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西田幾多郎

1 :考える名無しさん:04/10/14 11:24:57
スレがないのはどう考えても哲学板としておかしい。

2 :考える名無しさん:04/10/14 11:32:02
オイキタロー

3 :考える名無しさん:04/10/14 11:42:53
>1さんが幾多郎ではなく変態ということはありませんよね






4 :考える名無しさん:04/10/14 16:26:09
立花隆が馬鹿だって言ってたな。

5 :立話:04/10/14 16:34:59
寺田寅彦も馬鹿だといっていた。

6 :考える名無しさん:04/10/14 16:44:34
立花氏にそんな立ち話されちゃ、立場無しだな。

7 :考える名無しさん:04/10/14 17:03:11
西田の解釈本で良いのない?
京都学派レトリックで覆われたつまらない、わからない本でなく、
とにかく明晰で、批判的に解釈したもの。

8 :考える名無しさん:04/10/14 17:18:08
『西田幾多郎T・U』岩波現代文庫。

西田哲学の脱構築!

9 :考える名無しさん:04/10/14 18:42:53
 中村雄二郎なんて馬鹿の読むもんだよ。もちろん立花もry

10 :考える名無しさん:04/10/14 18:49:29
立花って(w

あんな低能に馬鹿扱いされちゃおしまいだなぁ。

11 :考える名無しさん:04/10/14 19:07:50
たちばなたかしなんかたちばなかったし。

>>9-10

そういうあなたの本が読みたいw



12 :考える名無しさん:04/10/14 19:56:29
ドイツ人留学生に「スミマセ〜ン、西田幾多郎ノ本ノココノ意味ワカリマスカ〜?」
ってうちの兄貴が質問され、本見たら全然わからなかったと言ってた。

13 :かんがえるさん:04/10/14 20:31:35
絶対矛盾の自己同一って、つまり自分が矛盾していても、
矛盾自体は絶対にあるから、それで全然いいじゃんてことかな?



14 :考える名無しさん:04/10/14 21:22:00
自己には矛盾が絶対的に存在するということだと思う
俺がわからないのは、

矛盾の自己同一、と、
絶対矛盾の自己同一、の2つがどう違うのかということ。

ここで「絶対」はどういう意味で必要なんだろ。

15 :かんがえるさん:04/10/14 21:30:33
絶対ってつまり、例外がないってことじゃないのかなあ?
例外があったら絶対なんて言えないと思う。
しろうと意見で悪い。

16 :考える名無しさん:04/10/14 21:49:59
じゃあ、「例外なく絶対に矛盾はある」という意味か?

17 :かんがえるさん:04/10/14 21:59:58
>>16
うん。
でもしろうと意見を、いちおう前置きしておくけどね。
それ以外の明晰な絶対の意味なんて、自分には思い当たらない。
絶対は普遍とも違うしね。



18 :かんがえるさん:04/10/14 22:05:18


          人 は 人


          吾 は わ れ 也


          と に か く に


          吾 行 く 道 を


          吾 は 行 く な り



            寸心

            (寸心とは幾多郎の歌人としての居子号です)

京都の、銀閣寺などの名所の多い左京区で、
その「哲学の道」の散策途中に見つけた石碑に、
刻み込んであった句です。
そしてこの句は、彼の晩年の作なのだそう。
西田が京都大学で、教鞭を揮っていたときに、
彼が毎日、このんで歩いた道が、
のちに「 哲学の道 」 と言われるようになりました。
彼の思索は、日々の散歩にあったのだと、
誰かが言いたかったのかも。


19 :考える名無しさん:04/10/14 22:06:03
あふぉですか?

言語で同定できないような現実-現象を「絶対矛盾的自己同一」と
いったのだから、他の言葉でいい表わせるけない。

20 :かんがえるさん:04/10/14 22:11:13
>>19
あふぉふぉふぉ

21 :しろうと ◆AUSirOutoE :04/10/14 22:41:52
西田の無の場所とか絶対矛盾的自己同一って言葉は西洋的な思考ですね

22 :考える名無しさん:04/10/14 22:43:09
>>19
「現実-現象」の「-」はどういう意味?
あと、レス全体をもうちょっと詳しく説明して。さっぱり意味がわからん。

マジで哲学と縁の無い生活をしてきたあふぉなので教えてくれ。

23 :考える名無しさん:04/10/14 22:53:20
>>19
それを「絶対矛盾的自己同一」といった時点で言語で同定しとる罠

24 :考える名無しさん:04/10/14 23:16:37
たいへんです、23は絶対矛盾的自己同一ということばが分かるそうです。w

25 :考える名無しさん:04/10/14 23:25:44
現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。
現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、
物というものがなくなって行くことでなければならない。
物と物とが相働くことによって一つの世界を形成するということは、
逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。
例えば、物が空間において相働くということは、
物が空間的ということでなければならない。
その極、物理的空間という如きものを考えれば、
物力は空間的なるものの変化とも考えられる。
しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、
働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、
現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、
個物と個物との相互限定の世界でなければならない。
故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。

26 :考える名無しさん:04/10/14 23:29:31


西田幾多郎は日本の哲学をなんとか、西洋哲学をもちいて表現しようと
苦心した代表的哲学者である。
ジャック・デリダの死去についてスレが乱立する哲学板なのに
西田のスレがないのはおかしいではないかというスレ。

彼の哲学の鍵概念ともいうべき「絶対矛盾的自己同一」について
いいたい砲台がなされている。w

27 :考える名無しさん:04/10/14 23:38:03
>>26
それはいいから、その鍵概念を一体どう理解しているのか?


28 :考える名無しさん:04/10/15 23:26:56
>>26
こういう偉そうなだけで頭の中身も態度もカスなやつがいるから、
分割とか何とか言い出す人がでてくるんだろうが。

29 :考える名無しさん:04/10/23 23:59:09
この人の随筆集、なかなかおもしろいね。

30 :考える名無しさん:04/10/24 01:31:27

オイ!キタロウ!


31 :考える名無しさん:04/10/24 02:06:31
>>29
例えばどれ?

32 :考える名無しさん:04/10/24 10:03:50
おい、きたろう!

33 :考える名無しさん:04/10/24 18:16:15
なんですか。父さん。

34 :考える名無しさん:04/11/01 00:14:08
保守

35 :考える名無しさん:04/11/01 01:56:17
全集とかやっぱり哲学科の院生は揃えているのですか?

36 :考える名無しさん:04/11/01 02:27:24
それがどうかしたの?

37 :考える名無しさん:04/11/01 03:22:31
自分の専門の全集は買うでしょ

38 :考える名無しさん:04/11/02 03:28:25

         /:::::::::ヽL、_,,... -ー−−ニ=-ィ::::::::::'、
         /::::::::;;;rli_,i'_,,.==テ''''"~ ̄   ll、:::::::::::l
         l:::::;;/''~''ー---'~   l` 、  ll l::l:::::::::l
         ,!-┤           `ヽ、ヽ、l!ヽ::V:l:/
        !rへi 、、_....._          `ヽ! l;::::::/
        /、 ( l `===ミ     _     ノ;::/
       /:::`:-,l  , , ,   ,  ==ミ、_  ,イー〈
      //:::::,'::'ハ       "   , , , `'' /!~ソ
     /〃l/,'::;;';;;ヽ、   ` ー     ,/::fィ'"   西田さんのことみなさん読んで分からないのね。
    /::::::l/:;':::;;';;;;;;;/` 、    _,,,.. -''";;;':::/     わたしが教えてあげるわ!
 , -''ー'''  ̄~l、::;lー'ノ   `''''7";;;;;;;;;;;//;':::::l
/      l:l/:;l       /、ヽ、;;';;;;';;,;;'::::::l

39 :38さんお願いします:04/11/02 04:18:21
【ハァハァ】萌え【ハァハァ】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1086955772/l50

40 :逆対応:04/11/02 11:10:09
>7

『現代思想としての西田幾多郎』藤田正勝(講談社現代選書メチエ)

『西田幾多郎の世界』鈴木亨(勁草書房)

『西田哲学の根本問題』滝沢克己(こぶし書房)

41 :フューチャー・ファンク:04/11/02 11:16:02
>35 37

西田幾多郎全集(旧版、改訂版第四版)買ったよ。

ネットで破格の12000なり!!!!

相場だと3万円前後かな。

ちなみに田辺元の全集はばか高い!
相場で7〜8万円程度。再販してないからね。

俺は田辺元全集はオークションで4万で購入いたしました。。

42 :考える名無しさん:04/11/02 11:41:53
>>41
やりますなあ。ってか田辺全集自体みたことないぽ

43 :考える名無しさん:04/11/02 16:28:49
>>41
どうせ小汚い乞食みたいなジジイが指をべろべろ舐めながら読んだ本だろ。
よくそんなの買うよ(遠い目

44 :考える名無しさん:04/11/02 16:32:52
>>43
全部スキャンしたあと売って、スキャンしたものは無限増殖するからそれをネットで売る。
読むためじゃないよ。金のためだよバカ。

45 :考える名無しさん:04/11/02 18:37:52
>>41
日本哲学が専門?
くれぐれも死蔵させるなよ。

46 :考える名無しさん:04/11/02 18:41:04
>>44
どれだけの手間かかると思ってんだ。バカ

47 :考える名無しさん:04/11/02 18:50:29
>>46
可愛いなお前。バカ

48 :考える名無しさん:04/11/02 18:57:22

【ああ、     西田なら知ってるよ。   すかしたやつさ。】

49 :考える名無しさん:04/11/02 18:59:29
【和辻、溜まってんだろ? や ら な い か?】

50 :考える名無しさん:04/11/02 19:12:06
【なぁ  田辺  今度  和辻 と 3P し な い か ?】

51 :考える名無しさん:04/11/02 19:16:10
【和辻は・・・・・ごめん、おれ、西部のことが!】

52 :考える名無しさん:04/11/02 19:20:01
【西部って 誰やねん! 俺はもう先走り汁が ・・・ ハァハァ】

53 :フューチャー・ファンク:04/11/04 20:18:37
燈影舎から出ている、『西田哲学選集』の「別巻二 西田哲学研究の歴史」は使えるぞ!!!!!
戦前の田辺元、高橋里美、左右田喜一郎から、戦後の上田閑照、新田義弘、中村雄二郎まで!

中村雄二郎『述語的世界と制度』(岩波書店)を勉強会のテキストにしたんだが、
非常に面白かった!!!西田、プラトン、ハイデガーのトリアーデ。「深層の知」とは何か。「振動する場所」

俺はいまの西田哲学研究者では、松丸寿雄(獨協大学)、藤田正勝(京都大学)、大橋良介(大阪大学)、
田中裕(上智大学)がビッグ・フォーだと思っているんだが、いかが??

若手では、板橋勇仁(立正大学)とかがいけてる。(『西田哲学の論理と方法ー徹底的批評主義のゆくえー』法政大学出版局)

一昨年には、西と東が手を結んだ、「西田哲学会」がとうとうできたみたいだよ。
(俺は会員になった)

54 :考える名無しさん:04/11/06 21:07:17
>>53
テンション高くて引いたんだけど・・・

55 :考える名無しさん:04/11/06 21:10:22
とりあえず、>>53のようなミーハー気分丸出しな奴なんかに
西田研究は無理だということだけは言える。

56 :考える名無しさん:04/11/06 21:42:03
>>55
激しく同意。勉強始めたばっかりで楽しくて仕様がない雰囲気は伝わる。
そのうち絶望してね(微苦笑)

57 :考える名無しさん:04/11/06 23:02:17
中村雄二郎 なんかいれちゃって・・・。

58 :考える名無しさん:04/11/06 23:57:14
まぁ 中村さん以外で西田の用語に頼らずに西田解説できた人いないから
いちおう、その気概をかってもいいような

59 :考える名無しさん:04/11/07 00:09:24
>>53
>(俺は会員になった)

ブァーカ

60 :考える名無しさん:04/11/07 02:54:45
>>53
大学生の方ですね。中村雄二郎『述語的世界と制度』の読書会ですか・・・。
中村氏は難解な哲学を単純化して示して、一般読者に哲学との距離を近づけた功績があると思う。
『術語集』とか。
ただ、中村氏の西田論は、西田本人に見せたらちょっと待てと言うこと請け合いなり。

61 :考える名無しさん:04/11/07 04:44:34
西田の延々と続く論述は私にはまるでお経のようです。
リズムに慣れるとちょっと心が鎮まったりしてw

62 :考える名無しさん:04/11/07 12:41:29
>>60
中村以上の西田論書いてから言えよw

63 :考える名無しさん:04/11/07 13:39:10
小林敏明『西田幾多郎の憂鬱』(岩波書店刊)

精神分析を駆使した前著『西田幾多郎 -他姓の文体-』(批評空間)に続いて、西田の
人生をその周辺を含めて哲学的に丹念に辿った好著。

西田研究者は一読の価値アリ。


64 :考える名無しさん:04/11/07 13:47:13
>53

たたかれていてかわいそうなので、いちおう大橋良介マンセー。

俺も好きよ。大橋良介。
たしか、ドイツの教授資格取得しているんだよね?

65 :考える名無しさん:04/11/07 14:20:15
>>62
君、君、そんなこといったら、世の中の本をすべてほめなければならなくなるぜ。
俺は本あるけどな。君はないだろ。

66 :考える名無しさん:04/11/07 15:32:16
>西田研究者は一読の価値アリ。
 
 断言する。これだけはない。批評空間派の西田解釈(とも呼べないようなもの)
は犯罪。柄谷自身がまずでたらめ。伊藤仁斉について書いたのよりひどい。

67 :考える名無しさん:04/11/07 15:33:20
中村は単なるジャーナリスト。

68 :考える名無しさん:04/11/07 17:39:34
>>66
『西田幾多郎 -他性の文体-』は同じ構図を何度も繰り返している退屈な本で、
いらないから売りたいよ。良書ではない。読むなら買うな。借りて読め。
「憂鬱」の方は読んでいないが読む気がしない。
西田は解説書はなかなかうまくまとまっているのが見つからない。
中村雄二郎は簡略化しすぎて納得ゆかないし、逆に、スコラ化して西田のテキストを
よく読んでいる人しか分からない本もやまほどある。
西田を直接読んだら一番分かったよ。笑うに笑えないな。



69 :考える名無しさん:04/11/07 17:58:51
中村雄二郎と吉村作治は同一人物でしょ?

70 :考える名無しさん:04/11/07 19:08:10


71 :考える名無しさん:04/11/07 22:26:23
西田キタローよりも大西ハジメの方が面白いよ。こんな感じでさばけてるぞ。

『批評論』●創作と批評
 名批評が得がたいことは、名作を得がたいことに殆ど劣らない。「ハ
ムレット」を批評するのにはゲーテのような人がいた。その批評は絶妙
であった。マコレーという人がいたが、その絶妙な批評に、マコレーは
嘆美し、また絶望の淵に落とされてしまった。だが、忘れてはいけない。
シェークスピアがゲーテを得るまでにも、200年の歳月がかかっている。
名批評とはそれほどに得がたい。そもそも文学や美術上の創作には構造
的な作用が働く。仕組みによって動かされている。慧眼をもってその仕
組みを理解し構造の急所をうがつこと、これが批評家の本領である。理
解は創作家の領分ではない、批評家と創作家とはその才能の働く趣旨が
非常に異なっているから、一人でその両者を兼ねながら真髄に達すると
いうのは困難な事業だ。望むべくもない。昔から、この2種類の才能を
兼ね備えた人、たとえばゲーテ、レッシングのような人は至って珍しい。
稀である。かのバイロンが詩を書くと、その爽快な音の調べ、力強い言
葉使いは、まるまる一種の魔術ではないかと思わんばかりだが、一旦心
を潜めて詩文の批評を為そうとすると、その言うことが極めて拙くなっ
てしまう。全然ダメである。彼が歌っている様は天使にも似ている。し
かし、その考える様はまるで3才児のようだ。詩人は詩の才能に突き動
かされて歌うからこそ詩人なのだ。
<以下略>      (明治二十一年五月「國民の友」)

日本ペンクラブ 電子文芸館――から、冒頭を現代語に訳した。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/study/onishisouzan.html

72 :考える名無しさん:04/11/07 23:40:08
 なんのために明治の美文をわざわざ「現代語訳」するわけ?

 西田と比較できるような人じゃないだろうに。頭脳の粗雑な人が。

73 :考える名無しさん:04/11/07 23:46:59
明治時代の思想家はほとんどだめぽ

74 :考える名無しさん:04/11/08 18:36:14
>立花隆が馬鹿だって言ってたな。

これ出典わかる?
立花おまえこそ馬鹿だ、って晒してやろうと思うんだけど。

75 :考える名無しさん:04/11/11 14:40:13
>>74
誤爆ですか?

76 :考える名無しさん:04/11/11 14:43:25
age荒らしのおかげでkusoスレ化激しいね。。。。
がっかり。

77 :考える名無しさん:04/11/11 22:21:00
             ,. -──- 、
          ,,/:::::::::::::::::::::::::::ヽ
           ,/'/,、::::::::::;::::::::::::::r、〈ヽ.
          i/ /'゙/:::::::::;ハ::::ト:::::ヽ,ヾ ヾ;、
          ! ´,':;:::/|:ム 、';::|ヽ::;:::',  ゙ i
          |   !'レ'‐l'    `リーi| i::|   ,'
     ,r‐rヘ,   l ──  ──-|:|   〉、_    あかん
   , ‐'" ,ヘヽ >'゙|         |:ヽ、/ ,/ ヽ
 /   ゙  Yi゙:::::l         l::::::〈,_/i ヽ  \  何しに来たか忘れてもた
'"       , ‐'!::::::i:':.、  i二コ  ,/!:::::::::l      \
     /''ヾ''|::::::l""''`i‐--‐''゙/`''|::::::::;、i`ヽ,     ヽ
   イ    `!i;::::i.   |‐ -/  i:::::;i:|/´`"ヽ     ゙,
   '"     ||!ヽ:l、_,. |~゙`/   i::::/'リ    ゙;ヽ     !
``''ー-、.,_ ー-、!  ` <_ i, /  ,.i''|/ /        _,.ノ
      ```'''|    `''*‐''"   /  ,.-─''''""


78 :考える名無しさん:04/11/12 12:38:59
西田哲学の最終形態 精神病理学のみかたから  山本 晃著
近代文芸社・12月06日・2,100円・ISBN:4773371943
西田幾多郎の哲学は、晩年どのような境地に達したのか。フッサール、ライプニッツなどとの比較を通して、その思想の道筋を辿る。


79 :考える名無しさん:04/11/12 15:17:39
近代文芸社の本かあ。

80 :考える名無しさん:04/11/12 15:24:51
西田幾多郎でググってコピペ保守age?
おめでたいね。

81 :考える名無しさん:04/11/12 16:37:42
             ,. -──- 、
          ,,/:::::::::::::::::::::::::::ヽ
           ,/'/,、::::::::::;::::::::::::::r、〈ヽ.
          i/ /'゙/:::::::::;ハ::::ト:::::ヽ,ヾ ヾ;、
          ! ´,':;:::/|:ム 、';::|ヽ::;:::',  ゙ i
          |   !'レ'‐l'    `リーi| i::|   ,'
     ,r‐rヘ,   l ──  ──-|:|   〉、_    あかん
   , ‐'" ,ヘヽ >'゙|         |:ヽ、/ ,/ ヽ
 /   ゙  Yi゙:::::l         l::::::〈,_/i ヽ  \  >>80学習ルームにつれてくのんうちやった
'"       , ‐'!::::::i:':.、  i二コ  ,/!:::::::::l      \
     /''ヾ''|::::::l""''`i‐--‐''゙/`''|::::::::;、i`ヽ,     ヽ
   イ    `!i;::::i.   |‐ -/  i:::::;i:|/´`"ヽ     ゙,
   '"     ||!ヽ:l、_,. |~゙`/   i::::/'リ    ゙;ヽ     !
``''ー-、.,_ ー-、!  ` <_ i, /  ,.i''|/ /        _,.ノ
      ```'''|    `''*‐''"   /  ,.-─''''""





82 :考える名無しさん:04/11/12 18:37:34
西田の弁証法と田辺のそれとは何が違うん?

83 :考える名無しさん:04/11/13 01:57:52
田辺の西田批判を読むと分かります。

84 :考える名無しさん:04/11/13 13:10:35
高坂正顕の本が詳しい?

85 :考える名無しさん:04/11/13 17:43:43
>>84
どの本か分かりませんか?

86 :考える名無しさん:04/11/13 23:20:56
高坂の『西田哲学と田辺哲学』ってやつ。

87 :考える名無しさん:04/11/18 13:31:03
>86 全集(理想社) 第8巻だね。

偶然つくばの古本屋で購入したんだけど、かなり役に立ったよ。

中沢新一「フィロソフィア・ヤポニカ」にも両者の比較はあったな。。

88 :考える名無しさん:04/11/18 13:38:37
>82

田辺は「西田先生の教えを仰ぐ」において西田の弁証法は<静観的>
<プロティノス流の発出論><神秘主義的傾向>と批判しているよね。

田辺は真理には<微分的>に近づくものだと言っていた。

89 :考える名無しさん:04/11/18 13:39:41
>84

高坂正顕は『西田幾多郎先生の生涯と思想』なる名著も出している。

90 :考える名無しさん:04/11/19 10:33:08
中沢新一のフィロゾフィア・ヤポニカ読んだけど、わけがわからなかった。

91 :考える名無しさん:04/11/20 16:15:19
馬鹿なら無理して背伸びしなければいいのに・・・

92 :考える名無しさん:04/11/21 19:39:10
>>91
お前も名

93 :考える名無しさん:04/11/21 19:44:53
西田テキストのアーカイブ
http://ime.nu/ime.nu/ime.nu/ime.nu/ime.nu/www.bangedup.com/archives/EatYourPrunessickdog35.jpg


94 :考える名無しさん:04/11/21 19:49:36
京都学派の面々
http://ime.nu/www.genmavideo.com/aniky/album/maji1/ak002009.jpg

95 :考える名無しさん:04/11/21 19:54:06
>>93
>>94
グロ

96 :考える名無しさん:04/11/30 22:34:08
上田閑照の『西田幾多郎とは誰か』(岩波現代文庫)はおすすめ

97 :考える名無しさん:04/12/03 19:05:00
>>74

読書のすすめ 特別版 (岩波文庫)

98 :考える名無しさん:04/12/03 19:09:25
西田左派の師匠
和辻の方がイイ

で、構造主義と西田幾太郎は絶対にくっつきませんね?

99 :考える名無しさん:04/12/03 21:08:31
檜垣立哉氏が、講談社現代新書で西田哲学に関する本を書く予定があるらしい。

100 :考える名無しさん:04/12/03 22:41:00
田中裕は専門がホワイトヘッドだけど、それは京都学派の読み直しのために
ホワイトヘッドを使いたいだけの右翼なんだよ。はっきり言って最悪。

101 :考える名無しさん:04/12/03 23:36:25
専門がホワイトヘッド、ってのも悲しいよな。
仮にも哲学をやってるなら、せめて人名以外を専門にしろ、と。

102 :考える名無しさん:04/12/03 23:49:16
>>101
人名以外って?

103 :考える名無しさん:04/12/04 04:42:48
つーかネオ京都学派とか呼ばれる面々が最悪。

104 :考える名無しさん:04/12/04 06:31:46
>>99
>檜垣立哉氏
あまり聞かない名前だけど、どういう本書く予定なんだろ?
判りやすいやつだといいんだが

105 :考える名無しさん:04/12/04 06:36:24
>>104
媒体が講談社現代新書だから、純粋な入門書じゃなく、
かなり自分の関心領域に近づけた試論みたいなものになるんじゃないかね?
たとえばあの人の関心領域のベルクソン=ドゥルーズの生命論に引き付けて論じた西田哲学、とか。

106 :考える名無しさん:04/12/05 02:02:58
>104 檜垣立哉

フランス哲学の人でしょ?

NHKの「哲学のエッセンス」シリーズでドゥルーズ論出してたよ。

あとはジャン・リュック・マリオン『形而上学と現象学』の
翻訳とか(法政大学出版局)

ベルグソンの本も書いてたよ。
(>105にかぶりますが・・・・)


107 :考える名無しさん:04/12/05 17:00:38
>103

梅原猛、梅棹忠夫、今西錦司なんかのことっすか??

108 :考える名無しさん:04/12/05 20:36:15
>檜垣立哉氏が、講談社現代新書で西田哲学に関する本を書く予定があるらしい。

マジ?うっわーー!!!最悪!


109 :考える名無しさん:04/12/06 22:55:39
>>108
最悪なのか?

110 :考える名無しさん:04/12/07 16:49:05
ドゥルーズ本ですらあの杜撰さなのに、何の資格があって書くのか、ということだな。
この企画を立てた舐めた野郎の面に唾を吐いてやりたいね。

111 :考える名無しさん:04/12/07 17:00:01

/⌒ヽ
/ ´_ゝ`)フーン
             ,...-‐''"  _.    '(  
           /     ´ ,. :: ::'..   ` 、
        ,...-‐'   _,....-‐(::,,`":::) `'-、::   ` 、
       /..  ,....―'"    ~ヾ:::)   `ー、__ `l
      /_;::::-'"         |;;:j    /::::::::::::::::ノ
   ,.../ r'"           (:j::)    ヽ`''「 ̄ ̄
   'ー‐''"                    `、_\

112 :考える名無しさん:04/12/07 17:57:52
『生命の西田哲学』(仮題)檜垣立哉著、講談社現代新書

檜垣氏のHPを見たが、文章が下手だな。
http://ningen.hus.osaka-u.ac.jp/higaki/

113 :考える名無しさん:04/12/07 18:35:59
 ふざけやがって。

114 :イヤ 真面目だよ? >>1死ね:04/12/07 20:01:05
     |   |   /  ヤ    /::::::           ̄ ̄ ̄      \  ´.;∴.;..``:;": :´; `"∴;":
      /◎)、_______∠l ::::::       / ̄ )         ( ̄ヽ λ  .; "∵: .;": ::″: ; .;".;"
   ヾ   |  「....;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| ::::::     /○/          \○ /λ   .; "∵: .;": ::″: ; .;".;"  
  ⌒ー/|  \___;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|::::::     //    ∧     ∧   \  /λ    .;".;":: :.;".; ` ;..``:.;`; :`; 
   /´⌒ヽ_____\ ̄|::::::::            λ ` ー― ´/      / /|  ; "∵;": ::″.;":: :.;".;": .;":
  ノ    ! ヲ=℃/ ̄  |:::::::::::            λV V V V/      / //|    ・  ,´ ;:  ;` ::.;".;"  
/:::::: ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)〔      |:::::::::::::            λ|   |/      / / //|    / ̄ ̄/    
|:::::      ̄ ̄) ̄       |:::::::::::::::::::           λAA/      / /////   / ̄ ̄/ ___ \   
|::::     ̄ ̄)          | ::::::::::::::::::::::           λ/     / / ////|     /           /
ヽ__ ̄ ̄ノ           \ :::::::::::::::::::::                 / / /////    /         _/
     ̄ ̄             \:::::::::::::::::::::::::           / / //////// 
                      ―/ / / / / / // // ////////////―  

115 :考える名無しさん:04/12/08 13:14:07
>68

でも、西田の文章そのものが繰り返しの連続だろ!?

そのミニマルなリズムにこそ生命量があるんだよ!!
(「反復」の「モアレ」)

116 :考える名無しさん:04/12/08 13:16:04
>110 >113

おまーら簡単に批判ばっかりしやがって!

桧垣氏なりにも問題意識があってやっているんだよ!?

それともお前らに桧垣氏以上の仕事が出来るとでも言うのか!!!(怒−2ちゃん全体の無責任な批判に対して)


117 :考える名無しさん:04/12/08 13:18:35
>115 【補足】

生命量→生命力

#まあ、でも「他姓の文体」は確かにまだ小林氏も西田に関しては
初めての本だったから、まだ論の組み立てが荒いことは確かだね。

『西田幾多郎の憂鬱』は本当にすげー本だと俺は思っている。
名著。

118 :考える名無しさん:04/12/08 15:21:43
116 無責任な批判ではありません。全身全霊でこの不逞の馬鹿者>檜垣を叩きつぶす所存です。

 今更ベルクソンの亜流のように西田を安易に紹介しようものなら、絶対に許さないからそう思え。

 これはジハードだ。包囲網ができるぞ。

119 :考える名無しさん:04/12/08 15:51:14
狂信者はいつの時代も邪魔者でしかないな。

120 :考える名無しさん:04/12/08 19:21:14
ろくな批判もできないで無根拠にバカだアホだ騒ぐのが関の山だろ。
檜垣氏もつまらん奴らに絡まれたもんだな。
まともな鋭い批判もあれば彼も考えるかもしれんが…どうも実りは少なそうだな

121 :考える名無しさん:04/12/08 20:31:38
 2ちゃんねるなんかで批判活動はやりませんよ。まぁ、噛ませ犬としてリングに
上ったと思っていろ。

122 :考える名無しさん:04/12/09 13:22:43
>>121
哲学をする者ではないな
商売がうまそう



123 :考える名無しさん:04/12/09 23:13:55
評判が多少悪くても、西田本が出るのは歓迎だな。
ただでさえ西田は、他の西洋の哲学者に比べると考察本も知名度も少なさそうだし。
新書で出れば、新しく西田を知る人が増えていいんじゃない?

124 :考える名無しさん:04/12/09 23:42:21
西田より田辺の方の本を出してほしい。
西田は今でもそれなりに生き残ってるが、田辺なんか戦後は一気に下火になってしまった。

125 :考える名無しさん:04/12/09 23:45:58
田辺と言えば、中沢新一の本が話題になったよね
あれ、なかなか面白い。

126 :考える名無しさん:04/12/10 00:01:00
確かに、新書って媒体は悪くないな
新書レベルでとまっちゃう奴なら相手にする必要なんかハナからないし
身になるかは置いといて、読んでおくと相手がどの程度なのか選別する際の基準にもできるかもな

127 :考える名無しさん:04/12/10 20:32:57
田辺か、あんまり読んだ事がないな。
あっちの場合、一応岩波文庫に出てる西田と違って、
原典自体なかなか手に入らないからな…。
一冊ぐらい文庫になっててもよさそうなんだが。

128 :考える名無しさん:04/12/12 14:08:08
どこかの新刊情報に載っていたのだけど…
サブタイトルに 「─西田と井筒」とある本が出たようなのだが、だれの本かわかりますか?

129 :考える名無しさん:04/12/13 09:07:02
ぐぐっても出て来なかった…まだ出てないのかもな。
井筒って井筒俊彦かな?あのイスラム研究とかの。

130 :考える名無しさん:04/12/16 03:11:20
>127

こぶし書房の「こぶし文庫」にて『歴史的現実』が入っておりますよ。

あとは燈影舎の「京都哲学選書」に『懺悔道・死の哲学』が入っておりますね。

131 :考える名無しさん:04/12/16 22:32:34
波多野精一の哲学(宗教哲学)について、ご存知のかたいらっしゃいませんか?

132 :考える名無しさん:04/12/16 22:35:54
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1073298315/l50#tag278

133 :考える名無しさん:04/12/17 07:42:04
>>131
キリスト教について扱った『宗教哲学』とか『時と永遠』といった著作があるが、
今ではアマゾンとかでも手に入らないんだよな…
それでもかなり多くの人が読んでいたはずだし、
古本屋さんをコツコツ探せば見つかるかも
『西洋哲学史要』ってのは普通に買えるようだが

134 :考える名無しさん:04/12/17 16:25:29
>131 >133

はーい!僕卒論が『波多野精一の宗教哲学』でした!
なんでも聞いてください(笑)!

西田とレヴィナスとの比較もしましたよ!

『宗教哲学序論』『宗教哲学』『時と永遠』が主著3部作ですね。

『西洋哲学史要』はいつだっかた現代語訳(笑)が出ておりました。

どの主著も古本で1000円程度なんですよ。(泣)
全集でも1万円はしませんよ。

もう忘れられかけておりますね・・・

燈影舎『京都哲学選書』には東北大学の高橋里美まで入っているのに、
波多野精一がなにとはどういうことなんだ!!(怒怒)と思い編集委員の
先生にクレームつけたら、「会議で名前も出なかった」ですって・・・
ガクッ!!!

『時と永遠』ってなんとかというキリスト教徒(プロテスタント系)の学者に
同盟の著作があるんだよなあ・・・(一応持っています)

そこでの時間論はハイデガー『存在と時間』にそっくりです。
波多野がハイデガーを読んでいた証拠はありませぬが、今度玉川大学の
波多野の蔵書を調べに行こうと思っています。。



135 :考える名無しさん:04/12/17 16:28:14

#「波多野精一がなに」→「波多野精一がない」

#「同盟」→「同名」


136 :考える名無しさん:04/12/17 21:37:34
テンション高すぎるけど大丈夫?

137 :考える名無しさん:04/12/18 00:28:44
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138 :考える名無しさん:04/12/18 01:39:55

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           うせろっ >  (   ) ┼.. ノ .ノ ノ ゝ.. 、,,’.┼ ァ Ζ┨ ミ
                 _ /    ) /〈_〈_7' o。. 、. .× o\┃
  ブンッ            ぅ/ /   // /、/// ▽  ,ヽ◇    o.\
    -‐===≡==‐   ノ  ,/   /'━.\∧/.-━┷━o ヾo┷+\━┛\
 _____      ,./ /./    |   .< >..─┼─┐─┼─  /  ,. \
(_____二二二二)  ノ. ( (.  |   / V \.. │  │─┼─ /| _,.イ,,.ィ' \
              ^^^'  ヽ, |  | /     \│  |  │     |  |  | イ──ン!


139 :考える名無しさん:04/12/18 03:45:00
加藤周一センセも馬鹿って言ってた。もっとインテリな言い回しで、、、
うろおぼえだけど。西田のこと直接言ってないけど
哲学用語に問題があってわかる方が問題かもしれないって。
わざわざ読みにくくしてるの読まなくても
同じ事を読めるように書いた本は他にあるって。

140 :考える名無しさん:04/12/18 09:27:20
西田が馬鹿だって?そういや中村元も「学問の開拓」ってマイナーな本で、
難解でダメな文章の例として西田の文を挙げてたな。
俺はそういうことしても意味ないと思ったけどな…
それ言うならハイデッガーなんかもっとわからなさげだし
「随筆集」とか「哲学概論」とか見れば、西田でもわかる文書いてるし。
加藤周一のいう「同じ事を読めるように書いた本」ってのは何のこと言ってんだろ?

141 :考える名無しさん:04/12/18 21:27:38
 ようするに、赤だからイデオロギー的に攻撃してるだけだろ。

 中村元は中村元で、最低のインド学者ですね。

142 :考える名無しさん:04/12/18 21:55:56
単なる情緒的な反発や憧憬は、何も見てないに等しいな。

143 :考える名無しさん:04/12/19 12:16:45
加藤周一は赤か…あまり読んでないから知らないんだよな
前に何か一冊読もうとしたが、西田以上にわかりづらい文だったので途中でやめた

144 :考える名無しさん:04/12/19 12:45:22
 加藤は典型的なアカヒ文化人だよね。

145 :考える名無しさん:04/12/19 13:45:25
でも加藤周一は、元気なうちに(ボケないうちに)
色々とインタヴューしておくべき人だと思う。


146 :考える名無しさん:04/12/19 15:41:07
 夕日妄語、は謙遜でなく妄語だった(w

147 :考える名無しさん:04/12/19 17:16:01
西だの著作はドイツ語やフランス語を読むような姿勢で読まないとな。


148 :考える名無しさん:04/12/19 17:50:19
つまり、語学が出来ない奴でもドイツ語やフランス語を辞書を引き引き漢文読みすれば
読めないわけじゃないと言いたいわけだな。

149 :考える名無しさん:04/12/19 19:06:05
ドイツ語やフランス語の方が楽だったりしてな
語学は、辞書と首っぴきでやれば、ある程度どうにかなるけど
西田の場合、文章の意味自体が理解するの大変だから
例えば『善の研究』の中のランダムに取った一文だけど、

「能動受動の区別、即ち精神が内から働くとか外から働を受ける
とかいうことは、思惟に由って精神と物体との独立的存在を仮定し、
意識現象は精神と外物との相互の作用より起るものとなすより
来るので、純粋経験の事実上における区別ではない。純粋経験の
事実上では単に程度の差である。」
…一つ一つの言葉はわりと普通だけど、全体として理解するのがすごく大変
単に俺がアフォなだけかも知れないが

150 :考える名無しさん:04/12/19 20:29:17
>>149
烈しく同意!


151 :考える名無しさん:04/12/20 11:02:53
>>134
波多野は『存在と時間』を読んでるよ。
たしか手紙に2回読んだって書いていた。


152 :考える名無しさん:04/12/20 22:46:21
>151

おーそうですか!
これは知らなかったな。

では、僕の推理もまあままの線は行っていたのかな?(笑)

早速全集の書簡集を見てみることに致しますよ。

どうも有難う御座いました。。

153 :考える名無しさん:04/12/31 16:18:46
李登輝あげ

154 :考える名無しさん:05/01/06 15:59:03
http://www.asahi.com/international/update/0105/003.html
 
李登輝氏訪日「日本に媚びる旅」 中国紙が「密着ルポ」

 中国の国営新華社通信が出版する「参考消息」紙は4日付で、
年末年始に訪日した台湾の李登輝(リー・トンホイ)・前総統に
「密着取材」した同社記者が書いた「李登輝の日本に媚(こ)びる
旅を近くで見る」と題する記事を載せた。

 1ページすべてを使った記事で、日本各地での李氏の様子を描写。
李氏が「台湾万歳」というかけ声に迎えられ、
記者団に「西田幾多郎氏の哲学と思想が台湾の新たな国づくりに
とても役立つ」と発言した、などと批判的に報じている。

155 :考える名無しさん:05/01/07 11:26:42
中国政府は、李氏が日本で政治的な言動をしないかを注視していた。同紙の報道ぶりからは、
李氏の行動について、中国側が突出して問題視する部分を見いだせていないこともうかがえる。 

156 :考える名無しさん:05/01/10 09:06:35
李登輝って西田幾多郎に興味あるのか、知らなかったな。
政治的に叩かれまくってたのは共通してるな。
意味合いは全然違うが。

157 :考える名無しさん:05/01/10 11:38:16
>>156
李氏が京大に在学してた頃は、西田自身は既に退官
してたろうけど、その教え子たちが多数教官として
いるし、時代的にもそれこそ西田哲学の全盛時代だ
から、何らかのかたちで、影響を受けた学生は多い
筈。李氏もそのひとりということだろう。

158 :考える名無しさん:05/01/12 16:01:28
>>156
たしか、若いころ西田や倉田百三なんかを読んだって自分の本に書いてた。

159 :考える名無しさん:05/01/13 18:05:24
倉田百三か。『愛と認識との出発』とか有名だよな。
俺も読んでみたが、恋愛に関する話がちょっと同意できなかった。
西田幾多郎からも、青臭い奴みたいに言われてたようだし。
もまいら読んだことある?

160 :考える名無しさん:05/01/18 22:35:22
旧制高校生の愛読書は若い頃だいたい読みました。
特に倉田百三、出隆あたり。

161 :考える名無しさん:05/01/20 12:13:08
『西田幾多郎の生命哲学(講談社現代新書 1772)』
檜垣 立哉著
講談社刊
¥720(税込:¥756)

http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?bibid=02515823

162 :考える名無しさん:05/01/20 12:46:38
>>105の書いた内容そのまんまになってしまったな・・・

163 :考える名無しさん:05/01/21 21:34:47
とりあえず図書館ででも借りて読んでみるわ。
卒論が西田なんで関連書籍よんどいた方がよさそうだし。

164 :考える名無しさん:05/01/21 22:52:08
藤田正勝「現代思想としての西田幾太郎」講談社選書メチエ¥1500


165 :考える名無しさん:05/01/22 14:52:06
>>164

うんこおもしろくない本でした。

知の自証性と世界の開現性
 ――筒井と井筒――

166 :考える名無しさん:05/01/22 17:38:53
>>165
うんこは止めて欲しいが、確かにあまり面白くはなかった。

しかし、再評価といえば聞こえはいいが、外因がないと日本の
哲学者は西田の評価もできないのか?





167 :考える名無しさん:05/01/25 20:11:20
誰か>>161読んだ人いる?

168 :考える名無しさん:05/01/28 00:16:17
>>167
図書館に予約したのがあるんで、こんど読んでみようと思ってるとこ

169 :考える名無しさん:05/01/28 20:45:50
檜垣の本読んだけど、もう涙が出るくらい安直な本だった。
中村雄二郎のレベルにも達していない。西田をベルクソン亜流みたいにして
しまっている。小林秀雄が文体を批判したとか、耳にタコができるような
エピソードで綴ってあるんだけど、これは80年代ならともかく、今出しても
黙殺以下の扱いだと思うよ。

 西田哲学を今再評価しようとしている連中は、もっとはるかに真剣に読んでいる。
西田の引用も一行単位でしかできない。(分かってないから)

170 :考える名無しさん:05/01/28 21:22:39
西田哲学は仏教のある一部分を哲学的方面より解釈したものだといえる。
直観的、個人的な仏教の体験、思想、境地を
哲学史の文脈を汲んで説明することでわかりやすく伝えている。
>>149の文章にしても一見わかりづらいが、
仏教思想を前提知識として持っていると、一瞬で何が言いたいのか理解できる。
ちなみに私も仏教徒のはしくれです。
「善の研究」を最近ざっと読んでみたのだが、
仏教徒からの批判としては、
善とはかくあるべき、という思想はあるが、
実践可能である「行」がないようにみえる。
というか、自力聖道門の行である。

清沢満之の哲学と比較しながら読むと良いか思う。

171 :考える名無しさん:05/01/28 22:44:46
本当は「禅の研究」にしたかったとか

172 :考える名無しさん:05/01/29 00:06:54
ただ、近年その「西田哲学を今再評価しようとしている連中」って奴らの姿勢っていうのにも
ちょっと疑問を感じるところがあるんだけどな。
西田再評価ってのはもちろん悪くないんだが、彼らのやり方を見ていると
西田を教祖にまつりあげ、あたかも「京都学派」なる思想が実在するかのように構築しようとしている。
それじゃ戦前の西田シンパの再来なだけじゃないか、という疑念がどうしても抜けきらない。

173 :考える名無しさん:05/01/29 01:20:20
>>169 のような(西田をかなり読み込んでいると思われる)人が
高く評価するような西田論ってどういうものなんでしょうか。
西田をちゃんと読むためにもまともな西田研究を踏まえておきたいです。

174 :考える名無しさん:05/01/29 07:41:22
>>171
禅は当然関係しているだろうが、はっきり「禅の研究」と銘うって
しまうと仏教に近付きすぎていけないのだろうと思われ
西洋哲学との兼ね合いも大事なんじゃないの?
純粋経験のことはベルグソンやジェームズの流れで読まれるし。

175 :考える名無しさん:05/01/29 09:59:04
自分はジェームズや禅ではなく、単純労働してる時に純粋経験というのを実感した。
デジカメに〇.七ミリのビスをつけてると(一分間に百個が最低ノルマ)半日で頭がカラッポになる。
やがてそれが快感に変わる。
あと、女性から「私を愛してるなら別れて下さい」と言われた時、「絶対矛盾」を実感した。
その後のリハビリは「自覚」と「矛盾の同一化」作業。

176 :考える名無しさん:05/01/29 10:56:20
面白いことを言う人が居るものだなあ

177 :考える名無しさん:05/01/29 11:02:13
西田をわけも分からず読んでた戦前の旧制高校世代の理解ってこういうふうだったのかな、と思った。

178 :考える名無しさん:05/01/29 11:33:51 ID:??? ?
放っといて頂戴。

179 :166:05/01/29 17:09:09
鈴木大拙との関連で理論的に面白いものがあったら教えてください。


180 :考える名無しさん:05/01/29 19:41:24
>>175
大変なんだな。
でもなんていうか、「生きた哲学」って感じ?

181 :考える名無しさん:05/01/30 19:43:00
西田哲学を研究してる根井康之の経歴について教えてください。

182 :考える名無しさん:05/02/01 05:08:28
>181 『西田哲学で現代社会を視る』(農文協)ですよね?

183 :考える名無しさん:05/02/01 16:17:59
絶対矛盾的自己同一
絶対矛盾的自己同一
絶対矛盾的自己同一

184 :考える名無しさん:05/02/01 16:18:53
西田幾多郎は素晴らしい

185 :考える名無しさん:05/02/01 16:23:18
>>149
>>170

>>149は、まさにキリストのことについて述べている。
観念、前提 といったものにとらわれないまさに、純粋経験
の場がキリスト。

186 :考える名無しさん:05/02/01 16:27:06
実は西洋の神学は、観念を前提にし、
観念を積み上げた、砂上の楼閣。

キリストも西田幾多郎の純粋経験によってその顕現
が何であるかがわかってくるのである。

187 :考える名無しさん:05/02/01 16:37:49
カール・バルトは幾多郎の純粋経験に接近
していた。だから神学での革命がおきた。

188 :考える名無しさん:05/02/02 09:57:50
>182
そうです 根井康之氏近著:絶対無の哲学―西田哲学の継承と体系化
根井康之何者なのか・・・

189 :考える名無しさん:05/02/02 10:16:16
永井均が今度、NHK出版の『シリーズ・哲学のエッセンス(第2期)』で
西田幾多郎の巻を担当するらしい。本が出るのはちょっと先になりそうだが。

190 :考える名無しさん:05/02/02 13:56:03
 あのシリーズ、はずれが多いし、永井氏と西田なんて全然関係ないと思うし、
たぶんでたらめな本になるだろうけど、西田復権の流れを対外的に確定する役割を
果たすことになるだろうな。

191 :考える名無しさん:05/02/02 14:42:38
そうかなあ。ともかく、自分の哲学を作ろうとする姿勢では似ていると
ころがあるだろうし、純粋経験とか<私>とかの言語の世界を超える何か
に迫ろうとするところにも共通点あるんじゃない? どっちもよく知らな
いから、そう思うのかな?

192 :考える名無しさん:05/02/02 14:57:05
結局、「でたらめ」っていうのはその通りだろうけれど、永井の哲学
に興味がある人には面白い本になるんじゃないかってことだろうな。

193 :考える名無しさん:05/02/02 16:09:28
そういえば去年朝日カルチャースクールだったかで、永井が西田幾多郎を論じた講座を開いてたはず。

194 :考える名無しさん:05/02/02 17:58:42
哲学のエッセンスはよく読んでるけど、納富信留の『プラトン』は
わかりやすくてよかったよ。個人的には読みたいな、西田を論じた
やつも。
永井均はどういう哲学をやってるんだ?

195 :考える名無しさん:05/02/02 18:05:18
それ相応にしては立派過ぎるという理由は何か、と考えるならば、それ以外のもの
であると考える事なのかね。

196 :考える名無しさん:05/02/02 19:21:32
>>188
質問スレのつづきです。
俺が持ってる「東西思想の超克」から。

「東西思想の超克」は題名どおりの主題を扱ったもので、元々は西田哲学に関する考察を最終章にする予定だったそうですが枚数などの都合でそこははぶいてあります。
あとがきより彼の思想の遍歴らしきものを抜き出してみます。

彼は最初の頃の著作では「マルクスの自然主義=人間主義の立場に立つとともに、ヘーゲル・マルクス的論理=弁証法を持って世界認識の総体化」を目指していましたが、
その後ヘーゲル・マルクス的論理では世界を根源から捉え尽くすことはできないのではないか、との疑問を抱きました。
そしてその限界の克服は西洋哲学を自己超克しようとしている(現象学などの)ヨーロッパ現代思想の成果の批判的な摂取により可能だと考えました。
しかし、その方向では満足な結果は得られなかった。

(つづく)


197 :考える名無しさん:05/02/02 19:22:53
(つづき)

「そのような模索の末、私は、ギリシャ以来の西洋の伝統的論理の限界を真に超
克するには、西洋の論理に東洋の論理を対質させることこそ必要なのではないか
ということに思い至った。ここの至って、私は、西洋の論理を大乗仏教の論理によ
って乗り越えようとしたわが西田哲学と対決し、それが持つ可能性を現在的に最大
限現実化することを、自己の思想的責務として引き受けざるをえなくなったのであ
る。これもまた、私にとって困難を極める課題であった。自己の思想形成に対して
西田哲学の影響が皆無であったといってよい私たちの世代にとっては、率直に言
って、西田哲学の研究は「何を言ってるのかわからない」というレベルから始める
ほかなかったのである。だが、西田哲学に通暁した世代の人々に比べて、私たち
の世代にもし有利な点があるとすれば、そのような素朴な疑問を平然と提起しうる
点にあるかも知れない。」
「本書は、西田の論理との対決を通じて確立された論理によって貫かれている」(あとがきより)そうです。

で、その後も続けられた思索の成果が上のレスで上げられている著作なのだと思います。
もっとも、この本は20年以上前の著作ですから、その後また曲折があったりしたのかもしれませんし、俺も彼の本はこれ一冊しか読んでませんので(中身は憶えてない!)あくまでちょっとした参考程度にしてください。

以上でございます。


198 :考える名無しさん:05/02/03 03:06:55
>>189

西田へ、西田へと草木もなびくよ・・・。

199 :考える名無しさん:05/02/03 05:41:21
>>196>>197
彼の思想のスタンスがどのように形成されたのか気になりまして・・・
丁寧な回答ありがとうございました。

200 :考える名無しさん:05/02/04 01:06:44
檜垣さんの新書、どうなんですか?

201 :考える名無しさん:05/02/04 22:02:03
ゼッタイム ノ テツガク
絶対無の哲学
 西田哲学の継承と体系化


哲学・思想・心理

根井康之(ねい・やすゆき)著 農山漁村文化協会



202 :考える名無しさん:05/02/04 23:21:31
>>200
 
 ドクズ


203 :考える名無しさん:05/02/07 23:29:20
>>200
いま第五章まで読み終えたけれど、わかりやすくて面白いよ。
副題に「ベルグソン、ドゥルーズと響き合う思考」と書いてあるけど、
実際にはベルグソンやドゥルーズはそれほど多く引き合いに出される
わけではなく、タイトル通り「生の哲学」の観点から西田幾多郎を
考察する形になっている。
純粋経験から絶対矛盾的自己同一まで、西田の思想を追っていきながら
説明する形式だから、西田の思想がどういうものかを知りたい人にはおすすめ。
最近読んだ西田関連の本の中では、かなりポイントが高い方です。

204 :考える名無しさん:05/02/14 04:15:46
いまさらだけど絶対無って何なんだ?

205 :考える名無しさん:05/02/14 08:39:10
ファンタジーなんかに時々出てくる、何も存在できないブラックホールみたいな
「無」のことを相対無といい、そこに何でも存在できる「無」のことを
「絶対無」という。
うる覚えだけど、どっかにそういうことが書いてあった。

206 :考える名無しさん:05/02/17 01:51:13
頼む、誰か教えてくれ。
「自覚に於ける直観と反省」読んでるんだが、
自覚とは「当為Sollenが当為を承認すること」だ、というのが具体的にどういうことを意味してるのか、わからん。

何かリッケルトの認識論に関係するらしくて、
リッケルトでは認識とは当為であり価値的意識である、だから自覚認識する私を認識することであり、当為が当為を承認することらしいのだが、
リッケルトを読んでない俺にはその辺がよくわからん。
誰か、わかる人教えてください m(_ _)m

207 :206:05/02/17 01:52:29
すまん、ミスタイプ

×・・だから自覚認識する私を
○・・だから自覚とは、認識する私を認識することであり、

208 :考える名無しさん:05/02/22 11:26:34
>>206

その文章は何章にありますか?
私見はあるのですが、その箇所を確認してから…と思ってざっと探したが見当たらない。

「当為Sollenであるとか価値Wertであるとか」と西田の文章(跋)にもありますが、
「価値」と置き換えたら分かりやすのでは。と思います。

209 :考える名無しさん:05/02/22 20:47:05
>>208 確かに西田は「当為」と「価値」とを同じ意味で使ってますね。

第一節の後半部に、まず
「リッケルトに従へば、我々の認識の対象といふものも超越的存在といふ様なものでは
なくして、超越的当為Sollenである、価値である。我々が認識するといふのは、
この当為即ち価値を承認anerkennenすることである」とあって、
これがまずわからない。

これは「真理」=「価値」とみなして、
「真理を認識するということは、その価値に従うことだ」というような意味なのか知らん??
(つまり、赤い本を目にした場合、我々は「この本は青い」と考えるよりは、
「この本は赤い」と考える「べき」だ、という意味においてSollenなのか、と)

で、その後に少しして
「自己が自己を知る、思惟が思惟を思惟するといふことは、価値意識が価値意識自身を承認する
といふこととならねばならぬ。」
とあるわけです。で、その後に「当為が当為自身を承認するのは自明のことだ」という主張が続く。

この辺が、何だかわかったようでわからないようで・・・
どうももやもやしてはっきりしない。
新カント学派を全然知らないのが悪いのかも知れないんですが。

210 :考える名無しさん:05/02/22 20:57:07
 むしろフィヒテの事行じゃないの?

211 :209:05/02/22 23:01:28
第一節から第二節への流れをまとめると、

 「自己が自己を知るとは、当為が当為自身を承認することである」
→「例えばフィヒテの自覚の如きも、目的論的批評哲学の立場からは
  <当為が当為自身を承認する>ことであると理解される」
→「しかし、自覚ということを単にこのように理解するならば、
  自己は全く非実在的のものと考える他はなく、
  <価値が己自身を承認する、という自己意識>と、<現実の活動における自己意識>
  との間に何等の結合もないことになってしまう」
→「しかし、実際には当為の意識と現実の意識活動とは全く没交渉のものではなく、
  当為の意識とは我々の現実の意識活動を支配する力を有つものなのではないだろうか
  現実を動かすことができない理想は真の理想ではない」


↑こういうわけで、勿論西田は新カント学派に全面的に賛成するわけではないのだから
必ずしも「当為が当為自身を承認する」ということを好意的に解釈する必要もない、のかも知れない。

212 :209:05/02/22 23:02:35
で、少し考えてみたんだけど

例えば、前期のウィトゲンシュタインで「真なる命題の集合体が世界である」というような意味で、
<真理>というものの総体があるわけでしょう。
で、認識とはその<真理>に近づくことであり、その意味で<真理>は価値であり当為である。
(例えば西田は、ここで2+2=4というのが「当為」である、と言っている。)
そうすると「認識=当為」なのだから、抽象的に考えて
「認識が認識自身を認識する」ということは、「当為が当為自身を認めること」である、と言える。

・・・と言ってみたいんだけど、やっぱりよくわからない。
上のような意味での<当為=真理>というのは、
「2+2=4」とか、「俺は男である」とか「西田幾多郎は金沢時代から坐禅をしていた」とかいうように、
言葉で表されるようなものでしょう。
しかし「自分自身を承認する当為」ってのは何だ?そんなものは、どんな言葉でも言い表せないし、
そんなものが何らかの意味で規範的なものになり得るとも思えない。

もしかしたらここでは西田は、単に抽象的に(言葉の遊びみたいなものとして)「当為が当為自身を承認する」と
言っているだけなのかも知れないし、或いは俺が根本的にわかっていないのかも知れない。
>>208さんの意見をきぼんぬ。

>>210
何がどう「むしろ」なんですか?

213 :208:05/02/23 01:14:25
あ最初のところにあったのですね。
「超越的価値の承認」という事をずばり言っているのであれば、
たぶん以下の解釈で良いと思います。
書いて保存しておいたものをとりあえず・・
明日また209さんの疑問点を検討しながら書きなおそうかと思いますが、
とりあえずこんなのでどうでしょう?

まず「当為」とは「こうあるべき」という「論理的必然性」の事で、
だから「価値」でもある、というのが基礎的意味のようです。
(カントが道徳の「基礎として」もってきた認識の契機らしい。
リッケルトは認識対象を当為と考えた。我々は「物自体」は認識できず、
ただ「当為」を認識しているのだ、と。しかしこの考え方は整合性が乏しく、
実際、西田も批判する。らしい。
以上ドイツ観念論に詳しい研究者・板橋勇仁氏の『西田哲学の論理と方法』参照
及びうろ覚えの知識より)
ともかく当為が必然的且つ価値になるというのは、
具体的には、例えば「人は不快より快の方を求めるから不快な状況からは必然的
に逃れようとする」という必然性があるとすると、その中で「快」は「価値」と
いうことになる、というような理解でどうでしょう。

214 :208:05/02/23 01:14:55
で「自覚」と上記の「当為」との関係はというと、
普通に「価値」という場合、自己からは超越的な位置にある
と、とりあえず言えるとすれば、意味は通ると思う。
つまり、「価値」があり、それを「認める」
の二段構えの動きとして。
上記の例でいえば、たとえば、
「快」は良い事だと言われているけど(価値があるとされているけど)俺はそう
は思わないなーという場合、それは「価値を承認していない」と言えるわけで、
逆に承認する事が自覚だというのだから、「ああ、快は価値だと言われているけ
ど、確かに価値だね。必然的に不快を避け快い方へ行くね!」と受け入れ、承認
したとなれば、「快」を自覚したということになる、とか…。価値を無意識に受
け入れている場合は自覚していない状態、だとか。(但し何を快とするかはまた
別の話で、それらもまた一々価値、そして承認、となるのでしょう。しかも「価
値」は良い価値ばかりではないし。だからここで言う価値とは、自身にとっての
何らかの意味が感じられる、というぐらいの事ではないでしょうか)

でこれだと「自己が当為を承認する」になってしまうけど、
自覚とは「当為Sollenが当為を承認すること」と言った時、
前者の「当為Sollen」は「自」に関係して、
後者の「当為」は「他」に関係する
と考えると分かり易いと思う。
同じ言葉にしてしまうのは、元来不可分だと言いたいのだろう。

「自覚」というのは、自他の繋ぎ目で、
「自覚」以外にも西田の場合、あらゆる論述に渡って、自他や超越内在の関係を
扱い、強調する部分はその繋ぎ目、一致点は何か、という所に集約されるとみて
いくとすっきり読めると思います。


215 :209:05/02/23 01:57:46
>>213-214
ありがとう。参考になります。

そっかカントで物自体が外部に残されるのを嫌って、
アプリオリな論理の必然から認識を考えようとしたのかな。
それにしても面倒くさそうな認識論だなあ・・・具体的にどんなものになるのか想像もつかん。
今度俺も板橋勇仁の本を買ってきて読んでみようかな。
(リッケルト自体を読めよ!という話もあるけど・・汗)

それと、
> 前者の「当為Sollen」は「自」に関係して、
> 後者の「当為」は「他」に関係する
これは、↓こういうこと?

自覚とは、「私がこの本を認識する」ことを認識することである。
「私がこの本を認識する」は一つの当為であり、
それを認識することは更にもう一つの当為である。
従って、これは当為が当為を承認することである。

↑これだと、前の当為と後の当為とは、別のものだということだよね?
俺はてっきり、一つの当為が自分自身を承認する、と言ってるのだと思っていたんだが。
(自己言及性みたいな)
もう一度読み直してみます

216 :208:05/02/23 10:10:02
いえ別ではなくて同じものの二側面として。
「自分自身を承認する」で理解できればそれに越した事はないと思いますが。

217 :考える名無しさん:05/02/23 10:12:41
http://red.jpg-gif.net/bbsx/6/img/212118.jpg

218 :209:05/02/23 21:48:37
>>216 「同じものの二側面」って、具体的にどういうことでしょ?

「この本を認識する私」を認識する
   ↑この当為   を ↑この当為 が承認する

・・・こういう図式とは違う、ということ?

それとも、上記の二つの当為が、実は一つのものの両面だ、ということ?
それはそれで、具体的にどういうことか(つまり、その「同一性」の意味が)わからないけど

219 :208:05/02/24 00:36:05
その図式で良いといえば良いと思うけど、
どちらかというと前者がリッケルトで後者が西田の立場のような。
前者は「反省」されたもので、後者は「直観」として来るような。
これらは、分かり易くなるかと思って提出したのだが、ダメなようなら忘れてくれても。
西田はただ「リッケルトなどドイツの目的論的批評哲学が設定した図式に即して言えばこうなる」
と説明しているだけだと思うので、わからないならとりあえず先に進めば良いんじゃないかな。
共通した問題意識を見出せないと中々読み進め辛いと思いますが
(しかもこの著作は最終的に解決は得られず、問題意識のみが肝の著作ですから)
しかし頑張って頂きたいです。

でこの『自覚における直観と反省』はカントヘーゲルなどドイツ観念論を専門とする先生(非常に頭の良い方です)
も最初「わけわからない」と言っていたから、リッケルトを読めば分かるというものでもないのかもしれません。

逆に、どういう事なら209さんにとって「分かる」と思えるのか
から出発したらひょっとしたら見えてき易いのでは、とも思うので、質問なんですが、

>しかし「自分自身を承認する当為」ってのは何だ?そんなものは、どんな言葉でも言い表せないし、
>そんなものが何らかの意味で規範的なものになり得るとも思えない。

この辺がとても興味深いです。
「どんな言葉でも言い表せない」というのは、何故ですか?
あと「規範になり得ない」というのは何故でしょうか?

220 :考える名無しさん:05/02/24 01:20:07
>>219
有難う。まあ先に進んでみます。(他のを読みながらなんで中々すぐには行かないけど)
それで後で時間があったらリッケルトも読んでみる。

・・・で、
当為というのはSollenで要するに助動詞で、「・・・すべきだ」ということなわけで
第一義的には、「2+2は4であるべきだ」とか「あの時計台は白いとみなすべきだ」みたいに
言葉で表されるものでなくてはならない。
まあ、正確に言葉で表せなくても良いのかも知らんけど
少なくとも、それは「・・・このようなものであるべきだ」として、
具体的に意識できるものでなくてはならないでしょう。
(そもそもそういうものでないと、我々にとっての規範にはなりえない)

で、そうすると自分自身を承認する当為というのは、言葉で表すと
「私は今私が考えていることを承認すべきだ」という自己言及になるでしょう?
リッケルトの認識論はよくわからんが、いずれにせよこんな自己言及の当為意識が
何らかの意味で我々の「自覚」と関係し得るとは到底思えない、と思った次第です。
(だから、「どんな言葉でも言い表せない」というのは違っていたかも知れん。
むしろ、言葉で言い表すとしたら、上に書いたような全く無意味なものになってしまう、というべきか)

221 :220=209:05/02/24 01:26:36
「私は今私が考えていることを承認すべきだ」
↑これは微妙に違うかな。

「私は今私が述べている文を承認すべきだ」
↑こうですね。

222 :立て看板:05/02/24 18:54:54
坐禅と見性 第十四章
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1108144172/
一粒の芥子、よく須弥山(しゅみせん)を隠す。
一掬(きく)の水の中に人魚たちが心ゆくまで踊る。
私は終日汝に相対していて、劫初以来会った事がない。
看よ、東山全嶺が水上を歩いている。
エックハルトの乞食の挨拶 「[朝な朝な好(よ)き朝です」。 雲門 「日々是好日」
扇を扇と呼ぶな、鋤(すき)を鋤と呼ぶな。
昨日は痛かったが、今日は痛くない。 さっきは泣きわめいたが、今は笑っている。
腹が減れば食い、疲れれば眠る。
雪がすべての山を白く覆うている時、なにゆえにあるひとつの山は覆われずにあるのか。
清浄の行者、涅槃に入らず、破戒の比丘、地獄に堕ちず。
我の知っている事を汝は知らず、汝の知っている事を我はことごとく知る。
大力の人がどうして彼の両脚を挙げることができないのか。
柱が毎日動き回っているのに、どうして私は動かないのか。
わたしは釈迦の出現以前からさとりの状態にある。 光あれと命ずる以前の神と共にあれ。

223 :208:05/02/25 00:49:54
確かに、西田理解は禅や神秘哲学から入るのが王道ですが、
そうではない入り方は無いのかどうかが大変気になるもので。

こちらも、来週一杯大変忙しく、省エネレスやむなしの状況ですので
(でなければもうちょっと簡潔に断言できるのですがね、、)まあお気楽に。

リッケルト読むのも良いかもしれませんね。
そもそも西田があそこで言っているような言い方はほぼそのままちゃんと
当の哲学者が言っている言い方だったりしますから、自分の目で確かめて
それが整理されるだけでも随分読みやすく。
例えば当為=価値とはリッケルトが強調することらしいし、
カント『実践理性批判』には「しかし義務の神聖性を重視して、諸他一切の
ものを軽視すること我々の理性が或ることを理性の命令として承認し、その
事を為すべし(sollen)と命ずるが故に我々はその事を為し得る(ko:nnen)
という意識をもつことは、いわば感性そのものを完全に超越する事を意味す
る、云々」とあるし
アリストテレスは「思惟の思惟ノエシスノセオス」として「思索者と思索内
容が重なり合う」と言うらしいし(たまたま今日読んでただけなのだが、、オスカー・ベッカー『ピュタゴラスの現代性』より)
「同一性」というものは割によく問題化されますが。

224 :208:05/02/25 00:51:18
>>220

明文化されなければ規範にはならない。
ということですが、それは何故かな、と。
明文化されれば規範になるのでしょうか?
明文化されたものが規範になる条件は何でしょうか。
どうも、方法としては分析哲学系に親しんでいるようですが、
認識や自覚に関する自己言及命題に無意義性を感じ「具体的に」を所望される所
からも、ひょっとするとそれには満足行かない感性もあるかな、とか…
「規範になる」というのは西田が言っていることでしょうか?
それとも208さんの関心事でしょうか。明文化による規範の確立が哲学の役割だ
と思われているのでしょうか?何故でしょうか。
それとも単に「当為」についてだからですかね。

また、「自己言及」を「悪いもの」とのみ捉えているようですが、
分析哲学ではそこで終わるのでしたっけ。
「こういうもの(自己言及)は無意味だ」と設定したそのルール内では確かに
無意義と認定されるでしょう。しかしそのルール設定の根拠は? というのが
この場合本題となっているわけです。
中公新書の『パラドクス』というのにこの手の自己言及命題の分析法(脱出方法)
が簡潔に書かれて居たような(うろ覚えですまん)
ヴィトゲンシュタインでも後期の方は西田が強調する方向に接近している筈です。

225 :208:05/02/25 01:18:51
あ、訂正
「言葉で言い表せなくても具体的に意識できないと」ってちゃんと書かれてましたね。"規範(当為)というものは「具体的に意識できてる必要がある」"っていうのが「承認されてる当為」て事ではないのかな?
たぶん‥

226 :209:05/02/25 02:36:48
>>224
西田は確かに「規範」という言葉はあまり使ってないけど
稀に、「規範的意識」という語が出てくるようです。
「規範的意識」=「当為の意識」=「価値意識」と、全て同じ意味で使っているらしい。

もう一度読み返してみると、西田は
「当為が当為自身を承認するといふことは自明のことであると思ふ」
「・・斯くの如きことを云ふのは循環論証の様であるが、ロッツェの云つた様に、
避くべからざる循環論証は明にこれを為さねばならぬと(ウィンデルバントが)云ひ、・・」
と言っていることからして、
やはりここで「当為が当為を承認する」というのは自己言及のことであるらしい。

#別に俺は「自己言及が悪い」と言ってるわけではなくて
#単に、>>221のような単純な自己言及が(リッケルト流の認識論にとって)何らかの認識の役に立つとは思えない、と
#言ってるわけです。(俺はリッケルトの認識論については詳しく知らないが、例えそれがどのようなものであれ。)

で、読み返した結果、ここで西田が言っているのは、
「当為は自分自身を承認する自己言及を含むはずだ」つまり
「 A: <・・・であるべきである> という当為は、
  A': <・・・であるべきである、そして私は今述べているこの文を承認すべきである> というのと同一である」
ということなんだと思った。
このAがA'と同一であるのは自明である、というのが
「当為が当為自身を承認するといふことは自明のことである」ということの意味であるようだ。
(しかしそれが、「自覚」という一種の認識と具体的にどのように関係するのかは、
リッケルトの認識論を読んでない俺にはまだよくわからないけど)
とりあえず上記のように、俺の中では暫定的に解決して
もし先に進んでそれで疑問が生じたら、その時にリッケルトをちゃんと読んでみることにした。

227 :209:05/02/25 02:38:58
俺がこんなことにひっかかったのは、西田哲学というのは「当為即事実」「意味即実在」であるような哲学なわけで
その辺をちゃんと理解しないと、西田を読んだことにはならないんじゃないかと思ったからです。
しかしいずれにせよ西田は新カント学派にこだわっているわけではないはずなので、
(実際に>>211のように、この立場では不十分だと言っているので)ここでそこまで気にする必要はないのかも知れないけど。
208さん色々と有難う。

あと西田の思想の根底に禅があるのは明らかだけれど、西田を読む際にそれを強調しすぎるのはやっぱり良くないんじゃないかと。
単に仏教を思想化した、というだけなら別に西田でなくても、鈴木大拙とか清沢満之とか沢山いるわけでしょう。
少なくとも西田自身は、自分の哲学を読むためには坐禅をしなくてはならない、とは決して言わないのではないだろうか。
(むしろ人として生きるためには坐禅をしなくてはならない、位は密かに考えてそうだけどw あくまで想像ですが)

228 :考える名無しさん:05/02/28 15:14:15
http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/sokuho05/tokyo/zenki/kokugo_bun/mon1.html
http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/sokuho05/kyoto/zenki/kokugo/mon1.html

京都学派ブーム?

229 :考える名無しさん:05/03/01 14:27:25
>>228
大学の国語の問題か…なかなかマニアックな問題文だな。
三木清に下村寅太郎って、普通は漱石とか鴎外だろ?

230 :考える名無しさん:05/03/01 14:36:49
>>229
> 普通は漱石とか鴎外だろ?

全然普通じゃないし。あなた何歳よ?w

231 :考える名無しさん:05/03/02 04:38:45

なんか今本屋行くと、ビジネスマン向けの新書で、やたら西田関係の本が出てるんだけど。
最近再評価されてるの?

232 :考える名無しさん:05/03/02 11:30:56
>>231
ビジネスマン向けので?
例えばどんなのがあるの?
あんまり見たことないんだが

233 :考える名無しさん:05/03/08 04:18:23
新しいタイプの西田哲学入門書が出たらしい。

大澤正人
『サクラは何色ですか?―西田幾太郎の思想』
現代書館
2005年3月20日発行
2500円+税

234 :考える名無しさん:05/03/08 20:12:36
1 :考える名無しさん :04/10/14 11:24:57
スレがないのはどう考えても哲学板としておかしい。

235 :209:05/03/10 00:04:17
とりあえず上記のように理解しておいて、
「自覚に於ける直観と反省」を読み進めてます。
(他のことしながらなんで、ゆっくりだけど)
結局208さんがどのように当為を理解していたのかは俺にはわからなかったけど、
まあそれは置いておいて。

で、15節になって出てきましたね、

「具体的意識としての感覚、即ち経験としての感覚は、或具体的一般者が
 己自身を限定する過程である」

この「具体的一般者」てのがわからんのですよ。

236 :209:05/03/10 00:05:34
「具体的感覚」ってのは、例えば俺が今見ているこの緑のコップの知覚でしょう。
これが「具体的一般者の自己限定」である、と言ったときに、
その「具体的一般者」って、具体的には何のことだ?

まず素朴に、こう解釈してみる。
西田のよく言うように、「このコップ」という客観的事物は後から考えられたものに過ぎない、
真に実在的なものは主観・客観以前の「このコップの知覚」である。
で、俺が今見ているこの緑色の知覚の他に、さまざまな知覚が統一されたものが「このコップ」である。
そのように、ここでは「このコップという個物」として、経験が統一されている。

そうすると、この「コップという経験の統一」が西田の言う具体的一般者であり、
それが限定された形として、今ここに緑色の知覚が存在する。これが一般者の自己限定である。

・・・と考えてみたわけです。
でも疑問なのは、もし上の解釈が正しいとすると、「一般者」ってのは「個物」のことなのか??
素朴に考えると包摂判断(例えば、「蝙蝠は哺乳類である」)では、
包む方(哺乳類)が一般、包まれる方(蝙蝠)が特殊ですよね。
そうすると個物っていうのは、包まれる方の極限なわけで、「一般」とは正反対の概念なわけです。
すると、上の「具体的一般者」=「このコップの統一」という解釈は、
通常の言葉の用法とは全く逆になっている。
ので、俺の解釈は根本的に間違えているのか?というのが疑問です。
誰かわかる人、教えてくださいませ

237 :209:05/03/12 09:59:57
その後読んでみると、
「直線の知覚は直線という理念の自己限定である」みたいなことが出てくる。
そうしてみると、やはり「具体的一般者」というのは普通の意味の一般なのかな。

このコップの現在のこの知覚、というのは、
「コップ」という概念が自己限定したことになるのか。

しかしこれは単に「コップ」だけではないはずで、
「緑色のもの」とか「陶器」とか「食器」とか「把手のついたもの」とかでもあるはずで、
そうするとこのコップの知覚というのは、
「コップ」の他にも「緑」とか「陶器」とかいう「一般者」が自己限定したもの
(その色々な一般者の自己限定のかさなり合い、みたいなもの)になるんだろうか・・・
謎だ

238 :考える名無しさん:05/03/18 18:49:37
>>228
これも入れてくれ

http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/sokuho/sokuho05/tohoku/zenki/index.html

239 :209:2005/03/23(水) 03:17:02
「自覚に於ける直観と反省」いちおう読了しました。
片手間に読んでいたとはいえかなり時間がかかった。
一度読んだ時には繰り返しばかり多くて、言語明瞭意味不明みたいに感じたんだが
二度目に西田自身の跋と目次とに照らしながら読み返してみると、
思ったよりすんなりと読めた。最初は単なる繰り返しと思われたものも
案外文脈的意図があったりもする。(勿論単なる繰り返しも多いけど)

で、>>236-237の暫定的解決としては、
私がいまこのコップを見ている知覚に対して、個物としてのコップという統一や、
「緑」という統一がある。(このコップの知覚は、他の緑のものと「緑」という概念で統一されている)
このうよな具体的な統一が、西田の所謂「具体的一般者」である。と考えてみました。
このコップを見ている純粋経験の中に、緑という概念が既に働いている。
で、このコップのこの緑色は厳密には俺が今までみたどの緑色とも違うものかもしれないわけで、
その特殊な緑を既に「緑」という概念に包摂しているということは、
「緑」という具体的一般者が発展した、ということだ。最も原初的な純粋経験において、既にこのように
一般者の統一というものが現出している。

で思ったのは、もし上記のような解釈が正しいとして、恐らくヘーゲルなんかにも言えると思うのだけど
こういう「具体的概念」っていうのは、要するに(隣の木村さんではなくて)私が持っている「緑」という概念だよね。
私がこの緑のコップを知覚することは私にとっての「緑」の自己限定かも知らんが、
別に他の人にとっては私が知覚しようがしまいが、緑の概念が変るわけではない。
そう考えると、やっぱりこういう哲学理論ってのは、独我論的色彩を非常に強く示すように
思えてならない。
西田は善の研究でも、唐突に「経験は個人を超える」みたいなことを言ったりしてたけど
自発自展する「緑」ってのは、個人を超えた経験ではあり得ない。
その辺をどう考えているのかが、よくわからない。

240 :209:2005/03/23(水) 03:34:48
他によくわからなかったのは、

1、俺はリッケルトやコーヘンを読んでないので、その引用の部分がイマイチよくわからん。まあこれは仕方がない。
2、数学の話がよくわからん。実は俺は数学科なんだが(w
 例えば第34節に言う、「解析幾何学の対象は量的方面と質的方面とを統一する自覚的体系の具体的顕現である」
 なんていうのは、よくわからんなあ。
3、これは西田哲学全般に言えることかも知れないけれど、時間の考え方が、イマイチぴんと来ない。
 時間というのは経験を統一する形式であり、経験の後から考えられたものである。
 本来存在するのは今ここの「永遠の現在」であり、時間というのは後から考えられたものに過ぎない。・・ってのはわかるんだが、、、
 例えば、論理が自覚して数理になる、と言ったときには、これは時間軸外の出来事なわけでしょう。
 それに対して、一般的な知覚みたいなものが自覚により自発自展する、というときには、
 時間軸にそった「発展」なのではないだろうか。
 この「時間軸によらない自覚」と、「時間軸に沿った自覚」とは、ともに自覚と言われているが
 本当に同じものなのか?というか、両者の関係がどうなっているのかが、よくわからん。(説明もされていないが)
4、あと、推論式ってのが何度か出てきたけど、これがわからないな。
 西田によれば、「大前提(大語)は物体界を表し、小前提(小語)は心理的主観を表し、
 精神と物体とは推論式の断案の形に於て結びつく」らしい。(例えば第38節後ろの方)
 これが、何を言っているのか全く俺にはわからん。

以上、一項目でも二項目でも、もしわかる人がいたら教えてください

241 :考える名無しさん:2005/03/23(水) 23:14:31
「言語的表現とは『云ひ現し』即ち陳述である。それは人間存在を言葉において述べ広げて云ひ現す。即ち現すべき事を
さまざまのこと(言)にわけ、その分けられたことを結合する。『SはPである』という云ひ現しがそれである。
この陳述の形式は 通例独立に存するSとPとを『である』によって結合するものであると考えられている。
しかし、元来独立のものであるならばそこに『である』をおいても両者が結びつくという筈はない。
結びつくのは両者が本来一つであったからである。したがってSとPが結び付けられる前にSとPとへの分裂がなくてはならぬ。
ここに『分かる』という言葉の根源的な意味がある。

陳述とは、統一・分離・結合の連関において人間存在の自覚を現したものである。

242 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 00:38:45
2ちゃんのトップに西田のあのキチガイ宣言が載ってるorz

243 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/01(金) 01:07:00
今日の2chトップの一方は西田

244 :209:2005/04/05(火) 01:11:44
相変わらずボチボチ西田を読んでいます。

>>236-237の「具体的一般者」の意味だけれど、
「働くものから見るものへ」の中の「内部知覚について」という論文に
説明があるのを発見した。それによると、

「このコップが緑」だというのは、「コップ=緑」なのではない。
「このコップの色=緑」なのである。
この「このコップの色」これが具体的一般者である。
つまり、「このコップの色」は今は緑であるが、可能的には変色して他の色になったりもし得る。
私がこの「緑」を知覚する際に、「色の体系」が前提とされている。
「このコップの色」は、「色の体系」という意味で一般者であり、
この「具体的な一般者」が自己限定したものが「この緑」である。

・・・ということらしい。

245 :209:2005/04/05(火) 01:17:27
西田の解説書、例えば小坂国継なんかを読んでみても、
いきなり全く説明もなしに「具体的一般者は・・・」とか書かれているんだよね。
俺が前に読んだときにはそれで全然わからなかったわけだが、
今思えば、用語の意味の説明さえないのなら、わからないのが当然だ。
あれでは全く解説にならんじゃないか?小坂は、あの本が読者の何らかの役に立つと思ってるのだろうか?
というか、小坂に限らず西田の解説書って、そんなのが多い希ガス

>>239-240は、まだ疑問のままです。誰かわかったら教えて暮

246 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 01:48:47
> いきなり全く説明もなしに「具体的一般者は・・・」とか書かれているんだよね。

『哲学入門』とかなら別だが、西田概説なら読者にカントとジェームスと新カント派
の知識があることは前提だろう。 そうならば「具体的一般者」で大体の見当はつく。
あとはコンテクストから読み取って、自己における概念理解の精緻化を計ればいいの
でそう問題だとは思えない。 

247 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 02:07:47
>>149
>「能動受動の区別、即ち精神が内から働くとか外から働を受ける
>とかいうことは、思惟に由って精神と物体との独立的存在を仮定し、
>意識現象は精神と外物との相互の作用より起るものとなすより
>来るので、純粋経験の事実上における区別ではない。純粋経験の
>事実上では単に程度の差である。」

純粋経験上の事実を述べられる、という西田の大前提に問題ありとは思うが、わか
りやすい文章じゃないか。 構成もはっきりしているし、言いたい内容もしっかり
している。

(1)能動と受動とは、それぞれ精神がその内部から働きかけるか、それとも外部
から働きかけられるか、という差によって定義される。
(2)これが成立するためには、精神の内部と外部という存在がそれぞれ前提され
ねばならない。
(3)それらは精神と物体とである。
(4)この区別と二つの実体の措定は、思惟によってなされる。
(5)したがって、この発想は、意識作用とは、精神と物体との相互作用によって
生じる、と考えることから生じる。
(6)思惟によって想定されるものでしかない以上、精神と物体という区分以前で
ある純粋経験においては、そのような分別は存在しない。
(7)厳密に言えば、分別は相対的に程度の差として現れるが、実体的差異ではな
いといわれるべきである。
これだけのこと。

248 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 02:17:20
>>227
> 単に仏教を思想化した、というだけなら別に西田でなくても、鈴木大拙とか清沢満之とか沢山いるわけでしょう。
思想化した人には、鈴木大拙も清沢満之もそもそも永平道元もいるが、仏教を西洋哲学の
枠組みで語りきったのは西田が最初。 
あと、別に仏教から入らなくても西田はわかりうるが、西欧近代哲学からはいると無の場所とか
絶対矛盾的自己同一とかにかなり悩むと思う。 あと、存在と当為の弁証法的自己展開関係みた
いなものとか、認識と制作の一致とか。 ここらへんを、ああこれだ、と直観できるのには
禅は便利。 ドイツ観念論や新カント派はここいらを哲学的に適切に言い表しうる表現をも
っていなかったことが、西田が苦心して造語をしいしい、自ら語り口を開発していかねばな
らなかった原因の一つなのだから。

249 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 08:33:22
水木しげる先生のスレが哲学板にあるとはしりませんでした

250 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 17:24:31
内からの働きと、それを反省する視点をイメージする事は
長い金太郎飴をイメージすると良い。

金太郎飴の断面は、いかに外から見た形状が棒状の飴が
曲がりくねってても、常に断面は金太郎の顔になっている。

棒状の飴が渦巻いてようが、まっすぐであろうが断面は
常に金太郎の顔になる。これを反省、純粋持続の両面と
みなしてみると分かりやすい。

251 :209:2005/04/05(火) 19:57:54
>>246
真面目に聞きたいんだが、あなたは最初に西田を読んだときに
例えばこの「具体的一般者」をどのように理解したのか?教えてほしい。
よろしくお願いします。

>>244の解釈が正しいとして話を進めるが、
正しいのは>>236>>237ではなくて>>244だというのは
少なくとも小坂の本を読んでいる限りでは決してわからないと思う。
「具体的一般者」というからには、「具体的事物にかかわる一般概念」なんだろうとは
思うけど、それが>>236なのか>>237なのか>>244なのかは、わからない。
それが曖昧なままで西田を読んだとしても、それは西田を読んだことにはならないでしょう。

或いはあなたの言う通り、ある程度の哲学的知識を前提とすれば、これは難なく理解されること
なのかもしれない。ただその場合前提となる知識というのは、
「カントとジェームスと新カント派」ではなくて、ヘーゲルだと思うけど。
(カントに自発自展する<概念>は出てこないでしょ?)

俺はヘーゲルは大昔に小論理学と美学を読んだくらいであまりよく覚えてないのだけど、
ヘーゲルにあっては、この「具体的一般者」に対応するものは、どうなるんでしょ?
わかる人教えてください

252 :209:2005/04/05(火) 20:20:40
>>248
絶対矛盾的自己同一とかポイエシスとかはまだちゃんと読んでないんで何とも言えないが、
「無の場所」について言えば、それは

全てのもの(意識現象であれ作用であれ、客観的事物であれ)がそのものとして
他と区別されるためには、それは何かの場所に於いてあるのでなくてはならない。
例えば赤という色があるためには他の色がなくてはならず、従って「色の体系」というものが
なくてはならない。そこで「赤」は「色の体系」に於いてある、と言える。
同様に、客観的対象は時空間に於いてある。「東京都」は「日本の都道府県」という場所に於いてある。
これらの場所(色の体系や時空間や日本の都道府県)はそれ自体「有るもの」であり、
それは「有の場所」である。それに対し、我々の意識現象や判断が於いてある
カントやフッサールの認識主観のようなものは、決して「有るもの」ではない。それは「無の場所」である。
しかしこの認識主観はいわば考えられた認識主観であり、その故に例えば
認識主観と客観的対象(物自体)とはどのように関係するか、というような問題が生じる。
これに反し、真の「無の場所」とは全世界を包摂する「今ここ」であり、
全てのものがそれに於いてあるものである。

↑このように、その当否はともかくとして、少なくとも西田の言っていることは極めて明確だと思う。

ただまあ、自分が西田を読むときには禅の体験があった方がわかり易い、ということは
その通りだとは思いますけどね。
しかし、他の人に言うときに「西田哲学は禅の体験がないとわからない」とか言うと、
そんな特殊な体験がないとわからないような哲学は、
一般の人にはわからない・特殊な世界でしか成り立たないものなんじゃないか、と思われるわけですよ。
それは不当に西田を貶めることなんじゃないか、と。
だから、「西田を読むためには禅の体験が」というようなことは、極力言いたくないわけです。

253 :209:2005/04/05(火) 20:23:03
>>250
金太郎飴?俺にはその比喩の方がよくわからん。
金太郎飴の「顔」と「外観」とが、
「自覚」とか「直観」とか「反省」とか「作用」と、
具体的にどう対応するんでしょ。

254 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 23:56:40
そもそも何故、君にタメ語で聞かれなきゃならんのかね?
私も旧帝でそれなりにやってきた人間だよ

255 :209:2005/04/06(水) 07:57:19
>>254
あんた誰?w

256 :ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 11:45:38
九州大学工学部の方は来なくていいです

257 :254:2005/04/06(水) 16:50:06
三流私大数学科の209
せいぜい継接ぎだらけの西田哲学に励んでくだされ

258 :254:2005/04/06(水) 21:00:30
かく言う俺は、名古屋大学附属農場の門番を30年勤めてきた身だよ。
おまいら国立大学に縁もゆかりもないような連中とは、生れつき格がちがうんだよ。
恐れいったか

259 :ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 23:00:29
w

260 :ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 23:57:10
『西田哲学』 高山岩男著 岩波書店刊(絶版)  はいかが?

今の学生は読まないのかねぇ・・・
      

261 :ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 00:19:52
というかもう京都学派以外は読んでないんじゃないか?
日本哲学の講義なんてあんまり聞かないし。倫理の教科書にはいろいろ載ってるのにねえ。

262 :ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 00:30:35
皮肉にも弟子筋はどれもひどくて、
中沢新一とかが一番ましな読みをしているよな

263 :260:2005/04/07(木) 01:04:39
>>209

小林秀雄の一節

「人間を、そのまとまっ歴史的衣装から、どうやっても説明しようとする
考えが、私たちは、日常全く逆な智恵で生活してる事をわすれさせる。

刻々と感じ、考え、決心する私たちの意識は、後になって、やむを得ず
歴史の衣をまとうであろうが、今は、ただ、前に向いた意志であろう。」


金太郎飴の側面=歴史的衣装
金太郎飴の断面=意志

 西田とは関係ないわけだが。


264 :209:2005/04/07(木) 01:24:04
>>263
不易流行、みたいな話ですかね。それならば話はわかる。

しかし西田の思想というのは、もう少し複雑な論理構造を持ったものですよねえ?
「善の研究」の自発自展する純粋経験からして既に、
今ここにある単純な経験の中に「全体」が働いているわけであって、
「有るもの(ここにあるもの)」は「無いもの(統一としての全体)」の影である、と言える。
金太郎飴だと、その顔はあくまでも「有るもの」なわけで
そこには西田に特有の「無」という感覚が見られないように、感じるけどどうでしょうかね。

それと高山岩男の西田哲学って、文庫本になってたやつですか?
わざわざ神保町の岩波ブックセンター2階の古本屋まで行って探すだけの手間をかける
価値は、あるか知らん。(あるいは大学の図書館なんかにはあるものなのか)

>>261-262
俺は京都学派とは全く縁もゆかりもないしよく知らんのだが
確かに、「京都学派のなれの果て」みたいなのは、
いかがなものかという印象は確かに持っているかも知れん・・・
今西錦司が西田哲学の影響を受けて(←あくまでも自称)「生物は変るべくして変る」
とかいうヘンな進化論を提唱してたりするが、そんなのを見ると
何だこれは?とは思う。

265 :ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 18:37:39
> 今西錦司が西田哲学の影響を受けて(←あくまでも自称)「生物は変るべくして変る」

あれを今西さんがいいだしたころは,まだ,複数生物種(もしくは亜種)間の優越生存
については自然淘汰というメカニズムが提唱されていた(狭義でのダーウィニズム)け
ど,なぜ新しい種なり亜種なりが生じるかについてはウィルス変異説も遺伝子コピィ失
敗説もなかったかあっても普及しても例証されてもいなかった時代の話だから,それを
持ち出すのは今西に酷. 今西進化論の論点は,ダーウィンは生物種間では淘汰が生じ
て優越種のみが生き残るというが,現実の(河川生物からの)観察によれば,それぞれ
の種が相対的に優越する環境を各生物種が見出して,共存している,という点. おそ
らく実際には,淘汰が働きつつ,極めて多くの諸環境で弱小な生物種は滅亡するが,あ
る適合環境を見出しさえすれば今西が指摘するように共存可能,ってところなんじゃな
いかな? 自然淘汰ばかりあまりに強調しすぎて,まるで現存種が万能の強者であるか
のようなイメージを与える傾向があった時代背景を考えると十分カウンターとしては意
義のある立論だったと思うよ.

266 :209:2005/04/08(金) 23:56:15
「働くものから見るものへ」を一時中断して、講演録を読んでみた。
何か知らんが「信濃哲学会のための講演」とかいうのがかなりあるんだな。
信濃哲学会って何か武田信玄の配下の軍勢が必死で哲学を考えていそうな雰囲気だ。

で、「現実の世界の論理的構造」というのを読んだが余りにわかりやすいのでびっくり。
逆に言えば皮相に感じる。西田の講演であることを知らずに読んだら、誰か西田の模倣者が
西田の真似して講演したんじゃないか、て位だ。

でも得るところはある。例えば
「物理の会には時間は無い。過去未来は無く、変化も無い。例へば、
昔の星雲の時代から現在の地球になつたと考へるが、さういふやうに運動
したのは或一つの空間を廻つただけであることになる」
こういうのを見ると、「物理的世界は空間的である」ということの意味がよくわかる。
つまり、「物理的世界では時間も静的に見られ、記述される。
それは抽象的時間であり、空間の一次元であるに過ぎない」ということのようだ。
こんなのは西田を読む人にとっては当り前なのかも知らんが、俺には西田の考え方の一端がわかった、
という気がした。

267 :209:2005/04/09(土) 00:04:01
あとこれは個人的な好みなのかも知らんが、
西田が日本文化とかについて語りだすと、途端に俺はつまらなくなる。
そんなことはわざわざあなたでなくても、他の人でも言えますよ、と。
個人と社会との関係なんてのは、それこそマルクス主義者にでも任せておけばいい。
そういう感想を持つ俺は、西田には中期までしかついて行けないかも知れない、
という予感を持つ。
(後期はまだ全然読んでないんで、あくまでも悪い事態を想定した只の印象だけれど)

268 :209:2005/04/09(土) 00:20:00
>>265
俺は生物学はよく知らんし今西以後の「構造主義的生物学」とかそういうのも
全然読んでないんで、もしかしたら根本的に間違ったことを言うかも知れん。
間違っていたらそう言ってほしいけど、

生物学ってのは自然科学の一分野であって、それは自然科学的世界観、つまり
理論物理学を先端とする世界観に従うべきものでしょう、現代の科学としては。
(そうでないと、それは自然科学ではなくて人文科学になる)
そういう意味でのダーウィニズムは、DNAの変異という物理的裏付けがあって
初めて成立するものでしょう。
で、ダーウィニズムを攻撃するのは良いしもしかしたら一般に言われるダーウィニズムでは
本当に生物の進化は説明できないのかも知れないけど、
でも「変るべくして変る」では、自然科学としては何を言っていることにもならないでしょう。
(それがどのような物理的作用に裏付けられているか、ということに関する考慮がない限り。)

もしかしたらあなたの言うように、今西の時代にはDNAの多様な反応がわかって
いなかったから、それを今西に求めるのは酷、なのかも知れない。
でも、それで単に概念的・思想的に「反ダーウィニズム」を言うだけならば、それは
自然科学ではなくて人文科学でしょう。
(それこそ西田の言う、「空間的限定」ではなくて「時間的限定」による思考になるでしょう)
実際、今西自身は恐らくDNAで自分の思想が説明できるようになる、とは
思っていなかったのではないだろうか。
で、もしそうならば、むしろ
「生物の進化は客観的物理的世界の成立以前の概念に由来するものであり、
従って物理的世界観による進化論を超越するものである」位を言ってくれると面白いのだけれど、
今西という人は、それをちゃんと思想化するだけの哲学的努力ができる人ではなかったでしょう。

269 :ローカルルール審議中:2005/04/10(日) 13:09:19
>>209
参考・『宗教と科学の接点』 河合隼雄著

今西はこれまで「固体発生は系統発生をくりかえす」と言われてきたが
これを逆にして、「系統発生(進化)は固体発生を繰り返す」という
「まことに大胆な類推」を行い、一つの固体が受精卵から出発し、
分化発展して、変わるべくして変わって行く様に、進化においても
「変わるべくしてかわる」のであり、〜

このような今西説は、これまで述べてきた論議と関連させるならば
次のように言えるであろう。今西は自然(ネイチャー)についての
進化を語っているのではなく、自然(じねん)の方に近い現象について
語っている。その世界は極端に言えば、「物我の一体性、即ち万物と
自己とが根源的に一つである」という福永光司の言葉に示される
世界なのである。




270 :269:2005/04/10(日) 13:13:24
今西が自分のそのような自然観を「自然と一つになる。自然にかえる、あるいはまた、
自然に抱かれるということですね」と言い〜

271 :269:2005/04/10(日) 13:23:54
要は西洋と東洋の自然観の違いということ。

272 :209:2005/04/11(月) 00:32:51
>>269
「個体発生は系統発生を繰り返す」→「系統発生は個体発生を繰り返す」は、
西田の「主語となって述語とならぬもの」→「述語となって主語とならぬもの」を
意識してるんでしょうな、多分。

で、少し考えてみたのだけれど、例えば西田では
最も直接なところに人格的世界だの歴史的世界だのがあって、
その外側(=間接的な認識による世界)に生物的世界があって、その更に外側に
物理的世界があるわけでしょう。
で、それを踏まえて、今西の主張というのは
「生物の世界は物理的世界によって基礎付けられるものではない、
逆に生物の世界によって物理の世界が形成されるのだ。だから生物の進化というのは
物理的作用によっては説明され得ない」ということでしょう。
だから、ウイルスだの何だのによって「今西進化論」を基礎付けようとする試みは、
少くとも今西自身にとっては根本的にナンセンスなものなのでしょう。

でそういう主張ならば、例えば
生物の世界によって具体的に物理の世界がどのように導かれ、その中で
生物の進化というものはどのような役割を果たし、それはどのような形において
物理的世界にとっては「超越的」(=説明不能)であるのか、ということを
明確に示すことができるのならば、それは現在の学問的世界に決定的な衝撃を与え得ることでしょう。
或いは、せめて、逆により根本の歴史的製作的世界から、
生物の進化というものがどのように導出されるのかを示す、とかね。

273 :209:2005/04/11(月) 00:33:49
しかし、今西はこれらのような努力を(俺の知る限り)何もしていない。
ただスローガンのように「生物は変るべくして変る」と言ってるだけでしょう。
これは全く何も言っていないに等しいと俺は思う。

で、またもしその程度のことが「宗教と科学の接点」だと河合隼雄が考えているのならば、
それは宗教をも科学をも、非常に馬鹿にした話だと思うけど。

あと>>271
> 要は西洋と東洋の自然観の違いということ。
↑こういう言い方が最も問題だと俺は思うのだけどね。
「東洋の自然観」に立つのは非常に良いけれども、
それが西洋の自然観を全く無視することであるのならば、それは単なる退化に過ぎないでしょう。
それは、現代の理論物理学と老子の道徳経(「タオ」)とが同一だとか主張している
おめでたいアメリカ人とかと何の変りもない。

当然のことですが、東洋の立場というものを絶対視することなく、
それを西洋の立場との間でいわば弁証法に発展されることが
「東洋」ということを考える際の最低条件でしょう。
少なくとも西田自身は、そういう人だったはずです。

274 :209:2005/04/11(月) 00:42:53
すまん
>それを西洋の立場との間でいわば弁証法に発展されることが
↑これは正しくは、

それを西洋の立場との間でいわば弁証法的に発展させることが

ですな。いつも誤字が多くてすまん

275 :考える名無しさん:2005/05/05(木) 11:30:23
hoshu

276 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 11:30:19
さがりすぎ

277 :考える名無しさん:2005/05/17(火) 11:31:30



278 :考える名無しさん:2005/05/28(土) 20:58:07
クソ学派

279 :考える名無しさん:2005/06/07(火) 00:30:11
全集・シリーズ KAWADE道の手帖
タイトル西田幾多郎

ISBN4-309-74002-2
判型 A5 /192頁 
●発売日 2005.6.29  ●発行日  
定価/在庫 定価 1,575円 〔税込〕

内容紹介受賞・書評
西田はつねに新しい。アンソロジーで西田哲学の核心をガイ
ドしながら、ドゥルーズ、現象学、精神分析などと共鳴する、
新たな西田像を提起。入門者にも西田読者にも新鮮な衝撃を
与える一冊。小泉義之、檜垣立哉、小林敏明他登場。

280 :考える名無しさん:2005/06/14(火) 20:35:39
http://www.siq.co.jp/media/itou/sinzuru.html

281 :考える名無しさん:2005/06/21(火) 01:26:10
教育学部の学部ゼミで「日本近代思想と教育」というテーマで西田の「善の研究」を読むことになった。ついていけるか心配だ

282 :考える名無しさん:2005/06/21(火) 02:36:37
>>281
大丈夫だ。”絶対無の境地”に至れば理解できる。

283 :考える名無しさん:2005/06/21(火) 06:31:22
教育の諸問題を考える上で
西田の問題意識がどのように考えられ適応されるのか
できれば逐一報告してくれ

284 :考える名無しさん:2005/07/08(金) 07:16:52
西田がひときわ冴えて見えるのは、
田辺の批判があったからだと思う。
田辺の言うことはもちろん正しい。
しかし・・・・・・・・・・・・

285 :考える名無しさん:2005/07/28(木) 09:26:09
しかし……何?

286 :考える名無しさん:2005/08/19(金) 21:45:22
悪くはない人だな。

287 :考える名無しさん:2005/08/20(土) 03:15:40
>>281
「善の研究」は頁数少ない。
ハイデガーの「存在と時間」に較べれば楽勝だ。

288 :考える名無しさん:2005/08/20(土) 08:22:19
>>287
ピザ何枚食べられるかってのと同じだもんな


289 :考える名無しさん:2005/09/07(水) 01:37:06
>>281
大丈夫だ。”哲学の道”を歩けば理解できる。

290 :考える名無しさん:2005/09/07(水) 02:06:57
要するに直接経験の純粋性だ。そこに真理、神、善がある。
生命の、人生の、宇宙の真実相がある。


291 :教育学部生:2005/09/07(水) 02:36:15
ずいぶん遅くなりましたが後期から来年度前半までかけて善の研究を精読することになりました。
夏休みは課題図書として上田閑照「西田幾多郎とは誰か」を指定されました。

292 :考える名無しさん:2005/09/15(木) 19:56:07
まってました!
無理はしなくてもいいから教えてくれぇ。
書き込むことで復習になるので教育学部生さんにとっても無駄じゃない!(と思う)

293 :考える名無しさん:2005/10/02(日) 05:08:18
おい、おまいら。”哲学の道”はもう古い、ここへお参りするニダ!

石川県西田幾多郎記念哲学館
〒929-1126 石川県かほく市内日角井1番地

こんなのもあるニダ。
http://www.nishida-philosophy.org/

294 :考える名無しさん:2005/10/24(月) 21:15:22
ザインって何語よ?

295 :考える名無しさん:2005/10/25(火) 03:41:35
西田哲学を研究すれば人格的に陶冶されていきますか?

296 :考える名無しさん:2005/10/25(火) 09:13:34
>>295
されない。

するのはおまい。


297 :考える名無しさん:2005/10/25(火) 22:12:21
>>294
ドイツ語で「存在」

298 :考える名無しさん:2005/10/28(金) 00:53:03
西田記念哲学館のGoogleEarth位置座標です。
36.7148529157, 136.694410091

299 :考える名無しさん:2005/11/07(月) 17:58:21
大学で初めて、「善の研究」を読みました。
さっそく、主客合一と主客未分の違いでつまずいているのですが、
どのように解釈すればよろしいでしょうか?

300 :考える名無しさん:2005/11/07(月) 18:23:22
「●●●即○○○」ってのはど〜ゆ〜事?
蓋開けるまでは未分化って意味かしら

301 :考える名無しさん:2005/12/02(金) 02:50:20
で、ど〜ゆ〜事?

302 :考える名無しさん:2005/12/09(金) 21:37:08
age

303 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 18:53:39
「西田幾多郎の真実」っていう今年の10月半ばに
出版された書籍を読んだ人っています?

西田幾多郎
宮台信司
中沢信一      こてんぱにされていますよww

304 :考える名無しさん:2005/12/23(金) 22:48:17
//つか、↑の本は西田を否定しているぞwwwいまのところ
すごい挑発的w
なんか、筆者がネットの古本で聞きなれないものがあるから取り寄せたら
貴重な資料がでてきて〜から凄く挑戦的。

305 :考える名無しさん:2006/01/06(金) 22:35:53
KWADA道の手帖
から出版の「西田幾多郎」を読んだ方はいらっしゃいますか?

306 :209:2006/01/11(水) 00:05:24
お久でつ。

>>299-300
具体的にどの部分、と言われないと答えられんが、
「主客未分」と「主客合一」は同じような意味で用いられてる
ことが多い希ガス
ていうか、みんな言ってることだけど善の研究における「未分」という言い方は
かなり論理的に混乱してるっつか、考えれば考えるほどわからなくなってくるんで
(西田自身がそれを整理しようとして次の「自覚における直観と反省」に移行した、
という経緯があるので)
あまり深く考えずに読み進めるのがいいみたいだ。この点に限ってはね。

A即B、というのは、単に
AとBとは同じもの、という意味。

307 :209:2006/01/11(水) 00:13:24
西田って善の研究を書いた時点では、「素人哲学者」だったんだよね。
この本よみ返してみると、素人くささがプンプンしている。
(いい意味でも悪い意味でも)
一人称に「余」ではなくて「私」を使い始める頃から、
圧倒的にスキルを上げて、俺はバリバリの哲学第一人者だぞ文句あっか?
っていう貫禄を感じさせる。
たぶん京都に行ってから、猛烈に勉強したんだろうね。普通の人なら
教授になった時点で安心して、守りに入ってしまいそうだが。

308 ::2006/01/11(水) 21:27:16
坐禅したら解る。

309 :考える名無しさん:2006/01/17(火) 19:05:32
「こころの時代」また見逃した・・・

310 ::2006/01/20(金) 22:25:05
高校生の時、善の研究が全然解らんかった。禅宗の糞坊ずになったら解った。お寺に聞きにいったら教えてくれるよ。

311 :考える名無しさん:2006/01/21(土) 09:24:06
>>310
善の研究なんてのは哲学である以上、
真面目に読みさえすれば誰にでもわかるはずのものなのだし、
実際にそうだ。
むしろ何かの特殊な経験がないとわからないなんてものは、哲学としての価値がない。

坐禅をすれば西田哲学がわかる、なんてのは
禅という一般を西田哲学という特殊に狭めてしまうことであり
禅というものの価値を不当に低く評価することだと思うよ。

312 :考える名無しさん:2006/01/21(土) 09:27:10
オイ、幾多郎!

313 :考える名無しさん:2006/02/17(金) 00:34:28
なあに、かえって免疫がつく

314 :考える名無しさん:2006/03/11(土) 00:36:50
西田の著作って、一作ごとにどんどんどんどん
前作を前提にしつつも変化(発展?変貌)していってる印象がある
一つだけ読んでみても訳がわからない

極論すると、「善の研究」から「場所的論理と宗教的世界観」まで
連続して論文を読まないと理解できないのではないだろうか?

315 :考える名無しさん:2006/03/11(土) 01:20:01
『善の研究』は「公共性」を肯定しているのに、
ハイデガーの『存在と時間』は否定している、という解釈でよいですか?


316 :考える名無しさん:2006/03/11(土) 01:26:05
>『善の研究』は「公共性」を肯定している

わからん。どういう意味?

317 :考える名無しさん:2006/03/12(日) 01:04:43
AはAじゃないからA

318 :考える名無しさん:2006/03/12(日) 14:38:49
公共性じゃなくて公共善だよね。
意味はほとんど同じだと思うけど。

319 :考える名無しさん:2006/03/22(水) 22:20:39
>西田って善の研究を書いた時点では、「素人哲学者」だったんだよね。
>この本よみ返してみると、素人くささがプンプンしている。
>たぶん京都に行ってから、猛烈に勉強したんだろうね。

マジカ?

320 :考える名無しさん:2006/03/23(木) 00:02:16
マジですよ

321 :考える名無しさん:2006/03/25(土) 07:09:34
西田を中心とする京都学派がある意味必要以上に持ち上げられているのは、
当時の東大が権威盲信の俗物教師「イノテツ」こと井上哲次郎に牛耳られてたのも大きい。

322 :321:2006/03/25(土) 07:11:00
おっと、東大「哲学科」が、ってことね。

323 :考える名無しさん:2006/03/26(日) 06:37:54
>>320
そのあたりのことを書いてる文章とか伝記ってない?

324 :考える名無しさん:2006/03/27(月) 10:54:43
主観的なもんだろ

325 :考える名無しさん:2006/03/27(月) 15:16:06
>>323
「善の研究」執筆時の西田が一介のドイツ語教師に過ぎなかった、
というのは年譜をみればすぐにわかる事実。
(この本の出版によって有名になり、大学に迎え入れられた。この時40歳)
「素人くささがプンプン」しているか否か、というのは主観的なもんだなw

確か西田が、誰だか弟子に向かって
「自分は若い頃、語学教師として過ごしたため十分に哲学の研究ができなかった。
もっぱら哲学に専念できる君たちがうらやましい」みたいなことを書いていた希ガス
(正確な引用ができなくてすまん)

善の研究の再版序には、「京都に来てから読書と思索とに専なることを得て、
余もいくらか余の思想を洗練し豊富にすることを得た。」とある。
実際に、西田が「中期」の入口となる「絶対無の場所」に到達するのは
京大定年退官の直前であり、
西田の著作の半分以上は退官後死ぬまでの20年間に書かれている。

326 :考える名無しさん:2006/03/28(火) 13:20:38
 冗談じゃないよw。哲学を大学で教えるほど、中途半端なガス抜きはないよw。

 あれほど哲学を考えるのに邪魔なものはない。馬鹿のくせに権威主義の学生とか
いるしね。

 語学教師は、やってて楽だから思索には適しているよ。素人くさいも糞も、
情報が当時は余りなかっただけの話。善の研究を読んではじめて、そんな本が
あったのかと当時の学生は勉強したもんなんだよ。

 それより、旧帝の図書館でも西田全集が40年くらいページ開いた形跡すらなかったり
するのを見るけど、戦後の奴って情報はあふれかえっているくせに全然駄目だな。

327 :考える名無しさん:2006/03/28(火) 13:22:03
 下村寅太郎の編纂した、西田の当時の日記読んでみろ。以下に勉強しているか。

328 :考える名無しさん:2006/03/28(火) 13:48:30
>>326
その口ぶりからすると、あなたは哲学教師?

329 :考える名無しさん:2006/03/28(火) 23:10:48
>>326
哲学教師がどういうものか、についてのあなたのご意見はご自由に持って構わないが、
少なくとも西田自身は語学教師であることに焦りを感じ
自由に研究できる大学教授を望んでいたのは事実。
日記とか書簡とか読んでみればわかる。

よく引用される「或教授の退職の辞」にも、
金沢にいた時には「時に研究の便宜と自由とを願はないこともなかつたが、
一旦かかる境遇に置かれた私には、それ以上の境遇は一場の夢としか思へなかつた。
然るに・・・友人の推輓によつてこの大学に来る様になつた」
と書いてある。

330 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 00:40:38
>>326
西田を研究したい奴は自分で全集を買ってるとオモ
古本屋行けば1万円くらいで手に入るんだから

331 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 15:50:04
>>329

大学教師が自由に研究できる、というのは思い込み。西田くらいの人になると、
不遇時代でも独学で一生懸命研究しているよ。そりゃもちろん、教授職のほうが
いいにはきまっている。


332 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 17:53:22
>>332

333 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 17:53:25
今の大学の先生は大変らしいけど、どうなの?

334 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 17:54:31
>>333 get!!

335 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 17:55:44
ありゃ^
いまからパチ屋行こうと思って333ゲットする予定を邪魔しおって!!!ぎーーーーーーー!!!!!

336 :考える名無しさん:2006/03/29(水) 17:57:08
ぎゃはははは、やったったやったったった。

337 :考える名無しさん:2006/03/30(木) 04:18:19
4000円勝ちました。barへ一人で飲みにいきました。
マスターのおごりで別の店でいままでのんでいました。

338 :考える名無しさん:2006/04/22(土) 23:02:05
西田は西田から入るより
釈迦およびウェーダ、六師外道から
入るほうがいい。

339 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/04/23(日) 00:01:16
『愛と認識の出発』。

340 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/04/23(日) 00:04:50
・・・は、倉田モモゾーって人の著作らしい。

ショーペン・ハウアーの『これは爆弾なんだぞ』と
似た感じで、読むと物知りになれるようななれない
ような。

341 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/04/23(日) 00:05:54
↑あ、『善の研究』の話。

342 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/04/23(日) 00:18:38
『意志と表象の世界』は、ギョエテは読みきる気に
なれなかったらしいな。

343 :考える名無しさん:2006/04/24(月) 00:44:52
西田自身は、倉田百三みたいな、告白的態度で自分にすり寄って来る信者のことを
うわ、キモ!って思っていたみたいだよ。(出典:上田久「祖父西田幾多郎」)
しっかし「愛と認識の出発」って今見ると恥ずかしい題名だよな

344 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/04/24(月) 00:55:50
戦後まもなく死んでしまって、全集出た時は行列出来たらしいな。

出典は中公バックス。

345 :考える名無しさん:2006/04/24(月) 06:11:30
ちゃんと読め終戦直前だ

346 :考える名無しさん:2006/05/07(日) 22:48:27
 しかし本当のところ
西田は日本主義をどう把握していたんだろう。
三木や戸坂のことも痛切に感じていたろう。
「マルクスによりて、今宵もイテネす」

347 :考える名無しさん:2006/05/08(月) 08:09:20
>>346
マルクスゆゑにいねがてにする だろ?

348 :考える名無しさん:2006/05/10(水) 15:18:02
ウエンツ、こっちも実写で出てくれ

349 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 01:41:22
初めまして
西田幾多郎の著書で、精神活動ではなく、実践について記してあるものをご存知ありませんか?

350 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 08:04:36
>>349
たぶん、精神活動を抜きにして実践はあり得ないというのが
西田の立場だと思います。

351 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 09:28:33
>>350
レス感謝です。
勿論その通りだと私も思います。精神活動から実践が生じるものです。
私がお伺いしたかったのは、ブッダが「悟りを開いた後は、慈悲を実践せよ」と述べたように、西田もそれと同様のことを記しているものはないだろうかということです。ご教授お願いします。

352 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 10:13:45
西田幾多郎みたいな難解でわけわからん本はないぞ・・・。
日本最高の哲学者っていうから古本屋で全十九巻の全集買って読んでみたけど
さっぱりわからんぞうー。
西田読んでから、鈴木大拙全集や波多野精一全集や和辻哲郎全集読んだら
すごく気持ちよく理解できたぞ・・・。
西田哲学ってほかの高尚な思想を分かりやすくするために、わざとひどく難解な
悪文を書いたとしか思えん・・・!
まっ、俺が禅の悟りでも開けば、西田哲学の深い意味と彼のイワンとしている
ところが理解でけるのだろうが・・・?
しかし、いまから何十年もかけてヨーガや禅の宗教修業をしても
ものにするまでにジジイになってしまう。
なんだか、それでは人生を誤りそうな気ィーがする・・・。

だれか西田哲学を、波多野精一の「宗教哲学」や「時と永遠」みたいな
高尚深遠にして明快な完璧な文体でかいてくれ・・・!



353 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 13:01:59
最近はかなり噛み砕いた本が出てきてる
河出のブックレットや現代新書の檜垣本
次は永井均がNHKのシリーズに出すらしい

354 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 20:48:20
>>352
西田は26歳くらいから坐禅初めて33歳くらいで見性してるよ。
ジジイってほどでもない。

355 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 21:00:20
>西田哲学ってほかの高尚な思想を分かりやすくするために、

 そもそも、分かりやすくしてもらおうと思っている時点で駄目。失格!

356 :考える名無しさん:2006/05/24(水) 21:06:32
いや西田の中期以後の論文は、必要以上にわかりにくいと思うよ。
本人がそう認めているくらいだから。
同じ内容を、もう少し簡明に、わかり易く書くことは
一応できるはずだとは思う。実際に今生きている誰にならできるのか、は知らんが。

357 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 17:12:24
中央公論の日本の名著「西田幾多郎」の最初にある上山春平の解説文
これすごく分かりやすくて包括的な西田哲学の入門文だよ・・・。
そのなかで上山先生は、西田をベルグソンやウイリアム・ジェームズとともに
全実在を宗教的な神秘体験によって直接把握した解脱者として規定している。
哲学本来の課題である実在の論理的構造の究明はそれによってのみ明らかと
なるそうだ。
そういや、ヘーゲルも弁証法は、歴史・自然・森羅万象一切を貫き動かす
神の思惟である、みたいなこと言ってたな!

358 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 19:34:15
> そのなかで上山先生は、西田をベルグソンやウイリアム・ジェームズとともに
> 全実在を宗教的な神秘体験によって直接把握した解脱者として規定している。

西田は禅の修行をして臨済宗の老師から見性を認められているから、
そういう解釈はたぶん正しい。
でもベルクソンやジェームスはどうなんだ?
ジェームスがそんな神秘体験をしているようには到底見えないんだが。

359 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 20:21:19
ジェームズに名著「宗教的経験の諸相」と「純粋経験の哲学」があり
ベルグソンの最後の著書は「道徳と宗教の二源泉」だよ・・・。
かれらは推論や分析ではなくて、
直観のみがものの実体を把握できるとしている。
西田の純粋経験という言葉も、かれの修禅体験をジェームズの純粋経験
に哲学用語として仮託したものだよ。

360 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 20:48:05
ここのかなりの人間がしばらくは「いくたろう」と思っていたことがあるだろう?

361 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 20:57:25
> ジェームズに名著「宗教的経験の諸相」と「純粋経験の哲学」があり
> ベルグソンの最後の著書は「道徳と宗教の二源泉」だよ・・・。

そりゃ知ってるが、
しかし宗教について書いているということと、
その人が宗教的体験をしているということとは別でしょ。

> かれらは推論や分析ではなくて、
> 直観のみがものの実体を把握できるとしている。
↑これはちょっと正確でない気がするな。
「直観が実在を把握できる」と言うと、
何か神秘的な「実在」に対して直観によって到達できる、
というような意味に解されてしまう。
西田にはそのような神秘主義は全く無縁なのであって、
直観として与えられる純粋経験は、「実在に至る手段」ではなく、
「実在そのもの」なのだと思うが。

362 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 22:27:00
>>351をどうかお願いします。

363 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 22:59:24
手段即目的、目的即手段
十階にいたるには二階、三階と順番に登らねばなりません。
西田がいかに天才であっても座禅始めていきなり「実在そのもの」
をつかむわけないでしょ。
二十代から三十代にかけておおよそ10年間を禅修業にてっしています。
禅やヨーガにかぎらず全ての神秘修行には段階というものがあります。
西田とて例外ではなく、少なくともその10年間の修禅時代は
そのような神秘主義の段階をへて「実在そのもの」に至ったと思います。

364 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 23:11:36
「実在そのもの」に至る禅なんてあるわけないだろ?まったく逆。

365 :考える名無しさん:2006/05/25(木) 23:23:14
あるよ・・・、そのまえに頭がちがちを柔らかくして・・・!
どうも、我見で身動きが取れんようだな・・・。

366 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 08:40:09
>>363
禅の建前というのは、衆生は実は修行をしなくてもそのまま悟っている。
あなたの言葉で言えば、我々はどんな人でも、日常既に
「実在そのもの」(=純粋経験)に達している。
だから、その「実は既に悟っている」という事実を自覚(=見性)した時点で
自分が立っている位置が2階なのか?10階なのか?というような問いは意味がなくなる。
(全ての人は初めから10階にいる。)

367 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 08:49:16
>>362
「善の研究」はいちおう「善」について述べているから、
それは実践論だとも言えるだろう。
但し善の研究での実践論というのは
「より大きな統一に従って働くことがより大きな善である」というような
抽象的なものだが。
中期の西田は論理の構築に没頭しているから実践論は書いていなさそう。
もっと後期になると日本主義とか何とかで何か言ってるかも知れんが俺は知らん。
そういえば前期に「芸術と道徳」という著作もあって、
ここで「社会と個人」の関係について、少しだけ述べているようだ。(相変わらず抽象的に、ではあるが)

368 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 09:59:09
まっ、勝手な独断と偏見でものごとを判断しないようにな・・・!
本音と建前をごっちゃにしないように。
初めは皆凡夫、修行して本当にほとけとなるの。
本当に見性するのに西田ですら10年かかっている事実をどうするのよ・・・?
充分意味のある問いです。

369 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 12:59:03
>>367
ありがとうございました。
お陰さまでもやもやしていたのがスッキリと解決しますた

370 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 14:09:19
禅者にも二通りある
禅は神秘体験だと認めるのと神秘的な要素は完全に排除しうると主張するのと

371 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 19:14:32
>>368
> 本当に見性するのに西田ですら10年かかっている事実をどうするのよ・・・?

むしろ逆に、西田ほど真面目に修行をして
初関透過まで10年近くもかかる、ということの方が大変なことだよ。
同時代に平塚らいてうは1年位で見性して、文学界の話題になっている。
今でも禅会などに行ってみるとわかるが、1〜5年以内くらいで
いちおう見性している人が多い。
(それがどの程度真性の体験なのか、というのは勿論人によるのだろうけど)

若い頃に鈴木大拙は、西田宛の書簡で、
「君が何年も修行して中々見性できないのは、
それだけ君に与えられた使命が大きいことを意味するのだろう」と言っている。
雪門老師は、「この男がもしひとたび初関を透過すれば、どえらい哲学者になるだろう」
と言っていたらしい。(で実際にそうなったわけだが。)

372 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 20:08:00
岡倉天心が『東洋の理想』で「アジアは1つである」といって
インド哲学の不二元論というのを持ち出しますが、これと西田哲学
に親近性はありますか

373 :考える名無しさん:2006/05/26(金) 20:39:30
西田幾多郎って若い頃数学に進もうか哲学に進もうか迷ったんだよね。
数学の勉強もかなりやったらしい。だから、純粋抽象理論の哲学を
作り上げられた。今の大学の哲学の先生でそこまでやってる人っているか?

374 :368:2006/05/26(金) 20:45:41
>>371
それは知らなかった・・・。
もう一度西田幾多郎全集読み直して見ます。
でも、西田の見性とらいてうその他の見性では
宗教的体験の境地に雲泥の差があるのでは・・・?

375 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 10:02:58
内的精神の修行で何で広い世界が知れようか?
悟りなど所詮、妄想。 神秘体験は脳の誤認だ。
精神性に重点を置いた実践など、自己満足の宗教演劇だ。
【悟った】などと言ってる輩は結局、個体精神の中で迷子になり、
自分を客観することすら出来なくなっているのだ。


376 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 12:11:08
>>375
浅はかな感覚主義者ね!
大カントですら、神や真実在のような物自体は、人間の理性では
その認識能力を越えたものなのでわかりません、って認めているのに。
感覚対象世界のみが唯一の世界だと思っているようだけど、西田先生の
種種の世界でも読んだら・・・。

377 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 12:59:57
>>375
あなたの議論をまとめてみると、

1、仏教の修行とは、精神の内面での修行である
2、しかるに、世界とは精神の外に存するものである
3、従って、仏教の修行をしても(外的な)世界については何もわからない

こういう三段論法になると思うが、
まず精神の「外」「内」という対立を前提としない限り、
この大前提と小前提(1と2)は有意味な命題とならない。
だからあなたの議論は仏教に対する有意味な批判とはなり得ない。
と思います。

378 :考える名無しさん:2006/05/27(土) 13:01:21
少し補足。

まず精神の「外」「内」という対立を前提としない限り、
この大前提と小前提(1と2)は有意味な命題とならない。

しかし仏教というものは、もともとこの「外」「内」という対立を前提としない。
だからあなたの議論は仏教に対する有意味な批判とはなり得ない。

379 :考える名無しさん:2006/06/01(木) 20:01:13
結局、純粋経験って何なんですか?
上田閑照さんがデカルト挙げながら純粋経験について
力説していましたが、読んでて少し恐くなりました。

結局、何にも残らないじゃん。心も身体も解体して。

380 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 01:20:38
純粋経験、むき出しのなんら思慮分別を加えていない感覚そのもの
ヨーガや禅の大家や宗教的神秘主義者が悟ったと言われる
高次の感覚そのもの・・・。
例えるなら陽が燦々と降り注ぐ春の日に百花繚乱が咲き乱れる中を
ミツバチとなってブンブン飛び回っている状態を何百倍も拡大したような
感じ・・・!

381 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 21:29:14
>>380
西田はそういう解釈をよくされるけど、
それは「悪しく宗教的」な解釈だと思うよ。
その種の「神秘主義」を排除することが、
西田の生涯の主題だったと俺は理解している。

純粋経験とは西田自身が述べている通り、
我々の日常の生活を構成しているものに他ならない。
いまあなたがコンピュータを眺めているというこの経験そのものが、
西田の言う純粋経験に他ならない。

ヨガはいざ知らず、少なくとも禅というのは「日常底」の宗教だからね。
むしろ、この日常の経験に何かを仮説して形而上学を構築する態度を
全て否定するものが禅に他ならない。
日常を離れて悟りの世界はない。

382 :考える名無しさん:2006/06/02(金) 23:08:31
>>381
あまりに、禅を特殊化している。禅にかぶれて禅のみ尊し
としたい気持ち分からないわけではないがそれは違うよ・・・。
ルドルフ・オットーの「東西の神秘主義」や西谷啓治の
「神と絶対無」でもよく読んだら分かると思うけど、
西洋にもエックハルトやヤコブ・ベーメのような禅の「無の悟り」
に達した人はいくらもいるよ。
もっと、根本的普遍的に人間精神の共通の基盤から観ないと
禅も西田哲学も分からないと思うけど・・・。

383 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 00:15:42
西田はブタゴリラなので逝ってよし!!

384 :381:2006/06/03(土) 00:21:23
>>382
すまん、ちょっと意味わからない。
「西洋には無の悟りに達した人がいない」、なんて一言も言ってないが?
あなたの言ってることは>>381とどう関係あるの?

禅の人は大抵エックハルトとベーメ好きだよね。
エックハルトなら俺も読んだが、俺はアウグスチヌスの方が好きだな。
(まあ↑これは好みの問題ですな。)

385 :379:2006/06/03(土) 06:35:18
一体、分別のない世界とはなんじゃと。
言語学(理性)的にも世界が未分化で、視覚(感性)的にもアウトラインというものが
消失してしまえば、残るものはただ、めくるめく三次元の抽象画(混沌)の中に飛び込んで
身体が溶けてしまうような、一種のドラッグ体験のようになってしまうのではないのかと。
激しく回転する万華鏡の中に入ったような陶酔。

でもこれは、蛙飛び込む水の音や、机がガタリと鳴る刹那、とはえらく違うような気がする。

386 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 09:37:21
西田は「主客未分」とは言っているが「分別のない世界」とは言っていない。
「無分別智」というのは仏教の認識のゴールのように語られてるが、
西田の善の研究での純粋経験は、哲学的知識のスタート地点。
(それがスタート地点であることはデカルトの方法的懐疑と
比較して語られていることからもわかると思う。)
その辺は西田自身が誤解を受けるような書き方してるんだが、
いちおう明確に区別しないと、西田哲学を読んだことにはならんと思う。
>>381で言うように「いまあなたが物を見ているという経験そのもの」が
哲学的思索の出発点であり、それが純粋経験だ、と西田は言っている。
「視覚的にアウトラインが消失」したりしている必要は必ずしもない。

387 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 11:14:57
>>386

でも純粋経験をスタートとして、抽象的もしくは一般的な哲学にのりだしたとたんに
純粋経験から離れるほど、純粋経験は純粋なものなんではないかな。

純粋経験 vs 抽象的もしくは一般的に展開される哲学

なる対立構造は乗り越えられるものなのか?



388 :考える名無しさん:2006/06/03(土) 12:37:11
> 純粋経験から離れるほど、純粋経験は純粋なものなんではないかな。
そんなことはないと思うよ。
恐らく西田の思想では、
今みているこの花は輪郭と色をもち、分節された形をもつのだが、
それがそのまま最も「純粋」な経験なのだと思われる。

純粋経験の中には既に「花としての統一」が潜在的に顕れている、
というのだから、もちろんそれは輪郭を持ったり云々していても良い、
というか、むしろ輪郭や色を持っていなくてはならない。
それで、実際に「この花は青い」と言語化したときに、
その「純粋経験」は言語的形態として「分化」した、と言われる。
むしろ「分別のない、輪郭も形も匂いも何もない経験」などというものは
西田の立場からは、抽象的に仮構された最も不純な概念に過ぎないと思う。

389 :考える名無しさん:2006/06/07(水) 09:28:07
西田の絶対無すなわち空の論理化としての場所的論理学がみんな
わかっていない・・・!
禅坊主の「日常底の悟り」などでは断じてない。


390 :考える名無しさん:2006/06/07(水) 20:31:44
>>389
西田の絶対無すなわち空の論理化としての場所的論理学
に関する解説きぼんぬ

391 :考える名無しさん:2006/06/07(水) 23:02:56
2CHで場所的論理学を解説せよとは、まあなんて無理難題を吹っかけるのかねえ・・・!
強いて言うなら、「Aは、Aである故にAである」、
これ、アリストテレスの形式論理学ね。
それに対して仏教の空の論理、「空は、空ではない故に空である」
つまり、絶対矛盾の自己同一ね、
アリストテレスの論理学では絶対に矛盾する相容れないものの自己同一、
これが現実の真相である場所の論理と言う訳・・・。
つまり場所的論理とは「自己が自己を否定することによって真の自己となるところ」。

西田の最後の論文「場所的論理と宗教的世界観」を読むとわかります。

392 :考える名無しさん:2006/06/07(水) 23:14:43
朝日夕刊 「死後も薄幸の人」西田幾多郎

393 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 01:12:02
>>391
「AはAでないが故にAである」というのは鈴木大拙のいう「即非の論理」ですね。
西田の所謂無の弁証法的論理というのは確かに即非の論理に対応するものではあるのだけど、
単にそれだけならば、西洋哲学者としての西田の価値がない。
(実質的に鈴木大拙と同じようなことしか言っていないとしても、
少なくともそれを、哲学的に明確に論理化したのが西田という人の業績であるはず。)
で、2つほど質問したいのだが

・あなたの書き込みには「無」という言葉も「場所」という言葉も
全く出ていないのですが、なぜそれが、「絶対無即ち空としての場所的論理学」なのでしょう。
その説明がない限り、西田と鈴木大拙との差は決してわからんはずだと思うのですが。

・あなたが、このスレのあなた以外の人が、その「即非の論理」を理解していない、
と判断した理由は何なんでしょう?普通に考えて、その程度のものならば
「場所的論理と宗教的世界観」など読まなくても、簡単な解説書を読めば書いてあると思うのですが。

394 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 05:16:09
 西田さんて野心の為に禅を利用したみたいに感じるなぁ。

395 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 10:25:53
>>解説きぼんぬ,と言うから簡単に解説しました。
「即非の論理」や「場所の論理」は、「自己が自己をまったく否定して
真の自己となる」所謂、物そのものとなって観る立場にならないと意味ないでしょう。
だから「場所的論理と宗教的世界観」を読んでくださいといいました。
場所は、結局個人が宗教的悟りの体験によって小さな意識的個を殺し
全体的な宇宙的個に目覚める、即ち場所的個とならない限り理解できません。
チョコレートを食べた事のない人にその味わいを理解させることは難しいです。
(勿論、わたしも、まだ食してはいませんが・・・。)
ここは、禅に余りにも偏った見方をし過ぎるので一言書いたのです。
といっても、わたしは禅を否定する者ではありません。
鈴木大拙全集は愛読書のひとつです。


396 :考える名無しさん:2006/06/08(木) 20:36:39
>>395は、>>393への答えだよね?そうすると、

1.(問)「AはAではないが故にAである」という「即非の論理」が、なぜ「絶対無の場所」と呼ばれるのか?
→(答)即非の論理や無の場所は、「宗教的悟りの体験」がないとわからない。
自分もまだそれを体験していないから、わからない。だから、その問いには答えられない。

2.(問)あなた以外の人が、場所的論理を理解できていない、と判断できるのはなぜか?
→(答)禅に余りにも偏った見方をし過ぎるから。

↑あなたはこう言っている、と解釈していいのかな?
そうすると、1については、まあわからないと言うのならそれ以上は聞かない。
(なんで自分自身がわかってないのに、>>389のような書き込みをするのか、は謎だが。)

2は全く意味不明。答えになっていない。
つまり、何で禅に対して偏っていると場所的論理を理解できないのか、についての説明が全くない。
(事実としては西田も鈴木大拙も、臨済禅の熱心な修行者だったわけだが、それはそれとして。)
このスレの人々が「禅に対して偏っている」というのも、どういう意味なのか
よくわからない。(具体的にどのレスのどこがどう、偏っているのか)

場所的論理の話はともかく、少なくとも、>>389 のように他人を非難するのならば
相手が何のどこをどう理解していないのか、なぜ相手が非難されるべきなのか、
くらいは最低限ちゃんと説明するべきだと思うよ。
そうでないと何を言っていることにもならないし、ただの感情的な悪口にしかならない。

397 :考える名無しさん:2006/06/09(金) 00:16:19
>>395は単に禅に敵意を燃やしているだけの
禅以外の宗教ヲタ とみた
「宗教的悟りの体験」と言うからにはキリスト教系である可能性は低い
仏教系(特にありがちなのは、他宗批判をする日蓮系・S学会など)
またはインド・ヒンズー系である可能性が高い。
神道系新興宗教の可能性もないではない

398 :考える名無しさん:2006/06/09(金) 01:00:38
なに、勘違いしてるんだよ・・・?
二人とも脳内妄想はいい加減にしてね・・・。
生ざとりの禅かぶれは、ほんとに困ったチャンだねえ。
これじゃあ「赤肉団上に一無位の真人あり」じゃあなくて
「赤肉団上に一無為の亡人あり」だね・・・。
あなたたちのような禅かぶれが佛祖や祖師たちを糞かきべらにしてしまうのでしょうね。
とくに>>396,ほんとうにあなたの無知蒙昧さにはあきれてしまいました。
人のいう事を全然聞かずに自分勝手な解釈で勝手な設問を設定するとは・・・!
嗚呼、だから、全然分かっていないのです・・・。

399 :396:2006/06/09(金) 01:26:27
あのねえ・・・

せっかくあなたの言うことを理解しようとして質問してみたのに、
あなたは碌に答えてくれずに、論拠も示さず人を罵倒するだけなんだから、どうしようもない。
あなたは人に対する無根拠な悪口以外、実質的に何も主張してないですよ?
わかってる?

> 人のいう事を全然聞かずに自分勝手な解釈で
って言うのなら、俺がどこをどう自分勝手に解釈しているのか、説明してくださいな。
それができないのなら、余計な煽りは書かないこと。
いいね?

400 :396:2006/06/09(金) 01:49:31
もう一度書くと、
>>389=>>391=>>395=>>398さんは、

・このスレの人々は「場所的論理」というものをわかっていない。
・俺らは禅に偏り過ぎている
・俺(>>396)は無知蒙昧で自分勝手な解釈しかしていない。

というような非難をしているわけだけど、
そのように「非難されるべき理由」というものを何も書いてないんだよ。
俺は>>389さんと対話したいと思っているのに、>>389さんがそもそも議論をしてくれない。
他人の意見や立場が間違っていると思ったら、それを非難するのは良いと思うのだけど
その場合、なぜそれが間違っているのか、についてはきちんと述べるべきだよ。
それが最低限のマナーだ。特にここは哲学板なんですから。
よろしくお願いしますね。>>389さん

401 :考える名無しさん:2006/06/09(金) 03:32:55
>>400
横レスだが・・・

非難されたとか、感情的になり杉。
過剰に反応するあんたの方が気持ち悪い。

自分で読めばいいじゃないか、西田の「場所」でもなんでも。


402 :396:2006/06/09(金) 08:57:49
>>401
> 自分で読めばいいじゃないか、西田の「場所」でもなんでも。

勿論読んでますがなw

感情的ってのはわかるが
仮に俺があなたの言うように「過剰に反応」しているとしても、
その原因はこの人が根本的に議論も何もせずに煽りだけ書く、という不誠実な態度をとるからなので
不誠実な態度をとってる人の方が悪い、ということには明確だろう。
あなたが気持ち悪い、と思うのなら謝るが、
気持ち悪いと思うのならどうそスルーしてくれ。

ってか、そんな時間に書くと、あなたが>>389さんなんじゃないかと思われて
混乱するだけだから、やめてくれよ・・w

403 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 01:27:58
400だが。
>勿論読んでますがなw
それはそうだろうね。
>不誠実な態度をとってる人の方が悪い、ということには明確だろう。
そうかい?そんなに不誠実に思えないが。

自分がルールみたいなあなたの性格、嫌がられてないかね、リアルで。


404 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 01:29:24
>400だが。
→401だが。

405 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 07:25:10
> 不誠実に思えないが。
どう不誠実かは明確に論じたつもりですがね。

> 自分がルールみたいなあなたの性格、嫌がられてないかね、リアルで
今のところ嫌われてはいないみたいですが、
そんなことよりも、そもそも哲学ってのは「自分がルールを作ること」じゃないんですか?
もしそれが悪いのなら、特に西田なんか、誰からも嫌われてしまうw

それはそれとして、もし俺が「過剰に反応」してるって言うのなら、
あなたも過剰に粘着していませんか?

406 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 11:30:11
389です。
今朝まで夜勤でしたのでレス遅れました。
ひとの言う事を碌に聞かないで自分勝手な解釈で設問を押し付けて、
ひとを不誠実呼ばわりするあなたこそ不誠実の極みです。
禅をすこしでも修したのなら、あの説明の裏面の意味がピンと来ると思っていたのですが
早計でした。
あまりにも頭デッカチな非禅的発想の方のようです。

>>401さんにはご迷惑をおかけしました、恐縮しております・・・。

407 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 17:26:12
「AはAではないが故にAである」はやっぱり矛盾を含むので論理的には
破綻でしょう。

宗教的体験が本当にあるとしても、矛盾を含む表現は説明になっていない。

「全体」を扱う時sどうしても生じる矛盾として考えるなら、
話しはわかるけどね。

408 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 22:32:51
そもそも、大学機構の内で考えの理論化を
迫られて、不承不承作ったのが「西田哲学」じゃん。

西田哲学から学んだのは「全てを解った気にでもなろうとする志向」です。
誠実な態度とでも形容しましょうか。


409 :考える名無しさん:2006/06/10(土) 23:45:43
善の研究で西田が「自己の実現が最大の善であり幸福である」みてえなこといってたけど、
これってマズローの5段階欲求説と同じじゃんって思ったよ。
マズローがこの説を発表したのは確か戦後だろ。
西田は明治44年だから、やっぱ天才だよな。

410 :考える名無しさん:2006/06/12(月) 18:04:14
なぜわざわざ西田のスレにきて必死で禅の悪口を言ってる人がいるのかわからんな。
他宗教の非難するスレじゃなくて
西田哲学について論じるスレだろ、ここは。

>409
それは褒め言葉になってないなw

411 :考える名無しさん:2006/06/20(火) 19:57:23
>>407
>「AはAではないが故にAである」はやっぱり矛盾を含むので
> 論理的には破綻でしょう。
もしそうならば、ヘーゲルの弁証法論理というものも既に論理的に破綻、
ということになる。実際には「破綻」を論理の中に取り入れたのがヘーゲルなんだが。
哲学史的に見て「AはAでない」と西田が言ったのはヘーゲル風のドイツ観念論を
踏襲した(のに過ぎない)のであり、西田自身の独創は、恐らくそこにはない。

実際には西田にしろヘーゲルにしろ、自分たちの論理がアリストテレス的論理を
「侵犯する」とは恐らく考えていない。つまり、「AはAでない」と言うときの
前のAと後のAとは別のものだから、形式的な矛盾律には違犯しない。
しかし、その前のAと後のAとを同じ「A」という言葉で呼ばざるを得ないところに、
恐らく事態の本質がある。

>「全体」を扱う時sどうしても生じる矛盾として
重要なところで書き間違いしないでくれ・・・・・orz
「全体」って何よ。

412 :考える名無しさん:2006/06/23(金) 08:26:40
AはA、ならAではない。
Aは非A(無自性・空)、故にAたる。
「空性が妥当するものには一切が妥当、
空が妥当しないものには一切が妥当せず」
と、八宗の祖師が記しております。

413 :考える名無しさん:2006/06/23(金) 08:47:14
よく誤解されていることだが、
大乗仏教における論理学(法称や陳那による)は
西洋のアリストテレス的形式論理に近いものになっている。
(勿論、同一ではないが。)

大乗仏典の言説レベルではA=non Aという言い方を好み、
禅などでは特にそれを有効活用して公案などを組み立てたため
それが西田哲学に影響していることは確かなのだが、
しかしそれを「論理」として定式化した、というのは
仏教的な伝統にはないものであり、ヘーゲル流の弁証法論理を継承したものだ、
と言えるだろう。
西田自身、ヘーゲルと自分との差は、それが「有」(いわば、キリスト教的な)の弁証法論理か
「無」(禅的な絶対無)の弁証法論理か、の差である、と言っている。
勿論西田から見れば、キリスト教さえも「無」の論理の中に包含されてしまうのだが。

414 :考える名無しさん:2006/06/23(金) 10:01:32
>>413
ひいきの引き倒しになってるよ・・・。
キリスト教的宗教哲学は、それを認めはしない。
だから偉大なキリスト教宗教哲学者波多野精一博士に「西田君は、
自分の哲学がよく分からんのではないか」って言われたの。
西田のほうは「今度の波多野博士の著書・宗教哲学は非常にすぐれたもの
である」って擦り寄ってるけどね・・・。

415 :考える名無しさん:2006/06/23(金) 13:00:26
>414
またお前かw
もう来なくていいから。

416 :考える名無しさん:2006/06/23(金) 13:17:43
またおまえか・・?
ハァ・・・?
ここへは今日はじめてだよ・・・。
>>415
おまえなんか、嫌な事でもあったんか?
誰かにコテパンにやられたんか、うん、!!

417 :考える名無しさん:2006/06/23(金) 18:11:22
ハイハイわかったから、もう来なくていいですから。

418 :考える名無しさん:2006/06/23(金) 19:53:35
あの・・半分釣りのつもりで、わざと「禅などでは」「禅的な」って書いたら、
見事に予期通りのレスが帰ってきたわけだが・・・・orz

まあ同一人物であるか否かはとりあえず俺にはどうでもいいとして、
>>413のどこが「ひいきの引き倒しになってる」のか、理解に苦しむ。

「西田の立場からは、キリスト教も「無」の論理の中に包含される」というのは、明らかな事実。
そうではない、ともし主張する人がいたら、少し西田の全集を読んでくださいと言うより他はない。
で、俺は>>413ではそのような西田の立場について述べただけなので、
それが正しいか否か、についてはさしあたり何も主張していない。
それなのに、何でそれが「ひいき」になるのでしょうか?お答えください。

上記のような西田の立場に対して、勿論キリスト教側からは
反対する人もいる(賛成する人もいる)なんてのは誰もが知っていることであって、
わざわざそんなことを、あなたに指摘してもらうまでもない。
西田の論理によって例えば三位一体が正しく解釈し得るのか?というのは
実はかなり難しい問題で、ここでそんなことを論じよう(論じられる)などとは、
少なくとも俺は全く考えていない。

ていうか、仮にあなたの言うように波多野精一が「西田には自分の思想はわからない」
と言った、というのが事実だとして、もし西田がそこで
「そうです。私にはあなたの思想は理解できません」とか言った、というのなら
それは驚くべき発見だけど(笑)、こと西田に限っては、それはあり得ないでしょう。

もしレスをくれるとしたら、意味もないただの悪口ではなく、
上に俺が述べたことに対する反論、つまり
あなたの「>>413はひいきの引き倒しである」という主張を支持する論拠を
明確に示して、論理的に反論してくださいね。
ここが哲学板である以上、俺はあなたと真摯に議論をしたいのだから。よろしく頼みます。

これでまた、理屈のないただの罵倒のみを返してきたら、いよいよ同一人物確定ですな。
(あなたは禅かぶれの非禅的発想の人です、とか?)

419 :考える名無しさん:2006/06/23(金) 22:24:52
あのねえ、>>418,日本語はよく読もうね。
波多野精一博士は「西田君は、自分の哲学(西田自身の哲学)が分からないのではないか」
つまり自分で自分が良く分かっていないのではないか・・・って言ったの。
ヘーゲルが有(絶対有)の弁証法(絶対者の自己運動、自己展開としての)を
ただたんに頭の中だけで構築したとでも思っているの?
違うね、ヘーゲルの絶対有の弁証法は、ヘーゲルと言う一個人の主観的精神を打ち破って
宇宙の絶対精神と一体となったところから創造されたものなの。
ヘーゲルもベーメその他の神秘主義に刺激されたことを認めている。
つまり理性の神秘主義なの。
そんな絶対有の論理がなんで無の論理に包含されるの?
それは包含されるのではなくて、相補的に相補い合うものなの。
そこから未来の世界哲学がうまれるの。
それを包含されると言うからシラケテしまったの。
これは悪口では有りませんから、あしからず・・・。

420 :考える名無しさん:2006/06/24(土) 08:04:13
>>419
もう一度同じことを繰り返して書きますね。

西田の立場からは、キリスト教も「無」の論理の中に包含されるというのは、明らかな事実であって、
もしあなたがそうではない、と主張するのなら、少し西田の全集を読んでくださいと言うより他はないです。

西田が、ヘーゲル的な弁証法は「有」の場所に基づくものであり、
それは「無の場所」によって包含されるものでなくてはならない、と考えたことについては
例えば全集12巻、「私の立場から見たヘーゲルの弁証法」を参照してください。
ちゃんとそう書いてあります。
また、西田が、自分の論理によってキリスト教を論じ得ると考えたことは、
改めて説くまでもないでしょう。西田の論文中には、自分の論理によってキリスト教を
解釈する箇所が頻出しますね。

で、あなたはそれに対して「そんな絶対有の論理がなんで無の論理に包含されるの?」と聞いているわけだが、
それに対する西田の答えは、上記「私の立場から見たヘーゲルの弁証法」に書いてあるので
読んでみてください。
波多野氏の発言については俺があなたの書き込みを誤解したみたいね。すまん。


しかしいずれにせよ、何度もいいますけど、俺は上記のような西田の立場が正しいか否か、については論じてはいないのですが?
だから、それに対して何でそれが「ひいき」になるのでしょうか?お答えください。
と聞いたつもりなのですが。
日本語通じないのかな?

421 :考える名無しさん:2006/06/25(日) 00:11:44
>>420
「ひいき」と言ったのは、あなたが>>413で西田の主張をドーンと載せたので
そういっただけです。それなら何故一言「自分はこの西田の主張の正否は今は保留
します」と言わないのですか?誰でもあの部分だけを見れば、ひいきしていると感じてしまいます。

さつそく、本棚の「西田幾多郎全集」第12巻を読んでみました。
西田先生の主張を読むとウーム、ごもっともと思うのですが、しかし・・・!

ヘーゲルの論理も西田先生の論理と同じ宗教体験の論理なんだけどなあ・・・。
決してあたまのなかだけで考えだした論理じゃあないのだけど・・・。
まあ、久しぶりに「続思索と体験」読んでみて面白かった。

422 :考える名無しさん:2006/06/25(日) 08:13:41
> あなたが>>413で西田の主張をドーンと載せたので

>>413を読み直してみればわかると思いますが、
この書き込みでの俺の主張の要旨は、単に
「大乗仏教の伝統的論理学はアリストテレス的論理に近いものであり、
西田などの矛盾的自己同一的論理は、むしろドイツ観念論の系譜の中に見られるべきものだ」
ということです。
西田自身の意見については付け足しとして、最後に一行書いているだけなのですが、
それを「ドーンと載せた」と表現するのですか?

それと、ここは「西田幾多郎」スレなので、西田はこう言ってますね、と記載するのは
当り前のことであり、むしろそれをしない方がおかしいと思いますが?

> それなら何故一言「自分はこの西田の主張の正否は今は保留します」と言わないのですか?
単に人の意見を述べた時に、普通はいちいちそんな保留はしません。
人の意見と自分の意見とが異なることは明らかですから。
「誰々はこう言ってますね」、と述べた時には
そこで主張されているのは単に「誰々はこう言っている」ということのみであって、
自分の意見はそこでは述べられてない、などというのは、少なくとも哲学の議論では当り前のことです。
(日常の会話では、それが暗に自分の意見を主張することであることもあるのは事実ですが、
何度も言いますがここは哲学板ですので。)

423 :422:2006/06/25(日) 08:26:03
それと、全集第12巻での西田の意見についてですが、
俺自身は、これはうーん、ちょっとなあ、と思うのですが。

ヘーゲル自身の思想が、エックハルトやアウグスチヌスのように
宗教的な「体験」に基づいているのか、というのは俺は知らないのですが
(宗教的体験のある人があんな傲慢な説を述べるか?という気はかなりしますが笑)
それはそれとして、
西田は確かここで、ヘーゲルの大論理学の冒頭、Seinの規定の説明を持ち出して
ここでヘーゲルが「有」と「無」を見る視点、立場の超越というものも
無の自覚によって成り立つのでなくてはならない、と言っているのですが
これはヘーゲルの論理を批判したというよりは、ヘーゲルと自分との
立場の違いを述べたものに過ぎない、だからもしヘーゲルがこれを読んだら
逆に、西田の論理などというものは自分の論理の亜流に過ぎない、と思うだろう、
という気は非常にしますね。


424 :考える名無しさん:2006/07/08(土) 23:06:03
うはw 信じられんw
テレビで爆笑問題がキタロウの純粋経験について熱弁してるw
テレビでこんなマトモなネタが扱われるとは奇跡だw

425 :考える名無しさん:2006/07/08(土) 23:40:03
純粋経験は絶対直観の与件たるべくして事物の真の現れをば
迷へる悟性の仮象たるを排し、直截なる感性にて捉へるところに
存すべきものであるのである。

426 :すいませんが:2006/07/19(水) 22:16:39
体験とは本来自己を脱している生を自己が自己自身を脱することによって獲得するということである。 すいませんがこれをわかりやすく説明してもらえれば嬉しいです。

427 :考える名無しさん:2006/07/19(水) 22:44:27
どこで言ってのですか?

428 :考える名無しさん:2006/07/19(水) 23:14:24
それすらわからないのです

429 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/07/19(水) 23:27:45
パソコンの前じゃないのか・・・。

430 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :2006/07/19(水) 23:29:58
確かに、その長文は携帯電話を思わせるフシがあるな・・・。

431 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 00:07:21
>>426
西田幾太郎の言葉なの?

432 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 00:32:07
はい西田さんの言葉です。ひょっとしたら西谷啓二かもしれません。

433 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 01:26:06
どこでこの言葉を知ったのでしょうか?
推測するに

体験とは生を獲得することだ。
何故なら、まず生は生自身を脱している事だからだ。つまり死即生として今は次の瞬間に死に入り、次の今が生。故に生は自己を脱している。
これと相同をなすようにして、今の自己から一歩脱するのが体験。そういう意味では生は体験とも言えるがより強い意味で「自己を脱する」といった事を体験というなら、これは単なる生ではなく「生の獲得」になる
のでは。

どうですか?

434 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 10:05:23
本当にわかりやすくありがたいです。ありがとうございます。哲学板て頭良すぎです。

435 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 13:27:18
それなら良かったです。
で差し支えなければどこでこの文を目にしたのか教えて下さいませんか?

436 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 14:55:44
宗教哲学 序論 と書いてあります。

437 :考える名無しさん:2006/07/27(木) 15:02:20
西田さんではなさそうですね。
とにかくありがとうございました。

438 :考える名無しさん:2006/07/29(土) 21:43:24
地元の図書館に行ったけど西田の著作は一冊も無かった
ちょっと撫でてみるだけなら解説本で十分ですかね

439 :考える名無しさん:2006/08/26(土) 21:41:30
講談社学術文庫
善の研究 <全注釈> 西田幾多郎/小坂国継 1,155 9/8

440 :考える名無しさん:2006/09/27(水) 21:56:33
NHK出版「哲学のエッセンス」シリーズ
西田幾多郎ま〜だ〜?

441 :考える名無しさん:2006/10/05(木) 12:33:32
保アタァ!

442 :考える名無しさん:2006/10/10(火) 01:34:31
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1160408971/

【哲学の道】世界的哲学者・西田幾多郎の書斎、見学者が月2人の閑古鳥 現地保存が裏目? 石川・かほく市

http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20061010001.htm

 かほく市宇野気にある世界的哲学者、西田幾多郎の書斎「骨清窟(こっせいくつ)」の見学者が
ほとんどいない状態が続いている。一時は取り壊しの計画が持ち上がりながら、西田哲学を生み出した
神聖な場所として、最初の移築場所である現在地の旧西田記念館跡地で保存されたが、
訪れる人は月二人程度。かつての月約百人に比べると五十分の一に減った。
 「せっかく残したのに、宝の持ち腐れだ」との声も上がる中、関係者は国登録有形文化財でもある
建物の活用法に知恵を絞っている。

 骨清窟は、二〇〇二(平成十四)年六月の県西田幾多郎記念哲学館開館に合わせ、
老朽化を理由に取り壊した上で、複製を哲学館隣接地に設ける案が浮上した。
 しかし、これを惜しむ声が国内外の研究者らから寄せられ、現在地での保存に変更した経緯がある。

 県西田幾多郎記念哲学館によると、骨清窟は哲学館から約二キロ離れている。哲学館には
月平均約二千人が訪れているが、同館に西田の書斎を紹介するパンフレットがないことも手伝い、
骨清窟まで足を延ばそうという見学者はほとんどいないという。管理上から、建物には常時鍵がかけられ、
見学の申し込みがあるごとに哲学館の職員が出向いて対応している。

 西田研究家の浅見洋県立看護大教授は「もっと情報発信すべきだ。移築も視野に入れて気軽に
見学できる環境を整えるべきではないか」と指摘する。これに対し哲学館奥野良雄館長は「地域の宝として
何とか活用する方法を考えていきたい」と話している。

443 :ホットカルピス(;´Д`)ハアハア ◆PDG4DGZXd2 :2006/10/10(火) 11:46:08
(;´Д`)ハアハア  やはり西田幾多郎先生の偉大なる功績を称えてるべきだと思うんだが

444 :ホットカルピス(;´Д`)ハアハア ◆PDG4DGZXd2 :2006/10/10(火) 12:19:08
(;´Д`)ハアハア  西田幾多郎みてぇな何の才能もねぇ 人間が 哲学者面していられるとは

いい時代だったんだww



445 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 23:20:30
氏ね

446 :考える名無しさん:2006/10/24(火) 23:43:50
ホッカル氏ね

447 :救急隊員A:2006/10/27(金) 13:34:20
 哲学みたいな紙とペンがあれば済む業には
全集があればよい。
書き込み可能のCD-ROMでOK。
って、昼寝の枕にはならんな。

448 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 16:53:38
西田は四高で教えていた頃がいい。

449 :考える名無しさん:2006/10/27(金) 16:57:32
哲学の道を歩いてきたが結構歩き難くね?

450 :考える名無しさん:2006/11/15(水) 17:52:04
>>440
明後日には仕上がりますよ。

451 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 01:51:37
永井の西田本はいつ出るのかなあ。

452 :考える名無しさん:2006/11/16(木) 08:29:59
だから明後日だって言ってるでしょ。
全国発売は月曜になるだろうけど。

453 :考える名無しさん:2006/11/19(日) 23:23:31
なんで中観哲学のちょっと焼き直し哲学を有難がるのかねえ。

自称京都学派(そんなものは実在しない!)の飯のタネだけだろ?

454 :考える名無しさん:2006/11/22(水) 23:10:14
おっ、永井の11月出版予定っていうから首ながくして待ってたらやっと出るのか!
・・・・あれ?今日みたら都内某有名書店で、まだ出てなかったぞ?

455 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 00:48:13
都心で11月27日(月曜)、その他で28日(火曜)とのことです。

456 :考える名無しさん:2006/11/24(金) 21:00:57
もうー、今日もまた本屋で探しちゃったじゃないかあ・・・
おかげでサイン会やってた愛川欣也ナマで見られたけどまったく嬉しくなかったわ

457 :考える名無しさん:2006/11/26(日) 16:55:07
善の研究読んだ。何の根拠も説得力も解決力もない形而上学的な古い本。もてはやされてるのは日本人だからってだけだろ。

458 :考える名無しさん:2006/11/27(月) 10:50:05
そりゃヨーロッパじゃまだ形而上学の地位は貶められてないからね。

459 :考える名無しさん:2006/11/30(木) 21:41:53
青空文庫に西田のリストがあったよ
ご好意に甘えて活用しましょうね

460 :考える名無しさん:2006/12/02(土) 22:23:05
永井の本、出たけど、どうですか?

461 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 13:25:40
>>460
永井の我が出てた
やっつけ仕事ぽい

462 :考える名無しさん:2006/12/03(日) 21:38:35
「私と汝」を言語哲学として読んでいるところが特にいい。
概して、第三章の3は、非常に難解だが、たぶんすごい。
少なくとも彼が(誰も?)これまで言ったことないことを言っている。
個人的には95頁の注が気になる。
特に「時計や貨幣や道徳の成立についても同種のことはいえるが」のところ。



463 :考える名無しさん:2006/12/18(月) 15:33:15
昔の全集だったら今安いねー。
一万円以下で全部揃ったりするもん。

464 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 00:19:03
西田幾多郎って何が凄いんだ?
ぐだぐだ独りよがりに考えて馬鹿が「善の研究」とか読んでよく意味もわかんねーくせに、
とりあえずマンセーしたから京大教授で終わる事が出来た昔の幸せな「学者さん」だろ?

ぶっちゃけ、西田哲学とやらが社会に寄与したもんなんてゼロに等しいと思うんだが。

465 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 15:25:43
>464

哲学として如何だったかは知らないが、敗戦処理で一枚噛んでいたそうだ

466 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 18:53:54
西田哲学は、西洋哲学伝統の「主観‐客観」の構図を変えようとしたものだという説があるね。
私見だけど、西田の純粋経験の概念は、そういうふうに捉えることが出来ると思う。

467 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 21:10:50
というか、そもそも西洋哲学の土壌が貧弱だった当時の日本において
(文献資料の乏しさは言うまでもないが、なんといっても、
 哲学の概念を言い表す言葉・語彙自体がそもそもなかった)
ともかくも自分の言葉で哲学を切り拓いていったそのこと自体が
とてつもなくすごいと思うんだが。

たとえて言うなら、ドリルはおろかスコップすらない状況で
トンネルを自力で掘り抜いていったようなもんだ。

468 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 21:21:13
日本哲学界では快挙なのかもしれんけど、人類には何も寄与してないでしょ。。。
ウォークマンの発明の方がよっぽど役に立ってると思う、。

469 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 21:57:50
そういう比較がどういう意味を持つんですか?
西田の時代にウォークマンやiPodが存在してれば話は分かるけどね
それとも古代ギリシャのそひすと達はケータイで討議してたのかな

470 :466:2006/12/19(火) 22:35:22
>>467-468
そんな言い方しなくたっていいじゃん。

471 :考える名無しさん:2006/12/19(火) 22:52:00
西田は「場」だろ。

472 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 21:59:09
>>468
それだったら哲学自体が日本じゃナンセンスだろ。

473 :考える名無しさん:2006/12/20(水) 23:39:07
NHKの永井均の西田論が面白かったので、とりあえずどんな人なのか
知ろうと思って「西田幾多郎とは誰か」を買ってきたら
どーでもいいような西田の発言をやたらマンせーしてて呆れた。
上田の本は今後読む気がしないんだけど、オススメの入門書ってある?

474 :考える名無しさん:2006/12/30(土) 23:39:08
>>462
貨幣と道徳はわかるけど、時計?

475 :考える名無しさん:2007/01/11(木) 20:48:13
永井の本読んだけど、すごくわかりやすくておもしろかったよ。

476 :考える名無しさん:2007/01/12(金) 02:57:15
西田とか大拙なんてのはくだらん西洋カブレに過ぎんだろ。

477 :考える名無しさん:2007/01/27(土) 23:37:43
西谷啓治は西田の何を受け継ぎ、何を変えたのだろう。西田は善の研究しか
読んだことないけど、西谷の宗教論は学生時代によく読んだのでその点が
気になるなあ。

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