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自分を見つめていく 8

1 ::2007/02/18(日) 01:30:58

人の悩みは自分の思い込みや決め付けに気づいていないことに起因する。
自分の悩みを解消するにはその思い込みや決め付けに自ら気づく必要がある。

前スレ
自分を見つめていく 7
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/philo/1160397882/

2 :カオル ◆BBBRv/ousU :2007/02/18(日) 01:31:41
わたしが立てました。

3 :カオル ◆BBBRv/ousU :2007/02/18(日) 01:33:20
>前スレ813
>人生の諸問題を解決する可能性を、無根拠に
>特定の思想的立場に限定することが出来るのはあなたの思い込みです。

特定の思想というのは、唯一の思想のことではなく「ある思想」のことです。

多くの人々が、ある特定の「思想」を信奉し、その思想の論理にしたがって、
人生の問題の解法を考えています。何々主義というのが、その典型でしょう。

哲学の「哲学する」という営為ではなく、その思索の痕跡を問題にするなら、
それは哲学ではなく、ある特定の「思想」を問題にしていることになります。

>それを支えるための公理、原理を構築してしまいます。

その公理、原理の「言語」による解明という営為が哲学ですが、
この営為を可能にしているのは、言語の働きであり、論理の法則です。
このアポリアを越え出ようとする倒錯した欲求、言語の見る夢が哲学でしょう。

スフィンクス : 朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。
オイディプス : ハイハイで歩き、立ち上がり、やがて老いて杖をつく人間です。

答えようと考えつづけているその行為が哲学です。
謎を解かれたスフィンクスは自死しますが、この死が「哲学の終わり」です。
そしてオイディプスの答えへの信心が「思想のはじまり」です。

どのように答えても、それは答えられるのを待っていた答えなのでしょう。
だから哲学は、答えが答えでありうるための公理、原理を追究し続けるのです。


4 :カオル ◆BBBRv/ousU :2007/02/18(日) 01:34:52

>哲学の対象は人生の諸問題の一部です。

ある人の生は、その人の生であり、ある人がその人であることが「自分である」ことです。
ある人がその人であることによる人生の問題は、ある人がその人でなければ生起しません。

自分を見つめることは、原理的に自分の人生を見つめることであり、哲学の問いも自分を
見つめることにその原点を持っています。その意味で、哲学は必然的に人生哲学です。

しかし哲学はいわゆる人生の諸問題、たとえば恋愛の悩みを解決しようとはしません。
そのような問題についてであっても、なぜそのような問題が起こりうるのか、そのような
問題が問題として成立するというのはどういうことなのか、どのような条件が必要なのか、
などについて考えるのが哲学です。

あなたの考え「@ なまじ豊かだと自分を見つめる必要がなく、A その必要がないことを
喧伝する方法があり、B その方法は哲学を珍重することである」には、何かルサンチマン
のようなものが感じられます。つまり「他人の所為(せい)」にする癖のようなものです。

自分を見つめることは哲学の原点であり、哲学を珍重することは自分を見つめる必要が
あることの喧伝にはなるかもしれませんが、その逆にはならないと思います。

自分を見つめることで形をとって現れるもの(形而下のもの)のもっとも大きなものは、
強者(恵まれた豊かさ)への憎悪や嫉妬という脆弱で貧しい自分の奴隷根性でしょうか。

奴隷根性によって醸成された愛や思いやりという奴隷思想が、けっして実をむすばない
徒花なのは、本当の自分の気持を隠してしまうからです。いつも満たされることのない
その欲求不満を「他人の所為」にして補完するという奴隷の運命を辿ることになります。

哲学徒が上記@〜Bのようなルサンチ満々の思想家的論理を持ったらもう死に体です。


5 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 09:00:30
するってーと、何かい?
夏目漱石だっけ、「可哀想ってことは惚れたってことよ」なんてのも
「奴隷根性」ゆえなの?

6 :ちんかわむけクリト:2007/02/18(日) 11:34:49
わたしが立てましたじゃねーだろ
kじゃなくてkだし(実にくだらないこだわり)(狭量な人間の典型) 

7 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 02:33:45
カオルって臭そう 特にマンコ臭そう
クサい女キラい

8 :(゜▼゜) ◆Paiman/3cQ :2007/02/19(月) 04:00:42
哲学を哲学するスレはここですか

9 :零崎天使 ◆siRFt6ygTs :2007/02/19(月) 06:49:06
おっはよー

10 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 12:01:43
みっともない

11 :ペットのぶた:2007/02/20(火) 22:10:28
>>4
>奴隷根性によって醸成された愛や思いやりという奴隷思想が、けっして実をむすばない
>徒花なのは、本当の自分の気持を隠してしまうからです。いつも満たされることのない
>その欲求不満を「他人の所為」にして補完するという奴隷の運命を辿ることになります。
>
>哲学徒が上記@〜Bのようなルサンチ満々の思想家的論理を持ったらもう死に体です。

ルサンチマンは、多かれ少なかれ誰にでもある感情なので、
人の考えを批判するために使うのは、不毛です。
こうやって安易に「ルサンチマン」を批判の言葉として使ってしまうのは、
ニーチェの思想を知らないからだろうと思います。

ニーチェは既存の道徳を二つの類型に分類して、それを奴隷道徳と君主道徳と
呼んだわけですが、まず重要なことは、ニーチェの批判はルサンチマンそのものに
向けられているのではなく、人々のルサンチマンを利用して「神の国」の体系を
造り上げたキリスト教道徳に向けられているということ。

ニーチェによれば、弱者は現実世界から弱者特有の苦しみを被るがゆえに、
あらゆる現実に対して本能的な憎悪を抱く。そこで弱者たちは、
彼らの苦しみの責任を負わせる主体を求める。
そして、そこにキリスト教僧侶が現れる。

「禁欲的僧侶は羊に向かって言う。『そのとおりだ、私の羊よ。
それは誰かのせいに違いないのだ。だが、その誰かというのは、
実はお前自身なのだ。それはただ、お前だけのせいなのだ』」(道徳の系譜)


12 :ペットのぶた:2007/02/20(火) 22:12:29
こうやって禁欲的僧侶は、人々のルサンチマンの方向転換を行い、
良心の疚しさを「罪」へと、苦しみを「罰」へと解釈し変える。
それによって、生存そのものが刑罰として感じられるようになり、
人々は救済を求めるようになる。
こうして、現実世界は彼岸世界(神の国)に渡るための
単なる橋とみなされるようになった。

ニーチェの批判は、こうして造り上げられた「神の国」に
向けられているのであり、それとともに現実世界の価値が
貶められたことに向けられている。

そして「ルサンチマン」はそこでは、『他人の所為』ではなく、
「自分自身のせい」ということ。

13 :ペットのぶた:2007/02/20(火) 22:14:14
もう一つ大事なのは、ニーチェはこういうことを、
傍観的な他者批判として書いているのではないこと。

キリスト教道徳は、キリスト教自身が育成した誠実性によって没落する
という、キリスト教道徳の「自己超克」についてニーチェは何度も書いていて、
つまり、最終的には、キリスト教道徳によって育成されたニーチェ自身によって、
キリスト教道徳は「自己超克」される。

「我々はキリスト教からひとり立ちした。それは我々がキリスト教から
あまりに離れて住んでいたからではなく、あまりに近くに住んでいたからである。
いやそれ以上に、我々がキリスト教の中から育ってきたからである」(遺稿2[200])



14 :ちんかわむけクリト:2007/02/22(木) 09:52:25
>ペットのぶた
文章が読み易いし、指摘が的確。
君のように頭のいい奴がカオルにこだわっているのは何故?


15 :ペットのぶた:2007/02/22(木) 20:06:35
>>14
こだわりと言うほどのものではないと思います。
僕がカオルさんに絡んだのは今回が3度目か4度目ぐらいで、
ストーカーと言っているのはカオルさんの妄想か、または
相手を悪者に仕立て上げることによる自己防衛でしょう。

たいして意味もないことを、もっともらしく
見せかけようとするカオルさんの文章への不快感はあるが、
意味不明な文章を書き散らしているだけなら、
僕はそういうのはできるだけ読まないし、レスもしない。

僕がレスするのは、>>4のように、カオルさんが自分の書き込みを
もっともらしく見せかけるために、よく知りもしない哲学用語を
使うことに対して、悪質さを感じる場合です。

16 :考える名無しさん:2007/02/23(金) 00:23:13
>>12
>そして「ルサンチマン」はそこでは、『他人の所為』ではなく、
>「自分自身のせい」ということ。

いわゆる「(疚しい)良心」がどのように形成されるのか、については、まま良いとして、
ニーチェに言及した限りは、ニーチェの語った諸々の概念にある両義性、多義性についても
一言欲しいところ。

話題のルサンチマンにしても、弱者の抱く強者に対する妬み嫉みから、
原罪意識に至るまでには、微妙なニュアンスがあるわけで、
ぶた氏の明快な解説では、一面的過ぎるんじゃないかな?



17 :ちんかわむけクリト:2007/02/23(金) 09:29:05
>>15
なるほどもっともな意見。
やつは自分があたかも哲学徒の代表のように書き込むことがある。
あんなに頭の悪い奴にそういう態度に出られれば、腹に据えかねるだろう。

とにかく君の文章は読んでいてほっとする。おれが相手にしていたこの板の住人の
書き込みは読みづらい上に意味がわかりにくいものが多く、なおかつそれで意思の疎通が
はかれているようなやり取りが不気味だった。

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