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【不遇】栄光なき天才達の名前を書き込んでいくスレ

1 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:24:49 0
エヴァリスト・ガロア

2 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:26:15 0
橋本佐内とか?

3 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:27:15 0
ウェルキンゲトリクス

4 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:33:53 0
エルデシュ

5 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:43:54 0
ニコラ・テスラ

6 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 20:52:21 0
鄭板橋

7 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:01:40 0
マックス・フォン・バーデン

↓天才というか趣味人
1900年前後のベドフォード公爵(フルネームを知らん)

8 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:02:07 0
エリッヒ・フォン・シュトロハイム


9 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:05:16 0
C・E・ツィオルコフスキー

晩年は認められてたみたいだな。

10 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:06:36 0
エド・ウッドって天才?

11 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:13:04 0
村山聖

12 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:16:42 0
チャールズ・R・マッキントッシュ

スコットランドの建築家

13 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:20:40 0
バド・パウエル。ジャズピアニストでセロニアス・モンクの弟子。
精神を病んでしまった。

14 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:30:57 0
シド・バレット  ピンク・フロイドを結成しリーダーになったが精神分裂症になって退団。

15 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:33:26 0
ピート・ベスト

7月25日のNHK・hi 午後8時〜を見よ。

16 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:33:27 0
ロバート・ジョンソン
十字路で悪魔に魂を売り、ブルースの天才を手に入れるも他人の女に手を出したため射殺される


17 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:34:43 0
>>15
天才じゃないでしょ…。スチュアートならまだしも。

18 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:48:54 0
ニルス・ヘンリック・アーベル
19世紀ノルウェーの数学者。論文を無視されまくったあげく結核で26歳で死亡。

19 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 21:56:39 0
木村資生

20 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:03:05 0
ツトム・シモムラ。映画には納得いかん。なんで悪役なんだ。

21 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:07:38 0
フェルナン・レドンド

マラドーナの再来と言われた天才も、代表では不遇であった。

22 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:08:41 0
>>1 >>18
この二人を葬り去った。「整理整頓ができない男」、コーシーに萌え。

23 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:10:48 0
>>20
ハッカーを追うやつか?

24 :15:2005/07/22(金) 22:13:10 0
>>17
そうだ、間違えた。サトクリフのほうが文句なく天才だ、画家として。

25 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:14:30 0
忘れてないか、夏目雅子!

26 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:14:41 0
アラン・チューリング。
コンピューターの原型を作りながら同性愛者と噂され、自殺に追い込まれる。有名かな…

27 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:19:41 0
平賀源内なんてそうじゃん。

28 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:32:12 0
リチャード・ブローティガン。詩人。
晩年は不遇で、80年代にピストルで自殺。
残されたのは、書きかけの詩、それに、二、三ドルとウイスキーだけだったとか。


29 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:32:34 0
平賀源内のどこが天才なんだ?マーケティングの天才かもしれないが。



ああ、土用の丑がちかいなぁ....

30 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:35:58 0
オリジナルはないよな・・・・・源内

31 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:41:32 0
イサアク・レヴィタン
この人の絵が好き。

32 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:42:18 0
クドリャフカ

33 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:53:53 0
エルネスト・ボー

34 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 22:58:35 0
松本良順

35 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:14:12 0
双羽黒……スイマセン。

36 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:14:36 0
荀ケ文若

37 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:16:52 0
詩人のランボーって生きてるうちは評価されなかったんだっけ?

38 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:25:25 0
アボガドロ
アボガドロの仮説(分子説)を発表したが、当時の科学者から無視された。


39 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:27:23 0
ゴッホ

40 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:29:22 0
フランツ・カフカ…普通すぎる…

41 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:31:44 O
ケニルコフ

42 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:41:25 0
有名だが、栄光はつかめなかったという意味で、
19世紀の作曲家フォスターはどだ?
たしか晩年は貧窮し、30代で亡くなったと記憶しているが。

43 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:43:34 0
>>42
「おおスザンナ」ってフォスターだよな。不遇だったのか。

44 :世界@名無史さん:2005/07/22(金) 23:53:12 0
ニーチェ

45 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 00:40:49 O
ウィトゲンシュタイン

46 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 01:30:08 0
オリヴァーヘヴィサイド

47 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 16:04:51 0
エリシャ=グレイ

48 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 16:07:48 0
ニコラ・テスラ

49 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 16:17:47 0


50 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 19:30:27 0
ジャッキー・ウィルソン

マイケル・ジャクソンも憧れた歌って踊れる天才ダンサー。
時代が彼に追いつけないまま、ステージで心臓発作に倒れる。

51 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 19:39:18 0
アメデオ・モディリアーニ

52 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 19:54:32 0
モディリアーニ!! まさに栄光無き天才の見本。

53 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 19:58:54 0
前田 智徳

54 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 20:19:10 0
天才ジャズ・トランペッター、クリフォード・ブラウン。
栄光の絶頂期に事故死したから、このスレタイには合わず、もっとも幸福な死に方だったのかも。

55 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 20:29:55 0
ニーチェは本当に悲惨だな。
自分の作品が賞賛を浴びていた時には精神障害で、自分への賞賛など
知るよしもなかった。
ある意味、師匠のショーペンハウエルとは対照的な人生。

56 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 20:54:04 0
中原中也も生前は評価を得られぬまま30歳で没。

57 :怨霊 ◆NRtIkON8C2 :2005/07/23(土) 20:59:09 O
漢の哀帝

資質は漢の皇帝の中で一番だと思う。

58 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 21:03:43 0
ジャンフランコ・ゾラ

バッジョとデルピエロに代表の10番を奪われた悲運の天才。


59 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 22:09:10 0
加藤大治郎...

60 :世界@名無史さん:2005/07/23(土) 22:29:29 0
アフマド・シャー・マスード
ゲリラ戦の天才司令官。「パンジシールの獅子」の異名を取った。
9.11直前に、タリバンの刺客によって爆死。



61 :(〇m〇)(^■^ ラ [・ム・ ]:2005/07/23(土) 23:27:46 O


(〇m〇)(^■^ ラ [・ム・ ] WWW.THECOLLECTORSSHOWCASE.COM



62 :42:2005/07/24(日) 20:38:23 0
>>43亀レスでスマソ
そう「おおスザンナ」も彼の作品です。
どうも彼は印税契約ではなく、一曲ごと出版社に買い叩かれていたらしい。
女房は実家に帰ってしまい、冷たくなって発見されたのはニューヨークの冬の朝。37歳だったとか。
そのとき発見され、死後発行された曲が「夢路より(Beautiful dreamer)」(つ-;)

63 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 22:39:45 O
小倉隆史…よりによって、なぜ彼が怪我をしなければならなかったか…

64 :世界@名無史さん:2005/07/24(日) 22:58:53 O
書いてる人もいるが、なぜその人物が栄光なき悲劇の天才か
簡単に解説してもらえるとこのスレもっと興味深くなるのだが、どうかね。

65 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 09:30:57 0
李膺
後漢の人、政治家・将軍として
数々の功があり、人々の尊敬を受けていた。
この人に認められることを登竜門といい、
御者をするだけでも名誉に思われた。
しかしこのように世の信頼を集めても
宦官の讒言により罪を着せられ獄死させられた。

66 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 11:46:33 0
福田明日香。
ユウキfromEEJUMP。

67 :世界@名無史さん:2005/07/25(月) 11:56:33 O
宮澤賢治

68 :世界@名無史さん:2005/07/26(火) 22:32:52 0
トマス・ニューコメン
ドニ・パパンの真空エンジンが、蒸気の液化による負圧を利用していた
ためにまともに動作せず、それを改良したトマス・セイヴァリもかろうじて
連続動作するエンジンを作ったに過ぎなかったが、逆転の発想で蒸気の
気化による正圧を利用するエンジンを発想し、初めて実用に耐える
蒸気エンジンを完成させた。
実際に、パパンのエンジンは模型でしか動かず、セイヴァリのエンジンも
『実物大の模型』以上の物ではなかったが、ニューコメンのエンジンは
イングランド各地の鉱山で実際に使用された。
そういう意味で、『蒸気機関の発明者』であることに疑問の余地は無い・・・
のだが、このニューコメン機関をジェームズ・ワットが改良して、効率を
飛躍的に増大させたために、世界中のニューコメン機関はワット機関に
瞬く間に置き換えられてしまった。
いまや、蒸気機関はワットが発明した、と思い込んでいる人は多い。

69 :世界@名無史さん:2005/07/27(水) 00:15:56 O
中学の頃の先生が蒸気機関の発明はワットと断言してた…。

70 :世界@名無史さん:2005/07/27(水) 21:28:01 O
芸術家が多いのは当然だけど、
なんかこう、武将とか作戦家の非運の天才っていないかな。

71 :世界@名無史さん:2005/07/27(水) 21:48:44 O
とりあえずロンメルはそうだろう。

72 :世界@名無史さん:2005/07/27(水) 22:52:11 O
>>2
橋本「左」内

73 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 20:22:32 0
チャーリー・パーカー

モダン・ジャズの神様。少年時代から麻薬中毒で、わずか34歳で死亡。
でも麻薬に苦しみながらも、やめようとは全くしなかったらしいし、
死に際も直前までテレビを見て馬鹿笑いしてたらしいから、スレタイにはあわないかも。

74 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 22:29:58 0
エリシャ・グレイ
電話を発明し、勇んで特許を申請に行った・・・
のはアレキサンダー・グラハム・ベルが申請を終えた2時間後であった。


75 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 22:51:37 0
ジェームス・ジェマーソン

天才ベーシスト。黄金期のモータウンを支えただけでなく、ベース・プレイヤーとして
絶大な影響を後世に残す。彼がいなければ現代音楽史は違ったものになっていただろう。
しかし当時はバックバンドのプレイヤーをクレジットする習慣がなく、スティービー・ワンダー
マービン・ゲイといったフロントアクトのような評価を得ることができなかった。
天才ゆえのプライドと評価の低さのギャップからか、自虐的にドラック、アルコールに走り、
70年代半ばからは急速にプレーからその輝きを失い、ボロボロになったあげく83年に没。

「'60年代初め、ボクはウッドベースからエレクトリックベースに持ち替えた。ウッドベース
を弾いている時にはチャールス・ミンガスから一番大きな影響を受けてたけど、エレクトリッ
クベースを始めてからはある人物の演奏を聴くようになった。後になってそれがジェームス・
ジェマーソンその人だと判ったけど、当時は誰も知らなかった」

ジャック・ブルース



76 :世界@名無史さん:2005/07/28(木) 22:59:04 0
本間雅晴
日本陸軍軍人
陸軍中将
比島作戦のバターン半島攻略戦で、与えられた不十分な戦力や
変転する大本営の作戦指導の下で全力を尽くしたにも関わらず、
その指揮が消極的で、かつ大本営や南方軍の意にそまなかった
などと言いがかりをつけられ予備役に編入させられる。
戦後、戦犯容疑で逮捕、マニラの軍事法廷において
「バターン死の行進」の責任を問われて銃殺刑に処せられた。

77 :世界@名無史さん:2005/07/29(金) 23:23:01 O
>>73
チャーリー・パーカーなら「BIRD」って伝記映画がオススメ。
クリント・イーストウッドが監督してる。
結構重いから映画としての評価は別れるかもしれない。
ただ、ジャズに興味があるなら一見の価値はあるだろう。

78 :世界@名無史さん:2005/07/30(土) 23:56:25 0
>74
実際はすさまじい死闘があったらしい。
以後もグレイは発明でかなりの資産を作った模様。
トレビシックやフィッチに比べればましかと。

79 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 00:11:38 O
ジェラルド・マクラレン

ボクシングミドル級史上最強のハードパンチャーとも言われる。確か戦積のほとんどがKO勝ちの上、そのまたほとんどが1RKO。
同じく最強のハードパンチャー、ジュリアン・ジャクソンとの戦いは今でも語り草。同じく天才ロイ・ジョーンズ、ジェームズ・トニーと共にミドル級を支配した。
しかし絶頂期に古豪ナイジェル・ベンとの戦いで、回復不能のダメージを負ってしまう。
序盤、圧倒的に攻めこんだものの、倒しきれず、審判のミスジャッジで何度も頭突きを貰ったあげく、まさかの逆転KO負け。
そのまま病院に運びこまれ、一命はとりとめたものの、視力と聴力を失った上に半身不随…。
本人は何が起こったのか解らず、「暗い…部屋の電気をつけてくれ…」とうめいていたという。

80 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 00:22:19 0
李賀

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%B3%80

81 :\[・ム・ ] ‖苗‖:2005/07/31(日) 01:33:38 O
ドゥーエ将軍
第一次大戦において既に戦略空軍の構想を着想した天才だったが、
周囲から理解されず軍法会議で投獄さる。
ムッソリーニは彼の構想に興味を持ち、空中艦隊に着手するも、
航空技術の伸び悩み、ヴァッレ空軍次官の着服、
バルヴォ空軍大臣の友軍誤射による死亡などのため、
イタリア空軍は三流のままで終わった。


82 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 01:55:18 O
イタリアはそんなのばっかりだな…。

83 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 02:00:59 O
バロン西

84 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 02:50:00 0
ギュスターヴ・モロー
19世紀後半の画家。象徴主義のさきがけとして今では高い評価を受けている。
しかし以前は、国立美術学校教授としてルオーやマティスを育てたことから、
「教育者としては優秀だった」というのが一般的評価だった。

エルンスト・エデュワルト・クンマー
19世紀後半の数学者。ガウスが証明した「2次剰余の相互法則」を拡張した
「高次剰余の相互法則」を得ようとして、数の概念を拡張した(理想数)。
しかし現在ですら、「フェルマー予想を証明しようとして失敗した人」という
誤った評価を受けることが多い。

85 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 02:57:29 O
タイガー・モリこと森寅雄なんてどうよ。

86 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 03:15:48 O
スレずれですが天才の代名詞エジソンて、人格異常レベルに性格悪かったらしい。
有名でした?

87 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 03:47:05 0
テスラが丸いもの嫌いだったんだけど、エジソンは
顔にピンポン玉押し付けたりしてたらしいよ。
「よぉーテスラァァァ、お前丸いものが嫌いなんだってなぁぁぁぁ」
って感じで。

88 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 04:15:29 O

「丸いモノが嫌い」て…
メンヘラー仲間orz
武田鉄也なんかましかな。

89 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 04:25:13 0
メンデル
有名な遺伝の法則を論文にしたが、掲載雑誌がどマイナー
なこともあって、30年くらい誰にも注目されなかった。

90 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 04:29:53 0
鈴木裕

91 :アントーン・V・ヴェーベルン:2005/07/31(日) 10:20:06 O
[1883〜1945]オーストリアの作曲家。
生涯の全作品がLP4枚に収まってしまうという『超省エネ』作品を書き続けた。
師シェーンベルクの米亡命後、新ヴィーン楽派の孤塁を守ったが、
オーストリア併合で失職。長男は戦死。
疎開先の娘の家の前で米軍憲兵に撃たれて死亡。


92 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 10:39:45 O
ジャック・マイヨールとエンヅォ・マイヨルカ

大ヒットしたベッソンの「グラン・ブルー」で有名な二人の天才ダイバーだが、映画の影響が大きすぎた為、実像と随分違って理解されている。
ジャックは素潜りで始めて初めて深度100mに達し、研究の対象にもなり、哲人的な発言で様々な講演もこなしたが、
実際の彼は無類の女好きで、拝金主義者であった事は意外に知られていない。浮気のスキャンダルでメディアと訴訟騒ぎを起こした事もある。
日本にも毎年のように訪れていたが、映画で得たピュアでクリーンな名声をいいことにナンパ三昧だったとか。
弟子の女性(もちろん愛人)を奪われた為、悲観して首釣り自殺した。

93 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 10:50:45 O
一方のエンヅォ・マイヨルカだが、非運の天才の称号が合うのは彼の方だろう。
実際にジャックと親交があったのは事実だが、フランス人監督が徹底してフランス人を主役に据えた為、体のいい脇役のイメージが固定してしまった。
作中ではイタリア人のマザコン気質を揶諭するようなエピソードや、実際はジャックを上回る記録を出しながら、それもジャックの温情で勝利した事にされている描かれ方など、散々な扱いをされている。
一番の誤解は作中で彼が死んだ事になっているため、それをそのまま信じている人が少なくない事だろう。実際の彼は今でも健在である。
協力したのにもかかわらず、凡庸な監督に酷い描かれ方をした映画は「観た事がない」と今でも突っぱねている。

94 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 10:58:10 O
>>93
スマン。死んだんだと思ってたm(__)m

95 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 11:31:28 0
平賀源内が竹とんぼの発明者だったらプロペラの栄光が…
村上水軍スクリューとかあるし無理そうだが。


96 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 14:22:42 0
プロペラの元祖を考案したのはレオナルドダビンチじゃなかったっけか?

97 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 14:37:02 o
村上水軍の描く少女の絵が好きな人って多いよね

98 :蘭太郎 ◆pkn9C32mG2 :2005/07/31(日) 14:52:10 0
春秋時代の呉人で稀有の知恵者要離は呉王闔閭に登用してもらうため、知勇
兼備の勇士慶忌の暗殺を買って出ますが、慶忌を信用させるため妻子を闔閭
に殺してもらい自分も片腕を切り落とすという徹底ぶり。
結局暗殺は成功したもののすぐに後悔し要離は自殺してしまいますが、慶忌
に特に恨みがあるわけでもなし、一体何が要離にそこまでさせたのか、不思
議でなりません。

99 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:23:51 0
>>93
エンツォ・マイヨルカ
ってラテン系シチリア人じゃなくて
ノルマン系シチリア人らしい。
ノルマン人の移動のときシチリアに定着したバイキングの子孫だって

100 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 15:29:17 0
100

101 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 17:32:01 0
>>95
>平賀源内が竹とんぼの発明者だったらプロペラの栄光が…
オイラもそう信じてたんだが、なんか平城京跡から出土しちゃったんだと<竹とんぼ

102 :\(`o'") ガッ!:2005/07/31(日) 17:55:04 O
d〇メ〇b 大川周明
日本が誇る亜細亜主義者!

名著『米英東亞侵略史』は大東亞戦争のバイブルとなった。
…然るに今や世界史の進展は、
東洋の敵たる米英と日本とのあからさまなる戦争となり、
従ってこの新秩序の範囲を、印度にまで拡大し得る形勢となったことは、
我々の欣喜に堪えざる所であります。
大東亞すなわち日本・支那・印度の三国は、
すでに日本の心において一体となっております。
我らの心りに潜むこの三国を、具体化し客観化して一個の秩序たらしめるための戦が、
すなわち大東亞戦であります。
支那民族はやがてその非を覚るであろう。
印度民族はやがて解放されるであろう。
正しき支那と蘇れる印度とが、日本と相結んで東洋の新秩序を実現…

東京裁判を茶番化するために東條英機の頭を叩き
『インディアンズ・コメン・ジー!』と叫んで精神病院に送られたが、
そこでコーランを完全翻訳した。

103 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 21:06:38 O
>>92
俺の知り合いにダイビングのインスラクターの女がいて、彼女が存命の頃に千葉でジャック・マイヨールに会った事がある。
彼女も会う前までは聖人のようにジャックを崇めていたのだが、会ってみての感想を聞くと「ただのエロジジイだった…」と幻滅していたのを思い出した。

104 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 18:04:50 0
風車の羽根はプロペラじゃないのか?

105 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:03:17 O
武将系の栄光なき天才といえば、石田三成なんてそうとは言えないだろうか。

106 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:10:35 0
ああ、関が原の西軍の布陣は軍略的に完璧だそうだね。

問題は人心掌握にあったわけだが。

107 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:18:37 0
そういや、どの国の軍人も
西軍の勝利が当然と思っているらしいね。

どこまでホントかは知らんけど

108 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:26:36 0
西軍の作戦指揮って三成がやってたのかな?
彼は官僚で実戦経験がなかったんじゃなかったっけ?

109 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 20:35:37 0
大谷のアドバイスを受けていたことは否定できない罠。
まあそれも後付の解釈でしかない。
最高責任者がそれを採択したという点でその眼力を認めるべきでしょうな。

110 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 21:04:15 0
三成は自分に実戦経験がないこと、汚れ役をやってきたため人望がないこと
前線での武勇がないことなど、自分の欠点をよく知ってたからね。
だからそれらにおいて一流の人間を見出して、誠心誠意で口説いて味方につけた。
また、彼個人には、本当に世の中や主君を思う至誠があって、人間的魅力もあったようだ。
だから彼に近しい人間はみな運命をともにした。
ああいう結果になったのはやっぱり悲運としかいいようがないなあ。

111 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 21:37:04 0
悲運の武将といえば山中鹿之助なんてのもまさにそうだろうね。

112 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 22:33:21 0
そろそろ日本史から離れようや。
たまに挙がるのはいいんだが。

113 :世界@名無史さん:2005/08/01(月) 22:44:11 0
李陵

前漢の武将。わずか5千の兵で3万の匈奴と激闘を演じ、善戦しつつもついに降伏。
李陵の武勇に感嘆した匈奴の長、単于は李陵に部下になるよう勧めたが李陵はこれを断った。
が、漢の武帝は降伏を裏切りと誤解し、李陵の一族を皆殺しにしてしまう。
このときただ一人李陵を弁護したため、宦官にされたのが司馬遷である。

114 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 00:24:25 O
>>113
李陵といえば、親父だか祖父だかも確か非運の武将だったんじゃなかったっけ?
立派な人物だったが、扱いが悪くて降格させられたりして、抗議の自刃だかしたような。

115 :蘭太郎 ◆pkn9C32mG2 :2005/08/02(火) 01:07:55 0
>>114
李陵は「弓聖」李広の孫です。ただ李広は抗議というより、進軍が遅れてしまった
ために責任を取る形で自害したわけですが。

116 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 17:47:59 O
一族の虐殺を知った李陵はそのまた匈奴の一員になり、
はるかな後年、宋(?)を建国したのは李陵の子孫という話を聞いた事があるけどどうなの?

117 :世界@名無史さん:2005/08/02(火) 18:47:13 0
李姓は「唐」。

118 :世界@名無史さん:2005/08/04(木) 21:36:38 O
ブライアン・ジョーンズ

ローリングストーンズを作ったのは彼だったのだが…。

119 :世界@名無史さん:2005/08/05(金) 23:19:51 O
ジャック・ジョンソン

黒人初のボクシング世界ヘビー級王者。黒人差別が激しかった20世紀初頭、彼が王座に着いた時は大袈裟でなく欧米社会が大騒ぎになった。
大舞台での彼の試合は僅か三戦しかないが、タイトルマッチでの彼の強さは圧倒的かつ悪魔的で、白人への憎しみに満ちていたという。
圧倒的に相手を打ちのめしながら、決してとどめをささず、延々といたぶり続けたらしい。あまりの凄惨さに試合中に警察が介入して前代未聞のポリスストップがかかった事もある。
当時の州法に反して黒人でありながら白人の女性と結婚した為、アメリカから国外追放された。

120 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 14:28:04 O
天才マジシャン、不死身のフーディニなんてどうだ?
彼の不死身を信じたボクサーの青年に殴り殺されてしまったが。
いまわの際に妻に「死後の世界があるなら必ず連絡する」と言い残してこの世を去った。

121 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 18:14:04 0
ジュゼップ・マリア・ジュジョール

ガウディを超える天才。彼なしではガウディの建築は成り立たなかったが、
それゆえに生涯「ガウディの弟子」で終わる。

122 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 18:18:12 0
金子みすゞ

123 :世界@名無史さん:2005/08/07(日) 18:45:57 0
漫画板の過去スレ
http://makimo.to/2ch/salad_comic/974/974806781.html
http://makimo.to/2ch/comic_comic/1010/1010731777.html
http://makimo.to/2ch/comic_rcomic/1015/1015306077.html

124 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 10:26:52 O
滝錬太郎

125 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 12:24:30 0
滝廉太郎  ←ATOK一発

126 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 17:14:12 0
トマス・チャタートン(1752-1770)

悲運の天才詩人。
ゴシック趣味の流行にのり15世紀の修道士がまとめたバラード集と称するものを発表し、
注目されたが、刊行されず、パトロンも付かず、生活苦のため17歳で砒素を呑んで自殺。
後世評価され、人気も高く、ラファエル前派の文学や美術の題材ともなる。
ジョージ・メレディスをモデルに「トマス・チャタートンの死」を描いたヘンリー・ウォレスは
奥さんとモデルが駆け落ちしてしまったが、祟りかもしれない(論拠なし)

127 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 20:04:18 O
グレン・グールド

その演奏が、宇宙船ボイジャーに人類の遺産として搭載される程の天才でありながら、
作曲家としては、ほとんど曲を完成させることができなかった。
そのため、天才的かつ大胆奇抜な解釈で古典の楽曲を再生させていたにもかかわらず、
「自分は本当には何も創造していないのではないか」と相当悩んでいたようだ。
「僕のような人間は、実は誰にも相手にされていないのではないか…」という言葉を残して51歳で孤独のうちに没。

128 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 20:12:59 O
フェデリコ・ガルシア・ロルカ。詩人。劇作家。
その才能にはダリもひれ伏した。1936年スペイン内戦で、ファシスト陣営に暗殺される。

129 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 20:45:03 0
>>127
バッハのチェンバロ曲やオルガン曲をピアノで演奏したLPを持っているが、もう二度と聞く気がしない。
聞きようによっては馬鹿にされているように思える。

グールドの演奏ではないけど、ブランデンブルク協奏曲五番のチェンバロがピアノになったのもある。
演奏はうまい。しかし、しかしである。パロディ演奏を聴いているのではないのだ!

130 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 20:47:23 0
ハンス・フォン・ビューロー:ベルリンフィル初代指揮者
リヒャルト・ヴァーグナーのただ一人の弟子。

ビューローはそもそも大学で法律を学んで弁護士になるつもりだったが、
ヴァーグナーにあこがれて音楽の道を志す。ヴァーグナーの弟子として、
師のオペラ作曲の助手を務める。
ヴァーグナーはピアノで音調を確かめながら作曲するスタイルだったため、
あの「マイスタージンガー」はビューローの助けがないと事実上作曲できなかった。

後にフランツ・リストの娘コージマと結婚。ところが妻がヴァーグナーと浮気して
しまい、バイエルン中を巻き込んだ大騒ぎとなる。そのため、意に反して
ブラームス派にリストアップされてしまい、師のヴァーグナーとも絶縁。

19世紀末、いまでこそ世界の名門オケとなっているが、当時はまだ創立された
ばかりの新しいオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニーの初代指揮者となる。
当時の音楽の中心だった南ドイツ(バイエルン・オーストリア)から離れて、
まだまだ新興二流のオーケストラの指揮者になり(名門オケといわれるように
なるのは、第三代指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー以降のこと)、
再婚もせず、生涯独身で過ごした。

ヴァーグナーにその才能を認められて弟子となり、フランツ・リストにも
娘との結婚を許されるほどの才能がありながら、師と妻とに裏切られ、
失意のまま北ドイツ(芸術不毛の地)の二流オケの指揮者として生涯をおくった。

131 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 20:49:34 0
小島に島流し・・・

132 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 22:04:35 O
>>127
グールドといえばコンサートは一切やらないとか、夏でもコートを手離さないとか、
いつも手袋をして、演奏の時もお湯で手を暖めてたとか
天才ならではの奇行癖が有名だよね。演奏は天才だったが、確かに彼の書いた曲にはロクな物がないらしい。

133 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 22:32:03 O
なんというか、才能があっても認められなかったり、病気になったり暗殺されたりと
大変な人がたくさんいるもんですなあ…。

134 :(〇m〇)(^■^ ラ [・ム・ ]:2005/08/08(月) 23:17:55 O
ピェール・ラヴァル
ジャック・ドォリオ
クヴィスリング

オズワルド・モーズレー

ウィリアム・ジョイス(ロード・ホーホー)

ミルドレッド・ギラー(枢軸サリー)

ジョン・アメリー

エズラ・パウンド

アンドレ・ウラソフ
ラス・ビハリ・ボース

スバス・チャンドラ・ボース

陳公博

周仏海

アウン・サン

クォン・デ公

嗚呼我が戦友よ…(TmT)(T■T ラ [TムT ]

135 :世界@名無史さん:2005/08/08(月) 23:32:36 0
ちょっと寄ったんですけどすごくむずかしいですね

136 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 00:01:27 O
>>126
17歳で詩集を刊行しようとしたあげく、生活苦で自殺とは…カワイソス。

137 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 00:03:33 0
古代ギリシャの詩人サッフォー

世界最初の女流詩人。その詩が同性愛的だといわれ、ほとんど破棄され
現代に残るものは2〜3編の詩と、いくつかの断片のみ。19世紀になって再評価。
死後2500年後に再評価……長杉!ある意味コイツが最強かもしれんw

138 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 12:20:15 O
たこ八郎

元ボクシング東洋太平洋チャンピオン。あだ名のタコは、そのすさまじいラッシュ戦法(本当にすごい)で「手が八本に見える」ところからついた。
引退後、パンチドランカー症状に苦しんだが、それを逆手に取ったボケキャラで芸能界でも活躍。
本当は正気だったという説もある。泥酔したまま海に飛び込み、心臓発作で死亡。あだ名通りたこは海へ帰っていった。

139 :ロートレアモン伯爵:2005/08/09(火) 12:53:22 O
本名イジドール・デュカス。南米ウルグアイに生まれパリに留学。
ロートレアモン伯爵の筆名で散文詩集『マルドロールの歌』を発表。
この作品は、二十世紀シュールレアリズム芸術の先駆として評されるも、
本人はそのことを知る由もなく、パリコミューンのバリケード内で病死。
享年24歳。

140 :オットー・ヴァイニンガー:2005/08/09(火) 13:20:00 O
ユダヤ系オーストリア人だがユダヤの血を嫌い、
名著『性と性格』を発表してセンセーションを巻き起こし、
その後まもなく自殺。享年23歳。

特に(^■^ ラ には、大きな影響を与えた。

『国家の真の概念はユダヤ人に対して縁無きものである、
何故ならばユダヤ人は女と等しく人格において欠如しているからである。
彼が間の社会の概念を把握し得ないのは、彼が自由な叡智的自我を欠くところに基因する。
ユダヤ人は女と等しく互いに執着せんとする傾向を持つが、決して、
個性を相互に尊敬する自由な独立的個人として結合しない』

☆2ちゃんねらー諸君に推薦するよ!d(^-^)

141 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 20:15:54 O
金城哲夫

初期ウルトラマンシリーズの脚本家。彼がいなかったらウルトラマンは昭和を象徴するようなシリーズにはなれなかったであろう。
太平洋戦争の沖縄戦の経験者で、ウルトラマンの市街戦など、その影響が出ていたのかもしれない。
円谷プロを退社したのち沖縄に帰ったが、そこでの生活に馴染めず、ストレスからアル中になり、ある日自宅二階から転落死した。享年37歳。

142 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 20:20:46 0
2階から転落死.....よほど打ち所が悪かったのだろうな。


143 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:42:54 0
宮崎繁三郎。局地戦では部類の強さを発揮した日本陸軍の名将。



戦後は骨董屋の親父(涙

144 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 21:43:32 0
打ち間違った・・・無類な。

145 :ショーナ・グラント:2005/08/09(火) 23:17:55 O
[1963〜1982]
本名コリーン・アップルゲート。
アメリカのポルノ女優

正統派ブロンドの美貌となかなげな哀愁を武器に、
世界のお父さん方を悩殺!
メジャー映画進出も噂されたが、
猟銃で頭部を打ち抜く謎の自殺を遂げた。
享年19歳。


146 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 23:34:28 O
このスレ面白いなw
意外な天才がいるもんだ。

147 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 23:41:12 O
個人的には>>1のガロアとモディリアーニがまさに「栄光なき天才」の典型という気がする。

148 :世界@名無史さん:2005/08/09(火) 23:44:54 0
ビューローは栄光ありすぎでは?

とりあえずマイスター・エックハルト
コレも生前の地位が高すぎるか・・・

149 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 00:29:27 O
パーネル“スウィートピー”ウィテカー

海外ボクシングファンなら説明は不要であろう。
「撃たれずに撃つ」という近代ボクシングの、いや格闘技の「攻防一体」の一つ到達点とも言える天才。
90年代の全盛期はどんな強豪やスターも彼を打ちのめす事は決してできなかった。
にも関わらず彼の評判が悪かったのは、皮肉まじりに「ディフェンスマスター」とか「ゲームの達人」とか呼ばれる彼の消極的なスタイルのせい。
ハードパンチャーでありながら決してKOを狙わず、当てるだけのパンチで12Rのうちの過半数のポイントを拾って常に判定勝ちを収める。
彼の神業的なディフェンスで、相手はほとんどパンチを当てる事はできない。徹底した「撃たれなければ負けない」スタイルだった。(見栄えは最悪)
それゆえ毎回毎回退屈なフルラウンドに付き合わされた観客と評論家は、彼がどれほど勝ち星を重ね、強豪を撃破しても「最強」の称号を与えようとしなかった。
本人は最高のボクサーの評価を心から渇望して戦い続けたが、勝てば勝つほどにファンから嫌われ、結局年齢には勝てず生涯初のKO負けの後に引退。

150 :サントス・デュモン:2005/08/10(水) 01:18:36 O
航空黎明期の飛行家。
ブラジルでコーヒー農園を経営して巨万の富を築き、
フランスに渡り飛行機製作に没頭。
先尾翼式の画期的な機体でドーヴァー海峡を横断して注目さるも資産を食い潰し、
また、第一次大戦で飛行機が兵器として使用されるようになったことに失望して自殺。

151 :スコット・ジョップリン:2005/08/10(水) 01:57:51 O
スコット・ジョップリン
[1867〜1916]二十世紀初頭の天才黒人音楽家。
『ジ・エンターテナー』『エリート・シンコペーション』『ベッシーナ』等、
今日でもよく聞かれるラグタイムの名曲を数多く作曲するも、
黒人ゆえに不当な扱いを受けた。

関係ないが、夏目漱石とほぼ同時代を生きた。

152 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:03:47 0
>>149
それは確かに、叩かれて当然だな。
ルールの穴をついて、ハメ技で勝っているに等しい。
柔道で、最初から引き分け狙いが見え見えの奴みたいだ。

勿論、それが出来るのも才能なんだろうがね。

153 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 02:17:22 0
>>143
宮崎はノモンハンとインパールを生き抜き、しかも一度も
負けたことがなかった。

154 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 06:17:04 O
>>149
ウィテカーは確か4階級を制覇した怪物王者で、不人気だったけど一部マニアには評価は高った。
評論家にも「嫌だけど全階級を通じて指折りのタレント」と目されていた。
何しろ誰も彼に勝てなかったから。確かに動態視力やディフェンスは超人的だったな。

155 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 08:15:58 0
所郁太郎
井上聞太が佐幕派に襲われ、全身を切りつけられ
人事不肖となり、西洋人医師も匙を投げ、自身も
実兄に殺してくれと頼む状況で、偶然居合わせた
所郁太郎が縫合手術を施し命を救う。郁太郎自身は
その数ヵ月後、流行病で急逝する。

156 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 08:42:22 0
今中慎二 

こんな投手は二度とお目にかかれません。

157 :アルバン・ベルク:2005/08/10(水) 08:46:34 O
アルバン・ベルク[1885〜1935]
アーノルド・シェーンベルクに個人教授を受けた以外は独学で大成した
>91とならぶ『新ヴィーン楽派』の作曲家。
少年時代、女中との間に一女をもうけるも消息は不明。
妻ヘレーネは皇帝フランツ・ヨーゼフの落種説があるも、夫妻に子はなかった。
彼の名を冠した『ヴィーン アルバン・ベルク弦楽四重奏団』で近年知られるようになった。

竹久夢二[1884〜1934]とは会ったことはないが、ほぼ同時代を生きた。

158 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 08:59:01 0
いやいやいやいや、新ウィーン楽派3巨匠の1人ですね>>157
栄光無きなんて、そんな。

159 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 10:15:52 O
リッチー・ジェームス

イギリスの国民的ロックバンド、マニック・ストリート・プリーチャーズのギタリスト。
幼馴染み達とともにバンドを始め、ギターと作詞を担当した。ロックバンドの歌詞とは思えぬ「西洋文明の罪業と苦悩」をテーマにした文学的かつ衝撃的歌詞は一部で高評価を受けた。
バロウズや三島や谷崎を愛する彼は、バンドのリーダーであり精神的な核でもあったが、「ギタリストなのにギターが弾けない」など音楽面で全く無能なため、バンドプレーヤーとしては酷評される。(ちなみに初期の彼のギターはアンプにつながっていなかった)
楽器の弾ける仲間達に対しても引け目があったようで、バンドが有名になればなる程ステージで恥を晒さなければならないというストレスと、メディア対応のプレッシャー、商業的なノルマを達成できない創作上の悩みもあって、
度々自損行為や暴飲暴食に走り、とうとう神経症からくる拒食症を患い精神病院に入院。
退院後も精神は不安定で、ツアー中に突然「I LOVE YOU」と書き置きを残して失踪。自殺の名所である河のほとりで彼の車が見つかるが、死体はあがらず現在でも行方不明のままである。
精神的なリーダーを失い、途方に暮れたバンドだったが、そこからポップ路線に転向し、皮肉な事に彼がいなくなってから突然全英No.1に輝いてしまい、それまでの中堅からイギリスを代表するバンドに登りつめてしまうのだった。
(ちなみに現在彼らの曲が日本のCMに流れている)

160 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 10:57:25 O
田中英光
『オリンポスの果実』『酔いどれ船』等の小説で知られる作家。
日本統治下の朝鮮で文芸活動を進めるも敗戦で挫折。
師と仰ぐ太宰治の死後情緒不安定となり、墓前で自殺。
享年34歳。

161 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 11:14:29 O
メイエルホリド

ソビエト・ロシアの画期的な舞台演出家。
岡田よし子、杉本良吉の亡命のトバッチリを受け、
日本軍のスパイ容疑により銃殺。


162 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 12:53:49 0
歴史上の大発見には必ず同時に並行して行ってた人がいる。

ニュートンの微積分にはライプニッツ(これはある意味ニュートン以上の天才だから栄光無きとはいえない)
アインシュタインの相対性理論にはポアンカレ(コレもアインシュタイン以上の大物だから栄光無きとはいえない)
ゲーデルの不完全性定理にはタルスキ(コレも数学・分析哲学ではポーラント学派の巨人だから栄光無きとはいえないかも)
ダーウィンの進化論にはウォーレス(コレは栄光無き天才の典型だな うん)


163 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 13:17:08 0
亀井さん

164 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 13:42:10 O
>>162
自然淘汰って言葉はダーウィンじゃなくてウォーレスの言葉らしいね。

165 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 14:17:46 0
知里幸恵(1903-1922)

アイヌのユーカラクル(叙事詩人)の家系に生まれ、金田一京助のユーカラ研究
に祖母や伯母とともに協力した。
女学校卒業後、『アイヌ神謡集』を編纂し、出版のために上京。持病の心臓病が
悪化して19歳で急死した。

166 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 15:11:03 0
>>160
田中光二の父親ですね。確かにあまり知られてない。

>>162
一般相対性理論についてはヒルベルトの論文も有名。提出が
アインシュタイン論文の五日後だとか。ヒルベルトもポアン
カレ同様に数学史上の巨人だから、栄光云々は関係ないけど。
そう言えば数学基礎論についてのヒルベルトとポアンカレの
論争がやがてゲーデル等の仕事を産みだすことになった。

>>165
『アイヌ神謡集』の序文には胸を打つものがある。

167 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 21:05:47 O
ケン・ノートン

ボクシングWBC第七代ヘビー級王者。怪力パンチャーとして名を馳せ、1973年にあのモハメッド・アリの顎を砕き、ノンタイトル試合ながら黒星をなすりつけるという歴史的大番狂わせを成し遂げ、一躍世界のトップに躍りでる。
その後のアリとのリターンマッチでは僅差判定で惜しくも敗れるが、「アリと互角に戦う男」という評価はむしろ確かなものになった。
78年にトップコンテンダーに登りつめ、王者レオン・スピンクスに挑戦するがなんと王者がこれを拒否。
WBCは1位挑戦者から逃げ回るスピンクスから王座を剥奪し、タイトルマッチを行わないままノートンを新王者に認定するが、この事で彼は「ペーパーチャンプ」と陰口を叩かれる事になってしまう。
その後ノートンは実力を証明してやろうと意気込んで初防衛戦に望むものの、不運にもその相手が後に超長期政権を築いてヘビー級に君臨するラリー・ホームズだった。
試合はお互い持てる力を全て出し尽くしながら一進一退する死闘となる。ホームズは後にこの試合を「生涯のベストマッチ」と語り、現在でもファンの間ではこの試合を歴史に残るベストファイトとして挙げる人が少なくないが、結果は無情にも2-1の僅差判定でノートンの敗北。
この試合で王座を失ったノートンは燃え尽きたのか、その後はパッとせず、再挑戦のチャンスも周ってこないまま81年にひっそりと引退。
アリとホームズという、歴史に残る名王者達に匹敵する力を持ち、互角の激闘を繰り広げながらも、彼には「世界戦で一度も勝てずに終わった世界王者」という不名誉な評価だけが残った。

168 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 21:22:01 O
ケン・ノートン

ボクシングWBC第七代ヘビー級王者。怪力パンチャーとして名を馳せ、1973年にあのモハメッド・アリの顎を砕き、ノンタイトル試合ながら黒星をなすりつけるという歴史的大番狂わせを成し遂げ、一躍世界のトップに躍りでる。
その後のアリとのリターンマッチでは僅差判定で惜しくも敗れるが、「アリと互角に戦う男」という評価はむしろ確かなものになった。
78年にトップコンテンダーに登りつめ、王者レオン・スピンクスに挑戦するがなんと王者がこれを拒否。
WBCは1位挑戦者から逃げ回るスピンクスから王座を剥奪し、タイトルマッチを行わないままノートンを新王者に認定するが、この事で彼は「ペーパーチャンプ」と陰口を叩かれる事になってしまう。
その後ノートンは実力を証明してやろうと意気込んで初防衛戦に望むものの、不運にもその相手が後に超長期政権を築いてヘビー級に君臨するラリー・ホームズだった。
試合はお互い持てる力を全て出し尽くしながら一進一退する死闘となる。ホームズは後にこの試合を「生涯のベストマッチ」と語り、現在でもファンの間ではこの試合を歴史に残るベストファイトとして挙げる人が少なくないが、結果は無情にも2-1の僅差判定でノートンの敗

169 :167:2005/08/10(水) 21:29:41 0
自分が二重カキコしたわけじゃないんだが…?

170 :世界@名無史さん:2005/08/10(水) 22:50:08 0
ジネット・ヌヴー

伝説的な女流ヴァイオリニスト。10代に満たない頃から既に公開演奏会を行い、名だたる名教師たちも彼女の才能には驚かされた。
16歳でヴィエニアフスキコンクールに出場し優勝。2次大戦が勃発するまでには既にヨーロッパ全土で熱狂的な支持を受けていた。
流派にとらわれない奔放なスタイルの奏者で、弓をハイフェッツのように持ったり、ティボーのように持ったりとちょくちょく持ち替えていた。
観客はびっくりしたが、彼女にしてみれば必要な時に必要な持ち方をしただけのことだったようだ。戦後、演奏活動に復帰したが、
1949年、アメリカに向かう飛行機が墜落し愛器ストラディヴァリとともに海に散った。享年30歳。



171 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 17:14:21 O
FCスタート

ナチスドイツ占領下のキエフで結成された悲劇のサッカーチーム。
戦争中兵士として戦っていたディナモ・キエフとそのライバルチームの敗残兵メンバーで結成されていた。
ハンガリーなどとの親善試合で勝利し、占領に苦しむウクライナの人々の英雄となり、勢いに乗ってドイツ空軍チームをも破ってしまうが、それはアーリア人の優秀性を信棒していたナチスドイツには許しがたい事だった。
ドイツ空軍チームとの再戦でドイツ側はSSの審判を用意し、試合前に「ハイル・ヒトラー」の敬礼を強要するがFCスタートのメンバーはこれを拒否。
ハーフタイムにもドイツ側の脅迫をうけるがこれも拒否。結果的に5-3でドイツ空軍チームにまたしても完勝してしまう。
試合後、メンバーはSSに逮捕され、収容所に送られて拷問の末に多くが殺された。

172 :\(@▲@ーb ライヒスフューラー∬:2005/08/11(木) 17:35:42 O
総統は、お怒りだゾ!


【卍】 ≦予 ̄>
  G\(^■^ ラ Gegen Dummheit gibt es keine Arznei!
   \ <!>+\




173 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 17:59:32 O
ジョージ・リーヴス

白黒テレビ時代の初代スーパーマンを演じた俳優。
テレビシリーズの終了後、スーパーマンのイメージから脱け出せないことに苦悩し、1959年、銃で頭を撃ち抜いて自殺した。
ただし、他殺説もある。

174 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 18:59:47 0
ノルベルト・ブルクミュラー(1810-1836)

デュッセルドルフ市音楽監督の次男として生まれ、幼少から音楽の才能を現した。
メンデルスゾーンやシューマンとも親しかったが、交響曲第2番を作曲中に26歳で急死。
大成することなく終わった。メンデルスゾーンの「葬送行進曲」は彼の死を悼んで
作曲された作品。
兄のヨハン・フリートリッヒ・フランツ・ブルクミュラーは青年時にパリに移住し、
作曲家、ピアノ教師として生活。子供用のピアノ教則本「ブルグミュラー25番」
「ブルグミュラー18番」は現代でも不可欠の教材とされている。

どちらが幸せだったかはわからない






175 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 19:17:59 O
エゴン・シーレ[1890〜1918]

二十世紀オーストリアの、今では代表的な画家。
1909年、ヴィーン美術アカデミーを第3学年修了とともに中途退学。

この前年と前前年にアカデミーを受験して不合格になったのが【卍】\(^■^ ラ である。
彼がシーレに頽廃芸術の烙印を押したか否かは不明である。
(頽廃美術展のパンフレットにシーレの作品らしい絵が掲載されているが―)

ヴィリー・ワイルダー監督が彼の作品の愛好家で、それらとともにアメリカに亡命した。



176 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 19:55:40 0
>>175
>ヴィリー・ワイルダー
ビリー・ワイルダーとは別人?

ジャクリーヌ・デュ・プレは「栄光なき天才」に入れてもいいのかな。
演奏の出来まではよう知らんのだが。

そうそう、「栄光なき天才たち」にはウェルナー・フォン・ブラウンやマリリン・モンローまで登場してたね。

177 :世界@名無史さん:2005/08/11(木) 21:44:41 O
黒沢俊夫

プロ野球選手。戦時中や戦後まもない選手不足の頃ではあるが、巨人軍の四番を担った。ホームスチールの名手で歴代二位の記録を持っている。
1946年、試合中に腸チフスを発症し、そのままシーズン中に急死。
享年33歳。彼の背番号4は永久欠番となった。

178 :MR.MACK:2005/08/11(木) 22:25:37 O
MR.MACK

残念ながらCDにはMACKしか書かれていないが、
ザ・シフォンズが、1963年にビルボードにチャートインさせた
『He’s so fine』(邦題・イカシタ彼)の作曲者。
この曲がヒットする前に死亡していた。
しかし、これだけで終わったわけではない。
1970年に何と元ビートルズのジョージ・ハリスンこが、
この曲のメロディをパクった『マイ・スウィート・ロード』を発表。
盗作疑惑で大問題になったのである。

スッタモンダの末、ハリスンの謝罪で解決。
元歌を歌ったシフォンズは『マイ・スウィート・ロード』も録音した。

おしまい

179 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 00:40:59 O
スレタイからして当然なのだが、泣ける話が多い(つ_;)

180 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 02:12:01 0
音楽詳しい人がいるみたいだね

アルトゥール・シュナーベルはどうなの?
戦前世界五大ピアニストに入れられてたけど(それもホロヴィッツの次ぐらいの格)今の日本ではだれもしらんぽ。

メンゲルベルグも戦前の世界4大指揮者の中では唯一戦後にレコードがない。
ヒムラーかなんかの友人で大戦後は演奏活動を禁じられ、そのまま死去。
フルベン、トスカニーニ、ワルターは戦後の優れた録音で解釈のはっきり分るレコード残してるのに。
現在の我々がこの大指揮者の芸風を味わおうとすると、SPのマタイとか悲愴を聞くしかない。
人類文化にとって不幸・・・

181 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 04:25:13 0
邦人音楽家ならコイツかな。

貴志康一(バイオリニスト、指揮者、作曲家)
1909年(明治42)大阪吹田市出身、幼少時よりバイオリニストの才能を見せ
ジュネーヴ音楽院からベルリン高等音楽院に学びフルトベングラー、パウル・ヒンデミットらと交流し、
指揮、作曲に転身。1934年(昭和9年)ベルリンフィルを指揮し自作を初演、後にレコード録音。
帰国後、新交響楽団を指揮しケンプと協演。1937年(昭和12年)、28才で夭折。
湯川秀樹のノーベル賞受賞式で彼作曲のバイオリン曲が演奏されたりしたが、日独の戦中戦後の
混乱で長らく「幻の音楽家」だった。1980年代以降、発掘、研究が進み再評価。
詳しく知りたい人は『貴志康一のホームページ』↓
ttp://www.konan.ed.jp/art/kishi/html/home.html

182 :\(@▲@ーb ライヒスフューラー∬:2005/08/12(金) 09:03:10 O
総統は、お喜びであらせられるゾ!



【卍】 ≦予 ̄>
  G\(^■^ ラ Wen die Go"tter lieben,der stirbt jung.
   \ <!>+\


【神々に愛されし者は若くして死す】



183 :イタリアのアマデウス:2005/08/12(金) 09:40:04 O
ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ
[1710〜1736]

イタリア・ナポリ楽派不滅の作曲家。
わずか五年余りの期間に『奥様になった女中』『スターバト・マーテル』等の
名曲を残し、26歳で死去。


184 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 09:57:30 0
渡辺茂夫(1941−1999)

ヴァイオリニスト、作曲家。幼少より音楽教育をうけ、7歳で初リサイタル。
小学6年生でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の公演をおこない「神童」
と呼ばれた。14歳のときハイフェッツに見出され、ジュリアード音楽院の
奨学生として渡米した。このころすでにソナタやオペラの作曲も行っていた。
ジュリアード音楽院に入学した後、大家の指導を受けたが、徐々に情緒不安定
となり、57年、睡眠薬を飲み過ぎて意識不明となり、脳に障害が残った。16歳。
58歳で無くなるまで32年間、言葉を解するほどに回復することはなかった。

185 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 10:04:21 O
ラリー・ホームズ

第8代WBCヘビー級王者。元モハメッド・アリのスパーリング・パートナーで、言わばアリの愛弟子。
>>167のケン・ノートンから死闘の末に王座を奪い、安定政権を築いてヘビー級に君臨するも、実績から考えると不条理なくらい不人気な王者だった。
ヘビー級離れしたスピードのジャブとフットワークの持ち主で、そのファイトスタイルは師匠のアリによく似ていたが、それ故に「アリの劣化コピー」というレッテルを貼られてしまう。
また、アリをリスペクトしていたホームズは自分がアリから学んだ事を否定しなかった。そういう生真面目で素朴な彼の性格が、アリのような破天慌な性格を愛する事に慣れたメディアと大衆には、退屈に映ってしまったようだ。
また、アリと違って彼はライバルに恵まれなかった。実力の劣る相手を次々と倒して防衛を重ねるが、それでも一向に人気は上がらない。
悲劇的なのは8度目の防衛戦でついに師匠のアリ自身が彼の前に立ちはだかってしまった事だ。すでにロートルで、気まぐれでカムバックしたに過ぎない師匠を打ちのめした事で、ホームズの悪役のイメージは決定的なものになってしまう。
引退後、アリがダメージの後遺症でパーキンソン病を患ってしまった原因をこの試合のせいにする者さえいる。
その後も彼は王座に君臨し続け、通算20度もタイトルを防衛するが、ファンから愛されることはついになく「誰も愛してくれなくたっていい、家族が俺を愛してくれればそれでいいんだ」という言葉を残して引退。
その後再起してタイソンと対戦したり、フォアマンとの対戦が噂されたりもしたが、それは付け足しにすぎない。
現在ではペンシルベニアの寂れた田舎街でラリー・ホームズ・ドライブなる会社の社長として家族と静かに暮らしている。

186 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 10:04:59 0
>>183
ストラヴィンスキーが発掘して新古典派時代の作曲「プルチネルラ」の元ネタに使ってますね

187 :海軍少尉・杉田庄一:2005/08/12(金) 10:43:45 O
海軍少尉・杉田庄一(新潟生1924〜鹿屋没1945)
映画『零戦燃ゆ』の主人公のモデルとなった伝説のエース・パイロット。
ミッドウェー海戦が初陣だが、この時の戦果はなかった。
昭和17年12月1日、ブイン上空でB‐17を体当たりで撃墜。
翌年4月、山本聯合艦隊司令長官護衛の一員として
米P‐38を2機撃墜するも、長官戦死は痛恨事となる。
以後マリアナ、カロリン、フィリピンの最前線で敢闘。
昭和20年、新鋭戦闘機・紫電改に乗換え本土防空、沖縄決戦に参加。
4月15日、鹿屋基地から離陸中に敵機の攻撃を受け戦死。享年20歳。

個人撃墜70機。共同撃墜30機が認定されている。

188 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 11:14:25 0
ルース・スレンチェンカワ(1925−)

4歳でリサイタルを開き、5歳でカーティス音楽院に入学。
6歳の時、ベルリンでヨーロッパ・デビューをし、9歳の時ニューヨークでデビュー。
9歳の時、急病のラフマニノフの代役を務めコンサートを大成功させる。
14歳から父に反抗してステージに上がることを拒否。19歳で家出し心理学を学ぶ。

とかいたら、昨年78歳でおこなった日本デビューコンサートが大成功だそうです。
不遇の天才じゃなくなるらしい。

189 :( ´・ω・) …カワイソス:2005/08/12(金) 11:15:52 O
岡井真(1961〜1982)
不運なジャズ・ギタリスト。
バークレー音楽院でジャズを学び、優秀な成績で卒業。
帰国を目前にして樺太上空で、ソ連空軍機の攻撃により、
大韓航空機ジャンボ007便もろとも墜落死。



190 :188:2005/08/12(金) 11:16:11 0
書き忘れていました。ルース・スレンチェンカワはピアニストです。

191 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 11:39:08 O
ちょっと覗いてみたんだが、読みごたえあるスレですね。NHKの特番みたい。

192 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 11:45:11 O
>>184
渡辺茂夫!彼がアメリカに渡ったのは戦後間もない頃で
日本人という事で差別もされてたようだね。神童とはいえローティーンの少年には辛かっただろう…。
すでに自分のスタイルを確立していた彼はジュリアードの教育にも合わなかったらしいね。
大成していたら、どれ程の演奏家になっていた事か…。

193 :荒木幸雄:2005/08/12(金) 13:20:38 O
荒木幸雄(1928〜1945)

はにかんだ表情で子犬を抱いている写真でよく知られている
陸軍特別攻撃第七二振武隊所属の陸軍伍長。
昭和20年5月27日、沖縄近海において特攻戦死。

【戦死十日前の日記より】
五月十七日
天気快晴。絶好の出発日和なり。
待ちに待っていた門出である。
一二時二○分約一○カ月御世話になりし懐かしの平壤を出発、
決戦続く沖縄へ、沖縄へと発進す。必ずやる。一撃轟沈の外なし。
一五時頃再び内地の地に着陸。殊に大刀洗時代の目達原飛行場に到着す。
老若男女の敢闘ぶりを見るとやはり日本人の尊さがうかがわれる。
銃後の期待に添わん大戦果を挙ぐ。


▼・Å・▼∩

194 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 15:03:29 O
ブッチ・キャシディ[1866〜1908]

西部アメリカにおける最後のアウトローと言われる。速撃ち名人のサンダンス・キッドと供に強盗団を結成し、鉄道強盗や銀行強盗を繰り返した。
ボリビアに高飛びしたが、隠れ家を包囲されて射殺された。
その破滅的な生涯は「明日に向かって撃て!」というタイトルで映画化されている。

195 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 15:50:38 O
ねごぢる

196 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 18:02:09 O
イサドラ・ダンカン[1877〜1927]

モダンダンスの創始者とも言える舞踏家。サンフランシスコの名家に産まれるが、産まれてすぐに彼女の両親は離婚。
幼い頃から舞踏の才能を表し、「ダンスに目覚めたのは母の子宮にいた頃ね」ともうそぶいていた。
ダンス教室を開いて生計を立てていたが、20歳の時に教室のあったビルが火事で焼け、無一文になってしまう。
その後生徒の父母からの援助でイギリスに渡り欧州を舞台に自らの舞踏を追求した。「最高の舞踏は自然の中にこそある」と提唱し、自由なスタイルの舞踏を目指した。
イサドラはヌードに近いエロティックな衣装で妖精のように素足で舞い「裸足のイサドラ」と呼ばれて彼女の舞台は大人気となった。
また彼女は奔放な男性遍歴でも知られていた。25歳まで処女だったというが、性の快楽に目覚めると貪欲にそれを求め、ロンドンの富豪やフランスの彫刻家など、舞踏同様に華麗な自由恋愛を繰り広げてもいる。
富豪との間に作った私生児二人が事故で溺死してしまったり、三人目の子供も死産するなど、様々な悲劇にも見舞われるが、タフな彼女はその度に新しい男を見つけて立ち直った。
ヨーロッパはパリ、ベルリン、ロシアへと渡り、ロシアで年下のロシア詩人と結婚。モスクワでダンスの学校を設立し、後世に大きな影響を与えた。
その後ロシア人の夫を伴いアメリカに帰国するが、舞台で共産主義の象徴の赤いハンカチを振るなどした為批判に晒されてしまう。しかし彼女はめげずに颯爽とスポーツカーを走らせる。
「さようなら、また会いましょう。私には永遠の栄光が…」
そう言いかけて見守るファンに手を振った直後、首に巻いた彼女のトレードマークの赤く長いスカーフが車の後輪に巻き込まれ、彼女の首を折った。享年50歳。

197 :( ´・ω・) …カワイソス:2005/08/12(金) 19:29:33 O
オーブリー・ビアズレー[1872〜1898]
イギリス十九世紀末の挿絵画家
オスカー・ワイルド作の戯曲『サロメ』の挿絵で一躍有名となるも、
肺結核を病み、肉体的衰弱と有り余る性欲に苦悶し、
南仏マントンで死去。享年25歳。

198 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 20:46:57 0
アンリ・フィリップ・ペタン(1856 - 1951)

フランスの軍人。第1次大戦での司令官でヴェルダンの英雄として武名を轟かした。
マジノ線建設の提唱者でもある。1940年にフランスがナチスドイツに降伏すると、
ヴィシー政権の議会から首相に任命される。
ナチスドイツと手を組んで枢軸側につくこと、フランスのユダヤ人を収容所に送ることなどには反対していたが、
戦後「ファシスト政権に協力した」として、連合軍の裁判によって死刑宣告されてしまう。
ドゴールの取り計らいで終身刑に減刑されるが、南仏のユー島に島流しにされ1951年にそこで生涯を終えた。

199 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 20:49:14 0
>>196 >>197
まってまって。その世界では無視できない超有名人じゃない。
>>198
アンタはべつ。

200 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 21:41:12 0
ロバート・ファルコン・スコット(1868 - 1912)

人類初の南極点到達を目指すが、到達したのはノルウェーのアムンゼン隊のはるか後だった。
しかも帰路に遭難し、スコット隊の全員が死亡した。

201 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 22:39:39 0
福永洋一 騎手

1968年デビュー。1970年から1978年まで9年連続JRAのリーディングジョッキーと
栄光ありまくりだが、79年落馬事故により脊髄損傷で引退。

引退後テレビでほんの少し出ていたのを見たが、車椅子に乗って体の自由が
ほとんどきかず言葉もろれつが回らない状態なのは痛々しすぎた。

202 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 22:50:32 0
高橋徹 レーサー

1983年日本F2GPに彗星のごとく現れ、中嶋、星野と名勝負を繰り広げた。
その年の最終戦富士スピードウェイで事故死。享年23歳。

本当の意味でF1ワールドチャンピオンに挑戦できたであろうと評価される
唯一の日本人レーサー。

203 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 23:11:19 0
大雅アキラ

ボクシングジュニアバンタム級日本ランク2位。サウスポーのテクニシャン。
1位の松倉義明との王座決定戦で死闘を演じるが、7R松倉のハードパンチの前についにダウン。
立ち上がってファイティングポーズをとったがすでにこの時意識がなく
続行をかけられたと同時に崩れ落ち、留めのパンチをテンプルにもらってしまう。
そのまま二度と目覚めることなくこの世を去った。
婚約者がいて、タイトルを獲って結婚をする予定だったという。享年21歳。

204 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 11:03:39 O
マーヴィン・ゲイ

70年代に活躍した革命的ソウル歌手。「What's going on」など名曲多数。
実の父親に撃ち殺される。墓の場所は未だに伏せられている。

205 :[ー■3■) ソウル・ブラザーズ!:2005/08/13(土) 13:39:54 O
[ー■3■) ソウル・ブラザーズ!「悲しい噂」遺影ッ!

サム・クック「センド・ミー」
モーテルに少女を連れ込んでレイープしようとして、女主人から射殺さる。

オーティス・レディング「ドック・オブ・ザ・ベイ」
自家用飛行機で冷たい湖に墜落してあぼーん!

ジミ・ヘンドリックス「パープル・ヘイズ」
寝ゲロが気管に詰まって窒息死!

ボブ・マーリー「アイ・ショット・ザ・シェリフ」
癌の痛み止めとして大麻を乱用?どっちみち助からん!

206 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 14:23:35 O
>>205
サム・クックってそんな変態だったん?ショックや…。

207 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 17:00:12 O
フロイド・パターソン

史上最も小さいボクシングヘビー級世界王者。1952年、ヘルシンキ五輪でミドル級の金メダルを獲得し、プロ転向後はヘビー級を目指す。
56年にL.ヘビー級の名王者アーチ・ムーアと空位のタイトルを争い、これに勝利して史上最小兵のヘビー級王者に輝いた。
すぐに陥落するかと思われたが小兵ながらスピードの乗った強打で次々と挑戦者を撃退、一躍人気者になる。
しかし五度目の防衛戦で、同じくヘルシンキ五輪ヘビー級の銀メダリスト、インゲマル・ヨハンソンにまさかの3RKO負けを喫してベルトを失ってしまう。
ヨハンソンはスウェーデン代表として銀メダルを獲得しながら「戦い方が慎重過ぎてスポーツマンシップに反する」という理由でIOCからメダルを剥奪された男だったが、このベルト獲得劇で再びスウェーデンの英雄に昇りつめた。
翌60年、二人の再戦が組まれたものの、史上ヘビー級のタイトルに返り咲いた者は一人もいなかった事もあって、パターソンは圧倒的不利と見られていた。
だが、このリベンジマッチのためにパターソンは特訓により秘密兵器を身に付けてきていた。それが日本の漫画で有名になった「ガゼルパンチ」である。
自分より大男の相手を倒すために、鹿の仲間のガゼルの跳躍にヒントを得たという必殺パンチが5Rに炸裂し、パターソンは見事にヨハンソンに雪辱する。
ジンクスを吹き飛ばす鮮やかなKO劇に世界中が喝采を送った。この頃が彼の絶頂期だった。
しかし彼の栄光は長く続かない。61年、後に史上最凶とも呼ばれるソニー・リストンが彼の前に現れてしまう。パターソンはリストンの拳周り37cmという殺人的強打を浴び、1Rわずか2分6秒で白眼を剥いて失神KO負け。
翌年に再戦が組まれるが、初戦のあまりにも無様なKO負けが余程のトラウマになっていたのか、パターソンは試合前にこんな事をこぼしていたという。

「2分を過ぎる頃、観客は慌てて時計を見るだろうよ…そして数えるのさ5秒…6秒…7秒!、ワォ!今度のパターソンは随分頑張ってるぜ、ってな…」

こんな負け犬根性に染まりきった男が勝てる訳もなく、試合は1R2分10秒でまたも失神KO負け。前回より4秒健闘しただけに過ぎなかった。
その後、三度目の返り咲きを目指してモハメッド・アリやジミー・エリスなどに挑戦するが失敗。70年代まで粘ったが、彼が再びベルトを巻くことは遂になかった。

208 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 19:42:58 0
      /:::::::::禿禿禿::::::; :;:::"' 
     /:::::;;:::::::::::::元:::::::;;;ノヽ;:::\
    /::::::::ノ""'''''‐‐-‐'''"    ヽ:;::|
   . |::::::::::| ノ( 中国様命 ノ( |ミ|
   . |:::::::::/ ⌒ 売国一筋 ⌒ |ミ|
    |::::::::|    ,,,,,,, ノ ヽ,,,,,   |ミ|
     |彡|.  '''"""    """'' .|/ 
    /⌒|  -=・=‐,   =・=-  |
    | ( 民主"''''"   | "''''" |    /政権を取ったら…
     ヽ,,ジャスコ     ヽ  在.|   /  日本を中国様へ献上して
       |支那命  `ハ´  日|   |   日本人を中国様の奴隷にするまでは
   ._/|     <-====-> 万|  <   絶対に日本をあきらめない。
./''":::::/:; (金)    "'''''''"  歳./   |   日本を奈落の底へ落として
:::::::::_/-r┤~.l \_____,,,./i、__\ 本当に日本を変える
  ( f | | ヾ.  \`ハ´/ |:::::::|::::::::   \民主は以上と委譲をお約束する。
  l.ヽ人八_ ,, ̄)/銭\  |:::::::|::::::::::
夏の衆議院選挙、岡田民主党10大政権公約(マニフェスト)
1.A級戦犯を祀る靖国神社への参拝はしません。無宗教の国立戦没者追悼施設を建設します。
2.在日韓国・朝鮮人の方々に配慮し、在日外国人参政権法案を早期成立させます。
3.地球市民の時代です。在日外国人が当たり前に公務員になれる社会を実現します。
4.侵略を正当化する歴史教科書は認めません。日中韓共同での歴史教科書作りを進めます。
5.中国、韓国との関係改善に資すため、中国、韓国からの観光客へのビザを恒久的に免除します。
6.東アジアのルーツは中国にあります。東アジア共同体の早期設立に邁進します。
7.従軍慰安婦、強制連行等、日本の侵略による犠牲者の方々への戦後補償を実現します。
8.隷属的な日米安保体制を見直し、中国、韓国などアジア諸国との共同安保体制を目指します。
9.部落開放同盟、朝鮮総連などの人権団体とともに、人権侵害救済法をつくります。
10.男女平等の豊かな社会へ、民法を改正し夫婦別姓社会を実現します。

つまり日本を終了させるまで「日本を、あきらめない」

209 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 21:53:11 O
ポール・モーフィー
19世紀アメリカ出身のチェスチャンピオン
当時のどころか史上最高と言ってよいくらいの天才棋士
理論は時代の三歩先を行っていたが、それゆえか理解者は少なかったようだ。
失意の内にアメリカに帰り、栄光とは無縁の人生を歩んだ。

210 :世界@名無史さん:2005/08/13(土) 23:10:08 0
木崎ひろすけ

『少女ネム』で知られた漫画家・イラストレーター。卓越した画力と
ペンしか使わない画風で知られるが、あまりに寡作な作家で、
商業誌になじめないタイプであった。

『少女ネム』はカリブ・マーレイという原作者の作品を漫画化
したものだが、天才的な漫画に対する感性をもつ「ネム」と
商業誌にかつて連載していた経験のある「ゴロー」との青春
という、まさに彼の悩みとともにあった作品であった。

しかし、2001年3月に35歳の若さで夭逝。
生涯に残した単行本は、わずかに3冊。しかし、死後すぐに
全巻がエンターブレインより復刊された。その才能に、そして
『少女ネム』のあのひたむきなせつなさが、それを知るものの
胸をよぎったからであろう。
商業誌になじめなかった点では寺田ヒロオが思い出される。


商業漫画になじめず、しかし漫画にしか自らの生き方を見出す
ことのできなかった青年の、ひっそりとした生涯だった。

211 :( ´・ω・) …カワイソス:2005/08/14(日) 11:23:45 O
滝廉太郎(1879〜1903)

調べてみたら、オットー・ヴァイニンガーと
生没年が一緒しかも顔も何となく似ている!

\(◎o◎)/!

(*'o'*)エェッ!♪

w(☆o◎)wガーン!

212 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 14:07:02 O
磯貝洋光

Jリーガー。日本サッカー史上最高の天才だったかもしれない男。
帝京高校時代から彼のサッカーセンスは高く評価され、日本サッカーを変える男として期待されていた。同時代の関係者の多くが「才能だったら磯貝はマラドーナ以上」とまで証言していた。
彼は左右両足でFKが蹴れた。しかも左サイドからなぜか左サイドのゴールネットに突き刺さるというすさまじいFKであった。
加えてドリブルでの突破力と点取り屋の嗅覚があり、ラストパスのセンスもあった。なによりゲームメイクの才能が際立っており、フィールドの22人全てを操るかのようであった。
85年のワールドユースで彼は世界中から絶賛を浴びた。あの天才ファンタジスタ、ジャン・フランコ・ゾラ以上の評価だった。
日韓戦においても一人で完全にゲームを支配し、韓国メディアは「日本に恐るべき天才が現れてしまった」と報じた。
高校卒業後、当時は日本にプロが無かったため東海大に進学する。しかし彼には大学サッカーの世界は狭すぎ、スペインへとサッカー留学。そこでも才能を高く評価されエスパニョールと契約寸前まで行ってしまう。
しかしその頃になってようやく日本にJリーグが発足し、当時ガンバ大阪の監督だった釜本の説得で、海外でのプレーを一時保留して帰国。この時は誰もが彼のプロでの活躍を疑わなかった。
しかしプロ一年目に木村和司との接触で骨折。年齢的にも重要な時期を棒に振ってしまう。
この頃から天才の中の何かの歯車が狂ってしまったのかもしれない。以後も磯貝は怪我を繰り返し、どうにも本調子に乗らなくなってしまう。
時折FKやドリブルに天才の片鱗を窺わせるものの、安定したパフォーマンスを見せる事ができない。好調時に代表に選出されるも活躍できないまますぐに代表落ち。運動量が少なく歩いている事が多かった為、「走れ磯貝!」なる野次も盛んに飛ぶようになってしまう。
コンディションの不調に加え、自分のイメージと現実とのギャップに苛立ち、徐々にモチベーションも失ってしまったのかもしれない。浦和レッズ移籍後はロクにベンチにも入らないまま、30才でひっそり引退。
天才の挫折。現在ではプロゴルファーとして奮闘中らしい。

213 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 14:58:30 0
曽祢まさこ 漫画家
およそ30年にわたり質の高い作品をコンスタントに発表し続けるが特にかんばしい知名度はない

彼女に限らず将来日本で栄光無き天才と呼ばれる人種には漫画家が一番多くなる気がする

214 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 15:51:54 0
ヴァルター・カーデン エンジニア

2ストロークエンジンには欠かせない「チャンバー」の発明者。
理論上、4ストロークエンジン(4輪自動車やプロペラ飛行機はほぼ全部これ)の2倍の出力を出せるとされる2ストロークエンジンだが、
高温の排気ガスがエンジンバルブに逆流して再加熱され超高温ガスとなり、
エンジンの焼きつきを熾すと言う2ストローク構造上の欠陥があった。
東独で二輪メーカーMZ(ナチスドイツ時代DKWと言うマンTTで優勝経験も有る二輪メーカーで、
戦後東独が本社を国営化してMZに、西独は支店がそのままDKWとして存続)で、
カーデンは排気管の途中を膨らませた排気溜め(チャンバー)を設けることにより、排気ガスの逆流を防ぐことに成功。
早速世界グランプリに参戦したMZは、1961年には世界チャンピオンマシンMVアグスタを圧倒する性能を示した。
しかしこの年、250ccで350ccの記録を破るなどバイクレースの常識を覆すメーカー、
ホンダが4ストロークで参戦しておりチャンピオンはMZとホンダの争いとなった。
その最中、1961年8月13日に「ベルリンの壁」が現れ、東から西への移動が事実上不可能となった。
直後に行われたスウェーデンGPのレース中に、共同開発者でMZ主戦ライダーのエルンスト・デグナーが
西独に亡命。イギリスのEMCの誘いを振って日本のスズキに参加。
スズキはデグナーが持ってきたチャンバーのノウハウを取得し、1962年にデグナーを世界チャンピオンにした。
デグナーの亡命から約15年後の1975年には、グランプリ、サイドカー、モトクロス、トライアル、
スノーモービルと全ての二輪世界チャンピオンは2ストロークエンジンによって達成れるようになった。
しかし、カーデンとMZは最後まで世界チャンピオンになることは無かった。
その上2ストロークは、21世紀に入り環境上の問題で市販はおろかレースから締め出し始めている。

215 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 17:12:18 0
チャンバーって、排気ガスの圧力を使って
掃気中の生ガスをシリンダーに押し戻すためのものだろ?

216 :世界@名無史さん:2005/08/14(日) 20:17:06 0
山際勝三郎。
戦前の日本人にはノーベル賞は遠すぎた。

217 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 13:07:29 0
エチエンヌ・モンゴルフィエ(Jacques Etienne Montgolfier(1745-1799)

モンゴルフィエ兄弟の弟で、熱気球の他にも
圧力ポンプを作り名声を得た。しかし、革命の動乱に
巻き込まれ死去。

もりいずみの「化学の先駆者たち」にくらいしか、モンゴルフィエ
兄弟のその後の話は載っていないのだな。何故だろう?

モンゴルフィエ家とゆかりのある製紙会社CANSON社は、今でも
フランスに残っていたりする。

218 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 13:23:13 0
H.P.ラヴクラフト。
弟子や友人達がいなければ、存在そのものが忘れられていたかもしれない。

219 :世界@名無史さん:2005/08/15(月) 17:06:25 0
山極は漫画にもなったがノーベル賞取れなかっただけで学会では生前から相当神格化されてたような・・・
やや奇人ではあったがキャリアも華々しい
東大全学部通して首席→東大医学部病理学講座教授→帝国学士院賞受賞
こういう人は北里や野口みたいに一般人に知られることなどどうでもいいのでは・・・

220 :嗚呼、世界大戦…:2005/08/16(火) 09:50:28 O
アウグスト・マッケとフランツ・マルク
ドイツ表現主義の画家。戦死

ジャック・デュシャン=ヴィョン
彫刻家。マルセル・デュシャンの実兄。戦死

ルディ・シュテファン
ドイツ表現主義の作曲家。戦死

ウンベルト・ボッチォーニ
イタリア未来派の画家・彫刻家
騎兵となり落馬事故により死亡

アントニオ・サンテーリア
イタリア未来派の建築家。戦死

【黙祷】…(ToT)

221 :嗚呼、世界大戦…:2005/08/16(火) 14:11:22 O
ゲオルク・トラークル
オーストリアの詩人。
衛生兵として従軍中PTSDとなり、薬物中毒となって自殺。

ギョーム・アポリネール
フランスのアヴァンギャルド詩人、作家。
従軍中に頭部に重傷を負い、戦病死。

222 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 21:58:14 0
テリー・キャス

70年代ブラス・ロックの雄、シカゴのギタリスト。
彼がいた頃のシカゴは政治的な詞も歌うシリアスなバンドだった。
友人宅でロシアンルーレットごっこをしているときに銃が暴発し、死亡。
バンドの方向性に悩んでいたため、半ば自殺だったのではないかという説もある。
彼の死でバンドは低迷するが、80年代に入り、デビット・フォスターのプロデュースで
甘くポップなAORバンドとして復活した。


223 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 22:48:16 0
長浜忠夫 1932 - 1980

オバケのQ太郎 巨人の星 ど根性ガエルなどのアニメで監督を務める。
派手な演出とストーリーでヒットを連発するも日仏合作アニメ製作中急死。
享年48歳。

224 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 23:08:14 0
カイソウ

幻の菊花賞馬。第二次世界大戦の中の昭和19年に観客のいないダービーを勝った。
馬券の売られていない当時、ダービーは能力検定試験としての競走だった。
その年の菊花賞もまた能力検定試験としての競走であったが、そのレースを勝ったのもカイソウだった。
生まれる時代さえ違ったなら確実に栄光に包まれていた馬だった。
しかし「種牡馬検定レース」では惨敗してしまい、種牡馬になれず、
名古屋の師団に乗馬として引き取られたが空襲にあい行方不明。




225 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 23:25:20 0
ウイリアム・ハミルトン

アーベルやガロアと並んで悲運の天才として知られる。
6歳で6つの古典語を習得し、12歳でニュートンのプリンピキアを読破し
13歳で13ヶ国語をマスターし、16歳でラプラスの「天体力学」の誤りを指摘するという
天才ぶりで、複素数の導入法などで数学史上の巨人としてその名を残すが
私生活は恋愛、結婚生活の破綻などに悩み、アル中になって孤独な晩年を過ごした。

226 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 20:58:37 0
金子直吉(1866-1944)

天才実業家。財界のナポレオン、無から有を生み出す男とも呼ばれた。
でっち奉公から身を起こし、鈴木商店の「大番頭」として、三井物産をしのぐ規模に拡大させた。
台湾を拠点に砂糖製造、鉄鋼、造船など次々と事業を展開し、その舵取りをワンマンでやってのけた。
世界の経済史上でも一人でこれほどの仕事をした事業家はほとんどいないかもしれない。
個人実業家としては、カーネギーやロックフェラー以上の巨人とさえ評されることもある。
1927年、昭和恐慌に巻き込まれ、鈴木商店が倒産した時には世界三大倒産の一つと呼ばれた。
面白いのは金子本人には全く私利私欲が無かったことである。彼は事業はあくまでも鈴木家と国家のためのものであって
私財を蓄えることなど恥であるとかんがえていたようだ。全盛期でさえかれは会社のボロの借家住まいで
倒産後は家を買う金もなく、部下たちが金を出し合って住まいを提供したという。
1944年に亡くなるが、遺産というものが全く無く、所持金は10円しか無かった。


227 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 13:18:49 0
山中貞雄(1909- 1938)
戦前の天才映画監督。京都出身。
最初の作品『磯の源太 抱寝の長脇差』で評論家の好評を得て、
早くもその年のベストテン入りを果たす。
その後も『盤獄の一生』『街の入墨者』などの傑作時代映画を発表し、
批評家以上に観衆からも大きな支持を得ていたが、
1937年、PCL(現在の東宝)で発表したこれも傑作の『人情紙風船』を最後に従軍。
翌年、中国河南省開封の病院で、若干29歳にして戦病死。
その短い生涯に発表した監督作品は23本。
しかし、現在、『丹下左膳余話 百萬両の壺』『河内山宗俊』『人情紙風船』の三作品しか見ることができない。
                   (以上、ウィキペディアより引用)

生きていたら、どんなに素晴しい作品を作り続けたことだろう・・・。
DVD化されている作品の完成度の高さったらない。

228 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 13:30:50 0
ヘンリー・モーズリー
ノーベル賞間違いなしと言われながらチャーチルの基地外な作戦で戦死・・・


229 :嗚呼、世界大戦[WWU]:2005/08/18(木) 20:04:33 O
アントワーヌ・サン=テクジュペリ
フランスの作家、飛行家。『夜間飛行』『戦う操縦士』『星の王子さま』等。
故郷・南仏進攻戦のための偵察飛行中に撃墜され、戦死。

グレン・ミラー
アメリカのスウィングジャズの巨匠。
クリスマス・コンサートのためにパリへ向かう途中で行方不明。
英軍機が捨てた傷夷弾に搭乗機が巻き込まれ、墜落したと言われている。

アーニー・パイル
アメリカのジャーナリスト。沖縄戦に参加、伊江島で戦死。


230 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 20:26:36 O
イシュトヴァン・ケルテス

ハンガリー出身の天才オーケストラ指揮者。
必ず世界の頂点に立つだろうとまでその才能を評価されていたが、1973年に遊泳中に事故死。まだ43歳の若さで、指揮者としてはこれからであった。

231 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 22:25:21 0
あと、
カイルベルト、フリッチャイ、リヒターの早死にも痛いな

ヴァントなんか長生きレースに勝ち残っただけだ、なんて言う人も
いるくらいだ。

232 :世界@名無史さん:2005/08/19(金) 22:54:20 0
向田邦子

233 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 00:18:39 0
>>202
「たった1度のポールポジション」高橋徹は懐かしいですね。

日本人初のフルタイムF−1レーサーは風戸裕だったかもしれませんね。
1974年富士スピードウェイでのレースで命を落とさなければ彼が日本人初の
フルタイムF−1レーサーだったと思います。

234 :( ´・ω・) …コミンタン:2005/08/20(土) 00:52:56 O
ジョン・リード
★アメリカの左翼ジャーナリスト。
ロシア革命の記録『世界を震撼させた十日間』を発表して間もなく病死。


235 :世界@名無史さん:2005/08/20(土) 00:59:44 0
フランソワ・セヴェール(1944〜1973)

フランス人のF−1レーサー。
甘いマスクで人気があり、女優のブリジット・バルドーと一時期交際していた。
1970年にF−1デビュー。1971年にティレルチームに加入してからはめきめきと頭角を現し
将来のワールドチャンピオン候補とまで言われた。また、当時はフランス人でワールド
チャンピオンになった者は誰もおらず、セベールにフランス人初のチャンピオンの期待が
かけられていた。
しかし、1973年アメリカGPの予選中に事故死してしまった。猛スピードでガードレールに
突っ込んでマシンごと胴体も真っ二つに裂けてしまうほどの凄惨な事故だったという。
この事故のニュースは日本の新聞の三面記事にも「仏の人気レーサー事故死」と取り上げられた。

なお、フランス人初のチャンピオンはアラン・プロストが1985年に獲得している。


236 :世界@名無史さん:2005/08/22(月) 00:31:55 O
ジェフ・バックリィ

主にトラッドロックを歌う天才シンガーソングライター。
父親のティム・バックリィも60年代後半から70年代前半にかけて活躍し、夭折した伝説的な天才シンガーソングライターだったが、才能は息子のジェフの方が上だったかもしれない。
デビューが27歳と遅く、残した作品が少ないせいか、日本では洋楽ファン以外にあまり知られていないのが残念である。
デビュー作の「Grace」だけでも是非とも聞いて欲しい。透き通った美しい、それでいて情熱的な歌声。まさに10年に一人の天才だと思える。
デビュー当時から悲劇の天才の息子として知られていたが(本人はそう評されるのを嫌ったが)まさか息子のジェフが、父親と同じ運命を辿るとは誰も想像できなかった。

237 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 03:11:25 O
ブランドン・リー
ブルース・リーの息子。遺作『クロウ〜飛翔伝説』は必見!

238 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 05:39:12 0
エリック・ドルフィ

1960年代のジャズミュージシャン。
1960年に初リーダー作を発表し4年後の1964年に病死。享年36歳。
当時、彼の演奏はあまりにも前衛的すぎたため受け入れられず
かなり貧しい生活をしていたという。


楠木正成

あまりにも有名な天才武将。南北朝時代の名将。
もとは悪党と呼ばれる河内の豪族(諸説あり)だったが、
後醍醐天皇の下に入り、挙兵する。
赤坂城、千早城での篭城では 天才的な戦略で敵を悩ませた。
彼の優れた兵法は江戸時代に楠木流という軍学になった。

建武の親政でも、後の世の流れを読み、
足利尊氏をはじめとした武士を軽んずること無いようにと考え
天皇に進言するも受け入れられなかった。

正成の不安は的中。
足利尊氏は離反し、一度は撃退に成功する。
尊氏は九州で再起し、京へ進軍してくるが
その勢いはとても止められそうにはなく、正成は和睦を提案するが
退けられ、次に挟み撃ちの妙手を提案するも、これも坊門清忠によって
反対され、湊川で正面から迎え撃ち、壮絶な戦い後自害して果てた。

239 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 13:34:51 O
>>237
ブランドン・リーって拳銃暴発かなんかで死んだんだっけ?
ハリウッドの映画撮影中にそんなことありうるのかな。
シャープだし、動けたし、凄いアクションスターになれたと思ったけどなあ。

240 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 22:21:31 0
二宮忠八  (1866〜1936)

明治期の発明家。軍隊に所属中、25歳でプロペラ推進の動力により飛ぶ
鳥形飛行機を作成し、無人飛行に成功。(およそ10メートル)人間が搭乗
可能な玉虫型飛行機の作成を手がけ、軍隊に飛行機の製造のため専門家の
養成と資金の提供を呼びかけるも却下される。
1903年にライト兄弟が初飛行に成功するとの報を聞き、号泣したという。
彼が動力推進の鳥形飛行機を作成した1891年はオットー・リリエンタールが
グライダーで初飛行を記録した年でもあることを考えると、動力推進の機能を
考え実行し、無人とはいえ成功していた彼の先進性が窺い知れる。

後、その先進性が認められ、逓信大臣から表彰されたりしているので
全く「栄光なき」天才とは言えないが、もし十分な資金があれば、彼が
初飛行に成功していたかも知れない。戦前の教科書には載っていたが
最近は知らない人の方が多いでしょうね。

また、もともと叔父が薬屋をしていたこともあり、その後大日本製薬
会社(現在の大日本製薬の前身)に販売員として入社。たちまち頭角を表し、
薬品開発も担った。伯父の手ほどきがあったとはいえ、高等教育を
受けていない二宮が開発スタッフにまでなるのは、当時でも珍しかった
ろう。最終的には常任取締役という最高経営者にまで上り詰め、大阪
製薬の企業に参画して、逆に大日本製薬会社を吸収合併している。

明治の勃興期から昭和の衰退期までを生きた、一人の発明家にして
実業家の生涯でした。

※飛行事故で殉職した人をまつる飛行神社は、彼が建立したものだそうです。


241 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 23:13:14 0
浮谷東次郎

60年代に熱い走りぶりで活躍したレーサー。
大学設立が夢で、その資金を稼ぐためにレーサーになったともいわれる。
世界デビューを翌年に控えた65年、鈴鹿を練習走行中、コース上にでてしまった人間を避けるため、
自らは照明灯に激突。この世去った。享年23歳

242 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 01:12:59 0
>>241
トージローが亡くなって今年で40年ですね。
ぼくはリアルタイムで見たことはありませんが、今年還暦になるうちの
親父からトージローの話はよく聞かされます。
今では考えられないことですが、トージローのマシンにはシートベルトが
まだ装着されておらず、照明灯にぶつかった衝撃でマシンから投げ出された
そうです。事故した直後はまだ息があり「道の真ん中に人がいちゃ走れないよ」
とつぶやいていたそうです。

日本レース界は、これからというときに事故で亡くなってしまうレーサーが
多いですね。既出の高橋徹、風戸裕、浮谷東次郎に加えて福沢幸雄、川合稔
村松栄紀・・・

243 :世界@名無史さん:2005/08/26(金) 14:26:33 O
ジミー・バリー

19世紀末のバンタム級世界王者。
近代ボクシング史上、世界王者のまま無敗で引退した伝説の五人のうちの一人。
身長わずか158cm、98ポンドという今ならミニマム級以下の体格でありながら破格の強打者で、軽量級で無敵を誇り、ジミー・タイガーともあだ名された。
1898年にウォルター・クロートと世界王座統一戦に挑み、最終20ラウンドに逆転KOで頂点を極めるが、クロートはこのKO負けで帰らぬ人になってしまう。
そのショックでバリーは相手を強打できなくなりその後は1判定勝ち8引き分け。
牙を失ったタイガーは王座を返上し、引退した。

244 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 05:02:56 0
オレ

天から与えられた才能を自分のためだけに使い死ぬ

245 :世界@名無史さん:2005/08/27(土) 08:19:19 O
松田優作

日本映画に異彩をはなった俳優。
ハリウッド進出作『ブラック・レイン』での悪役は『凄い』の一語。
撮影直後に死亡。享年39歳

246 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 00:02:59 O
ここで優作がでてくるか…。じゃあ沖雅也とか。

247 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 06:10:44 0
小柳徹もだな

248 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 11:06:20 0
なれば赤木圭一郎も。

249 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 12:12:04 0
じゃぁヴィック・モローも。

250 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:33:20 O
バトリング・シキ

1920年代の元ライトヘビー級世界王者。セネガル出身。アフリカ人初の世界王者でもある。
当時のセネガルはフランス領で、幼くして両親を失い、極貧の中で育ったシキは慈善公演にきたフランス女優に偶然拾われ、フランスに移住することとなる。
そこで天性の身体能力を発揮し、ボクサーとして頭角を表す。第1次世界大戦に徴兵されるも、むしろ軍隊内のボクシングでテクニックも身に付け、より洗練されたファイターへと成長した。
そんなシキに1922年、ビッグチャンスが転がり込む。ライトヘビー級世界王者のジュルジュ・カルパンチェへの挑戦権である。
王者カルパンチェは、かのジャック・デンプシーと死闘を繰り広げた世界的に有名な王者で、当時のフランスにおいては絶対的英雄だった。
この試合も公式戦ではあるが、そもそもはカルパンチェの伝記映画の撮影の為の試合で、故にアンダードッグとして、当時まだ無名だったシキに白羽の矢がたったのだが、観客は試合当日に驚くべき結果を目にすることになる。
3Rまで王者の圧倒的攻勢にさらされ、ダウンも喫したシキだったが、4Rから反撃を開始し、徹底した波状攻撃で王者を徐々に追い詰め、それが頂点に達した6Rに右アッパーでカルパンチェを地に這わせ、そのまま10カウントを聞かせてしまう。
予想外の事態に狼狽するカルパンチェ陣営は、シキがダウンの際に足をひっかけたからシキの反則負けだと抗議し、会場は大混乱に陥ったが、最終的にはシキの戴冠が認められた。
アフリカの極貧生活から欧州の地で栄光の王座へ。絵に書いたようなサクセスストーリーだった。
しかしシキの栄光はその一瞬で終わった。その後、社交会でもてはやされたシキはあきらかに練習不足になり、半年後の初防衛戦であっさり陥落。続く再起戦にも敗れ、世界のレールから外れてしまう。
その後、復活を目指して新天地アメリカに移住したが、ニューヨークの酒場で酔った客と口論になり、路地裏で射殺された。享年28歳。栄光と挫折の人生だった。

251 :世界@名無史さん:2005/08/28(日) 17:55:13 0
岡田有希子

252 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 11:18:53 0
菊原志郎

元ヴェルディ川崎(読売クラブ)の天才MF。中田ヒデで一気に有名になった「キラーパス」の元祖はこの人。
16歳でデビューし、日本人離れしたその柔らかいボールタッチと瞬間のスピード、
そしてラストパスのセンスに、多くのファンが日本サッカーの未来を夢見させられた。
名波や小野のスタイルの元祖といえば解りやすいかも。あの足でボールを投げるようなパスは当時誰も真似できなかった。
早熟のデビューだったせいか、ケガがちで、J開幕後はプロの激しいコンタクトにもあってトップコンディションでピッチに立つことがままならず、
目立った活躍をすることができなかった。アマからプロへの過渡期に苦しんだ人とも言える。
後に本人も「プロの勝利至上主義に僕のスタイルは合わなかった」と語っている。
恥骨結合炎にも悩まされ、浦和レッズ移籍後に28歳の若さで引退してしまった。

253 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 11:39:42 0
三代目三遊亭歌笑。

敗戦直後「純情歌集」で爆笑王に。
1950年進駐軍のジープにはねられ、死去。

254 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 18:53:39 0
林家小染 落語家

夭折するが、確か俺の高校の近くの病院に運び込まれたはず。
切断した子供の指をつなげたことで有名な病院だったが助からず。

小染自体はさんまの話によると、口の中に入れてネチョネチョになった小銭をタクシーの運転手に差し出したエピソードがある
当時関西ではさんま、紳助、文鎮、巨人と同じぐらいの格だった
生きていれば・・・

255 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 20:24:16 0
ジェーン・マンスフィールド(1933〜1967)

1950年代から60年代に活躍したアメリカの女優。
愛くるしい顔と豊満なバストで人気があった。
しかし、同時期に活躍したマリリン・モンローの二番煎じ的な
イメージは拭えなかったと言われる。
1967年に自動車事故で死去。
代表作に「女はそれを我慢できない」(1956年)

256 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 20:32:48 0
長文の書き込みはほとんどが同じ人のものか?

257 :世界@名無史さん:2005/08/29(月) 22:57:55 O
ボクシングとかスポーツ関係はそれっぽいね。

258 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 17:26:57 0
アーヴィング・サルバーグ

映画人 生きていればセルズニックを上回ったかも

259 :世界@名無史さん:2005/08/31(水) 19:04:49 O
ジョルジュ・ブラック
フランスのキュービズム画家。
ピカソの知名度に比べて何とも無名…。
|||(-_-;)||||||

260 :世界@名無史さん:2005/09/02(金) 21:41:54 O
近藤真一

元中日ドラゴンズ投手。愛知・亨栄高時代から甲子園で本格左腕として名を轟かせ、87年に五球団の競合の末に堂々ドラフト一位で中日に入団。
プロのウェスタンリーグでも負けなしの快投を見せ、入団初年度の夏には早くも一軍に昇格。高卒ルーキーとしては異例のスピード出世だった。
そして8月9日、デビューが巨人戦という新人ならガチガチになりそうな状況で、彼はいきなりノーヒットノーランを達成してしまう。
日本中の野球ファンが目を丸くした。もちろんデビュー戦でノーヒッターをやってのけたのは後にも先にも彼だけである。
近藤はデビュー2戦目の広島戦でも見事なピッチングで白星をあげ、続く阪神戦でもあわやノーヒットノーランの1安打完封。
事実上、この三戦だけで近藤はその名を野球史に残したと言っていい。
この時は誰もがこの怪物の将来を疑わなかったのだが…。

261 :世界@名無史さん:2005/09/03(土) 14:29:04 0
ジル・ヴィルヌーヴ (Gilles Villeneuve)

神技ドリフトの使い手で、チャンピオンになった経験がないにもかかわらず「史上最高のF1レーサー」とも言われる伝説のドライバーである。
スノーモービルの選手であったが、自動車レースに転向、1977年7月17日の第10戦イギリスGPでマクラーレンからデビューする。
エンツオ・フェラーリにスカウトされ、同年の第16戦カナダGPからはフェラーリから参戦するが、第17戦日本GPで観客を巻き込む大事故(観客2名死亡)を起こしてしまう。
これが引き金となって日本におけるF1開催はその後1987年に復活するまで一時中断されることになってしまった。
1978年からフェラーリでフル参戦。以後、第6戦ベルギーGPで4位初ポイント。第12戦オーストリアGPでは、タイヤがバーストしたことによる三輪走行を強いられたにもかかわらず初表彰台を得る。
第16戦カナダGPでは初優勝し、早くもその頭角を現した。翌79年にはその才能を発揮し、優勝3回を記録したが、惜しくも4ポイント差でチームメイトのシェクターにチャンピオンを譲ることになる。
(エースドライバーのシェクターに対してチームオーダーを忠実に守った結果とも言われている)
その後はフェラーリがターボへの移行に遅れたこともあり、マシンに恵まれないままシーズンを送ることを余儀なくされたりもしたが、不利な状況の中でもあきらめない熱い走りは多くの人々に感銘を与えた。
しかし1982年のベルギーGP。予選アタック中にスロー走行中のヨッヘン・マスのマシンに接触し、そのタイヤに乗り上げて空中を舞ったマシンは大破。マシンから投げ出されたヴィルヌーヴは地面に叩きつけられて死亡した。
そして彼の死から15年後の1997年。ジルの息子であるジャック・ヴィルヌーヴがF1のワールドチャンピオンを獲得することになる。父の果たせなかった夢を息子がかなえた瞬間だった。





262 :世界@名無史さん:2005/09/03(土) 14:53:02 0
ティベリウス。ローマ帝国第二代皇帝。

最近まで評価は「陰険で渋ちんな変態ジジイ」だったが
ローマの土台を固めた堅実な治世がようやく現代になって再評価。
あと塩婆の文庫本でも認知度高まりそうな予感。

263 :世界@名無史さん:2005/09/03(土) 22:19:25 0
ベリサリウス

ユスティニアヌスに使えた東ローマ帝国の将軍。数々の戦いで
奇跡的な勝利を重ねたが、ユスティニアヌスには冷遇され続け、
最後まで不遇だった。

264 :(  ・ω・) …間違いアリ:2005/09/03(土) 23:19:38 O
>145

Shauna Grant
1964年カリフォルニア生まれ。本名コリーン・アプルゲート。
ミネソタ州で育ち、ロスへ出てモデルを始める。
クラブ誌のモデルからチャンスを掴み、人気モデルからビデオへ進出、
無垢なイメージ、ブロンド、豊かなボディーで“ポルノ界のモンロー”と騒がれる。
出演作も大ヒットが続いていた矢先の84年3月21日、
衝撃的な自殺を遂げてしまう。
‘Virginia’
‘Flesh and Laces’
‘Suzie Suter’
‘Glitter’


265 :世界@名無史さん:2005/09/03(土) 23:55:20 O
イアン・スチュアート

ピアノ奏者。六人目のローリングストーンズ。
デビュー前からのメンバーであったが、メジャー契約時に「ルックスが悪い」とマネージャーにメンバーから外されてしまう(確かにゴツイ顔)
しかしその後のストーンズをサポートメンバーとして支え続けていた。やたらエゴの強いメンバーのまとめ役でもあり、影のリーダーとも呼ばれた。彼がいなければストーンズは歴史に名を残すバンドにまでは成長できなかったであろう。
70年代のストーンズ黄金時代に病死。アルバム「ダーティ・ワーク」の最終曲「Sleep tonight」は彼の追悼曲である。

266 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 00:01:02 0
大正天皇。

優れた感受性を持った詩人。
しかし、時代と国家が彼をナチュラルに生きることを許さなかった。
偉大すぎる父親と周囲の過度の期待に押しつぶされ、健康を害し
挙句の果てに知恵遅れとまで汚名を着せられ、その生涯を無かったことにされる。
がしかし、彼こそは日本に現れた「最初の現代人」であった。
思ったことを包み隠さず言う、感じたことを正直に吐露する、家族を愛し一夫一妻を貫く…
果たして彼が現代に生きていたら、同じように汚名を着せられただろうか?

267 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 00:06:43 O
このスレ面白い!面白いエピソードを紹介してくれる皆さん乙!

268 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 03:51:11 0
私も大正天皇を推薦したい。
説教臭のない歌を詠むことは、明治天皇にも昭和天皇にも不可能だった。
近代の天皇では、ただひとり、大正天皇だけが詠むことができた。

釣り船もあまた浮かべり近江の海 比良の高嶺の晴れ渡る日は

269 :♪ラ・バンバ:2005/09/04(日) 11:53:00 O
映画『ラ・バンバ』で再認識されたメキシカンロッカー、
リッチー・ヴァレンス[1941.5.13〜1959.2.3]

ビートルズ、ストーンズに影響を与えた
バディ・ホリー[1936.9.7〜1959.2.3]来年が生誕七十周年(!)

DJ&MCのビッグ・ボッパー

ともに同じ軽飛行機に乗って墜落死…(ToT)

270 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 13:24:19 0
大正天皇と源実朝は、ちょっち被る。帝王たるには繊細すぎたな。
まあ、大正天皇はその他にも親父の梅毒のせいで宿痾を患っていたりと
泣けるものがある。

271 :♪サマータイム・ブルース:2005/09/04(日) 14:06:07 O
エディ・コクラン[1938.10.3〜1960.4.17]

元祖ロカビリーといえばコクランね!
バディ・ホリーら三人のロッカー急死にショックを受け、
「スリー・スターズ」を作曲した。
公演を終えロンドン空港に向かう途中、タクシー事故により急死。


272 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 15:02:37 O
なんか50年代の音楽アーティストってやたら夭折してる印象があるなあ…

273 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 15:20:13 0
欧州だとWW2の傷跡から回復しきっていないためインフラが未整備で事故が多い。
片や米国は冷戦下の緊張やら公民権運動やらで鬱屈した社会不安要素があり
ドラッグや酒で体を壊す奴が多い。

そんな印象があるんだが…

274 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 20:18:24 O
二次大戦後に飛行機事故で死んでるアーティストは結構多いね。
アーティストはツアーで飛行機よく使うからからだろう。

275 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 21:22:39 0
吉村禎章

巨人軍の選手。
入団3年目の1984年に規定打席未満ながら.342というハイアベレージを記録して頭角を現す。
翌1985年から1987年にかけて3年連続で3割以上の記録を残し、天才バッターの名を欲しい
ままにした。しかし1988年7月6日、札幌丸山球場での対中日戦で外野守備の際に、栄村選手と
激突し、左足靭帯断裂という重傷を負った。
一時は再起不能とまで言われたが、米国での適切な治療と本人の不屈の努力によって翌1989年に
カムバックすることができた。しかし怪我してからは代打での出場が中心になり、かつてのような
猛打を見ることはできなくなってしまった。

タラレバになってしまうが、もし彼が怪我しなかったら2000本安打突破は勿論、巨人軍の歴史も大きく
変わっていただろう。

276 :よろしく!:2005/09/06(火) 12:22:30 O
【英霊】われらが英雄東条英機閣下を語ろう【神】
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1120282231/

277 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 12:49:42 0
ニュース極東なんて汚れた板のコピペなどするな。

278 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 19:22:44 O
村田英次郎

非運の天才カウンターパンチャー。今よりもずっと世界タイトルが遠かった時代、
タイ、フィリピン、韓国とアジア主要国のナショナル王者を全て倒し、東洋で無敵を誇り東洋王者のタイトルを防衛すること通算12度。
無敗のまま世界タイトルに挑戦し、ルペ・ピントール、ジェフ・チャンドラーという歴史に残る名王者と互角以上の激闘を繰り広げたが、無情にも二度とも引き分け…。
あともう1R、ポイントを取っていれば、王者として歴史にその名を残していた。
その後はコンディションを崩しがちで、結局、世界に手が届かぬまま引退。

279 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 22:37:44 0
>278
ウルフ金串みたいなこと書くなよw

豊田喜一郎
いわずと知れたトヨタ自動車の創始者。
苦労を重ね、第一号車トヨタA1を完成。
乗用車を作ろうとするも戦時下で殆ど作れずトラック生産で規模を拡大する。
戦後再度乗用車制作に乗り出そうとするもうまくいかず労働争議で社長辞任。
ようやく社長に復帰することになった矢先に急死。
復帰後生産しようとした乗用車の設計図を持ったまま死んだという。

280 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:59:39 0
久保寺雄二(1958〜1985) 南海ホークス選手

1977年静岡商業から南海ホークスに入団。
走攻守3拍子そろった選手で、将来の南海ホークスを引っ張っていく若手選手の
代表格だったが、1985年正月、実家に帰省中に風邪をこじらせ、急性心不全で
亡くなった。まだ26歳という若さだった。

281 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 01:21:34 0
日本史からは離れよう。せめて。
大正天皇はまだ世界史だが

282 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 11:33:12 O
そう神経質にならんでもいいんじゃないか。
確かに何人か日本人が続いたが、自然に色んな人物が出てくるようになるよ。
色々な人間が出てきた方が面白い。

283 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 11:33:42 O
そう神経質にならんでもいいんじゃないか。
確かに何人か日本人が続いたが、自然に色んな人物が出てくるようになるよ。
色々な人間が出てきた方が面白い。

284 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 17:32:27 0
エウメネス(BC:360-315)

アレクサンドロスの書記官から、一軍の将帥にまで駆け上がった
異色の能吏。大王亡き後のディアドコイ(後継者)戦争の前半戦では、
ディアドコイ唯一の外国人でありながら大王家に最後まで忠誠を
尽くす。しかし最終局面で最強の歩兵集団「銀盾隊」の離反にあい、
旧友にして宿敵・アンティゴノスに敗退。
アンティゴノスはばっかに加えようとするも、周囲の反対にあい、
自らの手を下すには忍びず餓死させようとする。しかし、エウメネス
は捕縛された後、何者かによって殺害されてしまっていた。
享年45歳。

ギリシア人とされるもののその出自も不明で、確かな基盤がなかった
にも関わらず、文官から軍人に転身しながら劇的な勝利を積み重ね
た、アレクサンドロス麾下の中でも屈指の名将だった。

285 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 17:47:57 0
野球選手なんていらんだろ
野球板で存分にやれよ

286 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 18:48:39 0
>>285
サッカー選手やボクシング選手などはどうなんだよ?

287 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 19:13:42 O
書き手に任せてこだわらんでもいいと思うが。
個人的には色んな意外な人物のエピソードが並んでるのがこのスレの魅力だと思う。

288 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 19:24:47 0
レニー・ブルース 

1950〜60年代に活躍したアメリカの毒舌コメディアン。
政治、宗教、人種差別などを辛辣で卑猥な毒舌マシンガントークで
笑いのネタにして人気があった。
その結果、国家権力から目をつけられ、名誉毀損や猥褻罪などで
何度も逮捕されるようになった。さらに追い討ちをかけて妻との
離婚により麻薬に溺れるようになった。
1966年、麻薬の過剰摂取で亡くなった。

1974年にダスディン・ホフマン主演で映画化された。

2003年には知人たちの努力により過去の逮捕歴が記録から抹消される
ことになり、名誉回復を果たした。

289 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 10:42:47 0
>>286
それもいらん。

290 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 18:48:07 0
興味がなかったらスルーすればいい


291 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 21:25:47 0
昭和の日本の選手とかはさすがにやめたほうがいいね

292 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 00:50:41 0
確かにスポーツの世界においては栄光なき天才はつきものだからな

293 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 09:34:16 0
昭和でもいいけど、さすがに1945年以後はどうかなと思う。
海外の選手の話は知らないことが多くて面白いが、松田優作はないだろ。

294 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:59:33 O
ロザリンド・フランクリン

遺伝子研究学者。早くから遺伝子の高解像度のX線撮影に成功し、この分野の研究をリードしていた。
二重らせん構造を初めて提唱したのも彼女である。しかし、仲の悪かった彼女の上司のウィルキンスが彼女のデータを勝手に持ち出し、他の研究者に渡してしまう。その相手が遺伝子の構造を解き明かした学者として歴史に名を残しているワトソンとクリックである。
後にノーベル賞を受賞するワトソンとクリックの研究は、そのフランクリンの非公開データを下敷にしていた。
フランクリンはDNAの塩基配列の謎までは解けなかったものの、彼女の研究がなければワトソンとクリックは決してDNAのモデルを構築できなかったであろう。しかし彼らはフランクリンのデータを流用している事をフランクリン本人には一切伝えなかった。
フランクリンは1958年に栄光なきままにガンでこの世を去った。享年37歳。ワトソンとクリックがノーベル賞を受賞する4年前である。
ノーベル賞と「遺伝子の謎を解き明かした」という栄光と名声はワトソンとクリックの頭上に輝いたが、その後にフランクリンの死と彼女の研究の事実が知られるようになってから、
人々は、科学者の研究におけるモラルとはなにか、という件に関して延々と議論することになったのだった。

295 :世界@名無史さん:2005/09/10(土) 00:21:27 0
>>284
それってもしかして今漫画化されてる人ですか?

296 :世界@名無史さん:2005/09/10(土) 00:32:25 0
>>293
個人的には面白ければ良いと思う。
まあ確かに優作はあれだと思うけど。
ここのスレの書き手は総じて優秀なように思えるので、
各人の判断で面白いエピソードをどんどん書き込んで欲しい今日この頃。

297 :世界@名無史さん:2005/09/10(土) 04:46:24 0
エリ・デ・ランダウ(Lev Davidovich Landau)。ソ連の物理学者。
次を見てもらうと彼の「天才」と「悲劇性」が良くわかると思う:

ttp://home.hiroshima-u.ac.jp/nkaoru/Landau.html

反スターリン主義者として刑務所暮らし。単に「反スターリン」なだけでなく、
"レーニンが最初のファシストだったことは明らかである"
との結論にまで達していた。

しかし原爆開発にかかわって「労働英雄」に。・・・この矛盾! 
だが、そうしなければ生き残れなかっただろう。

"ハーバード大学の図書館は、このソ連科学者の書物を、米国の著名な物理学者ファインマンの
4倍も所蔵している"

各国のアマゾンで「ランダウ・リフシッツ」を検索すれば、彼らの「物理学教程」の位置づけが
わかるだろう。
もちろん単に優れた教程を書いただけの学者ではない。1962年にノーベル賞を受賞した。

298 :世界@名無史さん:2005/09/10(土) 12:23:56 0
東善作 明治26年(1893)〜昭和42年(1967)

リンドバーグ以上のヒコーキ野朗。明治半ば石川県の小さな村に生まれた冒険好きの少年善作は
大正5年に神宮外苑で行われたアメリカの曲芸パイロット、アートスミスの曲芸飛行を見てから飛行機に夢中になり、
パイロットになりたい一心で第一次大戦真っ只中のアメリカに渡米する。
そしてそのまま戦時中でパイロット不足に悩む(開戦時アメリカのパイロットは65人しかいなかった)アメリカ陸軍航空隊に入隊してしまう。
彼が戦場に出る前に戦争は終結するが、善作は念願のライセンスを取得、日本の関東大震災の知らせを聞いた時には
ロサンゼルス上空を飛行し、被災者救済のための寄付を訴えるビラを撒いて、集めた寄付金を日本に送金したりしている。
その後アメリカで飛行機学校の助手をしたりレストランを経営したりして暮らしていたが、1930年に夢の「3大陸横断飛行」を実行することを決心する。
これは「日本の航空業界を盛り上げたい」という善作の思いと、事故死した後藤正志という彼の飛行機仲間の遺志を継いだものであった。
善作にはスポンサー付きの冒険を潔しとしない美学があったため、この大冒険の準備を全て自費で賄った。そのため準備が終わったときには彼の手元には3ドルしか残らなかったという。
そして1930年6月22日、愛機「シティ・オブ・トーキョー」とともにロサンゼルスを飛び立った善作は、その後70日間かけて
ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン、モスクワ、シベリア、そして東京と70日間かけて3大陸横断飛行をやり遂げたのである。リンドバーグの大西洋横断の僅か3年後のことである。
この大冒険で善作は一躍世界に知られるパイロットとなった。世界中が彼の勇気とタフネスに驚かされたのである。
だが善作は自分の夢と好奇心のため、なんの記録や賞金を狙うわけでもなく飛び続けた。快男児とはまさに彼のような男を指していうのだろう。

余談だが善作は日本人でありながらアメリカ軍に志願した勇気を認められ、2次大戦後にアメリカから恩給を支給されてもいる。
戦争をした国から恩給を受けていた日本人はおそらく彼一人であろう。


299 :世界@名無史さん:2005/09/10(土) 12:49:57 0
ホーレス・ド・ヴィヤー・コール(前半)

1910年2月7日ウェイマス湾で演習中のイギリス海軍旗艦に、1通の電報が
届いた。
差出人は外務次官サー・チャールズ・ハーディング。
その驚くべき内容とは、
「アビシニア皇帝陛下並びに皇太子殿下ご一行が、本日ウェイマス港を
ご視察あそばされるため、至急準備ありたし」
受け取ったメイ提督はビックリ仰天、大慌てで皇帝陛下御一行様歓迎式典
の準備に取り掛かった。
午後2時、ギリギリのところで(表面上だけ)カタチを整え終わったウェイマスに
特別列車が到着、御一行様を先導するのは、外務省ハーバード・チョオモンドレイ氏
であった。
提督以下艦隊の全員が緊張して整列する中、ご一行は静々と現れ、提督の歓迎の辞
に対して、優雅なしぐさで感謝の意を表明した。
さらに、英国を代表する艦隊の威容を目の当たりにした皇帝陛下は拳を振り上げ
「ブンガ ブンガ!」とのたまわれた。
すかさず通訳のカウフマン氏が
「アビシニア語の『男言葉』で『素晴らしい』という意味です」と補足する。
提督がありがたいお言葉に感涙に咽んでいると、続いて内親王殿下が
「チャック アチョイ!」とのたまわれた。
「アビシニア語の『女言葉』で、これも『素晴らしい』という意味です」と、今度は
チョオモンドレイ氏。

いや増す感動に最早言葉も無い提督以下艦隊一同・・・のはずであったが、

・・・以下、後半へ続く

300 :世界@名無史さん:2005/09/10(土) 12:51:21 0
ホーレス・ド・ヴィヤー・コール(後半)


・・・以下、前半から続く

いや増す感動に最早言葉も無い提督以下艦隊一同・・・のはずであったが、
実は、歓迎委員会の中に一人だけ、感動するどころか顔面蒼白で恐怖に
卒倒しそうになっている人物がいた。
彼は艦隊の中堅仕官だったが、先の「チャック アチョイ!」と叫んだ内親王が
自分の従姉妹のバージニア・ウルフであることに気づいたのである。
しかし、正式な歓迎式典が始まってしまっている以上如何ともしがたく、
結局『アビシニア皇帝御一行様歓迎式典』は、滞りなく執り行われ、
艦隊全員の歓喜の声に送られて、ご一行は専用列車でロンドンに向けて
出発された。
ま、要するに『物凄く手の込んだ』悪戯だったわけだ。
当時の金額にして実に4000ポンドを投じて、物凄い悪戯を仕掛け、栄光ある
ロイヤルネイビーをまんまとおちょくってしまったのである。
この事件で首謀者であったのが、自称外務官僚チョオモンドレイ氏、
その正体はホーレス・ド・ヴィヤー・コールなのであった。
コールは、これ以外にも山のような逸話を残しているが、全て基本的には
上記の様なデンで、『ヒトを騙すためなら才能も財産も惜しげなくつぎ込む』
というのが、彼の人となりそのものであった。

彼は、幾多のエピソードによって証明される『天才的な発想』を持ちながら、
この才能を『ヒトをからかう事だけ』に使い、死んでいった。
まさに『栄光なき天才』といえよう。

301 :世界@名無史さん:2005/09/10(土) 16:40:28 0
サルバドール・アジェンデ(1908〜1973)

「サンチャゴに雨が降る」

チリの政治家、医師。
1970年大統領選に勝利し、世界初の自由選挙による社会主義政権が樹立された。
企業の国有化、農地改革など社会主義政策を推進した。
しかし、社会主義が南米に波及することを恐れたアメリカの工作により
1973年9月11日、陸軍大将のピノチェトによる軍事クーデターが発生、大統領
官邸が攻撃され、大統領自ら銃を手に取り応戦。砲弾が飛び交う中、最後の
ラジオ演説を行い、その後自殺した。

302 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:15:55 0

ゼンメルワイス1847〜1865

1847年ウィーンのゼンメルワイスは、やはり産褥熱が伝染することを唱えた。彼はナー
スだけが治療する病棟では産褥熱があまり起こらず、医師や学生が治療する病棟では産褥熱の
発生率が高いことを知っていた。
そこで、彼は患者の治療にかかる前に必ず手を石炭酸で洗った。産褥熱の発生率は劇的に下がった。
しかし彼の主張は医師から猛烈な反発を受けた。彼は嘲笑され、つまはじきされて、精神病
院でなくなっている。



303 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:20:32 0
中村カネト

天竜峡より南、愛知県三河川合間66. 9qは、天竜川の浸食(しんしょく)による険しい地形
の続くところです。矢作(やはぎ)水力・東邦電力・伊那電気鉄道・豊川鉄道の4つの会社が
共同で作った「三信鉄道株式会社」が設立され、工事が進められました。あまりにも険しい地
形のため、北海道よりアイヌの酋長(しゅうちょう)である川村カネトに測量をお願いしまし
た。危険な大工事のすえ開通したのは1937年(昭和12)です。掘ったトンネル171本、鉄橋97
本ということから、どれだけ難工事であったことかがうかがわれるでしょう。「三信地下鉄」
と言われるほどでした。


304 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:24:47 0
訂正:川村カネト

川村カネトは1893年北海道旭川市でアイヌの酋長の息子として生まれた。幼年時代蒸気機関車
を目にし,心を打たれ鉄道の仕事に就くことを決意。学校を卒業後,測量人夫となり,アイヌ
という理由で給料を半分にされるなど多くの悔しさを味わいながらも勉強を重ね,測量技手の
試験に合格。鉄道員札幌講習所を卒業し,1909年鉄道省の測量技師として北海道の鉄道建設の
先頭に立った。

25年から天竜峡―三河川合間の測量のために本州に上陸し,山岳が天竜峡谷にせまる荒々しい
地形,岩盤の崩れやすい中央構造線にそった未開の山間を命がけで測量。29年には天竜峡―門
島間の線路工事現場監督として,地形が厳しい上に軟弱な地質で水害など悪条件が重なる難工
事を完成させた。天竜峡トンネルでは工事のどさくさにまぎれて生き埋めにされそうになった
こともあった。樺太や朝鮮などで鉄道測量を手がけた後,旭川市の河村アイヌ記念館の館長と
してアイヌ民族の文化保存に尽力した。60年には飯田市を訪れ講演も行っている。77年1月に
人生の幕を閉じた。



305 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:33:07 0
>>302
18歳で亡くなったの?

306 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:55:35 0
鈴木梅太郎1874〜1943(明治7〜昭和18)

農芸化学者。東京帝大を卒業後、クワの研究などで実績を積み、ドイツ留学後は盛岡農林学校で、当時深刻な社会病であった脚気の治療法について研究するようになる。
鈴木はニワトリの白米病と脚気の共通点に気づき、ニワトリに米ぬかを混ぜた餌をやると白米病が治ることから、米ぬかに脚気に効く未知の成分が含まれていると推定、
研究の結果それをついに発見。それが後に「ビタミンB1」とよばれる成分であった。
鈴木はその成分を「オリザニン」と名づけ論文を発表するが、日本国内で彼の発見は完全に黙殺されてしまう。
ビタミンという成分を名づけたのはポーランドのカシミール・フンクである。フンクの論文発表は鈴木のそれの8ヶ月後。
もし鈴木がヨーロッパで論文を発表していたら、今頃我々は「オリザニンA」とか「オリザニンC」とか呼んでいたかも知れなかったのだが…

307 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 02:26:26 0
ヤーノ・サーリネン (1945〜1973) 

1970年代前半に活躍したフィンランド生まれのオートバイレーサー。
若い頃氷上レースをしていた経験を生かし、コーナーリングの際に大きく片肘と片膝をコーナー
内側につきだす「ハング・オン(ハング・オフとも言う)」を編み出した。
1972年にロードレース世界選手権250ccクラスでチャンピオンとなり、1973年からはヤマハの
ワークスチームに加入。250ccと500ccクラスに参戦し、両方のクラスでチャンピオンの
最有力候補であったが、5月、イタリアのモンツァサーキットでの250ccクラスのレースで
多重事故に巻き込まれ、27歳の若さで亡くなった。

ヤーノが編み出した「ハング・オン」は後にケニー・ロバーツ(アメリカ人・1978〜1980年の500cc
チャンピオン)が発展させ、現在ではライディングスタイルの主流になっている。

308 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 02:46:22 0
>>306
理化学研究所ではそれなりの職を得ていたので
「栄光なき」とまでは言えないと思う。
世界的名声をつかみ損ねてちょっとかわいそうなのは
事実だが。

309 :青騎士たちへの挽歌:2005/09/11(日) 16:02:27 O
アウグスト・マッケ(August Macke)
[1887.1.3ルール河畔メシェデ生〜1914.9.26シャンパーニュ、ベルテ没(戦死)]

1901-1905 デュッセルドルフのアカデミーに学ぶ。その附属の工芸学校でエームケに師事。
1907- ベルンハルト・ケラー(後にマッケの妻となったエリザベートはその姪)と共にパリに旅行。
     冬にベルリンのロヴィス・コリントの許に行く。
1908-  パリに二度目の旅行。
1909-1910 ケデルンゼーに。
ミュンヘン新美術家協会に加わる。マルクと識り合う。
1911-  年刊誌『青騎士』の編集に加わる。
第1回『青騎士』展に3点の絵画を出品。
1912- 第2回『青騎士』展には12点の素描とカタログに材質の記されていない作品を出品。
ケルン・ゾンダーブント展に出品。
9月マルクと共にパリにドローネを訪れる。
1913- 8ヶ月間トゥルネール・ゼーに居住。
1914- クレー、モワイエと共にチュニジアに旅行。
8月に召集される。



310 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:57:46 0
アルフォンソ10世 1221-1284

レコンキスタの英雄で「聖王」の称号を送られたフェルナンド3世の息子。
「七部法典」の編纂に代表される法律の整備、聖母マリア頌歌集、「大歴史」の編纂など、
その文化的功績は多大で「賢王」の名をおくられる。
が、その一方で親父の功に便乗したアフリカ遠征には失敗、その結果、国内のイスラム教徒の反乱を招き、
さらにそれらを収める為にとった中央集権的姿勢が、世論と貴族等の反感を招き、王位継承権をめぐって次男サンチョ王子との決裂を迎えるなど、
政治的、軍事的にはボロボロ。骨肉相食む政争の結果、セビリャに追い込まれ、1284年、無念の死を迎えた。

むしろこういうのは栄光ある悲劇的人生というべきなのかも。


311 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 14:33:59 0
キッド・マッコイ 1873-1940

元ボクシングミドル級王者。本名はノーマン・セルビー。
少年時代に父親の経営する農場から家出し、貨物列車に潜り込んでアメリカ中を放浪、生活費を稼ぐためにボクサーとなる。
このときプロモーターに「若すぎやしないか」と問い詰められ、年齢を誤魔化していた少年セルビーは「童顔だからね。リングネームもそれでいい」
と適当に答えた。それがなぜか本名として定着することになる。
デビューするとマッコイはその天性の強打で頭角を顕し、順調に世界への階段をのぼる。観客の間で評判になったのはそのパンチ力だけではなく、相手を騙すテクニック、「リングのペテン師」としての天才ぶりだった。
試合中に相手に「おい、あそこにスゴイ美人がいるぞ!」と声をかけて油断した隙にパンチを打ち込む、ピンチになるといきなりリングに画鋲をまいて相手を驚かせ、ダメージ回復の時間を稼ぐ…など等。
1896年にタイトルに挑戦したときも試合前に王者ライアンに「実は俺は心臓病なんだ。KOだけは勘弁してくれ」と耳打ちし、真に受けて決定打を放棄した王者をまんまと最終回に逆転KOしてしまう。
勿論、そうしたペテンだけでなく、有名な必殺ブローも発明している。それが漫画によく登場する「コークスクリュー・ブロー」である。
拳にひねりを加えて威力を倍加させるというもので、猫がじゃれる姿を見て思いついたのだという。彼はそういう風に色々工夫をこらすのが好きであった。
戦績も13連続KOを含む81勝(35KO)6敗9分と立派だが、ヘビー級の名王者ジム・コーベットへの挑戦は残念ながら5回TKOで一蹴されている。その辺りが彼の限界だったのだろう。
1906年に引退後には俳優としても活躍、ニューヨークでジムも経営した。そこでマッコイは入門志願の若者がくると「君の後ろにいるのは誰だい?」と声をかけ、思わず振り向いた若者にいきなりパンチを見舞い、こうまくしたてたという。
「いいか、ボクシングでは誰も信用してはいけないんだ。自分が全てなんだ。これを肝に命じて練習に取り組んでくれ…」
周囲から見ると順風満帆な人生であったが、1940年にデトロイトのホテルで謎の自殺を遂げる。生活も安定し夫婦仲も円満だったため原因はついにわからないが、そうした一見順調な人生もリングのペテン師の仮面の一つに過ぎなかったのかもしれない。


312 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 19:40:34 0
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン(Erich von Manstein)
ドイツ・最終階級:陸軍元帥・1887〜1973

1887年ベルリン生まれる。
26歳で陸軍大学に入学する。(同期に電撃戦で有名なグーデリアンがいる。)
1906年陸軍に入隊、第2近衛連隊に配属される。
1929年作戦課課員として、ドイツ国防軍再建の基本プランをまとめ、頭角を現わす。
1939年ルントシュテット元帥の参謀総長としてポーランド戦に参加する。
フランス侵攻作戦では、彼の提言した「西部攻撃計画」、通称:ファル・ゲイブ(黄色の場合)により、
2ヶ月でフランスを降伏させる。
1941年東部戦線ではレニングラードに進撃、南西戦線では11軍を指揮、
セヴァストポリ要塞を奪取する。
1942年ドン軍集団司令官に昇格、元帥となる。
また、パウルス将軍救出などでも優れた作戦を計画、ドイツの躍進に大きな功績を残す。
1943年南方軍集団司令官となり、起動戦を提唱、敵の戦力を消耗させながら撤退する戦い方を
ヒトラーに提唱するも、理解されず、この後、度々ヒトラーと衝突する。
1944年クルスク戦で、ヒトラーと激しく衝突し、ついに罷免される。
罷免後は、自宅でひっそりと過ごし、1945年ドイツの敗戦にて、イギリス軍の捕虜になる。

WWUで最も功績を挙げ、めざましい活躍をした野戦指揮官で、軍師と呼ぶに相応しく、敵味方を超えて
近代戦の師として評価され続ける。

というか、こんな名将使いこなせないようでは戦争で勝てるわけない!!!

313 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 20:24:14 0
マンシュタインは軍人として極みの位まで上り詰め
戦後に回顧録を執筆してからは様々な人に賞賛され崇拝され
故国で安らかに天寿を全うしてるじゃねーか

どこが栄光なきなんだ

314 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 20:31:24 0
エルウィン・ロンメル(Eewin Rommel)
ドイツ・最終階級:陸軍元帥・1891〜1944

1891年ヴュルテンベルクに生まれる。
第124歩兵連隊の士官候補生として、ダンチヒ士官学校を卒業する。
1921年、少尉に任命される。
WWTでカポレットの戦いに参加、ルーマニア、イタリアへと転戦する。
プロイセン勲功章、一級鉄十字章、ブルー・ル・メリット章を受賞する。
WWT後、連隊長を経て、ドレスデン士官学校校長に就任する。
「第一線指揮」を執筆、ベストセラーとなり、ヒトラーの目に留まる。
WWUが始まると、ヒトラーの最高司令部護衛長となる。
西方戦役で第15軍第7装甲師団長として活躍し、「幽霊師団」の異名をとる。
北アフリカのイタリア軍を支援するため、北アフリカ・ドイツ・アフリカ軍団の軍団長に選ばれる。
歩兵戦術を駆使した柔軟な能力みせ、現地で常に指揮し、縦横無尽な活躍をみせる。
この活躍ぶりから、「砂漠の狐」の異名をとり、捕虜への紳士的な態度により、敵からも賞賛を
受けるが、アメリカの参戦により、北アフリカを後にする。
1944年連合軍のノルマンディー上陸の際には、司令官として指揮する。
ルントシュテットと連合軍上陸作戦での見解の相違があったものの、粘り強く戦う。
1944年7月17日イギリスの戦闘機の攻撃で重傷を負う。

その後、1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件への関与を疑われ、ヒトラーから自殺を強要され
服毒自殺する。葬儀は国葬となる。

才能を発揮したがゆえに死ぬ
才能はあるがそれを発揮できないまま生き残る
どっちがより悲劇的か??
凡人のオレにはわからない・・・・。

315 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 20:34:33 0
>>313
でも、戦争に負けたろ??
負けた軍人ほど惨めなものはないだろ・・・

まあ、実際はマンシュタインが好きだから
書き込んだの、すまね・・・

316 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 20:48:50 O
>>315
戦後はさほど罪に問われなかったのかね?

317 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 20:52:31 0
一応、ニュルンベルグ裁判で有罪判決受けたはず。

318 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 20:59:19 0
ウィキペディアで調べてくれれば・・・
あっちのほうが詳しいし・・・
一応禁固18年だが、4年で出た。
多分罷免されたのが大きいのかな???

でも、戦闘で勝って、戦争で負ける
軍人は悲しいってことで、「栄光なき」存在かなって
思ったんでレスした・・・。でも怒られた・・

319 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 21:25:07 O
ドイツだったら他に栄光なき天才が沢山いそうだけどな。

320 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 21:30:59 0
>>319
いるよ・・・。
でも、ゲーリングとかヒムラーとかは・・・、
なんか感じが違うだろ・・・・

321 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 21:35:59 O
オット・スコルツェニーとか。

322 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 21:43:58 0
スコルツェニーは戦後に成功してるぞ
戦中に失脚もしてない

323 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 21:48:41 O
すまん勘違いだったか。戦死したかと。

324 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 21:49:23 0
戦中に頑張ったが、その後の人生で栄光がなかったというタイプとしては、
日本陸軍の宮崎繁三郎とかかな。ノモンハンでは唯一孤塁を守り続け、
インパールでは英国軍の猛追を殿で引き受けながら撤退し、損耗は激し
かったものの、なんとか部隊ごと生還。

これだけの野戦指揮官は中々いない。なのに、戦後は瀬戸ものを売る
雑貨店の店主として生涯を終えた。その境遇に不平も不満も言わなかったという。

325 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 22:08:28 0
>>324
ごめん、ど忘れなんだけど
インパール作戦を計画した苗字3文字で
しかも読みにくい奴、誰だった???

メルダース大佐はかっこいいな・・・
オコーナーはロンメルの引き立て役だし
栄光なきではないか・・・
やっぱ、ヨードルかな・・

326 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 22:22:15 O
>>325
これはと思う人物がいたら上のレスの人々のようにちゃんと書き込めよ。

327 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 22:35:53 0
>>325
牟田口のこと?
彼は、「栄光がない」はトップ合格だけど「天才」が不合格

328 :325:2005/09/12(月) 23:24:30 0
では、話の種に・・・・
アルフレート・ヨーゼフ・ヨードル(Alfred Josef Jodl)
ドイツ・最終階級:陸軍上級大将・1890〜1946

ヴュルツブルク、ウンターフランケン生まれ
バイエルン砲兵将校出身
1939年、国防軍最高司令部(OKW)作戦部長に就任。
OKWの総監カイテルが、あまりに無能なため、
ヨードルが対ソ戦以外すべての作戦の立案をしたといわれる。
典型的な軍人タイプで、ナチスの思想や運動を嫌っていたものの、
ヒトラーの作戦決定には非常に忠実で、ヒトラーの作戦会議に常に同席、
ヒトラーの戦略に具体的なアドバイスを行うが、ヒトラーは、ヨードルのことを
快くは思っていなかったしい。
1943年、ハルダーとリストの解任に反対、野戦指揮を希望するも認められず
1944年、ヒトラー暗殺未遂事件の際、ヒトラーの横にいたため負傷する
1945年、ヒトラーの自殺後、レームでのドイツ軍の降伏文書調印の際には、
新総統カール・デーニッツとともに参加する。
戦後、ニュルンベルグ裁判にて戦犯の罪を問われ、軍人の服従義務であると
主張するも、カイテルとともに処刑される。
なお、1953年にすべての罪について、無罪とされる。

プロイセン以来の指導者に対する徹底服従という伝統を受け継いだ
最後の軍人だった・・・・

329 :世界@名無史さん:2005/09/12(月) 23:29:46 0
ドイツ軍人らしいタイプだね。

330 : ( ´・ω・) …カワイソス!:2005/09/14(水) 23:31:04 O
お仏蘭西の作家

モーパッサン

レイモン・ラディゲ

アルフレッド・ジャリ

セリーヌ


331 :酔鯨ジーモン・ジョーカー土佐守:2005/09/14(水) 23:42:17 O
名前を忘れてしまってもともこもないのだが、19世紀前半のユダヤ系ドイツ人の数学者で、貧乏+うつ病、しかも30そこそこで肺結核で死亡。 ガウスも盛んに応援していたらしいが、薄幸な一生だ。

332 :ジーモン・ジョーカー:2005/09/15(木) 01:38:56 O
【ラ・カイテル】茶坊主カイテルはともかく、ヨードルは死罪にあたいしないよね。

333 :世界@名無史さん:2005/09/15(木) 02:11:44 0
>>331
アイゼンシュタイン(F.G.M.Eisenstein, 1823-1852)のことかな?
30そこそこで死んで、死因は結核、ガウスが大変評価してた、というところまでは
あってる。
しかしユダヤ系だったのかどうかは知らないし、うつだったかどうかも知らない。

彼は特別奨励研究員みたいな地位を得ることができて、学生を教育する必要もなく
思う存分好きな研究をやって死んでいった。
その意味では幸せだったのかも。


334 :331>333:2005/09/15(木) 18:04:52 O
そう! アイゼンシュタインでした。 ありがとうございます。

335 :世界@名無史さん:2005/09/16(金) 14:45:35 0
>>242
加藤大二郎もなー

336 :世界@名無史さん:2005/09/17(土) 22:21:31 O
長野泰一

戦後まもない頃、資材や施設の無い時代、近所の農家にヨードチンキと野菜を交換してもらったりしながらコツコツと研究を重ね、効果的なガン抑制因子を発見し、学会に発表するが無視される。
後にヨーロッパはドイツで同じ物が発見され、「インターフェロン」と名付けられた。
長野は生涯「インターフェロン」と聞くと嫌な顔をしたという。


注:長野は北里研究所での研究の功績で国から勲章を貰ったりしてるので、必ずしも栄光が無いわけではない。

337 :世界@名無史さん:2005/09/18(日) 00:15:54 O
チェーザレ・ボルジアとかは?

338 :世界@名無史さん:2005/09/18(日) 01:00:22 0
さんざん人生楽しんだじゃないか

339 :世界@名無史さん:2005/09/18(日) 01:03:02 0
滝廉太郎は?

340 :世界@名無史さん:2005/09/18(日) 01:25:12 O
既出だよ。

341 :世界@名無史さん:2005/09/18(日) 01:45:25 O
ジム・ケリー

NFLの天才クォーターバック。
連続ノーハドルオフェンスという、誰も真似出来ない常識外れの戦術で、バッファロービルズを90‐93シーズン4年連続でスーパーボウルに導く。
怒涛のようなオフェンスは「K-ガンズ」と呼ばれて恐れられた。勿論、4年連続でスーパーボウル出場したチームは彼の率いたビルズだけである。
しかしワールドチャンピオンの栄光には一度も手が届かなかった。

342 :火病の皇女:2005/09/18(日) 05:13:21 O
『最後の皇女』徳恵翁主逝去

昨日[1989.4.21]午前 楽善斉にて
高宗肯定の娘で、朝鮮王朝最後の皇女であった徳恵翁主(77)が二十一日午前十一時四十分、ソウル鐘路九臥龍洞の昌徳宮楽善斉において老衰のため逝去した。
徳恵翁主は、1912年5月12日、高宗皇帝と女官梁貴人の間に生まれ、
25年4月、十三歳で日本に『連行』され、31年対馬城主の子、宗武志と結婚した。
葬儀は、全州李氏大同宗約院総親会葬により執り行われ、
墓地は高宗、明聖皇后、純宗、純宗皇后が眠る京畿道渓金市金谷洞一四一、
洪裕陵。出棺25日午前十時。744―1245。

(69)結婚三年目に宗正恵を産むが、十代からの火病は、
正恵の自殺でますます悪化していった。


343 :世界@名無史さん:2005/09/18(日) 06:24:58 0
ヘラクレイオス。何故ここまで出てこなかったのだろう・・
「シリアよ、さらば。 そなたは、敵にとり、なんとよき土地であることか」


344 :世界@名無史さん:2005/09/18(日) 23:55:38 0
ヘラクレイオスは凄すぎる。栄光はあるけど、挫折の仕方も豪快。

345 :世界@名無史さん :2005/09/19(月) 10:45:09 0
シャルンホルスト Scharnhorst Gerhard Johann David von 1755〜1813
 
 1755〜1813 プロイセンの将校・軍制改革者。
はじめハノーヴァー軍(1778),その後プロイセン軍(1801)に入隊し,ベルリンの士官学校長となる。
またブラウンシュヴァイク公の参謀長としてアウエルシュタットの戦い(1806)に参戦する。
ティルジットの和約(1807)後,軍隊再編委員会議長・参謀総長となり,開明的な将校として,
グナイゼナウ・グロルマン・ボイエン・クラウゼヴィッツなどの協力を得て,
さまざまな軍制改革を実現することになる。
彼の改革理念は,ナポレオン軍に範をとる国民軍の創設であり,
それは彼の死後一般兵役義務として実現した(1814)。
彼の軍制改革は,シュタイン・ハルデンベルクによる国家・経済の再編,フ
ンボルトによる教育政策とともに,近代プロイセンの基礎を築いたといえる。
1813年にロシア皇帝アレクサンドルと軍事同盟を結び解放戦争をはじめたが,
その後グロスゲルシェンの戦いで負傷し,プラハで没。

346 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 14:22:14 0
どこが不遇なんだかさっぱりってのが多すぎない?

347 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 17:16:02 0
イワン・カペリ

1988年のF-1はマクラーレン・ホンダの独壇場だった。プロストとセナという二枚看板に加え、最強のホンダV10エンジンを積んだマシンは史上最強といわれ、この年は16戦のうち15戦をマクラーレンが表彰台のトップを独占するという異常ともいえる一人勝ち状態にあったのである。
(ホンダのマシンのあまりの強さに翌年にはレギュレーションが変わり、ターボも廃止になった)
だから15戦目の日本GPで鈴鹿のストレートに入ってから、レイトンハウスのイワン・カペリがトップを走るプロストにアタックを仕掛けたときも、プロストの首位は揺るがないだろうと誰もが思っていた。
イワン・カペリはマシンに恵まれないドライバーであった。実力的には申し分なかったが、レイトンハウス在籍時は、まれに入賞することはあっても決勝では常にリタイアが先行してしまっていた。
彼の走りに中堅チームのマシンは十分には答えてくれなかった。ジャドのエンジンはホンダのそれと比べると劣勢は明らかであったし、ターボに対応さえしていなかった。
だがカペリとレイトンハウスには、ひとつだけホンダに対抗しうる武器があった。それは「空力の天才」アドリアン・ニューウェイがデザインしたボディである。
ニューウェイはインディカーのデザインで頭角を顕し、週に8日は風洞にいる男、とまで言われた異能の天才であった。
空力がモノを言うのは高速、特に300キロを超える超高速走行時である。ゆえコーナリングではレイトンハウスのマシンは凡庸であったが、この時は鈴鹿の長いストレートが彼らに利した。(続く)


348 :世界@名無史さん:2005/09/19(月) 17:16:47 0
(続き)
空気と対話する男とまで呼ばれた天才がデザインしたマシンは驚異的な伸びを見せ、ほんの一瞬ではあったがプロストの駆るマクラーレン・ホンダを超えてトップに立ったのである。
それは不遇の男の執念と、先鋭的すぎる男の天才に勝利の女神がほんの数秒だけ微笑み、最強のマシンを超えて世界の頂点に立つことを許した瞬間だった。
残念ながらカペリはすぐにプロストに抜き返され、結局このGPのトップもマクラーレンの手に落ちたが、レコードに残らないカペリの挑戦は人々に感動を与えた。

翌年のレイトンハウスはニューウェイが空力デザインを突き詰めすぎた為セッティングがセンシティブになりすぎ、散々な成績に終わった。
その後ニューウェイはウィリアムズでマシンを完成させ、マンセルを王者へと導いた。
カペリはその後もマシンに恵まれず(フェラーリに移るも低迷、シーズン中にクビ)一勝もあげられないまま引退した。


349 :世界@名無史さん:2005/09/20(火) 00:24:12 0
>>347-348
1988年後半戦のイワン・カペリは凄かった。
このまま初優勝するのも時間の問題だと思ったんだけどなぁ。

350 :世界@名無史さん:2005/09/20(火) 01:18:53 0
ジョン・ケイ
飛びヒ(シャトル)の発明で有名。生産性の向上につながったが、
織布工達の襲撃に会いフランスに亡命し没した。
彼が評価されるようになったのは20世紀になってから。

351 :世界@名無史さん:2005/09/20(火) 18:09:59 O
意外にまだ出てないマルキ=ド=サド。
不滅のサド文学を残すも、そのおかげで人生の3分の2はムショ暮らし。

352 :ザッハートルテ:2005/09/20(火) 22:01:41 O
ザッハートルテに名を残したザッヘル・マゾッホは既出?

353 :世界@名無史さん:2005/09/20(火) 22:48:56 0
ttp://shop.yumetenpo.jp/goods/d/e-entree.com/g/z001/index.shtml
> [商品名]
>ザッハトルテ(直径12cm)
>[商品説明]
>ウィーンの天才菓子職人フランツ・ザッハの代表作的な世界で最も有名なチョコレートケーキ!
>(以下略)

ウソつくなよ。


354 :世界@名無史さん:2005/09/21(水) 18:59:50 0
ユーゼフ=ポニャトフスキ
ポーランド王位継承者にしてフランス陸軍元帥。祖国再興のため軍人として
死力を尽くすも果たせず、モスクワ遠征後1813年ライプチヒの戦いにて没。
ロシア皇帝アレクサンドルはユーゼフの力量を認め、ロシアに味方すれば
ポーランド王位を与えると約束したそうであるが・・・

355 :世界@名無史さん:2005/09/22(木) 03:34:23 0
ヨハネス・ケプラー

ケプラーの第一、第二、第三法則など
物理学、天文学における業績はすばらしいものがあるが
世界史的にはガリレオ、ニュートンの影に隠れ見向きもされない。
コペルニクスさえ、名前は出てくるというに。

微小な計算の誤差から、考えを改め(真円→楕円)
真実を見つけ出した彼は
まさしく天才だった。

356 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 15:04:32 0
ジョー・ジャクソン(Joseph Jefferson "Shoeless Joe" Jackson)

1910年代に活躍したメジャーリーガー。攻守兼備の名手で、彼が守る外野のポジションは「三塁打の死ぬ場所」と呼ばれた。
1911年、現在の新人王の規定に照らせば有資格者として初年度の年、打率4割8厘、233安打をマーク。これは2001年、シアトル・マリナーズのイチローの活躍によって見直され、そしてたちまちに更新されてしまうまで、90年間歴史に埋もれた「新人最多安打記録」であった。
また、マイナーリーグ在籍時代に裸足でプレーしていたことから「シューレス・ジョー」というあだ名で呼ばれた。
ホワイトソックス在籍時の1919年に、シンシナティ・レッズとのワールドシリーズで5000ドルと引き換えに八百長をおこなったとして球界を永久追放されてしまう。
この事件は「汚れたホワイトソックス」という意味で「ブラックソックス事件」と呼ばれ、計八人が追放処分となったのだが、ジャクソンの冤罪説を信じる人は今でも多い。
(ジャクソン自身は金を受け取ったことを認めているが、それは仲間を裏切れなかったからだという)
大陪審で疑惑を認める証言を追えて建物を出た彼に、一人の少年ファンが「Say it ain't so!(嘘だと言ってよ、ジョー!)」と叫んだという逸話が残っている。また彼を題材にした小説が80年代に映画化され、日本でも好評を博した。




357 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 20:53:48 0
顔回(がんかい)
孔門十哲の首席、字は子淵。孔子よりも30歳ほど若く、徳行は孔子をも凌ぐ。
陋巷で貧乏暮らしをしながら天命を楽しんでいたが、四十を前に夭折する。

358 :世界@名無史さん:2005/09/23(金) 23:50:33 0
ここに上がっている人間て、不遇だったり、最期が悲惨だったりはするけど、
一応栄光はある人間が多くないか?

359 :世界@名無史さん:2005/09/24(土) 00:19:38 0
>>358
本当に栄光なき人間は
大抵、歴史に残らない・・・。

遺伝の法則のメンデルなんかは
生きている間は業績が評価されなかったから
栄光無き天才と言えるかも。
確か学会に取り上げられたのは死後10年経ってから。

360 :世界@名無史さん:2005/09/24(土) 00:42:48 O
>>28
ブローティガンは日本に住んで、日本を描写する詩集も出してる。
確か「東京日記」だったかな。
その序文に「僕は戦争で伯父さんを失い、それは日本人のせいだと彼らを憎み、子供の頃、戦争ごっこで何千人もの日本人を頭の中で殺した。
戦後に日本が復興しても、彼らをサル以下の動物と思い、我々が戦争に勝ってキリスト教を教えたから彼らは人間になれたのだと思っていた。
…しかし日本の文化を知るようになってそれが気違いじみた間違いであると知った。…僕は旅は嫌いだが、日本には行かねばならないとまで思った。
…僕は伯父さんを失い、憎しみに身を任せた。しかしそれなら我々の空爆によって何十万もの家族を失った日本の人々はどうすればよいのだろうと思うようになった…」
と書いている。結構グッとくる本だ。

361 :世界@名無史さん:2005/09/24(土) 05:03:10 0
>>355
真円→楕円
というのは、神がつくりし宇宙が楕円なんて!いびつなものなんてぇ!!
と、結構ショッキングな発見だったらしい。

362 :世界@名無史さん:2005/09/24(土) 16:11:11 0
中国は明王朝の功臣なんて殆ど栄光と引き換えに不幸になっている。

363 :栄光なき…:2005/09/27(火) 00:23:20 O
ドン・チザム[?〜1945]

大戦前に支那に渡ったアメリカ人のコスモポリタン。
日米開戦後、上海からの日本の対米宣伝放送に従事する。
日本の敗戦にショックを受け、自殺。

|||(-_-;)||||||

364 :世界@名無史さん:2005/09/27(火) 03:56:30 0
シュリーニヴァーサ・ラマヌジャンが出てないやン。

365 :世界@名無史さん:2005/09/27(火) 09:36:51 0
グナイゼナウ 1760〜1831 
プロイセンの軍人。オーストリア軍、アンスバハ軍に入隊、アメリカ独立戦争に参加。
その後、プロイセン軍に勤務し,ナポレオン戦争ではティルジットの和約までコルベルク要塞を防衛。
1807年からのプロセイン改革ではシャルンホルストを助けてプロセイン軍の軍制改革を行う。
解放戦争の際にはブリュッヘル軍の参謀長となり、ライプチヒの戦いやワーテルローの戦いにてナポレオン軍を破るのに貢献。
しかしウィーン体制時には、プロセイン国王に自由主義的思想を忌避され、1816年に引退に追いやられる。
1831年ポーランドの蜂起の際に再起用されるがコレラにかかって死亡。

366 :世界@名無史さん:2005/09/27(火) 17:25:59 0
>>365
栄光のない点では、シャルンホルストの方が・・・・
プロイセン軍人は萌えるよなああ!!!!!!!

367 :世界@名無史さん:2005/09/27(火) 20:53:14 0
ベンベヌート・チェリーニ…は酷い目にもあったが、十分栄光もあるし長生きしたかな。
彫刻の天才がなかったら、ただの人格破綻した連続殺人犯だけど…

368 :ヽ( =^-゚)ノ :2005/09/28(水) 21:23:07 O
   ∧__,,∧
  ( ´・ω・)  これが有名な”トリハダーのお面”か・・・ドキドキ
  /O(`◇`)O
  し―-J .

   ∧__,,∧
  (-(`◇`)  ムズムズ・・・・
(( / つ O ))
  し―-J .

   ∧__,,∧
  ∩-(`◇`) 貧乏不遇欲望空腹 貧乏不遇欲望空腹…
  /   ノ
  し―-J

( ´・ω・)  いまだにマイナー…カワイソス



369 :世界@名無史さん:2005/09/30(金) 17:28:26 O
プギャプギャ━━━m9(^Д^≡^Д^)9m━━━━!!!!!!!!!!

↑貧乏空腹『欲情』空腹だゾ



370 :世界@名無史さん:2005/09/30(金) 18:23:37 0
まぁ、シャルンホルストもグナイゼナウも第一次大戦のドイツ装甲巡洋艦
の名前として記憶されているから、それなりに栄光は与えられているだろ。

371 :世界@名無史さん:2005/10/02(日) 14:02:05 0
カントールは悲惨だな。

無限数についての理論を発表したら、当時の数学界からすごい非難を浴びて参ってしまい、
最期は精神病院送りになった。
本人も発表するかどうか10年くらい迷っていたんだけど。

現在では常識となっている理論なんだが。

372 :万歳('◇')ゞ鳥肌実中将:2005/10/02(日) 21:13:27 O
>369

本当は

『貧乏不遇欲情空腹』なんだがな…




373 :世界@名無史さん:2005/10/07(金) 22:06:39 0
ソースタイン・ウェブレン

社会経済学者。 代表的著作に「有閑階級の理論」がある。
やたらと斜に構えた物の見方をする学者だが、それは自身の半生がやたらと不遇なせいではないかと思われる。
彼は大学卒業後に教師になるも勤務先の学校がすぐに閉校。仕方なく学生にもどり博士号を取るも就職先はなし。
妻の叔父の経営する鉄道会社に縁故入社が決まったとたん、叔父が経営不振の責任を取らされて辞職。ウェブレンも内定取り消し。
仕方なく地方の農場できつい労働に従事することになり、徐々に世を拗ねて金持ちを批判するようになった。
その後シカゴで講師をした後にようやく40過ぎに教授になるが、気難しく、聞き取れない声でブツブツと講義したり、学生全員の成績をCにしたりと学生の評判は非常に悪かったという。





374 :世界@名無史さん:2005/10/08(土) 07:45:07 0
アントワーヌ・ラボアジエ

18世紀の科学者。燃焼の原理を解明し、質量保存の法則を発見した。
また世界ではじめて元素表を作成。いずれも化学史において不朽の偉業。

王制下のフランスで徴税請負人をしていたため、フランス革命後投獄。
後断頭台で処刑される。

彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう
と彼の友人は嘆息した。

375 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 00:26:54 0
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)

日本では特に人気が高い非常に有名な印象派の画家。
代表作は「糸杉」、「ひまわり」、「アルルの跳ね橋」など。
人間性はともかくとして、画家としては間違いなく天才。

激しい性格のため人付きあいが極端に苦手で
2度の大きな失恋を経験し、仕事はどれもうまくいかず
ゴーギャンと喧嘩の末、耳を切り落とし
精神病になった挙句、最後はピストル自殺を遂げる。

彼は沢山の絵を描いたが、生きている間に売れた絵は
たった一枚だったといわれている。

376 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 17:19:37 0
アンリ4世

ブルボン朝最初のフランス王(1589〜1610)。戦乱相次ぐ国内外を鎮め、平和共存、愛国心の理想はあったと思われるが
宗教戦争、対内、対外工作などでその治世はドロドロ。重商主義的な政策を打ち出す先駆者でもあったが、最後はカトリック狂信者の短剣によって暗殺さる。
自業自得か、それとも生きた時代が悪かったのか。

377 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 17:21:52 0
>>375
ゴッホって天才というか半分以上は狂人だよな…
ミーハーな日本人は好きだけど、あれは天才の絵というより逝っちゃった絵。

378 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 18:57:41 0
シャルル豪胆公  1433−1477

ヴァロア=ブルゴーニュ家の第4代にして最後のブルゴーニュ公。
シャルル豪胆公の父はフランスと神聖ローマ帝国の間に半独立の王国を築いて隆盛を誇っていた。
百年戦争末期、シャルル豪胆公はその父の築いた国土をさらに拡大すべく周辺に征服戦争を仕掛けるも失敗。ナンシー攻囲戦中に戦死。
しかも跡取りは娘一人しかおらず、その一人娘を自身の戦死後にフリードリヒ3世の息子にもっていかれたため、彼の広大な領地は死後には全部ハプスブルグ家のものになってしまった。


379 :世界@名無史さん:2005/10/10(月) 21:13:57 O
>>378
そこからハプスブルグ家が一気に栄えるんだもんなw


380 :世界@名無史さん:2005/10/11(火) 18:02:14 O
シャルル豪胆公って、肖像画は全然豪胆そうに見えないんだが。
そんなに肝は座ってたの?

381 :世界@名無史さん:2005/10/13(木) 22:13:25 0
エンヴェル・ホッジャ(1908年 - 1985年)

アルバニアの独裁政治家、社会主義者。アルバニア労働党第一書記。1944年から1954年まで同国の首相を務めた。
ナチスに対するレジスタンスの英雄。戦後はユーゴと対立し断交。スターリン崇拝者で、フルシチョフを批判し、ソ連とも対立。
毛沢東すら批判し中国とも断交。どこからの支援もないまま国内宗教も禁じて鎖国政策を取り、社会主義を貫いた。
筋を通した闘士とも言えるが、おかげで国は貧しいまま進歩せず。
しかし今でも「あの頃は良かった」とホッジャの時代を懐かしむ人もいるとか。



382 :BENITO MUSSOLINI:2005/10/13(木) 23:14:43 O
‖苗‖ [ M ̄]
  G\[・ム・ ]
   \<▼>吉\
  ≦¥ ̄>  ≦¥ ̄>  ≦¥ ̄>
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ケ
 \\▼曲 \\▼曲 \\▼曲 \
アルバニア人は、ゾーグU世といい、ホッジャといい
ろくでもない奴を指導者にするもんだな!


 ∧_∧
( ´∀`)オマエモナー…

383 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 00:02:53 O
アルバニアって割と血も流れずスムーズに民主化したみたいだけど、実際はどうなの?

384 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 00:30:50 0
>383
血の代わりに金が流れたw

385 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 00:34:09 0
民主化はしたけれど、
その後にネズミ講が大流行して国民の間で被害が続出。
国民が暴動起こして一時無政府状態に陥った
……というニュースを観た記憶がある。

>>382
どんな奴かは知らんけど、
名前はかっこいいなあゾーグU世

386 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 00:38:53 0
木村愛二だな。

387 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 00:54:22 0
このスレであがっている米ボクシングの天才たちは本当に栄光なき天才なのかと……
まあ引退後うまく転進できなかった人を択んでいるようだから不遇で不幸ではあるかもしれない
文章自体はかなり面白くて楽しく読ませてもらっているので
今度は試しに栄光ある天才米ボクサーをあげて欲しいかなと

388 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 22:29:23 0
シュガー・レイ・ロビンソン

本名はジェームス・ウォーカー・スミス・ジュニア。1940年代から60年代にかけて活躍したボクサー。ウェルター級の世界タイトルに加え、ミドル級のタイトルを5度も獲得している。
近代ボクシング100年の歴史が産んだ最高傑作と呼ばれ、多くの専門家が「全階級を通じて史上最高のボクサー」と評するほどの天才。
デトロイトで生まれた少年スミスは、青少年スポーツセンターでジョー・ルイスに憧れてボクシングを始め、人を殴り倒す快感に目覚めるとすぐにこの競技の虜になった。
天性のリズム感の持ち主でダンスも得意だった少年スミスは、天賦の才に恵まれ、アマチュアの地区大会に出場するといきなり優勝。将来を嘱望されるようになる。
ちなみにこの時に規定の年齢に達していなかった少年スミスは、たまたま会場に来ていなかった補欠選手のレイ・ロビンソンの名前を拝借して大会に参加していた。以後引っ込みがつかなくなり、この名前を使い続ける事となる。
その後本格的にアマチュアボクシングに進出したロビンソンは全米選手権でも優勝し、あっという間にトップアマに成長。85勝69KO無敗という驚異的なレコードを残す。
プロに転向後も次々に強豪を撃破していき全戦全勝。あまりの強さに当時の王者が対戦を避け続けたため、連勝記録は40まで達した。
43年にジェイク・ラモッタの超人的タフネスに手を焼き、初の判定負けを喫するがすぐに雪辱。ラモッタとはその後宿命のライバルとして4度拳を交えるがその全てに完勝している。
その後も連勝街道をひた走り、46年にウェルター級世界タイトルを獲得。51年にはミドル級も制して2階級制覇。ラモッタに喫した初黒星後からもなんと88連勝を記録している。もはや誰も手が付けられない最強王者にまで昇りつめた。



389 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 22:37:00 0
(承前)
また彼のボクシングスタイルはただ強いだけでなく、この時代においては独創的で華麗であった。
天性のバランスとリズム感は同時代の誰よりも飛び抜けており(後年彼は俳優やタップダンサーとしてもデビューしている。実際彼はそういうキザったらしい身のこなしが似合う男であった)
それらを活かしたスタイルはモハメッド・アリやトーマス・ハーンズといった後世の黒人名ボクサーに強い影響を与えている。
80年代に活躍したシュガー・レイ・レナードの“シュガー”も、ロビンソンに憧れて襲名したものである。
51年以後のロビンソンの成績には取りこぼしが目立つようになるが、それらはロビンソンが強すぎたため、試合を盛り上げるために仕組まれたものだといわれた。
実際、リターンマッチでは別人のように相手を打ちのめしているからである(彼が5回もミドル級タイトルを獲得しているのは何度も雪辱劇を演じているからである)
しかし52年に3階級制覇を目論んでジョーイ・マキシムの持つライトヘビー級タイトルに挑み敗れた試合は別とされている。
この試合でロビンソンは試合を優位に進めながらも試合中に熱射病にかかってしまい、13Rのインターバルに動けなくなってコーナーに座ったまま試合を放棄し、TKOを宣告されてしまった。これがロビンソンの人生で唯一のKO負けであった。




390 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 22:41:14 0
(承前)
彼はリングを離れても彼らしいチャンピオンライフを満喫した。例えば欧州大陸遠征では家族や友人などの取り巻きを連れ何十台ものキャデラックで各都市に乗りつけ、試合を行った。
ラウンド毎のインターバルではわざわざ雇った美容師にいちいち髪型を整えさせる伊達男ぶり。豪華客船をチャーターし、景気よく金をばら撒き、贅沢の限りを尽くした。
65年に引退後はレストランを経営し、そこでは人気俳優などが常連であった。
戦時中に戦う国家の象徴に祭り上げられたジョー・ルイスや、反対に60〜70年代に反体制のカリスマとして担がれたアリと違い、その狭間の時代を生きたロビンソンの人生からは破滅的陰惨さがあまり感じられない。
その後ロビンソンは離婚訴訟でだまされ、無一文になり、パンチドランカーやアルツハイマー症状に苦しみもしているが、彼特有の明るさや洒脱さは最後まで失わなかったという。
晩年はシュガー・レイ青少年育成財団を設立し、福祉活動に尽力したが、89年に心不全で死去。享年68歳。
告別式には何千人ものファンが別れを惜しみ、マイク・タイソンが涙の弔辞を読んだ。
プライドの塊であり、常に「I’m the greatest!」と公言して憚らなかったあのモハメッド・アリはロビンソンをこう評している。

「俺は史上最強のヘビー級チャンピオンだが、史上最高のボクサーってわけじゃない…。その称号は、永遠にロビンソンのものだ」



391 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 23:24:16 0
リーゼ・マイトナー(1878- 1968年)

オーストリアの物理学者。放射線、核物理学の研究を行った。
当時はまだ女性の研究者に対する偏見が強く、満足な援助は受けられなかったが精力的に研究を続け、世界で初めて核分裂反応を発見した。
しかしユダヤ人であったため、ナチスの迫害を受け、ドイツのオーストリア併合後にスウェーデンに移住。
また、原爆開発の一切の協力を拒んだため、共同研究者のオットー・ハーンが第二次戦時中にノーベル賞を受賞したにもかかわらず、彼女は栄光とは無縁であった。
めげずに後進の育成に努めていたが68年にイギリスで死去。




392 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 23:41:38 0
F1ドライバーのステファン・ベロフなんかはどうでしょう?
記録さえ残らなかった、幻の天才ドライバー・・。

393 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 23:56:00 0
>>392
F−1に参戦したのが僅か1シーズン…。しかしセナよりも速かった男…だったかもね。
生きていれば、その後のF-1はセナとプロストと、彼の時代になっていたかも。

394 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 04:27:16 0
>>388-390
それのどこが「栄光なき」なのか?


395 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 16:56:46 0
いや>>387がこれまでの「栄光なき天才」と比較するのに
「栄光ある天才」を揚げてみろって言ってるからでしょ

うーん、たしかに栄光そのものという感じだけどさ
晩年不遇でもファンに愛されなくてもやっぱり世界チャンプを獲れた時点ですでに輝かしい栄光を獲得してる気がするな
アメリカ大統領になるのと同じくらいかそれ以上
世界チャンプってそれだけ特別な存在だと思う

396 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 11:34:02 0
堀井元紀・堀井新治朗

ガリ版と謄写版印刷機の発明者。コピーやファックスの普及で忘れられた懐かしのガリ版印刷は、実は日本人の発明である。
堀井元紀は明治時代の内務省の役人で、書類仕事に軽印刷機が必要と考え、独力で開発に着手。
役所仕事より発明にのめり込み、職を辞してまで没頭するようになる。息子の新治朗も三井物産を辞め、父の後に続いた。
面白いことに彼らの発明に刺激を与えていたのは実はあの発明王エジソンであった。
彼らがガリ版印刷発明に取り組んでいたのは、丁度エジソンが日本の竹を利用して電球の発明に成功したころである。
親子は明治男らしく「日本のものを外人にばかり利用されてたまるか!」とひそかに対抗心を燃やしていたのだという。
二人は家財を売り払ってようやく軽印刷機を完成させ、役所に申請をするが、いまだに毛筆を使って仕事をしていたお役所からは胡散臭い目で見られ、書類不備という名目で門前払いをくらってしまう。
この窮状を救ったのは意外にも帝国陸海軍であった。折りしも日清戦争勃発で大量の書類発行が必要だった軍が彼らの発明に目をつけたのだ。彼らの軽印刷機は命令書の印刷などで大活躍し、一躍新時代のスタンダードとなった。
さらに親子は「ミリアタイプ」という輪転機型の謄写版印刷機を発明。これは欧米でも大ヒットした。
印刷機の面では、この親子はエジソンに完勝したといえる。

(栄光なき、というかガリ版とともに発明の栄光がすっかり忘れ去られているので書いてみました)

397 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 12:40:29 0
いいかげんスポーツ選手はやめろよ!
単に王者になっただけで世界史に残るか!
革命的な戦術を発明した奴だけにしろ。

398 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 15:00:04 O
何をそんなに必死になってんだ。
荒らされてるならとにかく、好みの問題ならスルーすりゃいいだけだろ。

399 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 17:07:31 0
>>398
いや、明らかに他の分野の人と釣り合いが取れてないよ。

400 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 19:18:14 0
しかもボクシングに偏りすぎ

401 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 19:39:34 O
面白いから俺は割りと好きだが。

402 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 23:26:45 0
>>401

自分も同じ意見です。

403 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 23:40:13 O
大衆スポーツは美術や音楽と同じく現代史や社会史の対象だし、板違いとまでは言えないと思う。
特に欧米ではスポーツの歴史も古いし、当時の社会情勢とも密接にからんでるしね。
ただ、ここ最近のプロ野球選手とか芸能人は野球板とかでやるべきだろうな。何年からは駄目とか、線引きは出来ないけれど。
まあ、内容でそれぞれ判断するしかない。
個人的には皆よく書けていて面白いと思う。

404 :世界@名無史さん:2005/10/20(木) 23:48:27 O
ゲーリー・シェロン

元エクストリームのヴォーカリストで、サミー・ヘイガーの後釜としてヴァン・ヘイレンの三代目ヴォーカリストとなる。
当時はアンチ・サミー・ヘイガーファンからは期待され、鳴りもの入りの加入だったのだが、彼の加入後のアルバム、ヴァン・ヘイレンVは全く売れず、散々な評価に終わってしまう。
後に出されたベストアルバムにもこのアルバムからは一曲も入っておらず、ほとんど存在を抹殺されているような扱いを受けている。
結局アルバム一枚で彼はクビになり、その後にはちゃっかりサミー・ヘイガーが帰ってきた。

405 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 08:01:34 0
>>404
それは天才なのかとw
栄光はなさそうだが

406 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 12:00:11 O
アンドレア・デ・チェザリス

F1ドライバー。超短気な性格で「クラッシュ・キング」、「犬も歩けばチェザリスに当たる」とまで評されたいわばクラッシュの天才。
父親がマルボロとつながりのある金持ちのボンボンで、カートレースを制した後にマクラーレンからデビュー。
「金でシートを買った」と陰口を叩かれるが本人は意に介さず、荒っぽい走りで数限りないスピン&クラッシュを繰り返し、壊したマシンは数知れず。
「ヒットマン」だとか「白昼の通り魔」だとかいうあだ名が示す通り、自分のマシンだけでなく他人も巻き込む迷惑極まりない男だった。
しかしその走りは荒いながらもツボにハマれば確かに速く、入賞回数は20度以上。マシンが安定していたジョーダン時代は素晴らしい走りを見せ、何度か表彰台にも登っている。
常にリタイアか入賞かのドライバーだった訳だが、安定性がない上に本人が無反省なので走りに発展性もなく、結局一勝も挙げられずに終わってしまった。

407 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 19:41:49 0
なら琢磨も

408 :世界@名無史さん:2005/10/21(金) 21:04:28 0
>>406
82年のモナコは惜しかったよ。アルファがグランプリ復帰後ついに初勝利を
挙げるかと思ったのに。まあピローニも惜しかったんだが。

409 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 16:13:53 0
数学者とか哲学者でも
かきこんでもいいのかい??

410 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 17:59:33 O
色々なジャンルで求む。

411 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 20:31:36 0
フェルディナント・ラッサール (1825-1864)

ユダヤ系ドイツ人の政治学者、。マルクスと知り合い、社会主義者の道へ。
1862年に「労働者綱領」を著し、当時の自由主義国家を批判し、いわゆる「夜警国家論」を説いた。
1863年に全ドイツ労働者協会(現在のドイツ社会民主党)を創設。生産組合と普通選挙による国家社会主義の実現を主張した。
その全ドイツ労働者協会の会長任期中、女性をめぐる決闘でわずか39歳で死去した。



412 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 20:50:14 0
クヌート・ハムスン

ノルウェーの劇作家、詩人。代表作に「飢え」など。
文明を批判し、人間の真の充足感を見つめる作風でネオ・ロマンチズムの旗手と評され、1920年にはノーベル文学賞を受賞。
後世のヨーロッパ文学に絶大な影響を残した。が、ナチズムの信棒者でヒットラーを賛美する作品を書いていたため、戦後にその名声は地に堕ちた。
1952年に失意のうちに死去。


413 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 22:05:56 O
ヘンリー2世なんて可哀想だな。
可愛がった息子にことごとく裏切られて…。

414 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 00:26:48 O
ペイン・スチュアート

プロゴルファー。世界一美しい、と評されたフォームの持ち主で、常にハンチング帽とニッカボッカという、英国紳士然としたクラシックなスタイルで人気を博した。
99年全米オープンで優勝し、これから全盛期を迎えると思われた矢先、自家用ジェット機の事故で死去。


415 :世界@名無史さん:2005/11/02(水) 21:11:12 0
ゲオルグ・ビューヒナー

416 :世界@名無史さん:2005/11/02(水) 22:22:28 0
龐涓

優れた兵法家であり、魏の将軍にまで出世するが、同門の孫臏(孫子)の才能に嫉妬し、罠を仕掛けてスパイ容疑をきせ、彼を足切の酷刑に処す。
そのとき同門ということで命まではとらなかったことが彼の運命を決めてしまった。
その13年後、斉と魏が戦争になると魏の将として活躍するが、斉の軍師になっていた孫臏の策略に嵌り、馬陵で包囲され
「遂成豎子之名(遂に豎子の名を成さしむ;とうとう、あの小僧に名を成さしめたか)」という言葉を残して自害した。
孫子の兵法を語るエピソードに必ず出てくるヤラレ役。

417 :世界@名無史さん:2005/11/04(金) 15:30:00 0
ヴィルヘルム2世

エゴの強烈なドイツ皇帝。ビスマルクを追い出し「老いた水先案内人に代わって私がドイツという新しい船の当直将校になった」と怪気炎をあげ、
世界政策、パン・ゲルマン主義を掲げてあちこちに介入するが、あまり成果はなくむしろ露骨な膨張主義が顰蹙を買い、イギリスやロシアなどの列強との関係を悪化させてしまう。
日露戦争で日本がロシアを破った際も黄禍論を掲げ、植民地主義を煽った。第一次大戦にも世論を煽って参戦するが、国内外の批判が高まり、ヒンデンブルグらによって退位させられ、ドイツも大惨敗。
その後ぶつくさと昔の愚痴を言いながらユトレヒトの田舎で木を伐って余生をすごしたという。

418 :世界@名無史さん:2005/11/05(土) 01:10:22 0
内田信也(船成金)

419 :世界@名無史さん:2005/11/06(日) 09:57:57 O
ヤコブ・ラインハルト・レンツ

420 :世界@名無史さん:2005/11/06(日) 10:02:32 0
評伝も書いてくれたのむ。


421 :世界@名無史さん:2005/11/06(日) 10:13:22 O
>>417
ヴィルヒルム二世は後にヒトラーに強いドイツを目指した指導者として
盛大に国葬をあげられてるからなあ…。
まあ、本人はヒトラーが復位させてくれると思ってたみたいだから、期待外れではあったかもしれないが。

422 :世界@名無史さん:2005/11/06(日) 16:57:31 0
ジャック・ビルヌーブ

ワールドチャンピョンであり、伝説的なF1ドライバー、ジル・ビルヌーブの息子。
ではなくて、同姓同名でジルの弟の方のジャック・ビルヌーブ。
つまり世界チャンピオンのジャック・ビルヌーブの叔父。紛らわしいが彼もF1ドライバー。
兄に続いてF1参戦するもまったくの鳴かず飛ばずで、決勝に進んだことさえない。偉大な兄と立派な甥っ子(しかも同じ名前)に挟まれてもがく可哀想な男である。
栄光どころか戦績もろくにないのだが、F1デビュー前は3度もスノーモービルのワールドチャンピョンに輝いたり、兄以上の天才と評された時期もあったらしいので、決して凡才ではなかった。
F1ドライバーにならなければよかったのに…。



423 :世界@名無史さん:2005/11/06(日) 17:34:48 0
最近音楽家を書いてくれる人がいない…

424 :世界@名無史さん:2005/11/06(日) 19:13:15 0
ウィルヘルム2世があと数年長生きして、第3帝国の滅亡を目撃してたら
面白かったのにな。

425 :世界@名無史さん:2005/11/06(日) 19:19:00 0
その時ヒトラーによって皇帝に祭り上げられてたらもっと面白かったw

426 :世界@名無史さん:2005/11/06(日) 19:58:12 0
チャンピョン…

427 :世界@名無史さん:2005/11/07(月) 20:37:37 O
フランツ・ヨーゼフ1世(1830‐1916)

19世紀のオーストリア帝国の皇帝。ハプスブルグ家崩壊の悲劇の中心的人物。
非常に勤勉で生真面目な人物で、わずか18歳で即位した後に素早く革命を鎮圧するなど、皇帝というより軍の官僚のような資質の持ち主。
が、その後はイタリア統一戦争、普墺戦争などに敗北。絶対王権の信棒者であったが、国内外の政情不安や民族問題にも苦慮。
オーストリア・ハンガリー二重帝国成立、普仏戦争、三国同盟…と、彼の人生はそのまま19世紀‐20世紀初頭のヨーロッパ史と言っても過言ではない。
彼がサラエボ事件で甥が暗殺された事を受け、セルビアに宣戦布告した事で第一次大戦は始まった。
激動の中で、最愛の妻や息子や弟などを次々と失い、自身は大戦中の1916年にウィーンで死去。


428 :世界@名無史さん:2005/11/08(火) 21:23:00 O
ヘティ・グリーン

19世紀のアメリカで名を轟かせた無敵の女相場師。ウォール街の魔女の異名をとった。
1835年に富豪のクェーカー教徒の娘として生まれる。子供の頃から天性の経済センスの持ち主だったらしい。加えて幼い頃から目の不自由な祖父に経済新聞を読み上げさせられたりしていたために彼女のカンは更に研ぎ澄まされていった。
1860年に両親が死去、莫大な遺産を相続する。そしてその翌年に南北戦争が勃発。
当初は南軍が優勢であったが、ヘティは最終的には北軍が勝つと見込して、二束三文だった米公債を両親の遺産をつぎ込んで買い叩いた。
するとその5年後に彼女の予想通り北軍が勝利を収め、公債は暴騰。賭けに勝った彼女は莫大な利益をあげ、一躍アメリカ有数の大富豪となる。
だが、そうした一方で彼女が異様だったのは、この時代の女性としてはおそらく世界一の資産家となりながら、同時にギネスが公認するほどにケチな倹約家だった事である。
ほとんど洗濯しない一張羅に身を包み、水も火も徹底的に倹約し、朝食のお粥も温めずに食し、ボロの安アパートを転々とするホームレスのような生活だったという。
それでいながら大陸横断鉄道に先行投資するなどしてビジネスには勝ち続け、資産をどんどん増やしていった。
1867年には大金持ちと結婚するが、抜け目なく財産の管理は完全に別ける契約をしておき、後に夫が事業に失敗して破産しても全く影響を受けなかった。あだ名通り魔女のような人物だった。(続く)


429 :世界@名無史さん:2005/11/08(火) 21:28:48 O
(続き)
だが、ビジネスに勝ち続けても人生は難しい。彼女には息子と息女がいたが、ある時息子のネッドが足に怪我をした。しかし医療費を惜しんだヘティはなかなか病院に連れていかなかった。
子供を愛していなかった訳ではなかったが、その愛情を表現するのに金がかかる事を彼女の心が許さなかったのだ。
あまりに息子が泣くので、仕方なく慈善施設の無料診療所に連れていくがその時には既に手遅れで、ネッドは壊死した足を切断する羽目になってしまう。
この事が世間に知れるとヘティは「悪魔の様な女」とアメリカ中から叩かれた。(それも仕方がないであろう)
その後も彼女は株式投機などで資産を増やし続けたが、誰からも愛されず信用されず孤独な晩年を過ごした。
息子のネッドは親を反面教師にしたのか、それとも復讐の意味合いもあったのか、ビジネスに全く興味のない放蕩息子に成長し、1916年にヘティが寂しい最期を迎えた後も散財を続けた。
息女の方は慈善事業に熱心で、ヘティの遺産を貧しい人々に分け与えたという。
全ては還るべき処に還っていったということだろうか。

430 :世界@名無史さん:2005/11/09(水) 00:08:01 0
>>428-429
久しぶりに正統派の「栄光無き天才」に出会えたきがす

431 :世界@名無史さん:2005/11/09(水) 20:23:53 O
長文書いてるのは同じ人なの?

432 :世界@名無史さん:2005/11/10(木) 19:25:45 O
サイラス・リード・ティード
空洞宇宙起源論の提唱者。

433 :世界@名無史さん:2005/11/11(金) 00:16:59 0
>>428-429
その人かぁ、「世界一のケチ」としてギネスブックに載ってたの。

434 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 08:54:32 O
ハリー・グレブ

アメリカの1920年代“ローリングトウェンティ”に活躍したボクシングミドル級王者。
“ピッツバーグの人間風車”のあだ名で恐れられ、生涯で294戦もの試合をこなした怪物。
1894年、ハンガリー系移民の息子として生まれる。本名はエドワード・ヘンリー・バーグといった。
実の母親さえぶん殴って失神させるほどの荒くれ者だった少年が殴り合いのリングに辿り着くのにさほど時間はかからず、これを天職とみた少年は16歳の時にファミリーネームの“Barg”をひっくり返してグレブと名乗り、プライズ・ファイターの道を歩み始める。
その後は場所と相手を選ばず精力的に試合をこなし、恐れ知らずのファイターとして次第に名を上げていく。デビュー2年で30試合、1年間で44試合こなした年もあった。そんな猛回転ぶりの中でついたのが上記のあだ名である。
グレブは決して強打者ではなく、また華麗なテクニシャンでもなかったが、相手を殴り倒すことにかけては天才的であった。
トリッキーな動きで相手を撹乱し、あらゆる間合いと角度から拳を叩き込む事ができ、必要に応じて反則技も自由に使いこなす事ができた。
そうしたダーティ・ファイターとしての真価は1922年にジーン・タニーに挑んだ全米L.ヘビー級タイトルマッチで発揮される事になる。(続く)

435 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 08:56:32 O
(続き)
この試合でグレブは初回に頭突きでタニーの鼻をへし折ると、その後は肘打ち、膝蹴り、裏拳、ヘッドロック、関節技にスタンプキックと総合格闘技なみの肉弾戦を展開。
ありとあらゆる裏技を駆使して、後にあのジャック・デンプシーを破ってヘビー級世界王者に輝く事になるタニーを半死半生にして病院送りにしたあげく、まんまとベルトをせしめてしまった。
(余談だがこの試合が後世「史上最もクレバーなヘビー級王者」と評されたタニーの生涯唯一の敗戦であった)
グレブはその翌年の23年に勢いに乗ってジョニー・ウィルソンの持つ世界ミドル級のベルトも強奪。風車の勢いは遂に世界をも飲み込んでしまう。
また、グレブは逸話の多い男としても知られている。たとえば彼はプロになってからはほとんど練習をしなかったといわれる。
代わりに何人ものガールフレンドを連れてドライブに興じ、適当な相手を見つけてはストリートファイトに明け暮れた。それが彼の「練習」であった。
また、その愛人達を試合前の控室に連れ込み、一通り愛してから試合に臨むのが常であったという。試合前に既に何戦もこなしていることがざらであったらしい。

436 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 09:01:52 O
(続き)
そんな風にリングの内でも外でもやりたい放題のグレブであったから、当然激しい批判にも晒された。
彼は全米を旅しながら、「グレブの上がらなかったリングはない」というほどアメリカ中で試合を行ったが、どこの街でも彼はヒールであり、ブーイングで迎えられた。
ボクシング発祥の地である英国で試合をした時は「品格に欠ける」と母国の行儀の良い観客達を怒らせ、それに対する反発が新聞で物議をかもしたりもした。
彼の不遜な態度とダーティな試合振りは、常にマスコミの攻撃の的であったが、一方でそんなグレブを支持する人々もいた。
男らしさとその不文律を愛した文豪ヘミングウェイなどはその一人で「ハリー・グレブを知らないという事は、我々の時代のアメリカの最も偉大な人物を知らないのと同じ事だ」などと評して、この拳雄を絶賛した。
そんなグレブにも落日は訪れる。実はグレブは1921年にある試合でサミングされて以来、彼の右目は視力をほとんど失っていた。世界王者になった時にはすでに片目は完全に失明していたという。
その状態で戦い続け、3年間で6度の防衛に成功した事は驚異的であったが、残った左目も自身の砕けた鼻骨が入り込み、急速に光を失ってしまう。
1926年にタイガー・フラワーズに判定負けを喫してタイトルを失った時には、グレブはほとんど全盲状態であったという。
やむなく引退を余儀なくされたグレブだったが、フラワーズへの復讐を誓ってすぐに再起を決意する。だが、不幸な事にそうしたあくなき闘志が彼自身の命を奪ってしまう事となる。
再びリングに上がる為に臨んだ視力回復の手術に失敗。それがもとで感染症を患い、26年の10月、グレブは突然この世を去った。享年32歳。
時代を駆け抜けた人間風車の、予想外の急停止だった。

437 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 09:44:32 0
ボクシングという文字が出た瞬間に読むのをやめる

438 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 10:53:14 O
>>434−436
あなたの文章はなかなか面白い。

439 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 21:04:18 0
今回も面白かった

440 :世界@名無史さん:2005/11/13(日) 23:14:13 O
フレッド・ホイル

宇宙論におけるセオリーであるビッグバン・セオリー(要は宇宙には始まりと終わりがあるという説)に徹底的に噛みつき反論し続け
定常宇宙論(要は宇宙は永遠に変わらないという説)を掲げ、冷や飯を食わされても数十年に渡って戦い続けた男。
まだ決着がついたとは言えない。

441 :世界@名無史さん:2005/11/14(月) 19:53:40 O
ならディラックの大数仮説もそうだな。

442 :世界@名無史さん:2005/11/14(月) 23:56:08 0
>>434

自分はボクシングはあまり興味ないけど、あなたの文章は好きです。
ボクサーにはいろんな人がいるなあ。

443 :世界@名無史さん:2005/11/15(火) 00:08:02 0
本人乙

444 :世界@名無史さん:2005/11/15(火) 00:53:03 0
自分でその原理を発見しておきながら、数式上の幻想に過ぎないと否定した量子説が発展し、
自分で見つけておきながらその存在を否定した宇宙項が近年になって復活している。
そういう意味じゃアインシュタイン先生も恵まれてないなあ。

445 :世界@名無史さん:2005/11/15(火) 02:48:37 O
不確定性原理のハイデルベルグも、なんか恵まれてなくなかった?
調べてないでスマソ。

446 :世界@名無史さん:2005/11/15(火) 16:24:24 O
>>434
ボクシング以外も書けばいいのに。

447 :446:2005/11/15(火) 20:55:49 O
あ、ゴメン。ボクシングもの書くなって事じゃないよ。
別のジャンルもトライしても面白そうなのに、って事です。

448 :世界@名無史さん:2005/11/16(水) 21:15:06 0
ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)

19世紀のロマン主義作家。代表作に「レ・ミゼラブル」「ノートルダム・ド・パリ」などがある。
私生活のほうは災難続きで、20歳の時に兄の恋人を奪って結婚するがそのために兄が発狂、長女は事故死、次女も発狂、妻、息子、孫、愛人に次々に先立たれ孤独な晩年をすごした。
政治家として活躍していた時代もあるが、そのせいで18年間も母国フランスを追放される始末。
「レ・ミゼラブル」の主人公ジャンそのものの苦難の生涯を送った。

449 :世界@名無史さん:2005/11/16(水) 21:21:52 0
でも、あちこちの女と嵌めまくれた男でもある

450 :世界@名無史さん:2005/11/16(水) 21:43:00 0
>445
あえてナチ政権下にとどまって、亡命者続出でがたがたになったドイツの物理学が崩壊するのを
防いだのに、それがためにナチ信奉者と思われた。
とくに亡命直前の師ボーアと会話した際、当局に身辺を探られていたハイゼンベルクは盗聴を恐れて
もって回った表現をせざるを得なかったことが誤解を生み、彼がナチの原爆開発中心者である
という誤った情報が連合国側に伝わった(そのためハイゼンベルク暗殺計画が実行寸前まで
行った)。

しかも戦後になり「自分は良心に従って原爆開発に関わらなかった」(ナチ高官に対し原爆の実現
可能性を過少に見積もった説明を行い計画を停止に追い込んだ節すらある)と発言したことが、
ナチの脅威を前にしたとはいえ良心を一時棚上げにして大量殺人を可能にする兵器の開発に
従事してしまった多くの元同僚たちの痛いところを突いてしまい、その多くと絶縁状態に陥った。

451 :世界@名無史さん:2005/11/16(水) 22:13:17 0
>>450
>ハイゼンベルク暗殺計画が実行寸前まで

すごいな。ハイゼンベルクってそんな豪快な苦労をしてたのか…
有名な理論の偉い学者さんとしか思ってなかった…

452 :世界@名無史さん:2005/11/16(水) 22:30:34 O
ローレライ・システム

453 :世界@名無史さん:2005/11/16(水) 22:37:26 0
お定の正体
http://note3.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=YIU36343&n=YY

定ちゃんの。日本史板【雑談スレ】もどき。パート2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130763813/l50


454 :世界@名無史さん:2005/11/17(木) 21:37:10 0
ヴィクトル・ユーゴーは今なお世界的な名声を勝ち得ている作家ですが?
私生活が不幸であればさえよいというのはどうかと思うよ

455 :世界@名無史さん:2005/11/18(金) 21:44:56 0
ボー・ブランメル

456 :世界@名無史さん:2005/11/20(日) 04:15:51 0
ただ、ハイゼンベルグに関しては評価が分かれる。

ナチ信奉者ではなかったというのは
一般的に認識されていることであるが
彼が、原爆を作る能力が無かったのか
原爆を作る能力はあったが作らなかったのかについては
意見がわれる

457 :世界@名無史さん:2005/11/20(日) 14:49:23 O
マイケル・ヴェントリス (1922-1956)

イギリスの建築家。
14歳の時に、アーサー・エバンズがクレタ島から発掘したヨーロッパ最古の文字である「線文字B」に出会い興味を持つ。以後独学でこの解読に取り組む。
本業はあくまで建築家で、解読はただの趣味だったが、天才的な分析力を発揮して、解読は不可能と言われた古代文字を1952年についに解読。「線文字B」が最古のギリシャ語である事を証明した。
しかし本業の方では挫折し、やりたい仕事ができない事を悩んでいた。
56年9月のある日、深夜に独りで車に乗って外出し、路駐してあったバスに突っ込んで即死。
遺書はなかったが、恐らくは自殺であったと思われる。まだ34歳だった。

458 :世界@名無史さん:2005/11/20(日) 15:00:19 0
>>455
本人に特に何か業績があるわけではないのに、伊達男の神話を
打ち立てたのだから、栄光なき天才とは言いがたいのでは。

459 :世界@名無史さん:2005/11/20(日) 17:26:30 0
栄光なき天才ってすごいことやってるのに業績が正当に評価されてないって意味じゃないの?
ヴェントリスなんか中高で世界史選択してれば必ずお目にかかるほどの有名人だし
なんか違う気するなあ
じゃあおまえがなんか出せって言われると学がないので困ってしまうのだけれどorz

460 :世界@名無史さん:2005/11/20(日) 20:37:26 0
>456
連合国が終戦後ハイゼンベルクほかドイツの物理学者を抑留してたさい機密情報を
漏らすかもしれないと盗聴をしてたのですが、BBCの原爆投下の一報を聞いた数時間後に
彼が原爆に必要なウランの量と方式をかなり正確に推定した会話が残されてるそうです。
正解をヒントとして、迷路を逆にたどるように正解にたどり着く方法を数時間で推理して
答えを出したのか、それともすでに知っていた答えをそのときまで周りに明かしていなかった
だけなのか。

461 :世界@名無史さん:2005/11/20(日) 21:40:38 0
扶蘇

始皇帝の長男、二世皇帝として嘱望されたが
宦官の趙高らによる偽の命令書によって自裁
結局胡亥が即位して秦帝国は滅亡の道をたど
る。

禰衡

知識に優れたが権力者におもねらず自身を
押し通した。奇行、毒舌がたたり訪問先で殺
された。

田豊

権謀術数に優れた軍師であったが仕えた君主が
策をとらず機を逸することしばしばあった。
同僚の讒言により打ち首にされる

462 :世界@名無史さん:2005/11/20(日) 23:41:33 O
このスレタイが微妙なんだよな。
全く栄光無いけど、面白い逸話とかが歴史に残ってるって天才はすごい少ないし。
ちなみに似たタイトルのマンガの方は、普通に栄光ある天才達の人生を描いていたよね。

463 :世界@名無史さん:2005/11/20(日) 23:59:30 0
死後も評価されなかったような人々は、歴史に名を残すことなく消えていったの
だから、「栄光なき」とはいっても、一応は名を残したが、業績に比べて知られな
さすぎるとか、生前は全く評価されずに、後世になって評価されたような人々を
探すしかないだろうね。
1のあげているガロアなんて、死後に再評価された典型で、実際の業績以上に
ガロアの名で語られることが多く、むしろ後世の過大評価のきらいもある。

464 :世界@名無史さん:2005/11/21(月) 08:59:39 0
ルグロ夫人

フランス革命前夜のある日、夫人は道で1通の手紙を拾った。
それは、政治抗争の犠牲となり、無実の罪でバスチーユ牢獄に30年も
収監されていた一人の囚人の手紙であった。
手紙を託された牢番が道に落としたのである。
手紙を読んだ夫人は、たった一人で、見ず知らずの囚人の
救出運動を始めた。実力者の家を訪ね歩いては、釈放に力を貸して
欲しいと訴えた。しかし世間からは、彼女のそうした行動に非難が
集中した。「その囚人は彼女の情夫ではないか」と下衆の勘ぐりを
する者もあった。仕事を失い、官憲からも脅迫された。だが、夫人は
屈することなく、あらゆるつてをたどって釈放を訴えつづけた。
7ヶ月の身重でありながら、真冬の道をパリからベルサイユ宮殿
へと歩いたこともあったという。数年にわたる苦闘の末、ルグロ夫人を
支持する声も高まり、彼女はついに勝利を得た。ルイ16世が、かの
囚人の釈放を命じたのだった。1784年のことである。
夫人は、1789年のバスチーユ解放を見ずして、その前年に
世を去った。が、この名もなき一人の母が解放の先駆けを作ったこと
は、永遠に歴史に刻印されるであろう。

465 :世界@名無史さん:2005/11/21(月) 23:40:14 0
>>464

凄い情熱と行動力だよな。
自分が手紙を拾っても、気の毒とは思うけど
見なかったことにすると思う。

466 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 01:26:34 0
>>464
偉人

467 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 23:33:19 0
>>464
たしか、始めに王への請願が却下された時には、
「王の意思によって行われないならば、王の意思に反して行われるまでです!」
って宣言しちゃったヒトだよね。

468 :世界@名無史さん:2005/11/23(水) 22:54:45 O
フリッツ・ハーバー

469 :世界@名無史さん:2005/11/24(木) 00:33:50 O
花形 敬

470 :世界@名無史さん:2005/11/24(木) 01:09:56 0
フリッツ・”毒ガス”・ハーバーだな

471 :世界@名無史さん:2005/11/26(土) 11:55:58 0
ナサニエル・リー (1653頃―1692)イギリスの劇作家。

472 :世界@名無史さん:2005/11/26(土) 17:59:50 0
滝善三郎正信

 1868年(慶応四年)、岡山藩砲兵隊をふくむ一行が神戸の三宮神社に差しかかろうとしたところタバコ店からフランス兵が出てきてこの行列を横切ろうとした。
行列を横切る行為は供割といって武士たちにとってはもっとも無礼な行為であり厳禁とされていたため、大砲隊長の滝善三郎はこのフランス兵の割り込みを槍で阻止しようとした。
それにフランス兵たちが激怒し、タバコ店に引っ込んだあとピストルを手に出てきた。それを見た滝が「鉄砲、鉄砲」と叫んだため、鉄砲隊が発砲命令と思い込み、いっせいに射撃を開始してしまった。
それを聞きつけたイギリス公使パークスは激怒、神戸に停泊中の外国艦船に緊急事態発動を告げ、諸外国将兵が駆けつけ大騒ぎになり、翌日神戸に領事館をもつ6カ国が神戸中心地を軍事占拠してしまった。
そのうえでパークスは当時成立したばかりの新政府に事件の責任者の死罪と外国人の安全の保障を求めてきた。
日本側の射撃は空に向けての威嚇だったため、死者はでていない。死者が出ていないのにこちら側の死罪は納得できないと伊藤博文は最後までパークスと交渉したが、外国との軋轢を恐れた政府は結局この要求に屈し、岡山藩にその処罰を要求した。
「これは武士の義によるものであり、非は外国側にあり」と断わられると、政府は日本側の現場指揮官であった滝を刑事犯にしたてて事情聴取のうえ処刑を決定した。
滝は外国人検死官の立会いの前で古来の儀に則って堂々と切腹を行った。その時の様子を検死官の一人の英国海軍士官が後に自分の著書「旧日本の物語」の中で書いている。彼は「ハラキリ」を見たはじめての外国人だった。
そして英国新聞「イラストレイテッド・ロンドン・ニュース」がこの事件を銅版画入りで報じたため、欧米で「日本のハラキリ」が一大センセーションを巻き起こした。
もっとも、その意味するところは長い間理解されなかった。

473 :小泉八雲:2005/11/27(日) 07:54:50 O
…そして日本人の性格に存する多くの
不思議な感情の秘訣の求めらるべきところは、
この感情にあるのである。
驚くべき勇気をもって死に向かうことよりも、
泰然自若として最も苦しい犠牲をなすことよりも、 更
に一層私共の観念の世界から見て不思議に思われることは、
これまで詣でなかった神社の前に立って、
不意に涙を催す少年の単純な深い感情である。
その少年は私共の決して感情的に認めないこと、
即ち死者に対する現在の極めて大きな負債、
及び死者に対する愛の義務を―
その一刻に自覚するのである。


   ∧∧
  (  ・ω・)  諸君たのむぜ…
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

474 :世界@名無史さん:2005/11/27(日) 14:33:55 O
ジャック・ジョンソン

20世紀初頭、差別が最も激しかった時代に拳一つでのしあがり、世界を騒然とさせた史上初の黒人ヘビー級王者。
1878年にテキサス州ガルベストンで生まれたジョン・アーサー・ジョンソンは、1897年頃からボクサーとして活動し始めた。
奴隷制が廃止されて半世紀と経っていなかったこの頃、黒人ボクサーの扱いは悲惨で、多くの州で白人との試合を禁じられていたほか、客寄せの為の前座では、大勢で殴りあい、生き残りを勝者とするバトルロワイアルなど「黒人専用特別ルール試合」が度々開催されていた。
ジョンソンはそんな中、プロレスまがいの試合をさせられたりしながらも頭角を顕していく。持ち前の強打に加え、技術的駆け引きにも長じていて滅多にパンチをもらう事はなかったという。
当時、黒人が世界王座に挑戦する事は夢のまた夢であるとされていたが、ジョンソンは諦めずストーカーの如く当時のヘビー級世界王者トミー・バーンズを追いかけ、挑発し続けた。
バーンズが海外で試合をすると、文字通り世界の涯までついていって挑戦状を叩き付けた。そして1908年に遂にタイトルマッチを実現させてしまうのである。
シドニーで行われたこの史上初の白人と有色人種のタイトルマッチで、ジョンソンはそれまで蓄積させていた白人への憎悪を爆発させる。自分より小柄な王者が大した相手でないと分かると、とどめを刺さずになぶり殺しにしたのである。
ジョンソンは延々と、嘲笑いながら王者のプライドと肉体をズタズタにしていった。バーンズが力尽きて倒れそうになると無理矢理抱え上げ、コーナーに磔にしてさらに痛めつけた。
14R、あまりの試合の残酷さに遂に地元警察が介入した。試合を警察が止めるという前代未聞のポリスストップで史上初の黒人ヘビー級王者が誕生したのだった。
だが試合会場は静まりかえり、その戴冠を祝うものは誰もいなかった。(続く)


475 :世界@名無史さん:2005/11/27(日) 14:37:37 O
(続き)
このニュースが世界を駆け巡ると、欧米社会は総ヒステリー状態に陥った。
この時代、ヘビー級世界王者とは人類の代表である事を意味し、それが白人である事が当時の支配者層にとっては当然で、またそれが彼らの人種的優越の証明とも考えられていた。
英国の作家コナン・ドイルはこの知らせを聞き「神よ、これはあまりに酷すぎる。我々は救われなければならない」と書き残している。
ジョンソンは白人達の嫉妬と憎悪の対象となったが、彼自身もそれを煽るかのように白人社会を挑発した。
当時州法で禁じられていたにも関わらず白人の美女を妻とし、シカゴで豪勢なナイトクラブを経営し、これみよがしに金歯を光らせて高級葉巻をくわえ、スポーツカーに妻と愛人をはべらせて乗りまわした。
そんなジョンソンへの迫害は凄まじく、脅迫状が来るなどは日常茶飯事で、実際にKKKの襲撃や食事に毒を入れられる事もあったという。
しかし、白人がどれ程ジョンソンを憎んでもリング上の彼は王者であり、その強さは飛び抜けていた。白人の挑戦者は次々に撃退された。
挑戦者の一人スタンレー・ケッチェルなどは、折角プロモーターがジョンソンに金を渡して「フルラウンド戦って引き分け」
という八百長を仕組んで白人達を慰めようとしたのに、途中で欲を出してジョンソンから本気でダウンを奪ってしまい、その3秒後にジョンソンの怒りの右アッパーで前歯を全て叩き折られて病院送りにされる始末だった。
アメリカの文豪ジャック・ロンドンは最もジョンソンを憎んだ人間の一人であっただろう。
ジョンソンのやりたい放題に我慢がならなかった彼は、かつての名王者で無敗のまま引退していた“拳聖”ジェームズ・ジェフリーズを説得し、打倒ジョンソンの為にカムバックさせた。
このジョンソンとジェフリーズの試合は白人社会のプライドをかけた世紀の一戦であったが、それ故に多くの人間が関わるのを恐れた。
会場候補地だったソルトレイクやオークランドは州知事や教会関係者が暴動を恐れて次々と辞退した。(最終的にはネバダ州のリノという小さな街に決まった)
当時のタフト大統領やドイルも観戦を希望したが地元警察に「危険過ぎる」と止められた。それほどこの試合を包む空気は殺伐としていた。(続く)


476 :世界@名無史さん:2005/11/27(日) 14:42:44 O
(続き)
1910年の独立記念日、遂にこの人種戦争のゴングが鳴った。が、引退してすでに6年経っていたジェフリーズと現役最強のジョンソンでは力の差は歴然としていた。
試合はまたもやワンサイドの虐殺となり、ジェフリーズは15Rにリング外まで叩き出された挙句生涯初のKO負けを喫する。レフェリーがカウントする間、観客の間からすすり泣きが始まり、広がっていった。
この一戦は映画化される予定だったが、米議会はこの試合の映像フィルムの州外への持ち出しを禁じる決議をし、事実上封印した。
この一戦の結果を知った白人が各所で黒人リンチを引き起こし、社会問題にまでなったからである。

白人達のプライドを完膚無きまで叩き潰したジョンソンだったが、その後はその反発に苦しめられた。
1912年ジョンソンは防衛戦の為に欧州に渡るが、その間に当局に抱き込まれた自分の妻の母親から誘拐罪で訴えられ、全国指名手配されてしまう。
帰国すれば即逮捕という事になり、それは即ち国外追放を意味した。
仕方なくジョンソンは防衛戦を行いながら欧州を放浪する羽目になる。
この頃になるとジョンソンも白人達の執拗な迫害に疲れたのか「ヘビー級のベルトは俺を縛るばかりだ」などとこぼしていたという。
ジョンソンがそのベルトを失うのは1915年である。アメリカに帰れない彼は、キューバのハバナでジェス・ウィラードと9度目の防衛戦を行い、26RにKOで敗れ王座を追われた。
この試合はジョンソンが帰国できるよう、当局に取り計らうのと引き換えに仕組まれた八百長であったとする説が有力であるが、真偽の程はわからない。
確かなのは彼が王座を降りた後、訴えが取り下げられ帰国できた事だけである。そしてジョンソン以後、1937年のジョー・ルイスまで黒人王者は誕生していない。

その後、ジョンソンはリングから姿を消した。
アメリカは激動の時代へと入っていくが、ジョンソンは事業に専念し、ひっそりと余生を過ごした。稀に草試合などに出る事もあったが、白人社会を挑発するような振る舞いは控えていたようである。
(続く)

477 :世界@名無史さん:2005/11/27(日) 14:43:58 O
(続き)
そして1946年のある日、ジョンソンは車の運転中道端の大木に激突し、この世を去った。
享年68歳。大戦後の混乱した時期だった事もあり、彼の死はさして話題にならなかった。

遥かな後年、封印されていた彼の記録映像はマイルス・デイビスによって音楽がつけられ、ドキュメンタリー映画として再生した。
そのサントラであり、70年代マイルスの最高傑作とも言われるアルバム「ジャック・ジョンソン」は、ジョンソンの次のようなセリフで締め括られている。

“I'm Jack Johnson,Heavyweight chanpion of the world. I'm black,They's never let me forget it.I'm black.All right.I'll never let them forget it”
「俺はジャック・ジョンソン。ヘビー級世界王者だ。俺は黒人。白人達は俺にその事を決して忘れさせなかった。だがそれでいい。俺も奴らにその事を忘れさせはしないだろう」

478 :世界@名無史さん:2005/11/27(日) 19:54:28 0
またか

479 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 00:08:57 O
長いけど面白かった。

480 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 00:25:53 0
ごめん、つまらんかった。

481 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 00:27:50 0
個人的には面白かった。
長文だけど最後まで読めたし・・・・。

482 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 09:42:50 O
栄光なき天才って感じで面白かった。時代の背景もわかるし。

483 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 19:33:51 0
「面白かった。」感想が全部同じでなんか変

484 :世界@名無史さん:2005/11/29(火) 02:16:28 0
ボクオタ出てくると雰囲気が微妙に悪くなるのがイヤ。

485 :世界@名無史さん:2005/11/29(火) 17:25:45 O
やっぱりメンデルだろな。
実績に比べ栄光なさ過ぎる。

486 :世界@名無史さん:2005/11/29(火) 17:49:44 O
ジュール・ブールデ

普仏戦争敗戦後、パリに象徴的建築物を作ろうという事になり、建築家の彼が高さ360m以上の「太陽の塔」案を出した。
頂上部が巨大な鏡になっていて、パリを照らす予定だったという。
彼の壮大なアイデアは9割方支持されてたのだが、土壇場でギュスタブ・エッフェルの鉄塔案が「軍事用にも転用できる」という理由で採用され「太陽の塔」はボツ。そうして作られたのがエッフェル塔。
彼の案が採用されていたら、パリの街の歴史も変わってたと思うが…。

487 :d〇メ〇b 大川襲名:2005/11/29(火) 18:05:59 O
北京TV「盧溝橋事件は支那共産党地下党員がまんまと引き起こした」と報道
2005年7月3日、支那のTV局北京電視台の午後4時からの番組「社会透視」内で、
支那事変の発端となった1937(昭和12)年7月7日の盧溝橋事件は、
北京守備隊支那国民党軍 第29軍に潜入していた共産党地下党員
『吉星文』『張克侠』『何基?』らが引き起こし、
まんまと抗日戦争へと発展させる事に成功したと報道した。

シナ━━━━━━(`八´)━━━━━━━!!!!!

栄光なき戦争仕掛人たち…(゚△゚)

488 :世界@名無史さん:2005/11/30(水) 20:45:27 O
ポール・ゴーギャン

489 :世界@名無史さん:2005/12/03(土) 18:35:11 0
たしかにメンデルは生きてる間は陽の目を見なかったもんなあ
テラカワイソス

490 :世界@名無史さん:2005/12/03(土) 23:41:54 0
松浦静山

織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
豊臣秀吉「鳴かずともなかして見せうホトトギス」
徳川家康「なかぬなら鳴くまで待つよホトトギス」
とそれぞれの天下人の人柄を評した詩は有名だが、この詩の作者である静山は意外に知られていない。
松浦静山は江戸時代に生きた長崎の平戸藩の名家の当主で、生涯に膨大な量の文章を残し、それを「甲子夜話」という随筆集にまとめた。
このホトトギスの詩もその中に収められているものである。静山の随筆集は郷土史や江戸時代の庶民の生活などを語る上で非常に重要だという。
ちなみにこのホトトギスの詩には続きがあって、
「鳴かぬなら鳥屋へやれよホトトギス」
「鳴かぬならもらって置けよホトトギス」
という句で結んでいる。これは時の将軍である家斉が、先に詠んだ戦国武将たちと比べて太平を謳歌して脳天気なのを皮肉ったものと、この頃の庶民のしたたかさを詠んだもだと言われている。

491 :世界@名無史さん:2005/12/04(日) 04:25:57 0
遠山静子
絶世の美女とうたわれたが葉桜団に誘拐される。
ズベ公軍団の葉桜団に浣腸され排泄物を夫に送られたりする。
最後に黒人に精子で人口受精させられる悲劇の美女

492 :世界@名無史さん:2005/12/05(月) 12:45:24 0
ニコ・ピロスマニ

グルジアの画家。居酒屋の看板など描いて日銭を稼ぎながら各地を放浪し、グルジアの自然や農民の生活などを独特のタッチで描いた。
一時期注目されかけるも、結局は画壇から認められず、孤独で不遇な人生を送った。
「木の家に住みたい」というささやかな夢すらかなわず、生涯居場所を見つけられないままひっそりとこの世を去った。

493 :世界@名無史さん:2005/12/07(水) 05:56:37 0
ある意味馬鹿でもあるが、トロツキー

494 :世界@名無史さん:2005/12/07(水) 23:31:03 0
>>150のサントス・デュモンは本当に晩年は不遇だな

495 :世界@名無史さん:2005/12/09(金) 00:18:41 O
ジョージ・ベストは一度もワールドカップ出られなかったんだよな。北アイルランド出身だから。
まあ、十分人生楽しんだんだが。

496 :世界@名無史さん:2005/12/10(土) 00:23:16 0
ヘンリー・ダーガーなんて栄光なき天才…天才だよな…きっと

本人はあの絵が発掘されてあの世で身悶えしてると思うが
俺なら自殺する

497 :世界@名無史さん:2005/12/10(土) 16:05:20 0
青木繁

明治時代の洋画家。代表作に「海の幸」など。
神話をモチーフにするなど独特の作風で日本における近代洋画家の先駆けともいわれる。
不遇の放浪生活の末に心身を病み、わずか28歳で没。
福岡の久留米市では毎年三月末に彼を偲んだ「けしけし祭り」が行われている。


498 :世界@名無史さん:2005/12/10(土) 16:13:29 0
>>496
ダーガーはやば過ぎる。
だがキモオタ引きこもりの妄想もあそこまで結実すると、天才と呼べるのかもしれん。

499 :世界@名無史さん:2005/12/10(土) 17:54:56 O
>>495
ライアン・ギグスもそうだよな。
ワールドクラスのウイングなのに、国籍がウェールズなのでワールドカップには出られない。
イングランド人の父親とウェールズ人の母親をもつハーフなんだけど、
父親がアル中のDV親父だったのでウェールズ国籍を選んだのだそうだ。
本人は後悔してないと言ってたけどカワイソス

500 :世界@名無史さん:2005/12/10(土) 18:03:37 0
>>496
俺の勝手な想像だと日本の一部のオタクは
発見されても別に身悶えすらしなさそう。

501 :世界@名無史さん:2005/12/10(土) 22:37:37 O
ダーガーってあれだよな。
日本のキモオタが同人の萌えマンガずーっと書き貯めてたようなもんだよな?

502 :( ´艸`)ププ:2005/12/10(土) 22:49:14 O

少なくとも自活していたし、
社会的には無害な人物だっただけ、
寄生しかしていない『ニートオタ』より遥かにまし。

  ∧∧
ヽ( =^-゚)ノ   だよねぇ〜♪

503 :(メ■3■)(@∀@-):2005/12/11(日) 03:11:29 O
(@∀@-) ダーガー心配のし過ぎではないか。

504 :世界@名無史さん:2005/12/11(日) 16:21:46 0
ニック・ドレイク

フォークシンガー
1948年にビルマで生まれる。パブリックスクール卒業、ケンブリッジ入学と
エリートコースを歩む。在学中にライブを見たプロデューサーから
オファーがありフォークシンガーへの道を歩み、父の反対を押し切り
ケンブリッジを中退、繊細さと静謐さに満ちた三枚のアルバムを残す。
評論家受けはよかったもののいずれも売れず失意のまま1974年に
抗鬱剤の多量摂取で死亡。享年24歳。

1990年代に入り、イギリスで再評価の機運が高まり、アルバムが再発。
ニックドレイクチルドレンといわれる多数のフォロワーを産む。
死後二十年以上たってからの遅すぎる
再評価だった。

505 :世界@名無史さん:2005/12/12(月) 20:42:09 0
レフ・セルゲイヴィッチ・テルミン

楽器テルミンの発明者。20世紀初頭のロシアの激動に巻き込まれる。
アメリカに渡るがソ連の秘密警察に拉致されシベリア送り。その後軍事技術の研究に従事させられた。

506 :世界@名無史さん:2005/12/13(火) 05:40:06 0
エリック・ドルフィー(1928〜1964)

ジャズプレイヤー。
アルトサックス、バスクラリネット、クラリネット、フルートなどを演奏。
フリージャズのさきがけ。アドリブの天才で
ジョン・コルトレーンやチャールス・ミンガスと度々セッションを行い
彼らに才能を認められていた。
また、新人賞も受賞するなどプロや業界からの評価は高かったものの
彼の演奏はあまりにも前衛的だったため、一般にはあまり評価されなかった。

そのため生前、非常に貧しい生活をしていたらしい。
真冬にストーブをたく金も無く、蜂蜜をなめて飢えを癒した。
1964年、二度目のヨーロッパツアー中にベルリンで客死した。
死因は糖尿病による発作。
ジャズミュージシャンにドラッグ中毒は多いが
彼は一切やらない真面目な男だった。

死の3ヶ月前に録られた演奏を収めた「Last Date」は
スイングジャーナルのゴールドディスクにも選ばれた名盤だが
本来ならば存在するはずの無いレコードである。

当時、ラジオの生放送で演奏するはずだったのだが
予定が合わない為、やむを得ず、
まず録音しておいて後日放送することになった。
ところが放送局が機会を逃し、その録音は放送されぬまま眠っていたが
彼の死がきっかけで、レコード化されたのである。
レコードには

When you hear music, after it's over, it's gone in the air.
You can never capture it again.
「音楽は空中に消え二度とつかまえることはできない」
という彼の言葉が最後に収録されている。

507 :世界@名無史さん:2005/12/13(火) 20:59:01 0
プロフェッサー・ロングヘア

本名はヘンリー・ローランド・バード。1918年12月19日にルイジアナ州ボガルサに生まれのピアニスト。
黒人奴隷の子孫で両親がミュージシャンだった彼はニューオリンズを拠点に音楽活動を始める。
当時のニューオリンズは様々なジャンルのミュージシャンの坩堝で、彼はサンバやジャズやカリプソなど吸収し、誰にも真似できない独自のビートを生み出す。
が、独創的でありすぎるためになかなか理解されず、30をすぎるまでナイトクラブの雑用暮らしが続く。
1949年に遂にレコードデビューを果たすと、「ボールド・ヘッド」、「ビッグ・チーフ」などのヒットを飛ばす。
これで一躍時代の寵児になったかと思いきや心臓の発作、肝硬変、肺水腫などの病を連発。
創作活動から離れてしまった彼は業界からも見放され、レコード屋の掃除夫に逆戻り。
しかし1971年。あるプロデューサーのプッシュで「ニューオーリンズ・ジャズ・アンド・ヘリテッジ・フェスティバル」に唐突に出演を果たす。
その独創的なニューオーリンズ・ピアノに「誰だあいつは」と会場は釘付けに。この時プロフェッサーすでに53歳である。
その後音楽活動にカムバックした彼は「クロウフィッシュ・フィエスタ」などの名作を発表するも、黄金時代は長く続かず、1980年にニューオーリンズの黒人街の借家で心臓発作のためこの世を去った。
才能が巨大すぎたために不遇の時代が長すぎた。大して金も儲けられなかったという。

508 :世界@名無史さん:2005/12/19(月) 15:06:17 0
飯田覚兵衛、1565 - 1632

加藤清正の家臣。
武勇に優れ、加藤家三傑に名を連ねるが、
実は当時最高建築の天才だった。築城工事を得意とし、
清正の命により熊本城築城。名古屋城、江戸城の普請にも奉行として参加。
また、朝鮮出兵の際には晋州城を攻略するために日本最初の戦車とも
いわれる亀甲車を考案。晩年は清正の息子忠広が改易されたのを
きっかけに京都に隠棲、不遇な晩年であった。

死後二百年ののち、熊本城は神風連の乱、西南戦争の
戦火に晒されるが、いずれも猛攻にもかかわらず城は落ちなかった。
西郷隆盛は「官軍に負けたのではなく、清正公に負けた」とうそぶいたと
伝えられるが、彼の名を言うものは居なかった。

しかもこの熊本城攻防戦が新政府をして、古城の価値を再認識させる
きっかけとなり、破却される予定だった日本の古城を守る結果ともなった
ことを考えれば彼は自ら築いた熊本城だけでなく、日本の古城すべてを
守ったといえるかもしれない。

509 :世界@名無史さん:2005/12/19(月) 22:44:02 O
へー、知らない人も多いなあ。
意外な人物ってやっぱりいるもんだなと。

510 :世界@名無史:2005/12/20(火) 22:45:46 0
蒋介石

511 :世界@名無史:2005/12/20(火) 22:47:10 0
>>510 バカか。おまいは・・。

512 :世界@名無史さん:2005/12/20(火) 22:48:25 0
>>510、511 自作自演乙。

513 :世界@名無史さん:2005/12/22(木) 10:53:37 O
甘粕正彦なんてどうよ。
満州建国に尽力し理想主義者で周囲や現地人の尊敬を集めながら、今の評価はかなりボロクソじゃないか?

514 :世界@名無史さん:2005/12/22(木) 14:57:32 0
甘粕はまあボロクソってほどでもないだろ。
甘粕擁護の論調で書かれた書物なんていくらでもあるぜ。

515 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 12:56:47 O
満州建国に関わったという点で、戦後は基本的に否定的な評価を受けてはいるだろうな〉甘粕
憲兵時代にやり過ぎたイメージが強いのもマイナス要因。

516 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 18:20:29 0
色々捏造すればいいじゃないか?>甘粕タソのイメージ

517 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 18:52:09 0
甘粕で思い出したけど川喜多長政も、その功績からすると語られる事の少ない人じゃない?

あの当時大陸に渡って活躍した日本人はすごい人生送ってるよなあ…

518 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 19:36:45 O
辻政信

519 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 22:13:19 O
辻は過大評価の典型だろDQN参謀が

520 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 23:42:44 O
西周

521 :世界@名無史さん:2005/12/24(土) 10:42:18 0
辻ちゃんは今何処に・・・・(⊃д`)

522 :世界@名無史さん:2005/12/24(土) 12:24:05 0
イラクの香田みたいに脳天気に紛争地帯へ足を踏み入れて
ゲリラにぬっころされた が最有力

同情の余地なし

523 :世界@名無史さん:2005/12/24(土) 12:59:46 O
その時参議院議員だったんだっけ?>辻
生死不明だからその後の選挙まで議席が残ってたらしいね。

524 :世界@名無史さん:2005/12/24(土) 19:07:11 0
榊原蕉園(1886-1917)
女流画家。美人画の名手。水野年方と川合玉堂に学び、十代から名を成した。
同門の池田輝方と親族の反対を押し切って結婚。おしどり画家と評判になった。
京都の上村松園と並んで閨秀画家の双璧と呼ばれたが、数え年32歳で病死。
展覧会のほか雑誌の挿絵、口絵に多くの作品をのこし竹久夢二に影響を与えた。



525 :世界@名無史さん:2005/12/28(水) 10:35:03 0
アルフレッド・ウォレス(1823 - 1913)

イギリスの博物学者、生物学者。モルッカ諸島で集めた標本を売るなど、金に困りながらも独自の研究を続け、進化の自然淘汰説にたどり着いた。
彼はそれを論文にまとめ、学会に発表して欲しい、とチャールズ・ダーウィンに送りつけるが、同時期に同じような事を考えていたダーウィンはウォレスが先に論文を発表しようとしたのを知りあわてて論文を作成し、同時に論文を発表することにした。
自然淘汰を先に発想したのはウォレスだったが、ダーウィンは論文の発表の際、自分の名前を先に挙げていた。そのためウォレスの名前はダーウィンの影に隠れて埋もれてしまうこととなる。
その後彼は標本採集のためにアマゾンにでかけるが、英国に帰る際に船の火災でせっかく集めた標本が焼けてしまうなど苦難が続いた。
そのせいか晩年は神懸ってしまい、自らの自然淘汰説も撤回してしまった。結局学会から認められることなく不遇のうちに世を去った。
今では彼が発見した「ウォーレス線」という生物の生態系が変化する境界線にその名が残るのみである。


526 :世界@名無史さん:2005/12/28(水) 11:10:29 0
>>517
>あの当時大陸に渡って活躍した日本人はすごい人生送ってるよなあ

大陸浪人の大物TOP3

小日向白朗 中国の馬賊の元締め
里見甫   中国のヘロインの元締め
城野宏   山西省の軍司令官

527 :世界@名無史さん:2005/12/28(水) 11:37:16 0
>525
晩年のウォレスが降霊術にはまって神がかったのは事実だけど、自然淘汰説は撤回していなかった…はず。
(グールド先生の本からの受け売りだけど)ウォレスはダーウィン以上に自然淘汰説を金科玉条としていたため、
生存に役立つわけではない知能や感情といったものが人間に発達する必然性がないという矛盾に直面して
「人間だけは神によって特別に作られた」というような考え方にシフトしていったらしい。

528 :世界@名無史さん:2006/01/02(月) 10:40:52 0
ジョルジュ・ビゼー 1838-1875

フランスの作曲家。声楽教師の父とピアニストの母をもち、幼い頃から天才ピアニストとして頭角を顕す。
「この曲を弾きこなせるのはビューローだけだろう」と豪語していたリストの新作を完璧に演奏してみせて彼を驚かせたりもした。
本人はピアニストよりもオペラなどの劇音楽の作曲家になることを夢見ていた。
が、その完成作はあまりに少なく「カルメン」などの作品が評価を得る前に他界してしまった。

529 :世界@名無史さん:2006/01/03(火) 12:37:41 0
甘粕が挙がってたので思い出したが
北一輝なんか評価も死に方も可愛そうだな。

530 :世界@名無史さん:2006/01/07(土) 12:41:01 O
詳しくないんだけど、北一輝って
226事件の「思想的指導者」って事で処刑されたんだよね?
そういう曖昧な罪状をきせられるって事は、以前から官憲に睨まれるような事してたの?

531 :世界@名無史さん:2006/01/07(土) 13:21:51 0
ハミルトン

532 :世界@名無史さん:2006/01/10(火) 23:57:11 0
シュリーニヴァーサ・ラマヌジャン

533 :世界@名無史さん:2006/01/11(水) 21:33:26 0
ラマヌジャンはなんか変人なエピソードがあったような

534 :世界@名無史さん:2006/01/12(木) 21:18:18 O
南方熊楠とか。

535 :世界@名無史さん:2006/01/12(木) 22:23:30 0
>533
港湾局の官吏に就職したけど一日中本来の業務そっちのけで数学の証明ばっかしていて、
なのに回りの人間は「彼は神から才能を与えられている」と言って一切そのことを非難しなかった、
ってこりゃインド人が変人だってエピソードだな。

536 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 00:30:10 0
>>428-429
「コミックビーム」最新号でも取り上げられました。

537 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 00:48:03 0
>>533
病気の見舞いにきた友人が話題づくりに
「そういやここに来る途中で見た車のナンバーが○×でさーつまんない数字だったよ」
って言ったら即座に
「とんでもない、それは面白い数字だYO!!!」と言ってその場で証明を始めたとか…

538 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 03:02:51 0
>537
その数字は1729。
1729 = 12^3 + 1^3 = 10^3 + 9^3
と、二つの正の整数の三乗根の和として二通りにあらわすことが可能な最小の数。
この話を振ったのは彼の最大の理解者であった、やはり一流の数学者ハーディーで、
ひょっとすると当時心身ともに弱り鉄道自殺すら図ったラマヌジャンがまだ数学の才能を
失っていないのか心配になって試したのかもしれない。

539 :sage:2006/01/14(土) 10:45:19 0
>>515
>憲兵時代にやり過ぎたイメージが強いのもマイナス要因。

あの甘粕事件の主犯は甘粕じゃなく、甘粕は周囲の人間を庇う為にすすんで人身御供になっという説もあるぞ。

540 :539:2006/01/14(土) 10:47:00 0
sageるとこ間違えた…orz

541 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 13:31:47 O


       ∧_∧   
     ミ ○<#@Д@> < 池田先生の分からぬ奴は懲らしめてやる!
      ヽ ∧_ ○))   
    ミヘ丿 ∩Д@;)  < 上田★不破兄弟こそ最高なり!
    (ヽ_ノゝ _ノ 





542 :世界@名無史さん:2006/01/14(土) 16:22:51 0
本当の栄光なき天才達は名前すらしられていないから、登場できない。

543 : ◆NTkTqravqM :2006/01/15(日) 21:57:44 0
谷山豊ハ〜?
同僚の志村五郎のほうが「天才」にはふさわしい気がするけど、
いかにも昭和の苦学生で最後には自殺してるし。
てかこのスレ数学者あんまり上がってないね。

544 :もまいら、ダマされるな!:2006/01/24(火) 00:00:13 O
★こんな《謀略説》を信奉していると大変なことになるゾ!

…反動的戦争においては、革命的階級は、
ただ自国政府の敗北のみを望むことができる。
政府軍の敗北は、日本の君主制政府を弱体化し、
支配階級に対する内戦を容易ならしめるであろう。
中国の植民地的従属のための日本帝国主義の現在の戦争においては、
日本共産主義者の行動スローガンは、
「中国の完全独立のために闘え」でなければならない。
中国ないしソヴィエト連邦に対する帝国主義戦争という状態においては、
日本共産主義者は、敗北主義者たらねばならないだけでなく、
ソヴィエト連邦の勝利と中国人民の解放のために積極的に闘わねばならない。

《売国無罪★亡国英雄★反日万歳》

そんな諸君には、栄光など永久に訪れない!

545 :世界@名無史さん:2006/02/02(木) 18:20:25 O


  ∧∧
ヽ( =^-゚)ノ   ぇ〜ぃこぅらぁ♪



546 :世界@名無史さん:2006/02/04(土) 09:16:52 O
北村透谷

大杉榮

北一輝

小林多喜二



547 :世界@名無史さん:2006/02/07(火) 00:29:45 0
>>132
スローターハウス5の映画音楽は彼の作曲?

548 :世界@名無史さん:2006/02/07(火) 04:42:00 0
>>533
ラマヌジャンといえば9才の嫁をもらって、晩年は嫁姑戦争に疲れて死んだ
エピソードが最強。

549 :世界@名無史さん:2006/02/15(水) 23:54:00 0
ニコライ・アレクサンドル・キバリチッチ
不遇というより自業自得、早く生まれすぎたって感じだが。

ロマノフ朝末の革命家にして超優秀な爆発技術者。手榴弾を発明し、
それで皇帝アレクサンドル二世を殺害して処刑される。
それだけならただのテロリストなんだが、獄中でロケットの推進に関する
論文を執筆し、裁判でも皇帝殺害についての弁護はせず、
ロシアに利益をもたらす物として論文の発表を嘆願した。
裁判所に提出されたその論文は秘匿され、彼の死後四〇年ほど経って
宇宙ブームが巻き起こった頃にやっと公表される。
真面目にやってりゃロシアロケットの父はツィオルコフスキーではなくこいつだったであろう。

550 :世界@名無史さん:2006/02/20(月) 14:01:31 O
グラーフ・ツェッペリン

未完に終わった悲劇のドイツ空母。
第一次大戦後の再軍備計画の一環として建造が計画されたが
ドイツに空母建造の実績がなかった為に計画は遅れに遅れ、
1936年にようやく日本の赤城をモデルして建造が始まるも
第二次大戦に突入したドイツ海軍がUボート建造に主力をシフトした為に完成は遅れ続けた。
そうこうしているうちに、ようやく完成寸前になった1943年に完全な建造中止命令が下され、兵装はバラされて陸の砲台などに転用された。
終戦直前に残った船体はソ連に捕獲される事を怖れ、自沈した。
が、結局ソ連によって回収されてしまい、戦後は兵器開発のテスト用の標的に使われて撃沈された。


551 :世界@名無史さん:2006/02/21(火) 20:38:42 0
人じゃないし、別に優れた艦でもない。

552 :世界@名無史さん:2006/02/22(水) 15:28:38 0
まだ名前が出てないのは…誰だろう。小池重明とか? ジョン・フィッチなんていう不遇な人もいたな。

トレビッチ・リンカーンは天才と言うより奇人変人の類か。

553 :世界@名無史さん:2006/02/22(水) 15:48:25 0
金玉均

554 :世界@名無史さん:2006/02/22(水) 17:00:29 O
>550

ドイツ客船『シャルンホルスト』を日本海軍が譲り受けて
護衛空母に改装された『神鷹』の方が遥かにまし。
ドイツの空母技術しか入手出来なかった旧ソ連は、
ミンスク(笑)のような出来損ないしか保有出来ず
冷戦に完敗したのはある意味で良かったが…。

555 :世界@名無史さん:2006/02/23(木) 01:48:59 0
Charles Cros (1842-1888)

フランスの詩人で発明家。詩人としては死後そこそこ評価された。

「録音と再生の方法」という論文をアカデミーに出したのはエジソンの
蓄音機の発明より先だったが、エジソンに先に特許を取られ、
「カラー写真(三色写真)」などの理論も発表していたが
特許は取得できず、死ぬまで貧乏だった。

詩人たちの集まるサロンには顔を出していたが、ランボーに
嫌われていたらしく、席を外したすきにグラスに硫酸を入れられた
こともあったという。



556 :世界@名無史さん:2006/02/25(土) 22:38:10 0
天才ダンサーニジンスキー。
不遇の死を遂げたところも栄光なき天才達の作品っぽい。
日本では彼の名にちなんで付けられた馬のほうが有名。
馬のニジンスキーの仔、マルゼンスキー(橋本聖子の実家の牧場生まれ)が制度のために
実力を発揮できなかったのも悲劇だ。

557 :世界@名無史さん:2006/02/26(日) 17:19:39 0
>日本では彼の名にちなんで付けられた馬のほうが有名

ハァ?

558 :世界@名無史さん:2006/02/26(日) 23:59:40 0
変なところに噛み付くんだな。

559 :馬ならみんな:2006/03/05(日) 13:32:41 O
ニンジンスキー…


プギャプギャ━━━m9(^Д^≡^Д^)9m━━━━!!!!!!!!!!



560 :世界@名無史さん:2006/03/16(木) 00:52:45 0
金九

 金日成や李承晩より半島では有名

561 :(゚B゚)つ〃 イラネ イラネ イラネ :2006/03/17(金) 20:20:54 O
しかしてその実体は

『強盗のテロリスト』


プギャプギャ━━━m9(^Д^≡^Д^)9m━━━━!!!!!!!!!!

562 :世界@名無史さん:2006/03/32(土) 23:26:39 O
もうボクサーの逸話を書く人はいなくなってしまったのか。
結構好きだったのだが。

563 :世界@名無史さん:2006/03/32(土) 23:44:01 0
>>560
金九か。
英雄のいない朝鮮では、テロリストを祀って国粋ウヨク気質を満足させるしかないからな。
>>553
金玉均こそ、朝鮮では唯一まともな改革をしようと実行した人物なのだが、
朝鮮の西太后”閔妃”を善玉にするために、殆ど評価されない人。
金玉均を再評価すると、朝鮮人のダメダメさを認めなければならなくなるから、
朝鮮人の精神構造上、評価を受けるのは無理だろうな。

564 :世界@名無史さん:2006/03/32(土) 23:55:59 O
…でも閔妃って、ただのヒス持ちの売国奴女なんでしょ?

565 :世界@名無史さん:2006/04/02(日) 20:28:36 0
小林よしのり

「愛国」「憂国」とかいいつつ、
田中康夫みたいに下半身自慢して悦んでる意味不明なひと

566 :世界@名無史さん:2006/04/02(日) 22:33:54 O
  ( ⌒ )
   l | /
  ( ̄★ ̄⊇
⊂(*‘д‘)< 造反有理!愛国無罪!
 / :=ノ∪
 し―-J |l| |   
     ノノハハ -=3 ペシッ!!

567 :世界@名無史さん:2006/04/02(日) 22:40:36 0
ミケランジェロ
レオルド ダ ビンチ
エジソン

568 :世界@名無史さん:2006/04/02(日) 22:42:43 0
ココ シャネル


569 :世界@名無史さん:2006/04/02(日) 23:02:29 0
ミケランジェロ
レオルド ダ ビンチ
エジソン



570 :ad:2006/04/02(日) 23:05:25 0
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571 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 22:32:03 O
マックス・シュメリングとジョー・ルイス

マックス・シュメリングは1905年、ドイツのクラインルコフに生まれた。
16歳の時からボクシングを始める。詳しいアマ戦積は不明だがドイツのアマチュア王者にも輝いているから、当時から将来を嘱望されていた俊英だったらしい。
1924年にプロに転向するとたちまちL.ヘビー級の欧州王座、ヘビー級ドイツ王座を獲得し、その鋭い強打で「ラインの槍騎兵」の異名をとった。
一次大戦の敗北に打ちひしがれていたドイツの人々はシュメリングの活躍に次第に熱い期待を寄せるようになり、彼もそれに応えて見せる。
1930年、チャンスを得たシュメリングは大西洋を超えてアメリカに渡り、ジーン・タニーが返上した後の王座に居座っていたジャック・シャーキーから4Rローブローの反則勝ちでベルトを奪い、ドイツ人初の世界ヘビー級王者に輝いた。
勝ち方はとにかく、実に100年ぶりにヘビー級のベルトが海を渡って欧州に帰ってきたのである。快挙は快挙であった。ドイツの人々は熱狂的に彼の凱旋を迎え、シュメリングは一躍国家的英雄となった。
その後シュメリングは初防衛戦をKOで飾り、1932年まで王者として君臨した。後にシャーキーにベルトを奪い返されてしまうが、ドイツの人々にとって、依然として彼は英雄だった。

572 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 22:34:11 O
(続き)
一方、ジョー・ルイスは1914年にアメリカのアラバマ州ラファイエットに黒人農夫の息子として生まれた。デトロイトに引越した後に少年クラブでボクシングを始めている。
アマチュアデビュー戦こそ七度もダウンを奪われた挙句KO負けと、散々なものだったが、ルイスは持ち前の闘志で発奮し、その後は天性のセンスと強打でKOの山を築いていき、全米選手権も制覇してアマで50勝34KO7敗の好成績を残した。
1934年、20歳の時にプロに転向すると彼の勢いは更に加速する。天性の強打に加えてバランスの良いしなやかなコンビネーションは絶品で、負け知らずのまま世界ランク入りを果たす。その倒し屋ぶりは全米に知れ渡り、「褐色の爆撃機」というあだ名も付いた。
黒人でありながら彼が人気を集めた理由の一つには、当時のアメリカ社会が第二次大戦前の国際情勢の悪化により、人種を問わず軍への徴兵など国民に協力を求めていた背景もあった(実際、後にルイスが陸軍に志願する様子が徴兵キャンペーンのテレビCMに使われた)

573 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 22:41:05 O
(続き)
そのルイスとシュメリングが最初に出会うのは1936年の事である。ルイスの世界前哨戦の相手に欧州王者であったシュメリングが選ばれたのだ。
ニューヨークで行われたこの試合でルイスを応援するためにヤンキースタジアムが6万人以上の観客で埋めつくされたというから、アメリカでのルイス人気の程が窺える。
しかし、この時はシュメリングが上手だった。1Rに様子を見たシュメリングは、ルイスのガードが下がる癖を見抜き、2Rに見事なカウンターでダウンを奪ってルイスを圧倒。三度ダウンを奪った上に12RにKOで勝負を着ける。ルイスはプロ初の敗北を喫した。

シュメリングはこの国際試合の勝利で再び国家的英雄として凱旋帰国するが、前回とは様子が異なっていた。まず彼を迎えたのはナチスの高官達であった。
この時ドイツは完全なナチス政権下にあり、ドイツは経済復興とナショナリズムに沸いていた。シュメリングは出国前にヒトラーから直々に激励を受けるほどの「国家の代表」になっていた。
また、元王者だった彼はナチスの標傍する「美しく自由な肉体」のモデルとして広告塔に利用され、有色人種のルイスを倒した事で、アーリア人の優秀さの象徴としても祭り上げられていく。
この事は彼にとって生涯の十字架となった。その後長い間シュメリングはナチスの協力者としての評価が固定してしまうのである。

574 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 22:46:08 O
(続き)
一方、一敗地にまみれたルイスだったが、この誠実なファイティング・スピリットの持ち主は素直にシュメリングの実力を認め、その上でそれを越えようとすぐに再起していた。
再起戦を飾ると直ぐに当時の王者であったジェームス・ブラドック(映画シンデレラマンのモデル)に挑戦し、8RKO勝ちで見事に王座を奪ってみせる。その後の防衛戦も全てKOで片付け、4度目の防衛戦の相手に再びシュメリングを選んだ。
ルイスにとってシュメリングは王者の証明としてどうしても超えねばならない壁だった。1938年、こうしてシュメリングは三度海を渡る事となった。

米独はこのすぐ後に戦争に突入する間柄である。二人の意志とは関係なく、試合前の盛り上がりは異常な熱を帯びた。この試合は単なるタイトルマッチではなく、国家間の代理戦争として歴史に記録される事になる。
ニューヨークの街頭では連日反ナチスのデモが行われた。両国のメディアも、自分達の英雄を讃える一方、敵役の相手選手を貶める事にいささかの躊躇いもなかった。
特にホームのアメリカ側のそれは酷く、シュメリングを「ナチスの食人鬼」呼ばわりする新聞さえあった。
ヤンキースタジアムは前回を上回る8万人の観客で溢れたが、その全てがルイスの応援団だった。


575 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 22:54:34 O
(続き)
二人の再戦はルイスの強打がスパークし、1Rで勝負がついた。
開始早々、今度はカウンターを取る暇も与えずシュメリングを倒すと、その後も鷹の様に襲いかかりあっという間に4度のダウンを奪いレフェリーストップを呼びこんだ。その間僅か124秒の完勝劇だった。
チャンスと見た時のルイスの詰めの鋭さは、史上どのヘビー級ボクサーよりも凄まじかった。(シュメリングはこのKO負けで背骨を負傷し、六週間入院した)
この試合でルイスは憎きファシズムの使徒を倒した英雄として祭り上げられた。アメリカの新聞は「彼は人種の誇りだ。人類という種族の誇りだ」と、人種を超えたスーパーヒーローの誕生を強調した。
更にルイスの黄金時代は続いて行く。彼はヘビー級王座に11年(途中兵役期間があるが)君臨し、タイトルを連続25度防衛という不滅の記録を打ち建てるのである。
反対にシュメリングは、自由主義の英雄に倒されるべくして倒されたファシズムの象徴として、長く人々に記憶される事となった。

576 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 22:59:07 O
(続き)
二度目のルイス戦後、帰国したシュメリングにはさらなる苦難が待ち受けていた。
ナチスによって国家的英雄に祭り上げられていたシュメリングだったが、本人はナチズムを信じていなかった。むしろ反ナチス主義者だった。
祖国の事は愛していたが、それはファシズムを容認するような種類のものではなかった。彼の妻はチェコ人でマネージャーはユダヤ人だった。
シュメリングはその両者から手を切るようにナチスから圧力をかけられるが、無視し続けた。
度重なるナチス入党の誘いにも応じず、宣伝大臣のゲッペルスに呼び出され、直々に要請されても頑として跳ねつけた。反対に知人のユダヤ人の亡命に密かに手を貸していた(後に彼のマネージャーもアメリカに亡命した)
シュメリングは次第にナチスから煙たがられるようになり、戦況が悪化すると徴兵され、落下傘兵として最前線へと飛ばされてしまう。
それでも彼は惨憺たる負け戦を生き残り、終戦と共にドイツに生還した。ほどなく正式にボクサーを引退し、荒廃した祖国に根を張って生きていく事となる。
シュメリングは意外に商才のある男で、戦後は農場の経営に成功し、コカ・コーラの国内販売権を獲得するなどして財を築いた。
そして、その利益の多くをなるべく目立たない形で慈善施設などに寄付していた。彼は地味ながらそういう形で祖国ドイツの再建に貢献していった。

577 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 23:16:02 O
(続き)
一方、戦勝国の国家的英雄であったはずのルイスは、戦後は悲惨な境遇にあった。
彼は兵役によるブランク後も王者として暫く王座に居たが、戦後の彼は既に全盛期の輝きを失っていた。
苦しい防衛戦が続いた彼は自分の時代が過ぎ去った事を悟り、王者のまま引退を決意する。
だがそんな彼に予想外の災難が降りかかった。ルイスは戦時中、自身の莫大なファイトマネーの殆どを、陸軍を始めとしてあちこちに気前良く献金していた。
だが戦後になって、ルイスはそれらの献金に対して国税局から莫大な税金をかけられてしまう。
なんの税金対策もしていなかったルイスはそれらを払いきれず滞納し、さらに追徴課税金を課されてしまう(黒人の金持ちをよく思わない国税局の嫌がらせであったという説もある)
雪だるま式の税金を払う為に雪だるま式に借金が重み、ルイスはあっという間に破産。やむなくボクサー業に復帰するが、既に彼は30代後半であり、カムバックは無惨なKO負けに終わってしまう。
その後、ルイスは仕方なくプロレスのリングへと上がる。彼の妻は「大統領が駐車場係をするようなもの」と彼をなじったが、借金苦のルイスには他に道がなかった。慣れない大仰なパフォーマンスで客寄せパンダを演じるしかなかった。
その後、追徴課税の件は市民の抗議運動のおかげでなんとかなったものの、苦労が重なったルイスは体調を崩して倒れ、車椅子生活を余儀なくされるまでに健康を害してしまう。


578 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 23:21:28 O
(続き)
そんなどん底の境遇にあったルイスに救いの手を差しのべたのが、他でもないシュメリングだった。
彼はルイスの苦境を聞くとアメリカに渡って彼を見舞い、旧交を温めた後に当時収入の無かったルイスの医療費を匿名で負担したのである。
その後ルイスはフランク・シナトラの援助でラスベガスのホテルでの接客係の職を得た。
車椅子のまま、シナトラのホテルのロビーで好きな時に客と適当に談笑していればいいという気楽な仕事で、ルイスはここで往年のファンと昔語りなどをしながら晩年を過ごした。
そして1980年に家族にみとられながらこの世を去った。静かな最期だったという。シュメリングは彼の葬儀費用の一部も負担した。

戦後のシュメリングの人生は、長い間、一部以外の人間に知られる事はなかった。彼は自分の行為を宣伝するような人間ではなかったから、世界の人々にとってのシュメリングのイメージは、代理戦争のやられ役という戦前のまま、更新されていなかった。
彼の本当の姿が一般に知られるようになったのは1990年代末になってからである(ドイツ国内の一部では何度か再評価の動きがあったが)。

579 :世界@名無史さん:2006/04/08(土) 23:22:57 O
(続き)
この頃、ドイツでは東独出身のスター選手が出現し、一大ボクシングブームが巻き起こっていた。そしてブームの最中、ドイツのスポーツ史を総括しようという動きが活発になり、人々はシュメリングを再発見したのである。
だが、そうした喧騒を避けるように、シュメリングはこの世を去る。2005年2月、風邪をこじらせたシュメリングは高熱から昏睡状態に陥り、二度と目覚めなかった。享年99歳。
葬儀には現職のケーラー大統領も参列し、彼の死のニュースは世界を駆け巡った。彼がいなくなってはじめて世界は彼が高潔なゲルマンの騎士であった事を知ったのだった。
もっともそんな事は、自らの意思に従い生き抜いたシュメリングにとっては、どうでも良いことだったかも知れない。

580 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 17:17:59 0
>571-578
>マックス・シュメリングとジョー・ルイス

ドイツ対アメリカの代理戦争でルイスが勝ったのは知っていたが
二人のその後は知らなかったなあ。

マックス・シュメリングは高潔な人だったんだなあ。
しかも去年まで生きていたのか。
出来ればインタビューとかして当時の事を記録して欲しかったなあ。

何はともあれ、とても面白かったです。

581 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 17:45:29 0
>571-578
>マックス・シュメリングとジョー・ルイス

長かったけどマジ泣いた。映画になりそうな良い話やね…。

582 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 18:38:14 0
ゲッペルスに呼び出されても、跳ねつけますか。

583 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 19:08:59 0
トラップ一家みたいにアルプスを越えてスイスへ逃げたりはしなかったのね。

584 :世界@名無史さん:2006/04/09(日) 22:22:51 O
二人とも時代に翻弄されながら代わる代わる栄光と苦難を味わうところがすごい。
本当に大河ドラマみたいだね。

585 :世界@名無史さん:2006/04/14(金) 23:05:54 0
お願いです。ぜひともジョージ・フォアマンの話を書いてください。

586 :世界@名無史さん:2006/04/14(金) 23:32:25 O
フォアマンはいくらなんでも栄光有りすぎな上に有名すぎでは。
その波乱の人生は面白いけど。

587 :世界@名無史さん:2006/04/15(土) 14:01:08 O
このスレ、栄光なき天才じゃなくて
非運の天才列伝ってタイトルの方が良かったんじゃね?

588 :世界@名無史さん:2006/04/21(金) 13:14:23 0
金九の「鴟河浦義挙」は単なる強盗殺人事件だった
日時: 2006/03/18 15:01
名前: 武島

>>560
http://www.webkammer.net/peace/cgi-bin/bbs/bbs.cgi?mode=view&no=118
金九の「鴟河浦義挙」について驚くべき資料が発見されました。
最近、開設された「アジア歴史資料センター」の資料画像です。
当時の事件記録です。
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/thistory/1592000/20060221114052145665617700.jpg

■事件発生当時の記録
@土田譲亮(Tsuchida)は対馬の「薬の行商人」だった。
A土田譲亮(Tsuchida)は4人〜5人の韓国人に、鉄の棒で殴り殺された。
B犯人は死体を川に投げ捨て、金品を略奪し、逃走した。

…つまり金九は「単なる強盗殺人犯」でした。
しかも殺されたのは「対馬から来た薬の行商人」です。
単なる一般人なのです。
この一般人を殺害し、金品を奪ったのが金九だったのです。
金九は、この「強盗殺人」を「独立運動」のように見せかけました!
その為に「俺が殺したのは日本軍の軍人だった!」と嘘を言ったのです!
これが「韓国で最も尊敬される独立運動家」ですか?

※参考
http://ameblo.jp/dreamtale/entry-10009289765.html
http://ameblo.jp/dreamtale/entry-10009324372.html

589 :世界@名無史さん:2006/04/22(土) 01:57:17 0
このスレ面白いね。今さっき見つけて、1時間くらいずっと読んでる

>>456
遅レスだが前者が正解に近いと思われる
ハイゼンベルグは天才だが彼はあくまで理論物理学者であって実際の製造に当たって生じる工学上の諸問題を解決する能力はなかった
原子爆弾の製造に必要だったのは一個の天才ではなく、様々な分野の優れた才能を結集し統合し運用するシステムだった
アメリカのみがマンハッタン計画によってそれを実現した、ドイツは大戦を通してそういった思想を持ち得なかった
実際、彼の設計した原子炉は最後まで実用に耐えうるレベルには達しなかったが、それは工学の初歩的な知見から容易に解決可能な問題による躓きであった
結局、硬直化した官僚研究体制、資源の欠如、余剰生産力の不足といった要因がドイツの原爆製造を阻んだのであり、それ以上でもそれ以下でもなかった
終戦後、彼は、「私が研究チームのリーダーとなった理由は欠陥原子炉を作ることによって原爆製造を遅らせるためであった」と語ったが、
明るみに出た種々の証言や関係書類はそれを打ち砕き、彼は弁明を止めた
ネタ本が手元にないのでソースを書けず申し訳ない

590 :世界@名無史さん:2006/04/22(土) 02:32:25 0
>ドイツは大戦を通してそういった思想を持ち得なかった
V2ロケットの例もあるので、物によるかと思われます。

591 :世界@名無史さん:2006/04/22(土) 10:32:02 O
音楽や演劇の天才書いてた人達の復活キボン

592 :栄光なき:2006/04/29(土) 20:24:39 O
絵画作品だったら信州の《無言館》へ行けば
戦没芸術家の作品が観られる。
最近の地方巡回展を観た者としては、
企画者が意図する《反戦平和》教義よりも
純粋に後世に作品を残し得た
《靖国の英霊ら》に畏敬の念を抱いた。

593 :世界@名無史さん:2006/04/29(土) 21:13:02 0
つーかドイツの原爆開発レベルって
日本とほとんど変わらなかっただろ
あのカイザーウィルヘルム研究所の栄光はどこへって感じだな
いかにヒトラーが罪深い売国奴だったかがわかる
ヒトラースレには崇拝者ばっかりだけどなw

594 :世界@名無史さん:2006/05/01(月) 01:47:58 O
ヒトラーのアウトバーン建設などは
評価できるが
その後がな…

595 :世界@名無史さん:2006/05/01(月) 01:56:16 0
つかこのスレの奴って多くが漫画読んでたか、多少は知ってるんだろうなw

596 :世界@名無史さん:2006/05/01(月) 02:43:48 0
128 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 05/02/06 00:16:41 0
往年の名ボクサー、シュメリング氏死去

 ドイツの往年の名ボクサー、マックス・シュメリング氏が死去していたことが4日、
分かった。DPA通信によると2日にハンブルク近郊の自宅で死亡した。死因は
明らかにされていない。99歳だった。ドイツ国内では著名なスポーツ選手で、
2月中旬にケーラー大統領も参列して追悼式が行われる。

 同氏は1930年にドイツ人初のヘビー級世界王者となり、36年には米国の
伝説的ボクサー、ジョー・ルイスを倒す番狂わせを演じた。38年のルイスとの
再戦は当時の世界情勢から「ナチスドイツ対米国」として注目されたが、
1ラウンドでKOされた。シュメリング氏は後年、敗戦を肯定的にとらえ
「勝てば“完ぺきなアーリア人”としてナチスに利用されただろう」と話している。
(共同)


ボクシングといえば「メキシコの英雄」サルバドル・サンチェスと「永遠のチャンプ」大場政夫
マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン

597 :世界@名無史さん:2006/05/01(月) 19:45:59 0
>サルバドル・サンチェス&大場政夫

自分も読みたい

598 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 11:44:11 O
ジェイク・ラモッタ

その破滅的半生が、ロバート・デ・ニーロ主演で映画化された事でも知られるボクシングミドル級王者。
1921年、ニューヨークのサウスブロンクスのダウンタウンで、イタリア人の父とユダヤ人の母の間に生まれた。
生来のものか、二つのマイノリティの血を引いてスラムに育った環境がそうさせたのか、ラモッタは常に怒りとも反抗心ともつかないマグマのような感情を溜め込んでいた男だった。
基本的にはラテン気質で真っ直ぐな男であったが、多少性格異常を感じさせる程に短気で猜疑心が強く、なにかの拍子でその怒りが表面に出るとき、相手が誰であろうと母親であろうとぶん殴ったという。
そんなラモッタであったから、スラム街での数えきれない暴力沙汰の末に少年院に収監された時も、人々はこの少年が人を殺す前に檻に入れただけでも幸運であるとしか思わなかった。
だが反抗心の塊であるラモッタは少年院でも脱走を試みるなど(失敗したが)大人しくはしていなかった。そこで手を焼いた警官の一人が彼を少年クラブに連れていきボクシングを教え込んだ。それが彼とボクシングの出会いであった。

電気椅子に座る羽目になる前になんとかリングに辿り着く事ができた少年はここから快進撃を始める。
2年程のアマ歴でゴールデングローブ選手権を制覇すると、1941年、19歳の時に当初はウェルター級からプロデビュー。溜め込んでいた怒りと闘志を解き放つように、次々と試合をこなして名を上げていく。
ラモッタのボクシングは典型的なブルファイトだった。骨太でがっしりとした体躯を相手に押し付けるようにひたすら前進し、怒りに燃える両の拳で怒涛の連打を見舞った。
どんなパンチにも怯まない超人的なタフネスと、旺盛なスタミナの持ち主で、そのファイトスタイルから彼は「ブロンクスの怒れる闘牛」と呼ばれるようになる。


599 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 11:48:05 O
(続き)
ラモッタが世界の舞台に躍り出たのは1943年に「完全無欠の天才ボクサー」シュガー・レイ・ロビンソンを破った時である。
後に伝説のボクサーになるロビンソンはそれまでプロアマ通じて一度も敗北を知らなかった天才で、この時まだ無冠ではあったがその実力が当時の王者を遥かに凌駕している事は誰もが知っていた。
(彼の全盛期に土をつけたボクサーはラモッタただ一人である)
世界中がこの大番狂わせには驚いたと言っていい。この後ラモッタとロビンソンは宿命のライバルとして幾度も拳を交えていく事になる。

その後ミドルに階級を上げ、世界ランク入りを果たしたラモッタだったが、肝心の世界挑戦のチャンスはなかなか回ってこなかった。生来の猜疑心の強さが災いし、マネージメントの面でトラブルが絶えなかったせいらしい。
この頃のラモッタは試合が決まっても、世界戦でないと分かるとすぐにマネージャーである彼の弟をぶん殴ったという。
この頃のラモッタは試合が決まっても、世界戦でないと分かるとすぐにマネージャーである彼の弟をぶん殴ったという。
1947年、20代も後半になり焦り始めたラモッタはついにある誘惑に負けてしまう。
後に世界挑戦権を得られる約束と引き替えに、当時売り出し中だったビリー・フォックスにわざと負ける取引に応じてしまったのである。一部の人間の為に賭けで大穴を演出する事が目的の八百長で、裏にはマフィア組織がついていた。
この一件に関わってしまった事は後々までラモッタの心と人生に暗い影を落とすが、下手な八百長を演じた後、とりあえず彼の世界挑戦の夢は実現する。

600 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 11:53:55 O
(続き)
1949年、マルセル・セルダンの持つミドル級タイトルに挑んだラモッタは強豪王者に苦戦を強いられながらも粘り強くアタックを続け、10Rに遂にセルダンを棄権TKOに追い込んだ。スラム街の悪童がついに世界の頂点に昇りつめた瞬間であった。

だが、栄光もつかの間、ラモッタの前に再び宿敵が立ちはだかった。すでにウェルター級に君臨していたロビンソンが、二階級制覇の野望に燃え、ラモッタに挑戦状を叩きつけてきたのである。
初戦以外ロビンソンに負け越していたラモッタもその挑戦に応じ、1950年2月14日夜、二人のプライドを賭けた最後の決戦が行われた。二人の対戦は6度あるが、この最後の試合がもっとも激しく、永く語り継がれていく死闘となった。
試合は序盤からロビンソンの圧倒的優勢で進んだ。ラモッタはこの天才のベストショットを何発も浴びるが、倒れる事なく、時折思い出したように猛反撃に出るのでなかなか試合は終わらなかった。
試合は徐々に凄絶さの度合いを増していったが、さしものラモッタも10Rあたりから疲れを見せ始め、11R終盤の最後の反撃で力のほとんどを使い果たし、その2R後にはただの人間サンドバッグに成り果てた。
13R、返り血を浴びたレフェリーが慌ててストップに入るまで、ラモッタはロープ際で棒立ちになったまま、ただ一方的に殴られ続けた。
一撃必倒と呼ばれたロビンソンのフィニッシュ・ブローを何十発と浴び続けた。顔面が裂け、ラモッタの鮮血でリングが紅く染まった。それでも彼は立っていた。
膝を屈して倒れる事だけは徹底的に拒絶し続け、試合後も「俺は負けたがダウンはしなかった」と言い放った。この試合はそのあまりの結末の凄惨さ故に翌日の新聞で「聖バレンタインデーの大虐殺」と評された。

601 :世界@名無史さん:2006/05/03(水) 11:56:53 O
(続き)
意地を見せたラモッタだったが、事実上この試合でボクサーとしての命数を使い果たしてしまった。
この試合の後、ラモッタは疲労とダメージの蓄積からファイトに精彩を欠くようになり、戦積も負けがこみはじめ、世界戦線から脱落してしまうのである。
そしてその後のラモッタは、自分自身の中でくすぶり続ける炎に少しずつ焼かれていくような人生を送っていく事になる。

徐々にリングから離れ、代わりに稼いだファイトマネーでレストラン経営に乗り出したラモッタだったが、リングという行き場を失った彼の怒りと闘志は内向し、猜疑心と暴力癖はさらに悪化していった。
度重なる暴力は妻や友人にも頻繁に向けられるようになり、周囲の人々は次第に彼を恐れて離れていった。
当初は順調かと思われたレストランの経営も、未成年者に酒を飲ませていた事から警察にマークされるようになるなどトラブルが続き、客足も遠のいていった。
激闘の代償であるパンチドランカー症状にも悩まされた。引退後のラモッタはダメージの後遺症で徐々に記憶の混乱や深夜徘徊癖が酷くなり、ある夜それを不審に思って呼び止めた警官と暴力沙汰を起こした。
後に自伝で語ったところによれば、この時本人は自分が銀行強盗を犯して人を殺してしまったと思いこんでいたらしい。ラモッタは警官に袋叩きにされながら「悪いのは俺だ。俺をもっと殴ってくれ」と泣きわめいていたという。

そして1955年、かつて彼が手を貸した八百長が発覚した。
この頃アメリカ社会では賭博を介したマフィアとスポーツ業界の癒着が問題になっていた。ラモッタとフォックスのあからさまな八百長試合は、政府と警察から見せしめとして狙い撃ちにされたのである。
ラモッタは上院議会に召喚され、自身の有罪とマフィアの関与を認める証言をした。司法取引で実刑は免れたが、ボクシング界からは永久追放の処分を下された。
その後、マフィア関係者の報復を恐れたラモッタは失踪した。
かつて世界の頂点に確かにいた男は、すべてを失い、人々の前から姿を消したのである。

602 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 10:11:51 0
>>598-601

悪くないけど、前回の方が好きだ。
むしろ>「完全無欠の天才ボクサー」シュガー・レイ・ロビンソン
に興味を惹かれた。

603 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 21:37:45 0
ロニーピーターソン どんなマシンも限界まで攻める男、ビルヌーブもあこがれた男
才能にあうマシンにめぐり合えず、やっと最強マシーンに乗れても、チームの命令で勝てず
不遇にあい、最後はクラッシュで両足複雑骨折になり、医療ミスで死亡


604 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 22:23:11 O
>>603
カワイソス。しかし足の骨折の医療ミスで死んだのか。

605 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 22:34:48 0
603だけど、彼が手術を受けた病院はイタリアでドイツの病院なら助かったと言われる
足に血栓が出来て、それで亡くなったみたい


606 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 11:32:11 0
>>598-601
マックスシュメリング書いた人と同じひとかな?
凄まじい人生をよく描けてて面白いです。
ただ私も前回のような人間賛歌な感じが好き。

607 :世界@名無史さん:2006/05/07(日) 10:45:50 0
ボクシングは所詮殴りあいだからな。
どこかが壊れる人間のほうが多い。
マックスシュメリングみたいな人の方が少ないだろ。

608 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 00:19:21 O
チャーリー・クリスチャン

1916年、アメリカのテキサス州ダラスにトランペッターの父とピアニストの母の黒人夫婦の間に生まれた。
5歳の頃、オクラホマに引越した後にギターを弾き始める。当時、同郷で後に史上に残るブルースマンとなるT・ボーン・ウォーカーとも交流があったらしい。
15歳頃から兄弟などとバンドを組み、地方のクラブを周り始める。この頃からギタリストとして天才の片鱗を見せはじめ、更にその才能は当時普及しはじめたエレキギターと出会った事で化学変化を起こす事となる。
当時のギターというのは今のように変玄自在のソロプレーという物がなかった。ジャズバンドのフロントラインを務めていた花形はトランペットやサックスで、ギタリストはステージの隅でうつ向きながら黙々とリズムを刻んでいるのが普通だった。
チャーリーはそこに革命を起こした。指一本の単音弾きを使って、ギターをまるでトランペットやサックスのように奏でてみせたのである。この瞬間、ギターヒーローという存在が音楽史に誕生したと言ってもいいかもしれない。
それがチャーリーに可能だった背景には、彼がギターを持つ前に父親の影響でトランペットを吹いていた事があるのかもしれない。どちらにせよ、チャーリーの天才とエレキギターの発明というテクノロジーの進歩のどちらが欠けてもこの革命は不可能だっただろう。

609 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 00:24:12 O
(続き)
その後、チャーリーがアルフォンゾ・トレントやジーター・ピラーズ楽団のギタリストとして本格的に活躍し始めると、彼の名前は次第に東海岸の関係者に知れ渡るようになった。
それに目をつけたプロデューサーのジョン・ハモンドが、彼を当時全米一の楽団だったであろうベニー・グッドマン楽団に紹介した。1939年の事である。
スウィング・ジャズの帝王、ベニー・グッドマンは良い音楽を創る為には黒人であれ何系であれ人種差別のない男であったと言われる(グッドマン自身ユダヤ系であった)。
だが、この時はたまたま虫の居所が悪かったのか、いかにも風采の上がらない田舎者といったチャーリーの貧相な外見が気に入らなかったのか、オーディションを受けにきたチャーリーにほとんど見向きもしなかった。
チャーリーはギターのアンプのスイッチすら入れさせてもらえずに追いかえされてしまったのである。だが諦めきれなかったチャーリーは一計を案じ、ある夜グッドマンが休憩の為にステージを降りた隙にグッドマン楽団のステージに飛び入りで参加してしまった。
ステージに帰ってきたグッドマンはチャーリーを見て苦々しい顔をしたが、客の前という事もあり、そのまま演奏を続けざるを得なかった。後に語ったところによれば、一曲だけ流したらまた追い返すつもりだったという。
だがこの夜、観客は歴史に残る演奏を目撃する事となる。
チャーリーは自分のパートがまわってくると、予定を無視して、その独特なソロプレーを即興で披露してみせた。それを挑戦と受け取ったグッドマンが即興演奏に応じ、二人の凄まじいセッション・バトルが始まったのである。
両者がいかに死闘したかは、3分で終わるはずの曲が延々45分間続いた事からもよくわかる。そうして曲が終わる頃にはグッドマンもチャーリーの才能を認めざるを得なくなっていた。

610 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 00:35:32 O
(続き)

グッドマンの楽団が、最も創造性に輝いていたのは、チャーリーを迎え入れた後の数年間であると言われている。この頃がスウィング・ジャズの全盛期であった。
その後、チャーリーは楽団の一員として活躍する傍ら、ステージが終わってからニューヨークのミントン・クラブ等にも出入りするようになった。
当時のニューヨークのナイトクラブは、あちこちの楽団のアーティストが集い、ジャムセッションを繰り広げる腕試し道場のような様相を呈していたのである。
ここでチャーリーはセロニアス・モンクやケニー・クラークといった名プレーヤーと激しいジャムを繰り広げた。そして、それらのセッションがまた新しい時代を創っていく事ととなる。
二次大戦が始まり、戦況が激化すると、大所帯の楽団は経営が苦しくなり、潰れる所が多くなった。
時代はスウィングからより少数のバンドが奏でるビ・バップへと移行していったのである。チャーリーの独創的なソロプレーと、それに支えられたジャムセッションから生まれた新感覚の音楽は、その新時代に先鞭をつけるものとなった。
だがチャーリーは、自身が切り拓いた新時代を見る事も、その栄光を享受することもなかった。
ジャズ・ジャイアンツの歴史はジャンキーの歴史とよく言われるが、彼もまたその例外ではなかった。彼はニューヨークの夜の中でドラッグとアルコールにの魔力に絡めとられ、さらに肺結核を患い1942年にニューヨークで他界した。まだ25歳だった。
彼がギタリストとして世に出て活躍したのは、わずか2年半。あまりにも短い全盛期であったと言える。

611 :世界@名無史さん:2006/05/08(月) 01:32:54 0
>>608-610
>チャーリー・クリスチャン
>彼がギタリストとして世に出て活躍したのは、わずか2年半。
>あまりにも短い全盛期であったと言える。

。・゚・(ノД`)・゚・。 カワイソス

612 :('◇')ゞ鳥肌実中将:2006/05/11(木) 19:57:34 O
なんのなんの、当時は、もっと若くして才能ある人々が、
開花することさえなく数多く戦死しているからな…。
【卍】 ≦予 ̄>
  G\(^■^ ラ
   \ <!>+\ ステージで活躍できただけでも幸せだな。

来週は、長野の《無言館》に行くゾ!

613 :世界@名無史さん:2006/05/11(木) 23:23:48 0
>590
V2ロケットはドイツの一方的な軍縮だ、って評価もありますね。

614 :世界@名無史さん:2006/05/13(土) 00:21:11 O
ドイツ関連で言うとヴァルター・ベンヤミンは?

615 :世界@名無史さん:2006/05/15(月) 00:27:14 O
>>614
ユダヤ人で、ナチスに処刑されたんだっけ?

616 :世界@名無史さん:2006/05/15(月) 01:23:33 0
>>615
逃亡中に自殺。

617 :世界@名無史さん:2006/05/16(火) 18:59:28 0
ボクオタうざい

618 :世界@名無史さん:2006/05/26(金) 19:42:50 0
なんかずーっと人のレスにケチつけてる人がいるね。

619 :今日は海軍記念日:2006/05/27(土) 14:23:54 O
ジャン・コクトーに絶賛された天才画家
■大塚耕二[1914年9月28日熊本県〜1945年7月30日ルソン島]

1939年、帝国美術学校西洋画科卒
在学中の1936年5月、第二回表現展に展示された
大塚らの作品を見て感銘を受けたコクトーは、
大塚の手を握りしめ、早口で熱っぽく語りかけたという。

1941年6月応召、翌年出征。満洲ハイラルを経て、
1944年10月西部第21部隊、熊本野砲隊の一員として比島決戦に従軍した。
終戦直前の7月30日、ルソン島プログ山において戦死。享年三十。

1937年に制作した「トリリート」は日本シュールレアリズム絵画の傑作と言われる。


620 :世界@名無史さん:2006/05/27(土) 15:44:40 O
このスレ面白いな。珍しいタイプのスレだ。

621 :(  ・ω・)こんな人物は…:2006/05/28(日) 16:07:24 O
■浅原 清隆(1915.5.23兵庫県〜1945.5.29ビルマ)

1939年帝国美術学校西洋画科卒。
在学中に前出の大塚耕二らと共に表現展開催するも、
間もなく独立展を結成して活動を開始する。

1939.12.1応召。姫路入隊。
河北省通州に出征。1941.12負傷し内地送還さる。
1943.3.1再応召し、歩兵第111連隊第2中隊員としてジャワ、ビルマを転戦。

1945.5.29ビルマ・プローム県カマ南方30kmの地点で行方不明になる。享年三十。
代表作は『海を見た』『郷愁』『多感な地上』等

622 :(  ・ω・)こんな人物も…:2006/05/28(日) 16:27:36 O
■岡部 敏也(1920.12.28山形県〜1945.8.26満洲)
1943年9月東京美術学校日本画科を首席で繰り上げ卒業。
同年10月山形連隊に入隊。
満洲黒河、内蒙古を転戦。
終戦後も侵略を続けるソ連軍に対して応戦中、
満洲国興安西省五叉溝にて戦死。
享年二十四。

院展、大日美術員展、文展に入選する日本画檀の若きホープであった。

623 :世界@名無史さん:2006/05/28(日) 18:42:28 0
あの戦争は日本の人材を浪費した大愚挙でもあったんだな・・・

624 :世界@名無史さん:2006/05/28(日) 19:47:09 O
でも大陸で活躍した人も多いし、
不謹慎かもだが、面白い時代だったと言えるかも。

625 :世界@名無史さん:2006/05/28(日) 20:05:28 0
>>624
活躍って言ってもなあ。

ヘンリー・モーズリーがガリポリで無為に死んだように、
幾多の綺羅星のような才能たちがガダルカナルやインパールや海軍艦艇や
輸送船の上で死んでいったかと思うと惜しい気がする。

626 :万歳('◇')ゞ鳥肌実中将:2006/05/29(月) 17:30:39 O
【卍】 ≦予 ̄>
  G\(^■^ ラ
   \ <!>+\
余みたいに画家としては名を成さなかったけれども、
第一次世界大戦に生き長らえたおかげで世界の歴史に
大きな足跡を残した人物がいるから面白いな。


627 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 19:17:00 0
ロベルト・バッジョ

628 :世界@名無史さん:2006/05/29(月) 23:00:46 O
面白いのでボクサー列伝新作キボン

629 :世界@名無史さん:2006/05/30(火) 20:54:00 0
ボクサーいらん、つーか載せるならせめて短くしてくれ。

630 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 01:28:23 0
ボクサーはどうしてもショートストロークだ。

エンジンベイの幅の関係で。

631 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 15:22:52 0
>>625
餓島は全軍玉砕の前に撤退できてるし、
インパール作戦は米軍装備満載の英印軍に硫黄島を越える損害を与えている。

632 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 15:43:12 0
インパール作戦で第31師団が参加したコヒマの戦い(1944年4月6日〜6月1日)のイギリス軍の戦力記述は、
「初期はリチャード大佐指揮のもと患者500人(コヒマに野戦病院があった)のみ。占領直前はインド第5師団第161旅団の1個大隊到着、
占領された直後は兵力約3000人。中期以後は第33軍団長ストップフォード中将指揮のもと、最終的には東南アジア戦域連合軍第11方面軍第33軍の全力
英第2師団・第268旅団(軽師団級)・インド第5師団第161旅団・インド第7師団・第23長距離挺進旅団、砲約100門、戦車多数」

というのは、たとえ補給が続いていたとしても独断撤退して文句を言われる筋合いの無い戦力差だと思うのですが。
「第33軍」となっているのは「第33軍団」の誤りですけど、それでも当時のビルマ方面イギリス軍戦力の3分の1以上です。
ということは、コヒマから第31師団が独断撤退する時に、宮崎繁三郎少将率いる約700名の宮崎支隊が殿として、6月1日〜20日まで遅滞戦闘を行って、
インパール街道を遮断し続けるのですけど、彼ら700名が相手にしていたのはこのイギリス1個軍団全部ということに。
食糧弾薬がロクにない飢えた700名で、制空権を握ってその他装備等が何もかも優れた1個軍団相手に20日間も互角に戦えるなんて何者ですか。
かつ戦場から離脱する時に負傷兵も全員回収するという、当時の日本軍にはとても出来ないことやってますし。

633 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 19:48:13 0
>>632

師団、旅団って何人くらい?
宮崎支隊が相手した1個軍団って何人?

634 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 20:10:19 0
英軍だと一個師団は約一万三千名。旅団は約三千名。

ttp://mltr.e-city.tv/faq08a04.html



635 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 20:12:53 0
単純に勘定すると3個師団(3万9千名)+3個旅団(9千名)で合計約4万。
プラス火砲100門に戦車多数。

636 :世界@名無史さん:2006/05/31(水) 20:13:25 0
合計約4万→合計約5万

637 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 12:54:50 0
宮崎は日本軍には珍しい天才肌の将軍だったが、
泥臭すぎたのか才能の割に昇進しなかったな。

つーかこの人、負け戦でばかり才能を発揮している。
どっかの小説の主人公みたい。

638 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 17:35:27 0
>>631
>餓島は全軍玉砕の前に撤退できてるし、

そりゃ何の自慢にもならない。日本軍の死者20000のうち戦死が5000、残りすべて病死・餓死だぞ。
目的である制空権のためのガダルカナル島確保も達成できてないのだし。

>インパール作戦は米軍装備満載の英印軍に硫黄島を越える損害を与えている。

英印軍の死傷者は16000ほど。対する日本軍の死傷者は60000(!)。しかも作戦失敗。
国力で元々桁の違うのに、4倍近く多い損害を受けてますが何か?

639 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 17:50:33 0
>>638
インパールでの英軍側戦死者は15000程度。
戦傷者は25000だから合計40000。
日本側は戦死戦傷餓死病死の合計が72000。
戦闘損害ならやや英軍が多い。

640 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 17:56:33 0
>目的である制空権のためのガダルカナル島確保も達成できてないのだし。

そもそも制空権が確保できてないからガダルカナルを確保できないんだが。
日本側が制空権を握っていれば、海軍の艦艇は好きに動けるので補給物資輸送も支援砲撃も思いのまま。
すなわち制海権が確保できる。
米軍の方が餓死者病死者の山を築いていただろう。
大戦末期の日本軍のようにね。

641 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 18:03:28 0
硫黄島攻防戦

日本軍 戦死 19900名 戦傷 1033名(含軍属)
米軍 戦死 6821名 戦傷 21868名

642 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 18:40:03 0
>>639
全く意味ね〜、その誇り方

643 :('◇')ゞ鳥肌実中将:2006/06/03(土) 20:00:03 O
『沖縄陸上の主力戦最終段階 軍民一体の善戦敢闘三箇月
[六月]二十日敵主力に対し全員最後の攻勢
殺傷八万、撃沈破六百隻』【朝日新聞より】
☆米軍公表の損害
戦死者:陸軍海兵隊7613名、海軍4907名
負傷者:陸軍海兵隊5万8千余名、海軍4824名
戦闘神経症[PTSD]約1万5千名
艦船沈没36隻、損傷368隻
航空機の損失763機〜約1500機


644 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 20:14:54 0
イラワジ会戦でもビルマ方面軍は不思議なくらい善戦している。何故だ。

645 :世界@名無史さん:2006/06/03(土) 21:07:56 0
負け犬の遠吠えにしかならん。

646 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 11:02:33 0

藤岡信勝 元共産党員。奇形右翼に転向するが、小林よしのりにおいしいところもってかれる


647 :( =^-゚)ノシ …♪明日:2006/06/04(日) 21:07:56 O
六十一年前の六月五日、
アメリカ空母機動艦隊が沖縄海域において
本物の神風と遭遇して大損害を受けている。

(ToT)造船技術が進歩して沈没しなかったのが…残念!

648 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 21:16:33 0
じゃあ今後、神風は役に立たないんだね。

649 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 21:21:52 0
だから日本は戦争に負けたんだよ。
もうこれから戦争はできないよね。

650 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 21:26:57 O
なんかスレが変な方向に進んでいる…。

651 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 21:28:46 0
自爆戦法でアメリカの象徴をぶっ飛ばしたじゃないか。

652 :( =^-゚)ノシ …♪:2006/06/04(日) 23:44:59 O


(-@∀@)つ【カトリーナに指令出したかアルカイダ】




653 :世界@名無史さん:2006/06/05(月) 00:47:37 0
アッラーフ・アクバル!

654 :そういえば…:2006/06/12(月) 21:22:16 O
間違った!

(-@∀@)つ【カトリーナに指令出したとアルカイダ】


より確信犯的で悪質だな…

655 :基地外諸君に告ぐ:2006/06/22(木) 23:13:27 O
「米軍が使用している面積」の比率では沖縄は現在全国の28%、
普天間の移設に伴い、キンザー、普天間、フォスター南側、桑江の各基地が
返還されると全国の17%ぐらいになります。
17%でも少ない数字ではありませんが、他にこれといった国益負担をせずに
補助金の類をたっぷり貰ってますからねえ。
基地という形での国益負担が嫌なら、替わりに何を負担するのかを
積極的に提言すれば良いと思いますが。

プギャプギャ━━━m9(^Д^≡^Д^)9m━━━━!!!!!!!!!!

656 :\(^■^ ラ 【卍】:2006/06/24(土) 15:49:21 O
【卍】 ≦予 ̄>
  G\(^■^ ラ
   \ <!>+\
  ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク
もしわが知識階級が、洗練された社交作法の代りに拳闘を教えられていたら、
女衒や脱走軍人といった人間の屑によるドイツ革命は不可能であっただろう。
蹂躙されたドイツ国民が、世界から足蹴にされて甘んじているのは、
自己に信頼する力を欠いているからである。
ドイツの青年は、その肉体の力と熟練によって、
再び全ドイツの無敵さを信ずるように教育されねばならない。

【卍】最近は拳闘厨も落ちたのか…淋しいね。

657 :世界@名無史さん:2006/07/02(日) 17:19:01 0
カミーユ・クローデル(1864-1943)
フランスの女流彫刻家。
若い頃から彫刻に天才的な才能を示し、ロダンの弟子・モデル・愛人となる。
しかし、カミーユの作風があまりにもロダンのそれと似通っていたために、
模倣だ盗作だの噂され、自分の作品が売れないのはロダンのせいだと思い込む。
ロダンの家の前で暴れたり、自らの作品を壊すに至り、1913年、精神病院に入院。
以後、30年間そこで過ごす。




658 :栄光:2006/07/12(水) 00:57:54 O
フランスサッカー界の英雄ジダン


最後の花道のはずが…


示談で済まされないのかとジダンダ…

659 :世界@名無史さん:2006/07/12(水) 02:37:54 O
ヨハネス・アマデウス・ウ゛オルフガンク・モーツァルト

660 :世界@名無史さん:2006/07/12(水) 22:57:25 0
 中国人の陳雅山は、どうだろうか?
清の時代に生きた相場師で、当時の清は銀本位制で銀相場があり、
若い頃に相場師を志して、死ぬまで相場を張り続けて、生涯で
稼いだ金額は、一説では三億両(テール)とも言われる。
 これは、日清戦争に敗北して日本に払った賠償金と同額で、
個人が相場で稼いだ金額としては、ビックリ仰天どころの
騒ぎではない、正に天文学的数字だが、それにも増して驚きは
生前は相場で大儲けしたどころか、相場をやっていると言う
噂さえ、全く立たなかったそうで、全ては死後に判明したそうで、
王侯にも勝る贅沢も可能な資産を保有しながら、全く無名の
一市民として生きた事は、正に『プロ中のプロ』とは何かを
我々に示唆して、尊敬に値する。

661 :河童忌:2006/07/15(土) 00:21:31 O
    十二 軍港
 潜航艇の内部は薄暗かつた。
彼は前後左右を蔽つた機械の中に腰をかゞめ、小さい目金を覗いてゐた。
そのまた目金に映つてゐるのは明るい軍港の風景だつた。
「あすこに『金剛』も見えるでせう。」
 ある海軍将校はかう彼に話しかけたりした。
彼は四角いレンズの上に小さい軍艦を眺めながら、なぜかふと阿蘭陀芹を思ひ出した。
一人前三十銭のビイフ・ステエクの上にもかすかに匂ってゐる阿蘭陀芹を。

[芥川龍之介《或る阿呆の一生》より]
●彼が海軍横須賀機関学校の教官だった事実は、なぜか系譜から隠されている。

662 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 02:45:39 0
>>22
一番性格悪そうな画像を使ってるwikipediaワロシュ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC

他の画像は結構まともなのに
http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLG,GGLG:2005-43,GGLG:ja&q=Augustin%20Louis%20Cauchy&sa=N&tab=wi

663 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 04:25:48 0
軍事関係なら方虎山はどうだろうか。
才能の割りにまったく栄光ないし。

664 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 08:13:47 0
教官といっても嘱託教官だし…

665 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 18:27:15 0
周喩。水軍指揮の天才。
同時期に孔明という天才がいたのが悪運。

666 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 18:41:15 0
赤壁以外の活躍は?

667 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 21:33:00 0
周瑜が孔明と張り合ってたなんて、お話の中だけだろ

668 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 21:56:59 0
孔明は政治家としては優秀だが軍事に関してはそれほどでもない。
周喩も赤壁以外ではあまり印象が無いな。

669 :世界@名無史さん:2006/07/15(土) 22:55:50 0
孫策が袁術から独立するときは、優秀な司令官兼パトロンとして活躍してる。

670 :世界@名無史さん:2006/07/18(火) 23:22:21 O
ナポレオン配下のマンモルなんてどう?
最古参でナポレオンに仕えながら、むしろそれ故にナポレオンに疎まれて出世が遅れて左遷させられたりした。(優秀だったのに)
ナポレオンが同盟軍にパリを奪われた時も、命令の行き違いからナポレオンを裏切る形になってしまって汚名を残した。その事をナポレオンは死の直前までボロクソに言っている。
もっともナポレオンから離れた後はルイ18世に仕えてそれなり上手くやって、穏やかな余生を過ごしてもっとも長生きしたナポレオン配下の元帥となったから、幸せではあったのかも知れないけど。

671 :世界@名無史さん:2006/07/20(木) 17:21:35 O
>>670

マンモルが裏切ったのは確信犯でしょ。
パリが包囲された時、これ以上負け戦を続けて市民を巻き込むより
英露同盟と和平した方がフランスの為にも得策だと見て、自らナポレオンの命令を無視して同盟軍にパリを明け渡した。
その後ナポレオンが首都奪回の為に全軍の集結を呼びかけた時にも戦線を離脱して
「国の為に戦いは止めて和平すべきだ」という旨の呼びかけを他の味方の将軍にも呼びかけている。
手違いだったのは自分の率いる軍が、マンモルの留守中にナポレオンの懲罰を怖れて、いち早く勝手に同盟軍に降伏してしまった事。
そのせいでマンモルは自分が助かりたいために、自分の軍を敵に売り渡したと後々まで非難された。

672 :世界@名無史さん:2006/07/20(木) 18:11:07 0
マンモルじゃなくてマルモンだろ。

673 :世界@名無史さん:2006/07/20(木) 20:46:51 0
モリマンが正解。

674 :\(^■^ ラ 【卍】:2006/07/26(水) 15:16:45 O
ベルリン防衛戦での
フェリックス・シュタイナー将軍みたいなものか…。

【卍】 ≦予 ̄>
  G\(^■^ ラ
   \ <!>+\
  ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク 【卍】
  ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ ∠ ̄∬ゝ
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク

675 :世界@名無史さん:2006/07/27(木) 21:38:08 0
ナポレオンの配下の将帥なら、ルイ・ニコラ・ダヴー も能力の割には
栄光とはいい難い気がする。

生涯無敗(大きな戦いでは、本当に一度も負けなかった!)
の名声は一応後世に残ったけど、どれほどの人がしっているのやら。

676 :世界@名無史さん:2006/07/27(木) 23:07:26 0
南雲和夫


と、南雲和夫大先生御自らのたまいそうだ。

677 :世界@名無史さん:2006/07/28(金) 21:13:57 0
>>675
ダブーは有名でしょう。
ナポレオン配下ならむしろベルティエなどはどうかな。
最後も悲惨だし。

678 :世界@名無史さん:2006/07/29(土) 23:39:07 O
>>677

最後は自宅二階から転落死だっけ?

679 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 00:02:14 0
転落死というか自殺じゃないの?

680 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 00:14:14 O
脳卒中だか心臓発作じゃなかったか?

681 :世界@名無史さん:2006/07/30(日) 16:54:57 0
>ベルティエ
百日天下でナポレオンとブルボン王家との板挟みの末の
ノイローゼによる自殺というのが現在のフランス歴史学界の定説。

682 :まとめ:2006/08/01(火) 22:00:02 0
ルイ=アレクサンドル・ベルティエ

ナポレオンの任命した帝国元帥26人のうちの一人。
事務能力に優れた典型的な副官タイプの軍人で、ナポレオンがイタリア方面軍司令官に赴任してきた時に抜擢されて参謀長となった。
独創性には乏しかったが指揮官の命令に対する理解力は卓絶しており、それを最良の形で各部隊に伝達し、指導する能力に長けていた。
その後のナポレオンの戦いのほぼ全てにおいて、ベルティエは正確かつ迅速に軍務をこなし、ナポレオンも彼を理想的な参謀長として高く評価した。
しかしナポレオン没落の転機となった1812年のロシア遠征での作戦会議で、両者は意見は食い違いから衝突してしまい、これ以降、ナポレオンはベルティエを遠ざけるようになった。
(衝突の発端は他の元帥の副官のスパイ疑惑に関する件で、結局はベルティエの方が正しかった)
1814年、ナポレオンが同盟軍に敗退して皇帝の座から退位すると、ベルティエはナポレオンに見切りをつけて彼の元を辞した。その後は王制を支持してルイ18世に仕えた。
だがナポレオンがエルバ島から脱出したという知らせを聞き、旧主に対する忠誠と恐怖、現在の立場との板ばさみに苦悩し、自宅の窓から身を投げて自殺した。
ナポレオンは再起のためにベルティエの力を必要としていたから彼の裏切りも許すつもりでいた。100日天下の間も、その不在を度々嘆いたという。
運命のワーテルローの戦いも、ベルティエがいれば勝てたと言われている。



683 :ナポレオン関連で:2006/08/01(火) 22:38:23 0
ジョゼフ=アントワーヌ・ポニャトフスキ

ナポレオンの任命した帝国元帥26人のうち唯一の外国人元帥。
ポニャトフスキはポーランド貴族の出身で、当時オーストリア・ロシア・プロイセンにより分割されていた祖国ポーランドの統合と独立に尽力していた。
ナポレオンが頭角を現してくると彼が祖国を独立させてくれるのではと見込み、配下になろうとした。
彼に取り入ってポーランドの味方とするために、ナポレオンがひと目見て気にいったというポーランドの某貴族婦人のもとを訪れて
「祖国のためにナポレオンの情婦になってくれ」と頭を下げて頼み込んだりと涙ぐましい努力をしている。
(余談だがこの婦人は不貞をよしとせずに固辞し続けたが、最終的にはポニャトフスキらが半ば強引にナポレオンのベットに叩き込んだ)
その後念願かなってナポレオン配下となり、共に戦い続けてワルシャワ大公国の陸軍大臣及び軍司令官に任命されるなど活躍。
ナポレオンがロシア遠征に失敗して落ち目となっても裏切ることなく、ライプツィヒの戦いでは祖国への敵軍侵入を守るためもあって獅子奮迅の大活躍を見せる。
彼と、彼に率いられたポーランド兵の戦いぶりに感動したナポレオンは、ポニャトフスキを元帥に任命した。
この戦いの撤退戦でも殿を買って出て大いにフランス軍を助けたが、自身は祖国の統合を見ることなく撤退のための渡河作戦の際に濁流に飲まれて溺死した。
元帥任命からわずか三日後の戦死だった。


684 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 23:47:22 0
>>682

ワーテルローの時に、ベルティエの代わりに参謀長になったスールトは
あくまでも前線指揮官で全体を統括する参謀向きじゃなかったからねえ。
自身はパリに残って後方を固めていたダブーも、ベルティエの不在を危惧していた。
その不安はナポレオン軍の連携の崩壊という形で的中してしまったわけだ。

685 :中の國さん:2006/08/08(火) 00:09:47 0
まぁスルトのパン屋時代の「擲弾兵アンパン」でも
食べていなさいってこったw

686 :中の國さん:2006/08/08(火) 00:13:51 0
ネイ元帥はナポレオンにロシアからの撤退戦に際して行方不明と
なったときに「ネーが帰ってくるのなら、チュイルリーの財宝をすべて
差しだしても惜しくはない」と言われたそうな・・・。

映画ワーテルローの騎兵隊の突撃に際しても、スコッツ・グレイの
ポンソンビー少将のごとく、敵陣にまっしぐら。
ネイの勇気がうかがいしることができます。
あとは・・・剣とフルート、クラリネット、チェスなんかが得意
だったみたいですが。

687 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 21:43:48 O
ナポレオン関連が続いたせいもあるのか
なんかイギリスには栄光なき天才って少ないような印象がある。
ウェリントンなんて首相にもなってるし、ネルソンも戦死したとは言え後世に至るまで提督の模範になってるし。
栄光なき芸術家はフランスやスペイン、栄光なき技術者・科学者はドイツに多いような。

688 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 01:16:58 0
蒸気機関の発明者、トマス・ニューコメンとか
ゲイなので社会から抹殺されたアラン・チューリングとか

あとそもそもイギリスは一個の天才が世の中動かすような社会構造でない
チームワーク第一の国

689 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 01:18:59 O
「アンネの日記」の著者、アンネ・フランク
ここに至るまで名がでていないのが不思議。

あと、二日前に亡くなった森千夏も夭折で栄光を掴み損ねた天才ア
スリートといえる

690 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 22:47:14 0
石原莞爾
今までどうして出てこなかったのか?
彼こそが、日本人としての最高の戦略家だ。

691 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 23:13:26 0
何度も出てきてるようだけど、やはりメンデルなんて分かり安いよね。
あとはシャンポリオンとかね。
中国史では明代に結構そんなの多いような。朱ガンとか海瑞とか。
逆にあまり大した才能あったとは言えないのに結構栄光ある人物もいるね。
例えばルイ13世。

692 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 23:29:18 0
石原莞爾は…………………………

693 :世界@名無史さん:2006/08/12(土) 00:07:49 O
>>689

アンネフランクは日記に疑惑もあるし…

694 :世界@名無史さん:2006/08/12(土) 00:09:37 0
まだボールペン説を信じてる人がいたとは

695 :世界@名無史さん:2006/08/12(土) 01:01:03 O
石原莞爾より、それを活かしてやって、その為に戦犯として裁かれた
板垣征四郎のほうが栄光なきっぽい。
板垣なくして石原の天才はありえない。

696 :世界@名無史さん:2006/08/12(土) 08:27:03 0
むしろ石原莞爾は過大評価されてる人物のカテゴリに入ると思う
いったい何がその評価の震源地だったのかわからんが、
あの国際感覚の致命的に欠如した満州国建国を見ると
ちょっと核戦争みたいなものを予見したり東京裁判で啖呵切ったくらいで
「天才的な戦略家」とは言いたくない

法廷で気の効いたこと言うだけならゲーリングも言ってるし

697 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 12:21:46 0
満州国建国までは、ぎりぎりセーフの侵略行動。
ハル・ノートでも中国からの撤退は求めても、満州には言及していない。
(これを満州からも撤退と見たのが外務省の大誤訳)

世界最終戦論も予言通り。

終戦直後に読売新聞に書いたものも的確に戦後日本を予想している。
「将来、国軍に向けた熱意に劣らぬものを、科学、文化、産業の向上に
傾けて、祖国の再建に勇往邁進したならば、必ずや十年を出でずして
世界の最優秀国に伍して劣らぬ文明国になり得ると確信する」

イマジネーション溢れる戦略家だが作戦部長としてのマネジメント力
に限界があったのが悲劇。逆に創意工夫で無能ながら組織内での行き
方とマネジメント力で頭角を現したのが東条。東条が石原を嫌った
のは才能への嫉妬だよ。



698 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 12:44:31 O
旧日本軍人で栄光なき天才といったら
やはり栗林忠通陸軍大将でしょうねえ。

699 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 13:55:36 0
「散るぞ悲しき」を「散るぞ口惜し」に変えられた悲劇性はあるが、
栗林は米軍でも高く評価されている栄光の将軍だろう。

700 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 13:56:57 O
栗林は立派な指揮官だったとは思うけど…。
彼が死んだ後も生き残って戦い続けた兵士達の方がよほど栄光なき人々だと思う。
米軍による事実上の全島占領の後も硫黄ガスと火炎放射に焼かれながら
水も食料もない中、焼けた戦友の死体の灰を食べて数年間生き続けて戦ったという…。

701 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 15:01:56 0
>>697
>満州国建国までは、ぎりぎりセーフの侵略行動。

だから、それで済むと思ってるのが国際感覚の欠如なんだな

702 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 15:12:53 0
>>697
>世界最終戦論も予言通り。

そんな話は第一次世界大戦の時に
「戦争を終わらせる戦争」という概念で既に語られている。
むしろ石原の言ってることは「白人と日本の決戦」とかいう
自分で黄禍論をまぜっかえしてどうすんだ!というシロモノ。

>「将来、国軍に向けた熱意に劣らぬものを、科学、文化、産業の向上に

発展途上国のインテリなら必ず言う事ですね。まったく珍しくも無い。
つか、敗戦に打ちひしがれた国民を元気付ける言葉であって、予想でも何でもないじゃん…
「アメリカの援助の下でこれを奇貨とし、経済活動に邁進する」とでも言えば
大した先見の明だと思うけど。

>イマジネーション溢れる戦略家だが作戦部長としてのマネジメント力
>に限界があったのが悲劇。

現代戦ではただ一つであろうとも許される事の無い、致命的な欠点。

703 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 15:28:40 0
松岡洋右。
間違いなく有能だが栄光なき失敗者。

704 :世界@名無史さん:2006/08/13(日) 22:03:58 0
>>703

>有能だが栄光なき失敗者。
まさに松岡にぴったりの言葉だね。
才人、才に溺れるというタイプの人のような気がする


705 :世界@名無史さん:2006/08/14(月) 19:10:32 0
片山 哲

第46代内閣総理大臣。戦後初の政権交代(1947年吉田茂自由党から)を成し遂げた日本社会党書記長。
戦後民主主義の整備や労使問題、エネルギー問題などに意慾的に取り組んだが、国外コミンテルンの後押しを受けた党内左派の執拗な攻撃を受けて短命政権に終わった。
片山がいた当事の社会党はA級戦犯の無罪を呼びかけるなど、十分与党精神も持っていたが、その後の党内粛清によって単なるソ連、特定アジアの工作機関に堕していってしまった。
戦後の混乱と、社会党政権であったこと、社会党でも右派政権であったことにより評価が充分ではない。

706 :世界@名無史さん:2006/08/14(月) 19:17:50 0
「グズ哲」だね。


707 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 01:13:48 0
なんか軍人さんばっかなので…

「ジェフリー・ナサニエル・パイク」
http://www.geocities.jp/suteki_jin/pyke.html

パイクリートの人。
この人こそ「栄光なき天才」という感じがする。

このハボクックってホントにできてたらどーなってたんだろう。

708 :世界@名無史さん:2006/08/16(水) 12:18:47 0
ヴェゲナー
大陸移動説の創始者。プレートテクトニク理論が出来る前で学会から
無視され、調査中に遭難したとか。

709 :コぺルニクス:2006/08/18(金) 17:05:51 O
コぺルニクス。
地動説。

710 :世界@名無史さん:2006/08/18(金) 18:20:06 0
「有能だけど成功出来なかった人」と
「有能で成果を出したけど生前には正当に評価されなかった人」がまじってるぞ。

どっちなんだ?

711 :世界@名無史さん:2006/08/18(金) 18:21:33 0
どっちもだろ?

712 :世界@名無史さん:2006/08/18(金) 21:52:10 0
どっちも栄光がなかったんだからいいんじゃね

713 :亀田こうき:2006/08/19(土) 02:13:05 O
亀田こうき
世界チャンピオンになるも
八尾疑惑で総すかん。

714 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 02:52:26 0
>>701
「国際感覚」だってw
軍事力の数値じゃあるまいし、
じゃあ君が「国際感覚」を客観的に定義し、
それのあるかないかの測定の仕方の基準を見せてくれ。
太平洋戦争の負けという結論から引き出してるだけじゃん。
>満州国まではぎりぎりセーフ
この読みは正しいと思う。
石原はその後の拡大は衝突すると見て止めに回ってたし、
これ以降は他の軍人や国内の軍の統制問題になる。
国連でも結局うやむやになったし、
ローマ法王庁や旧清朝系の人間、後の枢軸諸国をはじめ、
支持者もとりつけてて、
ソ連のフィンランド侵攻みたいに
一気に国連除名処分受けるほどひどくなかった。

715 :697:2006/08/19(土) 08:02:28 0
>>714
フォローありがとう。
そうなんだよね。満州国まではぎりぎりセーフ。
で、石原莞爾は日中戦争反対に回った。ところが「あんたが
やったのと同じことをしているんだ」と言われて、収拾が
つかなかった。

状況認識としては的確だった。問題は「天才」の真似をしよ
うとしたバカどもを説得できなかったこと。



716 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 08:50:17 0
ワシントン体制の目指したものの一つに
「中国を列強の植民地にしない・その競争の場にしない」
というものがあったのだから、それを反故にして満州事変を起こしたらだめでしょ。

「ぎりぎりセーフ」って、交渉相手の英米など他の列強が
強硬手段に訴えなかったから「セーフ」だとでも思ってるのか?
現実の外交はゲームみたいにフラグや数値判定で決まるもんじゃないんだぞ?
石原のアフォの所為で日本が決定的な不信感を持たれ、
日米対立の端緒となったのは動かない事実。

>ソ連のフィンランド侵攻みたいに
>一気に国連除名処分受けるほどひどくなかった。

「一気に」、でなくて一寸ずつならいいのかって話さね。
失点を蓄積してる時点でそれはもうダメだろ。

>状況認識としては的確だった。

そもそも満州が日本の生命線だったかどうか、確固たる根拠もなかったわけだが
どこをどうやったら状況認識が的確になるんだ。

717 :ぴょん太:2006/08/19(土) 12:02:10 0
国際連盟で42対1で否決されてどこが
「ギリギリセーフ」なんだ。
ちょっとスレからズレてすいませんけど。

718 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 12:30:42 0
国連の票数なんて儀式です。
満州でとどめて日中ソの3鼎であるべきだった・・・

719 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 12:40:05 0
八木秀次

1925年、八木秀次によって世界初の指向性アンテナの原理が発見され、八木
アンテナが発明されました。いまでは、どの家にもあるテレビアンテナにな
っています。3本の素子を基本にして平行に並べ電波を効率良く受信・発信
する構造のアンテナです。
簡潔にして無駄のない八木アンテナは、はじめからほとんど改良の余地のな
い高い完成度をもち、超短波用アンテナとして外国の模倣を許さないもので
した。
八木アンテナは、八木秀次が私財を投じてかろうじて特許を取得したものの
当時の日本科学界は西洋崇拝が強く「日本人の発明で重要なものはあり得な
い」として当時の学界では受け入れられませんでした。
八木アンテナは一部に知られただけで、それを記載した八木の論文は、日本
で忘れられました。その特許も国から延長が認められず消滅してしまいまし
た。そもそも*テレビやアンテナについての当時の日本の研究・開発は、世
界的にリードしていたにもかかわらず科学界や国から認められず埋もれてし
まい、大変惜しいことでした。
特に精神主義をふりかざす軍人は、八木アンテナレーダーの有用性を頭から
認めませんでしが、八木アンテナの論文は、海外で評価され超短波用高性能
アンテナとして認められていきました。
(*1926年に高柳健次郎がブラウン管式テレビの実験に成功している)

720 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 12:43:47 0
1941年太平洋戦争が起き、シンガポールを攻め落とした日本軍は、そこのイ
ギリス軍のレーダーアンテナが八木アンテナであると知らされました。アメ
リカ軍も八木アンテナを装備し、攻め寄せる日本の飛行機を300km前から
レーダーでキャッチし迎撃しました。闇夜でもレーダー射撃で正確に日本艦
を撃沈し、日本軍はやっとレーダーの威力とその重要性に気付きました。
しかしもう後の祭りです。日本はアメリカに破れ、無条件降伏しました。
八木アンテナがアメリカのレーダー等に使われ日本が負けたことについて当
時の世間は、発明者の八木秀次を国賊よばわりされました。
八木秀次の世界的な発見・発明である八木アンテナを敵である英米は認め、
それを活用し戦いに勝利しました。反対に日本は、日本人である八木秀次の
発明を理解せず軽視しその結果敗北し、挙げ句の果てによけいな発明をした
とばかりに冷たくしました。自国の優れた発明を使いこなせなかったことを
棚に上げて八木秀次個人を責めるのは、天につばをするようなものです。
当時の政府要人や帝国陸海軍は、大和魂などの精神主義に陥っていたため先
端科学を理解できず惨禍を招いてしまったのでしょう。そしてそれは、日本
人の短絡性と同時に当時の社会の半封建的後進性を示しています。

まだ、この話には余談があります。
八木アンテナの特許を政府は消滅させてしまい、また外国特許保有の財政支
援もせず冷遇した為、日本の八木アンテナの特許権は失われてしまいました。
ところが戦後まもなくテレビが世界中に普及した時、八木アンテナも同時に
全世界に普及しました。VHFテレビ電波を受信するには八木アンテナ以外にな
いのです。もし、この時代この特許を日本が確保していたらおそらく世界に数
億台のテレビと同数売れた八木アンテナから莫大な特許料が日本に入り、日本
の戦後復興は大いに助けられたことでしょう。
もし、八木アンテナ発明と同時期の高柳健次郎の電子テレビ実験成功を評価し、
研究支援を行ってテレビの発明・実用化に成功していたならば、日本は、テレ
ビとテレビアンテナの両方を発明し、その恩恵は測り知れないものになってい
たでしょう。

721 :世界@名無史さん:2006/08/19(土) 22:23:56 0
>>718
機会均等を求めていた英米(特にアメリカ)の反発を買うのでその案もアウト

つか、満州は植民地にしません・市場としてアメリカにも大きく開放します
という約束で日露戦争の時にカネを借りていたからねぇ…

それを知らんぷりで、満蒙は生命線だかなんだか知らないが思いっきり独り占めにしちゃって
本当の生命線はアメリカからの鉄屑と石油の輸入だったというのにw

722 :世界@名無史さん:2006/08/20(日) 01:55:56 0
>>720
日本人って西洋人の成功は無条件で認めるのに
同胞の成功を嫉妬して妨害するという悪癖があるんだよな。
北里柴三郎や野口英世もそれで散々苦労した

723 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 09:44:47 O
↑西洋人にコンプレックスがあるのかねえ

724 :世界@名無史さん:2006/08/29(火) 18:32:09 O
長岡半太郎

短気でキレやすい「カミナリ親爺」としても知られた、日本の原子物理学の開拓者。
トムソンの電子の発見を受けて、世界で初めて中心球の周りを電子が回転する「土星型原子モデル」を発案したが、国内国外ともに評価されなかった。
後年、水銀から金が作れるという理論を発表し、水銀環金騒動というスキャンダルも引き起こしてしまった。

725 :世界@名無史さん:2006/08/31(木) 13:48:01 0
八原参謀。沖縄戦は全部彼の計画通りに進めておけば・・・

726 :世界@名無史さん:2006/09/07(木) 00:09:45 0
成毛滋 

日本でもトップクラスを誇るギタリストであり、
エレキインスト→ハード・ロック→プログレ→ヘビメタ
と自由自在に弾きこなしていった。

大金持ちの家に生まれたためか、その尊大な性格が原因で
レコード会社から干され、そのせいか、運に見放され、
まとまった作品も残せず下働き程度の仕事をしていて、
身体を壊し二度とギターが持てなくなった。

727 :世界@名無史さん:2006/09/19(火) 00:00:21 0
保守age

728 :(^■^ ラ 同感だね…:2006/10/01(日) 10:33:29 O
奥村喜和男

福岡県生。苦学の末、情報局次長となり《大東亞戦争の正義》を全世界に訴えた。
昭和18年、枢軸軍のスターリングラード戦敗退を契機に退職。

以後不遇の生涯を送った。


729 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 23:01:46 O
新ネタ期待age

730 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 23:10:37 0
【特許】元社員への発明対価1億6千万円支払い確定 日立訴訟
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1161087840/l50

【知的財産】日立「光ディスクの読み取り技術」発明対価:1億6300万円確定へ、最高裁弁論開かず [06/10/11]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1160521010/l50

731 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 23:16:42 0
フィロ・ファーンズワース
 テレビの発明者なのに誰も知らない。



732 :世界@名無史さん:2006/10/18(水) 00:18:34 0
ニコライ・パブロビッチ・コロレフ
ソ連の宇宙開発に携わったエンジニア
ヴォストークロケットなどの開発に携わり、今日のロシアの
ロケット技術の基礎を築いた人物
が、スターリン時代に強制収容所に入れられてた過去を
持つため、死ぬまで表舞台に出られなかった悲劇の天才
死んだ後は名も明かされて一応名誉は回復された

733 :世界@名無史さん:2006/10/19(木) 00:00:01 0
>>732
コロリョフとも書く?


734 :世界@名無史さん:2006/10/20(金) 17:33:06 0
ミハイル・ニコラエヴィッチ・トハチェフスキー

「赤軍の至宝」「赤いナポレオン」等の異名で知られた軍事の天才。
革命後のロシア内戦においてその力を遺憾なく発揮し、
赤軍の白軍に対する勝利に大きく貢献する。
1920年、ポーランドのソ連侵攻においても、西部方面軍を率いてソ連防衛に尽力。
国内でポーランド軍を打ち破ったトハチェフスキーは猛烈な反撃を見せる。
凄まじい勢いで突進する西部方面軍。その先頭はワルシャワの目前、
ヴィスワ河にまで達した。

だが、ヴィスワ河を前にして、脆弱な側面に対するポーランド軍の反撃と、
貧弱な補給を原因に、西部方面軍は大打撃を受け駆逐される。
天才トハチェフスキーが喫した初の敗北。
彼は、南西方面軍軍事委員を務めたヨシフ・スターリンが増援を拒んだことが
対ポーランド戦の敗因であるとして、公の場でスターリンを非難、
この結果、スターリンは革命軍事会議議員から罷免される。

これが、後に彼の命取りとなる。

735 :世界@名無史さん:2006/10/20(金) 17:33:53 0
その後、トハチェフスキーはポーランド戦の敗北を教訓に、
「軍は連続的に作戦できる能力を必要とする」
とする連続作戦理論を提唱した。この理論を核として、
戦後にまで続くソ連の「縦深作戦理論」が生み出されることとなる。

彼は赤軍の近代化に努め、世界に先駆けての空挺部隊の育成、
軍の機械化の推進、ラッパロ条約に基づくドイツとの軍事的交流などで
精力的に赤軍の質的・量的な拡充を図った。

736 :世界@名無史さん:2006/10/20(金) 17:38:03 0
しかし、独裁者スターリンは、彼から受けた屈辱を忘れてはいなかった。
英雄を嫌うスターリンの血の粛清は、トハチェフスキーを見逃すことはなかったのだ。
1937年5月26日、トハチェフスキーは内務人民委員部により、
国家への反逆を企てたとの罪状で、他多数の赤軍将官と共に逮捕。
6月11日、銃殺される。

救国の英雄の、あまりにもあっけない最期。
その後も血の粛清はやまず、赤軍全体で4万人以上の血が流れた。

結果、トハチェフスキーの築き上げた赤軍は崩壊に瀕し、
後の独ソ戦において、ソ連はその代価を国民の血で支払うこととなる。
そして、最終的にその苦境からソ連を救ったのもまた
トハチェフスキーからの薫陶を受けた司令官達であった。

独ソ戦でソ連が失った人的損害は2000万人を超えると言われる。
もし、トハチェフスキーが生きていたならば・・・
その2000万人には別な未来が待っていたかもしれない。


トハチェフスキーは英雄と呼ばれた。
十分に栄光を得たと言っても良い。
だが、彼が本来果たしえた可能性を考えたとき、
それは本当にその才能にふさわしいだけの栄光だったと言えるだろうか?

その答えは誰も知らない。

737 :世界@名無史さん:2006/10/22(日) 21:44:41 0
トハチェフスキーは「栄光なき」というよりソ陸軍史上ではジェーコフと並ぶ巨人では?
(最期は悲惨だったけど。)
なんか「栄光なき天才」って興味本位で取り上げられる事多いから結構知られてる人が多い。
それより、その世界では「神」扱いなのに一般人が全然知らない人のほうが・・・
たとえば20世紀後半で最重要の映画監督を三人挙げると
ベルイマン、フェリーニ、クロサワ、(知名度は七割くらいかな?)

でもこれが舞台演出家なら
ブルック、ストレーレル、ベルイマン と知名度は2割くらいに

オペラ演出家になると
ポネル、フェルゼンシュタイン、ストレーレル と知名度一割くらい。


日本のテレビ演出家の場合
王様のレストランとか古畑は観てても、同じ人が演出してる事を多分みんな知らない。

一番ひどいのはプロモビデオの演出家で
ウタダ、アムロ、ハマザキ、モームスの主要作品作った竹石渉でさえ
(多分日本でその映像を見ていない人はいない)
クレジットもされてないし、ネット上にも纏まった情報がない・・・



738 :《ファシズムは活動的実力を尚ぶ》:2006/11/01(水) 23:44:19 O
それでは

ピエロ・パオロ・パゾリーニ

戦後イタリア映画の異才。
名作、奇作、問題作を次々と発表
ファシズムを揶揄した『ソドムの120日』の完成直後

出演した少年によって轢殺さる。
(真相は不明。ネオファシストに殺されたとも言われている。)

739 :世界@名無史さん:2006/11/02(木) 19:24:41 0
パゾリーニはホモ。


740 :世界@名無史さん:2006/11/24(金) 22:22:07 0
age

741 :nonko:2006/11/25(土) 18:29:29 0
ココ面白いですね。
>>241
なんとなくみてたら福沢幸雄の名前を発見!
この方、あの福沢諭吉の曾孫。レーサでありモデルもやってた。
確かハーフだったと思います。
当時、噂のあった小川知子が生放送の「夜のヒットスタジオ」で、
訃報を知って号泣してしまったのは有名な話。
今でも当時の小川知子の曲を聞くとなんとなく切なくなりますね。



742 :世界@名無史さん:2006/11/25(土) 23:27:45 0
>>741
その人めっちゃかっこいいね。
こんな人もいたんだな。

743 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 16:47:41 0
>>543で既出の数学者、谷山豊。
アンドレ=ヴェイユに研究成果を横取りされ、31歳で自殺、婚約者も後を追って
その後自殺した。
潔癖なシモーヌ=ヴェイユの兄ちゃんとは思えないイヤな奴だ。

744 :世界@名無史さん:2006/11/27(月) 20:57:03 0
宇田新太郎
「八木アンテナ」は有名だが、実際は「八木・宇田アンテナ」
ともいうべく、宇田の功績を否定できない。

745 :世界@名無史さん:2006/11/28(火) 19:28:59 0
↑ くわしく

746 :世界@名無史さん:2006/11/29(水) 22:35:25 0
コピペ
八木秀次は当時東北帝国大学の教授で、このアンテナの基本となる原理を
発見した。
しかし、八木自身はその応用にはあまり興味がなかったので、当時八木研究室にいた
講師の宇田新太郎に実用化のための研究をさせ、1928年に八木・宇田の連名で論文が
出された。
しかし、特許が八木の単独名で国内外に出されため、日本国外の人々が“Yagi antenna”
と呼ぶようになり、日本でもそれに従って八木アンテナと呼ぶようになった。
後年、事情を知る人達が「八木・宇田アンテナ」と呼ぶべきと主張し、最近の学術書などでは
八木・宇田アンテナと記述されている。

747 :世界@名無史さん:2006/12/07(木) 18:02:52 0
やっぱ栄光なき天才といえば>>1だよな


748 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 10:43:37 O
モディリアーニ

749 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 19:42:55 0
>>743
研究成果を横取りされたことが、自殺の原因なの?
研究成果を横取りされた。
自殺した。
適当に因果関係を作ったという落ちはないの?

750 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 20:35:38 O
俺様

751 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 21:31:53 O
石原莞爾にしとくのが無難

752 :世界@名無史さん:2006/12/09(土) 21:57:42 0
それは過大評価されすぎな人じゃねーの。

753 :世界@名無史さん:2006/12/21(木) 22:40:50 0
【【不遇】栄光なき天才達の名前を書き込んでいくスレ】

漫画「栄光なき天才たち」を元ネタに誕生し、
豊富な情報量と、多くの名もなき職人の手により
一気に良スレに成長する。
名スレへの成長を嘱望されたが、自分では何もしないくせに
俺ルールを押し付けるだけの厨名無しによって伸び悩む。
以降、必死に今の境遇から脱しようともがくが、そのたびに
俺ルール名無しによって潰され、パッとしないままスレを終わろう
としている。

754 :世界@名無史さん:2006/12/21(木) 23:24:27 0
でもボクシングはまじおなかいっぱい

755 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 01:43:05 0
自治厨・俺ルール厨のほうがお腹いっぱい
(・∀・)カエレ

756 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 22:33:57 0
ファッツ・ナバロ

40年代後半のビバップの時代を駆け抜けた天才トランペッター。
その滑らかで厚みのある演奏はハード・ビバップの先駆けとなった。
わずか26歳で結核で夭逝し、録音された音源が少ないのと
デイジー・ガレスピーとクリフォード・ブラウンという二大スターの時代にひっそりと挟まれているため
影が薄く、評価が十分とはいえない。

757 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 23:31:04 0
ティエリー・ブーツェン

ベルギー人のF1ドライバー。1978年のF3デビュー以来、地道に実績を積み重ねて83年にアロウズからF1参戦を果たす。
その後何年か堅実な腕前を披露し、何度か入賞も果たすが人気、評価ともパッとしなかった。
しかしその確かな腕前と、オーナーの気まぐれでシートが空いたため89年に名門ウィリアムズの移籍に成功する。
すると神風が吹いたか、翌90年のハンガリーGPでセナとの死闘を制し、唐突に優勝してしまう。しかもポール・トゥ・ウィンの快挙である。
しかし彼が表彰式から勇んで帰ってきたとき、まさか彼が優勝するとは思っていなかったチームはすでに撤収済みであった。
しかもその年のシーズン前半のミスの多さが祟ってチームから解雇されるというおまけつき。後年彼は「もうあんなチームには頼まれてもいかん」というコメントを残している。
その後いくつかのチームを渡り歩くが、長身のため、なかなかマシンに合わず、成績は振るわず二度と輝くことはなかった。93年、故郷のベルギーGPでひっそりと引退。
ちなみにセナとはプライベートで仲がよく、セナの葬儀の際にも棺の一端を担いでいる。
また、キャリア晩年は若手のためのサポートドライバーとして地味ながら尽力していて実績は覚えてないが名前はよく覚えてるというファンも多い。


758 :世界@名無史さん:2006/12/22(金) 23:54:03 0
徐庶

759 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 11:13:03 O
又吉イエス

760 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 18:22:31 O
河石達吾

バロン西と共に、硫黄島で散ったもう一人のオリンピックメダリスト。
明治44年に広島で生まれる。少年時代から勉学に優れ、秀才児として将来を嘱望されていた河石は、中学進学後には水泳でも頭角を顕し始め、同時代有数のアスリートとして注目されるようになる。
中学卒業後に慶応大学に進学し、そこでも競泳選手として活躍。
1932年、3年生の時にロスオリンピック日本代表選手に選ばれ、競泳100mで見事に銀メダルを獲得する。(ちなみに同種目の金メダリストは同じく日本代表選手の宮崎康二)
「私が勝てると思ってはいませんでした。最後のタッチに気をつけて、幾分勝つ努力をしただけです」
という実直なコメントを残している。
大学卒業後には民間会社に就職したが、海軍に徴兵され、競泳選手の腕を見込まれて水泳教官として活躍した。
五年間の海軍生活での後に一旦退役するが、太平洋戦争の戦況悪化とともに1944年に再び徴兵され、硫黄島へと派遣されてそこで戦死した。
戦死の状況は不明だが、彼の所属していた第三大隊は北飛行場の防衛を担当していたため河石もそこで戦死したと思われる。
階級は中尉で戦死後に大尉に昇任。記録上戦死した日付は3月17日。享年33歳。
ロスオリンピックで日本水泳陣は6種目中5種目で優勝するという歴史的快挙を成し遂げていた。水泳王国日本、という名称が使われ始めたのもこの頃である。
そのため『銀』メダリストだった河石は注目される事が薄かったという。
その意味でも栄光なき天才と言えるかもしれない。

761 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 20:09:22 O
こっくりさん

762 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 00:45:32 0
ヘンリ トイボネン 1956−1986 フィンランド出身
ラリードライバー 1980年RACラリーで当時最年少優勝を遂げる、その後1985年の
RACラリーまで優勝できなかったが、その才能は常に注目され、1985年後半最強の怪物
マシン デルタS4を手に入れ、1986年のチャンピオン最有力候補にあげられるも
1986年のコルシカ島のラリーで原因不明の事故を起こし死亡、彼を追悼するため
世界最強ドライバー決定戦 レースオブチャンピオンが開催され今も続いている


763 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 02:00:08 O
一力長五郎安好

幕末の江戸大相撲で活躍した力士。最高位は前頭筆頭。
遅咲きながら大関に強く、大物喰いの長五郎と呼ばれ人気を集めた。
しかし1863年、巡業中に何かの拍子で土俵に転がり出た領主に駆け寄って助け起こしたのを暴力を働いたと勘違いされ斬殺されてしまった。
富士山が水に映る場所に埋めてほしいという遺言に従い、遺体は弟子によって故郷である若柴村にある牛久沼の畔に葬られた。
茨城県の若柴長にその墓が現存している。享年は50歳だが、まだ現役であったというから鉄人だったと言える。
(病没だったという説もある)

764 :世界@名無史さん:2006/12/27(水) 14:29:32 O
ハンス・ピーチ

珍しいドイツ出身のプロ囲碁棋士。ヨーロッパ大会を制した後に故郷ブレーメンからプロ棋士になる事を夢見て来日。
10年ほどの修行の後、1997年に入段。2000年には四段まで進んだ。タイトルの獲得などはなかったものの、囲碁が心から好きで、国境を超えた国際的な囲碁の普及活動に尽力した。
しかし2003年、その活動の一環でグアテマラを訪れた際、車で移動中に強盗にあって不運にも射殺されてしまった。
運転手が気をきかせてグアテマラの風景を観せようと、山道へと回り道した事が裏目に出てしまったのだという。
享年45歳。死後に日本棋士会から六段を贈られた。故郷のブレーメンでは彼の名を冠した囲碁の少年大会が毎年開催されている。

765 :世界@名無史さん:2006/12/28(木) 11:58:59 O
中村魁車

戦前に活躍した上方歌舞伎役者。1875年生まれ。
幼少の頃に部屋子として中村鴈治郎(初代)に入門し、女形として鴈治郎の女房役を演じた。
門閥外の生まれだったため、常に立女形を梨園の御曹司だった三代目中村梅玉に譲らねばならず、そのため「(鴈治郎の)本妻は梅玉、妾が魁車」と陰口を叩かれるなど苦労したという。
しかし努力の人だった魁車は、その逆境を糧に芸を磨き、その幅広い芸風で上方歌舞伎の重鎮と目されるようになる。梅玉とは終生のライバル関係だった。
鴈治郎の死後は長老としても上方を牽引したが、1945年に米軍による大阪空襲の犠牲となった。防空壕の中で孫をかばおうと抱いた姿のまま、二人とも焼死していた。享年69歳。
梅玉は、魁車の悲劇の知らせを聞いて泣き崩れたという。

766 :世界@名無史さん:2007/01/01(月) 18:22:45 0
セルゲイ・シュプレツォフ

767 :世界@名無史さん:2007/01/01(月) 23:41:06 O
たこ八郎



768 :世界@名無史さん:2007/01/04(木) 02:57:39 0
>767
そりゃ天才だろうけどな、

栄光はあるだろ。

769 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:26:19 O
宅八郎


770 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 19:48:42 0
>769
残念ながらそっちは天才じゃない

771 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 19:57:19 O
ワムウ、カーズ、エシディシ

772 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 20:09:46 O
アルフレッド・マハン
ハルフォード・マッキンダー
ニコラス・スパイクマン
カール・ハウスホーファー
ルドルフ・チェーレン
フリードリヒ・ラッツェル

773 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 22:17:48 0
ルートヴィッヒ・ボルツマン

オーストリア ウィーン出身の物理学者、哲学者でウィーン大学教授。
統計力学の端緒を開いた功績のほか、電磁気学、熱力学、
数学の研究で知られる。

原子論の立場をとるボルツマンは、
実証主義の立場から原子の存在を否定する
エルンスト・マッハやヴィルヘルム・オストヴァルトらと対立し、
激しい論争を繰り広げた。
そのためもあって晩年はうつ病に苦しみ、
イタリア フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州にある
保養地 ドゥイノで静養中に自殺した。

774 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 23:06:36 0
ボルツマンは19Cの物理では五本の指に入る巨匠だと思うが・・・
>>772の地政学者たちならマハン以外は頷けるが。。。あ それでもラッツェルは人文地理では大物か


775 :世界@名無史さん:2007/01/08(月) 15:02:56 0
>>762
元々レースオブチャンピオンズはベッテガ追悼イベント(昔は「メモリアル ベッテガ」って付いてたでしょ)であり、
その書き方は誤解を招くんではないか。
あと、トイボネンは不運にも亡くなったが、不遇ではなかろう。


776 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 01:50:22 0
>774
19世紀の物理学者だとギブスも割りと不遇なほうか。今では熱力学の重要な定理である
ギブスの相律は、彼の最晩年の頃に工業的な一大関心事であった高温状態での鉄=炭素の
状態図を正確に予測出来るものであることが見出されるまでほとんど無視されていたそうだ。

もっとも彼自身は極めて謙虚な性格で、「私の仕事は、関心さえ持てば誰でも発見できる
ようなものだ」と言ってた位なので自分を不遇とは思ってなかったようなのだが。

777 :世界@名無史さん:2007/01/09(火) 21:52:14 0
775へ763ですが、もとはベッテガの追悼イベントとは知りませんでした。
ムートンがトイボネン追悼で企画したとみたので、訂正ありがとうございます


778 :世界@名無史さん:2007/01/27(土) 13:10:10 O
将棋の村山聖八段。
持病と闘いながら、A級八段になったが、若くして病気で亡くなった。
羽生にも何度か勝っている。

779 :世界@名無史さん:2007/01/28(日) 00:00:38 0
>>778
伝記漫画にもなってたよね。

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