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【罪】選択不可能な2択【罪】

1 ::2006/08/28(月) 01:33:24
世の中には2種類の失敗の仕方がある
【すべきではないが行うということ】
【すべきだが行わないということ】

前者は気が付きやすいが、後者は気が付きにくい
人は無知ゆえに失敗するが、後者は無知なままである

失敗してから気づいたのでは遅いかもしれないが
成功しないから気づかないこともあるだろう

もし、人生にとって後者の影響力の方が大きいとしたら
これは恐ろしいことではないか?
さて、実際、どちらのリスクが高いのか

2 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2006/08/28(月) 02:44:55
世の中には2種類の後悔の仕方がある
【すべきではなかったが行ったと思うこと】
【すべきだったが行わなかったと思うこと】

後悔先に立たずってね。

3 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2006/08/28(月) 03:05:38
男なら危険を顧みず死ぬと分かっても行動しなければならない時がある。

4 :考える名無しさん:2006/08/28(月) 03:09:28
>>1
時代や状況によってそれは違う。

時が乱世ならば、前者は破滅に直結するハイリスクな
ことかもしれないから絶対に避けねばならぬ。
平時ならば、前者はローリスクだろうからやり直せる可能性がある。
だから前者を怖れずに、後者を怖れるべきである。

5 :一言居士:2006/08/28(月) 07:58:42
マルクス・アウレリウスも似たようなこと言ってたな。

6 :考える名無しさん:2006/08/28(月) 08:52:55
これはいいスペアリブですね。

7 :一言居士:2006/08/28(月) 09:14:02
前者は故意、後者は過失や予期不能なことがらにあたる。
前者は、後者に比べ予防しやすいが、そうできなかった(しなかった)場合、法律的制裁や道徳的制裁、はては良心の呵責などの内的制裁の危険性がある。
後者は、予防はしにくいが、こういうケースは基本的に過失だから、法律的制裁の危険性は前者と比べ低い。他の制裁も、前者に比べ弱めである。
ただ、後者は事前に被害を最小限にとどめようとするための準備がほとんどできないので、いきなり大きな被害を受ける危険性がある。


8 ::2006/08/28(月) 20:31:13
>>3
惚れた

>>4
ふむ、年齢もだろうな
おたふく風邪には早いうちに患うべきだ

>>7
前者は犯罪を当てはめたらすっきりするな
すべきことというのは一概に言えないため後者は難しい
育児放棄だと当てはまりそうだが、運動不足だと微妙

〜してはだめだ、というのは世の中にたくさんあるが
〜するべきだ、というのは少ない
しかし、後者を知るほうが圧倒的に効率が良い

9 ::2006/08/31(木) 23:41:41
偽陽性(false positive)と
偽陰性(false negative)

統計学の検定の話だが、最近調べている

身近な例をあげると
実際にはウイルスに感染していないが、
ウイルス対策ソフトがウイルスに感染していると判断すれば
false positiveという
逆に感染しているのに、感染してないと判断されれば
false negativeという訳だ

10 :一言居士:2006/09/03(日) 21:23:31
>>9
この場合後者のほうが被害が大きいな。

11 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 22:51:31
んなことはない。ウィルスによる。

12 ::2006/09/04(月) 01:48:30
>>10,11
ちょっと面白い事実だと思うのは
ウイルス対策ソフトは、ウイルスを正しくないものとみなしている
サッカーというゲーム内では、より得点を得ることを正しいこととみなしている
道徳は、道徳を正しいものとみなしている
つまり、それ自体が正しいとする物事、目的を持っている

しかし、一歩引いて考えると
例えばウイルスの例で言えば、他の危険なウイルスを駆除するウイルスも存在する
ウイルス対策ソフトが提供する目的(ウイルスは駆除すべきもの)
に対して、ユーザーの(PCを安全に使いたい)はマッチしないことがある
まあこの場合は極端な例だが、負けるが勝ち、という場合があるということだ

少し抽象化してみると
対象が提供する潜在的な価値観にだけ従って物事を見れば
被害を受けるものに対するfalse negativeは被害が大きく
利益を受けるものに対するfalse negativeは被害が小さい
しかし、一歩引いた見方をした場合にはその限りではない
そしてさらに言えば、一歩引いた見方は無限にある

しかし、このスレとしては一応それなりの答を出したいと思うので
どちらか選べといわれたら世間一般の多数が
納得しそうなほうで決めようと思う

13 ::2006/09/04(月) 01:50:43
別のスレでこんな書きこみを見つけた

>日本人には、「責任」と「義務」を混同してしまっている人がかなりいる。
>日本語の「責任」という言葉を和英辞書で調べると、
>英語ではduty, responsibility, accountabilityの3つの単語が書いてある。
>しかし、英英辞書で調べると、responsibility と accountabilityは互いに類義語となっているが、
>dutyだけは意味が異なる。dutyは「義務」であって、本来の「責任」ではない。

>duty という単語は「やらなければならないことをやる」という意味である。
>「やらなければならないこと」とは社会や法や道徳が規定する。
>これらによって行動が縛られることがdutyである。
>例えば、「責任を果たす」という場合の「責任」である。
>普通dutyとは「義務」と訳される。「責任を果たす」を「義務を果たす」に言い替えても同じ意味である。

>本来、責任とは、それが自分の自由な行動の結果だということだ。
>単なる事実であり、それ以上の何者でもない。しかし、日本人は責任と義務をごっちゃにしてしまっている。
>そのせいで、本当に考えなければならない「どうすればいいか」という問題をきちんと考えられない場合が多い。
>これをどうしても責任 の問題とリンクさせてしまう。結局、個人への罪のなすりつけ合いになってしまい、問題はうやむやになってしまう。

>事実(=責任)と、それに対する対処(=義務)を分けて考えないから、こうなってしまう。
>まず責任を追及し、責任の所在がはっきりした後で改めて課すべき義務の量を考えるべきだ。
>日本では多くの場合、責任の話にすぐ義務の話がくっついてきてしまう。
>それで、「それは私がやったんじゃない」と「それは私がやった事だが、
>それに対してその義務は酷すぎる」という話がごっちゃになってしまう。
>「それは私がやった」と言うと何をされるかわかったもんじゃないから、
>意地でも「それは私がやったんじゃない」と言うようになってしまう。

14 ::2006/09/04(月) 01:59:11
「すべきなのにしない」ことによって
リスクが存在するのはそこに責任が存在する場合だ
それ以外の場合があるか、というのも考える余地があるが

今回言いたいのは、その責任が
「強制的にやらされているもの」
「自発的にやった結果生じたもの」
である場合生じるリスクは
「強制的にやらされているもの」<「自発的に行った結果生じたもの」
ではないかということだ

義務教育の放棄と、育児放棄。
親につがされた仕事の放棄と、自分で選んだ仕事の放棄。
割と、これは一般的に成り立ちそうな気がするが
果たしてこれは妥当だろうか

15 :考える名無しさん:2006/10/18(水) 00:00:41
前者には罪を凌駕する価値が存在する場合があるが
後者には善を行うことへの怠慢しかない

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