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【カント】形而上学を語るスレ【アリストテレス】

1 :考える名無しさん:04/11/17 19:27:47
抽象的すぎてよくわかんない形而上学をマターリ語りましょう。


2 :考える名無しさん:04/11/17 19:28:17
形而上学は「けいじじょうがく」って読みます。

3 :考える名無しさん:04/11/17 19:29:09
形而上学は英語で「Metaphysics」って言います。

4 :考える名無しさん:04/11/17 19:35:49
抽象的なのとただの妄想をごっちゃにしてはいけません。

5 :考える名無しさん:04/11/17 19:59:44
思いつきだけでスレたてるなっつったろ?

6 :考える名無しさん:04/11/17 20:03:52
>>5
誰に言ったの?

7 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/11/17 20:15:01
「形而上学」はアリストテレスから始まりますが
中世ではスコラ的神学、近世では存在論と結び付けられてきました

カントは、大陸合理論とイギリス経験論を折衷する形でドイツ観念論の流れを生みますが、
そこでは伝統的な哲学の形而上学という概念を批判し、その限界を定め再構築を試みます

それで自分の形而上学の暫定的な定義は「経験を超える存在・認識の学」というものです


8 :考える名無しさん:04/11/17 20:17:15
 |____  \□ □
       / /   _____
      / /   |_____|
     / /
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     ̄                   (⌒ ⌒ヽ
    ∧_∧             (´⌒  ⌒  ⌒ヾ
   ( ;   )           ('⌒ ; ⌒   ::⌒  )
    ( ̄ ̄ ̄ ̄┴-      (´     )     ::: )
     |  (    *≡≡≡≡≡三(´⌒;:    ::⌒`) :;  )
    /  /   ∧   \    (⌒::   ::     ::⌒ )
    / /   / U\   \   (    ゝ  ヾ 丶  ソ
   / / ( ̄)  | |\  ( ̄)   ヽ  ヾ  ノノ  ノ
  / ( ノ  (   | |  \ ノ (
⊂- ┘(    ) └--┘ (    )
     UUUU      UUUU

9 :考える名無しさん:04/11/17 20:17:42
形而下学を省略して「科学」というようになった。
形而上学は科学より上です。

10 :考える名無しさん:04/11/17 20:19:41
クサイ

11 :考える名無しさん:04/11/17 20:21:05
>>9
科学コンプレックスも程々にな。

12 :考える名無しさん:04/11/17 20:22:25
  _, ._
( ゚ Д゚)臭い




13 :考える名無しさん:04/11/17 20:23:56
ψ

14 :考える名無しさん:04/11/17 20:27:06

                        
                       
  ∠ ̄\                  
  / ン〜'ヽ                    
  ( (´・ω・`)                
  / _| _)                    
 ノ _∪__∪          ∧ ∧    
 ~(_)_)      ⊂⌒ ( +ω+)つ   


15 :考える名無しさん:04/11/17 21:48:29
死に神       気絶中の>>1

16 :考える名無しさん:04/11/17 23:14:16
超自然現象の真理を体系的に捉える学問

17 :考える名無しさん:04/11/18 18:01:43
超自然現象が超常現象のことなら、超常現象を対象と
する学問はカルトであって形而上学ではない。
自然学に対する自然哲学がもともとの形而上学である。


18 :考える名無しさん:04/11/18 18:05:19
「現象」ってつけなければ合ってると思われ。

19 :考える名無しさん:04/11/18 18:05:57
超自然的存在ってこと?

20 :考える名無しさん:04/11/18 20:27:14
「超自然」がチョー不自然に聞える。
自然って越えられるものでしょうか?
人間の思い上がりもいいかげんにしたら。
もっとも人間も身体は自然に属するのであって
超自然なるものではない。


21 :考える名無しさん:04/11/18 20:42:46
                            _     ∩_∩
                           /|☆\ニ\( ・д・)_,l\   ミヽ
                          〔|∈∋、 ̄☆∪ ̄ ̄   ̄||l>
                             ̄`=c、ーニ´〓 ∋ー─ゞ 彡
                                               
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       ⊂二]               
               ⊂二]          
  ⊂二]  パラ            
                  ⊂二]         ⊂二]

22 :考える名無しさん:04/11/18 20:43:42

  ゚ヾ   ⌒)⌒`;;`    ,。
  *゙(´⌒;;ノ⌒)`);ゝ;;⌒)ノ`,
 ,;´⌒:;i⌒`;,∴ヾ;;゙ノ;⌒`))、
 `:ミ(´⌒ノ;;ヾ∵゙ミ⌒)⌒`";゙;;,、,,;.、
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 ,(´⌒;;ヾ;从;;人;:ノ;ノ⌒`,。` `゙゙゙゙゙
(;´;:・`ヾ∴从;;ノ;;⌒`));、;ノ;;⌒゙〜')
   ":゙゙`';;゙ミ"`゙~゙;゙∵^~`;" ;`"
      ゙;',;,;;,

23 :考える名無しさん:04/11/18 21:57:07
>>20
哲学の世界じゃ「超自然」なんてごく当たり前に取り扱われると思うが・・・

24 :考える名無しさん:04/11/19 00:04:55
物の本質を追いかけると、感性を超えた世界にたどり着く

25 :考える名無しさん:04/11/19 03:12:31
>>12
>>13
逆だぞ

26 :考える名無しさん:04/11/19 07:40:51
>>23,24
まさに悟りの世界ですな。


27 :考える名無しさん:04/11/19 07:47:02
はぐれ刑事上学派

28 :考える名無しさん:04/11/19 11:16:16
また糞スレか。

29 :オレオレ詐欺:04/11/19 11:18:33
6年前に読んだアリストテレスの『形而上学』
今ならやっと1%ぐらいは理解できる気がする
ま、「物」と「名前」は使い分けろってことだよね?

30 :考える名無しさん:04/11/29 14:37:39
あたしにはよくわからないんですけどなんか面白そうですね

31 :考える名無しさん:04/12/11 18:06:10
そうよ、刑事ジョーだぜ、面白くなっくてどうんすんのよ。

32 :考える名無しさん:05/01/23 09:54:53
http://thinker.jp/tls/works.htm
http://www.i-nexus.org/gazette/law/tls010.html
元阪大助手の小林和之は、自分のホームページ上で 、
「どうして日本の法哲学界はこんなにも知的に貧困なんだろう。論文を読んで、 "他人の書いたものの切り貼りがほとんどで、
まるでいやいや書かされた小学生の夏休み感想文のようだ"と思うことは珍しくない。」

「挑発の意味もこめて「業界トップ宣言」をしてみようかとも思ったけれど、なんだかハズカシイからとりあえずはやめておこう。
だって、(日本の)法哲学界の第一人者、なんて、「三丁目でイチバンかけっこが速い」とか言っているようなものだからね。」 的なことを書いています。
他にも、
日本法哲学会は知的に貧困である。
日本法哲学会には一流の研究者が一人も居ない。
日本には、法哲学会界の進歩に貢献したと言える者が一人も居ない。そもそも法哲学界において日本人研究者は全く存在感がない。
貢献どころか島国を一歩出れば、個人的な知り合い以外に名前を知られている者すら一人も居ないのではないだろうか。
さらに、
書いてる論文については、周知のとおり、
外国の研究者の引き写し
外国と日本の状況の違いを考える事なく無批判に引き写す
「発展途上国型輸入学問」
「他人の書いたものの単なる感想文は哲学ではない。」と言っております。

副島隆彦と言ってる事が同じだね。副島よりも説得力はありそうだ。

33 :考える名無しさん:05/01/23 10:03:20
宮台は、「メタ万物学」なんて言い方をするね。


34 :考える名無しさん:05/02/06 23:59:04
しきりなおすぞ。
形而上学=超越論的哲学についてあつく語ってくれ。

35 :考える名無しさん:05/02/07 00:05:26
おれを一人にしないでくれ。
さっきから風呂が沸いているのにここにいるのだから。

36 :考える名無しさん:05/02/07 00:45:48
形而上学なんて、言葉だけ知ってるだけで、中身さっぱりわからん。
だれか基礎だけでいいから教えてくれ。

37 :考える名無しさん:05/02/07 01:10:26
physicsの背後にある原理を探る学、じゃダメかな?

38 :考える名無しさん:05/02/07 01:45:14
形而上学ニアイコール存在論

39 :考える名無しさん:05/02/07 02:24:38
科学とは何かを科学する学問

40 :考える名無しさん:05/02/07 02:27:47
形而上学ってようは二元論討議でそ?

41 :考える名無しさん:05/02/07 03:45:13
第一原因を探るんじゃないの

42 :考える名無しさん:05/02/07 05:31:51
>>41
あ、なんかそんな感じがするね。

43 :考える名無しさん:05/02/07 05:42:05
形而上学ってなんなのかエロイ人分かりやすく教えてくれよ

44 :考える名無しさん:05/02/07 09:22:37
形而上学の定義なんて語ったところで、それ意味があるのかな、と思うわけだな。
素直にエイドスとか本質とかプシュケーとか語ったらどうだろう。

45 :考える名無しさん:05/02/07 09:25:44
本質とは原理的あるいは構造的なものを指すで合ってるか?
規定的であり、存在論的なものが本質かな?



46 :考える名無しさん:05/02/07 09:52:46
なんだよ
だれも形而上学がなんなのか分かりやすく説明できないのかよ
形而上学って言葉だけ知ってて自分のものにしてないのかよ
なんだよこのスレは

47 :考える名無しさん:05/02/07 11:04:47
「続・自然学」っていう意味だよ。

48 :考える名無しさん:05/02/07 11:15:14
>>47
それはどういういみ?

49 :考える名無しさん:05/02/07 11:34:24
>>48
ttp://tech.millto.net/~ksm/index34.html

>アリストテレスは、自然学、形而上学、実践哲学、論理学などの著作を残したが、
>これらは死後に弟子達が編纂して名称を与えたものである。その際に、
>存在の原理について書かれた論が自然学の後ろに配置され、
>よって後ろを意味するメタという語が自然学という言葉にかぶさり、
>メタフィジークと呼ばれるようになった。
>だから、形而上学は正確にはタ・メタ・タ・フィジカと呼ばれ、
>その意味は「自然学諸巻の後の諸巻」ということになる。
>こうして、物理という自然的なものの背後にあるもの(原理)を探ることが
>存在論ということになった。そして、この言葉を日本では、形而上学と翻訳されている。


50 :考える名無しさん:05/02/07 11:47:08
>>49
自分の言葉でわかりやすく話してほしいんだけど・・

51 :考える名無しさん:05/02/07 12:20:11
だから、簡単に言えば「続・自然学」だってば。w

52 :考える名無しさん:05/02/07 12:30:04
>>50
>>49の説明でも分からなかったら、お前に理解するのは無理。
諦めろ。

53 :考える名無しさん:05/02/07 12:31:57
>>52
てか読んでないんですよ
このスレにいる人がちゃんと理解してんのかどうかが知りたかっただけ

54 :考える名無しさん:05/02/07 12:38:50
科学哲学では、科学の基礎になっているが、それ自体は確証も反証も
できないような信念の体系を「形而上学」と呼んだりすることもあるね。

55 :考える名無しさん:05/02/07 12:40:30
世の中が物理の法則で動いているのはよくわかった
だが 何故物理の法則があるのかを 考えてみよう というのが形而上学。

56 :考える名無しさん:05/02/07 12:53:36
>>50
古代ギリシャのアリストテレスさんは自分が学校で講義した内容を文章として残していました。
後世の人はそのアリストテレスの遺稿に対し、テーマごとに分類して題名をつけました。

アリストテレスの学識は広大な領域におよんでいました。
その考察範囲は倫理学・政治学といったもののみならず、
物理学・天文学・生物学などの自然科学の領域にも及んでいました。
そのうち、物体の運動などこの世界の物理的現象を扱った講義録があり、
それに対して『自然学』(physika)という名前がつけられました。

ところで、この『自然学』(physika)と呼ばれる講義録には、続きが付属していました。
その『自然学』(physika)のあとに続く部分には、
「この世界にものが「ある」とはどういうことか?」といった「存在」の問題であるとか
「神」の問題であるとか、「「なぜ」物事が起きるのか」という因果の問題であるとか、
この現実世界のその「背後」にある原理を探るような内容が探究されていました。
後世の人はこの自然学のあとに続く部分のことを
『自然学の後に続く書』("ta meta ta physika")と呼ぶようになりました。そのまんまですね。
この"ta meta ta physika"が語源となり、
自然的なものを超え自然的なものの基礎となる問題について考察するような学のことを
"Metaphysics"と呼ぶようになりました。

(なお、日本語の「形而上学」という言葉は、明治に西洋からこの概念を導入した際に当てられた訳語で、
 『易経』繋辞上伝の“形而上者謂之道、形而下者謂之器”
 (形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う)から取られているそうです。)



これでいいか?

57 :考える名無しさん:05/02/07 12:54:42
>>53
馬鹿はとっとと氏ね

58 :考える名無しさん:05/02/07 13:02:13
>>55
そういう答えを待ってたんだよ
ありがとう

59 :考える名無しさん:05/02/07 13:28:43
>>56
長いから俺なりに要約していいか?

つまり、物理の背後にある原理を探る。ってことでいい?

60 :考える名無しさん:05/02/07 13:38:14
>>59
要約は哲学の敵。

61 :考える名無しさん:05/02/07 13:41:16
「背後」とかゆうからグダグダw

62 :考える名無しさん:05/02/07 14:02:57
>>55
うそ教えるな。

63 :考える名無しさん:05/02/07 15:13:48
今一番ホットなテーマは「形而上量子力学」だね。
1997年「ボース・アインシュタイン凝縮」の成功で、
ミクロの世界を扱う学問だった量子力学が、
マクロのものとして捉えることもできるようになってしまった。
この衝撃に哲学者は黙っていられなかった。

64 :考える名無しさん:05/02/07 16:22:04
>>63「形而上量子力学」
誰の用語だよ。
> この衝撃に哲学者は黙っていられなかった。
黙ってなかったのは、どの哲学者なんだ?
具体的にあげてくれ。

65 :考える名無しさん:05/02/08 01:48:18
>>64
形而上量子力学って言葉は初耳だけど
量子力学者で哲学者って人は結構いるよ。
シュレーディンガーとか、ボーアとか・・・。

66 :考える名無しさん:05/02/08 01:56:48
プ

67 :考える名無しさん:05/02/09 11:19:08
科学も実在を研究の対象としている以上、形而上学ではなかろうか。

68 :考える名無しさん:05/02/09 11:30:48
実在を研究体操してる香具師は形而下学。
形而上学はそれをさらに超越する。

69 :考える名無しさん:05/02/10 00:06:15
形而上量子力学、という言葉はやや受け入れがたいですが、
量子力学はたしかに、哲学的な論争を巻き起こしているようですね。
ミクロな物質が波の性質を持つため、物体の”広がり”とその”(我々による)観測”が問題になっています。
簡単にいうと、波の性質を持つのに、観測するときはある一点に現れることが問題になっています。
それに対して、主に2つの解釈があります。
1、観測する瞬間に波が収縮する、という”コペンハーゲン解釈”(←一般的解釈だが、光速度を越えるものを想定することになるので、最近疑われている)です。
2、波が収縮するのではなく、(それぞれ別の場所に観測するという)複数の世界が存在する、という”他世界解釈”。

ただ、コペンハーゲン解釈(実証主義)にしろ、他世界解釈(実在主義)にしろ、
マクロな物資に関しては問題とならない、という点では一致しているはずです。
(マクロな物質では波の局在性が保たれる=波は広がりをほとんどもたないため)

参考文献「和田純夫 教養としての物理学入門 岩波書店」
←大学の授業でつかいました。文系用につくられており、なかなか奥が深いです。
 和田さん本人は多世界解釈に強くコミットしています。

70 :考える名無しさん:05/02/10 00:51:46
あと、コンピュータも哲学でよくテーマにされるよね。

71 :考える名無しさん:05/02/10 00:58:39
脳やコンピュータは分野を超えたトピックだな

72 :考える名無しさん:05/02/10 01:07:14
形而上学って自然科学を哲学する学問なの?

73 :考える名無しさん:05/02/10 01:40:12
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E5%AD%A6
をみよ

74 :考える名無しさん:05/02/11 01:00:50
スレタイには「カント」「アリストテレス」って書いてあるんだから、
せめてどちらかの文脈で形而上学を語ってくらはい

75 :考える名無しさん:05/02/11 01:09:28
とりあえずエネルゲイアについて語ってくれ

76 :考える名無しさん:05/02/11 01:19:30
エンテレケイアについてもおながいします

77 :考える名無しさん:05/02/11 01:34:39
形而上学の復権をもっとも壮大なスケールでおこなったのは、ドイツの哲学者ハイデッガーである。
彼の主著「存在と時間」(1927)は、プラトン、アリストテレス以来の存在一般の意味の究明を現代において反復しようとする企てである。
それによれば、存在の意味の究明は、人間存在を手掛かりにするほかはない。
というのも、人間だけが自分の存在をつねに気にかけている存在者であり、したがって、なんらかの意味で「存在」ということを了解している唯一の存在者だからである。
ハイデッガーは、この人間の存在了解をなりたたせているのが時間性であることを発見し、この時間性の視点から新たな存在論を構築しようとした。

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78 :考える名無しさん:05/02/11 02:58:17
とりあえずややこしくなるからハイデッガーは置いておいていいよ

79 :考える名無しさん:05/02/11 10:49:41
二十世紀の真の形而上学者はホワイトヘッドだと思う。
ハイデガーと異なりちゃんとメタ自然学だし。

80 :考える名無しさん:05/02/11 11:06:37
こうして嘘をつくという私の格律を普遍的法則に仕立てるや否や、この格率は自滅せざるを得ないだろう。
(道徳形而上学原論 篠田秀雄訳 岩波文庫 P45 1-2行目)

これに関連して、
「格律を自滅させたくないならば、定言命法に従え」というのは、
仮言命法なのでは?と思うのですが。みなさんはどう思いますか?

81 :考える名無しさん:05/02/11 11:12:09
「それが好ましい結果をもたらすと判断されるときには、嘘をつけ」
これを普遍的法則に仕立てれば問題ないような。
ところでこれは形而上学なのか。

82 :Joy:05/02/11 11:18:09
>>81
それはもとから仮言じゃん

83 :考える名無しさん:05/02/11 11:23:41
「格律を自滅させたくなくても、定言命法に従う必要はない」ということでしょ。

84 :Joy:05/02/11 12:01:28
>>80
>「格律を自滅させたくないならば、定言命法に従え」というのは、
ちょっとおかしいよ
「嘘をつけ」は定言命法だよ、だけど自滅するんだ

そこでの批判は
「なぜ自滅する定言命法を格率としてはいけないのか、カントはそれに答えてない」ということでは?


85 :考える名無しさん:05/02/11 12:33:31
「なぜ格率を普遍的法則に仕立てなければならないのか」
「なぜ自滅する格率に従ってはいけないのか」
「なぜ定言命法に従わなければいけないのか」

とりあえずカントに聞きたいのはこの三点ですな。
ところでカントの倫理学というのは「形而上学」なんでしょうか。

86 :Joy:05/02/11 12:44:30
>>85
本を引用しない勝手な意見でよろしければ

1番目
「もし客観的格率が存在するならばそれは自然法則のように普遍的法則のように成立する」
とか、なかった?

2番目
「自然は存在することが同時に目的を満たす」とかなかった?

3番目
カントはどこでそんなこと言った?


87 :考える名無しさん:05/02/11 13:02:29
さっぱりわかんねーや。

88 :考える名無しさん:05/02/11 13:05:28
>>86
すいませんカントなんか読んだこともありません。
解説書等を読んで「何でこんなおかしなことを言う爺さんがありがたがられて
いるのだろう?」と疑問だっただけで。
カントってひたすら「仮言命法はダメだ定言命法に従え!」って
言ってるんだと思ってたんですが、違うんですか。
1番目と2番目はさっぱり意味不明です。

89 :Joy:05/02/11 13:15:42
>>88
>カントってひたすら「仮言命法はダメだ定言命法に従え!」って
>言ってるんだと思ってたんですが、違うんですか。

「もし客観的な道徳規律が存在するならば、それはどのようなものになるか」
これが『道徳形而上学原論』で書かれた内容

形而上学なんて意味不明でわけわからないもの
興味ある人だけやればいいさ


90 :Joy:05/02/11 13:22:31
カントは原論の序文で
「善と呼べる行為は善意思だけである」と書いてなかったか?



91 :考える名無しさん:05/02/11 18:17:00
関連スレ:

【新刊】カント『判断力批判』と現代:佐藤康邦著[2/25]
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1108053287/

92 :Taku(80):05/02/11 22:13:16
>Joyさん
問題提起に真剣に取り組んでいただいて感謝しています。

今回の問題提起の本質は、
カントが”仮言明法/定言命法という形式を普遍法則であるかどうかの判断基準に取り入れてしまったこと”
に問題があるのではないか、ということです。

道徳法則が必ずしも定言命法の形式を取る必要はないのではないか、すなわち
定言命法と仮言命法は”実践上”それほど明確に区別されうるのか。
というのも、どうして定言命法が定言命法たりえるのか説明しようとすると、どうしても仮言的な要素がでてきてしまうからです。
ex)嘘をついちゃいけないってのが定言明法なのはね、もし〜だったら・・・だからだよ。



93 :Taku(80):05/02/11 22:16:08
ちなみに>86-1について

同書P86 10行目
君の行為の格率が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ。

との記述があります。

94 :Joy:05/02/11 22:51:04
「道徳形而上学原論」は持ってるけど行方不明
引用はちょい待って
とりあえず軽く返答

>道徳法則が必ずしも定言命法の形式を取る必要はないのではないか、すなわち
>定言命法と仮言命法は”実践上”それほど明確に区別されうるのか。

実践上は明確にできないのでは
カントの道徳論は実践を考えると無意味かと

>というのも、どうして定言命法が定言命法たりえるのか説明しようとすると、どうしても仮言的な要素がでてきてしまうからです

ちょっと分かんないです、定言命法は定言命法かと
仮言的な物言いが道徳規律としては不適、ということでは?

「嘘をつけ」は仮言命法ではなく定言命法だと思うのですが
それは「いついかなる時でもそうせよ」と命令しているので・・・

95 :考える名無しさん:05/02/11 23:15:09
>>94
こっちでも横レスだけど、Takuさんが言いたいのはこういうことでは。

カントは「定言命法で示される普遍的な規則に従え」と言っている。
でもそれは読み替えると「ある規則が普遍化可能ならばそれに従え」と言っているわけで、
これはどう見ても仮言命法になっている。
つまり、「なぜある定言命法に従わなければならないか」に対して
カントが仮言命法的に答えているのは矛盾してる、と言いたいんだと思う。

96 :Taku(80):05/02/11 23:21:30
>94
カントは純粋理性に対する、実践理性の優位を主張しています。
すなわちカント哲学に於いては
道徳的に行為する主体>認識する主体です。
(人間の自由が自覚されうるから)

これを踏まえると、
もし、Joyさんの言うように、カントの道徳論が実践的に無意味だとすれば、
それはカント哲学の重大な欠陥ではないでしょうか?

>ちょっと分かんないです、定言命法は定言命法かと
>仮言的な物言いが道徳規律としては不適、ということでは?
これに関してはJoyさんの指摘のとおり、意味のある文章になっていませんでした。
正確に言うと、「どうしてこの定言命法を道徳法則に選んだのか、説明しようとすると、
仮言的な要素が出てきてしまう」ということでした。すみません。

97 :Taku(80):05/02/11 23:24:55
>95さん
その通りです。問題を発展的に再定式化してくれていて感激です。

98 :Joy:05/02/11 23:33:06
>>96
>カントは純粋理性に対する、実践理性の優位を主張しています。
>すなわちカント哲学に於いては
>道徳的に行為する主体>認識する主体です。
ええ、カント哲学の「要請」という語は道徳的判断による行為です

>もし、Joyさんの言うように、カントの道徳論が実践的に無意味だとすれば、
>それはカント哲学の重大な欠陥ではないでしょうか?
わたしが分からないのは、
カントは、実践として、嘘をつかないことが善で嘘をつくことが悪としたでしょうか?
カントの実践に対する意見は善意思だけだったと思うのですが
序文に「善と言える行為は善意思だけである」とかありませんでしたっけ?

>カントは「定言命法で示される普遍的な規則に従え」と言っている。
これも、そう書かれてましたっけ?

とりあえず今は本を探してます
多分、『道徳形而上学原論』でしょうから、引用個所をお願いします


99 :考える名無しさん:05/02/11 23:36:14
なんだこのスレ・・・?

100 :考える名無しさん:05/02/11 23:44:46
カント哲学では「意思」って「行為」なの?

101 :Joy:05/02/11 23:49:28
序言ではなく、第一章の冒頭でしたね

>我々の住む世界はもとより、この世界の外でも
>無制限に善と見なされうるものは、善意思のほかにはまったく考えることができない。


102 :Joy:05/02/11 23:54:43
>>100
分からん
だが、カントによれば、
「定言命法に従え」とかじゃなくて、善意思の正体が定言命法


103 :Taku(80):05/02/12 00:11:10
>Joy
確かにカントは、善なるものは善意志おいて他にない。
と宣言していますね。”この世界の外でも”というのは”神さえも例外ではない”ことを暗示しているようにも思えます。
カントにおいて、善悪の区別とは、”意志”に対してのみ意味を持つものなのでしょう。
ただ、”格率にしたがって行為せよ”とは、意志は行為(≠結果)と一体であることをカント自身が認めているとして問題ないのではないでしょうか?

「従え」という言い方についてですが、正確には(おそらく最上位の)定言命法として
「君は、(君が行為に際して従うべき)君の格率が普遍的法則になることを、当の格率によって(その格率と)同時に欲しうるような格率に従ってのみ行為せよ」
(前掲書 P85)という記述があります。






104 :Joy:05/02/12 00:20:50
>>103
>「君は、(君が行為に際して従うべき)君の格率が普遍的法則になることを、当の格率によって(その格率と)同時に欲しうるような格率に従ってのみ行為せよ」
これが善意思の正体
カントにとっての道徳は基本的にこの一文で終了
これだけは暗記したよ



105 :考える名無しさん:05/02/12 00:33:09
>>104
自分の規律の「普遍性」(もちろんそんなものはない)
を担保するための苦肉の策だよ。
「自由意志」があるかのようなみせかけにすぎない。

106 :考える名無しさん:05/02/12 00:35:27
もし普遍的な核率があるなら、無条件にそれにしたがうしかないはず。
それに対して個の自由意志を担保するために、「定言命法」などという。
陰湿な論理だ。

107 :考える名無しさん:05/02/12 00:38:54
カントの道徳論は役に立たないし、あまり妥当性もない。

108 :考える名無しさん:05/02/12 00:40:16
>>107
役に立たない、と妥当性はない、とはまるで違う論点だよ。
それぞれを分けてきちんと説明してください。

109 :Taku(80):05/02/12 00:41:11
>106
カントは普遍的な格率があるとはいっていないと思います。
自分の格率が普遍的であることを欲するように行為するべきだ、といっているだけです。


110 :考える名無しさん:05/02/12 00:42:55
>>109
それがやばいんだよ。
自分の核率が普遍的であることを欲するかのように、
なんてキリスト教文化圏絶対主義を前提にしなきゃ成り立たない
理屈だろ。

111 :考える名無しさん:05/02/12 00:44:37
>>110
>キリスト教文化圏絶対主義

カントは超越論的問いを立てているのでそういう文化的
基準を持ち込んでも無駄ですよ。

112 :考える名無しさん:05/02/12 00:45:44
>>111
あまりにナイーブ

113 :考える名無しさん:05/02/12 00:46:40
>>111
核率に関して超越論的なんて持ち出すのは却下

114 :Taku(80):05/02/12 00:47:58
カントは神を前提にしない哲学を打ち立てたと心得ているけど、違いますか?
(”要請”はされてるけど、認識論と実践論においては少なくとも”必要”はない)

もっとも、ニーチェにすればルサンチマンから生ずる点で、
キリスト教とカント哲学(というか西洋哲学全体)は同根とされていますが、
いずれにせよ、対キリスト教の視点からカントを批判するのは正しくないと思います。



115 :考える名無しさん:05/02/12 00:48:11
核率??

116 :考える名無しさん:05/02/12 00:48:31
>>112-3
おまえカント読んでないだろ

117 :考える名無しさん:05/02/12 00:49:16
>>116
話にならない

118 :考える名無しさん:05/02/12 00:50:23
>>114
カントの認識論に神は必要とは言わないが、前提はされてるでしょ。
物自体は、神の認識力をもってしてなら可能だという話だったはず

119 :考える名無しさん:05/02/12 00:50:35
>>114
神を迂回する道徳哲学を打ち立てたんだよ。
その契機はキリスト教。

120 :考える名無しさん:05/02/12 00:50:48
>>112,113
理由を詳しく

121 :考える名無しさん:05/02/12 00:53:13
>>120
無知かつ無恥な人士に回答の要なし。

122 :考える名無しさん:05/02/12 00:54:01
>>121
議論できないなら帰りな

123 :考える名無しさん:05/02/12 00:55:52
>>122
さようなら

124 :考える名無しさん:05/02/12 01:17:33
Maxime!

125 :Taku(80):05/02/12 01:29:26
>118
カントは神を”信じていた”だけであって、自分の哲学の前提にはしていないと思います。
”モノ自体”っていうのは必ずしも”神”と結びつける必要はない。というか、
”神”を持ち込まないために、”モノ自体”の認識についてはカントは議論を放棄しています。
その意味で、対キリスト教的にカントを見るのはよろしくないのでは?といったわけです。
>119
むしろ、ニーチェの指摘したように、我々が殺した”神”に代わるものとして、すなわち”死んだ神”に代わって”道徳”が必要だったのではないでしょうか。


126 :考える名無しさん:05/02/12 01:44:56
カントの場合、宇宙人の存在を信じていたことの方が興味深い。
あの強欲が全財産かけてもいいと言い切っていたんだぜ?
パスカルの賭けも真っ青だ。
神学よりそっちの方が面白い。


127 :考える名無しさん:05/02/12 02:33:53
文化と哲学をごっちゃにしてはいけない。
しかし、たしかに文化的背景が大きく影響することもある。


128 :二酉:05/02/12 09:35:51
>>109
普遍的な道徳法則があるとしたら、って話はしてるよね。
実践と、法則は分けて考えたほうが良いと思う。
Joyさまが>>94で仰っていますが、個々のケースに際した実践について
カントは語ってないです。ちょっと「無意味」って言葉の捉え方がずれてるような。

>>110
儒教道徳も、自らの格律を普遍的たらしめよって言ってるお。礼に従うのは、その形式。
(実践的な)道徳に関しては洋の東西・文化圏は関係ないんじゃないかなと思う。
でも、道徳は社会や他人の存在を前提にしてるから、それらを拒否するしとには
無効(=普遍的法則とは言い難い)だとも思う。

でも、それは道徳法則の欠陥ではなく、意志の自律の原理の優位性を証明しただけじゃないかと。
これはカント自身も指摘してるから、カントの体系の欠陥ではなく、
「道徳」自体の限界だと思う。社会や他人など、他者性を認識して理性でもって
自己反省をした場合に導かれるものが(より洗練された)格率だと思うの。
でも、他者性を認めないしと、認めてても「あえて」無視するしとにそれを要請することは出来ないよっと。

「格率に従って行為せよ」とは言うけど、実際に行為するときには格率のことは
意識に上らないと思う。せいぜい、「善くあれ」ってくらいじゃない?
行動原理を常に頭に置いたまま、理性的に行為できるしとって尊敬に価するです。。。
亀で横なレススマソ(´Д`;)

129 :考える名無しさん:05/02/12 11:42:42
>>128
>でも、道徳は社会や他人の存在を前提にしてるから、それらを拒否するしとには
>無効(=普遍的法則とは言い難い)だとも思う。
>でも、それは道徳法則の欠陥ではなく、意志の自律の原理の優位性を証明しただけじゃないかと。
>これはカント自身も指摘してるから

どこでカントはそれを指摘してたんでしょうか。
そんなことカントは一言も言ってないと思います。
もしよろしければ教えてくださいな。

130 :考える名無しさん:05/02/12 12:06:43
二酉はスレストとして知られている…

131 :考える名無しさん:05/02/12 12:22:44
道徳性の原理を見出そうとして、我々がこれまで傾けてきたいっさいの努力の跡を見ると、
かかる努力が水泡に帰せざるを得なかったことは、少しも不思議ではない。
我々は、人間が義務によって法則に結び付けられていることを知っていた、
ところが我々は、
人間が彼自身の立法ではあるが、しかし普遍的であるような立法にのみ服従するものであるということ、
また彼自身の意思ではあるが、しかし自然の目的に従って普遍的に立法する意思のままに行動するより他はないということに気づかなかったのである。

我々は、自分の意志が訳もなく法則(それがどのようなものであるにせよ)に服従しているとだけ考えていたために、
この法則はなんらかの関心を魅力あるいは強制として伴わねばないことになったのである。
しかしそのような法則は、彼自身の意思から、法則として発生したものではなくて、
彼の意思が合法則的に何か他のあるものに強要され、或る仕方で行為せざるを得なかったからである。

このような(中段のこと)、まったく必然的な推論があるので、義務の最高の根拠を見出そうとするいっさいの労力はすべて失敗に帰し、再び取り返しがつかなくなったのである。
これによって諸人が得たところのものは、義務ではなくて、ある種の関心にもとづく行為の必然性にすぎなかった。
かかる関心には、自分自身の関心もあったろうし、また他人の関心もあったであろう。
だがそうなると命法は、常に条件付きのものにならざるを得なかったし、それだからまた道徳的命令たるに耐えなかったのである。
私はこの原則を、意思の自律の原理と呼びたい、
そしてこの原理は、私が上述の理由からすべて他律の中に算え入れるようないっさいの原理と対立するのである。

『道徳形而上学原論』

132 :Joy:05/02/12 12:31:24
>>126
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1107703184/536

そりゃ俺も賭けるよ
負けようがないからな


133 :考える名無しさん:05/02/12 12:31:37
もうついていけないYO
誰か要約してくれ〜

134 :Joy:05/02/12 12:43:02
ぶっちゃけー(キムタク風に)

道徳って義務が伴うでしょ
道徳規律にわけもなく人間が従わなければならないと考えると
道徳規律は人間の関心と分離できない
すると仮言的な物言いになる
「君が〜を望むなら・・・であれ」とね
これは人間が従わなければならないような律を想定しているので「他律の原理」と呼ぼう

だけど、人間が自分の意志で自律的に、自然的、普遍法則的に自らの行動を律する他には
従わなければならないようなものはない、ということに俺は気づいた
これは「意思の自律の原理」と呼ぼう

この「意思の自律の原理」は他の一切の他律と反する

こんな感じ

135 :考える名無しさん:05/02/12 13:06:55
「義務」という言葉は、自分の意志に基づくというよりは、外部からの
強制を連想させるような気がする。

136 :考える名無しさん:05/02/12 13:12:48
>人間が自分の意志で自律的に、自然的、普遍法則的に自らの行動を律する他には
>従わなければならないようなものはない

何故これには従わなければならないんだろう。

137 :Joy:05/02/12 13:13:56
義務よ!
君の崇高にして偉大な名は、
人の心に取り入るような何か好ましいものを一つももっていないのに、服従を要求する、
さりとてまた意思を動かすために、
おのずから嫌悪の念を喚びおこしたり心を怖じさせるようなものをもって威嚇するのではなくて、
自然に人の心に入ってきて、不本意ながらも敬意(必ずしも遵奉させるまでにはいたらないにしても)を表せしめるような道徳的法則を樹立するだけである。
この法則の前では、いっさいの情意的傾向は、たとえ心ひそかに反抗するにしても、すべて沈黙する。
君を発生せしめた尊貴な起源はなんであるか、傾向との親縁関係を毅然として斥ける君の高貴な出自の根源はどこにあるのか。
人間だけが自らに与え得るところの価値を成立せしめる条件は何に由来するのか。

 『実践理性批判』


138 :Joy:05/02/12 13:15:23
>>136
君が多重人格か精神崩壊者じゃない限り
自分で義務としたことには従わないといけないだろ


139 :考える名無しさん:05/02/12 13:17:41
>>138
しかし、「自分」と「自分がかつて義務と設定したこと」は違う。
多重人格者じゃなくても自分で決めたことに従わないことはできるのでは。

140 :Joy:05/02/12 13:19:42
>>137のポイントは
>不本意ながらも敬意(必ずしも遵奉させるまでにはいたらないにしても)を表せしめるような道徳的法則を樹立するだけである。

カントは道徳規律に敬意を払い、それを義務としながらも、
必ず遵奉するには至らないとしている


141 :考える名無しさん:05/02/12 13:22:46
義務でありながら遵奉させるにいたらないものって、本当に義務なんだろうか。

142 :Joy:05/02/12 13:28:15
>>141
義務でしょ


143 :Joy:05/02/12 13:32:48
>>139
そりゃもう表現をこねくりまわしてるだけだ
「自分で決めたことを守れ」なんてカントは一言も言ってないよ


144 :考える名無しさん:05/02/12 13:40:08
つか遵奉をさせないから義務なんだけどな。


145 :考える名無しさん:05/02/12 13:59:57

仮言的命法は、我々が行為そのものとは別に欲している何か或るもの
(あるいはそれを欲することが、とにかく可能な何か或るもの)を得るための
手段としての可能的行為を実践的に必然的であるとして提示する。
また定言的命法は、行為を何かほかの目的に関係させずに、
それ自体だけで客観的-必然的であるとして提示する命法であると
言えるだろう。

(「道徳形而上学原論」 岩波文庫 P69 より)


146 :考える名無しさん:05/02/12 14:17:58
>>80
>「格律を自滅させたくないならば、定言命法に従え」というのは、
>仮言命法なのでは?と思うのですが。みなさんはどう思いますか?

言ってしまえれば、それはいちおう仮言命法なのかもしれないが
(形式的には)、しかしそれは仮言的命法ではない。
「格率」および「自滅」という用語を見れば明らかだけど、
それは内的な要素であり、他律を要請するものではないね。

道徳的であることから、いかなる外的な要素も混入させてはならないと
カントは言っているわけだ。効率(技術)とか便利(幸福)とかそういう
要素の混入をカントは仮言的命法として否定している。


147 :考える名無しさん:05/02/12 15:12:52
なんか微妙にスレ違いじゃないか?
確かにカントネタだが、形而上とは少し違う気がする・・・

148 :考える名無しさん:05/02/12 15:14:32
だいたい、現実には違う生き方をする人間が多いことが分かっているときに、
<すべての人がその生き方をすれば理想的>という理由だけで、その生き方を
しなければならない、というのは変じゃないか?


149 :考える名無しさん:05/02/12 15:22:06
 真理が認識の全ての内容を問題にしているならば、どのような標徴がその認識内容を
真にするのかと問う事は全く不可能である。何故なら、全てが真であるものはどこの
特徴を挙げても真であるからだ。従って、そのような要求は認識と真理の自己矛盾で
ある。
 全ての人間がどこを取っても理想的な生活をしているという事は不可能である。すると、
どこを取っても同様であるからだ。そうでないなら、理想が複数ある事が前提にされている
のであり、それらのうちのどれが理想的であるのかという、理想の語と矛盾する事態が発生
する。我々が言及できるのは、その表面における特徴だけであり、そのような表面を考える
特性において思考するのである。それをもって、内容に関する事を含む事はできないとされる。

150 :考える名無しさん:05/02/12 22:51:30
>>136

人間は感性界だけでなく英知界にも属すから、ではダメですか?

151 :考える名無しさん:05/02/13 00:39:08
ぶっちゃけた話、カントの倫理学って糞の価値もないと思いますが。

152 :考える名無しさん:05/02/13 00:46:23
ほとんど現実的な問題に関しては無内容ですね。
それに比例して普遍的ではあると思うが…

153 :考える名無しさん:05/02/13 00:49:40
正直に言えば、カントに限らず倫理学というのは余り役に立たない。

154 :Joy:05/02/13 00:57:31
現実的な問題には役に立たないけど哲学には重要な気がする
価値について語るにはカントの門をくぐらないと


155 :考える名無しさん:05/02/13 01:01:19
だから、形而上学の話をしようってば

156 :考える名無しさん:05/02/13 01:03:05
>>155
流れを見なよ。
「道徳形而上学原論」の話をしているんだよ。


157 :Joy:05/02/13 01:07:50
ま、一人のレスから流れた話題だ
もとに戻ってもいいんじゃない
なぜ形而上学は現実のクソの役にも立たないか?とかどうよ
面白いんだけどなぁ

158 :考える名無しさん:05/02/13 01:10:10
本当に現実の役に立たないか?とかどうよ?
コンピュータでオントロジー工学やってます、勉強してますみたいな人がこないと無理かね。

159 :考える名無しさん:05/02/13 01:22:52
まず第一に、形而上学的認識の源泉について言えば、この認識が経験的なものであり得ない
ことは、すでに形而上学的認識という概念に明示されている。それだから、形而上学的認識の
諸原理(この認識の原則ばかりでなく、その基本的概念もまたこれに属する)は、決して経験
から得られたものであってはならない。形而上学的認識とは、自然的認識ではなくて超自然的
認識、換言すれば経験の彼方にある認識を意味するからである。それだから本来の物理学の
源泉をなすところの外的経験や、また経験的心理学の基礎をなすところの内的経験は、いず
れも形而上学的認識の根底におかれてはならないだろう。すると形而上学的認識は、ア・プリ
オリな認識、すなわち純粋悟性及び純粋理性に基づく認識ということになる。
                                            (プロレゴメナ 第1節)

160 :考える名無しさん:05/02/13 01:33:47
>>158
>オントロジー工学
これって、要するにカテゴリー表をうまく検索して推論するためのシステムなので、哲学的には大して重要じゃないよ。
言葉が存在論になってるけど、存在者の存在を問うようなものじゃない。

161 :考える名無しさん:05/02/13 01:35:36
>>160
哲学の存在論も似たようなもんだと思うが。

162 :駒場生:05/02/13 01:41:21
アーレントによれば、カントは極限悪という形で、ヨーロッパの思想史にはなかった概念を提示した。それまでのヨーロッパでは、人間は(神の似姿たる)善の存在であった。よって、善の欠如・判断の誤りこそが悪に他ならなかった。
道徳の限界に関連して
駒場講義ノートより

(神学者たちは、神はなぜ悪の存在を許したのか、という問に対し“神義論”を盛んに行ってきた。多くは“悪は神の善を輝かせるために存在”といった答えが出され、“善悪二元論”はむしろ異端であった。)
カントは極限悪という新しい概念を持ち出したにもかかわらず、人間にはありえないものとして引っ込めてしまった。しかし、ナチの600万人にも及ぶユダヤ人殺害は、むしろ極限悪の概念をもってこそ捉えうるものなのではないだろうか?
アーレントによれば、ナチによる虐殺は単なる殺人ではなく人種主義(他人種の排除)のイデオロギーの帰結を体現しようとする、恐ろしい行為である。
ナチスの「生きるに値しない生命」、スターリンの「滅ぼされるべき階級」といった思想は、通常の悪(自己愛に基づいた悪、理解・許すことのできる悪。カントのいう根本悪。)の概念では理解できない。ナチのユダヤ人殺害は、戦争への有利不利関係なしに固執され、
“ユダヤ人を殺せ”という定言命法が成立していたといえる。この犯罪は(根本悪の範囲にとどまらない故に)もはや、罰することも、許すこともできないものである。 = 極限悪の状態がありうるかもしれない。

163 :考える名無しさん:05/02/13 01:48:17
カントは道徳に他律や経験の混入を否定している、ってことは道徳の限界状況そのものを
否定していると思うのだけど。カントの倫理はどちらかというと消極的なものだと思われるが。


164 :考える名無しさん:05/02/13 01:48:54
ナチは、ユダヤ人をただ殺せばそれでよしとしたわけではなく、資源として有効利用しようと
してたんじゃなかったっけ?

165 :考える名無しさん:05/02/13 01:51:01
>>156
あくまで形而上学のために準備された基礎付けであって形而上学ではない。
カントにおいて批判と哲学(形而上学)が違うのと同じ。

166 :考える名無しさん:05/02/13 01:54:35
>>162
ユダヤ人を殺せって定言命法に適ってない核率だろ。
「アーリア人の純潔のために」とかなんとか他の目的が入ってんじゃん。
明らかに他律だよ。

167 :駒場生:05/02/13 02:04:36
>166
自己愛に基づく(根本悪の範囲での)行為=可能な意志の主体による行為=赦すことのできる行為
といえるのか?
というのが教官の主張の本質であったと思います。

168 :考える名無しさん:05/02/13 02:07:02
「全体主義の起源」邦訳3巻のp.266-270あたりの記述を拡大解釈したんだろう。
アレントの議論と少々ずれてる気がするが。


169 :Joy:05/02/13 02:08:38
「赦す」とか「不当」とかいうのがどうもピンとこないな
カント道徳論には合わない表現だよね

170 :駒場生:05/02/13 02:16:02
>168
よろしければ、詳しく”ずれ”を指摘してくれると嬉しいです。

171 :考える名無しさん:05/02/13 02:16:07
>>169
ああ、それはおれも気になった。赦せるからどうだってんだろう。
不道徳には変わりないじゃんね。

172 :駒場生:05/02/13 02:27:32
赦しに関連して

・1793年のカントの著作「単なる理性の限界内における宗教」において
カントは“人間は生来、悪である”というテーゼを打ち立てる。
→しかし、カントは人間を善として捉えていたのでは?ゲーテの言うように、
カントはキリスト教の原罪説に服したのだろうか?以下で考えていく。
・根本(元)悪(the radical evil)・・・人間が抱えるところの根源的な悪
この根本悪について、カントは“未開部族の野蛮性”、“文明世界の戦争の頻発”といった例を挙げる。
 人間は自己愛に基づいて行動するが、道徳法則への尊敬の念が自己愛に勝ったとき、実践理性が自己愛を抑制する。
しかし、我々の行動の多くは自己愛の動機からくるものである。ex)バレなきゃいい!
・では、このような根本悪はどこから来るのか?
感性が理性に勝ったとき悪が生じる、と考えるのが一般的である。しかしカントによれば、感性自体は善でも悪でもない。
逆説的ではあるが、実践理性の中に悪の芽は存在するのである。
意図的に悪の行為をしたのでなければ帰責は不可能である。ここでいう“意図的”の背後にあるのは自由意志に他ならないから、
“善”を行うのと同様に“悪”を行うのも自由意志である。つまり、悪は実践理性の中に存在する。
以上の議論から、我々は“根絶しがたい悪=根源悪”を抱えているといえる。


173 :駒場生:05/02/13 02:28:44
・極限悪(the extreme evil)
カントによれば、どんな悪人であっても理性的存在者である限り、悪事であることは認識している。
→反省可能であり、更生可能である。
しかし、仮に
“理性が道徳法則そのものの権威を自ら否定し、道徳法則を反逆する仕方で放棄し、
道徳法則を否定したいが故に悪事を行う”といった、
“理性の腐敗”、“悪の格率”が生じたとしたら、
それは“純粋に悪しき意志”(善意思の対極)である。これが極限悪に他ならない。
・では、人間が極限悪の体現をしうるのか? という問題について、以下でみていく。
自由意志の主体たる人間が、自由の法則(道徳法則)を否定することは、自己矛盾の状態である。
よって、極限悪の状態は人間には不可能である。カントによれば、最も悪人であっても、
上に挙げた“悪の格率”を採用することはありえないのである。

以上講義ノートより。


174 :考える名無しさん:05/02/13 02:30:02
>>170
アレントがそこで議論してるのは、功利主義的風潮が拡大しつつある大衆社会の中での
全体主義的「最終解決」という方法のもつ意味合いについてであって、さらにその後は、
全体主義的支配体制の権力者が持つ法観念が批判されるわけだが、カントの定言命法
と類似させて批判されるような仕方ではない。

175 :駒場生:05/02/13 02:34:47
根本悪と極限悪の、赦しの議論が出てきました。前者は帰責可能であるがゆえに、赦すことができるが、
後者はどうか?という話だったと思います。

176 :考える名無しさん:05/02/13 02:38:47
「赦し」は別に道徳や倫理ではないぞ。かといって宗教かというとそれも違う。
たんなる宗教用語だ。


177 :駒場生:05/02/13 02:40:04
>174
頭に入れておきます。ありがとうございました。

178 :駒場生:05/02/13 02:41:41
>176
ごめんなさい。”許し”と表現したほうがいいでしょうか。帰責可能=許しの可能性という文脈で語ったんだと思います。

179 :考える名無しさん:05/02/13 02:42:20
驚くべきは、>>172-173に「赦し」という語が駒場生の言葉以外では一度も出てないということだ。

180 :考える名無しさん:05/02/13 02:44:04
>>173
極限悪っつーのは、つまり、「これは悪いことであるが故にやってやろう」としてやる行為だろ。
どんな極悪人でも、「つい欲に目がくらんで」とか「その行為は本来的には(あるいは別の目的に
鑑みれば)良いことなんだ」とか言い訳しながらやるもんなんだろうが、極限悪とはそんな言い訳を
一切しない悪ということでしょ。
赦すも赦さないも、そのような意思で行為する者があり得るのかどうか・・・

181 :Joy:05/02/13 02:49:06
>>180
ありえるとは思うよ
「なんで自滅する定言命法を選ばないのか」のカントの説明は「自然」で片付けられてる感じだし
そこを突くことはできるんじゃないかな


182 :駒場生:05/02/13 02:53:12
>179
かえって混乱させてしまい、すみません。板書がほとんどない講義なので、ノートはメモ程度にしか取れていません、、、
”帰責可能”が”許すことが可能”と結びついていたんだと思います。

183 :考える名無しさん:05/02/13 02:56:13
>>181
ある・ない、の水掛け論になっちまいそうだが、
「これは悪であるが故に(そしてそのためだけに)なさねばならない」という意思的行為が
可能とは思えない。


184 :Joy:05/02/13 03:00:27
>>183
善とは普遍性を求める意思だから
悪とは個別性を求める意思

ある目的をその目的であるという理由でなさねばならないというような執着による行為

とかどうよ

185 :考える名無しさん:05/02/13 03:05:06
形而上学に話を戻そうぜ。
まずは>>73のヘボイのを正すのからはじめようや。

186 :sage:05/02/13 03:19:23
ねむいっす、、、
興味深い議論をありがとう、それでは。 by駒場生

187 :考える名無しさん:05/02/13 03:20:56
で、どの点がヘボイ?

188 :考える名無しさん:05/02/13 10:21:01
コテ多いなぁ・・・

189 :考える名無しさん:05/02/13 10:22:41
刑事ジョーが来る!!

190 :考える名無しさん:05/02/13 13:59:03
駒場生って、高橋か増田の授業ノートか?

191 :考える名無しさん:05/02/13 14:04:26
「自滅する」って功利主義と違うのか?

192 :考える名無しさん:05/02/13 14:13:08
カント倫理学スレになってて、キモイ。
やめてほしい。
ライプニッツの話にすりゃあいいんだよ
近世哲学で真に形而上学者なのは彼のみ。

193 :考える名無しさん:05/02/13 14:21:22
よく知らないけど、メタフィジーク(形而上学)って
アリストテレスが本を書くときにフィジーク(自然学)の前に置いたから
そう呼ばれているだけで、深い意味はない、って、本当ですか?

194 :考える名無しさん:05/02/13 14:33:31
嘘です。

195 :考える名無しさん:05/02/13 14:46:36
>>193
>>56


196 :考える名無しさん:05/02/13 18:21:54
>>193
前じゃなくって後です。

197 :考える名無しさん:05/02/13 18:32:36
それじゃ「形而上量子力学」について語ろうか?
>>63

198 :目真っ赤彦 ◆0SLDj008AA :05/02/13 20:02:08
>>126
しかも「遊星」の住人のことについて書いているわけだから、
当時知られていた水星、金星、火星、木星、土星のことである。
これらの星に住人がいないことはすでに明らか。

彗星は他の太陽系を回っている、との記述もあるね。

でも、そんな誤りは些細なこと。

199 :考える名無しさん:05/02/13 20:58:58
宇宙人の哲学的定義は?

200 :考える名無しさん:05/02/13 21:02:04
意味としては、地球外の生命体なんじゃないの。
で、「地球外」とはどういうことか?「生命体」はどう定義されるか?
とか?語義が細かくなっていくだけで意味がないと思うけど

201 :考える名無しさん:05/02/13 23:06:08
>しかも「遊星」の住人のことについて書いているわけだから、
>当時知られていた水星、金星、火星、木星、土星のことである。
他の太陽系の惑星を含めてじゃなくて?

202 :考える名無しさん:05/02/13 23:11:48
いやいや、地球外生命体=宇宙人とは限らないよ。

まず宇宙とは何か、人(ヒト)とは何かを考えなければいけない。
「宇宙」には色々な意味があるが、この場合「宇宙」=「地球外」と考えることが妥当である。
では「外」とは何か。
そして最後に残る、ヒトとは何か。
論点はこの2つに絞られる。


203 :考える名無しさん:05/02/17 06:09:45
四次元とか多次元って哲学的にどういう位置づけなの?

204 :考える名無しさん:05/02/17 22:08:36
>>203
人によって違うんでないの。

スレタイにカントがあるからその延長で考えると、
3次元より上の相は「感性的直観として捉えられない相」
ということにでもなるんじゃなかろか。
つまり、アポステリオリな命題が成立しない相ということで。

205 :考える名無しさん:05/02/17 22:27:28
数学的多次元と物理学的多次元では微妙に異なってくる。

206 :考える名無しさん:05/02/17 22:54:31
語りえないものについては沈黙しなくてはならない

207 :考える名無しさん:05/02/17 23:14:53
>>204
カント的に、相対性理論ってどうなるんだろうね。
認識のアプリオリな形式は、あくまでユークリッド的な3次元の空間と、1次元の時間なわけで、
それは相対性理論があろうとなかろうと、変らない。
(物理学者を含む我々自身が日常、そのような空間を感じつつ生きている、という意味で)

そうするとカントにあっては、「我々にとって根源的」なアプリオリなユークリッド空間と、
「自然科学上根源的」な4次元の擬リーマン空間との双方が並立されなくてはならなくなる。
しかしこの後者についての知識(つまり、相対性理論の知識だが)の客観性は、正しく保証され得るのだろうか。
カントに詳しい人、誰か教えてくれ

208 :考える名無しさん:05/02/17 23:54:25
カントの時代に四次元なんて概念無いんじゃねぇの?

209 :考える名無しさん:05/02/18 00:15:16
>>208
そういう問題じゃなくて、
「相対性理論の出現によって、カント哲学は果たしてその有効性を失ってしまうのか??」
ということだと思うんだけど。

210 :考える名無しさん:05/02/18 00:18:08
カントの有効性は相対性理論以前から結構破綻してるよ。

211 :209:05/02/18 00:22:18
>>210
いやそういう問題じゃなくてw
現在の世界でも、カントの哲学がある程度は正しいと思ってる人はかなりいるはずで、
(俺だってカントの主張にはそれなりに価値があると、いちおう思うわけだが)
そういう人にとって、相対論はどうなるんだろう、と

212 :考える名無しさん:05/02/18 00:26:21
4次元とは何でしょう?
3次元+1の、その+1が時間なのだとしたら、やはり空間と時間を別のものと捉えているわけで、
「感性的直感の純粋形式としての空間と時間」というカントの理解は特に揺るがないと思うのだが。


213 :209:05/02/18 00:33:02
>>212
それは勿論、揺るがないよ。
ただし、その直観の形式としての時空間は、あくまでもユークリッド空間というか、
まっすぐな空間なわけだよね。
(曲がった空間の中で生きていると日常で我々は考えていない。)

ところが、一般相対性理論では時空間というのは曲がった空間なわけだ。
そうすると、まっすぐな時空間を直観の形式としてアプリオリに想定するカント哲学の立場から、
相対性理論を客観的に正当化することはできるんだろうか、と。

214 :考える名無しさん:05/02/18 00:36:10
>>213
「空間」という直感に、そもそも真っ直ぐだの曲がっているだのという規定は無いはず。
だって、真っ直ぐだの曲がっているだの考えるときに既に「空間」という根源的な直観が
あるわけでしょ。


215 :考える名無しさん:05/02/18 00:47:14
>>214
相対性理論の空間ってのは、ユークリッド幾何学が成立しない空間ですよ。
正直に言って、我々は「ユークリッド幾何が成立しない空間」というものを想像することはできない。
そういう意味で、我々の直観の形式となるのは、必ずユークリッド空間でなくてはならないと思う。
(実際、カントはそれだからこそアプリオリな直観の形式からユークリッド幾何学が基礎付けられると考えたわけでしょ。)
だから、相対性理論の空間が直観の形式たる空間と別のものであることは、明らかだと思う。

216 :考える名無しさん:05/02/18 00:53:22
>正直に言って、我々は「ユークリッド幾何が成立しない空間」というものを想像することはできない。
リーマン空間くらいになら、容易に想像可能でしょ。

>だから、相対性理論の空間が直観の形式たる空間と別のものであることは、明らかだと思う。
でもどちらも「空間」なんでしょ? 君だって、両者に対して「〜空間」と言ってるじゃない。



217 :考える名無しさん:05/02/18 01:04:31
>>216
抽象的になら、想像可能かも知れないよ。
でも、「自分の今生きているこの時空間が、4次元の擬リーマン空間である」ということを
「直観的」に感じることができる?俺はできない。

で、まあそれは置いておくとして、「どちらも空間」では話が済まないんだよ。
もう一度繰り返すと、
・第一にカントは、「アプリオリな直観の形式として時空間が認められる」→「ユークリッド幾何学が正当化される」
と考えたわけだから、
もしその「直観の形式」が「まっすぐ」な空間でないのなら、
カントにとってユークリッド空間は基礎づけられないことになってしまうと思うんだが。
(その時、相対性理論はおろか全ての物理学的知識も多分基礎づけられなくなってしまう)
だから、少なくともカントの哲学体系にとっては、直観の形式はあくまでもユークリッド空間でなくてはならない。

・第二に、もし我々の直観の形式が相対性理論のような擬リーマン空間だったとしたら、
我々はアプリオリに相対性理論を知っていなくてはならなくなる。
しかし、実際にそうではないでしょ?アインシュタインが発見するまでは、誰も相対性理論なんて知らなかった。
それに、そもそも現在の最新の物理学的知見でも、
我々の住む時空間が「擬リーマン空間」であることまではわかっているが、
じゃあ具体的にその計量は幾つになっているのか、ということは正確にわかっていない。
(宇宙は開いているのか、閉じているのか、とかもわかっていない)
そういう意味でも、相対論の空間はアプリオリなものではあり得ない。

218 :217:05/02/18 01:12:50
すまん、>>217

× カントにとってユークリッド空間は基礎づけられないことになってしまう
○ カントにとってユークリッド幾何学は基礎づけられないことになってしまう

ですね。すみません

219 :考える名無しさん:05/02/18 01:14:11
>>217
あのさ、カントの場合は直感の形式としての空間なんですよ。

それが実際の空間と一致するかしないかは別問題。 というよりも、相対論が可能となるために
も、カントの言う直感の形式としての空間というものが要請される。 
じゃあ、その空間の属性は・・・となったときに初めてユークリッド空間なのか、それ以外なのかが
問題になるのであり、「経験」が可能となるためには直感の側で空間というものが考えられて
いなければならないという図式を変更する必要はない。

220 :考える名無しさん:05/02/18 01:16:04
>それが実際の空間と一致するかしないかは別問題。

その通り。

221 :考える名無しさん:05/02/18 01:16:40
カントはユークリッド幾何学がアプリオリに正しい唯一の幾何学だと考てたんだろ?
これはまあ、間違っていたことが明らかなんじゃないか? 

222 :考える名無しさん:05/02/18 01:18:35
そこでプラトンですよ。


223 :考える名無しさん:05/02/18 01:19:39
「そこでカッシーラですよ」の間違いじゃない?

224 :考える名無しさん:05/02/18 01:23:02
>>223
どこが?(教えて〜)



225 :考える名無しさん:05/02/18 01:25:34
カッシーラは、相対性理論などを踏まえたうえで、カントの哲学を再解釈
したんじゃないのか? 俺はよく知らんが。w

226 :考える名無しさん:05/02/18 01:26:54
>>219
細かいこと言ってすまんが、「直感」じゃなくて「直観」でしょ?

> それが実際の空間と一致するかしないかは別問題。 
これは同意。

> というよりも、相対論が可能となるためにも、カントの言う直感の形式としての空間というものが要請される。
これも概ね同意。

> じゃあ、その空間の属性は・・・となったときに初めてユークリッド空間なのか、それ以外なのかが
> 問題になるのであり

そうなんだけど、何度も言うように、それがユークリッド空間だからこそ、
ユークリッド幾何学が正当化されるのですよ?俺の言ってることを理解してる?

> 「経験」が可能となるためには直感の側で空間というものが考えられて
> いなければならないという図式を変更する必要はない。
これも同意。

227 :考える名無しさん:05/02/18 01:27:54
>>225
どんな風に再解釈したちゃったわけ(教えてよ〜)

228 :考える名無しさん:05/02/18 01:28:56
>(宇宙は開いているのか、閉じているのか、とかもわかっていない)

宇宙は何に対して開いたり閉じたりするんでしょう。
宇宙の外側の「空間」に対してですかね?
やっぱり根源的にすべてに対してある一つの空間というものを想定せずにものを考える
ことが出来ない気がするが。


229 :考える名無しさん:05/02/18 01:29:13
だから、よく知らんのだよ〜。


230 :考える名無しさん:05/02/18 01:34:45
最近(といってもほんとについ最近だけど)の哲学板の流行りは
時間ではなくて、空間の再解釈に移動したのですか?


231 :考える名無しさん:05/02/18 01:35:23
>>226
カントにおいてユークリッド幾何学が正当化されていることが気に食わないんですか?
現代でもユークリッド幾何学が数学的に偽とされてるわけではないですけど。


232 :考える名無しさん:05/02/18 01:35:38
カッシーラ恐るべし!

233 :考える名無しさん:05/02/18 01:36:20
地面に正確無比に馬鹿でかい三角形を書いて正確に内角を測ると
その和は2直角よりでかくなる。

234 :考える名無しさん:05/02/18 01:38:58
>>233
でもそれがユークリッド幾何学の否定だとは、だれも考えないよね。

235 :考える名無しさん:05/02/18 01:40:49
俺の考えを言うと、人間の生得的な認識能力の一部として時空という形
式もあるだろうけれど、これはあくまで人間という種に固有のものだろ
う。また、この生得的な認識の形式としての空間をある方向に抽象化し
ていけば、ユークリッドの幾何学の空間になるのだろうけれど、生得的
な直観の形式としての空間=ユークリッド幾何学の空間ではないね。さ
らに、物理学の理論の基礎的な部分としての時空概念も、何らかの意味
でこの生得的な直観の形式としての時空に起源を持ってはいるだろうけ
れど、それによって「基礎づけられる」ものではないだろう。

236 :207以降:05/02/18 01:42:00
>>228
宇宙論は専門でないんであまり偉そうに言えないんですけど、
・「開いている」→「ずっと上に進んでいくと上に進み続ける」
・「閉じている」→「ずっと上に進んでいくと、下から出てくる」
ということです、簡単に言えば。

>>231
> カントにおいてユークリッド幾何学が正当化されていることが気に食わないんですか?
俺はそんなことは言ってません、>>217をよく読んでください。
何度も繰り返すけど、カントの最低限ユークリッド幾何を根拠づけるためだけにでも、
カントのアプリオリな空間はユークリッド空間であることが必要だ、という当り前のことを言ってるだけです。

>>225
カッシーラか!
そのうち読んでみるよ。有難う

>>233
地表面も、2次元的にはユークリッド空間でないからね。
(3次元的にはユークリッド的空間の中にあるにせよ)

もう寝るよ。おやふみ〜みんな

237 :考える名無しさん:05/02/18 01:42:58
>>234
否定はしない。
たくさんある公理系の一つで、その中ではちゃんと筋が通っている。

238 :考える名無しさん:05/02/18 01:48:00
>>236
君は、「まっすぐ」とか「曲がっている」という語がどのような事態を表してるか
直観できるでしょ?
非ユークリッド幾何学においる直線とは、ユークリッド幾何学では曲線であると聞いても、
ちゃんと脳内変換できるでしょ?
そのように思考できるために要請される直観の形式としての空間が要請され、それが
ユークリッド幾何学的な空間であるということのどこに不当性があるのかな?


239 :考える名無しさん:05/02/18 01:50:14
変な日本語書いたな。訂正。

誤−そのように思考できるために要請される直観の形式としての空間が要請され、
正−そのように思考できるために直観の形式としての空間が要請され


240 :考える名無しさん:05/02/18 01:52:18
とりあえず日常生活に差し障りのない空間認識ってことね。

241 :207以降:05/02/18 01:56:19
>>238
> 君は、「まっすぐ」とか「曲がっている」という語がどのような事態を表してるか直観できるでしょ?
俺はいちおう物理学者なんだが、直観はできないよ。
あくまで相対性理論というのは、数式の上でしか理解できない。
もしあんたが擬リーマン空間を直観できるのなら、それはあんたが類稀な精神の持ち主か、
或いはリーマン幾何学というものを根本的に理解してないか、どちらかだと思う。

> 非ユークリッド幾何学においる直線とは、ユークリッド幾何学では曲線である
この部分、俺には意味不明。数学の話をするのなら、もっと正確な用語を使ってくれ。

> そのように思考できるために要請される直観の形式としての空間が要請され、それが
> ユークリッド幾何学的な空間であるということのどこに不当性があるのかな?
この部分も意味不明。というか、あんたは俺の言ってることを全然読んでいないね。

もう本当に寝る。おやふみなさい〜 ヽ(´△`)ノ
>>all

242 :考える名無しさん:05/02/18 02:00:03
>>241
辞書で「まっすぐ」をひくと「曲がっていないこと」と説明されてるんだけど、
こういう「まっすぐ」「曲がっている」を直観できないんですか?
マジですか?


243 :考える名無しさん:05/02/18 02:01:58
辞書って。。(藁

244 :考える名無しさん:05/02/18 02:02:44
>> 非ユークリッド幾何学においる直線とは、ユークリッド幾何学では曲線である
>この部分、俺には意味不明。数学の話をするのなら、もっと正確な用語を使ってくれ。

「直線」とは2点間の最短距離でしょ。
それがユークリッドではまさに直観的に思い浮かぶ「あの直線」だけど、
非ユークリッド幾何学では・・・・ってそんなに意味不明ですかね?

245 :考える名無しさん:05/02/18 02:06:15
たしかに、先にユークリッド幾何学を勉強せずに非ユークリッド幾何学が
理解できるのかとか、先に古典物理学を勉強せずに相対性理論が理解でき
るのか、という感じはするが、どうなんだろうねえ。また、こういういわ
ば「理解のための基礎」と「根拠付けとしての基礎」というのは同一視で
きないんじゃないだろうか。

246 :考える名無しさん:05/02/18 02:42:35
あのう(ちょっと横レス)ユークリッド幾何学が空間を前提とするのは理解できますが、
空間自体はユークリッド幾何学を前提とせずとも理解できますよね。
カントの純粋直観という空間は、そのユークリッド幾何学と同一視
された理解が為されていますが、空間そのものについては明らかに
なっていないはず。(いわゆる存在の差異性とかについての言及は
カントにおいてはなかったと思う)その辺の区別を付けた方がよくない?
(べつに〜、なのかな)


247 :考える名無しさん:05/02/18 03:06:08
>>236
カントは(地球上の)人間の感性形式だけを問題にしてるわけじゃないよ。
宇宙人がいて、彼らがもしかしたら我々とは別の感性を備えてるかもしれない可能性をカントは見てる。
(それでも純粋悟性概念や純粋理性概念については同一だと言うと思うが。)

248 :考える名無しさん:05/02/18 03:17:37
ユークリッド幾何学も非ユークリッド幾何学もともに構成された公理系だろ。
カントの直観形式で前提されている空間や時間は構成された幾何学の体系じゃないだろ。
むしろそれを前提にして幾何学な構成されるんじゃないか?
最低限空間や時間としての性格を有していれば、十分なんじゃないのか?
俺はカントにはうといから、誰か説明してやれ。

249 :考える名無しさん:05/02/18 03:30:52
>>248
まあ、その理解でいいだろ。
感性の直観形式は人間にのみ妥当するもんだしな。
カテゴリーは理性的存在者一般に妥当するもんだが。

250 :考える名無しさん:05/02/18 04:09:48
純粋数学、とくに純粋幾何学は、この学が感官の対象だけに関係するという条件のもとでのみ
客観的実在性を持つことが出来る。ところで、感官の対象に関しては、原則が確立されている。
それは、我々の感性的表象は決して物自体の表象ではなくて、物自体が我々に現れる仕方の
表象に過ぎない、ということである。するとこういうことが分かる、すなわち−幾何学の命題は、
我々の想像力によって虚構された物の規定のようなものではない、それだから現実的な対象へ
適用されえないほど信用のおけない規定ではなくて、必然的に空間に妥当し、空間において
見出される限りの全てのものに妥当する−空間は一切の外的現象の形式に他ならず、感官の
対象は全てこの形式においてのみ我々に与えられるから−ということである。幾何学は、
感性の形式をその根底においている、そしてこの感性は外的現象を可能ならしめる根拠である。
それだから外的現象は、幾何学が外的現象に指定する以外の何物をも含むことは出来ない。
(プロレゴメナ 13節 注1)

251 :考える名無しさん:05/02/18 04:12:26
>>247
>カントは(地球上の)人間の感性形式だけを問題にしてるわけじゃないよ。
>宇宙人がいて、彼らがもしかしたら我々とは別の感性を備えてるかもしれない可能性をカントは見てる。

本当にそれはカントの考えなの? 
主観に「ある」以外の一切の感性形式について考えない態度がカントの態度として正当ではなかったの?
主客問題の主観を軸にした、コペルニクス的展開てそういうものだと思うのだけど。
とりあえずソース希望。


252 :250:05/02/18 04:21:27
つまり、どういうことかというと、

空間は我々の経験する現象を可能ならしめる根源的な形式(概念じゃないよ)であり、
だからこそ我々の経験する外的現象は空間のもとで考えられる。そうである以上、
ユークリッド幾何学の命題は単にでっち上げられたものではなくて、現象の範囲内では
実在的で正しいんだよ、ということでしょう。

問題は、非ユークリッド空間の実在性を、現象の範囲内でかまわないとして、
どう捉えるか、ということかな。


253 :考える名無しさん:05/02/18 04:28:18
>>252
>問題は、非ユークリッド空間の実在性を、現象の範囲内でかまわないとして、
>どう捉えるか、ということかな。

その辺は、カントの理解を超えたとしていいような気が。
ベルクソンとかドゥルーズとかそれを引き継いだ人はいると思う。
たとえば純粋持続とかは、自分にとっては超カント的だなと思うし。


254 :250:05/02/18 04:36:34
>>253
「経験していること」と「概念として把握していること」の齟齬の問題かね。
カントの際には確かにこのズレへの注目は見当たらないね。

255 :考える名無しさん:05/02/18 04:59:18
>>254
>「経験していること」と「概念として把握していること」の齟齬の問題かね。
要素的には対象的なものと、実在(空間的なあるを踏まえた経験的なもの)の区分かな。(伝わっているかな)
具体的に言うと意識対象自体の生成と分裂、また置換の過程についての言及は皆無。
概念はむしろ意識対象自体への指示としての装置、のような働きをする。
そんな感じ。

256 :考える名無しさん:05/02/18 09:18:02
>>251
宇宙人について言及してる箇所は確かに純粋理性批判にあった気もするけど、
そいつらに対してはどういう感性の形式を想定してるんだっけ?
おれも手持ちにないので、誰かソースきぼんぬ

>>254-255
つまりあんたらは、「カントでは非ユークリッド幾何は基礎付けられない、
まして一般相対性理論なんかはまったく想定できない」派?
やっぱりそうなのかなあ・・・
そう考えると、カントの批判哲学自体が一瞬にして、非常につまらないものに
見えてしまうのはおれだけか?

257 :考える名無しさん:05/02/18 13:54:30
むしろ、「ものすごくがんばれば基礎づけられるかもしれない
けど、非常に難しい。むしろ別の体系を考えた方がいい」派
かな?

258 :考える名無しさん:05/02/18 14:12:12
数学者は自分の作った公理系が実在するとかしないとか問題にしないよフツー


259 :考える名無しさん:05/02/18 14:15:56
作ったんなら公理系は実在するにきまっているわけで・・・

260 :考える名無しさん:05/02/18 15:00:01
おまえら哲学だろ、「実在」ってなんだと思ってる?

261 :考える名無しさん:05/02/18 15:12:56
>>260
もう忘れた。

262 :考える名無しさん:05/02/18 19:42:46
探してみた。これで合ってるかな?

「我々は感性の特殊な条件を、物を可能ならしめる条件とすることはできない。
 我々はこれを、物の現象を可能ならしめる条件となし得るだけである。それだから、
『空間は、我々に外的に現れる限りの一切のものを含む』、と言うことはできるが、
 しかし『一切の物自体を含む』、と言うことはできない。
 この場合に、たとえ物自体が直観せられようとせられまいと、
 またどんな主観によって直観せられようと、それは問題でない。
 “我々とは別の思惟的存在者”の直観については、これらの存在者が、
 我々の直観を制限している条件や、また我々に普遍的に妥当する条件と同じ条件によって
 制限されているかどうかを判断することはまったく不可能だからである。」

引用部分は、
「I.先験的原理論」−「第一部門 先験的感性論」−「第一節 空間について」
  −「上記の諸概念から生じる結論(b)」から。
篠田英雄訳・岩波文庫版『純粋理性批判』上巻、p.94-95。
(ただし引用符と句読点をちょっといじった)

この“我々とは別の思惟的存在者”が、問題の「宇宙人」だと思われ。

263 :考える名無しさん:05/02/18 19:54:03
で、ここからは俺の解釈。

つまり、宇宙人がどのような感性の形式を持っているかについては、人間には判断できない。
ただし、宇宙人の感性の形式がカントの考えているような「幾何学」、
言い換えれば感官の対象についての経験的認識を“無時間的に”構成するような体系である限り、
その幾何学はどんなものでもいい。ユークリッドでもリーマンでもロバチェフスキーでも、
その他わけのわからないものでも。

「ユークリッド幾何学」を「我々には見えない宇宙人幾何学」に
そっくり置き換えて、後の部分はそのまま放っておいても、
その後に続く悟性とか理性とかの認識プロセスそのものには変更の必要がない。
(もちろん、宇宙人がそのプロセスの中で“具体的に”どんな認識を
 しているのかは、まったくわからない)

264 :考える名無しさん:05/02/18 20:41:30
>>263
つまり、人間にはこの宇宙を三次元的にしか認識できないが
宇宙人の中には、四次元、五次元と認識できるものもいるかもしれない。と?

265 :目真っ赤彦 ◆0SLDj008AA :05/02/18 22:01:45
>>200
そうかも知れない。
カント・ラプラス説を唱えたカントのことだから。
月の住人について言及しているので、遊星もついこの太陽系のことと理解してしまった。

>>264
可能性としては否定出来ないと思う。
というかカントは否定していない。

266 :目真っ赤彦 ◆0SLDj008AA :05/02/18 22:02:26
ごめん、上の>>200>>201へのレスでした。

267 :考える名無しさん:05/02/18 23:34:45
月の住民と言えばかぐや姫もそうだな。


268 :考える名無しさん:05/02/19 00:09:57
>>262-263
もれは>>247だけど、書きっぱなしで放置してた。スマソそしてdクス


269 :考える名無しさん:05/02/19 01:21:46
「宇宙人ならば他の直観形式もあり得る」ということは、究極的には
「私でない他の人は、私と異なった直観形式を持っていることもあり得る」
ということだよね?
そうなると幾何学の普遍性(万人に共通する、という意味での)が
失われてしまうように思うけど、どうなんでしょ
教えてえらい人

270 :269:05/02/19 01:25:31
つまり、小川さんには小川幾何学、
山本さんには山本幾何学、・・・・
となってしまうのでは?

本当にそれでいいのかカント?

271 :考える名無しさん:05/02/19 01:28:59
「宇宙人ならば8本足ということもあり得る」というと、究極的には
「私でない他の人は、8本足ということもあり得る」ということになる
のか?


272 :考える名無しさん:05/02/19 01:34:12
>>269
4次元以上を直観できる偉い数学者とかはいるかもしんないね。
ユークリッド幾何学を考えて違和感がない人達は実用的には大体ひとまとめにしていいんじゃ。
自分も周りの人も「我々」って言っていいくらい空間時間の感覚ってあんまり変わらんみたいだし。

普遍性を語る領域って悟性のレベルだから
極端な話、感性形式が一人一人違っててもカント的には問題ないんだと思う。
カントの論の組み立ては、
すべての理性的存在者に妥当なものは、すべての人間にも妥当する
(人間が理性的存在者であるかぎり)という形で行われるからさ。

273 :考える名無しさん:05/02/19 01:34:40
>>262の文章から、「カントは宇宙人が存在すると信じていた」とするのは
いくらなんでも・・・

274 :269:05/02/19 01:35:33
>>271
人間は2本足である、という生物学的知識を前提にするならば、
他の人は8本足である可能性があるとはいえないでしょう。しかし、

○「他の人が何本の足を持っているか」は、他の人を見て触れば確かめることができる。
 しかし、「他の人がどのような感性の形式を持っているか」は、私には決して直接確かめられない。
 だから、これとそれとはかなり状況が違うでしょう。

○あと、「人間は2本足である」というのはあくまでも経験的な知識だよね。
 アプリオリに考えれば、人間が8本足を持つことも可能ではある、とも言える。

275 :考える名無しさん:05/02/19 01:36:24
スウェーデンボルグの影響で、宇宙人について想像するのが流行って
たって話じゃなかった?

276 :考える名無しさん:05/02/19 01:38:42
>>274
それなら、自分の直観形式とは別の直観形式もあり得るかどうかなんてことが
どうして分かるの?

277 :考える名無しさん:05/02/19 01:40:09
>「他の人がどのような感性の形式を持っているか」は、私には決して直接確かめられない。

自分の感性の形式自体も「直接」には確かめられない。
あくまで形式なんだから。
形式というのは、概念や命題から推論して導き出せるもんでしょ。
だとすれば、他人の感性の形式もその言葉から推論できるはず。


278 :269:05/02/19 01:41:12
>>272
> 自分も周りの人も「我々」って言っていいくらい空間時間の感覚ってあんまり変わらんみたいだし。

そうだけど、そういう「状況証拠」によってアプリオリであるはずのものに対して
判断してしまってよいのか、とw

むしろ、
> 感性形式が一人一人違っててもカント的には問題ないんだと思う。
これかな。
要するに、カント(というか、ドイツ観念論自体が)というのは、
他者にはあまり興味がないのでは、と思えてくるんだが。

>>273
カントは「宇宙人が存在するのは確実である」みたいなことを言ってると思うよ。
しかも確か、純粋理性批判の中で。
誰かソースきぼんぬ

279 :考える名無しさん:05/02/19 01:57:07
>>277
他者の言葉や概念から、その人の「言葉や概念の形式」ならわかるかも知れないけど、
その人の「直観の形式」まではわからないんじゃないの・・・・?
他の人の直観は私にはわからないわけだからさ。超能力ででもない限り。

280 :考える名無しさん:05/02/19 01:59:20
> だとすれば、他人の感性の形式もその言葉から推論できるはず。

じゃ、宇宙人でない人間の共通の感性の形式も推論できるでしょ、
他の感性の形式をもっている宇宙人の可能性とは関係なく。

281 :考える名無しさん:05/02/19 02:01:49
>>279
それじゃ、直感の形式に関しては、自分のことしか分からないはずで、
他の直感の形式が有り得るかどうかなんて、頭の中でごちゃごちゃ考えても、
分かるわけもないよね。


282 :考える名無しさん:05/02/19 02:05:05
>>279
「言葉や概念の形式」が何を意味してるのかよく分かりません。

283 :考える名無しさん:05/02/19 02:06:34
> 他の人の直観は私にはわからないわけだからさ。超能力ででもない限り。

自分の直感の形式は分かるの? どうやって?




284 :考える名無しさん:05/02/19 02:07:10
>>281
そう、だからカントは要するに他の人のことはどうでもいいんじゃないか、と。

いずれにせよ、「宇宙人」と「他者」とは何も違わないよ。
もしカントが、「感性の形式は人類には普遍的」だが、「宇宙人に通用するかはわからない」などと
考えていたのなら、カントは間違っている。

285 :考える名無しさん:05/02/19 02:08:00
>>284
どう考えるべきだったあなたは思うの?

286 :考える名無しさん:05/02/19 02:10:11
完全な独我論者であるべきだった?

287 :考える名無しさん:05/02/19 02:10:13
>>282
俺にもよくわからない(w
>>277がヘンなこと言い出したから、それにつきあってみただけで。

>>283
自分の直観の形式がわからない、とでも?
そうするとカントの哲学なんかは根本的に成り立たなくなるのだけど。
普通に考えれば、私の直観はいま、ここに私に与えられているのだから、
それがどういう形式に従っているのかくらいは、よく省察すればわかると思うんだけど

288 :考える名無しさん:05/02/19 02:16:00
うん、俺は自分の直観の形式なんて、全然わからんなあ。・・・・・・ともかくもう寝る。

289 :考える名無しさん:05/02/19 02:17:32
>>285-286
そうね、ある意味「独我論」になるんでしょうかねえ・・よくわからんけど。

「独我論」ということの意味にもよるけどね。
例えばヘーゲルや西田幾多郎は、「自分は独我論者ではない」と言い張るだろうけど、
それにもかかわらず、根源的に彼らは独我論者だ、とも言えるでしょう。

290 :考える名無しさん:05/02/19 02:19:24
>>287
あんた、超越論的感性論の部分さえ読んでないだろ。


291 :考える名無しさん:05/02/19 02:20:37
>>290
いちおう読んでるけど、かなり昔に読んだので忘れてるかも知れない。
そんな一行レスしてないで、
どこがどう違っているのか教えてくれよ。

292 :291:05/02/19 02:33:01
>>290はどこに行ったのかな?
根拠を示さずに人の悪口だけ書いて、去ってゆく人って、感じ悪いなあ。。

好意的に解釈すれば、多分「どういう形式に従っているのかくらいは、よく省察すればわかる」
って所に反応したんだろうけど、それがカントの言うことに合致しているかどうかは
少なくとも>>283との議論の上では大したことではないと思うんだが。

ていうか俺も寝る。

293 :考える名無しさん:05/02/19 02:34:33
>>291
「形式」の意味が把握できてない

294 :291:05/02/19 02:38:59
>>293
だ か ら、
俺がどういう風に把握できてなくて、どういう風に理解すべきなのか、
ちゃんと書いて教えてくれよ。
仮にも哲学板にカキコするならば、それ位はすべきだと思うよ。頼むよ。
おやすみ

295 :考える名無しさん:05/02/19 02:46:34
>>294
あなた、他人の直感は超能力でもない限り分からないと言ってたでしょ。
そこのところからして、直感の「形式」という意味が分かってないわけ。


296 :考える名無しさん:05/02/19 03:06:52
>もしカントが、「感性の形式は人類には普遍的」だが、「宇宙人に通用するかはわからない」などと
>考えていたのなら、カントは間違っている。
そう考えていた、とされてるんじゃないのか?

で、君は人類でも一人一人違うと考えているのかな?

297 :考える名無しさん:05/02/19 09:18:28
>>295 なんだ、そんな理由ですか。。。

・第一に、半ば冗談で書いた「超能力」って言葉を根拠に真面目に批判されても困る。
 俺は別に超能力なんて信じているわけではないから、
 「もし超能力みたいなことを仮定すれば、俺らの予期しないどんなことでも起こり得るけどね?」
 と言っているわけで。

・第二に、「他人の直観は超能力でもない限りわからない」と主張することが、
 なぜ直観の形式を理解していないことになるのか、明確ではないね。
 あなたはどうも、論拠を説明せずに、やみくもに人の批判だけをしたがる癖がある人のようだな。
 哲学板にいるんだからさ、そういう一行レス、二行レスみたいなのはやめようよ・・・

298 :考える名無しさん:05/02/19 09:29:52
>>296
俺自身は別にカント主義者でもないですから。

でもカントに従って考えてみると、
確かに多分、人類の場合は、悟性や感性の形式みたいなものは自分とそれほど違わないんじゃないかという気がする。
でも、それは少なくともアプリオリにわかることではなくて、
単に経験的に見て「たぶん中国人も俺らと同じ感性の形式を持ってるだろう」と理解できることなんじゃないの?
というか、あなた自身はどう思うわけよ?

299 :考える名無しさん:05/02/19 10:04:52
風呂入ってる間に思ったのだが、
好意的に考えて、恐らく>>295は、
「もし超能力によって他者の直観を知ることができたとしたら、それは同様に感性の形式によっていなくてはならない」と
言っているのだろう。それは確かにそうなんだろう。
むしろ、「超能力」なんてものを仮定しなくても、そもそも他人の直観・思惟というものを想像できる時点で
それは感性と悟性の形式によっていなくてはならない、とも言えるだろう。

しかしそれならば、「宇宙人」についても同様のことが言えるんじゃないだろうか。

300 :考える名無しさん:05/02/19 10:13:51
感性的直観の対象と形式を混同してるから馬鹿にされてることに気付け

301 :299:05/02/19 10:15:54
で現時点での結論としては、
カントがもし>>299に従って「全ての理性的存在者は同一の感性・悟性の形式を持っていなくてはならない」と
主張しているのなら、その当否はともかくとして、主張自体は理解できる。
その場合、「宇宙人」であろうと何であろうと当然、俺らと同じ理性を有する。
(「神」はどうか?となるとわからんが。)

しかし上で主張されていることによれば、カントはそうは考えなかった、らしい。
その辺は、俺としてはもう一度カントを読み直してみなくてはわからん。
誰か俺の理解に誤りがあったら教えてくれ。

302 :考える名無しさん:05/02/19 10:16:40
それも違うようだ。感性的直感は形式であり、感性的感覚が内容となるようだ。
対象は現象としての表象だ。
感性的直感の対象を形式と混同しているなんて指摘したらばかにされるからここ以外
では書き込まないほうがいいぞ。

303 :299:05/02/19 10:16:42
>>300
だからそういう一行レスはやめろってw
何か言うのなら、ちゃんと説明をしろよ

304 :299:05/02/19 10:20:22
>>302
あなたも「直観」を「直感」なんて書かない方がいいのではないか?
お互い、些細な言葉遣いで罵倒しあうのはやめましょうね

まして、一行レスで論拠を示さずに、人の悪口だけ言うなんてのは良くないよ。

305 :考える名無しさん:05/02/19 10:30:23
>>304
罵倒し合うとは、あなたと私が相互に規定し合い、全体の関係を形成していると考えるのは
やめたほうがいいという意味だね。まして、相互だけじゃないのにだ。

306 :考える名無しさん:05/02/19 10:36:13
現象において感覚と対応するところのものを、私は現象の質料と名づける。これに反して、
現象の多様な内容を整理するところのものは、現象の形式と呼ばれる。感覚を整理し、
またそれをある形式に収めることができるものは、それ自身感覚ではあり得ない。
それだから一切の現象の質料は、なるほど我々にア・ポステリオリにのみ与えられはするが
しかし現象の形式は、感覚を受け入れるものとして、すでに我々の心のうちにア・プリオリに
具わっていなければならない、従ってまたこの形式は、一切の感覚から分離して考察されねば
ならない。
感覚に属するものを一切含んでいない表象は、純粋(超越論的意味において)な表象と呼ばれる。
すると感性的直観一般の純粋形式は、我々の心のうちにア・プリオリに見出され、それて現象に
おける一切の多様なものは、この形式によって、ある関係において直観せられるのである。
                                                  (純理:34-35)


307 :考える名無しさん:05/02/19 10:52:36
我々が対象から触発される限り、対象が表象能力に与える作用によって生じた結果は感覚である。
感覚を介して対象に関係するような直感を、経験的直感という。また経験的直感のまだ規定されて
いない対象を、現象という。

308 :考える名無しさん:05/02/19 11:00:21
空間は、外感によって表象せられる一切の現象の形式に他ならない。換言すれば、空間は
感性の主観的条件であり、この条件のもとにおいてのみ外的直観が我々に可能なのである。
ところで主観は、対象によって触発せられるという受容性をもつものであるが、この受容性は
かかる対象に関する一切の直観よりも前に存在しなければならない。あらゆる現象の形式
であるところの空間は、どうして一切の現実的知覚よりも前に、すなわちア・プリオリに心意識の
うちに与えられ得るのか、またこの形式はどうして純粋直観として、換言すれば、一切の対象が
そこにおいて規定せられねばならぬような直観として、一切の経験よりも前にこれらの対象の
関係の原理を含み得るのかということは、これによって理解できる。
                                               (純理:42)

309 :考える名無しさん:05/02/19 11:36:49
このスレすげぇな。
何がなんだかさっぱりだ。
記念パピコ。

310 :考える名無しさん:05/02/19 11:51:52
>>309
あなたは哲学に関係ない人? それともカントの研究者?

311 :考える名無しさん:05/02/19 13:18:11
>>299
超能力以前に感性の形式って私秘的なもんなのか?

312 :考える名無しさん:05/02/19 18:14:33
関連スレッド:
「純粋理性批判」精読スレッド
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1108778530/l50

313 :考える名無しさん:05/02/19 19:23:10
あんまりアリストテレスについての書き込みが無いけど
アリストテレスが最初に形而上学を唱えたのか?


314 :考える名無しさん:05/02/19 19:27:41

アリストテレスの「形而上学」(岩波文庫)買ってきた。


315 :考える名無しさん:05/02/19 21:10:19
>>313
アリストテレスの講義録の一部を弟子達がまとめて形而上学と呼ぶようになった。
ああいう思考を形而上学と呼ぶようになったのは少なくともアリストテレス以降。

316 :考える名無しさん:05/02/19 21:36:40
第一哲学と言ってたのかな

317 :目真っ赤彦 ◆0SLDj008AA :05/02/19 21:44:04
アリストテレスの「形而上学」を読むと、
当然のことではあるが、自分たちの生きた時代を「現代」と捉えている。
2000年前にすげーな、と思った。

318 :考える名無しさん:05/02/19 22:42:49
神のこと、死後の世界、人類誕生以前のことを研究するのが神学。
哲学は人間や人間界のことを研究する学問だった。
やがて哲学から数学、物理学、生物学などが分岐していった。
アリストテレスの時代は、まだ神学と哲学と数学しか無かった時代じゃなかった?

319 :考える名無しさん:05/02/19 23:04:17
>>318
何を根拠にそんなことを考えてるのかわからん。

あと、「神学」という学問はなかったはずだし、医学はあった。
あと、歴史学と修辞学もあったと思っていいかもしれない。

320 :考える名無しさん:05/02/19 23:23:27
>>319
神学はあったよ。
アリストテレスにおいてテオロギケー(神学)は存在論とともに第一哲学の両輪だった。
とはいっても、現代人が想像するような意味での神学ではなかったが。

321 :考える名無しさん:05/02/19 23:38:40
>>320
哲学から独立した神学だよ?

322 :考える名無しさん:05/02/19 23:41:31
>アリストテレスの時代は、まだ神学と哲学と数学しか無かった時代じゃなかった?

アリストテレス著作集の題名だけでも眺めてみなされ。他にもいろいろあるから。

323 :考える名無しさん:05/02/19 23:58:54
哲学の歴史は相当古いだろうな。
昔の人は夜やることないから、物思いに耽ってただろうし。

324 :考える名無しさん:05/02/20 00:01:19
夜にヤることはいっぱいあるでしょー

325 :考える名無しさん:05/02/20 00:13:54
>>323
物思いに耽った古代人はいろんな神話をこしらえたそうだよ。


326 :考える名無しさん:05/02/20 00:27:48
夜な夜な物思いに耽った古代人。
神の世界、死後の世界、天地創造以前の世界などを考えた。→宗教に発展
自然や人間など万物の真理を考えた。→哲学に発展
か?

327 :考える名無しさん:05/02/20 00:31:56
>>326
神話に潜むドクサ性を批判→哲学に発展
だろ。史実的には。


328 :考える名無しさん:05/02/20 01:09:43
>>322
だから、それはピロソピアの範囲内だっつーの。
動物研究もピロソピアの一環として行われた。

329 :考える名無しさん:05/02/21 14:58:01
このスレ、タイトルのせいで、結局カントスレになっている。
もったいない。

330 :考える名無しさん:05/02/21 15:20:23
ピロピロソピアピロソピア

331 :考える名無しさん:05/02/21 17:11:28
仕方がないさ。
みんなカントしか知らないから。

332 :Joy:05/02/21 19:20:25
アリストテレスがわけわからないのだと思われ
エイドスとヒューレーという説明と、イデアの説明とで、どれほどの意義があるのか理解できてる人が少ないということでは?
かくいう俺もいまいちなんだけどね


333 :考える名無しさん:05/02/21 21:49:19
哲学の潮流の一つである分析哲学が、
メタフィジックを近年まで軽視していたのも大きい。

334 :考える名無しさん:05/02/23 03:36:42
>>332
Joyいるんなら最近気になってたこのレスに答えてくれ。
おれはJoyを信じたいんだ。。。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1108220215/598
598 名前:考える名無しさん [sage] 投稿日:05/02/16 (水) 13:06 :37
「格率が最大限になる」ってのが意味不明なんだけど。
『基礎付け』にでてくる定言命法の定式って、
唯一の原理:「普遍的法則となるようにあなたが同時に意欲しうるような格率に従ってのみ行為せよ」
そのバリエーション、
第一の法式:「あたかもあなたの意志の格率があなたの意志によって普遍的自然法則となるべきであるかのように行為せよ」
第二の法式:「あなたの人格と同様にどの他の人格の内にもある人間性を、決して単に手段としてだけではなく常に同時に目的として使用するように行為せよ」
第三の法式:「普遍的に立法する意志としてのすべての理性的存在者の意志の理念」
だけだったと思うけど。

格率って「〜しよう」ってことなので、それが最大限なるよう律するってのは、
せいぜい「したい」ことをなるだけするようにするくらいの意味しか受けとれない。
好意的に読んでも仮言命法にしかならないと思うよ。
自分の意図に対して最適な手段を選んで行為せよ、ってな。それはカントの意図に反するし。


335 :Joy:05/02/24 00:55:11
>>334
>格率って「〜しよう」ってことなので、それが最大限なるよう律するってのは、
格率って「〜しよう」ってことなの?
俺は行為をする際の規範みたいなものと教わったよ

>せいぜい「したい」ことをなるだけするようにするくらいの意味しか受けとれない。
>好意的に読んでも仮言命法にしかならないと思うよ。
要は「最大限」という言葉がおかしいということでしょ
「普遍」という表現ならOKと

大学の先生が「最大限」と表現していたと思ってたけど、
ノートを確かめたら「普遍」と書いてあった
すまん
「最大限」を「普遍」に修正してくれ



336 :考える名無しさん:05/02/24 15:47:34
>>335
格律は行為の主観的原理で定言命法の定式をパスすることによって客観的原理になる
「嘘をつかないでおこう(Wollen)」という格律が客観的原理としての形をとるときに
有限な理性的存在者である人間に対しては「嘘をつくな」というSollenの形で現れるといった具合
ひとはみなこうしようああしようと思いその思惑にしたがって行為するから
それを規範とよぶならそういってもべつにいいんだけど言葉が強すぎるかもしれない

337 :Joy:05/02/24 18:22:27
>>336
カントにとっての道徳は客観的価値の存在を設定して義務の根源を認めることなので
「規範」と呼ぶのは、そう呼ぶ時点でそのような義務を認めているから説明としてはちょっと不適切ということかな

説明ありがとう


338 :考える名無しさん:05/02/27 23:35:57
Joyってぴかぁ〜?

339 :Joy:05/02/27 23:39:45
>>338
ん?

なんでわしがぴかぁ〜やねん


340 :考える名無しさん:05/02/27 23:44:37
いや、ぴかぁ〜って現代思想系(パレルゴン)とか機械的唯物論系(機械)とか、
科学哲学系(我無)とかニヒリスト&リアリスト系(半角カタカナ、改行しまくり男)とか
色々人格があるじゃん。

で、大学生哲学科系がJoyなのかなぁと

341 :考える名無しさん:05/02/27 23:49:29
人間は外界を最終的に目指すとされているようだが、形而上はどこに由来するものなのだろう。
自己に由来するものは自由であるし、外界であるなら空間だろう。
すると、時間はどこに由来するのだろう。
自由と時間は自己の内部に含まれるものだと考えられる。これらは自己の外部にないようだ。
自己の内部において、自由と時間はどのように関係しているのだろう。

342 :考える名無しさん:05/02/27 23:56:41
>>339
その答え方も激しくぴかぁ〜ポイなぁ

ま どっちゃでもええか

343 :考える名無しさん:05/02/28 00:04:47
時間が形式だと譲歩したとしても、自由はどうなるのかだ。
自己の範囲を超えるという超越性を含んだものが自由なのだろうか。
基本的に感性に属する扱いなのかな。

344 :考える名無しさん:05/02/28 01:25:10
意味のわかりにくい文章書くのはポモ流なの?

345 :考える名無しさん:05/02/28 01:32:48
>>344
京都学派流ともいう

346 :考える名無しさん:05/03/01 13:37:15
意味のわかりにくい文章書いても、読み解く根性ある人にしか
伝わらんから文字通り意味ないんじゃないの?よくしらんけど。

347 :考える名無しさん:05/03/04 06:16:15
で、話を戻して形而上学についてなんだが。

348 :考える名無しさん:05/03/04 12:18:16
形而上麻雀学
ttp://www5.airnet.ne.jp/~morimon/EVA/Janeva/janeva21.gif

349 :考える名無しさん:05/03/06 00:19:04

ご利用下さい。

学歴板 【草のみどり】中央大学総合すれ【タマでお昼寝】

http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/joke/1107019095/l50



350 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

351 :考える名無しさん:05/03/07 17:27:38
>>350
賛同

352 :考える名無しさん:05/03/07 17:36:38
さて、Chinaについて語ろうか
哲学オタは基本的に西洋かぶれだからさー

353 :考える名無しさん:05/03/07 20:54:44

>>350は、こいつのしわざです。

グロービート・ジャパン(らーめん花月)を名誉毀損し、民事・刑事
で告訴され、刑事では起訴された、次瀬徹。

http://www.geocities.jp/earthfederation21/

次瀬徹はペンネームです。本名、橋爪研吾(本籍地:新潟)。こいつ
民事・刑事で告訴されています。刑事では起訴され、現在公判中です。

http://es.geocities.com/dempauyo/



354 :考える名無しさん:05/03/07 20:56:52
時間変更
‖\/‖ ‖ ‖\/‖ ‖ ‖\/‖ ‖ ‖\/‖ ‖ ‖\/‖
‖ ‖ ‖\/‖ ‖ ‖\./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \. ‖
‖\/‖ ‖ ‖\/‖ │大変長らくお待たせをいたしました│‖
‖ ‖ ‖\/‖ ‖ ‖\| ただいまから、宝塚四季のレビュー.| ‖
‖\/‖ ‖ ‖\/‖ │を開演いたします。      .    |‖
‖ ‖ ‖\/‖ ‖ ‖  .\_____________/ . ‖
‖\/‖ ‖ ‖\/‖ ‖ ‖\/‖ ‖ ‖\/‖ ‖ ‖\/‖
 \_/\_/\_/\_/\_/\_/\_/\_/\_/
  _________________________
/|                                     |\
 パチパチパチパチ パチパチ パチパチ パチパチ
  ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
 ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧ ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
    ∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧∧_∧
    (    )   (    )    (    )    (    )
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
レビュー(一斉投票)を12時33分から開演いたします。
チケット(投票コード)の用意はよろしいでしょうか??
チケットはこちらでご用意ください。(無料!!)
http://tiger513.maido3.com/~bs6000/2ch/
劇場(投票所)はこちら
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/vote/1110118996/
http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/vote/1110131754/
劇場に入ったら、下の例のように投票してください。
------------------------------------------------------
  [[2ch**-********-**]](←投票コードを貼る)
  <<宝塚・四季>>板に一票。
------------------------------------------------------
投票済みでもご入場ください。
また開演に遅れましてもご入場いただけますので、遠慮なくご観劇ください

355 :考える名無しさん:05/03/08 19:46:54
>>350
別にどーでもいいんではないの?

356 :ローカルルール審議中:2005/04/02(土) 20:27:54
ager

357 :ローカルルール審議中:2005/04/20(水) 03:28:37
That落ち反対

358 :考える名無しさん:2005/05/06(金) 19:29:17
スレ違いかもしれませんが、画家のキリコの「形而上学的不安」という
絵を知っている人いますか?
あれは、人間を単純化して、マネキンのように描くキリコ独特の絵なんですが、
あれを突き詰めていくと、なんというか「現実的なひっかかり(意味?)が
どんどんなくなっていき、最後には自殺につながっていくような不安を
描いた絵に思えるのです。
形而上学ってそういう側面がありませんか?

359 :考える名無しさん:2005/05/08(日) 16:29:11
>>358
戦前ならシェストフ読んで自殺衝動覚えたような馬鹿だな

360 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 21:34:35
形而上学って何ですか?

361 :考える名無しさん:2005/05/22(日) 22:13:31
俺様の言葉にならない説法を聞き涙する学問

362 :考える名無しさん:2005/07/18(月) 17:03:20
形而上学に出てくる4つの実例、

@正直な商人は掛値をしない行為
A行き続ける行為
B困ってる人を助ける行為
C自分の幸福を確保する行為

これが動機からなされた行為だけが道徳的価値を持つと言われたのですが、
さっぱりわかりません。
どういう事なのか解説願えないでしょうか?

363 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 05:12:32
形而上学の問題出して。

364 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 18:37:21
エンテレケイア

365 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 19:42:50
>>363
つ「アキレスと亀のパラドックス」

366 :考える名無しさん:2005/07/19(火) 23:57:53
アリストテレスは私の講義を聴いてない人には分からないように本を書いたと言っている。
皆さんアリストテレスが分からないと言って自分の頭が悪いわけではありません。
カントやヘーゲルも多分同じ。よく分かっている人の本は分かりやすい。彼らは自分の哲学が良くわからなっかたのではないか。
後の人が多分こうだろうと言って解釈したのではないか。

367 :考える名無しさん:2005/07/26(火) 13:13:20
哲学者は国語を勉強しろ。

368 :考える名無しさん:2005/07/30(土) 00:17:53
「美しい日本語」って、概念の使用を抑圧する方向に働くんだよ

369 :考える名無しさん:2005/08/05(金) 12:38:46
カント著の『道徳形而上学言論』岩波文庫を読むことになって読んでるんだけど
なんか難しい言葉ばかり使ってあって意味わからへん。
なんか解説サイトとかない?自分でまとめながら読んでくしかないかな?


370 :考える名無しさん:2005/08/05(金) 12:40:33
   

371 :考える名無しさん:2005/08/05(金) 14:12:11
岩波ではなく中公のほうを読んだらどうか

372 :考える名無しさん:2005/08/06(土) 00:05:32
>>369
中公の世界の名著の訳の方が正確。
岩波文庫のと以文社のは似たり寄ったり。出来れば全集版で読まれたい。

373 :考える名無しさん:2005/08/08(月) 11:35:47
誰かアリストテレスの『心とは何か』の内容軽く解説してください…

374 :考える名無しさん:2005/08/10(水) 14:19:19
>>372
中公のって2500円する 道徳形而上学の基礎づけって本でいいのかな?
それとも1500円の人倫の形而上学の基礎づけ??
どっちか迷って結局買えなかった…orz

375 :考える名無しさん:2005/08/10(水) 15:00:42
>>347
「道徳形而上学の基礎づけ」は以文社のものだね。
この訳が一番精確で優れていると思う。


376 :考える名無しさん:2005/08/10(水) 15:42:03
以文社と中公どっちがいいの?
上のほうだと中公がいいって言われたけど、
すぐ上のだと 以文社がいいと…。
 内容は似てるというか同じものなんですか

377 :考える名無しさん:2005/08/10(水) 16:17:15
以分社
数ページ毎に注解もあってベスト

378 :考える名無しさん:2005/08/10(水) 16:34:31
もぅ両方よめよ!自分で確かめてみ・・・

379 :考える名無しさん:2005/08/11(木) 01:53:36
>>360
形而上学とは我々の経験を超えた問題を扱う学問のこと。

例えば、「魂は存在するか」とか「世界に始まりはあるか」
「あの世は存在するか」などが典型的。




380 :考える名無しさん:2005/08/11(木) 23:00:48
初心者の質問

形而上学はアリストテレスから始まったとありますが、プラトンの「イデア」は
形而上の概念ではないんですか? 



381 :考える名無しさん:2005/08/12(金) 01:03:59
>>379
えらく論理実証主義的な形而上学観だな。

382 :考える名無しさん:2005/08/12(金) 04:34:46
影の主

383 :考える名無しさん:2005/08/22(月) 11:18:53
>>379
いつの時代の話だよw

384 :考える名無しさん:2005/09/26(月) 12:52:30
上でも紹介されてる
道徳形而上学の基礎付けって本読んでるんだけど、
難しい言葉ばかりで読むの大変。
まだ第一章なんだけど…さっぱり…orz
なんかうまい具合にまとめてて、読むのに参考になるサイトとかないでしょうか?

385 :考える名無しさん:2005/09/26(月) 17:51:06
>>377
以文社の訳よりは名著の訳の方が正確だよ。
注解も単なる要約ばっかりだしあんまり役に立たない。
高いし買って損した。訳文もほぼ岩波文庫とかわらんし。

386 :考える名無しさん:2005/09/26(月) 23:26:25
マジ?

387 :考える名無しさん:2005/09/27(火) 14:23:10
俺が友人たちの数人で比較対照した限り、
以文社の訳の方が厳密で精確だった。名著の訳は
間違いは少ないが訳語が一定してないので、
学術目的には使えない。

388 :考える名無しさん:2005/09/28(水) 13:36:43
学術目的ならどうせ原文を読みつつやるんだから訳語はそう気にすることもない。
が、Sittenを道徳と訳す以文社の訳語の方がどうかと思うぞ。
Moralとの区別がつかないし、岩波の全集版でも人倫になってる。

389 :考える名無しさん:2005/09/28(水) 14:11:01
Sittenを道徳と訳すのはそんなに問題じゃないだろ。
カント学者の間でもそう訳す人は結構いると思われ。
区別が付かなくなるという欠点は認めるが。

390 :考える名無しさん:2005/09/28(水) 17:11:28
>>389
区別がつかなくなるという欠陥を問題にしてるんじゃ?

391 :考える名無しさん:2005/09/28(水) 17:33:12
学術的「精確さ」を問うなら当然の指摘だな

392 :考える名無しさん:2005/09/30(金) 20:27:22
ところで
形而上学って 読みは
けいじじょうがく だよね?
それとも、けいじょうがく ?

393 :考える名無しさん:2005/10/01(土) 18:56:52
「けいじじょうがく」が正解

394 :考える名無しさん:2005/10/02(日) 13:24:05
形而上学は、平和学へと進化すべきでしたが、
やはり雲の上の学問が、地上の学問へ下がるのは、
進化の過程では起き得ないことでした。

私が、平和学を構築いたします。

どこかの大学が平和学などといってましたが、平たい内容でした。
私は、マックス・ウェーバーが社会学を構築したのと同じ気概で
やります。

395 :考える名無しさん:2005/10/02(日) 15:05:09
頑張れ

396 :考える名無しさん:2005/10/05(水) 23:30:14
形而上学って全部根拠無いからダメだろ

397 :考える名無しさん :2005/10/06(木) 00:55:37
確かにダメなのだが、その根拠のない形而上学が自然科学を
根拠付けている側面がある。

398 :考える名無しさん:2005/10/06(木) 01:12:38
>>396
じゃあお前さんが独力で形而上学を滅ぼしてください


399 :考える名無しさん:2005/10/08(土) 12:56:24
>>398
カントは、諸学が絶滅しても、形而上学だけは生き残ると『純粋理性批判』
の序文で書いていたな。形而上学はしょせん純粋な思考の産物にすぎないから
人類が存続する限り、誰かが思いつく。人類が絶滅すれば、形而上学も滅ぶ。

400 :考える名無しさん:2005/10/08(土) 13:45:30
この世は滅茶苦茶である

401 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 15:01:06
>>396
他のものの根拠となるべきものに別の根拠があったらだめだろ。
根拠となるべきものはそこから出発せにゃならんのに。

402 :考える名無しさん:2005/10/10(月) 17:11:49
認識論とごっちゃになってないか?
さもなきゃ存在論的基礎と認識論的基礎を同一視する哲学的立場なのか。

403 :考える名無しさん:2005/10/14(金) 14:54:15
人間はこの世の説明に形而下学だけじゃ間に合わないから形而上学的発想を生み出した
形而上学を信仰していればとりあえず精神は安定する

404 :考える名無しさん:2005/10/14(金) 22:59:37
形而上学って人に何かしたら自分に返って来るとかの因果とかだろ?

405 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 21:39:31
形而上学と言うのは経験では把握できないような問いに対して答える為の学でいいの?
例えば、物事の最小単位は何か、宇宙は永遠に続くのか、などが形而上学的問いの代表であった。
しかし今日では、それこそ、クォーク・レプトンなどが発見されており、宇宙の限界年齢も大体予測されている。


406 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 21:44:00
宇宙論と形而上学とを混同するのはやめましょう

407 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 21:48:25
ヒューレが同一の根源であるのか、という懐疑ですね。
考え方が異なるんじゃないですか。

408 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 21:58:10
形而上学的遺題という問題群があるのではなく、
形而上学的領域と言う問題領域があるのです。
中身は時代により激しく入れ替わります。


409 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 22:00:45
>>408
遺題?

410 :考える名無しさん:2005/10/15(土) 22:57:31
アリストテレス全巻読みたい

411 :スレンダー:2005/10/16(日) 00:41:44
形而上学を形而上学するのですか。
面白いですね。

412 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 01:25:45
形而上学は知行一致が原則だから。


413 :考える名無しさん:2005/10/16(日) 12:21:54
>>412

ん?知行合一は倫理学の原則でしょう。

414 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 19:42:10
形而上学の説が肉感的に思えるのは俺がバカだからですか?

415 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 21:14:56
>>414
いや、その考えは正しい。

416 :考える名無しさん:2005/10/19(水) 22:07:09
溜まってるだけだろ。抜いとけ。

417 :考える名無しさん:2005/10/21(金) 21:04:30
>>416 ワロタ

418 :考える名無しさん:2005/10/22(土) 06:36:46
>>415
やはりバカだからというわけか
>>416
じゃあバカとは関係ないって事か

419 :考える名無しさん:2005/10/26(水) 00:34:09
形而上学はとてつもなく重要だと思います。
現実に起きることばかり考えていたら歴史は発展しなかったでしょう。
カントも自然科学と形而上学ははっきり区別してました(確かそういうこと書いてました)
空想的ではあるが宗教とは異なった学問的立場から平和を模索する一手段だと思います。
私の夢は、カントの著作をわかりやすく解説した本を出版することです。
そういうことが好きな人を従業員にして小企業を作って仲間で達成したいです。
ただし、XXXX出版解釈版(誤解釈も多々ありそう版)と副題付きで出しますが。

420 :考える名無しさん:2005/11/08(火) 17:17:03
あげ

421 :考える名無しさん:2005/11/16(水) 00:14:30
/:::::::|/::::::::::|   ...|:::::|.i::::,,,---::::::::i:::::::i::::||:::iあっははは! なあに? この変なマンガ本の山は?
:|::::::::::::::::::::::i...ii  .i::::::ii::/.,,─-,,"ヽi:::::::i:::ii:::::|「おにいちゃん、もうダメッ……!!」って、何これ?
:i::,,-""""-::::i..i:i  |:::::::::::.i  .. i...i:::i:::::i:::ii:::::iあんた、いつもこんなの見て、その粗末なモノを一生懸命こすってるの?
i:i .,-""..ヽ::::ii:::i ..i"".. "..,,__丿ヾ:i::::i:::ii::::::|道理でイカ臭いわけだわ、このマンガ本。ページもガピガピだし。
i,,i |   ..|." ...i i         ...i::i::::ii::::::|どうせあんた、現実の女と寝たことなんてないんでしょう?
i::",,,ヽ ,,/   ii          ....i:::::i:::::::|こんな子供の裸見てオナニーなんて、人間として恥ずかしくないのかしらね。
::::::::""      i          ...|::::::::::::::i……あら、どうしたの。私に罵られて勃っちゃったわけ?
:::"        ..ヽ:::::::::::::      i::::::::::::::|幼女趣味だけじゃなくて、そっちのケもあるの? サイテーね。
ゞ        :::::::::.,,, --,,"    ,":::::::::::::|そんなサイテーなあんたは、せいぜいそこで一生しごいてなさい。え、何?
-".,,      --,,,"   ./    .,"::::::::::::::::l私にやって欲しいって? あっはははは、冗談でしょ? 私が? あんたのを?
::|::::ヽ       ."- .-"::::::::: /::::::::::::::::::::|誰がそんな汚いチンポに触ると思ってんの? 寝言は寝てから言いなさいよ。
::::i::::|:"--.,.,,,   :::::::::::::::::::::::::/:|:::::::::::::::::::::::iこうして見てあげてるだけで有難く思いなさい、ロリコン童貞!
::::::::::::::::::_,r-┤"--.,,,,,:::::::::::,-":::├、,:::::::::::::::::::lほらどうしたの。さっさと出せば? いつもやってるでしょ? あっははは!

422 :考える名無しさん:2005/11/21(月) 22:26:22
すいません 
形而上学の入門書でおすすめがあれば教えてください
よろしくおねがいします

423 :考える名無しさん:2005/11/21(月) 22:56:48
お願いage

424 :考える名無しさん:2005/11/22(火) 00:50:52
>>422
ほれ、感謝しろ。

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0415261074/

425 :422:2005/11/22(火) 01:06:24
>>424
どうもです!
ありがとうございました。

426 :考える名無しさん:2005/11/22(火) 08:42:11
>>402
存在論と認識論を同一視する「立場」って妙ですね。
それは単に、誤謬ですよ。

427 :考える名無しさん:2005/11/22(火) 08:47:44
>>425
その本は入門と名うっていますが、あまり入門ではありません。
あなたが哲学を大学で専門的に勉強されている方なら、大丈夫でしょうけれど。

428 :考える名無しさん:2005/11/22(火) 10:15:32
天上の最高善を思考すれば形而上学になる。


429 :422:2005/11/22(火) 20:45:31
>>427
助言ありがとうございます。
私の専攻は違うのですが、形而上学に興味がありここでお聞きしました。
427さんのおすすめがあればおしえてください。

430 :427:2005/11/22(火) 22:50:41
>>429
形而上学と一言で言っても色々なトピックがあります。
どのトピックに興味を持たれているのですか?

431 :422:2005/11/23(水) 00:31:30
>>430
そうなんですよね。。
ただ漠然と形而上学って言葉に興味を持っただけなので本当の入り口にいます。
ですからトピックはと聞かれても…分かりません。

もう少し勉強してからココを覗いた方がいいのでしょうか?


432 :430:2005/11/23(水) 08:07:53
>>431
私は哲学を正規教育によってスタートさせましたので、そうでない環境の方が
如何にして形而上学学習の一歩を踏み出すことができるのかについて、
残念ながら助言できません。ただ、トマス・ネーゲル氏の翻訳入門本(あれっ、すみません、
タイトル度忘れ…)は良いと知人から聞きました。図書館などで借りて読まれては如何でしょうか。
大学の哲学教授が書いた入門書を選んで読んでいかれると良いと思います。


433 :422:2005/11/23(水) 09:29:38
>>432
大変丁寧に教えていただきありがとうございます。
今日、早速図書館に行って来ます。

434 :考える名無しさん:2005/11/24(木) 05:31:44
プロティヌスについて聞かせてほしいのだが。

あるいは、善を一度だけみたポンピュリオスについて。

435 : ◆G21qyIOiHI :2005/11/24(木) 07:47:56
#tQkb-XHO

436 :考える名無しさん:2005/11/24(木) 20:45:38
あ、ごめん。ポルフュリオスだった。

学問的な形而上学もいいが、
実践的な<一者>あるいは<一>をみた人の意見を聞きたい。

437 :考える名無しさん:2005/11/24(木) 20:54:29
訂正しなけりゃわざとですんだのに

俺はわざとだと思った。

名前だけ知ってて読んでないからコメントできんが。

438 :考える名無しさん:2005/11/24(木) 21:35:49
>>437
ああああ。間違ってました(w。まぁ、ご愛嬌ということで。。。

先日、プロティヌス全集を借りてきて読んでたんだよ。
んで、巻頭にこの人の『プロティヌス伝』が載ってたんだよね。
これいま改めてみたら、「プロティノス」ですね。

プロティヌスは知ってる限り「一者」を4回見た、自分も1回見た、という
記述があってさ、これに引っかかった。
形而上学を学んでる人で「一者」を「見た」人っていないのかな。

体験が伴う哲学というものについて、語れる人を希望。。。

439 :考える名無しさん:2005/11/27(日) 15:12:16
↑意味不明なんですけど…
何が知りたいの?

440 :考える名無しさん:2005/11/28(月) 08:48:55
>>439
プロティノスが言うところの<一者>を実際に見た人の体験談。
『形而上学』を読んでる人たちは、プロティノスと読んでる本が
被ってるだろうから、一応このスレで振ってみたと。。。

441 :考える名無しさん:2005/11/28(月) 09:55:20
自分が見たものがプロティノスが見た一者と同一であることはどうやって
判断するんだろう? 一者は「一者で〜す」と宣言しながら現れるのか?

442 :考える名無しさん:2005/11/28(月) 10:01:03
神秘家のみる<一者>などは自我にすぎませぬ。
それを超えて無我に至らねばならぬのです。
by仏陀

443 :考える名無しさん:2005/11/28(月) 10:19:34
>>441
それは己が認識するのでは。
ああ、これってばプロティノスが書いたとおりだな(ワラ、とかね。

もしかすると、「見る」という行為が、目では見ない
かなり特殊なものかもしれないし。。。

で、そういう体験があった人の体験談を聞きたいと。

444 :考える名無しさん:2005/11/28(月) 14:08:07
202.223.151.67

445 :考える名無しさん:2005/11/28(月) 14:11:44
>>443
それなら宗教板かメンヘル板だな。

446 :考える名無しさん:2005/11/28(月) 20:03:24
>>445
いや、あえて言うなら、「見る」ことはできると思うんだけど。
哲学的な思索を行うことでね。プロティノスは実践してるわけだから。

言葉と論理で考えているだけが哲学のゴールだとは思えない。
もちろん「見る」ことがゴールだとも思わないんだが、
4回も「見る」必要性が何処にあるのか、という疑問もあるんだよ。

447 :考える名無しさん:2005/11/28(月) 22:52:38
やっぱり宗教板だな

448 :考える名無しさん:2005/11/29(火) 14:42:17
むしろ、
啓示や神秘や直観を論理的に解釈したり批判したりすることが
哲学なのかもしれない。

たとえばソクラテスがやってたことがまさにそれ。

449 :考える名無しさん:2005/11/29(火) 15:19:06
シェリングなんかは、
哲学者よりは魔術師に分類したほうが
よい気がしてきた。

450 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 02:50:49
>>448
パスカルなんてどう思われますか?

451 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 08:54:06
>>448
自分は、ダイモーンを身のうちに住まわしている人がソクラテスだった、
ということを知ったのが、プラトンを読み始めた理由だなぁ。

家族ぐるみで交流してた某神社の巫女さんやってた人が、
そういう人だった。あまりにも日常過ぎて特に不思議とも思わなかったが。

自分にとって、宗教と哲学は隣接分野としか思えないんだよね。

452 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 12:37:40
そんな例外的で古代な話されてもな。

フッサールやハイデガーやフレーゲやラッセルやソシュールが神の声で哲学してたわけじゃないし。

453 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 14:29:00
ダイモーンなんて言うから宗教的に聞こえるけど、
良心の呼び声って言えば、
それこそ「日常過ぎる」かもしれんが、
まあ、似たようなもんかもしれん。

パスカルは賭けだとか葦だとかを思い出すだけでも
広い意味ではもちろん哲学者なんだと思うけど、
世間的には、
宗教思想家とかモラリストとか言ったほうがよいのかもしれない。

454 :考える名無しさん:2005/11/30(水) 15:31:12
ダイモーンを良心の呼び声と解釈するのも無理やりすぎるだろ。
啓蒙時代には好まれた解釈だが

455 :考える名無しさん:2005/12/01(木) 00:58:10
>>452
それはわからん。

西洋にも東洋と同じく瞑想法は存在していた。
そしてその瞑想法の影響化に形而上学は生成し。
中世カトリック教会の瞑想法により発展した。
そして近世哲学者の多くは神秘主義/瞑想法についてなんらかの
知識/実践を行なっていた形跡がある。
それが現代まで続いていたとしても、そしてそのことを本人が
黙秘していたとしても不思議ではない。

456 :考える名無しさん:2005/12/01(木) 17:10:54
現象学での超越論的還元って瞑想法だろw
実演してるところ未だ見たことないけどw
現象学者ならできるんだよねw

457 :考える名無しさん:2005/12/01(木) 22:22:00
「理想的にはすべての命題は真か偽である。」
みたいな信念を抱くのをやめることをきっかけとして、
色々な重要な問題に興味深い示唆を与える方法
だった気がするが。

たとえば想像上の存在者と現実的な存在者との区別の問題とか。

形相的還元はまさに神学っぽくないほうの形而上学の方法かも。

458 :考える名無しさん:2005/12/02(金) 00:03:29
物が在る事に理由があるのでしょうか
理由は在るものではなく創る物ではないでしょうか?
自意識が芽生え、強くなった
理由とは人間の意識が創った物じゃないのか

何故事象を認識するのか?存在するために認識する必要があった
生物は何から生まれたか?空間と物質
空間と物質・・・宇宙

宇宙の謎がわからない限り考えても意味がない

459 :ヘイト ◆iyx/0deoUw :2005/12/02(金) 00:15:07
んな無茶な
逆しか無理だろ

460 :考える名無しさん:2005/12/13(火) 09:49:35


461 :考える名無しさん:2005/12/13(火) 22:10:35
形而上学で宇宙を考えることができるのかね。
沢山の宇宙を考えることになるのか、あるものから宇宙全部に高めたものを考えるのかね。

462 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 06:58:00
>>424の本が、分析にも強いスコラの専門家によって
邦訳中だったらいいのお。

463 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 09:01:16
哲学で言うところの「宇宙」と、物理で言うところの「宇宙」では
意味が全く異なるということをまず知らなければなりません。

464 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 09:07:18
>>463
馬鹿いうな。
想定された宇宙は多様である。


465 :考える名無しさん:2005/12/20(火) 09:23:59
>>464

笑止笑止

     _,,;::-―ー-:;:,,、
    /''''''   '''''':::::::\  
    |::-=・=-;;;;;;;_-=・=-:::|       
    |  .:"ー=〓=-'`:::: |         
    \   `ニニ´ .::::::/   
 ,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、.
 :   |  '; \_____ ノ.| ヽ i
     |  \/゙(__)\,|  i |
     >   ヽ. ハ  |   |
言うなれば私は、私の天才的知能により誰もが持っている「内なる世界」
とでも呼ぶべき世界を、常人より遥かに優れた形で構築してしまっている。
その世界は既に外界のそれに迫り、一部では遥かに凌駕してしまっている。



466 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 21:47:20
形而上学って何なのか分かりやすく教えてください!

467 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 21:48:57
形而上学は当て字

468 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 22:55:37
形而下が経済とか商学とか法学とか、自然科学とか、って言ったら少しわかるかな。

469 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 02:54:01
>>468
神の領域って事ですか?

470 :ぽっくん ◆5m18GD4M5g :2005/12/24(土) 03:04:05
デカルトの考えた知恵の木

実を結ぶ枝3・・・道徳
実を結ぶ枝2・・・医学
実を結ぶ枝1・・・機械学
幹・・・自然学
木の根・・・形而上学

471 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 23:37:11
>>470
全ての基本って事ですか

472 :考える名無しさん:2005/12/24(土) 23:51:02
>>466
形而上学の確立を目指すカント「純粋理性批判」によれば、
形而上学のテーマは、神・不死・自由。

473 :考える名無しさん:2005/12/26(月) 00:35:52
>>472
神・不死のセットはなんとなく分かるけど
自由が一緒くたにされてるのが分からないお

474 :考える名無しさん:2005/12/26(月) 02:07:47
>>473
>自由が一緒くたにされてるのが分からないお

『人間には(普通の意味で口にするような)自由などない、人間は、とことん自然に縛られてしまっているのだ』
という考え方を、一度通過しておくことが必要かと思います。

例えば、スピノザの「エチカ」でこんな議論があります。
激しく罵倒されたりしたときに感情がどうしても抑えられないと感じることがあるが、これは、感情が「自らに由る」ものではなく、周囲から左右されるものであることを示し、神を知ることによってのみ、人はそうしたことに振り回されず、善き生を送れるのだ、と。
(スピノザの神は、議論の詳細を知らないとちょっと馴染めないかもしれませんが、実はカントでも事態は大差ありません。例えば、「純粋理性批判」のB114やB395ですが。)

カントは、同書のB447で、「自由」とは「無条件的な原因性」、つまり、どんなにしても上手く説明しきれない原因のことなんだとしていますが、
人間は自然にとことん縛られている、そして、自然の法則に基づく、あるいはいわゆる科学的な原因の説明を踏まえたうえで、それでもなおある原因性、という言い方をしているわけです。

いずれにせよ、人間が自然に縛られた存在だ、という考え方を、いったんは、通過してほしいと思います。これには、上にあげた、スピノザの「エチカ」が役に立ってくれると思いますよ。

475 :考える名無しさん:2005/12/26(月) 03:16:31
あくまで言いたいことは>>474のほうで書いてしまったつもりですが、
それでもなお、ちょっと補足しますと、
カントの「純粋理性批判」では、従来行われてきた方法で「神」を証明することができないということを示すことが、大きなテーマの一つになっています。
ただし、他方、それを認めた上でなお、「人間の現存在の最高目標である、宗教」を守ることが、カントの目標となっています。

これは、「自由」の論じ方と、同じ手法であることが分かりますでしょうか?
つまり、カントにおいて、「神」と「自由」は、実は繋がっている課題だということです。
これは、B395の注で、「神」と「自由」と「不死」との関係として、はっきり明示されています。

「自由」というと、現代的かつ至極正当なテーマで、
「神」や「不死」となると、何やら怪しげなテーマに感じるのは、もちろん分かりますが、
それならなおさら、「自由」はそもそもどういうところで言い得るのか、について勉強すると、
目を開かれる思いがすると思います、きっと。

476 :考える名無しさん:2005/12/28(水) 00:24:31
>>475
なるほど不可能と言うことですか

477 :考える名無しさん:2005/12/29(木) 17:40:20
そもそも、人に自由はない。

が、人はあたかも自分が自由であるかのように思うことを免れない、このことを否定しようとしても無駄である、という前提から、カントは形而上学を始める。

478 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 16:51:17
形而上学復活!!?


479 :考える名無しさん:2006/02/10(金) 19:28:54
形而上学ってなんですたれたの?

480 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 06:05:39
形而上学に勝敗を決める

♖ฺ♘ฺ♗ฺ♔ฺ♕ฺ♗ฺ♘ฺ♖ฺ
♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ








♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ
♜ฺ♞ฺ♝ฺ♚ฺ♛ฺ♝ฺ♞ฺ♜ฺ


481 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 11:32:41


482 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 11:34:35
♖♘♗♟♕♗♘♖
♙♙♙♙♙♙♙♙








♟♟♟♟♟♟♟
♜♞♝♚♛♝♞♜

483 :考える名無しさん:2006/02/11(土) 17:36:57
sugeーーーーーーーー!!!!11

484 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 04:51:20
自由をコントロールにおきかえればよい

自分の身体が自由である とは 自分の身体をコントロールできていると解釈し
自分の思想が自由である とは 自分の思想がコントロールできていると解釈する

485 :考える名無しさん:2006/02/12(日) 05:27:55
>>479
形而上学、すげー流行ってるじゃん。
『科学哲学』の論文の半分は形而上学関連。

486 :考える名無しさん:2006/03/07(火) 02:16:00
おれも混ぜて。

少しばかり哲学をかじると人は無神論に傾く、しかし哲学を深く知ると
こころは再び宗教へ戻っていく。

ベーコンがこんなこといってた。

487 :考える名無しさん:2006/03/12(日) 19:38:22
昔は物理学も社会学も心理学もみんな哲学だった。
次第にそれぞれの分野に展開して、結局形而上学だけが残った。
つまり哲学=形而上学。

488 :考える名無しさん:2006/03/27(月) 03:15:24
リーマンはカントの先験的感性論に影響受けたらしいんだけど、
あれって現代ではどう考えられてるの?自然科学がいくら発達しても、
ああいう議論は出来ないよね。ならそれなりに有効性はあるわけだ。

489 :考える名無しさん:2006/03/27(月) 05:37:54
カントの空間に対する考えはいいけど、自然数に対する考えはちょっとどうかな。
自然数こそ、第三の主観的形式じゃないの?

490 :考える名無しさん:2006/04/25(火) 00:18:54
なあに、かえって免疫力がつく。

491 :考える名無しさん:2006/04/27(木) 13:46:38
前に狼板でみた刑而上学スレはなかなかよかった

492 :考える名無しさん:2006/06/21(水) 13:41:24
⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーン

493 :考える名無しさん:2006/07/15(土) 16:41:46
形而上学が専攻できる大学ってどっかある?

494 :考える名無しさん:2006/07/17(月) 22:48:47
トロープってなーに?

495 :考える名無しさん:2006/07/18(火) 12:33:38
>>494
比喩のことですよ

496 :考える名無しさん:2006/07/19(水) 21:24:52
┐(´ー`)┌ヤレヤレ

497 :考える名無しさん:2006/07/23(日) 21:57:01
♖ฺ♘ฺ♗ฺ♔ฺ♕ฺ♗ฺ♘ฺ♖ฺ
♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ♙ฺ








♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ♟ฺ
♜ฺ♞ฺ♝ฺ♚ฺ♛ฺ♝ฺ♞ฺ♜

498 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 03:43:15
このサイトの回答者すげえ
分かりやすすぎ

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1825775

499 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 05:28:58
ポストモダン以降の哲学に興味がわきません(><)

500 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 11:53:58
ポストモダン以降なんて言葉初めて聞いたwwww

501 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 15:03:06
誰かいませんか

502 :考える名無しさん:2006/09/22(金) 15:53:57
http://riq-l.myftp.biz/

http://riq.myftp.biz/soc/

http://riq.myftp.biz/readres-soc.cgi?bo=soc&vi=0034
http://riq.myftp.biz/readres-soc.cgi?bo=soc&vi=0003
http://riq.myftp.biz/readres-soc.cgi?bo=soc&vi=0005
http://riq.myftp.biz/readres-soc.cgi?bo=soc&vi=0001
jjjjjj

503 :考える名無しさん:2006/10/01(日) 09:46:35
ある子が「形而下」、なんてのは時を忘れての
単なる「逃げ」、って断言してたよ。


504 :考える名無しさん:2006/10/02(月) 22:30:53
形而上学なんて哲学とは呼ばないって偉い人がいってた

505 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 11:11:10
今日のぼやき「722」 2006.1.11 副島隆彦
http://www.snsi-j.jp/boyakif/wd200601.html#1101
そうしないと、日本人の政治思想や、欧米近代思想の、日本への本当の移植が、出来ない。
みんな、岩波文庫の、訳の分からない日本語文で、ジョン・ロックや、ホッブズや、モンテスキューや、
スピノザや、ライプニッツや、デイビッド・ヒュームなどの翻訳書を読んだ振りをして、何も分かっていないのだ。
特に、イマヌエル・カントの『純粋理性批判』と『実践理性批判』の本の理解が全く出来ていない。
へーゲルも、ニーチェも半分ぐらいしか、解読できていない。
(中略)
副島隆彦です。これで、何を言っているのか、分かりますか。私以外の日本人には、この英文の意味は、意味
不明のはずです。この日本語文を読んで、それから、もう一度英文を読んで、そして、もう一度、日本語訳文
を、読んで、そして「理性が、人間の唯一の法典となるだろう・・・」と読み直して、それで、意味不明の
はずです。カントを読んでもヒュームを読んでも、こういう感じの日本文がづらづらと続きます。
日本の明治維新(明治元年、開国、文明開化)から、今年で、138年目です。それでも日本人は、すべての
文科系の知識階級の人間を含めて、上記の英文の意味が、分からないでしょう。私は、30年の刻苦勉励の苦闘
に末に、分かるようになりました。この事実を早く、弟子たちに伝授しなければ。
(中略)


506 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 11:14:11
私たちは、3年ぐらい前から、reason リーズン は、「理性」(あるいは、理由)などというコトバで、訳して、日本人の
知識階級は、それで分かった気になって、実際は、何にも変わっていなくて、アホダラ経の有り難い、お経を読むよう
に難解な日本語翻訳文で、何か分かった振りをして、それで、偉そうに、「自分は高学歴で、知識階級に所属する」と、
勝手にうぬぼれてきた。私、副島隆彦は、そういう人間全員を許さない。もし、上記の私の「真実読み破り訳」にケチを
付け、異議を唱える者がいたら、その者は、どうどうと名前を名乗った上で、私に問答を提起してきなさい。私が、10
時間ぐらいかけて、懇切丁寧に説明します。分かったふりは、一切、無しだ。どこからでも、どんなコトバを使ってでも、
すべて解明されなければならない。自分が分かったふりをして、私、副島隆彦をせせら笑うようだと、その自分自身の、
脳天が逆襲を受けて、激しくもんどり打つから、覚悟しなさい。私には、いい加減な日本土人(どじん)の分かった振りは、
一切ないのです。
私は、5年ぐらい前から、reason リーズンとは、reison レゾン(存在の根拠)と同義であり、さらには、ratio ラチオ、
レイシオ 「合理」と同義である、とずっと説明してきました。ですから、rationalism ラシオナリズム、ラッショナリズム、
「合理主義」とは、「利益の法則」であり、「損得勘定の思想」であり、「投下した労力に対してそれに相当する利益を
得ることである」である、と解読してきた。だから、それが、ユダヤ思想(ユダヤ教とも訳す、Judaism ジュダイズム)の
根本の思想だということをずっと、しつこく説明してきた。

507 :考える名無しさん:2006/10/07(土) 20:24:58
 根源的なものから、どうして悪が生じてくるのでしょうか。

508 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 06:13:34
悪が根源だから?

509 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 11:43:44
どうなんでしょうね

510 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 12:03:41
すべてのものは変化を伴うからだ。有為転変は物事を腐らす。陰陽に変化させるから悪はあるがままのものでしかない

511 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 16:38:40
形而上学に関心を持ってます。
形而上学の入門として、おすすめの一般書を教えてください。

512 :考える名無しさん:2006/11/28(火) 23:13:58
え?

513 :考える名無しさん:2006/12/01(金) 16:12:21
形而上を論ずるのは必然である。
その実在性が直観されるからだ。
意味もなく直観は働かない。
科学的な分析とは異質の直観が形而上学において重要な認識の手段である。
直観を軽視する事への反省により人類の新たな可能性が開かれるであろう。

514 :考える名無しさん:2006/12/06(水) 14:52:43
taってギリシャ語で「巻」?

515 :考える名無しさん:2006/12/09(土) 01:41:13
>>514
中性名詞の定冠詞だろ

516 :カンティアン:2006/12/20(水) 21:44:36
>>506
副島隆彦ってだれ?哲学者?
そんな常識、哲学研究者なら哲学習い初めに教わってるよ。

517 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 18:22:33
つか、文脈に依るだろ。
理性でしっくりくるケースはあたりまえのようにあるだろ。

518 :考える名無しさん:2006/12/25(月) 18:36:03
>>516
常識っておまえこんなトンデモが常識な訳ないだろw

519 :考える名無しさん:2007/01/15(月) 16:01:07
以下メタ形而上学を語るスレになりました。

520 :考える名無しさん:2007/01/15(月) 21:44:30
メタ形而上学ってこんど論文集でるんだよな。
もう出た?

521 :考える名無しさん:2007/01/15(月) 22:01:47
>>520
柳田國男のメタ妖怪形而上学がおすすめっすよ。


522 :考える名無しさん:2007/01/16(火) 04:46:43
カントの形状について

523 :考える名無しさん:2007/01/17(水) 20:24:08
学校の宿題で分からない問題があったので質問させて下さい。
「義務という動機からなされた行為だけが道徳的価値をもつ、という主張の意味について、カントが提示している4つの実例に則して述べよ。」とゆう問題なんですけど誰か分かる人居ますか?

524 :考える名無しさん:2007/01/17(水) 21:17:33
>>523
それ「道徳形而上学の基礎づけ」のことだよ。
これ以上のヒントはだせないなw

525 :考える名無しさん:2007/01/18(木) 13:12:50
「816」崎谷博征(さきたに・ひろゆき) SNSI研究員 の 新刊 『グズな大脳思考 デキる内臓思考』 を紹介します。
浅薄な「合理主義的思考」に代わる新しい思考法は、現実の生活にも大いに役立つ思考法です。2006.12.24
副島隆彦が文末に加筆しました。2006・12・26
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200612.html#2401

この日本の土人の知識人階級の人間たちには、この「ネイティヴズム 対 ビヘイビアリズム」という、
ヨーロッパ近代思想の土台 ( 基礎、岩盤、インフラ、基本枠組み)が分かっていない。この基本の
土台のところの、思想用語は、今、日本全国で、合計500人も理解していない。この国は、その程度
の土人の国なのです。そのくせに、高度情報社会で、高度技術大国だとまだ、勝手に信じ込んでいる。
もうすぐ同じ東アジア土人国である、中国にも、韓国にも追い抜かれるだろう。
日本の全国の大学知識人のうちの、社会学・政治学・政治思想あるいは「哲学」などの 専攻 の大学
教授たちであっても、この Nativism (ネイティブズム、人間の知能の生来決定主義)と、Behaviorism
(ビヘイビアリズム、人間は学習で知能が増す主義 ジョン・ロック主義) の巨大な対立軸のことを
知らない。かすかにも知らない。本当だよ。彼らと話してみるとよい。だから副島隆彦の本を自ら進んで
読んで、粗(あら)っぽくでも、西欧の近代学問の枠組みを知った君たちは、日本の国内水準は、軽く
抜いたのだ。
(中略)
私の書いた主著の『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社プラスアルファ文庫刊、
2000年)をしっかり読んで震えるような感動を味わった者たちだけが、共有できる、日本における
世界政治思想理解の、素朴な基本段階の、初歩ではあるか、荒削りの世界水準に、何とか到達している
段階だ。
この思想勉強の作業が出来ていない者が、いくら、この学問道場に近寄ってきても、どうせ、土人
(原住民とも言う)だから、何も分からない。 分からないものは、分からない。分かったふりさえ
も出来はしない。私に、堂々と対論を申し込む人間もいない。臆病者どもの、卑屈な人間たちだ。

526 :考える名無しさん:2007/01/18(木) 13:19:03
http://snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=sample1気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板

訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人はどうせみんなから捨てられる。
このことは、肝に銘じておいたほうがよい。
日本の知識業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の
悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。
この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、やたらと、象徴語と、
ドイツ式観念語(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。500語)を使いたがる。
読んでいる方はいやになる。こんな下手な誰も説得できないような文章を、苦しみながら書いてるとあとあと大変だろうな。
どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。当たり前のことを、はっきりと書くことができない。
やたらとこねくり回してそれが「するどい批評になっていなければいけないと、勝手に思い込む。
副島隆彦「属国日本論を超えて」

(副島隆彦「今日のぼやき」2001.5.21より抜粋)
私の頭の中は、今でもこのように、雑然とした理解で成り立っている。生活実感で理解できないと「理解」と
いうのはそもそも成り立たない。私はもの書き言論人としては、素人さん(一般大衆)レベルでの実感での理解、
というのをものすごく重視する。わけの分らないことを書く人や、その文章を毛嫌いする。
このことは、私は、「オッカムの刃」 Occam’s razor と言う考えを自分の思考原理に置いているからだ。
全ての事柄(事象)を徹底的に明晰にしようとする 思考方法であるオッカムの刃 については、そのうち書く。
この日本語という限界言語によってでも、私は、明確なものをぎりぎりまで追究して、死んで行こうと思っている。
(抜粋おわり)


527 :考える名無しさん:2007/01/29(月) 19:14:12

「唯一成功した形而上学は数学である」(ケルヴィン卿)
だらか

形而上学=数学

と思っていいのですか?

528 :考える名無しさん:2007/01/29(月) 19:28:17
>>527
むしろ数学=形而上学

529 :考える名無しさん:2007/01/30(火) 12:53:45

527 と528 は どこが違うの?

530 :考える名無しさん:2007/01/30(火) 14:21:07
なんで副島さんは、こんな基地外になってしまったのかねえ、、、

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