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◆◇◆宋◆◇◆

1 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 18:02:01 0
@宋と遼
A宋と金
B宋と西夏 のどれかでレポートを書かなくてはいけないのですが、どなたか手伝ってもらえませんか?

参考文献なども載せていただけると嬉しいです。

2 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 18:51:07 0
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/21
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/21.1
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/21.2
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/21.3
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/21.4
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/21.5

3 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 18:51:53 0
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/22
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/22.1
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/22.2
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/22.3
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/22.4
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/22.5
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/22.6

4 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 18:52:22 0
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/23
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/23.1
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/23.2
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/23.3
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/23.4
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/23.5
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-390381520&path=/23.6

5 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 20:24:21 0
読めません・・・助けてください!!!!!!!

6 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/07/08(金) 20:37:02 0
先ず下記のサイトにアクセスしてください
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
「漢籍電子文献」のトップページが現われます。
次に「史料庫名称」の一覧が出ます。最上段の「二十五史」にチェック。
上の「開啓」をクリック、二十五史のリストが出たら、目的の正史を
クリックして内容に入ってください。

7 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 21:53:03 0
ありがとうございます、上記の内容はどこにあるのでしょうか?

8 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 22:48:02 0
二十五史を選んで「開做(同じ字がないので似た字で代用)」とあるところをクリック
 ↓
「新校本宋史」(あるいは遼史・金史)をクリック
 ↓
あとはおまいの根性次第だ!w 

9 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 22:52:27 0
>>1
何時までなの?

10 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 22:56:17 0
以前の宋王朝スレでも単発質問から始まったのだ。

11 ::2005/07/08(金) 23:22:35 0
>>1
@宋と遼、なら
1 先ず「五代」の「後晋」建国の際に「燕雲十六州」が「遼」の支配下に入り、
 以前の「北魏」に連なる「浸透王朝」とは性格を異にする「征服王朝」が
 成立したこと。その後の「金」、元、清も征服王朝であること。
2 燕雲十六州の回復は五代の混乱を収拾して中国を統一した「宋」(「北宋」)の
 国是となったが、宋の太宗以来の過剰な文官優位の政治によって、宋の軍事力は振るわず
 (「真宗 宋」で検索せよ)、燕雲十六州の回復は果たせなかったこと。
3 その後宋は、遼末期の混乱に乗じて、金と結び燕雲十六州を回復しようとしたものの、
 逆に金との関係がこじれ、首都開封を落とされ皇帝・欽宗、上皇(前皇帝)・徽宗を
 北方へ連れ去られた(「靖康の変」)。そして、欽宗の弟である趙構が南遷して杭州で
 皇帝を宣言し、金に奪われなかった淮河以南の地を確保して宋を再興し、これ以降は
 「南宋」と呼ばれること。
カッコ内をググって、資料をつなぎ合わせ一本のストーリーにすれば、単位は来る。
参考文献は、大学の図書館で五代・宋代に関する文献を探して開いてみて、このストーリーと
見当外れでないことを確認したら、その書名を書いとけ。

12 :自転車小僧 ◆IBmI/K76EY :2005/07/08(金) 23:26:27 0
アチキも修士論文と学会発表は宋と遼の関連だったが分野が違いすぎるかもな…。
『宋会要』と『全遼文』、『郡斎読書志』てなのならいいかも知らんが『遼代の仏教』
だとか『龍龕手鏡』だとかになるとかなり分野が限定される。

13 :世界@名無史さん:2005/07/08(金) 23:45:27 0
「宋の工芸品は世界一イイイイイイイイィィィィィィィィ!!!!!!」
「景徳鎮はぁああああ・・・!!」「世界最強!!!!」
って書くと100点だお。

14 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 00:01:40 0
宋と後周で書いてくれ

15 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 18:13:25 0
北宋が中国のルネサンスと公言する学者多すぎるな。

16 :世界@名無史さん:2005/07/09(土) 19:54:43 0
>>15
仮にルネサンスだとしてもあと断絶するからなあ。
チャンコロの歴史はそればっか。
百家争鳴で古代にあれだけの思想を生んでおきながら・・・

17 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 00:51:03 0
マオなんか「百花繚乱」とか言った後に大粛清だからなw

18 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 02:49:25 0
司馬遼太郎が言ったように
中国は春秋戦国がピークなのか。

19 :世界@名無史さん:2005/07/10(日) 23:30:20 0
>>9
えっと、21日までデス(●´ェ`●)

みなさんヽ(。・ω・)ノ゛☆ありがd☆ ヾ(・ω・。)ノデス★

20 :世界@名無史さん:2005/07/11(月) 00:12:09 0
ここが単なるレポートスレで終ると消えたスレが犬死で悔しい。
>>1は責任もってこのスレを盛り上げるべきだ

21 ::2005/07/11(月) 22:41:39 0
出来ればソースきぼんでぅ・・・

A4の用紙を6〜8割埋められるくらいの感じでレポート形式にしてください(●´ェ`●)

>>20
レポートが終わったら、みんなで宋について語るスレにし(σ´Д`)σYO!!

22 :自転車小僧 ◆IBmI/K76EY :2005/07/11(月) 23:03:24 0
>21
A4用紙何枚分だ?
それから分野の政治、宗教、民族、文化、外交など色々あるぞ。
どういう内容で書きたいのかはっきりさせんとどっちつかずのヘンなレポート
のままだぞ。

23 ::2005/07/13(水) 10:52:30 0
>>22
1枚でぅ。
そにかく宋と遼・金・西夏とのかかわりなら何でもいいみたいです。
作ってくださる方の好きな分野でおkでぅ(●´ェ`●)

24 :世界@名無史さん:2005/07/13(水) 11:41:18 0
>>23
>>11で、ほとんどできてるじゃない?

25 :自転車小僧 ◆IBmI/K76EY :2005/07/13(水) 20:13:57 0
そんないい加減なレポートだったら、Googleで"宋"、"遼"、"金"、"西夏"と
検索すればそのまんまのものがゴロゴロひっかかるわい。
それから世界史板に遼(契丹)やら金(女真)やら西夏、西遼と言ったキーワード
のスレッドがごろごろしとる。「宋を語る」スレッドは倉庫入りしたようだが、
長文のカキコも結構あるからそれ写せ。


26 ::2005/07/14(木) 00:40:03 0
>>25
ヽ(。・ω・)ノ゛☆ありがd☆ ヾ(・ω・。)ノでぅ★
出来ればここで作ってしまいたいんですが、協力してくださる方いらっしゃいますか?


27 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 01:03:22 0
>>26
なんか自分で作るというより、作ってもらおうとしている雰囲気がするんだが

28 :世界@名無史さん:2005/07/14(木) 01:21:55 0
>>26
横着したらあかん。努力も必要や。

29 :自転車小僧 ◆IBmI/K76EY :2005/07/14(木) 07:38:48 0
>17
亀レスだが、「百花斉放百家争鳴」ぢゃなかったか?

30 :1:2005/07/15(金) 10:22:43 0
>>26
・・・確かにorz
自分1人の力じゃ無理なんで協力していただきたいんですけども、
そのように感じられてしまったらすみません・・・(´・ω・`)


31 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 12:08:23 0
謝辞にはちゃんと「にちゃんねらーに感謝」と書いておけよw

32 :世界@名無史さん:2005/07/15(金) 13:17:23 0
>>30
とにかく資料ググって書いてみれ、ウプしたらみんなで添削してくれるよ。

33 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 00:21:29 0
つ『大学生のためのレポート・論文作文術』(講談社現代親書)



34 :1:2005/07/16(土) 10:00:05 0
>>11を参考にしながら自分なりに作ってみたんですが、少し短いみたいでぅ・・・
A4のレポート用紙10枚分くらい(約400文字くらい?)を足したいのですが、
何を足せばいいでしょう?

長文ですが読んでみてください・・・


 中国の南朝における五代十国の時代、南朝の第3代目の王国「後晋」建国の際、石敬瑭は契丹の援助を受けた。
その際契丹に臣礼をとって歳貢を贈り、燕雲十六州(現在の北京である燕州・現在の大同である雲州)を中心とす
る万里の長城の南に沿った十六の州)を割譲した。
 燕雲十六州の回復は五代の混乱を収拾して中国を統一した宋(北宋)の 国是となったが、宋の太宗以来の過剰
な文官優位の政治によって、宋の軍事力は振るわず、燕雲十六州の回復は果たせなかった。そしてその後晋も2代
10年で滅び、モンゴル系の契丹族の遼の支配下に入るようになった。そして 以前の北魏に代表される「浸透王朝」
とは性格を異にする、「征服王朝」とよばれる王朝が成立した。その後の「金」、元、清も征服王朝である。
遼は916〜1125年に満州や中国北部を支配した国であり、渤海をほろぼした後、唐の滅亡に乗じて華北にも
進入した。契丹文字をつくるなど民族の独自性をたもつようにしながら,領土内の農耕民の社会にあわせた支配をした。
その後宋は、遼末期の混乱に乗じて、金と結び燕雲十六州を回復しようとしたものの、 逆に金との関係がこじれてしまった。
首都開封を落とされ、靖康の変において欽宗・徽宗を 北方へ連れ去られたが、欽宗の弟である趙構が南遷して杭州で 皇帝を宣言し、
金に奪われなかった淮河以南の地を確保して宋を再興し、これ以降は南宋と呼ばれるようになった。


35 :110:2005/07/16(土) 12:32:49 0
馮道の事は絶対書いてみたほうがいいと思うな。
http://www02.so-net.ne.jp/~muraji/non-fiction/hudoh.htm

それから遼がやった大虐殺とそれに対峙した馮道が遼の皇帝に訴えた言葉も
書いてみたらどうだろう
この大虐殺は確か“打草穀”といって、中国人を手当たり次第撫で斬りにした
ので、「人を殺す事、草を刈る如し」という意味で命名されたと思う

36 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 12:39:33 0
中国では異色な馮道の乱世での処世哲学とそれに対する反発が
宋の基調低音を作った可能性もある・・などという自分なりの妄想を
付け加えたりすると、喜んでくれる人もあるかも知れないw

37 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 15:19:35 0
馮道より高校の教科書でも出てくるような澶淵の盟を先に書け。

38 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 15:40:47 0
>>34
>>11のキーワードちゃんとググったか?
A4用紙1枚では収まらずに、何を削るか苦労するはずだぞ。

39 :おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2005/07/16(土) 16:36:54 0
>中国の南朝における五代十国

五代十国を南朝とはいわないのです。「中国の五代十国」で十分です。

>「征服王朝」
征服王朝という概念そのものが現在問題になっているのですが、
大学のレポートであれば、まああんまりこだわらずともよいでしょ。

>馮道
礪波護『馮道』中公文庫がいい参考文献になりますよ。

40 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 17:22:43 0
>宋の軍事力は振るわず、燕雲十六州の回復は果たせなかった。そしてその後晋も2代10年で滅び〜
時系列が変。

41 :世界@名無史さん:2005/07/16(土) 18:42:15 0
征服王朝に「ウィットフォーゲルが提唱した概念」と注釈を(ry

42 ::2005/07/19(火) 02:24:44 0
みなさんのご指摘を受け、少しだけ直してみましたが長さは変わっていません・・・
400字付け足すとして、例文を載せていただけるとうれしいです。

 中国における五代十国の時代、南朝の第3代目の王国「後晋」建国の際、石敬瑭は契丹の援助を受けた。
その歳契丹に臣礼をとって歳貢を贈り、燕雲十六州(現在の北京である燕州・現在の大同である雲州)を
中心とする万里の長城の南に沿った十六の州)を割譲した。
そしてその後晋も2代10年で滅び、モンゴル系の契丹族の遼の支配下に入るようになった。
そして 以前の北魏に代表される「浸透王朝」とは性格を異にする、「征服王朝」とよばれる王朝が成立した。
その後の「金」、元、清も征服王朝である。
 燕雲十六州の回復は五代の混乱を収拾して中国を統一した宋(北宋)の 国是となったが、宋の太宗以来
の過剰な文官優位の政治によって、宋の軍事力は振るわず、燕雲十六州の回復は果たせなかった。
 遼とは916〜1125年に満州や中国北部を支配した国であり、渤海をほろぼした後、唐の滅亡に乗じて
華北にも進入した。契丹文字をつくるなど民族の独自性をたもつようにしながら,領土内の農耕民の社会にあわせた支配をした。
 その後宋は、遼末期の混乱に乗じて、金と結び燕雲十六州を回復しようとしたものの、 逆に金との関係がこじれてしまった。
首都開封を落とされ、靖康の変において欽宗・徽宗を 北方へ連れ去られたが、欽宗の弟である趙構が南遷して杭州で皇帝を宣言し、
金に奪われなかった淮河以南の地を確保して宋を再興し、これ以降は南宋と呼ばれるようになった。

ちなみに参考文献は『五代と宋の興亡』講談社学術文庫 周藤 吉之 講談社
         『遼史』     中国古典新書  島田 正郎 明徳出版社 
ということにしてみました(´∀∩*)


43 :自転車小僧 ◆IBmI/K76EY :2005/07/19(火) 21:38:33 0
ただ年表を文章にしただけの様であまり面白みが無いように思うけど…。
軍事力の振わない北宋がなぜ遼の圧迫を受けながらも存続できたのか、と言うところ
を書いてみるのもいいし、遼と金の関係と言うのにも踏み込んでみてもいいと思う。
文化面、経済面から考えると面白いかもよ。

44 :世界@名無史さん:2005/07/20(水) 07:01:55 0
>南朝の第3代目の王国「後晋」建国の際、

「南朝の」はいらない

45 ::2005/07/20(水) 15:42:48 0
最終的に出来たレポートでぅ(●´ェ`●)

 中国における五代十国の時代、第3代目の王国「後晋」建国の際、石敬瑭は契丹の援助を受けた。その歳契丹に臣礼をとって歳貢を贈り、燕雲十六州(現在の北京である燕州・現在の大同である雲州)を中心とする万里の長城の南に沿った十六の州)を割譲した。
そしてその後晋も2代10年で滅び、モンゴル系の契丹族の遼の支配下に入るようになった。そして 以前の北魏に代表される「浸透王朝」とは性格を異にする、「征服王朝」とよばれる王朝が成立した。その後の「金」、元、清も征服王朝である。
「征服王朝」とは在米独人東洋学者のウィットフォーゲルが提唱した概念である。
燕雲十六州の回復は五代の混乱を収拾して中国を統一した宋(北宋)の 国是となったが、宋の太宗以来の過剰な文官優位の政治によって、宋の軍事力は振るわず、燕雲十六州の回復は果たせなかった。
日本ではあまり知られていないが、この時代には馮道という人物がいる。彼は後梁を除いた五代王朝の全て(後唐・後晋・後漢・後周)と後晋を滅ぼして一時的に中原を支配した契丹族王朝の遼に仕え、常に高位にあった。彼は「五朝八姓十一君」
(5つの王朝、8姓にわたる11人の皇帝)に仕え、宰相としての在任期間は20年に及ぶ。節度使出身である五代の武人皇帝や北方の遼の皇帝達には農民に対する哀れみの心は少なく、時に暴走する皇帝を諌め続け、時の民衆に敬仰された。
後世、特に朱子学的見地からは売国奴、変節漢と呼ばれ、司馬光なども痛切に批判している。しかし一方で馮道は当時の人々には大いに尊敬され、また後世の歴史家の中でも馮道を弁護する者もいる。

46 ::2005/07/20(水) 15:44:05 0
遼とは916〜1125年に満州や中国北部を支配した国であり、渤海をほろぼした後、唐の滅亡に乗じて華北にも進入した。
契丹文字をつくるなど民族の独自性をたもつようにしながら,領土内の農耕民の社会にあわせた支配をした。
その後宋は、遼末期の混乱に乗じて、金と結び燕雲十六州を回復しようとしたものの、 逆に金との関係がこじれてしまった。
首都開封を落とされ、靖康の変において欽宗・徽宗を 北方へ連れ去られたが、欽宗の弟である趙構が南遷して
杭州で 皇帝を宣言し、金に奪われなかった淮河以南の地を確保して宋を再興し、これ以降は南宋と呼ばれるようになった。
         
         『五代と宋の興亡』講談社学術文庫 周藤 吉之 講談社
         『遼史』     中国古典新書  島田 正郎 明徳出版社 


47 :1/2:2005/07/20(水) 20:48:21 0
>>1
時系列的にはこうなる。

  遼(りょう、916年−1125年)は、内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した契丹人(キタイ人)の王朝。
現在の内モンゴル自治区の東南部、遼河の上流域にいた契丹族の耶律阿保機(遼太祖)が907年に契丹可汗位に
つき勢力を蓄え、916年天皇帝と称し年号を神冊と定めた。当時、中国本土は五代十国の分裂時代にあり、
遼太祖は西はモンゴル高原東部のモンゴル族を攻め、東は渤海を滅ぼして、満州からモンゴル高原東部までに
及ぶ帝国を作り上げた。更に二代耶律徳光(太宗)は、五代第三代目の「後晋」建国に際して、華北の燕雲
十六州(現在の北京である燕州・現在の大同である雲州)を中心とする万里の長城の南に沿った十六の州)の
割譲を受け、渤海旧領とあわせて多くの農耕を主とする定住民を抱えることになった。このため、遼は
モンゴル高原の遊牧民統治機構(北面官)と中国式の定住民統治機構(南面官)を持つ二元的な国制を
発展させ、最初の「征服王朝」と評価されている。
  一方、中国本土においては、五代最後の後周の殿前都点検(近衛軍長官)であった趙匡胤(宋太祖)が、
後周の最後の皇帝から禅譲を受けて宋(そう、960年−1279年)を建国した。宋太祖の後を継いだのは弟の
趙匡義(趙光義/宋太宗)であるが、宋太宗は兄の事業を受け継いで中国の統一を果たし、燕雲十六州の
奪還を図り北伐軍を起こしたが失敗した。宋太祖・太宗は、唐が各地に節度使の割拠を許し、続く五代十国
時代の騒乱に至ったことに鑑み、各地の有力者の勢力を削ぐとともに、殿試を実施するなど科挙制度を
本格的に運用し始め、宋三代真宗(宋太宗の子)の代には名実ともに文臣官僚制が完成の域に達した。
このことは皇帝独裁権の確立をもたらしたが、同時に過度の文官優遇により軍事力の衰退をもたらした。

48 :1/5:2005/07/20(水) 20:53:55 0
配分間違えた。。。

  遼(りょう、916年−1125年)は、内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した契丹人(キタイ人)の王朝。現在の内モンゴル自治区の
東南部、遼河の上流域にいた契丹族の耶律阿保機(遼太祖)が907年に契丹可汗位につき勢力を蓄え、916年天皇帝と称し年号を神冊と
定めた。当時、中国本土は五代十国の分裂時代にあり、遼太祖は西はモンゴル高原東部のモンゴル族を攻め、東は渤海を滅ぼして、
満州からモンゴル高原東部までに及ぶ帝国を作り上げた。更に二代耶律徳光(太宗)は、五代第三代目の「後晋」建国に際して、華北の
燕雲十六州(現在の北京である燕州・現在の大同である雲州)を中心とする万里の長城の南に沿った十六の州)の割譲を受け、渤海旧領と
あわせて多くの農耕を主とする定住民を抱えることになった。このため、遼はモンゴル高原の遊牧民統治機構(北面官)と中国式の
定住民統治機構(南面官)を持つ二元的な国制を発展させ、最初の「征服王朝」と評価されている。

49 :2/5:2005/07/20(水) 20:55:32 0
  一方、中国本土においては、五代最後の後周の殿前都点検(近衛軍長官)であった趙匡胤(宋太祖)が、後周の最後の皇帝から禅譲を
受けて宋(そう、960年−1279年)を建国した。宋太祖の後を継いだのは弟の趙匡義(趙光義/宋太宗)であるが、宋太宗は兄の事業を
受け継いで中国の統一を果たし、燕雲十六州の奪還を図り北伐軍を起こしたが失敗した。宋太祖・太宗は、唐が各地に節度使の割拠を許し、
続く五代十国時代の騒乱に至ったことに鑑み、各地の有力者の勢力を削ぐとともに、殿試を実施するなど科挙制度を本格的に運用し始め、
宋三代真宗(宋太宗の子)の代には名実ともに文臣官僚制が完成の域に達した。このことは皇帝独裁権の確立をもたらしたが、同時に
過度の文官優遇により軍事力の衰退をもたらした。

50 :3/5:2005/07/20(水) 20:56:58 0
  遼六代聖宗は内部抗争を収めて中央集権を進め、1004年には宋へ遠征軍を送った。宋真宗は親征軍によりこれを迎え撃ち、宋を兄、
遼を弟とするものの、毎年絹20万匹・銀10万両の歳幣を宋から遼に送ることで和睦した(澶淵の盟)。これにより、遼と宋の間には
100年以上平和が保たれた。また、遼の侵攻と同時に、西のタングート族は西夏を称して宋に反旗を翻していたが、こちらにも財貨を
送ることで和睦した。つまり、宋は金で平和を買った訳でであるが、宋代の経済的・文化的繁栄にこの和約が果たした役割は大きい。

51 :4/5:2005/07/20(水) 20:58:05 0
  遼は、宋からの歳幣により経済力をつけ、西の西夏を服属させる事に成功し北アジアの最強国となった。同時に、豊かな財政を背景に
文化が高まり、中国や中国との通商路を西夏に閉塞された西域から様々な文物を取り入れて、その繁栄は頂点に達した。しかし一方では、
遼の貴族層が奢侈に流れるとともに強力な武力は失われていき、服属諸民族からは収奪に対する恨みを買っていた。

52 :5/5:2005/07/20(水) 21:00:53 0
  女真(ジュルチン)族は、現在の中国東北地区(満州)黒竜江省の按出虎水(アルチュフ川)流域にあって遼に服属していた。しかし、遼の
過酷とも言える搾取を受け、完顔部出身の阿骨打(金太祖)が遼に反乱を起こし、1115年には按出虎水の河畔で自らの王朝(金:女真語で
アルチュフ)を建て遼に反旗を翻した。遼は大軍を送って鎮圧しようとするが逆に大敗し、これを見た宋は、1120年に金との間で遼を挟撃して
分割し宋側には燕雲十六州を引き渡すことを約束した(海上の盟)。しかし、宋の弱兵は燕京を攻略できず、金が燕京を陥れ宋に割譲し、
遼最後の皇帝天祚帝は燕京を放棄して西走した(1121年)。金太祖は1123年に死去するが、弟の呉乞買(太宗)が後を継いで遼との戦いを続け、
逃れていた天祚帝を捕らえ遼を完全に滅ぼし内モンゴルを支配した(1125年)。この時、一部の契丹人は王族耶律大石に率いられて中央アジアに
移住し、西遼(カラ・キタイ)を立てた。一方、燕京を手に入れた宋軍は、遼の残存勢力と手を結んで金を牽制するなど、盟約に従って燕京を
割譲した金に対する背信行為を繰り返したので、これに怒った金太宗は、宋に侵攻して華北を席捲し首都開封を包囲した。宋では徽宗が退位し
欽宗が新たに即位して金の包囲に耐え、金も一旦和約して北に引き上げた(1126年)。金軍が去るとまたしても宋は背信して和約を破ろうと
したので、1127年に金軍は再び南下して開封を陥落させ、皇帝・欽宗、上皇・徽宗ほか多数の皇族を北方に拉致して宋を滅ぼし、中国の北半を
征服した(靖康の変)。欽宗の弟である趙構は、南遷して杭州で皇帝を宣言し、金に奪われなかった淮河以南の地を確保して宋を再興した。
宋代は、靖康の変までを北宋(ほくそう、960年−1127年)、以後を南宋(なんそう、1127年−1279年)と呼び分けている。

53 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 01:09:23 0
徽宗は即位する前から芸術家で、
皇帝にはふさわしくないと周囲も分かっていただろうに
何で即位させるかね。
ただの皇族だったなら、偉大な画人のまま死ねたのに。

54 :世界@名無史さん:2005/07/31(日) 17:40:38 0
>>53
馬鹿の方が操りやすいんだよ

55 :世界@名無史さん:2005/08/03(水) 17:20:08 0
徽宗は、やる気はあったろう。
実際に文化事業はすごい。
即位前など、周りからは、馬鹿には見えなかったと思うけどな。


56 ::2005/08/12(金) 19:48:39 0
後期が始まったら、単位が取得できたかどうか報告しますね(●´ェ`●)

57 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 19:55:11 O
これを機会に宋に興味をもったんなら、何かネタ振りしてください。

58 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 20:01:48 0
宋関連の書籍でオススメなものありますか?
特に初心者向けのヤツ

59 :世界@名無史さん:2005/08/12(金) 20:10:44 0
宋限定じゃないけど、陳舜臣の中国の歴史
四巻(北宋)と五巻(南宋)がお勧め。


60 :58:2005/08/12(金) 20:31:04 0
>>59
ありがとう
買ってみます

61 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 12:59:23 0
徽宗の徽ってどういう意味なのでしょう?

62 :漢和辞典によると:2005/08/16(火) 14:34:10 0
【徽】よい。美しい。よくする。善美にする。はたじるし。しるし。3本の縄。大綱。たばねる。むかばき。
   書き替え字は【記】。

63 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 14:56:38 O
日常語の中での用例を引くと、「徽章」というものがあります。
議員バッチみたいなものの総称ですね。

64 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 18:39:30 0
badgeの翻訳が徽章または記章なのだが。

65 :世界@名無史さん:2005/08/16(火) 23:13:37 0
>>58
最新の講談社中国の歴史シリーズ(近藤さん担当巻)は、ちょっと初心者には
おすすめできないない。そこそこ知識つけてから読むといい。

66 :58:2005/08/16(火) 23:54:05 0
>>65
今陳舜臣の中国の歴史全巻買ってきて1巻から読んでるところです。
講談社中国の歴史シリーズも前々から気になってたんですけど、
全体的に良書ですかね?

67 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:10:15 0
>>66
読み物としてなら、旧シリーズはみなそこそこあたりだと思う。
最新の成果ならやはり刊行中の現シリーズだが、今のところ
私見ではオススメは三国時代・魏晋南北朝時代の2冊だけ。

68 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:14:27 0
>>67
唐や宋の巻はまだ読んでないんだが、ハズレなのか……。

69 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 00:19:14 0
>>68
私見では、ね。
ただ、唐宋スレでもほとんど話題になっていないのはなぜだ。
(宋はスレ自体消えた?)

70 :58:2005/08/17(水) 00:22:58 0
>>69
どこのスレでも見た限りそんなに話題になってなかったので
本屋に言っても買うか買わないか迷ってたんですよね。

71 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 15:04:07 0
>>61-62
諡号は基本的に子が親に対してつけるのだから、余程のことがなければ、
悪いものはつけない。
周の幽王(幽は諡号で最低とされた)は子の平王と仲が悪かったし、
隋の煬帝は実質的に隋を滅ぼした唐によって付けられたもの。
逆に晋の献公のように、国を内乱状態に陥れても、子供からは「献」という
良い諡号を貰ってるのもいる。

72 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 15:24:03 0
「煬帝」はあだ名。諡号は「明帝」。

73 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 15:31:44 0
廟号で他の時代に見られないものに南宋の「度宗」「理宗」がある。

74 :世界@名無史さん:2005/08/17(水) 20:02:54 O
宋代は当時の政治(士太夫による)状況を反映した諡号がみられますね。
確か、理宗は理学(朱子学)を尊崇したためにつけられた諡号だったかと。
(度宗・たくそうは由来を知りません。済みません。)
年号でも、施政方針の表明と受け取れるものが見受けられます。
徽宗の「崇寧」(王安石新法時の年号、「熙寧」を尊ぶ意)とか、
理宗の「端平」(正しい法則=朱子学に従う)とか。
やはり、士太夫の発言力が高かったことが反映されているのでしょうか?

75 :世界@名無史さん:2005/08/18(木) 23:39:54 0
神宗があと10年生きれば新法が軌道に乗り、国力も回復して華北を失うこともなかったと考えて
いいですか?

76 :世界@名無史さん:2005/08/23(火) 19:00:12 0
>75

どうだろうね。
金の侵入を招いた一番の原因は、
童貫を中心にした外交政策の気がする。
蔡京が実権持ってたら、許さなかったと思う。


77 :世界@名無史さん:2005/08/24(水) 21:10:27 0
↓のスレで岳飛伝その他の田中芳樹作品の話題を求めております。来て下さい。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1123743603/l50

78 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/08/24(水) 23:39:22 0
>>72
「煬帝」は渾名ではなく歴とした諡號です。「舊唐書」の「高祖本紀」の武徳元年
九月辛未の條に「隋の太上皇に追諡して煬帝と爲す」とあります。また「明帝」は
東都に留守していた諸臣が擁立した越王楊侗が上った諡號で、廟號は「世祖」です。
これは「隋書」の「元徳太子傳」に出ています。

79 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 20:24:09 0
>>78
すいません。↓のスレで話題のネタを提供してきてください。お願いします。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1123743603/l50



80 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 21:21:28 0
田中芳樹って、あんまり読んだことないけど、
肌があわなそうな感じだった。
歴史を尊重するわけでもなく、
物語として面白いわけでもなく。

81 :世界@名無史さん:2005/08/25(木) 22:53:57 0
読んだことないから分からん。

82 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/08/27(土) 14:49:39 0
>>79
梁紅玉の実在性についてカキコしときましたよ。

83 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/08/29(月) 22:08:01 0
>>78
なお竇建コも王世充が越王楊侗を弑した後に、煬帝に「閔帝」と追諡しています。

84 :世界@名無史さん:2005/08/30(火) 17:22:42 0
>>83
スレに来て頂きありがとうございます。
あなたに対する質問も多数寄せられてりますので、
↓のスレで今後も目を通してください。お願いします。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1123743603/l50

85 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 17:32:59 0
移転してるから、駄目じゃん

86 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 18:05:56 0
欽宗の日記が残存していたら是非読んで見たい物だ。

87 :世界@名無史さん:2005/09/04(日) 23:53:28 0
欽宗、かわいそうっす。

「なんでだよお」ってずっと思ってただろうな。

88 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/05(月) 12:25:35 0
「大宋宣和遺事」を読んでください、どこまで史実か不明ですが拉致されてから崩御まで
詳しく書かれてて、すっごくカワイソですよ。

89 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/05(月) 13:04:31 0
>>78
今ちょっと想い出したんだけど、「煬」という諡號をもらった君主としては、金の
完顔亮がいます。世宗のときに「海陵郡王」に降封され「煬」と追諡されています。
更に後には王爵も追奪され「海陵庶人」とされてしまいました。

90 :世界@名無史さん:2005/09/05(月) 13:36:25 0
山東を拠点に暴れまわっていた山賊を中心にした軍隊を派遣してれば勝ってた

91 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 02:07:20 0
リアル水滸伝しても本物の遼や金には普通に刃がたたんだろ

92 :世界@名無史さん:2005/09/06(火) 18:09:29 0
山賊じゃないけど、岳飛や韓世忠の義勇軍の中には
いわゆるアウトロー階層が結構いたそうだ。


93 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 01:52:13 0
岳飛自体、入れ墨してなかったっけ。

それで思い出したが、五代史は無頼に対してあまりいいイメージで描いていないが、
なぜか宋史になると「あれくらい荒っぽい方がええぞ」(要約)と書かれてあったりする。

94 :世界@名無史さん:2005/09/07(水) 10:44:44 0
五代と宋代は戦乱と平和で対比されやすいですからねぇ
北宋もそれなりに戦争や紛争はあるのですが…

95 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/08(木) 00:57:03 0
>>93
秦檜が岳飛を捕らえて鞠問した際に岳飛は裳を破って問者に背を示したところ、
肌に食い込むように「盡忠報國」の四大字が刺されていたと「宋史」の本傳に見えます。

96 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 13:23:01 0
宋は、中国史の中では異例に、入墨がタブーではなくて、
岳飛と同じような入墨をしている武将は珍しくなかったとか。

97 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 16:25:59 O
楊業は最強だよな!?

98 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 16:32:01 0
そのうち額に誓殺金賊と刺青して北朝鮮に行ってこようかと思う

99 :中華@名無史さん:2005/09/08(木) 18:53:51 0
尽忠報国って、日本の幕末にも流行った言葉ですよね?

なので、尊皇攘夷って言葉も、もしかして岳飛活躍の頃が語源なのかな?
とかも思ったんだけど、違いますよね?

100 :世界@名無史さん:2005/09/08(木) 19:37:43 0
>99

言葉の語源はどうなんだろうね。
思想的には、遼や金に圧迫されてた、北宋・南宋時代に
強く出てきた主張ではあると思うが。

で、明滅亡で明からの亡命者を通じて江戸期の日本に伝わって、
日本の尊王思想が生まれたと・・・。
日本は尊王思想が昔から強いように思われがちだが、
実は江戸期に深化したんだよね。
江戸以前に尊王で天皇に殉じた日本人は、
強いてあげれば楠正成くらいで、あんまりいない。

101 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 17:22:36 0
>>90
梁山泊のモデルのひとつが太行山あたりを拠点に金軍と戦ってたアウトロー集団だとか。
村上正二「モンゴル帝国史研究」に「附篇 宋・金抗争期における太行の義士」というのが載ってる。

102 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 19:13:50 0
宋代は一般的には侠客はあまり盛んとは言えない。
ただ、宋史によれば、王倫、李彦仙とかいうのが
開封陥落のおり、活躍したとか。
この王倫は水滸伝のとは違うんだけど。

103 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:00:42 0
史斌≒史進だったっけ
で、将軍宋江と賊徒宋江は同一人物なのか・・・

104 :世界@名無史さん:2005/09/09(金) 20:29:16 O
らしいね

105 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 10:12:54 0
>>93
>>95
その入墨をしたのは岳飛のおっかさんだとか((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル

106 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/13(火) 12:12:52 0
>>103
王倫と李彦仙はずいぶん行動が違いますね。前者は金との講和に尽力したのに対し
後者は金に対して徹底抗戦した人物です。ただ2人とも若いころは市井無頼の徒で
アウトローから出て国事に尽瘁した点は共通してますが、侠客とまで言えるかどうか?
なお宋代には王倫が3人います。講和派の王倫は秦檜の素地を準備したような形で
当時の士人のウケはあまりよくなく「奸人」と目されていました。その辺が「水滸傳」の
登場人物としての王倫のマイナスイメージに反映してるのかもしれません。今一人の
王倫は仁宗の時に軍卒から反乱を起こして山東から淮南に寇して暴れた末、范仲淹に
捉えられています。こっちも「水滸傳」に影響した可能性が大です。

107 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/13(火) 12:14:27 0
まちがえました。>>102 へのレスでした。

108 :世界@名無史さん:2005/09/13(火) 17:06:09 0
記憶してるところだと、宋史でも王倫はあまりいい風には描かれてなかったような。
でも登場シーンは鮮烈だった。たしか靖康の変で趙構の馬車が都から脱出できなくて
往生していたところ、王倫が人混みを排することで事なきを得た。その手柄として自推
した兵部待郎となって官界デビューしたんじゃなかったかな。


109 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/13(火) 21:25:52 0
高宗ではなく欽宗ですね。「宋史」の本傳に「汴京の守を失ふや欽宗は宣コ門に御す、
都人は喧呼して已まず、倫は勢に乘じ徑ちに御前に造(いた)りて曰く『臣は能く之を
彈壓せん』と、欽宗は佩ぶ所の夏國の寶劍を解きて以て賜ふ、倫は曰く、『臣は未だ
官を有せず、豈に能く彈壓せんや』と、遂に自ら其の才を薦む、欽宗は片紙を取りて
書して曰く、『王倫は兵部侍郎に除す可し』と、倫は樓を下り惡少數人を挾さみ、旨を
傳へて撫定す、都人は乃はち息む」とあります。

110 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:56:46 0
>>101
古いバージョンでは実際に梁山泊じゃなくて太行山に集まるのもあるらしいね>水滸伝

111 :世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:58:02 0
>>89
西周時代の宋の煬公は?

112 :世界@名無史さん:2005/09/16(金) 23:55:28 0
宋の地方官は、街に盗賊が襲ってくると宴会でもてなして
金品を与えて帰したりしてたらしい。

113 :世界@名無史さん:2005/09/17(土) 00:01:27 0
刺青将軍といえば狄青!
兵卒は入墨されたんだよね、確か?

114 :世界@名無史さん:2005/09/17(土) 08:52:19 O
お〜い、>>1さんよ〜。そろそろ、後期が始まるころだと思うが、単位は取れたのかい?

115 :世界@名無史さん:2005/09/17(土) 12:35:59 0
みんな親切すぎ。
丸投げの>>1は死ね

116 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/20(火) 18:36:43 0
>>111
諡法には「煬」に「内を好み禮に遠ざかる」と「禮を去り衆を遠ざける」と二解を示しています。
宋の煬公はどちらに該当するのか?「史記」の「宋微子世家」によると彼は先代の湣公の弟ですが
兄を嗣いで宋公の位に就いたところ、湣公の庶子が自分こそ正統の相続者だと主張し、煬公を
弑して自立したとされています。兄が死亡した場合に弟に及ぶというのが殷家の禮ですが、周は
父子直系で継いでゆくのが基本ですので、煬公を弑した詞は自己に有利にこれを解し自立を
敢行したものでしょう。そして正当性を補強するため「禮を去った」者として煬公に諡したのかと
推定されます。
周初に「煬公」と諡された諸侯には魯の3代目がいます。この人について「魯周公世家」には僅かに
事跡として「築茅闕門」としか伝えていません。裴駰の「史記集解」には徐廣の説として「茅」の字は
「第」が正しいとしています。そうすると「邸を造ったが門を構えなかった」ということになって、
これが禮制に合しなかったとして煬公と諡されてしまったのでしょうか?どうも不明確です。

117 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/20(火) 18:39:41 0
春秋戦國時代には「煬」という諡例が見当たりませんが漢代に入ると大発生します。「史記」では
「高祖功臣侯者年表」と「建元以來侯者年表」、「漢書」で「諸侯王表」「王子侯表」「高惠高后文功臣表」
「景武昭宣元成功臣表」「外戚恩澤侯表」などを検すると、実に三十二人の王侯が「煬」という諡号を
贈られています。その理由については殆どの人が今一つ事跡がはっきりしないので不明ですが、
中で東平王の劉雲については「漢書」の「息夫躬傳」と「宣元六王傳」によると、彼は宣帝の孫ですが
瓠山という山の大岩が転がって起立するという奇現象があり、この石のレプリカを造って王后と
日夜祠祭していたのが、あたかも哀帝の病中で東平王が非望の呪詛を行っていたと讒言されて、
廃して房陵に徙す旨の詔書を受けて自殺しています。この行状のどの点が「煬」に該当するのかは
必ずしも明らかではありません。彼の先代の劉宇は元帝の喪中に拘らず飲酒食肉するのみならず
妻妾は側を離れずという有様で、しかも不敬不穏の言辞を憚らず「内を好み禮に遠ざかる」の要件に
恰当する人物ですが、「思王」と贈諡されています。彼は天子から不行跡を責められ反省したフリを
装い処分を免れているので、これが「外内思索し前過を追悔す」という「思」の諡解に対応するものと
認定されたものかと考えられます。
これ以外の事例については想像するに生計が満ち足りていて検束されることの無い日常を送り、
しかも取組むべき仕事も見当たらないとなると、ふしだらな生活に走ってしまい目に余る行状が
朝廷に聞こえてしまったのでしょう。

118 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/20(火) 22:25:12 0
後漢では光武帝の兄の齊王劉縯の孫の劉石が「煬王」と諡されてますが、「後漢書」の「宗室四王傳」は
全く彼の事跡を述べていませんので得諡の事情は不明です。これ以後では梁の武帝の弟の安成王の
蕭秀の子の蕭機は「梁書」の「太祖五王傳」によると頗る優れた資質を有した人物のように思われますが、
「士子を遠ざけ小人を近づけ、州(湘州刺史)を爲(おさ)むるや意を聚斂に專らにして治績無し」とあり、
葬るに当り有司に諡を請われた武帝は「王は內を好み政を怠たる、諡して煬と曰ふ可し」と詔したので
「煬王」に決まったそうです。梁では王侯ではない人で「煬」の諡を得た珍しい事例があります。王導の
六世の裔で宋・齊・梁の三朝に歴仕した王亮で、彼は武帝の天監中に左光祿大夫・侍中の要職に在る身で
元日の朝賀を仮病を構えて欠席しながら別の場所で宴会をしたことがバレて、大不敬に当るとされて
棄市に論ぜられ爵を削られ庶人に降されてしまいました。その後に尚書左丞の范縝が武帝に向かって
彼を弁護したところ武帝は頗る不機嫌で、璽書を范縝に与えて十條に亘ってこれを反駁しましたので
王亮は屏居謹慎していました。数年後には起復されて
中書監・散騎常侍に至ったところで薨去しました。
そして諡して「煬子」とされましたが彼は前に豫寧公に封ぜられていますので、公爵から子爵に降して
贈諡したものでしょう。上記の璽書に彼の生平を述べた中に「女樂は房に盈つ」とあって「好内」の例と
評価されたものでしょう。次に北朝では周の文帝の第五子で齊王に封ぜられた宇文の場合は、「周書」の
本傳によると、北齊の討滅に大功があり格別の失徳もなかったのですが、宣帝が即位して彼の威望が
忌憚されることとなり騙し討ちのように殺され、「煬王」と諡されていますが対応する事跡は恐らくは
適当に作為されたことでしょう。

119 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/20(火) 22:31:36 0
訂正
11行目と12行目は一連
齊王に封ぜられた宇文の > 齊王に封ぜられた宇文憲の

120 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/20(火) 22:38:34 0
また訂正
王は內を好み政を怠たる > 王は内を好み政を怠たる



121 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/27(火) 21:29:36 ID:0
北魏にも「煬帝」という君主が存在しました。「魏書」の「序紀」に拓跋族の初期君長の事跡が記述され
全て皇帝として諡号が載っていますが、かなり後代に追上されたものと思われます。歴代の事跡も
「古事記」みたいな感じで極めて曖昧です。拓跋猗盧が晉の愍帝から代王に封ぜられ強盛だったのが、
長子の六脩に殺されてから拓跋部は内紛が続き、四代目の代王を嗣いだ紇那は猗盧の兄の子ですが、
猗盧の弟の孫の翳槐と争い二度も他部に亡命しています。結局は慕容部(前燕)に身を寄せて消息を
絶っています。この紇那には「煬皇帝」と追諡されていますが、彼の事跡からは諡号に対応する点は
窺えません。
南朝では陳の後主の陳叔寶が隋に降って洛陽で薨じた後に長城縣公に追封され「煬」と諡されています。
彼の場合は酒色に耽って政務を怠り亡国に至ったもので、この諡号に最も相応した人物です。

122 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 01:24:50 0
読みはやはり同じ「ようだい」?

123 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 03:31:23 0
煬帝は悪帝だったから「ようてい」ではなく「ようだい」と読むというのはガセビア。
というのはここのスレ住人なら知っているか……。

124 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/10/14(金) 12:12:55 0
隋の「やうだい」は歴史的な慣用によって特化された読み方なので、他の方々は
普通にヨーテーと呼んで宜しいのでは。

125 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/10/14(金) 14:22:06 0
平安時代の物語文学では「先帝」を「せんだい」と読ませるのが通例でした。
「源氏物語」の「桐壺」の巻の藤壺の入内のところに「先帝の四の宮の御容貌(おほんかたち)
すぐれたまへる聞こえ高くおはします」
「大鏡」の左大臣師尹の事跡を述べる条に「延喜とは醍醐の先帝、天暦とは村上の先帝の
御ことなり」
「増鏡」の「春のわかれ」に「宮は先帝の御代はりにも、いかで心の限り仕かうまつらんと」
また「常の行啓のさまにて、先帝の御座(おは)しましし北白河殿へぞ入れ奉らせ給ひぬる」
「榮花物語」では「醍醐の先帝の御時は古今二十巻選りととのへさせ給ひて」
これらはいずれも先帝を「せんだい」と呉音で読ませています。
この延長に「やうだい」があるわけです。

126 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 15:04:09 0





 あ や め 、 う ぜ え え え え え え え






127 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 15:13:03 0
>>126 おまえこそ、 邪 魔

128 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 15:40:03 0
>>124-125
煬帝だけ「だい」という呉音読みが残ったのは
聖徳太子のせいですかね。

「日出国の天子、日没する国の天子に白す。恙なきや」云々という
例の国書を読んでムカついたエピソードのためだけに
「やうだい(ようだい)」という古い読み方が慣習として残ったというのは
歴史の皮肉というか何というか……。

129 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 20:28:06 0
ずっと「ようだい」って読みに疑問だったけど、そういう事なんね。

130 :世界@名無史さん:2005/10/14(金) 23:32:12 0
宋学ってすごいの?

131 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 00:15:07 0
帝釈天

132 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 00:43:41 0
>>130
うん。凄い。

日本の古学派や清朝考証学派などからは
老荘や道鏡・仏教のパクリなどと言われる宋学(特に朱子学)だが、
古くは漢代からの経学や宇宙論、新しくは儒・仏・道といった
当時の中国のメジャーな思想の集大成であり、
その後の東アジアの文化や思想に対しても良くも悪くも絶大な影響を与えた。

133 ::2005/10/15(土) 20:35:36 0
宋(特に文化史・社会史)についてレポートを書いていきたいんですが、
どういう事がオススメですか??できるだけ濃い内容にしたいので詳しく教えてください。
お願いしますm(_ _)m

134 :世界@名無史さん:2005/10/15(土) 21:32:18 0
水滸伝

135 ::2005/10/15(土) 23:24:43 0
水滸伝のどういうことを書けばいいのでしょうか?

136 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 00:45:12 0
水滸伝は、明末の形成だから、文化史のレポートとして
内容を取り上げるのは難しいのでは。

参考文献はけっこうあるから図書館で読めば浮かぶでしょ。
清明上河図なんか、眺めてるだけで、「清明上河図を読む」以外の視点が
いっぱい浮かんでくると思う。

137 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/10/16(日) 00:49:16 0
どういうとこに提出するレポ?高校から大学院まで宋の歴史おしえてますしね。

138 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 00:59:33 0
人肉饅頭。
南画でも描いて提出したら? 塗料だけで一財産。

139 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 01:22:24 0
高校レベルで宋のレポートなんか書かせるかよ、アホかw
案外、一般社会の常識はないな、あやめはw

食いついたところを見ると、偉そうにアドバイスするつもりなんだろうがw

140 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 01:44:02 0
べつにあやめを擁護するつもりじゃないが、
普通にレポート書くぞ? 宋なんてかなりメジャーだし。

141 :世界@名無史さん :2005/10/16(日) 01:56:20 0
宋の社会史なら、個人的には宋代に需要が急増した茶や紙を主題に
してみたらどうだろう、と思う。
特に紙の方は、唐代は厚いものが好まれていたのが、宋代になると
薄くて白いものへと嗜好が極端に変化してたりする。
なぜそうなったかを調べるだけでも、かなりの枚数を稼げるのでは?


142 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 02:02:02 0
茶か、いいね。文献もあるしな。
紙か。出版なんかもどうだ? 
印刷による出版が社会的に広まったのは世界史的にも意義あるのでは。
学校とか塾もおもしろい。

143 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 02:59:12 0
中華料理とかも。
宋は中華料理の大きな転換点。
石炭を熱源に使うことによって強い火力が確保できたとか、いろいろ書き出がある。

あと、床座(名前は忘れた。違うかも)から椅子座への変化とか。
庶民も椅子に座ることが普及した。

144 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 03:15:48 0
日本との絡みで「然や栄西とか。

145 ::2005/10/16(日) 11:42:27 0
ありがとうございます。
一応、大学の東洋史概説のレポートです。

146 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 11:44:51 0
宋は当時、世界全体のGDPの5割を一国で占める超大国だった。
清も最盛期には世界GDPの3分の1を占めていたそうだ。

147 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 13:22:15 0
>>143
石炭燃料の普及で、薪としての森林資源の枯渇に
ブレーキをかけたことも大きいよね。

148 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 15:18:42 0
【殷周】三国時代までの中国の歴史を語ろう【秦漢】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1128253011/l50

13 名前: 壬左 投稿日: 2005/10/15(土) 20:44:58 0
秦漢(特に社会史を中心に)のレポートを書きたいのですが、何かオススメな事柄はありますか?
できるだけ濃い内容にしたいので詳しく教えていただければ幸いです。

149 ::2005/10/16(日) 16:15:39 0
>>148
あ、それも俺のレスですよ。
別の講義(中国社会論)でもレポートを出されてたので;

150 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 16:22:21 0
>>147
すでに宋代には、中原およびその周辺山地には
薪にするような森林はほぼ完全に枯渇していたんジャマイカ。
枯渇していたから石炭使用が広まったのであって
(そして石炭火力(火力は強いが長時間の調理には向かない)に適した
 炒め物系の料理が発達した)
因果関係の順番が逆だよ。
「事故に遭ったのでブレーキを改良した」わけだ。

151 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 16:29:24 0
講談社中国の歴史の話が出ていたので・・・。素人目からすると秦・三国時代・唐・宋は歴史をなぞるだけで面白くないが、春秋戦国・明・清は面白い。現代は2冊に分けるべき!

152 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 17:18:30 0
>>149
とりあえず概説書ぐらいは読めや

153 ::2005/10/16(日) 18:41:26 0
>>152
いや、一応読んだんですが、これだ!!っていう事柄がなかったので・・・orz

154 :世界@名無史さん:2005/10/16(日) 22:27:00 0
>これだ!!っていう事柄がなかったので・・・orz

中世から近世近代への曲がり角の時代なのに・・・ORZ

155 ::2005/10/16(日) 22:49:13 0
>>154
すみません…

あ、でも>>141さんの言ってる茶や紙については面白そうですね。
以前、日本の茶文化の講義で唐代と宋代の茶についても少しかじっていたので。
よかったら茶と紙について詳しく教えていただけませんか?

156 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 01:08:54 0
のびた君、のびた君。(AA略)

157 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 01:49:16 0
臨安は今でも水の質が悪い。
腐敗臭がする水を飲みやすくする香り付けの意味もあり
茶の飲用が庶民にまで広がったという説もある。

茶肆で飲ませていた当時のお茶は
抹茶タイプの蒸して挽いた粉状のものが主流。
宋代の初め頃は茶を匙でかき混ぜて供していたが、
北宋末期には竹製の茶筅が普及していた。
このように士大夫層以下の中流庶民レベルの文化が花開き始めてるあたり
154の指摘してる「中世から近世近代への曲がり角の時代」の一証左ともいえる。

158 :世界@名無史さん:2005/10/17(月) 02:57:03 O
宋代の上は皇帝、下は賤民までの、生活や衣服などが詳しく載ってある本知りませんか?

159 :世界@名無史さん:2005/10/18(火) 00:28:47 0
杭州は確か太湖から水を引いてたんだっけか。
それでも水の需要がおっつかず、水売りが繁盛したそうだが。
内陸の洛陽なんかも多くの水売りがいたとのことだけど…。


160 :世界@名無史さん:2005/10/18(火) 01:15:37 0
>160

開封だって、金水河が整備されたってことは、
飲料水の状況がひどいものだったからこそだと思う。
金水河は、偉い人ようだったと思うから、庶民は悲惨だったのでは。

161 ::2005/10/18(火) 01:24:17 0
茶や紙について詳しく書かれてる本やホームページを知ってる方いませんか??
探してみたんですが、なかなか見つからなくて…orz

162 :世界@名無史さん:2005/10/18(火) 15:25:04 0
>161

資料探しとか、資料の検討とか、一番楽しい作業なのに。OTZ
茶については、あまたあります。
入手しやすい入門書レベルでは、
NHKbooks「中国茶・五感の世界 その歴史と文化」
をまずどうぞ。

163 ::2005/10/19(水) 02:53:35 0
>>162
ありがとうございます。時間があまりないものですみませんm(__)m
もしよかったら宋代の「紙」について本とかも教えていただけますか??

164 :世界@名無史さん:2005/10/19(水) 23:44:44 0
「宋版」も面白いとおもう

165 :世界@名無史さん:2005/10/20(木) 02:00:13 0
晋は腐っても一目置かれていたのに、宋は舐められまくりだな。

166 :世界@名無史さん:2005/10/20(木) 03:09:41 0
宋は、政治史としては、士大夫が論争ばかりやってたり、
宰相が専横をきわめたりで、
女帝が出たり、政権が転覆するような大反乱などの
派手な事件がほとんどないから。
軍事力が弱い、皇帝に無能なのはいるがDQNは
いないのも派手さがない印象を与えるのかも。
外交的に押されっぱなしな印象もあるし。
思想史、社会文化史ではものすごく重要なんだけど。

167 ::2005/10/20(木) 16:56:26 0
茶についての本は色々回った結果、結構見つかりました☆
でも紙についての本が見つかりません…orz どなたか教えてください…(泣)




168 :あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/10/20(木) 17:43:08 0
紙については
潘吉星著・佐藤武敏訳「中国製紙技術史」(平凡社刊)
蒋玄怡著「中国絵画材料史」(上海書画出版社刊)
といった本を探してみられては・・・、20年以上前の出版ですが。

169 ::2005/10/21(金) 03:02:25 0
>>168
ありがとうございます。
早速探してみます。

170 :名無し:2005/10/22(土) 17:08:29 0
全然見つからないんですが…orz

171 ::2005/10/22(土) 17:09:36 0
>>170です。

172 :世界@名無史さん:2005/10/23(日) 22:05:55 0
つーかお前他人に頼りすぎ

173 ::2005/10/24(月) 02:40:00 0
・・・確かにorz
自分1人の力じゃ無理なんで協力していただきたいんですけども、
そのように感じられてしまったらすみません・・・


174 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 16:36:25 0
>>166
そういや明は宋よりはるかに徹底した独裁国家だったから皇帝もヒマなんてないはずなのに自分自身を総兵官に任命してどこか冒険してるうちに事故死したDQN皇帝がいたな。

175 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 17:21:00 0
士大夫層がもう一がんばりして宋代に立憲君主制みたいなのができてれば…
新法の揺り返しで旧法党の庇護下、
大地主や富裕商人層の力が増し市民革命→立憲君主制に
…あの国じゃならねえよなあ。

176 :世界@名無史さん:2005/10/24(月) 17:58:00 0
大地主や富裕商人層の力が増し貧富の差が一層激しくなり
各地で暴動が頻発。
旧法党と新法党の派閥争いは病硬膏に至って
その結果、北宋は滅亡。

儒教と保守主義に凝り固まった士大夫の頭じゃ
立憲君主制など思いつかん。
せいぜい開明専制君主がいい所だ。

177 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 00:00:29 0
>>174
25年間も紫禁城から外出しなかった元祖ヒッキーもいるしな。

178 :世界@名無史さん:2005/10/25(火) 22:40:22 0
朱子学についてわかりやすく説明している定評ある概説書ってありますか?

179 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 00:11:51 0
『朱子学と陽明学』小島毅かな。
島田先生のよりは読みやすい鴨

180 :ニコル:2005/10/27(木) 20:21:51 0
質問なんですが、「社会史」って具体的にどういう歴史のことをいうのでしょうか??文字からしてなんとなくは分かるんですが…イマイチ分かりませんorz どなたか教えてください。
できれば、例を挙げて教えていただければ嬉しいです。

しょぼい質問ですみません;;

181 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 20:26:04 0
単に社会全般の歴史を扱うと捉えればいいと思うが
何故、宋スレでそれを質問する?

182 :ニコル:2005/10/27(木) 20:31:44 0
>>181
いえ、その社会ってのがよく分からないんですよorz
経済史とか文化史とか政治史とかは分かるんですが・・・
宋が好きだからですw

183 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 20:33:39 0
http://academy4.2ch.net/sociology/
社会学板

ここを見ろ。多分分かる筈だ。

184 :世界@名無史さん:2005/10/27(木) 20:46:02 0
>>180はマルチ

185 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 22:32:10 0
>>179
ありがとうございます。
さっそくチェックしてみます。

186 :世界@名無史さん:2005/10/28(金) 22:43:52 0
Fランク大の教えて厨がコテ変えて再登場か

187 :世界@名無史さん:2005/10/30(日) 09:59:46 0
       , -−. .''' "" ´´  ̄i
      r′::i,:.:.: : : : : : : : : :_|____
       l,:::::::i,::::; ィ: : ̄ ̄: : : : : : : : .\
        l,:::::::Y!:::::i : : : : : : : : : : : : : : /
         l,::::::ll::::::::i. : : : : : : : : : : : : /
         l,:::::||:::::::::i. : : : : : :__ /
          l,::::||::::__;:: -‐''"´    _ン、   ___
     __ _ >‐viシ′  ̄`_`ヽ  '´-‐! ̄ ̄ ___
  ̄ ̄ __ 」 !リ ヾ!   ーtェz、` i ,zッォ ̄ ̄
  ̄ ̄      ヽ  ミ   ` " ,  ヽ'' ゛!
          }、l!     .イ_,、_ノノ  !
         ∧,`|i、    ,ィシ''゙_゙'ミュ /      
        __ ∧ ヾ ミ:、   !'゙´ ̄_ ̄l}′
  _,.、-''"´ ヽ  ヽ ヾ、`ミ=、 _,ィ、,,_,,ィソ/7 ̄!`''ー- 、
, '´   i    ヽ   ヽ ヾ、 __ミミミ:ツソリ'/  /    ヽ `ヽ、
   i  !    \  \\、 ミミミツツ ′/      ',  i `ヽ、
   l  l        \   ` ー`─ミミソ /      i  l  , \
  | |        ` ー-   __ヾ/‐´           |  | i


188 :世界@名無史さん:2005/11/06(日) 04:47:26 0
あげ

189 :世界@名無史さん:2005/11/07(月) 03:10:41 0
宋は実在したか否か

190 :世界@名無史さん:2005/11/07(月) 20:35:35 0
>>168
あやめさん、↓のスレ
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1126341890/

http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1126341890/362
という質問があるのですが、
そのスレには誰も詳しい人がおらず、
質問に答えることができる方がいません。
あやめさんに解説等お答え願いたいのです。
お願いします。

191 :世界@名無史さん:2005/11/07(月) 22:17:02 0
徽宗・欽宗の幽囚時の残酷物語の詳細を教えてください

192 :世界@名無史さん:2005/11/19(土) 19:33:30 0
保守

193 :世界@名無史さん:2005/11/21(月) 00:06:10 0
あやめはもう2ちゃんに復帰しないんじゃないか
山野krtあやめ・・・そのほか良コテはバカ名無しどもの跳梁に嫌気がさして
全て世界史板から退場してしまった
残ったのは荒涼とした風景と、朱やとてた等の低レベルこて・・・

194 :世界@名無史さん:2005/11/21(月) 22:38:51 0
ナポレオンがいるじゃないか

195 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 03:38:35 0
正直中国は宋までだな…
あとは没落するばかり

196 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 06:22:16 0
そうだね。

197 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 11:28:51 0
中国は、唐でDQNなことをやりつくして、宋でまともな方に動き出したと
思ったら、北方民族に蹂躙されて、どんどん変な方向にいってしまった。


198 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 11:55:37 0
というか、今の中共が曲りなりにも漢民族の政府になってるのがスゴス。
漢民族政権ってどれくらいだろう。

199 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 11:55:57 0
どれくらいぶりだろう。

200 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 16:40:54 0
でも、漢民族って、人口の90%くらいいるんじゃなかったっけ?
どんな自治区に行っても最大多数は漢民族。
ぼうふらのように増えて、中国という池を占拠してるわけだ。

201 :世界@名無史さん:2005/11/22(火) 16:51:18 0
他民族が漢化しただけだと思う。
このままいけばチベットの人もいずれ漢民族になるかもしれない。
まるでボーグだ。

202 :世界@名無史さん:2005/11/24(木) 00:12:16 0
もうそろそろ「宋刑統」の鶏姦罪の規定について・・・・
というモーホー野郎が沸いてきそうだなw

203 :世界@名無史さん:2005/11/27(日) 04:40:32 0
宋江は宮崎市定の言ってた通り2人存在したか否か

204 :世界@名無史さん:2005/11/27(日) 18:58:15 0
>>200
チベット自治区はチベット人90%以上。アムド(青海省)やカム(四川省西部)を
入れると漢族と半々に。

205 :世界@名無史さん:2005/11/27(日) 19:03:16 0
>>198,>>199
宋→漢
南宋→漢・金→女真
元→モンゴル
明→漢
清→満州(女真)
中華民国→漢
中華人民共和国→漢

半分ぐらいは漢ですかね。

206 :世界@名無史さん:2005/11/27(日) 21:09:15 0
「漢」とかいて「おとこ」と読むくらいだからな

207 :世界@名無史さん:2005/11/28(月) 11:38:42 0
>206

すまん。笑うところ?

208 :世界@名無史さん:2005/11/29(火) 13:18:26 0
>>207
笑っていいよ

209 :世界@名無史さん:2005/12/01(木) 11:01:32 0
>>201
公羊伝の三世だな。
文化が中華王朝の系統であれば
どの民族であろうと中華民族・漢民族

210 :世界@名無史さん:2005/12/02(金) 23:51:44 0
>>206
>>207
「漢」が「タフな男」を意味するようになったのは、やっぱり遊侠が流行った時代だからなのかな?
もとの意味は天の川で全然関係ないけど。

211 :世界@名無史さん:2005/12/07(水) 23:25:46 0
ttp://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f39385131
宋時代のかぶとってこんなんなの? あんまかっこよくない…

212 :世界@名無史さん:2005/12/15(木) 01:21:54 0
大食漢、好漢などなど やっぱり男を意味するからなぁ

それに中国語で「漢子」は「男」と訳すし

213 :世界@名無史さん:2005/12/22(木) 12:30:23 0
単なる男子という意味ではなく、マッチョとかガイというニュアンスで用いられていた>漢

214 :世界@名無史さん:2005/12/22(木) 13:56:43 0
日本語だったら「野郎」という感じかな>漢

痴漢、悪漢、卑劣漢なんていう否定的な言葉もあるし。

215 :世界@名無史さん:2005/12/22(木) 15:52:38 0
>210

遊侠がいつ隆盛だった?
宋はそれほどでもないでしょ。
隋唐までじゃないかな。

216 :世界@名無史さん:2005/12/23(金) 15:13:40 0
age

217 :世界@名無史さん:2005/12/26(月) 23:10:37 0
>>215
まさに前漢の事を指して言ったつもりだったのですが…

218 :世界@名無史さん:2005/12/27(火) 21:58:40 0
>217

そうか。すまん。
宋スレだから、宋なのかと思うら。

219 :世界@名無史さん:2006/01/03(火) 02:02:43 0
まあ普通はそう思うよな。

220 :世界@名無史さん:2006/01/04(水) 15:44:24 0
宋代の宝船丸ごと引き揚げへ=文化財満載、12世紀に沈没−中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060103-00000031-jij-int
【北京3日時事】中国の広東省陽江市の近海で、12世紀の宋王朝時代、積み荷を満載したまま沈没した
木造の貿易船を丸ごと引き揚げ、陸上のプールに移して調査を進める異例のプロジェクトが始まる。
3日付の中国紙・北京晨報などが伝えた。船内には陶磁器、絹織物など数万件に上る貴重な文化財が
残されているとみられ、調査結果は世界的な注目を集めそうだ。 

221 :世界@名無史さん:2006/01/07(土) 14:01:46 0
すげえ!

222 :世界@名無史さん:2006/01/21(土) 15:21:02 0
保守!!!

223 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 02:25:15 0
ぶっちゃけ岳飛が強いっても戦争を仕掛けたら負けてたんでしょう?

224 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 03:40:48 0
南宋末期で最も優秀だったのは賈似道だと思う。
ぶっちゃけ、文天祥ら南宋三傑は最後のおまけでしかない。

って、誰かが言っていたんですがまじすか?

225 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 09:43:15 0
ある意味まちがってない気もする

226 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 12:00:58 0
文天祥って今の中国では人気あんの?

227 :世界@名無史さん:2006/01/22(日) 19:13:10 0
そもそも岳飛って強いのかいな。

228 :世界@名無史さん:2006/01/23(月) 01:27:06 0
>>227
三百斤の弓を引くことができたといわれている。
現代風にいうと180キログラムの張力。

229 :世界@名無史さん:2006/01/23(月) 10:14:50 0
>228

フィクションじゃなくて?

230 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 02:21:54 0
岳飛は優秀で、金との防衛ラインの意地くらいは出来たかもしれないが、そんなことは
誰も望んでいなかった可能性が高い。
億が一にも岳飛軍を倒せなければ、
秦カイ辺りに「こいつをなんとかしないと前の皇帝を送り返すぞ」とか言えば岳飛は終わりです


231 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 07:32:41 0
そこまで優秀だったら四の五の言わずに黄河、長城ラインまで押し戻せっつーの
逮捕抑留死亡でも岳飛子飼の部下はろくに反乱すらやりやがらねぇ>さほど人徳ないねぇ


232 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 12:45:57 0
岳飛の魅力はDQNさである

233 :世界@名無史さん:2006/01/24(火) 16:24:47 0
柴栄があと20年長生きしてたら、歴史はどう変わったかな?
不確定要素が多すぎてよくわからんけど。

234 :世界@名無史さん:2006/01/25(水) 11:09:36 0
>>228
イギリスのロングボウやモンゴル弓でも100キロいかない。
実戦でそんな弓を使ってたかどうかは怪しい。

235 :世界@名無史さん:2006/01/25(水) 11:31:29 0
>>233
在位20年目。
柴栄の強引な政治・軍事に対してどこぞの節度使がキレて、
とある寺院に宿泊中の柴栄と皇太子の寝込みを襲って殺害する。
趙匡胤が弔いの挙兵をしてその節度使を倒し、
そのあと推されて皇帝に即位。

ってどこかで聞いた経緯・・・

236 :世界@名無史さん:2006/01/25(水) 14:07:01 0
その節度使の名前は明智で、管轄は日州かね

237 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 00:00:30 0
>>236
では、現代に蘇った趙匡胤はホテル経営で財を成し、神奈川11区から立候補?

238 :世界@名無史さん:2006/01/27(金) 02:17:05 0
なんとなく酒がうまそうだしちょっと寝坊しても
チェックアウト大目に見てくれそうなホテルだな

239 :世界@名無史さん:2006/02/06(月) 07:59:21 0
とりあえず保守

240 :世界@名無史さん:2006/02/06(月) 22:37:14 0
勝海舟のおやじの友人の平山行蔵は岳飛に影響を受けて
「罪人に赤心報国の焼印を押して蝦夷地に送るべし」
と主張していたそうだ。

241 :世界@名無史さん:2006/02/07(火) 11:33:55 0
赤新報国は、罪人にふさわしい言葉と考えてたのか。剣道馬鹿だな。






冗談だよ。

242 :世界@名無史さん:2006/02/08(水) 01:05:33 0
>>240
>「罪人に赤心報国の焼印を押して蝦夷地に送るべし」
ナチス並の凶悪な差別だな(w

243 :世界@名無史さん:2006/02/09(木) 01:53:41 0
再犯ごとにノ→人’→犬 に入墨されるのって何藩だっけ?

244 :世界@名無史さん:2006/03/17(金) 22:33:56 0
そうか。

245 :世界@名無史さん:2006/03/25(土) 19:23:58 0
そうそう

246 :世界@名無史さん:2006/03/29(水) 20:25:36 0
そうだったんだ

247 :世界@名無史さん:2006/03/30(木) 10:35:47 0
     -=-::.
  /       \:\
  .|  池田犬作   ミ:::|
 ミ|_≡=、´ `, ≡=_、 |;/
  ||..● .| ̄|. ● |─/ヽ
  |ヽ二/  \二/  ∂>  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 /.  ハ - −ハ   |_/ < >>244、呼んだか?
 |  ヽ/ヽ/\_ノ  / |   \________
. \、 ヽ二二/ヽ  / /
.   \i ___ /_/


248 :世界@名無史さん:2006/03/32(土) 10:21:33 0
石刻遺訓の士大夫の言論保障は、宋代通じて守らせたという点で画期的かもしれないけど、
個人レベルだと魏の明帝とかいるしそう珍しいわけでないのね

249 :世界@名無史さん:2006/04/17(月) 23:53:03 0
そうなのか

250 :世界@名無史さん:2006/05/04(木) 16:30:24 0
とりあえず保守


251 :世界@名無史さん:2006/05/06(土) 02:10:00 0
結局スレ主は立て逃げか・・・・・

>>21の発言は嘘だったんだな

252 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 15:20:04 0
宋も意外と人気ないんだな

253 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 17:09:53 0
歴代皇帝は概ねまとも過ぎて派手なエピソードも少ないし
とにかく地味な王朝だもん。明みたいにギャグの域に達した暗君だらけとかならともかく。

英宗が仁宗崩御の時「私には無理だ」と叫びながら
即位を迫る官僚たちから逃げ回った話とかは親近感持てるけどね。
官僚や宦官たちが英宗を捕まえて無理矢理皇帝の御衣を着せようとしたとか。

254 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 17:57:26 0
対外的にも遼・西夏・金・モンゴルに圧迫され続けたし
中華歴代王朝の中でも不人気な時代だし>宋
それに皇帝も太祖と徽宗以外、逸話に彩られた人物も不在。
名将も尚文卑武の法則と、中央からの圧迫で大抵、不遇の内に終わる。

文化的には重要な時代なんだけどね。

255 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 18:02:00 0
仁宗は皇帝の弟の子として育てられたとか、お忍びに街に出歩いたとかいう伝説がなかったか?

256 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 18:30:14 0
お忍びで開封を出歩いて遊んだのは徽宗じゃなかったけ?

読書好きの太宗が太平御覧千巻を一日三巻の割合で読み続けて
一年で読破したエピソードが読書マニアとして好感が持てる話だ。

257 :世界@名無史さん :2006/05/22(月) 19:17:38 0
仁宗は慶暦の名臣等々で、物語になってる人だね。
包拯と狄青が仁宗を支える二柱。
僖宗の話は水滸伝が主なんじゃないの。


258 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 19:40:08 0
包拯と狄青が仁宗などこの辺の本よんでみたいな
包拯は少女漫画であるらしいが、さすがにそれは買おうと思わないが読んでみたい。


259 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 19:44:08 0
>>258
つ「楊家将演義」

260 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 19:53:39 0
楊家将演義の存在は知ってるんだけど、中国語読めないんだよな。
井上由美子氏の作品で名前だけ知ってるんだけどな。北方のやつはおもしろいのかな。

261 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 20:05:45 0
北方は確か途中までだったと思う。

262 :世界@名無史さん :2006/05/22(月) 21:02:45 0
三侠五義か。
そういえば、かのコーエーが邦訳したとかなんとか。
ゲームにも丁月華と白玉堂が出てきてた。

263 :世界@名無史さん :2006/05/22(月) 21:03:54 0
「楊家将演義」でも後半(?)でしょ。
あれって基本的に真宗の代がメインだと思った。

264 :世界@名無史さん:2006/05/22(月) 21:13:15 0
北方はなんか中途半端なんだよな
水滸伝も三国志もifすぎてついていけない。
それでも人気あるんだよなぁ。

包拯は後小説になってなかったっけ?
大岡裁きみたいなやつ

265 :世界@名無史さん :2006/05/22(月) 21:26:08 0
「楊家将」は、たしか六郎が生き残って、さぁ今から楊家の再興だ、ってところで終わったように記憶する。
だから木をきりに行って穆桂英と電撃結婚する話はなし。
つまり、メインがないってこと。
でも、耶律休哥は結構いいように書いてたと思う。

266 :世界@名無史さん:2006/05/23(火) 00:06:31 0
二階堂氏のHPに16回まであるね。
あれで全部完結?

267 :世界@名無史さん:2006/05/23(火) 01:52:28 0
>>254
>それに皇帝も太祖と徽宗以外、逸話に彩られた人物も不在。

澶淵の盟と天書事件があった真宗朝を逸話が無いと申すか。

268 :世界@名無史さん :2006/05/23(火) 21:52:04 0
>266 そんなわけない。 後半は例によって魔法合戦になってたはず。
六郎の子が主になってるから、楊業の孫の代かな?うろ覚えだけど。

269 :世界@名無史さん:2006/05/23(火) 22:17:08 0
16回はさすがに短いだろw
でも日本語でちゃんとしたのってあれぐらい?
二階堂氏の本は結構好だから、楊家将本でだしてほしいな。

270 :世界@名無史さん:2006/05/27(土) 00:52:54 0
呼延家将伝 飛龍記とかも読んでみたい

271 :世界@名無史さん :2006/05/27(土) 17:12:38 0
>呼延家将伝

へぇ、こんなのもあったんだ。 

「飛龍記」は読んでみたいですね。かなりキャラ変わってると思いますが…
楊家将でも水滸伝でも、柴栄の子孫は出て、しかもけっこういい役なんですが、飛龍記でのご本人さまは
「陰険」だそうで… とほほ。

272 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 21:44:06 0
保守しときましゅ

273 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 22:19:34 0
神宗が長生きして新法を後押しすれば北宋も苦しまずに済んだのに

274 :世界@名無史さん:2006/06/04(日) 22:57:44 0
開封が落ちた後、金に連行された皇女とか後宮美女とか、どうなったか知りてえ。


275 :世界@名無史さん:2006/06/05(月) 19:40:44 0
>>274
後宮美女は金の諸侯王に奴婢として分配されたか
開放して実家に帰らせたかのどちらか。
皇女らは和約後に南宋に返還している。

276 :世界@名無史さん:2006/06/08(木) 20:33:48 0
そう言えば、皇女で思い当たったんだけど、
この時代、厳密な貴族が居ない(士大夫は居たけど)時代で、
皇女ってどんな人と結婚してたんですか?
やはり官僚かな?

277 :世界@名無史さん:2006/06/09(金) 19:45:36 0
上の方ででてた楊家将演義というのを二階堂さんのところのやつを始めて読んだんだけど、
PHP文庫の宋名臣言行録しか呼んだことなかった俺には、ものすごくおもしろかった。
太宗は趙普の権力が面白くなかったとかそんな話しかのってなかったから、太宗と趙普は仲が悪いと思ってたし
太宗がどんな人物かよく知らないけど、こんな軽はずみの行動で淵平達はしんだの?(演義ならではの話?)
後、井上氏の小説で狄青は優れた将軍になったみただけど、PHPで狄青の話は一つだけしか出てこなかったけど本当に優れた人だったの?
最後にamazonでぐぐったんだけど宋名臣言行録って今は入手不可なんですね。
今、宋の面白い本などあれば教えてもらえませんか?

278 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 00:21:29 0
全部絶版で入手困難では?>宋名臣言行録

279 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 22:24:37 0
>>277
小説でよければ田中芳樹の
「紅塵」と「海嘯」
前者は南宋対金
後者は南宋対モンゴル(元)

280 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 22:52:23 0
南宋と北宋は違うしなぁ。
北宋のはないものかね。

281 :世界@名無史さん:2006/06/10(土) 23:26:23 0
>>278
みたいですね。今日探しに言ったら何処にも売ってなかった。
変わりに范仲淹の本をかってきた。
>>279
書いてなかったけど、それは読みました。
後岳飛伝も。田中氏独自設定が多い見たいだけど、海嘯は国家の興隆の話だから感動しました。

280さんと同じで南宋は田中氏の小説とかで名前は結構覚えたけど、北宋は本が少ないですね。
井上氏の狄青という人物が魅力的だったから、この人の本を読んでみたい。ググルト狄青演義というのもあるみたいだし、
中国語が読めない。独学で少し勉強してるけど、全然よめるきがしないし。

282 :世界@名無史さん:2006/06/13(火) 00:38:34 0
太祖と太宗の話をきかせてください。
やはり太宗が暗殺をしかけたの?

283 :世界@名無史さん:2006/06/13(火) 20:00:16 0
>>282
そう思われてもいい状況。
太宗はかなりダークなお方だね。弟のこともあるし。
人物としては太祖のほうが好感がもてていい。

>>281
桃花源奇譚は北宋の雰囲気を感じるにはいいかも。
包拯もでてくるけど、やっぱ三侠五義の翻訳か、もはや吹替え版包青天を放映するしかないかも

284 :世界@名無史さん:2006/06/13(火) 23:27:56 0
三侠五義って包拯とかでてくるんだ。
知らなかった。amazonとかでは絶版だけど、前に書店でみかけたから、まだ残ってたらうれしいな。
范仲淹読んだけど、すごく面白かった。
前に読んだ本が銭弘佐が一騎打ちで楊業をやぶったけど、これって田中氏のオリジナル?
それとも史実?

285 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 08:39:21 0
>284 一騎討ちの記述はないけど(そういう記述はごく稀だし)、楊業および蔡遇を捕縛していると記述されているので、一騎討ちとはいかずとも顔をあわせるくらい至近には対峙したかもしれない。

呉越が南唐に対し輝かしい軍事勝利をおさめているのはこのときで、あとは衰えた南唐にも負けてたりします。
そのときの呉越王は弟の銭俶だけど。
銭弘佐が長生きしていれば、かなりおもしろいことになっていただろうと思います。

286 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 15:29:15 0
>>283
桃花源奇譚、最近読んだんですが、狂言回し役で重要な登場人物の
「文星」には、該当する実在人物は存在するんでしょうか?
他の登場人物は、私みたいな中国史素人でも知ってるような有名人
ばっかりなのにと、気になって夜も(ry状態なんです。

287 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 17:26:06 0
>286 たとえば誰? はるか昔に読んだから、登場人物覚えてないや。
ちなみに、白玉堂、その小説では仁宗から「白」の姓をもらった殷玉堂は、三侠五義のうちの「五義」のひとり。
金毛鼠という美男子で、色っぽい話が多いおかた。
三侠も五義も、開放府尹の包拯の懐刀という感じ。しかし、「暴れん坊将軍」や「大岡越前」とかと一緒で、とりまきの実在を語るような性格のものではないよね。


288 :286:2006/06/14(水) 20:10:45 0
桃花源奇譚 井上祐美子 中公文庫 
今風に言うと歴史小説に範を取ったライトノベル? のことについてです。
文星は私の書き間違いで、小説中「文曲星」、姓名は包拯、字を希仁。
貴方が>>283
>包拯もでてくるけど、
と、書かれていますので実在の人物かと思ったのです。

289 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 20:33:54 0
>>288 ああ、包拯サマは間違いなく実在の人物です。若くして進士に及第し、仁宗皇帝の信任を得て、開封府の知事となった人。
肖像画は閻魔さまみたいな恐いヤツで、名裁判とあいまって「包青天」と呼ばれます。
TVドラマにもなってますが、吹替えなりしないとわけがわからない…

290 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 20:47:07 0
包拯は文曲星として文から、狄青は武曲星として武の方面から、慶暦の名君である仁宗を助ける、というのが伝説、というか物語であるのです。
実際、包拯は首都の知事として公明正大、狄青は西夏などとの戦いで勝利しているから、クローズアップされたのでしょう。

狄青に関しては、多少皮肉を交えますが、当時宋の軍隊というのは「宋兵弱卒」と呼ばれるくらい、敵対国からは軽くみられていました。
その理由はいろいろありますが、一面として文官が統率していたことに、要因があるのではないかと思います。
五代十国を経て、開祖趙匡胤は、軍権をおおきく分散し、その軍を動かす権限と軍を率いる権限とにわけ、皇帝にすべての権限を集中させる君主独裁体制を作ったのです。
ただし、皇帝がすべての戦いに率先して親征しませんから、結局軍隊を統率する指揮系統が分散していたのが、仁宗期の現状だったのじゃないかと。
前線で軍を指揮するのは武官ですが、司令官となるのは文官だったのです。

で、戦況思わしくない前線で、局地とはいえ勝利しつづける部隊があって、それが兵卒あがりの狄青率いる部隊だったわけです。
で、それを大きく見せるという政治的作為があったのじゃないかと、勘ぐったりしています。
このあたりは確たる論拠はないので、知ってる人がいたらご教示ねがいたいものです。

291 :286:2006/06/14(水) 21:36:13 0
>>289 >>290
御両所、ご教示ありがとうございました。
対西夏戦、一兵卒から身を起こし最前線で奮闘した狄青、陝西路永興軍督知事
として彼と関わりのあるらしい名臣、范仲淹については存じております。

くだんの小説については、オカルト風味の登場人物を除き、ほぼ実在の人物が
いたことも存じておりました。
小説中では范仲淹を凌ぐ才能を持つ人物として書かれているように思いました
が、開封知事ならあながちオーバーな描写ではなかったわけですね。

292 :世界@名無史さん:2006/06/14(水) 23:55:35 O
北宋は、節度使の軍閥化にたいするアンチテーゼであり、ひさかたぶりの漢民族王朝(純粋中華思想)であった、という視点がなければ無意味よ 

隋唐ともに鮮卑系の浸透?王朝だったわけだし

293 :世界@名無史さん:2006/06/15(木) 09:40:32 0
なにがどう無意味なのか言ってくれなきゃ、言わんとしてることの真意をつかみかねます。

そもそも太祖が着手したのは、禁軍からの改変であり、節度使のほうはたしかに唐末五代の一番の問題でありましたが、後周成立後の有力節度使の反乱と有力者の粛清によって、とりあえず大きな波がたたなくなっていましたので、結構沈静化したようにみえます。
そこへ、殿前・侍衛両禁軍の改変で、中央強化策がすすめられたわけですよね。
太祖は、その強化策の一翼を担い自身もまた禁軍の司令官となって、かの擁立劇だったわけだから、禁軍のほうが太祖や新王朝にとってみれば恐い存在だったと思います。

「軍閥化のアンチテーゼ」って、北宋はそういうふうに捉えられているものなののですか?
強幹弱枝政策は言い換えればそうなるかもしれないけど、アンチテーゼというほどでもないような…

後周も漢民族王朝ということになってますが…

294 :286:2006/06/15(木) 13:22:10 0
>>293さん
この手の春秋の筆法気取りで、どっかで聞いてきたような「無意味」なこと
書き連ねる(まぁ、長文書く能力無いだろうから短いがw)輩を相手にしてもね。
ご自身のためにも、スレ参加者のためにも、ならないように思いますよ。

295 :世界@名無史さん:2006/06/15(木) 15:32:50 0
>>286さん
293の文は292さんへの返答とかいうより、自分の中での確認みたいな意味で書いたので、チラシの裏としてスルーしてください。
上のほうで、太祖太宗の話を、とあったのでネタ振りにでも使ってくれれば、ここに参加する楽しみも沸いてこようというものです。

296 :世界@名無史さん:2006/06/15(木) 16:50:23 0
了解しました。生意気申し上げてすみません。
太宗については、後世の人気はともかくw 我が国の東照大権現様同様、
名君であったと思います。因みに太祖が豊国大明神だったかどうかは、
簒奪の可能性ありとは言いながら同姓の政権後継者を得ている以上、
ちょっと違うように考えています。

とりあえず、名無しに戻って自分ももう少し勉強したいと思います。

297 :世界@名無史さん:2006/06/15(木) 22:02:06 0
信長、秀吉、家康に比較、というかなぞらえますが、信長はともかく秀吉、家康はいつも疑問ではあります。
それぞれの果たした歴史的な役割を、もっと掘り下げる必要は(自分に)ありますね。
なんといっても、自国の英雄の果した役割より、中華の英雄のほうを知っているのですからw

信長=柴栄に関しては、もう厨かヲタかってくらいですが、太宗サマに至ってはほとんど興味ない状態。
本来、趙匡胤の「宋」はとりあえず中華本土と思われる領土の統一もならず、最有力政権なだけであり、後梁からつづく河南軍閥のひとつと考えられています。
ただ、その役割は大きく、柴栄の頃から(本来の淵源は後唐明宗まで遡りはしますが)皇帝権力の強化=軍の中央集権化を、完成させたことが挙げられます。
この辺、秀吉などと比べてどうなのでしょうね。

298 :世界@名無史さん:2006/06/15(木) 22:31:41 0
>もう厨かヲタかってくらいで
こんな単語つかって煽らなくても294といい、過疎スレでこんな単語つかわなくても別にいいだろうに・・・

299 :世界@名無史さん:2006/06/16(金) 05:18:27 0
楊家将演義で狄青が悪役になったりしてるんだよね、確か。

300 :世界@名無史さん:2006/06/16(金) 12:24:04 0
楊家将演義も実際読んでないから、実はよく知らないのだけど、狄青悪役というのは
楊家サイドのことだったっけね。
不運続きの楊家にくらべ、とんとん拍子で出世する狄青を嫌なヤツと位置づけしているとかなんとか。

301 :世界@名無史さん:2006/06/17(土) 12:26:06 0
狄青演義というのもあるらしいけど、それでは今度は逆になったりするの?

302 :世界@名無史さん:2006/06/17(土) 19:47:32 0
「万花楼演義」のことかな?
あるサイトからの引用で申し訳ないけど

>(楊家将伝と)パラレルワールド的な小説に《万花楼演義》(楊家将では仇役の狄青と、楊家の三代目・楊宗保と、包公こと包拯がガッチリチームを組んで西夏・李元昊を打ち負かすというお話)がある

そうです。
田中芳樹著「中国武将列伝(下)」の中で、その万花楼演義にちょこっとだけ触れているところがあり、それによると、狄青はどこかの名家の子息で孤児だ、という話らしいです。

ま、なんにしても魔法合戦せずに話しを作ってもらいたかったですね、この時代の物語は。

303 :世界@名無史さん:2006/06/18(日) 00:02:21 0
ありがとう。ほぉそういう話ですか。
昔、知り合いに少し聞いたことがあって、どんな話かなと思ってたんだけど。
この手の本って必ず魔法合戦に落ち着くんだ。
日本でこの手の本書いてくれる人が田中芳樹以外以内というのもさみしい。
絶版とかになってたら、復刊あたりを利用して投票したりするんだけどなぁ〜

304 :世界@名無史さん:2006/06/18(日) 17:52:24 0
三国演義が特別すぎるから。 ああいう軍記モノは三国演義だけだったはず。
他はなんか女子高生が異次元で冒険するようなのと、そう大差ないように思える…
そういうのも面白いんだけど、やっぱり違うと感じてしまう。


305 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 18:24:18 0
説岳全伝と通俗宋元軍談がお薦め。

そこから正史の宋史に入るのが常道だろうけど
宋史は個人別の列伝の多さでは歴代正史中一、二を争うほどの内容なので
軽い気持ちで読むと後悔する。

306 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 19:10:32 0
>>285
遅くなったけどレスありがとう。一騎打ちはやっぱないですか。
小説から入って無知な人間だけど銭弘佐の年齢の若さでなくなったのはすごく残念な気がします。
一度は五代史を読んでみたいです。

>説岳全伝と通俗宋元軍談がお薦め。
最近興味を持って本を読んでるものですが、
ぐぐってみましたが、中々この2冊は一般の人が入手するには難しいみたいですね。
春秋時代とかすきなんですが、それよりも宋は人が多そうですね。


307 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 19:14:59 0
通俗宋元軍談は田中芳樹の「海嘯」の参考にされた本だけど
蒙古の残虐行為が過大に描かれているので
清の乾隆年間に禁書扱いされたそうだが。

308 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:21:07 0
>>305 後周に仕えていた人物の幾人かがわかればいいレベルです自分は。
しかし、膨大な列伝の量は、おっしゃるとおり立ちくらみしそうになりますね。

>>306 五代史は宋史に比べると巻数少ないし、結構読みやすい(ように思える)からいいと思うけど、新旧五代史はあくまでも五王朝主体で、呉越や南唐、後蜀といった十国は簡素です。
十国春秋などで補完する必要があるでしょうが… 自分はもってません。

趙匡胤に関しては、誰か小説書くとかなんとか。

309 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:28:14 0
今の所、日本で趙匡胤を小説化したのは陳舜臣の「小説十八史略」くらいしか
思い当たらないな。
功臣の粛清を行わずに平和裏に兵権を皇帝側に移行させた事を肯定的に
書いていたけど。

310 :世界@名無史さん:2006/06/19(月) 21:09:44 0
趙匡胤は功臣の粛清はしなかった。
といいますが、趙匡胤時代は中華領域のほとんどを支配下におさめたとはいえ、いまだ統一事業真っ最中でしたから、ほんとうのところ建国の功臣というには早いのかもしれないですね。

なら、形だけでも統一に成功した弟・光義はどうかというと、粛清はしなかったものの、不遇に扱っています。
これができたのも、趙匡胤の軍権委譲政策あってのことでしょうが…
で、事績が編纂されたのが、この太宗のときで、かなりな修正加筆があったとみられ、書は太祖ではなく太宗を美化したそうです。
それでも、太祖が諸将に不満を与えることなく軍権を回収したことを伝えているところをみると、これは肯定的に受け取ってもいいのじゃないか、とおもいますね。
もし不満や失敗があるなら、それを太祖の責任大にして、太宗が鎮めたとかなんとか書いていても、そう不思議でない気がします。


311 :世界@名無史さん:2006/07/04(火) 03:49:25 0
とりあえずage保守

312 :世界@名無史さん:2006/07/04(火) 08:26:58 0
宮崎市貞は、趙匡胤を豊臣秀吉に、趙光義を徳川家康に比定しているけど、
私は趙光義を秀吉の弟・秀長に否定するほうがあっていると思う。
秀吉より前に死去し、天下も取ることなく脇役で終始しているのが決定的に
難点ではあるのだが。

313 :世界@名無史さん:2006/07/07(金) 07:37:22 0
俺も否定だな

314 :世界@名無史さん:2006/07/09(日) 11:49:17 O
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

315 :世界@名無史さん:2006/07/18(火) 18:21:13 0
初めて北方の楊家将を呼んだんだが結構面白い。
上巻を一気に読めた。
北方の三國志・水滸伝を読んだんだがイfすぎる場面がたくさんあったんだけど、楊家将もかなりオリジナル小説なの?

316 :世界@名無史さん:2006/07/18(火) 20:34:36 0
市定

317 :世界@名無史さん:2006/07/22(土) 10:25:42 0
ネットでは唐や晋とかの翻訳サイトしてるのをみるけど、宋の翻訳サイトとかってある?


318 :世界@名無史さん:2006/07/22(土) 14:30:39 0
>>310
この軍権の回収ってのは、本当に凄いことだと思う。
特に東アジア世界では、あまり例がないだろうな。

319 :世界@名無史さん:2006/07/22(土) 19:51:13 0
そのころの軍権を掌握していた幹部が、趙匡胤のいわば義兄弟みたいなひとたちだった、というのも影響はあるかもしれないけど、ほんと類をみないことだと思う。
符彦卿や王彦超などの有力藩鎮連中の場合は、ちょっと事情は違うけど。
王彦超は結構、太祖の意を汲んでいる明察の人のようだし、彼が言うなら… という雰囲気もあったのかもしれない。

320 :世界@名無史さん:2006/07/23(日) 23:31:52 0
ようやく飛龍全伝みつけた

321 :世界@名無史さん:2006/07/23(日) 23:59:18 0
日本語で書いてても検索ページに引っかからないのかあるよな。
楊家将も全訳されてるところもあるし

322 :世界@名無史さん:2006/07/24(月) 09:04:16 0
>>320 邦訳を?

323 :世界@名無史さん:2006/07/24(月) 11:57:18 0
邦訳ならよんでみたいな。

324 :世界@名無史さん:2006/07/27(木) 20:31:59 0
>322
いや、中華書局の
久しぶりに東方書店行ったら売ってたから買ってきた。

325 :世界@名無史さん:2006/07/27(木) 20:42:09 0
いいなぁ、読める人は。
ぜひとも感想を聞かせて欲しい。

326 :世界@名無史さん:2006/08/01(火) 23:34:45 0
つかこうへいは読んだことあるんだが、
違うんだろうな。

327 :世界@名無史さん:2006/08/02(水) 14:26:52 0
初めて楊家将演義全部読んだけど、楊宗保以降もうめちゃくちゃだなw
なんか封神演義にちかい妖術の戦いばっかだな。
狄青も完全な悪役だし、一度ちゃんとした宋史を読んでみたい。

328 :世界@名無史さん:2006/08/02(水) 20:45:08 0
>>327 漢文はすらすら読めるんですか? だったら…
HP作って、宋史全訳を志す、とか!(死ぬって)
自分は五代史がらみの宋代好きだから、五代史から仁宗期くらいが気になるところ。

329 :世界@名無史さん:2006/08/02(水) 23:25:13 0
いやいや読めないよ。そんな学ないよ。
読めれば素敵だけど。

330 :世界@名無史さん:2006/08/07(月) 16:14:05 0
最近はネットで訳をしてる人おおいが、唐とか晋の時代は結構ある
でも宋にてをつけてるのはいまだにみたことないな。

331 :世界@名無史さん:2006/08/08(火) 21:18:20 0
はっきり言って、『宋史』の完訳は個人の手では絶対に無理。
プロジェクトチーム作ってもン十年かかると思う。
食貨志や選挙志は東洋文庫から訳注が出ているけど、注釈だけで物凄い分量になるし、
そもそも偉いセンセイがたもわからないらしく「逃げている」ところが散見される。
(例えば原文で漢字2文字の熟語になっているところを、砕いて訓読みにもせず、注もつけていない…など)
確かにズルイとは感じるんだけど、学者の良心としてウソを書くわけにも行かんからね。
現時点では、あの両著作がやはり最高水準の業績なんだと思う。
あのレベルの訳注が全部に付いたら、世界中が泣いて喜ぶだろうが…遥か未来という気がするぞ。

そもそも語彙が全然わからないのが問題なんだよな。
それでも『宋会要』と対照すれば、読みやすい言葉に置き換えるよう配慮されてるのがよく分かるが。

332 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 01:46:33 O
宋史ってなんでそんなに難しいの? 
 モンゴル人が書いたから難解な文章になっちゃったとか

333 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 02:16:20 0
実際の執筆は漢民族系のの学者だろう。

334 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 05:50:32 0
他の正史は原資料をわかりやすく要約して登載するるんだけど、
宋史は原資料を未整理のまま取り込んだらしい。
研究者が必要な個所を資料として使うのにはありがたいんだけれど、
中華書局版は40分冊、全体を読もうとするとたまったもんじゃない。

335 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 06:17:44 0
もし翻訳に挑戦するなら続資治通鑑220巻かな。
宋・南宋・遼・金・元の時代の編年史。
紛らわしいけど続資治通鑑長編520巻は全く別物。

336 :世界@名無史さん:2006/08/09(水) 21:53:58 0
>>335
史料的価値から言えば『長編』のほうが圧倒的に高いだろ?
むしろ『宋史』より高いとすら言える(というか宋史のオリジナルの一つだね)。
実質哲宗朝で終わってしまっているのが非常に残念だが。

337 :335:2006/08/10(木) 06:55:38 0
それはそうだが、翻訳というのは機械作業ではなく
自身も内容を読み理解しながら行うもの。
素で日記そのものといえる長編の冗長さ・単調さにはつきあいきれない。

338 :世界@名無史さん:2006/08/10(木) 23:46:36 0
包拯の部分だけでも読みたい

339 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 07:38:05 0
ttp://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3

の二十五史、宋史、列伝、卷三百一十六 列傳第七十五に包拯があるよ。
がんばって読んでみて。

340 :世界@名無史さん:2006/08/11(金) 09:33:29 0
無恥な質問ですけど
夏休み出し、これを機会に中国の勉強始めてみました。
白帝社の中国語文法・完成マニュアルとかいう本をかって独学で勉強してます。
発音とか会話が出来るようになれなのは分かってますし、別にいいんです。
ただ翻訳されてない中国書を読んで理解したいんですが、独学で読めるようになるものなんでしょうか?
漢文とかも勉強しないと読めない者なんでしょうか?中国語読める人がいれば参考に教えていただければなと思います。

341 :世界@名無史さん:2006/08/12(土) 00:22:04 0
独学では難しいな。
何年もかければ出来るかもしれないが、ちゃんと学校いって習った方がいい。
日本語はなせても古典が読めるのとはまた違うのと同じようなものだし

342 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 13:49:23 0
>>200
ぼうふらって、その例えを使うのはエル・カンターレだけだと思った。

343 :世界@名無史さん:2006/08/15(火) 22:21:18 0
>>340 四声は本だけで習得するのは不可能。中国語のネイティブスピーカーに聞いて直してもらう必要あり。

344 :世界@名無史さん:2006/08/20(日) 22:08:13 0
>>76
優れた指揮官がいないとなかなか。

345 :世界@名無史さん:2006/08/21(月) 21:53:05 0
ちょいと質問よろしいですか?
よく宋代の演義ものに出てくる八千歳(趙元儼)の次男坊の事が載ってる書物ってありますか?

346 :世界@名無史さん:2006/08/22(火) 23:29:56 0
趙元儼ってよく「八大王」って呼ばれる人物だよな?

いちおう宋史の巻245・宗室伝2の「周王元儼」の条末尾に
「子十三人、允熙・允良・允迪・允初、餘皆早卒。
熙寧中、以允良子宗絳嗣封呉國公。徽宗改封呉王為周王。」ってあるけど、
允熙允良が実際に第何子だったのかはここからじゃよく分からんね。
「周王家」として残ったのは允良の系統のようだけど。
最近研究から遠ざかっているからよくわからないんだけど、
アメリカのChafee氏あたりが宋朝の宗室の研究をまとめたんじゃなかったっけ?

347 :世界@名無史さん:2006/08/25(金) 01:17:41 0
そうです、なんでも次男坊が夜中照明をガンガン炊いて昼夜逆転の生活をしてたというのをどっかの本で読んだ事があったんで
それを小説のネタにしようと思って資料を探したかったんですが・・

348 :世界@名無史さん:2006/08/25(金) 10:34:42 0
>>347
それはやっぱり允良のエピソードだな。
>>346に挙げた周王元儼伝の末尾に彼の息子たちの略伝も附されてるんだが
允良の条には「好酣寢、以日為夜。由是一宮之人皆晝睡夕興。」
(酣寝を好み、日を以て夜と為す。是れ由り一宮の人、皆昼睡夕興す)とある。
「酣寢」が泥酔という意味なのか、単にねぼすけだったという意味なのかちょっとはっきりしないが、
要するに日中寝ていて夜活動する。そのせいでその家臣たちも昼夜逆転の生活をしていた、ってことかな。
正史にはこれだけしか記述がないっぽいので、他の史料をあたったほうが良いかもしれんね。

とりあえず「宋人伝記史料索引」(王徳毅ほか編)とかで「趙允良」を探してみれば?
この人の簡単な伝記と、彼に付いての記載がある史料が列挙されているはずだ。

349 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 14:35:38 0
楊家将とか、水滸伝とか、説岳全傳とか、
宋代を舞台にしたものは結構人気あるね。
武侠小説もこの時代多かったりするし。

350 :世界@名無史さん:2006/08/28(月) 19:31:48 0
徽宗の「墨彩写生珍禽図巻」って結局・本物だったんですか?


351 :世界@名無史さん:2006/08/30(水) 23:42:06 0
>348
ありがとうございます!
探してみます!


352 :世界@名無史さん:2006/09/10(日) 02:23:44 0
(*´∀`*)ムフーッ

353 :世界@名無史さん :2006/09/23(土) 15:04:30 0
北方謙三先生のおかげで、興味持つ人が増えたよね。宋代。

354 :世界@名無史さん:2006/09/23(土) 20:06:50 0
どう考えても北方のせいではなかろう…。
90〜2000年代に田中芳樹とその周辺が宋代を大プッシュしてたから
その辺の影響のほうが強いような気がするぞ。
武田泰淳の「十三妹」の文庫版なんてその流れで出てきたようなものだろう

355 :世界@名無史さん:2006/09/25(月) 07:25:42 0
自分は光栄から出た三侠五義で

356 :世界@名無史さん:2006/09/25(月) 22:21:22 0
>>353
でも勘違いの痛い子もだいぶ増えた現実

357 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 00:14:46 0
それを受け入れる余裕があるかないかで世代がわかるな。

358 :世界@名無史さん:2006/09/26(火) 08:45:02 0
北方って「楊家将」? 読んでないや。文庫になればあるいは…
で、どんな勘違い?

359 :世界@名無史さん:2006/09/30(土) 02:10:20 0
楊家将短すぎ

360 :世界@名無史さん:2006/10/01(日) 23:21:34 0
そういや、9/30にNHKBS2で
上海京劇院の「楊門女将」放送してたんだな…。見逃してしまった。
池袋でライブで見たんだけど、もう1度見たかった…

361 :世界@名無史さん:2006/10/08(日) 21:24:12 0
age

362 :世界@名無史さん:2006/10/11(水) 08:51:03 0
中国の歴史に関する娯楽・文学は三戦板のご利用を

http://hobby8.2ch.net/warhis/

363 :世界@名無史さん:2006/10/16(月) 22:41:56 0
『宋史』の地理志などに出てくる「崇寧戸」ってどういう意味でしょうか。
詳しく知りたいのですが、適当な文献、東洋史専攻生以外のものでも分かるような
ものがあったら、教えてキボーヌ。

364 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 20:54:24 0
>>363
こんな初歩的なこと言いたかないが、基本的に区切り方が間違ってる…。
おまいが言ってるのは、例えば地理志一・京畿路・開封府の条の冒頭で
「開封府。崇寧戸二十六萬一千一百一十七、口四十四萬二千九百四十。」
ってあるところの「崇寧戸」だろ?これは「崇寧」と「戸〜〜、口〜〜」で区切るんだよ。
これは要するに都市要覧だから、
「開封府(の世帯数及び人口)は、崇寧年間の統計によれば26万1117世帯、人口44万2940人である」
と理解すべき。
言っとくがこの統計が正しいかどうかは別問題だぞ…。それは地志とかと付き合わせて自分で調べよ。

365 :363:2006/10/18(水) 00:08:39 0
>>364
初歩的なことでスマソ。
でも親切に教えてくれてありがとうございます。
身近に東洋史をやっている人がいないもんで…。

366 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 16:23:12 0
そうですか

367 :世界@名無史さん:2006/11/11(土) 17:50:38 0
ここはクダラナイ質問スレでつね

368 :世界@名無史さん:2006/11/15(水) 22:18:52 0
>>363はとても良識的でまともな質問だと思うが。

369 :世界@名無史さん:2006/11/23(木) 02:26:51 0
王小波・李順の乱について調べてるんだが
『中国農民戦争史研究』1968年
ってやつに佐藤和弘・中村健寿の二人の論文が
のってるはずなんだがこの本がどこ探してもない。
あっても似たような題名で中国で出版した奴なんだよ。
誰か知らない?

370 :世界@名無史さん:2006/11/23(木) 21:20:31 0
>>369
さっきWebcatで調べてみたら、どうもこれ書籍じゃなくて定期刊行物(雑誌)みたいだぞ。
1号と2号があって出版年が1968ってなってるから、このどっちかじゃね?
ってことで、所蔵している大学に問い合わせるなりすればいいんじゃないか?

371 :370:2006/11/23(木) 21:24:42 0
連投すまん
NDLでも「和雑誌」で検索したら1〜6まで所蔵しているみたいだぞ。
最寄の公共図書館や大学図書館を介せば、必要な部分(当該論文の部分だけとか)を
コピーして郵送してくれたはずだ。がんばれ、自ら動くしかないぞ。

372 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 10:06:17 0
>>368
じゃあ350の質問に答えてみろ4.

373 :世界@名無史さん:2006/11/26(日) 10:08:07 0
訂正
×>>368
>>367

374 :世界@名無史さん:2006/12/02(土) 09:59:37 0
>>369
亀レスすまんがあり
あたってみるよ

あと宋代初期に四川が鉄銭行使地域になった理由って
宮崎氏・日野氏以外に誰か書いてる?
東洋文庫の食貨志の訳注見てたら四川の銭の政策のところに宮崎氏の論考
がそのままのってたんであれ以来誰も手をつけていないのかなと思ったんだが。
中国の論文でもいいんだが・・・。
宮澤氏のを除いて。
正直彼が言っていることは俺にはよく分からん。

375 :世界@名無史さん:2006/12/25(月) 21:47:45 0
(新刊情報)

飛竜伝 宋の太祖 趙匡胤
http://www.wrightstaff.co.jp/sakka/komae-list/tankobon/zhao.html

376 :世界@名無史さん:2007/01/04(木) 19:21:30 0
宋代の漫画とか小説で面白いのって何?

377 :世界@名無史さん:2007/01/05(金) 23:10:26 0
>>376
水滸伝(マンガでも小説でも)。

378 :世界@名無史さん:2007/01/06(土) 00:08:02 0
それは宋代に作られた作品という意味なのか
宋代が舞台の作品という意味なのか どっちだ!?
ちなみに後者なら、某田中先生もあちこちで言ってるように、そりゃあ沢山ある。

379 :世界@名無史さん:2007/01/07(日) 16:36:50 0
>>378
宋代が舞台。「宋代に出来た文学作品」となると「詞」しか浮かばない。

380 :世界@名無史さん:2007/01/10(水) 22:23:19 0
>377
三侠五義

381 :世界@名無史さん:2007/01/30(火) 11:17:06 0
なんか宋までが一番いい時代だったんじゃないか

382 :世界@名無史さん:2007/02/18(日) 08:31:30 0
>614 狄青に関して数年前暇つぶしに伝を斜め読みしたことが…ちょっとうろ覚えですが

禁軍(直轄している軍)の指揮官というか司令官がクーデターするのが流行で
宋の太祖も同様でした。その歴史の流れを踏まえたうえで>293 となるわけです

中央アジア、モンゴル方面等と接しないため周辺国に対して、馬(の質と数)が
見劣りするわけです。後の王安石の保馬法なんてまさにそれかな
どこかのゲームに例えると機動力、突破力に乏しいたんなる歩兵主体のために
配置と移動、戦力の集中と拡散で全体的に宋は後手を引きやすいわけですね
騎射を得意とする狄青の適正はかなり珍しいタイプといえます

また>291 のように現場の文官とも知己を持ち書物を渡されて読破するといった
エピソードなど、官僚・知識人と良好な関係を結べる素養をも持ち合わせていたのは
芳しい戦況といえないなかでの現場・戦場の結果とともに
中央において高位につける要因のひとつなんではないかと思ったり

北宋では珍しく現場上がりの人が軍の実質的トップになったわけですが
洪水の被害を周りの人は受けているのに狄青の家は被害を受けないとか
狄青の家の犬に角が付いてる、といった歴代王朝創始者につきものの奇瑞吉祥
怪情報といった世評が生じたりもするほどに
歴史に倣ってクーデタを起こすのではないかと警戒されてしまう立場に陥りますが
事も無く平穏に大往生するあたり官界遊泳術もあったようです

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