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【騎士】マイケル・ダメット【長老】

1 :考える名無しさん:05/02/20 14:11:49
イギリス哲学の重鎮マイケル・ダメットのスレです。
おまいら語れ


2 :考える名無しさん:05/02/20 14:12:31
>>1
スレ立て乙です!

3 :考える名無しさん:05/02/20 14:13:34
>>1
やなこった

4 :考える名無しさん:05/02/20 14:17:35
ちょっと読み辛いがこういう記事を見つけた。

書評:マイケル・ダメット『分析哲学の起源』(『週刊読書人』1999年4月2日)
http://www.hss.shizuoka.ac.jp/shakai/ningen/hamauzu/shohyo3.html

5 :考える名無しさん:05/02/20 14:21:26
Michael Dummet's On Immigration and Refugees and 'Race' Panic and the Memory of Migration, edited by Meaghan Morris and Brett de Bary
Reviewed by Amir Ahmadi

http://www.lib.latrobe.edu.au/AHR/archive/Issue-Jan-2003/ahmadi.html

6 :考える名無しさん:05/02/20 15:19:38
>>4
野●さんの翻訳は使えねえから注意すろ

7 :考える名無しさん:05/02/20 15:42:06
>>6
伏せ字野郎の言う事は信用できない
詩ね

8 :考える名無しさん:05/02/20 15:44:23
DQN厨以外はみんな知っとるよ

9 :考える名無しさん:05/02/20 15:49:44
DQN野郎の言う事は信用できない


10 :考える名無しさん:05/02/20 15:57:02
批判するなら堂々と書くべき
こういう匿名掲示板で伏せ字使って悪口書く奴は最低だと思う。

11 :考える名無しさん:05/02/20 17:45:16
>>7
せいぜい生き恥さらして長生き白

12 :考える名無しさん:05/02/20 17:48:14
>>8
堂々としたけりゃ
せめて翻訳くらい読んでから出て鯉よ

13 :考える名無しさん:05/02/20 17:49:16
>>8じゃなくて>>10だった orz

14 :考える名無しさん:05/02/20 17:55:35
D●N大杉

15 :考える名無しさん:05/02/20 18:04:29

===================================== 終 了 ====================================





16 :考える名無しさん:05/02/20 18:15:36
(´-`).。oO(大杉というよりは少数精鋭DQNが常駐してるんだろうなぁ……)

17 :考える名無しさん:05/02/20 18:29:43

===================================== おしマイケル ====================================





18 :考える名無しさん:05/02/20 19:24:30
>>6
それは誤訳が多いってこと?
それとも、読みにくいってこと?

読みにくいだけなら別に構わんが。

19 :考える名無しさん:05/02/20 19:32:00
『現代の論理的意味論』は
明快でよいね。

100頁くらいまでと
デイヴィドソンへのダメットの批判のところ
しか読んでないけど。

品切れなのが惜しい。
常に手元において暗記用に用いたい。

20 :考える名無しさん:05/02/20 19:37:39
>>12
ちなみに、
『分析哲学の起源』で野本氏が邦訳したところは
比較的読みやすかった。

ってことは誤訳が多いのか……orz

21 :考える名無しさん:05/02/20 19:55:35
でも野本氏って海外でもそれなりに研究してるんだよね。
それに他の研究者(たとえば丹治氏)にチェックしてもらってるようだし。

最悪でも>>6と野本氏の見解の相違ってだけな気もするね。

あるいは6が日本語に不自由な帰国子女だとか。
もっとありそうなのが6が自分の誤りに気付かないDQNってことかな。

22 :考える名無しさん:05/02/20 20:15:56
(´-`).。oO(DQNは相変わらず堂々としてるなぁ……)

23 :考える名無しさん:05/02/20 20:31:06
(´-`).。oO(『現代の論理的意味論』を明快と言われてもなぁ……)

24 :考える名無しさん:05/02/20 20:34:06
>>22
せっかくだから誤訳があるんだったら
それを具体的に指摘してくれると嬉しい。

人違いだったらゴメンよ。

25 :考える名無しさん:05/02/20 20:34:58
(´-`).。oO(読解力をドキュン力で補ってるのかなぁ……)

26 :考える名無しさん:05/02/20 20:45:14
>>23
それは、誤りを含むから
明快とかいう以前の問題ってこと?

>>25
飯田氏の『大全』を何回か読んでから読んだ。

資格試験にたとえれば、
『大全』はまず最初に読む厚い本で、
『現代の』はポイントを押さえる為に試験前に
繰り返し読む本って感じかなあ……

27 :考える名無しさん:05/02/20 22:15:57
>>1


28 :考える名無しさん:05/02/21 00:09:39
>>6 は何ひとつ根拠を示してないからただの誹謗中傷にすぎない

29 :考える名無しさん:05/02/21 00:36:46
(´-`).。oO(Alexander Miller の書いた Philosophy of Language はよさげだなぁ……)

30 :考える名無しさん:05/02/21 06:18:04
(´-`).。oO(プログレの話したいなぁ……)




31 :考える名無しさん:05/02/21 10:47:28
晒サーテ

32 :考える名無しさん:05/02/21 14:56:35
権威主義多めに入ってんね
べつにどうでもいいけど

33 :考える名無しさん:05/02/21 20:38:49
(´-`).。oO(けっきょくダメットの話とかいっこも無いよなぁ……)


34 :考える名無しさん:05/02/21 20:49:35
(´-`).。oO(もう消えよう……)


35 :考える名無しさん:05/02/21 21:18:28
>>33
お前が話題ふれよ、この甲斐性無し!!

36 :考える名無しさん:05/02/21 22:46:47
ダメットお気に入りの
ボルツァーノについてなんてどう?

表象変化の方法の形相的還元への
影響、およびそれらの差異を述べよ。

37 :考える名無しさん:05/02/22 22:58:58
意味わかんね
こいつ馬鹿か

38 :考える名無しさん:05/02/23 03:09:01
ある特定の文の意味が分からない
ということを手がかりに、
意味が分からないってどういうことかを
考え直すとかどうよ?

「意味わかんね」にも色々あるね。

(1)その文に含まれる単語に馴染みのないものがある。

(2)その文の統語が適切でない。

(3)その文の内容が間違っている。

(4)聞き手が
  それまでの話と関係のない話題を突然されたと感じた。

他にも色々あると思うけど。

39 :考える名無しさん:05/02/23 15:41:47
(5)話し手が異常にバカ。

40 :考える名無しさん:05/02/23 17:35:07
(6)クソスレだと思う。(来て損した。)

41 :考える名無しさん:05/02/23 17:36:46
(7) スレはまだ立ったばかり。私はこれからに期待!

42 :考える名無しさん:05/02/23 23:43:38
(2) or (3) or (4) or ......
のときには、
(5) のように判断する人もいるのかもね。

43 :考える名無しさん:05/02/23 23:46:33
この人タロットの研究もしてるってどこかで紹介してあったんですけど本当ですか?
本も出してるとか?

44 :考える名無しさん:05/02/23 23:54:05
http://www.geocities.jp/allaboutloveandrespect/equine.html

45 :考える名無しさん:05/02/24 00:21:59
>>43 これらがそうかな?

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0715631225

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0773464476

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0715610147

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0715614851

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0807611417

46 :考える名無しさん:05/02/24 01:56:12
>>43>>45
どういう主旨の本なんですか?
割合科学史的なもの? 占星術研究みたいな・・・

47 :考える名無しさん:05/02/24 02:38:10
ダメットは占いや魔術を信じてる事で有名。
因果の時間逆転の話もそれを踏まえないと理解できない。

これ常識。

48 :考える名無しさん:05/02/24 02:45:27
そうなの? ファン・フラーセンが占星術好きというのは聞いたことがあったが。

49 :46:05/02/24 03:27:26
そうだったんだ! ダメットは相対主義者(?)なの?
論理実証主義的なガチガチの科学主義者だと勝手に思ってた。

50 :考える名無しさん:05/02/24 03:35:12
2chブラウザ使ってない奴って多いんだな。

51 :考える名無しさん:05/02/24 03:41:46
相対主義者ではないと思うね。呪術の実証的研究の条件みたいな事を語って
象徴行為主義の人類学者と論争したりしてるから。

52 :46=49:05/02/24 03:50:52
>>51
ひぇ〜 ますます驚きです。
でも西洋では魔術の歴史も長いそうだし、貴族社会では今でも流行なんですかね?
ダメットの出自が貴族かは知りませんが。

53 :考える名無しさん:05/02/24 11:57:20
貴族的なタイプの人じゃないですね。

54 :考える名無しさん:05/02/24 12:04:33
>>47
あほ氏ね
ダメットがフランセス・イエーツを書評でボコッてたの氏らねーか

55 :考える名無しさん:05/02/24 12:24:53
>>54
答えは>>50にある

56 :考える名無しさん:05/02/24 13:00:36
2chブラウザ使うと、「考える名無しさん」のIPアドレスとか見れるの?

57 :考える名無しさん:05/02/24 13:01:33
違うYO! メル欄!

58 :考える名無しさん:05/02/24 14:05:39
Neil+Tennantでググルとペット・ショップ・ボーイズばかりが引っかかるわけです

59 :考える名無しさん:05/02/25 17:02:42
フレーゲアンの中の人も大変だ。
とりあえず、narrow content とか言ってる香具師は心が狭い
ということにしておこう。

60 :考える名無しさん:05/02/25 18:40:47
わけわかんね

61 :考える名無しさん:05/02/26 12:37:41
文章がまわりくどいわりには
この人はたいしたこと言ってないと思う

62 :考える名無しさん:05/02/26 13:39:11
>>61
詳しく!

63 :考える名無しさん:05/02/26 15:05:46
文章がストレートなわりには
>>61はたいしたこと言ってないと思う

64 :考える名無しさん:05/02/26 22:35:41
この人の英語は模範文法の技巧を凝らして読みにくいが、英語の勉強にはなる。
しかし哲学的評価はどうなのだろう。とりあえず
The Seas Of Language あたりを読んでみようか。

65 :考える名無しさん:05/02/27 02:05:50
(´-`).。oO(英国人の英語って何で難しいだろ

66 :考える名無しさん:05/02/27 09:26:15
It is precisely because, in this area of philosophy, we know even less what it is that
we are talking about than we do in other areas, that the proposal to approach our problems
by considering how we might attempt to specify the meanings of the expressions of an entire
language does not appear the waste of time that an analogous proposal would seem to be
within epistemology.

-----What is a Theory of Meaning?-------p2---

67 :考える名無しさん:05/02/28 18:05:35
実在するのはクソスレだけ

68 :考える名無しさん:05/02/28 18:40:18
ほんとロクなスレ無いなココ
もう来るのヤメよ

69 :考える名無しさん:05/02/28 19:56:21
Michael Dummettを2チャンで論じるのはレベルが高杉。
>>67 >>68 ヨ。66を訳してミソ。

70 :考える名無しさん:05/02/28 19:58:01
>>74
空気嫁www

71 :考える名無しさん:05/02/28 20:28:46
言語全体の表現の意味を明確にする目的で、我々がどのような試みを行おうとするのかを
考察することによって、我々の問題を解決しようというもくろみが時間の無駄では
ないことの理由は、この分野の哲学においては、他の分野におけるほど、我々が議論
しているものの正体が何であるのかあまり分かっていない為に違いないのであり、
似たようなもくろみは認識論にも見受けられることだろう。

72 :考える名無しさん:05/02/28 20:35:00
それでもいみが通らないのでは?簡潔に説明を

73 :考える名無しさん:05/02/28 20:41:24
前後の内容如何でふたつに意味がとれる

74 :考える名無しさん:05/02/28 23:18:12
どうゆう読み方してんだよ
おじさん泣いちゃうよ

75 :考える名無しさん:05/03/01 00:19:18
epistemology は other areas に含まれいて、

類似の提案が認識論の内部に現われるということが
時間の無駄ってことなのかな。

そしてその時間の無駄が現われないことが全くその通りなのかな。

76 :考える名無しさん:05/03/01 00:39:29
because..
これこれの事情があっからさ
the proposal [..]doesn't appear (to be?) the waste of time
ほにゃららって提案も(この分野に限っちゃ)時間の無駄とは見えねえのよ。
that an analogous proposal would seem to be within epistemology
認識論で似たような提案したらそう見えちゃうだろうけどさ。

77 :考える名無しさん:05/03/01 07:13:50
>>76 あっ!そうか!
As is well known, some, pre-eminently Quine, have preferred to circumvent
this difficulty by investigating the principles underlying the construction not of
a theory of meaning for a language, but of a translation manual from it into
some known language. The advantage is that we know exactly what form a translation manual
has to take, namely an effective set of rules for mapping sentences of translated language
into sentences of the language into which the translation is being made: we can therefore
concentrate entirely upon the questions how we are to arrive at a system of translation
as embodied in such a manual, and what conditions must be satisfied for such a system to be
acceptable.

78 :考える名無しさん:05/03/01 07:14:35
77 続きダス。

79 :恥丘:05/03/01 09:33:32
実際によく知られていることだが以前の著名人であるQuine氏が言っていたことにはひとつの言語の意義を論じて構築するのではなく馴染みのある言葉の枠内で意味をマニュアル的に解釈することのほうを第一に敷いてその議題が欺かれてきたという。

80 :考える名無しさん:05/03/01 09:34:57
そういったことを進歩というならそれはつまり構築されたマニュアルがどんな型にされなければいけないかということであり、一つの効果として解釈が構築される過程の言葉をあるセンテンスから取り出し言語が包括的に規定されている規則を見つけだすことができるのである。

81 :考える名無しさん:05/03/01 09:35:52
つまり、そのようなマニュアルを明らかにすることで解釈するためのシステムをどうやって構築していくかという議題に焦点をあわせることを可能にするのである。そして受け入れやすくするためのシステムの環境という議題においてもうまく焦点を合わせやすくできるのだ

82 :考える名無しさん:05/03/01 13:45:12
まあもっと英語の勉強しといた方がいいよ

83 :考える名無しさん:05/03/01 18:24:16
>>82 単語の意味はわかるのに、ほんとに英語が難しい。文法からやりなおし。

Michael Dummett " The Seas Of Language" Oxford University Press, 1993,
ISBN: 0-19-823621-2
その中の "What is a Theory of Meaning?" ダス。

84 :考える名無しさん:05/03/01 18:46:23
>>77はそんなに難しい所じゃないやん

85 :考える名無しさん:05/03/01 19:30:18
Dummettは”同世代の人々に影響を与えた”シトらしいが、ほんとなの?
knightの称号を持つ、オックスフォードの名誉教授だが。

86 :考える名無しさん:05/03/01 23:25:29
>>66
> It is precisely because, in this area of philosophy, we know even less what it is that
> we are talking about than we do in other areas, that the proposal to approach our problems
> by considering how we might attempt to specify the meanings of the expressions of an entire
> language does not appear the waste of time that an analogous proposal would seem to be
> within epistemology.
> -----What is a Theory of Meaning?-------p2---

哲学のこの分野においては、他の分野におけるのと比べて、我々は自分たちが何を語っているのかについて、
いっそう無知なのであり、まさにこの理由によって、我々がどのようにして言語全体の表現の意味を特定することを
試みるかを考察することによって我々の問題に取り組もうという提案が時間の無駄には見えないのである(同様の提案は
認識論においては時間の無駄に見えるだろうが)。

87 :考える名無しさん:05/03/01 23:46:39
>>77
> >>76 あっ!そうか!
> As is well known, some, pre-eminently Quine, have preferred to circumvent
> this difficulty by investigating the principles underlying the construction not of
> a theory of meaning for a language, but of a translation manual from it into
> some known language. The advantage is that we know exactly what form a translation manual
> has to take, namely an effective set of rules for mapping sentences of translated language
> into sentences of the language into which the translation is being made: we can therefore
> concentrate entirely upon the questions how we are to arrive at a system of translation
> as embodied in such a manual, and what conditions must be satisfied for such a system to be
> acceptable.

よく知られているように、何人かの人々(特にクワイン)は、言語の意味の理論の構築ではなく、
その言語の他の言語への翻訳マニュアルの構築の基礎にある諸原理を探究することによって
この困難を回避することを選んだ。その利点は、翻訳マニュアルが正確にいかなる形をとるべきかを
我々は知っている、ということである(つまり、翻訳もとの言語の文を、翻訳先の言語の文へと対応させる
実効的規則の組という形。)したがって我々は、そのようなマニュアルに具体化された翻訳のシステムに
いかにして到達すべきかという問題、そしてそのようなシステムが受け入れ可能であるためにいかなる条件を
満たさねばならないかという問題に、完全に集中できるのである。



88 :考える名無しさん:05/03/02 01:12:41
Michael Dummett  The Logical Basis of Metaphysics
(マイケル・ダメット『形而上学の論理的基礎』)
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0674537866/

ハイデッガー『論理学の形而上学的な始元諸根拠』
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4423196379/

基礎づけ関係が逆ですね。

そもそも「論理学」や「形而上学」の意義が
違うのかも知れないけど。


89 :考える名無しさん:05/03/02 02:06:25
>>85
たとえば、パトナムの内在的実在論は、
ダメットの意味論的反実在論の影響を受けている。

「同世代」ではないけれども、
我々に身近な所では、
飯田隆氏の『言語哲学大全T』は、
次の本への導入となることを意図して書かれた
と言われていた気がする。

Michael Dummett  Frege: Philosophy of Language
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0674319311/

90 :考える名無しさん:05/03/02 15:43:37
パトナムは常識的実在論にまたまた転向したんでしょ
よくしらないけど

91 :考える名無しさん:05/03/02 15:44:43
謎の転向生

92 :考える名無しさん:05/03/02 16:20:02
ワロタ
それにしてもパトナムは何者なんや?


93 :考える名無しさん:05/03/02 18:44:25
>>87 excellent!

94 :続きダス:05/03/02 19:13:16
The disadvantage is that, while the interest of such an enquiry must lie in
the light it throws on the concept of meaning, we are unable to be certain
what consequences the results of the enquiry into translation do have for
the notion of meaning, just because they are stated without direct appeal to
that notion. To grasp the meaning of an expression is to understand its role
in the language: a complete theory of meaning for a language is, therefore,
a complete theory of how the language functoins as a language. Our interest
in meaning, as a general concept, is, thus, an interest in how language works;
a direct description of the way a language works---of all that someone has to
learn to do when he learns the language--would, accordingly, resolve our
perplexities in a way in which an indirect account, by means of a translation,
cannot.

95 :考える名無しさん:05/03/02 19:18:28
What is a Theory of Meaning?
p1〜p2でmeaningという単語が20回、languageという単語が19回でてくる。
言語学の本かと思うシトもいるでしょうに。

96 :考える名無しさん:05/03/02 21:03:08
おしマイケル!

97 :考える名無しさん:05/03/02 21:45:02
ダメット先生もあんなに薄い本を出すようになったら
ホントにおしマイケルだ

98 :考える名無しさん:05/03/02 21:58:20
そういった(全体の下敷きとなるシステム構築という)利点が(言葉全体の表現の)意味を通して原理的な明確さが打ち出される一方で反対に利点とならないこととしてそのような意味の概念を目的とした翻訳の原理が結果として何を導くのかを我々は知り得ないのである

99 :考える名無しさん:05/03/02 22:08:21
なぜならば(読まれるということには)そういった付与へ直接接することなしに翻訳されたものは述べられてしまうものだからである。表現の意味を掴むことはその言語の媒体の中にある規則を理解することと等価なのでありつまりある言語の訳を完成させるということは

100 :考える名無しさん:05/03/02 22:20:46
別の言語と同じ要素がどのようなものかを完成させて論ずるということなのである。翻訳における一般概念として私たちにとっての利益は言語論的著作にある。それは言語原理としての方法論的且つ直接的な注釈書なのだ

101 :考える名無しさん:05/03/02 22:31:19
言語原理とはすべての言語に当てはまるものであり誰しもが言葉を勉強する時に同時に理解しなければならないことであり、従って言語の原理的な世界は翻訳を通して非直接的な方法で解決することができない困難を解決してくれるものなのである

102 :考える名無しさん:05/03/03 00:11:51
>>94
> The disadvantage is that, while the interest of such an enquiry must lie in
> the light it throws on the concept of meaning, we are unable to be certain
> what consequences the results of the enquiry into translation do have for
> the notion of meaning, just because they are stated without direct appeal to
> that notion. To grasp the meaning of an expression is to understand its role
> in the language: a complete theory of meaning for a language is, therefore,
> a complete theory of how the language functoins as a language. Our interest
> in meaning, as a general concept, is, thus, an interest in how language works;
> a direct description of the way a language works---of all that someone has to
> learn to do when he learns the language--would, accordingly, resolve our
> perplexities in a way in which an indirect account, by means of a translation,
> cannot.

不利な点は、以下のとおりである。すなわち、そのような探究の興味は
それが意味の概念に与える解明にあらねばならないのだが、我々は
翻訳の探究の結果が意味の観念にとっていかなる帰結をもたらすかに
確信が持てないのである。これはまさに、意味の観念に直接に訴えることなしに、
それらの結果が述べられるからである。ある表現の意味を把握するとは、言語に
おけるその役割を理解することである。したがって、言語の完全な意味の理論は
その言語が言語としていかに機能するかについての完全な理論である。ゆえに
一般的概念としての意味に対する我々の興味は、言語がいかに働くかに対する
興味である。したがって、言語の働き方(人がその言語を学ぶときに、行うすべを身に
着けねばならないすべてのこと)の直接的な記述は、翻訳による間接的な説明によっては
できない仕方で、我々の疑問を解消する。



松坂氏Ph.Dとれたのかな?

103 :考える名無しさん:05/03/03 00:13:30
★★★

無星です

104 :考える名無しさん:05/03/03 00:22:06
翻訳スレになっててキモい

105 ::05/03/03 00:27:50
キモいハゲキター

106 :考える名無しさん:05/03/03 00:41:35
自信をもってあげる。

107 :考える名無しさん:05/03/03 01:05:08
自信をもってさげる

108 :Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :05/03/03 01:05:55
おおお! ダイマル・ラケットのスレが!!

109 :Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :05/03/03 01:16:59
中田ダイマル(本名:中田勇夫, 1913年(大正2年)12月14日 - 1982年(昭和57年)9月5日)
中田ラケット(本名:中田信夫, 1920年(大正9年)3月3日 - 1997年(平成9年)2月5日)
戦後の上方漫才を代表する兄弟コンビ。
ダイマルは昭和初期に 旅役者の一座を経てから兄と松王・梅王という漫才コンビを結成。
後にデパ−ト・ダイマルと改名。昭和16年に兄が戦死し、工員であった弟と再びコンビを組み、
ダイマル・ラケットを結成した。
戦後間もないころ 幕間の【拳闘漫才】で話題を博し、民放テレビの黎明期に、朝日放送の専属タレントとなった。
『お笑い街頭録音』『びっくり捕物帳』『スチャラカ社員』などの番組に出演。
代表作に、『僕の幽霊』『君と僕の恋人』『恋の手ほどき』『僕の漂流記』などがある。
「いうてみぃ」「きいてみぃ」・「青火がパァ、ボヤがポォ」・「いっしょやいっしょ〜」等のフレ−ズが有名。
読売テレビで主に昭和50年代に放送された「お笑いネットワーク」と「漫才笑学校」の中から、
6本を収録したDVDがポニ−キャニオンから発売されている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

110 :考える名無しさん:05/03/03 01:17:53
>>108-109しね

111 :Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :05/03/03 01:28:55
なんで死ななきゃならんのだ? 動脈硬化か? 血圧か?

112 :考える名無しさん:05/03/03 18:48:53
分析哲学者。1925年生まれ。
哲学者としての業績は2つに分けられる。
一つはフレーゲの研究で、その言語哲学が広く議論されるきっかけとなった。
もう一つは、直観主義数学にヒントを得た検証主義的意味論のプログラムを提起したことである。
検証主義的意味論とは、文の正当性の検証の仕方がその文の意味を与えるとする意味論のことである。
ダメットによれば、実在論と観念論の対立は、実は意味が検証の仕方によってに与えられるか、
真理条件によって与えられるかの対立に他ならない。

人種差別撤廃運動などの人権擁護運動やタロットの研究でも知られる。



113 :考える名無しさん:05/03/03 18:54:04
オイラには少ない単語(language, meaning, sentences, word, theory, etc,)で
難しい英文法の勉強をするための教材に見えちゃうのだが、、、。

114 :考える名無しさん:05/03/03 18:54:50
哲学科の友達に、「面白い哲学書紹介してよ」って言ったら、
このひとの「真理という謎」って本をプレゼントされたけど。
まだ読んでない…orz


115 :考える名無しさん:05/03/03 19:54:28
"Truth and Meaning"
A first consideration of language leads us naturally to ask whether language is
prior to thought or thought to language. We have made some progress when we
come to see that this question is neither so straightforward nor so fundamental 
as it seems at the outset. A first move to dispel its deceptively plain
appearance is to distinguish between temporal priority and priority in the order
of explanation.

116 :考える名無しさん:05/03/03 19:55:59
実在と意味。

117 :考える名無しさん:05/03/05 00:47:46
>>102

>一般的概念としての意味に対する我々の興味は、言語がいかに働くかに対する
>興味である。したがって、言語の働き方(人がその言語を学ぶときに、行うすべを身に
>着けねばならないすべてのこと)の直接的な記述は、翻訳による間接的な説明によっては
>できない仕方で、我々の疑問を解消する。

ここであなたは「accordingly」を「したがって」と訳していますが、
セミコロン前の主張はセミコロン後の主張の理由を与えているわけではなく、
セミコロン前の主張に従って探求がなされることの帰結ないしメリットとおぼしきものが
セミコロン後に記述されているだけなのだから、
「そして」くらいに訳した方がよいのではないでしょうか。

しかし、総じてあなたの訳は素晴らしいと思います。涙が出ました。

118 :考える名無しさん:05/03/05 11:03:33
真理と意味
言語についての考察は最初に、言語が思考に先立つものか、思考が言語に先立つものか、
という自然な疑問を我々に引き起こす。はじめに思えるほど、これは簡単な疑問ではないし、
基本的な疑問でもないことに思い至って、我々は幾分進歩した。その人を欺きやすい単純な
外観を払拭するための先手は、一時的に先になるものと説明の順に先になるものを区別する
ことである。

119 :考える名無しさん:05/03/05 11:43:10
115 の続き
It is conceivable that thought is prior to language in the order of explanation,
but not in the order of acquisition. Its priority in the former regard would
involve that, in order to explain what it is for words and sentences to have the
meanings that they do, it is necessary to invoke notions relating to the thoughts
the speaker uses them to express, or that they call up in the mind of the hearer.

120 :102:05/03/05 18:17:23
>>117
的確な指摘だと思います。

121 :考える名無しさん:05/03/05 20:28:45
>>119
> 115 の続き
> It is conceivable that thought is prior to language in the order of explanation,
> but not in the order of acquisition. Its priority in the former regard would
> involve that, in order to explain what it is for words and sentences to have the
> meanings that they do, it is necessary to invoke notions relating to the thoughts
> the speaker uses them to express, or that they call up in the mind of the hearer.

説明の順序においては思考が言語に先立つが、獲得の順序においてはそうではない、というのは
考えられることである。前者の点で思考が言語に先立つということは、次のことを含意するであろう。
すなわち、語や文が現に持っている意味を持つとはいかなることであるかを説明するためには、
話し手がそれらの語や文を用いて表現したり、それらの語や文が聞き手の精神に喚起したりする思想に
関わる観念に訴えることが必要となる、ということである。

122 :考える名無しさん:05/03/05 21:18:32
119 続き
For instance, on such a view, it might be that we cannot explain what it is for a proper name
or demonstrative phrase to refer to an object save in terms of someone's having a thought
about that object: "refer to" is therefore to be explained in terms of "think about". Such a
priority of thought over language in the order of explanation requires that we can give an
account of what it is to have a thought of a given kind ---- for instance, what it is to be
thinking about a particular object ---- without reference to the thinker's possessing the
means of expressing his thought in words.

123 :考える名無しさん:05/03/05 23:52:48
>>118

>基本的な疑問でもないことに思い至って、我々は幾分進歩した。その人を欺きやすい単純な
>外観を払拭するための先手は、一時的に先になるものと説明の順に先になるものを区別する
>ことである。

「temporal priority」は「一次的に先になるもの」ではなく、
「時間的に先になるもの」でしょう。

>>121
些細な難癖かもしれませんが、
今の文脈では「notion」は「観念」よりも「概念」と訳した方がいいように思います。
この文脈はエヴァンズの話を主題にしていると思われ、
エヴァンズは「an Idea of an object」という表現をよく使うので、
「観念」という語が出てくるとつい「Idea」のことだと思ってしまう。
しかしこの意味での「Idea」は「notion」から区別しておく必要があると思われます。

124 :考える名無しさん:05/03/06 10:39:36
Aという人間が有している全言語システムと、Bとうい人間が有している全言語システム
は異なるわけで、
「Aの言語による思考に関連した概念を呼び覚ます」もしくは
「Aの言葉によってBの精神に引きおこされた思考に関連した概念を呼び覚ます」
ことが
「単語や文章が意味をもつ」
ということを理解するためには必要だということ。
例えば、AもBも「友情」という言葉を知っており、それぞれ違った「友情の概念」を有しているが、
AがBに「Aの考える友情」に注意を向けさせるための「適切な名前」や「明確に示す語句」がどういった
ものであるかを、Aは説明することができない事も在り得る。
 したがって、「BがAの言う友情に注意を向ける」とは「BがAの友情について思考する」
という観点から説明されなければならない。

125 :考える名無しさん:05/03/06 11:42:58
そのように説明の順で思考を言語よりも先になるものとして捕らえることは、
我々が以下のことを説明できることを要求する。
思考者(B)が言葉に出して彼の思考を(Aに)表現する方法を所有しているということに関係なく、
与えられた種類の思考をもつとはどういったことなのか、例えば特定の対象(友情)について
思考しているとはどういったことなのか。


126 :考える名無しさん:05/03/06 12:09:46
It therefore implies that it is in principle possible for a being not in possession
of a language to have such a thought. But it is quite consistent with that to suppose
that an individual's acquisition of the capasity to use a language is always temporally
prior to his acquisition of the capasity to frame full-fledged thoughts, or,
indeed, that the same is true of the human race as awhole. It might be that it is only
the acquisition of the means of expressing thoughts that triggers in us the capability
of framing the thoughts so expressible. Something like this must have been the view of
Frege, who held that human beings are capable of grasping thoughts only as expressed
verbally or symbolically, but that it is no contradiction to suppose that there are
beings who grasp the same thoughts as we do, without clothing them in sensible form.

127 :009:05/03/06 12:14:26
暇つぶしにこんなのもいいですね〜

128 :考える名無しさん:05/03/06 12:54:00
エヴァンズキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
けどエヴァンズのゆう Idea というのを「観念」と訳すのも
あんま適切とは思えないのだった

129 :考える名無しさん:05/03/06 12:54:17
126は122の続きだす。"Truth and Meaning"は "The Seas of Languages"
のp147だす。ダメット先生1985年の論文だす。

130 :考える名無しさん:05/03/06 13:21:54
はよEVANS本の翻訳、完成させろ!

131 :考える名無しさん:05/03/06 15:17:25
>>122

For instance, on such a view, it might be that we cannot explain what it is for a proper name
or demonstrative phrase to refer to an object save in terms of someone's having a thought
about that object: "refer to" is therefore to be explained in terms of "think about". Such a
priority of thought over language in the order of explanation requires that we can give an
account of what it is to have a thought of a given kind ---- for instance, what it is to be
thinking about a particular object ---- without reference to the thinker's possessing the
means of expressing his thought in words.

「例えば、そのような見解においては、固有名や指示的語句がある対象を指示するとはいかなることであるかは、
人がその対象について思考するということを持ち出さなければ説明できないのである。したがって
「…を指示する」は「…について思考する」を用いて説明されるべきだ、というわけである。
説明の順序において言語に対して思考がそのような優位性を持つためには、ある種の思考を行うということが
いかなることであるか(例えば、ある特定の対象について思考しているということがいかなることであるか)を
思考を行う者が自らの思考を言葉で表現する手段を有しているということとは無関係に説明できることが必要である。」

132 :考える名無しさん:05/03/06 15:17:47
>>126

It therefore implies that it is in principle possible for a being not in possession
of a language to have such a thought. But it is quite consistent with that to suppose
that an individual's acquisition of the capacity to use a language is always temporally
prior to his acquisition of the capacity to frame full-fledged thoughts, or,
indeed, that the same is true of the human race as a whole. It might be that it is only
the acquisition of the means of expressing thoughts that triggers in us the capability
of framing the thoughts so expressible. Something like this must have been the view of
Frege, who held that human beings are capable of grasping thoughts only as expressed
verbally or symbolically, but that it is no contradiction to suppose that there are
beings who grasp the same thoughts as we do, without clothing them in sensible form.

「したがって、そのこと(=説明の順序において思考が言語に対して優位性を持つこと)は、
言語を持たない生命体がそのような思考を行うことが原理上は可能であるということを含意する。
しかし、個人が言語を用いる能力を獲得するのは彼が十全な思考を行う能力を獲得するより
つねに時間的に先であると想定することは、そのこととは全く矛盾しないし、さらに言えば、同じことが
人類全体に当てはまると想定することも、そのこととは矛盾しない。思考を表現する手段を獲得することに
よってのみ、そのようにして表現可能な思考を行う能力が我々のうちに呼び起こされるのかもしれないのである。
このようなことはフレーゲの見解だったに違いない。彼の考えでは、思想が言語あるいは記号によって表現される
限りにおいてのみ人間はそれを把握できるのだが、同じ思想を、感覚可能な形に装うことなく我々が把握するように
把握する生命体が存在すると想定することは矛盾ではない。」

133 :考える名無しさん:05/03/06 15:30:30
>>132
being=生命体ってちょっと違和感あるな。普通に「存在」じゃ駄目なのかしら。
the human raceって言ってるからそれに合わせてのかな。

揚げ足取りスマソ。

134 :考える名無しさん:05/03/06 15:30:48
訳者必死だなw

135 :考える名無しさん:05/03/06 17:02:49
>>131 >>132 すばらしい訳だすねえ。でも、日本語だけ読んだのでは意味がよくわからない
(訳の単語や文章が読者の精神に喚起する思考が不十分であり、対応すべき概念が適切に
は関連してこない)ので、ときどきどういう意味か咀嚼して話す(適切な概念に
注意を向けさせる)必要があるかと思われ。

136 :考える名無しさん:05/03/06 17:51:07
126の続きだす。
Some gloss is here needed on the expression "full-fledged thoughts".
Evidently , some mental activity takes place even in an infant, in the strict sense
of a child who has not yet acquired language. Equally evidently, we have to
ascribe some desires, beliefs, intentions, and plans to animals. That, in itself, is
not enough to justify crediting either infants or animals with such thoughts as
can be expressed in language and attributed to those who command a
language.


137 :考える名無しさん:05/03/06 18:12:56
言葉があまり通じなくても意味がわかると思われるときがある。
言葉の根底にある概念が共有できるためかもしれない。
そういった場合には「思考が言語に先立つ」と感じることができる。

138 :考える名無しさん:05/03/06 20:40:54
"demonstrative" が「指示的」て、あんた

139 :考える名無しさん:05/03/06 21:06:24
de・mon・stra・tive

1 感情[愛情]をはっきり表にあらわす[あらわした].
2 明示する; 例証となる; 〈…を〉証明する〈of〉; 決定的な(証拠となる).
3 【文法】 指示の.
・a demonstrative adjective [adverb, pronoun] 指示形容詞[副詞, 代名詞].
#n 【文法】 指示詞《that, this など》.
〜・ly adv 立証[論証]的に, 明白に; 感情をはっきりとあらわして, 心から; 指示的に.
〜・ness n

[株式会社研究社 リーダーズ英和辞典第2版]

140 :考える名無しさん:05/03/06 21:08:20
>>138
Yeah, I myself have some misgivings about translating "demonstrative" as "shijiteki",
since the Japanese expression can be used to cover all referential expressions, including proper names
and descriptions. What translation would you recommend then?

141 :OED:05/03/06 22:07:44
demonstrative, a. and n.
1. Having the function or quality of clearly showing, exhibiting, or indicating;
making evident; illustrative.
2. Rhet. Setting forth or describing with praise or censure.
3. Gram. Serving to point out or indicate the particular thing referred to:
applied esp. to certain adjectives (often used pronominally) having this function
4. That shows or makes manifest the truth or existence of anything;
serving as conclusive evidence.
5. That serves to demonstrate logically; belonging to logical demonstration.
6. Characterized or produced by demonstration; evident or provable by demonstration.
7. Given to, or characterized by, outward exhibition or expression (of the feelings, etc.).
8. That teaches a science by the exhibition and description of examples or experiments. rare.
B. n. Gram. A demonstrative adjective or pronoun.

この場合は1の意味かと。

142 :考える名無しさん:05/03/06 22:37:30
「指示的」てのはふつう"referential" の訳語にあてられるから
"demonstrative" なら「直示的」がほぼ定訳

143 :考える名無しさん:05/03/06 22:43:38
それにしてもジェニファー・ホーンズビーの書く英語はダメット以上にわけわからん

144 :考える名無しさん:05/03/07 02:24:20
>>142
「直示的」は ostensive の定訳として用いられていたはず。
「証示的」がよいと思われ。

145 :考える名無しさん:05/03/07 09:18:54
>>122>>131の箇所で「demonstrative phrase」と呼ばれているのは、
「this man」とか「that flower」みたいなフレーズだと思われます。

普通「demonstrative」と言えば「this」とか「that」といった指示代名詞のことですが、
ダメットはこうした表現が指示対象の種類に応じた同一性基準を伴っており、
従って例えば「This is Sir Dummett」の「this」は「this man」と同義になる、と考えています。
そのためダメットは「this」と「this man」を一つのカテゴリに属すものとして扱っていて、
このカテゴリを表すために(指示代名詞の方に合わせて)「demonstrative」という表現を用いたり、
(「this man」といった表現に合わせて)「demonstrative phrase」といった表現を用いたり、
(より包括的な感じを出すために)「demonstrative expression」といった表現を用いたりします。
(この点に関しては、論文‘Nominalism’や、Frege: Philosophy of Language, Ch. 7 and 14、
Frege: Philosophy of Mathematics, Ch. 16 など、具体的対象を表す単称名辞の意義を
(抽象名辞の意義と対比させて)論じている箇所を見れば確かめられます。)

訳に関しては、上のことが分かるように訳してあれば、
「直示的語句」ないし「直示句」でも「証示的語句」でもいいと思うのですが…
ただ、「指示的語句」だと「this man」みたいなフレーズに言及していることが
分からなくなるので問題があるように思われます。
まあ、括弧内に原語を示しておけばいいのかもしれませんが。

ていうかこんな些細なことでしゃしゃり出て
なけなしの知識をひけらかして喜んでいる私にも問題があるように思われます…_| ̄|●

146 :考える名無しさん:05/03/07 09:26:13
だからふつうは「直示(的)」て訳してるつうの。
「証示的」てのは、「論証」とか「証明」て意味での demonstration を頭に置いての
ことだろうけど、demonstrative expression に付随する demonstration てのは、
具体的には指差して示すとかいったやり方のことだから。
まあカプラン読みましょう。

147 :考える名無しさん:05/03/07 10:44:41
>demonstrative expression に付随する
>demonstration てのは、
>具体的には指差して示すとかいったやり方

確かに要点は、ostensive definition「直示的定義」と言われるときの ostensive と同じことなんですけどね。
とすれば ostensive との訳語の区別をつける必要がないの
かもしれません。
ちなみにostensiveを「直示的」と訳すのは、
手近なところでは『言語哲学大全2』p94等に出てきます。

148 :考える名無しさん:05/03/07 11:39:03
>>145

> なけなしの知識をひけらかして喜んでいる私にも問題があるように思われます…_| ̄|●

問題なし

149 :考える名無しさん:05/03/07 14:28:33
問題はないけど、
demonstrative expression といった意味論的なカテゴリーの妥当性を言うのに
同一性基準との結び付きとかいった話を持ち出すのは激しく問題があると思う。

150 :考える名無しさん:05/03/07 18:32:35
ダメット先生が生きているうちに、手紙を書くかメールを出して、日本語に訳す時には
何と訳したら良いかを聞いておきましょう。

151 :考える名無しさん:05/03/07 21:24:51
ダメットは第二次大戦中暗号解読に従事していたので、日本語も多少は知ってるらしい。

152 :考える名無しさん:05/03/07 21:47:07
当時は横書きが逆だったから本日を日本と読んだって奴か?

153 :考える名無しさん:05/03/08 00:06:11
ttp://www.let.osaka-u.ac.jp/~kinsui/ronbun/ron03/yogo03.pdf

形容詞としてのdemonstrativeをどう訳すかはともかく、名詞としてのdemonstrative
は「指示詞」でいいようです。

154 :考える名無しさん:05/03/08 00:32:34
>>153
国文学やってる人だから、専門用語の文脈違うと思うが。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~kinsui/bio.html

155 :考える名無しさん:05/03/08 01:23:56
>>154
なんだこいつ?
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~kinsui/animepic.gif

156 :考える名無しさん:05/03/08 18:24:27
訳語はともかく、
demonstrative phrase と言われているのがどんな表現なのか、
ってことについては了解ができてるみたいだから
とりあえず先に行っていいんじゃねえの?


157 :考える名無しさん:05/03/08 18:29:55
ダメット顔怖すぎマヂでビビる大木

158 :考える名無しさん:05/03/08 18:34:56
>>157
おいおい、メール欄に sage って書かないから、
おまいの後ろにダメット先生が…

159 :考える名無しさん:05/03/08 18:43:17
>>136
> 126の続きだす。
> Some gloss is here needed on the expression "full-fledged thoughts".
> Evidently , some mental activity takes place even in an infant, in the strict sense
> of a child who has not yet acquired language. Equally evidently, we have to
> ascribe some desires, beliefs, intentions, and plans to animals. That, in itself, is
> not enough to justify crediting either infants or animals with such thoughts as
> can be expressed in language and attributed to those who command a
> language.

「十全な思考」という表現についてここで注釈が必要である。明らかに、乳児においてさえ、
つまり、いまだ言語を習得していない厳密な意味での子供においてさえ、何らかの
精神活動は生じている。同様に明らかなことだが、我々は何らかの欲求、信念、意図、
企図を動物に帰属させねばならない。そのこと自体は、言語によって表現され、言語を操る
者に帰せられるような思考を乳児や動物が有していると考えることを正当化するのに
十分ではない。

160 :136のつづきだす:05/03/08 19:04:50
The desires and beliefs of an infant or an animal have, of course, a
content; but, in almost every case, there will be non-equivalent formulations of
this content, to none of which it will be possible to award a preference, since
there is nothing in the behaviour of the infant or animal that could ground the
distinction between one way of specifying the belief or desire and another.
Furthermore, it will often be the case that any(斜字体)formulation will be erroneous,
in that it involves the ascription of concepts that the infant or animal cannot possess.



161 :考える名無しさん:05/03/08 21:43:45
萌えよほっちゃんって何?
ほっちゃーん! ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!! の人のことか?

でもダメット顔怖すぎw

162 :考える名無しさん:05/03/08 21:47:12
>>159 この部分を生物進化の過程で我々人類がいかなる能力を獲得してきたかを考察すると
感慨深い。環境への迅速なる適応が、生存競争に最も必要とされる能力の一つであり、
そのために得た能力の一つが効率よく状況を理解し、判断するという思考能力である。
例えば原始人が狩猟を行う際、弓から矢を放って獲物を射る場合を考えよう。矢は当然、
弓の張力と矢の質量で計算される初速度を得て射放たれるが、地球重力のために放物線を描き
飛行する。その場合、矢の先端面積に関連して空気抵抗を受け減速する。また、鹿のような
獲物は逃げようとして運動するのであり、その未来位置と矢の未来位置を予測して、矢を放たなければ
狩猟は失敗する。いつまでも獲物が得られなければ、その人間は飢え死にするしかない。もっとも、
文字も科学的知識も持たぬ原始人が、アプリオリに運動方程式を知っていたなどと言うつもりはない。
我々は、自然への適応、生存競争の過程で自然を教師として、現象を効率的に理解するアルゴリズム
を獲得してきたのであり、その過程こそが思考現象だと思うのである。(ナーンチャッテ)

163 :考える名無しさん:05/03/08 22:50:22
はいはい。そーゆー話は間に合ってますから。
まあproto-thoughtとかゆってるダメットもダメットだ。ホアーッ!!

164 :考える名無しさん:05/03/09 03:16:09
>>160
> The desires and beliefs of an infant or an animal have, of course, a
> content; but, in almost every case, there will be non-equivalent formulations of
> this content, to none of which it will be possible to award a preference, since
> there is nothing in the behaviour of the infant or animal that could ground the
> distinction between one way of specifying the belief or desire and another.
> Furthermore, it will often be the case that any(斜字体)formulation will be erroneous,
> in that it involves the ascription of concepts that the infant or animal cannot possess.

もちろん乳児や動物の思考もある内容を持ってはいる。しかし、ほとんどすべてのばわい(←なぜか変換できない)、
その内容は、複数の等値でない仕方で定式化できるのであり、それらの定式化のいずれかを最適なものと見なすことは
できないのである。というのは、信念や欲求のある一つの定式化の仕方とそれとは別の定式化の仕方を区別する
根拠になるものは、乳児や動物の行動の中には何もないからである。さらに、いかなる定式化をしても、乳児や動物が所有し得ない
概念を彼らに帰属させるという点でそれは誤りである、というばわいもしばしばある。


165 :考える名無しさん:05/03/09 03:22:00
>>164
本屋苦悩深く訂正とどう違うんだろう。
というか、これから語るのかな。
面白い。

166 :考える名無しさん:05/03/09 05:26:23
non・equivalence
n 不等, 不同;
【論】 不等値《1) 2 つの命題の一方のみが真である場合
2) 一方が真であるとき真, そうでない場合偽とする 2 命題の機能》.

[株式会社研究社 リーダーズ英和辞典第2版]

167 :160の続きだす:05/03/09 06:17:30
An excellent example of Frege's illustrates this vividly. He raises the
question whether a dog can "have even an indeterminate idea of what we
signify by the word 'one'"; and he says of the dog, in answer:


168 :167の続きだす:05/03/09 06:33:12
He will certainly notice a difference whether he has to defend himself against
several other dogs or only against one, but this is only what Mill calls the physical
difference. The question depends, rather, on whether he has so much as a dim
awareness of that which is in common between the cases in which, for example, he is
bitten by one larger dog and in which he chases one cat, that common feature which we
express by means of the word "one". This seems to me unlikely.
(Die Grundlagen der Arithmetik, §31)

169 :考える名無しさん:05/03/09 06:48:58
164の意味がよくわからん。

170 :考える名無しさん:05/03/09 06:59:52
>>164
場合(ばあい)ですか?

171 :考える名無しさん:05/03/09 13:20:43
>>169
幼児とか動物にも思考つうか思想を帰属させることはできるけど、
その内容が本当はどういったものかに関しては不確定性がどうしても
残ってしまう、つうことだろ

172 :考える名無しさん:05/03/09 13:29:24
>>165
翻訳の不確定性て問題に対するダメットに基本的なスタンスは、
(1)翻訳理論は意味理解の問題を全く素通りしてるから、翻訳理論と意味理論とは
全く別個の問題で、
(2)主体の意味理解については(ということは結局、主体の抱いてる思想の内容については)
不確定性は成立しない、
てなとこだろ。

173 :考える名無しさん:05/03/09 19:08:21
わかっていると思うが168 はFregeの引用文だす。冒頭のHeはthe dogのことだす。

174 :考える名無しさん:05/03/10 01:41:14
遅レスかつ揚げ足取りになるけど、>>164 が「The desires and beliefs of an infant or an animal」を
端折って「乳児や動物の思考」と訳してしまったのはやはりまずいな。
ここは忠実に「乳児や動物のこうした欲求や信念」としておかなければならない。

というのも、乳児や動物の営む精神活動が「十全な思考」(本来の意味での思考、と言い換えてもいいだろう)
と呼びうるものになってはいない、てのがダメット先生の論点なわけだから。多分。

175 :164:05/03/10 01:55:57
>>174
特に意味はないケアレスミスでした。

176 :174:05/03/10 02:37:42
>>175
御意。自分の話のダシにあなたのミスを使ってしまいました。申し訳ない。

177 :考える名無しさん:05/03/10 06:47:56
乳児と動物の欲求かあ

178 :考える名無しさん:05/03/10 12:05:24
まあ信念とか欲求を帰属させるってことは
何らかの形で(どれほどprimitiveではあっても)内容を帰属させるってことだから、
その意味ではやっぱ、内容を備えた思考・思想を帰属させることにはなるだろ。
ターミノロジーの問題にもなるからあんまり拘るつもりはないけど。
そもそも原思想(proto-thought)とか言いながら大した議論をしないダメットにも
問題がある。


179 :考える名無しさん:05/03/10 12:54:10
分析哲学やっていると、
正直明晰な思考以外のもの、それも信念ならともかく、
欲求なんてものを考えるのはめんどくさいというのが本音。

180 :考える名無しさん:05/03/10 14:15:08
バカの相手するのはめんどくさい(本音)

だいたい「明晰な思考」てw


181 :考える名無しさん:05/03/10 14:38:29
どんな「分析哲学」をやってらっしゃるんだか。。。

182 :考える名無しさん:05/03/10 18:23:52
>>167 >>168 One(ワン) amazing story.
ある男が家の近くを歩いていて、急に尿意を感じた。家に帰ろうかとも思ったが、あたりを見回すと
犬が一匹いるだけで誰もいない。そこで電信柱に向かって立小便を始めようとすると、
「おっさん、おっさん、そこで何すんねん。やめんかい。」
驚いてきょろきょろしても、犬しかいない。おかしいなと思ったが、立小便を始めようとすると、
「おっさん、おっさん、やめてえなあ。そこはわての縄張りやで。」
驚いて振り返ると犬が近づいて、男をにらみつけている。
「こりゃびっくりした。犬がしゃべっているのか?(Am I crazy, or is the dog talking? )」
「なに言うてんの。そこでおっさん小便せんといて。」と犬。
「どうしてしゃべれるの?天才犬か、おまえは?」と男。
そこへ男の子供がやってきた。
「おとうちゃん、おとうちゃん。何でさっきから犬に向かってワンワン言うてんの?」


183 :考える名無しさん:05/03/10 19:43:17
つまらないワン

184 :考える名無しさん:05/03/10 21:19:30
>>182

かなり意訳してますね。

185 :考える名無しさん:05/03/10 21:46:57
An excellent example of Frege's illustrates this vividly. He raises the
question whether a dog can "have even an indeterminate idea of what we
signify by the word 'one'"; and he says of the dog, in answer:

He will certainly notice a difference whether he has to defend himself
against several other dogs or only against one, but this is only what
Mill calls the physical difference. The question depends, rather, on
whether he has so much as a dim awareness of that which is in
common between the cases in which, for example, he is bitten by one
larger dog and in which he chases one cat, that common feature
which we express by means of the word "one". This seems to me
unlikely. (Die Grundlagen der Arithmetik, §31)

フレーゲの見事な例が、このことを活き活きと描いている。彼は、「我々が『一』
という語によって表す事柄についての観念を、たとえ漠然とした形であれ持つ
こと」が犬にできるかどうか、という問題を提起し、それに答えて次のように
述べる:

確かに犬は、他の数匹の犬から自分の身を守らねばならないのか、それ
ともただ一匹の犬から自分の身を守らねばならないのか、といった違い
を認識することができる。しかしこの違いはミルが物理的相違と呼ぶも
のに過ぎない。むしろ問題の所在は、その犬が例えば自分より大きな一
匹の犬に噛まれる場合と一匹の猫を追いかける場合との間に共通なこ
と(つまり我々が「一」という語によって表現する共通の特徴)を、た
とえぼんやりとした形であれ意識しているか否か、という点にある。こ
れはありそうにないことだ、と私には思われる。(『算術の基礎』第31
節)


186 :164:05/03/10 21:48:31
>>176

問題なしヨ。

187 :考える名無しさん:05/03/10 22:01:14
>>171=178 か?おまいさんの言うことはそれほど的外れでもないと思うけど、
今の箇所はまさに、言語を操れる者と言語を操れない者(乳児や動物)との違いが
問題になっているんだから、おまいさんみたいに
「幼児とか動物にも思考つうか思想を帰属させることはできる」とか
「まあ信念とか欲求を帰属させるってことは
何らかの形で(どれほどprimitiveではあっても)内容を帰属させるってことだから、
その意味ではやっぱ、内容を備えた思考・思想を帰属させることにはなる」
と言い切ってしまうのはイクナイんじゃないかな…
ターミノロジーの問題に過ぎないと言われてしまえばそれまでだけど…
いや、本当にターミノロジーの問題かどうか、まだ分からないんじゃないかな…
φ(._.)イジイジ

188 :考える名無しさん:05/03/10 22:38:49
>>187

>>178でターミノロジー云々て言ったのはあくまでも、
動物とか幼児の心的状態の内容というのが思想内容と呼ぶに相応しいかどうかは
ターミノロジーの問題だろう、てことだけど。

信念とか欲求とかいった心的状態とその内容との結び付きというのは
別にターミノロジーの問題でも何でもないっしょ。
だって、内容を帰属させずにどうやって信念とか欲求を帰属させんの?
何を信じてるかは全く分からないけどとにかく何かの信念だけは持ってる
なんてこと言えんの?
それとも何の内容も無い信念とか欲求もあるの?


189 :168の続きだす:05/03/10 22:41:13
 It is not, of course, a matter of what is likely or unlikely: the point is, rather,
that the dog's behaviour falls far short of requiring, for an adequate
description of it, the attribution to him of any recognition of the common
element between those two and other situations describable by sentences
containing the word "one". His behaviour would have to become immensely
more complex to provide a basis for ascribing to him a grasp of the concept
"one": indeed, if it were to do so, he would be at least on the verge of an ability
to manipulate symbols. And yet, he can(斜字体)distinguish, as Frege acknowledges,
being attacked by one dog from being attacked by several.

190 :考える名無しさん:05/03/10 22:44:39
何が本当で何が嘘なの

191 :188の続きだけど:05/03/10 22:48:34
念のため言っておくと、
私自身は基本的に、thought(フレーゲ的な意味での)とcontentを
基本的にほぼ同義的なものとして理解しているので、誤解の無いよう。


192 :考える名無しさん:05/03/10 23:30:05
>>188
うん、漏れも「動物とか幼児の心的状態の内容というのが思想内容と呼ぶに相応しいかどうか」を
「ターミノロジーの問題」と言っていたつもり。
そして、問題があるんじゃないかなと思うのは、
ダメットの扱っている問題を「動物とか幼児の心的状態の内容と
言語使用者の把握する内容の違いの特徴づけ」みたいに捉えてしまってよいのかということ。

確かにダメットの叙述をなぞってゆくと、
1.言語を操れない者でも欲求や信念を持つ。
2.欲求や信念は当然内容を持つ。
3.ゆえに、言語を操れない者でも内容を伴う心的状態を持つ。
4.言語を操れない者と言語使用者の違いは、内容の上での違いに過ぎない。
という考えが浮かんでくることは否定できない。
でも、ここで言語を操れない者に帰されるような、言ってみれば
「命題によって表せないような内容」とか「primitiveな内容」って、
「内容を持たない信念」と同じくらい奇妙な概念じゃないかね。

もちろん、ダメットは『分析哲学の起源』あたりではもう腹をくくってしまい、
積極的にこの概念を認めるような叙述をしている。
だけど、今扱っている「Truth and Meaning」の叙述はもう少しイジイジしてて、
どうしてこういう奇妙な概念を持ち出すに至ってしまったかをねちねち書いている。
そこんところに注目しませんか、てのが >>178 の趣旨。

193 :192の続き:05/03/10 23:53:03
「じゃあ、乳児や動物の欲求や信念は内容を持たないのかYO!」
という反論に対しては、確かにお説ごもっともなんだけど…

ダメットの叙述を少し偏った仕方で述べ直してみると、
「言語を操れない乳児や動物にも、欲求や信念を帰せざるを得ない場合というのがあり、
そのような場合に帰された欲求や信念は、欲求や信念である以上当然内容を持つ」
ということになる。するとここでは、乳児や動物に欲求や信念を帰属せざるを得ない場合に
起こっていることはどういうことなのか、という点にまだ考える余地が残されているように思われる。

ここから漏れの考えになってしまうけど、乳児や動物に欲求や信念を帰属する場合を
単に解釈者が言語使用者のケースとのアナロジーによって無理やり
乳児や動物に欲求や信念を押し付けてしまっているだけなのだ、と考える道がある。
そして、言語使用者が持つ欲求や信念は、解釈者から押し付けられたものではないような
内容(十全な思想)を伴うようなものだ、と考えるならば、
言語使用者とそうでない者の違いの特徴づけとして十分なものが得られるように思われる。
(そしてここには「内容を伴わない信念」という変な概念も、「primitiveな内容」という変な概念も
一見したところでは表れていない。)

で、こういう選択肢が「Truth and Meaning」の叙述の発展として考えられるんじゃないかなと思ったので、
あまり性急に「乳児や動物の心的状態だって内容を持つだろ」と言って欲しくないと思った次第。


194 :つづき:05/03/10 23:56:26
あ、もちろんダメットの結論は>>171>>178で述べられたものでいいんだけど…
ほら、ダメットって議論の途中に魅力のある人だからさ…

195 :考える名無しさん:05/03/11 03:29:35
両者ともなかなかいい点をついてるな。

196 :考える名無しさん:05/03/11 13:51:27
>>193
動物とか乳幼児みたいな非言語使用者の心的状態なり心的内容をどう考えるか
てことでは、幾つか代表的な選択肢があると思うんで、先ずはじめにそれを確認しといた方が
いいと思うんだけど。
(ここでは、心的状態というのはあくまでも何らかの内容を持つものだということを
前提しておくことにする。それから、「非言語使用者」てのをどう定義するかとかいった
問題は措いとくことにする。)

(1)Davidsonian(?):非言語使用者には心的状態を認めない。心的状態を持つのは
言語使用者に限定する。
(2)instrumentalism:一種の有益な「語り口」として、非言語使用者にも心的状態を
帰属させるのを認める。
(3)non-conceptual content:非言語使用者にも心的状態を認める。
ただし、非言語使用者の持つ心的状態は、言語使用者の心的内容(言語的に表現される概念的内容)
とは違った独特の内容を持つものだとする。
(4)naturalism:心的内容をnaturalizeする。心的状態を持つかどうか、その内容が
どのようなものか、という問題に関して、言語使用者と非言語使用者との間に
本質的な違いは認めない。



197 :考える名無しさん:05/03/11 13:54:09
んで、(1)と(4)の立場では、言語使用者の心的状態の問題が解決されてしまえば、
非言語使用者の心的状態をどう考えるかという問題はそれ以上問題にはならなくなる
てことで、今は脇に置いとくことにする。
そうすると、>>193で言ってるのは基本的には(2)の立場に該当すると思うんだけど、
この立場それ自体の説得力がどれだけあるかということはまた別にしても、
特にダメットにこうした立場を帰すのは色々と問題があるんじゃないの?

あんま時間がないんで、基本的な問題点だけ挙げとくと、
一つは、(2)の立場では、そもそも心的状態の実在性がどう考えられることになるのか、
という問題。
それからもう一つは、(2)のような立場をとることが、言語なり心的状態
(十全な意味での)の獲得(acquisition)についての説得的な説明と整合的なのか、
という問題。
言いかえれば、ダメットが実在論的意味理論に対してacquisition challengeを
付きつけるのは、(2)のような立場をとることと整合的なのか、という問題。


198 :翻訳係:05/03/11 15:50:50
>>189
>  It is not, of course, a matter of what is likely or unlikely: the point is, rather,
> that the dog's behaviour falls far short of requiring, for an adequate
> description of it, the attribution to him of any recognition of the common
> element between those two and other situations describable by sentences
> containing the word "one". His behaviour would have to become immensely
> more complex to provide a basis for ascribing to him a grasp of the concept
> "one": indeed, if it were to do so, he would be at least on the verge of an ability
> to manipulate symbols. And yet, he can(斜字体)distinguish, as Frege acknowledges,
> being attacked by one dog from being attacked by several.

もちろん問題は、何がありそうで何がありそうでないか、ということではない。
重要な点はむしろ、犬の行動を適切に記述するためには、「一」という語を含む
文によって記述され得る上の二つの状況やその他の状況に共通な要素の認識を
犬に帰属させることはまったく必要ではない、ということである。「一」という概念の理
解を犬に帰属させる根拠が存在するためには、犬の行動は現実よりはるかに複
雑になる必要があるだろう。実際、もしそんなことが起こるならば、犬は少な
くとも、もう少しで記号操作を行えるレベルにまで達していることだろう。[こ
のように、「一」という概念を犬に帰属させることはできないのだが]それでも
確かに犬は、フレーゲが認めているように、一匹の犬に襲われることと数匹の
犬に襲われることを識別できる。

199 :189の続きだす:05/03/11 18:29:02
訳がいいね。
We can perfectly well imagine that, on a certain route, he is liable to be attacked
by one or more of several dogs that frequent that neighbourhood, and that he
adopts a policy of standing his ground if there is only one of them, but retreating
if there is more than one: he might cautiously look about to make sure that there
really was only one. We should naturally say, "He is looking to see if there is one or
more": but, properly speaking, this is not an accurate rendering of the dog's thought,
since it would be impossible to have just that(斜字体)thought without grasping the
concept "one".

200 :考える名無しさん:05/03/11 19:55:06
>>196-197
まず漏れの主張の趣旨を確認しておく。
言語使用者と非言語使用者の違いに関してダメットがたどり着く立場は
「非言語使用者の心的状態は、言語使用者が把握する内容よりはprimitiveであるが、
ともかく内容を持っていて、非言語使用者と言語使用者の違いは内容上の違いである」
というもので間違いないと思われる。
だけど、「Truth and Meaning」のここまでに見てきた箇所について言えば、
「非言語使用者と言語使用者の違いはそれらが持つ心的状態の内容上の違いでしかありえない」
と結論付けるのは性急じゃないか、というのが漏れの趣旨。
そして、漏れが >>171>>178 に噛み付いた理由は、これらのカキコが
「非言語使用者と言語使用者の違いはそれらが持つ心的状態の内容上の違いでしかありえない」
という考えに基づいているように思われたからだった。
(で、心的状態の内容上の違い以外のものに訴えて言語使用者と非言語使用者の違いを
特徴付ける可能性を示そうとしたのが >>193 だった。)

従って、漏れが >>193 で述べたような考えもありうるとか、無視はできない、
と考えてくれるなら、漏れの第一の目的はとりあえず達成されたことになる。
実際 >>196-197 はそうに考えてくれたように思われる。だから漏れは満足。



201 :あ、200ゲッツ:続き:05/03/11 19:55:55
次の問題は、「じゃあ、この考えをダメットに帰すのはどうなのか」ということだ。
漏れは初め、漏れの述べたような可能性を当然ダメットは考えているはずだ、
と思っていた。しかし、少なくとも『分析哲学の起源』は漏れの反対しようとした考えに与している。
また、今日改めて「Truth and Meaning」の先を読んで見たところ、
「dog's thought」「thoughts of Infants or of animals」といった言葉が何の留保もなく出てきている。
つまり、非言語使用者と言語使用者の違いを内容上の違い以外のものに基づいて説明する、
という可能性は、ダメットによっては全く考慮されておらず、
漏れの考えをダメットに帰すことはできないということになりそうだ。

しかし、ダメットにとって漏れの述べたような考えを取ることは不可能だったとは漏れは思わない。
>>197 が指摘した通り >>193 で述べた見解は、非言語使用者の心的状態・心的内容に対して
デネット流の道具主義を採ったものと言ったよいだろう。
ただしデネットとは違い、あくまで非言語使用者の心的状態・内容に対して<のみ>道具主義を採り、
言語使用者の心的状態・内容については道具主義を採らないという立場だ。
このとき、>>197 の指摘した問題がそれほど致命的だとは思われない。
第一に、確かに道具と考えられた心的状態の実在性については様々な議論があるが、
さしあたりダメットにとって守る必要があると思われるのは言語使用者の心的内容の実在性だけであり、
非言語使用者の心的状態の実在性が疑われることになったとしたら、むしろダメットにとっては好都合だと思われる。
第二に、ダメットがacquisition challenge等が関わるのはやはり言語使用者の把握する思想についてであり、
他方非言語使用者の心的状態の内容がどのように「習得」されるか、
などという問題にダメットは関心を持たない(というか誰も持たないだろう)はずだと思われる。

202 :続き:05/03/11 20:03:58
まあいずれにしても、気づいてみたらダメットの論文の趣旨から
大分わき道に逸れてしまったことは否定できねえっす。
ちょっと噛み付きすぎた。
むしゃくしゃしてやったわけでも、相手は誰でもよかったわけでもないが、
今は反省している…


203 :考える名無しさん:05/03/11 21:45:47
>>200
>>201

言語使用者の心的状態に関しては実在論&非言語使用者の心的状態に関しては道具主義
といった立場を、とりあえず「折衷的な道具主義」という風に呼ぶことにすると、
>>196で幾つか選択肢を挙げてみたのは、一つには、こうした折衷的な道具主義てのが
心の哲学の一つの立場として見た場合に、その動機付けにかなり欠けるとこがあるんじゃないか、
ということを実は言いたかったんだけど。

まあそれはともかくとして、ダメットとの関連だけに話を限ると、
>>201を読んだ後でも言いたいことはあんまり変わらなくて、それは要するに、
折衷的な道具主義てのが、ダメット自身の一つの根底的な考え方とは
根本的にあいいれない所があるんじゃないか、ということ。

それはどうゆうことかというと、特に acquisition challenge の問題がそうである
わけだけど、ダメットの基本的な考え方てのは、やっぱり、
「言語使用者と非言語使用者との間のギャップを一方的に強調するだけでは、
言語能力や心的能力の習得をきちんと説明することはできない」といった見方
に立ってるわけでしょ。
ここで言うギャップてのは、赤ん坊の成長に伴うような「個体発生的」なギャップと
考えることもできるし、あるいは、進化論的な系統樹に照らしてみた場合の
「系統発生的」なギャップとも考えることができるだろうけど。

そうして見ると、折衷的な道具主義てのは正に、そうしたギャップを全くそのまま
残しといて開き直っているとしか見えないわけなので、
そういった立場をダメットに帰すのはどっか根本的に無理があるんじゃないか…、
というのが、まあ基本的な論点。
そういったわけで、

>さしあたりダメットにとって守る必要があると思われるのは言語使用者の心的内容の実在性だけであり

というような言い分がどうして出てくるのか、かなり理解に苦しむわけです。

204 :考える名無しさん:05/03/11 22:19:21
( ´_ゝ`)フーン

205 :考える名無しさん:05/03/12 02:37:14
>>203
ふーむ。漏れは

>「言語使用者と非言語使用者との間のギャップを一方的に強調するだけでは、
>言語能力や心的能力の習得をきちんと説明することはできない」といった見方

がダメットの「基本的な考え方」ないし「根底的な考え方」だというのに反対だな。
もちろん、この論点そのものはそれなりの尤もらしさを持ってはいるし、
ダメットにとってもこの論点は無視できないものだったということは正しいだろう。
しかし、ダメットの言語習得にまつわる議論がこの見方に基づいているというのには反対。

ダメットが言語習得に関連付けている論点は、
主に全体論批判と反実在論擁護の二つだろう。
全体論批判は「言語が段階的に習得されるものであるという点が全体論では取りこぼされている」
という論点であり、この論点は非言語習得者が踏み出す初めの一歩の説明を
要請しているというよりはむしろ、比較的小さい言語断片しか習得していない者が
より大きい言語断片を習得するプロセスの説明を要請している。
ダメットの反実在論の擁護というのは、(大雑把に言って)「言明の意味理解は
manifestされうるものを超えるとは考えられない」というものであり、
この根拠となっているのが「我々の言語習得はmanifestされたことを通じてでしかありえない」
という論点だが、ここでmanifestationとして考えられているのはあくまで言語行為であり、
それゆえこの論点もやはり、より初等的な言明の理解からより高度な言明の理解へと進むプロセスを
説明せよという要請をダメットは立てていると思われる。
いずれにしても、ダメットが度々繰り返しているこうした議論において立てている要請は、
初等的な言語理解から高度な言語理解へと進む道を説明せよ、というものであり、
言語使用者と非言語使用者のギャップを埋めよ、というものではない。

言語使用者と非言語使用者のギャップにまつわる話は、
ダメットの議論の中では比較的後に出てくる話題であり、周辺的な話題だと思う。
しかし、ダメットにとってどうだったかはともかく、この話を無視することはできないというのは尤もで、
「折衷的な道具主義」がこのギャップを強調するだけに終わっているというのも尤もなので、
まあ…今のところ…明らかに…分が悪い…ですね…orz

206 :205:05/03/12 04:16:49
人もいないので一言たわ言をば。

今の心の哲学とか自然主義を巡る議論とかの文脈では、
そもそも心的状態・心的内容というものが存在するのか、
仮にあるとして、それを帰属できる主体と帰属できない主体はどう違うのか、
といったことが問題になる。こうした関心からは、
非言語使用者と言語使用者の違いがどこにあるか、
そしてその違いがどう埋められるか、という問いこそ
意味の理論(言語哲学)の第一の課題だと思われるかもしれない。
それゆえ、もし >>205 で述べた通りダメットがこの問いを
周辺的な話題に過ぎないとみなしていたとしたら、
ダメットは大事な問いを看過していた、と思われるかもしれないし、
漏れの「折衷的な道具主義」がこの問いに答えていないことは
致命的な欠陥だと思われるかもしれない。

しかし、漏れが思うには、言語哲学というのは
あくまで言語というシステムを支配する原理の探求であるべきなんだよ。
このことは、英米哲学に対してクワインが及ぼした影響があまりにも大きいため
しばしば見失われてしまっていると思う。
クワインは言語が固有の原理を持つシステムであるということを否定した。
これに対して、言語には言語拡張や概念形成を司る独自の原理があるんじゃないか、
ということを一貫して主張してきたのがダメットだったと思うんだよな。
で、このような言語哲学的な関心の元では、
非言語使用者と言語使用者の関係がどのように説明できるかということは
周辺的な話題になり、むしろ重要なのは、言語というものの領分を確定して、
言語の拡張や変化がどのようになされるかを説明することの方になる。

だから、心の哲学の文脈からダメットの議論を見るというのは少々アンフェアなわけで。
…まあこれはあくまで見込みに過ぎないし、
仮に正しいとしても >>203 に答えられた自信はないけどね。

207 :199の続きだす:05/03/12 09:07:11
We have no way of rendering the dog's thought accurately: not merely do we
not have such a ready-made in our language, but we cannot even devise
one. We cannot do so, because the dog does not have a thought expressible
in language: he engages in some mental process that falls short of having the kind
of thought a language-user is capable of having.

208 :207の続きproto-thoughtsだす:05/03/12 09:23:57
In addition to all this, the proto-thoughts of which a creature without
language is capable----at least a creature of any of the kinds familiar in our
experience---can occur only as integrated in this current activity,
realized or frustrated: they cannot float free, as adult human thoughts
can do. On our ability to entertain thoughts detatched from current activity
depend not merely science and literature, but casual conversation, as we
engage in it for companionship and on social occasions.

209 :考える名無しさん:05/03/12 13:33:37
>>206
クワインとダメットとの関係というのは、たぶん色々とめんどくさい話なんだろうけど、
言語使用者/非言語使用者の関係がどうこうといった問題について言えば、
そこに緩やかな連続性を見て取るような一種の自然主義的な考え方てのは
やっぱりクワインからダメットに受け継がれてると思うし、
しかもそれってのは、ダメットの哲学全体にとっても決してマージナルな問題ではなくって、
むしろ、full-bloodedな意味理論とかいった言語哲学の基本的なアイディアの
根底にあるものだ、て風にも言えるんじゃないのかなあ。

かなり大雑把な言い方になるけど、modestな意味理論てのが、
非言語使用者に対する言語使用者の独自性を強調する立場に立って、
「言語的なもの」という領域の中だけでぐるぐる動いてるとすれば、
それに対してfull-bloodedな意味理論の方は、
「非言語的なもの」に対する「言語的なもの」の位置を見積もることを目指してる
ということになるんだろうし。

だから、言語哲学てのを「言語というシステムを支配する原理の探求」という風に
特徴付けるのはいいけど、
その場合、そういった探求の立脚点をどこに据えるのか(あくまでも言語的な領域の
中に据えるのか、その外に出るのか?)という問題てのは、
言語使用者/非言語使用者の関係をどう考えるか、という問題とも
密接に関わってくることだと思うんだけど(と言ってみるテスト)


210 :考える名無しさん:05/03/12 14:05:45
あと、ダメットの話からは離れることになるけど、
「折衷的な道具主義」てアイディアそれ自体について言えば、
非言語使用者に関して道具主義をとった場合に、
それと同時に、言語使用者の持つ十全な心的状態の実在性を守り抜くことが
ほんとに出来るのかが、かなり疑問に感じるトコロ。
例えばmental causationの問題なんかを考えた場合に、
動物なんかに帰属される心的内容の方は道具主義的に処理されるんであれば、
言語使用者の持つ心的内容の「実在性」てのは、いったい何に支えられることになるのか、
「折衷的な道具主義」の立場からは「とにかく在るんだよ!」という以外に
説得的な議論ができるのか?(と、これも言ってみるテスト)

211 :考える名無しさん:05/03/12 14:15:42
>>199
> 訳がいいね。
> We can perfectly well imagine that, on a certain route, he is liable to be attacked
> by one or more of several dogs that frequent that neighbourhood, and that he
> adopts a policy of standing his ground if there is only one of them, but retreating
> if there is more than one: he might cautiously look about to make sure that there
> really was only one. We should naturally say, "He is looking to see if there is one or
> more": but, properly speaking, this is not an accurate rendering of the dog's thought,
> since it would be impossible to have just that(斜字体)thought without grasping the
> concept "one".

我々は次のような十分状況を想像できる。すなわちその犬は、ある道を通った
場合、その付近を頻繁に訪れる数匹の犬のうちの一匹または複数匹に襲われる
可能性があるのだが、相手が一匹ならば対決し、それより多ければ退却する、
という方針をとっている、というような状況である。本当に相手が一匹しかい
ないことを確かめるため、その犬は注意深くあたりを見回す、ということがあ
るかもしれない。我々が「あの犬は、相手が一匹なのかそれより多いのか、確
かめようとしている」と言うのも自然であろう。しかし本来的に言えば、これ
はその犬の思考の正確な定式化[言語化]ではない。なぜなら、「一」という概
念を持たずしてまさにその思考を行うことは不可能だろうからである。

212 :考える名無しさん:05/03/12 14:18:05
みなさんデイヴィッドソンのスレもよろしく。

213 :横やりスマソ:05/03/12 19:27:19
ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの違いは喉頭の構造の違いから、ネアンデルタール人が
言語を有さず、ホモ・サピエンスに対して不利になったためだという話を聞いたことがある。
しかし、ネアンデルタール人は埋葬の習慣があったらしく、死者に花を添えて弔った形跡がある。
ネアンデルタール人が言語を持っていなかったという根拠はないが、死の意味については
「考えて」いたのであろうか?


214 :考える名無しさん:05/03/12 19:35:55
    ∧___∧
   /= =-∴-=・=\
   |  ,,ノ(、_, )ヽ、,  |  
 /|   `-=ニ=- '  .|  ヘラヘラ
/  .ヽ、_ `ニニ´__ノ    
|    _____ ノ
∪⌒∪     ∪

215 :考える名無しさん:05/03/12 19:56:22
ありがたい。一食儲けた

216 :横やりスマソ:05/03/12 20:28:00
>>214
なんだ、笑わないでクレヨ。
”Philosophical Analysis in the Twentieth Century" Princeton University Press
Vol.1 のintroduction に著者Scott Soamesの言葉で

To my mind the two most important achievements that have emerged
from the analytic tradition in this period are (i) the recognition that
philosophical speculation must be grounded in pre-philosophical thought,
and (A)the success achieved in understanding, and separating one
from another, the fundamental methodological notions of logical consequence,
logical truth, necessary truth, and apriori truth.
と書いている。


217 :考える名無しさん:05/03/12 20:32:13
欲しがりません勝つまでは

218 :考える名無しさん:05/03/12 21:34:00
>>209
漏れは‘What is a Theory of Meaning?’に関しては I も II もきちんと読んでないし、
modestな意味理論とfull-bloodedな意味理論の違いについて
きちんとした理解をしている自信はないけど…
でもダメットがこの違いを
『非言語使用者に対する言語使用者の独自性を強調する立場に立って、
「言語的なもの」という領域の中だけでぐるぐる動いてる』意味理論と
『「非言語的なもの」に対する「言語的なもの」の位置を見積もることを目指してる』
意味理論の違い、という感じに捉えているというのはちょっとミスリーディングに思うな。
漏れの知ってる70年代までのダメットの他の議論との関連が不透明すぎる。
(まあ‘What is Theory of Meaning?’も70年代だけど。)
もちろん、modestとfull-bloodedの区別が通常このような仕方で説明されるということは
否定できないけど、ダメットの関心は他のところにあると漏れは思うし、
その可能性は残しておいてくれてもいいんじゃないかな。

これ以上はもう少し勉強してみないと分からないけど、見込みを述べておく。
全体論批判にしてもデイヴィドソン批判にしても、ダメットの関心は、
「言語表現の意義(Sinn, sense)という概念は不要であり、
翻訳マニュアルを与えれば意味理論を作ったことになる」という考えに
異議を唱えることにあると思われる。つまり、
言語の段階的な習得が説明されていないじゃないか、という全体論批判や、
意味理論がmodestなものにしかならないじゃないか、というデイヴィドソン批判は、
要するにクワインやデイヴィドソンが意義の概念をなしで済ませようとしたために
払った代償が何かを指摘しようとしたものだったのだ、というわけ。

そもそも、ダメットが言語の外に出るっつったって、使われる概念は検証とか真理とかだもんね。
非言語使用者と言語使用者の間をつなぐ、ということはちょっと難しいんじゃないかな。

あー、でもいずれにせよもう少し勉強してみないと分からないね。
今手持ちのリソースで答えられるのはこれくらい。



219 :考える名無しさん:05/03/12 21:47:33
>>210 は、ちょっと言っていることがよく分からない。
まあ「折衷的な道具主義」は一つの可能性として認めてくれればいいだけで、
それほど擁護したいわけでもないんだけど。

道具主義を採った場合に、道具として帰された心的状態の実在性に疑いが生じる、
というのはまあよくなされる議論だからよしとしよう。
しかし、なぜ動物の心的状態について道具主義を採ったからと言って、
道具主義的に考えられていない人間の心的状態の実在性が疑われるんだろうか?
もしかするとおまいさんは、「動物の心的状態について道具主義を採るのなら、
人間の心的状態について道具主義を採らない理由はない」と考えているんだろうか。
それはちょっとあんまりな感じがする。
動物に心的状態が帰されるケースと、人間が心的状態を持つケースとの間に、
架橋できないギャップを認めるのはまずいかもしれないが、
両者に全く何の違いもないはずだ、というのも同じくらい奇妙な考えではなかろうか。

220 :考える名無しさん:05/03/12 22:02:01
>>210 についてもう一言。

なお、私自身は心的内容の実在性をどう保証するか?
という問題はあまり興味深い問いだとは思っていません。
(もちろん、分析哲学の中でかなりホットな話題だということは認めるけど。)
この関連の話しを見て思うことは、
「どうして連中は因果的役割を帰さないと実在性が保証できない」
という考えにこれほどこだわるんだろう?ということでしかない。

例えば数学者は、自分の扱っている数学的構造に因果的役割を帰さないと
数学ができないんだろうか。我々の言語活動の一々は、
因果的役割を持つような対象を表す語彙でしかなしえないんだろうか?

まあどうしてもそう考えたいのなら止めないが、
こういう問いに集中するによって見逃されてしまった哲学的問題って、
あるんじゃないかなあ、というのがこの話題に関する私の関心。

221 :考える名無しさん:05/03/12 22:02:52
間違えた。最後は「この話題に関する私の関心。」じゃなくて
「この話題に関する私の感想。」ね。

222 :考える名無しさん:05/03/13 02:48:38
>>213
ネアンデルタール人の埋葬は、たまたま花粉が飛んできただけと考えられている。
たぶん偶然説のほうが有力のようだが、埋葬説がどのくらい有力なのかは知らない。

認知考古学者マイセン(邦訳での名前はミズン)が『心の先史時代』という本を書いていて、
「ネアンデルタール人のように考えてみる」という章を設けている
(もちろん章題はネーゲルのパロディ)。

223 :考える名無しさん:05/03/13 03:06:30
マイセンは、心の進化を再構成して、3期に分けている。
第1期:汎用知能の領域に支配される心(ひとそろいの汎用学習・意志決定規則)。
第2期:汎用知能が、他の領域とは切り離されて動作する
特定の行動領域専用の特化した複数の知能によって補足されている心。
第3期:複数の特化した知能が一体になって動いているように見える心
(知識や観念が行動の領域間で融通される)。

つまり、知能を礼拝堂に喩えると(マイセン自身の比喩)。
第1期:一般知能という名の礼拝堂が建設される。
第2期:それに隣接する博物知能、社会知能、技術知能、言語知能が建設される。
ただし、言語知能は一般知能ではなく社会知能に隣接して建設される。
第3期(説1):それらの知能のあいだの突貫工事が行われる。
(説2):階上に超礼拝堂(メタ表象に対応する)が建設され、他の知能と連結される。
いずれにしろ、この知能どうしのつながりを、認知的流動性という言葉で捉えている。

系統発生上は、だいたい次のとおり。
第1期:霊長類の誕生〜類人猿。
第2期:アウストラロピテクス属〜初期ホモ属(ネアンデルタール種まで)。
第3期:ホモ・サピエンス種。

224 :考える名無しさん:05/03/13 22:45:56
>>207, 208

我々は犬の思考を正確に定式化する手段を持たない。そのような定式化を行う
ための出来合いの表現が我々の言語には存在しないのみならず、そのような表
現を作り出すことさえできないのである。それができないのは、犬が言語によ
って表現可能な思考を行わないからである。犬においても何らかの精神的過程
が生じているが、それは言語を使用する者が行うことができるような種類の思
考には至らないのである。

以上すべてのことに加えて、言語を持たない生物(少なくとも我々が経験上よ
く知っている種類の生物)が行うことができる原思考(proto-thoughts)は、そ
の生物の目先の活動(それが成功するにせよ失敗するにせよ)と結びついた形
でのみ生じ得るのである。そのような原思考は、人間の大人の思考のごとくそ
れ自体で独立に生じる、ということはない。我々は目先の活動と離れて思考を
行う能力を有しているのであり、科学や文学のみならず、他人との親交のため
や社交の場において我々が行う何気ない会話でさえも、この能力に依存してい
る。



225 :考える名無しさん:05/03/14 09:49:39
>>218

>そもそも、ダメットが言語の外に出るっつったって、使われる概念は検証とか真理とかだもんね。
>非言語使用者と言語使用者の間をつなぐ、ということはちょっと難しいんじゃないかな。

もちろん、ダメットが意味論的概念を物理的概念に還元しようとするタイプの
ごりごりの自然主義者じゃないし、そうした意味ではダメットにとっても
言語使用者と非言語使用者との間に大きな違いはあくまでも残るわけだけど、
その反面、マクダウェルみたいにSemanticismに閉じこもるといった道も
取ってはいないわけで、そうした両極の間でダメットが何をやろうとしてるのか
てのが今の問題だと思うので、
ここで言われてるように非言語使用者/言語使用者の違いを言い立てるのは、
正しいにしても、ここでの問題に関してほとんど何も言ったことには
ならないように思う。

で、>>209でmodestな意味論とfull-bloodedな意味論てゆう話題を振ってみたのも
そうした観点からなんだけど、肝心のこの問題についてはダメット自身も
What is a Theory of Meaning? の(T)の方でしか(明示的には)言及してなかった
と思うし、それも例によって何だかよく分からない部分が多くあるけど
(特に、デイヴィドソンの意味理論がmodestなのかどうなのか、という問題についての
ぐだぐだした議論とか)、
それでも、この対比のポイントを「意義(Sinn)なしの意味理論」に対する批判として
捉えるというのは、(好意的に解釈しても)あまりにミスリーディングに見える。


226 :考える名無しさん:05/03/14 09:50:37
(続き)

これについては実際にダメットの論述に当たってもらうのが一番だと思うけど、
ダメットがこの対比によって言おうとしてるのは、当の意味理論が意義なし
で済ませてるかどうかという違いと言うよりは、むしろ、
意義(言語についての話し手の理解)が何に存するのかがどのように
理論的に提示されているか、という点での違いなわけでしょ。
つまり、ダメットによれば、
(デイヴィドソン的な意味理論をmodestな意味理論の一つの典型と見なすとして)
modestな意味理論てのは、タルスキ的な真理理論についての
implicitな知識を丸ごと話し手に帰すだけで、
実際に話し手の発話(とその理解)を支えている実践的能力をきちんと分節化
して示すことができていない、
だからmodestな意味理論は、言語についての話し手の知識が実際にどのように
manifestされるのかを全く解明したことにはならない、
――というようなストーリーになるわけで。


227 :考える名無しさん:05/03/14 09:59:59
(再び続き)
んで、こうしたダメットの議論の中で、言語使用者と非言語使用者との関係に
ついてのどういった考え方が垣間見えるか、ということで言えば、
例えば、ダメットのmanifestation challengeてのが、どういったレベルでの
manifestationを念頭に置いて展開されているのか、というのが
一つ重要なポイントとしてあると思う。
てゆうのは、manifestationて概念を広く取れば、例えばピアノなんかの
高度な演奏技法のmanifestationみたいに、「分かる奴だけ分かる」というような
manifestationもあれば、
逆に、行動主義者を満足させるようなレベルでのmanifestationだってあるわけだから。
(でもこの問題について、今ここできちんとした議論をする自信はない。)


228 :考える名無しさん:05/03/14 10:01:17
話が長くなってしんどくなってきたので
>>219>>220についてはまた後で

229 :考える名無しさん:05/03/14 13:17:40
>>219
>>220

数学的対象についてどうこう言いはじめると泥沼になるのが目に見えてるんで
そこには触れないことにして、

>なお、私自身は心的内容の実在性をどう保証するか?
>という問題はあまり興味深い問いだとは思っていません。

という点については基本的に同感。その上で言いたかったのは、
道具主義に訴えることでわざわざ実在性の問題を持ち込むのは
「健全な哲学的良識」をいたずらに逆撫でするだけなんじゃないのか?
なんでそうまでして「非言語使用者の心的状態は実在しない」なんてゆう
主張に固執するのか?、ということ。

それから、

>この関連の話しを見て思うことは、
>「どうして連中は因果的役割を帰さないと実在性が保証できない」
>という考えにこれほどこだわるんだろう?ということでしかない。

という点にも基本的には同感。実際、J. Kim の周辺の人たちがやってるような
議論があんまり有効だとは思えない。
にもかかわらず>>210で試しにmental causationの話をふってみたのは、
「折衷的な道具主義」の理論的根拠がどういった所にあるのか、
特に、実在性の有無を左右する論点としてどういったことが考えられているのか、
という点をはっきりさせて欲しかったから。


230 :考える名無しさん:05/03/14 13:24:07
(続き)

つまり、
(1)心的内容の causal efficacy という点で、言語使用者と非言語使用者との
間に重要な違いがあるのか? あるとしたらどういった違いなのか?
(2)逆に、causal efficacy の点で特に大きな違いが無いんだとすれば、
いったい、心的内容の実在性を大きく左右するような特徴としてどのようなことが
考えられるのか?

これに対して>>219では、結局のところ「言語使用者と非言語使用者との間には
違いがある」としか言われていないわけなので、
これでは何の説明にもなっていないと思う。

それで、差し当たって考えられるのは、
非言語使用者の心的内容は――言語使用者のそれとは違って――明確に特定しにくい、
どうしてもそこに不確定な余地が残ってしまう、という問題だけど、
この点が果たして、心的内容の実在性を左右するような問題なのかということになると、
かなり疑問が残る。
一つには、内容の不確定性を理由にその実在性を否定しようとするというのは、
不確定性を少し過大に見積もっているような感じがするんだけど、
これについて話をするとまた長くなりそうなので、
とりあえずはこんなとこで。


231 :考える名無しさん:05/03/15 11:38:20
長いよヽ( ・∀・)ノ ウンコー

232 :考える名無しさん:05/03/15 14:11:29
まあ板自体がウンコだし。。。

233 :考える名無しさん:05/03/15 16:39:15
ダ メ ッ ト チ ャ ン (゚д゚)、ペッ

234 :考える名無しさん:05/03/15 16:48:45
>>231-233
荒らしとかわらねーぞ。
言いたい事がないなら黙ってろよ。

235 :考える名無しさん:05/03/15 16:49:12
>>232はちょっと違うか。

236 :考える名無しさん:05/03/15 16:56:12
muss mann schweigenとかってキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!


237 :考える名無しさん:05/03/15 17:00:04
manifestation argumentとacquisition challengeには、何か本質的な違いがあるのですか?
それとも本質的に同じ論点を別の観点から述べたものに過ぎないのですか?

238 :考える名無しさん:05/03/15 18:31:50
ほらよ
哲学のスタンフォード百科事典だよ〜

http://translate.google.com/translate?hl=ja&sl=en&u=http://plato.stanford.edu/entries/realism-sem-challenge/&prev=/search%3Fq%3D%2522manifestation%2Bchallenge%2522%2B%2522acquisition%2Bchallenge%2522%26num%3D20%26hl%3Dja%26lr%3D%26c2coff%3D1%26sa%3DG

239 :考える名無しさん:05/03/15 18:58:29
日本人とは、、、、
日本語を第一に話す人間のことである、という人がいる。
まず、言葉ありき。その後に思考あり、そして意味が生じる、ということなら、
言葉が話せぬ人間は、知能障害があって言葉がわからぬ人がいるのなら、
生きる意味はないんだよ、ということなのか。<分析哲学者諸君。

240 :考える名無しさん:05/03/15 19:15:34
言葉が分からぬ人は、ものを考えたりはしないだろう、と言うだけだろ。

241 :考える名無しさん:05/03/15 19:18:01
>>239
「である」から「べ(ry

242 :考える名無しさん:05/03/15 20:20:56
わけわかんね

243 :考える名無しさん:05/03/15 23:50:30
>>240
脳梗塞で感覚性失語に陥った人間が「思考をしてない」とは言えないはずだ。

244 :考える名無しさん:05/03/15 23:53:42
なぜ言えないはずなの?

245 :АБ:05/03/15 23:55:07
確認のしようがないからじゃなぁい?

246 :考える名無しさん:05/03/15 23:56:53
サボテンが思考をしていないことは確認できる?

247 :考える名無しさん:05/03/16 00:29:57
>>244 正確な言葉が話せず、相手の言葉も理解できないが、それ以外のことは
(障害の程度にもよるが)普通にできる。身振り、手振りで「意思の疎通」が可能なのだ。

248 :考える名無しさん:05/03/16 01:42:46
さて、日曜・月曜と飲み歩いた漏れが帰ってきましたよ…

>>225-227
まず第一に、漏れの論点は「ダメットの道具立てでも
言語使用者と非言語使用者の違いは残るじゃないか」ということではなく、
「ダメットは非言語的なものに対する言語的なものの位置を見積もることなんて
目指していないとも考えられるのではないか」ということだったことに注意を促しておく。
検証や真理といった概念で言語使用者と非言語使用者の間をつなぐのは
難しいんじゃないか、という主張も、ダメットの道具立てがこの
非言語的なものに対する言語的なものの位置を見積もるという目的のために
持ち出されたものだとは言い難いんじゃないか、というのが趣旨で、
ダメットにおいても言語使用者と非言語使用者の違いが残る、というのが論点ではない。
ただし、manifestation概念の取りようによっては、ダメットの議論が
こうした目的に使える、ということまでけちをつけようとは思わないし、
ダメットの弟子(例えばピーコック)がその方向に進んだことを思えば
ダメット自身にもそうした考えがあった可能性は否定できない。
ただ、こうした目的こそダメットの第一の目的だったんだ、ないし、
言語哲学の第一に目指すべきことなんだ、といった主張に反対したいだけ。

第二に、デイヴィドソン批判と意義の擁護の関係について言うと、
前回 >>218 を書いた後で思い出したんだけど、
“Truth and Other Enigmas”所収の‘Frege's Distinction between Sense and Reference’で
ダメットはsense/referenceの区別に対する批判者の一人としてデイヴィドソンを挙げ、
しかも詳しく議論している(TOE, pp. 123ff を参照のこと)。
大分前にざっと読んだだけなので、漏れはこの議論の内容を全く記憶していないけど、
これを読んで妙に納得した覚えは残ってて、そのことが >>218 のレスの背景にある。
全く議論の中身を覚えていずにあんなことを言うのは無責任だったかもしれないけど、
それほど的外れなことは言っていないはず。


249 :考える名無しさん:05/03/16 01:43:19
>>229-230
うーん。「折衷的な道具主義」がそれほど哲学的良識の逆撫でだとは思わないけどな…
人間の持つ心的内容に関する道具主義が議論を巻き起こす原因は、
通常人間の心的状態には内容が伴っている、ということに関して我々が
強固な信念を持っている(とされている)にも関わらず、
それがあたかも存在しないかのような主張をしているという点にあると思うんだよね。
でも、動物や乳児の心的内容に対して同じような、かつ強固な信念があると言えるのかな。

それから、漏れが「折衷的な道具主義」を提案したのは、
動物や乳児に帰属される心的内容に不確定性がある、ということを理由にしてるんじゃないよ。
本当の理由は次のこと。我々は普通、しかじかの人間が欲求や信念を持つ、と言うことに
何らためらいを感じることはない。しかし、ダメットは動物や乳児に関して、
我々はこれらに欲求や信念を帰属しなければいけないこともある、といった微妙な言い方をした。
この叙述を見て漏れは、そういえば乳児や動物がしかじかの信念を持つと言い切るのには
ためらいがあることに気づいて、このことは意味のあることなんじゃないか、と思い、
一つの可能性として「折衷的な道具主義」を立ててみた、というわけよ。
だから、内容の実在性の基準とか何とか、そんなことはなあんにも考えてなかったし、
これから考えるつもりもないよ。

250 :249への補足:05/03/16 02:00:10
「しかし、ダメットは動物や乳児に関して、
我々はこれらに欲求や信念を帰属しなければいけないこともある、といった微妙な言い方をした。」

これについて一言注意が必要かな。この文は少なくとも翻訳としてはまずいだろうけど、
漏れはダメットが「some desires and beliefs」とあえてsomeを入れていて、
無冠詞複数形にもanyにもしていないところを強く取った。
つまり、ここでダメットは動物や乳児への欲求や信念の帰属を、
欲求や信念という概念からすれば特別なこと、と捉えて、
「動物や乳児に帰属されるような欲求や信念もある」と言っているのではないかと漏れは考えた。
今冷静に見直してみると、これはちょっとsomeを強く取りすぎかもしれないけど、
でも実際、動物や乳児に帰されるような命題的態度って限定されるし、
文脈に依存する、という事情があるように思うんだよね…

251 :考える名無しさん:05/03/16 05:58:34
なんか不自然だから漏れというのは止めないか?

252 :考える名無しさん:05/03/16 19:57:15
人間とシンパンジーのDNAは98%共通だというが、シンパンジーの思考を否定するのは難しい。
ダメット先生はチンパンジーのdesires and beliefsをどうみているのだろうか。

253 :考える名無しさん:05/03/16 20:57:33
ダメット先生が何を言っているかを正確にわかることは重要だ。
哲学史的意味を問うのも必要だろう。
しかし、もっと重要なことは、前人の意見を肯定あるいは否定する過程から、
新たな問いを設定し、その答えを求めることだろう。
日本の哲学者は役所の戸籍係ではない。つまり、ある西欧の哲学者が哲学史上
の何丁目、何番地であるかのかを正確に記載する係りの役人ではないのである。

254 :考える名無しさん:05/03/16 21:09:05
別に一つのスレでそんな大それた目標を達成しようとしなくていいです
このスレは今の方向で展開してってください

255 :考える名無しさん:05/03/16 21:39:11
>>237
そもそもダメットの場合、acquisition challenge そのものについて
あんまりきちんとした議論はしてないんじゃないのかなあ。
(クリスピン・ライトなんかはまた色々議論してるのかもしれないけど、
よく知らない。)
>>205で言われてるみたいに、ダメット自身の論述の中では、
acquisition challenge てのは manifestation challenge と絡まりあったような
形で展開されてるような気がする(と言っても、きちんと再確認したわけではない)。

まあ、言語習得(acquisition)の問題自体は、言語の知識の表明(manifestation)
という問題とはまた別個に考えることもできるんだろうけど、
ただその場合、言語習得を哲学的に問題にすることが、本当は何を問題にすることなのか、
てのは、それほど明らかなことではないと思う。
何か天下り式の哲学的説明とか、思弁的な「言語起源論」みたいなものは
はじめから問題にならないだろうし。

それから、「デイヴィドソンみたいな全体論的な意味理論は言語習得の問題をうまく説明できないから
ダメぽ」というような批判は簡単にできるにしても、「じゃあダメットみたいな
分子論ならそこのとこどうなのよ?」という問題になると、いろいろ難しいとこが
残るんじゃないのかなあ。
フォーダーみたいに原子論的な立場をとれば、言語習得の問題は一個一個ブロックを
積み上げてくような形で説明できるかもしれないけど(もちろん、フォーダー自身の
説明がほんとにうまくいってるかはまた別にして)。


256 :考える名無しさん:05/03/16 21:47:18
>>248
> ダメットの弟子(例えばピーコック)がその方向に進んだことを思えば
>ダメット自身にもそうした考えがあった可能性は否定できない。

お分かりの通り、前に書いたような事柄は、ダメットを基本的にはピーコック的な方向で
理解してのことなんだけど、
てゆうのは、ダメットの言うような意味理論の構想が実際にどういった形で具体化されるか、
てことで考えて、それっぽいものを探すと、
ピーコックがやってるような「概念の研究」ぐらいしかちょっと思い当たらないんだけど。
だから、それとはまた違った方向性てことになると、ちょっと掴み所がなくて
何だかよく分からないんだけさ。

(具体的な言語使用に着目して「意味の社会的性格」を体系的に明らかにしようとする
という点では、最近のブランダムの仕事の方がダメットの狙いに近いのかもしれないけど、
その辺はあんまりよく知らない。)


257 :考える名無しさん:05/03/16 22:00:23
>>248
"Frege's Distinction ..." は、ちょっと覗いてみたけど、
今きちんと読む時間が無い&激しくめんどくさいので、あくまでチラ見しただけでの
感想を一言。

p.123なんかでは、指示と意義の区別への「攻撃(attack)」がどこから来てるか、てことで、
デイヴィドソン的な意味理論、クワイン的な全体論、クリプキ的な指示の因果説、という
三つが挙げられているけど、
例えば指示の因果説を「意義なしの指示論」と見なすのがかなり短絡的であるのと同じで
デイヴィドソンの意味理論への批判を「意義なしの意味理論」への批判という風に捉えるのも
ちょと短絡的なんじゃないのかなあ。

特に、エヴァンズとかマクダウェルみたいに、指示対象を“語る”ことによって意義を“示す”ことができる、
指示理論(タルスキ的真理定義)を語ることによって意義理論を示すことができるんだ、
といった提案を考えた場合、
ダメットの標的を「意義なしの意味理論」という風に理解するのは
なんか的外れにも感じるんだけど。


258 :考える名無しさん:05/03/16 22:09:42
>>249
非言語使用者に帰属される心的状態について考える場合、
具体的にどういった状況を念頭に置くかで、かなり見方が変わってくる部分はあると思う。
極端な場合、雨が降ってるのを見て「お空が悲しんでる」とか言うようなもので
全くのメタファーあるいはアナロジーとしか言いようがないケースもあるとは思うし。
でも、例えば自分のペットの気持ちを忖度する場合みたいに、
高等動物に心的内容を帰属させてその行動を予測したり説明したり、てゆう
「通俗心理学」的実践はかなり自然なものとして定着してるし、しかもかなり
うまくいっている、という事実もある。
それってのは、少なくとも幼稚園児とか小学生の子どもの気持ちをどうこう考えるのと
そんなに明確な違いがあるようには見えないんだけど。


259 :考える名無しさん:05/03/16 22:13:48
>>258に一言だけ付け加えとくと、
それなりに高度な知覚的な能力を備えていて、「知覚的内容」を帰属させるのが
圧倒的に自然だと思われるような動物に対しては、「心的内容」を帰属させない
(あるいは単なる説明上の方便・道具としか見ない)方が逆に不自然だと思う。

260 :考える名無しさん:05/03/16 22:30:58
後から見たら>>259は言ってることがかなりヘンだな。
さくっと撤回しとこう。。。

261 :考える名無しさん:05/03/17 18:04:54
今話されている内容は、ロボットが心を持ちうるか、という問題と論理的に関連して
しまうように見えるんですけど、どうですか。

ロボットがかなりの程度・・・例えば、小学校低学年と同程度の反応を返すくらいに
言語使用できている外見を備えるとします。ふつうは、このような場合(であっても)、
ロボットは心を持たない、と結論されますよね。言語使用の外見は、プログラムによって
見かけ上つくられているだけで、チップに電流が流れているだけだと考えられますから。

でも、この結論は、言語使用者であるから心的内容を帰属させられる、という議論と
整合的でないと思います。つまり、言語使用/非言語使用というカテゴリーによっては
心的内容の実在/非実在を区別する理由は無いように思えます。ですから、「折衷的な
道具主義」は、採りえないと思います。

もっとも、ロボットも心を持ちうる、というのであれば、論理的な整合性は保たれますが、
すると、ロボットの中身を知っている私たちは、ロボットのプログラムをどの程度の水準に
書き換えれば、心を持つ/持たないと、定量的に判断できることになりそうです。
でも、それは、心とは、そういうものである、ということを意味しませんよね。。それはむしろ、
心という概念に問題があるというべきなんだろう、と、私には思えます。

私から見ると、ここでなされてる議論は、主体(私と他人)の心は、同一の構造によって
位置づけられるという考えが、前提にあるように思えます。むしろ、その前提を批判すべき
では。

他人の心は、私の心によって構成され、私の心は、他人の心によって構成されるような
構造をしていると思います。他人の心を、私の心として構成しようとするのは、私と他人を
同じカテゴリーにおいたときに同じカテゴリーに属するゆえに、同じ構造をもつという理論に
立脚した立場だと思われますが、この理論は、哲学的に解明されうる立場ではなく、あくまで、
習慣的な理由で要請される立場だと思います。もちろん、このことは、他人の心の実在性は
認められないという結論を導くものではなく、そもそも、心の実在を認める/認めないという
問題設定が、成り立たないことを示すものです。

262 :考える名無しさん:05/03/17 18:06:28
>>249
>動物や乳児の心的内容に対して同じような、かつ強固な信念があると言えるのかな。

強固な信念があるといえるかは、動物や乳児といった主体=客体の心的内容の
問題でありうると同時に、それらの主体に心的内容があると前提する他の主体の、
心的内容の問題であることは、明らかだと思います。だとすれば、強固な信念が
あると言えるかどうかは、それらの主体に心的内容を帰属させられるかどうかの問題と
関係がある問題とはいえないのではないでしょうか。

263 :考える名無しさん:05/03/17 18:11:48
訂正

×それはむしろ、心という概念に問題があるというべきなんだろう、と、私には思えます。
○それはむしろ、心という概念に問題があることを示す結論というべきだろう、と、私には思えます。

×他人の心を、私の心として構成しようとするのは、私と他人を同じカテゴリーにおいたときに
 同じカテゴリーに属するゆえに、同じ構造をもつという理論に立脚した立場だと思われますが、
○他人の心を、他人にとっての「私」の心ではなく、私にとっての私の心として構成しようとするのは、
 私と他人が、同じ人というカテゴリーに属するゆえに、同じ構造をもつという理論に立脚した立場だと
 思われますが、

すみません。

264 :237:05/03/17 18:23:33
>>255
Thank you for your comment.

265 :261-263:05/03/18 00:45:33
すみません、263の二つ目の修正も「他人」が多義的で変なので、直します。

×他人の心を、他人にとっての「私」の心ではなく、私にとっての私の心として構成しようとするのは、
 私と他人が、同じ人というカテゴリーに属するゆえに、同じ構造をもつという理論に立脚した立場だと
 思われますが、この理論は、哲学的に解明されうる立場ではなく、あくまで、習慣的な理由で要請
 される立場だと思います。

○他人Aの心を、

 私Bによって構成される「私」Aの心ではなく、
 私Aにとっての私Aの心である、として構成しようとするのは、

 BとAが、同じ人というカテゴリーに属するゆえに、同じ構造をもつ、とする考えに立脚した立場だと思われますが、
 この考えは、哲学的に解明されうる立場ではなく、あくまで、習慣的な理由で要請される立場だと思います。

266 :261-263:05/03/18 01:12:10
-----------------------------------------------------------------------------------------

では、私Aにとって私Aの心はないのか? という疑問がすぐに起こると思いますが、私は、

私 (A、B、C・・・) が、私(A、B、C・・・) の心である、という考えは、A、B、C、・・・の、信念だと
考えています。一般には、他人の心があると考えることが、信念と考えられがちですが、私は
そうは考えません。なぜなら、他人の心は、常に「私にとっては」、私が構成することであり、
その構成は、信念と呼ばれるような心の働きによってなされるのではない、と考えるからです。

私Aにとっての心Aは、「私の心A」ではなく、「心A」だと考えます。つまり、私Aにとって、私Aによる
コントロールが、他人B、C、・・・に対するより、かなり強力に及ぶと思われている心A、と考えるのが、
正しいと考えます。コントロールが強力である理由は、普通に、心Aが、身体Aと何らかのつながりを
持っているからである、と考えます。さらに、コントロールの度合いに個人差を認めます。たいていの
人のコントロールは、自分たちで思っているほど強くないと思います。ただ、他人が自分たちに及ぼす
コントロールが弱いため、コントロールがよく及ぶように思える、と捉えます※。

 ※・・・ある事実認識を与えられると、すぐにそれを信じて怒りだしたり、ある政治的見解を持つに
    至るような人たちを念頭において、述べています。

267 :考える名無しさん:05/03/18 01:12:56
また、心Aは、一つであるとは考えません(他人によって構成された心A、私Aにとっての、多重人格)。



以下では、私Aにとっての心Aが、どのようにして私の心Aになるかについて、考えるところを書きます。

まず、言語使用において、(私や他人の)心が前提されるとは考えません。言語使用において起きる
ことは、「イメージを一定の仕方で切り分ける反復作業」であると考えます。ある程度の段階を経て、
心、という切り分け方(概念)も、身につくと考えます。心という切り分け方は、歴史的に形成されて
きたことであり、この切り分け方が成立するまでには、他のさまざまな対象に対する切り分けと、
切り分けの大雑把さ、混同、などが必要だったと思います。また、心の切り分け方には、文化差・
個人差が生じうるのは、明らかだと思います(たとえば、子供は人形に心があると信じたりします)。

心という切り分け方が存在するとき、まず切り分けられるのが、私の心であるか、他人(客体)の心
であるかは、具体的経験に依存すると思われます(こ こ ろ という記号に、何が対応させられたかによる)。

268 :考える名無しさん:05/03/18 01:13:24
心Aは、言語使用の面からいえば、まず、他人B、C、・・・によって、他人Aの心Aとして語られます。
ですから、理論的には、私Aは、心Aを、他人にとっての心Aとして、受けいれることも可能であると考えます。
当初、心Aの内容は、私Aによって規定されるというよりは、むしろ、他人B、C、・・・が規定した切り分けや、
関連付けに強く依存するとみる方が、適切だと考えるからです。ちょうど、私が持っているはずの道具を、
誰かが持ち出して使っているとき、その道具の「占有」が誰かにある、と観念できるのと似ているかもしれ
ません。

しかし、Aの心に、コントロールを及ぼす仕方には、言語以外に、私Aがイメージするとか、動くこと、とでも
いうような(身体的?)要因があります。他人B、C、・・・は、私B、C・・・について、この要因があることにつき、
すでに言語使用によって合意しています。私Aについても、それがあることを認めます(信じます)。それは、
言語使用上も形式的に反映されるため、心Aは、私Aにとっての心Aとなり、私の心A になる、と考えます。
私の心は、A、B、C、・・・の言語使用に基づいた信念なしには、成立しえない考えです。

269 :考える名無しさん:05/03/18 01:13:50
心Aを規定する私Aの意識的役割は、心Aの内容の深化にともない、しだいに大きくなってきます。すると、
よりいっそう心Aが、私Aの心Aであるという信念が強化されるのが普通です。しかし、心Aの心を規定する
仕方(言語使用)は、他人B、C・・・の仕方に大きく依存している点は、変わりませんので、心Aが、私Aの
心A で あ る とは、理論的には言いがたいのです(コントロール、という視点から見ると、共有されて
いるとみなせる)。ここにおいて、私の心Aとしか言えない、と信ずるならば、他人B、C・・・が、心Aにコント
ロールを及ぼせることを否定し、私Aだけがコントロールを及ぼせると信じ、存在規定することになります。
これは、信念である、と考えるのです。

繰り返しますと、私Aにとっての心Aは、私の心Aではなく、心Aです。しいていえば、私A、他人(私)B、
他人(私)C、・・・にとっての心Aです。言語使用によって規定される心Aは、そういう構造を持っていると
考えます。言語内容としての心Aは、他人の心を知る仕方で構成的に知られたため、私Aの心Aと当然に
考えられるわけではありません。かといって、他人B、C・・・「の」心Aになるわけでもありません。ただ、
心Aにつけられる名が「私A」であり、それがコントロールの相対的強力さに関する合意によって支えられる、
と考えます。昔は、「名前A」が観念されており、心A=「名前A」であったと思います。名前Aが名前Aを
指示する記号が1つに定まったことが、私という概念を形成するきっかけになったと思われます。

270 :考える名無しさん:05/03/18 01:23:10
-------------------------------------------------------------------------------------

2箇所ほど訂正します。すみません。

>>268 終わりから5行目

×Aの心に、コントロールを及ぼす仕方には、
○心Aに、コントロールを及ぼす仕方には、

×私Aにとっての心Aとなり、私の心A になる、と考えます。
○私の心A になる、と考えます。

271 :考える名無しさん:05/03/18 01:33:01
すみません、さらに2箇所訂正します。

>>266 段落2 の 1〜2行目

×私Aにとって、私Aによるコントロールが、他人B、C、・・・に対する
 より、かなり強力に及ぶと思われている心A
○私Aにとって、私Aによるコントロールが、他人B、C、・・・からの
 コントロールよりも、かなり強力に及ぶと思われている心A

>>267 1行目
×私Aにとっての、多重人格
×私Aにとっての、複数の心A(多重人格)

272 :АБ:05/03/18 04:41:16
うお。いけてる。
つまり「心」が個人所有物というよりも人類総体の影響しあった塊、或いはシンクロ
作用によって在るかのような塊。みたいな?
その内容は時々刻々変化し得る現象。それは「心」と呼ばれ伝達されるようになった。
とか?違ってもいいや。何か響いた。ダメッととは関係ないけど、感想でした。

273 :考える名無しさん:05/03/18 04:46:24
>>265-271
ここはダメットスレです。

はじめに>>249に対する批判を書いたのはまあいいとしよう。
>>261-263に対する自分ツッコミから>>265-271を書きたくなるのも分かるけど、
そもそも初めの批判の時点で問題意識がずれている可能性だってあるのだから、
一旦>>261-263でレスは打ち切って、あとはチラシの裏に書いておく、
ないし自分のPCの中にとどめて置く、てのが懸命じゃなかったかな。
もし自分の想定していたような質問・ツッコミが入ったら、
そのときにそいつを引っ張り出せばいいことだし。

274 :考える名無しさん:05/03/18 07:43:17
ダメットスレだというのはいいけどさ、チラシの裏に〜ってのはどうなのよ。
ダメットスレでもあり2chでもありってわけかい。

真面目に考えてる人間を簡単に愚弄できる輩でも哲学できるってか。
たいしたもんだ。

275 :考える名無しさん:05/03/18 07:48:28
ていうかさ、はっきり言うと、ダメットスレですの一言で門前払いできる神経がわかんねーんだけど。
273って何のためにダメットについて考えてんの? 問題意識がずれてる可能性がどうのとか
適当なこと言ってるけど、じゃあ、ずれてなかったらどうすんだ。お前それについて何も論じてねーぞ。

他人事ながらかなり頭くんだけど。

276 :考える名無しさん:05/03/18 08:04:35
確かに>>273は哲学やってる人のようじゃないね。哲学科にもこんなのは結構いるの?
ただの2ちゃんコロだよね、この人。まあ本当にそうかもしれないけど。

277 :考える名無しさん:05/03/18 08:29:22
ヽ( ・∀・)ノ<対話大切!

278 :考える名無しさん:05/03/18 11:06:39
おしマイケル


279 :考える名無しさん:05/03/18 11:52:11
スレに全然関心ない人が、横からちょっかい出しただけような・・・。哲板にはよくいるよ。

280 :考える名無しさん:05/03/18 13:05:43
あーあ
オレもおしマイケルにしよう。。。

281 :考える名無しさん:05/03/18 13:20:44
 おいオマイラ、>>273氏の言っていることは、
>>265-271がつまらないとか哲学的ではないとか
ということではなくて、
ダメットスレにとって適切かどうかは微妙だから、
反応が来るまでは連投するのを待てってことだけだぞ。

 >>275 ちなみに……
ファブリス・パトー 浅野幸治(訳)「反実在論の視点 ダメットとの対話」in
『思想2003年第10号 物語論の拡張に向けて/フレーゲ』98頁より抜粋。

《パトー》 分析哲学には、言語哲学を言わば「犠牲にして」
心の哲学に乗り換えようとする非常に強い傾向があります。
アメリカの哲学者がこの方向に動いているのは、非常に明瞭です。
〔中略〕これは主に、アメリカで認知科学が大きな影響力を
持っていることに帰因しています。

《ダメット》 その通りだと思う。
そしてそういうことに僕は関心がない――
アメリカの哲学は大部分非常に間違った道を歩んでいると、
本当にそう思っているからだ。

 >>261
>ロボットも心を持ちうる、というのであれば、論理的な整合性は保たれます

上掲書98-9頁より抜粋。

《パトー》 「どうして《物体》が志向性を持つことができるのだろうか。
どうして機械つまり純粋に物理的に記述できる物が
意図や思想を持つことができるのだろうか」と驚いています。
そして私たちは志向性を自然主義的に説明しようとしているのです。

《ダメット》 なるほど、確かにそれは哲学的な問いだ。

282 :考える名無しさん:05/03/18 13:22:52
>>280
まあ、そう言わずに付き合ってくださいよ……。

283 :考える名無しさん:05/03/18 14:02:17
>>281
>>261しか読んでないだろ。しかも「ロボット」に反応しただけ。

284 :考える名無しさん:05/03/18 14:22:45
>>283
いや、一応このスレのレスには全部目を通しているよ。
265以降の件のレスに対する俺の感想は、
難しいけど興味深い。
でも、ダメットスレに書き込むべきかどうかは微妙ってとこ。

それを具体的に示す為のレスが>>281ですな。
それに、281の最後の段は、281における>>261の引用部分以下に対する
ダメットの態度を示唆する発言だと思うけど。

285 :考える名無しさん:05/03/18 16:10:50
どこがどう興味深いんだか教えて欲しいもんだよまったく

ダメだこりゃ


286 :考える名無しさん:05/03/18 16:30:31
ダメットスレはダメッと

287 :考える名無しさん:05/03/18 20:10:08
ひでぶー orz


288 :考える名無しさん:05/03/19 11:46:06
反実在論とは、キャラクターの不在を脳内で補完する行為である。


289 :考える名無しさん:05/03/20 02:04:53
>>266-
ナイスです。

なんで2chに書くのか謎です。

290 :考える名無しさん:05/03/20 15:05:09

       ,一-、
      / ̄ l |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ■■-っ <   ハイハイ、いったんCM逝きまーす
     ´∀`/    \__________
   @ノノヽ@\
   (‘д‘__)  |
    ∪Ё|__ノ |
     ∪ ∪



291 :考える名無しさん:05/03/20 16:58:13
なんかみっともないね。

292 :考える名無しさん:05/03/21 03:19:03
岡本賢吾氏が一般向け書籍の読書案内で推薦していた
ダメットが序文を書いている次の本ですけど……

Michael Hallett Cantorian Set Theory and Limitation of Size
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0198532830/

なんでこんなに高いんだろう……
数学の哲学って、
こんなにも価格弾力性が低い分野なのかな……

293 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 12:54:56
そりゃ数学の哲学なんて分野、誰が買うよ。

294 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 13:00:52

       ,一-、
      / ̄ l |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     ■■-っ <   ハイハイ、いったんCM逝きまーす
     ´∀`/    \__________
   @ノノヽ@\
   (‘д‘__)  |
    ∪Ё|__ノ |
     ∪ ∪



295 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 13:20:13
>>261-がいろいろな意味で終わらせましたね

296 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 16:31:04
言葉が思考に先立つものであるとするならば、思考が言葉によって埋め尽くされていなければ
ならないが、(思考の海の総量<言葉の海の総量)とは考えにくい。言葉の総量が少なすぎて、
すきまだらけの言葉では、思考のすべてを表現できないのではないか。


297 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 18:38:19
296さん、ぜんぜん哲学的センスないですね

298 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 20:21:36
哲学的センスの定義を問う。
前・哲学的問題ではないか。言語学、大脳生理学、人類学、乳幼児の発育や成長の
知識があって、初めて十分な議論が可能なテーマではないのか。

299 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 20:31:30
センスがないと言われたときに、センスの定義を問うんですか。
ますますセンスのなさを曝け出してますね。
かっこいいです。

300 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 21:03:30
>>296

これは数学的には「すべての文の集合の濃度はすべての命題の集合の濃度より小さい」という主張として精密化できる。

301 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 22:07:22
きちがいもキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
もうメチャクチャやね


302 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 22:14:27
つうか、ワラっとくとこなのか?
どっちでもいいけど、こんなスレもうやだ

303 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 22:17:21
と言うよりも、こんな板もうやだ

304 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 22:37:07
>>301

可能世界意味論知らない人発見

305 :考える名無しさん:2005/03/21(月) 22:51:58
>>296
ここでいう「思考」の内実が問題なのかな。

>>300
ここでいう「命題」って、
ダメットが「原思想」って呼ぶものかな。

「原思想」って
数えられるようなありかたをしているのかな。

306 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 00:07:05
>>305
同調。
思考や命題の同一性ってどう定めるんだろ。
個数が数えられるなら同一性が定まってなきゃ。

結局、思考や命題の同一性って、それを表現する言語的存在物を
介してしか分からないんじゃないか?

307 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 00:58:52
命題の同一性も規定できないんじゃ
何のための可能世界意味論なんだよw

キチガイ氏んでね

308 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 01:03:05
つか、またまたワラっとくとこなのか?

309 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 01:08:05
まあ「可能世界から真理値への関数」とかって言い方くらいは覚えとこーぜ
あとは自分でスタルネイカーでも読んどけよバーカ

310 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 01:40:13
頭おかしい人たちどうにかして〜

311 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 01:45:30
頭おかしいんだからどうしようもないだろ




312 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 13:38:27
     ____
    /∵∴∵∴\
   /∵∴∵∴∵∴\                       (巛ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡ミ彡)ミ彡)
  /∵∴∴,(・)(・)∴|                    ,,从.ノ巛ミ    彡ミ彡)ミ彡ミ彡ミ彡)ミ彡)''"
  |∵∵/   ○ \|                 人ノ゙ ⌒ヽ         彡ミ彡)ミ彡)ミ彡)''"
  |∵ /.  ミ  | 彡 |           ,,..、;;:〜''"゙゙       )  从    ミ彡ミ彡)ミ彡,,)
  |∵.|  \___|_/| ___,,..、;;:〜-:''"゙⌒゙          彡 ,,     ⌒ヽ      彡
   \|   \__::::::;;;;;;;',゙     うるせ―馬鹿                '"゙ ミ彡)彡
     \___/  `゙⌒`゙"''〜-、:;;,_              )   彡,,ノ彡〜''
                       ゙⌒`゙"''〜-、,,,,彡⌒''〜''"     彡 ヽノ,,ミ


313 :考える名無しさん:2005/03/22(火) 22:37:04
最近では貴重なスレだと思うよ。
分析系の議論が盛り上がると潰しにかかる連中が必ずいる。
スルーしてsage進行でたのんます。


314 :考える名無しさん:2005/03/23(水) 07:27:37
>>306
クワインですな。

315 :考える名無しさん:2005/03/24(木) 22:17:26

http://b.hatena.ne.jp/keyword/%E3%83%80%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%95%E3%82%93

316 :ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 23:31:46
hosyu

317 :考える名無しさん:2005/05/01(日) 17:53:34
http://d.hatena.ne.jp/rothko/20050411

318 :考える名無しさん:2005/05/10(火) 11:54:19
保全

319 :考える名無しさん:2005/05/24(火) 11:38:01
過去と実在

320 :考える名無しさん:2005/05/30(月) 07:16:17
fosyu

321 :考える名無しさん:2005/06/07(火) 14:04:27
>>309
スタルネイカー?

322 :考える名無しさん:2005/06/07(火) 14:28:34
思想家

323 :考える名無しさん:2005/06/07(火) 15:13:24
Stalnaker スタルネイカー

Putnam プットナム

Kripke クリプケ

324 :考える名無しさん:2005/06/07(火) 15:15:20
Chisholm チショルム (チザム)
Fogelin フォジラン

325 :考える名無しさん:2005/06/07(火) 18:44:57
Fogelin フォジラン

これ違うの?

326 :考える名無しさん:2005/07/05(火) 09:03:14
書評:マイケル・ダメット『分析哲学の起源』(『週刊読書人』1999年4月2日)

http://www.hss.shizuoka.ac.jp/shakai/ningen/hamauzu/shohyo3.html

327 :考える名無しさん:2005/07/20(水) 01:04:17
さびし

328 :考える名無しさん:2005/08/04(木) 14:04:10
age

329 :考える名無しさん:2005/08/05(金) 02:21:57
>>325
フォグランだっけ?

330 :考える名無しさん:2005/09/16(金) 11:54:11
フォグラン?

331 :考える名無しさん:2005/10/22(土) 02:49:36
マグだ植える>もっと明晰に書け!

332 :考える名無しさん:2005/10/22(土) 19:17:23
もはや分析哲学=明晰という時代は終わった

333 :考える名無しさん:2005/10/28(金) 01:36:24
>タロットの研究でも知られる。

何だ?

334 :考える名無しさん:2005/11/27(日) 15:35:40
>>333
>>タロットの研究でも知られる。

詳しく!

335 :考える名無しさん:2005/11/27(日) 15:53:18
テイラーが編集してるダメット哲学への貢献っていう本があって各論者の論文にダメットがこたえるという内容なんだがその中にシルビアマンのplayingcardっていうダメットのタロットまわりネタを論じた論文があるょ

336 :考える名無しさん:2005/12/21(水) 23:03:45
人種差別撤廃運動の活動家としても知られる

337 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 13:32:44
保守

338 :考える名無しさん:2006/03/18(土) 02:43:19
age

339 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 19:46:57
文の意味はその真理条件にあるのだろうか?語の意味は、それが現れる任意の文の真理条件の決定に対して、その語が成す寄与にあるのだろうか?

340 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 20:05:25
意味の概念を完全に捨てはしない哲学者の間で、これらの問いに対する肯定的な答えが
その概念の説明に対する最も一般的なアプローチであること、そしてその答えが、フレーゲ、
『論理哲学論考』のヴィトゲンシュタイン、およびデイヴィッドソンによって明示的に支持されてきたこと、
これらのことを確認するために労を執る必要なない。

341 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 20:30:02
私は[これらの問いに対する]肯定的な答えが誤りであると決して確信しているわけではない。
しかし私は、そのような答えが重大な困難に直面することと、それらを克服することがいかにして
可能なのかを示すまでその答えが正しいと想定する権利を我々が持たないことを、完全に確信している。
私の見解では、我々がこの関連で真理の概念(あるいは真と偽の対概念)をなぜ必要とするのか、
あるいはその概念をいかにして用いることができるのか、決して明らかではない。すなわち、真理の概念を
意味の理論の基本概念として(あるいは真と偽の概念を二つの基本概念として)我々がなぜ必要とするのか、
あるいはそれを用いることができるのか、決して明らかではない。そうるすことが必要または可能であると
立証されなければ、我々は意味と真理がフレーゲの考えたような仕方で関連していると想定する権利を
得ることはできないのである。

342 :考える名無しさん:2006/03/20(月) 02:34:22
上記の問題に対する肯定的な答えに賛成した哲学者が、それに対する否定的な答えに賛成した哲学者より多かったため、
また特にフレーゲがかくも偉大な天才であったため、我々は、真理条件の概念を用いて与えられた意味の理論が
どのようなものであるかについて、それに対抗する意味の理論の一般形式についてよりも、多くを把握している。
実際、[真理条件的意味の理論に]対抗する意味の理論の構築が同様に重大な困難に直面する、という反論は
まったく正当である。

343 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 13:45:38
うわ なにこのスレつまんね(^ω^;)

344 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 07:30:07
仰天美人ダメットさーん!

345 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 01:21:28
この本、久々のヒット。
推奨age

ダメットにたどりつくまで 双書エニグマ
金子 洋之
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/432619913X/

346 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 01:26:20
http://ameblo.jp/yugandasinju/entry-10012686569.html

347 :考える名無しさん:2006/06/23(金) 13:25:11
保守age点検

348 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 17:39:32
あれ、ソルトじゃね?

349 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 18:42:05
ダメットって、
結局たいしたこと言ってないよねw

350 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 19:10:29
と本気で思えるなら哲学やめていいよ。

351 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 19:52:02
いや本気で。
ダメットのオリジナルで説得力のある主張って何がある?
検証主義の真理論・意味論?w

352 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 21:32:46
可能世界意味論ってなんのこと?
ダメット読んだことないんだけど。

353 :考える名無しさん:2006/07/16(日) 00:54:59
すげーなネらー
書き込むだけで頭悪くなりそうだw

354 :考える名無しさん:2006/08/08(火) 11:36:04
>>349

とりあえず、これ訳してくれ。

Many years ago, I heard Professor Anscombe argue that what makes such thoroughgoing Cartesian doubt absurd
is that, if we came across a society of people in whose language there was an inflexion of the verb such that
we could establish no correlation between the sentences containing verbs in this inflexion to which they assented
and what had previously happened, we could not intelligibly suppose that this inflexion represented their past tense,
but that their memories are hopelessly astray.

355 :考える名無しさん:2006/09/20(水) 03:43:27
おぅ落ちそうになってるで、しかし。

356 :考える名無しさん:2006/10/18(水) 03:19:09
やすし乙

357 :考える名無しさん:2006/11/18(土) 11:29:49
saget

358 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 03:06:27
日本にダメットの専門家っているの?

359 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 19:24:42
呼んだ?

360 :考える名無しさん:2007/01/27(土) 16:23:26
まだ生きてる?

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