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哲学とはなにか?

1 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 06:21:26
素朴な疑問に答えろ。
お願いします。

2 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 06:39:27
>>1
まあ、だいたい想像つくと思うけど。
このテーマのスレはこの板で何度となく立ってきたのよ。

ネタスレとして荒れたり、あるいは放置スレとなって即落ちするか、
良スレとして活発な議論が交わされるかは、
君がこの問題について、いかに「君なりの」問題提起をするかにかかっている。

その >>1 の内容が君の頭の中にある全てなら、あきらめて削除以来すべきだと思う。

3 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 07:12:45
えーとですね。

どんな学問もなにかに対する疑問から始まると思うんですが。
哲学はなにに対する疑問なのか?
どうも自分自身に対する疑問のような気もするがそうなのか。

道徳とか人生とかそういうものは哲学の研究の範疇なのか。

疑問に対してどのような形で研究をしていくものなのか。

まだ他にもあるような気もするけれど。
まずはこんなところでどうでしょうか。

4 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 08:16:01
>>3
哲学は自分自身を考える学問だと思います。
哲学的に言えば、そもそも他人を知る術はありません。
自分とは何なのかという所を突き詰めていく結果、逆説的に周囲を見渡すというのが哲学であると、本で独学の人間が言い放ちます。

5 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 10:13:39
それじゃあ自分自身の何について考えるんでしょうか。
まだ漠然としすぎていてよくわからないな。
精神的な部分ですか。思考でしょうか。
それと道徳や人生は自分自身に含まれるんでしょうか。

他人を知る術がないというのは微妙なところですね。
それは諦めや放棄ということですか。
それとも自分自身の観察から他者を類推するという方法論の提示ですか?

6 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 16:55:58
>1と>3と>5が同じ人なら
私は>3なので二人で会話してる事になります。
それはそれで面白い。

[それじゃあ自分自身の何について考えるんでしょうか。
まだ漠然としすぎていてよくわからないな。]

確かに分らなかったかもです。
でも哲学の本質は「考えてる自分」というものを「考える」ものだと思います。
だから哲学の本を読むと、精神的、思考、人間倫理について考えている、事について考えています。
一回読んで分らないままページを読み進めていって、突然さっき読んでいた所とつながって、そこに戻って読み直す。という事の繰り返しが哲学本なのですが、この労力が半端ない。
でも、「考える」ことを「考える」作業をしているから、その本の形式は致し方ないのでしょう。

私は、哲学は他人を知る事を結局放棄しているのだと思います。
良い例としては、誰と誰の会話か忘れましたが、その二人しかいない部屋で、片方が「この部屋には象がいる」と言うんです。もう片方はそんなわけはないと反論する。でも人間は自分の外側の事象に対してなんら保証を持ってないので「象がいない事」を証明する術がないのです。
ですから、自分には見えないからといって、他者が見えると言えば何一つ確固たる反論する術を持たない。つまり他者の存在も放棄せざるを得ない。と言う事です。

長々すいません。寝起きなので、スジが通ってなかったらゴメンナサイ。



7 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 17:21:05
哲学の最終目標は、世界の恒久的平和です。
しかし、忘れられがちです。

8 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 18:14:46
>6の者ですが
>7の方、その辺詳しくお願いします。


9 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 19:53:32
>>6
人間が考えることについて考えるですか。
なるほどと思いました。
それであればかなりのことが疑問の対象になりますね。
神も道徳も人生も思考も論理も思想も。
すべて哲学の研究の範疇になるのか。

象がいるというのは例としては極端だとしても
確かに他人が感じていることを正確に知ることはできません。
そうすると客観性というものがなりたたなくなってしまうな。
研究結果を他人に伝えるのも難しいし。うーむ。

10 :センズリ一筋:2005/10/10(月) 20:10:52
>>1 高圧的な態度(+)+低姿勢な態度(−)=無(0)
これが哲学。

11 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 20:17:22
>>10
すみませんが意味がわかりません。

12 :センズリ一筋:2005/10/10(月) 20:53:02
宇宙連邦地球支部に遊びにいらしてください。

13 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 22:00:12
>>6
いや、そのりくつはおかしい。

14 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 22:01:46
>>12
???
気が向いたら哲学についてなんでもいいので説明してください。

15 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 22:03:02
>>13
どこがおかしいと思うのか教えてください。

16 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 22:55:30
しかしそうすると哲学はメタ的なものということなのかな。
神や道徳や人生について考えること自体は哲学ではなく
それらを考えることについて考えることが哲学である。

17 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 23:08:39
哲学の本質とは、「漠然と考えること」だ。


18 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 23:10:24
哲学とは哲々的に考え抜くことだ。

19 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 23:21:35
>>1
とっくに結論出てるよ。

20 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 02:01:53
>>17
しかり。そこで各人の芸術的センスが問われる。

21 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 02:04:01
「漠然と考える」というのは、
例えば我々が日常生活でものを考えるのと
何が違う?

22 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 02:07:40
適当に書いてるだけなんだからまともに相手にスンナ


23 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 02:11:20
>6の者です。
>13の方、私も哲学に関しては独学の人間なので、確かに理屈としておかしい所もあると思いますが、出来ればその>6に書いた意見に対する反証などをして頂けると幸いです。
また>10の方の名前と式はおかしいですが、「無」というものに関して考えるのは結構哲学的には深い問題であると思います。
あと>19の方がおっしゃっている事は間違っています。正直哲学は何一つ結論を出していないと思います。ただでさえ昨今の科学の進歩(量子力学など)に哲学的思考は追いつけずに、科学者たちに馬鹿にされているようです。
結論が出た時点--人間が考える事を考え尽くした時点--つまり真理が追求された時点で哲学の役目は終わるわけで、色々な学問が進歩を続け、人間の思考、精神などが変化し広がりを持っていけば、哲学も進歩を続けていかなければいけないと思うのですが、どうでしょう?


24 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 02:41:05
>>6
>つまり他者の存在も放棄せざるを得ない。と言う事です。

他者を放棄した人間が、
他者の製作したパソコンを使い、
他者の構築したネットシステムを利用して
他者が書き込む掲示板に、
他者が用いる言語で意見を書く。

君の独我論は薄っぺらい


25 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 02:50:57
なんか、話の脈絡が見えない。
とりあえず、「最新の科学」とか、「真理」とかいった物と、
哲学にどういった関係があるのか。


26 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 03:08:37
>24さん。薄っぺらいのは重々承知しております。
ですが、人の事を否定するだけでは話は進展しません。
否定してるだけでは、あなたまで薄っぺらくなってしまいます。
だから自分の意見を述べてもらってもよろしいでしょうか?

>25さんのおっしゃりたい事は分るのですが、なんというのでしょう、、。繋がってるんです。
ちなみにgooの辞書で調べた「真理」の結果です。

しんり 1 【真理】
(1)正しい道理。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。
「不変の―」
(2)〔哲〕(価値を慮外にして)事態の真相。真。その基準については諸説ある。
1思想と事物の一致、すなわち判断や命題が存在と正確に対応すること(対応説)。
2ある命題(思想)が他の諸命題と矛盾せず整合性があること(整合説)。
3プラグマティズムでは、ある思想が有効な働きや結果を示すこと。
⇔偽

ちなみにプラグマティズムなんて言葉は知りません。



27 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 03:15:10
http://www3.rocketbbs.com/731/bbs.cgi?id=phbbs2&mode=res&no=34

28 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 03:48:38
>>26
>ですが、人の事を否定するだけでは話は進展しません。

ある意見が道理に合わないことが判明しただけでも進展はあった。
君は批判的意見にまともに対応できないようだが、
そういう人は哲学の議論などすべきではないよ。


29 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 03:53:13
天下りかぁ・・

30 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 04:21:32
>26さん。

他者を放棄した人間が、
他者の製作したパソコンを使い、
他者の構築したネットシステムを利用して
他者が書き込む掲示板に、
他者が用いる言語で意見を書く。

では、批判に対応を。
逆説的に他者の事も考えるようになると>6で言ったつもりですが何か?それと>24さんが言っている事は何の繋がりがあるのでしょうか?他者論を述べる際に揚げ足を取っているとしか思えない文脈ですが?
他者の事を考えるという事は、まず自分の事を知らなければならない。
その自分を知る作業というのが哲学を議論する上で重要である。という事を述べているだけなのですが、そこに何か問題でも?
このスレは「哲学とは何か?」なのですよね?
でしたら、>24さんはその意味に置いて自分の意見を述べておりません。
もちろん>28さんも述べておりません。
自分の考える「哲学」を私にも教えて下さい。新しい知識をもっているのなら分けて下さい。
私だけ述べてるだけでは面白くないです。



31 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 04:23:49
過ぎたカオルを喚ばざるが如し。

32 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 04:29:25
要するに、マイ哲学とは何か?

33 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 04:31:33
マイ哲学徒は己に酔いすぎて肝硬変を起してるんじゃ?

34 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 04:37:34
自分には見えないからといって、他者が見えると言えば何一つ確固たる
反論をする術を持たない。つまり他者の存在も肯定せざるを得ない。 馬鹿か?

35 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 04:37:49
>私は、哲学は他人を知る事を結局放棄しているのだと思います。
>・・・
>ですから、自分には見えないからといって、他者が見えると言えば何一つ確固たる
>反論する術を持たない。つまり他者の存在も放棄せざるを得ない。と言う事です

・・・・

>逆説的に他者の事も考えるようになると>6で言ったつもりですが何か?


少々批判された程度で激昂して支離滅裂になってしまう君は
哲学に、いや、学問そのものに向かない。

36 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 04:44:18
自分の考える「哲学」の意味を開陳する前に、
通常「哲学者」と言われる人々がどんな内容の
著述活動をしてきたのかを調べるのが先だろ。
マイ哲学徒というのはどうしてここまで馬鹿なんだ?

37 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 04:50:53
>>28
まあ、そう言うなよ。
その出現への規制を最大に緩和することで現れ得る
言説が「なにか」であることを認め、場を提供する
というのが2ch.の在り方なのではないかな。
君の、あるいは我々の規則に従う運び行きでないと
いうだけで発言を排除してしまうのは、詰まらないし
有益とも思われない、まあ私には、だが。
1 だって、ただの教えて君でもなさそうだし、
いろんな声が飛び交ったほうが、賑やかで良いじゃないか。
もちろん批判も含めてだ。


38 :6:2005/10/11(火) 04:56:32
すいませんでした。皆さん矛盾点があるというご指摘ですね。
でも何か自分はこう思うって人がいないみたいなんで、つまらんですね。
サイーナラ ノシ

39 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 04:59:14
ありゃ、いっちゃったよ。

40 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 05:01:09
逃げたw


41 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 05:02:54
批判されると逆切れした風を装って逃げるのか。
なるほど、独我論に惹かれるわけだ。


42 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 05:05:20
ちと、おもしろかった。

43 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 05:30:49
>>1
糞スレ捻って隠核立てんな、死ね!

44 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 06:52:36
哲学は暇つぶし
人は考えることには飽きないのさ

45 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 07:37:06
>>38
まあそう言わずに>>16にコメントをくださいよ。

>>44
> 人は考えることには飽きないのさ
なにについて考えているのかを知りたいのです。
科学でも工学でも人は考えていますが、考える対象が哲学とは違います。
では哲学はなにについて考えているのか。

人間が考えていることについて考えるというのなら
それでもいいのですが、そうすると人生や神や道徳について
考えることは哲学ではないということになります。
そうなのか。

46 :44:2005/10/11(火) 08:19:43
言葉で対象化された形のないものを研究する学問でどうかな
神、人生、道徳、幸福、死、自分(精神的)、平和etc。

47 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 22:59:51
     _,,;::-―ー-:;:,,、
    /''''''   '''''':::::::\  
    |::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::|       
    |  .:"ー=〓=-'`:::: |        

48 :考える名無しさん:2005/10/11(火) 23:49:33
なんでも哲学だろ

49 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 01:11:02
哲学は、根拠無き絶対性の追求なのだが、それはすべての儚さに由来するものだ。

50 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 02:08:22
文芸の一種というわな

51 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 02:12:04
中学のセンセが哲学とは問うことだと言ってた。
けっこう問うことの多いおれって哲学者?

52 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 02:32:41
中学のセンセの戯言を信じ続ける大人はいねえだろ


53 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 12:27:42
>>52
おれ高校1年っす

54 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 12:38:57
> >25さんのおっしゃりたい事は分るのですが、なんというのでしょう、、。繋がってるんです。
そういう省略をあえてしないのが哲学なんでないの。

思考における論理の過程の省略を、我々は日常的にやってるけれど、
これは、目先の問題を解決するために、時間が限られてるか、
その問題自体の価値が低くて、それにかける労力を惜しむからでしょう。

まあ、その場で考えた論理に飛躍のある答えでも、たいていの場合は
なんとかなるでしょう。

でも、なんとかならない場合もありますね。
そういう場合、なぜなんとかならなかったかを考えますよね。
そして、それが簡単に見つからないなら、
論理を飛躍させた部分について、厳密に考えてみようともするのではないでしょうか。

55 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 21:26:01
>>54
同じような疑問を持っています。

>>46
「言葉で対象化された形のないもの」という表現がよくわかりません。
言葉で対象化するって例えばどういうことなんですかね。
「神、人生、道徳、幸福、死、自分(精神的)、平和」は
まあまあわかりますが、それらについて考えることと「学問」のつながりが
よくわかりません。

>> 50
> 文芸の一種というわな

>>50氏が言うように哲学は学問というより小説や詩のような
文学ではないかという気がだんだんしてきました。
他のスレにもそういうレスがありました。
どうでしょうか。

56 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 21:31:49
大学で哲学の研究をするのには文献学という方法を用いる。
夏目漱石の研究をしたいのならば哲学科に行くべきではないが、
しかし文献学と言う方法を使うという点では全く差がない。


57 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 22:17:20
>>56
哲学はなにを研究する学問ですか?

58 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 22:33:10
>>57
「メビウスの輪」をひたすら研究する学問です。

59 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 22:40:18
>>57
哲学史の中で真理がどのように扱われてきたかを研究する学問です。
定義がやや循環的ですが。



60 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 22:42:28
>>55

>>54
>同じような疑問を持っています。

誤爆ですか?

61 :55:2005/10/12(水) 23:08:47
>>60
>>54氏は別人だよ。そういう意味?

>>59
真理とはなんですか?

62 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 23:12:00
>>61
正しいとされる命題だよ。根拠には論理的整合性とか実証性とかいろいろ説はあるけどね。


63 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 23:20:19
>>62
正しいというのは客観的にですか?
客観的に正しいことは科学ではないでしょうか。
(現在の科学の知識、説明に間違いがないという意味ではないです。)

なにについての真理(正しい命題)なんでしょうか?

64 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 23:29:19
>>63
現代の哲学では言語における正否を問う、という問題意識になっているよ。
そしてその根拠に客観性、厳密性、論理的整合性や実証性などがありうる。
しかし厳密な意味での客観性と言うのはありえないし、そこまでの厳密性
にも意味がないというのが大半の人の意見だとおもわれるよ。聞いてみな
いとわからないけどね。


65 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 23:35:57
>>64
「言語における正否を問う」がわからないですね。


66 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 23:37:43
>>65
ここで言う言語とは、言語によって表された命題を指すよ。


67 :考える名無しさん:2005/10/12(水) 23:58:22
>>61
いえ、

>同じような疑問を持っています。

という文が >>54 へのレスであるようには到底見えない、という意味です。
つまり、>>54 以外のレスなり、別のスレの >>54 へのレスを間違えて書いたのかと聞いているのです。



68 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 07:44:09
>>66
数式ではなく言語で書かれた文章(文章は言語で書かれていますが)が
正しいかどうかを厳密にではなく検証するのが哲学だということでしょうか。
文学に証明を求める(しかもそれらしい言葉で)ようなものなのかな。
そうだとすると哲学はかなり無理なあるいは半端なことをしているようですが。

>>67
>>54
> 論理を飛躍させた部分について、厳密に考えてみようともするのではないでしょうか。
の部分についてそう思っていました。
哲学は論理的になにかを検証する学問ではないかと思っていました。
厳密に論理を考えず論理を飛躍させた論理証明というのは矛盾していませんか?


69 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 08:28:44
無限に思考すれば論理は神となるのだ。


70 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 12:41:10
>>68
>>>67
>>>54
>> 論理を飛躍させた部分について、厳密に考えてみようともするのではないでしょうか。
>の部分についてそう思っていました。
>哲学は論理的になにかを検証する学問ではないかと思っていました。

>厳密に論理を考えず論理を飛躍させた論理証明というのは矛盾していませんか?
「厳密に論理を考えず論理を飛躍させた論理証明」って何ですか?
>>54 とどのような関係があるのですか?



71 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 14:08:11
>>68
数式だって言語の一種でしょうよ。


72 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 14:10:51
まずはググってみそ

73 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 18:15:07
     _,,;::-―ー-:;:,,、
    /''''''   '''''':::::::\  
    |::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::|       
    |  .:"ー=〓=-'`:::: |     

74 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 19:24:30
72殿
哲学とはまずはググってみることですね?

75 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 20:38:51
YES

76 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 21:29:16
例えば電磁気学と言えば電気や磁気に関しての学問だが哲学は
なにについて研究する学問なんだろうか。
哲学史は哲学ではないと思う。
科学史が科学でないように。

>>71
厳密さが違うと思います。
逆に数式やコンピュータ言語では感情を表現することができません。
同じ自動車でも用途によって能力、機能が異なるように
言語も用途によって能力、能力が異なる。
同じグループに属しているメンバーには本質的に同じ部分と違う部分があるよ。

77 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 21:40:28
>>70
> 「厳密に論理を考えず論理を飛躍させた論理証明」って何ですか?
これは>>54氏の言っている「論理を飛躍させた部分について、厳密に考えてみようともする」
を受けています。
疑問があるのは哲学は厳密に論理を展開するのかどうかという点です。
>>54氏は通常の思考では厳密に考えることなく論理の飛躍をすることも
あるが、哲学ではそこを厳密に考え説明していくのではないか
と問うているような気がします。

しかし一方で哲学の論理はそれほど厳密ではないという印象も受けます。
そのあたりなにか矛盾があるような気がしています。

これで答えになっているでしょうか。

>>54氏の言っていることを誤解していると思われたら指摘してもらえますか。

78 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 21:55:44
>>77
>これは>>54氏の言っている「論理を飛躍させた部分について、厳密に考えてみようともする」
>を受けています。

私は >>54 ですが、その部分には(私の理解できる範囲では)
「論理証明」という意味をもたせたつもりはありません。
「論理証明」という言葉は、 >>68 でいきなり出現しています。

ここで4つの可能性が考えられます。

1. 「論理証明」 という言葉は、 54 の文章について 68 が何か誤解をしたためにレス中に出現した。
2. >>68 の言う「論理証明」とは、私の理解する「論理証明」とは違う意味を持っており、
  その意味においては、 54 で述べられているなんらかの内容と合致する。
3. >>54 の文意と 「論理証明」という言葉を結び付けうる何らかの論理が存在するが、
  私にはそれが理解できず、 68 だけがそれを知っている。
4.1.〜3.以外の(つまり、私の想像を超越)した理由があって、「論理証明」というものについて、
 私が述べたという前提で、私がレスしなければならないという義務が >>68 の心の中に出現した。

1. の場合は、 54 をもう一度よく読みなおした上で、何かレスしたいことがあればレスしてください。
2.、3. の場合は、「論理証明」の意味なり、それが関連するとみなしうる論理なりを説明していただかないと、
私にはその先のあなたのおっしゃることの意味がわかりません。
4. の場合は、残念ながら、おそらく、私の能力では、これ以上議論を続けることは不可能だと思いますので、
あきらめてください。

79 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 22:38:50
哲学の言葉を辞書で調べてみろ

80 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 22:49:13
誤爆ですか?

81 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 22:53:35
>>80
>>1に言ってんじゃないの?

82 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 23:01:12
>>78
>>54=>>60=>>70とは気がつかなかったなあ。鈍感でした。

>>54
> 論理を飛躍させた部分について、厳密に考えてみようともするのではないでしょうか。

という部分については「論理を飛躍させた部分について厳密に考える=論理的に証明する」
だと思っていました。
これで2.か3.ということになりますか?
もしこれが違うとしたら「論理を飛躍させた部分について厳密に考える」
ということがどういうことか良くわからないので、つまり1.なので
もしよければもう一度説明をしてもらえると嬉しいです。

83 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 23:10:15
>>79
調べてみたら
「存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。」
と書かれていました。なるほど。

84 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 23:19:47
>>82
>「論理を飛躍させた部分について厳密に考える=論理的に証明する」

「論理証明=論理的に証明する」でいいですよね?
私の理解では、「論理証明」というのは、「論理に正しいことを証明する」
という理解です。
ですから、「論理を飛躍させた部分について厳密に考える」という行為は、
論理証明を行おうとした場合にも必要な行為ではありますが、
その行為=論理証明ではないと考えます。

>>54 の該当部分の前後を読んでいただけばわかるように、
「論理を飛躍させた部分について厳密に考える」のは、
「なんとかならない場合」であって、「厳密に考える」といっても、
「なんとかする」の必要が満たされる以上に厳密に考える必要はないわけです。
(その意味では、ここでも論理の飛躍は残り得るわけです)

しかし、仮にある考えである問題が「なんとかなった」としても、
その考えが「論理的に証明された」ことにはなりませんね。
>>54 の前半で述べたように、日常的に行われる、過程が大幅に省略された思考でも、
 たいていのことは「なんとかなる」わけですから。)

85 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 23:22:51
で、哲学って何?

86 :考える名無しさん:2005/10/13(木) 23:56:08
83を100万回読め

87 :考える名無しさん:2005/10/14(金) 01:12:50
だからまずは「哲学とは何か」でググってみなさいて
そんな1から始めようとしなくてもまん中からでいいんですよ

88 :うどん:2005/10/14(金) 03:12:37
哲学=科学(数学含む)の元
真理の証明

むかし哲学=真理の論争=宗教
今哲学#宗教
宗教とのみぞふかふか!宗教は哲学しかと!



89 :うどん:2005/10/14(金) 03:16:35
訂正
むかし哲学(=真理の論争)=宗教
今哲学#宗教
宗教とのみぞふかふか!宗教は哲学しかと!


90 :考える名無しさん:2005/10/14(金) 07:55:39
うんこ!

91 :凡人:2005/10/14(金) 15:11:47
>>1番さん哲学とはなにか?
素朴な疑問では無く哲学の道のスタートラインです。
【哲学=物事の理を悟り真の道徳、倫理観に依って産み出される愛智を以て全てを成す】
人は物事の理を悟る事で知能が育ち真の智恵が産まれる、辞書に記して有る智恵と哲学の道は同じです。
哲学のスタートラインは物事の理を悟ることで有り、他者の諸々な思いを記した哲学書から得ようとする
と必ず心の迷路に閉じこめられ哲学の道を大きく外れます。
哲学を望む者が物事の理を悟れず愛智と言う諸学の源とも言われる智恵を開く事ができない理由は学ぶ
事では得る事のできない心の事象を哲学とした処に人類史の全てを支配してきた蒙昧意識の陰湿な意図
が含まれています。
何故なら哲学は啓蒙意識を探究する道ですので我々大衆が智恵を得れば陰湿な蒙昧社会は直ぐに崩壊の
危機に晒されます。
長く成りましたが哲学のとはなにか?全ては【 】内に納めて有ります。
人が生まれれた使命は人類が長年に渡り傷つけてきた地球を美しい地球に戻し未来に受け渡す事ではな
いでしょうか?
その為に誰の心にも良心として蒙昧意識に反する哲学的精神の存在を感じます






92 :考える名無しさん:2005/10/14(金) 21:53:00
お経か?

93 :wisteria-1 ◆ITBZ6GuBCc :2005/10/14(金) 22:18:15
例えば、「死の前に立ちすくんで、生きることの意味/価値を喪失する」、「人間の理性は、どこまで届くのか/届かないのか」、
「文法も単語も異なる人間間で共有できる相互に共有可能な形式/内容とは何か」、「自分が自分である、という根拠は、どこに求められるか/求められないのか」、
「経済活動に追われる人間にとって、自分固有の領域は存在しえるのか/しえないのか」、「社会体制/国家により、どれだけ個人の固有領域が侵犯されているのか」、
等々、普通の日常生活の中で、ふと疑問に思うことは、おそらく誰にでもある。
しかし、それを問い詰め続けえる人間は、経済的要因や思考形式が言葉/論理等を用いて考え続けることに慣れていない、等の要因から、まれである。
そういうところを追うのが哲学のミッションである、と思います。
そうすると、前記の、「ふと疑問に思うこと」が無い人間にとって、哲学とは何か、という問いに対しては、
そういう人間にとっては、哲学は無縁であるということになる。
それが、幸せか不幸であるかは誰にもわからない。


94 :考える名無しさん:2005/10/14(金) 23:11:05
哲学するために生きてるわけじゃない

95 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 00:37:11
なんでも哲学なんだろ

96 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 01:07:15
>>91
>【哲学=物事の理を悟り真の道徳、倫理観に依って産み出される愛智を以て全てを成す】
>人は物事の理を悟る事で知能が育ち真の智恵が産まれる、辞書に記して有る智恵と哲学の道は同じです。
>哲学のスタートラインは物事の理を悟ることで有り、他者の諸々な思いを記した哲学書から得ようとする
>と必ず心の迷路に閉じこめられ哲学の道を大きく外れます。
>哲学を望む者が物事の理を悟れず愛智と言う諸学の源とも言われる智恵を開く事ができない理由は学ぶ
>事では得る事のできない心の事象を哲学とした処に人類史の全てを支配してきた蒙昧意識の陰湿な意図
>が含まれています。
>何故なら哲学は啓蒙意識を探究する道ですので

なるほど。

97 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 04:12:11
哲学とは−概念の創造である。

98 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 09:56:28
>>84
なんとなくわかった気がする。
物の世界と人の世界では厳密に考えるレベルが異なっているんだな。
複雑さのレベルが違うからね。
哲学は人の世界について考える学問なのだと改めて思いました。

>>83の4つの分野が哲学を構成する要素なんだとわかったので
そこから哲学とはなにかをまた考えたい。
論理といってもひとの感じる世界の中での論理にであって
それは数学や物理の世界の論理とは異なるに違いない。

>>91
物事の理とは人の世界の物事ですよね。
愛智と言われるとそれはすでに実践に足を踏み込んでいると思う。
スポーツ科学を学ぶこととすぐれたスポーツ選手であることは違うように
愛智の仕組みを理解することと愛智を身につけ行動することと違うのでは
ないかな。

99 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 10:04:39
>>93
あげられている例はどれも疑問に思ったことがないですね。
だから疑問の意味がよくわからないです。
例えば自分が自分であることの根拠とはなにが疑問なんですか?

>>97
概念の創造とは事象のとらえかた、解釈の仕方、事象の意味を提示する
ということでしょうか。

100 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 10:44:15
映画マトリックスを思い出してみて

今いる自分は本当に自分だと思う?
じつは脳に電極ぶっさされてそこに繋がったコンピュータに見せられてる/感じさせられているだけかもしれないよ。

101 :凡人:2005/10/15(土) 13:59:24
>>98番さん
物事の理を悟るとは己と対峙する全ての事象に対し正否、善悪を明確に弁別する心の事です。
人は物事の理を悟る事で哲学の目的とする愛智「潜在知能」を必然的に会得します。
力を崇拝する蒙昧意識の因習を永遠と受け付いてきた人類が純粋な啓蒙精神を必要とする
物事の理を悟る事が難儀で有るのはそこに原因が有ります。
哲学を望む者は純粋な思いを必要とする、とお伝えしても心と哲学は別ものとお考えの
皆様には現段階ではご理解して頂けないと思われます。


102 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 20:49:59
何が?

103 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 23:10:12
>>100
この世界の自分は別の世界の自分の写像かもしれないという疑問?
これが「存在論」でしょうか。
そういう想像は好きですが、それでも構わないと思うので
特に気にならないです。
人間の理性はどこまで届くかというのはどういう疑問ですか?

>>101
> 善悪を明確に弁別する心の事です。
哲学は善悪が関係するんですね。
ちなみに科学には善悪はないです。
物事に理があるとはどうすべきかただ一つの解があるという意味ですか?
人の世界は物の世界と違って複雑なのでそんなに簡単には
割り切れないと思うよ。

104 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 23:19:16
存在論(形而上学)、認識論(論理学)実践論(倫理学)、感性論(美学)には
それぞれどのような命題がありますか?

105 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 23:40:43
http://www.dff.jp/
クリックで救える命があるから一日一回クリックして下さい。
一日一膳さえも 食えない香具師がいるから、一日一善と思って
クリックして下さい。おながいします。


106 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 00:25:24
哲学とは宗教の一つです。人を洗脳するのです。

107 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 00:30:57
してみろやw

108 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 00:33:53
pu

109 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 00:38:07
プラトンとアリストテレスとロックとカントをちゃんと読むこと。
自分の頭だけでは「哲学とは何か」なんてわからんよ。


110 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 00:41:48
哲学とは何か? っていうより、 哲学って何?

一般人は、経営哲学、とか、人生哲学、っていう使い方でしか目にする事さえない。

それ以外では、哲学者の名前を何人か知っている程度。
素で解らないんですが?

一般人に説明する時は、どんな風に説明しているのですか?

111 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 00:47:55
一般人に説明するときは
・好きでやっている
・一生懸命やっている
・自分には努力する才能がある

というのを説明するのが目的になります。
ですので内容にはこだわりません。


112 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 00:54:10
>一般人は、経営哲学、とか、人生哲学、っていう使い方でしか目にする事さえない。

高卒程度ならそれでいいです。(倫理の授業をやらん高校もあるらしいし)
哲学は何をするのかを国民一般がよく知る必要なんてないよ。

>一般人に説明する時は、どんな風に説明しているのですか?
一般人に対して自分の研究の中身を詳しく理解させる必要なんてまずない。
哲学に限らず。

それよりも、「経営哲学」「人生哲学」というものしか想像できずに「素で解らない」と
ほざく人がこの板に書き込んでいるほうが不思議でならない。


113 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:00:01
哲学の語源は愛知。つまり知を愛すると言うこと。

わかりやすく言うと世の中のすべてについて、いろいろ考えるということだね。

それだけ。

だからいわゆる学問はすべて哲学ともいえる。

他の学問がいろいろ特定の分野に限って扱うのに対し、哲学はすべての分野を対象とする。

114 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:01:42
コーソツガ コーソツヲ コケニスル スレハ ココデスカ?

115 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:08:56
こら、日本人の2/3は高卒だ。


116 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:10:06
>>113
そういう半端なフィロソフィー理解、プラトンちゃんと読んだらとても出来ませんけどね。


117 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:11:18
阿呆リズム

118 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:27:45
>>112
いや大卒であろうと、哲学って何? という質問に対して、
それなりの説明を出来る人などいない。
わかった振りをしている人は多いけどね。
それほど一般教養、社会生活と乖離している。

で、哲学って何?

119 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:40:23
>>112
>一般人に対して自分の研究の中身を詳しく理解させる必要なんてまずない。
>哲学に限らず

そういう排他的な考え方が、哲学の社会的地位を低くしているのではないの?

120 :骨肉の争い ◆rBlGBOMBeg :2005/10/16(日) 01:41:29
>>118 >で、哲学って何?

何って何? それは簡単「ポルターガイストではない人間」猫がニャンと鳴いた
さてどうしますか?

121 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:43:40
>で、哲学って何?

真に「在る」とはどういうことか、真に「知る」とはどういうことか、
をロゴスにより探求する学問です。
詳しく知りたきゃラッセルの「哲学入門」でも読みな。


122 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:52:06
>>120-121
一般人に対する説明にはなっていない。

123 : ◆0fQuDFAST2 :2005/10/16(日) 01:54:49
一般的な

124 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:59:59
>>122
一般人の概念理解力では致し方ない。
どうしても知りたきゃ自分で本嫁、語学やれ、大学池。
それらが出来ないならそもそも興味持つな。
黙って聞いてりゃスラスラ理解できるような学問なら誰も苦労せん。


125 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 02:06:57
>>124
哲学を理解しようなどとは思っていない。 そこまでの興味も無い。
ただ、哲学って何という単純な疑問だ。

一般人に対して、簡単な説明もできないなど、逃げではないか?
数学、物理、哲学以外の文系学問なら、簡単なそれなりの説明くらいは
してもらえる筈だが。

126 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 02:12:58
>>125
哲学以外の文系学問だって「・・・とは何か?」という質問にスパッと答えは
出せないと思うが。逆に「・・・とは何か?」にスパッと答えている学問分野と
その規定の一例をあなたに挙げてほしいのだが。

127 :天子守 ◆RYu999B6G2 :2005/10/16(日) 02:14:00
>>125
確かに銭で解決する学問は物事を論理的に深く考えることが欠如していること自体が疑問ではなかろうか

128 :天子守 ◆RYu999B6G2 :2005/10/16(日) 02:16:08
>>126
銭払えば何でもいいのかという疑問符だと思われ

129 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 02:19:55
>>126-127
質問し始めてから、まだ誰も一般人向けの哲学って何?の説明さえしてもらえない。

私は何も哲学をここで理解しようなどとは思ってないし、そんな簡単なものだなどとも
思っていない。 敵対する意見を書くつもりも無かった。

ただ、素朴な疑問で質問しただけなのだが、どうも排他的なレスしか貰えないようだ。
ちょっとガッカリした。

130 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 02:20:09
一般人は理解できないといわれているようだ。
我々は誰でも一般人になるのであり、一般性は広まることと一致する。
広められても我々が理解しないとしたら、我々は人混みに入ると途端に
理解できないと考えられていることになる。ただ、一般人は一人一人の
個人から成る、個人が理解する事で、一般の人が分かるようになるので
ある。私が理解する事で何事かが判るのである。理解は私が明らかなこ
とから始まる。一般は曖昧である、知人から直接言われて初めて広まっ
ているのだと判る程度である。そのようなものから、まるで全てを知っ
ていると考えるのである。

131 :天子守 ◆RYu999B6G2 :2005/10/16(日) 02:24:34
参照
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1129393733/

客観的には銭払ってんだから其れ成りは望むとか
銭を払われた方は

例えば缶ジュースを100(120)円で買うとする
自販機から要望通りの品物が大体は確実出てくる

だが手作りの場合そうではない
100円払っても80円程度であったり逆に140円な場合もありうるという事に他ならない

物事には定格がある

132 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 02:27:42
         /∴∵∴∵∴∴\               ∵∴∵ ∵∴∵
       /:∴∵∴∵∴∴∴∴:\       ∴   ∵∴∵ ∵∴  ∵  ∴
      /∴∵∴∵∴∴∴∴人:∴∵∴  ∴ ∴ ∵∴∵∴∵∴  ∵∴∵∴
     /:∴:.|∴∵∴∵∴∴/∵∴ヽ、∴∵∴∵ ∴∵∴∵:(・ )∴     ∴
     |∴∵@ヽ-------‐‐'′∴∵∴ヽ:∴:∴∵∵ ∴∵ ∴  ∵∴∵∴∵∴
    |∴∵/      ∵∴∵∴∵∴∵∵:∴∵∴∵∴∵∴∵∴   ∵(・ )∴∵∴
    |.:∴:./ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ::∴: ∵∴∵ ∴∵ ∵∴∵∴∵  ∴∵
   |∴=ロ  -(・ )-  | .∵|  -(・ )-  ロ=∴∵:∵∴∵∴∵∴ ∴∵∴  ∵
    |:∴:/ヽ      /ノ .:ヽ      /ヽ∴∵  ∴ ∵  ∴∵∴  ∵∴∵ 
   |∴/  `─── / .:∵` ───∵∴丶∵∴     ∵   ∵∴  ∵
   |.:.ノ        (●_●)∴∵∴∵∵∵:∵            ∵  ∵
   |:.|           l l     ∵∴∵∴:.|
   |.:|       __-- ̄`´ ̄--__  ∵∴∵|:.|
   |:.|        -二二二二-    ∵∴:.|.:|
   |.:.:\                  ∵/.:.:.|
   \∵\     _- ̄ ̄ ̄-_     /∵/          801
     |Ξ|~ \             / ~|Ξ|
    /∴ヽ/|\_______/|\ /∴:ヽ   http://sakura03.bbspink.com/801/
    |.:∴:.|  \         /   |∴∵|
   /|∴∵|    \      /   .|∴∵:|


133 : ◆EvilehrjfI :2005/10/16(日) 02:30:02
       。oΟo〇
   ┌━┛
(◔ิд◔ิ)
 ∧_∧

134 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 02:41:41
ここで、哲学って何? を問いかけても無駄なようだ。
たぶん、身内の人に、
「で、君は何を勉強しているかね?」
と聞かれて、何かの例えで答え、身内の人は、適当に相槌を打って
解った振りをして、別のことに話題を移す。 
こんな事が繰り返されていると思うのだが、、、、

135 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 02:49:48
>>134
哲学の大雑把な定義なら辞書を引けばいいだろ。下記のようなことをやってるんだよ。

てつ‐がく【哲学】
《philosophyの訳語。ギリシア語のphilosophiaに由来し、「sophia(智)を
philein(愛する)」という意。西周(にしあまね)が賢哲を愛し希求する意味で
「希哲学」の訳語を造語したが、のち「哲学」に改めた》1 世界・人生などの
根本原理を追求する学問。古代ギリシアでは学問一般として自然を含む多くの
対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、その対象領域が
限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなすという性格は常
に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。

136 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:04:33
>>134
理念を構成したり叙述してんだよ、バーカ。

137 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:04:40
>>135
有難うございます。 私も辞書くらいは引いた事が有ります。
しかし、私が他の一般人から哲学って何?と聞かれて、
こういうことらしいよ、と答えるには、適切では無いように思います。
言葉の由来と歴史では、私の素朴な疑問、哲学って何?の答えでは
有りません。

これ以上は話しが行き違うだけで、無理に思えてきました。
お騒がせして申し訳有りませんでした。

138 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:18:35
素朴な疑問を投げかければ簡単な答えが返ってくると思っているうちは
学問とは無縁な一般人だよ。


139 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:23:55
>>138
はなから学問とは無縁の一般人が、その立場で質問していたのですが。

140 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:33:58
>>139
言葉の由来と歴史だけでなく、具体的な内容も辞書に書いてあるだろ。
認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などだよ。
哲学は宗教じゃないから、大乗哲学とか小乗哲学とかないの。

141 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:54:53
一般人であることに居直っても、哲学は手を差し伸べてくれませんよ。


142 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 03:57:00
餅は餅屋、と言うけれど、この流れを見ていると、
随分と安物の餅屋だな、このスレはww

143 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 04:36:56
>>141
哲学関係者の方が社会に対して居直っているのは有りませんか?

哲学に手を差し伸べてもらう必要など有りません。
しいて言うなら、哲学さん、貴方のお仕事は? それだけです。

例えば考古学ならメディアへの露出も多いし、一般人でもイメージも想像できる。
そういうイメージを哲学に対してもたらす回答が欲しかっただけです。

144 :これじゃだめかい?:2005/10/16(日) 04:50:37
認識論 人間は何をどこまで認識しうるか、もしくは何をどこまで認識しえないか
論理学 言表などから内容を捨象した「形式」の法則
存在論 存在する(有)とはどういうことか、また存在しないこと(無)とはどういうことか
倫理学 人間の実践に法則はあるのか、ないのか
美学  美とは何か、普遍的美はあるのかないのかなど

について研究するお仕事。

145 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 08:25:34
>>1
哲学版で聞いても無駄

146 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 08:38:38
>>144
理解が前進しました。
これらは思考や感じ方についての研究ということですね。
いわゆるクオリアの研究が哲学かもしれない。
現在の哲学ではそれが文学的に研究されているみたいです。
もう少し科学的なアプローチもあるんじゃないかな。

147 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 08:39:25
>>145
少しずつですが前に進んでいるよ。

148 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 08:45:15
なんでも哲学

149 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 10:39:33

哲学とは宗教の一つです。人を洗脳するためにある。
マルクス主義とかレーニン哲学なんかがいい例だよ。

150 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 12:36:16
認識とは外界の事象を脳内にモデリングすることだと思う。
そのモデルと写像についての研究が認識論であるはず。

論理学はほとんど情報科学、情報工学の範囲ですね。
ある程度のプログラミングの経験があれば哲学で言う論理学の
予備知識はすでにあると言ってもよさそうだな。

存在論はわからないな。なにが不明なのかわからない。
どなたか存在論とはなにか説明してもらえませんか?

151 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 14:39:03
なぜ存在するのか、どのように存在するのか、本質的存在とは何か。

152 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 15:11:52
>>146 >>150
そんなに単純に他分野に還元されないよ。大雑把すぎる。

153 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 22:19:00
>>151
なにが存在するのかですか?

>>152
まだ大雑把過ぎるくらいの理解しかできていません。
いい入門書があったら教えてください。

154 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 22:22:56
当方、このスレをひと通り読み終えたオサーン。
少し興味が沸いたので、最初の一冊、適当な本を教えろ!

宜しくお願いします。

155 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 23:43:11
バカの壁でも読んでろ

156 :MORALITY ◆oMyMORALjQ :2005/10/16(日) 23:46:49
時弊‮http://‫その時代の悪習や弊害             
積弊‮http://‫長い間に積もり重なった弊害          
塞源‮http://‫弊害などの生じる根本の原因をなくすこと    

157 :凡人:2005/10/17(月) 00:29:39
哲学書の全てを読み覚えても哲学の真意を掴む事ができず心の迷路に迷い込みますよ。
哲学=愛智と言われる真意は人類史の全てを支配してきた陰湿な蒙昧意識に囚われない純粋な思い
の人間愛が人の知能を育てる事を指しています。
決して多くの学問に通ずる事で愛が産まれると言う意味合い「智愛」では有りません。
自我に囚われない純粋な思い「蒙昧意識下に於いての夢」を目的とする希求学が哲学です。
夢が無ければ哲学を目指す目的も無い為に哲学の道を見つける事ができない仕組みに成っています。
記憶を頼りに哲学の道を模索している方からお叱りを受けると思いますが全て事実です。


158 :考える名無しさん:2005/10/17(月) 00:34:06
>>157
あなたは愚劣なバカです。
悔しいでしょうが全くもって事実です。

159 :考える名無しさん:2005/10/17(月) 02:38:05
>>157
お花畑にお帰りなさい。 良い子だから。 ね。

160 :考える名無しさん:2005/10/17(月) 02:55:44
じゃーお前らオレンジレンジまんせーか?

161 :考える名無しさん:2005/10/17(月) 18:07:14
>>153
私とあなた、あるいは非私。

162 :考える名無しさん:2005/10/17(月) 23:31:21
>>161
私がなぜ存在するか。
あなたがどのように存在するか。
私以外の本質的存在とは。

と言われても残念ながら意味不明です。なにが疑問なのかわからない。
なぜ私がここにいるかですか?理由はないと思います。

163 :考える名無しさん:2005/10/18(火) 04:29:15
私がどのように存在し、よく生きるかは残るだろう。

164 :考える名無しさん:2005/10/18(火) 07:36:52
>>163
どのように存在しというのは例えばどういうことですか?
もう少し具体的に語っていただけると嬉しいです。

どのようによく生きるかは存在論ではなく倫理学の
範疇ではないですか?
「良い」という価値観は存在論に含まれるものなのでしょうか?

165 :考える名無しさん:2005/10/18(火) 19:11:37
存分に生きるかということだよ。

166 :凡人:2005/10/18(火) 19:30:41
哲学とは真の人間としての生きる道を探究する学問です。
人類史また社会が真の人間としての生き方から外れて要るため真の人間の生き方
を探求する哲学が存在します。
もしも人類が争わず奪い合わず地球を大切にして平和な社会を構築して要るので
有れば哲学の存在も有りません。
人類の疑問を問う学問、それが哲学です。


167 :考える名無しさん:2005/10/18(火) 20:34:13
哲学とはもはや学問に対するコンプレックスの捌け口でしかない。


168 :考える名無しさん:2005/10/18(火) 20:47:20
哲学とは、常に潜んでいるものだ。
君らの意見では、それに引っ込んでいろと言っているようなものだ。
ここは哲学版だ。お前らこそ引っ込め。
俺も帰る。あばよ

169 :考える名無しさん:2005/10/18(火) 20:51:17
2chで哲学するのが実体である。


170 :考える名無しさん:2005/10/18(火) 22:32:37
>1
哲学は美術の一分野です。

171 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 17:26:41
>>1
哲学とは、
人間Aがいまいちわかった気のしない対象を、
人間A内の自己内言語に気の済むまで翻訳する作業です。
よって、対象は何でもいいのですが、慣例として、言葉で事が済むものだけを相手にしているようです。
他の学問のように、正誤を判定する事が重要視されているわけではないため、
どう見てもたわごとである考えが、淘汰されずに生き残っている場合があります。
こういった性格上、頭のできに関わらず、参加可能となっております。

172 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 18:45:23
>171
だから、あなたも参加可能です

173 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 19:21:30
言い逃れを続けることが哲学である。


174 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 21:49:47
>>171
今日は本屋でハイデガーの存在論とウィトゲンシュタインの
論理哲学の本をちら見してきました。
最初は科学的アプローチとか厳密な証明というようなことが
頭にありましたが、パラパラみているうちに
なにかのスイッチがオンになったみたいです。
おっしゃることが実感できました。
面白いかもしれない。

175 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 21:51:46
>>173
言う事で逃れ続ける事だ。この差は重要。


176 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:03:01
>175
差はないです。

177 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:16:44

俺も哲学に逃避しちゃおうかなbyニート


178 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:19:55
>>176
南泉斬猫でググれ!


179 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:21:17
スレ停止

180 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:24:55
レズ歓迎

181 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:25:32

一汁一菜で、晴耕雨読を 続けるべし。

そうすると 1000日経ったある日・・・


















肉を食いたくなる。


182 :凡人:2005/10/19(水) 22:39:03
哲学とは何か?を論議する前に考えるに必要な智恵を会得するのが先決ですね。
象と七人の盲人

183 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:39:50
>>178
なるほど

184 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:40:16
>>181 の続き

そして、山を下りて、街へ出て、焼肉屋へ入る。

そこて゛カルビを五人前注文して、一気に食べる。

食べ終わったあと、ああ 世の中に 

こんなうまいものがあったのか と悟る。まるで、

仏陀の過酷な修行の後に菩提樹の下で

村娘から施してもらったミルクを飲んだときの あの

悟りの境地に達する。

つまり、この世の中で、肉体をもって生まれてきた者は

まず、肉体の維持が なによりも大切なのである。

略)  by  久々の登場の 折口学っ  !   てへ


185 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:42:07
禅の様態は悟りであって哲学ではない。


186 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 23:00:27
>>182
必要な知恵を網羅した教科書はないんですか?

187 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 23:01:45
>>177
就職が先だ。

188 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 23:12:43
脂肪ウマー

189 :ポール・マッカートニー:2005/10/19(水) 23:30:40
草ウマー

190 :考える名無しさん:2005/10/20(木) 00:02:34
>>185
井筒俊彦の「意識と本質」を嫁。

191 :考える名無しさん:2005/10/20(木) 02:02:40
宗教の一種だろ? カント法王とかニーチェ大司教とか。

192 :考える名無しさん:2005/10/20(木) 03:34:09
カントやニーチェの言ってることを一字一句にいたるまで信仰しなさいと説教する哲学講師なんて
見たことないですけどね。
むしろ、一字一句にいたるまで批判的に検討すべし、という宗教です。
哲学では、暗記して信じることには何の意味もありません。


193 :考える名無しさん:2005/10/20(木) 14:16:32
仏教聖典を一字一句信仰してる坊主がいねぇーのと同じだろ?

194 :考える名無しさん:2005/10/20(木) 22:50:08
昔の哲学者、例えば17世紀の哲学者は
当時の最新の科学知識をもとに宇宙の成り立ちと
人の精神を説明できる統一理論を考え出そうと
していた今で言う理論物理学者であったのかな。

195 :考える名無しさん:2005/10/21(金) 21:40:39
哲学には大きく分けて2系統あるようです。
理系の哲学(科学哲学、物や論理の哲学)と
文系の哲学(精神哲学、人間の価値観や社会の哲学)。
そういう理解でいいでしょうか。

196 :考える名無しさん:2005/10/21(金) 21:55:29
哲学とは有限な類である言葉で無限を様態化することである。


197 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 01:20:16
>>173
とおっしゃる根拠は?

198 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 01:37:55
>>197
根拠は哲学が有限な言語で無限である実体を語らなければならないからです。



199 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 01:57:41
哲学と宗教は正反対。宗教を批判するところから近代哲学がはじまった。


200 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 03:30:59
哲学は工学の奴隷にすぎないのだよ

201 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 04:04:57
哲学なんか何でも当てはまるんじゃないの

202 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 04:40:41
あらゆる学問は工学の奴隷にすぎないのだよ

203 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 06:00:10
しかしその工学は哲学奴隷以下なのだよ

204 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 07:48:54
工学とは方法論なので哲学的に工学を語る哲学者は必ず存在しない決まっている。



205 :指し指 ◆6wmx.B3qBE :2005/10/23(日) 07:51:40
田辺元の哲学入門を読むんだ。

最初の5行で解決する。

206 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 10:19:04
できればその5行をここに

207 :考える名無しさん:2005/10/23(日) 12:10:33
哲学的に語るのは不可能、幻想

208 :考える名無しさん:2005/10/24(月) 04:10:51
幻想こそが工学の産物なのだよ?

209 :凡人:2005/10/25(火) 14:38:39
>>186番さん
教科書は有りませんが純粋な目的と純心な探求心をお持ちなら誰でも智恵を産み出す為に必要な物事の理を悟る事ができます。
皆さんが哲学欄で右往左往する原因は力を崇拝する人類史の全てを支配してきた蒙昧意識下に於いて養育を為された為に心の
根底に蒙昧意識が創りだす自我が根付き純粋な心が不可欠な哲学の道を塞いでしまいます。
蒙昧意識の得意とする記憶力と言う力を頼りに全ての哲学書を読み覚えても哲学の道の入口にも立てず他者の思いの記憶の
迷路に迷い込み抜け出す事ができなく成ります。
蒙昧意識の創りだす諸々な心の事象を論じ合っても哲学の道から外れていますので正当な答えは出るはずが有りません。


210 :考える名無しさん:2005/10/26(水) 02:46:00
工学貧乏

211 :考える名無しさん:2005/10/26(水) 20:10:41
貧乏の素
基地外の素
w

212 :考える名無しさん:2005/10/27(木) 08:44:06
哲学とはなにかか……。

科学哲学では、「哲学とは用語を定義する学問」といえるかも知れないね。
用語の定義は、実験とかじゃなくって、まず最初に決められなきゃいけないことだから。
「力」とはなにかとか、「経済」とはなにかとか、「政治」とはなにかとか。

「人生」とはなにか?とか、個人の人生観を問うテーマは、もう共通了解性
のある定義は不可能だと思うから、科学哲学とは対象外になるかも。

213 :考える名無しさん:2005/11/01(火) 10:53:32
哲学って,世界についての研究でしょう。

214 :考える名無しさん:2005/11/01(火) 20:36:11
ライプニッツのモナドロジーを読んだら
哲学とはなにかがけっこうわかった気になってきました。

哲学の発生にはいろいろな要素が
からみあっているようですね。

215 :考える名無しさん:2005/11/02(水) 23:30:21
子どもにもわかりやすくいうなら

哲学=もやもや…
数学=すっきり♪

だな、実にわかりやすい。
まあ、どっちも大事なんだが。

216 :考える名無しさん:2005/11/03(木) 13:21:48
>>214 ライプニッツのモナドロジーを読んだら
哲学とはなにかがけっこうわかった気になってきました。

どのように?

217 :考える名無しさん:2005/11/03(木) 22:30:38

哲学=個性
数学=集団



218 :考える名無しさん:2005/11/06(日) 05:05:12
>>1

philosophia(フィロソフィア)、直訳すると「愛智」という意味だそうです。

ソクラテスは「智慧(ちえ)がある」とか「もの知りだ」というのではなく、
むしろもの知りでなくてもいいから、「智を愛する」ことが大事だと説いたのだ
そうです。

電車男がエルメスを愛するように、ナナがレンを愛するように、
「智を愛する」ならば、それは、philosophia(フィロソフィア)
と言えるのでしょう。



219 :218:2005/11/06(日) 19:32:54
>>218

ちなみに、「愛知県」の県名の由来が、philosophia(フィロソフィア)であることは
あまり知られていないようです。








ウソです。
【県名の由来】
「水田の湧き水」を意味する「アユチ」や「海風の地(アユノカゼ)」起源説等がある。
とのことです。

220 :考える名無しさん:2005/11/06(日) 22:55:14
はじめに問題ありき。一群の「哲学的問題」というのがあって,その解答を
考えるのが哲学。

221 :考える名無しさん:2005/11/06(日) 23:15:46
ちなみに俺はSOPHIA UNI.

222 :考える名無しさん:2005/11/07(月) 03:07:43
>>199
存在論なんかは神の根拠を示すために展開された面もあるぞ

223 :考える名無しさん:2005/11/07(月) 19:52:51
近代哲学ではないが少なくともアリストテレスの存在論-神学は神の根拠を示すためのものではないな。

224 :凡人:2005/11/08(火) 18:07:14
愛知とは真の人間愛に依って人の知能が育てられ智恵が産まれる事を指します。
物事の理を悟る事で知能が育ち全ての事象を適切に処理する智恵が産まれます。
そこに哲学の真意も理解できますので物事の理を悟り知能を育てる事を全てに優先して下さい。

225 :考える名無しさん:2005/11/08(火) 18:09:47
哲学とはすなわち「いかさま」である。

226 :考える名無しさん:2005/11/08(火) 18:10:35
検討中の哲学は永遠に未完である。


227 :考える名無しさん:2005/11/08(火) 18:10:35
ゲッソリしますね

228 :考える名無しさん:2005/11/08(火) 18:27:39
神学は哲学と法学とに分解してしまった。政治学は所詮は哲学の一部門(政治哲学)でしかない。
逆に言えば、神学は哲学と政治(哲)学と法学との混淆物でしかなかった。
そして、今は哲学全体が文学の一部門に過ぎなくなっている。



229 :凡人:2005/11/09(水) 11:13:51
>>225番 哲学とはすなわち「いかさま」である。
人類史の全てを支配してきた力を崇拝し理に反する蒙昧意識社会に於いて安定と平和は最大の敵です。
啓蒙意識を探求して安定と平和な社会を望む行為は蒙昧意識社会を崩壊させる事と成りますので、その行為を
哲学と命名し、さも覚える事で会得できる様に大衆を陥れた処に蒙昧意識の悪意が練り込まれています。
我々にとって哲学の名称に悪意が隠っていても人類の未来を明るくする為に正当な方策を見いだし、その探求
を続けなければ成らないのです。
できれば物事の理を悟り知能を育て全てを適切に処理できる智恵を産みだす心を持つことをお進めします。


230 :マーボχの美意識 ◆Vl.LIe4j2A :2005/11/09(水) 11:54:24
論理は正しいのか?
もし正しくないのなら、
哲学は危険だ。
その道はドーナツ状の終わりのない道だから。
ただ思考がループし続けるだけ。
それは心地良いが、
何も得られない旅だ。


231 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 12:10:27
心地良さが得られるならそれはすごいことだ

232 :凡人:2005/11/09(水) 13:41:05
物事の理を悟り全ての事象に対し全てに痛みを与えぬ適切な処理をする智恵の会得の方法は「今こそ進化の時508番」に記して有ります。
真の哲学とは「物事の理を悟り真の道徳、倫理観に依って産みだされる愛知を以て全てを成す」これ意外に何も有りません。
愛知と言う心の事象が人にもたらす素晴らしい数々の効果は愛知を会得した者しか分からないでしょう。
全ての論理の正否を見極める心を育てる為に物事の理を悟り知能を育てる事を重ねてお奨め致します。


233 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 14:26:41
アホクサ

234 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 22:48:31
また削除されたようだね?
エリマンたんw

235 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 23:20:52
チミたちの心の中になんでも哲学が宿っている限り
何度でも復活してくるのだよ?

236 :考える名無しさん:2005/11/10(木) 11:15:32
哲学とは、非哲学でないもの全て。

237 :指し指 ◆6wmx.B3qBE :2005/11/10(木) 17:54:19
>>236
こいつ教師には向いてへんわ

238 :考える名無しさん:2005/11/10(木) 18:08:00
オマエモナ

239 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 01:02:06
「哲学」とはAである、と定義できた場合、「ではAとは何か」と
質問できて「AはBである」と説明したら、性格の悪い人はきっと
「じゃあBって何だよ」と聞いてくる。以下延々と続きそうで
言語の性質上、言葉の定義ができるのか不安


240 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 01:14:30
言葉の定義は簡単。
「これこれの意味で使います」とすれば間違いない。
てか、それしかない (^-^)

241 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 01:21:04
私は哲学は全くわかりませんが、みなさんに質問したくてカキコミします
私は『差別』は必要だと思っていますがどう思いますか?
大辞林によると差別の定義は、1;ある基準に基ずいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること 2;偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること
とあります
私が思うに、人種、男女、宗教等々異質なものを同一視するほうが、『差別』じゃないのかと感じます
なんでもかんでも差別とのたまう風潮は危険と感じてます

242 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 07:53:56

区別

243 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 11:37:27
>>239
それを人は「オープンクエスチョンアーギュメント」という

244 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 16:09:33
242 そんなん程度は誰だってわかっとるよ

245 :凡人:2005/11/11(金) 17:39:53
>>1番さん
哲学は誰もが生まれ付き持ちながら生涯、使うことの無い意識、愛知と言われる潜在知能を
会得し社会に活用する為の探求項目です。
人が諸々な学問に携わり真に人間社会に役立てる為には愛知が不可欠で有る事から哲学=
愛知=諸学の源と言われます。
他者の記した哲学書を全て読み覚え他人の思いを盗み取り楽に哲学を知ろうとしても全て
無駄な事、心の迷路に迷い込みます。

246 :ん?:2005/11/11(金) 22:58:04
哲学??
TV番組で「人間は生まれながらに、知ることを欲する・・」
なんていうけれど、
人間はなにかにつけて「納得」を欲する生き物なんだろう。
そのへんが哲学じゃないかな



247 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 22:59:38
納得する哲学は悟りである。


248 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 23:11:25
悟!キーボードたたいてるヒマあったら
面接、行っといで !!

249 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 02:15:44
自分だけ理解しても仕方ない!

下手すりゃ自己満足に終ってしまう!
俺はよく政治欄にいるから感じるけど、思想の前段階の歪んだ考え方してる者が多いが、基本が腐っているから、いくら道理を言ったって話はすすまない!

歪んだ奴をガツンとやっつける哲学ないのか?

250 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 02:49:11
哲学的にアプローチするなら、

歪んだ奴をやっつけるより、
歪んだ奴をまず理解(賛同ではない)することからじゃないかな。








251 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 11:58:07
>>249
あるよ

252 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 12:19:39
歪んだ奴の思考を認める包容力、
必要なのかな?

この世の中、歪んでいるのも、もとはといえば、哲学を持っていないか歪んでいるかのどっちかと思うんですが?

例えば、教育ママが幼稚園児に英語教える前に、人としてのあり方を教えるべきだと思うが?

はっきり言って、マトモな人には、歪んだ人間は迷惑だよ
愛を与えるのは、愛の価値のわかる人間だけで充分だよ!

253 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 12:48:04
>>252
歪みが何かだが、違法行為なら逮捕→死刑 or 拘禁。

しかし、法の下になんぴとも言論・表現・思想活動の
自由を公に認められている。
合法である限り、なんの強制力も働かせられない。
せいぜい被害が立証できる場合に損害賠償請求できる
くらいのもん。

それ以上は包容力ももなにも、そもそも自由なのよw
で、おまえの要求は「私のこう思う事に従え」なんだが、
それは横暴、そんな権利無いだろw

教師よりおまえが人それぞれの違いを認めるのが先。

おまえの要求に沿う者だけがマトモであり、歪んでなくて
愛があるというもヘンな話w

254 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 13:16:48
「変」というか、はっきり自分の判断基準に執着しているという事だろう。


255 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 15:43:34
オマエにオマエ呼ばわりされる筋合いなんぞない、俺は哲学したことが無いから疑問を呈したんだが、回答がズレてるぞ!
例えば議論する際に哲学的なルールとか手法さえ確立しておれば、国会討論も時間短縮できるだろ?
これこそ構造改革であり、節税対策になるのでは?
社会に貢献していない哲学なんて社会に意味あるのか?
自己満足の哲学で何の意味あるのか?

256 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 15:47:45
独我論とは自己満足の哲学である。


257 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 17:34:00
じゃあ、パチンコやソープランド行くのと同じか?

独我論とはナルシストのための哲学?

こんなド素人に言いたいこと言われるようでは使い物にならんよ

258 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 17:38:44
使い物にならない哲学を構築するのが哲学科の院生。


259 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 18:18:59
自己不満足ですわ

260 :nanndemodetuyow.:2005/11/12(土) 18:21:18
konoitahaitukitemo














pu



pu





pu


detune.

261 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 18:57:41
哲学者はきちんと世の中に貢献すべきですよ
それができないと社会は厳罰化するとかして浄化するしかなくなる!
哲学界がしっかりしてないから、こうゆう260 みないな女の腐った弱虫なんかは個人的には処刑してまえばと思う
バカはとことん差別し抑制する!

以上

262 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 18:59:51
>哲学界がしっかりしてないから、こうゆう260 みないな女の腐った弱虫なんかは個人的には処刑してまえばと思う

nihonngonobunnpourikaisitematukaw

263 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 19:20:22
>>261は立派な哲学徒である。


264 :考える名無しさん:2005/11/12(土) 19:21:17

仏説摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一
切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是
諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩捶依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙
故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅
三貌三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切
苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩
婆訶般若心経


265 :考える名無しさん:2005/11/17(木) 12:25:45
gosurori

266 :凡人:2005/11/23(水) 16:50:33
>>252.255.261番さん
結構、的を得てる発言ですが極端な強い表現は避けた方が善いでしょう。
本物の愛は何一つ否定せず全てを万辺なく思いやる事のできる心です。
>>253番さんも他人様におまえ呼ばわりは失礼と感じませんか?
真の自由とは法律で定められた曖昧な物では無く「他の全てに痛みを伴わぬ思考および行動」を指します。
力を崇拝する蒙昧意識に支配されて要る人類社会の常識に惑わされず己の持つ良識で判断する事が得策でしょう。
誰か分からなければ非礼も許されるとお考えでしたら間違いです。
書き込む一言一句は、ご自分の心を形成する一部に必ず組み込まれます。
偽の自由もどき、偽の哲学もどきの氾濫する社会の中で真の人間の生きる道を探求する事が哲学ですね。


267 :考える名無しさん:2005/12/09(金) 01:28:18


他国のインターネットでまでも糞尿垂れんじゃねー 特ア↑↓





268 :考える名無しさん:2005/12/09(金) 04:44:48
tokuwannkunnnaniwoikiritatteirunokane(ppppwarapuppuppu--

269 :考える名無しさん:2005/12/09(金) 04:57:44
法学は法律を勉強する学問
物理学は物理を勉強する学問
哲学は哲学する学問
つまり哲学とは動詞
完璧な説明はやってみせるしかない

270 :考える名無しさん:2005/12/09(金) 12:19:33
根本的な謎がある。
なぜ、世界は存在するか、だ。
物質的な存在起源を問題にするのが物理学。
それの存在定立を問題にするのが哲学。


271 :凡人:2005/12/12(月) 18:00:14
哲学=愛智=諸学の源、その意味合いを理を持って解してから初めて哲学を語る資格が有ります。
力を崇拝する無知蒙昧な人類社会の未来を憂い、
真の人間としての精神の在り方を探求する最も大切な役目を担っているのが哲学です。
遊び半分に無意味な問題を論議の対象とする事は非常に不謹慎です。



272 :考える名無しさん:2005/12/12(月) 18:09:53
凡人さんのカキコみてるとこころが落ち着きます。
ところで、凡人さんは幽体離脱してこころを宇宙と融合できますか?

273 :凡人:2005/12/13(火) 21:02:33
>>272番さん
全てを思いやる心「思惟の届く限り存在の全てに己の心を転移し思考を繰り返す」
全てに対して感謝の心「思惟の届く限り存在の全てに対し己の命との関連を意識し肯定する心」
上記、二つの心は世界平和の道を模索する課程に於いて理を通して育ちましたが、ご質問の幽体
離脱に対して真の深い意味合いを理解する事ができません。
人類史を平和に導く為に誰もが生まれつき備えながらも生涯、使う事をしない蒙昧意識に依って
隠された潜在知能を呼び覚ます以外に方策は無いと結論に達し、その仕組みを誰でも理解できる
事を前提に見いだし現在、書として纏めています。
誰でも持っている心、他人の心は勿論、自分の心も理解できない蒙昧社会の自然消滅を目的に探求
を初め十数年で確立した意識を見いだしました。
人類史上、今日まで隠されてきた新しい意識を社会に放った時の状況を楽しみに思い書に記して
います。



274 :考える名無しさん:2005/12/13(火) 21:04:47
反響を楽しみしている凡人。


275 :凡人:2005/12/28(水) 15:09:23
>>274番さん
知能範囲の97%が潜在知能として生涯、使われる事なく捨て去られてしまいます。
その潜在知能を皆さんに活用して頂ければ個人的にも社会的にも、どれだけ良い変化をも
たらすか量り知れません。
知能を育て、智恵を産みださなければ人類の抱える問題の全てを解決する事は叶いません。
知能を育てる為に物事の理を悟り、真理に通ずる心を会得する方法など純粋な思いを持っ
て望む者の全ての人達が会得できる程、容易いことです。
戦争や飢餓、個人的な悩み、問題の全ても人の心が成せる業ですので人の心の在り方を変
えれば全てが丸く収まると思います。
よどんだ人類社会に真理の一石を投じて世界平和を導く、なんて考える。
力を崇拝せず自我に囚われぬ者は蒙昧意識を主とする人類社会では馬鹿と呼びますね。






276 :考える名無しさん:2005/12/28(水) 15:17:37

凡人もまた人類社会において馬鹿とか無用の長物とか呼ばれます。



277 :考える名無しさん:2005/12/28(水) 15:34:30
100%の力を発揮しながらも依然として凡人の凡人

278 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 06:47:36
玉之浦、自分でクンクン、できるかな?




279 :考える名無しさん:2006/01/01(日) 04:11:23
子供でもできる大人の言葉遊びってとこか。

280 :考える名無しさん:2006/01/01(日) 17:00:35
ヒトの理解できる範囲内の、真実を考えるものが科学。理解できる範囲内でない、真実を考えるものが哲学。
だから、結局考えても真実かどうか確かめられない。

281 :考える名無しさん:2006/01/04(水) 17:54:34
哲学とは“考える事”そのものです。

282 :考える名無しさん:2006/01/05(木) 00:32:35
「考えること」そのものて、間違ってはないけどアバウトすぎっぺ

283 :考える名無しさん:2006/01/06(金) 10:44:05
「物事に思い悩むこと」………ロダンの「考える人」をイメージしたまえ。
これが哲学!

284 :考える名無しさん:2006/01/08(日) 06:03:50
hatesatedoukana?


285 :凡人:2006/01/08(日) 19:31:32
>>276番さん
凡人が無用の長物か?貴重な存在か?下の書き込みを見て物事を理解できる智恵を育ててから判断して下さい。
人の知能の97‰を占める潜在知能を開かずに、今のまま3%の知能だけを使い人生を過ごすつもりですか?
>>277番さん
もう少し気の利いた書き込みはできないものかね?
>>280番さん
普段、理解すると簡単に考えますが理解とは物事に対して理を以て解する事で物事の理に通じ無ければ
決して理解することができません。
物事の理に通ずるとは物事の理を悟る事が必要です。
人が知恵を得る為にも物事の理を悟らなければ成りませんが、その知恵が無ければ理解する事はできません。
物事の理を悟れば哲学が探求する所の真実も理解できる範囲に収まります。
>>283番さん
ロダンの考える人の像はロダンの地獄門の作品の一部で全体像は少数の支配する者達だけ
が優雅な暮らしをする矛盾した社会を正す方策を見いだす為に地獄門の上に座りロダンは考えています。
ロダンの思いを未来に伝える為にロダンの半生を捧げて作り上げた作品です。
鋳造した七体の考える人の像を見てロダンが何を考えているか?分かる人は誰もいる分けが有りません。
東京、上野の国立博物館の庭に地獄門が有りますのでロダンが何を伝えたいのか?考えているか?考えて下さい。





286 :考える名無しさん:2006/01/09(月) 01:47:24
独我論とは自己満足の哲学である。


287 :考える名無しさん:2006/01/10(火) 00:33:28
哲学は自分で考える事、他者の哲学を自分の物にしてはいけない。

288 :考える名無しさん:2006/01/11(水) 01:10:21
哲学は自分で考えることだが、それは自分の考え、意見を放棄していくプロセスである。
自分で自分を放棄していくプロセスである。
真理はいつも在るものであって考え出されるものじゃないからだ。
自分は光を遮るからだ。 我が強いほど光は遮られてしまう。
名も無き者にならなければ闇は晴れはしない。
この名も無き者が光であり、真理そのものなんだろう。

自分が闇ならば、何のための自分なのか? 死ぬためのか。そう。
我が強くなる程に苦しみは増す。
可哀想に自分というやつには当初から火がついていて燃え広がり続けているのである。
いずれ燃え尽きるしかない哀れな身の上だ。

哲学は火に油を注ぐことでもある。


289 :凡人:2006/01/20(金) 17:50:17
哲学とは本来、人の心の表舞台に置かねば成らぬ真理が人類史の全てを支配する蒙昧意識に依って隠されてしまった為に、その
真理を見いださんとする行為を哲学と呼びます。
人が真理を見いだす為には、物事の理を悟れば全て済む事です。
逆に物事の理を悟らずば、どんなに深く考えても畑に種を蒔かずに作物を収穫したいと思っている、と同様に無意味な話しです。




290 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 18:33:35
自己言及性かな。学、説と定着することに拠って科学が誕生し、発明、発見が加速されたんでしょ。
つーかそれが人間たらしめてる訳だから哲学的思考、哲学者は必然と。


291 :考える名無しさん:2006/01/20(金) 18:44:18
哲学とは
商売人におちょくられないで生きていける程度の
考える力をつける作業である

292 :考える名無しさん:2006/01/22(日) 02:43:16
>>289
4行目から同意。

293 :考える名無しさん:2006/01/26(木) 00:23:35
全ては説明できない(しなくてよい)ところに帰す。形を求める、これ愚かなり!

294 :考える名無しさん:2006/01/26(木) 06:42:47
冷静な>2に笑える

295 :考える名無しさん:2006/01/27(金) 08:46:32
哲学の本質とは、「漠然と考えること」だ。


296 :Limahl:2006/01/29(日) 00:40:57
昔、夏目漱石の『文芸の哲学的基礎』『創作家の態度』と、
W.ジェームズの『哲学の根本問題 序』を続けて読んだことで、ちょっと閃いたことがあります。

人間がいて、精神があって、精神に知情意の作用があって…。
このうち、意志は実際的行動に結びつくものなので、今回は除外する。
作用のあるところ、目的や理想が生じる。
また、精神は意識によって、この世に顕現します。意識のあるところ、内界と外界が生じる。
そこで、以下のように分けられるようにならないでしょうか。

知の働きが、内界に向かう際の理想は、「真」。
外界に向かう際の理想も、「真」。
情の働きが、内界に向かう際の理想は、「善」。
外界に向かう際は、「美」。

そして、この四つの理想に従って展開される営為が、上から、
・第一哲学、形而上学
・科学
・倫理と宗教
・詩や文章の技巧
と考えられるようにならないでしょうか。

297 :Limahl:2006/01/29(日) 00:41:36
この四つの営為(本当かどうか実証できません)と、
哲学との関係(これもあるのかどうか定かじゃありません)ですが、
俺は以下のW.ジェームズの言葉に注目しました。

それ(哲学のこと)は歴史的に見ると、常に科学、詩、宗教、論理という四つの異なった人間的関心のあいだに行われる
相互の受精作用のようなものであったと言える。(世界の名著『哲学の根本問題 序』より)

「相互の受精作用」というだけでは、何のことかよく分かりませんね。
―異性同士が交接して、子孫が生まれ、その子孫にもまた性別があって、その繰り返し、
このような作用が数千年の哲学の営みの中に息づいている、とジェームズ先生は言いたいのでしょうか。

みなさん、どうでしょうか。
「真」を理想とする知の働きである、形而上学と科学、
「善」と「美」を理想とする情の働きである倫理(および宗教)と詩
哲板を見回してみて、この四つの営為の精神的交接を観たり知ったりできないでしょうか。
個々の哲人の著作ではどうですか。
できませんか。
その辺のことを話し合いたいです。

俺は、
―知と情というのは、身体に元々備わっていた雌雄の関係に続く、人間の精神におけるそれである、
とも考えています。

298 :笑わせるねぇwwwwwww:2006/02/09(木) 04:19:01









夜な夜な「杜玖椀」伝道かねwwwwwwwwwwwwww




299 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 14:50:05
哲学って云うのは、貧乏な引き蘢り野郎のオナニーです。

300 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 15:50:39
哲学は無意味な詮索作業である。
完全なる宇宙の法則において生きる人の生死を、
難解な理屈を並べて稚拙な法則化を試みようとする作業であり、
またその過程において、幾多の矛盾が生じていることを解りながら、それを認めず、
本来の道筋から逸脱してしまったという哀れな学問である。


301 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 16:12:39
形而上観念論

302 :考える名無しさん:2006/02/09(木) 23:11:10
杜玖椀

303 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 00:28:16
疑って疑って、それでもうたがいまくること。


304 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 00:52:36

79 名前:考える名無しさん :2006/02/11(土) 08:47:37
ホアエズオドプゲラプゲラレンチョピピレンチョピピットコリアーッ!! ホエズオドットアーアーッ!!
 ホアプゲラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ、ホアアーホアーッ!! 、
ほーっ、ホアエズオドプゲラプゲラレンチョピピレンチョピピットコリアーッ!! ホエズオドットアーアーッ!!
 ホアプゲラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!!

ってなぁ〜、おれたちのことだ!
 


80 名前:ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/02/11(土) 14:20:24
氏ね




305 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 00:55:05
頭の固い高校生レベルが考え付きそうなことですねw

306 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 23:27:37
哲学なんて自分を追い詰めるだけ。
だけど哲学には真実がある。
夢も希望も無いけど、正当な行動が出来るのは哲学者の特徴。
だと思うのはきっと私だけですw

307 :考える名無しさん:2006/02/13(月) 03:48:15
>>305
という感想は中学生にありがちなんだよねw

308 :考える名無しさん:2006/02/13(月) 10:12:42
他スレで言って多人がいるけど、哲学って「ルール決め」でしょ?

どんなスポーツにもルールや用語の定義が必要。
そのルールを決定するのが、哲学。

よくスポーツなどで、「ルールに不備がある」とか言われるでしょ。
それはそのスポーツの哲学的な議論が充分にされていないと言うことだと思う。

裁判で言うのなら、ちゃんとした法律(哲学)があって、その上で、検察側
と弁護側が壮絶な駆け引きのある議論を行う。
法律がなければ、議論なんて最初から成り立たない。

相対性理論は立派な物理科学理論だが、それが成立するためには、
「光」とはなにか? 「質量」とはなにか? 「エネルギー」とはなにか? 
という物理の基礎用語の定義が必要だ。
それを決定するのが、物理哲学。

数学で言うのなら、「公理」が哲学に相当すると思う。「点」とはなにか? 「線」とはなにか? とか。
その公理(哲学)がしっかりしているから、壮大な数学大系というものが成立する。

他にも経済哲学、歴史哲学、政治哲学などなど。

ルールが明確に定まっているから、その上に壮大な物理大系、数理大
系、技術体系というものが成立するんだと思う。

そういった点で、哲学は科学だ。
いや、哲学とは科学そのものだ。
しかし、科学的な研究対象ではない。(ルールそのものに反証可能性はないから)

309 :考える名無しさん:2006/02/14(火) 04:36:18
答えにはなりませんが、感覚的にはソフィーの世界での説明も良い感じだと思うのですがどうでしょう?

確か、
哲学という木の幹があって、そこに枝が出来、学問の実がなる……
細部間違ってるかもしれませんけれど、こんな感じの。

310 :考える名無しさん:2006/02/14(火) 22:54:26
哲学して死ぬ人と哲学せずして死ぬ人、一体どっちが幸せ?

311 :考える名無しさん:2006/02/15(水) 12:24:00
そりゃ、哲学してもしなくても幸せな人が幸せなんだよ。

312 :考える名無しさん:2006/02/15(水) 13:12:06
>>310
そんなの死んで見るまで分らないに決まってるだろ。

313 :考える名無しさん:2006/02/15(水) 13:46:49
だから〜、そこが問題なんだ〜。

314 :考える名無しさん:2006/02/15(水) 14:25:36
文学は好きです。でも哲学書は読みません。
哲学者よりも芸術家になりたい。
愛智とか、徳とか、美がどうとか、
そんなみみっちいこと考えずに。知ではなく、感覚に訴えかける存在。
哲学を超越する芸術家に

315 :考える名無しさん:2006/02/15(水) 14:40:36
芸術家になりたいんなら、こんなところで幼稚な書き込みをしているより、
「哲学を超越する」作品でも作ったらどうだ?w

316 :考える名無しさん:2006/02/15(水) 15:47:14
>>314
感覚も、哲学できるけどね。
哲学的思考を持って芸術作品を作るのも楽しいけど。
また、すばらしい作品を哲学するのも、楽しいと思う。

317 :考える名無しさん:2006/02/15(水) 17:43:11
>>313
そこってどこが問題なの?

318 :考える名無しさん:2006/02/17(金) 12:37:20
そうだよね、何が問題なのか表現できないんじゃ
単なる自己矛盾だと思うし・・・

319 :考える名無しさん:2006/03/01(水) 11:46:36
哲学書は読んだことはありませんが,
興味有る事は知りたいと考えることはあります.
物理だ哲学だなんだと,分類していますが,
根っこでは繋がっていませんか?
人間の概念を解かり易く名前をつけて理解していたら
その本当の所が解からなくなっているような….

学校では効率の良い訓練の為に教科分けしていますが,
実際の社会では全てが一体になっている感じがします.
哲学的な考察のしかた等,色々なところで役立ちそうですよ.
考えこまれたら困るけど….

考えこまずにいられない事が,哲学か…?

320 :wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2006/03/01(水) 18:49:04
>319
<学校では効率の良い訓練の為に教科分けしていますが,
実際の社会では全てが一体になっている感じがします.>

その通りですね。
数学、化学、物理、情報処理、法学、経済学、外国語等のガッコの科目体系個々の形では実際の社会は動いていませんね。
好むと好まざるとに関わらず、社会では、それらのランダムな順列、組合せによる最適解をそのつど求められますね。
その主体とならざるをえない領域において、哲学を少なくとも「知っている」ということは社会人として、一個の自然人として不可欠であると思いますが、如何せん、文部科学書とガッコは、その必要性に気付いていませんね。
「とりあえずお金になること」、それだけが文部科学書の役人が考えていることのほぼすべてですから。




321 :考える名無しさん:2006/03/08(水) 02:30:48
>>310
その幸せっていうのはなにかということを考えるのも哲学の一種なんじゃないかな

322 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 14:05:35
永遠に答えの出ない学問。

323 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 23:38:44
       __   __
      /   ゝ /    ヽ
     /::::::::::::::::::::::"ゝヽ    ヽ
     /::::::::::::::彡彡,,ヾ, ヽヽヽ  i
    /::::::彡彡彡'""  ゝミミミミ;; |
   彡:::::彡 ,,―,,.     ,,―,, \ミ
   |::::::| 、,ィ或tュ、゙:ミ {,'ィt或アチ |
    ヽ,,,,   ,,/ <,、_,.> \゜  |
    |.    ′ ,, ィrェェzュ、,_ 〉∴ |
    | ∴∵ ヘヾ'zェェェッ',シ'∵∴|
    | ∵∴∵ ` ー--‐ '"'´∵∴|
    |  ∵∴∵∴∵∴∵∴∴ |
    | ∵∴∵∴∵∴∵∴∴∵|
     \ ∵∴∵∴∵∴∵∴/
    _ /:|\\  、.,,,,..  ,/入_
  ''":/::::::| \ "ー―― "_/ |:::::::


324 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 06:25:01
>>322

基礎の基礎の基礎の・・・と掘り下げることを言い訳に何も進まないのが哲学。
それをわかったうえで無能をカムフラージュするのに利用してる小利口な者もいるようだがね。





325 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 07:52:33
見苦しいな

326 :珍米:2006/04/07(金) 20:20:34
  _____
/:::::::::::珍米::::::::\
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
::::::::::::::::|_|_|_|_|
;;;;;;;;;;ノ□,, \,, ,,/ ヽ
::( 6  ー─◎─◎ )
ノ  (∵∴ ( o o)∴)
 ,, <  ∵ ___∵>   < 珍米マンセー!
\  ヽ   /__/ ノ         ,.∩_
:: \⊂□⊃  ,, ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l  E)
:::: \____/::::::.      ___l__ノ  グッ


327 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 11:25:00
底無しの哲学沼に嵌ると→→→→→→発狂!

328 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 21:14:40
哲学とは答えを出しがたいものについて考え議論しそこから学ぶ学問

329 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 11:14:39
つ〜事は、ヤッパ永遠に答えの出ない学問って事。

330 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 11:29:50
数学ってのは字見ると数の勉強なんだな〜ってのがわかる
社会も理科も科学もだいたいわかる
しかし哲学ってのはよくわからないよね

科学は哲学から独立したものなんだ
すーっと追い抜いて行ったけど
科学は事実(ここにあるもの)を研究するんだ
みんな目で見えてる物を理屈が通るように説明するのが科学
だからみんな納得して支持するんだ
では哲学ってのはどうだろうか?
哲学は価値判断なんだよ
目みにえることだけじゃない、もっと奥まで勉強することなんだ
科学的根拠なんて必要ないんだよ
追求ことが大切なんだ。考えることや探求心がね
そこに何があるかは無限大の可能性がある、夢がある
全人類の夢がね
科学的に哲学を否定することはできないんだよ
いや〜ほんとに哲学っていいですね〜ロマンだよね

331 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 11:57:51
哲学=屁理屈

332 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 16:51:03
79 名前:考える名無しさん :2006/02/11(土) 08:47:37
ホアエズオドプゲラプゲラレンチョピピレンチョピピットコリアーッ!! ホエズオドットアーアーッ!!
 ホアプゲラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ、ホアアーホアーッ!! 、
ほーっ、ホアエズオドプゲラプゲラレンチョピピレンチョピピットコリアーッ!! ホエズオドットアーアーッ!!
 ホアプゲラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!!

ってなぁ〜、おれたちのことだ!
 


80 名前:ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/02/11(土) 14:20:24
氏ね



333 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 17:20:01
思索。

334 :Yn:2006/04/27(木) 23:22:36
命を言葉で表現しつくそうとする欲望。
邪道に聞こえるが、人間の最深の精神だろうと許されてきた。

また
形而上学は悟性の宗教である。
という
ニーチェの恋人女弟子ルー・ザロメのノートから、

わかるという感情を言葉で表したもの。これはカント・ヘーゲルが大好きな世界だ。
以上雑感です。
By http://blog.goo.ne.jp/daslebenistschoen

335 :メフィスト:2006/04/28(金) 00:13:42

けけけ・・・
 馬鹿をからかうのは面白い。
 性能の悪い頭で考えたつもりになっておけ!
 ほんとは、少量の蓄えた雑多知識を小出しにしたに過ぎんのだ。
 剽窃を考えた事にする盗人小知識人どもよ!

336 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:55:50
>>335

ぷぷっ

ホアエズオドプゲラプゲラレンチョピピレンチョピピットコリアーッ!! ホエズオドットアーアーッ!!
 ホアプゲラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! ーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! っ、ホアほほ、ほーっ、ホアアーホアーッ!! 、
ほーっ、ホアエズオドプゲラプゲラレンチョピピレンチョピピットコリアーッ!! ホエズオドットアーアーッ!!
 ホアプゲラレンチョピピーッ!! アーッ!! ホアーッ!! 、ほーっ、ホアアーッ!!

ってなぁ〜、おまえのことだよw


337 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 01:32:05
http://blog.goo.ne.jp/yosiaki1980/

338 :名無しクオリティ:2006/04/28(金) 01:33:46
哲学は目的地ではなく、その過程が尊いのだ。
たどり着いた先にある物自体はさして役に立たない

339 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 03:52:21
soukana?

340 :考える名無しさん:2006/04/29(土) 07:52:56
【哲学】(てつがく)名詞 当辞典編纂者は哲学を「態度」であると子供の頃に発見し、しかしその時にはもうすでに哲学から逃げ出そうとしていたので、それ以来なにも考えていない。
(「あのんの辞典」より引用)

341 :考える名無しさん:2006/05/22(月) 12:45:32
哲学とは修身かよ〜

342 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 16:03:54
哲学の名称通りに解釈すれば良いが、名称通りに解釈しない者、できない者達が哲学を混乱させている。
哲=道理にあかるいこと、学=哲の心を持って生きる全てに活用すること、
人間は道理にあかるく成らないと知能が育たず知恵が産みだせない。
道理にあかるいこと=ものごとの理を悟る=ものごとの是非、善悪を明確に弁別する心、すべて同様。



343 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 16:06:23
ワロスwwww

344 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 00:01:30
哲学とは、
自分でも意味が分からない思いつきのフレーズを
自分でも意味が分からない文章で説明し
反論されたら「お前には理解できない」で締めくくるだけのことだ。

345 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 00:05:43
>>342とうとう凡人コテハンを捨てたか

346 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 05:49:43
>>344
まあそうだわな。現実は。

347 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 06:46:47
>>344
そのとおり、問題なし、
何を勘違いして344は哲学板いるんだ?w
オマエには意味が無いものから意味があるものが
生まれる事実を理解すらできない無能者だというのは
良く理解できる。
344は、すべてが理屈で出来ていると過信している奴だろw


348 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 19:13:46
つまり哲学とは言葉の羅列なのです。
さらに言えば、その言葉の羅列に意味がある思っている馬鹿を笑うことです。

349 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 19:19:17
いまさらそれはガキっぽいwww

350 :考える名無しさん:2006/05/30(火) 20:33:05
哲学とはただの定義づけ合戦です。

351 :骨肉の争い ◆rBlGBOMBeg :2006/07/02(日) 03:55:31
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1132844798/226

352 :考える名無しさん:2006/07/02(日) 04:13:48
いやいや、哲学は杜玖椀です。

353 :Yukko:2006/07/02(日) 07:18:53
初めまして。卒論で「哲学とは何か?」をテーマにしようかと迷い中の哲学専攻4年生&2ちゃんねる初心者のYukkoと申します。ちなみに専門は古代中世です。
私は今、この問題を次のような観点から考えています(一部はすでに出た話題ですが)。

@哲学に対する2つの態度
A.哲学は客観的真理を追求する学問であり、哲学することによって出た結論が好ましくなくても道徳に反していてもそれは受け入れなければならない。
B.哲学は実戦的なものや価値判断を追求するものであり、よりよいものを求めるべきである。
―哲学に関して上のような2つの立場があると思われるが、これらは両立できないのか。また、そもそも対立しているのか。対立はいつから始まったのか(哲学史的に)。
(派生問題:道徳的価値は実在するか、人間の内にだけあるのか)

A哲学的な問題は決定的な解答が出ていないものばかりだが、それでも哲学する意味はあるか(派生問題:死後の世界はあるか)

B哲学の中にある様々な分野(主に、存在論・自然学・倫理学を念頭に置いています)を関連づける
(派生問題:神に関する議論)

C存在するとはどういうことか(派生問題:神の存在証明、アリストテレス的自然学と近代自然科学との基本的違い)

派生問題がどうやって出てくるのか分かりにくいと思いますが、まだ人に説明できるレベルになっていないし、できたとしても長くなるので今回は省略します。また日を追ってお話しますね

皆さんの考えを聞かせてくださるとうれしかったり…よろしくお願いしますm(_ _)m

354 :考える名無しさん:2006/07/02(日) 07:27:43
>>353
祖非亜の臭いがする。
>>353
ネタか?
>>353
これ以上進める前に、過去ログあさって
ソフィア ソフィたん
sophia Sophia ◆8ADoZCl6.k 肉便器
等を検索して、今後の身の振り方を先に反省しておけ。
>>353
それともネタなのか?また祭りか?


355 :Yukko:2006/07/02(日) 08:12:22
354さん
すみません、おっしゃる意味が分からないのですが…。一応軽く検索してみましたが

356 :考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:13:10
>>353
なんだよ
メって何ですか?
って?
ふざけてるのか?
なめてんのか?
メじゃねえだろがメール欄だろぼけ!ネタだろ、われ!
また初心者とかいいながらトリップつけて来るんだろ、かす!
一日一善して糞して寝ろ、ハゲたこ!

357 :考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:15:08
>>355
検索がなってない。
●ないならxxxxxxx.toのサイト探し当てて過去ログ読みあされ。

358 :Yukko:2006/07/02(日) 08:43:01
356さん
ありがとうございます(>_<)携帯から書き込んだら「メ」っつ書いてあったので、たぶんそうかなと思いつつも一応書いてみました。
私は本当に初心者、というか2ちゃんねるに書き込むのはこれが初めてですよ

あ、では出掛けるのでまた夜にでもm(_ _)m

359 :考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:47:15
>>358
上等手段だな。
予言しておくが、貴様の擁護にまわるコテ他多数が現れる。
そして貴様も主旨から離れ、馴れ合いに自己愛を見い出す。
それが祭りの始まりだ。
板が荒れるぞ。スレが荒れるぞ。
くっ。それもシナリオ通りか。
誰も流れには逆らえぬ。

360 :考える名無しさん:2006/07/02(日) 08:59:39
>>358
携帯って、文字数オーバーしてない?
もしくはウィルコムならばいけるかもしれない。
が、それならメはありえない。
釣りというか、今後数ヶ月にわたる壮大なネタだな。

361 :考える名無しさん:2006/07/02(日) 09:38:09
>>358
そのうち
ユッコたん♪
とか呼んでくるピザキモメガネ30代後半オタクが現れるぞw
奴らにとって
>哲学専攻4年生
がどんな意味を持つか良く考えてからこい。
デモグラフィで細分し直せば解ることだぞ。

362 :考える名無しさん:2006/07/02(日) 09:45:57
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/bakanews/1151299437/

363 :考える名無しさん:2006/07/02(日) 09:53:13
>>362
あーら、おしっこもらっしゃったの?あら、あららら。
そんなに意思表示しなくても良くてよ?大丈夫。オシメ取り替えてあげますからね〜♪

364 :Yukko:2006/07/03(月) 00:09:09
360さん
FOMAですけど普通に書けましたよ?多分5000字までなら書き込めるみたいです。

361さん
うわっ…(> <;)これから気を付けますォ
ご忠告ありがとうございます

ところで、本題に戻っていいでしょうか?353で私が書いたことについてはどう思われますか?

365 :考える名無しさん:2006/07/05(水) 08:12:32
哲学とは科学である、客観性や反証性は絶対に必要であり
すべてが完璧に守るべきこと。
これができない奴はオカルトであり、差別されなければならない存在である。

366 :考える名無しさん:2006/07/05(水) 18:22:37
全てを解き明かし、言葉に命を吹き込む学問。そしてまた命に言葉を与える学問。
哲学の完成なしに命に言葉を教えず命のない言葉を使い先に進もうとすることは破滅へ向かうことである

367 :考える名無しさん:2006/07/05(水) 21:31:34
哲学とは、この世界の論理を知ることだと思う。
いろんな角度からね。だから1つの正解はないんだと思う。
見方によって違ってくる場合もあるし。
ただ、基本は同じな気がするなぁ…
数学も物理も生物も化学も地学も地理も世界史も政経も倫理も・・・哲学
(倫理や数学や物理はかなり純系な哲学だと思う。
 そのもの。あらわし方の違いだけ)

368 :考える名無しさん:2006/07/05(水) 22:20:36

497 名前:名無しチェケラッチョ♪ :2006/07/05(水) 22:12:28 ID:???
じゆんかね?

95 :ヘッヘッ :2006/07/05(水) 22:14:58
             ,. -‐‐‐‐--、
          /       \
          /          }
          |.          |
          |          |
          \   -===-  /   じゆんだよ?
           |\    ̄ _/
           \  ̄⌒ ̄/



369 :考える名無しさん:2006/07/06(木) 00:03:09
哲学はその人の性格を言語化したものです

370 :Yukko:2006/07/06(木) 00:54:27
以下の文章、挙げ足取りではなくより議論を深めるためのものとして理解してくださいm(_ _)m

365さん
私も同意見です。また、そのような客観性を道徳を巡る議論にも適用すべきだと思っています。
「哲学は客観的であるべき」という立場と「哲学は実践を求めるべき」という立場は現実の場面では対立しがちだと私は思うのですが、どちらが正しいか議論することは意味をなさないと思います。(それぞれが自分の立場を根拠にして議論するでしょうから。)
意味があるのは2つの立場の対立を解消することです。そして、善・美など道徳的価値が客観的に存在すると考えればそれが可能だと思うのです。(「では、道徳的価値が客観的に存在すると考えるのは可能なのか」という問いに対してはまだ議論が必要です。)

366さん
命とはどういう意味ですか?

367さん
論理は追求すべき対象ではなく知識を得るための手段ではないでしょうか。また論理は世界ではなく人間の側にあるもので、数学的知識のように生まれ付き備わっているものだと思うのですが、どうでしょうか。

371 :考える名無しさん:2006/07/06(木) 02:44:06
↑ゆっこた〜ん萌えぇ☆

372 :考える名無しさん:2006/07/06(木) 05:31:19
さも哲学しているみたいなこと言いやがって。
ある方向に向かって考えることと、何よりも大事なことは感じることでしょ?
まず、人間は楽器になるべきである。感じる総体になって音楽奏でてみろ。

373 :似非フィロソファ:2006/07/06(木) 06:17:06
 370さん 論理・数学も産まれ付きに備わっているはずはないでしょう。
赤ちゃんの頃に数学が出来ますか?世界の側に論理は本当にないのでしょうか?
自然からの着想が、数学及び論理においては無視することは出来ないのではないでしょうか?
 そして、実践を求めるべき哲学とはパースのプラグマティズムからの文脈だと思いますが、
実践することが生命を丸ごと生かすという点から、実践哲学の論拠が成り立つのではないでしょうか?
動きながら考えることと、静止した状態では考えることが違ってくる。ヴィトゲンシュタインが「論理哲学論考」で、
世界とは動作に基づく個々人の映像の事であると論じています。
 

374 :考える名無しさん:2006/07/06(木) 16:42:13
>>370
なんとでも呼べるけど心でも愛でも魂でも本能でも。
つまり本質のある意味が定義されてない言葉を人に教える事はとても危険って事
この世を哲学で解き明かし言葉にしっかり本質を与えなければ矛盾が生まれ続けるだけ
人間は哲学の完成による完全な平和をまず目指さなきゃいけない。愛の意味も大人の意味も解ってない人間がこの世には99.999999%以上

375 :ヘラヘラ:2006/07/06(木) 23:01:48
ほんとうにそうかな?

376 :考える名無しさん:2006/07/06(木) 23:05:52
374は「本質」を辞書で確認してきたほうがいいとおもわれる。

377 :考える名無しさん:2006/07/07(金) 04:05:54
なにかの思想に悩んでいて世界が絶望的に見えたりして苦しむ事もある。
僕も泣きたくなるくらい辛い時期があった。
きっと君の思想は正しいのだろう。
君は特別だから。
それが真実なのだろうね。
しかし苦しいのなら僕にその思想を聞かせてほしい。
苦しむ必要はない。
もっと真実は幸せな答えなんだよ。
君の思想は正しいけど、それはまだ真実へと続く道の過程なんだよ。
あと一歩で真実に近づく。
僕に話を聞かせてください。
一緒に考えようじゃないか。
愛と正義と平和の真実を導き出し、行動しよう。


上記のようなフィクションが神であり哲学である。
ですので、哲学とは都合のいい解釈をすればいいフィクションなのです。

378 :考える名無しさん:2006/07/08(土) 00:46:57
Scienceの昔の意味は「知識」でした。
Natural Science/Philosophyが発展してニュートン力学が生まれ
科学(Science)、特に物理学が「知識」を具現するものになります。

結局残った残りカスの妄想が哲学なので、現代では

哲学=妄想
科学=知識

という状態になっています。

他の思想は社会科学(SocialScience)と改名してがんぱっていますが
理系からは相手にされていません。

379 :考える名無しさん:2006/07/08(土) 01:06:06
はいはいw

380 :考える名無しさん:2006/07/08(土) 05:09:58
哲学はまるで妄想ではないが、
現代の自称哲学者の多くは
ただの人文ヲタである、とは言える。


381 :Yukko:2006/07/08(土) 12:42:55
373さん、374さん
レスありがとうございます。

373さん
すみません、言葉が足りませんでした。「論理は経験に先立って私たちの中にある」のではないかと言おうとしたのです。

「自然からの着想が、数学及び論理においては無視することは出来ない」これは思い付きませんでした。ご指摘ありがとうございます。

パースのプラグマティズムのことは全く考えていませんでした。どちらかというと古代(ソクラテスとか)を念頭に置いていました。
「実践することが生命を丸ごと生かす」「動きながら考えることと、静止した状態では考えることが違ってくる」はすみませんが意味が分かりません。勉強不足みたいです…よろしければ解説していただけますか?

382 :Yukko:2006/07/08(土) 12:48:14
374さん
すみません、まだ何をおっしゃっているのか確信できませんが…
言葉の定義があいまいであること→思想・言論上の対立→戦争→殺戮 へとつながっていくという発想でしょうか?

383 :考える名無しさん:2006/07/08(土) 13:54:53
> 370さん 論理・数学も産まれ付きに備わっているはずはないでしょう。
> 赤ちゃんの頃に数学が出来ますか?世界の側に論理は本当にないのでしょうか?

性欲が生まれつき備わっているはずはないでしょう。
赤ちゃんの頃にセックスしたいと思いましたか?w

384 :考える名無しさん:2006/07/08(土) 22:57:55
フロイト勉強しなおせ↑

385 :考える名無しさん:2006/07/09(日) 07:05:42
最近は他人の哲学を暗記するのが哲学というジャンルになったのか


386 :考える名無しさん:2006/07/09(日) 10:11:49
>>378
>哲学=妄想
>科学=知識
>という状態になっています。
科学は違うだろ、科学=捏造

哲学は形のない神を信仰するなら
科学は偶像崇拝みたいなもの。
誰もが使えるものが科学だったのだが、現在では脳内捏造を強制的に
具現化(捏造)して企業へ資金提供の目的のみ追求している。
哲学=妄想=抽象的な概念だよw

387 :考える名無しさん:2006/07/09(日) 11:12:27
「暗記」批判をする奴に学問は出来んよ

388 :哲学者?:2006/07/09(日) 22:04:51
哲学は、単純に学問とはいえない。
だから、哲学者自身が大なり小なり認めるように、哲学と哲学文献研究とがしばしば分離してしまうという事態が生じる。
科学においては、見つけられたの問題探究と、与えられている学問の研究とが分離することは、常態ではない。ほぼ重なり合っている。
大革命期においてのみ分離が起こる。



389 :哲学者?:2006/07/09(日) 22:19:55
こういうことがいいとか悪いとかではなくて、ここに哲学の本質の一面があるということだ
私は、既存の哲学から大いに学びつつ利用しつつも、その本質にこだわることなく新たな思考形式・世界観を創造していく運動、
これが哲学の最も重要な本質だ、ということを強調したい。
なぜなら、哲学は死んだや無用だ、という現代では理解されやすい一面的過小評価・誤解を防ぐことができるからだ。


390 :Yukko:2006/07/11(火) 03:37:50
「哲学は死んだ」ですか…2年のとき、専攻に分かれて初の授業で先生がその話をしててショックを受けたのを思い出します。
確か、「こうやって考えていけばいい」という方針が決まった学問は哲学から独立していき、だんだん哲学の扱う領域が狭くなって「哲学の終焉」が叫ばれるようになった…という話ですよね?
科学において「見つけられた問題研究と与えらている学問の研究」が一致しているのもそのためでしょうね…

そうだとすれば、哲学が生き残る(言葉は悪いですが)道は、独立していった学問をもう一度束ねる(?)ことにあるのではないでしょうか

391 :似非フィロソファ:2006/07/12(水) 03:11:23
赤ちゃんのときに性欲があるかについてですが、
フロイトを読み返してください。
肛門期・口唇期などが、幼児期の性欲として挙げられています。

これを考慮すれば、最初から論理が経験に先立つことはありません。

実践することが生命を丸ごと生かすというのは、多少プロテスタンティズムの匂いがするんですが、
社会の中で実践されるもの以外は、意味としては価値をはらまないことを意味します。
宗教について安易な議論は避けたいところですが、キリスト教は一神教であるので、
キリスト教文化圏においては、生命について物質的な側面での考察が薄いのですが、
肉体と精神を二つに分けるのではなく、これを同次元のものとして考えると、
生きていく事=社会が運営されることが倫理であって、倫理の為に人間が死ぬことはあってはならない事だとの意味です。
ニーチェが〈生存の無垢〉・〈力への意志〉という概念を唱えていますので、参照ください。

動いているとき、例えばスポーツ選手が試合では頭をさんざ使ってるんです。
文字による思考は抽象的になりやすく、現実の場面に基づいた考えは、具体性を保持するのです。
これはレヴィ・ストロースの『野生の思考』を参照ください。

「経験は論理に先立つ」ですが、これは残念ながら真理ではありません。
これは産まれ付きのアプリオリ(先行条件)ではありません。

383さん、フロイトは幼児期には、性欲の口唇期・肛門期について書いています。
フロイトを読み直してくださいよ、笑っている場合ではありません。
 

392 :考える名無しさん:2006/07/12(水) 08:39:43
>>391
おまいほんとに「似非」だな。
人間には生得的に言語能力が備わっているように、
生得的に論理的思考の能力が備わっていると考える可能性は十分にあり、
「あかちゃんの頃に数学ができましたか」じゃ根拠にも何にもなってない
と言ってるんだよ。それを「フロイトを読め」だの何だのと、
こいつらは自分が知っている名前を出したくてしょうがない小学生か?


393 :Yukko:2006/07/12(水) 12:43:36
391さん
解説ありがとうございます。とても分かりやすかったです!

394 :考える名無しさん:2006/07/12(水) 17:21:47

いまだに馬鹿を
    
     辞められない

    それが、哲学さ。


395 :考える名無しさん:2006/07/12(水) 18:24:07
>>394
「哲学者ですが、まったくその通りです!」といったらどう反論します?

ようは自分の言ってることを容認してもらえればいいわけです。
あなたは釣り目的なので実際にそういわれれば不思議な気持ちになるでしょうね。
逆上されてなんぼの演出なのですから。しかし不快な気分にはならいはずです。

これに関連しますが、熟語で多用された文は集約されているので
独自の都合の良い解釈が進みます。
それでも他者の見解や意見が反論的であらば正当化するための抜け口を探すわけです。
いわゆる論争ですね。
この例として「同じ命なのに、動物は駄目でなぜ虫は殺すのか」
といった点で「動物は好きだから」と無意識のうちで思考のレールを築き上げてしまい
そういった制限された範囲から「動物はだめでも虫は殺してもいい」という理論を
多様な言葉でつくろうとします。だから分析的に議論されているようで実はそうでないんですね。
つまり、自分の考えを披露したいだけということです。
この世界に自分以外誰もいなかったらどうします?比べるものもない、ライバルなるものもない。
その中で「哲学」をすることを強調してまで誇れるでしょうか?

396 :考える名無しさん:2006/07/12(水) 18:25:22
>>394 釣りでなかったら失礼^^

397 :考える名無しさん:2006/07/12(水) 22:08:35
>>391
通りがかりのものですまないが
フロイトの幼児期性欲理論は実証データで覆されてる
臨床家でもそれを信じてるやつはもういないよ

398 :哲学者?:2006/07/12(水) 23:47:15
>>390
>独立していった学問もう一度束ねる
いいですね。その壮大な提案。
まあ、目先の小問題や出世にとらわれている哲学者では、とても手が出せない難問でしょうが。

今は、哲学による諸学の基礎付けは不可能で意味がない、という絶望的見解(自然科学に詳しい人ほどこの見解になる)が主流になりつつあるようですし、
カントやフッサールみたいな科学の基礎付けは、公平に見て、たぶんもう半分は無効でしょうが、
たとえ基礎付けが不可能でも、何らかの基礎学として、別の次元での諸学の束ね方があるかもしれない。
まさに創造力の出番ですね。

こんな問題こそ、つまらぬ研究なんか捨ててでも哲学者は挑戦すべきでしょうね。そういう人には敬意を感じますし応援したいと思います。
いずれにしても、哲学を多少なりとも生き返らせるには、まだ地図のない観念の未開地にあえて挑戦する冒険者が出てこなければならないでしょうね。


399 :考える名無しさん:2006/07/12(水) 23:51:34
それはもはや哲学ではない

400 :考える名無しさん:2006/07/13(木) 00:10:20
そういうイデオロギー風の偏狭な哲学観は、
哲学を殺してしまうんですよね。そういう考えが蔓延したら結構深刻です。
哲学を過去の文化財として陳列しておくだけでよいなら、それでもいいのですけど。

401 :考える名無しさん:2006/07/13(木) 00:14:43
学問としての哲学ではない

402 :考える名無しさん:2006/07/13(木) 00:23:16
そもそも、画然とした学問としての哲学なんてあるんですか?




403 :哲学者?:2006/07/13(木) 00:33:00
従来の哲学は厳密な学問ではない、とフッサールは言っていたわけですが、
結局、現象学自体もフッサールの思い描いていたような学問になっているのかといえば、それはかなり怪しいですよ。





404 :哲学者?:2006/07/13(木) 00:36:45
ちんみに、哲学の創造的側面を強調した哲学者には、
ホワイトヘッドやドゥルーズがいます。

405 :考える名無しさん:2006/07/13(木) 01:07:28
哲学なくしては、我々は存在しえない。

406 :考える名無しさん:2006/07/13(木) 04:37:40
「道具」を持った「猿」が人間。
工学やら何やら他の学問全てが「道具」を作る。
哲学は「道具」に関与しない。
哲学は「猿」に関与する。
哲学が「猿」に何をしているのかは不明。
哲学は「道具」に「猿」を代入しているのかもしれない。

407 :考える名無しさん:2006/07/14(金) 02:41:15
哲学とはなにか?

→おいっ、さっさと答えろ。406もスレを消費しておいて
いまだに、明快な答えが書かれていないじゃないか。

えっ自分で調べろって?やだよめんどくさいもん。

じゃ、よろしくねー。

  ↓どうぞ。

408 :未来からきました:2006/07/14(金) 22:30:41
哲学とは、哲(道理にあかるいこと)の心を持って諸学(生きる事の全て)に活用することです。
人間の心は道理にあかるく成らないと知能が育たず智恵を産みだせない構造に成っています。
人類は理を否定する蒙昧に捕らわれている為に道理にあかるく成れず知能を育てられないから
二十一世紀の現代に於いても奪い合いと殺し合いの様相に甘んじて暮らしているのです。
>374の書き込みは事実だけに興味が持てますね。


409 :哲学者?:2006/07/14(金) 23:41:40
哲学では、常に、事実と価値の対立が問題化されますが、
プラトンでは、統一されていました。
超簡略化すれば、真理の探究と善の探究は同一である、真理=善、というわけです。
今では、こういう考え方は、事実と価値の分離が本質であるところの科学の威力によって、理解されにくくなりました。
たしかに、素朴に価値視点が優先されると、事実の歪曲がおこり・盲点ができて、冷徹かつ合理的に事実を探究する知は進歩しない、というのは真実ですから。
しかし、事実と価値の分離を成し遂げた後でなら、その統一の次元を語ることは意味が全然違うでしょう。
つまり現代なら、冷徹なで合理的な知を確保しつつ事実と価値の統一地平を構築できる可能性がある、というわけです。

ところで私見では、倫理学と道徳との区別が大切だと思っています。
倫理は、実存的価値判断としての「よい/悪い」(私的)
道徳は社会規範(公的)、と捉えることにしています。
ゆえに、両者の一致点・不一致点が重要な問題となってきます。
基本的に、倫理は、一般に妥当するような「〜は善(悪)、〜すべき(でない)」という規範ではなく、
一般的に・予め明示される規範というかたちでは語りえない、ということになります。

410 :Yukko:2006/07/15(土) 01:23:43
409さん
プラトンのその話、まさに卒論で使いたいと思っていたところです。
プラトンは善のイデア(善、善そのもの)こそが本当の意味で存在する(=事実)と考えていた訳なんですよね。

私は、そもそも事実と価値を切り離して考えるのが不自然だったのではないか、という意見です。
「不自然」という表現を使ったのは、「間違い」とは言いきれないからです。
しかし、ひとつしかない世界を「事実」と「価値」という2つの視点から切り裂いてしまうのはどうなんでしょう?
そんな風に考えています。

411 :Yukko:2006/07/15(土) 01:33:32
ところで、「それは哲学ではない」という書き込みが増えていますね。
それでふと考えたのですが、「哲学は何でないか」をあげていくことで「哲学とは何か」も分かるかもしれません。
今でてきたのが
「他人の思想を暗記するのが哲学ではない」
「哲学はイデオロギーではない」
「哲学は道具に関与しない」
ですが、もっと意見を募って理由も考察すれば何か分かる…かも(汗)

412 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 01:51:35
いや、哲学が何故生まれたか、哲学が何故必要とされたか、を考える事が哲学とは何かにつけてもおやつはカール♪

413 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 01:54:31
哲学を定義できたらノーベル賞もの

414 :Yukko:2006/07/15(土) 01:57:08
なるほど…
しかし哲学ってもともと必要があって生まれたものなのかな?

カールはあんまり好きじゃないです。口の中にくっつくから^^;

415 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 05:59:10
哲学に必要を問わない方がいいよ。
カレーライスをつくるのに、料理が必要なのかな?
と、問うようなもの。多分ね。

416 :未来からきました:2006/07/15(土) 12:59:51
現段階では人類は蒙昧に捕らわれており個の欲望を規準とした利益にしか価値観を見いだせません。
しかし、理に依って産みだされる価値は現状の価値と比較に成らない素晴らしい利を人類にもたらします。
人類社会が非人道的なシステムに依って賄われている為に哲学は存在します。
倫理は実存的価値判断では無く揺るぎない理を持って識別されるべきで有り、道徳も同様に社会規範などの曖昧な査定では有りません。
哲学は哲の文字が示す様に道理にあかるく成る事を目的にしなければ哲学とは申せません。
哲抜きの哲学では従来の哲学と同じで、同道巡りに終わり哲を悟る事ができません。
現代の辞書にも人が知恵を産みだす為に物事の理を悟ることが不可欠と記して有るでしょう。
道理にあかるく成ること、物事の理を悟り知能を育て本物の智恵を産みだし人生に活用すること、が哲学の目的です。
理を悟らずに本当の真理や論理、倫理に付いて語れますか?

417 :哲学者?:2006/07/15(土) 23:29:41
>>410あなたの見解に賛成ですし、そのような根源的難問を論文のテーマとして選んだことに敬意を表します。
(たぶんプラトンの宿題は、一生ものの課題になりますね。)

私は、価値と事実との統一について考える場合、次の二つを区別をすべきだと考えます。
価値と事実の区別が厳密に自覚されていない素朴な(統一)地平と、
価値と事実の区別が画然となされている上での(再)統一地平とを。
前者と後者の違いは、冷徹かつ合理的思考を獲得しているかどうかの違い、とも言えます。
次のようなのような弁証法的進化史として捉えるとよいと思います。
1素朴統一段階→2分離段階→1’分離かつ統一段階(再統一)






418 :考える名無しさん:2006/07/16(日) 08:35:55
あのねェ、いいの 本当にいいの いいのねいって こわいのよ

419 :Yukko:2006/07/16(日) 15:25:20
417さん
ありがとうございます。
私は、事実と価値を区別するのはそもそもおかしいという考えです。
先人たちの努力が無駄だったとは言えませんが、「昔の人の考え=未熟」と決め付けることはできないと思います。
古代から近代へと時代が移る過程で見失ったものも大きいのでは?
これから具体的な話を書こうと思いますが、まだ自分の中で十分整理できていないので時間がかかると思います。
よろしければ、その間に「区別した上での再統一」について詳しく話してくださるとうれしいですm(_ _)m

420 :Yukko:2006/07/16(日) 15:29:51
具体例その@

事実と価値の区別は、認識の主体(私、人間)と認識の対象(世界あるいは物体)の区別と大きく関わっていると思います(このような明確な区別は近代に始まったといえるでしょう)。
現代では主体と対象を対立させた上で「価値は人間(主体)の側にあるもの」と考えられています。
しかし、世界の側にあるものと人間の側にあるものを区別するのはそれほど簡単ではありません。
「美しさ」が人間の側にあるとしても、味や色やにおいはどうなのでしょう?
「味や色やにおいは人によって感じ方が違うから人間の側にある。
形や大きさは2つ以上の感覚器官で確かめられるから、ものそのものが持つ性質」
などと簡単に言えるのでしょうか?
人間は感覚器官を通して脳で判断することによってしか外部の世界のことは分からないので、結局はすべてが人間の側にあることにならないでしょうか?
感覚器官が2つになってもその辺の事情は同じです。

近代批判その@でした。

421 :哲学者?:2006/07/16(日) 23:43:01
>>419
>「昔の人の考え=未熟」と決め付けることはできない
条件つきで賛成です。以下をその条件としても読んでください。

「区別した上での再統一」の中には、「原始的無自覚的統一」も契機として含まれている、
と考えるのが、弁証法的ということの一つの含意ですが、視点によっては、以下のような問題も浮上してきますね。
それは、近代に忘却したものの再発見か、進歩か、という問題です。

価値と事実との統一にたいする自然な直観ということなら、古代人のほうが上でしょう。そういうものは、近現代人は、忘却した者であり、自覚的思弁によって迂回的に把握=取り戻していくしかない、と言えますから。
が、対象の精密な区別・説明能力・それに付加されてくる制御能力という点では、近現代人のほうが上、つまり進歩しているとみなせます。
だから、「分離区別の再統一」を、忘却されたものの取り戻し・自己回復とみなすか、進歩とみなすか、ということは、視点の問題ですね。
言い換えれば、たとえば、物事を説明できないけれども体で分かっている人と、体で分かってはいないが明晰に説明できる人と、どちらが上か、
という問題ですね。

私としては、「冷徹かつ合理的に事実を摘出できる思考の獲得」という面を重視したいと思います。
迷妄かつ偏狭なイデオロギー・常識を括弧に入れられる理性の運動こそ哲学の命だ、と考えたいからです。
だからといって事実と価値との統一地平が語れないなんてことはありませんし。

422 :哲学者?:2006/07/16(日) 23:54:43
>>420
全部賛成です。

どんなものの見え方・見方も、常にすでに気分・感応・価値感受が溶け込んでおり、言い換えれば、これらに媒介されています。
意識=現象に忠実ならば、事実と価値とは相互浸透している、と言うしかないと思います。

さらに論述深めていってください。楽しみにしていますので。

423 :考える名無しさん:2006/07/16(日) 23:58:17
結論としては、古代の哲学から自然科学、社会科学が分かれ、
その残り糟たる現代の哲学は、学問ではなく、文芸の一種。


424 :考える名無しさん:2006/07/17(月) 03:50:33
>>420
>事実と価値の区別は、認識の主体(私、人間)と認識の対象(世界あるいは物体)の区別と大きく関わっていると思います。

プラトンの場合、事実と価値を区別したというより、個物とイデアを区別してイデアが真の実在であるとしたということだと思うので、
これは「個」と「普遍」、「実存」と「本質」の問題だと思います。個物とイデアを分けて個物がイデアの「影」にすぎないと考えたプラトンに対して、
アリストテレスは形相は質量の中に「内在」すると考えることで、そのようなプラトン的二元論を克服しようとしたのだと思います。

>現代では主体と対象を対立させた上で「価値は人間(主体)の側にあるもの」と考えられています。
>人間は感覚器官を通して脳で判断することによってしか外部の世界のことは分からないので、結局はすべてが人間の側にあることにならないでしょうか?

デカルトが心と物とを何の共通点も持たない二つの実体と考え、さらにカントによって「主観」と「客観」が確立されたのだと思いますが、
『結局はすべてが人間の側にあることに』なると考えるのは、現代で言えば独我論のような観念論的な立場の考え方でしょう。
ただ、カントの場合は人間には認識不可能な「物自体」というものがあるので、現象と物自体の関係は、プラトンにおける個物とイデアの関係に似ている部分があると思います。

425 :考える名無しさん:2006/07/17(月) 21:32:02
否定作業が哲学

426 :Yukko:2006/07/18(火) 00:46:05
>>424さん
分かりにくい説明失礼しましたm(_ _)m

価値と事実はプラトンの話ではなく、近現代のことを書いたつもりでした。主観と客観のことも「近現代は全体的にこんな感じ」という程度のものです。

424さんはアリストテレスに詳しいのですか?私はあの人ちょっと苦手なので、もし詳しかったらいろいろ教えてくださいませm(_ _)m

プラトンとカントの比較、独創的ですね。私はカントの「物自体」は普通の物体だと思っていましたが。
↑イデアと物自体は全然違うと思い、それを説明しようとしたけれど…意外に難しいですね

427 :考える名無しさん:2006/07/18(火) 01:18:34
哲学とはあげ足のとりあい

428 :考える名無しさん:2006/07/18(火) 09:24:08
懐疑主義者の言葉遊び

429 :424:2006/07/18(火) 10:31:21
>>426
>プラトンとカントの比較、独創的ですね。私はカントの「物自体」は普通の物体だと思っていましたが。
>↑イデアと物自体は全然違うと思い、それを説明しようとしたけれど…意外に難しいですね

いえいえ、物自体は普通の物体のことではありません。
【物自体】『カントの用語。本体とも呼ばれ、経験を超越する対象。
経験に与えられる感覚の源泉として想定したが、認識は感覚を主観の認識形式で
加工したものと考えたため、物自体は《考えうるものではあるが、認識できぬもの》
とした。しかし、彼の実践哲学では自由の可能を保証するものとしての物自体、本体の
世界が要請されている』(岩波哲学小事典)。

カントが物自体と現象を区別したことがプラトンのイデア論に似ているというのは、
私の独創的な考えではなく、かなり一般的な考えだと思います。
哲学では『二世界説』と言われるものです。

【二元論 / dualism】
『相互に還元不可能な独立した二つの実体もしくは原理を認め、そこから
いっさいの事象を説明する立場。一元論および多元論に対立する。もっ
とも古い形態は光と闇(やみ)、天と地、善の神と悪の神などの対立を
原理とする神話的、宗教的二元論にみいだされる。形而上(けいじじょ
う)学においては二世界説となって現れ、プラトンのイデア界と感性界、
ライプニッツの可能界と現実界、カントの叡知(えいち)界と現象界な
どの区別がその代表例といえる。しかし、哲学史上もっとも影響力をも
ったのは、デカルトによる物心二元論、すなわち思惟(しい)を本性と
する精神と延長を本性とする物質との実在的区別である。』
(大日本百科全書)

430 :424:2006/07/18(火) 11:11:22
(補足)
カントがプラトン主義であったということは既にショーペンハウアーが指摘しており、
カントを高く評価した彼は、その二世界説を受け継ぎました。
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/schopenhauer.html

それに対して、ショーペンハウアーの影響を大きく受けたニーチェが、プラトンと
カントを二世界説を代表する思想家として激しく批判しているのは面白いと思います。

431 :考える名無しさん:2006/07/18(火) 20:28:44
哲学者研究会の始まりだよー

432 :考える名無しさん:2006/07/19(水) 10:28:09
>>431
少なくとも日本では《哲学研究》≒《哲学者研究》だよ。
そのことの良し悪しについては、何とも言えないが、
《哲学者》研究でない論文なんて書いても、
ほとんど相手にされないことは確かだな。

433 :考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:49:32
うーんちょっと補足が必要だな。
大森や永井や野矢は、哲学者の言及ほとんど抜きで、哲学本書いてるからね。
しかも、わりと売れてるし。
脱誰それ哲学論文は、やろうと思えばできると思うよ。そうとうな才能が必要だろうが。
学者は、そこまで冒険する余裕がないし、メリットも感じないから、やらないだけでしょ。

434 :考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:57:15
別にそんな珍しくもないんじゃね?


435 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 00:25:27
最近ではね

436 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 09:59:23
卒論の話が出てたから、そういうレベルのことを書いたわけなんだが・・
知らないけどおそらく大森や永井や野矢だって若いころは哲学者についての論文書いてたんじゃないの?


437 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 23:02:51
従来の哲学者は人類社会に如何なる影響も及ぼさなかったのだから因習の一つとしての価値しか認められません。
その因習に関与しない者達の書物には興味が有ります。

438 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 23:43:21
身内以外の誰にも読まれなくても、地道に研究を蓄積していく、ということにで満足してる学者もいるが、
いちおう公的研究者なら、社会の一般的コミュニケーションに参与し影響を与えるべきだと、個人的には思う。

439 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 23:46:52
>>436
卒論なんて普通どこの大学でも「なんでもあり」だろ。

440 :Yukko:2006/07/21(金) 00:35:21
>>421さん
なるほど、そういう意味だったのですね。納得です。
>>429-430さん
解説ありがとうございます!ショーペンハウエル、図書館から借りてきました。カント哲学への批判だけよんで理解できるかな…。

>>431-439さん
私は卒業したら就職するつもりなので別に相手にされなくてもいいです。
ただ4年間勉強した証となる良いものを書きたいと思っています。
確かに、先生には「もっと範囲を狭めて、きちんとテキストを精読したうえで書いたほうがいい」と言われたので、最終的にどうなるかは分かりませんが…

441 :考える名無しさん:2006/07/21(金) 00:52:57
>>437
つ デカルト
つ ロック

影響与えまくり

442 :Yukko:2006/07/21(金) 00:59:08
>>441さん
そうですね。今の社会で通用している法律や制度もほとんど哲学者が考えたと言えなくないですね

443 :考える名無しさん:2006/07/21(金) 01:03:17
結論:イギリス経験主義の流れを汲まない哲学は、寝言ポエムに過ぎない。

444 :考える名無しさん:2006/07/21(金) 08:03:56
MORE人気モデル高垣麗子
ブログに堂本剛ファンからの『死ね』『消えろ』『削除するな』『許せない』『答えろ』等の嫌がらせ・脅し書き込み多数、即削除。

二人は共通の友人を通じて知り合い、都内某カフェ、居酒屋等での二人の目撃談が井上公造の芸能サイトやブログ等で多数寄せられているが、堂本のラジオレギュラー番組、高垣のブログではこれについてノーコメント。高垣は堂本のライブでも目撃されている。

445 :考える名無しさん:2006/07/21(金) 08:07:32
法律は支配層が大衆を取り締まる為に作られたもの、
戦争や、それを行う悪政を取り締まる法律はないよ。

446 :考える名無しさん:2006/07/22(土) 00:19:23
ヒント:革命権

447 :考える名無しさん:2006/07/22(土) 02:54:00



729 :名無しチェケラッチョ♪ :2006/07/17(月) 02:52:29 ID:hjR2IeQV
よく通りかかる同人誌売り場前で瀬古昌弘を見かける
アニキャラのエロイラストが陳列されているショーウインドを覗きながら一人
手を叩いてヨダレをたらしヌーボーモエーとか言って笑い続けている事が多い
ほぼ毎日そんなことをやっているそうだ



448 :考える名無しさん:2006/07/22(土) 03:40:16
仕事しろカスども


449 :考える名無しさん:2006/07/22(土) 07:06:13
>>448
日も出ていない早朝から仕事とは熱心なことだ。

450 :考える名無しさん:2006/07/22(土) 07:21:10
ヨダレをたらしヌーボーモエーとか言って笑い続けているのが仕事ですかね?

451 :考える名無しさん:2006/07/22(土) 18:34:10
それが哲学の深奥じゃ

452 :考える名無しさん:2006/07/22(土) 18:39:01
私は人生に参加したい

453 :閃影 ◇&rlo;心尊自&rle; ◆w2PJmSENSE :2006/07/22(土) 18:42:41
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1151607265/1-2

454 :考える名無しさん:2006/07/23(日) 22:51:43
哲学って現実逃避そのものだと思うのは俺だけ?

455 :Yukko:2006/07/24(月) 00:04:59
前の方へのレス兼自分の考える結論

私は、哲学が単なる言葉遊びであるとは考えたくありません。
私たちが言葉を使わないで考えることはできない(と一般に思われている)以上、言葉が世界を反映していなければ、哲学によって世界を知ることはできないということになってしまいます。
そうなれば哲学は言葉遊びでしかないことになり、私たちの思索は無意味になってしまいます。
だから、哲学をする際には「言葉は世界を反映している」「言葉は信頼できる」ということを前提にしなければならないと思うのです。
今のは論証ではなくただの願望というか要請です。
先に結論部を書いてしまって申し訳ありませんが、最近私がこのスレに書いている考えを追求していくとこのような場所に行き着くと思います。

456 :Yukko:2006/07/24(月) 00:21:50
前の方へのレス兼次の考察の準備

価値と事実の分離は、哲学者?さんも指摘されたように、自然科学の誕生と大きく関わっています。
では、科学はどのようにして誕生したのでしょうか?
この話をする前に用語を確認しなければならないのですが、「存在」と「本質」は本来同じ意味です。
(本質は英語でessenceですが、これはラテン語のbe動詞であるesseからきています)
そして、「本質」とは「〜とは何か」という問いに対する答えです。
プラトンにとってはこれがイデアだったと言うことができるでしょう。
「善とは何か」ときかれれば、答えは「善のイデア」であり、当然それは実在するものでした。
ところが、ある時期から「そういうのは名前に過ぎない」という議論が起こりました。
たとえば、あるのは個々の美しいものだけであって、それとは別に「美そのもの」が実在している訳ではない、と言うのです。
この辺の議論が面倒臭くなった科学者は本質について考えるのをやめ、物体相互の間にはたらく力のみに着目して研究を始めました。
言い換えれば、科学は本質を無視することによって始まったのです。
だから科学者はりんごの落下速度を測ることはしても「そもそもりんごとは何か?」と考えることは絶対にしないのです。
科学はある一方向から見た真理と言えるでしょう。

457 :Yukko:2006/07/24(月) 00:29:15
>>454さん
たぶんそう思うのは454さんだけではないと思いますよ。
ある哲学の授業で読まされた文章ね最初の一文が「毎日逃げなさい!」でしたから。
個人的には、一度現実から逃げることでより現実が見えるようになるのだと思います。

458 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 04:39:47
科学の基礎付けが為された時点で哲学の役目はほとんど終わったようなもんだ

459 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 15:10:51
哲学は諸学の源です。
哲の心を持たず見いだされる科学は人類に害を及ぼしても何の益ももたらしません。
哲の心は人間の知能を司る大切なものです。

460 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 15:17:12
哲の心?


461 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 15:40:26
(o・ェ・o) ぼく、ドラえもん

ドラえもんを知らない人は、日本にいるのだろうか?

と思うほど、絶大な人気を誇る『ドラえもん』
その人気は日本だけにとどまらず世界各国で翻訳され
アニメ放送されているという。

そのドラえもんの作者が言わずとしれた
『藤子・F・不二雄』さんである。

ある日、藤子さんは子供からこんな質問されたことがある。
『ドラえもんが願いを叶えてくれるなら
なにを叶えてほしいですか?』と。

それに対し、藤子さんが何と答えたかは
これからご覧頂きたい。

ドラえもんの親が藤子さんで本当に良かったと思える
素敵なインタビューであった・・・

http://www.youtube.com/watch?v=umNjrwauDeo

462 :考える名無しさん:2006/07/24(月) 20:12:32
哲とは道理にあかるいこと、道理にあかるいこと、とは物事の理を悟ること。
物事の理を悟る、と人間の知能が育ち正しい智恵を産みだせる、と言うこと。
哲の心を持つとは人類を含む全てに害を及ばさぬ智恵を産みだす人間で有ると言うこと。



463 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 11:26:48
じゃあ、その哲の心を持つために
いろいろ考えることが、哲学?

464 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 13:31:20
>>456
プラトンがイデアを真の実在としたこと、そしてそれに対して中世に、普遍よりも個物を
重視する立場の人たちが現れたこと(普遍論争)はその通りですね。
ですが・・・
>この辺の議論が面倒臭くなった科学者は本質について考えるのをやめ、物体相互の間にはたらく力のみに着目して研究を始めました。
>言い換えれば、科学は本質を無視することによって始まったのです。
は違うでしょう・・・

自然科学の始まりは、近代的「主観」が確立すると同時に、対象を「客観」的に
観察することが可能となったことに基づくと思います。
(個人的には『哲学入門以前』川原栄峰著がとても分かりやすかったです)


465 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 13:53:33
「本質」は妄想

466 :考える名無しさん:2006/07/25(火) 17:49:07
哲の心を持つ=物事の理を悟る=知能が育ち智恵を生みだせる、その智恵を人生に活用する=哲学
哲学は知識を集め吹聴することでは無く、人の心に潜在する知能を育て智恵を産みだす為に道理にあかるいこと、の哲を目指すのが哲学の道です。
哲学を別名、愛智と言いますが、それは智を愛する事では無く、哲の心を会得する段階に於いて揺るぎない人間愛の確立に依って大きな探求心が生まれる事を指しています。
誰でも自分に智恵が有ると思い込んでいますが智恵は道理にあかるく成り、物事の理を悟らなければ知能が育たず智恵も産みだせません。
智恵を産みだす母体の知能を育てなければ知能の子供の智恵は産まれません。
智恵を持たぬ者達が千人、集まって哲学に付いて語っても答えはでませんよね。




467 :Yukko:2006/07/25(火) 23:01:57
>>464さん
ご指摘ありがとうございます。とても参考になりました。
自然科学の始まりが「主観」の確立に基づくという話、その通りだと思います。
しかし、近代科学においては本質を考えなくなったことも無視できないと思います。(本質の話は授業で先生が話していたと記憶しています)
『哲学入門以前』、今度図書館で探してみますね!

468 :Yukko:2006/07/25(火) 23:14:14
>>466さん
何か新しいこと(中国思想から来ている?)をおっしゃろうとしているみたいですが、私としてはまだ実感が湧きません。
まず、「道理(=物事の理、ですよね?)」という言葉をどういう意味で使っているのでしょうか?
そして、道理に明るくなるためにはどうしたらいいのでしょうか?
466さんの書き方では、道理に明るくなることがすべての出発点で、それがなければいかなる知的な営みも始めることができないようですが?
私の読み方が正しいとしたら、そもそも出発する(=道理に明るくなる)にはどうしたらいいのですか?

469 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 03:06:14
「道理にあかるくなる」
なんかいいなこの言葉。
普段聞かないフレーズで、新鮮。

470 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 15:54:21
理=正しい心の在り方、悟る=理を常に意識する心(道理にあかるいこと、の哲と同じ)
理を悟る、とは人が知能を育て智恵を産みだす為に欠かせない行為です。
しかし人類史の全ては力を崇拝し理を否定する蒙昧意識に依って賄われています。
哲学に於いても知識を収集する記憶力を智恵と思い込み、哲を放棄してしまい人は数千年にも及ぶ無意味な時を過ごしています。
>人類は道理にあかるく成らなければ如何なる知的な営みも始める事はできない、と成りますね。
人類が道理にあかるく成らずに知的な営みができれば不合理と言う事に成ります。
道理にあかるく成るには「ものごとの是非、善悪を明確に弁別する心を養う」事で達成します。



471 :考える名無しさん:2006/07/26(水) 16:07:23
哲学は考えること、その行動のことを言うと思う。
哲学の本とか論文は、自分がどのように考えたかが書かれているし。
論理的なことが条件だけど。誰も理解できないから。

472 :哲学者?:2006/07/27(木) 23:40:16
>>456
科学にある、世界には単純な原理が存在するという信念、全体を括弧に入れて部分的精査・分析を徹底すればよいという考え方などは、
古代ギリシャ的精神・思考から受け継いだものであり、ある面ではその進化形態だとさえ考えられます。
これとは対照的に、全体や関係を重視し世界を複雑に考えるような思想(例えば東洋思想)からは厳密な科学は生まれませんでした。
もちろん、科学が古代ギリシャ的思想から受け継がなかったことも多く、あくまでもその一面だけが深められたわけですが。

473 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 01:33:42
> 世界には単純な原理が存在するという信念

科学者の前でいてごらん、プッと噴出されるからw

474 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 01:42:04
理学部の教官と話せば判ることだが、「世界には単純な原理が存在するという信念」を
抱いている科学者の方が少数派だよ。

事実と思い込みを混同するようでは哲学者と言えない。

475 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 03:21:10
哲学入門書にそう書いてあったんでしょ。鵜呑みするかねぇ〜

> 世界には単純な原理が存在するという信念

476 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 03:54:34
世界は複雑に見えてもよく観察すれば誰でも理解できるほどに単純である。


って解釈すればそれほどおかしなことでもないような気がしますが、どうでしょう?

477 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 04:37:28
世界を観察すればするほど複雑怪奇な面が見えてきますが?

478 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 04:56:35
それはまだ観察の一過程に過ぎない段階からかも

479 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 04:59:37
たわごと

480 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 05:13:05
を徹底的に考え抜くことが哲学

481 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 05:19:40
観察もせずに考えるのは妄想か信仰だろ。少なくとも哲学ではないなぁ。

482 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 09:42:11
>世界は複雑に見えてもよく観察すれば誰にでも理解できるほどに単純である。
この言葉は信念では無く真実です。
歴史も現世界も全て人の心が創り上げる事象ですから別の言い方をしますと、
人の心は複雑に見えても、その仕組みさえ分かれば誰にでも理解できるほど簡単です、
と成りますね。


483 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 13:17:04
>>482
真実は観測者の数だけ存在する。

おまいには本質というのが理解できないんだろう。
まず、「本質」という文字を辞書で調べてみるべきだ。

>人の心は複雑に見えても、その仕組みさえ分かれば誰にでも理解できるほど
その解説だと複雑さの根源の仕組みすら理解していないようだな。


484 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 13:19:56
> この言葉は信念では無く真実です。

つまり信仰だということ

485 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 15:37:09
>>483
辞書的意味にとらわれすぎている。

486 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 17:40:20
観測者が何人いても真実は一つだけです。
智恵が無ければ簡単な物事も複雑にしか捉える事ができません。
人の心も智恵を持つ者には簡単で智恵を持たぬ者には複雑怪奇ですね。



487 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 17:58:14
本に書いてあることを丸呑みする人はキチガイだろ

488 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 18:04:39
現実に目を向けない人には単純明快に思えるんですよ。
現実に目を向けると単純明快なはずな世界像が破壊されちゃうから、
こういう人は現実との関わりを徹底的に回避します。
こころの病だと思っておけばいいです。

489 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:14:17
現実に捕らわれ真理から目を背けたのでは理を悟る哲学は無理です。
何故なら、権威と結びついた既存の非合理的思想を擁護し、自由で合理的な思想に反対する蒙昧主義の意識だからです。
人は道理にあかるく成らないと生涯、無知蒙昧で終わるしか有りません。
現実を見つめながら現実に捕らわれず真理を見いだす、これが哲学です。
社会に愛想を尽かし、現実との関わりを徹底的に回避する人の事は隠者と言います。



490 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:23:43
人は蒙昧意識が産みだす自我に捕らえられ乍らも、安定した平和を望む生物です。
従って「人の本質は安定した平和を望む生物で有る」と成ります。


491 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:29:00
>>489
そういう哲学者がいましたね。樽に入ってた人。
誰でしたっけ?

492 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:30:36
>本に書いてあることを丸飲みする人はキチガイだろ
書物から知識を集める場合は、その間違いと伝えようとする真意を読み取る智恵が必要です。
他人の考えを読み覚えて吹聴するほど愚かしい事は有りません。

493 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:42:45
はいはい、言葉遊び、言葉遊び

以降は放置しますのでご自由に

494 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 21:49:02
ディオゲネス

495 :哲学者?:2006/07/28(金) 22:43:47
>>473>>474
残念ながら全くの的外れです。「単純な原理」を必要以上に単純に解釈しすぎですよw
が、私の説明不足なら、申し訳ありませんでした。

物理学で言えば、古典物理学だけではなく現代物理学でさえほとんどは、単純な原理と言えます。
(まだ発展途上の)複雑系科学になってやっと、単純ではない、と言えるのです。
現状では、自然科学で複雑さや全体を具体的に重視しようとしてる人は、まだまだ多くはありません。
物理で言えば、理論物理学の一部の人だけですし、複雑系などを真剣に研究している学者もそれほど多くはありません。
まだ複雑系科学をトンデモ扱いする学者がいるくらいです。
「部分の観察・精査をし単純な原理を見出せばよい、全体や複雑な諸関係はとりあえず捨象してもいい」という視点を取りえたからこそ、厳密科学が発明され、しかもここまで成功できたのだ、というわけです。
これとは対照的に、世界は複雑な諸関係の総体であり、部分だけ抜き出しても何も分からんよ、と達観していたインド思想などは、厳密科学を立ち上げられませんでした。
皮肉なことに、現代になって、一部の学者(例えば物理のハイゼンベルク)が、インド思想などに注目し始めたのでした。




496 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 22:54:12
> これとは対照的に、世界は複雑な諸関係の総体であり、部分だけ抜き出しても
> 何も分からんよ、と達観していたインド思想などは、厳密科学を立ち上げられませんでした。

詭弁だと気づいてる?
インド思想の延長で厳密科学を立ち上げることが可能だったか否か、という命題は、
西欧の影響を排除した状態で数千年にわたってインドを観察し続けなければ
ならないんだけど、今となっては無理。

安倍晋太郎が総理・総裁になる前に病没したことをもって
「彼は総理の器ではなかった」と決めつけるようなもんだよ。

497 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:08:17
世界が「単純な原理」で統御されていると信じている自然科学者はいないんじゃないの?
物理屋に話をきいたところでは、量子力学ひとつをとってみてもまだ未解決な大問題はあるということだし、
数学屋に話を聞いても基本的な大問題で未解決なものはゴロゴロあるみたいよ。

きれいに整理された場所だけを眺めているから単純に見えているだけじゃない?

498 :哲学者?:2006/07/28(金) 23:13:11
>>496
論理的可能性と現実的可能性とを混同していますね。
論理的可能性なら何とでもいえますよ。
例えば、共産主義が世界を支配する可能性、日本がアメリカを属国にする可能性などね。
1足す1が2にならない可能性はないですが。



499 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:16:16
区画・整地された住宅街を見るか、開発中の丘陵地を見るかの違いだろ。
フロンティアはいつの時代もワイルドだ。
住宅街は面白みは無いが安全・快適に暮らせる。

500 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:22:29
今の科学をマラソンに例えると10km地点を過ぎたくらいでしょ
スタートで出遅れたくらいでインド思想を全否定するのはおかしいよ
数物系の研究では既に日本を追い越しているしね

501 :哲学者?:2006/07/28(金) 23:25:19
>>497
単純という言葉をどういう意味で使うかによって、話が違ってきます。
あなたの言うことは、私の論脈とはずれていますが、間違いではありません。
とにかく、よく理解してから批判してください。私の言う「単純」とはどういう意味かを。
現状では、単純系科学が主流であり複雑系科学はまだまだ異端です。


502 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/07/28(金) 23:27:46
みなさん哲学してますね。まさにザッツ哲学!です。
考えずには言わずにはおれないものであり、このスレそのものです。
ザッツオ〜ル!

503 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:30:42
>>500
インドは伝統的に抽象数学が得意だよ。コミュニケーション能力でも日本人より遥かに上。

>>501
科学者は単純系科学、複雑系科学なんて分類をしない。なぜなら、無意味な言葉遊びだから。
学部生向けの入門書を読むとか、数学科、物理学科の講義を受けるとかせずに、
脳内イメージだけで語ってるなぁ。

504 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:36:46
単純系科学って何だw

数物系なら可換⇔非可換、線型⇔非線型とかの分類の方が普通だろ

505 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:44:39
>>503
単純系と複雑系との区別はものすごく重要です。概念的に。
学者の間では、複雑系的方法論を科学とみなすかどうかさえ意見が分かれているほどです。
ただし、複雑系という分野は、多様であり、まだ学問として統一されてないので、自分が複雑系学者だと線引きしない学者がいることは確かに事実です。(このことが言いたかったのですか・・)
しかし残念ながら、言葉遊びでかたずけられるほど曖昧でもありません。現に複雑系学会もありますよ。

506 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:46:10
オレは線型代数のジョルダン標準形で躓いた。こんなオレには科学を語る資格が無い。
みんなはオレの分まで頑張ってくれ。

507 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:49:51
>>504
それは単に不勉強だから、雑学本か辞典か教科書で調べてください。
興味ないならどうでもいいですけど。


508 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:51:49
単純系科学・複雑系科学という分類は、何に関する分類のつもりですか?
研究対象や研究に使う道具が異なるとしても、実験・観察に基づいて仮設を提唱し、
実験・観察に基づいて仮説を検証する、という点では何ら差異はないはずです。

> しかし残念ながら、言葉遊びでかたずけられるほど曖昧でもありません。現に複雑系学会もありますよ。

学会云々は冗談話にしかなりません。UFO学会だってある時代ですよ。

所詮は言葉遊びだ、という指摘に対して何ら有効な反論を提示できていませんね。

509 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:54:23
理系の大学教官に単純系科学、複雑系科学という言葉の意味を聞いてみろ。
誰も答えられないからw

理系の大学教官に単純系科学、複雑系科学という言葉の定義を説明してみろ。
誰も納得しないからw

510 :考える名無しさん:2006/07/28(金) 23:59:09
>>509
単純系科学とか複雑系科学なんてのは、科学を知らない人が
乏しい知識の枠内で納得するための方便でしょ。ほっとけばいいんじゃない?

科学者自身が自分の仕事のことを「単純系科学」なんて呼ぶわけないじゃん。
外野の門外漢が勝手にレッテル張りしてわかった気分に浸っているだけ。つまりオナニー。

511 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:17:33
単純系とかたわけた造語でもう一方までないことにしてはいけない。
単純系科学なんて言葉はない。
複雑系という言葉は無意味なものでなく、
今でも胡散臭がられてはいるが、既存の学問分野でれっきとした業績のある人でも
複雑系に関心を持っている者はいる。

512 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:19:07
>>508
複雑系の視点は、以下のようなような現象に注がれます。
例えば、時間変化する法則、多数の変化する要素間の相互作用、をイメージしてください。
単純系では不定性や多要因の相互作用は捨象します。
具体的には、生命とか株式市場とか社会がいい例でしょうか。

あなたは、何にこだわって受け入れようとしないのか分かりませんが、
あなたはまる理解する気がなさそうなので、もうこの話やめます。
でも、その気があるなら、本でも紹介しましょうか? このくらいなら最後に付き合いますよ。
専門ではない私などよりきちんと説明できる先生の本ならいいでしょ。

513 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:20:07
プラトン的「本質」と、カント的「観念」を混同して語ってるアフォが混じってるな。


514 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:26:43
>>511
それはむちゃですね。単純系は造語ではありません。うそだと思うなら調べてください。

単純系という言葉は、複雑系という言葉と同時にできたものでしょう。
つまり、複雑系の側から見出された区別です。
が、複雑系を科学とみなさないなら、単純系科学というより、科学=単純系と捉えることもできますね。


515 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:28:04
> 具体的には、生命とか株式市場とか社会がいい例でしょうか。

ああ、非線型系のことね。それなら最初っから科学用語で話せばいいんだよ。
単純系科学・複雑系科学なんて造語を使われても、科哲の人には通じない。

516 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:29:42
どうでもいいけど>>508の質問が一番まとまっているんだから、>>508に答えろよ。

 単純系科学・複雑系科学という分類は、何に関する分類のつもりですか?
 研究対象や研究に使う道具が異なるとしても、実験・観察に基づいて仮設を提唱し、
 実験・観察に基づいて仮説を検証する、という点では何ら差異はないはずです。

517 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:41:23
>単純系という言葉は、複雑系という言葉と同時にできたものでしょう。

それこそ素人が勝手に生み出した言葉ではないでしょうか?
少なくとも科学者は「単純系科学」なんて言葉は使わない。
複雑系は、典型的な方法論が確立されていないために便宜的な総称のように使われているけど。


518 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:46:35
>>515>>516
まるで理解しようとしてませんね。512で例を挙げたのに。
最後の情けで、単純にまとめときます。
要素間還元主義では説明できない対象・現象が複雑系
非線形もカオスも、複雑系の一部に過ぎないですよ。

空疎なあげあし取りする前にきちんと調べてくださいよw
ちなみに複雑系という言葉は国語辞典にさえありますよ。
ほんとに、調べればいいだけなのに・・・

519 :通りすがり:2006/07/29(土) 00:49:03
マクロかミクロかでしょう。
自然科学者の用語に振り回される必要もないでしょう。

単純化したいという志向は、端的に、「分類」という手段を用いること自体に現れています。
応用的あるいはマクロ的な志向とは、単純化されたものを再び組織化することです。

方向性の違いがその差異となって現れるのでしょう。

520 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:51:14
>物理屋に話をきいたところでは、量子力学ひとつをとってみてもまだ未解決な大問題はあるということだし、
>数学屋に話を聞いても基本的な大問題で未解決なものはゴロゴロあるみたいよ。

単純系という言葉は聞いた事がないが、
単純な原理が背後にあるはずだと言う信念が、数学や理論物理を発展させてきたし、
これからもそうであると思っている人は多い。
だから、例えば4色定理などは、今ある解答では解とはみなされず、
より一般化された定理の解決に取り組んでいる人が今でもいる。
ループ量子重力理論なんてものが現れるのも、より単純な背後原理を探し当てようという動機からだろう。


521 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:53:53
>>518
>>516の質問については答えていないようだが。

結局のところ、きみのいうところの複雑系科学というのは「複雑系」という昔からある
一分野のことであって、観察・実験に基づいて仮説を提唱し、観察・実験に基づいて
仮説を検証する、という点では科学そのものだね。

単純系科学・複雑系科学という用語自体が詐欺的だな〜

522 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:55:07
>>517
そんなことは、505に書いてありますよ。
よく読んでから批判しましょう。
お願いだから、きちんと調べてくださいね。



523 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 00:59:27
要するに

”複雑系”について表層的な理解しかしていない人があれこれ書き散らして、良く知っている人たちを惑わした

ってことでFA?

524 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 01:07:35
>521
複雑系ができたのは二十世紀後半だよ。
というのは、コンピュータが複雑系研究をひらいたから。
単純系は、複雑系と区別される領域の呼称。特別なジャーゴンではない。
たんに複雑系と区別される系という程度のもの。
複雑系を科学と認める学者もいればそうでない学者もいるのが現状。
だが、重要性は徐々に認められてきている。

525 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 01:17:31
>>524
> 複雑系ができたのは二十世紀後半だよ。

大昔からあるんだねw
何をいまさらという感じがするww

> 複雑系を科学と認める学者もいればそうでない学者もいるのが現状。

科学であるか、科学でないかの二者択一。
カオス理論や複素力学系の研究であっても、
仮設の提案・検証という原則を守っている限りでは科学と見なされているが、
そうでない連中は似非科学として退けられている。

君はものを知らなさ過ぎる。

526 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 01:26:00
複雑系という言葉を最近になって覚えて、ロマンを感じている人がいるってことでFA?

ジュラシックパークに登場する数学者の専門はカオス理論だったな〜
英語で発音するときは、ケイオス・セオリーだ。
しっかりと「ケイ」にアクセントを乗せることが肝要

そういえば広中先生もマンデルブローのフラクタル幾何学を監訳してたな〜
一万円くらいした記憶がする
40代以上ならストレンジアトラクターという言葉にロマンを抱いたことがあるはず

広田先生もポケコンで非線形方程式を解きまくって、
非線形波動の研究をリードしてたな〜
そういえばソリトンって会社は最近何をやってるんだろう・・・



527 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 01:32:29
複雑系を延々だべっている割に、かんに障ると相手を罵る・小馬鹿にする。
これが本当の単純系。

528 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 02:46:07
だが、それが現在の哲学の姿である

529 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 02:54:09
科学啓蒙書を読んで複雑系に目覚めたロマン君

ああ、あなたはどこに行くのでしょうか

530 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 03:22:34
だが、それが現在の哲学の姿である


531 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 07:36:09
少なくとも哲学を解して話し合うので有れば、互いに互いを高め合う事を前提とするべきです。
読み覚えた知識を吹聴し合う、みっともない会話は己の意識を蔑むだけですよ。

532 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 09:00:35
哲学とは現象を定義と論理に分解する学問だと思うが、
その大原則を理解しないで哲学をやってるのはただのバカ。

533 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 09:01:27
だが、それが現在の(ry

534 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 13:25:26
定義は大事だよね。
言語以外に相手に伝える方法がないわけだから。
見つめ合うだけで分かり合えたら幸せだろうに。

535 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 14:31:58
啓蒙書をいい加減に読んで判った気分に浸るのは個人の自由だけど
「自分が第一人者」みたいな感じで周りを小馬鹿にする奴は死ぬべきだろうな。

ど素人が専門家を馬鹿にするってのは余程のバカだと思うぞ。

536 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 14:39:04
だが、それが現在の(ry

537 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 14:40:06
そんなやついない

538 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 14:59:54
昨晩の複雑系ロマン君か
複雑系という昔からの一分野に今頃注目するあたりがいかにも廚という感じだった。
さらに、単純系「科学」⇔複雑系「科学」などと、あたかも科学のパラダイム転換で
あるかのように持ち上げるのは、ログを読み返してみても痛すぎる。

哲学をやっていれば科学全般を通観しているはずだから、複雑系ロマン君のような
おバカなことにはならない。浪人生か3流私大の理工系学生が正体だろうな。

539 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 15:36:14
>哲学をやっていれば科学全般を通観しているはずだから

すごい思い上がりだ。
ついでいにいうと、達観している人間が他人を中傷している(笑
すごい達観ぶりだ。


540 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 15:50:32
科学を通観できていない奴は哲学をやっていないことになるね









その通りだと思う。
そういう奴は所詮は思想書ヲタ・哲学者ヲタでしかない。

微積分・線形代数・関数論などの初歩的な数学や
量子力学・相対性理論などの基本的な物理もわからずに
科学を論じたがる低脳どもが多すぎる。
そういう輩を追い出すのが哲学界の課題だ。

541 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 16:07:10
通観≠達観
日本語勉強しろ>539

AならばB は ¬Bならば¬A と同等
論理学勉強しろ>539

542 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 22:53:26
>525
それ別に反論になってないんだけど・・・
けど、きちんと調べただけでもいいことだよ。






543 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 23:01:06
まず、哲学と科学ってさ、違うものでしょ

544 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 23:11:37
科学が判らないから哲学に進んだ
でも、科学への憧れが捨てきれないから、あれこれと言ってみたくなる

こんなところかな

545 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 23:12:10
哲学?
ヨーロッパの学問でしょ。

546 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 23:15:25
日本発の学問て何だっけ?

547 :Yukko:2006/07/29(土) 23:16:15
いつのまにかレス数がすごいことになってますね…
とりあえず>>472に戻るとして…
私が>>456を書いたときにはまだ「全体」とか「単純」とかは考えていなかったのですが、
>>472さんがこの言葉を使ってくださったことでより明確にこの問題を考えることができそうです。ありがとうございます。
単純系・複雑系の話はまだ議論の途中みたいなので(いや、もう解決したのですか?)今は置いておくとして
言われてみれば、(ものの本質に言及しないで)現象相互の関係にのみ注目する近代科学の考え方は、全体を括弧に入れていると言えますね。
このことと、近代科学において実験(=全体を括弧に入れ、ある現象だけを取り出して観察すること…ですよね?)が重視されるようになったことには連関があるのでしょうか…
ふとそんな疑問を思い付きました。

548 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 23:18:56
>>546
なんでそこに「日本」が出てくるのか、さっぱり解らない。


549 :Yukko:2006/07/29(土) 23:49:01
それから、近代科学の考え方は古代ギリシャから受け継がれているという話ですが、
確かに、アナクサゴラスは人間の行為の原因について
「(ソクラテスが牢獄にいるのは)われわれの身体は骨と腱からできていて、腱は伸び縮みができて、肉や皮膚とともに骨を包み
…腱が伸びたり縮んだりすることによって、脚を曲げることができ、この原因によって僕はここで膝を折り曲げて坐っているのだ」
(プラトン『パイドン』より)
的な説明をしていたみたいですね。
やはり近代科学みたいな考え方は昔からあったのでしょうか…だとすると始めに考えていたことがうまくいかないなあ(汗)


550 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 23:52:10
>548
学問なんてほとんど欧米のもんでしょ

551 :Yukko:2006/07/30(日) 00:01:37
でも一応自説の擁護を試みることにして…

ソクラテスはこの説明に失望しました
(彼が求めていた真の原因の説明は「アテナイの人たちが僕に有罪の判決を下すのが善いと思い、
僕がかれらがどんな刑罰を命じるにせよそれを受けるのが正しいと思ったことが、僕がここにいる真の原因なのである」というものだった)
が、私がこれを読んだときは「ソクラテスが一度でも倫理的な問題を自然学に求めたことは注目に値する」と思いました。
現代の人なら自然科学によって道徳的問題が分かるなんて考えないだろうし、
昔の人はそういう発想を持っていたのかなあ、と思ったのです
(ここから余談)
卒論ではやっぱりパイドンにしぼって「哲学とは何か」を考えようかな…
哲学専攻に進んで一番よかったのは『パイドン』とそれを解説できる先生に出会えたことだと思う

552 :哲学者?:2006/07/30(日) 00:12:50
>>547
あなたのようにきちんと思考できる人だと議論のし甲斐がありますね。
それでは本題に入ります。
何らかの単純な法則があるはずだ、という視点で眺めるからこそ、実験をして確かめるという考えが生まれるのではないでしょうか。
しかし、単純な工学だけなら別の文化圏にもあり、古代ギリシャ思想の影響とまでは言えません。
工学的技術の発明だけで終わらず、原理の解明=科学にまで徹底できたというポイントがあるからこそ、古代ギリシャの精神・思想(の一部)を受け継いだとみなせるわけです。

部分の単純な物事を取り出せるからこそ実験ができるのです。
だから、はじめに全体や複雑な相互作用を考えてしまうと、何をどう実験してよいのかさえ分からなくなるでしょう。例えば、社会現象の実験は不可能ですよね。
しかし、観測や実験装置などの技術に比例して、より複雑な実験は可能になるでしょう。
そして、新しい装置=技術としてコンピュータが現われ、それによって複雑な現象の実験(シミュレーション)ができるようになり、複雑系研究が生まれたのだとみなせます。
(極端に言えば、ある種のインド思想は最初から複雑系を見ていた、とみなせるかもしれません。)

科学の、実用(=工学)的目的を越えてまで実験をして原理解明をしようとする過剰さにこそ、古代ギリシャ思想の継承・影響が見て取れるのではないでしょうか。

553 :哲学者?:2006/07/30(日) 00:20:17
>>551
私は古代ギリシャ哲学には深入りしていないので誤解があるかもしれませんが、
矮小化にまみれたプラトンをいかに現代的言葉に翻案するか、が重要だと思います。
現象学以降でさえ、読みようによっては、西洋哲学の核ですからね。
さらなる敷衍期待します。



554 :哲学者?:2006/07/30(日) 01:13:08
>>547
複雑系を科学の対象とみなすかどうかについて、学者でも意見が分かれているところにも、
単純な要素への分解・要素還元主義・単純化が、科学の本質でありキーポイントであることが分かるでしょう。




555 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 03:31:34
これは自分のイメージの話なんだけど

自分は紙にずっと線をひかなければいけない。
鉛筆を捨てそれをやめ、虫眼鏡で線を覗くのが哲学。
要するに自分のやった事がわからない、もしくは自信がもてないからそういう事をする。
さらに引いている線は一本じゃないからややこしい。まんこ。

556 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 14:30:07
哲学の文字通りに道理にあかるいこと、を目指して物事の理を悟る事に専念してご覧なさい。
物事の理を悟れば知能が育ち全ての問題を正しく処理する智恵を産みだせます。
哲学は理に反する意識(考え方)を理にそぐう意識(考え方)に変換し、人生に応用する事です。
物事の理を悟らず無知蒙昧な白雉状態では、何を語り合っても何も産みだす事はできません。
何事にも順番が有り、人が知能を得た人間として生きる為には理に通ずる心を育てる事がスタートラインです。





557 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 14:46:54
> 複雑系を科学の対象とみなすかどうかについて、学者でも意見が分かれているところにも、

分かれてない

558 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 15:44:52
> 複雑系を科学の対象とみなすかどうかについて、学者でも意見が分かれているところにも、

大丈夫か、オマエ。


559 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 16:41:51
>>558
どうみても、現状では、分かれているというほうが正しいと思う。だから複雑系科学という言葉は正式に使われてはいない。(もちろん、決めかねている、無視している、という学者もいる)

なぜ、複雑系の研究を科学とみなすかどうかについて学者間で統一見解がなくてあいまいなのかというと、科学観が単一ではないから。
複雑系研究を科学とみなさないのは、ある意味で、社会学を厳密な科学とはみなさない人がいるのと同じこと、
確率論がきちんとした学問とはみなされない時代があったのと同じこと。
言い換えれば、複雑系の問題は、科学哲学の問題ではあるが、現実的には、時代の思想やパラダイムという文脈によって決まる問題である。

560 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 16:49:57
559の補足
複雑系の研究にどれほどの実用可能性があるのか、実際にどれほどの研究成果が出されたのかということも大きく関わってくる。

561 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 17:44:23
>>559
>複雑系という言葉は正式に使われていない
言葉の問題ね
ジャーゴンとして正式に使われてなくても、一部であれ科学者などの日常会話の中で、
その区別が使用されて意味が通じ、ある程度の学問的コミュニケーションが成立するなら、
本質的には、正式不正式なんて関係ないよ。正式だという認定は遅れてなされることもしばしばみたいだから。
科学者に重要なはずの科学哲学の議論やジャーゴンも、多くが相手にされてないからね。そしてかなり後からほんの少しだけが、その重要をが認定されたりする。


562 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 17:53:16
科学者と科学哲学者とは、科学についての捉え方が違う。
リアリティの焦点がズレている。
科学者にとって、科学哲学による説明は、何それ関係ない、という感じ。

563 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 18:50:04
>>1

D&Gでしょ?

564 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 19:57:26
複雑系科学というくくり方が詐欺的だ。
仮説構築&検証というお作法を守っていれば科学だし、お作法を守っていなければ科学ではなく似非科学だ。
「複雑系科学」とは具体的にどのような分野のことかは>>559自身が明示しない
限り判然とはしないが、その中には科学もあれば似非科学もあるはずだよ。

565 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 20:01:42
哲学の周りには不思議ちゃんがたかって来るのはどうしてって考えると、
わかりやすいみたいだよ

566 :559:2006/07/30(日) 22:28:43
>>564
科学論は、多様である。物理と化学の学者では比較的一致しているだろうが、
生物学者や社会科学者までをも含めるとかなり多様である。

定評のある入門書「複雑系入門(NTT出版)」の最終章の熟読をすすめる。
とくに最終章の最後のページでは、複雑系を科学とすべきかどうかについて触れている。
(ここでは、科学とみなすべきかどうかについて、最終的に答えを出してはいない)
ちなみに、この本では「『複雑系』科学と表記している。
(文章を載せている学者たちは、ほとんどが世界的知られている一流)

567 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 23:30:47
>>562
科学哲学は、哲学は科学に貢献している、と言い張るための偽装工作だよ。
中身は空っぽだ。

568 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 23:47:02
相当なバカだねお前

569 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 23:51:54
 微積分・線形代数・関数論などの初歩的な数学や
 量子力学・相対性理論などの基本的な物理もわからずに
 科学を論じたがる低脳どもが多すぎる。
 そういう輩を追い出すのが哲学界の課題だ。

↑至言だね。

570 :考える名無しさん:2006/07/30(日) 23:59:45
      科学を知らないくせに科学について語りたがる人たち

彼らが語る内容になど興味は無いが、彼らの心理的動機については興味がある。
劣等感の裏返しだろうという仮説を検証するために、哲学板の書き込みを継続分析しています。

571 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:05:14
本屋で「哲学」という題名の本を見つけたら、イチローの本だった

572 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:05:41
>>569の言葉では、科学のみならず哲学も知らないと思われ・・・

573 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:11:20
哲学は偉大だ。バカを天才に押し上げる力があるw

574 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:16:25
うえであるならここで全部いうんだ。俺がわかる範囲のこと。はやくしろ

575 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:17:45
仙台についてだいたいわかった気持悪いこともわかりやすくいうんだ

576 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:21:43
病的な嫉妬君とシッタカ君がいるようだ・・・
哲学から最も遠い人だね。

577 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:33:14
>>569
科学を記述する言語は数学だ
数学が判らなければ科学を語れない

578 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:42:31
>>577
それは、半分だけ正しいと思う。
数学でも何でも、分かるとできるは必ずしも同じではない。
科学哲学者なんかは、分かることに焦点を置いているから、一部の人以外は別として、実際にはきちんとできる(問題を解ける)わけではない。
科学哲学者がこれでいいのか悪いのかについては、いろいろな言い分があるだろう。

579 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:48:52
>570
心理学を知らないのに心理を知ろうとする人

580 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 00:54:58
>>578
大学受験のイメージで数学を捉えていますね。
大学入試の数学問題は、試験時間が限られているので、わかっているだけでは
時間内に解けない。高得点をとるには、過去問対策が必要。
大学入学後の数学の問題は、わかっているかどうかを自分自身で確認するための
道具。教科書の節末問題・章末問題が解けないなら、その節や章の内容を
わかっていないことになる。

581 :Yukko:2006/07/31(月) 01:10:53
最近レスが回るのが速いですね…

まず>>470さん
遅レスごめんなさい。そして解説ありがとうございました。
道理にあかるく成るにはものごとの是非、善悪を明確に弁別する心を養うことが必要だと考えていらっしゃるのですね。
それでは、善悪を判断するにはどうしたらいいのでしょうか?
私がこのようにきくのは、私自身は善悪の判断は目標であって始まりではないと思っているからです。
そもそも人間が知的探求を始めるためには、何か生れ付き備わっている能力を元手にしないといけないと思います。(何もないところから探求することはできませんから)
>>470さんは、人間にはどのような生得的能力があり、それがどのように善悪を弁別する心を生み出すのだと思いますか?

それからもうひとつ。
善悪の弁別は倫理学者にとっても難しいことだと思うのですが、さらに道理に明るくなり知能を育て知恵を生み出すというステップがあるのでは実現は相当難しいのではないでしょうか?
また、力を崇拝している人たちに理を悟らせようとしたとして、彼らは聞く耳を持つのでしょうか?
理を悟ればこれまでのように力を求めることができなくなるのだから、いま力を愛している人たちなら全力を尽くして聞くのを拒絶するのではないでしょうか?

582 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 01:15:12
>580
もう少しよく考えたほうがいいと思うよ。
分かる=理解と、できる=技術とを区別しないようではそれこそ受験レベル。
まるで意味が分かってないみたい。分かるとできるの違いについて。
科学哲学者でない、物理学者ファインマンでさえ、はっきりと区別していること。

583 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 01:21:54
>>582
やだな何も判っていない。いいかい、もう一度書いてあげるよ。

演習問題は、数学をわかっているかどうかを判断するための道具。つまり試金石だ。
問題が解けないなら、それは数学をわかっていないということ。

そもそも、君がいう「できる=技術」とは何を意味しているんだい?
問題は解けないけど数学はわかっている、という人が存在しているとでも主張するつもりかい?それなら実例を挙げなさいよ。

584 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 01:25:58
オレは問題を解かないが数学は良く判っている、と言いたいだけっしょw

問題演習をせずに数学書を理解するのは東大・京大の数学専攻トップ層でも無理だろww

585 :Yukko:2006/07/31(月) 01:26:45
>>552さん
解説ありがとうございます!
すると、今やっている、価値と事実をひとつの世界観の中でまとめあげる試みは「複雑」なものになるのでしょうか…
(それはもはや科学ではないですが)
この試みが成功した後も科学は可能なのか心配になってきました…複雑な心境です(笑)

586 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 01:33:53
>>584
それが哲学屋の基本的態度ですから

ただ2行目については、ほとんど問題演習しないで、どんどん先の本を読み進んでる人間は多い。
もちろん後になって解けっていわれれば解ける。
そもそも、専門以外だと講義を担当するようになって初めて演習問題やるということも少なくない。

587 :Limahl:2006/07/31(月) 01:35:31
哲学と科学の関係ですか。

「水に挿したストローは、”どのように”曲がって見えるのか?」
「水に挿したストローは、”何のために”曲がって見えるのか?」

科学が「どのように?」という問いに対して、機械的仕組みで以って答える、
そして、「何のために?」という問いには、決して答えられない、答え得る力を持たない、
というより、「何のために?」という問いが、科学の権能の範囲外にある、

…こういうことは、難しく考えずとも、パッと見でわかるでしょう?

588 :Limahl:2006/07/31(月) 01:36:26
物質、植物、動物、人間というこの世の存在があります。
ライプニッツの動力因、目的因という言葉を使って、科学と哲学の関係について考えてもみましょう。

人間は、物質を見て、物質を知るときに、物理的な動力因を第一に見て、知るのでないと、納得できないものです。
物質の運動に「何のために?」と目的を求めても、神の概念でも持ち出さない限り、何も得られないでしょう。

動植物については、物理的動力因と観念的目的因の両方で見たり、知ったりすることが可能です。

そして、人間が人間を見て、知ろうとするとき、観念的目的因が第一でないと、納得できないものです。
例えば、畠山鈴香が子供を殺した原因を、物理的動力因で説明されても、???になってしまいます。
「こうこうこのように脳から神経に何の物質が伝達して、筋肉がこうこう動いて、殺した」とかでは、???でしょう。

このように、科学が人間の物理的側面を、どんなに得意になって解明しても、
人間についての「何のために?」という問いはまったく手付かずのまま残るし、
真面目な人は、哲学を手がかりに、そういう問いに挑み続けるのではないでしょうか。

589 :Yukko:2006/07/31(月) 01:37:51
最後にみなさん。
科学哲学について議論するのは有意義なことだと思いますが、
私が今やろうとしているのは科学批判ではなく、近代において科学が哲学の枠組みを変えた、あるいは哲学の枠組みの変化が科学を生み出したことを説明し、
その近代以降の哲学を批判することなのです。
だから何だという訳ではないのですが、誤解されたくないので一応説明させていただきました。
それでは今夜は失礼しますm(_ _)m

590 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 01:41:20
>>586
> ただ2行目については、ほとんど問題演習しないで、どんどん先の本を読み進んでる
> 人間は多い。

普通の学生なら教科書に載ってる問題だけで十分だから、わざわざ
演習書を消化したりしないよね。

それとも、教科書の本文だけ読んで章末問題をスキップしているってこと?
だとすると限りなく有り得ない話に思えるんだけど

591 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 02:18:08
>それとも、教科書の本文だけ読んで章末問題をスキップしているってこと?
>だとすると限りなく有り得ない話に思えるんだけど

わざわざやらなくても一瞥しただけで、どの要点の理解を問うているのかわかるからやらない。
例えば線型代数の本なんか、ほとんど章末問題やったことなかったよ。
で、試験問題の作成やらなんやらでやるはめになるけど、案の定、どうということはない時間つぶしだった。
こういう人はかなり多いと思うよ。
ま、基本的な定理の証明の一部や、
著者が単に面倒だから&教育的配慮で理論の途中を演習にまわすっていう場合もある。
そういう類の問題はそれとわかるから、必要に応じてやる。


592 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 02:32:57
>>591
それって・・・章末問題をやってるってことだよね

593 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 02:59:33
>>592
そう言われてみればそうだけど。
基本的にやらないつもりで臨んでる人も少なくない と言いたかったわけ。
実際、単純に分量比でみるとほとんどとばしていたはず。
で、出題する側になって、改造&解答準備のために初めて解いた、ということ。

594 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 13:04:25
>581
なかなか、鋭い質問をなさいますね。
人の心は二つ有ると言われ、その名称も陰と陽、−と÷、裏と表、悪と善、等と様々ですね。
そして、その二種の心を時と場合に依って使い分ける事ができるのだ、と思い込んでいますが人類史の全てを支配維持してきた力を崇拝し理を否定する蒙昧意識下で育てられる人類は前者の陰の心、−の心、裏の心、悪い心、の一方しか使う事ができません。
従って、「物事の是非、善悪を明確に弁別する心」は取り合えずの目標でも実際はそれが人生のスタートラインで有り人間として生きると言う到達点なのです。
知的探求を始めるには誰にも生まれ付き備わっている良心を「 」に依って磨きをかければラインに乗って自動手的に精神進化が始まります。
つまりは能力と言う力で探求心を引き出すのでは無くて良心と言う心で探求心を「 」で育てるのです。
力の行使しや思考は蒙昧意識が自我に育ち欲望に連鎖して産みだされる意識ですので精神疲労を伴い、人間が本来、備えている知能の3%以下しか育てる事ができません。
体育館ぐらいの倉庫が有るのにわざわざ旅行用のトランクを持ち込み、不必要な知識まで無理に詰め込む事が得と思い込み、人生の無駄遣いをしてる事とを人のさがと言います。
人が望む真の、とか本当の夢とか生き甲斐は全て、この理の中に秘められていますので理を悟れば理の無い無理な事は致しません。
理を悟れば不合理な仕組みで賄われている人の心が産みだす全てを理を持って解する(理解)する事ができます。
人の心が産みだす全てとは他人の心は勿論、現社会の構造から人類史の全ての誤り迄もです。
この大変な作業と思われがちですが「 」に依って前者のバックギアの心を後者の前進ギアの心にギアチェンジして後は自分の心が望むギアに切り替えて望む方向に人生を進めれば良いのです。
☆次に進む


「 」は人が知恵を得る為に不可欠な物事の理を悟る行為で有り、その後の知能が育ち智恵を生みだせるのは必然に依って賄われます。


595 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 15:53:44
>581
勿論、物事の理を悟るには智を望む純粋な心が大切です。
通常、人は己の良心と照らし合わせて差異の有る処に矛盾を感じますが、その現象を解決したいと思うことは純粋な心に含まれます。
自己の欲望を満たす為には「 」の心を育てる、心のギァチェンジはできません。
次の【 】が全ての起源と成り、後は自分が意識せずとも心の連鎖に依って目的が叶えられますので言葉の意味を深く捉えて思惟を繰り返して下さい。
【 】は短文ですが自分が持つ心の真逆の意識に心を切り替える作業ですので知識として記憶しただけでは何らの効果も望めません。
人や社会の様相が手に取るように見えるまで一言一句、深く思惟を繰り返して下さい。
【無数の確率を潜り抜け得た己の命と関連の全てに、深い感謝の気持ちと思いやりの心を育てる】
無限の広さを持つ宇宙の中で地球と言う砂粒にも満たない星に産まれ、面々と繰り返されてきた命の受け渡しを預かり未来に渡す使命持つ人間として産まれた事の感謝と、共に時を過ごす全てに己の心を転写し考える事で知能が育ち適切な解決方法と言う智恵が産まれます。
この心にそぐう事柄を己の良心が受け入れる是とし善として、反する事柄を非とし悪としますが、その非や悪にも自分の心を移し替えて原因を探る事で全てに痛みを伴わぬ解決方法を見いだす事が智恵です。
【 】に対して、思惟の深め方が深ければ深いほど洗練された知能が育ちますが方法は個々にお任せします。
最初に【 】の心を会得して自分が物事の理を悟り、産みだされる智恵を持って他人を導育する方法を見いだす事が必要と思います。
物事の理を悟る為に必要な事は智を望む純粋な心だけで学歴で得た知識も年齢や性別、人種にも関わらず全ての人々が平等に悟れる心を備えています。








596 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 16:08:56
死の恐怖体験・・・・・何日も眠れないままに以前の日常生活に戻りたいと渇望するのに恐怖心がそれを妨げる。
だがしばらくし、恐怖が去ると、するとまた、恐怖の原因となった行動をとる。人生はこの繰り返し。快楽追求と恐怖は表裏一体の関係。
このような経験を積むと、哲学とか宗教とかはどうでも良くなるんだよね。なぜ恐怖に襲われたのか?、その解明に時間を費やすようになる。そして知恵を得る。

597 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 16:40:51
>581追伸
本文が長すぎて書き込みできませんでしたので半分カットしました。
善悪の判断は倫理学者でも難しい、との事ですが哲学書を全て読み覚え知識を沢山、取り込んでも哲学とは?との問いを正しく答えられない、と同じに学者さんも知識を集めたと言う自我の一種で有る虚栄心に捕らえられ知能が育たず【 】を見いだす事に至れません。
それでも先に申しました通りに人類社会の仕組みが理に反する構造に成っていますので学者さんが理を見いだせない事を非難する事も叶いません。
従って、その事を知り得た者の使命としての公告責任が有りますので、その方法を模索しております。
あと少しの期間を見ればより良き時代を未来に受け渡すと言う人間の使命を少しですが果たせると思います。
短い説明でしたが以上の事を冷静に捕らえて【 】の思惟を深めて下されば、その結果を御自分で確認できると思います。




598 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 17:07:05
哲学は「ほんとうのこと」を知るための
営みです。

599 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 22:52:20
>>583
それはそれで完全に正論だと思うし582は説明不足だけど、言いたいことは分かる気がする。
俺の考えたことを言えば、
例えば、車の仕組みに精通していなくても運転できるし、運転できなくても、仕組みに精通できる。
数学でも、問題が解けても、概念をきちんと説明できないことってあるし、
本質の理解を二の次にして、とりあえずパターンを暗記して問題が解けるようにすることもあるでしょ。
数学教育に関して本で読んだことがあるんだけど、日本ではひたすら問題を解かせる傾向にあるけど、フランスでは概念を説明させることがかなりあるそうだ。
あと、ファインマンのことが出てきたけど、ファインマンの有名な教科書は、数式ほとんど使わずに、大学院レベルまでの物理の全体像と本質を説明している。
もちろん、解ける技術が理解を高め、理解が技術を高める、という面もあるけどね。





600 :村上弘明:2006/07/31(月) 23:08:21
剣客

601 :599:2006/07/31(月) 23:21:42
科学哲学者の研究は、599の例えで言えば、車の運転ではなくて、車の仕組みの解明のほう。
両方ないと最高のカーレーサーにはなれないけどね。

602 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 23:25:26
>>599
大学以降の数学や物理では問題を解くこと自体には殆ど価値はないんですよ。
問題を解くのは、自分が理解しているかどうか確認するためです。あくまでも道具に過ぎません。

> 数学でも、問題が解けても、概念をきちんと説明できないことってあるし、

と書いていることから察するに、あなたが言っている「問題」とは「計算練習」ですね。
数学や物理の教科書・演習書の問題には、定義を理解しているかを問う問題、
定理や補題を正しく適用できるかを問う問題、定理や補題を応用させる問題などが
ありますが、証明問題が中心です。単なる計算練習的な問題は、初歩の微積分や
線形代数などに散見される程度です。

> 例えば、車の仕組みに精通していなくても運転できるし、運転できなくても、仕組みに精通できる。

車のたとえ話につきあうなら、運転技術を確認する問題だけではなく、
車の仕組みを説明させる問題もあるし、エンジンを設計させるような問題もあるんです。

> 数学教育に関して本で読んだことがあるんだけど、日本ではひたすら問題を
> 解かせる傾向にあるけど、フランスでは概念を説明させることがかなりあるそうだ。

概念(=定義)を説明させるという問題は、問題の一カテゴリーです。

> もちろん、解ける技術が理解を高め、理解が技術を高める、という面もあるけどね。

あなたが言ってる「解ける技術」とは、徹頭徹尾、「計算技術」のことですね。


603 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 23:37:06
>>602
ちょっと横レスですが、
物理の教科書では、証明問題ということはありえないんでは?
物理は数学のように演繹されるものではないから。



604 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 23:44:35
確かに、数学科は証明問題多いけど、自然科学系の学科ではそれほどやらないな。

605 :考える名無しさん:2006/07/31(月) 23:46:55
>>602
大学入試までの数学は計算問題にしろ論証問題にしろ、
与えられた問題を時間内に解くのが目的。大学入学以降の
数学を知らない人の頭の中には、数学=問題を解く技術、
という等式が刷り込まれている。
こういうトンデモな誤解を打ち壊すには、大学の数学の教科書を
読ませればよい。特に、集合・位相の教科書は計算問題が
殆どないからお勧めだ。


>>603
> 物理の教科書では、証明問題ということはありえないんでは?
物理数学的な問題なら証明問題はありえるね。座標変換の公式を証明しろ、とか。

606 :599:2006/08/01(火) 00:09:16
>>602
そういう言い方もできるけど、
強調ポイントがややずれているな。
証明問題をとくことは、技術にも近いが、概念の説明は、使う頭がかなり違う。
説明できても解けない人、解けても説明できない人が、いるということがその証明でもある。
例えば巨人の長島さんを見れば分かる。野球することは上手いが、言葉で上手く解明・説明できない。
ちなみに中日の落合監督は、野球するのも上手いし説明・解明もできる。

物理の大槻教授の話によると、基本的な概念に関する疑問が解けぬまま、問題を解く訓練をひたすしていたそうだ。ここにもある意味での理解がある!
計算練習と応用問題と証明問題とは、クリアーに分けられるわけでもないと思う。
しかし、仕組みの説明・解明となると、もっと次元が違うところがある。
頭で分かること、体でわかること、なんて対比もいいかも。

607 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 00:13:25
>>606
> 証明問題をとくことは、技術にも近いが、概念の説明は、使う頭がかなり違う。

あなたの言う「概念の説明」とは何ですか?数学や物理における具体例を挙げられますか?

608 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 00:16:47
>>605
それは、自分自身の思い込みでは?
高校や予備校でも、数学は計算・技術ではないと教えてる先生はいるし、
そんな誤解してる人どれほどいるんだろう・・・


609 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 00:19:36
>>607
> あなたの言う「概念の説明」とは何ですか?
数学とか物理がわからない奴をわかった気分にさせてあげる説明技法だろ。

>>608
> そんな誤解してる人どれほどいるんだろう・・・
>>599はそうだな。

610 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 00:22:38
哲学厨が605のいう誤解をあえて世間に広めているふしがある。
物の本質をきちんと考えているのはわたしらなんですよ、
数学者、物理学者が頭がいいというのは誤解で、
実は鼻からうどんをすすって耳から出すような特異技能にすぎないんですよ、
といった調子でね。

611 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 00:25:37
>>608
> そんな誤解してる人どれほどいるんだろう・・・
どれほどいるかは>>605も書いていないな。オレも知らないよ。お前さんも知らないよな。

>>610
はげどう

612 :599:2006/08/01(火) 00:43:23
>>607
クリアーに分けられないけど、相対的には区別できる、という感じで捉えてほしい。
定理の意味をきちんと説明できることと、定理の証明ができることは、違う作業だといえる。
例えば、数学者でさえ、数式の証明だけでは分からず、その補助説明が普通の言葉が必要になることがある。
ここに、証明と説明との違いが見出される。
本橋信義という数学者・論理学者は、専門技術を習得した後でも、論理の本質が分からないといって、
情報をキー概念にして、情報という観点から論理を説明・解明した。(興味があるならこの人の「現代論理学入門」(岩波)を参照してください)
この人は、論理学ができなくても論理の本質は分かる、と書いている。
ここには、本質の具体的説明・解明と、問題処理次元の技術・理解との違いが垣間見られる。




613 :599:2006/08/01(火) 00:54:14
ある本によると、初歩の初歩の、分数やマイナスなどという概念でさえも、計算は余裕でできても、きちんと説明できない人は多いとか。



614 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 00:56:26
>>612
> 定理の意味をきちんと説明できることと、定理の証明ができることは、違う作業だといえる。

定理を説明することと証明することとは当然別物です。定理を説明できても
証明できるとは限りません(当然ですよね)。
また、一つの定理に対して二つ以上の異なる証明が与えられることも普通ですし、
定理の意味を了解するために具体例を考察するのは当然です。

>>607の「概念の説明」とは何か?という問いに対してお答えいただけないのは、
あなたが何も知らないからだと受け止めざるを得ません。

> 本橋信義という数学者・論理学者は、専門技術を習得した後でも、論理の本質が分からないといって、

「専門技術」という用語があなたの劣等感をあらわにしています。
数学や論理学は専門技術であり本質を扱うのは哲学である、と思い込みたいのでしょうね。

615 :599:2006/08/01(火) 00:58:17
とくにマイナスがついた数の乗法の意味の説明は難しいだろう。
みなさん試してみてね。



616 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 01:00:40
数学・物理が出来ない人相手にマジレスするのはヒマだからですか

617 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 01:01:25
用語がそれを使う人の劣等感をあらわにする?

618 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 01:08:05
今度は心理学ですか?

619 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 01:10:22
>>614
> 「専門技術」という用語があなたの劣等感をあらわにしています。
> 数学や論理学は専門技術であり本質を扱うのは哲学である、と思い込みたいのでしょうね。

>>599氏の一連の書き込みを読んでオレもそう思った。
「自分は数学や物理の本質をキチンと考察している。
問題は解かないけど、あんなものは特殊技能だから
物理学者とか数学者とかの専門技術者にまかせておけば
よい」って感じ。

教科書レベルの問題を解けないなら、その分野はまったく
理解していないことになる。初心者用教科書も理解できない
くせに、「自分は本質を理解している」というプライドだけは
維持したいんだろう。

620 :599:2006/08/01(火) 01:27:38
なんか感情的になってる人がいるな
自分が理解できないからといって人格攻撃してもどうしょうもないよ・・・

621 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 01:30:16
教科書の章末問題を大別すると、章の内容の理解度を問う問題(確認問題)と、
章の内容を発展させる問題(発展問題)に分かれる。発展問題が解けなくても
仕方ないが、確認問題が解けないようでは、その章の内容を理解していないと
断定するしかないっしょ。確認問題は解けないけど本質は理解している、という
言い抜けは苦しいよな〜

622 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 01:32:49
>>621
> 確認問題は解けないけど本質は理解している、という言い抜けは苦しいよな〜

哲板ですから、それでも言いぬけられますw

623 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 01:39:57
>>621
日本の哲学科でまともな自然科学教育を受けられるところってあるの?

門外漢向けの薄っぺらな講義しか準備していないところが大半だと思うんだけど?

そういう講義だけ受けていると、「理解できているかどうか確認するために問題を
解いてみる」という発想そのものが湧いてこないと思うよ。

624 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 01:54:31
>>623
> そういう講義だけ受けていると、「理解できているかどうか確認するために問題を
> 解いてみる」という発想そのものが湧いてこないと思うよ。

法学・経済学・理学・工学・医学等では自分自身の理解度を
測定するために問題を解いてみる、という行為は日常化している。
教科書や演習書の問題だけではなく、自分で問題を作って解く、
という行為も、一定レベル以上の学生ならやっている。

翻って人文系の諸学科を省みると、「自分自身の理解度を
計るために問題を解いてみる」という発想が乏しい。
「本質を扱うのは哲学であり、他の学問は問題を解く専門技術に過ぎない」
という誤った思い込みが蔓延するわけです。

625 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 02:00:27
哲学に数学、物理はなんで必要なんだばぁ〜

626 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 03:29:58
>>624
> 翻って人文系の諸学科を省みると、「自分自身の理解度を
> 計るために問題を解いてみる」という発想が乏しい。

論理学には理解度を確認するために問題を解いてみる、という面がある

論理学すら修めていないとすると、他の学問分野は理解できず思想史しか判らないことになる

627 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 12:09:55
>「理解できているかどうか確認するために問題を解いてみる」
というけど、確認するのがなんの理解かによって
実際に問題を解く必要があるかないかが決定するんじゃないのか?

628 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 12:59:56
>>627
> というけど、確認するのがなんの理解かによって
> 実際に問題を解く必要があるかないかが決定するんじゃないのか?

↑に対しては↓だろうね

> 法学・経済学・理学・工学・医学等では自分自身の理解度を
> 測定するために問題を解いてみる、という行為は日常化している。

629 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 13:12:17
哲学は法学・経済学・理学・工学・医学等々がわからん奴らの吹き溜まり


630 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 13:15:19
          ____   
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\    <問題を解く技術は専門家に任せ、我々哲学者は
    /   ⌒(__人__)⌒ \    物事の本質を見極めるだけで満足しましょう。
    |      |r┬-|    |     
     \     `ー'´   /     
    ノ            \
  /´               ヽ              
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.    
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))



          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //   だっておwwwwwwwwwwwwwwwww
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/
|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /     バ
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バ   ン
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、    ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))



631 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 14:20:37
>>628
それでは単に法学・経済学・理学・工学・医学等では、
問題を解くことによって理解していることが測定できるような知識が、その分野における知識だ、ということしか言えてないよ。


632 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 14:30:24
>>631
> それでは単に法学・経済学・理学・工学・医学等では、
> 問題を解くことによって理解していることが測定できるような知識が、その分野における知識だ、ということしか言えてないよ。

論理力が弱いな〜

>>628から言えることは「法学・経済学・理学・工学・医学等においては
問題を解くことによって理解度を確認できる知識がある」ということだけ。
どの分野においても、問題演習では測定できない理解というものはあるっしょ。

633 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 14:33:57
          ____
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\    <問題を解くことで理解度を確認できるような瑣末な技術は、
    /   ⌒(__人__)⌒ \    専門家に任せておけばいいのです
    |      |r┬-|    |
     \     `ー'´   /
    ノ            \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))



          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //   だっておwwwwwwwwwwwwwwwww
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/
|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /     バ
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バ   ン
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、    ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

634 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 14:40:54
>>632
>>627に対しての反論として>>628とかえってきたから
反論になってないよっていう意味なんだけど。
文脈を理解してね。

635 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 14:42:18
          ____
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\    <哲学は諸学の基礎です。
    /   ⌒(__人__)⌒ \    専門技術に捉われていては、物事の本質を見抜けないのです。
    |      |r┬-|    |
     \     `ー'´   /
    ノ            \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))



          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //   だっておwwwwwwwwwwwwwwwww
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/
|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /     バ
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バ   ン
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、    ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)

636 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 14:44:00
>>634
>>631の書き込みが論理破綻しているから指摘しただけ。

637 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 14:47:31
          ____
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\    <哲学者は、問題など解かずとも本質を見抜きます。
    /   ⌒(__人__)⌒ \    問題解きは専門技術者にやらせておけばいいんです。
    |      |r┬-|    |
     \     `ー'´   /
    ノ            \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))



          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //   だっておwwwwwwwwwwwwwwwww
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/
|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /     バ
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バ   ン
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、    ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)

638 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 15:32:19

  慶応大 に落ちたら 早稲田
  早稲田 に落ちたら 上智大
  上智大 に落ちたら  ICU
   ICU  に落ちたら 理科大
  理科大 に落ちたら 立教大
  立教大 に落ちたら 同志社
  同志社 に落ちたら 立命館
  立命館 に落ちたら 関学大
  関学大 に落ちたら 関西大
  関西大 に落ちたら 青学大
  青学大 に落ちたら 中央大
  中央大 に落ちたら 法政大
  法政大 に落ちたら 終わり



639 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 16:20:48
表面的にはお使いだけど、心の中は間男か?

640 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 16:51:12
哲学者:仮免許を交付しないとはどういうことですか?
事務員:筆記試験の得点が90点に満たない場合は不合格となります。
     あなたは50点しか得点できていませんね。もうちょっと頑張ってくださいね。
哲学者:わたしは哲学者です。筆記試験の問題など解かなくても運転の本質は
     誰よりも深く理解しています。
事務員:規則だから仕方ないですね。教本を読み直して再受験すれば簡単に合格できますよ。
哲学者:運転の本質を理解している人が不合格になるような規則は、はたして正しいのでしょうか。
事務員:そうは言っても規則ですから・・・
哲学者:質問に答えないのは、わたしの指摘が正しいことを暗に認めたと理解して宜しいですね。
事務員:そんな無茶な!?
     そりゃ、運転を良くわかっている人が不合格になるようなら、その規則はおかしいんでしょうけど・・・
哲学者:それ、御覧なさい。その規則は間違っているんです。いますぐ、仮免許を交付しなさい!
事務員:そんな無茶苦茶な!?あなたは、たったの50点しか取れていないじゃないですか。
     再受験は何日にしますか?
哲学者:やだな、全然わかっていない。わたしは運転の本質を理解しています。
     そのわたしが50点しかとれずに不合格になるなら、それは問題が間違っているんです。
     あなたもたった今、認めた通りにね!
事務員:「運転の本質」とはなんですか?
哲学者:安全かつ的確に自動車を運転する原理です。
事務員:でも、50点しか取れていないでしょ。
哲学者:あなたは記憶力がないんですか。それは問題が間違っているからだと論証したばかりですよ。
事務員:50点しか取れない人に、どうして問題が間違っているとわかるんですか!?
哲学者:わたしは哲学者です。運転の本質を理解しています。
     運転の本質を理解するものから見れば、重箱の隅をつつくような問題は解答する価値すら
     ありません。
事務員:重箱の隅をつつくような問題があるのは事実ですけど、運転免許試験場の学科試験でも
     同じような問題がでますよ。

641 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 16:53:23
哲学者:やだな、全然わかっていない。そのような問題は解く価値が無いと言ってるんです。
     いや、わたしのような哲学者に対して、瑣末な問題を解かせるのは冒涜であると
     さえ言えます。
事務員:でもみなさん合格してますよ。
哲学者:知識の型を丸暗記するのが得意な連中ですな。彼らには運転の本質がわかっていない。
     その証拠に免許取得後に事故を起こすじゃないですか。
事務員:事故を起こす人もいますが、運・不運もありますから・・・
     あなただって事故に遭わないという保証はないと思いますけど。
哲学者:どうしてわたしが事故を起こすと言い切れるんですか?
事務員:そんなこと言ってないじゃないですか?誰だって事故に巻き込まれないとは限らないでしょ?
哲学者:事故に巻き込まれるとしても、それは相手の責任であって、わたしの責任ではないですね。
事務員:...
哲学者:どうしました?後ろに並んでいる人たちが待ちくたびれていますよ。
     さっさと仮免許を交付しないと、みんなが迷惑しますよ。
事務員:お次の方どうぞ!
哲学者:おや?逃げるんですか?
事務員:再受験の予約をなさらないのなら、横にどいていただけますか。後ろに並んでいる方の
     ご迷惑となります。
後ろの人A:用が済んだんならさっさとどけよ。
後ろの人B:(たったの50点だってよ。ププッ)
後ろの人C:(池沼だろwww)
後ろの人D:(こういう奴が無差別殺人を起こすんだよ)
後ろの人E:(こんな奴に運転免許を渡すのは○○○○に刃物をプレゼントするようなもんだな)
後ろの人F:(あいつは大学の試験でも追試くらっていたな。懲りない野郎だ・・・)
哲学者:「???????????????」

642 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 16:56:42
問 「哲学者」の捨て台詞として最も適切なものを下記の中から一つ選びなさい。

(イ) おやおや、こんなに大勢に襲い掛かられたら、助かりませんね。
    君子危うきに近寄らず、といいますから退散しましょう。
(ロ) 見てください、この一方的な攻撃。まるで言論封殺だ。
(ハ) 理解できないことを「不快」として片付け、人格攻撃に転じるのは、
    人というよりも猿の行動に近い。猿に道理は通じない。話すだけ無駄だな。

643 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 17:27:31
おまえらもうちょっと捻り効かせろよ

つまんねぇな

644 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 21:14:16
「わかる」という状態には数段階あるけど、「教科書の問題が解ける」という状態がその最低ライン。
教科書の問題が解けないならば、わかっていないということになるよ。

645 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 21:22:12
女の気持ちがわかるようになるにはどうすればいいの?

646 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 21:32:12
ピアノが弾けなけりゃモーツァルトを
理解したなんていえないということだね。

647 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 21:37:24
>>644
論理学の教科書に載っている練習問題を解けない奴が身近にいるなぁ〜

648 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 21:41:30
>>647
練習問題を解けない低レベル学生に限って「俺は本質をよくわかっている」と思い込みたがるね。

649 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 21:43:50
音楽鑑賞と学問の理解を同列に扱っている奴も低レベル学生だろうからレスしない方がいいよ>>647

650 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:07:25
>>645
練習問題を解く。

651 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:11:22
そんなことばっか言ってっから馬鹿にされんだよ

652 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:11:48
女と付き合ったことの無い奴に限って、「俺はオンナの本質をよくわかっている」と嘯くよね

653 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:15:48
難しい漢字を使うのはコンプレックスの表れだとエロイ人が言ってました。

654 :599:2006/08/01(火) 22:35:13
やれやれ、本質理解と、定石や計算などの問題処理技術は、区別はできるが、クリアーに切断できる単なるオールオアナッシング問題とは違うんだけどな・・・
どこの誰がそんなこと言ってましたっけ?  それでは単純過ぎるよ!
それにしても、何かにおびえているかのような、感情で無意味な批判が目立つな。
問題を自分の水準に歪曲して批判したつもりになっている。
こういう人は、文章をきちんと読む訓練、感情を抑えて議論する訓練をしないといけない。
(もし大学(院)生ならやってるはずなんだけど・・・)

とりあえず、「概念を理解する」ということの意味がピンときていない人は、前述のファインマン超有名な教科書や、「物理科学のコンセプト(共立出版)」(訳者の前書きを含めて)読んでみよう。
概念を理解するとは、これらの本のような内容を理解することなんだな。


655 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:36:14
教科書に載ってる問題くらいは解けるようにしとけってことでFA?

656 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:41:23
>>655
「理解の最低ライン」という意味ではその通りだし、研究者を目指さないのならその段階で十分だと思う。
もう少し上の段階には、命題をきけばその真偽を直感的に推測できる、とか、
その逆に、成り立ちそうな命題を予測できる、とかのいくつかの段階がある。

657 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 22:55:08
>>655
即レスさんくすです。

夏休み中に代数を勉強しようと思って教科書読んでいるんだけど、
本文を読むだけで理解できるのは相当優秀な学生だけみだいですね。
数学科の友人に聞いても、章末問題をウンウン唸りながら考えることによって
はじめて本文の意味を会得できるのが普通らしいです。数物系の人から見ると、
日本で哲学やってる人の科学理解は浅すぎてお話にならないレベルだそうですから、
自分はそのようなことにならないように地道に勉強していくつもりです。

とりあえずはガロア理論を理解するのが目標なんですが、地道すぎて年末までかかるかも、
ってペースです。

658 :599:2006/08/01(火) 23:14:00
永井の「私・今・そして神」という本では、
楽器が上手に弾けるが、音楽から深いことを感じ取れない人と、音楽から深いことを感じ取れるが楽器が弾けない人とが対比してあり、
どちらが音楽の本質を理解しているかに関して、後者が本質を理解していると言っている。
おっと、こう書いたからといって、下種のかんぐりはやめてくれよ。
そんな暇があるなら、きちんと考えて反論すること!

659 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 23:23:41
>>657
> 数物系の人から見ると、
> 日本で哲学やってる人の科学理解は浅すぎてお話にならないレベルだそうですから、
そういうことを露骨に言うのは学生くらいだろうが、理・工系の教官の本音はその通り。
日本の大学の人文系学生向けの講義は、「本質は伝えないが、とりあえず判った気分に
なってもらうこと」を主目標に設定していることが殆ど。授業時間数も少ないし、
学生も科学を理解するだけの知的バックボーンに欠けている。
哲学系の教官が受けた科学教育は、上っ面を撫でただけの授業を受けたことと
科学哲学の論文を何本か読んだことだけ。それじゃぁ何もわからなくても無理はない。
きちんと理解するには自分から動かないといけない。

660 :599:2006/08/01(火) 23:24:06
これでは、まじめな文を書くのも馬鹿らしくなるなあ、もう2ちゃんの虚栄君レベルに落とそうかな・・・
例えば、657さんの空虚な言葉遊びにつきあってみると、
理系を論じるためには数学を極めておくべきだから、俺は今「圏論」をやっているぞ!って感じかなw


661 :599:2006/08/01(火) 23:31:20
>>659
君は657と同一人物に見えるが、一応違うことにして相手しとくと、
それは、理系学者側の批判としてしばしば聞くことだな。
さて、科学哲学者とはどうあるべきか・・・



662 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 23:38:23
>>659
> きちんと理解するには自分から動かないといけない。
その通りですよね。自分がガロア理論を勉強しようと思った切っ掛けもそこなんです。

角の三等分問題とか円積問題などの古代ギリシャ以来の作図問題に触れた
授業があったんですが、どうやって解決されたのかを講師に質問してもサッパリ要領を
得ない。また、他の教官に質問しても誰も知らない。という状況があったんです。
そこで数学科に進んだ友人に代数学の初等的な入門書を紹介してもらって勉強を
始めた、という次第です。

663 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 23:41:23
哲学者:仮免許を交付しないとはどういうことですか?
事務員:筆記試験の得点が90点に満たない場合は不合格となります。
     あなたは50点しか得点できていませんね。もうちょっと頑張ってくださいね。
哲学者:わたしは哲学者です。筆記試験の問題など解かなくても運転の本質は
     誰よりも深く理解しています。
事務員:規則だから仕方ないですね。教本を読み直して再受験すれば簡単に合格できますよ。
哲学者:運転の本質を理解している人が不合格になるような規則は、はたして正しいのでしょうか。
事務員:そうは言っても規則ですから・・・
哲学者:質問に答えないのは、わたしの指摘が正しいことを暗に認めたと理解して宜しいですね。
事務員:そんな無茶な!?
     そりゃ、運転を良くわかっている人が不合格になるようなら、その規則はおかしいんでしょうけど・・・
哲学者:それ、御覧なさい。その規則は間違っているんです。いますぐ、仮免許を交付しなさい!
事務員:そんな無茶苦茶な!?あなたは、たったの50点しか取れていないじゃないですか。
     再受験は何日にしますか?
哲学者:やだな、全然わかっていない。わたしは運転の本質を理解しています。
     そのわたしが50点しかとれずに不合格になるなら、それは問題が間違っているんです。
     あなたもたった今、認めた通りにね!
事務員:「運転の本質」とはなんですか?
哲学者:安全かつ的確に自動車を運転する原理です。
事務員:でも、50点しか取れていないでしょ。
哲学者:あなたは記憶力がないんですか。それは問題が間違っているからだと論証したばかりですよ。
事務員:50点しか取れない人に、どうして問題が間違っているとわかるんですか!?
哲学者:わたしは哲学者です。運転の本質を理解しています。
     運転の本質を理解するものから見れば、重箱の隅をつつくような問題は解答する価値すら
     ありません。
事務員:重箱の隅をつつくような問題があるのは事実ですけど、運転免許試験場の学科試験でも
     同じような問題がでますよ。

664 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 23:43:57
哲学者:やだな、全然わかっていない。そのような問題は解く価値が無いと言ってるんです。
     いや、わたしのような哲学者に対して、瑣末な問題を解かせるのは冒涜であると
     さえ言えます。
事務員:でもみなさん合格してますよ。
哲学者:知識の型を丸暗記するのが得意な連中ですな。彼らには運転の本質がわかっていない。
     その証拠に免許取得後に事故を起こすじゃないですか。
事務員:事故を起こす人もいますが、運・不運もありますから・・・
     あなただって事故に遭わないという保証はないと思いますけど。
哲学者:どうしてわたしが事故を起こすと言い切れるんですか?
事務員:そんなこと言ってないじゃないですか?誰だって事故に巻き込まれないとは限らないでしょ?
哲学者:事故に巻き込まれるとしても、それは相手の責任であって、わたしの責任ではないですね。
事務員:...
哲学者:どうしました?後ろに並んでいる人たちが待ちくたびれていますよ。
     さっさと仮免許を交付しないと、みんなが迷惑しますよ。
事務員:お次の方どうぞ!
哲学者:おや?逃げるんですか?
事務員:再受験の予約をなさらないのなら、横にどいていただけますか。後ろに並んでいる方の
     ご迷惑となります。
後ろの人A:用が済んだんならさっさとどけよ。
後ろの人B:(たったの50点だってよ。ププッ)
後ろの人C:(池沼だろwww)
後ろの人D:(こういう奴が無差別殺人を起こすんだよ)
後ろの人E:(こんな奴に運転免許を渡すのは○○○○に刃物をプレゼントするようなもんだな)
後ろの人F:(あいつは大学の試験でも追試くらっていたな。懲りない野郎だ・・・)
哲学者:「???????????????」

665 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 23:45:00
問 「哲学者」の捨て台詞として最も適切なものを下記の中から一つ選びなさい。

(イ) おやおや、こんなに大勢に襲い掛かられたら、助かりませんね。
    君子危うきに近寄らず、といいますから退散しましょう。
(ロ) 見てください、この一方的な攻撃。まるで言論封殺だ。
(ハ) 理解できないことを「不快」として片付け、人格攻撃に転じるのは、
    人というよりも猿の行動に近い。猿に道理は通じない。話すだけ無駄だな。

666 :599:2006/08/01(火) 23:52:31
今日はマトモな議論出てくるかなあ
それとも、また今日も、自分の意見が批判されると不安になり、
醜く自作自演をしてまで自分が正しいように見せかけたがる、ひ弱な学生さん?が、同じ醜い事をしでかすのかなあ・・・
議論というものは、感情抑えて論理と事実で真っ向勝負しないとダメだよね!
(2ちゃんはこういう場ではないのかなあ・・・だから俺が去るべきなのかなあ・・・)

667 :考える名無しさん:2006/08/01(火) 23:58:35
>>662
> そこで数学科に進んだ友人に代数学の初等的な入門書を紹介してもらって勉強を
> 始めた、という次第です。

なんという本?

668 :599:2006/08/02(水) 00:00:06
>>663
読み落としていたので、期待して読んでみたけど、
まるでポイントがずれてるし、歪曲すごいね。
それとも昨日と主題が変わったのかなあ・・・




669 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 00:03:38
>>663
「オレ様は本質を理解している」というのは、自己申告ベースだよな。
検証も反証も出来やしないw

「本質がわかっている」と言い張る「哲学者」は、哲学科でも居場所が無いよな。
なんら説得力がないww

せいぜいが厨房だろwww

670 :599:2006/08/02(水) 00:10:24
なんかむなしいな、無意味な脱線ばかりで。
今日はもう退散だ。
後一日くらいならマジに相手するけど、
それでもあんまり与太話が多いなら、議論やめちゃうよ。


671 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 00:14:29
ポパーとかクーンの議論は意味ないって言いたいの?

672 :Yukko:2006/08/02(水) 00:17:50
なんか荒れてるから今日は一言だけ書いて終わろうと思うけれど、
「自分には本質が分かっている」と考えている哲学者はいないのでは?
哲学者は「本質について議論している」だけだと思うのですが、どうでしょう?

673 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 00:20:15
つうか哲学の基本は自己批判

674 :日大通信哲学科4年中退者:2006/08/02(水) 00:23:11
もう今までの哲学は終わったのだ。数学が哲学の分野に入ってきた
のだ。完全な民主主義は成立しないことは数学的に証明された。哲学で
どんなに理想の民主主義を考えようと限界があるのだ。ゲーデルの不完全性
定理はこう言っている。矛盾の無い論理系は不完全である。つまり明らかに正しいとわかって
いてもそれをその論理系では証明できないし否定も出来ない。哲学的に矛盾の無い論理学から
いくら推論してもそれからはみ出る事実がある。カントは純粋理性批判で言った。経験に基づかない推論は
お互いに矛盾する推論を許す。考えようによっては同じことを言っている。
数学では「存在」について考えている。もうこれは数学が哲学に進化したといえる。
未来の数学は哲学になり哲学は再び諸学の女王になるのだ。


675 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 00:25:49
>>667
松坂和夫/『代数系入門』/岩波書店 です。
中学数学程度を判っていれば読めるそうです。

第1章 整数 をなんとかクリアーして第2章 群 で苦戦しています。
第5章 体論 までの道のりは長そうです。

676 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 01:21:44
いいね。思想史を学ぶことは必要だけど、正しく考える、正しく認識する、
という目的のためには自然科学をもっともっと学ぶことが重要だ。

677 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 01:27:54
扱う対象が違うのになに言ってんの?
いい加減にしなさいよ

678 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 02:23:31
ファインマン物理学を連呼してる人がいるけど、本当に読んで理解したのかな?

まぁ、これだけベタ褒めしているんだから、最低10回は熟読して
書いてあることを体得しているんだろうなぁ。すごいなぁ。

679 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 02:52:37
>>599氏が盛んに主張している「本質の理解」なるものは、
理数系の一定レベル以上の学生なら誰でもやってる。
要するに常識であり、日常習慣である。
普通に行われている当たり前の行為をわざわざ取り上げる意図が
なんなのか、>>599氏は説明する責任があるだろう。

>>659氏が指摘している「日本の人文系研究者に見られる
皮相的な科学理解」の方は大きな問題だ。社会科学、自然科学の
研究者からも、日本の哲学者は科学を見ていない、という指摘を
受けることがある。

>>662氏は人文系の学生だと思われるが、哲学とも関わりのある
テーマについて、自分自身で学ぶのは良いことだ。

>>678氏の指摘はもっともだが、おそらく読んでいないだろう。
物理専攻のセンスの良い学生であっても、ファインマン物理学を
主教材として物理を学ぶのは相当きつい。要領よく書かれた
教科書を主教材とし、ファインマン物理学を副教材とするほうが
理解が深い。

680 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 11:23:44
哲学とはなにか?のスレに戻れ


681 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 11:35:11
自分は本質を理解しているが科学者は本質を見ていない、と思い込みたい人がいるみたいだね。




そんなに不安だと、理工系の研究者とは話も出来ないでしょうね。

682 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 12:21:59
「本質を理解」っていうけどさ、それって、いわゆる「理解」のことだろ。

>>599を見ると
> 本質の理解を二の次にして、とりあえずパターンを暗記して問題が解けるようにすることもあるでしょ。
とあるから、「理解」の意味で「本質の理解」と言っているのは間違いないと思う。

とにかく、あなたたちは「本質」を濫発しすぎ。
ファインマンのエッセイでも読んで、「本質厨」の脆弱性を痛感しなさい。

683 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 13:45:21
本質を理解しているなんて自認してる哲学者どこにいるの?

684 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 13:52:00
科学は数学語で語られる。従って科学を知り科学を語るためには、
数学語を習得しなければならん。

数学語を解さない者は数学を使わない「説明」を求めるが、
そんなものは子供騙しのゴマカシに過ぎん。そしてまた、
数学を使わないゴマカシこそが本質的であると錯覚する。

685 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 13:56:01
どっかの評論家のこと言ってるなら他行きなさい

686 :Yukko:2006/08/02(水) 15:50:59
>>674さん
そうなんですか!?確かに存在を扱えばそれは哲学ですね。
674さんはその辺のこと詳しいのですか?もしそうだったら色々教えてくださいm(_ _)m

>>684さん
それはそれで正論だと思うけれど一応ツッコミを入れると…
数学が扱う「数」とか「三角形」は目に見えないもので、科学は目に見えるものを扱うのが基本なのに
どうして数学によって科学を記述することができるのでしょう?
それと、こういう問題は科学にとって「本質的」ではないのでしょうか?
(もちろん、科学を語るなら数学ができるに越したことはないですが)
今までの流れを見ると、どうも「科学の本質」という言葉で考えている内容が人によって違うみたいですね。
それを一番象徴しているのが684さんの発言だと思ったからレスしたのですが、実際には皆さんに向けて質問したい内容です。

687 :Yukko:2006/08/02(水) 15:59:37
(本質つながりで事実と価値の議論に戻そうという試み)
古代においては「善とは何か」など「〜とは何か」(=本質)を問題にして道徳を考えたけれど
近代では「普遍的な道徳法則」を求めるという「法則」を問題にする考え方をするようになりました。
この変化が科学の誕生と平行して起きたと考えるのはそんなに無理な発想ではないと思います。

688 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 16:06:21
なるほど意図的に餌撒いてるわけね

689 :Yukko:2006/08/02(水) 17:26:15
それから、「良心」という考え方も近代に登場したものだったと思います。
古代においては「よく生きること」を導くのは理性でした。(最善の目的は理性によって分かる)
しかし近代では、理性は個人的な目的を実現するための最善(最適)の手段を見つけだす道具として捉えられるようになりました。
つまり、理性が道徳的善を導くものではなくなったのです。それで、理性のかわりに良心が必要になったのです。
学校の先生が使っていた説明:古代にはマッド・サイエンティストなんていなかった。マッドだったらサイエンティストじゃないから。
理性において優れている人は道徳的にも優れていなければおかしい。

690 :Yukko:2006/08/02(水) 17:34:47
しかし、現代には頭がいいのに犯罪に走る人が普通にいるわけです(オウムの高学歴の科学者とか)。

691 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 18:05:10
今ひとりでいる人たちはみんな自信をもってくれぐれもきをつけてください

692 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 18:10:24
くれぐれもきをつけて行動してください

693 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 19:34:17
>>684
おっしゃることはその通りだと思います。
しかし、哲学専攻の学生が科学と数学を
学ぼうとしても、適切な手段が無いのです。
哲学専攻の学生向けの科学・数学の講義は
講談の域を出ていない、理数系の学生向けの
講義はレベルが違いすぎて理解できない、
科学書・数学書を読んで独習しようとしても、
最初の1ページから理解できない。
どうすればいいんでしょうか?

694 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 19:47:25
哲学は帰納と演繹。
人間の思考も帰納と演繹。
科学も帰納と演繹。
どう違うかわかりますか?

695 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 19:53:01
>>693
理工系1年生対象の授業を受ければいいよ。
それすら理解できないのなら中学・高校の
教科書を復習するべし。

696 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 20:10:30
日本の哲学者は、現実の人間、現実の社会、現実の自然から目を逸らす傾向が強い。
現実を見るときでも、自説の裏づけとなる事象のみを捜し求め、自説を否定する事象を
捜し求めることが無い。アンチ実証主義者というレッテルは伊達ではない。

697 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 20:40:52
例えばどういう説?

698 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 20:45:30
確かに日本の哲学者は現実を見ていないですね
所詮は哲学書ヲタ・思想書ヲタなのかな
専攻を誤ったかも・・・

699 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 20:55:49
哲学書オタクという表現は当たらずと云えども遠からず、かな。
現実の世界に対する関心が乏しいのだと思う。
自然科学者には人間や社会に対する関心が乏しい人が多いが、
それと反比例するかのように、自然そのものに対する関心は極めて高い。
それでは哲学者は何に対して関心があるのかというと、人に対する関心でも
なければ社会に対する関心でもなく、ましてや自然に対する関心でもない。
哲学書や思想家に対する関心としていいようがない。これは欧米の
哲学者と比べると極めて異例なことだよ。

700 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 20:55:49
そんなことよりカレーライスを哲学しようぜ。

701 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 20:57:35
哲学とは...人間の考えることなんてたかが知れてる..
語るだけ時間の浪費..

702 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 21:09:00
欧米の哲学者も大差ないのでは?
Essential objectについて長々と議論している哲学者たちに対して
ファインマンが一個のレンガを手にしながら「このレンガは
essential objectか」という質問を投げかけたところ、哲学者サイドの
答えがバラバラで、お互いに罵りあった、というエピソードがある。

いずれにしても「本質」なんて言葉は「「「本質」」」のように、括弧にいれて
遠くから眺めないと危険ですよ。

703 :599:2006/08/02(水) 22:44:30
今日もたぶんほとんど一人の学生さんの独演なんだろうけど、コンプレックス丸出しで、そんなに知識に過剰反応しなさんな。
>>679への俺の説明責任を果たしとこう。
ファインマン調べたのかな、なら次は「物理科学のコンセプト(共立出版)」も調べてみてね。
この本は、概念の理解は、計算などの問題処理技術とは独立にやるべきだ、という見解で書かれている。

ところで逆に君は、やたら本質という言葉に過剰にこだわってるみたいだけど、
俺が言ってる本質は、「概念や仕組みの説明や解明」という次元における本質だよ。
視点を変えれば、「計算技術や定石の体得」という次元でも本質はある、と言えるよ。
相手の文脈無視して、感情と思い込みで歪曲して批判しても意味ないんだな。

>「本質の理解」なるものは、理数系の一定のレベル以上の学生なら誰でもやっている
やってないなんて、誰がどこで言ってるのかなあ・・・一定以上の学生ならできているに決まってるじゃんw
(でも理系でも問題が解けても概念の理解できてない場合もけっこうあるらしいよ。物理科学のコンセプトの前書きに書いてあるよ)

俺の言いたいことは、「概念や仕組みの理解」と「計算技術や問題解法の習得」とは、区別できるし独立に学ぶことができるよ、ということね。(こういう立場が「ファインマン物理学」や「物理科学のコンセプト」の立場である。)
よく考えてみると、君と俺とは、ここで対立しているだけだよ。
それ以外では、対立してるわけでもないと思う。
余計なゴタゴタは、俺の説明不足が生み出したことかもしれないな。本質と言う言葉がいかんかったかな、ごめんね。


704 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 22:52:19
>>699
実証主義を体得していない哲学者は多いですね。

なにかを主張する際には反証データがあるかどうか十分に調べるのが
社会科学であれ自然科学でれ、およそ科学者と名のつく人なら誰もが
守るべき最低基準なんですが、いわゆる思想家と呼ばれる人たちは、
反証データがあるかどうか調べずに勝手なことを言い合っているように
思います。反証可能性の無い言説を弄ぶことに一体どれほどの意義が
あるというのか・・・

欧米では哲学そのものの解体が進行していますが、こんなところにも
原因があるのでしょう。

705 :699:2006/08/02(水) 23:02:58
>>702
連投すいません。そのエピソードはわたしも読んだことがあります。

理数系に進学した友人たちから借りた本に載っていたと思います。
日本の大学の哲学科を見ても、同じような現象は結構ありますね。
術語の定義を明確にしないままでも成立する議論、術後の定義を明確に
しようとする途端に破綻する議論。言葉遊びの域を出ていない、と談じられても
仕方無い面はありますね。

>>703
> ファインマン調べたのかな、なら次は「物理科学のコンセプト(共立出版)」も調べてみてね。

横レス失礼ですが、劣等生が虚勢を張るのは、プッ、ですよ。

物理専攻ならファインマン物理学程度の物理は知り尽くしているでしょう。
そういう相手に対して「ファインマン調べたのかな」と言うのは、滑稽を通り越して
精神異常を感じます。

706 :599:2006/08/02(水) 23:13:10
>>705
君は文系の大学生、レスみた感じでそう思ったけど、
物理学専攻だったのか・・・印象で判断してごめんね。

707 :599オモシレェ:2006/08/02(水) 23:13:47
678の質問にも答えてやれよw>599

678 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2006/08/02(水) 02:23:31
 ファインマン物理学を連呼してる人がいるけど、本当に読んで理解したのかな?

 まぁ、これだけベタ褒めしているんだから、最低10回は熟読して
 書いてあることを体得しているんだろうなぁ。すごいなぁ。

708 :599:2006/08/02(水) 23:33:47
>>707
俺はきちんとした議論がしたいだけだから余計は話はしたくないが、
コンプレックスを隠そうとする虚栄は嫌いだから一応答えておくと、
俺は物理専攻ではないし、ファインマンは、三回しか読んでないよ(これでは落第かな・・・)


709 :考える名無しさん:2006/08/02(水) 23:47:57
>>704
> いわゆる思想家と呼ばれる人たちは、反証データがあるかどうか調べずに
> 勝手なことを言い合っているように思います。
フランス現代思想家が典型的
根拠の無い駄弁が日本国内で持て囃されたのは、受け売り厨が多いから
舶来の新思想・新技術・新理論を輸入することが学問だと勘違いしている人は今でも多いよ。
理論構築をしたことの無い連中が脱構築を説いて廻っても説得力が皆無なんだがね。

710 :考える名無しさん:2006/08/03(木) 00:09:57
>709
脱構築って何ですか?

711 :考える名無しさん:2006/08/03(木) 01:15:54
哲学とは「自分」の学問であるので、ちょっと数物とは比べられないかもね。
数物を学問する自分を学問し、散歩する自分を学問し、カレーを食う自分を学問する
学問(しつこいね……)なので、生まれる考えも、かなり主観的なものになる。
その主観を互いに言い合い、ある普遍性を見いだしたり、発想や発見を楽しむもの
なんだ。そして優しさや愛情、善意を重要視するのも、コミニュケーションを
円滑にし、情報交換をしやすくするためと言える。
よって哲学とは智を愛するがゆえに生まれたシステム、と言えるだろうか。
まあ、自分は何となくそう思うわけよ。

712 :考える名無しさん:2006/08/03(木) 01:20:08
ポストモダニズム建築の代表作を3つ挙げよ【配点:10点】

713 :考える名無しさん:2006/08/03(木) 01:47:20
哲学を学ぶには数学が必須であることは判りました。
でも、具体的な方法論を提示できる人はここにはいないようですね。

714 :考える名無しさん:2006/08/03(木) 01:50:00
きゅうりのヘタを切り離して、切り口を摺り合わせること三十回。
そうしたら、アクのとれたきゅうりになる。

715 :Limahl:2006/08/03(木) 01:53:33
>>711
ふんふん。
でも非科学的なこと述べていい道理はないし、
そういうバランス感覚は、骨が折れるけれども、やりがいもある。

716 :てんねん:2006/08/03(木) 02:09:57
「考える」こと自体を考える行為のことかも。
だから「考えない」ことを考えるわけではない。


717 :てんねん:2006/08/03(木) 02:19:46
「思いつく」「気が付く」「検討する」
「予定する」「計画する」なども入る。
「思いつく」…証明方法を思いつくなど
「気が付く」…関係に気が付くなど
「検討する」…思いが事実か確認するなど
『自分をどう運用するか』についての思考作用のことと思える。


718 :考える名無しさん:2006/08/03(木) 04:20:54
>>703
> 俺の言いたいことは、「概念や仕組みの理解」と「計算技術や問題解法の習得」とは、
> 区別できるし独立に学ぶことができるよ、ということね。(こういう立場が
> 「ファインマン物理学」や「物理科学のコンセプト」の立場である。)

問題演習には、理解が不十分な箇所を発見するという目的と、
理解をさらに深めると云う目的があり、この二つが問題演習の
主たる目的だ。君は、「概念や仕組みの理解」と「計算技術や
問題解法の習得」という分類をしているが、問題演習の主目的が
抜け落ちている。このことから、「この人は問題演習をしたことが
無いのではないか?」という疑問が生まれてくる。

理数系の出来の良い学生を何人も見てきたが、問題演習をせずに
キチンと理解できた学生など聞いたこともない。
問題演習をせずに判った気分になっている学生の理解など、
その殆どは誤読と妄想の集積物に過ぎない。
失礼を承知で書かせてもらうが、君が理数系トップクラスの
学生たちよりも数学・物理の学習能力が高いとは思えないのだよ。


719 :考える名無しさん:2006/08/03(木) 04:30:44
とびきり優秀だと学部レベルでは問題演習の必要がない人もいますね。
もちろんゼミに入って英語仏語等の標準的なテキスト読むような段階では、
当然話が違ってきますが。

720 :599:2006/08/04(金) 00:10:49
>>718
レス少し遅れたかな、もうやめようかと思ったんだけど、真面目に書いていたとしたら失礼だから一応書いとくことにしたよ。
ああ、でも、おれのレス全然読めてないじゃん(読む訓練のほうは大丈夫?俺の文が下手ならごめんだけど・・・)、君はずっと同じこと言ってるだけだよ。
だから、もう君に反論する必要ないな。すべて前のレスで終わってるし、(今日も?)ポイントがずれているだけで、対立してないから。
ある意味では、ほとんど君に賛成なんだよ。
ただし、補足説明をして、君の感情的カッテ読み?を晴らす足しにしとこう。

まず確認しとくと、理系(特に専門)なら、概念や仕組みの理解だけではダメで、具体的な問題解法や計算にも習熟しないといけないのは自明だ。いらないなんてどこの誰が言ってたのかなあ・・・
また、概念や仕組みの理解についても問題演習はあるに決まってるよね。

概念や仕組みの理解」と「計算技術や問題解法の習得」とを区別して独立に学習することは、アメリカでは盛んになりつつあるそうだよ。(「物理科学のコンセプト」調べてみてね。この本書いてるヒューーイット先生たちは、前者の教育を先に徹底するそうだ)
ただし、ランダウ大博士のように、前者の教育を脇に置いて、後者の教育を最初に徹底する人もいるから、
いろいろな学習方法があるわけ。(いうまでもなく、どの方法が正しいかではなく、学習者のタイプや目的に応じて柔軟にやるのが一番いい。)

これで疑問は解けたかな?これ以上の議論の進展を望むなら、きちんと俺の文と「物理科学のコンセプト(前書き含めて)」を読んでみてね。
そして、これからはつまらないプライドや意地を捨てて、コンプレックスのエネルギーをいいほうに使えよ。(2ちゃんはやめたほうがいいかも・・・)







721 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 22:55:08
そもそも、哲学とは何かということがはっきりしてないから、
哲学とは何かさえも哲学の問いでしょ。

722 :711:2006/08/04(金) 23:11:39
>>711で書いた文章がアレなせいか、>>715の言いたいことがよく分からんのね。

723 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:12:40
人が真理を語るのではなくて、真理が人に語らせるのだ。


724 :Yukko:2006/08/04(金) 23:13:09
ええ、それで「哲学は客観的事実を追求するものか倫理的問題を考えるものか」という角度から「哲学とは何か」を考えようとしたんです。
そして、「上記のような対立は近代における科学の誕生と関係がある」という考えを発表したところ
「(理工系大学でやっているような)科学を分かっていない人が科学について議論するのはいかがなものか」という意見が出て
「では分かるとはどういう意味か」という議論に発展して今に至るわけなのです。
私は事実と価値の話に戻りたいのですが

725 :Yukko:2006/08/04(金) 23:17:17
すみません、>>724>>721への応答です

726 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:20:39
哲学とは、理解しているフリを装う高等技術なのだよ

727 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:25:07
>>726
哲廚を騙すのは簡単だが一般人を騙すのは至難だぞw
>>599の長々としたカキコは読む気がしないがコイツが物理も数学も全然わかっていないってことは素人の俺にも良くわかるww

728 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:25:57
物理や数学を日常言語でかいてみろ

729 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:26:38
哲学の真髄は論理学である

730 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:32:24
もっともらしいことを云ってる奴が理解しているかどうか調べるには
教科書の練習問題・章末問題を解かせるとよい。
技巧的な問題は解けなくても仕方ないが、基本を問うような問題は
解けないといけない。基本的な問題が解けないってことは基本を
判っていないってことだ。これは論理学も数学も一緒だ。

731 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:36:37
>>724
どんな知識をどの程度使って哲学の素材にすればいいいかということは、問いの内容が決めること。
だから、何をどのようにどれだけ学ぶべきかさえも、自分で考えるしかない。
定番の哲学問題に取り組めばいいだけなら、とりあえず古典を徹底的に学ぶべし、で済むんだけど。
科学哲学も同じかな。科学の何を哲学したいかで、学ぶべき知識の質や程度が変わってくる。
この自由さが哲学の価値というか本質であり、危うさでもあるんだろうね。
事実と価値の問題も、どんな事を正当化し基礎付けしたいのか、によって、多様な議論ができる。

732 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:38:43
誰か純粋理性批判の要約お願いします

733 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:45:18
論理学は狂人のやるものだっていう人もいるよ。

734 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:49:52
哲学能力=詭弁能力+α
α=?

735 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:51:41
せめて高校の倫理の教科書でも読んどけよ

736 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:53:51
論理学の練習問題を解かない人の「哲学」は言葉遊びの域を出ていない。

737 :考える名無しさん:2006/08/04(金) 23:55:38
弁証法論理学はどうよ

738 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 00:05:13
ようどは学理論法証弁

739 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 00:06:51
















740 :Yukko:2006/08/05(土) 00:15:03
>>731さん
レスありがとうございます。
私がやりたいのは「善美などの価値は主観的なものではなく客観的に存在する」とすることによって
価値と事実の対立を解消することでした。
だから、科学や科学哲学が話の中心ではなく、哲学史の知識の方が必要なのだと思います。
もちろん科学哲学からの批判も役に立つものとして歓迎してはいましたが、
そこに哲学をやったことがない(と思われる)科学者、さらに荒らしもきたので科学や理解の話になったのです。

741 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 00:29:23
共同主観性と規範

742 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 00:46:44
学問すべてに共通することなんだが、地道な基礎固めが重要
哲学といえども学問である限りは基礎固めは必須

743 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 01:23:44
基礎、基本が判っていない輩に限って大言壮語したがるもんだ。

744 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 01:41:32
基本は思想史でしょ

745 :Limahl:2006/08/05(土) 02:03:32
>>722
つまり、実証が効かないフィールドでの言いたい放題であっても、
非科学的なことを言ったり信じたりするのは言語道断。
また、実証の効くことばかり追っても、それは事実の報告でしかない。
その事実から、何を如何に考え話し合うかが大切。
…という極々当たり前の内容の、同意同感の印しです。

>>724
>「哲学は客観的事実を追求するものか倫理的問題を考えるものか」
哲学の存続を望むなら、両方でなくてはなりません。
ちょっと、>>296>>297をご覧になってください!
【真】を理想とする営為と、【善美】を理想とする営為と、二つで一つです。
両者がいがみ合えば合うほど、双方とも哲学としての存在性を損ねていきます。

科学を学んで、倫理や美を無視していたら、単なる事実の報告と知識の実用化で終わってしまいます。
形而上学が存在や認識ばかりを扱うと、言っている本人がちゃんと理解しているのか怪しい、難解な言葉の塊になります。
倫理ばかりに拘れば、最後は宗教に至って抜け出せなくなります。
詩に熱中していたら、実証の効かないことばかり叫んで、いい気分になっている仙人になってしまいます。

いずれの場合も哲学的営為でないし、しかしまた、いずれもなくてはならないのだ、と思います。

746 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 02:28:25
思想史と論理学が基本
マイ哲学やマイ考察に逃げるのは落ちこぼれだお

747 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 03:46:58
「哲学は諸学問の基礎」という言葉ほど誤解されやすい言葉は無い。
哲学を修めるには諸学問の基礎を修める必要がある、というのがその本義だ。
日本の大学で教えているのはあくまでも思想史や論理学に過ぎない。

748 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 04:03:25
思想史なんて哲学じゃなくて哲学学じゃね?
哲学ウォッチャーにすぎないだろ
このスレみたいに

749 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 04:18:09
>>747
日本の哲学科では哲学を教えていないor哲学を学べないってことね

750 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 04:28:37
本人次第だろ
哲学ほど主体性を要求する学問はないよ

751 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 04:31:29
日本の哲学科だと思想史・哲学史の詰め込みに忙しいから「諸学問の基礎」を学ぶ余裕はなさそう。

752 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 04:40:24
哲学を陸上競技に例えるなら十種競技(デカスロン)だろう。
十種目全てでトップレベルの成績を残さないと勝てないから、
勝者はキング・オブ・アスリートとして絶大な尊敬を集める。

753 :711:2006/08/05(土) 05:31:19
>>745
では聞かせてもらうけれど、なぜ非科学的すぎる哲学が言語道断なの?
それじゃあカレーを自由に哲学できないじゃん。

754 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 09:06:58
哲学がなんだかわかったよ

哲学は自分の考えていることについて自由に考える学問だろ
絶対そうだね

755 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 09:19:12
>>752
いや、あれこれ口出すだけで実はどの種目についても能力はほぼゼロの
したり顔の解説者

756 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 09:35:06
学問の魂


757 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 09:48:52
・あるとこはどのように考えられるべきなのか
・あるとこはどのように解釈されるべきなのか
・あることはどのように意味づけされるべきなのか
これらの作業過程を哲学とうのかな?



758 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 15:22:39
>>747
諸学の基礎といっても全ての学問において専門家レベルまで勉強する必要はない。
学部2,3年生程度の水準で十分。

法学ならば主要学説を押さえていれば十分で、細かな条文まで理解する必要は無いし、
経済学ならば教科書の練習問題が解けるレベルまで勉強しとけば十分。

理数系の科目も教科書の練習問題が解けるレベルで十分。
実験技術を修得する必要はないよ。

759 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 15:26:34
【哲学を修めるには諸学問の基礎を修める必要がある】というのは
勘違いだと思いますが・・・
そもそも【哲学を修める】って何だよ・・



760 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 15:33:27
哲学科や哲学書にお布施を納めるということだろう。

761 :Yukko:2006/08/05(土) 15:41:27
>>745さん
なるほど、>>296>>297はすでに拝見させていただいていたのですが、自分の問題と結び付けて考えることはしていませんでした。
改めて指摘していただきありがとうございました。
たしかに、善と美が同一のものであるという発想は聞いたことがあるし、西洋では馴染みのあるものなんでしょうね。
この話をお聞きして、ぜひこの観点からも考えてみたいと思いました。>>296で紹介してあった本にはもっと詳しく書いてあるのでしょうか?
哲学が倫理と事実の両方を扱うべきだというのは、私もまったくその通りだと思います。
私としては、倫理的問題と事実の探求は全く対立しないということ、むしろ同一のものでさえあることを示したいと思っています。
私が見たところ、プラトンでは一つの著作で価値と事実の両方を扱っているのに、近代では2つを全く別の問題として扱っているように見えるのです。
それで、この間の哲学史に何が起きたのだろう?と調べているわけです。

762 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 15:50:30
>>761
プラトンにとっては理想(イデア)そのものが【真理】であったが、
現代人にとっては、自分の理想がそのまま真理であると考えたら
あまりに素朴な考えだと一蹴されるね。
プラトンの時代から現代の間には、様々な思想が現れ、したがって
様々な【真理】が現れた。
だから【真理】そのものが相対化されたということでしょう。

763 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 15:54:18
倫理についても同じ。
様々な時代、様々な地域に、様々な【善】があることを知った
現代人は、【善のイデア】があると信じるほど素朴ではいられなくなった。

764 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:13:21
哲学を難しくし、哲学から叡智を追い出してしまっているのが、哲学というジャンルを作った奴等の作戦なのだよ。
哲学は単純だ、要するに人間はサルや犬と同じ遺伝子の命ずるままに生きる動物ってことだ。人とサルを識別する唯一のモノは、戒律主義者か否かってこと。

765 :Yukko:2006/08/05(土) 16:37:07
>>762-763さん
ご指摘ありがとうございます。
倫理についてですが、この世には多様な価値観があるということは古代ギリシャ人も知っていたと思います。
ソフィストのプロタゴラスは「人間は万物の尺度」と言ったそうですし、
政治家ペリクレスは「最近では神殿が敬われなくなった」と晩年に嘆いていたそうです。
この時代にはすでに相対主義・懐疑主義が力を持っていたのではないかと思います。
(ここには歴史をやってる人はいないでしょうか。いたら私が変なことを言ったとき指摘してほしいのですが)
プラトンはむしろ、相対主義を知ったうえで克服しようとしたのだと思います。
「一つのものが「正しい」とも「正しくない」とも思われることがあっても、「正しい」というそのことが「正しくない」となることはあり得ないのではないか?」(納富信留「プラトン 哲学者とは何か」)
この発想からイデア論が生まれたのだと思います。

766 :Yukko:2006/08/05(土) 16:46:19
>>757さん
それは私の哲学観にかなり近いですね

767 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 16:51:58
>>765
まあソフィストたちが相対主義的発想をしていたのはそのとおりだと思いますが、
当時は現代のように形而上学批判がなされつくした時代とは違って、プラトンのような
理想主義はむしろ新鮮だったのだろうと思います。
哲学は唯物論で始まったといわれるように、ミレトス学派のアルケーの思想は唯物論的な
ものであって、プラトンとともに観念論が始まったわけですが、
こういう見方も、哲学史を相対化して見る現代の我々だからできることであって、
プラトン自身は【観念論】の創始者とされるなんて夢にも思わなかったでしょう。
プラトンにとってはイデアは【観念】どころか真の実在なんだからね。

768 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 17:13:27
だからミレトス学派の唯物論が、現代人から見れば素朴な唯物論であったのと
同じように、プラトンの観念論も現代から見れば素朴な面が非常に多いですね。
霊魂不滅を哲学として証明できると考えていたところなんかも今から見れば
微笑ましいですね。


769 :考える名無しさん:2006/08/05(土) 18:05:32
そういうわけでプラトンの時代には哲学的【真理】と【倫理】(宗教も)の区別もあまり
意識されていなかったのだろうと思います。
そういう意味では、現代の哲学とプラトンの時代の哲学を大きく隔てたのはやはりカントでしょうね。
カントが『純粋理性批判』で、霊魂不滅を証明しようとするような哲学を、独断的形而上学として
批判して、さらに『実践理性批判』を書くことで、純粋理性による哲学的認識と、実践理性による
宗教的、倫理的判断を区別したことによって、哲学と道徳と宗教の区別、【善】と【真理】の区別が
現代のように明確になってきたのでしょう。

770 :Limahl:2006/08/06(日) 01:26:49
>>753
何言っても、真偽が全く定かでない虚空に向かって、物言っている気がするんです。
やるせない空しさに、やる気を損ねてしまう…。
そんな自分で構わないんであれば、お付合いしますヨ。カレーの哲学…。

>>761
いや、自分としても、「かつて倫理の探求と事実の探究とが何で対立してたんだろうナァ」と、
情けなさと共に不思議に思うことしばしばです。
二つとも大事で、二つとも大事だと、哲学するしかないんです。
という自分の話しは置いといて、哲学史的には…、

と言っても酒入っているんで、また今度にしましょう。
>>296の本には、もっとずっと詳しく書いてありますとも!
それをほんちょっと応用しただけです。

771 :哲学者?:2006/08/06(日) 22:09:05
>>765
「善美などの価値は主観的なものではなく客観的に存在する」ということは、
経験的判断か、先験的判断か、立場上の要請や公理か、それとも別の何かですか?
どれであれ、共感はしますが。

私は、価値を、客観的な(普遍的な)価値、ほどほどに客観的な(一般的な)価値、主観的な(特殊な)価値の3つに分けて考えていますが、
どれに分類すべきか迷うものも多いんですよね。
どういう基準である価値が客観的かどうかを判断してますか?



772 :711:2006/08/07(月) 02:15:32
>>770
あなたの意見を否定する気はないんだよね。
なぜなら正しさは決めるものではないと思うからなんだな。

そして不思議に思うのは、哲学で「食」がそんなに語られないこと。
生死に直結する問題なのに。

773 :考える名無しさん:2006/08/07(月) 03:18:11
ここに狂ったDQNがいます(ノA`)
論破してやってください

http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/car/1154334009/189

774 :考える名無しさん:2006/08/07(月) 03:51:38
少しでも考えたならそれは立派な哲学だ

775 :考える名無しさん:2006/08/07(月) 23:23:26
哲学は、統一的で固有の、研究方法・目的・対象・主題がないので、
学問とはいえない。
あえて言えば、学問の卵だ。

776 :Yukko:2006/08/08(火) 00:48:03
>>677-679さん
レスありがとうございます。カントの話はいつ話しだそうかと思っていたんですけど、ちょうどいい機会だから今言いますね。
授業ノートを探して正確に書こうと思ったけれど、見つからないので言い回しは正確にできませんがご了承ください。
カントが魂の不死論証を批判したとき、「理性が働くためには感性を通して取り入れたものを素材として使わなければならないが、
魂の不死については材料となる感覚的対象がないから、魂の不死論証は不可能」という結論に至っていたと思います。
これは裏を返せば、「理性は無限に信用することはできないから感性にも頼らなければいけない」ということで、
それはさらに言えば「理性が完全に信用できるのであれば魂の不死は論証できる」ということにならないか?と私は思うのです。
神の存在証明批判ではこの点がもっとはっきり見られると思うので、また書かせていただきます。

777 :Yukko:2006/08/08(火) 00:56:20
>>770さん
ありがとうございます。前にこのスレの人に紹介していただいた『哲学入門以前』を読みおわったら探してみます♪
ショーペンハウエルはまだ手を付けてない…夏休み中には読まなきゃ…
ところで、ハンドル名の読みは「リマール」であってますか?

778 :Yukko:2006/08/08(火) 01:23:24
>>771さん
お久しぶりです&レスありがとうございます。
私は、「哲学するためには、言葉が実在を反映していることを前提にしなければならない」と思っています。
なぜなら、人間は言葉を使わずに何かを考えることはできない(と言われている)ので、言葉が実在を反映していなければ、何を考えてもただの言葉遊びに過ぎなくなってしまうからです。
そして、この前提から価値の実在を導きだすことができると思っています。
だから要請といえばその通りかもしれないけれど、そうでないとも言えるような…そんな感じです。

価値を客観的なものとそうでないものに分けたうえで議論することは、正直考えていませんでした。指摘してくださってありがとうございます。
しかし、実際その辺の判断は難しいですよね。ある文化の中でだけ善とされている行為はその文化の中では客観的に善だけど、
他の文化の視点から見たら主観的…というか相対的なものに過ぎなくなりますものね。

779 :考える名無しさん:2006/08/08(火) 12:20:36
>778
先日、他のスレで哲学とは矛盾が有るが知ることを愛する、事と説明して戴き有難うございました。
確かに、philosophiaとは古代ギリシアでは知ることを愛する、として通用していたと思われます。
当時は学問の分化が行われて無い為に諸学全体の在り方を指し示した言葉としてphilosophiaは知ることを愛する、で良かったのだと思います。
諸学を行うにあたり知ることを愛しなさい、とは確かに道理に叶っていますがphilosophiaから諸学が分化、独立しphilosophiaが諸学の源となりし時から単に知ることを愛する、だけの解釈では収まらないと考えます。
philosophiaを哲学と日本語に訳したのは明治時代と聞きましたが、諸学の分化、独立後に訳された哲学と愛智の意は知を愛する為の方法を指し示しておりphilosophiaの進化が見られます。
哲学の哲は道理にあかるいこと、で道理にあかるく成るには物事の理を悟ればよい、物事の理を悟れば知能が育ち智恵を生みだせ、その智恵が探求心を育て人類社会に役立つ知を求める事の連鎖をおこします。
またの御意見をお聞かせ下さい。宜しく、



780 :考える名無しさん:2006/08/09(水) 16:45:55
初心者なんですけど、哲学というのは世の中の仕組みを論理的な言葉で説明しようとする学問じゃないんですか?

781 :考える名無しさん:2006/08/09(水) 18:06:30
>780
世の中の仕組みを論理的な言葉で説明すると言うことは、蒙昧的意識で賄われている世の中を論理と言う理を持って正すことです。
論理を語るには物事の理を悟らなければ理を含む論理は語れません。
ですから哲学の哲は道理にあかるいこと、の意味で有る哲を頭に哲学と名付けて有ります。
哲学というのは(1哲)道理にあかるく成り(2学)世の中の仕組みを論理的な言葉で説明する学問、と成ります。




782 :考える名無しさん:2006/08/09(水) 20:17:40
宇宙を含むこの世の存在の根拠の無根拠の根拠は何ですか?意見よろしくお願いします。
人間の存在は現実面で煩わしいから、今はいいです。人間の存在が関係するならば仕方ないですけど。人間の存在を絡めた意見でもかまいません。

783 :考える名無しさん:2006/08/09(水) 21:39:10
>782
質問の内容が私には理解しかねません。
正誤は分かりませんが、あえて答えるなら全て人の意識です、と思います。


784 :考える名無しさん:2006/08/09(水) 21:43:46
>蒙昧的意識で賄われている世の中を論理と言う理を持って正すことです
ここが日本語として意味不明。詳細説明キボンヌ。


785 :考える名無しさん:2006/08/09(水) 22:44:54
>784
人類史の全ては理に反し力を崇拝する蒙昧的意識に依って賄われている、と言って分かりますか?
蒙昧とは知識が開けず、物事の道理に昧いこと、ですね。
蒙昧主義とは権威と結びついた既存の非合理的思想を擁護し自由で合理的な思想に反対する態度、ですね。
この蒙昧な心を常に備え持っている、のが蒙昧的意識です。
哲学の哲は道理にあかるいこと、つまり理にあかるくなり、蒙昧意識で賄われている世の中を論理と言う理を持って正すことです。
道理にあかるく成ると人類社会が蒙昧的意識に支配、維持されている事に気づきますが、そうでないと理解できない、と言う難問が有ります。
早い話し、人が知恵を産みだす為には「物事の理を悟り」知能を育て無ければ智恵を産みだす事ができない、のと同じことです。
物事の理を悟らなければ理解できない、日本語として意味不明に成りますよね。




786 :Yukko:2006/08/09(水) 22:56:44
>>780さん
それはそれであっている話だと思いますよ。

>>781さん
「世の中の仕組みを論理的な言葉で説明する」ことは世界→人間(理性)に向かうはたらきで
「世の中を論理と言う理を持って正すこと」は人間→世界に向かうはたらきだからイコールでは結べないんじゃないですか?

787 :哲学者?:2006/08/09(水) 23:09:04
>>778
思考の素材と参考資料ありがとうございます。
Yukkoさんの言葉についての見解からふと考えたことですが、
言葉とは有限者たる人間が実在を見るためのメガネである、というふうに考えてみました。
こう考えると、より精度の高いメガネの研究と、それを実際に作ることが、哲学者の仕事(の一つ)ということになります。


788 :Yukko:2006/08/09(水) 23:45:12
>>787さん
(私、参考資料なんて挙げましたっけ?)
なるほど、既存の言語を使って考えるだけでなく新しい言語を作る訳ですね。
そうすると、なぜ新しい言語が作れるのかが問題になってきますね。
新しい言語の方が以前の言語より実在をよく表わしていると知るためには、言語を離れた実在を知らないといけない…?
どうでしょう?

789 :考える名無しさん:2006/08/09(水) 23:45:50
>786
そうかなあ?
理論的な言葉で説明するとは「理を説く」ことで理を持って正すことになりませんか?

790 :考える名無しさん:2006/08/09(水) 23:55:10
言葉の意味を曖昧にせず、明確にするのに新しい言語が必要ですね。
食欲の変わりに食望とか、洗脳と汚脳、好転を幸転などは使っています。

791 :哲学者?:2006/08/10(木) 00:31:06
>>788
(参考資料というのは、あなたの言葉全部が思考のための参考資料という意味でしたw)
なるほどそういう理路になりますね。
そうなると、言葉と離れた次元で実在を知るには、直観しかないと思います。
先に対象(=イデアの影?)を直観してないと、対象・実在をより精確に表す言葉をつむいでいくことはできませんから。
先に何らかの次元で知っているからこそ、より精確に知ろうとすることもできるのではないですか?




792 :考える名無しさん:2006/08/10(木) 01:17:30
>>785

もうまい 0 【▼蒙▼昧】

(名・形動)[文]ナリ
暗いこと。転じて、物事の道理に暗いこと。また、そのさま。

>>人類社会が蒙昧的意識に支配、維持されている事に気づきますが、

ということですが具体的には、人類社会のどういったところに
それを感じますか?



793 :Limahl:2006/08/10(木) 02:10:22
>>772
う〜ん。食生原罪で悩んでベジタリアンになる人もいますけど。

>>777
リマールで合ってます。哲板のやり取りと読書と学校の勉強と、大忙しですね。
それぞれ関連性が乏しい事柄を上手く一つにまとめられるか、
広汎な問題の群れのなかに、己の挑むべきテーマを明確にできるか、
強く試されている時じゃないでしょうか。

794 :考える名無しさん:2006/08/10(木) 02:37:29
>792
理を悟ると全てを明らかに感じ取ることができますが、具体的に指摘して下されば説明しやすいのですが。
例えば、戦争、貧困、民主主義、子育て、歴史、その他の人の心が産みだす事象の全てに付いてです。
人類史の全ては理に反し力を崇拝する蒙昧的意識に依って賄われていますので物事の理を悟れば理に反するもの
の全てを感じ取り正しい答え(智恵)を産みだすことができます、とお伝えしています。
人類社会が物事の道理に昧い(くらい)から哲学の哲は道理にあかるいこと、を指しているのです。




795 :考える名無しさん:2006/08/10(木) 09:25:44
>>774ありがとう!
           >756

796 :711:2006/08/11(金) 01:10:16
>>793
ベジタリアンかあ……。
食料確保、または健康維持という理由でなら分かるけれど、食生原罪で悩むまでになると奇妙に思える。
例えば医薬品の開発では、動物実験を行わなければならないし、その過程で死亡する動物はいるだろう。
そして病を患ったとき、そういう薬の使用はどうするのだろうか? できるだけ拒否するのだろうか?
好きなひとが、お肉をモリモリ食べてたら、それだけで幻滅してしまうのだろうか?
尋問されるときに、「吐かないなら、この牛さんを食え! いっぱい食え!」とかやられたら、
あっさりと吐いてしまうんだろうか? 違う意味でも。
まあ、これらは冗談半分にしても、ちょっと生きづらい人生になるだろうなあ。

797 :考える名無しさん:2006/08/17(木) 03:21:53
あげ


798 :Yukko:2006/08/17(木) 22:26:00
お久しぶりです。忙しくてなかなかレスできずすみませんでした。

>>790さん、>>791さん
ご指摘ありがとうございます。この点についてどこから説明しようかとしばらく考えたのですが、やはり神の存在証明を取り上げるしかなさそうです。
中世の哲学者アンセルムスによる神の存在証明は
@神は最も偉大(大きい)
A最も偉大なものは存在する。なぜなら、最も偉大だけど存在しないものより、最も偉大でかつ存在するものの方がより偉大だから。
Bよって@Aより神は存在する
というものでした。
これを読むとたいていの人が「ん?」と首をかしげるのではないかと思います。
私は「あれ?じゃあ存在するってどういうことなのだろう?」と思いました。
(続く)

799 :Yukko:2006/08/17(木) 22:52:43
>>798の続き
これは、神の定義から神の存在が証明できるというものでしたが、カントから次のような批判がありました。
(以下は永井均先生の著作から引用、この後の議論も永井均先生の論を意識して書いています)
定義上「立方体で赤くて軽くて小さい生き物」を考えると、それは定義によって立方体で赤くて軽くて小さい。
その定義に「存在する」を加えると、それは定義によって存在もするようになる。
(中略)しかし、そうなったからといって現実に存在するようになりはしない。(引用おわり)

この批判は確かに当たっている訳ですが、しかし、アンセルムスの証明は言葉の上では成り立っているのであって…
この証明を否定することは「思惟することとあることは同じことである」(パルメニデス)という立場を否定することであり、
それはつまり「人間の理性は当てにならない」と主張することと同じだと思うのです。
ただし上2行は理性=言葉とした場合のことであって、
言葉を離れたところで直感によって何かを知ることができる(永井均先生もこの立場だと思いますが)立場なら当てはまらないことになります。
(まだ続きます)

800 :Yukko:2006/08/17(木) 23:03:36
>>799の続き
それで、ようやくレスですが、
>>790さん
言葉の意味を明確にするために新しい言語を作るというのは、実在をより反映させることなのでしょうか?
すなわち、意味=実在なのでしょうか?

>>791さん
私としては、上に挙げた神の存在証明や魂の不死論証、善について語るときに言葉の限界が明らかになり、直感がはたらく余地が生まれると思うのです。
それ以外で直感を使う場面は私は思いつかないのですが、何かありますか?

微妙に正面から答えられていないですが…今思いつくのはこんな感じです。

801 :考える名無しさん:2006/08/17(木) 23:07:39
純粋な三角形(つまり三角形のイデア)は「現実のモノ」としては存在しないが、
極めて近いモノは幾らでも見出すことができる。



802 :Yukko:2006/08/17(木) 23:10:58
>>801さん
すみません、どのレスに対する応答ですか?

803 :考える名無しさん:2006/08/17(木) 23:14:56
>>802
定義を考えるとは、イデアを明確にしようとすることですよ。


804 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/17(木) 23:28:50
哲学は「正しさ」を提供し続けたのですね。
権力は、都合の良い「正しさ」を使い、イデオロギー化して、正当性をえる。
それもファシズム、マルクス主義で終わりを告げた。



805 :Yukko:2006/08/17(木) 23:35:48
>>803さん
なるほど、そこへの応答だったのですね。説明ありがとうございます。
私としてはイデアは実在していると思うのですが…
私の読み方が間違ってなければ、803さんの「イデアに似たようなもの」は感覚によって捉えられる世界にあるんですよね?
それでは、803さんは直感=感覚という立場ですか?
(もし私が的外れなことを言っていたら遠慮なく言ってくださいね)

806 :Yukko:2006/08/17(木) 23:38:04
>>804さん
すみません、それもどのレスに対する応答か分からないのですが…(汗)

807 :考える名無しさん:2006/08/17(木) 23:40:49
イデアとその「顕現」ということを考えるなら、三角定規にも三角形のイデアが
顕現しているという言い方もできるかと思います。
同様に、富士の「ご来迎」に神が顕現していると「見る」人があってもおかしくは
ないわけです。

808 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/17(木) 23:42:44
別にどこということはないのですが…(汗)

809 :Yukko:2006/08/17(木) 23:48:08
>>808さん
了解です

810 :Yukko:2006/08/18(金) 00:07:34
>>807さん(=>>801さん=>>803さん、ですよね?)
なるほど、目に見えるものはイデアを顕現していて、だから目に見えるものを通して実在を直観的に知ることができる、ということですね?
このまとめ方で合ってますか?

811 :哲学者?:2006/08/18(金) 00:24:50
>>800
内容の濃いレス毎度ありがとうございます。
あなたが言われたこととほぼ同じですが、存在とか思惟を突き詰めていくと必ず、言葉以上の何かが直感されます。
(でもひょっとしたら、どんな言葉を使う場合でも、言葉以上の何かをわずかに直感しているかも知れませんね。
私は前レスで、言葉は有限者たる人間が実在を見るために不可欠のメガネであるといいましたが、
言葉自体がある種の存在であり、存在の一面である、とも言いたいと思います。)

あなたが言われるようなこと、言葉の限界に直感がはたらく余地が生まれるということは、
言葉(でかんがえられるもの)は存在の一面にすぎない、ということの証明だと考えられないでしょうか。
「思惟と在ることとは同じことである」を今の文脈にあわせて言い換えてみますと、
「存在=言葉(で考えられるもの)+直感(されるもの)」とするとよいのではないでしょうか?

いちおう最後に現時点での卑見をまとめておきます。
私は、言葉と直感は、存在の一面・断片であると考えてます。
そして、その中でもより実在的で本質的なものが、哲学的言葉や哲学的直感ということになります。
有限者=人間は、この断片を通して(使用して)しか考えられないわけです。
だから、哲学とは、言葉や直感という断片を使いながら、諸断片をつなぎ合わせたり組み立てたりして、存在(の全体像)・実在を完成させていく作業とみなせます。
(これに対照すれば、無限者の思惟も照明されることになります。
ちなみに私は、哲学的神=普遍的神と、宗教的神=特殊的神とは区別したいと思います。)

812 :Yukko:2006/08/18(金) 00:25:11
改めて>>804さんにレス
哲学が権力によって利用された、という話で私が思い出すのは古代アテネの三十人政権なんですよね。
これはソクラテスの弟子が関わった恐怖政治で、ソクラテスが処刑されたのもこの責任を取らされたという面があるのですが、
プラトンはこれを見て大いに悩んだだろうと思います。
そして、彼らが何を間違ったのかを哲学したし、その事件の後も正義とは何かとか、理想の政治とは?などと考えていった訳ですよね…
そのやり方が、一度現実を離れてイデアを考えることでしたが。
私たちも、ファシズムやマルキシズムによって哲学が正しさを与える時代が終わったと考えるより、
何が間違っていたのか考察して新しい哲学を考えてみるべきだ、と個人的には思うのです。
とはいえ、私も「一度現実を離れてみる」試みの真っ最中ですから、今すぐ政治について何か言うことはできませんが…

813 :ぴかぁ〜 ◆q5y3ccmqnw :2006/08/18(金) 00:35:05
>>812
ソクラテスの処刑と権力利用を短絡できるかどうか。偏見と言うべきでは。
古代アテネの三十人政権が問題だったかもあやしい。

新しい哲学というか、哲学の外ですね。

814 :Yukko:2006/08/18(金) 00:39:05
>>811さん
(すみません、眠気で思考力が落ちてきたので詳しいレスはまた次回でいいですか?)
なるほど…いま思いつく疑問は、言葉の限界とか直感という今みたいな話が万国共通なのか、言葉を信用しない国・日本に住む私たちに独特な思考なのかということですが…

815 :考える名無しさん:2006/08/18(金) 00:40:41
>>810
大体そうですが、直観に現れるものの真理性は必ずしも保証されていません。
大きな円周の小さな一部は直線として見られることもあり、又それが間違いとも
言えません。


816 :哲学者?:2006/08/18(金) 23:21:24
>>814
直感と言葉は不可分であると思います。
言葉がなければ、それを超えた直感もありえないと思います。
ある直感を神の直感と認識するためには、神という言葉が必要ですから。
直感か言葉かというのは、文化・思想に応じた程度問題だと思います。
ある文化では直感をより重んじ、別の文化では言葉をより重んじる、というわけです。
ちなみに知覚は言葉と直感の中間とみなせると思います。
あなたの話とずれてきていたら申し訳ありません。

817 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 09:56:35
>>799
>それはつまり「人間の理性は当てにならない」と主張することと同じだと思うのです。
>ただし上2行は理性=言葉とした場合のことであって、
>言葉を離れたところで直感によって何かを知ることができる(永井均先生もこの立場
だと思いますが)立場なら当てはまらないことになります。

「理性」にも「直感」にもいろんな意味があるので、「理性」や「直感」などの語を
どういう意味で使っているのかをもっと明確にした方が良いと思います(これは哲学者?
さんにも言えることですが)。
まず理性について言えば、話題に出ていたカントの場合、神や霊魂の不死などの問題でア
ンチノミーに陥るのは、「理論理性」です。そしてカントは『実践理性批判』で、
「理論理性」に対する「実践理性」の優位を主張し、神や霊魂の不死は理論的には
証明できないが、道徳命令を成立させる根拠として承認しなければならないものである
としました(「実践理性の要請」)。
「理性は当てにならない」というより、カントが『純粋理性批判』の序文に書いたように、
理性は自分では解くことができない難問を生み出してしまう。カントはそれを実践理性の要請
という形で解決しようとしたわけです。

「直感」について言えば、大きく分けて感性的直観と非感性的直観(「知的直観」)が
あり、知的直観を重視する立場には、思考を真の認識能力と見る立場(アリストテレスなど)
と真の認識能力と見ない立場(シェリングなど)があります。
ギリシャの「ヌース」などの場合は理性と直観は対立しません。
また、言葉についても、言葉が直観と対立すると考える立場もあれば、たとえば「言葉は
存在の家である」とするハイデガーなどの場合のように言葉と直観が対立していない場合
もあると思います。

このように哲学者はそれぞれ「理性」や「直観」などの語をいろんな意味で使っています
が、Yukkoさんも哲学者?さんも用語の使い方があまり明確でなく、したがって
言いたいことがはっきりしないので、過去の哲学者たちの用法などを参考にして、
自分が「理性」や「直観」をどういう意味で使っているのかを明確にすれば良いと思います。

818 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 15:55:33
イデアとは遺伝子の働きことだよ。以下映画「ソフィーの世界」のセリフの貼り付け;
影が見えるね、「影」だ。プラトンは自然界の全ての現象は永遠の型、つまりイデアのただの影だと考えた。しかし、大半の人間は影に囲まれて満足している。
つまり洞窟で暮らす住民のようなものだね。彼らは洞窟の壁に映る影がどこから来るか考えることはない。洞窟を出ようとせず、したがって、太陽つまり真実を知らない。これがかの有名なプラトンの“洞窟の比喩”だ。

彼女たちよりも長く生きる。彼らは人間、わたしたちは・・・「何だね?」わたしたちは“イデア”。“永遠の型”よ。永遠の命。「プラトンのイデアの世界」

「死を避けるのは少しも難しくない。ただ走って逃げればよい。悪を避けることの方がずっと難しい。悪は我々より速い。人は皆いずれ死ぬ。私は今、死刑によって死んでいく。しかし悪と不正が真実によって裁かれるなら、・・・・・」(ソクラテスの毒薬による死刑前の言葉)

819 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 16:02:54
>>798 神とは遺伝子のことでしょう。
遺伝子の最大目的は子孫を残すことであり、創世記2-16に「神は言われた;我々にかたどり我々に似せて人を造ろう」とあることからも判るように、性欲喚起が遺伝子の最重要目標になっている。
創世記で我々と複数形になっていることがミソであり、性交が男と女の間で行われることから、神は人間に内在する遺伝子であることを創世記2-16は示唆しているのだろう。
また出エジプト記3-14にも遺伝子が神であることが示唆されている。
「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神はモーセに自らの名を啓示する。すなわちヤーベー(必然的存在)であり、意味はかつてあり、今もあり、永遠にあるものという意味。わたしは有って有るものと言わしめる存在」
アブラハム、イサク、ヤコブをハムスター、犬、人間、そして神を遺伝子と読み替えると、ヤーベーの正体が遺伝子なのだということが判る;
ハムスターの遺伝子、犬の遺伝子、人間の遺伝子はモーセに自らの名を啓示する。すなわち「必然的」存在であり、それは過去に有り、今も有り、永遠に有るものであり、遺伝子は有って有るものと言わしめる存在、、となる。
遺伝子の利益、あるいは神の利益は子孫を残すことであり、遺伝子はこの目的のために人間(動物)に多幸感の追求と恐怖心を与える。

820 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 16:08:03
革命とは遺伝子の指令に逆らうことなり。

恐怖を覚えたのか・・・自由というものの概念を新たにしただろうか?・・・人間の自由の尊さを思うことができるようになっただろうか?
自分たち自身が革命の一端を担っていることまで理解しただろうか?(アンソニー・ルーデン)

イスラエルが神に逆らうという意味であることを知ると、遺伝子と人間の関係がよりわかりやすくなる。

821 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 16:13:21
学問であり、科学であり、反証可能であり。
理屈である。

822 :考える名無しさん:2006/08/19(土) 22:05:43
「イデアの影」は単なる・・とか以上で、例えばコインや紙幣は「交換価値」の
イデアの影と言えます。イデアとしての「交換価値」が明確に意識されたのは
貨幣流通よりもずっと後の時代ではありますが。


823 :哲学者?:2006/08/20(日) 00:50:44
>>817
適切な指摘ありがとうございました。
私も分かりずらいかなと不安になってたところでした。
私が相手側の話に合わせたり、相手側もこちらに合わせたりで、お互いに、直感という言葉が混乱していったのかもしれません。
言い換えれば、流れで複雑化してしまったと言うところでしょうか。

直感と直観とは分けるべきかもしれませんが、以下では、いちおう直感に統一しておきます。
私が言ったところの直感とは、
第一には、説明や理屈ぬきで物事のポイントがイメージできる・分かること、です。
誰でも熟練すると、ある程度そういうことができるようになりますよね。天才だと熟練抜きでそういうことができるわけです。
第二には、言葉で表現できないもの・語りえないものが、言葉を通して・その限界上に見えること、です。
存在・倫理・論理などがそういう対象ですね。これらは、言葉での説明を超えているにもかかわらず、あるとしか言えない。
そう直感されるわけです。
(私の思想は、ハイデッガーの思想から少しヒントを得ている部分がありますが、
特別に誰かの哲学を意識して直感という言葉を使用していたわけではないので、上記以上の深い意味はありません。
まあ、古典的用語と上手くリンク出来ればいいのですが。)

824 :Yukko:2006/08/21(月) 00:37:19
>>817さん
ご指摘ありがとうございます。おかげで自分の論点を整理することができたように思います。
先に直感について話したいと思うのですが(私も直感で統一することにします)
私は感性的直感はできれば除外して考えたいと思っています。が、無視する訳にもいかない問題なので応答していました。
私が感性的直感を除外したかったのは、感性(感覚)を持ち出すと
外界→感覚を通して→理性(判断)
という構図ができてしまい、>>420のような問題が生じてしまうからです。
(感覚はパルメニデス以降の哲学史においても大問題となっていたので、いずれきちんと論じなければならないと思っています)
私は知的直感だけが有効なものだと思っているのですが、
知的直感によって認識できるのは永井均先生のいう「端的な今」「端的な私」などだと思います。
他にもあるかもしれませんが今のところ思いつきません。

825 :Yukko:2006/08/21(月) 01:06:57
>>817さん(続き)
>>799の最後の部分、確かに分かりにくいですね。すみませんォ
言葉だけが理性だとすれば、アンセルムスの証明を否定すること=人間の理性の限界を認めること
(=人間の理性は当てにならないと主張すること、だと思います。
アンセルムスの証明は言葉のうえでは成り立っているのだから)
となるけれど
言葉と知的直感を合わせたものを理性と呼ぶならこの等式は成り立たない、という意味でした。
永井均先生によれば、カントは「概念上の存在と現実の存在の差異を知性と感性という認識能力の区別に重ね合わせてしまった」のだから、
私(Yukko)の批判は永井均先生には当てはまらないと言いたかったのです。
この件について詳しく知りたい方は永井均先生の『私・今そして神』を見ればどこかに書いてあると思います。
私はそれのもとになった『ひねもすたれながす哲学』を見て書いているので何ページを読めとか書くことはできないので…

826 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 01:12:39
理性とは「理屈を考える能力」のことだからね。

827 :Yukko:2006/08/21(月) 01:22:46
すみません、読み返してみたら>>824も説明不足でしたね
感性について考え始めると
外界→感覚(器官)を通して→内界(理性・判断)
という構図ができてしまいそれが主体と客体の分離を生み出して>>420のような問題が生まれてしまうという意味でした(> <;)

828 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 01:40:40
>>827
人間にとっての「世界」は人間的世界で、ゴキブリに世界があるならゴキブリ的世界でしょうね。
犬には「色」は無く、モノクロ的な世界だそうですが。
「主」の構造に応じて「客」の現れが異なるわけでしょう。
ちなみに「砂糖の甘さ」は砂糖の自体的な性質ではなく、人間的(類的、標準的)な味覚にとっての
「現れ」ですね。



829 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 01:41:32


830 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 01:45:57
うーん。。。
何が言いたいのか良く分からないけど、
アンセルムスの証明は正しいといいたいのか?

831 :Yukko:2006/08/21(月) 02:00:09
>>823さん
ハイデガーですか…最近、私が考えていることとハイデガーが言っていることって何か関連があるのかな〜と思って興味をもっているんですが、結局勉強してないんですよね。
ハイデガーは古代哲学をよく研究した人だから、ハイデガーを勉強すれば必然的に古代の考え方をやることになるんじゃないかと思っていたのですが…その辺はどうなのでしょう?

それから、詳しい定義をしなおす前のものにレスしていいものか分かりませんが、>>811について
存在=言葉+直感だとしても、言葉で表せないものについては語ることができないから
言葉上では「存在=言葉」だと言うしかないんですよね。
つまり、
「存在=言葉」だと言うしかない

「存在=言葉」
だけれど、上の式を見る人の約半分が理解できないことからも分かるとおり
この問題は語ることによって封じ込められてしまうのだと思います。
(つまり上の式が理解できない人がいたとしても、それは頭の悪さが原因ではなく
表現できないことを無理に表現していることが原因だということです)

832 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 02:05:14
>ハイデガーは古代哲学をよく研究した人だから、ハイデガーを勉強すれば必然的に古代の考え方をやることになるんじゃないかと思っていたのですが…その辺はどうなのでしょう?

ハイデガーが評価してるのはソクラテス以前の哲学だね。
ソクラテスから哲学がだめになったという考えは、ニーチェと同じ。



833 :Yukko:2006/08/21(月) 02:09:29
ところで、今までに私の書き込みにレスをくださった皆さん。
私は9月の始めにゼミ合宿があって、そこで卒論の中間発表をする予定なんですが
皆さんがくださった指摘を卒論に取り入れていいですか?
自分のアイデアを勝手に使うな!と気にする人がいないか心配なんで…ダメな人は知らせてください

834 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 02:09:42
ハイデガーは「存在の棲家は言葉である」という表現をしているよ。


835 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 02:10:05
>存在=言葉+直感だとしても、言葉で表せないものについては語ることができないから
言葉上では「存在=言葉」だと言うしかないんですよね。

「直感」というのが良く分からないけど。。。
ヴィトゲンシュタインは「語りえないものについては沈黙するしかない」といった。
でも、「語りえないもの」を何とか語ろうとしてきたのが哲学だと思うのだが。。。

836 :Yukko:2006/08/21(月) 02:14:56
>>830さん
「アンセルムスの証明は正しかった」というより
「アンセルムスの証明は正しかったと言わざるを得ない」と言いたいです。

>>832さん、>>834さん
なるほど、勉強になります

837 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 02:17:07
>「アンセルムスの証明は正しかったと言わざるを得ない」と言いたいです。

うーん。。。
神は存在するという結論が正しいのですか?

838 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 02:24:06
言葉は喋ったり、書いたり、思考したりしないかぎり「存在」しない。
モノがあるようにあるわけじゃないからね。
勿論、伝達や表現などのためのものなんだけど。


839 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 02:35:00
言葉が存在することと、その言葉が指示する対象が存在することは
まったく別のことだと思うけど。。

僕の目の前にある「パソコン」はおそらく現実にも存在するが、
「電子」というのはたぶん科学上の仮説だろうから、現実に存在するかどうか僕には分からない。
「火星人」はたぶん現実には存在しないだろうと僕は思う。


840 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 02:45:59
>>839
特定の単語などではなく「言語」ですよ。
言語は言語的行為なしには存在しないといってるのです。


841 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 13:38:37
哲学の賢者と言い張るものが、この世の全てが偽物だと悟ったそうです。追い出してください。http://g-forum8.com/aibo/r.php/heartLand/67109/携帯から

842 :839:2006/08/21(月) 20:47:20
>>840
839は貴方へのレスではないです。
パルメニデスの「思惟と存在の同一」ということについて
誤解している人がいるように思ったので、
それについてのレスです。

843 :839:2006/08/21(月) 21:25:47
つまり何が言いたかったかというと、
パルメニデスの「思惟」というのは、
「言葉」というより「論理」なんだと思うんですよ。

844 :ある34歳の男:2006/08/21(月) 21:44:07
自分の生きる目的
今、頭の中にひらめいている。
自分が何者であり、これからどうすればよいかを。
常に集中力と忍耐と努力で、道は切り開かれる。そう、どんな時にも。
どのような境遇に置かれ様とも、冷静に周りや自分をみつめ、自分自身で決断を下せ。
自分はこの世の中に一人しかいない。貴重な存在であることを肝に命ぜよ。無駄ではない。
世界は広く、己の見識は常に狭い。そのことを常に自覚せよ。
自分に有利なフィールドで常に闘え。自分の姿勢に間違いがなければおのずと人はついてくる。
常に前向きに生きよ。ただひたすら前進あるのみ。
それが僕。けれども決して神ではない、勘違いをするな。罪深い一人の人間である。
与えられた条件や環境を無駄にするな。生かされていることに感謝しろ。
常に中立、公平、平等を信条とし、大局を見誤るな。それさえ見失わなければいいのだ。
迷うことがあればこれらを思い出せ。心が弱くなればこれらを思い起こせ。
人として生きるとはこのことである。この原点から現実を考えることをはじめよう。
人生、こう考えれば捨てたものではない。
2006年8月21日



845 :基地外:2006/08/21(月) 22:02:05

こいつバカじゃねーの?

846 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 22:41:25
>>845 苦労したんだよ、きっと。だけどあなたも構ってもらいたいんでしょ。自演乙。

847 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 22:45:05
俺たちにはATフィールドがある!

848 :哲学者?:2006/08/21(月) 23:12:26
>>Yukkoさん
ハイデッガーの注目していた古代ギリシャ哲学者は、プラトンとアリストテレスです。

前レスに関係する範囲でハイデッガー哲学に触れておきます。
「存在」と「存在者」とを区別する、というのが彼の哲学のポイントです。
「存在者」とは、生物・無生物など、普通に言葉で示されるもの何でも、のことです。
「存在」とは、多様な諸存在者を「それとして規定し立ち上げているもの」、(ラフに言うと)根源的運動・作用・力のようなもの、のことです。
さらに言い換えれば、多数多様な存在者をそのように成立させている「一つの何か」のことです。
ハイデッガーは、我々が何であれ存在者を語るときには、この「存在」に向けた理解(=知的直感?)が、常にあらかじめ働いていると、言っています。

私の勝手な表現とハイデッガー用語とをやや強引に対応させてみますと、
存在の断片が、存在者で、存在の全体・実体が、存在になります。

私の(未熟な)考えは、ハイデッガーから少しヒントを得てはいますが踏襲してはいませんし、
彼の専門研究をしてもいませんので、これ以上の深入りは避けようと思います。
蛇足ですが、ハイデッガーの言う「存在」は、永井均さんの「この私」やウィトゲンシュタイン「語りえないもの」などと関連させて考えてみても面白いかもしれません。



849 :考える名無しさん:2006/08/21(月) 23:16:11
>>847 ATフィールドは確かナイフで突き刺せば破れるんじゃないか?

850 :哲学者?:2006/08/21(月) 23:46:25
>>831
ご指摘のとおり、上記の等式は、
言葉で語った時点で封じ込められてしまうものを無理やり表現しているので、ほとんどの人に誤解されるかもしれませんね。
それでもあえて強引に訂正してみます。
存在=言葉(で示されるもの)+直感(で示されるもの)+X(+Y(+Z(+・・・?)))
うーん、これでも無理がありますねw

851 :哲学者?:2006/08/21(月) 23:47:32
>>831
ご指摘のとおり、上記の等式は、
言葉で語った時点で封じ込められてしまうものを無理やり表現しているので、ほとんどの人に誤解されるかもしれませんね。
それでもあえて強引に訂正してみます。
存在=言葉(で示されるもの)+直感(で示されるもの)+X(+Y(+Z(+・・・?)))
うーん、これでも無理がありますねw

852 :哲学者?:2006/08/21(月) 23:53:58
「存在」を無理に表現しようとしていくと、だんだん詩に接近していくのでしょうね。
そういえば、最後のほうのハイデガー哲学の表現は、ほとんど詩ですね。

853 :考える名無しさん:2006/08/22(火) 01:26:14
サルトル的には「存在はある、ただそれだけだ。そしてそれは無意味なのだ」となる。
更にハイデガーを批判して
「密かに存在に無やら神やら根源的一者なんかを忍び込ませ秘教化しようとしている。」
ということになる。



854 :考える名無しさん:2006/08/22(火) 09:37:21
知識の探求

855 :考える名無しさん:2006/08/22(火) 11:19:33
>>848
>ハイデッガーの注目していた古代ギリシャ哲学者は、プラトンとアリストテレスです。

ん・・・
ハイデガーは、「存在忘却」(これをハイデガーは『形而上学』と呼ぶ)の歴史の始まりとして、
プラトンを批判しているんですよ。
まぁ「悪玉」として注目していたとは言えるでしょうけど・・・

そしてハイデガーが真の思想家として注目したのは、アナクシマンドロスやヘラクレイトスなどの
ソクラテス以前の哲学者たちであって、特にその「フュシス」概念ですよ。

http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card57408.html

856 :考える名無しさん:2006/08/22(火) 11:35:17
上のリンクを読めばわかるように、プラトンのイデア論とともに、
「存在」が、「本質存在」と「事実存在」に分裂して、それ以来、
「存在そのもの」を思索することが不可能になったとハイデガーは見ているんです。


857 :考える名無しさん:2006/08/22(火) 12:07:49
またハイデガーは『プラトンの真理論』では、プラトンによって
古代ギリシャの真理概念であった「非隠蔽性(アレテイア)」が、
「正当性」という意味の真理概念に変質したということを書いていますね。
ハイデガーが本来の真理概念と考えるのはもちろんソクラテス以前の
「アレテイア」の方です。

858 :哲学者?:2006/08/22(火) 22:41:48
>>855
誤りの指摘ありがとうございます。
ただし、私は専門研究はしておりませんので強く反論はできませんが、
私が読んだうちの一人「細川亮一」さんの解説書では、プラトンと特にアリストテレスを評価していたと書いてありました。
例えば、プラトンは存在者に還元できないイデアを見出したという点で評価していたとか。
アリストテレスは、ハイデガーの哲学の骨格を与えた人という位置付けですね。
そして、ハイデガーは、プラトンの発展としてアリストテレスを捉えていたと言われています。
どちらにしても、誤りの指摘はありがたいことです。
いろいろな本でもう一度調べてみることにします。



859 :Yukko:2006/08/24(木) 23:04:20
みなさんレスありがとうございます。すべてに答えられるか微妙ですが、順番にレスしていきますね。

>>828さん
そのように「私たちに表れる世界」と「(主観から独立に)ある世界」を区別することにどれだけ意味があるかというのが
>>420で言いたかったことです。

860 :Yukko:2006/08/24(木) 23:22:25
>>835
「直感」は、言葉によっては表せないけれど分かる何かを指しています。
具体的には>>798>>799で説明した「言葉の上では成り立っている証明に“あれ、おかしいぞ”と気付くことができる能力」を指しています。
語りえないものを何とか語ろうとしてきたのが哲学だというのはもっともだと思います。
しかし私は、語り得ないものはやはり語り得ないんじゃないかと思うのです。

861 :Yukko:2006/08/24(木) 23:26:10
>>837さん
「神が存在する」というより、「神が存在すると言わざるを得ない」と言いたいです。
言い換えれば、神の存在は私たちの言語の中に含まれているということです。

862 :Yukko:2006/08/24(木) 23:37:45
>>838さん
言語というより指示対象のつもりで話していました。
ただ「指示対象」という言葉を使うと個物を指している感じがするかと思ったので、単に「言語」と言わせてもらいました。
今考えてみればどう見ても分かりづらかったですね、すみません。

863 :考える名無しさん:2006/08/24(木) 23:51:19
伝達されたり表現されたりすることは、伝達や表現されないと
そのものとしては存在できない。
伝達や表現は私のためのものでもある。

864 :考える名無しさん:2006/08/24(木) 23:53:01
哲学科の4年てこんなもんなの?
焦点定まってないし
科学とか学問が成立する根拠も考えてなさそうだし
哲学史の知識も偏ってるっぽいし

865 :Yukko:2006/08/24(木) 23:57:55
>>839さん
それは重要な指摘だと思います。本格的な議論が必要なところですが、すぐに言えることだけを書くと
まず、電子や火星人について考えるときでも、存在するものとしてしか考えられないという点を指摘しておきます。
また、電子や火星人について考えるときは「電子であるものとして」「火星人であるものとして」しか考えられず、
「電子でないものとして」「火星人でないものとして」電子や火星人を考えることはできないとも言い添えておきます。
もうひとつ言っておきたいことは、私は存在という言葉を「時間・空間上に位置を占める」という意味としてはとらえていないということです。
「存在=時間・空間上に位置を占める」だとしたら、例えば心なんかは存在しないことになってしまいますからね。

パルメニデスの思惟とは言葉ではなく論理だというのはどういう意味ですか?

866 :考える名無しさん:2006/08/24(木) 23:58:52
>>864
そういう感想文は不要です。

867 :Yukko:2006/08/25(金) 00:34:59
哲学者?さん
>>848
解説ありがとうございます!私は以前に「存在は存在しない」という言葉を聞いてはっとしたことがあるのですが、
その解説から察するにハイデガーの言葉だったみたいですね?
私としては、永井均先生の「この私」とハイデガーの「存在」(と言っても今理解したんですけど)は全く違う、というか正反対な思考法である気がするのですが、どうでしょう?
>>850
そうでしたね、人間が全く関知しえなくても存在しているものがあるという事実を忘れていました。
>>852
たしかに、パルメニデスも詩の形式で哲学していましたね。

868 :Yukko:2006/08/25(金) 00:44:38
>>853さん
この議論でサルトルまで出てくるとは予想していませんでした(>_<)やはり色々な人の意見を聞けるのはいいですね。
サルトルかあ…それもやった方がいいのかなあ

869 :Yukko:2006/08/25(金) 01:08:44
>>855-857
解説ありがとうございました!そこにパルメニデスの名前がないのが意外です…

870 :哲学者?:2006/08/25(金) 23:26:17
>>867
永井さんとハイデガーは、全体としては大きく異なっていると思うのですが、あるポイントではかなり重なりがあると思います。
上手く説明できませんが、ハイデガーの「存在」と永井さんの「この私」は、重なっているポイントがあると思います。
永井さんは、ハイデガーは問題を誤解していた、という主旨のことを書いています。
ということは、同じような問題次元である(面がある)、と永井さんはみなしているということですよね。
もし全く無関係と考えているのなら、誤解とは言わないのではないでしょうか?
読みようによっては、存在と時間でハイデガーは、「存在」は「この私」からのみ捉えることができると論じている、と言えるかもしれません。
しかし後期のハイデガーは、これが逆転して、すべてを直接「存在」から捉えようとしているようなので、こちらの立場こそがハイデガー哲学の本質だとも考えられるでしょうか・・

卑見では、二人の違いは、次のようになります。
永井さんは、「この私」以外の・を超えた「単一実体・一者・ハイデガーのような存在」を認めていないと思います。
めちゃくちゃ強引に言えば、永井哲学は「ライプニッツ的多元論」+「ある種の実存哲学(キルケゴールやニーチェ的)」でしょうか・・
言い換えれば、一般的主観ではなく、「この私(単独者)を絶対的基点とする多元論」となるでしょうか・・
永井さんは、こういう単純化・整理を嫌う人のようですから、後ろめたい気がしますw

871 :Yukko:2006/08/26(土) 00:18:23
>>870さん
再び解説ありがとうございます!該当箇所、読んだことあるようなないような…
やっぱり私、ハイデガーを理解できてないみたいです(> <;)

872 :考える名無しさん:2006/08/26(土) 00:37:56
哲学なんてやった所で女の子にもてません。

873 :考える名無しさん:2006/08/26(土) 00:43:13
あの。。ロマンチックとは何ですか?
哲学的にかつ明確に解説お願いします。

874 :考える名無しさん:2006/08/26(土) 01:21:06
>>872
それで?
>>873
こっちで聞いてください
■スレッド立てるまでもない質問8@哲学板■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1138091629/

875 :考える名無しさん:2006/08/26(土) 01:56:17
思春期、一度は誰しも思う「あー、俺って何のために生きてるんだろう?」って答えに挑戦する学問だと思う。
そんな青臭いことバカバカしくなって通り過ぎちまう奴らがほとんどだが、中にはそんな疑問をいつまでも抱えてる奴らもいるんだよな。
以上、哲学書読み始めた日が浅い人の意見でした。

876 :考える名無しさん:2006/08/26(土) 04:39:21
ハイデガーは存在了解を持つのは人間だけだとして、その意味において
人間を「現存在」と呼んだ。しかし普段人間は存在を忘却した「ダス・マン」
へと頽落しておるのであって、「本来的」な有り方に立ち戻った時に「存在」の
真正な意味が露わになるとする。ハイデガーがナチスに熱狂していた時、「存在」の
意味が露わになったと思い込んだのだろうが、後に反省して「大きく考えるものは
大きく過つ」などと下らんいいわけをしている。もっとも本人はこんないきさつは
黙ってるわけだが。

877 :考える名無しさん:2006/08/26(土) 13:16:06
>>860
>「直感」は、言葉によっては表せないけれど分かる何かを指しています。
>具体的には>>798>>799で説明した「言葉の上では成り立っている証明に“あれ、おかしいぞ”と気付くことができる能力」を指しています。

Yukkoさんが何を「直感」と言っているのか、まだよく分かりませんね。
上の例を見ると、一般に「勘」とか「第六感」と言われているようなもののようですが・・
また、“あれ、おかしいぞ”と気付いた場合、その「おかしさ」について説明することは
できるはずだと思われるので、それは言表不可能ではないと思います。


878 :考える名無しさん:2006/08/26(土) 13:17:32
>>865
>それは重要な指摘だと思います。本格的な議論が必要なところですが、すぐに言えることだけを書くと
>まず、電子や火星人について考えるときでも、存在するものとしてしか考えられないという点を指摘しておきます。

パルメニデスの文脈での話なので、パルメニデスの「思惟と存在との同一」について
簡単にまとめると次のようになります。
(『古代ギリシアの思想』山川偉也著より)

1 「Aはあらぬ」という文は、Aに言及し得ないゆえに成立不可能である。
2 「Xはあらぬ」「XはFではあらぬ」は、いずれも1に還元される。
3 「XはYと同じではあらぬ」も同様。
4 「XはYと異なる」は「XはYと同じではあらぬ」を前提する。
5 ゆえに、「万物は一」を主旨とする一元論が帰結する。
「それゆえ、もしこの世界におよそ何物かがあり、思惟の対象となるとすれば、その何物かとして
指示される任意のものは、結局すべて同じものになり、【万物は一である】が帰結することになる」。

電子や火星人は、Yukkoさんが書いたように「存在するものとしてしか考えられない」のではなく、
存在しないものとして言表することができない、また、電子と火星人が異なるものとして
言表することもできないということだと思います。そこから【万物一】(世界ノッペラボー論)
が成立します。

>パルメニデスの思惟とは言葉ではなく論理だというのはどういう意味ですか?

上に書いたように、パルメニデスの思惟というのは、矛盾律と排中論理によって規定されているということです。


879 :考える名無しさん:2006/08/26(土) 13:19:39
>>867
>私としては、永井均先生の「この私」とハイデガーの「存在」(と言っても今理解したんですけど)は全く違う、というか正反対な思考法である気がするのですが、どうでしょう?

876さんが書いているように、普段人間は存在を忘却した「ダス・マン」 へと頽落していますが、
先駆的決意性によって本来的在り方をしている現存在は、「比類なき」「この私」です。
「人は私の代わりに死んではくれない」(ハイデガー)。

880 :考える名無しさん:2006/08/27(日) 15:33:05
これから哲学とは何かを考えようと思います。
その前に、生きる意味について考えようと思います。

881 :Yukko:2006/08/28(月) 23:01:25
>>875さん
「俺って何のためにいきているんだろう」ということを考えるのも哲学の一部だと思います。
ただ、哲学の問いの中にはそれとは関係のない問いもあるわけで。
例えば「色の見え方は人によって違ってみえるかもしれない」とか「この世界は5分前に作られたのかもしれない」とかいった問いも哲学の中にはあるのです。
私が最近ここに書き込んでいるのは、このような点に注目したうえでのことです。
過去ログを読んでいただければ分かりますが、「哲学は客観的事実を追求するものか、倫理的価値を追求するものか」という問いを考えているのです。
(ついでながら、私が主張したい結論は、両者は実は別のことではないということです。)

882 :Yukko:2006/08/28(月) 23:11:37
>>876さん、>>879さん
なるほど、やっぱり私がハイデガーを誤解していたみたいですね。
私も存在と存在者を分けて考えているから、てっきり私と同じ考えだろうとおもいこんでしまいました。
どうやら、私が「存在」を考える方法と永井均先生が「この私」について考える方法が逆なだけみたいです。お騒がせしてすみませんでした…

883 :考える名無しさん:2006/08/28(月) 23:54:33
客観的事実を追求することと、倫理的価値を追求することが同じことであるってのは
結論というより観点と言うべきではないの?外部に立ってこそ言えることのように思われるが

884 :Yukko:2006/08/29(火) 00:19:07
>>877さん

ちなみに>>798>>799は分かりましたか?
私の言語感覚では「勘」とか「第六感」は、トランプのときに「これがジョーカーかな」と考えるときのように、感覚的に確かめられることを感覚によらないで捉える能力で、
当たったり外れたりするもの、と思うのですが…

確かに「おかしさ」について説明することはできると思います。
ただ、その説明は分かる人には分かるけれど分からない人には意味不明、というものになると思うのです。
(分かる人には分かるのは、「分かる」人は直感を働かせているからです)  うーん…言葉と存在については近いうちにもうひとつくらい例を出しますね。

885 :考える名無しさん:2006/08/29(火) 00:29:56
直観(感)としての五感はわかりやすいですが、五感は悟性や理性以前に綜合されています。
この綜合がなければ視覚も嗅覚も味覚、触覚もバラバラなままになるでしょう。
第六感とはこの綜合(あるいはそれ以上)な直観といえます。


886 :考える名無しさん:2006/08/29(火) 09:20:44
メンヘラほいほいwww

887 :考える名無しさん:2006/08/29(火) 11:31:55
Yukkoさん卒論がんばって。
もうちょっとレベルアップしてね・・・

哲学事典を利用することをおすすめします。
用語の意味だけでなく、哲学史的なことも
簡潔にまとめられているので、時間が少ない
時にはとても役に立ちますよ。

888 :Yukko:2006/08/29(火) 21:07:30
>>878さん
解説ありがとうございます。
が、「存在するものとしてしか考えられない」と「存在しないものとして言表することができない」がどう違うのかよく分からないのですが…
もう一度説明してもらってもいいですか?
『古代ギリシアの思想』興味深いです。読んでみたいけれど忙しいからどうしようかな…



889 :Yukko:2006/08/29(火) 21:12:49
>>883さん
どういう意味でしょうか?詳しくお願いできますか?
>>885さん
第六感ってそういう意味があるんですか?何か出典とかあるのでしょうか?
それとも、私が知らないだけで第六感って普通にそういう意味?

890 :Yukko:2006/08/29(火) 21:17:12
>>887さん
はい、がんばります!!
哲学事典…言われてみればそうですね。今度図書館に行ったときに見てみます
>>880さん(すみません見落としてました)
生きる意味を考えることと世界の成り立ちを考えることは別ではないと思いますよ

891 :考える名無しさん:2006/08/30(水) 20:07:36
哲学用語を覚えたり、哲学者の話をするのが哲学かな〜

892 :Yukko:2006/09/09(土) 00:26:14
お久しぶりです。言語と存在の問題について、授業で紹介された説に基づいて引き続き考えてみたいと思います。
その説は「物体の存在を疑うことができるか」という問題についてのものです。
内容は「私たちはその辺にある机や石ころのことを『物体』と呼ぶように言葉を教えられた。
そして、それらを『存在する』ものの典型的な事例として『存在』という言葉を教えられた。
したがって、『物体の存在を疑う』というのは、初めから疑いとして意味をなさない」
というものです。
私は基本的にこの見解に賛成です。しかし…
(続く)

893 :Yukko:2006/09/09(土) 00:31:06
これに問題がないわけではありません。
ひとつは「夢の中で『物体は存在しないかもしれない』と考えることにも意味がないか」という問題、
もうひとつは「個々のケースで『この机は存在しないかもしれない』と考えることはできるか」という問題です。

894 :考える名無しさん:2006/09/09(土) 00:34:24
哲学とは自分の考えやひらめきを
適当な言葉に置き換える脳内遊戯です。
そして人々に自分の考えを伝え快感および
充実という感情を報酬として得るのです。
ナルシスティックといえばそうですが...

895 :Yukko:2006/09/09(土) 00:51:16
夢の話は後回しにして、先に個々のケースについて書きます。
「この机は存在しないかもしれない」と問うことができないならば、目の錯覚などのケースを見落としてしまうことになります。
では、「個々のケースで『この机は存在しないかもしれない』と考えることはできるけれど、
『そもそも物体は存在しないかもしれない』という一般的な問題にはできない」という意味に受け取ったらどうなるでしょうか。
「この机は存在しないかもしれない」と考えられるなら「この机と椅子は存在しないかもしれない」と考えることもでき、
それなら「この机と椅子と黒板は存在しないかもしれない」と疑うこともできる…
このようにして「…は存在しないかもしれない」という文の「…」に入れるものを増やしていけば
最後にはこの世のすべての物体の名前を入れることができるので、
「そもそも物体は存在しないかもしれない」と疑うことも可能になってしまいます。

896 :考える名無しさん:2006/09/09(土) 01:01:22
普遍論争みたいな捉え方も出来るでしょ
それと絡んで存在って言葉をどう捉えるかって問題も出てくる
個物でなく抽象化された観念を存在と認めるかどうか

897 :Yukko:2006/09/09(土) 01:04:37
>>799のような反論も可能です。
では、このような反論が可能だから>>892のような議論は意味がないかというと、そういうわけではないと思うのです。
どう解決させるかというと、「個物を離れたところにある『物体』そのものについては、これが存在しないのではないかと考えることは意味をなさない」と言えばいいのだと思います。
この意味での物体は、現実が夢であっても常に存在することになります。

898 :Yukko:2006/09/09(土) 01:06:51
>>896
その通りです。時間差で書いてしまいましたね(笑)

899 :考える名無しさん:2006/09/09(土) 07:51:08
「人生哲学」や「成功哲学」というような言いまわしがありますが、
それは「哲学」とは違うもの?

900 :Yukko:2006/09/10(日) 20:35:40
>>899
少なくとも、大学の哲学科でやっているような哲学とは全然違いますね。
まあ、伝統的な哲学の中にもエピクロス派やストア派など処世訓?に近いものもありますが…
エピクロス・ストアの方は「こうすれば世の中で成功できます」という話ではないんですよね。
それから、哲学は「人はどう生きるべきか?」という問題も扱うんですけど、それだけではなく、
「人間が知ることのできる範囲は?」とか「神は存在するのか?」とか、「科学とは何か?」などの問題も考えます。
この板のスレタイを見れば、具体的にどんなことをやっているかある程度わかると思います。
(まあ、中には変なのもありますが。)

901 :哲学者?:2006/09/11(月) 01:05:00
>>892
そういう懐疑や問いは、一般的には(特定社会内では)無意味だと思いますが、自分個人の世界像=存在論においては、あるいは,別の信仰に転向しようとする場合には、意味があると思います。
異なる思想・語法・文法になるくらい徹底的に突き詰めれば、異なる世界像=異なる存在論を採用することになるだけです。
信仰というものもこれと似ています。
ある人がありありとあると言うもの(信仰するもの)を、別の信仰をもつ人は虚妄と言ったりするわけですから。
ただし、従来の思想・語法文法を全部一挙に変更するのは不可能です。
なぜなら、懐疑し変更するには、既存の言語を利用せざるを得ず、部分的にせよ既存のものを基盤にしているからです。

そしてさらに、倫理的にも意味がありますね。
というのは、世界の感じ方=存在論が変われば、自ずと生き方も変わらざるをえないからです。

902 :考える名無しさん:2006/10/15(日) 02:29:54
なるほd

903 :考える名無しさん:2006/10/15(日) 16:34:13
>(まあ、中には変なのもありますが。)
哲学とはなにか?も知らずに哲学を語るってのは矛盾してるだけで変じゃ無いよね。

904 :考える名無しさん:2006/10/15(日) 18:55:20
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人はどうせみんなから捨てられる。
このことは、肝に銘じておいたほうがよい。
日本の知識業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の
悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。
この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、やたらと、象徴語と、
ドイツ式観念語(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。500語)を使いたがる。
読んでいる方はいやになる。こんな下手な誰も説得できないような文章を、苦しみながら書いてるとあとあと大変だろうな。
どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。当たり前のことを、はっきりと書くことができない。
やたらとこねくり回してそれが「するどい批評になっていなければいけないと、勝手に思い込む。
副島隆彦「属国日本論を超えて」

(副島隆彦「今日のぼやき」2001.5.21より抜粋)
私の頭の中は、今でもこのように、雑然とした理解で成り立っている。生活実感で理解できないと「理解」と
いうのはそもそも成り立たない。私はもの書き言論人としては、素人さん(一般大衆)レベルでの実感での理解、
というのをものすごく重視する。わけの分らないことを書く人や、その文章を毛嫌いする。
このことは、私は、「オッカムの刃」 Occam’s razor と言う考えを自分の思考原理に置いているからだ。
全ての事柄(事象)を徹底的に明晰にしようとする 思考方法であるオッカムの刃 については、そのうち書く。
この日本語という限界言語によってでも、私は、明確なものをぎりぎりまで追究して、死んで行こうと思っている。
(抜粋おわり)


905 :考える名無しさん:2006/10/15(日) 23:18:26
>904
哲学とは、貴方の意見を聞かせて下さい。
私は
哲学とは哲の文字が示す通り、道理にあかるいことを目指すものだと思います。
何故なら人々が道理にあかるく成れば人の知能が育ち産みだす智恵が、
人類全てが抱える問題を解き明かす事を私は知っているからです。


906 :考える名無しさん:2006/10/16(月) 12:54:47
哲学とはパンク・ロックだ!

907 :905:2006/10/16(月) 14:42:46

>哲学とはパンク・ロックだ!
どうすればパンク・ロックを誘発に導くか、が問題ですね。
一応、妙案は有ります。
私はパンク・ロックを爆発させることが哲学だと思います。

908 :考える名無しさん:2006/10/16(月) 19:20:49
ぶっちゃけ、ラカンなんて学んでも雑談以外にメリットはない。
若いんなら、そんなもんに貴重な時間を使わないでほしい。
認知科学分野からみたら、ただの与太話にすぎないんだから。

ラカンには制御モデルが無いので、言いっ放しのこじつけ理論モドキ。
それは、つねに事後解釈でしかなく、都合よく辻褄合わせをしているに他ならない。

過去しか語れないものは、理論では無い。ただの茶飲み話。
もちろん、暇潰しのネタとしての価値は十分あるがな。血液型性格占いとか。
理論として語りたいならば、未来を語れないとダメ。
疑似科学理論の多くは一回性というタイプ論に逃げ込むが、現代科学はそのような
フェノタイプに逃げることなく、ゲノタイプに挑み続けた結果、
現在の成果を挙げている。
要素還元主義などという昔ばなしを持ち出してお茶を濁しても無駄。

現にラカンは患者をろくに治療できなかった。
理論が機能していなかった何よりの証拠だ。

909 :考える名無しさん:2006/10/16(月) 21:36:35

>908
>疑似科学理論の多くは一回性というタイプ論に逃げ込むが、現代科学はそのような
>フェノタイプに逃げることなく、ゲノタイプに挑み続けた結果、
>現在の成果を挙げている。
現代科学は哲学的に、どの様な成果を挙げたのですか?
過去の哲学は実績が示されていませんが、哲学は人間として正統な在り方と言う
理を探求し広める事を目的としますので医療とは全く別ものですよ。



910 :考える名無しさん:2006/10/16(月) 22:55:15
>>908
賛成!
精神分析なんて全部疑似科学(トンデモ?)だよね。おもろい物語ではあるけどねw
また、事後的説明だけしかできないということなら、哲学による科学の基礎付けなんてのも同じだな。

911 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 11:28:42
答えろ

912 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 12:12:23
 で、哲学やって何か結果出したの??5 
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1161622915/

913 :考える名無しさん:2007/01/06(土) 18:28:47
>>904じつは私も昔の哲学にはまるで興味がなかったし、今も同じである。
でも今は「神との対話」がとても気に入っている、これは哲学だろう。
多くの問題を取り扱っていて、解決方法も明かしている。しかし考え、行動するのは
私達ひとりひとりだ。きっと君にも役に立つだろう!

914 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 17:07:21
「神との対話」は人を引き付ける所が有りますが、肝心な最後の一線を乗り越えていません。
これが自分の思想として、文面に多々表れていますので世の人々を覚醒するに至らないと思います。



915 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 18:08:09
全てがすべて理解はできないでしょう。かなり少ないと思います。
「神との対話」からいきなり入るのは無理です。そこへ至るにはやはり順序があるようです。
しかしチャネリングによる神というのはやはり真実です。
神をチャネリングするチャネラーはこれまで何人もいたことを知っていますし2チャンネル
にも実際あったのです。

神というよりひとつひとつの情報として捕らえたほうがわかりやすいでしょう。
そしてそれがときを追うごとに事実だということが判明してくるのです。
今は釈然としないでしょうが、まぎれもなくこれは新時代の哲学なのです。

916 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 19:41:11
私は哲学をチャネリング等と言う神秘的部類に引き込むのは感心しませんね。
哲学は哲の文字が示す通りに道理にあかるくなること、を目指せば良いと思いますよ。
道理にあかるく成る為に物事の理を悟る必要が有り、物事の理を悟る為にものごとの是非・善悪を明確に弁別する心を育てれば宜しいのです。
ものごとの是非・善悪を明確に弁別する心を育てるには、その判断基準と成る、誰しも捕らわれている自己愛と言う自己陶酔の心から人間愛に切り替えれば哲学の目的(道理にあかるいこと)を達成でき潜在する知能が育ち本当の知恵を産みだすことができるのです。
哲学は他人の記した書を読み憶えるのでも、他人の考えに傾倒するのでも無く、誰でも生まれ付き持っている自分の潜在知能を開花するために有るのです。
理論として簡単なことです。
力を崇拝し理に反する蒙昧に捕らえられ自己愛を心の主とすれば人の心は自我と言う目隠しで被われます。
その自己愛を理に準ずる人間愛に切り替えれば心が純粋と成り、心の目を覆う自我と言う目隠しが消滅し人の心が創りだす事象の全てが明らかと成り、適切な処理方法をする心と知恵が産まれると言う寸法です。
辞書にも「知恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力」と記して有りますが、この意味は私のお伝えしたこと、哲学の目的でも有ります。




917 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 20:49:16
>>916
辞典なに使ってんの?
広辞苑?

918 :750:2007/01/07(日) 22:42:22
あなた方は哲学の根本がわかっていません。
ギリシャから発生したことから考察してください。


919 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 22:45:46
今なんとなくわかった。
ソーカルVSポモ からもいえるし、 最近の理系によりすぎた哲学書
にもいえるのだが、



 哲学は   文学だ。



これだよ。最後は。これを良くも悪くも忘れると、泥沼になる。


920 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 22:51:23
おちゃらけでやってるんじゃないんだよ

921 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 08:07:31
>>916
君は読んでないね。甘い考えだよ、神秘的部類とはね...
宇宙を理解すると考えて欲しいもんだね!


922 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 13:23:05
「哲」は起源を辿れば神妙に通ずる清妙な心情のこと。
philosophyの求めるものだな。

923 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 13:42:24
同時にphilosophyの起源だな。


924 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 13:55:05
哲学じゃなくて、響きは悪いようだが愛哲とか求哲、希哲とか、哲への道を歩み行くから哲道とかの方がphilosophyの訳語として適していたかもしれない。
しかし明治時代は西洋のそれを学ぶ時代だったろうから、まあ哲学で相応しかった。


925 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 13:57:17
まあ意味も実態も変わってくるわな。


926 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 14:14:43
数学でも科学でも哲を希求する試みの達成と成果の体系的記録だろう。
だがそれを大前提に据え、哲を体験することなく学ぶならば、哲も愛もなく無闇にその力を乱用することになる。
哲学がいまだに応用されていない、あるいはできないのは、人類にとって不幸中の幸いなのかもしれない。

927 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 14:17:54
>>918
現代に至っても、諸学の源である哲学が曖昧なままで捨て置かれているのか、お分かりですか?
その為に、人類は知能が育たず戦争や奪い合いや犯罪の絶えない社会に暮らすことを強いられているのですよ。
古代、ギリシアでは学問全体の区分けが無く、哲学や数学・物理・芸術に至るまで一体のものとして行われていたのですね。
ですから1人で全ての分野に通ずる文化が育ったのですが時が経つにつれ、それぞれが専門分野として独立する中で人の心の根源に関わる大切な探求をそれぞれの心を養う源として据え置こうと考えて諸学の源と言う項目ができたのです。
またphilosophyを直訳すると愛智の意ですが皆さんは愛智の意を知を愛すること、と勘違いしていますが愛智の意とは揺るぎない人間愛が人の潜在知能を育てることを意として産まれた言葉です。
日本にphilosophyが渡来して哲学と命名されましたが御存知のように哲学の哲と言う文字は道理にあかるいこと、で人が道理にあかるく成ると潜在知能が育ち正しい知恵を産みだせることから命名された言葉です。
人が道理にあかるく成る為には、やはり力を崇拝し理に反する意識が取り込む蒙昧が産みだす自己愛と言う自己陶酔から目覚め理に準ずる人間愛を心の主にしなければ成りませんので、ここで愛智の意と哲学と言う呼び名の意がつながるのです。
哲学と言う言葉は当てずっぽうで命名されたものでは有りませんが理解するには物事の理を悟り潜在する知能を育て、正しい知恵を持って思惟を深めずば成りませんね。
人は脳の3%を使えば支障なく生きていける、と誰かが言いましたが自己愛から人間愛に心を切り替えなければ残りの97%の脳は潜在知能と成り生涯、使うことはできません。
その為に戦争や貧困・犯罪などが常に巻き起こされるのです。


928 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 14:24:04
>>921
貴方は御自分が読み、崇拝する書物を他人が読んでないと軽蔑する方ですか?
宇宙を理解する前に御自分の心を理解することを望みます。

929 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 14:31:55
>>926
哲学がいまだに応用されていない、あるいはできないのは、人類にとって不幸中の不幸なのです。
人類は今日まで、哲を体験することなく学び、哲も愛もなく無闇にその力を乱用しているのです。

930 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:06:54
また違うな。
問題があるとすればそれは知能とかそういう表面的な問題ではなく、
人間の存在の問題なのだ。
一見平和なようでも、それは頭がおめでたい連中が多いだけの話で、日常的にほぼ自覚もなく甚だしい破壊がごく自然になされている。それに快感が伴わない場合のほうが少ないだろう。イジメみたいなものだ。異様だろう。日常の狂気だ。
他方、戦争前後、戦時における人間は自分の本質をなかなか自覚しており、むしろ正気なのだ。正気になると人間堪らないのである。
その正気になった衝撃で酷く狂う人も多いかもしれないが。まあそれ自体地獄のような存在なのだ。

一見したところの平和を望むならば、知能を低下させ続けねばならない。だが知能によらず本質は変わらず発揮されるために、あまり意味はない。
戦争と平和に本質的差異はない。

平和を望んで潜在能力を発現させようなんてのは、なかなか面白い試みかもしれないから是非とも頑張ってほしい。

931 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:19:38
議論する必要性はない。
だれもが同じ道を歩んでいるようだ。


932 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:28:23
人は自己愛と言う自己陶酔に深く捕らわれると、思いやりの心が稀薄と成り他人の不幸を劇画的にみて平然とした発言ができます。
>戦争と平和に本質的差異はない。
では、御自分の愛する人達が、何処からともなく飛んできたミサイルに体を引き裂かれ無惨な肉塊と化しても貴方は同じことが言えますか?
わずか15円で打てる予防注射も貧しい為に使えず、次々と黙って死んでいく子供達を見ても貴方は平和など必要ないと言えますか?
これ、全て富める国に住まう者達の身勝手な自己愛が産みだす現実なのです。



933 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:31:39
>>931
何故、人間として別の道(哲学〉を模索しないのですか?


934 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:33:50
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人はどうせみんなから捨てられる。
このことは、肝に銘じておいたほうがよい。
日本の知識業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の
悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。
この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、やたらと、象徴語と、
ドイツ式観念語(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。500語)を使いたがる。
読んでいる方はいやになる。こんな下手な誰も説得できないような文章を、苦しみながら書いてるとあとあと大変だろうな。
どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。当たり前のことを、はっきりと書くことができない。
やたらとこねくり回してそれが「するどい批評になっていなければいけないと、勝手に思い込む。
副島隆彦「属国日本論を超えて」

(副島隆彦「今日のぼやき」2001.5.21より抜粋)
私の頭の中は、今でもこのように、雑然とした理解で成り立っている。生活実感で理解できないと「理解」と
いうのはそもそも成り立たない。私はもの書き言論人としては、素人さん(一般大衆)レベルでの実感での理解、
というのをものすごく重視する。わけの分らないことを書く人や、その文章を毛嫌いする。
このことは、私は、「オッカムの刃」 Occam’s razor と言う考えを自分の思考原理に置いているからだ。
全ての事柄(事象)を徹底的に明晰にしようとする 思考方法であるオッカムの刃 については、そのうち書く。
この日本語という限界言語によってでも、私は、明確なものをぎりぎりまで追究して、死んで行こうと思っている。
(抜粋おわり)


935 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:36:24
要するに人間、存在してるだけなんだな。
存在から逃れようとするか、しないかは戦争と平和を分かち、文化文明の興亡をも左右するが、そんなことは存在に立ち返ってみればどちらでも構わないことだろう。
それ程の存在なのだ。問題にならない程にどうしようもない重みなのだ。
神の力をもってしても助けることまでで、救いきれないのだと思う。

936 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:40:18
複雑な哲学=優れた哲学ではなくて
大衆が理解できる哲学=優れた哲学

937 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:50:22
>>933そこにすべてがあると思うからだよ

938 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 15:52:49
>>937は別の人と間違えた。失礼

939 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 16:15:07
>>932

くだらんな。
戦争と平和に本質的差異はない。
これは真実だろう。
どっちも同じような現実に対する認識の差でしかない、いわば人々の狂度の平均値が違うだけ。


940 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 16:28:58
まったく富める平和な国においてもいかに多くの血と涙が流され、悲しみと怒りと憎しみにもがき苦しんでいる人間がいるかがわかってないだけなのだ君は。
平和な国ではそれらは平和と豊さの名のもとに、無視され隠蔽される強い傾向があるのだ。寝ぼけてんじゃね?

941 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 16:43:22
自分の存在(潜在能力としても別にいいが)に対する態度の問題だ。
それから目を背けようとするか否かで、現実は表面的に変わってはくるが、実態は変わらん。
そしてその態度如何によらず死によって必然的に自分の本質、その存在に直面することになる。

942 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 16:51:31
>>935
>神の力をもってしても助けることまでで、救いきれないのだと思う。
困った時の神頼み、じゃないですがその神を諦めても貴方は自分の脳が秘めた無限の可能性を諦めないで下さい。
諦めた時に人の脳は思考を停止し見いだせる答もだせなく成ります。
>>936
本当に、その通りです。
哲学の目的=物事の理を悟り、適切に処理する知恵は学歴や年齢・生い立ち・人種・性別に関係なく万人が平等に育てられる素質を持っているのです。
ですから蒙昧社会で名を馳せた者達より、ずっと思い込みの少ない大衆の方が哲学の道に近づく可能性が高いのです。
しかも、物事(人の心が産みだす事象)の理(正しい在り方)を悟る(あからさまに知る)ことは誰にでもできる簡単なことなのです。
>>939
>戦争と平和に本質的差異はない。
貴方の思う平和が戦争との差異がないから、そう思うだけですよ。
戦争がない地域は平和で有る、と言う概念に囚われているのでしょう。
戦争のない地域は平和で犯罪も無いのですか?
つまり戦争のない地域は戦争の有る地域よりも平和的で有ると言う的付きの平和なのです。
そして戦争は平和的地域に住まう者達が意図的に巻き起こす惨事なのです。
人類は真の平和な時代を迎えたことが有りません。
もう少し思慮深く物事を思索して下さい。

943 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 17:02:32
勉強しろということだな。


944 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 17:05:10
>>941
>そしてその態度如何によらず死によって必然的に自分の本質、その存在に直面することになる。
死ぬ直前で自分の本質、その存在に直面しても使い道ないでしょう。
諦めずに、貴方が生きているうちに本質を見極めることをお奨めします。
問題が解決できないのは知恵不足が原因で、他の原因を探るのも知恵不足の為せる業です。
ですから、知恵不足に陥る原因と知恵を産みだす方法を見いだせば全ての問題は解決するでしょう。
当たり前の簡単なことですが、それが難しいのですか?

945 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 17:06:27
人がいないということだな

946 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 17:09:52
真の平和は自分の存在に直面し、かつ受け入れ、止まることができた時に訪れる。

947 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 17:17:54
>>928崇拝もしてないし軽蔑もしていない。神秘的部類というからには、読んでいたとしても
結局理解できなかったわけだ。そういう人がほとんどなんですよ、年配の人は陥りやすいね。
固定観念ができるから、それによって先入観が邪魔をする。しかたがない面がある、このよう
な本は本当は、若いこれから生きる人のためにあるんですよ!

948 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 17:18:47
>>943
勉強と言う他人の唱えた思想を覚えず、誰もが生まれつき備え持っている育てることのできる知能を潜在させて置かずに育てれば良い、だけの話しですよ。
自分で持っている自分の知能で全ての問題の答と言う知恵を産みだせば、こんなに確実で納得のいく頼れるものは無いでしょう。
他人の考えを読み憶えカンニングして吹聴しても恥を描くだけで、哲学の道は啓けませんよ。
哲学は、その方法だけ知れば知識や学歴いらずの誰にでも達成できるものです。

949 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 18:11:36
自分の思った事を発展させていくのも大切だけど
いろんな人の意見を取り入れて行く事も大切だと思う
無理やり理解しなくても「そういう考えもあるんだな」
と認め合う事で哲学の可能性は飛躍する。

950 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 18:21:20
蒙昧の考えは俺の思想の中に既に含まれているわけだが。

951 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 18:41:41
>>947
詳細に御説明、致しましょう。
神との対話を出版しているサンマーク出版は、世界平和を考え吟味した出版物を多数、出版していますので私もこれはと思われる本はまとめ買いして知人に贈呈します。
しかし神との対話は聖書と同じく「心の核が産みだす心」を扱っており「心の核」に直接、触れるものでは有りません。
読み憶え、それに添って生きることを教える、教えの書ですので聖書のように人の心を集団的自己愛に取り込み人生を利用すると言う悪意は隠っていませんが教えに添って生きることを示唆する点では同じですね
つまり従来通り「心の核が産みだす心」を扱う点では何ら人類の進化に影響を及ぼすことはできないのです。
問題は心の核の仕組みを開き、問題が発生する原因と問題を解けぬ要素を明らかにし、問題を解く方法を見いだすことが必要なのです。
「心の核が産みだす心」を追いかけても人類の抱える数々の問題は心を生みだ出す「心の核」に踏み込まなければ解消できないのです。
「心の核が産みだす心」を扱い人々の感心を誘っても理に反する蒙昧に捕らえられた人類史を変えることはできないのですね。

952 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 19:46:53
無職がおしゃべりしてるスレはこちらですか?

953 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 22:08:51
>>951
人に伝えるためには「心の核」を説明しないとダメだね。
そしてこれは哲学ではないが、人類が大きく進化出来ないでいる理由をわかっているのかな?


954 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 22:31:22
分からないな。言ってみてくれ。

955 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 22:55:52
心の核はどうしたんだよ

956 :考える名無しさん:2007/01/08(月) 23:50:48
>>953
心の核とは人の考えを産みだす基礎の部分です。
人は核から産みだされた心によって考え、そして行動しそれが現実と成ります。
ですから肝心な心の核にメスを入れず、核から産みだされる心だけを論じ合っても成果は上がらないのです。
心の核の生い立ちは人類史の初期か始まりますが、その関係から人は誰でも力を崇拝し理に蒙昧に捕らえられる社会的構造を創り上げてしまった、のです。
心の核は一代限りで終わるのですが、幼子が育つ段階で育てる者の手によって蒙昧社会で生き抜く手段として蒙昧を育てる自己愛を植え付けてしまいます。
その因習が永遠と繰り返され、現在が有るのですが理に反する蒙昧で有るために当然、人の知能は育たず知恵を産みだせぬために人は奪い合いを始め戦争や犯罪の絶えない現実を創りだすのです。
哲学の哲と言う文字は道理にあかるいこと、ですが道理と言う理を重んじることで人の知能が育つ、と言うことが含まれているのです。
従来の心の核が産みだす心の探究を繰り返してきた、哲学では哲学の真意を知ることも叶いません。
哲学の真意は物事の理を悟り、適切に処理する知恵を産みだし人生と社会に活用する簡単なことです。



957 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 01:34:41
それは、『気持ち』です

958 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 17:56:35

そろそろ、この章も終わりに近づいてきましたので皆さんも「哲学とはなにか?」を真面目に書き込みましょう。
哲学とは哲(道理にあかるいこと)を学(会得する)ことを目的とする。
哲学とは啓蒙家、西周がphilosophyの語訳、愛智の意を賢哲を希求する意味で希哲学と訳し、その訳語が哲学です。
賢哲とは賢(賢明)で哲(道理をわきまえた人)で希求は願いもとめること、ですので纏めると
哲学とは道理にあかるく成ることを願いもとめることを意とする、と成ります。
哲学のphilosophy、愛智の意は哲学の意とすることを直接的に表しておりますが何らかの事情に拠り辞書に記されて居りません。
哲学界では知を愛すること、とされていますが、肝心なその意とは何か、との答ができません。
愛智の意とは揺るぎない人間「愛」が道理に通ずる心を育て「知」能を育てることを「意」とするものです。
哲学とは力を崇拝し理に反する蒙昧に捕らえられ自己愛に溺れ苦しむ人類社会を理に準ずる人間愛で人の知能を育て産みだされ
る知恵で自由と平等を重んじる平和な社会を構築することが目的です。
哲学とは学歴や性別・人種・年齢・生い立ちに関係せず誰でも自己愛から人間愛に心の切り替えをすば会得できるのです。
哲学とは人が人格を備えた人間として生きる為には誰にも欠かすことのできない大切なものです。



959 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 18:48:48
>>956「こころの核」の説明は苦しくありませんか?誰か他にそのような言い方する人が
いたのですか?


960 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 21:29:36
まとめると辞書の記述を読んだだけで満足するなということかな。
哲学とは何か、わかった気になるなと。
その営みが続く限り、定義は常に不完全であり続ける。
初心を忘れるなと。

961 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 22:50:36
>>953
人の心を「心を産みだす心の核」と「心の核が産みだす心」とに二分した発想は私が始めて、でしょうね。
しかし、心を二分して考えると、過去の啓蒙が徒労に終わった原因を全て、明確にできるのです。
哲学も「心の核が産みだす心」の仕組みに重点を置き、探求が為され未だ人の心の解明に至って居りません。
ですから「心の核が産みだす心」に目を向けず「心を産みだす心の核」の創られる仕組みと改善する方法を
知れば人類史は人の良心が望む通りに如何様にも成るのです。
>>960
辞書の記述を読んだだけでは知恵は産まれません。
問題は辞書の記述を読んで、それの10歩先を読み取る心です。
辞書には
>愛智の意とは揺るぎない人間「愛」が道理に通ずる心を育て「知」能を育てることを「意」とするものです。
と記されていませんでしよ。
記せないことも辞書に沢山、有りますがそれを読み解く心が必要なのです。


962 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:13:47
>>961あなたは熱心だね。それとは別にして、やはり「こころの核」というのは人には伝わりに
くいよ。私だったら「心」「意識」「潜在意識」さらには「集合意識」「表層意識」なんて使う
かも知れない。できるだけ人が使うような言葉で説明していかないと、途中で疑問符が出ると
頓挫してしまうからね。

963 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:17:41
>>961
なんで国語辞典の哲学の記述を公理的な不可侵の前提に据え、そこから出発するのか?
それは説明のための前提ということ?


用語、表現上の違いはあるが、心が二重性を持つというのはよくある話だから、初めてかどうかはよくその考えを詳述してよく文献を調べて比較研究してみないとわからないね。


964 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:25:04
心を二分する発想はとっくにでてるんだよね。
古代インドとか古代エジプトでもうでてるだろうな。
ここは詳説を期待しよう。

965 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:39:32
勉強しない人間には哲学の伝統、その歴史全体を否定する資格は全くない。
最近のオヤジは伝統文化、人類の知的遺産を軽視する嫌いがあるのでけしからんね。
まあ自分を耕さなければ継承して発展させることなどできないけどな。
全く新たに始めるのはオヤジの勝手だが、否定する資格はない。知らないんだからな。

966 :考える名無しさん:2007/01/09(火) 23:47:43
国語辞典の哲学の記述を哲学を体系化するための公理として採用するのも構わんが、
そうでないならまず辞典の記述が正しいか吟味しなければならず、そのためには哲学書を大いに紐解かねばならない。

蒙昧の現状は、広辞苑などの辞典の権威を借りたいということでしかないような気がするがな。


967 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 00:01:26
国語辞典の哲学の記述から半ば演繹的に己の哲学を展開しようということなら、
国語辞典の編集者が評価した哲学を否定していることもあり、
非常に馬鹿馬鹿しい話だが、
結果どうなるかはわからないし、面白いと試みだとは思う。


968 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 00:28:24
勉強しないと真面目にふざける猿になってしまうんじゃないか?
アレクサンドリアの大図書館に放火するような猿真似をいつまで続ける気か知らんが・・・


969 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 01:06:43
不勉強といえば池田だな。
全くそもそも自他の区別を立てるのが、本質的ではない。
私見では、時間と空間にかかわらず生命は本質的にはつながっていることからして、他人から本から学ぶというのもまた、自分から自ずと学ぶということだ。
むしろ自分を続け引き継ぐことだといっていい。
他人にも自分があるんだ。この自分というのは根源的に同じものだ。


970 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 11:14:21
>>962
>私だったら「心」「意識」「潜在意識」さらには「集合意識」「表層意識」なんて使う
>かも知れない。
有難う御座います。
例えば、タマゴの黄身が白身を作る、と仮定します。
そのタマゴの黄身が汚染されているので汚れた白身ができてしまう、と言うことを心に置き換え説明しますと、意識と表現するのは不適切ではと思います。
そこで考えましたのが大きな円の中に小さな円を描き、「心を産みだす心の核」と「心の核が産みだす心」とに二分した次第です。
ですから従来の善悪などで心を二分する発想と「心を産みだす心の核」と「心の核が産みだす心」は二分が全くの別ものなのです。
潜在意識そのものは開発されませんと意識は産みだされませんし、一体どの様な説明が適切ですかね?
私は哲学書を読み覚え、知識と知能を勘違いしている輩は、はなっから対象として扱って居りませんので宜しくお願いします。





971 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 11:22:27
哲学板の不思議
…を不思議とするだけです。不思議とは人が考えられる数式の限度を指す不可思議から作られた言葉です。理解と言う言葉も「物事の道理を知ること」ですので物事の道理を知らない人には何も理解できないのです。哲学の…


972 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 11:51:21
401:考える名無無しさん :2007/01/03(水) 12:50:27 [sage]
The Agony is one of our essences which exists above time and space,that is,eternally.So someday we must face upon to it anyway.
And I think or rather I feel that we could sing a happy song for life from deep in our heart by seemingly paradoxically facing upon to our own negative essences like the above mentioned agony for example.
Perhaps it could be explained by a supposition that usually our self is turning around an orbit of our own negative essences,
and if we had continued to fall away from an orbit to the next one nearer to the nucleus,
we feel the growth of our own power,weight,and at last its own great possibillity i.e the freedom from which springs out the genuine hope right about our eyes and nose.


973 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 11:56:57
自覚なき下劣で破壊的な猿には頭が下がります。すみませんでした。


974 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 12:04:32
ほんとうにどうもありがとうございました。
この御恩にどう報いるべきか悩みあぐむ程に深く感謝しております。
今後とも何卒宜しくお願い申し上げたいと存じますm(_ _)m


975 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 12:36:36
猿の自覚なき行動は何よりも雄弁に世界の意志を物語り教えてくれる。

976 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 14:15:39
猿の錯乱した行動から学ぶことが、猿への恩返しになるようだな。

977 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 14:55:28
類人猿が破壊的であることは、人間の本質もまた破壊的であるといわねばならないのかもしれんな。死ぬべく定められているし。
人が破壊しているとき、したときに破壊した事実に無自覚であること、
己が破壊的で危険な存在であることにはまして思いもよらないこと、
破壊的である人間ほど自覚性がないこと、
こうした傾向があることは否めない。
だから人は生きる限りは知の遺産を守り尊重し学び続けることで建設的であるべく意識的努力を続けなければならない。
保守的であるからこそ、新天地も開ける。
その努力を絶てば築き上げられてきたものを否定し、破壊的になるよりないと。
では我々が本質的にこの世に対して否定的であるとしたら、それは何を意味するのだろうか?
この世のものとは異質な存在であり次元を異にし、我々の故郷はこの世界にあらず、ここは監獄ともいうべきものとするべきか?
そうかもしれないがここに住む限りはここの指針に照らして建設的であるべく努力をしなければならない。
出ていかねばならないことが足を引っ張ってジレンマに陥ってしまうが。
少なくとも微妙なバランスを保ち、破壊に傾かないようによくよく自覚をもたんとな。
汝自身を知れと。

978 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:02:22
生き物は屍の山の上に立たねばならない。
人間の精神の場合、本質的には屍を必要としない気がするが、
だがその精神がこの世のもとで建設的であるためには、肉体と同じように知的遺産、伝統文化という名の屍の上に立たねばならない。

979 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:25:35
人は幼子と成人の極一部の少数な者達を除いて殆どの人が、力を崇拝し理に反する蒙昧に心を委ねています。
その為に、誰もが生まれつき育てることのできる知能を備えているにも関わらず生涯、その知能は使われることもなく捨て去られてしまいます。
自分達が崇拝する悪しき因習に捕らえられ、一度限りの人生と言う大切な命を未来に何の痕跡も残さず人生の終演を迎えてしまうのです。
確かに人類は、そうして長い年月を今日まで淡々と繰り返してきました。
だが現代は誰もが自分の備えている知能を育て産みだされる知恵を使って悔いのない楽しい人生を送れる条件が整っています。
そのチャンスを活かすも逃すも蒙昧社会の自由ですが、本当の自由は全てに痛みを思想、及び行動で有り知能を育てる他に痛みを与える思想と行動は自由とは申せません。
無知蒙昧な者達よりも猿の方が学習能力が高い時代ですね。




980 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:30:17
>>978
だが知的遺産、伝統文化、たるものが間違っていたら、どうしますか?

981 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 16:53:05
蒙昧はさすがに俺の見込んだ猿だけのことはあるな。
猿は総じて誇大妄想だが、その誇大妄想すら我々のヤバい存在に根拠をもつとこういわねばならない。困ったものだ。

>>980
間違いからも学ぶんだよ。
ちなみに伝統文化に正誤はない。

982 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 17:09:33
間違いに気付く知恵が有れば間違いから学べますが、間違いに気付く知恵が無いとどうするの?
人格を中心に考える知能を備えた人間なら知恵を産みだせますが、皆さんように知恵を産みだせない人科のホモサピエンスでは駄目でしょう?



983 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 20:05:55
知は力なり

984 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 20:20:05
潜在能力は潜在している力なり


985 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 20:23:19
哲学は有から無に転じて、無から有に転じるもの。

986 :考える名無しさん:2007/01/10(水) 23:46:35
畜生、自覚せよ!!
なんか無理なのか。

自分の本質、核、意志だとかは置いといて、
自分を見つめるところの自分が存在しない異質な人間がいるんだろう。
我思う、故に我ありというところの自分がない。
自分自身に対する関係がない。自分自身との対話がない。
思春期には自分を見つめるところの自分が現れるものだと思っていたが、
必ずしもそうではない。
むしろ自分自身との関係をもつ人は少数派なのかもしれないな。
たまげたね。まいったo(_ _*)o。

987 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 00:03:05
哲学って自分を見つめ監視しているところの自分がいないとまず出来ないだろ。
自分を対象にするところの自分が必須だろ。

988 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 00:43:01
皆さんは何故、問題が生じ何故、産まれた問題が適切に処理できないのか、考えたことが有りますか?
そんなことは考える事もなく、正しい適切な答をだす知恵が無いからに決まってますよね。
何故、皆さんに知恵が無いのか?知能を育たないから智恵を産みだせない。
何故、知能が育たないのか?道理に昧いから知能が育たない。
何故、道理に昧いのか?力を崇拝し理に反する蒙昧を崇拝し自己愛を心の主とし欲望に捕らわれ、
産みだされる自我に依って理を敵対する衝動に駆られるから道理に昧く成る。
何故、蒙昧を崇拝するのか?人は智恵を持てるのか?知恵を持つにはどうするのか?
皆さんは、哲学とはなにか?を考える前に考えられる知恵が必要だと思いませんか?


989 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 00:57:17
>>988それはね、哲学をする環境がないからだよ。一般の人たちは忙しくて、十分な時間が
取れないでいるからだ。社会のシステムに流されて生きているのさ、仕事から帰ればテレビ
を見て、あるいはお酒を飲み、あるいはギャンブルに走る。特に近年はそういう傾向が強い。

哲学でもって解く、というのは極めて難しい状況になっているのだよ。
哲学をする、また、人類愛の「愛」解く教育、それができる社会システムの構築をしなければ
ならないと思う。

990 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 01:13:52
精神の構造のイメージ

太陽の周りを地球が回っていて、さらに地球の周りを月が回っている。

太陽が自分の本質、意志、心の核とか潜在意識、無意識と呼ばれるものに対応する。

地球が我思うところの我、私
月が我思うと思うところの我、私、理性

注意すべきことは月がない人々が多いようだということね。

さらに他の惑星がある人もいるだろうし、時に流れ星がながれたりする人もいるだろうし。

991 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 01:41:48
>>989
それは言い訳ですよ。
では、人類史が始まって今日まで誰も忙しくて哲学をできなかった、と言うことに成りますよ。
哲学の目的は自己愛から人間愛に心を切り替えれば、必然的に物事の理を悟れ自我が消滅し知能が育ち知恵を産みだせて達成しますが
人類愛の「愛」解く教育では無くて人間愛に導く導育と言う形を取るべきなのです。
何故かは教育は記憶に留めることで人の心の根源に作用を及ぼさないからで導育は心の基礎に訴えるのです。
それと教育現場は競争を旨とする弱肉強食の社会に即した教育しかできず、とても人類愛や人間愛に即した教育は無理だと思いますよ。
私も以前、各小学校の校長先生にお会いして話を聞きましたが、社会と理想のギヤップが激しく無理だと分かりました。
ですから社会に直接、訴えて理を望む人が物事の理を悟り、知性と人格を備えて周囲の人々を導いて戴く以外に方策はないのです。





992 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 01:44:36
月がないとは幸せ者といえなくもない。
盲目の不細工みたいなもの。
謎は解けた!

993 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 08:18:12
哲学とは、空気みたいなものです。

994 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 10:57:53
>>991 >教育現場は競争を旨とする弱肉強食の社会に即した教育しかできず、とても人類愛や
人間愛に即した教育は無理....
 だから、それができる社会システムを構築しなければならない。と言ってるでしょ。
やらなければならないのです、それ以外にないと思います。 
 心の核の話は前より分かりやすくなりましたね!      ・これで失礼します。


995 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 15:48:05
次スレは必要ですか?

996 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 15:55:31
>>994
教育とは私の唱える「心の核が産みだす心」の部分を扱いますので「心の核」に触れることができません。
教える、覚えるでは自己愛から人間愛に切り替えは効かない、つまり道理にあかるく(哲人)成れないのです。
そこに「心の核」を切り替える「物事の理を悟る」と言う、教えるのでは無く諭すと、単に覚えるのでは無く悟ると言う行為が有るのです。



997 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 16:07:12
>>995
>次スレは必要ですか?
哲学とはなにか?に正しい答を見いだせば全て決着を付けられます。
都合が悪く無ければ、更新して戴きたいと思います。
常々、思うのですが、
哲学@2ch掲示板は哲学の道を啓く為に有るのか、道が啓かれることを防ぐ為に有るのか、どっちでしょうね。



998 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 22:19:58
さあ、ここにコメントを書き込んだ方々は、
もうりっぱな哲学者ですね。このスレットはそろそろおしまいです。
また、別なところで、哲学しましょう

999 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 22:23:19


1000 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 22:24:55


1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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