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儒教はあんまし好きじゃないけど、孔子は好きって人

1 :考える名無しさん:2007/02/11(日) 07:45:53
1でDAT落ち間違いなし。

2 :考える名無しさん:2007/02/11(日) 07:55:53
あいつのいってる事はわかるよ



3 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 06:22:00
この人については誤解が多いような気がする。
儒教と孔子のイメージが全く合致してないのは俺だけじゃないはず。
全く浅い知識だけど、儒教は孟子っぽい。

一休さんと孔子が似てる気がする。坂本竜馬とも馬が合いそうなイメージ。
変化球タイプのピッチャー。

ま、浅い知識の勝手な思い込みですわ、はい。

4 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 13:38:06
孔子の人としてのあり方が好きなの?論語が好きなの?
儒教という言葉のもつ宗教的な響きが嫌いなの?儒教の思想自体が嫌いなの?
孔子、儒教と一括りにせず、その辺をわけて考えたがいいと思うよ。

ところで儒教の思想ってなんだっけ?

5 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 14:01:43
>>4大まかに言えば親や兄弟など目上の人を敬い目上の人は尊敬されるように年齢を重ねるごとに道徳心をもつ。この道徳観がひいては社会に還元され平和な世の中が築かれていく。その反対に道徳観が欠如すれば国が乱れる。そんな感じ

6 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 14:31:58
日本で知識人と言われている人には、結婚をしない、子供を持たない
という精神的に不健全な人が多いように思う。
彼らはキンタマ付いてないのか。

7 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 14:40:30
>>5
ありがとう。

いい考えだと思うけど、自分が実行するとなると難しいね。

8 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 14:46:35
>>4
儒教をどうとらえるかで儒教も見方が変わるけど
一般に言う儒教は>>5の言ってるようなことだと思うの
俺の孔子像は、社会科学者としての孔子とアウトローで気さくな人柄。
今の価値観で見ると堅苦しい言葉もあるけど、当時の人間になって考えてみたら
宗教的な教えというより、医学や心理学など、当時の科学の側面から言ってたんじゃないかなと思うわけ。

昔の人を考える時は、昔にタイムスリップして考えると。
人間の根本とか方向性は、今も昔もあんまし変わらんと思うわけで
今に残ってる儒教は、今の自分の価値観で簡単に否定できるけど
人としての根本的な考えは変えないで、昔の科学、情報、価値観で見るとどうなのかなって言うわけ。

論語から孔子を想像するんだけど、論語が好きと言うより、論語の中で描かれてる孔子が好き。
本当に浅い知識なんで。知ってる人はどんなもんかなと。

ちなみに、儒教は今の生活様式(自分の)にも政治体制にもあまり適さない思想だと思うし
儒教が必要だなと感じることもあまりない。自由主義とかそっち系だから。
だから、嫌いというよりも興味を惹かれないって感じ。
歴史の中で儒教が残したものと、消えていく儒教的な価値観とかを考えるとかなら、いっちょかみだけど。

9 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 15:13:08
まあいわゆる青年君子思想だね。日本語の男子を「〜君」と呼ぶ呼び方がその人を成長している男子として尊重していう謙譲語の一種だから。今の日本は儒教的とは言えない若者尊重の文化で歳多い人が馬鹿にされたりする時代だから君子もへったくれもない

10 :考える名無しさん:2007/02/13(火) 00:00:51
思想的には儒教思想とは正反対の立場にあるけど、
孔子も孟子も荀子もみんな好きだよ。懐かしさを感じる。

11 :考える名無しさん:2007/02/13(火) 00:06:23
>>7
だからこそ、孔子は常に助言していたんだね。

12 :考える名無しさん:2007/02/13(火) 00:13:47
>>8
>ちなみに、儒教は今の生活様式(自分の)にも政治体制にもあまり適さない思想だと思うし
ここから先は人大杉で読めなかった。
これについて言うけど、適さないのは気をつけて読めと聞いたことがある。
古今の政治には相違があるからね、使える部分と
使えない部分があるのは当然だよね。

13 :考える名無しさん:2007/02/13(火) 16:10:06
>ちなみに、儒教は今の生活様式(自分の)にも政治体制にもあまり適さない思想だと思うし

こんなこと言っている人は、中高生からタメ口聞かれてムカッとしたりしないのだろうか。
長幼の序なんか一切無視で、息子に名前呼び捨てにされても何も感じないタイプなんだろうか。
俺だったらそんな礼も知らない家族とは付き合いたくはないが。

14 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 02:41:35
ししびしおがこうぶつだった

15 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 03:17:53
>>14
好物だったんだ!?
子路がししびしおにされてから食わなくなったって話は知ってるんだけど。

16 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/14(水) 03:33:26
>>13に同意。
儒教を一言で表せば「秩序」だと思う。

17 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 08:35:08
儒教全否定みたいに誤解されちゃったようだ。
挨拶とか言葉遣いと儒教は切り離して考えてるから
儒教と重なるところもそれはあると思うよ。

18 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 08:51:33
礼儀作法や言葉遣いと宗教文化の関係性の強さという意味なら
それは俺は否定はしないよ。
自分個人の生活様式の中には、儒教の影響ってのは感じないし
儒教と絡んでると言っても、逆におこがましいかもね。

19 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 11:50:50
>>14
そういう人がいたら、注意して上げて下さい。
>>17
礼を徹底したら自然と言葉が丁寧になると思う。

20 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/14(水) 14:23:17
「徳孤ならず、必ず隣あり」

いつもいつもスゴく勇気付けてくれる、大好きな言葉。
翻って言えばさればこそ、自身「徳」に至れるよう、研鑽せねばという自戒の言葉でもある。

>>19
>礼を徹底したら自然と言葉が丁寧になると思う。

同意。
それこそ
「礼といい礼という、玉ハクをいわんや・・・・・・」
にも通ずるね。
敬う心や、感謝する気持ちを表現するための形式というか決めごと、ルールが体系的に構築され、まとめられたものが「礼」「礼儀作法」と呼ばれるものだと思う。
まず「気持ち」ありきだよね。
「気持ち」があれば、自然とそれを表現するに相応しい作法を選び、用いる。

21 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 16:32:22
「敬う心」
孔子はどういう意味で言ったんでしょう。
一種の「畏怖」でしょうか。「有り難がる」でしょうか。もしくは「好き」や「愛着」に近いものでしょうか。

孔子は、「敬いなさい」というより、「仲が良い方が気持ち良いでしょう」と言ってるんじゃないかと思う。
孔子自身は、自分の人生の中でも体系というものを作ってないと思うんですよ。
何も書き残さない人間が、その言葉に矛盾を持たずにいられるのか、そう考えると
孔子は感性に重きを置いてたんじゃないかなと思うわけです。

22 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 17:51:16
作法(決まり)が曖昧であったり、厳格でなかったり。決まりを知り得ない境遇にあったり。
世の中広いから、そういう事はしばしばある。
そういう時に、その曖昧で格の無い作法に寛容になり
作法を知らない人間を洞察し仁を汲み取る事が、本当の真心ではなかろうか。
しかもその真心は作法を必要としない。
その真心はみんなが持ってるわけじゃないけど、難しい修練は必要ない。
良いものを良いと言える情操さえあれば
文化、宗教、時代、場所を問わず誰でも持てる。

23 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 18:17:28
論語の読み方が違うのかも。
論語を人生の教科書として読むのと、ライトノベル感覚で読むのとでは
儒教と孔子に対する思いってのは、違ってくるものかもしれない。

俺はライトノベル感覚派
十二国記の外伝みたいなとらえ方w

24 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/14(水) 18:31:29
「礼」は心の「ありよう」を指すものではなく、寧ろそれを具現化するための手段、方法論の名だよね。
性質としては言語に近い。
一つの決めごとの「形」と「意味」を皆が共有して初めて意味をなす、そういった性質のもの。

25 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 18:34:38
儒教は倫理ではなく政治学ですよ

26 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 19:25:12
少なからず日本の会社は儒教の影響を受けている。マナーとか常識とか礼儀とか日本人がおよそ常識という言葉を使うとき既存の秩序を重んじる儒教的な影響が感じられる

27 :而立:2007/02/14(水) 19:41:53
吾(われ)十有五にして学を志し(志学)、三十にして立つ(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命をしる(知命)

28 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 20:02:48
六十にして耳順(みみしたが)う(耳順)。七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)をこえず(従心)

29 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/14(水) 21:44:22
>>22
同意。
それこそ
「剛毅木訥仁に近し」
にも通ずるね。
所謂「ツンデレ」なんかも、一種のそれなんじゃないかな?(笑)

>>25の言うように、儒教は政治学的側面もかなり濃いから、公式の場でそうすることを意識して説かれている部分も多い。
そういった場面で、心中の仁を発露するには
仁 → 礼儀作法を通して表現 → 伝達
という手順を踏んだ方が、「威」や「格式」、「重み」を加えられるからってこともあるんだと思う。

30 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 23:21:16
>>23
十二国記おもしろかったね。

「文質彬彬」なんて正に考えさせられるよ、いやおれにとってなんだけど。


31 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/14(水) 23:41:00
>>30
正に理想だよね。
ちょうど「君子」に
@身分の高い人
A人格の立派な人
の二つの意味があるように。
これら二つが相備わった形を孔子が理想としていたように。

32 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 01:23:49
>>21
孔子は書物を書き残しているとされる。
>>22
同意。確信を突いている。あなたは君子だな。
>>24
これはその通り
>>25
惜しいなあ、あなたの君子論は。
>>26
孔子や朱子の影響は多大に受けている。
>>31
孔子は身分の高いことは望んでいないぞ?

33 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 02:07:52
いい加減だな

34 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 02:41:06
>>33
いえいえ、皆さん奥の間にまでは入っていないだけで、
一般の認識としては十分です。

35 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/15(木) 03:29:05
>>32
ごめん、言葉足らずだね。
>>31は、孔子が高位を望んだということを言わんとしたのではなく、彼は高位にある人は徳高き人であるべき、若しくはそういう人こそが高位にあるべきという理想を抱いていたと言わんとしたものです。

話は替わるけどこの辺り、「哲人君主」の思想とも通ずるものがあるんではないかと。

36 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 06:41:03
そうかね? 
軍閥の首領からの誘いにでも乗ろうとするあたり、出世欲は結構あったと思うんだがね。
自らの理想の政治を実現するためだったという見方も出来るけど。

37 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 10:00:15
俺も孔子は身分望んでたと思う。

「君子は世に没するまで、名の称せざるをにくむ」と言ってるし。

隠者に隠れて住むように勧められても頑として受け付けなかったし。

38 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 13:43:02
>>36-37
孔子は、「君子の条件に」身分が高いことを望んでいなかったということ。

字面だけ読まずに、文脈や行間嫁。


39 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 14:24:57
>>38
>孔子は身分の高いことは望んでいないぞ?

この一文にそんな思惑はない、自分の説明不足を人せいにするな。

40 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 16:33:31
君達さあ、人間関係力テストの第5ブロックで大苦戦しただろ。

41 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 18:22:09
望んでいたというより徳の高い人は上に立つべきという考え方はあっただろう。それよりもコウシは高いところにいる欲などよりも自分は君子であれば自然に上にたつだろうというくらいにしか思ってないだろう。おまえらみたいに俺は上だみたいな人間ではなかったと思うぞ

42 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 18:55:57
地位が良い出会いを作る事はあるだろうね
とくに音楽においては。
どの年代の孔子を見るかで、どういう人かも違ってくるでしょ

>徳の高い人は上に立つべき
そう思っていた時期もあるだろうけど、実際は徳があっても立てないし
立ったとしても封建制の中では、孔子は何も出来ない。そう悟って
そこで天命を知る。
そこからの孔子にとっては、上も下も無かったんじゃないだろうか。

43 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 19:52:02
孔子は魯で大夫をやってなかった?
思想家として名を成した後だけど。

44 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 20:29:26
>>39
人の会話に横槍入れるものではない。

45 :考える名無しさん:2007/02/15(木) 20:53:36
で、子路は旨かったのかな?

46 :考える名無しさん:2007/02/16(金) 11:01:15
>>41の言うとおりだと思う。
孔子の望みは年寄りから子供まで一緒に遊んで、
遊び疲れた夕方には歌を歌って家に帰るのが望みだとあるから。
仕官になってやるという殺伐とした人がこれを
望んだとしてもできないはずだ。

47 :考える名無しさん:2007/02/16(金) 12:54:40
孔子って儒家っぽくないんだよね。
孔子は偉ぶらないし、他人を型にはめようとしないよね。
だから儒教は孔子教じゃなくて孟子教だね。

48 :考える名無しさん:2007/02/16(金) 13:40:04
韓非子と荀子、孫武について、どう思いますか?いずれも、非常に現実的という点で一致していると思われますが?

49 :考える名無しさん:2007/02/16(金) 14:46:11
理性だけを追い求めるなら

50 :考える名無しさん:2007/02/17(土) 22:09:05
>>47
「偉そうにするな」といっても従うとは限らないから、
それだけだと思うよ

51 :考える名無しさん:2007/02/17(土) 22:52:00
墨家の思想。即ち、「非攻と兼愛」が最も優れている思想なのではないか?
当時は孔子の方が情勢的に強く、淘汰されたが、墨家が最も美しい理念なのではないか?


52 :考える名無しさん:2007/02/17(土) 23:07:36
孔子の思想と儒教はあんま一緒じゃないと思うけど
墨家の思想は、当時の権力者に嫌われったっていうだけで価値がある
ただ茶々入れるようだけど、武力保持を肯定する思想は、だいたい弟子の時代で破綻するよね。

53 :考える名無しさん:2007/02/17(土) 23:37:16
>>51
墨家と儒家は韓非子の時代には二分する勢力だった。
淘汰されたんじゃなくて、
集団行動とってたから秦の統治下で一網打尽にされた。
墨家は理念としてはいいかもしれないが、
孔子みたいな現実と折り合いをつけるバランス感覚ってものがない。
かといって老荘みたいに社会と離れるっていうんでもない。

今でもあるだろう?理念だけで現実を見ない、
その割には政治に絡んでくるグループ。

54 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 00:21:36
墨子って禁欲的だから、礼楽を重視する孔子とは合わないんじゃない。

55 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 00:44:07
>>54
そうだね。

56 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 05:43:16
理念だけで現実を見ない、とか言い出したら儒教はどうなるんだろうね。
経学化した儒教が実学を軽視するのはとっても有名なんだが。

57 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 07:15:41
儒教でも一概に語れないと思うよ。

階段の上り下りばかりする経学化した儒教と
それ以外に分けて考えないと。


58 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 10:16:46
>>53
当時と今とは体制が全く違うからね
今の社会で孔子のポジションに居るってのは
日和見とか無関心だと思うけどね。
昔は哲学と政治的スタンスは別にしなきゃ生きていけない時代だよ。
理念が違えば、それが現実か非現実なのか
悪い現実を肯定するか否定するか違ってくる。
少なくとも孔子は、封建的な人間を育てようとはしてない。

墨家の思想も、当時の人の気持ちになってみて
折り合いを付けられないだけだったのか考えるべきだな。
他国に攻められても無抵抗で奴隷になりますか?

59 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 10:24:04
>>56
孔子が実学的に言ったことを、後の権力者が
さも孔子が孔子の道徳的価値観を言ったかのように
「孔子もこう言っている」と自分の古い価値観を肯定するために使ったりする。
儒教は確かに一括りにできるもんじゃないかもね。
後の人の付け足しと解釈が、仁原理主義とは違う方向に行ってる。

60 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 11:00:41
無条件反射に条件の能書をつけたものの集大成

61 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 12:02:20
「非攻と兼愛」
今で言うと、「国連と自由主義」かな?
実は墨子の思想の方が今の世界では一般的かもね。
孔子は個人の心のあり方を諭してるような気がするので
集団で享受する思想と言うより、人間一人一人の課題ではないかな。
儒教と墨子の思想は相反するかもしれないけど
孔子と墨子は相反してないんじゃないかな。

62 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 12:14:38
>>60
もったいぶった言いようだけどw
同感(それが孔子と儒教を言い表したのなら)

63 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 16:07:01
>「国連と自由主義」

国連は必要とあれば攻撃を辞さないし、
墨子には自由主義的なところは少ない。

64 :墨子はあまり知らんが:2007/02/18(日) 16:21:21
>>63 
贅沢という理由で音楽を禁止したらしいね。
人に音楽をやめるよう説いたなら罪深いね。

自由主義ではない。

65 :考える名無しさん:2007/02/18(日) 16:53:28
昔の音楽はただの技芸ではなくて、宇宙との調和を表すものでもあったそうだから、ただの贅沢禁止でもないと思う。
一方孔子は、人が歌っているのを聞くと、それをもう一度歌わせ、次はともに歌ったという。

66 :言葉は慎重に:2007/02/18(日) 19:50:28
>>59
言っている趣旨は分かるが、仁を貫くことと、
原理主義と混同するような発言はどうかと。

あなたが理解していても、聞いた人が勘違いするから。

67 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 01:38:34
君子も小人も無いと思うんだがなあ。そんなものは所詮、習慣による好みに過ぎないよ。

68 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/19(月) 01:43:35
>>67
俺はあると思うよ。
君子は「矩」に従い、小人は「己」に従う。

69 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 13:24:43
>>63
国連の認識が違うんだと思うよ。
国連軍が攻めることは無いから。
安保理は大国の利害が強く出るけど
国連の理念という意味で。

自由主義にも意味が幾つかある
経済において使う時と、人間哲学において使う時では
殆ど反対になる場合もある。
俺が言った自由主義は、博愛や寛容という意味での自由主義。

当時とは社会情勢が違うから、単純には置きかえられないけど
似ているなと思っただけ。
見方が違えば意見も違ってくるでしょう。

70 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 13:32:31
>>64
歌を歌うことを禁止したわけじゃないよ。
武器製造>楽器製造という意味でしょう。
それに、当時の庶民に鉄を使った音楽を楽しむ文化があったろうか?
これは小国の王に説いたことではないだろうか。
ちなみにスウェーデン型の自由主義は、市場に規制をかけて
国民の自由や権利を守ろうというもの。
禁止≠自由主義、ということじゃないと思う。

71 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 13:39:10
>>66
趣旨が伝わったなら良いんだけど
確かに、言葉には人それぞれ思い入れがあるからね。
原理主義じゃ身も蓋も無かったね。
仁(思いやり)を基本に置いた哲学
響きが全く違う。

72 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 13:49:35
>>65
そういうのを聞くと、ある程度は平和な時代に生きた人なんだなと思うよ。
墨子の生きた時代は情勢が全く違うからね。
時代背景を考えたら、孔子も責めたりはしないはず。

73 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 13:55:16
>>68
だから、その矩という客観的基準は、君の主観(好み)がこしらえたものに過ぎない、といっているのだ。

74 :66:2007/02/19(月) 15:04:07
>>71
レスありがとう

75 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 15:13:08
>>70
一般論に持ち込むのは如何でしょうか。
物事は一律に語れないのは当然で、
音楽にしても、猥褻な音楽を規制するのは当然。

当時は盲人が音楽を行っていたわけで、
小国の王に説いたというのは無理があるような。

76 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 15:47:43
>>68  横レスだが

俺的には、君子は道に従い、小人は利に従う の方がしっくりするかなぁ。


77 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 16:54:51
>>72
何言ってんの。
孔子が生きてた時代は反乱がバカスカ起こってたし(孔子が反乱軍の首領から招聘された記述が何回か論語にある)、
孔子自身も政争に敗れて失脚、亡命して流浪の旅をする羽目になったりしたのよ。
旅先では包囲されて飢餓に陥ったり、敵に斬りかかられたりとえらい目にあっている。
経済的にも、死んだ息子の棺桶の内棺までしか整えてやることもできなかった。
それでもなお礼楽を忘れないから孔子は偉いわけ。

78 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 17:17:49
>>75
盲人の音楽っていうのは、どういうものなんだろう。
歌や弦楽器なんだろうか。
軍事転用できる資源を、音楽に使っている余裕は無いというだけで
「音楽を禁止」という事柄からは、墨子の音楽に対する価値観や思想は
俺からしたら全く見えてこない。単なる戦略だと思う。
彼は軍師でもあったわけだから。
戦乱の世であれば、しょうがないでしょう。
そういう意味で軍事資源を管理するものへの諌言だと捉えてる。俺個人の見方だけどね。

盲人から音楽を奪ったと考えれば、彼は凝り固まった人間と見ることもできるけど
そういう人は尊敬されないでしょう。

79 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 17:47:26
>>77
楽を自制した墨子と楽を忘れなかった孔子は
生きた時代が違うとは見なさないという事なんだろうけど
見方は人それぞれ。それはそれで良いとして
墨子と孔子とでは立場が違うし、負わされた責任も違う。
それは本人の意思が反映されなかったり、人生の流れに左右される事もある。
そういう背景を見れば、孔子は墨子を責めないというわけで
孔子と墨子の根本には乖離する部分は少ないと思う。

他人から負わされた責任を捨ててでも楽を求めても
それはそれで極みだと思うけど
孔子はそんな感じではないよね。

80 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 18:06:05
主観というか、情操は大事だと思う。
美味い物を美味いと言える人間が集まれば
それを不味いと言う人間に哀れみを感じる
その哀れみは、集団の中では主観ではなく一般的になる。
同じ感性の中では、君子と小人は存在する。
色んな感性が混在する社会においては、無いと言う方がリアルだね。

ただ、習慣による好みって言っても、根本ではあまり違わないと思うんだよね。
せこい人間とか思いやりの無い人間は、やはり小さい人間とされるのはしょうがない。

81 :考える名無しさん:2007/02/19(月) 18:43:16
>>80
君は分かってるなぁ。

82 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/19(月) 18:48:10
>>76
サンキュー、サンキュー!
その方がスッキリとして字面もいいね。

83 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 06:35:30
>>82
あなたは、六十にして耳従うまで行っているね。

謙虚に人を認め諫め、しかも自分の過ちは素直に改めている。

関心しました。

84 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 16:37:41
>>80-81
相対的君子なんてつまらないなあ。
たまたまマイノリティに生まれた場合は不幸だな。
「たまたま」形成された価値観でやれ小人だと罵られるんだからさ。

究極において、好みが合わないと人は交われない。
自分の社会で「あいつは小人だ」と互いに言い合うのだ。
馬鹿馬鹿しい!大哀といわざるべけんや?

85 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 18:13:28
>>84
まだ若いようだね。

自分が理解できないものを否定しているだけでは不毛でしかない。
ここは孔子スレなので、持論の主張はいい加減この辺で。

老子でも読むといいよ。

86 :きょうせつよ:2007/02/20(火) 18:52:18
>>85
老子に限らず荘子も読んでいるよ。
最後の言葉を荘子から引いているくらいなんだから。

孔子の言語化された「教説」は、切り詰めて考えると、
根拠がないからダメだ(それを暴いたニーチェのニヒリズムは正しい)が、
言語化される前の彼の「気持ち(言表されてないから論理矛盾とか関係なし)」を尊いと自分は思う。
だから、儒教は誤りだと思うけど孔子という人間は好きなんだ。
まあ、この立場をスレ違いだと考えるなら別に構わないがね。

87 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 18:56:07
孔子の弟子が作った経学儒教が嫌いなだけじゃないの?

88 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/20(火) 19:06:32
何か勘違いといか混同があるように思うんだけど、「道」は「嗜好」云々によって左右されるものではないでしょ。

89 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 19:25:33
そんな道(≠道家の道)なんて現実には無いと言ってるんじゃないの?

90 :きょうせつよ:2007/02/20(火) 20:02:14
>>89
そう、その通り。嗜好から逃れられる客観的な善悪なんてない、宗教を除けば。

荘子の道(実体、法則・運命としての)なら自分も認めるけれども、
絶対的・客観的な倫理的原則としての道は無い、と考える。

あるのは、実は聖人とされる人が嗜好に基づいて作り上げた相対的な道に過ぎない。
それを嗜好から離れた客観的・絶対的なものとして当て嵌めようとする儒教は誤りだ。

後の儒者の責に帰すまでもなく、孔子が自分の考えの正しさを信じ、
実行に移したいと考えているのは明白だし、その意味で彼も誤っている。
しかし、誤っているにせよ、彼の願いや心、それは本当に美しく、
尊敬すべきもののように思われる。上の方で儒家に対し懐かしみをおぼえる、
などとおっしゃっている方を見掛けたが、自分もまた同感です。
自分もまた、かつては論語を読み、感動し、これぞ絶対の善なり、君子たらん、と願ったもの・・・。

とまれ、気違いが懐かしさのあまり邪魔をしてしまいました。
まあ、気違いなど気にせず続きをお願いします。

91 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 20:16:53
>>86
どうか孔子の論理矛盾の点をお教えください。

92 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 21:56:25
>>86
根拠は自分で考えるんだろ?


93 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 22:18:28
>91
例えば詩とか礼・楽とかは根拠なくない?
詩は礼は楽はこうでないといけないなんて完全に趣味の世界だし。
礼楽の何がよいのかちっともわからないやつがいるのはしかたない。
例えば孔子を未開人の祭とかに連れて行ったら礼も楽もなってないっていわれんのかな。
礼楽を尊重することをまるで徳の客観的な基準みたいにあてはめてこの小人め!というのではなあ。

孔子の思想は王様に常識はずれだといわれたらしいけど常識人にしか通用しないよな。

94 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 22:43:19
儒教における礼楽とはただの礼儀作法や音楽のことではないよ。

95 :敦盛 ◆4lxU4hFjNM :2007/02/20(火) 22:49:49
「絶対的な道」や「客観的な善悪」がないなんてことは前提。
道徳や倫理なんてものは、大きく言えば、人という「種」の自律的な崩壊を防ぐための知恵の一つ。
一々そのことに対して言及はされていないが、行間に書いてあるでしょ。

96 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/20(火) 22:52:30
ごめん↑です。

97 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 23:02:33
だから倫理学なんてムダだって言ったんだよ

98 :考える名無しさん:2007/02/20(火) 23:04:27
>>93
根拠は「仁」でしょう。

孔子が未開の地へ行けば、事毎にその土地の礼を聞くでしょう。
それが礼です。

徳を身に付けるのは自分を修める為。
決して、人に小人めと罵ったり、人に常識を押し付けたりする為のものではない。

>>94
あなたの礼楽論を聞いてみたい。

99 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/20(火) 23:26:45
連カキで申し訳ないが、言葉足らずになると申し訳ないので。

つまりは、絶対的なものなどではハナからないし、またそうである必要はないということ。
それが、人という「種」の自律的崩壊を防ぐための方法論として妥当であるか否かを問題としているならまだしも、嗜好とは関係ない。

「嗜好」が「礼楽」に対して根拠なく影響しているということが今の論点であるなら、俺の早とちりです。
その点に関しては、勉強不足でよく分からない。

100 :敦盛 ◆5W4OK5/77E :2007/02/21(水) 02:06:24
>>98
同意。
それこそ「君子は和して同ぜず・・・・・・」にも通ずるね。
そうして差し支えないものに関しては、自身が他からそうされてしかるべきが如く、他に対しても、自身との違いを認め、許す。
他の嗜好、価値観の存在を許す寛容さと謙虚さと言った所だろうか。

101 :考える名無しさん:2007/02/21(水) 11:45:47
孔先生は知らないことがあれば事毎に問いました。
そういう慎重さを礼というものです。

102 :考える名無しさん:2007/02/21(水) 20:55:42
イメージとして強調された小人を作り出すだけで
特定の個人を指して小人と言う事ではないでしょう

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