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いろんなことを再構築するスレ

1 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 21:16:51
昨日、明日は休日だなと考えて、ふと思いました
休日を当たり前のように過ごしてるけど、休日とは何か?
単に仕事をしなくていい日なのか?
だとしたら何をするべきなのか?
今まで当たり前に過ごしてきましたが、深く追求した事はありませんでした
そしてそれは休日に限らず、そうなると私は、自分の中に一体何を認識として持っているのだろう?
そう思いました
それを追及する作業を哲学で何と呼ぶか知らないので「再構築」としましたが、
要は今まで通りの受動ではなく、考えた結論としての物事こそを認め、受け入れるべきだろうと思ったのです
うわべだけではない、皆さん自らの考え構築した知識や概念を知りたい、そして私なりにそれを吟味してみたいと思います

2 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2006/12/24(日) 21:19:16
何様のつもりだよw

3 :1:2006/12/24(日) 21:51:21
>>2
>そして私なりにそれを吟味してみたいと思います
というのがちょっとまずいですね
そんなに深い意味はなく(つまり私のためのスレにしたい訳ではなく)、
皆で自分の得たものについて議論しましょう、という程度の意味です

4 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 22:31:27
クリスマスについて?

5 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 22:44:18
>>1
つまり、反体制ということですか。
僕が想うに、休日というのは無駄な時間である。つまり、資本経済社会のなかでも
そのスーパーパワーとなって久しい日本のジャパニーズビジネスマンのアクティビティを
削ぎ怠惰怠慢という脆弱虚弱な思想、体質を植え込むための戦後GHQが目論ん遠未来的
エコノミック「フラジャイル」アニマルとして日本人を育てようとする実にアメリカ的な陰謀なのである。
だから>>1だけは休日出勤して呉れ!!!

6 :考える名無しさん:2006/12/24(日) 22:45:46
無休日的能動体質ジャパニーズスパービジネスマン

7 :1:2006/12/24(日) 23:38:46
通俗的な意味では、休日とは作業効率の確保のみを目的とした、本質的に二義的な待ち時間である
その時その内容は、疲れを癒すものという制限を受ける、そこに自由の入り込む余地は無い
しかし一度立ち止まって考えると、自分にとっての休日に特別な意味を持たせることができる
休む事、それはあくまで社会や親に命令された義務であって、自分の中に休日を位置づけるとき、自分はどう受け入れるべきか?
そして一般に、与えられたものをどう捕らえるのが最も人に適っているのか?

>>1で書いた思いを具体的に書くと、こんな感じです

8 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:57:20
オリジナリティーに欠くな

9 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 00:50:41
そんなことより俺とチョメチョメしようぜ

10 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 21:26:03
今日は食事について新しく思いました
というのも、それ以上食べたくなくなる位まで腹を満たす程食べるのはいつからなのか?
何故栄養や快楽、苦痛の計算をすることなく当然のように食べるのが自分にとって当たり前になっているのか?そう思いました
誰かの真似か、そう教えられたのか、それとも(一見)皆がそうしているからなのか・・・
正しくは、栄養や食べる事の快を得る効率が最も良い段階でやめるべきなのでしょう

いつの間にか身についていた常識の再構築、何か見つけたものがあれば、是非ここに書き込んでみてください
本来の自分、人間像について何か得るものがあるのではと思います

11 :考える名無しさん:2007/01/15(月) 02:35:12
今日は学習について思いました
思えば人は、生まれた時から様々な知識を押し付けられます
それは習慣、態度、姿勢から好むべきもの、忌むべきものまで、
親の知っている限りの「常識」や生きるための「習わし」全てといってよいでしょう
しかしそれは親の解釈、固定観念である以上、必ずしも自然界や社会で通用するとは限りません
そしてそれ以前に、自分に合っているかといえば、甚だ怪しいものです
親と同じ価値観を持っているのでなければ、その教えとは時に退屈で、理解しがたく、受け入れがたいものです
人はそれらの柵を自ら断ち切るべきなのでしょう。その時から、学習の再構築は始まります
では具体的にはどうすれば、自らに合った学習ができるのでしょうか?
思うに、人はそれにこそ努力するべきなのではないでしょうか
この世は厳しい等と気取りながらやりたくもない事をやるのではなく、努力はそんなところにあるべきではなく、
自分が本当に惹かれるものを探す努力、それをこそ人はするべきではないでしょうか
無論経済的、物理的な条件の釣り合いを取りながらであり、それには再構築以前の技術を要するでしょう
しかし「親の知識」の役目とはそれだけであり、親はそれを前提として教えるべきではないでしょうか
自分から生き方を探せるようになる教育、それはいつの時代でも求められるのではないでしょうか

12 :考える名無しさん:2007/01/28(日) 18:36:21
日曜日にやはり思うのは、休日の意味を自分で考えないでただダラダラするのではいけないって事ですね
最近ストレスがたまっているのに気付いているのに、
ただTVを見るだけでそれを含めたマイナスのものがなくなると思うのは間違いでしょう
休みそのものに必死になっては本末転倒でしょうが、
だからと言って何も考えずしたい事(あるいはそれ以外にする事がないのでする事)に身を任せる事は、
休日を知っているとは言えないでしょう

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