5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

善悪とは何か? 第二章

1 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 14:18:51
「人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である」チャップリン 殺人狂時代

人類史上、如何なる民族や時代でも許されない三つの禁忌がある
殺人・食人・近親相姦
しかしチャップリンの言葉でも記されるように人類は、時として簡単にそれを破ってきた
そこに善悪があるだろうか?
そもそも善とは悪とは何であろうか?

前スレ
善悪とは何か?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1131726561/

2 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 14:28:44
2

3 :指し指 ◆6wmx.B3qBE :2005/12/20(火) 17:31:52
何章とかロードかよ

4 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 17:46:08
>>3
Part2
第二話
などなど幾らもあるけど、哲学板だから章を使うことにした
そのほうが格式があるからな

5 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 18:46:22
つまり、あれだ。
>>1 は権威に弱いんだな。

6 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 20:58:10
善悪は時代と人が無い知恵絞って作るものかも。
だから善悪は存在し無いかも。
そもそも確実に存在するものなんて何も無いかも。(マトリックスじゃなくて)
だから、そこに見えるモノ、宇宙の果てにあるであろうモノ、全部無いかも。

7 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 21:31:23
968 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2005/12/20(火) 00:13:32
絶対悪が実在するとしたら全ての人類にとっての敵対者だろう
それはせいぜい天然痘くらいではないかね。


天然痘って利用価値高いと思うが。

8 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 21:42:11
善悪は人により異なると仮定して、

Aの善とBの善とに優劣はあるか?

を考えてみたい。例えば「溺れている人を助ける」というAの行為
と「ムカつくから暴走族をボコる」というBの行為はどちらのほうがより善なのか?


9 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 00:11:30
>>5
人間とは集団で生活するものだから、どうしてもアルファが必要となる。
だから本能的に権威に従うように出来ているものだ。

ある実験では、クイズに間違ったら被験者に次第に強い電流を流すという実験があった。
すると実験に参加した人間の大部分が、これ以上の電流を流せば命に関わると指摘したレベルまで研究者が促せば流した。
しかも流した人間のかなりの割合が口元に笑みさえ浮かべていた。
その実験とは人間がどれだけ権威に従うかという実験であり、権威の前では相手の生命すら平然と害した。
つまり電流を受ける方ではなく、流す方こそ被験者だったのだ。

つまり多くの人間が権威が善悪を決めねば平然とそれを乗り越えることも出来るってわけだ
だから古来より人はその絶対の存在として「神」を求めたのだ。

10 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 01:01:14
「神」はどうやってお告げをするの?
まさか人間を通じてじゃないよね
どうやるの?

11 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 01:26:51
>>10
お告げって人間を通すって意味含まれてるよな?

12 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 03:09:28
>>10
「神」とは人の精神にある絶対の権威だ。
直接、掟を決めるのは人間であっても、神の存在を置くことでそれは強力な拘束力を持つ。
事実、宗教上のタブーの大部分は一般社会通念に従ったものだ。
もっともその宗教があった時代の常識に従っている部分もあるからやっかいなこともあるがな

13 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 03:20:04
人間により作られたものにはその目的から見ていいという判断基準があるぞ。

14 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 03:45:41
>>12
人間は皆、神だと?

15 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 04:04:11
>>14
作られたと考えれば権威が地に落ちるから実在する絶対者と考えた方が良いかも知れないが。。
まあ、それはそれとして、神とは人の心の中に作り出した、絶対の倫理というべきだな
神への畏れと敬いがあるから、その「教え」を守ろうとする意思も生まれる

16 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 04:04:24
人間は皆、伝導体です。

17 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 06:46:24
>>8
勿論無いです。
そもそも、「より善」というのは、「より目的にかなう」ということですから、
異なる目的を持つ他者同士の善悪の優劣の判断は無意味です。

東京から仙台に向かう人の東北新幹線と
東京から名古屋に向かう人の東海道新幹線の優劣を論じるようなものです、

それを図ろうとするのは、両者の目的を対象として、
別の目的についての善悪を測っているということです。

18 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 08:19:36
> そもそも、「より善」というのは、「より目的にかなう」ということですから、

こうやって勝手な独断を垂れ流して、面白いんだろうか?

19 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 08:53:26
最高善とは独断以外の何ものでもないが、その属性は善の規範となるのだ。


20 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 09:46:51
でも、カントの考えでは善を求めるほど根本悪は表象化しますよね。
その点はどうなんでしょうか。

21 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 11:49:43







     社会が善悪を目指したことはない

     目指すのは いつも利益だ









22 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 11:52:11
国家の行動原理とはただ国益のみだ。

23 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 11:59:21
日本の国策とは尊王を善とし、利益誘導体を叩くのが国益だ。



24 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 12:01:34
国益だよな



25 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 12:04:43
国益とは為政者の利益か?

26 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 12:21:49
>>25
今上天皇は貧富の差がなくなったことを悦んでおられる。
つまり、国民の平準化を善として、貴族である皇族が日本を支配すること。
これが国策であり、皇紀二千年の天皇の国益なのだ。
出るくいは打ち、天皇を凌駕することは決して許さないのだ。


27 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 12:41:15
>国民の平準化を善として
>貴族である皇族が日本を支配すること

皇族の支配≠平準(皇族≠国民)
なわけですが。

28 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 13:00:06
>>27は女性ですか、どうよ?

国民の富を平準化することを善として・・・ )続く



29 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 13:46:39
客観的な善悪なんて存在しないだろう

もし絶対的な善悪の区分があるとすれば
そこに神がいるとしか考えられない

30 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 13:52:03
>>28
富の平準化と皇族の支配は別々の原理か?それとも平準化することで皇族の支配が磐石になるという意味か?

31 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 19:53:19
悪があるから善が必要なのであって、その逆ではない

32 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 20:01:14
>>31
じゃあ悪って何?

33 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 20:05:10
悪とは人間の所作がアポステリオリに変状して悪となるのだ。


34 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 20:23:37
>>29
善悪それ自体は絶対的かつ客観的たりうるよ。

絶対的でないのは目的のほう。

35 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 21:24:13
で?

36 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 21:33:19
   ┌───────┐
   |< ●>  < ●>
    | ┌────┐ |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   | |      │ |<  ど?
  /  |____/   \ \__________
 ( ┤          |\\
  \|           | (_)
   ( |          |
   |    /\    |
   └──┘ └──┘

37 :考える名無しさん:2005/12/22(木) 01:54:51
哲学板なら誰の説かの引用が欲しいとこだが、そこまで知識のある人は少ないか

38 :考える名無しさん:2005/12/22(木) 03:17:31
↑名前に騙されるやつw

39 :考える名無しさん:2005/12/22(木) 04:19:22
悪に騙される善人↑


40 :考える名無しさん:2005/12/22(木) 09:41:33
ほいほい、性善説を信じると言い出す連中が多すぎるのが気に入らないがね
人間の汚さや醜さを知った上で性善説を信じると言えるのなら、それなりに重みがあるが。
ほとんどの人間はそういう部分を目を瞑って、性善説を信じている自分というのに酔っている。
そんな偽善が持て囃されすぎている

41 :考える名無しさん:2005/12/22(木) 17:43:33
俺様の言うことが正しいんだよ?
俺が欲するところが善であり俺が望まぬことが悪なのだ。
なんでこんな当たり前のことが分からないの池沼どもが。


42 :考える名無しさん:2005/12/22(木) 18:49:13
>>41
オマエモナ〜

43 :考える名無しさん:2005/12/22(木) 21:37:46
生き物苦手
http://tmp5.2ch.net/cat/

2ちゃんねるのみんな!
この板潰すぞ!

一例

生後1ヶ月の子犬をミキサーで虐殺しましたww
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/cat/1128628240/
わかると思うが酷すぎる。
虐待を自信満々に駆除だといい放つ。
たぶん虐待はかっこいいと思ってる厨房なんだろう。
日本語が通じない。
目には目を
みんなオラに力を貸してくれ!1!!11
虐待ヲタの話なんか無視汁!!!

生後1ヶ月の子犬をミキサーで虐殺しましたww
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/cat/1128628240/

1: 2005/10/07 04:50:40 uEVnUdEu0
面白かったー!母犬が自分の子供を助けようとしてる所もマジ爆笑w
またやろっかなw保健所で死ぬよりはマシっしょ!
ストレス解消ストレス解消w

気が狂ってる……

ここの住人は虐待と食肉が同じだと思っている。
でもなんて言えばいいかわからない。
哲学板のみんなコイツらに教えてやってくれ

44 :考える名無しさん:2005/12/22(木) 23:31:14
善と悪じゃなくて甲乙とかにすれば悩まない。

45 :考える名無しさん:2005/12/22(木) 23:32:16
http://www.vts-sekine.com/images/video/iPod_sazae.mov

46 :ネームレス:2005/12/22(木) 23:54:39
善であろうとする態度が素晴らしい


47 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 00:06:24
松竹梅で3元論にしちゃえ。

48 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 01:06:09
空っぽのスレだな

49 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 02:00:51
光⇔影

50 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 09:58:38
動物虐待をする変態野郎をとにかく探し出して逮捕してやれ

51 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 10:00:17
虐待は悪だ。

52 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 00:25:19
善悪に対する権威の裏づけがないからおかしな考えも生まれる
「バレなければいいのだよ」
これなど最たるもんだ
神という絶対者が常に人間の善悪を見通しているとの恐怖が人間に常にあれば、バレなければ良い、そんな考えは生まれる余地はない

53 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 01:51:21
神、居ればいいんだけどね。
実際問題、居ないのと同じだからね。
どうしようもないね。

54 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 10:15:34
神がいないなら、自分で考えればいいじゃん。

55 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 11:09:29
デスノートは倫理学的大作である!と、俺は以前からこの板で主張しているのだが実に食いつきが悪い。
これはおまいらの倫理学的感受性の鈍さ、問題提起力の貧困さ、そしてジャンプ系漫画が哲学的であるわけがねーという先入観の表れでないことを祈る


56 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 13:30:27
>>55
ごめん、初めて見た。
おそらく主張を書き込んだスレッドが妥当でなかったんでしょう。

「大作」かどうかは別として、倫理的に面白い問題を提示しているのは確かですね。
キラ(月)の目指す正義と、エル、ニアが目指す正義、どちらが正しいのか。
そして、キラ目指すような正義の行き着く先はどんな世界なのか。


57 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 13:42:21
上野介か仁吉じゃね?

58 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 14:02:34
>>55
確かにその通りだが、
デスノートはスリル・サスペンスな部分がメインだから
哲学的な部分は日陰に回ってしまう。作中でもそうなってるし



>>56
キラが目指す正義の行き着く先って
ユダヤ教の楽園っぽい

というか俺はデスノートの戦いは
最初からハルマゲドンのメタファーだと感じてた
キラがエホバで、Lがサタンね。

59 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 15:05:28
「ユダヤ京都ではないが、ないか?」・・キラ上野介

60 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 04:19:05
悪人を殺せば世界が平和になる。
実に初々しい正義感でないさな。
デスノーとが手元にあれば、すぐに使うことは予想できるが
悪人を殺すなんてことには私は使わないだろうな。
多分、殺すのは私にとっては悪人だが、ある人たちにとっての善人・救世主だろう

61 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 04:46:11
デスノートは悪

62 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 12:02:26
中国の小学生の間に黒いノートに先生や仲が悪い学友の名前を書き込む遊びが流行っているそうだ
もちろんあのマンガの影響でね。
しかし呪殺の本家なんだから、珍しいことではないような気もするけど

63 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 15:05:05
悪人(邪魔者)排斥の結末はおそらく「独裁スイッチ」のようになるだろうな。

64 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 15:07:17
どこに針がかかったんでちゅか?

65 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 15:21:06
呪いも悪です。

66 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 19:31:08
「自殺は悪か?」

人は「自由に生きる権利」がある(らしい)
なら「自由に死ぬ権利」もあるんじゃないのか?
みんな言うのは「死ぬ権利なんて無い」という
だが、ちょっと待て
生きる権利はあって、死ぬ権利は無いなんて上から押さえつけるように言うな
一人でもいいからわかるように説明してみろ
まるで体育会系のように「死ぬ=悪」って言うな
なぜ老衰や病死は良くて自殺はダメなんだ?
説明してみろよ





67 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 19:32:15
×まるで体育会系のように「死ぬ=悪」って言うな
○まるで体育会系が押さえつけるかのように「死ぬ=悪」って言うな


68 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 21:53:35
>>62
実は中国共産党は呪いを禁止している。

69 :考える名無しさん:2005/12/25(日) 22:07:35
>>66
奴隷に与えられた最期の自由は、「嘘をつくこと」と「死ぬこと」らしい
それを権利と考えるかどうかはわからないが

70 :考える名無しさん:2005/12/26(月) 19:50:37
他人に優しい人間は実は自分が他人に優しくされたいから優しくしている場合が多い
平和だ正義だと主張する人間はそう主張してないと、自分が何かされた時には誰も助けてくれないからだ
そんな甘えを信じている場合が多い
正義を実行するというのは決して甘いことばかりではないのだがな

71 :考える名無しさん:2005/12/28(水) 08:55:46
正義とは?

72 :考える名無しさん:2005/12/28(水) 09:02:04
正義とは悪を退治し善を繁栄させることである。


73 :考える名無しさん:2005/12/28(水) 13:28:37
>>71
怖れず自分の考えを述べよ
ふんふんと傍観してても馬鹿に拍車がかかるだけw

74 :遣唐使:2006/01/07(土) 20:54:55
唐出張してま〜す

ジエンコテ犯教員=【苦悩するドナ ◆oyDevpsyVg =ロボ ◆SOOOOROBOM】

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1046868314/458-464

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1116159415/53-68

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1011054931/607-610

75 :考える名無しさん:2006/01/08(日) 02:18:21
あげ

76 :考える名無しさん:2006/01/08(日) 21:59:36
正義とは多数決。
悪とは正義に都合の悪いもの。
そもそも悪を正義と対象に考えるからおかしくなる。

77 :考える名無しさん:2006/01/09(月) 00:21:02
>>76
大外れとは言わないが
51人が49人の意見を無視していいのか?
おまえが49人の側だったら・・

78 :考える名無しさん:2006/01/09(月) 02:23:46
自己の善を信じて進もうとすれば必ず他者との対立が起こる。
森永の偽装牛肉問題を告白した貸倉庫業者の社長が、社会正義を貫いたかも知れないが、それ以降はまったく仕事が入らなくなって倒産にまで追い込まれたのが良い例だ。
他人の善を信じていれば、判断を他人任せにしていれば良いのだから、他人が正義だと信じているから不正から知らず知らずの内に目を逸らしてしまい、目前の対立は回避できて楽で良い。
しかしそれでは結局、正義は貫かれることなく、不正が続き、最終的には自分自身の身にも降りかかってくるのだ。
自分の善を信じて貫くことは苦しいが、それを信じられない人間は結果的に不正を正すことは出来ず身を滅ぼす。

79 :考える名無しさん:2006/01/09(月) 05:01:11
>>77
2人引き抜いてくる。
そうすれば数的優位に立てるでしょ。

80 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 00:08:51
私のパンを横取りした人は悪で
何処からか仕入れてきたパンを貧しい人に与えた人は善

81 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 00:15:15
私のパンツを脱がした人は善で
何処からか仕入れてきたきたパンツの匂いを嗅いでるひとは悪


82 :ど、どうよ。:2006/01/10(火) 00:16:17
禁忌は人が作ったルール。
原始時代の原人にはそんな概念はない。
人は所詮アニマルですよ。

83 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 02:47:05
でも、動物にも縄張りとか、群れのルールとかはあるんでは。


84 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 03:45:36
>>83
それはそうだが、善悪という観念が伴っているのか?

85 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 06:38:40
84>いやあると思う
ルールを破ることを悪としたらだけど。
破るとなんらかの制裁をうける
狼だったら群れを追い出されるとか

86 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 11:50:57
>>84
禁忌の話じゃないの?

87 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 14:39:33
>>86
そうではなくて、群れから追い出された狼が
「オレ何も悪いことしてないのに……」とか
考えるのかっていうことなんですけど。

88 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 14:43:32
>>87
そうではないなら、
>>82
の段階からおかしい。


89 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 15:07:49
近親相姦がなぜ悪い?
悪い子孫を残すのが駄目なら子供さえ作らなければ良いではないか?
うんな意見もあるが。。
要するに悪いものは理屈なしに悪いというしかないこともある。。

90 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 15:17:13
>>89
あなたにとって、理屈が納得できる「悪い」は何かあるんですか?

91 :考える名無しさん:2006/01/12(木) 02:24:28
正義を貫くとは、悪を倒すことではなく
別の正義を退けることだよ。

92 :考える名無しさん:2006/01/12(木) 02:31:09
善悪を決めているのは人間でその対象が人間だ
何も正しくはないし何も間違っていない。
すべての人間が認めればそれは善かもしれない
すべての人間が拒絶すればそれは悪かもしれない

あるのはただこの場にいる人間の多くが認める暮らしが出来るルールだけだ
そして必要なのは人間すべてが善悪問わずすべての行為を知ることだ。

93 :考える名無しさん:2006/01/12(木) 02:53:13
>>92
立場の違う者同士の善が必ずしも一致するわけではないから、人間同士の対立が起こるわけであり。
それは善悪の概念が生まれたときから延々と続いてきたことだ。
全ての善を認め合うことなどしょせんは出来ないよ

94 :考える名無しさん:2006/01/12(木) 11:37:48
>>92
善悪を人間が決められるなら、
なんで浪費や放楽を善にしないの。

95 :考える名無しさん:2006/01/13(金) 02:03:37
いや、善悪はやっぱり道徳の根本なんじゃないかな。
誰が作った/作るとかは、とりあえずどうでもいいんじゃない?

96 :考える名無しさん:2006/01/13(金) 02:08:18
自分の欲望のために他人を傷つけるのが悪っていうのが私の考えなんだけど、それだと合意の近親相姦は悪じゃないなw

97 :考える名無しさん:2006/01/13(金) 10:51:15
>>94
人間は、自分が浪費するのは好きだが、他人が浪費するのは許せないからだろ。

98 :考える名無しさん:2006/01/13(金) 23:23:19
>>97
じゃあ、自分だけに限ってでも、善にすればいいじゃん。
楽でしょ、そのほうが。
なんでしないの?


99 :考える名無しさん:2006/01/14(土) 02:04:33
いや、やっぱり、どうのこうの言っても
何が善で何が悪か、みんなわかっているんじゃない。
言葉の遊びは遊びと割り切ってすればいいと思うけど。

100 :考える名無しさん:2006/01/14(土) 03:45:35
善悪に関しては「常識感覚」を侮ってはいけない。結構頼りになるものだ。なぜならば「常識感覚」のなかには宇宙の量子レベルからの「暗黙知」が働いているから

101 :考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:05:45
宇宙の正義を論じる多次元方程式など存在しえるものだろうか?
もし存在するなら人間など、惑星上の細菌ではないか?
そもそも最新の生物学「利己的な遺伝子学説」によれば、遺伝子の継承こそ生命の存在意義であり
個体などそのための手段に過ぎないとされている。
そこから見れば殺人や強姦すら正当性のある行為だ

102 :考える名無しさん:2006/01/14(土) 17:07:51
他所の子なんだから向こうに行きなさい

103 :考える名無しさん:2006/01/15(日) 18:19:55
>>善にしたければすれば良い。

ただ、心のどこかで「ああ、こんなことばっかりやってちゃダメ人間になっちゃうな・・・」
とか考えるから善と思えない人がほとんどなんだよ

104 :考える名無しさん:2006/01/15(日) 18:21:24
一度に全てを見て取る精神と・・・

105 :考える名無しさん:2006/01/15(日) 19:38:21
>>104
何か所かに興味が集中してしまう肉体との
アンバランス。男が女のそして女が男の虜に
なる限り、善悪とは何かという問題は永遠に
謎のままであろう。
          byアリストテレス。

106 :考える名無しさん:2006/01/15(日) 21:47:52
純粋な人間に善も悪も無い。
全知の人間に善も悪も無い。

107 :考える名無しさん:2006/01/15(日) 23:24:56
しかしながら現世においては完全に純粋な人間も全知の人間も存在しない。
故に人は曖昧かつ不安定な善悪なる観念にすがるのである。

108 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 01:31:44
>>107
にもかかわらず人間は来世における
純粋で完全な存在を切望する。
善悪の観念はそこから生まれる。
         byソクラテス。

109 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 18:21:38
善悪がなんで曖昧なのかわけがわからん。
思いつきでいい加減なこと言ってるとしか思えん。

全知でない人間が善悪をうまく判断できないのは、
知識や知恵が足りないか意思が不明瞭なせいでないの。

110 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 21:33:11
判断できないのは、知恵が足りないからじゃなくて、
定義がはっきりしていないから。

111 :考える名無しさん:2006/01/18(水) 23:57:46
ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは、善悪を定めるバックボーンとも言うべき存在が神であることから脱するべきだってことだろ。
しかし韓国や中国あたりなど、法律よりもその時々の為政者や社会の意志が優先されるし。
善悪を定める基準自体があいまいなことだな

112 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 00:25:41
すべてが悪であり
反省をともなうことで善になる
神は人間に触れることはない
神は神で勝手に生きている
人間は人間自身を正して行くだけだ
善悪とは神とともに生きているという
人間の進化に他ならない
しかしそれは人間の欲でしかない
己を律せよ
私たちが生きるということは
私たちが善悪を決めるという
神に対する会話につながる
それは他ならぬ神のためではなく
私たちのためだからだ
そして神は善悪をつけない
善悪は私たちのためにある
私たちは常に反省することが正しい
  

113 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 03:03:30
>>111
神は死んだ。
しかしやがて復活する。
  byニーチェ二世。

114 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 05:29:43
>>110
「定義がはっきりしない」≠「定義を知らない」


115 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 05:33:28
>>111
善悪自体は不動不変でしょ。
単に、善悪を計る基準が変わるだけで。

東京から大阪へ移動すると、名古屋の方位は西から東へ変わるが、
これは、「東西を「定める」基準」が変わったわけじゃなくて、
東西概念自体は変わってなくて、「東西を「計る」基準」が変わっただけ。

116 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 05:48:14
善悪とはその基準そのものでしょ
しかも、基準の移動が
地図上の2次元座標の並行移動というようなモデルに従った
1つの基準の強度の変更のようなものとは限らない。

117 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 05:51:25
>>116
善悪が、基準そのもの?
何の?

基準というのは、対象を計る概念(東西とか大小とか)があって、
初めて存在するものだよ。
座標概念がなくて原点だけが存在するということはありえない。
善悪が基準そのものだというのなら、「何の」基準なのか?


118 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 05:58:36
誰も基準が原点のことだとは言っていない。
むしろ善悪の基準が異なれば事象は同じ価値体系の中に存在していないので
モデルでいえば
同一座標内の原点の移動などで説明できない
基準が変わるとは座標も方向もすべての旧空間が放棄されるということ

119 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 06:09:21
>>118
>誰も基準が原点のことだとは言っていない。
私を含めて、「誰も」そのようには言ってないね?
それで?

>むしろ善悪の基準が異なれば事象は同じ価値体系の中に存在していないので
なぜ?
というか、同じ価値体系に存在していないのに、なぜ、「基準が異なっている」といえるの?

>モデルでいえば
>同一座標内の原点の移動などで説明できない
>基準が変わるとは座標も方向もすべての旧空間が放棄されるということ

「同一座標の原点の移動などでは説明できない」とするなら、
要するに「まったく別の概念」ということじゃないの?
「まったく別の概念」であれば、単に「別のもの」なのであって、
「変動する」とか「あいまいである」とはいえないのでないの?
だって、別のものが違うのはあたりまえなんだから。


120 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 06:16:22
同一座標の原点の移動なら、単なる強度の違いに過ぎないじゃないか。
それは2つ異なった体系に属する善悪の基準を相互に考えるモデルじゃなく、
1つの基準から「強度の変更としてしか」他の基準を把握できないモデルでしかない。

121 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 06:18:20
>>120
強度の違い?
東と西では、どっちが強いんですか?

122 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 06:24:22
>>120
>それは2つ異なった体系に属する善悪の基準を相互に考えるモデルじゃなく、
>1つの基準から「強度の変更としてしか」他の基準を把握できないモデルでしかない。

二つの違いが問題にできるということは、
(二つがそれぞれ別の体系に属するとしても)
二つを含む(それぞれの体系を包含した)共通の体系があるということですよ。
二つが異なった体系に属し、それらの体系を包含する共通した体系が無いのなら、
まったく別のもの、ということであって二つは比較不可能ですよ。
あなたが「相互に考える」といい、それが可能だと考えていることは、
ようするにそういう体系を前提にしてるということ。




123 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 07:17:21
簡単に比較可能であったり、
別種の体系を包含した共通の体系があったり、
そういうことがない、できないからこそ善悪の問題があるんだよ。
普通異なる体系に同時に属することは困難なので、
一方の体系からもう片方へ移行したとしても以前どのように把握していたかは分からなくなる。
包含した共通の体系などない、包含したつもりの1つの体系に過ぎない。

124 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 11:21:42
正義について論文(原稿用紙4枚程だけど)を書きたいんですが
何かいい参考、というか引用書籍ありませんか?

125 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 11:24:39
引用? 原稿用紙4枚じゃ、引用する余裕はないよ。
参考文献ならロールズの『正義論』あたりじゃね?

126 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 14:17:06
>>123
>そういうことがない、できないからこそ善悪の問題があるんだよ。
いや、できないなら、それらが全然違う別のものでなくて、
同様に善悪であるとなぜわかるの?


127 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 18:42:50
韓国あたりは竹島問題で国際社会が認めなかったのが間違っていた
韓国は自国の権益を見事守ったのだ
何て記事を堂々と書きたてているよ。
あの国にとって自国の利益が正義なんだ。
多かれ少なかれどこの国にもそれがあるが、韓国ほど平然とやる国は存在しない
そして国民もそれを信じ込んでいる

そんでまあ、ここで何が言いたいかと言えば正義とは国という立場によっては如何ようにも変化するってことだ。
また、どんな悪逆なことでも国家規模で言い立てれば国民は深く考えることなく信じ込むようになる

128 :考える名無しさん:2006/01/19(木) 19:00:37
素晴らしい掲示板を見つけた!http://yy31.kakiko.com/x51pace/

129 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 02:48:06
>>128
ええ加減にせんか

130 :凡人:2006/01/20(金) 18:24:06
>>1番さん 善と悪とは何か?
善とは真の自由と平等を重んじる行為で有り、悪とは真の自由と平等を阻害する行為です。
真の自由と平等とは全てに痛みを与えぬ思想、及び行動で有り、その権利を全ては平等に有する事です。
人は人類のみに在らず他の動植物、自然環境までも痛みを与える行為は真の自由と平等の名の下では許されません。
では、どうして人は生きるの?と言う疑問にお答えします。
人の知能は、その殆ど(約97%)が潜在知能として使わずに居りますので、それを使う事で全ての問題は解決されます。



131 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 03:00:07
善はみんなが喜ぶ行為であり
偽善は自分だけが喜ぶ行為であり
悪は誰もが悲しむ行為であり
偽悪は自分だけが悲しむ行為である


132 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 04:12:30
判ったよな科白吐かないで!!この素人童貞!!

133 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 17:43:32
善悪って人を幸福にするか不幸にするかってことでしょ?
人をムチで打ったら、Mの人は幸福を感じ、普通の人は不幸を感じる。
もっともここでは「たまたまMの人を幸福にした」という場合が出てくる。
1 善意からくる善:Mと知ってて打った。合意の上で打った。
2 悪意からくる善:悪意を持ってムチで打ったらMの人で、たまたま喜ばせた。
3 善意からくる悪:リンゴにヨーグルトをかけたら子供が食べなかった。(大学の大教室で
倫理学の先生が言っていた例)
4 悪意からくる悪:ただ苦しめたくてムチで打つ。
「人間万事塞翁が馬」というところまで考えなくてもいいと思う。どっちみち「善意からくる悪」か
「悪意からくる善」に収れんされるだろうから。

134 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 18:29:08
要するに意図は関係ないと。

135 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 18:39:43
>善悪って人を幸福にするか不幸にするかってことでしょ?
こういう人って哲学に向かないと思うw

136 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 00:36:22
性善説がどうも安易に使われ過ぎているような感じがするのが気になるね
この前、センター試験で不祥事があったときには、「我々は性善説を前提に物事を進めていますので」なんてわけわからんことを言って、責任回避に使った。
これは極端な例だけど、性善説が責任回避とか体制不備の理由とかに使われていることが多い
確かに人を疑うのはあまり綺麗なことではないが、しかし人を信じるにはそれなりの覚悟がいると思うのだがね。
性善説を安易に使い、その存在自体を軽くする人が多いのが気になるな

137 :ヘリクツ:2006/01/23(月) 01:00:13
善悪とは、つまり倫理的道徳ってことだと思う。倫理的道徳とは、例えば、道路で車が来ていなくても、ちゃんと信号機が青になるまで待つという、『正しい』考え方とでも言っておこう。

どちらのほうが利益があるかという観点からのみ物事を決定するのは科学的道徳の考え方である。この場合、倫理的道徳は完全に無視される。

少し話がそれたが、人間の善悪の判断とはこういうものだと私は考えている。
善は、結果的にはマイナスの要素がないこと。逆に悪は、結果的にはマイナスの要素があること。この『結果的には』と言ったのは、全ての人々の幸福、不幸を全て総合した結果のことだ。すなわちこれは科学的道徳を意味する。
つまり何かの行為をしたとして、多少の不幸があったとしても、それを上回る幸福があれば、その行為は必然的に『善』となる。
よって、善悪という要素では倫理的ではあるが、その判断手法が科学的である以上、善悪が完全な人間の倫理的道徳に沿った要素では無いため、必ずしも善悪の判断が倫理的であるとは限らない。

138 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 02:05:05
善とは美少女であり
悪とは2chネラーだ

139 :考える名無しさん:2006/01/23(月) 16:31:59
>結果的には
桶屋が儲かるから、風の性は善。

140 :考える名無しさん:2006/01/28(土) 15:01:00
概念と、その概念に該当する個々の事柄の混同ってのは、
なんとかならんもんかね。

「内閣総理大臣」とはなんですか?」という質問に、
「小泉純一郎です。」と答えるのはおかしいだろう。

「内閣総理大臣」というのは政府の役職の名前で、
たまたま 2006年1月現在、その役職に就いているのが。
「小泉純一郎」であるということに過ぎない。

「「内閣総理大臣」とは「小泉純一郎」である」が真なら、
中曽根康弘も田中角栄もかつては小泉純一郎であった、
というわけのわからないことになる。



141 :考える名無しさん:2006/01/30(月) 13:31:17
日本人を初めとして北東アジア文化圏は、古い時代の政治や主張を教条的に受け取るクセがある
これはいい面もあるのだが、一方で視野を狭めて、選択肢をなくす傾向があるな。
中国がいまだに毛沢東語録を政治に使っていることや、日本が憲法九条にこだわるのはそうしたことだろう
欧米は思想は思想、政治は政治と分けている
これが出来るのはキリスト教という神が思想の中心だからだろう。東洋では思想は古代の聖典や偉人に為しているからな。
古い時代はシャーマニズムの文化をもっていた欧米と祖霊崇拝の文化をもっていた東洋の違いかも知れない。
何れにしても考えさせられることだ

142 :考える名無しさん:2006/01/30(月) 15:45:49
日本が憲法9条にこだわるのはそれだけ国や国民にとってでっかい問題だからじゃない?あと政治の思想をわけて考えるのはどうかとおもう。

143 :陳腐だ… ◆Tinpuu8TL2 :2006/01/31(火) 21:09:14
日本も性善説から性悪説へ移行したか…

144 :考える名無しさん:2006/02/01(水) 20:33:59
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1135055931/

145 :考える名無しさん:2006/02/02(木) 00:23:45
性善説って「人間はほおっておいても悪いことしない」って意味じゃないんだがなあ

146 :考える名無しさん:2006/02/23(木) 14:54:40
>>140
おかしくなるのは、140が「とはなんですか」という表現について、ある解釈を前提しているからだろう。
(固有名詞についても言えることだが、ここでは結論に影響がないので問題にしない)

140が実質的に問題にしているのは、「とはなんですか」の日本語としての正しい解釈だ。
「概念と、その概念に該当する個々の事柄の混同」に見えるのは、「とはなんですか」が
「混同」を許さないからであって、逆ではない。

147 :考える名無しさん:2006/02/24(金) 00:24:23
>>146
つうか、スレの流れと無関係の、 >>140 の内容だけを取り出して、
>140が「とはなんですか」という表現について、ある解釈を前提しているからだろう。
とか言っても始まらんだろう。

現にそのような解釈がなされていることを問題にしているのであって、
>>140 で新たに解釈を提示しているわけではない。


148 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 21:43:19
善悪なんかお金で決められる



そんなこと考えてた時期がありました

149 :りくーつ・こねりー:2006/04/08(土) 00:59:52
善悪なんか、その時代の権力によって決められる
そんなこと今でも考えてます

150 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 07:18:46
その割には、善悪を金持ちや権力者が決めてしまった例というのは、
歴史をかえっても見当たりませんね。

151 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 05:49:31
他人を悪人とするのが善人、善人とするのが悪人なの。
だからいい子は嫌われるの

152 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 05:53:02
それは賎しい奴だ、性根が賎しいっていうんだ

153 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 15:40:00
>>138
美少女で2chネラーがいたとする。

それは悪なのか。善なのか。

154 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 01:00:59
善悪じゃないけど、
いいことしたとき、その動機を見つめ直して打算を完全に除いた「良心」を探し当てようとすることがある
結局見つからないけど、こうやって良心を思索すること自体が
もしかして無意識のうちの良心であり、良心とは無意識なのかもと推測するけど
それも正当化に過ぎないとふと考えるとどうでもよくなる
ここで折れないと正当化→正当化の動機は良心→それも正当化と無限ループになる。。

155 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 17:31:45
自我を捨てることだ。すると善も悪もない

156 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 19:54:54
相対主義について。

相対主義とは何か?善悪に一般は存在せず必ず「○○にとって」の善でしかないというものである。
さてその○○には何が入るか?例えば「タンスにとっての善」、「波にとっての悪」、「善にとっての善」といったものはあるのか?直感的にはおかしいと思われる。
なぜか?それは意思をもたないからである。
これが例えば「隣の田中さんにとっての善」「ハサンにとっての悪」ならば問題なかろう。すると

仮説1
・相対の対象は意思を持つもの(主に人)に限られる(意思説)

が考えうる。しかしそうすると問題が起きる。

・死人にとっての善というものは存在するのだろうか?

である。生きている間は意思をもっているので善悪の相対の対象となるが、
死んで意識がなくなると対象から外れるのだろうか?そうすると100人いれば善悪は100個あったが
誰か死んで99人になると善悪は99個になり、言い換えれば「善悪の数は増減する」ということを意味する。
また死人は除外されない、と考える場合、今まで死んだ人の数は一定であり
しかもどんどん次の世代が生まれて死んでいくので「善悪の数は累増する」ことになる。
(ある年代で区切ってA年以後は含むが以前は含まない、としたり
記録に名の残る人だけを加えたりするのは
新古、記録の有無による差別ではないかという問題が生じるのでこれは避けられない。)
さらに人物か「実在か架空か」ということも考慮に入れなければならない。架空の人物は善悪の個数に含むか?
架空の人物は虚構であって意思を持たないので含まない、といえはするが
文中や画中という可能世界では意思をもっているともいえるのではなかろうか?
それでも架空は含めないとなると実在か架空かが疑わしい史上の人間をカウントするかどうかがあやしくなる。
「老子にとっての善」が「椅子にとっての善」と同じ扱いにする、というのは微妙なところである。

157 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 20:23:43
善悪の数が変動する可能性を述べたが変動するとどうなるのだろうか?
考えられるのは「民族浄化」である。A民族とB民族がおり、B民族の殺戮によってA民族が絶滅した場合、
A民族にとっての悪(=B民族の暴力)はどうなるのだろうか?
「消える」と答えるのは一寸殺戮を容認したということであろう。

158 :考える名無しさん:2006/05/23(火) 20:58:18
「殺人は誰にとって悪なのか?」
殺される人はたいてい「殺されたくない」という意識がある。これは殺す奴は悪=殺される人にとって悪といえるだろう。しかしそれは「生きている間の意識」であって「死んでからの意識」ではない。
上に述べたように死人にとっての善悪は存在しないとすると
殺されたあとでは殺人という行為はその人にとって悪ではなくなっている。
行為の前後で善悪が変化するといえる。さて殺人は善なのか悪なのか。

(同じ例に「麻薬」が挙げられる。普通の人は「麻薬(の乱用)は悪」と思っている。
しかし麻薬を打たれ快感に溺れた状態では「S最高!チョー鬼気持ちよくね?」となる。
麻薬を打った後ではその人は狂って麻薬は善と思っているだろう。)

当然ながら悪である。生前の意識を優先するのはなぜか?それは「平等」による。
殺せば悪が善(ではないが非悪)に変わるのならばいくらでも殺していいことになり生前の意識が保護されない。
「○○にとっての善悪」は主体である○○の意識に左右される。
その意識を損なうことは相対主義の前提を破壊するので成り立たないのである。


159 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 03:30:27
あり得ないほど悲惨な人生送ってる人がいた。
本人の責任でそうなったのではなく、本人の努力で解決出来る状況じゃあなかった。
薬やってるときだけ、幸せそうだった。
この世は地獄。薬も殺しも必要な時がある。

160 :考える名無しさん:2006/05/28(日) 17:42:32
上善如水

悪は、乾いているのだろうか?

161 :一言居士:2006/05/28(日) 18:50:55
善とは生産的ということである。悪とは破壊的ということである。
破壊のための破壊は、悪である。生産のための破壊は、善でも悪でもない。
ちなみに、快を伴う行為は、必ずしも生産的とは限らない。また、苦を伴う行為も、必ずしも破壊的とは限らない。


162 :考える名無しさん:2006/06/05(月) 23:41:21
我々が「善」と呼んだり「悪」と呼んだりするものの正体は何か、ということを知るにはどんな本を読めばいいですか?


163 :考える名無しさん:2006/06/11(日) 01:10:30
>>162
つ「国家」

164 :考える名無しさん:2006/06/14(水) 13:23:56
「よい行い」の「よい」とは何の性質を表しているのだろうか?
結果だろうか?よい結果をもたらす行為がよい行いなのか?
理由だろうか?善意による行為がよい行いなのか?
否。「よい」とは行為の形相である。
ワールドカップに便乗してサッカーのプレーを考える。
「よいパス」とはボールが相手に渡ったという結果で決まるものなのか?
「よいシュート」とは「ここでシュートをすれば点が入る」という判断によるシュートのことなのか?
否である。よいパスとはボールをうけやすい、シュートがしやすいパスのことであり
よいシュートとはキーパーにとられにくいシュート、ボールの動きが正確なシュートを意味する。
サッカーの「よい」は道徳上の「よい」とは異なるが行為も同じことである。
「よい」は結果や理由といった行為以外のものでなく行為そのものに属する性質である。



デスノートを使うのはよい意思、よい結果をもたらす悪行である。「犯罪者を裁く」という意図は善である。
「犯罪者が減る」という結果も善である。
しかし「理由が分からないまま人が次々死んでいく」という事態は悪である。

165 :考える名無しさん:2006/06/16(金) 13:03:34
道徳の性質

(1)明示的な変更がない
(2)管理者がいない

(1)法律は施行される日時が決まっているが道徳は変えますと宣言した時点で変わるわけではない。
また法律は条文を追加あるいは削除することができるが道徳はそのような増減もない。

(2)法律は国会で制定され六法全書に書き込まれ裁判所が不当でないか判断するが道徳を扱う組織は存在しない。
大学の哲学科の倫理学は道徳の研究は行うが扱うわけではない。
倫理学では道徳というダンボール箱はりんごが入っていて○○の工場産で色は茶色っぽく・・・
と箱についてあれこれ述べているだけでダンボール箱を運ぶわけではない。

(3)道徳は行為か?
道徳は「〜すること」という行為に言い換えられるのだろうか?否である。
行為は動詞で表すことができる。道徳を表す動詞を形式的に「まなる」という名前としよう。
行為、動作は動作を基準に前後に分けることができるが「まなる前」「まなる後」「まなった」はありうるか?
否である。数が色を持たないように道徳は時間的な前後を持たない。ゆえに道徳は行為とは呼べない。

(4)道徳は感情か?
道徳は何らかの感情の一種なのだろうか?否である。
感情は心の状態である。状態は形容詞で表すことができる。道徳を表す形容詞を形式的に「ゆらしい」と命名しよう。
さて「悲しくなる」「うれしくなる」はあるが「ゆらしくなる」というものはありうるか?否である。
道徳はなったりならなかったりする変化の対象ではない。ゆえに道徳は感情とは呼べない。

166 :知ったか妄文:2006/06/16(金) 13:18:47
(5)道徳の上位概念
道徳は定義できるだろうか?定義は類と種差が必要である。類は定義しようとしている名詞Aの上位概念である。
たとえばA=飛行機なら乗り物、A=草ならば植物である。
種差はAと同じ上位概念に属する別の名詞BがAと異なるといえる根拠となる性質である。
たとえばA=走る、B=蹴るならば「足で打つ対象」、A=鯨、B=イルカならば「大きさ」が種差である。
上位概念は下位概念の帰納によって得られ、下位概念は上位概念を種差によって分割することによって得られる。
道徳を定義するには道徳の属する類と種差が必要である。
さて道徳の上位概念はなんだろうか?正義か?直感的には正義、倫理、道理などは道徳と同じものである。
規範か?規範、規則といったものは道徳を形にしたものであって上位概念ではない。
これは「安全」と「マニュアル」の関係と同じである。マニュアルは安全であるための守るべき条件を記述し、規則は道徳的であるための守るべき条件を記述する。
善か?善は道徳的と同じことであり道徳の性質の一種である。善が上位概念ならば
鳥でありながらカラスでないものが考えられるように(たとえばフクロウ)
善でありながら道徳でないものが考えうるがそんなものが存在するだろうか?
利益か?利益とは道徳によって生じる結果(ほかの場合もありうるが)であって上位概念ではない。
善意(道徳的な意思)による行為から利益が生じる。
人を助けようという意思による行為で命が保たれるという利益がある。
しかし人を助けようという意思自体は利益ではない。
それはあたりの宝くじを換金してもらおうという意図自体が金銭でないのと同じである。
神か?神は人格、意思を持つが道徳には意思はない。

もしや道徳には上位概念がないのではないかと思われる。


167 :考える名無しさん:2006/06/16(金) 19:29:50
概念

168 :あぶらはむ:2006/06/17(土) 20:21:57
私のいちばんの喜びは、内緒で善いことを行い、偶然それが発見されることだ。

169 :考える名無しさん:2006/06/17(土) 20:28:20
善行を積もうとするのは悪に他ならない

170 :考える名無しさん:2006/06/17(土) 20:45:42
>>166
上位という概念は抽象だろう。上位概念とは根源的な特徴を抜き出して定義だろう。
例えば、カリフラワーをみて、カリフラワーは幾つか枝を生やして、頭を盛り上がら
せている花を付けている。枝や花を持つものは植物であると考えるのだ。
しかし、膨らんだ頭が偉いとか、下からみると枝が丸見えでなんだか声がかけづらい
とかは他の植物には少しもみられないので、捨象される。いうなれば、みなかったこ
とにして植物という上位概念を考えるのだろう。

171 :考える名無しさん:2006/06/17(土) 21:05:41
>>170
 それでは、抽象ということを考えると、道徳が上位概念であると考えるようだ。
教師の失敗を揶揄することが道徳であると考えるとする。
しかし、他の場合では、教師でないかもしれないし、密やかな関係であるかもしれ
ない。すると、他の場合に当てはまらないことは捨象され、揶揄ということが考え
られる。そして、揶揄は大抵の場合に当てはまると考える。
すると、揶揄が道徳であると考えるのではあるまいか。

172 :考える名無しさん:2006/06/17(土) 21:49:58
>>1人類史上、如何なる民族や時代でも許されない三つの禁忌がある 殺人・食人・近親相姦

タブーでない部族もあるよ。お前世界観狭いな

>そもそも善とは悪とは何であろうか?

ただの相対概念。昔から用いられてきた二元項立

173 :考える名無しさん:2006/06/17(土) 22:02:40
世界図はあなたの知っていることだけではない。
九州の骨かみの習慣があるそうだよ。

174 :考える名無しさん:2006/06/17(土) 23:52:05
善悪を相対化させる風潮が蔓延している。
今のうのうとしている悪人を自滅させないと気が済まない。

175 :考える名無しさん:2006/06/20(火) 23:35:46
倫理を論ずるにあたって
「倫理は権力者が決めたものである」とか
「倫理は個人の自由の衝突を調整するための概念的な装置である」とかいった意見が出るが、
これは「倫理と規則の混同」による誤認である。
倫理と規則が異なる点、それは「事象と照合できるか否か」である。
ある行為が違法かどうかを確かめるには法律書から該当するような条文を探し出せばよい。
しかしある行為が善か悪かを確かめるにはどうすればいいのか?法律と同じように倫理の中を探せばよいのか?
否である。倫理はデータベースとは異なる。

・データは無限か?
普通のデータベースには「データが無い」場合がありうる。
では倫理には「データが無い」場合はありうるか?否である。
もしそうならばある場合にはデータが無く、ある場合にはデータがあるということになるが、
これは「倫理に偏りがある」ことを意味し、倫理は一元的で内部に様相の差を持たないという直感が否定されることになる。
さしあたりデータは無限にあり欠落がない(完全性)としよう。

176 :考える名無しさん:2006/06/20(火) 23:38:16
・誰が入力するのか?
普通のデータベースには作成者、データを入力した人が存在する。
では倫理にはデータを入力した何者かが存在するのだろうか?
まず入力する者が複数いる場合、入力が競合することが考えうる。
これは「倫理には矛盾がある」ことを意味する。よって複数の存在はない。
(複数いても入力の方針が統一されているばらばそれは一人(?)が入力しているのと同じである)

次に「入力に物理的な時間を伴うか?」ということが考えうるが答えは否である。
無限のデータを有限の時間で入力することはない。

次に「書き換えがあるか?」という問題が考えうる。
当然ながら上記のようにデータに偏りが生じるので「白紙に書きかえる」ことは無い。
書き換えでデータの増減が伴う場合、増やす前は後よりもデータが少なかった=その分だけ欠落していたことになり
完全性と矛盾する。
量は変えず内容だけ書き換える場合はどうか?
書き換える前のデータベース(全体)をA、後のデータベースをBとする。
同じく書き換える前のデータをa、書き換えたデータをbとする。
データベースはありうるデータがすべて入っているからA⊃b,B⊃aである。
aだったのをbにするのは元からあった別のデータbと重複させるに過ぎない。
つまり完全なので書き換えは無意味である。

(続く)

177 :考える名無しさん:2006/06/21(水) 15:23:44
・いつ作られたか?
データベースが作られた時代はいつか?ある時代Aに作られたとするとその時代より前の人間
(たとえば鎌倉時代なら奈良時代)には倫理が存在しなかったことになる。

・アクセスの方法
データベースにはアクセスする必要がある。
アクセスというものが存在しないデータベースは合鍵でも爆弾でもどうやっても開かない無敵の金庫と同じで用を成さない。
では倫理にアクセスするとはなんだろうか?
倫理にアクセスするとは「○○は倫理的か」と考えることである。
上記のように「○○は違法か」を調べるのに法律書を探すのと同じである。
倫理にアクセスする方法は何か?何を通して倫理的かどうかを考えるか?
「意識」である。倫理は機器によって観測するものではなく意識による。

人⇔ブラウザ⇔ネット

であるように

人⇔意識⇔倫理

である。

・誰が入力するのか?2
倫理のデータベースを入力した者は誰か?人ではない。
人は倫理とは何か十全には理解していない。
アクセスしている倫理が倫理全体のどの部分に当たるか、倫理のあらゆる部分にアクセスできるのか、
倫理に登録されている内容はどういうものか、そもそも部分があるのか不明である。
倫理を部分的にしか知らない者が倫理の全体を作ることはありえない。
倫理ははじめからあるもの、あるいは倫理を知っている超越的な存在(神)が入力したものといえる。


178 :考える名無しさん:2006/06/21(水) 20:27:18
・データベースの個々のデータにはどのようなことが書いてあるのか?

「事象:価値」である。ある事象一つに価値(善、中、悪)が一つ対応している。
辞書に単語の見出しと語釈の二つが載っているのと同じである。


井戸にしょんべんをする:悪
警察は敵だと思う:善
電車内は冷房が効きすぎているから車両の人に訴える:中(善でも悪でもない)

実際が文章にはしきれない非常に細かい事象が無数に載っている。

このモデルで問題になるのは「事象」とは何かである。事象、日常的には「こと」と呼ばれるものであるが、
何が事象で何が事象でないのか?

概念は事象ではない。殺すという事象は悪であるが殺すという概念自体は悪ではない。
存在は事象である。「木」という存在は
種が埋まる→芽が出る→伸びる→葉をつける→実をつける→枯れるといった事象の束に等しい。
事象とそうでないものの区別、それは「生滅するか否か」である。
火は消えるが火の概念は消えない。夜は来るが夜という概念が時とともに来るわけではない。
「現実」と呼ばれるものはすべて事象である。


179 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 01:31:42
『死は悪である』とネーゲルは言っていますが、実際『死は悪である』
と言う説について皆さんはどう思ってますか?また、『二人称の死』とは
なんですか?教えてください。

180 ::2006/08/25(金) 12:32:45
「善」とは、「悪」の反対。
「悪」とは、「善」の反対。

片っ方がなくなれば、もういっぽうもなくなる。



181 :考える名無しさん:2006/08/25(金) 12:46:05
>1

ただの概念。二元論。相対性

182 :考える名無しさん:2006/08/25(金) 12:51:56
悪とは、自由意志と自由意志の相克。
善とは、その悪を抑えること。つまり自由意志の相克を超えること。
つまり自由意志のないところには善悪は存在しえない。動物には自由意志がない。
だから、動物に善悪はない。

183 :考える名無しさん:2006/08/25(金) 17:11:43
182>ずいぶん難しいこと言うね。
  「悪とは、自由意志と自由意志の相克。」ってもっとわかりやすく
   説明してくれません?

184 :考える名無しさん:2006/09/07(木) 23:30:59
善悪とは
善とは物事の理に叶う事柄、悪とは物事の理に叶わぬ事柄。


185 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 03:21:20
善悪って人間が生活しやすいように勝手に作ったルールみたいなもんじゃないかな。
まあそれがかえって逆効果になってる場合もあるけど。
たとえばある地域で、牛を食べるのは人を殺す以上の悪だ。ということになってたとして(あくまで仮の話。食べる動物はなんでもいい)
そういう地域の人からすれば牛を食べてる日本人(まあ日本人だけじゃないけど)は悪ってことになるよね?
でも、「だから日本人殺す」とか言われても日本人は困るわけで。
でもその地域の人はそれが善だと信じてるとしたら。善ってなに?ってなる。
人を殺しちゃいけない。とかについても、殺していいことにしちゃうと色々面倒だから、とりあえず殺しちゃいけないことにしとく?みたいな。
近親相姦とかも同じ。ようは善悪なんて人間が勝手に作ったルールであって、地域や状況(戦争や宗教とか)によってコロコロ変わっちゃうくらいテキトーなもの。


186 :考える名無しさん:2006/09/08(金) 11:21:25
善悪とは人の知性を育てる要。
扇子の要と同じで要がないと心がバラバラに成ります。


187 :考える名無しさん:2006/09/10(日) 14:46:48

http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/

188 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 00:45:40
善が勝利し、悪が滅びるだろう。
悪が勝ったなら、今ごろ世界は地獄絵巻のようになっていると
思わないか?

189 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 01:07:23
というか、「悪が善に勝つ」というのは言語矛盾ですよ。
「小が大より大きい」というようなものです。


190 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 10:01:41
善悪とは何か? 第二章
もし人類が善悪を見極める心を得た時に、その全てが幸転を始めます。
何故なら人が知能を育て、智恵を産みだす為に不可欠な条件は「ものごとの是非・善悪を明確に弁別する心」の智=知=理が必要だからです。
つまり「ものごとの是非・善悪を明確に弁別する心」の智=知=理を会得しなければ人は誰も智恵を産みだせない、と言うことです。
しかし自分には智恵がないと誰一人、思ってる人はいませんが、その智恵と思い込んでいるものは人に備わっている考えることができると言う作用で、智恵ではないのです。
その智恵がなくて人の考える作用が産みだした発明や発見は人類の一部に一時的な便利さをもたらしますが先々には智恵を得ずに産みだされたものの害を人類全体が責任を取らなくては成りません。
地球温暖化やオゾン層の破壊・環境汚染などと人類の未来に大きな負の遺産として受け渡さなければ成らないのです。
これから先、人類の考える心が創りだす不安定な地球環境は更なる未曾有の災害を引き起こし食料生産に大打撃を与え、一部の特権階級をのぞいて72%以上の大衆は地獄絵巻のような世界に成ります。
それを食い止める為に我々大衆は一刻も早く「ものごとの是非・善悪を明確に弁別する心」を養い、本当の智恵で人類史の修正を成さなければいけません。



191 :考える名無しさん:2006/09/25(月) 10:24:23
>189
>というか、「悪が善に勝つ」というのは言語矛盾ですよ。
と言うか、二つの心は異質なものですので悪は悪同士が勝敗を重んじ強さを競いますが善の心は御指摘のように心の大小で計量し争いは生じませんよね。
戦争で双方が正義を主張し戦っていますが、それは双方共に善の心を使わず悪同士の戦いと言えますが、本当に悪い方は難癖を付けて勝つことを見越して戦争を仕掛ける側です。
そこで我々大衆の責任は善悪を見抜かず強い方に加担し弱い人々を更なる苦渋を強いることに加担すると言うのを止めなければ成りません。

192 :189:2006/09/25(月) 21:34:39
>>191
「善の心」というのがよくわからないんですよね。
勝敗を重んじるか大小を重んじるかという問題は、
個々の価値観の問題なので一概に善悪を論じることはできないように思います。

>戦争で双方が正義を主張し戦っていますが
それは双方の価値観や目的が違うからですね。

>それは双方共に善の心を使わず悪同士の戦いと言えますが、
>本当に悪い方は難癖を付けて勝つことを見越して戦争を仕掛ける側です。
国家の存続や利益を第一目的にするのであれば、権謀術数が必要なこともあります。
それは国家を任された政治家に課された責務であって、
最終的に国益にかなうのであれば、その政治家は(その国にとっては)善い政治家であって、
つまり、自らの責務を正しく全うしようとしているわけで、
一概に悪と決め付けることはできないのではないでしょうか?

>そこで我々大衆の責任は善悪を見抜かず強い方に加担し弱い人々を
>更なる苦渋を強いることに加担すると言うのを止めなければ成りません。
善悪を判断し、善の側につけば、それはすなわち、強い側についたということです。
悪いということは「(それが政治にしろ軍事にしろ)すなわち、弱いということです。



193 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 11:46:50
善=自我を封じる
悪=自我を開封


194 :考える名無しさん:2006/09/26(火) 17:34:10
>189
>最終的に国益にかなうのであれば、その政治家は(その国にとっては)善い政治家であって、
>つまり、自らの責務を正しく全うしようとしているわけで、
>一概に悪と決め付けることはできないのではないでしょうか?
それでは
権威と結びついた既存の非合理的思想を擁護し、自由で合理的な思想に反対する態度、と言う蒙昧主義者の考えですよ。
最終的に国益に叶うのであれば、との記述ですが、貴方と貴方の家族が他国の国益の犠牲に成っても
その政治家は(その国にとっては)善い政治家であって、
つまり、自らの責務を正しく全うしようとしているわけで、
一概に悪と決め付けることはできない、と言う分けですね。
目先の国益に叶っても力の行使は必ず、その責めを負うことに成りますよ。
イラク戦争でも米軍の兵士は米国を支配するユダヤ財閥の企みの為に戦わされ命を失っているのですよ。
米国の兵士四千人、イラクの人々約八万人の大切な命を失って善いことだ、なんて誰も言いませんよ。



195 :189:2006/09/26(火) 20:23:26
>>194
よくわかりませんね。
>米国の兵士四千人、イラクの人々約八万人の大切な命を失って善いことだ、なんて誰も言いませんよ。
であれば、それは「国益に適わなかった」から「(国にとって)善くなかった」とうことでしょう?
私の言っていることと、対立点は無いように思いますが?


196 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 16:53:04
>195
国益に叶えば何をしても政治は善い政治だ、と言うのは人道から外れると思いますよ。
つまり、ものごとの善悪は理非をもって決められることです。
イラク戦争はもともと米国の財閥がイラク国家の主権を奪い取るために始めたことですが米国は、その目的をほぼ果たしました。
米国民や世界の人々がどう思っても米国の実質的主である財閥達の目的を果たし益に繋げたのですから、その役目を果たしたブッシュの善い政治家と言える分けですか?
本当の国益を考えるなら騙し討ちをする権謀術数なんて不用なんですよ。



197 :189:2006/09/27(水) 19:36:46
>>196
>国益に叶えば何をしても政治は善い政治だ、と言うのは人道から外れると思いますよ。
もしかすると、そうかも知れませんが、
そういうことは、(そのような発言をしていない)私にではなく、そう言っている人に言ってください。

善悪以前の問題として、常識論の範囲で、そもそも、
(いわゆる)人道に反する行為が国益に適うとは到底思えませんが。
人道に反することをおおっぴらに続けた国家が、
長く繁栄した例は歴史を見る限り、ほとんど無いのではないでしょうか?

>つまり、ものごとの善悪は理非をもって決められることです。
合理、非合理、という意味なら、まったくそのとおりですね。

>イラク戦争はもともと米国の財閥がイラク国家の主権を奪い取るために始めたことですが米国は、その目的をほぼ果たしました。
>米国民や世界の人々がどう思っても米国の実質的主である財閥達の目的を果たし益に繋げたのですから、その役目を果たしたブッシュの善い政治家と言える分けですか?
仮に、あなたがおっしゃることが事実だとして、「戦争によって主権を奪い取る」ことが、「財閥たち」、の利益につながるのでしょうか?

>本当の国益を考えるなら騙し討ちをする権謀術数なんて不用なんですよ。
それはどうでしょうか。
あなたがイメージする米国のような国から、自国の国益を守るためにはも、
「権謀術数なんて不用」といえますか?
チェンバレンにずっとまかせておけば、チャーチルがいなくても、イギリスは安泰だったと言えますか?

198 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 21:13:07
>仮に、あなたがおっしゃることが事実だとして、「戦争によって主権を奪い取る」ことが、「財閥たち」、の利益につながるのでしょうか?
米国の主はユダヤ財閥で、その母国はイスラエルです。
母国の近隣に有る、油田を抱え力の強い国の主権を奪えば母国の安定と国の復興を理由に油田の採掘権も手に入りますね。
それに資本主義が偽りの民主主義を押し付ければ、その国をユダヤ財閥が支配できますね。
あなたがイメージする米国のような国から、自国の国益を守るためにはも、
「権謀術数なんて不用」といえますか?
米国を支配するユダヤ財閥は世界中に争いを巻き起こす権謀術数のエキスパートですよ。
ユダヤ財閥の母国に核ミサイルを20発も無償供与しておきながら、イランの核開発を世界に危険だとアピールしてますでしょ。
権謀術数に対処できるのは、今までに例のない理に叶った本当の正攻法しか有りませんね。
>チェンバレンにずっとまかせておけば、チャーチルがいなくても、イギリスは安泰だったと言えますか?
当時、ヨーロッパの中でイギリスが一番ユダヤ財閥の毒牙に犯されていましたが(今も、そうですけど)ヒトラーはユダヤ民族がいたのでは平和は訪れない、との結論からユダヤ民族の粛正を謀ったのですね。
ヒトラーも、その時は国民の信頼を得るのに権謀術数を使い国民の闘争心を煽り立て、それを理由に近隣諸国のユダヤ民族の一掃を企てたのですね。
イギリスがヒトラーのミサイル攻撃だけで済んだのは島国と言う地の利が幸いしたのと当時、米国の大統領のユダヤ系のトルーマンがイギリスの保護に力を入れたことも関係すると思います。
>チェンバレンにずっとまかせておけば、チャーチルがいなくても、イギリスは安泰だったと言えますか?
発言した方と間違えたので済みませんでした。
と言うわけでチャーチルがいなくても結果は同じではと思います。
その戦争を理由にユダヤ民族はパレスチナの地にイスラエルの建国を果たしましたが、ユダヤ財閥の性格の悪さからパレスチナの地方は常に争いが絶えませんね。
きっと、ユダヤ民族もユダヤ財閥の権謀術数に突き動かされているのでしょうね。




199 :189:2006/09/29(金) 00:05:34
>>198
>米国の主はユダヤ財閥で、その母国はイスラエルです。
>母国の近隣に有る、油田を抱え力の強い国の主権を奪えば母国の安定と国の復興を理由に油田の採掘権も手に入りますね。

そのような手段でイスラエルが安定しますかね?
もしそうなら、なぜもっと早く安定させようとしなかったのでしょう?
そして、そのような手段で油田の採掘権を手に入れることがユダヤ財閥の利益になるのでしょうか?


200 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 08:33:01
>199
普通、我々大衆は平和で安定した社会を望みますが、世界支配を企てるユダヤ財閥に取っては平和と安定は憎むべき敵なのです。
何故なら、争いこそ自分達に富を運ぶ、守護神で有ると考えているからです。
その為に米国は世界に争いの火種を撒き散らしているのです。
悪を善と見せかける為に数十年の年月を費やして、この企みは大衆に気づかれず正義として遂行されます。
日本を手中に収める為に米国を支配するユダヤ財閥に創られた北朝鮮の体制と言って、お分かりに成りますか?
イラクは油田の採掘権だけではなく国の主権を米国を通じて今、ユダヤ財閥に奪われる寸前、仕上げの段階なのです。
米国の兵士はユダヤ財閥の代理でイラクに駐留しユダヤ財閥の支配を拒むイラク国民と戦っているのです。
日米安保条約は日本も米国を通じてユダヤ財閥の支配下に有る、つまり日本はユダヤ財閥の手中に収まっている、と言うことです。


201 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 08:35:47
トミスキだな

202 :189:2006/09/29(金) 23:18:34
>>200
>普通、我々大衆は平和で安定した社会を望みますが、世界支配を企てるユダヤ財閥に取っては平和と安定は憎むべき敵なのです。

世界支配を企てるものにとって、世界の安定が敵なんですか?
驚くべきご意見ですね。

自分が支配しようとしているものが安定していないとしたら、
それを支配することに何の価値があるのですか?

203 :考える名無しさん:2006/09/29(金) 23:45:18
>202
>自分が支配しようとしているものが安定していないとしたら、
>それを支配することに何の価値があるのですか?
自分が支配しようとしているものが平和で安定していたとしたら、どうやって相手を支配しますか?
我々の住まう資本主義社会は弱肉強食の社会で有り、決して民主主義と供合できる意識ではないのですよ。
ですから財閥が支配する米国は資本主義国を敵国と見なすことは有りません。
イラクに大量破壊兵器が無いのを知りながら、それが有ると難癖を付けイラクをメチャメチャに破壊した国は米国でしょう。
貴方の
>自分が支配しようとしているものが安定していないとしたら、
>それを支配することに何の価値があるのですか?
                      この言葉が正しいとお思いですか?








204 :189:2006/09/30(土) 00:13:11
>>203
>自分が支配しようとしているものが平和で安定していたとしたら、どうやって相手を支配しますか?

安定していないということは、支配に応じるものもあれば、応じないものもあり、
それらが、内部で相争っているということでしょう?

そのような相手を支配して、その相手からどうやって利益を得るのですか?
平和で安定している相手と通常の取引をして得られる利益よりも、そのような方法で得られる利益のほうが大きくなるとは思えません、
むしろ、支配を維持するために支出がかさむばかりという結果になるでしょう。

平和で安定している相手であれば、そもそも、支配などというコストのかかることをしなくても、
正当な取引をすることで利益を得られると思いますが。

205 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 10:06:36

>204
どうも、一般の商取引と勘違い成さっていませんか?
資本主義を押し付け財閥に絶対優位な社会を創る、と言う精神支配ですよ。
支配に応じるの、応じないもなく紛争を起こさせ何十年も時を費やして最後に国を支配するのです。
湾岸戦争の発端はクエートがイラクから地下を通じて盗油して米国に安値で売っていたのでイラクが国連に、その事を申し立てたのですが米国主導の国連は無視を続け結果、イラクがクエートに侵攻したのです。
当然、盗油で有ることを承知で買っていた米国が今度は正義を翳してイラクを乗っ取るチャンスを逃さず湾岸戦争を始めたのです。
日本は80億ドルを米国に差し出し、その穴埋めに3%の消費税が始まりましたね。
正当な取引など考える依りも、その国の主権を奪う為にイラクに大量破壊兵器が無いのを知りながら、それが有ると難癖を付けイラクをメチャメチャに破壊した国は米国でしょう。
当然、イラクの復興費用は原油と相殺し作られたプラントは資本をだした米国企業のもので独裁政治と言われたイラクは財閥に依る資本主義者の独裁政治に移行するのです。
人類史は全て貴方の仰る人の命など何とも思わない非合理的な権謀術数で突き動かされているのです。
本来、哲学は人類を支配する非合理的思想から脱却を促すために、道理にあかるいこと、を示す哲と言う理を目指すものですが、それに気付き哲学を志す人は現れません。
貴方のお考えは善意に基づく大変よい意識ですが残念ながら世界は大きな蒙昧主義に支配されています。
日本人の意識を米国に食い止める為に米国に依って創られた北朝鮮体制なども有ります。







206 :189:2006/09/30(土) 12:55:11
>>205
>どうも、一般の商取引と勘違い成さっていませんか?
「何を」ですか?

>資本主義を押し付け財閥に絶対優位な社会を創る、と言う精神支配ですよ。

>人類史は全て貴方の仰る人の命など何とも思わない非合理的な権謀術数で突き動かされているのです。
とりあえず、「私は」、「人の命など何とも思わない非合理的な権謀術数」なんてことは言っていませんが?

とりあえず、話を本筋に戻しませんか。

私の主張は、「善は強いのであり、悪は弱い」ということです。

特定の者に絶対優位な社会と、自由な競争が行われる社会では、
自由な競争が行われる社会の方がより多くの富を生み出し、
結果として、だれもがより多く儲かるのです。

そして、多くの富を生み出す経済のほうが、そうでない経済よりも強いのです。
ですから、資本主義において、自由競争は「善」とされ、
独占支配は「悪」とされるのです。
自由競争が行われる経済の方が強いからです。

207 :189:2006/09/30(土) 13:07:56
>>205
私が権謀術数について申し上げたのは、

>192 名前:189 投稿日:2006/09/25(月) 21:34:39
>国家の存続や利益を第一目的にするのであれば、権謀術数が必要なこともあります。
>それは国家を任された政治家に課された責務であって、
>最終的に国益にかなうのであれば、その政治家は(その国にとっては)善い政治家であって、
>つまり、自らの責務を正しく全うしようとしているわけで、
>一概に悪と決め付けることはできないのではないでしょうか?

ということで、逆に言えば、国益に適わないのであれば、それは「悪い」権謀術数ですし、
国益に適うとしても、別の国からみて、それがその国の国益を損なうのであれば、
その国にとっては「悪」なわけです。
私が申し上げたかったのは、「権謀術数」であるという理由だけで一概に悪とはいえない、
ということだけです。

あなたがおっしゃるような「陰謀」は、誰にどんな利益をもたらすのでしょうか?
それらは、陰謀のための陰謀に過ぎないように思います。
陰謀を行うこと、それ自体を目的とするのでない限り、誰にもなんの利益ももたらさないような気がします。
例えば、「ユダヤ財閥」がそのような陰謀を行うことで、費やしたコストを上回る利益を得られるとはとうてい思えません。
つまり、誰にとっても何のよいことも無いわけで、そのようなことを行うことは、彼ら自身にとっても悪いことおはずであり、
おそらく彼らの力は、それによって弱まるでしょう。



208 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 14:13:35
>206
自由の意識の差が私と貴方の間に壁を創ってると思います。
自由競争・自由経済で富を集める、と言うことは富を集められた者達が産まれることに成りますね。
個人に於いては富める者と毎日、額に汗して働いても食うのに一杯々な者、国単位では職もなく路上生活を強いられる者、富める者達が捨てたゴミを生活の糧とする者達もいます。
真の自由の意味は「他の全てに痛みを伴わぬ、思想および行動」で有り、富の独占に走るだけの自由競争は本当の自由から逸脱してると思います。
今、南米の10ヶ国の内、8ヶ国は弱者を顧みぬ米国の資本主義に反旗を掲げています。
権謀術数とは巧みに人をあざむくはかりごと、でユダヤ財閥が古くから用いる得意技なのです。
そのコストは全て、その国民の税と命に依って賄われ、日本でも自衛隊がイラクに赴くのにユダヤ財閥が費用の負担をすることは有りません。
世界の富の60%を世界人口の5%を満たない米国が握り、その中の60%をユダヤ財閥に握られ、世界に争いが起きない理由が有りません。
世界が100人の村だったら5人が60人分の弁当を独占して残りを強い者が取ったら弱い者達は食べれますか?
これが貴方の言う権謀術算で賄われている世界経済です。


209 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 14:16:49
中川八洋ってお前笑わせるのもいい加減にしろ。

210 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 14:47:21

読み覚えた自分の記憶を辿り、誰かと結びつける。
余り記憶に頼り過ぎると自分で考えることができなく成るよ。

211 :189:2006/09/30(土) 15:31:15
>>208
仮にそれらが事実だとして、私の、「善は強いのであり、悪は弱い」とうう主張とどんな関係がありますか?


212 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 16:03:38
強弱を争うのは理非の非の特徴で有り、本当の理に基づく善で有るなら強弱に関知しません。
理に裏打ちされた善で有るなら、勝敗・強弱を重んじるほど次元の低いものではない、と言うことです。
考え方は貴方と違いますが、別の意味で「善は強いのであり、悪は弱い」との主張は否定するものでは有りません。



213 :189:2006/09/30(土) 18:06:16
>>212
>強弱を争うのは理非の非の特徴で有り、本当の理に基づく善で有るなら強弱に関知しません。
本当に理に基づく善で有るのなら、つまり、強いということです。

>理に裏打ちされた善で有るなら、勝敗・強弱を重んじるほど次元の低いものではない、と言うことです。
「強弱を重んじるかどうか」は話題にしていません。
「話題にするのであれば、善は強い」ということを申し上げているだけです。

>考え方は貴方と違いますが、別の意味で「善は強いのであり、悪は弱い」との主張は否定するものでは有りません。
「考え方の違い」が具体的にどういう点なのかがよくわからないのですが?

214 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 19:55:26
>213
本当に理に基づく善で有るのなら、太陽と同じで悪を対象にしませんし悪の対象にも成らない、と言うことです。
同じ土俵で戦う善悪は双方、共に善を語る偽善と言うことです。
悪と偽善は善を憎み敵視しますが本当に理に基づく善で有るのなら、悪も偽善も対立の対象として捕らえることは有りません。
理の心とは物事の理を悟ることで得ることができますが、その心は全てに感謝し全てを思いやる心から育ちます。
その心が全ての対象に己の心を転写して考えますので人類社会の全てを見通す知能が育ちます。
何故、理に反する悪が生じたか、等の原因が分かれば悪を罰せず正す方法を見いだす智恵が産まれます。
以上が私と貴方の考え方の違いです。

215 :189:2006/09/30(土) 20:16:26
>>214
>本当に理に基づく善で有るのなら、太陽と同じで悪を対象にしませんし悪の対象にも成らない、と言うことです。
>同じ土俵で戦う善悪は双方、共に善を語る偽善と言うことです。

同じ土俵で評価しないのであれば、善悪の評価にどんな意味があるのでしょうか?
その理屈では、例えば、二つに分かれている道のどちらにいくかを選んだばあいは、
(二つの道を同じ土俵で比べたわけなので)どちらへ行っても偽善である、
ということですか?



216 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 21:07:04
理に基づく善、以外は、その思い(意識)の強弱は有っても一本の道なのです。
つまり、理に基づく善の道と理に基づかぬ善悪の道の二本の道、と言うことです。
理に基づかぬ道は物事の理非・是非・善悪の弁別の付かない一本の道に収まる、でお分かりですか?


217 :考える名無しさん:2006/09/30(土) 21:10:03
突き詰めると損得関係ではないでしょうか

218 :189:2006/09/30(土) 22:36:52
>>216
それで、その考えでは、
>二つに分かれている道のどちらにいくかを選んだばあいは、
理に基づく善に該当するのは、具体的にはどういう行動ですか?



219 :189:2006/09/30(土) 23:51:04
>>217
突き詰めなくても、善とは「得になること」で、
悪とは「損をすること」ですよ。

220 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 01:04:30
>218
行動は後から付いてきますので、意識の切り替えをすれば、それで全て達成します。
後で色々な質問が有ると思いますが一口にお伝えしますと人類社会の全ては非合理的思想の蒙昧主義に依って支配されていますが非合理的思想な故に物事の理を悟れず理に基づく善の心を得れない仕組みに成っています。
そこで長年、慣れ親しんできた自分の蒙昧的意識を合理的思惟のできる啓蒙に切り替えれば蒙昧に依って手隠されていた潜在知能が育ち本当の智恵を産みだせ人生の全てを楽しく送れる、と言う流れに成ります。
質問は明日、見ますね。おやすみ、


221 :189:2006/10/01(日) 01:13:27
>>220
>行動は後から付いてきますので、意識の切り替えをすれば、それで全て達成します。

そのことを、
>二つに分かれている道のどちらにいくかを選んだばあい
について、具体的に言うとどのようになりますか?


222 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 01:40:45
善と悪なんて片方がなければ意味のない言葉。
ただ自分もしくは国、団体の正当性を訴える為の手段。
かつてキリスト教が神の偉大さを示すために悪魔を作ったように。
悪がいなきゃ、正義のヒーローなんていらない。
じゃあ本当に正義のヒーローは善なのか?
建物をあっちこっち壊すのは悪を倒すためだからと許されると?
じゃあそこにいた人たちは?あそこに住んでいた人たちは?
悪を倒した、よっかったね。それで終わり。
まあ、子供向けの番組だからそれはそれでいいのだけれど。
でも現実はそうじゃない。
お互いに、自分は善だといい、相手が悪だという。
飽きるほどにやってきたのにいまだ決着がつかない宗教戦争。
なぜ気づかないのだろう。
善や悪なんてその集団をまとめるための口実に過ぎないのだということを。



     宇宙と人間の愚かさは無限である
     前者は断言できないが。
               アインシュタイン  

223 :189:2006/10/01(日) 01:56:56
>>222
>ただ自分もしくは国、団体の正当性を訴える為の手段。
なぜ、正当性を訴える必要があるのですか?


224 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 02:12:30
なぜ?
それは人が昔から行ってきた行為じゃないですか。
自分は正しいんだと。その正しい行為を正当化するために
悪を作った。北朝鮮とかそのいい例じゃないですか。
反日を煽り、今、自分たちが置かれている状況はすべて日本が、米が
悪いといい、それで政権を保っている。
今ある宗教だって同じ。
悪魔だの魔だのいって不安を煽る。
そして、それらから身を守るために自分たちの神を信じさせる。
それが宗教における正当性というもの。

225 :189:2006/10/01(日) 02:24:09
>>224
つまり、自分の身を守ることが目的なのですか?


226 :222:2006/10/01(日) 02:36:36
>つまり、自分の身を守ることが目的なのですか?
極論を言えばそうなりますね。
善だの悪だのそんなことばっかり言っているから
いつまっでたっても争いが終わらない。

227 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 10:02:08
>218
>二つに分かれている道のどちらにいくかを選んだばあい
>について、具体的に言うとどのようになりますか?
理の道を選ばなければ皆と同じに蒙昧のまま現状の延長で人生を過ごします。
理の道を選び道理にあかるく成れば知能が育ち、智恵を産みだせ人生に活用できます。
智恵や知能・知性などの土台は智・知ですが、これを辞書で索引すれば答えがでてきます。
広辞苑【智・知】ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。
是非・善悪を弁別する心の作用を会得すれば智恵を産みだせるが、そうで無ければ智恵を産みだせず無知蒙昧で有る、と言うことです。
人間、一番大事なことは「ものごとを理非に照らし是非・善悪を明確に弁別する心」を育てる事ですね。
その善悪を区別できぬから智恵が産みだせず、いつまっでたっても争いが終わらないのですよ。


228 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 10:34:09
北朝鮮問題を語るなら、もしも北朝鮮が普通の国だったら日本はどうで有ろうか、と考えれば正しい答えが見えますよ。

☆もしも北朝鮮が普通のくになら
@日本は湾岸戦争のとき米国に80億ドルの費用を拠出するだろうか?
A米国のイラク侵略に日本国民は自衛隊が出向くのを善かれと思うだろうか?
B米軍の日本駐留を認める者は今と同じだろうか?
Cその費用の負担を日本国民は税金で払うことを快く思うだろうか?
D米軍の莫大な移設維持費と移転費用を国民の借金として抱えることを許すだろうか?
以上を踏まえて北朝鮮体制は誰の為に誰に依って経済制裁をされが誰が得する為に創られたのか賢く考えよう。
そして誰が一番、損をさせられているのか?

229 :189:2006/10/01(日) 10:38:13
>>226
>いつまっでたっても争いが終わらない。
それが、どうかしたのですか?

230 :189:2006/10/01(日) 10:42:11
>>227
それで、
>二つに分かれている道のどちらにいくかを選んだばあい
(この例の「道」は、たとえではなく本当に二本の分かれ道に差し掛かった場合の話です)
「理の道を選ぶ」なら、どのような行動をとればよいのですか?

具体的な行動としては、どうなるのか、説明してください。

231 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 11:57:01
物事の理非を悟り、是非・善悪を明確に弁別する心、を育てれば理の道を歩める。
と言うことは辞書を賢く見れば記されています。
尤も肝心な、これから先を記した書物は有りませんし、私もまだ些か未熟ですが御説明します。
人の心は蒙昧に捕らわれ自己愛を心の主とし結果、理を悟ることができず理の道を歩めない、と言うのが概要です。
で有るならば自分の智を望む核となる良心を使い、自己愛と相反する人間愛を育てる事で自分の心を自己愛から人間愛に入れ替えをすれば必然的に物事の理非を悟れ、是非・善悪を弁別する心が養われ理の道を歩む流れに乗ることに成ります。
自己愛は自分に有益なものだけを愛し他は否定する、か関心を寄せない性質を持っています。
その狭い自己愛の枠を取り外せば人間愛に移行でき智恵の物事の理を悟り、適切に処理する能力、と言う理で有り智・知の恩恵を受ける事ができます。
次は、その方法ですが、全てと言う何も漏らさずと言う意味を念頭に次の言葉に添って自分で人類が創りだす事象の全てが見えるまで深く思惟を繰り返し心を熟成させて下さい。
【無数の確率を潜り抜け得た、己の命と関連の全てに深い思いやりと感謝の念を育てること】
全ての命の大切さと、対象の全てに自分の心を転写して思惟を深く繰り返せば全てに痛みを与えず適切に処理する方法(智恵)が産まれます。
【 】の言葉を念頭に日に僅かな時間を費やして思惟を深めれば一週間でその結果が現れ、貴方の幸転に周囲の人も驚きますよ。
全てと言う言葉の意味を忘れずに、、




232 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 13:01:04
不毛なレスの応酬が続いているな

233 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 16:03:41
>>232
君のレスが尤も不毛だよ、

234 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 21:24:03
「善悪とは何か」・・・それを問う意味とはなにか?
善悪に限らずあらゆる概念は人それぞれで異なる。
問うならこうだろう。「善悪とはどうあるべきか」

結論がでたところでスレ終了。みなさん新スレに移行して下さい。


235 :考える名無しさん:2006/12/04(月) 21:28:34
断る

236 :考える名無しさん:2006/12/05(火) 23:51:05
>>234「善悪とは何か」・・・それを問う意味とはなにか?
それは人が智の恵み、智恵を産みだす為に欠かせない行為だからです。
何の罪もない人を殺すのは悪で有る、と言った時に他の人が、いや人殺しは善で有ると異なる概念を示したらどう成りますか?
>問うならこうだろう。「善悪とはどうあるべきか」
でも、この言葉には善悪の統一した概念を模索する気持ちが隠っていますね。





237 :189:2006/12/06(水) 00:08:35
では智恵の意味はなんですか。

238 :考える名無しさん:2006/12/07(木) 02:44:09
>>237
>では智恵の意味はなんですか。
「智」を会得することで得られる「恵」みのことですが
智恵とは、物事の理を悟り、適切に処理する能力(心)のことです。
ついでに、
智・知=ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用
ですから人は物事の是非・善悪を弁別できなければ知能が育たず智恵を産みだせない心を持っているのです。
更に、ついでに、
物事の理を悟ればものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用が育ち、適切に処理する能力と言う智恵が産み出せる図式です。
更に、更に
人は誰でも考えることができ正誤に関わらず答をだすと、それが智恵だと思い込みますが智恵とは全くの別ものです。
適切に処理する能力の適切とは全てに痛みを与えぬ方法と言うことが条件ですので高度な知能が必要です。
しかし、その高度な知能を育てる要素は誰でも備えて産まれてきます。







239 :189:2006/12/07(木) 19:20:32
>>238
>「智」を会得することで得られる「恵」みのことですが
>智恵とは、物事の理を悟り、適切に処理する能力(心)のことです。

であれば、

>「善悪とは何か」・・・それを問う意味とはなにか?
の答えは、

 「善悪」というものが何であるのかを、人に聞いたり自分で考えたりすること

とならないと、おかしいのではないでしょうか?





240 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 00:04:54
>>239
>「善悪とは何か」・・
善悪とは、他人に問わず己の良心に従い判断することです。
>・それを問う意味とはなにか?
心の奥深く潜在する知能を呼び覚まし産みだされる智恵を人生に活用し自他共に楽しく暮らすためですが、
それ以外に多くの数え切れない得点が付いています。





241 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 10:28:32
彼の発言の駄目な点を明確に指摘できるかどうかで、最低限の論理性の有無が確認できる。
指摘できなければ、もう何も考えない方が良いだろう。

242 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 13:43:01
何をしていいのか、分からなくなった。
どうしよう。
ニチャンネラーなんて、俺も落ちたな。
もう、3年くらいなるかな。
皆さんはどう?何年?
こんな掲示板なんて見向きもしなかったこの俺が、今では
チャンねらー。でもチャンねらー用語は今の今まで使ったことがない。
それが、救いか。
初めて使ってみるか。
いややめておこう。
最初はこんな感じだったんだろう。それが、ずるずると。
用語は知ってても使っちゃいけない。。
二チャンネルを知ってはいたが、書き込んではいけなかったんだ。
ああ、懐かしいなあ。書き込むのさえためらっていた自分が。
度胸が必要だった。見ず知らずの人の返答が怖くて、むへんとうもまた怖くて。
今では対話というものなんて期待しなくなったし、
脳内の戯れとなってきてしまっている。
やばい。
抜けかけたんだが。
第一弾。

243 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 13:52:32
連続投稿規制は最初なかったんだが、あれも良くなかった。
書き込めるだけ書き込めたから、際限がなかった。
おかげで書き込みながら、さまざまなことを考えることも出来たんだが、
まともな考え方からは逸脱していた。
まさに、俺は自分の脳で遊んでいたといってもいい。
結局誰かが受け入れてくれたわけでもなかったので、軌道は戻ったと
思っているのだが、無視されたことは逆に今では感謝している。
俺の思考はとても哲学とはいえないとんでもない思考回路だった。
また、突拍子もないことを考え付くのが楽しくもあった。
しかし、当時は端から見れば目もうつろ、精神破壊者に見えたことだろう。
哲学という単語に強烈に惹かれたのは事実である。
哲学というものを知らぬままに哲学を放棄しようとしている。
あきらめのプロセスがあったわけだが、これもさまざまなスレを見ての
結果でもあるし、自分の思考の限界を感じた結果でもある。

第二談。

244 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 14:01:40
当初は下げ重視で書き込んでいた。他人様の目につくものだし、
自論が恥ずかしいという慎みでもあった。下げて書き込んでも
迷惑なものは迷惑と気づくのにずいぶんかかった。
そして、迷惑というよりもそのような書き込みはスルーされていること
にもそれから少し時間がかかった。
そして、ついに自分でスレを立ち上げるという展開に陥る。
いかんせん、この俺はとんでもないことを書き続けていたので、
削除依頼かなにかの圧力があったのだろう。すぐにスレそのものが
なくなった。
それが悪いことに機動力となってしまい、潰されては立ち上げるという
意固地になってしまって、さらにはまり込むことになった。
哲学が目標というより、千まで到達することが最大の目標となっていた。
あの当時は考えていると思って書きしたためていたのだが、
埋めることが目的にウエートを占めていたために短絡的、そして、
非常識、そして、書くまでもないことまで書き連ねた。
そのスレが潰されたのは言うまでもない。
潰されることが人の目に留まっている証拠と自分に力をもたせ
潰されることが張り合いにもなってしまっていた。

第三段。

245 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 14:11:47
書き込むと意外なほどに思考もさえてくるような錯覚に陥り、
私は脳のホルモン物質のためなのか、快感さえ得ていた。
思いつくことは何でも書き込みたい症候群になってしまっていた。
スレを立てることが出来なくなったシステムに苛立ちを感じ、
他のスレで書き込むことに快感を得なくなってしまっていた私は、
いつしか、スレを立てることの努力を失い、仕事の都合という外圧も
あってか、半年ほどは二チャンネルから遠のくこととなった。
今思えば、あの腹立たしい、書込み禁止や立ち上げ禁止は
私にとって良い方向に働いていた。
強制力や、拘束力は自由を奪うものではないと、知った。
不自由さが私にとって神の手のように私を助けたのだと、今は思う。
今私は神のような絶対主は信じていないのだが、
どうにも抗うことが出来ない力が神の力のようにも感じる。
それは人為的圧力や、自然現象ではあるのだが、その成り行きに
神秘的な合理性を感じる。

第4段。



246 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 14:23:36
どうも、我に返ると、自分は他人との会話を欲していたわけでもなさそうだった。
内心、返答を期待していたのだが、当の私は他人様の言うことには
うなづきはすれども、否定はしなかった。相槌を打っていたというほうが
しっくりくる。
しかし、たまにくる返答は私の行為を継続させる栄養源になったのは
事実だ。会話になっていたとは言いがたいものではあったが、たまには
心底話したこともある。私はその会話から相手の心中を察したつもりだ。
ただの文面でも私の脳裏には相手の姿がおぼろげに映し出されたものだ。
下げ重視で書いていたあのころ、私につっこみを入れてくれた人
ありがとう。もちろん上げの時熱烈に語り合った同志よ、ありがとう。
そのようなこともあったが、結局はほぼ、対話というものは成り立たなかった。
私は二チャンネルという世界と実世界との違いはあるのだろうかと、模索している。
現実でも対人関係は苦手ということは符合している。
ネット内でも如実にそれは現れてくるわけだ。ネットで孤立している人は
現実でも孤立している。本性はたとえネットであっても隠しきれないということだ。
私はうそはつけなかった。

第五段。

247 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 14:33:58
良好な対人関係を望んだことなんて、あったのだろうか。
私は馴れ合いで話すのは寒気がするほうで、反社会的な性向があるという
ことは、かなり幼少のころから自分でも理解していた。
さまざまなことに拒絶し、否定して成長してきたのだが、
どうしようもない現実という巨大な力がこの社会で生き蠢いている
ことに気づきだしたのは成人してしばらくしてからだろう。
若かりしころはプロレスラーにも勝てるという自尊心があった。
いつしか、勝てる自信が失われていって、それに反比例するかのごとく
現実の社会の止めようもない力を体感していった。
私は何でも出来る、という思考から、どうしようもならない、という
思考の変遷を今もって辿りつつあるわけだ。
私が哲学に諦めを感じつつあるのは、現実を肌で感じるようになって
きてからだろう。

第六段。

248 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 14:44:33
自分の力のふがいなさに、原因は社会のせいと被害者妄想を持ち続け
しまいには政治家の人間性を疑ってみたり、支持者をさげつらった目で
見るようになってしまった。政治が改革されない限り、世の中はよくならない
のだ、と。身の回りのほぼ全ての人の人格を疑った。なぜ、黙認していられる
のか、と。なぜ、直そうとしないのか、と。なぜ、危機を感じ取れないのだ、と。
しかし、ようやく、私も他人を容認できるようになってきた。
それもしかたのないことなのだ、と。私自身そうであったのだから。
最近は、あきらめに似た容認をしている。
私は一回り器が大きくなったのだろう。それに伴い、自分の力のなさを
身をもって体得している。

第七段。

249 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 14:46:29
私は環境のことに目を向けるようになった。
大きな力に。

250 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 15:19:05
>>247
一通り、読ませて戴きました。
反社会的な性向があるということは、正義感をお持ちだと言うことに繋がります。
>どうしようもない現実という巨大な力がこの社会で生き蠢いている
人類社会は力を崇拝し理に反する蒙昧に覆い尽くされております。
ですから巨大な力に対して力で対抗するのでは問題を解消することができません。
哲学は本来、その問題を消滅するために有りますので哲学の原点「道理にあかるいこと」
に立ち戻り再考をして下さい。
力に対処できるのは智恵しか有りません。
そして道理にあかるく成れば潜在する知能が目覚め、力が立ち向かうことのできない本物
の智恵を産みだすことができるのです。
しかも道理とは誰もが育てる素質を持って産まれてきますので諦めて放棄しない限りは
誰でも簡単に潜在する知能を使うことがでできるのです。

251 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 15:40:53
>>248
支配社会は、その頂点に財閥が鎮座し官僚を顎で使い、官僚が財閥の意とすることを政府与党に実行を命じる仕組みに成っています
ので我々大衆が選挙で一喜一優して投票するのは財閥の従者を選ぶ祭りにすぎません。
なぜ、我々大衆が危機を感じ取れないのだ、との訳は大衆が考えることを諦めてしまったからに過ぎません。
>>249
環境だけでは片手落ちですので戦争や貧困・飢餓・犯罪・自殺・未来など、全てに目を向けて生きることが人間の使命です。


252 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 16:40:03
もう少し書き込みしたかったのですが、状況が許さなくなってしまい
頓挫しかけました。
潜在能力。私もその隠された能力を引き出すために努力したものです。
時間とお金もかけました。結果は驚異的な能力は見出せませんでしたね。
能力があるのかすら、自信をもてなくなりました。
あの時分私は超越的な力を信じてやみませんでした。あまりにも
現実と乖離していた希望があったのでしょう。いつしか、
あるもので間に合わせようという考えに転換していきました。
ないものねだりはしないようになったわけです。
良く言えば、ある能力を伸ばしていこうという現実的な思考回路に
なったわけです。超常現象のようなものに多大な期待を持つことは
なくなりました。社会に対して私の力が微力だということを
痛感しております。もっとも、私は社会の勢力に交じり合おうとは
しませんし、勢力となろうとも思いませんし、戦うこともありません。
現在の私はただ、傍観しているだけであります。
利にかなうこともかなわないことも。説き伏せることが徒労に終わる
ことを理解してきたからです。自然の成り行きに任せるほかない、
ということを身をもって知ったからです。
私の考えですが、道理を知ってくれない人たちはどこにでもいるし、
おそらく一生知らない人もいると思います。
当の私も道理が一個人のものではないのかという疑問は常にあります。
私は正しい道をひたすら歩みたいわけなのですが、
その道を曲げて生きていかなくてはならない現実とに憤りを
感じますし、自分もまた説き伏せていかなければならない、
反道理な生き方に悩むしだいであります。

第8弾。

253 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 16:55:57
書きながら考えているのでまとまりはありません。いつものことです。
どうかお許しを。
支配社会が形成されていることは認識できます。しかし、支配する側に
立つことがないので発言力がありません。支配する側、支配される側、
両者が成立しているのでしょうか。私には支配する側も、支配されて
いるように思います。どんな王様も支配されているわけです。
支配される側に支配されているわけです。どんな言葉があるでしょうか。
思い浮かびません。たとえば、恐怖、依存心、執着心、それもこれも
従者がいるからこそであって、多数であればあるほどにプレッシャー
となりうると思います。
ですから、私は他人様の支配者になってみたいとは思いませんし、
ましてや、従者にも本当はなりたくないのです。
私が従者になることで支配者に見えないプレッシャーをかける
一員となってしまうのなら。
私の理想はそういう主従関係というのは幻ではないかと思っている
所存であります。私たちはその幻に惑わされ、自らを自ら
格付けしているのではないかと思っております。
 
第9段。

254 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 17:12:29
環境のことを考えるようになったのは恥ずかしながらここ数年の
ことでありまして、以前は全く眼中にありませんでした。
私は自分中心であったわけです。
環境問題にはまってむしろ、周りが見えなくなってしまったことは
認めています。なぜゴミが落ちているのだ、と怒り心頭のとき
私はなぜそこにゴミがある理由を深く考えることもなしに、
誰とも知らぬ他人にその怒りの矛先を向けておりました。
そのゴミは故意に置かれたものとは限らないのに。
灯台元暗しなわけです。邪推は自分を醜くします。
ゴミを自分で拾えば済むことなのに見逃してしまう自分は
我ながら呆れてもいます。有言実行よりも無言実行の方がいい。
そして、最近は大きな問題が浮かび上がってきた。
私一人ががんばったところで環境という偉大なものに対して
どれほどの影響があるというのか。
私は環境にのめりこんだのは単に快感を得ていたからではないのか?
環境破壊するものに対して敵対視したかっただけではないのか。
敵を作りたかっただけではないのか。
私はほそぼそと対処していくことに決めた。自分の出来るだけのことを
ひけらかすことなく、他人様もそれ相応の理由をもって行動して
いるわけだから。いずれ、私が正しければみながそのようになるで
あろうし、結果は急がない。
環境問題は幅広く、危険なテーマである。

第10談



255 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 17:24:35
テーマは限りなくあるわけでして、
戦争にいたっても、自国を救うためならと肯定してはばからない
人々はいるでしょう。それを否定することなど出来ないということも
分かります。道徳上の問題から、死後の世界の議論に飛躍してしまったり
することもあるでしょう。こうなると、収束なんてつきはしない。
私はそう思っています。
持論は私も含めなかなか崩壊しないものです。崩壊すればあっという間
なのですが、それも成り行きで知るすべもありません。
死ぬまで持論を崩さなかった人はそれはそれで幸せだったと思います。
いつしか、戦争を肯定してしまうかもしれません。そのときは
それが善と確信してのことでしょう。
私は自分の心の行き末もしることが出来ないのです。
善をとうても将来の自分はそれを悪と感じているかもしれません。
私はその時後悔するでしょう。悪を説いて回っていたことに。

第11段。

256 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 17:33:52
貧困なものに手を差し伸べるのが善なのか。私には決定付けられません。
さまざまなことが推測できるからです。
犯罪。環境が悪かったのかもしれません。
自殺。本人にとっては最後の手段で、その手段がなかったら
この世はまさに地獄なのかもしれません。
未来。未来を見続けるばかりに不安が増大しております。
どうも、病的です。
最後に
サンキュー。
私はドロップします。

257 :考える名無しさん:2006/12/08(金) 18:04:45
>>256
テーマ=人の心が産みだす問題です。
ですから心の使い方を正せば問題は全て解消します。
その方法は至って簡単です。
私は未来に素晴らしい人類社会が産まれると予測しています。


258 :189:2006/12/08(金) 19:22:20
>>240
はい、仮に、そうだとすると、
>>239
に対するあなたの回答はどうなるのでしょうか?

259 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 15:30:20
>>258
>>239
>「善悪」というものが何であるのかを、人に聞いたり自分で考えたりすること
>とならないと、おかしいのではないでしょうか?
に付いてのことでしょうか?
ここで>善悪とは、他人に問わず己の良心に従い判断することです。 と申し上げたのは
人がすべからく良心に基づく善悪の判断をしてるとは限りません。
往々にして人は良心ではなく、利害や世間に合わせ善悪の基準は揺れ動きます。
つまり時と場合でコロコロ変わる思い込みの善悪では善悪の判断はできません。
信頼のおける自分の良心を磨き、それに従い善悪を弁別する心を育てることが知能の
発育に繋がり、智恵を産みだせるのです。
人の言うことを鵜呑みにせず、常に自分の良心に従い、是非・善悪を弁別することが肝要です。
貴方の問いの内容にそぐわなければ再度、質問を明記してお願いします。




260 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 15:51:13
生命はなぜ存在しているのか。その問題に突き当たってしまうことが
あります。生命にはそれ相応の役割があると思っています。
それは生命である以上全てが課せられているものであって、
考えたり、実感せずとも自動に成し遂げられているものなのでしょう。
動物は植物のために派生したものであるし、植物は、何のためでしょうか。
光合成をするためなのでしょう。
生命は消化管にすぎないのですが、この消化という作用は
フィルターをかけている現象ということになります。
私たち人間の文化活動もまさしく、消化活動に相当しており、
体外でさまざまな構築物や物品として排出しているわけです。
私たちは生産することを課せられてこの世に存在しているわけです。
ここで私が書き込みしているのも生産なのです。
食糧をエネルギーとして消費していますが、それも裏を返せば生産なのです。
私は最近は欲望が人にとって悪に働くと思っていたのが、それが実は
善の方向に働くものではないのか、と感じております。
欲深いものほど、利にかなっている、と。

あなかしこ。1

261 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 16:18:53
思うに欲深い人には人がおのずと寄ってきますし、活き活きと活動しています。
強欲が犯罪を引き起こしますが、それはコントロールを失ってしまったから
でしょう。欲望を消滅させてしまうことはできませんし、しなくてもよい
ことです。欲望のメカニズムを理解すれば暴走はしませんし、周囲も
分かち合うことができるのでしょう。
私たちは生まれでたその時から欲望が備わっているわけですが、
それはその欲望を達成するのがいわば使命であり、自然の成り行きであり、
それがなくては存在もできないわけです。
生命は欲望が無機物より多く持っているわけで、植物は光を取り入れ
動物は植物を取り入れ、動物が動物を取り入れ、何億年と食物連鎖を
してきたわけです。私にはその食物連鎖が浄化作用のようなイメージで
受け止めています。何のためにその作用があるのか、わかるすべも
ありませんが、巣作りや本を読んだり何かを思ったりするのも
消化し、浄化し、生産することに他なりません。
年を経るごとに理路整然としてくるとは思うのですが、それも脳の
内部でその作用が行われてきた結果でしょう。私たちは世代を重ねて
その使命を全うするべく立場にあるのでしょう。
私たちは歯車のひとつなのです。

とんでも。2



262 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 16:29:27
私たち人間の文化的活動が地球にとって善の方向に働いているのか、
という疑問があるところですが、ちょっと、
犯罪というものを見てみますと犯罪は暴走が原因です。
私たちは暴走していないか、と少し心配です。
欲望を認識し、何のために欲望があるのか知らないからでしょう。
私が心配なのは人間が地球規模で犯罪を犯してしまうのではないか、
ということです。
犯罪が善か悪かを深く考える必要はあるのでしょうか。
私たちは地球規模で自分が何をしているのか考えなくてはならない、
そう思っています。今更、殺人はいけないことか、と考えている猶予は
ないように思えます。

3.

263 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 16:46:03
これよしとしてしてあげたことが、裏目に出るときはあります。
補助しないほうが良いことだってあります。
しかし、そういうことはどうにもならないことで、まさに賭けと同様です。
どっちに転んだっていいわけなのです。イラクに自衛隊が行くのは
良いことか悪いことかなんていうことはどうにでも取れることなのです。
もちろん、議論は大切ですし、慎重に決議しなくてはなりません。
しかし、鼻からその議論はまとまりがつくものではないという、先見が
必要です。時間がロスするだけであります。それはそれで人間の本性で
自然なのですが、結局何も生み出せなかったという結果が導き出されます。
むしろ目を向けたいことはその行為がどれほどの環境変化をもたらすのか、
ということなのです。
一人一人の命が大切なのは分かります。しかし、その議論に固執していると
シーソーゲームになります。日本人は日本の受益ばかり考えている場合では
ないでしょう。その展開は結末が見出せなくなることは哲学者のみなさんは
すぐに分かることなのでしょうね。

4;

264 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 16:58:02
疑問なこと。数億年のしくみは絶対としてよいのか、どうか。
数億年よしとされてきたことはいつまでよいことなのか。
私はどれほど先を見据えて生きていったらいいのか、分からないのであります。
ひ孫の代まで見ておけばいいのか、それとも3年くらいを重視すればいいのか、
明日なのか、全く、分かりません。もちろん、近未来ほど重要視されることは
分かっていますが、明日のことばかり考えて、3年が経過したとき
何でもっと長いスパンでものを考えなかったんだ、と後悔するかもしれません。
自分の生きている間だけ考えていればいいように思いますが、
いつまで生きているものやら分からないわけであります。
未来に対して不安であることは認めます。どのような境遇であるのか
予測できないからです。闇に対する不安といってもいいでしょう。
心構えも持ちようがありません。




265 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 17:10:28
私たちって極小のものや、極大なものは知ることができません。
物的なものも言語的なものも。
なぜ、と突き詰めていっても分からないことだし、
善は?と大きく捕らえようとしても分からないことです。
それは、原子を知れないこと、宇宙をしれないことと同様です。
スケールを度外視した理解はできないわけです。
私の細胞一つ一つが私全体を知っていたら大変なことですし、
私がこと細かくしっていたらこれまた大変なことです。
理解ということはどういうことでしょうか。
私はあなたを理解しています。一方的に理解しています。
でも、あなたは私を理解していません。そんな構図が成り立つのであろうか。

スピードダウン6

266 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 17:19:28
私たちはなぜ存在しているのか、これを知るにはスケールを
自分にあわせるしかありません。
そして、それ以上のことは分かることがありません。
時代もまた、適度なスパンで考えざるを得ません。
せめて、生存中に出会った人たちの存命期間くらいでしょうか。
時代を考えていくには対数で表したほうが分かりやすいと、見ました。
恐竜の時代があったことは分かりますが、時代をおおまかにくくって
細部までは見ません。未来にいたっても同じことです。何百年も先のこと
なんて視野に入れる必要はありません。



267 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 17:27:43
ここにいたって
一致団結したい症候群になってしまったようです。
もう、部分部分の争いはたくさんです。
ああ、みながみなの利益を考えるようになってくれたら、。
俺は虫を殺すにも
一瞬躊躇してしまうようになったよ。
別にそうなれといってる訳でもないし、俺が偉いわけでも決してない。
家族を殺されても許してあげたい、そんな気分だ。
腹を刺されても仕方のないやつだなお前は、と撫ぜてあげたい、そんな気分だ。


8番。終。

268 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 17:48:26
>>260>>264
>欲深いものほど、利にかなっている、と。
言い替えれば、 欲深いものほど、理に叶わぬ、と言うことです。
話しの内容を精査すると、人は欲望が無ければ生きていけない、
と言う思い込みと諦めに捕らわれた発言ですね。




269 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 10:02:35
利と理を漢字間違えてしまったようです。
思い込みに関しては少しいっておきたいところです。


270 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 11:14:57
男と女は性質が違うな。遺伝上もそうなのだろう。
人間とはいえ、まるで違う人種のようにも思う。
年代が違えば、性質も違っていますね。
それもまた、まるで違う人種のようにも思う。
私たちは人間というと、まるで違うような人々もいっしょくたに
人間と総称している。
そこに本質的な問題が生じて、そのことを把握、前提としていないと
際限ないくらい、応酬は続くというわけであります。
この掲示板も不特定多数の人種の方々が集結しているので、
まとめあげることには非常に多難な苦労と歳月を要することでしょう。
数十年ともに暮らした夫婦でも、親子でも思想の違いは
埋まりきることはなく、反って溝は深まっていくこともあります。

第1回

271 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 11:37:10
道理にかなっていないということの、例を挙げてみたいのですが、
例が思い浮かばないのです。
道理にかなっていないということは実際あるのでしょうか。
数式のように答えがマッチしていないという例はあるとは
思うのですが、そのような答えの間違いが道理にかなっていない
ということなのでしょうか。
これ以上は言葉遊び、あやになってしまう感じがしますので
やめますが、
その導き出す道程は道理にかなっているのです。
物理現象によって定まっているのですが決定はしておりません。
道理にかなっているということは原則にしたがっていると
言うことなのでしょうが、原則が一つ一つの原子から(もっと小さいものまで)
人のような一物体に至るまで成り立っていることで
それが複雑さを無限大に大きくしてしまうというわけなのです。
原則とは、しかし、どういうものなのでしょうか。
素粒子が何秒後にそちらへ動くということが理解できたとして
それが集合になると決定づけられるはずはないことであり
決定できないということは決定していないということと
同様なのです。

集中できない2回。

272 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 11:48:48
私たちの意識が派生している理屈も道理にかなっていることなの
ですが、なぜ派生するのかまでは分かることではありません。
それは金属中の電子が動くことは分かりはすれども
こと細かく一つ一つを把握することはできないことと同じです。
私たちが意識はあるのか、実体がないのかを問い考えるのは
意識の派生の原因を知ることができない、このことから
実体がないという考え方も出てくるのです。
あるとしても、正しいし、ないとしても正しい。

だめだめな3.


273 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 11:57:44
思い込みは個々の道筋に通った結果なわけですが、
それに対して正誤は当てはめることができないわけです。
正誤は答えが決定している数学上のことでありまして、
数学の答えというものはその道筋を決定させた枠にはめる
ことなのであり、
正誤というものは枠にはめ込むということなのです。
いわば、強制的に轍を通過させようということであり、
轍を避けて通っても構わないわけです。
あなたが他人に間違いを訂正しようとしている場合、
まさに自分の枠にはめ込みたい願望からきます。



274 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 12:41:32
人は思想や考え方が人それぞれだということをかなり幼いころから
知っています。ですから、これは自分のもの、他人のものという
区別もつきますし、自分と他人の区別もつきます。
考えてみれば、人間はどうして話し合ったりするのでしょう。
他人と自分の区別がついていれば、自分が染まるか、相手が
自分に染まるかのどちらかですし、自分が染まってしまうことは
ないことなのです。区別がつかなくなるからです。
そうすれば全く意味のないことですが、実は隠れた目的は
自分を作り上げていこうという欲求のなせる業なのです。
議論するのは相手を自分に導くのではなく、議論から新しい
発見をし、身に付けていく手段なのです。
相手を言い負かそうという欲求は仕方のない本性なのです。
この欲求は自然に何気なく働くものですが、勝ちたいという欲求は
自らを構築させていきたい欲求からくるものであるということに
私も気づきませんでした。

今更5

275 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 13:06:14
斯く言う私は、メモ帳に記しておけばいいものを、ここに記載するのは
まさしく、私自身その欲求のとらわれになっているからなのでしょう。
生きているとはどういうことなのでしょうか。
脳死状態では肉体は保持させることができたとしても、彼彼女は
生きてはいません。
肉の中の細菌などは生きていたとしても肉は生きているとは言いません。
木は生えていれば生きていますが、木材になってしまってからは
生きているとは言いません。
反面、私の肉体の中ではさまざまな生きているものがいるわけです。
私が死んでしまっても私の肉体の生命郡はすぐさま死なないわけです。
脳死の生死を問うのは家族の願望に過ぎません。肉塊であり、人形なのです。
確かに肉体内では生きています、しかし、もうその人物は死んでいるのです。
人間としての欲求はなくても存続はできますが、人は存続できません。
よく、月が出ていなければ月はない、とするとありましたが、
人間もそうなのです。意思表示がなくなってしまえば
隠れた月と同じ、もう死んでしまったとしか言いようがないのです。
月は周期的に現れますから引き合いに出せないのですが、
月が出てくることを期待するのが、遺族の感情と似ています。



276 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 13:26:50
オウムの元教祖などは人間としては半分死んでいる状態ですね。
半分というのはオーバーですかね。
さて、石つぶては生きているのか死んでいるのかと問えば
どう応えますか?2者択一です。
石としては生きているのです。生死とはこんなものです。
人間が石と認識するかどうかは関係ないところです。
ですから、この世には生きているものの内に生きているもの、
あるいは死んでいるもの、死んでいるものの中に生きているもの、
あるいは死んでいるもの、が際限なく存在しているわけであり、
判断するのはその人任せになってしまうわけです。
概念上に分類しているような感覚ですが、その物自体は
あるものはあるのです。
人間がそのものの内の性質を見出せたか、いなかにかかっています。

疲労披露7

277 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 16:22:25
何ヶ月ぶりにか、さげで書こう。
景気。
景気についてちょっと知りたいんだが、
誰か考察してくれないだろうか。
頭が、割れそう。

278 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 16:41:32
仕事がなくては時間をもてあそぶ。
人間から仕事をとったら存在価値はあるのだろうか。
皆無にはならずとも下がるのであろう。
人間は仕事をするために機械や装置を作った。
その発展形が遊具だったり移動手段だったりするのだが、
機械は本来仕事の補助だったはずである。
ああ、
機械は便利で離れ業をするものだが、
人間の役割である仕事が減ってしまった。
人間が景気で浮かれたりするのは本性ではあるが、
この時代、
景気景況上昇が人間としての価値を下げることに拍車をかけるだろう。
人間は自らの手で自らの首を絞めているのだ。
大量廉価販売、めまぐるしく回せば回すほど、スピードは上がる。
存在価値が上がっていくのは専ら機械のほうである。
それもそのはず、機械は人の何倍も仕事をこなすからである。
こうして、不要の烙印を押される人々は今後ますます増えるだろう。

279 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 16:53:34
景気というものは実体がないもので、指標のようなものだろう。
こちとら、田舎者ですが、好景気は微塵も感じられませんよ。
もっとも、好景気を実感したとしてもそれに踊らされたくはありませんが。
仕事がある、物が売れるということは人々の欲求がなすことです。
人は何かをほしいと思うのが自然であり、また、そのような欲求は
お互いに欠かすことのできないものなのですが、
私たちはあまりにも便利に手軽に簡単に手に入れることを望みすぎ、
そしてまた与えることを望みすぎました。
このままですと、地球環境の悪化はもとより、私たち自身の
価値も目減りしてしまいます。
しかし、私にはその流れが緩和されたり止まってしまうことは
難しいと思っています。
金銭という交換様式がもたらした結果でしょう。
金銭という交換手段も機械と同じく便利、手軽、簡単、そのようなニーズで
必然的に生まれたものでしょう。私は金銭の蔓延が機械生産と同じように
人間の価値をさげてしまう一員となるものだと思っています。


280 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 17:08:13
日本人は物的欲求が強いのか、方々から物が入り込んできます。
物資がそれほどない日本は技術を売りにしていたりするわけなのですが、
技術がすなわち機械化への技術になってしまったので、職人の技術は
下がり、設計技術等の方面へ重心が偏っていったわけです。
設計等の技術は職人の人口と比して少なくて済むものです。
頭脳偏重になっていて、労力が莫大にあまっていく末路なのです。
一生懸命仕事して、安く、たくさん仕事をしても
それは機械を駆使してなされるものですから、私たちは物凄い回転で
物質、仕事量をしているわけです。
これから、経済重視社会の日本はさらに加速度をつけて仕事量の
絶対値を上げていくのでしょうか。
その前に失速すると、見ています。
私たちの物的欲求もその大量生産には着いてゆけなくなるでしょう。
そのころには大量の不要物があふれかえっていることでしょう。
それも、お金のなせる業です。貸借があまりにも簡便になりすぎた結果です。


281 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 17:19:12
私たちは欲求は減らすだけが能ではないし、やはり、必要なものです。
他人に対して望むことをなくしてしまってはお互いに良くありません。
欲求を満たすための手段を変えていけばいいことなのです。
お金の蔓延で私たちの他人の仕事に対する気持ちが薄らぎました。
仕事が他人様のなせる業ということを忘れかけさせます。
仕事にありがたみを感じず、お金にありがたみを感じてしまいます。

この流れに乗るしか、今のところ生活できません。
私は奇麗事をいっても、守銭奴に成り下がって生きていかなくては
ならないのです。ただし、私はほしいものがありはすれども、
金を欲しいということではないのです。

282 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 17:32:29
この世は均衡を保ち続けます。
もちろん現在も保っています。
しかし、均衡が保たれるように物事が運ばれるから、
夢物語はありえず、
やがて、
人間社会の終焉という形でバランスを保ちます。
破局というのは人間社会の限られた中でのことであって、
地球という規模ではそれは至極当然、破局ではなくあくまでも
摂理、 なのです。

おーわーり。
ほんと、世の中変わってくれないかなー、としみじみ思う。

283 :189:2006/12/11(月) 21:07:46
>>259
>貴方の問いの内容にそぐわなければ再度、質問を明記してお願いします。

では、再度、質問を明記します。

>>238
>「智」を会得することで得られる「恵」みのことですが
>智恵とは、物事の理を悟り、適切に処理する能力(心)のことです。

であれば、

>「善悪とは何か」・・・それを問う意味とはなにか?
の答えは、

 「善悪」というものが何であるのかを、人に聞いたり自分で考えたりすること

とならないと、おかしいのではないでしょうか?

※私がお答えいただきたいのは、あなたの考えでは、「おかしい」「おかしくはない」のいずれとなるかです。
  この点をまず、明確にお答えください。

284 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 23:06:24
>>283
私の答え方が悪かったのでしょう。
是非・善悪や理非を明確に弁別する心を育てると物事の理を悟る、ことに成ります。
他のことは人に聞いて知る、のに弊害は在りませんが善悪を弁別する心は人の心の核に触れるものですので自分で見極める心が必用です。
是非・善悪や理非は沢山、有りますしその都度、他人に伺いをたてる、と言うことも叶いません。
また、他人の判断が正しいのか否か、を判断する心が聴き手自身に必要ですね。
>「善悪」というものが何であるのかを、人に聞いたり自分で考えたりすること
とは成らないのですね。
ですが「是非・善悪や理非を明確に弁別する心」=を育てたいので=「物事の理を悟る」方法を知りたい、と言うのは別の話で無害です。






285 :189:2006/12/11(月) 23:08:51
>>284
仮にそのとおりだとすると、

>>283
の答えは、「おかしい」「おかしくはない」のいずれとなるのでしょうか?



286 :考える名無しさん:2006/12/11(月) 23:36:59
>>284の頭がおかしいのは確かだが・・・

287 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 12:18:09
さて、もう飽きてきた感がありますが、哲学とは恐ろしいものです。
私は人の持つ本性の一つである、思考ゲームにどっぷりはまりかけています。

もう、距離をおきたい。。。

さて、時間について考えていきましょう。
景気の話はもうやめます。私の言いたいところは景気の幻に惑わされない
ように、ということだけでした。
何千年と続いてきた貨幣経済が一転するのは考えにくいことであります。
インフレやデフレになっても、再復活するのが関の山でしょう。
物は使いようなのです。貨幣の持つ意味を忘れない限り、
貨幣制度はこの上なく便利なものです。私としては貨幣は日本全国共通と
いうことが、よろしない。と思っている。
日本紙幣ではなく、地域紙幣と転換していけば、貨幣にまつわる問題も
解消されるでしょう。
為替が面倒になりますが、貨幣というものは地場で流通するのが
最もいいし、地域の特色も活かせてくるものです。
貨幣が広く流通することによって労働力を軽んじる傾向が出てきます。
最も危険極まりないことは、
物的な貨幣を持たずして、カードのような決済が一番の危惧です。
金銭をデータでのみやり取りするようになれば、負の影響のほうが
大きく、私には想像できない結果が待ち受けていることでしょう。
データにすることで、共通の単価が使われるからです。
それは日本紙幣の害を超越した、便利性からくる、手痛いしっぺ返しなのです。
物質とはそれほど、価値あるものなのです。

えーと。1

288 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 12:50:27
上から物を離すと下へ落下します。
時間もこれと同じです。
起点から終点へ向かおうとする力が働いているのです。
私たちの一生がそのほんの一部分であることは誰しもが感じることで
ありましょう。
私たちは一体全体何をしているのでしょうか。
時間の流れの一部分にいる。それだけであり、それ以上でもそれ以下でも
ありません。
落下する物体はどういう経路を辿りどういう速度で動くのでしょう。
それは物体の周囲の密度や重力によって左右されます。
このことは時間における私たちの人生においても当てはまることなのです。
私たちは自由な意志はあります。しかし、万事が思惑通りにいかないことは
小学生でも知っていることでしょう。
これはどういうことなのかというと、例えば、動きに関してですが、
手を上げようとしたとき手は上げられますが、これは手を上げられるだけの
スペースがそこに空いていたからなのです。
私たちの意志の完遂はこのようにそこにジャストで空きがあったからなのです。
もちろん、空きがなければ、叶わぬ夢となるのです。
これは物的な事柄だけではなく、気持ちの伝達など、全ての事柄に
当てはまることなのです。私の意志が伝わるのは相手方のある部分が
空いていてそこにうまくはまったという具合に。
宝くじは誰かに必ず当りますが、当選者はその空隙にミートした。という具合に。
時間の流れの中で私たちは周囲に影響を受けながら、必ずその空隙間を
埋めるように生き、自分の意思に合致したときは喜び、
うまく事が運ばなければ悲しんだりしているのです。

うーん。2

289 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 13:04:40
自由な意思といいますと問題があるのかもしれません。
しかし、ここで自由な意思を述べてみたいと思います。
自由な意思というのは自発で出てくることを言うのでしょうが、
自発というのは本来はおかしなことなのです。
私たちには次々と思いが巡ってくるものと確信していますが、
その思いという最も重要な部分は私にはコントロールは出来ないわけです。
私は次にこれを思ってみようという、計画は立てられることはありません。
私たちは考えるということをあたかも根本の自分がなす業と思いがちでは
あるのでしょうが、実は私の意識はその思考を、傍観しているだけなのです。
傍観しているだけなのですが、主体と同調してしまうので、
私が考えている、と、思ってしまうのです。
本当の私というものは、ただ、傍観しているだけなのです。
自由な意思を感じるのも同調のなせる業です。
さて、問題です。
あなたは次に何を考えるでしょう。

え・?3

290 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 13:19:25
人は芯の奥ではみな平等なのです。
善悪において、裁かれたり称えられたりするものですが、
悪人というものと善人というものの違いは心底ではないのです。
傍観しているだけのものは本来は善悪など、ないのです。
人はその時々によって様々な種類の善、悪に同調しそして、
それが自分の善、悪と、それが自分の意思だと思ってしまうものですが、
本来は、空白、です。手を動かせるのが、空きがあるのというのと
同様に、意思もまた、空白に入り込んでくるのです。
私たちが自発で作り出している意思は、ありません。
しかし、その滑り込んでくる意思を自由な意思と呼んでも差し支えないわけです。
私たちはそれで、自由感を感じる事が出来るのですから。

空白とはなんぞや。4

291 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 14:30:00
>「善悪とは何か」・・・それを問う意味とはなにか?
の答えは、
 「善悪」というものが何であるのかを、人に聞いたり自分で考えたりすること
とならないと、おかしいのではないでしょうか?
※私がお答えいただきたいのは、あなたの考えでは、「おかしい」「おかしくはない」のいずれとなるかです。
  この点をまず、明確にお答えください。
貴方の言われることは=「善悪とは何か」それを問う意味とはなにか=「善悪」というものが何であるのかを、
人に聞いたり自分で考えたりすること。
問う意味とは目的と言う答を指します、が次に問うことが目的として記述して有りますので文章に誤りが有ります。
「善悪」というものが何であるのかを、人に聞いたり自分で考えたりすること。と成るのが「おかしい」ので
別の答がでることは「おかしくはない」のでは無く、当然のことです。


292 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 14:48:30
291以外の人に聞きたいんだが、
291、何を言ってるか意味分かる人いますか?

当然のことです。ここいら辺だけ分かった。
解決したようです。良かったですね。

293 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 14:54:59
もう、なるように、なれ。ですよ。
きっと、それは自分にとって最善な道なのだろうから。
私は自分を信じますよ。私が選んだことだ。
悪あがきしないことを決めたことも。
明日は明るい。
闇が続いたことは今までなかった。
きっと、開ける。
どうにか、なる。
なったときに対処してやろう。今悩んでもどうしようもない。


294 :291:2006/12/12(火) 15:00:21
>>292・ゴメン、>>291>>285さん宛です。

295 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 15:11:59
私は何かアクションを起こしたほうがいいんだろうか。
私は意に反したことは、できない。
できないと決め付けている自分から、抜け出せない。
正直でありたいと、いつも思っている自分を諭しきれない。
現実は、そのまっすぐな道を湾曲させてしまうだろう。
私はそうして、いやいや、生きていってしまうのだろう。
私の希望する道が空いていなかった。
それだけのことだ。
私は特段他人を押しのけて生きていこうとは思っていないのに、
やはり、夢は夢のまま終わるのだろうか。

無情。5

296 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 15:17:54
空白というものは感じ取ることは出来ないのですよ。
すかさず、入り込んでしまうものですから。
しかし、空白はあるのです。
空白を見つけようとしたその瞬間には既に、
入り込んでしまっているものがあって、
私たちはその入り込んでしまったものを見てしまうのです。

これが、時間の正体です。

盲点。6

297 :考える名無しさん:2006/12/12(火) 22:21:03
善悪というのは、混ざりあったものではっきり内容に違いは感じられません。
狭い範囲で時間や対象それを判断する人の主観によりグレーのものが白や黒になるだけであって判断する人や時間が変われば白黒も逆転する物かと・・・
また白黒の境界線はほとんどなく、表から見る人と裏から見る人では180°違います・タイトルの善悪ってあなたからみて?日本人の?人類の基準?
あらゆる物質の基準?
全て答えが違うのでは?
客観的に見ると人類は地球上に住むべき生物ではない大悪党

298 :ぼん:2006/12/13(水) 00:25:44
思うに、人間は善とも悪とも定められないと思います。例えば善の比喩によく使われる光、悪の比喩によく使われる闇をつかって説明すると、光を電柱に注ぐと電柱の後ろには影が出来ます、貴方が電柱の横に棒立ちになって居る時、貴方と云う人間の存在は善ですか?悪ですか?

299 :ぼん:2006/12/13(水) 00:34:04
思うに、善悪・正邪など、対する価値観は人間の判断の基準でしか無いと云う意見が出ていましたけれども、判断の比喩として秤を用いましょう。説明は省きますが対する価値観とは秤の二枚の皿です。支柱は中間にあります。ただ支柱は絶対ではありません。

300 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 01:17:22
勿論両方の要素があります。それを判断するのは第三者(または生物)

301 :ぼん:2006/12/13(水) 01:52:32
私も未熟なので善悪となると確信のもてる答えは見当つかずです。

善悪のあれこれであって、
善悪の本質ではない、

という誰かの言い回しに、あれこれが本質だったなら?と突き返したい時もあります。

膨らんで居るとしたならどうなんだ、と言いたいのです。

どちらにしろ私は浅はかでしょう
最近は眼も鈍りましたし。

善い時は善く
善くない時は善くない
悪い時は悪く
悪くない時は悪くない
と、云うシンプルな 考え方も大切にしたいですし

中心に中心に答えを絞ってゆく考え方や見方でも答えが出ない時も多く溜め息です。



302 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 09:16:11
さて、もうそろそろ脱落しますよ。サンクス。
時間という正体が分かりました。簡単に言うと有と無の点滅です。
私たちは無の部分を見る事ができないので、常に有の部分を見ているわけです。
しかし、連続性を感じるには無の部分がなくてはならぬ存在なのです。
音の伝播もそうなっていますよ。
光もそうなっています。
無の部分を探そうとするのがいかにばかげたことか。
それは時間が止まることを意味します。
睡眠も実はその有と無を繰り返すしくみのダイナミックなものです。
疲労を取るといったほかに、時を感じるためにもあるものなのです。
夢、希望と現実の相違もその連続性を感じるためにあるものです。
睡眠時と覚醒時、希望と現実、この相違を感じ取れなくなった時、
時は止まります。
しかし、現実には肉体からの強力な補正が行われるために
強制的に私たちは相違を感じざるを得ないわけなのです。
やがて、人は死にますが、それは精神の死はもとより、肉体からの
強制力がなくなり、連続性を感じられなくなることなのです。
それが、死、というものです。人間性はそこで失われます。
時間感覚のその時々の違いというものは現実に長くいるか、
夢に長くいるかによって、決まってきます。楽しいことはあっという間に
感じますが、それはその最中に現実との切り替えがなかったためです。
現実と夢が交互に織り交ぜられて時間感覚を得ています。
現実も大切ですが、夢も同様に大切なものなのです。
このことから、人生観というものが人それぞれではありながら、根本では
同じことなのだということが分かります。
善悪、というものもこういう仕組みが作り出すものなのです。
簡単に言います。悪は悪いのですが、必要です。

リミット。1

303 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 09:38:15
さて、
有名と無名のことについて考えてみたいのです。
私がもし、有名であったら、真偽は分かれると思いますが、
ちょっとした話題にはなることでしょう。無名ですと、話題になることすら
ありません。能書きは能書きで終わるし、偉大な理論もくずと化します。
有名人の一言がその有名人の人生を変えてしまうことだってあります。
有名人は伝播力があるのですが、それゆえに圧力もかかっているのです。
ここいらのネットでいくら有名でも書き込みだけでしたら、無駄では
ありませんが、力は微小だということは認識しておかなくてはなりません。
しょせん、身内話なのです。
信念を貫き、この世に一波を与えたいのなら、有名にならなくてはなりません。
それが結局、1、の言うような力なのです。
この掲示板で私や、あなた方がいくら善、悪を説いてもそれは
力の弱い善、悪を説いているということになるのです。

アクション。2

304 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 10:26:33
ジレンマというものがありますね。
人類が地球にとって害というのはこのジレンマの片方寄りを見ているわけです。
人類が地球の一員であることをすっかり忘れてしまいがちです。
さて、
私も様々なジレンマに陥って今に到達しているわけなのですが、
良い面ばかり取ろうとする、強欲なのでしょうか。
未だ解決しようのない問題はたくさんあり、蓄積していく一方であります。
一面局面で譲歩妥協して生きているのですが、それはみなさんとて
同じことと、思っています。
そのどうしようもないことから生まれた結果に対してよいこと、悪いことと
言い切れるものではありません。仕方のないことなのです。
人間は妥協の産物とのことでしたね。肉体構造にも、判断基準においても。
当の私は、
ジレンマによって、身動きが取れない状態なのですが、
この妥協の産物ということを容認することによって、ようやく
動き出せる感があるのです。
このジレンマを持つ心が善と悪を中和させるものだとは気づきませんでした。
結果というものはその結果が到来する時点でなければ明確には分かりません。
仮定を打ち立てて得ようとする結果を取得するのですが、
仮定というものはある結果を望み打ち立てるものです。
仮定というものはある種の希望なわけです。ですから、人は仮定を
その都度に打ちたて、時間に生きるのです。
もしも、と考えるのは際限のないことであり、その時点では夢物語です。
私は今生きていますが、
それはこの無限にある仮定の大部分をかなぐり捨てて、無視してきたからこそ
生きておられるわけです。
2者、3者択一のジレンマなら幸福な部類です。選択肢は多すぎても
よくないし、単一でもよくない。動きが取れなくなります。
適度な選択肢が人生を幸福にする。

どうする?3

305 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 11:09:54
物質について。
私たちは物質です。その物質である私たちが物質を感じ取っているわけなの
ですが、感じ取るだけなら機械のセンサーと同じです。
実はこのしくみと人間の仕組みは同じことなのですが、
質感を伴うというところで原因の探求が続いているようです。
この質感はどうして感じれるかというと脳の中でその質感を再現
しているからなのですが、私たちはその質感を感じるとき
まさしく、その物体そのものに同調しているのです。ですから、
質感そのものを認識するのです。想念することでもそれは再現され、
同調します。
質感は有と無を繰り返すことで連続性を感じる事が出来るのですが、
物質そのものがなしているものでもあり、
私の脳の内部でもなしているものです。
そこに時間差、ブランクがあるために個人差が生じます。
機械装置で質感を正確に測ろうとしても、測れないのです。
質感そのものを再現するから質感も分かるわけであり、
感じるのは同調したその張本人だけです。
私たちが感受している物質とはそのように、私たち自身で再現しています。
それが自動的にまるで機械のごとく、自然に視覚や触覚などで
感じれるわけです。しかし、それがあまりにも自然に行われているため
機械仕掛けのようなギクシャクした感じはなく、それが人間あるいは
生命の不思議と位置づけられています。
自動的な仕組み、それが精神に値するものです。人間は機械は作れても
精神は作れません。精神は自動に作られるものであり、作為にはつくれない
のです。精神は精神そのものを別個には作れないのです。
私たちの精神が一個一個別物であり、自らの精神が自らの精神を作りあげて
いっていることに、気づきませんでした。

4.

306 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 11:29:05
>>301
思うに、善悪の基準は人の持つ良心が判定を下すと考えます。
良心に照らし合わせ、明らかに善悪が明確なこと、と良心に抵触する是非にて判断を下す場合も有ります。
そして磨かれた良心が見いだす隠れた善悪を見分けることを理非で見分けます。
ところが、人の自己愛が強くなると、それに比例して良心が稀薄になり善悪を見極める心も薄くなります。
御存知の様に智恵の「智とは、ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用」ですので善悪を明確に見極められなければ人は智の恵みを受けられません。
つまり是非・善悪を弁別する心の作用、とは人の潜在する知能を育て智恵を産みだす働きをするのですね。
時代的な要因も含まれますが近年、人はとみに自己愛が強くなり、その強い自己愛が欲望に変化し数々の自我を産みだす構図に捕らえられ是非・善悪を弁別する心の作用が稀薄になっております。
それが原因で「智恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力」が得られず善悪とは何か?の簡単な問いを第二章を迎えても明確にされない、と言う哀れな現象が生じるのです。
尤も、明確に答えても理解する知能が無ければ無駄なことですね。



307 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 12:10:04
301さま。
気になさらぬように。あなたはそれで、健全です。
言葉のマジックにだまされぬように。
言葉は本体ではないのですから。象徴です。
言葉をどう自分で再現し感受するのかは他人の力の及ばぬところ。
究極には言葉は共通ではないのです。
私も気をつけます。
あなたは正しい。あなたにおいて。
それは私にも正しいことになるかもしれない。そうならないかもしれない。
お互い様ですな。
あなたのおっしゃることは私もよくわかりますよ。

。。5

308 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 13:10:41
さ、佳境ですかね。
私とあなたの違い。あなたが私の脳内の妄想ではないこと。
私はあなたを私の内部で再現しますが、私があなたそのものには
なれないのです。私はあなたを一部分しか再現できないのです。
私たちが見ている世界。
それは、あらゆるところから、かいつまんで全体像を作りあげています。
私が見ている世界は私の脳内で再現されてはいるものの
部分部分の集大成なわけです。ですから、私はあなたである、
と言える事は言えるのですが、部分的に、ということなのです。
私が世界ではあるのですが、世界は私とは言い切れないのです。
私があなたたちになれないように、あなたたちも私にはなれません。
意思疎通が空間を隔ててジェスチャーや言葉によってなされるのは
そのためで、テレパシーのように人と人が同調することはないのです。
あなたが私を思ったとしても私はそこへは飛んでいきませんよ。
私はここにいるからです。
時間とは有と無の繰り返しといいましたが、位相はずれているのです。
位相の違いから私たちは同調したり、排除したりしています。
位相が完全に一致しない限り、私はあなたになれないということです。
位相がずれていることによって場が生じ、距離感も出てくるのです。
赤の波長を見れば赤く見えますが、脳が波長を合わせたのです。
そして距離感は一点とそれ以外の周囲の各点の波長のずれを
自動的に割り出し、遠近感を感じるわけです。
物事を認識するのはこのシステムでなされています。
あなたは赤く見えるものを意志の力で強引に青く感じようとしても
出来ないでしょう?
赤いものは赤の波長でやってくるのですから、それ自体を
変えてしまうことは出来ないわけです。



309 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 13:27:43
言葉もそうなっていますよ。
言葉自体は何の意味も持っていないわけです。
それに意味を感じ自動的に割り出してしまうのが人間です。
他人が発した本当の意味は分からないというわけです。
言葉というものでワンクッションしてしまうからです。
ですから、私たちは他人の意思を知ろうとするには言語の持つ意味ではなく
その他人様の心の内情を測り知ろうとすることが大切なのかもしれません。
言葉というものは便利極まりないのですが、不備不足があるのは
仕方のないことです。どうも、便利なものにはそれ相応の見返りが
あるようです。金、機械、とか。
客観というものは夢であり、ありえないことだ、と気づきませんでした。
ですから、私はよく、人間はどうのこうの、と言ってしまうのですが、
本当は、最低限私を含む人間は、、と言わなくてはならんのです。
反省しきりですが、
こういう言い回しになってしまうのも仕方のないことです。
それは、私を私として形成しているしくみが、表出してしまっただけ
なのですから。

まだいけるか?7

310 :考える名無しさん:2006/12/13(水) 13:59:54
私は私自身を確認するには私以外の何物かがなくてはならないものですが、
私は何かを取り入れたり、同調したり、排除したりしているのです。
私には集合させて一塊になろうとする力があるからです。
拡散したものはところどころで寄り集まります。
私は両親の遺伝子の集合であります。そして、両親もまた、私と同様でありました。
集合体がわれわれ個人個人なのです。
しかし、私たちは子孫を残すでしょう?それは拡散の作用なのです。
私たちは集合と拡散が同時に存在する世界にいるのです。


とりあえず、そろそろ8.∞


311 :ぼん:2006/12/13(水) 22:07:07
集合体が我々個人と云う事は、個人個人は山々の頂きのようなものであると云うことでしょうか?

塵が積もれば山になるなら、山が積もれば何になるでしょう 。なぞなぞ

個人個人の自我を水に浸した壺で例える僧侶が居ました
要は壺を割れば水は混じり合って自と他の分別は無くなるだろうと。

私はそれを土と鉢でも比喩できると思いますし、土地と家屋、家屋の内の部屋などでも比喩できると思います。

私達は単に分別し、包括し、対象を認識して居るに過ぎないと思います。

つまり、包括しきれないものは認識のしようもない

善悪も我々が包括できる範囲、箱から溢れ出してしまい
掴みどころも無いと感じてしまうのでは無いでしょうか?


つまり、コレが善悪だと断定することはできないし、
断定の逆も無理…って、また中心に絞ろうとする癖が…すまそ


312 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 07:53:23
311さま
山も集合体でしょう?全体像をみて山って言ってしまいますけれど。
山はいろんなので構成されている。
そうしなければ、やってられませんよ。山で括ってしまうんですよ。
そのとおりですね。若輩者の私に言われるまでもないか。
僧侶の喩えは、
壷、それは頭蓋骨なのでしょう。
壷を割ってしまえば、自我はなくなりますよ。混ざるというより、なくなる。
中心に絞る?意味不明。

移動ということについて、考える。

でも、もうやめた。

313 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 08:02:07
あ、僧侶っていつの時代の?
頭蓋骨って壊れても、今では生きていけるからなあ。
薄膜にしときます。
では。

314 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 08:08:27
あ、それから。
山が積もったとしても総量は変わりませんよ。
何になると言われても、
それは、
山が積もった世界としか、いいようが、ないと思います。
ま、距離感の手品みたいなものですかね。

315 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 17:02:27
自分って何なのだろう?
分かっているようで分かっていない。
それもこれも、包括、そうですよ。包括ですよ。
私は自分を、自分、というたったその一言で表そうとしている。
言葉というものは多大なる損失をして、便利性を獲得している。
どだい、無理なんだ。もし、言語で表そうとするなら、
天文学的な羅列が必要となるだろう。
言語を身につけた人間は得るものは大きかったが、失ったものも
大きかったのですよ。
まあ、それはそれでいいか。言葉使いには気をつけます。
中心って自分の中にこもってしまうことでしょう?
それは収縮なんですね。
世界に目を向けるとき、膨張する。
なんてことはない、自然にやってることでした。
何気なく、無思考で眺める事が最近減っていたかもしれません。


316 :考える名無しさん:2006/12/14(木) 17:22:24
歩こうとして歩けば、目的地に着きますね。
でも、周囲の方が自分の方へ向かってくるとは誰も思わないでしょうね。
でも、本当は向かってきているのです。
天動説のように。
でも、天動説は誤りというか、不備があったのですね。
それは、自らの天体もまた、引っ張られているということを
排除して、自分だけは不動であるとしたところなんですね。
私がある所へいこうとすれば、みなさんが私のほうへ向かってきます。
逆方向では遠ざかってもいきます。しかし、私も皆さんと同様に
皆さんから引っ張られたり、遠ざけられたりしているのです。
こうなると、もうわけが分からなくなりますね。
一m先にボールを投げてもどこに飛んでいくか分からなくなるのです。
でも、ある程度決まったところへいきますよね。
筋道があるからです。

疲れた。
でも、自分には引っ張る力があるのだ、ということは忘れたくない。
引っ張られる力ばかり、気になってしまうけれども。
最近、歩ける、動けるって幸せだなあと思う。
それは自分だけの力ではない、みんなが俺に引っ張られてくれるからなんだよ。
たかが、動けるってことだけでも、みなさんのおかげなのです。
この世ががちがちに硬くなくて、よかった。

317 :ぼ、ん:2006/12/14(木) 22:33:33
中心と云うのは、あらゆる相対を離れたところ、右とも左とも限定はできず、上とも下とも限定できず、奥とも前とも限定できないところです。

逆説がある時点で、その説と説はどちらも矛盾だと思ってしまうので…

山とは色んな塵などの集合体ですよね、その頂きには原則として、原則として一粒の塵しかいませんから、

個人個人はその個人と云う分野で一番であり、又、その個人が認識できる意識は自我意識・表意識とかばかりで、

頂きから遠い麓のほう、つまり、深層意識や潜在意識に自我意識は疎いと云うことでも山と云う比喩が適当だと思って使いました

運動についてはよく考えます。
仏教の学僧ナーガアルジュナ(龍樹)とかの運動否定の論理とか初めて聞いた時は衝撃を受けましたから。

本当に固定概念をぶち壊されました。

壺とは、自と他との境です。壺の中の水は壺の外の水と壺で区切られて居ます。 壺の内の水は壺の内の水を自分と認識しますよね(自我)
その壺(区切り・線引き・包括)がなくなれば、もはやそこに自我は無く大きな意識と混ざり合ってしまうと云うことだと思います。

シッダールタ・ブッダ(釈迦)は悟りを開いた時、汝は見いだせり、二度と家を築くことなし、汝の垂木は折れ…みたいなことを言ったらしいですが、それも自我の比喩として家を使ったものと私は思います。

自我は壺の内の水、 鉢の内の土、大地の中の敷地、家の中の空気とか、

つまり、外と内との間に遮るものがあると云う共通点でそう云った比喩が可能なのだと思います。



318 :ぼ、ん:2006/12/14(木) 22:35:13
中心と云うのは、あらゆる相対を離れたところ、右とも左とも限定はできず、上とも下とも限定できず、奥とも前とも限定できないところです。

逆説がある時点で、その説と説はどちらも矛盾だと思ってしまうので…

山とは色んな塵などの集合体ですよね、その頂きには原則として、原則として一粒の塵しかいませんから、

個人個人はその個人と云う分野で一番であり、又、その個人が認識できる意識は自我意識・表意識とかばかりで、

頂きから遠い麓のほう、つまり、深層意識や潜在意識に自我意識は疎いと云うことでも山と云う比喩が適当だと思って使いました

運動についてはよく考えます。
仏教の学僧ナーガアルジュナ(龍樹)とかの運動否定の論理とか初めて聞いた時は衝撃を受けましたから。

本当に固定概念をぶち壊されました。

壺とは、自と他との境です。壺の中の水は壺の外の水と壺で区切られて居ます。 壺の内の水は壺の内の水を自分と認識しますよね(自我)
その壺(区切り・線引き・包括)がなくなれば、もはやそこに自我は無く大きな意識と混ざり合ってしまうと云うことだと思います。

シッダールタ・ブッダ(釈迦)は悟りを開いた時、汝は見いだせり、二度と家を築くことなし

319 :ぼ、、ん:2006/12/14(木) 22:50:59
なんか長くなってしまったので、途中でやめます。ごめんなさい。

社会的な善悪とは時々によりますし、その共同体の置かれて居る状況、背景でも 変化します。
戦争に出征する事が社会的に善とされる時代も悪とされる時代も起きます

自然的に確固たる善悪と云うものは無いかも知れません
実体も無いと思いますし。

私はゲーテの詩集に出てくる、なんでも 二つに割ってしまう病気の少年マルテにはなりたくありませんし、

中心に確固たる答えがあると云う根拠の無い信にも不安です
それにとらわれて何かを見落としたくはありませんから。

良心が善悪どうのこうのという話しも出ていましたが、
良心と云う水が流れる方向を決めるのは認識です。

認識は川の土手のように良心やあらゆる意識の向かう方向を堅める補いをします。
これは悪だと云う認識、これは善だと云う認識、
つまり、個人内で、こちらへは進んではいけないが、そちらへは進んでいいと決定するのは
認識です、
個人より広い意味の社会でも等しく
善悪の価値観は変化します
土手は水を制しようとし、水は土手を削り変化しようとしますから
かつて善へと流れて居た川は、現在は悪へと流れ
その逆もあり

つまり、
昔は甘えと突き放すのが善だったが
しだいに悪とされ
今は甘えと突き放さず共に問題に向き合うことが善とされつつありますよね

て、また長くなった。無知がバレバレかなぁ

320 :真逆の空:2006/12/16(土) 15:58:33
失敬、いれてください

321 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 09:32:28
自我が混ざる。。?
喩えは分かりやすかったですよ。真偽は別として。

脳みそには痛覚がないと聞いた事があるんだが、本当だろうか。
本当だとすると。
脳みそは直接に感じ取ることは出来ないということなんだな。
誰かさんが、脳だけが自分だというような趣旨で言ってたが、
脳だけだったら、何にも出来ないですよ。それこそ何にも。
部品がなくてはならないのですよ。
脳が自分かもしれないが、その自分は脳以外のものによって認識される。

こうなると、手も足も目も口も、自分にくっついているのは、
それぞれが自分、なのですよ。つめの垢も自分、なのですよ。

さて、自分の脳に痛覚がないのかどうか、試せば真偽は分かる。
怖い。
俺には、出来ない。やっぱ、自分で確かめるのは怖いから、
他人の言うことを信じよう。


322 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 09:44:05
混ざってるって言えば、混ざってるんだよねえ。だよねえ。
境界なんて、ないって言えば、ないんだよねえ。
開放系。
死んでしまえば、自我が混ざる、というのではなく、
生きているからこそ、今、混ざっているんだ。渦中に真っ只中にあるのだ。
本当は、今、混ざり合っていて、自他の区別が自動的に行われているっていうのが
個人個人なんだ。

意識を氷山として喩えるのは聞いたことあるけど、
山脈とすれば、もっといいかもね。繋がってるんですよ、ホントはね。

323 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 09:57:09
繋がっている?私が誰かと手をつないだら、その誰かは私になってしまう
とでもいうのか?
私には私のスペースっていうのが、あるんだ。
それを隔てているのは微妙なんだが、明確なものでもあって、
そうですね、オブラートにでも包まれているかのような感覚なのです。
幻視というものがありますね。
あれも、自分のスペースが決められているのだが、指などがないために
幻と現実のギャップなのですね。
あ、そうそう、自と他のギャップはあって、ないようなものですよ。
あったとしても、それは透けるほどに薄いものなのです。
その透過するほどに薄いものに着色しているのが、人間です。
その着色というものが、個性というのは言うまでもありません。


324 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 10:39:59
原理が分かるとですね、応用が出来てくるんですね。
原理は、これまた、あってないようなものなんですが、
でもね、あるものを発見していくのが、人間なのです。
ないものを探すのが人間なのでは、ありません。
原理って言うものは不変なのです。そして、普遍。
しかし、その組み合わせは無限なのです。

運命って考え方ありますよね。あれも、膨大な組み合わせの内の一つのものです。
辿っていけば一つなのですが。
多重世界と言ってるわけではありませんよ。多重なんてものは知る事が
出来ませんよ。そして、多重というものは見た瞬間に、一重になって
しまいますよ。

知る事が出来る世界は、たった一つ。

これは重要だ。
広大な世界が一つ。
さて、問題です。一つのものを何個かに割ってみようとしました。
どうなるでしょう。

過去、現在、未来、このような時間感覚もたった一つの中にある。
私たちって強引に何かを分割しようとしちゃうでしょう?
時間も人間が一つを3つに分割したことことから、発生しています。
無限な組み合わせ中の一つ一つを、順番に、辿っていくことで、
時間が作り出されます。一つでも順番を間違うと、時間は成り立ちません。
この順番が、道理、なのです。
道理は無限にありますが、順番はきちっと守っていかなくては成り立たない
のです。

325 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 11:06:25
矛盾というのは力の片割れでしてね、
矛盾だけでは動いていかないわけなのです。
合理だけでも動いていかないわけなのです。
矛盾と合理を繰り返しているのです。
合理が有なのでして、矛盾は無ですね。それで、力となり、今、この世があります。
でも、私が知る事が出来るのは有なのでして、
無は知る事が出来ないのですね。
物質が有的であり、精神は無的といいましょうか。ですから、
この世は有と無を繰り返しているのです。
しかしですね、
物質を無と、精神を有と、しても差し支えないわけなのです。
しかし、どちらかが有でどちらかが無でなくてはなりません。
流れというものは有と無の繰り返しが作り出しています。

過去は有から無に、未来は無から有になる。現在は有というわけです。
知らない、ということがなければ、私は存在する事が出来ない。

記憶のメカニズムと希望のメカニズムは同じことなのです。

過去、現在、未来は、
混在しています。

混在しているからこそ、思い出せるし、予測できます。


326 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 11:18:36
無意識が自分を動かしている、というのはある程度生きていれば分かってきますね。
もちろん、自意識も必要なのですが。
いいですね。
無という得たいの知れないものが、私を生かしている。
無意識を知ろうとするのが本性なのかもしれないけれど、
それは禁断の領域、限度を超せば、自分が自分でなくなってしまいますよ。

自分が欲する心を大切に。
それが、無意識から自意識へのメッセージ。そして、その心こそが
人間として生きる原動力。


327 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 12:41:10
地球の歴史と、人生はたぶりますね。
幼少期、青年期、老年期、まあ、細分すればたくさんあるが。
植物、動物、陸上、恐竜、人間、工業化、?
私が老年期に突入するころには地球はどうなってるのかなあ。

なんといったらいいんでしょう?

スタート地点は違っていて時間のずれがあるんだけど、
ゴールは同じ所にあるんだ。
そして、今現在ゴールにいて、双方同着なんだ。
言ってること
わかんないだろうなあ。
地球の悠久の流れが人生に圧縮されているんだ。
だから、人生というものは地球の歴史から比べると、物凄く早いスピードで
生き方をしているというわけだ。
これから生まれてくる人間はさらに早いスピードで生きるのであろう。

人生は歴史の縮図なのである。

植物、石ころに意識はあるのか、ないのか、といった問いは
人生を省みることによって、分かることであろう。
もちろん、植物、石がどのような具合で発生したかを勉強しておかなくては
ならないが。



328 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 13:02:58
哲学的、合理的なことを実際に口に出したりしていると、
しらけたり、距離置かれたりしますよね。
実験してみてください。
よほど、絆が強いもの同士でなければ、離散してしまいますよ。

内輪話くらいがちょうどいい。大事にすると逆に機知外扱いされますよ。

この世は矛盾と合理で成り立っていくのですから、どちらかに
偏れば、止まってしまうのです。

きち外を演じるか、理屈をまくし立てるか、どっちでもいい、
やってみてください。ものは試しに。
夫婦間でもいいでしょう。どれくらいの絆があるのか、確かめられます。

329 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 16:28:59
将来像は悲観的だ。
この流れではそのビジョンしか見えてこない。
楽観的に見ようとすると、
とんでもない、突拍子もないこと、非現実的なことしか、
思い浮かんでこない。

あなたは何故ここを見たの?
私が書き込みしたから、見てしまったのだろう。
でも、あなたの意思もあったからだからだよね。

フィフティフィフティなのですね。

自分が見ようとしたのは無意識から来る欲求、そしてそれを実行に移す
意思、これも半々。
肉体を動かす力、維持する力、これも半々。
私と、あなたたち、これも半々。

見たい、と思っても見れないのは、半分が欠落しているから。
あなたは、ここに何が記入されていることを望んでいたのか。
期待に副えましたか?でなければ、残念でした。

私がここに書き込みしたのをあなたが見るのは私が書き込みをしてから
ずいぶん経過してからでしょう。
私が書き込みしたのは過去の時、なんですよ。
私の過去が、私やあなた方の現在になるのです。

本の著者を調べてみたら、もう死んでいたよ。



330 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 16:51:26
構築物は全て過去の遺産ですよ。全てですよ。未来の構築物を思い浮かべて
みる。そして未来から現在へと逆に時間を辿ってみることを想像してみる。
そうすると、その過程は、崩壊、のプロセスになっているのです。

崩壊は現在でも着々と進んでいますよね。それはですね。
崩壊と創造、
未来が現在にもあるということなのです。
ちょっとやってみてください。死をスタートとして、生をゴールとして。
辿ってみてください。

過去って大事ですよね。でも、あまりにも過去のほうに偏重しすぎては
いないだろうか。物質世界そのものです。
過去は大事。私の行為が後々まで影響する。責任はあるよ。誰だって。
物質の物理現象にがんじがらめになっているのですよ。
未来は形がないものだけれど、だからこそ、柔軟性も無限なのでしょう?
選択肢は無限だ。でも、それは私の持分だけでの話。


仕方のないことです。私の自意識は半分、半分はどうにもならない、無意識。
私のこの世界での力も半分、それ以外も半分。

ああ。光を超えたい。宇宙旅行がしたいんだ。非現実的ですね。せめて、
みんなが生きがいを持って生きる事が出来たら。


331 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 17:18:44
あほみたいなことは
もう、おしまい。




でも、現実的な事が阿呆みたいだ。
なんで、わざわざ破滅、死へ向かって生きているのだ。
まるで、あほではないのか?

とりあえず。思考、停止。

332 :真逆の空:2006/12/18(月) 19:58:26
自意識、無意識と言っていますが
自意識は無意識によって作られてると思う
ので全ては無意識つまり本能なのではと思う

333 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 09:42:40
それはーね。無意識という捕らえようのないものを捕らえようとしている
意識、または探ろうとしている意識、その意識は無意識ではないのです。よ。
失礼ですが、何歳ですか?
私は小さいころそんなこと意識した記憶がないんです。大半がそんな
こと考えもしなかったと思います。意識は少なからずあるんですけどね。
それが自動なのですよ。ほとんどの行動は。
無意識に生きているわけです。子供は。しかしですね。完全に無意識では
ないし、自意識も少しはあるんですね。それが成長につれて
ウエートを占めていくってわけです。
これはね、生きている年代によって比重が変わっていくってわけでして。
おそらく、年をうんと取れば無意識レベルが高くなっていくと思う。
全てが無意識ではないですよ。
もしそうだったら、いつまでも無意識でいるはずです。
一抹の自意識はあるのです。ただ、それがあまりにも小さいがために
分からなくなってしまうのです。

興味があれば退行催眠をしてみてください。
ただ、はなから否定している人は無理なようですが。

334 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 10:16:27
言葉遊び。

部屋にありそうで、なさそうなものを探してみてください。
それは、なんですか?
んで、見つかりましたか?

あるかな、ないかな、ないなあ、

そうです。あたり。無いことを確認すると同時にその他の何かがあることを
確認してたでしょう?逆にあることを確認したらそれ以外はなかったでしょう?

オールオアナッシングってわけにはいかんのですよ。
でもね、ありそうで、なさそうな、真に中立なものなんて
あるのか?って疑問ですね。

完全な有、完全な無、そんなものもありえねーってことかな。
無から何かが生まれるなんて、常人が考えることじゃない。
有から無になるなんて、異常人が考えること。



335 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 10:43:12
でもね。
仕方ないんですよ。

海の波の一波だけ違った部分があったって、それを探し出すのは
大変なことだし、その部分が無いと捕らえてしまうのは
いたし方のないことだ。
この世界に何にも無い部分があったとしても、四方八方調べるわけには
いかんではないか。

問題。
精子はどうして卵子にたどり着くのでしょう。卵子はどうして特定の
精子だけを受け入れるのでしょう。
それは、あなたの片割れたちだったはず。せめて、半分以上は
知っていなければならない。

人間を半分に割って考えることなんて出来ないではないか。
右脳左脳もそうだ。

こうとしかいえない。
意識があるときは別の意識が眠っている。別の意識が起きてくれば
意識は眠る。お互いは知る事が出来ないのだ。

死とは永眠なのだ。うまい言葉だな。翻って生前も永眠なのだ。
考えてみれば、面倒くさいことをしているわけですよ。生きるということは。
それを打ち負かすほどの熱意が奥底にはあるわけなんですよ。
それが、生きる力なんですよ。
人間として一旗あげたいがために人間に生まれたんですよ。だから、生まれてきた
人間は、無意味なことであったとしても、それを成し遂げようとする
情熱が個人差はありはすれども、必ずあるのです。


336 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 12:23:54
神様。助けて、お願い。

神様は全知全能だと思っている、だが、神は全く逆だ。

神はなーにも出来ない。神はしようともしないし、したくても出来ない。
傍観者なのですよ。何も手出しをしない。
ただ、まったく外部にいるというわけではないですね。
生きているときに死んでいて、つまり今は寝ているってわけです。
あなた、私は生きた瞬間に神から人の子へ代わってしまったのです。

百歩譲って人は人を作れるとしても、受精、クローンでもいい、
人の子を作れたと言えたとしても、その精子や、細胞は
何が作っているのですか。
眠っている力なのですよ。
これも人の持つ潜在能力ということも出来ますが、
しかし、どうして物質が細胞なりに形成されるのか。

突き詰めていくとですね。人間には物理現象の全ての潜在能力があるって
ことなんですよ。ビッグバンがあったかどうかは分かりませんが、
あったとすれば、人間にはそのビッグバンの力が内在されているんですよ。

神をどう定義するかにもよるが、全知全能であるというのなら、それは
人間が神と同等であるということなんですよ。
しかし、実際見てください。そんなものはいないでしょう?いや、
いなかったでしょう?その時点で神は寝ている。認識外にいる。
神をどう想像するかは勝手なことだけど、
その神は結局自分で作り上げたものですよ。神以上の存在なわけです。

どうぞ、ご自由に。

神の子は神を忘れてしまった。

337 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:00:46
ビッグバンというのは何かとてつもないことに感じませんか?
一秒未満であっという間に広大に広がり、現在もなお広がり続け
淵の方ではさらに加速している。
そんなことを人間は想像できるのです。私は否定はしないけれども、
違和感は拭い去れませんよ。どこかで強引につじつまを合わせようとして
いるのではないのか?
宇宙の絶対時間を信じるからなのだろうか。
私とあなたの時間は同一ではないですよ。いや、同一なときもあるかもしれませんね。
でも、確認する手段が無いではないですか。私たちは時計で、光などで
それを認め合うのですが、厳密には分からない。
双方がお互いに同時だと自分に言い聞かせているのです。
譲歩しあっているのです。
だから、絶対時間を定めなければもうそれ以上先へ進めないのです。
議論はぶつかり合っているだけでは、一歩も進まない。
しかしね、
統合しきってしまっても、これまた一歩も進まなくなるのです。
時間は動きで決まる。座標が違っていても宇宙は一つ。だから、時間は
場が違っていても共通だ、と思っている。

338 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:27:38
一秒間という時間が果たして短いのか、長いのかなんて決められないことです。
感覚では短いと思うのが普通だと思うけど。
でね、でね、これが、一分くらいにすると途端に個人差が出てきますよ。
一時間ではもっと出ますよ。
時間はね、
極短い時間だったら、共通感はあるんですが、
ひとたび臨界を越えれば共通感はなくなり、固有のものになっちゃうんです。
これはね、
物質の一つ一つは、人間共通って感じはあるけど、
ある大きさ以上になれば、相違を感じてくるでしょう?

そういうふうになっとるのです。
でね、
共通かどうかは分からないーんですよ。
試しに、原子の一粒になって見てください。
無理?
そう、無理なのでーす。一粒一粒から出来てるけど、一粒にはなれんのです。
まあ、一粒って言い方もおかしいのかな。
人間は粒しか見れないよ。波は性質だからね。

さて、善、悪、の一粒はどういうものでしょうかね。

339 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 13:44:31
面倒くさいことを敢えてすること、これが善の極致。
本来、面倒なことなんですよ、生きることは。
だから、人間は便利なほうに偏りがちだ。
でもね、
それを安易に使っちゃいけないんですよ。
それは、当初の志を曲げちゃうことなんです。
世の中を見回してください。
悪は安直さから発生していますよ。

340 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 15:58:39
もう合えないカーもーしれないー。

こんなことばっかしてれば、いかんな。
めんどくさくても腰を上げないとな。
考えてばっかじゃだめですね。

私のことは徹底無視でお願いします。
ま、されてるけどね。

出来れば、全然書き込まないでほしい。
別に私の独占ではないんだけど。

真逆さま。ありがとう。私はがんばった。特別、突っ込みはいらないよ。
ああ、
こんな無駄みたいなことを、よくがんばったもんだ。
私は何か発見をしたような感覚を得たよ。
無駄じゃなかった。


341 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 16:32:33
真空の中に投入されたら、どうなってしまうんだろう。
うう。
考えたくもない。
ひつこいな、俺。

宇宙空間って冷たい感じがするよなあ。
地球のように躍動感があるところってすくなさそう。
星星の間はどうして、希薄なんだ。
輝きを際立たせるためなのか。
ただ単に自分が選択して見ているだけなのだろうか。
とりあえず、
ラジオや、テレビの電波が直接、感知できる脳でなくて、良かった。
まぶたや耳をふさげば感じ取れなくなる仕組みで、良かった。
それが、出来るというだけで、良かった。

耳鳴りは常時しているんだけどね。これは回避できないんだ。

342 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 16:40:38
考えたくないんだけど。
それを意思で止めれない仕組みは困るときもある。
雑念だね。
坊主も大変だよ。どうしろというんだ。
最近の瞑想は自然に任せるようだね。無理に思考を止めようとはせずに。
状況が強制力。
そして、内部指令が誘導力。

早く、早く内部指令を出してくれ。

終わり。きーんこーんかーんこーん。
みなさん、さようなら。


343 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 09:12:39
不思議なことだらけ。昨晩は悲しくなって涙が出そうになった。

まとまりがつかなくなった。
強引にまとめよう。

時間と動きは同じことなんだったね。
動きはスイッチのボリュームみたいにマックス、ミニマムと上げたりさげたり、
それが有と無の繰り返しと言ったんだけど、厳密には完全に有とか無じゃなかったんだね。
それが、無から有にボルテージが上がるとき、それは空白を埋めるような
感じで世界が形成されるんだったね。しかも、それは一瞬の出来事で
一瞬のうちに無限に繰り返されているんだったね。だから、過去と未来と
現在は同時に存在しているんだった。この一瞬というのが味噌なんであって
時間を2重に渡り歩くことは不可能なんだ。
どうしても、1つづつしか渡り歩けないんだった。だから、順番どおり
渡っていくことで、時間の流れを感じているんだったね。だから、
順番を間違わない限り、可能性は無限にあるんだったね。
動きというものはその順番を間違うことなく辿った結果なんだ。
一瞬のうちに有限と無限を繰り返していると言うことは
極小であり、極大でもあるということだったね。
その現象では私たちは本当は不動でもあるともいうことなんだ。
動きって言うのはね、こっちから行かなければならないんだけど、
あっちからもこっちに来なければ成立しないんだったね。


344 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 09:26:36
ボリュームの上げ下げが人生と対比できるということだった。
これが、無意識から自意識、自意識から無意識への変転のからくりだったね。
無意識と言っても完全に無ではなく、極微の自意識があるからだったね。
簡単に言うとウエートがシフトしているんだ。
時代と言うのはそういうものなのですね。多数と少数それが入れ替わり
立ち代りでその時代の潮流を作り上げている。
この波のようなものが性質であって、これは概念のようなものであって
現象が物質なのでした。
ここまで、いいでしたかね。
無意識と自意識は半々なのでした。
そして、無意識でいることのほうがよほど楽なのですが、人間は
勇猛果敢に人間で敢えているわけでした。ですから、志としては
苦境を乗り越えんがためだったのでした。これに反する意思が
悪に繋がると言うことでした。


345 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 09:59:26
あと、何を言ったかなあ。
質感についても言いました。クオリアって言うの?テクシュチャというか。
あの質感を感じるシステムは、有と無を繰り返しているからですよ。
質感の発生源そのものに同調しているからです。
距離と言うものは動きに関係していましたね。それは相互の近くに寄って
行くことでなされることでした。それはまさに質感を感じ取るしくみと
同じことなのでした。質感を感じ取るとき交じり合うのです。同調しているのです。
これも一瞬のうちに同時に時間が凝縮されているからですよ。
質感の発生源そのものになっているのです。あとなんだっけ。
自と他の区別もそういう按配でなされているし、他人の意見に同意するのも
そういうことなんでしたね。
ビッグバンもあながち間違いではないのですが、そのビッグバン直後に
急速に収縮をしているということを付け加えることが要ですね。えーと。
共通なのはたった一つであればこそなのですが、組み合わされば
似てはいるものの見方によっては違うものになってしまうのでした。
一つのものが倍倍に増えていったのではなく、分割されていったのです。
それが、また一つのものに戻ろうとする力であり、それが際限なく
繰り返されているのでした。ですから、この世には集合と離散は
同時に存在しています。そしてこれが、食物連鎖の種明かしなのでした。
生殖行為もこれに倣っています。生と死も同様です。
集合と離散は創造と崩壊と同じことでしたね。私たちも同じことしてますね。
あとなんだっけ。
矛盾と合理、これも結局同じことでしたね。善と悪も。
勢力の分布が移動するだけです。そして、どちらも必要なことです。
あと、
機械とか言葉とか金銭の便利性と弊害、諸刃の剣ってことなんでしたね。

これくらいかな。



346 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 10:27:34
ここを偶然にも見たあなたは何かの縁です。ともにこれからの道筋を
考え、歩んでいきましょう。
私の意見に同意するか否かは別問題としても、私とあなたはこの場で
時を越えてめぐり合い、同調したのです。私の書き込んだのは過去であり
あなた方の書き込んだのも過去であり、私とあなた方は双方の過去を
現在と言うときで交じり合うのです。現在と言うのは時を越えて
交じり合う場なのです。過去や未来へ一足飛びに行くことは出来ないのですが
それは無意識下で困惑を避けるための圧力がかかっているからです。
無意識下ではプロセスを重視しています。現在と言う場は
整合性があうように自動的に提供されている、交流の場なのです。
石がしばらく石であり続けるのは無意識下が作り出すプロセスの証です。
ですから、石はいきなりダイヤにはならないのです。

347 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 13:16:50
人間のコピーを作れば自分は二人になるのか?と言う問いは
問題自体馬鹿げております。
人間はプロセスなのです。見た目が似ていてもプロセスが違えば
別人なのです。無理を承知でコピーできたとしても
それはプロセスを同じにする必要があり、コピーを作ろうとすれば
プロセスを経なくてはなりませんからその人物はやはり、一人、なのです。
私は一人しかいませんよ。もし二人いるのなら、私は重複しています。
一分の狂いもなく一体化しています。
宇宙の起源から死まで、私は一人しかいないのです。いや、一人しか
存在できないのです。それはあなた方とて同じこと。
一人は一つづつ宇宙の起源から死に至るまでを保有していると言えます。
各自各一つずつ。世界は各人固有のものなのです。
各人の世界が交錯できるのが、前項に述べたしくみがあるからです。
その世界の中で今生きている私と言うのは私の世界の中で人間であったという
一こまなのです。
私の死でもって自意識は失われ、私のプロセスとしては終わりますが、
私の死がきっかけでまた別のプロセスの始まりとなるのです。
生は死へのプロセス、死は生へのプロセス。
後世の人間は私より長いプロセスを経ることになるというのは、
ちょっと待ってください。
長いも短いもない、一瞬のことだし、始まりがなければ終わりはないという
けれど、終わりがなければ始まりはないのですよ。
ビッグバンが始まりとは言いますが、そうであれば、その前に何かが
終わっていなければならないのです。

この件に関してはとりあえず、やめ。

善悪について。

348 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 13:33:51
もうやめた。
多勢に無勢だ。
波は大きくなりすぎた。
手に負えるものじゃない。

349 :真逆の空:2006/12/20(水) 20:32:51
私は十六です
探求しにきたので知らないこともあるのでスンマセン





350 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 08:08:59
超能力や心霊現象も説明は出来るんですけどね。
サイキック、予知、テレパシー、テレポーテーション、

物理現象、科学の法則というのは、発見したその時から確定しているのですよ。
発見するまでは、あやふやであったのです。
いいですか、
別のスレッドで物理現象は原初から決まっているといいますが、
決まってはいないのですよ。人間、科学者が気づいたときに確たるものと
なったのです。
ニュートン以前に重力はあったのでしょうが、9,8gとかというのは
決まっていたわけではない。
恐竜の化石が見つかりますけど、あんな巨体が、いくらつり橋構造となって
いたとしても、動かしていけるわけがないではないか。ポンプの揚水の
限度ってものもある。

ま、この話、終わり。とにかく、物理の法則なんて、これから決まっていくものなんですよ。
偉大な法則がほぼ、同一時期に見つかるってことはしばしばあったようだけど、
それもまさに、ちょうど、その時に決まったんだ。同時期に見つかった例を
あげること出来なくて、申し訳ない。


351 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 08:29:06
物理、科学の発展は目覚しい。
しかしね、
その発見が自らを便利にするのも確かなんだけど、
その発見が現象を確定して、すなわち、
その法則に縛られてしまうと言うことにもなりかねないんだ。
可能性を自ら潰してしまうことにもなる。
人は自由な発想は出来ますよ。
しかし、教育されてしまえば、その自由度は格段に落ちますよ。

どうして、ピラミッドがあるのだろう?
現代人はそれを作れますか?地球外生物が建造したのかもしれないが、
人間が、今後、物理現象を見つけていくことによって、技術開発をして
それを可能に出来ると思いますか?
物理現象が決定していて、それに束縛されているという見地からは
到底出来ないことですよ。
アインシュタインは多大な功績を残したが、重罪人になったのかもしれない。
それも、時代の要請だったのかもしれないが。
高度な知的体を現在でも見つけることは出来ていませんが、
もし、太古にやってきたと言うのなら、どこから来たのでしょうかね。
物質は光を超えられないというのに、どこへ行ってしまったのでしょうかね。


352 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 08:54:50
教育が子供の可能性の芽を潰している。教育が義務になってしまったからである。

過去に物理法則が成り立っていて、現在はもう、その法則によって
決定している。


過去ってどこにあるんですか?過去を認識しているのは、現在なのですよ。
過去に決まっていたのではない。それは現在、確定したのである。
ただ、それを律儀に踏襲し、継承し続けているのですよ。
現在という一瞬一瞬において、その都度に同じことを確定しているのです。
科学が否定されるときってありますよね。それは
それは確定が寸断されて、また新たな確定をしばらく続けるということなのです。


353 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 09:31:01
ものを忘れる仕組み。
昔のことを思い出せません。
快楽すらも明確に思い出せない。
もし、明確に思い出せるなら、大変なことだ。
私たちはその思い出に浸り、抜けてこなくなるだろう。
人間もマウスと同じようなものなのだ。
私たちは食べ続けなくてはならないのだが、それも、味覚を忘れてしまう
からなんだ。大概、まずいものを食ってまで生きながらえようとはしないだろう?
エクスタシーさえもあっという間に忘れてしまうんだ。
人間はそういう点ではよく出来てる。
忘れることで流れを作っている。

完全に思い出す事が出来るのなら、過去へワープするのは言うまでもない。
ただ、同じことを繰り返してしまうだけなんだが。

俺はデジャブは過去へいったん戻ってしまった結果なのではないかと思っている。
ただ、同じことを繰り返すことをやめ、別路線を歩んだのだが、
一度存在していた未来と若干近似したために、相違を感じ、
はて、どっかで、と思うのであろう。
まるっきし違う路線であればそう思うこともないのだろうがね。

俺はたびたび既視感あるんだよ。

354 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 10:01:10
脳内現象かどうかなんて、紙一重なんだよ。

思い出すのもほどほどにしないと、むごいことになるでしょうね。
自分の肉体に拘束されてはいるんだが、それに感謝しないと。
永久ループほど、悲惨なことは、ない。
今が一番幸せなのだと思うことが一番である。
間違っても、過去にあったことが一番良かったなどと思ってはいけない。
俺は
幸い戻ってみたいという過去の時点がないので、反って幸せだよ。
マウスの実験でループ行動をするのがあるが、彼らもまた、
肉体と言う絶対的な力があるから、そのループは見せかけのループで
済んでいるが、その力がなかったら、彼らは本当にループするよ。
もちろん、それを観察している人間、世界もなんだがね。
ループしているのに気づかないんだったら幸福なんだけど、下手に
気づいていれば、ぞっとする。

こういう俺は一度、擬似ループにはまって、ひどい目にあったことがある。
あれ以来、ループほどむごたらしいことはない、と思った。
そして、脱出できたと言うことに、今は、様々に対して感謝している。

快楽だけを求めていけば、ループに突入ですよ。ああ、怖い。
過去をやり直すことは出来なくなってるけれど、それでいいのですよ。
出来てしまったら大変だ。地獄のループだ。
というか、絶大な快楽が、今の今まで体験できていないことが
この上ない幸せだ。戻るところがないというのはすごくいいことですよ。

355 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 10:11:52
死んでから、また人間に生まれ変わりたいなんて
露一つ思いませんな。
生まれ変わったら、擬似ループに突入なんですよ。
何らかの快楽を求めようとせんがために、そこに陥りたくはない。
前世なんてものを知らないのが幸福なのであって、なまじ
知っていたら、苦痛ですよ。

体験者談ということで、きいといてください。
世間では勘違いしている人もいるかもしれませんが、幸福の連続は
地獄ですよ。
もちろん、苦痛の連続もね。
変な宗教にはまってはいけませんよ。緩急、干満があるのが、一番いいことです。


356 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 10:21:06
サイキック、予知、テレパシー、テレポーテーション
今の確定している物理現象では
絶対に出来ないことですね。
これらは、
時空の法則に縛られてしまえばなしえないことなのです。今のね。
逆にそれから逸脱すれば、超越すれば可能になることなのです。
時計は何で生まれたのでしょうね。
私は約束を果たすために作り出されたものだと思うのですが。
時計がなかったらあらゆる取り決めはあやふやになりますからね。


おっと。終了。

357 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 17:23:20
必要なこと、必要なもの、これが本当に少ないんだ。
もしや皆無なのかもしれない。
でも、時には必要性に限りなく近く感じる場面がある。
その時はチャンスですよ。
必要性を感じたら、手を抜かず、やり抜こうとしてください。
差し出がましいが、年を取っていくほど、その必要性の場面が
少なくなってきます。これは、どうして必要なのかと猜疑するから
なのでしょうが、そうすれば見も蓋もないですよ。
妥協と手抜きは似て非なるものですよ。心身ともに年取ったと感じるのは
必要性がなくなってくることと、今までやってきたことを止めたとき
です。
方向が大事です。
私のように自分のためだけに必要性を感じそれに力を出していると
次第に必要性が欠乏してきますよ。
これは、注意ですよ。
生きがいを自分で潰してしまう。
この期に及んでなんだが、周囲の必要性を感じなければ
生きがいを保てないですよ。
みなさん、よく働きますけどもね、必要性を自覚無自覚を問わず
求めているのです。
16の頃の自分は自己中心でしたね。だからこそなんですが、
周囲が若人であっても、必要性を与え、諭していくような環境整備が
今後大切ではないでしょうか。子供にも簡単な仕事を授けるくらいの
余裕はなくてはいけませんよ。即戦力を求めようとしている社会は
生きがいを相互にそいでいくと思います。お互い、明日はわが身、と
肝に銘じておかなくてはならんのです。今一歩、心に余裕を。日本国民。

358 :考える名無しさん:2006/12/21(木) 20:53:01
何だこのやる気を削がれるスレは・・・

359 :真逆の空:2006/12/21(木) 21:41:19
馬鹿にスンナ

360 :真逆の空:2006/12/21(木) 21:58:57
357さん、まさか俺のために・・・・
アザーーーーーース

361 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 00:19:54
善悪ってその時その時代の人間が定義している完全な主観でしょ
え?違うの?

362 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 01:21:59
>>361
>善悪って「その時その時代の」人間が定義している完全な主観でしょ
「 」を外すと正解ですね。
善悪って人間が定義している完全な主観でしょ
完全な、とは人間としてパーフェクトでなければ成らない、と言うことですね。
ですから時代は変わっても善悪を見定める完全な主観は物事の理非を見極める
心の延長に在りますので人類社会が続く限り不変なのです。





363 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 11:23:14
個人の主観でしょうな。
主観と言っても、完全な主観なんてものは、ない。
最初はみんな、ほぼ、無知の極致にいるんだ。
密閉、何の接触もないところでは主観も客観も、育まれていくわけがないんだ。
ただ、
成長するにつれて、教わった内容は覚えていても、それが教えられたもの
だということをすっかり忘れ、さも、自分の主張のように思ってしまうのだ。
それが、自我の形成というものなのでしょう。
人間は人間から教わるのはもちろんだが、人間以外からもたくさんのことを
教えられていますよ。
あなたが善悪の判断をするとき、それは人間からのみもたらされたものとは
あまりにも人間の選民意識が高すぎますよ。人間以外のものからも
もたらされた判断結果であることを、忘れずに。私はそうありたい。
私が修正するのはおぼつかないんだが、「人間」と言うところを
削除すれば、正解でしょうね。人間だけが正しいなんて、傲慢ですよ。
育てであり、生みの親でもある、環境につば吐くようなもんです。

364 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 11:36:58
完全な主観も完全な客観も、ない。
ここから逃れないと、いつまでも、そこを往復するだけですよ。
言ってみれば、往復しているから時代と言うものも作られるんですけどね。
人類社会とは言うけれど、いつ始まったんだろう。
進化論を否定するわけではないけれど、明確には、いつだったんだ?
そしてね、新人類が誕生すれば、の話だが、どう扱うと言うんだ?
サルの惑星という映画があったけど、あの映画のようになったとして、もしもね、
あの人間共はそれでも、不変なのかね。まあ、もしもと言えばきりないし、
そこそこにするけど。

365 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 11:51:55
社会問題の、いじめはなくなりませんよ。
まして、人間の特権とか言っているようでは間違いなくなくなりませんよ。
囲い込みの意識が働くのはどうしようもないことですが、
それを似非善としたり、似非悪としては、いつまでも紛争は続くし
弱者迫害は消えることはないですよ。
自分だけが正しいとは思わないように、私はしたい。
我思う、ゆえに我あり、ってわけにはいかないんですよ。
根本的に我思うって一体全体何で我が思えるようになったというんです。
自分だけの力では、我思う、ことすら出来ないのですよ。

動物にもいじめに相当するものはありますね。人間も動物ですけど。
弱者は迫害によって強くなれるきっかけをもらっている。ままにそれはあることだ。
まあ、いろいろ考えれば際限ないですね。

366 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 12:03:47
3人いれば、そこに多数少数の変移があるのですよ。
三位一体というより、三つ巴に近いでしょうな。
一体感なんてなかなかなれるもんではないですよ。
0:3、1:2、1:1:1、といった具合に勢力が移り変わって
時代を作り上げていけるものです。
なあなあではいかんし、
お互い敵同士でもいかんのです。

人間は一人一人、人間だけではない、一個、一個が、役者なのです。
その都度ごとに役を変えているのです。

一個とか言いましたけど、この世は、入れ子構造になっています。


367 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:05:52
>>363
物事の理非・是非・善悪を明確に弁別すること、は知能を育て智恵を産みだすことのできる人間以外には今のところ地球にはおりません。
私の申してる人間とは、全てを思いやり全てに感謝する心を備えた全てとの間を保つ心を備えた人を指し、生まれ付き知能を育てる機能を備えながらも、知能を育てぬ人科のホモサピエンスのことでは有りません。
その人間が物事の理非・是非・善悪を明確に弁別せずに、何に任せると言われるのですか?
全ての産みの親である地球環境を食い荒らす人科のホモサピエンスから地球を守る役目を担うのは進化したホモサピエンスの人間の使命でしょう。


368 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:35:49
>>364
>完全な主観も完全な客観も、ない。
全ては絶対と言う完全に依って賄われており人の心も例外は有りません。
そのことを知るには物事の理非・是非・善悪を明確に弁別する心が育てる潜在知能を必要とします。
ですから、この記述は貴方の思い込みの現れに過ぎません。
人の脳は数万年前に、その進化を遂げいつでも脳は使える常態にあるが人類史の全てを支配してきた力を崇拝し
理に反する蒙昧に人々は心を委ねてしまった為に、その進化が阻まれていると推測します。
つまり尤も古く尤も新しい、その脳は持ち主の人の心が使う条件を満たせば、いつでも使えると言うことです。
その条件とは物事の理非・是非・善悪を明確に弁別する心を育てること、だけです。


369 :考える名無しさん:2006/12/22(金) 17:47:03
>>365
>社会問題の、いじめはなくなりませんよ。
御自分の思い込みで言い切るのでは無く、論理的証明をして下さいね。
>>366
貴方の理屈は下り坂を転げ落ちるが如く、未来に希望が見えませんね。
育ての親であり、生みの親でもある、環境につば吐くようなもんです。



370 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 00:23:13
悪 強制する心 強制される心                      善 自由な心                  ただこれだけのこと

371 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 00:49:13
善、>>1を育てた環境が良しとする価値観。悪、前者から逸脱するものこと。以上。

372 :真逆の空:2006/12/23(土) 00:57:23

人間


人間以外


373 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 01:05:57
一般に、人が、自由を感じる時というものは、実は、状況に流されている時なのだよ?

374 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 01:07:43
AはBを左利きだからという理由でボコボコにした
しかしBは死んでいないし法律はこれを禁じていない

にも関わらずこれは悪である。何故?知りませんよ、誰か考えてくださいよ

375 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 01:14:00
>>374
そこで言う悪が
「社会的によくないとみなされる事」
とするのであれば、答えは単純。

「契約」、だな。

376 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 01:22:17
374の言ってることは高度でわからん


377 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 01:24:36
>>376
いや、きっと日常でなんかあったんだって

378 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 08:40:40
オウム、九官鳥のような人がいるね。
不変といえば不変に近いかも知れぬ。
論理的というのははやっているのかね。つじつまあわせをすれば、
論理的、なんてね。的って言うのはいいと思うよ。的でしかないんだから。
なんだかんだといいつつも、自分も勢力争いの真っ只中に、自ら
没入しているのですよ。自分が正当であったとしてもそれを公言する
必要はないではないですか。正当を保ちたいなら、あまり、論争に
入り込まないことです。接触が多いと、不変も侵食されていく恐れが
ありますよ。
あと、自らも論理的なことを前もって言っていないことも分かってください。
物事を言い表すのに何でも前もって論理的な証明を述べないと効力がないのですか?
実験で得られたことでも、理屈をつけなければ、無意味なのですか?
あと、具体性を示してください。もう、記してるのかな?
あと、前にも言ったかな、思い込み。お互い様ですな。
あなたの理屈は下るも上るもしない平坦なものですよ。不変、結構ですね。
あとね、自分も地球を食い荒らしていることに変わりないということ。
あなたの糞尿を土へ戻してください。あなた、自らの手で。
交通機関を使わないで、徒歩してください。生きていける最低限のことだけ
してください。忙しくなりますよ。

379 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 08:59:51
人間を悪、と思うのは善ですよ。危険極まりない、危険因子、
それは人間が善として疑わない、輩なのです。
こういう、自らをよしとして、業を遂行突破してしまう連中が
惨劇を引き起こす。しかも周囲を洗脳し自らを多大な勢力にしてしまうのです。
後はもう、楽ですよ。自分の分子が手となり、足となり、采配していれば
いいのですから。自分の趣くままに世界を操れる。
これが、制御、なのです。
小さい力で、大きな力をコントロールする。油圧機械、電子回路と
同じようなもんです。
勘違いしないで。小さい力は小さい力に過ぎないんだから。
小さい力が大きくなったわけではないのだから。
言いたいこと分かりますか。どんな権力者も力は小さいのですよ。

380 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 09:26:33
今、絶対的君主というものは少なくなっているのかもしれません。
しかし、それは単独ではなくなったということだけです。
その権力が数十人、数百人規模になれば、一億の人間を動かせます。
それが、政治。私は制御される側にいるのです。そして、
善悪の判断も刷り込まされているかもしれません。
統括する範囲が年々大きくなってきているのでしょう。
これからも、その傾向は続いて、私の存命中は分かりませんが、
地球を一握りの権力が制御するかもしれません。
しかしね、それは止められぬことなのかも知れぬ。私のような下っ端は
そこで安住の地を得て、権力者たちは思うがままに操れる。
お互い不満も起きないからね。
そこには内部に格差があるんだけど、不満がないから、問題として
浮上してこない。見てみぬふり、格差などない、となる。
それで、御の字。
しかしね。
権力者達の内部紛争はなくならないと思うよ。結局ね、自ら達の
意のむくままに世界を動かしていって大満足なんだけど、
内部崩壊してしまうんだ。人間は寄り集まれば必ず、相違が出て、
その内部において騒動が起こる。

制御システムを制御するシステムが、ない。

381 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 11:41:21
頓挫してしまった、入れ子構造。
めんどい、簡単に言うと人間は地球の一部、地球は宇宙の一部。
これは人間が考えようと考えまいと成り立っていること。
人間はその構造の一部をなしている。人間はその構造の一部ゆえに
認識もそういう構造の仕方で達成している。カテゴリというのか
そういう形で物事を把握する。この枠からはとりあえず、離れられない。
物質的に入れ子になっているが、精神も入れ子になっているのだ。

入れ子のどの部分にいるのか。まったく分からないことです。
そこの居場所から、ステップアップしたり、ステップダウンしたりして
今、どこにいたのか、を確信しているのです。
人間、という中分類から、地球という大分類、個人という小分類
視点を移動させながら、言葉を操ったり、時間を確かめたり、
様々なことを認識している。しかも、本当はその段階がどこの段階なのかは
困難なのです。それを知るには極大から、極小までを調べつくさなくては
ならないのですから。
さあ、この入れ子構造が脈動を作っていることに、今気づきました。
脈動を止めるには、止める必要はないんですが、何も考えないことです。
もし、あなたが、何も考えないようにしようと決めて挫折しないなら
大した珠ですね。おそらく、肉体的にかなり危険なレベルにある人でしょう。

銀河団銀河群銀河太陽系、人間って?と思いますよ。ま、それはおいときます。
基準をどこに置くかってことですね。瞬間には絶対値なんですけど、
そこに留まると動かなくなるので、相対値になるわけです。
絶対値と相対値とに交互に移り変わっているのです。

382 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 11:52:53
フラクタル、もその入れ子と同様のものと思っています。
道路、血管、河川、銀河、新聞等の印刷物、波、雲、etc
人間集団もそうですね。
都市、田舎、
大グループ、小グループ
ビル郡、

さあ、人間はどの位置にいて、どのように客観され、紛れ込み
集合を演出しているのでしょう?
自分が主観しているとき、当の自分は何物かに客観されています。
気づかぬままに、自分はフラクタル要素の一員になっちゃってるのです。


383 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 11:59:32
ガイア仮説、そんな考えからくるのでしょう。
地球は何を演出しているのでしょうね。
電子と電子はおそろしく、希薄なところにあると聞いた事があります。
地球と星星が希薄な宇宙にぽつねんとあったとしても、
私たちが物体を認識できるように、地球もまたさらなる大きな物体の
一員として、何物かに認識されているのかもしれません。
それは当に人間がやっていますけどね。
天体観測として。
銀河として認識されている。

384 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 12:30:40
地球は華やかで複雑多岐に渡っていると思ってしまいますけどね。
遠方からみたものには地球なんて影すら見えないのです。
そこで辛うじて彩光を放つのは太陽くらいでしょう。
ゴミにもならんのですよ。
それで、複雑とかなんとかって言えますか?複雑と簡易は一転二転するのです。

むしろ存在感は太陽が圧倒的に高い。言うまでもない。
人間一人一人は、集団になって、複雑さを増すことによって
自己の存在性を挽回しようとしている。
人間は地球の一員であり、地球は太陽の存在感に負けじと、
競合しているかのように見える。そのために貧相な光を放たない自星を
生命体を生み出すことによって自らを彩った。夢があるでしょ?
太陽から出た光は、地球に当たり反射して、太陽に戻る。
反射するから人工衛星とかで地球を観測できるんだが、

光を当てる、これってどういうことか、想像してみて。
あなたなら、何故光を当てるのか、ちょっと、僕に教えて。
光でも電磁波でもいいからさ。

385 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 14:45:28
フィボナッチ定数とかさ、ルート矩形とかさ、人間は
そういうのに目ざとく気づくし、それに美を感じるもんなんだよ。
何でかって言うのは今更言うまいが、人間がそういう構造をなしているからなんだ。
美を求めて生きたい。それはこのスレでは言っていなかったが、別では
よく言っていたなあ。
美はそれこそ、言い表せないことだけど、敢えてその美を記述したい。
どうも、現代は完璧さを求めすぎている感があるのだが、どう?
完璧さを求めれば必然に機械化に頼るしかない。それも美ではあるが、
無機な美である。人間の手仕事を微塵も感じさせないのが、許容できる美なの
だろうか。手仕事には雑さがあるものだけれど、それに人間味を感じないか?
有機的な美は雑さのかもし出す、複雑性を残した、機械のような味気ない
完璧さではなく、雑さから、その人間が関わったであろう苦心を想像でき、
その上でその関係者と心を同調し、人間のなしたこと、と人を許せるように
なるのである。その時自分の心も美しく清らかになるだろう?
工業的なものに美を感じ、有機的な美を排除しているようでは
そのもの自体は美しくなったとしても自分は美しくはなれませんよ。
人間が工業化によって地球という力を制御しようとしているのが分かりますか?
工業化によって失敗を許さない、という風潮はますます拡大していく気がします。
今まで、
美を求めたいと思ってきたが、それは自分が美しいと思えばそれでいいと
思ってきたが、そうではなかったんだ。それだけでは足りないんだ。
自分の心も洗われるかのように美しくならなければならないのだ。
端整取れているだけが美ではないのだ。

386 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 15:32:58
>>384
つまらん言葉の羅列に、何の進展も望めませんね。
物事を擬人化した喋りは、とかく真実から遠離り個の立場を見失うことに繋がりますよ。
何故、地球が太陽にいじけなければ成らないのですか?
>光を当てる、これってどういうことか、想像してみて。
>あなたなら、何故光を当てるのか、ちょっと、僕に教えて。
貴方は科学的?宗教的?哲学的?の何に対して答えを望みますか?
議題の「善悪とは何か?」を明確に弁別する心を人が備えれば人の潜在する知能が育ち、人類は貴方の仰る
新人類として戦争や貧困・飢餓や犯罪のない新しい人類史の夜明けを迎えることができるのです。
これは哲学が担う役目です。


387 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 16:36:36
一応読んでくれたんだ。ないすなやつ。一応謝辞。
いじけるとは、ちょっと語弊を招いたね。
新人類。これを語るにはエネルギーについて語らねばなるまい。
言葉を返すようですが、あなたも進展ないですよ。
私が知る限りではね。
善悪を弁別とかというくだりはもう分かりましたよ。
後でエネルギーについて、つまらんことをかきませう。
ところで、
会社の年賀状、会社を擬人化しているような。

388 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:33:16
>>387
>言葉を返すようですが、あなたも進展ないですよ。
あなたも、と言う言葉には御自分の進展がないこを認めていますね。
>新人類。これを語るにはエネルギーについて語らねばなるまい。
新人類を語るにはエネルギーと言う力に頼らず人の隠された心に光を当てることが肝要ですね。



389 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:34:16
エネルギーとは結論から言うと、拡散能力ということになるのだが、
このエネルギーというのが一般的には拡散する能力だけで
不可逆性のことを示している。
だから、エントロピーの法則とかって言うんだけど、
この法則は乱雑さとか平均化とか、そういったものなんだろうけど、
とりあえず、そうなってる。
拡散する能力すなわち、資源性があるのか、ないのかなんだ。
エネルギーをエクセルギーで考えるとよく分かるようだ。
ちょっと、忘れたけど。
世の一般ではエネルギーとは温の部分にのみ着眼して
冷の部分には着目していないのだ。

今日はもう、いやになってきた。

とりあえず、人間には永久機関は作れないといっておこう。有名だけど。
人間には、ってところが、味噌だけど。


390 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 17:36:18


なんでエネルギーをここで、と思うかもしれないけれど。
エネルギー問題がなかったら、搾取とかそういう物的な争いは
なくなるんだ。無尽蔵にあるんだったら、わざわざ奪おうとはしないさ。
でもね、逆にむじんぞうだったら、大変なことになるのさ。
エネルギー問題が解消されれば戦争等はなくなるけれど、自然環境問題も
皆無だけど、人間には情に流されるから、やはり、問題はそれだけでは
解決しないだろうね。ただね、最も危険なのは情にも流されなく
なったときですよ。情けは今では金で買えたとしても
格差がなくなれば、どうしようもなくなりますよ。それは、孤独感でしょうね。
エネルギーが充足されれば半面孤独感は増すでしょうね。
端的に言って物的に豊かになっても心は貧しい、ってとこかな。
エネルギー問題を解決することによって戦争、環境問題などが
なくなる代わりに当の自分たちはみんなとりえもない、何の魅力もない
誰が誰を欲するわけでもない、みすぼらしい心になっちゃうのです。

だから、あるものを活かして賢く生きていきたい、みなもそうあって
欲しい、と願っているわけでございます。

ストップ。


391 :考える名無しさん:2006/12/23(土) 18:03:23
>>390
>エネルギー問題がなかったら、搾取とかそういう物的な争いは
>なくなるんだ。無尽蔵にあるんだったら、わざわざ奪おうとはしないさ。
と思ってアインシュタインは相対性理論から原子力を発見したが、
それを扱う人の知能が追い付かぬことに気づいた時は既に遅く、
早すぎたその発見に後悔をし、この世を去ったのです。
ですから、
新人類を語るにはエネルギーと言う力に頼らず人の隠された心に光を当てることが肝要ですね。
と言うことです。
有り余る、新しいエネルギーが発見されても人の知能を育てなければ必ず、奪い合いに発展します。



392 :189:2006/12/24(日) 03:01:05
>>291
>問う意味とは目的と言う答を指します、が次に問うことが目的として記述して有りますので文章に誤りが有ります。
その「文章」はあなたが書いたもので、私は、そのような「文章」は書いていません。
あなたが私の考え(だとあなたが考える文章)として書いた「あなたの文章」が、
文章としていくら間違っていても、それは私の考えに誤りがあるかどうかとは無関係なことです。

393 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 09:33:21
原子力のエネルギーは莫大に思ってしまうものだ。
とんでもない。
とりあえず、原子力の核分裂を使った利用は人類は避けておくべきだ。
原子力発電を一刻も早くやめること。原子力発電が石油の無駄使いになっている
ということに全国民が気づくべきである。放射能の減衰年数だけではない、
今、たった今、原子力発電によって、石油を莫大に浪費している。
しかも、それが永年にわたり嵩んでいくのだ。

アインシュタイン?あなた、実物知ってるの?よく言えるねそんなこと。
原子力は無尽蔵ではない。少なくとも核分裂に関しては。むしろ、浪費なんだよ。
分裂を制御できてたとしてもそれに関わる処理や、建設、管理、などなど、
利得上回る損失が発生しているんだ。そんなものが、無尽蔵だと?

今空気たくさんありますよね。誰も奪い合いしませんよね。有り余っているから。
しかしね、無限にあるわけではないんだ。だから、そうなる可能性はある。
でも、無限だったら、その可能性はない。

394 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 10:00:04
エネルギーに頼らない心、これはあなたと少し一致するよ。
私は、夢の核融合でも核分裂と同じ過ちを踏むとにらんでいる。
あまりにも取り扱う力が大きいために、制御しきれないだろう。
わずかな制御力が、その実、莫大な労力をもって、償わなければならない
結果に陥るだろう。
巨大な力を範疇にしようとした人類は、大きな代償という危うい賭博を
しようとしている。代償は己に返ってくるだけではなく、人類以外の
地上あらゆるものに責任をなすり付け、完済されるだろう。
そうなれば、まさに人類は悪徳ですよ。
もし新人類が発生してくるというのなら、それは大きな力、エネルギーを
技術で得たものではなく、見かけ上、現代人と逆行しているかのように
見えるが、考え方が飛躍している人たちがつむぎ出すでしょう。

ただ、エネルギーに頼らなくては存在は出来ませんよ。

395 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 10:39:49
低レベルでしようもないけど、本もあまり読まないし。
以前、エントロピー増大の法則で、ならば何故星や人間が作られるのだろう?
と不思議でならなかったが、
熱力学上、その系に関して言えば、その法則は已然として成立しているとか
妙に納得させられたものだ。熱は振動が振動を伝えるさまを言うようだが、
それは高いほうから低いほうへと向かう一方向のものである。
これが、時間と言うものは過去から未来へと向かう不可逆性を示したらしい。
無知、そして、私の忘却性に恥ずかしいが、
私はやはり、俄然納得できなくなってきた。
エネルギーとは世間で乱れ飛んでいる言葉だが、その正体はなんなのか、
と探したものだ。得られるものは人によってまちまちであり、やはり、
決定的にはなんなのか、未だに分からない。
科学と言うものに妙に納得させられ、妙に文明の利器に翻弄され、
妙に、思考回路も決定させられているように思ってしまう。

とりあえず、人間はいくら技術進歩しても人間には変わりない。
新か旧かなんて、勝手に取ってつけたようなものだ。

そして、とりあえず、あっちこっち手を出していると、必ずどこかが
手薄になる。どっかに集中していると、必ずそれ以外には力を注げない。
万全、万能なんてものは、ない。これだけは言えるよ。(人間に)

396 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 12:37:50
連投規制がなかったころは楽しかったな。リアル感があった。チャットのような。
力というものは、そういう、瞬間的に表現、行動しなくてはならないときに
真価を出すもの、と思ったものだ。現実での応答はそれこそ、この掲示板の
ように時間の猶予があるわけではなく、即答を求められる。即答と言うのは
すなわち、ちんたら、深く考えていられないということであって、後で考えると
わけの分からないことを口走ってしまってしまうものだ。そして、即答に
おいて、理路整然とものを言えるものほど、力がある。
考え抜いて言うのも同じことなんではあるが、それは潜在能力なのであり
即答はその本人の身に付けた能力である。そして、リアルタイムの
やり取りで私は自分の力のなさを痛感してしまうと言うわけだ。
ほとんど、誰しもが後で物事を整然と言うことは出来るのである。
調べる時間と、纏め上げる時間があれば、誰でも出来る。
私やあなた方が返答するに当って、何日も時間を経て解答するのなら、
誰だって出来ることなのだ。逆に言うと、何日も経ってからきた返答は
ある程度は正しい、あるいは確かなものになるというのは当然のことなのだ。
本当の人間の力って言うのは日常の時間において通用する時間帯で
発揮されるものを言うんだ。筋肉も同じですよ。100キロのものを
長い年月掛けてもいいというのなら、誰でも動かせますよ。

397 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:07:18
誰でもという言い方はちょっとまずかったかな。
よーく考えて行動しなくてはならない。しかし、考えているうちに
人生終わってしまいますよ。だから、だから私はほかのことはゆっくり
じっくりやってもいいし、むしろ、ねちっこくやりたいんだが、
こと、人間の方向、世界の成り立ち、つまり、基礎を
出来る限り早めに固めたいんだ。
私がやっていることは基礎も出来ていない、そして、基礎の段階で
右往左往している状況なのだ。それが、思考の脆さ。じっくりかかっていても
いいが、それでは基礎も出来ないですよ。時期尚早かもしれないが、
それに関してだけは早いに越したことはない。いつ死ぬか分からないのに。
人類の繁栄はそれを踏まえてからでしょう。
私を含めてですが、自分は何のために生き存在しているのか、これを
知っていない人がほとんどだと思いますよ。この基礎を踏まえないと
おそらく、いつまでも基礎も築けず迷妄するでしょう。
人間は科学でその謎に迫ろうとしています。科学は説得力があるので諸説は
大衆に受け入れられるでしょう。主観は客観に圧倒される。科学は
ますます人間の非力を証明するだけですが、逆に言えば、世界の偉大さを
証明することでもあります。
ものすごく遠回りをして説得、証明をし、確かなものにするのです。
人間はそうしなければものが分からない。信じきる事が出来ないからです。
なぜ生きているのか?この一行にも、多大な文献、論文、観測結果などが
必要になってくるのです。でも、
それを読破、探求しているうちに、
死んでしまいますよ。
苦労が実を結ばないんですよ。まさしく、これでは意味がない人生です。


398 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:35:40
一月一日がなんで、その日、なのか。疑問であった。
西暦の起源はキリストと知っていたのだが、何故12月25なのかと。
大方そういう疑問を持たず暮らしていると思う。私も昨日まで深く考えなかった。
でも、
そんな理由は、どうでもいいこと、あっちでも、こっちでも、どっちでも、
こんなことは何の問題にもなりはしない。詮索しないでその日は、その日と
受け入れておけばいいことだ。雑学としてはいいだろうけど、
疑念を持つのはおかしなことだ。そんなことばかり詮索していても
雑学博士になるだけだ。


399 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 13:56:35
まずいなあ、やばい、こうなってくるとやばいんだ。
偉大な雑学、万歳。


400 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 14:47:34
スポーツなんて何でこんなものがあるのか?と訝しく思うときがあるよ。

何で、俺は哲学版に入り浸っているのだろう。
後付になってしまうが、その理由はなんなのか。

功利に走っているようだ。ここ数年その路線から抜けられぬ。
何をするにも興ざめしてしまって。
何で祭りなんかするのだろう?
いえーい。

むなしい。

とりあえず、腕を磨いておくよ。

気になる。なにやら気になる。気にならなくなれば、終わりだ。


401 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 16:59:54
団塊世代は、害虫のようだ。害虫ではないんだが、そう、見えてしまう。
みんながそうでは、ないと思うのだが。
金だ。金が全て、亡者になっている。本質を見失っている。
何をどういっても、分からないのさ。盲目に色を説明しても分からぬように。
そういう私は団塊の子なわけなのだが、私の両親がまさにその守銭奴、
全てを金で考えるような人たちなのである。だから彼らは安ければ簡単に
捨てる。その安さがどれほどの環境に負荷を与えて作られたかも知らずに。
高いものは価値があるものだと思っている。百円のものに千円の値札が
ついていれば千円の価値があるものと、思っている。彼らは価値を見る
目を失ってしまった。金額というデータを価値をあらわすものと信じて
疑っていない。彼らには長生きして欲しい。親だもの。しかし、
こんな親世代が蔓延しているとなれば、恐ろしいものだ。
できれば、そこから、生きているうちに抜け出して欲しい。というか、
共存するには抜けてもらわないと、こちらも危ういんだ。抜けてもらわないなら
彼らが死んでいなくなるほか、道は残されていない。無論彼らと言っているのは
団塊だけではなく、マネーの本質を見ようとしないものどもの総称である。
一円だって全国民から徴収すれば1億であろう。自分だけだと、考えてはいられない。
そして、一円といっても、それは多大な環境ストレスから、その値段が付けられている。
データ化してものを見るようになると、本質を失いかねない。
彼らは待機電力を屁とも思わない。安いから。そして、悪びれることもない。
その意味のない行為が環境を蝕む一員ということにも。
そして、最終的に、お前はケチ、それで一蹴なのだよ。
私とは次元が違う、人種である。
環境保全といっている連中が、馬鹿にされていくんだよ。質素、慎ましさが
異常扱いされる。田舎で原始的な生き方をしていれば、ちょっと変わってるね、
と思われるのだよ。

402 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 17:19:41
通信手段はデジタルから始まり、アナログを経て現在ではデジタルが
主力となっている。
そして、デジタルが優れていると思われがちだ。
デジタル、アナログはこれがデジタル、これがアナログといった明確に
決められないんだが、とりあえず、置いておいて。
私はこのデジタル万能主義がますます強まり、アナログ的なことは
排除されていくような気がしてならない。そして、
アナログ的なことに回帰しないと、人間的に危なくなってくるとにらんでいる。
こういう私もデジタル的手法によって表現しているのだが、
自覚しつつも、
終了といたす。

403 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 19:37:57
>>393
長いので肝心なところを抜粋してお話し、しましょう。
>>397
>人間の方向、世界の成り立ち、つまり、基礎を
>出来る限り早めに固めたいんだ。
この件に関して端的に方法論をお聞かせ下さい。






404 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 10:05:50
やる気が出ない。抜粋とか端的とか、それはデジタル思考なんだね。
私は単語を知らないので、あなたの方で要約、単純化、かいつまんで
見てください。多分私が要約するより、良いと思われるので。
私が重要と思っているところがそうでなかったり、私が些細なことと
思っている事がそうでなかったり、すると思います。

確かに、長かった。当初こんなつもりは、なかった。
最初から書かなければ良かったのだ。ゴミン。

私も急きすぎたかもしれない。ただ、往復、反復がいやになっただけだ。
山登りのように右へ行き左へ行くが確実に登っていきたいのである。
登っているならそれでいいのだ。
直行しても同じことだが、味気ないのである。私の望見。

デジタル的に現代人は生きていこうというのか。それは端的に物事を表し
即座に手に入れれるものだけれど、味わいのない人生であろう。
私は以前いったはずだけど、便利性を求めるがばかりに失うものも大きいと。
ものは使いよう。

一スレ使ってしまった。ゴミン。


405 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 11:46:28
人生はプロセス、と前に書いた。
持続可能な社会という言葉がある。私は生きているうちは持続可能なことを
求めてそれをそれを探り、日々実行していく事が最善、と思っている。
確かに、
いつ死ぬか分からない。そうではあっても、何十年、何百年の先を見越した
ことを選択しようとする意欲、これが大事だと思っている。そして、そうする
ことで、人生は光り輝くと思う。
この世はあらゆることで均衡を保ち続ける作用が働いている。作用と反作用と。
物理的なことだけではない。私たちの心もまた、それに従っているのだ。
物に何か手を加えると、必ずそのもの自体も変化を受けます。それは
手を加えたことに対する相殺の作用なのです。心も同じ。ひとたび何かを
考えれば、それに相殺の作用が加わり、ある考えはある考えを補完する
作用だったり、逆にある考えを修正する作用であったりします。
心も物も絶えず完全であることを達成するのです。私たちはその半分の
作用しか目に見えなかったり気づかなかったりするのが茶飯事ですが、
ちょっとした行動でも知らぬ間に相殺の作用が働いているのです。
全てを知ろうとすると、全てを忘れます。
私たちはこの世に誕生してきましたが、それは死をもって完結され、全うされます。
もし、永年生きるとすれば、永年死んだも同然のことなのです。
私たち生けるものは必ず死に向かって生きているのです。
だから、明日死んでもそれで、一向に構わず、それも自己あるいは周囲の
力によって完済される一つの出来事なのです。
さて、持続可能性を求める生き方が最善と言うのはそのことを踏まえた上で
考えていきたい。

406 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 12:05:52
持続可能性を求めると言うことは未来を、前を見て生きていくということで
ありまして、現世利得というか、その場限りの欲望を満たすために生きて
いることは後ろ向きに生きているということになります。
それは、死というものが私たちの背後にぴったりと寄り添っているので、
その場限りの欲求解消は、いつ死ぬかわからないから、という
隠れた思惑があります。ですから、その欲求解消法は死を見つめつつ
行われているわけです。私たちは必ず死が訪れますが、死と言うものを
わざわざ自ら求めているということなのであり、私たちが生まれた
理由から、間違っているとは言いませんが、逸脱していることなのです。
なぜ、わざわざ生まれてきたと言うのに、わざわざ死を急がねばならんのです。
それは思考、無思考に関係なくやってくるというのに。
現代はあまりにも手っ取り早く手中に収めることを望みすぎているのかも
知れません。そして、そのことによって、私たちの生きている意味を
自らの手で失わせようとしているのです。持続可能性を最重視して
生きていれば、死ぬまで人間の生きる価値は目減りしないでしょう。

407 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 12:38:44
方法論という単語を調べてみたら、どんどん深みにはまって調べてしまった。
いや、適度に切り上げたけど。方法論、はやってるの?方法、じゃだめ?
方法論について書こうとすればちょっと、方法論って何なのか知らなくては
なるまい。ちなみにニフティ辞書である。論理的・認識論的反省、
理論的反省、ここらが漠然としていて、ちょっと、時間欲しい。
ゴミン。

408 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 13:09:10
刹那って単語あったじゃん。私も単語覚えないとだめかな。

言葉は不思議。というか、言葉も人間と同じような作用、性質がある。
人には先祖がいて個体って先祖があるから、そこにいる。
そして人は子孫を残して個体を増産する。
言葉もそうなっていた。方法論という一単語はいろんな意味の集大成
そして方法論と言う一単語が何か他の単語とくっついて別の意味をもたらしたり
何かの単語の意味の一部になったり、新語を生み出すきっかけになったり、
死後を作る原因になったり、

何でも擬人化するとよくない、というようなことを書いてあったが、
同じような現象なので、そう思ってしまうよ。いろんなことが、ね。
心臓はエンジン、頭はコンピュータ、目はカメラ、やってることは
同じなんだもの。ただ、それらの機械は人間のほうが先駆けて持っていた
ものを模倣したようなものだけど。
人間はロボット。
こうならなければ、いいんだが。

409 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 15:45:27
人間はロボットだよ。 

410 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 16:46:41
>>404
>>397
>人間の方向、世界の成り立ち、つまり、基礎を
>出来る限り早めに固めたいんだ。
この二行には人間的な基礎が未熟で有り、その基礎固めを早急に行いたい、と言う貴方の意思が込められています。
当然、人間的な基礎が未熟で有る原因と如何に未熟な基礎を堅固なものにするのか、と言う方法論をお持ちだと思いますので、
そのことをお聞きしたいと思います。
>私たちの生きている意味を
>自らの手で失わせようとしているのです。持続可能性を最重視して
>生きていれば、死ぬまで人間の生きる価値は目減りしないでしょう。
人が人間的・合理的精神を維持しつつ、持続可能性を最重視して目減りしない精神的価値観を共有する方法、をお聞きしたいのです。




411 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:14:01
話の腰を折るようですまない。

16:46頃ビビっときたんだ。頭の中で。耳鳴りがつんざくようになった。
もしや、まさか、ね。と思っていたんだが、

書き込みがしてあるじゃないの。これ、偶然?ちょっと、どきどきしている。
手が小刻みに震えている。
オーライ、イッツオーライ、私はどんなことも受け入れる覚悟でいる。
生きながらにして、物理の枠から抜け出せるかもしれない。
すまない、きち外さらしてしまった。
方法、ちょっと待って。というか、期待しないで。
前もっていっとくけど、原案は、ない、全てのスレは原案などなかった。
行き当たりばったりで自分の内部から滑らかに出てきたものであった。
何かを書こうという気概もなかった。しかし、気づかぬうちに煮詰まってきた
ものであったのだろう。
具体的な方法は、今は書きたくない。方法と言うことがどういうことなのか、
それをまず、書きたい。
ゴミンね。あなたが策あったら、ちょっと、聞きたいな。

412 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 17:33:18
備忘録。
グローバル化はよくないと思うが、
グローバルな視点はよいと思われる。

書きたいけど、またあとで。さようならー。

413 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 18:20:20
悪=偽善心がいたむ

善=偽善心がいたまない

414 :考える名無しさん:2006/12/26(火) 20:46:32
>グローバルな視点はよいと思われる。

グローバルな視点 なんていう欺瞞に満たされるような主観こそが
グローバル化を促す要因なんだろうな

善悪を質でなく量で推し量ろうとする志向は悪だろう

415 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 00:00:45
ネンマツハ バカ シカ コナイ ンダロカ、、、 ^^;

416 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 02:16:07
友達に三つの禁忌が殺人・食人・近親相姦っていったら
昔は近親相姦は普通にあったから違うよっていわれたけどどうなの?


417 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 02:27:42

時代が変わっても、今いけないと思えば、いけないと主張しろ。

418 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 10:22:09
他愛ないのはご愛嬌、というくらいであしらってくれたら幸いです。
私は人間に関して言えば、量るということが出来ることが、人間性を作る
ものだと思っています。他生命については推し量ることしかできませんが、
彼らは質を感知しているでしょう。量については分かりません。
彼らは天候というものをいち早く知る能力があります。冬支度をしたり
積雪量を事前に知っていたり、豪雨などの到来をいち早くキャッチしています。
それは、質と言う側面をありのままに感じ、それを巧みに活用していく
彼らなりの能力なのです。
質という観点から物事をみれば、時空を越える事が出来ます。
これは質感は同調からなされると前に書いたな。
彼らはいちいち、天候を分析し、シミュレートしているわけではありません。
計算能力のずば抜けた人が、まれにいますが、サバンだった、彼らは
逐一計算していない、数字がイメージとして出てくる。それに類するもの
なのでしょう。アナログ的生き方とはまさにそういう感じですよ。
量るということが、人間に時間を作り、そして、技術を発展させ、
人間に共通の概念をつくり、人間を纏め上げようとする作用があります。
質は普遍なのですが、固有のものでもあるので、私たち人間は質と言う
本来は固有のものを共有するために量を発展させてきたわけです。
量というのは大小とかでなく、尺度のことを言っていますが、単位のことですね。
国際単位というものが人類をますます結束させていきますが、
反面、無個性の集団になる危険をはらんでいます。全てを数値化し
人間さえも数値で表し、一人は一人、それ以上でもそれ以下でもないもの
になります。一キロfはみな共通になりますが、本来その重さは自分だけの
ものということすら忘れさせてしまいます。

自分でも意味が分からなくなってきた。

419 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 10:44:20
強引にまとめよう。自分の中で。
量を量れるのが人間性であるのだが、それが人間の社会を形成する、
そしてそれが工業化、機械化を達成し、人間と他動物との差別化を図っている。
人間と他動物の優劣は決めがたいが、人間側から見ると科学、工業、が
優位と主張できる点の一つだ。
しかし、量れるという能力を持つがゆえに捨て去った能力もあり、
その量る能力をますます、重視していくと人間はますます、動物と格差が
広がっていくわけなのだが、反面、それは人間がますます、ロボットに
等しい存在に近づいていくわけである。

全体像を捨て去り局所的観点を重視した末路。


420 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 11:23:19
局所的な悪化が全土に被害を及ぼす。都市の大気汚染、森林の伐採、
ゴミの処分場、人間は物理的に集結すると、地球規模では小さい部分ではあるが
その小さい部分が地球規模での悪化をもたらしかねない、という危険性がある。
そしてそれは集団を構成するものたちだけではなく、部外のものにも
影響を及ぼし、共倒れだけでなく、巻き込みしてしまうものだ。
人間はできるだけ小規模でコミューンを形成し、しかし、心の内面では
全人類と繋がっている。それが私の理想。それが個々の価値を相互に
高めあい、なおかつ、世界規模において、持続可能性を高める指向性を
もった生き方であろう。
わが身の属する所だけを考えていく事だけではだめですし、
かといって、属する所の規模を拡大していってもだめなわけです。

隣人を愛し、かつ世界を愛しましょう。こんな具合です。

奇麗事過ぎるかな。

421 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 12:10:56
さて、方法について、方法とは何か目的を達成するためのやり方、ですね。

私たち一人一人は何かしら目的があったはずです。少なくとも半分は。
親が子を生みますが、子は親の意図と自らの意図を併せ持って一個体として
生まれてきます。どちらかが欠落すると子は生まれません。
生まれる以前に意図があるというのはおかしなことですが、機械的に
生まれてくるものでは決してない。

めちゃめちゃ長くなる。よって、終了。

422 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 15:39:54
だ、だめだ。普遍な方法なんて、なーい。
目的がみんな違うと思うから、はなからそんな普遍を探そうとする事自体が
浪費、浪費、浪費、あほらし。どうして、自分は一致団結したくなるのだろう。
力のなさ、ゆえにか。自分は自分、それでいいじゃないか。
たとえ、俺がここで方法論を説いたからと言って、それがみなさまに
どういう効力があるというのだ。知ったことじゃない。聞く耳ももたれない
じゃないか。垂れ流し状態だ。だが、それでもよかろう。
私が基礎も出来ていないと言ったな。その基礎を築くための方法を聞かれた。
まんまとだまされた。いいかい、俺は基礎が出来ていないと言うことは

目的、それが、分からない、だから、出来ていないのじゃないか。

俺は方法を探ろうとしていた、さっきまで、しかし、それは全く逆の
アプローチじゃないか。あぶねー。放浪するところだった。
目的がちゃんと分かってから、その上で方法が立てられるんじゃないか。
なんかおかしいと、思ってたんだ。しっくり来なかったんだ。
思考もとまってしまったんだ。それもそのはず、逆アプローチだったんだから。

423 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 16:00:50
人間の知恵を結集させれば今この現在をあっという間に変えることだって
出来る。良いほうにも悪いほうにも。
私たちは寂しさからか、非力ゆえか、効率の観点からか、寄り添いあいたがる
傾向がある。しかし、その傾向を増大させることはさらなる劣悪さを生み出す
ことは書いたな。
だから、こそ、なんだが、心の面で、知恵を共有しあい物理的な集結ではなく
精神面で集結する事がこれからの時代を飛躍するものにさせるだろう。
知恵を共有すると言うことは自分だけでなく、地球規模を視野に入れた
生きる知恵を、満遍なく、人類において個性は残すものの、その
生存していくための知恵、テクニック、それだけはみな共通でなければ
ならんのだ。あなた方が長生き出来る環境にいるということは、それは
おのずと自らもその環境に入れると言うことをみなが分かっていなければ
ならないのだ。異端者には猶予は与えたとしても強制排除もやむをえん
場合もあるかも知れぬ。しかし、教育なのである。長い時間をかけて
教育すれば脳構造に異常がない限り、分かってもらえるはずである。

長生きすれば幸せなのか?とはこの期に及んでいわんでくれ。長生きが
幸せなのではない。

424 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 16:33:08
>>422
貴方が今、方法をお持ちで無くとも
>人間の方向、世界の成り立ち、つまり、基礎を
>出来る限り早めに固めたいんだ。
この考え(目的)は大切なことです。
もしも方法論をお持ちで話しているのでしたらお聞きしたいな、と思いました。
ただ、
>だ、だめだ。普遍な方法なんて、なーい。
なんて簡単に諦めないで下さい。
新たな発明や発見も全て過去には見いだされていないことです。
人の心も理と言う仕組みに依って一分一厘、狂いの無い精密さで動いていますが、そのことを知るには潜在知能を必要とします。
潜在知能は力で無理に引きだす潜在能力と違い、誰でも生まれ付き備えている育てることのできる素晴らしい知能です。
しかし人類史の生い立ちが人々の潜在知能の発育を妨げ、貴方が>>420に記した状況を産みだしているのです。
ですから人類史の幸転を図るには、誰の心にも潜み在りながら使われることの無かった潜在知能を呼び覚ます方法を広めれば全ては円満に解決するでしょう。
智恵は知能に依って産みだされますので、潜在し使われることの無い知能を育てれば誰でも正しい智恵を使うことができるのです。
当たり前ですが至ってシンプルで簡単な、潜在知能を育てる方法が私の考えです。






425 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 16:36:45
相対的な概念。
それ(善悪)を決める人が、どのような意味でそれを使うかによる。

426 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 16:52:58
私は私として生きること。これが目的。
その目的の前段階の目的は、
オカルティックにだったら、いくらでも言えるが、これしか、真実味が
ない。
おそらく、前段階の目的もあると思われるが、あまりにも希薄すぎて
捕らえる事が出来ない。
それは入れ子構造になっているからである。これは前に書いた。
目的の中に目的があり、目的の外にも目的がある。そして、今いるこの位置の
目的しか明確さはない。それ以外はおぼろげである。
私は自ら幻に突入しようとしていた。足をこの地に付けておかなくてはならない。

基礎、終了。卒業おめでとう。

これさえ、分かっていれば必ずやいい道は拓ける。各人それぞれが
いい道を歩めますように。
最後に、
脳みそも枯渇してしまうものなので、基礎を築けないと、その場でループ
してしまいます。延々と同じようなことを繰りかえしてしまうのです。
まだ、築いていない人は早めに築いてください。もちろん、お互いのためだから
です。繁栄というのは、それからですよ。そしてそれは多彩多種多様な
アレンジの仕方があります。そしてそれが、本当の人生のダイナミズムです。
至福の千年王国、夢ではないですよ。

気が向けば具体的な方法を書きたいのですが、おそらく、そこで、議論が
まとまりつかなくなるでしょう。それはそれだけ生きることに熱心になった
からなのでしょう。それもプロセス。楽しいひと時。いや、それこそが
楽しいひと時。必ず結果は見えてくるはず、なぜなら、みんなの方向が
一致しているから、答えも、いずれ同じところへたどり着く。

427 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 17:00:18
>>423
>人間の知恵を結集させれば今この現在をあっという間に変えることだって
>出来る。良いほうにも悪いほうにも。
良いことを書きますね。
誰でも考えて正誤は別として答えを出すことができますが、悪い方向に進む考えは智恵と呼ばれる代物では無いのです。
知能を育て、それが産みだす智恵は良い方向にしか進むことができないのですね。
そして知能を育てる為には辞書にも記して有る通りに物事の理を悟らずば成らないのです。
物事の理を悟ることで知能が育ち産みだされる本当の智恵は全てに痛みを伴わぬ適切なもので無ければ成らないのです。
つまり否定するもの排除するものが有っては成らない、と言うことです。


428 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 17:07:54
424.さま。
あなたを応援しますよ。
人に教えるというのは非常に非常に難しいものです。あなたの言うように
教えるというより、引き出してあげるというようなスタンスが
いいのでしょう。あなたも、私も誰かの介添え人になれるといいですね。

勝手に分かったような態度を取っているが、容赦してください。
私の中で、ですから。

429 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 17:12:00
このスレの参加の仕方がわからん・・・

430 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 17:43:38
>>428
何が無駄だと言っても人類が誰でも育てる可能性を秘めた生まれ付き持ち合わせている知能を生涯に渡り潜在させ使わずに捨て去るほど、無駄なことは有りません。
哲学の哲の文字が指し示す道理にあかるいこと、も物事の理を悟れば道理にあかるく成れ潜在知能が育ち、必然的に本物の智恵を産みだすことが誰にでもできます。
そして物事の理を悟る為に「物事の是非・善悪を明確に弁別する心」を育てれば良いだけのことです。
こんなに簡単なことで自分の問題や社会の問題の全てを誰にも痛みを与えず適切に処理する智恵を産みだすことができるのです。
つまり「物事の是非・善悪を明確に弁別する心」が知能の発育を妨げる自己愛から知能の発育を促す、人間愛に切り替える唯一の方法なのです。
しかも物事の理を悟るのには、知識も学歴も年齢や人種などの全てに関わらず誰でも平等に悟れる、と言う優れた性質も備えているのです。
しかし自我に捕らわれた人類社会に於いて、どの様な方策でこの事を伝えるのかが目下の課題なのです。

431 :考える名無しさん:2006/12/27(水) 23:52:21
カンジャサ〜ン♪ ショートー ジカン トックニ スギテ マスヨ〜 b(`ヘ´メ)

432 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 08:50:17
ふーん。
人間愛だけじゃあ、だめだ。そうやって人間は今までやってきたんだからな。
それだけでは、転覆してしまうって言ってるのだ。んで、人間愛だけだと、
仮にそれが全人類に浸透したとしても、争いは絶えないよ。私がよかれと
思った事が実は良くなかったという、おせっかいになっちゃうよ。
んで、目下の課題の方策は、前にもちらと言ったが、あなたが有名に
なること、早急な波及効果を与えたいなら、それしか、ない。
ここで、なんくせつけてても、それはめぐりめぐるバタフライ効果ですよ。
伝えるだけが目的なら、比較的簡単なことではないのですか?
それがあなたの言ってた、方法論?
センスを磨いておきなされ、革命を起こすなら、私も微力ながら
力添えしますぞ。

433 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 09:06:46
勝ち負け、これが、人間の活動の拠り所になっている。
負けたほうが勝ちっていうゲームはない。
スポーツで多く点を失ったほうが勝ちとするルールだったら誰も身動きしない。

僕ーは僕である限りー、勝ちー続けなきゃならない。

羨望、優越感、嫉妬、その根性が他種に関しては分からないが、人間には
その手の性根があって、現代社会ではますます強まりつつある。
情報化社会がそれを加速する。
子供と遊ぶとき、わざと負けてやるのです。私の内心は負けてあげる事が
勝利という公言することのないルールを制定しているのです。
勝ちたい人は、勝ち、負けた人も勝つのです。
勝負をやめてはなりません。それは休止に向かうからです。ただ、
勝負にまつわる悪しき影響を出来るだけ回避していかなくてはならんのです。


434 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 12:12:24
金運がどうのこうのって物をすぐ捨てちゃう芸能人がいたな。
ああいうのは放映してはいかんよ。
不要なものを収集してしまう部屋の主もいただけないが、ものをどんどん
捨てちまう人もこれまたいただけないよ。しかも全国的に発信してしまう
のだからな。困ったもんさ。
局所的な力が大局的に作用する、典型的な現象。それが、電波発信である。

うさんくさい、まがい、いんちき、こういうのが、全国的に広まって
しまうのですよ。怖いものです。金運だの開運だの、まやかしでしょうが。
でも、それでもいい方向にいくまやかしなら歓迎だが、破滅の道への
方向なら、悪徳ですよ。
だまされて、いいものと、わるいものってのが、あるんです。
きれいになるのと、ものを捨て去るというのはわけが違うよ。
そんなことしてたら、大気は汚れ、処分場は満杯、自分の周りだけこざっぱり
としていても、いかんよ。

435 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 12:41:30
生産者責任ってあったけど、商品の処分まで責任を負う制度だね。
あの制度でも良くならないと思うよ。結局物品に価格を上乗せするだけ出し、
もちろん、末永く使ってもらえる製品を開発して欲しいが、商売上、その
精神で物づくりをしているかどうか、?だね。購入者の代わりに業者が
代行するってだけで、ほとんど変わらないと思うよ。
俺はリサイクルに全過信をしているわけではなく、半分以上のリサイクルは
うまい具合に組織の魂胆にだまされていると思うよ。
物づくりも廃っていくさ。ほとんどが、売れればいいって精神で物作ってれば
ね。
買うほうに責任はあるよ。すぐに廃棄するようなものを買ってしまうのが
よくないよ。んで、買ったらそのものを骨の髄までしゃぶりつくすくらいの
意気込みで取得して欲しいよ。その段階になれば、捨て去っても公害には
ならんよ。もっとも、捨て去る部分が残らないかもしれないけれど。

ゴミ問題は非常に奥深い。

436 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 12:53:35
化学肥料はまだ、許せても、農薬を使うのはやめて欲しいものだ。
今現代は、それこそ何を食っていたら残留農薬や化学物質の含有していない
食品があるというのだ?お魚さえも水銀なんかで犯され、有機無農薬野菜
にしたって、どこから巡ってくるか分からす、もう何を食べていても
微量ながら蓄積していくのは避けられない状況だと思う。
私は今現在は気にも留めていないが、これが如実に現れてくる日がいつかは
くるかもしれない。友人は最近アトピー様の現象が発症していると言っている。
笑ってはいられないんだ。
こじんまりとしててもいい、各家庭が菜園を作り、一日のうちのほんのわずかな
時間をそこに割く余裕、その余裕がどこへいってしまったのだろう。

一局に集中した大規模農園、これがもたらす被害は誰あろう、全国民に
浸透している。いや、全世界全生命体だな。

437 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 13:10:31
食肉のスレあったけど、あの食肉の最たる弊害は大規模畜産なのですね。
だから、局所的に森林は減少したりしているのですが、これも目先の効率を
考えたばかりの悲劇です。
私は地産地消が最善と考えています。物資の移動に関わるエネルギーロス
土地の疲弊、ウイルス、等私にはあまりいい方法と思えないのです。

まあ、もっと言いたいことはあるけど、食肉のスレに前に書いたし、いいか。
分かってもらえなかったけど。倫理とか言ってるとながくなるし。

具体的に言っていいか?勝手にオーケー。
極論すれば、各家庭に一頭くらいは牛なり豚なりかっとこう。極論だね。

438 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 13:22:28
太ってて痩せたいと思っている人には鍬を持たせるべし。エアロビとか
ダイエット食とか、あほの極地でしょう。どうせなら、外ですがすがしい
汗をかきながら、自然とふれあい、なおかつ収穫も楽しめる、そして
おいしく食べられるなんて、こんなダイエット方法他にないよ。

私は機械というものは、精密な仕事を要求されるものに優先すべきだと
考えている。コンピュータとか、シーケンスとか。
出来るだけ、自分の力を発揮するのが一番良いと思う。

スポーツもしかり、だな。あのくらい動くんだったら、別の役立つこと
やったほうがいいよ。スポーツは子供のうちだけ。大人になったら終わり。
たまにはいいんだけどね。プロ、廃止。

439 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 13:55:44
こういうこと、ここではないが、前に書いたなあ。

車は全自動が望ましいな。これは技術を駆使してもらいたい。
近所で今朝事故目撃。人間の能力が違うと言うのに同じ場で交錯している
結果。事故だけでなく、渋滞による大気汚染、機械に依存した人間の力の
過信、不要な行き来、騒音、それらに伴う警官の配置、所有する車で対抗する
見栄、駆け引き、いいことないよ。
人間一人に車のような力をコントロールするのは危険だ。

現在のような半自動車から、完全自動車への移行。

そもそも、物体の移動は極力避けるべし。

移動を減少させるために必要になってくるのが、情報技術。これは現実味が
あり、努力しだいで現状でももっと、少なく出来よう。

山ほど案はある。しかし、利害関係が生じてすんなりとはいかない。

やはり、改革には、カリスマが必要なのだろうか。

440 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 14:58:44
>>432
貴方も、人は物事の理を悟らなければ知能が育たず正しい智恵を産みだすことができない、と言うことは御存知ですね。
人の知能が育ち、正しい智恵を産みだせば全ての問題を、その智恵が解決しますの争い等は一切、起こされないのです。
しかし人類史の全ては力を崇拝し理に反する蒙昧に支配、維持されてきた為に人々は蒙昧に犯され思い込みと言う曖昧に精神を委ね、
疑問と言う探求心を諦めと自我に頼り暮らす生物に成ってしまったのです。
誰でも自分は人間だと思い込み、自己愛を心の支えとして生きながら人間愛を備えてる、と思い込み智恵を産みだす条件を満たして無くとも
自分は考えることができ答えをだせるから智恵が有るのだと爪先から頭の天辺まで全て思い込みで大切な人生を消費してしまいます。
>人間愛だけじゃあ、だめだ。そうやって人間は今までやってきたんだからな。
では真の人間愛が物事の是非・善悪を明確に弁別する心を育て、人に物事の理を悟らせ、人の知能を育て本当の智恵を産みだすことができる、
と自己愛から人間愛に切り替える方法を唱えた方は何方かいましたか?
力を崇拝し理に反する蒙昧な人類社会に於いて、その間違いを指摘し人々の関心を誘っても従来通りで、何の効果も有りません。
人は誰でも物事の理を悟らなければ知能が育たず正しい智恵を産みだせないのだ、との事実を知らしめること誰にでも可能な
物事の理を悟る方法を伝える以外に人類史を幸転する術はないと思いますが如何でしょうか?
貴方の仰ることは私も同じ考えですが、それを訴えても蒙昧に汚脳されてる現人類社会に於いては聞き流されるだけと思います。
>それがあなたの言ってた、方法論?
方法論の全体を端的に説明しただけなので、これだけで貴方の御納得は無理だと心得ています。



441 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 15:00:49
要するに善悪ってのは、多数決における良し悪しの判断。
時代や状況によってこれといった定義は実はない。

442 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 15:38:00
>>441
それは理に反する蒙昧社会に依って決められる善悪です。
ですから人類は物事の是非・善悪を理に依って明確に弁別できず、知能が育たない為に正しい智恵を産みだせぬ状況に陥っているのです。
智恵=物事の理を悟り、適切に処理する心。
智・知=ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。(智恵・知能)
ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用、の判断基準=揺るぎない人間愛です。
時代や状況によってこれといった定義が無ければ、是非・善悪を弁別する定義の存在は無いと言うことですか?
新しい発見を望まぬ、蒙昧的探求心の欠落に依って産みだされる意識ですね。

443 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 15:50:46
440、さま、あなたがスレ建て発起人ですか?まあ、いいけれど。
言いたいことは分かります。しかし、ちょっとその前に

441さん、それはもうあなたの仰るとおり、でもね、
何がいけないってね、多数決に流されて、それ善し、それ悪しと
して、何にも考えずに決め込んじゃうことなんですよ。
多数決ってあなた、多数決が本当に多数決による結果か分かんないですよね。
そうです、その中には何にも考えずに流れ込んでいった票が
あるんですよ。それで本当の多数決と言えるのですか?怪しい。
私の下手な文章で分かりますか?
善し悪しは自分のもの、それが支持を得る数が多いか少ないか。
で、多いほうが正しいってわけではない。
あなたは原理的に客観視することは、出来ない。

444 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 16:05:50
誰かいたかと言われても、私は歴史上の人物は実在したかどうか、真実は
知らないからねえ。いたんじゃないの?それ位しかいえないよ。キリストとか。
でも、そんな過去の人物なんてそれこそ曖昧で、憶測だからね。
人間が落ちぶれたといっても俺はそんな過去の人間は想像上でしかないからねえ。
まあ、自分の今までの経験上、ちょっと加速感は強まってるな、とは思う。

ちょっとその前に聞きたいんだが、あなたは何故に人類を好転させようと
しているの?私もそれを願ってはいるけれど、
私の場合、それは私のためになるからなんですけど。まあ、私の死と交換に
全人類が好転するってなら、それはそれでいいけどね。

そして、方法だが、聞き流される、ごもっとも。ただ、あなたが魅力あれば
聞いてもらえるかもよ。他力じゃなくあなたを磨けばいいではないの?

そして、方法、究極の。人類の破局、人類はそれで、過ちを気づく。

445 :441:2006/12/28(木) 16:35:20
善悪なんて恒久的な定義をすることは不可能だ。

戦争が良い例。
世界はいま戦犯と呼ばれる過去戦争で要人であった人々を
忌むように扱っているが、当時、少なくともこの日本国では
彼らは英雄とされていた。


446 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 16:36:14
今日書いたんだけどさあ。電波の力。悪にもなり善にもなる。
あなた、ホームページないの?センスあるの作ってみないですか?
私は協力しましょう。リンク張りまくりますよ。
全面的に支援はちょっと、ここでのやり取りだけでは、出来ないからねえ。
相互理解不足てやつですか。
あなたの理想って何ナノ?イメージ的には。どんなビジョン?
人は夢の大きな人についていきますよ。
夢が力になるからです。明日を作るのも夢。前に書いたか。
夢に同調するのかしないのか、それで支持は決まる。
夢に魅力があれば、みんなついていきますよ、きっと。

447 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 16:47:32
定義、可能。あなたが定義を変えない限り。
過去?されていた?断言できる?
英雄をアイドルと差し替えてみると、おもしろい。
私はアイドルでーす。んな、馬鹿な。
私のアイドル、ゆうこりん、だったけど、今、その座を去った。
ゆうこりんに善悪など俺は期待していたのだろうか。

448 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 17:09:40
>>444
キリストもブッダも当人の意思に反し、図らずも宗教の教祖に祭り上げられて宗教に利用されてしまいました。
それには、それ相応の理由が有ります。
人の心は、心を産みだす核の部分と核から産みだされる心の部分が有りますが、誰でも核から産みだされる心の部分にメスを入れ、正しい方向に向けることを考えます。
その為に数多くの教えを必要としますが記憶力で覚え知ったことは応用が利きません。
それだけでは無く、人の心を扱う商人に利用して下さいと商品を提供する立場に立たされてしまいます。
私の、お伝えすることは力を崇拝し理に反する蒙昧と言う自己愛に捕らえられた心の核を理を重んじ知能を育て智恵を産みだす人間愛に切り替える方法だけですので、良いこと尽くめです。
あ、それと好転では無くて私は人類史の幸転と言う人類全ての幸せを望んでいます。
未来に、より良き社会を受け渡すことが人の使命と考えますので私は私に授けてくれた親を通じて命を与えてくれた地球の自然を大切にし、争いや奪い合いのない平和な人類史を望むことは当然の命の使い方、使命と考えます。
アインシュタインが来日の際に
世界の未来は進むだけ進み
その間、幾度か争いは繰り返されて
最後の戦いに疲れる時がくる
と、そしてその時、人類はまことの平和を求める心が産まれます。
ですから人類が破局に向かう一歩手前の現在が、その時期ではと考えます。

449 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 17:22:30
地球の自然を大切に、私もそうしたいよ。
しかし、現実は伐採、と殺、衣食住が必要ではないのか?
もし、人類が人類だけを念頭に生きていれば地球は疲弊してしまうよ。
種の保存だけ考えていれば、人間はちと、力を付けすぎた。だから、
他生物のように自種だけを考えていては、危険、と思うんだ。

潜在的悪は必要だよ。それがなかったら、暴走する。今以上に。
謙遜さが必要なのだ。

じゃ。

450 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 17:48:09
お前ら善悪も分からないのか?
そんなもん30字以内で説明できる

451 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 18:05:22
>>449
そう、全ては人の心の為せる業なのです。
人の心の為せる業なので有れば、その修正は人の心以外には有りませんよね。
原因は力を崇拝し理に反する蒙昧が産みだす自己愛ですから、理を重んじ人の知能を育てる人間愛に心を切り替えれば全てが丸く収まる、と言う簡単な理論です。
>もし、人類が人類だけを念頭に生きていれば地球は疲弊してしまうよ。
これも人類の総体的自己愛ですね。
私の思うところ、誰もが産まれてから植え付けられた悪い心が暴走を巻き起こしていると思いますが、

話しが前後しますが>>446の件に付いて、
パソコンが得意ではないので他人に任せて作ったホームページを持っていますが全面的に書き換えるつもりでやっています。
セミナーを開いても人生相談みたいで自分の意にそぐわず止めてしまった、と言う経緯が有ります。
書き込みもクリックパレットを使っていますので思っていることを全部、書き込めなくてすみませんね。
こんど、魅力あるホームペーヅの作り方をご指導、願えませんか?
考える名無しさんに私の名前入りのメルアドを入れておきますね。

452 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 18:07:43
>>441
>>445
それでは善悪の性質を言ってるに過ぎない
善悪とは何かの説明になってないよ


453 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 18:18:06
>>450
>お前ら善悪も分からないのか?
>そんなもん30字以内で説明できる
物事の是非・善悪を明確に弁別できれば、物事の理を悟り知能を育て智恵を産みだせることができる人です。
その智恵を備えた賢い人が、お前ら、等と言う貧雑な言葉を使うことはできませんよ。
何故なら、己の発する言葉の一言一句が自分に返ってくることを承知して要るからです。




454 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 19:20:46
>>453
それは誰に教わったんですか?
それともあなたが考えたんでしょうか?笑

455 :考える名無しさん:2006/12/28(木) 23:42:07
>>454
人間の良識として当然の答えです。
笑、の一文字も他人に自分の浅はかさを表す、と言う結果を招きますよ。
他人で有っても常に己の良識で対処すること、が自身の未来を開く、と言う結果を産みだすのです。



456 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 00:15:20
>>453
「物事」て何のことですか? わかりやすく教えてください m(_ _)m

457 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 00:27:58
>>456
>「物事」て何のことですか? わかりやすく教えてください m(_ _)m
人の心が為せる業の全て、です。
人が知能を育て智恵を産みだすために不可欠な「物事」の理を悟り、とは人の心が為せる業の全てを理に照らし合わせる心を会得することです。




458 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 03:00:29
他人は自分
自分は他人
模倣

459 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 03:08:08
>>457
「物事」という言葉を使って作文せよとは誰も言ってないw
知能不足は明らかだが、まチャンスをやろう、、、

人の心が為せる業の全て・・とは何か?
いいか、、「自分に」分かるように書くのは後で一人になってからやれw
ここでは「人様に」分かるように書け

できないならもう寝ろw

460 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 10:23:23
やめよか、と思ったけど、
一言一句が我に返ってくる。それは、全くその通り。ですな。
紛れもなく自分が発信して一番最初に返ってくるのは自分自身にである。
世間では、
めぐりめぐって我に返ってくると、思われている節があるから、
うやむやになるんだろうけど、めぐりめぐるようなちんたらしたものではない。
それは、瞬間に、自分に反射して返ってくる。鏡のように。

因果とか、因果応報とかそんなレベルではない。
それに気づかないとね、知らぬ間に自分が自分を作り上げていってるのです。
恐ろしいことです。意識を持つ無意識体、それが、センサーに成り代わった
人間の形をしている、ロボット、でしょう。
かくいう私も半分くらいロボットみたいなもんです。

クリックパレットって、すごいですね。その点では尊敬しますよ。

461 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 10:31:00
>>455
なぜそれが当然だと言えるか聞いてるんだけどなぁ
ただの独善に見えるよ

462 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 10:45:31
>その智恵を備えた賢い人が、お前ら、等と言う貧雑な言葉を使うことはできませんよ。
>何故なら、己の発する言葉の一言一句が自分に返ってくることを承知して要るからです。

2ちゃんで他人から「お前ら」と呼ばれて、何かマズイことがあるとは思えんな笑
それに、そんな些細な言葉使いを気にするような奴が知恵を備えた賢い人だとは思えない

463 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 10:46:08
例をあげないと、私は分からないことが多いので、

かわいそう、こう他人を思う人がいるでしょう?しかし、その思われたほうは
それに対しなんと思うでしょうか。様々な対応が考えられますが、
私はかわいそうと思われたという、そのこと自体がかわいそうということを
助長してしまう一因になると思うのです。だから、人にそんな言葉は
かけません。本当にかわいそうと思っているなら、敢えて口に
出さないようにするし、思わないようにするのです。
そんな私ですから、どんな辛くても情けは無用なわけであります。
人をけなしているうちは、幸せ。しかし、それが自分の番になるまで
気づかない。それが、この地球に対する現在の態度ですよ。
大きな痛手を体験しないと分からない、そうなってからでは遅いと言うのに。
全員とは言いませんが。

464 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 10:58:08
ちょっと君臭いよね、と言うと怒られる。
こっちは善意でいったのに。私は怒らない。場面にもよるけど。
むしろ、感謝だね。それ以上撒き散らさなくてもすむかもしれないから。
気づいたら、みんな迷惑してたなんて、いやだし。
なんで、臭いの分かってて臭いって教えてくれないんだ、と逆切れするかも。

確かにお前らと言われても気にも留めない人にはお前らと言う言葉は
どうでもいいことだな。
これも、言葉というものをだれかれ構わず使って、同じ場で交錯して
いるから、なんだな。ぶつかってしまう。

465 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 11:12:12
>>463
かわいそうな所がない人などいません

あなたがある人を見てかわいそうだと思ったとしても、
それは「そのことにあなたが気付いた」ということに過ぎません
その人が更にかわいそうな人になる訳ではないのです

しかし、あなたがそう思ったということが言葉や態度を通して
相手に伝わってしまい、その結果、相手がもっとかわいそうな人
になってしまうことは有り得ます

466 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 11:20:55
>>464
君のような人には安心して何でも言える気がするよ

467 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 11:30:24
>>458
ならば自分は自分とは何か

468 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 11:51:12
かわいそうな所がない人などいません
本当?
悪いところがない人などいません。
気づいたその瞬間にそのことが発現する。
全ては人間、いや、気づいたもののなせる業。

今日は考える余裕がない。

思った?言った?思ったときには自分の中でそうなってしまっている。
人がどう思おうと知ったことではない。

469 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 12:16:10
>>468
>全ては人間、いや、気づいたもののなせる業。
何かをしてしまって、後になってからその行為や行動の意味に気付いたっていう経験はあなたにはないの?

>思った?言った?思ったときには自分の中でそうなってしまっている。
>人がどう思おうと知ったことではない。
それはあなたが女で子供だからだよ、精神的にね

あなたの世界が全てではない
総ての人々に自分の世界があって、それらの個々の世界は現実世界に内包され、現実を介して繋がっているんだ

470 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 12:35:28
後になってから?
それが時間のマジック。いついかなるときも気づいているのは一瞬の
時である。

私の基礎を揺るがすつもりか、それとも補強するつもりか。基礎の
バリエーションか?

私の子供は、たまに言う。
「おいらのことも、分かってよー。」と怒る。
子供はかわいいよ、まだ、他人が自分を分かってくれるものだと思っているのだから。

あなたの世界が全てではない
それは、前に言ったなあ。
その以下文、も。
ただ、補足すれば、あなたが世界、こういってもいいんだけどね。
あなたと私の世界は違うよ。そして私の世界が全てでないことも、前言った。

471 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 12:45:31
466さま、私はスレ主?のような人の言い分はこう解釈してるけれど。
かわいそう、と思ったときに、その思った人の中で、ただ単にかわいそうな人
が一人加わったと言うだけなのだ。
悪い人と思えば、悪い人が一人、自分の中で、追加されただけだ。
思うも、言うも、大差ない。言えばリアクションがある、予測不能な。
それだけだ。そして、言うことによって、ますます、具体化され
確定してしまう。もちろん、自分の中で。
悪人が心の中で増えていけばどうなるか。自らの心が蝕まれるだけである。

これ以上は言うまい。

472 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 13:01:07
>>470
でもあなたは今でも自分の世界が全てだと思っているようだね

473 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 13:02:45
>>471
450=452=454=462=465=466=467=469
です。

474 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 13:07:38
だから、それは流転してるんでーす。一瞬のうちに。

473さま、なんとなく分かりました。

すれぬし?様の言っている事が分かりだしてきた。感じがする。
キーは
動物とお話できれば、どうなるんだろう?という問いから、
導き出せる、気がする。

475 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 16:49:38
善悪とは何か?
単純に答えるので有れば、
善とは全体の幸を思い行動すること。(人間愛・ヒューマニズム)
悪とは全体の幸を思わず行動すること。(自己愛・エゴイズム)
だね。




476 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 17:04:34
>>475
生の苦しみから解放してあげるためにその人を殺すのは?

477 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 17:29:39
>>476
>生の苦しみから解放してあげるためにその人を殺すのは?
殺さなければ、その人が生の苦しみから解放されない、と誰が判断するのですか?
人を生の苦しみから解放する方法は沢山、有りますので如何なる場合でも命を粗末にする解決方法は悪ですね。


478 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 17:46:40
>>477
>殺さなければ、その人が生の苦しみから解放されない、と誰が判断するのですか?
もちろんあなたが>>475で定めた判断主ですよ
すなわち殺す人です

>人を生の苦しみから解放する方法は沢山、有りますので如何なる場合でも命を粗末にする解決方法は悪ですね。
判断する人からみて他の方法が無い場合です
当然命を粗末にするつもりはないでしょうね

479 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 17:55:07
>>475
もう一つ
自己愛が悪だと言うならば、人から良く思われたいが為に勉強することは悪でしょうか?もしくは、自己を利するために働くことは悪でしょうか?

480 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 18:59:44
>>478
>判断する人からみて他の方法が無い場合です
他の方法が無い場合など、有り得ません。
判断する人の判断ミスですね。
全ての命の大切さを知ること、と全てに深い思いやりを持つ心を育てることが
物事の是非・善悪を明確に弁別する心を育て人の知能を発育させる基点と成ります。
そのことを踏まえて、もう一度再考して下さい。
>>479
>人から良く思われたいが為に勉強することは悪でしょうか?
勉強は自己の将来に備え行うもので人に良く思われたい為にするものでは無いのです。
自分の大切な人生ですので自分の希望や志と言う夢を叶える為に使われることを望みます。
>もしくは、自己を利するために働くことは悪でしょうか?
自己を利するためにのみ、と言う自己愛を友として人生を使うことに真の喜びや生き甲斐を得られるでしょうか?






481 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 19:05:47
>>475
>善とは全体の幸を思い行動すること。(人間愛・ヒューマニズム)
>悪とは全体の幸を思わず行動すること。(自己愛・エゴイズム)

自己愛を、家族愛、郷土愛、愛国心、人間愛・・と広げていっても、
それは所詮自己愛の延長に過ぎません。

と、宗教者なら言うでしょうねw

つまり、自己愛を悪とするなら、
善は、宗教的な愛ということになります。


482 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 19:24:12
自己愛は悪じゃないんじゃない?
どんな人間も自己愛からは逃れられないんだから、それを悪にすると
人間にとって都合が悪すぎる。

483 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 19:24:33
>>481
宗教は人の心を集団的自己愛に取り込み、人の人生を利用することを生業としています。
ですから、いくら悟りを啓く等と唱えても、集団的自己愛に取り込むことを生業とする者達には所詮、不可能なことなのです。
従って宗教とは理に有らず、理非の団体だ、と言うことです。
そして自己愛をいくら広げても、人間愛とは正反対の別ものですので決して人間愛にまで広がる性質のものでは有りません。




484 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 19:27:43
>>483
>宗教は人の心を集団的自己愛に取り込み、人の人生を利用することを生業としています。

どの宗教のことを言ってるの?

仏陀も「人の心を集団的自己愛に取り込み、人の人生を利用」した人なんですか?

485 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 19:59:48
>>482
自己愛とは自己陶酔のことですが何故、人が自己陶酔から逃れることができない、と思われるのですか?
自己陶酔から産みだされる幻覚の家族愛や愛国心に溺れる依りも、人格を中心に考える人間愛が育てる
真の家族愛や愛国心を大切にした方が遙かに素晴らしいと思いませんか?
世の中や自分が現状維持を望むなら哲学の哲と言う文字が指し示す、道理にあかるいこと、を望む必要は
有りません。
つまり現状維持を望ので有れば、哲学に関わる必要も無いのです。
それが哲学です。


486 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 20:00:34
>>481
私は>>475に沿って話しているのだから、あなたもそうして下さい
それと、論理的にお願いします。あなたの言い方じゃ私には理解できない

>他の方法が無い場合など 有り得ません
判断する人から見て他の方法が無い場合は有り得ますよね。
話を反らさないで下さい

>判断する人の判断ミスですね
>全ての命の大切さを知ること と全てに深い思いやりを持つ心を育てることが
>物事の是非 善悪を明確に弁別する心を育て人の知能を発育させる基点と成ります
>そのことを踏まえて もう一度再考して下さい
私はね、別に御教授願ってる訳じゃないんですよ
哲学的な議論をしようとしているんです

>勉強は自己の将来に備え行うもので人に良く思われたい為にするものでは無いのです
>自分の大切な人生ですので自分の希望や志と言う夢を叶える為に使われることを望みます
あなたの思いとか、あなたが何を望むのかなんて聞いてませんよ。

>自己を利するためにのみ と言う自己愛を友として人生を使うことに真の喜びや生き甲斐を得られるでしょうか?
喜び、生き甲斐て、あなた、いきなりなんですか

ここでは宗教じゃなく哲学をして下さい

487 :486:2006/12/29(金) 20:15:23
間違えました
×>>481→○>>480
失礼

488 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 20:20:38
人間愛というものはいったいどこからどうやって生まれてくるとお考えですか?

489 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 20:22:21
>>485
いや、俺は大して深い考えも無いアホなんだが
とりあえず「人格を中心に考える人間愛」とやらについて、もう少し詳しく話して欲しいな。

490 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 20:38:41
>>489
それ以前に
>自己愛とは自己陶酔のことですが
これがおかしいと思わないのか?

491 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 22:42:21
>>486
哲学の原点は哲学の哲と言う文字が指し示す通り道理にあかるいこと、で有り哲の文字に学を付けると哲学とは道理にあかるく成ることを目的とするものなのです。
人が道理にあかるく成る為には力を崇拝し理に反する蒙昧が産みだす自己愛から理を重んじる人間愛に心を切り替えねば道理にあかるく成ることはできません。
道理にあかるく成れば自己愛では3%しか使えない脳が残りの97%を自由につかえる知能が育つのです。
知能が育ち智恵を生みだせれば人は全ての問題を解け、真の喜びや生き甲斐を得て人生を送ることができます。


492 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 22:43:13
>>490
おかしいと思ったら、すぐに調べる。

493 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 23:50:38
>>491
あなたが言っているのは宗教です
哲学ではありません

494 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 23:57:28
>>491さんは都合の悪いことには答えないから、相手しないほうがいいです。
この人、いんちき自己啓発セミナーやってる人でしょ。

495 :考える名無しさん:2006/12/29(金) 23:58:52
>>491
それと、哲学には定義を遵守することが求められます
あなたのように独善的な態度で哲学は出来ない

496 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 00:13:38
>>491
ちゃんと薬飲んでるか?
次は入院だぞ、拘束服がイヤなら欠かさず飲めw

497 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 09:16:31
>>490>>494
自己愛は自己陶酔・うぬぼれ、のことです。


498 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 09:37:46
だんだん、込み合ってきたなあ。私はしらけさせるのが得意なのに。
あけましておめでとう。
先取りしておこう。
すったもんだ、いつまで続くんだろう。何千年やってきたのだろう。

生きがいなければ、一歩も何一つ出来ないって事に、まだ、気づかないのだろうか。
哲学が生きがいなんて、さびしすぎる。

それと、粘着質の人がいますね。しつっこい人。だんだん読めてきました。
ただ、名を変えたようです。ころっころと、ね。名、ばかり、が、ね。
中身はほとんど変わっていない。

人類共通、定義、良いことですね。ルールを守ってください。立ち小便はご勘弁。
法定速度遵守。
自分にルールを課すことくらい難しいことは、ない。自分の約束を、
自分で守り続けてください。定義したら変えてはならんですよ。
ルールを変えてもいいというルール。何がルールなんだ?

議論が目的、打ち負かすことが目的。議論を目的としていない。すり替え。
自己陶酔に浸ろうとするばかりに、労力を費やす。

499 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 09:48:01
恥ずかしげもなく、論理的という言葉を使いたがる。
自分が論理的になっていないのを棚に上げて。
人に要求し、自分では何も差し出さない。
自分の主張に合わなければ、
独善的、それで決着。
大衆の意見にあえば、自分もそれに従い、自分の考えはいづこやら。
しかも、それは民衆の意見を反映していると、思い込み、さも
自分は大衆の支持を得ていて、自分は正しいと、のたまう。
それは、まさしく、独りよがりの独善である。


500 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 09:49:32
>>493>>495
>それと、哲学には定義を遵守することが求められます
同感ですが哲学の定義を尊守しますと哲学の定義にそぐわぬ哲学をしている方からすると反哲学的と思われますよ。
哲学の定義
@哲学とは諸学の源である。
A哲学とは愛智である。
B哲学とは道理にあかるいこと、と成るのを目的とする。
私が思う哲学の定義(@AB)は相通ずる意味合いを持っていますが、貴方の思う哲学の定義をお聞かせ下さい。
@ABに付いて、何故なのか、と言う説明はできます。



501 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 09:58:22
自分の能力をパーセンテージで現すことに疑問を覚えるが、
今、何パーセントなのだろう?
あと、97か。それは自分で設定した限界値。そして、97は持っているだろう
と仮定することによって希望も持てる。
私は97とは言わず、あと1でもいい。とにかく残っているなら、数値は
何でもいいさ。
あと、言っておきますが、脳の100使っていたら、自意識はあまりにも
把握できない状態になってしまうよ、きっと。
今という、時は、今しかないのだから。
100使っていれば、手薄になる。世界が逆に狭くなる。

502 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:05:35
哲学は国語辞典に成り下がってしまったのか。
国語辞典を丸暗記していれば、頭がいい。んな、馬鹿な。
改訂版が出たら、すかさず、データ更新。常に新鮮さを。
昔のことは、間違いである。え?
丸暗記教育は良いことである。え?


503 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:08:41
哲学の定義から始まらなくてはならないなんて、
哲学って学問以前の問題だよね。
哲学って何だ?これが哲学。ああ、むなしい。
定義が決まってもまた定義決めの総選挙。


504 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:11:55
>>498>>499
仰ることは分かりますが、
数千年も繰り返されてきた光の見えない哲学を諦めず、その扉を開くことが現代に生きる我々の役目だと思います。
哲学が生き甲斐ではなくて哲学は人の知能を育てることを目的とし、産みだされる智恵が人に生き甲斐を与える、
と言っているのです。



505 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:16:45
人間愛を人類愛としてもいいですよね?
人間愛だったら、そこいらの人愛しちゃってるからね。
もしかすると、人間愛、と自分が思って疑わない人が本当にデンジャーなの
かもしれない。

この世は他人や、自分以外のものを大事にしようとすれば、己が犠牲に
ならなければ成り立たないという世界である。そしてそれは
自分が死んだほうが世のためになるって場合もあるだろう。
精根尽きて力を振り絞ってもやってることがすかすかでは、ごく潰し。


506 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:30:17
人類愛、そして、その人類には自分も含まれる。
要するに自分を愛していない人に人類愛は説き表せないということになる。
そして、全ては自分のため、というところから、起こっている。
人間味がない人に人間はついていかない。
それは、自分を機械化しさも、自分以外の人間を公平に愛しているなどと言う
人間らしさがないことを主張しているからだ。自分を差し置いて
人類愛などと言えるものは機械化している。偏りなくして、人間味はない。
最重視するのは、自己、である。それは揺るぎのないことだ。
そのいしずえがあってこそ、人類愛という美言に同種である、人も
納得する。機械が言うことなんか、人には分からない。
人間味のない人のことは人間は分からない。

507 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:30:35
>>500
思考することです
すなわち論理をたどって考えることです
一般的には考えの方向性まで含めて哲学と定義するようですが、私は含めていません
あなたは人格的には良い方なのかもしれないが、宗教的過ぎる。論理が欠けているように思えます

例えば、なぜ人を殺してはいけないのか?という問いに対して
 ↓
「なぜって、そうに決まってるでしょう。道理をわきまえなさい。誠実な人間になれば善悪の区別がつくはずです。神の声を聞きなさい」
これは宗教的です。論理がありません

 ↓
「社会を成り立たせるためにルールとしてそう定められているから」
これは哲学的です

508 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:32:21
以上、機械が言いました。
機械っぽかったでしょ?


509 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:36:51
いやいや、私は人間ですよ

510 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 10:42:24
>>501
まずは貴方が100%の知能を使える状況に成ってから、空想では無く100%の知能を使えると、どうで有るのかをお話し下さい。
>>502
辞書を索引して記されていることを理解できれば辞書の応用価値は高く成るでしょう。
>>503
哲学の定義は遙か昔から決まっていますが、哲学を行う者達が哲学の定義を理解する心が不足している為に定義が蔑ろにされているだけです。


511 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 11:34:53
>>505
人間とは自分と全てとの間を保てる人、人格を中心に考える人のことで、その心を人間愛と言います。
人類のみに愛情を注げば先々、人類は立ち行かなく成りますので、やはり人間愛とするのが妥当と思います。
>>506
全てを公平に愛するのではなくて、それぞれに自己の持つ最良の思いやりを注ぐことが人間愛です。
>>507
先に、仏陀の話がでましたが宗教とは過去に哲学的思惟を深めた人達の考えを盗用して、それに分厚い騙しの方法を肉付けして作られたことを御存知ですか?
仏陀は宗教に自分の考えを盗用されることを恐れ、生涯を賭して探求した結果を弟子に命じ封印して世を去ったのですが、その500年後に宗教に利用されてしまいましたね。
キリストも同じで両者ともに本人の意を無視されて宗教の創始者に祭り上げられてしまったのです。
宗教が騙しだと気づいた人は哲学の基本と成る心を無視し、宗教に取り込まれた者達は騙しの教えを信じて人間の心を見失ってしまう、と言うことに成っています。
宗教を否定するる者、宗教に心を奪われた者、両人ともに人間の心から離れ、哲学の哲と言う文字が指し示す道理にあかるく成れないと言う状況に追い込まれているのが実態です。
宗教から天国や地獄・来世やあの世・神様を除けば哲学に近いものが残るでしょう。




512 :507:2006/12/30(土) 11:47:59
>>511
あなたは自分で思考していないようですね
適当な言葉をちぐはぐにくっつけてるだけ

513 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 12:00:29
>>507
>「社会を成り立たせるためにルールとしてそう定められているから」
>これは哲学的です
全て、この一言で片づくので有れば哲学は必要ありませんね。
貴方がちぐはぐと思う所を指摘できますか?




514 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 12:05:52
全て片付くなんて言ってないと思うよ。

515 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 13:16:02
>全て、この一言で片づくので有れば哲学は必要ありませんね。
その一言で片付くなどとは思いませんが、哲学的な回答です

部分というか、あなたの発言は筋道が通ってないんですよ
突然、仏教やキリスト教の説明なんかされてもね、は?って感じです
そうゆう話にもって行きたいのなら、きちんと今の会話の流れに繋いで下さい
出来ないのならその話は諦めて下さい。混乱を招くだけです
何かを言うなら聞き手のことを考えなくちゃいけない
自分の言いたいことを自分勝手にしゃべる人の話を聞きたいとは思わないでしょう?

516 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 14:08:03
>>491が非難されるのは、彼がすでに自分の望む答えを出し、その答えに正当性を付与するために哲学をしているだけ、あるいは哲学的な思考を利用しているだけだから。

>道理にあかるく成れば自己愛では3%しか使えない脳が残りの97%を自由につかえる知能が育つのです。
>知能が育ち智恵を生みだせれば人は全ての問題を解け、真の喜びや生き甲斐を得て人生を送ることができます。

つまりここの部分がね、思い込みと願望から生み出されたものでしかないんだよ。

「あなたは脳を100%使えているのか?」と人々は>>491に尋ねるだろう。
「いいえ、今はまだ使えてません。今はまだそうなだけですけどね」とおそらく>>491は応える。
「それならば」と人々は嘲笑するだろう「なぜあなたには脳を100%使った結果が分かるのか」と。

517 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 16:32:20
>>516
>>491が非難されるのは、彼がすでに自分の望む答えを出し、その答えに正当性を付与するために哲学をしているだけ、
>あるいは哲学的な思考を利用しているだけだから。

自分達と比較して異質なものには不安を感じ排除する、蒙昧に捕らわれた人達の特徴が顕著に表れていますね。
私が、当然なことを言っても当然を理解できぬ人には奇異に映り非難するだけですよ。
自分の望む答をだして、その答に哲学を合わせられるのでしたら、哲学の扉に付いている何億かの鍵穴の中で、
ただ一つの鍵穴を捜し哲学という鍵で哲学の扉が開けば、その答は正解ですよ。
私の言葉では納得が得られぬと思い辞書を引用すると、今度は日本語の否定に入り支離滅裂な反論を繰り返します。
貴方も日本語を理解できずに否定なさる方ですか?
そして多数決に身を任せ自己保身を第1と考え他人の非難を恐れる人ですか?

518 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 18:05:38
>>517
ですからね。例えばわたしが
「知能が育ち智恵を生みだせれば人は全ての問題を解け、真の喜びや生き甲斐などは存在しないことを理解します」
と言ったとします。それが正しいと思いますか?
あなたの扉の鍵の比喩には欠陥があります。
人は哲学という鍵を持っていても、その鍵によって明けられる扉がどんなものなのかはまだ知りません。どこにあるのかも知りません。
(なぜ知りえよう?知っているのならそもそも哲学する必要がないのだから)。
あなたはあなたの目の前に気に入った扉を見つけた。だから「これこそが哲学の扉に違いない!」と決めつけているだけです。
当然扉は開きません。だってそれは哲学の扉じゃないんですから。
でも自分の確信を疑わないあなたはある方法によって扉を開けました。
哲学という鍵に自己欺瞞という蝋でコーティングして。
それが今のあなたです。

あと「愚かな大衆どもはいつも(私という)天才を理解できない!挙げ句の果てに異質の存在に迫害を与だす!」
というような被害妄想に捕われているようですが(というのもあなたが冗談でそれを言っているように聞こえなかったからですが)、
自分の境遇を正当化するために被害者ぶるのは止めて頂きたい。
あなたはあなたの主張に異論を挟む者を「加害者」としか捉えられないのですか?

519 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 18:51:23
>>518
>ですからね。例えばわたしが
>「知能が育ち智恵を生みだせれば人は全ての問題を解け、真の喜びや生き甲斐などは存在しないことを理解します」
>と言ったとします。それが正しいと思いますか?
正しいと思えませんね。
人の知能は物事の理を悟ることで育ちますが、物事の理を悟るまでの経緯に於いて人間愛を確立し物事の是非・善悪を明確に弁別する心を
育てなければ成りませんので、厭でも人間性が高まり真の喜びや生き甲斐いは必然的に産まれてくるものなのです。

人類の現精神常態の生い立ちを把握していますので、それに敵対する思いなどは毛頭ありません。
私に加害者などの存在も有りませんが、異論を唱える方達も現段階では当然のことですので私の楽しみの一つと捕らえています。
もしも、私の探求結果に異論・反論がない人類社会で有るなら、私の夢が達成したことに成ります。
人は蒙昧に捕らえられ思考を見失っているだけですので愚衆と呼ぶ者など、1人もおりませんよ。
誰でもが何時でも自己の持つ潜在知能を呼び覚ますことができるのですから、、、


520 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 21:06:58
誤解のないように言っておきますが、512=515です
それ以降は他の方です

521 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 21:09:16
>>519
何故真の喜びや生き甲斐が“必然的に”生まれてくるのかまるで分からないんですが。
例えばあなたが
「人間の真の喜びや生き甲斐とは、人間愛を確立し、物事の是非・善悪を明確に分別する心を持って人間性を高めることだ」
と主張するのならまだ何故“必然的に”そうなるのか分かります。
しかしそうでないのなら必然的にそうなる理由がまるで分かりません。ご説明お願いします。

それから被害妄想云々については勝手な誤解だったようで失礼しました。

522 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 23:05:51
>>521
どうやら一通り、説明を致しませんと御理解、、願えませんね。
それも当然のことです。
人類史の全ては力を崇拝し理に反する蒙昧に依って支配維持されてきました。
と言っても私と貴方との心に関する探求する深さの違いで、この事を貴方が理解できるとは思えませんので聞いて戴く以外に有りません。
人は心を蒙昧に捕らえられると理に反する蒙昧の性質上、自己保身を考え自己愛に陥ります。
理に反する蒙昧は物事の理を悟ることで育つ知能の発育を抑え、人が本来育てることが可能な知能の殆どを潜在知能として使えなくしてしまいます。
ですから3%の知能しか使えないと申しましたが、実際に現状を考査しますと個人差も有りますが、もっと少ないのではと思われます。
自己愛は自我を産みだし人の心を益々、理より遠ざける性質が有りますが人が残りの97%の潜在知能を使うには自我を消滅させなければ成りません。
ところが自我を消滅させても後を埋める人間愛が産まれませんし自我の消滅は恐らく誰もできないと思われるくらい難しいことです。
そこで考えられるのが自我をそのままに放置し、えをすれば自我も自然消滅し誰でも潜在知能を育てることができる、と言う方法です。
理に反する自己愛から理を重んじる人間愛に切り替る方法は自己愛のタガを外せば良いのですから、わりと簡単なのです。
此処まで、余分な話しだと思われるでしょうが関連の話しですのでご容赦、下さい。
そうして人が潜在知能を育て産みだされる本当の智恵が全ての問題を解きほどくことができますが全ての問題を時ほどける、と言うことは全ての問題が発生する仕組みを知ると言うことです。
人類社会の戦争や貧困・飢餓や犯罪・親子問題から虐め問題などの、全ての問題が発生する仕組みを全ての問題を解きほどく方法を貴方が知ったら黙って放置しておけますか?
今の貴方ならともかく心を人間愛に切り替え物事の理を悟って知能を育て、どんな問題も解決する智恵を備えた貴方でしたら、それを放置することは自分の心に反しますので関わらずにはおけないのです。
世のため、人のために動く人生に真の生き甲斐と夢が必然的に付いてくるのです。
長々と済みませんでした。

523 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 23:21:11
>>522
結局あなたは「世のため人のために動く人生が真の生き甲斐」と言っているだけであり、
そのためには智恵が必要と言っているだけじゃないですか。
あるいは、世のため人のために動く人生に真の生き甲斐が必然的に付いてくる?
“必然的に”なる説明になっていません。

524 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 23:42:21
必然’を経験した事のない者に
必然に至るプロセス’など論理的に語れるわけないだろw
まだ犬に人間の言葉を覚えさせる方が簡単 (^^;

525 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 00:04:55
横レス失礼

>>522
あなたの考え方は「代替的な方法によるもの」です
あなたの方法は、神話を用いて世の理を説くのと同様の手段であったり、神という存在を定義することで現実社会をうまく立ち行かせるのと同様の手段であったりします
それを論理的思考とは言わないのです。
例を出すことは、他人に分かり易く説明するときには有効な手段です。何かを発想することに関しても有効な手段に成り得ます
しかし、現実と繋がらないことまでも容易に論じ得るがゆえに、論理から脱線した妄想に陥り易いのです
論理無き哲学などない
論理的に考える者(あなたの言葉で言うなら、道理にあかるい者)から見たら、あなたの考えはでたらめでちぐはぐなのです

526 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 00:07:37
はっきり糞だって言ってやれよw 糞なんだから、、、

527 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 00:27:27
>>526
めちゃくちゃ臭い糞を見付けたとする。
俺はその糞がなぜそんなに臭いのか気になるんだ。
一体何者がそんな糞をしたのか、何を食ってどんな生活をしていたらそんなに臭い糞ができるのか、知りたいんだよ。
そして、原因を突き止めることが出来たら、そんな糞がもう生成されないようにしたいんだ。
糞の主が話の分かる人だっていう可能性が少しでもあるなら、きちんと説明してあげたいんだよ。
君の糞、臭いよ、って。こうすればマシになるんじゃないかな、って。
皆がそうすれば、この肥溜の状況も多少は良くなるんじゃないかな

528 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 13:04:46
哲学に欠点が有るわけでは無く、哲学を行う者達に欠点が有るのですね。
数学なら数を扱い、物理なら物質の理(仕組み)を扱い、国語なら国の言語を扱う。
これら諸学の源で有る哲学は哲(道理にあかるいこと)を学(目指す)べきです。
☆哲学とは道理にあかるく成ることを目指すものです。
さて>>525さんや、それ以外の方も哲学を何と心得ているのか、お聞かせ下さい。



529 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 13:57:11
善悪とは関係無い話しかしてないのな。

530 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 14:26:24
善悪の違いってのは共同体の常識の理想と逸脱ってことだよね?
つまり共同体にとって良い働きを為すと考えられる、思想・言動・行為は
それらが善行などと呼ばれるわけで、
相手を公然と善であるとする場合、その評価には共同体にその人を構成員として
認めさせようとする意思が含めれていると思う
共同体にとってよからぬ効果を及ぼすような行為・言動・思想はそれ即ち悪でしょう
法律もそのように出来ているし、絶対悪と相手や国を評価するとき、
それは自分が神の意思を代弁していると思っているわけではなく(そういう人もいるだろうが)
その相手や国を共同体の構成員から排除、若しくは、明確に区別しようという意思が含まれている
共同体にとって好ましい行為とは構成員の共通認識が許容する範囲内のものである
共同体にとってよからぬ行為とは構成員の共通認識が許容する範囲から逸脱したものである
共同体とその構成員の共通認識から善悪が分かれるというのは当然のことで
なぜなら人間は共同体を作り利用することが顕著な動物だからである
人間にとって共同体とは人間らしく生きるために不可欠な概念である
それを防衛するために、
それらが蔓延すると共同体がよりよいものになるという共通認識が築かれている行為は善行となり
逆が悪行になる
人間は共同体を拡大させていく傾向も著しく、
その範囲が広くなるに従って善悪についての判断をその大きな共同体に委ねることで、
その共同体の存在(概念上の存在で実体はない)を確かにしようとする
現在の最大の判断主体は国家である(会議、同盟など複合的な判断主体もあり得るが)
国家が国内的な善悪を終局的に判断し、政治的な友-敵の峻別を一手に引き受ける
善悪の概念は共同体に奉仕するものである、
そしてそれ故に共同体の構成員(支配者と言うのが正確か)の共通認識がその判断基準になる

531 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 14:35:45
>>530
ただ問題は一人の人間が多数の共同体(広い意味での)に属していることだな。
友人、家族、社会、国家などの間でそれぞれの善悪があり、ある部分では重なり、ある部分では相反する。
おそらく個人はその中で心理的接近が一番高いものを優先するんだろうけど、
優先するだけで優先度の低いものを切り捨てているわけではない。
だから個人が抱いている善悪は大抵首尾一貫していなくなる。

532 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 15:16:12
>>531
近代国家の建設は、それまで教皇、皇帝、教会、王などなどに散らばってた
共同体の共通認識の最終的な決定を行う権力を
国家に集約させたものっていうからね。
「より大きな共同体に委ねることで」などと言ったが、
A共同体の共通認識として、共通認識の判断をB共同体に委ねることがA共同体のためになる、
という認識が無ければどうしようもないな。
近代国家への判断の依存はかなり強く行われたけど、
大きな争いの結果その弊害が認められて多様な価値観が奨励された、と。
しかし、それらの行き過ぎで最近争いが頻発してきた。
つまりグローバル化と共に共通認識が世界中に広がる働きと
その中で共同体を明確化しようとする働きによる、
国家、部族、民族、宗教、文化などの複雑な衝突の激化である。
さらにそれらの衝突への反動として、国家の共同体としての優先度を高める作用がある。
愛国心を教育に取り込むべきなんてのもその一環から出てくる主張ではないかと思う。
個人が行う善悪の判断というのは、その人が一般的な構成員で冷静であるとき、
その評価は大きく、いつも強く意識している共同体の共通認識に依拠したものになるんだろうけど
異常な状態に置かれたときは、その人のあらゆる認識や経験に依拠することになるんだと思うし、
その時その時で、自分の意思(そんなものあるのかわからんが)に頼ることになるだろう。
その、いつも強く意識している共同体、というのが問題になるのだろうが、
個人が「その中で心理的接近が一番高いもの」と言うのも、善悪の評価の対象になると思うんだよね。
宗教に拠るべき、国家に拠るべき、家族に拠るべき、村に拠るべき
それらはかなり善悪の評価の根本的なものだし、
個人の勝手と言ってしまうと共同体から「悪」の烙印を押されてしまう気がする

533 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 19:23:14

善悪の判断は全てを乗り越えた、個の持つ良心に依って定めなければ成らない。
>宗教に拠るべき、国家に拠るべき、家族に拠るべき、村に拠るべき
等で善悪を判断すれば、人類は永遠に争いを消し去ることはできません。



534 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 19:30:02

善悪の判断は全てを乗り越えた、個の持つ良心に依って定めなければ成らない。
>宗教に拠るべき、国家に拠るべき、家族に拠るべき、村に拠るべき
等で善悪を判断すれば、人類は永遠に争いを消し去ることはできません。



535 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 19:30:44
善悪の判断は全てを乗り越えた、個の持つ良心に依って定めなければ成らない。
>宗教に拠るべき、国家に拠るべき、家族に拠るべき、村に拠るべき
等で善悪を判断すれば、人類は永遠に争いを消し去ることはできません。



536 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 19:34:29
>>530
もどかしいから俺の考えを言います

・善とは向上に寄与する性質
・悪とは低下を招く性質
共通の認識が決定するのは善悪ではなくて、向上、低下の方向性です
善悪の定義は不可変であり、方向性の変化によって何を善、悪とするかが変わります
この定義に従えば、「社会悪」も「独善」も>>1にあるチャップリンの言葉も説明出来ます

>>531
複雑な社会が直接的に招くのは善悪の複雑化ではなく、方向性の決定の複雑化です。それによって善悪の特定が困難になるのです


>>528
525=507です

537 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 19:35:33
>宗教に拠るべき、国家に拠るべき、家族に拠るべき、村に拠るべき ?
集団に於ける善悪の弁別は、その中で強い者の発言を善として決められるものです。
知を望む為の是非、善悪の弁別は個の良心より産みだされるもので無ければ成りません。
道理に昧く、無知蒙昧のまま、自己愛にまみれた意見は哲学では通用しません。

538 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 19:55:54
個の持つ良心ってのはその人個人の善悪の判断基準って事でしょ?
俺はそれが宗教、公教育、村、家族などに作られると思うんだけどね
だって実感として判断基準が元からあるものなんて思えないでしょ?
判断するのはいつだって我々自身の意思だ(と思う)が、判断基準なんて元々無い
それらは社会、共同体といったものによって作られるものだ
だから育ち方によっては人が死ぬことを何とも思わないようなやつもいる
そしてそんな判断基準によって行動する人間を我々共同体の構成員は許すわけにはいかない
要するに、良心は共同体の共通認識から生まれる、というわけだ
聞きたいが、個の持つ良心ってのはどういう風に作られるもんだと思っているの?自然発生?
最初からそれが問題になっているのであって、争いがなくなるかどうか、なんてどうでもいい
しかし、面白いので争いを生む共同体とその共通認識についても述べることを許していただきたい
争いの火種の一種について、共同体への帰属・判断の依拠が由来している、に求めることは出来る
それはそうだ。共同体に相応しくないものと相応しいものを明確にする判断基準が、
善悪の概念で、それによって人は共同体の存在を確たるものにしようとする
異端の排撃と理想的構成員の確認はいつだって争いの元である
しかし、人に共同体への帰属とそれを確たるものにしようとする共通認識の構築をやめろ、ということなどは出来ない
人間は共同体に帰属して始めて人としての尊厳を保って生きていけるからである
それから離れろ、その共通認識に縛られるな、ということは
大海原(その海は共同体に帰属しない人に冷たい)に船から飛び込むようなものである
争いは良くないが、人として生きることを放棄することはより良くない
これは近代以降の先進国の国民の共通認識だ

539 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 20:20:31
>>538
>個の持つ良心ってのはその人個人の善悪の判断基準って事でしょ?
解釈の間違いです。
個の持つ良心ってのは、その人個人の「良心が」善悪の判断するって事です。
良心と言う良い心が善悪の判断をするのですから、その判断は明確で有る、と言えるのです。
人の知能と言う知の能(働き)を促すためには物事の是非・善悪を明確に弁別する心が必用ですが、
その事は他人を交えて決めることでは無いのです。
物事の善悪は自己の良心に従い判断をすべきです。

540 :536:2006/12/31(日) 20:28:29
>>1「人を一人殺せば人殺しであるが、数千人殺せば英雄である」

これは、人を大量に殺せば社会が変化することを示しています
その人は過去の社会においては殺人鬼であり、社会を脅かす悪者です
しかし新たな社会においては、その社会を築いた者すなわち英雄なのです

前後の社会において善悪の定義は変わってないんです

541 :536:2006/12/31(日) 20:41:03
善、悪という言葉を、まるで神の名か何かのように、固有名詞として捉えてる人をよく見掛けますが、一般名詞なんですよ。

542 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 21:23:36
良心は意識や心構え、つまり、基準に過ぎないだろ
良心が判断するってのは意味が分からん
それこそ、個が良心によって判断し行動する、のが正しいのではないか
物事の善悪は自己の良心を基準として判断すべきってのは確かにそう思うが
その良心と言うのは湧いて出てくるモノでも元から与えられているものでもない
我々が獲得するものだ(意識的にせよそうでないにせよ)
過程として、良心=判断主体、としても別に良いと思うが
それでは良心はどういう基準によって判断を行うの?
さらに先ほど、宗教や国家によって善悪を判断すれば争いを消し去ることは出来ない、と言っていたが、
個人的には争いを消し去るべきという考えの存在も争いを増やしていると思う
なぜなら争いの火種を消し去るための争いが正当化されるからね
逆に争いの火種を消し去るための争いをも否定すれば争いはいつまでたってもなくならない
争いを消し去るべきってのは無理な相談で、すぐに自己矛盾に陥る
個人的には共同体の共通認識からの逸脱が無ければ争いは合っても良いと思う

先ほど俺が善悪が基準と言ったのは間違っていたと思う
善悪は共通認識に形作られた基準(良心とか道徳意識とか)によって判断された結果だな
だから>536が正しくて、共通認識に作られた基準は方向性で善悪はその結果だな

543 :531:2006/12/31(日) 21:27:03
>>536
「向上」や「低下」というのが漠然としていてよく分からない。
何が上下するんだ?

544 :536:2006/12/31(日) 22:02:59
>>543
うん
違和感があるのは分かる
何て言葉で表現するか悩んで、国語辞典を見て決めたんだ。空間的な上下って意味ではない。前進・後退と言っても良い。
向上:良い方向に向かって積極的に進むこと
低下:衰えて、勢いがゼロに近くなる

もっとうまい言い方があれば教えて欲しい

545 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 22:05:31
>>543横レススマンが、
それはその判断する状況や帰属する共同体によって異なるってことなんじゃない?
つまり「何らかの基準」が社会によって作られて、
その基準に基づいて下されるポジティブな評価=善で
その基準に基づいて下されるネガティブな評価=悪ということでしょ
だから社会が複雑化すれば判断基準も増加し、
その基準に基づいた判断の結果・効果・評価即ち善悪も異なってくる
しかし善悪自体には基準から見たポジティブかネガティブかの意味しか無く
それ自体は基準に影響を受けないしそもそも不変である、ということじゃない?

546 :543:2006/12/31(日) 22:22:25
>>544
ええっと俺は
「その共同体の存在肯定に繋がること」を
「その共同体における善」
と呼んでいるけどそれじゃダメ?

547 :536:2006/12/31(日) 22:26:25
>>545
大体その通りですが、俺は善悪を評価ではなく、性質として捉えています
つまり全ての人が善だと思っていても実は悪である という場合も有り得ると考えます

548 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 22:39:16







  「聞くが、誰にとっての善を問うてるんだ?」






  共同体とやらにオマエ自身は含まれてるのか?

  共同体ではオマエ個人の善悪感は反映されるのか、
  それとも反映されないのか? あるいは時々反映w?

  または共同体はオマエ個人の善悪感を無視して強制力だけを持つのか?

549 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 22:53:53
>>547えっそうなの?
善悪が性質ってのは俺は違うような気がする…
言葉の意味のとらえ方の問題かもしれないが
実は善であるってどういうことかよくわからない
絶対善や絶対悪が存在するっていうこと?
個人的に神に合ったことがない以上、全ての認識は主観の域をでないと思う
性質が何かあったとしてそれを見て評価を下すことを人間はするわけで
性質として、全ては善でも悪でもあり得る、ということは確かにあろうが
結局のところ人間による評価に晒されてしまうのもまた確かだと思うんだけど

>>548共同体への帰属は人間の前提だ
共同体において個人の判断基準が反映されることもある
時々、反映じゃないか?
しかしその個人の判断基準も共同体によって作られたものに過ぎない
共同体は判断基準を構成する
それを明確化したものが法律であり教義であり掟であり家訓
個人はそれらの判断基準を獲得しそれを利用して判断しその判断に基づき行動する
共同体は常に判断基準によるポジティブな評価を押しつけはしないが、
その判断基準によるネガティブな評価を受けるような規範からの逸脱行為が合ったとき
強制力を行使することになるな
共同体がその人の行為を正当業務行為として認めることはあるかもしれないが、
例としては、聖職者が犯人蔵匿に問われたケースなど、
善悪感を考慮して強制力を行使しないなんてことはない
情状酌量の余地ってものはあるだろうが
窃盗や人殺しは悪いことではないなどという個人の善悪感を披露すれば
量刑を重くしてくれ、と言ってるようなもので、まさに、「異邦人」扱いされるだけだ

550 :536:2006/12/31(日) 22:55:38
>>546
社会的な善悪について言う場合はそれで良いだろうけど、共同体(=社会)を構成してないとき、つまり一人ぼっちときにも善悪は有ると思う

それと
>>530
>共同体にとって好ましい行為とは構成員の共通認識が許容する範囲内のものである
>共同体にとってよからぬ行為とは構成員の共通認識が許容する範囲から逸脱したものである

ここが俺と違う
共通認識は方向性を決めるんだ
原始的な狩猟生活が望ましいと皆思うなら、それに向かって方向が定まる
その軸上で
順行するものが善
逆行するものが悪
である。
共通認識が善悪を決める訳じゃない

551 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 23:12:48
>原始的な狩猟生活が望ましいと皆思う
というのは共通認識ではないの?
そこでかかる生活の実現にとってプラスと評価されるものは
全て、善だし(その「皆」にとって)
マイナスと評価されるものは全て悪ってことでしょ?
言ってることはほとんど違わないと思ってるんだけど…

>一人ぼっちときにも善悪は有る
元々社会生活を営んでいてそこでの常識を身につけたなら
それに基づく評価は当然生まれると思う
しかし社会から完全に隔絶された人間がどのように暮らすのか分からないが
少なくとも人間とのコミュニケーションは不可能だし、
仮定として、そのような動物同然の人が善悪の概念を持っていても我々にはそれが認識できないのでは?
我々に認識できないならそれはハナっから評価の対象にならないのだから、
善悪があるとは言えないと思う
我々が認識し得ない対象は存在しない、と考えるのが妥当
潜在的に存在する、と言うのが精一杯
考えても見て欲しい、社会の規範に触れなかった人間の認識というものを
我々がどうやって認識しうるのか
生まれたときから他との接触のない人間に善悪の概念があるか考えるのは
人間以外の動物(しかも社会性の薄いもの)に善悪の概念があるのか考えるのと同じで
困難なのでは?

552 :531 543 546:2006/12/31(日) 23:12:51
>>550
俺は個人における善悪と共同体における善悪と、大きく分けて二つの善悪があると考えているんだよ。
共同体における善悪は先述した通りで、個人における善悪は、自己存在の肯定に繋がること
(これは共同体における善悪と明確に分離しえない。何故なら共同体における善悪から自己肯定に繋がるものを選び出しているのだから)
で、個人における善悪と共同体における善悪の区別を意識せず、
双方を一緒くたにしたものがどうやら一般に善悪と言われているんじゃないかと考えている。

553 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 23:14:39
>>549
>共同体は判断基準を構成する〜法律であり教義であり掟であり家訓 

法律が基準だとするとその共同体は「国家」以外にないが、そうなのか?
で、その国家は「教義(政教一致?)」を備え家庭には「家訓」を強要する、、
そういうことなのか?
              「なんだか、シッチャカメッチャカだなw」

554 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 23:16:54
>>549-552






  共同体の善を1つでいいから具体的にあげてみてください











555 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 23:19:25
すいません、10個でも100個でもいいです
「具体」例て説明しなくてもわかりますよね?
何をどうするかということです

556 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 23:23:33
さっきス−パーで、すれ違いに若い男性が、袋とスーパーのかごに品物を入れたまま出て来て、そのまま帰って行った。
入れる所をみてないので声をかけられないが、前の仕事がら考えてしまった。
もしそうだとしても今日みたいな日は見逃したに違いない。
服装もいいもの着てなかったし、そういう感じなので、万引き捕まえる仕事は向いてない悟って辞めた。
善悪は人によってざまざまだけど、限度を越えたら悪。

557 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 23:25:59
>>554
「共同体の善」ではなく「共同体における善」の具体例を求めているならば、
仮に国家における善なら国家が制定した法律に従うこと。

558 :考える名無しさん:2006/12/31(日) 23:46:15
>>553何を言いたいのか分からんが、
現代社会のほとんどは最上位に近代国家をおいて
そこに判断基準の構成・明確化を委ねている
それ以外に合法的な強制力っていうとそう沢山はないんじゃないか?
都市、教会、さらに家庭が規範を構成員に強制力をもって従わせるってのは
かなり近代国家建設以降においては制限されるよ
俺が言っているのは
教義に作られる善悪の判断基準も、村の掟に作られるそれも存在するって言うだけで
必ずしもそれらに強制力が伴うとはいっていない
良く読んでもらいたい
まあ、多くの場合、共同体に悪とみなされれば不利益処分は免れないだろうけどね
必ず強制力がともなうのは近代国家では法のみだ

>>554善の例ってのは難しいな
共同体が何かを奨励するってのは往々にして少なくて大体が禁止規範
望ましいってのを言い過ぎると窮屈過ぎちゃうからね
敢えて言えば、勉学に励むこと、とかね
逆に分かりやすいのが共同体にとっての悪で
人を殺したものを罰すことを規定した刑法199条が良い例で
人を殺すことが絶対悪かどうかは別として、
共同体の多くの人が小さい頃から公教育、しつけ、読書、対人コミュニケーションなどを通じて
人を殺す(傷付ける)のは良くないこと、と共同体から強く意識させられる
そして成長するにつれて共同体の規範も知っていくわけだけど、
それら全て認識し判断できる能力を有しているのに敢えて人を殺せば、
その人が人を殺すことに対してどのような評価を持っているかは別として裁かれる
少なくとも構成要件には該当する

559 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 00:29:16
>>549
>実は善であるってどういうことかよくわからない
順行してると思いながら、実は逆行してるってこともある

絶対善、絶対悪は、何を絶対とするかによると思う

560 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 02:54:04
人が物事の理を悟り知能を育て智恵を産みだす為に不可欠な物事の是非・善悪を明確に弁別する心
が必用ですので皆さんが納得の行くまで話し合って下さい。
ちなみに辞書には
智・知=ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。
智恵・知恵=物事との理を悟り、適切に処理する能力。
と記されて有りますので理解できれば参考にして下さい。


561 :536:2007/01/01(月) 11:11:24
>>551
>というのは共通認識ではないの?
共通認識です。

>そこでかかる生活の実現にとってプラスと評価されるものは
>全て、善だし(その「皆」にとって)
疑いを持ちつつ「善なんじゃないかなぁ」と思ってる人がいたらどうなるんです?
プラスと評価されたとしても、マイナスの結果を与えたならそれは悪です

お人好しばかりの村があったとします。村に住む人々には、幸せになりたいという共通認識がありました。
この社会に入り込んだインチキ教祖サマは「私に金を渡せば皆幸せになれる」と言いました。
人々は幸せになるために教祖サマに貢ぎました。しかし、皆、日に日に貧しくなっていきました。でも誰も教祖サマを疑おうとはしませんでした。
村人「幸せになりたい。教祖サマに貢げば幸せになれるのだから教祖サマに貢ぐのは良いことだ」
結果、村の人々は不幸なままのたれ死んでしまいました。

教祖サマに貢ぐことは、共通認識の方向性に逆行するので悪であると俺は考えます。共通認識が善悪を定めるのなら、教祖サマに貢ぐことは善ですよね?

俺の言う善悪の概念には方向性=意志が必要です
動物について考えるのは今はちょっと面倒です

>>559は俺です。名前入れ忘れました

皆さん明けましておめでとうございます

562 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 11:19:46
>>556
>善悪は人によってざまざま
「正解過ぎw」

>>557-558
>国家における善なら国家が制定した法律に従うこと
>必ず強制力がともなうのは近代国家では法のみ
「北朝鮮国民の善は国家が制定した法律のみ、従え !! 」・・てわけね?

       どうかしてるぜオマイラw

>>558
>善の例ってのは難しいな 
「なにゴニョゴニョ言ってるのw」
オマエの善は「たった1個」の実例も挙げれないのかよ
いったいどんな善だよw

殺しが悪・・死刑も1種の殺しだから「国家=国民は悪である」という訳だ
「ご都合主義な善」の典型だなオマイのはw

       このオメデタ野郎♪



563 :536:2007/01/01(月) 11:34:33
>>552
>共同体における善悪から自己肯定に繋がるものを選び出している
ここがよく分かりません
共通体における善悪が個人に提示され、そこから選ぶんですか?

564 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 11:52:22
>>562
正月早々2ちゃんで煽りか?w
このオメデタ野郎♪

565 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 11:54:15
善とは全体を思う心より産みだされるもの、の全て。
悪とは個を思う心より産みだされるもの、の全て。
この場合、全体を思わぬ心で産みだされる家族や団体・国も個と見なします。
全体とは仕切りのない全てとことを指します。
従って、全体を思う心を持ち産みだされる家族愛や団体や国を愛する心は善と見なします。

566 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 12:15:28
>>565
>全体を思う心を持ち産みだされる家族愛や団体や国を愛する心は善と見なします

そうすると家族を殺す時は全体を思う(善の)心を持てばOK?
国を滅ぼす時も、全体を思う心を持てばOK?
なんせ心は善だしw

567 :531:2007/01/01(月) 12:50:10
>>562
北朝鮮国民における善じゃなくて北朝鮮国家における善はそうだよ。
北朝鮮国民がそれを守らないと北朝鮮国家は国家を維持できないでしょ?

>>563
いや、価値観の形成の過程で意識的、あるいは無意識に共同体の価値観に影響されるということ。
選び出しているという言い方はよくなかったかな。

568 :536:2007/01/01(月) 13:07:42
なるほど

善悪は何であると思うか、ですね
善悪は本質的に定まらないものだと考えてらっしゃる?

569 :568:2007/01/01(月) 13:13:31

訂正
それは善悪は何であると思うか、という価値観ですね

アンカつけ忘れました
>>567さんへのレスです

570 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 13:15:54
>>567
>北朝鮮国民がそれを守らないと北朝鮮国家は国家を維持できないでしょ? 

おまえ病院行って診てもらって来いw
国民は国家維持の道具・・法とさえ名が付けば北朝鮮国民はナンデモカンデモ
国家の言うとおりにせねばならぬ←これがオマイの「善」なわけだが・・



   「だったら、とっとと北に帰りやがれ!この工作員w !! 」




571 :536:2007/01/01(月) 13:34:24
神は
物事を、社会なり個人なりが定める方向性に照らして、その物事の善悪を定める

人は
物事を、社会なり個人なりが定める方向性に照らして価値判断を行い、その物事の善悪を見極めようとする

ということなのかもしれない。ここでいう神は科学や論理の権化みたいなもの

572 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 13:36:52
>>569
個人における善悪は、本質的には自己の存在肯定(自己保存とは微妙に違う)じゃないかな、と考えています。
ただ人は共同体の恩恵を得ないと生きていけないので、共同体を利用すると同時に共同体から影響を受け、
共同体の内でも生きやすくなるように個人における善が(表面的に)変質していくのかなと。

>>570
別に俺は「国家における善には国民は全て従わなければいけない!」などとは言っていないよ。
国家は国民を利用し、国民は国家を利用する、それだけの関係。
国家は国民に法律の遵守を望むだろうが、国民は束縛からの自由を求める。
つまり国家における善と国民における善は違う。

573 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 16:42:23
>>566
全体を思う心、とは全ての幸せを思う心です。
もう一度、考えてね。

574 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 16:44:30
てすと

575 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/01/01(月) 17:13:51
善悪とは独我的発想であり宗教とは共我である。
関係を禁じ指導者をもてはやす矛盾は神の屍を辱める。

576 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 17:53:00
>>573 >>565
>全体を思う心、とは全ての幸せを思う心です

そうすると家族を殺す時は全体の幸せを思って殺せってことですね
国を滅ぼす時も、全体の幸せを思ってクーデターを起こせってことですね

     「はい、承知しますた♪」



577 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 17:56:13
>>572
>国家における善と国民における善は違う

わかるか? 結局オマイは ナニも「言ってない」 のよ
いつだって何か言ってる「つもりでいる」だけで、
はたから見てる者には”裸の王様”状態w・・お見通しなのよ

で、ホカの人の手を借りてやっとたどり着いた先がこれ↓

「国家における善」と「国民における善」というでっち上げw 
しかもそれぞれの中身には怖くて「触れずじまい」・・あはは
なんにも語れないんだよなw

天然の真性なんだよオマイって・・有機栽培のスッポンw

578 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 18:30:45
北朝鮮の法規が北朝鮮の体制にとっての悪を示している、と発言することが全体主義礼賛的というのは困難なことだ
当然、先進国の国民たる我々はその常識(社会によって作られた)によって自分の意思でネガティブな評価を下す
俺が言っているのは、北朝鮮の法規が絶対悪などということは出来ない
なぜなら、北朝鮮の法規を評価するのも我々の「共通認識に依拠した自己の意思」に過ぎないものであるから、ということ
そういった意見が北朝鮮の体制肯定に繋がると思うなら唯一神でも拝んで絶対の基準をもらって来ればいい

共同体の判断基準に従って善悪の評価を下すことにネガティブな評価を与えている人も居るようだが
それは判断するのは自分の意思(そんなものがあるとして)であることを認められていることを都合良く無視している
さらに、北朝鮮の場合は強制力を持った判断基準を国が提供する事に関して日本と同じだが
その判断基準の構成に関して手続の適正を求める点で日本と北朝鮮はおよそ前提が異なることも注目すべきである

挙げられる善の例が少ないからその善悪の定義が薄っぺらいなどと主張するのは、
それはその主張者が自由というものに関しておよそ興味がないことを示している
北朝鮮や全体主義者を嫌っているのに善や道徳の明確化されていることを当然と思っているのは皮肉だ
善行を明確に示してそれから外れることを厳しく糾弾するのは決まって専断的なものである
ナチス政権下のドイツ刑法はドイツ民族に相応しくない行為を非難した心情刑法だ
暗黒時代のローマカトリック教会は善行をうるさく定め、ハズレものの恐怖を煽り、権威と免罪符の値をつり上げた
現代日本において敢えて善行の例を挙げるとするならば、
国家の提供する判断基準がネガティブな評価を与えている行為と他人の権利を侵害しない範囲において、
およそ他人のすることや価値観を許容することである
日本国憲法はそれが行為に現れないならアナーキズムでも軍国主義思想でも許容せよと言っているのだ
そんな社会で善の例を挙げよなどというのは馬鹿げた要求である

579 :536:2007/01/01(月) 18:33:07
>>572
>個人における善悪は、本質的には自己の存在肯定(自己保存とは微妙に違う)じゃないかな、と考えています。
自己の存在肯定って例えばどうゆうことでしょうか?
俺は自己意志が核心だと思うんですが

肯定だと思ってたことが実は否定の結果を招くと知ったとき、その人は「これは善じゃなく悪だ」と『気付き』ますよね?

580 :531:2007/01/01(月) 18:36:21
>>577
怖がっているのはあなただろう。
「善悪なんて人それぞれ」という相対主義的な虚無感から進むことを恐れている。
俺は国家における善を言ったよ。あなたが求めた通りにね。
もはやあなたのレスは反論になっていない。

全てを否定することで、否定する勇気がない者たちよりはほんの少し、自分がましに思える。ほんの少し快感が得られる。
それは分かる。
だがそれは自虐的な暗い喜びでしかないよ。
あなたには否定する勇気はあっても創造し、肯定する勇気はないのか。
それならば俺はあなたを臆病者と軽蔑するだろう。
創造のための否定ではなく、否定のための否定しかしない者、と。

581 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 18:37:00
>>578
なに書いてんだか分かんね〜よタコw

国家法が「善」だと言い張るなら、はよ北朝鮮に行け
3日もすればそれが「間違い」だと分かるから

582 :536:2007/01/01(月) 18:41:54
積極的に因果律の肯定をしましょうよ

583 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 18:45:39
>>580
「善悪なんて人それぞれ」・・なにが善で何が悪かを決めるのは国家ではない
ひとり一人なのよw 虚無感なんて微塵も無いw これほど積極的で明快な
そして「現実と一致するものの見方」は無いとおもうが、あるのかw?


  「無いだろ、あったら書いてみw」




584 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 18:46:33
>>581「国家法が善」と俺が言っていると思っている時点で
根本から読み違い(若しくは意図的な無視)をしていることが分かる
上でも言ったが国家法は「やってはいけない」「やったものを罰す」など
最低限度の禁止規定を定めたもので
国家(とその構成員(と擬制された国民))がその共通認識においてネガティブな評価を下す行為
つまり「悪」とみなされる行為が定められている
刑法の根本原理に責任主義というものがあって、簡単に言えば「悪いことと知っていて敢えてやったから罰す」ということだが
それは国法が善悪の評価を含んでいることを示している
国法の基準を国民に強制力をもって押しつける働きを否定することは出来ない
国家法が悪であるか善であるかなどというのは個別的に論じられるべきだし、
その意見は、究極的には、審議討論の過程を経た議決という結果を見ないと分からない
国法の存在自体を論じるなら、多くの人がその共同体に及ぼすプラスの効果を認めている、という点で善であろう
昨日から人のことを煽って茶化して否定するだけで何の主張も出来ない様子は見ていて滑稽だ

585 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 18:48:11
>>582
因果律なんて宗教用語を
一体どうやればオマイみたいに肯定できるよw


 「正月早々豆腐のカドに頭ぶつけろってのかヲイ?」




586 :536:2007/01/01(月) 18:50:23
>>584
横レスすみません
突然ですけど、 悪法 って何なんですかね?

587 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 18:54:19
>>585
おう。そうだ
豆腐のカドに頭ぶつけろ

588 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 18:59:56
>>586
>突然ですけど、 悪法 って何なんですかね?

584じゃないけど、
悪法っていうのは、或る共同体における法を、比較的個人的な価値判断によって、
悪とみなす、ということではないですか?
つまり「悪法」という言葉には、共同体における善悪と、個人における善悪との
葛藤が含まれているんじゃないかな。

589 :531:2007/01/01(月) 19:02:24
>>583
俺は前の方のレスに「善悪には大きく分けて二つのものがある。すなわち個人における善悪と、共同体における善悪が」
と書いたんだけどそれは読んでいないの?
自己(個人)における善悪を決めるのは、あなたの言う通りその人自身だ。
ただ共同体における善悪を決めるのは共同体。
国家を例にするなら、国家における善悪を決めるのは国家。

>これほど積極的で明快な
そして「現実と一致するものの見方」は無いとおもうが、あるのかw?

個人が決めるだけの善悪は共同体における善悪とは一致しないよ。
個人における善悪と共同体における善悪の二種類があると主張する方が現実と一致すると主張する。

590 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 19:06:20
>>586悪法下に置かれた状態なら、共同体の構成員の常識がその法が共同体にとってネガティブに機能すると考えているもの
ただ、場合に拠るが、悪法も法なりで、体制側が作った法がネガティブな効果を及ぼすという共通認識がある状況においても、
その法律がどのようなものでも体制側が作った方は善と擬制して(つまりフィクション)従わねばならない場合もあるし
法の内容が合理的でなければならないとする戦後日本のような場合もある
つまり日本では、憲法に反する法律は全てそう判断された時点で「悪法」ということが共同体の中で確定し、
意見でなくても国民の多くからネガティブな評価を与えられた結果、手続を経て改正された法律も、
悪法かそうでなくても不要な法律であったと評価される事になるんじゃない?
不要な法律ってことは刑法なら多くは禁止規定だから不要な国家による締め付けは即ち悪とみなされやすい近代以降の傾向からすれば、
悪と判断されたも同然だけどね
取り敢えず現代日本で言う悪法とは上のようなものだと思う
過去を見る場合は学説と自分の認識を組み合わせて判断することになるんじゃん?

591 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 19:11:21
>>589






  病気かオマイw

  「共同体における善」て何だよ? (そもそも共同体てナニw)










592 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 19:15:01
>>591
>「共同体における善」て何だよ? (そもそも共同体てナニw)

589じゃないけど、
「社会」と考えてもいいんじゃない?
人間は「社会人」として生きていると同時に
他の誰とも違う一人の個人としても生きている。
これはあたりまえの事だと思うよ。

593 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 19:15:58
>>584
オマイと違ってハッキリ書いてるだろw
「善悪なんて人それぞれ」という意見にオレは100%賛成だ
何回書けば分かるんだ、このど近眼野郎w !! 

補足すると「善悪というのは立場立場で異なる」のよ、難しい話じゃないだろw

594 :531:2007/01/01(月) 19:25:27
>>591
>そもそも共同体てナニ

個人より沢山の人々が集まり、結びつきを持った集団。
具体例を挙げると友人グループ、家族、学校、会社、社会、国家など。

例えばある村の人々が一人の人間を神にいけにえとして捧げれば、飢饉から逃れられると考えていたとする。
村の人々はくじ引きか何かでいけにえとなる一人を決めようとするだろう。
何故ならそれが共同体を維持することに繋がるから。つまりこれが共同体における善。
だがあたりを引いてしまった人は恐らくいけにえに反対するだろう。
「何で俺が村のために死ななきゃいけないんだ」と。これが個人における善。
そしてこのように共同体における善と個人のおける善とは相反する場合がある。
だから個人における善以外は認めないのは現実と反する。

595 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/01/01(月) 19:35:02
規律を重んじるほどに自分勝手なものはない。
そんな必要が生じるのは自分しかいないと思っているからだ。

596 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 19:42:03
>>593でも善悪というのは人それぞれって考え自体は許容されるけど
善悪というのは人それぞれだから共同体の規範に従わなくて良い、とはならん
唯一強制力を持った国家の定めた基準から逸脱すれば罰せられるし
強制力を持たない共同体の基準から逸脱してもやはり不利益処分を受ける
というか意見としてはほとんど同じなのに勘違いで噛みつかれてうんざりしてたんだ
主観の認識を主体として考えている、ということにやっと気づいてもらえた様でありがたい
国家の強制力を認めるかどうか共同体の基準によって判断すべきかどうかは、
勿論、議論の余地はあるが、現代日本においても、また、多くの先進国においても、国家に強制力を持たせて、
判断基準を国民に押しつけることを、(適正手続の保障がなされた範囲内で)認めているのだから
それを全体主義や北朝鮮的と表現するなら、こっちはそちらさんをアナーキストと呼ばざるを得ないことをはっきりさせておく
多数が絶対に正しいとは限らないが、少なくとも俺は先進国や日本の多数派をその点で正しいと考える
俺は日本社会の基準を認識した上で、国法とその強制力を共同体にとってプラスの効果があると、自分の意思で、判断している

597 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 19:48:52
構ってちゃんにご丁寧なレスをしてる奇特な人もいるものだ・・

598 :536:2007/01/01(月) 20:48:11
>>590
>その法律がどのようなものでも体制側が作った方は善と擬制して(つまりフィクション)

擬制するのは体制側ですよね。
「実際はネガティブな影響を及ぼす(=悪)と体制側が評価していても、国民から見ればそれは善である」ってことが有り得るということ?それは善ですか?悪ですか?

「正しい評価」がある一定の法則に従って行われることに気付きませんか?
永続的な評価は定まりませんが、方向性に対応する正しい善悪の評価というものは存在するはずです。
それは性質と言われるものだと思うんだけどな・・・
善悪の評価は「そう思う」という域を出ない。しかし、そのことが招く結果は定まる。
つまり正しい善悪の評価は存在する。
ならばそれを善悪と呼べば良い。他は善悪だと『思う』だけ。

599 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 20:51:47
>>592 >>594
頭悪過ぎなんだよオマイw
もう一度聞くが、

「共同体てナニ?」・・・友人グループ、家族、学校、会社、社会、国家ってさぁ〜
              オマイのレスを読む際、一体どれだと思って読めばイイんだ?
              友人グループと会社と国家じゃ・・大違いなんだけどナw

 「共同体における善」・・てナニ?友人グループ、家族、学校、会社、
               社会、国家←における善てナニよw

               「自分の友人グループと住む町や隣町、自国、隣国における善」
               て何なのさw?「共同体における善」て、例えば具体的にナニ?
              
               おれバカだからサ、分かるように具体例を1個挙げてみてよ、お願い!

600 :531:2007/01/01(月) 21:00:51
>>599
何か勘違いしてるようだけど
「個人」と言うのがある一人やその他の一人の人間を包括する概念であるように、
「共同体」というのも集団を包括する概念でしかないよ。
「友人グループ、家族、学校、会社、社会、国家、それら全てに共通するものが共同体における善」
とか言っているわけではないよ。
ある友人グループにはその友人グループにおける善があり、ある家族にはその家族における善があり、ある会社には…というのをまとめて共同体における善と呼んでいるだけだよ。

というか国家における善はかなり前に例示したし、村における善の一例も前レスで出したはずなんだが。

601 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 21:02:17
>>598擬制するのは確かに体制側だけど、現在の主流的認識では、
治者と被治者の自同性が最大限確保された民主主義国では、体制側の結論=国民の結論と「みなされる」
そしてその擬制の上に立つ擬制を憲法という秩序を以て正当化するのが現在の日本社会
確かに、実は国民の多数は違う意見ということもあるかもしれないが、適正な手続が守られている限り、
その手続に従って下された結論は正しいことになる
約束事だらけだが、当然、絶対的に正しい結論をだすことは出来ないがそれでは効率がわるくなる(つまり悪政)になるので
効率を重視して約束事で構成していくしかない
少なくとも日本の社会構造は歴史の中での試行錯誤の中での最新かつモアベターと思われるもの
より効率的もしくはより正しい結論を導く社会システムがあり得るならそちらをとるだろうが
取り敢えず今は与えられた約束事に従って判断を下していくしかない

「正しい評価」というのは神のみぞ知るもので、つまり、人間には認識出来ないと思うから
俺は正しい評価があるとは言えない
より正しい評価を決めつけることが人間の限界だと思う
つか正しい評価ってやつを人間が認識できるなら民主主義なんて要らないんですけど
民主主義国家は本当に正しい結論ってのはわからんものだって考えが根底にあるから
正しい評価があるという意見を日本で賛同得ようとするのは難しいと思う

602 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 23:32:36
>>601
>正しい評価があるという意見を日本で賛同得ようとするのは難しいと思う

そうでもないんじゃないの?
相対主義的道徳観よりも、「善のイデア」とは言わないまでも、それに近いものが
存在していると考える人が多いかもしれない。


603 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 23:32:46
>>600
>何か勘違いしてるようだけど
勘違いしてるのはオマエだw   (誤魔化しはヤメとけコラw)
【俺の友人グループ】と【オマエの友人グループ】における「善」てナニ?何のことだ?

>国家における善はかなり前に例示したし、村における善の一例も前レスで出した
だから一例書いてみ、簡単な話だろ?  (誤魔化すなコラw)


  オマエはだらだら文字並べるだけで「何も善悪につき語っていない」のよw




604 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 23:33:45
>>600
>何か勘違いしてるようだけど
勘違いしてるのはオマエだw 誤魔化しはヤメとけコラw
【俺の友人グループ】と【オマエの友人グループ】における「善」てナニ?何のことだ?

>国家における善はかなり前に例示したし、村における善の一例も前レスで出した
だから一例書いてみ、簡単な話だろ? 誤魔化すなコラw

605 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 23:34:39
>>600
>何か勘違いしてるようだけど
勘違いしてるのはオマエだw 誤魔化しはヤメとけコラw
【俺の友人グループ】と【オマエの友人グループ】における「善」てナニ?何のことだ?

>国家における善はかなり前に例示したし、村における善の一例も前レスで出した
だから一例書いてみ、簡単な話だろ? 誤魔化すなコラw

>>601
寝言は寝て言えw

606 :536:2007/01/01(月) 23:34:45
>>601
本当、そんなに約束事で返されたら話になりませんよ
ここは哲学板でしょ?

>神のみぞ知る
それならば人間は神になり得ますよ
今の段階では、「神のみぞ全て事前に知る」だと俺は思いますけどね

>正しい評価ってやつを人間が認識できるなら民主主義は要らない
なぜそう思うんですか?

607 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 23:37:13
>>600
>何か勘違いしてるようだけど

勘違いしてるのはオマエだw 誤魔化しはヤメとけコラw
【俺の友人グループ】と【オマエの友人グループ】における「善」てナニ?何のことだ?
オマイが何ひとつ具体的に書けない理由・・わかるか? 死ぬまでワカランか、あははw

>国家における善はかなり前に例示したし、村における善の一例も前レスで出した

見かけなかったな・・w 一度書いたんなら一例ぐらい書けるだろ、簡単な話じゃん

>>601
寝言は寝て言えw

608 :631:2007/01/01(月) 23:47:34
>>605
俺の友人グループにおける善は俺の友人グループの維持・発展に繋がること。
それ以上は詳しく言うには舞台設定をしなくてはいけない。
オマエの友人グループにおける善も同じ。

国家における善は例えば法律を遵守させること、ともう一度言えばいいのか?

真面目な話、俺は何も誤魔化そうとしていないよ。
「誤魔化している」と言うのなら俺が何を誤魔化しているというのかちゃんと言ってくれ。

609 :考える名無しさん:2007/01/01(月) 23:47:41
>>576
正月、早々気は確かか?


610 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 00:07:24
>>601
>「正しい評価」というのは神のみぞ知るもので、つまり、人間には認識出来ないと思うから
>俺は正しい評価があるとは言えない

人格を中心に考えることのできる人間ならば善悪の正しい評価を認識できるでしょう。
人科のモモサピエンスでしたら善悪の弁別はできませんよね。
つまり物事の是非・善悪を明確に弁別できない人は、人科のホモサピエンスで人格を
中心に考えることのできる人間の進化以前の生物ですね。




611 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 00:14:17
>>608
オマエ明日診て貰って来い !! 

@「俺の友人グループの維持・発展に繋がること」・・てナニ?

 (字づらだけ追うと「死ぬまで互いを拘束し発展を強制しあうもの」
 (と聞こえるが、誤解を生まぬようもう少し明瞭な文章書けんのw?

A「俺の友人グループとオマエの友人グループ」における善とはナニ?

 (立場立場で「ナニが善か」は変わってしまうわけだが、善が存在する
 (と言うなら、「どちらのグループにも共通する善」でなければ善が何かを
 (特定/定義した事にはナランだろw わかるのか、この話?

612 :531:2007/01/02(火) 00:24:34
>>631
あなたは「善」という言葉に期待しすぎ。
俺は「人が善と呼んでいるのはその実こういうものだ」と言っているだけ。
まあ、それはそれとして
その友人グループにおける善はあなたの言う通りだよ。
というか>>531を読んでないんだろ、あなたは。読んでくれ。
「ある共同体における善はその共同体の存在肯定に繋がること」
と言っているだろう。それが共同体における善に共通すること。

613 :531:2007/01/02(火) 00:26:00
あ、612は611へのレスアンカーつけまちがえね

614 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 00:27:02
>>606約束事で返されたら話にならない?
人間社会が約束事で出来てるんだから約束事で説明していくしかないだろ自分勝手な意見放っても意味無い
学問ってのは人間社会の認識を基本にするもんだ
人間社会の約束事から離れたらそれは最早学問ではない
例えば1という記号の意味するところを数字の「いち」とするのも約束事だが
それを約束事ではなく最初から概念から構成しろなんて言い出したら数式一つ作るのも大変な苦労だ
既存の約束事を理解した上で人間社会を説明したり、人間の認識する世界を説明するのが学問
人間社会の約束事を無視して話すことは同じ世界を見ずに話してるのと同じで、つまりコミュニケーションが成り立たない
社会の根本概念への常識的な理解もないとなるとお手上げだ

正しい評価を人間が認識できるなら民主主義が要らないってのは当然の論理的帰結だろ
「正しい」何かを人間が認識できるなら、その、評価に従って生きていけば良いだけだからな
プラトンは正しい評価を下す人間「哲人王」を想定しそれによって社会が治められることを理想と考えた
プラトンはアテネの政情を目の当たりにして民主主義というものを徹底的に批判した
基本的に民主主義は歴史的にマイナス評価を主に与えられてきた
しかし、その後長い歴史の中で、やはり正しい評価を下す人間・教義・法など無いではないか、という声が主流になり
それならば、ベストではないが、自分たちが支配することで自分たちに酷いことをしないように(議員の給料みたいだが)、
そして正しい評価というものを人間が与えることが出来ないなら、治者と被治者の自同性を出来るだけ高め、
その上で話し合い、合意に達した結論を「取り敢えず」正しい評価と「みなそう」ではないかとして導入されたのが民主主義
そしてその結論がなぜ「正しいとみなされる」か、と言えば、絶対に正しいから、とは勿論言えないのだが、
「その結論」(つまり多数意見)が議論の過程を経て、より多くの人を納得させたいくつかの意見の内の一つであるからである
アメリカ人がよく、民主主義で大事なのは多数決による結論ではなく議論の過程である、というのはこのため
そしてそんなあやふやな「正しい」であるからこそ厳格にルール(手続)に則って議決されることを求める

615 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 00:48:55
>>610人間は善悪の評価することが出来る、ということは認めなければいけないが
それが正しいということをさらに評価するのは誰かと言えば、結局、自己か他の主観の認識である
正しいと思ったり正しいとみなしたり正しいと言い切ってみたりすることは出来るが、絶対的に「正しい評価」を与えるのは不可能
というか実は不可能ではないかもしれないのだが、俺の考えでは人間の認識はその人間の主観の認識を出ることが出来ないから
客観的に何かを評価するということができないと結論している
もしかしたら客観的な判断(客観的とみなされたではなく)を出来る奴が居るかもしれないが
その判断が客観的であることを観測できる存在が居ないから(居るとすれば神)結果的に客観的判断は人間に認識され得ない
つまり客観的判断は我々の主観が認識する世界には存在しない、故に、ある評価が「正しい」と客観的に評価することはできない
完全に客観的な評価というのは、我々の世界を隔絶された外部から認識している者の存在を要求する(そんなのは存在しないか神だ)
ちなみに人間以外の動物も善悪の評価をしているかもしれないが
今の科学では動物の認識を人間が認識することが出来ないから動物の認識について論じることは困難である
しかし動物がその主観によって対象物や対象概念に何らかの評価を下していないと結論づけるのも早計である
個人的には人間とその他動物なんてそんなに変わるもんではなくて、
違いは積み上げた約束事とそれを積み上げる強固かつ広範な共同体にこそある、と思う
約束事や共同体を否定されればコミュニケーションが取れないというのはそれ故である
言語を使うことで、我々は約束事に縛られながらも同じ世界を認識し得ているのである

616 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 00:50:14
>>614
民主主義を隠れ箕にしている国は沢山ありますが、
民主主義が確立されている国は何処かに有りますか?

617 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 00:56:49
>>612
>あなたは「善」という言葉に期待しすぎ
アホンダラw 善が何かなど・・とっくに解明済みだわ

>俺は「人が善と呼んでいるのはその実こういうものだ」と言っているだけ
タワケw 人様の風評をカキコしてど〜するタコ !!  とっとと寝ろコラ

   「 ったくアンポンタンがw」



618 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 01:01:46
>>615
総体的には納得できるのですが
>その判断が客観的であることを観測できる存在が居ないから(居るとすれば神)結果的に客観的判断は人間に認識され得ない
この行が腑に落ちません。
その判断が客観的であることを観測できる存在が多く現れれば宜しいのではないですか?
今まで現れないから、と言ってこれからも現れないとは言えませんよね。

619 :531:2007/01/02(火) 01:03:35
>>617
意味が分からないな。
善悪は人が作った概念というのは多分あなたも同意するだろう。
別に俺は風評をレスしているわけではない、
「人が作った善悪の概念とはつまりこういうものだ」と言っているんだ。
あなたが善とは何か解明済みだと言うのなら(しかも俺の見解と違うというのなら)それを教えてくれ。

今の俺の感情を言うとあなたに失望している。
あなたのレスから臆病心が見える。
あなたのレスから何もかもうやむやにして逃げようという意思が見えて嫌悪感をかきたてる。

620 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 01:23:32
>>619
あのな、ある概念の一般的意味合いなら、
辞書引くなりググればもっと適切な回答が書いてあるのよ
オマイの糞みたいなレスなんぞ読まずともなw

なんで馬鹿丸出しのオマイを相手にカキコして来たかといえば
オマイのオリジナルな意見がそこには有って耳を傾けるべき
内容やオマイ固有の頑張りの利く主張があるかもしれない・・
だったらそれを引き出してみない事には始まらない、、、

そこでアレコレ刺激しまくってオマイの本気を出させようとするワケよw
ところがオマエと来たらあろうことか先の発言、、、
たくさん時間使ってきたのに・・卒倒しそうだぜオイラw

621 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 01:27:06
>>616民主主義は治者と被治者の自同性を確保することだから直接民主制以外完全な民主主義とは言えない
しかし直接民主制の弊害もさることながら物理的な問題も生じるので
直接民主制を採用することは世界的に見てもかなり限定的である
民主主義ってのは別に確立したり絶対的に守るべきものではない(ウィルソン以降、戦っても守るべきもの、だが)
タダ単によりよい結論が出せるのは民主主義であると多くの人が思っているから民主主義が採用されてるだけ
治者と被治者の自同性の確保という点で多くの先進国も道を模索しているのは、
国民投票を巡る日本の議論(何と民主主義や国民主権について常識的な理解をしている人の少ないことか)を見れば分かるはず
民主主義は別に完全に確立される必要はない
よりパフォーマンスと安全性を求めたらそうなったってだけ
外国にも押しつけるのは多国間の交流の頻度・量の増大に伴い内政不干渉なんてきれいごと言ってる場合じゃなくなり、
共通の認識をほとんどの地域で築くことが要求されてきたから

>>618沢山の人が見たところでそれを客観とは言えないでしょ
究極の客観性は外部からの観測によって得られる
確かに外部から人間社会を観測している人間ってのは存在しうるけど
その時、その人が外部から世界を観測していることを客観的に説明することは出来ないでしょ?
要するに客観性を我々が認識するためには延々と外部の観測者をみつけなければならないことになる
客観性が(約束事でなくて実際に)存在するかについては合意する必要は無いかと
先ほども言ったように「俺の考えでは」に過ぎないし、その人の信条にもよるので

622 :531:2007/01/02(火) 01:39:40
あのなあ。
辞書になってる言葉の定義は簡易的で便宜的なものでしかないんだよ。
だいたい俺が言う善悪の定義が辞書に載っているか?
苦しまぎれに反論にならない反論をするな。
俺が言うような意味での善悪を哲学をしない人間が使っているのか?
せいぜいがお前のように「なんか善には色々あるみたいだから善は色々なものなんだな」
と短絡的なことを言うだけだろう。

だいたい貴様が解明した善の説明はどうした?
俺にお前の真似をして煽ってほしいのか?

「オイオイ、何を“誤魔化して”いるんだよw」と。



623 :531・620:2007/01/02(火) 01:41:17
>>622>>620へのレスね
逃げるなよ臆病者くん^^

624 :536:2007/01/02(火) 01:57:00
>>614
>人間社会が約束事で出来てるんだから約束事で説明していくしかないだろ自分勝手な意見放っても意味無い
約束事があるなら理由だってあるはずだろ?それをきちんと見つめないで、ただしがみついてるだけじゃ進歩なんてないぞ
俺はちゃんと考えてる。哲学してる。自分勝手なのはあんただ

それに、あんたは>>598を理解してないよ
あと10回読み返せ

>「正しい」何かを人間が認識できるなら、その、評価に従って生きていけば良いだけだからな
それを認識できる人が利己的な人だったらどうすんだ?破壊を望む人だったらどうすんだ?その認識できる人は自ら人柱みたいなもんになることを望むと思うのか?
自由を求める人はいないって言うのか?
あんたはそれを認識できる人じゃないのに、そんなに自信有り気なのはなぜだ?

625 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 02:13:33
>>622
>だいたい貴様が解明した善の説明はどうした? 

もう教えてやんねw
つか理解力無さ渦ぎなんで説明意欲萎えるのよオマイw
死ぬまで不毛やってろ、あはははw !! 

626 :536:2007/01/02(火) 02:15:39
今ふと思った
善悪ってのは3次関数の内の1変数みたいなものかも
意志(方向性)を入力し、物事を入力すれば一つに定まる
関数の実行は現実世界(時間含む)で行われる

627 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 02:17:37
>>624何故自信あり気かって?
これまでの歴史の中で何かに正しい評価を下した人間が存在しなかったから(預言者を信じる人は、そうではない、と言うだろうが)
>>536氏は既存のものからの脱却をはかっているようですが俺は既存のものの観察とそこからの積み重ね以外考慮しないので、あしからず
正しい評価があり得るのかどうかってのは最早宗教を論じているのと同じだよ
信条によって存在するか存在しないか意見が違ってくる
その点において意見を意にする人が合意に達するのは不可能と思われている
信条を述べている(つまり信仰告白のようなもんだ)から自信があるのは当然
神がいるかと聞かれている、いない、いるかもねで迷う人はほとんど居ない
多くの人はどれかを自信ありげに答えるだろう
それと同じ

哲学してるとか考えているとか以前に、約束事について同じ認識を持っていない人と理解し合えるとは思ってないから
根本の考え方が違ってても最終的に個々の概念への認識はそこまで変わるもんではないから問題ないんだが
個人的に言えば、レス番>>536の意見には賛成できるがそれ以外は微妙
話が宗教的すぎてついていけません
認識の主体はあくまで主観の認識ということについて同意してもらわなければ、
各論では同じ意見になることが多いが総論では食い違うって事です
刑法でも結果無価値と行為無価値ってあるけど結論としては事例に同じ様な判断を下すことが多いでしょ?

628 :531:2007/01/02(火) 02:23:00
>>625
あーあ
ただの臆病者だったのか
弱い犬ほどよく吠えるっていうのは本当なんだな
お前は最初からキャキャン吠えてたもんな
「ひ、必死で煽らなくちゃ自分が臆病者であることがバレてしまう」
みたいになwwwwwwwwwwwww
マジで見栄や意地を超越して自分の間違いを認める勇気を出すこともできない奴は死んで欲しいね
てか、死ねよ
まあ、お前みたいな馬鹿は自己欺瞞に自己欺瞞を重ねて
「ぼ、ぼくは間違っていないんだ。あいつが間違っているんだ!…何が間違っているのかは分からないけど…、と、とにかくぼくの方が正しいはずなんだから」
とか布団の中でブツブツ呟いて自己催眠かけるんだろうなwww
アハハハハハハハハハハハハハハwwwwwwwwwwwwwwww

629 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 02:30:45
春はまだ遠いってのにやばげな人達が終結してきたな
さすが哲学板

630 :531:2007/01/02(火) 02:32:37
ごめん。臆病者は大っ嫌いでね、つい。
かなりヤバくなってたね俺。

631 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 02:33:07
書いてる奴が酔っ払ってる場合もあるだろうよ(笑)

632 :536:2007/01/02(火) 02:44:20
>これまでの歴史の中で何かに正しい評価を下した人間が存在しなかったから(預言者を信じる人は、そうではない、と言うだろうが)
つガリレオ
あんたは愚かだ。与えられたものを死ぬまで必死に守るだけの愚者
少なくとも哲学家ではない

>俺は既存のものの観察とそこからの積み重ね以外考慮しないので、あしからず
奇遇ですね、俺もです。
ただ、世界の観察から汲み取れるものの大きさと、蓄積の技術に差があるようだ
もしかしたら目の大きさも違うのかもしれないね
いずれにしても、哀れだよ

主観という概念自体が客観性の放棄を意味する。
君は「それはそうゆう決まりなんです」としか言ってないよ
本当、思考に主体性のない人間は哀れだ

633 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 03:12:24
ガリレオが正しい評価を下したっての?
エプレシムウヴエだかなんだか忘れたが、ガリレオの言ってるのは学説に過ぎないし
ガリレオの学説を支持してるのもまた学説に過ぎない
ガリレオは熱心なキリスト教の信者で有名だな 家系からして教会音楽の関係者(重鎮?)だし、
神学が聖書を読み解く学問で自然科学が神の作った自然を読み解く学問と考え、自然と聖書を共に、神によるもの、とした
名前忘れたが(ケプラーだっけ?)惑星の運行の法則をみつけた人も
神の作った自然が法則に従っていないことなどないという信念で膨大な年月観測と計算を続けたとか
多くの欧米の自然科学者には自然は神によるもので、そこには必ず美しい法則性があるという信念を持っている
なんにせよガリレオの地動説を正しいと評価するのも人間社会の決まり事
ダーウィンもそうだが学会の通説が人々の間にも常識や正しい理論として伝わるし、
共同体がその学説を否定すれば教科書に載らず、そこの人々にとっては地動説は正しくなくなる
我々は決まり事に従った一定の観測方法を元に一定の決まり事に従って書かれた記録を元に一定の決まり事に従って作成された論文を見る
世界は理論・学説によって構成されているに過ぎず客観的事実は人間の観念の中にしか存在しない
つまり客観的事実は存在しないしそれゆえ何も正しくない
哀れ哀れと言うがそれが神を信じる人が無神論者に、無神論者が神を信じる人に哀れみを感じることと同じってのは理解してね
良くも悪くも君は宗教的すぎる
相手の言うことを根本的な点では流して各論に下す個別な結論だけに注目する姿勢も必要だよ
ほとんど同じ意見であるのに、宗教的議論に時間を費やすことほど無駄なこともそう無いはずだからね
それから約束事を(つかこの社会の根本原理すら)理解してないのに既存のものを破壊するなんて無理だと思うね
世界は外側からは破れないように出来てるんだよ(破れたことを我々が認識できないから)
世界は内側からしか破けない(外から見れば既存のものの中であがいているようにしか見えないかもしれないが)
何にせよ実感を得たいと思うなら約束事に拘ることだね

634 :536:2007/01/02(火) 03:38:49
>ガリレオが正しい評価を下したっての?
そんなことは言ってない
決まり事を守るのに熱心な愚者に理解されなかった者として挙げただけ
その点でダーウィンも同じだな

>なんにせよガリレオの地動説を正しいと評価するのも人間社会の決まり事
地動説は太陽や星々の動きを見て確認できるよ
決まり事としてのルート以外で我々と繋がっている
君が必死になって言ってる決まり事は単にそう決めたことでしかないでしょ。他のルートで君と繋がってるかい?

根本的な点を説き明かすことを目的とせずに何を議論するつもりなのか知らないけどさ、
俺の言うことが宗教的で気にくわないのなら、具体的に言ってくれよ
酷過ぎて反論の仕様もないって程ではないだろ?

それと、俺はずっとあなたを理解しようとしてるけど、あなたは俺の言うことを理解しようとしてくれてるのかね?

635 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 17:34:34
人が知能を育て知恵を産みだすために物事の理を悟ることは不可欠なことです。
そして物事の理を悟る為には物事の是非・善悪を明確に弁別する心を育て、物事の理非を見極める心まで成長させなければ成りません。
その、大切な理から逃避するために宗教に逃げ込む者と、理を宗教的だと決め付けて否定する者の二通りの逃げ方が有ります。


636 :536:2007/01/02(火) 18:00:42
>>635
あなたは宗教的だし、決めつけだ
それに>>633よりも全然分かっちゃいないよ

別に宗教は悪いものだと言わないから、自分の教義を発表するのは他でやってくれ

637 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 22:08:46
>>636
理を宗教的だと決め付けて否定すれば理から逃げる口実に成りますよ。
哲学とは道理にあかるいこと、を目的とするものです。
理から尻尾を巻いて逃げる貴方が哲学2chで話しをするのですか?
具にも付かぬ世間話しでしたら他でやって下さい。
哲学とは何か、も知らず知ろうともせず哲学の話は無理だと思いませんか?

638 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 22:38:23
>>536

639 :ぼ、ん:2007/01/02(火) 22:57:36
久々にきたら荒れていますね〜
やれやれですね

まず話しを戻しましょう。
1さんの善悪とは何か?は
人間の善悪
社会的善悪
等々ではなく、
真の善悪とは何か?真の善悪の判断基準は何かと云うことですよね?


640 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 23:03:40
「真の善悪」って何だよ…
神が作り人間に与えたもうたものか何かですか?

641 :善悪:2007/01/02(火) 23:38:35
絶対的な善も、絶対的な悪も存在しません。
相対的な善と、相対的な悪が、無限に存在します。

ここに犯罪者が自分の行為を正当化するチャンスがあるわけです。

人を殺すことが、絶対的な悪か。
もしそうなら、死刑を廃止しなくてはなりません。
正当防衛で、人を殺しても、罪になってしまいます。

ですから、相対的、つまり、いろいろな諸条件によって、
善悪を判断していかなくてはならないのですが、
そのような条件は、無限に存在しえるわけで、
善悪を判断するには、法則が必要となります。

法律も、善悪を判断するための法則ですが、
これもまた、絶対的ではありません。

つまり、法律違反でなければ、何をしても良いのか、
といえば、決して、そうではありません。
法律で規定しているのは、社会が混乱しないために、
どうしても必要なことであって、
個々の罪悪感を考慮しているものではありません。

個々の罪悪感は、個々の善悪を判断する法則に左右されます。

どんな法則を採用するかは、自由です。
ただ、法律違反へ導く法則を採用すると、生きるのが、たいへんでしょうね。



642 :考える名無しさん:2007/01/02(火) 23:43:19
>>639
馬鹿 ぼ、んw
仕切ってないで その「何か」について書きやがれタコw

643 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 00:17:39
簡素にまとめると生き物や物等を傷け限度を越えたら悪。
その反対が善。自然の道理。

644 :536:2007/01/03(水) 00:45:51
>>639
>人間の善悪
>社会的善悪
>等々ではなく、
>真の善悪とは何か?

人間の善悪、社会的善悪等々あるが、純粋に「善悪」という概念を説明しようというのがこのスレの主旨だと言うことですね

善=「各々の基準に基づいた肯定的な評価」
悪=「各々の基準に基づいた否定的な評価」
と言うのでは説明にならないんですよ
何だか訳が分からないから曖昧なままにして置こう、って感じが伝わってくる

肯定、否定と言うからには何らかの軸(肯定―否定を両端にもつ)が定められることが想定されているはずです
具体的に何によって定められるのか考えたら、それは意志だった
ここで言う、肯定的・否定的とは軸に関して巡行・逆行すること
肯定・否定は認識の問題ではなく、論理的に定まります(ここで異論がある方がいそうですね)

そんな感じで>>536みたいな風になりました
面倒になってきたので一先ず切りますが、「絶対的」という言葉はあまり好きじゃないから、「論理的に見て正しい善悪」「真の善悪」と呼びたいです

それとは別に、認識としての善悪というのも存在するんじゃないかと思います
でもそれはもう既に偉い学者さん達に説明し尽されてますよね


645 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 01:19:38
>>644
そんないろいろ善悪作ってどうすんのw
単に善悪でいいじゃん

646 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 04:55:10
善悪の判断基準は理性と良心でおk

647 :536:2007/01/03(水) 08:48:33
>>645
むしろ絞りましたよ

昨日の俺の善悪、今日の俺の善悪、あなたの善悪、家族の善悪、社会Aの善悪、社会Bの善悪、…神の善悪(絶対善悪)、等数えきれない善悪が今まで認められていた中で、
真の善悪、認識としての善悪の二つに大別したんですからね

648 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 12:10:57
>>647
いや、それ4つだろw

1.真の善悪
2.真でない善悪
3.認識としての善悪
4.認識としてではない善悪

ひとつでいいだろ
1.〜4.の各末尾をみてみろ、なんと書いてある?


649 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 12:20:52
難しい。
例えば、家族を食わすために、工場で物をたくさん生産して、売らなくちゃいけなかったとして、
その結果で自然が壊れたり。

家族にとっては善いことをしていても、自然は壊れてる。
そうすると、その人は本当に良いことをした事になるのだろうか・・・?


650 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 13:05:42
>>649
だから善悪は「立場で異なる」と言ってるだろw
つまり「誰にとって」を抜きに善悪は語れないのよ

  「善悪を決めるのは誰か?」
                      ってことさ

それを特定するのがこの問題「善悪とは何か?」を解く鍵なのよ
そろそろ見えてきたかなw

651 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 14:22:45
>>650
すげーいいことゆうなw
まぁぶっちゃけ善悪なんて
時代とか法律とか国とか人によって
相対的なもんだろ
いうなれば「おれにとって」の
善悪は「おれの周りで言う善い事と悪い事」
って認識してるけどな

652 :テロリストの善悪の法則:2007/01/03(水) 14:34:36
テロリストの善悪の法則は、
「他人の屍の上で幸福感を感じる」と思える人なら、採用可能です。

どんな善悪の法則を採用するかは、
まず、極限値を求めてみることです。

極端な話、「他人の屍の上で幸福感を感じる」と言い切れる人、
そのような極限値に抵抗を感じない人なら、
たとえば、テロリストの善悪の法則も採用できます。

どんな善悪の法則を採用するかは、まったく自由です。
ただ、その場合の極限値を求めて、極限値に納得することなく法則を採用すると、
幸福な人生でなくなるかもしれません。


653 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 14:44:25
そりゃ日本の16歳とテロリストを掛け合わせた
馬鹿社説でしかみれない理論ですな

654 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 15:14:32
>>648
俺はそんな風に分けてませんよ

フィールドと言うか、観点を二つに絞ったと言っただけ

655 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 15:35:50
>>654

1.真の善悪 
2.認識としての善悪 

1.にも2.にもある「善悪」とは何か・・それを問うてるわけで
「真の」とか「認識としての」とは何かなど誰も問うてないだろw


656 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 15:53:05
知る、を表す智・知と言う文字が有りますが物事の正しい在り方を知るには、ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用、知恵・知能が必要です。
>>1 善悪とは何か?第二章 に於いては人が知恵や知能・知性・人格を備え蒙昧から抜けだす為には必要、不可欠な議題なのです。
一見すると皆さんの意見は千差万別で善悪の認識に於いて一貫性が無きが如くに見えますが、差に有らず全て同一の意識から産まれ育ったものなのです。
是非・善悪の弁別に於いて、是非とは己の良心が受け入れることのできる是で有るのか、己の良心が受け入れることのできない非で有るのか、善悪とは己の良心と照らし合わせ明らかに善と見なされるもとの悪と見なされるものと弁別できるもの、のことです。
つまり、ものごとの是非・善悪の弁別に於いて、その基準を定めるものは誰の心にも存在する良心ですが皆さんは自己愛が産みだす自我を基準として話し合う為にそれぞれの自我に従った一貫性の無いと言う一貫性の有る意見が飛び交うのです。
ものごとの是非・善悪の弁別を明確に弁別する心を育てると人は物事の理を悟ると言うことに成りますが、それらの心を育てる基礎は理に反する自己愛ではなく、理を重んじる人間愛です。
当たり前ですが、善悪とは何か?を見極める心を育てずに善悪とは何か?を考えることは誰にもできませんよね。



657 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 16:06:05
9条は日本人の心の故郷なのです。変えさせません。


故郷を変える人が居るのですか?


http://that4.2ch.net/test/read.cgi/diplomacy/1165452884/l50



658 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 16:08:57
>>657
わずか60年前にアメリカさんに押し付けられた糞のどこが故郷だよw

659 :理性と感性:2007/01/03(水) 16:41:50
理性(論理回路)と感性(センサー回路)
どちらも必要です。

理性(論理回路)だけでは、到達可能な真理が無限になってしまいます。
感性(センサー回路)よって、限定する必要があります。

情緒教育とは、この感性(センサー回路)を健全に育てるものです。

正常な感性(センサー回路)は、ボリューム調節が適切になっています。

正常な理性(論理回路)は、論理的に矛盾した結論を出しません。

正常な感性(センサー回路)と正常な理性(論理回路)が、
バランス良く作動すれば、バランスの良い真理に到達します。

バランスの良い真理に到達すれば、いろいろなトラブルをスムーズに解決できます。

善悪に関しても、バランスの良い真理に到達した方が、楽に生きることができます。

禁止事項が多すぎても、たいへんですし、その逆もトラブル処理がたいへんです。


660 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 16:51:02
>>659
おまえが働かずに2ちゃんに入り浸ってるのは
正常な理性が育たなかったというわけね、、よくわかったw

661 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:13:28
659さん
バランスの良い真理というのを、実際に生活していたとして
どういうものを言うのかを、具体的に示してもらえませんか?

662 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:15:10
>>659
バランスの良い真理というのを、実際に生活していたとして
どういうものを言うのかを、具体的に示してもらえませんか?

663 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:15:55
>>659
バランスの良い真理というのを、実際に生活していたとして
どういうものを言うのかを、具体的に示してもらえませんか?

664 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:15:59
>>658
ところが押し付けた憲法が平和的で有りすぎる為に米国の世界戦略に日本を加担させることができず再度、米国の意にそぐう
憲法を米国の意図に依り変えるのが今回の憲法改正案です。
つまり米国が新たな憲法を日本に押し付けようとしているのがこの度の憲法改正案ですが双方、押し付けには変わりません。
押し付けられた平和憲法を守るのか?同じく、押し付けられて日本の財産を米国に用心棒代として渡す憲法に変えるのか、
貴方は何れを選びますか?
押し付けられると言う点では、どっちも同じなんですよ。
但し、新憲法下では日米安保条約を盾に極限まで日本の財産を絞り取られますので日本国民は安心して社会保障を受けられなく
成るし、加増された税金も全て米国に上納金として召し上げられます。
処方は違いますが米国の資本家保護政策で国民の八割が極貧に陥った南米では米国に対する反米意識が高まり南米12ヶ国の中
で10ヶ国が反米を掲げています。
つまり米国の押し付ける新憲法は時代と逆行し日本の国民を苦しめる原因と成るのですね。





665 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:16:55
バランスの良い真理って、具体的にどんなのを言う?

666 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:18:42
>>658
次の新憲法の草案もアメリカの都合で日本に押し付けようとしているものです。
さあ、どうするの?

667 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:18:43
いわゆる善悪の問題は古来論ぜられたが、その主眼は主観主義の論駁である。
直感的には善悪の実在は自明であるが、今も善悪に疑義を唱える主観主義を論破しえていない。

善悪の主観主義とは
善悪は人、国、文化、習慣、運などの要素によって変動しうるものであり、
善悪に関する常に正しい主張というものは存在しないという立場である。また相対主義も同じ意味で用いる。

世の人(善悪に関してさして疑問を持たない多くの人)は日常的には主観主義を取る。
それは主観主義が言い訳に使えるからである。
例えば「タバコは悪いことだから止めよう」と言われた場合に
「タバコが健康を害することは確かだが体を壊すことが悪だというのはお前の勝手な主張に過ぎない。
何が正しいかは人によって異なる。俺は嗜好品としてタバコを愛することが正しいと思っている。」
と、喫煙者に言い訳ができるのである。
(実際はこの後「他人に迷惑」といったいわゆる危害原理の話に至るのであるが、これ以降割愛する)
しかし唯一の善を信ずる人、例えば一神教の信者の場合ならば
「体を損なうタバコは神のお望みにならぬことにございます。」と言われればそれで論破されてしまう。
せいぜい「いや神も喫煙者だ」と詮無い論争に陥るのみである。
このような主観主義をこのスレで議論している哲学的なものと区別して「俗流主観主義」と呼ぶことにする。

俗流主観主義:倫理的な批判を回避するために主観主義的な態度をとること

668 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:18:51
もし善が何か判明したら皆従わなくちゃならないもんなの?
それとも道徳と同じで強制力は微塵もないの?

669 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:33:31
代替性

性質は異なるが善悪の差がなく同等である場合を仮に代替的であると呼ぶ。
例えば道路の左側通行か右側通行かは事故を防止するために車の向きを整理しているだけで
片方がもう片方より正しいという類のものではない。車線は代替的である。
しかし殺生と不殺生は殺生のほうが不殺生よりも悪であるとされる。
この場合殺生の有無は代替的ではない。

認識的な善悪と存在的な善悪

ある人が虚偽を弄んだことを理由に日興コーディアルグループは許さんと考えている場合、
仮に「日興コーディアルグループは認識的に悪である」と呼ぶ。
一方冤罪の人は「検察からは認識的に悪であるが存在的に善である」と呼ぶ。
主観主義はこの二つの用語を導入して
「主観主義とは存在的な善悪を認めず認識的な善悪のみを認める立場である」と表現される。
通常多くの人は存在の有無と認識の有無を区別しているように
(物が目の前にあってもそれを知らない場合があるし、物が目の前になくても物があるように見える場合があると考える)
善悪にも存在の有無と認識の有無を区別している。
(多くの人が善だと考えていても実際には悪である場合があるし、悪であると考えていえも善である場合があると考える)

670 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:34:24
環境と思考
主観主義の「善悪は場合によって異なる」という主張の「場合」は環境と思考に分類される。
環境とは意識を持たない不可変の要素、思考とは意識を持つ可変の要素である。
「善悪は文化によって異なる、纏足は現在は悪であっても昔は善であった。」という文では
文化が善悪に影響する要素であるが、文化は環境に属する。
「善悪は法律によって異なる、サービス残業は現在は違法であるが、ホワイトカラーエグゼンプションが成立すれば善になる。」
という文では法律が善悪に影響する要素であるが、法律は思考に属する。
その他、国は思考、時代は環境、人は思考に属する。

誠実と虚偽

ある人が自分の認識的な善悪を正しく表明する場合に「誠実である」という。
逆に認識的な善悪と異なる内容を表明する場合を「虚偽である」という。
例えば月本という国で池田小作総書記に対して賛成しなければ粛清される状況では
真言宗の多くの人が虚偽の態度を取らざるをえない。

「善悪は社会の維持のために作られた規定に過ぎない、善悪は社会の総意である。」という説をとる場合、
誠実な場合の総意なのか、虚偽の場合の総意なのかを区別しておく必要がある。
ナチスが台頭した時代のドイツではナチズムが善であったのか、それともなお悪であったのかという問題では
虚偽の場合と誠実な場合とで答えが異なる。
多くの人が熱狂し賛同したからナチズムでは当時善であったという意見も成り立つし、
一方で表面的には賛同している人が多くとも内心はナチズムを恐れていたから真の総意ではなかったという意見も成り

671 :相対的真理:2007/01/03(水) 19:47:15
アインシュタイン以降、
我々は、常に相対的真理を追求します。

つまり、いろいろな諸条件の設定が大事になります。

現実世界に限りなく近い設定が、バランスの良い設定であり、
そのバランス良い条件設定で得られた真理は、バランス良い真理なわけです。

たとえば、「世界一強い男は誰だ」という命題があったとして、
答えとして、「プライド無差別級王者が世界一強い男だ」と言った時、
プライドが、かなりリアルファイトに近いので、
説得力があるのではないでしょうか。

しかし、現実には、武器を使ったりもするので、まったく別な答えも真理です。

ひとつの命題に、無限の真理が存在しえます。

どれをチョイスするかは、自由ですが、
現実的な条件設定をした方が、説得力があるでしょうね。
バランスが良いとは、特定の条件に傾かないということです。


672 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:48:20
なんかお経、唱えてるやつがいるな、、

673 :536:2007/01/03(水) 19:49:57
>例えば「タバコは悪いことだから止めよう」と言われた場合に
>「タバコが健康を害することは確かだが体を壊すことが悪だというのはお前の勝手な主張に過ぎない。
>何が正しいかは人によって異なる。俺は嗜好品としてタバコを愛することが正しいと思っている。」
その喫煙者の意志が、「健康であること」よりも「煙草を楽しむこと」を優先するなら、彼の喫煙行為は善です
また、健康に気を取られて禁煙するのは悪であり、それを急かす思想は悪です

しかし、彼の意志が「煙草を楽しむこと」よりも「煙草を楽しむこと」を優先し、精神力の弱さゆえに禁煙することが出来ない自己を正当化するための言い訳をしているのなら、
喫煙は悪、禁煙は善、それを急かす思想は善です

俺、何主義ですか?

674 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:50:00
散々人それぞれって言うけどそんなに違うもんかねぇ

675 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 19:58:07
>>673
禁煙することに対して逃げているとしか思えないね

まあ周りのことを考えるのであれば喫煙しようがしないが善悪は自分で決めるもの
まあ子供とか親とか妻がいるのであれば喫煙することは悪じゃね?

676 :536:2007/01/03(水) 20:03:50
>>673>>667に対するレスです


>>655
言いたいことは分かるが、別質のものなんだ
違う呼び方を考えるべきか…?

林檎と、あなたが林檎だと思うもの は違うだろ?
そんな感じの関係だと思う

677 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 20:17:19
>>674
おんなじ条件・状況下なら 人による差異は そんなにあるもんじゃない
問題は人が違う立場や違う条件・状況下に在る時というのは、たとえ
同一人物であろうとも「何を善とするか」が違ってしまうということなのよ

678 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 20:24:15
>>676

1.林檎
2.あなたが林檎だと思うもの

上の2つの文章内にある「林檎」とは何か?
このスレではそれを答えればいいのよ

【1.は何か?】 とか 【2.は何か?】 と尋ねてるわけじゃないのさ

679 :536:2007/01/03(水) 20:31:20
>>678
そうですね
ずっとそうして来たんですけどね、

>>644
>それとは別に、認識としての善悪というのも存在するんじゃないかと思います
と俺が言った理由は、その前の流れを見てもらえれば分かると思います

680 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 20:35:17
>>679
「善悪」とは何か? に取り組んでみてはどうでそ ^^;

681 :536:2007/01/03(水) 20:39:06
>>680
>>536

反論待ちです

682 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 20:51:27
>>673
私的な定義の用語を持ち出して申し訳ないが、
>>673の説は「認識的な善悪に合致した行動を取ることが善である」という意味であろう。
認識的な善悪とは「ある物に対して下した善悪の判断」をいう。
裁判官は有罪か無罪かを判断するがその結果は認識的な善悪の一種である。

麻薬を吸いヤクザに襲われる幻覚を見て
逃げるためにビルから飛び立つ(実際は墜落する)という行為は
幻覚を見ている本人の認識からすれば一貫しているが実際にはまともな行為とはいえない。
同じように人類は腐っている、世界を粛清せねばならないという洗脳を受けて爆弾テロを起こすのは
善とはいえないのではないか。
>>673の説では倫理的な幻覚を見ている人の行為を悪であるといえないのではないか。


683 :536:2007/01/03(水) 21:11:43
>>682
よく分からないですけど、
その喫煙者が、「健康であること」よりも「煙草を楽しむこと」を善と認識するなら、彼の喫煙行為は善だ
なんて言ってないですよ。

量刑判断は、裁判官が汲みとった社会意志に照らして行われると思います

麻薬、洗脳、やっと良い例が出ましたね。ありがとう
何度も言ってますが、善悪は意志によって定まります
麻薬中毒者や被洗脳者の意志はどうなってるか考える必要があります
社会的に見た善悪を考えるのなら、社会意志を基に善悪の軸を定めます

684 :683:2007/01/03(水) 21:25:18

>社会的に見た善悪
という言い方は誤解を招きそうなので

社会の善悪に訂正します

685 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 21:27:10
>善悪は意志によって定まります

どのように定まるのだろうか?詳しく伺いたい。


686 :536:2007/01/03(水) 21:41:31
>>685
>>536から読み返して貰えれば助かります

意志すなわち方向性に巡行するものが善、逆行するものが悪だと考えています
その物事が巡行か逆行かは、論理的判断によって知り得ると思います

687 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 21:57:50
>>686
分かったような分からんような状態だが、
社会なり個人なりの価値観に合致する性質を持つものが善でそうでないものが悪ということか。
健康が望ましいと考えてウォーキングをするのは善(筋力の増加とかストレスの解消とかになるから)
健康が望ましいと考えていながらカプサイシンのぼったくりの薬を買うのは悪(飲んでも効果がないから)であると。


688 :536:2007/01/03(水) 23:38:19
>>687
細かい言葉使いとかを気にしなければ、大体そんな感じだと思います

意志って便利な言葉ですよ

689 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 23:46:36
>>688
怪しい言葉のマチガイだろw
その怪しい言葉で説明された善は ますます怪しくなってゆくわけだが

690 :536:2007/01/03(水) 23:48:56
>>689
そうですか

691 :考える名無しさん:2007/01/03(水) 23:59:11
>>687
>意志すなわち方向性に巡行するものが善、逆行するものが悪だと考えています
意志の意味合いが道徳的評価の主体で有ることを知れば、この一行が正しいことに気づくでしょう。
意志を意思と思っている人には分からないでしょうね。
意志すなわち道徳性評価に巡行するものが善、逆行するものが悪だと考えています
として下さった方が分かりやすいと思います。
しかし道徳性評価に心が及ばぬ者達は善悪の弁別ができませんので、そこを如何にするのか?と言う
課題は残されます。


692 :536:2007/01/04(木) 02:31:49
>>691
道徳的善悪というのは社会の向上を意志に定める者の善悪でしょうね

意志と意思を特に区別してるつもりはありません

693 :536:2007/01/04(木) 02:33:52
>>691
道徳的善悪というのは社会の向上を意志とする者の善悪でしょうね

意志と意思を特に区別してるつもりはありません

694 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 10:48:47
社会の向上てなに?上の意味はなに?

695 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 12:31:34
君達はまずは道徳的人間になればいいと思うよ

696 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 12:52:39
>>693
善悪とは何か?
を考える以前に皆さんの不足している探求心を補わないと無理がありますね。
バッテリーの弱った自動車でスターターを回してもエンジンキーは始動しませんね。



697 :536:2007/01/04(木) 13:03:39
そうですね
少なくとも、既出の事柄について何度も尋ねるようじゃ何も理解することは出来ないと思います

698 :696:2007/01/04(木) 14:25:36
>>697
哲学は第1目的と第二目的が有ると思います。
哲学の第1目的は哲学の哲と言う文字が示す、道理にあかるく成ること。
道理にあかるく成る、と言うことは物事の理を悟ることで達成されますが、物事の理を悟れば、潜在する知能が育ち人が考えることで正誤
の定まらぬ答を知恵だと勘違いしている知恵ではなく、本当の知恵を産みだすことができます。
この哲学の第1目的を有る程度、達成した方は過去にもいましたが、問題は哲学の第二目的です。
哲学の第二目的は第1目的を達成したことで産みだされる本当の知恵を使い、人々を道理にあかるく成るように導くことです。
とは言っても個人差(蒙昧の度合い)が有りますので知を望む純粋で謙虚な心を持たれている方達が優先されます。
少しでも多くの人々が本当の知恵を使い始めれば人類史は戦争や貧困・犯罪のない、誰もが生き甲斐を持てる新しい世界を創り出せます。
これが私の哲学に対する考えです。

699 :自由騎士団長 ◆4Ct2Bhz16I :2007/01/04(木) 16:56:31
われ等=キリスト者の言う「神」は生きた真理であり、宇宙・物質を創造された方。
完全な方は秩序の創造者であり、秩序そのものなのです。
また、例えとしては適切かどうか分かりませんが、
主の霊は被造物とは次元が違い、われ等被造物は希薄なものでしょう。
永遠に生きる方=神には(死)は無力です。
神は愛です。被造物には自由が与えられました。
例え、被造物が反逆(サタン)しても、そこに永続性はありません。
物質に半減期があるように、反逆には無限性はありません。
タイムリミットは用意されています。
神=真理の審判の元に、真理側と反逆側の自由な競争があります。
相対性は真理の秩序の元に管理されたものです。
最後の審判の日はいずれ来ます。

天での反逆者(サタン)は、地上では通常の人類より優れた存在です。
われ等が労苦する所以でもあります。

神の愛・力・忍耐力は計り知れません。
全知全能なる主は、無いものをも求めておられます。
反逆(サタン)という無秩序では無く、
主の子供としての前向きなデタラメがわれ等の将来の存在意義。
「永遠の命という完全に生かされた自由意志」
これが、サタンの存在意義を無くす人類の未来。

宇宙というフィールドは無限に用意されています。
でもそれは、人類への最後の審判の後か?どうかは分かりません。
聖霊に生かされ、結果を出し続けられる人類の努力次第か?
分かりません。
未来があるのは分かっています。
(死)は、いずれ滅ぼされる幻なのです。
http://jbbs.livedoor.jp/study/3876/

700 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 16:57:31
>>698
以前よりも大分良い主張になられましたね
安心して肯定できます


スレ違いの話はもう控えましょうか

俺の考えはこのスレの他に、人生最大の発見★11スレに書き込みました
1/1辺りからのレスです。参考までにどうぞ

701 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 16:58:18
>>698
以前よりも大分良い主張になられましたね
安心して肯定できます


スレ違いの話はもう控えましょうか

俺の考えはこのスレの他に、人生最大の発見★11スレに書き込みました
1/1辺りからのレスです。参考までに

702 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 17:47:33
>>701
私は、常に>>698の心で書き込んでいますが、その気持ちを皆さんにお伝えできない、と言う未熟さも秘めています。
哲学の第1目的を私が果たしていない、との証ですね。
でも、人は誰でも物事の理を悟れば知能が育ち楽しい人生を送れる、ことと人は物事の理を悟らずば知能は生涯に
渡り心の奥深く潜在し楽しい人生を送れぬ、ことも承知しております。
物事の理を悟ると悟らぬの僅かな違いが人の生涯を左右する、と言うことを如何に伝えるのか、が目下の課題です。

703 :うーん:2007/01/04(木) 21:50:22
最近思いついたのですが・・・・・・。
認識からみた、真善美の定義(適当)

真  何者も支配不可能なこと。ゆえに、万人に平等であること。
善  ある組織によって構築された再生産システムの中で、幸福を連想させること。
美  個人を無防備にさせること。感情を解放させること。エロスに通ずること。把握不可能なのに感じちゃったこと。

たぶん、善は殺人をも含む。
抑圧された人々にとって、その支配者の殺害は善に通じる。たぶん。


704 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 02:27:24
西暦何年だったか、ローマの24歳の皇帝が始めは罪びとをすべて開放して、
その後、あらゆる人々を残酷なやり方でゲームの如く殺害して独裁者になったが、3年後にに暗殺された。

705 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 08:16:36
まあ、人を殺すことを肯定する人は、
殺されても、ニコニコしているんでしょうね。
「良いことをしてくれた!」

706 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 08:27:18
「善人でさえ往生するのだから、
悪人が往生できないはずがないでしょう。」
と親鸞が言いました。

それは、頭で善悪を把握して、悪いことしない人より、
実際悪いことをして、心から、善悪を感じている人の方が、
本当に善悪を把握している、
といいたかったのです。

「往生するために、どんどん人殺しをしなさい。」
とは言ってません。

オウムの、あの方は、誤解したのでしょうかね。

707 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 10:32:03
親鸞てそんな馬鹿だったのか、、、ふむぅ〜

708 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 10:47:29
>>705
殺人を肯定する人は、
強者が弱者を殺すのは当たり前と考えているだけでしょ

709 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 10:56:03
え、俺は殺人肯定してるけどそんな事思ってないよ
悪人を殺すのは当たり前って考えてるだけさ

710 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 11:04:18
共同体という強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せるだけ。
まあ、動機は鬱憤晴らしということか。

711 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 11:25:25
共同体ておまえ部落の出なの?

712 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 11:27:22
ああ、国家と言えばよかったの?
国家も共同体の一つだけどね。

713 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 11:43:58
>>712
おまえによれば部落も共同体の一つだということらしいけど
部落も鬱憤晴らしを目的に弱者を狙って死刑を下せるの?

714 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 11:51:01
鬱憤晴らしなのかね
それも兼ねると言う人もいるかもしれないが
被害者側の立場に立って、加罰が救済になるわけではないしね
被害者を含めた国民全員の逸脱した行為は非難されて当然という気持ちを納得させることは必要だが
特別被害者の鬱憤を晴らす目的を刑罰に込めているわけではないだろう
共同体は必要だがその共同体において逸脱した行為を放置しておいたらそれはもはや共同体とは言えない
共同体はある一定の目的を達成するために人間が形成するモノだが
ある共同体がそこにおいて全ての行動まで自由とするならば
それは共同体でなくそこには個や別の共同体が存在するだけ
政治の役割とは共同体の達成すべき一定の目的に鑑み、その障害を徹底的に孤立させ排斥し、
作為不作為で共同体の構成員(主権者)の目的を達成しようという欲求を満足させること、で
日本の場合は目的は構成員の人権尊重(特に幸福追求)に置かれていると見て良いだろう
そのために強制力を付加された組織が国で
それ故、他の人権を侵害するような行為と国家に反逆するような行為が共同体にとっての悪であり、
他人の権利や公の秩序を害するような行為にでれば非難されても文句が言えない

>>711共同体は大事だよ
人間なんて共同体がなきゃそこらの動物と変わらないし
最近では自由の保障や民主主義の機能向上には共同体における信頼関係や伝統的な連帯が重要であることなどが説かれているし
森鴎外の言ってた日本における伝統的な個の概念、つまり、
人と人との関係ありきで、その接合部にぼんやり見えるのが個、という考え方も意外と的を射ていると思うね
最初から個がありきなんてのは結構神がかった話だ
ただ、どっちの考え方が正しい、と言うわけではないんだと思うけどね

715 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 11:51:58
部落より上の存在の共同体が無ければね。

716 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 11:54:34
>>715>>713へのレスね

717 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 12:02:43
>>715
部落は共同体で共同体は死刑を下せる・・
って>>710で書いてるけど、あれ嘘なのね !? 

718 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 12:20:01
>>717
そういう言葉遊びがしたいのかい?悪いけど揚げ足とりにもなっていないよ。
部落は共同体で、共同体が孤立した者(弱者)より強い場合(強者)は死刑を下せるよ。
ただし部落よりも強い共同体(強者)、例えば国家に属している場合はまだ死刑を下せない。
(この場合部落という共同体は国家という共同体よりも弱者)
何故なら部落から孤立した者が国家からも孤立しているとはまだ限らないから。
もちろん国家からも孤立していた場合は国家が死刑を下せる。
これのどこが>>710と矛盾している?
何故わざわざ強者や弱者という言葉を使ったか分からないようだね。

719 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 12:31:44
>>718
共同体といういい加減な語句では束ねられない事柄にも拘わらず
安易に共同体という語を用いてしまった自らの不明を恥じてるの?

720 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 12:33:03
>>718より強い共同体がいれば下位の共同体は懲罰を下せないというのは真ではないな
事実、中世ヨーロッパなど教皇、皇帝、王、諸侯、都市、教会など様々な権力がそれぞれの秩序で強制力を使い刑を執行した
日本でも幕府、藩、村などがそれぞれの論理で強制力を行使した
中央に全ての強制力の執行と秩序の構成を委ねたのは近代国家建設以降
それまではより弱い共同体でも執行が出来た
ま、そこいら辺は基本法次第だな

721 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 14:56:36
>>719
むしろ共同体という言葉以上に適当なものはないと思っているが?
国家よりも強い存在の共同体もあるし、そのうち更に強い共同体も出てくるかもしれない。
国家とか部落とかいう語じゃ足りないの。
束ねられないとか言うが、いったいどこが束ねられていないんだ?
「強者」という前提条件を抜かして揚げ足をとるためだけにあなたが曲解しただけだろう。
まあ、揚げ足をとることすら失敗しているけどね。

722 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 15:00:24
キジも鳴かずば撃たれまい、ってこれ?

723 :ぼ、:2007/01/05(金) 15:01:14
生殺与奪の話し??

724 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 15:02:00
キジも鳴かずば撃たれまいとは、こいつのことかw

725 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 15:16:04
>>721
横レスだが
共同体と言うと排他的、ないし自己完結の印象を受ける気がする
社会って言葉使えば?

726 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 15:20:34
江戸時代、村落が自治を獲得できた要件を答えてみそ。
で、現代においての共同体モデルを提示してよ。

727 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 15:31:54
そもそも、共同体の共同体たるゆえんは、強者も弱者も所属人員は例外無く
従うルールの存在の有無をもって共同体とする。
従うルールがどこにあるかによって、その共同体の安定性が左右される。


728 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 15:46:25
だから、法を民主的に制定するという近代国家において、国家が共同体
ともし呼べるなら、制定された法によって海外をも従わせる状況・強さ
を持たない限り、国家を共同体とは呼べない。
現代において、生老病死や教育すらもルール作りできない地方に、共同
体などあるわけない。
江戸時代の共同体は、泰平の日本があってこそ存在できた貴重なサンプル。
江戸期のの農村・都市の自立はぬきんでている。奇跡。


729 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 15:58:56
>>727
>ルールの有無
明確化されたルールの有無 じゃないか?
曖昧なルールなら友達関係でも持ってるものだがそれを共同体と言ってしまうのは些か違和感がある

730 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 15:59:52
>>721
@594 名前: 531 投稿日: 2007/01/01(月) 19:25:27 
 >>591 
 >そもそも共同体てナニ 

 個人より沢山の人々が集まり、結びつきを持った集団。 
 具体例を挙げると友人グループ、家族、学校、会社、社会、国家など。 

A710 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 2007/01/05(金) 11:04:18 
 共同体という強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる
 -----------------------------------------------------------------
病気かおまえw 
おまえの定義@を おまえのいう定義Aに当てはめてみるね↓

【友人グループ】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる
【家族】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる
【学校】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる
【会社】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる

おまえのように共同体を@Aのように定義すると矛盾だらけになる位わかれアホw
ここまで書いてやらんと分からんとは、、、どアホ !! 

               (次の言い訳が何かわかってるおれ、、、あははw

731 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 16:18:31
>>729
ルールの明確化は、してしまえば支配されやすい。
だから、昔の農村は習慣というものを基準にしてきた。誰も時間を遡る
ことはできないから、習慣に意味があった。ちなみにここでの習慣とは、
組織内の再生産を担保するもの。

友達とのルールなんか、家族のルールでさえ影響を受ける。弱い共同体
でいいんじゃね。

732 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 16:25:56
ルール→習慣→生産システム

どうも、唯物論的だね。

733 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 16:36:45
>>732
すまん、唯物論的な発想なら、想像の可能性はどう限定されるの。


734 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 16:37:11
時間があって、それなりに健康なら、献血はいかが?体調把握になるよ。

http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20070105/2308.html
富山市布目の会社員、井手澄夫さん(59)が四日、同市飯野の県赤十字血液センターで
九百二回目の献血をした。井手さんの計算では、これまでの献血量は百九十リットル以上
になる。世界記録認定を目指し、今月上旬にもギネスブックに申請する。
井手さんが初めて献血したのは昭和四十五年七月。しばらくは子どもの誕生日など記念日
に献血していたが、二百回を超えたあたりからペースが上がった。「当時暮らしていた長崎
で自分が一番多いということを知り、行けるところまで挑戦してみよう決めた」と振り返る。
ギネスブック認定を思い付いたのは八年ほど前。現在、世界記録を持っているのは
南アフリカの男性で、献血量は約百九十リットルという。井手さんの手元に昔の記録はなく、
正確な量は分からない。そのため認定はギネス社の審査に委ねられる。井手さんは
「健康に気をつけてきたおかげで、ここまでやってこれた。ギネス認定にかかわらず、
今後も献血ができる六十九歳まで続けたい」と話している。


735 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 17:04:34
人間の戦闘力は高くない。だから群れを成し協力することで
生存を脅かす諸問題に対し生存の確率を高めようとした。

そして効率的に生存確率を上げる為に
・内部で争わない
・次世代の子供に悪影響のある生殖行為はしない
・犠牲の数<生き残る数、の場合の自己犠牲への敬意
などのルールを作った。

善悪の本質はこれであり、表層で異なるルールを持つ集団が
合併する場合は、全体の利益(現代において人間の生存を
脅かすのはほぼ人間だけなので、生存確率より利益の方が
当てはまる)に向けて微調整が繰り返されるだけ。

736 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 17:52:23
>>730
別に矛盾があるとは思わないが。
どこにあるんだ?具体的に指摘してくれないと困るよ。
>>718も合わせて考えろよ。

737 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 18:18:59
>>731
【友人グループ】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる 
【家族】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる 


738 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 18:20:07
>>735
【学校】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる 
【会社】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる 

↑だったよねw

739 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 18:25:14
>>737-8
なんか揚げ足とりばっかしてこようとする奴だと思ったらこの前の臆病者か。
なんで>>718を合わせて読めと言ったのかも分からないのか?
お前には「より強い」とか「より弱い」とかいう概念は無いのか。
いや、そのくらいお前も分かっているだろう?
それでも自分の薄汚れた感情を満たすために揚げ足とりをしようとするしかないんだろうな。
哀れな奴よ。

740 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 18:44:59
>>739
わはは、【おまえ定義した>>594の共同体の定義】を
>>710でおまえの書いた共同体に関する文章】に当てはめただけだが
自分の書いた文章だってことがわからんのかw

【↑この誤り】をまず訂正しなきゃ>>718は後出しジャンケンにもならないじゃんw
ここまで懇切丁寧に書いてやってもお前の小さな脳味噌じゃわかんないだろけど

741 :735:2007/01/05(金) 18:47:58
>>737-738
俺は735が初カキコなんで他人の文の説明を求められてもな…

流し読みしただけだから、解釈違ってるかもしれんが
個人の善、共同体の善とか俺はわかれてないと思う。
大昔に生存確率を高めるため効率的に群れで行動できるように
作られたのが善悪の概念。
任意の人数で構成された群れに浸透した概念により、個人差は
あるけれど群れに属するものは似たような概念を持つ。
ただ、個人の場合は全体の生存確率より自分自身の自己保存本能が
勝るのでそこにズレは生じるだろうが。

そしてその善悪の概念は共生を認めた者の間でのみ成り立つ。
同じ人間でも主張の異なる、自分達の生存を脅かす群れは
排除する。敵を1人殺しても、群れ全体として大した利益ではなく
人殺しという内部抗争を誘発する行為を許すわけにはいかないが
1000人の敵を殺し障害を排除したのなら群れの生存に貢献したので
英雄となる。

群れの大きさや、いつ統合し、いつ分裂するかはケースバイケースで
一概には言えない。

742 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 18:49:36
揚げ足取られないようにすりゃ良いだけだろ
ちょっと煽られたぐらいでなんでそんなにファビョってんだよ

と傍観してて思った

743 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 18:52:19
>>740
だからどこに誤りがあるんだよ…具体的に指摘しろと何回言えば済むんだ。

後出しジャンケンとかお前馬鹿なのか…?
お前の質問の過程で主張した内容を詳しく説明しなくならなくちゃなったからそうしてるだけだろが…。

具体的に指摘して具体的に反論されるのが怖いのか?
だからお前は臆病者なんだよ。

744 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 18:54:36
>>741
ヒトラーが殺したのは1000人どころじゃないが英雄にはならなかった
お前オツム弱過ぎなんだよw

745 :743:2007/01/05(金) 18:56:23
>>740
あ、今気づいた。
お前、俺と>>735さんを混同してたのね。
いや、でもそれじゃあお前が>>730で矛盾を主張する理由にはならないか。

746 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 18:56:57
>>743
これが誤りでなくて何だと言ってるんだw
 ↓
【友人グループ】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる  
【家族】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる  
【学校】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる  
【会社】は強者に属するから共同体から孤立した弱者に死刑というものを下せる  


747 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 18:59:11
>>746
お前は“具体的”という言葉の意味が分からないの?

748 :735:2007/01/05(金) 19:04:49
>>744
「1人殺せば人殺しだが、1000人殺したら英雄」
が有名な話だから例で1000人にしただけ。
ヒトラーは1000人だろうが10万人だろうが、自分達を
脅かす敵を排除するに十分な人数を殺せなかっただけ。
もしヒトラーが連合軍を破り2次大戦にドイツが
勝利してたら英雄になっていた。

つか、そういう頭の悪そうなレスされるとまじめに
レスする価値あるか疑問がわいてきて
マジレスするのバカらしくなるんだけどな。

749 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 19:06:26
>>741
その善悪の概念の説明をお願い

善とは…である
悪とは…である
って形で。

750 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 19:07:19
>>748
>マジレスするのバカらしくなるんだけどな

わははは !!  同感だ、いま思ってたとこだw

751 :746:2007/01/05(金) 19:08:52
>>750
おーい、“どう”誤っているのか言ってくれよ

752 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 19:12:18
>自分達を脅かす敵を排除するに十分な人数を殺せなかっただけ。
じゃあ現在日本で英霊と呼ばれている死者達がしたことは悪?自分達を脅かす敵を十分に排除できなかったが

753 :752:2007/01/05(金) 19:14:00
アンカー忘れ
>>748

754 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 19:17:33
>>749
善とは自分の所属する群れの生存確率を高めるのに
有効な行動。そして個人レベルでは自分の生存を脅かさない上で
群れの生存確率も高める行動。対立する群れの全員を殺したなら
その群れにとっては有効でも、個人にとっては殺人を許せば
自分が殺される事も許容する事になるので、個人個人でその
判断に差が出てくる。

悪とは自分の所属する群れの生存確率を下げる行動。
個人レベルでは自分の生存を脅かす行動、
自分の生存を脅かさずに群れの生存確率を下げる行動、
自分も含む群れ全体の生存確率を下げる行動。
よって自己犠牲を他人を救った尊い犠牲と考えるか、
(いつ自分が犠牲にされるかわからないので)犠牲の上に
成り立った成果など無意味と考えるか、などの個人差がでてくる。

755 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 19:22:51
>>754
そんな大事な【生存率】とやらが新聞にもニュースにも
世界の何処にも表示されてないのはどういうわけなんだ?

 いったいその数字どこで発表されてるんだよw



756 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 19:22:57
>>752
当時者で無い国からした善でも悪でもない。どうでも良いこと。
敵国からしたら悪。そして2次大戦は敵国が勝利してるので
世界的には悪。
でも、日本国内でのみ自分達の群れの生存を上げようとした
行為として善。

ヒトラーは敵国以外に自分の群れの内部の人間も殺した為
敵も排除できなかったし、属する群れの生存率も下げたので
自国内でも悪。

757 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 19:32:46
>>755
XXXで殺人事件が起きました。
YYYで放火により?人が焼死しました。
ZZZで自爆テロが起きました。
これにより総人口がNNNNNNNNN人からNNNNNNNNN-?人に
なり現在の生存率は…
とか言われないと殺人などがもしかしたら自分の生存率を
下げるかもしれない行為だと気付かないのですか?

こんな文章でも結構気を使って真面目に書いてるんだから
マジレスする気の失せるレスはするなとあれほど(ry

758 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 19:52:50
>>754
んなこと考えながら、行動する人はいません。
生存率を直感的に把握するシステムはどげんになっとんや?

759 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:22:31
>>758
あなたはトイレに行くたびに、これは衛生上伝染病などを防ぎ
生存率を上げるために排泄はトイレで行うものだ、と考えながら
トイレに行くのでしょうか?

>>741
>任意の人数で構成された群れに浸透した概念により、個人差は
>あるけれど群れに属するものは似たような概念を持つ。
と書いたように善悪は元を辿れば生存率を高めるためのルール
だったと私は思ってますが、生まれた時からそれが概念として
定着した社会で暮らしていれば、大多数の人は疑問に思うまでも無く
善の行動をするのです。

あと生存本能のちゃんと機能している人なら殺人事件を知ると
本能的に嫌悪するはずです。隣に殺人の前科者が引っ越してきたら
普通なら直接被害を受けて無くても嫌だと思うはずです。

760 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:36:55
>>756
誰も状況説明をしろとは言ってないよ
決定的な核心たる部分を抜き出して、論理的道筋を明らかにして説明してくれなきゃ曖昧すぎて掴めない

761 :189:2007/01/05(金) 22:37:22
普段の行動は習慣だろう。
習慣で不都合が生じたときに、初めてその合理性を疑うことになる。


762 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:47:59
>>760
自分の属する群れの生存率を高める行為なら善、
生存率を低める行為なら悪。
任意の行為に対する評価は、評価する人間の属する群れが
その行為によって生存率が上がるか下がるかで変わりる。

ちゃんと核心を書いてると思いますが?

763 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:53:42
>>760
初めの始めに戻ったぞ。
二つの価値体系があって、お互いが争ったとき、善悪はどうなるんだろう
チュー話じゃなかったんかい。

764 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:55:57
>>762
生存率を算出する「式」を書いてみな、どうやって出すんだ生存率って?

765 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:58:42
>>754
生存確率を上げるために食糧を買い貯めすることは善?
妊娠初期の胎児を遺伝子診断して、異常があった場合に間引くのは?


あなたの言う善悪は>>536の一例を劣化させたものに過ぎない
生物の根源たる意志は生存だから近い筋にはなるけどね

766 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 22:58:49
生存のために行為する場合は善という概念は使いません。
生存のために行動するときは、徹頭徹尾個人のエゴで行動します。
生存を考えなくてよいときに、善の概念が現れます。
とゆーことで、善と悪は別概念です。

767 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:03:52
>>762
>自分の属する群れの生存率を高める行為なら善
>>756
>生存を上げようとした
>行為として善。

どっちなんだ?

768 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:08:21
>>764
このレス内での生存率は
殺人など悪とされる行為以外(寿命など)で死んだ場合を
含めない場合の生存率を指します。

殺人などの悪とされる行為が無い場合
生存率は100%です。
しかし、悪とされる行為により死亡者が出た場合、
明らかに生存率は100%を切ります。
よって、殺人など生存率を低下させる行為を悪とし
それを発生させなければ生存率が上がるのは明らかです。

どんな行為によってどれだけ生存率が下がるかを
出す式が必要というなら、まず何故その式が必要なのかを
示して下さい。

769 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:18:52
>>768
念のために聞くが、
計算式が無いってことは・・「生存率を数字で示せない」わけだが
いったい「何の率なんだ?」生存率ってw










  (ウソウソw おまいはお花畑でひらひら飛んでてイイ、あははは♪)

770 :536:2007/01/05(金) 23:19:46
細かい所直し

・善とは向上に寄与する性質
・悪とは低下を招く性質
向上、低下の方向性(善悪の軸)を定めるのは意志。

善悪の定義自体は不可変であり、意志によって軸が決まることで善悪は定まる

771 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:21:48
悪とは、例えるなら犬だ。
目先のことしか考えない愚かで好戦的で醜い、動物的思考のことだ。

772 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:26:09
>>770
向上とか低下ってなに?何のこと?

773 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:27:41
中卒らしい答がいま出ます ↓ しばらくお待ちをw

774 :536:2007/01/05(金) 23:33:56
分かんねwww

775 :536:2007/01/05(金) 23:34:52
じゃなくって、

>>772
向上:良い方向に向かって進むこと
低下:悪い方向にむかって進むこと

776 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:37:39
>>775
ホント馬鹿だなオマイw だから「良い悪い」ってなに?

777 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:38:45
生物の根底の目的は種の繁栄だ。
繁栄を向上
衰退を低下
と言いたいんだろ?

778 :189:2007/01/05(金) 23:40:48
>・善とは向上に寄与する性質
>・悪とは低下を招く性質

>向上:良い方向に向かって進むこと
>低下:悪い方向にむかって進むこと

・善とは良い方向に向かって進むことに寄与する性質
・悪とは悪い方向にむかって進むことを招く性質

    ?
   ∧∧
   (,,゚Д゚)
  /  |
〜OUUつ


779 :Tar ◆SQIDAUQYpc :2007/01/05(金) 23:43:47
何にとっての善悪なのかってことで何って何なのかってことでしょ。

780 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:48:24
なんか入院歴の長そうなのがまた来たぁ〜  ^^;

781 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:52:49
>>767

>>762です。諦めて降伏したらそこで敗戦です。
戦っている限りどんなに低くても群れの生存率は上昇します。
ただ、生存率を高めるような善行をしたが、結果が出なかった場合、
その評価は不明確です。

その時々の状況で判断するしかないでしょう。そのような変動を
内包するものは論理的に欠陥品と言われるなら素直に欠陥品なのを
認めます。

中々、粘れたと思うんですが完璧には届きませんでしたね…残念です。

782 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:53:40
己の良心に準ずることが善で有り、良心が受け入れられることを是と言い、総体的見知から観察して可と思える事柄を理と呼びます。
その逆が悪で有り、非で有り、理非と受け止めます。
物事の是非・善悪の弁別する心は人の知能に深く関係しますので、それを知らない人は早急に良心を育てる必要が有ります。


783 :考える名無しさん:2007/01/05(金) 23:57:05
ふむふむ で、良心てなに?

784 :770:2007/01/06(土) 00:00:15
だからね、その方向性を決めるのは意志なんですよ
向上・低下ってのは単に方向を示す言葉で、意志によって定まる軸に順行することが向上、逆行することが低下。

785 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:00:38
>>765
>生存確率を上げるために食糧を買い貯めすることは善?
個人としては善です。集団としてそれにより他人が
飢える場合は集団としては悪となります。
ただ、他人の反感を買い、自身の身に危険が及ぶまで
買い貯めした場合は個人の場合でも悪になります。

>妊娠初期の胎児を遺伝子診断して、異常があった場合に間引くのは?
飢餓に喘ぐ村で、他の異常の無い者の為に間引くのであれば善です。
(健康な者が生き延びた方が群れ全体の生存率が上がります)
他人の生存率を下げないのに間引く場合は悪です。

786 :770:2007/01/06(土) 00:03:58
つまりは、

・善とは軸に順行する性質
・悪とは軸に逆行する性質
その軸の方向性(善悪の軸)を定めるのは意志。

善悪の定義自体は不可変であり、意志によって軸が決まることで善悪は定まる

787 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:05:10
>>784
軸に順行すること・・てなに?

決めるのが意思なのは当たり前じゃん
まさか飼い犬に決めてもらうわけにもいかんでそw

788 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:06:56
>>786
それ
「善とはよいものだ。悪とはよくないものだ」
と言ってるのとどう違う?

789 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:11:37
>>787
>>784
> 軸に順行すること・・てなに?

> 決めるのが意思なのは当たり前じゃん
> まさか飼い犬に決めてもらうわけにもいかんでそw

790 :786:2007/01/06(土) 00:14:54
>>787
>>788
俺は善悪判断のことを言ってる訳じゃないよ
判断主の想定はしてない

791 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:18:29
>>765の2段落目、>>766
自分の隣人に理由なくその人の利益になることをして上げた場合
それはどこからくる行動でしょう?

善悪の根源を生存本能に求めた私の説なら、自分と親しい者と
良好な関係を築いていれば、協力しやすく生存確率が上がるから、
と説明できます。

しかしそれだと>>781で書いたように
もう十分良好な関係を築いているにも関わらず善行した場合は?
どこまで善行すれば十分良好な関係と言えるの?
など、その時々で変動する部分を内包してしまいます。
なので、敢えて避けた話題だったのですが、そちらの説だと
そこら辺もちゃんと説明できるのでしょうか?

>>769
どうせなんで、ついでに。マジレスする気の失せる頭悪いレスは(ry

792 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:29:20
>>785
「今日は大量に買い貯めしたぞ〜いやぁ良いことしたなあ」
…ってこと?

>他人の生存率を下げないのに間引く場合は悪です。
その子の将来を考えて深く悩んだ末の結論だったとしても、人間になる前の命を無くすことが悪だと、その両親に向かって言い切れる?

793 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:35:50
>>791
その【良好とか善行とは何か?】ってのがこのスレの【問い】じゃんよw

        問いを答にしてどうすんだコラw !! 



794 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 00:37:12
>>790
ぶっちゃけ
「善悪は人それぞれのものだが、善と思ってやったことが善じゃない場合もある」
と言っているだけでしょ

795 :添削くん ^^; :2007/01/06(土) 00:43:04
「善悪は人それぞれのものだから、自分が善と思ってやったことが相手にとって善じゃない場合もある」 


796 :794:2007/01/06(土) 00:47:08
>>795
いや、そういうこと言ってるんじゃないから…

797 :786:2007/01/06(土) 01:00:24
>>794
ぶっちゃけなくても普通にそう言ってるよ、
過去レス見てみ

798 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 01:03:03
>>796
どゆことでつか ^^;

799 :786:2007/01/06(土) 01:06:02
>>791
> 自分の隣人に理由なくその人の利益になることをして上げた場合
> それはどこからくる行動でしょう?

理由なく?
その人の意志を教えて下さい

800 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 01:06:08
「善 生存の可能性を拡張する行為」として、
なら、「真」てどうなんの?「美」てどうよ?
どちらかというと、本能っちゅー部類は「真」の概念でないかい?
人は動物とは質的に違うんだから、別の定義にしてくれ。
思いやりや礼儀は善っぽい。しかしそれを生存のためとは思わんだろう。

801 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 01:06:12
>>792
自分が生き延びるのに必要な量しか買い占めなくても
死者がでるなら善です。自分が生き延びるのに十分な量を
確保しており、残りをみんなで分ければ死者が減るのに
必要以上買い占めたら悪です。でも、ここでも同じ
問題に突き当たります。では、一体いくら買ったら十分な
米を確保したと言えるのでしょう?私にはわかりませんw

感情と理論的思考から導かれた結論は関連しません。
善悪は生存本能より生ずるという私の説から導かれる
答えはその場合、悪しかありません。

802 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 01:08:49
>>797
いや、何か分かりにくい言い方だったからさ
「善とはその人の意志に沿うもの。悪とはその人の意志に(結果的に)沿わないもの」
でオケ?

>>798
「善(意志に沿う)と思ってやったことが必ずしも善(意志に沿った結果)になるとは限らない」
と言ってるだけだよ。

803 :786:2007/01/06(土) 01:12:12
元々善悪ってのは道徳観念的なものだろうし、ここで言う善悪はその法則性を抽出して範囲を広げたものだから違う言葉で呼ぶべきなのかもね

ちなみに道徳的善悪は、俺の定義から言うと社会の充実を意志とする時の善悪

804 :786:2007/01/06(土) 01:15:17
>>802
人に限ったことではないんだが、そうゆうこと

805 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 01:17:24
>>800
「真」・・は実際に起きたこと、事実を指す
「美」・・は好きって意味
「思いやり」・・は相手の立場に立って自らの取るべき行動を選ぶことをいう
「礼儀」・・は権力順位が上位か下位かを知らせる作法を指す
「善」・・は自己にとり都合の良いことをいう

806 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 01:20:18
>>801
だからね、あんた、「善悪は生存本能より生ずるという」つーのは、
「美醜も好き嫌いも生存本能より生ずる」とかわランだろう。
すべては生存本能より生ずるとでも言いたいのかい?

807 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 01:24:20
>>805
でたらめだーーー。
横槍君?

808 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 01:44:33
>>804
意志に沿うものが善というのは、おかしいな。
「意志」には「欲望」とかも含まれるだろう。
欲望に沿うものが善であるとは言えないだろう。

809 :791:2007/01/06(土) 01:59:33
任意の行動で自分の生存確率が上がり/下がり、
他人の生存確率の上がることをした場合、なぜその行動をしたのでしょう?
(自分の生存確率が上がる場合の説明は割愛します。)

群れで行動し、生存確率を高めるためには他人と協力する必要が
あります。つまり何らかの障害が発生した場合に、他人が協力して
障害に立ち向かってくれないといけません。
よって、相手に自分は共に生存確率を高める為に必要な人間だと
判断させる必要があります。
相手にとっての自分の働きによる生存確率上昇分>障害による生存確率の低下分
と思わせなくてはいけません。
だから、自分の生存確率が多少低下することでも、相手が自分に協力して
くれるようにする為に相手の生存確率が上がる行動をするのです。

しかし、ここでも同じ問題が出てきます。では一体いくら相手の生存確率を
上昇させたら十分と判断できるのでしょう?
また自己犠牲など自分の生存確率を0%にして相手を助ける場合など
明らかに割に合わない行動をする場合があります。それは何故でしょう?
(個人でなく群れとして考えた場合でも、自分より群れの生存確率上昇に
貢献できない者を助ける場合は明らかに割にあいません)


こんなもん?欠陥を内包してるって認めた時点で投げやりに書いたから
真面目に書くとやっぱ疲れるなw

810 :786:2007/01/06(土) 02:05:19
>>808
> 「意志」には「欲望」とかも含まれるだろう。
含まれないと思いますけどね

じゃあ意志を定義しましょうか
今日はもう寝るけど

811 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 02:06:15
>>806
そうです、全ては生存本能から生ずる、と仮定してます。
羽根や角の美しさを競って生殖権を得る動物も多くいます。
美しさも(種としての)生存確率を高める為であり
好き嫌いも自分と共同して生存確率を上げる行動を
しやすいかどうかです。

そう仮定して頑張ってみたんですが、中々曖昧な部分は
消せませんでしたね…。

812 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 02:08:19
>>809
「情けは人の為ならず」みたいな考え方だね。
そういう考え方もあるけど、好きじゃないな。

813 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 02:15:35
>>810
>含まれないと思いますけどね

それだと、ふるくさい性善説になっちゃいそうだね。



814 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 02:33:28
>>800
善:自己生存確率を高める行為。それに反しない範囲で
  所属する群れの生存確率を高める行為。
美:>>811参照
思いやり/礼儀:群れで生存確率を高める共同作業を
  スムーズに行うための行為。>>809参照。
真:

真、ってのが何を指してるのかはかりかねるけど、本能に
近いというなら、善悪の観念を生んだ根源、かな。

815 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 02:51:04
>>814
【善】とは・・・
「〔専門〕 哲・倫 一定の使用・行為・道徳・秩序などにおいて、
人や物の性質(価値)がよいこと、望ましくすぐれていること。
また、それらをよくあらしめる根拠。」(大辞林)

「自己生存確率を高める行為」が何で「望ましくすぐれている」かを
説明する必要があるんじゃないの?

816 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 04:33:10
>>811>>814
もしかして同じ人が書き込んでるの?
まじめに考えてるの?

817 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 05:00:36
自己保存のための真善美ではない。自己保存を脅かすものとその自己を
脅かすものを必要とする個人が、うまくやり取りをするための理想の価
値観が真善美というもんでしょう。
自己保存を促すものが善なんて、個と組織と自然との関係を何にも説明
したことにはならん。



818 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 05:10:52
自己保存でにつながることが善だ・・・・・・
ここから導かれる世界観は、人間って自分勝手だからどうしようもない
なー・・・・・つーイメージしか涌いてこん。
違うだろ、自分勝手な人間が暴走する組織を作り自然を破壊する。それ
を肯定した上で、理解し、組織の暴走を抑え、道理に従う、そんな世界
観を真善美という理想イメージで描くんだろ。


819 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 05:13:34
(全き個人を前提にして)
思想に善悪なし。あるのは可能性のみ。

820 :786:2007/01/06(土) 08:08:15
意志と意思を区別します

意思:そうしたいと思う気持ち
意志:意思のうち感情を満たすことを目的としないもの

821 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 12:11:25
>>815>>818
書き方が不適切だったので以下に訂正します。


所属する群れの生存確率を高める行為。
但し、個人の生存本能の差異により評価に差異を生じる。


自分の群れの生存確率を下げる敵なら、同じ人間でも
殺すのが善、と考えるか
殺人の対象にいつ自分がなるかわからないので、どんな
場合でも殺人は悪だ、と考えるか。

>>817
上記と>>809で私の説が
>自己保存を脅かすものとその自己を脅かすものを必要とする個人が、
>うまくやり取りをするための理想の価値観
を説明できていると思います。

訂正ついでに>>811
>そうです、全ては生存本能から生ずる、と仮定してます。
善悪の概念は全て生存本能から生ずる、に訂正します。

>>816
勿論、私の仮定に沿ってそれを証明できるよう真面目に考えてます。
具体的に何が問題か指摘がないと答えようがありません。

822 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 12:41:57
だからね、君の世界観が有効になるには、その生存本能とやらが
@個人の場合A個人と個人の場合B個人と組織の場合C組織と組織の場合
ちゅー、最低でも4場面で生存本能とやらがどのように振舞うかを記述しない
と意味を成さない。
確かに、生存本能から多くの価値観が生まれてくるわけだが、君の価値観は場
と対象を定義してない。
人間は遺伝子の生存競争プログラムに影響されるわけで、君はそのプログラム
がどういった戦略を採っているのか記述しないといけない。



823 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 13:06:59
自分が生きるためなら、
他の生き物を殺しても良い、
と、本当に思えるか。
20歳の頃、突然、子供の時に、
無意味に多くの虫たちを殺したことを、
後悔し、涙し、
「そうだ、ゴキブリにも生きる権利があるんだ」
と思い、しばらく、ゴキブリとハエを生きて部屋から逃がしてやりました。

今は、簡単に殺しています。

ただ、果たして、ゴキブリを殺す資格が自分にあるか、
人間より、ゴキブリの方が、地球環境にやさしいです。



824 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 13:36:24
>>823
自分の仲間を殺すのは良くないとおもう

825 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 13:38:03
>>822
個人を含む任意人数の群れ群A、群B、群Cが存在するとします。

群A、Bが共生を目指す場合は>>809で説明できます。
残る可能性としては
1.群A、Bが敵対した場合
2.群A、Bが統合する場合
3.群Aに含まれる群Cが群Aから分裂する場合
です。以下全て群Aの視点での話しとします。

1.群A、Bが敵対した場合
群Aが群Bを排除した場合の生存率を生存率1。
群Aが群Bを排除しない場合の生存率を生存率2。
生存率1>生存率2なら群Aが群Bを排除するのが善です。
生存率1<生存率2なら極力妥協点を探す、中立になる、
群Aの生存率低下<群Bの生存率低下となる小競り合いを
繰り返す、などの行為が善となります。

2.群A、Bが統合する場合
思想、目的等が似ており、別行動するより統合して
行動した方が生存率が上がる場合は、統合して
行動するのが善です。どこまで統合するかは
その時々で異なりますが国連などもこの場合に
含まれると思います。

3.群Aに含まれる群Cが群Aから分裂する場合
群Cが群A内で行動する場合の生存率を生存率1。
群Cが群Aから分裂し別行動する場合の生存率を生存率2
とします。
生存率1<生存率2となる場合に分裂するのが善です。

どの場合も善となる行為をしても成果がなければ評価は不明確です。

826 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 13:48:17
>>822
>人間は遺伝子の生存競争プログラムに影響されるわけで、君はそのプログラム
>がどういった戦略を採っているのか記述しないといけない。
山道を歩いていて熊に遭遇したら、生存本能により可能な限り接触を
避けます。これが生存本能による行動なら、その生存本能のプログラムを
解き明かさないとその説が成り立たないというのはおかしいと思います。

>>825
3.の場合のみ群Cの視点になっていました。
3.内の群Aを群Cに、群Cを群Aに訂正します。

827 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 14:16:30
君は、その世界観でどんな将来をイメージするの?


828 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 14:55:28
勝手な個人がどうやったら、他人と組織とうまくやってゆけるの?

829 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 15:02:03
妥協しなければ、はじき出される。
一匹狼として生きれたら、一番いいですがね。

830 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 15:08:43
勝手な人間がうまくやってゆくためにさまざまなものを開発してきた。
恋愛概念やら市場やら文字やら組織のルールやら礼儀やら。
生まれたときにはすでにそこに存在して、当然のものとして利用してきた。
そんな人間が状況を把握するとき、自分ではない誰かの存在を意識せざるを得ない。
善が社会との関係性に重きをおいているとして、公共財の存在を意識せざるをえない
個人は、生存から離れたものを意識するんでないかい?
快楽やら利他行動やら衝動的行動やら競馬やら。
社会的規範を考えるとき、そこには生存で説明できない多くのものがある。

831 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 15:16:07
真と善と美は、徹頭徹尾別の価値体系から出てきた概念である。
生物や物質としての人間。
社会的生物としての人間。
好き嫌いで判断する人間。
生存という概念では、どう考えても無理がある。

832 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 15:26:28
>>827-829
私は、善悪の概念は全て生存本能から生ずる、とし
その正当性を検証する事以外考えていません。

本音は自分の生存確率上昇(出世など)の為にですが
・自分の属する群れ(会社)の生存率上昇に貢献(サービス残業など)をする
・機会がある毎にチームのメンバーの生存率を上げる(失敗のフォローなど)
すれば上手くいきそうだと思いますよ。
逆に、打算無しに上記の行動ができたとしても、上司の生存確率低下を
防ぐために障害を押し付けられて(失敗の責任をなすりつけられて)
リストラされることも珍しい話ではないと思います。

他人と上手く付き合う為の方法の多くが、善悪の本質から来るものだと
証明できても、善悪の本質と人と上手く付き合えるかどうかは別問題です。

833 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 15:28:17
動物として生存は基本で、
「衣食たりて、礼節を知る」
その時、
人間としての生存が始まるわけだね。

この礼節ってやつが、
人によって違うから、困るね。

834 :189:2007/01/06(土) 15:38:09
形式が違うだけで、本質は同じであるような気がするが。

835 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 15:52:29
>>830
>快楽やら利他行動やら衝動的行動やら競馬やら。
利他行動は>>809参照。

衝動行動は私の説では説明不能です。

快楽も生存確率を低下させなければ善、もしくは
善悪の観点から言えばどうでもいいことです。
ただ、麻薬など生存率を低下させるものは悪です。

競馬(ギャンブル)も善悪の観点から言えばどうでもいいことです。
ただ、過去ギャンブルの親元が不正に利益を得て
群れ内の不特定多数の生存確率を下げる事が多かった為
現在では禁止、規制などされることが多いです。

836 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 16:21:52
何やってる長生きする者もいるし、
節制しても早死にする者もいる。
「憎まれっ子、世にはばかる。」
て言って、善人は、すぐ死んじゃう。

837 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 16:27:04
馬鹿だねオマイはw

必ずしも生存や1日でも長く生きることが人の目標にはならないだろ
絶滅種となり消えていった動植物も多いわけだが
人間だけは絶滅してはならないなんて話は聞かないぞ

人は死んでもいいじゃん、どうせ死ぬんだし
もちろん生きてもいいしw
どちらを選ぶかを群れだの共同体だの得体の知れないモンに決めら
れてたまるかよw

838 :786:2007/01/06(土) 16:27:26
> 衝動行動は私の説では説明不能です。
開き直ってどうすんだ

生物は生き残ろうとするもんだよ
初期の生物からそうゆう性質だったのか、そうゆう性質を備えた生物だけが現在にまで生き残っているのか知らないが、
今この地球上に存在している主要な生物は生き残ろうとするように方向付けられているのは確かだ
それを根拠に善悪を定めるのなら、その辺にいる虫けらや微生物にだって善悪があることになる

善悪の概念は高度な意識の発達や意志の獲得に伴って現れたものだってことを認めなきゃならないよ

839 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 16:34:11
生存率・・だと?
計算式も提示できないオマイのでっちあげに誰が沿えるよw
10年前の生存率も示せず、当然だが今の生存率も示せなくて
なにが生存率だよアホーw

840 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 16:40:26
ま、
「朝に、真理を悟るなら、夕べに死すとも悔いはなし。」
て、ことかね。

841 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 16:43:45
>>840
死んでど〜する、死んでw

真理を知ろうが知るまいがそんな事で生き死にが決まるもんかよ
真理があるなら有るんだろうし、無けりゃ無いだけのハナシだろがw

842 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 16:48:21
>>838
>>781で既に欠陥を内包したことを認めてますし、2、3先の
やり取りを想定し水掛け論になるなら、そのケースは
今のところ証明不明と切って捨てた方が良いと判断します。

衝動行動は、非日常的な事態に陥り脳が正常な判断を
下せずに起こした行為で検証の対象外とすべき

などいくらでも水掛け論はできますが、そんなものに時間を
裂く気はありません。

生存本能より善悪の概念を形成するには一定以上の知性と
概念の伝達手段が必要です。虫などには、生存本能は
あってもそれから善悪の概念を作るまでの知性と、概念の
伝達手段が存在しないと思われます。

843 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 17:04:15
>>839
議論しながら養豚場の側を通ると豚の鳴き声がうるさくて
仕方ないからつい豚をどなりつけることもある。

ttp://women.benesse.ne.jp/hakase/sitemap/namae.html
によれば2006年の女の子の名前ランキングです。
ここで1〜3位になっている
陽菜、葵、さくら
の名前が日本全体で集計した場合に、どれだけの確率で
つけられるか算出する式と結果を示しなさい。
また、2007年にこれらの名前がつけられる可能性を導く
式と確率を示しなさい。

生存率も、全世界で
1-悪とされる行為で死んだ数/総人口
で出せるから
実際にその名前がつけられた人数/出産総数
は却下な。

やってみろ。ほんとにできたら俺にその資料くれ。
代わりにノーベル賞狙ってやるから。

844 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 17:32:30
人が物事の是非・善悪を弁別する心を育てなければ生涯、無知蒙昧の儘で暮らすしか有りません。
ですから、知恵とは物事の理を悟り、適切に処理する心ですが、物事の理を悟りの理とは物事の是非・善悪を弁別する心から産みだされる正しい在り方のことなのです。
その、人として正しい在り方を知るには誰の心の中にも有る良心を育て、育ったその良心が物事の是非・善悪を弁別しなければ成らないのです。
しかし人には個人差が有り、良心を育てられる性格と、そうでない性格が有ります。
だが万人に等しく良心を育てられる方法を見いだし広めることが未来を見据えた、これからの哲学の仕事だと考えます。

845 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 17:33:42
倫理学

846 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 17:49:40
健全な精神は、
健全な肉体に宿る。

すぐに表に出て、
マラソン10キロ

847 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 19:01:51
>>833
「礼節」・・は礼儀といっしょ
「礼儀」・・は権力順位が上位か下位かを知らせる作法をいう 

↑これら権力者の愛用してきた大衆操作ツールは民主化とともに死語となり
今後、「礼節」「礼儀」に替わって主役を張るのは次の

          「敬意」

「自分に払って欲しい」だけの敬意を「相手にも」払うというもの
つ〜か、もうそれしか世間では通用しない時代が来てる
気付いてっか、おまいらw

848 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 19:08:33
>>835
馬鹿だなオマイw 人には生存を目的としない場面だってあるだろ
例えば末期癌で医療上打つ手が尽き、あとは激しい痛みに耐えるだけ・・より
死期を早めること承知で麻薬を用い、痛みの軽減を図るのも選択肢の1つ

そのチョイスを【友人グループ】【家族】【学校】【会社】【社会】【国家】=共同体
が禁じ、悪とする資格は本人以外誰にも無いだろ

849 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 19:30:47
>>848
江戸時代の姥捨て山など、飢餓に苦しむ群れで
群れに貢献できない者を見限る行動なら善です。
(但し、自分も年老いて見限られるのが嫌だと思う
個人としては悪と考える人も多いでしょう)

病人で既に属する群れに貢献できない人を
殺しても生かしてもその群れの生存率には
影響しません。よって、その場合、善悪の
観点から言えばどちらでも良い、です。

ただ、その病人が生き延びることで僅かでは
ありますが属する群れの生存確率は下がります。
現代においては、社会制度その他で十分吸収可能な
範囲であり影響なしとしていますが、ここでも
どこまでが影響なしなのかなど曖昧な部分は残ります。

850 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 19:40:47
>>849
おまえの善はヘチャムクレ過ぎ、お話にならんw !! 

851 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 20:08:49
>>842
>>838
>>781で既に欠陥を内包したことを認めてますし、2、3先の
> やり取りを想定し水掛け論になるなら、そのケースは
> 今のところ証明不明と切って捨てた方が良いと判断します。

> 衝動行動は、非日常的な事態に陥り脳が正常な判断を
> 下せずに起こした行為で検証の対象外とすべき

> などいくらでも水掛け論はできますが、そんなものに時間を
> 裂く気はありません。

> 生存本能より善悪の概念を形成するには一定以上の知性と
> 概念の伝達手段が必要です。虫などには、生存本能は
> あってもそれから善悪の概念を作るまでの知性と、概念の
> 伝達手段が存在しないと思われます。

852 :786:2007/01/06(土) 20:41:09
>>842
>>781で既に欠陥を内包したことを認めてますし
認めるか否かが問題なのか?
「欠陥は認めました、まぁそれは置いといて…」って、、あなたは何がしたいんでしょうか

> 今のところ証明不明と切って捨てた方が良いと判断します。
それは無意味な議論を続けることに関して「良い」だけじゃないでしょうか

> 衝動行動は、非日常的な事態に陥り脳が正常な判断を
> 下せずに起こした行為で検証の対象外とすべき
判断?突然そんなもの持ち出されてもね、

> などいくらでも水掛け論はできますが、そんなものに時間を
> 裂く気はありません。
水掛け論にもなってませんよ

> 生存本能より善悪の概念を形成するには一定以上の知性と
> 概念の伝達手段が必要です。
今度は急に認識論的になってきたんだけど、どう解釈するべきかな

あなたの目的はなんですか?
チョロチョロ逃げ回って、論理的欠陥を突かれたら開き直って、更に言い訳で誤魔化して…
真理に達する気などはないように見えるんだが

結局は自分が考えたことを見て欲しいだけの甘ったれ坊やなのかね、
あなたがしたことは生物の生存意志の発見だよ。それはそれで素晴らしいことだが、自慢する程のことじゃない。既にたくさんの人が通った道なんだから

853 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 21:19:40
>>852
因みに>>851は俺じゃないですよ、念のため。

>>781で欠陥を内包したことを認めたのでもういいやと
思ってたんですが、それ以降もそれ以外の事に関して指摘が
続きました。

本来、欠陥のわかった理論なら放置ですが、それでも
それ以外の部分を指摘してくるという事は、
もし、その欠陥さえ無ければ残りは完璧なのか?と
論議しようとしたものと考えました。

私がしたいのは論議です。スレタイを見て
"善悪は全て生存本能より生ずる"
が自分としては一番理論展開できそうだなと考え、それでどこまで
論戦を繰り広げれるかを試したかったのです。
なので、可能な限り、理論的に自分の仮定の正当性を証明しようとは
しますが、真理に達する気がないという指摘は否定しません。
(真理を求めるなら、欠陥がわかった時点で別の論を探すなり、
欠陥を補う理論の探求を優先させるはずですから)

・善行をしたが成果がでなかった場合の評価が変動的
・衝動的行動を説明できない
以外は水掛け論にならないよう、理論展開できたと思ってますが
まあ、前に書いたように頑張ってみましたが完璧には届きませんでしたね。

水掛け論に関してはなると思いますよ。では、衝動的行動が
善悪から来るものだという事を証明してください。それが証明
されなければ衝動行動が善悪の概念によってもたらされた
行動か否かを判断できません、とか。まあ、私の考えが
及ばないだけで答えがあるのかもしれませんが…

854 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 21:53:46
同じ生存本能でも、
人としての生存本能ですね。
つまり、
人の定義が違うと、
「人として生きる」
方向性が異なり、
結局、それを基準にした善悪の方向性が異なります。

ようするに、
人それぞれということになりますね、

855 :白虎隊:2007/01/06(土) 21:54:13
これだ!
http://off3.2ch.net/test/read.cgi/offevent/1165467065/

http://www.nex-ent.co.jp/Company.html

856 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 22:21:01
「人として生きる」・・んじゃないのよ
自分として、、、「私として生きる」、、のよ

857 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 22:26:43
「私は、誰」
の質問は、しないのですね。

858 :786:2007/01/06(土) 22:50:28
>>853
討論がしたいのね、

討論が議論に含まれている理由が分かりますか?
討論=論理武装して意見を戦わせることは議論の一方法に過ぎず、目的は他にあるんですよ
相手を打ち負かして糞みたいな優越感に浸ることを目的とするものとして議論があるなんて思わないで下さいね

859 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 23:02:21
>>858
>>781でも欠陥を否定できないと思ったらすぐそれを認めたし
>>853でも真理を求める本来の姿からかけ離れていると指摘されたら
すぐに認めました。別に勝ち負けには拘ってませんよ、
ただ自分はどこまで討論できるのか、を試してみたかっただけです。

860 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 23:07:09
人は物事の理を悟らずとも僅かな知性や理性を備えているものです。
その僅かな知性や理性を育つ段階で得ることが叶わなければ物事の善悪に及ぶ思考も産まれません。
それが 善悪とは何か?の第二章を迎えても答を見いだせぬ理由ですね。


861 :858:2007/01/06(土) 23:17:55
>>859
俺は特に討論したいとは思ってなくて、自分の論理に穴が認められたのなら、それをカバー出来るようなものに直せば良いと思うけどね

あぁ、試してみたかったのね、
もう試し終わったかな?、、で?

862 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 23:25:30
>>861
2つ目の穴も出てきたし、本来の真理を求めるということから
外れているのも確かだし、その状態で討論を続けても
意味がないでしょう。終わりでいいです。

863 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 00:21:48
本当に自分のことしか考えてねーな(´Д`;)

864 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 00:35:17
自己本位に物事を考えられない者がどうやって他人の立場に立てるよ
そんな偏狭な視点で、やれ共同体だ、群れだ、社会だのといったところで
実感の無い浮ついた視点でしかものが見えないに決まってるだろw

865 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 00:36:27
自己本位にしか物事を考えられない者がどうやって他人の立場に立てるよそんな偏狭な視点で、やれ共同体だ、群れだ、社会だのといったところで実感の無い浮ついた視点でしかものが見えないに決まってるだろw

866 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 00:45:37
>>865
保証するが、オマイはどうやったって他人の立場には立てないよ一生なw
どうしてそう言えるかその理由もたぶん死ぬまで分からないと思う
分かってるなら書いてごらん、他人の立場にどうやって立つのかを

867 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 07:37:15
多くの人に出会うことで、人も、人で作られる世も
見えてくるわけですね。
人の出会いを大切に。

868 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 10:28:44
他人の作る世を眺めるばかりで自分を作りそこねる生き方もあるにはある

869 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 10:34:33
自分をつくるのは、たいへんです。

無為自然、天衣無縫、唯我独尊
みたいな生き方が、理想ですね、

870 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 11:30:22
>>869
そう思うなら やってみりゃいいだろ
やらないってことはそう思っちゃいない・・てことなのよ、お馬鹿さんw

871 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 12:08:46
理想は、
なかなか実現しません。


872 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 12:32:57
理想・・実現する気の無いものを そう呼んでるだけなんじゃないのw

873 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 13:42:25
ま、理想とは、
部屋のどこかに、飾ってあるわけです。
現実は、きびしいのです。

874 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 13:44:03
現実きびしいねー。嫌になっちゃう

875 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 15:40:37
現実のどこをどうしたいのよオタンコナスw

876 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 16:11:32
どうすることも、できないわけです。

877 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 16:21:31
つまりどうする気も起きないわけね?
たいがいの問題ってそこなんだよね

  やる気を「起こせない」、、、

いや、やる気を「起こそうとしない」、、、と言ったほうが正確かな
下手にやる気起こすと、その結果を他人に問われるし
自分でも自己を責めることに、、、それがイヤ、、全部イヤw

 「四六時中自分で自分を責めて暮らしてるのに
                 他人にまで責められてたまるか!」

 (゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。) ウンウン ワカラン デモ ナイw


878 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 16:45:04
ただ、理想はあった方が、いいですね。
殺風景な部屋に、理想の一つも飾っておけば、
心が休まります。

「宗教は麻薬だ」
と言った人がいますが、
それほど害のない麻薬ならいいでしょう。

高い理想で心休まるなら、
それでいいわけです。

理想は、方向づけ
ゆっくり歩いていけば、いいわけです。

どうせ人生は、終わりのない旅。

879 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 16:49:44
>>878
何人がそう信じて翌日逝ったことか、、、アーメン♪  (^_^;)

880 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 17:24:43
大切なのは、
今この瞬間死んでも
悔いがないか。
その辺です。

881 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 20:22:43
>>880
悔いないことは(生きた)結果であって、生きる目的じゃない
死についても同じことがいえる
では生きるとは、、生きる目的とはなにか?

    それは、、、

882 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 20:32:04
目的は、生きる方向を定めるためにあるだけで、
そこに到達するのが、目的ではありません。
ですから、
てきるだけ高い所に、絶対到達できないところに設定しておくべきです。

葛飾北斎は、死ぬ時、
「あと10年生きれたら、少しは、ちゃんとした絵が画けたのに。」
と言ったそうです。

ものすごく、高い所を目指していたのでしょうね。

しかし、満足していたのではないですかね。
すき放題な生き方をしたわけですから。

目指す所は、高く、やることは、すき放題、
結果は、どうでも良いわけです。
死んだ後、評価されるかどうか
本人には、わからないし、
どうでも良いでしょう。


883 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 22:13:20
>882
センター二週間前なのに勉強から逃げ出してここに来た俺だが……何か掴めた気がする
ありがとう

884 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 00:24:23
パート2 善でもなく悪でもない話
さっきスーパーで買い物してカウンターで袋に詰めていたら貧弱なおばあさんが籠の中にパンを一個
入れたまま不信な行動をしていた。パンを入れる袋が無いので多分・・・・・・・・・・・・・・w
それで袋をあげたら、いいんですか、有難うと言っていた。
普通なら知らん振りするんだけどパン一個だからなんか可哀想になった。

 

885 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 00:38:23
>>884
その貧弱なおばあさんが今日の食い物に不自由してたんなら
俺からみて、アンタ「良いことした」って言えるとおもう
でもカネは十分持ってるのに万引きの常習してるお婆ちゃんなら
アンタ「ザケンナ !! 」ってなるんじゃネ?

886 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 01:10:19
ザケンナ!!かもしれない・けど、これを機会に改心してくれればいいのだが。
常習はもっと手のこんだ取りかたをするw



887 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 08:10:41
男は、タフでなければ、
生きていけない

やさしくなければ、
生きる資格がない

888 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 12:47:17
あれから一ヶ月かあ。
よく伸びた、延びた。
効率、効率を重視することの是非、もちろんあるだろう。
でも、現代はその効率をまず一等先に考えていかなくならなくなってきた。
直感で分かるものなんだけど、直感を捨て去りつつある流れが
理論の必要性を増す。
ああ、もう時間が、短い。
考えれば分かること、一瞬にして分かること。それが直感。何も不思議なことでもない。
時間をかけて演算することが大衆に受け入れられる。
そして、どれほど、効率がいいのか、数値で示さないと、わかって貰えない。
大衆には損得勘定で攻めて言ったほうが、効率がいい。
効率を示すことが、普及効率が上がるってことだ。

周辺を身固めすることだ。身近な人も説き伏せれないで、この世間の
何人が応援してくれるのだろう。無駄打ちが多すぎる。
そして、時間が、短い。
立ち直れる体勢というのも、限度があるってものだ。

次、仮定について。

889 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 12:56:18
全体では効率なんてものは、どうでもいいことだ。
夏、酷暑であろうが、冬極寒であろうが、全体ではどうでもいいこと。
そのことは、わきまえておいて、の話だけれど。

読み。
天候を読む。誰でも出来る。ほぼ、誰しも。日が上がる、気温が上がる。
そういった、天候をうまく利用しようとすればいいのに。
読みが浅い、それは仕方ないとしても、読もうとしない。これがまずいね。
機械に頼ってしまうから、生活に知恵がなくなってきてるんだ。

結構な年按配の人が、これにはまっている。戦後急成長した頃に生きた人
たちかな?本当は年をとるほどに知恵つかなくてはならないのに。


890 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 13:07:57
仮定。
占いも仮定。占いは当るようにしたかったら、外れるようにしたかったら、
こうしなさい、と条件付ける。どっちに転んでもいいように。占いに惑わされないように。
仮定することは膨大に出来るものであるが、だからといって、膨大に仮定して
いくわけにもいくまい。適度な個数で考えていくはずである。その仮定の候補
からもれることが起こるのは珍しくはないが、むしろ仮定の範疇で収まり
きればこの世は何も面白くないということになる。
仮定した事が予想外の結果を得たときが、面白くない、ということでは
なく、予想外のことが起こるから、面白いのである。
そして、この仮定は膨大にあることだ。
それを仮定の候補として絞込み、その候補に重点を置こうとしたのは
誰あろう、自分の未知なる意識である。
未知なる意識、それが自分にあるし、そして、その意識が膨大な仮定から
一握りをチョイスしているということに注目してもらいたい。

891 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 13:14:59
さて、この先、この地球、この世はどうなるのだろうか。
直感でどう思いますか?
私の直感と、あなたの直感、どちらが当るでしょうね。
どれもこれも、仮定の選択肢をどこに絞ったかによって、予想は違ってくる。

人間一人一人の行動を全部仮定して予想することなど、出来ない。
予測不可能。あまりに膨大すぎて。

だから、人間をある程度の塊に分けて考えていこうとする、必然性が生まれる。
しかし、それは、途方もない間違いを生みやすい。
人間が作る集団はあくまでも集まり。一塊ではないのだから。

892 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 13:27:43
何でも楽観的に考える人は、幸せ者ではある。しかし、そんな人ばかりが
占めていると、たちどころに荒んでいくよ。
むしろ、少しは悲観的であったほうがいい。と思う。
むしろ、みんなすこーし悲観的を共有していったらいいと思う。
対処できる可能性があるし、一つのことに向かっていくのは結構楽しいと
思う。
みなさん、ちょっと、楽観悲観について、教えてくださいな。
こうすれば、必ずよくなる、っていうような楽観が出来ないです。

だめだ。固着してきている。

打開。
悲観することによって楽観視を可能にしたい。
だめだろう、でもよくなるかもしれない。ってね。逆はノーね。

893 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 13:46:33
どうも、
人間の行動が地球をひいては人間、我をも将来的に首を絞めるような気が
して、にっちもさっちもいかない。
誰かのために、何かをすれば、その誰かのためになっていないばかりか、
自分のためにもならんのではないか?という。
ここら辺から脱却しないと、身動き取れない。
対策はたくさんあると思う。
未だ、納得するのにめぐり合っていないけれど。

でも、最近はすこーし変わった。
火を燃やせば悪いことも予想できるけれど、植物にとってはいいのかもしれない。
全体では帳尻があう。
人間には悪いかもしれないけれど、それ以外にはいいのかもしれない。
節度、これをわきまえないと。
限りなくいい方向を目指して。高効率。それの究極がダイレクト、である。
ダイレクトが一番。何もなやまんでいい。

894 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 19:20:36
>火を燃やせば悪いことも予想できるけれど、植物にとってはいいのかもしれない。
程々を過ぎると帳尻が合わなく成りますよ。
植物から産みだされるバイオエネルギーは太陽の熱を吸収して育ったものだから地球環境に害を及ぼすことは無い、と一般的な考えで浸透していますが石油の基と成る古代の動物も太陽エネルギーを吸収して創られたもものです。



895 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 15:33:38
ところで、石油の正体は未だよく分かっていない、と前に知った。
今はどうなんだろうな。
2,3.
とればとるほど沸いてくる、埋蔵量は推定に過ぎない。
動物由来か植物由来か判然としない。
いつ出来たのかも分からない。
って、あったなあ、確か。

忘れっぽい。でも、動物は酸素を消費、還元するために生まれたのでは
ないだろうか。度を超してしまえば、まずいけど。
でも、度を越せば再び、植物の王国になるのであろう。
ああ、人間は恐竜と同じような路線を歩むのだろうか。
進歩なし。人間。
化石から何を学んでいるのだろう。
これほどの物的証拠はそれほどないというのに。
史記なんかは頼りないよ。

896 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 15:45:42
自分が自分に制御されているとはきづかなんだ。
ホルモンのこんちくしょうめ。
微量な物にコントロールされているなんて。
ちょっと待てよ。
ホルモンって脳が分泌を発令したのだろうか?だとすると、コントロール
されているのか、コントロールしているのか、分からなくなってきた。
レセプターがあること自体が、自分を翻弄させてしまう原因なのでは
なかろうか。
レセプターをコントロールできれば、なあ。
でも、
何でもかんでもコントロールできるってのは味気ないだろうなあ。

やはり、自然が一番だ。

897 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 15:55:52
言葉には増幅作用がある。言葉はアンプのような作用がある。
内に秘めているときは自分の中だけで、周囲にも影響は少ないけれど、
そして、自分もまた黙秘することで平静を辛うじて保てるけれど、
いざ、
言語として発してしまうと、自己暴走あるいは、影響拡大、あるいは
意志強固やら、もろもろ、
言ってしまったというだけで、そのあと取り返しのつかないことになったり、
自らもまたコントロールを失う原因にもなる。
だから、言葉は危険であることを常に心に留めておかないと。
言わないほうが身のため、ってことは絶対にあるよ。もちろん言ったほうがいいことも。
押し黙るという忍耐力がわが身を助ける。他人を傷つけるというよりも、
自分が一番傷つく。

898 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:09:52
今の人間、私も含めて、人間活動は将来の植物の繁栄のために、ある。
子孫のため、将来の人間のため、そんなものではない。
子孫のためとかって思っていると、実際どうやって生きていけばいいのか
悩んでしまうよ。
みんな自分のために活動しているんだろうけれど、それだけだと
張り合いないし、自分のためって思っていると、結局何もすること
なくなっちゃうんだよ。だから、誰かのため、何かのためということを
想定して活動のきっかけにしている。
でも、その誰かのためっていうところを人間のためとか、家族のためとか
って思うと、行き詰る。

僕は植物のために生きます。

そうやって、自分を肯定していかないことには。

皆さんもそうでしょう?肯定することで四苦八苦でしょう?

899 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:33:27
うちの犬はわんわん吼えるが、もしその意味が分かるようでは、地獄ですよ。
夜も寝られやしない。
犬の言葉は分からないけれど、
分からないようにするために無意識でシャットアウトしている。
無意識下では理解することを強制的に歯止めしているのだ。
もし理解できたら大変なことになるからである。
人間の声と犬猫の声も音の特性がすこぶる違うということもあるまい。
幼児が言葉を覚えていく過程を想像して欲しい。
言語を教えられていくというより、自ら作り上げていっているのである。
狼少年という例もあるし。
動物語を覚えようとすれば覚えれるのであるが、それは深奥で拒絶される。
言葉と言うのは強力なコネクションなのである。
英語を覚えれない。
しかし、そんなことは臆することでもない。覚えれないのは、必要ないことだから、だ。
私には英語圏の人々の協力は不要と言うことである。
バイリンガルはほぼ幼少期に出来上がるが、それは非力ゆえに必然に身についた
ものである。

私が本当に誰の協力も不要となったとき、私は誰の言葉も理解しないだろう。
逆に理解できないほうが、良くなってくるのだ。誰を殺害しても
ただの音声にしか聞こえないだろう。

900 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:43:41
でもね、
実際は人間は翻訳という手段で、完璧とはいえないが、疎通出来ますよね。
人間愛の真髄はここから、出てくる。
人種は違っても、分かり合おうとすれば、出来る。努力すれば。
そして、それが、必要ならば。
もちろん、状況が変わって必要性が高まれば動物と疎通できるとも思う。

これ以上は、言わない。

というか、考えるのやめた。

901 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:58:01
>>895
>ところで、石油の正体は未だよく分かっていない、と前に知った。
>今はどうなんだろうな。
卵の黄身をとろ火で熱すると卵油に成りますが、それと似た作用で石油ができるのかな〜
人は自然が吸収不能に陥るほど炭酸ガスや温暖化の原因に成る二酸化炭素を出しちゃうから問題だよね。
後、数年で地球の自然治癒力を超えて、とんでもない環境に成るって言ってるしね。

902 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 17:02:17
そういえば、聖書にありましたね。
神は人間に地球上の様々なものを与えたもうた、とかって感じの。
これはね。
人間が動物やら、植物やらの意思を理解できないようにしたということ
なんだよ、きっと。だから、食っていけるし、切っていける。
与えられたと言うよりも、抑制されたと言っても過言ではない。
確かにそれによって、与えられたことにもなるかもしれないが、

使いよう、だったようだ。

与えられたものは使って構わないが、使い方が、ちょっと、ね。

大事に使っていけば、いい、ってことは誰でも分かると思う。
たとえ与えられたとしても粗末にしてはならんよ。

これは大事だが、神は人間だけに与えただけではない。人間以外にも
平等に、それらを与えた。

全てのものに、全てのものを与えた。

903 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 01:55:22
聖書が好きなんですか?
私は自分の頭を使いますから聖書や宗教とは無縁ですよ。

904 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 08:22:17
無縁でもないでしょうが、本質はロゴスです。

905 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 00:01:12
宗教が扱うロゴスモドキに心を捕らえられたら本当のロゴスに会うことはできませんよ。
世界に八十万種余の宗教が有り、その殆どが我が神こそ真の神なりと教えを説いています。
つまり宗教界には八十万種余の異質なロゴスモドキが溢れているのです。
本当のロゴスとは宗教や人種・性別などの全ての壁を取り除き万人の良心に照らし合わせ
一人1人が納得の行くもので無ければ成りません。
そしてロゴスは常に全ての人々の良心と共に存在し、その持ち主の心で磨かれ光り輝く時
を何時でも待っているのです。


906 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 00:49:54
坐禅と見性第50章 公案と見性B流れる水
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1167920142/

907 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 02:57:12
>>1
まるで人のみが同種で殺し合いをしているかのような物言いだな
殺人などは本能でもあるのだよ
「本能をどうするか」が社会を形成している人間の考えるべきところだ


908 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 02:59:31
日本では八百万の神が居るのじゃからのう。

909 :本能は大事:2007/01/12(金) 03:10:19
人に対して思いやりを持ち接するのは本能ではなく、人を傷つたり殺したり責任転嫁するのは悲しくも本能であるのは事実
この本能を避けるには本能に刺激を与えられることから始めなければならない
その刺激は「恐怖」だ
ある程度の「恐怖」による支配が必要なのである
過激に聞こえるかもしれないが、これは親が子を叱るものと同じものと思っていただきたい
「恐怖」は本能にうったえかけ、してはいけない事をわからせる
子の躾(しつけ)というのは実際にそう行われている
子は物事を理解しているわけでなく、叱られるから、「(親が言う)悪い事」をしないだけである
まず本能に「悪い事」を叩き込まなければならない
だが、「恐怖」だけでは「憎悪」が大きくなる
「愛」のスパイスがいる
だから「恐怖」支配をしながら「愛」も与え続ける
「恐怖」を受け続けている者が「憎悪」より大きい「愛」という感情を持った時
それは本当に躾(しつけ)だったと言えるのである
つまり、「恐怖」を与える者の「愛」ではなく「恐怖」を与えられている者の「愛」がその「恐怖」を躾であるかどうかを決めるわけだ
そして躾と言える段階に入れば、教育は早く進んでいく
社会のルールやら何やら覚えさせ、従わせることができ、それにそった理性を持たすことができる
本能の土台に理性ができるのである
『理性を持って本能をコントロールしろ』とよく言うが、これは間違っている土台である本能を理性がコントロールできるはずがない
本能で覚えたことを頭で上手く整理したものが理性なのだ
本能に外からの刺激を与えることが教育になるのである
つまり、性格や思考は自分では変えられない
『周りの環境によって周りの刺激によって、人の性格は決まる』っと言ってもいいぐらいだ
「環境」は教育そのものかもしれない


910 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 03:27:49
↑↑上の話は展開が早すぎるけど、許してくれ

善悪は厳密には存在しないが、そんなこと言ったところで仕方ない
社会のルールを基準に善悪を考えるべきだ
その善悪の判断を作るのは教育だろうと教育について語ったわけね


911 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 08:22:09
>>909オマエの言ってる事ほとんど俺に該当してる。熟達した人間になる為には恐怖が必要、正にそうだった。恐怖とは戒めだ。人間の規範を再構成する為の戒めだ。だが俺が生き得た上で愛は必要無かった。まあある程度のモラルを刷り込ませるにはゲームなんかもいいよな

912 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 09:09:30
ネットも飽きてきたなあ。

外界は自分の鏡。
自分は外界の鏡。

教育が善悪を作りはすれども、全てではない、だろう。
全てと思っているうちは、まだまだ、だろう。
社会のルールというより、自分を基準にしたほうがいいだろう。
それは難解ではあるけれども。ルールに従えば楽だが、策略に
はまりうる。

ルールつくりが格差を広げる。
それは、ルールに疑いを持たず従う連中がいるからだ。

人間は愛と恐れ、2大基盤がある、何かの本にあったな。



913 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 09:12:44
自分にとって、
何が善で、
何が悪なのか。

いろいろ、議論してきたと思うが、
そろそろ、
具体なことを知りたいものだ。
君らも恐れず、書き込んでみてよ。自分にとって、どれが善、どれが悪かを。

社会とか、るーるとか、相対とか、なんたらかんたら、

もう、いいよ。先へ進まないではないか。


914 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 09:51:11
1000まで、もう一息、がんばれ

915 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 10:27:01
善と悪は、自分がどう在るかで変わる。
だが、元を辿れば同じモノ。
事象であって、存在ではないモノ。
善と悪は、簡単に言えば、気に入るか、気に入らないかで決まる。

俺にとって、気に入らない事は、覚悟が無いこと。
俺を殺すのも覚悟が有るなら、許す。
俺に殺される覚悟が有るなら、許す。
まぁ、例えだけど。




916 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 16:28:34
良く考えれば人間は物事を良いか悪いかで考えようとするから善悪の概念を介在させなければいいんじゃないのか?というと帰結の無い愚論に陥ってしまう。倫理、道徳の存在しない原始の弱肉強食で無い以上まかり通らない理屈だからな。

917 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 17:38:14
何かを殺すことが全ての動物の本能だとするならば誰もそれをとがめることが出来ない。
倫理、道徳が全て正しいとは限らない。食物連鎖に人間本位の考えが入る隙間など無い。
リスクがあるなら殺さない、無いなら殺す。ただそれだけ。

918 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 18:40:28
バーか、真善美が人によって、んなにも簡単に変わってしまってたまるカーーー。
人間の届かないところにしか、善はない。真善美は憧れるものだ。
組織人に善なんぞあるカーーー、このたわけ。

919 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 21:09:37
善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや

920 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 22:22:38
人が知恵を産みだす過程に於いて、個の良心に拠って育てられる善悪を弁別する心は不可欠ですので
善悪とは何か?を問う前に自己の良心を育てることが先だと思われます。


921 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 22:42:08
良心というモノが、善であるとは限らない。
善であったとしても、それは誰にとって?

私的意見だが、良心という言葉には良い印象が無い。

922 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 23:21:43
>>918
      真善美 ←w !! 

呪文唱えてりゃ何かが天から舞い降りてくるとでも思ってんのかよw
真善美なんて糞なんだよっw !! 

だいたいそれらが「何であるか」さえまともに考えたこと無いから
そんな屁みたいなもんを・・「誰にとっても意味のあるもの」のように
思い込んじまうんだよ、このボケナスどもw

923 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 08:46:00
例えば、私は昨日車のタイヤを故意にパンクさせられたんだが、
ビスを2発ぶち込まれた。今日犯人探しをする。いっそ、全然見知らぬ人
が犯人であって欲しいが。

犯人は覚悟してのことだったのだろうか。

私は覚悟いかんによらず、許してあげたい。ただ、もう二度と誰にもこんな
ことをするなよ、それが分かってくれれば、いい。

何の意味があるんだ。人に迷惑をかけ、タイヤはゴミ行きだ。費やした
エネルギーも。リスクも。
それらの無駄を上回るほどの快感があるというのだろうか。

物を意味もなく、ただ己の快楽のためにぶち壊すことほど、悪はない。
人権とか大事にしろとか、そんなのではない。物を大事にしよう。
それが第一だ。まずそれからだ。人権の尊重とかは。

924 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 09:02:00
人それぞれ、とは言うけれど。それで、おしまい、ってんじゃ何の発展も
ないよ。終焉に向かう。

人それぞれではあるが、それぞれの人がみんなのことに良いことを
選んでいこうとすれば、おのずと結果は見えてくる。
自分だけにいいことをてんでばらばらに選んでいこうとすれば、
今と同じ。
みんなに共通のいいことは、
みんながそれぞれ、みんなにとっていいことを選んでいこうとすれば
的は絞られる。
そしてその的は変化するものではあるが、
常にみんなに共通なものであるのだ。普遍は変化するのである。

925 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 09:05:55
地球規模で考えていかないことには、

現状と変わらない。

組織とか言ってるようでは、国とか言ってるようでは
何の進展もない。

集まる必要はないが、
求めていく必要はある。みなさんが。全人類が。全人類のことを思って。

普遍なものなどないというのは、その求めようとする意思がないからだ。


926 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 09:22:31
>地球規模で考えていかないことには

ほんじゃまず手始めにオマイ自身をなんとかしろ
その他人に依存したその物言いは何だコラw

927 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 10:14:10
>>926
>>925は100点満点だよ。
彼は既になんとかしてるけど、問題は君の頭だな。

928 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 10:21:13
>>926
>>925は100点だよ。
問題は正しいことを言われると腹を立てる君に有るんだよ。

929 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 10:34:02
>>927-928

ジエンばればれ、まいいやw

じゃ>>925を要約してみな、要約って分かるよな?
重要じゃない文字や文を削って簡潔に論旨を述べることだ

        どぞ
        ↓




930 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 10:47:50
>>929
分かろうとしない君に話すだけ無駄でしょう。

931 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 11:13:29
>>930
チャンスをやろうと思って具体的指摘を避けたんだが
無駄な配慮だったなw

いいか、>>925にはお前自身の「とるべき行動」がなにも書いてないのよ
空白を指して「書いた」と言ってるよなもんw

もっかいチャンスをやるが、自分は「どうする」、ひとには「どうせよ」と
言ってるんだ?

932 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 11:45:32
人間は社会的動物だから、社会を壊すような行為を忌避する本能がある…。
いわゆる本能還元なのだが、この仮説は正しいのかな?

933 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 11:50:14
>>931
だから君と話しても無駄なんだよ。
>地球規模で考えていかないことには、
>現状と変わらない。
組織とか国とか小さな枠に捕らわれず大局的な見方をしなさい、と諭しているんですよ。
有能な書き込みが既に彼の行動なんだよ。
第1、私が君にチャンスを貰う必要など、何もないよ。
君は、もっと謙虚に成りなさい。


934 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 11:59:32
>>933






    わはははは !! 

    地球規模で「何を」考えるんだ?
    お前は「どう」考えたんだよw
    それを書かないと書いた事にならないって言ってるんだよアホーw







あとさぁ、自分で自分のレスを「有能な書き込み」とかいうなw

935 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜:2007/01/13(土) 12:01:24
この手の議論は最終的に罵倒の応報になって
スレが荒される運命にあると思う。

936 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 12:11:01
きっと>>934は寂しい人なんでしょう。

937 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 12:15:01
>>935-936
なんだ、もうギブアップかよw ホント情けないなオマイラ

938 :哲学者最上位(´Д`)y─┛〜〜:2007/01/13(土) 12:17:00
最近でも最高位の煽りだなこりゃ。

939 :仮説:2007/01/13(土) 16:53:50
善と悪は根は同じである。例えるならば、善という花が咲いている。その隣に悪という花が咲いている。その花の土を掘り下げると・・・実は根っこは同じだった。あなたが善と思っていることは悪かもしれない。あなたが悪だと思っていることは善かもしれないのである。

940 :仮説:2007/01/13(土) 17:00:24
つまり、善と悪は同根である!・・・という仮説を私は選択する。

941 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 17:47:06
ものごとの理非・善悪を弁別する心は人の知能を育て智恵を産みだす為に不可欠な心です。
だが、人心を惑わす蒙昧の支配する人類社会に於いては悪が正義を唱え神と言う悪魔を崇拝し、本当の善は社会の隅に追いやられています。
それは外見に騙されているだけで人々の良心に拠って判別される善は、何処までも善で有りそれに反する事柄は何処までも理非で有り悪なのです。
ですから枝葉や花の美しさに捕らわれず隠された根っこまでも見通す心が必用なのです。


942 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 18:30:36
>>941
で、なにを教えて欲しいんですか?

943 :哲学者最上位 (´Д`)y─┛~~:2007/01/13(土) 18:57:33
>>941
良心に拠って判別される善とは何?
それが判別する善は絶対であり・・・ベラベラ・・・。
なんだか宗教的になる予感。

はっきり言っておく、皆が求めているのは
「絶対的な根拠」なわけだ。それを示してほしい。

944 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 19:12:33
>>943
まかせとけ!!

善悪とはそもそ道徳の中にある言葉である
善とは道徳的に正しいこと
悪とは道徳的に正しくないこと
+道徳の根底にある「真実」を疑う もしくは嘘だとみなすことである

道徳は民族によって異なるが例えばキリスト教では
モーセの十戒ってモーセ自身が考えて自分で書いたんじゃ…
とか言ったらもう悪なわけです



945 :本能が大事だ:2007/01/13(土) 19:55:21
「善悪」が存在するのは
人間が社会を構築し、その中で生きるためだ
社会を維持するために、「善悪」を人間は作ったわけだ
『個々によって「善悪」が違う』という発言がよくあるが、個々の思想に「善悪」などない
個人の「善悪」と考えている事はその個人の「嫌いな事好きな事」だけでしかない
「善悪」があるのは社会のみ、そして社会のルールが「善悪」にあたる
世界に社会というものは多数に存在し、「善悪」もまた社会の個数分存在する
そして俺の考えている「善悪」は(また同じことを言うが)教育と密接に関係している
教育こそが「善悪」を広め、社会を保つ役割があると思っている
「善悪」を考える時、教育を考えなければならない


946 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 20:09:49
汝自身を知る能力があることが第一だな。
その能力さえあれば自殺しかねない人はたくさんいる。
心や教育というより、自分を見つめる能力の問題だよ。その能力を養うことは難しい。
肉体的に無理があるのだと思ってる

947 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 20:10:16
>>945
で、質問は何ですか?遠慮はいりません
聞いたからって無知ってことじゃありませんから

948 :哲学者最上位 (´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/13(土) 20:20:02
>>945
おーい。その教育が為す「善悪」の前提はどこにあるの?
社会のルールがいう「善悪」はどこから来たの?
キミのは今現在の社会の善悪の話で、根本的な善悪の起源についてはわからんのだが。
私もわからんがね。

949 :初心者:2007/01/13(土) 20:40:28
善悪は一神教の中だけにあるのだと思います。これは共同体に依存しない
社会が存続する為に何かしらの規範が必要だったため、社会外からの
絶対的な価値観を持ち出す必要があったのではないでしょうか。
共同体に依存する社会は道徳が醸成されるのでその必要がなく、
それ故に日本には一神教は生まれなかったのでしょう。アメリカ人から
すると何故宗教なしで規範があるのか日本を見て不思議に思うそうです。


950 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 20:49:04
>>938
社会のルールの「善悪」はどこから来たのか
それは、どこからでもない
社会が生まれてから、存在し始めた
社会が出来るとほぼ同時に「善悪」は生まれる
「善悪」は確かに元を辿れば個々の思想から来ているが、「善悪」として存在し始めたのは社会が生まれてからだ
「善悪」がなければ社会はなりたたない、つまり崩壊してしまうからな
共有のルールで在り続けるのが「善悪」というものだ
社会を構築する前の人(いないと思うが)には「善悪」はないと言える
野生動物の中にも「善悪」はあったりする
それは社会という共同体があってこその「善悪」
『一匹狼』と言える野生動物には「善悪」はない
社会のルールを「善悪」つまり「やって善い事悪い事」と簡潔にわかりやすく表現しただけで、「善悪」とは社会のルールそのものだ
「善悪」は社会のルールであると俺は思う


951 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 20:57:36
>>936
汝自身を知る能力
は高跳びし過ぎたな
「善悪」を理解するためには教育以外からは始まらないぞ
ちょっと前に教育について俺の考えを書いてるから見といて


952 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 21:01:35
>>950
>「善悪」は社会のルールであると俺は思う 

だとすると「○○は善です」「○○は悪です」という評価が
しょっちゅう聞かれそうなものだが、生まれてこのかた
一度もそういうのを聞いたことが無い

ケチつけるつもりはないんだけど「善悪」は社会のルールじゃ
ないのはないでしょうか?
まだ法律のほうが社会のルールぽいですが

953 :初心者:2007/01/13(土) 21:04:16
>>950
>社会が出来るとほぼ同時に「善悪」は生まれる
>>1を踏まえた上で言いますと、慣習律や法律が善悪というのは間違っている
と思います。それではヤーウェ神やバモイドオキ神を説明できません。
酒鬼薔薇は子供を惨殺しましたが、これはバモイドオキ神にとっては
善なる振る舞いです。人は社会から生まれるにあたっては社会と絶対的関係に
ありますが、生まれてからは相対的関係にあり平気で人が殺せるのです。
キルケゴールはこれを神の前における倫理的なものの目的論的停止と
名付けました。これは社会の規範を超えたものです。

954 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 21:05:15
>>950
>>951
では
>>948
>>946
に対する返事だっだ
すまない、間違えた


955 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 21:17:44
>>953
「善悪」は宗教や神々が存在する前に
すでに存在している
宗教が生まれ、「善悪」の考え方が絶対的なものに流れただけであって
「善悪」自体が宗教的考えや価値観ではない
共有のルールが「善悪」を生んだと俺言っているわけだ
神々によって共有のルール・掟が存在している宗教を生み出す前に人は「善悪」としてるモノ持っていた
社会を生み出した時に、もう「善悪」を存在させてた
つまり宗教の「善悪」も共同体であるうえのルールでしかないよ


956 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 21:21:08
>>955








  善悪など「死語」同然なんだが・・

  なんでかわかんないんだろオマイラw









      (よくまぁこんだけ馬鹿が集まったモンだ ^^;

957 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 21:23:56
善悪は共通のルールでは有りませんし、動物は本能のみにて生きるもので善悪の弁別はできません。
社会全体が誤った判断をして善と思う行為を推し進めたが、実際は悪いことで有った場合は悪が善とされる時も有ります。
物事の是非・善悪を弁別する心は人の知能を育て本物の知恵を産みだす、物事の理を悟ることに繋がりますのでルールなど曖昧な判定で決められるものでは無いのです。
ですから力を崇拝し理に反する蒙昧に捕らえられた社会のルールが決める善悪と、理を重んじる哲学の善悪は全くの別ものなのです。


958 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 21:26:48
>>957
で、なにを教えてもらいたいんだ?

959 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 21:29:55
>>952
法は社会のルールの一部だよ
「善悪」という考え方は、偏った思想や考え方になると思われているからな
最近は宗教でしかあまり使わないかもな


960 :哲学者最上位 (´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/13(土) 21:30:02
>>950
>野生動物の中にも「善悪」はあったりする
この善悪はどういう手段で善と悪を伝達していたのか?人間にはわからんね。キミ、動物?

>>955
善と悪は宗教、神々以前に存在している?
おいおい、それ宗教じゃんかよ。

>神々によって共有のルール・掟が存在している宗教を生み出す前に人は「善悪」としてるモノ持っていた
>社会を生み出した時に、もう「善悪」を存在させてた

この発言に根拠はまったく無い。ぼやきにすぎないけど、バカですか?

961 :初心者:2007/01/13(土) 21:34:42
>>955
>共有のルールが「善悪」を生んだと俺言っているわけだ
いや、あなたの言われていることはわかるのですよ。集団生活をする上で
規範意識がないとそれを円滑に行うことができませんから当然ごく自然に
規範が生まれ、明文化されたものが法律です。しかしそれは善悪ではない
でしょう。>>1さんは善悪と言われているものが時として覆る、これでは
善悪なんて本当にあるのか、と問われてこのスレッドを作りました。
貴方の言っているのは機能的なものに過ぎないだけで、彼自身は先天的な
善悪を語っているのです。そういう意味で一神教的宗教にのみ善悪は
存在するといえるでしょう。

>宗教の「善悪」も共同体であるうえのルールでしかないよ
共同性を定義しますと、面識圏内の同時間・同空間における共通の体験地平
です。アメリカでも酒鬼薔薇にとっても宗教は共同体を超えて存在しています。
規範意識を何故乗り越えて振舞えるのでしょうか?それは共同体上のルール
という皮相なものではないからです。

962 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 21:47:48
>>960
君が無理に理解をしないだけだ
その証拠に反論しているようで、全く反論できていない
根拠のない否定をし、罵倒しているだけだ
罵倒のやり合いに持ち込みたいだけかね?

宗教が存在する前にルールが存在するのはわかるか??
野生動物内にもルールはある
それは俺が野生動物でなくてもわかることだ
君が知らなかっただけだろう
ルールは「善悪」という考えそのものだ
善い事悪い事などルール以外なにものでもない
人々は共生する時、人々の中でのルールを作った
ルールは「善悪」として二分され、わかりやすく具体的な形になっていった
それは宗教が存在する前にだ
宗教が存在したから「善悪」が存在したわけじゃない
「善悪」は宗教に取り込まれていったがな

君の名前は『なんとか哲学者』だったかな?
罵倒に持ち込む君に『哲学者』を語る資格はないよ
『哲学者』が不愉快になるよ


963 :哲学者最上位 (´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/13(土) 21:48:00
>>961

一神教だけ肯定されても困りますよ。
もう哲板も終わりですからはっきりと答えましょう。
最後ですよ。別れの感情の品薄なことわかりませんか?

キミのような意見も珍しいから応えておくが、下部は
これははっきり言っておくが、「自分自身が神になりたいという一心に他ならない」
という心構え以外ないと思うよ。

964 :初心者:2007/01/13(土) 21:49:13
>>957
>社会全体が誤った判断をして善と思う行為を推し進めたが、実際は悪いこと
>で有った場合は悪が善とされる時も有ります。
善悪の逆転可能性が善悪の非存在性を示すというのは整合性に欠けているのでは?

>力を崇拝し理に反する蒙昧に捕らえられた社会のルールが決める善悪と、
>理を重んじる哲学の善悪は全くの別ものなのです。
理を重んじる哲学の善悪とはなんですか?社会的真理のことでしょうか?
社会的真理とは論理構成上言われるだけのことで、目標にこそなるにせよ
それを善悪と断じるのは日常に即していないと思います。人間の生活から
隔絶した善悪は空想でしょう。

965 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 21:51:20
                         ↓ さぁ、、馬鹿が来るぞw

966 :馬鹿は褒め言葉:2007/01/13(土) 21:55:33
善悪の彼岸を数千回読めば永劫怪奇。

967 :哲学者最上位 (´Д`)y─┛〜〜 :2007/01/13(土) 21:58:12
馬鹿を受けたまりましょう。


もう本当にくそバカばかりでこまりますな。

「判断基準」をいろいろ変えて結論も変えて
自尊心を維持するのかね?

くそアホしかおらんのぉおぉ〜〜〜。
残念残念〜〜〜。

968 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 22:07:43
                       ↓「弁別、蒙昧」はまだかw

969 :初心者:2007/01/13(土) 22:08:20
>>966
ニーチェの善悪の彼岸は彼岸主義を弱者のルサンチマンとしたものです。
つまりそれは一神教を相対化したものということになります。当方の
説を肯定するものです。

>>967
>「判断基準」をいろいろ変えて結論も変えて自尊心を維持するのかね?
善悪は宗教が捏造したものだった、というのが結論でしょう。

970 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 22:10:38
>>961
いやルールでしかないよ
ルールはそのものが変形していくので「善悪」も変わっていく
悪の結果がルールを生み出すこともある
『「善悪」は社会から切り離されないものであり、社会を構成している一部である』
ってことは理解しているみたいだね
>>1が思っているのは、ルールの変形が早いことに対する不思議の念だと俺は思う
ルールが変形するのは共同体同士の接触で以上に早くなるからな


971 :初心者:2007/01/13(土) 22:22:18
>>971
>『「善悪」は社会から切り離されないものであり、社会を構成している一部である』
>ってことは理解しているみたいだね
いえ、そうは思っていませんよ。>>957さんに反論する上で便宜上善悪=規範と
振舞っただけで善悪は社会を超えたものだと認識しています。

>ルールの変形が早いことに対する不思議の念だと俺は思う
それは違うと思いますよ。>>1さんは前提として思っていた善悪が簡単に破られるので
前提自体に疑義を抱いたのだと思います。不思議だと思うのなら善悪ってあるの?という
存在論ではなく善悪は何故こうも移り変わりが激しいのか、と主張するでしょう。

972 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 22:37:30
>>971
>いえ、そうは思っていませんよ。>>957さんに反論する上で便宜上善悪=規範と
>振舞っただけで善悪は社会を超えたものだと認識しています。
しっかりと認識しているの、何故>>957に反論する必要が有るのですか?


973 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 22:42:05
>>971
宗教間での「善悪」を考えれば、そう思うのだろうけどな
前提である「善悪」がすぐ変わるなど、普通だよ
変形するのが社会における「善悪」だからね
「善悪」が絶対的なものと思われ始めたのは宗教に「善悪」が使われるようになってからだ
宗教では神の立場は不動であるからな
宗教では「善悪」は絶対的なものだが、これは特殊な「善悪」と言ってもいい
本来では「善悪」というものは変形をし続けるものなんだ
>>1はただ宗教間での使われている絶対的な「善悪」のみを考えいるから、「善悪」に対する疑問や矛盾が出て来るんだ
宗教における「善悪」のみ語っていては、「善悪」の逆説的な所は理解できないよ


974 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 22:43:07
このように、個人が思考すれば混乱のみしか生まれません。

善は、社会の構成員が触れることが絶対不可能の価値概念です。

善悪を考えることは勝手だが、心のうちにしまっておきましょう。
私も含めて、ここで書き込んでる人は悪です。

それから、社会など存在しないということです。科学万能、飽くことの無い
欲求の権化となった人間と、今の人の集まりは捨てておきましょう。

僕たちは、世の中の欠落と過剰を見据えて、仕事にまい進しましょう。

975 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 22:48:56
自分の感情・世の中・自然を最大限に感得する思想。
自分の思考が楽観的判断を下せることを可能とする組織。
 
とりあえず、この二つを早く手に入れることです。

976 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 22:51:33
ぼくは、何でもてないんでしょうか?

977 :初心者:2007/01/13(土) 22:52:25
>>972
>何故>>957に反論する必要が有るのですか?
>>957さんと私は貴方と意見が異なっているということが共通していますが、
しかし>>957さんの貴方への非難に疑問があったのでぶつけてみました。
まあ、これは置いておきましょう。

さて、貴方の主張は社会的な規範=善悪ということなのでしょうが、それは
機能的に要請されたものに過ぎず、一神教的宗教はそれを乗り越えます。
また、そもそも>>1さんが希求しているのは全人類的な善悪だと思います。
以上を踏まえると善悪は一神教の中にのみ存在する恣意的な概念だと
言えるのではないでしょうか。

978 :初心者:2007/01/13(土) 23:04:32
>>973
>本来では「善悪」というものは変形をし続けるものなんだ
社会の善悪が本来性を持つというのは違うと思います。宗教的善悪を
社会の善悪で語れない以上は善悪を社会のルールとする定義は誤りです。
善悪は宗教のみが語ることのできるもので、そうであるからこそ
罪の意識が生まれるのです。善悪は機能的なものではないのです。

979 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:16:24
>>972は俺(ルール=「善悪」と言ってる)じゃないから
>>974
人が意見を交換するのは非常に大事な事だよ
『「善悪」を考えて何になる』と思っているのだろうが、人が「善悪」ということをつまり基本的な部分を考え直すのは意味のあることだよ
ここが混乱しているように見えるみたいだが、俺には意見の交換をちゃんとしているように感じる
「善悪」は教育と関係していると俺は思っているからな
社会に住む者として無駄でないことをしていると信じている


980 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:25:15
万人が思考を放棄可能な場。
そこしか人がまとまる場はありません。善はありません。
よって現代に善なんてありゃーせん。

善はなくとも人は育つ。
善なんて言葉は生ごみの日に捨てて、別の言葉を使いましょう。
善ではない、善に限りなく近い何か。

981 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:29:12







  社会とは「俺のこと、お前のこと」よ
  だから社会の善に言及したいなら

  まず「自分自身にとって」の善とは何か
  そして「前にいるやつ」にとっての善が何か」を考えてやらないとね

  それもこれも「自分の善のことすら分からない」ようでは
  到底、他人様のことましてや社会のことなど
  想像めぐらしようが無いわけよ

  自分や自分の隣にいるやつの含まれてない社会なんて
  無いってことをよく考えてみるんだなw









982 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:39:36
現代が、考えることより消費することで回転してんだから、
そこんとこを何とかしろよ。

過去、もののあわれつー概念があったらしい。
その時代は、幽玄なもの、心のかすかな動に価値を置いていたらしい。
へなげな律令体制以外の体制以外なかった時代、政治体制云々つー概念すら
無かった時代。

この地球の中の一人っつー意識が芽生える状況では、万人が共有できる価値なんか無い。
死も毒も殺戮も排除した時代に、善なんか定義できない。
現代は、どっかの歯車を喪失した時代。

善という概念を考えるよりもっと可能性を広げる概念があるはずだ。



983 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:45:47
>>978
前も言ってるけど、「善悪」はルールを二分し、わかりやすくしたものなんだよね
宗教で使われるようになってから「善悪」に対する考えが絶対化され始めてた
だが、それは何度も言うが宗教間のみでなんだよ
>>1はね
『「善悪」がなぜ変わり得るのか??』と疑問をいだいているんだよ
そして答えは『「善悪」は元々変わり得るものだった』ということ

『「善悪」が宗教のもの』って考えは違うぞ
『機能的な「善悪」がない』っというのもだ
共同体にはルールが必要であり、ルールは「善悪」として明らかにされ、共同体の維持に使われてたわけなの
宗教で「善悪」が使われるのは、ただの維持の一つの手段であるだけだよ
ルールそのものに「善悪」の考え方をしない場合、共同体は成り立たなくなる
機能的な「善悪」がないというのは間違ってるわけだ
「善悪」が機能してこなければ、共同体が維持するわけがない
「善悪」と言ったら確かに宗教的な感じがするが、「善い事悪い事」が原形だ
ルールから「善い事悪い事」が生まれ、そしてルールを具体的に簡潔にした
ルールと「善悪」は一心同体とも言える
「善悪」を宗教的価値観で見るから、宗教にしか「善悪」がないように思えるんだ
宗教的価値観で見ることをやめないと「善悪」の全体は見えないよ
>>1の例を見て、また考えといてくれ
それと、「善悪」は実際に何度も変形してきた歴史を持っているよ


984 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:48:30
たとえば、「セカンドライフ」っつーゲームがあるらしい。
ゲームだから無意味な行為。しかし、遊ぶ行為の後に何かが生まれてる。
その生まれたものを利用して、ほかの人が何かする。
ゲームの中の複雑性、何も考えてない蟻がルールを構築するように
遊んでても何か生まれる世界。
善とは無縁の世界で、何が起こっているのやら。

いっぺん現実と断絶した世界を構築する必要がある。

985 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:49:41
>>982
>善という概念を考えるよりもっと可能性を広げる概念があるはず

目の前にある、毎日転がってるだろよw

お前の行動する時の動機が何か、よく考えてみればすぐ分かるはず
なにせ、それ以外の理由で行動したことなんか一度も無いんだからさw



986 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:53:35
>>984
>いっぺん現実と断絶した世界を構築する必要がある

馬鹿かw

現実を離れて見出せるものは、やはり現実を離れたものよ
でもあの世で出したお手紙をこの世で受け取るなんて芸当できないだろw

現実に即応したかったら、やはり現実に解決素材を求めないとね

987 :考える名無しさん:2007/01/13(土) 23:54:39
たとえば、ネット上では善はない。
あなたを殺すことはできんし。
それは、あなたも私も全き個に限りなく近いから。

現実に生きている個人が、全き個になれるのなら、例えば死を自ら選択
できる覚悟のある個人、そんな状況なら善悪はいらん。

しかし、まあ不可能。

988 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 00:00:17
>>987
>ネット上では善はない

手のかかるやつだなw

善はお前の頭ん中にしか存在しないだろ
外にカブト虫さがしに行くのとはワケが違うのよw


989 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 00:00:20
>>980
「善悪」がないと人は育たないよ
「善悪」がないと教育できない
>>909に俺が書いた教育の形があるから見といて


990 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 00:01:51
ここでいう現実なんか、クソ現実だろよ。
善っつーのは、万人がどうして善かわからんがいいもんだっつー感覚で
受け取るもんだろーよ。何回も言うように、善なるもんが人に支配されたら、
それを悪用される可能性が出てくる。だから、善は届かないとこにあるべきもの
じゃないのかな。

現実に即応したかったら、やはり現実に解決素材を求めないとねって、
現実はよくなってねーじゃん。



991 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 00:04:46
>>989
「善悪」は教育できないんだよw

できるのは学習だけ・・教育じゃない
外から「押し付け」の効くものじゃないってこと
自己にとって有用であるという学習経験抜きに定着する事はないのよ

992 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 00:12:06
>>990
>現実はよくなってねーじゃん

想像力、貧困過ぎなんだよオマイw

戦国時代の百姓にでも生まれないと分からないみたいだな
あるいは特攻服着せられて敵戦艦に突っ込んでみるかw

善悪が学校でも世間でもあまり語られなくなったというのに
現実の暮らしはちょっとずつだがマシになってきてる

病気や飢えで死なずに済む者が多いし、自己責任という
縛りはつくが言いたい放題/したい放題できる世の中だ
オマイのように何もしない自由だってあるw


993 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 01:08:26
昇竜権

994 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 01:09:25
っクックうっくうっくうっくうくうjふっふhっふふう昇竜健

995 :1000の貴公子:2007/01/14(日) 01:10:11
1000とれるかな。わくわく。とれたら俺は幸せになるお。

996 :996:2007/01/14(日) 08:29:34
996

997 :996:2007/01/14(日) 08:44:29
マシになっていない。
どうもなっていない。

惑わされないように。

過去に生きれることはないんだから。
過去は幻。
戦国時代?実際は分からないこと。
自分の生きた経験だけで、比べられること。

マシになっていない。
どうもなっていない。

998 :考える名無しさん:2007/01/14(日) 08:45:34
実は、哲学なんてしたこと無いのよ、おれって。
倫理的な話題にだけ、ぶら下がれるおれ。
ユーモアの無い善悪話は悲しいな。
仕事しよっと。

999 :996:2007/01/14(日) 08:48:15
善悪は教育できる。環境が教育するものだ。
刷り込みで人間は成長して大人になる。

教育できないと言うのは、
教育できる環境にないからだ。

環境が整っていない。それだけのことだ。
整えればいいってことだ。これから、ね。

お互いに、それがベスト。

1000 :996:2007/01/14(日) 08:49:20
またね。1000.000

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

481 KB
★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)