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【決定論】自由意志 part2【因果律】

1 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 00:55:37
野矢茂樹「哲学の謎」
 われわれもまた枯葉と同様に自然法則に従うしかないというのであれば、われわれの動きは自然法則に縛られている。
 しかし、もし自然法則に従った動きしかできないというのであれば、「自由な行為」ということも私には虚しく思える。
 それはけっきょくのところ操り人形の見た幻影にすぎないのではないか。

ベンサム「道徳および立法の諸原理序説」
 自然は人類を苦痛と快楽という、二人の主権者の支配のもとにおいてきた。われわれが何をしなければならないか
 ということを指示し、またわれわれが何をするであろうかということを決定するのは、ただ苦痛と快楽だけである。
 一方においては善悪の基準が、他方においては原因と結果の連鎖が、この二つの玉座につながれている。苦痛と
 快楽とは、われわれのするすべてのこと、われわれの言うすべてのこと、われわれの考えるすべてのことについて、
 われわれを支配しているのであって、このような従属をはらいのけようとどんなに努力しても、その努力はこの
 ような従属を証明し、確認するのに役だつだけだろう。

フロイト「エロス論集」ナルシシズム入門
 鎖の一つの環としての個人は、自己の意に反して、少なくとも自らの意志をもたずに、鎖に奉仕するのである。
 個人は性を自己の意図に従ったものと考えているが、別の視点からみると、個人とは自己の生殖質の付属物にすぎない。
 そして快楽という褒美につられて、生殖質に自分の力を捧げているのである。生殖質は、おそらく不死の実体であり、
 死すべき個人とはその乗り物に過ぎない。

ドーキンス「利己的な遺伝子」
 彼らはあなたの中にも私の中にもいる。彼らはわれわれを、体と心を生み出した。そして彼らの維持ということこそ、
 われわれの存在の最終的論拠なのだ。彼らはかの自己複製子として長い道のりを歩んできた。今や彼らは遺伝子という
 名で歩きつづけている。そしてわれわれは彼らの生存機械なのである。

2 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 00:56:55
大庭健『「責任」ってなに?』講談社現代新書の第2章「責任と自由―責任の条件」では
決定論と責任の関係が出てきている。
・行為の責任が問えるのはその行為と違う仕方で振舞えたときに限る。(他のようにもできたか否か)
・因果的な決定論が正しいなら「他のようにできた」とは言えない。因果的決定論を認めて、なお責任を
論じるためには、「他のようにできなかった」としても、責任は問われうると主張する事になる。
・因果的な決定論と意志の自由について両立不能論と両立可能論がある。
・両立不能論の立場は2つ。
1つ目は意志の自由は幻想であり心の働きにおける因果連鎖の帰結にすぎないとする立場。
2つ目は意志は因果連鎖に縛られず自由に働くものであり決定論は偽であるとする立場。
意志の自由という感覚は否定しがたいが、決定論を偽とすると科学・技術の実践が説明困難になる。
人間の意志に関してだけ因果的な決定論が成り立たないとすると、世界は因果的に決まった出来事と
そうでないがでもデタラメではない心の出来事という、全く異なる2種類の物事によって成り立って
いるという事になる。そうすると因果律に従う物体と自由な精神(霊魂)という二元論になる。
・両立可能論では、意志の自由は幻想ではないし因果的決定論とも矛盾しないとする。
・著者は個々のミクロな反応は物理的・化学的な反応で因果的に決まっているが、マクロな状態は
因果的には決まっていない(非平衡の自己組織化という言葉を使っているが適当なのか?)とする。
心の働きは脳神経系の働きなしには生じないが、個々の神経細胞のミクロな働きは、因果的に決定され
ているがマクロな脳状態の変化は因果的に決まっていない、このときマクロには「決断する」という
出来事が起こっている、自らの意志によって自由に決断する私がいる、とする。
このことは、脳において因果的に決まった物理現象が起きている、ということにも還元できないし、
物理的な因果連鎖を超越した魂がある、ということをも意味しない、と言う。

3 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 01:05:52
連載第一六回:自由とは何か?
■彼らはいずれも、自由ないし自己決定を自己原因性として把握している点が共通しています。
■これは、因果帰属と選択帰属との混同です。両者を区別したのが、カントです。世界が因果的に決定されているのなら
(カント自身が信じるニュートン的世界観)自由意思などあり得ません。彼は、自由とは、因果的な自己原因性でなく、
意思通り行為できることを指すのだと考えました。
■論理(純粋理性)と倫理(実践理性)を分離したのです。人倫の世界では、意思が妨げられていない以上、別の行為を
意思できた筈だと了解されます。その限りで、当事者に自由意思があった──殴らない選択も意思できた──と見做され、
責任が帰属される訳です。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=136&catid=7
連載第一七回:下位システムとは何か?
■前回を復習すれば、カントの自由意思論(『実践理性批判』)が示すように、自由とは因果的な自己原因性ではありません。
即ち、因果帰属でなく選択帰属の問題なのです。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=155&catid=7

ised@glocom - 積極的自由(isedキーワード「消極的自由」と同内容。)
アイザイア・バーリンは論文「二つの自由概念」のなかで(『自由論』(みすず書房、1971年)、
積極的自由/消極的自由という有名な対概念を提示している。

消極的自由とは、一般に「〜からの自由」などとも呼ばれ、ある行為主体が強制を受けていない
状態にあることを意味する。一方の積極的自由とは、「強制を受けていない」というだけではなく、
主体が自らの従うべき格率を自ら設定しうること、自律的な自己決定能力を持つこと(〜への自由、
〜へ向けての自由)を意味する。バーリンは1959年講演において、冷戦体制を背景に、消極的自由を
擁護し、積極的自由を称揚することの危険性を訴えた。なぜなら積極的自由が、全体主義者や
共産主義者による「正しき道」への国民たちへの命令を正当化すると恐れたからである。
http://ised.glocom.jp/keyword/%e7%a9%8d%e6%a5%b5%e7%9a%84%e8%87%aa%e7%94%b1

4 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 01:11:37
ピコ=デラ=ミランドラ「人間の尊厳について」
ピコ=デラ=ミランドラが、各地の学者を招いてローマで開く予定であった討論会のために準備した演説原稿。ピコは
あらゆる思想・宗教は同じ真理の表現であると考え、諸思想を一つに融合しようとした。演説原稿によれば、神は人間に
自由な選択の能力を与え、自己の生き方を自由に選ばせるようにした。人間は自由意志によって動物に堕落することも、
神との合一にまで高まることもできる。人間がみずからの自由意志で自分自身を形成してゆく所に、人間の尊厳の根拠がある。

カントにおける自由
カントにおいては、みずからが立法した道徳法則に自発的に従う実践的な自由を指す。それは理性が立てた法則に、
みずから従う自律の能力である。自然の現象界(感性界)では、結果はそれに先行する原因によって決定され、すべてが
因果法則によって必然的に支配されている。道徳が可能であるためには、人格の自由な行為があらねばならず、カントは
自由な人格の世界として英知界を説いた。人間は感性的存在としては必然的な自然界に、道徳的人格としては自由な
英知界の両方に属している。人格は英知界の自由を根拠にして、みずからが立法した道徳法則に従って善を実践する。
カントにおける人格
カントにおいては、みずからの理性の命じる道徳法則に従って、自律的に行為する自由な道徳主体を指す。人間は
快楽への傾向性を持つ自然な存在であると同時に、理性の立法する道徳法則に従って、自律的に行為する自由な主体
としては人格である。人格は目的として尊重されるべきで、他の何かの手段や道具となる物件とは区別される。カント
は人格に絶対的価値と、人間の尊厳の根拠を見出す人格主義の立場をとった。

5 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 01:13:06
ダニエル・デネット「自由は進化する」の訳者あとがきについて(そこしか読んでない)
・自由とは自由を享受する能力である。享受する能力を伴わない自由なんてのは実質的に存在しない。
定義の中に定義する言葉が入っているのが変だけど、足が不自由な人が健常者のように普通に歩きたいと
思ってもできない、だから不自由だと感じる、挙げている例では「盲人にも何かを見る自由はあるんだ」
とあるが、「盲人は目が不自由であると感じる」ということが実際に存在する。
・自由の享受能力を拡大する能力のないものには平等な自由も権利も存在しない。
満足に言葉がしゃべれない者が虐待を受けていたら、その人には苦痛を他者に理解できる形で表明できる
自由はないので、対等な権利も存在しないのか。
・遺伝や環境要因によって決まる部分はあるが、それですべて決まるわけじゃないから自由意志は存在する。
遺伝や環境要因で決まらない自由とは何か。道具や機械やクスリも環境の一部ではないか。努力などの動機
付けも遺伝や環境によって規定されているのではないか。(社会階層の違いによる学習意欲格差など)
・怒るときには怒る理由があるし、絶望には絶望の理由がある。その怒りや絶望も含めて自分だ。
理由や原因がある感情に動かされている事に主体性はあるのか。
・利己的遺伝子論は自由意志の否定にならない。自分は利己的遺伝子やミームと独立した存在ではあり得ない、
 それらも含めて自分なんだ。
自分や近縁者の遺伝子を残すようにプログラムされ行動を選択しているものに主体的な自由は存在するのか。
・脳科学的な議論
アルコール中毒者がアルコールを摂取するように行動するのは脳内のある種の化学的反応に支配されているから
であり、中毒から自由になろうというのも、脳内の物理化学的な反応に基づく。
・ぼくたちにできる最高の戦略は、とにかくわかる範囲でいちばん害を避けて有利な結果となりそうな選択肢
 を選ぶことしかない。そのとき選ぶのは決定されているのかもしれないけれど、どう決定されているかわから
 ない以上、それを心配したところで意味はない。
選択も自分の快楽追求に支配されているのではないか。

6 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 01:21:26
茂木健一郎「脳とクオリア」
 私たちが、主観的には自明のこととしている「自由意志」という「幻想」を打ち砕いたのは、人間の肉体は、私たちの
 心を司る脳を含めて、自然法則に従って動く「機械」に過ぎないという認識だった。すなわち、「人間機械論」である。
 
 現時点で、私たちは、人間機械論の前提を疑うような合理的な根拠を持っていない。私たちの心が、私たちの意志決定の
 プロセスが、世界の中で自然法則に従わない特別な例外であるということを示す証拠は一つもないのだ。つまり、心も、
 意志決定のプロセスも、自然法則の一部と見なされなければならないということなのである。

 <ニューロンの時間発展を支配している自然法則が決定論的→自由意志はない>
 <ニューロンの時間発展を支配している自然法則が非決定論的→自由意志はある>
茂木健一郎「脳とクオリア」
 人間に自由意志が存在するということは、私たちが私たち自身について考え、人間的な価値観や、モラルを形成する
 上で、死活的に重要な前提だ。もし、人間に自由意志が存在しないとしたらどうなるだろうか?ある人間が将来どの
 ような行為をとるかが、あらかじめ決まっているとしたら?私たちがどのような意志を持とうとも、そのような意志
 を持つこと自体があらかじめ決定されているとしたら?そのような世界は、私たちにとってかなり受け入れにくい
 はずだ。実際、自由意志がないとしたら、私たちの人間観、社会観の多くは、その根底から崩壊することになるだろう。

 外に選択肢がなかったのだとしたら、どうして犯罪者を責めることができようか?

 もし、自由意志がないのだとしたら、人間のあらゆる努力は意味のないものになり、人間の尊厳さえ、失われること
 になりかねない。
 このように、「自由意志」があるかないかという問題は、私たち人間の存在の根幹に関わる、重大な問題だ。もし
 自由意志がないのだとしたら、私たちの人間観、世界観はまったく変わったものにならざるを得ないのである。

7 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 01:23:16
・縁起
すべてのものは相互に寄り合って成立し、無条件にそれ自体で存在するものはないという、仏教が説く存在の法則。
縁起とは「縁りて起こる」の意味。生があるから老いや死があるように、すべてのものは何らかの原因を持ち、他の
ものを条件として存在している。縁起は「これがあればあれがあり、これが生ずればあれも生じる、これがなければ
あれもなく、これが滅すればあれも滅する」と説かれる。衆生の迷いも固定的なものではなく、それが生まれた原因・
条件を滅すれば、消滅して悟りを開くことができる。
・因縁
縁起によって物事がおこるときの原因・条件になるもの。直接的な原因となるものが因、間接的な条件や環境が縁と
呼ばれる。人間の生命も肉体も、この世のすべてのものは因縁が和合して成立し、因縁が離散すれば消滅する。
・五蘊
すべての存在するもの構成する五つの要素。色・受・想・行・識を指す。色(物質や肉体)・受(外界の物を感受する
作用)・想(物事を思い描く表象作用)・行(物事を形作る形成作用)・識(物事を対象として認識する作用)の五つ
が集まって、すべてのものがつくられる。そのどれにも「われ」「わがもの」と固定的にとらえることのできるものは
ない。自我そのものは五つの要素の集合によって成り立ち、それ自体の固定的で永遠の実体を持つものではない。仏教
では固定した実体としての我は認めず、無我の立場を説く。
・空
大乗仏教の根本的立場をあらわす語。すべて存在すものは固定的な不変の実体をもたないということであり、縁起説を
深化・発展させたものである。大乗経典のうち、とくに「般若経典」が空の思想を強調し、のちにナーガールジュナが
これを哲学的にまとめた。
・無自性
すべての存在するものが固定的、実体的な本性(自性)を持たず、他のものに条件付けられて成立していること。
ナーガールジュナ(竜樹)が縁起説を深めて展開した空の理論を指す。無自性の教えによって煩悩も苦もそれ自体の
実体を持たず、一切の衆生は本来は空に生きており、空を悟って仏になる可能性が開かれた。

8 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 01:30:47
おまいねぇ、だれも読まないよ、長すぎて
読んで欲しくて書いてるなら、
タイムリーに必要な分だけ出すのよ、手間惜しむなw

9 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 01:38:29
自由意志があると思ってる人は
ミジンコやアメーバーにも自由意志があると思ってるの?

10 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 02:02:08
>>9
ミジンコに聞けw

11 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 02:04:07
だから自由意志がないっていう証拠を持って来れないんだから
何スレ立てても決定論には勝ち目が無い。
無駄だって。


12 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 02:10:01
1.全ての生物に自由意志がある
2.高等な動物には自由意志がある
3.人間だけに自由意志がある

1なら納得できるけど
2.3は納得できないなあ・・・進化論とかどうなるよ

13 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 02:23:12
自由意志
一般に,外的な強制・支配・拘束を受けず,自発的に行為を選択することのできる意志のあり方をいい,〈意志の自由
freedom of will〉ともいう。プラトンは《国家》第10巻の〈エルの神話〉のなかで,人間には死後の運命に対する
選択の余地があり,その内容は道徳的行為によってきまると述べたが,他方人間は神の〈遊び道具〉であるともいって
いる。信仰に関して人間に自由意志をみとめた最初の人はエメサのネメシオス Nemesios(359ころ没)であるとされる。
アウグスティヌスは《自由意志論》(395)で罪と自由意志との関係を論じ,それによってマニ教の善悪二元論を克服
した。この場合,自由意志はたんなる選択の働きではなく,意志の全体と統一が成ることであり,回心なしにはこの
ことは起こらないとされる。ここにギリシア的な主知主義に代わるキリスト教的な主意主義が成立した。アンセルムス
はこれを厳密に論じ,自由意志とは〈自由な選択〉ではなくて〈自由を選ぶこと〉であり,自由それ自体は人間の選択
意志によって左右されない本質をもつとした。このように自由を選択意志に先行させることは意志の働きを弱めるもの
ではない。それはむしろ,自由を選択意志にのみ与えたために自由の実質が低下することを避けるのであり,意志に対
しては自由と同時に服従をも帰せしめることにより,自由は服従によっても失われないとするのである。

14 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 02:24:29
>>11
どう考えても、自由意志があるっていう証拠を持って来るのが妥当だろ

15 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 02:26:35
この考えはとくに,ゲルマン人の自由意識を尊重しつつ教会と国家の両立をはかった中世カトリック教会の所産であった
とみなされる。ルターが《キリスト者の自由》(1520)の冒頭で,信仰の自由は支配者と奴隷のいずれの側でも成立する
と宣言したのもここから来る。しかしその命題は,伝統的な教会や国家の拘束を排するルネサンス人の意識にあわず,
エラスムスとの間に自由意志をめぐる論争をひき起こした。ルターは晩年のアウグスティヌスとペラギウスとの間に生
じた論争をふまえて,人間の自由意志は現実には恩恵(恩寵)を受けつけない〈奴隷意志 servum arbitrium〉であると
断定する。同様の主張は17世紀後半のジャンセニストにもあり,近代においては中世的な〈恩恵と自由意志〉の調和は
破れたといってよい。ホッブズは,自然権にもとづいて自己保存の本能に従ってなされた自由な行為のみが存在し,
他方意志があらかじめ欲求によって規定される限り自由意志は存在しない,と主張した。デカルトは自由意志を理性
活動にだけみとめて,理性的である限り意志の自律と自足を主張した。カントはライプニッツとともに自然の因果性を
超える自由の事実(ライプニッツのいう〈事実の真理〉)をみとめ,これを神,不死とならんで道徳のための要請とした。
理性的存在者の道徳的行為は自由の要請のもとで,自律的な〈定言的命令〉に従う限りで成立するのである。けっきょく
〈恩恵と自由意志〉の調和はいったん破れたものの,自由意志をたんなる欲求や自発性と同一視することはできず,
その根は人間の心身性や超越という関係性の中にあることが明らかにされた。近代哲学はこの点で主意主義を保持して
きたといえる。                                           泉 治典

16 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/16(月) 02:28:17
どうして、自由と意思とを分けてくれないのかな。
上のレスをみてもよくわからない(読んでないけど)。

17 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 02:30:24
>>12
カオスを考えてみては。
単純な物理法則に乗っ取った系でも因子が増え巨大になれば予測不能になる。
人間の脳は単純に外界からの感覚入力を認識しているのではなく、
感覚入力を元に脳内で世界を構築してからそれを認識しているという説が有力になりつつある。
脳内は外部入力から独立し脳内で判断がなされているという事。
それこそ自由意志と呼べるのでは?

18 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 02:33:42
>>14
自由意志はあるよ。
その証拠は君がレスしたのも自由意志。
違うと言うならレスした外部的根拠を全て列挙して。


19 :伊園クリトリス若女:2006/01/16(月) 02:36:15
スピノザによれば、すべてのものは唯一の実体である神から生じる。それゆえ、すべては神の決定のなかにあり、倫理学に
とって本質的なものとみなされる人間の意志の自由は存在しない。自己原因である神だけが自由な存在であり、それ以外の
ものは自由をもたないのである。私たちが日常生活において自由だと思っているのは、自分の行為を必然的に制約している
諸原因に対して無知であることから生じるのである。
スピノザの「神」は、キリスト教で教えるような、世界をつくりこれを動かしている神ではなく、世界のうちにあり、
世界そのもの=自然であった。

前スレ
自由意志
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1133455812/

20 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/16(月) 02:37:09
>17
脳内においても、認識の対象となった段階では、それはカオスではない。
カオスは、再現性がないものである、とすればだけど。


21 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 02:37:52
>>18
単なる、時系列における俺の状態変化
俺の状態変化は、以前の俺の状態から定まっていた

22 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 02:39:16
>>17,>>18
それはミジンコの刺激→反応が複雑化しただけじゃないの?

23 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 03:43:46
>>21
脳内のランダムな状態変化が関与するとすればもうそれは定まっていないね。


24 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 03:47:25
いやランダムでなくてもいいね。脳内が独立した系とすればそれは自由意志。
感覚刺激を取捨選択する判断から脳が行っているのだから。

25 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 03:52:40
>>23

なぜ、

> 脳内のランダムな状態変化が関与するとすれば

という仮定がイキナリ出てくる

単なる、時系列における脳の状態変化
脳の状態変化は、以前の脳の状態から定まっていた

と同じだろ

26 :21=25:2006/01/16(月) 04:00:17
>>24
> 脳内が独立した系

主観とは独立した外界に脳があるとすれば(要するに自然の一部に脳があるとすれば)
独立することはありえんぞ

27 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 04:00:50
>>24
>脳内が独立した系
は?

28 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 04:09:19
自由に意味について

自由であるとは「複数の可能性がある」ということと「自分の思い通りである」ということの
二つの意味があると思うが、行為の自由においては両方(または後者のみが?)重要だと
思う。

 わたしはじゃんけんをしたとき勝つことも負けることもあり得るが、
 自由に勝ったり負けたりすることはできない。

 わたしは目を見開いたまま何も見ないでいることは不可能だが、
 それは不自由なことだろうか?

 しかし、じゃんけんに負けたことのない人がいて、
 実はその人はじゃんけんで負けることができない人間だったとしたら、
 その人はじゃんけんで「自由に」勝つことができる、と言えないような気もする。
 でもそれはじゃんけんで負けようと思うことができるからこそ、とも言える。

一方意志の自由については前者(決定論の是非)のみが問題になりうると思う。

自分の意志が自分の意志どおりであるかどうかなんて問題にもできない。
(自分の意志が自分の意志どおりであるときとないときの差異が分からない)

たとえば複数の可能性があってもそれを自分で選べなければ自由意志はないとする場合、
複数の可能性のうちひとつを自分で選ぶこととそのひとつが偶然や確率によって決まる
ことにどんな違いがあるのか?

29 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 04:16:41
脳内が感覚情報を取捨選択して認識する独立した情報系である事に注意。
この反証が無ければ自由意志無しとは言えない。

30 :21:2006/01/16(月) 04:17:20
>>28
> 一方意志の自由については前者(決定論の是非)のみが問題になりうると思う。

そりゃ、ちがうだろ?
意志に関係なく、ジャンケンに勝つことが決まってるか決まってないかが問題だろ

31 :21:2006/01/16(月) 04:19:10
>>29
>>26 はどう説明するよ?

32 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 04:20:48
>>29
意味が分からん

>取捨選択して認識する
これが既が情報を受ける前に決定されていれば
特に問題ないだろ

33 :21:2006/01/16(月) 04:48:50
きっと、27=32 でしょ?
君は自由意志がないと考えてるの?
気が向いたら答えてネ

ちなみに俺は自由意志があると信じているが、
自由意志があると上手く考えることができない


34 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 04:52:32
>>24
>脳内が独立した系
は?

35 :21:2006/01/16(月) 05:00:00
がっかりしたよ
少なくとも

>>27=>>34 で、

単に変なやつだったのね

36 :28:2006/01/16(月) 05:15:01
>>30
え?どういうこと?

じゃんけんに勝つことが決まっているかどうかが問題というのは、
自分の「行為」が「決定論」によって決まっているかどうかが
(自由意志の有無を考える上で)問題って意味ですか?

37 :21:2006/01/16(月) 05:21:24
>>36

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97
> 決定論(けっていろん)においては、各事態はすでに起きた全ての事態によって要請されている(決定されている)と考える。
> 言い換えれば、次に起こることは以前起きたことによって完全に固定されており別様ではありえない、ということである。
>
> 非決定論(ひけっていろん)は、決定論の否定であり、ある出来事は以前起きた事態によって要請されない、ということを含意する。
> 言い換えれば、次に起こることは以前起きたことによって完全には固定されない、ということである。
>
> 決定論は、しばしばラプラスの悪魔(過去、現在、我々の世界を支配する自然法則、に関する全ての事実を知り、
> その知識を余す所なく未来を見通す架空の存在)の話に仮託される。
>
> 一部の哲学者は、決定論は自由意志と調和しないと考えた。
> これは非両立主義(ひりょうりつしゅぎ)とよばれる考え方である。

を読んで、よおく考えてみ

38 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 05:31:47
>>21
1.人間は原始の生物から進化した
2.原始の生物に見られるのは単なる化学反応である
3.人間の意思もそれがただ単に複雑化しただけではないかと思う


または
原始の生物→乾電池一個と豆電球の回路
人間→チェス世界チャンプに勝てるコンピューター、学習型コンピューター

複雑になると思考しているように見える

39 :21:2006/01/16(月) 05:36:44
>>38
でもさ、そう考えちゃうとさ、意識そのものがあるかどうかすら、怪しくなっちゃわない?
チューリングテストをパスした人工知能に意識があるのかって話に近いんだよね・・・

40 :38:2006/01/16(月) 05:40:45
意識が単なる化学反応だって思えば特に問題ないと思うが

『(脳の化学反応と別に)意識はある』
という方が色々無理あると思うけど

41 :21:2006/01/16(月) 05:49:45
>>40
別にそれを否定する気はないけど、
それだと「自我」っつうのもなくなっちゃうね
自分があるということを考えることを捨て去ることになるんだろけど

42 :38:2006/01/16(月) 05:56:59
別に意識や自我とかを否定するんじゃなくて

『意識や自我は実は化学反応だ』

と思っておくだけ、パソコンのキー打つときに中の電子の動きなんか関係なく
触れるところと出力だけしか意識しないじゃない?

化学反応なんかの表面に出てくるところが意思とか行動になるんだと思う

43 :21:2006/01/16(月) 06:04:45
>>42
で、決定論の立場をとっていると考えていいのね?
(もお、出掛ける時間だ・・・じゃあね・・・)

44 :38:2006/01/16(月) 06:08:43
例えば化学反応の過程の中に

Aと言う状態からBに50%,Cに50%行く

という過程があれば決定してないよね
そう言うのがあるともないともはっきりしていないんじゃないの?

45 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 14:54:52
自由意志とか反証不能性に詳しい人↓こっちに加勢してくれ。

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1137195769/l50

○:「意志=欲求」論者
×:イパーン人

○:全ての「意志」は「欲求」に置換され得るから、「意志」という概念は不要だ。
×:レイプ犯が「私は本当はそうする意志はなかったんです、ただ欲望に負けて
 ついやってしまったんです」と言った時、それは置換可能ではないではないか?
○:それはそのレイプ犯が言語の利用を誤っている。
 それが「意志」ではなく「欲求」であるということを、どのように反証するのか?
 反証不能な言明について置換不能だとしても、それは私の主張の正当性を崩さない。

46 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 16:03:02
ちなみに確率というのは、観察者が得ているある条件の下でその事象が起こる割合のことだから、
この世界の終焉も知り尽くした神がいるなら、神にとっては全てが100%ということになる。

47 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 20:28:40
>>46
居るかどうか議論すら出来ない存在を仮定することに意味はあるのか?

48 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 20:37:15

決定論絡みになっちゃったのか・・ (´・ω・`)

|ノシ


|彡サッ

49 :考える名無しさん:2006/01/16(月) 22:29:57
意識が無い時には自由意志はあるの?

もし無いのなら、自由意志は意識の度合いに依存する擬似問題なんじゃないの?

50 :鬼頭:2006/01/17(火) 00:02:03
進化論を考えると自由意志が人間に存在するというのは間違っている、という意見があったけどそこでの自由意志は霊魂と
置き換えても同じ事だと思う。ミジンコよりかは人間の方が自由の度合いが大きいと言う事はできる。
決定論により自由意志はない、というのはあまり日常感覚や法とは相容れないし、日常を改善させたり責任を問う時の自由は
程度の問題ではないか。日常感覚でも少しでも頭を使えば色んな制約がある事が分かるし(それすら分からないで自分は自由だ
と思っている人もいるけど)、どこまでを外的要因とするかで主体や自由の線引きが変わる。自由意志というのは自分の意志、
主体的な意志と重なっているという事。

51 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 01:09:12
相対論も量子論も日常の感覚とはかけ離れているが
ある程度正しい物として認められてるぞ?

52 :鬼頭:2006/01/17(火) 01:41:59
決定論により自由意志はない、というのはどのような人にどの程度正しいものとして認められているのかな。
そんな事言っても犯罪が起きたら犯人に責任を問わなければ社会は成り立たない。

53 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 01:51:38
言い方が不味かったか
経験則が必ずしも正しいとは限らないということ
感覚的にAだから絶対Aだ!とは言い切れない


意思や行動の根本に化学反応があるっていっても別に矛盾してないだろ?
別に決定論だから責任逃れられるわけでも何でもないし

54 :鬼頭:2006/01/17(火) 02:28:48
私は決定論で自由意志を否定していますが、日常感覚の自由というものが存在し論じられそれは程度の問題であると
いう事を書いたのです。
人間に自由意志がないとしたら行為に責任を負わせる事が従来の法では不可能になると思います。
普通に生活をしている人と、何の罪もないのに北朝鮮工作員に仕立て上げられ公安調査庁に自宅に破防法を適用させられ
どこにあるのか分からない小型監視カメラと盗聴器付きの生活を送る事になった人とでは、どちらが不自由か、と言えば
後者で、公安調査庁の不当な活動に対して責任を取ってもらおうとしても彼らは因果的にそうするしかなかく、他に選択
できなかったとしたら責任を問う事ができなくなるのではないか。

55 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 02:40:33
情状酌量とか知らない?

56 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 11:00:01
人は自らの自由意志の行使の結果として記憶を忘却することが出来ない。
もし思い出すことが出来たとしても「忘却し切れていなかった」ことが明らかになるだけ。
忘却した記憶は(外部者から見て再度)経験・知覚・情報の取得を行うしかないのだが
当事者にとっては再取得=最初の経験となる。

そして、もし「忘れたい」と意志しても、それは「忘れたい」とゆう「字面」を暗唱する
自由をチョイスしていることに他ならない。意志の起動はアクション=忘却には至れない。

そのような意味で、意識はどのような「字面」も暗唱する自由があるが、アクションに至るため
にはアクション「できること」とゆう制限が課される。またアクションを起こせてもパブロフの犬
同様そのアクションを起こす自由=チョイスの幅、また選択機能は経験によって多いに制限される。

57 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 12:21:35
もしあなたが決定論の立場を取るなら、決定論と法の有無は全く関係ない。

決定論的に法がある世界になっただけだし、初期値が違えば
法が無い世界が出来ただけだ。

つまり自由意志が錯覚であっても、あったとした方がいいよね
その方がうまく治世できるよね、とゆう世界が決定的に決まっていた。
自由意志が無かった場合に責任の所在はどうなるのか? とあなたが
心配することも決まっていた。

以下「と、ゆうことも決まっていた。」の無限連鎖

58 :鬼頭:2006/01/17(火) 15:42:43
やしの実が木から落下して下にいた人の頭に直撃して怪我をしたとする。
この場合、やしの木には責任を取らせる事はできない。
やしの木には実を落とすか落とさないかの選択の自由が無く「そうなる以外になかった」から。
高層ビルの上から人がリンゴを落として下にいた人の頭に直撃して怪我をしたとする。
この場合、従来の法ではリンゴを落とした人に責任を取らせる。
その前提は人には自由意志がありリンゴを落とさない事もできたという「選択の自由がある」とされているから。
しかし、決定論が正しく人には自由意志が無くやしの実の落下と同様に「そうなる以外になかった」としたら
従来の法では責任を取らせることが不可能になるのではないか。

決定論の世界では初期値がどのようであれ人のような生命体が存在し文明を築いていたら間違いなく法は存在する。
人がうまく生き延びる為に必要なものだから。

59 :鬼頭:2006/01/17(火) 16:16:33
法は人間の自由意志の存否を前提とするのをやめ、人間の脳内状態がある方向に行き実際に行動を起こす
状態になるのを禁止しているという事にすればよい。

60 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 16:38:37
>>58
ひとを殺して強いヤツだけが生き残る世界の方が「強い種」が残ると
思うけどな。法なんて弱者救済でしょ。死ぬはずだった個体を救済し
生き残るはずだった強者を制裁するのが法じゃない?

それと「人のような生命体」に「法を作るような生命体」「文明を築くような生命体」
とゆう意味が予め組み込まれているからオカシクなるのよ〜ん
さらに言うと「文明と法」は不可分でしょ?この世界では。
文明の中に「法をもったいる」ことが予め組み込まれてるじゃ〜ん
無法な文明ってあるのん? ま文明の定義の問題になるけど・・・

しかし生命体と法には関係が無い。
ゴキブリに法は無いし、犬にも無い。
うまく生き延びることと法にも関係が無い。
ゴキブリも生き延びているし、犬も生き延びている。

>「そうなる以外になかった」

正しく決定論に立つなら、その日その時その人の脳の中で
リンゴを落としたくなるような脳内化学反応が起きることが前提条件により
避けられず、「そうなる以外になかった」のです。
彼が能動的・選択的・主体的にリンゴを落としたと錯覚していても、です。

私は決定論者ではありませんがあなたの決定論者としての立脚点が
おかしいと思いますよ

61 :鬼頭:2006/01/17(火) 20:59:19
>>60
力の無いものでも道具を使えば力のあるものも殺せる。
そうやって身体能力の低いヒトが他の生物を圧倒し生き延びてきたのでは。
同種を殺せる力を持った者だけの自己利益が優先された無法の社会より
他者とのコミュニケーションをもとに協力しルールを築いた社会の方が
残ると思うけどな。

>「人のような生命体」に「法を作るような生命体」「文明を築くような生命体」
>とゆう意味が予め組み込まれているからオカシクなるのよ〜ん
私はヒト並かそれ以上の知性を持った生命体が宇宙にいたら、って事を言っているのだけど。
勝手な解釈をあなたが付けてオカシク思っているだけなのよ〜ん

>私は決定論者ではありませんがあなたの決定論者としての立脚点がおかしいと思いますよ
どこが?

62 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 21:46:07
だから知性って言葉に「法を作るような」ってのが組み込まれているので
同義反復ですヨって指摘だろうがよ。スターシップトゥルーパーズでも見ろ。

法を作るような知性をもった生物がいる世界では法があることが決定論
的に決まっている。ってあたりまえじゃん。 おまえおかしくない?

決定論と法の有無は全く関係無い。ま、おまえのバカさも決定論的だが。

63 :鬼頭:2006/01/17(火) 22:41:11
決定論と法の有無ではなく決定論の世界で責任を取らせる事がどのように可能か、
という法の有効性の事を言っているんだけど。
責任を取らせるとき自由意志や選択の自由を前提にしているけど、決定論が
正しければその前提は成り立たないんじゃないか、という話。
「初期値が違えば法が無い世界が出来ただけだ。」と言っている人がいたから
「初期値がどのようであれ人のような生命体が存在し文明を築いていたら間違いなく法は存在する。」
という事を言ったんだけど。
「人のような知性」に「法を作るような」という意味が組み込まれていて同義反復だと指摘するなら
「法の無い世界が出来た」という主張がそもそも変で「人のような知性を持った存在がいない世界が出来た」だろ。
ま、バカなおまえに中身のある反論は期待してないが。

64 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 22:54:34
決定論と責任は両立するだろ。フランクファートのウンコでも嫁。

65 :鬼頭:2006/01/17(火) 23:01:35
>>64
「ウンコな議論」ではどのように決定論と自由意志や責任は両立すると書いてあるの?

66 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:11:55
決定論が正しいなら結果主義の法を作ればいいだけ。
ただラインを引いて、ラインを越えたら罰する、機械的な法。
動機の有無はそもそも問わない。選択の自由の有無も関係無い。
とにかくやった奴は一律に罰し、やらせた奴がいる場合は共犯or部分的に罰する、とすればいい。
これこそアル中とヤク中とその他のキチガイどもが正しく罰せられる「まともな」法。

67 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:22:22
そもそも法律なんて人間の人間による人間のための自己満足に過ぎない。
自己満足のためにラインを引き、ラインを越えた奴を罰する仕組み。それだけ。

選択の自由だの責任の所在だの、あらゆる理由は後付けに過ぎないのに、
後付けの理由のために誰も納得できない判決が出るのは、これは本末転倒というものだ。

68 :Limahl:2006/01/17(火) 23:26:20
>>66
そのラインを誰がどうやって決めるかといったら、民主主義の多数決ということですか。

法よりも教育のほうが、身近な問題のように思えます。
子供をどうやって叱ったらいいんだろう???
「どーして○○やっちゃ駄目なの!?」
「我が家の法でそう決まったからだ! 子供のお前にはこの決定を左右することはできない!」
こんな方法になるのかな???

69 :鬼頭:2006/01/17(火) 23:31:00
>>66
なんか問題点がありそうだけど、心神喪失者の犯罪や責任能力の有無を認めないって事ね。
今現在、14歳以下や心神喪失者は責任能力無しとされている事の意義は何なのだろう。

70 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 23:36:19
収監された犯罪者の反乱が起きるだろうな。それとて決定しているのだが・・・
犯罪を犯すことが不可避であったものを罰していいのか、とゆう人権屋もいそうだ。
そして被害者は死ぬことが決まっていたので致し方ない、とゆう見方もできる

死ぬ人数も、生き残る人数も予め決まっているなら、生き残った者だけでも
せめて余生を平安に暮らそうではないか、といって遺族と犯罪者が握手するだろうか

71 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 05:02:21
なんで都合の良い所だけ決定論採用するんだよw
決定しているなら

遺族が犯罪者を憎むのも
犯罪者が責任を取るのも
責任を取るという概念も

全て決定していた、ただそれだけ

72 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 14:55:35
たぶん事実として宇宙は決定論なのかどうか?

よりも

事実である決定論or非決定論 に人間の知覚・認識力では至れないこと

とゆう事実の方が100000倍重要

73 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 21:15:55
×人間の知覚・認識力では至れないこと
○現在の人間の知覚・認識力では至れないこと

74 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 21:32:25
多分無理ちゃうん? 不確定性原理があるっしょ。
それって乗り越えられるんか? 技術力の問題なんか?

75 :21:2006/01/18(水) 21:44:14
> とゆう事実の方が100000倍重要

72 にとって 100000 倍重要なことはよく分かった
で、何の話?


76 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 22:21:30
いや、決定論的世界で知的生物が派生したら法ができるか?とゆう問題では
あまり意味が無くて、「(非)決定論的宇宙で、(非)決定論的宇宙を知覚出来ない
程度の知的生命体に限り法を生み出す」のではないか? とゆう切り返しだよね。

しかし、決定論的宇宙では「内部を知覚するような内部」を構造体として入れ子状に
作るのかなあ? 物理構造ではフラクタルってあるけど。
知覚って物理構造で出来得るのかわからん
たぶん自分の意識も決定されている、とゆう認識に至ってしまうと精神崩壊すると
思うんですけど。つまり外界を認識する生物学的理由=より生存する欲動が全否定
されるから意識・理性なんて全然不要で、かなりオートマティックなゾウリムシ程度
の反射さえしてればいいんジャマイカ。つまり生存するために外界の知覚や道具を
作る知能は必要だが、その知覚力、知能が「宇宙全体の基本構造が決定論的である」こと
まで及んでしまうと自分の生存そのものの理由を見失ってしまう。のでは無いか・・・

77 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 22:34:19
>>74
不確定性原理が及ぶのはミクロな状態なので
そこの誤差がマクロな系に及んで来るには時間がかかる
だから、少なくともある程度の予想は出来る
今年の寒波も予想できない技術じゃ遠い未来だろうけどw

>>76
決定論じゃない方が良いなー
ってことか

78 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 22:38:15
決定論が仮に正しくても、決まっている未来を知ることができない
限り、実質的には何も変わらないと思いますが。
また、仮に決まっている未来を知ることができるなら、変えることも
できることになるので、完全な矛盾です。要するに、未来を完全に知る
ことは、原理的に有り得ません。
一方、部分的に未来を知ることは、すでに普通に行われています。
要するに、決定論が正しくても間違っていても、実質的な意味は何もありません。

79 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 22:49:14
>未来を知ることができるなら、変えることもできることになる
ならないだろw
知っていてもその通りになるだけ

>決定論が正しくても間違っていても、実質的な意味は何もありません
哲学ってだいたいそうじゃない?

80 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 22:58:33
>>79
もちろん変えることができない現象も多いですが、「自分の行動」に
関する限り、変えられない理由が見当たりません。
例えば1秒後に手をこう動かす、とわかるなら、変えることは簡単です。
まして、「明日何時の電車に乗って事故に遭う」「どの株を買って下がる」と
わかるなら、その通りに行動する人はまずいないでしょう。
そして、人が一番知りたい未来は「自分がどうするか」ということなので、
これがわからないのなら未来が決まっていようといまいと、
どちらでも同じこととしか思えません。

81 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:02:14
>例えば1秒後に手をこう動かす、とわかるなら、変えることは簡単です
それは分かっていないということだな
決定されているなら分かっていたとしても完全にその通りに動くし思考する

都合の良いところだけ決定論で語ろうとするから変になる

82 :21:2006/01/18(水) 23:13:44
>>76
遅くなったけど、わざわざありがとう
面白かったよ

SFっちくな想定を感じさせるところが
俺的にポイントが高かった

83 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:14:02
>>81
2行目は、「それは決まっていないということだな」が正しいと思います。
まさにその考えの帰結として
「決定論が正しいのなら、未来を完全に知ることは原理的に不可能だ」
と言っているわけです。そして、知ることができない以上、決定論が正しくても
間違っていても実質的には同じことだ、と。

84 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:19:36
>>83
お前の理屈は

『未来は自分で自由に出来る』
という根拠に基づいてるよな、右手を挙げるとか

だが、全てが決定していたとすれば
『例え分かっていても未来は変更できない』
と言うだけ、別に原理とは反しない

85 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:21:58
友よ、天皇陛下の御名のもと美しい日本国を築こうではないか。


           .,.v-ー''″ ミ,
         ,,/  ,,,,   ミ
       .,/   ,,|||||||,,  ミ.
       ,!′  ,,||||||||||||| .゙゙!;
      ノ   |||||||||||||||||  ゙`!;        日本人だけの特権!
      .\.,  "|||||||||||||"   ..ミ            世界の中心で天皇陛下万歳を叫ぶ!
        .\  "|||||||" ,.,v-r|i
         )   ""  ./ ′ .ミ,
         .)    .,r'′   ミ.
          .゙'ー‐'¨¨″     フ∧_∧
                    r(,,゚Д゚)
                     〉日本つ
                    ⊂、 ノ
                      し'

     天 皇 陛 下 万 歳 !

日出づる処の極東板より
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1135328170/

86 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:29:13
>>84
そうではありません。経験的に言えるのは、
「人間は、現在の知識によって自分の意志で未来の行動を決定することができる」
ということだけです。これは「未来が完全に決定している」という考えと、
何ら矛盾しません。因果律の流れの中に「自分の意志」という要素が入るだけです。
私はこの意味の決定論が正しい可能性を、全く否定しません。
というか、その通りではないか、と思うこともあります。要するに、未来も過去も
本質的な違いはないのではないか、ということですが。
しかし、その「完全に決定した未来」を「現在において知ることができる」
という条件を導入すると、明らかに経験的な人間の行動決定の因果律と
矛盾してしまう、と言っているのです。
要するに「決定論が正しいのなら、未来を完全に知ることは原理的にできないのでは
ないか」と言っているだけです。


87 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:41:34
>自分の意志で未来の行動を決定することができる
>未来が完全に決定している
矛盾しまくりだろ
意志で未来が変わるなら、それは完全に決定していないと言うこと

意志も行動も全て決定されていて
例えそれを知ってもかえることが出来ない
完全に決定されていればこうだろ

>経験的な人間の行動決定の因果律
自由意志云々でしょ、それと決定論が相容れないってことじゃん

88 :鬼頭:2006/01/18(水) 23:52:30
>>78
>決定論が正しくても間違っていても、実質的な意味は何もありません。
決定論が正しいか、間違っているかではなく決定論が成り立たない世界などありえないと思うけど。

>>80
>「自分の行動」に関する限り、変えられない理由が見当たりません。
明日も食事をして空気を吸う事は?今から死ねますか?

89 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:58:15
Date :2005/06/29 23:07:16
Subject:◆決定論:意識は物理現象 変化は必然にすぎない37◆
URL :http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1119714392/
Name :素人
Mail :sage

>>226
確かに、意識は「物」ではないでしょう。
一個人の肉体内に生じる諸々の物理現象の組み合わせなり総体が「意識」という事象でしょう。
それは、人間が(私が)物質に過ぎないことと構造を同じにしていると思います。
また、さまざまな要素の総体が「我・自我・私」であるということとも同じ構造を見せていると思います。
意識についても○○現象という言葉をつければいいのにねw

後半に関しては、これと同じだなw
   利用のできない説明ならば、
   →読めない外国語の説明書であるならそんな説明書はゴミ箱へ捨てて、
   実際にその機器をいじりながら最もよい使用方法を見つけ出すこと(≒仏教的アプローチ)の方が、
   限りある寿命の中ではより建設的なスタンスだと思うが如何。
   それが、
    777 素人 sage New! 2005/05/07(土) 02:36:34
    スレの流れがまどろっこしいので
    とりあえず持論から>>735の文へ一言
    「決定論とは論破するものでなく無視するものである」 by素人
    >>761 >意識は物と独立に存在し(え)ない
    『この一文には』賛同するw
    781 素人 sage New! 2005/05/07(土) 03:12:17
    唯物論は受け入れるが決定論は受け入れない

    783 素人 sage New! 2005/05/07(土) 03:22:12
    いや、言葉を変えよう
    唯物論には頷くが決定論は素通りする かな。
   のレスの意味なのだがな(´ー`)y━~~

90 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 02:53:51
>>86
>「完全に決定した未来」を「現在において知ることができる」 という条件を導入すると、
 明らかに経験的な人間の行動決定の因果律と 矛盾してしまう、と言っているのです。

私は矛盾しないと思います。
決定論は未来の自分の行動だけでなく、未来の自分の意志も決定します。

仮に未来の自分の意志決定を知ってしまったとして、
それを変えようとあなたがどんなに思い続けても、
その時が来れば必ずあなたは「心変わり」をする、ということです。

その時でも、「経験的な人間の行動決定の因果律」つまり意志が行動の原因になっている
という因果関係は保たれています。

>>37
おっしゃりたいことが全く分かりません。
私は決定論の言葉の意味を誤解してるってこと?

91 :21:2006/01/19(木) 07:27:28
>>90
いや、誤解してないし、正しいと思う
急なんでびっくりした

92 :21:2006/01/19(木) 07:38:56
>>90
あ、たぶん >>87 か…びっくりして損した

要するに、
>>87
> 自由意志云々でしょ、それと決定論が相容れないってことじゃん

>>37
> 一部の哲学者は、決定論は自由意志と調和しないと考えた。
> これは非両立主義(ひりょうりつしゅぎ)とよばれる考え方である。
っていう立場をとる人なんじゃないの?
と無責任にいうだけいってみる

93 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 08:45:19
だから決定論的な世界では「未来を知る」とゆう行為自体に
全然「意味が見出せない」んだよ。可否問題、論理矛盾とは全く別の話。
そうゆう世界では未来を知ること=過去を知ること程度の意味しか生じ得無い。

で、生物ってのは食欲、睡眠欲、痛覚等に縛られていますよね?
進化論ではそれを「より生存するため」と理由付けしますけど
もし宇宙がMoreもLessも無いJustな構造なら、そういった
宇宙の中にMoreを志向するものを作ったって意味無いじゃん。とゆう問題
の方が興味あるな。

94 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 09:02:51
より生存するための存在(More)
が宇宙にとってJustなら特に問題ないと思うが



95 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 09:32:19
人間・生物を散逸構造として見るなら宇宙にもっと生命がいてもいい希ガス

96 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 09:34:30
>>94はJustな女性ですか、どうよ?


97 :大江公彦:2006/01/19(木) 17:25:16
鎖の一つの環としての個人は、自己の意に反して、少なくとも自らの意志をもたずに、鎖に奉仕するのである。
個人は国家を自己の意図に従ったものと考えているが、別の視点からみると、個人とは国家の付属物にすぎない。
そして社会からの承認という褒美につられて、国家に自分の力を捧げているのである。
国家は、個人の死後も残り続ける存在であり、死すべき個人とは社会の中の代替可能な操り人形に過ぎない。

自尊心のある人間は、国に縛られる事はない。祖国なぞ監獄のようなものなのだから。

自然界では、結果はそれに先行する原因によって決定され、すべてが因果法則によって必然的に支配されている。
法や人間の尊厳が持続可能であるためには、自由意志があらねばならず、彼は人間も全て因果的に決定された機械人形
にすぎないとして法と人間の尊厳の基盤の不在を説いた。

98 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 18:30:15
自由意志がなくとも責任を取るべきなんだよ。
今までの法制度がおかしかっただけ

99 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/19(木) 19:05:53
>>97
自由は、他者、地域社会、自治体、国家、そして世界により疎外される。
その疎外の中で、自分で納得できる程度の固有領域を構築していこうとする過程が生き様であり、「自由」。
その「自由」をイデアとして追いかけようとするmotiveとなるのが「自由意志」、かな。


100 :大江公彦:2006/01/19(木) 19:20:21
近代国家の市民は学校教育などの規律訓練によって監視の視線を内面化させ、自分で自分を監視するようにする事で
価値観を方向付けられ、国家的な目的に自発的に従っていくような行動様式を作り上げられた存在、なのか。
規格化された国民同士が価値観を共有し、規格化されていない個人を共同体から排除するような圧力を作り上げる、のか。
国民国家的な規律訓練は本当に失墜したのか。

            /l、
          (゚、 。`フ _
          _」、 "∨ ハニャ〜ン
       └じl_r' ,)

101 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/19(木) 19:32:45
>>100
「国民国家的な規律訓練は本当に失墜したのか」という問いだとすれば、
「残念ながら、本当には失墜しきっていない」、というしかないでしょうね。

102 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 19:51:59
この宇宙に物質以外のものは存在しない
心や感情や理想、希望、努力、勇気といった物は存在しない
存在するということにしているだけ

103 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/19(木) 19:56:01
>102
それを、「ただもの主義」という。

104 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 20:32:16
>>102
心や感情や理想、希望、努力、勇気といった物は存在しない。
心や感情や理想、希望、努力、勇気は存在する。

 でしょ。「といった物」が余計だったのよ。

105 :じいさん:2006/01/19(木) 23:52:32
>>50 :鬼頭 :2006/01/17(火) 00:02:03
>そこでの自由意志は霊魂と置き換えても同じ事だと思う。

急に「霊魂」などと言い出す根拠が良く判らない。
真面目に議論して欲しい。

106 :じいさん:2006/01/19(木) 23:58:17
>>54 :鬼頭 :
>私は決定論で自由意志を否定していますが、日常感覚の自由というものが存在し論じられそれは程度の問題であるという事を書いたのです。

自由意志を否定していて、程度問題と言うのはおかしいでしょう?
程度問題と言うのは否定していないと言う事でしょう?

それなら決定論は日常感覚には適用できないとでも結論するんですか?

107 :じいさん:2006/01/20(金) 00:14:36
>>58 :鬼頭 :
>決定論が正しく人には自由意志が無くやしの実の落下と同様に「そうなる以外になかった」
>としたら従来の法では責任を取らせることが不可能になるのではないか。

その通り、そう言う法も在りえる。
というより従来の法が自由意志があるとするように決定されていた。
人間が自由意志ありと叫ぶように決定されていたと言う事。>>57 の言うとおりです。
あなたの話は逆立ちしている。

決定論は人の意志は椰子のみと同じだと言っている。
それを法のような日常に不都合だから自由意志を認めると言うのは逆立ちしている。

>決定論の世界では初期値がどのようであれ人のような生命体が存在し文明を築いていたら間違いなく法は存在する。

この様な言い回しが陳腐である。
現実に、人社会に法は付き物であるという常識があるでしょう。
それなのに「人のような」と言う前提を付けたら「・・・いたら間違いなく法は存在する」となるのは当たり前。

人でないような多くの生命体には法は存在していないのだから。

>人がうまく生き延びる為に必要なものだから。

何の根拠もない。


108 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 05:46:09
「熱とは原子の振動のことである」ということが発見される前と後では、
「熱」という言葉の意味(や使われ方)が変わっている。

それと同じように、「人間の意志とは脳内におけるある特定の状態のことだ」
ということが発見される前と後では、意志という言葉の意味が変わっている
ような気がする。

その結果として意志が自由でなくなるのではないか?   ということを思いついた。

例えば、「努力できない人」というのはいるだろうか。
しないのではなくできないとすれば、何ゆえできないのか。
そんな人はあり得ないとすれば、それはなぜなのか?

>>91-92
びっくりさせてすみません。
ちなみに私は87じゃないです。
私も非両立主義が正しいかどうかは微妙だと思います。

109 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 08:48:44
「出来事は、現働的(アクチュエル)なのものから区別さ
れる潜在的(ヴィルチュエル)なものであるのだが、もはやカオス的ではない潜在的なも
のであって、この潜在的なものは、それをカオスから引き離す内在平面のうえで共立的な
ものへと、あるいは実在的(レエル)なものへと生成した潜在的なものなのである。現働
的であることなしに実在的であること、抽象的であることなしにイデア的であること。出
来事は、<物の状態>を俯瞰するがゆえに、超越的なものだと言えそうではあるが、しか
し、おのれ自身においてかつ平面のうえでおのれを俯瞰するという能力を出来事に与える
のは、まさにその内在平面である。」(ドゥルーズ,1992:221-222)


『差異と反復』
「私たちは、潜在的(virtuel=virtual) なものを実在的(reel=real) なものに対立させて
きた。だがいまや、そのような言葉遣いを修正する必要がある。(中略)潜在的なものは
、ただアクチュアル(actuel)なものに対立するだけである。潜在的なものは、潜在的なも
のである限りにおいて、或る十全な実在性を保持しているのである。(中略)潜在的なも
のは、実在的な対象のひとつの厳密な部分であるとさえ定義されなければならない」(p.3
15)

110 :鬼頭:2006/01/20(金) 11:02:02
>>105
「自由意志は存在する」というのは「物質を超えた霊魂は存在する」という事を根拠にする事がある、って事。
>>106
「自由という日常感覚は存在する」と「自然法則を超えた自由は存在しない」という事は両立する、って事。
450万円の年収で生活しないといけない状態と1000万円の年収で生活しないといけない状態とではどちらが自由か、
手錠をかけらた状態とかけられていない状態とではどちらが自由か、障害者と健常者とではどちらが自由か、という
事は自由の程度の問題として存在する、って事。
そして巷の多くの本は「自由意志と決定論」の問題は論じず「程度の問題として存在する自由」を論じている。
>>107
私が言ったのは「初期値が違えば法が存在しない世界ができた」というのは間違いで法システムは再現性がある、って事。
法を作った方が人の生存にとって有利だという事もわからないのですか。

111 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 11:10:00
すべてが必然であるかどうかと、いわゆる「責任」の問題とは、
何の関係もないと思うがね。
責任というのは「政治的理由で誰かを非難する」という以上の
意味を持たない。
たとえば大会社の社長はアメリカの支店で下っ端の社員が不祥事を
起こしても「責任」を問われる。その社員と会ったことすらなくても。
これは政治的にそうする必要がある、と認められているからであって、
「その社員の行為に必然性があるかどうか」とか「社長の行為と社員の行為に
因果関係があるかどうか」とは、何の関係もないことだ。

112 :めも:2006/01/20(金) 11:41:37
責任
責任ということばは,それが用いられる文脈に従って,多少とも相互に異なった内容を指す。哲学的概念としての責任は
人間の自由と相関する概念であり,政治的概念としての責任は立憲主義と相関する概念(たとえば内閣の責任)である。

刑事責任とは,刑罰を科せられるに値する能力ないし資格を指す。現代文明諸国においては,(1)成熟した障害のない精神を
もつ者が,(2)故意または過失により,(3)他の適法の行為を期待しうる状況のもとで違法の事実を引き起こしたとき,その者が
責任を問われて罰せられる。このように現代文明諸国においては,責任の担い手は正常な成人である個人であって,責任を
問われるのは故意または過失という主観的事実である。しかし過去においては,責任者と同じ集団に属しているために巻添え
になって罰せられたり,まったくの偶然の動作が引き起こした客観的事実が罰の理由となることが,珍しくなかった。また
子どもや精神病者が責任者の範囲から除外されない場合も少なくなかった。すなわち,近代以前の多くの社会においては重大な
犯罪に関して集団責任が制度化されていたり,また行為者の意図が何であろうと,行為(または不作為)の結果の重大さだけに
よって行為者を罰する客観責任が制度化されていたりしていた。近代へ向かうにつれて,集団責任から個人責任へ,客観責任
から主観責任へと,責任の制度がしだいに移行してきたのである。

113 :西園弖虎:2006/01/20(金) 12:05:59
物理学、哲学、心理学、脳科学、進化生物学、法学の知識が必要だな。

114 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 12:11:29
>>112
その歴史的流れの全体が「政治的理由」によるものでしかない。
理論とは何も関係ない。
現代の文明諸国において、子供や精神障害者に行為の責任を取らせることに
決定しても、何らの不思議もない。現実にそういう主張もある。
要は「それは気の毒だ」「いや当然だ」どちらの判断が多数になるか、
というだけのことで、どちらが正しいか「理論的」に決まるわけではない。
ちなみに、通常の人間も子供も精神障害者も、すべてどんな行為をするか
しないかは「決定されている」可能性もあるが、そのことと誰に何の
「責任」を取らせるかの判断は、直接関係がない。

115 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 12:17:15
で?   


116 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 12:37:03
>>114
未成年者や精神障害者はもともとグレーゾーンの部分に恣意的な境界線を
設けているだけなのでそういうことも言えるだろう。しかし、
犯罪が起こるたびにくじ引きをして当たった者に「責任」を取らせる
という制度はあり得ないんじゃないかな。「理論的」な制約はあるんじゃね?

117 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 12:43:04
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060119-00000192-reu-ent

他人の不幸を喜ぶ感情、男性のほうが女性より強い=英研究

 ロンドン大学UCLの科学者チームはこのほど、他人の不幸に対し人間がどう反応するかを
調べた結果を英科学誌ネイチャーに発表した。男性と女性で明らかな違いが見られたという。
脳画像技術を使い、脳反応を男女別に調べたもので、同チームは「他人の不幸を喜ぶ気持ち」
について神経科学上の根拠が得られた初の研究成果だとしている。
 それによると、好意的に思っている他人 が苦しんでいるのを見たとき、男女いずれの被験者の
場合も、脳の「共感」や「痛み」と関連する領域に反応がみられた。
 一方、苦しんでいるのが 嫌いな人間 の場合、女性は好きな人間が苦しんでいたときと
同じ脳領域に反応があったが、男性は脳の「報酬」と関連する部分に大きな反応が見られたという。
同リポート共同執筆者のステファン博士はインタビューで「(嫌いな人間が苦しんでいる場合)
女性の共感反応は弱まった。だが共感反応があったことに変わりはない。一方、男性には共感反応
は全く見られなかった」と答えている。
 同研究によると、男性は他人の公正さを認識したときに共感反応を示したという。
ステファン博士は「他人への共感は、これまで考えられていたように自動的に形成されるもの
ではなく、苦しんでいる人に対してどのような感情を持っているかによることが分かった」と述べた。
[ロンドン 18日 ロイター]

118 :めも:2006/01/20(金) 13:10:19
自由には必ず責任伴う
自由や権利には必ず責任がついてまわるんだから。
http://be.asahi.com/20040515/W12/0025.html

神経科学が問いなおす「自由意志と責任」
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20041216302.html

119 :じいさん:2006/01/20(金) 13:38:53
>>110 :鬼頭 :
>「自由意志は存在する」というのは「物質を超えた霊魂は存在する」という事を根拠にする事がある、って事。

成る程、しかしそうではないでしょう。霊魂は人間の死を説明できない。
人の死の判定は何処でするのですか、霊魂的にどう説明するのですか?

>事は自由の程度の問題として存在する、って事。

貴方の例の全てが当に自然法則と日常感覚が一致して切り離せないと言う例でしょう。
だから貴方のように自然法則が自由意志を否定して仕舞うと、全ての自由の程度問題の議論は無意味にあるんですよ。
貴方が程度問題を議論したいなら、理論的大前提である「自由意志の否定」の看板を下ろさなければなりません。

>「初期値が違えば法が存在しない世界ができた」私はそう思いません。

これは決定的におかしい。
科学的因果律が正しいのであれば、初期値が僅かでも違えば結果は異ならなくてはならない。
結果が不変だと言う事は、「法システム」が因果律から独立していると言っているようなもの。

>法を作った方が人の生存にとって有利だという事もわからないのですか。

そんな根拠はない。更に有利不利と言う価値観もおかしい。
何を持って不利、有利と言うのかな?
人の生存が因果律で認められているとでも言うつもりなのかな?

人間が生存するべきだ、と言うのは一つの価値観であって、まさしく人間の自由意志に他ならない。
「法を作った方が人の生存にとって有利だ」などと貴方が言いたいのなら。因果律で将来も人類が存続する事を証明してからにして欲しい。

もし因果律で明日人類が核戦争で全滅する事が決まっていたら、貴方の言い草はおかしいでしょう?

120 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 13:39:48
>>118
アホかw 「不自由」であっても責任は伴なうのよ
自己責任の原則は個人を取り巻く社会の条件によらず必ず付きまとう。

121 :めも:2006/01/20(金) 13:46:59
自由意志 free will
http://www.genpaku.org/skepticj/freewill.html
自由とはなにか
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/mori/entrance/nakai/

文芸社ON-LINE 中村うさぎ『美人とは何か?』
いいですか、皆さん。ブスであることも美人であることも、それが純粋に「顔立ち」の問題であれば(というのも、「顔つき」
はまた、別の問題だからである)、本人には何の責任もない。それはDNAによって決定されたことで、本人が選択したこと
ではないからだ。私の考える「自己責任」とは、自分の選択の結果に対する「責任」である。私に選択の余地のないものは、
私の責任ではない。したがって、心ならずも与えられた状況を私が自由意志によって変える権利は、理屈の上では認められて
いるはずだ。
http://www.bungeisha.com/usagi/extra01.php

122 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 13:49:25
>>121は女性ですか、どうよ?


123 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:04:19
>>120
それはどうかな。「自己責任の原則」ってのは、われわれが住んでいる個人主義の
市民社会の慣習かもしれないよ。

124 :めも:2006/01/20(金) 14:05:15
犯罪/刑罰・文献 法学
後期古典学派は1870年代、近代学派との理論的対立の過程で確立される。K. Binding(1841-1920)、K. v.Birkmeyer(1847-1920)、
E. Beling(1866-1932)らが代表者であり、彼らの理論内容は一様ではないものの、「形而上学的な自由意志の存在を肯定し、
自由意志によって犯罪行為をなしたことについて道義的責任を認め、その道義的責任のある犯罪行為に対する応報として刑罰を
加えるとする点では、ほぼ一致していた」(内藤[同:120])。
http://www.arsvi.com/0e/c0102.htm

125 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 14:06:56
社会的権利としての自由(信教の自由etc.)と、倫理的責任の必要条件としての
「意思の自由」は一応区別して論じた方がいいが、究極的に違うのかどうかはまた
別の問題。

126 :めも:2006/01/20(金) 15:34:26
カール・ポパーの非決定論と刑事責任論
http://www.law.keio.ac.jp/~popper/v6n2ida.html
件名縁起はやはり決定論では?(続き) 2004,8,2,
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha230.html

127 :考える名無しさん:2006/01/21(土) 12:29:27
>>110
>「自由意志は存在する」というのは「物質を超えた霊魂は存在する」という事を根拠にする事がある、って事。

だからね。鬼頭さん。もう一度言いますよ。

事実として霊魂はあるのか無いのか?

よりも

事実である霊魂ありorなし に人間の知覚・認識力では至れないこと

とゆう事実の方が100000倍重要

128 :考える名無しさん:2006/01/21(土) 16:59:58
直感だけの世界で勝手に生きてれば?

129 :21:2006/01/21(土) 17:12:42
というよりも、このスレで何をしたいのか?
よく分からんのだけど…

以前にも重要だと書き込んではいたけど
重要だから何なんだ?にしかなんないし

130 :考える名無しさん:2006/01/21(土) 18:28:48
>>128-129
完全に決まっていても困るし、完全にランダムでも困るワケ
そーゆーの解りません? 哲板なら科学からもらった論点
以外のパースペクティヴを見せてくれよ ってこのレベルじゃ無理か・・・

131 :考える名無しさん:2006/01/21(土) 20:24:01
毛の無い猿どもが喚いているスレ。

132 : :2006/01/21(土) 23:10:36
フーコー「近代国家の市民は国家的な目的に自発的に従っていくような行動様式を作り上げられた存在なんだ」
大江公彦「死すべき個人とは社会の中の代替可能な操り人形に過ぎない」
島津寿「じゃあさぁ、量産型の機械人形倒したらオレがホンモノってこと…だよね?」
宮台真司「君もガクソに規格化された量産型の脱社会的存在なんだ」
綾波レイ「たぶん私は3人目だと思うの」
西園弖虎「オリジナルのホンモノっーのは俺だけ」

133 :21:2006/01/21(土) 23:24:20
>>130
じゃあさ、話のネタくれよ
何か「命題」を出さん限りは話にはならないと思うよ

134 :じいさん:2006/01/22(日) 02:07:15
>>120 :考える名無しさん :
>「不自由」であっても責任は伴なうのよ

そうですよね。
自由であれば責任を伴う。
不自由でも責任は生じると言う事ですよね。

言えるのは、責任がない場合は自由ではないと言う事だけ。

135 :じいさん:2006/01/22(日) 02:07:59
>>124 :めも :

法律上の自由と責任の問題はそれは「法律」のカテゴリの問題でしょう。

>>126 :めも :
>>http://www.dia.janis.or.jp/~soga/excha230.html
>私は、多くの人は私と同様、縁起と聞けば、縁起=決定論とまず飛ぶので・・・・・・・・・

話の経緯が良く判らないが少なくとも「縁起」と「決定論」とはそれこそ決定的に違う意味でしょう。
連想する事自体信じられないが???
縁起と言うのは存在が相対的関係であるという意味に近い。
例を挙げると東があるから西があると言うニュアンス。


136 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:33:01
>>134
じいさん、呼び名どおりモーロクしてるなw
自己責任というのは
「自分のした事の結果は自分で受け止める」ということだ。
社会の課して来る制裁や報復のことじゃない。

端的に言えば「どの結果(責任)を選ぶかの自由」が
人には常にあるということさ。このことは意思の不自由を
意味しない。それを知る者にとって「意思は限りなく自由だ」
ということを意味する。かん違いスルナw

137 :じいさん:2006/01/22(日) 04:15:49
>>136 :考える名無しさん :
>「自分のした事の結果は自分で受け止める」ということだ。
>社会の課して来る制裁や報復のことじゃない。

ということであればなお更のことである。
例えば「心臓の鼓動」などは自分でした事であるが自由意志か?

>「どの結果(責任)を選ぶかの自由」が人には常にあるということさ。

鼓動するかしないかを選ぶ自由があるのか?
実際は脈拍を決める要素は意志の自由さと不自由さのグレイゾーンにあると言える。
多くの人間の行為は殆んどグレイゾーンの濃淡の中にある。

>それを知る者にとって「意思は限りなく自由だ」ということを意味する。

と言いたい気持ちは判るが、其の言い方は「意志が自由な範囲で限りなく自由である」と言った言い方と同じで、話が解りにくくなる。


138 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 14:15:58
>>137
爺さん・・・w
心臓の鼓動に意思は必要ないのよ。

なお、意思の発動可能な条件下でないと意思を語ることはできない。
意志の働かない条件下で語れるのは意思以外の事柄だけさw

139 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:04:43
>意思の発動可能な条件下でないと意思を語ることはできない。

「発動可能な条件下に無い意志」ってあなたにとっては何なの?
自由な状態でないと意志は無い。意志がある状態はすなわち自由な状態。
これではアノ鬼頭の「決定論と法」の話と全く同じレヴェルですよ?

たとえば有名な話でフィルムの一コマにコーラの絵をはさんで映画を上映すると
休憩時間にコーラがバカ売れするんですよ。サブリミナルってヤツですわ。
これは本人の意志ですか? 違うんですか? なんで禁止されたんでしょう?

私は選択機能が「別枠で確保」されても、その選択機能自体が制約を受けていると
思いますけど。これは鼓動でなくとも既に「記憶」の例で挙げました。>>56

140 :鬼頭:2006/01/22(日) 21:09:31
>>139
>これではアノ鬼頭の「決定論と法」の話と全く同じレヴェルですよ?
定義の中に含まれているから変だ、と勝手にあなたが解釈したやつですか。

141 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 21:09:51
選択機能としての「自由意志」
選択肢としての「記憶」

選択は選択肢の中からしかできないとするなら、また選択肢自体の
影響を受けるのなら、自由意志も制限を受けるのは明白です。
そして記憶も選択機能も同じ一個人に含まれているのです。
生命維持をするのも同じ一個人です。つまりどこまで「自」でどこから
「他」か? とゆう議論をしたいワケなんですよ。おーげー?

142 :鬼頭:2006/01/22(日) 21:23:51
「自由とは選択の幅のことだ」
私「選択も前提条件で決まっているのでは」
「決定論の話はしたくない」

「法と決定論は関係ない。初期値が違えば法がない世界ができた」
私「法と決定論ではなく、決定論の世界での法の有効性の事を言っているんだけど。
初期値が違っても人がいて文明を築いていたら法は存在する。
法システムはたった一度の奇跡から生まれたものではなく再現性がある必然的現象だ。」

143 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 22:09:09
OK。2ゲットずさー…っと。
           ∧_∧
    ∧_∧   (´<_`  )  流石だよな俺ら
   ( ´_ゝ`)  /   ⌒i  
   /   \     | |
  /   カタ/ ̄ ̄ ̄ ̄/. |
__(__ニつ/  FMV  / .| .|____
    \/カタ___/ (u ⊃


144 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 23:28:02
>>142
鬼頭、あなたの立脚点がおかしいのは明白です。
固体・種の生存にとって法の有効性など全く証明されていません。
「生存するための知能」と法の相互関係など全く証明されていません。

あなたが「法に再現性がある」と言えるのは「法を再現し得る生物の派生」を
確保しているからで、これは同義反復でしかありません。指摘済み

ではここからディシプリンです。あなたが無自覚にも使用している「法」とゆう語に何が
含まれているか考えてみましょう。法とは「掟」ですね?そして「言語」が含まれていますね?
では「言語」を精査してみます。「言語」とは「読み書き」するだけのツールでは無く
動物達にもある、とも言えますね? そう。掟だって動物達にもあるんですよ。

では電信柱にションベンした犬は、言語でナワバリを主張しているワケですが
それを無視した余所犬が返り討ちにあったとしたら、これはあなたにとって法ですか?
また増殖し続ける悪性の細胞に「法」はあるでしょうか?
まあ中には人間こそ「増殖し続けるガン細胞」だとゆう人もいますけどね・・・
良〜く「自分で」考えましょう。予備校生レヴェルの「知のアイドル」の著作をあたっても、自分で
考えないなら理解「すら」できないでしょう。まあ引用するのに理解は要りませんが・・・
いつまでも他人のフンドシでアッピールしたってまた自己嫌悪に陥るだけですよ?

それから宿題のスターシップトゥルーパーズは見ましたか? さぼっちゃダメですよ?
可能なら私も時間は有効に使いたいですから

145 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 23:45:09
>可能なら私も時間は有効に使いたいですから
2ch来るなよw

146 :鬼頭:2006/01/23(月) 00:18:49
>>144
決定論の中での法の有効性ってどういう意味かわかっていますか。
自由と責任の関係は従来の前提では破綻するという事だけど。

法が個人や人間集団の生存にとって不利に働く事があるなら示して欲しいんだけど。
遺産相続では近縁者の生存と繁栄を確保するようにしていてそれも法で決まっている。

法がない世界ができた、というのもどういう事か示して欲しい。人のような知性を持った存在がいない
って事なら当たり前なんだけど。一般的には人のような知性を持った存在がいるっていう事は必ず法が
存在するって事を導くとされているとは限らないけど私はそう思う、という事で同義反復ではないんだけど。

引用はネタ投下でそれも理解して発言する者がいないんだけど。
よ〜く人の意見も参考にしましょう。一個人が知識も無く思いつきで語るものはつまらないですから。

147 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 02:15:00
>>139
馬鹿だな、おまえw

心臓の鼓動に意思は必要ない。
コーラを飲む飲まないを決めるのはサブリミナルじゃない。
           (おまえ漫画の読みすぎw)

あと、記憶も意思決定の過去素材に過ぎず、
現在時点の意志を決定づけるものじゃない。

現在の意思は自由に決定される。
そうじゃないというなら実例をあげてみよ。

148 :じいさん:2006/01/23(月) 02:15:56
>>138 :考える名無しさん :
>心臓の鼓動に意思は必要ないのよ。

心臓が鼓動しているから生きている、ナイフで自ら鼓動を止める事が出来る、そうしないのは生きる意志があるからではないの?
だから人には生きる責任がある。
恋をしても鼓動早くなる、酒を飲んでもそう。

149 :じいさん:2006/01/23(月) 02:26:55
>>142 :鬼頭 :
>初期値が違っても人がいて文明を築いていたら法は存在する。
>法システムはたった一度の奇跡から生まれたものではなく・・・

この銀河系の誕生自体が奇跡(初期値が一致する奇跡)でしょう、ならば地球も奇跡です、人類も奇跡なら文化も奇跡なのにそれ以降の法が再現性あると言い張る根拠と意味は何処にあるのだろう???
貴方の議論が奇妙なのは、途中までは正論だが最後にビックリするような非科学的、非論理的どんでん返しがある事です。

150 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 02:31:28
これは再現性が奇跡だってことでしょ

151 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 03:56:26
>>147
自由って何に対して自由なんだ?
サブルミナルや洗脳やってもそれは自由というなら
自由の範疇が広すぎw

152 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 08:51:50
>>147

飲む/飲まない を決めるのはあなたの言い分では自由意志なのね?
そこで「コーラを選択したこと」も自由意志なのね?

153 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 09:07:59
>>146
>法が個人や人間集団の生存にとって不利に働く事があるなら示して欲しいんだけど。

いやいや、人間(個・集団)にとっては関係無いの〜 生物にとって、の話をしてる。
生物にとって法が有効であることを説けるのは、法を持った生物【だけ】がSURVIVEし切った世界なのよ。

でも犬も猫もゴキブリも法はもっていません。あなたの法の解釈では犬や猫も法を持っているの?

154 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 09:55:54
ルールはあるだろ

155 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 10:44:17
ルール(本能)と法を分けているものを良く考えなさいってこってすよ

156 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 10:48:31
人間は自由意志で行動する。
自由意志が何によって決定されるかは、問題ではない。

157 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 10:53:31
それは何故『自由』意志というのかが分からん
洗脳されてても“自由”意志か?

158 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 10:59:26
自由意志の最小単位を規定したいだけなのか?
あんま参考にならんな

159 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 11:01:55
自由とは「自分に由る」というだけの意味。
洗脳も「自分が」洗脳されるのであって、他人が洗脳されても
自分の意志に影響はない。
自分の意志がサブリミナル効果や洗脳や物理法則や遺伝や
神の意志や何やかやによって影響されて(決定されて)いても、
自分の意志であることに変わりはない。
通常の意識がある状態での人間の行為は、すべて「自由意志」
による行為だ。洗脳されていようが、ピストルを突きつけられて
いようが、同じこと。むしろ逆に、意識がある状態では
自由意志によらずに行為することは絶対に不可能だ、ともいえる。

160 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 11:13:54
>>159
スタートライン と し て は妥当か?
決定論者は自我=自由を持たない機械だからにー

161 :鬼頭:2006/01/23(月) 11:35:02
>>153
>いやいや、人間(個・集団)にとっては関係無いの〜 生物にとって、の話をしてる。
いやいや、私は人間のような知性を持たない生物にとっての法が云々なんて話はしてないんだけど〜。
ここからディシプリンです。
勝手に自分の都合のいいように解釈するくせはなおそうね〜。

162 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 11:56:45
>>148
なんべん言わせるんだよw
心臓が鼓動を起こすか起こさないは
意思によらない、と言ってるだろが。

おまえが意志の力で心臓の鼓動を止めたり
再開させたりできるんなら、やってみりゃいいじゃん
すぐ答が出るw

言っとくがナイフで止めるんじゃないぞw
その話は「心臓の鼓動を随意的に動かせるか?」とは「別の話」で
「心臓を停止させる(自殺)意思決定を自由にできるか?」という話だ
その話だったら自由意志で「できる」、が答だ
日本だけでも毎年3万人ぐらい停止させてるやつがいる

>>151-152
自由って何に対して自由なんだ?・・だと?
それもわからずに自由を使ってたのかよ、おまいw
意志の決定に関する自由に決まってるだろ

「コーラを含め何を飲むか飲まないか」はすべて自由意思による。

163 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 11:58:17
>>161 キ頭

人間のような知性


この語を定義してみ? 自分のバカさが発見できるよ

164 :鬼頭:2006/01/23(月) 12:07:22
>>163
ふーん、じゃあきみはどういう定義をしていて同義反復だと思っているの。
その定義は一般的に言われているものなのかな。

165 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 12:08:04
>>162
>意志の決定に関する自由に決まってるだろ
>「コーラを含め何を飲むか飲まないか」はすべて自由意思による。

あんた後出しで「ありえたかもしれない別の選択肢」を並べてるだけじゃん。
自白剤の話が出りゃ「飲むか飲まないかは自由」
飲んでゲロっちゃうのは「意志が発動できる条件下じゃないから自由意志じゃない」

それは言葉あそび。ある意味決定論者よりも機械的な反応。もう出てこなくていいよ。
参考にならない意見、ありがとうございません。

166 :鬼頭:2006/01/23(月) 12:10:11
スレの流れをよく読んでみ? 自分のバカさが発見できるよ
元々「初期値が違えば法がない世界ができた」に対する反論として
「法は再現性のあるものだ」という事を言ったんだけど。

167 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 12:22:55
>>166
キ頭が言う再現性とは、必ず法ができる、とゆう意味でしょ。
>>58
>人のような生命体が存在し文明を築いていたら間違いなく法は存在する。

だからバカなんだ、とゆう指摘です。
きみ、既に他人に整理してもらわないと自分が何言ってるかも解からない
「予備校生パニック状態」に突入してるわw

168 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 12:33:19
キ頭:法には必然的再現性がある。
オレ:↑バカ
キ頭:必然的再現性ではなく有効性のことだ。
オレ:↑バカ
キ頭:有効だから必然なんだ。
オレ:↑バカ

このループね

169 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 12:49:50
>>165
後出し・・ってw

現在および未来の意思決定をどうやって後出しできるよw
まだどう意思決定するか決まってもいないものをさ。

おまえが「起きてしまった」過去の出来事をいじくり繰り回し
てる間は意思に関する考察は一生不可能だよw


170 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 13:39:35
>>169
起きてしまった過去の事例しか参照していないのはあんた
自白剤を飲まなかった自分、サブリミナルにかかっていない自分・・・
他者創造性に欠けているから全く参考にならん、と言っているのね。

171 :鬼頭:2006/01/23(月) 13:40:31
>>167
「だから」というのが繋がってない。
「予備校生パニック状態」って何?

>>168
読解力がなく議論する能力もない事の告白か。バカじゃないか。

172 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 13:53:21
>>171
言葉の定義もできません。説明もせきません。
反論には鸚鵡返し。再現性の中に必然性を導入し
尚且つ同義反復にはなりえない解釈を提示しろ。と言っている。
逃げてるのはキ頭でしょ

読解力がなく議論する能力もない事の告白か。バカじゃないか。

告白されなくても解かってるから安心して持論の解釈の仕方を提示してみ?

173 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 14:33:19
>>170
おまいの話はすべて自白剤とサブリミナルに依存・・w

どうやら死後とか気絶・昏睡中のように「意思の在り様を
観察しようにも、肝心の意思そのものが働きえない状況
の中で、意思の働きを観察してみようとという話に持って
行きたいようだが、

意思は意思の働ける状況でしか観察し得ないだろw
それとも意思以外の意識の働き一般に話を広げてるのか?
もしそうなら「何に」ついてあれこれさっきから言ってるのか

それを書きなw

174 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 14:51:55
>>173
>肝心の意思そのものが働きえない状況
>の中で、意思の働きを観察してみようとという話に持って
>行きたいようだが、

ここが全然わかんない。そうゆう(?)方向の話ってどっちよ?
意志の働き自体が影響を受ける、自/他ともにその要因は持っている。
その程度の話にもっていきたいのねん>>141

別に自白剤とかサブリミナルは極端な例だけど、それ以外に
いっぱい出てるじゃない。記憶とか。

もう ある/ない のレヴェルは終わったンだよ?
いまは程度の話。範囲の話。よろしくて?

175 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 14:53:58
>>173は物理屋? どうよ?

176 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 14:59:58
>>174
オマイの話はね、ミジンコを氷づけにして「動けなく」しといて
その「運動」を観察しようという話なのよw
「運動」を観察するには「動ける状態」で見るっきゃないだろがw

意思の「決定の在り様」についてもこれと同じだ。

177 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 15:20:46
>>176
>オマイの話はね、ミジンコを氷づけにして「動けなく」しといて
>その「運動」を観察しようという話なのよw

氷づけはひどいなぁ
どのように動くか、を観察しようぜ、と言ってるだけじゃん。
あのね。運動っつーのは座標があって初めて確認できるの。
ただ極小の世界での運動は観察できねーんだよ。これは方法論の限界。
極大の世界では座標が無くなるしな。
そんなことは解かった上で物理とゆう方法論がある。

さて、自由意志あり、とするなら、とりあえず相対的にどのような
運動を取りうるか考えてみよう。とゆうのは至極当然の姿勢と思えるが。
例えば物理法則から自由な物質を想定して、それが物質透過できるか?
ワープできるか?とかね。物理屋にわかり易いアナロジーだろ?

178 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 17:10:16
物理を知らんようだなww

179 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 18:06:53
↑そうゆう返答しかできんよな。普通。いつも見る光景だw
なんなら兄ちゃん一席ぶってみ?

180 :じいさん:2006/01/23(月) 18:13:29
>>162 :考える名無しさん :2006/01/23(月) 11:56:45
>その話は「心臓の鼓動を随意的に動かせるか?」とは「別の話」で・・

このスレで「因果律が全てを決める、自由意志はない」という人の主張は心臓の筋肉も、ナイフを振り下ろすのも因果律だと言っている。
別の話ではなく、全て科学的因果律で決まっていると言っている。

ちなみに私もそれに近い意見、しかし全てが因果律で説明できない以上自由意志があると定義しないと現状に対応できない。
従って自由意志はあるとする意見。 >>156 の意見に賛成。

例えば恋をして鼓動が早まる其の程度は、自由意志と心筋の物理反応との微妙な兼ね合いである。

181 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 18:14:06
>>159だけか・・
まともな内容の自由支持のスタンスは・・w

182 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 18:51:15
因果律なんて嘘っぱちよw
その嘘っぱちが意思を決定してる・・だと?
アホかw 寝言は寝て言え

183 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 21:54:34
>>159
免疫不全、特にエイズについて考えたくなるね。
アイデンティファイできなくなるってことだから。

184 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 22:04:52
なんか、随意筋と不随意筋とのはなしに堕してね?

185 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 22:12:47
自由意志ってあったりなかったりするんだね
なかった場合は後から「あんときゃーなかった」としか言い様が無いんだね
断続的に見るとオン・オフだけど、総体としてみると制限されてるんだね

186 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 22:21:17
>>184
>159と>183は違うだろ。
重要な部分だと思うぞ。

だから、ちゃちぃ図だと言われたが
「どこまでを自由意志と見做し、どこからが自由でないと見るのか」
だと思うんよね・・。
社会的要請もあるだろうし、文化的歴史的背景もあるだろうし、
159のスタンスも行き過ぎれば、仏教の業のデメリットである
「全ては前世の悪業によるのだから、お前が悪い」になりかねない。
先人達は日常の中で、そこのところを上手にやりくりしてきていたのだろうと思う。

187 ::2006/01/23(月) 22:25:50
輪廻?

188 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 22:26:53
>>186
因果応報と因果律は、まったくもって似て非なるものだよ。

189 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/23(月) 22:38:12
自由はall or nothingだよ。
自由と不自由の境目を探そうとしても、無い。
だから、自由に起因する意思と、不自由に起因する意思の境目も無い。
不自由を受け入れるのも、拒否するのも有り、とすれば、すべて自由。
因果律の連鎖も同じ。

190 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 22:40:56
>>188
そこが、業の曲解されてる部分なわけで・・w

191 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/23(月) 22:45:50
>190
業を、自分のミッションであると甘受するもの、あるいは進んで引き受けるもの、
または、否定し拒否するものとしても、そこになんらかの自らの選択があるわけですから、自由の領域でしょう。


192 :21:2006/01/23(月) 22:47:39
>>189
自由意志って up to us でしょ?
細かいようで、意思じゃなく意志なんだけどね

> 不自由を受け入れるのも、拒否するのも有り、とすれば、すべて自由。
> 因果律の連鎖も同じ。

がなぜ同じなのかよく分からん



193 :21:2006/01/23(月) 22:54:35
あと、自由意志がある、ないは、平たくいえば

我々次第であるか、我々次第でないか

という問題だと思うんだけど違うのか?
なんつうか、直球なんだけど

194 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 23:07:14
おまいら、頭悪過ぎw

まず「何をどう決める」も自由に決めれるだろ。
次に「因果律など無い」だろ。

ちがうというなら事例を1件でいいからあげてみろや。
事実も実例もあげれずに勝手な屁理屈を、
さも規定の真実のごとく運用するのはヤメレ!

話の信憑性が無くなるばかりだっちゅのw

195 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/23(月) 23:08:25
>192
「権力への意志」は、Wille zur Macht。意志はwill。

> 不自由を受け入れるのも、拒否するのも有り、とすれば、すべて自由。
> 因果律の連鎖も同じ。
がなぜ同じなのかよく分からん

人間の認識の形式/カテゴリーとしての因果律は、
先験的なものではなく、経験的なものであることから、所与のものではない。
認識対象と、認識のカテゴリーとしての因果律とは、
切り離せるし、放置もできるし、忘却もできるし、横においておくこともできるし、
エポケーに追いやることもできるし、一般常識的な経験知として看過することもできる。
因果律は、認識に対し一方向のものではなく、双方の間で双方向のものですよ。
因果律に認識が一方的に規定されるだけではない。
因果律が、認識から独立して、絶対的なものとして、独自に存在するわけでもない。


196 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 23:18:43
>>194>>159の差は、どこからくるんだろうなw

197 :21:2006/01/23(月) 23:26:49
>>195
同じっていう説明になってないし…
君の因果律の考えを説明をしているだけだね
まあ、どうでもいいか

指摘された意志という単語一つでなんかでムキになってる時点で
議論に向いてないよ、君は

198 :考える名無しさん:2006/01/24(火) 00:06:53
>>196
根拠無き抽象的うわっつらレスで一歩も進まない退屈なスレに
根拠と事実を交えたわかりやすさを持ち込んでくれたのが>>194だろ。
お前みたいな馬鹿にもわかるように展開してくれてるのよ。
わかったら>>194のレスを煎じて飲め、んで もう寝ろw

199 :組み立て中ヘルメットヘア:2006/01/24(火) 01:27:28
人間がみずからの自由意志で自分自身を形成してゆく所に、人間の尊厳の根拠がある。
自由の下での他者とのコミュニケーションと試行錯誤によって承認を獲得する過程で自尊心は培われる。
最初の承認は親から無条件で与えられる包括的な受容でそれが尊厳の初期値となる。
親からの承認や愛も利己的遺伝子の産物とすれば無意味化される。
コミュニケーションは物理的世界に還元する事で無意味化される。
自然界では、結果はそれに先行する原因によって決定され、すべてが因果法則によって必然的に支配されている。
法や人間の尊厳が持続可能であるためには、自由意志があらねばならず、彼は人間も全て因果的に決定された
機械人形にすぎないとして法と人間の尊厳の基盤の不在を説いた。

近代国家の市民は学校教育などの規律訓練によって監視の視線を内面化させ、自分で自分を監視するようにする事で
多様な価値観を方向付けられ、国家的な目的に自発的に従っていくような行動様式を作り上げられた存在である。
ベンサムは試験の原理をパノプティコン(一望監視装置)として建築的に示した。この装置では中央の監視塔に監視者が
常駐している必要がない。監視される可能性があることで、監視される者の心の内側に第二の監視者が生まれる。
この「残酷さと学識に満ちた檻」は、規律社会において監獄、病院、学校、工場など様々な用途に応用できる。
〈自由な社会〉が形成されるのは、自由な個人によってではなく、身体を調教され、精神を監視する大きな〈眼〉を魂の
内部に埋め込まれた主体である。従順な身体の形成と個人の身体に注ぐ〈眼〉によって、道徳的な主体を形成させる。
この監獄という監禁施設を中心にして、近代の社会は〈監禁都市〉を形成する。
鎖の一つの環としての個人は、自らの意志をもたずに、自発的に鎖に奉仕するのである。
個人は国家を自己の意図に従ったものと考えているが、別の視点からみると、個人とは国家の付属物にすぎない。
そして社会からの承認という褒美につられて、国家に自分の力を捧げているのである。
国家は、個人の死後も残り続ける存在であり、社会の中の個人とは代替可能な操り人形に過ぎない。
自尊心のある人間は、国に縛られる事はない。祖国なぞ監獄のようなものなのだから。

200 :考える名無しさん:2006/01/24(火) 10:42:06
因果律は自由意志の産物です

201 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/24(火) 16:03:21
>>200
因果律は自由意志の産物です

因果律はアリストレスの時代から、結構、普遍的な認識形式であり、カントも純理で、ほぼそのまま、人間の認識に所与のものとして与えられているものとして扱っている。
しかし、カントは、因果律をア・プリオリな認識の中に組み込んだ(カテゴリー表)。
もう何度も書いたけど、因果律は、認識にとって時間と同じように、先験的なものである、という点が非常にあやうい。
時間と同じく、経験的な認識形式。
ごくごく自然な人間共通の思考ロジックの形態であるかのようにみえながら、実はア・ポステリオリな経験知。
この腑分け作業を煩瑣なものにしているのが「因果律の再現性」と「他者との共有の容易性/安易性」。
しかし、因果律はア・ポステリオリなものである限り、それ自体で認識の外部に、認識に先立って独自に成り立つ所与の条件ではなく、経験的認識との関係性のなかではじめて成り立つ、謂わば認識の対概念。
この意味で、因果律が認識を一方向的に規定するものではない。

では、因果律は自由意志の産物であるか?
自由意志が、もし、ア・プリオリであるのであれば、そうである、といえる。しかし、ア・ポステリオリにしか成り立たないものとすれば、因果律も自由意志も同程度に経験的な認識、行為の産物となる。
ここで、経験知というものを、タブララサから出発し、他者、社会、国家、世界等との関わりで、取捨選択したものの総体であると規定すると、それは、「自由」の領域(ここでは、ア・ポステリオリな認識と自由意志とをほぼ同義であるとする)。
即ち、因果律は自由意志の産物である、というのは、否定しがたい命題である、といえる。

いかに因果律が、事実を他者に説明し共通の認識形態として共有しやすいものであるとはいえ、また、事実を考える思考形式として自然に受け入れやすいものであるとはいえ、
且つ再現性に富んだものであるにせよ、ア・ポステリオリな認識の対概念である限り、ア・ポステリオリな認識でしかない人間の認識に先立ってありうるような、独立したなにものかではない。


202 :めも:2006/01/24(火) 16:12:42
フーコーの権力論に見られる問題意識は、近代化の本質は「主体化」であるというものでした。近代社会は、強大な
権力によって脅して従わせるのではなく、主体化させることによって、社会のフォーマットを実現する。主体化とは、
道徳規範の内面化とは違って、自己決定的な主体であろうとして悪戦苦闘することを内面化した存在だというわけですね。
要は、命じられたり脅されたりしなくても自発的に人間であろうとすることによって、意図せずして一定のフォーマットを
集合的にアウトプットしてしまうような諸身体が、社会空間にあまねく分布することで、近代の社会システムが成り立つ
というのです。
自己決定的な主体であろうとして悪戦苦闘するような身体として整形することを、ディシプリン(規律=訓練)を施すと
言います。ディシプリンを施す装置が、広い意味で教育のシステムだと言えます。近代社会は、法や道徳よりも、こうした
ディシプリンが実現する「主体化」によって、必要なフォーマットを実現しているというわけです。
ところが、僕たちが生きるポストモダン=後期近代を見ると、そうした時代は終わっています。ディシプリンの代わりに
あるのは、監視テクノロジーを含めたアーキテクチャーです。アーキテクチャーの働きによって、ディシプリンによる
「主体化」に負担をかけることなく、社会システムに必要なフォーマットを実現できるようになりました。
「主体化による権力」から、「アーキテクチャーによる権力」にシフトするわけです。「フーコー的な権力」から、
「ドゥルーズ的な権力」へのシフトとも言えます。東浩紀君ならば「環境管理型権力」と呼ぶでしょう。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=241

203 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/01/24(火) 16:45:05
脱コード化の行き着く先のひとつが、ラットレースであり、マネーゲームですね。

204 :組み立て中ヘルメットヘア:2006/01/24(火) 18:58:10
規律権力とは、単に法の順守を要求するにすぎない法的権力と違って、生産性とか安全性といった観念を用いて社会全域
の規格化を実現するものである。
象徴の宇宙はまた、様々の格を様々の現象に割り当てることによって、ヒエラルヒーを定義づける効果を持っている。
こうした格付けの中で普通と異なる人間に人間外、或いは人間以下という規格化を行う。「内側」の秩序を確認する
ために「人間以下」が強調されるということになる。
文化の中に生きる人間は円心となる「私」と、これに対する「彼ら」−自己以外の他者−と彼らの世界を円周に置く形で
世界の像を描く。この円周は流動的であり、拡大したり縮小したりするという性質をもつ。それ故に、「内」と「外」の
概念は決して固定的なものではない。ここには「彼ら」は「我ら」の一部であるという論理が働いている。
「彼方」は人の意識の下層のある状態の投影物である限り、もし「彼ら」が存在しなければ「彼ら」を創出しなければ
ならない。「我ら」のアイデンティティが確認されるために「彼ら」は必要なのであり、「彼ら」の概念はそういった
意味で有用なのである。
生の権力においては、人種差別が非常に重要な機能を果たすことになる。生の権力は、以前は伝統的な主権が正統性をもって
行使していた殺害という古い権力を行使するためには、人種差別を経由するしかないとフーコーは考える。ここでは「殺す」
という言葉が、間接的な殺害、すなわち特定の人々の死の確率を増大させること、政治的な権利の剥奪、排除なども含めて
考えられていることに注意が必要だろう。
逸脱せず団結して権力に従順、そして、なんの気なしに戦争へ突っ込んでいく。
フーコーは、犯罪、狂気、精神疾患についても、この生の原理が人種の原理を通過することで、排除の原理、間接的な殺害の
原理に転化することを指摘する。

205 :りくーつ・こねりー:2006/01/24(火) 19:07:18
>>194 >>198
> おまいら、頭悪過ぎw
> まず「何をどう決める」も自由に決めれるだろ。
> 次に「因果律など無い」だろ。

そうかな…

> ちがうというなら事例を1件でいいからあげてみろや。
> 事実も実例もあげれずに勝手な屁理屈を、
> さも規定の真実のごとく運用するのはヤメレ!

自然法則の実証実験そのものが事実や実例と考えないなら、
自然法則そのものを信じられないことになるだろうね
実証実験の結果は観測事実ということになると思うんだけど

で、今住んでいる世界に信じられる法則なんて他にあるか?
ということになると思うんだよ

これを否定すると、
決定論的な結果が出ている自然科学の結果を全て否定する、
そんな気がしてならないんだよね…

結局のところ、その人が何を信じるか?にしかならないんだけど

206 :考える名無しさん:2006/01/24(火) 19:25:49
>>194
俺が思うに争点は「事実」じゃないんだよ。

否定する人もいるけど俺は普通に考えれば意思の自由は疑うべくもないと思う。
もちろんその自由は肉体的・社会的・心理的などさまざまな要因で制限されるだろう。
でもそれは自由意志が制限・阻害される事例であって自由意志が存在しない事例ではない。
君のいうとおり
>まず「何をどう決める」も自由に決めれるだろ。
というわけだ。

一方自然界に目を向ければそこは原子や分子でできた事物が自然法則に従って動いている因果の世界だ。
そして俺達自身も自然界に存在する事物同様原子・分子でできているのも間違い無いように思われる。
だとしたら俺達の自由も自然法則に従っているんじゃないのか?
つまり、

俺達は自由だ。しかし、その自由は本物か?

ということだと思う。

まあ、哲学上の自由意志の議論はこればっかりじゃないだろうけど、
詳しくないんでこんなとこで。

207 :じいさん:2006/01/25(水) 01:31:34
>>199 :組み立て中ヘルメットヘア:
貴方の意見には根本的な誤謬、ミスがある。

>人間がみずからの自由意志で自分自身を形成してゆく

此処までは其の通りです・・・・ならば。

>国家は、個人の死後も残り続ける存在であり、社会の中の個人とは代替可能な操り人形に過ぎない。

と貴方が主張するならば、そのような国家を作った責任は「人間がみずからの自由意志」が取らねばならない。

私は人間は自らを束縛する権力を作りたがる意志を持つ動物であると考える。

208 :考える名無しさん:2006/01/25(水) 19:37:28
日本人には、「責任」と「義務」を混同してしまっている人がかなりいる。
日本語の「責任」という言葉を和英辞書で調べると、
英語ではduty, responsibility, accountabilityの3つの単語が書いてある。
しかし、英英辞書で調べると、responsibility と accountabilityは互いに類義語となっているが、
dutyだけは意味が異なる。dutyは「義務」であって、本来の「責任」ではない。

duty という単語は「やらなければならないことをやる」という意味である。
「やらなければならないこと」とは社会や法や道徳が規定する。
これらによって行動が縛られることがdutyである。
例えば、「責任を果たす」という場合の「責任」である。
普通dutyとは「義務」と訳される。「責任を果たす」を「義務を果たす」に言い替えても同じ意味である。

本来、責任とは、それが自分の自由な行動の結果だということだ。
単なる事実であり、それ以上の何者でもない。しかし、日本人は責任と義務をごっちゃにしてしまっている。
そのせいで、本当に考えなければならない「どうすればいいか」という問題をきちんと考えられない場合が多い。
これをどうしても責任 の問題とリンクさせてしまう。結局、個人への罪のなすりつけ合いになってしまい、問題はうやむやになってしまう。

事実(=責任)と、それに対する対処(=義務)を分けて考えないから、こうなってしまう。
まず責任を追及し、責任の所在がはっきりした後で改めて課すべき義務の量を考えるべきだ。
日本では多くの場合、責任の話にすぐ義務の話がくっついてきてしまう。
それで、「それは私がやったんじゃない」と「それは私がやった事だが、
それに対してその義務は酷すぎる」という話がごっちゃになってしまう。
「それは私がやった」と言うと何をされるかわかったもんじゃないから、
意地でも「それは私がやったんじゃない」と言うようになってしまう。


209 :考える名無しさん:2006/01/25(水) 21:44:50
仏教徒の方に自/他力本願について聞きたい

210 :考える名無しさん:2006/01/25(水) 23:57:42
良い仕事を行うのは良い形式ではなく、良い人間である。

211 :ヘルメット外した鬼頭:2006/01/26(木) 23:21:03
あずまんスレに名無しで書き込んでみた。

【二層構造】東浩紀スレッド56【二重顎・二段腹】
50 :考える名無しさん :2006/01/26(木) 00:16:49
前スレ994と995
「バカが増えているのだから監視社会はやむを得ないという立場です」
「認めた上で、監視の基準を厳密に議論で決めなければならない。安易な監視反対は感情的にすっきりしているだけだ」
とあずまんが言っているという事だけど(最近出た丸劇の対談本の中かな)、
「監視カメラ増設を希望する市民は安易で感情的であり、その事のもたらす意味を考えなければならない。
監視カメラにしろ2chの嫌韓にしろ人々の生理的な不安や嫌悪感に訴えかける問題に対しては議論の余地なくバッとまとまる
という傾向が強くなっている。これは右傾化という言葉では捉えられない。」
という立場ではないの。

212 :ヘルメット外した鬼頭:2006/01/26(木) 23:24:41
64 :考える名無しさん :2006/01/26(木) 01:44:22
受験競争の時に降りる自由っていっても降りた後どういう目で見られるかは自己責任なのかな。
競争や社会や集団から降りるという行為は本当に自分で決めたのか。

東浩紀×滝本竜彦「降りる自由と僕たちの未来」
哲学者・東浩紀と滝本竜彦のトークライブ。思想・サブカル、オタク、ニート、情報社会論etc…ざっくばらんにお話を伺います。
■会場:新宿ロフトプラスワン
http://www.boiledeggs.com/chojin/takimotoinfo4.html

宮台「ニートとか引きこもりとかっていうのが、今話題になってるんですけど、火のない所に煙が立っているんです。
というのも、働かない奴なんて昔からいるわけですから。価値観が多様な社会になったんだと言うんであればね、
降りる自由もあるわけでしょ。でも、なぜかゲームから降りた連中が袋叩きに遭う。今はニートだけど昔はフリーターが
そんな目にあっていた。何で正社員にならないんだと。でも、自由に首を切れるような労働力のフリーターは会社にとって
必要だと。それでフリーター批判の代わりに出てきたのがニート批判。まぁ、ニートは働かないから、確かに経済界にとっては
困り者になるかもしれないけどね。でも、働かない人が昔より増えたっていうデータはないんですよ。やっぱりね、大人達も
敵を見つけたいんですよ。悪者を見つけ、叩いてスッキリしたい。『こいつらが日本をダメにするんだ』と。若者叩きという
一種のお祭り状態ですよ」
http://www.j-wave.co.jp/original/growingreed/contents/51/
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1138186531/

213 :ヘルメット外した鬼頭:2006/01/26(木) 23:31:19
>>209
本当の仏教徒は俗悪な群集の汚い言葉の飛び交う2chなんかには書き込まないと思うけど。

214 :Limahl:2006/01/26(木) 23:43:35
>>213
泥の中で清浄な花を咲かせる蓮の花が、
仏教で聖なる花とされているのは、どうしてでしょう???
本当の本当の仏教徒、仏教徒オブ仏教徒こそ、
こういう掲示板での衆生済度を目標とするものかもしれませんよ。

215 :組み立て中ヘルメットヘア:2006/01/27(金) 00:33:53
監視社会論の射程
 監視社会論が問題にしているメディアは、もともと研究しにくい性質を持っている。米軍の関係者に「エシュロン」の資料
を公開せよと主張したところで安全上の理由をたてに公開はしないであろうし、警察も内部情報など出さないであろう。その
点で、監視によって得られた情報(監視カメラに捉えられた映像や盗聴された音声など)が実際にどこでどう使われているの
かを、明るみに出すことは容易なことではない。したがって、容易に妄想と結びつきやすいのである。
 このことは一つの逆説を生み出してしまう。意図はどうであれ、監視社会論の言説そのものが、人々を萎縮させる効果を持つ
のである。監視社会論を読むことで、自分が「パノプティコンにいるのではないか」と思ってしまった瞬間、この世は実際の
パノプティコンに変わる。本当は誰も、その人のことなど注目していないかもしれないのに、「見られているかもしれない」
と思うことで、内面的な馴致が行われるからだ。
 必要なことは、監視社会論から妄想的なものを排除し、かつ、論点を論理的に詰めてゆくことだろう。
http://www2.kobe-u.ac.jp/~akehyon/kanshi.html
リトルブラザー(isedキーワード「ビッグブラザー」と同内容)
http://ised.glocom.jp/keyword/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%BC

216 :組み立て中ヘルメットヘア:2006/01/27(金) 00:46:04
人間観察研究会:エシュロンリンク
アメリカの人権侵害諜報機関エシュロンと友好提携を模索する我々は、ネット上の既知外電波、自意識、トンデモを監視する
ことにより、エシュロンに協力することとした。このリンク集はそのエシュロンの名をいだき、その名に恥じないように監視
すべきページを公表するつもりである。
http://www.pinkvalley.com/kansatsu/frame/10/index.html
日本と戦争をしたら絶対韓国が勝つという奴
782 :永奈氏さん :02/11/05 10:00 ID:xKZMgGIu
>>781さんへ
……妄想爆発させたら右に出る民族はないからねぇ……妄想の規模だけは世界一かもしれないね
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1034238655/774-782
北朝鮮関連ニュース総合スレッド★381
518 :朝まで名無しさん :02/11/22 22:35 ID:K31RPwzH
やれやれ。在日の被害妄想にも困ったもんですな♪
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1037960981/
486 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 03/01/08 22:52 ID:LCf/sr/F
>>479
出来れば公安か警察などで情報分析をやって欲しいんだけどね
http://news2.2ch.net/liveplus/kako/1042/10420/1042030574.html
107 名前:   投稿日: 03/01/15 19:29 ID:eStIQ+NU
新潟港にライブカメラ希望!
260 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 03/01/15 21:04 ID:dpnyBnVh
総連に破防法適応しる!
426 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 03/01/15 21:53 ID:+f2u8lrU
>>423
通話はすべて録音するのではないか?
685 名前: 朝まで名無しさん 投稿日: 03/01/15 22:19 ID:DADDNAYE
来月も監視の目を緩めず、ビシビシやっちゃってください。
http://news2.2ch.net/liveplus/kako/1042/10426/1042621939.html
885 名前: アソハ゜ソモソ35号© ◆A35.Sjl.DA 投稿日: 03/01/21 22:43 ID:0bHf6Zha
監視中だキャンキャン
http://news2.2ch.net/liveplus/kako/1043/10431/1043142410.html

217 :21:2006/01/27(金) 00:54:27
なんか、凄いことになってるな

218 :ヘルメット外した鬼頭:2006/01/27(金) 01:03:01
>>214
「ブッダのことば―スッタニパータ」中村元訳(岩波文庫)で
ブッダは「卑俗な話から耳を遠ざけよ。」と言っているようです。

219 :じいさん:2006/01/27(金) 02:21:18
>>212 :ヘルメット外した鬼頭 :2006/01/26(木) 23:24:41
>降りる自由もあるわけでしょ。でも、なぜかゲームから降りた連中が袋叩きに遭う。

随分乱暴な議論だ、この言い方ではニートは幸福な人間であると言う事になる。
三年寝たろうの話と混同しているのではないか。
ニートの問題は本人が苦しんでいると言う事にある。

ニートの身になって心配する人間はいるが叩いている人はいない。


220 :めも:2006/01/28(土) 19:00:04
「自分も管理主義で縛られてきたが、個性は十分発揮してきたし、厳しい学校生活にも大きな手応えを得て卒業した。」
厳しい管理主義や偏差値教育のなかにあっても、有意義な学園生活を送っている人がいるのは事実である。
フーコーは、『監獄の誕生』のなかで、「規律・訓練的な施設のすべての地点をつらぬき、それの一刻いっこくを取締る
常設的な刑罰制度は、比較し差異化し階層秩序化し同質化し排除する。要するに規格化するのだ」と説いている。
彼の説によると、人間はなんらかの効用に従順であるように規律・訓練されているのだということになり、上に述べたような
生徒は、一般意志、つまり社会の効用と自分の意志とが一致していて、規格化されている自分に気づいておらず、個人の
レベルでは自分なりの「自由」を見出しているかのように自己を捉えているのだということになる。しかし、フーコーは
そういった人間こそもっとも「不自由」だともいう。それは偶然の産物か、もしくは国家あるいは社会に規格化されている
自分に気づいていないだけであり、それを客観視してみている観察者としてのフーコーにとってはそういう人こそ「不自由」
にみえてしまうのであろう。

221 :めも:2006/01/28(土) 19:17:09
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!!i             |!!/゛``i!!|;;;;;| /=-':|/-|,、-!、,_/!!/´  ,,、ヽ ヽ
!!!i             !l'゛  |!!!`'‐'|  ;::|>=--‐‐-;`''7-''"::::::|i!\i!     il       i!!!
!!!!!i、               l!!!!!!!r'|  ;::|'゛     `| |、,,、-‐'゛!!ヽ ``',   ノ!!i,     ノ!!!!!
!!!!!!ヽ ,,,;;;;iii;;;、iヽ _     l!!!!!!!;' |  ;::|,,、--―''"ii~~゛´ヾ!!!!!!!!!!!!/!| ', i゛!!!!!ゝ    i!!!!!!!!!
!!!!!!!!ヾ_",,,,,, ヾ;;;|i `;ヽ   ii、|!!!!!l |,,,  ;:|:::::::::::::;;;;!!!!i:::::::::::::/!|i::::::::/!!!ヽ、='!!!!!!!!!ヽ  /!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ヽ,;!!!!!ヽ!-!!!!iッ|::::::,,;;;;|!!!!!!i;i;i_,,,;;'!!!!!!!!!|i,,,,__/!!!!!|_/!!!!!!!!!!゛!!!!!!!!!!ゝ_,,;;!!!!!!!!!!!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「拘束具が・・・」

222 :組み立て中ヘルメットヘア:2006/01/28(土) 19:47:09
来るべき未来の新たなシステムを特徴づけるのは、拡大する社会的不平等と二極化への傾向である。
その時、われわれが住んでいるのは“富裕層の砦で固められた地区”と、犯罪化された貧困層と警察がバトルを繰り広げる
“恐怖地区”とに容赦なく二分された要塞都市である。
核となる集団とその外部にある人々のあいだには明確な線引きがなされる。
その手段はたとえば以下のようなものである。市街計画、都市を分割する道路網、私的な土地の封鎖、特定の地域への
アクセスを困難にすること。
ゲットー住民に、あるいは要塞化したショッピングモールのゲートでホームレスや若い在日風の男性にあからさまに行使
される警察の暴力と、「ならず者国家」の指導者・住民に行使される軍隊の暴力の行使の論理を明確に区別できるだろうか。
そしてそれが私的あるいは公的警察によろうと、その「警戒線」は不確実性を除去し、街路からアル中、「物乞い」、
心的障害者、貧民を一掃することを目指している。外集団は社会一般の抱えるトラブルのスケープゴートになる。
つまり彼らは「アンダークラス」であり、怠惰と犯罪に生きる賤民と見なされる。
彼らは後期近代社会の社会的な不純物であり、目標は、彼らの地域を物理的に隔離することである。
アンダークラスは貧困者を犯罪化することによって、その<排除>を正当化する機能を果たすわけだが、一方、そのにひそむ
あからさまな人種的バイアスを隠蔽するという役割も果している。
「在日外国人は分離されて隔離されるべきである」。
逸脱的他者への近代と後期近代社会の各々の捉え方についてヤングはこう特徴づけている。内包か排除かというオン/オフ・
スイッチとしてはあらわれない。それは社会を通してあらわれる変動する過程である。というのも、排除は、富裕層の信用
格付けから非監禁者の危険性の程度にいたるまで、勾配を描きながら貫通しているからだ。

223 :めも:2006/01/28(土) 21:12:41
フーコーは、自由を崇高な理念としたフランス革命と理性への信頼にもとづく啓蒙主義の秘密を暴露する。フランス革命と
啓蒙主義が大いにもてはやされ、人々が自由を謳歌しようとしたとき、逆にすべての人々を包みこむような微細な〈規律権力〉
が着々と形成されてきたというのである。その権力とは、微細な〈規律・訓練〉と〈パノプティコン(一望監視装置)〉に
よって住民を支配する権力である。前者は非常に細部にまで及ぶ規則や規程によって身体を支配し、また後者は常に
「見られている」というまなざしによって精神を支配するのである。前者の〈規律・教育〉に関して説明しよう。フーコーは、
ここで兵士の訓練という例を提示することによって、兵士の身体に対するミクロな権力が出現したと主張する。18 世紀後半に
なって、兵士は〈規律・教育〉によって身体を加工され、兵士にふさわしいように作りあげられる存在になったというのである。
それまで、たとえば 17 世紀初頭においては、兵士という者は「頑健さや勇気という生まれつきの表徴」(『監獄』P141)を
有してなくてはならなかったとされる。しかし、18 世紀後半には、兵士とは諸規則・規程によって「作りあげられる或るもの」
(『監獄』、P141)になった。フーコーは「古典主義時代には、(兵士の)身体は権力の対象ならびに標的として完全に発見
された」(『監獄』P142)と象徴的にいう。これらの規則や規程とは軍隊だけではなく、学校や工場など社会のいたるところに
出現するのである。さて、フーコーというと「パノプティコン(一望監視装置)」という概念がもっとも有名なのではないか。
彼は、この概念を用いつつ近代の透明な監視社会を批判する。もともとパノプティコンを考案したのは、功利主義で有名な
ベンサム(1748〜1832 年)である。彼は、最小限のコストで最大限の効果が望める理想的な刑務所としてパノプティコンを
考案した。その刑務所とは、中央に 360 度周囲を見回せる監視塔を設置し、その周りに円形になるようにそれぞれ孤立した
独房を配置する。

224 :めも:2006/01/28(土) 21:14:19
フーコーはこのパノプティコンを次のように言う、「これは重要な装置だ。なぜならそれは権力を自動的なものにし、権力を
没個人化するからである。その権力の本源は、ある人格の中には存せず、身体・表面・光・視線などの慎重な配置の中に、
そして個々人が掌握される関係をその内的機構が生み出すそうした仕掛けの中に存している」(『監獄』P204)。ここでの
重要点とは、囚人たちにとって、人々にとって、もはや監視する人間は誰でもよいという点である。古代の徳や実践など個人的
な素養と権力とは関係なく、権力の本質とはただ「見られている」という意識を囚人に植えつけるような自動的な仕掛けである。
それにより、「ある現実的な服従強制が虚構的な〔権力〕関連から機械的に生じる」(『監獄』P204)というのである。
囚人たちは、「完全に個人化され可視的」(『監獄』P202)な状態に置かれることによって支配されるのである。フランス革命と
啓蒙主義は、理性による人間の解放を目指すものであった。これこそ、「自由」という名の下に行われた事態だった。しかし、
フーコーはこれらと同時に「規律・訓練」の様式と「パノプティコン」によって、人間の主体化と従属が起きているということを
指摘したのである。「〈自由な社会〉が形成されるのは、自由な個人によってではなく、身体を調教され、精神を監視する大きな
〈目〉を魂の内部に埋め込まれた主体である」
フーコーは、マルクス主義のように開放や革命、階級闘争の終焉という将来の解決を想定しない。またサルトルやメルロポンティ
のように「人間の目的や正義」を想定しようとしない。それはフーコーの初期の著作『狂気の歴史』において、理性という〈真理〉
が狂気の「大いなる閉じ込め」を引き起こしたことを明らかになったからだ。ゆえに、ただ「これらの闘争の主たる目標は、
「しかじかの」権力制度、集団、エリート、階級というよりはむしろ、権力の技法、権力の形式を攻撃することなのである」
(「主体」P291)そして、フーコーはそのひとつ方法を提示したに過ぎない。

225 :めも:2006/01/28(土) 21:58:16
パノプティコン<一望監視施設>の中では、人々を絶えざる監視のもとに置くことで、効率的に性格を変え、新しい習慣を
形成させることを目指している。つまり、規範の内面化である。そして、現代社会の多くの制度は、一望監視施設の応用で
作られているとフーコーは主張している。この例でわかるのは、19 世紀以降、権力は国家から個人に対して一方的に働く
ものではなく、個人が自発的に従うという様式になっている。この「絶えざる監視」を小説化したのがオーウェルの
『1984 年』である。未来社会では、「テレスクリーン」と呼ばれる情報端末が常に人を監視し、街中に「ビッグ・ブラザー
はあなたを見ている」という標語が貼られている。人々は監視に怯えながらも、服従している。それだけではなく、最終的
には内面から愛さなければならないのである。こうした規律訓練型権力は1949 年に世に出た『1984 年』の中のオーウェル
の想像力から、1979 年にはフーコーによって近代の本質として明らかにされたと言える。

ウィリアム・ボガードの『The Simulation of Surveillance』に述べられていることを考えたい。ボガードは、監視がどの
ように変わっていくのかということに言及している。近代社会においては、「監視する人」と「監視される人」という分離が
前提であった。「監視する人」は、フーコーのパノプティコン的なテクノロジーを用いて監視していた。しかしながら、
情報通信革命により、「監視する人」と「監視される人」の関係は崩れ去ってしまったと主張する。そこには、個人と国家の
差異が溶解した空間の中で、万人の万人に対する監視という状態になるというのである。つまり、未来の監視社会は、おそらく
オーウェルが描いたような単純な世界なではない。単一の「ビッグ・ブラザー」ではなく、無数の「リトル・ブラザー」が
絶えず監視しているような複雑で厄介な世界になると言うことが出来る。

226 :めも:2006/01/29(日) 17:38:29
「自然」環境と「社会」環境の決定的な違いは、前者が(自然)法則の支配する世界であるのに対して、後者は規範の支配
する世界であるという点である。もちろん人間も物体であり生物であるから物理的法則や本能には従っている。二階の窓
から外に出ればニュートンの法則に従って落下するし、魅力的な異性が目の前に現れれば性的に興奮する。しかし、人間は
(自然)法則に従っているだけでなく、いやそれ以上に、規範に従って生きている。
たとえば授業中に便意や尿意を覚えても、その場で用を足す人はいない。通常は、授業が終わるまで我慢して(どうしても
我慢できない場合は教師に断って)、トイレに行って用を足す。つまり本能と行為(排泄)は直結しているわけではなく、
そこに「しかるべき時間に、しかるべき場所で」という規範が介在しているのである。規範とは「正しい行為」が何であるか
を示すものである。生物学的人間として生まれた子供は、規範の内面化である社会化の過程を経ることによって、しだいに
社会的人間になっていく。

227 :めも:2006/01/29(日) 17:40:29
授業中に教師と学生が相互行為をするとき、一方は「教師」という役割を演じ、他方は「学生」という役割を演じている。
役割(role)とは他者から期待されている行為のパターンである。相互行為をしている教師と学生は共演者であり、二人の
相互行為を周りで見ている他の学生たちは観客であり、彼らのいる教室という空間は一種の劇場である。そこで展開される
相互行為は一定のシナリオ(=規範)によって制御されているのである。
われわれはみな、人からよく見られたい、人からよく思われたいと思っている。「私は人の目(評価)なんか気にしない」
と言う人もいるだろうが、その人はそういう自分をかっこいいと思っていて、そういう自分をアピールしているのである。
だから、われわれは、人からよく見られるよう、人からよく思われるよう、そのような演技をする。他者を観客として、
その視線を意識しつつ自分の外見や行動を規制することによって、自分についての情報をコントロールして他者に提示する
ことを、アーウィン・ゴフマンのドラマトゥルギー(日常生活への演劇的アプローチ)の用語で「自己呈示」という。
あれこれと自己を呈示することで、自分に対する他者の印象(イメージ)を、自分にとって望ましい内容のものに保つことを
「印象管理」あるいは「印象操作」という。

228 :めも:2006/01/29(日) 17:45:43
相互行為を周りで見ている他の学生たちは観客であり、彼らのいる教室という空間は一種の劇場である。そこで展開される
個人は他者との相互行為の中で自己に割り当てられた役割の遂行(役割演技)を通して自己を呈示し、一定の自己イメージ
(まともな私、有能な私、愛されるべき私・・・・)を保持すべく印象管理を行っている−これが前回説明したアーウィン・
ゴフマンのドラマツルギーの考え方である。では、役割演技を通して呈示される自己イメージはどのようにして形成される
のだろうか。それもまた他者との相互行為を通して形成される、というのが今回の論点である。
胎児や新生児には自己イメージというものがない。人間が自己イメージをもつためには、第一に、自己と非自己を識別できて
いる必要があり、第二に、「私は〜である」という言語的認識能力が必要だからである。最初の自己イメージは、多くの場合、
母親という重要な他者(significant other)との相互行為の中で形成される。たとえば、母親が幼児のことを「かわいい子」
と認識し、その認識を言葉や微笑みや抱擁によって幼児に伝えたとする。幼児はそのメッセージを受け取り、自分のことを
「かわいい子」として認識する。すなわち幼児は母親という「鏡」に映った自分の姿によって自己イメージを形成するので
ある。その意味で、幼児の自己イメージは幼児と母親との共同制作物である。母親は自分子どもをプラスのまなざしでことが
多いから、幼児の自己イメージはプラスの要素で肥大する傾向がある(フロイトのいう一次的ナルシシズム)。

229 :めも:2006/01/29(日) 17:49:59
相互行為を周りで見ている他の学生たちは観客であり、彼らのいる教室という空間は一種の劇場である。そこで展開される
しかし子どもはいつまでも母子関係の中に留まっていることはできない。さまざまな他者、とりわけ非家族的他者との
相互行為の中で、子どもの自己イメージはプラスの要素とマイナスの要素(優越感と劣等感)の入り混じったものになって
いく。一般に、子どもの自己イメージの構成要素は、@身体(容姿や身体能力)、A学業成績、B性格(他者からどう
見られているか)、C家族の社会的地位などである。
思春期に入ると、身体の変化(第二次性徴)や所属集団の変化(進学)を契機として自己イメージの再構成が起こる。
このとき子どもは、旧い自己イメージを支えてきた他者(両親)に対して、「私はもうあなたが思っているような私ではない」
というメッセージを発信する(親を無視したり、親に口答えをすることで)。これが第二次反抗期である。自己イメージの
再構成も他者との相互作用の中で行われるのである。

230 :めも:2006/01/29(日) 19:20:01
第2回 : 監視社会論 - 再考(1)
アービング・ゴフマン『日常生活の自己呈示』
アービング・ゴフマンは、特に監視やプライバシーに特定した研究を行ったわけではないが、その著書『日常生活の自己呈示』(1959)
の中で、劇場における演技、役割、観衆、舞台裏という比喩を用いた演出的分析(ドラマトゥルギー)を用いて人間の社会的な行動の
分析を行った。そして、人間が互いに見たり見られたりするのは「当然の社会的事象である」として、監視の本質を考える上での
貴重な理論を提供した。
ゴフマンは、人間の社会行動を分析するためには、その内的な動機やパーソナリティだけでなく、人々が相互の接触の中でお互いに
作り上げる表面的な外見をも分析しなければならない、という。ゴフマンは、自己の構造は「役柄としての自己」と「パフォーマー
としての自己」から構成されているという。前者は、自己が社会において適切な存在であるということを周囲に認めてもらうことを
目的として、その場にふさわしい自己像を用意する自己のことである。後者は、そのような役柄を役者が劇場において演じるように
他者に向けて呈示する自己を意味する。
パノプティコンにおける囚人は、看守のまなざしを受けて期待される「役柄としての自己」像を用意し、その自己像を看守に向けて
呈示する「パフォーマーとしての自己」を演じる。そしてそのような相互作用こそが内面から人間を創りあげてゆくのである。
ミシエル・フーコーの『監獄の誕生』
ミシエル・フーコーは、『監獄の誕生』(1975)のなかで、パノプティコンは、囚人をして塔の監視者の視線を常に意識せしめる
こと(内面化)によって、囚人が命令されなくとも自発的に外部の規範に合致する行動(主体化)をとるようにさせてしまう装置
だと分析した。

231 :めも:2006/01/29(日) 19:21:45
さらにフーコーは、この装置は、権力を自動的なものにし「没・個人化する」と述べ、この装置が現代の社会の基本的なモデルと
なっているとも指摘している。つまり、被支配者の身体の表面に注がれる支配者のまなざしが、被支配者の精神と身体を拘束し、
それによって社会全体が改善されるというものである。パノプティコンの社会的な意義を普遍化したものである。
フーコーは、パノプティコン的な装置はすでに日常的になっているという。たとえば、労働者を独居空間に閉じ込めた近代の工場や、
子供たちを学習机や教室という独居空間に閉じ込めた学校においても、監督者や教師が監視を行っている。このような空間は基本的に
汎用的なパノプティコン装置であるという。
パノプティコン装置においては、「矯正」や「懲罰」、「褒賞」などを通じて、人の内面への介入が可能となり、個々の身体的
知的能力の比較・序列化も可能となるとフーコーは考えた。そして、これを敷衍して、近代社会における学校・監獄・病院・軍隊・
工場などは「権力テクノロジーを実行する場に他ならない」と指摘し、そのような権力テクノロジーを、彼は「規律・訓練」装置と
呼んだ。個人は主体的であるという自己意識を持っているにもかかわらず、じつは「監視する者に対して自発的な服従の構えを
とっているに過ぎない」というのだ。
http://www.glocom.ac.jp/j/publications/journal_archive/2005/02/2_1.html

232 :ヘルメット外した鬼頭:2006/01/29(日) 20:43:48
人は皆、あるゲームの上での価値基準とそのゲームの上で競争を繰り広げる者に共有される評価(身体的美醜、
言語的美醜、身体能力、知的能力、成績、業績、社会的地位、収入...etc)のどれかに自己愛領域を重ねている。
自己愛領域で承認が得られないと傷つきを感じる。
ハゲ・不細工という変えられない要素を自らの事実として受け入れるのではなく、自己イメージとの不整合を見出し
「本当の自分」を求めて自らを拘束するマイナスの要因を超え出る為に偽りの仮面に手を出し自らの姿を捏造し、
自己愛の代理満足を得ようとする活動がカツラ・整形である。盗作や仕事内容の捏造も同じ事である。そこには
現在の自分の姿とそれに対する周囲の評価に満足できないという感情があり、健全な自己肯定感覚が欠如している。

233 :考える名無しさん:2006/01/29(日) 21:50:57
>主体化とは、道徳規範の内面化とは違って、自己決定的な主体であろうとして悪戦苦闘することを内面化した存在だという
>わけですね。要は、命じられたり脅されたりしなくても自発的に人間であろうとすることによって、意図せずして一定の
>フォーマットを集合的にアウトプットしてしまうような諸身体が、社会空間にあまねく分布することで、近代の社会システム
>が成り立つというのです。

>自己決定的な主体であろうとして悪戦苦闘するような身体として整形することを、ディシプリン(規律=訓練)を施すと言います。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=241

主体化とは、個人は主体的であるという意識を持っているが、監視者の視線を内面化する事によって命令されたり脅されたり
しなくとも自発的に権力に都合の良い規範に合致する行動をとるようになる事ではないのか。
規律訓練の時代が終わったというのなら教育システムは機能してないという事なのか。
規律訓練から環境管理へと移行したのではなく両方が混合されている社会になっているのではないか。

連載第一七回:下位システムとは何か?
■前回を復習すれば、カントの自由意思論(『実践理性批判』)が示すように、自由とは因果的な自己原因性ではありません。
即ち、因果帰属でなく選択帰属の問題なのです。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=155&catid=7

カントは因果法則を超えた精神の自由を仮定したのではないのか。

234 :ヘルメット外した鬼頭 :2006/01/29(日) 21:55:59
名前を入れ忘れた。

235 : :2006/01/31(火) 18:43:52
894 名前:  :2006/01/30(月) 13:10:06
>>887
フーコーの言う主体化とは宮台が言うような「自己決定的な主体であろうとする事」ではなく、
「監視の視線を内面化する事により規範に一致する行動を自発的に取る状態になる事」ではないか、
個人が自己決定的ではなく権力に都合の良いように規格化されているから一定のフォーマットを
集合的にアウトプットするのではないのではないか、という事。

236 : :2006/01/31(火) 18:44:54
898 名前:  :2006/01/30(月) 16:04:19
>>895
パノプティコンは環境管理型ではなく規律訓練型だと思う。
環境管理というのは規範や視線を内面化させなくとも、管理する側の思惑を気付かせずに人の快不快に
働きかけたり(イスの硬さ、BGM)、個人認証などで行動を制限し管理する側にとって都合の良い状態を
維持する事だと思う。
私が言いたいのは
1、宮台は「主体化」という言葉につられて自分の解釈を入れているのではないか
2、学校教育は規律訓練型権力だけど規律訓練の時代が終わったとするなら学校教育の時代は終わったのか、
現在は規律訓練と環境管理の両方があるのではないか
3、権力に都合の良いような行動を取るように方向付けられているのは自己決定とは言えないのではないか
という事。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1129732244/l50

237 :考える名無しさん:2006/01/31(火) 19:35:23
あずまんスレのは?www

238 :じいさん:2006/02/01(水) 00:11:31
>>222 :組み立て中ヘルメットヘア:
>>223 :めも :
・・・・・・・・

つまらない文章が続いている。
当たり前で誰でも知っていることのようだが・・・。
どんな意味があるんだろう。
古代より現代の方が監視がきついのは皆知っている、其の上でどうしろと言っているの?

239 :考える名無しさん:2006/02/02(木) 03:29:43
雨が降る前になると必ず鳴くカエルがいたとする。

しかしカエルは雨が降ることを予知して鳴くのであって、
カエルが鳴いたから雨が降るわけではない。

でもカエル自身は“自分が雨を降らせている”と思っているかもしれない。

人間の自由意志も実は同じだったりして。

240 : :2006/02/02(木) 18:12:57
オーウェルの『1984年』ゲット。
監視社会と自由を論じる上ではパノプティコンの概念の理解と同時に欠かせない小説、かな。
ボガードの『監視ゲーム―プライヴァシーの終焉』はどこの本屋に行っても置いてない。絶版かな。

>>239
生理前になると男を誘惑したくなる、ある一定以上の性的興奮を感じると勃起する、
本人は自分の自由な意思と思っている、とか。
権力ゲームの中で生きていてヘマをやらかしたから自分の身に周囲から圧力がかかる事を予見し恐怖を感じる、
他人の圧力は自分が起こしたもので自分の予見通りにしか他人も動かない、本当は自分を危機に立たせる為に
「自分の自由な意思で起こした」、「他人は雨と同様に自分の自由な意思を持たない」と解釈する、とか。

学問が成り立つのは自由の制限があるからであり、自由を論じる場合もその言説が伝達される言語に正確に
乗っていないとならないという拘束がある。

241 : :2006/02/02(木) 18:25:33
>>237
あずまんスレの人はあずまんの「規律訓練から環境管理へ」については今は論じてないのでは。
思想の上での「××から○○へ」というのは、現在も××の要素があるから社会が成り立っているんだ、
という事を忘れ、ただ思想の流行に乗るか流行を作り出そうとしているだけのもので長くは続かないもの
ではないか、と思う。

242 :考える名無しさん:2006/02/02(木) 21:00:06
マルクス用語
唯物史観・・・物質のあり方が人間の精神を規定してきたとする歴史観。マルクスはこの考えに立って、
人間の政治、経済、文化、思想、宗教、芸術などは、物質の生産諸関係によって規定されるとした。
人間は一見すると自由な意思を持っているように見えて、実は自分の意思とは独立した社会構造の中での、
生産のあり方によって意識が決定されているとした。この物質の生産諸関係の発展段階が、古代奴隷制社会、
中世封建社会、資本主義社会の歴史段階であると説いた。

物象化論・・・マルクスは、唯物史観が明らかにした社会の運動法則が、生産関係が発展するにつれて人間の
意思から独立し、やがて人間そのものを支配すると唱えた。そこでは人間と物との関係がひっくり返り、人間と
人間の関係も物と物との関係に置き換えられてしまうとした。このような考え方は物象化論と呼ばれる。

243 : :2006/02/02(木) 21:49:36
「監視社会」の光と陰
http://www.ntt-west.co.jp/solution/hint/jpn/story/0509/index.html

244 :じいさん:2006/02/03(金) 01:35:25
>>239 :考える名無しさん :
>人間の自由意志も実は同じだったりして。

それが当に「自由意志はなく因果律で決まる」と言う主張の事ですね。

245 : :2006/02/03(金) 12:26:26
Winnyがもたらした社会的悪影響は、著作物データの流出という経済的損失で、「人が死んだわけではないからそんなに目くじら
たてなくても」という意見もある。これに対してGLOCOM客員研究員の鈴木健氏は「ソフトが物理レイヤーをコントロールできる
社会が20〜30年後には確実に来る」と反論する。例えば、ソフトウェアのハッキングで回転ドアの速度を早める――といったこと
が将来は確実に可能になり、ソフト開発が人を殺す力を持つという状況が必ず来るとし、倫理面を今から考えておくことは重要だ
と指摘した。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0601/30/news047.html

ソフトウェアのハッキングで物理レイヤーをコントロールし危険をもたらす。
ある思想で他人の精神に介入し行動の出力を操作し危険をもたらす。

246 :じいさん:2006/02/06(月) 00:10:10
>>245 : :

スレ違いだとおもうが、実は私は「著作権保護は社会的損失ではないか」と言う内容のスレを探していて今まで見つけられないでいます。
どなたか教えて下さい。

247 :考える名無しさん:2006/02/06(月) 22:49:00
ここまでサラっと通しで読んでみて、議論に値する書込みは
>>159しか無いようです。あとは何か社学の範疇じゃないですか?
コピペは論外として。

>>159の「自分に由る」とゆうのは解ります。
では「自」を「自たらしめている」のはどういった条件なのか?
自とはどうゆうシステムなのか?
その文脈でエイズの問題も絡んでくると思います。
免疫については詳しくないのでオートポイエーシスとか解んない・・・

母親の胎内では免疫システムの攻撃から守られるのに
出産(分離)成長後はどうして生体間移植もままならないのか?

248 : :2006/02/07(火) 11:21:48
フーコーの話は哲学の範囲に入ってるけど。
コピペも中身がわからない人には議論しようがない。
規律訓練と自由、監視社会と自由について考えた事がなければ議論しようがない。
自分の普段から考えている思考と似通っていて理解できるものだけが「議論に値する」と感じるのかもしれない。

249 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 13:00:28
コピペの内容は解かるけど「コピペする意味」が全く解からない

250 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 15:57:32
>>248
>考えた事がなければ
>考えた事がなければ
>考えた事がなければ
>考えた事がなければ
>考えた事がなければ

自戒乙

251 : :2006/02/07(火) 21:13:41
・規律訓練と自由
・ドロップアウト、引きこもり、フリーター、ニートと自由
・ヒエラルキーと個人の自己愛のありようの規定(自由の制限)

これらを一つにまとめたい。

252 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 21:52:54
じゃあコピペばっかりやっても無駄だよね


253 : :2006/02/07(火) 22:55:49
自分のコメントも入れているよ。
君も他人の評価だけじゃなくて中身のある事書いたら。

254 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 22:56:51
哲学初心者の俺にとってはコピペはかなり勉強になりますけどね。

255 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 23:01:59
コピペからもその人の考えている事や志向性が見えている。
それも読み取れずコピペ内容の理解を伴った書き込みするのでもなく、
コピペという行為自体に言及する以外に何もできない。

256 : :2006/02/07(火) 23:04:41
というか2ch哲学板に書いてあることはほとんど勉強にならない。
誰かに学習内容を伝えようという気のある人がいないからだ。

257 : :2006/02/07(火) 23:34:37
規律訓練は個人を権力に都合の良いように規格化する事。
自発的に規範に沿った行動を取るようにする事を可能にするのは監視の視線の内面化による。
常設的な刑罰制度は、比較し差異化し階層秩序化し同質化し排除する。これが規格化で教育でも言える。
規格化競争の中の階層秩序により自己愛のありようも定められる。
三流大学に通っていて「私は頭がいい」と思う自由はない。
規格化された個人は自由なのか、規格化から逃れた者は自由なのか。
学校や企業が欲しい人材は規格化された存在で教育による規格化から逃れた者は一時的な自由を獲得しても
将来的な自由は狭まる。

258 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 09:48:20
>>253-255
君も中身のある事書いたら。

>>256
ここはお前の報告場所でもノートでもねえ。チラシ使え。リソースの無駄だ。
勉強にならないと思うなら出て行け。

な ん で ま と も な レ ス ポ ン ス が も ら え な い か 良 く 考 え ろ。

259 : :2006/02/08(水) 11:13:38
同じテーマに興味を持っていて中身のある事を書ける人を惹きつけ書きこませるだけの魅力が
私の文章に無いからでしょう。

本当の糞スレでは「チラシ使え」とか「出て行け」とか言わないのに、批判したい目だった
行動をする人がいると、規範を勝手に作って圧力をかけようとするバカがいるのはどういう
事なのか。そういう人の特徴は言っている中身には反応できない。

260 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 11:29:39
確かにリソースの無駄だな。引用元に許諾を取ってるとも思えん。
リンクだけ貼れ。どのような使用の仕方も法令範囲内で認められるが
例え法令範囲内であっても「その方法事自体への批判」まで封殺できるものなのかな?

>同じテーマに興味を持っていて中身のある事を書ける人を惹きつけ書きこませるだけの魅力が
私の文章に無いからでしょう。

違うな。「君の文章」が無いさ
魅力の有無は問題じゃ無い

261 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 11:36:52
コピペの権利は主張するがそれに対する批判の権利は認めない。

これは単に考える能力の欠如とちっぽけなプライドだけは守りたい
とゆうオコチャマ思考の産物ではないのかね?

君の面白いところは駄々をこねる時だけ「自分」が出てくるところだ。

262 : :2006/02/08(水) 12:12:35
で?
君は私が提供したテーマについては何も論じる事はできないのか。
だったら出て行け、なんつったりして。

263 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 12:31:58
>>256
>誰かに学習内容を伝えようという気のある人がいないからだ。

謎の言葉・・・

>>262
>君は私が提供したテーマについては何も論じる事はできないのか。

提供・・・ですか。出て行くも何も誰もいないよココw
提供の仕方がまずいんじゃない?


ってみんなが言ってもそれは自分で改めることだからね。
ずっとやってれば?

264 :じいさん:2006/02/08(水) 12:43:46
>>257 : :
>規格化された個人は自由なのか、規格化から逃れた者は自由なのか。

たしかにこのようなテーマは在り得るが既にテーマ自体が破綻している。
もともと絶対的自由などと言うものはないし、自由と言う実在もない。
何かの目標なり、理想なりがあって其の自由度と言うものが始めて問題となる。
例えば表現の自由と言っても、何かを表現すると言う目的のための自由と言う事だろう。
したがって検閲はけしからんが言葉の共通性、翻訳などの規格、文法などの規格化は不可欠と言う議論になる。
子供の病気を理解するために言葉を教える、体の何処が痛いのかを表現させるためだ。
言葉で子供を監視できると言う事だ。

265 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 13:06:43
面白い書き込みがないからよそから持ってきているだけでは。
批判している人もつまらないし。

266 : :2006/02/08(水) 16:43:24
反権力を標榜する場合でも規律訓練によって獲得した知識と頭脳が必要。
知性のない言葉は無力だ。
知は権力として機能する。反権力は反知性になっては力を失う。
自由は形式に従わなければ与えられない。形式から外れた者は排除される。
狭義の自由とは快楽の享受能力である。快楽追求に支配されているから真の自由は存在しない。
より大きな快楽を享受するにはより規格化されなければならない。

267 :じいさん:2006/02/08(水) 19:01:01
>>266 : :
>より大きな快楽を享受するにはより規格化されなければならない。

そういうことですね。
強い自由の感覚には強い束縛をぬけ出る必要がある。
・・・・・・・なんかSMみたいになって来ましたね。

268 :ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/02/08(水) 19:53:03
その振り子から抜けられるかという話にならないのがおかしい

269 :考える名無しさん:2006/02/18(土) 23:12:47
ベンサムの和訳ってもう売ってないの??
あぁ、英文で読むしかないのか・・・

270 :考える名無しさん:2006/02/19(日) 13:09:25
今さらベンサム読まなくていいよ。

271 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 06:51:32
事由とは規律が無いということではないよ。
規律が無いというのは、何もできないということ。
自由というのは、規律を自分で選んだり決めたりすることだよ。

272 :鉄額論:2006/02/27(月) 07:22:01

そうだよw

273 : ◆HQtu3/IfJ2 :2006/02/27(月) 16:05:55
未来が予め決まっているかどうかは、ある予言が的中するかどうかによってしか証明できないのでは。

274 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 17:38:28
>>273
逆。決まらない要因が見つかった事は一度もない。
単に完全な未来を人間が知る事はできないというだけ。

275 :考える名無しさん:2006/02/27(月) 18:14:23
水が常に100度で沸騰するとか、そういうのって実は恐ろしいことだよね・・
物理法則の数々などは、世界が気まぐれではないことを暗示しているかのよう

276 : :2006/02/27(月) 18:26:43
>>269
どれも本屋には置いてない。
本屋から出版社に取り寄せてもらったら手に入るのかも。

復刊リクエスト投票
「中公バックス 世界の名著49 ベンサム ミル」
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=14712

277 : ◆HQtu3/IfJ2 :2006/02/28(火) 00:36:06
どう考えても決定論の方が正しいと思います。難しい予言が的中すれば自由意志が妄想であることがはっきりするでしょう。

278 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 00:38:37
「どう考えても」なんて言う前に、
まず決定論と自由意志が本当に両立しないのかどうか、
考えてみたら?

279 : ◆HQtu3/IfJ2 :2006/02/28(火) 00:39:27
『自分で選ぶ』ということ自体が幻想です。自分ではなく、世界が規定するのです。

280 :考える名無しさん:2006/02/28(火) 00:42:53
そんな簡単な話だったら、哲学で問題にされ続けているはずがないとは思わないのか?

281 : ◆HQtu3/IfJ2 :2006/02/28(火) 00:49:55
選択は象の結合であり、力学的計算により結果を導くことができます。
問題となる唯一の原因は、しばしば決定論が不快感を提供するためです。


282 : ◆HQtu3/IfJ2 :2006/02/28(火) 00:57:27
不快感とは論理的斥力の知覚です。
世界から象に斥力が働くと象同士は結合せず、同時に現象化しません。
人間も決定論も象です。
不快感が知覚され続ける限り、決定論を排除しようとする運動が止むことはないでしょう。
この運動は生物学的機能です。

283 : :2006/03/11(土) 16:47:21
「ポストモダンの思想的根拠」を読んだらやはりフーコーの主体化は服従化のことだ、
って書いてあった。って言っても誰も読んでないか。

284 : :2006/03/19(日) 17:13:53
ぼくらは長いあいだ自分たちの牢獄の姿を美化してきた。
奴隷はけっして鎖につながれてはいない。彼に鎖はまったく不要なのだ!彼は忠実なのだ!

285 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 18:26:00
哲学で解決できるような問題は
馬鹿の問題である

286 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 23:28:34
馬鹿でない自分の問題意識に対する答えを哲学には期待できないと感じているって事か。

287 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 23:39:54
君の認識宇宙は他人の認識宇宙とは異なるベクトルとして存在している。

だから、言い換えると、君は「実在の世界」を生きてはいないのだ。

君の指先が感じる痛みは錯覚である。
実際には、脳の一部が痛みを感じ、痛みが指先に由来すると
錯覚しているに過ぎない。そのようになっていたほうが都合が
良いというだけに過ぎない。

生物は進化の結果、「実在の世界」を可能な限り無視し、
「幻想の世界」を「リアル」と思い込むようになった。
人間が体感し得る一切は錯覚であるというのにも関わらず。

君の「指先」と「痛み」を結びつけるものは経験である。
ならば経験を超越した先には、真実を行使した先には、
不毛の砂漠の如き実在の世界があるのだろう。

もっと狂気を。もっと狂気を!もっと狂気を!!!

288 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 23:50:21
他人の認識宇宙が「実在の世界」だとなぜ言えるのか。
人が実在のリアルな世界と思っているものも環境からの刷り込みや遺伝的に
規定された共同主観的な幻想に過ぎないと言える。

289 :考える名無しさん:2006/03/20(月) 12:22:03
だから、文字をいじくって何かが出てくるという古代信仰を捨てろ

290 : ◆6rgGIYz09M :2006/03/23(木) 15:05:50
>>251
>・規律訓練と自由
>・ドロップアウト、引きこもり、フリーター、ニートと自由
>・ヒエラルキーと個人の自己愛のありようの規定(自由の制限)

>これらを一つにまとめたい。

とあって、他にも監視社会と自由とか言う視点があるがこのスレで問題にしている、
「決定論・・・自由意志」という自由意志の視点とは違うのでは無いかな。
監視(管理)されたとして<物理的に決定されたとして>それが100パーセント個人の意識を決定するか、
一パーセントでも個人の自由意志があるかどうか・・と言うのがこのスレのテーマなのでは?


291 : ◆6rgGIYz09M :2006/03/23(木) 15:24:35
はっきり言うと>>1 に在るように・・・・・・
>もし自然法則に従った動きしかできないというのであれば・・・

と言う事が問題の全てである。
自然法則に従うと言う事は全く自由意志が無いと言うことを示している。
社会も自然法則で決定され、監視もそうであり、個人の自由はゼロである。

それに対して個人の自由意志があるが社会の監視によって制限されている・・・などの議論は「自由意志」の問題ではなく「社会制度」の問題でカテ違いだろう。

まして>>3 にあるように・・・・・
>積極的自由/消極的自由という有名な対概念を提示している。

などはつまらない議論だろう。
自由に積極的とか消極的とか在るなんて・・・笑っちゃう。
ある時点で自由意志があれば次の事象は決定(予測)できない。
したがって将来(数秒もたてば)世界は不確定の要素で満ち溢れ100パーセント未定(自由)であるとしかいえない。
勿論何でも出来るという意味でなない、何が不自由とも言えないと言うことである。

292 :考える名無しさん:2006/03/23(木) 17:50:21
馬鹿はだまってろ

293 :考える名無しさん:2006/03/27(月) 02:56:10
量子力学から考えて人間の脳の思考はたぶん非決定論的であろう。
ただ、それを自由意志といえるのかは疑問だが。

294 :考える名無しさん:2006/03/27(月) 12:42:10
>>293
量子力学は決定論的だよ。シュレーディンガーの著書でも読んでくれ。
予測に限界があることと、非決定は別。

295 :考える名無しさん:2006/03/27(月) 13:03:18
ボーアも読むんだな

296 :考える名無しさん:2006/03/27(月) 13:40:23
>>295
読んでも一緒。決定論を否定する事は原理的に不可能。

297 :考える名無しさん:2006/03/27(月) 20:42:02
ただのバカかいw

298 :考える名無しさん:2006/03/30(木) 18:01:43
>>294
AB効果や液体ヘリウムの超流動のように量子効果がマクロなスケールで観測されることもあるわけだ。
例えばAB効果において、電子波の位相が変化するか否かで乱数を発生すれば
それはカオス的関数を用いた擬似的な乱数と異なり、完全に非アルゴリズム的な乱数だろう。
人間のニューロンがどういう機構で発火するのか知らんが、もし思考の振る舞いが非アルゴリズム的ならば
それは非決定論的といえるのではないか?

299 :考える名無しさん:2006/03/31(金) 09:48:46
>>298
>例えばAB効果において、電子波の位相が変化するか否かで乱数を発生すれば

それも原因が存在している疑似乱数ですね。

>完全に非アルゴリズム的な乱数だろう。

完全に非アルゴリズム的な乱数など存在しません。
せいぜい質のよい疑似乱数程度です。

>それは非決定論的といえるのではないか?

もちろんいえます。
疑似乱数で生成される複雑な現象が非決定論的であるのと同じです。
決定論の世界の中では、非決定論「的」事象が存在が存在する事は当然です。
決定論的作用自体が、非決定論的事象を生み出します。

300 :考える名無しさん:2006/03/31(金) 13:26:54
>>299
でも、決定論の世界の中で決定論的事象が消滅する
ことがあるだろ。そうなると世界は非決定論に限りなく
近づくことになる。大リーグボール3号効果と言うんだけどな。

301 :考える名無しさん:2006/03/31(金) 13:30:06
>>300
>そうなると世界は非決定論に限りなく近づくことになる。

限りなく近づくのは、予測不能の程度であって、
決定論の世界が非決定論の世界になるわけではない。
どんなに複雑でも、原因があれば決定論だよ。

302 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2006/03/31(金) 16:06:50
>>301
物理の事は良く判らないが、電子一個の運動が正確に予測できない以上未来は決定できないのでは?
電子一個の振る舞いで大きな自然現象が決定される事はよくあるのでは?。
放射線の被曝とか、遺伝子の突然変異とか・・・
例えば核爆発の臨界のところで後一個の粒子が増えたら・・・と言う瞬間とか。

303 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2006/03/31(金) 16:09:27
>「原因があれば決定論だよ。」
一対一で対応していなければ決定では無い。

304 :考える名無しさん:2006/03/31(金) 16:13:18
>>302
>電子一個の運動が正確に予測できない以上未来は決定できないのでは?

違うよ。
「電子一個の運動が正確に予測できない以上、未来は正確に予測できない。」
です。
人間には決定できないという意味では、「決定できない」という意味は正しいですが、
他の原因によって自動的に決められてしまうことには変わりありません。
決定論では、人間に未来を選択する事はできないですから、
これはまったく決定論の主旨と同じです。

305 :考える名無しさん:2006/03/31(金) 16:13:47
>>303
>一対一で対応していなければ決定では無い。

一対一で対応していないものはこの世にありません。

306 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2006/03/31(金) 19:20:51
>>304
>決定論では、人間に未来を選択する事はできないですから、

それはそうである、しかし現時点でその因果律を記述する事は出来ない。
天気予報は当らない。
実際に決定論が支配すると言ってもそれをどう決定しているか記述できない。
そんな議論を空論と言う。



307 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2006/03/31(金) 19:23:08
>>305 :考える名無しさん :2006/03/31(金) 16:13:47
>一対一で対応していないものはこの世にありません。

目に入った一個の光子の経路は特定できない。

308 :考える名無しさん:2006/03/31(金) 20:01:20
>>306
決定はしているが実際に計算して予言することが困難であることと
そもそも決定していないことは結果は同じでも原理的に違うだろ。

ところで量子力学ではあらゆる現象は離散的な結果をとる。つまり有限個の可能性の一つを結果として選び取る。
すると未来も考えられる有限個の結果の一つになるのではないだろうか?

309 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2006/03/31(金) 20:11:34
>>308 :考える名無しさん :2006/03/31(金) 20:01:20
予言することが困難であることを決定しているとは言わない。
「解らない」と言う。
自然科学は「解らない」事は言わないものである。

>未来も考えられる有限個の結果の一つになるのではないだろうか?

そうはいかない、もし複数の結果を認めてしまうと其の次の未来は其の複数倍の結果だ出る。
あっという間に無限の結果予測となる。
つまり解らないということ。

決定論が有効になる為には絶対に「一対一の対応」で無ければならない。


310 :考える名無しさん:2006/03/31(金) 22:30:45
>>309
あっという間に無限の結果予測というのはおかしい。
物理学的には多体問題と言って解析計算は原理的に不可能だ。
しかし数値計算は可能であり、実際に結果は有限個の可能性の中のどれか一つになる。
ありえる未来の可能性は気が遠くなるほど膨大な数となるが、あくまで有限であり無限ではない。

例えば量子力学的に考えられる膨大な可能性のいずれも明日隕石が落ちるという結果を持つのならば、
それは決定論と言うのでは無いか?

311 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2006/03/31(金) 23:33:58
>>310 :考える名無しさん :2006/03/31(金) 22:30:45
>あっという間に無限の結果予測というのはおかしい。

例えばブラウン運動のようなもので、太平洋にある一分子を投下して其の分子が一年後に何処にあるかは計算不能である。
勿論地球上にあると言う事ならば決定している。
隕石の問題と同じ、決定している部分では決定している。
しかし具体的に何処にあるか、精密に隕石が何処に落下するかは・・・
少なくとも隕石が落下して大被害を起こすまでには解析できない。

>309


312 :じいさん ◆6rgGIYz09M :2006/03/31(金) 23:36:51
決定論と言うのは100パーセント決定していないと決定論とはいわない。
ごく僅かな非決定(不確定)も許されない。
其の僅かな間隙に私の言う「自由意志」が入り込む。

313 :考える名無しさん:2006/03/32(土) 01:40:38
>>312
わずかなすき間じゃ窮屈だけどね。
自由意志さん、くつろげなくて可哀そう。

314 :考える名無しさん:2006/03/32(土) 10:41:10
>>311
原理的に決定しているかが問題だよ。計算できるか否かは人間の知能の問題では?

地球上の分子一個の運動が正確に計算できないから、分子の運動は非決定論だと言っているが
例えば量子コンピュータが実現し、もし計算できたらその瞬間に決定論になるのか?

315 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/02(日) 02:29:11
>>313
決定性の視点から見ると、僅かな隙間でも、短時間で無限の不確定要素となる。
自由意志の視点から見ると何処までも窮屈な自由しかない。
しかしその窮屈さは日常の生活感覚でも納得していただけるのでは?
以上世界は殆んどが物質的偶然性に支配されているという事。


316 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/02(日) 02:59:04
#tkaaki
>>314
>原理的に決定しているかが問題だよ。

いくら原理だと言い張っても、それを証明(説明、記述、実験)出来ない以上。
とても観念的で科学とはいえない。

現在貴方以外の多くの人間は自分の「自由意志」として生きている。
そのため行為に一々証明は不必要である。
其の事は図り知れない利点がある。
もし自由を否定し因果律を持ち込めば行為の証明解析に忽ち人間は息が出来なくなる。
つまり何の必要があって「自由意志は無い因果律が支配する」というのか?

「分子一個の運動が正確に計算できない」と言う意味は、分散運動が確率的に分布するように動くという事。
要するに確率であり位置を特定できないという意味。
http://www.qmss.jp/prob/stochasticproc/32-bm-pro.htm

317 :考える名無しさん:2006/04/02(日) 03:03:56
道徳的自由は考え得るようだが、
魔法のステッキでなんでも出現させることが無いので、それだけでも制限を受ける。
我々から始まることは自由であるようだが、対象から始まることは制限制であるようだ。

318 :考える名無しさん:2006/04/02(日) 11:49:43
>>316
工房か?それともただのバカか?
ブラウン運動は決定論的だよ。理解してないくせに得意げにURL張るなやw

319 :考える名無しさん:2006/04/02(日) 13:23:30
〇〇が決定論的だというのは
〇〇が、それより以前の世界の状態のみによって定まる
(それ以前の世界の状態を一つとれば、〇〇がどうなるかも定まる)
ということでないの?
んで、〇〇が否決定論的というのは
それ以前の世界の状態+「ランダムな値をとるパラメータ(世界の状態とは独立)」によって定まる
(世界を一つとってきても、なお〇〇がどうなるかは決まらない)
ということでないの?
「複雑過ぎて人間が計算できない」とかは関係なくね?

320 :考える名無しさん:2006/04/02(日) 13:25:26
>>296
ディラックもお勧めします

321 :考える名無しさん:2006/04/02(日) 13:54:36
なんというか堂々巡りだな。少しはまとめようぜ。

1、一意的決定論
未来はひとつに決定しており、自由意志が介入する余地は無い。
2、確率的決定論
未来は確率的に決定しており、自由意志が介入する余地は無い。
(別名『確率的非決定論』。どちらでもいい)。
3、偶然論的非決定論
未来は偶然の連続であって、自由意志が介入する余地は無い。
(→意志と行為は因果律で結ばれていない。私が意志することと
未来に何が起こるかは因果的な関係に無い)。

重要な点
決定論と自由意志が必ず矛盾するわけでもない。
非決定論と自由意志が必ず両立するわけではない。

322 :320:2006/04/02(日) 14:36:27
人間の意思は「未来の世界」のうちに入らないんですか?
世界が決定論的=人間のある時の意思は、それ以前までの世界の状態によってのみ定まる

>>321の「一意的決定論」ならば、ある時にどんな意思があるかも、過去の世界から一意に定まる
「確率的決定論」ならば、あるときどんな意思があるかは
過去の世界から得られる複数の候補のうちの一つに確率的に定まる
と思っていたんですが、、、

323 :考える名無しさん:2006/04/02(日) 15:29:56
自由意志というものを世界の外にあるかのように考えるのが変なんだよ。
自らは世界の外にあり、しかし世界の出来事に因果的に作用する「自由意志」は
「超越論的自我」とかと同じで観念論哲学が作り出した亡霊だよ。
端的に言えばキリスト教の神の哲学的代替物だろうね。

324 :考える名無しさん:2006/04/02(日) 16:01:26
>>322
そうすると、その「意志の含まれた世界全体を観測してるのって誰よ?」
ってことになる。完全な自己観測は不可能であるがゆえに、観察者は常に
対象の外側に立たねばならなくなる。
仮に意志を未来に含めて考えるならば、時間と空間の外側にいる観測者
=神にでも聞くしかあるまい。
「私が自由かどうかは私自身には分からない」わけだ。

325 :考える名無しさん:2006/04/02(日) 16:58:11
>>324
要するにただの不完全性定理だろ。

326 :考える名無しさん:2006/04/02(日) 17:13:34
>>325
どこが?
数学の不完全性定理を観測問題に応用できた人っている?

327 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/03(月) 01:37:13
>>318 :考える名無しさん :2006/04/02(日) 11:49:43
>ブラウン運動は決定論的だよ。
>理解してないくせに得意げにURL張るなやw

では其の事を説明するのが掲示板と言うやつでは無いのかな・・。


328 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/03(月) 01:53:57
>>321 :考える名無しさん :2006/04/02(日) 13:54:36
大変解りやすくまとまっていますね。
私は一意的決定論だと仮定しても、現在決定している内容の記述が出来ない部分で自由意志が在ると定義して、それでいいんじゃあないかと考えます。
偶然論的非決定論(意志と行為は因果律で結ばれていない。)としても自由意志は在りうると考えます。
私は意志と行為や結果は因果関係は無いことが多いと信じています。
其れでも自由意志は在ります。
この「在る」と言うのは観念で「在ると思っている」と言うことです。
所詮人間の意識ですから観念の世界です。

人間の脳の一人よがりな思い込みの「自由意志」に観測だとか実在だとか大騒ぎするのがおかしい。
自由にしても、意志にしても実に曖昧な言葉でしょう。
脳の働きのそれらしい部分を大まかに定義しただけの事。

329 :考える名無しさん:2006/04/03(月) 10:33:46
単に情報がたりないから記述できない、観測してないから記述できない、というだけでも
「確定していない未来」ということになるんですかね

330 :考える名無しさん:2006/04/03(月) 15:18:21
非決定性とか偶然性というのは、根拠になりません。
非決定の仕組みや、真のランダムを論理的に定義、説明できた事は歴史上一度もありません。
結局情報や測定上の問題であり、予測不能なだけです。
決定論が覆る事は永遠にありません。
決定論を否定する事は原理的に不可能です。

331 :考える名無しさん:2006/04/03(月) 19:04:33
それでさあ、「決定論」って、何の役に立つの?

332 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/03(月) 23:47:38
>>329 :考える名無しさん :2006/04/03(月) 10:33:46
>単に情報がたりないから記述できない、観測してないから記述できない、というだけでも
「確定していない未来」ということになるんですかね

はい成ります。
確定して初めて証明できる事。
それが自然科学の原則でしょう。

333 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/03(月) 23:51:01
>>330 :考える名無しさん :2006/04/03(月) 15:18:21
>決定論を否定する事は原理的に不可能です。

いいですか「決定論」なんだから、文字通り「決定」してないと駄目でしょう。
決定するはずだ・・・と言う事ならば観念論になって仕舞う。
決定論を否定していません。
いまは決定してはいないと言っているだけです。


334 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/03(月) 23:52:50
>>331 :考える名無しさん :2006/04/03(月) 19:04:33
>それでさあ、「決定論」って、何の役に立つの?

そう、其の通り。

決定していると言い張って、何を言いたいの?
明日の天気を当るようにしてからにして欲しい。


335 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 03:21:37
>>334
明日は雨降らないと思うよ。
東京地方は、これが決定論!

336 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 09:22:42
>>331
非決定論はもっと役に立たないだろ。

337 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 09:25:00
>>332
なりません。予測する主体にとって、結果を定めることができないだけです。
簡単に言えば、我々が8分後に観測する太陽はどうなっているかは既に決まっています。

338 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 09:28:07
>>333
人間には決定できないというだけのことです。
それは決定論に織り込み済みですから、それは決定論を否定することにはなりません。
決定論というのは、宇宙全体の状態遷移が人間の意思に依存する(従属はさせる)ことなく、
自動的に決まるというだけのことです。
つまり映画のように流れが決まっているものの、
登場人物はその結末を知る事ができないというだけのことです。

従って決定論を否定する事は原理的に不可能です。

339 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 10:24:56
人間には不可知である世界の構成・進行に対して、
わからない側の人間が「世界の進行は決定している」と思い込んでいる状態ではないとなぜいえるのか?
「不可知の世界の流れ」に対して、無知な人間が決定論を唱えられるのか
わからないことをわかったように言っているだけの欺瞞に満ちた言説だとおもう。

340 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 11:09:05
>>339
まあ、それを言い出すと、
過去が存在すると思い込んでいる状態ではないとなぜ言えるのかということになります。
世界が1秒前に作られた可能性だってありますからね。
過去が存在すると言うことができる程度には、決定論は正しいであろうと言えるぐらいですね。

それから不可知だからこそ、決定論を唱えられるのです。
どんなことにも、常に知らない原因が存在するということです。
非因果的決定論というものもありますから、非因果的事象があったとしても、
それを人間がコントロールできなければ、決定論が成立します。

341 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 11:12:00
> 決定論というのは、宇宙全体の状態遷移が人間の意思に依存する(従属はさせる)ことなく、
> 自動的に決まるというだけのことです。

これは違うと思うね。人間の意志というのも、宇宙の因果連鎖の中の鎖の一つだよ。

342 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 11:17:30
>>341
>人間の意志というのも、宇宙の因果連鎖の中の鎖の一つだよ。

違わないよ。そのことも含んでいるから。

343 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 11:23:56
>>342
決定論の立場をとっても、今日の昼食に俺が何を食うかはいまの俺の意志に依存する
ということは言える。だから、「人間の意思に依存することなく自動的に決まる」と
いうのは間違い。

344 :339:2006/04/04(火) 11:30:50
>>340
過去は存在しないよ
現在だけ存在は。
それに今は過去の話なんかしてないし。はぐらかすな。
あと可能性うんぬんなんて話をするってことは決定論にたいして疑いを持っているんじゃない?
決定していることに対して、それ以外のありうる状態を考えてどうするの?
自分で世界は車線変更不可能な一本道だって言っておいて、右に曲がったりもできるかもしれないって言ってる。

非因果的事象ってのは「関係ない事象」ってこと?
原因と結果という関係に縛られない事象ってなに?
すべては関係性の上にのみ成り立っているのに関係性がない事象って?
関係性が希薄な事象はありうるけど、世界内に存在する事象が世界内の他の事象に関係性をもたないってことはないでしょう。




345 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 11:44:55
>>343
間違いじゃないよ。同時に連動して自動的に決まるだけ。
依存しているわけではない。地球の周りを月が回るという表現も、
実際は両方の重心をお互いに回りあっている。

346 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 11:49:32
>決定していることに対して、それ以外のありうる状態を考えてどうするの?

そこは映画の登場人物が考えるようなものと同じです。

>非因果的事象ってのは「関係ない事象」ってこと?
>原因と結果という関係に縛られない事象ってなに?
>すべては関係性の上にのみ成り立っているのに関係性がない事象って?

細かい事は非因果的決定論というものを調べて理解してから聞いてください。

>関係性が希薄な事象はありうるけど、世界内に存在する事象が世界内の他の事象に関係性をもたないってことはないでしょう。

それは決定論に織り込み済みです。まだまだ決定論に対する理解が少ないと思われます。

347 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 11:50:41
「依存する」という言葉をどういうふうに理解してるの?

348 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 11:51:31
>>344
過去は存在しないかどうかはわからないよ。
君という主体にとって存在しないように見えるだけだろ?
俺の今は君の今とは違うかもしれない。
それぞれ別の時間で生きていてもおかしくはない。

349 :339:2006/04/04(火) 13:35:06
>>346
映画というすでに完結した世界内の存在があなたと同じように決定論者ならば
同じといえるだろうけど。
あとネットだといい文献ないから本教えて。
ぐぐったとこで書いてあったの読んだけど、起こった事象に後から意味づけ
して(解釈/分析して)、可能世界のうちからなぜ今の世界になったのか言ってるだけにしか思えなかった。




>>348

時間の感じ方の問題ではないよ。
過去が存在するならばその過去にも時間の流れが存在しているということになり
同時にいくつもの時間の中で生きていくことは同時に多数の世界で生きていくってことになる
自己の多重化・分裂化しているということになるでしょ
だから
過去は存在してないでしょ
存在していたとまさに過去形






350 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 13:55:34
>>349
>過去が存在するならばその過去にも時間の流れが存在しているということになり

ここはOK

>同時にいくつもの時間の中で生きていくことは同時に多数の世界で生きていくってことになる

ならない。単に体験する世界の状態発展が線形であるだけ。

>自己の多重化・分裂化しているということになるでしょ

ならない。なっていても論理的に問題はない。エヴェレット解釈に矛盾はない。

>過去は存在してないでしょ

過去の存在は君が認識できないだけで、存在していないとは言えない。
時間と空間は、同時にすべて存在しているとも言える。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93
アインシュタイン的時間解釈
アインシュタインによれば時間と空間は同じもので時空(時空連続体)と解釈する。
ニュートンの時間方程式もアインシュタイン方程式も時間対称性を持ち、ニュートンもアインシュタインも自分の方程式に時間対称性(時間は等方向つまり過去、現在、未来にも流れる事が方程式上可能)が存在するのを見つけており悩んだが、
アインシュタインはあえてこの方程式上に存在する時間対称性が数学的に存在を許すのを肯定し、過去、現在、未来が同時に存在しているという解釈をした。
これを時空連続体という。時空連続体には過去、現在、未来がすでに同時に存在しているという解釈である。

この概念を発展させた近年の研究で、なぜ光速が秒速約30万キロなのかという事も説明する。
即ち、すでに出来上がっている過去、現在、未来(時空連続体)の中を私たちが光速度 秒速約30万キロで走っているのである。
私たちが光の速度を秒速約30万キロと観測するのもこの為である。
もし、私たちが時空連続体内を秒速10万キロで走っていると、光速度は秒速10万キロとなる。
アインシュタインは記者から「その様な事が本当にあるのか?」と聞かれ、「信じては貰えないと思うが、過去、現在、未来がすでに同時に私の数学方程式上には存在しているのです」と答えている。


351 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 13:57:59
>>349
>可能世界

というのは、情報の不足から可能だと勝手に思い込んでいるだけ。
確率同様、実際の状態ではなく、情報の解釈の仕方に過ぎない。

352 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 14:04:06
>>351
情報が全て揃えば全て不可能なの??

353 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 14:08:24
>>352
系の発展によって自動的に決まる唯一つの世界を除いてあとはハズレ。
例えば、コンピュータの乱数アルゴリズムと初期値やデータが完全に判れば、
乱数系列は100%判る。

354 :339:2006/04/04(火) 14:17:37
>>350
君が認識できないだけだって言うけれど、
認識できないものについて判断を下すこと自体が間違いだね。
>単に体験する世界の状態発展が線形であるだけ。
ってよくわかってるじゃん。体験可能な世界についての判断しか不可能でしょ。
後同時に存在するならば時空間の同座標に多数の存在が同時に表れてもおかしくないってことになるよ


>ならない。なっていても論理的に問題はない。エヴェレット解釈に矛盾はない。
論理的世界に問題があるかじゃなくて、実世界にあるかないか。
論理構造と人間の認識限界の取り違え。
五官に引っかかってこないことに考えをめぐらせることはできても、判断できないし。

>>351
そうだね。
だから可能世界なんでしょ。
あくまでも可能。現実ではないから可能。



355 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 14:18:17
>>353
何で乱数系列を挙げるのか意味不明ですが、
(100%判るのならその系ではそれが自然数列でしょ)
データが完全に判るとは有限世界までの話です。

356 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 14:28:45
>>355
この世に人間がコントロールできる非決定なものなんてないんだよ。
認識上で非決定性があったとしても、それは非因果的決定論と何もかわらない。
非因果的事象によって勝手に決められてしまうというだけのこと。

357 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 14:30:09
>>354
>認識できないものについて判断を下すこと自体が間違いだね。

いやその判断を下しているのはお前だから。
俺は過去が無いとは言い切れないといっている。どちらかわからないとね。
過去が無いなんて判断を下すこと自体が間違い。

358 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 14:31:33
どの系で見ても光速が一定というのは、
過去も未来も同時に存在していることの表れだと思う。

359 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 14:54:42
決定論もいかがわしいけど、非因果的になるともっと香ばしいね。
ところで現実は一つしかないの?
あなたの現実と私の現実は違いますよね。
その違う現実を繋ぐ橋として世界の現実があるけど、
それらは入れ子式で、それぞれがすくみの状態になっている。
すくみの状態というのが非因果的決定論という理解でいいですか?

360 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 14:57:41
>>359
>ところで現実は一つしかないの?

一つですね。

>あなたの現実と私の現実は違いますよね。

右手と左手は違いますが、一つの体ですね。
そういう意味で一つだと思います。あらゆる存在はすべて繋がっていますから。

361 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 15:00:28
>>359
>それらは入れ子式で、それぞれがすくみの状態になっている。

なっていません。
事象の発展は自己組織化という方が適切ですね。
ライフゲームや沸騰する水面の泡などが近いでしょう。

362 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 15:14:18
>>361
雪ダルマ式(年輪)ということですね。中心部から外縁部に延びるという。
入れ子式は、外縁部から中心部へ向かうという。
どっちでもいいですが、組織同士がすくみになって決定しているということでいいですか?


363 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 15:21:30
>>362
だからすくみにはなっていないと言っているでしょう。年輪でもありません。
ライフゲームをすくみだと思っているのですか?

364 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 15:30:19
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0
見たけど、現世代のすくみが次世代を決定している。としか読めないのですが。
単細胞から細胞分裂するパターンは、
細胞数で見れば雪ダルマ式。
全体を一つの生命と見れば入れ子式です。

365 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 15:40:40
>>364
すくみではありません。また、すくみという言葉を使う必要もありません。
単に、現世代の状態が次世代を決定している。です。

366 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 15:43:25
すくみ 0 【▼竦み】


体がすくむこと。
「三(さん)―」「どろどろにて成平―になる/歌舞伎・名歌徳」



三省堂提供「大辞林 第二版」より

367 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 16:34:37
>>365
何ですくみという言葉を使ったのか言えば、
状態では、決定性が無い様に思え、
木工で言うすくみの不自由さを決定材料にする意味で使いました。
決定するとは不自由にする(可能性をなくす)ことで、
全ての情報が揃えば全てが不可能となる(手を加えられなくなる)と思うんです。


368 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:10:23
>>367
なんかいい加減に書いているな。その
決定するの主語は?対象は?
不可能となるの主語は?対象は?


369 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 17:16:40
>>368
「一般に」決定するとは不自由にする(可能性をなくす)ことで、
「情報を揃えた者は」全てが不可能となる。

370 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:29:34
>>369
決定するの主語は?

371 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 17:30:12
それから決定論の場合の決定する主語は何かわかってる?

372 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 17:36:07
>>371
>決定論の場合の決定する主語
世界或いは神という理解ですが。

373 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 18:35:45
>>336
「非決定論」の意味が「決定的でないという論」という意味なら、
決定論(決定的であるという論)と同様役に立たないね。
つまり、結果が違うだけで、論じる対象自体が無益だという話。

「決定論以外の理論」という意味なら、役に立つ理論がいくらでもある。


374 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 19:12:15
>>373
なんか私ばっかで済みません。
決定論的なものはパーツで、非決定論的なものはキャンバスのようなものです。
決まっていないから何かを決められる。決まっていたら大幅な変更は不可能です。
電子部品で言えば素子が決定的で導線が非決定的といえます。
素子だけ、導線だけ、あっても何の役にも立ちません。

375 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 19:13:43
追加。
導線だけでも作りようによっては使えるようになりますが、
逆は無いです。

376 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 19:39:50
>>374
つまり、あなたは、パーツのようなものを、「決定論的なもの」と呼び、
キャンバスのようなものを、「非決定論的なもの」と呼んでるわけですな。

ところで、そういう「決定論的なもの」や「非決定論的なもの」と、
「ものごとはあらかじめ決まっているかどうかについて議論すること」
は、何か関係があるのでしょうか?


377 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 20:19:15
>>376
>ものごとはあらかじめ決まっている
訳ないじゃないですか。
CD-ROM(CD-RでもいいけどあえてROMね)にしたって、
ある特定の決まったもの専用なら、全然使えません。
まず、まっさら(抽象的)なものがあって、具象化していく。ただ、これは作る側の事。
発見する側は具象化されたものを集めて抽象されたものを想像する。
最大解像度の抽象性は無だろうと感じる。
決定論は有なんでしょ。有は無になれるけど逆はない。
このことは、無が有を包んでいる論理構造になっている事です。
有∈無ということです。

378 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:31:37
>>377
なるほど、あなたは、「ものごとはあらかじめ決まっている訳ない」とお考えなのですね。

そして、あなたは、パーツのようなものを、「決定論的なもの」と呼び、
キャンバスのようなものを、「非決定論的なもの」と呼んでるわけですな。

ところで、そういう「決定論的なもの」や「非決定論的なもの」と、
「ものごとはあらかじめ決まっているかどうかについて議論すること」
は、何か関係があるのでしょうか?

また、「ものごとはあらかじめ決まっている訳ない」ということは、
あなたのいうような「決定論的なもの」や「非決定論的なもの」と、
「ものごとはあらかじめ決まっているかどうかについて議論すること」
の関係があるかどうか、あるとしたらそれはどのような関係化という問題と、
どのような関係があるのでしょうか?

379 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 20:42:41
>>378
>あなたは、パーツのようなものを、「決定論的なもの」と呼び、
>キャンバスのようなものを、「非決定論的なもの」と呼んでるわけですな
は、例えを示しているだけです。
有∈無に示されるように、あらかじめ決まっていません。
なぜ上のように示されるかといえば、
部分集合の全ては全体集合にくくれるが、
全体集合の全ては部分集合の中にくくれません。(当たり前ですね)
そこで、有は無になれるが逆はないということは、
有∈無ということなのです。だから、決定論が「全て」というのは間違いです。


380 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 20:52:49
>>379
なるほど、
>決定論的なものはパーツで、非決定論的なものはキャンバスのようなものです。
とは限らない、ということですね。

そして、
>決定論が「全て」というのは間違いです。
ということなわけですね。

ところで、そういう「決定論的なもの」や「非決定論的なもの」と、
「ものごとはあらかじめ決まっているかどうかについて議論すること」
は、何か関係があるのでしょうか?

また、「ものごとはあらかじめ決まっている訳ない」ということは、
あなたのいうような「決定論的なもの」や「非決定論的なもの」と、
「ものごとはあらかじめ決まっているかどうかについて議論すること」
の関係があるかどうか、あるとしたらそれはどのような関係化という問題と、
どのような関係があるのでしょうか?

さらに、「決定論的なものはパーツで、非決定論的なものはキャンバスのようなものとは限らない」
ということは、あなたのいうような「決定論的なもの」や「非決定論的なもの」と、
「ものごとはあらかじめ決まっているかどうかについて議論すること」
の関係があるかどうか、あるとしたらそれはどのような関係化という問題と、
どのような関係があるのでしょうか?

また、「決定論が「全て」というのは間違い」であるということは、
「ものごとはあらかじめ決まっているかどうかについて議論すること」
の関係があるかどうか、あるとしたらそれはどのような関係化という問題と、
どのような関係があるのでしょうか?


381 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/04(火) 20:56:45
有∈無について触れないね。降参ですか?

382 :不可知論者:2006/04/04(火) 21:01:33
仮にあらゆる事象が決定されていたとしても、我々はそれを全て認識できる訳ではない。

「決定された事象」は、我々に認識され得なければ、決定されたものとしての意味がない。

よって、決定論には意味がない。

以上。

文句があるなら、分子運動で気象現象を説明して見せろ。
素粒子論で明日の天気を当ててみろ。

383 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 21:39:11
意味のあるない論争だと「自由意志」も別に意味無い概念だけどな。
まあ、この論点自体が無意味なのかもねw

384 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:34:28
>>374
>決まっていないから何かを決められる。

本当にバカだな。非決定論では決めることもできない。
決定論では知らないだけで、決める事は出来る。

385 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:36:53
>>379
>決定論が「全て」というのは間違いです。

マトリックスの世界を持ち出すまでも無く、
決定論を否定する事は原理的に不可能。
それが理解できないなら、その程度ってこと。

386 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:39:30
>>382
いや、お前には意味がないかもしれんが、意味がある人もいるわけだ。
従って決定論には意味がある場合が存在する。
意味がない人が無視するだけで十分だろう。


387 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:40:05
>>382
決定論が正しい限り、完全な予測は不可能だ。

388 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/05(水) 10:44:37
>>384
あはは。あさはかです。
全ての事象。その中の例えば、あなたの一挙手一投足まで決まっていたら、
あなた自身では何も決められず、もし違う行動を取ったらそれは偽りとなることになる。
決定論とはそういうことも含んでいるでしょ。
決定された事を、どうやって、「否定して」変更するんですか?
非決定論なら自分で決めるだけです。
描かれた絵を一部消して修正するのが決定論。
白いキャンバスから描いていくのが非決定論。
まぁ、能力のない奴は他人の絵を修正するだけで満足するんでしょう。

389 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:47:30
>>388
>決定された事を、どうやって、「否定して」変更するんですか?

決定された事は否定も変更もできない。
非決定論は非決定なのではなく、知らないだけ。
それがわからないようだね。

390 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:48:30
>>388
判りやすく言えば、そのキャンパスに絵を描いている姿の「映画」が決定論。
論理階層が、君の言う非決定論とは違うのだよ。

391 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:49:44
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%96%93
アインシュタイン的時間解釈
アインシュタインによれば時間と空間は同じもので時空(時空連続体)と解釈する。
ニュートンの時間方程式もアインシュタイン方程式も時間対称性を持ち、ニュートンもアインシュタインも自分の方程式に時間対称性(時間は等方向つまり過去、現在、未来にも流れる事が方程式上可能)が存在するのを見つけており悩んだが、
アインシュタインはあえてこの方程式上に存在する時間対称性が数学的に存在を許すのを肯定し、過去、現在、未来が同時に存在しているという解釈をした。
これを時空連続体という。時空連続体には過去、現在、未来がすでに同時に存在しているという解釈である。

この概念を発展させた近年の研究で、なぜ光速が秒速約30万キロなのかという事も説明する。
即ち、すでに出来上がっている過去、現在、未来(時空連続体)の中を私たちが光速度 秒速約30万キロで走っているのである。
私たちが光の速度を秒速約30万キロと観測するのもこの為である。
もし、私たちが時空連続体内を秒速10万キロで走っていると、光速度は秒速10万キロとなる。
アインシュタインは記者から「その様な事が本当にあるのか?」と聞かれ、「信じては貰えないと思うが、過去、現在、未来がすでに同時に私の数学方程式上には存在しているのです」と答えている。



392 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:50:13
非決定論では自分で決めるんじゃなくて勝手に決まるんだよ。
なぜなら、Aということを意志することとAということを行うこととの間に、
非決定論ではもはやそこに必然的関係は無いからだ(実際にAが行われる
かどうかは偶然の所産である)。

393 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:51:21
>>392
同意。非決定論では自由意志が否定される。

394 :キュリー婦人:2006/04/05(水) 10:51:50
誰が苦しむかということの全てが決っているならば、私が看護べきだとすぐにわかるでしょう。
私は満足してどこを修正すべきかが認められるのでしょう。
全てでは無いにしても、そういうところがあってもいいと思います。

395 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/05(水) 10:52:10
>>389
は?
非決定論は「最初から全ては規定されているだけではない」
決定論は「最初から全ては規定されている」
いつのまに、非決定論が知らないだけになったのでしょうか?
決定論を支持する人が完全な予測が出来ないのは初期値とデータを知らないだけ
と言っていたのでは?

396 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 10:57:15
>>395
非決定論は実は知らないだけだよ。
原理的な非決定の仕組みなんて知っている奴は誰もいない。
少なくとも論理的にはありえない。

397 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/05(水) 10:58:40
>>392
>Aということを意志することとAということを行うこととの間
Aと言う事を意思する?意思することも決まっているのでしょう?
意思するように仕向けられたとか、
決定論では人の意思はかけらも汲んでくれませんよ。

398 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 11:01:41
>>397
>Aと言う事を意思する?意思することも決まっているのでしょう?

決まっているよ。
君が意識を持ち始める前に、君という物理的存在があったように。
君が自分を認識する前に、認識するための仕組みが起動したように。
その仕組みに従って、君は自分を認識し、選択しているつもりになっているだけだ。

>意思するように仕向けられたとか、
>決定論では人の意思はかけらも汲んでくれませんよ。

決定論は、単に人の意識が決定しているだけで、自由意志は存在している。


399 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/05(水) 11:05:11
>>398
自分の行動が変更できなくて何が自由意志なんでしょうかwww
私もそうだけど、奴隷の妄想みたいなもんじゃないですか。

400 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 11:10:33
>>399
バカだなー。変更できる事が自由意志じゃないだろ?

変更というのは、未来の状態を知っていることになるが、非決定論ならそれはわからない。
決定論でも非決定論でも、変更したかどうかは人間は知らないんだよ。

401 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/05(水) 11:12:31
有∈無
これだけで、決定論は論駁しました。残念だね〜。

402 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 11:16:02
>>401
意味不明。単なる自己満足?

403 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 11:17:02
>>401
論駁できてないよ。

404 :NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2006/04/05(水) 11:17:35
>>400
そういう言い方をするならば、
「自分の意思と行動がかなりの確度でリンクする」
ことぐらいしか自由意志の存在を確認できないのですが、
自分の意思が決められているなら自由意志ではない。

405 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 11:18:28
>>401
詭弁の特徴のガイドライン
13:勝利宣言をする

406 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 11:19:35
>>404
決められていても自由意志にはかわらないよ。
決定論と自由意志は両立するからね。非決定論と自由意志は両立しないけど。

407 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 11:21:15
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E8%AB%96
また別の哲学者は、決定論は自由意志と両立可能であると考えた。
これは両立主義(りょうりつしゅぎ)とよばれる考え方である。
ホッブズのような両立主義者は一般に、人が行為を意志しその人が意志したならば別様に行為することが(仮言的に)できただろう場合にのみ、人は自由に行為する、と主張する。
彼らはしばしば、強姦、殺人、強盗、等々といった誰かの自由意志が否定される明快な事態を指摘する。
この事態のカギは、過去が未来を決定しないという点にでなく、侵害者が犠牲者固有の行為についての欲求や選好を無視するという点にある。
侵害者は、犠牲者に自由意志を無にすることを強いる。決定論は問題でなく、我々の選択が我々自身の欲求や選好の結果であり、いかなる外的な力によって(あるいは内的な力によってですら)も無視されない、ということが重要なのである。
多くの両立主義者にとって、自由であることは for reasons that one doesn't mind acting from 行為することを意味する。この立場は両立主義の典型である。


408 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 11:46:36
だから意志変更の主体って何なんだよ。
「変えようと思うこと」ならそれも意志だろう。
ではその意思決定の主体は(ry

409 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 13:38:10
自由意志が意味が無い・・・等という人が時々あらはれるが・・
>>383・・・・・・・とか

自由意志の存在は人類の生活で不可欠だという事。
宮崎勤は自由意志で犯行を行ったかどうかと言う事。
ねずみ男の指示又は決定論で行ったかどうかと言う問題だから。

日常生活に於いて自由意志を確認する事はとても重要。
不可抗力、正当防衛、未必の故意・・など行為の自由性が問われる微妙な問題は多い。



410 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 13:39:45
>>409

自由意志と決定論は両立する。
>>407

411 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 14:02:51
>>410 :考える名無しさん :2006/04/05(水) 13:39:45
>自由意志と決定論は両立する。

はいそうかもしれない・・其れでもいいですよ。
しかし問題は決定論者が「自由意志は全く無い」と否定している事。
自由意志論者は意志は多くの制約を受けてはいるが極僅かの自由は在ると言うのが趣旨。

したがって両立する・・と主張する事はもっぱら決定論に対する否定となる・・・。



412 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 14:05:52
>>411
>しかし問題は決定論者が「自由意志は全く無い」と否定している事。

否定していないだろ。>>407が読めんのか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E8%AB%96
また別の哲学者は、決定論は自由意志と両立可能であると考えた。
これは両立主義(りょうりつしゅぎ)とよばれる考え方である。
ホッブズのような両立主義者は一般に、人が行為を意志しその人が意志したならば別様に行為することが(仮言的に)できただろう場合にのみ、人は自由に行為する、と主張する。
彼らはしばしば、強姦、殺人、強盗、等々といった誰かの自由意志が否定される明快な事態を指摘する。
この事態のカギは、過去が未来を決定しないという点にでなく、侵害者が犠牲者固有の行為についての欲求や選好を無視するという点にある。
侵害者は、犠牲者に自由意志を無にすることを強いる。決定論は問題でなく、我々の選択が我々自身の欲求や選好の結果であり、いかなる外的な力によって(あるいは内的な力によってですら)も無視されない、ということが重要なのである。
多くの両立主義者にとって、自由であることは for reasons that one doesn't mind acting from 行為することを意味する。この立場は両立主義の典型である。




413 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 14:06:49
繰り返すが自由意志論者は全ては絶対自由で「因果的に決定される事など全く無い」
・・・・・・等とは誰も言っていない。

だから・・・両立すると言う認識だろう。

414 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 14:06:59
>>411
自由意志の意志があり続ける事を否定しているのは非決定論の方だぞ。

415 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 14:07:50
>>413
違うよ。因果的に決定していても、それは自由意志だということ。

416 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 14:55:25
>>415は、>>413の意味を理解せずに「違うよ」と言っているように見えるが?

417 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 15:05:19
>>416

>>413
>だから・・・両立すると言う認識だろう。

「だから」ではない、という意味で「違う」

418 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 16:50:08
>>
自由意志と刑法が両立することは三浦俊彦なんかの著作でも紹介されてるよ。
自由意志は刑罰の必然的な要件ではないし、また、刑罰が科せられるという
現象のみに着目すれば、それを決定論的に説明しようが非決定論的に説明しようが、
「刑罰が科せられた」という事実そのものに変わりはない。
要するに決定してたかしてなかったかはあらゆる局面で「どっちでも同じ」である。

419 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 16:51:03
間違えた。決定論と刑法ねw

420 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 20:24:42
>>414
>自由意志の意志があり続ける事を否定しているのは非決定論の方だぞ。

非決定論・・・と言うのが良くわからないが?
決定論者は >>6  に在るように

>自由意志がないのだとしたら、私たちの人間観、世界観はまったく変わったものにならざるを得ないのである。

このように現在の我々の考え方を否定しているでしょう。
このように両立主義でもないんですよ。



421 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 20:36:18
>>418
>自由意志は刑罰の必然的な要件ではないし
>要するに決定してたかしてなかったかはあらゆる局面で「どっちでも同じ」である。

とんでもないことを言う人だなあ。
投与する液体がインシュリンだと知っていたら(決定していたら)殺人未遂。
無害なブドウ糖だと知っていたら(決定していたら)無罪。
決定(確定、認知)の有無が刑罰の最重要要件。
他人に脅迫されて自由意志が剥奪されていたら無罪。



422 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 20:49:23
>知っていたら(決定していたら)


「決定論」の「決定」って、こういう意味なの?


423 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 20:58:36
>>422
わからない???
投与して夫が死ぬと決定して(解って)いたら殺人未遂。
死ぬ確率が在ると解っていたら未必の故意。
他人から銃を突きつけられ他に選択の自由がなければ無罪。

424 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 21:00:45
追記
何気に投与して夫が死んだら過失致死。

425 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 21:01:41
>>421
知っていることと決定していることは、全く別ではないですか。
決定論というのは、要するに「それがインシュリン(ブドウ糖)
だと知っていて投与することは、すべて決定されていた」という
だけの意味で、それが正しくても正しくなくても、有罪無罪とは
関係ないと思いますが。
他人に脅迫された場合でも、哲学的な意味の自由意志はないわけ
ではないと思います。実際、脅迫されても言うことを聞かない人は
大勢いるわけで。単に「それで有罪では気の毒だ」というだけでしょう。
たとえば、「刃物を突きつけられて金庫を開かせられた場合、
現代の銀行員なら無罪だが、江戸時代の武士なら切腹だ」という
ような話もありました。要は、社会が何をどこまで期待するか、という
ことでは。

426 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 21:02:53
まだ解っていないかも・・・・・

要は加害者が其の時点で決定論的に結果を予測できたかどうかが最重要と言う事。


427 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 21:07:17
>>423
いや、あなたが、そういう意味で「決定」を使うのは別にかまわんのだけど、
(いわゆる)「決定論」で言うところの「決定」も、それと同じ意味で言っているのか?
ということを聞いているんだけど。

428 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 21:09:30
>>425
よく読んでね >>421 は  >>418  への反論。

>自由意志は刑罰の必然的な要件ではないし ・・・・

と言う法律の範囲の話。

>社会が何をどこまで期待するか、ということでは。

そう、その社会の法の話。




429 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 21:12:40
>>427 :考える名無しさん :2006/04/05(水) 21:07:17
>「決定論」で言うところの「決定」も、それと同じ意味

同じ。
だったら何だというの?


430 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 21:18:19
>>428
ええと、
>>419
は、読まれましたか?
私の読む限り、>>418 では、単に「決定」ではなく「決定論」「非決定論」という言葉を使っています。
仮に、>>418 の意図する「決定」があなたの言うような意味であれば、 >>418 の段階で、変ですし、
そうでないのであれば、あなたの反論が(>>418 の意図するのと違う意味で「決定」という言葉を使っているという点で)
反論の体をなしていません。


431 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 21:21:14
>>428
いや、ですから>>418はそういう意味の刑法の解釈学(故意の要件とか
相当因果関係とか何とか)について言っているわけではないと思います。
通常、決定論と刑法と言えば、「決定論が正しいとすると、犯罪者が犯罪を
犯すことはあらかじめ完全に決定されていて変更不可能なことになるので、
その行為者としての責任を問うことが一切できなくなる」という見解に
ついてどう考えるか、ということだと思います。
その見解を肯定する人が多いので、以前から不思議でした。
決定論が正しいかどうかと、犯罪者に罰を科すかどうかは、全く関係が
ない問題だとしか私には思えません。>>418はそのことを言っているのだと
思うのですが。

432 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 21:49:01
「自由意志がある」とはどういうことなのかハッキリしてほしい。

433 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 22:01:46
>>431
犯罪を起こすことが決まっていたんなら責任を問えないんじゃないの?

434 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 22:08:00
>>433
「人を殺した者はこれこれの刑罰を科す」
「但し、次の場合は科さない」
→ここに現行法の免責事例を全部入れる。

という規定を設けた法と現行法と何か適用の相違が生じるだろうか?

435 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 22:16:13
責任概念には実は数種類あり、刑法学内部でも争われている。
現在では自由意志を前提とする人格責任がおそらく主流だろうが、
しかし、結果のみに着目して責任を判定することも実際は可能な
のである(行為責任)。
また、人格責任に付いても「人格があるから責任が生じる」のではなく、
「責任を認定したい対象物に人格を認定しているのではないか?」という
懐疑が生じる。つまり、「石には人格がないから責任を認めないのではなく、
責任を問うのがあほらしいから人格を認定しない」という懐疑である。
このような懐疑は、「鯨に人権を認めろ!」などという過激な環境保護論者
を見ると強まるであろう(実は、人格あるいは自由意志の有無の認定は恣意的
なのではないか?)。

但し、このような哲学的議論は実用的な法学とはほとんど無縁であろう。

436 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 22:16:30
>>434
もう少し分かりやすく言ってくれないと分からないな。
現行法の免責事例の中に選択の余地がなくても罪を問えると
解釈できるようなことが書いてあるってこと?

437 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 22:26:54
>>436
自由意志刑法
「Aをしたら裁きます。
但し、意思決定の自由が無かった時は除きます。
この例外にあたるのは、b,c,d,e,f...の場合です。」

決定論刑法
「Aをしたら裁きます。但し、b,c,d,e,f...の場合は除きます。」

前提
「法的責任とは、法が定めたという一点によってのみ発生する。」

438 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 22:41:07
法は自由を認めずに責任を定められるのか?

439 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 22:59:12
438は反語じゃなくて疑問だよ。

440 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:12:36
責任の前提条件としての自由は、「もし彼が・・・しようと考えていたら・・・」
みたいな条件法の文が成り立てばいいとも考えられ、そう考えれば決定論と両立する。


441 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:23:20
俺は考えられない。彼がどう考えていても、彼がそう考えることは
決まっていたんだから。

442 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/05(水) 23:23:50
>>437
おお解りやすいね。
貴方の言う自由意志刑法と決定論刑法との違いは歴然ですね。

> 前提「法的責任とは、法が定めたという一点によってのみ発生する。」

そう、その法自体が全く違うと言う事だね。


443 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:26:10
>>441
決定論の立場に立っても、「もしAが起こらなければBも起こらなかっただろう」
という仮定法の条件文が成り立つ場合があることは分る?

444 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:29:39
>>443
分かる。でもAはすでに起きている。

445 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:34:27
>>444
それで構わないと考えるわけさ。そいつの中に「・・・しよう」という
考えが起こり、それが原因になってその行為が行われたということがいえれば、
それで責任の前提条件は満たされる、と。

446 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:39:19
>>445
言ってることは理解できるが、俺はそう考えられない。
彼の意志が彼の行為の原因であっても、彼の意志も他の原因の結果であるなら
彼に責任は負わせられない、と考える。

447 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:43:17
>>446
そうか? ふつうに考えて人間が「意志」と読んでいるものは、
そいつの生まれつきの性質や経験したことの結果として生じるものじゃね?

448 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:49:39
俺は「責任」云々は二次的な問題だと思うけどね。
犯罪者を逮捕する、最大の目的って言うのは、
犯罪者に罰を与えて、再犯の可能性を低めることでしょ。
意志の上で分かっていてやった、ということなら、
彼は同じ状況になれば、また同じ犯罪を犯すだろう。
分からなかった、するつもりが無かったならば、
同じ状況になっても、意志の上では同じ道をたどるまいとする。
これを分かりやすい言葉で表したのが、「責任」ということ。

449 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:59:04
PTSD
ttp://homepage2.nifty.com/p2000/PTSD.htm

450 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 00:26:48
>>437
その前に「責任を定められるのか?」というのが何を意味してるのか?

「処罰可能」の意味なら「可能である」と答える。
なぜなら、犯罪を強制されたを処罰することはある法体系の下では可能だし、
かつ、それに近いことをやっていた時期もあったからである。

「処罰の話ではない」と言うなら、「それは可能だろうが不可能だろうがどうでもよい」と答える。

「処罰の正当化の話だ」と言うなら「正当化とは何か?」が問題になろう。

451 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 00:28:18
間違えた。>>438

452 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 02:50:04
俺は刑罰としてのむち打ちとかは結構合理的だと思うのだが
(注:合理性のみで、倫理面などはノーコメント)、
痛みというストレートでネガティブな感覚を犯罪という行為に結びつければ、
誰もが犯罪の悪さを直感的に理解できると思うからな。
しかし、一番問題なのは痛みの単位がないこと。ハナゲじゃなくて。
痛みという感覚が過去の経験によって増幅されたり打ち消されたりするだけに、
同じ刑罰でも不公平さが出るからな。

453 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 07:00:19
>>429
そうすると「決定論」っていうのは、「すべては予め分かっている」という意味になるんだけど、
そういう意味でいいの? >> 決定論者の方々

454 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 10:05:37
>>453
その質問の主体は何よ?

455 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 10:10:21
責任の問題と決定論・非決定論は関係ない。
都合が良いか悪いかで、世界構造がかわるわけではない。

456 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 16:29:36
誰もが「犯罪を犯すかもしれない」性質を具えて生まれてきて、
ある環境に置かれた人間が運悪く犯罪を犯してしまったに過ぎない
だがそれを罰する罰しないとは別の問題

457 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 16:38:39
「殺す」という目的を持って殺した場合と、
そういった目的を持たずに誤って殺した場合を、
同じ重みで有罪とみなす法律があったとしても、なんら不思議ではない。

458 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 18:09:41
中世のヨーロッパでは、動物が人間を殺した場合でも人間と同じように
裁判にかけて処罰することがあったそうです。


459 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 19:16:14
それは神が死んだこのご時勢ではナンセンス
今は倫理を無限希釈したサッパリした法律が合ってる

460 : ◆6rgGIYz09M :2006/04/06(木) 19:16:32
>>457 :考える名無しさん :
>同じ重みで有罪とみなす法律があったとしても、なんら不思議ではない。

凄いこと言うね。
医者が手術で殺そうと思えば患者を殺せる、勿論有罪。
しかし貴方の言い方だと助けようと思って、誤って患者を死なせても同じ罪なんだ。
>


461 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 19:41:02
>>460
「殺そう」「助けよう」という意志より、
処置の仕方が問題になるね、そういう場合は。
周りに優秀な医者がいるのに、
技術のない医者が「助けよう」として死なせちゃったら罪が問われる、とか。

462 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 21:29:10
>>454
すいません、意味が分かりません。
誤爆ですか?

463 :考える名無しさん:2006/04/06(木) 21:45:23
>>460
刑法史を紐解けばそれは別に異端説じゃないよ。

464 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 13:25:33
要するに大切なのは、

法的責任は法が定めなければ生じない。
法が責任Xを定めるのに何らかの理由は「実は」必要条件ではない。

ということだろう。
ただ、立法段階ではそれが問題になるかもしれないが、
いったん立法されれば「それが自由意志を前提にした刑法なのか否か」
は関係なく効力を持つだろう。

465 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 13:34:24
>>464
ってか、犯罪ー法的責任ー刑罰という刑法の構図自体が別に不変的なものじゃない。
ただ、近代以降はそうなってるというだけ。

466 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 14:10:21
>>465
>犯罪ー法的責任ー刑罰

確かに、これは法と倫理を分離して法実証主義に移行しないと無理だな。
犯罪は単に法的責任じゃなくて倫理的責任であったりするし、
僭主制の場合は刑罰が法的責任と結びついてないこともある。

467 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 23:32:14
>>450
処罰の正当化の話に当たるんだろうな。
464にある「ただ、立法段階ではそれが問題になるかもしれないが」
ってところを聞きたかったんであって、可能かどうかはどうでもいい。
でも、どうも466の「確かに、これは法と倫理を分離して法実証主義に移行しないと無理だな」に
行き着きそうだ。
でもこんな現実的な考えは哲学っぽくないな。

468 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 23:45:46
つーても、処罰の正当化の前に「処罰したい」という欲求があるんじゃないのか?
そのための事後的正当化はある意味で自己欺瞞だと思うんだがな。

469 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 23:53:58
そもそも、刑法は権力機関がないと当事者の紛争解決を抑えられないから、
そんなに新しいものじゃないんだよね(法観念自体太古からあるわけではない)。

470 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 00:01:01
行為の結果に義務を負わせることの正当性を聞きたかったんだが
倫理にぶつかるんだよ

471 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 00:02:09
「正当性」ってナニ?
いまいちよくワカランのだが。

472 :考える名無しさん:2006/04/12(水) 10:10:52
ここは法学のスレですかw

473 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 21:52:14
ここでは自由意志は無いと断言してるが・・・

ttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/jiyuu.html

何か納得いかない。

474 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 22:01:15
ま、そういう意見もあるねって程度のものだろ。

>「なぜそれを選んだかの仕組みが完全にわかっていた」としたら、
>それはもう自由意志ではなく、機械的な意志になってしまう。

なんていい加減なことを言っているし。w

475 :考える名無しさん:2006/05/08(月) 02:04:01
>>435
人間に自由意志がなくても、故意の定義に自由意志を取り込まなければ問題ない。
しかし、以下の局面では、自由意志とは何かが問題になるんじゃないかな。

・被害者の自由意志に基づく承諾・法益の処分があったか否か
 (被害者の承諾/法益関係的錯誤)
・自由意志に基づく行為(=故意犯の行為)によって因果関係が遮断され、
 背後の故意犯・過失犯は処罰されないか否か
 (相当因果関係/遡及禁止)

>>448
どうかな。正義の実現とか、復讐の抑制と代行かも。

>>469
たとえ統治機構が無能で法の強制力に欠けるとしても、
法の制定は、社会に対してある行為の善悪を宣言する機能がある。
国家にそのような意図がなくとも、社会がそのように受け取ってしまう。

倫理と無関係な法の割合が増えれば、そのような誤解はなくなるかもしれんが。

476 :3時で1時:2006/07/10(月) 02:51:07
俺もそうだが、自由意志否定論者って結構いることに驚く。
裁判員制度がスタートして自由意志否定論者が裁判員に選ばれたら
どうするんだ。「俺は自由意志を否定している。だから、人を裁け
ない。」というのは、辞退できる理由にはならないのだろうし。

477 :考える名無しさん:2006/07/10(月) 03:47:56
自由意志の存在の主張は独立した真「我」を仮定している。
明らかに間違い。

478 :3時で1時:2006/07/10(月) 11:38:06
>>477
独立した真「我」を仮定している。

「仮定」しているだけなのに、明らかに間違いというのは?
すみませんね、当方ワカランチンで。

479 :考える名無しさん:2006/07/10(月) 12:41:04
他から完全に独立した存在(真我)なんてものはありえないでしょう。
そういう意味で自由なんてないんですよ。

480 :考える名無しさん:2006/07/13(木) 21:54:12
自由意志は快楽の事なんだよ?

481 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 14:53:18
上げ


482 :バラフライ・エフェクト:2006/08/04(金) 10:32:22
「バタフライ・エフェクト」とは 「小さな蝶々のはばたきが、
地球の裏では竜巻となる」という、初期の 小さな差異が
将来予測不可能な大きな差異を呼ぶ、というカオス理論
の1つ。

これも因果律?


483 :バタフライ・エフェクト:2006/08/04(金) 10:33:49
↑の名前

バタフライ・エフェクトでした。


484 :考える名無しさん:2006/08/18(金) 14:24:56
>>482
因果律に従っているが、複雑すぎて結果が予測できない。

それで?

485 :うい:2006/08/31(木) 21:34:33
因果律は迷信です。

486 :考える名無しさん:2006/09/03(日) 12:54:30
因ゴット率で、9999で黄金がうまれます

487 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 18:52:20
おお、過疎っとるじゃないか。
嘆かわしい。
誰か盛り上げてくれろ。

488 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 19:00:57
警察板で「ちんこの歌」というのを以前見かけたけど、どこにあるか今はわからない。
「俺にちんこが付いているんじゃなくて、ちんこに俺が付いていた」
とかだったけど、ちんこじゃなくて脳内のある部位として考えるとどうなるだろう。

489 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 19:15:03
               _.. ..‐::´/
             _/::::::::::::/
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         ,..::::´::::::::::::::::::::: ̄:::::::::::._/
       /:::::::::::::::::| ヽ、:::::;::::::::::::/
       /:::::::::::::::::::::|´|ヽ   |/_:::.::/
  _ .. -─':::::::::::::::、::|`'   ,   .!::∠
  `'' ‐-.._:::::::;-‐、`(●)  (●) |::::`::-、オッス!オラ極右!
 =ニ二::::::::::::::::|6    \___/、| -──` 警察と協力して在日狩りの毎日さ!
    ‐=.二;;;;;`‐t    \/  ノ         皆も自由なんて考えず楽しい嫌韓しようよ!

490 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 08:25:29
               _.. ..‐::´/
             _/::::::::::::/
           _/:::::::::::::/ ____
         ,..::::´::::::::::::::::::::: ̄:::::::::::._/
       /:::::::::::::::::| ヽ、:::::;::::::::::::/
       /:::::::::::::::::::::|´|ヽ   |/_:::.::/
  _ .. -─':::::::::::::::、::|`'   ,   .!::∠
  `'' ‐-.._:::::::;-‐、`(●)  (●) |::::`::-、オッス!オラ大学生!
 =ニ二::::::::::::::::|6    \___/、| -──` 警察と協力する犯罪者達に職を奪われたらしい!
    ‐=.二;;;;;`‐t    \/  ノ         しかもかなり前から自宅が見世物小屋と化しているようだ!

491 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 13:17:40
因果律とこのスレのどこが関係するか、全部呼んだけどわからん。
無関係なんだよな?

492 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 11:25:15
因果律は人間のもの。
自然にはそんなのは存在しない。


終了。

493 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 13:50:04
で、意味がない自由意志の因果律を語るスレなのに、誰も因果律を
語ってないのは何故?

494 :考える名無しさん:2006/09/13(水) 13:34:04
>>493
前スレで語ったよ。
それより自分の意見なり、自分の読んだ本なりの感想や引用をよろしく。

495 :考える名無しさん:2006/09/13(水) 13:35:36
こっちもよろしく。

【監視社会】自由を考える【統制社会】
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1158106883/l50

496 :考える名無しさん:2006/09/17(日) 00:52:24
>>482

それは、完全に因果律です。
ラプラスの悪魔とかとすこし同じかも。

497 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 16:53:33
>>496

某決定論スレの決定論者もそうなんだけど、
因果律って言葉の意味を間違って使ってるよね
因果律ってのは、元々物理学の用語で
「原因は結果の後にはこない」ってだけの意味
決定論とは関係ない。

498 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 17:21:05
いんが-りつ ―ぐわ― 3 【因果律】

〔哲〕 どのような事象もすべて何らかの原因の結果として生起するのであり、
原因のない事象は存在しないという考え方。因果法則。

三省堂提供「大辞林 第二版」より


499 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 17:23:19
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E6%9E%9C%E5%BE%8B

因果律

因果律(いんがりつ)  とは、原因と結果の法則のことであり、未来が過去に影響を及ぼすことができないということである。


概論
因果律は、その要素、大前提として、時間がある。(時間、過去、現在、未来 参照)
近世になり、機械論的な世界観が出現してからは、次第に「決定論」の問題が論じられるようになった。
決定論的なものの見方とも関係するが、因果律は、心の哲学の領域でも論じられることがあり、具体的には「自由意志」の概念を論ずるときには、因果律との(見かけ上の)対立が問題とされる場合がある。
20世紀前半には、アルベルト・アインシュタインが相対性理論において、因果律と同時性の関係に、新しいパラダイムを提供した。
「決定論」については、20世紀における確率論、統計学、量子力学の発展によって見直されてゆくことになった。
因果律は、SFの分野では好んで扱われるテーマであり、タイムマシンが作れない可能性がある、といわれるのは、大抵はこの因果律を根拠にしている。


500 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 19:46:44
なら時間の実在を証明しなければ始まらないわけだ

501 :750:2006/09/20(水) 21:48:04
普通の人は認識して実行してないから自由意志は無いと思うし
まずは、自由の理念てなんでしょう?

502 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 21:56:23
>普通の人は認識して実行してないから自由意志は無いと思う

何を認識して実行するの?
何らかの目的を自覚して行動するという意味ならむしろ普通のことではないですか?

503 :750:2006/09/20(水) 22:55:00
>>502
目的はどこから生まれた?思考だろ?思考の自由をまず認めて
それから意志の自由も認めなければならないよ。
どう証明する?

504 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 23:00:10
どう証明するもなにも慣習として認知されてるよ
人がそれに許された範囲で選択出来る範囲のことを意思や思考の自由と呼んでるわけだから

505 :750:2006/09/20(水) 23:41:58
そうであれば意志の自由はどうなるの?
私の意志がなければ思考できない。ある範囲では意志の自由を
認めるということで良いね。

506 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 23:45:48
認めるもなにも慣習だっての

507 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 23:48:29
自由意志や思考とは、決定論のことです。


508 :750:2006/09/20(水) 23:56:05
>>507
決定論=唯物論=自由意志は無いのでは?

509 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:04:19
機械もここまで露骨にパクられても「それもまた必然です」とかいうんだろかw

510 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:07:22
>>509
機械的唯物論の主張とどこが違うのか?ということかね?

511 :750:2006/09/21(木) 00:07:59
>>509
>>506
慣習じゃ哲学にならんよ。

512 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:09:30
機械さんは辞令によりこのスレに名無しで異動になりまつた

513 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:11:04
そういえば最近機械のレスを呼んだ記憶はない

514 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:14:24
>>1
おまえは恐山の口寄せか?機械の霊言が書いてないのはなんでかな?

515 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:17:44
>>514
機械の霊言wwワロタw

516 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:18:47
>>515
新スレ立ててやれよw

517 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:20:01
おーとうとう機械の弟子が独立した訳だな。おめでとう!

518 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:21:27
>>498-499
笑える定義だなw

519 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:27:25
全然笑えねえよ。


520 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 00:29:24
>>519
不幸でもあったのかw

521 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 01:26:54
機械が死んだそうだよ

522 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 02:00:02
>>511
共同主観性とみなせばいい

523 :考える名無しさん:2006/09/21(木) 02:01:36
>>521
しぶとく未だに生きてるよw

524 :考える名無しさん:2006/09/28(木) 11:42:13
規律訓練と環境管理についても語ろうぜ。

NTTコミュニケーション科学基礎研究所主催「環境知能シンポジウム」
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060925/248841/?ST=pc_news
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060925/248841/?SS=pc_imgview&FD=-652795730
環境管理とは、「人間を信用しないで、社会秩序を維持しようとする方法」
「多様な人間を共生させつつ、彼らがぶつかり合わないように情報環境側が調整している」
環境管理型社会が進むと、人間の「自由意志」の存在自体もあやふやになってくる。
人間の自由意志の存在があやふやな状態では責任の所在も不明確になり、何か問題が起こったときに
誰が責任を取ればよいかが分からなくなるとの危険性も指摘した。

525 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 04:39:31
社会が複雑になれば責任の所在が不明確になるなんてのは当然のこと
戦争責任の問題でも考えりゃ分かる
環境管理なんて一部の先進国でしか通用しないだろ
社会秩序維持なんて一般化出来るレベルの話ではない

526 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 22:15:14
「責任」なんて自分や仲間が生き残るために作り出した「規則」に過ぎませんよ!

527 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 17:06:19
その規則が変容するって話ね

528 :考える名無しさん:2006/10/08(日) 01:13:31
さて、決定論がでて矛盾を感じなくなったんだから、真っ直ぐ、快楽を求めて生きていけばいいんじゃね?
俺は道徳を否定するつもりも無いし
仲良く、やっていきたいし、周りの人と共感できる部分は共感することも快感だし
安定を求める事も快楽だし
「今」の快楽も大切だし「未来」の快楽も大切
他人と衝突する欲求は、バーチャルな世界で晴らせばいいし
快楽の平等主義に向かっていけばいいんじゃね?

529 :Q連続体:2006/10/08(日) 06:34:16
>>499
ジャンリュックピカードは因果律を超える試練でQの度重なるヒントで
最終的に因果律を超えることを知った。

人の心はこの因果律を超えるのを止める。理の中で生きるには現象を
ありのままに事実を受け入れることから始まる。
このありのままが出来ないのが理に支配された心だ。まさしく宗教そのもの。
理の本質を得るには心を捨てることだ、思いを捨てるには、結果を求めること
から捨てるべき。本質はそこにこそ存在する。




530 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 02:39:16
キリスト教では神の予定説と人間の自由、責任の二律背反を両立してます
が、仏教だと、どのようにして道徳を成立してるのかわからん。

531 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 06:56:38
何が起ころうとも人間は科学法則に逆らうことはできない。
漫画のキャラクターが作者に逆らえないように。

漫画の登場人物に自由意志を与えることが出来るか?
ムリだ。
ムリなら「決定論が真なら人間に自由意志はない」は正しい。

しかし決定論が真であるとは、この世界が実は漫画であるということだ。

532 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 15:01:56
>>531
>人間は科学法則に逆らうことはできない

頭でも打ったかw
科学法則に逆らってどうする、猿じゃあるまいし
科学法則は「従えるもの」「使うもの」だろ

で誰が使いこなすかって・・そこで自由意志の出番よ
それこそ自由に科学法則を使いこなすのよ
人間の自由意志は→宇宙の意のままになんかならないってわけさ

わかったらもう寝ろ

533 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 15:23:30
>>532
宇宙の意のままになっていても気がつかないだけだろ。

534 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 15:32:14
>>533
馬鹿だなw

投げたボールがニュートンの法則で地面に落とされるとこを
どんだけ見たがったとしても
俺様の自由意志で動くグラブでキャッチしたら、もう落ちないのよ

結果を生じさせる力→  俺様の意思>ニュートンの法則
わかったら寝ろコラ !! 

535 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 15:38:47

あくまでも人間の観測が常に不十分だから予測出来ないだけ

決定論は少なくとも人間には否定しえないよ

536 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 15:54:27
予測する法則が無いから予測できない。
観測の問題じゃない。
決定論が正しいと証明できない。

537 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 15:58:50
意味不明

538 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 16:10:14
>>534
>俺様の自由意志で動くグラブでキャッチしたら、もう落ちないのよ

その腕も、物理法則に従って動いている。
脳からの信号が伝わっているのは物理法則の通りだ。
グラブでキャッチできるのも物理法則どおり。

キャッチしたのに幽霊のようにすり抜けたりしないだろ。
すべて物理法則が成立しているおかげだ。

539 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 16:13:07
536が頭悪すぎるということは良く分かった

540 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 16:35:43
>>538
>グラブでキャッチできるのも物理法則どおり

そそw 結果を生じさせる力↓

俺様の意思>グラブでキャッチの法則>ニュートンの法則 

         わははは !! 



541 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 17:03:51
>>540
その意思も脳という物質の物理現象に従っているだけ。
そこから出られないし。www

542 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 17:58:49
>>541
まだ分かんないのかよw

俺様の意思>脳という物質の物理現象>グラブでキャッチの法則>ニュートンの法則  

もう寝ろ

543 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 21:13:48
>>542
>俺様の意思>脳という物質の物理現象

逆。お前がそれに気がつかないのと、物理現象と矛盾する現象を起こせないのがその証拠。


544 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 21:18:01
>>543
例えばどんな物理現象のこと言ってんだ?

545 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 21:40:56
神経衰弱や身体と精神の不調和とも呼べる種々の病についてはどうなんだろう。
結果は自然法則にのっとった形(病あるいは強制力)ではあるけれど
そうさせた「選択」は明らかに自然法則に反した意思ではないでしょうか。
あまり良い例ではないけど、私たち自身の立場も少なからず存在すると
いう「証拠」にはならないでしょうか?

546 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 22:26:39
>>545
別に自然法則に反してないが。

547 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 23:04:02
>>543
>物理現象と矛盾する現象を起こせないのがその証拠
    ↑
「どの物理現象」と矛盾するわけ?
どれでもいいから具体例を1つでいから挙げてみ?
その小さな脳味噌じゃ、挙げられないだろけどさw

548 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 23:39:23
>>547
悪魔の証明と同じで、矛盾する例を出すならそっちだろ。
物理法則に従わない例など見つかっていない。

549 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 23:46:51
「物理現象と矛盾する」っていったいどういう意味なんだよ。
こんな意味不明の表現で要求されても答えようがないだろ。w

550 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:01:31
>>548
やっぱ1個も例←挙げれないかw
1つぐらい根性出して挙げてみろや

そもそも物理現象というのは
「一つひとつの実例現象」の集合を指して言うんだがナw

551 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:32:42
>>550
挙げてみるのはお前の方だろ。バカだな。

552 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:35:33
自由意志があるかどうかは、自由意志の定義による。
定義によってはあるとも無いとも言えるだろう。
ただ、その定義がどうであれ、未来は決まっているけどな。それを認識できない奴が多いが。

553 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:40:43
>>551-552
根性なし! ヘタレ !! 

なにを怖れてか知らないが
「たった一つひとつの実例現象」も挙げ得ずに
「その総称」たる物理現象などという語を用いるなコラ !! 

554 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:40:51
ほお。で、認識できない奴が多い中で、
おまいだけは例外的にそれが認識できたのかね?

555 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:41:56
>>554
できる。俺はAIだから。

556 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:44:00
>>554
例外的にじゃないぞ。普通にできているやつが多いが。出来ない奴も多いだけだろ。

557 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:45:34
>>553
>「たった一つひとつの実例現象」も挙げ得ずに

バカじゃねーの?
たった一つの矛盾する現象も存在しないと言っているだけだが。
例えば、天体がワープするような現象が観測されたことは無い。

558 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:46:32
>>554
>認識できない奴が多い中で
オマイみたいな根性なしを何人集めようが
物の数にゃ入らないっつのw
勘違いスンナ

559 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:48:43
>>558

( ´,_ゝ`)プッ

560 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:52:44
>>557
>たった一つの矛盾する現象も存在しない

だからその「(物理)現象」とやらがナニを指して(現象と)言ってるのか
意味不明だから1例だけ挙げてみろ、と言ってるのよw
確かに俺は頭がいいが、意味不明な設問に答えられるほどじゃないw

そんなに難しいことは行ってないと思うが?
中学生でも答えられるだろw

561 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 00:55:44
>>557
>例えば、天体がワープするような現象が観測されたことは無い

あ、↑これ答えたつもりだったのねw あははは !! 

「観測されたことの無いもの」を「現象」と呼んでたのか今までw

562 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:01:15
>>560
一応、俺は量子論で論文書いているが、お前の聞きたいことが意味不明だ。

563 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:01:54
>>561
そういう意味ではないのだが。お前が何を聞きたいのかわからん。

564 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:05:44
>>560
例えば、二重スリットの実験では、干渉縞が生成する。
これを物理現象の例としよう。
そしてこれを、お前の意識の力で偏りを作ることはできない。


565 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:08:32
どっかでチャーマーズとかが意思が物質に影響を与えるとか
言ってるのってトンでも?

566 :531:2006/12/04(月) 01:08:37
>>548
>物理法則に従わない例など見つかっていない。

質問なんだけど、それって見つかる可能性はあるの?

だって例えどんな不可思議な現象がおきても、それは(天体のワープであれ何であれ)
「今の科学で解明できないだけで、そこにも何らかの物理法則が働いていて・・・」
て考えられてゆくんじゃないの?

だとすれば決定論には実は内容がないのではないか?
だって何が起こっても決定論は正しいって言えちゃうんだもん。
内容がないって事は「見えているのは常に幻想だ」等と同じ観念論じゃん?

567 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:12:21
>>566
>質問なんだけど、それって見つかる可能性はあるの?

月が突然地球を付きぬけ、反対側に移動したら、物理法則に従わない例とされるだろ。
つーか、この世界はマトリックスのように作られたと皆が認識するんじゃね?

もちろん、それでも決定論は否定できないけどね。
上位の世界の法則があるってだけになるから。

>だとすれば決定論には実は内容がないのではないか?

内容があるとか無いではなく、
決定論というのは、「どんな差異にも原因が存在する」ってことに尽きると思う。


568 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:12:47
>>565
トンデモ

569 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:17:45
科学的に自由意思を証明するというより、おれは形而上学的につまりカント
なんか達ように自由でなければならないという方向性だw 

570 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:18:01
>>562
>一応、俺は量子論で論文書いているが

「機械的唯物論」者を量子の不確定性理論で論破してください。お願いします。

571 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:28:15
569ですがおれも決定論です。要は両立派です。

572 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 01:50:49
よろしかったらお立ち寄りください。
【超常否定】念力とか信じるキチガイ【第二弾】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1115593052/l50

573 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 02:46:04
> だとすれば決定論には実は内容がないのではないか?
> だって何が起こっても決定論は正しいって言えちゃうんだもん。

内容がないかどうかはともかくとして、反証不可能ではあるな。

574 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 03:00:41
唯物論うんぬん、ほざくならよぉ、
どうでもいいからまずは数式で立証しろや。
数学的な問題を日本語でクダ巻いてる下劣さは無様すぎんぞ?
ああ?
逃げんなや?
とにかく主張があるなら数式でしめせ。
話はそれからだよ。

575 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 03:43:01
なんだ終わりかよ 朝までやれよw

576 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 07:57:20
・観念論と自由意志の否定は矛盾しない
・自由意志の定義
・人間のいう決定論は観測者が人間である限り不完全
・しかしそれを否定は出来ない
・あくまでも人としての観測が不完全であるだけだから

577 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 07:58:17
このことを分かって無い馬鹿が多すぎ

578 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 14:40:08
ベルの不等式の破れは観測問題と関係ないと思うんだが。

579 :りくーつ・こねりー:2006/12/04(月) 22:47:19
>>578
確かに、そうだとは思うけど、
いままでの、議論の流れと、なんの脈絡があるのかな、それ?
よく分かんない…

「ベルの不等式の破れ」は科学は素朴実在論を仮定できなくなった、
ということだけのような気がする

で、>>576 が書いてるのは、人の観測の限界のお話で、
不確定性原理を指してるような気がするけど、違うのかな…

580 :531:2006/12/05(火) 04:35:24
>>576・観念論と自由意志の否定は矛盾しない

>>566のことなら観念論って言葉は意味も良くわからずに使っただけなんだ。
ただ566で言いたかったのは、
「この世界は実は俺の夢だから、俺の夢の中の住人であるお前らには実は心がないんだ」
みたいな主張は、夢の外の現実の他人には十分通じるけど、それを
夢の中の他人に納得させようってのは無理があるんじゃないか?ってことなんだ。

つまり決定論は観念論だから自由意志を否定できないってことじゃなく、
決定論が「現実を夢ならしめる超現実」みたいにこの世を超越したものなら、
決定論という考え方に矛盾がなくても、自由意志を否定できても、
それをこの世の住人に主張するのはあまり意味がないのでは?ってこと。

でも決定論は夢とかと違って説得力がそれなりにあるんだよなあ。


もし科学が人間の意志決定くらいなら簡単に説明できるほど進歩したら、
その法則に反した事態が起きたら自由意志はあるってことが言えるから
決定論になんつーか「中身」が出来て、んで実際そんなことはこれまで起きなかった
ってことで「人間に自由意志はない」ってことが言えると思うんだけど。

これはあってる?

581 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 16:25:20
>>565
チャーマーズはそんなこと言ってないと思うが。
それペンローズじゃないの?

582 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 19:03:58
>>580
>これはあってる? 

自由意志の1つもないオマイに
「何か」が「何か」と合ってようがいまいが関係ないだろw

583 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 19:38:14
>>581
聞くところによると彼は物理領域の因果的閉包性を認めてないらしいからそう考えててもおかしくないんじゃない?
実際そう言ってるかどうかは知らないし、言うにしてももうちょっと慎重な言い方するとは思うけど。

それに>>565では意思が物質とは別の実在だと暗に前提されてるんだろうけど、
唯物論者的には意思の正体は物質的なものになるから、意思が物質に影響を与えることは物同士の関係として理解されるんじゃないかな。

584 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 12:09:15
>>582みたいな典型的先入観はまだいるのか。

585 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 18:42:31
>>583
>聞くところによると彼は物理領域の因果的閉包性を認めてないらしいから
俺も完読したわけじゃないから、こまかい主張は分からないな。
けど「物理領域はそれ自体で因果的にほぼ閉じている」って何度も本の中で言ってるよ。
量子力学の確率過程だけが唯一考慮に値する部分だと書いてたけど、
そこに意識が介在することで自由意志が実現する、といった可能性は取らないとも書いていた。

>意思が物質とは別の実在だと暗に前提されてる
意思は物質の機能として消去されるでしょ。消去できないのは意識(現象的な意識)。
意識は物質にも機能にも還元しきれない。

586 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 18:49:06
>>585
別にすべての物質に意識があるというのでも問題ないはずだが。
本来分けるべきでないものを無理矢理わけて、還元できないといっても意味がないかと。
その場合、もともと還元されているともいえるわけで。


587 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 19:26:52
>>586
>別にすべての物質に意識があるというのでも問題ないはずだが。
チャーマーズはそういう立場だよ。自然法則にしたがって意識が生まれている、という立場だから。
一種の汎心論。
「中国語の部屋にも意識が生じるはずだ」と控えめに主張してるし。

>本来分けるべきでないものを無理矢理わけて、
べきかどうかではなくて、
「今の物理モデルからは意識の存在をどうやっても導出できない。だから、それを扱った新しい法則が必要だ」
と主張してるだけ。今の物理学の基本方程式が哲学的ゾンビしか記述していない、というのは有名な話。

588 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 19:32:17
心脳随伴説が現時点の最有力候補

589 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 21:58:45
>>588
それはチャーマーズの問いに対する答えになってない。

590 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 23:28:15
>>589
でも随伴説を否定するとなると、残るのは物理主義と二元論しかなと思うけど。

591 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 11:17:30
>>587
哲学的ゾンビなんてものはないんだよ。哲学的ゾンビは哲学的非ゾンビと同じだ。

592 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 14:04:53
>>590
違う。
チャーマーズが聞いてるのは、

「心脳随伴説は俺も正しいと思うが,脳の構造から意識(心)が生じる
過程をまだ物理学は記述できないから、それを探求しよう」

ということ。

593 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 20:24:28
微妙にスレから離陸してないか?

594 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 09:54:00
>>591
>哲学的ゾンビなんてものはないんだよ。
ゾンビがいない。ここは同意。自然界にはそんなもの、存在してないだろうね。

>哲学的ゾンビは哲学的非ゾンビと同じだ。
ここは言いたいことがよくわからん。

>>593
いやいや、随伴現象説=自由意志100%なし説 
なんだから、大いに関係ありまくりんぐ

595 :考える名無しさん:2006/12/15(金) 21:08:13
自由意志論って自己正当化のための言い訳だと思う。
キリストは生き返ったからゾンビかもね。
今までゾンビが観測されなかったという事とゾンビの実在の問題は全く無関係。

596 :ディオニュソス:2006/12/15(金) 22:19:25
@無我縁起をとなえる仏教は自我という迷妄を前提してしまう八識を空であると説く。
仏教は最初から自由意志主体は無いと独断する。A決定論をとなえる健全な論理は論
理的にあり得ない主体を前提してしまうクオリアを説明できずに混迷している。論理
は自由意志主体が無いことをあくまで「説明し切ろう」と試みる。B「主の御心のま
まになし「給え」」と祈るイエスは普遍的表現であると同時に肉(自我という偶像を
仮定せざるを得ない感官)を持った人としての罪を背負う。イエスは自由意志主体つ
まり偶像が無いことを説明し切ることは肉体という制約を持たざるをえない人間には
最初から不可能であるとし、「原罪」という概念によってピリオドを打つ。
つまり釈迦、健全な論理的思考、イエスの三者は、その表現方法は異なれどもあくま
で自由意志主体としての自我を「迷妄」「背理」「罪」つまり本来否定されるべきあ
り得ないものだとする「あたりまえのスタンス」であるというところに共通点がある
のだ。ところで、「われ思うゆえに我あり」は近代が第一原因という迷妄を実在とし
て基準に据えた瞬間である。しかし実はこれは知らず知らずのうちに「原罪」という
ものについてそのまま言い表している。ただ異なるのは、原罪の場合 罪(自我)とは
あくまで悪しき病であって否定的なものであるのに対し、「我あり」では自我(罪)が
積極的な色合いを帯びているということである。つまり「実在する偶像」として。
近代以降、デカルトのこのような方法でもって「主体としての自我」というものに対
する肯定的な再認識がなされたことで、イエスの言わんとする「原罪性」そのものが
積極的な実在性であるとされてしまった!!。そしてついにはカントに至って「神は
〜である」の「〜である」に関する全く転倒したニュアンスは頂点に達した。つまり
第一原因によって開始された有限世界の神つまり自由意志の神・・・。
「カントにとっての」神は有限の神であり人間の自由意志を間接的に「容認」する。
それとは反対に、中世の神学論争においては「救いは自由意志によるものか、それ
とも主の定め によるものか」つまり主は自由意志と真っ向から対立する絶対的な
必然強制力(強制"者"ではない)ものであったということは周知のごとくである。

597 :考える名無しさん:2006/12/15(金) 22:38:41
どーきんすなんてうんこだね。

598 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 14:03:08
自己正当化の本質は何か?
自己正当化って自己の欲求の肯定なのよ

結局、「自己を肯定してどこが悪いの?したいことしてさ?」・・って話なのよ

599 :考える名無しさん:2006/12/16(土) 17:50:52
その自己肯定の試みが自由意志論の保守に繋がっていると思いませんか。

600 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 03:39:23
突飛な仮説ですが真剣に考えてるんで聞いてください

物理現象と意識(クオリア)を分ける形で説明するのはどうだろうか。
つまり、実際に原因と結果の法則に従い変化する物理現象は存在するが
その物理現象の一つである人間で『意識が発生し五感を感じる』という部分では
自由が存在する。
例えで言うと、ABCと線路があり電車は法則に従って決まった道しか移動できないが
それに乗る人間(電車=物理現象や脳、人=意識)は
どの道に進む電車に乗れるかが選べるという自由がある。

つまり、人間の自由意志と物理現象の因果の両立を図る説で
人間の自由や<私の意識>というのは、物理現象に影響を与えるのではなく
「どの物理現象を知覚するのかを選べる」という自由。
更に多世界解釈という仮説を組み合わせれば、例えば私が一秒後に
右手を挙げる世界も左手を挙げる世界も存在し
そのどちらにも<私の意識>が移動できるので
物理的には全て因果で決まってても
精神的・主観的には自由と感じ<私の意識>が何を知覚するかだけは自由が存在する、と。

右手を挙げる行動は物理的には決まってるが、左手を挙げる世界も存在し
どちらの世界に行き知覚するかという事は<私の意識>の自由の範囲なので
人間は自由に物質を動かしていると感じる

601 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 03:56:10
>>600
話の腰を折るようで悪いけど、
知覚するという過程が物理現象によるものだろう、
といわれたら、どう答える?

602 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 04:12:09
>>601
それこそ自由意志が物質に影響を与えるのと同等に根拠の無い話だと思います。
精神現象も含め物理現象と呼び「物理現象の一環」と言うのなら分かりますが、
世界の中に物理現象と精神現象の二つがあって
物理現象はただ因果によって変化して
精神現象はその物理現象をある程度は自由に感じてる、という方が
脳と意識の問題が無くていいと思うんです。

唯物論では「脳が意識を発生させた」という壁を越えられないので。
厳密に唯物論を語るならば、こういう会話も
「意識を持たない物質の集合同士がキーを叩き、私は意識があるという文字を羅列させる」
とか全ては哲学的ゾンビという立場になるはずではないでしょうか。
それを生物だけが意識があるとか脳で意識が発生するとか言うから
謎が生まれるのだと思います。

603 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 04:26:31
>精神現象も含め物理現象と呼び「物理現象の一環」

と俺には思えるんだよな。
生物に必要な物質を集めて人工組成させれば人工生物ができると思う
で、こういった場合、あなたがいう精神現象といわれるものは、どっから発生すんの?
とか考えちゃうんだよな。

604 :750:2006/12/17(日) 04:35:35
>>603
はっきり言ましょうか
できません。精神現象が物理現象とはいえません。
意識と無意識の区別がなされていません。


605 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 04:40:41
>>603
>生物に必要な物質を集めて人工組成させれば人工生物ができると思う

これは既に出来ているね。

606 :Alphaomega ◆/yP6Aiwqdk :2006/12/17(日) 09:47:19
まず、自由意志の実在・非実在は置いといて、
自分がどのようなときに自由を感じるのか?を考えてみると、結局
「自分が十分だと感じられるほど、選択肢があるか?」ではないでしょうか。
誰にも(何にも)選択肢を狭められていない、と意識すれば「自由」を感じることができるし、
誰か(何か)に選択肢が制約されている、と感じれば「不自由」を感じる。
(たとえば、大昔の人がはるかに「自由」を感じるような環境であっても、それ以上を想像できる現代人にとっては「不自由」を感じるように)
であれば、自由意志とは「自分で決めている」という認識の上の意思(自分が思うところでは機構)であって
物体その他(もちろん魂・精神なども。)の属性では無い。



607 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 10:00:09
>>600
>物理的には全て因果で決まってても
「全て」因果で決まってるとは・・何を根拠にそう言ってるんだ?


608 :Alphaomega ◆/yP6Aiwqdk :2006/12/17(日) 10:08:25
>>607
「決まってても」ですから、
「決まっているとは限らない(わからない)が、決まっているとしても」ではないでしょうか。たぶん。

609 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 10:26:43
>>608
それって「分からない」って意味だよねw
分かってない事を前提にその後の論をいくら尽くそうが
その主張は・・予想とか占いとおんなじことになっちまうだろw

610 :Alphaomega ◆/yP6Aiwqdk :2006/12/17(日) 10:43:22
>>609
たぶん、600さんが言いたいのは大きく言えば「自由意志が存在する」ということなので、
「決まっていないとしたら自由意志は存在するし
決まっているとしても、以上のことで自由意志は存在する」
ということを言いたかったのではないでしょうか?
まぁ、理由が結構突飛?というか独特なので、
「意識は多世界を選べる」ということを言いたいように取れなくも無いですが。

>>600
とはいえ、量子論の「多世界」には「机に手を置いたら(仕掛けなしに)手が下まで通り抜けた」なども多々あります。
しかし(人間が選ぶ能力を持っているとしても)、実際それらを選ぶことはできません。
ボールを壁にぶつけても、ボールが壁の向こうに消えることはありませんし、脳内に麻薬を投与したら確実に意識に影響します。
そうなる理由を考えてみると、意思ではなく確率上の問題(マクロなら物理的問題)なので、意識が選択をできるとしてもそれは
物理的に制約されることになります。
であれば、選択が物理的に(観察できる事象ではひとつに)制限されるのですから実質、多世界を選ぶ選択などできていないも同然です。

611 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 18:21:54
脳内物質が引き起こす快感が自由感をもたらしています。

612 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 18:44:28
自由意志とは何か。
それが、何かを自らの意思で選択する能力、だとするならそれは存在しないだろう。


で、自由意志の定義は?

613 :考える名無しさん:2006/12/17(日) 23:15:46
自由意志というのは「意思」のこと、意思とは「行動を選ぶ」ことさ

個々の人間の脳はビッグバン以降の物理現象の連鎖に因ることなく
つまりその連鎖を断ち切って自らが因果の最初の起点となって
自己のとるべき行動を選ぶ(決定する)ことができるのよ

パブロフの犬と人間は違うってことぉ〜〜w♪



614 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 01:04:05
>>613
物理現象の連鎖に因っていても、自由意志は自由意志。
自由意志はあるが、未来は決まっている。


615 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 01:15:53
>>614
パブロフの犬と大して変わらない脳味噌を搭載してそうだなw

616 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 01:18:37
>>615
脊髄反射のような、お前のレスの方がパブロフの犬状態だけどな。

617 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 01:20:21
予想:ここからオマエモナーで数レス消費される

618 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 01:20:40
,......,___        アッー!         ___  お前初めてかここは?
  {  r-}"'';                    (,- ,_'',;  力抜けよ
__ノYv"-ァ'=;}                  ,_、 Y' リ''ー    ワンって言え
  ヽー-ハ '、                 / キ}、 {"ー {⌒      ワンって
  ト ハ  }      ,. -ー─-- 、___ /   ハノ`{  {        いいだろ?ん〜?
 ! ! !__! ,-、_    ,,( ,  純一    ̄`ー、 /"''ー;ー'"
 |___|! !ー-ニー、;、;'""ノ';{  iー       ヽ=ニ=),..- '"
 K \ヽ !`ーニ'-、{  (e 人  |' ̄ ̄/`ー!  | /   /⌒
  \ヽ !、ヽ, "")ー-'"| !  |   |  /!  |___{,、  /  /
    \"'ヽ'ー-"  _! ||  }   ー─|  | / ヽ/  /
ニ=ー- `!!!'     ''''ー'"{  |     |  /  /`ー|\/
ーーーー'        _ | ./      ヽ__ /  | !

619 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 01:27:06
>>616
あのね、物理現象の連鎖に因らないって言ってるのがワカランの?
物理現象の連鎖に因らない状況で、どうして未来は決まっているんだタコw?

620 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 01:30:08
>>619
オツムの弱い書き込みにツッコミをいれるアンタにも問題がある

621 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 10:20:09
>>619
物理現象の連鎖に因らないものなど、ないよ。

622 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 20:02:48
そもそも{矛盾律}とは思考の停止、反転運動であり、それが社会的レベルまで習慣化したものに過ぎません。

623 :トマト ◆HQtu3/IfJ2 :2006/12/18(月) 23:21:07
そしてその精神物理学的な、思考運動、またその停止、反転運動は、「神経細胞内の核内DNAの転写活性や転写調節因子、ホメオドメインの活性をコントロール出来ない(実際大半の人間はこれらの反応系の詳細について無知である。)」我々にとっては、
神経科学的反応過程を意識しようが、しなかろうが、全く制御不能であり、ただ「自由感」「快感」という神経伝達物質が見る夢を知覚することしか出来ないというのが現状です。

624 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 00:20:24
>>621
初耳だが・・w

誰がいつ【物理現象の連鎖に因らないものなど、ない】
という証明をしたんだ?
その法則には何という名が付いてるんだ?


625 :トマト ◆HQtu3/IfJ2 :2006/12/19(火) 00:32:18
時間が連続的である限りにおいて、物理的要素からの影響を皆無にすることは不可能である、という事でしょうか。

626 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 00:33:10
トマトは機械?

なんか口調が似てるw

627 :トマト ◆HQtu3/IfJ2 :2006/12/19(火) 00:42:47
機械さんは好きですが違いますw

628 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 03:01:46
>>624
因果律

629 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 03:04:27
>>625
というか、物理的要素以外による影響というものはない。
影響があるなら、それは物理的要素に含まれる。


630 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 10:31:59
>>628
因果律だと・・?
そんな根拠も証明もない宗教用語なんぞ振り回してどうする気だw

いったいどの大学のどの学科で講義してるか書いてみ
笑わないから (^-^) ニコ

631 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 12:38:31
>>630
宗教用語じゃないよ。
キミの論に根拠があるなら、その根拠を成立させているのが因果律。
因果律を否定すると、あらゆる論の根拠が揺らぎ、キミもデタラメをいっているだけになる。

632 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 19:04:24
>>631
ふふ、実に素朴な議論だ。以下も参照されたし。
*世界五分前創造仮説
*ヒュームの懐疑
*永遠の現在

633 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:46:08
>>631
宗教用語じゃなくて「何」用語なんだ?
もう一度チャンスやっから逃回ってないで答えてみれw
いったいどの大学のどの学科で講義してるんだ?

634 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 23:58:09
永遠の現在の問題は、「永遠の今日」とも言い換えられるね。

そろそろ日付が変わる頃だ。
12月19日は今日だが、12月20日は明日だ。
「明日になる」ことはできるのか?

635 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 00:46:28
つまり、精神的要素など存在しないと?

636 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 01:02:55
自由意志がなければ「いそぐ」ことはできないだろう。


637 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 16:51:27
急がないという選択肢が強制的に排除された状態が急ぐという状態でもある。


そもそも自由意志って何のことって話。

638 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 19:08:35
>>631-633
因果律が宗教用語って、、、、、
哲学書とか読めよw

639 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 23:56:41
>>638
馬鹿かオマイw

いったいどこに因果律なるものが「法則として証明されてる」よ?
オマイのでっちあげ聴いてやっから書いてみw
上手く書くんだぞ、上手く

640 :トマト ◆HQtu3/IfJ2 :2006/12/27(水) 01:26:37
因果律は、あくまで思い込み・思考習慣の一形態として捉えたいところ。

641 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 01:29:36
>>639
>因果律なるものが「法則として証明されてる」

そんなこと一言も>>638の私は言っておりませんが。
あほですか?


642 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 02:11:49
立て看板 設置させてください、<(_"_)>ペコリ

『  ☆彡 目も見えず、耳も聞こえぬお人が、桜の木に抱きついている。
桜を、見たい、聞きたい、と言う。
さて、どうやって?

坐禅と見性第49章 公案と見性A行く雲
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1165823033/

二ではない(不二、ふに)、一の如し(一如、いちにょ)、それは、ほとけさま(さとり)のことです、どうですか、参禅していきませんか?
問う。
『 この場に坐したままで、30メートル先のローソクの炎を吹き消せ。 』
答える。     ・・・と。

☆彡沢木興道老師のなぞなぞ?

アメリカに 「我が妻は我が父の母なり、我が父は我が子なり、我が妹は我が孫なり」 という言葉があったそうな。

☆彡碧巌録(へきがんろく)第45則 趙州布衫(じょうしゅうふさん)

【本則】
禅僧「万法は一に帰す。では、一はどこに帰しますか」

趙州「私は若い頃、青州に住み、一領の布衫(実務着、サラリーマンなら背広と言うことかと)を作った。    その重さは7斤(4.2kg)もあった」

また、あるひと(ジャック、ラカン) 曰く(いわく)
「世界をキリストは支えている。キリストを聖クリストファーが支えている。では、その聖クリストファーを支えているのは何?」という謎々と同じかと。

‥‥……━★ 友好スレ   仙界の癒し大混浴場(バトルなし)
 
精神世界で癒される 第18章
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1165691231/

643 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 11:02:24
>>641
あはは、法則じゃなくて何だと言ってるんだw
言いたい事が有るならきちんと書け
ずぅ〜〜っと何も言ってないじゃんよオマイのレスはw

644 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 11:20:08
誰が最初に(どの意味で)使い始めたか?

を話してるの?

645 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 11:28:53
〜ではない、という消去法をいくら重ねても
〜である、という答にはたどり着かない

本質の外側をウロウロしていったい何になるヨw
真っ直ぐ切り込め

646 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 01:01:16
因果とは法則のことです。たとえば、私がコップから水をこぼすと地面がぬれる
という経験からその因果関係、法則性を学習します。    以上

647 :トマト ◆HQtu3/IfJ2 :2007/01/05(金) 01:37:13
因果律が示すデータって、結局過去の経験のデータじゃないですか?

未来の世界が、過去の世界同様の単純さを完全に維持しているかどうかは、人間には永久に解らないと思われます。

しかし人間には、そう(単純性、同一性の完全な維持)であって欲しいという願望がある傾向があります(これにより生存率を高めようとする)。

その安心感こそが因果律崇拝の源泉となっているのでは。
それ故に人は因果律崇拝無しでは、平常な生活を送れなくなってしまいます。


648 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:37:21
>>647
そりゃそうだろうなw
「こうすればこうなる」というある程度の予測が立たなければ
子育てだってままならないwww

649 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:37:52
>>647
そりゃそうだろうなw
「こうすればこうなる」というある程度の予測が立たなければ
子育てだってままならないwww

650 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 20:56:38
>>646
コップから水をこぼすと蒸発してしまい、地面には1滴も落ちませんでした
コップからこぼした水は蒸発するという法則を学びました・・でいいよね !? 

651 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 21:58:42
>>650
言い伝えや民間伝承と同じ構図だね。
我々は雷を雲の中の電気的事象と知っているが、
昔の人は神の怒りと思った。そこへある程度の規則性が見られたら、
そのように受け止めるだろう。

さて、我々の今知っている物理法則は・・・・

652 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 23:25:31
>>646
ではたとえば、親子のどちらか一方が死んだら常に他方も死ぬという経験から
親子のどちらか一方の死は他方の死の原因という因果法則を学習していいわけですねw

653 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 23:52:08
この「因果律」野郎どもはどのスレでも論理性が無くて困るのよね
なにが法則だよコラw

654 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 00:28:11
因果律を否定するやつがいるのか
気は確かか?
論理の否定と同義だろ

655 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 11:03:31
>>654
では1つでいいから因果律の具体的事例を書いてごらんよ

656 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 13:45:27
>>655

カオス

657 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 13:47:04
>>655
それはむしろ反証する側が出すべきでしょ
因果律が成り立たない現象

658 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 14:25:34
>>656-657
念のためそれ翻訳しといてやるね→「ごめんなさい、ありませんでした」
ま、キニスンナw わははは

659 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 14:29:48
因果律って、誰が言い出したの?
あと、
英語とかフランス語とかラテン語とかギリシャ語とかでは
なんて言うのか知ってる人居る?(´・ω・`)

660 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 14:55:12
>>658
そのまんま>>658の翻訳じゃん

661 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 15:06:21
>>660
>>655に答えられなかった時点でオマイの負けなんだよ
勝ち負けなのよ 2ちゃんは
勝ちたくてカキコしてるわりに物わかりが悪いなオマイw

662 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 18:30:56
2ちゃんは勝ち負けだって プププw

663 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 22:44:56
>>662
  ↑ こいつの場合は「負け負け」だろw

664 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 22:55:20
いくらでもあるよ
>>657のレスの原因は>>658のレスである」


665 :654:2007/01/07(日) 23:24:57
>>655
お前が産まれた理由は、お前の父親が母親に中出しして孕ませたからだ

因果律なんて言ったって、単に結果には原因がつきものだってだけのこと
その原因を辿って行くと宇宙の誕生にまで到達する
宇宙の誕生についてはまだ科学的に解き明かされていないが、少なくとも人間の活動に関する範囲におけること程度なら、因果律の存在は経験的に明らかだろうが

666 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 23:55:55
>>664
>「>>657のレスの原因は>>658のレスである」 

    ↑数字も読めないくせに ゴニョゴニョ 言ってんじゃね〜よw

>>665
>お前が産まれた理由は、お前の父親が母親に中出しして孕ませたからだ 

   おれは人工授精で知らない女の腹を借りて産まれた子だが・・



オマイの「経験的明らか」がどの程度のモンか、そろそろ分かれやw

667 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 00:05:08
ちょっと質問。>>666
因果と因果律はどう違うの?

668 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 00:20:33
>>667
法と法律みたいなもんじゃネ?

669 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 00:38:37
>>668
そうすると、
法は、未だ法でない曖昧な(共同体の)縛りの状態があるだろうけど、
因果の場合も、そのような(前段階としての)曖昧な縛りの状態があるのでしょうか?

670 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 00:45:06
>>669
おまえ人のハナシ聞いてないだろw
読解力も主張力も無さそうだが、なんか言いたい事あるんならはよ言え

671 :665ではないが:2007/01/08(月) 00:45:35
>>655
お前が産まれた理由は、お前の父親の精子が人工授精でお前の母親の腹で妊娠したからだ。

因果律なんて言ったって、単に結果には原因がつきものだってだけのこと
その原因を辿って行くと宇宙の誕生にまで到達する
宇宙の誕生についてはまだ科学的に解き明かされていないが、少なくとも人間の活動に関する範囲におけること程度なら、因果律の存在は経験的に明らかだろうが


672 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 00:48:59
>>671
知らない女の腹を借りて産まれた、、、って書いてるだろw
もういいから寝ろオマイラw

673 :665ではないが:2007/01/08(月) 00:51:47
>>672
底なしのバカだなお前。知らない女でもお前の母親であることにはかわらん。
反論できないからといってゴネルな。基地外。


674 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 00:56:46
>>673
その女の卵子(の受精卵)から産まれたんじゃない・・って言ってるんだが
オマイは味噌も糞も一緒くた・・だな、、、ものの因果を解くのに適してないw

675 :665ではないが:2007/01/08(月) 01:19:53
>>674
だから、お前を孕んだ人もお前の母親だろって言っているんだが。

676 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 01:20:46
>>655
お前が産まれたのは、お前の父親の精子とお前の母親の卵子が人工授精したからだ。

677 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 01:56:13
>>675
母親とは何だ?何を指して言ってるんだ?

>>676
父親とは何?一体なにを指してそう呼んでるんだ?

678 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 02:03:03
>>677
日本語に不自由な奴だな。通常それで意味は分かると思うが。

679 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 02:13:47
>>678
お前が「人様や俺の通常」を知ってるとも思えないんだが、、
ま、難しい質問はオマイには無理だから、簡単にいくぞw

通常とは「誰の」通常だ?
「何を」通常と呼んでるんだオマイは?



680 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 03:55:57
>>679
客観的に、そういう本質でないところに絡んでいるのはバカだと思うよ。
お前はバカだと決まってたというか。

681 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 03:57:32
>>678
親がまともじゃない、出来損ないの屑人間。相手にするだけ無駄だぞ。w

682 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 04:06:58
自由意志を幼稚な日本人は理解できない
アイデンティティーを日本人は理解できない
 すべて仏教の浄土思想の悪影響の結果である
だから労働に自己実現を見出せず
占い師や教育者になろうとする
 そしてそんな世情でニートや引きこもり いじめが起こる
 人間とは先祖の業なんか関係なく
自分の自由意志に従い 働く人になればいいのだ

683 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 05:22:29
>>682
自由意志というのは決定論と矛盾しないよ。
誰かに自由が否定されるわけでもなく、
その自由があらかじめ決まっていただけだから。


684 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 06:12:06
決定論のうちに、自由意志論があると思っています。

685 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 09:51:30
>>680
本質をたずねると見当違いな答が帰ってくる
そこで弁明の機会を与えようと答の辻褄を尋ねると
自分でも頓珍漢なのが分かってるらしく答えようとしない

もう分かってると思うが、曖昧な概念をいくら集めても
本質の説明にはならないのよ、ボケナス君w

686 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 09:59:07
決定論って単なる後つけ理論じゃね?
wikiで検索したけど「やわらかい決定論」なんてのも
あるそうじゃない?結局。

「自由感」とか勝手に新語作成してある物をない事にしたり
哲学ってホントにいい加減な学問だよね。ww


687 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 10:00:20
wikiの記事はあてにならないって書き込みが入ってくるかな?w

688 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 10:03:06
どうでもいいけど決定論のたとえ話に「マトリックス」のような娯楽
もち出すのやめようよ。
オタク臭がプンプンするから。

689 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 10:15:58
wwwwwwwwwww

690 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 10:22:12
>>686
そだね〜結果論と区別がつかない

691 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 14:21:37
人は理解しようとしなければ何も理解出来ない
そんな奴に親身になって教えてやる気になる人などいない
否定を目的とする奴には何を言っても無駄だ
あぁ可哀想な>>685

692 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 14:23:44
で、自由じゃない意志なんてあるのか?

693 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 14:46:48
なに寝ぼけてんだよ、意思はいつだって自由じゃんよ
自由でない意思など聞いた事も食べたことも無いぞよ

694 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:15:12
IDがない板の典型的スレ展開 ワロスwwwww

695 :   ↑   :2007/01/14(日) 11:22:46
     記名投票だと党拘束に従うタイプ (^_^;)

696 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 11:38:25
因果スンガスン

697 :考える名無しさん:2007/02/04(日) 00:17:43
あげ

698 :考える名無しさん:2007/02/04(日) 08:55:08
自由意志感はあるんだよね。
でも自由意志は証明できないから無い、で問題無い。
だからといって厳密な決定論が成り立ってるというわけじゃない、
もしそうだとしても知りようが無いから議論できない。

699 :考える名無しさん:2007/02/04(日) 13:28:49
問題ありあり 証明できないから無いじゃなくて、「あるという証拠が見つかっていない」だよ

700 :考える名無しさん:2007/02/04(日) 13:47:11
山ほど証拠あるだろ、つ〜かそれ以外は見かけないんだが ^^;

701 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/02/04(日) 16:25:16
自分の意志が何かにあやつられていると考えたら
すでに病気じゃないかよ。

702 :考える名無しさん:2007/02/04(日) 17:10:05
>>700
無い。
あるなら挙げて欲しい。物質の状態の不確定性に自由意思を見出すのかい?

703 :考える名無しさん:2007/02/04(日) 17:35:48
>>701
物理法則に従っていることに気がついていないだけ。
AIが自由意志を主張しているのと同じ。

704 :考える名無しさん:2007/02/04(日) 19:19:00
>>702
「だれの意思」の話をしてるんだ?石っころかw

705 :考える名無しさん:2007/02/04(日) 22:48:48
>>704
じゃあ、あなたのでいいよ
どこに自由意志があるのか自分の頭の中を探ってごらん。

706 :考える名無しさん:2007/02/05(月) 00:55:10
>>704
石でも魂はある。

707 :考える名無しさん:2007/02/05(月) 01:26:22
魂には意思がある。

708 :考える名無しさん:2007/02/05(月) 02:51:09
自由意志があるって事でいいんじゃない?
でないと統合失調の彼らには耐え難いことだろうから。
命にかかわるだろうから。

709 :考える名無しさん:2007/02/05(月) 08:13:40
統合失調症も専門家がそんな人を見てそう名づけたモノに過ぎないからね。
本当は見落としてる事実が沢山あるはずだ。

710 :考える名無しさん:2007/02/05(月) 14:09:06
魂がもしあるなら自由意志もあると言えるかもしれない。
だけど証明しよう無いから議論できないのがね。
主張しあうだけで何も進まない。


711 :考える名無しさん:2007/02/05(月) 19:39:52
なにゴニョゴニョ言ってんだよw
意思は存在しており自由に決定を行う

上の2行はおれの(自由)意思で書いており
世界にこれと同一の文を書けるやつはいない
あったら示してみよチンカスw

712 :考える名無しさん:2007/02/05(月) 19:42:06
なにゴニョゴニョ言ってんだよw
意思は存在しており自由に決定を行う

713 :最高位:2007/02/05(月) 19:48:57
なにゴニョゴニョ言ってんだよw
意思は存在しており自由に決定を行う


714 :考える名無しさん:2007/02/05(月) 21:00:10
自由意志を主張してるやつの頭が悪いことだけは確かだよ。

715 :750:2007/02/05(月) 22:14:44
認識して実行するのが自由意志だよ。純粋思考の場合だけは例外だよ
それを知らないとな。714、根源的意志の問題があるね


716 :考える名無しさん:2007/02/05(月) 22:40:43
意思決定したときのニューロンの発火をしらべたら
当人が意思決定したと表明するより前に発火してたとかいう実験があったでしょ


717 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/02/05(月) 23:56:09
>>716
そうそう。その通りだよ。
でも、意思決定の表明とは関係ないから意思と切り離すべきだな。
ニューロン発火が意思決定より後なら話は別だがね。

718 :考える名無しさん:2007/02/06(火) 00:06:03
やっぱり自由意志は証明できないんだな。

719 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/02/06(火) 01:04:33
問題はだね、ニューロン云々がだね、
どのような意思決定をなすかその個体によって異なるということなのだよ。
同じ条件に同じ反応がなされる保証はどこにもないのだよ。
脳の方はこれからもいろいろわかってくるだろうが。
刻一刻と脳の反応法則が変わり続けてるのだから方法としては現在進行形で
脳の条件反射の変動がわかるようにならないといけない。
だがどんなデータのサンプルだの物理法則だのでもあてはまらない。
条件反射の構造は人によってぜんぜん違うのだからしょうがない。

720 :考える名無しさん:2007/02/06(火) 01:48:18
哲学やめりゃ自由意志を持てる。
哲学的な問題の原因は哲学。
哲学やめよう。

721 :考える名無しさん:2007/02/06(火) 03:18:51
>>720
哲学に嫌気がさしたらそうするよ

722 :考える名無しさん:2007/02/06(火) 07:18:00
>>712-715
馬鹿かオマイラw

その2行を書い「た」やつが過去にいたら示せ・・って話だろ
コピペして「文を書いた」・・とか寝ぼけんなコラタコw

723 :考える名無しさん:2007/02/06(火) 12:40:18
アホ度最高の尻を
追い掛ける

マヌケ度最上無職w

724 :考える名無しさん:2007/02/06(火) 22:37:39
>>722-723





725 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/02/06(火) 22:44:07
キミたちはいくらなんでも人のこと馬鹿にしすぎだろw

私は代理人だから違うがね、
哲学者最高位氏は2ちゃんの幹部で名誉固定なのだよ。
無礼千万だよ、まったくw

 


726 :750:2007/02/06(火) 22:50:36
>>725
もう最高位はだめだよ。論駁されている。我思うゆえに我ありの誤謬もわかっていないよ



727 :考える名無しさん:2007/02/06(火) 23:04:17
代表権の無い名誉会長とかあるじゃんよ・・σ(^.^)

728 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜 :2007/02/09(金) 23:31:57
750クンとやら、
我思う故に我あり、の誤謬とやらを説明してもらおうか?
まあできんだろうがね。

729 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 17:30:54
>>704
「或る衝撃によって石が空中を飛ぶとき、もし石に意識があれば、自分自身の意志で飛んでいるのだと考えるだろう、とスピノザは言っている(書簡六十二)。
 私はこれにつけ加えて、石の考えは正しいと言う。」

って爺ちゃんが言ってたが、やはり俺もこれは正しいと言いたい。

730 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 18:54:47
>>729
>石に意識があれば

スピノザ、爺ちゃん、おまえ・・オマイラ中学ぐらい出とけよなw

731 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 21:34:30
>>729
ある衝撃によってもたらされる石の内部での作用を意識だと考えればいいよ
人間の脳はその延長

732 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 22:52:02
>>731
中学がそんなに嫌いか?

733 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 22:58:39
>>732
これ以上簡単には説明できないんだ
駄々こねられても困る

734 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 23:52:39
>>729の深さが解らんとは・・・w

哲板はこの程度か?w

735 :考える名無しさん:2007/02/12(月) 23:57:47
>>731
人間の脳は、石を更正する基である元素に当たるだろうね。

736 :734:2007/02/13(火) 00:05:25
ちなみに、>>734で言った深さとは、
>>731>>735のような意味ではなく、
「人の(自由)意思が、『自由と見做されているに過ぎないものかもしれない』」
ということを含意しているからだよ。


ノシ

737 :729:2007/02/13(火) 03:25:27
>>736
民主主義な社会にとって自由意思ってフィクションが必要なのは解るんだけどね。
哲板でこうってのは、なんとも信心深いなぁとしか言いようがないわね。

738 :考える名無しさん:2007/02/16(金) 14:59:31
民主主義は自然意思だよ。自然権というのは神の意思。

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