5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

竹田青嗣を語る(Part 11)

1 :考える名無しさん:2006/04/24(月) 12:27:34
竹田青嗣を語る
http://mentai.2ch.net/philo/kako/955/955159799.html
竹田青嗣を語る2
http://mentai.2ch.net/philo/kako/974/974326375.html
竹田青嗣氏についてまったりと語るスレ
http://mentai.2ch.net/philo/kako/1000/10008/1000867468.html
竹田現象学について語る(続き)
http://mentai.peko.2ch.net/philo/kako/1015/10151/1015172785.html
竹田現象学について語る(続きの続き)   
http://f61.aaa.livedoor.jp/~sslogbbs/2ch.philo.1030.10303.1030344961.htm
竹田現象学について語る(続きの続きの続き)
http://f61.aaa.livedoor.jp/~sslogbbs/2ch.philo.1040.1040304077.htm
【人格最高】竹田哲学について語る【哲学最高!】
http://f61.aaa.livedoor.jp/~sslogbbs/2ch.philo.1055.1055871301.htm
竹田現象学について語る(part8)
http://makimo.to/2ch/academy3_philo/1072/1072264688.html
【デリタを論破】竹田現象学について語る(part9)
http://makimo.to/2ch/academy3_philo/1104/1104414031.html
竹田現象学について語る(Part 10)
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1114087267/

公式サイト
http://www.phenomenology-japan.com/takeda.htm

2 :考える名無しさん:2006/04/24(月) 23:05:00
西條剛央の「構造構成主義とは何か」での竹田評価が一番的確だと思う。
彼は、竹田の哲学をベタほめなんだけど、フッサール現象学解釈としてではなくて、
竹田現象学の完成度をほめている。
フッサールと竹田の現象学は違う、ときちんと書いてるしね。

3 :考える名無しさん:2006/04/25(火) 02:11:47
>>2
ほう。
西條氏は、ちゃんと判ってるんですね。

4 :考える名無しさん:2006/04/25(火) 23:15:20
>>3
西條の主題や目的は、竹田と驚くほど重なっており、彼の本は竹田現象学の解題といえるほど。
竹田の趣旨を誤解してる人は西條から入ったほうがいいのではないか、といえるほど。

私は、存在論=本質=実在への憧憬を残して煮え切らなかったフッサール現象学よりも
そういう面を捨象し、欲望関係論に特化した竹田現象学のほうが理論としての完成度は高いと思います。
 



5 :考える名無しさん:2006/04/25(火) 23:26:38
正直、コジェーヴのマネ。以上。

6 :考える名無しさん:2006/04/25(火) 23:29:31
だがしかし、コジェーヴって(知ってる人は知ってるんだけど、しかしそれでも)
あんまり注目されてないやん。

7 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 02:17:44
竹田も知ってる人は知ってるが注目されてないような。
まぁ哲学そのものが斜陽だからなぁ。
非哲学である(らしい)現代思想ってのも、斜陽ぽいし

ひとつ疑問なんだが、なんで哲学は斜陽なんだろ?

日教組?心理学の台頭?現代思想による批判から?

8 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 08:14:46
>>7
まず、「経済の論理」が社会のありとあらゆる所に(家庭にまで)浸透してきている
が、哲学・思想は、この経済活動に直接的に役に立つわけではない、ってことがある
だろうな。

あと、「人間の悩み」に明確に答えてくれるわけでもない、ってこともあると思う。
だから、イデオロギーや細木数子に負けてしまうんだわな。

9 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 22:25:02
経済というよりプラグマティズムがな。

10 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 23:35:51
カリクレスが言っているように、もともと普通の人への影響なんてなかった。
一部の変わり者がギリシャ時代から細々と続けていただけ

11 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 07:56:16
>>10
いや、岩波文庫や岩波新書を読破する、なんてことが行なわれていたころには、
哲学もそれなりに読まれていたのではないかな?

12 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 13:15:05
>>8
デイトレの本のが売れるんだろうね(´・ω・`)

しかし細木数子よりは竹田のがマシなこと言ってる気がするが
援交とかはアレだが・・・

13 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 13:23:26
宗教とか占いとかトランパーソナル心理学みたいな
超常的な力があると思わせるものじゃないと大衆には受けない。
哲学はなまじ学問であるだけにそれがない

14 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:02:17
そうかもなぁ…。

哲学にも宗教みたいのあるけど。フィヒテとか・・
ヘーゲルとマルクスもある意味

15 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:27:31
もうダメだ
ダメ人間だオレ
所詮才能だけで生きてきたんだ俺は
最悪だ、もう何もかも思い通りに行かない、コントロールがきかない

16 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:37:24
>>15
つ「自分を生きるための思想入門」 by竹田青嗣

17 :現象学という恣意性:2006/04/30(日) 19:22:59
「ほんとう」の竹田と「絶対」竹田。

どっちが真の竹田なのかというのが、僕の青年期からの疑問であった。W


18 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 23:07:23
ロマン派はマロンがお好き。

19 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 23:13:15
思想家なら本名で書けばよい。

20 :考える名無しさん:2006/05/01(月) 17:00:45
ぴかぁ〜は嘲笑が趣味なのかい?

21 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 18:30:24
姜正秀

22 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:33:06
竹田青嗣の成分解析結果 :

竹田青嗣の90%は純金で出来ています。
竹田青嗣の8%は呪詛で出来ています。
竹田青嗣の2%は鍛錬で出来ています。

23 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 21:36:48
竹田青嗣の100%は怨恨で出来ています。


24 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 23:18:03
アカデミズム学者にならなかった竹田は賢かった。
思想・哲学を純粋に実践したいなら、文献の訓詁学的研究やっても、多くは無駄だから。
もちろん訓詁学に価値を感じているなら、環境・設備・先生のよい学校で研究するべきだが、これはこれで見極めが大変だけど。
どっちつかずでは、人生を無駄にする。
学徒は、自分の目的をきちんと見定めておいたほうがいい。
竹田は、一つの方向における、いいお手本だ。

25 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 23:23:00
つーか竹田の性格的に「できなかった」という側面が強いでしょ

26 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 23:30:30
mixiに竹田現象学のコミュニティーとかある?

27 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 23:39:16
>>25
たしかに、その通りかな。
竹田の興味価値からすれば、文献哲学なんてどうでもいいみたいだし、
語学サボってたくらいだから、文献解読専門業なんて退屈すぎてできなかっただろから。

28 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 23:42:07
韓国語・英語しかできんだろ

29 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 23:50:16
ドイツ語もできるよ

30 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 23:51:33
デリダを論破したんだからフランス語もできるだろ

31 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 23:53:39
団塊だからそれハッタリだと俺はふんでる

32 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 00:05:45
誤解が多いけど、
文献研究や語学力で竹田を論ずるのは的外れ。
竹田現象学とか思想内容について批判しないと意味がない。
哲学者と文献哲学者は区別しないといけない。
哲学者を文献哲学者的基準で評価するのは、サッカーのルールを野球に適用するようなものだ。

33 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 00:51:32
文献学者って日本では歴史家とかねてるけど
それほど日本では発達してないよ。
ドイツならそういえる。
個々の哲学者について純粋に文献学的にしらべるだけの人ってマジでいるからね。ドイツ。
そういうのはより専門的な研究書なんかで名前をみれるから図書館で見てみ。

34 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 01:02:52
ファンサイトとかないよね、なぜか。

35 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 11:32:00
>>34


在日チョンは常にファンニダ。

36 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 18:10:02
竹田氏の『ニーチェ入門』を読んだよ。

分かりやすかったです。

37 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 22:42:09
のセラに似の゜゛゛゛瀬ぜにになんかんすかすつたたろろひそひねねるそさ

38 :考える名無しさん:2006/05/06(土) 23:50:22
>>36
蛇足以外は概ね評判いいね、この本。

39 :考える名無しさん:2006/05/07(日) 15:19:49
蛇足って何。?

40 :考える名無しさん:2006/05/07(日) 19:24:37
竹田現象学をきちんと理解できてる学者や学徒は意外と少ないようだ。
竹田はフッサール現象学を誤読している、なんて批判は、たぶん正当ではあろうが、竹田批判としてはあまり意味がない。

私の大学院では、そもそもピントこずに相手にしないか、単に分かりやすい本を書く人にすぎない、というような的外れな矮小化をする人が多いようだ。
きちんと理解したうえでの真正面からの批判が望まれる。

竹田はむしろ哲学外の専門家や知識人の間で評判がいいようだ。

41 :考える名無しさん:2006/05/07(日) 22:19:16
この人はモダニズム全般の理解が通俗的でしかなくて、本質的に西洋近代を理解してるとは思えないよ。
だから全体的に歪んだ理解になってる。

42 :考える名無しさん:2006/05/07(日) 22:59:23
>>41
>この人はモダニズム全般の理解が通俗的でしかなくて、

例えばどんなところが?

43 :考える名無しさん:2006/05/08(月) 03:46:52
>>41

俺も聞きたい。詳しく。

>>38の蛇足ってもしかして、ニーチェ持ち上げてるポスモダ陣営への
批判なのかな
まぁ。。そもそもポスモダってリオタール以外に誰なんだって話もあるが。
ポスト構造主義か。

44 :考える名無しさん:2006/05/08(月) 17:47:12
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
金 泰明
1952年大阪市に生まれる。
大阪市立大学商学部卒業。在日韓国人政治犯を救援する家族・僑胞の会事務局長(1976~1990)、
在日韓国民主人権協議会共同代表(1990~1995)を経た後、





明治学院大学大学院で近代哲学と現象学を学ぶ。









45 :考える名無しさん:2006/05/08(月) 19:33:01
>>41 また言い逃げか?説明求む

>>44 それがどーかしたの?

46 :考える名無しさん:2006/05/08(月) 20:06:40
>>43
フーコーも系譜学を取り上げているだろう。

47 :考える名無しさん:2006/05/08(月) 20:49:07
正直お前にぜんぜん惹かれない

48 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 00:37:19
>私は、存在論=本質=実在への憧憬を残して煮え切らなかったフッサール現象学

フッサールちゃんと読まれましたか。或いは「存在論=本質=実在」が何故駄目なのですか。
文脈如何によっては正しいかもよ。まずは何故どういうコンテクストからフッサールが本質論を重視しているのか考えてみようよ。

>そういう面を捨象し、欲望関係論に特化した竹田現象学のほうが理論としての完成度は高いと思います。

なるほど。現象学や哲学を「理論」と思っているから平気でコンテクスト無視するわけだな。

アカデミーの哲学研究者を単なる文献学者だと批判する人は何にもわかってないな。
だいたい過去の哲学者の思想を自分勝手にアレンジするのって案外簡単なんだな。
竹田も歴史を無視するんだったら、現象学なんて持ち出さずに、全部自分の言葉で語ればいいのに。
中途半端だな。


49 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 01:56:57
分かった上で疑問を呈している(のであろう)なら、もうちょっと
踏み込んだことを書き込んでほしいな。
こういう文脈で読んだら正しいでしょ?とか例を出してくれれば
分かりやすいのに。

○○が××だと思ったら大間違い。
□□が△△だけだとでも思ってるの?

っていうような書き方は、「じゃ実際どーなの」って聞き返したくなる。

50 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 02:47:51
49さんのご意見も一理ありますね。まぁ少しずつ行きましょう。

そもそも本質論の何がまずいんですか?
現象学は理論ですか?理論とは何ですか。
理論というのが何らかの世界像だとすると、現象学は正しい世界像を提示することに専念すればよいのですか。
そうかなぁ。正しい世界の実相をしめしたいのなら、たしかに修正を重ねていずれは完成するかもしれない。
でもそれだと科学と何処が違うのか。現象学は科学のように正しい世界像を提示するんじゃなくて、そもそも「正しさ」とか「世界」ということでもって我々がいかように理解しているのか、そこでどんなことが暗黙に前提されているのかを「問うこと」かと思ってます。
哲学史ってニュートン物理学がアインシュタインによって乗り越えられるような形で動いているとは思いません。
「批判的乗り越え」の先にある答を知ればことが済むようなもんじゃないとおもうよ、哲学は。プラトンの時代から何一つ進歩なんかしてないな。
その時代の要求や言語に応じて、おなじようなパターンを反復しているだけかもしれない。
で、それの何が悪いわけ?オリジナリティーなんて拘るほどのもんではないと思う。
モーツァルトだって、なんども繰り返し演奏されてきたし。それでも演奏者によって微妙に違うわけでしょ。
哲学研究も一緒だよ。
噂だと竹田は学会には行かないようだけど、もっと研究者と交流すべきだと思う。
一応大学教授なんだから。

51 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 06:44:29
>>50
徐々にいこう。

まず、本質論の何がまずいのか。

ここ(>>4)でいう本質=実在っていうのはようするに、
カントのいう「物自体」のことでしょ?違う?
そこからいくべ

52 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 08:34:26
フッサールは本質を実在だなんて言ってませんよ。むしろ対立概念とすらいえる。
本質はイデアール、実在はレアール。
本質は時間的に個別化されない、つまり「実在」はしないけど、時間的に遍在するという意味では時間的に存在する。
しかも本質は意識対象だから、不可知でもなんでもない。

53 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 17:45:49
ほほぉ。>>4はどういういみで存在論=本質=実在としたの?

54 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 17:56:30
ちなみに「本質論」て何?

実在論、観念論、唯物論、唯心論は分かるが本質論とは。
本質=実在と書いてあったのを読んで、つい実在論と読み替えて
レスしちゃったけど。。

55 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 18:03:56
関係ないが、ぐぐってたらアマゾンのレビューが出てきて驚いた

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480842578/503-3076070-0797519

>お師匠様と思われる竹田青嗣氏と共に、これからもすばらしい本を世に送り出して行って欲しい。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

工エエェェ(´Д`)ェェエエ工

56 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 22:03:27

まあ竹田崇拝の在日朝鮮人は死ねってことだw

57 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 22:08:26
その時代の要求や言語に応じて、おなじようなパターンを反復しているだけかもしれない。
で、それの何が悪いわけ?オリジナリティーなんて拘るほどのもんではないと思う。

↑まあそもそも学問じゃないってんならそれでもいいけどね。

58 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 23:29:00
>>48
理論ではない哲学というものがあるかどうか、ということからして大問題。
僕は、そこには程度差しかないない、と思う。
どんな哲学も特定の志向・関心により構成されるしかないわけだから、ある意味でどれも理論といえる。

実在や本質を探求しようとするかぎり、現象以上のもの、物自体、イデアが、大なり小なり、出てきてしまう。
どうしても実体論になってしまう。
フッサール実体論を止揚しようとしたけど、憧憬に負けて、できなかった。
その意味では、竹田のほうが実体論を排除できており、関係論的である。
だから優れている。

極端に言うと、西洋哲学はほとんどすべてプラトン(実体論)の解題、アレンジ、ということもできてしまう。
これに唯一対立するのが、西洋では、ウィトゲシュタイン。



59 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 23:31:18
なんで実体論はだめなの?

60 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 23:40:06
形而上学=真理探究思想になるから。
現代物理学や社会科学と相性が悪いから。

61 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 23:45:58
現代最先端の哲学はいずれも形而上学ばかりですよ


つきつめていくとその対象の初期状態に戻っていってしまうというこの「温故知新」的な謎・・・。
すなわち現代哲学に特有な観念性を排していったものが、いつのまにか形而上学にもどっている。

ハイデガーはやはり正しかったのか・・・・。

62 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 23:46:39
真理の探求はしないわけね。

63 :考える名無しさん:2006/05/09(火) 23:48:36
相対主義っちゅーやつですよ。

64 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 00:02:18
志向に応じた多様なものの見え方、観察者と対象との分離不可能性、という様相を適切に扱うには、
関係主義しかない。

65 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 00:06:26
58さんへ
現象学を関係論的な視座から捉えなおす作業ならとうの昔にロムバッハや広松渉がやっているよ。
竹田のオリジナルって他に無いのかい。
で、なんで本質論はだめなのですか。
実体論と混同してませんか。

66 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 00:08:44
>観察者と対象との分離不可能性、という様相

が成立することは何によって保証されるのですか?それとも保証されないのですか?

67 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 00:15:00
>>65
本質論は実体論の一部にすぎない。本質の背後に必ず実体が暗示されてしまうから。

広松は関係論に成功している。ロムバッハは結局、関係論を徹底できていない。

竹田のエロス論は、広松やロムバッハとは比較できない。
でも、僕は、竹田とフッサールの比較をしたいだけで、竹田が特に独創的といいたいわけではない。

実体論の弱点は、60、64に書いてある。

68 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 00:21:32
ウィトゲンシュタイン言語ゲーム論が、本質論や実体論を上手に退けている。
これは、単なる相対主義ではなく、
存在は、言語ゲームであり、特定の言語ゲームという形でのみあぶり出される、ということ。

69 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 00:26:29
前口がキモイ

70 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 00:43:31

  ァ  ∧_∧ ァ,、
 ,、'` ( ´∀`) ,、'`
  '`  ( ⊃ ⊂)  '`
     ∧_∧ ミ ギャーッハッハッハッ!
 o/⌒(. ;´∀`)つ
  と_)__つノ  ☆ バンバン


71 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 00:49:38
社会的有用性が問題なら哲学なんかしなければいいのに。
哲学なんて、どこまでも形而上学でいいんじゃないの。

72 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 02:05:50
>>60
なんで真理探究思想だとまずいの。
現代物理学や社会科学と相性が悪いっていうけど、これらの学問て真理探究しているんじゃないんですか。

71に賛成。
なんで

73 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 02:20:56
本質論てなんなの?(・`д・´)
ここでは真理追求の形而上学のことを指してるの?

実体論は=実在論でokなの?

74 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 09:34:47
>>67
エロスの現象学ならレヴィナスが半世紀も前にやっている。
ちなみに彼の現象学は形而上学の意義を新たに見直している。
そういう観点からフッサールを読み直すのが最近の専門家の間では主流みたいだよ。
関係論なんて古いねぇ。

75 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 19:26:52
レヴィナスはロゴス中心主義を忌避するあまり、「他者」の形而上学のかなたまで
イッちゃってるってイメージがあるが。
竹田とは全然重ならんなぁ。竹田と重なるのはハーバーマス。

76 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 19:32:17
>>72
真理追求思想だとまずいのは、人間には真理を得ることなど不可能だからでしょ。
カントも、キルケゴールも、ニーチェも、デリダも、竹田もそう言ってるよ。

77 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 21:37:49
>>71
数学と同じで、社会的有用性なんて哲学は視野に入れてないだろ。
たまたま発見した公理が、社会に役立つこともあるってのと似ている。
まぁ、役立てたいっていう動機をもって数学の公理なり哲学の理論なりを
発見しようとした人もいるかもしれんけどさ。

竹田は、過去の遺産を活かそうとしている感じだな

78 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 22:06:55
哲学がいつどこで役に立ったのw

79 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 22:27:13
>>76
だれもわかんない領域に真理を放逐してしまったら、真理という問題自体無意味になっちゃうし、わかる範囲内で真理を定義すればそれでいいじゃん。
少なくとも「より真」とか「より偽」っていう言い方ならそれなりに意味あるとおもうけど。
しかしこの「より・・・」と言えるからにはどこかで究極の真理を知っていないといけない。にもかかわらずそれを語ることができない。こうしたジレンマを丸ごと受け入れちゃえばいいんだと思うけど。


80 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 22:34:12
形而上学、真理言い当てゲームがいけないのは、不毛な信念対立以上になりえないから。


81 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 22:42:50
どういう立場の哲学を選ぶかは、プラグティズムか美的感覚か倫理感覚しかない。
つまり趣味によって選ぶということ。
実体論だろうが関係論だろうが、最後は趣味で決まる。


82 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 22:51:24
>>73
本質論は、抑制された実体論。
実在論は、関係論に還元されきらない実在をもとめる論。

83 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 23:48:37
>>80
じゃあ不毛な信念対立はどうすれば避けられますか。
>>82
専門用語に頼らずもう少しわかりやすく言って下さい。
「論」をはずして、本質、実体を君なりに定義していただけませんか。

とにかく竹田ファンの方は、竹田の現象学理解こそ「括弧に入れて」、フッサールの原書を先入見なく厳密に読むべきなのではないでしょうか。

84 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 23:56:46
>>83
逆なんじゃないの?

85 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 00:16:54
>>83
不毛な信念対立については、西條剛央の、構造構成主義とは何か、を読んでください。
さらに、そこで竹田現象学の本質・意義をも理解できるでしょう。

86 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 01:44:14
まあ,関係論的には,関係論がいいと考えているものもいれば,そう思っていないものもいる,
ということでいいわけです.
だから関係論でも実体論でもたいして違いはないわけです.
ご理解いただけたでしょうか.

87 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 01:48:50
ようするに,実体ではなく関係がある,と主張する関係論者がいるという
たかだかそれだけが真実なのです.

88 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 01:55:08
>>84 
なんで? 竹田はフッサールの影響受けてるんだし。全部自分の言葉で哲学すればいいのに中途半端にフッサールを持ち出して勝手に批判してるんだからさぁ。
>>85
俺は君の考えを聞きたいの。竹田ファンの多くは一方で歴史研究を否定して「自分なりの哲学」というものにこだわっていながら、他方で他人の議論を中途半端にもってきて、専門用語も沢山使うんだな。
研究者よりむしろタチ悪い。


他人の影響





89 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 01:58:35
竹田現象学って例えばどういうところで役に立ってんのか具体的に教えて。


90 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 01:59:39
 なんか早稲田の教授になったら、叩きが収まってきたような。

 結局柄谷辺りよりもアカデミズムに適応してしまった感じ。
叩く奴も、権威主義の卑怯者が多いよね。

91 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 02:02:48
きょうも2chのスレ消費に役立っていますよ

92 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 02:11:27
不毛な信念対立を解消するために,この本を読みなさい,
という時点で,その本は信念対立を解消することはできないでしょうね.
対立している相手と基盤を共有しようというものはすでに不毛な信念対立とは
関係がないのですから.
テロリストに世界人権宣言を読ませれば,世界は平和になると思っているようなものです.
本当に信念対立を解消させたければ,相手を説得しない,相手の主体性を期待しない
やり方でなければ無理ではないでしょうか.

93 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 02:32:19
>>88

>竹田ファンの多くは一方で歴史研究を否定して「自分なりの哲学」というものにこだわっていながら、

え…。竹田本人が、
たいらげなんとかって哲学の読書会開いてたり
フロイトを徹底的に読んでみたり
イデーンを訳してみたり

文献に当たっているのに、そのファンが歴史研究を否定するわけないじゃん。
竹田を持ち上げるときにむやみに歴史研究を否定してるのは、ぴかぁ〜だけだよ。

94 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 02:35:29
>不毛な信念対立を解消するために,この本を読みなさい,

竹田はそんなこと言ってないな。
前スレにも勝手に押し付けられてる気になってる人がいたが
なんでそう思うわけ?

95 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 07:51:46
>>92
>本当に信念対立を解消させたければ,相手を説得しない,相手の主体性を期待しない
>やり方でなければ無理ではないでしょうか.

これって、暴力くらいしかなくないか?
結局、信念対立の解消法としては戦争を選べってこと?92が言いたいのは。

まぁ、今現実にはそうなってるけどさ。
イスラムvsキリストが好例だけど。

違うと言うだろうから、それだったら別の方法を何か考えてくれ。

お互い、もしくは片方でも、自分の信念を内省してその根拠を取り出し
共通了解を目指す方法はダメ、暴力もダメ、じゃどうするの。

96 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 07:54:01
構成する人が全て悪人でも通用するような法や社会システムで縛る、
ってのはダメな。なぜなら同じ法や社会システムが通用する最大範囲は
「国」だから。

世界政府を実現できれば可能だろうが、そんなのはry

97 :92:2006/05/11(木) 12:05:59
>>94,95,96さん

85さんに対して申しあげたことですが,何かお気に召さなかったのでしょうか?

98 :92:2006/05/11(木) 12:09:06
ちなみに,>>94,95,96さんの見当はずれの問いかけに答えておきますと,
わたしは信念対立などそのままほっておけばいいと思っています.
解消しようと思ったところで,対立を保存するだけのことですから.

99 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 14:03:29
>>80 形而上学、真理言い当てゲームがいけないのは、不毛な信念対立以上になりえないから。

>>98 わたしは信念対立などそのままほっておけばいいと思っています.

ってことは形而上学でもいいってわけだ。竹田現象学の意義はどうなるの。

100 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 16:44:24
>>98
はー…。ただ諦めてるだけか。
信念対立の結果が戦争に結びつこうが、どーでもいいや勝手にやってろって
感じ?別にいいけどさ。
解消しようと思ったら対立を保存するとか、もう意味がわからん。

ちなみに竹田現象学は解消しようとしてるんじゃなくて、解消が可能かどうか、
可能ならその原理はどのようなものか、を問うてるんだよ。

>>99
>ってことは形而上学でもいいってわけだ。

なんで?(´Д`)

101 :92:2006/05/11(木) 18:09:19
いえ,ただ諦めているのとは違いますよ.
戦争は信念対立の結果ではなく,信念対立を解消しようとすることそのものではないですか.
だから対立は対立のまま,ほっておけばいいでしょう,と言っているのです.

102 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 23:00:49
>>100
80さんは形而上学がダメな理由として不毛な信念対立を引き起こすことを挙げてますよね。
しかし竹田現象学もそれに対する処方がないなら形而上学のままでも別にいいじゃんてこと。
単なる諦めではないというのはわかりますけどね。

103 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 23:05:41
>>93
え…。竹田本人が、
たいらげなんとかって哲学の読書会開いてたり
フロイトを徹底的に読んでみたり
イデーンを訳してみたり

失礼ながら彼程度の勉強ではアマチュアの域だな。



104 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 23:09:09
>>92
むしろ竹田の理論こそ、あなたのいうような信念対立問題を説明するのに適しているんですよ。
ただし、たんなる対立解消のための理論、という捉え方をされてしまえば、あなたのいうような問題があるようにみえてしまいます。






105 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 23:24:46
>>101
ちょっと煽り気味にレスしたのに真摯に対応してくれてるなぁ。
謝っておこう。スマン。

なるほど。なんとなく分かった気がするよ。
でも対立はお互い憎らしく思ってるから対立なんであって、
そのままほうっておけば自然と争いにならないか?
第三者から見れば、罵り合ってるだけで終わればいいな
って感じではあるけど…。

>>102
うーん、でも形而上学自体が、哲学史上のビッグネームから
のきなみ否定されまくってるような気がするんだけども。
ヴィトゲンシュタインとか。
いま「真理追究」を標榜してる哲学者って存在するの?

106 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 23:25:41
>>103
どのくらいやればいいの?ボーダーはどこ。フーコーぐらい?

107 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 23:29:27
>>103
たしかに、竹田はアカデミズム基準、文脈においては二流だろうが、
竹田批判においては、訓詁学のアマかプロかなんてどうでもいいはなし。
竹田理論の中味を批判すべきだ。





108 :考える名無しさん:2006/05/11(木) 23:42:47
>>102
どのような哲学であれ、特定の文脈の中で有効性・必要性・真理性が決まるしかないので、
形而上学肯定の余地もあるわけですが、形而上学が無条件に絶対化されることだけは否定されねばならないでしょう。

109 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 00:02:09
>>92
哲学者内の信念対立と、対話に興味のない一般人の政治や文化における信念対立は、区別すべきだと思う。

一般人の政治や文化の対立は、ほかっておくしかないが、
哲学者内ならば、少しは理解しあおうという契機が生まれる可能性があるから。対話が生まれる余地があるから。


110 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 00:04:11
俺院生だけど、皆さんが思っているほど哲学研究者って訓詁学的ではありませんよ。
この世界に入らないとなかなか実感できないことかもしれませんが。
俺も大学の研究者なんて皆訓詁学者と思ってたけど、いざ教授と議論してみると、なかなか論駁できませんね。
皆さんも道場破りみたいにいろいろな大学の研究室を訪ねてみればお分かりいただけると思います。
竹田さんももう少し研究者に闘い挑んでみればいいのに。

111 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 00:06:05
>>110
柄谷こうじんと批判しあっているようだけど。

柄谷もまだ研究者に及ばないアマチュアレベルなの?

112 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 00:14:41
>>110
そりゃ訓詁学者でも哲学できる人はいる。全国探せばかなりいるだろう。
たがやはり、総合的に見て、多くは自立的思索ができてないのはたしか。

 


113 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 00:16:46
>>111
批評家と専門家の比較は基本的に無意味だ。
やってることが違うから。

114 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 00:29:40
竹田の本が売れるのは哲学を人生論にしちゃってるから。
実存主義ですらないだろう。
思想の側面からよりは個々の思想家の「生きざま」から
入り込んじゃうタイプ。こういうのは往々にしているから
あまり責められないんだけど
多分買ってるのもガキばっかでしょう。



115 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 00:32:30
>>112
何人か知っているような素振りだから聞くけど、そういう人が
出してる本とかはないの?

116 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 00:41:33
 竹田が柄谷批判してるようだけど柄谷理論あたりを批判するために頁を費やす必要ないと思うけどね。柄谷の『探究』などは斜め読みしてもここには普遍性などないと解る内容だし、編集者が本を売るためにひねり出したスターみたいなものだ。あんなものほっとけばいい。

117 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 00:47:33
柄谷のいいたいことってマルクスの可能性のなんたらって本につきるし。
あれ読めばあとは全部一緒。

118 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 01:12:02
>>111 柄谷なんてアカデミストの内にはいんないよ。
>>112
厳密に言って自立的思索なんてできてるのは一世紀に数人。
或いは不勉強なその他大勢。
例えばフッサールを乗り越えたつもりで、もう少し読んでみたらやはりフッサールの掌に自分がいたことに気づく。
研究者はこのプロセスを何度も繰り返しているわけだ。



119 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 01:18:28
ぷっ

120 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 01:21:50
>>119
お前みたいな奴は最低のバカだ。
118の言っていること、俺はそのとおりだと思うよ。

121 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 01:22:40
竹田の本が売れるのは哲学を人生論にしちゃってるから。
実存主義ですらないだろう。
思想の側面からよりは個々の思想家の「生きざま」から
入り込んじゃうタイプ。こういうのは往々にしているから
あまり責められないんだけど
多分買ってるのもガキばっかでしょう。

122 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 01:37:12
>>120
残念ながらわしはその段階を超越し取るよ

123 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 01:44:25
>>107
訓詁学のアマかプロかなんてどうでもいいはなし。
竹田理論の中味を批判すべきだ。

一見もっともらしい言い分だが、訓詁学もまともにできない奴は哲学もダメなんだな。
訓詁学者って君らが思っているほどアホじゃないよ。
彼らからすると竹田の議論なんて古典哲学の議論パターンに簡単に回収されちゃうんだから。
自分の意見なんて入り込む余地なんかほとんど無いよ。


124 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 02:07:59
根拠もない断定が横行するのが哲学だということが
よくわかるな。

125 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 03:18:15
>>123
>彼らからすると竹田の議論なんて古典哲学の議論パターンに簡単に回収されちゃうんだから。

ほー。それほどありきたりな議論というなら、簡単に敷衍してみてくれる?
古典哲学のどれにあたるのかも教えてね。

126 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 03:19:29
竹田なんて問題にならないみたいな、はるか上から見下ろした意見は
だいぶ見飽きてるんよ。具体的に批判してくれないとなぁ

127 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 04:48:00
>>125 関係論ならそうね。代表的なところだとライプニッツかな。クザーヌスもいるし。
比較的最近のものであればフッサール自身がそうだし、構造主義も。
ただ構造主義だと主観と物の関係を物同士の関係と区別する根拠が上手く説明できない。
前スレで誰かがフッサールは実体論を抜け切ってないようなこと言ってたけど、フッサールはこうした関係論の欠陥をよく見抜いていた。
関係を語る視点が問題なんだな。「主客未分の関係そのもの」なんて発想は関係の外からの語りに過ぎない。
フィヒテやシェリング、ヘーゲルならきっとそう言うに違いないな。

あっそうそう。67のロムバッハ批判もう少し詳しく教えて。

128 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 06:44:59
>>127
ほうほう!ライプニッツとクザーヌス、フッサールか…
あと構造主義者かぁ。
しかし構造主義って一口に言っても、誰を指すのかがいまいち…
代表的なとこでラカン、バルトくらい?(´・ω・`)

>フィヒテやシェリング、ヘーゲル

この人らが共通の見解を持つというのは興味深い。
ヘーゲルはちと文章がアレなんで原著は敬遠してたんだけど
いっかい本腰入れて読んでみるかな…。

ロムバッハ批判を書いたのは俺じゃないんで、よく分からん。スマソ。。

129 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 08:00:34
2chでトウシロが議論できちゃうってあたりが
すでに学問じゃないわな

130 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 08:15:02
まぁ物理学とかだとありえんわね…。

131 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 20:22:02
>>127
それらの哲学者の議論に回収されるの?竹田は。
文脈から言うとライプニッツ、クザーヌス、フッサールの3者の
言ってることを焼き直しor劣化コピーしたのが竹田現象学っておとでOK?

132 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 21:25:37
在日朝鮮人の思想アイドル。
他にも哲学科の教授に在日っているはずなんだけどね。

133 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 22:04:46
>>123
そういう論法でいけば、ほとんどの哲学、ウィトゲンシュタインのでさえ、
古典で出尽くしている、といえてしまう。
ようするに、この論法を使うなら、すべてはプラトンで出尽くしている、といえてしまう。

ただ、こういう論法を過度に使うと、極度の独創性が設定されてしまうから、独創性という概念が無効化しかねないけどね。



134 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 22:24:39
>>121
中島義道のほうがよっぽど人生論(というか人間学)めいているけど。ただ哲学だけで思いついたような
人生論をやってるのではなく、モラリスト文学などへの造詣も深いから中途半端な代物にはなってない
のだが。
ペシミズムの理解もニーチェだけしか引っ張ってこれない竹田とは大違いだね。

135 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 22:35:56
127です。
128さんへ。2チャンには珍しく誠実な方で恐れ入りました。
訂正です。「ただ構造主義だと」→「ただ関係論だと」
133さんのおっしゃるとおりだと思います。
哲学の授業である先生がだいたい次のような感じのこといってました。

独創性といってもただ奇抜なことを言えば言いわけでもない。
その時代その地域において、どんな文脈でどんな論理構造に力点を置くか、これをつかむだけでも才能は問われる。
一見地味なようで個性なんて本来そんなものだ。
哲学研究者は音楽で言えば指揮者や演奏家に近い。

彼らが作曲しなくても別に目くじら立てる人はいないでしょう。
哲学研究者に対して勝手に過剰期待している方多すぎませんか。




136 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 22:53:18
音楽のきちんとした教育を受けてないヴァイオリニストが、クラシック音楽の世界で認められるわけもなく。

つまり解釈の斬新さも技術もない、あるのはファンだけというのが竹田。

137 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 23:03:53
>哲学研究者は音楽で言えば指揮者や演奏家に近い。

それでは、学問として大学に職を与えるに値しない。


138 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 23:14:24
>>136
市場価値を生み出せているだけでも十分すごいと思うよ。
多くの人間に読まれるだけでもすごいことなんだよ。社会的貢献度からいいってもね。
いまさら、古風な権威主義で竹田を矮小化しようとしても無駄。
竹田の思想の中味がゴミというわけでもないしね。
丸山、広松、橋爪、池田、西條などの有能な学者に高く評価されてるから。

まあ、訓詁学的観点からの批判は、専門家がきちんとやるべきだね。
こういうことこそ専門家の大事な仕事。




139 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 23:20:49
>丸山、広松、橋爪、池田、西條などの有能な学者に高く評価されてるから。

最初の2名はともかく,あとはカスだぞ・・・

140 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 23:30:25
で,竹田理論というものを知りたいのだが,何を読めばいい?

141 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 23:33:21
自分をまだ若いと思ってるバカな団塊世代と在日のガキ向けの読物を量産しています。
それが竹田です。

142 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 23:45:35
まあ哲学ですからいろんな人がでてきますよw

143 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 23:46:04
>>139がこのスレのシンボル。

著名な学者をカスなどと中傷する本人はどれだけの教養があり、
またどれだけ立派な仕事をしてきたのやらw

144 :考える名無しさん:2006/05/12(金) 23:49:08
池田って池田晶子?西条ってだれ?

145 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 00:29:00
西条昇

146 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 00:31:54
池田晶子が竹田を評価しているなどというのは初耳だ
というか信じられん

147 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/05/13(土) 00:43:49
なんで?

148 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 00:51:55
>>137
もののたとえというものがわからんやつだなぁ。
指揮者や演奏家といったって135さんの言うのはプロのことでしょ。
それにこれは作曲家との対比で言われているのでしょう。


149 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 00:56:57
>>148
いやだから、クラシック音楽の場合はとっくの昔に分業体制になってしまい
世間でも演奏専門でも認知されてるけど、
学問の世界はどうか?
他の学問では新しい知見を生み出さない者が、大学で研究なんぞとほざいてらるのか?


150 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 01:03:09
池田晶子が他人とくに他の日本人著作家を誉めているのを見たことがない

151 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 01:04:26
強いてあげれば佐藤亜紀くらいか

152 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 01:08:14
>丸山、広松、橋爪、池田、西條などの有能な学者に高く評価されてるから。

西条昇は竹田の門下生だろ・・
門下生に評価されているというのが評価基準になるのか?

153 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 01:10:44
ちなみにそれこそ池田晶子や西条昇は研究者ではないだろう

154 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 01:19:27
池田はともかく西条は変なことになっているしw

155 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 01:52:08
>>149
だからさぁ、解釈の斬新さだって新たな知見の一つなの。というよりアカデミックな学問とはそういうもの。
君も文献解釈とかやってごらん。そんで教授に論文見てもらったらどうですか。
はじめは多分鼻であしらわれる。奇抜なこと言うなんてたいして難しくない。
アイデアが新しくてもあほらしいものは沢山ある。
だいたい新しい創造的な知見をもった大学人なんてそんないないよ。
何人の数学研究者がオリジナルな公理発見したわけ?
哲学なんかましなほうだぞ。仏文、独文、英文なんか「文学」の解釈だ。彼らに小説書けって言うわけ?





156 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 02:07:54
哲学書の解釈の意義は?
いつまでも解釈し続けることができると思いますが
いつまで続けるんですか?

157 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 02:37:19
>>156
意義は何かといわれると難しいけどね。
自分なりの哲学を打ち立てる意義もよくわかんないね。
研究者にとって、研究者である限り、解釈は生きることそのものだよ。
俺はまだ院生だが「・・・研究」で終わっても構わないと思っている。
哲学研究者だって自分哲学くらいやるのでしょうし、それを授業の合間に学生に話す先生も多いですよ。
本では専門的なこと書いているけど、授業での説明は概してわかりやすく、竹田なんかよりはるかにわかりやすい先生もいる。
大衆向け哲学の入門書なら作家やエッセイストに任せとけばよい。
自分哲学なら個人個人で考えればよいだけのこと。
大学の研究者がどうしても書くべきことではないと思うな。



158 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 04:56:55
うーん…閉鎖的なところで好きな人だけがいろいろと試行錯誤し
民間には成果がまったく降りてこない学問。
哲学がそういうものなら、本当に無意味に思えてしまう。

自分で答えを見つけようとするのでもなく、解釈に始まり解釈に終わる。。。
それは学問ではなくて、思索・問答マニアの集まりだ。。
骨董品を集めてる人たちとあまり変わりがない。

人生論に堕して(?)いるとはいえ、それなら哲学を生きるための
処方箋に変えられる竹田のほうがまだましだと思える。

煽るつもりは全然なくて。もしそれが哲学の本家本道ならば
おそらく大抵の人が哲学に対してなんの魅力も感じなくなってしまうのでは
ないか。。。

159 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 05:07:39
たとえば、哲学者のひとりに数えられるマルクスなんかは、
唯物論から積極的に社会を変革しうる理論を構築しようとしたし、
ルソー、ホッブズ、ロックなんかは市民社会の礎を築いたし、
いくらでも自分なりの理論を模索し構築することで、社会に
影響を与えた哲学者はいると思うんだけどな。

ニューアカとかいって現代思想がブームになった時代だって
あれは哲学が社会に影響を与えた結果だと思うし…
ニューアカは別に全然いいとは思わないが。

160 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 05:23:03
ってスマン。

>>118
>厳密に言って自立的思索なんてできてるのは一世紀に数人。

自分の哲学を打ち立てちゃダメってわけじゃないか。
このほんの一握りには、自立的思索を著書にして発表し
世界に影響を与える資格があるわけだ(´・ω・`)

竹田がそれだというのはいかにも大仰な気はするが、
そうでないというなら、研究者の立場からひとつ、
竹田現象学の致命的な矛盾や破綻なんかを教えてほすぃ。

「竹田現象学みたいなことは、フッサール解釈を試みてる人は
皆一度はやってみる解釈のうちのひとつにすぎない」っていう
ニュアンスが読み取れるんで、それが当たってるなら
かなり明確に指摘できるんじゃないかと期待する。
だって、自分がかつて乗り越えたプロセスなんだから。

161 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 07:52:02
>>158
民間に下りてこない学問なんて沢山あるよ。
或いは竹田や哲学エッセイストたちは、研究者の訳した翻訳や研究書読まないとあれだけわかったようなことは書けませんよ。
>自分で答えを見つけようとするのでもなく、解釈に始まり解釈に終わる。。。」
解釈ってことが全くわかってないね。解釈って自分で答えを見つけようとする営みだよ。
>それは学問ではなくて、思索・問答マニアの集まりだ。。
>骨董品を集めてる人たちとあまり変わりがない。
いや、学問はそれでいいんだよ。貴方は過剰期待しすぎ。骨董品収集も立派な生き方の一つです。
とくに哲学のような学問は、何十年単位で歴史が動いていて、その真価が問われるのには時間がかかります。
哲学っていう遺産は、ごく少数の間でひそかにゆっくり受け継がれていくようです。
カントが当時の一般大衆に幅広く読まれていたとは思わない。カントならまだしもフィヒテなんて竹田よりも読者が少なかったりして。
しかし竹田はインテリ層ではほとんど読まれてないし、海外では皆無、哲学史に名を残すとも思えないな。
>>160
それやりだすと大変だから、君の方で竹田現象学を支えているいくつかの重要な論点をあげてみてくださいな。



162 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 08:21:11
>>152 >>153
西条昇?

163 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 08:37:08
>>159
おまえプラグマティズムって知らないだろう。

164 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 11:41:45
ん,しらない
なに?

165 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 11:59:32
>>161
うい、もう少し考えてからレスします。

>>163
や、知ってるけど、興味ないので詳しくは知らん。
多分この先読むことはないだろう。

166 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 12:06:39
いろいろ議論はあるだろうが、まあ良かれ悪しかれ、西条昇を生み出したことは、
竹田青嗣のひとつの功績といっていいかもしれないw

167 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 12:32:01
研究者というのは論文を書くひとのことです。それは文系でも理系でも同じ。
ことさら哲学研究者を馬鹿にするのは筋違い。

168 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 12:34:50
誰も馬鹿にはしてないと思うよ。

まぁ端から見て理解されにくいのはどの分野の研究者でも一緒かもね。
とおもた。

169 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 12:47:57
そう?結構、馬鹿にしている人多いでしょ、哲学研究者のこと。

170 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 14:02:42
僕は「時代」の、今日はたおれ〜た〜たび〜び〜とたち〜も、のところで必ず涙が出ます
竹田さん的に分析してください

171 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 22:39:06
誰だでたらめ言うやつはw
竹田を高く評価してるのは、
西條昇ではなくて西條剛央、池田晶子ではなくて池田清彦だよ。

172 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 23:19:04
哲学研究者は必ずしも哲学者(思索家)ではない。
哲学者は必ずしも哲学研究者ではない。
いうまでもなく哲学者かつ哲学研究者である人もたくさんいる。
竹田は、両方をほどほどにやってる哲学者といえる。

自立的で徹底的な思索と文献解読のさいの思索とは、区別せねばならない。
どちらも哲学的思索ではあるが、やはり徹底度が違う。
ただし、文献解読を一度もきちんとしたことのない者に自立的思索はできない。

哲学研究者と哲学者との違いは、経営学者と経営者との違いに対応する。

それぞれ別の基準で評価されるべきだ。
無条件に単一基準で批判するのは、傲慢・越権・歪曲だ。

どちらかを過小評価したり過大評価したりする信念対立・価値対立が多いので、
ここに自明の事実を書いておく。

173 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 23:32:56
竹田は問題外っていうことの理由について、専門的に研究していないから。
というバッサリ切り捨て型の批判?が多いから、専門に研究してたって
伝えられなきゃ意味ないんじゃないか?という疑問が出た訳。
誰も研究自体に意味がないとか、研究者を馬鹿にしてるわけじゃないよ。

研究が無限の未来に続くまでただの著書解読で終わるというなら、
意味がないなーとは思うけど。

174 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 23:34:05
>研究が無限の未来に続くまでただの著書解読で終わるというなら、
>意味がないなーとは思うけど。

この部分は「もちろんそうじゃないだろうけど」っていうのの反語…
になってないか。そんな感じ。

175 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 23:34:20
池田晶子>>>池田清彦>>>>・・・・・>>>西條昇≧西條剛央

176 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 23:35:42
哲学という者に興味を持った高校生の頃、
この人の本から入ってしまったことを後悔してる三十路間近のシャイガイだよ。
く〜、ちくま文庫と宝島ムックのばか。
当時それしか「分かる」って書いてなかったんだよな。
あの「分かる」本(ニューアカ墓荒し)は、最も「分からない」本だったのだと今でこそ思う。
分かってる人向けの「だよね」本だった。
今は、バランスの取れた鳥瞰図が充実してていい時代ですね。

177 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 23:42:04
池田清彦って学者か????作家だろ

178 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 23:45:26
>>176
なんで後悔してるんだろう。最初に失敗できたのなら
むしろよかったんじゃないの?遠回りして困る学問じゃないっしょ。

179 :176:2006/05/14(日) 00:05:57
>>178
分かんないから経済学に転向し普通のリーマンになった。
その後、仕事の悩みを解消するためナレッジマネジメントや情報社会学の本を読んでいるうちに、
同じ問題が古くはポランニーやソクラテスまでさかのぼれることを知り、
素直にプラトン『メノン』あたりから齧っておけば良かったと後悔している。
内田樹さんの本とかリーマンの飲み会ネタ満載だし。哲学ってバリバリ実学だなと開眼いたしました。

180 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 00:12:54
おまえ絶対にリーマンじゃない(笑)

181 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 00:14:56
ところで竹田は、学究的な哲学が役に立たないと言っていると同時に
過去の哲学者たちは大したことを言おうとして哲学者が
もっと取りくむべきはずのことを避けてしまったというようなことも言っている。
逆にいえば、これは竹田自身が自分が書いていることは「大したこと」なんかじゃないと知っているということだと思うのだが、
どうしてそれをわざわざ「大したこと」の文脈に戻してして、
竹田の仕事は「大したこと」なんだから「評価」しろと(他ならない)彼のファンが言うのかがわからない。
この人が欲望論の素材としてことさら恋愛をとりあげるのも、岸田秀を評価するときに「機微」を問題にしていたことも、
きっとそういうことが背景にあると思うわけだが、なんでそのへんファンが汲んでやってないのか。
みょうな売り言葉に買い言葉は背伸びしてるのがバレバレで醜いだけなので、やめた方がいいと思うわけだけども。

182 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 00:18:05
まあまあ、とうしろが学問ごっこできるのも、
本職wの大半がそれに毛の生えた程度なのも、
哲学ならではですから

おさえておさえて

183 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 00:32:16
>>181
「竹田は大したこと言ってない」「竹田は大したこと言ってないのに研究者を馬鹿にしてる」

この一行に集約されることしか言ってないジャン。。。

評価できると思う、と言ってるファンはいても
評価しろ、なんて迫ってるファン見たことないし。

俺なら、もし本当にダメな哲学者が跋扈してるようなら
どこがどうだからダメなのかって具体的に論証しようとするけどなぁ。




184 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 00:36:36
damenatetugakusyatoiukangaekatagasomosomomachigatteimasu
imayatetugakujitaigadamenanodesukara

185 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 01:15:17
どこがどう、のあたりは前スレ前半過去ログでもおさらいすればいいと思うが、
もっと簡単に言ってしまうと、よするに竹田の著作は研究者に相手にされないという一点において大した代物じゃない。
納得できないかもしれないが、竹田自身は「そうだね」と言うと思う。
つまり言ったかったのはその一行に要約されることではなく、
その一行の内容をおそらく竹田自身が認めるだろうということだな。

186 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 01:19:20
とはいえ最近はどうも違いそうだと思える箇所もあって、だからまあ最近の竹田は駄目だと思うわけだが。

187 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 02:28:45
竹田がダメでもダメでなくても

ど う で も い い

188 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 02:31:36
>西條昇≧西條剛央

これは同意しかねるね。西條剛央≧西條昇だろう。


189 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 13:57:29
>>西條昇≧西條剛央
>
>これは同意しかねるね。西條剛央≧西條昇だろう。

「西条」昇だよ。他人の評価をするなら、名前くらいきちんと把握しておけ。

190 :考える名無しさん:2006/05/14(日) 14:01:08
ちなみに西条はいまはあんなだが、基本的には竹田の流れをくんでいる。

191 :考える名無しさん:2006/05/15(月) 23:17:12
竹田自身のあいまいな戦略がよくないな。
専門家批判するなら、ある面では確かに彼の批判は正当だけども、
永井とか池田のように自分の言葉で哲学をやり通したほうが説得力があるな。

専門家の儀式・ゲームに割り込むんじゃなくて、自分でもっと上質なゲーム・作法を開発し実演してみせることが大切だな。
そうすれば、誰も文句いわん。

192 :考える名無しさん:2006/05/15(月) 23:26:10
最近、「研究者」の側からのフッサールを使った人生論的本も増えてないか?

193 :考える名無しさん:2006/05/15(月) 23:32:53
青嗣テラエロスw

194 :考える名無しさん:2006/05/15(月) 23:36:57
193はバタイユ大好きな青磁ですか、どうよ?

195 :考える名無しさん:2006/05/15(月) 23:40:53
>192
哲学を専門家の言葉遊び以上のものにし、開放し活用しよう、広く読んでもらおう、とすれば、
学者も竹田化せざるをえないわな。


196 :考える名無しさん:2006/05/15(月) 23:52:37
>>157
どうして世界、社会、人間とかの解釈じゃなくて、誰かの自分哲学の解釈なんですか?
自分哲学を解釈するのが哲学?

197 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 00:09:44
>>196
とりあえず賛成。
157は、哲学研究と哲学との区別を誤解してるというか、歪曲してるな。
本来、哲学自体が目的なら、どれほど他人の哲学を参考にするにせよ、最終的には自分哲学しかありえないんだけどな。



198 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 00:36:56
勝手に哲学を定義してもっともらしいこと言われてもなぁ。
それで済むなら苦労しないよ。
世界、社会、人間とかの解釈は思想或いは科学であって哲学ではない。
哲学は科学や思想の解釈、或いは哲学者によって生み出された言説を解釈するという仕方でしか機能し得ないような面もあると思う。
自分哲学?できるもんならやってごらんよ。たとえできたところで今度は歴史との対話が求められるんだから。
歴史と無関係な哲学なんてね。

199 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 00:48:22
>>198
>哲学は科学や思想の解釈、或いは哲学者によって生み出された言説を解釈するという仕方でしか機能し得ないような面もあると思う。
解釈の解釈ってこと?
別の面もある?

200 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 00:54:18
自分哲学はそれ自体が困難?
歴史との対話を求められるから自分哲学は困難だ、てこと?


201 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 00:58:20
自分哲学なんて皆それぞれ勝手にやってればいいじゃん。
少なくとも大学で研究したり教えたりする代物じゃないよ。
研究の意義を認めずに自分哲学とか言っている人達へお願いです。
中途半端に、哲学用語を使わないで下さい。混乱の元になりますから。
哲学研究者の書いた本、翻訳は一切読まないこと。
歴代の哲学者のことも原書をよんでから論じてください。軽はずみに名前を持ち出さないこと。

202 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 01:00:06
>>201
何の権利があってそんなことが言えるの?あなた。

203 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 01:02:26
>自分哲学なんて皆それぞれ勝手にやってればいいじゃん。
>哲学研究者の書いた本、翻訳は一切読まないこと。

自分哲学も哲学研究もそれぞれ自分勝手にやってればいいじゃん、ということですね。

204 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 01:03:42
それがあなたの、自分哲学、というわけですか。

205 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 01:07:21
まあ誰でも自分の領域を悪く言われたくはないから、仕方ないか。
いいよ、別に責めはしないから。

206 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 01:12:00
なぜか答えが返ってこない。

207 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 03:58:47
>>201
研究の無用性を偉そうに説く「権利」を主張できるための条件を思いつく限り述べたまでのことよ。
それほど間違ったこと言ってないと思うが。
>>203/204 
ていうか、文献研究って自分哲学の優れたセンスをもちつつも、そのセンスを隠しながらやる大人の学問なんだけどね。
文献研究者と自分哲学で一度議論してみ。結構すげーぞ。

208 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 05:12:18
最近はじめて自分が哲学的な思想をしていることに気がついた。
なぜ人は生きるのか?
自分とは?他人とは?
人生とは?
自然とは?苦とは?
本能とは?理性とは?
子供の頃から考え続けていたなぁ。
その答えは、思考から生まれるのではなく、
一瞬のインスピレーションから悟るということ。

哲学なんていう単語に興味はない。
ニーチェだかカントだかよくわからん。


209 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 06:20:58
>>208
大変すばらしいことを考えられてますね。
で、なんか面白い独創的な結論はでましたか。是非教えてください。
ともかく、貴方の考えておられることは大変素晴らしいことではありますが、お気づきのように哲学ではないようですね。
多くの人はそれこそ哲学だと定義してますけど、一体どこでそんなこと教わってきたんでしょうか。それこそ現象学的還元しないと。


210 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 07:45:32
無いセンスを隠していると言ってしまうセンスの良さに驚嘆w

211 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 10:12:33
>>210
俺の大学の哲学教員、何人か議論してみたが、めちゃくちゃ切れる。
書いてる本は「・・哲学研究」みたいな硬いものだが、授業の雑談は面白いし、飲みにいって人生話とかしてもなかなか鋭い。
院生の人達も言ってたが、解釈の力がある人は、自分哲学を考える力もあるようですね。
君も是非先生とか研究室を訪ねてみるといいよ。

212 :考える名無しさん:2006/05/16(火) 23:45:10
>>211
まさにそれは、主観的判断だ。
もしあなたの思考レベルが低ければ、高度の思索家なら凡庸と判断する人でも、高度に見えるかもしれない。

少なくとも私の知ってる教授たちは、いちおう一流だが、自立的で強靭な思索という点では凡庸にみえる。
これもまさに私の主観的判断。
このさいに基準にしているのは、一般的著名人で言えば、大森荘蔵や永井均。
永井は、マトモに文献研究ではない哲学ができているのは、全国で数十人くらいだろう、と見積もっている。






213 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 00:02:20
>>201
哲学専門研究の無用性・無力さなんて自明だよ。
それにしても、訓詁学してる暇のない他分野の読み手や一般読者を排除しようとしてるところをみると、
哲学はお宅のおもちゃでもいいということになるな。 まさに自分で哲学をおとしめている!?
社会を無視して、そうい偏狭な哲学ごっこを神聖化してると、哲学科廃止論に協力してることになるのになw

214 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 00:22:37
201は、研究者(の卵?)っぽいけど、
まともに多様な哲学潮流知ってれば、そういう偏狭な哲学観もたないよね。
意図的な歪曲それとも、単なる無知?

215 :214:2006/05/17(水) 00:30:14
>201
もちろん、あんたの言うような、特定タイプの専門家の(にのみ意味のある)常識・基本作法は知った上であえて申し上げてるわけだが。

216 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 01:13:25
>>211
そんなにきれる人がなぜ哲学研究をしているのかを説明して欲しいのだが。

217 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 01:25:42
そんなにきれる人がなぜ国民の税金を食いつぶして平気なのかを説明して欲しいのだが。

218 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 01:37:04
その昔、某生命倫理系で有名な哲学科教授が医療関係者の研究会で講演して
人間サンドバッグ状態になっているのを目撃したことがある。かなりカワイソだった。

219 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 01:40:49
結局、やっぱり現場で仕事をしている人から見ると、レトリックで話をしている
としか見えないんだろうなと思った。
生とはこのようなものでと言ってる人と、さっさとバイタルはかれよと言ってる人とが議論できるはずもない。

220 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 02:06:17
>>212
誰と比べて一流だの何だの評価してんだか。
比べている貴方は一体どのレベルなんだか。
だいたい、大森だの永井だのは自立的に思索はしているが、そのことと一流かどうかは話が別。
彼らは海外ではほとんど知られてないよ。
>>213
排除なんかしてないよ。ただ一般人の視点から何も知らないで研究者が無能だの何だの言うんじゃないよといっているだけ。
物理学にしても数学にしても、一般に研究というのは閉鎖的だし、それでいいと思う。開かれるべきだなんて言っていないで勉強して自分の方から学問世界に開いていけばいい。そんな暇ないというならもっと謙虚にものごとを受け止めればどうかな。
>>214まともに多様な哲学潮流知ってれば、
例えばどういう潮流ですか。教えてください。

221 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 02:09:36
竹田ファンてアカデミーに対するルサンチマンもった人間の集まりだな。
こういう奴に限って哲学の「て」の字もしらない人間をバカにするんだな、これが。


222 :ようじ:2006/05/17(水) 02:35:02
マルクス主義から逃避して現象学へ向かった竹田にとって、本来、柄谷行人のマルクス吟味こそ
本質的で自身が行うべきことだったと思う。柄谷の抽象力と竹田の現象学の双方が等価だとして
もだ。
柄谷が共同体を批判し、竹田がそれをくぐり抜けようとした時、柄谷の言説は批判の対象ではな
く、重要な先達として浮上するのではないか?柄谷の言う一般性と普遍性の区別が重要になるか
らだ(結局竹田は現象学の創設に問題をすり替えてしまう)。
一般性と普遍性、その区別がついていない竹田はあくまで戦後文学の一例にすぎないと感じられる。

223 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 03:40:44
ウーム、一度研究者の話を聞いてみたいものだ。
専門用語使われたら絶対ほとんど理解できないが。
メルクマールだのエラン・ヴィタールだの、文庫本の哲学史概説にも
出てくるような言葉しか知らんし。

自分はそれほど哲学本を読み込んだわけじゃないが、
読んだ中では竹田の言ってることが大方的を射ているように思う。
それは「何を言っているか」が容易に理解できただけではなく
「なるほど、だから○○なのか」と納得できるような、
本をいくらか読んだうえで持った疑問に、明快な回答を出していたから。

224 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 03:54:00
「真理」に対する回答や、人間がなぜある程度の共感、思考の普遍性を
持つのか、人間にとっての欲望の本質、恋愛における性欲と理想主義の
結晶作用、などなど。とても具体的で明快。
専門用語を使えばもっと難しく言い回せただろうに、そういう書き方をしてたら
また評価も違っていたんだろうな。

これ以上に的確な答えがあるならぜひ知りたいものだ。
(無いと思うけど、ではなくて、本当に)

>>192
具体的に書名を挙げてみて欲しい。読んでみたい

225 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 04:01:53
自分は専門用語バリバリの難解な文章を根気よく読みとく暇もなければ
ドイツ語フランス語を学ぶ時間もない。

まぁそういう奴は趣味程度に、大衆向けの哲学を覚えておけってのは
一応他の学問でも同じような事を言われそうではあるんだけども

それでも、物理学でも歴史学でも心理学でも、最新の研究結果が
分かりやすい解説付きで本になるのはままあることだと思う。
例えば超ひも理論に関する分かりやすい本、あれは「厳密に言えば
違うところも多々あるが、大筋正しい」という内容のはずだ。たぶん。
大衆はそういうのを読んで「へ〜、これが最新の研究結果なんだ」と
理解する。

哲学は、それがないのだろうか(いや192が言うようにあるのか?)。
興味があるところ。

226 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 07:26:25
それやっちゃうと無内容なのがモロバレだからw

227 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 09:13:40
>>220
>彼らは海外ではほとんど知られてないよ。

もちろん。じゃあ、誰が知られているのかな?知られているという日本人研究者の
具体的名前と論文のインパクトファクターを教えてよ。

228 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 09:15:30
物理学や数学の研究者と同等だというのなら、業績も数値で評価されて当然でしょう。

229 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 09:58:54
「ケケ田氏の〜が問題だ」みたいな、具体的な指摘がほとんど無いですね。

230 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 11:00:41
それはそもそも「ケケ田氏の〜」というものが存在しないからですよ。

231 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 11:08:59
>>227
俺は220ではないが、石黒とか新田とか。少なくとも大森、永井、竹田よりはな。

232 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 14:16:35
それで、Impact Factorは?

233 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 19:27:18
竹田はデリダを批判したというが、「エロスの現象学」?をフランス語訳して
送ったの?

234 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 21:53:54
>>232
俺は分野が違うのでよく知らないが、石黒氏はライプニッツの分析哲学的読解で、新田氏は「媒体の現象学」?で世界的に有名なことはたしか。


235 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 21:56:32
竹田のデリダ批判って簡単に言うとどういうものですか。
それに対してデリダはどう返してきたんですか。

236 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 22:41:03
>>234
そんな印象論では通用しないよ。世界的に有名って、何を根拠に言ってるの?
哲学も学問の端くれなら、客観的な基準を提示すべきでしょ。
さもなきゃ単なる思い込みじゃない。
だからその人たちの論文が掲載された雑誌のインパクトファクターを聞いているわけ。
いくつなの?

237 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 22:46:30
バリバリ訓詁学基準で論じてみよう!
フッサールは、ヘーゲルの精神現象学の序文だけ読んで、
ヘーゲルはダメと断定してるが、これかなりヤバくないか?
ホワイトヘッドは、ヘーゲル数学論読んだだけでヘーゲルはアカンと思い込み
英国のヘーゲル研究者の解説書だけ読んでたくせに、弁証法論じてるんだよね。
こういう方々も、訓詁学者からすれば、偽者ということになるな。

238 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 22:50:14
問題意識違いすぎなスレはここですか?

239 :考える名無しさん:2006/05/17(水) 22:54:04
>>211
参考までに聞いてみたいんだけど、その教授たちに
「真理とは何か?」と聞いたらどう答える?

240 :214:2006/05/17(水) 23:16:12
>>220
ほんとに、知らないの? (まさか、2ちゃんでいう釣りというやつではあるまいな)

訓詁学を目的ではなく補助的手段にすぎないとみなす哲学観をもってる潮流
論理実証主義や分析哲学ポスト構造主義のいくらかなど。さらに、個々の哲学観なら日本の専門家だけで数人はいるよ。
例えば、古代ギリシャ哲学の大物訓詁学者であり哲学者でもある藤沢令夫も、専門家のやっている仕の多くは哲学には無駄、といっていた(池田晶子との対談で)。

あんたは、ワザトとぼけているのでないなら、「他者の志向や思考」を知り、自分の哲学観を見つめなおす冷静さが必要だな。

だが、もちろん、俺は、あんたの哲学観もそれはそれで認めているよ。
ただ、あんたが特定の志向によるものの見方だけを正当化し、
他のものを見ようとしない不合理な偏狭さが鼻につくので、あえて厳しく申しあげたわけ。
真の哲学〜だ!、式の素朴な絶対主義的な判断パタンがちらつくから。

241 :240:2006/05/17(水) 23:22:47
ミスった。訂正しとこう。
三行目、個々の哲学観なら、著名な専門家だけで数人は知ってる

四行目、哲学には専門家のやってる仕事の多くは無駄、

242 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 00:00:23
>>240
逆にいえば訓語学すらも出来ない哲学者なんて出来損ないだけどな。

243 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 00:06:49
竹田が古典をきちんと読めてないといいいたがる学徒さん多いみたいだけど、
竹田をきちんと読めてるヤツも少ないんだよね。
竹田の古典理解のいいかげんさを指摘する者も、竹田をイイカゲンに読んで批判するなら、
イイカゲンさはお互い様だよね。

244 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 00:11:10
訓詁学専門家を養成しろよ。

245 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 00:13:48
確かにヴィトゲンシュタインは、訓詁学は絶対やっていないな。
プラトンとかを読んでいたとしても。

246 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 00:14:38
>>242
条件付で賛成。
目的や問題意識に応じた柔軟な訓詁学、という条件をつけるほうがいいと思う。
誰もが発掘作業=訓詁学自体を目的にする必要はないから。

247 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 00:20:27
>>245
いくらかのウィト伝読むと、俺もそう判断せざるをえない。
ウィトは、少しは読んでいたものの、プラトンは時間の無駄、といってたそうな。
ショウペンハウアーは愛読していたらしいが。
こういうのは訓詁学とはいいにくいな。

248 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 00:23:08
やっぱ内容でしょ。内容批判しなきゃ意味なし。
訓詁学やってなくても、哲学史に名を刻んでる人はいるな。

フッサールの原文から引いてきて、竹田と言ってることが違うだとか
言ってくれれば、それがとっかかり部分だとしても、図書館で
簡単に調べられるんだし、やってくれればいいのに。

249 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 01:01:15
>>236
そんなの自分で調べたら如何ですか。そのほうが納得するんじゃないの。
多分彼らのインパクトファクターの高さに驚かれることと思いますよ。

>>240
訓詁学を目的ではなく補助的手段にすぎないとみなす哲学観をもってる潮流
論理実証主義や分析哲学ポスト構造主義のいくらかなど。

ぷっ。 こんな古臭い潮流を挙げて偉そうにしていてはダメポ。
現代思想をもっと勉強しましょう。


250 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 01:02:41
>>248
いちおう売れていてある程度インパクトのある竹田の本を
専門家が、一部の頑固者以外は別としても、読んでいないわけないからね。



251 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 01:03:18
>>248
そりゃそうだけどさ。竹田はフッサール研究をしたいの。それとも自分哲学がしたいの。

252 :240:2006/05/18(木) 01:10:55
>>249
俺の論点にきちんと反論してくれんかな。
そんな雑な感情的決め付けでは通じないよ。
俺だって偉そうにいえるほど勉強家ではないが、今の答え見ると、あんたは現代思想について勉強不足または中途半端理解にみえる・・・

253 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 01:47:41
うちの大学の現象学の先生によると、最近の現象学では神だとか形而上学の議論が主流で、哲学史の見直しこそ現代の課題だそうだ。
249の言っていることもそういうことですか。

254 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 02:08:11

ぷっ

現代思想と甥でなすったよw

255 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 03:04:34
249だが253のおっしゃるとおり。マリオンやアンリとかの最新の議論を竹田はどこまで押さえてんのかな。
現象学専門でない俺でも何冊か読んだぞ。
古典哲学の意義をポジティヴに見ようとする動きの方が最近では強いと俺も思う。

252さんには失礼なこと言ってすまなかった。しかし現状はそうだと思う。
それにしても何処の大学でそんなこと教わったのですか。

256 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 03:12:28
主目的になってしまうか他の目的の補助と考えるか



ポジティヴに捉えるかネガティヴにとらえるか



まるで別問題ではないですかな

257 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 08:35:33
>>256 主目的になってしまうか他の目的の補助と考えるか

哲学史研究の意義はこうした二者択一じゃおさまらないんだな。
古典哲学の「解釈」ということは哲学することそのものなの。
「解釈」ってのは他人の考えをただ機械的にまとめることじゃないの。
これからバイトだ。あー眠い。

258 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 14:47:03
>>249

ttp://hcr3.isiknowledge.com/home.cgi

上記ISIのサイトで確認しました。石黒さんの投稿誌はいずれもIF 0、
新田さんの投稿誌も0でした。Highly Cited Researchersを検索しましたが、
両者とも引っかかりませんでした。
たいした研究者ではないようです。

259 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 15:13:00
結局、哲学研究で有名とか優秀とかいわれているのは、
たかだか印象とか噂にすぎないのでしょう。
別にそれ自体は悪いことではないと思う。
例えば清原はすごい、才能がある、といまでも言われている。
しかしそれは野球ファン心理がつくりあげたフォークロアであって、
残念ながら数値を出されると、現実的には、現在は単なる3流選手であることは明白です。
もちろんファンには、数値ではない、記録よりも記憶に残る選手なのだ、
と正当化する権利は残っていますけれどね。

260 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 23:19:38
>>257
あなたの信じてる哲学はそういうものだということは十分分かったけど、
そういう強弁では、他の志向の哲学に対して排他的優位をいえる説得力はないのね。

ところで、古代ギリシャの哲学の始祖たちは訓詁学してないよね、定義上。だから、あるいみで自分哲学なわけだ。

目的と手段との区別、っていうことの意味分かってる、自分の文脈に引き寄せすぎてないか?
あなたの場合、哲学史研究=哲学が目的になっている、と言えばいいだけだよ。
で、別の哲学志向から見れば、そういうのは哲学とは呼ばない、というだけのこと。
自分の哲学志向だけを正当だとみなすなら、そんなものは自分哲学とかイデオロギーとよぶしかない。

要は、ここにあるのは、ナイーブな信念対立なわけだ。
竹田の現象学は、成功してるかどうかは別として、そういうものへの処方箋なんだな。









261 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 23:22:14
>>257
チミは解釈へたでつね?

262 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 23:32:49
>>260



ぷっ。 
現代思想をもっと勉強しましょう。






263 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 23:36:16
>>258
>>259
横槍入れます。そんなリンクじゃ哲学研究者ヒットするわけないじゃん。
それにそれらのリンク先は全てのデータをカバーしてないし。インパクトファクターなんて発想も元はといえば理科系研究者対象の尺度。
それに理系研究者と文系でしかも哲学研究者とでは欧文一本書く労力や価値も全然違うし。
私が持っている本、石黒「ライプニッツの哲学」、新田「媒体性の現象学」の巻末で両氏の業績が載っているけど、外国語論文は石黒氏は英・独・仏あわせて15本、新田氏は、英・独・チェコ?・中国あわせて10本論文を書いておられるようです。
いずれも専門外の私でもよく知っている有名雑誌に掲載されているし、有名な出版社から著書を出しておられます。
石黒氏は、英・米・仏の有名大学で教鞭をとっておられるし、新田氏は、国際的な学術叢書の代表編集者や有名国際誌の編集顧問などをしておられるようです。
なかなかできることではないと思いますよ。

264 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 23:42:12
>>263
ええ、確かにそうですね。いかに清原氏が3流の成績しか残していなくても、
野球選手ではない私でもよく知っている、日本で一番人気のある球団で番長をされていたわけで、
なかなかできることではありませんものね。

265 :260:2006/05/18(木) 23:48:03
>>262
誰かの釣りかもしれんが、まじめに返答しとこう。
ところで、いつから、現代思想がどうのこうのってはなしになったの?
最先端がどうだろうと、あなたの哲学のみが正当だということにはならないよ。あたりまえだけどな。
ところで現代思想って、ふつう、二十世紀以降の新しい潮流のことなんだけど・・・
また、恣意的限定? 悪い癖だよw
マトモに議論できないのかな、哲学とにあるまじき態度だね。

俺は、おせっかいなくらいまじめに議論しようとしてるけど、もうそろそろ低次元の屁理屈にはあきてきたぞ。
俺は261ではないよ。念のため。


266 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 23:52:18
261は私です。性的な意味で。

267 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 23:52:32
>>261
あなたは引っ込んでいてください。
>>260
今は古代ギリシャと違うだろ。俺たちは既に歴史を背負っちゃってんだから。別に歴史無視して勝手に自分哲学とかやってもいいけどさ。
研究者の目からすると、ほとんどの場合、過去の繰り返しなんだな。それなのに自分はオリジナルと思っている人見るとお幸せに見えるわけ。
あとね。哲学者は同時代の一般大衆だけではなくて、過去の哲学者にも開かれてないとね。自分の意見を自分の言葉で語っただけじゃ、歴史的な対話にならない。だから過去の哲学者の言葉を使って自分の哲学を語っているわけよ。
他人を説得するときってさぁ、自分の考えを他人の土俵で表現したほうが効果的でしょ。自分の言葉だけで正しいこといってもただの押し付け、ドグマだとおもうけど。


268 :考える名無しさん:2006/05/18(木) 23:53:17
>インパクトファクターなんて発想も元はといえば理科系研究者対象の尺度。

ちなみに事実としていっておけば、すでにインパクトファクターは広く人文科学系雑誌についても
算出されて、研究者の業績評価の基準になっています。
もちろん、レビュー誌が優位になるとか、雑誌内引用でポイントアップをはかるとか、
問題があることは事実ですが、少なくとも客観的な評価の一基準としては妥当なものです。
もし、哲学研究にはインパクトファクターは重要ではないというのなら、
その根拠はどこにあるのでしょうかね。

269 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:00:30
竹田氏とさしで議論してみたいなぁ。どこいけば会えるかな。
あと竹田現象学をきちんと読んでから批判してみたい。
「はじめての」と「入門」ならどっち読むべきですか。「入門」は昔読んだけど。


270 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:02:33
>>267
261でありますが、お断りだ!であります。

271 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:07:28
>>268
人文科学といっても広いからね。哲学雑誌についてはどうなのですか。
石黒・新田クラスの研究者がヒットしないようでは、少なくとも哲学関係のデータは相当不備だとしかいいようがない。
或いは哲学関係では例えばどんな人がインパクトファクター高いのかお伺いしたいです。
>>264
そういうくだらん屁理屈は自分がきちんとした業績をだしてから言ってくれよ。
全く不愉快な奴だな。

272 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:09:38
>>270
わかりました。でも一言批判みたいのはずるいよ。もう少しきちんと批判してね。

273 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:10:53
>>267
あなたの記述は、そのまま柄谷行人の言ってきたことですね。
柄谷は自分の言葉で体系を語るのではなく、カントやマルクスを分析することで、
自らの思想を構成するわけです。
でも、こういうやり方は、20世紀初頭から少しずつ現われて、一時的な
潮流にはなったけど、もう廃れつつある。
あなたの言っていることも、こういう潮流に毒されているんじゃないの。

274 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:19:17
>>263


理系と言っても、実験考察で量産できる分野じゃなけりゃ
むしろ哲学よりハードルきついぞ。

まあ欧米の東洋蔑視は哲学の方が厳しいんだろうけど。




275 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:22:36
>>273
あのさあ、そうした考え方は別にカラ谷の専売特許じゃないよ。だから彼が廃れたところで、別になんの問題も無い。
しかもだ。哲学研究の意義が重視され、自分哲学なんてダサいというのが最近の潮流だよ。上でだれかも言ってたけど。


276 :260:2006/05/19(金) 00:24:08
>>267
異論はないが、別の視点を強調しておきたい。

発想がオリジナルかどうかだけではなく、表現、強調点、応用の仕方がオリジナルかどうかという問題もある。
たしかに共通ジャーゴンを使えばより一般性をもちうるが、方法はほかにもある。
厳密で論理的説得力があれば、単なる自分哲学を越える説得力を持つ。
大変難しいことではあるが。

ひとくちに哲学といっても、方法、目的、問題意識は多様であり、
悪しき自分哲学に堕さず、一般的損説得力をもち、有効である哲学は、複数あるということを強調しておきたい。
大森や永井はかなり成功していると思う。世界では無名だとしても。
竹田はタイプが別だが、説得力は微妙だと思う。

俺があなたと違うのは、歴史性よりも論理性を重んじていることだ。
それぞれ、文脈に応じて利点欠点があるから、どちらが正当だということは文脈に応じて決まる。




277 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:30:01
いち読者からすると、世界的に有名無名はどぉでもいいんだなあ。

ここでされてる議論て、要するに誰の「勢力が強いのか」みたいな
皮相な議論に思えるよ。

278 :261:2006/05/19(金) 00:32:53
>>272
>>257>「解釈」ってのは他人の考えをただ機械的にまとめることじゃないの。

256からこの反対の意味を読み取るのはせっかちだなってこと。
2chのレスでこういう解釈の仕方してるなら、本業でもそうじゃないかなーと
俺が感じたってことであります。
上の方のやり取りも噛み合ってないのが多いからその印象もあったかもね。

皆、コテにした方がいいんじゃないの?

279 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:33:35
>>275
うまく伝わらなかったみたいですね。柄谷は一例としてあげたまでです。
ドイツ観念論までは存在そのものを対象としてたのに対して、
現象学以降は、そのようにして成立した言説そのものもまた思考の対象となってきます。
後期ハイデガーが限りなく文学的・詩的になり、また構造主義以降のフランスの作家が、
すべてはテクストであるという振る舞いをしたのも、こうした流れを反映しているものでしょう。

哲学研究の意義は認めますよ。でも、哲学研究そのものが哲学であるというのは、
いつか流行った表象論のようで、つまらない主張のように思います。

280 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 00:36:35
古典哲学の「解釈」ということは哲学することそのものなの
なんて実にあっさりと信じ込んでしまう態度がはたして哲学にむいているのだろうか?

281 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 01:12:34
>>280
そういう常識的な考えでは私のひねりがりかいできないでしょうな。
>>279
そんなことないって。自分哲学の方がよほど下らん流行だとおもうな。
>>278
あのさぁ。君が一番噛み合ってないと思うんだけど。
>>276
やっとあなたと議論が噛み合った。おっしゃることにおおむね賛成です。
歴史と論理の問題はなかなか決着つかないんだろうけどね。
ちなみに俺は竹田氏にはそれなりに敬意を持ってます。
ただ竹田のファンを自称するのであれば、むしろ竹田に追従せず己が道を歩むべきだと思う。
偏狭だのなんだの言われようが、俺はあくまで古典研究やるつもりだよ。

282 :261:2006/05/19(金) 01:21:57
>>281
>>272

283 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 01:28:38
>>277
そりゃそうだよ。
もともと俺が言いたかったのは、日本の一般大衆にとって有名になること、世界的なプロの研究者として有名になることとは質的に違うものでそこに単純な優劣はつけられないということ。
竹田が通用するのは日本の一般大衆に限定される。海外では通用しにくいタイプだと言いたいだけ。
そこへ海外で有名なのはだれだとか、客観的データを出せとかいう要望がでたから答えたまで。
別に皮相な議論してもいいじゃん。

284 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 11:15:07
結局竹田自身の言説を直接吟味できないのは信者もアンチも同じなんだな。

議論のイニシアチブをとるというというのはスレの空気を押えることが重要な匿名掲示板のコミュニ
ケーションでは有効だけど、両者がぶつかりあってる状況だとスレの空気がこじれるだけだから、
とりあえず優位性の問題を論じる前に竹田の言説自体につっこんだほうがいいと思う。

285 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 14:48:57
>>284
ならば君からやってみてくださいな。

286 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 17:33:24
>>284
信者側はおよそ妥当だと思ってるんだから、吟味する動機が薄いんじゃないの。
アンチは明確に竹田の気に食わないところがあるんだろうから、そこを
指摘すりゃいいのに、やらない。

287 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 17:40:51
そうだな。
具体的な難点を指摘してくれると、まともな議論になると思うな。

288 :279:2006/05/19(金) 19:44:24
もちろん自分哲学はくだらないですよ。そんなことは、ことさらいう必要すらないと思います。
そしてあなたが誰になんと言われようと哲学研究をするのだ、というのであれば、
それは大変すばらしいことだと思います。
ただ、もしあなたが哲学研究と哲学とを同じ俎上にのせるとするなら、
それには同意できません。私がいいたいのはそれだけです。

289 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 22:15:31
>>288
ただ、もしあなたが哲学研究と哲学とを同じ俎上にのせるとするなら、
それには同意できません。

勿論両者は違いますよ。当たり前でしょ。それこそ言う必要すら感じない。
両者の区別を十分ふま得たうえでその不可分性を言っているわけですよ。

それに貴方だけでなくほとんどの方は哲学研究というのを全て訓詁学だと思ってませんか。
まぁそうした研究も無くはありませんが、おそらく皆さんがおもっておられるほど訓詁学的ではありませんよ。
もう少し研究書を実際読んでみて、それを良く理解し、自分も書いてみてから哲学研究を批判してください。

もしくは、こう言う事も可能です。
全く哲学書を読んだことの無い人からすれば、竹田さんもフッサール学者だということになりませんか。
すべて自分の言葉で語ればよいのになんでわざわざフッサールなんてもちだすのでしょうか。
中途半端と言われても仕方ないとは言えませんか。





290 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 22:35:57
自分哲学派
いい考えが浮かんだ。→フッサールを超えた。オリジナルだ。→研究者はバカだ。

研究者
いい考えが浮かんだ。→フッサールを超えたかも。→でもまてよ。自分が読めてないのかな。→再び読み直す。→やっぱフッサールもそのくらいは考えていたのか。→さっきのアイデアはフッサールの言葉でかたらなくちゃ。→また反論が思いついた。→これもダメか・・・。
この繰り返し。要するに研究者って謙虚なのですよ。


291 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 23:06:16
>>290
>→研究者はバカだ。

自分哲学派がすべからくこれに至っていると考えるのが
よくわからないなぁ。
自分哲学派への敵意が透けて見えるね。

逆に言うなら、研究者側からの、自分哲学派への
蔑視だってあるんじゃないの?
キチンと読めもしないのにいきがりやがって、とかいう。

292 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 23:08:36
>>289
>すべて自分の言葉で語ればよいのになんでわざわざフッサールなんてもちだすのでしょうか。

フッサールからヒントを得たわけだし、普通はフッサール読んでて
思いついたんだよって書くんじゃないの?(´・ω・`)
もちだしたってもちださなくったって良いじゃん。
咎めるところじゃないと思うけど。

竹田のフッサールの読み方が間違っているなら、指摘してみてくれない?
イデーンの何ページとかいう言い方でもいいよ。図書館で確認できるから。

293 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 23:12:25
俺はただのいち読者だし、もちろん研究者を批判する気はない。
竹田の言ってることは大方妥当だと思う。さほど疑問が残らないから。

んでも、2chのスレに来てみると、問題点を全く明らかにしないまま
竹田はダメだ、読み方がなってない、ただの大衆迎合、と
印象操作みたいな批判ばっかり書いてあるから、妙だなと思って
書き込んでいる訳(´・ω・`)

294 :276:2006/05/19(金) 23:13:46
>>281
おれ、竹田ファンじゃないよ。ただ、ある程度いい仕事してると思うから、
恣意的に文脈制限してくず扱いする輩を非難したいだけ。
俺の論理志向の哲学の手本は、日本人で言えば、大森・永井・野矢。
歴史重視のひとでは、木田元や渡辺二郎や新田義弘は尊敬している。
前二人は啓蒙書も見事。
竹田は、論理と歴史の中間。中途半端と言えないことはないが。

論理も歴史も徹底できなず、哲学師研究=訓詁学=哲学がまともにできる学者が減っているようだから、
こちらの哲学において、あなたのような筋金入りの学者が増えるように祈る。


295 :276:2006/05/19(金) 23:29:43
>>281
おれは、あんたの志向をも認めている、ということを強調しておきたい。
ハイデッガーのように、言葉は存在の現われ、という視点をとれば自ずと、
哲学史=哲学という境地があらわれてくるだろう。

フッサールはハイデッガーに比べると、哲学史志向が弱いような気がする。
訓詁学も中途半端にみえる。

フッサールも、竹田とは違うものの、論理志向と歴史志向のやや論理よりの中間とみなしたい。
間違っていたら訂正してほしい。

296 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 23:35:01
>竹田氏とさしで議論してみたいなぁ。どこいけば会えるかな。

早稲田大学のHPに竹田氏のメールアドレスが公開されているから,とりあえずメールを送ってみたらどう?

297 :考える名無しさん:2006/05/19(金) 23:50:19
>>295

>フッサールはハイデッガーに比べると、哲学史志向が弱いような気がする。
>訓詁学も中途半端にみえる。

俺もそう思う。だから木田氏なんかも言ってるようにそれをハイデガーが哲学史の文脈できちんと語って見せた。
歴史抜きの自分哲学は盲目ですから。もちろん自分哲学なしの訓詁学は空虚ですが。
ここのスレでは前者の面が良くわかっていない人が多いと思ったので敢えて極端な主張をさせていただきました。

>フッサールも、竹田とは違うものの、論理志向と歴史志向のやや論理よりの中間とみなしたい。
>間違っていたら訂正してほしい。

「竹田とは違うものの」
そうそう問題はここなんだなぁ。


298 :276:2006/05/20(土) 00:14:41
>>297
形而上学=存在論に対してどういう態度をとるか、がひとつの重要なポイントだと思う。
俺は論理志向だから、形而上学に低いステータスしか与えられないので、厳密・明晰・日常におりていける柔軟性をもってはいるが、
ヘーゲルやハイデッガーの形而上学のような豊かさは持てない。(もちろんヘーゲルの形而上学とハイデッガーのそれとは違うが)

竹田は、論理においては緻密さがやや足りず、形而上学を切断することにより、明快さを実現できたが、哲学史においては深さが足りないように見える。
フッサールは、竹田より緻密かつ深かった。ただ明快さが足りなかったかな。たぶん自分哲学において揺れていたからだろう。






299 :考える名無しさん:2006/05/20(土) 00:22:40
噴飯w

300 :279:2006/05/20(土) 14:46:06
>>289
おそらく他の方と混同されているように思います。
まず確認ですが、私は竹田氏のことについては、これまで一言もコメントしていません。
竹田氏の仕事については、いくつか著作を斜め読みしたことはありますが、
なんら興味を抱きませんでしたので、それ以上は読んでいません。
だから、竹田氏に関しての問いかけについては、お応えしかねます。
(もちろん、ここは竹田スレなのに、そんな態度は無責任だといわれれば、
その批判は甘んじて受けますが・・・)

それから、すでに書いたように、哲学研究そのものも批判してはいません。
私は訓詁学も含めて、哲学研究の学問的必要性を認めています。そして、

>もう少し研究書を実際読んでみて、それを良く理解し、自分も書いてみてから

これにつても、私はクリアしていると思います。

では、その上で、あなたの認識のどこが問題であると考えるのか。

301 :279:2006/05/20(土) 14:46:36
>勿論両者は違いますよ。当たり前でしょ。それこそ言う必要すら感じない。
>両者の区別を十分ふま得たうえでその不可分性を言っているわけですよ。

いま、哲学的な思考の営為と、哲学研究的なそれとの不可分性を主張することに、
どれほどの意義があるのでしょうか。すでに述べたように、このような主張を繰り返してきたのが、
現象学以降の、20世紀的な思考ではないでしょうか。
そしてこのような流れに対する反動として、いわゆる自分哲学というものが出現したのではないかと考えます。

確かに自分哲学はくだらない反動です。くだらないものではありますが、
20世紀を支配してきた、哲学的思考とテクスト解釈を同一の地平に置くという
潮流が、現実にそぐわなくなってきたことの、ひとつの現われではないのでしょうか。
少なくとも、この潮流が死滅しない限りは、自分哲学に相当するものは、
名前を変えながら、生き延び続けるでしょう。
それに対して、いや、両者は違うが、やはり不可分だ、と主張したい気持ちは、
研究者としてはわからなくはありませんが、なんら生産的ではないと、私には思われます。

もっとも、2chで生産的な議論を云々いっても仕方ないのでしょうけどね。

302 :考える名無しさん:2006/05/20(土) 22:47:02
279さんへ
「不可分」というのは両方とも認めているということです。
でも貴方は300では研究の意義を認めているのに、301では研究と自分哲学の不可分性を批判している。
非論理的でなんだかよくわかりませんね。
まぁいいや。おそらく自分哲学に力点を置きたいわけですよね。

現象学以降の潮流ということで例えば何をイメージされてますか。
まさかポスト構造主義とか言われてもねぇ。
教科書的にはそうかもしれません。
私はテクスト論や解釈学の話をしているわけではありません。
いろいろと読み漁ってみると、二十世紀後半は、形而上学や哲学史研究の重要性を唱える人も多い。
クラマー、ヘンリヒ、マリオン・・・・。
まぁ彼らは翻訳あまりないので、日本ではそれほど知られてませんが、欧米ではかなり影響力持った哲学者ですよ。

あっそうそう。議論が生産的かどうかを勝手に決めないで下さい。
貴方こそどうでもいい所でいつまでも噛み付いてないで、そろそろ竹田について生産的議論しませんか。



303 :279:2006/05/21(日) 11:26:40
もう少し力のある方かと思っていましたが・・・。
まあ、2chでは仕方ないですね。

>ちなみにマリオンについていろいろと読み漁ってみると、二十世紀後半は、形而上学や哲学史研究の重要性を唱える人も多い。
>クラマー、ヘンリヒ、マリオン・・・・。
>まぁ彼らは翻訳あまりないので、日本ではそれほど知られてませんが、欧米ではかなり影響力持った哲学者ですよ。

もしこのあたりについてもっと知りたければ、お話しますよ。
おそらく、あなたよりちょっとは知っているのではないかと、
ひそかに自負していますw

もっとも、先に書いたように、竹田氏については何も知りませんので、
別スレに行ったほうがよさそうですね。
失礼しました。

304 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 13:35:19
>>303
私は302ではありませんが、279さんの発言は全然答えになってませんね。
・君は自分哲学と哲学史について結局どう考えてるの。
・クラマー、ヘンリヒ、マリオンについて簡単に教えてチョ。
・ちなみに君は研究者なのですか。原書とかも読めるんですか。2chをバカにしてるのですからそうなのかなあ。

305 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 13:40:40
んー。ここのやりとりなかなかおもしろいんでずっと傍観してたが、俺も279はハッタリ臭いとしか思えんな。

306 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 13:40:46
批判してる人は竹田の本を読んでいないであろう、という事態が
相変らずこの2chスレだなと思う。

こういう手合いには何かを期待するのが無駄だと思うけれど。
読まなくてもいいが、読まないなら放っておけば良いのに。

307 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 13:42:29
>>305
スレに変な連中が常駐してた時よりはまともになったから
俺も対話は続けてほしいけど、
議論になってないのは相変らずだと思う。
はっきり言って学問をやる人間としては恥ずかしい状況。

308 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 13:47:28
俺は竹田ファンだが、彼ら批判者は竹田本人というより、竹田に乗じて研究者を馬鹿にして自分哲学ばかりが優れていると考えている私たち竹田ファンを批判したいのだと思う。
これはこれで竹田哲学の中身と無関係に議論になると思うけど。ちがってたらスマン。

309 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 13:53:55
>>308
>自分哲学ばかりが優れていると考えている私たち竹田ファン

そこまで素朴な人は少数派だと思うんだけどね。
居るとは思うがそういう人は竹田本もちゃんと理解できてない。

310 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 14:04:05
>>306
>>307
じゃあ竹田批判者を上手く誘導して議論を組み立ててみていただけると有難いですね。
俺は竹田初心者だから無理だけど。
竹田批判者は何を批判したいんでしょうかね。それに対して貴方たちならどう答えるのか知りたいです。
「議論になってないとか」言うのは簡単だし、「竹田読んでない」というのも「フッサール読んでない」というのとたいして変わんないと思う。



311 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 14:06:37
309
そうかなぁ。このスレ見る限り明らかに多数派だとおもうな。
君だったら研究者の哲学史研究の意義をどう説明しますか。

312 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 14:07:52
>>310
過去に色んな人が何度も何度も誘導しようとしたけれど、
哲学の内容に関わる具体的批判はついぞ出なかった。
竹田の姿勢が政治的に危険とかいう実践的疑問が出ただけ。

空虚な内容の問いには答えようがないでしょう。

313 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 14:15:24
>>311
その質問と竹田氏の哲学とどういう関係があるのか素で分からん。

匿名掲示板で多数派云々を言ったのはこちらが良くなかったが。

314 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 14:28:37
「哲学史の意義」についての話から切り込むなら、

・竹田はこういう哲学史観を持っている(読んだことがないなら「持っている様に見える」でもいい)
・だが俺は彼のは違うと思う
・その理由は以下だ

というような問い方をしてくれなきゃ、話にならないだろう。
「問い」までこちらから作ってやらなきゃいけないのか?
多分竹田の本を、まともに読んだこともない人間に対して。
そんな異様な状況になっている時点で批判者は踵を返して考えるなり自省するなりすべきだろう。

315 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 16:04:54
>>313
308=311です。
もう一度308を読んでみてください。
自分哲学と哲学史研究の関係をどう考えるのかは竹田を読まなくても独立して議論できるということ。
竹田ファンの少なくともここにいる人の多くは哲学史研究を批判してたよね。でも313さんは309でそれを否定したんで、じゃあ309さん自身はどんな風に哲学史研究の意義を認めているのか知りたかったというわけです。ややこしくてスミマセン


316 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 20:51:58
>>314
それもそうだけどさ。じぁアンチ竹田は無視して、竹田ファンの間で竹田批判やってみないか。

317 :313-314:2006/05/21(日) 21:05:25
>>315
俺は「少数派」と不用意に言ってしまったんだけど、もっと丁寧に俺が感じていたことを
伝えるべきだったと思う。

俺自身は哲学史研究の価値を「はなから」認めないような手合いは「竹田ファン」の風上にもおけない、
という気がしている。どういう意味かというと、哲学史研究やアカデミズムを批判すること自体が
目的になってしまってる人も一部いるってことだ。それは、少なくともいい読み手とは言えないと思う。

それでこの匿名掲示板のスレに何人そういうタイプが居るのかは分からない(そんなものは不可知だ)。
ただ正直言って、そんな連中は竹田を評価する人にとっても、しない人にとってもどうでもいい手合いであって、
そいつらが大勢居たところで、竹田氏の哲学には関係ないし、その評価を本質的にはどうこうするものではないってこと。

もちろんこれは竹田氏本人の責任も多少あるから、完全に無視していいというわけではないけど。

318 :313-314:2006/05/21(日) 21:08:59
>>316
俺は一時期相当批判したんだけど、結果的に余り面白い議論にならなかった。
解釈論争になる傾向が強かったんで。

319 :313-314:2006/05/21(日) 21:15:40
それで「哲学史研究」の話をしてもいいんだけど、
俺はここでやるのは相当気乗りがしない。理由はいくつもある。
一つは竹田ファンの「哲学史研究」観と竹田本人のそれが混乱したまま
正体不明の批判が始まる可能性が強い。批判はいいんだが、竹田ファンを批判しているのか
竹田自身を批判しているのか分からない議論は不毛だ。
さらに、このスレで哲学史研究の価値についての一般論を始めるということ自体が、
最初からある議論の流れを誘導してしまう可能性が高い。

320 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 23:17:08
>>303
302です。
279さんは俺の質問に何一つ答えて無いじゃん。
ヘンリヒならともかくクラマーやマリオンについて詳しいとなると研究者としか思えません。
その研究者様が「2chだから仕方ない」とか「竹田について何も知りません」と言ってるけど、一体ここに何しに来てんだろうか。
まぁ多分ハッタリだとは思うのですが・・・・・。

321 :276:2006/05/21(日) 23:21:16
哲学史=哲学と、自分哲学=哲学とは、古代ギリシャ哲学という同じ母体から生まれてきたが
お互いの問題意識・目的・哲学像は、大きく異なっている。つまり文脈が違う。
どちらかに排他的正当性・優位性があると素朴に考えていると、不毛な信念対立が生じる。
そもそも両者は、同じ対象・問題について考えているわけではないのだから、問題意識がずれているわけだから、どちらが間違っているということではない。
文脈に応じた繊細な評価をすべきなのだ。
センスの悪い文脈盲の人が素朴な絶対主義に陥り、的外れな信念対立を引き起こす。
こういう堂々巡りにどれほどの意味があるのだろうか・・・



322 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 00:15:53
>>320
とりあえず、竹田と関係ない議論をするならスレ違いじゃないか?

323 :276:2006/05/22(月) 00:18:36
今度は別の視角から論じててみたい。

哲学史研究の専門家といっても、古代からの全哲学を完全にこなせている人はいない。いうまでもなく。
厳密に専門的訓詁学研究ができるのは、多くても一人か二人だ。
実は、一人の全著作を極めている専門家さえひどく少ない。
多数の哲学潮流の本質をつかんでいる人は驚くほどすくない。(渡辺や新田はいい線いっていると思う。)

自分哲学の方はどうかと言えば、実際に裸一貫で一から考えていくことができる人は驚くほど少ない。(永井が一番いい線いっていると思う)
多くは、過去の哲学用語を、根本から解体的批判をすることなく、ちゃっかり利用しているに過ぎない。

ほとんどの学者は、どちらも中途半端になる場合が多い。
だから、ここに哲学史研究と自分哲学との不可分性が現われる。





324 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 00:23:50
解釈をし、自分で行った解釈をうち破り、また新しい解釈を見出す。
その結果、フッサールは本当はこう言いたかったのであって、
竹田の言ってることは的外れではないか。

と指摘するのは別にいい。

で、それと竹田現象学の思想としての出来とは全然関係ないだろう?
竹田はテクストを参考に、自分で考えただけだ。
>>314の言うとおりだと思う。

325 :276:2006/05/22(月) 00:30:48
>>324
賛成.
そこが大切。竹田批判の正当な出発点となるところ。
ただし、哲学史が哲学と重なる思想もある、ということは強調しておきたいが。

326 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 00:43:27
昔いた頭のいい人が書いた本を読んだ。こうだと書いてある。
また別の読み方として、こうも読めるかもしれない。
だが本人が存命でないので、無限に解釈を続けていても仕方ない。
一番妥当そうな解釈を適当だとして、こう言っていると思おう。

さて、果たしてその考え方は妥当だろうか。自分で考えてみよう。

いや、やはり納得いかない部分がある。ここはこう考えるべきだ
(または、前提からして間違っている)。その理由はこうである。
やはり今に継がれる賢人だけあって優れた着眼点と思索だが、
ここをこう直したほうが、より沢山の人が納得できる良い思想となるだろう。


哲学というのは、こうやって発展してきたものだと思うが。

竹田はどちらかというと後段に傾倒しているだけであって、
前段の解釈に大半の情熱を注ぎ込む人とは方法論が違うだけだと
思うんだが。
解釈がどうのという部分で、竹田を批判するのはよくわからないな。

327 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 00:44:08
>>321
俺は哲学史研究の排他的優位性なんか唱えてないよ。
しかし哲学史研究と自分哲学は別物ではない。
見方は異なるが、問題対象は異ならないと思うよ。
ここで信念対立云々を持ち込むのはまだ早いとおもうな。
たとえば、他者とは何かについて自分で考えてみる。次にフッサールの他者論を検討してみる。
そこで対話が始まる。はじめ自分の考えはオリジナルと思っていたらフッサールも同じことを言っていた。でも反論が思いついた。
再びフッサールを読むとそこに答えが書かれていたことに気づく。表現が自分と違っていたので見逃していただけで、別の新しい問題意識で読むとまた違って読めてくる。
これを繰り返しているといつのまにか自分の言葉なんかなくなって、「フッサールによると・・・」の連発になってしまう。
研究者はこうして「自分の言葉」を失うわけだけど、しかし自分哲学してなけりや、フッサールの議論を深くは引き出せないとおもう。
276さんはマリオンとかに本当に詳しいなら多分研究者の人だよね。もしそうなら哲学史研究は自分哲学とは異なるからと「わりきって」やっておられるのでしょうか。
そして自分哲学のできる数少ない研究者のお一人なのですか。

322さんには申し訳ない。でも哲学史の取り組み方の問題は竹田問題と全く無関係じゃないとおもっているので。



328 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 00:53:31
いつまで続くんだろう…

329 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 00:55:21
>>327
すると竹田現象学のいまいちな点が具体的に導けそうだけど、、
そのへんはどうなの?

330 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 01:03:40
327です。いやいや。竹田のフッサール解釈が合っているとか間違っているとかそういうことはどうでもいいんだな。
そうじゃない。百歩譲って、竹田解釈が正しかったとしましょう。
問題はフッサールのあれだけの膨大なテキストから、どんなテーマを引き出してきて、なにを現象学の中心テーマとして引き出してきたかなんだと思う。
そこで哲学者としてのセンスが問われる。
しかし俺が批判したいのは竹田ファンのほうだ。
フッサール読むのなんて面倒くさいもんだからつい竹田読んでわかったつもりになってしまう。
フッサールの思想概要は理解できても、哲学したことにはならないよ。難しいテキストでも、いろいろと考えながら読み解く中で哲学センスが養われることだってあるとおもうよ。
竹田、というより一般に啓蒙家は読者に親切すぎて考える機会を与えない。
>>324
俺もそう思うよ。しかしそれなら現象学の解説なんて不要でしょ。自分の言葉だけで十分。どうしてもフッサールとかを持ち出したいのなら文句言われるリスクは当然つきものだし。
研究者は他人の哲学を引っ張るとき、それなりの覚悟と責任をもってやっているわけよ。
324さんの論理でいけば正直楽なんだけどね。

331 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 01:06:03
330氏は落ち着いていて大人だねぇ。

>竹田、というより一般に啓蒙家は読者に親切すぎて考える機会を与えない。

うーん、これに対して100%批判的になるのはちょっと難しいなぁ。
ただ竹田読んだだけでフッサールについて分かったような口をきくのは、確かに
問題だ。

332 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 01:06:06
>>328
そんじゃあんたがもっと有益な話題を提供して。

333 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 02:48:22
確かに竹田は、「フッサールが言いたかったのは、本当はこうなのだ」という
言い方をする。これは絶対反発を招くんだが、竹田はほかにも、他の
哲学者に対して批判的言説を取ることがある。

個人的には、あえてそうすることで批判大歓迎っていうスタイルなのかと思っていたが。

334 :276:2006/05/22(月) 23:28:27
>>327
哲学史研究が思考訓練になるというのは大賛成。
哲学史研究と自分哲学とが重畳し融合してくる局面があるというのも文句なし。

でも、やっぱりそれでは狭すぎると思う。少なくとも俺にとっては。
俺がいってる自分哲学=哲学は、もっと自由というか現在進行形というか不定なものなんだな。
論理的厳密さを確保しているなら、問題は自由に発見していけばいい、と考える。
こういう姿勢で行くと、必ず少しだけは、自分でしか解決し得ない問題が発見されてくる。
過去の哲学出出てきた問題とゆるく同じ問題といえても、見る角度・目的・問題意識が違っていると、関連性がほとんどない問題に一変してしまう。
全く同じ問題になることなんてまれだな。全く違うのもまれだが。

思索を徹底すると、何が問題か、さえ深刻な問題となってくる。
俺は、哲学史研究もしてるけど、自分の哲学志向にとって二次的になっている。極度な誤解や矮小化を回避できる程度の解読作業でありさえすればいいと思っている。
文献研究は別と割り切っている。自分の問題の邪魔になるなら、やめてもいいと思ってる。
俺にとって、哲学とは永遠に閉じない未完のプロジェクト、問題発見と解消の無限のプロセス。
つねに哲学という営みすべての懐疑・解体の可能性さえ含んでいるから。

懐疑的過ぎて申し訳ない。
悪いな。根が懐疑性だから、こういう絶望的哲学観をもってしまうw
あなたとは思想の根本が違うと思う。
だから、理解しあうことは不可能だから、なんとか差異だけでも明確に切り出しておきたいんだが・・・

335 :276:2006/05/23(火) 00:10:36
哲学史研究・解読・解釈にさえ、
自分哲学に応じた多角的アプローチがある、ということを強調しておきたい。
永井は、古典を自分流に読んで利用すればいい、とさえ言っている。
哲学的センスがない人が真似すると危ないが、そんなこと俺の知ったこっちゃない。
自分こそ正当(フッサール)だ、と暴走したときは、検閲官たる専門家が拳骨してやればいいだけw

ここにも、ある意味で、哲学史研究と自分哲学との不可分性が表れている。




336 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 00:39:35
276さんへ
ようやく君の考えがわかりかけてきたので嬉しく思います。
俺の印象ではそれ程我々は遠くないと思ってます。
以前もでてましたがやはり論理と歴史の問題ですかね。
俺はは勿論後者を重視してます。論理学をやるならまだしも、言葉を使う限りどうしても歴史は無視できないと思ってます。
単語レベルでもそうだけど、どのような論理のパターンを採択しているかという問題は、歴史と深く関わると思ってます。
勿論そうした問題意識を自覚的にもって哲学史研究やる人がどれくらいいるかわかりませんけど・・・。
自分哲学であれ、あるいはどんな哲学者を研究するのであれ、重要なのはなんらかの問やテーマをどのくらい深く掘り下げていったかということだと思います。
とにかくお互い頑張りましょう。



337 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 04:24:27
>>330
>問題はフッサールのあれだけの膨大なテキストから、どんなテーマを引き出してきて、なにを現象学の中心テーマとして引き出してきたかなんだと思う。
>そこで哲学者としてのセンスが問われる。

ここで竹田は間違えたの?間違ってないの?
間違っていたとすれば、具体的には?

338 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 07:49:15
こういう隔靴掻痒な議論が続くとさすがにいらついてくる。

339 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 12:31:10
>>338
だったらおまいが話題提供しろ。できないなら文句いうな。

340 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 17:44:04
竹田現象学を「ダメ」だとはっきり言っている人は
その「ダメ」だと判断した理由をここに書けばよい。

どうも訓詁学が出来ていなそうだ、なんていう推察が理由なら
ただの私怨か、と思うだけだが。

341 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 19:59:04
クラマー、ヘンリヒ、マリオンについて知ってるかどうかなんて
本人しか分かるわけがない。

ヴァン・デン・ベルク、ポール・リクール、オイゲン・フィンクとかいう名前は
2004年1月初版の「現象学は<思考の原理>である」にも出てくる。
ただし、「もうかなり古い名前」と言っているが。
一応、現象学者としてそれなりの名がある人は把握しているんじゃないの?

342 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 20:23:40
>>340
そりゃ批判に対応してそれを反駁する(というか難癖つける)という迎撃態勢じゃいつまで経っても
竹田の正当性を説くことには繋がらないわな。
結局竹田は信者といっしょに自分の殻に引きこもってるだけなんだね。

343 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 20:34:06
>>342
正当性を説くって、どういうこと?
信者だったら竹田の意見と自分の意見はほとんど同じだろ。
竹田の本に書いてあることをそのまま言ってどうするのよ。

批判する側が文句言わないと話は進まないだろ。
現実に、このスレで文句言ってる人が何人かいるが
なんで具体的に指摘しないわけ?

344 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 21:11:00
学者も含めてみんな竹田現象学の原理的批判ができないんだと思うよ。
欠点が見つからないから、もしくは見つけられないから。

でも、自分の解釈したフッサール現象学が正しい、他は俗流現象学で誤解だ、
という挑発的な断言はまずかったんじゃないのかな。
竹田の友人の社会学者の橋爪さえ疑問を呈しているよ。
でも橋爪は、原理としては、フッサール現象学より竹田現象学のほうがいい、と判断していた。
確かに、竹田理論は、社会学とは相性がいいからね。





345 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 22:17:06
>>343
批判が無いのだから言説は正当だと言いたげですな。
相手にされてないから批判の対象にもならないということを認めたくないだけのようにも見えるが。
>>344
そりゃ竹田独自の原理だと他の原理で議論してる研究者とはお互い議論が成り立たないだろうね。

346 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 22:37:02
>>345
や、だから具体的に指摘しないでそういうことだけ言うのはやめない?

>批判が無いのだから言説は正当だと言いたげですな。

誰もそんなことは言ってない。

○○とでも言いたげだな。
相手にもされてないだけだよ。

勝手に言いたいことをでっちあげて叩いて、満足?

347 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 22:40:17
一時期のゴーマニズム板と似てるな。
誰も小林の欠点を指摘しない。せいぜい、言い方が悪いだとか、著作権問題くらい。
具体的に言えと迫ると、「相手にもされてないだけ」これ一点張り。

誰も漫画家を完璧だと思っちゃいないし言ってもいないのに、
勝手に信者扱いして、盲信について叩くだけ。

348 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 22:53:11
 弾丸が対象を射抜いてないし擦りもしてない。そんな“批判”なら放っとけばいいのですよ。その水準の批判なら盛り上がらせておけばよい。議論で誤解を正す、そんな前向きさをわざわざそれに贈る必要はありません。そんな暇があるならまともな読書にあてた方がまだいい。

349 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 22:53:49
中味や論点がないのに非難だけはしたくなるということは
竹田が売れてることに対する嫉妬なんだよw

ホントにどうでもいいと思ってたら無視できるし、
中味がくだらんと判断してるなら具体的に批判できるわけだからね。

350 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 23:24:27
>>347
言説の批判はおろか検討すらもしないんだったらそりゃ単なる信者だろう。

まあ「信者」必死なのはよくわかった。

351 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 00:15:59
 ゴーマニズム(↑真上)

352 :276:2006/05/24(水) 00:29:54
>>336
あなたの寛容さによって、とりあえず対話の土俵ができたみたいだ。感謝する。
ところで、聞いておきたいんだけど、どんな主題・問題について研究してるの?
別スレでも立てればもっと深く対話できそうだな。

353 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 00:41:36
今まで出てきた、多少なりとも具体的な批判を挙げてみる。

・関係論は、フッサール、ライプニッツ、クザーヌスに回収される程度である。
・「世界認識の統一という志向性」があるからだめ。

いまいち思想の内容まで踏み込まないな…

354 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 01:54:49
竹田青嗣ってつかこうへいでしょ。つかって経歴から何から嘘ばっかりついてるし

355 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 01:59:13
つかはストーカーだしつかの息子の金城一紀は盗作作家だし

356 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 02:02:51
こんな批判も挙がってたよ。

・関係論だと主観と物の関係を物同士の関係と区別する根拠が上手く説明できない。
・「主客未分の関係そのもの」なんて発想は関係の外からの語りに過ぎない。



357 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 02:09:08
>>356
興味があるので、もう少し噛み砕いて欲しいなぁ。

358 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 02:29:45
俺当人じゃないけど多分こうじゃないのかな。
関係が先にあって初めて関係項が分裂してくるとなると。主観と物の関係と物と物の関係の区別はどこで決定されるのかということ。
主客未分という言い方って一見バランスのよい説明だけど、第三者の視点から語っているようで、あまり現象学的とは思えん。
或いはその第三者はどこから分化してきたのか。そうすると第四、第五の視点と無限に続くことになりませんかね。


359 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 11:24:48
関係論はそれなりに説得力あると思う。
たとえば、歴史や社会などを考慮すると「関係」って無視できないんだな。
思考の核をなす言語とか、精神をつくる社会や文化、
こういうものが、現象学するにも、不可欠の前提でしょ。
そもそも言語使えなきゃ思考できないしね。
現象学が先か関係論が先かという問題は、親が先か卵が先か、というのに似てるね。




360 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 13:39:25
>>359 全然哲学の議論になってないですな。

361 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 17:53:46
現象学を関係論として考えるという発想は広松渉の方が先だし、理論としてもしっかりしてる。
竹田はそれをわかりやすく表現しただけにしか思えんな。

362 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 18:08:56
現象学的人生論者、竹田。

どっちかっっつーと生涯学習むき。努力は認める。
あと「個人的な悩み」から哲学に入り込むと誰も竹田みたいになりがちであることだけは指摘しておく。

363 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 19:33:48
ハイデッガー哲学も、ある意味で人生論だよ。

364 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 19:49:53
あえてブス殺しの汚名なんか着るわけねえだろこいつが

365 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 19:58:53
現象学は、本質直観というものをどう解釈し位置付けるか、によって大きく変わってくる。

366 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 23:34:04
>>363
そんなこと言ったら、全ての本がそうだよ。書く側の意図ということで言えば、ハイデガーは人生論なんて論じたつもりないと思うけど。
>>365
で、竹田先生は本質直観をどう捉えているわけですか。

367 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 23:53:21
4によると本質論はダメだということですけど、竹田は本質直観を否定したのでつか。

368 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 23:54:32
人生論だったら竹田より武田鉄也の方がずっとためになる。

369 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 00:01:54
>>368
当然だろう?、常識だろう?
母に捧げるバラードの哲学はへたなポモ哲学者より真理をついている。
ニー○は氏ねと言っている。

370 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 00:35:38
武田鉄矢死なないねw

371 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 00:54:48
竹田さんの現象学的人生論てどんなの。どなたか簡単に説明してください。

372 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 13:33:58
竹田は、よく生きるためのスキルとして哲学を利用できる、と考えて、
あえて人生論を書いている。
堅い哲学者がよく言う、人生論と哲学との混同はいかん、ということは十分に自覚していると思われる。

373 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 13:55:24
『存在と時間』は、普通に解釈すれば
精緻な概念による論理構築と「人生論」が何時の間にか融合されていくから、
危険「すぎる」本になってしまったんじゃないの?
もちろんそこがまた人をひきつけるんだけどさ。

374 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 18:39:17
>>373
そりゃそうだけどさ、ハイデッガーには、
近代の人間の生き方・考え方を根本的に否定するという意図や目的もあったでしょ。
ということは、誤りに満ちた近代人への新たな人生の指針=人生論を目指していたとも言えるんでないの?

375 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 20:41:15
姜正秀

376 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 22:25:23
研究者が専門的なこと言うと叩くくせに自分は断片的な専門知識で語りたがる。
もっとちゃんと答えましょうよ。せっかく竹田批判が出てきたんだから。
急にみんなおとなしくなったなぁ。

377 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 23:24:50
>>367
フッサールの場合、本質直観は、
存在の本質(ある意味でイデア)に的中している直観というニュアンスがある。
竹田の本質直観は、このニュアンスが除去されている。


378 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 01:02:06
>>377
>フッサールの場合、本質直観は、
>存在の本質(ある意味でイデア)に的中している直観というニュアンスがある。

難しくて良くわかりません。例を挙げて具体的に語ってください。

>竹田の本質直観は、このニュアンスが除去されている。

除去されて・・・何が残るんですか。全くわかりません。

379 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 10:08:34
そんなん具体例に即して説明することでもないだろ。読んで字のごとくじゃん。

380 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 10:50:07
いやいや。全然わかんないよ。竹田は研究者と違って一般大衆にわかりやすいのがウリなんだろ。
頼むから説明してよ。

381 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 14:20:22
在日韓国人氏ね、キムチ臭いから氏ね、南京大虐殺で殺されていとおかし
在日韓国人氏ね、キムチ臭いから氏ね、南京大虐殺で殺されていとおかし
在日韓国人氏ね、キムチ臭いから氏ね、南京大虐殺で殺されていとおかし
在日韓国人氏ね、キムチ臭いから氏ね、南京大虐殺で殺されていとおかし
在日韓国人氏ね、キムチ臭いから氏ね、南京大虐殺で殺されていとおかし
在日韓国人氏ね、キムチ臭いから氏ね、南京大虐殺で殺されていとおかし

382 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 14:30:29
>>381
そういうこと書いて何が楽しいんだろうか。どんな育ち方をしたのだろうか。親の愛情をちゃんと受けて育ったのだろうか。
あるいは甘やかされてそだったんだろうか。ごはんちゃんと食べてるのかなぁ。野菜残してるんじゃないかな。うんちはもらしたりしていないだろうか。ああむかつくやろうだな。

383 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 17:40:51
>>380
自分から◎◎はたとえるなら××みたいなことなの?というふうに例をあげるならともかく、言ってる意味が
わからねえと開き直るんだもんな。最初から相手の話を聞く気がないんじゃん。
自分から極力議論をふっかけないで相手の手数を多くさせてそこからボロを突いたり、そうした重箱の隅を
つつくようなことを言うことで関係ない方向に議論を歪めていきたいという姑息さが見え見え。
まさに在日朝鮮人なみの卑劣さだといえる。

384 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 18:26:09
しょせんつかこうへいだし

385 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 22:41:44
>>383

380です。あんたむちゃくちゃだなぁ。377の言っていること本当にまるでわかんねぇぞ。
具体的に例も挙げられないなら本当はなにもわかっていないのではないかという論法は、竹田信者が研究者を批判する際に良く使う論法でしょ。
それに>>367の質問に対してその説明じゃ何の答えにもなってないし。
つまり現象学を関係論とするには本質をどういうものとして考えればよいのですか。

>フッサールの場合、本質直観は、 存在の本質(ある意味でイデア)に的中している直観というニュアンスがある。
フッサールはどこでそんなこと言ってるんですか。それに答えられないならフッサールがどうのこうのと言わないほうがいいよ。格好悪いから。

あとね。差別的発言はやめましょうよ。そういうこと言っている時点で自分は無能だと言っているようなもんですよ。




386 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 22:55:56
>>380
あるものがリンゴとわかるとき、見えている個々の物は異なるのに、
そこに、無限の個物に当てはまる、リンゴという本質を見出す。
本質は、単に個物の側だけにあるわけでもないし、単に認識者の側だけにあるわけでもない。
識別があるところ常にこの直観がある。この直観がなければ識別はありえない。
これが竹田の本質直観。

387 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 23:28:09
>>385
まるで自分の方が知ってるみたいな口ぶりだな
そんなえらそうなこと言うなら、自分で訂正して説明すれば
ホントは分かってるんだろw


388 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 00:55:07
>>386
>あるものがリンゴとわかるとき、見えている個々の物は異なるのに、
>そこに、無限の個物に当てはまる、リンゴという本質を見出す。

「見えている個々の物」というのはリンゴのことですよね。つまりどのリンゴも色や形が違うのに、「およそリンゴたるもの」が直観できるということですよね。
それならわかります。で、こうした直観あってこそ個々のリンゴの識別もできるというのもわかりました。

>本質は、単に個物の側だけにあるわけでもないし、単に認識者の側だけにあるわけでもない。

なるほどそう考えれば関係論とうまく噛み合いますね。
「だけ」では「ない」とすると個物と認識者の両方に本質はまたがっているのでしょうか。あるいは両者の中間とは考えられませんか。
いずれにしてもそのようなことはどういう根拠から言えるのでしょうか。

竹田現象学の大発見てこういうことだったのですか。いずれにしても>>356の問題は解けませんね。
まぁゆっくり議論しましょう。

>>387 
哲学のわからん人だね。






389 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 09:26:34
ああそれは竹田のエロス論があらゆる認識は「感応」にその底板を置いているとする立場をとっているからだな。
竹田のエロス論においては、まず「客観」的な関係があって、解釈がそれに色づきをあたえるのではなく、
色づき、つまり「感応」が先にあって、そこに「人」が関係を見いだしていく。
「感応」は分析される「対象」ではなく、対象化を行なう認識の底板であってそれ以上分析されえない認識の底板をなしている。
したがって、竹田にとってあらゆる議論は、最終的にはそれの「共感」の可能性を求める仕方でしか行なわれず、
「共感」の可能性を見出す仕方でしか「人」は読むことができない。
あいまいな「共感」が通用しない外部では竹田の議論は通用しないとはよく言われる指摘だが、
「外部」に通用するとされるような理解も、結局のところその根幹はそうした「共感」でしかないと竹田は言う。
彼のエロス論はまあこんなところだな。
で、上で言われていたことだが、
このへん竹田の論が関係論としてライプニッツのパターンというのにはかなり抵抗があるわけだがどうだい。

390 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 09:34:37
このへんは「エロスの世界像」だな


 どんな生きものでもそれが生きているというかぎりで、エロス原理(原始的には「快―不快」を
感じとる原理)を持っている。この原理は、古典的な生物学や生理学の考えに反して、もはや何も
のにもW還元Wできない分析の底板をなしている。その理由をひとことで言うことができる。
 「エロス原理」は生きものが「世界」を分節する根源的根拠であって、何らかの分節の結果現わ
れたものではないからである。
 人間は自分自身の「世界」について、さまざまな仕方でこれを分析し記述することができる。し
かし、人間が「世界」を分析できるのは、人間がまずある仕方で「世界」を分節しているからであ
る。たとえば、わたしたちは物質を「固いもの」と「柔らかいもの」という二つの契機に区分でき
る。だがそれが可能なのは、人間がすでに何らかの仕方で、「世界」を「固いもの」へと分節(秩
序化、構造化)しているからである。分析の可能性をささえているのは、分析の原理なのだ。
 「エロス原理」は分節の根源、「世界」を秩序づけ、構造化する「当のもの」である。まさしく
このために、「エロス原理」はもはやそれ以上分析できないW底板Wなのである。
 では「エロス原理」という言葉は、具体的には何を指しているのか。人間においてはそれは、認
識されたものとしての「世界」ではなく、味わわれているものとしての「世界」、つまり、「快苦」
「美醜」、そして「よし悪し」(善悪)といった価値的世界にほかならない。「世界」は生きもの
にとって、客観世界として存在するのではない。それはつねに何らかの意味でW味わわれるW「世
界」であり、この原理をわたしは「快苦」「美醜」といった価値の審級として表示する。このよう
な「価値として現われる世界」こそ、いっさいの世界分節の根源なのである。
 「世界」はあらかじめ秩序と構造を持っているわけではない。世界を秩序化し、構造化するのは、
生きもの各自の「エロス原理」である。ニーチェが「力」の概念によって言おうとしたのは、まさ
しくそのような「世界の構造の原理」にほかならない。この原理によって、「世界が何であるか」
についての根本的な視線変更が可能になるのだろう。(P.18)

391 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 09:36:57
 ヘーゲルは人間の世界体験を「意識」がたどる「知」的な体系だと考えた。この考え方は、近代
的な世界像の基本の視線だったと言える。わたしがこの論考で試みたいのは、この近代的な世界像
によって覆われてきた人間と世界とのエロス的関係の原理を明らかにすることである。
 たとえばわたしたちは音楽というものを、その知覚的要素(リズム、音の高低のつながり=メロ
ディ、音色、音量等々)に還元し分析することができる。しかし、わたしたちはこれらの諸要素を
知覚し、それをつなぎ合わせることで一つの音楽を聴いているわけではない。リズム、メロディ、
ハーモニーといったものが「音楽」を構成するのではないし、そのようなW構造Wは「音楽」とい
う経験の本質とは無関係である。
 リズム、メロディ、ハーモニーは、それ自体で存在する音響の要素ではない。それらは理性的分
析の結果取り出されたものである。それらは、人間が音をW味わうWという経験の結果として分析
された要素であり、したがって「認識」された対象というよりもむしろ、「価値評価」において取
り出されたものなのである。
 音楽を聴くという体験の本質は、その響きが人に喚起する情動のゆらめきそれ自体のうちにある。
音楽体験の生きられた本質は、知覚、認識、理解といった概念の系列では決して捉えることができ
ない。つまり、それはロマン、センチメント、エロティシズム、美といった情緒の諸様式として体
験されるのであり、そのような「エロス原理」による概念を必要とする。(p.19)

392 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 11:54:10
>>389
ありがとう。なかなか面白くなってきました。
「感応」のところに「神」という言葉を代入して389を読んでみてください。
それなりに意味通じるし、信者の人なら多分そうした論理を展開するでしょう。
でもそうでない人なら「神」という言葉が出てきただけで悪しき形而上学と思うことでしょう。
論理としては同じなのに・・・・・・・・。
問題は「感応」というのがどのような内実をもって現象学的に語れるのか。
ここからが腕の見せ所ですな。


393 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 20:46:48
>>392
「神」は自分でそれについての経験をたどることが出来ないが、○○についての
「感応」なら自分でその経験をたどることが出来る。その違いはすごく大きいと思うけど、
なぜ神と置き換えて論理として同じになるの?

394 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 20:58:50
あと竹田現象学のオリジナルな発見って確か無いと思ったけどな。

竹田の本読んだ限りで言うと、フッサールの現象学+ニーチェの
「力への意志(欲望によって世界を分節していくこと)」が、竹田の
「エロスの現象学」になるんだと思った。

ハイデガーの「情状性」もかなりいい線いってた、みたいな
感じだった気がする。

395 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 21:31:20
なるほど。経験で辿ることができるんだ。
それだけでは分析はできないけど、経験とは繋がっているわけね。
じゃあ両者の繋ぎの部分なら何とか語れそうだね。
神の場合も、啓示体験を持つ人にとっては389の「感応」のところに「神」を代入しても文章の意味は通るけど、それはまぁいいや。
それより「感応」って感覚や感情とかとは違うの?
フッサールも似たようなこと言ってるとおもうけどなぁ。

396 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 22:06:20
まあ誰に一番似てるかと言ったらメルロ=ポンティだけどね。竹田はポンティ批判してるけど。
あれはきっと柄谷がドゥルーズ相手にやってた距離のとり方と似たようなもんなんだろうなと思う。
てか真似?

397 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 23:22:20
エロスの現象学って山口一郎氏の言う衝動志向性の議論に似てるな。

398 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 23:50:40
竹田が断固回避したかったことで、フッサールが求めていたことがある。
それは「存在論」だろう。

ただし、最終的にフッサールがハイデッガーを否定したことは注目に値する。

399 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 00:24:20
>>392
個人的感応や感覚と普遍的神とは区別必要にならざるをえない。
竹田は、基本的に、万人に妥当しているように見えることに対して、一般性で踏みとどまり普遍性を認めないから。
竹田は、万人の感応・感覚が一致している、ということを無条件にみとめているわけではない。
とりあえず一致しているという確信がもてるための条件、を見出しているにすぎない。
あくまでも、社会学的(超越性や普遍性なき関係論的)立場に踏みとどまっている。
だからこそ、現象学を、フッサールのように本質や存在の深みに接続しない。
形而上学を括弧に入れたい人なら賢明だというだろうし、形而上学をあからさまに語りたい人なら物足りないというだろう。
関係論と実体論との対立は、形而上学に対する考え方の対立でもある。


400 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 00:26:09
>>396-398
我々素人がそんな大雑把なところで議論していてもあまり意味ないよ。
竹田は存在論のどこを批判しているのですか。そこで言われる存在論てどんなものですか。



401 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 00:39:22
エロスや関係から出発すれば、存在論自体が括弧いれ対象になる。

ある意味で禁欲的存在論だった前期ハイデッガーが、
後期にはあからさまな存在論に転向してしまったこと、は興味深い。

竹田は前期ハイデッガー以上に禁欲的。

402 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 00:49:30
356で引用されてる言い方だと、
現象学に、正しい認識の根拠付けとか基礎付けを求めているようだが、
少なくとも竹田による現象学では、そういうのは、よくある誤解、だそうだ。
竹田のいう現象学は、そういうことを断固保留し「一般的確信の成立条件」探しに徹するもの、だから。

403 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 01:17:40
>>399
そういうことが問題なんじゃないんだな。まあこの話は良しとして
>>竹田は、基本的に、万人に妥当しているように見えることに対して、一般性で踏みとどまり普遍性を認めないから。
竹田が認めないのは勝手だけど、何故認めないのですか。それ言ってくんないと哲学になんないよ。

>>401
何言ってんだか全然わからん。
そういう評論めいたことはどうでもいいよ。
禁欲的とかあからさまとかいうことで何が言いたいのですか。

>>402
>竹田のいう現象学は、そういうことを断固保留し「一般的確信の成立条件」探しに徹するもの、だから。
「根拠づけ」と「条件探し」とどう違うのですか。

404 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 02:23:55
生成スレ<22>
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1147595207/
で待っているぞ、あほども!

405 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 23:20:25
>>403
399や401がピントこないなら、
竹田のみならずウィトゲンシュタインなどの
反理念主義的哲学すべて理解できないだろうな。
ここでは説明できないから、勉強してくれとしかいえない、ごめん。

形而上学に禁欲的かどうかは恐ろしく重大なことだよ。
竹田のみならずフッサールが理解できるかどうかの分水嶺だよ。
例えば主著「イデーン」において、フッサールは、
お前のは形而上学だ、という誤解にたいして
自分は断じて形而上学をやってない、ということを強調してるよ。
でもこれでも広松などはダメだというんだけどね。

根拠付けは、絶対的な正しさ、の保証だけど、
条件探しは、一般的事実といえる場合、の確認にすぎない。


406 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 23:27:32
竹田青嗣をアメリカやヨーロッパのアマゾンで検索してご覧。

407 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 23:33:38
>>405
反理念主義だの形而上学批判だの言っている時点で勉強不足。
現象学語るんなら谷徹くらい読んだら?

>根拠付けは、絶対的な正しさ、の保証だけど、
>条件探しは、一般的事実といえる場合、の確認にすぎない。

これは誰の定義ですか。無根拠論なんてもう古いよ。

それにしても竹田ファンは自分哲学できない奴多いなぁ。学者批判する割には自分より知識のなさそうな人間を見つけると、断片的な専門用語を振りかざして知ったかぶりするから参っちゃうなぁ。
彼らの学者批判てやっぱ嫉妬だったんかな。

408 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 00:30:11
>>407
あほらし。だいたい何感情的になってるの、わけ分からん。コンプレックスに駆られた典型的2ちゃんねらーみたい。
ちゃんと哲学やる気あるの? なんかマトモに議論できないみたいだね。哲学のイロハも知らないのかな?

ところで君、マトモに哲学書読んだことあるの?
自分であげてた谷徹の入門書きちんと読んでみたら? あれはいい本だから。ついでに広松の入門書も読んでくれるといい。

何かと言うとすぐ竹田ファンっていうけど、それってだれのこと?僕は関係ないよ。妄想押し付けないでね。
学者批判だの嫉妬だの、自分のこと言ってるの? 僕は一度も言ってないけどな。

ところで、流行なんてどうでもいいけど、反理念主義(形而上学)は相変わらずそれなりにありますよ。一時よりはすたれたけど。
反形而上学をきちんと理解してから批判しようね。脊髄反射的反反理念主義(形而上学)では宗教とかわらないよ。
流行で哲学するなんてお粗末。

竹田信用してないなら、「イデーン」でもよんだら?
現象学は形而上学ではないということの弁明にかなりさいてるよ。

理解できないからといって感情的になってもしかたないよ。
哲学で、もうそれは古いとかいう言葉でごまかす人信用できないね。
現象学もしくは竹田現象学が理解できないからといって、そんな荒れるのはよくない。

君はもう少しマシな学徒に見えたんだけど
残念だよ。









409 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 00:39:22
>>406 >>407
あなたの見ていること、言っていることは、哲学に関係ないことばかりですね。

410 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 00:58:19
>>408
感情的なのはどうやら君のほうみたいですな。
谷徹読んでて反形而上学だのなんだのと言ってたわけ?一体何読んでんだか。
『イデーン』読んだくらいでやたら偉そうですね。
『デカルト的省察』や『危機』も読んでみようね。ドイツ語で読むと尚良いです。
で、結局根拠論の何処が悪いわけ?



411 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 01:07:52
408 見苦しいからやめとけ 410にコンプレックスなんかねえぞ。 多分奴はお前より勉強しているようだ。院生だろ多分。

412 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 02:34:16
410だけど俺はたしかに院生だが現象学は専門ではない。408が竹田ファンかどうかはともかく、このスレを頭から読めばわかるように、研究者は自立的思考ができないが竹田は自分哲学ができてるとかなんとか言っている人が目立った。
じゃあということで、なるべく先行知識交えずに対話すすめてきたのに返ってくる答えといえばフッサールがどうだのハイデガーの存在論がどうだの、しかも印象批評ばかり。
私はせっかく専門用語なしに対話を進めても、あれ読めとか、これこれがわかってないから勉強せよとか。・・・と思いきや私よりも不勉強な人ばかり。




413 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 08:31:29
2ちゃんねるは、匿名で自分が何をどの程度勉強してる人で
論点をどこに置いているか最初に述べないでおいて、
相手が自分の事を正確に思ってくれてないと後から不満を言う
間抜けな場所

414 :408:2006/05/29(月) 10:51:15
>>410 >>411 >>412
それで、何が言いたいの? (見苦しい、という言葉はそのまま君にお返しするよ。)
自分から議論放棄しといてね。君が専門用語に過剰反応してるのみえみえだったけど、最終的に専門家面したかったのかなw
臆病君みたいな後だしじゃんけんせず、自分から問題提起だけでなく立論したらどうかね?

ところで、フッサールが反形而上学って誰が言いましたか? 
本質直観が竹田の大発見って誰が言いました?
今回もまた雑な読みだね。君の悪い癖。
僕は、フッサール現象学は形而上学ではない、と言っただけだよ。 これってだいぶ違うよね。
ラジカルな反理念主義に比べたらフッサールは理念主義=形而上学ともいえる、ということも分からないのかな。
君こそ谷徹から読んでみたら。谷も(狭、義の)形而上学ではないと強調してるよ。

君、哲学自体より、知識(が新しいかどうかとか)にこだわってるみたいだし、余計な知識プライドがちらついていたから、自信とプライドが調和してない院生なのは確かだろうけど、議論が雑だし(少なくとも)専門外は不勉強そうだね。
何が目的なのかはっきりしない感じ。
はっきりいって、(君の造語の?)自分哲学(=哲学?)は、低レベル。
専門研究でもそうでないこと祈ってるよ。

ところで、レッテルはりと権威的虚勢ばかりで、具体的中味が出てこないので、まってるよ。
そろそろ問題点列挙してくれないかな。
(それにしても自作自演ごくろうさまw)

くだらない君の与太話に付き合ってしまったけど、もう終わり。
きちんと議論できないなら、コンプレックス君の荒らしとみなすよ。




415 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 11:08:58
俺は竹田ファン側に近い人間だが、もう少し穏やかに
やりあってくれないかな。

>>401
は説明不足だよ。今の流れだと言いっぱなしの印象批評という
誤解をする気持ちも分かる(俺は>>401の書き方で言いたいことは分かるが)

それに対し>>403のように注意を喚起する書き込みはある程度正当。
>>405は穏やかに書けばすむ事を無駄に挑発してる。(言いたいことは同じくわかる)
それに対し>>407もさらに強く挑発し返してる。
これじゃ>>408以降の罵倒合戦になるのは当たり前だよ。


416 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 11:25:15
それでさ、例えばフッサール哲学は「形而上学」なのか、
またフッサール自身は形而上学者なのか、
ってのは
見も蓋もないけど面白い論点で、別に罵倒しながらじゃなくても
出来る話だと思うんだ。
ある思想家が「形而上学者」かどうかなんて、断定口調で議論できるような話題じゃあない。
特にフッサールとか近代以降の哲学者はそうでしょう。
と言うわけで面白い議論だと思うから、続けてくれよ。

417 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 12:44:58
>ところで、フッサールが反形而上学って誰が言いましたか? 
>本質直観が竹田の大発見って誰が言いました?

で、竹田の大発見は何なの?

418 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 12:48:03
まぁデリダからすればフッサールの現象学は「現前の形而上学」ということになるのでしょうけど。


419 :408:2006/05/29(月) 13:10:12
>>415
冷静な評論ありがとう。

フッサールは、本質直観によって見出される本質を、普遍的理念と直結させる。
つまり経験内に(ある意味で非形而上学的レベルで)普遍的理念を認める。

しかし、普遍的理念の存在をフッサールのようにあからさまに認めてよいのか、ということは、
ウィトゲンシュタインなどの反理念主義(反形而上学)の哲学にとって重大問題になる。
広松も、本質直観なんてあるのだろうか、と疑っている。
(それにしても、なぜ407は、無関係な話で議論を壊そうとするのか?反理念主義を(ろくに理解もせずに)古いといって誤魔化すのか?なぜ自分だけが院生だと誇示したがるのだろうか? 不純な意図・欲望を感じる。)

竹田の本質は、あえて単純化すれば、関心の一致による一般的本質、というような禁欲的本質になっている。

本質直観に映る普遍的理念は、フッサールが否定するのに反して、ある意味では形而上学的といえるし、
単純に経験を越えた実在を認めているわけではない、という面では非形而上学的である。

僕は、万人に共通の普遍的な理念を認めるかどうかは、最終的には信念の問題だと思う。

420 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 13:14:35
>>414
なんだか感情まるだしですねぇ。
まずね。俺は竹田信者の皆さんに問いかけをしているのであって君の個人攻撃をしているわけじゃないの。
それを勝手に自分への個人攻撃だと思ってませんか。君がコテハンでない以上そのような誤解はあって当然でしょ。
フッサールが最初は形而上学を批判してたことぐらい常識。しかし後に彼が神や形而上学の問題にとりくんでいることを俺は強調したかったわけ。
今更「狭義」だとか言われてもね。
それはおいといて反形而上学とフッサールが形而上学者かどうかはたしかに別問題。
しかしハイデガーのフッサール批判て要するにフッサールが形而上学者だってことでしょ。
形而上学をどう定義するかでも話は違ってくるけどね。

421 :408:2006/05/29(月) 13:23:07
>>417
竹田の大発見はないと思う。それほどのラジカルさもない。
ただあえて言えば、現象学とエロス論の上手な統合、という功績かな。
明快で無難にまとまっていて完成度が高い、というところも魅力的。
哲学の一般的実用化・生かし方の一つの手本にもなる。これがいいか悪いかは別として。

422 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 13:24:18
根拠付けと条件探しの違い。
根拠付けの場合、万人にとって「論理」というものがもつ普遍性
というところに掛け金おかれている。

条件探しの場合、論理ではなく「感応」「欲望」の普遍性に
掛け金が置かれている。

どちらも絶対的(というかメタ的)には証明できないものを「想定」してる
という意味では一見同じに見える。理論的に言えばどちらも厳密に言えば
形而上学的な側面を持っていると言えなくもない。だから批判される。

423 :408:2006/05/29(月) 13:31:21
>>420
不純な議論をするものに怒るのはあたりまえ。
君の態度は最初からいびつだよ。気がつかないのかね。

反理念主義のこと出すと感情的に誤魔化すのはどうしてかな?
古い、では思考停止と同じだよ。

ところで、なぜ最初からそう問題提起しなかったのかね。今さらおそいよ。

424 :422:2006/05/29(月) 13:31:23
理論的に言えばどちらにも「想定」が入ってるという意味では
<根拠付け>も<条件探し>も同じ。

しかし理論的に見ても、<条件探し>は<根拠付け>より一段階周到な戦略と言える。
ロゴスの普遍性を否定することはパラドックスを用いれば可能だが、
欲望の普遍性を否定することはこれより一段困難となるから。

さらに、実践的な観点から見ると両者は正反対になる。こちらの方が重要かもしれない。

425 :422:2006/05/29(月) 13:39:41
所謂ポストモダンを中心としたロゴス中心主義批判ってのは、
自己論駁的になる。
つまりロゴスをロゴスでもって否定するというお話になる。

こういう自己論駁が存在意義をもつとすれば、それは実践的問題でしかありえない。
(理論的には自己論駁か、せいぜい相対主義か、もっと悪しき場合にはポストモダン形而上学になる)

逆に言うと、ロゴス中心主義が実践的に持っていた弊害、問題をある程度軽減できれば、
これは一歩か半歩かはわからないが新しい展開と言える。

426 :408:2006/05/29(月) 13:42:40
よかったよかった、やっとマトモな議論になってきた。
ではこの調子で。

427 :422:2006/05/29(月) 13:49:03
そこで、ロゴスより基層的な視点として<欲望>を置いてはどうかという話になる。
これが竹田現象学だと思う。

こうするとロゴス中心主義が確かに持っていた弊害を軽減できる。
ロゴス中心主義の問題というのは、乱暴に言えば<論理>が広義の<権力>と結びつく点にある。
論理というのは、その機能から言って問題に対する解答を単一のものに収斂させる傾向をもつ。
(無矛盾であるということはそういうことだから)
さらに論理による産物が外化されて、人間がそれに一元的に束縛されてしまうという
問題も生まれてくる。

こうした問題を和らげることが出来れば、一歩か半歩前進なわけだ。
もちろん、どんな形であれ普遍性ということを言う以上「絶無」とは言えないけどね。

428 :408:2006/05/29(月) 14:20:37
>>427
概ね同意できる。
ところで君が407でないなら聞きたいけど、
356の関係論批判や407の言い分をどう思うわけ?



429 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 22:49:34
「感応」のところに話の流れを戻してみる試み。
「神」などではなく「感応」であることが重要のは、経験から「辿る」ことができるから、
というよりもむしろ経験に「とどまる」ことができるからだと俺は思っている(というかそう読んだ)わけだ。
「内部」と「外部」の論争にもあったことだが、
竹田的なものの見方からは「外部」なるものは「内部」にとどまり続けることで見出されたものであって、
「人」にとって「外部」などはなく、見ることができず、あるのはどこまでも「内部」にすぎない。
「根拠論」ではなく「確信の条件探し」なのは、
そうした本当は内部にすぎない「外部」を持ち出すことでなりたつ「内部」の論を避けるため、ではないかな。
「外部」というのは「内部」のなかで見出された、あくまでも「内部」のなかで一定の意味を持つものである。
ということは、逆にそれをもって「外部」から「内部」を一定に意味づけようとする試みは
形而上学だろうとなんだろうと、背理であり、間違っているんだと。

430 :考える名無しさん:2006/05/29(月) 23:39:28
>>429
なかなか面白い議論ですね。
しかしそうだとすると内部とか外部とかいう言い方自体が無意味になってしまいますね。
人はなんらかの超越をしたとたん、今までいたところを境界づけ、内、外について語る。しかしその外部も更なる次元では内部化される。
この繰り返し。しかしこの無限交替を先取りして全ては内部だと言ったとき、そこで言われる内部というのは超越のプロセスそのもののことで、外との対立での内ではないですよね。
むしろ、そうした超越のプロセスを終えた視点からしてはじめて、「内・外」の差異が有意味に語られうるとは言えないでしょうか。
356の二つ目の問題で言われる「外」というのも要するに超越のプロセスが完了した視点のことを差しているのではないでしょうか。

神の場合も啓示体験を持つ人、或いは困ったことに、そうした体験をしたと言い張る人がいたとすると、如何でしょうか。
インチキ宗教との区別をつけるためにも感応についてもう少しきちんと問い詰める必要があるとおもいます。




431 :408:2006/05/30(火) 00:26:13
やはり、現象学のもくろみ、
個的経験から普遍的事実と普遍的場を見出し構成することは、形而上学的飛躍を必要とする。
つまり、普遍的基礎を求める現象学では、経験=内部に留まれない。
内部に留まる限りは、他者性・不定性・不可知性という絶対的闇が残り、普遍性はないものねだりでしかない。
一般事実と一般的場とで満足するしかない。
竹田現象学は、この意味では、よりよいアイデアであると思う。

再度強調。内部に留まる限り、根源的不定性・文脈決定不可能性がある。

関係論的観点からの素描。
要素とその関係とが不可分(な関係)であるということ、
内と外とが不可分(関係)である、ということ、明証と不明とが不可分であるということ、
超越された対象・世界と現象学的に還元された対象・世界とが不可分(関係)であるということ。


432 :408:2006/05/30(火) 00:37:30
もし普遍的真理性をより安全に確保したいのなら、
内容=経験的真理ではなく、形式(関係)=言語的真理を求めるべきなのだ。
たとえ経験内に普遍的本質=理念が見出されるようにみえるとしても。
万人が同じ経験内容を持つとは言えないから。
個々の経験から抽象される普遍的部分(理念)は、この意味では、形而上学的存在である。



433 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 01:08:28
>>429-430
俺が神と感応を読み違えたら違ってくる、という理由に経験可能性の有無を言ったのは、
>>389
>つまり「感応」が先にあって、そこに「人」が関係を見いだしていく。
>「感応」は分析される「対象」ではなく、対象化を行なう認識の底板であって
>それ以上分析されえない認識の底板をなしている。

この文章に「神」を当てはめたら、他の人にとっては「自分の認識の底辺をなすのが
神なのか?それは内省で確かめうる事柄なのか?」という疑問が浮かび、
それを払拭することは不可能になるから。

しかし「感応(事に触れて心が感じ動くこと)」なら誰もがしていることだから、
自分で内省によって確かめられる。

この違いを言ったわけで、ここがとても重要。

同じことで、外に今見えている事物は、「本当に存在」するのだろうか?
という問いに真に厳密に答えることはほぼ不可能だが、目の前の事物は
「どのように存在するように見えて」いるのか?なら答えることができる。
ここでは形而上学的要素は見当たらない。

主観と客観を神の視点から眺める、みたいなことを「超越」と言うみたいだけど
そもそも客観という概念が背理なのだから、「内部にとどまる」という表現も、
超越的自我の無限後退というパラドックスも、的を射ていないと思う。

434 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 01:10:35
なぜ客観という概念が背理なのか、ってのはフッサールがもっと厳密な形で
著書に示していると思う。竹田が原著からそのあたりを引いていたしね。
ちょっと今本が手元に無いから引用はできないが、特に問題はないと思う。。

435 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 01:23:24
神の啓示体験については、それはその人の「経験」だからなぁ。
「感応」とも言える。要するに、その場合は「神の啓示体験」は
他の人にとっては、その人にだけ過去あった「神の啓示体験」という
名の「感応」なのであって、形而上学的な意味での「神」ではなくなる気がするな。

その人と同じプロセスを踏んで神を感じられれば確信できるだろうけど、
麻薬とか使わないで神を感じられたと思った、事例を聞いたことがない。
じゃあ妄信だったのかな、となんとなく「確信」を得る…

436 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 02:05:17
>その人と同じプロセスを踏んで神を感じられれば確信できるだろうけど、

やっぱここが重要な論点かと思います。

437 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 03:08:26
http://www.nbvfcdrty789olkjnhbvcdrt6y78i9okjnhbvcxser5678ikjhbvcxsdert5678ikjhnbvcxdert5678ikjhbgvcxsert6y78ikjhnbvcxsdert678ikjhbvcxsdrty7u8ikjhbvcdtyuikjbgvfcdrt6y7u8ijhbvcxdert67u8ijhgvfcdert6789ikjhg

。 o 彡川出川出川ミ〜 プゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
 。 川出川/゜∴゜\ b〜 プゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
 。‖出‖.゜◎---◎゜|〜 ゜ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  出川‖∵∴゜。3∵゜ヽ〜< ネェネェ・・・・・・
。 川出∴゜∵∴)д(∴)〜゜ | 肉便器タン、カマッテヨ!!
 。出川∵∴゜∵o〜・%〜。   \_____________________
o 川出‖o∴゜〜∵。/。 プゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
 川出川川∴∵∴‰U 〜プゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
。U 〆∵゜‥。 ゜ o\。゜〜。プゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
。。/∵\゜。∵@゜∴o| 。o゜。゜ プゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
 /::::∴/:::::::::::‥ ∵゜ | 〜 。oプゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
(:::::::: (ξ:  ・ ノ:::・/:| 。゜o 。。プゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
o\::::: \:::::::∴。 (::: | o。゜ o。プゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
 /:::\::::: \::: ∵゜ ヽ| 。゜。゜プゥ〜ンカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテカマッテ
/::::   \::::: \::: ヽ )∴ シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ シコシコ
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)


438 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 13:14:40
>>433 >>436
反理念主義より
懐疑の倍率を上げてみる。
同じ感応、同じ経験があるかどうか、なんて結局わからない。
「同じ」という判断は、すでに、内的経験を越えた超越だ。この際、言語=形式(構造)が「同じ」の本体である。
人々の経験内容の一致(内的一致)を仮定しなくても、
生活習慣の一致、振る舞いの一致、言語使用の一致があれば、コミュニケーションは矛盾なく行いうる。
同じものを見ている、という外観は成立する。
つまり、同じものが実際に見えていなくても、同じ物が見えている、と言えるわけで、同じ経験内容などよりも本質的なことなのだ。
というのが、ウィトゲンシュタインの画期的な洞察の一つだ。
ただし、主に知覚内容などのように、(ほどほどには)内的に一致している、とみなしたほうがいい問題もある。

ただしウィトゲンシュタインは、方法論的反理念主義であり、信仰的反理念主義ではない。
実際、彼は神を強く信じており、形而上学というものを肯定している。
形而上問題や神の問題は、哲学では語りえないもの、とみなしていただけだ。
語りえないが存在している、という位置付けが重要なところだ。
荒く言えば、カントの純粋理性批判の洗練形態だ。
彼がより長生きしていたとしても、実践理性批判(形而上学)にあたるものを書いたとは思えないが。



439 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 16:32:35
共同主観(社会的主観)をどう考えるかも重要なポイントだと思うよ。

440 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 16:38:08
>>430
正直なところその区別に具体的にどんなことが要求されるのか分からないが、
あくまでも竹田のやり方をつらぬくのならば、
インチキ宗教との区別となるとその点は弱い(と言っていいのかわからないが)のではないかと俺は思う。
例えば、広松渉との対談のなかで、他なる「人」の存在を信じているだけでは独我論を否定したことにならないのではないかと竹田は言われている。
なぜなら、竹田にとって他我の存在を確信をささえるのは、あくまでもその「明証性」でしかないから。この「明証性」は感応である。
主客の図式が立ちあらわれる根本的な機縁は他なる者との接触なわけだが、
その機縁がそもそも「感応」にささえられている、ということになる。「ほんとう」という感応。
厳密な論理などはそれに奉仕するもの、というよりも>>391の例にならえば、
それは「ほんとう」の感応から「価値評価」において取り出されたもの、ということになるのではないか。
こう考えたうえで、「ほんとう」の感応をさきほどの内部、一般的な「論理」を外部としたとき、またその上で外部から内部を意味づけることを禁じたとき、
真実さにおいて、「インチキ宗教」のそれと区別は難しいというか、おそらくできないと思う。
じっさい「エロスの世界像」のなかで竹田は、「客観」的な「ほんとう」と、
恋愛の夢想などがもたらすロマン的な「ほんとう」さを、(エロス論的に)区別したがっていないように見える。

441 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 17:04:16
>>440
ホンモノとニセモノとの区別をせねばならない、ていうのは実用的理論的要請にすぎないでしょ。
哲学にそんなこと期待できるのかなあ。

442 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 17:10:53
というか、それでは哲学というよりも実用目的の理論になってしまうよ。
だったらもう現象学でなくてもいいでしょ。

443 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 17:36:21
竹田は、感応とか関心とか志向が認識のすべてを決める、といってるの?
ただこれが認識に相関してる、と言ってるだけなの?
どちであるかによって、えらく異なってくるね。


444 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 17:46:58
>>438
懐疑の倍率をもっと上げれば、ヒュームとかデカルトのコギトになっちゃうわね。

俺はそのあたりは、実は超越だとは思ってないんだ、というのは…

そういう場合の「同じ」という表現には、(…と自分が確信している)というコメントが
必ず隠されてる。逐一つけるのは面倒だからつけないだけでね。
このへんが厄介なところだよね。何を言っても(…と自分が確信しているだけだが)
を含意してしまうんだけど、といっても、他人(と、自分が確信している相手)に対して
合意を求めてる。

合意を得られたかどうかは、やっぱり言語で確認するしかないが、読む→理解→
言葉にする→といくつかプロセスを踏む限り、どこかで誤ってるかもしれないわけで、
どうしても厳密な、0か1かのやりとりが成されるわけにはいかない。0.001か、0.00000001か、
誤りを含んでるかもしれない。しかしそこまで疑っていては通常生きていけない。
いくばくかの揺らぎを含みつつ、最も妥当な「確信」をとりあえず疑うのをやめておこう、
くらいの意味で、真実だと思うだけで。

445 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 17:51:18
結局自分の判断、裁量でしかない(独我論的である)ことを認めつつ、しかし
他人との合意を求めずにいられないという、ちょっと論理的にだけ見ると
おかしな話にはなるんだけど、
竹田のこの辺の話は、俺の感覚で考えるとなんかフィットするものがあるんだけどなあ。

446 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 18:04:29
おもしろいね。
確かに、どういう哲学選ぶかも、結局、感応フィット感だもんね。
感応・関心が異なると対立するんだろうけど。
まさに竹田の説得力を示してるね。
感応とか関心を自覚的に見出すことで、ちょっとだけでも信念対立を緩和したり回避したりできるんだろうね。

447 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 18:09:49
確かにそうだね、生き方もそれぞれだから、フィットする哲学も
別にそれぞれでいいのかも知れない。

まあ竹田は商売でやってるだろうから、そういう立場には立てない
のかもしれないが。

448 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 18:32:23
>>441
そうなんだけど、それを「すぎない」と言ってはいけないと思うんだ。
ちょっと話がずれてしまうのかもしれないが。
真偽というのはただ真偽であるのではなく、真と偽とを分節する、それぞれのエロスがある。
つまり感応をともなった、味わわれるものである。
例えば宮台が「意味」なんかもう古い、「意味」を求めずエロスを享受することができる女子高生最強みたいなことを言ったとき、
それに対して竹田や西はエロスは「意味」と無縁なものではない、と言っている。
(実際「終わらない日常」に耐えられず女子高生は今ではメンヘル化!)
そういう意味で真偽を語ることは期待されるはずだし、
そのとき、それはちょうど>>390と同じ理由で、「現象学」(というかエロス論)でなければならないのではないかな。

449 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 18:54:14
>>443
おれはそれが全てを決めると言っていると思っている。
だから竹田の哲学が信念対立を緩めるのに役だつというのは嘘だと思う。
最近の本でそうした有用性をもって自分はこの分野で新たな一歩を踏み出したとするようなことを彼は言っているが、
個人的にはむしろ後退だと思っている。

450 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 19:02:27
>>440
竹田現象学のよさは、
フッサール現象学者なら弱点とみなすところにむしろあると思う。
具体的に言えば、感応(内)からぬけだせないところ、というか普遍に手が届かず不完全なところに 
あると思うよ。


451 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 19:19:47
>>449
その見解はおもしろいよ。
俺はむしろいいと信念対立改善の理論になったほうがいいと思ってしまったよ。
そうなると何がよくないんだろうか?

452 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 19:32:46
>>450
どんな哲学なら、普遍に手が届いて、より完全に近いの?

453 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 20:06:25
>>452
プラトニズムとかみたいな形而上学でないなら、
フッサールみたいに直観や経験に普遍を見出すとかすれば、
いちおう単なる経験から抜け出て、普遍性とつながって完全でしょ。

竹田だと、根拠付けまでいかないでしょ、
だから、感応に普遍性を強引に持ち込まない限り、
完全には根拠付けられてない相対的真理しか出てこない、と思うんだ。
いかえれば、真理未満の「確からしいと確信できること」で終わってると思うんだけどね。

454 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 21:19:28
>>453
単なる興味から聞くんだけども、ある個人が直観と経験から普遍が見出せたとして
なぜそれが「全ての人に普遍している」ことが分かるのかな?
このへんの理由づけをすっとばすのが、より「完全」な哲学なの?

ある個人が見出した普遍が、なぜだか分からないが、全ての人にいきなり
当てはまってしまうんだよね。それは形而上学になっちゃうね。

しかし俺の感覚からすると、あくまで個人個人が、それぞれの「普遍性」を
直観しているにすぎないのだ(と俺が確信しているにすぎないのだ)とするほうが
より、誰もが納得できる考え方に近いと思う。

455 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 22:08:10
みんなだーい好き

456 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 23:42:40
>>454
今の見解には全部納得できるんだ。そういうところが竹田のよさだと個人的には思うよ。

でも、フッサールとかは、そういうことにもう少し無頓着だし、逆に、それでは足りないと言うと思うよ。
上で話題になってたフッサールの本質直観にしてもそういうことがにおうでしょ。
この人は、むしろ、プラトニズとかにならずに普遍性をいかに見出すか、に執着してたみたいだね。
晩年なんか特にそうみたいだけど、
普遍的基盤とかをさらに深く求めたんでしょ。ある種の形而上学はいいんだ、って感じで。

感応と神を等値するという話があったけど、
竹田とか454さんの立場だと、そんなに安易に神の経験、存在を認められるの? 
もし、独りよがりの神ではない普遍的神をみとめられるなら、普遍的真理も認められることになるよね。
普遍的神という概念はどう転んでも形而上的なものだから、無理しないと竹田現象学とつながらないんじゃないかなあ。
感応のところに神を持ち出してきた人は、あらかじめ普遍的何かとか神を肯定したいという欲望があったわけだから、
つじつまあわせ的に神の定義をあいまいにするとか、都合のよいものにするとか、するのかもしれないけど。

別に、新種の形而上学を目指すならそれはそれなりに価値があると思うんだけど
そうなると、信じない人には説得力が全然なくなってしまう危険があるとおもう。

457 :考える名無しさん:2006/06/01(木) 00:27:28
>>454 >>456
非形而上学=哲学の意義は、「信じている者のみが納得できる飛躍(超越)」がない、ということだ。
つまり、「きちんと筋道立てて考えさえすれば誰でも納得できる議論」を確保できる、ということだ。
この種の哲学と対照することによって、形而上学=哲学の本質・意義が浮き彫りになる。



458 :考える名無しさん:2006/06/01(木) 15:12:50
内田樹のブログに出てたよ

「2006年度大学受験出題頻出者ランキング」
今年度の大学受験で誰の文章がいくつの大学の入試問題に使われたのか、
そういうことも予備校はちゃんとリサーチされるのである。

一位は・上田紀行
二位・茂木健一郎
三位・鷲田清一
四位・山崎正和、夏目漱石
五位・正高信男、斎藤孝
そして同率六位が養老孟司、柏木博、河合隼雄、内田樹

竹田さんとか、入試にはならないのかな・・・

459 :考える名無しさん:2006/06/01(木) 17:54:54
>>457
飛躍のある論理を正しいと思い込めるのは、宗教だよね。
宗教の有用性は認めるけど(アイデンティティの確保など)、
哲学=形而上学であることの意義が分からない。
「哲学は形而上学でいいじゃん」という意見もあった気がするが

それは飛躍を含む理論なわけで、よく考えると納得いかないって周りが
言ってるのに、本人だけ「これでいいんだ」って言い続けることになるし…

哲学は、本質的にすべからく非形而上学である必要があるのでは?

460 :考える名無しさん:2006/06/01(木) 19:19:46
>>459
共感。
哲学にしかできないことを真に生かすためには、
非形而上学である限りでの基礎学、である必要があると思う。
フッサールはこのような志向を持っていたにもかかわらず、結局わずかに飛躍してしまったと思う。
哲学に別の大きな役割を持たせたかったからであろう。気持ちはわかる。

哲学は深くなくてもいいと思う。
しかしその代わり、信仰を超えた論理的に中立な言論を徹底的に求めていくべきだと思う。



461 :考える名無しさん:2006/06/01(木) 21:51:17
姜さんと姜さんは似ているのだか、親類?

462 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 01:06:00
459
そうした君の意見自体が独断的形而上学とは考えられませんか。
君の言うとおりだとすると過去のほとんどの哲学者は哲学者じゃないことになるね。
あと、神学、宗教、形而上学はきちんと区別しないと。


463 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 01:59:17
>>462
過去の哲学者がどうってのは今あんまり関係がない。

1.論理に飛躍がある理論
2.論理に飛躍がなく、誰でも1から思索をたどっていける理論

1と2、どちらが哲学として適しているか、という話でしょう。

根本のルールがどうだという話は、それ以前にルールがないわけだから
そこはどうしても形而上学(?)になってしまう。

464 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 02:03:28
デカルトにしたって、神が明証性を保証するとか、そういうところは時代性の限界だな
と読み流すのが普通なんじゃないの?


しかし何を言ってもそれは形而上学だ、なんてことは言えてしまうと思うんだけど。
462にしても、それは君の独断的形而上学だね、なんて言えてしまう。
実に空虚な言い方だと感じられるんだけど、そうやって何もかもの言説を
相対化してしまいかねない言い方をするのには、何かわけがあるのかな?
デリダはそんな感じなんだっけ…。

465 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 02:30:25
まずは「形而上学」という言葉の定義を正確に調べてから批判しないと。
或いは自分がどう定義しているか明確に示しておかないと、多くの人は混乱しますよ。
自分の論理に飛躍がないとしても、そのことを説明するのは案外大変だとおもう。
自明さこそもっとも警戒するのが哲学なんでしょ。
神にしたってみなさんどう定義してから批判しているのですか。
神という言葉を使わないとしても、不可知なのに受け入れているものって沢山ありませんか。
虚数とか、ブラック・ホールとか、無限宇宙とか・・・・・
わかるわからないの問題とその存在を受け入れるか否かは別問題。
知らない知識よりも、なんだかわからないのにその存在を受け入れてしまって先行了解をもってしまっていることのほうがずっと不思議で哲学的。
「神がいない」というにしてもどんな意味での神がいないのか。「ない」とはどういう意味か。
いないと言えるには、神がどんなものかを知っているからこそ言えるんではないか。
授業の受け売りだけど。



466 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 12:46:47
姜尚Φと姜正禾乃似てる

467 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 12:56:28
姜氏と木寸田氏の朝ナマでの意地の張り合いについて。

468 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 23:16:20
>>462 >>463
おっしゃるとおり、定義の問題はたいへん重要ですね。
しかし、どんな定義であれ、形而上学というのは、必ずどこかに、仮説的(空想的)飛躍=超越を含んでいますね。(もちろん悪いという意味ではありませんよ。)
哲学する者は、この線引きには敏感になるべきかと思います。一線を越えるにせよ越えないにせよね。

察するに、あなたは、ある種の形而上学を擁護したいようですね。それはそれで一つの志向だから別にいいんですよ。
しかし、次のことは、どんな哲学志向であれ、守るべきだと思います。あたりまえのことかもしれませんが。
要は、どのような信念・目的によって、どのような役割・機能をもった言説を構成したいのか、を自覚し宣言すべきだ、ということです。
つまり、己を知り、他者に手の内を明かしておけ、ということです。
こうすることによって、自分の立場の限界・盲点に敏感になりますし、それぞれの立場の意義が馬鹿げた誤解によって踏みにじられずにすみますからね。

私は、459や460の立場の意義は理解できますよ。しかも重要だと思います。
ただし確かに、問い始めたら、形而上学にいくのが自然だとは思いますが。





469 :468:2006/06/02(金) 23:20:08
間違えました。462さんへ、だけでした。

470 :468:2006/06/02(金) 23:35:30
確かに、万人が納得できる形而上学は、まず不可能でしょうね。
ゆえに、信仰者や共感者の間でのみ通じる、(ある意味で恣意的な)議論になる可能性が高いですね。
しかし、それにもかかわらず問い続けてしまう気持ち、は分かります。
形而上学は、衰退することはあっても、絶対に死ぬことはありません。存在、問い問われる言葉、謎がある限り。


471 :468:2006/06/02(金) 23:51:27
どの立場であれ、
最悪なのは、適用限界・文脈を無視して、自分の哲学が正当だとか普遍的だとか思い込むことですね。

472 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 14:51:36
>>465
>形而上学の定義
アリストテレスの言った第一哲学、と言っても遠くはないですが

ヴィトゲンシュタインが「語りえぬもの」と言ったもの、要するに原理的に
まったく経験不可能なものについて語ることを「形而上学」と一応しておきましょう。
ブラックホールと神とでは、現実に経験不可能なものと(だと思われる)いう点で
同じだが、ブラックホールは一応、原理的に経験不可能かどうかは微妙なところ。

(ノエシス・ノエマとか使わないで)大雑把に分けると、この世には4つのものしか
ないと思う。

自分、自分の目の前に広がる世界、自分の"内"から来る"気分(情状性、
力への意志)"、自分の心の中に描ける心象世界。

現象学的還元の後に残る超越論的意識とか、純粋意識とか、手垢の付いた
表現をするといろいろ語義で突っ込まれそうなんだけど…まぁ「自分」てのは
そんなもんだとして。

目の前に広がる世界と、"気分"のふたつは、この「自分」の自由にならない。
しかし「心象世界」だけは、「自分」の思いなし次第で(その思いなしが
真の意味で「自由」かどうかはおいといて)ものを消したり、出したりできる
空間。

ちょっと蛇足かもしれないけど、一応前置き。

473 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 14:52:43
手垢というと「自分」なんて単語のほうが手垢まみれか。
まあ手垢を気にしてると何も言えなくなる。

ひとつ、議論の前提として言いたいのは、竹田現象学を支持する限りは
どんなに「〜だ」と断定的口調で言ったとしても、あくまで自分ひとりの
「確信」に依拠しているという点で、完全に(それこそ形而上学的意味で)
「断言」には至っていない、ということ。
そもそも、そんな「断言」が人間に可能か、と言われれば怪しいですけどね。

474 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 14:53:16
物理学の世界像や宇宙観は、もっとも信用できる形而上学じゃないのかな。


475 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 15:01:08
>>473
経験不可能的でも、物理的概念は分けたほうがいいと思う。
なぜなら、新しいデータによって覆される可能性があるから。
絶対に覆されえない形而上学とは違う。

476 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 15:07:47
経験世界を超えた領域で、理性が、その能力を極限まで使用した結果
相反する命題が同時に定立されてしまう(カントの二律背反)に関して
俺は支持してる。その意味でも形而上学は哲学として成り立たないと思ってる。
(ちょうど、神についての命題も含まれているね)

で、神とは何かについて。

カミ、Godの意味は幅が広すぎるけど、
大体、どの神にも当てはまるところを言うなら、形而上学的であるということ。

経験世界を超えた性質を持っている(与えられている)ということ。

経験可能な世界を超えているのだから、そこには論理の飛躍は必ず存在する。
要するに、いちからよく考えれば誰にでも理解できる理論にはならない。
「神が存在するという前提になっていますが、その根拠は?」と聞かれたら
説明できない。それでは哲学にならないと思う。

粗削りだと思うから突っ込みどころ満載だろうけど、とりあえずこんなところです。

477 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 15:15:39
>>474
数学や物理学が信頼できて、世界中に広まっていくのは、同じ計算や実験をすると
誰でも同じ結果が得られるから。
これは、計算や実験という過程が必要にせよ「いちから考えれば誰でも理解でき納得がいく」という、
哲学の条件にぴたり一致している。数学、物理学はそういう意味で言うと優れた「哲学」だと思います。
しかしそれらが形而上学である必要はないと思いますよ(経験世界を超える必要はない)。
計算や実験は、自分で可能なんですから。厳密にいうと「経験世界」を超えて
「間接的に情報を得て築いた世界」になりますけど。

そこから決定論とかにまで話が飛んでしまうと、それは経験世界を大きく超えて
「形而上学」化する。それは誰にも分からないのだから。

しかし自分で計算も実験もしてないのに、大多数の人が信じているではないか。

それは、大多数の人が信じているから自分も信頼をおいてるに過ぎないと思います。
実際、自分を振り返ってみると、なぜ自分で実験も何もしていないのに、物理学に信頼を
おいているのか。考えてみれば、何人もの有名な教授が本を出し、色々な人が信頼している
から。それ以外の何か神がかった理由をお持ちなら別ですが。

478 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 17:29:39
ロマン主義観念論者バンザーイ!!


479 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 20:17:39
ぴかぁ〜はそろそろ物理学を神聖視するのをやめればいいのに。

480 :考える名無しさん:2006/06/04(日) 18:49:15
>>477
自然科学にとくに説得力があるように見えるのは、
物質の改造技術として、我々の生活や身体を改造したりコントロールしたりできる実践知・技術として、
直接に力がありありとみえるから、だと思います。
この意味で、実用性と真理とは切り離せないと思います。

481 :考える名無しさん:2006/06/04(日) 19:47:54
>>480
そうかな?>>477がいうように再現性があるからじゃないのか?

482 :考える名無しさん:2006/06/04(日) 20:16:41
再現性がないと技術として役立てられないわけで、同じことでは?

483 :考える名無しさん:2006/06/04(日) 20:18:01
>>482
頭大丈夫ですか?

484 :考える名無しさん:2006/06/04(日) 20:19:26
>>483
は?なんで?いつやっても同じ結果が出なきゃ、技術として転用できないだろ。

485 :考える名無しさん:2006/06/04(日) 21:11:59
再現性と技術化・応用は不可分であることは自明。
ただし、理論が乏しく実践技術だけが先行していることもある。

486 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 01:22:25
科学と技術を一緒くたにするようなガサツな奴に哲学は無理ぽ

487 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 18:40:17
結局、竹田現象学への批判はどうなったんだ

488 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 19:28:26
在日朝鮮人だろ? 

在日現象学はもうおなかいっぱい。

竹田崇拝信者はさっさと死ね。

489 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 19:32:52
はぁ…?

490 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 22:32:06
>>486
ところで、どこの誰が一緒くたにしてるのかな?





491 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 22:35:51
このスレで原著を読めと言っている人は、チンポ太郎じゃないかと推察してみる。
いや、そうに違いない。

492 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 22:41:24
在日はだからいいって!

493 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 23:00:29
在日ってなんの話だ?

494 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 23:08:32
無内容な非難や罵倒が多いと言うことは、竹田も嫉妬されてるということだな。
哲学版にくるのはほとんど男だろうし、男は小さなことでも嫉妬する生き物だしな。

495 :考える名無しさん:2006/06/06(火) 01:22:41
>>493

竹田が在日ってことだよ。

496 :考える名無しさん:2006/06/06(火) 01:24:20
>>495
在日がどうしたのかねムニダ?

497 :考える名無しさん:2006/06/06(火) 01:40:08
在日の日本人だろおまえら。

498 :考える名無しさん:2006/06/06(火) 02:08:36
在日現象学医らね

499 :考える名無しさん:2006/06/06(火) 09:50:38
>>494
無内容な賛辞も多いけどな。
ちょっと前まではいい流れだったんだが、なんでいきなり駄目になるかな?

500 :考える名無しさん:2006/06/06(火) 11:02:27
無内容な賛辞より、中身のない批判とか非難・罵倒のほうが圧倒的に多いな。

501 :考える名無しさん:2006/06/06(火) 16:13:56
>>433
遅レス。竹田の<内-外>は主客問題に限定されたものではないので、それに限定してしまう物言いは的をはずしている。
というかむしろ竹田の<内-外>の議論を支える最も根本的なレトリックとして主客問題があると考えた方がいい。
どちらかというと竹田や西のヘーゲルや柄谷や身体論にかかわる言葉だが、これらはエロスの現象学と無縁ではない。
身体論では<意識性-身体性>の二項に還元されているが。

502 :考える名無しさん:2006/06/06(火) 17:07:28
無縁である、的を外している、〜と考えたほうがいい、というレスよりも

○○だから○○なんだよ、とちゃんと議論の叩き台になる提言をしてほしい。

503 :考える名無しさん:2006/06/06(火) 22:28:39
>502
それは正論だ。
からこそ、自分がまずお手本として具体的に問題提言して見せるべきであろう。
問題を持っている人からがどんどん提言していくのが筋というものだ。

504 :考える名無しさん:2006/06/07(水) 00:22:26
竹田に無内容な賛辞を送る。
どれほど非難されようとも、
たくさんの多分野の人に読まれてるというだけでも、すごいことだと思うよ。
少なくともここだけは俺の理想・お手本だ。


505 :考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:00:03
↑ 竹田在日を崇拝する朝鮮人は半島に帰れ。

506 :考える名無しさん:2006/06/07(水) 12:28:35
思想が左翼寄りのぴかぁ〜に嫌韓厨のマネは無理。

507 :考える名無しさん:2006/06/07(水) 22:59:41
>>503
また時間が出来たら色々書くよ。

けどお手本というけど、あんまりお手本にはならない気がする。
結局抽象的な竹田批判はいつまでも繰り広げられるし。

508 :考える名無しさん:2006/06/07(水) 23:34:42
>>507
実はきちんと竹田哲学の本質をつかんでいる人は少ないようだから、
竹田哲学の要点や利点をきちんと説明できるだけでも貴重だと思う。
分かりやすいと言われてるのに、なぜか竹田哲学批判はほとんど誤解と的外れだから。


509 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 05:19:44
>>155

ふうん。哲学って随分なさけないものなんだね。

それはさておき、
新しい公理の発見以外は解釈にすぎないなんていう
斬新かつ珍妙な数学の捉え方をする人は初めて見たよ。

510 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 05:26:17
>何人の数学研究者がオリジナルな公理発見したわけ?

公理は発見するものではない。

しかもオリジナルであることに意味があるのではない。
過去の遺産をなるべく継承し、より豊穣な世界を演繹できるものでなくてはならない。
何人の、どころか、もう前世紀の中頃から
公理の取替えは本質的に起きていないわけだが。

>奇抜なこと言うなんてたいして難しくない。
もしそれが正しいというなら、それは哲学だから。


511 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 08:46:14
> 何人の、どころか、もう前世紀の中頃から
> 公理の取替えは本質的に起きていないわけだが。

どう見ても、事実に反しているようだが。

512 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 08:49:39
>>509
>>510
そんな揚げ足とりみたいなこといわれてもねぇ。
正しくははなんと表現すればよいのかよくわからんが、とにかく問題は数学者にとってののオリジナリティというのをどう考えるかだ。
で、
>しかもオリジナルであることに意味があるのではない。
>過去の遺産をなるべく継承し、より豊穣な世界を演繹できるものでなくてはならない。
>何人の、どころか、もう前世紀の中頃から
>公理の取替えは本質的に起きていないわけだが。

ということだが、哲学もそうだと俺は言いたかったわけ。
それを「情けない」と言うのなら、じぁあ数学者とか文学者はどうなわけ。
なにをすれば君は満足してくれるのさぁ。


513 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 08:58:39
>>512
本質的に起きてない、つまり前の焼き直しばかりってことね。哲学は。

竹田は以前も言ったようにフッサール+ニーチェという組み合わせなんだが、
そういう考え方してる人はほかに誰がいるの?
前期ハイデガーが近い?

514 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 09:08:21
一応前に出てた論点をもう一度

・関係論は、フッサール、ライプニッツ、クザーヌスに回収される程度である。
・「世界認識の統一という志向性」があるからだめ。
・関係論だと主観と物の関係を物同士の関係と区別する根拠が上手く説明できない。
・「主客未分の関係そのもの」なんて発想は関係の外からの語りに過ぎない。

下2つは、単なるレトリックの問題なような気がするが…

というか「関係論」て3文字の言葉は聞き慣れないんだが、これって
何を略した言葉なんだ?

515 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 09:12:53
>>511
公理の取替えの例を教えて!まじめに。
選択公理とか問題視する人がいるものもあるけど、結局却下されていないし、
それを捨てちゃったらそれこそ膨大な遺産を捨てることになるんじゃない?

516 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 09:14:02
スレ違いの悪寒。。
数学板にそのトピックがあるのでは?

517 :515:2006/06/08(木) 09:19:09
すいませんです。なんかびっくりしちゃったもんで。
>前世紀
って20世紀ですよね?

518 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 14:43:52
竹田現象学の内訳

・フッサール → 真理批判から、普遍性への可能性の探求(・∀・)イイ
           現象学的還元、本質観取による自己の信念の内省、共感の可能性。
           人は世界をどう受け止めているか、ということの記述が内省によって可能ということ。
           この理論について、誰でも内省して確かめられうるという点が哲学として素晴らしい。

           #ただひとつ難点は、世界をどう受け止めているかの分析しかされていないこと。
            人間は世界に対してそれほど受動的ではなくて、自らの欲望によって
            「世界」を積極的に分節していくものなんじゃないだろうか。
            (これは竹田自身が本質観取してみて思ったことだろう)

・ニーチェ → 力への意志というのは、世界を欲望によって解釈していくこと
          いわく「事実なるものはない。ただ解釈のみがある」。
          真理批判も強烈で納得できる。

          #しかし、誰でも普通にしている共感や納得など、ある程度の普遍性に関する説明がなく
           その点は残念。

・ヘーゲル → 社会とは、ルールの網の目の総体である、という考え方が素晴らしく秀逸。
          社会の発展と、個人の成長を重ね合わせた考え方も納得がいく。

          #ただ完全な知を最終地点とした「絶対精神」の考え方は×。

・プラトン → 今から振り返って読んでみると、イデアとは、実は真理≠普遍性の
         考え方と結びついているのではないか。プラトンはそれを直感していたのではないか。

          #後期において、パラドックスの罠にはまって抜け出せなくなったようだが、
           それは時代性の限界と言える。

519 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 14:43:58
まあつまりは捏造現象学なんだろ。

竹田在日崇拝厨房は死ねよ。

520 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 14:46:20
レスはえぇ

521 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 15:35:54
でも、気持ちの悪い捏造と屁理屈の集積こそが哲学と呼ばれてきたそのものなんだろ?

522 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 15:55:30
オランウータンビーツって何?

523 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 16:39:05
池スレ名物プギャオの生み出した新しい音楽
通称ひょったら上京節のことじゃないかね


> ( ´,_ゝ`)必死だなぁw独り言で満足できちゃうひょったらくんw
> ひょったらおやおや上京しちゃうぅううネトレネトレw


524 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:23:25
>>514
関係論は、実体論に対立する言葉で、
どんなものも諸関係の項・結節点として成立しており、関係(項)でないもの・自立自存のもの・つまり実体は、存在しない、
と考える立場のことです。
広松渉によると、厳密な意味での関係論者は、現代以前では、マルクスだけだそうです。

525 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:44:31
続き
関係論は、むしろ東洋のほうが先です。
例えば、古代仏教思想の一部がそうです。
仏教思想における関係論の最高峰は、大乗仏教の中観派でしょう。
ナーガールジュナの中論がその結晶です。
広松の見方では、仏教思想では関係論の徹底が足りないみたいですが。
上記の意味で言えば、クザーヌスならあたらずとも遠からずですが、ライプニッツは全然関係論ではありません。
竹田は、エロスはやや実体的ですが、とりあえず関係論といっていいでしょう。

526 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 19:52:27
>>524
フムフム。参考になります。

>>525
実体てデカルト的実体だよね。

うーん…竹田現象学は、実体に関しては、それが実体であるかないかは
分からない(エポケー)というような立場な気がするけども。

どんなものも諸関係の項・結節点として成立している…かどうかも分からない
という立場のような気がするけどなあ。どうなのかなあ。

とあるものが実体である、とあるものが関係の中でしか存在しえない、
と頭の中で構造を作ってそれを世界に当てはめる、って少し構造主義みたいな
感じも受けるけど…

それが実体なのかそうでないかにかかわらず、自分の目の前に見えているものは
とりあえず見えているものとして把握する…というような立場な気がする。
一周まわって、自覚的な素朴実在論に行き着いてるような感じが。
いや、うまく言えんけど。

527 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:06:23
>>526
鋭い見解ですね。
竹田が厳密に関係論かどうか、実は私も自信ありませんw 欲望の扱いがあやしいとも感じます。
現代諸科学の基礎をも扱いうる大きな哲学をするには、関係論は不可避だとおもいます。
かつて実体論で大成功してきた物理学でさえ、今では関係論的世界観が優勢になってきてますので。

528 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:12:19
>>526
構造主義といえば、
池田清彦の構造主義科学論とか、西條剛央の構造構成主義などは、
竹田の親戚みたいなもんだと思いますよ。私も全部読破してるわけではありませんが。
ぜひ一読を。


529 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:58:43
>>527
物理学でも関係論が…。なんか難しそうだなぁ。

>>528
図書館で見つけたら読んでみもす。
哲学書高い…(ーдー;)

530 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 23:37:36
関係論で重要なのは、
関係はどのような意味においても実体になってはいない、ということ。
関係全体は結局語りえない、ということ。
絶対的主体の不在。
自分自身の立場(関係論)さえ、関係の結節点にすぎないという自己言及性。
例えば、不徹底な関係論のヘーゲル哲学は、自分自身(ヘーゲル哲学)に言及できない(を解釈できない)。自分の立場が常に絶対だから。


531 :考える名無しさん:2006/06/09(金) 03:56:40
>>530
今度は関係自体が実体化されてませんか。

532 :考える名無しさん:2006/06/09(金) 10:55:22
>>531
はい。それはもっともな疑念ですね。現にそういう関係主義もあります。
しかし、たとえば広松の場合は、現象学的で、
認識者と認識対象の不可分離性という意味での関係と、
現在あるものの過去(歴史)による規定=関係というだけであり、
外的関係や実体的関係は、注意深く回避されています。
関係論といっても、すべては認識者の関数としての状況の関数としての・・・として規定される、
というように、形而上学的関係は、入る余地がありません。
しかも、擬似的には実体(関係の省略としての実体)というありかたを認めてさえいます。
絶対的関係など出てこず、認識者の役割りと志向に相関的に決まる、どこまでも中吊りの関係でしかありません。


533 :中西克徳:2006/06/09(金) 11:18:54
モナドには窓がない・・・・フッサール

534 :考える名無しさん:2006/06/09(金) 22:38:46
518さんの整理はおもしろいです。

535 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 07:04:00
竹田在日崇拝厨房は死ねよ。

536 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 15:40:02
>>535
ねぇねぇ、君って在日の人になんか直接被害受けたの?
こんな匿名掲示板で悪口言ってて恥ずかしいと思わないのかな。
お前みたいな奴は日本人の恥だよホントに。

537 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:26:23
↑キンモー!! 

おめえみたいな、在日チョンチョンを拝んでいる糞ったれはさっさと
死ねよ。本の読みすぎで頭でっかちなんだローっ プゲラッ!

538 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 21:12:48
「死ね」とか軽々しく言うお前の感性が理解できん。
悪ぶるにしてもセンスが無さ過ぎる。少しは本読むといいよ。
きっと頭よくなるから。少なくとも品はよくなる。
街頭インタビューとかで顔見せて在日批判してみたらどぅ。
実名載せて雑誌投稿でもいいよ。
お前にそんな勇気あるのかい。
それより何でそんなに在日差別するわけ?
いじめられたの?


539 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 21:14:37
>>537
スレ違い。ハン板いっといで

540 :考える名無しさん:2006/06/11(日) 00:31:52
パチンコで身ぐるみ剥がれたか(笑)
自制心持てよクズ

541 :考える名無しさん:2006/06/11(日) 22:45:54
嫌韓なんてもう古いよw
次は嫌米かなあ・・・

542 :考える名無しさん:2006/06/12(月) 22:59:39
いや、在日の問題は竹田の著述活動の大きな部分を占めていた。
だから、「〈在日〉という根拠」についての批判を>>537さんにして欲しいな。


543 :考える名無しさん:2006/06/15(木) 00:41:48
な〜んだ、嫌韓厨くん、何にも言えないの?
予想は出来てたけどw

544 :考える名無しさん:2006/07/04(火) 13:52:37
さて、そろそろでり太くんの降臨でつね

545 :考える名無しさん:2006/08/10(木) 22:54:52
まだ、竹田現象学に対する本質的な理解・吟味・批判は少ない。
まともに理解する人が増えてこれば、竹田の評価はより上がってくるだろう。


546 :考える名無しさん:2006/08/17(木) 12:10:59
哲学者は竹田ひとりでいいよ

547 :考える名無しさん:2006/08/17(木) 14:43:24
議論の成立できない思想はカルト宗教といいます。

548 :考える名無しさん:2006/08/20(日) 11:58:56
>>545
竹田がアレルゲンになっちゃってる人が沢山いるからね〜…
もう免疫が反応しちゃうんだろう。意志にかかわらず。

まあ他スレで、なんの根拠も示さず 竹田は終わってるだの
カルトだの言ってるぶんにはいいけど
竹田スレでも似たようなことしか言わないのはね…
本当にただの私怨なんだろうなと思う。

549 :考える名無しさん:2006/08/20(日) 13:24:24
「わかりやすい」言葉で書かれているはずなのに、「まともに理解する人」がいない。

この不思議な矛盾に「私怨」の入り込む余地はない。

550 :考える名無しさん:2006/08/20(日) 16:08:12
どこのレスのどの文章が

>「まともに理解する人」がいない。

なんてことを言ってるんだ?

551 :考える名無しさん:2006/08/20(日) 19:35:10
日本における専門家という生き物(の多く)は、
自分の専門領域だと思っているところで、外部のものに自分と違う流儀で振舞われると、
なわばりが荒らされてる、と感じるみたいだね。ひどい場合、外部の人が専門用語を使うだけで嫌悪する人いるくらい。
そして、それだけで思考停止! 
2ちゃんでの脊髄反射的竹田けなしを見ていると、
専門家ではない人たちにも、そういう専門家的根性が芽生えちゃってる人けっこういるんだなあと思う。

まだ日本では、純粋に内容だけで論理的に批判するという精神が育っていないようだ。

552 :死刑囚。:2006/09/03(日) 11:00:47
>>551
妥当な論理は時を超えて生き残る。
心配しなくていい。
それは日常を賢明に生きている在野の人たちの血となり肉となり、語り嗣がれる。



553 :考える名無しさん:2006/09/05(火) 11:07:08
日本は市民社会じゃないので弁証法は成り立ちません。

554 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 19:48:22
このスレも半分過ぎたし、
そろそろ竹田の話をしようか

555 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 21:06:29
うわっ。
死刑囚がいてる。なつかしす。

556 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 00:13:02
「現象学は思考のなんたら」、エラクわかりやすかったけどね。
これ文学研究とか心理学研究とかやってる「哲学」部外者が読んで利用すればいいのに

557 :考える名無しさん:2006/10/03(火) 21:21:14
>>1->>556
日本語おk

558 :考える名無しさん:2006/10/04(水) 21:47:46
死刑囚がいたころに話したかったなあ。
参加するのがちょっと遅かったわ。
過去ログ見ると、ほとんど俺と同意見ぽいし。

559 :はじめ:2006/10/05(木) 03:48:29
確かになつかしいね。彼はもうそろそろ竹田を正しく理解できたのかな。

560 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 10:27:27
http://snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=sample1

やはり、あの1991年8月の「八月クーデター」失敗によるソビエト・ロシア(ソビエト共産主義)の崩壊という
ことがなければ、この仕事は完成させることはできなかったと思う。ソビエトの崩壊と冷戦構造の終焉によって、
それまで曇っていた自分の頭がすっきりした。「やっと分かったゾ」という気になったのはこの時期である。
自分もまた、ほとんどの日本知識人たちと同じく、頭の幾分かを、ずっと引きずるようにして、ソビエト型とは
違うのだが別種の社会主義=政治的理想主義に長く囚われていて、この呪縛から開放されなかった。
一九九四年から一九九五年にかけてやっと、この本を書きあげ完成させたときに、私は世界を一極的に
支配する世界覇権国となったアメリカ合衆国の諸思想がどうのようになってできているのかを知ったのである。
(中略)
このとき私は、アメリカの現代アメリカ政治思想の各派を、日本語でコンパクトにまとめて、全体的に
性格描写することで、自分が悩み苦しんできた二十年来の政治イデオロギー遍歴からも開放されたのである。
私は、今や、右(保守)でもなければ、左(リベラル)でもない。
私は、ただ、それらの全体像を大きく眺めつくすものである、ということになった。
私は左右の大きな価値対立に於いて、どちらにも組するものでは自分を発見した。
私は、ただそれらの思想の諸価値の対立点を記述する者である。
(中略)
私は日本知識人層の貧弱な土俵の上に「現代アメリカ政治政治思想の全体像」を植えつけるという大きな
仕事を先駆者としてなしとげた。今や日本知識人全てを足元に見下すほどの地位を、私は自力で
築いたのである。しかし、このことは、私が大秀才である、と自惚れているのではない。
私程度は、アメリカでは頭のいい大学院生程度だということである。ということは、日本の知識人の
大半の文科系の知識人の知能水準は、アメリカに持ち出せば、頭のいい高校生程度だ、ということである。
副島隆彦「日本の秘密」


561 :考える名無しさん:2006/10/15(日) 23:08:18
とりあえずこの人のいう現象学をまとめてください

562 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 18:44:51
竹田の現象学は、世界認識の統一の志向性を持つ、
おそろしい哲学らしい。
前のスレにそう書いてあった。

563 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 19:12:03
『エロスの世界像』っておもしろい?
買ったけど、読むかどうか迷ってる。

564 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 19:14:42
竹田氏ってどんな人物?

565 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 22:36:41
>>564
ソフィスト=詭弁家

566 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 22:15:27
>>562
どんな言説だっておのれの正当性を示そうとする以上
(ポスト構造主義にしたってそうだろう)、認識の統一を志向する
ものだと思うけどねえ。
「こう考えるのが正しいんじゃないか?」という問いかけ。
「どういう説だって「正しい」なんて言えないという結論が
正しいんじゃないか?」という問いかけにしたってそう。

正当性を示さないのなら、そもそも言語ゲームに自説を
投げ込む意味がまったくないし。

>>563
買ったなら読みなよ。。。w

567 :考える名無しさん:2006/11/05(日) 22:16:46
>>560
リンク先は見てないが、見る気も起きないな…
なんだ、こいつ…

568 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 22:22:15
あげ

最近この人の本見ないな。

569 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 23:42:58
この人の本読むと、なにかドキドキしてくるんだよね。
これは大切なことだよ。


570 :考える名無しさん:2006/11/25(土) 20:21:47
うむ。いまだにたまに読み返す。

原著とか読んでもにんともかんともだが、この人の本読むと
実際に考え方を前向きに変えられるのでよい

571 ::2006/12/06(水) 16:03:56
僕は自分を生きるための思想入門を少し読みました。なんだか本当に死にたくなりました。
死が最後の上がりであるのならばそんなの早くやってしまう方がいいじゃないですか。

572 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 23:50:14
死にたくなったら死ねばいいのでは?(´・ω・`)

573 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 23:59:27
>>571俺はそんな風には取れなかったよ。死にたいなら死ねばいい

574 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 17:58:16
渡辺二郎が西研の「哲学的思考」にべた褒めの解説を書いた後あたりから、竹田、西への批判がめっきり少なくなったな。
それまでは、アマチュアの手遊びだろ、みたいな発言ばかりだったが。
哲学厨って、権威主義者ばっかりw


575 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 21:31:22
本物の思想は生き残るというだけのこと。


576 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 21:18:25
永井均でさえ、専門哲学研究論文から逸脱していたゆえに、最初はアカデミズムの学者に見下されていたが、
超大物学者(大森荘蔵?)が彼を高く評価していたおかげで、
今では、彼は大物扱いされつつある。

哲学やっていて権威主義に堕すなんて、まさにギャグとしか言い様がないw

577 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 22:01:08
84 名前:考える名無しさん :2006/12/16(土) 21:53:24
大森しょうぞうに東大教授の肩書きがなく市井の哲学好きおっさんだったら
流れとよどみがあれだけの評価を得ただろうか。




578 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 22:12:50
いくらなんでも永井を例にあげるのはやばい。


579 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 22:12:53
しかし、現実にはどこでも、
哲学(だけでなく学問一般かな?)
にその種の権威主義はつき物のようだね。
古代ギリシャから現在に至るまで。

580 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 22:21:04
陽水のなんとかが一番良かった。

581 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 21:45:57
http://www.ittsy.net/academy/instructor/seiji2_3.htm

アメリカのイラク戦争を肯定していたという書き込みがずっと前に
あった気がするけど、あまり単純に肯定してはいないね。
評価については慎重に、また世界平和を実現する原理について
かなり的確なことを言っているように思う。

話は少し変わるけど
しかし思うのは、近代哲学が見出した「市民社会の原理」を
竹田は少し期待過剰に見ているのではないかと思ったりする。

現在そのとおりになっていないのは、近代哲学が見出した原理が
うまく機能できる条件が揃っていないからであって、決して原理自体が
間違っているからではない

という言い方を竹田はよくするが、その「うまく機能しない理由」について
深く考察したのを見たことがないように感じる。
連綿と受け継がれる歴史や習俗と、近代社会の原理とのせめぎ合いは
いつか終わって、原理によってのみ成る社会が生まれるか否か?
どうにも、そうでないように感じる。どうだろうか。

582 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:00:54
>>581
アメリカはどんな原理によって成り立っているのか?
また、原理の理想と現実はどうなのか?

583 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:05:38
理性は本能に及びません。

584 :ロッペン:2007/01/07(日) 08:18:14
普通の学者が現実の政治や戦争を過剰に見てるのでは。
むしろ何があっても変わらないスタンスだから今じゃ一番まっとうな哲学者に思えるよ

585 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 02:17:40
そうやって環境倫理や生命倫理とかに口を出して微妙にズレたことを言ってる哲学者
なんて日本には多いのですが。

社会哲学的な言説に関して言えば、やっぱり海外経験もないような人間はダメだろ。

586 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 15:43:30
英国の大学にいたじゃん。

587 :考える名無しさん:2007/01/17(水) 16:55:23
現象学を信憑構造の学だとして「信憑」という観点を強調するのは竹田のオリジナルな読みなの?

588 :考える名無しさん:2007/01/17(水) 19:26:52
いや、むしろ、「信憑」を「確信」化したのがオリジナル。
そのことによって応用範囲が一般化し、かつ哲学的議論に慣れていない人にも
理解可能な話になった。もちろん、これは哲学的議論の通俗化だともいえる。
なぜなら、超越論的現象学が超越論的でなくなって、結局のところは、世界内
の人間という生き物(存在者)についての経験的事実の話になってしまったから。
現象学の哲学的精髄は失われたが、普通の人に理解できる社会生活の心構えに
さえ応用可能なお話になった。

589 :587:2007/01/17(水) 19:39:47
なるほどね。
エポケーなしの還元って感じかな。

590 :ゆうじ:2007/01/17(水) 19:48:21
     ./ ゙'''i;;;;!    ゙';, ノ;,.;;l;ノ;,,ヾ,,,.ブ;;' ,,.r.:,==、-、. ヽ
    /   j;;;!   i;,,.;;;;;;;;;;人;;;;;:. l; ;: ,;l.:.:.{ * .} );, ヽ
    /   l;;;;;!  ,.;;-'ニニヾ;;、:;ヽ;;  ヽ, ゙ヽ,:.:`--'.,..//゙  ゙、
   .!     ゙i;;;>'",..--、  ゙i;, l;;゙;::i:;)   ヽ`'ヽ`゙"゙ヽ;::゙i,    l,
   |     / /.:.{ * } ,./,. l;; :;《;.    ゙、 :;:;;;;,. ヾ;;;゙i,.  ゙i,
   |    i |::.:::.:`--'シノ,;'゙ :;l;;::,.      ヽ ゙'';;;;;;,.. ゙i;;;:!.  l
   |    l ;;:゙`-==' ,ィ" '゙  :;゙、;;;:;:,.,   ゙;,`ヽ ゙';;;;;;, l;;:゙i,  ゙!
   .!     `゙゙''''i;;;;:::|      :!;;:'゙;;:;,.   ;: ,ゾ゙''';;;;;;,.じ'゙.;: |
    |       ゙i;;;::|     ,;ri;;:,,,;;;;;;;:;:;:;:;;;/;;゙ ,.-、;;;; :;:;:;:;: .!
    .!:,:,: ;;;;:;,..   i;;;::|     .,/ ヾ:(⌒`-‐'" _,.-'",,._ ヽ,ヽ;:゙:. |
    l;';';';:;;;;;;:;:..   |;;:l,. ,. ,. ,:;/  _,,,..--‐''"´ _,..,へ ヾ-〉;!:,:,:.:.!
     ゙!;;;;::;;;;;;;;;:;:;::;;:;:l;;;:!;;:;:;:;:;/  / ,,;____,,...-''i"  l_,.-‐! ||;:;:;:;,'
      ゙、;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;;;;:l;;:!;;;:::;/  / ,,;/`i  l  ゙!,..-'゙'iY゙i, ゙!;;;;;/ 還元ないねぇっ
        ゙、;;;,. ゙'';;;;;;;;,. ゙、;;゙!;: l  ,' ;ノ、_ノー‐'^`''"  ,..ィ' l`'l .!;;/
         ヽ:,:,:,:;;;;;;;;;,. l;;;゙i |i_/∠i゙i'"゙i‐┬‐┬'''i"_,ノ"/ .//
         ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;,,`'";ヽ`ヽ, `ヽlヽ〜-^ー'^,.-'" .//
         \;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ, ゙''ー-‐''"   //
              ゙ヽ、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、__,...-‐'",./

591 :考える名無しさん:2007/01/19(金) 10:49:35
>>586
英国と大陸とは違うからなあ。

592 :考える名無しさん:2007/01/20(土) 13:53:29

英国の大学にいたって、
本当に英語で英国の哲学者たちと議論していたのか?
(英国にいただけではないのか?)

593 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 20:56:23
>>588


個々にとっての「真理」を「信憑構造」に読み替えた
のが"フッサールの現象学である"みたいな言い方をするけどな
竹田は。

フッサールの文章が難解なために、解釈次第で
いろんな読み方が出来るので そうとは言ってない
現象学者もいるというだけのことで…

>超越論的でなくなって、(略)経験的事実の話になってしまったから

この意味するところがよくわからないが。
フッサールって、徹頭徹尾経験的事実の話をしてるんじゃなかったのか?
経験世界を超えたたとえば「物自体」なんて想定していたか?

>現象学の哲学的精髄は失われたが

具体的に言って何が失われたの。

594 :考える名無しさん:2007/01/22(月) 20:57:24
>>589
まぁ興味ないなら読まなくてもいいが。読んでないね?
竹田読んでればエポケーなんていくらでも出てくるんだが。

595 :587:2007/01/22(月) 21:09:06
>>594
いや何冊か読んでから書き込んでるんだけど。
おれが「エポケーなしの還元」って呼んでるのは
>>588に書いてある、きみが理解できてない部分のことだから。
>>588が理解できてからまたレスしてね。

一応軽く説明しとくと、竹田においては(特に信念対立の解消とかの議論では)
エポケーは「信憑構造」っていうキータームを取り出す際に1度だけ使われるだけで、
あとはエポケーなしでも全く問題ないことにしか還元を用いてないってこと。

596 :588:2007/01/23(火) 22:20:51
>>593
フッサールは経験的事実の話なんかしていない。超越論的経験の話をしているのだ。
もちろん「経験世界を超えたたとえば「物自体」なんて想定」してるわけがない。
超越論的経験とは世界そのものを初めて成立させる経験だ。それは決して経験諸
様態の内の一項目(たとえば確信成立とか)取り出すことができない。だからこ
そ、超越論的なのだ。それは実は、現に存在する世界そのものとしてしか取り出
せない。経験と世界は完璧にコンプリメンタルでその間に因果的な楔を打ち込め
ないのだ。これが超越論的現象学の哲学的精髄。ここにはいわく言いがたい精妙
な真理がある。現象学に(フッサールの)に魅力を感じる者はこの精妙さに参っ
てしまうのだ。竹田現象学では、超越論的主観の超越論的経験に対応するものが
我々自然的人間の経験的心理状態の一項目になるので、超越論的現象学のいわく
言いがたい精妙なところは非常に分かりやすい、誰でも理解できる話に変わる。
竹田さんは、哲学のいわく言いがたい精妙なところを分かりやすく、日常生活に
も応用できるようなお話に変換するのがとてもうまい。そういう特殊能力がある
のか、そのようにしか理解できないほど哲学的に無能なのかは、どちらでも同じ。

597 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 13:58:15
竹田青嗣と宮台真司が議論したら・どうなるだろ?
噛み合うだろうか?

598 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 14:32:46
福田と議論すればいい

599 :考える名無しさん:2007/02/01(木) 04:35:16
竹田「実存主義サイコーですか???」


600 :考える名無しさん:2007/02/01(木) 11:29:10
コードギアスは竹田の功績ではなく谷口監督の功績である。
竹田がやった事は2期のOPにジンを入れたことでギアス厨に反感を買った事だ。

601 :考える名無しさん:2007/02/01(木) 13:36:12
>>598
種や死種について語るのか?
両沢千晶のおかげで糞シナリオになった事について謝罪して欲しい。
今年の福井ガンダムではその事を考慮して欲しい。

602 :考える名無しさん:2007/02/02(金) 01:49:53
本当にアニオタって空気が読めないね。

603 :考える名無しさん:2007/02/11(日) 18:18:22
信念対立なんて哲学で解消できないと最近思えてきた。

竹田は原理を明らかにはしたが、それに誰も乗っからないもんな。たぶん。

604 :考える名無しさん:2007/02/14(水) 23:06:11
竹田ファンだったが、最近著作もぱっとしないし、
なんか冷めてきた。
原理論はもう煮詰まってる感があるから、
今後は各方面の影響力ある人と対談とかしてもっと実践的なことをしてほしい。

213 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)