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__ フッサール『ブリタニカ草稿』を読む __

1 :ポール:03/10/11 06:46

  使用テキスト  

     『ブリタニカ草稿(最終草案)』 (『ブリタニカ草稿』所載(p78〜125)、せりか書房、田原八郎訳)




  誤り、見逃し等がありましたら、ご指摘、ご指南ください。 
  基本的にsage進行です。  





2 :ポール:03/10/11 06:47
で、始めますが、その前に一言。

もしこのスレを見て、「よし、俺も」と気合を入れた初学者の方は、この論文から入らないほうが
いいと思う。フッサールは悪文とよく聞くが、特にこの論文は極度に内容が凝縮されているので、
いきなり読み始めても絶望し悪態をつくだけで終わる可能性が高い。入門は、

  『デカルト的省察』 (岩波文庫、浜渦辰二訳 or 世界の名著、船橋弘訳)
  『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 (中央公論社 or 中公文庫、細谷・木田訳)

がいいと思う。前者は第4章まで(名著版で100n弱)、後者は1、2部(単行本で120nほど)を
とりあえず読んでみては? 特に後者は理屈抜きで面白かったし、人によっては世界観が変わる。


あと、独学でフッサールを学ぶものにとって、『現象学事典』(弘文堂)は必携です。


3 :ポール:03/10/11 06:47
【まえがき】

現象学は、厳密な学としての哲学(1)を可能とし、あらゆる諸学問の方法論を
革新する。この試みは、それと内容的にも方法的にも平行するアプリオリな
純粋心理学(現象学的心理学)を生じさせる。この心理学は、従来の経験的
心理学に確実な基盤を与える。
また、現象学的心理学は、より哲学的かつ厳密である哲学的現象学
(超越論的現象学)へと至る予備段階でもある。(2)



4 :ポール:03/10/11 06:48
《解説1》
フッサールが、厳密な学としての哲学(第一哲学)を志した経緯を説明します。

彼が哲学を学んだ19c末〜20c初頭は、いわゆる「科学の危機」が叫ばれた時代です。
数学に例をとると、非ユークリッド幾何学の樹立は、従来直観的な真理だと考えられたユークリッド幾何学
の公理が単なる仮説にすぎないことが明らかになりました。当初は、この幾何学は、単なる論理的構築物に
すぎないとされていましたが、アインシュタインによって、重力現象の説明にはこちらの方が有効であることが
証明され、現実とも関連があることがわかりました。すべての数学の理論は、任意に選択される公理群からの
整合的な推論の体系にほかならないことすら証明されました。これは、最も厳密だと考えられた数学によって
自然を記述する自然科学に大きな衝撃を与えます。

また、物理学の分野では、量子論の発見により、我々を離れて客観的に存在する世界を問うことが不可能
であることが証明されました。

これは、しょせん科学の理論体系は主観的な性質のものに過ぎず、世界を認識する一つの道具に過ぎない
ということを意味します。このことから、科学の相対的実用主義的な見方が提唱され、絶対的な真理(世界認識)
を追求することは無意味な行為という風潮が生まれます。

5 :ポール:03/10/11 06:49
上は、自然科学における危機ですが、人文科学においても同様の危機が訪れます。

心理学は、19c中葉のフェヒナーらによって、自らの意識の内面を観察する従来の内観法を捨て、自然科学に範を
取った実験的方法を取り入れます。これはめざましい発展を遂げます。その結果、あらゆる認識、学問は意識の
構造によって規定されるという所謂「心理学主義」が生まれます。この心理学主義から見れば、論理的法則も
われわれの心理作用に過ぎないことになります。それは全ての論理や数学といった客観物は、所詮人間における
真理であるという相対的な人間中心主義に帰結します。この立場では、普遍的な学を確立するのは原理的に
不可能となります。
(この心理主義、加えて心理学との戦いは、現象学もが同じように誤解されることが多かったことから、初期から
 晩年まで形を変えながら執拗に続けられます)

同様に、社会学ではあらゆる思想、認識、学が社会的な起源を持つことが主張され、歴史学では「歴史主義」──
全てが歴史的状況に規定される──とされました。

これらに共通するものは、学の普遍性を放棄した相対主義的立場です。

6 :ポール:03/10/11 06:49
フッサールは、哲学こそがこうした諸学問の危機を救わなければならないと考えます。
宙に浮く諸学に確実な基礎づけをすることにより、学の絶対性の復興──それは理性の復興でもあるのですが──
を企てます。生涯思想を変貌させていくフッサールに最後まで流れている信念は、この学(理性)の復興ではないかと
思われます。

余談ですが、客観世界の崩壊は生物学にも大きな影響を与えます。
一つの客観世界に様々な生物が住むという従来の環境構造はユクスキュルによって破棄され、全ての有機体は
それぞれ特有の空間性・時間性、内容的性質を具えた環境構造を持つとされました。
この世界観は、後にハイデガーの世界内存在の概念にも大きな影響を与えました。


7 :ポール:03/10/11 06:50

《解説2》 「三つの心理学」


   経験的心理学 ─ 現象学的心理学 ─ 超越論的現象学
                (純粋心理学)

これは心理学の進化でもあります。
それぞれの心理学はその左の心理学に基礎づけられます。
(経験〜は現象学的〜によって、現象学的〜は超越論的〜によって)

  1 経験的心理学   :実証科学の方法論を模範に生みだされた心理学。外部世界(身体)と心との因果関係を探究する。
  2 現象学的心理学 :外部世界を想定したまま、現象学的方法(還元)を用いて、純粋な心的自我の領域へと立ち戻り、
                そこでの純粋な心的経験を記述する。
  3 超越論的現象学 :外部世界の実在を判断停止し、還元により世界がそこから構成されてくる心へと至り、そこでの心の構造
                を解明する。   

8 :ポール:03/10/11 06:50
1,2が対象とする心は、世界がまず存在しそこにその一部として在る心(心的主観性)を扱い、
3のそれは、(外部世界の存在を認めずに)世界さえもその領域で構成されるとする心(超越論的主観性)が
主題となります。
この二通りの自我は異なったものですが、けっしてどちらかが一方の第二の自我として補助的に
あるものではありません。超越論的自我での経験は、心的自我での経験へと変換できることにより、
両者の同一性が保たれています。(9節で詳述)

まずは、この二つの自我(主観性)の違いを理解することが大切です。  

心的自我とは、通常私たちが心と呼んでいるもの(心身二元論の心)、超越論的自我は、一般に独我論と
批判されることの多い心、と「とりあえずは」イメージしてもらってかまわないと思います。(もちろんこれは、
「世界は私の心の中に生じる幻である」という独我論を主張しているのではありません。詳細は後述)


9 :考える名無しさん:03/10/11 16:21
>>2

ポールさん、わたしは、「「よし、俺も」と気合を入れた初学者」のひとりです。
『デカルト的省察』『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』のスレを
立てる予定はありますか?

10 :ポール:03/10/12 17:45
>>9
いえ、ないです。
9さんが立ててみてはどうでしょうか?
全くの初学者でも、その2冊なら解説書片手に読みこなせると思いますよ。

11 :考える名無しさん:03/10/12 22:25
知ってると思うけどブリタニカ草稿って
現代思想特集でも木田さんだっけ訳してるよね。
おれも田原訳と両方持ってるけど。

12 :ポール:03/10/12 23:09
>>11
いや、知らなかった。
何月号? 欲しい・・。

13 :ポール:03/10/12 23:15
今、本棚にある臨時増刊のフッサール号見てみたら・・・あった!。
灯台もと暗し・・・。
情報ありがとう。感謝してます

14 :考える名無しさん:03/10/12 23:55
なんだ。知らなかったんだ。書いてよかった。
あと知ってると思うけど浜渦さんのHPは結構いいよね。
いろいろ論文が読める。

15 :考える名無しさん:03/10/13 00:29
フッサール研究っていつまでたっても代り映えしないね。
現象学は運動ってか?

16 :考える名無しさん:03/10/13 01:00
E・フッサール.木田元・宮武昭訳「現象学「ブリタニカ」論文」
『現代思想1978ー10臨時増刊 総特集=フッサール 現象学運動の展開』
青土社、p.50〜p.67


17 :9:03/10/13 21:29
>>10
ポールさん、
『デカルト的省察』(世界の名著 船橋弘訳)と、
『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(中公文庫 細谷・木田訳)は、
古本屋さんで買いました。

『ブリタニカ草稿』は、みつからなくて、、
『現象学事典』(弘文堂)は、高かったので、
まだ手に入れてません。

わたしは現象学どころか、哲学自体をまだよく知りません。
だから、ポールさんのように解説することはできません。
少しづつ読んで、わたしなりにまとめることならできると思いますが、
それでもわたしが立ててよいでしょうか?
立てるとしたらどちらの本からがいいでしょうか?

スレと直接関係ない話ばかりですみません。

18 :9:03/10/13 21:50
ageてすみませんでした。

2冊の本を少し読んでみたんですが、わたし自身は高校の倫理の授業で、
デカルトの「われおもう ゆえに われあり」のことを聞いたことがあるので、
『デカルト的省察』の方が、わたしにとっては分かり易いそうだと思いました。

19 :考える名無しさん:03/10/13 21:54
『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』キボン

20 :ポール:03/10/13 23:06
>9氏
以下のスレで返答します。
♪ポールの 〜現象学的世界〜 ミラクル大作戦♪
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1060786451/l50

21 :考える名無しさん:03/10/14 01:45
百科事典って、門外漢にもある程度わかるようにやさしく
書きそうなもんだと思うんだけど、ほんとに活字になった
フ先生の文章は(そのようなものがあれば)、厨にも
分かりやすいんでふか?

22 :考える名無しさん:03/10/14 01:52
もちろんおいらが一方的に誤ってる可能性もある
「ブリタニカ」=百科事典(「ゲンゴロウ」の次に「現象学」が載ってるとか)

23 :ポール:03/10/14 06:19

(《解説2》続き)
では、なぜ一見独我的と思える超越論的主観を想定するのでしょう?その想定は、《解説1》のフッサール
哲学の動機とどのように関連しているのでしょうか?詳細は本論で明らかにされますが、そのさわりだけ
述べておきます。

フッサールが現象学においてやろうとしたことは、相対性に陥った学の普遍性の復活です。彼はそれらの学の
混迷原因をそれらの学が立脚する地盤が確実ではない、具体的には曖昧なまま使用された概念やカテゴリー
にあると考えました。では諸学の地盤のどこが不確実で、絶対確実な基盤とはどこに存在するのでしょうか?

フッサールはデカルトにヒントを得ました。
デカルトは徹底的な懐疑──彼は目の前の机の実在さえ疑います──の末、「全ては疑えても、その疑っている
私が存在していることは疑えない」(我思う。ゆえに我あり)を発見します。デカルトはここに、これ以上疑うことが
できない絶対的な基盤を見つけます。「目の前の机は幻かもしれない。しかし、私がその机をみていること自体は
疑えない」というわけです。その「机をみていること自体」が起こっている場が主観です。
一方、諸学が基盤とする客観世界、及びそこに含まれる事物の存在はドクサにすぎません。日常の経験から
「外部世界はあるはずだ」と思いこんでいるだけで、それが証明されたわけではないのです。
全ての存在者は「主観の内において」その存在意味、存在妥当(確信)が生じます。それ以外にはありません。
存在者を決定する全ての源泉である主観(超越論的主観)こそ、デカルトが看破したように絶対的な基盤だと
フッサールは考えたのです。

24 :ポール:03/10/14 06:21
《解説1》補足 「厳密な学」という理念について

現代に生きる我々、特に日本人にとって、この学の理念は理解しにくいのではないかと思います。
木田元氏も著書の中で述べております。(『現象学』p38)

フッサールに限らず、近代西洋の哲学者にとって、「学」とは神のロゴス、ないしその現れともいうべき
世界の理性的秩序の探求です。世界が神の創造物である限り、その構造は互いに根拠づけの連関をなし、
最終的には究極的な根拠に支えられた厳密な体系をなすはずです。そして、神の表象としての人間には
神の理性の「出張所」である「(人間)理性」が備わっています。それを正しく用いれば世界の構造を解明
できる、という信念が西洋の学を支えていました。

しかし、前述のように、客観世界を人間が認識することの不可能性が原理的に発見されました。それは
たんに学問の限界を示すだけでなく、神の存在の否定、世界の理性的秩序の否定、神の表象としての
人間理性の否定につながります。これは、理性(神)への絶対的信頼を基盤に形成された西洋精神文化
の根底を揺るがすことになります。
しかし、彼らと異なり我々日本人には、もともとそのような絶対的なもの(真理)を基盤に文化を創る歴史が
ありません。それゆえ、それを失う恐怖も理解しがたいのではないでしょうか。

私が西洋の哲学書を読んだ時、知的には共感するのですが感覚的には感情移入しにくいのはこの辺りに
原因があるのかもしれません。

25 :ポール:03/10/14 06:21
これから本論に入りますが、現象学という「方法論」に対する私自身の疑念を先に挙げておきます。

理論的には「なるほど」と私も思うのですが、実践においてはどうなのでしょうか?厳密でありえるのでしょうか?
現象学は還元により意識の内面を記述するわけですが、その記述が客観的であると判定する基準は
果たしてあるのでしょうか?確かに人は、主観の内で存在者の存在意味や確信を構成し、それ以外に
ありません。しかし、その心を内省(還元)した時導き出された記述に、どのようにして客観性を持たせる
のでしょうか?各自還元を行い、その成果を他者と比較するしかないのでしょうか?それこそ相対的では
ないでしょうか?加えて、無意識の領域はいくら還元を行っても表には出てこないのではないでしょうか?

読書会を通じ、これらの疑念もおいおい考えていきましょう。



26 :ポール:03/10/14 06:24
T 純粋心理学、それの経験領野、それの方法及びそれの機能
【1】 純粋自然科学の純粋心理学

自然科学は、世界を「物的事象」と「心的事象」とに分離した物心二元論を
前提とする学問である。その最初の出発点である純粋自然科学は、心的
事象を問わず、物質自体そして物質同士の物理的因果関係のみを考察の
対象とする純粋に物理的な学問である。

経験心理学は、爆発的な成功を収めたこの純粋自然科学から発生する。
この学問は世界の残る一要素である心を扱うが、その目的は、動物や
人間の一要素としての心的現象の解明である。心的現象を精神物理的
連関の中に位置づけて考えようとする。したがって、この心理学は純粋
自然科学の一分野である。

この心的なものを純粋自然科学から取り出し、それと対置させて主題化
しようとする心理学が、純粋心理学(現象学的心理学)である。

    自然科学 ─┬─ 純粋自然科学(物的世界連関を対象とする) ─ 物理学、生物学、経験的心理学等
       ↑    └─ 純粋心理学  (心的領域を      〃  )  ─ 現象学的心理学
       ↓
    (超越論的)現象学
  

さしあたり、純粋自然科学と並行する純粋心理学が、どの程度可能かを
問わねばならない。

27 :ポール:03/10/14 06:25
《解説1-1》
  純粋自然科学の一分野として経験心理学が産まれ、そこから分離した純粋心理学(現象学的心理学)は
  経験心理学を基礎づける基礎学でもあります。のちにこの心理学は不完全であることが言及され、より
  哲学的かつすべての諸学問を基礎付けるべき厳密な学としての心理学、超越論的現象学への道筋が
  描き出されます。


28 :ポール:03/10/14 06:26
>>14
浜渦氏のHPも知らなかった。ありがとう。

>>21
予備知識無しには、”絶対に”読めません。
参考までに、、、
http://www.tbsb.co.jp/tbsb/x4encyclopedia/top.html



29 :ポール:03/10/15 06:30
【2】 『自己経験及び共同経験に関する純粋に心理的なことがら、志向的体験の全体的記述』

  純粋心理学としての心を解明する上で手がかりとなるのは、我々自身の純粋な
  経験の固有性である。この経験の分析を通じて、意識の構造、性質に迫る。
  (ノエマの分析を手がかりにノエシスに迫る)

  我々自身の経験に目を向けるとは「反省」、つまりそれまで他に向けられていた
  意識を意識それ自体へと向ける行為である。
  人は非反省時、そのつど意識している対象──コップといった実在的対象や、
  思考、概念といった観念的対象など──へと向かっている。それが、自らの
  意識を反省することにより、心理的体験そのものが捉えられる。(1)
  この心理的体験はすべて「現象」と呼ばれ、その本質性格は「〜についての意識」
  (「志向性」)である。(2) 志向性を本質性格とするこの現象が現れる領域を解明
  する学問が、現象学的心理学である。

    「あるものに関する意識は、このあるものを空虚に所有することではなく、むしろそれぞれの現象
     はそれ自身の志向的な全体形式をもつのである」 (p83)

    「意識はすべて何ものかについての意識である」

  この志向性の構造は、知覚の場合に限らず様々な類型──想起、想像、判断、
  価値づけ等々──にも当てはまる。何かを思い出すときもその「何かに向けて」
  意識は働き、何かを価値づける時もその「何かに向けて」意識は向かっている。
  それぞれの在り方(実在、空想物、価値等)で存在するためには、それぞれに
  対応した志向的な構造(知覚、想像、価値としての意味付与)が働かねばなら
  ない。(3)

  さらに、普遍的な心の解明のためには、自己経験だけでなく他者の経験にも
  よらねばならない。それゆえ後には共同存在としての心(「間主観性」)が主題と
  なる。

30 :ポール:03/10/15 06:31
《解説2-1》 「現出」「現出物」について

  非反省時には我々の意識には「現出物」があり、反省によって初めて「現出」が捉えられます。
  この違いをサイコロで説明します。
  普段の非反省時、我々がサイコロを見ているとは、目の前の物体がサイコロであること意識して、つまり、
  それをサイコロとして見ています。このサイコロという意味を伴った事物全体が「現出物」です。しかし、
  そのときの意識をよく反省してみると、その瞬間瞬間にはサイコロの一面しか見えていないはずです。
  意識の一瞬一瞬にそこに現れるサイコロの一面としての現象が、「現出」です。

31 :ポール:03/10/15 06:32
《解説2-2》 「志向性」について

  この「現出」と「現出物」をつなぐ意識の本質性格が「志向性」(〜についての意識)です。
  我々が事実経験しているのは現出で、現出物であるサイコロそれ自体ではありません。サイコロそれ自体を、
  全面から一度に認識することはできないからです。にもかかわらず、次々に流れゆく現出の経験(サイコロの
  一面)から現出物(サイコロそのもの)を理解しています。これは、今見えている一面と今は見えない裏面という
  二通りの現出を総合し、サイコロという一個の存在者に向かって意味付けできる性質を意識がもっているから
  です。その性質を「志向性」といいます。(今は見えていない裏面も現出の一種です)
  つまり、意識はそのつどの多様な現出を、ある現出物へと総合的に統一する働きがあり、その働きが志向性
  なのです。
 
      「反省は、多様ではあるが総合的に統一された志向性へと導く」 (p83)

  このような意識の働きに気づくのは、自らの意識を「反省」したときだけです。
  反省によって、「現出ー現出者」「志向性」という意識の構造、さらには事物の存在意味(事物が持つ意識によって
  付与される意味)、存在妥当(事物が実在しているという確信)の構造を明らかにすることができるのです。


  注)以上、非反省時は「現出物」を、反省時は「現出」を捉えられるとして説明してきましたが、 
    もしかしたら非反省時は意識に作用している意識作用、反省時はそこでの意識内容を
    把握できるとフッサールは述べるつもリだったのかもしれません。

32 :ポール:03/10/18 13:35
《解説2-2》訂正

  やはり間違っていました。
  テクストに沿えば、注)の「正反対」(非反省時は「意識対象」を、反省時は「意識作用」を)が正しいようです。
  (上の「現出」「現出物」の説明でも間違ってはいないのですが・・)

  非反省時、意識内に存在するのは意識が向かっている対象(現出物)です。反省によって、意識の作用
  である志向性が捉えられます。意識を自らの意識に向けることにより初めて、志向の対象の代わりに
  志向そのものが把握できるわけです。

33 :ポール:03/10/18 13:36
【3】 『純粋心理学的なものの孤立した領野 ─ 現象学的還元および真の内的経験』
 
  現象学的心理学は、あらゆる外的な影響から切り離された純粋な心理経験と、
  それが生じる領野(主観)を研究対象とする。しかし、従来の心理学(経験心理学)
  では、経験を純粋に捉えることはできない。なぜなら経験心理学における心的経験
  とは、外部世界(身体、他者等)との連関、因果を考察するため、否応なく外的経験
  が混入するからである。(1)

  そこで、そのような不純物(外的経験)が混じらない純粋な経験を取り出すために、
  客観的にそれ自体として存在している(と確信している)外的世界の存在を一旦
  括弧に入れる判断停止(エポケー)が必要となる。(2)

  そこでは、目の前に存在するコップの経験は、志向性に基づいた「このコップ
  に関する」意識に変換される。つまり、非反省時に存在する対象としてのコップは、
  「現出ー現出者」「志向性」といった意識の作用から構成される意味形成体としての
  コップへと変換される。

  このように、外部世界に対するエポケーは我々の主観から超越して存在する
  外部世界を意識の内部から消去するが、それによって、純粋意識が内容空虚
  な領野となるわけではない。なぜなら、意識の本質が「在るものについての意識」
  という志向性である限り、還元後に現れてくる純粋意識には「志向的相関者」が
  現れてくるからである。その志向的相関者とは、「意味としての存在者(世界)」
  である。純粋意識とはすなわち、「世界を意味として構成する意味付与の領野」
  (超越論的主観性)である。

34 :ポール:03/10/18 13:37
  エポケーの後に現れる世界は、世界のうちに存在する私の意識、世界内部的な
  心的意識でなく、世界さえも志向的相関者としてもつ超越論的意識(純粋意識)に
  ほかならない。この純粋意識の志向的構成作業を反省し、そこからいかにして
  世界という意味が構成されていくかを見極めようとするのが現象学的還元の目的
  である。

          <経験心理学 ─ 心的主観>              <現象学 ─ 超越論的主観> 
 
      《通常の態度(自然的態度)における世界》    《現象学における態度(超越論的態度)における世界》  
  
        (それ自体で存在する)客観世界      →  (私の主観のうちで形成される)意味としての世界
                                (還元)

  現象学が考察する対象は、実在する自然的世界でなく意識に現れる意味形成体
  としての世界である。あらゆる存在者が意味として把握される。
   
  この純粋な経験──意味形成体としての世界──を取り出すには「現象学的還元」
  が必要となる。現象学的還元とは、

    1 意識の中で無反省に措定している客観世界をエポケーする。
    2 それにより現れる純粋経験から、「ノエシスーノエマ」の構造を取り出し、描写する。(3)

  この還元は、自己経験から他者経験へと移行され、さらには個別化された領野(主観)を結合する  
  共同主観(間主観性)へと還元される(間主観的還元)。(4)
  ここに、現象学的心理学の完遂される。

  また、主観には、「自我極」と「対象極」が属している。(5)

35 :ポール:03/10/18 13:38
《解説3-1》 「なぜ純粋意識を取り出すことが必要なのか?」

  フッサールは前述の学問の危機の原因を、諸学問に確実な基礎づけがなされていないからだと考えました。
  科学が用いる基本的な概念やカテゴリーは、通常、日常的経験から無反省に持ち込まれたものです。
  日常的経験とは、素朴な世界確信の上に立つ経験です。この世界確信というドグサ(不純物)を取り払って、
  全てがそこから生まれる原初の場(超越論的主観)で、もう一度それらの概念を基礎づけようとします。>>23

36 :ポール:03/10/18 13:39
《解説3-2》 「なぜ外部世界の存在をエポケーするのか?」「エポケーは外部世界の実在を否定するか?」

  現象学は無前提性から出発します。そのとき世界の存在は確実と言えるでしょうか?世界が実在するという
  私たちの確信は、日常的経験における明証性(知覚)に基づきます。しかしその経験は、デカルト的懐疑には
  耐えられません。そのことは、世界の存在はもはや自明な事実であるいうことはできず、単に確信された現象
  に過ぎないことを意味します。それゆえ、その不確実なもの(世界確信)の判断を保留しなければなりません。
  そのような不確実なものを徹底的に排除することによって、絶対確実で純粋な領域(超越論的主観性)を取り
  出すことができます。エポケーによって始めて、純粋な経験とそれが生じる純粋な領域の本質的な構造を分析
  できるのである。そのとき、世界の意味もその存在の妥当性も、私たちの主観のうちで構成されていることが
  わかります。

  よく聞かれる現象学への批判に、「世界をエポケーするとは世界の実在を否定することなのか?」があります。
  しかし、エポケーによって世界が消え去るわけではありません。世界はそっくりそのまま「意味として」主観のうち
  へと移行されるだけです。木田元氏がうまい例えを挙げています。

    「超越論的還元は、自然的態度(外部世界を自明とする態度)の
     一般定立を否定するものではなく、ただその遂行をストップし・・・
     そこに反省の目を向ける・・。
     彼はまた、その定立を『括弧に入れる』とかその定立作用を
     『スイッチを切る』などという言い方をしている。
     スイッチを切ったからといって、そこにある配線が消えて無くなる
     わけではない。ただ、日頃無意識に行っている定立作用の電源を
     切って、そこに敷設されてある配線の具合を反省しようというのである。
     当然そこで定立されていた世界の存在も否定されるわけはなく、
     括弧に入れられた形で、つまり世界という意味形成体としてそのまま
     そこに保存されることになる」 (『現象学』p46)

37 :ポール:03/10/18 13:40
  現象学という学の内では、外部世界を否定もしないし肯定もしません。あくまで「判断停止」なのです。
  もう一つ、メルロ=ポンティの言葉を引いておきましょう。

    「我々は徹頭徹尾世界と関係していればこそ、我々がこのことに気付く
     唯一の方法は、このように世界と関係する運動を中止することであり、
     あるいはこの運動との我々の共犯関係を拒否すること(フッサールが
     しばしば語っているように、この運動に参与しないでそれを眺めること)
    であり、あるいはまた、この運動を作用の外に置くことである。
    それは常識や自然的態度の持っている諸確信を放棄することでなくて
    ──それどころか逆にこれらの確信こそ哲学の恒常的なテーマなのだ
    ──むしろ、これらの確信がまさにあらゆる思惟の前提として<自明な
    ものとなっており>、それと気付かれないで通用しているからこそそう
    するのであり、したがって、それらを喚起しそれとして出現させるためには、
    我々はそれらを一時差し控えなければならないからこそそうするのである」
                                   (『知覚の現象学』p12)

  メルロ=ポンティや木田元氏のこの引用箇所は非常に明快です。世界をありのままに見るために、世界
  の確信を一旦括弧に入れようと言うわけです。エポケーはあくまで「方法論として」行うといったニュアンスが
  強く感じられます。しかし私が読んだ限りでは、フッサールの場合のそれはかなり倒錯しています。
  後に9節で「自然的態度」における経験と「超越論的態度」におけるそれの平行性が語られますが、それゆえ
  外部世界を認めているとは単純に言えないようです。私もよくわかりません。追い追い考えていきましょう。

38 :ポール:03/10/18 13:41
《解説3-3》 「ノエシスーノエマ」

  ノエシスは意識の「作用的側面」、ノエマは「対象的側面」です。
  ノエシスとノエマは意識の必然的な相関者でノエシスの必ずノエマを持ち、ノエマはノエシスによって思念されます。
  サイコロの体験を例に挙げれば、「ノエマ」とは現出者(サイコロそのもの)の意味、「ノエマ的意味」が現出(サイコロ
  の一面)がもつ意味です。「ノエシス」は様々なノエマ的意味をノエマへと総合する意識の働きです。

   1 ノエマ的意味 : 直接経験が持つ現出が持つ意味。
   2 ノエマ      : 諸現出と一体になって捉えられた限りでの現出者(=意味形成体)。 
               もろもろのノエマ的意味が一つの基体に収斂しているという一体構造、あるいは
               一つの基体がもろもろのノエマ的意味をまとっているという一体構造をもつ。
       
      一つのノエマは、もろもろのノエマ的意味がひとつの基体に収斂させられることによって
      構成されている。還元によって対象はノエマとなる。ノエマはノエシスのように意識には
      実際には属さないが、意識にとって存在するものである。ノエマのこのあり方が意識への
      「志向的内在」といわれる。
          
      この構成を遂行しているのが志向的体験(直接体験)である。この意識の働き(志向性)がノエマと
      対比させられるときノエシスと呼ばれる。

   3 ノエシス    : ノエマを構成する意識の働きの側面

39 :ポール:03/10/22 06:35
《解説3-4》 「間主観性」
  「間主観性」とは、複数の主観がそれぞれ主観のままで共同で築きあげる一つの相互関係(の確信)です。
  間主観性によって、個々人の還元によって現れる世界は各自的な世界に尽きるものでなく、常に多数の
  主観による共同的構成に基礎づけられています。この相互関係(確信)は、世界の客観性の基底をなします。
  他者をも私の意識によって構成される志向対象とする現象学は、間主観性によって自我と他我(世界)を
  結びつけます。
  しかし、自我と他我の関係は間主観性によってうまく説明されておらず、現象学が独我論と非難される一因
  となっています。

    1 他我を自己の変様態とするフッサールは、間主観性の前提である自他の等根源的な共存を説明したことにはならない。
    2 各自の自我の意識によって構成された世界は、各自それぞれの世界であり、これは「唯一存在する世界」という我々の
      信念に反する。

  これらの批判への反駁はとりあえず置いて先に進みましょう。

40 :ポール:03/10/22 06:36
《解説3-5》 「自我極」「対象極」

  意識の志向性がもつ二重の極性です。
  意識の流れの中で、様々な体験は「対象極」へと収斂されます。一方、それらの体験自体は同一の自我
  における体験です。自我は同一のままにとどまります。この同一性を担うものが「自我極」です。

  たとえばサイコロを認識するとき、次々に現われるサイコロの現出はその都度流れ去っていきますが、
  サイコロという一つの体験としての統一性を失うことはありません。いわば、この(サイコロ)体験はサイコロ
  という一つの「対象極」へと向かっているのです。一方、このような体験自体も次々と流れ去っていきますが、
  それらはすべて「私の」体験です。すなわち「私」はもう一方の「自我極」として成立しています。

41 :ポール:03/10/23 06:51
【4】 形相的還元および形相的な学としての現象学的心理学

  現象学的心理学には、(これまで述べた)事実的な領域を扱う方法
  (現象学的還元)と、アプリオリで本質的な領域を扱う方法がある。
  後者が「形相的現象学」である。現象学においては、事実性の探求
  よりも本質性のそれがより重要である。心理学的現象学は、この
  「形相的現象学」によって基礎づけられねばならない。(1)

    現象学的心理学 ─┬─ 心理学的現象学(事実性を扱う)
                 └─ 形相的現象学(本質を扱う)


  現象学的還元が、現実的、かつ可能的な内的経験の諸現象に至る
  道を与え、形相的還元は、純粋に心的な領域の不変的な本質諸形態
  に至る道を与える。

42 :ポール:03/10/23 06:51
《解説4-1》 「形相的還元」

  形相的現象学における還元が「形相的還元」です。
  これにより、事物の本質形式(形相)を取り出すこと(本質直観)が可能となります。

    現象学的還元 − 意識体験の領域をその個別的事実において探求。
    形相的還元   − 意識体験の領域の普遍的な本質形態(形相)を探求。

  形相的還元とは、ある事象内容を持った個体(具体的な一匹の犬等)から出発して空想的な自由変更を
  つうじ、それの形相(犬の必要不可分な本質)を抽出する作業です。本質直観と言ってもいいでしょう。
  (本質直観:変化の中で普遍である本質を捉える操作)

  このような本質学、形相学をフッサールは「存在論」と呼びます。存在論は対象の領域によって二通りに
  分けられます。

    領域的存在論 − 世界のうちの諸領域には、それぞれ経験的事実学が対応しているのと同様に、
                本質学の対応がさらに要請される。これが領域的存在論である。たとえば幾何学は
                空間的世界のそれである。

    形相的存在論 − 適用範囲が領域的に限定されないもの。算術、代数、一般論理学。

43 :ポール:03/10/25 01:18
とりあえずこちらにまとめてみました。
http://www12.ocn.ne.jp/~n_naki/

時間があればちゃんとしたやつ作りたいけど、たぶん無理だろうなぁ。






44 :考える名無しさん:03/10/25 03:39
よそでも書いたけど、現に見えているコップが、風景が、他者がそのままノエマなのだよ。
で、コップのノエマ的意味は、その(コップとしての)道具的性格であり、
知覚している<私自身>がノエシスなのだよ。
で、コップの形相的還元をやると「コップ的相貌とそれに見合った道具性」になるのだが
それはコップのイデアとほとんど同じだ。

45 :考える名無しさん:03/10/26 01:41
>>43
最近(他スレでも)書き込みが見られず残念に思っています。
プレッシャーをかけるつもりはありませんが、時間をかけても構いませんので
続けてください。
特にポールさんの見解が見られる解説が楽しみです。


46 :ポール:03/10/26 14:26
【5】 精密な経験的心理学に対する純粋に現象的な心理学の原理的な機能

  純粋自然科学を範とする経験的心理学は、現象学的心理学によって基礎付けられ
  ねばならない。さらに純粋自然科学そのものも、そこで使われるあらゆるあいまいな
  概念と規則をこの学によって根本的に検討し直されねばならない。
  現象学的心理学の体系化のために、次のことがらが明らかにされなければならない。

    1 志向性 :志向的体験一般の本質構造(総合)の解明。
    2 総合   :志向的体験における個別的諸形態の究明。諸総合の様々な類型の解明。(1)
    3 意識流 :心の深底において多様に流れ去る経験を統一し、一つの意識として統合するもの
            (意識流)の本質記述 (2)
    4 受動性 :自我に属する習慣性の探求は、新たに受動的次元を開く。(3) 

  4において、従来の「静的現象学」から受動的次元を扱う「発生的現象学」への移行が
  なされる。(4) 発生的現象学において、対象を構成する超越論的自我の能動的な
  働きに先立つ、受動的先構成の次元が明らかにされる。そこで働く作用が「連合」で
  ある。(5) 能動的な経験は自我の受動的次元へと沈殿し、習慣化され、自らを形成
  しつづける人格的自我として解明される。

47 :ポール:03/10/26 14:28
≪解説5-1≫ 「総合」

  意識経験は多様な個別的体験(現出)であるにも関わらず、それを一つの経験として結びつける能力を
  持ちます。その能力が「総合」(「流れ去る多様の統一」)です。総合には幾つかの種類があります。

    a 多様な現出を一つの統一した対象としての現出者への総合
    b 想起された事物と過去に知覚した事物とが同一であることを結びつける総合

  また、作用する次元により「能動的総合」「受動的総合」に分類されます。
  能動的総合はすべて受動的総合を土台として行われます。ある対象が能動的に構成される時、同時に
  そこでは、受動的次元(3)において蓄積された過去の経験が材料として提供され、能動的構成を補完
  します。この原理ゆえ、サイコロの一面を見た瞬間にサイコロ全体を一挙に理解できるのです。

  受動的総合の基底をなすのは、「内的時間意識」による時間構成と「キネステーゼ意識」による空間構成
  です。これらが総合の形式的条件です。

         能動的総合             
            ↓                 
         受動的総合              ↓:意識の深層へ 
            ↓                  
      内的時間意識(時間を構成)         
      キネステーゼ意識(空間を構成)   

48 :ポール:03/10/26 14:28
    内的時間意識   − 意識のあらゆる諸体験そのものを内的に意識しつつ、それらの時間的持続を構成する
                  最も根源的な場。あらゆる構成の根源的な場です。個別的意識体験の総合が可能なのは、
                  もともと意識全体が総合的に統一されているからです。この普遍的総合の根本形式が
                  「内的時間意識」です。

    キネステーゼ意識 − 運動感覚(位置与件)と対象の現出の感覚(アスペクト与件)との不可分の統一態を
                  「キネステーゼ」と呼び、意識にはその性質が備わっています。身体の移動(視点を変える
                  こと)は多様な現出を意識にもたらし、一個の現出者が呈示されることを可能とします。
                  事物の現われ(総合)とは、この「運動」と「感覚」が一体となっているがゆえに可能となるのです。

49 :ポール:03/10/26 14:29
≪解説5-2≫ 「意識流」

  意識とは、さまざまな事物や事象が現れては消えていく一つの流れです。この意識の在り方が「意識流」です。
  意識流は現在と共に「過去地平」「未来地平」を有します。過去・未来の両方向に延びるこの流れはそれらを
  包括する一つの流れへと統一し、それが純粋自我となるのです。


50 :ポール:03/10/26 14:29
≪解説5-3≫ 「受動性」「習慣」

  超越論的自我によって構成されるノエマは、その能動的な作用に先立つ受動的次元においてすでに規定されて
  います。(1) 受動性の次元には次の二通りの働きがあります。

    1 受動的志向性 :自我の能動的構成に先立って、ある原理(「連合」(5))によってノエマを構造化する働き。
    2 触発       :連合によって構造化されたノエマが、能動的総合に際して働きかけること。

  自我の能動的作用によって獲得した意味(ノエマ)は自我極に沈殿し、「習慣」として受動的次元に保存されます。
  習慣は第二の受動性としてより高度な能動的総合の土台となります。

51 :ポール:03/10/26 14:30
≪解説5-4≫ 「静的現象学」「発生的現象学」

  さまざまなノエマ・時間・空間・自我といった諸成分の出来上がった状態を分析するのが「静態的現象学」で、
  それら諸成分が生じてくる発生の過程を分析するのが「発生的現象学」です。
  発生的現象学において、対象を構成する超越論的自我の能動的な働きに先立つ受動的先構成の次元が
  明らかになります。

    静的現象学   :構成的意識(ノエシス)と構成された対象(ノエマ)との関係を、その本質類型によって記述するもの。

    発生的現象学 :対象が主観性の能動的な作用に先立って、意識の能作の所産としてすでに生成し形成されている
               受動的次元を明らかにする。

      「意味は自我に先立ってすでに構造化されている。意味は自我を触発し、自我の能作を覚起する」
      「受動性の次元は自我の能動性に先立つ次元であり、かつ、能動的能作が可能であるための基盤である」

52 :ポール:03/10/26 14:30
≪解説5-5≫ 「連合」

  ノエマ的意味の構成に影響を与える受動的次元の原理が「連合」です。
  連合とは、あるものを見た時にそれに類似した以前の経験を結びつける能力です。
  例えば私がリンゴを見た時、そのリンゴ自体は私が初めて体験するリンゴですが、それが何であるか一から思考
  し直すわけではありません。以前のリンゴの経験を呼び起こし、目の前の物体を(過去に経験したリンゴと同一
  であると意味づけて判断するからです。連合の中で、始めての体験における連合を「原連合」と呼びます。原連合
  によって一旦獲得された意味は、受動性の次元に類型として蓄えられ(習慣)、次回の経験に影響を与えます。
  つまりある経験(の意味)は、その背後に蓄えられた膨大な意味地平との連関の中で決まります。

  連合はフッサール他我構成における主要概念でもあります。(後述)


53 :ポール:03/10/26 14:34
>>44
わかりやすい例えですね。
>現に見えているコップが、風景が、他者がそのままノエマなのだよ。

この部分は自然的態度における客観世界とどういう関係の上で述べられているのか
少し気になります。このままだと誤解を受けそうな・・。
まあ、私も未だよくわからないのですが。

>>45
ありがとうございます。
余裕ができたら、また参加したいと思っています。
特に兄氏との基礎づけ議論は、僕自身勉強になりますし。



54 :ポール:03/10/28 22:30
2 現象学的心理学と超越論的現象学
【6】 デカルトの超越論的転回とロックの心理学

  現象学的心理学は経験的心理学を基礎づけるだけでなく、
  超越論的現象学の前段階でもある。超越論的哲学はデカルト
  に始まる。(1) 超越論的問題が生じるに及んで、主観は二重
  の意味を得る。(2) その二重性はそのまま心理学の二重性
  (現象学的心理学、超越論的現象学)に相当する。

55 :ポール:03/10/28 22:31
≪解説6-1≫ 超越論的哲学の始祖としてのデカルト

>>23で述べたように)デカルトによる純粋に思惟する自我への還帰は、超越論哲学への道を切り開きました。
デカルトは、すべての存在意味と存在妥当がそこから発生する主観にたどり着きます。しかし、その発見の
本来の意味を理解できなかったため、真の超越論的哲学へと入ることができませんでした。

数学的自然科学への信頼を持つ彼は数学的演算で、つまり純粋な自我という公理から客観的な外部世界を
演繹的に推論できるとします。取り出された純粋自我に本来備わっている諸原理に従って正しく推論を進める
ことにより、世界のその他の部分が解明できると考えたわけです。その時彼は、出発点となるべきその純粋
主観を客観世界と因果関係を持つ対置された一実体とみなします。これが主観と客観の分離を導き、彼は
(超越論的哲学と正反対の)二元論の父となります。

56 :ポール:03/10/28 22:34
≪解説6-2≫ 主観の二重性

    現象学的心理学の主観 :世界に存在する主観(心的主観)
    超越論的現象学の主観 :世界を意味として構成する主観(超越論的主観)

  超越論的現象学によれば、世界のみならず心的主観すら超越論的主観によって構成されます。

    「純粋な自我とそれの意識作用(超越論的主観性)とが、世界・・・の自然的存在(含む心的主観)に
    本来先立つ存在として、それに先行している」(「デカルト的省察」8節) (( )内ポール) 


  いよいよこれから「超越論的現象学」が述べられますが、もう一度これら学の違いを確認しておきましょう。(>>7参)
  (ただし時折、両概念が混同して使われている場面もあるように私には思えます。)

    <意識の捉え方>
      現象学的心理学 − 心を実体的なものとして捉える
      超越論的現象学 − 意識の根本構造を「ノエシス−ノエマ」という志向性に見る
    <対象の捉え方>
      現   〜     − 意識が向かう対象をあらかじめ存在するものとして前提する。
      超   〜     − その志向対象は意識によって構成されるものと見る。
    <意識作用の捉え方>
      現   〜     − 意識作用を記述するときも、単に意識作用(ノエシス)の事実的記述にとどまる。
      超越  〜     − ノエマとの相関関係においてノエシスの機能の本質法則を記述。

57 :ポール:03/10/28 22:35
とりあえずこちらにまとめてみました。
http://www12.ocn.ne.jp/~n_naki/




58 :ポール:03/11/03 21:49
【7】 超越論的問題

  自然的態度によって我々の日常生活が営まれ、それを基盤に
  実証諸学問が構築される。超越論的現象学はこの自然的態度を
  エポケーし、超越論的態度へと移行する(1)。それにより、存在者
  の意味形成と存在妥当の場が、外部世界から主観性へと移る。

    「意識主観性の意識生命において世界は、そのおりそのおりの意味を持つ<この>世界として立ち現れる」(p99)
    「世界の意味と存在妥当は主観のうちで与えられる。」

  世界存在の解明は、主観のうちで構成される志向的対象としての
  世界に向けて問われねばならない。この態度変更は、従来の哲学
  問題は次のように変換する。

   「世界は存在するのか?」
     →「世界の確信はいかにして主観の内で生じてくるのか?」

   「事物Aとは何か?」
     →「主観の内で構成される事物Aの意味の構造はいかなるものか?」

  また、超越論的主観性の作用は、現実に実在する世界に限らず
  可能的(可能性として考えられる)世界をも射程においている。
  通常可能的世界は、潜在的背景として意識の背後に退いている。
  その潜在的背景を地平と呼ぶ。(2)

59 :ポール:03/11/03 21:49
≪解説7-1≫ 「世界に対する3つの態度」

  自然的態度    :世界の存在を自明とする日常的態度
  自然主義的態度 :科学によって理念化された客観世界を自覚する科学的態度。外部世界の存在を自明とするのは前者と同様だが、
              自然的態度における世界とは主観的相対的なそれで、こちらは客観的、普遍的な世界である。
  超越論的態度   :外部世界をエポケーし、世界の意味形成の場である超越論的主観性へと考察の場を移行する態度。

60 :ポール:03/11/03 21:50
≪解説7-1補足≫ 「還元の二つの途」

  フッサールは前期(『イデーン』)と晩期(『危機』)で、還元の方途を変化させます。

    前期における還元 :自然的態度から超越論的還元により一気に超越論的主観性へと至る。(デカルトの道)
    晩期における還元 :自然的態度と自然主義的態度を区別し、後者をエポケーして生活世界(自然的態度)に一旦立ち戻った上で、
                 さらなる還元により超越論的主観性へと至る2段階のステップを踏む。(新しい道) 

  なぜフッサールはこのように変化したのでしょうか?

  前期において混同されていた自然的態度と自然主義的態度を明確に分離し、還元において越えられる
  べきであったのは、自然主義的態度の方であるのだとフッサールは悟ります。科学的世界観である主客
  二元論を基礎づけながらも、それによって覆い隠されていた本来の自然的態度こそ還元によって顕わに
  しなければならないと考えます。

  この転換によって還元とは、「客体的なものの意味の生成を主体の構成作業に遡って明らかにするもの」でなく、
  「世界を主体−客体の相関関係においてみようとする客体化的な意識の態度一般を判断停止するもの」と位置
  づけられます。こうして還元によって科学的客観世界は排除され、我々が日常に生きる生活世界がそこに現れ
  ます。自然的態度とは他の態度と並ぶ一つの態度ではなく、それらの一切の態度に先立ってそれらを可能と
  する原初的態度に他ならないのです。

61 :ポール:03/11/03 21:52
  つまり現象学的還元の目的は、前期における「全ての意味や存在妥当を根源的に産出する超越論的主観性の
  立場へと身を置く」のではなく、晩期の「我々の素朴な日常的経験、自然的態度を振り返ること」へと転換される
  わけです。メルロ=ポンティは述べます。

    「最初の哲学的行為とは、客体的世界の手前にある生きられる世界に立ち戻ること」
    「真の哲学とは、世界を見ることを学び直すこと」

  この生活世界への帰還は『危機』において主題化され、この隠し覆われた生活世界を顕わにし、そこに再び
  科学的客観世界を基礎づけることにより、諸学の、加えて人間の危機を救うことができるとフッサールは考え
  ます。

62 :ポール:03/11/03 21:53
≪解説7-2≫ 地平

  地平の基本的意味は、視野のうちに現れず注意されず、それでいて潜在的に存在しいつでも顕在化する
  可能性を持った背景のことです。私は今モニターを見ていますが、その瞬間にも意識はされていませんが
  机の上のテキスト、鉛筆、ノート、といった潜在的背景が控え、私の意識に上るのを待っています。
  地平とはこの潜在的背景全体のことです。

  現象学における地平の意味は、上述の個々の知覚的現出者の背景という意味を越えて、「別様の仕方で
  ありうるものの(可能性としての)全体」と拡大されます。あるものの現れが、指示性や連想性の連関を介して
  他の現れを喚起するように、ある地平は他の潜在的な地平を喚起するといった開放的な指示連関を持ちます。
  すべての指示連関の結合によって究極的に想定された地平が「全体的地平」すなわち「世界」です。
  「世界」とは現にある世界のみならず、可能性としての世界全体をも含む概念です。

  個別的経験に先立って「世界」はすでに与えられており、個別的経験は世界との関連性の中で経験されて
  います。この全体的地平としての「世界」は、受動的次元においてすでに存在しています。「世界」とは、
  ハイデガーの「Woraufhin」(すべての存在者がそこから理解され、そこへ向けて理解される基盤)に近いの
  ではないでしょうか。

63 :ポール:03/11/03 22:57
【8】 超越論的循環としての心理学的解決

  超越論的現象学の主題は、可能的な世界一般、つまり潜在的地平を含んだ
  全体的地平(「世界」)における多様な志向的関係性を具体的かつ体系的に
  解明することにある。「世界」の完全かつ全体的な存在意味が、普遍的に
  そしてかかる世界に対する構成的な諸カテゴリーに関して解明される。
  この解明は超越論的主観性を舞台に行われる。
  科学が対象とする客観世界は「世界」に包括されている。それゆえ、あらゆる
  実証的な諸学問は、それが対象とするすべての対象領域と共に超越論的に
  判断停止のもとにおかれねばならない。

  超越論的現象学が問題としている主観性(超越論的主観性)は、現象学的
  心理学(や経験心理学)が問題とする主観性(心的主観性)とは異なっている。(1)

64 :ポール:03/11/03 22:58
≪解説8-1≫ 超越論的主観性と心的主観性

  この辺りくどいですが、もう一度「心的主観」「超越論的主観」の違いを確認しておきましょう。(>>7-8 >>56参)

  日常の我々にとって世界が実在することは自明です。私の心とは、物質と対置された心的実体として世界の内に
  存在しています。この世界の一部としての心が「心的主観」です。世界は物質と心の二つの実体で構成されています。
  科学もこの世界観の上に成り立っています。それゆえ、科学が対象とする心は、一方の実体である物質世界との
  精神物理的連関のうちにある「心的主観」です。

  しかし厳密な学を標榜する現象学にとって、世界確信の自明性は受け入れることはできません。その自明性とは
  所詮我々の主観のうちで生じているものだからです。客観世界はもちろん、心(心的主観)すらも我々自身の意識
  においてその意味と存在妥当(自明性)を獲得されたものです。ゆえに現象学が対象とする心は、「そこからすべての
  存在者が意味づけられる主観(超越論的主観)」なのです。

65 :ポール:03/11/06 23:41
【9】 超越論的−現象学的還元および二重化の超越論的仮象

  では我々の主体は二つ(心的主観性、超越論的主観性)に分離
  しているのであろうか?

  もちろんそうではない。
  心的主観性(及びそれと対置して存在する世界)の存在は超越論的主観性
  を前提とする。たとえば知覚体験は、心的主観性においては外部の存在者
  から与えられた所与性として捉えられる。一方、超越論的主観性における
  知覚体験は、外部世界の徹底的な判断停止により、志向的作用によって
  構成された単なる現象(意味)として捉えられる。このように、超越論的主観
  における領野と現象学的主観のおける領野は平行する。超越論的経験の
  領野は、観点を変更することにより、心理学的な経験領野へと変換される(1)。
  これにより、自我の同一性が保たれる。

  心的主観に現れる心的経験を純化するために現象学的還元が必要で
  あったように、超越論的経験を純化するためには超越論的還元(2)が
  必要となる。

  そして、この平行論の主題は、間主観性へとつながる(3)。
  超越論的な間主観性は、そこからあらゆる超越が存在意味を得る基盤である。

66 :ポール:03/11/06 23:41
≪解説9-1≫ 「現象学的心理学と超越論的心理学の平行論」

    「あらゆる超越的な現象学的教説を、自然的な実証性の教説へと変換する可能性を明らかに示す」(p112)
    「この経験的な現象学は、実証的な諸学問の完全な体系的全体と同一である」(p116)

  ただし、超越論的経験を心理学的経験へと変換させることは可能だがその逆はできない、とフッサールは
  考えているようです。(ある次元が、それより根源的な次元を基礎づけることはできない)
  これは、心理学的経験によって取り出されるものと研究対象の重なる実証科学を超越論的哲学(現象学)が
  基礎付けることは可能だが、その逆、つまり実証科学の成果を超越論的哲学の基礎とすることはできない
  ことを示しています。

    「もしそれが自然的見方において心理学として、すなわち眼前の世界に関係づけられる実証的な学問
    として受け取られるならば、それは全く非哲学的な学問であることになり、他面において、<同じ>
    理論的内実が超越論的味方において超越論的現象学として理解されるならば、それは哲学的な学問
    である」(『イデーン後記』p144)

  この節を読む限り、現象学(超越論的態度)において外部世界のエポケーは必然だが、現象学徒自身が
  外部世界の存在を否定する立場に立つわけではなさそうです。(現象学徒といえ自然的・自然主義的態度
  で世界と接することを否定しない)

67 :ポール:03/11/06 23:42
≪解説9-2≫ 現象学的還元と超越論的還元

  現象学的還元は心的経験を純化するため心的主観性へと立ち戻る還元、超越論的還元は超越論的経験を
  純化するために超越論的主観性へと至る還元です。(ただし、現象学的還元=超越論的還元とする場合も
  あるようです。その場合、心的主観性への還元は心理学的還元と呼ぶようです)

  現象学的還元において取り出される純粋経験は外部世界との相関関係を持ちますが、超越論的還元における
  純粋経験は、超越論的主観性によって構成される外部世界と関連のない志向的対象です。

68 :考える名無しさん:03/11/08 10:36
うわー、すごいね。がんばって、応援するから。

69 :ポール:03/11/10 00:27
《解説9-3》 「超越論的な間主観性は、そこからあらゆる超越が存在意味を得る基盤である」 (>>39参)

  現象学は、あらゆる存在者の意味を超越論的主観という領域で獲得します。
  我々が通常自明のこととしている「心的主観」「他者(他我)」「客観世界」も同様です。
  「現象学は独我論である」という批判は、現象学では他者や、我々が属する唯一の世界を説明できない
  ということであり、それは間主観性の概念に関わっています。少し詳しく説明します。

    a 現象学における他我の問い方
    b 世界の意味の現れ方(総論)
    c 他我の意味の構成
    d 客観世界の意味の構成

70 :ポール:03/11/10 00:31
《解説9-3a》 「現象学における他我の問い方」

    「他我という意味は、いかにしていかなる志向性によって、いかなる総合において、そして
     どのような動機付けに基づいて、私のうちで形成されるのか?」 (『デカルト的省察』「世界の名著」42節)

    「客観世界をあらかじめ前提とするのではなく、自我にとってのみ存在する<単純な自然>
     から出発して、この単純な自然から他我や客観世界がいかにして構成されるかを解明する」 (『省察』44節注)

  現象学は科学のように、世界の因果の網の目に組み込まれている客体としての他我(他者)を問うのではなく、
  超越論的主観性において、いかにして(客体としての)他我の意味が構成されていくかを、主観の能作を基に
  明らかにします。

71 :ポール:03/11/10 00:34
《解説9-3a》 「世界の意味の現れ方」

  意味の発生段階を大まかに分ければ、「(1)(固有領域における)単純な自然 → (2)自我 → (3)他我 → (4)客観世界」です。

     1-1 意味が生じる以前の固有領域において、何らかの物体(「単純な自然」)が現れる。
     2-1 そこに現れる他とは異なった性質を持つ特殊な物体が「私の身体」として把握される。
     2-2 その身体を操る私の心が想定され、身体・心を合一化した私の「精神物理的自我」が把握される。
     3-1 私の精神物理的自我(以降、自我と略す)の外側に、私の身体と同様の振る舞いをする物体が現れる。
        その物体を私の身体との類比において、他の身体として把握する。
     3-2 「対化する連合」という根本形式において、対をなす「自我」と「後に他我となるもの」との間で意味の移し入れが行われ、
        「後に他我となるもの」が自我の意味にしたがって統覚され、他我となる。
     4-1 モナド的自我と他のモナド的自我とによる自然の共通化。(間主観的自然)
     4-2 他我が、客体的な精神物理的実在として把握される。
        「他我の身体を物体として捉える根源的呈示の層(3-1)」と「その物体を介して他我の精神を間接的に呈示する層(3-2)」
        との直接的総合統一によって。
     4-3 自我と他我、それぞれが属する自然の同一化。
        「私が知覚する第一次領域」と「他我の知覚する第一次領域」の二つの層の連合によって、この両者の自然の同一化が起こる。
     4-4 客観世界の構成 


  このように客観世界の存在意味は、固有領域(1)の基盤の上に、第一次領域(2)を始め幾つかの層を重ねることによって
  構成されます。その最初の層が、他我を構成する層(3)です。(私にとって本来最初の他なるものは他我である)。
  他我が、すべての他我と私を含む客観世界の構成を可能とします。客観世界がまず存在し、そこに他者が現れて
  くるのではありません。

72 :ポール:03/11/10 00:35
《解説9-3b》 「(3)他我の意味の構成」

  固有領域(a)では、他者は単なる「物体」として現れます。
  その物体の振る舞いが私の身体と「対化」(b)するような「連合」(類比的統握)(c)が働き、そこに身体という
  意味が移し入れられます。そこで私の自己移入が作動し、それによって他者の経験が私に「付帯現前化」(d)
  として呈示されるというふうに「他我」が構成されます。このように他我が構成されると、その他我は、私自身の
  世界が経験している世界と同じ世界を経験するものとして与えられるから、あらゆる人にとって現存する
  世界、つまり「間主観的世界」を経験することとなります。そこに属する主観は、我々の日常的な事物が
  そこで様々に意味付与されているという意味で「超越論的間主観性」です。この世界が、客観世界の意味の
  産出を可能とするのです。

    a.固有領域   :超越論的主観性において、世界が最初に現れる原初の層。そこに現れる物体にはまだ意味が伴わない。
    b.対化      :固有領域において現れたある物体が私の身体との類似性によって対をなすこと。
    c.類比的統握 :対関係をなすもの同士の間で意味の移し入れが行われること。
    d.付帯現前化 :それ自身では現前することができない間接的志向性。(間接的呈示)
              他者の経験、世界を私は直接経験することはできないが、類比的統握により、
              間接的に他我の現前が可能となる。

73 :ポール:03/11/10 00:35
《解説9-3c》 「(4)客観世界の意味の構成」

  他我の意味が産出された後、私の「第一次自然(e)」と他我のそれとの同一化が、「モナドの共同化」(後述)
  という志向作用によって起こります(4-1)。その後、意味としての他我を、自己統覚機能によって世界内部の
  存在とするような実在として客体化し(4-2)、その客体化された自我と他我が所属する世界も同一のはずだ
  と把握されます(4-3)。最終的にその同一化された世界が、客観世界として意味づけられるわけです(4-4)。

    e.第一次自然 :私の超越論的主観に現れる意味としての自然(世界)。客体としての自然の意味は、
              この自然の客体化により現れる。

    「自我は、自己自身の存在を完全に超越させる(客体化:ポール)ような存在意味を備えているそのような
     新しい種類の志向性(モナドの調和)を自らのうちに持っている」 (『省察』48節)  

    「私自身の自我のうちで構成された他我の行う構成作用を介して私に対して我々すべてにとって
     共通する世界が構成される。」(『省察』41節) 

  私の第一次自然)と他我のそれ(間接的呈示)との同一化は、現前する事物と想起の内の事物(想起的呈示)
  との同一化と同様の構造を持っています。

74 :ポール:03/11/10 00:37
《解説9-3c補足》 「私の第一次自然と他我の第一次自然はなぜ同一といえるのか?」

  自我に「モナドの共同化」という志向作用が含まれているからです。「モナドの共同化」とは、モナド(≒主観)は
  自分達の間で一つの客観的世界を構成し、その客観的世界の中で自分たち自身を、動物存在、とりわけ
  人間存在として空間化時間化し、おのれを実在化・客体化する働きのことです。なぜそういえるかと言えば、
  二つの間主観性は、共に私によって構成されたものであるかぎり、それらを構成する原初モナドとしての私と
  必然的な共同関係の中に立っています。したがってあらゆるモナドの唯一の共同体だけが存在し、それが唯一の
  客観的世界、つまり一つの自然だけが存在することができます。他のモナドの共存を含む構造が私に備わって
  いるとすれば、この一つの唯一の自然が必ず存在”せねばならない”と考えられるわけです。 

75 :ポール:03/11/10 00:37
《解説9-4》 「心的主観性と超越論的主観性の関係」

  心的主観性も、超越論的主観性で意味を獲得された二次的なものです。(《解説9-3a》 4-2の層において)
  すべてに先立つのは超越論的主観性ですが、その自我は、私を世界内部の存在とするような自己統覚機能
  が固有領域において働きます。それにより心的自我の意味が構成されるのです。

     「超越論的自我としての私は、私に対して存在する世界を志向的相関者として構成した・・・(中略)
     ・・・他方において私は、その世界構成に対応する構成的総合によって自己を、構成された世界全体の
     内部にある人間的で人格的自我という、普通の意味での自我(心的主観:ポール)という名のもとに、
     世界内部の存在とする自己統覚を行った」(『省察』45節)

  それゆえ、

  >心的主観性(及びそれと対置して存在する世界)の存在は超越論的主観性を前提とする。>>65

  と言えるのです。

76 :ポール:03/11/10 00:38
《解説9-4》 「心的主観性と超越論的主観性の関係」

  心的主観性も、超越論的主観性で意味を獲得された二次的なものです。(《解説9-3a》 4-2の層において)
  すべてに先立つのは超越論的主観性ですが、その自我は、私を世界内部の存在とするような自己統覚機能
  が固有領域において働きます。それにより心的自我の意味が構成されるのです。

     「超越論的自我としての私は、私に対して存在する世界を志向的相関者として構成した・・・(中略)
     ・・・他方において私は、その世界構成に対応する構成的総合によって自己を、構成された世界全体の
     内部にある人間的で人格的自我という、普通の意味での自我(心的主観:ポール)という名のもとに、
     世界内部の存在とする自己統覚を行った」(『省察』45節)

  それゆえ、

  >心的主観性(及びそれと対置して存在する世界)の存在は超越論的主観性を前提とする。>>65

  と言えるのです。

77 :ポール:03/11/10 00:38
>>68
あ、どうも。



78 :ポール:03/11/16 14:14
【10】 超越論的現象学に対する予備学としての純粋心理学

超越論的現象学の体系的な展開は、純粋心理学(現象学的心理学)の
それから独立してある。他方、純粋心理学は、超越論的現象学の予備学
として有用である。哲学と心理学の歴史は、哲学の最終形態である
超越論的現象学に至る道程であった。(1)

自然的見方(科学)と対立する超越論的哲学を、それ自体で独立する体系
として構築し、そこにおける超越論的教説を純粋心理学や自然科学の教説
へと変換する可能性を示さなければならない。

79 :ポール:03/11/16 14:16
V 絶対的な基礎づけのうちにある普遍的な学としての超越論的現象学と超越論的哲学
【11】 存在論としての超越論的現象学
 
超越論的現象学は、アプリオリな諸学の体系的統一を可能とする
普遍的存在論を実現する。現象学は、客観的存在者だけでなく、
あらゆる可能的な存在者(存在者一般)に関するアプリオリな学である。
というのも存在者一般は、その存在意味と妥当とを、対象と相関的な
志向的構成から汲み取られるものだからである。
このことは超越論的主観自身にさえも妥当する。

それゆえ現象学は、実証科学の存在論と異なり、普遍的な存在論を
形成しうる。(1)

80 :ポール:03/11/16 14:20
【12】 現象学と精密諸科学の根本的危機

自然的態度を基とした実在論を放棄する理由は次の通りである。

  1 あらゆる存在者の意味と存在妥当はそれ自体で存在しているわけではない。
  2 それらは超越論的主観性の能動的・受動的能作に従って規定される。

実証科学はもちろん、数学や論理学は、研究対象──実証科学では
客観世界、数学や論理学は数や論理──がそれ自体で意味を持って
存在しているという素朴な確信(独断論)をやめ、その前提自体を現象学
によって基礎づけねばならない。それによって初めて、諸学問は厳密な
学問となりうる。

諸学問は、現象学による形相的な普遍的存在論を構成する一領域として
存在する。

81 :ポール:03/11/16 14:21
《解説12-1》 「独断論」

通常言われる「独断論」とは、

  「理性の能力を吟味することなく、経験の内部においてのみ妥当する概念を経験を越えた対象へと適用すること」

です。そしてこのカント的な定義において、世界の実在とは経験の内部において妥当するものです。
しかし、フッサールはそれすら独断論であり、吟味し直さなければならないと考えるのです。

82 :ポール:03/11/16 14:23
【13】 事実学と経験的現象学との現象学的な基礎づけ

それぞれの経験的な諸学問は、現象学によって基礎づけられることにより、
真にアプリオリである普遍的存在論へと統一される。実証科学の真正の
形態は、超越論的還元によって基礎づけられた現象学的な形態──
経験的現象学──である。

この経験的現象学は、形相的現象学によって基礎づけられることにより、
可能的な超越論的主観性一般に関する学となる。(経験的現象学は、
事実的な超越論的主観性に関する学である)

この限りにおいて経験的現象学は、実証的な諸学問の完全な体系的全体
と同一である。

83 :ポール:03/11/16 14:26
【14】 全体的哲学としての完全な現象学

ここにおいて伝統的な哲学──普遍的な学としての哲学──が復興される。
この哲学は、次の二つの領域に分かれる。

  1 第一哲学 :形相的現象学(普遍的存在論)
  2 第二哲学 :経験的現象学。事実の全体を総合的に包括する超越論的な間主観性に関する学。

第二哲学は第一哲学によって基礎付けられる(1)
全ての学問は、普遍的な学である真の哲学を充実させる目的で存在する。(2)

84 :ポール:03/11/20 21:53
《解説1》補足 「>宙に浮く諸学に確実な基礎づけをすることにより、学の絶対性の復興を企てます」 >>4

  実証科学は、あらゆる存在者の究極的源泉である意識の志向的能作は知られないまま、それによって
  構成された結果(その学問が扱う根本概念)だけを扱います。それでは、その概念の周囲に拡がる地平を
  捉えることはできず、その概念の存立基盤(地平)の不確実性が残ります。それゆえ学の基礎的問題や
  逆説や不可解な事態が生じます。現象学はあらゆる概念を意識の根源的能作から汲み取り、それが
  含まれる地平を解明することにより、あらゆる概念の意味と起源を明らかにします。そこにおいて見いだ
  された概念が諸学の真の根本概念とならねばなりません。現象学は、あらゆる学問的領域の根本的意味を
  規定する概念体系を構築します。実証科学において十分吟味されていなかった根本概念が、現象学において
  いかなる疑いの余地を残さない明晰判明さを持って現われます。たとえば、世界、自然、空間、時間、人間、
  心、身体、社会的共同体、文化等の概念です。これが現象学による諸学問の基礎づけということです。(『省察』64節要約)

85 :ポール:03/11/20 21:57
《解説7-2》補足 「自然の理念化(数学化)」 >>62

  知覚対象は、その周囲に未だ規定されていない地平に取り囲まれており、経験はそれを充実させるべく進行して
  ゆきます。しかし、絶対的・十全的に対象が与えられることはありません。なぜなら、知覚経験の本質はそのパース
  ペクティブ性にあるからです。にもかかわらず、認識は現実には決して与えられない絶対的十全性を目指して進行
  します。この原理を「目的理念」と呼びます。知覚経験の底層に働いているこの目的論的構造に含まれる

   1 脱パーステクティブ性(我々の視点が特定の位置に拘束されることから脱却しようとすること)
   2 立ち止まる今=永遠の今 (意識の絶えざる時間的流動性から飛躍せんとする動向)

  を読みとり、そこに理性の目的論の発生的起源を求めます。
  自然の数学化による自然科学の成立も、この理性の目的論に導かれた理念化の一形態として捉えられます。
                                               (『現象学事典』<目的理念>参)

86 :ポール:03/11/20 22:01
《解説2》補足 「>存在者を決定する全ての源泉である主観(超越論的主観)こそ、デカルトが看破したように絶対的な基盤」 >>23

  現象学が舞台とするのは超越論的主観性ですが、現象学が解明すべきはそれがもつ「構造形式」と、その構造形式
  による志向的対象の与えられ方です。

     「自己解明によって、絶対に必当然的な明証をもって現われてくるのは、私が
     その中において自我として存在しているところの、すなわち、私がその中において
     のみ、自我としての普遍的本質を備えて存在し、それなしには自我として存在する
     ことのできない、普遍的な構造形式だけである」(『省察』46節)

     「そのような構造形式は・・・自己自身の体験を、普遍的時間の内部において、時間的な
     ものとしてたえず自己構成するという形式での存在様式が含まれている」(『省察』46節)

  (単なる地盤としての主観ではない)この絶対的必当然的「構造形式」を解明することが、現象学の目的です。
  この構造形式ゆえに事物の本質(経験の限界)が規定されます。普遍的地平(世界)はこの構造形式を持ちます。
  世界とはこの構造形式に則って現れるものです。

87 :ポール:03/11/27 06:44
【15】 現象学的問題としての最高かつ究極の問題

  全ての理性的問題は、現象学のうちにある。
  伝統的な哲学問題は、現象学における超越論的経験(1)と形相的直観という
  絶対的な源泉によってその基礎づけと解決の道程を得ることができる。

  現象学により、主観の目的論的構造が捉えられ(2)、さらには、実践を行う時の
  理性の自己省察機能、普遍的理念の理解は、理性が目指すべき方向性を
  明るみに出す。
  理性の構造、目的を知ることは、実践的な理念の実現を可能とする。

  形而上学的な目的論的問題、倫理的問題、歴史哲学的問題は、それを判断
  する理性とともに現象学のうちにある。

88 :ポール:03/11/27 06:45
《解説1》 「超越論的経験」

  現象学おける「経験」とは、客観物や客観的自体についての主題的・客観的な「判断」と区別され、それらの
  判断に先立ち、それらを可能としている基盤としての前述語的な「経験野」のことです。(『経験と判断』)
  経験はたんなる事実経験でなく、本質的・形相的な性格を持ちます。
  この根源的な経験野は、すなわち超越論的主観性の構成作用が機能する基盤です。超越論的経験野の
  根本構造として、世界地平、時間意識の総合、同質的および異質的連合などが特記されます。

89 :ポール:03/11/27 06:45
《解説2》 「理性の目的論的構造」

  >>85

90 :ポール:03/11/27 21:53
【16】 あらゆる哲学的対立の現象学的解決

  具体的な直観的所与性から抽象的な本質へと至る現象学は(1)、古くからの哲学的対立を解消する。(2)

    1 合理論(プラトン主義)と経験論 :経験論は、最も普遍的な経験論(現象学)によってのみ克服される。(3)

    2 相対主義と絶対主義 :相対主義は最も普遍的な相対主義(現象学)によってのみ克服される。(4)

    3 主観主義と客観主義 :主観主義は最も徹底した主観主義である超越論的現象学によってのみ克服される。
                    そのような主観主義は、同時に客観主義でもある。
                    還元によって得られた経験は、絶対的な明証性の源泉である直観に基礎付けられており、
                    それらを他者のそれと比較、一致したものは真性の客観性を得ることができる。(5)

    4 実在論と超越論(6)

    5 心理学主義と反心理学主義(7)

    6 実証主義と形而上学(8)

    7 目的論的世界観と因果的世界観(9)

91 :ポール:03/11/27 21:53
《解説16-1》 「具体的な直観的所与性から抽象的な本質へと至る現象学」

  特定のアプリオリな原理を前提にし、そこから演算的に体系構築を試みる「上からの」哲学に反し、
  「事象そのものへ!」をモットーとする現象学は、「真」の顕現の場である経験野に与えられる現象を
  本質直観することから始まります。

92 :ポール:03/11/27 21:54
《解説16-2》 「古くからの哲学的対立を解消する」

  それぞれどのように解消しているのかは今後の私の課題です。

93 :ポール:03/11/27 21:54
《解説16-3》 「現象学の客観主義と、実在的な客観主義」

  あらゆる経験の源泉に基礎づけられていない実在的な客観主義(自然主義的態度における客観主義)は、
  真の客観主義ではありません。真の客観主義とは、絶対的な明証性の源泉である経験野に基礎づけられた
  ── 一見、主観的にみえる──超越論主義です。

94 :ポール:03/11/27 21:57
とりあえず、以上で『ブリタニカ草稿』読了です。

今年いっぱいはこの論文をはじめ、参考文献を読み直し、
足りない箇所を補充しつつ現象学の理解を深めたいと
思います。とりあえず『現象学の理念』『イデーン後記』を、
できれば新田義弘『現象学』にも目を通すつもりです。


 まとめ http://www12.ocn.ne.jp/~n_naki/





95 :考える名無しさん:03/11/28 21:34
ポールさん、乙です!

96 :ポール:03/11/29 00:33
ありがとうございます。
素直に嬉しいです。

97 :考える名無しさん:03/12/06 21:49
まとめサイトかっこいいね

98 :考える名無しさん:03/12/12 06:48
理念がいいなあ

99 :考える名無しさん:03/12/14 20:29
現象学上げ。

100 :考える名無しさん:03/12/14 20:30
ええじゃないか!

101 :考える名無しさん:03/12/23 00:42
このスレはこれで終わり?

102 :考える名無しさん:04/01/11 23:42
「ブリタニカ草稿」、ついに文庫本で刊行!!!!!!!!!

ちくま学芸文庫から2月10日にでます。
えらい時代になったなあ。

103 :考える名無しさん:04/01/11 23:44
「ブリタニカ草稿」ってめっちゃ短くなかったっけ?

104 :分析好き:04/01/11 23:49
いいよなあ、現象学は。
「デカルト的省察」も「ヨーロッパ諸学の危機」もと思ってたら「ブリタニカ」もかあ。

近頃フロイトもばんばん出てるし。
ニーチェは全集がだいぶ昔にでた。

それにくらべ分析は「論考」がやっとでたところだからなー

105 :考える名無しさん:04/01/11 23:51
>>104
チザムって読んだほうがいいかな?教えてください。

106 :分析好き:04/01/12 00:06
わたしは単に「好き」なだけでまだまだウィトとか教科書みたいのとかを読み出した程度です。
だからチザムってオモシロそうではあるけど、、、、
むしろこっちが教えて欲しい。

107 :考える名無しさん:04/01/12 00:30
チザムって現象学の人?それとも西部開拓時代の伝説的ガンマン?

108 :考える名無しさん:04/01/12 00:37
2月にブリタニカ草稿が文庫本で出るんだろ

109 :考える名無しさん:04/01/12 08:53
てことは
デカルト的省察 岩波
ヨーロッパ諸学の危機 中公
ブリタニカ ちくま
って感じだな、

二月には
フッセル/池上鎌三訳 『純粋現象学及現象学的哲学考案』
も重版されるし

110 :考える名無しさん:04/01/14 19:22
しかし谷徹の訳なんて使いものになるのか?

111 :ポール:04/01/15 22:18
ちくまでブリタニカですか。楽しみですね。

しかも値段見たら、1300円。
二郎さんの『ヒューマニズムについて』が1200円で400p。
ブリタニカの最終稿はおそらく30pぐらい。
草稿合わせて100p。
あとは解説で300p!!

112 :考える名無しさん:04/01/16 02:40
その情報どこでわかるんですか。おしえてください。

113 :考える名無しさん:04/01/17 21:21
sage

114 :考える名無しさん:04/01/24 11:48
>>112
どの情報?

115 :考える名無しさん:04/01/24 12:26
誰かもっと面白いこといってくれ!哲板滅亡!

116 :考える名無しさん:04/01/24 12:28
哲 板 滅 亡 !

117 :考える名無しさん:04/01/24 12:32
いやしかしまぢに風邪ひいたぞい。

118 :考える名無しさん:04/01/26 00:07
文庫は288Pか
本文+注+解説=288P

119 :考える名無しさん:04/01/28 23:59
発売前保守あげ

120 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

121 :考える名無しさん:04/02/02 21:19
hosyu

122 :考える名無しさん:04/02/03 07:36
谷徹「現象学」めちゃめちゃ分かりやすいね。
ちくま学芸文庫の「ブリタニカ草稿 現象学の核心」も谷徹が訳してるから、
読んでみようかな。

入門書としてどうですか?

123 :考える名無しさん:04/02/04 13:21
二幽門書だったら減少額の理念かな

124 :考える名無しさん:04/02/04 16:11
                             / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
          ,へ                  /             \  ,ハ百
         \ \              /                  ヽ ム.只
         /へ/)             l::::                  ::::|
    ∧_∧∩  )(             . |:::::    (●)     (●)  :::::| =夫=_
    (#´〜`)7   (  !      ____ |::::::ノ'""ゝ.\___/   :::::::| フi三iヽ
   ゚ .冂つム゚_」   Y       (_   ____)    ':; \/    ::::::::ノ  '─'
  ゜ ム_」」」」ゝ   人    ___) (__∠__   \
   (,_,,ノ `ー´   (  ';   (__________)   ~':;,,.
   ,' . / .'     ヽ (_        ,,;::'~            ~':::;;,,,_
  / / '        \ヽ.  __,,,,-‐''"~     ∧_∧   ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
   '0      __,,..l⊂Z_).⊃!         ∬・∀・∬   ̄ ̄ ̄ ̄) (二二二二二......  0
  0Π0- ‐‐'''""   |;;:.:. ヮ . .:::;|        ,べヽy〃へ  ( ̄ ̄ ̄             0Π0
  HΠH       ∩.∧_∧∩    ∧∧/  :| 'ツ' |  ヽ  ̄λ_λ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧∧ ̄ HΠH
 EEE       (◎´∵`◎)   (*・_・). o |=デ=! o |  (0´く`0)ヮ    [`Д´] EEE
  |l|lil|ili|        瓜ゞッ=Lく   ,くリ=ッ=[ゝ.__」「「「「L_.」  厂〉=ッ冂づ ヌ Oヮ⊂[]ヨ  |l|lil|ili|
,,.<卅卅ゝ.__.,.,.,___.__.,.,.,(__)ヾZ)'_.,.,_じ(ノルハ)Jつ」」」」」⊂ソ.,_.,_.(入ム]つつ.__,L!__. (_」つ.,<卅卅ゝ


125 :考える名無しさん:04/02/13 18:35
院生以外は読む必要ないよ。

126 : ◆0eaDYd/cfs :04/02/13 20:10
てす

127 :考える名無しさん:04/02/14 02:18
もう買った人いる?

128 :考える名無しさん:04/02/14 05:20
買ったよ

129 :ポール:04/02/14 06:59
>>122
立ち読みで流し読みしただけの素人なので、的確なことは
言えませんが、入門書としてはお勧めできないかと。

今回出版された『ブリタニカ草稿』は、草稿自体は
短いのですが(むしろ凝縮されているからこそ難しい)、
非常に難解な上、解説もあまり詳しくありませんでした。
そして何よりも退屈です。当時現象学は心理学と混同
されることが多かったらしく、この論文も、二つの学問
の相違に多くの字数を費やしています。

130 :ポール:04/02/14 07:00
そもそも『ブリタニカ草稿』は、ブリタニカ大事典のために、
師のフッサールと弟子のハイデガーが共同で執筆した
ものですが、その途中で二人の現象学解釈の違いが
判明し、結局フッサールはハイデガーとの共同作業は
諦め、一人で書き上げたものです。
そのためこの論文は、二人の現象学解釈の違いを探る
研究者のための貴重な資料として価値のある論文であり、
入門者向きではないかと思われます。

谷さんの『これが現象学だ』を読んでいるなら、
『デカルト的省察』の第4省察までを読んでみては
いかがでしょう? いや、『これが〜『を読んでいるなら、
ブリタニカの方がいいのかな?

131 :ポール:04/02/14 07:00
ともあれ、読んだ人、特に研究者の人の感想を聞きたいですね。



132 :考える名無しさん:04/02/14 07:43
>>129
>そして何よりも退屈です。

今読んでる途中だけどスゲー面白い。
非常に密度が高い論文だから読んでて面白いよ。
謎解きしてるみたいでさ。
入門者にはお勧めしない。
木田元の本を読んでからなら
充分理解できるよ。

133 :考える名無しさん:04/02/14 09:19
どうでもいいけど何故エトムントなんだ。
エドムントよりもそっちの方がドイツ語の発音に近いのか?

134 :考える名無しさん:04/02/14 13:23
フッサールだったら岩波文庫から「純粋現象学及現象学的哲学考案」が復刊されるよ。

135 :考える名無しさん:04/02/14 14:28
>>134
されるけど、戦前に訳された超直訳調らしいからなぁ…

136 :考える名無しさん:04/02/14 18:21
>>134
タイトルからして買う気が失せる。

137 :考える名無しさん:04/02/15 06:25
第一草稿わかりやすい。これなら初心者でも読めるんじゃないか。

138 :考える名無しさん:04/02/15 07:32
谷徹って若手の研究者だと思い込んでたが
50歳なんだね

139 :考える名無しさん:04/02/16 00:14
クソスレあげ

140 :考える名無しさん:04/02/16 00:32
>>136
イデーンのことだよ。

141 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

142 :考える名無しさん:04/02/16 00:35
>>140
えっ?これイデーンなの?
訳はどう?

143 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

144 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

145 :考える名無しさん:04/02/16 00:39
まじで?『イデーン』、文庫で出るの?

146 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

147 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

148 :考える名無しさん:04/02/16 00:46
ああ、もってるけど訳は古いよ。上巻が224ページで
下巻が350ページ、別に解説はついてないから
今度もつかないと思う。
言葉使いは 従つて とか 現はれたのである とかさ。

149 :考える名無しさん:04/02/16 00:49
純粋現象学及現象学的哲学考案 (下) -- フッセル (著), 池上 鎌三; 文庫 価格:¥699
純粋現象学及現象学的哲学考案 (上) -- フッセル (著), 池上 鎌三; 文庫 価格:¥553

フッセルか。
厳しそうだな。

150 :考える名無しさん:04/02/16 00:52
イデーンが700円ぐらいで買えるのか。
これはいいニュースでした。

151 :考える名無しさん:04/02/16 00:55
挫折率の高そうなイデーンだな

152 :考える名無しさん:04/02/16 00:57
みすずいくらなんでも高すぎる
古本でも値が落ちない

153 : ◆I/MiG5ooSQ :04/02/16 02:13
1

154 :考える名無しさん:04/02/16 03:31
kusosure

155 :考える名無しさん:04/02/16 07:16
フッサールも大学では数学を勉強した。
だからさー
おまいらも、まず、数学やれよ。

156 :考える名無しさん:04/02/16 09:11
ちくま学芸文庫で『算術の哲学』もそのうち出るんだね
がんばってるなちくま

157 :ヒモでヒキコモリ:04/02/16 17:13
イデーン、文庫で出してくれないかな。主著だし。
岩波のは持ってるけど原書を読む気がしないのと同じで読まない。
復刊は10年位前にもなかったか?
みすずとは違う新訳で出してくれたら偉業だろうな。

というわけでいまから彼女におねだりして買ってもらいます、ブリタニカ草稿。w

考案でしょ、草稿でしょ、危機でしょ、あと何が文庫になってるんだっけ?
経験と判断もおもしろかったな。
初心者には危機を強く勧めます。おもしろいから。





158 :ヒモでヒキコモリ:04/02/16 17:15
岩波のデカルト的省察忘れてた

159 :考える名無しさん:04/02/16 17:42
フッサールの文はナンデモアリでつw
つまり、なんでも引き出せますw
なんでも哲学の典型的見本でつ。

160 :Md ◆5m18GD4M5g :04/02/16 17:45
http://210.172.62.225/

161 :考える名無しさん:04/02/16 17:54
>>156
マジで!?嬉しいなー筑摩最高!

162 :考える名無しさん:04/02/16 18:04
柄谷が「幾何学の起源」に遡行的問いを読み込んでいたのは面白かった。
ここで柄谷はニーチェとフッサールを重ねると同時に背馳させた。
そして、「危機」でフッサールをニーチェに再び近づけたわけだ。
柄谷経由でフッサールをやようとた人は多い。

163 ::04/02/16 18:11
ふーん
柄谷って文芸批評家でしょ

164 :考える名無しさん:04/02/16 18:13
『幾何学の起源』っておもしろいの?

165 :考える名無しさん:04/02/16 18:27
本文より長いデリダの序説が面白い、かも。

166 :考える名無しさん:04/02/16 18:30
客観世界を否定しといて
最後に「共通のw」構造をとりだすってむじゅんでつねw

167 :考える名無しさん:04/02/16 18:31
かもなの?フッサールって最初読むのは何がよいの?

168 :考える名無しさん:04/02/16 18:33
>>167
現象学をあまり知らない人だったら、いきなりフッサールの著作から入るのは勧められないかも。

169 :考える名無しさん:04/02/16 18:36
>>166
ロールズとかもそだね。個々の独自性とか言ってるのに、共通の正義の原理とか言う。
>>168
『フッサール 機嫌への哲学』は読みますた。

170 :考える名無しさん:04/02/16 18:38
現象学的還元=自分の世界への引きこもり→ヒキコ哲学
でつ。

171 :考える名無しさん:04/02/16 18:38
>>167
あえて挙げれば『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』かね。
ただ、その前に入門書や研究書とか読んでから入ったほうがいいと思うけど。
なにせ、フッサールの著作は砂を噛むような感じのものが多いから…

172 :考える名無しさん:04/02/16 18:45
>>171
ありがとやんした。砂食べたことあるけど、あれすごく舌にくっつくんだよね。
沢山うがいしないと口にすごくのこる。あの感じ尋常じゃなく気持ち悪い。
もっと現象学勉強しよー。

173 :考える名無しさん:04/02/16 18:58
デリダはフッサールをロゴス中心主義と批判したが、柄谷は超越論的
主観をフッサールはどのよに確保しているのかに注目する。
ここからメルロ・ポンティをはるか格下の単なる思想とみなす。

174 :考える名無しさん:04/02/16 20:21
ブリタニカ草稿読み終わった。
いいね、これ。現象学の内容がコンパクトにまとまってる。
フッサールのだから内容も信頼できるし。
でも正直ハイデガーが書いた部分の方がわかり易かったw

解説もまあいいんじゃないかな。ブリタニカ草稿を読もうと言う人間なら
解説に書いてあることはほとんどわかってるだろうけどね。

175 :考える名無しさん:04/02/16 22:02
>>174
>フッサールのだから内容も信頼できるし。
それゃ創始者だからなw

176 :考える名無しさん:04/02/16 23:15
クソスレあげ

177 :考える名無しさん:04/02/17 01:17
フッサールは彼の問題意識を共有できていないと
何読んでもさっぱりなんじゃないか?
少なくとも概観はつかんでないといきなりは厳しいだろうな。


178 :考える名無しさん:04/02/17 09:37
フッサールってかっこいいよね

179 :考える名無しさん:04/02/17 10:16
現象学の研究者でも
「フッサールの著作は捉えどころがないから、読んでる時はつらい」
っていう人は結構いるね。

180 :考える名無しさん:04/02/17 10:25
フッサールの著作は捉えやすいだろう
あまりにも捉えやすすぎて味気がないということはあるが

捉えどころがないのはむしろハイデガー
モッタイブルナヨこんちくしょうめ

181 :考える名無しさん:04/02/17 11:37
>>178
http://members.at.infoseek.co.jp/maruheso/aadic/ha.html#husagiko

  ,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡<  俺様に惚れたか!ゴルァ
 UU"""" U U    \_________


http://fusare.at.infoseek.co.jp/
ミ,,゚Д゚彡 < こんなページもあるぞゴルァ(゚д゚)

182 :考える名無しさん:04/02/17 20:48
フッサールの著作以外で発生的現象学を詳しく扱った本知りませんか?


183 :考える名無しさん:04/02/19 17:29
知りません

184 :考える名無しさん:04/02/19 18:23
だよな

185 :考える名無しさん:04/02/19 23:06
メルロ=ポンティを読めよ
>>182

186 :考える名無しさん:04/02/20 01:04
来週の「お厚いのがお好き」は『イデーン』だそうです。

187 :考える名無しさん:04/02/20 17:21
新田義弘の本は皆読んでる?
俺いま『現象学とは何か』を読んでる最中。
発生的現象学にも1章あてられてるよ。


188 :考える名無しさん:04/02/21 23:18
アマゾンで現象学で検索したら売れ行き10位だった>新田現象学とは何か

189 :考える名無しさん:04/02/22 10:25
>>182
山口一郎『現象学ことはじめ』が良書。
わかりやすいし、かつ今のフッサール研究の水準を示しています。
現象学入門としては
谷徹の『これが現象学だ』と並んで現在最もお薦めできます。
山口は海外を見ても最も深く発生的現象学研究を進めている一人です。
もちろん彼の解釈に反論のある人はいると思いますけどね。
新田義弘の著書も名著です。

190 :考える名無しさん:04/02/22 12:42
木田元

191 :考える名無しさん:04/02/22 13:09
「フッサール 起源への哲学」なんかもよいという噂だけど?

192 :考える名無しさん:04/02/23 01:13
フッサールは入門書を読まずにいきなり『危機』から読み始めるのがいいと思う。
講演を元にした本だから読みやすいし、他の本と違って緊張感がある。

193 :考える名無しさん:04/02/23 03:22
イデーン読んでるよ今

194 :考える名無しさん:04/02/23 05:54
>>192
それで1回挫折しました。

195 :考える名無しさん:04/02/23 08:17
『デカルト的省察』はどう?
ところで、「省察」のよみは、
ふつう「しょうさつ」なの?「せいさつ」なの?
ちなみに、うちのガッコのセンセは「せいさつ」って言ってた。

196 :考える名無しさん:04/02/23 11:50
>>192
私は2回挫折しました。でも3回目で成功しました。

>>195
どっちでもいい。両方あってる。おれは「せいさつ」と呼んでるけど。

197 :考える名無しさん:04/02/23 11:54
>>192
私は7回くらい挫折しました。
7年位前に買って、まだ全部読みきってません。

198 :考える名無しさん:04/02/23 12:27
>>197
1年に1回挫折してるんですね!もはや年中行事です!

199 :ヒモでヒキコモリ :04/02/23 22:49
ブリタニカ草稿、ゲットしますた。
これから読みます。

200 :考える名無しさん:04/02/24 04:48
弐百もらった

201 :考える名無しさん:04/02/24 21:06
「イデーン」の最初の第1章を詳しく解説した本はないですか?

202 :考える名無しさん:04/03/03 19:04
201>>
レスが止まってしまいましたね。
ひょっとすると未だに、邦訳についているリクールと渡辺二郎の註が
手頃な資料なのかもしれません。

203 :考える名無しさん:04/03/06 11:00
岩波文庫で復刊されたが・・・あれはどう?

204 :考える名無しさん:04/03/06 13:00
>>203
やばすぎ。超読みにくい。旧字読みにくい。
だからといって、みすずのは高すぎ。

205 :考える名無しさん:04/03/06 13:05
ブリ挫折しそうでつ。
よび知識は竹田の2冊だけでつがだめでつか?

206 :考える名無しさん:04/03/06 13:08
>>205

>>2

207 :考える名無しさん:04/03/07 18:09
>>205
やっぱり、オーソドックスにフッサールを理解するための
入門書として最適なのは谷徹『これが現象学だ』だと思う。
彼は本当にクリアに整理できる人でフッサールの理解についても正当派。
『これだ』は彼のブリタニカ巻末の解説よりもわかりやすいから、
『これだ』を読んでから解説読めば、翻訳に当たれるのでは。


208 :考える名無しさん:04/03/07 18:17
>>207
その本タイトルのセンスなさすぎ。



209 :考える名無しさん:04/03/07 19:52
>>208
しかし内容はイイ!(・∀・)

210 :考える名無しさん:04/03/07 22:55
編集者の意向でついたみたいなことが書いてありましたよね。
確かに、ご本人がつけたとは思えない。

211 :考える名無しさん:04/03/08 15:07
羊頭狗肉だもんなw

212 :考える名無しさん:04/03/14 23:06
あげ


213 :考える名無しさん:04/03/15 17:35
谷さんてまじめそうだよね。

214 :考える名無しさん:04/03/16 00:08
sage

215 :考える名無しさん:04/04/01 00:21
hosyu

216 :考える名無しさん:04/04/12 00:32
age

217 :有漏:04/04/13 03:53
新田義弘『現象学とは何か』講談社学術文庫(後期フッサールの紹介者、ヘルト本の共訳者)
山口一郎『現象学ことはじめ』日本評論社(フッサール『受動的綜合の分析』の訳者)
斎藤慶典『フッサール 起源への哲学』講談社選書メチエ(ヘルト本の共訳者)
谷徹『これが現象学だ』講談社現代新書(フッサール『ブリタニカ草稿』筑摩学術文庫の訳者)
※特に山口氏と谷氏の時間論についての解釈に相違があるので、併読することを御勧めします。
山口・斎藤・谷、各先生の書を併読後に新田先生の書を読まれることを御勧めします。

218 :考える名無しさん:04/04/13 04:00
クセジュの「現象学」もいいよ。

219 :有漏:04/04/13 04:04
絶対的時間化=絶対事実(新田氏)=原-事実性=事発性(山口氏)=「存在」(ハイデッガー)=絶対無(西田)
(本質と事実、主語と述語、一と多、同一と別異、流れと止まり、の源)
フッサールと対比される、唯識(佛教哲学)的には、
有為=虚妄分別=縁起=依他=異熟(器世間・有根身・種子)=究極の独自相(述語化しない主語)=虚妄分別と
無為=空=円成=究極の共相(主語化しない述語)との関係の問題です。

220 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

221 :考える名無しさん:04/04/13 04:12
仏性はどうなってんの?

222 :考える名無しさん:04/04/20 11:35
age

223 :考える名無しさん:04/04/20 18:15
67j5


224 :考える名無しさん:04/05/05 02:49
ピエールマンセーアゲ

225 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

226 :考える名無しさん:04/05/18 21:50
age

227 :考える名無しさん:04/05/31 18:10
【描いた夢を信じたい、情熱のすべてを賭けた挑戦。】


228 :考える名無しさん:04/05/31 18:16
クソスレあげ。

229 :考える名無しさん:04/06/03 06:14
プププ
フッサールなんてしょせん、数学者くずれですが、なにか?
まったく、かってに(自然科学の)危機をつくりあげて、勝手に解決したのがフッサールw
ププププププププププ


230 :考える名無しさん:04/06/03 08:03
科学の目指すのが客観的真理なら、現象学の目指しているのは主観的な真理だろう。
絶対的な真理なんて知りようがないからね。

231 :考える名無しさん:04/06/12 05:17
hoshu

232 :考える名無しさん:04/06/24 00:41
>>230主観の真理と他の主観の真理は
一致するのか?

233 :考える名無しさん:04/06/25 23:26
>>232
あなたの意見は?

234 :考える名無しさん:04/07/28 16:36
hoosh

235 :考える名無しさん:04/07/28 17:20
>>230
目指すのはいいが、到達するのか? 目指しているってだけで偉いのか?

236 :考える名無しさん:04/07/28 18:19
目的論的ですね

237 :考える名無しさん:04/08/30 20:06
保守

238 :考える名無しさん:04/08/30 21:56
test

239 :ぴかぁ〜:04/08/30 22:21
もう終わりにしましょうぜ〜♪

240 :考える名無しさん:04/09/05 14:34
ポールさんは新しいスレッドをたてないんですか。(ミラクル大作戦とかいうやつ)

241 :考える名無しさん:04/09/30 21:11:34
デカルト的省察やりませんか
危機書でも可

242 :在日外人参政権付与反対:04/10/09 08:02:13
>>232ありうるだろうが確認のしようがない

243 :考える名無しさん:04/10/23 23:52:16
あげ

244 :考える名無しさん:04/11/01 00:15:20
 

245 :考える名無しさん:04/11/01 09:20:34
>>241
フッサール『デカルト的省察』を読みたい!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1066665377/

246 :考える名無しさん:04/11/26 12:46:35
次は『論理学研究』か『イデーン』か『危機』か。それとも『厳密学』か。

247 :考える名無しさん:04/12/04 14:00:42
sage

248 :考える名無しさん:04/12/18 18:38:23
246よ、テメーで考えてスレたてろや、このスットコドッコイが。

249 :考える名無しさん:04/12/18 23:39:23
糞スレ上げるな、このカスが。

250 :考える名無しさん:04/12/21 12:10:06
いいじゃんかよ、糞スレ、うんこスレ、まんこスレ、なんでもありよ。
それあっての2ちゃんじゃんだぜ。
そんな基本が和姦ねー249は頓馬よ。
おーい、ガンガン、ドンドンと糞スレで楽しもうぜ。

251 :考える名無しさん:04/12/21 12:16:15
ふっふっふ、249殿は見事に釣られましたね。
そして見事に糞スレのお手伝い。
250殿ではありませんが、やはり249殿は
頓馬です。

252 :考える名無しさん:04/12/21 12:19:00
わーい、わーい、わーい、糞スレに食いついた頓馬の
249、250及び251に、来年も糞福があります
ように。

253 :考える名無しさん:04/12/26 15:41:01
おーい、オレにも糞福くでー。


254 :考える名無しさん:04/12/27 15:48:17
糞スレいっぱいしたら糞福あげゆ。

255 :考える名無しさん:04/12/27 16:11:10
前半力作、後半ウンコ

256 :考える名無しさん:04/12/27 16:34:05
ひとりよがりの当然の帰結。もう沈めろカス。

257 :考える名無しさん:04/12/29 14:14:26
そうよ、もう沈めや、この糞スレといっしょにな。

258 :考える名無しさん:04/12/29 14:51:35
前半ウンコ、後半バカによる保守

259 :考える名無しさん:04/12/30 14:57:38
このスレ死んだな。


260 :考える名無しさん:04/12/30 15:43:21
またバカによる保守

261 :考える名無しさん:05/01/10 14:44:31
さらにバカ

262 :考える名無しさん:05/01/16 11:14:06
もうひとつ

263 :考える名無しさん:05/01/21 19:17:11
age

264 :考える名無しさん:05/01/21 19:37:54
またバカによる保守

265 :考える名無しさん:05/01/24 01:51:16
いい本です。


J.-L.マリオン 『還元と贈与』 フッサール・ハイデガー
http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k13431994

266 :考える名無しさん:05/02/04 04:05:20
なぜか
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yyuji/library/index.html
に原文がのっている。
読みたい奴はいないか?

267 :考える名無しさん:05/02/26 00:22:45
俺はこれから論理学研究読んでみるよ。

しかしフッサールって、「当り前のことを当り前に書く」人だよなあ・・・
俺にはフッサールを読むことの快楽が全く感じられない。
「これは『学問』だ。厳密なものだ。娯楽じゃねーんだよ」
って感じ。

268 :考える名無しさん:05/02/26 00:40:27
フッサール読んだ人それみんな口にする言葉だな。 >フッサールを読む快楽がない
「砂を噛むような」って誰かが形容してたが、なるほどな、と思った。

厳密に書こう厳密に書こうと努めた結果、おそろしく禁欲的な文体になってしまったんだろうな。

269 :考える名無しさん:05/02/26 01:58:52
文体もそうなのかも知らんが、内容がね。
どんな問題に対しても、常識的な、理に適った答えを出してくる。
読みにくいわりに、読んでいて意外性がない。
そんな感じだよね。ある種のヌーボー・ロマンだな。

270 :考える名無しさん:05/02/26 03:27:39
ひたすら砂を噛み続けることの反復をやっていると
あるリミットを越えた瞬間、これまでの世界が反転した
異様な光景が広がり出す。

その瞬間の到来を待ち続けて、こつこつ読むといい。

271 :考える名無しさん:05/02/26 06:33:34
>>270
それが哲学書を読むことの面白さ、なんだろうな。

272 :考える名無しさん:05/02/26 12:16:29
フッサールで「異様な光景」が広がるか??どうなんだろ

例えば、カントだと「経験より先にアプリオリなものが存する」と言われて、
「ああそうか!」と思う。カント自身が言うようにそれはコペルニクス的な転回であり、
哲学的に認識の転換、世界の反転が経験される。

逆に、日常の経験に実は深く根ざしている「思い込み」を露呈することにより
認識の転換を図るような哲学もある。
或いは、いつか一度は考えたけれども日常の生活に埋没して忘れてしまったような問題を
再び取り上げるような哲学もある。

しかしフッサールは、上記のようなものとは異なる。
例えば事物の本質にしても、それをアプリオリに想定するようなことは勿論しない。
逆に「本質などというものは存在しないよ」派でもない。
単に対象の志向性を分析し、そこから本質というものを取り出す。
(これは要するに、単に
「我々は日常、事物の本質を想定して生活している。だから、本質というものは存在する」と
言っているのに過ぎない。)
そもそも世界はなぜ存在するか?とかそういうDQNな疑問には答えないのは勿論、
そこで「語りえないものについては沈黙しなくてはならない」などという芝居めいた科白も吐かない。
ただ、ここにあるものをひたすらに記述し、ここに生じてきた問題のみに対して妥当な解答を与える。

・・・こういう態度を「妥協的」と見るか、「大人の態度」と見るか、の問題だよね。
(まあ最低、幾分妥協的であると評されることは免れないと思うけど)

273 :考える名無しさん:05/03/09 02:05:19
からあげ

274 :ローカルルール審議中:皇紀2665/04/02(土) 00:57:02
h

275 :ローカルルール審議中:2005/04/04(月) 08:01:05
『経験と判断』はどうですか?

276 :ローカルルール審議中:2005/04/05(火) 22:41:43
現代思想「特集=ハイデガー」の当該箇所を読み始めたのでage

277 :ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 00:36:56
フッサールと大塚愛は同一人物である。

278 :ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 00:51:16
終わったスレッドを無駄に揚げて延命させるのってローカルルールで禁止した方がいいんじゃないの。

279 :ローカルルール審議中:2005/04/06(水) 01:38:29
>>278
フッサールスレがないのから
別に目くじらを立てなくてもよいだろう。

280 :ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 23:46:36
三上真司氏の論文集を
ケイソウ書房あたりに公刊してホスィ。

281 :ローカルルール審議中:2005/04/07(木) 23:56:57
疲れたときに聴く音楽はこれに限る。ジョージはこういう優しい闇に生きていたんだなあ

282 :ローカルルール審議中:2005/04/08(金) 12:34:32
ポールや〜い

283 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 13:24:04
>>280
>三上真司

代表論文は何でつか?

284 :ローカルルール審議中:2005/04/26(火) 14:31:09
http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~jsshama/WADA/ma.htm

三上真司

フッサールとハイデガー - 事実と本質の関連をめぐる相剋と交錯
横浜市立大学論叢人文科学系列  1994.03

タルスキー・フッサール・絶対主義
横浜市立大学論叢人文科学系列  1996.03

言語の問題と現象学の解釈
哲学雑誌(東京大学)  1989

『算術の哲学』に関する批判的考察
論集(東京大学)  1985.01

起源への問いの起源
論集(東京大学)  1986.01

真理・関数・志向性 - フレーゲとフッサールとの連関について -
論集(東京大学)  1987.12

285 :考える名無しさん:2005/05/09(月) 11:47:02
age

286 :考える名無しさん:2005/05/19(木) 17:13:18
大森荘蔵はフッサールのぱくりだよねw

287 :考える名無しさん:2005/05/25(水) 05:32:37
せめて批判的継承と……

岩波の哲学思想事典のボルツァーノに関する項目は、
大体三上氏だった。

288 :考える名無しさん:2005/06/20(月) 10:58:29
sage

289 :考える名無しさん:2005/07/12(火) 12:25:47
救済

290 :考える名無しさん:2005/07/28(木) 00:27:02
sage

291 :考える名無しさん:2005/08/04(木) 03:54:10
>>286
フッセルだよ

292 :考える名無しさん:2005/08/04(木) 03:55:51
フッセルなんか、大森の前では犬の糞だね。

293 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 14:15:54
なにげに古参スレ

294 :◆GUGENiOq0w :2005/10/02(日) 12:41:44
>>293
ホッケーなフッド猿

295 :考える名無しさん:2005/10/02(日) 15:27:40
しつこく上げてる馬鹿がいるからね

296 :考える名無しさん:2005/11/16(水) 11:17:29
じゃあsageで

297 :考える名無しさん:2005/12/05(月) 15:37:05
「中島君、いい勉強法を教えてあげます。
 フッサールを読むのです。朝から晩まで読むのです。
 9時から始めて、お昼までで1ページ。
 ご飯を食べて晩まででまた2ページ。これをずっと続けるのです。」

(故・大森荘蔵の言葉。 中島義道『哲学の道場』(ちくま新書)より)

298 :考える名無しさん:2005/12/08(木) 17:01:15
age

299 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:00:33
暇だがね

300 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:00:56
300

301 :考える名無しさん:2005/12/08(木) 23:01:09
300

302 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:04:24
>>301
外れたがね?

303 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:06:50
暇だがね

304 :ジョン:2005/12/08(木) 23:12:20
ポールはどこいった?

305 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/08(木) 23:14:04


306 :純一 ◆Fn0dptrDJw :2005/12/09(金) 00:09:07
暇だがね

307 :考える名無しさん:2005/12/09(金) 22:33:43

頓馬なタン純一だな。


308 :エスプレッソ:2005/12/15(木) 06:42:27
余談だが
新田義弘が『現象学とは何か』で
フッサールは実際にやっている分析と、自分自身の仕事に対する解釈に
ズレがあるみたいなこと言ってた
それゆえ(『ブリタニカ草稿』読んだことがないが)いくらフッサール自身の手になる
入門書だからといっても鵜呑みにするのは危険かも

309 :考える名無しさん:2006/02/08(水) 10:12:11
なるほど

310 :考える名無しさん:2006/03/12(日) 14:08:25
そうかな?

311 :考える名無しさん:2006/03/12(日) 16:08:07
>>297
その語り口には綾小路きみまろが入ってるな

312 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 13:24:44
うわ なにこのスレつまんね(^ω^;)

313 :考える名無しさん:2006/04/07(金) 13:28:00



















zzz


314 :考える名無しさん:2006/04/12(水) 02:25:08
哲学やってる奴って実質高卒だろwwwwwwwwwwwww

315 :考える名無しさん:2006/04/12(水) 13:16:09
サラリーマンやってる奴って実質奴隷だろwwwwwwwwwwwww


316 :考える名無しさん:2006/04/13(木) 07:38:05
大森荘蔵はフッサールのぱくりだよねw

317 :考える名無しさん:2006/04/14(金) 09:48:40
大森哲学のブームはまだですか

318 :考える名無しさん:2006/04/17(月) 14:20:59
『算術の哲学』か……

319 :考える名無しさん:2006/04/17(月) 19:57:45
誰も読まないから上げんな

320 :考える名無しさん:2006/05/21(日) 13:58:46
´(´)`

321 :考える名無しさん:2006/06/09(金) 20:13:16
超越論的相互主観性と日常的相互主観性の違いが分からないのですが
どういうことだかわかりますか?

322 :考える名無しさん:2006/07/20(木) 01:47:52
(’A`)

323 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 15:44:54
糞スレ上げるな、このカスが。

324 :考える名無しさん:2006/08/14(月) 17:05:09
ポール巻き

325 :考える名無しさん:2006/10/06(金) 03:34:37
(’A`)

326 :.:2006/10/09(月) 20:12:51
漫湖age

327 :考える名無しさん:2006/11/02(木) 01:39:34
売名行為は下品だぞ

328 :考える名無しさん:2006/11/03(金) 02:47:09
>>321
出会いと馴れ合いの違いだね。

329 :考える名無しさん:2006/12/10(日) 04:02:02
いい加減落としちまえよ。こんなクソスレ。一ヶ月以上レスねーじゃねーかよ。
構うの禁止

330 :考える名無しさん:2007/01/25(木) 08:13:46
まとめ http://www12.ocn.ne.jp/~n_naki/

なくなっているが、どこかに移転したのだろうか?

知っている人がいたら、教えて下さい。



331 :考える名無しさん:2007/02/11(日) 23:23:30
オール・ハイル・ブリタニカァァァァァァァ!!

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