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野矢茂樹

1 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/28 17:10:48
1

2 :考える名無しさん:04/11/28 17:12:06
2ゲット

3 :考える名無しさん:04/11/28 17:46:28
サン様

4 :考える名無しさん:04/11/28 17:52:54


5 :考える名無しさん:04/11/28 18:10:16
トレーニングを始めるとそう悪いものでもなさそうだ。だって、ほら、
大胸筋がはってんしてるもの。

6 :考える名無しさん:04/11/28 18:25:14
>>1
●のテストだかなんだか知らないが、>>1にはちゃんとコメントを書きこんでおいてほしい。じゃなきゃ明らかな糞スレでテストされた方が削除依頼が簡単だからなんぼかましだ。反省してほしい。

ところで自分は野矢成樹は講談社現代新書の「哲学の謎」を読んだ。
他の本は読んでないのでこの人がどんな主張をしているのかは知らない。



7 :二酉:04/11/28 18:37:45
>>6
「哲学の謎」読んでみてどうだった?
それが>>6さまの感じた大事な感想であって、他人の評価は2の次。
知っとくともしかしたら違う観点から見れるかも?って参考程度でございますですよ。
研究って、誰かと評価が一致しなければ間違ってる、とかいうものじゃないし。

8 :考える名無しさん:04/11/28 18:55:33
>>7


> 「哲学の謎」読んでみてどうだった?
憶えてない。
> それが>>6さまの感じた大事な感想であって、
自分としては>>1にコメントがなかったから、煽るつもりで上のようなつっこみが入ることを予想・期待して>>6を書いた。だからここまではむしろありがたいのだが、しかし余計なおせっかいだったか?
それはいいとして、以下はちょっと意味がわからなかった。

>他人の評価は2の次。
> 知っとくともしかしたら違う観点から見れるかも?って参考程度でございますですよ。
> 研究って、誰かと評価が一致しなければ間違ってる、とかいうものじゃないし。
・・・どゆこと?なんで俺に?

9 :考える名無しさん:04/11/28 19:02:30
ハゲ

10 :二酉:04/11/28 19:07:37
>>8
いや、その煽りに便乗したのでお節介でもなんでもないれす。
下2行の方は何か勘ちがいしたでち。。。スマソ。


11 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/28 19:54:22
>>6
>>1で力むと逆にスレが寂れるというのもよくある現象


12 :考える名無しさん:04/11/28 20:05:00
開き直るのはどうかと思う

13 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/28 20:35:33
じゃ、新刊の話でもしますか、
『ここにないもの―新哲学対話』なんですけど、
立ち読みした感じでは絵本調で割高感がします

14 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/28 20:37:19
野矢の才能は(哲学)教師にあると思う
今の時代に上品なユーモアは貴重だけれど
図式マニアとしては絵本より教科書を書いて欲しい


15 :考える名無しさん:04/11/29 13:04:46
まだ学生つれて座禅とかやってるの?

16 :考える名無しさん:04/11/30 00:44:35
ほう

17 :考える名無しさん:04/12/03 20:31:17
新司法試験の適性試験対策に
野矢先生の論理トレーニングが売れております。
論理力をつけるためには野矢先生の書籍を大量に読むとよいとの
先輩からのアドバイスを受けているのですが、
どういった順番で読んでいけばよいのでしょうか?
また不要な著作はどれでしょうか?

著者名[野矢茂樹]
http://esbooks.yahoo.co.jp/books/search_result?kword_in=&kword_out=&title=&info=&writer=%CC%EE%CC%F0%CC%D0%BC%F9&publisher=&code=&ctgy=&sort=0&disp=0&dsptch=0&oop=on&publish_sy=&publish_sm=&publish_ey=&publish_em=&x=34&y=9

18 :考える名無しさん:04/12/10 03:42:55
野矢先生の本は「論理トレーニング」(産業図書)と
「論理トレーニング101題」(産業図書)
を読めば(勉強すれば)良いんじゃないかな。順番はお好きに!!
他の著書は哲学に関する本だから、「他者」とか「心」とかを考えたいなら
読んでみると良いかもしれん。
あっ、あと「論理学」(東大出版)があるけど、これって論理力をつける
ための本ではないかもしないけど、時間ががあればいいかもな〜。
個人的には「論理哲学論考を読む」はかなりいいと思うな〜

19 :考える名無しさん:04/12/11 00:28:59
月丘うさぎタンが好きだと言ってた

20 :考える名無しさん:04/12/12 14:01:22
論理トレーニング 独学でやってるんだが、練習問題に解答がないものがあるので、だれか解答を書いて。あってるかわからん。
論理トレーニング101題を買わせるための商法にみえてたまらんのだが。買う気はないのでお願いします。

21 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/12 18:43:06
>>17
自分は野矢先生の本はほとんど読んでますが
論理力が付く、という視点なら以下の三冊をこの順番でお勧めします

1 論理トレーニング
2 論理トレーニング101題
3 論理学

余力があればこれも良いでしょう

4 論理哲学論考&論理哲学論考を読む

…というか全部「論理」がタイトルについてますね


22 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/12 18:45:21
>>20
あ、このスレで完全な解答を作るのって、面白そうですね
たぶん誰もやらないから自分がやるのが自然ですね
自分が解答案を出して名無しさんが突っ込む形でどうかな
とりあえず論理トレーニング読み返してみます


23 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/12 19:51:38
や、やべー。実は練習問題はすっ飛ばして読んで終りにしたんですけど
12Pの問3bで解答と注を見てから10分位考えてやっと理解できました
なんで「したがって」なのか最初分からなかった。この本以外と難しいな
この先が不安ですね…

24 :考える名無しさん:04/12/12 21:08:59
>>23
自分もがんばって解答提示していこうとおもいます。
とりあえず解答まとめてから書いていきます。

25 :初心:04/12/13 20:15:43
p11 練習問題1

問1
(1) たとえば:@−例(A〜B)
(3) それゆえ:@→A
(4) しかも :@+A
(5) つまり :@=A
(6)a そして :(@〜A)+B
b したがって:(@〜B)→C
問2
(a) しかも :(@〜A)+(B〜C)
(b) だから :(@〜C)→D
問4
(a) しかも :@+A
(b) したがって:(@〜A)→B
(c) たとえば:(@〜B)−例(C〜D)
(d) つまり :C=D
問5
(a) @−例(A〜F)
(b) B=(C〜D)
(c) C+D
(d) (C〜D)+(E〜F)

全然間違ってそう。接続詞のかかる範囲とかわからん。。 


26 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/13 21:12:30
結構難しいんで、ゆっくりやっていっていいですか。
まずは練習問題1の問1の空欄埋めだけやってみます。
あと、解答は後で自分のサイトに貼るつもりです


27 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/13 21:16:14
p11 練習問題1 問1
(1)たとえば
(3)だから
(4)しかも
(5)すなわち
(6)aむしろbつまり


28 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/13 21:23:10
問2
(a)すなわち
(b)だから

問4
(a)しかも
(b)したがって
(c)たとえば
(d)つまり


29 :考える名無しさん:04/12/13 21:24:17
野矢先生が岩波版の論理哲学論考につけてた解説
思考が世界の可能性を捉えることであるならば、思考とはまさに像である。
ここで、「心」とか「意識」といった言葉で連想されがちな非物理的な何ものかを想定してはならない。
思考もまた、この世界に起きたある事実が、他の事実を表現することによって成立するものにほかならない。
となってるんだが、ヴィトはこんなことはまったくどこにも書いていないような?
これが野矢先生の個人的な主義主張なら、そんなものを論考の解説で披露するなよと思うのだが

30 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/13 21:33:38
>>29
>こんなことはまったくどこにも書いていない
それはないんじゃないかな

たとえば「思考とはまさに像である」というのは論考の
「事実の論理的像が思考である」に対応するんじゃないですか


31 :29:04/12/13 21:49:15
>>30
ここの引用だけだとわかりにくかったですね
その先にはさらに、
(小さな声で独り言を言う、文字を紙に書き連ねるなのどの)なんらかの身体運動ないしそれによって生じた事実が、
<タマがポチを追う>のような事態を表現するのであり、それがすなわち可能な事態を思考するということなのである。
かくして、『論考』があきらかにしようと狙う思考の限界は、像の限界、すなわち言語の限界と厳格に一致する。
と書いてあります
野矢先生の勝手な思い込み、もしくは、個人的な主張だと思う点は、
○思考は物理的に表されていなければならない、非物理的な何ものかであってはならない
○思考の限界と言語の限界は一致する
の2点です
ちなみに>>29で問題にしていたのは前者の方です

32 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/13 22:46:40
>>31
ウィトゲンシュタインは意味が心的イメージだとする立場に対して
徹底的に批判していまして、思考が物理的に表現されている
というのは野矢のみの思い込みではないと思います

>思考の限界と言語の限界は一致する
ちょっと複雑な問題がありそうなんでうかつにコメントできないですけど
しかし論考の基本路線はそういう主張だと思いますよ、思考と言語の限界の一致。
語りえぬものについては沈黙するべし、ですから


33 :考える名無しさん:04/12/13 23:19:42
野矢って分析哲学だろ?
ヴィトの射程は分析に尽きるものではないのだが、
分析哲学者の多くは、文献学を蔑視している。
だから、時々とんちんかんなのは諦めよう。

34 :29:04/12/13 23:33:21
>>32
論考では「思考は物理的に表されていなければならない」というようなことはまったく書いていないと思いますが、
ヴィトがそれ以外のところでそのようなことを言っているのでしょうか
個人的には「論理空間」というくらいだから非物理的な抽象的な世界のことを指しているだろうと捉えていたのですが

ヴィトが序文で思考に対して限界を引くことはできないと述べているので、
「思考の限界と言語の限界が厳格に一致する」は言いすぎではないかと
ただ、論考の基本路線として思考の限界を示すことも意図しているというのは確かにそうだと思うので、
こっちの方は野矢先生の思い込みが入っていたとしてもそんなに問題ではないと思いますが
「語りえぬもの」は言語の限界の外にあるものですが、ヴィトがそれはまた思考の限界の外でもあると考えていたのか、
思考の限界の内には入りうると考えていたのかはちょっと興味深いですね

35 :29:04/12/13 23:54:17
>>33
自分の土台で解釈してしまっているということですか・・・

36 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/14 19:03:40
>>33
岩波文庫の論理哲学論考の翻訳を務めた野矢先生ですから
ウィトゲンシュタインの読解は確かです

>>34
>論考では「思考は物理的に表されていなければならない」というようなことはまったく書いていない
ここら辺に誤解がある気がします
思考は像なんですが、写像が成立するのは論理形式を共有しているからです
レコード盤と楽譜と音波は別の物質ですが
対応関係があるので同じ音楽だと分かります
このとき意味、すなわち像は物質そのものではないのですが
といって物理的な現実を超えたものは一切想定しません
ここら辺の事情はちょっと難しいな

>>35
>自分の土台で解釈してしまっている
のが、2ちゃんの住人である確率の方がはるかに高いでしょう

37 :29:04/12/14 23:58:01
>>36
論考では
思考は命題において知覚可能な形で表される。
われわれは、可能な状況を射影するものとして、命題という知覚可能な記号(音声記号、文字記号、等々)を用いる。
となっているので、
野矢先生のいうところの「この世界に起きたある事実が、他の事実を表現することによって成立する」というのは、
「思考」ではなくて、「命題」だと思うのですが

38 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/15 18:46:27
>>37
例えば論考の4で「思考は有意味な命題」だとありますから
思考と命題の関連は深いと思います

まあ論考も野矢も最近読んでなくてあやふやなので
自分も読み直す必要がありますね


39 :29:04/12/16 00:18:48
>>38
なるほど、そうやって細かく読んでいくと厳密にどのようなことを言っているのかよくわからないですね
結局、語りえることでも明晰に語るのは難しいんだか、不可能なんだか
いろいろ参考になりました、どーもでした

40 :考える名無しさん:04/12/17 20:32:34
野矢茂樹に最近興味があるのでage


41 :考える名無しさん:04/12/17 20:42:00
こないだたまたま放送大学聞いたら野家啓一が講義してたのでsage

42 :考える名無しさん:04/12/17 22:43:39
野矢さんは数学で落ちこぼれて科哲に行った。

43 :考える名無しさん:04/12/17 22:45:05
の矢はよく数学で落ちこぼれたとかいってるけど、
はっきりいって落ちこぼれるところまでやっていないのが現実
脚色してかっこよく言ってるだけw

44 :考える名無しさん:04/12/18 00:06:26
落ちこぼれたのって理学部数学科じゃなくて
教養学部基礎科学科の数理科学分科ですか?
たしかずっと駒場なんですよね?

45 :44:04/12/18 00:11:13
『論理学』のプロフィール見ると基礎科学科出たあと
教養学科卒となってるなあ。
科哲って昔は教養学科にあったのですか?

46 :考える名無しさん:04/12/18 00:35:59
あーそうだったかも

47 :44:04/12/18 00:37:10
つーか教養学部を二度も卒業って。。

48 :44:04/12/18 01:30:22
あと野矢さんって大学教授っていうより和尚さんってイメージ。

49 :考える名無しさん:04/12/18 06:04:22
>>29
野矢の論考解釈は訳書の解説のみから汲むのは早計かも。
彼自身、翻訳のついでに「『論理哲学論考』を読む」って
本も出してたから、解釈の議論はそれも踏まえたがよさそう。
野矢曰く「論考はスポーツカー。ブイブイ乗り回そうよ」

どうでもいいけど「哲学の謎」って流石兄弟だよな・・兄者。

50 :考える名無しさん:04/12/19 14:12:01
なあ「論理トレーニング」ってナンセンスだと思わないか?

51 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/19 18:48:59
>>50
どうして?

52 :考える名無しさん:04/12/19 18:54:08
>>44
今は数学科も駒場にある。

53 :考える名無しさん:04/12/19 20:35:43
この人ほんと自由に哲学してる感じ
こんな大人になりたい・・

54 :考える名無しさん:04/12/19 21:29:22
増田達哉のような大人にはなりたくない

55 :考える名無しさん:04/12/19 23:53:27
質問です。野矢訳の「論理哲学論考」がずいぶん売れましたね。
私は論理学が苦手なのですが、平易と評判の高い岩波文庫の野矢訳は
論理学の知識がなくても読めるでしょうか。
つまらない質問で恐縮ですので、スルーしてくださっても結構ですが・・・。

56 :考える名無しさん:04/12/20 00:18:40
誰だか分からない。

やっぱ、基礎的知識として、
本くらいは読まないと駄目ですか?

つか、哲学は、
本をよんで感想を述べ合う学問ですか?

57 :考える名無しさん:04/12/20 06:30:46
>>55
論理学の知識という言葉をどういった意味で捉えているかは
わかりませんが、仮にそれが形式論理学だと解しますと。
おそらく半分は読めるでしょう。ただ暗号っぽく感じるかもしれません。
残りの半分は形式論理学をかじった人なら「これってあれじゃん」
とか思い返しながら読める内容でしょう。

現代論理学の礎ができはじめた頃の書物です。論考。

>>56
>本を読んで感想云々
野矢は恐らく哲学はそういったことではないだろうと考えてる人です。
正確には彼のお師匠さんがそう思っていたようです。
本を読まなきゃいいか駄目かを自分で判断できないのなら読んでみては?
その時はじめて善し悪しが言えるようになるんだから。

58 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/20 21:13:26
>>55
『論考』を完全に自力で読破できたらかなり凄いと思う
ふつうは言語明瞭意味不明という感じになるでしょうね
命題論理を押さえるだけでかなり読みやすくなりますが
『論理哲学論考を読む』とセットで読んでも見通しがよくなります
いずれもない場合、後ろの訳者解説を全体の見取り図にするとか


59 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/12/20 21:15:13
>>56
>哲学は、本をよんで感想を述べ合う学問ですか?
哲板で超既出の話題ですが、
上手くラーメンを作ろうとするなら、美味いラーメンを喰ってみ、という位でFA


60 :考える名無しさん:04/12/20 21:22:22
美味いラーメンを知ってりゃ、
うかつなラーメンも人には食わせられんわなぁ。

61 :考える名無しさん:05/01/07 16:06:28



62 :考える名無しさん:05/01/19 19:33:20
誰か「哲学航海日誌」読んだ人いる?

フッサールに大森、野家がことごとく否定されてるけど、野矢の他我問題の考え方いまいちよくわからない…。

来週テストがあるんですわ。俺なりにまとめると

大森→意味的と感覚的に分けて他人の痛みを理解しようとした。しかし、感覚的には無理よってそこは空欄。
フッサール→大森と似ている。しかし、他人の痛みの感覚的理解の空欄を埋めようとして失敗。
野家→実践的要求がどうだとかいい始める。つまり人が痛いというときは痛いので心配して、ばんそうこう持って来てなどの意味が含まれるのだとか。
   分かりやすくいうと、恋人といて向こうが腹減ったというとそろそろお昼にしようという要求があるということ。どういう風に減ったのとか、どの表現はいいねとかいったら、ぶんなぐられます。

野矢→他者、自分と分けて考えない。非人称的な視点にたつのだという。
   

こんな感じかな。でも野矢んが一番むずい。

63 :考える名無しさん:05/02/03 17:06:20
age

64 :しろうと ◆AUSirOutoE :05/02/03 18:44:28
野矢の他我問題について解説します
身体・認識のレベルにおいては自他に内外のような区分は発生しません
なぜなら他の人が立っている場所に行けば同じ景色が見れるように
他の人の身体状況に立ったとすれば同じ認識になるだろうというのです
つまり諸々の感覚・認識の条件をパースペクティブ的に一元化してしまうのです
しかし言語や規則を巡るアスペクトにおいて意味の発信源としての他者が立ち上がります


65 :考える名無しさん:05/02/03 20:14:28
417 :考える名無しさん :05/01/29 12:31:37
S教授(57歳、独身)の甘酸っぱい思い出4題

1。20歳のころ:http://www.sakamura-lab.org/tachibana/hatachi/sasaki.html
二十歳のころは農学部の同級生に好きな女子学生がいて、せっせと手紙を書いていた。彼女にしてみれば、幼稚な文面と映るだけだったかもしれません。結局、実りある結末にはいたりませんでしたが、これも甘酸っぱい味のする思い出です。」

2。30代のころ:(プチ詐称) 略歴には「1980年米国プリンストン大学大学院Ph.D」でも実際は1988年らしい

3。40代のころ:(科哲(学科)内部では知れわたってる)ある女子学部生に熱を上げて、著書の扉にラブレターを書いて謹呈した

4。50代のころ:「週間新潮」に立派な顔写真入りの記事 http://f20.aaa.livedoor.jp/~merc/sasaki_shincho1.jpg

いつまでも若々しく甘酸っぱいS先生が大好きです!

野矢さんは佐々木力とは仲悪いんでつか?

66 :考える名無しさん:05/02/03 20:17:25
洗濯板の事ですか?古いですね。

67 :考える名無しさん:05/02/20 00:58:07
>>26
>あと、解答は後で自分のサイトに貼るつもりです

しろうとさんのホームページのアドレスを教えていただけないでしょうか?

68 :考える名無しさん:05/02/21 01:08:14
このひと狂人は隔離しろっつーひとなんでしょ?なんかイヤだね。

69 :考える名無しさん:05/02/21 01:10:35
分析哲学者は社会の事なんかに興味ないよ

70 :考える名無しさん:05/02/21 01:17:50
>>69
そんなことはないだろ。www

71 :考える名無しさん:05/02/21 01:21:17
そんなの社会思想の香具師がやればいいじゃん


72 :考える名無しさん:05/02/21 18:44:26
隔離しろとか言ってる野矢自身が(自粛

73 :考える名無しさん:05/02/21 18:55:02
たぶんフーコーとかそういうの嫌いなんだよ
分析にはそういう空気がある

74 :しろうと ◆AUSirOutoE :05/02/21 20:19:39
>>67
すいません。やっぱ止めときます。
一人で考えた解答が間違ってたら恥ずかしいし意味ないので…


75 :しろうと ◆AUSirOutoE :05/03/06 19:10:01
R25で論理トレーニング紹介されてますね。ロングセラー


76 :考える名無しさん:05/03/06 19:17:44
    ∧___∧
   /=・=-∴-=・=\
   |  ,,ノ(、_, )ヽ、,  |  
 /|   `-=ニ=- '  .|  つまるところ動物化なんだろ?w
/  .ヽ、_ `ニニ´__ノ    
|    _____ ノ
∪⌒∪     ∪

77 :考える名無しさん:05/03/06 19:19:50
関係ない

78 :考える名無しさん:05/03/07 00:16:17
私、野矢は大嫌いです。
この人の本はクソつまらないです。

私、野矢の日本語感覚は異常だと思います。
中島が、野矢は一番よい日本語を書くと書いてましたが、
アホか、と思いました。

79 :考える名無しさん:05/03/07 01:04:30
クソつまらないレスだ

80 :考える名無しさん:05/03/07 01:10:10
>>78
哲学者の中では一番まともだと思う。

81 :考える名無しさん:05/03/07 01:10:51
しろうとさんと29さんの対話が聞きたいです

82 :考える名無しさん:2005/03/24(木) 11:23:10


83 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 18:55:42
>33
>野矢って分析哲学だろ?
>ヴィトの射程は分析に尽きるものではないのだが、

野矢を分析哲学っていうのは、ウィトゲンシュタインを分析哲学というのと大差ない
程度のラフなくくりなんだが。
野矢は、最終的には論理の筋が通るほうを文献的支持に優越させる解釈をとったが、
その解釈に定める過程ではかなり文献をきっちりおさえてるよ『論考』については。

84 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 19:03:40
>>36
T3・1「命題において思想は感性的に知覚可能に表現される.」
T3・11「我々は命題の感性記号に知覚可能な記号(音声記号・文字記号)を可能的
状態の射影として用いる」
とあるから,「知覚可能」を「音声・文字」などの物的もしくは物理的な対象とは限定
しない,という(記号表現に内在現象をも割り当てる)ことが不可能ではない.

だから「なんらかの身体運動ないしそれによって生じた事実」という物的な身体運動を
命題存立の必須要件と考えるのは,それだけをとりだすとやや野矢の主張という面があ
るように思われるかもしれない. ただし,『論考』に現象主義的存在者を導入すると
いうのはウィトゲンシュタインの哲学的発展をみるとき、かなり困難だとはおもうけど。

ない

85 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 19:05:00
(音声記号・文字記号)→(音声記号・文字記号など)

「など」があるから物的でない対象を導入可能だ,と議論してるのに大切な
一語を入力から落としていた。

86 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 19:07:12
> 「語りえぬもの」は言語の限界の外にあるものですが、ヴィトがそれはまた思考の限界の外でもあると考えていたのか、
> 思考の限界の内には入りうると考えていたのかはちょっと興味深いですね
「Gedanke=思想」が写像しえない言語の限界の外が、どうしたら思考の限界の中に入りうるんだろう??


87 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 19:09:17
>>32
> ウィトゲンシュタインは意味が心的イメージだとする立場に対して
> 徹底的に批判していまして
『論考』のどこで、そんなものを<徹底的に>批判してるの?
まさか『論考』解釈に『青色本』『黄色本』『茶色本』だの『探求』だのを引いてこよう
なんて考えているんじゃないでしょうね?

88 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 19:12:24
>>論考では「思考は物理的に表されていなければならない」というようなことはまったく書いていない
> ここら辺に誤解がある気がします
> このとき意味、すなわち像は物質そのものではないのですが
> といって物理的な現実を超えたものは一切想定しません

ドイツ語では同じphiysikalischであらわされるからといって、日本語では物的と
物理的とをわけようね。 奥さんみたいになるよ。

89 :考える名無しさん:2005/03/25(金) 20:28:03
>>88
あひゃw
でももの的な現実ってなんだろ

90 :=84:2005/03/25(金) 21:28:06
> ただし,『論考』に現象主義的存在者を導入するというのはウィトゲンシュ
> タインの哲学的発展をみるとき、かなり困難だとはおもうけど。

いきなり現象主義的存在者に飛んでしまったのは,わたしのミス.
論考では「痛み」や「痒み」といった感覚的存在者の存在可能性を否定して
はいないから,たとえば「この痛みがあの痒みにある関係」が事態「この犬
は五本足をもつ」を写像することを退ける根拠はない,と考えます.
ですので,非物質的な諸存在者とその関係が,記号である可能性もあります
ね――それだけ,って可能かなぁ? 確かに唯心論的に『論考』はよめるか
ら,すべての存在者を非物理主義的・心内在的なものと解釈して,それらを
記号と理解すれば可能かなぁ?? 


91 :=84:2005/03/25(金) 21:31:20
>89
もの的な現実=素朴実在論的対象:たとえば目の前の机とかりんごとか
物理的な現実=物理学的対象  :大抵,素朴実在論的対象に( 大森荘蔵
的にいえば )重ね描かれた,理論的存在者(机に対応する分子なり原子な
りの集団とか)

でもわらうようなところって>88にありました??

92 :=84:2005/03/25(金) 21:34:44
考えてみると「物理学」ってうっとうしい表現だなぁ
理ですでに対象の事理をあきらめることがはいっているのにそのうえ学(-logic)
がついている
ほとんどphisico=logy-logicみたいな形で重複している.
「物学」「心学」「論学」「倫学」「美学」・・・でよかったのに. 理を究わめ
ない学問の方が珍しいのに.

93 :=84:2005/03/25(金) 21:56:53
> もの的な現実=素朴実在論的対象:たとえば目の前の机とかりんごとか
> 物理的な現実=物理学的対象  :大抵,素朴実在論的対象に( 大森荘蔵
> 的にいえば )重ね描かれた,理論的存在者(机に対応する分子なり原子な
> りの集団とか)

あーまた間違っている
「対象」じゃ,「Ding」になってしまう.「(諸)対象からなる事態」です,訂正.

94 :=84:2005/03/25(金) 21:58:11
だから「目の前に机がある」とか「このりんごは赤い」とか.物理的事実に
ついてもまた同じ.

95 :=84:2005/03/26(土) 00:48:19
>>36
> このとき意味、すなわち像は物質そのものではないのですが
 「意味」で ‘Sinn’と‘Bedeutung’のどちらを指しているのかはわからないけど
いずれにせよそれぞれ写像されたところの‘Sachverhaltniss’か‘Ding’がそれらに
相当するのであって,像(Bild)が意味であるということはありえないでしょ. 像は
写像する当の何か( いわば etwas bildend )であって(T2.1以下参照)写像され
る( gebildet )ところの何かではないのだから.

96 :考える名無しさん:2005/03/27(日) 23:08:40
 野矢氏は,『論考』が記述言語(命題*)しか扱っていないことを,言語表現に他
のモード( 命令とか嘆願とか )があることをウィトゲンシュタインは承知のうえ
で現実性から可能性への展開の過程として,あえて記述言語のみに議論対象をしぼっ
ている,と考えておられるけど,これほんとにそうなのかしら?

 わたしには,どうも『論考』にそういう自制は感じられないので,むしろ命令文や
嘆願文等も分析を完璧に遂行すれば,記述言語の原子命題の真理函数に還元できる,
と安易に考えていたのではないか?という気がする( だけで−−野矢氏の主張も彼
の読解の立場からの選択でしかないように思われるのと同様に−−単なる感想でテク
スト上の支持があるわkではない )のですけど.

 このへんどうなのでしょうか? 『青色本』の著者やオースティン以前の著作なの
で,気づいていなかった−―もしくは,重要な言語哲学的問題を抱えているとは思っ
いなかった−−という可能性は結構あるのじゃないかな,とわたしは思っています.

* もちろん,これはラフないいかたで,恒真律や矛盾律といった記述でない命題の
一部が『論考』であつかわれていることは承知しています. 

97 :考える名無しさん:2005/03/28(月) 21:32:14
野矢さんてイケメン??

98 :考える名無しさん:2005/03/29(火) 20:36:12
ハゲメン

99 :考える名無しさん:2005/03/31(木) 18:45:57
野矢さんって哲学者にしては頭良すぎる希ガス

100 :考える名無しさん:2005/03/31(木) 19:07:54
明朗な性格だね

101 :考える名無しさん:2005/03/31(木) 19:17:40
孫正義と区別がつかない

102 :考える名無しさん:2005/03/31(木) 21:18:18
>>96
>『青色本』の著者やオースティン以前の著作なので,
>気づいていなかった

オースティンの理論は
フレーゲの力の理論の展開だった気がする。

103 :考える名無しさん:2005/03/31(木) 21:57:28
( ゚Д゚)<コノヒトノ本
( ゚Д゚)<おさるさんでも解るように書いてあるけえ結構スキ


104 :ローカルルール審議中:2005/03/31(木) 23:51:58
>>99
なぜそう思う?

105 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 19:25:08
だって自分で無能とかいってるけどめっちゃ切れ者じゃないすか〜

106 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/02(土) 00:08:13
野矢組は、常人並みの知識はあるかもしれんが、
そこらへんの学生よりも哲学史の知識が相当薄い。
なので、本筋の哲学史知ってる人間から見ると甘く思える。

107 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 01:44:16
> そこらへんの学生よりも哲学史の知識が相当薄い。

だって,野矢氏自身が「忘却力」を自慢にしている人だから.
それに,哲学の現場では哲学史は参考にしかならない.
数学や物理学をやるのに,数学史や物理学史を知っていることは,研究の深みをまし
えるので有用であるにしても,研究に必要ではないから.

108 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 01:45:18
>>102
オースティン自身についてはわたしはなんともいえないけど,サールは完全に
そのラインでオースティンを整理していたように思えます.

109 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 01:45:21
でもそれだと実は就職に超不利


110 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 20:12:30
野矢さんの絵本の内容をホントにわかってる人がどれだけいるんじゃいって話。

111 :ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 18:40:34
>>109
そもそも就職を優先する人は本郷にいくもの.
で,利口な人は本郷に籍をおいて駒場通いをしている.
駒場で進学しているのはほんとに哲学愛好家(と事情がよくわかってない人)だけがほとんどだよ.
中には,駒場に進学しても楽勝で就職できると自分の能力を評価している人(で実際に出来る人が
いる)もいるけどね.


112 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 19:19:30
>>102

クラフトの事がウィトゲンシュタインの念頭にあったら、フレーゲがいいだしっぺなんだし
多少でも言及していたんじゃないかな?  それを語りえぬものに入れるとしても

113 :考える名無しさん:2005/05/11(水) 03:09:39
ho

114 :考える名無しさん:2005/05/20(金) 19:33:48
タカムラさん萌えage

115 :考える名無しさん:2005/05/24(火) 19:10:46
>>114
ラッセリアンの??

116 :考える名無しさん:2005/05/25(水) 01:49:24
大リーグで投げてるやつか?

117 :考える名無しさん:2005/06/08(水) 10:42:30
いや中日

118 :考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:23:49
「哲学の謎」の最終章で自由の意味づけについて語られていますが、
ここをもっと掘り下げた書物って無いですか?

自由について図書館で調べて本を見ても、どうも野野さん視点の「自由」について、考察している本が無くて・・・

119 :考える名無しさん:2005/06/10(金) 21:38:22
野矢さんですね、すいません。

120 :考える名無しさん:2005/06/10(金) 22:27:50
 野矢茂樹最低。ガキだまし。教養もないし、この世代は死んで欲しい。

121 :考える名無しさん:2005/06/11(土) 01:15:10
「無限論の教室」は、野矢センセの選考を知らないで読んだから、
最後に「あっ!」と言わされることになった。良書。

122 :考える名無しさん:2005/06/11(土) 01:24:34
>>118
意志論より行為論で
『心と他者』か『哲学航海日誌』に進むのがまっとうでは?と.

123 :考える名無しさん:2005/06/11(土) 02:17:22
うーん、でも野野さん視点の自由の考え方ももっと掘り下げてみたいんですよね。

124 :考える名無しさん:2005/06/18(土) 05:51:35
>>123
哲学の謎の自由意志って物理的な事柄に対しての反論じゃないよね。
どちらかというと決定という意味を問題にしてかわしてる感じかな。
未来に何が起こるかは未来の現在に委ねられている故に自由みたいな。
突き詰めると現在も過去すらも何も確定できず、真の意味など無く
ある程度の幅を持つ意味に対して当座の解釈を行うのが人間。
てな具合に読み取れたんだけど。

125 :17:2005/06/19(日) 19:07:55
>>18
アドバイスありがとうございます

126 :17:2005/06/19(日) 19:08:41
>>21
アドバイスありがとうございます

127 :考える名無しさん:2005/06/28(火) 15:57:04
哲学の謎最終章で気になるところがありました。
野矢さんは、「腕を上げるという意志」が存在しない事を突いて、
そこの自由は無いとしていますが、
そもそも、意志とは、行為と切り離せないものだと思います。
つまり、行為の原因として意志があるのではなく、
原因とは結果に先行して、起こるものであると同時に、
原因は、常にその後に、全く同じ事象を起こすというものではないのではないでしょうか。

例えば、雨が降るという原因があっても、結果として、常に傘をさすといった事が起こらないように。
では、意志と行為の関係とは何でしょうか。
意志とは外的要因により起され、そして、行為が行われる。
(何もしないという事も行為とみなします)
ここは切り離せないものであり、切り離すこと自体が不可能だと思います。

私は10分後に、腕を上げるか、上げないかする、と言った時、その10分後が訪れるまでは、我々は未来について、自由を物語ることができるのです。
ですから、自由とは過去の語り方であると同時に未来への語り方でもある気がするのですがどう思いますか?

128 :しろうと ◆AUSirOutoE :2005/06/30(木) 01:10:40
>>84
現象主義的存在者がどういう論理形式を
現実と共有するかですね

>>96
むしろ還元できないもの(について語ること)を
ナンセンスと切り捨てる感じですね

>>107
「教養がなくってごめんなさい」ですね。でも学はあります
データベース型じゃなくてアルゴリズム型の人ですね

>>127
>切り離すこと自体が不可能 は本文中での「観点」の違い、
>過去の語り方であると同時に未来への語り方 は「虚構」の語りと同じ印象で、
野矢センセイとの違いが分からないです

>雨が降るという原因があっても、結果として、常に傘をさすといった事が起こらない
原因が結果と独立して存在するんですか。右が左から独立して単独で存在するみたいな


129 :しろうと ◆AUSirOutoE :2005/06/30(木) 01:11:46
論考の論理空間について言うと
コンピュータの世界を想定すると
ぴったりあてはまってわかりやすい

『哲学の謎』最終章の「自由」について言えば、やはりアスペクトですね
手を上げるか上げないかと、うさぎとあひるの図形は同じことに見えます


130 :考える名無しさん:2005/06/30(木) 01:16:13
行為、選択、表現、自由 などはすべて「意志の自由」を
前提としていますね。


131 :考える名無しさん:2005/06/30(木) 01:32:59
果して、行為、選択、表現、自由 は「意志の自由」か?。


しばし問う、その自由は無意識に縛られていないかね?。
ま、それが自由意志の範疇だな。

132 :考える名無しさん:2005/06/30(木) 02:07:28
>>131
意志の自由には様々な制約・障害があります。
必然の世界にはそんなものはありません。

133 :考える名無しさん:2005/07/16(土) 04:31:06
産業図書から新刊か。
しかもエッセイらしい。
『流れとよどみ』を思い出すな。

134 :考える名無しさん:2005/07/28(木) 00:17:06
( ゚Д゚) <いま読んじょるけど
( ゚Д゚) <なかなかたのしい
( ゚Д゚) <いろんな原稿の寄せ集めみたいじゃけえ
( ゚Д゚) <ある程度ほかのも読んじょらんにゃあ
( ゚Д゚) <話が通じにくいかなってとこもあるんやけど
( ゚Д゚) <
( ゚Д゚) <どうでもいいことやけど
( ゚Д゚) <フェルマーの予想(定理?)を
( ゚Д゚) <ゴールドバッハの予想といってるのは
( ゚Д゚) <野矢チャンの勘違い?
( ゚Д゚) <今読んだところまででも2箇所あるんやけど
( ゚Д゚) <でも論考を読むではちゃんとしてたのに

135 :考える名無しさん:2005/08/03(水) 09:48:11
新刊age
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4782801548/

136 :考える名無しさん:2005/09/18(日) 15:26:51
他者の声実在の声
野矢 茂樹 (著)

新刊の感想キボン

137 :考える名無しさん:2005/09/18(日) 23:58:32
こういう哲学エッセイはクワインクラスの大哲学者が年を取ってから余興で書くものだ。

138 :考える名無しさん:2005/10/07(金) 12:59:15
エッセイって・・・
「本格的論文集」?と何か本質的に差があるとも別に思えなかったが。
ゼノンのパラドックスにけりをつける、は最高でした。
こういう大問題がそう簡単に解決するはずがない、という
権威主義者は多いだろうけどね。哲学屋の世界には。

139 :考える名無しさん:2005/10/07(金) 13:26:31
さすがに権威主義じゃなくて論証で批判するだろ
大口叩いているのはむしろ野矢

140 :考える名無しさん:2005/10/07(金) 14:15:44
ほんとにけりをつけたなら 素人向けの雑文書いてないで Mind にでも Philosophical Review にでも投稿しろよ。

141 :しろうと ◆AUSirOutoE :2005/10/09(日) 13:54:47
>>135>>136
11の表題と同じ題の章が全体の縮図なので、
まずそこから読むと議論がわかりやすいでしょう。

『哲学航海日誌』が一番体系的で名著というところは揺るがなくて、
既刊の各テーマを丁寧に掘り下げた参考書という感じでしょうか。

アスペクト図式が出ないまま話題が既刊と重複してるので少し内容が薄いです。
が、論考の解釈やアキレスと亀論や廣松批判などは楽しめる内容になっています。

アキレスと亀が、パラドクスではなくモデルの話だというのは分かりやすいです。
自然数から偶数を抽出して、偶数が全て2で割れるから自然数も2で割れる!?


142 :しろうと ◆AUSirOutoE :2005/10/09(日) 14:12:48
本書のテーマは「意味の他者」です。

野矢は構成主義的立場を取り、
無限が起こすパラドクス(アキレスと亀)を解決しようとする一方で、
その生成が体系(科学・論考・廣松の論)に収まらないことも見ます。

意味の発信源たる他者と実在は、言語の生成(時間・未来)により現れます。
具体的な理論装置としては、論考の論理空間の生成を考えます。
ただ本書は未だ問題提起に止まっている印象です。問いは大事ですが。


143 :136じゃないけど:2005/10/11(火) 20:28:49
>>138,141,142
d

144 :考える名無しさん:2005/10/25(火) 22:41:37
10年間一国のトップとされる大学の教授をやっていて分析哲学専門と称していて Mind にも Journal of Philosophy にも Philosophical Review にも Philosophical Studies にも Analysis にも Synthese にも Philosophical Quarterly にも  
Journal of Philosophical Logic にも Philosophy and Phenomenological Research にも Nous にも Australasian Journal of Philosophy にも



145 :考える名無しさん:2005/10/28(金) 12:18:25
Philosophia にも Canadian Journal of Philosophy にも Philosophical Topics にも Erkenntnis にも Inquiry にも Monist にも Theoria にも

146 :考える名無しさん:2005/10/28(金) 13:23:50
おまえら頭だいじょうぶか?
『哲学航海日誌』(だっけ?)なんか特にネタぶちこみまくりんぐの大盤振る舞いだから
それ使うだけでもJournal of Philosophyに載せられるくらいの論文5,6本は軽々
書けるぞ。たぶんそうゆうことには興味ないんだろうけど。

147 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 00:07:48
Journal of Philosophy に5,6本載せられる力量があるのに、学部生や素人向けの本を書くことのほうに興味があるとは珍しい価値観ですね。

ミック・ジャガーやジョン・レノンのサインより五木ひろしや森進一のサインをありがたがるおばさんのメンタリティーに通じるものがありますね。

148 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 00:20:33
力量の評価もできない輩が価値観を云々するのは何に通じるんだかw

149 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 00:32:38
野矢先生マンセー

150 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 00:46:51
おまえに力量が無いのは分かったからどうでもいいよ

151 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 00:58:43
英語がろくに読めないバカばかりの国に生まれてよかったね、野矢さん。そういう連中相手に商売してるんだもんね。

152 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 01:24:45
はいはい
キャヴェルもパトナムもネーゲルもデネットもチャルマーズも、英語がろくに読める
バカばかり相手に商売してよかったね

153 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 04:56:10
野矢大先生マンセー!

154 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 10:50:19
学部生向け、素人向けに哲学を紹介することが悪いことであるはずがない。
彼らはオリジナルの論文や著書を読む力はないものの、知的な欲求や好奇心を持っているわけだから、
そういう需要を満たすものがあるということは、むしろ望ましいことだ。

問題は、一国における学術上の政治的ヒエラルキーのトップにいる者が、
そういう仕事をメインにしてしまう、ということだろう。本来そのような人間は、
(哲学であればMind なり Journal of Philosophy なりの)国際的に権威あるとされる
ジャーナルに載るレベルの仕事をすることを目指して努力すべきであり、
またそのことによって国内の同分野の研究者の間に高いレベルを目指す態度を醸成すべきであろう。

155 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 10:53:36
しかし、(政治的な意味で)アカデミズムのトップにいる者が、
素人向け仕事をメインにしてしまうと、素人向け仕事の分野で権威ができてしまい、
そのような仕事をしている者が評価される傾向が生じるので、
グローバル・スタンダードで仕事をしようという志向を阻害することになる。
問題はこの点なのだ。


156 :しろうと ◆AUSirOutoE :2005/10/29(土) 10:57:36
絵本はもういいとは思いますけどね

157 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 11:23:01
>>156
まさにお前のような読者ばかりになることが問題視されているんだが

158 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 11:32:11
>>155
素人向けの本は儲かりますから。まめにやってると家が建つよ。

159 :考える名無しさん:2005/10/29(土) 13:50:51
>>154-155
Mindやらでやられている権威的な哲学に対抗して、学部生、素人向けに本を書くのは
十分ありえることだと思うし、まっとうなことでもありうると思うけど。

160 :考える名無しさん:2005/10/30(日) 12:40:02
そういうのは、研究者向けと素人向けの両方で通用
してこそ言えることだろ
研究者にしか通じない「権威」を批判するのであれば
素人にしか通じない何かも批判してしかるべき

161 :考える名無しさん:2005/10/30(日) 14:25:42
真っ先に批判されるべきなのは「しろうと」さんということですね

162 :考える名無しさん:2005/10/30(日) 15:59:25
はいはいわろすわろす

163 :考える名無しさん:2005/10/30(日) 22:33:22
文才のある人が一般向けの本を書くのはイギリスだってアメリカだって普通にあることだろ。
「素人にしか通じない」とかゆってる奴は具体的にどこがダメなのかを言ってみればいいじゃんか。
構成主義が気に食わないとかいった素人くさい感想しかないなら別だけど。

164 :考える名無しさん:2005/10/30(日) 22:43:08
野矢たんがMindに載せれば納得するよ。

165 :考える名無しさん:2005/10/30(日) 23:18:40
意味不明な文章から何かバカの匂いがするんですけど
ピエさんっすか?


166 :考える名無しさん:2005/10/31(月) 00:18:02
きちがいカヨ

167 :考える名無しさん:2005/10/31(月) 02:26:58
> 文才のある人が一般向けの本を書くのはイギリスだってアメリカだって普通にあることだろ。

だからさ、そういう人達は一方で研究者としてちゃんと学術雑誌に
論文出したうえでやってるんでしょ、イギリスやアメリカでは。

168 :考える名無しさん:2005/10/31(月) 13:32:50
イギリスやアメリカにはおまいらのようなアホは存在しないから安心しろ

169 :考える名無しさん:2005/10/31(月) 13:37:38
野矢大先生マンセ〜〜〜!!!

170 :考える名無しさん:2005/10/31(月) 14:04:31
何これ?釣り?

171 :考える名無しさん:2005/11/01(火) 05:39:54
海外の人間は最高!
日本と違って一人もヘタレも居ないからね

172 :考える名無しさん:2005/11/01(火) 21:38:50
というわけで、今後三年間以内に144で言及されているジャーナルに三本以上論文を載せることが野矢先生のノルマとなりました。

ノルマ達成失敗の場合には

173 :考える名無しさん:2005/11/02(水) 10:36:20
そういう意味では同世代の秋葉さんこそが最強だろーな。

174 : :2005/11/03(木) 17:00:36
>>134
「フェルマーの予想(定理?)をゴールドバッハの予想といってる」
 ↑
そうそう。
このこと、ググっても誰もあまり指摘していないみたいだけど、なんでだろ?

175 :考える名無しさん:2005/11/03(木) 18:15:22
野失茂樹先生と黒木玄先生、どっちがエライ?

176 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 03:55:16
>>174
結局、読者がろくに数学の知識が無いからでしょ。
極限分かってないし。どうやっても0.9999999…=1なんだけどね。ハァ..
この人の数学議論で分かった気になるのは不味いね。
ゲーデルとか、無限とか。お話にならない。
直観主義も誤解してるし。最近ではこの、野矢流の直観主義を
真面目に信じて吹聴してる輩が多くて笑える。

177 :はあ?:2005/11/09(水) 06:17:15
0.9999999…=1
定まらない数が定まった数と等しい?
あからさまな矛盾だろうよ。w

元々認識自体が相対的だからこの論理が数学で成立するだけだよ。
数学がこのことを宣言すれば良いだけなんだけど、そのことは理解していないからね。

大工は道具は使えても道具がどう出来たかを知らない。
数学者は数がどんなものかはわからないが、巧みに使いこなせる。
名工、ヘボ大工を問わず道具そのものはわかっていない。

野矢さんの疑問も数学者の理解も区別と連関がわかっていないだけだよ。

178 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 06:26:44
オイラー流の証明は、実は1=0も証明してしまうとある数学科卒の人間が式を示していたな。

179 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 06:43:07
>>176
「君は実無限派。私は可能無限派。」


と作中で両者を相対化出来る人だからそこまでひどいとは思わん。

180 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 08:05:55
>>176は極限しか分かってないんだろ

181 :はあ?:2005/11/09(水) 08:36:55
けっきょく学問の基礎そのものは未だわからないんだよ。
それを完成したがごとく理解している人間が多い。
数学もまたその基礎はわからないんだよ。

182 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 09:50:41
そもそも値が定まらない数ということ自体が(ry

183 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 12:08:07
数学基礎論は数学で数学の哲学は哲学なの?

184 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 13:16:57
>ゲーデルとか、無限とか。お話にならない。

現在の学問の水準では「お話にならない」かどうかもわからないんだがね。w


185 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 17:45:30
>>176は数学を少しばかり齧ってわかったつもりのバカ、ということですか。ハハッ

186 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 21:25:50
数学の知識があっても、肝心の数学という学問自体がはたしてどうか、ということなんだけどねぇ・・・

187 :考える名無しさん:2005/11/09(水) 21:33:55
>真面目に信じて吹聴してる輩が多くて笑える。

数学者流の主張を鵜呑みにして吹聴してる輩が・・・ www

188 :はあ?:2005/11/10(木) 07:22:01
>>182
>そもそも値が定まらない数ということ自体が(ry

数が自然に存在するとしたら値が定まらない数というのはおかしい。
数は相対的であることを本質とする認識に必要な観念的存在に過ぎない。
相対的だからこそ、値が定まらなくても認識できれば数とする。
虚数なんて典型的で、こんな数が存在するわけではないがこの数を仮定すると認識可能になる場合がある。
認識できればなんでもアリ、ということに過ぎない。
そのうちにルールを決めてその中で無矛盾ならばOKというふうに発展していく。
いわば学問の小説のようなもんだろう。
文学と違ってルールが厳密で論理的整合性を求められる、ということだ。
文学はある程度の破綻というか瑕疵は認められる。
以前あるところでポーの推理小説の説明の矛盾を指摘していたのがあったし、トリックとか毒殺手段の荒唐無稽性を指摘した本もある。
そのかわり時代とともに飽きられたら小説の価値は滅びる。
しかし数学は論理的整合性があれば人間が文化を形成している限り滅びない。

話が逸れたが、いずれにしても数そのものは認識の相対性に基づくから1=0.999・・・が成立しているだけだ。
たしかにおかしいのだが、元々相対的な認識には十分だし、また厳正さは望むべくも無い。


189 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 13:01:11
十分かな

190 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 16:02:47
>>176
>定まらない数が定まった数と等しい?
>あからさまな矛盾だろうよ。w
という批判に答えるべきだと思うのですが。

191 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 21:37:41
>>176、早く答えろよ、ボケ、www

192 :考える名無しさん:2005/11/11(金) 22:30:30
>>176さんはまだお勉強中ですので答えることはできません。
いつ答えるられるかは不明デツ。
一生できないかもしれませんが、カンベンしてやってください。
後世の人がやってくれるかもしれません。
一から十まで人頼みの176さんデツ www

193 :考える名無しさん:2005/11/17(木) 00:39:44
age

194 :考える名無しさん:2005/11/17(木) 00:43:32
この人の興味の対象はその筋では重要なものなのかも知れないが、
人間にとって重要なものとは思えない。

195 :考える名無しさん:2005/11/17(木) 01:01:27
分析哲学ってそんなのばっかりだよ
特に日本では知的パズルに陥っている

196 :しろうと ◆AUSirOutoE :2005/11/17(木) 01:47:21
野矢先生の本はパズルではありません

197 :考える名無しさん:2005/11/17(木) 02:07:58
パズルだろ
社会の事柄と哲学を切り離すばかりだ
米国の分析哲学は決してそんなことはない

198 :考える名無しさん:2005/11/17(木) 02:09:24
なんだか分哲って択一刑法みたいなもんなんだな。
択一刑法のパズル化って分哲の影響なんだろうか?

199 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 05:27:45
>>177
176ではないが・・・

野矢さんもあなたも分かってないことは、

0.999・・・の現在の数学での説明だ。といっても高校の数学IIIで
やる程度なのだが。

つまり、0.999・・・の意味は、数列

0.9, 0.99, 0.999,・・・・

の”近づき先”という意味なのだ。("・・・"という記号が気になるのなら
次々に後ろに9を付け加えて行くと考えれば良い)
可能無限の立場でも、これが1になることは分かるだろう。
野矢サンもあなたも、数学を批判するなら、数学における標準的見解を知る必要がある。数学者の見解だと勝手に妄想したものを批判するのは
トンデモさんのすることだ。

野矢サンは先生のO森サンから変なウィルスをもらったんだろうな(w



200 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 05:34:01
”近づき先”であり1ではない。

201 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 05:36:17
>次々に後ろに9を付け加えて行くと考えれば良い
1は1であり、それ以外の数ではない。

202 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 05:41:30
数学者の言うとおりに考えてみる。
数には大きさが無いから、大きさの無いものを幾ら集めても大きさが無い。
0+0+0+0+0+・・・=0

数とは何か?という問題なんだけどね。

203 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 05:51:04
ゼノンの逆説は、世界は数で出来ているのか、いないのか、という論争過程でできただけ。
仮に空間と時間に最小単位が出来ているとする。
競技場の逆説では、最小単位の半分があることを証明してみせる。
ピタゴラス派は数には大きさが無いと反駁する。
アキレスと亀、二分の一の逆説で、数に大きさが無く、空間と時間が数で出来ているのなら、踏破できないことを証明してみせる。
なぜなら無限を<現実>には踏破することはできないから。
<現実>において無限を数え上げることができるのなら、<現実>に数え上げてくれ。
そして飛ぶ矢の逆説では、空間が点で構成されているのなら運動は不可能であることを示している。

つまり自然は数で出来ているわけではない、ということを証明したのがゼノンの逆説。
では数とは何か?

204 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 05:52:21
>仮に空間と時間に最小単位が出来ているとする。

→仮に空間と時間に最小単位で出来ているとする。

205 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 06:03:43
>>200-203まではとにかく

数そのものの理解は自然と数の関係を理解しなければ解決がつかない。

野矢先生はアキレスが亀を追い抜いたときの最後の数は偶数か奇数か、と書いている。
一歩・・・・無限の数の歩数で追い抜く。
では追い抜いた時の最後の数は偶数か奇数か。

206 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 06:36:18
けっきょく自然は数では出来てはいないが、数で理解しなければならない。
認識が相対的なのはこういう事情だからだ。
絶対座標が実在しない、ということは次元も実在しないことを意味する。
わたしという存在は次元で理解するが次元で出来ているわけではない。

数はあくまでも理解するための観念的存在でしかない。
そして理解が相対的にしか成立しないからこそ数学の中で1=0.999・・・という論理が成立するだけだ。

207 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 10:01:31
値が定まった数が定まらない数と等しいはずが無い。
0.999・・・が値が定まっているなんてこたあ聞いたことが無い。

>次々に後ろに9を付け加えて行くと考えれば良い
定まっているのなら、次々と後ろに9を付け加える必要は無い。
つまり定まっていない。

数は自然において存在するわけではない。
そして認識の相対性ということを前提にすれば、限りなく0に近いが0でない、ということが認識上役に立ち、そして認識の中では正しいことになる。
つまり1=0.999・・・は認識の中で成立するだけだ。

208 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 10:16:27
> >次々に後ろに9を付け加えて行くと考えれば良い
> 定まっているのなら、次々と後ろに9を付け加える必要は無い。
> つまり定まっていない。

次々と後ろに9を付け加えるということが定まっているんですけど。

209 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 10:18:01
だって、数というのは「言葉」だろう。
自然が言葉でできていないのは、当然ではないだろうか。
聖書的な考え方(の源流がピタゴラスなのか?)をしない限りは。


210 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 12:37:37
>だって、数というのは「言葉」だろう。
>自然が言葉でできていないのは、当然ではないだろうか。

もちろんそうですね。
しかし言葉の成立は自然との関係とは無関係ではないですよね。
言葉は自然そのものではありえないが、自然とまったく無関係ではない。
では数とはどういう関係にあるのか、ということです。

>>208
値そのものは定まっていない。
根本的に大きさが無いなら、いくら集まっても大きさが無いはず。
1そのものにも大きさがなく、0.999・・・にも大きさが無い。
1が値0なら0.999・・・も値0で1=0.999・・は正解。
しかしこの論理なら1=100000000000000、また9、いや1000、いやどんな数でも等しい。 笑

数は約束事の世界の論理。
1=0.999・・・にしましょうね、ということ。

211 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 12:41:36
> 根本的に大きさが無いなら、いくら集まっても大きさが無いはず。
> 1そのものにも大きさがなく、0.999・・・にも大きさが無い。
> 1が値0なら0.999・・・も値0で1=0.999・・は正解。
> しかしこの論理なら1=100000000000000、また9、いや1000、いやどんな数でも等しい。 笑

確かに失笑ものですね

212 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 12:52:17
次々と後ろに9を付け加えるということが定まっている
のは値が定まっているからこそなんだよね。
値が定まっていないのならばそこへ向かう道筋も
定まっていないのでなければならん。

お前の家へ向かう道筋が決まっているのは
お前の家の座標が固定されているからだろう?
「お前の家へ近づいていくことができる」ということが
お前の家の座標が定まっていないことを意味するか?

213 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:27:15
>お前の家の座標が定まっていないことを意味するか?

あうっ・・・
現実と数の関係、という議論の前提がわかっていないようです。

少し時間を置きましょう。

214 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:37:11
おく必要はないよ。
そんな前提をたてるかたてないかにかかわらず
お前の論理が破綻しているのを指摘しただけだから。

215 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:37:50
現実には座標なんてのは無いんですが・・・

216 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:39:24
座標が実在すると主張するのなら、わたしは引っ込みます。

・・・特殊相対性理論が否定されるのですから。

217 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:39:45
いいんだよ、論理が破綻してるかどうかは
そんなことと無関係なんだから。

218 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:40:31
395 :考える名無しさん :2005/11/26(土) 14:49:49
携帯からごめんス。あのシェファーの棒記号なんだけど、野矢訳論考と野矢作論理学で違っちゃってるのはどしてなの?


219 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:41:42
それと、座標が実在するかどうかと
相対論はさほど関係ない。いい加減なことばかり言うな。

220 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:42:00
>お前の家の座標が固定されているからだろう?

認識するには固定されることが<必要>ですが、それは座標が現実に存在することを意味しないのです。

221 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:42:48
>相対論はさほど関係ない。

さほど、ですか。笑

222 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:44:28
破綻していることは証明されてませんよ。笑

もう少し冷静になりなさいよ。
数と現実の関係が前提です。

ではでは。

223 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:45:32
論理の破綻云々を相対論を持ち出して逃げを打つ人間には
何を証明しても無駄だろう。論理の何たるかがまったく
わかっていないのだからな。

224 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:47:09
>>221
相対論が成立した歴史的経緯と
時間空間の実在論とは関連があった。
そこの歴史的な格闘には経緯を表するが、
しかし座標の実在と相対論とは完全に
両立する。
お前が間違っていることには変わりないんだよ。

225 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 13:47:33
ロースクール適性対策のトップが野矢先生らしいのですが、
適性試験に役立つ著書は何があるでしょうか?

論理トレーニング、同101題はメジャーですが


大学入試センター-平成17年度法科大学院適性試験実施結果
http://www.dnc.ac.jp/houka/17/result.html

試験問題
http://www.dnc.ac.jp/houka/17/result_honq.html

利用著作物一覧
http://www.dnc.ac.jp/houka/17/pdf/kekka.pdf


226 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 14:51:20
>>224

ぷっ

227 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 15:56:15
断末魔乙

228 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 17:42:10
>お前の家の座標が固定されているからだろう?
>お前の家の座標が固定されているからだろう?
>お前の家の座標が固定されているからだろう?
>お前の家の座標が固定されているからだろう?
>お前の家の座標が固定されているからだろう?

www

229 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 20:39:25
<座標>が<現実>に固定されているわけではない。
自然は運動している。
座標原点が自然に存在したら、自然は無矛盾たりえなくなる。
静止、つまり運動の否定と運動が存在することになる。

光速度一定の法則は自然が無矛盾であることを保証する。
そしてゼロ次元、大きさのない点もまた実在しないことを意味する。
大きさの無いものをいくら集めても大きさ形成するわけではない。
自然は次元で説明されるが、次元そのものでできているわけではない。

自然はただただ運動しているだけです。
そして自然を理解するために、仮に、と座標原点を設定して運動量として理解する。

わたしたちはそのまま自然を認識できるわけではない。
数学は約束事の世界だ。

230 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 20:42:31
>大きさの無いものをいくら集めても大きさ形成するわけではない。
→大きさの無いものをいくら集めても大きさを形成するわけではない。

231 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 20:44:15
>>229
座標が現実に存在しなくたって

> そして自然を理解するために、仮に、と座標原点を設定して運動量として理解する

ことができるだけでも俺の指摘は有効なんだけど?

232 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 20:44:53
>>229
座標が現実に存在しなくたって

> そして自然を理解するために、仮に、と座標原点を設定して運動量として理解する

ことが可能であるというただそれだけの前提でも俺の指摘は有効なんだけど?

233 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 20:52:38
座標がそんなに嫌いで、特殊相対論なんて持ち出すくらいなら

> お前の家へ向かう道筋が決まっているのは
> お前の家の世界線が定まっているからだろう?
> 「お前の家へ近づいていくことができる」ということが
> お前の家の世界線が定まっていないことを意味するか?

と置き換えてやってもいいけど?
それでも俺の指摘は相変わらず有効だよ。

234 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 20:59:37
そもそも>>212は前半部のほうが本題に即した論点で、
後半の家の話は>>210の論理が通らないことを例証する
数々ある反例のうちのたった1つに過ぎないので、
座標と相対論がどうとか頭の悪い逃げをうたれても
つまらない以前にまったく意味がないんだけど。

235 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 21:00:54
現実に定まっているというのならそれは明らかな間違い。

どうやら特殊相対性理論を理解していないようだから、議論は成立しない。
諦めるよ。

236 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 21:04:18
だから現実にどうかは関係ないって
>>232を読んでもまだわかんねえの?
論理の話をしてるんだよ馬鹿が。
野矢の論理の本でいいからちょっとでも読んでみろよ。

237 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 21:06:10
オレのは物理学専攻で大学院生らとの議論の積み重ねの結果でね。
ああ、数学科を専攻しているのも交えて議論したもので、彼らは賛成はしないまでも否定できないことは認めている。

基礎的なことはわからないようだから、何を話しても無駄なようだな。www

238 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 21:14:25
> オレのは物理学専攻で大学院生らとの議論の積み重ねの結果でね。
> ああ、数学科を専攻しているのも交えて議論したもので、

へーえ。変な日本語で理系のふり?
俺も数理物理専攻とは行かないまでも
特殊相対論くらいはできなくもない数学の大学院生なんだがな。
じゃ、特殊相対論の話でもしようか?

239 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 21:17:15
> 彼らは賛成はしないまでも否定できないことは認めている。

要するに、物理板や数学板に行って妄想哲学スレを立てて
自分の誤りを絶対認めず逆毛で煽りまくっていたらとうとう
「お前につける薬はないよ」と言われた、って意味かね?

240 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 21:28:14
> 光速度一定の法則は自然が無矛盾であることを保証する。

そんなこと言われて「ハァ?」って言わない物理学の学生がいたら見てみたいな。

> 大きさの無いものをいくら集めても大きさ形成するわけではない。

数学の学生なら学部生でもそこで当然測度論を持ち出すものなんだが
お前の「数学科を専攻しているのも交えて」の「議論」じゃ何て答えたんだよ?

241 :199:2005/12/04(日) 10:08:42
おかしな人は一人なのか、何人もいるのか?
いずれにせよ、スレガ活性化して結構なことだ(w

ちょっとジョークを一つ・・・

0.9999・・・<1という人は隠れた実無限派のような気がする
1メートルの間隔を、最初90センチ、次に9センチ、9ミリ
とそれぞれ前回の10分の1になるようにペンキで塗りつぶす。
そこで”いつかは塗りつぶされる部分の全体”を考える。これは
0.9999・・・に対応する、半開区間 [0,1)だ。一方 1は閉区間
[1,0]に対応する。前者は後者の真部分集合なので、
0.999・・・<1だ。

もちろん数と集合は別ものなので、この議論は間違いで
ジョークにしかならないのだがね

242 :考える名無しさん:2005/12/04(日) 14:44:37
どこを笑えばいいのかな。
普通デデキントの切断では最大元をもたない集合をとるのに
勝手に[0,1]を1と対応させてるところだろうか。

243 :199:2005/12/05(月) 20:53:24
>>242
一応親切に言って上げるけど、最大元のない集合は
半開区間[0,1)というつもりだよね

244 :199:2005/12/05(月) 21:40:48
>>242
すまん、勘違い。
ていうか、ここで全然関係ない切断の話を持ち出たりして、間違えたじゃないか(w

242=200
と思って話してるんだけど
0.999・・・=1は、数の極限の話、コーシーあたりで9世紀前半には
問題なくなったはず。切断は知ってのとおりデデキンドで19世紀後半

このへんは○森(これじゃ仮名にならんなw)さんも誤解している。

数の極限値は、有理数(議論になってるのは1)に収束する場合でよければ可能無限の話


おなじ無限小数でも
0.101001000100001・・・(1の間の0の個数がひとつずつ増えて行く無限小数)
という数が存在するか?

ということなら実数論で、まともな数学の哲学の話になるのだが

1=0.999・・・
(アキレスと亀も同じなのだが)
今どき問題にするのは、
 @高校数学さえあやふやな
 Aごく一部の
 Bウィトゲンシュタインウィルスに感染した
C日本の分析哲学者だけだと思うのだが?


哲学者でもまともな見解を持ってる例は、セインズブリー”パラドックスの哲学”などにある。

245 :考える名無しさん:2005/12/05(月) 21:45:36
超準解析的に説明キボンヌ

246 :199:2005/12/05(月) 22:28:07
>>超準解析的に説明キボンヌ

超順解析はよく知りません。
ただ、標準的な数学で正しいことは、超準解析でも正しいはずなの
1=0.9999・・・になると思う。

1より無限小だけ小さい数というのはあるけど、それを0.999・・・とは
いわないと思う。普通の数学と違ったら困るでしょ

その前に199で言っていたことは理解できた?

247 :199:2005/12/05(月) 22:41:27
補足

1に対応するデデキンドの切断は2種類あって

@ A={x;x<1}とB={x;x<=1}の組

A A'={x;x<=1}とB'={x;x<1}の組

1=0.999・・・ ”なので”
1のかわりに0.999・・・と書いても同じ




248 :199:2005/12/05(月) 23:42:44
補足の補足(w

この二つの切断は同一視する(正確には切断全体の集合に同値関係を入れる)
つまり両方とも1を表す

249 :考える名無しさん:2005/12/05(月) 23:47:10
ばーか

250 :考える名無しさん:2005/12/06(火) 00:00:01
>>199
1=0.9999・・・っていうのは高校数学での話じゃないの?
高校での極限や無限の扱いかたっていい加減らしいから、
それに基づいた説明をしてもなんだかなあと思います。

>可能無限の立場でも、これが1になることは分かるだろう。
1に無限に近づくが、1とは別の数じゃないの。
あるいは、1≠0.9999・・・だが、1との差は無限小というか。

251 :199:2005/12/06(火) 01:25:59
いや、高校数学の考え方で本質的には正しい。高校では、数列 {a_n}の極限値を、限りなく近づく値と定義する。
全く一般の数列に対してはそもそもその”値”が存在するかどうかが問題だけど高校で実際に扱うのは、有理数になる場合だけだから、
もちろん存在する。今の問題では値1だ。(一般の数列の場合数列の項だけで収束を定義する基本列と言うのがあって・・・と言う話は直接関係ないのでとりあえず省略。)
厳密な大学の数学では、”限りなく近づく”という部分をイプシロン法で言い換えるだけ。

つまり、数列{a_n}が値aに収束するとは、

  任意に与えられた(小さな)正の数Eに対して
  ある(大きな)正の数Nが存在して、 整数nがn>=Nを満たせば
    |a_n-a |<E となること、

と定義する。(ギリシャ文字が使えないのでEと書iいた)



252 :199:2005/12/06(火) 01:26:26
続き

しかし 0.9, 0.99, 0.999,....という数列が 1に収束するのを示すには

   |1−0.(の後ろに9がn個)|=1/10^n   (#)

なので、上のようなNを見つけるのは簡単だからこれは明らかと言っていいだろう。

それから、0.99・・・の意味は、無限級数

 0.9+0.09+0.009+・・・

で定義するのだが、そもそも無限級数 b_1+b_2+・・・の意味は部分和 s_n=b_1+・・・+b_n をまず定義して、次に数列{s_n}の極限値として定める。ここは高校の教科書にちゃんと書いてあるはず。

この場合、部分和は数列 {0.9、0.99、0.999、・・・}になるから(#)のとおり極限値は1。だから0.999・・・は厳密に1になる。

無限小という語は、少なくともこういう文脈では、数学の用語ではない超準解析を持ち出す前に、これくらいは理解してほしい。


>>249=200?
がついに負けを認めて、くやしまぎれに自己言及をはじめたかなw
別人ならスマソ

253 :199:2005/12/06(火) 01:30:05
>>無限小という語は、少なくともこういう文脈では、数学の用語ではない超準解析を持ち出す前に



無限小という語は、少なくともこういう文脈では、数学の用語ではない。 超準解析を持ち出す前に

の間違い。


254 :考える名無しさん:2005/12/06(火) 01:37:39
高校数学での「無限に大きくする」とか「無限に小さくする」がいいかげんだから、
イプシロン-デルタ(とか超準解析)があるんじゃなかったっけ。
>>252
>この場合、部分和は数列 {0.9、0.99、0.999、・・・}になるから(#)のとおり極限値は1。
これはいいけど、
>だから0.999・・・は厳密に1になる。
これは嘘でしょ。やはり無限小だけの差がある。
>>253
>無限小という語は、少なくともこういう文脈では、数学の用語ではない。 
そういうふうに考えれば、何も問題は無いと思います。
ただし>>252で「厳密に1になる」と書いた手前、やや強弁に聞こえますけど-;)

255 :考える名無しさん:2005/12/06(火) 02:14:06
>>241に対する疑問があるんだ。

>これは
>0.9999・・・に対応する、半開区間 [0,1)だ。一方 1は閉区間
>[1,0]に対応する。前者は後者の真部分集合なので、
>0.999・・・<1だ。

とあるのは正しいのかなあ? というのが、
半開区間 [0,1)に属するどんな実数xをとっても、
x<0.999……
だから
¬0.999…… ∈ [0,1)
のような気がするんだが。したがって
0.9999=1
つまり、いつか塗りつぶされる全体というのは、
やっぱり1になるんじゃないの?

256 :255:2005/12/06(火) 02:16:55
255の下から3行目はもちろんwww
 0.9999……=1
の間違いでありますwww


257 :242:2005/12/06(火) 05:23:50
>>244
いや、本気で、きみのジョークのどこが笑うところなのか
わからないのよ。別に

> 0.999・・・=1は、数の極限の話、コーシーあたりで9世紀前半には
> 問題なくなったはず。切断は知ってのとおりデデキンドで19世紀後半
> このへんは○森(これじゃ仮名にならんなw)さんも誤解している。

とかいう以前の話なんだけど。
そもそも数を集合と対応づけるのはきみが持ち出したことで、
そのジョークのオチを読みとろうとあれこれ考えた結果が
「切断とかけてるのかな?」だったので、別にコーシーと
デデキントを誤解してるわけではないよ。
実数と集合を対応づけるときは
・[0,a)と[0,a]のどちらかだけをとる
・[0,a)と[0,a]を同一視する
のどちらかの方法をとるのはごくごく自明のことで、これを
しないでいきなり

> 0.9999・・・に対応する、半開区間 [0,1)だ。一方 1は閉区間
> [1,0]に対応する。

なんていうものだから、「0除算で1=2を証明」と同じ路線の
ジョークなのかなと考えたわけ。

258 :199:2005/12/06(火) 19:35:58
>>257

別に無理に笑ってもらわなくても良いんだが(笑)

まともに切断などで対応づけたら、それは通常の数学だから
0.999・・・=1になるに決まっているだろう。
ただ、”端までペンキを塗った区間”と有限小数を対応づけるのは
一応もっともらしくない?そして、不等号を真部分集合
と解釈するところも。あとは集合論の無限和を使うと
正しくない式が証明?されるのが笑うところかな?

>>255
>とあるのは正しいのかなあ? というのが、
半開区間 [0,1)に属するどんな実数xをとっても、
x<0.999……
だから
¬0.999…… ∈ [0,1)

これは、区間で数を解釈するというもともと無理な仮定をした
ジョークなので、通常の解釈を混ぜてはいけない。

>つまり、いつか塗りつぶされる全体というのは、
やっぱり1になるんじゃないの?

いつか塗りつぶされるとは、もちろん有限ステップ後にということ。
(さすがに無限ステップなどというむちゃな言い方はしていない)
[0,0.9・・・(9がn個)・・9]という閉区間全部の和集合なので、1は
入らない。

259 :199:2005/12/06(火) 20:20:15
>この場合、部分和は数列 {0.9、0.99、0.999、・・・}になるから(#)のとおり極限値は1。
これはいいけど

それを認めるのなら252に

そもそも無限級数 b_1+b_2+・・・の意味は部分和 s_n=b_1+・・・+b_n をまず定義して、次に数列{s_n}の極限値として定める。ここは高校の教科書にちゃんと書いてあるはず

とあるので、当然定義によって

0.9+0.99+・・・(=0.999・・・)=1

となるのはわからない?

部分和の極限値をもって無限級数の和と定義するのは、19世紀前半に確立された考え方で
大げさに言えば、解析学の全体がその上に成り立っている、今でも標準的な立場。

無限和が、なんらかの定義以前に意味を持つと言うある意味で自然な考え方が、
多くの矛盾や混乱を招いた。それに対する反省として、こういう考え方が生まれた。

高校数学を強調したのでかえって誤解を招いたかもしれないが、高校数学”でも”、もちろん
それ以上の数学でもここは変わらない。

260 :考える名無しさん:2005/12/07(水) 00:14:27
0.999・・・が1に「限りなく近づく」のは>>251にもあるけど、
「限りなく近づく」だけで、ぴったり1にはならないんじゃないの。

同じことだけど、任意の正数Eに対して、n>=Nであれば
|1−0.(の後ろに9がn個)|=1/10^n <E
が成り立つようなNが存在する。
でも、だからといって1/10^nはぴったり0にはならない。
n>=Nのときでも1/10^nがぴったり0になるわけではない。
Nを無限に大きくしても、1/10^nは無限小にはなるけど、0にはならないよ。

261 :考える名無しさん:2005/12/07(水) 00:20:38
こんにちはぼく松本真吾よろしくね

262 :考える名無しさん:2005/12/07(水) 00:56:36
自己レスだけど、
ttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=168199
を見たら、ふつうの解析学だと0.999・・=1みたいです。
ふつうの解析学って、イプシロン-デルタのことだと思うけど、
その場合は「限りなく1に近づく」は「1と同じ」とみなすということかな。

で、>>260みたいに無限小を直接扱うのは超準解析の話みたいです。
nを無限大の超実数とすると、1/10^n≠1だけど、1との差は無限小だと。
あれ?すると「限りなく1に近い」けど「1とは違う」ということになるの?

なんかふつうの解析と超準解析で言ってることが違うような気がするんだけど。
そのあたり、どうなってんの?>識者。

263 :考える名無しさん:2005/12/07(水) 01:17:43
通りすがりの無学者です。
議論がヒートアップしてる中、ヨコスレすまんが

今議論してる事って数学的には0,999・・・が1であるということ?
それとも現実的にも0,999・・・は1であるということなの?

264 :考える名無しさん:2005/12/07(水) 21:09:58
ここは野矢茂樹スレなので、ひとつ問題のウィトゲンシュタイン的解決をwww
「1=0.999……」に否定的な人でも、「1/3=0.3333……」は
ほとんどの人が認めると思う。実際、1を3で割ったら0.3333……になるじゃない。
しかし、「1/3=0.3333……」の両辺に3をかければ、
「1/3×3=1」であり、「0.3333……×3=0.9999……」なので、
「1=0.999……」が出てしまう。
これはつまり、少数という数の表記法に欠陥(バグ)があって、
ある種の計算結果や数を表記しようと思ったら、は無限ループが起きてしまうため、
「1=0.9999……」のような一見奇妙に見える事態が起きるのだ。
すなわち、この問題は、言語使用の混乱に由来する疑似問題にすぎないのである。
ああ、なんてウィトゲンシュタイン的……www

265 :199:2005/12/07(水) 21:43:26
>>264
いや、0.333・・・は1/3に限りなく近いけど、無限小異なるとか言われそうだけど(w

>>263
現実に、とはどういう意味かな?数式や数を使った時点で数学の話になると思うけど。

>>262
限りなく近づくのは数列の各項、極限値は近づく目標値、だから厳密に1

超準解析の本をちょっと見たら、0.999・・・を超実数と見れば、
野矢サンのような解釈もできるような気がしてきた。まあ普通の解釈ではないだろうが

266 :考える名無しさん:2005/12/07(水) 21:44:51
で?

267 :考える名無しさん:2005/12/07(水) 21:48:04
ぼけ。超準解析の「超実数」は本当に無限大や無限小を数として存在を認める実在論だ。

野矢氏の荷担する直観主義はそういう数の存在を認めない数学版観念論なんだから全然逆だ。

268 :199:2005/12/07(水) 21:57:23
>>267
ボケはお前だ・・・・wwwww
野矢(やウィト)はそのままではDQNすぎて話にならないから
わざわざ使いたくもない実無限を使ってまで合理的解釈を
して上げてるのに・・・

269 :考える名無しさん:2005/12/07(水) 21:59:40
直感で数を把握できる人は天才である。


270 :199:2005/12/07(水) 22:33:33
>>267
興奮してずれたレスをしてしまった(w

でも今は、実在論と対になるのは観念論じゃなく唯名論じゃなかったっけ?

で、268で言いたかったのは、野矢氏は自分が可能無限の立場だと主張するけれども
むしろ実無限を密輸入していると言う印象を受けた。

超準解析が実在論というのも疑問がある。超準解析は数学で、バックグラウンドにどういう
哲学的立場をとっているかにかかわらない。第一、創始者のロビンソンは形式主義者で
これは唯名論に近いんじゃないか?

271 :267:2005/12/07(水) 22:46:33
>超準解析が実在論というのも疑問がある。

 じゃ何だよ。「超実数」てのはどういう存在なんだよ。

>創始者のロビンソンは形式主義者でこれは唯名論に近いんじゃないか?

 別に近くない。「形式主義者 兼 実在論者」なんて数学者山ほどいる(いた)

 ヒルベルトの助手だったベルナイス(もちろん形式主義者)の「数学におけるプラトニズム」っていう有名な実在論擁護の論文読んだことないのか?
 それでよく形式主義と実在論の関係について語れるな。

272 :199:2005/12/07(水) 22:47:42
独占して申し訳ないが、もうちょっと書かせてもらう。

超準解析は確かに実在論的に見えるかもしれない。しかし、non-standardとは
公理系をみたす、異なる実在を認める立場だ。要するに、形式論理的に同じくらいの確実さならば
その意味合いがどうであれ、使えるものは何でも使うのじゃないか?

ああ、ちょっと酔っ払ってるので変なことを言ってるかも・・・

超準解析と実無限とは関係ないかもしれない(w

273 :199:2005/12/07(水) 22:56:29
ふむ、俺はロジックは勉強したことないのでボロが出てきた・・・(泣

ちなみにベルナイスの論文は翻訳あるの?ドイツ語を読むほどの暇はないのでね

でもそんなにロジックに強いヒトがなぜ野矢さんの立場を支持できるのか、謎だ・・・

直観主義でも具体的な級数の無限和は議論できるはずで、当然

0.9999・・・・=1になると思うんだけど。



274 :267:2005/12/07(水) 23:04:56
>ちなみにベルナイスの論文は翻訳あるの

 ない、と思う。でも英訳はよくアンソロジーに収録されてる。
 おれは別に野矢氏の立場を支持してない、かつ数学や論理学に強いわけでもない。
 それでも「実在論と形式主義が相容れない」なんて誤解を指摘するぐらいはできる。

275 :199:2005/12/07(水) 23:10:06
苦手なところからは逃げるにしかず(w

で、極限値と数列の各項を混同している人が多いので思いついたたとえ話を・・・

Aちゃん(女)とB君(男)がデートをした。B君が先に来て、どこでもいいが、例えば渋谷ハチ公前で待っているとする。
この場所が1だ。そこへ遅れてきたAちゃんがB君を見つけて近づいてくる。これが0.9、0.99、・・・とだんだん近づく。
そこで勘違いしている人たちは、Aちゃんのことを0.9999・・・だと思っているのだが、数学で言う極限値とは
ハチ公のある場所”1”のことを指している。気に入ろうが気に入るまいがそういう約束事なのだからしょうがない。

276 :199:2005/12/07(水) 23:15:27
>>274
ついでに聞くけど、ヒルベルトは実在論者だったんだろうか?


277 :267:2005/12/08(木) 00:25:46
調べてみ。ヒルベルトは邦訳も多い。

彼の場合は、時期によっても変遷するし、実は存在論的には結構複雑だとおれは思ってる。
(ヒルベルトがあっさり実無限を認める立場だったと思っている人、わりと多いんじゃなかろうか)

278 :考える名無しさん:2005/12/08(木) 00:41:42
ここの人は、実数体の構成法をきちんとわかっているのだろうか?
わかっているなら、普通の解析学(ε‐δ式)では1=0.999999・・・・・
は当然なんだけど。
完備化の方法から当然そうなる。
そのように舞台設定をした上で、通常の解析学が可能になってるわけだから。

279 :262:2005/12/08(木) 00:59:15
勉強になります。
0.999・・・=1になるというのは切断で納得しました。

以下、見当違いだったら申し訳ないです。
>>270
実在論は実無限で、直観主義は可能無限になるんでしょうか。
1-0.999・・・を素朴に計算すると、0.00000・・・と0が永遠に続きます。
引き算の0をどんどん数えていくと、いつまでたっても0が終わらないので、
0.999・・・=1とは結論されないというのは、
可能無限にとっては自然である気もします。
(しかし、「だから0.999・・・≠1」とするのは排中律っぽいような。)

直観主義でも実数が作れるんですかね。すごい大変そう。

280 :263:2005/12/08(木) 01:46:16
>>265
数学の観点では正しくてもその理論が物質世界でも通用するのか?
ということです。
つまり、0,0000・・・グラムの石は、1グラムのそれと同質の石と同じなのか?
といった疑問です。

281 :199:2005/12/08(木) 02:28:34
>>277
なるほど・・・・
ヒルベルトの形式主義というのは心では実在論者でも、哲学者と議論するのが面倒なので
そういうときは”数学はゲームです”で決着をつける立場だと思っていた。
自分や知り合いのことを考えてみても、数学者は哲学的な立場までまじめに考えていないことが多い。
相手によって臨機応変と言うか(w

>>278,279
せっかく納得してもらったところで申し訳ないが、
実数論はとりあえず関係ないよ。全部有理数(それも、分母が10の冪になるものだけ)で完結する話。
実数体を持ち出すと、集合論なんかの絡む実無限の話になってしまう。

>>280
>つまり、0,0000・・・グラムの石は、1グラムのそれと同質の石と同じなのか? といった疑問です。

ちょっとわけがわからない。重さが違えば同じわけないでしょう?0.999・・・の間違い?
それから物理というなら、物質は素粒子からできているので重さには最小単位がある、あるいはプランク定数で
それ以下はあいまいになるとかじゃない?よく知らないけど

282 :考える名無しさん:2005/12/08(木) 04:10:13
>>281
有理数だけの話では、収束点列を持ち出す意味がないのでは?
無限に続く循環小数の例である0.9999…は、収束列の類を1つの代表元で表現したものでしょ?

283 :考える名無しさん:2005/12/08(木) 09:36:38
>>267
> ぼけ。超準解析の「超実数」は本当に無限大や無限小を数として存在を認める実在論だ。

お前昔「研究する人生」で知ったかこいて
ぼこられてなかった?

284 :199:2005/12/08(木) 19:49:06
>>282
無限小数の値とは、無限級数の和であり、無限級数の和とは、部分和のなす”収束数列”
の極限値
すなわち、数列の各項によって接近される値(あまり普通しない言い方だけど、この方が誤解がないと思った)
のこと、だからこのスレの話題では、1になる・・・・というのが数学の通常の解釈です。

285 :267:2005/12/08(木) 21:07:31
>283

何の話だよ。そこで超準解析の話してた奴がいるのか?

>数列の各項によって接近される値

また適当なこといってんな、お前は。
普通の数学(δ-ε論法)では「そういう接近される値」の存在を前提せずに収束を説明するんだよ。

286 :199:2005/12/09(金) 17:10:39
>>267
あ、本当の馬鹿だったんだ。まじめに相手して損した(w
それとも釣り?

イプシロンデルタでも |a_n-a|<E という時のaはちゃんとあるんだが

それともコーシーの収束条件のことを言っている?

今の場合、aはどんな有限主義者でも認める(w 数 "1"だ。


だんだんスレ違いになってきたんでもう消える。 

287 :考える名無しさん:2005/12/09(金) 20:44:43
>>284
199とは別人ですが・・・

有理数だけなら、無限小数表示(つまり無限級数)とは関係なく、
つまり無限小数など持ち出さなければ、
2つの有理数が同値であるか否かは、
整数のペア同士の同値関係の定義から簡単に判別可能なわけですよね?
無限級数(有限級数による無限数列)同士の同値関係を論ずる必要は、
完備化の段階ではじめて必要になるのではないでしょうか?


288 :199:2005/12/10(土) 18:01:55
もう消えると言ったのだが・・(笑

掲示板では十分に説明できないので、ブログを作りました
ttp://mathpl.exblog.jp 数学屋の素人哲学
にまとめて書くつもり。まだ、余り書いてないけど、興味のある人は
見に来てください。

289 :しろうと ◆AUSirOutoE :2005/12/10(土) 20:29:52
普通の数学では1=0.999…でしょうが、
1≠0.999…という別の定義、公理系もできるだろうということ。それだけ。


290 :考える名無しさん:2005/12/10(土) 22:20:05
そういうのを思考停止というんだよ

291 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 02:58:28
「0.999・・・=1」は真か偽か?
という設問ならば、定義上「真」なんだろうね。
それはその通りだろう。

野矢が言いたいのは、ゼノンのパラドクスを前提にして
「0.9999・・・」という表記において
「99999と9が<無限に>続くこと」はどういうことだろうか、
ということじゃないのかな。

野矢自身はゼノンのパラドクスは「パラドクスではない」
という解決をしようとしているわけだから、
それを考えれば「0.999・・・=1」を認めるしかないだろう。

ただ、一方ではゼノンのパラドクスは彼にとって未解決な部分もある。
それは「無限の操作」という作業のこと。
0.9+0.09+0.009+0.0009+・・・という足していく作業そのものは
果てしなく続く。それを「無限」の作業と言ってもよいが
「その作業はいつ終わるのだろうか」という疑問には答えられないのではないか。というのが野矢の意図だろう。

つまり、その意図に対して
示された野矢の問題の設定がおかしい、ということなんだよ。

292 :しろうと ◆AUSirOutoE :2005/12/31(土) 05:40:47
>>291
野矢が言いたいことは違っていて、ゼノンのパラドクスの解消は、
モデルと現実が違っているという話でモデルを認めたわけじゃない。

無限の作業は定義上完遂できないけれども、それは分析的生成で、
現実はモデルのように矛盾を起さない。矛盾は概念化によって生じます。


293 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 07:57:26
>>292
いやだから、それだと191の努力に対して応えてないレスになるんだけど
それでいいの?

294 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 07:58:37
199でした。スマソ

295 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 08:00:35
刺激age

296 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 08:01:18


297 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 08:20:24
しろうとって中卒?

298 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 08:25:47
しろうとって自分の曲解でしかない理解を
あたかも原典に基づいた事実であるかのようにして
書き込むから相手にしないほうがいいよ。たぶんこいつニートで
脳みそ麻痺してるだろうから。

299 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 08:38:00
曲解なんでつかw

300 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 08:42:55
ほとんど曲解じゃん。

301 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 09:21:03
ぴかぁうざい

302 :考える名無しさん:2005/12/31(土) 18:20:07
>>275
>気に入ろうが気に入るまいがそういう約束事なのだからしょうがない。

そう、数学は約束事の世界だよ。
その世界では1=0.999・・・
それだけの話だ。

303 :考える名無しさん:2006/01/01(日) 14:12:49
現代思想臨時増刊号(Vol.28-12)『数学の思考』(2000.10)を
読むと、いくつかの論点がはっきりするかもしれません。
特に長岡亮介氏の「数学史的視点から」。
(長岡氏の専門は数学史ですが、数学者です。)

304 :199:2006/01/08(日) 21:15:55
久々に覗いて見たが、あまりレスついてないな

3日くらい前、池袋のジュンク堂で現代思想04年7月号分析哲学特集を買ってきた。野矢氏と大庭健の対談があって、
大庭健がタジタジとなっているのがなかなか面白い(笑 他にも面白い論文がいくつかあった。

305 :考える名無しさん:2006/02/06(月) 22:59:30
age

306 :考える名無しさん:2006/02/07(火) 07:34:13
野矢さんの出身高校ってどこ?

307 :ヘイト ◆iyx/0deoUw :2006/02/07(火) 13:00:32
首都高

308 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 22:50:14
鶴光

309 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 16:59:55
哲学って謎なんですか

310 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 22:16:56
哲学に謎がある

311 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 22:53:02
>>302
約束事と言えばそのとおりだが、
整合性とともに数の概念を拡張していくために
必然としてそうなっているわけだ。


312 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 22:56:10
>>303
長岡さんは数学史が専門でしょ。
研究に入る前の段階で数学の方はやめてたよ。

313 :302:2006/02/13(月) 09:41:00
そういうことだな。>>311

314 :考える名無しさん:2006/03/07(火) 23:22:20
そういや、こんなスレあったな・・・

315 :考える名無しさん:2006/03/08(水) 00:01:10
「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」4月ちくま学芸文庫化

316 :考える名無しさん:2006/03/13(月) 00:16:25
『プリンピキア・マテマティカ序論』も文庫化したら菩薩。
潰れない程度に頑張れ。

317 :考える名無しさん:2006/03/14(火) 23:20:55
数学は計算であり、したがって本質的に、いかなる対象とも関係付けられない。
それゆえ、メタ数学は存在しない。

318 :サイコキラー:2006/03/15(水) 15:39:34
プッ

319 :考える名無しさん:2006/03/16(木) 22:30:13
私が聞きたいのはこういうことだ。
「あなたは数学を利用して、その有用性を目指しているのか?
 それならあなたが矛盾におちいることはないだろう。
 有用性を目指しているのではないならば、
 その場合には矛盾に出会ったとしてもたいした問題ではないだろう」


320 :考える名無しさん:2006/03/18(土) 17:27:10
???

321 :考える名無しさん:2006/03/19(日) 21:42:32
????

322 :考える名無しさん:2006/03/20(月) 12:00:24
?????

323 :考える名無しさん:2006/03/21(火) 06:04:09
??????

324 :考える名無しさん:2006/03/26(日) 21:20:54
???????

325 :考える名無しさん:2006/04/04(火) 23:51:05
数学において証明可能性に関わる問いは存在しない。
したがって、証明可能性の証明も存在しない。
実は「証明可能性」の証明とは帰納法のことなのだ。
これはまた別の新しい認識と捉えるべきなのだ。

つまり、数学的無矛盾性の証明を試みることは
公理の適用を考えるに本質的な意義を持たないのである。

326 :考える名無しさん:2006/04/05(水) 00:00:02
?

327 :djfaoedpf:2006/04/08(土) 01:22:06
R*の公理系ってよく分りません。
公理の内容自体はわかりますが、R*は公理によって仮定するのでなく
構成可能な集合であることを証明しなければいけないのではないでしょうか?
因みにR*はZFCから存在性を証明することができるのでしょうか?

あとdxって超順解析を使うとどのように定義できますか?
(一意的に定義しているの?)

328 :考える名無しさん:2006/04/08(土) 09:41:55
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

329 :考える名無しさん:2006/04/09(日) 00:52:21
>数学は計算であり、したがって本質的に、いかなる対象とも関係付けられない。

対象というのは相対的に捉えられている。
つまり関係付けられるということもまた相対的である。


330 :考える名無しさん:2006/04/09(日) 23:57:03
まあ、相対的なものも相対的なんだがw

331 :勝手批評:2006/04/16(日) 17:57:40
「『論理哲学論考』を読む」を読む。

文庫版になってるのを見つけて読んでみたのだが、この本随分(『論考』当時の)ウィトゲンシュタインの
肩を持つなあ。あんまり好意的過ぎてアド・ホックではないかと感じた点が多々あり。
自分などは政治的な理由を深読みしてしまった。
(例えば無限についてのウィトゲンシュタインの立場とか。この辺り自分自身のイデオロギーの
正当化の為にウィト御大将を擁護してるようにしか見えなかった。)

あと単純に『論考』の<対象>についての解釈は完全に間違ってないかなあ。
野矢氏は<対象>として固有名や性質や関係を挙げてるけど、これはウィトゲンシュタインが
何故<対象>の実例を一つも挙げられなかったかについてあんまりに楽観的過ぎるよ。

そもそも<対象>は当時の(即ちフレーゲの創始になる)論理学に強く影響された
『像理論』を成り立たせる為に要請された形而上学的な実在物なんだから具体例が
出せるわけが無い。これは2・0232「言うなれは対象は無色透明である」に端的に
示されていると思う。多分ウィト本人は写像のアイディアが先にあって、
後の辻褄合わせはどうにかなると思ってたんじゃなかろうか。

だからこそ『哲学探求』に於いてはまず最初にアウグスティヌスの言語観を以前の
自分の考え方にだぶらせて詳細に検討・批判していくんだから。

そこんとこ分かってないのは職業的哲学者として失格ちゃうんかなあ。

332 :考える名無しさん:2006/04/16(日) 19:04:11
おまえに読ませる『論考』はねえ

333 :考える名無しさん:2006/04/18(火) 01:38:44
>331 の意見に対して・・・

いいんじゃないのかなあ
野矢ちゃんが自分で考えた結論なんだろうから

例えウィトゲンシュタインの意図と違っていても

野矢ちゃんは確かに我田引水なんだけれど、
それを今さらどうこうってのは、大学関係ではないでしょ
(2ちゃんでは、もっとあり得ないしw)


334 :考える名無しさん:2006/04/18(火) 12:50:31
野矢1人で職業的哲学者100人分の価値があるので、失格でも別にいいです

335 :勝手批評:2006/04/18(火) 14:06:40
>>331
でも野矢氏自身は「これがウィトゲンシュタインの意図だ」と見なしてるみたいだし
「例えウィトゲンシュタインの意図と違っていても 」良いということにはならないと思うな。
それは野矢氏の擁護になってない。

それにもし<対象>が野矢氏の言う通り、例えば固有名だったりしたのなら
何故ウィトゲンシュタインが簡単にそういう答えを持ってこなかったのかが
全然意味が分からないことになるじゃない。

これって職業哲学者としても失格だし、一哲学者としても失格な浅い考察なんじゃない?

336 :考える名無しさん:2006/04/18(火) 14:40:44
はいはい2ちゃん名物の浅い読みワロスワロス

337 :考える名無しさん:2006/04/25(火) 11:28:52
>>335
あなた自身Wをかなり読んでるようなので野矢氏の読解への疑問を
メール送ったりすればわりと有意義に発展するんじゃない

338 :考える名無しさん:2006/04/25(火) 11:35:44
いや私信でなあなあになってしまうのではなく
ここで公開でやってくれ。

339 :考える名無しさん:2006/04/25(火) 19:10:50
公開って野矢氏がここ見てるの?

340 :勝手批評:2006/04/26(水) 16:31:12
331の修正。
>多分ウィト本人は写像のアイディアが先にあって、
>後の辻褄合わせはどうにかなると思ってたんじゃなかろうか。

ノーマン・マルカム「何も隠されていない」を読んでこれは間違ってると判った。
やはりウィトゲンシュタインは世界の形式としての不動の対象から写像ということを
考えたのだろう。(即ち命題は世界の形式と同一の形式を持つとき有意味となるから)
写像理論から考えて対象の方はどうにかなるという風な順序ではなかったはず。

あと、335のアンカーは333の間違い。

とは言えこうした修正とは関係無く野矢氏の対象=固有名・性質・関係ではないことは明白。
だって『論考』2・0271で

「対象とは不動のもの、存続するもの。対象の配列は、変動するもの、移ろい易いものである」

と述べられていて、明らかに関係や性質は「移ろい易いもの」のはずだろうから。
固有名についても、例えば固有名『ウィトゲンシュタイン』は不動のものだろうか。
この固有名が存在しなかったということは十分あり得ることだろう。
『ウィトゲンシュタイン』という固有名はあったり、無かったりすることは出来る。
でも対象は「不動で存続する」と言われているんだから。

341 :勝手批評:2006/04/26(水) 19:12:19
どうもそそっかしくて仕方が無い。
331,340の訂正。どちらも『固有名』となっているところは野矢氏の用語による
『個体』として読まれたし。

まあ、あんまり読む人はいないとは思うけど。

342 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 20:49:57
赤いって性質が白くなったり青くなったり移ろうのかよバカ

343 :考える名無しさん:2006/04/26(水) 22:56:51
アホはほっとけ

344 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 00:59:27
⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーン

345 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 01:39:13
当時、私は論理学者として物事を考えていたので、ある種の観点による見方とは無縁でありました。w

346 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 14:29:38
みんな、「わからない」という原点に立ち返る必要があるね

347 :勝手批評:2006/04/27(木) 14:32:09
>>342
しかし赤い性質とは何か?緑色のトマトが段々と赤く変色する場合にはどうか。
或いは赤い塗料が年月を経て薄くなるというような場合は?
それでも性質としての色は不動で存続するのだろうか?

答えるつもりなど無いんだろうけど、
このバカ・アホの見解に対してそれでもバカ・アホなのか?

348 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 14:38:37
馬鹿は不動で存続

349 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 14:46:24
トマトが緑色から赤い色に変化する。緑色という性質を持たなくなって赤い色という性質を持つ
ようになる、と言ってもいい。
じゃその時に、赤い色という性質も変化するんですか。それはじゃあ何色から何色に変わる
んですか。
トマトが赤い色という性質はいい。でもじゃあ赤い色という性質の色は何色なんですか。
トマトが赤いという性質を持つみたいに、赤いという性質も赤いという性質を持ってるんですか。

350 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 18:15:09
性質としての色と色の性質は違うということなんじゃないか
当然トマトの性質としての色は変化する、しかし赤の性質が変化するとは何か?
赤の性質というのがなんなのかはわからないが
赤の性質が変わったら単に違う色になったということじゃないか

351 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 18:21:16
トマトみたいな物(個体)がその性質を変化させるからといって、
性質そのものの変化なんてものまで同じように起こりうるなんて考えるのは、
犬であるという性質そのものが四足で走ってワンワン鳴くんだと考えるようなものですよ。


352 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 18:22:27
必要なのは徹底的に(暗黙の)前提を疑う事だと思うな

>読んだ相手の反応をきっちり“読める”ことが大事。書いたものを
>誰かに批判的に読んでもらい、自分の言いたいことがどれだけ分かってもらえたか、
>もらえなかったかを確かめる経験をたくさん積まなければならない

>“異質な相手”とコミュニケーションをとる場合には、自分の抱えている
>暗黙の前提をすべて明らかにしたうえで話をしなくてはならない。
>実に回りくどい作業ですが、まさにそうした場でこそ
>論理的なコミュニケーションが要求されるのです

と、野矢さんも言ってる
http://www.tokyo-np.co.jp/00/hom/20050820/ftu_____hom_____000.shtml

松岡正剛は
>ぼくが書物を難解だというばあいは、
>次のいずれかの条件にひっかかっているばあいのことをいう。
>1、取り扱っている主題を気安くさせたくないという著者の意図がある、
>2、そもそも「難解な問題」という現象や手続きを主題に扱った、
>3、文意が伝わらないような書き方しかできていない。

と言ってたけど、まさに3というのが巨大な壁として立ちはだかってる

353 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 18:29:10
はいはい人の言葉を引用して悦に逝ってる暇があるくらいなら
もっと頭使え

354 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 18:31:44
ベンヤミンみたいに引用だけで語りたいよね

355 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 00:28:41
引用だけだろ。独自の表現なんてこれっぽっちも思い浮かばないくせに。

356 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 01:06:23
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

357 :勝手批評:2006/04/28(金) 15:33:39
不動かつ存続する性質というのは何なのか。
例えばその様なものとしての<赤>は一体どんな色をしているのか。
これはもう既に『探求』の領域だけど。

>349,>350,>351は色のイデアについて語っているのじゃないだろうか。
色のイデアが先で実際に見られる様々な色はその例に過ぎない、と。
でも実際に見られる色を通してしか色のイデアについては語れないんじゃないか。


358 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 17:49:45
イデアなんて語ってないよ馬鹿
個体と性質は違うって言ってるだけだろ
個体と同じようには変化しない性質そのものがイデア的だってゆうなら
性質の変化の底にあって同じままであり続ける個体だってイデア的てことに
なるだろうが。
もっとよく考えてから物を言えよアホ

359 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 18:32:35
NGワード指定でスレがすっきり

360 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 18:50:22
>>357
そもそもの

>>340
> とは言えこうした修正とは関係無く野矢氏の対象=固有名・性質・関係ではないことは明白。
> だって『論考』2・0271で
>
> 「対象とは不動のもの、存続するもの。対象の配列は、変動するもの、移ろい易いものである」
>
> と述べられていて、明らかに関係や性質は「移ろい易いもの」のはずだろうから。

に戻るとね、野矢さんが
あなたの言う「移ろい易いもの」としての性質のほうじゃなくて
あなたの言う「イデア」的なものとしての性質のほうを指して
「対象」だと言ってる、
って可能性は考えてみた?

361 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 18:50:59
それと、

> 明らかに関係や性質は「移ろい易いもの」のはずだろうから。

とか

> でも実際に見られる色を通してしか色のイデアについては語れないんじゃないか。

という根拠はウィトゲンシュタインに即したものなの?
「ウィトゲンシュタインはAと考えていたのだから
 ウィトゲンシュタインがBと考えていたはずない
 (だから野矢さんの解釈は正しくない)」
でなくてはいけない議論が
「(俺の考えでは)Aなのだから
 ウィトゲンシュタインがBと考えていたはずない」
になっちゃってる疑いが残る気がするというか。

362 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 19:31:34
あとついでだからゆっとくけどな、
「このトマトが前は赤かったのに今は赤くない」=「前は赤さという性質を持っていたけど
今は持ってない」という風に個体の変化を語ることができるのと同じみたいに、
「赤さ(という性質)は、前はこのトマトによって実現されてたけど今はそうじゃない」
=「このトマトによって実現されるという性質を前は持ってたけど今は持ってない」
という風に赤という性質の変化を言うことができるんじゃねーの?
だからけっきょく個体と同じように性質も変化するんじゃね?
とかって話は使いものにはならねえからな。
なんでそれが使い物にならねえかって話は『論考』が書かれた時代の常識だから
わざわざ言うまでもねえことだろうけどな。

363 :勝手批評:2006/04/28(金) 19:32:56
>>360,361
確かにそうだ。野矢氏はイデア的なものとして個体や性質を挙げたんだろう。
でももう一度言うがどうしてウィトゲンシュタインは<対象>の例としてそれら
を挙げなかったのか。

そもそも『論考』の形而上学的実在論の否定が『探求』の主題になっているから
もう既に間違いだと見なしているものをもう一度それが真理だと見なされていた
時代に戻って『論考』を読むというのは自己矛盾している行為だ。
ウィトゲンシュタインが『論考』と『探求』を合わせて出版するべきだと考えたのは
そうすることによって『論考』の誤りが明確になると考えたからだろう。

>>358は意味不明だ。349,350,351と同一人物か。



364 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 19:36:33
本物の馬鹿かよ
相手して損したわw

365 :勝手批評:2006/04/28(金) 19:54:27
>>362は358と同一人物か。

あなたの見解は赤さ(という性質)は変化しないということらしいが
それは実際どんな赤さなのか。実際の赤さとは関係の無いイデア的赤さのこと
を言ってるとしか思えないが。

この世界から赤い染料や赤い木の実といったものが一切無くなるということは十分可能
であるように思えるのだがこれはどうか。

366 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 20:06:48
野茂と勘違いして困る

367 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 20:08:04
>>365
読解力に難があるみたいだから最後に少しだけ教えてやろう。
上で言ったのは、性質が一切変化しないということではなくて、
個体と同じような変化をするわけではないてことだ。
つまり、個体が変化するからといって性質の変化もあるだろ、て理屈はトオラねってことだ。
だから赤いものが一切無くなるとかって話も同じ。
赤い色をした個物が一切無くなるという変化と同じような変化を赤さという性質にも
当てはめるのはオカシイだろってことだ。
これはイデアとかって話とはまた別なんだよ。
まあ最初からやり直すんだな。基本だよワトソン君。

368 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 20:18:31
>>363
うーん。そういう「イデア」的な個体とか性質とかが
「実際の赤さ」と独立な「イデア」的なものであるからこそ

> 「言うなれは対象は無色透明である」

としかウィトゲンシュタインは言えなかった、って解釈も
あるんでないの?(私はとらないけど)

(まあ「イデア的な個体」って言い方もかなり変だけど、
性質や関係を全部はぎとった何か、って了解しとく
「的」ということで許そう)

369 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 20:20:01
>>367
そんな話誰もしてないと思うよ。

370 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 20:28:56
>>369
君には関係のないことだから別にいいのだよワトソン君
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

371 :考える名無しさん:2006/04/28(金) 20:30:53
それもそうだ。

372 :350:2006/04/28(金) 23:26:52
349.351は自分ではないです
素朴に赤さという性質の変化とはなんですか

373 :勝手批評:2006/04/29(土) 00:34:57
>>372
赤さの性質の変化というのは素朴に言って例えば赤い絵の具を水に溶かして薄めるといったこと。
ここでこの『性質』という超概念が誤解を招いている。
これは単に色の変化と呼ばれるべきものだろう。赤い夕焼けが刻一刻変化する様子とか。

>>367
ということはあらゆる個物が無くなっても性質は存在し続けるというわけなのか。
ではその時『性質』なるものは一体どこに浮遊しているのか。イデアの世界に逃避できるから
赤い個物が存在しなくなっても性質だけは安全というわけか。
個物と性質を切り離して考えることができるとしているようだが、では個物無しの性質とは何か。
まるでルイス・キャロルの「猫の無い笑い」じゃないか。

>>368
野矢氏は個物といっても普通の椅子やテーブルの話を持ち出しているので
まるでお話にならないと思う。ややこしいのは『論考』の間違いを野矢氏流に
さらに誤解しているという点。


374 :考える名無しさん:2006/04/29(土) 02:54:34
まあ存在論的コミットメントとかって言ってカッコつけたかったら
条件反射でイデアとか言い出す癖は控えることだろうな

375 :考える名無しさん:2006/04/29(土) 13:14:27
Witさんや野矢さんのいう「対象」は、個物・性質という区別とは関係なくって、
「記号」に対応する「対象」のことでしょ。「赤」や「red」に対応する、赤さのこと。
対象が不動というのは、記号の意味が、少なくとも記号として機能する程度には
固定しているということ。(意味がどういう存在かはどうでもいい)
あるものが赤くなったり青くなったりするのは、対象の「配列」の変動。
対象の実例が示されないのは「単純/複合」の問題によるものだから、別件だと思います。

376 :勝手批評:2006/04/29(土) 14:23:46
>>374=367なのか。ちゃんとアイデンティティを出してくれ。
存在論的コミットメント?全く意味不明。個物無しの性質というものがあり得る
というのはイデア的ではないかと言っているのだから。

>>375
どうやら野矢氏の『論理哲学論考を読む』を通読されていないようだが野矢氏は
同書40pで「対象は現実のものである。たとえば机であるこれや、本であるあれである」
とはっきり書いている。
またウィトゲンシュタインが
>少なくとも記号として機能する程度には 固定しているということ。
程度に対象を考えていたとは到底思えない。彼によれば命題が意味を持つのは
それが対象の形式を複写しているからであって、この逆じゃない。
対象は全てに先んじている。

>対象の実例が示されないのは「単純/複合」の問題によるものだから

確かにこれは対象の実例が示されない<一つの>理由ではあるけど、もうひとつの
理由としては対象という当初の想定が形而上学的なものであったということによる
のだと思う。対象のような不動で存続するものなどありはしない、ということが
『探求』の大きなテーマの一つになっている。


377 :しろうと ◆AUSirOutoE :2006/04/29(土) 16:09:01
誤解。『論考』の「対象」は不変。対象が事態を構成するのだから、事実の推移は関係ない。


378 :考える名無しさん:2006/04/29(土) 19:09:22
> 誤解。

野矢の、ね

379 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 01:10:38
アイデンテイテイだってよw
馬鹿じゃね?

380 :375:2006/04/30(日) 11:24:29
>>376 赤さのような性質だって現実のものだと思うが?水掛け論に入ってるかな。
まあいいや。「論考の形而上学的実在論」とかいうあなたの解釈が正しくて、
野矢の解釈が間違ってるのかもしれない。
問題は、それで論考に少しでも興味をもって読む気になれるかですね。
論考ってただでも難しくてなかなか読む気になれないのに、それに輪をかけるような気が。
その点野矢の本は正反対で、やっぱり前例の少ないいい仕事だと思います。

381 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 11:33:27
鏡の色は何色か。

色彩科学での「正解」を先に言ってしまうと、鏡の場合、○○色という表現はできない。
これは「モノはみな色を持っている」という誤解からくる不能問題なのである。
「鏡は何色か」という問い自体が誤っているのだ。
実は、鏡だけに限らず、全てのモノに関して「○○は何色である」という言い方を
する事が誤りである。色は、モノにもともと属する性質ではなく、
観察という行為を通じて初めて、その観察する人の心に生じる感覚である…というのが
現在の色彩科学の一般的な答えである。

だがしかし…と思う。色は感覚であって、誰にも見られていないモノは
色という性質を持っていない。それは自然な印象とは大きく隔たっている。
人が見ていようといまいと、モノはモノであって、形や大きさが
決まっているのと同じように、色も決まった色がついているんじゃないの? 
と感じるのが、おそらく一般的であろう。
「真理とは人間とは無関係に存在するものなのではないでしょうか。
たとえば、私が見ていなくても、月は確かにあるのです。」
アインシュタインが、インドの詩人タゴールに語った言葉である。
それに対してタゴールはなんと答えたか。
アインシュタインの話は物理学の量子力学に関するもので、
あくまでも自然科学の枠の中での話である。
一方、色の話は、むしろ哲学の話なのだが、
両者がまったく違う話でもないところが妙に悩ましい。

382 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 12:19:33
>>380
誤解でいいから読んでもらおうというのは賛成できない。
それこそ「職業哲学者として失格」でしょう。

383 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 13:18:49
本当はつまらない小説を読んで、間違って感動してしまってもいいじゃない。
たかが哲学書です。面白さより解釈の正しさを優先する人は、他の本を読めばいい。
矛盾だらけの解釈は使い物にならないが、仮に間違っててもそれなりに一貫性があり、
それ自体として理解し納得できる考えを提示する解釈なら、十分価値がある。

384 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 13:59:08
そうですね。
「たかが哲学」で終わらせたくない人、
例えば解釈の正しさにこだわる「職業哲学者」は
他の本を読めばいい。
ということで決着していいと思います。

これは別にけなしているわけではなくて、
クリプキのウィトゲンシュタイン解釈なども、
間違っているけど大変面白いということで
歴史に残る傑作になったわけですから。
もちろんクリプキ自身は職業哲学者ですから、
「間違っていてもたかが哲学書」というスタンスで
ああいう本を書いたわけではありませんけれど。

しかし野矢さんがそこまで面白いとも思いませんが。

385 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 15:28:30
野○とか長◆とかは、売ったが勝ちの新書本哲学屋だからね。
「お笑い」と同レベル。売れれば人気も出るし有名になれる世界。w

386 :勝手批評:2006/04/30(日) 16:49:56
>>380に対する見解は382で為されているので特に無し。

だが382=384の意見は383に対する対応としては賛成し難い。
クリプキは確かにウィトゲンシュタインの意図を誤解していると思うけど
最終的な方向性が違うというだけで、例えば規則のパラドックスについてクリプキは
間違った事を言ってるわけじゃない。これを野矢氏の初歩的な誤解と一緒くたにする
のはおかしい。

383氏に言いたいのだが仮にも『論理哲学論考を読む』と題された本で最も根本的な
<対象>の概念をあっさりと誤解して論を進めるというのは余りにもお粗末極まりない
としか言いようが無いのではないか。それでも書くのならこの題名を撤回するべきだろう。

383氏の意見は全然野矢氏の擁護になっていない。哲学は議論そのものが重要なのに
その議論を誤解してそれで面白ければいいというのであれば哲学なんて何の意味があるのか。
それなら哲学なんてスキャンダラスな三流週刊誌と同じになってしまう。それが事実かどうか
なんてどうでもよくて面白ければいいんだから。

387 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 17:59:12
正しい解釈ったってWittgenstein本人に確かめられるわけじゃなし。
同業者に突っ込まれないのがとりえの解釈なんてね。Wittgensteinが生きてたらどう思うかしらね。
批判を受けにくいというのは、たいてい単に実質的内容に乏しいってだけのことだよ。
まあ正直言って論考より探求の方がずっと面白いけど、論考を最大限面白く読むということでは
野矢さんはよくやってると思う。面白さというのは読者の思考を喚起する力のことね。

388 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 19:00:54
「正しい解釈」ながら「同業者に突っ込まれないのがとりえ」
でないものは存在します。そんな当たり前のことも見逃して
くだらない開き直りをすることこそ「Wittgensteinが生きてたら」
最も蔑んだものだろうと思いますけどね。
「本人に確かめられるわけじゃな」いので別にいいでしょうけど。

389 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 19:04:56
勝手批評氏によれば独自の読解というレベルではなくたんなる誤読であるということなんでしょう
どっちも読んでないから知らないけど

390 :勝手批評:2006/04/30(日) 19:11:45
>>387
どうしてそんなに野矢氏の肩を持つのか理解できない。
『論理哲学論考を読む』という題名ではなく『野矢の哲学』となっているのなら
理解できるが。「不動で存続する」としている<対象>を
「たとえば机であるこれや、本であるあれである」(同書40p)
などと言ってしまう解釈力を面白いというのか。

>まあ正直言って論考より探求の方がずっと面白いけど
ウィトゲンシュタインは『探求』を『論考』と一緒にして比較されるべきだ、
そうすることによって旧思想に光を当てられるからと考えていたのだから
その意見は余りに底が浅いんじゃないか。その口ぶりでは『探求』の方も
よく理解していないという事を示してるんじゃないか。だって『探求』は『論考』
の根本的な批判として書かれているんだから。

391 :勝手批評:2006/04/30(日) 20:00:29
ここまで書いて大きな間違いに気付いた。363で
>野矢氏はイデア的なものとして個体や性質を挙げたんだろう。
と書いたのは全くの誤りだった。よくよく本を読んでみたらそんな深いことはこの人は考えていなかった。

ウィトゲンシュタインは形而上学的実在論から<対象>について述べているのに対し
野矢氏は全く素朴な実在論から<対象>を捉えているということだ。
両者は実在論を取ってるという点で似てるけど全然帰結が違ってくる。
だからウィトゲンシュタインは<対象>の例を一つも挙げられなかったというわけだ。
イデアというのは言わば形而上学的実在論だから。野矢氏もそういってるはずと思い込んでしまった。


392 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 21:18:57
しろうと談義でどうにかなるのが哲学の難点ともいえるな。
いや、どうにもなってないはずなんだが、とりあえずそれで飯が食えてしまう。
そういういい加減な業界だってことだ。

393 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 22:56:06
音楽業界はいい加減な業界かね。
音大で専門的な訓練を受けることによって
音楽で食えるようになるひとは一握りで、
専門的な訓練を受けていないにも関わらず
音楽で食えるようになるひとも少しはいるが。

394 :考える名無しさん:2006/04/30(日) 23:31:47
しろうと談義でどうにかなるのが2ちゃんの難点ともいえるな。
いや、どうにもなってないはずなんだが、とりあえずそれでレスが書けてしまう。
そういういい加減な板だってことだ。

395 :考える名無しさん:2006/05/01(月) 15:01:28
>>390
> どうしてそんなに野矢氏の肩を持つのか理解できない。

それは、あなたがあまりにも野矢を馬鹿扱いするからですよ。
だいたいあなたの、「対象とは不動のもの」から形而上学的実在論?を引き出すっていうのも
ずいぶんウィトゲンシュタインを馬鹿にした解釈だと思う。
もちろんあなたが「客観的にそれ以外の解釈はありえない」と考えているのは分かるけど。
野矢は逆に、ウィトゲンシュタインに愛情を持って、論考が今の自分自身や自分たちにとって
読むに値する内容を含んでいるとすればどう読めるか、という観点で解釈している。
そのほうがよほど生産的だし、才能も必要な作業です。
我田引水だ、みたいな批判はとっくに折込済みでしょう。
「論考はドグマに支配された本で、探求によって乗り越えられた。」これが 唯一の 正しい解釈と
言い張る人に対しては、無理に説得する必要もない。哲学に対する考え方が全然違うようだから。

396 :考える名無しさん:2006/05/01(月) 15:10:52
だーかーらー、クリプキみたいに、間違っていても面白い解釈が
生み出せるってことは既出ですよ。
そこについては390さんも同意してくれてるし。
そのうえで390さんが問題にしてるのは、解釈が間違ってるうえに
現代的な価値もない、ってことなんでしょう(私は知らんけど)。
才能ないからなんですかね。

397 :考える名無しさん:2006/05/01(月) 15:21:11
それに、現代的意義を見出してやろうという読みが
一種の愛情の形なのは同意するけれども、
だから誤解でもいいんだ、本の中の文脈さえもばらばらに
切り刻んで、切り貼りモンタージュで我田引水でもいいんだ、
という極まで行ってしまうと歪んだ愛としかいえない。

誤解しなければ現代的価値がないと言わんばかりの態度は
さすがにウィトゲンシュタインに失礼じゃないのかな。

あなたがあまりにも極論するので一言くさしたくなってしまった。

398 :考える名無しさん:2006/05/01(月) 15:49:32
> 「論考はドグマに支配された本で、探求によって乗り越えられた。」これが 唯一の 正しい解釈と
> 言い張る人に対しては、無理に説得する必要もない。

そうだね。で、誰が言い張ってるの?

399 :勝手批評:2006/05/02(火) 02:54:58
>>395
>それは、あなたがあまりにも野矢を馬鹿扱いするからですよ。
と言うが野矢氏を馬鹿にしているのではなく、単純に間違いを指摘しただけ。
全く虚心坦懐に言って「不動で存続する」ような「たとえば机であるこれや、本であるあれである」
があるとはどういうことだろう。現実の本や机が不動で存続するなんてどうやって考えられるのか。
野矢氏の権威にひれ伏す前に自分で考えて欲しい。既に書いたがこの本が『論理哲学論考を読む』
という題名ではなく『野矢の哲学』となっているのなら この考えだって問題は無いと思うが。

>「論考はドグマに支配された本で、探求によって乗り越えられた。」これが 唯一の 正しい解釈と云々
というのはよく判らない。繰り返しになるが『論考』は『探求』によって光を当てられるべきもの
だろう。

どうやらみんな野矢氏の『論理哲学論考を読む』を読んでいないらしいのでその根本的な
間違いを指摘したところで不毛になりそうなのでこの辺りで終えます。

結論としては原典にあたるのが一番だし、『論考』だけでなくウィトゲンシュタインの哲学
の包括的な解釈としては簡潔なものとしては永井均氏の『ウィトゲンシュタイン』
専門的な議論に踏み込んだ解釈としてはノーマン・マルカム『何も隠されていない』がいいと思う。
自分が持ってるのだけだけど。この人達は誠実で確実な仕事をしてると思う。

400 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 09:57:35
現実の本や机も、一定時間「不動で存続」してるじゃん。

401 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 10:01:30
というか、実際に「不動で存続」してるかどうかはともかく、
少なくとも一定時間は「不動で存続」していると考えなきゃ生活できないじゃん。

402 :395:2006/05/02(火) 10:15:34
>>397
気に障ったならごめんなさい。でも、野矢が間違ってるって結論で既成事実にしないで。
反論はこのスレですでに他の人たちが十分やってるから繰り返すのも無駄でしょう。
>>398
要は勝手批評さんに、論考を探求の前史として以上に読む意志がほとんど感じられないのが不満なんです。
まあ、まじめな研究者だけでなく軽薄なファンもいるということで許して下さい。

403 :勝手批評:2006/05/02(火) 11:07:11
終わりにしようと思ったんだけど・・・
>>400
>>401
「対象は不動のもの、存続するもの。対象の配列は変動するもの移ろい易いものである」『論考』2・0271
に明らかなように一定時間しか「不動で存続」できないものは対象の配列だ。

これじゃ『論考』の解釈としてはいきなり挫折している。そんな風に考えたら
命題に実質を与えられなくなってしまう。命題の写像理論が成り立つ為の土台
が崩れてしまう。(もっとも『探求』でその土台を徹底的に破壊するわけだが『論考』
の時点ではウィトゲンシュタインはその土台に寄り掛かっている)
野矢氏の本を読む前に原典と399で挙げた本を首っ引きで読んで下さい。

>>402
>要は勝手批評さんに、論考を探求の前史として以上に読む意志がほとんど感じられないのが不満なんです。
395さん、これは完全にあなたの誤解だ。何度も書いているが『論考』は『探求』の光に
照らして読まれるべきものだ。その逆も真だと僕は思ってる。
根本的なウィトゲンシュタインの思想は前期・中期・後期
を通して一貫している。僕は『論考』が『探求』の前史だなんて思ってない。
何だか勝手に「論考はドグマに支配された本で、探求によって乗り越えられた」論者に
仕立て上げられているが何でそんな風に誤解されたのか理解に苦しむ。

哲学に「軽薄なファン」が可能とは思えないけど。(2ちゃんねるなら可能なのか。)
それなら哲学なんて悪影響しかない。ただ知的な雰囲気に酔い痴れるだけが目的なら。

404 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 12:07:57
>>403
2.0271 Der Gegenstand ist das Feste, Bestehende;
die Konfiguration ist das Wechselnde, Unbestandige.

なんか Feste を不動とまでしてしまっていいのかね。

405 :勝手批評:2006/05/02(火) 15:24:39
>>404
オグデンの英訳では「fixed」となっているから日本語の「不動」は強過ぎると思うのかも
知れないけど、『論考』2.022で「現実とどれほど異なった世界を想像したところで
その世界も現実と同じ形式を共有しなければならない」とされ、次の2.023
「この(不動の)形式は対象によって作られる」とあるわけだから、どんなに異なった世界
でも同じ形式、即ち対象が前提されているんだから対象は不動でなければならないはずだ。

そして当然のことながら野矢氏のように対象を現実の机や本と解釈するのは
不合理であることが判明する。現実の机は現にあるような仕方で構成されていなくても
よかったはずである。人は同じ木材を使って机ではなく、椅子を作る事もできたはずである。
現実の机も本ももっと細かく分解する事ができる。この様なものは到底対象にはなれない。
それは単純でなければならないから。(後に『探求』では何を単純と言えるかということ
を徹底的に論じて<対象>という概念を攻撃している。)

406 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 15:51:20
「この 形式 は対象によって作られる」って、

「この 対象の配列 は対象によって作られる」

ってことではありえないの?

「文は語によって作られる」ってことと
並行的なことかと素朴に思った。

407 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 16:10:03
で、文でありうる語の配列が
どのような世界でも共有されなければならないように、

事態でありうる対象の配列も
どのような世界でも共有されなければならないのだと思った。

408 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 16:23:12
>後に『探求』では何を単純と言えるかということ
>を徹底的に論じて<対象>という概念を攻撃している。

『探求』の39節以下のことなら、
ラッセルの考えを批判しているのかもしれないと思った。
最初に論理的固有名の話があるし。

409 :勝手批評:2006/05/02(火) 17:10:32
>>406>>407
やや要旨が不明なのだが。どの見解に対する反論なのか、それともただの感想なのか。
>>408
ラッセルのどんな考えなのかよく判らないがとにかく自分自身の旧思想で陥ったような
考えとそれに類似した考えとを引っくるめての批判だろう。自己批判と見なした方がわかり易いとは思うが。
そうすれば『論考』2.02「対象は単純」と言っていることもよく理解できる。


410 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 17:20:17
ある現実の机をAと仮に名づけると、現実世界ではAは木でできているが、ある可能世界ではAは石でできているかもしれない。
でも、それは同じ1つのAについてのいろんな想像であって、全然別々のものの話をしているわけじゃない。
また、Aの「形や材質を持つ」という論理形式はどんな可能世界でも変わらない。
そういう意味で、現実のこの机は不動(fixed)の対象でいいと思うよ。

411 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 17:29:34
>>409

>>406-407は、

>>405にある

>2.023「この(不動の)形式は対象によって作られる」
への
>同じ形式、即ち対象

というコメントに対するレス。

412 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 18:21:13
『探究』46節の末尾に決定的に見える文があった。

413 :考える名無しさん:2006/05/02(火) 18:34:19
でも写像理論を思いついたきっかけだとされているエピソードを思い出したら、
直接実在論的に『論考』を読むのもありなのかもしれないと思った。

414 :勝手批評:2006/05/03(水) 03:03:26
>>410
>現実のこの机は不動(fixed)の対象でいいと思うよ。

その机を構成している全く同じ材料を使って椅子を作れるという話をしたんだが、
それでもこの<机>が不動だと言うのか?机は椅子に変わってるのに?そんな馬鹿な。
そしてそれが本当なら『探求』の単純・複合の議論は全く無意味になってしまう。
木でできている机と石でできている机を同じものと見なすなんていう人はそもそも物の区別が
つかないんちゃうかな。<机>というだけで全部同じに見えてしまうなんて。

野矢氏のように実物の机を対象と見なすと2.01「事態は諸対象の結合である」
の解釈がわけが判らなくなってしまう。(野矢氏などは全く頓珍漢な解釈を引き出してる。)
机のようなものは簡単に分解できてしまって単純ではないから対象に数えることはできないと
405でも書いたのだが。それとも机や本は完全に分解不可能だと主張しているのか。

>>413
素朴な実在論的な見方はもちろんインスピレーションとして働いたことは間違い無い。
でも『論考』はフレーゲ、ラッセルらの現代論理学とウィトゲンシュタイン独自の
自我や論理・倫理を語り得ないものとして世界の外に置く考えとの奇妙な結合となっている
から単に素朴実在論として読もうとすると全体の論旨が判らなくなってしまうと思う。
そういう読み方は論理実証主義者達の二の舞になるだけだ。

415 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 11:57:23
このものが机から椅子に変わるでも、子供が大人になるでもいいんだけど。
変化は常に一定の対象の変化として語られる、というのは基本的な文法的事実だよ。
可能な言語のあり方を手がかりに世界についてアプリオリに語るのがウィトゲンシュタインの基本だから
実物の机の変化について語れるなら、変化の基体は不動(fixed)の対象と言っていい。

416 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 12:08:08
「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。」というわけで、ウィトゲンシュタインにとって
存在論的に一次的なのは事実であって、対象じゃない。
対象は名を含む言語の使用を現に可能にしているものとして要請される意味論的概念なの。
個体としての机は分解できるけど、それによって対応する名前が無意味になるわけではないから問題ない。
机個体の名前なんて普通ないけど、野矢さんを真似てお茶目な固有名を付ければ、それは単純でしょ。

417 :勝手批評:2006/05/03(水) 15:32:07
>>415
>実物の机の変化について語れるなら、変化の基体は不動(fixed)の対象と言っていい。

いつの間にか<机> ではなくて<基体>というあなたの考える形而上学的概念が出てきてしまった。
あなたの言う<基体>のレベルがウィトゲンシュタインの言う<対象>のレベルなのだが
どうやら415氏はその事に無頓着らしい。
問題はその時現実の<机>や<本>はそれ自体としては対象ではないということだ。
<机>や<本>はもちろん幾らでも変化するから。
(そこの所を野矢氏は無理やり素朴実在論によって理解しようとしてわけが判らなくなってる。
で415氏の場合は自分が形而上学的な概念に言及しているのに気付かずそれが野矢氏の
解釈と同じだと誤解している。415氏は恐らく『論考』も野矢氏の『論考を読む』もちゃんと読んでないと思う)

>>416
>対象は名を含む言語の使用を現に可能にしているものとして要請される意味論的概念なの。

僕も最初そんな風に考えて「写像理論を考えついて、対象の方は何とかなる」と
ウィトが考えていると思っていたが、これは誤解でもちろん命題の形式は実在する世界の形式
と一致するから命題は意味を持つと考えていたのだから世界の形式、対象は実在して
いなければならない。対象が元になかったらそもそも命題なんて作れないからだ。

「個体としての机は分解できるけど・・・」以下の文章は全く意味が判らない。
個体としての机が分解できるのならそれは対象ではなく、対象の配列だ。
そもそも野矢氏もあなたも<対象>を<事態>或いは<事実>と混同している。

野矢氏の言う現実の机は『論考』のいうところの(成立している事態即ち)<事実>
のことなのだが野矢氏は全くそれに気付かず自己流の解釈を施して勝手に混乱に陥っている。

418 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 16:06:29
我々の世界にあるこの机は「事実」ではないだろ。
ウィト神の直観する世界には「事実」の事例があるのかもしれないけど。

419 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 16:56:22
『科学哲学 37-1』所収の書評論文で、
空間時間色等々が『論考』の「対象」である
という行き方が示唆されていた。

それが正しいとして、それらの「対象」から日常的なこの机が作れるのかね。
(その論文では日常的な対象とは「事実」のことであるなどとはいっていないが。)
日常的ではないものは作れそうだが。

420 :勝手批評:2006/05/03(水) 17:11:41
>>418
>我々の世界にあるこの机は「事実」ではないだろ。
???これはまた奇妙な事を言い出した。事実とは成立している事態のことだが。
当然現実の机は可能的な<事態>の内で成立している事柄だから事実だ。
これは1.1「世界は事実の総体であって、もの(対象)の集まりではない」に繋がって
世界は可能な事態の内で現実に成り立っているもの(事実)の総体である、という
誰もが納得する事を言ってるに過ぎない。可能なだけならそれはまだ現実ではないからだ。

ウィト神の直観?うんぬんはもはや(文字通り)神がかった解釈でついていけない。
事実という語を普通の意味で解釈すればすぐに意味がわかると思うんだが。
あなたは普段「事実」という語をどうやって使っているのか。

もう同じことを何度も繰り返しているがいい加減野矢氏の、そして自分の解釈の
奇妙さに気付いて欲しい。それには原典の『論考』と既に挙げた誠実な解釈本
をちゃんと読んで下さい。

421 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 17:22:50
>事実という語を普通の意味で解釈すれば
>現実の机は可能的な<事態>の内で成立している事柄

なんてなるはずがない。

机が事柄であるなんて言い方はしないだろ。

422 :415,416:2006/05/03(水) 17:22:54
>>417
> いつの間にか<机> ではなくて<基体>というあなたの考える形而上学的概念が出てきてしまった。
ん?基体って言葉使っただけで形而上学扱いされるなら、「話題」でもいいけど。
要は言語表現の成り立ちについて言いたいだけで、存在論的にはもちろん中立だから。

> 野矢氏の言う現実の机は『論考』のいうところの(成立している事態即ち)<事実> のことなのだが
いや、そういう誤解を避けるために、野矢氏は机に「XXちゃん」とか固有名をあえて付けるわけ。
そうやって対象を固定して、いろいろ有意味に反実仮想できるでしょ。
つまり、対象としていろんな事態の構成要素になれる。

423 :415,416:2006/05/03(水) 17:29:03
単純性の扱いについて野矢さんとウィトゲンシュタインが分かれることは、彼自身が明記している。
野矢さんは固有名や赤さは単純とみなして問題ないという考えだが、ウィトゲンシュタインの方は
要素命題相互独立性にこだわったので、もっと分析が必要と考えた。彼が対象の具体例を示さないのは
分析の結果を見るまで分からないからであって、形而上学的実体とかとは何の関係もない。
ただ、そういう「対象とは何か」みたいなことは論考の価値を致命的に左右することではないというのが
野矢さんの考えだし、彼の解釈の主要関心でもない。彼の論考解釈で斬新なのは論理や関数概念の方だよ。

424 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 17:30:47
わかりやすくいえば、
《事態》に対応するものは《命題》だとされているが、
机が《事態》だとすると、机に対応する「机」が《命題》だということになる。
これはすくなくとも普通の言い方ではない。

机に対応する《命題》は「机」ではなくて、
複雑な表現になるのだろうが、
それは既に日常的な机ではないな。

425 :勝手批評:2006/05/03(水) 18:24:09
421=424,と「415,416」氏は別の人物なのか。それとも全部同じ一人の人物なのか。

>>421
机を構成している木材はそれだけなら椅子を作る事も出来るということは認める?
それならその木材が現に机であるということは可能な事態の内で成立している事柄
即ち事実だ。(そして『探求』ではその木材は単純な対象と言えるか、と問うている
と見る事が出来る。そして結論は否定的なものだ。何を単純と見なすかは場合によって
違うと。)

>>422
固有名を付けると対象が固定される?意味不明だが仮に机に「XXちゃん」と
名前をつけたところでその「XXちゃん」(机)は脚や台の部分に分解できるんだから
単純な対象になり得ない、と何度も何度も言っているんだが。
>要は言語表現の成り立ちについて言いたいだけで、存在論的にはもちろん中立だから。
というのはあなたの勝手だがそれを『論考』の解釈とすると『論考』全体の筋が通らなくなる。

>>423
>彼が対象の具体例を示さないのは 分析の結果を見るまで分からないからであって
違う違う。分析が初めにあるんじゃない。それは実在を写像しているから命題は
意味を持つんだって。これは物理学的に言うと何が物質の根本要素なのかという問いと
類比的だ。『論考』ではクウォークのような単純な存在(即ち<対象>)を前提にしていたが
『探求』ではそういうことは場合によって違うとしか言えないとしてこれを退けている。

>>424
現実の机は<事態>じゃなくて(現実にあるんだから)<事実>だ。
机はある、とか無いとか言える。だから命題で表せる。即ち「机:真|偽」だ。
机が現実にあるのなら机=真であり、現実に無ければ机=偽だ。


426 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 19:21:29
すごい身勝手だw

427 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 19:40:27
>>425のいう
「机」という「命題」は、
「その木材が机である」とともに
「机はある」でもあるわけか。

そうだとすると、そのような「命題」は
偽であるとともに真でもある
場合もあることになるな。

428 :考える名無しさん:2006/05/03(水) 23:54:10

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


429 :考える名無しさん:2006/05/04(木) 00:12:50
もうね(ry

430 :考える名無しさん:2006/05/04(木) 00:33:29
これは「ツルツル発言」の実践?

431 :考える名無しさん:2006/05/04(木) 01:17:57
>399  で

どうやらみんな野矢氏の『論理哲学論考を読む』を読んでいないらしいのでその根本的な
間違いを指摘したところで不毛になりそうなのでこの辺りで終えます。

と言った人物が、しつこく野矢批判を続けると言うことは、
ただの自己顕示欲が強い人と判断せざるをえないよねw

本当に野矢を乗り越えたのなら
彼を批判などしなくてもいいはずなんだが。

だって野矢より彼の方が「正しい」ことは
こんなとこで書かなくても明らかのはず・・・
らしいからwwwww


432 :考える名無しさん:2006/05/04(木) 20:59:59
お前みたいなカスのいない板があればなあ

433 :考える名無しさん:2006/05/13(土) 06:18:16
刺激age

434 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 20:58:02
   _ _ ∩                                    _ _ ∩
  ( ゚∀゚ )ノ )))             ⊂ヽ                  ( ゚∀゚ )/ 
  ( 二つ    おっぱい!    ((( (_ _ )、   おっぱい!     ⊂   ノ   おっぱいぱい!
  ノ 彡ヽ                γ ⊂ノ, 彡         .     (つ ノ  
  (_ノ ⌒゙J            .   し'⌒ヽJ          .    彡(ノ


435 :考える名無しさん:2006/06/14(水) 14:06:16
「探求を読む」ってのが2年後ぐらいにでるといいなぁ

436 :考える名無しさん:2006/07/16(日) 02:19:07
要らないな>探究を読む

437 :考える名無しさん:2006/08/06(日) 07:56:30
しろうと談義でどうにかなるのが哲学の難点ともいえるな。
いや、どうにもなってないはずなんだが、とりあえずそれで飯が食えてしまう。
そういういい加減な業界だってことだ。


438 :考える名無しさん:2006/09/06(水) 16:47:11
sage

439 :考える名無しさん:2006/10/13(金) 19:26:17
『入門!論理学』はどうよ?

440 :考える名無しさん:2006/10/21(土) 19:20:27
http://etc4.2ch.net/test/read.cgi/kouri/1150955419/150-151

441 :考える名無しさん:2006/10/25(水) 18:58:53
>> 439さん
!!
出てたの知らなかった
読んでみようと思う

442 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 20:08:28
買いました。まだ「はじめに」しか読んでないけど
「はじめに」にある
「入門の第一歩ではあるけれども、同時に、ここは何度でも立ち戻ってこなければ
ならない論理学の核心部分なのです。」ってのを読んで
野矢の本が好きな理由はこれなのかぁと
実際、何回も読むんですよね、野矢の本


443 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 14:17:16
中央公論新社120周年記念講演会について
http://www.chuko.co.jp/event/018/

好評発売中の中公新書『入門!論理学』の著者・野矢茂樹東大助教授を招き、当社1
階ホールで「中央公論新社120周年記念講演会 言葉の論理・言葉にならない論理」を
開催いたします。入場無料・プレゼント付きですので奮ってご応募ください。

■ 日 時 11月26日(日)
午後1時30分から3時30分
(受付は午後1時から)

■ 場 所 中央区京橋2-8-7
読売中公ビル1階ホール

■ 定 員 抽選で130名
(当選の方には11月21日までに通知)

■ 入場料
無料(プレゼント付き)

■ 応募方法 「講演会参加希望」、 住所、氏名、年齢、電話番号を明記し、
FAXまたはEメールで中央公論新社宣伝事業部にお申し込み下さい。
E-mail : senden@chuko.co.jp
FAX 03-3567-3904
問い合わせ先は 宣伝事業部 電話03-3563-2128

■ 締 切 11月20日(月)

444 :考える名無しさん:2006/11/12(日) 21:30:04
申し込んだっ
当選しますように

445 :考える名無しさん:2006/11/14(火) 18:27:46
te


446 :考える名無しさん:2006/11/17(金) 10:02:56
返信こねーぇー
ハズレたのかな

「ウィトゲンシュタインは2で割り切れそうですヨ」

といいたい

447 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 19:35:56
『哲学の謎』の一方の登場人物がキザったらしくて鼻につく。

448 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 21:49:32
キザったらしいのは、冨田恭彦。
前に『哲学の最前線』や『科学哲学者柏木達彦の春麗ら』なんかを読んで、
ハーバード留学の浮かれぶりにあきれた。
おのぼりさん、そのものじゃね〜か。

449 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 14:53:38
>>443
メールで申し込んだのに対して、いま
「120周年記念講演会 ご当選のお知らせ」
というタイトルのメールが送信されてきた!

当選した人には同報で届いてるんじゃないかい?

443ありがとう。

450 :考える名無しさん:2006/11/21(火) 15:45:35
当選通知か何かは来ないのかな?
当日は何か当選を証明するものを持っていかなくてもいいの?

451 :考える名無しさん:2006/11/22(水) 00:13:42
おれんとこにもきた
うれしい

>> 450さん
と同じことを考えた
「当選メールきましたョ」といえばいれてくれるんだろうか...

5人ぐらいだったらキンチョーするな

452 :考える名無しさん:2006/11/23(木) 00:38:52
5人ってw
定員130名だよw
まぁ、申込者全員当選のような気もするけど・・・

453 :考える名無しさん:2006/11/23(木) 12:24:50
この種の講演には何度か出たことあるけど、受付で名前のチェックぐらいはするよ。

「あれ? おかしいなあ、何かの手違いじゃないですか?」とかで対処できなくはないかもしれないけど。

ただ、お土産が出るってところがよくあるのと違う。
どうせ中央公論社名入りボールペンとかだろうけどw

前に行われたリブレの野矢先生の有料講演でも50人ぐらいは入ってた。
大学院生っぽい参加者が多かったな。
ちなみに、そのとき、野矢先生は、主催者に頼まれても著書にサインしなかった。
サインしてる自分という「いい気になってる」ような図が堪え難いそうで。

454 :考える名無しさん:2006/11/23(木) 20:07:53
こういうのに行ったことないんだけど
なんか録音できるの持ち込んだりしたらアウトなんかね


455 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 23:38:32
>>443
こんなのがあったなんて・・・
ていうか今日だね。行ったヤシ乾燥機本

456 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 23:46:57
「論考を読む」の後書きで、野矢氏が哲学を始めたのは20歳台の中盤からだと
語っていたけど、どうやって今の地位と名声を得たんだ?
学生のころは哲学なんてしてなかったそうだが。

457 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 01:20:29
有名教授に体を

458 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 03:13:13
ウホッ

459 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 07:45:53
アッー!

460 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 08:08:00
単に日本の哲学のレベルが低いだけって身も蓋もないこと言っちゃだめですか?

461 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 09:32:50
数学・物理が分からない人が哲学科に集まるという現実は
日本特有の現象でしょうね

欧米の哲学科では考えられない事態ですが・・・

462 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 10:20:19
>>461
欧米の哲学科は数学・物理がわかる人間も集まってくるが
数学・物理のわからない人間だってたくさんいるぞ

463 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 10:34:14
数学科にも数学のわからないバカはいるだろw

日本の哲学科学生の99%以上は数学・物理がチンプンカンプンだが、
欧米の哲学科学生はかなりの割合で数学・物理の素養を持っている。
この違いは大きい。
大学によっては副専攻として数学・物理あるいは生物学の履修を義務付けているしな。

464 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 12:12:26
> 99%以上

そういういい加減な数字を書いてたら説得力がなくなるよ

> 大学によっては副専攻として数学・物理あるいは生物学の履修を義務付けているしな。

学部の副専攻は自分で選べるものなので義務付けと言えるかな?
大学院では副専攻というものはないし(人によっては自主的に数学・物理の
修士号をとろうとするけど)

まあ違いが大きいのは確かだけどね

465 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 13:36:56
99パーセント以上を云々できるとなると、
日本の哲学科学生は1000人以上ですか。


いや、101人以上いれば十分か。

466 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 16:55:08
>>465
はぁ?
あんた白痴?

467 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 17:06:18
>>466
別に煽ってないけどそういう事言うという事は学生なんだね。すぐ煽るだとかそういう考えやめた方がよいよ。
はっきり言って採用面接の際おそらく20代中盤位の女の子が「結果は月曜に連絡します」と発言した傍らの人が
その人に肘撃ちし小声で「馬鹿っ!火曜でしょ」なんて言うやり取りをしてる始末。
そういう人を企業の人選選びのセクションに配置するばかりか、企業の顔として
求職者に相対させる始末。これには私も驚いてしまったんだけど、今の時代こんなもんなのかもと思った。
前職が比較的警察官僚の天下りで経営されていた企業だけに。
こんな文章書く社会人なんて珍しくないし、外部に文章出す時は、辞書やら引っ張り出し
何十回も校生したりして、一応格好つけた文章にはしている。
しかしベンチャー企業に至ってはそれすらしないらしい。だって誤字がまばらだもんな。
それでいいらしい。貴方も就職したら分かるよ。大半の企業はここに文章書くときに
このレベルの者でも全然普通に会社でやっていけるということに。

468 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 17:51:02
科哲にいて大丈夫だろうか

469 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 17:52:53
佐々木力と一緒にいて。。。。

470 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 18:06:10
寂しすぎなんだけど何なの?一体。何?

471 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 21:44:01
なんか東大の科学哲学部ってセクハラとか似非科学とか糾弾されてるらしい。
村上陽一郎氏と佐々木力氏のことですハイ。

472 :考える名無しさん:2006/11/29(水) 22:14:50
科学哲学はそもそも科学を標榜しないから
どう転んでも似非科学とは言われないと思うけど

473 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 01:22:46
間違えタ〜インチキ論文のことアルヨw↓
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Kuroki.html

474 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 03:13:24
 ついでに・・・・暇なんで( ^ω^)・・・・・↓
166 名前:名無しさん [2005/02/23(水) 03:17]
301 :132人目の素数さん :05/02/23 02:51:10
57歳のオオカミ少年(チェリー),佐々木力教授の重ねた嘘の数々…

高校生の頃…井の中の蛙,DQN高校から模試に名前が載った程度のことを
      「全国でも名が知れた数学少年だった」と大風呂敷。

学部生の頃…大学2年で学部課程の数学をマスターし,ブルバキを原書で読破していたと吹聴するも,
      今だに書ける数式はST=f{E(x,y,z,t):T}のみ。

大学院の頃…数学が理解不能になり,現実逃避で学生運動にお熱をあげすぎて崩れたのを,
      「数学史へ関心が移行した」と誤魔化す。博士課程中退を「修了」とし,初めての学歴詐称。

アメリカ留学の頃…ギリスピー博士に自分の論文を絶賛されたと自慢するも,その論文の存在は確認できていない。
         優等生だったように偽っているが,本当は4年でプリンストンを追い出された。
         帰国後また「大学院修了,博士号取得」と学歴詐称。

東大教官の頃…あたかもクーンの直弟子であるかのようにふるまい学生の注目を集めるも,本当の指導教官はマホーニィ。
       研究室はアカハラ・セクハラの巣窟と化す。教え子の盗作論文多数の疑惑。

セクハラ発覚の頃…停職処分中,週刊新潮のインタビューに答えて,「あのセクハラというのは間違い。全くの勘違い。
         あんなことはセクハラに当たりません。」
         http://f20.aaa.livedoor.jp/~merc/sasaki_shincho1.jpg

佐々木氏に関する唯一の真実…「佐々木力は嘘つきであること」


475 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 03:15:24
・・・続き( ^ω^)・・・・・↓
173 名前:名無しさん [2005/04/15(金) 22:54]
東大科哲

「文理の融合」「学際研究」「新生学問」

みんなインチキ
ただの低能の巣窟

193 名前:名無しさん [2006/08/17(木) 13:23 ID:CA5Vq7LY]
>>192
山本氏もかなり懲りてるみたいですよ
今科学史の学界は佐々木みたいなゴミだらけ。

194 名前:名無しさん [2006/08/19(土) 14:02 ID:4GUJSYfs]
実名晒すのはまずいよ。

195 名前:名無しさん [2006/10/02(月) 01:29 ID:4jTb1KOo]
>>193
科哲は
おちこぼれの救済学科だからしょうがない
 
 ・・・・・なんか読んでると、科哲って理系志して挫折した人の巣窟のように聞こえるが?!
野矢氏は違うと考えるしかないw考えたい( ^ω^)!
http://hps.c.u-tokyo.ac.jp/index.html             東大科学哲学
http://f20.aaa.livedoor.jp/~merc/sasaki_shincho1.jpg          セクハラ
http://campus.milkcafe.net/test/read.cgi/toudai/1104187909/l50
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1111686981/
http://talk.milkcafe.net/test/read.cgi/news/1104201022/

476 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 01:29:18
科学哲学は科学を基礎付けるために必要さ

477 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 02:25:10
論理トレーニングが新版になってた・・・

478 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 04:58:46
この人は面倒見がいいよ

479 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 18:58:43
なんでいまだに助教授なの? だれかに足引っ張られてる?

480 ::2006/12/31(日) 16:44:11
えーと、相談に乗って頂きたいのですが・・・。
ここにいるひとなら自分の違和感をわかってくれるかなと思い書き込むんですが・・。
最近、当たり前のことが疑問に思えて、・・頭おかしくなってるのかもしれません、
その違和感が頭から離れず日常生活に支障をきたしてます。

具体的には、言葉と思考(心象)のずれ(違和感)に、自分の認知がとまどっています。
それで、論理学を勉強しようと野矢先生の本読んだんですけど・・
僕は最初、論理は思考についての学問(思考はこうあるべきだ)という学問だと思いこんでいたのですが・・。
僕の感じる違和感は、論理は思考についての学問だと思い込んだせいでこの感覚が生じたのかもしれない。

野矢先生の「論理トレーニング」(演繹や推論)という本の冒頭に、
たしか「論理と思考の関係について」という文章があって
そこに思考と論理は別物であって、論理は文と文(言語の世界)の関係
についていうみたいな趣旨のことが書いてあって、さらに「一種の文法だ」
みたいなことが書いてあって、僕はショックを受けたんです。
「えー、論理って思考の規範というよりは整理整頓みたいな程度でしかないの?」って。



481 ::2006/12/31(日) 17:10:52
具体的にいうと、僕が悩んでいるのは「言葉と心象のずれ」に対する違和感
言葉にこだわりすぎというか、言葉を文字通り受け取ってそれとの心象のずれに
「あれっ?」てつまづく。認知障害かも
おもしろい例えを思いついたので・・。
豆腐と聞くと、普通の人は「あの白くて固いもの」(心象)が思い浮かんで終わりなんですが
僕の場合は、「豆腐」→「あの白くてかたいもの」と浮かんだあとに、「豆腐」は「豆の腐った
もの(例えば納豆)」(ここが自分の硬い思考)と考え、あれっと感じるのです。

推論・・例えば、「昨日は下痢をした。昨日食べた魚のせいだ」と誰かに言ったとして、
これを聞いた普通の人はあー、あいつは昨日は下痢をしたのねとイメージして、そのあとに
「昨日食べた魚のせいだ」とイメージして、「ああそうなのね」と腑に落ちて終わりなんですが、
野矢先生の本を読むと、他にも「さっきのとんかつのせいだ」と考えられるから
といって、確かさを保障しないといいます。確かさを保障しないというのが僕の認知に影響したらしく

普通の人「昨日は下痢をした」→「昨日の魚のせいだ」(心象)で腑に落ちておわりだと思うんですが、
でも、僕にとっては「昨日は下痢をした」→「昨日の魚のせいだ」(心象)で腑に落ちるんですが、
そのあと、そうじゃないかもしれない(言葉の世界が自分の心象に影響を与えて気持ち悪く感じます、これが違和感)
(こういう推論の文章を聞いた後は、最近自然な感じがしないので気持ち悪く感じます)
(さらに言うと客観的事実は、「5日前の刺身のせいかもしれない」)
やっぱり、「昨日は下痢をした」→「昨日の魚のせいだ」(心象)で腑に落ちておわりでいいんですよね。

それで、言葉の世界と自分の心象の世界と事実の世界は別なのかなって考えてるんですけど

言葉と思考と事実はは密接に結びついているので、なんかずれる場面になると
うまく認知できなくて悩んでいます。こういう違和感にどう思われますか?
考えすぎておかしくなりませんか?

482 ::2006/12/31(日) 19:33:59
ここに自分は言語が指し示す世界で妥当される判断(演繹、推論)と心象における判断の
間にずれを感じ、根深い違和感を感じるのです。

何か感じたことがあれば、書き込んでください。
きついので。


483 :しろうと ◆AUSirOutoE :2006/12/31(日) 20:44:14
>>480-482
>言葉と思考と事実はは密接に結びついているので、なんかずれる場面になると
うまく認知できなくて悩んでいます。

論理は言語の使用の規則だというふうに私は捉えています。
従って、思考や事実と基盤が異なっているのは当然でしょう。

α    β
a 1100  a 1100
b 1010  b 1010
c 1000  c 0110

例えば上表のような対応関係があるときに、
αのcが「&」・βのcが「^」となる規則の事です。

ここでの「&」は「a:1 b:1 c:1」となるが、「a:1 b:1 c:0」とはならない。
心象イメージではなく、そういう記号に関する構造が論理です。

上は形式的な論理ですが、われわれは現実にも用いています。
例えば、青い線(a)と赤い線(b)のどれを切れば(切らなければ)
爆弾が爆発する(しない)場合に、「&」か「^」は命に関わります(^^)

もちろん記号的・形式的・抽象的でない言語使用もあるでしょう。
最近の野矢先生の本で言えば、『入門! 論理学』の第一章で、
その説明(論理と常識・連想との違い)が平易になされています。


484 ::2007/01/01(月) 02:55:07
>>483
レス、ありがとうございます。

論理は思考というよりは、思考を表現するための、道具というイメージで
よろしいでしょうか?
しかし、思考も文章という形で表されるなら、論理で表される気がしますが・・。

485 :しろうと ◆AUSirOutoE :2007/01/01(月) 10:01:42
>>484
>論理は思考というよりは、思考を表現するための、道具
>しかし、思考も文章という形で表されるなら、論理で表される

両立可能な主張のように思われますが…。例えば以下のように。
>「思考」を「論理」という道具を用いて「表現」したものが「文章」である。

ここで「思考」と「論理」と「表現」と「文章」が示すものは一致しません。
例えば「思考していることが上手く表現できない」事態は普通でしょう。

たぶん、思考は文章の形で表されるが、それは思考の「すべてではない」、
ということではないでしょうか。ある思考は表現され、別の思考はされない。


486 ::2007/01/01(月) 17:03:48
>>485
非常に明晰な分析、感謝します。
>ここで「思考」と「論理」と「表現」と「文章」が示すものは一致しません。
例えば「思考していることが上手く表現できない」事態は普通でしょう。

確かに。言われてみれば当たり前ですが、しかし、よく気がつきますね。

>思考は文章の形で表されるが、それは思考の「すべてではない」、
ということではないでしょうか。ある思考は表現され、別の思考はされない。

なるほど、基盤が違うから、一致する場面もあれば、異なる場面もあると。
この点に僕は、感覚的なおかしさを抱いていたのだと思います。
僕は、論理学を勉強して、よりよく判断できるようになると思っていたのですが、
かえって違和感を覚えてしまい、こんなこと知らなければよかったと考えていました。
こういうことは、あまり書いてないので、僕のような頭の悪い人間には誤解を与え、認知
障害を引き起こしかねない怖い学問だなと感じます。
質問ばかりで恐縮ですが
論理は演繹と推論が代表的だと思いますが、他にありますか?
>もちろん記号的・形式的・抽象的でない言語使用もあるでしょう。
ひょっとしてこのこと?
僕は論理は心象イメージに関するもの(演繹と推論)と考えていて、
そう考えたから変な違和感を感じていたのではと思うんです。
しろうとさんは、日常言語とどう付き合っていますか?
分析しようとするから違和感を感じるのですが、このままでは深みにはまりそうで
怖いですね。



487 ::2007/01/01(月) 18:14:27
>ここで「思考」と「論理」と「表現」と「文章」が示すものは一致しません。
例えば「思考していることが上手く表現できない」事態は普通でしょう。

ここで、あらたな疑問が・・。では日常生活では論理や言葉を借りて、
受け手は、相手の「心象」を取り出そうとします。論理や言葉が心象と一致しないなら、
それを受け手が取り出すのにも根本的な不安が生じると思います。当たり前ですが、
その点に取り出すべき約束(慣習)などが生じるから、我々の生活はうまくいってるんですね。





488 :しろうと ◆AUSirOutoE :2007/01/01(月) 23:34:56
物の理を学ぶのが物理学で、
論の理を学ぶのが論理学でしょう。

現実世界には空気抵抗や地面の摩擦があるので、
古典的な慣性による等速運動は見られませんね。

同じように、日常言語では言葉の誤差(言葉の綾)が増幅して、
論理学の記述通りでない現実(ザラザラした大地)があります。

ただ、現実を単純化・抽象化したモデルとしての有用性はあります。
現実の言語活動をある程度シミュレーションすることはできるでしょう。


489 ::2007/01/02(火) 21:52:05
>>488
しろうとさん、ありがとうございます。
また考えてみて、疑問が生まれたのでしつこいようですがお付き合いください。
演繹(その内容からその内容だけを取り出す)とか推論(積極的に飛躍しようとする)とか
は、そうはいっても頭(思考)の働きでもあると思います。
大雑把にみれば、心象イメージに関する構造が論理という見方も成り立ちうると思うんです。
(自分の最初の考えもこのイメージがもとになっていた気がします)
>論理は言語の使用の規則だというふうに私は捉えています。
従って、思考や事実と基盤が異なっているのは当然でしょう。

基盤が異なるというのは、どういうきっかけでそう感じたのでしょうか?
言語の使用規則というのは、尊敬語とかそういうレベルと同じもの
と認識しているということでよろしいでしょうか?

490 :しろうと ◆AUSirOutoE :2007/01/04(木) 19:38:30
>演繹とか推論とかは、そうはいっても頭(思考)の働きでもある
脳は確かに論理を使うときのハードウェアではありますが、

>大雑把にみれば、心象イメージに関する構造が論理という見方
数値計算や論理演算は、コンピュータにもできますよね。
しかし、コンピュータは機械だから、イメージは完全にないのです。

>言語の使用規則というのは
従って、「1+1=2」というレベルにあると認識しています。
もちろん言語には(形式)論理的でない側面もあります。


491 :考える名無しさん:2007/01/04(木) 19:42:44
機械だからイメージはないとなぜ言い切れる?

492 :しろうと ◆AUSirOutoE :2007/01/04(木) 19:49:40
正確に言うと、コンピュータが仮にイメージを描いているとしても、
人間にとっては不可知であり、行為の連関に影響しません。
人間でも「1+1=2」が正しいかどうかは、「1個のリンゴ」のような
内部で思い浮かべているイメージには全く関係ないわけです。


493 :考える名無しさん:2007/01/07(日) 20:41:07
野矢さんの哲学てどんなん?

494 :考える名無しさん:2007/01/18(木) 23:06:59
野矢さんってまだ助教授?

495 :考える名無しさん:2007/01/28(日) 13:42:54
東京大学出版会
http://book4.2ch.net/test/read.cgi/books/1169876189/l50

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