのはむしろイタリカですよね。
さらにイベリアの例は軍団の後背地のガリアや最前線であるブリタニアのウィラとは明らかに異なる。それをなぜひとつのモデルで語れると考えるのかが理解できない。

自作農が倒産していったというのも不思議な話で、軍団兵の子が軍団兵というのは珍しくないし(蛮族化というやつですな)、
経営の問題というよりも皇帝から解放奴隷まで共通した「5人子供が生まれないと安心して後継ぎが生まれたとは言えない」
幼児死亡率のほうが問題だと思いますね。


211 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/29(日) 12:56:20 0
>>210の(4.に修正。イベリア半島は軍団への供給とローマ、イタリアへの供給と、2方向を向いている。

212 :世界@名無史さん:2006/01/29(日) 21:09:06 0
>>208
パンは小麦とお金を持っていってパン屋でパンにしてもらいます。ポンペイで
パンのお金分をツケにした人の記録が残っています。粥も主食というか日本の
味噌汁みたいなもんですがパンも日本の御飯みたいなもんでどっちがどっちと
もいえませんが、貧乏な人は粥に具財入れてそれで御仕舞いだったかもしれま
せんね。ローマの場合、皇帝や大貴族に仕える奴隷とかは大きな台所があって
そこで一括して作ってたんじゃないでしょうか。インスラに住む住人は中・下
級官僚や医者・教師・商人・留学生等にそれらに仕える使用人ですが、そういった
人達は料理屋で食ったんだと思うのですが貧民はどうしたんでしょうかね?


213 :甲斐犬:2006/01/29(日) 21:46:46 0
210>
あのさ、反論になってないのさ。論点ボカシまくり。最も、論点外もおも
しろいから、付き合ってやったけども、ちゃんと議論しようや。
「人間の経済能力には個人差が大きく、農業は投機的な産業だから、貧富の
 差必然的に開く。」
という論に対する反論は、
「経済能力に個人差は小さい。」「農業は安定した産業だ。」
等々と論証しなければ、論点ボケなんだよ。
あんたの論は、むしろ、「経済能力に個人差は小さい。」「農業は安定した産業だ。」
から離れて、私の論の補強にしかなってないのに気付けよ。

214 :甲斐犬:2006/01/29(日) 22:05:41 0
まあ、こんなのは枝葉些末なんだが・・・

>ほう、概念の市場はいつも批判されますよね。経済原理だけで動かないという事で。

あのなあ、理論経済学ちゅうのは、個々の事実では
なくて、バイアスやベクトルを述べている事に気づいてくれよ。反論になって
ないよ。

>寄進を受けた土地に何の税金がかかるのかお聞きしたいものですね。
あなたは「所領明細帳」

封建の私有地一般と、書いただろ?人口統計の元になるような、「検地帳」自身の
あてにならなさを書いたのさ。一般論ね。

>クリエンテラがただの従属民ではない事はもわかっておられないようで

「従属民化だ」に対して、「ただの従属民ではない」では、反論になって
ないぞ。従属民説の補強だよ。

>だからあなたの言うように漠然とした言葉(才覚、といっても何の才覚よ)で語ってもなーんにも見えてこないと思うのです。

意味不明だ。誰か解読してくれ。ここは、才覚の中身を問うスレッドじゃ
ないよね?

>自作農の家族は有力な「働き手」でないですか

軍団「ヒマな時に奴隷を飼っているのは経済的ではない。」
甲斐「それなら、家族も経済的ではないな。」
軍団「家族は有力な「働き手」でないですか」
甲斐「だったら奴隷も有力な「働き手」でないですか。最初の論と矛盾して
   ませんか?」

215 :世界@名無史さん:2006/01/29(日) 22:07:45 0
もういい加減どっかでやってくれない?

216 :甲斐犬:2006/01/29(日) 22:20:47 0
枝葉些末の続き

>賃金労働者=大土地所領擁護に直結ですか?

直結だよ。賃金労働者は、大土地所有者の元で働くんだから。

>大土地所領経営ならスケールメリットの効くラティフンディアが良いではないですか。

まったく反論になってないな。それとも、これは補強なのか?

>それをなぜひとつのモデルで語れると考えるのかが理解できない。

理解力格差だと思うぞ。これも個人差が大きいよな。個々の知識を並べたがる
タイプの人は、こういうのは苦手らしい。

>幼児死亡率のほうが問題だと思いますね。

ローマの自作農って、単婚家族ではないよね。だから、幼児死亡率の高さに
よる継承者不足の問題は、あまり大きくないと思うぞ。幼児死亡率の問題は
「血統のカリスマ」の必要な階級以外は、さほど深刻ではないと思うぞ。



217 :甲斐犬:2006/01/29(日) 22:48:07 0
訂正。皇帝すら養子なんだから、継承者不足による「倒産」は、ものの数に
入れなくていいな。もっとも、継承者を作るのも、経営者の仕事なら、
乳幼児死亡率説も、経済(経営)能力の差説の補強材料だな。
ちと、これは強引かな。

218 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/30(月) 06:24:56 0
>>214
今の話じゃないから,個々の事実を積み上げていかんと思っても見なかったところで引っかかる事が多いと思うんだけどなー。
例えばロストフツェフとかは
「藻前,革命前後のモスクワの話なんか出して調子に乗りすぎ。だいたい染料よりも媒染剤に注目しろアフォ」
って批判されたはず。
 だから,まだモデルが有効な地域の情報をぶち込むほうが先じゃないの。
いきなり「そうじゃない!!」って知識の羅列を始めてもしょうがないし。「そんなんどこよ誰も確認できんよ」という場所じゃあね...

880年-890年頃に底本が成立したプリュム修道院所領明細帳ってのがあって,
所領が低地ゲルマニア軍団の拠点があったケルン,トリアーにあるわけよ。
で,11世紀から始まる中世の大発展時代の前だし,古代が完全に終わる直後の史料やし,
緩用して退役兵の農地を考えるってのもまったくNGって事もないなと,思って確認したの。
↑ってのもあくまで漏れの知ってる事を前提に考えただけでもっとビンゴな場所があるかもしれんし。

才覚(含む経済的能力等々):まず軍団での地位が後々影響するって点を明らかにしてから,じゃあ退役した軍団兵が
上手く農業するのに必要な才覚ってなによ,それは軍人の能力とかぶるのか,
それともまったく別のものなのか。
ローマ兵が退役する時に身に付けたことを考える上で大事なことじゃないの...ここはローマ軍を語る場所やからね。


219 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/30(月) 06:34:26 0
従属民って,クリエンテラ・パトロネジ関係の内のクリエンテラを指すよね。普通。
で,この関係の強弱をどの時期にどの程度のものだったのかはつめないと。
例えば,退役兵の納品先が軍隊だって事は珍しいことじゃあないけれど,そことの関係は単なる商売の関係か,
司令官とか大隊長レベルと結ぶクリエンテラ関係か,はたまた「軍団」そのものと,もしかしたら結べたのか。
司令官やフラウィウス朝時代の大隊長と結べるのだったら属州を超えた広い交易網に参加できる可能性を想定できるし。
軍団と結べるって事だったら,「法人」が存在することになる。
(法人ってのは今日の概念の持ち込み杉かも。軍団金庫程度が適切か?)
あなたの話では,軍人皇帝以後の社会関係で話をしているような違和感を覚えているですよ。

ラティフンディアの問題なんだけれど,バエティカの商品作物のオリーブだったら収穫期に人手が必要で,それ以外は比較的暇,ワインは剪定したりなんたりと人手がかかる。
小麦ならむしろ牛や農具の方が大事とか特徴があるから,
賃金労働者,奴隷,小作人,と選択するわけで。そしてそれは金持ちだけの特権じゃないからね。

で,バエティカみたいに軍団への納入もあり,ローマ等の遠隔地との交易もある場所で金持ちの所有地とそうでない
農民の所有地が共存していることをアンフォラは示しているわけよ。

>「人間の経済能力には個人差が大きく、農業は投機的な産業だから、貧富の差必然的に開く。」 
その結果形成された農地はあなたのイメージではどのような物なんですか?

イベリアを選択したのは,ガリアみたいにオリーブは取れない場所を選択したり,
ワインもオリーブも取れなくて穀物の大消費先があるゲルマニア・ブリタニアや,
逆にオリーブやワインの大消費地がすぐ近くにある南イタリアは適切でないと判断したからです。

220 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/30(月) 07:04:02 0
結局のところ,あなたが投げ込んだのは
「人間の経済能力には個人差が大きく、農業は投機的な産業だから、貧富の 
 差必然的に開く。」 
って言うことで,その根拠は播種率を挙げた。で,市場があることが前提で
...肝心な農地の姿が見えてこないのと,
市場がどんな姿をしているのかが分からない。

それと,それがローマ史へ与えた影響がいまいち見えてこない所がなんだかなー,ですね。
>>168 と >>194で一応述べてはおられますが。

221 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/30(月) 07:38:20 0
「人間の経済能力には個人差が大きく、農業は投機的な産業だから、貧富の  
 差必然的に開く。」  
これに対する裏づけは,

(1.地縁・血縁が比較的うすく(2.主人の後援を受けにくい,(3.個人という意識が少しづつ芽生え始めた
時期の人間すなわち,
(3.共和政期の(2.遺言によって解放された(1.解放奴隷を探すしかないのかな。と思いますね。

そして彼が農業によってどこまで上り詰めたか...
『博物誌』にでてくる解放奴隷は共和制期な所が難点か。

うーん。文献資料は難しい気がする。墓誌とかにでてくるかもしれない。
あるいは皇帝崇拝の神官たちの中にそのような経歴を持っている者がいるかも。

まあ,それがこのスレに適するかどうかはまた別問題だけれども。

222 :世界@名無史さん:2006/01/30(月) 11:45:43 O
>212
ありがとうございます。貧民は穀物の支給があったんですよね?
ツケというのを聞いても、パン屋でパンに焼いていた感じですね。
それと大麦と小麦の比率はどうなんでしょうか?大麦パンと
いうのはありますが、小麦は粥にしづらいですよね。「粥」と
いうより「糊」になってしまいますから…

223 :世界@名無史さん:2006/01/30(月) 15:32:41 0
オートミールは麦を砕いてドロドロの糊状になるまで煮るからどっちでも構わないような。

224 :世界@名無史さん:2006/01/30(月) 18:10:57 0
 パンについて詳しくは知らんのですが普通小麦で作るんじゃないんですか?
大麦パンとかライ麦パンとかあるから適当ですけど、パンは麦を製粉したり卵
入れたり牛乳・塩入れてこねて発酵させて焼くと手間がかかります。一ヶ所で
焼いた方が手間暇も結果的には安くあがったんでしょうな。また当時、砂糖は
ありませんが干し葡萄をいれたクッキーみたいなもんやクリームはありません
が肉・豆を挟んだクレープとサンドイッチの中間みたいなもんもあったみたいです
。貧民はどう生活してたかですが、屋上で煮炊きしてたんでしょうか、まあ貧民
って言ってもローマ市民権を有すプロレタリーであって職はあったでしょし、
本当になにも無かったら奴隷になってたはずです。ただ病気や怪我で働けず、奴隷
にもなれないような状況になったらガクブルですが・・・。

225 :世界@名無史さん:2006/01/30(月) 21:45:52 0
>>223
オート麦(燕麦、カラス麦)を使うからオートミール

226 :ほへぇ〜:2006/01/30(月) 22:04:12 0
>>205
そりゃ〜、いい本ですよ。
なんと言ったって『紺碧&旭日』の荒巻センセの御推薦なんですから。
資料としては良い本を選んでいる荒巻センセですから。

227 :世界@名無史さん:2006/01/31(火) 18:26:11 0
>>221
あー,条件の所で(3.の所が逆だ。
×共和政期
○帝政期


228 :世界@名無史さん:2006/01/31(火) 18:30:53 0
>>226
でかい,重い,高いが難点で,出張に持っていこうかと思ったけど挫折...


229 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/01/31(火) 18:32:14 0
>>227 >>228
は私です。

230 :世界@名無史さん:2006/01/31(火) 21:36:11 0
 ローマ時代にペットブームとかあったんかな?猫がエジプトから伝来した
のいつだろう。

231 :世界@名無史さん:2006/01/31(火) 22:40:07 0
戦闘中に百人隊のPRINCIPALESが全員倒れたら誰が指揮をしたの?

232 :世界@名無史さん:2006/01/31(火) 23:05:47 0
 軍隊で指揮官が全員やられたら負け戦だろう。っと言ってみる。まあ
将官クラスが全員戦死するような負け戦を蒙った後、百人隊長の一人に
率いられて生き残った兵士達が基地に帰還した例もあるんで、ローマの
軍隊は近代軍並の指揮系統があったんだろうな。

233 :世界@名無史さん:2006/01/31(火) 23:15:05 0
というか、数十万の常備軍を地中海全域に散らして
200年間さしたる危機を迎えることも無く(一時期あったが)
機能し続けたのは充分優秀。

ローマ後、近世に至るまでヨーロッパで常備軍を維持した国が無い事も考えて
これはすごい。

234 :世界@名無史さん:2006/01/31(火) 23:40:53 0
>>231
旗手あたりが臨時に指揮するのかもな

235 :世界@名無史さん:2006/02/01(水) 10:47:14 0
>>226
大学の図書館で借りてみた、かなり面白いね。

236 :世界@名無史さん:2006/02/01(水) 14:46:10 O
あれほどの広大な領域をたった数十万の兵で統治・守護しつづけたのも素晴らしい

237 :ほへぇ〜:2006/02/01(水) 22:27:03 0
>>228
出張に『ローマ経済の考古学』をもっていこうとなさったわけですか?
筋金入りですねぇ〜。
普通は、『週刊現代』『アサヒ芸能』ってところじゃないですか?

>>235
熟読すれば、古代ローマ経済のオーソリティーになれる。
さっと目を通しただけでも古代ローマ経済について薀蓄が語れるようになる。
読まずに持っているだけでも、インテリゲンチアのごとく振舞える。
どうです! お得な本でしょう?
ロストフツェフの本もそんな感じだったなぁ。

ぜひとも熟読まで頑張ってください。
そうすりゃ、ココへのハイレベルな書込みが増えます。


238 :ほへぇ〜:2006/02/01(水) 22:44:31 0
戦闘時の配置と役割

百人隊長:百人隊の左側前方
軍旗持ち:百人隊の右側前方
百人隊長副官:上級兵と共に百人隊後方にひかえる。

で、百人隊長と軍旗持ちは百人隊を率いて率先して切り込む。
副官は上級兵と共に戦列が崩れるのを防ぎ、後退する兵士を押し戻す。

これだと百人隊長と軍旗持ちの死傷率がやたら高いのもうなずけます。
カエサルの内乱記にも、威勢のいい百人隊長がファルサロスの会戦の前に
カエサルを励ます檄を飛ばして、戦死してしまうくだりがありました。

239 :世界@名無史さん:2006/02/01(水) 23:45:38 0
クラスティヌスでしたっけ?でもああいう百人隊長は多かったんだろうなあ。
現代の軍隊ではイメージ的には軍曹ってのがぴったりだ。

240 :世界@名無史さん:2006/02/02(木) 22:36:24 0
 下級指揮官は倒して前線兵士を混乱させるのは常套手段だから何時の時代
も下級指揮官の死傷率は非常に高い、ベトナムなんか少尉の墓場なんて言わ
れた。

241 :第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2006/02/03(金) 12:56:08 0
>>237
『ローマ帝国社会経済史』は本文以上に図版が価値があったように見受けられます。

242 :世界@名無史さん:2006/02/05(日) 00:54:55 0
 トリノってローマ時代からあるの?ただの草原。

243 :世界@名無史さん:2006/02/05(日) 04:53:37 0
>>242
ローマによる征服以前からある古い町。
ローマ時代には南仏との街道の要衝として栄える。

244 :世界@名無史さん:2006/02/05(日) 18:38:53 0
一時的にイタリア王国の首都になった>トリノ

245 :ほへぇ〜:2006/02/05(日) 21:40:37 0
>>240
本文だけなら、本の厚さは2/3で済むから上下2冊にならないで済みましたね。

246 :世界@名無史さん:2006/02/05(日) 21:41:56 0
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/photo/image/l/0B029500000000003.jpg

247 :ほへぇ〜:2006/02/10(金) 02:07:13 0
>>246
他のスレでも見かけたけれども、何処の原住民の写真だろうか?
アイヌ民族ですか? 詳しくないのでよく解らんのだが。
北大のライブラリみたいですね。ココとは関係ないと思いますが。
貼られた途端にスレが停滞してしまうとは何か呪術めいたものを
感じてしまいます。あっちのほうもスレが停滞してましたな。

248 :世界@名無史さん:2006/02/10(金) 06:45:49 0
英国紳士もローマ時代は・・・。

249 :世界@名無史さん:2006/02/10(金) 07:14:42 O
冬営地にはパン焼き窯を設置したのかな…?

250 :世界@名無史さん:2006/02/10(金) 07:22:37 0
ローマ軍は基本的に非妻帯の男性ばかりで
構成されていたから、男色の契りが
きわめて一般的であった事実を忘れる勿かれ!








251 :世界@名無史さん:2006/02/10(金) 08:51:51 0
ばれたら死刑じゃなかったけ?パンは主食だから当然作ったんじゃ
ない。

252 :世界@名無史さん:2006/02/10(金) 09:18:26 0
妻帯を訴えたヴァレンタイン司教は皇帝から
死刑判決食らったくらいだからなぁ。
ご法度だったはず。

バレンタインに浮かれている奴等は
始まりがローマ時代だってことも知らないんだろうな。
製菓業界に見事に踊らされてるな。

253 :世界@名無史さん:2006/02/10(金) 10:09:51 0
バレンタインがチョコレートなんて知ってるわけないんだよな。
でもバレンタインと聞いてチョコと戦車しか思いつかない俺。


254 :ほへぇ〜:2006/02/10(金) 14:00:13 0
よくあるのが、兵士の結婚を禁止した時のローマ皇帝クラウディウスに逆らい
密かに恋人たちのために結婚式を挙げてやった司教が殉教した日というもの。

AD269年というのが多いので時の皇帝というのはクラウディウスU世〜クラウディウス・ゴティクス
なんであろう。現役兵士の結婚はセプティムス・セウェルス帝のころには認め
られているので、まずココが変です。それに3世紀では兵士たちに最も信仰され
ていたのは男性しか信者を認めないミトラ神でしょうから、ココも変です。


255 :ほへぇ〜:2006/02/10(金) 14:07:34 0
もうひとつの話は聖ウァレンティヌスが不器用な修道士であったという話。
賛美歌は上手に歌えない、絵画がうまいわけでもない、壇上に上がって聴衆を
魅了するほど説教がうまいわけでもない。不器用ではあるが、信仰の強さは誰
にも負けない修道士ウァレンティヌス。かれが布教のために行った尊い活動は、
聖書の言葉をカードに書き記し、来る日も来る日も人々にそれを贈り続けたと
いうこと。彼のひたむきな布教は周囲に認められ『愛を贈る人』と尊敬された。
そんな彼を妬んだ時の皇帝ウァレリウアヌス――短い治世で『キリストの敵』
とわざわざ記載されてしまったくらいだから実に効率よくシステマチックに弾
圧したんだろうね――は、修道士ウァレンティヌスを投獄してしまう。獄中に
あっても布教活動を続ける――どうやったかというと、鳩が運んできてくれた
木の葉に鳩の羽で作ったペンを使い聖書の言葉を書き記し、それを鳩に運んで
もらって街の人々に届けた。それも毎日。修道士ウァレンティヌスよりも鳩の
ほうが立派だと思うのは私だけであろうか?――修道士ウァレンティヌスは、
ウァレリウアヌス帝がササン朝ペルシアへの遠征中にシャプールT世率いる
ペルシア軍の虜囚となり、後死亡する――私は天罰ではないと思うぞ――と
晴れて出獄、熱心に布教を再開します。しかしながらわずか1年半しか在位で
きなかったクラウディウス・ゴティクス帝――その短い在位期間に侵入した
ゴート族を迎撃して制圧・平定してしまうのだから、キリスト教徒を弾圧して
いる余裕があったのか? 先帝が残したシステムがよほど上手に機能したので
しょうか?――によってほかのキリスト教徒と一緒に弾圧され、殉教してしま
うという話。その日が2月14日ということです。

個人的にはこっちの話のほうがすきなのだが、カトリックの聖人暦によれば、
全く別の人物を祭っている日であるという話を聞いている。なんだろうな。


256 :世界@名無史さん:2006/02/10(金) 20:23:32 0
2月14日 キュリロス(隠世修道者)とメトディオス(司教) (記念日)
      ヨハネス・ガルシア(司祭)
      ヴァレンティヌス(司祭・殉教者)
      アブラハム(司教)
      マロ(大修院長)
      アウクセンティウス(司教)
      コンラン(司教)
      ソレントのアントニウス(大修院長)
      アドルフ(司教)

257 :世界@名無史さん:2006/02/10(金) 20:36:16 0
>>254
男性のみという説は誤りだったことが明らかになっている。

258 :ほへぇ〜:2006/02/10(金) 21:13:31 0
>>257
そうなんだ? もっと詳しく書き込んではもらえないだろうか?

259 :世界@名無史さん:2006/02/11(土) 09:49:26 0
           .
   / ̄ ̄ ̄\ 
   | (● (● ..|/○
  . .ヽ. ....∀....::::/ ∧彡   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ,,、,、,,, /i___ノつ 彡 ・\< さあトリノだ!賽は投げられた!    ,
    / i__┫ 彡 人_) \___________  ,,、,、,,,
  (⌒ ̄(_)   )      ,,、,、,,,                       ,,、,、,,,
 ,,、,ゝ  ノーヽ  ノ  ,,、,、,,,    \おお━━━━━━━━━━ツ!!! /
   | | |   | | |          .∧    .∧    . 十     ∧     ∧
   i__ヽヽ  i__ヽヽ.         .)(    .)(    >◎<    . .)(     )(
 ,,、,、,,,       ,,、,、,,,       ‖     .‖    ..‖     .‖     ‖
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260 :ほへぇ〜:2006/02/12(日) 13:03:28 0
>>259
AAを貼られずに何処までスレが伸びるかなぁ〜と思っていたけど、ココで記録が
途切れてしまいました。残念。

261 :世界@名無史さん:2006/02/12(日) 19:13:40 0
 チ○コやマ○コのAA貼って逃げる奴もいるんだから見逃してやれよ。
BSでネロのドラマやってたけど、パルテイアの事とか全然スルーで萎え
た。

262 :世界@名無史さん:2006/02/13(月) 02:57:00 0
ローマ軍の兜が3種類あると聞きました。
もっとも一般的な砲弾のような形の兜と、コリント式の兜は知っていますが、
残りの一種類、昔、サムニウム人が身につけていたスタイルの兜が密かに人気があって
アングラルートでこっそり鋳造職人に作らせて愛用していたローマ人がいたらしいのですが、
参考になる画像あるところ知ってます?

263 :世界@名無史さん:2006/02/13(月) 08:14:17 0

>>262

今の消防士のヘルメットみたいね。
http://www.niximperial.com/nixp30b.html

264 :世界@名無史さん:2006/02/13(月) 08:24:31 0
長期間被ってたら頭痛くなりそうだな。日本軍の研究だと重量1kを
が長期間被れる限界で3kだと2〜3時間で不快で脱いでしまうそう
だ。日本でもドイツを真似て耳までくる深鍋式のヘルメットを採用し
たが、日本のような湿潤な気候では蒸れるのと動きが鈍くなるってん
で中止になった。

265 :ほへぇ〜:2006/02/13(月) 11:30:18 0
>>263
魚人剣闘士じゃないかな……と思う。

西洋甲冑の製造販売で一部の方々に有名なところです。
http://www.wbr.co.jp/frameset.html


266 :世界@名無史さん:2006/02/13(月) 16:39:16 0
トロイアンヘルムなんて重そうだな。

267 :世界@名無史さん:2006/02/15(水) 08:16:30 0
ローマでもオリンピックやってたけど、それも全裸だったんかな。賞品とか
でたんだろうか。

268 :世界@名無史さん:2006/02/15(水) 23:26:13 0
 剣闘士なんかも賞金でたからでたんじゃない。ローマ市民なら全員観れる
から全裸ではなかったと思う。

269 :世界@名無史さん:2006/02/16(木) 01:01:44 O
ギリシアは裸、賞品は月桂冠のみだったがローマはどうなんだろ
ローマ人はギリシア色の強いオリンピックは好まなかった
と聞いた気もするが

270 :世界@名無史さん:2006/02/16(木) 01:50:19 0
ケンビシの方がいい

271 :世界@名無史さん:2006/02/16(木) 08:52:46 0
 ネロとかドミティアヌスとかギリシャ文化に嵌るタイプはローマ人には人気
無いんだよね。技術や人材は受け入れるけどやっぱ最後はローマ文化みたいな
意識がローマ人にもあったんだろうね。ところでケンビシって何?

272 :世界@名無史さん:2006/02/16(木) 09:37:56 0
キング・アーサーで有名になった?ドラコナリウス
ttp://www.fectio.org.uk/articles/draco.htm

273 :世界@名無史さん:2006/02/16(木) 23:39:48 0
>>269
大会が賞金出さなくても国が賞金出してくれるのは今も昔も一緒だろ。

274 :世界@名無史さん:2006/02/17(金) 18:39:24 0
 コロッセオで模擬海戦やったっていうけどどうやったんだろう。

275 :世界@名無史さん:2006/02/17(金) 22:33:46 0
競技場に水を張ってそこにガレー船浮かべてやったのかねえ

276 :世界@名無史さん:2006/02/18(土) 00:18:53 0
大量の水どっから持ってくんだ?それが謎、奴隷とかが船の模型を動かした
んだろうか?コロッセオの日差し避けの布も張り方も謎らしいしコロッセオ
も謎が多いな。

277 :世界@名無史さん:2006/02/18(土) 08:04:12 0
ヒント:水道

278 :世界@名無史さん:2006/02/18(土) 13:29:14 0
 底が抜けないか?排水は?

279 :世界@名無史さん:2006/02/18(土) 13:41:44 0
月桂冠<剣菱の駄洒落だな

280 :世界@名無史さん:2006/02/18(土) 15:52:16 0
>>276
>>278
ローマのインフラ整備をなめるな。
公衆浴場や噴水が沢山あったんだぞ
そのぐらい簡単だろ。

281 :虎☆馬:2006/02/18(土) 16:03:50 O
ローマ皇帝は、並外れた賢人か並外れたヴァカかだから、
凡人レベルでの判断は裏切られるのでつ。



282 :世界@名無史さん:2006/02/18(土) 16:41:09 0
 1人で大統領と国防大臣と財務大臣と外務大臣と公共建設大臣を
やってんだから、しかも任期は終身。

283 :世界@名無史さん:2006/02/18(土) 22:04:06 0
皇帝という職を解かれるときは同時にこの世からも解かれる…。

東西分裂前ではディオクレティアヌスくらいか、自分で辞めたのって。

284 :世界@名無史さん:2006/02/19(日) 02:43:25 O
賢人とウ"ァカったらウ"ァカ皇帝のほうが多そう

285 :世界@名無史さん:2006/02/19(日) 04:23:05 0
それは一般人にもいえることだな。

286 :世界@名無史さん:2006/02/19(日) 20:26:21 0
>>284
ところが帝政初期〜盛期には優秀な皇帝が際だって多い罠。

287 :世界@名無史さん:2006/02/19(日) 20:55:26 0
カリグラがキチガイってくらいか。ネロも外交分野などでは一貫して優れていたしな。
あとはネロ死後ヴェスパシアヌスが政権とるまでの皇帝あたりが難ありか。ヴィテリウスあたり。

288 :世界@名無史さん:2006/02/19(日) 22:43:56 0
まあ、ティベリウスまでは前皇帝の後継者選びが優れてたってことなんだろうけど……

289 :世界@名無史さん:2006/02/20(月) 10:28:48 0
 カエサルから数えたって3代目までじゃん。w

290 :世界@名無史さん:2006/02/20(月) 14:15:25 0
最近の北朝鮮の後継問題をみてるとなにかローマの元首とかぶるものがあるな。
圧倒的な独裁者なんだけど、人民の指導者のエセ凱旋将軍。

291 :世界@名無史さん:2006/02/20(月) 15:44:57 0
それはローマ人を馬鹿にしすぎ…

292 :世界@名無史さん:2006/02/20(月) 17:52:02 O
北朝鮮がアメリカ以上の国力がある独裁国家ならかぶるけど


293 :ほへぇ〜:2006/02/20(月) 22:13:49 0
共和政末期では『王』のような終身の支配者の存在を嫌った連中が多数派。
内乱で元老院階級がかなり入れ替わったのではなかろうか?
アウグストゥスの才覚だけで比較的穏健に帝政に移行したと言うにはちょっと
無理があるような気がします。彼の存在を必要とした環境が整っていたような
気がする。

元首政期の皇帝って、独裁国家の国家元首のように強力な存在ではないよ。
元老院と軍団とローマ市民に常に配慮しても、ちょっとしたへまで叛乱を
起こされるし。『お前は皇帝としては用済みだ』とあっという間に殺される。
権力を維持するには、政権として周囲が納得するような成果を挙げるか、
それとも常に軍事力を手元に置くか。
大統領はリコールされても亡命するか一人の庶人になるか殺されるかだけど
ローマ皇帝はリコールされたら殺されるしか選択肢が無いなぁ。


294 :世界@名無史さん:2006/02/21(火) 14:41:34 0
ユリウス=クラウディウス朝の後継人事の揉め具合と北朝鮮がかぶるんだよ。
最近、長男を追放して次男に継がせるとか、義弟につなぎをさせるとかいろいろ情報が飛び交ってるじゃん。
本来、血縁が根拠じゃないものを無理に息子に継がせようとするから揉めるんだろうな。

295 :世界@名無史さん:2006/02/21(火) 21:26:32 0
 血縁もあるけど根本は大きな権力と富だろう。それに伴なう義務が果た
されないと首が飛ぶ、こればかりは古今東西変わらない。

296 :世界@名無史さん:2006/02/21(火) 23:53:39 0
>>294
この程度で被るんであれば、どこの国のどこの王朝も被るよ。
何でもかんでも比較すればいいってもんじゃない。

297 :世界@名無史さん:2006/02/22(水) 01:28:07 0
権力闘争は仕方無いけど、その間住民を飢餓に追い込まなかっただけでも
立派だべ。

298 :世界@名無史さん:2006/02/22(水) 01:53:30 0
んだんだ おらの村なんか今でも水飢饉があるだよ

299 :世界@名無史さん:2006/02/22(水) 01:56:50 O
別に何から何までそっくりと思ってるわけじゃないけど、21世紀に為政者の世襲(しかも名目上は人民の第一人者)をみれるなんてなんか興奮するのよ。
アラブの首長やブリテンの王だったらたいして珍しくもないんだろうけど。

300 :世界@名無史さん:2006/02/22(水) 19:48:16 0
 日本の天皇も君主なんだけどな。

301 :世界@名無史さん:2006/02/22(水) 23:46:18 0
上代の時代はともかくその歴史の大半が偉い神主みたいな存在だけどね。
政治に直接触れずに権威の認定機関として存続したのが長く続いた秘訣ですか。


302 :世界@名無史さん:2006/02/24(金) 03:50:10 0
古代ローマ帝国の軍隊を語るスレなんだから軍隊について語ろう、ローマの
凱旋式の変遷なんてどうだろうとネタ投下。安芸

303 :世界@名無史さん:2006/02/24(金) 12:25:56 0
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081140750606.html


304 :世界@名無史さん:2006/02/24(金) 20:11:44 0
古代ローマからは外れるが、ビザンツの軍隊ってあんまり資料ないな。
初期はローマ末期に近い形なんだろうけど、テマ制やらプロノイア制の軍隊ってどうだったんだろ。

305 :世界@名無史さん:2006/02/25(土) 00:08:36 0
 白馬4頭立ての戦車はギリシャからの影響かな、剣闘士は映画の性で異種
格闘で当たり前だと思ってた。

306 :世界@名無史さん:2006/02/25(土) 19:36:26 0
 剣闘士の遺体なんて良く残ってたな。でも昔のローマって火葬でないの?

307 :ほへぇ〜:2006/02/26(日) 01:29:41 0
>>304
ビザンティン帝国の軍隊 886−1118ローマ帝国の継承者
オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030903735&Action_id=121&Sza_id=C0&Rec_id=1005&Rec_lg=100512

Romano-Byzantine Armies 4th–9th Centuries
(Men-at-Arms 247)
http://www.ospreypublishing.com/title_detail.php/title=P2242~ser=MAA~per=40

308 :世界@名無史さん:2006/02/26(日) 03:28:53 0
異種格闘技 アーチェリー VS レスリング

309 :世界@名無史さん:2006/02/26(日) 03:47:43 0
アーチェリーの100%勝ち。

310 :世界@名無史さん:2006/02/26(日) 11:31:49 O
それは分からん。条件によるだろ。
例えば、1m離れて構えていない状態から用意ドンで闘えば、レスリングの100%勝ちだろ。

311 :世界@名無史さん:2006/02/26(日) 14:30:18 O
矢は放たなくても首とかに刺せる
よってレスリングの100%勝利ということは有り得ない

312 :世界@名無史さん:2006/02/26(日) 14:56:44 0
>>矢は放たなくても首とかに刺せる
レゴラスかよ。

313 :世界@名無史さん:2006/02/26(日) 15:50:48 0
よく映画とかで矢を剣で叩き落とすという描写があるけど
実際可能なのだろうか

314 :世界@名無史さん:2006/02/26(日) 16:24:53 0
>>313
反射神経がよほど良くなければ無理

315 :世界@名無史さん:2006/02/27(月) 04:28:46 0
 弓矢が剣で弾き返せるならだれも鎧やら兜やら盾やら装備しない。
ところでなんでローマ軍を語るでアーチェリー VS レスリング
なんだ?

316 :ほへぇ〜:2006/02/27(月) 04:41:59 0
古代の投擲物の飛来速度は比較的遅かった。投石弾は無理であったが、矢や
投槍の飛来は空中で視認して、難なくかわすこともできた。結果として、散
兵戦による犠牲者は一般に少なかったと思われる。
(E・ゴールズワーシー『古代ローマ軍団大百科』181ページより)

投擲系の陸上競技――槍投げ、ハンマー投げ、砲丸投げ――の中継を見ても
審判員はちゃんと避けてはおるな。

アーチェリーの場合はまっすぐ飛ぶので難しいだろうが、古代の戦場では弓
兵は一般的に重装歩兵の主戦列の後ろから――裸の状態だと敵の主戦列に簡
単に蹴散らされるからね――山なりに撃つので、視認しやすかったのだろう。
一人当たりの幅が60センチしか確保できない密集方陣は避けるのが難しいか
もしれないが、100センチ幅のローマ軍団や180センチ幅のガリア兵の場合は
避けるのは可能であったと思われる。314氏が言うように反射神経だけでは
なく運動神経・動体視力が優れていないと飛来する投擲物をわざわざ剣で叩
き落とすのは難しいでしょう。避けるほうが容易だしね。もっともこれは
飛来する投擲物が一本の場合で、一斉投擲なんか食らったりしたら古参兵で
も動転してしまい避けるのが難しいのではなかろうか? だから長盾を持っ
て防御するのだろうだが。


317 :世界@名無史さん:2006/02/27(月) 07:06:05 O
ヒント:弾幕

318 :世界@名無史さん:2006/02/27(月) 13:04:00 0
動転うんぬんの前に、前後両脇に人が密集しているときに避けれるわけない。
避けたところで後ろの兵士に流れ矢があたるだけ。

319 :世界@名無史さん:2006/02/27(月) 23:55:01 O
やはり長盾集めて亀になるのが一番

320 :世界@名無史さん:2006/02/27(月) 23:56:49 0
亀甲戦術はトラヤヌスの円柱にも描かれていることからも
当時としては有効だったんだろうな。

321 :世界@名無史さん:2006/02/28(火) 01:16:53 0
今でも機動隊がやってるね

322 :世界@名無史さん:2006/03/01(水) 11:30:07 0
 機動隊の盾は退却する際背中に背負って後向いてる際に投石とか背後から
の攻撃を防げるようになってるけど、ローマの長盾にもそういう配慮があった
んだろうか。

323 :世界@名無史さん:2006/03/01(水) 11:57:40 0
盾を背負えるように
裏側に皮のベルトでもついてたんじゃないかな。

324 :世界@名無史さん:2006/03/02(木) 12:16:37 0
 ゲルマン人やガリア人の攻撃も投石が多い。

325 :世界@名無史さん:2006/03/03(金) 13:46:27 0
 日本だって室町の時代までは投石とか多いぞ。

326 :世界@名無史さん:2006/03/03(金) 15:29:21 0
機動隊が固まっている時 石を上から落としてみたいと思ってしまう俺。


327 :世界@名無史さん:2006/03/03(金) 15:54:43 0
一度でいいから
珍や893vs機動隊の会戦が見たい。
遭遇戦じゃなくて会戦。
整然と行進して、
会戦距離になったら大声を上げて襲い掛かる機動隊がみたい。

328 :世界@名無史さん:2006/03/03(金) 16:01:26 0
密着24時の視聴率がすごいことになりそうだw

329 :世界@名無史さん:2006/03/03(金) 16:44:38 0
学校単位で動員できればな……

1クラス1個小隊。
3〜4クラス1個中隊

330 :世界@名無史さん:2006/03/03(金) 19:04:32 0
>>329
その計算だと学校一つで連隊一つだなw

331 :世界@名無史さん:2006/03/04(土) 03:49:48 0
角材ファランクス部隊を主力に。
前哨戦用に投石部隊と遊撃用の釘バット&木刀の混成チーム。
側面に動かす為の騎兵としてバイク部隊。

部隊は全部自動車化してハコ乗りで移動か。

332 :世界@名無史さん:2006/03/04(土) 03:51:42 0
ローマレギオン機動隊vsギリシャ式珍走

警棒対策に盾は必須か。

333 :世界@名無史さん:2006/03/04(土) 09:27:32 0
何その学生運動

334 :世界@名無史さん:2006/03/04(土) 17:42:34 0
 アルメニア出兵反対〜。ローマ市民を戦場に送るな〜。皇帝は市民と元老院
に正統な権利を与えよ。我々はその日まで最後まで闘うウンタラカンタラ。
って感じ。

335 :世界@名無史さん:2006/03/04(土) 18:03:40 O
>334
マルクス・ブルータスが言いそうw
カエサル暗殺って2.26っぽいよな。悲憤慷慨だけでやらかして、
やった後の事を何も考えてなかったりする所とか。キケロが
北一輝だな。

336 :世界@名無史さん:2006/03/04(土) 22:27:22 0
23 名前: 痛いよ− 投稿日: 2000/10/28(土) 11:26

>20
ちょっと昔(10年ちょいぐらいかな)、
西成で暴動があったんだけど、
機動隊スゲー。
暴徒と化したプータロ&ヤンキーに対して密集陣形を作って接近し、
盾を水平に持ち替えて(胸ぐらいの高さ)突撃。盾を使った第一撃を加え、
暴徒の最前列を横倒しにすると同時に盾を持ちなおして、
横倒しになった暴徒を機動隊の第2列目以後に取り込んでタコ殴り。
こうやって暴徒の群れを一枚ずつ引っぺがすやり方を生まれて始めてみたもんで、
エラク感心しました。


337 :世界@名無史さん:2006/03/04(土) 23:00:28 0
盾の一撃で最前列の敵を倒すのはローマと同じだな

338 :世界@名無史さん:2006/03/05(日) 08:34:00 0
「盾を水平に」の意味がちょっとわかんないんだけど。
横に倒した盾のどこの部分を掴むんだろう?
それに突撃の途中で一瞬無防備になってしまうと思うんだがどうなんだ。
普通に盾を構えて体重を乗せて体当たりした方が威力があるんじゃないか?

339 :世界@名無史さん:2006/03/05(日) 09:53:47 0
 普通に盾を構えて体重を乗せて体当たりするんだけどな、そんで相手の体勢
が崩れた処をスペイン剣でぶっさす。

340 :世界@名無史さん:2006/03/06(月) 02:39:49 0
ttp://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71082
国家人権委員会は26日、「先月15日にソウル汝矣島(ヨウィド)農民デモに参加して
死亡したチョン・ヨンチョル氏、ホン・ドクピョ氏の死因に関する調査の結果、2人は警察
の暴行を受けたと推定される」と明らかにした。

人権委は「各種資料を検討した結果、デモ鎮圧過程で盾を横にして攻撃したり、下へ向けて
押しつぶしたりする行為、盾で胴体でない部分を押す行為を禁止し、鎮圧棒は‘下腿部’を
中心に鎮圧しろという警察装備使用規則を、警察が違反したと判断される」と明らかにした。

341 :世界@名無史さん:2006/03/06(月) 04:45:30 0
もうまんまローマ戦術だな

342 :世界@名無史さん:2006/03/06(月) 06:30:15 0
韓国の武装警察は映画でもときどき登場するね

343 :世界@名無史さん:2006/03/06(月) 18:55:36 0
韓国の警察ってあの獰猛な奴らを鎮圧できるのならすげぇ強いんだな

344 :世界@名無史さん:2006/03/06(月) 19:15:35 0
実戦力では日本の警察よりは上だろ
装備もだいぶ違うし

345 :世界@名無史さん:2006/03/06(月) 21:49:12 0
ここでコスタリカの重武装警察が乱入

346 :世界@名無史さん:2006/03/07(火) 17:36:13 0
 機動隊のノウハウは日本や英国が教えたんだよ。相手を殺さずデモを鎮圧
する必要が60年代安保とか東大紛争とかで日本も大変だったからね。ただ
この種のデモも浅間山荘事件以降激減して機動隊のこの種の技術もだいぶ日
本では衰えてるような気がする。その点韓国は80年代の学生運動以来えん
えん30年の歴史を誇ってるからこの種の技術では現在最高レベルにあると
言って良い。まあ国家の発展レベルが日本より高いって訳ではないけど。

347 :ほへぇ〜:2006/03/16(木) 09:41:25 0
Ospreyの新刊「Roman Auxiliary Cavalryman AD14-193」を購入したので。

支援軍騎兵部隊の出身地別構成について【1世紀後半】
ガリア・ルグドゥネンシス13,000 33%
ヒスパニア・タラコネンシス 6,00015%
トラキア 4,50011.5%
パンノニア4,00010%
ガリア・ベルギカ3,5009%
シュリア 2,0005%
アフリカ・ヌミディア2,0005%
ブリタンニア1,5004%
パレスティナ1,0002.5%
モエシア 1,0002.5%
ガリア・ナルボネンシス1,0002.5%

こうやって見ると、人口が多くてもローマ化が進んだ地域は騎兵の供給源に
はならないようだ。アフリカ・ヌミディアの供給数の少なさは意外だったな。

348 :ほへぇ〜:2006/03/16(木) 09:47:48 0
見難いので再送。

ガリア・ルグドゥネンシス 13,000 33%
ヒスパニア・タラコネンシス 6,000 15%
トラキア 4,500 11.5%
パンノニア 4,000 10%
ガリア・ベルギカ 3,500 9%
シュリア2,0005%
アフリカ・ヌミディア 2,000 5%
ブリタンニア 1,500 4%
パレスティナ 1,000 2.5%
モエシア 1,000 2.5%
ガリア・ナルボネンシス 1,000 2.5%


349 :ほへぇ〜:2006/03/16(木) 09:49:08 0
うう……。
たいして変わらん……。


350 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 10:28:42 0
ガリア出身者が一番、多いんですね

351 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 11:58:04 0
ヌミディア騎兵というと共和制時代では強力な騎兵の代名詞である感がありますが…。
帝政期では少数しかいなかったんですねえ。確かに意外。

352 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 15:13:01 0
 馬連れて移動させるの大変だったからじゃない。亜熱帯の地域の馬を亜寒帯
に連れてきてもすぐ死んでしまいそうだし。またローマのガリア政策が分断統
治であった事も考えると現地のガリア・ゲルマン兵雇った方が合理的、騎兵は
身分が高い人しか当時は乗れないからそういう人物を親ローマにしとくのは
悪くないし、味方の騎兵が一人増える分相手の騎兵が一人減る。そういう目的
もあったと思う。

353 :ほへぇ〜:2006/03/18(土) 09:38:45 0
>351
「共和制」は「共和政」と表記するのが最近の流れのようです。

>352
ハンニバルに従ってアルプス越えたヌミディア騎兵は、ガリアで馬を新たに
調達したのだろうか? カンナエの会戦ではカルタゴ軍右翼に展開している。
そもそも、当時の軍事用の馬匹の耐用年数というか寿命はどんなものなのだ
ろうか? ヒスパニアから出発したとしてもカンナエまでは結構時間が過ぎ
ているよね。

帝政時代なら馬は現地調達として騎兵だけを移動させることもできたのでは?

フラウウィウス朝以前なら、現地徴集が原則だから脅威度の低いアフリカでの
騎兵徴集が少ないのもうなずけます。軍団だってランバエシスの第Vアウグス
タ軍団しか配置されていないことだし。


354 :世界@名無史さん:2006/03/18(土) 21:07:11 0
 リビアとかの砂漠化って何時から進んだかによるけどユグルタ戦役時、
マリウスがゲリラ戦法使ってくるユグルタに対して足であるラクダを方端
から殺したり買い取ったり他の地域に移動させて補給を断ったって記録が
あるのでヌミディア騎兵の供給源である遊牧民が砂漠化で馬から駱駝に
乗り換えた可能性がある。ローマ期もカルタゴなんかは発展し続けたから
都市部やその周辺の農村は緑地だったけど、周辺から少しづつ砂漠化が進行
したんだろうな。

355 :世界@名無史さん:2006/03/19(日) 12:02:05 O
まあ馬は暑いより寒い方が飼いやすいわけだが。太平洋戦で
南方に連れていった軍馬は病気になってバタバタ死んだそうな。

356 :世界@名無史さん:2006/03/20(月) 04:21:24 0
>>355
暑いと金玉腫れるしな。
寒い方がまだまし。

357 :世界@名無史さん:2006/03/21(火) 19:33:23 0
ハンニバルは馬とか上手く乗れたんだろうか?カルタゴ人は船乗りとしては
優秀だろうけど。騎手とはしては下手そうだけど。

358 :ほへぇ〜:2006/03/21(火) 20:15:14 0
カルタゴ陸軍の編成は、エリート市民兵である神殿部隊(神聖隊とも言うな)
を除けば、傭兵契約した外国人部隊の連合体だから馬に乗るのが下手でも問題
無いのかもしれない。第1時ポエニ戦役の時代なら漕ぎ手として無産市民が
日々の糧を得るために給料をもらっていたという話だよ。無産市民の収入が
確保されたため、ギリシア系諸都市に比べて驚くほど政治的に安定していたと
ゴールズワーシー先生が書いておったよ。

359 :ほへぇ〜:2006/03/21(火) 20:41:02 0
>>354
確か地球の自転軸の歳差運動の周期に関係する話ですよねぇ。4万年周期でした
っけ? 詳しいことは忘れてしまったけど。現在は公転面に対して23.4度自転軸
が傾いているせいで中緯度高圧帯が北アフリカ沿岸部まで達してしまっているけ
ど、昔はもっと南のほうへ中緯度高圧帯があったため北アフリカ沿岸部もかなり
内陸部まで温暖な地中海性気候のもとにあって、タッシリ・ナジェールのあたり
も雨季と乾季に分かれたサバンナだったってやつでしょう? 中緯度高圧帯が北
進したのは、エジプトの人口がナイル河流域に追いやられて人口密度が上がった
結果、古代エジプト文明が花開いた時期とほぼ一致すると習った覚えがあるのだ
けれども。さらに詳しい人は何か書き込んでおくれ。

360 :世界@名無史さん:2006/03/22(水) 01:58:53 0
>>359
さて、どこから突っ込んだものか…
とりあえず、歳差運動と、地球の気候変動とは関係ないってことだけ補足しとく。

361 :ほへぇ〜:2006/03/22(水) 11:57:04 0
>>360
他人の書き込みの間違いを指摘するなら、もう少し丁寧な説明をするべき
ではないかな? 納得のいく説明がもらえれば私も間違っていたと訂正す
るよ。以前、馬の鐙に関する書き込みでの訂正のように。

中緯度高圧帯の南北移動に関する長期間の周期的変動は、いかなることが
原因で起こるのか、わかりやすく説明してくれないだろうか?

362 :世界@名無史さん:2006/03/22(水) 23:04:39 0
>>361
該当する板に行って聞いてみたら?
あなたとしては詳しく聞きたいと思うだろうこともわかるが、
ここでやられても困る。
そもそも>>359の書き込みからしてスレ違い気味だと思うし。

363 :ほへぇ〜:2006/03/23(木) 10:10:35 0
>>362
確かにあなたの言うとうりだ。
この件に関してはどうぞ読み飛ばしてくれたまへ。


364 :世界@名無史さん:2006/03/24(金) 03:59:50 0
 羊・山羊の放牧影響とかあったかもね。アラブ圏が砂漠化したのはこれら
が大量の草を根毎喰ったからって説もあるし。どうせならムハンマドも豚で
は無く羊や山羊を食するの禁止したら良かったのにね。ところでカルタゴ海軍
はローマを見習ってカラスとか装備しなかったんだろうか?それともカルタゴ
海軍っても商船主体で交易に不要なその種の装備は嫌われたんだろうか?


365 :世界@名無史さん:2006/03/24(金) 04:04:17 0
カラスを設置すると船がえらく不安定になるらしいが。

366 :世界@名無史さん:2006/03/25(土) 01:14:38 0
 カラス設置しなくても船を横付けして板を渡せば相手の船渡れん事も無いん
だよな。衝角戦術するならローマもカルタゴも船首尖らせれば良いと思うんだ
がその種の努力をローマもカルタゴもしてないのは謎だな。第2次カルタゴ戦
以降カルタゴ海軍の戦術能力が極端に低下するのは平家が落ち目になると瀬戸
内の水軍衆が源氏に寝返ったようにカルタゴの船乗りもローマに寝返ったんだ
ろうか。

367 :世界@名無史さん:2006/03/25(土) 02:19:35 0
第二次ポエニ戦役のあとにカルタゴの軍船はほぼ全て破却されたんじゃなかったっけ?

368 :世界@名無史さん:2006/03/25(土) 02:48:54 0
第2次でなく第1次に訂正。ごめん。

369 :世界@名無史さん:2006/03/26(日) 00:50:35 0
「第二次ポエニ戦争におけるカルタゴ勝利の可能性スレ」でも同じ話題になってたな

370 :ほへぇ〜:2006/03/26(日) 01:32:24 0
@第一次ポエニ戦役時代においては、カルタゴ海軍の漕ぎ手はカルタゴの市民権を
持つ低所得層にとって日々の糧を得るための職業であった。甲板員などの船員もし
かり。契約傭兵――プロの兵士の集団――が主体であった陸軍とは事情が大きく異
なりカルタゴ海軍の主体は市民兵であった。


371 :ほへぇ〜:2006/03/26(日) 01:32:57 0
A衝角を使った攻撃法は敵艦の船尾および舷側に激突させる方法と、平行に航走し
ながらオールをへし折る――C・ヘストンの「ベンハー」でもおなじみ――方法が
あった。衝角の先端が比較的太くて短いのは相手船体に深く食い込みすぎて抜けな
くなる恐れが在った為。敵船に対して浅めの角度で激突することが理想とされた。
狭い海域で多数のガレー船が犇めき合った状態で、自由自在に操船するのには高度
な技術、長年の経験、弛まぬ訓練、指揮官と船員・漕ぎ手との円滑な意思疎通など、
必要とされるものは多かった。
ガレー船の操船の難しさについては、J・G・ランデルズ『古代のエンジニアリング
――ギリシャ・ローマ時代の技術と文化――』(地人書館)の第6章に詳しい記述
があります。


372 :ほへぇ〜:2006/03/26(日) 01:33:28 0
Bガレー船は船体の大きさに比べて不釣合いなほどの多くの人員を載せていた。彼
らはバラスとの役割も果たしていたので、航行中は勝手に移動することも許されて
いなかったようである。船体構造が速度優先で安定性を欠き居住性も劣悪なため、
長期にわたる洋上行動などは事実上不可能で、2〜3日おき――可能であれば毎晩
――港、もしくは砂浜にガレー船を引き上げ乗員の休息をはかる必要があった。船
体に余分なスペースが残されていないため、二百名を超える人員の糧食を積み込む
余裕もなかったので海岸伝いに移動する輜重隊から極端に離れる沖合いで作戦行動
することもほとんど無かった。大航海時代以前の海戦がほとんど全て陸地に近いと
ころで行なわれるのは、ガレー船の特性に大きく束縛されたためでもあった。第一
次ポエニ戦役の4つの海戦が全てシチリア島沖で行なわれたのも、このためである。


373 :ほへぇ〜:2006/03/26(日) 01:34:32 0
Cコルウス【烏】は乗員錬度で大きく劣る初期ローマ艦隊の苦肉の策でも逢った。
海戦に望むガレー船は帆柱をはずして少しでも船体を軽くするのが普通であるが、
ガレー船の船首付近に取り付けられたコルウスは船体のバランスを大きく崩すため
海難事故にあう確率も高くなったことであろう。弓兵がのぼる船上塔等と比べると
かなり重量物であったに違いない。それでも360度旋回ができて数メートルのタラッ
プを敵艦に食い込ませるのは、衝角を使った戦術行動よりも容易であったと考えら
れる。ミュラエ沖海戦で登場したコルウスに対してカルタゴ海軍は有効な対抗策を
打ち出すことができず、ドレパヌム沖海戦を除き全て敗北に終わる。


374 :ほへぇ〜:2006/03/26(日) 01:36:18 0
D度重なる不運に見舞われたカルタゴ海軍は、熟練の人的資源を磨り減らす状況に
陥るが、その間にローマ海軍は乗員錬度を向上させついにはアエガテス諸島沖海戦に
おいてコルウスを取り外したローマのガレー船の艦隊が操船技術でカルタゴ海軍を
凌駕し衝角を使った激突戦法にて勝利する。ギリシア系諸都市より船員を呼び寄せ
彼らを教官に砂浜でオールを漕ぐ訓練からはじめたローマ海軍は、約20年で西地
中海最強の海軍に成長したのである。


375 :ほへぇ〜:2006/03/26(日) 01:39:42 0
Eローマ・カルタゴ両海軍に共通して言えるのだが、彼らのガレー船は『規格品』で
あり、大量生産に適していた。木材が通し番号を振られた船体部品として加工され
それが水中遺物として後に発見されているのである。古代版の『マスプロ』である。
恐れ入ったね……。

>>369
こっちに書き込んでおいたから、向こうには書かなくてもいいでしょう。
おそらくどちらのスレも目を通している人たちばかりですから。

376 :世界@名無史さん:2006/03/26(日) 16:57:55 0
 船首尖らせ過ぎると抜けなくなるのか、剣とかは違うんだね。熟練者がいなく
なり相手に凌駕されてく姿は零戦に繋がるね。ハンニバルがアルプス越えていく
しかないわけだ。カルタゴ本国がハンニバル支援に消極的だったのも戦闘に耐え
られるだけの人的資源が無かった性かもね。カルタゴの人口統計とか税収統計が
残ってれば比べられるんだろうけどそれらがカルタゴ陥落で全部灰になったのが
惜しまれる。まあ都市国家から抜け出せなかったカルタゴと覇権国家への道を歩
み出したローマとの差か。だがカルタゴもイタリアの踵までなら風に乗れば5日
往復で10日で行けるのだからやろうと思えばハンニバルに増援送るのは不可能
ではなかったろうに。

377 :世界@名無史さん:2006/03/26(日) 18:16:30 0
いや、剣でもぶっすり奥まで刺すと抜けなくなるって

378 :世界@名無史さん:2006/03/26(日) 22:55:54 0
船首と言っても、ラムは喫水線下を攻撃するものであって、
いわゆる「舳先」を尖らせたものではない。

みんな分かってるだろうけど、念のため。

379 :世界@名無史さん:2006/03/27(月) 11:42:06 O
銃剣術では、突く速さと共に引く速さも重視するな。
敵を刺したら素早く抜かないと抜けなくなるとか。
あと「ベン・ハー」のガレー船のシーンでは、戦闘中に
敵船が衝角攻撃に来たのを漕ぎ手が見つけると、たちまち
船艙内がパニックに陥って、脚の鎖を外そうとするのが
印象的だったな。漕ぎ手が奴隷や罪人だとこうなるのかと。

380 :世界@名無史さん:2006/03/27(月) 16:26:52 0
脚の鎖を外さんと海の藻屑なんだからそりゃ必死になるわな。

381 :世界@名無史さん:2006/03/28(火) 01:12:19 0
>>376
>熟練者がいなく なり相手に凌駕されてく姿は零戦に繋がるね。
日本にハンニバルがいたとしたらアリューシャンを通ってアラスカ・カナダから合衆国に突入したようなもんか。
あまりにむちゃくちゃな話で酢漫画。

382 :世界@名無史さん:2006/03/28(火) 03:53:23 0
つミッドウェー

383 :ほへぇ〜:2006/03/29(水) 04:41:47 0
わざわざ大東亜戦役と比較しなければならないものだとも思えないのだが。

ローマ=米国、カルタゴ=日本という図式は良く見かけますが、どちらかと
いえばガリア=戦前日本、ガロ・ローマン期のガリア=戦後日本というほう
が、状況にあっていると思われます。私見ですけど。

第二次ポエニ戦役って、『ローマ連合VSバルカス家』ですからハンニバルは
バルカス家の勢力圏であるヒスパニアの資源だけで賄うつもりだったのでは
ないのでしょうか?


384 :ほへぇ〜:2006/03/29(水) 04:57:42 0
カルタゴは市民権所持者拡大に関してはギリシア系諸都市と同様に慎重かつ
消極的でした。

海上戦闘で敗戦が続くと、漕ぎ手や甲板員を供給し続けていた低所得者階層
のカルタゴ市民たちに厭戦気分が蔓延したのは間違いないでしょう。新規に
参入してくる外部からの市民というものも存在しないので、現有戦力から戦
死者・戦傷者・捕虜などを差し引いていくと継戦能力という意味での人的資
源の枯渇というのは、カルタゴ元老院に屈辱的な講和条件でも止む無しと決
断させるだけの深刻な問題であったのでしょう。『我らは劣勢であったが、
完膚なきまでに負けたわけではない。あの腰抜けどもが前線でローマと戦う
我が軍の背後から匕首を突き刺したのだ!』とハミルカルは激怒したのかも
しれませんね。

385 :世界@名無史さん:2006/03/29(水) 06:33:08 0
《●》  ‥  《●》
m9
  『見ましたね!』
 
『今あなた達に呪いをかけました。
このコピペをよく人の集まる五つの別々のスレにレス
もしくは知り合い五人にメールしないと
日本全体(特にあなた)に不幸(売国のつけとか)が訪れます。』

 
【政治】政治献金外資規制、経団連要請で緩和案 自民と利害が一致★3
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1143474136/
 
  『コピペ終わり。』

386 :世界@名無史さん:2006/03/29(水) 06:33:24 0
>>384
『我らは劣勢であったが、 完膚なきまでに負けたわけではない。
あの腰抜けどもが前線でローマと戦う 我が軍の背後から匕首を突
き刺したのだ!』
 ヒットラーのユダヤ人に対する差別と同じだわな。w


387 :ほへぇ〜:2006/03/29(水) 10:16:47 0
>>386
383を読めば、撒き餌とわかると思ったのだが……。
真に受けたわけではないと……ということにしておきましょう。

388 :世界@名無史さん:2006/03/29(水) 10:32:05 0
>>373
>それでも360度旋回ができて数メートルのタラップを敵艦に食い
>込ませるのは、衝角を使った戦術行動よりも容易であったと考えら
>れる。

これがわからん。数メートルまで接近して横付け?衝角を刺すだけ
よりも難しいんじゃね?

389 :世界@名無史さん:2006/03/29(水) 17:46:11 0
>>388
ラムは敵艦の横腹に先端を突き刺す必要があるから操舵技術が重要。
カラスは近づくだけでおkだから結構楽なんじゃないかと。

あと、この時代も含めて海戦は長らく敵艦に接近して乗り込んで無力化or奪取が基本だから、
海戦に不慣れなローマ兵にとっては乗り込みやすかったかもね。

390 :世界@名無史さん:2006/03/29(水) 19:13:42 0
 カラスでなくても甲板に板を置いて、それを複数人で持ち上げて相手の船に
乗り移る事も可能なんだけど、海の知識が無くて泳げないローマ人は手摺が付
いて揺れない状態でないと相手の船に乗り移るなんてできなかったんだろうな
歴史上最大級の海難事故を2回もやってるから仕方ないけど。

391 :世界@名無史さん:2006/03/29(水) 21:49:12 0
>>389
>カラスは近づくだけでおk

その近づくのが難しいとちゃうんかと。

392 :世界@名無史さん:2006/03/29(水) 22:11:23 0
難易度:ラム攻撃>カラス
であって、ラムもカラスも難しいけど、
まだカラスの方がやりやすかったって話じゃないのか

393 :ほへぇ〜:2006/03/30(木) 09:48:35 0
ローマ側の艦船がカルタゴ側の艦船を攻撃しようと接近するときを同じくして
カルタゴ側の艦船もローマ側の艦船を攻撃せんと接近しようとする。
カルタゴ艦の突進から自艦の舵を切り進路を逸らせて、お互いが接近したときを
見計らって、コルウスを旋回させて敵艦目掛けて落とす。
衝角を動き回る敵艦の舷側・艦尾に向けて一定速度以上でぶつけるという操船に
くれべれば容易であると思われるのだが。いかがなものだろう。

ガレー船というのは船体を極力軽く作ってあるために、舷側に大穴を開けられて
海水が大量に流れ込んでも沈まずに浮かび続けることが多いそうだ。
軽く丈夫にするために木材はマツ・モミなど柔らかいモノが使われていた。
戦闘能力は失われているには違いないが、難破状態の損傷したガレー船を回収する
ということは、海戦終了後に試みられたようである。水中遺物の大半が難破した
商船であるのはこのためらしい。
また防水塗料技術が未発達だったため、木造船体が海水を吸収すると重くなる。
それを防ぐためにも毎日のように船体を浜に引き上げ乾燥させたらしい。

394 :世界@名無史さん:2006/03/30(木) 12:53:17 0
レパントの海戦なんかも最初に大砲を撃つこと以外はローマ時代と大差ないんだよね。
結局は敵艦に切り込んで制圧することが目的だし。
確かあのときもトルコ船をたくさん拿捕してた覚えがある。

395 :世界@名無史さん:2006/03/30(木) 14:37:09 0
ガレー船の話が出たんで聞くんだが、
ガレー船の“X段櫂ガレー”のX段ってどういう意味なんだろう?

2対1組の櫂の組数なのか、
甲板が多重になっていて櫂が付けられた階層の数なのか、
あるいは1つの櫂に就く漕ぎ手の人数なのか?

396 :世界@名無史さん:2006/03/30(木) 15:10:28 0
一つの櫂につく漕ぎ手の数だったはず。漕ぎ手の座る位置が
段差ついてるから。

397 :世界@名無史さん:2006/03/30(木) 15:19:32 0
クレオパトラの旗艦は10段だったそうな。

398 :世界@名無史さん:2006/03/30(木) 18:29:22 0
 中世ベネチアになると櫂を一人で掻くのではなく、大きな櫂を3人で掻く
ようになる。そうすると段差を高くする必要がなく船の重心を低く抑える事
ができる。そしてその分の重量を帆とマストにあてる事ができるようになり
長い航海が可能になった。やがて羅針盤や航海技術の向上により櫂を漕ぐ
装備自体が無くなり、上陸や無理矢理方向を変える際は縄を付けた小船を
降ろして変えたい方向に漕いで変えるようになる。

399 :世界@名無史さん:2006/03/32(土) 13:23:19 0
ほへぇ〜氏へ。皇帝港の造船能力とか倉庫数なんて解りますか?資料とか
あったら教えてください。

400 :世界@名無史さん:2006/04/02(日) 23:38:19 0
400ゲット

401 :世界@名無史さん:2006/04/03(月) 11:38:35 0
ローマ帝国の内戦で海兵がイタリア方について陸上で戦うことがよくありましたが、あれはなぜなんでしょう?
中立を保つことはなぜ出来なかったんでしょうか?

402 :世界@名無史さん:2006/04/03(月) 11:40:17 0
♪サッチャンハネ、コウツウジコデ、ハネラレタ、ダカラ、カオガトレテ、
ドッカトオクヘ、トンデチャッタ♪悲しいね、さっちゃん♪
さっちゃんは即死で死んじゃったの。このレスを見た人は…
さっちゃんが0時に行ってあなたの首をかまで切り取っちゃうよ♪
いやなら、さっちゃんが行くまでに、9回違うスレにレスを送ってね♪
あ、さちゃんの顔は、こんな顔だから、
探してくれるのもイイよ♪オネガイネ…。http://www.operaou.com/image/cmail/rei0204.gif
これマジだよ!!信じなかった私の友達は首を狩られて死んじゃったし

403 :ほへぇ〜:2006/04/04(火) 05:29:46 0
>皇帝港の造船能力とか倉庫数なんて解りますか?
>資料とか あったら教えてください。
すみません。わかりません。資料とかあったらこっちが教えてもらいたいくらいです。

と、開き直っても失礼だから持っている本の関係ありそうなところを書き出しました。

ローマの倉庫街
『古代ローマを知る事典』313ページの地図参照
ローマ市街の南西部に集中。ティベリス河の蛇行部分に沿って
\区、]T区、]V区、]W区に跨る。

『図解 古代ローマ』20〜21ページ
倉庫はサッカー場五面分の広さを持ち、200以上の貯蔵室を設けてある。
二名の奴隷が動かす踏み車を二基備えた起重機は7トンの荷物を引き上げることができる。
7トンというのは、コロッセウムで見世物にされて殺された北アフリカ産の象1等と
ほぼ同じである。この起重機がティベリス河に沿って何十基と設置されている。

モンテ・テスタッチョ【陶片山】
オリーブ油を運搬したアンフォラは、その強烈な臭いのおかげで再利用不可であった。
やむなく破砕された陶片は一箇所に集められて積み上げられ30mの高さの山となった。
崩れ落ちるのを防ぐために、仕切り壁を入れて細かい区画に分けられて積み上げられて
います。臭い消しのために大量の石灰が使用されています。


404 :ほへぇ〜:2006/04/09(日) 22:33:54 0
>>401
どの内戦について言及しているのか、私にはよくわかっていないのですが。

ネロ帝とウェスパシアヌス帝は、相当数の兵士と『海兵』を南伊の衰退しつ
つあった諸都市に定住させた――という言及がロストフツェフのローマ帝国
社会経済史のなかにありました。不法に占拠されていた公有地を国家に返還
させて、あるいは帝国もしくは皇帝の土地を小さな土地片に分割して定住す
る海兵たちに与えたということなのでしょう。ディプロマ【兵役終了証】に
その辺の記述が残っているものが発見されているらしいです。

退役『海兵』に対する待遇は、現役『海兵』の行動に大きな影響を与えたこ
とでしょう。見返りのことを考えて内戦時に海兵がどちらかにつくかという
のは充分ありえることです。

これは近衛隊や軍団兵士についても言える事で、自分たちの司令官を皇帝に
推戴したり、勝ち目がないと担ぎ上げた人物を殺してしまったりとさらに過
激な行動を取っています。

帝政期の軍隊というのは職業化して時間が経っており一般の市民社会から遊
離した独自のコミュニティを形成しておりますから、軍隊の中でしか通用し
ない価値観とか忠誠心が幅を効かしていたようです。

405 :ほへぇ〜:2006/04/15(土) 04:52:08 0
『古代ローマ 人類初の世界文明』162〜167ページ
ローマを潤した港:オスティア
元は軍隊の宿営地であった。ポエニ戦役時代は対カルタゴ戦の海軍基地であり
ティベリス河河口が投錨地であった。
スッラの時代に海軍基地から商業都市に生まれ変わる発展をした。
新しい市壁は69haの土地を囲み、宿営地時代の30倍の広さの市街地を形成した。
やがて河口港はティベリス河の運ぶ砂が堆積するため次第に商船の接岸が困難になって
いった。
そこで外港として42年/64年にクラウディウス帝の港が新築/改築される。
(大堤防に使われたのはガリグラ帝の巨大遊覧船。船倉に石を詰めて沖合いに鎮座させて
北側の端に灯台を設置した。)
暴風雨でクラウディウス帝の港に避難していた商船が、その暴風雨のために港内で多数
沈没するという災難にあってからしばらくしてトラヤヌス帝の港が増築される。
砂の堆積もそれに拍車をかけていた。
一辺が357mの六角形で面積が32haあった。ティベリス河への運河も掘られた。

406 :ほへぇ〜:2006/04/15(土) 04:52:40 0
トラヤヌス帝の港が完成すると、年間15万トンのアレクサンドリアからの穀物船団や
東方交易の商船がやってくるようになり、ティレニア海の主要港プテオリからその地位を
奪った。外港の傍には小さな市街が形成されるがこれがやがてポルトゥスという名の町に
なりオスティアの港湾機能を全て受け持つようになる。商業・交易都市となったオスティ
アは二世紀ころに全盛期を迎え、モザイク装飾の床面で有名な店舗は800を超えた。
オスティアの面積はポンペイに比べて若干広いだけであるが、人口は倍以上の5万人に
達したようである。これはヴェスヴィオス火山の噴火で埋没したポンペイのインスラが
本格的な高層化を迎える前に灰の下に没したせいでもあるが、ローマの胃袋を預かる
オスティアの繁栄が窺い知れる。
オスティアの衰退は危機の三世紀と共にやって来る。倉庫街・インスラは放棄され、経済
活動の全てはポルトゥスに移動してしまう。ディオクレティアヌス帝・コンスタンティヌス
帝時代にいったん状況は好転するが、それは商業・港湾都市としてではなくて、行政・外交
における中心地としての役割であり、貴族たちがローマの喧騒から離れるための高級住宅地
としての役割であった。五世紀には都市機能は完全に放棄され水道も廃棄されて、公道に
井戸を掘る始末であった。西ゴート族のアラリックはローマ略奪のおりオスティアになんら
価値を見出さなかったようである。六世紀後半にはゴート族の対ビザンツ戦争に兵站基地と
して利用されるが、九世紀のサラセン人の侵略によってオスティアは完全に抹殺された。

407 :ほへぇ〜:2006/04/15(土) 12:06:14 0
>>359-361
ミランコビッチ・サイクル(Milankovitch cycle)A
『M.Milankovitch(1930)によって計算された約10万年を周期とする気候変化
の周期。地球軌道要素のうち、地軸の傾き、公転軌道の離心率、歳差運動の三
つの周期的変化を基に緯度ごとの太陽放射量を60万年前までさかのぼって計算。
この結果を日射量-年代曲線として表した(ミランコビッチの曲線、太陽放射
曲線と呼ばれている)。この曲線にはいくつかの寒暖の周期が示され、この周
期が深海底のボーリングコア中の有孔虫の酸素同位体比による氷期・間氷期の
サイクルとほぼ合致することが確認され、少なくともほぼ10万年周期の氷期・
間氷期のサイクルは太陽放射量の変化で説明可能とされている。
〔熊井久雄・米倉伸之〕』
Milankovitch theoryL
『An astronomical theory of glaciation, formulated by Milutin Milankovitch
(1879-1958), Yugoslav mathematician, in which climatic changes result from
flutuations in the seasonal and geographic distribution of insolation,
determined by variations of the Earth's orbital elements, namely eccentricity,
tilt of rotational axis, and longitude of perihelion with periods on the order
of 100,000 years, 41,000 years, and 23,000 years respectively. (Milankovitch,
1941). It is supported by recent radiometrically dated reconstructions of ocean
temperature and glacial sequences.』


408 :ほへぇ〜:2006/04/15(土) 12:07:18 0
Milankovitch,M.(1930): 地球軌道要素の周期的変化に
よる気候変動を過去60万年前まで計算。
 1)地軸の傾きの周期変化…4.1万年
 2)公転軌道の離心率の周期変化…10万年
 3)地軸の歳差運動に基づく周期変化…2.3万年と1.9万年


409 :世界@名無史さん:2006/04/17(月) 17:53:50 0
>>407
ちょっと待て。
歴史ならいいけど、いくらなんでも自然科学の場合、その典拠は古すぎるぞ。
大学の図書館でその人の後継者辺りでもっと最近の無いか探してくる。

これだけでは流石にただのトンデモ説だ。

410 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/04/18(火) 10:57:55 0
>>409
大学図書館ですか。
お手数かけますがよろしくお願いします。



411 :世界@名無史さん:2006/04/18(火) 22:00:28 0
ローマ軍が鉛入りワインで弱体化したってのは本当?

412 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/04/19(水) 20:42:28 0
>>411
鉛などの金属を扱う鉛管工に中毒症状が現れていたため、鉛は人体に悪い
影響を及ぼすと当時の医師たちは経験により知っていました。だから兵士
が使っていた食器類はテラコッタ製、もしくは真鍮製だったと思います。

末端の水道管に鉛管が使われておりましたけど、御存知のとおりローマ水
道は流しっぱなしのなので、鉛管から溶け出したであろう鉛イオンも大量
の水で薄められて健康被害を出す水準には至りませんでした。

ワインの製造工程を考えても鉛が混入するというのはどうもありえないよ
うな気がします。
手作業でブドウを摘み取り→木製の桶でブドウの実を裸足で踏み潰し→
絞り機で果汁と絞りかすに分離→地面に埋めた大きな坪に果汁を入れ自然
発酵→発酵が済んでワインになったらアンフォラに詰め替えて出荷
果樹園の土が重金属で汚染されていたかもしれませんけど、近代的な冶金
工場からの廃棄物がそのまま捨てられていたというわけでもないでしょう
から可能性は低いですよね。

兵士たちが『鉛入りのワイン』を飲むという事態が、およそ考えにくいこと
だと思います。

413 :世界@名無史さん:2006/04/19(水) 21:08:35 0
古くなったワインを飲むときに、
亜鉛を入れて甘くしたっていうのは本当なのかな?

414 :世界@名無史さん:2006/04/20(木) 01:39:20 0
ローマでは状態の悪くなった酒を鉛容器で煮詰めて人工甘味料の酢酸鉛を作ってた。

415 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/04/20(木) 04:50:01 0
最近、平日は早寝早起きです。歳のせいでしょうか。

>>413
ワインの中に鉛のインゴットを沈めて自然に有機酸鉛を発生させて『隠し味』
にする方法があるそうです。甘みが増すらしいですが当然違法で、これで
フランスのあるワインメーカーが摘発されたらしいです。
兵士たちが『鉛入りのワイン』を飲むという事態が、およそ考えにくいこと
だと思います……と書きましたが、納入業者が上記の方法で安物を高級品と
偽って納品したということも考えられるかもしれません。ローマ軍団が弱体
化したということは無いと思いますが――帝政末期においてもローマ軍団は
蛮族の戦士集団より優勢でした――兵士の健康被害は充分ありえた話ですね。
前文を訂正します。

亜鉛についてはわかりませんでした。

>>414
鉛容器で煮詰めた人工甘味料の酢酸鉛入りのシロップは、ワインの味を調える
ためにローマの富裕者階級の間で流行したとのこと。金持ちの間では痛風、鉛
中毒、腎臓疾患が蔓延していたということです。

貧乏人とたいして変わらなかった食生活を送った兵士たちの甘味料は
 蜂蜜(流通量が多いわけではなく、しかも不安定)
 カロエヌム(2/3まで煮詰めたブドウの絞り汁)
 デフリトゥム(半分から1/3程度に濃く煮詰めたブドウの絞り汁)
 サーパ(さらに1/3以下に濃縮したブドウ果汁)
 レーズンを発酵させた茶色い甘口白ワイン
 マルメロ・イチジクに蜂蜜を加えて煮詰めた果汁
 干しプラム・干しイチジクなどのドライフルーツ
などであったと思われます。

416 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/04/23(日) 11:43:17 0
>>399
「オスティア物語――古代ローマの謎ときアドベンチャー」
キャロライン・ローレンス著/田栗美奈子訳
PHP研究所

小学生向けの児童書でありますが、児童書でこのレヴェルかぁ〜と思ってしまいました。


417 :騎兵の有用性を問う:2006/04/27(木) 00:14:06 0
馬は人間の10倍近くの穀物を食べると聞いたことがありますが、
何故古代ローマは騎兵を重視したのでしょうか?(費用対効果で考えると費用の割には効果が少ないような気がします)
ローマの重装歩兵は側面からの攻撃に弱かったらしいですが、
あのガチガチの鎧から考えると側面を攻撃されたとしても
鐙の無い時代の騎兵の攻撃では、それほどのダメージは無いと思うのですが・・・
それに馬って結構敏感だと聞きますし、
敵の陣形に突撃したとしても、ちょっと剣でつついたらこけてしまう様な気もします。

418 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 00:18:15 0
>>417
騎兵を見上げながら槍を繰り出したりするのは結構勇気が要るんじゃないだろうか。
特に疾走している騎兵の前に出るなんてきついと思うぞ。
両翼から包囲する役目もあるわけだし、偵察も追撃もこなせるから有用だと思うがね。

419 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 00:33:30 0
密集隊形は大量の人間の集まりだから、
一部が動揺すると、それが波及して瓦解してしまう。
特に中心の兵士は外周部で何が起こってるか分からない。
だから側面を攻撃されると、襲撃されたあたりの兵士は必死で応戦できても、
予想外の事態に中心から瓦解してしまったんじゃないかな。
ファランクスもレギオンも、個人の集団である以上に、
“1つの密集体”であったわけだから。

人体へのダメージは鎧の上からでも衝撃という形で襲い掛かる。
防弾ベストを着ていれば拳銃からは無敵さ!とは行かないのと同じで。

攻撃に関しては馬上という高所からの攻撃、
という以上の優位さはなかったんじゃないかな。
大事なのは速度、密集隊形じゃ側面への奇襲なんて気づかれただろうから。
ただ、どこで読んだか、マケドニア騎兵は
“槍が敵に接触する寸前に手を離す”やり方で突撃したって聞いたことがある。
騎兵は歩兵より攻撃が激しかった、という話の1つってことで。

最後に、軍馬というのは傷つけられてもなお戦うよう訓練をされてただろう。
だからこそ役馬は軍用に使えず、コストがより高くなったんだろう。

420 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 00:43:55 0
>>417
ローマって騎兵を重視したか?



421 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 00:50:37 0
>>420
正規兵やレギオンの中に組み込もうとはしなかったけれど、
ヌミディアやゲルマン騎兵の様に、
絶えず同盟軍に騎兵を求めようとしていたのは確かじゃないか。

422 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 02:06:57 O
ガリアの僣主やパルミラという独立勢力を破りローマを再統一したアウレリアヌス帝のときの軍隊は騎兵が主力だったと思いますが

423 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 02:23:23 0
ガリアは戦わずしてテトリクス帝(だっけか)が降伏したし、
パルミラはどうも撒き菱やら歩兵with棍棒の力で重装騎兵を撃退したイメージがあるなあ。
蛮族の頻繁な侵入を即時に追い払う必要が出てきたかな>騎兵重視

424 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 02:43:40 O
アウレリアヌス、プロブス、カルス、ディオクレティアヌス
優秀だった軍人皇帝は皆イリュリア人
それも騎兵中心の軍隊に改編させたのに影響があったのかな

425 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 03:16:14 0
>>417
一度競馬場に行ってスタンドの一番前で観戦してみることをお勧めする。
まあ昔の馬はサラブレッドほど大きくはないだろうが、10数頭が近くを走り抜けるだけで
ものすごい迫力。
あれが武装して自分に向かってきたらと思うとぞっとする。

426 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 06:50:22 0
後期のローマ軍が騎兵を重視したというのは何の根拠も無い説。
当時の資料でそれを裏付ける物は何一つ無い。

427 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/04/27(木) 10:37:51 0
>>426
墓誌、ディプロマのような金石文はかなり出土していたと思ったけどなぁ。

428 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 10:52:03 0
戦略・戦術的に機動力があったのは間違いないだろう。
少数の兵で広範囲をカバーするのには向いていたんじゃないの?<騎兵

帝国が拡大しきった以降は慢性的な兵員不足だったろうし

429 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 10:56:40 0
>>421
それは重視とはいわないでしょう。

ローマに限らず、古代では歩兵が主役。
騎兵を活用して強力な軍隊を作った人物はいたけれど(アレクサンドロス、ハンニバル、スキピオ)、騎兵はあくまでも脇役。

430 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 11:20:58 0
>>429
いや、“重視”と“主役”は違うんじゃないか?
重視の対義語は軽視、甘く見ることで、
これはポリスの時代のギリシャの様なものをさすだろう。
騎兵という兵科の必要性が認められてないということ。
>>417がまさにこの“重視しない”考えそのもの。

逆に、ローマ軍の“主役”は軍団歩兵だったけれど、
“脇役”騎兵を決して軽視しなかったのは事実だと思うぞ。

言葉を変えると混乱する原因になると思う。

431 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 11:30:49 O
当時のローマの兵制はわからないけど
アドリアノープルではゴート騎兵に両翼包囲され、せん滅されている
ゴート側にフリティゲルンという卓越した将軍がいたのもたしかだが
遊牧民サルマチア族を制圧したゴート族はゲルマン人の中では珍しく騎兵が強力だった
それ以前にもゴート族と戦い勝ったり負けたりしている
それによって兵制を改編しようという意図はなかったのかなローマ側に
もうローマは市民を徴兵していない時期だよね

432 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 12:25:29 0
なんか頭悪い奴が一人いるなw

結局重視してないんじゃねえか<軽視してない

433 :世界@名無史さん:2006/04/27(木) 14:03:28 0
>>427
コンスタンティヌス帝の時代の編成表を見ても騎兵と歩兵の割合は帝政初期の頃と大して変わっていない。

434 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/04/27(木) 17:55:04 0
>>433
ノーティティア・ディグニタートゥム【顕官表】のことだと思いますが。
http://imperium-onboard.cside.ne.jp/page033.html#lcn006

編制そのものは元首政期の軍団に比べると小さくなってます。
定員が1,000人くらい。小さいものは500人くらい。
リミタネイ【辺境部隊】というのが土着化してきていますので、
有事即応部隊であるコミターテンセス【野戦部隊】が騎兵部隊化せざるを
得なかったのかもしれません。これの原型はガリエヌス帝が精鋭騎兵を集め
ミラノ郊外に駐屯させた部隊だということです。
塩野センセはこれを【機動部隊】といっていたと思います。
対ササン朝ペルシア戦や内戦における大きな会戦ならば歩兵の大集団という
のも意味があるのでしょうけど4〜5世紀になると歩兵の大集団を動員するの
も大変だったらしいです。対北方蛮族戦のように小規模な懲罰遠征や迎撃戦
ならば使い勝手の良い騎兵に頼ってしまうということではないかな?

こういう事情から騎兵部隊は、歩兵部隊に比べて戦慣れしているというか
錬度が高くなり、時代が進んでビザンツのユスティニアス帝の頃になると
歩兵の役割は槍衾の戦列を維持して騎兵の出撃拠点を確保するという防御
的な役割が主任務になります。

435 :世界@名無史さん:2006/04/28(金) 00:43:15 0
そういえばローマが恐れていたタイプの騎兵は
パルティアやフン族のような弓をもって走り回るタイプの騎兵でしょうか?
もしそうならば、それに対抗するために足の速い兵科が必要だったのかもしれません。

436 :世界@名無史さん:2006/04/28(金) 03:06:29 0
>>434
理解できる話です。

国家体勢がオリエントの国に近づいていった事と騎兵の役割が増大した事も関連があるのでしょうか?

437 :世界@名無史さん:2006/04/28(金) 20:27:24 0
>>417
全部あなたの気のせい。
ローマの重装歩兵陣でも側背から騎馬隊に攻撃されたり、
弓騎兵にアウトレンジ攻撃を繰り返されては負けてしまいます。
だからいくら歩兵が主力だったローマ軍でも重視して当たり前。
もちろん、相対的にどちらを重視していたかといえば、
歩兵をより重視していた時期のほうが長いと思うが、
騎兵決して軽くは見なかったのも当然のこと。

438 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 00:03:54 0
レギオンの剣は短くて取り回しが良かったらしいから
側面攻撃にもある程度対応できるのでは??

439 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 00:45:04 0
グラディウスで馬の相手をするのもしんどくないかな・・・

440 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 01:20:33 0
>>438
側面から襲撃されたら後ろに下がろうとする前列の兵士で身動きが取れなくなる可能性

441 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 02:03:41 0
>>439
槍を投げてくる重装歩兵に馬で相手するのもしんどくないかな・・・

442 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 02:12:07 0
「五胡十六国〜清までの軍事史」ってスレにこんなのがありました。

202名前: 世界@名無史さん投稿日: 2006/03/02(木) 17:10:47 0
よその掲示板で読んだ話だけど、五胡十六国や南北朝時代の騎兵は非常に重装備だったらしい。
人も馬もラメラー装甲で覆われて、しかもこの頃鐙が導入されたので馬上での戦闘を安定しておこなう
ことができるようになり、西欧騎士のように騎槍突撃をしてたそうだ。
でも唐代までにそうした重騎兵は廃れてより軽装の騎兵に取って代わられてしまった。
なぜかというと重騎兵の脅威に対抗して歩兵が密集陣を組んで戦うようになり、さらに逆茂木や荷車による
野戦築城術が発達して騎兵の突撃を阻止できるようになった。
また高速で移動する軽騎兵を攻撃することができず、結局何の役にも立たない兵科になってしまったという。

443 :409:2006/04/29(土) 02:28:07 0
>>410
ごめん、大口叩いたけど、やはり専門外だと結構限界がある。
何をキーワードにして探せば良いかがよく判らないし、
専門誌を読んでみてもよくわからない。
とりあえず判ったことだけ。


まず、「歳差運動に伴う公転軌道の変化」が「気候変動に影響している」説が
「かつて」あったらしい。

しかし、近年では太陽自体の活動周期、
あるいは大気の組成、特に水蒸気分圧や二酸化炭素濃度の方に
重点が置かれた研究の方が多くなされている。

だから、「否定はされていないが今は中心の説ではない」
が正解だと思われる。

444 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 09:38:45 0
>>441
正面から戦えばね、だから側面や背面から攻撃するのが基本。
少なくとも古代の騎兵部隊ならね。
実際カンネーなんてそれでやられたようなもの。
で、機動力に劣る歩兵のみでそれに対応するのは難しいので騎兵にも力を入れる、
これも当たり前のこと。
また、パルティア軍のように機動力と射撃の組み合わせで遠距離から攻撃してくる相手にも、
歩兵だけでは対応しきれないからこの場合も騎兵は必要。

つまり、>>417がローマ軍なら騎兵は必要ないのではないかと思ったことが、
そもそもの思い違いだった。

445 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 11:04:17 0
ローマ軍がパルティアやペルシアに大勝した事ってあるの?

446 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 17:20:33 0
東ローマだけど530年のダラスの戦い(東ローマ2万VSペルシャ4万)とか?

447 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 17:38:39 0
ちゃんとした会戦ならほぼローマの勝ちだが、大敗する前にパルティアが退却。
その後は弓騎兵あたりでゲリラ戦法。補給困難になってローマ撤退、っつー感じか。

448 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 20:41:31 0
>447
16世紀のオスマン帝国とサファビー朝の戦争もまったく同じパターンだな・・・

449 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 21:20:45 0
ローマが会戦で敗北したのは…カルラエと後あったっけ?

450 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 23:16:41 0
で、結論はどうなの?
ローマは騎兵を重視したの?しなかったの?

451 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 07:17:21 0
>>450
少なくとも帝政初期までは歩兵が主力だったが、騎兵も重視していた。

452 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 07:30:09 0
騎馬傭兵

453 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/04/30(日) 07:41:33 0
>>443
忙しい合間を利用してわざわざ大学の図書館に足を運んでくれてアリガトウ。
専門外の分野だから調べるのにも厄介だったと思います。
ミランコビッチ・サイクルが否定はされていないが中心ではない学説という
ことで此処の結論としておきましょう。
数年前なら気象変動の予測を立てるのにスパコンでかなりの長時間がかかった
ことを考えると、『中緯度高圧帯の南北変動の長期的周期』の原因を簡単に
結論出すというのは門外漢には手に余るということですね。

409氏は文系史学関係の大学関係者だろうか?
大学図書館に出入りできるというのも少々羨ましい。
差し支えなければあなたが読んだという専門誌の名前教えてもらえませんか?
私は畑違いの理学部出身者なので興味があります。

454 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 09:28:40 0
>>451
だから、その怪しい日本語はやめろっての

「重視はしていなかった」でFAでしょうか?>all

455 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 10:15:55 0
>>454
歩兵が主力だが騎兵も重視していた。

何も怪しくはないと思うが?
歩兵と騎兵とどちらを寄り重視していたかといえば、
歩兵ということになるだろうが。

456 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 10:31:44 0
>>454
歩兵も騎兵も重視していたが、より重視していたのは歩兵ということ。

別に複数の項目を重視するのは矛盾でもなんでもないからね、
仮に質問を「もっとも重視していたのは騎兵か?」とすれば、
答えは「騎兵ではない」となるだろうが。(時期にもよるだろうけど)

457 :世界@名無史さん:2006/04/30(日) 12:18:36 0
現代のアメリカ軍を考えれば、通常戦力も核戦力も重視しているし、
空軍のみならず、陸軍も重視しているだろ。

ローマだって同じ。超大国というものは全ての軍事力を揃えようとするものだ。



458 :世界@名無史さん:2006/05/01(月) 21:22:07 0
>>457
 釣れる?

459 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/05/01(月) 21:35:42 0
>>457
>>458
例えとしてなら、悪くはないと思うけどね。

460 :世界@名無史さん:2006/05/02(火) 23:09:22 0
>>458は英語だけ勉強して大学入って算数出来ない子の類。
おまえみたいな奴が大艦巨砲とか装甲削った航空機とか作りたがる。



461 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 00:40:32 0
>>460
それは褒めてるのか貶してるのか…
軍事的には両方とも正解に近い考え方だぞ

462 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 02:07:54 0
銃弾1つで燃え上がる戦闘機が正解なのか?

463 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 03:20:49 0
正直スレ違いだけど上で似たような話もあるので。

トータルのリソースの基礎たるエンジン出力がアメリカに比べて低すぎ、工作技術で致命的に劣り数で圧倒も考えられない日本機が
どうにか数年にせよ勝負できたのは防弾を削って他に配分したから。
きちんとアメリカ並みに防弾してみろ、アメリカ機よりも全てで性能の低い駄作機の誕生だ。

何処か削らなきゃ性能は達成できないからやむおえなく削ったんであって、何も好きで削った訳でも装甲の重要性を知らなかった訳でも何でもない
全てを満足させられるのは持てる者の特権だ

464 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 06:50:59 0
>きちんとアメリカ並みに防弾してみろ、アメリカ機よりも全てで性能の低い駄作機の誕生だ。
つ隼

465 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/05/03(水) 09:51:50 0
個人的には、五式戦は良い飛行機だとおもう。

既に米帝が導線の絶縁体に石油化学製品の合成樹脂を使っていた同じ時期に
日帝は銅線に油紙を巻きつけて油塗って乾かしたものを使っていた。
当然漏電するから定格の電圧も維持できない。その程度の工業基盤であれだけ
頑張ったのだから、あの世代に対しては正直言って頭の下がる思いである。

466 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 09:56:40 0
>>465を読むと、ほんとシンミリしちゃうよなあ。でも何気に>>139の指摘とダブる
気がするのは俺だけかな?

まあスレ違いの流れになってはいるが、アメリカが現在のローマ帝国に擬される
立ち位置というのはアメリカ自身も自覚しているし、周囲からも比較されている。
イギリス人が「我々はローマに対するギリシア人」と自認しているが、それに比較
すれば日本を含めたアジアは、アメリカにとってはローマにおけるガリアやゲルマ
ンといったところだな。

そして>>144の指摘する帝政末期ローマ軍ならびに帝国衰退の分析は、アメリカにも
言える。アメリカも、軍事的には敗北知らずだしこれからもそうだろう。
アメリカも、あくまでも経済的・政治的理由で、ゆっくり衰退するように思われる。

467 :重装騎兵:2006/05/05(金) 10:33:14 0
騎兵(重装騎兵、エクイテス、Cavalry、equites)
編成当初より最も信望の厚い部隊で、ローマの富裕な新興階級によって構成されており、彼らは政治的な経歴を積むための足がかりとして名を挙げようとしていた。
騎兵の装備は丸い盾、兜、鎧、剣と複数のジャベリン(投げ槍)などであったが、各人が自費で揃えていた。
騎兵隊の総勢は3000人程でレギオンの多数を占めていたが、補佐要員を除くと乗馬者は約300人しかおらず、30の騎兵からなる10の部隊に分割されていた。これらの騎兵は十人隊長(decurion)によって指揮された。


468 :軽装騎兵:2006/05/05(金) 10:34:03 0
軽装騎兵・軽装歩兵
重装騎兵に加われる程富裕ではない市民やハスタティやエクイテスに加わるには若い富裕な市民によって構成された。
ヴェリテス(軽装歩兵)は戦闘において正式に決められた編成や役割を持っていなかったが、状況に応じて彼らが投入された。


469 :重装歩兵 :2006/05/05(金) 10:34:46 0
重装歩兵
重装歩兵は、レギオンの中心部隊であった。彼らは青銅の兜や盾、防具、ジャベリンなどの装備を購入することができる位には経済的に余裕のある市民から構成されていた。
彼らは武器としてグラディウスという短剣を好んで使用した。


470 :重装歩兵:2006/05/05(金) 10:35:35 0
重装歩兵は、各人の戦歴に応じて3つの隊列に分けられた。

ハスタティ(hastati)は、第一戦列兵のことで、若年者、新参兵が最前列に並んだ。
プリンキペス(principes)は、戦闘に熟練した20代後半から30代前半の者で、第二列を構成した。
トリアリィ(triarii)は、古参の兵士で、最後列を占めた。彼らはよほどのことがない限り戦闘に投入されることはなかった。
3つの戦列はそれぞれ、ローマ軍の構成単位の1つである複数の中隊(maniple)から成っていた。


471 :中隊:2006/05/05(金) 10:37:18 0
中隊はそれぞれ百人隊長(centurion)に率いられた2つの百人隊から構成された。 百人隊(century)は名目上は名前の通り100人の兵士から構成されるとされていたが、
実際は100人よりも少なく、特にトリアリィの中隊で顕著で、60人という部隊もあった。
百人隊はそれぞれ軍旗を持っており、10人からなる10の分隊(contubernia)から構成されていた。
野営時の班(contubernium)としては、8人の兵士がテントと調理道具一式を共有していた。野営技術に長け、大規模な部隊の野営陣地が数十分間で設営、撤収が可能であった。


472 :大隊:2006/05/05(金) 10:38:31 0
大隊は6から8つの百人隊から構成され、読み書きのできる副官を補佐とした百人隊長により率いられていた。 上級の百人隊長はプリムス・ピルス(primus pilus)と呼ばれる職業軍人であり、軍団長の顧問ともなった。


473 :軍団:2006/05/05(金) 10:39:05 0
軍団は多くの野営随行者や使用人、奴隷を引き連れていたため、実際の戦闘員は4800人程であった。
最大6000名にまで増やすことができたが、軍団の指揮官が反乱を起こすことを怖れて1000名ほどに減らされた時期も度々あった。 その中で、ガイウス・ユリウス・カエサルの軍団だけがおよそ3500人を保有していた。



474 :ローマの戦争一覧:2006/05/05(金) 10:41:21 0
ラテン戦争
サムニテス戦争
ポエニ戦争
第一次ポエニ戦争
第二次ポエニ戦争
第三次ポエニ戦争
マケドニア戦争
シリア戦争
ヒスパニアの諸戦争
第一次ケルティベリア戦争
ヌマンティア戦争(第二次ケルティベリア戦争)
ルシタニア戦争
キンブリ・テウトニ戦争
ユグルタ戦争
ミトリダテス戦争
第一次ミトリダテス戦争
第二次ミトリダテス戦争
第三次ミトリダテス戦争
同盟市戦争
スパルタクスの反乱
ガリア戦争
ローマの内乱 カエサル対ポンペイウス
ローマの内乱 オクタウィアヌス対アントニウス
ユダヤ戦争


475 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 14:31:58 0
カラカラ帝が全属領民にローマ市民権を与えた後はAuxiliaは消滅したの?

476 :カンネーの会戦:2006/05/05(金) 20:41:48 0
前216年ローマは軍団数を13個軍団に増強、さらにハンニバルに決戦を挑む4個軍団は、1個軍団の規模そのものが増員されて、歩兵8万・騎兵7千あまりの大兵カになった。
ハンニバルの軍は歩兵4万・騎兵1万であり、彼は優越する騎兵戦カを活用できるようにローマ軍をカンネの平原に誘い出した。ローマ軍は1万の兵カを背後の小陣営に待機させ、残りで圧倒的な数の歩兵による中央突破を狙った陣形を組む。
ハンニバルは歩兵を中央のふくらんだ弓形の陣形にし、騎兵は左翼に集中して配置した。戦闘が開始されると、ハンニバル軍右翼騎兵とローマ軍左翼騎兵は兵力に差がないため混戦に陥ったが、ハンニバル軍左翼はローマ軍右翼の騎兵を瞬時に粉砕、
歩兵隊が中央のへこんだ弓形に陣形を変えつつローマ重装歩兵の攻撃に耐えている間に右翼の支援にまわった。そして、ローマ左翼を共同で打ち破つた騎兵はローマ歩兵隊の背後に襲いかかり、ハンニバル軍はローマ軍を完全に包囲、殲滅していった。
この戦いでローマは死者7万、小陣営で待機していた1万も捕虜となり、集まってきた敗残兵は1万に達しなかった。


477 :トラシメヌス湖畔の戦い:2006/05/05(金) 20:44:37 0
紀元前217年6月24日(日付は諸説ある)早朝、フラミニウス率いるローマ軍はトラシメヌス湖畔に差し掛かった。この日は濃霧のために視界が悪く、ローマ軍は接触までカルタゴ軍の存在に気が付かなかった。
ローマ軍先鋒とカルタゴ軍重装歩兵の戦闘が始まると、直ちにカルタゴ軍騎兵がローマ軍の後方へ回りこみ、退路を断つと同時にローマ軍を前方へ押し込んだ。この時点でローマ軍は大混乱に陥っていたが、丘陵の陰から軽装歩兵とガリア兵が出現すると混乱は頂点に達した。
側面奇襲に成功したカルタゴ軍は、長く伸びたローマ軍隊列を分断し、またたくまにこれを壊滅させた。ローマ軍の前衛がカルタゴ軍重装歩兵の戦列を突破したが、逃亡出来たのは6,000名に過ぎなかった。戦闘は三時間で終了した。
この戦いにおけるローマ軍の死者は15,000名を超え、指揮官のフラミニウスも戦死した。一度は逃亡に成功したものたちも、カルタゴ軍の追撃によって大半が降伏に追い込まれた。一方のカルタゴ軍の損害は1,500名から2,000名程度であった。


478 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 21:52:14 0
>>467-474
>>476-477
誰も聞いてないよ。

479 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 22:13:29 0
調べればすぐわかることだしなあ…帝政末期の装備・戦術とかだったらまだしも

480 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 20:50:44 0
ナチ式敬礼は古ローマの敬礼と同じってのはよく聞くけど本当なの?

481 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 21:54:39 0
ローマの敬礼→ムッソリーニがパクる→ヒトラーがパクる

482 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 22:37:59 0
なんでローマ兵がそう敬礼をしていたって解るの?

483 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 09:58:36 0
>>482漏れもそうだが、幻のわんわんナチス漫画・くろぼねがソースとおもわれ

484 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 12:51:31 0
>>482
彫刻や絵画でローマ兵がそういう敬礼してるから

485 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 14:51:11 0
>>484
トンクス

486 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 00:23:23 0
ディカーニオがナチ式敬礼をしたと問題になったけど、
本人はローマ式だって言ってたな

487 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/05/09(火) 00:54:05 0
>幻のわんわんナチス漫画・くろぼね ←1巻だけしか読んでないけど結構面白かった。

真鍋譲治が最近はエロ漫画も描いているので驚いた。
自称SF漫画家だったはずである。
『アウトランダーズ』などコミック本で買った記憶が……。
どうせエロ漫画描くなら、メッサリーナが主人公の奴描いてくんないかな?
小アグリッピーナでもいいけど。……無理。


488 :世界@名無史さん:2006/05/09(火) 01:43:00 0
>>487
ttp://www.katsudon.com/

つー事で、元々同人ではエロも書いてた

489 :世界@名無史さん:2006/05/10(水) 15:46:18 0
最近読んだ本に、ある年の5月の1大隊の戦力について書いてあった。
イングランド北部の後の長城付近の砦
ウィンドランダに85〜72年ごろ配置されていたらしい。

【トゥングリ第一大隊】(ガリア北西のトゥングリ族からなる補助大隊)
【総勢】 752名
【不在】 5名の百人隊長を含む456名
→百人隊長2名含む337名が約25キロ東の砦、コリアに
→46名が軍団司令官の護衛兵(singulares)
→ロンディニウムに百人隊長1名
→所在地不明の5箇所に、百人隊長2名を含む72名

砦所属は296名
→病人15名
→負傷兵6名
→目の病気持ちが10名
→健常兵256名

当時は属州の歴史も浅いし、イングランド北部は最前線で
長城も無い頃だ考えると心許ない気もするが。
これ等の砦を複数作って対応したんだろうか?

教えてエロイ人。

490 :489:2006/05/10(水) 15:51:40 0
×ウィンドランダに85〜72年ごろ配置されていたらしい。
○ウィンドランダに85〜92年ごろ配置されていたらしい。


491 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/05/10(水) 22:57:58 0
時期的には、ユリウス・アグリコラの北方遠征(AD78〜84)の直後ですから
すでにモンス・グラピウスでカレドニアの部族連合軍が敗北していますので、
蛮族側にローマ軍に直ちに復仇するだけの余力も無かったのでは?

カレドニア人の首長が『ローマ人は荒廃をもたらし、それを平和と呼んだ』
と語ったのをタキトゥスが『アグリコラ伝』の中に書き残しているようです
から、きっと惨憺たる状況だったと思われます。

>当時は属州の歴史も浅いし、イングランド北部は最前線で
>長城も無い頃だ考えると心許ない気もするが。
>これ等の砦を複数作って対応したんだろうか?
そのとおりだと思います。監視塔や支援軍歩兵隊基地(五百人隊〜千人隊規模)
支援軍騎兵隊基地が数珠繋ぎになって北東部の軍団基地エボラクムや北西部の
デウァ、南西部のイスカとも連絡が取れたと思います。カレドニアにも軍団基
地があったようですが、アグリコラの率いた軍団がダヌウィス河方面へ移動し
ているので、フラウィウス朝時代はカレドニアの占領地を放棄していた状態だ
ったはずです。

492 :世界@名無史さん:2006/05/11(木) 23:25:00 0
どうも。
ローマ史は詳しくないから助かる。

この砦からは木簡が多数見つかっているらしく、
貴重な史料になっているらしい。
多くは物資の補給や定期的な現状報告に関するものだが
中には大隊長の夫人をある人が誕生日パーティーに誘っているものや
休暇届に関するものもあるらしい。
発掘され木簡の幾つかとして

『わたしは、ウルキウムでの休暇をお認め頂くに値する人物だと貴方がお考え下さるようお願いいたします。』
(writing tablets Tabulae VindolandensesU343)

『パダウィ第九大隊報告。全員が付くべきその部署にあり。装備も万全である。百人隊長代理とクラトネスが報告す
百人隊長代理ウェレクンドゥスがこれを発給す。』
(VTU127)

『私は貴方に、サットゥアから()の履物、2足のサンダル、2組の下履き(以下重複)を送った。』
(VTU346)

『潰した豆2モディウス、鶏20羽、リンゴ100個、良いものが見つかればだが。
それに卵100個ないし200個、適当な価格で売っておれば、・・・』
(VTU302)

辺境の補助部隊においても日常軍務の殆どが口頭でなく文章で報告されている所に
ローマ軍の近代的な性質を見る事が出来るらしい。

493 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/05/14(日) 02:03:05 0
ピーター・サルウェイの『古代のイギリス』という新刊を読んでいたら
ローマン・ブリテン期というのはその後の中世末期までのどの時代よりも
識字率が高いということです。軍隊生活でラテン語を読み書きする能力を
必要としていたため、毎年退役していく多くの支援軍兵士はローマ市民権
とともに、ラテン語の識字能力や計算能力を身につけ属州ブリタンニアの
各地へと、さらには派遣された別の退役先の属州の各地へと広がっていった
ことだと思います。彼らが古代における一般人の驚異的な識字率の高さに
大きく貢献したというのは間違いないと思います。

494 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 11:07:13 0
保守♪保守♪保守♪保守♪保守ピタル〜♪

495 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 17:05:20 0
そういやブリタニアのローマ軍団にはサルマティアの騎兵が配属されていたらしいけど
補助軍騎兵て確か現地召集じゃなかったっけ?

496 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 17:54:24 0
現地召集された後どこかに配属されるんだろ。

497 :世界@名無史さん:2006/05/25(木) 23:52:54 0
そこでアルトゥリアスですよ。

498 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 00:58:59 0
小説『ローマヴィクター第1巻』(新風舎文庫)を読みました。
【概要】
近衛第一大隊大隊長を務める将来有望な若者、ガイウス。彼は老皇帝の率いるゲルマニア遠征に参軍し、確実に任務をこなしていた。
一方、傲慢な性格を危惧されながらも、遊軍として戦果を挙げていた皇太子、ドミティウスが窮地に陥ったとの報が入る。ガイウスは老皇帝の信望に応えるべく、親友、ティトゥスと共に寡兵を率いてドミティウス救出に乗り出す。
古代ローマ帝国時代を舞台に、運命に翻弄されながらも果敢に立ち向かう主人公、ガイウスの恋、友情、闘いの日々を描く壮大な歴史スペクタクル第一弾。

【著者:榊原剛氏のプロフィール】
1973年東京生まれ。
歴史好きが昂じて大学卒業後、海外へ留学。アメリカのコロラド州立大学史学部卒業、イギリスのサセックス大学・大学院卒業

細かいこと言っては何だけどさぁ〜主人公が『トウモロコシと玉葱の入った』ポタージュを食べたり、
近衛軍団の第一大隊長が軍団長に次ぐ階級とかさ、
帝政時代の軍団にも拘らず大隊(コホルト)の下がマニプルス(中隊)と描いたり、
ミネストローネ――トマトが入っているんだろうか?――が出てきたりとか
何でそんなに時代考証について手を抜いているのだろうかと思ってしまったよ。
話そのものはそんなに悪くはないと感じましたけどねぇ。

499 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 12:55:55 O
その物書き、塩婆の著作すら読んでないんだろ。

500 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 14:13:47 0


485 :名無番長 :2006/05/29(月) 11:09:16
「新世界のためのアジェンダ」
*註:ロックフェラー家の予定表〔5年の準備期間を経て開始する〕

・中東和平の完璧な、手の施しようのない瓦解。 
*2007年
・バチカンとエルサレムは、宗教テロリストたちによって破壊される。
*2008年
・すべての宗教の世界的規模での崩壊。すべての宗教は禁止される。
*2009年
・世界中の平和と安全の宣言に続いて、国連は臨時単一世界政府を樹立する。
*2010年
・新しい単一世界国家の市民が出現する。アメリカ、イギリス、中国の政府は瓦解し、そのほかの世界も無政府、無秩序状態に陥る。
*2011年
・新政府機構は14万4000人のエリート官僚と、600万人プラスアルファの役人が支配する。
・新世界が創出されるにつれて、大量掃討作戦が開始される。経済システムは復活し、インフラは再建される。疾病は消滅し、
 加齢現象自体がなくなる。ひとつの新しい復元された人間の家族によって、地球は徐々にパラダイスと化す。
*2012年
 アジェンダ(agenda)とは、協議事項、議事日程、予定表の意味。ラテン語「実行に移されるべき(ことがら)」という意味です。


これもまた、ロックフェラー家・国際金融財閥をはじめとする世界の支配者たちが考えて決めた、
これから意図的に始める予言のように見てとれます。 項目トップの行、中東和平の瓦解は、彼らの思惑通り、
確実に進んでいるかのように思われます。イラク問題、イスラエル・パレスチナ問題も沈静化されることなく、
また、最近では水面下での親米派のサウジアラビアの動き、イランの動きも危惧すべきものがあります。






501 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 16:12:40 0
>>500
お前知能低いだろ?

502 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 17:28:35 0
>>498
まともな編集者のいる出版社だと原稿一瞥して撥ねただろうね。
法制史農業史軍制史料理本書簡集…
ここは日本,資料はいくらでも手に入る。
満足するまで読んでいたらこわくて書けなくなるか。
勇気に敬意を表して読んでみようかな。

503 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 18:31:48 0
>>『トウモロコシと玉葱の入った』
すごいや古代ローマ、新大陸まで進出するとは。
てか、トウモロコシの起源は中学生でも知ってるぞ、大学で何やってたんだ。

504 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 19:20:49 0
ローマをモチーフにしたファンタジー小説なら許されたかもしれないがなあ。

505 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 19:37:15 0
皇帝が率いる近衛軍団で、しかも確実に任務をこなしていたのに、
なんで寡兵しか率いることが出来ないんだよ
時代考証も駄目だが、シチュエーションも無理矢理だろ

506 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 19:59:21 0
何かの間違いで英訳とかされないことを祈る

507 :世界@名無史さん:2006/05/30(火) 12:22:32 0
ラストサムライみたいなもんだろ

508 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/06/03(土) 05:28:22 0
ラストサムライの脚本は
『グラディエーター』も書いているジョン・ローガン
『恋に落ちたシェイクスピア』で製作担当のエドワード・ズウィック←ラストサムライでは監督もやってます。
『娼婦ベロニカ』で監督やっていたマーシャル・ハースコヴィッツ
の三人で書いていました。
三人ともプロの映画人であってプロの研究者ではないから大目に見ましょう。

問題の榊原氏は海外留学までして修士――もしかしたら博士――論文を書いている
ような研究者でしょう?
些細とはいえ、研究者が素人にも判別のつく明らかな事実誤認を小説のなかに
盛り込むってのはいかかなものかなと……。後から読み直せば気がつきそうなものを。
推敲している段階で焼きトウモロコシでもかじっていたのかね。


ロバート・L・フォワード、グレゴリイ・ベンフォードみたいに物理学者で
あって良質のハードSFを書いている人もいるのになぁ……と感じてしまう次第。

509 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 19:30:19 0
>>507
 ラストサムライは欧米向けに敢えてそれっぽい雰囲気を作ったって面もあるしね。
 もちろん素人にはちがいないんだけど、葉隠なんかも読んで頑張って調べてその上で着崩したみたい。
 だから、欧米人でもちょっとネットで調べりゃ分かるような人名も出てこない。
 本人達が歴史物ではないことをちゃんと自覚してるからね。
 俺はファンだが、るろ剣みたいな日本風ファンタジーのようなものとして楽しんでたよ。

 けど、研究者でトウモロコシ云々はたしかにちとひどいな……。
 


510 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/06/11(日) 23:06:16 0
佐藤賢一も「剣闘士スパルタクス」の22ページに
『満場の熱気が、まず確実に五度は温度を上げていた。』
と書いてしまう小さなチョンボをやっておりますな。
紀元前に叛乱を起こした主人公の一人称にも拘らず。
そのまま読み流しても問題はないのだけれども、どうなのだろうか?
原稿の最終チェックで見逃してしまったのか、それとも読者に情景が理解し
やすいようにわざと残したセンテンスなのか?
もっともセルシウス度で五度と書かなくとも他に方法もあったような気も
しないでもないのだが……。

511 :世界@名無史さん:2006/06/15(木) 05:16:25 O
>>510 華氏゜である可能性は?

512 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/06/15(木) 10:13:38 0
>>511
ないと思います。

ファーレンハイト温度目盛(華氏)は、
ドイツの物理学者ガブリエル・ファーレンハイトが1724年に提唱したもの。
摂氏5度の上昇は華氏9度の上昇に相当します。

BC73〜70 スパルタクスの叛乱 以前の話ということなので、ちょっとね……


513 :世界@名無史さん:2006/06/24(土) 12:48:14 0
それは読者にわかりやすいように書いただけでしょ
温度は他に表記しようがないし

514 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/06/24(土) 13:09:31 0
同じ本で、ぺデスとかミレ・パッススというように当時の単位を出しているので
不徹底かなと思ったのさ。

『満場の観衆の熱気によって、アレーナはまるで煎られている鍋の底のような
状況であった』と書いても、作者が読者に伝えたい状況はわかると思うが。

でもここは、読者にわかりやすいように書いたと好意的に解釈するということ
にしておこう。


515 :世界@名無史さん:2006/06/24(土) 16:01:33 0
当時の温度単位があれば使ってただろうね
でも、ないものは使えない

516 :世界@名無史さん:2006/06/25(日) 17:25:30 0
 温度差と言えばローマ人は気化熱使ってローマ人は氷作ってたらしいけど
どうやったんだ?

517 :世界@名無史さん:2006/06/27(火) 15:57:17 0
ローマ軍の投槍(ピルーヌ)って
射程が30m
有効射程が15mって聞いたんだが
実践でこの射程の短さは危険じゃないか?
相手が突っ込んでくるなら、距離を見越し射撃できただろうが・・・


518 :世界@名無史さん:2006/06/27(火) 18:19:12 0
>>77の運用方法からして、それ以上遠距離から投げてしまっても突撃してる間に回復してしまうんじゃなかろうか
15mで必要充分だと彼らは考えたのでは。

519 :世界@名無史さん:2006/06/27(火) 22:52:36 0
「ガリア戦記」を読みたいのですが、岩波文庫版(近山金次訳)と
講談社学術文庫版(國原吉之助訳)のどちらが良いでしょうか?

520 :世界@名無史さん:2006/06/29(木) 20:44:10 0
Commentarii de Bello Gallicoを「ガリア戦記」とカコヨク意訳した人に
敬意を表して岩波文庫を購入しる。
直訳だと「ガリア人についての解説」かな…

521 :世界@名無史さん:2006/06/29(木) 20:45:42 0
Bello Gallicoだから「ガリア戦争についての解説」だろう。

522 :世界@名無史さん:2006/06/29(木) 22:24:31 0
ガリア戦記は小林秀雄も絶賛しているし分量も手ごろなので読もうとする者は多いが
あんなものを熱狂的に通読できるのは、
・事情がよくわかっている古代ローマの同時代人
・小林秀雄級の超人
・シーザー萌えの腐女子(塩野七生とか)
ぐらいだろう。俺は途中で頭が痛くなった。

523 :世界@名無史さん:2006/06/29(木) 23:51:17 0
 頭は痛くならないけど、日本語にすると判り難い処もままある。でもカエサル
としては自分の立場をローマ市民に説明する為の文章でもあったって事を考えて大声で
朗読すると変にすっきりした。



524 :世界@名無史さん:2006/07/01(土) 22:56:06 0
カエサルと坂本竜馬だけはもうちょっと長生きさせてやりたかったと切に思う。

525 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 03:20:57 0
>>524
アレクサンダーは嫌いか?

526 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 05:19:18 0
 日本人なら信長も・・・。

527 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 06:13:32 0
近山金次のガリア戦記を持ってるが…なんでこんなに読みづらいの?
もともと読みづらいの? それとも翻訳がクソなの?

528 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 06:19:14 0
金山のガリア戦記って初版が1942年…

529 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 08:15:41 O
小林秀雄も「読みづらい翻訳」って書いてるな。

530 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 08:24:01 O
連書きスマソ
初版を新刊で読んだ、同時代人の小林秀雄が読みづらいん
だから、翻訳がク(略

531 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 10:11:09 0
近山版はウェルキンゲトリクスが降伏してからどうなったか書いてないので、
いろいろと妄想する余地があるのがいいと思う。
国原版だと注釈に書いてあるね。

532 :世界@名無史さん :2006/07/03(月) 22:37:37 0
>>522
頭痛くなるのって、固有名詞にやられるのか??

まあ、読み物としては、ヘロドトスやトゥキュディデスよりつまらん。

533 :世界@名無史さん:2006/07/04(火) 08:02:57 O
まあヘロドトスの「歴史」って「ペルシャ戦記」なんだが
戦より地理風俗案内の方が面白いからな。まあ事実を淡々と
綴った文章はたいがいつまらない。物語性がないからね。
逆に言うと、波瀾万丈のストーリーには創作が入っている
という事か。

534 :世界@名無史さん:2006/07/04(火) 09:44:43 0
>>176
微妙に間違っているかもしれませんが、
入浴習慣が欧州で廃れたのは梅毒が感染すると
間違った認識が広まったから、という説を読んだ気が。
これだと大航海時代以降になりますが。


535 :世界@名無史さん:2006/07/05(水) 01:30:41 0
>>532
塩野婆は書き出しが素晴らしいと言っているが、普通の人は1ページ目の
地名・部族名攻撃でアウトだろうね。

536 :世界@名無史さん:2006/07/05(水) 01:53:03 0
当時の勢力や地名が書かれた地図を傍らにおいて読むとわかりやすいかも。

537 :世界@名無史さん:2006/07/05(水) 09:45:46 0
 こういう本はそれだけでなくてその前後の知識や頭に地図が書ける位の
認識がないと分かんないだよね。ヨーロッパ人はそこに住んでるから判り
やすいだろうけど、彼等が日本の「太平記」とか英語で書かれたの読んで
信濃国とか伊勢国とか言われてもピンとこないだろうな。

538 :世界@名無史さん:2006/07/05(水) 10:36:44 0
>>532
頭痛くなるのは悪文満載だから。

539 :世界@名無史さん:2006/07/05(水) 11:05:02 0
>>517
ローマ軍の投げ槍はピルムとピラの二種類あって
ピラは軽量で遠距離で投げ
更に敵と接近したら、重りの付いたピルムを投げる
ピルムは敵の盾に刺さって、盾を使いづらくする

敵がひるんで陣形が崩れたところを盾と剣で攻撃する

540 :世界@名無史さん:2006/07/05(水) 14:54:28 0
>>539
は?
ピラが単数形でピルムが複数形ってだけなんだが。

541 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 05:31:01 0
単数はpili?pila?

542 :世界@名無史さん:2006/07/06(木) 11:19:45 0
>540
ちがうよ。
Pilumが単数、Pilaが複数。

それと>359が書いていることが間違っているわけでもない。
ttp://www.geocities.com/romerriget/vaaben.jpg

左からハスタ、ピルム、ピルム、ピラ、グラディウス

ピルムとピラの違いは重りがついているかいないかだね。


543 :世界@名無史さん:2006/07/07(金) 13:52:40 0
 ローマにおける伝書鳩の活用なんてどの程度行われたんだろうか?

544 :世界@名無史さん:2006/07/07(金) 14:39:00 0
>>543
この前、教育テレビの番組見たろw

545 :世界@名無史さん:2006/07/07(金) 18:24:20 0
 観た。w
でも当時としては最速じゃない。鳩。

546 :世界@名無史さん:2006/07/07(金) 23:29:33 0
>>541
属格

547 :世界@名無史さん:2006/07/08(土) 09:47:26 0
>>545
WW2時、天敵のハヤブサも駆除されたり繁殖&訓練されたりと災難だったみたいだなw

ハトのスピードだけど、水平飛行じゃハヤブサといい勝負って言ってたもんな。
狼煙とかじゃ細かい内容は伝えられないし、
伝書鳩っていつごろから使われるようになったんだろ。

548 :世界@名無史さん:2006/07/08(土) 09:55:03 0
>>547
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E6%9B%B8%E9%B3%A9
伝書鳩の歴史は非常に古く、紀元前約5000年のシュメールの粘土板にも
使用をうかがわせる記述があるという。

549 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 05:20:16 0
頑張って粘土板運ぶハト

550 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 10:00:14 0
Σ(・ω・ )

551 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 21:58:17 0
 エジプトで捕まって食べられる鳩。
 ウマー

552 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 09:30:23 0
布とかパピルスでも運んでいたのかな?
木簡でもキツイような

553 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 13:53:08 0
 布とかなら足に結び付ければ負担も少ないし、大丈夫なんじゃない。

554 :世界@名無史さん:2006/07/10(月) 19:13:11 O
つ【羊皮紙】

555 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 04:03:57 0
羊皮紙は重い

556 :世界@名無史さん:2006/07/11(火) 16:45:40 0
 金属ケースに入れた手紙とか、昔は写真のフィルムとか運んだから距離に
もよるが可能だろう。

557 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 01:24:16 0
やはり、粘土板運ぶハトさん萌え。

558 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 09:52:50 0
 ローマ軍が敵を挟んでの2正面作戦でも指揮が乱れなかったのは鳩のおかげ
なんだろうか?狼煙台後とかは形として残るんだろうけど、鳩小屋なんて遺跡
としてあんま残んないだろうな。ローマ軍遺跡で鳩糞が大量に出て来る場所と
かがあったら鳩を大量使用した証拠になるんだろうけど。

559 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 16:21:34 0
>>558
ローマ以外にも近代以前にそういうのを巧くこなせた作戦ってどういうタネ
があったのか知りたいところだよね。
もちろん、事前の綿密な打ち合わせとかがあった場合もなんだろうけど。

560 :世界@名無史さん:2006/07/14(金) 21:21:38 0
 敵を挟み撃ちにできる2正面作戦は地図を観ると合理的のように見えるが
現実には片一方が撃破されたり、片一方に戦力集注されて身動き取れなく
なってもう一方も無力化されたり、味方と連絡がつかず疑心暗鬼になって
気がついたら補給切れなんて例も多い。ガリアでドゥルススの行った海・陸
両面からの2正面作戦なんてどうやったんだろう。

561 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 11:55:02 0
 話は違うが栗田艦隊謎の反転なんて例もある。近代になっても他の味方と
連絡取れないってのは指揮官に猛烈な心理的プレッシャー与えるんだろうな。


562 :世界@名無史さん:2006/07/16(日) 06:32:42 0
ttp://www.amazon.co.jp/gp/reader/1855325985/ref=sib_dp_pt/503-2849073-6152737#reader-link
ttp://www.slitherine.com/Legion/Campaign_1.htm
この画像を見ると、共和制初期のローマの軍隊はかなり貧乏臭い(?)感じ。
南イタリアのギリシア諸都市を征服したローマ人が、その戦利品の豪華さに
驚いたというのがわかる。



563 :世界@名無史さん:2006/07/16(日) 19:00:10 0
 ローマ的には土地収入の方がでかいよな。属州とかの収入徴収は民間に
任せる事で官僚化を防いだと塩婆は言ってるけど、最初の検地みたいのは公
的機関じゃないと不味いよな。どうしてたんだろう。

564 :世界@名無史さん:2006/07/17(月) 00:13:08 0
人頭税に関しての調査は「新約聖書」に載ってるだろw

565 :世界@名無史さん:2006/07/19(水) 16:10:42 O
徴税請負人が悪魔みたいに言われてる件

566 :世界@名無史さん:2006/07/20(木) 22:18:31 0
 税金獲りは今も悪魔。W

567 :世界@名無史さん:2006/07/23(日) 11:34:51 0
 ローマ人は法の民と言いながら何故ローマ軍団は勝手に皇帝を擁立しては
いけないという法を作らなかったんだろう。主権が市民と元老院にあるとは
いえ内戦が国力濫費に繋がる事に気がつきそうなもんだが。

568 :世界@名無史さん:2006/07/23(日) 11:42:43 0
法の民は有名無実になる法を制定することの有害さを知っていたんじゃマイカ?

569 : ◆KZ3pjBb8Hg :2006/07/23(日) 22:11:27 0
そうかもな

570 :世界@名無史さん:2006/07/24(月) 04:04:40 0
後期ローマの軍装について質問です。

後期ローマ軍(3‐4世紀)の兜に鼻当てがついてるタイプのものが見られます
(オスプレイの「アーサー王とアングロサクソン戦争」や「ハドリアヌス帝からコンスタンチヌス帝まで(未訳)」等に出ている)

あれはどこの文化的影響でしょうか?

571 :世界@名無史さん:2006/07/25(火) 05:28:11 0
 文化的というより戦闘の実情でああなったんじゃない。ローマも後期になる
と混乱して軍団同士の戦いや蛮族との戦闘も多発してくるし、資金不足・組織
不足で後方支援や退職金などもあやふやになってくる。兵士としては自分で自分
の身を守る為に多少装備が重くなったり組織的な移動が不便になっても自衛する
しかなかったんじゃない。

572 :世界@名無史さん:2006/07/25(火) 09:09:18 0
>>570
暗黒時代はあまり詳しくないけど
たしか「ノルマン式兜」とか呼ばれてたような。
ロシアでは中世盛期まで使われてたはず。

573 :世界@名無史さん :2006/07/25(火) 23:46:29 0
命題α:古代ローマ(共和制)と新撰組の共通点を3つ挙げよ。

574 :世界@名無史さん:2006/07/26(水) 00:15:31 0
もう第三歩哨時間ですよ
タマネギと粥でも食って
明日に備えてそろそろ寝ましょう

575 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/07/26(水) 00:17:59 0
兜に鼻当てが登場したのは、出土品で見る限り四世紀以降だそうです。
ただしローマのものとしては。

サルマティア系のアラニ人の重装騎兵が鼻当て付きの兜をかぶっている
イラストがゴールズワーシーの「古代ローマ軍団大百科」179ページに
ありますが、いかがなものでしょうか? ハドリアヌス治世期と記述が
あります。トラヤヌス記念柱にも敗走するサルマティア重装騎兵が彫ら
れており、人馬とも全身鱗状の鎧という重装備ですが、「これは奇抜す
ぎた。おそらく彫刻師が一度も見たことのない兵士だったのだろう。」
とAG自ら書いてます。レリーフそのものに信憑性がないので、何とも
言えませんね。

ただサルマティア重装騎兵がローマに与えた印象は強烈であり、対抗措置
としてハドリアヌス治世期に「正規の重装騎兵部隊」がローマ軍団の中に
初めて創設されたらしい。

鼻当てがついた兜と言うことならば、トラキア貴族の騎兵用兜が出土して
いるらしいのですが。東方の草原地帯から影響なんでしょうか。


576 :世界@名無史さん:2006/07/26(水) 00:22:46 0
あの騎兵が全身スケールメイルなのは
サルマタイ→サウロマタイ→とかげ→鱗
という連想だとか、「アーサー王伝説の起源」
だかに書いてたような。

577 :世界@名無史さん:2006/07/26(水) 23:31:26 0
 適当だな。彫刻とかレリーフとか残ってないのかな。東方とは言っても
モンゴル系には無い習慣だからコーカソイド系なんだろうか。

578 :570:2006/07/28(金) 03:31:54 0
>>572
ノルマン式兜(ノルマン・カスク)は後期ローマよりも後に成立しています。
以前こちらの板で紹介していただいたサイトでは、スカンジナビアのメガネ(オキュラリウム)付き兜を単純化した物だそうです。

579 :570:2006/07/28(金) 03:38:11 0
>>575
やはり中東の影響でしょうか。
ササン朝の軍隊にも重装騎兵(カタクラフト)がありましたね(兜の形状はどんなだったか?)

共和制末期の軍装がガリア人のそれと似通っていたように、当時対峙していた敵の文化を取りいれたんでしょうか?

580 :世界@名無史さん:2006/07/28(金) 07:09:27 0
MAAの「サクソン・ヴァイキング・ノルマン」の表紙イラストに描かれている
「ヴェンデル文化人」、あれの被ってるのがササン朝の兜。

581 :世界@名無史さん:2006/07/29(土) 17:54:59 0
>>580
そうなんですか!
ササン朝からスカンジナビアへの伝播経路はどんな感じでしょうか?

ササン朝

(敵として対峙)

東ローマ

(バランジアン街道、退役した傭兵や親衛隊)

スカンジナビア

これで合ってますか?

582 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 03:24:38 0
東ゴートとかもあるだろう。西ローマに居残った連中以外にもキリスト教で
異端扱いされてローマから撤退した部族とかもいそうだから、そっちからの
影響や戦利品の一部って事も考えられる。

583 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 06:56:17 0
材質はどうだったんだろか

584 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/07/30(日) 11:09:57 0
オランダでの出土品は、鉄製兜。
その上に銀箔を貼り付けて、準貴石の装飾が施されている。

こういう贅沢品ともいえるような兜は高級士官用であって、社会的地位とか
財産・経済力を誇示するためのもの。

見たところ、兜の鉢の部分は2〜6の鍛造された部品を中央部の尾根で接合
してある。頬当てと首蔽いは一体化して肩周りを曲線を描くようにして接合
されている。
4世紀に入ってもそれなりの工学的技術水準は保っていたということかな。




585 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 13:11:39 0
オスプレイの挿絵をいくつか

パルティアのカタフラクト
ttp://img.photobucket.com/albums/v486/steppemerc/parth1.jpg
ササン朝のカタフラクトと歩兵
ttp://img.photobucket.com/albums/v486/steppemerc/parth2.jpg
サルマタイの騎兵
ttp://img.photobucket.com/albums/v486/steppemerc/sarmatian4.jpg

586 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 13:51:24 0
>>585
そのページ何?kwsk

587 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 14:08:38 0
>586
外国の掲示板にうpされてた絵

588 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 14:09:27 0
元はオスプレイ社の本の挿絵

589 :570:2006/07/30(日) 15:36:14 0
鉢にオキュラリウム(眼鏡のような形のアイガード)とメールが付いたデザインのササン朝の兜の遺物というのはあるのですか?

590 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 21:07:22 0
>>ttp://img.photobucket.com/albums/v486/steppemerc/parth1.jpg
本当にこんな物着てたの?
暑くてすぐ脱水症状おこしそうだけど。

591 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 21:09:46 0
鎧下だけ身につけておいて残りは戦う直前とかに装備したんじゃね?

592 :u:2006/07/31(月) 13:21:23 0
がちゃらん、がちゃらん、どて、じたばた
(朝に発見された時には、冷えて凍死寸前)

593 :世界@名無史さん:2006/07/31(月) 21:27:03 0
良くできた鎧は重量が分散されるから、鍛えてる人間にとっての疲労度はそれほどでもないらしいよ。

594 :u:2006/08/01(火) 11:21:45 0
やすもん買うと>592

595 :世界@名無史さん:2006/08/01(火) 15:00:45 0
 日本の戦国時代の時代劇とか観てると武将達が大将を中心に左右に座って
盾をテーブル代わりにして作戦会議とかやってる。あれはなかなか戦らしさ
を表現する良い小道具だと思うんだけど、ローマを舞台にした映画とかだと
盾は盾としてしか描かれていない。その癖内装は変に豪華だったりする。
文化の違いかなあ。それともリアルああだったんだろうか。

596 :世界@名無史さん:2006/08/02(水) 07:26:02 0
マントは昔毛布代わり。

597 :世界@名無史さん:2006/08/08(火) 00:41:47 0
ローマ対マケドニアの戦争について詳しく知りたいのですが、どの本が詳しいのでしょうか?

教えて下さい。

598 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/08/13(日) 19:39:35 0
新紀元社より出版されている『古代ギリシア人の戦争会戦事典800BC−200BC』
著者:市川定春 のローマ版が出版されれば、日本語で書かれた書籍としては
一番詳細に対ヘレニズム諸国戦争について言及されると思われます。

……しかしながら、上記の本の売り上げが芳しくなかったためローマ版の出版は
見送られているということであります。『古代ローマ人の戦争会戦事典』がこの
世に書籍として出るためにも、皆さん『古代ギリシア人の戦争会戦事典800BC−200BC』
を買ってください。

599 :世界@名無史さん :2006/08/14(月) 02:56:56 0
す、すごい…。


なんて言っていいか分からないけど、まず、ありがとうございます。

600 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 12:08:54 0
>>598
よさそうな本じゃないですか。値段も3000円もしないし。
アマゾンで注文してみます。
他にも古代・中世の戦争・武装に関する良い本あったら紹介していただけませんか?

601 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 15:52:05 0
ハンセン『古代ギリシアの戦い』

602 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/08/27(日) 20:49:55 0
装備ということでしたら……

原書でよければ、英国オスプレイ社の書籍群が宜しいのではないかと
ttp://www.ospreypublishing.com/index.php

新紀元社から一部邦訳が出ておりますが、売り切れも多いです。
古本屋サイトを当たってみるのも良いかと思います。

最近イラストの使い回しが多く重複している内容が多いと、オスプレイ社の
やり方に不満アリとの書き込みも見ました。それでも種類と数は豊富です。
とりあえずサイトを覗くのは只ですから、それから判断してはいかがでしょう。


603 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 01:04:31 O
オスプレイ社の
“Adrianople AD 378"
を輸入して今、訳してる途中ですが
ギボンが云うような西ゴート軍の圧倒的兵力優位にあったわけでないみたいですね
西ゴートは
総指揮官フリティンゲルン直属の重騎兵1000人(主力は下馬し歩兵強化、一部は東ゴート重騎兵を強化)
重歩兵6600〜8800
軽歩兵1000〜2000
計8600〜11800
東ゴート(フン族の支配から逃れたアラテウス、サフラクス指揮下、フリティンゲルンと同盟)は
重騎兵3000〜4000
アラン族軽弓騎兵1000〜2000
フン族軽弓騎兵500(ほとんど“使えなかった”)
軽歩兵(弓兵)500〜1000
計5000〜7500
総計13600〜19300

ローマ軍はゴート軍より多かった可能性が大きい
ゴート軍の勝利はフリティンゲルンの軍才によるものだそうです

604 :世界@名無史さん:2006/08/29(火) 00:47:02 0
フン族が使えなかったとは・・・どういうことなんざんしょね?

605 :世界@名無史さん:2006/08/29(火) 12:09:55 O
まだ今、前年に起こったアド・サリケスの戦い(ゴート側の勝利)を訳している途中なのですが
本に掲載されている戦況地図の説明を見ると
フリティゲルンの下馬した重騎兵に補強された西ゴート軍の歩兵横隊右翼がローマ軍歩兵横隊左翼を押し戻し始めたため
ローマ軍は待機していた騎兵をゴート軍右翼後方にあるゴート軍車陣に対し投入
陣頭指揮を取っていたフリティゲルンは右翼後方に待機させていた西ゴート騎兵の一部、アラン騎兵に強化された東ゴート騎兵をローマ騎兵部隊の左側面に迂回させ抜刀突撃させ、ローマ騎兵部隊を二つに分断し敗走させ
ローマ軍歩兵横隊左翼へ突撃し、西ゴート歩兵部隊と狭撃崩壊させた
同時に西ゴート歩兵横隊左翼もローマ歩兵横隊右翼がローマ騎兵の支援うけ強化されていたにもかかわらず敗走させた(このローマ歩兵横隊右翼後方にゴート人の怒りの大元であるヴァレンス帝がいた)
後は両翼包囲、ヴァレンスは兵達を捨て逃亡を図るが・・・


606 :世界@名無史さん:2006/08/29(火) 12:16:20 O
結局のところ
ゴート軍は騎兵に抜刀突撃(といっても彼等の主武器は槍)させたため
フン族得意のアウトレンジからの騎乗弓による集中射の戦法は採らなかったと思われます(兵数も500人しかいませんし)
アラン族騎兵は抜刀突撃し、それなりに働いたみたいですが・・・

607 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 16:58:51 0
なるほどなあ・・・
当時の人口から考えて、ゴートを南に追いやったフン族の数は大して多くなかったと思ってたんだけど(つまり少数でもかなり働けると思ってた)

500騎の弓連射、効果ありそうだけどなー。司令官が使い方がわからんかったとかじゃないんだよね?
面白いなあ。

608 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 17:19:12 0
『古代ギリシア人の戦争会戦事典800BC−200BC』
凄いですね、これ。
ローマ版でないかな……

609 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 21:21:35 O
そんなことはないと思いますよ
フリティゲルンは徒歩のArchersは有効に使用したと思われます
またゴート軍はアド・サリケスの戦いのときもそうですが、sling(投石器)やmissile weapon(大型のバリスタか?)を有していたみたいです
また戦術に関してもアド・サリケスの戦いではフリティゲルンはいませんでしたが、戦いの様相は
・・・unlike Hollywood representation,this was not a wild disorganised charge.The Goths moved forward deliberately and cautiously,halting at javelin range.
とあり、映画『グラディエーター』に出てきたような無謀無策のゲルマン人とは違い、正規戦を戦えるいっぱしの軍隊だったようです

610 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 00:14:24 O
続きは

611 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 02:24:54 O
映画グラディエイターの蛮族との合戦シーンって
歴史考証的にはリアルなの?
火矢とかカタパルトで物凄い火力だったけど。
戦国武士団もイチコロだなって思った。

612 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 02:42:27 0
ああいう地形で火矢は兎も角カタパルトとか展開出来たんでしょうかね?

613 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 03:36:41 0
・ローマ重装歩兵が密集しすぎ
・オナガーもバリスタも命中率が悪いから野戦では殆ど使われなかった。
・火矢を使う意味が無い。
・ローマ重装歩兵が投槍を使わない。
・将軍が真っ先に突撃するんじゃない。
・騎兵の装備がおかしい。
・ゲルマン人の戦術が稚拙すぎる。
・ゲルマン人の装備が雑多すぎる。
思いつくだけでこれ位。

614 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 06:42:11 O
あと、まだ鐙はまだないでしょうな
でも鐙がなければ今の人間は馬を乗りこなせないと思うが

615 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 08:22:09 0
古代は鞍の四隅についた突起が騎乗者を支えてたと思うが
あの時代はなかったという事なのか。

616 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 16:00:09 0
>>615
あったよ。

617 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/09/08(金) 21:08:17 0
ローマ軍団兵一人当たりの標準的な占有面積
・ポリュビオスの記述 ……正面1.8m×奥行き1.8m
・ウェゲティウスの記述……正面0.9m×奥行き2.1m
A/Gの説によれば1.8mは広すぎる、0.9mが標準的で古代世界の密集歩兵隊は
明らかにそれを正面幅としていただろうと云う事です。
奥行き1.8m〜2.1mはピルムを投擲するのに必要な空間であった。

ローマの征服前のガリア人の歩兵隊の歩兵一人当たりの正面幅は2〜3mで
ヘレニズム諸国の密集方陣のそれは0.6mという説もあります。

618 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 21:08:21 0
>>613
火矢やバリスタは激戦を演出するためだろうし、将軍の突撃も彼が主人公だからやむなし。
でも装備品が微妙だったり、何より投槍使わなかったのがなあ…あっさり乱戦に持ち込まれてるし。

619 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 21:18:27 O
鐙なしで重装備で槍をふるったり(サルマチア、ゴート)、強力な合成弓を扱う(フン)のはよほどの身体能力がないと無理なのではないでしょうか
もっともサルマチアやゴートは既に鐙を使用していたという説もありますが、一般にはヨーロッパに鐙を持ち込んだのはアヴァール人といわれますね
ちなみに私の持っているオスプレイ社の‘Adrianople AD378’に掲載されている古代ローマのレリーフやモザイク画、想像のイラスト図にもローマ、ゴート、アランいずれにも鐙は描かれていません

620 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/09/08(金) 21:23:22 0
ヨセフス「ユダヤ戦記」第3巻245〜246以下
「防壁の上でヨセフスの傍らに立っていた者たちの一人は、飛来してきた石弾に
直撃されて頭部をちぎられ、頭蓋骨は3スタディオン(3×185m)先に吹き飛ばされた。
また臨月の女は、朝、家から出た途端に腹に一撃を受け、そのため胎児が飛び出し、
半スタディオン先に吹き飛ばされた。投石器の威力はかくも強烈であった。
人々にとってこれらの装置より恐ろしいのは石弾が空を切って飛ぶ有様であり、
発射されたものより恐ろしかったのは、その衝撃音であった」


621 :ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2006/09/08(金) 21:55:43 0
ウェゲティウスの記述……百人隊にはそれぞれ移動式軽量射出機「スコルピオネス」
もしくは「カロバリスタ」が、そして歩兵隊には大型のバリスタが必ず配備されていた。

【以下A/G「古代ローマ軍団大事典」「図説古代ローマの戦い」等より】
ローマ軍は時折、戦場で軽量投射機カロバリスタを使用した。これはラバが牽引する
小さな荷車で搭載されて移動した。会戦でも使用されたが本領を発揮したのは要塞や
塹壕などの防御施設の攻撃・防御においてであった。

投石器タイプの「オナゲル」は標的に照準を合わせるためにはオナゲル本体を動かさな
ければならなかったが、命中精度はそこそこであり、復元実験によれば作業員が熟達すれば
連射も可能であった。(1発あたり15〜20秒)

より洗練された二連式の「バリスタ」は石弾・太矢を非常な正確度と貫通力で投擲することが
できた。(太矢は城門の扉の破壊にも使用された)

アミダの攻城戦では籠城側のローマ軍のスコルピオネスから放たれた矢が
降伏を勧告しにやってきたペルシア側のキオニタエ王グルンバテを狙って
傍らにいた王子を即死させた。(A.D.359)


622 :世界@名無史さん:2006/09/08(金) 22:01:19 O
いきなり活性化したな
このスレッド

623 :世界@名無史さん:2006/09/09(土) 05:11:14 0
去年ローマに行ってカンピドリオ広場でマルクス・アウレリウスの騎馬像を見たときに
ああ、確かに鐙ないなと思ったのを思い出した。

624 :世界@名無史さん:2006/09/12(火) 06:29:40 O
アドリアノープル戦時のローマ軍はさほど弱体化はしていません
現に西ローマ皇帝グラティアヌス帝はラインを渡河して侵入してきたアレマン族に対しては電撃的に逆渡河して撃退しているし
東帝国もアルメニアでササン朝と互角以上の戦いを演じていた


625 :世界@名無史さん :2006/09/12(火) 08:43:30 0
アミダ攻城戦って、ペルシア方の部族王子を射殺したまではよかったが
向こうがマジでブチ切れ。
最後はローマ軍が築いた大土塁が崩壊して、それが敵の進入路になって落城、
なんか情けない終わり方だったと『古代ローマの戦い』にあったような。

626 :世界@名無史さん :2006/09/12(火) 08:53:38 0
ピールムはオリンピックの槍投げみたいに補助具なしの手投げだったのでしょうか。
それともアトゥラトゥルのような遠心力を利用する補助具を使ったのでしょうか。
補助具を使うと投擲の威力は増す代わりに、兵士の間隔をもっと広げる
必要がありそうな気がするのですが。

627 :世界@名無史さん:2006/09/12(火) 09:47:03 0
ttp://historia.exblog.jp/i6
ローマ軍兵士の体格

近代のように徴兵検査の記録のような物が残されているわけではなく、
断片的な記述がいくつかあるだけなので、現在の研究でも推測の域を
出ないようです。
古代世界の成人男性の身長は162〜171センチほどだったようですが、
兵士は平均的な市民男性と比べると大きかったということが推測されて
います(アプレイウスやタキトゥスの記述より)。ローマでも兵士に
関しては最低限求められる身長の基準も存在したとされ、それ故に兵士
になる人は一般市民と比べると大きかったようです。また同じ兵士でも
一般兵卒と近衛兵や高官の護衛兵などエリート兵の間にも格差があった
ようで、エリート兵のほうが大きかったといわれています。結局の所、
曖昧な点は多々あるが、全体の平均としてはローマの軍団兵の場合は
170センチ程度であったと考えられているようです。
今と比べると小さいですが、当時としてはかなり大きかったようですね。
まあ、そうでないと兵士なんてつとまらなかったでしょうし。

628 :世界@名無史さん:2006/09/12(火) 15:34:22 0
170で小さいといわれるのに貧しいゲルマン系はどうやってそれ以上でかくなったんふぁよ

629 :世界@名無史さん:2006/09/14(木) 19:29:21 0
>>628
やっぱ肉食は偉大なんじゃね?

630 :世界@名無史さん:2006/09/14(木) 19:32:14 O
蛋白質だけでなくカルシウムも取らんとでかくならんだろう

631 :世界@名無史さん:2006/09/14(木) 22:54:46 O
骨とかも食うから大丈夫だろカルシウム
他にも昆虫類も食ってそうだしヤツら


632 :世界@名無史さん:2006/09/15(金) 00:21:01 O
おいおい乳製品だろ
昆虫食ってもありゃカルシウムじゃないぞ

633 :世界@名無史さん:2006/09/15(金) 14:37:42 0
>>627
>>古代世界の成人男性の身長は162〜171センチほどだったようですが

本当?ちょっと高すぎないか?

634 :世界@名無史さん:2006/09/25(月) 11:50:37 0
カルシウムもそうだけど、成長するにはタンパク質もやはり重要らしい。
http://homepage3.nifty.com/Basketball-tutor/children/grow_taller/nutrition.htm

あとはまあ、人種じゃないかと。

635 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 22:01:37 0
>>632
節足動物の外骨格には分解できないキチン質が多いけど、
ちゃんと分解吸収できる成分も多くてカルシウムも含まれてる。

636 :世界@名無史さん:2006/10/02(月) 23:29:33 O
よくローマ軍の編成表に出てくる
Scutarii
Palatinae
Seniores
は 日本語ではなんと訳されているのですか?

637 :第20軍団兵:2006/10/02(月) 23:48:29 0
>>626
遠投する性格の物ではなかったので、帝政期には特に補助具を使うことは無かったと思います。
ただし、それは軍団兵に限ったもので、たとえば援軍歩兵ならそもそも槍を3本携行したとあるので、
各部族が使う補助具を使った可能性は十分にあります。
なお、共和政期には前衛の歩兵は紐製の補助具を使っていたと記憶するのですが、資料を思い出せません。

638 :世界@名無史さん:2006/10/16(月) 18:16:32 O
age

639 :世界@名無史さん:2006/10/18(水) 01:49:13 O
ガリア戦記に、投げ槍の革紐に手紙を結んで、包囲された味方の
陣地に投げ込む記述があるな。柄の中程に革紐を付けて輪にして
そこに指を掛けて投げたのだろうと。

640 :世界@名無史さん:2006/10/31(火) 13:01:51 0
 ローマ時代の、小麦生産の肥料って、何だったんですか? 牛馬糞? それとも陣ぷんプン??
 それと、ローマの下水道はどこに流れ出たの? 
 上水道と、下水道、混ざらないようにするのは? 至難だと思うが、……


641 :世界@名無史さん:2006/10/31(火) 13:47:31 0
混ざるほうが至難だと思うが

642 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 00:16:40 0
 だって、下水より下の家に上水を流すんですよ。しかも、水道管じゃぁない、側溝でしょ?


643 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 03:24:17 0
>>642
普通に水道管が存在したが。
側溝だけなんて話をどこから仕入れたんだ、お前は?

644 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 11:16:11 0
>>640
上水と下水が混ざってしまうようなら、上水を作る意味がないだろ。井戸に水汲みに言った方が良いよな。
なんのために上水があるのか考えた方がいいねキミは。
あと、配管分ければ良いだけなのになんでそれが至難なのか?どういう先生についたんだ?

645 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 12:53:49 0
 もちろん、上水道があったのだから、水は混ざらなかったのだが、遺跡を見てみたいなぁ、
 都市計画を無視する建築、住人がいると街が廃墟になる可能性もある。
 ローマは中世には放棄されて廃墟になったとか、

 それと、水道管だが、ローマ人はサイフォンの原理、知らなかった。のと、ちがう?


646 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 14:19:43 0
>>645
サイフォンの原理は知ってたよ。

「古代ローマではすでにサイフォンの原理が知られていたが、巨大なサイフォンを建設した場合、
出水孔の水位が入水孔と同じ高さまで上がってくるかどうかが知られていなかった
(実際には同じ水位になる)。
このため、サイフォンを建設した方が安上がりな場合においても、水道橋の建設にこだわったと考えられている。」

お前は寝言をぬかしてないで少しは自分で検索するか文献に当たれ。

647 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 14:26:16 0
ローマ人はサイフォンの原理も知ってたよ。ローマ人ほど水の衛生に
気をつけた民族は古代にはいない。ギリシャ人ですら上・下水道は作ら
なかった。ポンプや塩素消毒さえあれば近代の上水道と変わらないほど。
 真実の口は昔のマンホール、これも昔ローマに下水道があった証拠。


648 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 14:43:37 0
>>640=>>642=>>645
物を知らなさすぎ
つか与太書き込む前にググれ

649 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 15:06:34 0
>真実の口は昔のマンホール、これも昔ローマに下水道があった証拠。

 映画、ローマの休日でヘップバーンが手を突っ込めなかった。壁にあいた穴のコト?
 マンホールとは? 道路が下水になっていたのとは違うの?


650 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 15:20:20 0
>648 さん、
 ローマ時代の小麦生産にどんな肥料を使っていたのか知らないですか? ご存知でしょうか?


651 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 15:38:34 0
>>650
簡単にググッただけで植物の灰や改装などを肥料にしてたと出たぞ。
検索もできない無能。

652 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 15:40:04 0
>>649
道路が下水になっていた?
どっからそんな妄想が出てきたんだ?

街道や道路の整備を重要視したローマ人が道路を下水なんかにするかw
ちゃんと別に下水をつくってるぞ。

お前は本当に阿呆だな。

653 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 15:48:26 0
>>649-650
消えろ知能障害者。もう二度と湧いて出るな。

654 :651:2006/11/01(水) 15:54:22 0
改装→海藻な、まあググればすぐにわかることだが検索もできない無能のために訂正しておいてやる。

655 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 16:22:37 O
こいつは古代と中世の区別がついてないと見た。

656 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 16:39:37 0
>>650
「二圃制」で検索しろ。
そして二度とこのスレに書き込むな。

657 :世界@名無史さん:2006/11/01(水) 17:38:20 0
>>647
上水はどうか知らんが下水道はギリシャにもあったぞ

658 :世界@名無史さん:2006/11/02(木) 19:28:21 0
 下水道だけでインフラだと思ってんのか?上水道が無いと下水道も機能
しないんだが、道路に汚水垂れ流しよりは100倍増しだが下水も上水道
や雨水で汚水や汚物流さないと病疫の巣になる。ローマ人が偉大だったのは
上・下水道完備でなければ意味が無い事を理解してた事、上水道だけ、下水
道だけの都市は存在しない。カルタゴなんて延々100キロ以上も水を引いて
きてる。ローマ以前のカルタゴ人はどうやって水を確保してたのか疑問に思える
ほど。

659 :世界@名無史さん:2006/11/02(木) 21:56:00 0
下水道だけでも立派なインフラですが。


660 :世界@名無史さん:2006/11/02(木) 22:54:43 O
ペリクレス以後のアゴラは下水だけあったでしょ
上水道は引いてないはず

661 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 01:33:24 0
 下水だけでもって発想は側溝掘っとけば、雨でなんでもすぐ流してくれる
日本での話。地中海性気候のような雨季と乾季が分かれて何日も雨が降らず
高温の日が続けば藪蚊が下水から発生してマラニアの巣になる。これにギリ
シャの都市は何度もやられてる。ローマ人が蛇口知ってたのに水を出しっぱ
なしにしたのはそれを防ぐ為、港と神殿があれば良しとしたギリシャ人とそ
れ+完備されたローマ街道と上下水道と公衆浴場がなければ都市と考えなか
ったローマ人とでは軍事面だけでなく生活水準に大きな差があったろう。

662 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 07:19:32 O
>661
水を流しっぱなしにする理由は上水道の水質維持って側面もあったらしい。
 ところでローマの建築について詳しく書いてる本ないですか?

663 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 07:39:15 O
とりあえずアマゾンで検索。な。

664 :世界@名無史さん:2006/11/03(金) 07:41:14 0
『図説世界建築史 ローマ建築』ジョン・ブライアン ウォード・パーキンズ(桐敷真次郎訳)
『ローマの古代都市』ピエール・グリマル(北野徹訳)(文庫クセジュ(白水社)、1995年)

後はこういうリストもある。
ttp://www.geocities.jp/womb_archi/hkk/Roma/list3.htm

665 :664:2006/11/03(金) 07:42:32 0
そうそう、〜に関する本として網羅的に質問する場合には既読の書籍名を挙げるのが
回答者の手間を省くための礼儀だから。

666 :世界@名無史さん:2006/11/04(土) 01:45:38 0
カルタゴの遺跡を紹介していた番組のなかで
街中の道路を説明していた部分があった

たしか、道路の下が下水の通り道になっていたとか紹介していたが、記憶違い?

667 :世界@名無史さん:2006/11/04(土) 03:10:04 0
>>666
お前はケースバイケースという言葉を知らんのか。
一例だけじゃなくてもっと色々資料に当たれよ。

668 :世界@名無史さん:2006/11/04(土) 20:45:12 0
>>667
お前が何を言っているのか判らない
他のケースがあると道路下の下水道が消えるとでも?

669 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 03:13:41 0
東だけどhttp://broadband.biglobe.ne.jp/index_program.html?ch=documentary_p&prog=roma&movieid=758283

670 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 04:40:07 0
>>668
馬鹿か、一例だけ挙げてなんの意味があるといってるんだよ。
ガキじゃ有るまいし。

671 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 08:11:35 0
つか、軍隊を語るスレじゃなくなってるよな

672 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 11:44:16 0
>>670
知的障害者なのか?

>道路が下水になっていた?
>どっからそんな妄想が出てきたんだ?

って発言に対して事実を示したんだぞ
何の意味があるのかも思いつかなかったのか?

673 :第20軍団兵:2006/11/05(日) 13:26:09 0
>>666
カルタゴはフェニキア人の都市のカルタゴと、ローマ都市カルタゴの2期(&帝政後期のアウグスティヌスの時期を加えると大枠で3期)があるから、TVの説明は危ういと思われ。
番組中どっちの時期か分かるなら説明をしていたなら、そこをはっきりして欲しいですね。

674 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 13:37:32 0
>>672
おいおい、道路下に下水があったのと道路が下水だったのは完全に意味が違うだろ。
知的障害者はお前だ。

今の日本も道路下に下水道があるが、お前はそれを道路が下水だったというのか?
周りに言って見ろ、馬鹿だと思われるから。

675 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 13:47:15 0
ageてるから何かと思えばまたキチガイが来てたのか。

>>666
番組名を示せ。
文献資料にに当たれ。>>664にリストアップした奴がある。
史料を読めとは言わないから。

>>674
>666=>672は上水と下水が混じってたとかサイフォンの原理を知らなかったとか主張してる馬鹿だろう。
相手にしない方がいい。
つか、道路が下水だったなんて馬鹿な認識持ってるから上下水が混じるなんて戯言ほざくんだな。

676 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 14:25:41 0
番組名も出さずに記憶云々してもしょうがないよなあ
よっぽど有名な番組ならともかく

677 :世界@名無史さん:2006/11/05(日) 16:51:53 0
>>674
672の考え方で行くと今の日本は道路が電気でガスで上下水道だよなw
ああ、地下鉄もあるか

678 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 03:09:14 0
 下水の汚水みたいな論議するから誰もいなくなっちゃったじゃん。ギボン
先生に謝れ!

679 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 07:53:52 0
>>661
ギリシア人が都市に必要不可欠なものとしたのは自由に意思決定できる市民のみ。
生活する上で必要不可欠な食料、水、空気のうち水の供給についてはローマに征服される
以前のギリシアでは泉水や貯水池で十分だったので、水道を用いる必要性は少ないが、
ペルガモンやサモスなど水道を地下に敷設していた実例はままある。
ローマは面での軍事上の安全を確立できたので、都市から離れた水源地から水道により都市に
水を供給するシステムを発達させることが出来たが、そのような安全が不十分であった
アッピア水道が作られた時代では導管のほとんどの部分を地下に埋めていた。
面で統治されたローマですらこのような状況の時代に、サモスなどの例外を除けばギリシアで
水を都市の外から引き込むなどという危険を冒すことは技術力はあっても選択肢としてなかっただけ。
帝政期のローマ帝国でも闇雲に水道を施設したわけではなく、各都市の財力が考慮されていたことが
トラヤヌスの小プリニウス宛の書簡からもうかがえる。
公衆浴場は、パクス・ロマーナが確立された帝政以降にローマが大きく発展させたが、
その原型はギリシアのギムナシオンに付属する形で設けられていた公衆浴場。


680 :世界@名無史さん:2006/11/10(金) 22:55:14 0
 ローマ市民権舐めんな!皇帝だって平気で殺すぜ。トラヤヌスに競技場建設
には目の色変えると嘆かせ。小プリニウスに水道工事は中断放棄され、再建す
るには技術者をローマから送ってくれと嘆かせてるのもギリシャ人なんだけど
な。確かにギリシャの都市国家郡の乱立状態では水道なんていらんって意見も
あろうけど、ローマがイタリア中部を抑えて間もない時期にローマはローマ街道
とアッピア水道建設始めてるだよね。まあそれを作ったアッピア・クラウディウス
の先見性が異常って面も無きにしもあらずだけど、その後数百年維持・拡大しつ
づけたローマ人の理解力は賞賛されて良いと思う。広域国家でなければ街道も水道
も必要無いって意見の場合、マケドニアがそれらの施設を作らなかったって点を
考えれば民族性としてやっぱ必要無いとギリシャ人が考えてたと言っても過言では
ないと思う。公衆浴場が大きく発展したのは帝政以降だが、それ以前浴場が無いって
言えばそんな事はない。華麗な浴場ではなかったと思うけど。

681 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 00:26:12 0
ここいらでスレ本来の趣旨に戻る質問を一つ。
Legatusという階級名の和訳で良いのないでしょうか。
意味的には、総司令官付きの部将なんだと思うけど、
「部将」だと日本の戦国時代的な響きが強すぎる気がする。
塩野七生:軍団長
  →直訳杉。軍団トップ以上のものだったはず。
国原吉之助(ガリア戦記):総督代理
  →戦時中以外にも仕事あったのかなぁ?
近山金次(ガリア戦記):副将
  →意味的には正しいんだろう。これかなぁ。
   でも、副リーダーがたくさんいるってのはなんか違う気がする。

現在のコンセンサスはどれなんだろ?時代によって違うのかな。
他にもあれば、お聞かせください。

682 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 00:29:58 0
>Legatus
意味合い的には、奉行、とマジで言いたいんだが、流石に使えない…

683 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 03:55:59 0
カタカナ語にして注をつけてしまうのが妥当なんじゃね?
既存の単語を当てはめるよりはさ。
ニュアンスまで気にするなら仕方がない。

684 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 11:42:20 0
 統合調整官?現代風に言うなら。

685 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 13:05:14 0
>>684
現代と違ってラインとスタッフが未分化なので現代風の呼称は不適当。

686 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 16:03:22 O
侍大将

687 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 00:32:22 0
中間管理職とか

688 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 08:28:41 0
 百人隊長とか大隊長とかだったら中間管理職だろうけど、Legatusの地位に
ある人は軍隊で言えば少将以上で政界で言えば元老院議員やコンスル勤めてる
人も多いから中間管理職とは言えないだろ。

689 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 10:25:18 0
戦奉行

690 :世界@名無史さん:2006/11/12(日) 11:51:08 0
>>681
アホが自分の知ってる単語を並べ立てはじめてスレの本来の主旨とはかけ離れてるからいい加減撤回しろよ。

691 :世界@名無史さん:2006/11/13(月) 06:49:59 0
>>680
ギリシア人にとってポリス(都市)とは第一に物ではなく者であったので、
物の都市を捨て去ることをいとわなかった。681のローマでの都市の定義が
真なら、ローマ人にはそれが出来ない。
ギリシア人の思想だけを受け継いだローマ人にキケロがいるが。
水道が不要だとギリシア人が考えていたとするのは過言です。
アッピア水道が出来る以前にギリシアの都市にもままあったわけだから。
もちろん水道網、道路網を確立したローマ人は偉大ではあるが、
それを発達させた、あるいは、させなかったのは、国家の成り立ちに関する考え方と
国の周辺及び内部の要因が極めて高い。
たとえばペロポネソス戦争の時代にはシュラクサイ(シラクサ)は城壁外から
水道で水を得ていたがアテナイ(アテネ)にそれを止められてしまった。
シュラクサイはそれだけに水を頼っていなかったので陥落しなかったわけだが。
公衆浴場は、帝政以前にも都市ローマには普通に在ったし(遺跡の存在は知らないが
キケロの作品に出てきたりする)、ローマに征服される以前のギリシアでも公衆浴場が
都市にも普通に在った。
ローマの栄光だけに光をあてようとする者に言っても無駄な気もするが、
ローマ物ばかりでなくヘロドトスの歴史やトュキュディデスの戦史、
アリストテレスの政治学などにも是非目を通してください。

692 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 18:11:40 0
 ギリシア人にとってポリス(都市)とは第一に物ではなく者であったので、
物の都市を捨て去ることをいとわなかった。と言う意見は余りに哲学的意見で
であって現実的ではないと思う。どこの誰とて家財道具も仕事も失ったら困る
のは万国共通だろう。第一自国の都市と共同体を守る為命をかけて戦うかわり
に政治に関与できるのが市民の条件なのだから問題が逆転してる。ギリシャ人
は海岸沿いに都市を作るがそれらの地には水が飲料には適さない場合も多いの
でその為水道を引いてくる場合もありその為の技術をギリシャ人が持っていた
事を否定するつもりもない。アレキサンドリアなんて延々と引いてきてる。
 ただ政治的に新鮮な水の供給が都市生活の発展に必要な国家インフラと考え
るか、水に問題なければ後はおのおの勝手に汲んで国家が関与する必要が無い
と考えるかの違いを述べればギリシャ人に対してローマ人の方が圧倒的にすぐ
れていたと思う。哲学や美術的価値感でギリシャ人の方が上だろうけど。

693 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 18:46:50 0
だらしない才人=ローマン
偏屈な哲人=グレコ

694 :世界@名無史さん:2006/11/17(金) 14:40:37 O
偏屈な文盲という不思議な人種なら>>690にいるな

695 :世界@名無史さん:2006/11/17(金) 16:15:33 0
>>694
アホ乙!

696 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 06:57:18 0
>>662
物を捨てた実例を挙げると例えばペルシア戦争のときのアテナイ(アテネ)がある。
水については679に書いたとおりだが、新鮮な水を供給する施設はギリシアの
ポリスにも当然のようにあった、都市整備には必要不可欠な物ですよ。
碌に調べもせずに「水が飲料には適さない場合も多いのでその為水道を引いてくる場合もあり」
などとテキトーなことは書かないで下さい。
691で書いたシュラクサイがなぜ陥落しなかったか理解していますか?
ローマは最初は都市・ローマ周辺、帝政期には帝国のほぼ全域でパクス・ロマーナを
確立できたからこそ、あれだけ見た目も派手で大規模な水道施設を敷設することが
できたし発展させることが出来た。

697 :ゲルマン魂:2006/12/04(月) 14:40:41 0
「うーむ、水も良し食い気良し、守ってるあんちゃんらは、同胞が多いし、フンや
フンによって故郷を追われた略奪集団がやってくる。ろーまいっとこwてな感じで
侵入」
スティリコやアエティウスのような異民族戦で有能な将軍は、平時には狼なんで
粛清して軍の弱体化を促進していくローマ。しまいにはゲルマン傭兵が好き勝手に
皇帝を決める状態に。

698 :ゲルマン魂:2006/12/04(月) 16:00:59 0
ローマの変質に産業の空洞化があげられ、イタリア半島における赤壷の生産は廃れ、国境地帯で盛んに
安価な労働力として蛮族を活用したのはわかるけど、それがローマ化して国境地帯に住み着いた。
さらに、膨大な無産市民の存在。パンと見世物を供給すればするほど財政を圧迫。
無産市民を切り捨てて改革した東ローマは最強の国になったが、西ローマは退廃の極みにあった
と思われます。当然、軍団を集めるにしても旧来の精強さは維持できず。ゲルマン傭兵に頼るように
なりました。

699 :ゲルマン魂:2006/12/04(月) 16:09:09 0
面白いことは、ローマ市民権を得たゲルマン人は、自分はローマ人で
かつての同胞を蛮族と謗りました。あのオドアケルでさえそうでした。
オドアケルは、かつての西ローマの軍制を引き継ぎかなり精強な軍隊を
擁してました。西ローマ時代に対岸のカルタゴのヴァンダル王国が海賊行為
を常にやってましたが。オドアケル時代には終息にむかったのは地方の統制を
ローマ人を使ってやり。軍を精強なゲルマン人で固め治安を回復させたのが
大きかったと思います。

700 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 00:00:15 0
このようにすいたいするのです

701 :世界@名無史さん:2006/12/08(金) 14:48:54 0
 自己完結型の奴しかいなくなっちゃったね。ローマスレなのにギリシャ
マンセーの熱い奴や遂にはゲルマン魂かよ・・・。ORZ
 戦局を打開するカエサルの様な奴いないのか?

702 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 02:20:33 0
>>701
このスレとても勉強になるから楽しみにしてるよ

703 :世界@名無史さん:2006/12/12(火) 03:08:08 O
ポエニとカエサルの時代でどっちの方がいい?

704 :世界@名無史さん:2006/12/13(水) 21:21:49 O
たった6年だが、帝国の復興者アウレリアヌスの時代がいい
プロブス、カルス、ディオクレティアヌス等々、後代の皇帝は彼の部下だった
ガリアもシリアも回復
ダキアを放棄したが、ゴート人傭兵を得た
機動的な騎兵中心の軍制に改編したし

705 :世界@名無史さん:2006/12/14(木) 19:23:05 0
もう少し長生きして欲しかったよね。

706 :世界@名無史さん:2006/12/16(土) 02:11:39 0
>>704
もっと語って下さい。
特に軍政改革のあたり。


707 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 13:11:39 0
共和政ローマも、第一次ポエニ戦争のころは海軍力が弱かったっていう説があるね。
カルタゴやギリシアのほうが海軍力は強かったらしい。

708 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 14:33:43 O
アウレリアヌスは軍律に厳しかったらしいね
略奪や強姦した者は厳罰に処した
ある軍律違反者は2本の柳の木の天辺を地面まで曲げつけたものにそれぞれ左右の手足を縄でくくりつけ
処刑者は木と地面を結んでいる縄を切り、軍律違反者の体を裂いたという
アウレリアヌスはそれをわざと将兵に見せつけ、鉄の規律を維持した

709 :世界@名無史さん:2006/12/19(火) 22:31:27 0
>>707
それは説じゃなくて常識だろ

710 :707:2006/12/20(水) 00:30:36 0
>>709
そんな言い方しなくたっていいじゃん。

711 :世界@名無史さん:2006/12/20(水) 01:17:45 0
 とんでもない規模の海難事故を2度も起こしてる。あの規模の自爆
は元寇までさかのぼらないと歴史上無いと思う。

712 :世界@名無史さん:2006/12/20(水) 09:50:26 0
ティベリウス帝が好き。

713 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 15:48:20 0
確か津本 陽の対談書籍では、
紀元前のヨーロッパの兵団は、100〜1000人単位が真相らしいわ。
それに、総大将が万人単位を兵力として差配する能力は無かったのでは?と。


714 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 16:15:58 0
寒冷期やペストなんかが来る前は、割と多かったんじゃないの?
中国でも漢の終わり頃、三国志の前あたりは寒冷化で人口が激減してたとかいう説もあるけど。

715 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 21:00:10 0
つーか中国とかを基準にするとトンデモないことになる。
それくらいあの国の”数”はあてにならない。

716 :世界@名無史さん:2006/12/24(日) 01:15:38 0
>>708
今年復活するお笑いウルトラクイズでダチョウがやる罰ゲームに似てるな

717 :世界@名無史さん:2007/01/13(土) 15:43:59 0
ところで

「碑文から見た古代ローマ生活誌」原書房:ローレンス・ケッピー著

よんだ?

なかなかよいぞ……と保守しておく。

718 :世界@名無史さん:2007/01/24(水) 23:47:14 0
ローマのコロッセオ前で軍団兵にボラれた奴はいませんか?

719 :世界@名無史さん:2007/01/25(木) 08:30:58 O
軍団兵がダフ屋でもやってるのか

720 :世界@名無史さん:2007/01/25(木) 13:58:46 O
津本なにがしか知らんが
ローマに関しては乏しい知識しかないということは明白だな

721 :世界@名無史さん:2007/01/25(木) 20:29:58 0
>>719
いっしょに写真を撮らないか?と近づいてきて、カメラを渡すとポーズをとって写真撮ってくれる。
で、50ユーロとか要求される。
けっこう有名だよ

722 :世界@名無史さん:2007/01/26(金) 00:23:35 0
>>718
ボラレタの?
オレは「シネやボケカス」って言いすてて立ち去った。肩つかまれたけど振りほどいたよ。別に何も無かった。
警官がたくさんいるんで、暴力沙汰起こせば逮捕だから向こうもムチャはせんよ。

723 :世界@名無史さん:2007/01/26(金) 00:35:45 0
>>722
いつごろの話?
今でもそうなのかな

724 :世界@名無史さん:2007/01/26(金) 08:41:05 0
>>722
日本語で罵詈雑言を浴びせたら去って行ったよw

725 :世界@名無史さん:2007/01/26(金) 08:45:28 0
そりゃあれだ、向こうも「やべ、きちがいにひっかかった」と思ったんだろう(´・ω・`)

726 :世界@名無史さん:2007/01/26(金) 15:49:02 0
外国で理不尽な目に遭ったときは、日本語でまくし立てるに限る。
中途半端に英語で反論しようとするとナメられるからな。

727 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 11:12:43 0
操典で統一された訓練、しかも「苦しみから逃れるために戦場に行きたがる」ほどの猛訓練を施していたのがローマ軍の強さの秘訣の一つ
しかし後年になると頽廃が進み、「装備が重いから防具をつける義務を無くせ」と皇帝に詰め寄って裸同然で戦場にでるほどになった

728 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 11:26:14 0
まくしたてる、なんてチョンレベルの振舞いを推奨してはいけない。
「最近の日本人は韓国人並だな」といわれたら嬉しいか?

実際に犯罪者に遭遇した経験でいえば、
【ケツをつかむ】←他人事と思うと笑えるがこれがなかなかきくんだよ。
そしてぐっと気迫で睨みつける。
ここでSexyな視線を送ると激しく誤解されるからやめといたほうがいい。

729 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 11:30:27 0
>>727
よく知らないので面白く読んだが、たしかローマ帝国の軍団兵には次第に
蛮族が採用されるようになったよね?
裸で戦場いきたいなんてのはなんとなく蛮族が言いそうなことだと思うんだ
けど、ローマ市民がそれをいったのかな?そこら辺りが気になる。

730 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 11:59:27 0
元首政の時代に既にローマ軍に補助兵として勤務すれば市民権がもらえるようになっていた
結果、かつて鉄の結束を誇った「ローマ市民」は拡散して意味が希薄になりつつあった
ハンニバルに年三回大敗しても尚闘った時代とはまったく市民の意味が違うからねぇ

731 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 13:07:00 0
>>727
>>728
>>730
止めろ止めろ。
見るに耐えん。
オーマンの時代の学説じゃないか。


732 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 13:13:10 0
最近の学説ではどんな感じなんですか?

733 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 14:00:15 0
新学説と称してトンデモを開陳すると見た

734 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 14:00:50 0
>>732
後期のローマ軍はアドリアノープルの様な例外を除けば殆ど負けてない。
例えば357年のストラスブールの戦いでは3倍の数のアレマンニ族に完勝してる。
他にも403年にアラリック率いるゴート族がイタリアに侵入した時も撃退している。
蛮族が採用されるというか数の穴を埋める為にゲルマン部族等の戦士を雇う様になったが、その数は全体の30%以下で大多数は以前として市民。
またこれらの蛮族も忠誠心が厚く、正規軍より勇敢に戦う事すらあった。
そして言うまでも無くこれらの蛮族兵はその内「ローマ化」された。
>>「装備が重いから防具をつける義務を無くせ」と皇帝に詰め寄って裸同然で戦場にでるほどになった
と言うのも極一部の兵が短期間の間にしただけだ。
そもそも「操典で統一された訓練」と言うが操典で最も有名なウェゲティウスは4世紀の人間じゃないか。
>>裸で戦場いきたいなんてのはなんとなく蛮族が言いそうなことだと思うんだ
これもおかしい。3〜4世紀にローマ軍の戦術や装備が変わったのは蛮族が重装備化したのが一因なのに。
後期のローマ軍の問題は3世紀の混乱で衰退した経済等により多数の兵を常備維持する事ができなくなった事。
東の方は何とかなったが西の方は最後までどうにもならなかった。
だが数さえ揃えば以前として世界有数の軍隊だった。
「後期のローマ軍は蛮族だらけで士気も錬度も低かった」というのは19世紀の学説で今は誰も採用していない。

735 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 14:01:46 0
>>733
ヒュー・エルトンやエイドリアン・ゴールズワージーはトンデモなのかい?

736 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 14:52:11 0
ごく一部の兵が短期間?
そりゃ許可した当の皇帝が小屋ごと焼き殺されてちゃそうなるだろうなw

737 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 15:12:40 0
>>「装備が重いから防具をつける義務を無くせ」と皇帝に詰め寄って裸同然で戦場にでるほどになった
取りあえず、これが多くの兵によって実践され長期間続いた事を証明するソースを出してくれ。

738 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 15:35:05 0
ローマ軍の強さの秘密は規律の良さだよ
カエサルがブリタニア遠征の戦闘中に沼に落ちた時カエサルを救った兵士は、功績を誇るどころか勝手な行動したことと盾を失ったことを泣いて謝罪している
こればっかりはローマ人特有の団結力と法意識の下地がないと駄目

739 :世界@名無史さん:2007/02/13(火) 16:48:31 0
>>738
そして規律の良さはローマ軍後期でも失われなかった訳だ。
これは新学説でも何でもなくここ10年以上の間研究家の間では定説になってる事。
日本に来る情報が遅れすぎてるんだよ。

740 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 00:00:00 0
軍隊や官僚組織の維持費が高すぎた事を
経済的衰退の主要因に挙げている歴史の本があったね

ローマ史の専門書じゃなく、シリーズ通史のレベルの本だけど

741 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 00:02:17 0
>>740
3世紀の危機が原因でしょ。
半世紀の間に30人近い皇帝って何それ。

742 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 09:18:30 0
軍隊が皇帝を推戴するようになったからねぇ
果ては近衛兵にどれだけ賄賂くれるかで皇帝位がセリにかけられたり
やがて地方の軍団単位で皇帝候補者を擁立して争うようになる
新説って奴はしらないけど、狭い意味ではともかく広い意味での規律はもう元首政時期で崩壊している

743 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 12:42:27 0
軍の統制に失敗=軍人が皇帝選出機関に

744 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 13:45:04 0
>>742
だがローマ軍の最盛期はトライアヌス帝時代だぞ。
軍としての有効さは別の話だ。

745 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 15:56:14 0
古代ギリシア人の戦争会戦事典800BC−200BC
のローマ版みたいな本はないかな?

個人的にはナポレオン以後のも欲しい。

746 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 16:14:43 0
軍の司令官と軍隊が一体化したら強いよ
トライアヌスは元々ゲルマニア総督として軍団を指揮していて、ネルヴァ帝の養子にされた理由の一つが軍人としての優秀さだし
歴史上、軍閥あるいは私兵っぽいほうが強いことはままある
上下の一体感が違うんだろうね

747 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 17:47:55 0
>>745
とりあえずは ttp://www.k2.dion.ne.jp/~tactic/ でも見てれば

748 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 17:55:13 0
ギボンによると西ローマ崩壊直前まで規律だけは良かったらしいね。
ただ臆病になってて戦闘前に大逃亡だったらしいけど。


749 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 18:15:25 0
>>748
今ではギボンのローマ帝国衰亡史は歴史書としては大した価値は無い。
現在では18世紀当時には発見すらされてなかったソースが多々あり歴史学自体も大きく進歩している。
純粋にローマ史の事を知りたいのならギボンは読むべきではない。
手始めにここ辺りを見てはどうだろうか。
http://www.fectio.org.uk/fectio.htm
沢山の画像があるし解りやすく後期ローマ軍について解説されてて他の良サイトへのリンクも豊富。
あと
Peter HeatherのThe Fall of the Roman Empire: A New History of Rome and the Barbarians

Bryan Ward-Perkins' The Fall of Rome and the End of Civilizationもいい。
特にPeter Heatherの著書は最新のソースを使用しており、時系列順に解りやすく解説されている。
両方ともギボンの時代には想像すら出来なかった考古学的、資料的証拠や200年以上の研究に基づいてる。

750 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 18:18:29 0
ローマ軍団大百科でいいや
めんどくさい

751 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 18:20:39 0
ギボンでいいよ。わかりやすいし。


752 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 22:09:52 O
>>734
378年のアドリアノープルの戦い以前にもローマ軍は敗れていますよ

376年マルキアノープルの戦いでフリティゲルン率いる西ゴート軍5000に
ルピキヌス率いる辺境部隊を含むトラキア野戦軍の一部10000が惨敗
この戦いでトラキア野戦軍は大損害を受けた野戦騎兵4個連隊を解隊

377年にもアド・サリケスの戦いで東ゴート軍がローマ軍を破っています

あと後期ローマ軍は市民より農民に徴集比重が高かったみたいです
徴集にあたった総督は徴集料を横領し質的に低い人間を徴集したりしたらしい
また志願兵の子供が世襲するケースが多かったようです
市民は徴集されるのを嫌ってワザと親指を切断する者も少なくなかったようです

 【参考文献】
『Adrianople AD378』
Simon MacDowall
『古代ローマ軍団大百科』
エイドリアン・ゴールズワーシー

753 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 22:38:50 0
>>378年のアドリアノープルの戦い以前にもローマ軍は敗れていますよ
別にアドリアノープル以前に負けてないなんて言ってないが。
「アドリアノープルの様な」と言っている。
それに「セグメンタタ、グラディウス」のローマ軍だって負けたのは一度や二度じゃない。

754 :世界@名無史さん:2007/02/14(水) 22:44:35 0
>あと後期ローマ軍は市民より農民に徴集比重が高かったみたいです
>徴集にあたった総督は徴集料を横領し質的に低い人間を徴集したりしたらしい
>また志願兵の子供が世襲するケースが多かったようです
ふむ。エルトンや他の研究家によるローマ軍後期の徴兵の分析によれば、軍が徴兵や士気に関する危機を迎えていたとする19世紀の説とは逆の結論が出ているが。
古代ローマ軍団大百科は持ってるが、そんな部分は記憶に無い。
>市民は徴集されるのを嫌ってワザと親指を切断する者も少なくなかったようです
一つの逸話を全体に当てはめようとしてる様にしか見えないが。

755 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 00:38:40 O
ギボンやアンミアヌスたちの記述する蛮族の兵力は誇張が多く、注意が必要です
ゲルマン人の場合、強力な王権が“定住地”に確立していないと
族長ごとに独自に活動する場合が多いです
例えば5世紀のゴート族でいうと
〈西ゴート〉
1.Tervingiの主力
2.エルメナリックのGreuthungi
3.ラダガイスのゴート族
〈東ゴート〉
4.アマラー(アマレル)家のゴート族(テオドリック〔大王〕)
5.テオドリック・ストラボのゴート族
〈その他〉
6.アリメールのゴート族
7.ファルノビウスのゴート族
8.オドテウスのゴート族
9.ビゲリスのゴート族
10.デンギツィッヒ(デンギジク?)のGothic-followers
11.クリミア・ゴート族
12.アゾフ海・ゴート族
という12のグループに分かれていました
3のラダガイスはスティリコに撃破されたのは有名ですが
ローマ側の記述ではゴート族の兵力数が誇張されています
実際にはラダガイスは12000の兵力しか持っていなかったようです
またアラリックの軍も410年の時点での兵力は20000人程度だったようです
従ってローマ側の立場で書かれた蛮族の兵力は
かなり割り引いてみた方が良いでしょう
 【参考文献】
『The Goths』Peter Heather p53,p147,p148

756 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 01:12:18 O
>>754
2つの文献をゴッチャにして語ったのは申し訳ない

市民がほんとに軍に招集されていたのかの疑問は
まず376年に疑心暗鬼に捕われたアドリアノープル市長官が
市民を扇動してローマ軍に従軍していた
スエドリ、コリアス配下のゴート人傭兵隊を襲撃させたこと
マルキアノープルの戦いで大敗している緊急事態にも関わらず
アドリアノープル市民はなぜ軍に招集されていないのか?
『Adrianople AD378』p44
そしてわずか600〜800の兵力しかいなかったスエドリ、コリアスの傭兵隊に
圧倒的多数の市民がいとも簡単に撃破されたのか?
『同』p33,p44

第2に378年春にヴァレンス帝がアンティオキアから帝都に帰還した際
ゴート族に敗北続きであることに怒った市民が皇帝に対して暴動を起こしたこと
彼らもなぜ招集されていないのでだろうか?
ゴート族にマルキアノープル、アド・サリケスと連敗した事実を知っているのに『同』p56〜57

757 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 01:39:43 0
>>756
何の訓練も受けていない烏合の衆がプロの傭兵少数に撃退されても大しておかしい事とは思えませんが。

758 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 02:01:53 O
>>757
自分の言いたいのはそこなんです
>>754さんは市民が徴集されているといわれているのですが
自分の例を出したように
アドリアノープルと帝都の市民が軍で訓練を受けていると思えないし
仮に訓練を受けていたとしても
既にゴート軍がトラキア野戦軍とモエシアU辺境部隊の多くを撃破したのに
なぜ今だに緊急招集されないのか疑問だと言いたいのです

759 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 09:45:29 0
ここ勉強になるね。
参考文献あげてくれるのがいい。
英語読めないけど。

760 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 10:04:01 0
ビザンツ帝国最後の戦で、皇帝がもっとも頼りにしたのが数百の傭兵軍だったというのが端的に変遷を表しているなぁ
西ローマ帝国も傭兵に滅ぼされたし

761 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 10:10:19 0
よくわからんがアラリックって傭兵っていうか、
侵略してきたから金払って無理矢理傭兵化したんじゃなかったっけ。

762 :世界@名無史さん:2007/02/15(木) 13:46:58 0
外敵を防げないために、蛮族を丸抱えして「夷をもって夷を制する」策に出たんだけど
待遇や年金支払い滞りを理由に反乱起こされる
で、肝心の本軍がダメダメだから土地好き勝手に取られて略奪もされる
手詰まり

763 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 09:14:11 0
共和制ローマの時代、かのハンニバルすら撃退した将軍達に率いられた健全な中小市民から成る堅忍不抜のローマ軍団には傭兵風情じゃ勝てませんよ

764 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 12:03:09 0
確かに300年前にアラリックが攻めてたらそうだったかもね

765 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 12:11:03 0
パンとサーカスの無償提供を楽しむだけの市民
ローマ市民権があるだけという外国人
そんな連中が社会の中心にいるようになった時代にその再現は無理
グラックスのようにローマに忠誠を持たない奴隷達を纏め上げ精強なハンニバル軍と戦わせられるようなカリスマ将軍もいないし

766 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 12:47:41 0
>>765
スティリコがそうだったんじゃなかったっけか。
流民と逃亡民もスティリコ軍団に含まれてたはず。
スティリコがもう少しカエサルみたいなこすっからさあれば、
あと50年は西も生き延びたかもしれんのにね。
スティリコは生まれてくる時代を誤った。
共和制時代なら名将だったろうに。
というか異民族出身ではあるけど。

767 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 12:57:56 0
イタリアの盾・ファビゥス
イタリアの剣・マルケスス
奴隷達からすら信奉されたグラックス
ご存知大スキピオ
何人も指導層がぶち殺されてるのに人材が枯渇しなかったところも共和制ローマの凄み

768 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 12:58:08 O
カエサル登場以前で共和制ローマが敗れた主な戦い(対カルタゴ戦を除く)
BC390 ケルト人、アッリア川の戦いでローマ軍破り、ローマ占領
BC321 ローマ軍、カウディウムでサムニテスに敗れ、降伏
BC280 エピロスのピュロス王、ヘラクレアの戦いでローマ軍を破る
BC279 エピロスのピュロス王、アウスクルムの戦いでローマ軍を破る
BC113 キンブリ・テウトニ族、ノレイアの戦いでローマ軍を破る
BC105 キンブリ・テウトニ族、アラウシオの戦いでローマ軍を破る

769 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:16:53 0
ピュロスは勝ってるけど被害はローマ軍とほとんど変わらなかったんだよな。確か。

770 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:19:34 0
こいつが言う様に共和制軍が最強ならそもそもマリウスの軍制改革なんて起こる訳がないしましてやそれが何百年も続く訳が無い。
アホか。

771 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:24:39 0
>>770
といってもローマの軍隊は市民権持った人の志願によって成り立ってたことに
強みがあった。
帝政末期のローマ軍の弱さといったら…

772 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:31:01 0
>>771
市民軍が勝てなくなったのは、歩兵から騎兵へ戦闘の中心が移ったからで、
騎兵を育てるのに遊牧系の方が優れてるのは当然だと思う。
末期の帝政ローマは共和制の市民軍に勝てるよ。

773 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:33:20 0
730〜750あたりのレスを全部無視して19世紀の説をまた唱え始めるのにはワラタ
>>帝政末期のローマ軍の弱さといったら…
ああ、確かにストラスブールで三倍の数のアレマンニ族を粉砕した時の弱さといったらなかったよ。


774 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:34:35 0
まあ「共和政期の市民軍が最強!マンセー!」と妄想するのは構わんが、わざわざそれを書き込むな。

775 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:38:47 0
>>773
俺の大好きなユリアヌスたんだね!

776 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:39:53 0
>>763と同じ事を考えて市民軍を率いて傭兵軍にボコボコにされた奴がいたな。マキャベリとか言う奴だっけ?

777 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 14:42:31 0
つか市民軍の強さは個々の錬度とかよりも、
マトリョーシカみたいなところにあるんじゃね?

ピュロスで例えると、

叩く→ローマ兵登場→叩く→ローマ兵登場→叩く→ローマ兵登場・・・・・


ピュロス「勝っても勝てねー」

778 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 15:29:59 0
>>772
軍事のトレンドの変化だねえ
帝政末期のローマ軍装備は中世そのままだし
中世も終わりになると歩兵に日が当たるっていうかランツクネヒトとかスイス兵が

779 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 17:21:19 0
>>778
取りあえずあんたが中世に関して大した知識を持ってないってのは解った。

780 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 18:02:28 0
>>779
なんで?板金の鎧は中世中ごろだよ??
中世初期の騎士はローマ時代末期の装備と変わらない鎖帷子

781 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 19:04:17 0
「鎖帷子」と一つに纏めてるのが駄目。
兜も剣も盾も鎧も違う。
基本的に中世欧州の軍は投射武器は使わない。

782 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 19:07:28 0
>>781
使うよ弩とか使ってるよ

783 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 19:48:34 0
>>782
言い方が悪かった。
「基本的に中世欧州の軍の重装歩兵は投射武器は使わない。」
当然弓兵や弩兵はいる。

784 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 20:12:53 0
>>781
槍騎兵で重装騎兵の基本は変わってないんじゃ?
武具の進歩はちょっとあるけど

近世になると軽騎兵になっちゃうよ

785 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 21:12:04 0
>783
薔薇戦争の本をパラパラめくってみたがたしかに投射武器は持ってないな。
でもローマ重装歩兵も投げ槍ぐらいしか投射武器持ってないよな。

786 :世界@名無史さん:2007/02/16(金) 21:44:44 0
>>785
でも、ローマの重装歩兵だとそれがメインウエポンといっても過言じゃないやん。
あとは突撃後の乱戦用の短めの剣になるんだから。

長物が基本の中世以降の重装歩兵とは、歩兵の運用が完全に違う。

787 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 12:29:18 0
市民軍の没落は、戦で勝てなくなったからじゃないよ
社会構造の変化のとばっちり
中小市民は軍役を負担した結果どんどん没落し、逆に富裕層は戦勝の果実(奴隷・領土)を独占してどんどん金持ちに
結果、共和制ローマを支えた中小農民層が兵役に応じられなくなった
有名なグラックス兄弟の改革が富裕層の土地所有制限と、貧民化した者達への土地配分が骨子だったのはそのため
マリウス時代には改革の挫折によって軍役に入るのは浮浪民同然の貧民ばかり。これじゃ勝てないってことで私兵化、傭兵化が加速される

788 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 14:44:48 0
>>787
いや、弱兵化は進んでいる。
ヒスパニアの蛮族にすら連敗する有様だった。
それに市民兵制度を採るにはローマは巨大になりすぎていた。

789 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 15:26:11 0
深夜にグラディエーターやってたな。

ところでローマ軍は投げやり使ってたけど、
これって敵に再利用されないために一回投げたら壊れるように作られてたって聞いたけど、
なんでこんな汎用性の無い武器使ってたんだろ?

現代の空力計算された投げやりならまだしも、あのころのはあんまり射程もないっぽいし・・・

790 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 17:54:31 0
>>789
相手の盾使用不能にするだけ

791 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 21:19:45 0
>>789
相手が投げ返せない&相手の盾を使用不能にする。
戦闘が終わったら回収して溶かしてまた作るので問題ない。
射程は15〜20m程。

792 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 22:01:27 O
3C頃から歩兵は盾の裏側にプルムバータエ又はマッティオバルブーリという投げ矢を携行した
いわゆるダーツで2、3本持っていたらしい
戦闘で効果があるかどうかわからんが、当たったら痛そうだ

793 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 22:32:48 0
ダーツと言っても60cmの長さだぞ。
痛いじゃすまん。
ピルムより多く運べるので取って代わったらしい。

794 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 22:40:20 0
>>788
>ヒスパニアの蛮族にすら連敗する

前2世紀のルシタニア戦争やヌマンティア戦争の頃でしょうか?

795 :世界@名無史さん:2007/02/17(土) 23:08:23 0
上にも書かれてるが「ローマ式の市民兵が最強」だとして市民を訓練して軍を編成したがスペインの傭兵軍に大敗を喫したマキャベリワロス

796 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 11:59:12 0
市民兵は負けない、というよりも
負けても何度も盛り返す・個人崇拝じゃないから指揮官がぶっ殺されようが再編制される再生力が強みだろうな
共和制ローマを代表する将軍がハンニバル相手にずらずら出るけど、それ以前にかなり執政官含めてぶち殺されていたことを忘れてはいけない
傭兵軍は一種のプロだけど利に聡く一度崩れると再建は容易じゃない

797 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 16:38:55 0
共和制ローマ軍の不幸は、勝てば勝つほど主力を担う層が戦後社会から没落していくという矛盾
グラックス兄弟が改革して土地分配したって属州からの安価な小麦が入ってくる以上また落ちるのは目に見えている

798 :世界@名無史さん:2007/02/19(月) 10:06:26 0
>>785
薔薇戦争は英国の小田舎領主の戦いだし・・・


799 :世界@名無史さん:2007/02/19(月) 15:06:31 0
セヴェルス帝の遺言は「軍隊だけは裕福にせよ」
近衛軍団を解体した皇帝にして最後の言葉はこれだからな……

基本的にローマ軍では補助兵が投石や弓で遠距離戦や散兵戦を担当してなかったっけ?

800 :世界@名無史さん:2007/02/19(月) 16:19:36 0
ユスティニアヌス時代の東ローマ軍は、タギネー会戦では騎兵の何割かを下馬させて長槍歩兵とした上で
弓兵と騎乗弓兵で東ゴート軍を撃破している
重装騎兵主体の東ゴートに対抗するため、歩兵の防御陣とアウトレンジからの攻撃を組み合わせた例
この時代のローマ軍は、主体が傭兵・同盟部族という名の外部民族に移りかわる不安定さを内包しつつも弓・投げ槍・長槍・剣などを装備して様々なレンジでの戦いに対応できるようになっている

801 :世界@名無史さん:2007/02/20(火) 01:33:14 O
ダギネーの戦いでの正面攻撃と直接攻撃はトティラが今まで採用しなかった戦術
むしろ正面攻撃と直接攻撃はトティラ以前のヴィティギスらが好んだ戦術である
トティラは挙兵当初は数千の兵力しかなかったため、ダギネーの戦い以前は
伏撃、奇襲、夜襲という戦術をとっていた
特にビザンツの騎兵部隊に対する伏撃(ambush)は効果的だった
夜間奇襲の代表例はローマを攻撃すると見せかけルカニア(Lucania)を攻撃
敵より先に回りこみ、急襲するため、トティラはビザンツの騎乗弓兵を
脅威と見なしていなかったようである

 【参考文献】
『A HISTORY OF THE OSTROGOTHS』
Thomas S.Burns
Indiana University Press
p212〜213

802 :世界@名無史さん:2007/02/20(火) 08:49:15 0
タギネー会戦の指揮官・ナルセスが傭兵達を掌握した方法はいたってシンプル
褒美の財宝を連中の目の前で積み上げて見せ、略奪を奨励
まぁ金の切れ目が縁の切れ目だけどね、自前の兵力が弱体化した以上どうしようもない

803 :世界@名無史さん:2007/02/20(火) 11:15:35 0
市民兵が強かったのは、社会が中小農民に支えられた形態だったからでしょ
自分たちが国家を支えている、という意識と義務感がなければアマチュアの集まりにしか過ぎない
兵役を重ねるほど国家の生産力が落ちるという問題もあるし

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