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フレーゲについて語ろう

268 :223:04/01/27 18:10
「語の意味は文という脈絡の中で問われねばならない」という原理の中の
「文という脈絡」という言い回しは、当該の語の文中の位置(主語になっているか
目的語になっているか等々)とか、当該の語を含む文と前後の文の続き具合
という意味での「文脈」や、その文が発話された状況のことではない、
と考えるのが普通ですし、
文脈原理もこのような意味での「文脈」に応じて
語の意味ないし指示対象が「変化する」という主張ではない、
と考えるのが普通です。
(実際、この意味での文脈が変わるごとに語の意味が変わってしまうような言語は
論理的に欠陥のある言語だ、ということをフレーゲが言っていたと思います。
どこかは忘れました。多分書簡集か数学論集のどこか。)

じゃあ文脈原理って何なのか、ということですが、よく分かりませんねえ。
『算術の基礎』§60前後の議論を見ると、
語の意味を単独で問う → 語の意味はその語を聞いて思い浮かぶイメージだ、
                 という誤った考えが生じる。
語の意味を文の中で問う → 正しく語の意味を捉えられる。
といったことをフレーゲは言いたがっている気がしますけど、
この主張にどういうポイントがあるのか、私にははっきりしません。

分析哲学・言語哲学で一般に言われる「文脈原理」は
「語の意味は文の真理条件への寄与である」というものですが、
これは思い切り噛み砕いてしまえば
言語の意味を説明するということの眼目を
「文の意味を説明し、それに基づいて言語行為・伝達を説明する理論を作ること」
に置き、語の意味を文の意味を効率的に説明するための理論的道具立てとみなそう、
という考え方だと言えると思います。
このように理解された文脈原理とフレーゲの文脈原理の関係は、不透明です。


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