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蝦夷とはなに?

1 :世界@名無史さん:2001/04/23(月) 10:23
蝦夷とはいったいなんでしょうね。
大和朝廷に従わなかった、
まつろわぬ民と言われる人たち。

戦前の歴史観などでは彼らはあくまで、同じ大和民族だというような説明がされてますが、
そもそも「大和民族」というもの自体が否定されかかっています。

最近ではアイヌ=蝦夷説も復活しつつありますね。
東北関東はおろかにし日本にもアイヌ語の痕跡がありますし。
高知の四万十川とかもそうですね。

2 :世界@名無史さん:2001/04/23(月) 10:24
やはり、天皇などの一族は大陸からわたってきた。
侵略者なのでしょうか?

3 :天之御名無主:2001/04/23(月) 16:41
>>2
天皇などの一族は大陸から渡ってきましたが
ほかの人たちも大陸から渡ってきました


4 :天之御名無主:2001/04/24(火) 10:25
えっと専門ではないのでウロ憶え。
日本に最初に「文明もどき」を作った縄文人の一部が、自らを「カイ」と自称していた。
そのカイに弥生人、のちの倭人が文字を当てて「蝦夷」となった。
一方縄文人の一部は自らを「勇者」エンチュウ、エムチュウとか呼んでいて、
それを倭人が「エミシ」と聞き、「蝦夷」をエミシと読んだのではないじゃろか。

縄文人は侵略と、自主的変化によって「倭人化」し、現在の東日本人となった。
一方自らの文化を守るために北方へ転戦したのが、現在のアイヌ人。
アイヌ人と東日本人の分化は、13、4世紀頃からと思う。

5 :名無しさん@1周年:2001/04/24(火) 22:20
農業(米作)を生活の拠り所とするのが倭人。
狩猟、採集(縄文文化)を生活の拠り所とするのが蝦夷。
大雑把だけどね。

山人も蝦夷に入るのでは?

6 :うーん??:2001/04/24(火) 22:30
>>5
うーん。日本海沿岸から広がった川筋系山民もいますよね。
例えば、沿岸の潟から諏訪湖の方に入植してった人々などの系統。
諏訪湖は山人センターのひとつと思われますよね。
ずっと後まで歩き巫女の拠点だったたし。
木曽のソマ師なんかともつながるはずだし。

サンカとかマタギに限るならエミシ系って気もしますけど。
どうなんでしょうねぇ。

7 :サンカすることに意義がある:2001/04/25(水) 16:11
別んとこにも書いたけど、最近は
「サンカ幕末発生説」に傾きつつある。三角説には、サンカの古代起源説が出てくるけど
「河原巻物」みたいなもんじゃないかな。
幕藩体制や近代化からはじき出された人々が、山中で共同生活を送る上で独特の社会を形成した。
そう古いことじゃないと思う。
マタギ言葉がアイヌ語なのは理解出来るけど、サンカ文字は信じがたい。

8 :しっつもーん:2001/04/25(水) 16:33
>>7
幕末発生説だと、伝えられる言語の不通は
どのように説明されているのでしょうか?

三角説を無視した型の柳田なんかが示唆してますよね、
言語が通じないって。

それとも三角のサンカと柳田の山人は別概念とみなされるのでしょうか?

9 :天之御名無主:2001/04/25(水) 18:05
2=3=電波

10 :天之御名無主:2001/04/26(木) 22:32
>6
かなり大雑把な分類だけど、倭人以外=蝦夷という図式は成り立つのかな?って思ったんだけど。


11 :=6:2001/04/26(木) 22:55
時期によると思います。
倭人は中国社会から観られた他称からスタートしたわけで。
倭国の頃には当事者が採用したと考えるのが自然と思いますが。

倭の領域とヤマト朝廷の領域は重なり合うかもしれないけど
一致するとも思えないわけで。

例えば、>>6 に挙げた、日本海沿岸文化の主体は四隅突出噴で
特徴づけられるのですが。
私見では、これを出雲系と一括してしまうことには慎重になった
方がよいと思っています。

出雲王国の成立以前から日本海沿岸沿いの移住した可能性はあるので
出雲系って一括で歴史のイメージが狂わせられる可能性もある。

で、この四隅突出噴で特徴づけられる人々。
魏書倭人ノ条にあるような文身をしたりする倭人だったか、というと、
これまた疑問が持たれると思います。

12 :天之御名無主:2001/05/03(木) 18:56
蝦夷ってのは、縄文人が日本人とアイヌ人に枝分かれする過程で中間に取り残された縄文人の末裔。
だからアイヌ説と日本辺民説との対立は解消されつつあるのであって、
1のいうような「戦前は大和民族説だったが、現在はアイヌ説が復活しつつある」なんていうのはデタラメ。


13 :天之御名無主:2001/05/06(日) 16:34
倭人ってのは日本人だろ。
日本人以外にも倭ってのがいろいろいたようにいう説もあるが、一部の例外を過大にとりあげた議論に思える。
あんまりいろいろなものを無秩序に倭とよんでいたのでは「記号」としての意味をなさないし、
中国の歴史書の実態ともあわない。

14 :リリス:2001/05/06(日) 17:06
2000年前の中国人は、大雑把に東の海上にある島に
住んでいて、朝貢する連中を倭人と捉えていたようで
あんまり厳密に考えていなかったんじゃないかと思う。
地図だっていいかげんだし。

15 :天之御名無主:2001/05/06(日) 19:24
>>13
ヨーロッパ人のいう、「アジア」や「オリエント」同様
古代中国人の言う「倭」も歴史とともに推移しています。
これは、中国の歴史書で確認されている事柄です。

倭人=日本人ではありません。

16 :天之御名無主:2001/05/06(日) 20:59
世界史板「『倭』国の定義とはいかに?」からコピペ

91 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/05/06(日) 20:10

いいかげんに、っていうか。
例の、南蛮・東夷・西戎・北狄のそれぞれにはあきらかに
中華文明が共有したイメージがあるよね。
狄は遊牧騎馬民だし、戎は内陸アジア系の遊牧民。

倭は古代中国人によって東南夷の一派と認識されていたと思われる。
やはり水民の一派って認識だろうね。

>>14
「あまり厳密に考えてない」のはあなた。
古代中国人には古代中国人なりの世界のイメーヂがあったわけ。

17 :天之御名無主:2001/05/07(月) 11:47
戎=蝦夷じゃないのかな?
最初の発音の”え”が”い”に
転訛して、あるいは英語でいうところの
"I"と"E"の中間の音があって、伊豆や伊勢等に。
ここらは朝廷が防人として異民族を
住まわせた地域って聞いたことがある。

18 :天之御名無主:2001/05/07(月) 11:57
「倭人⊂東南夷」ってのは、魏書の内(倭人条以外の個所)にあったはず。
(ちょっと調べ直さないと、どこだったかはすぐ出てこないが)

「戎=蝦夷」ってのは?
典拠キボンヌ。
あ、もしかして「朝廷が防人として異民族を住まわせた」って
大和朝廷の史書の記述とか??


19 :天之御名無主:2001/05/07(月) 12:35
>>18
ごめん。うろ覚えなんで。
とにかく、”え”という言葉が
朝廷から見て異民族らしい
ということでした。

20 :天之御名無主:2001/05/07(月) 14:01
ききかじり程度の知識でいいかげんなレスばかり。もうやめたら?

21 :天之御名無主:2001/05/07(月) 14:22
>20
こういう話もあるよって程度の雑談もいけないんでしょうか?

22 :≠20:2001/05/07(月) 18:13
>>21
「あまり確かな話でないけど」とかなんとか、
はっきり、きちんと書いてあればいいんでないかい?

アバウトな話が広まるるのは、よくないからね。
話題によっては危険なこともあるのはわかるよね。
その辺の配慮があるなら雑談もありと思うな。

23 :17:2001/05/07(月) 18:34
>>22
そうですよね。だから、僕も「聞いたことがある」
って書いたんですけど、心意が伝わらなかったみたいです。
結局、いろんな説があって、それをどう受け止めるかは本人の
洞察力ってことになりますよね?歴史をリアルタイムで見た人
は別として。だから、雑談の中で色々なことを頭の中で構築
することは肯定こそされ、否定されることではないと思います。

24 :=22:2001/05/07(月) 19:39
>>23
まぁ、漏れの個人的意見だから、参考程度に聞いてくれ。
漏れも「聞いたことがある」程度じゃ弱いと思うな。

話題によるけどな。
やっぱ「あまり確かな話でないけど」程度は、はっきり
書いた方が、アバウトな話が一人歩きしないと思う。

噂は尾鰭がつくしな。

それから、「聞いた話」に突っ込まれて「心意が伝わらなかった」
ってーのはBBSではあまり感心しないな。

文字でしかやり取りしないんだから。心意なんて伝わらない、ぐらい
に思って慎重に書いた方がよかべー。

>雑談の中で色々なことを頭の中で構築することは肯定こそされ

話題によるな。
差別とか、政治とかに関るような話題だとそうも言ってらんめー。
これは、17には関係ない話だろうけど、一応。

まー、気に障ったかもしんねーけど。漏れの個人的意見だ。
参考になったらいいけどな。

25 :17:2001/05/07(月) 21:05
なるほど!
差別に関してはその人によりますよね?
いくら事実であっても言っていけないことはいけない
ですからね。
心して取り組みます。

26 :天之御名無主:2001/05/07(月) 23:58
あのう、ここまで読んで思ったんだけど、文献から名前の由来についての話ばかりで、そんなことより蝦夷って一つの文化形態を指す言葉だと思うんだけど、その辺の話ってないのかなあ。

27 :原住民:2001/05/08(火) 02:37
蝦夷について客観的に語っている様で、そうじゃない様な気がする。
たとえば近畿・中国でも京都、奈良、岡山、島根これらは、それこそ
神話・民俗、各々大きく異なる。中央政権は倭人が安定的に継承して
きた訳ではないでしょう?古代朝鮮も谷ごとに小国が分立していた。
東北も詳しく見れば県でもくくれません。

特徴的な地域を三っつほど記します。
1、津軽=常に中央を意識する精神と整った顔立ちは、おそらく古い
    タイプの倭人と権力の近くにいた渡来系が多数流入している
    様に思われる。
2、岩手中南部=独立心の強さと頑強な体躯、特徴的な顔立ちは
       東欧の人々を連想させる。
3、秋田山間部=女子校高生平均身長、日本一。色白の顔と母系遺伝の
       疾病等、中央アジア遊牧系の混血を想像させる。



28 :日本@名無史さん:2001/05/08(火) 17:50
蝦夷っていぼがえるのことでしょ?
帰化人にとって原日本人て見た目が変だったんじゃないの?
だから、きっちりした分け目がないように気がする。

29 :天之御名無主:2001/05/08(火) 19:27
それは言えるかも
江戸時代の欧米人を描いた浮世絵なんか笑えるもんね
アジアン・エスニックど真ん中の帰化人にとっちゃ
原日本人は中世人にとっての南蛮人どころじゃないかもね
そういえば南蛮人も蔑称じゃなかった?

30 :天之御名無主:2001/05/09(水) 17:17
中国人を信じると
倭人=チンチクリン
となると
原日本人=鬼
となる
白人=赤鬼(南蛮人)
みたいにね


31 :天之御名無主:2001/05/09(水) 18:00
大和民族そのものの存在の否定か。
自虐もここまで来ると病気だ。

32 :天之御名無主:2001/05/09(水) 21:52
>>31
きみも病気。なんでも自虐と思える
自虐妄想症候群(ワラ

33 :天之御名無主:2001/05/10(木) 00:54
差別スレ読んでたら日付がかわったぜ。とにかく多い!
意図からして関西在住の誰かだろうけど????
自虐的といったら、こんなスレたてる事自体そうなんじゃないか?
俺みたいな門外漢でも関西人の起源みたいなものがスッキリ見えて
きたよ。差別への反論の方が具体的で説得力あったぜ!!!!

34 :天之御名無主:2001/05/10(木) 03:19
>>31
気持ち悪い

35 :天之御名無主:2001/05/10(木) 03:19
>>32
気持ち悪い

36 :天之御名無主 :2001/05/10(木) 21:53
>>27
へぇ、そうなんだぁ。
私も父方の祖母が秋田の方なんだけど
すごく背が大きくてはっきりした顔立ちだったな。
私の肩と腰が異常に張ってんのはその辺に由来するのかな??

37 :名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/11(金) 00:19
age

38 :天之御名無主:2001/05/11(金) 14:22
征夷大将軍ってあるでしょ?これは蝦夷を征伐する大将。
天皇にみとめられなければいけない。あと、松平家の子孫であること。
ちなみに徳川は松平家の子孫ではないけどね。

39 :天之御名無主:2001/05/11(金) 16:49
最初の征夷大将軍は、ヤマト朝廷の坂上田村麻呂だよん。
松平氏云々は、ずっと後代の事なのねん。

40 :天之御名無主:2001/05/11(金) 21:09
そうだよ!征夷大将軍は歴史ある称号(役職)だよ。
まず紀古佐美という将軍は蝦夷との戦いで十分の一の蝦夷軍に大敗し
あわてた朝廷は公家ではなく帰化人の坂上田村麻呂(父が朝鮮人)を
将軍につけたんだ。田村麻呂は蝦夷の首領アテルイを降伏させた。
しかし、朝廷は田村麻呂の願いを無視してアテルイの首をはねた。
征夷大将軍は、こんな歴史の運命からか、朝廷にまつろわぬ者達
武士階級の統領の称号になっていくんだ。


41 :天之御名無主:2001/05/11(金) 22:32
>>40
>征夷大将軍は、こんな歴史の運命からか、朝廷にまつろわぬ者達
>武士階級の統領の称号になっていくんだ。

ちょっと無理あるよん。
素直に読めば「夷ヲ征スル大将軍=征夷大将軍」なんだし。

42 :日本@名無史さん:2001/05/11(金) 23:19
すまん!
>運命からか、朝廷にまつろわぬ者達

>運命からか、?朝廷にまつろわぬ者達
にしてくれ

しかし、武家政権樹立以降、奥州征伐を実行したのは初代・頼朝
だけだからなあ・・将軍は戦国以降の〇〇守と五十歩百歩だろう
足利期の北畠は奥州勢というより南朝だしなあ・・



43 :天之御名無主:2001/05/12(土) 01:27
田村麻呂はペルシア系でしょ。

44 :天之御名無主:2001/05/12(土) 02:14
なにそれ・・・小林恵子流?

45 :天之御名無主:2001/05/12(土) 07:36
>>39
最初の征夷大将軍は、大伴弟麻呂
http://www.din.or.jp/~wildrice/jake/ROD/Topic01_2.html

46 :名無しさんといつまでも一緒:2001/05/12(土) 23:46
>>39
ここのサイト将軍は源氏の子孫でなければみたいなこと
書いてあるけど、平家ではないの?

47 :名無しさんといつまでも一緒:2001/05/13(日) 00:05
あげぞう

48 :名無しさんといつまでも一緒:2001/05/14(月) 22:28
age

49 :名無しさんといつまでも一緒:2001/05/14(月) 23:02
ade

50 :名無しさんの主張:2001/05/14(月) 23:12
井上ひさしの「四千万歩の男」を読んだ。
あまりにも大和民族のアイヌ民族に対する行為が悪く書かれすぎていたので
途中で嫌になって読むのをやめた。
本当に、この本に書かれているような事を、日本人はアイヌに対して行った
のだろうか。
事実であれば真摯に受け止めるが、捏造ということはないのか。
誰か教えてください。

51 :天之御名無主:01/08/28 23:07 ID:lgycXSi2
age

52 :天之御名無主:01/10/01 16:34
age

53 :天之御名無主:01/10/02 15:02
>50
井上ひさしの話は知らんけど、漏れの出身青森には、いつの時代の話か知らんが
武士階級の男とアイヌの娘の悲恋物語って伝わってるぞ。あ、そういう話じゃない?

54 :名無しの役:01/10/06 21:08
いつの時代にも敵対する両軍の悲恋物語は存在するし、
それが何かしらの暗示を与えていることも否定できない。
現地の女性を娶ることで同化していったと考えることも出来る。
前九年の役で、蝦夷の末裔と言われた安倍一族の敗戦も、
地元では一族の女性が源氏の武将と通じた(騙された?)ことが
原因だと語り伝えられている。

55 :天之御名無主:02/03/06 20:24
あげ

56 :天之御名無主:02/03/06 21:08
エミシとは「人間」をあらわすエンチウ乃至エムチウ。
足が長くて彫が深くて目が二重で大きくて、眉毛がくっきりしていると言う
実に腹立たしい人たち。

57 :天之御名無主:02/03/06 22:57
>>56
金田一説ですね。
古代において、エミシ<*emciw
中世において、エゾ<エンジュ<enciw<*emciw
という借用を想定した。*emciwが全くの推定形
であり、enciwという語がサハリンでしか確認さ
れていない、というのが問題ですが。

58 :天之御名無主:02/03/07 00:49
>>56
足の長さ以外は俺と同じだ・・・


59 :nagami@アイヌの血族:02/03/07 09:53
順わぬ者をひっくるめて蝦夷と言う場合と、東北にいた異民族
(と言っても大和朝廷から見た時に異民族なだけなのだけど)
を指す場合があるようです。
東北のそれは大雑把にみてアイヌだと思って良いんでしょうが、
蝦夷より更に北上した地域には「粛慎(みしはせ)」と言うのも
いたようだから、ちょっと疑問。

阿倍比羅夫や坂上田村麻呂の東征の際に捕虜(囚虜)として
捕らえられ、各地で強制労働させられたようです。所謂『俘囚』ね。
これに関して言えば、蝦夷に限らず他の異民族も捕らえられたでしょうが。

星野之宜の漫画辺りが蝦夷に造詣が深いですよ。

あ、あと、各地にアイヌ語の地名が残ってるって言うのは賛同ですが、
翻訳が間違っているものが多くあります。北海道からして「札幌」が
「サッポロぺツ」で「大きな乾いた湖」ですか?そんな意味はこの
アイヌ語には無いそうです。
詳しく調べたいなら、ちょっと高いですがアイヌ語辞典を購入する事を
お勧めします。…一万円くらいかな…。

60 :57:02/03/08 20:38
>>1>>12を読みかえしてみた。時々誤解されるが「縄文人」
は民族名称ではない。「縄文語」は言語学用語ではない。
「エミシ」がアイヌ人か日本人(大和民族)かという問い
かけが「何語を話したか?」という問題なら、まだ片付い
ていない。「日本語とアイヌ語の中間言語」などというもの
はまともな仮説としてすら提出されていないのだし。

61 :毛人とは:02/03/08 22:31
ホモで人殺しで冷酷なエスパー皇子の
無二の親友でクソ真面目なボンボン。

と言って若い人にどこまで通じるか。ウツだ。

62 :天之御名無主:02/03/09 00:12
>>59
サッポロ
干上がった、大きな
あとは、前後の詞の省略が何だったかだ。

63 :天之御名無主:02/03/09 17:00
英語のHP見た感じではアイヌってことになってる場合が多いね。

64 :天之御名無主:02/03/09 17:01
足が長くて彫が深くて目が二重で大きくて、
眉毛がくっきりしていると言う

=ナガスネヒコ

65 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/09 17:54
以前人権板に書き込んだコピーですが(蝦夷えみし 高橋崇 中公新書)
蝦はエビ(海老)のことであり、エビは長いヒゲをもち腰の曲った醜いものとみなし、
蝦夷は「醜い野蛮人」の意となり、国家が東北住民に対し、憎しみをこめて与えた
蔑称だとする解釈が幅をきかせている。    夷も造語で弓を操る人。

日本には海岸に流れついた奇妙なものを神としてまつる習慣がある。
そうゆうものはエビスと呼ばれた。
夷と書いて見知らぬ土地の見知らぬものを表わす概念。

66 :恵美子:02/03/10 15:24
縄文人の一部を吸収、弥生人の作った「朝廷」が
東国へ進出、勢力拡大するにあたり、無抵抗で従った人は
(二流国民扱いながらも)東国良民、抵抗した人たちへの蔑称が
「エミシ」なのでしょうね。
俘囚、夷俘、蝦夷と呼ばれた人達も時とともに「編戸の民」となったわけですから。
蝦夷とは民族名称と言うより、たぶんに政治的な名称のような気が。

67 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/03/10 16:08
景行紀に日本武尊が捕虜とした蝦夷を伊勢神宮に献じたが、彼らは喧嘩ばかりして
騒がしいので追放され、朝廷が御諸山(奈良県三輪山)のそばに移したところ、神山の木は倒す、
近隣の人々をおどすやらした。そこで彼らを播磨、壱岐、伊予、安芸、阿波五ヵ国に移した。
これらが五ヵ国の「佐伯部」の祖先になったという伝承です。
宮廷や官庁の警護にあったとされており、後の北面の武士に似た性格を持っています。

参考までに
h ttp://www.e-obs.com/top/heo/heodata/n300.htm

68 :ううむ:02/03/10 19:01
関東の俘囚や、「キミコベ」なんかが独立武装農民化し、
武士の母体になってたのかなあ、とか思ってた。
平凡社の喜田貞吉著作集見てたら、同じように考えていて驚いた。

69 :天之御名無主:02/03/11 13:24
エミシが武士になったんじゃないのかな。
武士の絵って鬼みたいなつらしたのが多いし。

70 :天之御名無主:02/03/11 13:26
縄文人とアイヌ人が倭人と呼ばれた人たちより遺伝的に近かったのは間違いないかと。

71 :天之御名無主:02/03/11 13:27
青森の「ねぷた」のモチーフとかカラーリング。蝦夷っぽいですね。

72 :天之御名無主:02/03/12 05:20
北海道のなんとか郷土館で見た、アイヌの「晴れ着」なんか「江戸好み」
みたいにしぶくて素敵だった。
歌舞伎の隈取も「ゲイ面」を彷彿させるし。

73 :天之御名無主:02/03/22 04:11
蝦夷と言う、多分朝廷側文人が作った文字には、確かに
侮蔑的な意味が含まれる。

でももともと縄文人の一派に「クイ」「カイ」と自称する一派があって
それに文字をあてて、かつ「エミシ」と言う読みを与えた……
スマソ、うろおぼえ。

つまりカイもエミシも決してそれ自体は蔑称じゃない。
日本人の半分をしめる縄文系の人たちが、かつて自分自身を呼んでいた言葉では?

たとえば「ロシヤ人は」「ルスキー」と自称するけど、それに
「露助」と言う漢字あてると、まあ蔑視だわなあ。

74 :朝の一言:02/04/07 02:36
>39
ちょっと違います。最初の征夷大将軍は田村麻呂ではありません。彼はその時
副将軍でした。『日本紀略』をお読みあれ。

75 :天之御名無主:02/04/07 08:29
蝦夷は元々は毛人との字を当てられていました。(夷とも)

日本書紀によれば、蝦夷には
ツガル・アラエミシ・ニギエミシの三種がおり、元々一様な集団ではない。
したがって蝦夷は○○である、と言う表現は余り正しく無い。
ただし、大和朝廷に服属していなかったと言う共通項はあるみたいだが。

エミシと言う言葉は元々は雄々しい者、勇敢なる者と言う意味である。
従って古代においては人名にも良く使われた。
有名な所では蘇我蝦夷など。

時期を追うに従って蝦夷は東方の人間を指す言葉となっていくのである。


76 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/04/07 15:04
396 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/04/01 00:14 ID:crn5nCAG
使い出した当時は蔑視用語でしょ。
公文書のたぐいに初めて登場したのが曽我蝦夷とされてるらしいけど
曽我氏は蝦夷の帰化人?そんなこと書いてある歴史書見たことない。
継体天皇の系列から聖徳太子に連なるけど出自は不明・・・。

アイヌは自らアイヌといって認知される。

77 :天之御名無主:02/04/08 19:57
アイヌ、エムチウはやはり東日本人(縄文系)の自称だと思う。
エムチウの「関西なまり」である「エミシ」は
決して悪い言葉じゃない。

78 :天之御名無主:02/04/09 00:24
>75
高橋富雄さんの『古代蝦夷について考える』を読んでみて。
それと『東北学』第4号に載っていた論文も。

79 :天之御名無主:02/04/22 05:50
エミシじゃなくてエビスだよー

80 :天之御名無主:02/04/22 06:11
読み方と意味がいくつかあるらしいよ。
詳しいことわからないけど。

81 :?¬?o`:02/04/22 07:19
>>73

『でももともと縄文人の一派に「クイ」「カイ」と
自称する一派があって…』

甲斐の国とは関係があるんですか?

http://www.intacc.ne.jp/HP/oma/sakaoriguu.htm

上記のページの歌のやり取りが大和朝廷への
屈服を示すそうです。『記紀に見る甲斐酒折王朝』
犬飼和雄(レタ−ボックス社)






82 :天之御名無主:02/04/25 01:12
>73
縄文人の一派に「カイ」とかがあったって、それ誰の説ですかいな?
あたしゃ「カイ」は中国産と思っておりまっさね。


83 :朝の一言:02/04/27 18:58
>66
「エミシ」は今の奈良県の宇陀地方の人と考えないと、
話しがめちゃくちゃになりますよ。「エミシ」(「蝦夷」ではない)の
基準となる最初の出典は神武紀の久米歌以外ありません。

そして「蝦夷」の方は、最初の確実な出典を、斉明紀の博徳書に
置くしかないはずです。82が言うように、中国産か、国産でも中国向けの
言葉のはずです。私と少し見解は違いますが、阿部義平の『蝦夷と倭人』
青木書房をみて少し考えてからレスして下さい。


84 ::02/04/27 19:44
国旗君が代問題のころ

蝦夷が最初に日の丸を使った

と言う毎日新聞の記事を何年か前に見たのですが本当ですか?

そのコラムには、たしか船の周りに日の丸が描かれていた絵が載っていた。
それが絵に描かれた最初の日の丸だと書いていた。

85 :天之御名無主:02/04/29 03:45
蝦夷

86 :天之御名無主:02/04/29 23:08
鈴木えみ・・・エミチィ


87 :天之御名無主:02/05/01 04:25
>84
「蝦夷が最初に日の丸を使った」? 
エビス? エミシ? エゾ?
「日の本将軍」あたりの話し?
「日の本=東北」説は高橋富雄さんの説ですね。

88 :57:02/05/01 22:52
>>83
なるほど。「エミシ」は初出が奈良県あたり
の集団を指す、というのは忘れてはいけない
わけですね。しかし、>>59で指摘があるよう
に東北地方の「エミシ」と区別しうる、とは
思います(思わない、という立場もあるでしょ
うが)。個人的には「東北エミシ」という語
はいまいちですがそれしかないかな。


89 :朝の一言:02/05/02 01:15
>88
「東北蝦夷」は一応可能だと思いますが(「東北」という地域名も
斉明紀の博徳書が初出です)、それが「エミシ」と呼ばれたという根拠は
どこにあるのでしょう。確かに『釈日本紀』『日本書紀私記』などの注釈書
には、「エミシ」という訓みが出ていますが。しかし『書紀』や『続紀』
に出てくる「蝦夷」は、もともとは「カイ」と、そしてほぼ同時に意味をとって
「エビス」と訓まれていたと考えられます。平安期の注釈書を見ていると
平安期に「エビス」「エミシ」の訓みがが混合されてゆくように思いますが、
それをいつごろからと考えたらよいのでしょうか?その強さが実感された時
とすれば、それは古佐美の頃と考えられるかもしれません。

90 :御殿山 ◆i7T.x7Zg :02/05/05 20:36
エビのようなヒゲをたくわえた弓を操る人。

91 :天之御名無主:02/05/07 02:32
『私記』に「蝦夷」の訓として「江美須」と出てきますが、これはどう訓みますか?
「えみす」か「えびす」か。

92 :57:02/05/07 20:37
>89
それもそうですね。エミシというのは平安期以降に確立
する呼称だから「蝦夷(エミシ)」はそれ以前には成
りたたない。では割と簡単で、少なくとも東北地方を
問題にする限り「東北蝦夷」もしくは「エミシ」でよ
さそうだ、と個人的には納得です。資料が少ない分や
やこしいですねえ。

93 :朝の一言:02/05/08 01:39
『斉明紀』のあたりで、「北の蝦夷」「東の蝦夷」という表現が出てきます。「北」
は、出羽方面を、「東」は陸奥方面を指していると考えられます。平安時代には
陸奥・出羽の一体性が高まって行きますから、「東北蝦夷」という言い方は可能だと
思いますが、やはりできれば「陸奥蝦夷」「出羽蝦夷」と多少とも区別して
言っておいた方が正確な話になると思います。やはり地域差はかなりあるので。

94 :天之御名無主:02/05/17 02:21
古いアイヌ語でアイヌ人のことを「カイ」と言っていたというけど、
この「カイ」というのは何なのだろう?

95 :天之御名無主:02/05/18 15:50
>>61
「日出処天子」ですな。ナツカスイ…

96 :天之御名無主:02/05/19 02:31
>>94
「カイ」ではなくて「カイノー」ではないでしょうか。
どっちにしても不明確な話ですが(アイヌ語の古い資料
なんてたかがしれてるので)。

97 :天之御名無主:02/05/19 12:18
>93
「カイノー」って、何の本に出ているのですか?


98 :天之御名無主:02/05/20 13:36


140 :?t???I :02/05/17 12:58 ID:???
>123 死ぬほど既出と思いますが・・
大化の改新で、蘇我一族は粛清され(テロ+一族お取りつぶし)
記録の一切が、イルカとか馬子とか人間以外の侮蔑的な名前に書き換えられたんです。
毛人、蝦夷ていうのは、当時の北日本の住民(アイヌ民族)のこと。
毛人の当て字は文字通り毛深さをさしている。レイシズムばりばりな呼称

これってはじめて知ったんだけど、「馬子」や「入鹿」も蔑称なの?

99 :天之御名無主:02/05/20 20:53
>98
通説は蘇我豊浦大臣の対「蝦夷」政策によるというのが今日では通説では
ないでしょうか。高橋富雄『古代蝦夷について考える』必読。


100 :96:02/05/20 22:01
>97
松浦武四郎の記述にあったはずだけれど、確実なところ
では知里真志保の辞書で樺太方言としてkayno, kaynuと
いう語形が記載されている。ほかでも確認されている語
だとは思いますが。一方「カイ」という語形は武四郎に
はあったかもしれないが、それ以降は確認できないので
はないでしょうか。

101 :天之御名無主:02/05/21 01:32
>>98
日本古代人名辞典(全7巻)吉川弘文館には 金石文から天応年間に
至るすべての人名が載っています。 馬子や入鹿といった名前は蔑称
ではありません。 そういった動物と関係した人名の時代別分布に
ついて統計をとったことがあるのですが 当時としてはおかしくは
ありません。 

102 :天之御名無主:02/05/21 13:38
>>98
時代はずっと下がるけど 悪源太(源義平)という名前は褒め言葉で
あって 貶したのではない。 現代人の語感や気持ちで 古代や中世
の名前をとらえると 引用文のような電波になる。 

103 :天之御名無主:02/05/21 15:51
ttp://www.ohotuku26.or.jp/kitami/sisi/nupunkesi4.htm
カイノー、アイノーがアイヌ。
カイが蝦夷、甲斐になったってことなんですかね。
北海道は北加伊道が元で加伊(カイ)に意味があるとは思わなかった。
確かに蝦夷→エミシの方が読めないですね。朝の一言さんの蝦夷→カイの話はいい勉強でした。

「馬子」や「入鹿」が蔑称だは驚きですね。
称徳天皇の話から来たのかな?
輔治能真人清麻呂(ふじのまひときよまろ。後の和気朝臣清麻呂)→別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)
黄文王(きふみおう) → 久奈多夫礼(くなたぶれ)
道祖王(ふなとおう) → 麻度比(まどひ)
賀茂角足(かものつのたり) → 乃呂志(のろし)
不破内親王(ふわのひめみこ) → 厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)
県犬養大宿禰姉女(あがたいぬかいのおおすくねあねめ) → 犬部姉女(いぬべのあねめ)
県犬養→ 犬部がかろうじて近いかな。

氷上川継が氷上志計志麻呂(しけし:穢れ)だって話もあるし
蔑称 ってのは”穢れた、惑い、鈍し”みたいな形容か、身分が悪い
(犬部も名前じゃないし)見たいな表現ですね。
称徳天皇だから一般論でもないか。

104 :96:02/05/21 18:29
「アイヌ」に比べて「カイノ」が古形である、という
根拠はないわけなんですけどね。

105 :97:02/05/22 00:05
>100
有難うございます。少し勉強してみます。


106 :98:02/05/23 12:41
情報サンクス。
コピーの出典が少女まんが板なんで、嘘くさいな〜と思っていたのですが。

107 :あの:02/05/23 23:56
蝦夷とはなにか、という疑問は、具体的な民族へのアプローチと
倭人から見た「蝦夷」観とに分けて話し合うべきだと思います。

個人的な意見として、ここで誰が言ってるのかも分からない
あいまいな情報を聞くよりも、自分で調べたほうが早いですよ。
匿名性のせいか、裏を取ってないことでも平気で書き込んでいるように
みえます。



108 :天之御名無主:02/05/24 04:06
>107
具体的に言ってほしい。

109 :天之御名無主:02/05/25 18:10
 あてるいって蝦夷だっけ?

110 :天之御名無主:02/06/12 07:04
民俗板ってレベルが低いのか?

111 :天之御名無主:02/06/30 01:09
JR東日本が出している「トランヴェール」という雑誌の6月号に、
『続日本紀』延暦八年の「いわゆる胆沢は水陸万頃にして蝦虜存生」
を説明して、「水陸万頃にして〜」の言葉は、「期せずして、広々と肥沃な
胆沢の大地への賞賛とそこに暮らす蝦夷への思いが滲み出ている」(P.25)と
書かれている。こんな風に延暦八年紀の記事を、胆沢の大地への「賞賛」と
して解釈するのは新しい解釈ではないのだろうか。最近どこかで読んだ気も
するのだけれど、知っているやつがいたら教えてくれ。


112 :天之御名無主:02/07/31 02:29
『東北学』第4号の『「えみし」小考』のインターネット・ヴァージョンです。
ご参考に。

http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/tohoku/emisi.htm

113 :天之御名無主:02/08/12 13:02
このスレ読んで、なんとなく気になって、
東北のお祭り装束をいろいろ見てみた。
結構綺麗だね。

http://kari.to/upload/source/3713.jpg

これが異民族ってかんじなのかなあ。
他の地域のお祭りもこんな感じの衣装
なのでしょうか?

114 : :02/08/12 14:12
うんこ板に遊びに来てくださいです。。
http://jbbs.shitaraba.com/news/532/unkounko.html

115 :ストーム・フクロウル:02/12/18 13:56
漠然と北の勇猛な人々を指した名称では

116 :天之御名無主:03/01/01 08:31
アラハバキ神とはいったいなんですか?蘇我氏に敗れて東北に逃れた物部氏が
もたらした信仰だ、と聞いたことがあるんですが。詳しく教えてください。

117 :116:03/01/01 08:49
つづき
物部氏の存在があったからこそアテルイ(悪路王)をリーダーとする蝦夷は
何十年も大和朝廷と互角に戦う事ができた、とも聞きました。アテルイの弟
の息子の名は人首丸です。今も人首小学校と言うのが岩手県米里あたりにあ
ります。

118 :マジレスカコワルイ:03/01/01 13:37
ずばり、朝廷に同化されることを拒んだ縄文人。
同化されたのが東日本人。
東日本人とアイヌが、明確に別の文化を作り出したのは
鎌倉以降。

119 :天之御名無主:03/01/01 17:03
悪路王(アテルイ)は宮沢賢治の詩にちょっと出てるね。

原体剣舞連て詩なんだけど。


120 :天之御名無主:03/01/02 00:31
◆毎年約1万人も韓国・朝鮮人が大量に帰化しているというのに、
在日の数がほとんど減っていないっ!(ニューカマー含む人口)

        1998年   1999年  2000年
在日人口   638,828   636,548  635,269 人

その約1万人のうち日韓・日朝結婚が年間約8500組。
混血も相当数産まれており、ハーフだけで既に20万人近くも。
これではいつまでも韓国・朝鮮人の日本人汚染が続く。
1952年から累計約27万人も帰化し、売国奴もどんどん増えていく。

また、不法滞在の韓国人は56000人で外国人で最も多い!

◎外国人帰化数
http://www.moj.go.jp/TOUKEI/t_minj03.html

121 :天之御名無主:03/01/02 07:43
アラハバキについて。
某「三郡誌」で決定的にケチついたけど、
もともとは古来の「客神」

「白鳥伝説」およみくらはい。

122 :天之御名無主:03/01/02 09:32
客神てなに?
客人(マレビト)神のこと?

つーことは沖縄の
キンマモン神みたいに
海のかなたニライカナイから
毎年一回やって来るとか?

あ、ナマハゲもそうか。マレビトか。

きっとくる〜♪
きっとくる〜♪
貞子くる〜♪


123 :宮崎駿:03/01/02 11:13
司馬さんとの出会いが私を変えました。

124 :山崎渉:03/01/11 03:06
(^^)

125 :天之御名無主:03/01/17 11:51
                

126 :天之御名無主:03/02/19 22:56
北海道「ほっカイどう」の「カイ」は松浦武四郎が「蝦夷」から採用した
のではなかったっけ。いつのまにか「海」だとおもいこんでるけれど。
松浦武四郎は「ホッカイドウ」の名付け親だよね。

127 :天之御名無主:03/02/20 18:10
>>126
北海道は国割されました。
東海道
西海道
南海道
なんかと合わせました。



128 :天之御名無主:03/02/20 22:42
>>127
はんかくさいんでないかい

129 :天之御名無主:03/02/21 06:31
私が以前読んだ本では蝦夷の「蝦」は上代の大和言葉ではヘビ、エビ両方に対して使われており、
ヘビを祀り大和にまつろわぬ人々=「蝦夷」と名付けられたということでした。
神社のご神体にヘビを祀っているところがありながらも、
出雲風土記でも記紀でもヘビは神ではなく敵として記載されている。
ここから出せる推論としては結構妥当なものではないでしょうか。<蝦夷=ヘビ信仰説

130 :赤い雲:03/02/21 09:27
1869年に、蝦夷開拓御用掛開拓大主典だった松浦武四郎が、北海道島
の道・郡・国の名前を命名することになったの。それ以前の「蝦夷地」
が「北海道」と改称されたわけ。この新しい名前は、松浦武四郎が政
府に提出した原案−−日高見【3字ルビ・ひたかみ】道、北加伊【3
字ルビ・ほくかい】道、海北【2字ルビ・かいほく】道、海島【2字
ルビ・かいとう】道、東北【2字ルビ・とうほく】道、千島【2字ル
ビ・ちしま】道−−の中から「北加伊道」と「海北道」の二つをたし
て二で割った形で決定されたものなのよ。これには、アイヌたちが自
分たちの国を「カイ」と呼び、お互いのことを「カイナー」と呼びあ
っていたという背景があって、武四郎が名づけた「北加伊道」には
「北のアイヌの国」の意味があったのだが、そうやって足して二で割
ると、そして明治国家の征服的価値観のもとで、そうした背景もきれ
いに消えうせてしまったんだな、これが。
「カイ」というのは「ネイティブの大地」を意味し、「ナー」もしく
は「ノー」は敬語を意味するのだという。

131 :天之御名無主:03/03/13 10:17
東北ってなにか文化が違うよね。
ただただ素朴。向上心がないし、それでいてすぐ卑屈になる。
すべて平等みたいな、、、
部落(差別)がないのと関係があるのかな。

132 :山崎渉:03/03/13 12:41
(^^)

133 :天之御名無主:03/03/13 12:47
ぶっちゃけ、東北とか九州自体が被差別部落みたいなものだろ。
いわゆる中央からみた田舎とか地方と呼ばれる差別。
そこに東北・九州人が気がつかないように
田舎者同士を争わせたりして漁夫の利を得てきた中央や都会の人間に田舎の何がわかるというのだろう?

田舎の人は素朴で人柄がいいとかなんとか
おだてて陰では舌を出してる。


134 :山崎渉:03/04/17 09:45
(^^)

135 :山崎渉:03/04/20 04:41
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

136 :山崎渉:03/05/21 22:26
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

137 :天之御名無主:03/05/25 19:15
江戸が「蝦土」、とか「穢奴」のこと
とか言ってたのは、八切止夫だったっけ。

138 :山崎渉:03/05/28 15:12
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

139 :山崎 渉:03/07/15 12:45

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

140 :天之御名無主:03/08/09 12:52
>>81
『風の谷のナウシカ』で鳥馬が「かい」と「くい」って名前だけど、
宮崎駿はそれを知っててなづけたのかな。

141 :天之御名無主:03/08/12 20:16
アテルイage

142 :天之御名無主:03/08/13 01:50
えぞーん

143 :abc:03/08/13 16:54
画像集!
http://www.sexpixbox.com/pleasant/dx/index.html


144 :3:03/08/13 17:18
ブルマ姿の可愛らしいロリ少女が体育倉庫でなにやら怪しい動き!
物凄くでかいオッパイをぷるんぷるんに揺らしながらハゲオヤジにバックから突かれます。
最後のオナシーンではなんととうもろこし挿入!ブツブツで気持ちいいんでしょうね。
悶絶のエロアニメ!
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145 :天之御名無主:03/08/13 17:28
静岡県には愛鷹山って山があるがこれも蝦夷に由来する名でつか?

146 :つんく:03/08/14 19:20
http://elife.fam.cx/a011/




147 :山崎 渉:03/08/15 18:12
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

148 :天之御名無主:03/10/03 20:31
エミシの有名人アテルイ公は、大墓公という苗字?もってるけど
あれは朝廷側が勝手につけた苗字?なのかな? モレ公も持ってたよね。
知ってる人がいたら教えてたもれ(´人`)

149 :天之御名無主:03/10/07 14:23
>>145
 愛鷹山(あしたかやま)の名のいわれには諸説ありますが、「愛鷹」の字を
あてたのは徳川時代中期以降のようです。
 それ以前は、足高(アシタカ)葦高(アシタカ)などと書かれていました。

 鎌倉時代の「吾妻鏡」には 波志多山(ハシタやま)・鉢田山(ハチタやま)とも
書かれ、さらに天平時代の万葉集の中では愛鷹山を 師迫山(シハセやま)
師歯迫山(シハセやま)と呼んだともされています。

 アシタカの名の由来は、富士山の足元に聳える高い山である、との意味の
端高(ハシタカ)から転じたとの説や、小さな山の割には頂(いただき)が多いため、
鉢(頭蓋の事や兜の頭を覆う部分を指す)が多い、としての鉢多山(ハチタやま)が
転じたなどの説があります。

150 :天之御名無主:03/10/07 14:27
>>148
タモ(大墓)もイワグも地名からと考えられているのじゃなかったかな?
「公」はその集落の長で、村長とかの意味らしい。

151 :天之御名無主:03/10/07 15:29
>>150
そうか〜
天皇の臣下じゃないのに何故姓らしきものが
あるのか不思議だったのです。
回答、ありがとう(・∀・)

152 :天之御名無主:03/12/31 12:14
>>84
そー言えば昔何か(新聞?書籍?)で読んだんだが
明治のアイヌ同化政策で和名での戸籍登録を強制した時に、
道東(根室だったかなぁ)の由緒有る一族が
アイヌ語姓を直訳した「日の本」だか「日本」で登録しようとして揉めたとか何だとか・・。

道新だったかなぁ・・・

153 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

154 :天之御名無主:04/03/23 03:44
大和人じゃない人たち

155 :天之御名無主:04/03/26 16:42
>>71
東北の人って素朴と思いきや、特に東北北部の人って
すっごいド派手な衣装とか好きだよね。

156 :天之御名無主:04/03/30 00:30
奥州藤原三代って
末代になるに従い
顔が和人かするんだと
つまり縄文人が
3代かけて混血していったわけ。
しかし、結局頼朝に滅ぼされる運命に

源頼朝は名実ともに
征夷大将軍だった最後の将軍
位自体は征伐後だけどね。

157 :天之御名無主:04/03/30 00:31
会津=甲斐=蝦夷=カイ=アイヌ

158 :天之御名無主:04/03/30 00:32
蝦夷=エンチュウ=エッタ

159 :天之御名無主:04/03/30 00:36
>ずばり、朝廷に同化されることを拒んだ縄文人。
>同化されたのが東日本人。
>東日本人とアイヌが、明確に別の文化を作り出したのは
>鎌倉以降。


少数の倭人+高麗人+アイヌ=鎌倉期の板東人(関東人)

武士もこの系列から来たものと思われる。
平将門などは高麗人の子孫が現地化して朝廷に
従うことを拒んだものたちをつれて
反乱を起こしたのではないか。




160 :天之御名無主:04/03/30 00:54
>井上ひさしの「四千万歩の男」を読んだ。
>あまりにも大和民族のアイヌ民族に対する行為が悪く書かれすぎていたので
>途中で嫌になって読むのをやめた。
>本当に、この本に書かれているような事を、日本人はアイヌに対して行った
>のだろうか。
>事実であれば真摯に受け止めるが、捏造ということはないのか。
>誰か教えてください。

ある程度はたぶんアイヌ差別と殺戮はあったでしょう。
なにしろ生活習慣と顔形、言語すべて違ったわけですから。

必要最低限の戦争であったのは間違いない。
日本列島の北限まで追い詰めたのは明治になってからだし。
倭人が日本列島にやってきて少なく見積もっても1500年
長く見積もると2500年近くはたつのだろう。

沖縄人や明治の薩摩人、東北人など縄文人の血を色濃く受け継ぐ
者たちが現代まで生き続けてる。

そして現実として受け止めなければならないのは
近代に入り北海道にもロシアの手が伸びていたことを考えると
遅かれ早かれどこかの民族に吸収される運命ではあった。

日本という国は土着の民族と大陸からの避難民で成り立っている
国家であり古代からその影響を受け続けている。
だから移民による国家の痛みを和らげるために全国民を天照大神の子孫
ということにしたのだ。本当の出時にかんしては誰も語らない。


161 :天之御名無主:04/03/31 01:13
「(前略)インディアンの歴史はヨーロッパからの開拓者達による侵略の歴史である。
開拓者達は初めのうちは原住民であるインディアン達とも毛皮の交渉や現地のガイドとして使うなどを通してうまく付き合っていたが、敬虔なクリスチャンから見ると
彼等の行う呪術や儀式は不可解を通り越して奇異なもの、異様なものとして恐れられ、嫌われていくようになり、ついに彼等の土地で金が発見されると
開拓者達はインディアン達との協定を破り、彼等の土地を勝手に荒らしまわるようになった。
一部の部族と争いが始まるとそれは全米各地に広がっていき、白人とインディアンの間で多くの血が流れることになった。
現在彼等のほとんどは今でも点在するインディアンリザベーション(居留地)と呼ばれる国によって保護された区域に住んでいるが
そこは大体において辺境の地にあり,残念ながらその中での生活は非常に貧しいものとなっている。
どの部族にもあてはまるのがその根底に自然崇拝があるということ。(後略)
http://littlewolffilm.at.infoseek.co.jp/natural_at.html 」

ちょっと調べ物でネイティブアメリカンのページを見ていたらあった文なんだけど
蝦夷もこんな感じだったんじゃないかと、容易に想像できたんだが・・

162 :天之御名無主:04/03/31 12:39
実際見たことがないからどうか分からないけれど
似たような状況にあったことは否めないでしょうね。。

163 :天之御名無主:04/04/01 17:52
>161
まず蝦夷と倭人との戦力差がインディアンと白人ほど差があったとは考えにくい。
はじめ倭人が日本列島にはある程度の戦力差があったが
西日本一帯と東日本の一部を倭人が占領した時点で
稲作に適した土地をすべて奪ったのでとりあえず満足する。
その後、東北の蝦夷と交易があり関東や東北の蝦夷のほうも蕨手刀などを
開発して応戦している。

蝦夷と呼ばれるものを放逐するまで実質1000年以上を要していることからも
蝦夷と倭人の関係は、イギリスのケルトとアングロサクソンの関係に近い。

164 :出典:フリー百科事典ウィキペディア:04/04/01 18:49
ケルト人は、インド・ヨーロッパ語族のケルト語派に属する言語を話す民族
である。

もともと先史時代のヨーロッパに広く住んでいたが、ローマ人やゲルマン人
に圧迫されて西方に移動した。

現在その子孫は、アイルランドやフランスのブルターニュ地方、イギリスの
ウェールズ地方やスコットランドに住む。

その宗教は自然崇拝の多神教であり、ドルイドと呼ばれる僧侶がそれを
司っていた。


--

たしかに、ネイティブアメリカンよりはケルト人の歴史に近そうだな。

165 :出典:フリー百科事典ウィキペディア:04/04/01 18:49
そもそも蝦夷の子孫て絶滅してないの?

166 :天之御名無主:04/04/03 16:33
北東北の海沿いとかに明治以前から住んでるのは、
多分殆ど蝦夷の末裔。稲作に適さない土地の。


167 :天之御名無主:04/04/08 12:32
>165
蝦夷の文化を受け継いでいるものは絶滅してますが。
日本人自体には蝦夷の血が流れてます。
少なくとも他の東洋人に比べたら
日本人は体毛が濃く、くせ毛の
人も多い。

日本人の身体的特徴に顕著に現れてます。

168 :天之御名無主:04/04/09 11:22
実家は先祖代々北の果てで百姓やってて、
祖父は毛が背中まで生えてて、母親や親戚は
掘りが深いというか白人くさい顔してて、
自分はくせっ毛で毛が濃くて・・

これが先祖還りなのでしょうか(w

169 :天之御名無主:04/04/10 12:44
見事な先祖がえりだ。w

170 :天之御名無主:04/05/11 00:51
「蝦夷の地」に争乱の世紀 鉄やじり、縛られた人骨出土
http://www.asahi.com/culture/update/0505/002.html
------------------------------------------------------------------------------
青森県八戸市の平安時代後期の集落跡・林ノ前遺跡(10〜11世紀)から、
前例のない数の鉄のやじりと縛られた人骨などが出土した。激しい戦いの跡と見られる。
蝦夷(えみし)の地とされた北東北から北海道南部の集落は、近年の発掘でこの時期
百数十年にわたり、平地を避けて山頂や環濠(かんごう)の中に作られていたことが判明しており、
今回の発見でこの特異な集落形態は敵の襲撃に備えたものだったことが確定的になった。
吉野ケ里遺跡で知られる倭国(わこく)大乱や戦国時代に匹敵する長期の争乱社会が見えてきた。
                                       (アサヒ・ドット・コム 04/05/05)

171 :天之御名無主:04/05/11 00:52
(つづき)
発掘は青森県埋蔵文化財調査センターが03年まで4年間行った。やじりは約200点、
遺跡全域でまんべんなく見つかった。戦後回収される貴重品だったやじりの出土例と
しては空前の規模。人骨は10体見つかったが、埋葬されたものはなかった。両手・両足を
縛られた全身骨1体と、頭骨だけが3個も見つかった住居もあった。同センターは襲撃を受け、
激しい戦いの末に放棄された集落と見ている。

172 :天之御名無主:04/05/11 00:53
(さらにつづき)
朝廷は馬や砂金などを産する東北地方を支配しようと8〜9世紀に武力進出を繰り返すが、
盛岡市付近で停滞。10世紀になると、直接支配でなく朝貢を求める政策に転じる。
従来の通説は、この政策転換後、秋田、岩手で前九年合戦(1051〜62)が起こるまで、
この地域は平和が続いたとしてきた。防御性集落は政策転換後の10世紀後半に登場し、
奥州藤原氏の支配が及ぶようになる12世紀に姿を消す。

調査終了後、県道が開通し、遺跡は周辺の一部を除いて残っていない。

173 :天之御名無主:04/05/11 01:03
(これでおしまい)

〈工藤雅樹・東北歴史博物館長(考古学)の話〉
  無防備では危険で生活ができず、防御性集落を営まざるをえない社会があったことを
  実証する初の発見だ。この時代の蝦夷の地は平和だったと考えられてきたが、朝廷が
  歴史の編纂(へんさん)をやめたために記録が残っていないだけだ。大軍を差し向ける
  代わりに、朝廷は「夷(い)をもって夷を征する」政策をとった時代で、武器や食料の援助を
  めぐる朝廷側とのパイプの奪い合い、交易の富の争奪などが原因となり蝦夷内部の戦いが
  続いたのだろう。林ノ前での戦いは、前九年より少し早い11世紀の前半、集落の連合体同士
  といった規模が考えられる。
------------------------------------------------------------------------------


一部省略しましたが、実に興味深い新事実ですね。
学説論争に決着をつけるのは、いつだって状況証拠ではなく、物的証拠といういい例でもあります。
このスレにおける議論にもいくつかの論点整理になったのではないでしょうか?

 1. 蝦夷の生活圏: 元は平地民だったが、和人により山間部へと追いやられた
 2. 和人との混血: ある時期を境に、和人への朝貢等、積極的にすり寄った部族もある
 3. アイヌとの関係: 北東北から南北海道という居住域、山間生活習慣など共通点が多い

174 :天之御名無主:04/06/05 15:18
>しかし、タロコの長く厳しい開拓の道は大正三年からやっと始まったばかりだった。
>大規模な反乱こそなくなったものの、勇猛果敢なタイヤルがいつ牙を剥いて襲ってくるやもしれぬ。
>そこでタイヤル族の治安の安定を最優先に、内地から多くの駐在警察官が送り込まれた。

> その主なる任務に対し、佐久間総督は同年八月九日のタロコ作戦終結に際し次のような
>〈訓諭〉を発した。「蕃人は久しく外界と往来のない高山の地で生活していた為、文化の
>何たるか知らなかったが、今や我が国の領土となるや、彼らはその非行を悔い改め、
>銃器を捨てて帰順した。蕃人も又、陛下の赤子である。警察官はすべからしく聖旨を
>奉戴し、蕃人を愛し教化に努め、農耕を奨励し、知能を啓発し、安寧を保ち、良民
>たらしむよう、その任たる重く大である……」(山口政治・冨永勝編著『東台湾太魯閣小史』から)。

↑東北で田村麻呂が美化されたのは、これに近い同化政策があったから?

175 :天之御名無主:04/07/02 19:49
東北のマタギは蝦夷と関係ある?

176 :天之御名無主:04/07/02 23:24
蝦夷は日本の先住民族で、文字を持たなかった
しかし、朝鮮半島から文字を持った民族が入ってきて勢力を拡大した

モンゴル帝国などの例外を除き、古今東西文字を持たない民族と文字を持つ民族が出会った場合、
文字を持たない民族は文字を持つ民族に駆逐・同化され消滅して言った

文字を持つ民族は西方から広がり、原住民を駆逐しながら少しずつ当方に広がったってところでしょう
江戸時代に東北のほとんどから蝦夷が駆逐され、明治以降には北海道に残っていた蝦夷も
強制的に学校に通わされ日本語を教えられ、蝦夷の言語や文化はほとんど消え去った

177 :天之御名無主:04/07/02 23:29
どうしてかたまれなかったのかねぇ〜?

サンカ(土蜘蛛)なんか連綿と生き残っているのに。

178 :天之御名無主:04/07/02 23:55
サンカは西日本の人たち。蝦夷ではない。

179 :天之御名無主:04/07/03 01:40
>>178
もともと西日本にもエミシはいたんじゃないの?

180 :天之御名無主:04/07/03 01:58
蝦夷とは東日本・北日本のまつろわぬ人々のこと。

181 :霹靂:04/07/03 07:10
蝦夷は日本の原住民 文字があるか無いかはわからない 朝鮮だって古朝鮮語はもうわからなくなっている。侵略の場合、言葉は奪われます。神社すら改築されます。各家に仏社も強制されました絵文字はあったと思います

182 :霹靂:04/07/03 19:00
西日本だけ? サンカの女性が警察に巻き物を見られあぶってみたら名簿だったためにサンカが明るみになったんだろ 名前も地域名が有り関東も居たよ原因は西かもしれないが 蝦夷は東に寄せられたんだろ 侵略者と寝返り者に

183 :天之御名無主:04/07/03 21:23
小説の話とごっちゃになってる人がいるな…

184 :霹靂:04/07/03 23:05
失礼な言い方するな!ハゲ
警察に聞いてこい とうしろう

185 :天之御名無主:04/07/04 02:33
お脳の不自由な方が逆切れ中w

186 :天之御名無主:04/07/05 11:09
>>177
サンカは比較的最近の集団です。

187 :霹靂:04/07/16 19:41
おまいらスウィートだな蝦夷はよ日本全土にいたんだよ エベスさん エズム エド ではまた

188 :天之御名無主:04/07/17 12:27
このひとエラマサッペですか

189 :天之御名無主:04/07/18 10:44
 恵比寿?出雲とか播磨国の?

190 :天之御名無主:04/07/18 13:53
霹靂は考古学板から来た釣りだよ。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1076561137/164-165
鬱陶しかったら、あぼ〜ん推奨。

191 :霹靂:04/07/18 18:19
え?違うよ>190はマジ釣りだよ
みんな気をつけてね
ただの名無し弱虫だから親の脛かじっててスーパーフリーの一味だて
やべやべえ さあ気をとりなおしてね

192 :霹靂:04/07/18 18:25
恵比寿様っているでしょ関西じゃえべっさんとか言うらしいが江別や出雲、江戸などモトモトはエドムからきてるしね秦族はユダヤ人って知ってるよねえ みんな 弾左えもんはダン族だしね佐藤より戻したね ああ楽しい

193 :天之御名無主:04/09/30 08:53:40
とあるリンク切れサイトから引用

その2に「蝦夷」
 蝦夷は日本書紀を読むと野蛮人というイメージで書か
れています。でも当時の日本、正確には大和に都を置い
た朝廷にとって蝦夷とは、手強い相手。何度も戦っても
勝てない相手だったのです。なぜなら蝦夷の方が文化水
準が上だから。具体的には豊かな金と製鉄技術なので
す。蝦夷の製鉄技術は進んでおり、大量の鉄をつくり、
その純度の高い鉄で優れた武器をつくっていた。彼らは
騎兵ですが、大和の渡来人の重装騎兵のように馬も人も
分厚い鉄の兜や鎧で武装するのではなく、皮でできた軽
い鎧兜をつけて、馬上でも切りあいができるように、手
元の部分から湾曲した良く切れる刀をもち、短い強い弓
で攻撃する軽装騎兵集団でした。後の時代のモンゴルの
軽装騎兵と同じです。


194 :天之御名無主:04/09/30 08:54:38
だから歩兵を基本とする大和の軍がなんども蝦夷に攻
めこんでもなかなか勝てない。仕方がないので坂上氏な
どの重装騎兵集団を送りこんだが、重装備の騎兵は動き
が鈍く、山間部に引き込まれて蝦夷の軽装騎兵に包囲さ
れて、全滅に近い被害を何度も蒙っている。これは平安
時代の話ですが、二百年まえの蘇我さんの時代も基本的
に同じだと思います。
 蛇足ですが、武士の刀は蝦夷の湾曲した刀(蕨手の太
刀と言います)の技術を学んで改良したもの。また武士
の大鎧は、蝦夷の皮製の鎧の作り方に学んで、皮を短冊
型に切って皮紐で綴じていたのを、鉄の板を短冊状にし
てそれを皮で覆ったものを皮の紐で綴じたもの。日本は
蝦夷から技術を学んだのです。
 だから「蝦夷」とは野蛮人ではなく、大和の人々に
とっては高い文化をもち、北はアリューシャン列島から
南は琉球・中国まで貿易に航海し、豊かな金と高い工業
技術ををもち、馬を駆使した強い軍隊をもった異国の人
だったのです。いつの時代も強い外国にはあこがれま
す。そして勝てないからこそ「野蛮人」と呼んで人を落
としこめます。
 強い人・不思議な力をもった人という蝦夷にあやかっ
た名前が「蘇我蝦夷」だったのではないでしょうか。

195 :天之御名無主:04/10/14 23:00:21
サンカと土蜘蛛は別者。
土蜘蛛は古代北部九州で原始的生活を行っていた集団。
サンカは戦国時代に村を焼かれて山で生活始めた人達。


196 :天之御名無主:04/10/15 19:47:57
シャモもアイヌも、同じ日本人じゃ!

と、昔、長谷川一夫の水戸黄門が言ってました。

197 :庄内人:04/10/16 03:50:43
>196
うむ、同じ「日本人」ではある。
しかし日本はイギリスと同じく実際には
連合民族国家であり
イギリスがイングランド・スコットランド
・ウェールズ・北アイルランドと現在でも
明確に分かれているのに対し
日本の場合は、非常に判りにくくしてしまったのだ。

つまり同じ日本人(日本国籍)でも
アイヌ
和人(大和人)
琉球人
は別々の民族であり、しかも一部では
東北人は大和民族ではなく
征服されても「蝦夷」なのだと
主張されている。
ウェールズ人が征服されても未だに
ウェールズ人であるのと同じように。

全部日本人なら平和だ、というのでなく、
お互いの違いを認め合える、
そういう社会、日本になれたら良い、と思う。

198 :天之御名無主:04/10/16 03:54:43
しかし、どっちかというと関東の方が東北より濃いめの顔が
多い気がするのはなぜだろう?

199 :庄内人:04/10/16 05:40:56
>198
確かに。
特に、私の知り合いでは、千葉出身の人に、非常に「濃い」
というか、つまり縄文人風?な顔立ちの人が多い。
茨城、群馬、埼玉の知人にも、やはり結構いる。
東北出身の私がいうので、かなり確か?である。

原因はいくつかあるだろうが・・
ひとつは、関東では蝦夷の朝廷に対する反乱が
少なかったため、人民の強制移動がなかった事。

それか、もともと強制移動ではなく
縄文末期からの自然な民族移動で
関東では変化が少なく
東北では大陸からのツングースの渡来など
移入が結構あったため。



200 :天之御名無主:04/10/16 06:15:25
>>199
蕃国観から新羅人など東に移された者達は三河などで反乱を起こしているが。

201 :天之御名無主:04/10/16 06:33:07
東北は日本海側の流民(難民や渤海交流における船に同乗していた民)と落ち武者が多いのだろう。


202 :ストライダー:04/10/16 23:21:31
>199
忘れちゃなんねえ
明治以降、現代にいたるまで、
東北の若者が東京やその隣県に
押し寄せているのだ。
まあ、もともと関東も蝦夷の国。
そこに更に我々東北の蝦夷が押しかけたら、
濃くもなります。

203 :天之御名無主:04/10/17 06:07:35
俺は関東の縄文人は東海地方系だと思う。
東北より明らかに顔が濃い。
そもそも東北は日本でも有数の薄さだし・・

204 :天之御名無主:04/10/17 09:07:24
56 名盤さん 04/08/31 06:39 ID:aujHEx5z
日本人の見た目向上の為に。不良三国人が紛れ込まない為に。
北方古モンゴロイドである、縄文系日本人を増やそう。

>ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1085908117/l50
弥生人復元胸像
1世紀 土井ヶ浜遺跡出土人骨に基づく 国立科学博物館蔵
ttp://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_07_02.jpg

縄文人(北方古モンゴロイド)復元胸像
3500年前 若海貝塚出土人骨に基づく 国立科学博物館蔵
ttp://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_03_04.jpg

北海道・東北・九州地区の人がお酒に強かった
元々日本列島に住んでいた縄文時代人はお酒に強い遺伝子を持っていたと考えられます。その後、弥生時代にはいりますと大陸からお酒に弱い遺伝子を持った人々がやってきて、日本列島
に住み着いたと考えられます。
ttp://diary.jp.aol.com/applet/vufpmudjvfdj/396/trackback

205 :天之御名無主:04/10/17 13:05:49
酒に弱い遺伝子の中心は中国でそこから世界中に広がっている。

206 :庄内人:04/10/17 15:13:35
北方古モンゴロイド?などというモノがあるのですか?
彫りの深い多毛ないわゆる古モンゴロイドは「南方系」
なのでは?

北方系のうち朝鮮にいた人々が九州方面から移入し、
今のシベリアに居住する北方民族にあたる人々が
東北・日本海側へ渡ってきた、と解釈していましたが
間違いでしょうか?

ちなみに私、酒弱いです。

207 :天之御名無主:04/10/17 17:04:23
>>206
南方系が毛深い?東南アジア諸国の人達は毛深くないのだが・・・
寧ろ中央アジアの人たちのほうが毛深いはず。

208 :庄内人:04/10/17 19:53:37
>207
では、北海道アイヌは?
彼らを「北方古モンゴロイド」と
呼んでいるのですか?
沖縄に多毛な人の多いのは?
東南アジアの人々と、彼らは無関係
なのですか?


209 :天之御名無主:04/10/17 21:44:29
アイヌも南西諸島も本土日本人以上に北方系のGm遺伝子を持っている。
アイヌも南西諸島も新モンゴロイド。本土日本人も新モンゴロイド。

210 :天之御名無主:04/10/18 01:16:19
>>208
東南アジアの人達が毛深い?
東南アジアのYAP-は弥生系と繋がるのだが・・・
毛深さと文化伝達、言語などの観点から言えば、中央アジア縁とした方が自然だ。

211 :天之御名無主:04/10/18 01:18:03
血液型配分などからも東南アジアとは異なる事が分かる。
東南アジア諸国は圧倒的にO型が多い。対して、北方周りのアイヌなどはやはり北方系の配分と似ていて
B型がやや多い。

212 :天之御名無主:04/10/18 02:54:11
東南アジア諸国は中央ユーラシアやインドほどではないが
インドシナ半島を筆頭にB型は多い。インドシナ、スマトラ、
カリマンタンのB遺伝子頻度20〜25%。
日本のB遺伝子頻度は15〜20%。
O型が多いけどB型も日本よりは多い。

213 :天之御名無主:04/10/18 06:12:47
>>212
しかし、ポリネシアなど古い形質を残す民族はO型が殆どで、B型とAB型は皆無に等しい。
さらに、アイヌ語が日本語よりも朝鮮語の方に近いという言語学的な説明がつかない。
DNAに関してもこの事がいえる。

214 :天之御名無主:04/10/18 06:27:49
加えてアイヌにもモンゴル班がある。

「なおアイヌ人にはモンゴル斑がないとされ、人種の孤島とされていたが、最近の研究でモンゴル斑があ
ることが分かった。日本人の北のルーツはバイカル湖周辺である。」


215 :天之御名無主:04/10/18 06:53:20
あんたらモンゴルヒダって知ってるこっちは顔にでるから
直ぐわかる。東洋人の証として
もっとも分かり易い印

216 :天之御名無主:04/10/21 13:49:56
>>214
白人にも蒙古斑でることも分かってきたらしいね。
色素の関係で見えにくいだけなんだって。

217 :天之御名無主:04/10/22 10:05:51
大和王国VS日高見国に秘められた国家成立の暗闘史!! 鬼と黄金伝説の謎
● 佐治芳彦/ワニ文庫(日本裏面史)
坂上田村麻呂の征討伝説には秘密が隠されている!? ── なぜか、田村麻呂の戦勝地は鉱山所在ばかり
であった。奥州平泉の黄金王朝(藤原四代の栄華)をみても、古代みちのくに眠っていた莫大な黄金の埋蔵
量を想像するに難くない。この豊富な資源に目をつけたヤマト朝廷と古代東北王朝の金=鉄をめぐる争いが
あった。そして、ヤマト朝廷に屈せぬ者達が、「鬼」と呼ばれ、駆逐されていった。この事実を本書で明らかに
する。読み終えた読者は、"蝦夷こそ本当の日本"と言う未だ知られざる伝承に驚愕することだろう。

218 :天之御名無主:04/10/22 18:51:14
蝦夷の国は日の本って呼ばれていたよね

219 :天之御名無主:04/10/22 19:08:55

ttp://www.pref.iwate.jp/ipangu/index.html
ジパングって岩手とかそこら辺のことかな?

220 :天之御名無主:04/11/04 19:37:52
http://www.actv.ne.jp/~yappi/mystery/003-nihonchuou.htm

こんな話か?

221 :天之御名無主:04/11/20 11:19:20
>>215

目頭に覆い被さるアレ?

222 :天之御名無主:04/11/20 11:48:31
それ

223 :天之御名無主:04/12/16 23:23:44
ニキエミシとアラエミシって人種的に違うの?

224 :天之御名無主:04/12/18 23:12:17
このスレの皆さんは火怨って読みましたか?
面白そうなんだけど・・・

225 :天之御名無主:05/01/13 22:45:00
もっと古代に蝦夷に文字が伝わっていれば、
大陸系の勢力が日本の支配者になることはなかったと思う
むしろ蝦夷が大陸の科学や文化を取り入れ、蝦夷中心の国になっていただろう

すでに2000年以上のあいだ、文字を持たない民族が勃興しても、最初は優勢であっても
すぐに新兵器を手にした文字を持つ民族によって滅ぼされた。

文字を持たない民族は新兵器を開発することができないため、たとえ一時的に勃興しても
すぐに滅ぼされてしまう。

蝦夷が文字を持たない民族であったため、文字を持つ文明からやってきた少数の人々が支配層になったが、
もし蝦夷文明が文字をもち渡来人の知識を理解できるくらい進んでいれば、
蝦夷は渡来人のもたらした知識を利用する側になっていただろう

226 :天之御名無主:05/01/23 22:53:07
>>223
にぎえみしは地方役人に戸籍登録してて普通に暮らしてる善良なえみし。
あらえみしは地方の役所とは関係なく好き勝手に自由に生きてる連中。

227 :天之御名無主:05/02/03 22:00:29
『続日本紀』
霊亀元年(715年)
十月二十九日 陸奥の蝦夷で第三等の邑良志別君宇蘇彌奈(おらしわけのきみうそみな)らが言上した。「親族が死亡してしまい、
子孫が数人しか残っていない。そのため常に蕃族に侵略されることを恐れている。どうか香河村に郡家を設けて、私たちを編戸の
民に入れて、長く安心していられるようにしていただきたい」と。
養老六年
四月十六日 陸奥の蝦夷・薩摩の隼人らを征討した将軍以下の官人たちと、征討に功績のあった蝦夷および通訳の者に、地位・
功績に応じて勲位を授けた。
養老七年
九月十七日 出羽国司・正六位上の多比真人家主が言上した。
 蝦夷らすべて五十二人は、征討のさいの功績が顕著ですが、まだ褒賞の恩典にあずかっておりません。彼らは首を長くして天
恩が下されることを待っています。謹んで思いますのに、よい餌をつけて釣れば、深い淵の魚も釣ることができ、俸禄を重くすれば、
忠節の臣があらわれるといいます。今、愚かな夷狄もようやく君命に奔走するようになりましたが、永らく彼らをいたわり慰めないと、
おそらくまた散りぢりになってしまうでしょう。そこで彼らの働きの有様を具申して、裁定を頂きたいと思います。
勅命があって、その功績に応じて、それぞれ褒美と位を与えた。
天平九年
四月十四日 陸奥国に派遣された持節(征夷)大使で従三位の藤原朝臣麻呂らが言上した。
夷狄たちは皆疑いと恐れの念を抱いております。そこで農耕に従事している蝦夷で、遠田郡の郡領・外従七位上の遠田君雄人を
海沿いの道に遣わし、帰順した蝦夷の和我君計安塁を山中の道に遣わし、それぞれ遣使の趣旨を告げてなだめ諭し、これを鎮撫
しました。・・・・・帰順した夷狄百四十人を率い、この大室駅に滞在し待機すること三日で、将軍東人の軍と合流して賊地に入り、道
を開拓しながら行軍しました。・・・・・帰順した夷狄らのいうところでは、比羅保許山から雄勝村に至る五十里あまりは、また平坦地
です。ただ二つの河があって、増水する度に両所とも船を用いて渡るといいます。・・・・・「雄勝村の服従した蝦夷の長ら三人が来て
拝首していうのに、『官軍が我々の村に入ろうとされていると承ります。不安にたえられず降伏を請うためにやってきました』といって
おります」と伝えてきました。・・・・・


228 :天之御名無主:05/02/03 22:06:34
天平宝字四年(760年)
正月二十一日 天皇は次のように勅した。
 ・・・・・また軍士や蝦夷の俘囚で軍功のあるものは、按察使が選び定めて奏聞せよ。
神護景雲元年(767年)
十月十五日 天皇は次のように勅した。
 ・・・・・また外従五位下の吉弥侯部真麻呂は、国のために率先して力を尽くし、ついに蝦夷をすなおに服従させ、夷狄の民はなつ
き従った。そこで外正五位下に昇進させる。その他の諸軍の軍毅以上の者や、諸国の軍士・蝦夷の俘囚などで、築城に際して功
績があり、叙位すべきものは、鎮守将軍がそれぞれ功労に応じて、等級を勘案し決定して奏上するように。
神護景雲元年(767年)
十二月八日 外従五位下の武蔵宿禰不破麻呂を武蔵国の国造に任じ、正四位上の道嶋宿禰嶋足を陸奥国の大国造に任じ、従五
位上の道嶋宿禰三山を国造に任じた。
宝亀元年(770年)
四月一日 陸奥国の黒川・賀美など十一郡の俘囚三千九百二十人が、次のように言上した。
「私どもの父祖はもと天皇の民でありましたが」、蝦夷にかどわかされて、卑しい蝦夷と同じ身分になりました。今はすでに敵(蝦夷)
を殺して、帰順し、子孫も増えております。どうか俘囚の名を除いて、調庸を納めさせていただくようお願いします」と。
この申請を許可した。
天平宝字二年(758年)
十二月八日 坂東の騎兵・鎮兵・役夫と帰順した蝦夷らを徴発して、桃生城・小勝柵を造営した。この造営には五道の諸国がみな参
加して、ともに築城の工事を行った。
神護景雲三年(769年)
十一月二十五日 陸奥国牡鹿郡の俘囚、少初位上・勲七等の大伴部押人が次のように言上した。
 伝え聞くところによりますと、押人らの先祖はもと紀伊国名草郡片岡里の人ということです。昔、先祖の大伴部直が蝦夷征伐の時、
陸奥国小田郡嶋田村に至り、住みつきました。その後、子孫は蝦夷の捕虜となり、数代を経て俘囚とされました。幸い尊い朝廷が天
下を治められるめぐり合わせとなり、優れた武威が辺境を制圧しているのを頼みとして、あの蝦夷の地を抜け出てから、すでに久しく
天皇の徳化のもとにある民となっています。そこで俘囚の名を除き、調庸を納める公民になることを申請します、と。
これを許可した。


229 :天之御名無主:05/02/03 22:12:32
宝亀十一年(780年)
三月二十二日 陸奥国上治郡(伊治郡)の大領・外従五位下の伊治公呰麻呂が反乱をおこし、衆徒を率いて按察使・参議・従四位
下の紀朝臣広純を伊治の城で殺した。・・・・・伊治公呰麻呂は俘囚の子孫である。初めは事情があって広純を嫌うことがあったが、
呰麻呂は恨みを隠し、広純に媚び仕えるふりをしていた。広純はたいそう彼を信用して特に気を許した。また牡鹿郡の大領の道嶋大
楯は同じ蝦夷出身でありながら常に呰麻呂をみさげあなどり、蝦夷としてあつかった。呰麻呂はこれを深く根に含み持っていた。・・・・・
蝦夷軍を率いて伊治城に入った時、大楯と呰麻呂がともに従っていた。ここで呰麻呂はひそかに敵に通じ、蝦夷の軍を導き誘って
反乱をおこした。まず大楯を殺し、衆徒を率いて按察使の広純を囲み、改めてこれを殺害した。・・・・・
天応元年(781年)
十月十六日・・・・・また軍功のあった蝦夷の人には等級に差をつけて、勲六等相当には一等を、勲八等相当には二等を、勲九等に
は三等を、勲十等には四等を授けた。

『日本後紀』巻一逸文
延暦十一年(792年)
正月十一日 陸奥国が言上した。斯波村の蝦夷で胆沢公阿奴志等が、使をよこして王化に帰したいと請うています。
『続日本紀』
斉明天皇4年(658年)7月
蝦夷(えみし)二百余、闕(みかど)に詣でて朝献(ものたてまつ)る。饗(あえ)賜ひて、贍(にぎはえ)給ふ。
常より加れること有り。仍(なお)柵養(きかふ)の蝦夷二人に位一階(しな)授く。渟代(ぬしろ)郡の大領沙尼具那(さにぐな)には小乙
下(せうおつげ)、少領(すけのみやっこ)宇婆左(うばさ)には建武、勇健者(いさみたけきもの)二人には位一階。
別に沙尼具那等に、鮹旗(たこはた)二十頭(はたち)・鼓二面・弓矢二具(そなえ)・鎧二領を賜ふ。
津軽郡の大領(こほりのみやっこ)馬武(めむ)に大乙上、少領(すけのみやっこ)青蒜(あおひる)に小乙下(せうおつげ)、勇健者(い
さみたけきもの)二人には位一階授く。
別に馬武等に、鮹旗(たこはた)二十頭(はたち)・鼓二面・弓矢二具(そなえ)・鎧二領賜ふ。
都岐沙羅(つきさら)の柵造(きのみやっこ)には位二階(しな)授く。判官(まつりごとひと)には位一階。渟足(ぬたり)の柵造大伴君
稲積には小乙下授く。

230 :天之御名無主:05/02/03 22:18:26
又、渟代(ぬしろ)郡の大領(こほりのみやっこ)沙尼具那(さにぐな)に詔して、蝦夷の戸口(へひと)と、虜(とりこ)の戸口とを検覈
(かむがへあなぐ)らしむ。
斉明天皇5年(659年)3月
是の月に、阿倍臣(あへのおみ)を遣して。
船師(ふないくさ)一百八十艘を率て、蝦夷国(えみしのくに)を討つ。阿倍臣、飽田(あぎた)・渟代(ぬしろ)、二郡の蝦夷二百四十一
人、其の虜三十一人、津軽郡の蝦夷一百十二人、其の虜四人、胆振金/且(いふりさへ)の蝦夷二十人を一所に簡(えら)び集めて、
大きに饗(あへ)たまひ禄賜(ものたま)ふ。即ち船一隻と、五色の綵帛〔しみの帛=絹)とを以て、彼(そ)の地(ところ)の神を祭る。肉
入籠(ししりこ)に至る。時に、問菟(とひう)の蝦夷胆鹿嶋(いかしま)・菟穂名(うほな)、二人進みて曰く、「後方羊蹄(しりへし)を以て、
政所(まつりごとどころ)とすべし」といふ。胆鹿嶋(いかしま)等が語(こと)に随ひて、遂に郡領(こほりのみやっこ)を置きて帰る。
道奥(みちのく)と越(こし)との国司(くにのみこともち)に位各二階(しな)、郡領(こほりのみやっこ)と主政とに各一階授く。
天武天皇下十一年三月二日、
陸奥(ミチノク)国の蝦夷(エミシ)二十二人に、爵位を請ふ。
同四月二十二日、
越(コシ)の蝦夷(エミシ)伊高岐那(イコキナ)等、俘人(トリコ)七十戸(ヘ)を一郡とせむと請す。乃ち聴す。
持統天皇二年(688年)十一月五日
蝦夷(エミシ)百九十余人、調賦(ミツキ)を負荷ひて誄(シノビコトタテマツ)る。
同十二月十二日
蝦夷(エミシ)の男女二百十三人に飛鳥寺の西の槻の下に饗(あへ)たまふ。仍りて冠位を授けて、物賜ふこと各差(シナ)有り。
文武天皇三年(699年)
四月二十五日 越後の蝦夷百六人に、身分に応じて位を授けた。
文武天皇三年(699年)
四月二十一日 陸奥の蝦夷らが君の姓を賜り、編戸の数に入り、公民の扱いを受けたいと申請し許可された。


231 :天之御名無主:05/02/03 22:22:21
霊亀元年(715年)
正月一日 天皇は大極殿に出御して、官人の朝賀を受けられた。皇太子は初めて礼服を着て朝賀に列した。陸奥・出羽の蝦夷に加え
て、南嶋の奄美・夜久・度感・信覚・球美等の島民が来朝し、土地の産物を貢上した。それを迎える儀式には、朱雀門の左右に、鼓吹
と騎兵を列にしてならばせた。元日の儀式に鉦や鼓を用いることはこのときから始まった。
霊亀元年(715年)
正月十五日 蝦夷と南嶋の人々七十七人に、地位に応じてそれぞれ位階を授けた。
養老二年(718年)
八月十四日 出羽と渡島の蝦夷八十七人が入京し、馬千疋を貢上した。よって位と録を授けた。
天平八年(736年)
四月二十九日 陸奥・出羽の二国で功労のあった郡司と、帰順している蝦夷二十七人にそれぞれの功績に応じて爵位を授けた。
天平勝宝五年(753年)
五月二十五日 この日、陸奥国牡鹿郡の人、外正六位下丸子牛麻呂・正七以上の丸子豊嶋ら二十四人に、牡鹿連の氏姓を賜った。
天平勝宝五年(753年)
八月二十五日 陸奥国の人、大初位下の丸子嶋足に牡鹿連の姓を賜った。
天平宝字二年(758年)
六月十一日 陸奥国が言上した。
去年八月以来、帰順した夷俘の男女は、千六百九十余人であります。彼らは故郷を遠く離れて、天皇の教化に浴することをのぞみ、
ある者は戦場を渉り歩いて、賊に怨を生じた者たちであります。これらすべては新たに帰順したものであって、まだ本当には安定し
ていません。また蝦夷の性質は狼のような心であって、ためらいがちで疑心多いものです。そこで望み願いますことは、天平十年閏
七月十四日の勅を准用して、種籾を給付し水田を耕作できるようにさせて、永く王民となし、辺境の軍にも充てようと思います。
これを許可された。
神護景雲三年(769年)
正月七日 天皇は法王宮に出御して、五位以上の官人と宴を催した。道鏡は五位以上の官人に摺衣を各一領、蝦夷に緋袍を各一
領与えた。・・・・・


232 :天之御名無主:05/02/03 22:25:54
神護景雲三年(769年)
三月十三日 陸奥国白河郡の人で、外正七位上の丈部子老・加美郡の人、丈部国益・標葉郡の人で、正六位上の丈部賀例努ら十
人に阿倍陸奥臣の姓を賜った。
 また安積郡の人で、外従七位下の丈部直継足に阿倍安積臣の姓を、信夫郡の人で外正六位上の丈部大庭らに阿倍信夫臣の姓
を、柴田郡の人で外正六位上の丈部嶋足に阿倍柴田臣の姓を、会津郡の人で外正八位下の丈部庭虫ら二人に阿倍会津臣の姓を、
磐城郡の人で外正六位上の丈部山際に於保磐城臣の姓を、牡鹿郡の人で外正八位下の春日部奥麻呂ら三人に武射臣の姓を、日
理郡の人で外従七位上の宗何部池守ら三人に湯坐日理連の姓を、白河郡の人で外正七位下の靱大伴部継人・黒川郡の人で、
外十六位下の靱大伴部弟虫ら八人に靱大伴連の姓を、行方郡の人で外正六位下の大伴部三田ら四人に大伴行方連の姓を、苅田
郡の人で外正六位上の大伴部人足に大伴苅田部の姓を、柴田郡の人で外従八位下の大伴部福麻呂に大伴柴田臣の姓を、磐瀬郡
の人で外正六位上の吉弥侯部人上磐瀬朝臣の姓を、宇多郡の人で外正六位外の吉弥侯部文知に上毛野陸奥公の姓を、名取郡の
人で外正七位下の吉弥侯部老人と、加美郡の人で外正七位下の吉弥侯部大成ら九人に上毛野名取朝臣の姓を、信夫郡の人で外
従八位下の吉弥侯部足山守ら七人に上毛野鍬山公の姓を、新田郡の人で外大初位上の吉弥侯部豊庭に上毛野中村公の姓を、信
夫郡の人で外少初位上の吉弥侯部広国に下毛野静戸公の姓を、玉造郡の人で外正七位上の吉弥侯部念丸ら七人に下毛野俯見公
の姓をそれぞれ賜った。これらの氏姓は大国造の道嶋宿禰嶋足の申請によるものであった。
宝亀二年(771年)
十一月十一日 陸奥国桃生郡の人で外従七位下の牡鹿連猪手に「道嶋宿禰」の氏姓を賜った。
宝亀三年(772年)
正月十六日 陸奥、出羽の蝦夷が郷里に帰るため、地位に応じて位階と物とを賜った。
宝亀三年(772年)
七月十七日 陸奥国安積郡の人、丈部継守ら十三人に「阿部安積臣」の氏姓を賜った。


233 :天之御名無主:05/02/03 22:27:18
宝亀三年(772年)
五月五日 陸奥国が次のように言上した。
遠田郡の郡領で外正八位上・勲八等の遠田公押人が訴えて「私はすでに蝦夷の濁った風習を洗い落として、その上天皇の清らかな
教化を敬い慕っております。もうその志は内地の民と同じで、習わしは立派なこの国を手本と仰いでいます。ところが、まだ田夷の姓
を免除されず、長く子孫に恥を残すことになります。どうか他の公民と同じように夷の姓を改めて下さるようお願いします」といっていま
す。ここに天皇は「遠田臣」の氏姓を賜った。

234 :天之御名無主:05/02/03 22:33:19
俘囚の倭人化
大和朝延側の文化を受け入れ、その叙位・姓氏を受けるようになると、俘囚勢力は大和朝廷側にとって蝦夷を掣肘する有効な
勢力・手段となるのである。さて、当時の俘囚の文化状態であるが、彼らは即吟に歌を詠ずるまでの文学レベルを有していた。

「年を経し糸のみだれの苦しさに、衣のたてはほころびにけり」

 これは貞任が義家から弓をつがえて「衣のたてはほころびにけり」との呼びかけに応じて「年を経し糸のみだれの苦しさに」と
即吟して死を免れたと言う伝説の和歌である。また宗任は捕虜となって京都へ行った時に、大宮人からか「夷荻はとうてい梅な
どは知るまい」とばかりに、梅の一枝を示された時に、

「我国の梅の花とは思へども、大宮人はなにと言ふらん」

と応じたので、さすがの大宮人も返歌が出来ず、大いに閉口したと伝えられている。むろん作りごとではあろうが、ともかく、彼ら
の文化は相当に倭人化していたと当時信じられていたことを示している。「陸奥話記」を見ると、安倍貞任が厨川に敵を防いだ時
の戦法は、後年楠木正成が千早城において敵を防いだ戦法とほとんどおなじである。このほか、「陸奥話記」を読んでみると、そ
の当時の奥州の俘囚は直接京都の文化を輸入している。すくなくとも、俘囚長安倍氏は京文化を十分に取り入れていたのである。

『続日本紀』は、あちこちで、この俘囚を朝廷が、全国各地に分置・移民させたことを伝えている。
〈聖武紀〉神亀二(725)年間正月の条に、「陸奥国俘囚百四十四人を伊予国に配し、五百七十八人を筑紫に配し、十五人を和泉
の監に配す」とある。
 強制移住全体の規模ははっきりしないが、記録に残るもので二千名、延喜式の推計からは四千六百名、 実際には一万名を上
回る人々が三十五ケ国に分散移住させられたと見られている。俘囚は、入植させられた国々で局部的な軍事・警察集団として利
用されるなど、大和王権に奉仕を強要された。
 そのことは『延喜式』や主税帳)に、各国の正税(国税)の内訳が記されており、その中に「修理池溝料」(潅漑用水などの修理に
あてる稲の糧)などと並んで、「俘囚料」の項が現われていることから知られる。


235 :天之御名無主:05/02/03 22:40:32
概して、蝦夷は団結力が足りない。


236 :天之御名無主:05/02/03 23:46:54
団結も何も…
そもそも連中は同族なのか?

237 :天之御名無主:05/02/04 00:01:29
>>236
部族化していたから団結力がなかったともいえるが、本質的に団結力が無いとも言えるかもしれない。

238 :天之御名無主:05/02/04 02:17:13
百済滅亡した時、多くの百済人が亡命してきた。
その数は相当な数だったそうである。
韓国人はそれらの百済人が全て「奈良」や「難波」などの首都圏に居住し、貴族としての
待遇を受けたと信じている。

それ・・・違うから(w
亡命百済人で当時の日本政府から重用されたのは、建築、彫刻などの職人達であり、居住
区域を決められ、職人集団を作っていた。彼らはその技術的需要と消費地に近い首都周辺
に居住した。

他の百済人はどうしたかって?
棄民ですよ。棄民。
 亡命百済人の集団は、百済国王以下が当時としては開拓もされておらず、大和朝廷の支
配も及ばない陸奥の国(現在の青森〜宮城)に送り込まれ、金鉱の採掘に従事させられた。
 金鉱が発見されたことから、その褒賞として百済国王には官位が与えられ、都に居住す
ることが許されたが、天皇に面会できる地位は与えられなかった。
 百済国王は中級貴族として都に住むことが出来るようになったが、それ以外の技術を持
たない百済人は、鉱山労働者として使用され
 死に絶えた。

239 :天之御名無主:05/02/08 00:21:28
>199

平将門の乱とかは奴を担いでいる連中
がいるわけだろ。その連中は反乱を
起こしていたわけだ。

その担いでた連中は今よりさらに濃いー顔の
連中だったんじゃないかな。

240 :天之御名無主:05/02/08 00:26:48
能やら狂言に出てくる土蜘蛛って
アイヌそっくりじゃねーか?

なんかわざわざこんなこと語る必要ないような。

241 :天之御名無主:05/02/08 01:45:34
>>240
>土蜘蛛の多くが「姫」の名でよばれていたことから分かるように、
>土蜘蛛族の首領は女性であったことからも、土蜘蛛が美女に身を託して現れる

微妙だな。。



242 :天之御名無主:05/02/08 09:37:30
土蜘蛛、姫、背が高い絶世の美女
姫と言えば、高句麗の菊理姫が思い浮かぶんだが・・・

243 :天之御名無主:05/02/10 03:59:40
高句麗の菊理姫???

244 :天之御名無主:05/02/17 22:56:52
>>195
>土蜘蛛は古代北部九州で原始的生活を行っていた集団...
北部九州?古代って、西暦でいって何年代位のですか?土蜘蛛は、神武に制圧された
大和地域の先住民を指す記紀で使われている蔑称でなかったか。

245 :天之御名無主:05/02/20 14:10:11
>>244
それだとまた時代背景が異なるのだが。

246 :天之御名無主:2005/05/13(金) 20:16:56
>>234
「大宮人梅にも懲りず桜かな」by伊達政宗

247 :天之御名無主:2005/05/13(金) 20:46:49
違うよ。蝦夷こそ実は邪馬台国だったのだよ。
大湯の辺りに女王国があったのだ。八幡平をなぜ「ハチマンタイ」
と呼ぶか。実はヤマタイの当て字だったのだ。
どうしてわかるかって?魏志倭人伝の交通の里程をみてみるがいい。
九州や奈良では近すぎる。それを考古学者が歪めて解釈しているのだ。
高度な文明がここにあったのは、縄文時代から三内丸山や、津軽外
三郡誌の安東氏の存在を見ても明白である。

本当の邪馬台国は、馬の産地でもある東北だったのだ。そして蝦夷と
いうのは武力で征服し、歴史を改竄した大和朝廷の天毎氏がレッテル
を貼ったのだ。


248 :天之御名無主:2005/05/14(土) 19:53:32
まじいってるのか?
田舎物の東北人の蝦夷が、文明人のわけないじゃん。

249 :天之御名無主:2005/05/18(水) 00:51:55



掲示板でHなWEBを宣伝する者には天罰が必ずある!!!









250 :天之御名無主:2005/05/18(水) 06:54:41
古代以前  古代  平安    鎌倉以降現代

縄文人→→エミシ→→エゾ→→→→アイヌ
        L→ニギエミシ→東日本人

弥生人→→ヤマト→→畿内人→→→近畿、瀬戸内人

こんなところ?


251 :天之御名無主:2005/05/22(日) 14:17:05
風土記に青森の蝦夷と福島の土蜘蛛が力をあわせて朝廷と戦ったっていう記述もあるが
蝦夷と土蜘蛛って系統が違うのか?

252 :天之御名無主:2005/05/22(日) 15:00:06
朝鮮人の朝廷に逆らって何が悪い。

253 :天之御名無主:2005/05/22(日) 16:14:53
>>247
鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」か。
あれには笑わせられたなあ。

254 :天之御名無主:2005/05/22(日) 20:06:06
>>250
東日本人?関東人が朝廷に逆らった事実はないけどな
蝦夷は免税や衣類を支給してもらうなど朝廷から優遇されていたはず

255 :天之御名無主:2005/05/22(日) 20:10:46
蝦夷の反乱を抑えるために関東の住民と東北の住民入れ替えるという策もあったらしい。
実際関東人の東北への入植は大々的に行われた。
東北の方言や姓が関東風なのはそのため。

256 :天之御名無主:2005/05/23(月) 21:16:23
平安時代までの関東人は
いわば「お味方エミシ」。朝廷に従順な先住民族。
それがゆえに防人に徴発されるなどの悲劇が続いた。
対東北戦争には中国仕込みの「夷をもって夷を制す」政策で、
関東縄文系農民を動員、同族である蝦夷と戦わせた。

住民交換も原則的に同民族だったから。
頑強に抵抗した東北先住民も、同族が優遇されているのを見て
次第に帰順していった。
それでも中央派遣貴族により先住民圧迫は続き
乱が続いた。

257 :天之御名無主:2005/05/23(月) 22:03:15
妄想乙

258 :天之御名無主:2005/06/04(土) 20:55:55
関東人に限らず、他国からの東北入植は、発掘物を見れば明らか。
関東から防人として派兵されたり、高句麗人により関東入植がなされた通り、
古代に大規模な人の移動があったのは、周知の事実。

259 :天之御名無主:2005/06/05(日) 19:16:47
「征夷大将軍」がなぜ鎌倉に幕府を開いたか。
「幕府」とは最前線の最高司令官司令部。
多分鎌倉時代頃まで、関東は「ニギエミシ」の地だったろう。

260 :天之御名無主:2005/06/08(水) 18:40:08
奈良時代の人口六百万と仮定して
東日本は東北のぞいて三百万ぐらいか。
数千のツングース系(高句麗遺民、百済支配者層亡命者)が流入しても、
さほど影響は与えなかったろう。
関東と東北の住民交代は記録されていても、
わざわざ畿内の弥生系良民を、関東に入植させることは少なかったのではない?

これだけ交通と住民移動の発達した現代でも、
東日本と西日本では頭長指数、血液の組成、風俗習慣にかなりの差がある。

エミシとは決して異民族ではなく我々日本人、
特に東日本人の「ある時点」での民族名称だったと思う。

261 :天之御名無主:2005/06/12(日) 16:06:17
【歴史】 「蝦夷(えみし)」はアイヌ民族か和人か…本格的な研究開始
http://live14.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1118558663/

262 :天之御名無主:2005/06/12(日) 23:44:03
>>193,194
東北は馬の産地、馬の文化だからね。
なるほど。

263 :天之御名無主:2005/06/13(月) 07:25:12
また妙なことを。
「アイヌ民族」成立なんて南北朝以降のことでしょう。
またなにをもって和人とするかだ。

蝦夷と呼ばれた人々が縄文人の子孫であり、
徐々に和人(弥生人)の文化的、遺伝的影響を受けて
現在の東日本人になったはず。
アイヌ民族は和人化を拒否し、影響を受けつつも独自文化を
築き、今日にいたった。

いわばアイヌ民族はエミシの正統後裔。
東日本人は和人化したエミシ。
ではないの?

264 :天之御名無主:2005/06/13(月) 23:09:49
>>262
東北の馬文化とは?馬に荷をつけることか?民俗族学者の宮本常一氏は、
「とくに東日本における馬の使い方を見ますと、馬へは乗るものでは
なかった。馬へは荷をつける、そういうことはあった。しかもその馬を
人間が引っぱっていく。口取りした馬を、荷をつけて引っぱていく。
人間が乗る場合でも口取りがついていたのです。」
モンゴルでは、普通馬に荷をつけない。馬は労働の道具でなく乗るもの。
騎乗が上手で口取りも必要無い。

しかも、軽装騎兵による波状攻撃においても、モンゴル帝国時代に
成立した要素が多いと思うが、それよりも前の時代に蝦夷によって
成立したのか?思い切って、世界に向け蝦夷こそが、騎馬戦法を確立した
と発表すればどうか?面白いと思う。

それと、律令軍「百姓苦役 無過鎮兵」の士気の低い兵を相手に善戦した
ことが誇りなのか。結局敗北したことには変わりないのだが。

265 :天之御名無主:2005/06/14(火) 19:57:43
京都名物
「馬並み忠兵衛」って六代目だっけ、七代目だっけ?

266 :天之御名無主:2005/06/14(火) 20:49:06
戦闘用荷役用色々あるでしょ。馬文化っていっても。

>>264
否定的なレスですが東日本に馬文化があるのが不満ですか?


267 :天之御名無主:2005/06/15(水) 00:35:44
>>266
また宮本常一氏の引用、「本当に馬へ乗る高い技術をもたなかった人
たちが、東日本にはたくさんいたのだといってよいのではないか。
(中略)なぜそうなったのだろうかというと、じつは東北の人たちは
昔から馬を飼っていたのです。(中略)一つの家の宝として、財産と
して、そういうものを飼っていたのです。そういう習俗が、東日本に
ずうっと見られたのではないでしょうか。」

つまり乗馬技術は、西日本から輸入吸収し、馬へ荷をつける伝統が、
東日本の馬文化ということですか?

268 :天之御名無主:2005/06/15(水) 11:44:59
東日本つまり関東から含めると歴史は見えないよ。関東は蝦夷の文化を
持ってない。北は騎士文化ですね、西は馬食文化、大きく違いますね。

269 :天之御名無主:2005/06/15(水) 12:29:23
ちゃぐちゃぐ馬っ子って知ってる? あれは東北の文化と言えるものなんだけど、
あれ実は馬の前に猿回しがいるの。でも、その猿回しは排除されて民芸品なんかで
売られているんだけど、馬はとても大切なものという文化は確かに東北にはあるし、
馬は食べない。 また、その猿回しを排除した事で一部のうるさい団体がなんか
いちゃもんつけてるみたいだけどw 猿回しは渡来文化であって、
とってつけたようなものなんだよね。

270 :天之御名無主:2005/06/15(水) 20:24:41
>>267
否定的なレスですが東日本に馬文化があるのが不満ですか?

蝦夷全盛期以前と以後も考慮しないの?

271 :天之御名無主:2005/06/15(水) 20:26:36
>>267
宮本常一の引用だけじゃ否定するのは厳しいよ。



272 :天之御名無主:2005/06/16(木) 00:01:12
>>268
幅広い視野から観るのが歴史であると思ってますので、申し訳ないですが、
関東との違いについて詳しく伺いたいのです。
それに西は馬食文化で、北の騎士文化とは何のことですか?
>>269
馬を食べないというのは本当か?確か秋田県か青森県か覚えて無いが、
鉱山抗夫の肺病予防に食べられたというのは違うのか?
もちろん西日本においても多くの地域で馬は食べている。モンゴルは、
現在チベット仏教の影響で食べんそうだが、カザフやブリアートでは
食べられており、中世モンゴル的文化の影響のあるシベリアのヤクート
(サハ)族も馬肉を生で食べる。
猿回しは、渡来文化とされるのであれば、それはどの地域からの伝承か?
東北アジアには、猿がおらんし。東南アジアの何処かになるのか?
>>270
そもそも蝦夷の全盛期とは?
>>271
宮本常一氏の考察を書いて、困ることでもあるのか?
東北マンセー学者の東北側だけの考えで、肯定するのは厳しいよ。

273 :天之御名無主:2005/06/16(木) 09:30:16
>>272
馬なんか食べないよ。鉱業が栄えていた時代というのは明治〜昭和にかけて
でしょう? 抗夫にはたくさんの朝鮮人労働者がいたらしい。
テレビでみたよ。松尾鉱山にも多くの朝鮮人がいたんだって。仙台あたりでは
一種独特な文化に合わない名物があるよね? 牛タンとか冷麺とか、東北の
地元の人は食べないし、そんなに人が思うほど、東北地方に全く浸透してない。

猿回しの文化は渡来系だという事しか分からないけど、まぁ調べればすぐ分かるんじゃないかな?w
動物を使って見世物にしたり、馬鹿にしたり、何でも食べたりというのはまず考えにくい。
東北には他の地方にない稲作文化があるから、不要だったと思う。

西日本のように鉱業もなく農業もない場所の方が野犬とか馬とか食べる習慣が
あったと思うのだけど。 彼らこそ何を主食にしていたんだろう?


274 :天之御名無主:2005/06/16(木) 20:30:55
蝦夷と聞いただけでなぜか否定的になる人が予想通り表れましたね〜。
やっぱ何かあるし臭いよね。やはり文化人類学のあるパラダイムを崩されるのが嫌なんだろうね。
かって東アジア反日武装戦線が沖縄と東北に蜂起を呼びかけた?から知らないけど
この手の人間には蝦夷をマンセーしただけで共産主義者呼ばわりされるから要注意


>>272
>宮本常一氏の考察を書いて、困ることでもあるのか?
君に都合のいい宮本常一の考察以外は無いのか?って聞いてるんだけど。

>>273
東北での例外は会津地方と津軽
会津では伝統的に馬を食べる文化があったはず。津軽は最近かも。


275 :天之御名無主:2005/06/17(金) 02:29:54
>>273
抗夫にはたくさんの朝鮮人労働者がいたらしいと、朝鮮人が馬肉を
喰うたとでも言いたいのか知らんが、朝鮮半島で、古代は別として、
中世、近世及び現在の韓国でも馬肉は一般的に喰われておるのか?
西日本は鉱業も農業のないのか。まあ冗談であろう。西日本で、
犬や牛馬を、食べる習慣は、中世の遺跡からも確認出来る。
>>274
蝦夷のどの部分を否定したのか具体的にいわれた方がよいと思う。
文化人類学の「ある」パラダイムを崩されるとは何ですか?
抽象的すぎて、無知なわたくしには解りません。
この手の人間ですか。早速罵倒開始ですか。しかも自ら蝦夷マンセーと
認めておられる。疑問点を述べただけなのに「要注意人物」とレッテルを
はり、自分達だけの妄想を楽しんでおるのですか。
宮本常一氏の考察についても解答せずに、氏以外の考察ですか。
それでは、あなたにとって不都合なことでもあるのかと思える。
まず蝦夷は関東も含むのか?それとも東北だけか?

276 :天之御名無主:2005/06/17(金) 03:21:39 ?
http://www5.tok2.com/home2/okunouso/daitara.jpg

これは何を意味するのか 実体はこうだ。

つまり、富士山から筑波山まで見渡すかぎり、関東地方はほとんどが多羅人で占められていた、ということを意味するのである。

それが都にダイダラボッチ(多羅人きりの土地)と伝わっていったのだ。(中略)「ボッチ」とはまさに文字通り、「ひとりぼっち」「これぼっち」のボッチであって、
「…きり」という意味であり、ダイダラのダイとは多羅に美称の大をつけた大多羅
のことだ。すなわち、「ダイダラボッチ」とは大多羅ばかりだ、ということを表している
のである。後世、平将門が「我こそは関東の天皇だ」と朝廷にたてつくのもこうし
た背景があったからだ。

↑を見る限り関東は蝦夷ではないのではないでしょうか。

277 :276:2005/06/17(金) 03:22:56 ?
参考HP
http://www5.tok2.com/home2/okunouso/jun.htm
http://www5.tok2.com/home2/okunouso/index.htm

278 :天之御名無主:2005/06/17(金) 06:46:29
古代以前  古代  平安    鎌倉以降現代

縄文人→→エミシ→→エゾ→→→→アイヌ
        L→ニギエミシ→東日本人

弥生人→→ヤマト→→畿内人→→→近畿、瀬戸内人


地域的に言うと(南北朝ぐらいまでの認識)

関東    南東北   北東北  北海道
ニギエミシ アラエミシ ツガル  渡党


279 :天之御名無主:2005/06/17(金) 11:15:14
>>276
関東を蝦夷だと思ってたわけ?w 君あまりに勉強不足だよ。

280 :天之御名無主:2005/06/19(日) 01:29:41
東北蝦夷で検索 28,300 件
関東蝦夷で検索 2件w

281 :天之御名無主:2005/06/19(日) 16:06:20
なんか突っ込むのも馬鹿馬鹿しいが
スレを読んでから発言汁
あとこれも嫁
ttp://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-112.htmより
>  しかし、われわれが考えるように、蝦夷の人たちは、もともと東北地方の奥のほう(陸奥)にいたのではなく、
>平安京遷都の時点(8世紀末)では、現在の地域でいえば信州諏訪の辺りから関東全域、
>そして東北地方全体で広範囲に生活圏を有していたのである。
>それが歴史を経るに従って、例えば、もともと摂津國に本拠を置いていた武家集団の源氏が関東へ進出する(八幡太郎義家)ことによって、
>睦奥に追い込まれ、徳川幕府が成立するころには、ほとんどすっかり蝦夷ケ島、
>つまり現在の北海道へどんどん追いやられるようになったのである。>
現在の関東地方は、かつては「坂東」と呼ばれ、京都の朝廷側から見ると、鎌倉の幕府政権ですら、
>最初は「東戎(あずまえびす)」と蔑まれていたのである。つまり「戎=蝦夷」であるということである。
>つまり、調停側からは、関東の武家集団は蝦夷の一部であると同様のものであると少なくとも見られていたのである。

282 :天之御名無主:2005/06/20(月) 07:10:30
うろ覚えなのだが
仙台の牛たんは地元名物をつくろうってことで
戦後に出てきたものだとかいう話を去年テレビで見た気がする
まあもともとあったもんを名物にしたてあげたのかもしんないけど

283 :天之御名無主:2005/06/20(月) 08:26:04
>>281
それはファンタジーだと思うよ。日本の鉱業のメインは蝦夷の土地だからね。
平安時代に金は産出されているし、鉱業はずっと盛んだった。
日本が黄金の国であったというなら、それは金が取れる場所でしょう?
日本のゴールドラッシュは蝦夷にありだよ。そんなお宝みすみす逃すほど、
朝廷ってバカだったのかな?w 私は関西なんて何のゲイもない場所に住んで、
食べるものさえもどうやって確保してきたのか分からない。

凄い生命力だと感心するけど。

>>282
だから、あれは地元の食べ物なんかじゃないよ。冷麺もねw

284 :天之御名無主:2005/06/20(月) 11:36:18
自分の知らないことが出てくると妄想だファンタジーだとか捏造にしたがる人がいるな
哀れだ

285 :天之御名無主:2005/06/20(月) 12:44:18
>>284
じゃぁ、資源も資金も食の源力もないのにどうやって朝廷は生きてきたの?w
どんな権力を持っていたというの?w

286 :天之御名無主:2005/06/20(月) 15:12:42
略奪。

287 :天之御名無主:2005/06/20(月) 16:38:33
>>286
海賊か?w 貧しいのぉ〜。貧乏人はこれだから嫌だ。

288 :天之御名無主:2005/06/21(火) 22:41:49
蝦夷は文字を持っていなかった(とれされる)から、
文字を持つ民族との科学・技術の発展のスピードが違いすぎる
どっちにしろ蝦夷が文字を持ってなかったので他の民族に支配・同化されるのは必死だったかと

289 :天之御名無主:2005/06/22(水) 00:57:39
アイノ文字があったじゃない

290 :天之御名無主:2005/06/22(水) 00:59:49
アイヌ文字
アイノ文字
北海道異体文字
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/photo/ainu.jpg
明治中期 人類学者、坪井正五郎が『東京人類学会誌 18、22号』にて
「北海道異体文字」として初めて紹介する。石片や土器、太刀、獣皮、木片
などに先刻され北海道余市近辺にて出土。特に1千年も前の古い時代の物
であると認定された「六角柱石片」には、アイノ文字が記されており確たる証拠
となっている。
「明治以前に、アイヌ人が文字を持つわけがない。」というのが学説であるが、ウ
エツ書や秀真伝、九鬼文書に、エゾノ国(蝦夷)を治める。といった記載がある
ことから一概にアイヌ人が未開拓人であった。と考えるのは早計である。

291 :天之御名無主:2005/06/22(水) 05:56:21

大師が杖を突いたら泉が湧いた?:
http://www5.tok2.com/home2/okunouso/08alty.htm#altymap



292 :天之御名無主:2005/06/22(水) 14:41:35
アイヌはアイヌ。蝦夷は蝦夷。

293 :天之御名無主:2005/06/23(木) 14:22:48
なんかそのアイヌ文字って子音の記号と母音の記号を組み合わせて一文字にしてるあたりが
ハングルと近い感じがするなぁ

ttp://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/korea/lang.html
ここを見るとハングルの方が新しいみたいだから
ハングルってアイヌ文字のパクりかもな

294 :天之御名無主:2005/06/23(木) 23:33:12
>>293
どこみてんだよw
子音と母音の組み合わせではまったくないのだが・・・

295 :天之御名無主:2005/06/24(金) 01:22:06
>>290
中国の感じをパクッて改変した仮名文字より遥かに独自性があるね。


296 :天之御名無主:2005/06/24(金) 01:25:32
文化的独自性

アイノ文字>>>>>>>>>>>仮名文字

やはり中国や朝鮮のパクリ文化に過ぎない大和文化はあまり価値がないと思う。
中国からの観光客も京都より富士山が好きだし。

297 :天之御名無主:2005/06/24(金) 03:42:00
>>296
また妄想が始まったか。

298 :天之御名無主:2005/06/24(金) 20:11:54
藤原エミシと関係ありますか?

299 :天之御名無主:2005/06/25(土) 15:06:18
大宰府や対馬を経由する西側の大陸貿易路とは別に、
たとえば佐渡や北海道、樺太を経由して大陸と交易する、北のルートのようなものがあったのではないか。
仮に、日本人がかつて大陸から渡って来たとして、西と北のルートでは、それぞれ民族が違うのではないか。
西が大和民族で、北が蝦夷ってことはないか。


300 :天之御名無主:2005/06/25(土) 18:59:30
佐渡や日本海沿岸は、拉致でもわかるように、割合簡単に出入りできてしまう。
昔はもっと簡単に行き来しただろうね。

301 :天之御名無主:2005/06/26(日) 14:12:49
東北人のイメージで顔が薄い人間を想像するのは関西人ですね。
それは東北に入植した自らの末裔を見てるに過ぎませんし。

302 :天之御名無主:2005/06/28(火) 22:15:48
今日の白川の関以北の東北人の事

303 :天之御名無主:2005/07/17(日) 13:23:32
何故か魏志倭人伝などの「毛人」を「東北地方の住民のこと」と説明してある書籍やサイトが多い。
しかしその当時、東北制服(侵略)はどの位進んでいたのか?
「毛野国」といえばまず、北関東の群馬、栃木。
その後、ハゲになって上野国、下野国と呼ばれているが、もともとは毛があった。
毛人というのは太田周辺の住民のことじゃないのか?
同様に「ヒタカミ」は一般に北東北、特に北上川流域を指す言葉と思われているが、古代「ヒタカミ」
には茨城を指す言葉だったらしい。北関東には東北と同じ匂いがする。
以下の地域は全部東北地方(みちのく)。
青森岩手秋田宮城山形福島新潟(下越中越)茨城栃木群馬埼玉

脳内で「ヒタカミ重工」という地味でよいものを作るもと軍需産業があるが、
脳内エンブレムがホンダとヒュンダイと区別できず困っている。
しかし、歴史的に「毛人重工」も同じ位カッコイイと思ったらあるじゃねえか。
今からドライブ逝ってくるよ。



304 :天之御名無主:2005/07/17(日) 13:27:49
福島、郡山が余計な合併して湖に滲出するから会津の東の境界がわからなくなった。

湖は会津!郡山は会津じゃないだろ。

305 :天之御名無主:2005/07/17(日) 13:29:05
本当は亘理までが福島県、遊佐までは秋田県のはずだよな。

変な統廃合しやがって。

306 :天之御名無主:2005/07/17(日) 13:56:51
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/4sumi1.html
東北・関東は山人(倭奴人、ワイヌ)とは異なる
出雲朝鮮人の土地。どうりで顔が薄いわけだ・・

307 :天之御名無主:2005/07/17(日) 14:05:24
渡来した人は極めて少数で先住民と共同して国作った。
彼らは、山の民を山人、海、川の民を隼人と名付けた。
ハヤとは魚の名称(ウグイ)にも引き継がれているね。
(ハヤとよぶのは九州地方。)
山門が山に拘るわけ・・土蜘蛛は縄文人の
アウトロー的存在だったのだろう、しかし、縄文人はほとんど
渡来系に九州された。

308 :天之御名無主:2005/07/21(木) 23:31:07
●濊(カイ)
 濊は南は辰韓と、北は高句麗、沃沮と接し、東は日本海に窮まる。朝鮮
(中国領)の東は皆その濊の土地です。戸数は二万。大君主はいないと
されています。ここも高句麗の同族と唱えていました。言語や法俗は
ほとんど高句麗と同じで、衣服に違いがある。真珠や玉は宝としません。
 武帝に追われた「濊王の印」を持つ一族で、北方に逃れた主力が夫余
となり、東方に移動したものがこの濊になったと解釈すればいいようです。
濊はおそらくタイの転訛で、楚人が先住の北方系民族の上位に入って建国
した国かと思えます。
 朝鮮民族の祖とされる檀君は熊から生まれたとされていて、楚の熊
トーテムに一致しています。濊は虎トーテムだったらしく、虎を祭って神
としています。これは熊と同時期に、人間に変りたいと穴にこもったが、
途中で挫折して失敗したとされている動物ですから、熊トーテムの下位に
置かれていた部族と見当が付けられます。
 中国では虎のことを李父や李耳といいますから、濊の首長階級は李姓と
考えられ、そして、これはトゥチャ族(=巴の李氏は虎トーテム)の
可能性濃厚です。加藤清正の虎退治も、当時の朝鮮が虎トーテムの
李氏朝鮮だったため、このように表現されたもので、実際に虎と戦った
わけではないでしょう。
 夫余は北方系民族(東胡)に楚人が融合した熊トーテムと考えられますが
(*)、そこに狗トーテムの越王の血が入り、朱蒙(鄒牟=騶)が南方で
独立して高句麗を建てた。夫余から分かれて東方に展開した濊は、
その下位氏族で虎トーテムだったという順序になるようです。
 (*/高句麗本義では、天帝の子と名乗る夫余王、解慕漱が熊心山に
結びつけられています。)
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/4/2_4.htm

アイヌは自らをカイというけどどういう関係かな・・

309 :天之御名無主:2005/07/29(金) 16:01:31
■ハングル板基本用語解説■其の14

(理由2) <<白丁(ペクチョン)>> 日韓併合されるまで朝鮮に存在していた被差別階級。在日=白丁とされる韓国では
現在でも在日は差別される。実際は全ての在日が白丁な訳ではないがその多くは朝鮮社会での被差別階級だった。朝鮮の身
分階級は大別して「良人(両班、中人等)」「賤人=奴隷」とあり、「賤人」のうち個人所有=民婢、公有=官婢と称した。
国家的奴隷制、贈り物・相続・売買され、殺生しても罪に問われなかった(←部落との違い)「白丁」は、これの更に下層
に奴隷以下の被差別民として位置づけられた。李朝時代に身分として固定され、柳細工の製造販売や屠畜などに従事、衣服
も指定され、居住地も制限され、目印として平壌笠と呼ばれる笠をかぶらねばならなかった。(コピペ)
(理由3) <<済州島出身者>> 白丁よりも済州島が多い。ソウル>地方>全羅道>白丁>済州島 済州島に対する差別
は酷く、完全な野蛮人扱い。済州島出身者との結婚となると、在日の間でさえ「血が汚れる」と一族が猛反対。
1948年、南朝鮮の単独選挙に反対する南朝鮮労働党が組織した済州島四・三蜂起が発生し、朝鮮戦争後の1950年代
半ばまで、弾圧とテロ、山岳ゲリラ活動が続き、のべ8万人の島民が殺されたとされている。今日でも、済州島は反中央の
気風と結びつけて語られることが多く、半島には済州島出身者への差別意識が残っていると論じられることも多い。
済州島は、民族的に陸(半島)と著しく異なり、倭人に近い。昔は独立国だったが、いつの頃か朝鮮に侵略されて現在に至
る。ただ、完全な支配となると意外と新しく、三別抄の乱後、元寇以後になるんじゃないかな。日本では、神功皇后が済州
島を征伐し、その時百済に与えたと伝えられてる。 (コピペ)

――戦後の補償と謝罪―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
戦後の補償と謝罪に関するデータ http://tenpura_c.tripod.co.jp/


360 :日本@名無史さん :2005/07/29(金) 15:41:29
早い話満州人が倭人(縄文)をB扱いして差別・排除してきただけだね。
半島も日本も構造は同じじゃん。

310 :天之御名無主:2005/08/05(金) 00:40:09
>>264>>267>>272>>275
ルイス・フロイス「ヨーロッパ文化と日本文化」>西洋人は馬に乗ったまま戦うが日本人は戦闘になると降りる。
「雑兵物語」>東国の武者は馬術に長け馬に乗ったまま戦う。
時代としてはこっちのソースのが古い。

311 :天之御名無主:2005/08/25(木) 06:34:53
>>308
そのページは電波サイトだから参考にならないよ

312 :天之御名無主:2005/10/03(月) 22:35:59
「火怨」を読め!

313 :天之御名無主:2005/10/11(火) 04:34:17
まあ、もっと調べては欲しいな。
目の色素、毛深さあたり確かに違うわ。
オカ板の牡牛と竜スレ面白いよ。
中東のエブス族なんて記述があって。


314 :天之御名無主:2005/10/12(水) 00:09:52
>>310
西洋でも、時代を遡り、ステップ的乾燥気候の要素の強いイベリア半島と
地域も別であるが、北欧のヴァイキングはノルマンは別として、徒歩で
闘い、戦場に赴いたものは全て、戦闘の前に馬を降りて繋いでおり、
それはアングロ・サクソンにも共通していました。
ルイス・フロイスは、「日本人は長い柄杓で馬の尿をとる」と言って
ますが、水を飲ませる時も同じく。宮本常一氏によると「鎌倉武士の
場合には、一人で馬を乗りこなすということは少なかった。馬柄杓という
お供がいて、乗ったまま水を飲ませようとすると、乗っている人が
落ちるのです。これは乗り方が下手だからです。その程度の乗馬力しか
もっていなかった。」
その東国武士が、雑兵物語で誉めるほど、馬術に長けたとは思えん。
東日本は、遊牧地帯の影響を受けた、満洲、華北の様に、ステップの
延長ではない。西日本は水軍、海戦で二流であったが、東日本も騎馬に
拙劣であったと思えるが、東日本の馬文化とは何か?河内の馬飼い
帰化人と比べて弓馬の技量があったという根拠もないと思える。
東日本の馬文化は何処から流入したんか?それはモンゴルの様な
遊牧地帯に劣らんと誇りを持てるもんか?

315 :天之御名無主:2005/10/12(水) 04:49:25
>>312
火怨は純粋に「物語」と思ったほうがいいと思う。
アテルイを中心とした、英雄叙事詩的フィクションと思えば読める。
ただ、前編殆どが「会話」を中止に組み立てられた戦術的駆引きに費やされていて、深みがない。

蝦夷とは何か?という興味には全く迫ってないし、朝廷と蝦夷がコトを構えるに至るまでの経緯も説明不足。
もっと蝦夷勢力の背景にある食生活や民力に迫って欲しかった。
ま、蝦夷自身が残した歴史資料は一つもないから、無理なんだろうけどね・・・

316 :天之御名無主:2005/10/12(水) 16:32:52
>>315
火怨に限らず、高橋小説はみんな同じだよね。
妙にさえた主人公とその取り巻きたちの思惑通りに戦線が進んでいく感じ。
東北舞台の小説が多いのはありがたいんだけど、蝦夷に関する考察があんまり
見えないのが残念

317 :天之御名無主:2005/10/13(木) 01:00:44
戦国最強の武将は?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1105362645

広島タソ、見っけw
宮本常一なんか持ち出すなってw

318 :天之御名無主:2005/10/13(木) 01:09:40
歴史トーシロの俺が書き込んだ拙いレスだが入れとくよ
妄想広島レスよりはマシ

【将門以前の坂東の流れ】
騎馬での戦闘に長けた東北蝦夷の兵站基地としての坂東。

俘囚(服属・帰属した蝦夷※騎馬に長け、朝廷軍の十倍の強さ)を集中的に坂東に移住。

俘囚たちが朝廷に対する怨念から反乱。さらに群盗(富豪の輩※土着国司や在地豪族など)も蜂起。

これを鎮圧するのも富豪の輩(上と同様の連中)。「凶猾党を成し、群盗山に満つる」状態。

上のような状況で坂東で培われた兵としての強さが(蝦夷を通じて)、京で軍事貴族となった源平
両氏などによって、都にも浸透していったという事でしょう。
源氏は都の軍事貴族として成長し、頼信以降、坂東武士との密接な関係を築いていく。
広島さんの説は恐らく荒唐無稽な騎馬民族説+高橋&川合説など色々混じってるんでしょうw

結局この時代の戦闘は騎馬武者が基本となるから、豊富な馬牧を持つ東国武士が西国武士よりも
騎馬技術に長けるのは当然だろうし、古代以来続いてきた蝦夷との戦い(頼義、義家も含め)、
戦続きで焦土と化した坂東一帯・・・実戦に勝るものなしでしょう。
ただ忘れてならないのは、狩猟中心で、騎馬での戦闘に長けた東北蝦夷の存在!

319 :天之御名無主:2005/10/13(木) 01:18:28
騎馬技術を語るなら、坂東に入植してきた渡来人の存在に触れるべきだと思うが。
新座・高麗などの地名は、渡来人入植の跡。
騎乗技術はどちらかと言えば彼らによる影響のほうが大きいだろう。

もひとつ「凶猾党を成し、群盗山に満つる」状態ってのは、
平忠常の乱の時の話では?

320 :天之御名無主:2005/10/13(木) 01:22:00
>>318
根拠の無い妄想に自慰するマンセー関東人。
論破されても同じ主張を繰り返す馬鹿参上。

321 :天之御名無主:2005/10/13(木) 01:28:48
>>319
高麗人には「戦国最強の武将は?」スレで書いたのあるよ。

>「凶猾党を成し、群盗山に満つる」状態=平忠常の乱?
それも含まれるだろうけど、その以前からそういう状態。
しゅうばの党とかね。


>>320
何が論破だよwww
あとで反論する

322 :天之御名無主:2005/10/13(木) 01:46:12
>広島さん=宮本常一を持ち出す人
宮本常一は騎馬民族説に立脚して、京の公家が強かったとか言ってるのは
あんたが傾倒してる神戸大の高橋氏でさえ「言い過ぎではあるが」と述べてるぞ。
それに、坂東武士が弱いなんて高橋氏は言ってないし、蝦夷を酷評するのは
あんたの妄想だろw

323 :天之御名無主:2005/10/13(木) 07:29:19
連貼りすまん
821と822のレス読みにくいなあw・・・まあ意味は解るかな?

>>319
とりあえず戦国最強スレで、俺がレスした高麗に関する部分を貼ってみた。

騎射に巧みな高麗人と武蔵武士の関係は深いと思うよ。
高麗人(高麗国の遺臣)の有力者と在地豪族の姻戚関係も深そうだし。
丹党青木氏(加治氏族)系図には高麗人移住の話も載ってるが、丹党は秩父郡発祥だが
青木氏や加治氏は飯能市(高麗郡)の武士だから、高麗人との関係も密接だろう。

この地には高麗神社が鎮座してて、社家の高麗氏は高麗王の末裔を称し現在に至る名族。
中国きってのの名門大名大内氏は百済王の裔を称してるね。

武蔵に移住した高麗人は高句麗の亡命者で、高麗社家・高麗氏に残る系図には高麗王若光を
遠祖として真偽は疑わしいが、高麗氏の祖はあるいは高句麗王族の一人だったかもしれない。

324 :天之御名無主:2005/10/13(木) 09:07:17
蝦夷は防人、万葉集が上手い。


325 :天之御名無主:2005/10/13(木) 17:55:48
>>318
>源氏は都の軍事貴族として成長し、頼信以降、坂東武士との密接な関係を築いていく。

蝦夷征伐の実行部隊は源氏ぢゃないのか。

326 :天之御名無主:2005/10/13(木) 20:44:48
>>323の誤爆った。821と822⇒321と322に訂正(どうでもいいけど)。

>>325
八世紀後半頃の蝦夷征伐(朝鮮渡来系の坂上田村麻呂(758〜811)が征夷大将軍となる)
(騎馬での戦闘に長けた東北蝦夷の兵站基地としての坂東)

俘囚(服属・帰属した蝦夷※騎馬に長け、朝廷軍の十倍の強さ)を集中的に坂東に移住。

俘囚たちが朝廷に対する怨念から反乱。さらに群盗(富豪の輩※土着国司や在地豪族など)も蜂起。

これを鎮圧するのも富豪の輩(上と同様の連中)。「凶猾党を成し、群盗山に満つる」状態。

{時代が下る。戦場の坂東は更にヒートアップ。兵も更に戦馴れ}

源頼義、義家親子の前九年の役(1051〜1062)、義家の後九年の役(?〜1087)
(源氏軍の主力は坂東の兵⇒坂東武者に繋がる)

327 :天之御名無主:2005/10/13(木) 20:48:48
郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1071589634/

ここで広島マンセーして突っ込みまくられてる205氏に注目wwwwwww
ここの広島??

328 :天之御名無主:2005/10/13(木) 20:58:08
>>318の流れは>>320(広島人さん)の言うような根拠のない妄想ではないよ。
学習院大の関氏、京都大の上横手氏、元木氏などの著作を基に、作ったものだから。

>>327
そこにも居ましたかwこれから覗いて見るよ。

329 :天之御名無主:2005/10/13(木) 21:11:00
西日本人の偏狭な皇国史観論者は蝦夷・東国を否定的に見ようとする。
またはそのような価値観に縛られてるのだろう。
もっと自由奔放に物を見れないのだろうか。

>>328
異様に広島をマンセーしてて郷土資料ばかり参考にするなと突っ込まれまくり。

330 :天之御名無主:2005/10/13(木) 21:17:02
>>327
のスレ、後半はおとなしくなったようだ。
坂東武者を感情的に否定するような書き込みは相変らずですな。

331 :天之御名無主:2005/10/13(木) 23:34:06
>>330
広島タソは他の板でも暴れてるんだろうな。

でも、高橋氏の著作の中から自分の都合の良い部分だけ抜き出して
さも坂東武士が稚拙だったみたいに書き込むのは腹が立つよ。
高橋氏の京都マンセー気味の論文は、他の学者達から集中砲火浴びて
反論されてるし、高橋氏も坂東武士の強さは認めてるんだよ。

知識が豊富なのは解るが、いい加減な事を言うのはやめて欲しいね。

332 :天之御名無主:2005/10/13(木) 23:56:03
>>1
7世紀以前の大和朝廷は西日本の一部と朝鮮半島の西南部だった。
日本列島の東北部は、百済などと違って大和朝廷の勢力圏外だった。
その勢力圏外にいた人々のことを、日本の西南部と朝鮮半島の西南部にあった大和朝廷が「蝦夷」と呼んだ。

333 :天之御名無主:2005/10/14(金) 03:07:56
>>329
西日本人を皇国史観論者?ほいじゃ東日本人は共産主義在地領主論者か?
東国中心の狭い価値観に縛られ、自由奔放に、広い視野で物を観れん
のか?>327には感謝するが、そこで根拠の無いことを言うて
突っ込んだんはワレか?
他板でも捏造し姑息で陰険なと書いたが、奴隷民が性格がひねくれるのも
仕方がないわいのう。

334 :天之御名無主:2005/10/14(金) 07:40:57
東日本西日本なんてみかた自体が関東人の考えそうな思考。
関東人は万葉集の上手い渡来人蝦夷四隅墓の子孫。
半島の北部にルーツをもつ(蒙古ヒダあり)
鈴木、藤原姓多し、均一性あり。
西は均一性がない。

335 :天之御名無主:2005/10/14(金) 07:57:54
>>333
あんた色々な板にいるんだな。
蝦夷が少しでも評価さると否定的になりまくり・・。
そして感情的になりすぎ。
それじゃ蝦夷コンプレックスと馬鹿にされても仕方ないよ。

336 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:13:04
>>331
彼は知識が豊富というより資料を写しながらレスしてるのがばれた。
だから速攻で論破されまくってる。そして反論が物凄く遅い。

それと蝦夷や東日本と聞くと異様に感情的になるのが痛い
やっぱり皇国史観なんだろうなーとしみじみ思った。
何かを恐れてるのだろう。
蝦夷にしてみれば勝手にずけずけ入ってきた中国・半島系の連中なんぞ迷惑極まりないのに。


337 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:16:30
蝦夷って万葉集の上手い防人だよ。
蒙古ヒダもあれば豆のような目もしてる。
辰モンゴロイド

338 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:18:26
白山信仰、四隅墓、角餅文化。
おそらく、沿海州あたりの渡来人から
蒙古ヒダと豆のような目を受け継いだのでは?

339 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:20:54
純粋な日本人である蝦夷を否定して中華文明インターナショナル朝鮮支店日本営業所の大和を
持ち上げる広島の馬鹿はルーツがあっち系なんじゃないの?



340 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:22:48
日本って固有名詞自体が渡来臭い、元々倭国だし
日本平とかあっちに多いのは確かだけど・・
日本って固有名詞まじで好き?
漏れ渡来臭くってあまり好きではない。

341 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:28:16
ところで東の人ってなぜそう東日本で纏まるんでしょう?
西は海越えると外国、異民族の住む土地という意識なので
全然纏まりありませんが。

342 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:28:27
まともな日本人だったら蝦夷や熊襲には好意的なんだけどね。
ルーツの怪しい連中が宣伝してた文化や文献の方がよっぽど怪しい。
それを参照して丸写しレスしてる広島はもっと痛いw


343 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:30:55
>>341
ある意味、西日本も異民族に侵略された土地だからでは?

344 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:33:21
東にも関西経由ではない渡来の人が混じっていますよ。
文献がないというだけで侮ってはいけません。
確かに、東北関東にはほとんど関西から人は移り住んでいないと
思います。
だからどうというわけではありませんが

345 :天之御名無主:2005/10/14(金) 08:37:43
渡来の人がどこを通じどういう風に広がったか
定かではないと思う。東日本扱いのブリの漁獲量の多い北陸は
ブリ文化圏で西に広がっているし。


346 :天之御名無主:2005/10/14(金) 09:05:11
>>344
でも渡来系は西とは比較にならない

347 :天之御名無主:2005/10/14(金) 15:57:10
東北のアイヌ語地名分布を見る限りでは、その南限は
8世紀の38年戦争時のフロントラインに高いレベルで一致してくる。

が、だからつって蝦夷=アイヌという風にすぐに結論付けられない謎だらけなんだよなあ。
アイヌ語族がいたのは間違いないんだけど、蝦夷の権力層ってのは一体なんだったのかと。

348 :天之御名無主:2005/10/14(金) 16:36:53
>>347
だいたいどの辺りがアイヌ語地名の南限?

349 :天之御名無主:2005/10/14(金) 16:45:19
>>348
岩手の遠野あたりまでかな?門外漢が答えてしまってスマン・・・

350 :天之御名無主:2005/10/14(金) 22:22:28
>>333
おいおい!俺が見つけたのはこのスレだけだぞ!
前後の文章見れば判るだろうに。陸軍スレに書き込んだ事はないぞw

関氏や上横手、元木氏は領主制論者じゃないだろ。
ってか、職能論というのも料理のスパイスみたいなもんじゃないのか?
どっちかに偏って考える話ではないだろうよ。

>>326訂正:東北攻めの源氏軍は河内などの兵と、相模中心に坂東兵の混成。

351 :天之御名無主:2005/10/14(金) 22:24:24
>>348
書いてやりたいけど、とてもここでは書ききれない。

アイヌ語類型の音を持った地名は全国にいくらでもあるのだが、
その起源が果たしてアイヌ語か、という点については
(アイヌ語地名が地形を直接的に表すという特徴があるので)
フィールドワークを前提にした科学的な検証が必要になる。

それを高い信頼性で実証したのが山田秀三氏。
山田氏の著作に目を通してみることをオススメする。

352 :天之御名無主:2005/10/14(金) 22:36:59
>>334
藤原姓が多いのは西日本。兵庫とか岡山とか。
鈴木は関東に多いけど、東海が特に多いぞ。
東北・北海道はなんと言っても佐藤だけど、新潟、大分なども多い
日本一の苗字。

353 :天之御名無主:2005/10/14(金) 22:39:00
佐藤も斉藤も後藤も内藤も全部藤原系。それでみると
明らかに東に藤原系が集中している。

354 :天之御名無主:2005/10/14(金) 22:39:59
>>339
>純粋な日本人である蝦夷?その根拠は?
>中華文明インターナショナル朝鮮支店日本営業所?それは東日本の
ことでしょう。
西日本=末子相続、契約小作、分割相続、村の代表者は選挙で決める。
東日本=長子相続、血族分家、非血族間序列有り、隷属小作、村の
代表者は決定は世襲的。
東日本は、主人の思うままにままに売り飛ばされる奴隷民であったので、
東亜細亜の社会制度に近く、特に朝鮮半島の社会制度に類似する。
長子相続、血族重視、縦型社会と東日本と朝鮮半島はなぜこうも
似ておるんか?
>336、342にも関連するが、朝鮮人が卑しい倭人の血の入って
無いと主張するのと共通して、東日本人も倭人の血は入っておらんと
主張するんも、隷属農奴隷民であった血のコンプレックスかいの?
わしゃは、西日本に生まれ、東日本の様に劣等感を持たず良かったわい。

355 :天之御名無主:2005/10/14(金) 22:44:41
見苦しいぞ↑

にしても苗字でみても本州はどこも金太郎アメだろ
いがみ合うなよ。同族なんだよ。

356 :天之御名無主:2005/10/14(金) 22:50:20
なんぞ恐れんわれに、鎌倉男児あり♪

音に聞こえし関東侍〜♪


関東軍って強そうだけど、
「関西軍」言うたら弱そう、言うより
「お笑い軍団か!」と関西人でもおもてまうなあ。



357 :天之御名無主:2005/10/14(金) 22:52:40
鈴木、児玉は北方系(物部、出雲、熊野)
確定だから、○藤氏もハタ氏の親戚だから。
この人たちを中心に日本は弥生化したと思う。

358 :天之御名無主:2005/10/15(土) 00:26:35
>>356
お笑い関東軍は弱わそう。実際強うなかったんじゃが。
音に聞こえん日本の恥である冷酷関東侍。早速妄想か、奴隷民が。

359 :天之御名無主:2005/10/15(土) 00:39:40
物部天鈴はエミシですか?

360 :天之御名無主:2005/10/15(土) 00:46:24
高橋は蝦夷=イズモ族と唱えてるが違うと思ふ。

361 :天之御名無主:2005/10/15(土) 01:36:35
>広島タソ
おまいさんが>333でアンカー付けたのは329だったか・・・
俺がレスったのは331だから>350のは勇み足だったな。

先進地の西国村落と違って、東国は身分階層が激しかったけど=隷属民じゃないぞ。
隷属農民の割合は多いが、上層階級の支配力が強かったという事で、関東・東北よりも
身分階層が平均的だった畿内と比較しても、トータルでバランスが取れるだろ。

近世の関東で言えば、土豪層の上に直接徳川氏が乗っかってきたから、仕官出来ずに
帰農した旧家が多い。

362 :天之御名無主:2005/10/15(土) 11:19:02
>>354
北部九州〜関西に多い下戸遺伝子が完全に証明してるでしょ?
中華文明インターナショナル朝鮮支店日本営業所の営業ラインだった事が。
この下戸遺伝子は中国と朝鮮と日本の特殊な地域にみられるもの。

ちなみに下戸遺伝子をもたないのはアジア標準どころか世界標準
酒豪遺伝子が多い九州南部と東日本はルーツがまともな証拠だよ。
東日本の相続制度も朝鮮どころか世界的に共通した地域は多いのでは?
酒豪遺伝子と同じで。


363 :天之御名無主:2005/10/15(土) 11:40:39
東京の人が九州にくると一目で分かるくらい、
色白で堀浅くて弥生的だよ、実際。
九州も蒙古ヒダのある新モンゴロイド顔いるけど
東京東北とは全く雰囲気が違うんだよな〜
基本的に東京東北は弥生の本流、九州は例え
海岸沿いの松浦地域でも縄文的だよ。
都会育ちってのもあるのかもしれんが、
血統の違いも大きいと思うね。
よっぽど東に渡来人が集中的に入ったか
渡来人が大繁殖したかのどっちかだね。
そう考えるしかないな〜

これが現実であり真実であるから、
これをベースで考えるしかない。
なぜ東は極端に弥生顔が多いのか?

364 :天之御名無主:2005/10/15(土) 11:43:26
昔から常識的に
西南日本は縄文的と言われていただろう。
これは、学問的なことは無視して庶民感覚の常識。
この常識は無視できない、重要な事だよ。

365 :天之御名無主:2005/10/15(土) 11:52:39
別に煽っているわけではないよ、事実だよ、飛行機で
長崎の北部やら佐賀の北部の倭人の生息していた地域に
いってみて。倭人が縄文の直系だったのがよくわかりますから
なぜならこの辺りの地域は後に入った本州人の血が薄い、
古代倭人の特徴をよく残している田舎者の地域だからである。
その意味で本州関東人などの渡来の血が濃い人が多少混じる
商業都市部とは異なると思います。

366 :天之御名無主:2005/10/15(土) 11:54:41
顔が雰囲気が全然違う、北部九州が弥生の本流だったというのは
まず絶対にあり得ない。
小倉八幡地域に渡来人が多く住み着いたという記録は
あるが、これだって基本的に九州の他地域に影響を及ぼしてはいない。

367 :天之御名無主:2005/10/15(土) 12:01:06
いまや渡来の象徴ともいうべき
八幡、氷川、常盤の地名は
明らかに東に多いしな〜

368 :天之御名無主:2005/10/15(土) 12:04:13
八幡、熊野、常盤などの渡来系の人は
八幡小倉、出雲地域に一旦拠点を
おき、怒濤の勢いで東進していったのか、それとも縄文倭人に
東においやられたのか・・
東の人は弥生的過ぎる

369 :天之御名無主:2005/10/15(土) 12:23:19
一つ考えられるのが西は台湾系などに近い古代人と
渡来系が共存混血しながら倭人を形成したが、
東は冊つくって倭人ではない、
朝鮮から直接きた純血の新モンゴロイドが
原住民を排除したせいとも考えられる。
そう考えると理解できるんだよね〜

370 :天之御名無主:2005/10/15(土) 12:44:04
八幡信仰、熊野信仰、常盤信仰
などの信仰の中心は本州地域だし
苗字も本州に畠氏、鈴木氏(物部氏)など渡来姓が
集中しているのみても、整合性がある。

371 :天之御名無主:2005/10/15(土) 13:03:35
極めつけは○藤氏か、彼らは秦氏と姻族関係もってるから
渡来氏族と同族だしね。○藤は東国人の本流。
冊作っていた人の子孫なのかのしれんね。

372 :天之御名無主:2005/10/15(土) 14:45:05
>>369
>>318は妄想広島さんへの反論で各論文を基に作ったのだが、どうも解せない点がある。

古代からの支配者である武蔵国造、知々夫国造などの系譜(庶流)を引く在地豪族に加え、
少数派だろうが、中央からの国司の系譜を引く土着豪族などの在地支配層と朝鮮半島からの
移民(遺臣)が姻戚関係を繰り返し、武蔵武士団の礎になったんじゃないかと俺は思ってる。

そこで疑問なのが、東北蝦夷からの強制移植民の俘囚の存在なんだよな。
朝廷への怨念から反乱を繰り返す俘囚たち・・・彼らとの戦闘を通じ、初期の坂東の武は
練り上げられていったと思う。
でも彼ら俘囚の末裔はどういう形で坂東武士に繋がっていったのか?
源平期の坂東武士の郎党などは俘囚の末裔とかが多かったのかな??

・・・・・・・塩山高校カワイソス (´・ω・)

373 :天之御名無主:2005/10/15(土) 15:32:06
関東は元々出雲系胸方、胸刺で
渡来系軍人そのものだったと思うのだが。。


374 :天之御名無主:2005/10/15(土) 15:43:45
八幡や出雲宗像にルーツを持つ苗字や地名、神社の分布
をみると関東は古代から巨大な
渡来の勢力があってそれは倭国とは
異なる勢力でもあったと思うわけ。

375 :天之御名無主:2005/10/15(土) 17:50:24
>>350
>>>326訂正:東北攻めの源氏軍は河内などの兵と、相模中心に坂東兵の混成。

板東兵といつても半島系移民の子供たちで、新羅系。そもそも源氏が新羅なんぢゃないのかな?

376 :天之御名無主:2005/10/15(土) 21:02:56
>>361
隷属奴隷民と同じことであろう。上層支配が過酷で、どうバランスが
取れるんか解らんが。帰農した旧家は全国的なことで関東的特徴では
あるまい。
>>362
わし自身は下戸と言い難いが、それは別として、下戸遺伝子という単一の
遺伝子より、いくつかの遺伝子の連鎖した、HLAやDNA等の
ハプロタイプの方が強い遺伝標識になるんですが。人類学とは形質も含め
様々なデータから総合的に判断せんといけんでしょう。確かに西日本の
方が、大陸や朝鮮と人種的に近いと思います。
同じ儒教でも、朝鮮が長子絶対性に対し、中国の相続制では遺産は平等に
分け長子のみ祭祀料を余分に貰う。モンゴルは、末子は父の基本的財産を
相続し、家の主ejenと呼ばれ、北方騎馬民族は末子相続が多い。
東日本の宗族制、惣領制は儒教文明的、朝鮮的社会構造でしょうね。

377 :天之御名無主:2005/10/15(土) 23:55:31
>>373-374
大宮氷川神社の系図だと武蔵国造裔で物部姓なんだよな。
でも、氷川社家は菅原氏の後裔でもあるから、菅原=土師=出雲系でもある。
372のレスは、少数派は中央貴族(国司)系のことで、渡来人の方は多いなあw

でも国造(郡司)系の在地豪族にも、国司との婚姻から中央の血も入ってるだろうし、
国司と豪族の娘から生まれた貴種が母系で育ち、坂東八平氏なども誕生したのかな?

秀郷流藤原氏もそういう女系(母系が下野豪族)の藤原氏だからね。
それで、下総秀郷流の経清が奥州藤原氏の先祖で、経清は俘囚長安倍氏の娘婿で…。

>>375
清和(陽成)源氏=白旗=八幡神=新羅のつながりも、女系で繋がってるのかな?

>広島レス=帰農した旧家は全国的なことで関東的特徴ではあるまい。
そういう事を言うから、戦国スレで「関東の歴史を知らなすぎ」言ったんだよ。
つーか、まだモンゴルとか言ってるのw
騎馬民族説を言うなら、渡来人が多く移り住んだ東国に言えるんじゃないか?

378 :天之御名無主:2005/10/16(日) 00:16:20
>>363
東北北部は縄文系、北関東は弥生系だと思う。

379 :天之御名無主:2005/10/16(日) 00:21:05
九州で色白が多いのは鹿児島宮崎だろう。

380 :天之御名無主:2005/10/16(日) 01:17:38
ところで、現在最も有力視されてる説ってどんな感じなの。
蝦夷=アイヌ説はやはり旗色が悪いんだろうか。

もし東北エミシがアイヌだとして、北海道アイヌに全くと言っていいほど
影響を残していないのは何故なんだろう。

381 :天之御名無主:2005/10/16(日) 01:52:54
ゆとりの教育って怖いな。


382 :天之御名無主:2005/10/16(日) 02:10:41
新羅の三崎から引っ張ってきて熊野にくっつけた出雲神話。
物部(鈴木、児玉)は新羅の騎馬系。
鈴木、児玉は関東東北に集中。
スサノオ由来の氷川神社は関東、新羅神社は東北。
八幡の地名も負けずにある。
高句麗の四隅信仰も関東、常盤信仰も関東。
白山信仰は東北。
つまり渡来文化の象徴は全部関東東北が本家。

383 :天之御名無主:2005/10/16(日) 02:20:00
万葉集が上手い蝦夷がアイヌなわけない。
それどころか、倭を侵略した渡来人そのものだと思う。
鈴木物部、スサノオ驚くほど渡来人の文化が関東東北に
集中している。

384 :天之御名無主:2005/10/16(日) 04:44:42
アイヌ その5
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1109180864/

385 :天之御名無主:2005/10/16(日) 11:49:01

>>380
>蝦夷=アイヌ説はやはり旗色が悪いんだろうか。

蝦夷という言葉は朝廷(日本国)側の「公用語」なわけで、「蝦夷」
にはヤマトに朝廷を作った勢力以前に日本列島を「ホーム」にして
いたと自分たちが考えるすべての人たち、つまり「敵の敵は味方」が
混じり合っていたのではないかな。ウガヤ、アラカヤとうの伽耶
も、出雲も、アイヌの原型も、おろちも、南方系海人族もなにもかも
ひとくくりにされて全部はいっているんじゃないかな。「先住民」で
あって「原住民」とはかぎらない。

386 :天之御名無主:2005/10/16(日) 17:29:09
蝦夷を語る資料の多くに「多毛」とかアイヌを思わす記述が見える。
アイヌは東アジアでは唯一の多毛種族だから、その特徴を指したものについては、
間違いなくアイヌだったろう。
東北には信憑性の高いアイヌ語とされる地名が数多くあることから、
かつて東北に多くのアイヌが定住していたこと、これも間違いない。

が、大和政権から「エミシ」と呼ばれたまつろわぬ人々がアイヌだったかと
言われると、それは違うだろうなと思う。
アイヌ語地名が東北に散見されるが、それは主として内陸の山間部沢伝いに多く見られる。
このことから、大雑把だが彼らは山間の狩猟生活民だったと考える。

三十八年戦争時にはすでに存在した、まとまった兵力を用意できる権力層は、
その背景にはそれなりに安定した生産力を持っていたはず。
早くから東北に進出した弥生族の子孫ではないかと自分は想像してる。

東北の権力層=東日本に進出した弥生族の子孫
東北地方に住まう狩猟採集民族=アイヌ
これらが一緒に「いまだ王化に浴さぬものども」という意味で「蝦夷」という言葉が使われたのではないか。
いずれにせよ資料がないから、これは永遠の謎なのだろうが。

387 :天之御名無主:2005/10/16(日) 19:33:18
>>377
帰農について、関東以外に例が無かったと言える訳ないじゃろう。
しかも、騎馬民族説について言及しておらんよ。渡来系=騎馬民族とは
言えんし、帰化人も近畿地方の方が多いと思うがのう。
>秀郷流藤原氏もそういう女系の藤原氏だからね云々について、
秀郷流は、藤原房前の系統であろうが、清衡の母は安倍頼時の娘、
基衡の母は平氏?秀衡の母は安倍宗任の娘。しかし、奥州藤原氏の
ミイラの科学調査で、頭長が短く、アイヌ人や鎌倉材木座人骨の長い頭と
違い、指紋も清衡の手、秀衡の足から西日本や朝鮮に多い渦状紋が検出
された。当時昭和25年では、遺伝学の考察はないのであろうが、
形質人類学からは、近畿系統と思える。
それについて高橋富雄氏は、「歴史的な蝦夷という観念は、文化的・
政治的なもので、人種的なものではない。だから藤原氏は、人種的には
日本人であっても、文化的・政治的には蝦夷でありえた。」の述べられ
たが、高橋氏の蝦夷マンセーは別として、これは真っ当な意見じゃ。

388 :天之御名無主:2005/10/16(日) 19:38:48
関西からみたら、首都圏以東の人は酒に強いし、
充分毛深いよ。手の甲に毛のはえている人なんて、
京都文化圏ではめったにいない。

エミシは金田一だっけ、エンジュとかエムチュとか言う自称からきているっての。
あとクイとかカイとか言う自称が「蝦夷」になったって説もある。
よく「エミシはアイヌ」と言う間抜けな議論があるがまるで反対。
「アイヌはエミシの子孫か」なら話になる。
多分そうだろう。
東日本縄文人に対する侵略者がわの呼称が「エミシ」とか「エゾ」
埴原その他が説くように鎌倉以降、関東・南東北の縄文系原住民が
和人文化を受け入れる一方、北東北より北のエミシは、独自の
アイヌ文化をつくりはじめたはず。



389 :天之御名無主:2005/10/16(日) 20:55:19
>広島タソ
関東土着土豪の事なら下のスレにでもカキコしてくれ。トーシロの俺が答えるからw
ここでやると戦国スレみたくスレ違いの泥沼にはまるからな↓
■◇武士と農民の境界◇■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109603639/

武蔵の騎馬民族=帰化した高麗人など(>>323)。

房前孫の藤成が、頭領国司として下野に任官して、下野豪族の鳥取氏娘との間に
豊沢が生まれる。藤成は下野に土着することなく、藤成は鳥取氏の家で育ち、
藤成の子村尾も母は鳥取氏、その子が秀郷で母は下野豪族の鹿島氏。
秀郷流の藤原氏は鳥取氏が貴種の血を取り込んだ家だと言えるんじゃないか。

武蔵七党氏族も婚姻関係によって同族関係を結んでいった。
その中には高麗人の有力者もいたろうよ。丹党氏族にも高麗氏があるしな。

蝦夷の有力者も中央の貴種の血は積極的に取り込んでるだろ。

390 :天之御名無主:2005/10/16(日) 22:28:41
訂正:藤成⇒豊沢

房前孫の藤成が、頭領国司として下野に任官して、下野豪族の鳥取氏娘との間に
豊沢が生まれる。藤成は下野に土着することなく、豊沢は鳥取氏の家で育ち、
豊沢の子村尾も母は鳥取氏、その子が秀郷で母は下野豪族の鹿島氏。
秀郷流の藤原氏は鳥取氏が貴種の血を取り込んだ家だと言えるんじゃないか。

国司級官人⇒郡司系官人(血統を取り込んで姓を冒す)

391 :天之御名無主:2005/10/16(日) 23:45:42
>>388
エゾ=Emju説は金田一センセだけど、音韻変化の観点から、言語学会からも否定的な意見も多い。
とはいえ、例えば樺太から日本に移り住んできたウィルタ人などの中には、アイヌを指して「エンチュー」という人がいたのは事実だ。
裏づけはないとは言っても、確かに金田一センセの説は充分な説得力があると思われ。

「カイ」説については松浦武四郎の日誌にアイヌが自らを「カイノー」などと呼ぶ、
というところから来ているが、これは逆に金田一センセが否定している。
ただし、金田一センセは時代柄やはり皇国史観の持ち主であると思われ、
和人のアイヌ略取を激しく批判した松浦武四郎に対し、全般的に否定的で冷淡な面がある。
それを考慮する必要はあると思われ。

いずれにせよ、言語からの考察は考古学・民俗学・形質人間学、などなど様々な分野の研究成果と
あわせて考える必要があるだろうね。
・・・と結局は堂々巡り、エゾとはなにかわからぬままのレスを展開してしまうのであった。

392 :天之御名無主:2005/10/17(月) 00:52:49
悪いけど、東京人、東北人の実物みるととてもアイヌとはおもえん。

393 :天之御名無主:2005/10/17(月) 03:55:12
長年の間に混血してんでしょ。純粋のアイヌに近い人が、
今の関東やら東北にそうそういるはずない。
最近のDNA研究などの成果においては、日本人は多種多様な人種の
ハイブリッドだってことが判明してる。
その中には当然アイヌも色濃く含まれる。

韓国人・中国人に比べ、日本人は比較的毛脛や二重が多いのが特徴とされる。
司馬遼太郎も戯れに韓国人の前で「俺にはアイヌの血が混ざっている」と
スネを出して見せたなんて話を著書の中で話している。
まぁそれはともかくとして、東日本人は渡来人の血も北方系の地も、
種々まぜこぜだと思っておいて間違いないでしょう。

394 :天之御名無主:2005/10/17(月) 09:18:46
>>392
確かに殆ど痕跡ないからそうとう血が薄いと思われ。
でも少数だけどいないことはないよ
例えば、岡村、名倉。久保田俊伸みたいな顔ね
ああいうのがアイヌの痕跡ねw


孫悟空系アイヌw
http://www2.gol.com/users/coynerhm/Ainu.jpg
ポリネシアン系アイヌw
http://www.neprajz.hu/bbb/pics/f60214.jpg

アイヌって、目が陥没してて鼻高く無いし横に広いから白人には見えないんだよね
口元も少し出っ張ってて、モンキッキー 系w
http://www.vho.org/VffG/1999/4/Image20.jpg
http://www.charlest.whipple.net/kayano.jpg


395 :77:2005/10/17(月) 09:58:03
666

396 :天之御名無主:2005/10/17(月) 14:34:53
ちなみに平井賢はアイヌなんじゃないか?って顔してる。
あの奥目はモンゴル系には出てこない。

397 :天之御名無主:2005/10/17(月) 14:39:47
>>394
下は有名な萱野さんじゃないか。

しかし純粋なアイヌで整った顔だちの人は、ものすごい美しかったりするよ。
アイヌの集落を訪れた外国人は数多くいるが、ほとんどみんな
「彫が深い顔に筋骨が隆々とし、その姿は美しい」と言う。
それと比較して和人は「胸がへこみ顔は平べったく無表情で、反っ歯」などと
無茶苦茶に書かれている(涙)
アイヌと日本人の混血がうまくいったと思われる東北には「東北美人」といわれるような
綺麗な顔立ちが多い。

398 :天之御名無主:2005/10/17(月) 15:15:40
>>397
>純粋なアイヌで整った顔だちの人は、ものすごい美しかったりするよ。

美形も不細工も、ぜーんぶ合わせてアイヌ人だからねぇーw
日本人のイケメン指して、日本人は美しいとは言わないだろう?
まぁ、アイヌにもポリネシア系、東南アジア系、シベリア系といろんな顔がいるわいなw


http://www.nbz.or.jp/rekibun/siryo/ehagaki/9210.jpg
http://www.cyberspaceorbit.com/ainu.jpg
http://worldclass.net/toolbox/worldwar/ainu.gif
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/47/43/enjoyjapan_13/8000/7981.jpg
http://www.charlest.whipple.net/kayano.jpg
http://www.neprajz.hu/bbb/pics/f60214.jpg
http://www.beats21.com/article/A0205/A02052902/01-obj01.jpg
http://www.vho.org/VffG/1999/4/Image20.jpg
http://www2.gol.com/users/coynerhm/Ainu.jpg
http://www.sakhalin.ru/Region/images/Ainu.gif
http://www.inquisitivefilm.com/OldWoman.jpg
http://tokyocinema.net/ainudance.jpg
http://memory.loc.gov/pnp/agc/7a05000/7a05100/7a05183r.jpg
http://www.otsukimi.net/walk/board/tom_ainu.jpg
http://risun1.cyric.tohoku.ac.jp/~danielle/image2.jpg



399 :天之御名無主:2005/10/17(月) 16:23:21
>>398
幼稚すぎ。

400 :天之御名無主:2005/10/17(月) 19:30:35

まっ、アイヌを白人認定してもらいたいんだろw
>純粋なアイヌで整った顔だちの人は、ものすごい美しかったりするよ。
この文章ににじみでてるw
それを否定されると悔しくて悔しくてw逃げ

写真は嘘を付か無いwww


孫悟空系アイヌw
http://www2.gol.com/users/coynerhm/Ainu.jpg
ポリネシアン系アイヌw
http://www.neprajz.hu/bbb/pics/f60214.jpg

アイヌって、目が陥没してて鼻高く無いし横に広いから白人には見えないんだよね
口元も少し出っ張ってて、モンキッキー 系w
http://www.vho.org/VffG/1999/4/Image20.jpg
http://www.charlest.whipple.net/kayano.jpg



401 :天之御名無主:2005/10/17(月) 19:32:42
>>399
アイヌ その5
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1109180864/

402 :天之御名無主:2005/10/17(月) 22:22:53
とりあえず、400はスルーして進行

















    ↓ドゾ

403 :天之御名無主:2005/10/17(月) 23:15:44
>>389
高句麗人は魏志に「其馬皆小」とあり、攻城、籠城戦を重視したので
はないか。その高句麗系(ツングース系)にルーツがあるとされる墳墓、
広島県の三次や千代田に「四隅突出墳」を残した集団も人骨の上顔示数
から北方系であろうが、騎馬民族では無いであろう。と言うのは、
馬牧畜に適さん北部朝鮮で、歩兵中心の集団に変容した部分もある。
それは関東へ移住した集団も、現地民の影響から変容した部分があろう。
>387の訂正。蝦夷が文化的には独立しておったであろうが、政治的に
大和と対立したとは言えんと思える。馬や俘奴(蝦夷の奴隷)を売買した
(延暦6年、日本後記)ように、大和民族のコロニーであったともいえる。
藤原氏のミイラから婚姻関係の深い安倍氏も大和系の血が濃いかったこと、
阿倍比羅夫の蝦夷を支配化に置き、粛慎(オホーツク文化人)と敵対した
歴史も考慮する必要もある。
>397の「東北美人」は昭和期にいわれだしたことで、根拠がない。

404 :天之御名無主:2005/10/18(火) 00:39:47
>>403広島レス

>武蔵の騎馬民族=帰化した高麗人など
純粋な騎馬民族だとは思ってないよ。でも騎馬技術は大和人よりも巧みだろう。

相模(さがみ)←→(さむが)寒川として、寒川神社の鎮座する高座(たかくら)←→高句麗
高句麗⇒高麗(狛)⇒駒⇒馬

東北に多い「金」系の苗字は、新羅との関係が窺われるよね。
「野」が付くのも多くて、金の他にも昆、紺、今、近に転化して・・・。

405 :天之御名無主:2005/10/18(火) 01:32:57

写真は嘘を付か無いなwww


孫悟空系アイヌw
http://www2.gol.com/users/coynerhm/Ainu.jpg
ポリネシアン系アイヌw
http://www.neprajz.hu/bbb/pics/f60214.jpg

アイヌって、目が陥没してて鼻高く無いし横に広いから白人には見えないんだよね
口元も少し出っ張ってて、モンキッキー 系w
http://www.vho.org/VffG/1999/4/Image20.jpg
http://www.charlest.whipple.net/kayano.jpg


406 :天之御名無主:2005/10/18(火) 02:04:13
>>404
広い意味で言えば胡漢文化(鮮卑、高句麗等)の重装騎兵は、軽装騎兵の
匈奴と違う。馬にM音がつくのは、モンゴル、ツングース、満洲、朝鮮、
日本にあること(ma、maru等)で、語呂合わせを楽しんどるんか。
騎馬技術に巧みといえるのは、壬申の乱で騎馬隊を率いた河内の馬飼い
田辺史や倭漢氏の帰化人系統、その系統の坂上田村麻呂らであろう。

それと、オホーツク文化人(粛慎)の礼文、知床、根室等の遺跡から、
海獣猟、豚飼育、農耕であり、しかし馬飼育の証拠はない。
オホーツク文化を担った種族は、人骨からアムールに住むツングース系の
漁労民ウルチ族が一番近いとされるが、当時アムール流域の黒水靺鞨も
「歩兵戦を善くし、」と『新唐書』に書かれておる。逆に言うと
黒水靺鞨は、騎馬民族的な栗末靺鞨の様に馬を得る為、東北地方へ馬を
求め進攻し、東北利権を求め蝦夷を服属させた阿倍比羅夫と闘った
(658〜660年)とも思える。仮説であるが。
アムール・サハリン型種族の形質に、顕著なひげの発達がみられるのは、
蝦夷の奴隷の影響か、後のアイヌ人の影響か定かでは無い。

407 :天之御名無主:2005/10/18(火) 03:30:45
東北美人は宇多田ヒカルの母親さんとかでしょ?
阿部さんだっけ?

408 :天之御名無主:2005/10/18(火) 06:50:11
>>406広島タソレス

馬は駒と呼ぶだろ。その駒の語源が高麗から来ているという一説。

またモンゴルかw
東漢(倭漢、やまとあや)氏は百済渡来系だぞ。朝鮮の安羅出身。
漢氏は系譜だと漢の高祖から引張ってるが、事実のわけがない。
坂上田村麻呂の坂上氏は東漢氏の宗家。

古代大族の秦氏が始皇帝の末裔を称すが、本当は新羅系であるのと似てる。
新羅系渡来人⇒秦氏⇒惟宗氏⇒島津氏(東北人因縁の相手か)

田辺氏も漢族だが朝鮮系だろ?後世、上毛野姓(上野の大豪族)を冒している。
壬申の乱とは、また古いね!w

409 :天之御名無主:2005/10/18(火) 20:48:36
はい、おなじみのソースの一つ
http://www.athome.co.jp/academy/genetic/gen04.html

緑の強い都道県が縄文(アイヌ)的な人たち、
黄色は弥生的。
あとソース探せないけど、戦後すぐに小浜基次博士らの
「短頭・長頭」マップを重ねると、見事に弥生と縄文がわかれる。

誰かソースさがしてね。

410 :天之御名無主:2005/10/18(火) 23:04:52
>>408
>坂上氏は東漢氏の宗家?また本家が分家を統制する惣領制を持つ
東日本的視点か。腹(満洲やシベリアのツングース系諸族やモンゴル系の
ダフール族にみられるハラxala日本語では同胞「はらから」)組織を
もっていた東漢氏の親族構造は平等の分裂である。どの腹が本家でどの
腹が分家という差別はなく、対等な立場で分かれ多くの家が並立した。
東漢氏が、百済系と決め付けておるが、上記のハラ組織や坂上氏の
北方遊牧民に類例が多い神牛伝説、あるいは河内の馬飼い豪族田辺氏の
娘が西文氏の息子に嫁入りし、婚家で出産したが、高句麗や平安貴族の
実家出産と違う。
日本の地域別では、婚家出産は近畿・中国・四国であり、実家出産
(初産)は九州は飛び地とし、北陸から関東、南奥羽と連続しておる。
朝鮮半島では、初産は実家出産で、満洲・ツングース・モンゴル・中国人
では婚家出産が普通である。以上の点から朝鮮現地民の文化影響を受けた
と思える高句麗より、近畿の馬飼い帰化人は北方牧畜民的習俗を持って
おったと考えられる。例をあげた田辺氏と上毛野氏の関連から上毛野氏も
帰化人系と考えられ、大和政権の関東コロニーかまでは解らん。

411 :天之御名無主:2005/10/19(水) 00:32:55
>>410 広島レス返し

氏上=氏長者とか知らないの?
物部氏を例にすれば、河内・物部守屋(大連)家が宗家(=氏上)だったが、
守屋は蘇我氏(大臣)との戦いに敗れ、物部本宗家は滅亡。
しかし、石上神宮を奉斎する傍流の石上氏が、かわって物部氏の宗家と呼ばれた。

坂上氏は東漢氏族の宗家。カバネをみてもわかる。
東漢氏の系譜は後世に脚色されたものだし、伝説という物もその範囲内だろ。
漢氏の「漢」は朝鮮の「韓」に通ずる。朝鮮(百済)渡来系の豪族。

上毛野氏(毛野氏族)は田辺氏よりも遙かに名門だぞ。
上毛野氏の曲部だった事から、上毛野姓を称するようになったという(太田亮)。
上毛野氏は蝦夷征討で東北とも関わりがある。

ってか、久々に野球総合板のDQN関東スレを見たら、広島県人が荒らしてたw
キレると広島弁が出るあたりは流石!

412 :天之御名無主:2005/10/19(水) 01:07:09
字間違った。曲部⇒部曲。
ともかく、田辺史(カバネ)は上毛野君(カバネ)と従属関係があったらしい。

上毛野姓は蝦夷にも多いな。系譜が繋がっているという事ではないが。

413 :天之御名無主:2005/10/19(水) 01:17:52
>>411
まだ近世同族制から古代社会を解釈しとるんか?河内源氏と摂津源氏の
いずれが宗家と答えられるんか?
東漢氏の宗家は?兄腹の山木直か?中腹の志努直か?
志努直の六男駒子直の三男弓束直の系統から田村麻呂が出ておる。
太田氏の説を最もなことと解釈するんも笑えるが、「崇仁天皇が
皇子豊城命と活目尊の兄弟のどちらに皇位を継がせようかと考えて
夢占いをさせたところ、兄の豊城命は御諸山の峰に登り、東に向かって
八たび槍を突き出し、八たび刀を振るう姿で現れたので、豊城命に東国を
治めさせ、この豊城命から上毛野君・下毛野君の始祖となった。」と
言うことで名門か。しかし、長子相続では無いし、関東地元豪族でも無い。
野球総合版は知らん。

414 :天之御名無主:2005/10/19(水) 02:20:47
>>411
追記。坂上系図は何世紀に作られたものか?
東漢氏の系譜は後世に脚色されたと断定し、伝説という物も
その範囲内であれば、神話学、民俗学、民族学もあんたにとって
レゾンデートルが無いということか?

415 :天之御名無主:2005/10/19(水) 02:30:20
坂上田村麻呂の祖先はアラブ系説があるがどうなの?

416 :天之御名無主:2005/10/19(水) 06:49:45
>>413 レスが早いな(メンドクサッ!)
>まだ近世同族制から古代社会を解釈しとるんか?
だから氏長者(族長)だって言ってる。東漢氏族の中で、坂上氏のカバネを見れば一目瞭然。

>河内源氏と摂津源氏の いずれが宗家と答えられるんか?
この時代、源氏の氏長者は嵯峨源氏。

毛野氏(上毛野、下毛野)の出自には諸説あるし、どれが正しいかは判断出来ないが、
系譜では皇別系でカバネは君、天武朝には朝臣を賜った名門だが、実際はどうだろうか?
天皇(大王)家の系譜自体も怪し過ぎだが・・・

毛野氏の蝦夷征伐時代も坂東は兵站基地。。。
・・・それよりおまいさんは、>>410で俺のレスに釣られて渡来系とか言ってるじゃんw

>>414
>坂上系図は何世紀に作られたものか?
そんな事知るわけがない。漢氏=百済系、通説を言ってるまでだよ!
『新撰姓氏録』と、785年の上表文とでは遠祖が違っている。どちらも創ったものだろ。

神話学、民俗学、民族学を否定なんてしてない。
戦国最強スレ以来の、広島脳内捏造レスを否定してる。

>>415
そういうのは知らないけど、大和の英雄だからね。俺は蝦夷のが好きだが。

417 :天之御名無主:2005/10/19(水) 12:31:46
蝦夷が何かは知らないけど、たぶん家父長制みたいな、
男が男らしい集団だったんだろな、って思う。

うちの田舎は男ばっか大切にされるから、雰囲気でそうオモタ。
こういうのは親から子へ受け継がれる雰囲気だし。

418 :天之御名無主:2005/10/19(水) 16:11:20
詳しい人おしえてください。
蝦夷は刺青してましたか?
もししてたら、それはどんな模様?

(分かるわけねーよな・・ ーー;)

419 :天之御名無主:2005/10/19(水) 20:59:02
>広島タソ
どうせ突っ込んでくるだろうから、今のうち言っとこう。
源氏の氏長者は、嵯峨から村上源氏に移ってる。
ところで、田村麻呂のカバネは解ったかい?他の東漢氏族と違うだろ。
朝廷の騎馬文化は朝鮮経由。

田辺氏は河内の小豪族出身で、前にも言ったが朝鮮系(百済)。
皇別系の毛野氏族でも、上毛野氏は没落して子孫がどうなったか知らないが、
下毛野氏は武門の名門・宇都宮氏(二荒山神社社家)に繋がってる。

420 :天之御名無主:2005/10/20(木) 00:11:09
>>417,419
カバネは、連・造・直・首と世襲じゃが、坂上氏の系図から弓束直の子
壬申の乱で活躍した、老連から違うと言いたいんか。官職の職務内容の
違いに応じて、カバネを賜与された事と、近代的同族制がどう関連
するんか?朝廷の騎馬文化は朝鮮経由(百済)と決め付けておるが、
その朝鮮の騎馬文化について種族別に詳しく書いてもらいたい。通説を
疑う事から、歴史学は始まるんで。大和政権と蝦夷の関係も政治的対立と
言えるかどうか。あんたが関東的脳内妄想から離脱出来るか知らんが。
清和源氏の宗家は、摂津の頼光、大和の頼親、河内の頼信のいずれかと
質問しとるんじゃが。>上毛野氏は帰化人系の影響が強いと考えられ
と訂正。
蝦夷が好きか。前九年の役で、酒を酌んで興宴すべき日に襲撃を受け、
義家が安倍貞任に騙されたのは考慮せんのか。まあ東北のみならず関東も
戦場儀礼の無い故、寛大なことじゃ。

421 :天之御名無主:2005/10/20(木) 00:50:27
>>420
>蝦夷が好きか。前九年の役で、酒を酌んで興宴すべき日に襲撃を受け、
>義家が安倍貞任に騙されたのは考慮せんのか。まあ東北のみならず関東も
>戦場儀礼の無い故、寛大なことじゃ。

酒のませて寝首を掻いたり酒宴の席で女装してスキをつくのはヤマトの十八番でもあるぞ。
そしてそれを誇らしげに自慢してる。
後年、蝦夷地では松前(蠣崎)氏が常套手段としてこのテを用いてアイヌを弑し、
和人のなんたるかを証明した。

422 :天之御名無主:2005/10/20(木) 01:13:47

>>418
アイヌ人は、刺青の習俗がありますが、縄文人が晩期に刺青したかは
難しい問題です。どんな模様かも、東南アジアの龍文身刺青か、
北ユーラシアのアルタイ地方の動物文様の刺青に近いのか定かではない
のです。
>>419
追記。それとも延暦四年に坂上刈田麻呂(田村麻呂の父)の宿禰賜姓の
ことか。
河内の豪族について『新撰姓氏録』では、漢系と百済系は区分されておる。
百済人と断定出来まい。また、自称中国人を名乗るのは、周辺諸民族に
よくあることであるが、ツングース的、ハラ(腹)氏族制から漢人とは
思えん。

423 :天之御名無主:2005/10/20(木) 01:36:38
>>421
日本武尊のことであろう。それを十八番と決め付けるのもどうか。
他に類例があるんか。都合の良い時は和人のせいか。いつも悪いのは
大和人としたいんか。
松前氏は東日本人のことなので、和人といえまい。
関東や東北が戦闘儀礼を無視しておったのは歴史的に明らかであろう。

424 :天之御名無主:2005/10/20(木) 01:59:32
>>423
横レススマンが、類例なんてくさるほどあると思うよ。
松前が和人じゃないって、すごい新説だな。
しかも最下段にある中華思想丸出しなコメントは何?
ついでに言っとくけど、松前の祖となる武田信広は若狭の出です。

425 :天之御名無主:2005/10/20(木) 02:48:13
>>424
くさるほどあるんじゃったら、わりゃ、早う類例を出せや。
ほいで、若狭の出じゃろうと、風土、育ちじゃったら、
若狭人じゃのうて、北海道、東北日本人じゃ。
また、風土的要素を考慮せん東日本的思考かいのう。

426 :天之御名無主:2005/10/20(木) 04:39:10
>>425
なんだか知らんが古事記なり日本書紀なり読んだらいかがか。

武田信広は松前氏の公史である新羅之記録に
「若狭武田氏の出であり、内訌を避けて陸奥に渡った」ときちんと書いてある。
つまり純度100パーセントの和人。
しかしもとより若狭武田氏の血であるというのは嘘であり、
もっぱら日本海交易に携わった商人であろうと言われているがね。

ところで前九年の役の話をしているが、発端となったいわゆる阿久利事件についてどう思ってるんだろうね。
まぁあんたに言わせりゃ、それも武士道なんだろうがね。

427 :天之御名無主:2005/10/20(木) 18:23:07
前九年の役は武士の世を迎える一つのきっかけだったね。
朝廷権力が形骸化する中で、源氏はその勢力の伸張のためには手段を選ばなかった。
阿部氏はその犠牲であったが、頼義にとって誤算だったのは俘囚とあなどっていた
清原氏の意外な智謀であったろう。
源氏が積年の野望をかなえて奥州を席巻するのは、ようやく頼朝の代になってからだった。
今更ながら歴史というものはいかんせん、勝者の側から語られる。
皇国史観の中で頼義・義家親子は英雄として持ち上げられるには格好の存在だったというのみ。

悲憤を持って蝦夷に一方的に感情的加担をするのはよろしくないが、
皇化思想に基づいて東北・関東は万民、教化の及ばない蛮族、
などとする思想は「東北クマソ」発言と同様の傲慢きわまる無知蒙昧を
露呈している。


428 :天之御名無主:2005/10/20(木) 20:26:59
阿部氏

ひでぶ……

429 :天之御名無主:2005/10/20(木) 20:37:32
まぁ安倍だが、2ちゃんだからこんなもんだろ。

430 :天之御名無主:2005/10/20(木) 20:45:50
まあいろんな説を読むとやっぱ

エミシってのは東日本縄文系先住民族のことぢゃろね。
弥生人の進出によって鎌倉ころまでに
関東北部ぐらいまでは「和人化」したろうけど、
北東北より北は独自の文化を守りアイヌ民族となった。
ここらが無難な解釈でげしょう。

関東甲信越・東北・アイヌのひとたちは広義の
「蝦夷系(縄文系)日本人」=先住民族。

431 :天之御名無主:2005/10/20(木) 21:23:42
>>430
ほぼ賛成。

東北地方に散らばるアイヌ語地名の存在から見ても、かつてアイヌ語族が
雑多に生活していたのは間違いないと思う。個人的にはそれは縄文人の直系子孫かと考える。
やがて大陸から坂東へ渡ってきた騎馬民族が農耕民族に押されてゆき、
次第に東北へ逃れてゆくとアイヌと混血化が進み、その混血層が農耕を受け入れつつ
権力層を形成してゆき、アテルイやアヌシコら、蝦夷の族長が出現する時代になっていくのではないかと。
一方、縄文時代からの狩猟採集生活を続ける層は海浜や山間には残り、独自に生活していたのでは。

とは言え後にアイヌと呼ばれる彼らは、農耕を営む層に徐々に北に押し出され行ったのではないか。
本州に止まった少数が下北や津軽の極地に固まるようになり、
それが後に津軽一統志などにあらわれる純粋なアイヌの蝦夷村を形成する下地になるような気がする。

8世紀のアテルイ、11世紀の安倍氏らエミシ・俘囚と呼ばれた権力層は、
民族的には大陸系騎馬民族と縄文人のハイブリッド、そして農耕の導入によって安定した生産力を得て成長した層だと思う。

まぁ勿論個人的な推測だけど。


432 :天之御名無主:2005/10/20(木) 22:58:00
>>426
古事記、日本書紀しか類例がないんか?そりゃあ残念なことよのう。
純度100%の和人とは笑うた。血統で判断するんは、東国人らしい。
わしが>387で書いた様に、人種的要素では奥州藤原氏や蝦夷の
安倍氏は和人となるが、風土の影響から蝦夷であろう。松前氏も同じく。

前九年の役については、源頼義が、任期満了で偶然、阿久利川の事件が
起きたと云うより、合戦となる様に仕組んだことは考えられる。
>406の様に東北利権からも。それを政治的、経済的要素で大和人が
武士道に欠けると飛躍して解釈するんか。後三年の役で、都の儀礼を
重んじる源義光は、「つはものの道、降人をなだむるは古今の例なり。」
と武衡の命を助けようとしたが、関東文化人化し、非戦闘員の蝦夷の
女・子供を虐殺した義家に拒否される。文句があるんなら、関東人
(東夷人)に「それも武士道なんだろうがね」とカバチ(文句)を言え。
そがんことを西日本人(大和人)になすりつけんなや。

433 :天之御名無主:2005/10/20(木) 23:09:08
↑アホか

434 :天之御名無主:2005/10/20(木) 23:09:21
>>427,430,431
妄想には、笑うたわい。根拠と云う言葉も知らん。
おめでたい人達じゃのう。

435 :天之御名無主:2005/10/20(木) 23:10:16
>>432
つーか大体スレ違いだし。
東北クマソ発言の河内の方ですか?

436 :天之御名無主:2005/10/20(木) 23:20:24
>>434
お前の言うことにも全て根拠がないわけだが。

437 :天之御名無主:2005/10/20(木) 23:29:46
>>435436
さっそく得意の罵倒が始まったのう。全て根拠がないんは、
おどれらの脳ミソじゃ。

438 :天之御名無主:2005/10/20(木) 23:33:38
>>435
河内人じゃのうて、広島人じゃ言うとろう。
わしが、何時、東北人が熊襲と云うたんか。
言いがかりをつけなや。

439 :天之御名無主:2005/10/20(木) 23:37:10
>>広島
つかあんた、蝦夷の話になるとすぐブチ切れるな。
存在自体許せないくらいの勢いだ。
ハタから見てると全く妙ちきりんに見えるんだが、
だったらあんたはスレ本題に戻って「蝦夷とは何か」って自分の考えを一席ぶってみたらどうか。

その説を「根拠あり」と自信を持っていえるのか?
何十年と、決着のつかないこんな深遠なテーマをさ。


440 :天之御名無主:2005/10/20(木) 23:54:13
>>439
なんで、わしが蝦夷の話でブチ切れにゃいけんのか?
蝦夷は、広島県人の先祖の一部でもある。関東武士も同じく。
じゃが、わしゃは、武士道、義理、温情に欠けるものを評価出来ん
だけじゃ。他スレを観とるんなら、それくらいのことは解ろう。
わしゃは、根拠について、こう思え、こう考えられると示したが、
根拠を示さず、罵倒するんは、蝦夷マンセー論者の方であろう。

441 :天之御名無主:2005/10/21(金) 00:12:54
>かみつきがめタソ

>>422は惜しい!大宿禰。
>朝鮮の騎馬文化について種族別に詳しく書いてもらいたい
・知るわけない。高句麗は強い。
>通説を疑う事から、歴史学は始まるんで。
・おまいさんは都合の良い通説しか信じないだろw
>清和源氏の宗家(嫡流?)
摂津源氏から河内源氏へ・・・、てか聞いてどうなる?氏長者(=族長)と違うぞ。

明治の学者久米邦武に習って『平家物語』は全否定でも、渡来系氏族の嘘系図は信じるのか?
『腹』は他の渡来系氏族にも見られるし、それも朝鮮系。
渡来系豪族の系譜は中国系が多いが、実際ほとんどは朝鮮系。事実なんだからしょうがない。

戦闘儀礼を破ってたのは戦続きで戦闘に長けた関東兵!蝦夷は被害者。
でも戦闘儀礼とか言ってるから結局負けた西国武者。
東北蝦夷には同情出来る。田村麻呂も源頼義も狡猾!

>>440
高橋昌明氏の著作から、都合の良い部分を抜き出してた糞レスの事?w

442 :天之御名無主:2005/10/21(金) 00:26:39
>>440
ただ引っ掻き回すのが目的ならマジで勘弁してくれ。
この期に及んではそうとしか思えない。

443 :天之御名無主:2005/10/21(金) 00:36:00
>>440
連カキ済まん。
そもそもお前の拘泥する武士道ってのは一体なんなのか?
エミシの時代にお前の言う武士道なる概念があったとでも?これも凄まじい新説だな。、
武士道にもとる行為は全て「風土に影響された」結局は「東北・関東人の仕業」の一辺倒で返して、
これでまともなレスだと誰が思う?

大体武士道なんてもんは、そもそも欺瞞に溢れたもんじゃないか?
裏切りとて”軍略”で片付けられる。お前の地元・広島の毛利さんちはどうなんだ。
それも東北人か、関東人か。えー加減にしなさいよ。

444 :天之御名無主:2005/10/21(金) 00:54:34
>>441
ほれ、罵倒が始まった。都合の悪いことは知るわけない。で済ませる。
高句麗系、河内の大狛連や摂津の高安漢人はどうか。
都合の良い通説しか信じんのは、ワレじゃろう。
摂津、大和、河内源氏の宗家はいずれかと聞いておるんじゃ。
平氏の国香、良兼、良将、良文、良茂についても宗家を伺いたい。
「平家物語」は、関東側も視点と思えるものが、多いが説話から読み
とめるものもある。「新撰姓氏録」についても同じく。
「腹」の他氏族について言及しておらんのは、いつもの根拠の無い
罵倒体質故として、朝鮮系、それも事実と自ら自慰的認定をしとる。
関東兵が強く、蝦夷は被害者で、西国武士は弱くて狡猾と最後の方は、
感情論となっとる。戦国期、越後、上杉の奴隷民であった関東人は、
奴隷に狩られ続きで、奴隷になることに長けていたのでしょうね。

445 :天之御名無主:2005/10/21(金) 01:07:35
罵倒が全部俺に流れてきたぞw

渡来系豪族=朝鮮系が大部分のソース↓
姓氏辞典、古代史関係辞典、古代史関連の著作(論文)、挙げればきりがない。
東漢氏なら、『大和の豪族と渡来人』(歴史文化ライブラリー)に詳しい。

俺が都合の良い通説しか信じないなら、好きでもない朝鮮を持ち出すかよ。
まあ、朝鮮よりも靖国の方が嫌いだがw

446 :天之御名無主:2005/10/21(金) 01:20:50
>>443
「つはものの道」が新説と言う根拠は?
武士道を否定するまでなりはてたか。いやはや。我が国の文化を欺瞞とは、
しかも軍略と言い訳を付けて。地元広島と来たか。
小早川隆景は、朝鮮の民を慰撫しておらんかったと言えるんか?
桂元澄は、陶晴賢に対し、約束を破ったんか?
近代の広島兵団に比べ東北、関東兵団が軍紀厳正であったという根拠でも
あったんか?(広島師団が、軍紀、武勲について東北、関東と比較される
自体も不愉快な事であるが。)

447 :天之御名無主:2005/10/21(金) 01:25:21
くぐったらこんなサイトがあったぞ。俺は捏造なんかしてない!

渡来人研究会 東漢氏について
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/yamatoaya


広島師団ならお国自慢板行けよ。最近レスしてないじゃんw

448 :天之御名無主:2005/10/21(金) 01:57:19
>>445
渡来系豪族=朝鮮系が大部分のソース自体疑問と思えることは、>410
にも書いたが、高句麗自体がツングース・満州系か朝鮮系かと問題と
なっておる。しかも、好きでもない朝鮮を持ち出すと決め付けとる。
朝鮮半島がステップ地帯で無く、騎馬に適した地域でもないことも
考慮せよ。
靖国が嫌いか。まあ靖国神社については、思想的になっており、
女子挺身隊の方々のように靖国どころか、慰霊団からも黙殺された
霊魂の浮かばれぬ人達もおられる等色々問題あろう。しかしながら、
当時の兵士の気持ちも考慮されて然るべきとも思える。

449 :天之御名無主:2005/10/21(金) 02:08:26
>>446
電波認定。
もうみんなスルーでいいだろコイツは。

450 :天之御名無主:2005/10/21(金) 02:18:41
>>447
東漢氏のハラ「腹」氏族制、神牛伝説等の北方遊牧民的要素は、
>410でも書いとる。問題は百済の支配層が満洲ツングース系
(高句麗の支配層もそうであろう。)で、百済と漢氏が韓人系で無く
同じツングースとしても、政治的に密着しておっても、同種族と
決め付ける断定は出来ん。より漢氏の方が北方的要素があると思える。


451 :天之御名無主:2005/10/23(日) 00:27:33
元々、日本列島には馬が居なかったと思うんだけど
東北は何処から馬を持ってきたんだろう?

452 :広島人:2005/10/23(日) 17:48:35
広島人の面汚しが一匹紛れてるようでスイマセン。

453 :天之御名無主:2005/10/23(日) 23:10:59
>>452
所詮は広島マンセーの軍ヲタ

454 :天之御名無主:2005/10/23(日) 23:13:41
東北の方言は山口土井が浜の方言とそっくり!
山古志村の方言が土井が浜地方の人の方言と
まるで同じ。
漏れここに住んでいたから詳しいの。

455 :天之御名無主:2005/10/24(月) 00:19:56
>>451
縄文時代の馬の遺体は、北海道3例、東北8例、関東17例、中部8例、
近畿2例、九州4例で、弥生時代では、九州7例、中国1例、近畿2例、
中部6例、関東8例、東北、北海道になし、という結果ですが、我が国に
馬がおったことは、間違えなく、>406で書いたように、大和と粛慎
(オホーツク文化人)との間で東北の利権、金もあるでしょうが、馬を
求めた部分もあるんではないか。
それと、奥州藤原氏のミイラは、レントゲン照射によって、清衡、基衡、
秀衡の三遺体には、どれも内臓が欠けており、間宮林蔵が、アイヌ人に
死者の内臓を摘出する風習があったことを伝えておるのも、平泉と関係
無いとは言い切れん。つまり、奥州藤原氏や血族の近い安部氏が弥生的、
西日本的要素が人種的に強いとしても、文化的に都から見ると俘囚長で、
蝦夷ということであろう。
>>452
ほんまに広島人か方言でカバチたれんけえ、解らんのう。

456 :天之御名無主:2005/10/24(月) 00:32:25
漏れは東北に広がったのは土井が浜、出雲の弥生人だと思う。

457 :天之御名無主:2005/10/24(月) 00:41:17
縄文顔というと眉間の上が盛り上がった感じで
眉と目の感覚が短く、全体的に顔が短い。
そういう顔って基本的に東日本には少なく
西南日本に多いでしょ?
でもこのあたり縄文時代から縄文土器はあまり
使ってない古代人なんだよね。

458 :天之御名無主:2005/10/24(月) 00:49:39
そもそも倭人伝の倭人がどこに行ったかという問題もあるしね
倭人そのものは大和朝廷には殆ど関与していないし、
文化的には全然異なる。

459 :天之御名無主:2005/10/24(月) 05:22:30
蝦夷と一言で言っても、長い間に形質的にも文化的にも分かれていったのだろう。
東日流や宇曽利(大湊)といった東北奥地には、地名分布などからも考えてかなり後の段階まで
アイヌ語を生活母語とした種族が居たのだろう。
朝廷勢力とのフロントラインをなす宮城県あたりでは大和民族との文化的・民族的(混血)同化が進み、
和人化したアイヌ、がつまり安倍氏や清原氏などの俘囚長の姿であったのかと。
彼らにはおそらく関東に移住してきた馬を使う渡来系の人々(更級日記で坂東の葦原に登場するような)の血も混ざっていただろう。
東北の馬は彼らがもたらし、後に出羽や十三湊を通じた交易の末に改良が進んでいったんじゃないか。

奥州藤原氏など文化的に進んだ蝦夷の後胤が蝦夷嶋のアイヌに殆ど影響を与えていない点は、
北海道と東北南部の間、東日流や宇曽利の蝦夷が存在したためだろう。
頼朝の奥州征伐の結果本州蝦夷が大量に蝦夷嶋に流れ込み、東北蝦夷の文化を吸収しながら
成立したのが今日言われるアイヌ文化だろうか。

460 :天之御名無主:2005/10/24(月) 13:12:20
里に住む東北人は薄い。でも海辺の東北人は濃い。
濃い顔の東北人は、比較的学力・政治力ともに低く、
地元で生まれ、地元で没することが多い。これ如何に。

461 :天之御名無主:2005/10/24(月) 13:16:19
>>459
ウソリの農家から嫁に来た伯母の顔が、アボリジニみたいって
いうか、まさにアイヌ顔してるんだけど、あそこらへんってやっぱ
先祖にアイヌとかいたと思います?

伯母の娘は薄まったとはいえ、やはりどこかの血が混じった
ような感じだった。伯母の孫はかなり薄まっているけど、ハーフの
ガキんちょと間違えられている。

本人たちは、自分らがアイヌっぽいのを全く気付いてない。
「ハーフと間違えられるけど何でだろ?」と真剣に疑問に思ってる。
しかし「アンタらがアイヌっぽいからだろ」とは言えない。ある程度の
年代の人にとってアイヌっぽいというのは侮蔑になるから。私は
羨ましいと思うんだが。

462 :天之御名無主:2005/10/24(月) 13:56:50
基本的に苗字が渡来縁の姓なら渡来系だろう。
落合とか○藤とか鈴木とか渡来系。
しかし、東北って眉隆起がほとんど見られないけど
アイヌ顔って本当にいるの?

463 :天之御名無主:2005/10/24(月) 14:05:38
東北の有名人というと落合とかキムダイ、鈴木とか
概ね渡来姓ばかり。
眉の上に隆起はなく、眼球自体も隆起していて
一見して扁平顔。
原始的な顔と見られているみのもんたも
眼球の突出がみられる。
これは東日本の特徴といえるだろう
眼球の突出と眉隆骨の扁平化
東北の原住民ってどんな顔?

464 :天之御名無主:2005/10/24(月) 14:17:55
東北で眼球が凹み、眉隆骨が隆起している
アイヌとかインディアン顔の有名人っていたっけ?
むしろ、西南日本に多いイメージだけど・・

465 :天之御名無主:2005/10/24(月) 15:57:59
>>462
うちの伯母さん。

466 :天之御名無主:2005/10/25(火) 06:12:36
むしろ東北の日本海側の諸都市に、弥生系の遺伝子が
まじっていると聞いたが。
江戸時代に上方からの廻船でいろいろと交流があった地域ね。

467 :天之御名無主:2005/10/25(火) 07:40:41
>>461
下北・津軽には19世紀まで狄村と呼ばれるアイヌの集落があった。
弘前藩の記録に、津軽の三厩や平舘にいた狄村の戸籍なども残ってる。
○○○狄とか、住民の名前の最後に「狄」の字が当てられるのが特徴で、
これはつまりアイヌの青年男子が名前の尻に
「アイヌ」(シャクシャイン(Shamkushiainu)などの類型)をつけるのが
和人流に「いぬ」に訛ったため。

下北にもアイヌの集落はかなり近い年代まであり、17世紀から18世紀に
かけて東北を広く旅行した菅江真澄の紀行などにも蝦夷について触れられてる。
彼らが足跡を残している地には、今も色濃くアイヌ語地名が残る。
特に津軽半島や下北半島その密度は北海道と何も変わらない。

東北地方は鎌倉期に関東から和人が大量に流れ込み、アイヌとの居住区分は
大分線引きされたんじゃないか。
東北出身だからと言って一概に直系先祖がアイヌとは言えない。
ただ、西日本に比べればアイヌの血は濃く混入してるのは当然かと。

468 :天之御名無主:2005/10/25(火) 11:05:14
気持ち悪いな、
そんなにアイヌの血が混じることが誇りで世間に誇示したいの?
そもそも東アジア一帯はアイヌとか
台湾人とかのような古モンゴロイド(縄文人とは限らない)
が住んでたわけで、それは北海道に限らず東アジア、特に沿岸部
辺境地にみられる一般的な特徴だよ、インディアンはアメリカに
渡った古モンゴロイドの一派だよ。
殆ど誇るべき歴史のないアイヌに目が細い東北人が親近感持つのは
みてて見苦しいよ。
仮に、アイヌが混じっていたにして一般的な外見で
古モンゴロイド的なのは西南日本だと思うし


469 :天之御名無主:2005/10/25(火) 11:24:12
少なくとも関東の蝦夷(防人)は万葉集が上手い

470 :天之御名無主:2005/10/25(火) 16:28:18
若い層でもアイヌに対する偏見・差別を持ってる奴はいるんだな。

471 :天之御名無主:2005/10/25(火) 17:14:56
>>467
>東北出身だからと言って一概に直系先祖がアイヌとは言えない。


たしかに。私は超薄い方の東北人。

同級生の中には明らかに濃い〜子もいたが、
40人中1人みたいな感じだったかな?はるか
昔のことなのでもう忘れちゃった。

472 :天之御名無主:2005/10/25(火) 17:29:00
>>468
誰も喧伝したいとも誇りだとも言ってないと思う。
現に東北にアイヌはいたわけだし、彼らが和人同化していく過程で
双方に混血があったのは事実だろうし。
個人的にはアイヌも同胞だと考えてるし親近感もある。

473 :天之御名無主:2005/10/25(火) 17:43:13
>>472
こらこら。危ないオジサンと目を合わせちゃいけません。

474 :天之御名無主:2005/10/25(火) 17:55:35
>>472
いいから、ヘンなのはスルーしとけ。

475 :天之御名無主:2005/10/25(火) 18:14:51
468はアイヌ嫌いが昂じて
広島流に捏造したいのか?

476 :天之御名無主:2005/10/25(火) 18:56:28
>>475
こらこら。危ないオバサンと目を合わせちゃいけません。

477 :天之御名無主:2005/10/25(火) 19:13:07
考古学とか郷土史に興味があったので、祖母に昔の話を
せがんではアイヌの話を聞いていた。北海道ではないが。

478 :天之御名無主:2005/10/25(火) 23:08:40
日本の歴史の教科書で北海道がいつ日本になったのか・・・って
ことについて全く触れていないのはどうかと。沖縄についても同様。
経緯は経緯として現実を書いて、その見解については各自判断させるぐらいの
懐の深さが欲しい。

479 :天之御名無主:2005/10/25(火) 23:25:09
なんだこの妙な広島人の妄想スレは。

480 :天之御名無主:2005/10/26(水) 00:41:13
>>475479
>468氏は、わしじゃない。ほいじゃが、アイヌ人が嫌いやら、
捏造するもんが、わしに捏造、妄想とは笑わすのう。
妄想しとるんは、おどれらじゃろう。
こう言う理由でこう思えるといわず、わしに対し罵倒を繰り返すのみ。
こがんことを言うけえ、東日本人は、馬鹿が多いのうと思えるんよ。

481 :天之御名無主:2005/10/26(水) 08:43:45
>>480
いや。468に関係なく、お前の一方的さ加減に辟易してる。
人様に向かって妄想云々と言い出したのはお前が先だしな。
妙に人をカテゴライズしたがる根性もいかにも広島の田舎くさい。

482 :天之御名無主:2005/10/26(水) 08:55:54

これは一般的な東北人です。(ブリヤート人に瓜二つw)
http://oganamahage.hp.infoseek.co.jp/member_3nen.htm

ブリヤート人(東北人に瓜二つw)
http://chairman.buryatia.ru/

東北人=ブリヤート?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/geo/1058721861/
東北人に目の青い人がいるのは何故?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1079232654/




483 :天之御名無主:2005/10/26(水) 12:49:30
広島県民がトリップつけてくれたらなぁ・・・。

>>478
それを書くと「じゃあ白河の関以北はいつから日本?」とか
「それ以外の辺境はいつから日本?」とか、とにかく細かく
書かなきゃならなくなるから、スルーされると思う。

本州じゃないからといって、北海道と沖縄だけ特別扱いは
出来ないし。地方ごとに、もっと郷土史を学ぶ時間があっても
良いとは思うんだがね。教師の裁量に任せられているので
ばらつきが禿げしいよね。

484 :天之御名無主:2005/10/26(水) 13:37:53
>>483
頼朝以前の話については、最早どうにもならないでしょう。
それ以前の状況を知る資料もなければ、詳しい経緯も誰もわからない。

が、アイヌについては先のニ風谷裁判で先住権が認められており、
少なくとも彼らが日本という国に(大半は強制的に)編入された経緯は書くべきだと思う。
ただアイヌには国家がなく、国際ルール上の慣例においては彼らに自決権が認められなかったという
留意点がある。が、これは列強の一方的なルールであり、見直されるべきだ。
沖縄については、明確に国家が存立していたし、
薩摩藩が琉球王国に対して行ったことは、事実として淡々と記すべきかと思う。

485 :天之御名無主:2005/10/26(水) 13:45:59
ただな、琉球も海に囲まれている以上、九州か台湾か大陸に
ルーツがあるのは確かなんだよ。「やんばる」なんて地名は
沖縄にもあるが九州にも同じ地名があったりする。
(東京人とは明確に1200%違う人種だと思うが)
いずれにしても、日本国は倭国から政権を奪い、
北陸か紀州あたりの
豪族が政権とって「天皇」と名乗り始めたんだろう。
そして平安以降関東渡来ザムライが全国各地に拡散し
細目遺伝子を全国に散布したんだろうよ。

486 :天之御名無主:2005/10/26(水) 13:53:05
>>484
その土地の人が訴えるしかないだろうね。
第三者があれこれお膳立てするより説得力はある。

487 :天之御名無主:2005/10/26(水) 15:24:00
アイヌは勿論沖縄にも潜在的な動きはあるんだが・・・
こういうのは結局ウヨサヨに関連付けられてしまいがち。
人倫的に、というのは解釈やら立場の違いあり、難しいね。

488 :天之御名無主:2005/10/26(水) 15:41:11
日本にとって本当の意味の渡来系、いわゆる渡来顔の細目遺伝子は
実際上、関東由来のが殆ど、これは東北各地に限らず
西日本特に中国、九州地区は特に関東由来の渡来遺伝子が
千年に渡り大量に撒き散らされているからな〜

489 :天之御名無主:2005/10/26(水) 17:59:36
>>488
でも朝鮮渡来系は関東だけに限らないだろ。

古代日本の先進技術は朝鮮半島から渡って来たんだから。
それらを日本に伝えた秦氏など渡来系豪族(貴族階級)も、朝鮮からやって来た人々。
彼らが従える技術者集団も、朝鮮半島から連れて来たんだろ。

490 :天之御名無主:2005/10/26(水) 19:18:43
大抵の日本人にとってアイヌや沖縄の歴史は自分の
先祖の歴史じゃないから、興味がないんだよね〜。

こればっかりはなあ。

491 :天之御名無主:2005/10/26(水) 19:38:11
つか、東日本人もアイヌの人たちもルーツはいっしょじゃない?
クイ、カイノなどと自称した縄文人。


492 :天之御名無主:2005/10/26(水) 19:57:40
>>488
中国、九州のは自称関東人が多いんじゃないか?薩摩とか。
近世に武士や豪農などが偽系図を作成して・・・。

493 :天之御名無主:2005/10/26(水) 22:04:05
天皇家とか現総理とかもろ細目遺伝子じゃん
あと蝦夷の末裔の安倍氏には次期総理候補いるし
今時差別なんてはやんないよ

494 :天之御名無主:2005/10/26(水) 22:51:34
>492
島津はモロだろおいw

495 :天之御名無主:2005/10/26(水) 23:17:59
>>491
>つか、東日本人もアイヌの人たちもルーツはいっしょじゃない?
>クイ、カイノなどと自称した縄文人。


これがほんとなら、今アメリカ大陸の西海岸に暮らしてるのは
みんなインディアンということになるんじゃないの?

496 :天之御名無主:2005/10/27(木) 09:57:53
クイとかカイノなんて自称は松浦武四郎の聞き違いだったという説が最近は有力

497 :天之御名無主:2005/10/27(木) 11:16:04
アイヌが北方から南下したか、南方から北上したか、そこが問題だ。
彼らが元々日本列島を席巻した縄文人であったのか、
それとも北方文化を濃厚に受け継いで樺太から北海道、東北と南下してきた民族だったのか。
これによって原始日本の解釈が大きく変わってしまう。

498 :天之御名無主:2005/10/27(木) 12:28:07
半島みてろよw
CIAの誘導どうりにな。

499 :天之御名無主:2005/10/27(木) 14:44:48
>>493
金持ちの顔って、みんな似てると思う。

日本の金持ちは(非・成金の金持ち)、大抵が薄味で
目が細くて冷たそうな、弥生人っぽい顔してる気がする。

目がパッチリしててマユや睫毛が濃くて酒が好きで
縄文っぽい人で上流に居る人を、みたことがない。

パチンコ屋やドカタにはいるかも知れないが。

500 :天之御名無主:2005/10/27(木) 14:45:55
>>495
インディアンは強制移住が歴史的事実としてあったので
日本の場合とはちょっと事情が違う。

501 :天之御名無主:2005/10/27(木) 15:03:56
>>500
>インディアンは強制移住が歴史的事実としてあったので
>日本の場合とはちょっと事情が違う。

東北人の多くは開拓移民か朝廷軍屯田兵か征伐軍関係者の子孫だろ?
混血だとか言っても、長いことそんなものみとめなかったわけで。

すべてのアメリカ人のなかにインディアンの血が混ざり込むのは2050年頃だという研究をしている学者がカリフォルニア大学
にいた。そうするとアメリカ人の祖先はインディアンということ
になるよな。笑っちゃう。

日本人の祖先が蝦夷だと言ってもあながち間違いじゃないのかも。

502 :天之御名無主:2005/10/28(金) 00:21:21
日本将軍・安東氏の十三湊にあった居城は北海道に散在するアイヌのチャシと
構造的には同様ということが、江上波夫らの調査で分かっている。
本州に残った最後の蝦夷種の権力層は、安東氏(後の秋田氏)だったのかも知れない。

503 :天之御名無主:2005/10/28(金) 02:07:29
安東氏はイイね!

安東氏は、反大和王権のナガスネビコを遠祖と称し、
更に俘囚長の安倍氏を祖としてる家だからな。
他家には無いよね。堂々と朝敵が先祖だって言い切ってるんだから。

どこの出だかは不祥だが、関東出身の伊達氏が藤原姓を詐称してるのとは違うな。

504 :天之御名無主:2005/10/28(金) 07:38:29
日本人の先祖が「蝦夷」って言うのはどうも。

(東)日本人の先祖が縄文人で
「蝦夷」もその一派、と考えるならわかる。
「蝦夷はアイヌか」ではなく
アイヌも蝦夷も東日本人も、縄文系の日本人
と言うべきだ。

やっぱある時期蝦夷と呼ばれていた人の一部が、
ウタリ民族になり、
のこりが和人化して東日本人になったと言うのが
まず穏当な考え方ではないでしょうか。

505 :天之御名無主:2005/10/28(金) 08:21:53
>>504
>やっぱある時期蝦夷と呼ばれていた人の一部が、
>ウタリ民族になり、
>のこりが和人化して東日本人になった

蝦夷そのものがフル・ブラッドであった可能性はほとんどない
のではないかな。ネイティブ・ジャパニーズの血を色濃く引き
継いではいたのだろうが。

アイヌはフル・ブラッドなの? それともいくつかの部族の
混成民族なの?

506 :天之御名無主:2005/10/28(金) 11:28:39
>>501
そうだろうね。

山に住んでる人の子孫と海に住んでる人の子孫は、
里で農民してた人の子孫に比べて、経済力や家格が
劣ってるもの。いまだに。

507 :天之御名無主:2005/10/28(金) 11:40:25
>>501
アメリカ人の文化風俗がインディアン風なら、姿かたちがどんなに
西洋人的になろうとも、「インディアンの子孫」といって差し支えない
だろうけど、大抵の米国人の文化風俗はインディアンとは違うからね。
私も、アメリカ人はインディアンの子孫たりえないと思う。

ただ、インディアンの血を自覚してる人が、アメリカ移民の子孫で
しかないかと言えば、それも違うと思う。何をもって「民族」とするかの
定義にもよるだろうけど。

まあ、あちらは分かり易いよな〜。コーカソイドとモンゴロイドの違いもあれば
宗教の違いもあるし。アイヌと和人じゃ、宗教が完全に違うかといわれ
れば、根底は似通っているし、外見がどこまで違うかといわれれば、
たしかに違うけど、おなじ黒髪だし肌の色も違わないし・・ 曖昧すぎる。

508 :天之御名無主:2005/10/28(金) 22:36:02
>>481
また、罵倒か。つまらん。広島は田舎者じゃが、視野の狭さじゃア、
精神的鎖国状態の東日本には勝てませんのう。
>>502
江上氏は、論文「アイヌのチャシとロシアのゴロディシチェ」で、
チャシと同形式、同構造の堡砦がロシアの中部、東部、北部及び
シベリアの西部にわたって広く分布しており、北海道や東北地方の
チャシは、フィン・ウゴル起源としておられるが。
>>506
少なくとも、海に住んでおる者は、経済力において里の農民より上で
あろう。昔から海民の商業活動の歴史や、漁村から都市への発達、
食えなくなれば海へ行けばいいという、一種の社会保障となって
おったこと、海岸と島々の歓楽性も無視出来ん。

509 :天之御名無主:2005/10/29(土) 01:06:50
>>508マタキタネ、ヒロシマレス
江上氏の、「アイヌのチャシとロシアのゴロディシチェ」という論文をくぐったら、
一件しかヒットしなかったからどういう物か全く分かんないけど、1949年の論文だってね。

近世以降の山里の豪農だと、水帳では計れないような豊かさはあるな(506の言うような)。
こういう土地には、広島さんが嫌いな隷属農民が多かった。確かに東国には多い例だけど
中国地方にも村落内の身分格差はあったぞ。

>>502
清原氏って結局なんだろねw
兵三千の源頼義が安倍氏に勝てたのも、清原軍一万が源氏方に付いたのが決定的だったけど
結局清原氏は後三年の役で滅んで、全て藤原氏に持っていかれちゃって・・・。

510 :天之御名無主:2005/10/29(土) 03:04:18
>>509
東国人の網野善彦氏は、
「江戸時代史は、基本的に農業中心に考えていましたから、
わずかな持ち高しかない百姓がたくさにれば、貧しい村だと考えてきた。
大変豊かな廻船人が、石高の少ない水呑百姓になっており、
廻船人や商人は土地を持ってないので、藩の身分規定では、皆、水呑、
頭振に数えられているのです」海より陸の方が豊かという根拠が
わからんが、また豪農の立場で解釈するんも関東的であろう。

中国地方にも身分格差の強い地域もあることは認めるが、全体的に東日本
ほどではない。また宮本常一氏は、郷里周防(山口県)では権力による
秩序があり、階級秩序に屈する気持ちが残っていた。それに対し藩の
直領であったところは、階級的秩序は乏しく、更に芸備(広島県)の方が、
階級性に乏しいとされる。
「地主と小作の家をほとんど見分けることはできない。これが関東や東北
なら、たいていそれとわかるのである。」「芸備の地方はそこに住む
人達が、そうした近代化への道を歩むのに都合のいい条件をまず恵まれて
いたといっていいのではないか。それが権力にとらわれないで物を見、
事を行う力を育ててゆく。」ということじゃ。

511 :天之御名無主:2005/10/29(土) 10:00:59

おまえら大変ですよ!
【バッキービジュアルプランニング】 に出てた汁男優の菊池政彦って奴は、どうやらアイヌ系らしい。
この会社の会長、栗山龍が中国系で、他の汁男優の大半が朝鮮系らしい!
この監禁友の会って犯罪組織は、AV女優を騙し、素人汁男優30人以上で一人の女優を
監禁した上で集団レイプ、暴行、拷問、プールへ沈めて殺人未遂、女優に汁男優の糞尿を大量に喰わせたり
肛門内蔵をわざと破裂させ人口肛門にたり、ガラスの破片で女優のアキレス腱を切断して下半身不随にしたり
などの拷問行為を繰り返しビデオに撮り、鬼畜系ビデオとして販売していた鬼畜集団!
現在複数の強姦致傷罪・傷害罪などの裁判で公判中、そのうちの一人中原紀恵に先日懲役5年の実刑判決が出た。

こんな鬼畜行為など普通の日本人なら出来るわけがないが、中国・朝鮮・アイヌなど一般日本人に対し憎悪を持っていたらしく
むしろ喜こんで楽しみニヤニヤ笑いながら、女優への拷問行為をする姿がビデオに映し出されている。

アイヌ系 菊池政彦 (36歳)
http://bakiden.tripod.com/image/shiru03.jpg

http://bakiden.tripod.com/image/shiru04.jpg

菊池政彦 (36歳) 汁男優 【公判中】

AV男優塾出身。バキビデオ常連。エスパー伊藤似。 アイヌ系。
05年7月?「強制子宮破壊14」撮影時の強姦致傷容疑で立件され、9月初公判。
「強制子宮破壊13」撮影時の強姦致傷容疑でも追起訴されている。

http://bakiden.tripod.com/image/kichiku02.jpg
女優への性的拷問を楽しんでいる汁男優

http://bakiden.tripod.com/image/kuriyama_taiho.jpg
栗山龍 (40歳) バッキー会長
http://bakiden.tripod.com/image/koutaro06.jpg
http://bakiden.tripod.com/image/koutaro04.jpg
矢野光太郎 (29歳) 監督、男優 【公判中】

512 :天之御名無主:2005/10/29(土) 13:01:33
>>510レスヲカエセバスレチガイw
海の民=廻船人、商人と決め付けられないだろ?
506は漁村の事を言ってるんだろう。

岡山県下は宇喜多氏の遺臣などが多く帰農しただろうし、山口県下も大内氏が滅んでる。
広島県下はそれらに比べれば恵まれてるだろ?
毛利家臣は毛利氏に従って安芸から去っていったから、当然村落内の身分格差も
他地域(岡山県下など)より少ないと予想できる。
領地削減の影響で帰農した毛利家臣、毛利敵対勢力の遺臣他も当然あるだろうけども。

513 :天之御名無主:2005/10/29(土) 15:30:06
広島人があんなのだけだと思わないでくれ。

>>広島の恥へ
どこの人間だろうが、個人的な偏見と思い込みで雑言を並べ立てたら腹が立つだろうに。
人の指摘にただの一つも返答せずに自分の主張(ともいえない戯言)ばかり繰り返して、
その上「関東人はだめだ」では誰が納得するのか。
これ以上広島を名乗らないでくれ。やるならどこの誰でもない個人としてやれ。

514 :天之御名無主:2005/10/29(土) 18:22:33
>>512
海の民が、商人的要素があることは、山梨県人網野善彦氏も指摘して
おられる。「近江商人はけっして農耕民から出た商人ではない。
伊勢商人も海民系の商人と考えられる。日本文化の都市とか商人は湖や
海の周辺に漁民の作った集落から発展した町のほうがはるかに多い。
堺・桑名・堅田」農村が飢饉や天災があれば滅びるのに比べて漁村が
貧しいという先入観に反論したまでじゃ。
広島県は恵まれておった。安芸国では、傘連判状のように国人領主は
一揆契約・横型連合体的部分があった。毛利家も元来は同格構成員に
過ぎん。国人領主と分家や家臣団も同じ様なものであったが、毛利が
大きくなり主従関係を要求し出したので、困ったところ毛利家が国替で
幸運なことに契約解除となった。国人領主が山口県へ移り、分かれの
盃をして広島県下に残った者、領主に反発して残った者と様々。
また山口の本家と江戸後期でも交流した分家もある。お互いに分かれて
よかった。広島・山口両県の為にも。
>>513
わりゃ、にせ広島人じゃないんか。どこのもんなら。方言たれてみいや。

515 :天之御名無主:2005/10/29(土) 19:26:00
自分に都合悪いとすぐニセモンとか妄想とかにすんのな、お前。
性格破綻者にしか見えねーぞ。

516 :天之御名無主:2005/10/29(土) 19:28:38
>広島レス
俺や506のレスに近江商人は関係ないと思う。西国なんて言ってないし。
東国=隷属奴隷民という発想が問題。スレ違いだから細かい事は言わないけど。

別に2チャンで方言使う事もないだろうに。
広島の方言は罵倒に使うものなのか?w

517 :天之御名無主:2005/10/29(土) 20:15:45
>>513
ヒント:「俺は生粋の日本人だが」

518 :天之御名無主:2005/10/30(日) 13:16:53
>>516
もうほっとけよ・・・
この広島人は人の話を咀嚼するなんて姿勢も能力も持ってない。
全ては自分の頭の中の思い込みで処理しようとして、またその思い込みを
俯瞰的な目で自ら検討することもしない。

東国=隷属奴隷民と思い込むのもそう。
かつこの時代に至っていまだにそんな偏見に基づいた優越感を保とうとしてるなんてのは、
もはや人間としての資質の問題。言っても無駄。

519 :天之御名無主:2005/10/30(日) 22:17:21
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520 :天之御名無主:2005/10/30(日) 23:45:45
またも、罵倒か。東日本人の生態をよう観察出来るのう。
ほいで、東国=隷属奴隷民ではないと云う根拠はあったんか?
別に奴隷民でも、恥じることはあるまい。
イスラム世界におけるマムルークの例もあることじゃし。

521 :天之御名無主:2005/10/31(月) 00:04:57
僕は韓国人でも朝鮮人でも在日でもないよ
でも残念だけど、東国人は奴隷民族で、西国人は我が国の奴隷なんだなw

522 :天之御名無主:2005/10/31(月) 01:28:56
>>518
戦国最強スレでの妄想も俺が論破してるんだが、
都合の悪い事は聞く耳持たない広島県人だからな。


神保町で古本まつりをやってて、歴史関係の本を買ってきたが、
漢氏、秦氏=朝鮮渡来系は『古代豪族と朝鮮』にも述べてある。

523 :天之御名無主:2005/10/31(月) 13:12:35
あらしをスルー出来ないところを見ると、やはり東国は
レベル低いなーと思わざるを得ない。

524 :天之御名無主:2005/10/31(月) 15:06:11
広島人とかなんとかじゃなくて>>520は個人的にイカレてんだと思う。
おそらく被差別民だと推測するが、訳のわからない八つ当たりはよろしくない。

マジでスルーよろしく。

525 :天之御名無主:2005/10/31(月) 16:25:19
人を引っ掻き回して反応を楽しむタイプの精神病があるけど
それに罹っている人なのでしょう。

526 :天之御名無主:2005/10/31(月) 22:46:40
>>525
でも楽しんでるようには見えないんだよな、キレまくってるしw
堂々と珍説を披露してるし、、、
妙な宗教にはまってるみたいな感じ?

527 :天之御名無主:2005/11/01(火) 01:44:13
>>522524525
戦国最強スレで、反論すりゃア噛みつきと言い、自己の妄想を論破と
かん違いする。自己の意見に同調せず反論する者には聞く耳を持たんか。
東国の隷属奴隷民の様な都合の悪い事には、逆上し人格攻撃の罵倒を
繰り返す。
漢人や秦人には、中国人説・北方牧畜民説とあり、私見も述べたが、
また繰り返すところや>524で被差別民を引き合いに出すところから、
よほど東国隷属奴隷民であったことに劣等感があるんかのう。

528 :天之御名無主:2005/11/01(火) 07:59:52
>>526
実は、彼自身が隷属奴隷民の出身で、否定して欲しがっているというのはどうだろう

529 :蝦夷三郎:2005/11/01(火) 10:15:16

地蔵岱(ちぞうたい)遺跡見学会と学習会
地蔵岱遺跡は、森吉山ダム建設予定地内にある縄文時代から
中世にかけての遺跡です。今回は、今年5月より行われてき
た発掘調査の成果を現地にて公開します。

また、見学会に合わせて埋蔵文化財学習会『小又川の一万年
-特別編-』も開催します。ぜひご参加ください。

日 時:11月3日(木・祝)9:30〜16:30
場 所:コンベンション・ホール『四季美館』
   (北秋田市阿仁前田字大道上3-1)
    地蔵岱遺跡現地  (北秋田市森吉字地蔵岱74ほか)

※現地へは一般車両は進入できません。見学用バスが『四季
美館』から出ますので、参加希望者は時間までに四季美館に
集合してください。

行き方:国道105号線を鷹巣方面に向かうと、太平湖や森
吉山に向かう「クマゲラエコーライン」との交差点に出ます。
この交差点に四季美館があります。緑色の屋根の1階建ての
建物です。


530 :蝦夷三郎:2005/11/01(火) 10:15:47
上の続き

■内容■
◎地蔵岱遺跡見学会 ※雨天決行。
第1便:10:00発
第2便:13:00発
第3便:15:00発
※出発10分前には四季美館駐車場へお越しください。
◎埋蔵文化財学習会 『小又川の一万年 -特別編-』
時 間:10:30〜(午前の部)、13:30〜(午後の部) 
午前・午後ともに内容は同じです。
テーマ:「蝦夷社会から中世へ」  
講 師:高橋学・払田柵跡調査事務所  

   【午前の部】 10時30分〜11時50分
   【午後の部】 13時30分〜14時50分  午前・午後  
問い合わせ:秋田県埋蔵文化財センター北調査課  
(電話:0186-62-9298  FAX:0187-63-0365) 

531 :天之御名無主:2005/11/01(火) 11:14:54
阿仁ってマタギがいるとこだよね。
おもしろそー+.(・∀・)゚+.゚

532 :天之御名無主:2005/11/01(火) 14:03:07
阿仁のマタギはいまだにアイヌ語彙を交えて会話するらしいからね。
おそらくアイヌ系山間狩猟民の直接の後胤なんだろう。

菅江真澄の遊覧記に彼らが登場しないのが惜しいなあ。
阿仁は銀山から銅鉱山に転じて長い間命脈をたもった珍しい鉱山だっただけに、
秋田藩の手前書けなかったんだろうね。

533 :天之御名無主:2005/11/01(火) 16:28:03
地元の山の窪地には、昔、アイヌのブシ族が住んでいたらしい。
そういう伝説がある。

534 :天之御名無主:2005/11/01(火) 19:47:32
ブシ族?って毒のブスのことか?
トリカブト使って狩猟する人が東北にもいたってことか?

535 :天之御名無主:2005/11/01(火) 20:23:37
「ぶすのこぶ」というお菓子の名前の由来なの。
美味しいので、餡子が嫌いじゃなかったら是非!!
http://www.kyosuiren.or.jp/html/page01421.html

毒という意味なのね(´゚u゚)ノシ凸 ブシブシブシブシブシ

536 :天之御名無主:2005/11/01(火) 23:22:33
久慈といえば最近ラーメンのイメージ。

537 :天之御名無主:2005/11/02(水) 13:03:05
本州にもトリカブトなんてあるんだね。

538 :天之御名無主:2005/11/03(木) 20:24:33
下のスレに出てくる白馬青牛は広島?


【HLA】モンゴル人と日本人は同祖【HLA】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1114948602/

【江上】騎馬民族説は今。。。vol.3【波夫】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1120222213/

539 :天之御名無主:2005/11/04(金) 22:13:45
天皇家って何処から来たの?2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130131934/l50

227 :白馬青牛 :2005/11/04(金) 22:05:52
>>220
>192のおまえら馬鹿?という罵倒から始まり、朝鮮に水軍系の
発達史がなく、さらに船技術が上だと笑止千万な発想と決めつける
あたりは、おそらく嫌韓厨の受け売りであろう。自分で調べる知能も
無い低脳と思える。よほど朝鮮、韓国人に劣等感を持っとるんじゃろう。
かわいそう過ぎるので、あえてレベルに合わせてまで突っ込まん。
しかも>「日本列島に移り住む先住民」?日本語さえ知らんらしい。
まあ、次にわしは、幼稚園児とされるんであろう。
それに、低脳児(220)は、お寝んねの時間じゃろうし。

540 :天之御名無主:2005/11/05(土) 03:26:25
同一人物としか思えないな。

541 :天之御名無主:2005/11/07(月) 06:51:37
隷属奴隷民とか言い出したら
奈良→平安初期は貴族や寺社、地方の大領とその配下以外は
ほとんどスレーブみたいなもんだべ。
ただ奈良→平安中期まで関東と南東北の住民が
特別に過重な負担をかけられていたのは事実だろう。
南九州の原住民と比べても、差別的と言うかかなり過酷な扱いだったみたいだ。
奈良期は防人、その後は対東北戦争。そして富裕農民の
東北強制入植と屯田兵化。
朝廷の権威がボロボロになってきた平安中期以降、やっと関東と東北は
解放されたのかもしんない。

542 :天之御名無主:2005/11/07(月) 12:37:09
なんか広島マンきてからレベル下がる一方だな・・・
蝦夷にもどしてください


543 :天之御名無主:2005/11/08(火) 00:15:58
>>534
附子つまり毒矢は、挹婁等アムール流域の諸民族で知られておるが、
モンゴルは別として、内陸アジアの遊牧民は余り使用した例が無い。
千葉徳爾氏によると、アイヌ人を除いて毒矢の使用例は無いとされて
おられるが。
>>541
>富裕農民の東北強制入植と屯田兵化。その通りであろう。マタギの
様な狩猟社会では、富の格差がなく平等性(山分けの精神)があるので、
生産力の格差や有力支配家族が、他の小家族を奴隷化する社会は発生し
難い。しかし外部から別の一族がやって来て在地支配する場合には発生し
易い。蝦夷の歴史時代には階級性が発生しておったので、蝦夷の支配層も
外部から移住した開拓武装集団を想定してもおかしくはない。
西日本より東日本の方が隷属的階級差が強いのも、同一文化圏外の外部
からの支配という考察も出来る。じゃが東日本が隷属奴隷民から開放
されたのは、戦後の農地改革以降であろう。
>>542
レベルが下がるんは、どの部分かいのう。具体的に言えいや。

544 :天之御名無主:2005/11/08(火) 01:54:05
>>541
田村麻呂が戦わずして勝てたのも、東北強制入植による
蝦夷軍の戦力低下があるというしね。

545 :天之御名無主:2005/11/08(火) 02:49:02
>543の千葉徳爾氏のそれは、アイヌ人を除いて「日本列島」では
毒矢の使用例が無いとされる。に訂正する。
>>544
坂上田村麻呂の時代以前に蝦夷社会は階級化しておったと思える。
大和朝廷と蝦夷の交易の歴史から。献上する側の交易に付き物の奴隷
(蝦夷の俘奴買い)も延暦六年(787年)『日本後記』に出て
おる。蝦夷側の輸出品目の一つに在地の奴隷があった。
更に以前の時代阿倍比羅夫の遠征で蝦夷がすぐに服属したが、
戦力低下云々とは関係あるまい。

546 :天之御名無主:2005/11/08(火) 06:50:11
あんまり正史では語られてないけど、
田村麻呂以後の拓殖政策って、そこそこよかったんじゃないの?
東北では、田村麻呂は今も英雄だし。

関東地方も重税と強制徴発に苦しみつつ、
独立武装農民化できるほど生産力あがってきたらしいから。

田村麻呂軍の強さは、平安初期の半蝦夷状態の
関東富裕農民を軍団化し、手なずけたことにあると思う。
でもって東北信仰し、「夷を以って夷を制した」。
これを卑劣で姑息な手段ととるむきもあろうが、
巧妙な戦略ともいえる。
攻められる側「アラ蝦夷」にとっては、服属しても決して
過酷な扱いではないことが判るし、
攻める側「ニギ蝦夷」も同族に対して過酷な真似はしない。

あと蝦夷側も人口増加、生活の複雑化で
従来の生産方法ではやってけなくなったのかもしんない。

547 :天之御名無主:2005/11/08(火) 23:50:54
>>541
噛付き広島ワールドへようこそ

>>543広島レス
>東日本が隷属奴隷民から開放されたのは、戦後の農地改革以降であろう。
永続して隷属農が多かったわけじゃない。近世史調べりゃわかるだろ。

>>546
田村麻呂は東北人からも尊敬されてるみたいだね。
441で頼義と同類にしたのは誤りだなw
狡猾なのは朝廷勢力か・・・。

>>326>>372のレス訂正したいんだけど面倒だからいいや。
全国に強制移植された蝦夷も、朝廷への反乱が続き、蝦夷の子孫達は
結局東北に帰る事になったから、人的に坂東武士との関わりはどうかなあ?
武士発生以前、坂東兵の戦闘の師匠みたいな、間接的な要因にはなったが。

548 :天之御名無主:2005/11/09(水) 01:41:47
>>547
西日本と比べ東日本に隷属農民が多かったことは、近世の村落社会を
調べりゃわかろうに。
田村麻呂か。そういやあ、ワレは日本史板「渡来人とその子孫」で
漢氏と秦氏が百済系や新羅系と決め付け、突っ込まれて野球板の人間
じゃ言うて関係ない言い訳しとったのう。ここで大馬鹿たれるんと
違うて、あっちじゃア、元気がないど。しゃんとせい。

>545の続き、おそらく阿倍比羅夫が使うた日本海ルートで
武装開拓団は移住し、奴隷輸送も陸上より船輸送であったろう。
その方が便利であり、武装開拓団の移民性や奴隷の大量輸送と
海洋性交易文化は世界的な規模で普遍性があることも考慮する必要もある。

549 :天之御名無主:2005/11/09(水) 18:38:56
>>548広島亀
あのスレで614が言ってる、秦氏=加羅説は有力な説だし、新羅でも加羅でも秦氏=朝鮮系だから
俺も同意してるんだが?
他の部分は反論してるし、614がアンチ朝鮮なのはともかく、おまいさんと違ってまともな反論を
してる訳だから、脳内妄想広島レスに対する場合とは違うって。

ってか、知ってたなら来いよw漢氏の事レスしてんだから。
ほれっ!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1033117171/l50

550 :天之御名無主:2005/11/10(木) 00:05:48
>>549
わしが、せっかく応援してやっとるんを罵倒で返すとは。
関東的奴隷根性かいのう。
まあ、わしゃは、今のところ第三者で楽しむけえ、
「渡来人とその子孫」で、越後の奴隷となった弱兵関東的な言い訳は
やめて、罵倒・妄想を書きんさいや。

551 :天之御名無主:2005/11/10(木) 00:54:36
武士論で論破されたくせにw
ハイハイワロスワロス (^ω^)

552 :天之御名無主:2005/11/10(木) 01:00:54
ageちまったよ・・・

もう、このスレではおまいさんを無視するから。

553 :天之御名無主:2005/11/10(木) 01:40:39
>>551
「兵の道」の無い(戦闘儀礼・道徳・倫理の欠如、捕虜の殺害等)
東日本的世界で武士論を語るのが、そもそもの間違えであろう。
関東人は論破されて当然じゃ。
>>552
そがん無視すなや。関東人とアッシリア人は、どちらが非道であったか?
等、時代は違うが、色々と研究課題がある。関東妄想史観を語れ!

554 :天之御名無主:2005/11/10(木) 17:27:56
加齢臭がする気違いがいるスレって本当なんですねっ!!

555 :天之御名無主:2005/11/11(金) 04:15:04
中国地方というのは、明治期以降東日本に繁栄を奪われて以来特にひがみの傾向が強い。
古川古松軒の東遊雑記など読んでると、いかに中国地方の人間が物質的繁栄に驕り、
モノを知らずにさも見知ったような事を口走るかということがよくわかる。
>>553などはそういう中国人の落ちぶれた末裔としての性格をよく表してる。
ステレオタイプな素材として興味深い。

556 :天之御名無主:2005/11/11(金) 04:21:42
毒と謀略の使い手といえば中国産。毛利・宇喜多

557 :天之御名無主:2005/11/11(金) 13:31:36
>>555
中国人、武士道オタ観察サンプルとしては良質だね。
中国人妄想史観なんてのがあったんだね。広島なんて新幹線で通過するとこだと思ってたから、
そこに人が住んでること自体忘れてたよ。

558 :天之御名無主:2005/11/11(金) 19:58:52
興味深い良レス見っけた!


914 :天之御名無主 :2005/11/03(木) 19:58:41
日本人の朝鮮人との遺伝的共通性は土着系と関係が深く、
渡来系と関係が薄い。

1万年くらい前の日本列島が朝鮮半島と切り離される時までは
同じ土着系が住んでいたからだと見られる。

渡来系の遺伝子はモンゴル人と遺伝的共通性が高く、
朝鮮人と関係が薄い。


917 :天之御名無主 :2005/11/10(木) 19:46:11
またそう言うこと書く。無視するぞ。
「まったく別」とか「全部同じ」とかひとくくりにするのはまちがい。
アクセントや頭長指数から見て
近畿・瀬戸内人(和人)と
半島南端沿岸部人は多分ルーツを同じくするはず。

559 :天之御名無主:2005/11/11(金) 20:01:54
連投スマソ
914は糞レスだった。913の間違い


913 :天之御名無主 :2005/11/03(木) 17:45:52
日本は単一民族ではなく、地域で相当の違いがある。
朝鮮半島もしかり。

近畿・瀬戸内人はひょっとしたら全羅南道人とは
似通っているかもしんない。
でも東日本人と全羅南人は多分ほとんど関係ないだろう。
近畿・瀬戸内人も京畿道以北の韓国・朝鮮人とはほとんど関係なさそう。

560 :天之御名無主:2005/11/11(金) 20:39:36
またもや縦読みスマソ
914のは糞レスじゃなかった。

逝ってきますorz

561 :天之御名無主:2005/11/11(金) 21:40:57
エミシ、は別に蔑称ではないぞ。
自称を和人が聞き間違えただけだ。

ロスケは差別語だと言うけど、
ロシア人自身
ルォスキー、に近い発音してる。
「チャンコロ」は放送禁止用語だけど、
「チュンクォレン」はいいわけでしょ?

「エンムチゥ」といいにくいから「えみし」
「クァイヌ」と言いにくいからカイ。

562 :天之御名無主:2005/11/11(金) 22:43:10
>>555
宮本常一氏は、農村の社会構造において、財産の多い篤農家の姿からも、
うかがえ、村全体のよくなることに一生を捧げる人は、西日本に多い。
経営の才覚を自慢し「我に見習え」と言っている人は、東日本に多い。
東日本では、そういう親方的な家が災害時には救助の役割を果たす、
それに対し報恩のかたちで救助された側は、それ以上のものを
返さなければならなくなる。その様に結ばれた社会は、主従関係、
上下の区別が強く、「嫉妬はそういう社会に強くなるようである。」と
される。
なるほど、あなたの「ひがみ」や「物質的繁栄」と言う嫉妬の強さからも、
東日本の「物欲の強い、守銭奴的性格」を表しておる。金欲の奴隷でも
あったんか。
古川古松軒のことは岡山県人に聞け。中国地方でも安芸(広島)は、
平地(耕地)が少なく、子供が生まれても他地域の様な産児制限である
間引き(赤子殺し)を残酷ゆえ出来んので、経済的には豊かでは無かった。

563 :天之御名無主:2005/11/12(土) 01:10:52
>>562
これ以上アホぶり晒すのはもうやめたら・・・
あんた、リアルの世界でその珍説を人前でぶって同意を得たことが一度でもあるのか?
どーしてもその珍説を世に出したければ原稿の一つも上げて出版社にでも持ち込んで見たら。
その時、自分がわかる。

564 :天之御名無主:2005/11/12(土) 18:59:41
この広島バカは一元的にモノを考えすぎ。
自説を裏付けるためならどんな無批判な論理展開でも平気でやるタイプ。
学者にありがちなタイプだが、こいつは露骨過ぎて学者にもなれない。

565 :天之御名無主:2005/11/12(土) 22:09:12
渡来人スレで四連投してきた・・・
もう、うんざり。。。

566 :天之御名無主:2005/11/13(日) 00:31:21
>>564
また個人攻撃の罵倒を繰り返す東国脳留守軍団か。
それは別として、わしを一元的思惟方法と批判するのであれば、
あなたの多元的思惟方法とやらを具体的に伺いたい。
勿論東国的な狭い視野でなく、世界史の中での普遍性において。

>563にあるよう「人前でぶって同意」や「出版社」と世俗的権威を
当てにしておるようでは、矢張り権威、権力に弱い「東国的奴隷民特徴」
であり、余り期待しておらんがのう。

567 :564:2005/11/13(日) 13:22:58
>>566
大阪人ですが何か?

568 :564:2005/11/13(日) 13:30:42
>>566
反論してくるもの=東日本人だと決め付けて、雑言を浴びせるためだけに
論理展開してる。情けない。
お前の論理は事実を知りたいという純粋な興味でも、学問でもなく、
ただひたすら東日本への憎悪から発生してる。
そんな姿勢で真実に近づけるわけがない。

569 :天之御名無主:2005/11/13(日) 14:00:45
>>568
禿同でやんす

570 :天之御名無主:2005/11/13(日) 14:13:48

  ( ゚д゚)      この顔にピンと来たら110番。
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_   犯人は東日本を憎悪する広島人か
  \/    /
     ̄ ̄ ̄
 
  ( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ 
  \/    /
     ̄ ̄ ̄

  ( ゚д゚)
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ 
  \/    /
     ̄ ̄ ̄

  ( ゚д゚ )
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ 
  \/    /
     ̄ ̄ ̄

571 :天之御名無主:2005/11/13(日) 15:45:10
津山30人殺し事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tuyama.htm

昔、こんな事件があったんだね。
中国地方の人間は恐ろしいねぇ、、

572 :天之御名無主:2005/11/13(日) 18:40:07
自説を裏付けるため、または特定の団体や人物、民族に対する憎悪のため、
次から次へと恣意的な資料利用を行って自説を裏付けようとする。
こういう人間はどこにでもいる。
正当な批判、指摘については全く無視するか罵倒を与え、
本人のみは退けたと思いこむ。

この広島人はその典型。
しかも知識が足りない点嗤うにも値しない。

573 :天之御名無主:2005/11/13(日) 19:53:57
あの恨みがましく陰険でねちっこい長州人は元々安芸の出だからな。

574 :天之御名無主:2005/11/14(月) 04:29:16
>>568
大阪人?偽者か何人か知らんが、ワレの多元的思惟方法たあ、
気にいらん考えに対し、罵詈雑言を浴びせることか。
>>572
笑わすのう。そりゃア、わしじゃのうて、ワレのことじゃろう。
>>573
安芸国人は元々東国の出が多いゆえに恨みがましく、陰険でねちっこい
とでも言いたいんか。おどれは、東国出身者を馬鹿にするんか。
郷土の先人であり、わし自身を含め東国の血が入っとる広島人はえっと
(たくさん)おる。地域・風土の違いを血筋でごまかすな。

575 :天之御名無主:2005/11/14(月) 16:03:54
>>574
もうHNの『白馬青牛』としてレスしたらどうよ?
広島の学者センセ。

576 :天之御名無主:2005/11/14(月) 16:07:29
>>574のレスでわかったけど、広島の訛は確かに関東と似てるな。
近畿・九州ともまた雰囲気が違うな。

577 :天之御名無主:2005/11/14(月) 16:21:18
>>574
他人に浴びせるその言葉を、一度でいいから自分に浴びせてみたら。

もうみんなよー、マジでコイツはスルーしようよ。
こんな狂人相手にしてどうすんの?

578 :天之御名無主:2005/11/14(月) 16:52:24
この狂人は朝鮮人か、それ以下だな

579 :天之御名無主:2005/11/14(月) 17:07:41
広島関連の語句をNGワードに登録した。
すっきりした。
当然、この自分で書いたレスも読めないわけだが。

580 :天之御名無主:2005/11/15(火) 00:14:11
広島人は皆こういう奴じゃない・・・
分かって欲しい

581 :天之御名無主:2005/11/15(火) 00:32:57
大学生活板の固定の乱交パーティー画像流出
http://nuke.s8.x-beat.com/bbs_pic/img/319.jpg
ちなみにマイ ◆silvia/3fM というコテらしい

こいつです
http://www7.big.or.jp/~mb2/bbs/up/kao/source/up1285.bmp


詳しくは
マイさん魂の叫び
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/mog2/1131551352/



582 :天之御名無主:2005/11/15(火) 01:40:04
『白馬青牛』は女なの?

583 :天之御名無主:2005/11/15(火) 02:17:05
>>575
学者センセとは、おちょくった言い方じゃが、『白馬青牛』は、今の
ところ近現代を除いた歴史版専用にしとるが、気が向いたら使うわい。
>>576
広島弁で「ええ天気で、がんすのう。」の「がんす」は老人以外は
使わず、死語になりつつあるが、関東弁か東北弁の流れであろう。
>>577
>もうみんなよーじゃ?ワリャは、自分の考えでスルーすりゃあええのに
何ゆえ他人に同意を求めるんかいのう。自分の心ん中にのう、助太刀を
求める部分がありゃあ、その時点で勝負事は負けど。
まだ579の方がましじゃわい。「外道の逆恨み」たァ広島の諺じゃが、
糞外道みたいな、つまらん人間になんなや。
自分自身を貶めるにもほどがあろう。

584 :天之御名無主:2005/11/15(火) 15:07:15
スルー

585 :天之御名無主:2005/11/15(火) 16:18:39
>>237
団結心を戦いに使いたがるのは、
なんらかの精神障害なんじゃない?

だから、天皇が支配者となった。

586 :天之御名無主:2005/11/15(火) 18:33:51
共産主義者は蝦夷とかアイヌとか沖縄をダシに使うの、ほんと止めて。キモイ。

587 :天之御名無主:2005/11/15(火) 23:16:49
>>586
影響力を持てない2流3流の左翼運動家ほど、そういうところと結びつく。
実際困ったものだと思う。

588 :天之御名無主:2005/11/16(水) 15:43:17
以前は、「差別されてたアイヌ可哀想。被差別者を支援する朝日や
チクシテツヤは正義。差別するシャモ逝ってよ〜し」みたいに、非常に
シンプルに捉えていた人が多かった。純粋な人ほど人権意識が高いし。

しかし“活動家”と呼ばれる方々や、原発・基地反対のために仕事を
ほっぽりだして全国を旅行できるご身分の方々、通称プロ市民が、
どのような人間なのかがバレればバレるほど、純粋な一般人の支持は
減っていった。

一般の支持を失いつつあるプロ団体は、既に洗脳完了済みの市民
(幹部以外のカンパ&小間使い要員)への洗脳を強化することになる。
どんどん特殊化していく団体に、世間の目は厳しくなる一方。

しまいには、一般信者が団体を良くするための助言をしても、幹部は
それを聞き入れられなくなり、信者にすら逃げられる。それを止めようと、
内ゲバが開始されたり、敵対団体に対して、強引で乱暴な態度を
取るようになる。

すべてが終わって残るのは幹部だけ。まるで朝鮮総連かカルト宗教。

589 :ヤチャータ ◆WOLF//4NCo :2005/11/16(水) 19:05:35
イデオロギー批判はもういいから「蝦夷」について語ってくれや。

590 :天之御名無主:2005/11/16(水) 20:09:42
じゃ、まず>>589から。どぞー。

591 :名無し三等兵:2005/11/16(水) 20:10:28
外道を其方様に御返しします。


大日本帝国陸軍の最強師団はどれだ?
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1091809699/

851 :名無し三等兵 :2005/11/16(水) 03:01:47 ID:mO7LzHwI
>>849
マレー戦で、広島第5師団(鯉)に「一支隊をメルシン方面へ」との
救援要請の件もあったか。
「第五師団としては、最も敵兵力の多い、しかも幾十段と構築された
陣地帯を突破しつつ前進していたので、そうそう余力はない。
両翼師団(近衛師団と久留米第18師団の菊)の不甲斐なさには腹が
立ってくる。」
マレー戦での主役は広島師団であり、久留米と近衛は脇役じゃ。
それともなんじゃ、広島師団より活躍したと言う根拠はあるんか。
久留米56D(龍)も雲南での善戦は認めるが、負けいくさじゃ
ないんかいのう。
根拠ものうて、広島5D(鯉)や39D(藤)を愚弄すなや。

592 :天之御名無主:2005/11/16(水) 20:46:09
喧嘩をやめて〜
 
 ふたりを〜 を止めて〜〜

593 :天之御名無主:2005/11/16(水) 21:23:59
蘇我の蝦夷はなんでこんな名前なん?

あと広島のボケは「ギギギ」とか言ってみろw

594 :天之御名無主:2005/11/17(木) 03:28:48
ぶっちゃけインド起源じゃねえの?
ナガスネヒコ:ナーガ
これはあまり知られてないみたいだけど兄がいて
安日{アヒ}サンスクリット語で蛇
電波っぽいが日ユ同祖よりはありえそう


595 :天之御名無主:2005/11/17(木) 04:55:06
入鹿の父ちゃん

596 :天之御名無主:2005/11/17(木) 18:58:26
>>593
強いものの代名詞だったから?それとも自分が倒した敵の名前だから?

597 :天之御名無主:2005/11/17(木) 23:49:54
>>593
596の、強いものの代名詞だったから?でいいと思う。
蝦夷・毛人⇒東国の強い者、ってな意味であやかって付けてるんじゃないか。

渡来人スレにレス返さなくちゃ。。。

598 :天之御名無主:2005/11/18(金) 02:47:29
>>597
蘇我氏の高麗、稲目、馬子、入鹿が強い者の代名詞?

599 :天之御名無主:2005/11/19(土) 07:20:53
>>194 >>98 >>75で蘇我蝦夷の話題出てたんだね。気付かなかった。

>>598
蘇我蝦夷の事だよ。
蘇我氏には百済系説も根強くて、名前の高麗、韓子から百済なんてのもあるけど
どうかなあ?
満智=百済重臣の木満致、同一説とか。これらとは逆に、葛城氏説が対立。

物部氏の遠祖、伊香色雄命なんて名前にも、強さが現されてるんだろうな。


古代朝鮮の事なのに、擁護っぽいレスすると大変ね、古代史スレは。
俺は江戸時代の方が好きなんだが、スレも人も少ないんだよなw
さっきレスしたが・・・

600 :天之御名無主:2005/11/19(土) 12:30:52
>>599
麗奈、幹子などの女性の名前は百済系だということですか?

601 :天之御名無主:2005/11/19(土) 12:45:59
広島は東国人の血が濃いの?
なんとなくそんなきはするけど

602 :天之御名無主:2005/11/19(土) 12:46:55
東国の血が濃いっていうことは渡来人の血が濃いって事だろう。
東京アクセントの地域は明らかにその傾向ある

603 :天之御名無主:2005/11/19(土) 12:52:15
>>602
東京アクセントって山口県アクセントでしょ?桂小五郎って本名朴って本当?

604 :天之御名無主:2005/11/19(土) 12:54:28
東京アクセントはまさに渡来系の臭いがするんだよね〜
山口、豊前あたりの言葉がそのまま関東に移転した感じだし。


605 :天之御名無主:2005/11/19(土) 12:57:58
だから、それは軍事国家時代に便宜上共通語、標準語を作るにあたって作られたものがその基礎を山口弁に置いていた、そういうことでしょ?

606 :天之御名無主:2005/11/19(土) 13:06:52


「おのづから をしへにかなふえぞびとが
       こころにはぢよ みやこがた人」
       
       −−松浦武四郎『近世蝦夷人物誌』より

607 :天之御名無主:2005/11/19(土) 13:07:36
慶応創設の人も大分出身だし、豊前長州と関東は
古代から一蓮托生な感じがする。

608 :天之御名無主:2005/11/19(土) 13:10:59
広島ってのはいろんな意味で凄い中途半端な気がする。


609 :天之御名無主:2005/11/19(土) 13:18:00
伊達上野介、吉良上野介っていうのの”上野”って言うのは、=「wealloo」だと思う。
で、吉良=Kill A=K, ill A=「wealloo」だと思う。

610 :天之御名無主:2005/11/19(土) 13:34:45
>>607
大分って豊後じゃね?

611 :天之御名無主:2005/11/19(土) 13:44:15
豊後杵築っていう地名は出雲神話になかったけ?


612 :天之御名無主:2005/11/19(土) 13:56:15
大まかにいって福岡の宗像と大分の佐伯を結んだ線の
東側は九州と関西と関東の文化が混在した感じがする。
苗字も関東系の苗字、関西系の苗字が多く。
実に奇妙である。


613 :天之御名無主:2005/11/19(土) 14:08:49
松本とか西川とか鈴木とか
明らかに関西人、関東人の名前が多すぎる。
実に奇妙である。

614 :天之御名無主:2005/11/19(土) 23:54:00
>>601
東国武士の西遷によるところも多い。
「鎌倉中期以降になると惣領が一族郎党を率いて本貫の地を離れ、
続々芸備の山野に移住してきた。後世名の著われた小早川、吉川、毛利、
熊谷、山内などみなその例にもれない」(後藤陽一、広島県史)
他に、下野国の阿曽沼氏、出羽国の平賀氏、武蔵国の多賀谷氏等もそうで
ある。小豪族まで加えると広島市付近でも武蔵の金子氏、相模の香川氏等
は、承久三年じゃったか。
山口県の大内氏や岡山県の宇喜田氏などは、地元豪族出身
(両氏とも百済系説あり)。

615 :天之御名無主:2005/11/20(日) 00:18:40
九州も無茶苦茶関東のトライ人が入ってるよ。
武藤、渋谷、、島津、筑紫哲也、麻生太郎
全部関東人だぜ。


616 :天之御名無主:2005/11/20(日) 00:25:57
とにかく関東人というと朝鮮くさー

617 :天之御名無主:2005/11/20(日) 00:36:50
関東、近畿人の西遷は近畿以西の西日本ではくびきみたいなものだな

中国地方はまだ地元出身の豪族がいるが、九州、四国に至っては
いないきがする

618 :天之御名無主:2005/11/20(日) 01:14:41
>>615
哲也かい
東北、九州高校サッカーは関東の血が入ってるな

619 :天之御名無主:2005/11/20(日) 01:19:13
>614の続き。関東人の板坂康弘氏は、広島県人について
「広島県人形成の初期に、はるか関東から数多くの蝦夷が移入した事実に
わたしは興味をひかれる。阿岐国造は、瀬戸内海を越えて怒麻国造や
奥羽地方の国造の祖となっている。(中略)佐伯部が阿岐国造の領地に
沢山移住してくる理由もこの辺にありそうである。」

「備後・安芸の任地に赴任した関東武士の末裔が非常に多いのである。
隣の山口県や瀬戸内海を渡った愛媛県とは相当に違う血脈なのだ。」
「関東武士の血脈は鎌倉以来の七百年の歳月の間に広島県人に溶け込み、
独特の県人気質を作り上げたひとつの要素となった。(中略)
蝦夷と関東武士の血が濃いことがおわかりになったはずである。」
とされる。
板坂氏は関東的視点で「勝気で野心的な云々」と概ね広島県人を良くは
書いとらん本じゃわい。広島人は、勝気であっても、野心的じゃないど。

620 :天之御名無主:2005/11/20(日) 01:25:55
そうか、九州の場合上層階級だけが関東、近畿人だったが
広島は住民構成変えるほど入ってるのかもな。

621 :天之御名無主:2005/11/20(日) 01:26:55
板東英二は高知出身だが明白

622 :天之御名無主:2005/11/20(日) 01:35:17
広島になぜ関東武士が大量に赴任したのか知りたい。
未開地域が多かったせいだろうか?
広島の方言も独特である。
香川、徳島の関西弁。
愛媛、山口、大分の瀬戸内の方言とも異なる。

623 :天之御名無主:2005/11/20(日) 01:44:53
亀井って出雲、安芸?
ところで、瀬戸内の地名って大分、愛媛、広島、香川共通点多い。
佐伯とか杵築、安芸、八幡。瀬戸内文化圏は確実に存在する。

624 :天之御名無主:2005/11/20(日) 01:55:45
「県人気質を解剖する」に広島県の歴史的背景が出ている。
http://www.pref.hiroshima.jp/sukoburu/vo5/01-2.html


625 :天之御名無主:2005/11/20(日) 02:34:26
>>619
板坂康弘で検索したら、官能小説家が出てくるんだけど名前合ってる?

歯ブラシの刺激
妻の痴態
瀬戸の情人たち
小悪魔
裸体の截毛師
競輪ギャルは穴が好き
へのこ
レイピストの純愛

626 :天之御名無主:2005/11/20(日) 02:50:30
>>619
すまん、すまん。>>624のサイトに出てるね。別人だろうな。。

 板坂康弘『日本人研究』
県人気質のルーツの一つは関東地方との交流にあると記す。
源氏が鎌倉幕府を開くと、平家の勢力が強かった広島に大量の関東武士が送り込まれてきた。
その結果、当時の関東地方の人の武骨さと積極性、瀬戸内海地方の人の現実感覚とが融合。
積極的で勝ち気だが、現実的なバランス感覚も忘れない県人気質ができあがったのだという。

627 :天之御名無主:2005/11/20(日) 07:57:41
>>625
へのこって何よ

628 :天之御名無主:2005/11/20(日) 23:11:17
ティムポのこと

629 :天之御名無主:2005/11/21(月) 02:37:13
>>622
関東武士が広島に大量移住は、承久の乱や元寇の異国警固、防戦任務と
異変のあった時期に赴任した例が多い。
>>623
亀井氏は備後北部。
佐伯部は蝦夷であり『日本書紀』の「景行記」巻七に、朝廷に献上した
蝦夷に獣心があるため播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波の五国に移し
佐伯部の祖となったと出ておる。
それとは別に「仁徳記」巻十一では、天皇の情をよせた鹿を知らずに
獲って献上した佐伯部は、とがめられ安芸の渟田(ぬた)広島県三原市の
沼田(ぬた)川流域に移した。これが渟田佐伯部の祖となった。
両方とも所払い、追放となっとる。
広島市西部の佐伯区から廿日市は、昔は佐伯郡(安佐地区も含む)で
あり、厳島神社の祭祀も平安期は佐伯氏の世襲であった。

630 :天之御名無主:2005/11/24(木) 22:41:17
>>482
童貞大百科

631 :天之御名無主:2005/11/24(木) 22:46:56
>>499
>目がパッチリしててマユや睫毛が濃くて酒が好きで
>縄文っぽい人で上流に居る人を、みたことがない。

表社会では露出されていないだけです。
裏社会とかフィクサーとか、そんな顔の人が
うーようよいますよ。なぜか多いとすら云えるw
土方にも多いのは認める。色白薄目の土方って、いねえよな。職人には多いけど。

632 :天之御名無主:2005/11/24(木) 22:54:40
>>510
>郷里周防(山口県)では権力による
>秩序があり、階級秩序に屈する気持ちが残っていた。それに対し藩の
>直領であったところは、階級的秩序は乏しく、更に芸備(広島県)の方が、
>階級性に乏しいとされる。

それ、おれんちの歴史でよく実証されているよ。末路の傍系の俺は本籍目黒区だけど。
その風習もその気概も昭和中期まで色濃くあった。
まあ戦後土地開放政策によって風習のほうは見事に瓦解、今はよう分からんように
なってしまったが。昔を知る人はことごとくお亡くなりになり、な。

633 :天之御名無主:2005/11/24(木) 23:11:49
>>571
八墓村のモチーフになった事件だよね。
村のアイドルが自分にだけは夜這いを拒んだっつって、
今までの不満が形而上的に高まって反抗に走った。(字間違えてないよ)
俺、それについての本を中学の時地元の本屋で立ち読みでイッキしたんだけど、
今時の本屋じゃ置かせてもらえんだろうし、読ませて貰えないよな・・・
マジ、書棚の前で脚ブルブルいわせてたもんな。
良い時代だった。

634 :天之御名無主:2005/11/25(金) 12:03:55
>>631
>色白薄目の土方って、いねえよな。職人には多いけど。

確かに。ドカタは濃いのが多く見える。

635 :ヤチャータ ◆WOLF//4NCo :2005/11/25(金) 12:26:25
農業・林業・漁業・建築・土木・道路・etc ・・・
長い年数で放射線浴びてりゃ誰だって「濃い顔」になっちまうんじゃねーのか?



希望的観測って奴か?

636 :ヤチャータ ◆WOLF//4NCo :2005/11/25(金) 13:02:59
「放射線」は「紫外線」の間違い。

「蝦夷」の語源からやり直しじゃねの、このスレ?

637 :天之御名無主:2005/11/26(土) 12:49:53
うちの近所の工事現場じゃ色白薄目もいるけどな?
特に多いわけじゃないが、普通の割合でいるように見受けられる。

638 :天之御名無主:2005/11/29(火) 23:56:34
教えて下さい
蝦夷のもっていた文化のついて確実なことにはどんなものがありますか?
蝦夷の民俗について知ることの出来る資料はありますか?


639 :天之御名無主:2005/11/30(水) 17:31:32
日本書紀w

640 :天之御名無主:2005/11/30(水) 23:34:29

続日本紀

641 :天之御名無主:2005/12/01(木) 10:47:15
ありがとうございます。とくにどんな民俗をよみとれますか?

642 :天之御名無主:2005/12/01(木) 12:11:45

続日本紀 都人の蝦夷への恐怖とあこがれがいりまじった感情

643 :天之御名無主:2005/12/01(木) 15:59:12
防人の万葉語が達者なのはどうしてだろうか


644 :天之御名無主:2005/12/05(月) 17:48:26
2005年12月5日山陰中央新報掲載
 「松江で初の出雲学フォーラム
    近代日本は「出雲」を排除」
明治学院大学原教授講演「国家思想の鍵説く」

645 :天之御名無主:2005/12/15(木) 01:36:44
>>511
「菊池政彦」でググると探偵ファイルが捕まえた痴漢にたどり着いたよ
たぶん同一人物だろうね。とことんカスだわ。

646 :645:2005/12/15(木) 01:38:51
てか、同一人物でしたw
http://chiba.cool.ne.jp/maririnmanson/kakomono2.htm
http://www.redrival.com/lazy/person.html

647 :天之御名無主:2005/12/15(木) 02:48:35
熊本から来たっていう菊池一族?

今月のテーマは、「菊池一族の興亡」です。


九州一の渓谷美で人気を集める菊池渓谷と、なめらかな泉質を誇る温泉のまち菊池市。母なる大河・菊池川の上流にあるここ菊池市には、もう一つの顔があります。
中世の肥後最大の豪族・「菊池一族」の本拠地だった歴史のまちです。市内各地には本丸跡の菊池神社をはじめ、一族の墓、菩提寺が点在し、
中世一途に殉じた武士の魂が今も伝わってきます。今回は菊池一族の約500年にも及ぶ"大歴史絵巻"をご講和頂きました。その要旨をご紹介します。

ふるさと寺子屋塾<No.7>
http://www.kumakanren.com/magazine_terakoya/Number_7.html

648 :天之御名無主:2005/12/22(木) 22:07:04
それではみなさまご唱和くださいっ!

アテルイマンセー!


649 :天之御名無主:2006/01/22(日) 11:14:40
かの東夷は狂暴で陵辱も恥じず、村に長もなく各境界を侵し争い、
山には邪心、野には姦鬼(かんき)がいて往来が防ぎ多くの人を
苦しめている。その東夷の中でも蝦夷は特に手強い。男女親子の
区別もなく、冬は穴に寝て夏は木に棲む。毛皮を着て血を飲み、
兄弟でも疑い合う。山に登るには飛ぶ鳥のようで、草原を走る様
は獣のようだという。恩は忘れるが恨みには必ず報いるという。
矢を髪を束ねた中に隠し、刀を衣の中に帯びているという。
あるいは仲間を集めて辺境を犯し、稔りの時をねらって作物をかすめ取る。
攻めれば草に隠れ、追えば山にはいる。それで昔から一度も皇命に従った
ことがない。

毛皮着て悪さばっかりしてるキチガイが蝦夷
それは今でも変わらず、ろくな事しない

650 :天之御名無主:2006/01/22(日) 23:55:06
久々にレス付いたと思ったら基地外かよw

651 :天之御名無主:2006/01/23(月) 08:13:25
平氏(赤旗=先住民の色)はどこに拠点があった?
源氏(白旗=朝鮮人の色)はどこに拠点があった?
南朝はどこに拠点があった?北朝はどこに拠点があった?
水神と共に祀られる平氏、水神といえば西日本だよね。
平氏も貴族だから朝鮮の血は濃いよ、しかし先住民の
反乱だったんだ。あれは単なる権力闘争じゃないんだよ。
南朝しかりだ。よーく考えよう。
記紀、倭人伝、東夷伝、風土記をよーく読もう。
先住民はいま朝鮮人(源氏=東日本人)により根絶やしに
されようとしているのである。

652 :天之御名無主:2006/01/23(月) 22:17:04
ウリは日本を支配してるニダ
うぇーはっはっはっはっは

653 :天之御名無主:2006/01/23(月) 23:34:45
東日本にも平氏はいるよ。奥州葛西氏とか。北海道にもいっぱいいるだろうし。

654 :白馬青牛:2006/01/24(火) 02:47:29
>>649
水神の分布は何処に?形質や遺伝子から大雑把に西日本が渡来系、
東日本が先住民系であろう。社会構成は別であるが。

655 :天之御名無主:2006/01/24(火) 08:51:08
御井神、玉垂命

656 :天之御名無主:2006/01/24(火) 08:52:47
形質も古墳期で既に渡来系質で
東日本が西日本のそれを超え
眼窩の突出が見られている。

657 :天之御名無主:2006/01/24(火) 14:10:45
133 :日本@名無史さん :2006/01/24(火) 13:35:53
新羅は出雲人の国
http://makimo.to/2ch/mentai_whis/980/980828553.html

134 :日本@名無史さん :2006/01/24(火) 14:00:44
新羅人は出雲・丹波・但馬人(銅鐸=鈴、五十猛)かもしれないが。
出雲系が純粋な倭系とは思えない。

彼らは少なからずその前に高句麗の影響を受けている。
だから出雲系(出雲人、初期近畿人、関東東北人)は
当初は高句麗との混血であり、更に新羅からの渡来人と
混血したと考えられる。
だからあそこまで高句麗、新羅文化に拘りがあるのです。

658 :天之御名無主:2006/01/24(火) 22:42:13
>>654
変態は来るな!

659 :白馬青牛:2006/01/25(水) 00:38:56
>>656
単一標識では根拠に薄い。上顔高、頬骨弓幅も含め総合的に判断した
ものでは無かろう。
>>658
罵倒しか出来ん馬鹿たれが、人に指図すなや。

660 :天之御名無主:2006/01/25(水) 03:37:18
>>659
>上顔高、頬骨弓幅

古墳時代の混血の進んだ、文明が行き渡り均質化した
各地域の人の人骨で比べるべきです。

弥生時代は集落毎に異なる性質を持つ、学者が先入観で、
特定部落ばかりのデータを取ってるとも限らない。
事実、そのデータの取り方に疑いはあるように思う。
それに休題の先生の説は眉唾もの、国文専門の人は
確か國學院出身で。

彼らのいう、博多を中心とした弥生人東征説なんて
今時古い。

661 :天之御名無主:2006/01/25(水) 03:39:28
邪馬台国は北部九州(宇佐八幡を中心か?)とした本州政権に対する
クーデター政権かもしれない。
元々伊都国、奴国、など筑前、豊前は本州政権の支配下にあったが
その臣民は南の狗奴国的な人達が多く、本州政権に対する
不満が高かった。そんな中、邪馬台国(宇佐?あるいは近畿の一部)
が主導的な立場に立ちこの地域を中心としたクーデター政権を
たてた、それが女王国邪馬台国ではないか?
そうすると、女王連合国家の首都は小城であっても、近畿であっても
小城の土蜘蛛征伐等の関係で否定材料とまでは言えないかもしれない。
(ちょっとわかりにくい文書いてしまった〜)

狗奴国とはその女王国とも本州政権とも連合を組まない
熊襲、熊民、隈民、蘇民、土民だったのである。
狗奴国の人達は頑なに火、水信仰(玉垂命)をもっていた。

662 :白馬青牛:2006/01/26(木) 01:06:39
>>660
特殊部落のデータとは何か。具体的にどの地域か指定されんとあんたは、
嘘つきになるど。
時古いという限り、その違うデータとやらを発表していただきたい。

663 :天之御名無主:2006/01/27(金) 19:51:04
佐伯は古代から鳥日子なので朝鮮人確定では?



664 :天之御名無主:2006/01/29(日) 18:56:21
縄文人は寒冷地適応せずにシベリアから南下したと思う。
シベリアで寒冷地適応小進化した一団が大陸海岸部を南下。
江南の文化携えて渡来したのが多分弥生人・
弥生人も縄文人もルーツはいっしょかな。
だからこそ二つの民族は融和したんじゃろ。

665 :天之御名無主:2006/01/29(日) 20:08:51
先週阿寒のアイヌコタンに行ってきた。
彫りが深くて(男女とも)かっこよかった。

666 :天之御名無主:2006/01/30(月) 13:32:01
混じってるからな。

667 :天之御名無主:2006/02/06(月) 11:31:50
「日本文明の基層は縄文と弥生のハイブリッドシステム」
日本文明の特色は、一言で言うと「縄文と弥生の融合」
ということになると思いますが、その融合というものを
最初に達成したのは、古代出雲王朝であろうかと思います。
出雲王朝は邪馬台国よりも40年前に出現し、東西日本の
分け目となるフォッサマグナを超えた連合政体を日本海側
に実現しているからです。現在でも太平洋側はここを境に、
東は縄文的西は弥生的な名残が残っています。一方日本海
側はあまり明確でなく、山陰の出雲弁と東北弁が類似して
いるといったことが見受けられます。

一方、古事記/日本書紀などのような日本最古の文書も
縄文と弥生の葛藤と融合がイザナミとイザナギの国産み
神産みの物語として描かれています。しかし最終的には
縄文が弥生に席巻され、イザナミは死に、出雲と伯耆の
境、比婆の山に埋葬されてしまったのです。縄文のシン
ボルとしてのイザナミは一体どうなったのかあまり手が
かりはありませんが最近の考古学には目覚ましいもの
があります。それで私などは、島根県と鳥取県の県境付
近の考古学的ニュースには目が離せないのです。 


668 :天之御名無主:2006/02/07(火) 19:53:53
混血、とか混ぜ合わせと言うとナンですが
「ハイブリッド」つうたら、なんかカコいい!

669 :天之御名無主:2006/04/12(水) 01:49:25
承久の乱
後鳥羽上皇は、治天として専制的な政治を指向し、幕府の存在を疎ましく感じていた。
実朝の暗殺を幕府の混乱・弱体化と見た後鳥羽は、幕府打倒を計画するようになった。
そして、1221年(承久3)5月、後鳥羽は北条義時追討の院宣を発した。
それまでの歴史から後鳥羽は、ほどなく義時が討ち取られ、
関東武士たちも帰順すると見込んでいたが、幕府側は、頼朝以来の御恩を訴え、御家人の大多数を味方につけた。


そして、短期決戦策を採り、2ヶ月も経たないうちに朝廷軍を打ち破った。


幕府側の主導で戦後処理が進められた。主謀者の後鳥羽上皇、そして後鳥羽の系譜の上皇・天皇が流罪に処せられ、
朝廷側の貴族・武士も多くが死罪とされた。
当時の人々は、治天の君をはじめとする朝廷側の上皇・天皇・諸臣が処罰される有様に大きな衝撃を受けた。
当時の社会における価値観は正反対に転換してしまった。
朝廷の威信は文字どおり地に落ち、幕府は朝廷監視のために六波羅探題を置き、
朝廷に対して優越することとなった(完全ではないが、少なくても幕府の決定を朝廷の決定が公然と破る事は出来なくなった)。

乱直後、朝廷は、次代の天皇を誰にするかを幕府へ諮った。
これ以降、朝廷は治天・天皇を決定する際は必ず幕府の意向を確認するようになった。決して幕府が望んだ結果ではないが、
朝廷と幕府の立場が逆転したことを物語る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B9%95%E5%BA%9C

670 :天之御名無主:2006/04/12(水) 01:51:15
関が原の戦いでの東軍の大勝利、全て関東武士の輝かしい功績だよ。

無敵・関東武士軍が、西軍を、かんぷなきまでに叩きのめしたのだ。

悔しかったら、なんか言ってみろ、バ〜カ。W


>西軍敗走


>西軍総崩れとなるなか、島津義弘隊が一斉に鉄砲を放ち、家康本陣側を通り抜け撤退するという、「前進撤退」を開始。
>この行動に福島隊ですら腰が引いたとされる。また、追撃した部隊のうち井伊直政と松平忠吉は狙撃され負傷し、
>本多忠勝は乗っていた馬が撃たれ落馬した。島津隊は島津豊久や阿多盛惇(長寿院盛惇)を犠牲にしわずか80前後の手勢となりながらも撤退に成功した。
>盛惇は、義弘がかつて秀吉から拝領した陣羽織を身につけ、
>義弘の身代わりとなって「兵庫頭、武運尽きて今より腹を掻き切る」と叫んで切腹したと言われている。


>他の西軍部隊は壊滅あるいは逃走した。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%81%8C%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

671 :天之御名無主:2006/04/12(水) 01:54:49
関東武士は長頭で、その後頭部つまり後頭葉は視覚を司る部分らしい。
空間把握能力に長けていた結果、弓や射撃の名人、騎馬や剣術の達人が多かった。
弓の達人といえば那須与一、剣術の達人といえば新選組の局長・組長クラスが有名だな。
長頭の白人や狩猟民族アイヌは武勇に優れていた。

短頭の民族(アジア系)は車の運転が下手として知られてる。
ハリウッド映画ではアジア女性の運転下手は揶揄されてる。
白人女性は運転はへただが、とくにアジア系女性は輪をかけて酷いらしい。
これは女の脳が空間把握する部分が足りないためだ。

アジアの農耕民族は、狩猟を必要としなかったために短頭化が促進され
白人は狩猟民族が長かったために視覚を司る後頭葉の拡大がすすんだ。
短頭のスラブ民族(スキタイ人)も農耕民族である。

つまり短頭の本家朝鮮人や関西朝鮮人は車の運転がへた。

顔がブサイクの上に車の運転がへたなんて、つくづく気の毒な人種だな。


何時だったか鎌倉時代の人骨が鎌倉から大量に掘り出されたが、ほとんど縄文人と区別つかなかったそうだ。
つまり、14世紀になっても関東の大部分は縄文人の直系とその混血系が多かったということ。

関東人は長頭、朝鮮人は超短頭。
とくに鎌倉から発見された頭骨900体あまりは白人並に長頭。

鎌倉市材木座の八幡宮参道沿いで、一の鳥居のすぐ東隣から、元弘三(1333)年五月
の新田義貞の鎌倉攻めの時の戦死者と推定される人骨が、1953年から1956年にわた
る三回の発掘によって、少なくとも910体も発見された。

672 :天之御名無主:2006/04/12(水) 03:07:32

朝鮮デムパは糞ガセばかりであらウジャーイ!

673 :天之御名無主:2006/04/12(水) 06:55:05
やっぱ「関東武士」ってのは俘囚軍の伝統ひいた縄文系戦士だと思う。

674 :天之御名無主:2006/04/12(水) 17:53:52
高句麗人ってのはもともと普通の農耕民。
関東に入植したことは事実だがわずかだし武士の起源とは関係ない。

675 :白馬青牛:2006/04/13(木) 23:32:30
ほう、しばらく書かん間にスレが進んどるのう。
>>671
白人に劣等感が強いようじゃ。遊牧騎馬民族の典型の短頭型白人種の
イラン系スキタイ人をスラブ人とし、超短頭のモンゴル人も含め騎馬が
下手という根拠は如何に?
材木座人骨は、東大人類学教室に運ばれ鈴木尚氏らにより研究され、
長頭で鼻が低く反っ歯等の特徴があった。鼻ペチャの白人はおるんかのう。
黒人種には長頭が多いのでおろうが、白人を強調する処が人種厨らしい。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/19256
の「牛若丸こと義経は出っ歯だったか?」にも鈴木尚氏の鎌倉武士たちの
骨の研究の記述もあるが、日本人全般(博多の例を含め)長頭傾向にあり、
弥生系の人々と言うことは、新モンゴロイドで(奥州藤原氏のミイラも
含むが)、縄文系の古モンゴロイドでは無いのであろう。ほいで長頭、
鼻が低く、出っ歯や反っ歯じゃった。まあ関東人は縄文直系ではなく、
東北や琉球と比べると北方新モンゴロイドの割合が強いであろう。

676 :天之御名無主:2006/04/14(金) 00:10:07
>>671

適当な発想


医学や学術的根拠も何も報告もされてない。


空間認知力 欠けているのは大半は女性だとはソースを探せば出てくる。


後、関東武士は衰退していったしな

677 :天之御名無主:2006/04/14(金) 21:23:02
また来たのか
お国自慢広島師団へ帰りなさい

678 :天之御名無主:2006/04/22(土) 14:51:48
>古墳時代から鎌倉時代に、日本人が長頭になったんじゃなくて、
>長頭の縄文系日本人が、渡来式の埋葬をするようになっただけ。

>つまり、縄文時代や弥生時代には、長頭の縄文人の埋葬方法が粗雑で、
>遺骨が、後の時代に残りにくい為、貝塚などのCaに富んだ土壌でのみ発見される。

>しかし、古墳時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代ともなると埋葬方法も、ちゃんと墓穴を掘って遺体を埋めるようになってきたため、
>後の時代に遺骨が発見される数が飛躍的に増えた。

>それと、弥生時代の骨の調査で、渡来人が居住した地帯からの骨ばかりカウントすりゃ、
>あたかも、その時代の日本人が中頭だったかのような誤解を招く。

>弥生時代だって、日本列島に居住してる人の大部分は、縄文系日本人なのであって、
>埋葬が粗雑だったがために遺骨が残ってないだけのこと。

>それと考古学的関心が持たれる遺跡(集落とかクニとか鏡・剣・勾玉なんかが出る)ばかり掘るので、
>そこから出る骨は渡来系が多いのは当たり前。


>鎌倉時代には、まだ縄文人の系統が、鎌倉周辺ではマジョリティーだったんだよ。
>関東の武士団は、土着の地方豪族たちで、
>土着の地方豪族たちは、土着の農民らを兵としていたから、関東武士の骨が、縄文人の骨と区別が、つきがたいほど似ていた、
>ということは彼らが居住していたであろう鎌倉周辺は、14世紀になっても縄文人系が多かった。


>しかし、北部九州や畿内や山陰の古墳に埋葬されてる骨の多くは、短頭から中頭。それは何故か解るだろ?
>朝鮮半島や中国からの渡来人だからさ。

679 :天之御名無主:2006/04/22(土) 14:52:37
>78 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/27 23:20:26 ID:Uf/Cayc+
>>77
>え?基本的には縄文人は長頭だと思うが。
>短頭に近づくのは、弥生期初期ではないか。

>ソースは、
>池田なにがしの古人骨の本(講談社新書か、中公新書か、岩波新書)
>だったと思うが。

680 :天之御名無主:2006/04/22(土) 14:56:30
>>675
鎌倉時代の関東武士の全てが、縄文人の直系の子孫、
鎌倉時代の関東武士の全てが、縄文人と全く区別がつかなかったとは書いてないだろ。

鎌倉時代の関東武士は、掘りが非常に深く、長頭で、現代の典型的日本人とは、全く違うものだった。

渡来系・朝鮮系は、短頭から中頭だから、
鎌倉時代の関東武士は、少なくとも、渡来系・朝鮮系ではなく、
縄文人の形質が非常に強い、縄文人と渡来系弥生人の混血。

縄文人の歯は小さく、縄文人のアゴも小さい歯に対応したものとなっていた。
一方の渡来系の歯は非常に大きい。

混血によって歯が渡来系になり、アゴが縄文系になると、当然、歯が全て、アゴに、うまく収まりきらず、
歯並びが悪くなり、出っ歯になったり、八重歯になったりする。
歯の大きさは一度変化してしまうと、世代交代を繰り返しても、なかなか変化しないことが、わかっている。


>形質は、その時代の環境によって大なり小なり変化するのだが、
>人間においては混血でもない限り、その変化にも限界がある。

>中国人は古代から現代まで一貫して中頭。
>朝鮮人も三国志時代から短頭だったようだ。
>日本人は短頭化が激しく、かなり変化しているが、
>アイヌ人は古代から現代まで一貫して長頭だから、やはり日本人は環境からよりも、
>混血によって形質が変化したと見て良いだろう。

>特に20世紀以降の太平洋ベルト地帯に沿っての日本人の短頭化が著しいが、
>これは朝鮮併合による在日朝鮮人の影響や、
>朝鮮と同じで、短頭地域である関西地区の人々が、 鉄道などの交通機関の発達によって全国に拡散した影響だと考えられる。

681 :天之御名無主:2006/04/22(土) 14:57:37
>>675
古墳時代から鎌倉時代に、日本人が長頭になったんじゃなくて、
長頭の縄文系日本人が、渡来式の埋葬をするようになっただけ。

つまり、縄文時代や弥生時代には、長頭の縄文人の埋葬方法が粗雑で、
遺骨が、後の時代に残りにくい為、貝塚などのCaに富んだ土壌でのみ発見される。

しかし、古墳時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代ともなると埋葬方法も、ちゃんと墓穴を掘って遺体を埋めるようになってきたため、
後の時代に遺骨が発見される数が飛躍的に増えた。

それと、弥生時代の骨の調査で、渡来人が居住した地帯からの骨ばかりカウントすりゃ、
あたかも、その時代の日本人が中頭だったかのような誤解を招く。

弥生時代だって、日本列島に居住してる人の大部分は、縄文系日本人なのであって、
埋葬が粗雑だったがために遺骨が残ってないだけのこと。

それと考古学的関心が持たれる遺跡(集落とかクニとか鏡・剣・勾玉なんかが出る)ばかり掘るので、
そこから出る骨は渡来系が多いのは当たり前。


鎌倉時代には、まだ縄文人の系統が、鎌倉周辺ではマジョリティーだったんだよ。
関東の武士団は、土着の地方豪族たちで、
土着の地方豪族たちは、土着の農民らを兵としていたから、関東武士の骨が、縄文人の骨と区別が、つきがたいほど似ていた、
ということは彼らが居住していたであろう鎌倉周辺は、14世紀になっても縄文人系が多かった。


しかし、北部九州や畿内や山陰の古墳に埋葬されてる骨の多くは、短頭から中頭。それは何故か解るだろ?
朝鮮半島や中国からの渡来人だからさ。

682 :天之御名無主:2006/04/22(土) 15:00:26
承久の乱・関が原の戦い・大阪冬の陣・大阪夏の陣
での東軍の大勝利、
全て関東武士の輝かしい功績だよ。

無敵・関東武士軍が、
西軍を、かんぷなきまでに叩きのめしたのだ。


承久の乱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1

関が原の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%81%8C%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

大阪冬の陣・大阪夏の陣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E5%BD%B9

683 :天之御名無主:2006/04/22(土) 15:46:02
>>225
神君・徳川家康公は縄文系じゃん。

神君・徳川家康公像
http://www.hamamatsu.tokai-ic.or.jp/ieyasu.gif

骨の調査は、掘りが深く、鼻筋が通っていて、顎がガッシリしていて、
絵は、くっきり平行二重まぶた、
明らかに縄文系。

ただ、徳川家は、皇族・公家の娘を、何回か嫁にもらったから、
後世になっていくとだんだんと細身の顔になっていく。

それでも徳川慶喜公の写真は、渡来系には見えん。

徳川慶喜公
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Yoshinobu_Tokugawa_2.jpg


■徳川氏=松平氏の先祖は、
■奥三河・松平郷=静岡県の豪族。

■奥三河は、今でも縄文色が濃い地域。

■松平氏は、家康の数代前の時に、平野部の岡崎に進出してきた。

■>松平郷の環境そこは奥三河の深い山中の、田を造る平地もほとんど無い、小盆地である。従って生業を山に求めるしかない。
http://www1.odn.ne.jp/~cag38460/public_html/80matudaira.html

■>だいたい長野県と岐阜県の間に、人種的特徴の「縄文・弥生」区分線があるね。

684 :天之御名無主:2006/04/22(土) 17:47:23
家康は世良田の土着系、縄文系の郷士の血筋って説もあるな。

685 :白馬青牛:2006/04/22(土) 23:37:28
>>680681
縄文人も渡来系も80〜75の中頭で、鈴木尚氏の頭長幅示数によると、
縄文人よりも弥生人、更に古墳人の方が長頭の傾向にある。
歯の問題は、環境の変化も考慮に入れ、明解な答えは出せん。
弥生期は、山陽地方でも縄文型の人骨が多いので、古墳期に多くの人達が
渡来し、形質が変化したので、弥生人の北方渡来系はごく一部であろう。
関東では、三浦半島に弥生期渡来系の人骨も出ておるが、埴原和郎氏の
言われる斥侯的存在で、関東への大きな集団の殖民は古墳期となろう。
古墳期の関東でも縄文系が多かったが、西日本の中でも比較的に縄文系の
形質が濃い広島古墳人と較べ「関東古墳人は、顔面がきわめて低い
広島古墳人に似ているが、そのうえ低く広い鼻をもっている」と池田次郎氏
は、『日本人の起源』で云われたが、関東人は鼻ペチャ傾向にあったので
あろう。関東人は何故鼻が広がり鼻ペチャなんか?詳しく説明してほしい。

686 :白馬青牛:2006/04/23(日) 00:10:24
>>682
関東は、越後の奴隷民じゃったの誇りに思うんか別として、後北条氏は、
西日本からの流民出身じゃし、西日本人に支配された。戦闘方法も早雲が
紀州から呼びよせた乱波に学んだと云うことじゃろう。江戸期も経済的に
西日本に支配されたんじゃが。関東は近代の郷土兵団でも武勲に乏しいん
じゃないか。精強とは云えんよ。
>>683
陳舜臣氏は、ツングース系の満洲人について「徳川慶喜みたいな感じの顔が
多いね。」と『歴史の交差点』司馬遼太郎・陳舜臣・金達寿著、講談社、
P45で云うておられるが、西洋人のマルチン=マルチニも、満洲人の
容貌を整っておると誉めておる。明治期のお雇い外国人ミルン・ベルツ
博士も、本州西南部に多い長州型、高貴なタイプは、満洲由来として
おられる。残念じゃが、広島県は古代から縄文型も多く、関東武士の血も
濃いので、縄文系・関東系の顔の不細工さを受け継ぎ、全体的に山口県ほど
美形じゃない。

687 :天之御名無主:2006/04/23(日) 12:23:46
確かにそう思う。
広島、山口いずれもよく行くので顔の傾向を知ってるが
広島はブス(失礼)、山口は綺麗というのはみんなの見方ではないか?
広島のブスがどこ由来かはともかく山口の美形は
満州族、女真族の美形のイメージにピッタリです。
特徴として長州の顔は朝鮮顔とは違う面長で適度に凹凸があり
色白でクールな顔。
東北に嫁入りした満州女もそういう顔であった。
長州型の顔は基本的に満州由来なのではないか?
古代朝鮮族と地の縄文人との混血なども考えられる。

688 :天之御名無主:2006/04/23(日) 12:25:07
アイシン神楽付議

神楽、神楽


689 :天之御名無主:2006/04/23(日) 13:36:56
広島牛に聞きたい。
よく、関東東北人が褒め称える
山陰は美人が本当に多いのか?


690 :天之御名無主:2006/04/23(日) 16:59:06
下関、宇部など
山口は西部が綺麗で
東部は朝鮮ブス多し

691 :白馬青牛:2006/04/23(日) 23:54:36
>>687
広島はブス(附子)?わしは、郷土の女性が附子とは言うとらんのじゃと
弁解しとくよ。あなたは、広島の女性を敵にまわしてしもうた。
いびせえ(恐ろしい)わい。
山口の女性が女真美女の系統を受けておると思うのは同意する。
広島は、山口ほど面長でなくモンゴル寄りの顔が多いと思う。
古老の方が言われる、昔からの広島人の典型顔(不細工は典型顔とならん
のは全国でもそうじゃろう)とするのは、男性では「七人の侍」に
出ておられた俳優の木村功さん。女性では、今もTVでおなじみの
阿川佐和子(父、弘之氏は広島出身)さん。じゃそうな。
わしも、なるほど広島顔の面影があると思うが、女優の東ちずるさんの様に
余り面長でないモンゴル的容貌も多い。

692 :天之御名無主:2006/04/24(月) 00:17:20
そっすか、ブスは言い過ぎましたね。
しかし、広島といって美人が思い浮かばないというのは
どうしたもんか、目がパッチリした美人も山口
特に下関界隈に多いようにおもうが

693 :白馬青牛:2006/04/24(月) 00:24:14
>>689
山陰と言うと、出雲美人(島根東部)のことか。島根西部や鳥取西部は、
美人が少ないとされるらしいが、実際は人それぞれと言うとくよ。
美人の産地等は、秋田美人が昭和初期の花柳界の女性から広まった様に、
世評はあてには出来ん。出雲美人の起源も何処まで歴史を遡ることが
出来るか解らん。わし自身の感想では、出雲は美人が多いと思う。
知人の出雲人に聞いたところ、出雲顔の典型は、男性では俳優の
佐野史郎さんを挙げとったが、女性の典型を挙げるのは、難しいそうじゃ。
>>690
周防は、長門と違うと思うが、周防の女性に面と向こうて、よう言えんよ。
周防の女性にまで、憎まれるつもりはない。

694 :天之御名無主:2006/04/24(月) 00:50:51
日本人と一番にてる民族は満州族だと思う。


695 :('A`):2006/04/24(月) 08:04:48
ある日突然表れた文明、シュメール文明。シュメール人は満州までの足跡は残されている。古代満州の地域に大国があったのは高句麗です。その高句麗(満州国)と兄弟国が当時の東北地方一帯とした王国なのです。

696 :天之御名無主:2006/04/24(月) 08:12:36
神武天皇が東征する前の大和は、長髄彦が治めてました。その長髄彦が神武天皇に敗れ、一族と共に東北に逃れたのです。当時の東北にはアソベ王朝、ツボケ王朝と古代から続く王国がありました。

697 :天之御名無主:2006/04/24(月) 08:21:25
長髄彦一族はその王国に亡命して共存したと考えられます。やがてアガラハバキ族となり荒吐王国となって、大和朝廷と交戦します。幾度なく大和を侵攻して天皇を権立させます。「孝○」天皇や、開花帝などがそうです。

698 :天之御名無主:2006/04/24(月) 08:28:50
長髄彦一族の末裔は、滅ぼされたかのように衰退しますが、生き残っていたのです。安東氏がそうです。安東氏一族が津軽の王となり、独立した共和国を創ります。

699 :天之御名無主:2006/04/24(月) 08:36:30
1562年、ベリルによって製作された世界地図には、日本列島の東北から北は「BANDOY」と表されています。BONDAY王国は、外交交易も、中国、朝鮮、アラビア、ヨーロッパと盛んであり、地図で証明されてるように、ヨーロッパから共和国として認知されてたのであります。

700 :天之御名無主:2006/04/24(月) 08:59:17
日本に住んでるいる以上は、日本人なのですが、「元は多民族」なのです。明治時代から大和民族と証志ますが…。本来、日本は古代から合衆国であり、多民族であったのです。

701 :天之御名無主:2006/04/24(月) 18:32:30
>>678
認められて良かったな
↓同じコピペ

210 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/24(月) 11:35:49
>>208
その通り。

繁殖率と遺伝優勢もある。
短頭・中頭・眼窩上隆起低>長頭・眼窩上隆起高
統計的には確認していないが、
個人的観察では、眼窩上隆起低>眼窩上隆起高の優勢遺伝が認められる。

702 :天之御名無主:2006/04/24(月) 19:01:09
そうか?眼下が高い(デメキン)のは東北人の特徴だが
九州人は眼下が低い(奥目)、そのような優劣はないのでは?
AB型のように混在して中間遺伝するタイプだろう。
遺伝のすべてに優劣がある思ってる椰子


703 :天之御名無主:2006/04/24(月) 19:06:16
古墳時代以降
極度の眼窩の突出がみられる
東北・関東人は
別の新モンゴロイドの混血である可能性が考えられる。
ツングースでもエベンキか朝鮮タイプではないか?
蝦夷征伐の際の絵巻でも蝦夷はデメキンの化け物に描かれていたように
記憶している。

山口はおそらく満州人タイプである。
九州は奥目のタイプが本州全土に比べ著しく多い。
あくまで観察によるものだけれど
ほぼ当たってるだろう。



704 :天之御名無主:2006/04/24(月) 19:18:26
アイヌから渡辺構造、鈴木宗男、小沢一郎顔に
なるにはあまりに無理がある。

ふつうに全く別の人種に入れ替わったとみるのが妥当である。
実際、東北・関東は日本で
もっとも天孫系の名字が多い。
東北関東は全く別の人種に入れ替わったのであろう。



705 :天之御名無主:2006/04/24(月) 23:13:52
アテルイの地で生まれ育った私が来ましたよ
なんか質問ある?

706 :白馬青牛:2006/04/24(月) 23:16:30
>>702703
わしが、東北地方に行ったとき出目キンが多いと思うたが、中国南部にも
多い型でもある。森脇和郎氏のノネズミの遺伝子でも東北は、
東南アジア型であることも関連するか、どうか。
九州でも北部は奥目と言うより、扁平の顔が多いであろう。
韓国から日本へ戻って、釜山に近い顔は、山口の下関より、九州の
博多の方が多いと思うたよ。

707 :705:2006/04/25(火) 01:15:44
私と同じ苗字の同級生二人は出目系だよ
苗字には物部の眷属ぽい痕跡があるよ 偶然だろうけど
うちは爺さんの血が大和民族ぽい風貌にさせてるよ
ばあさんは奥目高身長だよ

混ざり具合はなんともならんかも
今じゃ伊達潘由縁の風習が主だし 鹿踊りがそう

金山跡あるよ 原体剣舞連も踊ったよ

ネイティブアメリカンのジェロニモとアテルイになんか通じるものを最近感じたりしてるよ
ケルトはEnyaしか知らないや そのうち調べてみます

708 :天之御名無主:2006/04/25(火) 07:24:57
>>686
>関東は、越後の奴隷民じゃったの誇りに思うんか別として、
ソースは?ソースがなきゃ誰も信じないよ。

709 :天之御名無主:2006/04/25(火) 22:21:24
>>705
アテルイ>>>>>(越えられない壁)>>>>>田村麻呂

710 :白馬青牛:2006/04/25(火) 23:16:42
>>708
ソースがなきゃ言うのは、お好み焼きに必要なお好み焼き用のソース
ぐらいじゃし、まあ、ソースと言う前に自分で本を読んで調べられよ。
こっちもネットで検索するのに時間をとる。
http://www.geocities.jp/bowen_dragon/taki/touken/zadankai07.htm
の越後勢の関東遠征における奴隷狩り、謙信自ら奴隷市場を開きは、
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-tradingofpeople.htm
に奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭ほどじゃそうな。
関東は、越後の越人「蛇族」の奴隷になっただけじゃなく、甲斐武田氏に
犯された事も含め、他国に蹂躙されると云うのは、そういうことじゃ。
関東が弱かったので、仕方がない。

711 :天之御名無主:2006/04/26(水) 16:41:55
そうか?
九州は目元引っ込んでる人が多いと思うが?
よっぽど朝鮮部落にでもまぎれこんだんでしょーよ。
博多や小倉あたりあると聞くしな
女も男も八代亜紀みたいな顔ばかりだと思う。

下関は山本譲二みたいな顔が多い。
演歌歌手ばかりですが

712 :天之御名無主:2006/04/26(水) 19:11:58
>>708
あなたの家計図を調べてみればいいじゃない

713 :天之御名無主:2006/04/26(水) 19:28:23
南部氏 ●南部鶴/割菱
●清和源氏義光流
 


  
 南部氏は清和源氏武田氏の分かれで、甲斐国南巨摩郡南部邑より興ったとされる。すなわち、新羅三郎義光の五世の孫にあたる加賀美次郎遠光の三男光行をもって祖とする。
 光行が南部の地を領して南部氏を称することになったのは間違いないが、『甲斐国志』はそれを南部御牧のこととしている。ところが、南部御牧の名は、他の如何なる中世史料にも見出せない。
しかし、南部御牧はなかったにしても、光行が南部を称したからには、名字の地となったであろう「南部」の地があったことは確かである。後代の系図などのに史料よれば、南部庄を拠点としたとす
るものもあるが、南部に荘園があったことを明記あるいは示唆する史料も残されていない。
 南部が地名として最も古い記録にみえるのは「日蓮書状」で、文永十一年(1274)の身延入山の際に「なんふ(南部)」に一泊したと記したものである。日蓮はその前日に大宮に一泊し、翌日は波
木井に至っていることから、「なんふ」は現在の南部町付近をさしていることは間違いない。さらに日蓮の弟子日興の書には「南部郷之内フクシノ塔供養」とあり、南部とは南部郷のことで郷内には
フクシ(福士)を包含していたことが知られる。南部郷はかなり広い郷だったようで、その後も同郷の支配をめぐって一族内で争いが生じていることなどから、南部氏にとって重要な所領だったこと
が知られ、この南部こそが初代光行の拠った名字の地であろうと考えられる。
 光行は父遠光とともに鎌倉幕府の創業に尽して、幕府が成立すると源頼朝の側近として仕え、文治五年(1189)の奥州征伐に従軍し、その功績によって糠部五郡を賜わったという。

714 :713:2006/04/26(水) 19:28:47
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nanbu_k.html
これね

715 :海辺のカフカ:2006/04/26(水) 19:33:13
私の祖母は憑依能力者、いわゆる脱魂に殺されました。
私は話され続けようとも、彼らを許すことはしません。
東京都練馬区に住んでいます。

716 :にーまるご:2006/04/26(水) 19:45:19
前線指揮官の田中少尉・第二中隊長代理岡田少尉
共に広島県人。将兵共に広島人であり、進取・必勝の信念を持つ伝統の
広島部隊の真価を心ゆくまで発揮した快心の絵巻であった。

717 :天之御名無主:2006/04/26(水) 21:31:55
何代も前の先祖が誰だって言っても、代々土地の娘をめとってりゃ、
1/2 1/4 1/8 1/16 1/32 1/64
とうすまる.



718 :天之御名無主:2006/04/26(水) 21:43:39
そんなことはない、地元の娘だけをめとっていれば
確かにそうだが、基本的には貴族連中同士で婚姻を
繰り返し、増殖する増殖するするする。。。

719 :天之御名無主:2006/04/26(水) 22:02:26
>>712
意味不明

720 :白馬青牛:2006/04/27(木) 00:58:40
>>711
八代亜紀さんは、福岡県出身ではないよ。福岡県出身の芸能人というと
梓みちよさん、中尾ミエさんや西川峰子さん。福岡顔でいうと
森口博子さんが典型かのう。ああいう顔が、のっぺり型の北部九州人に
多いのではないか。福岡県人はどう考えとるんかは解らんが。
北部九州にも、奥目型や江南型もあるのは解る。歴史的にも、宗像大宮司家
と漢人の宋商人の王氏や張氏と通婚し、漢人(江南人?)の血が濃いと
思われる。あなたの言われる九州北部人の南方説は面白い。金関丈夫氏が
「わきくさ物語」に足立文太郎博士の研究を引用され、九州の腋臭者が
鹿児島(3,8%)福岡(6,4%)形質と違う特徴があったが、
華北人(2,9〜3,2%)と台湾の高砂族(48,8%)客家系
(42,7%)福建系(22,0%)で、南に腋臭が多いことは
矛盾せん。アイヌ人では十中八、九まで匂う。とされておられる。
九州北部は、韓国や江南的容貌も含め南北混合のエスニック?アジア的な
美女が多いと思う。
>>716
広島第231聯隊は、にーまるごのハンドルじゃのうて、「まるさ部隊」
じゃよ。

721 :天之御名無主:2006/04/27(木) 01:12:30
174 :日本@名無史さん :2006/02/09(木) 22:08:10
あの状態で毛利が動けば東軍が壊滅したのは間違いない
まあ、動かないのを知っていたから東軍はあの配置にしたわけだが


175 :日本@名無史さん :2006/02/09(木) 22:12:46
>>174
その通り
ヘボ毛利

722 :天之御名無主:2006/04/27(木) 12:46:40
梓みちよさん、中尾ミエさんも微妙に南方的な感じがするが?
それでもあまり奥目じゃないかな(八代亜紀に比べると)
いわれるように確かに福岡の北部(小倉、博多)近辺には
朝鮮ぽい顔はいる、しかし福岡南部になると奥目系が増えるというのは
もはや九州の通説である。
かれらは蝦夷と呼ばれた人たちではないことは確かだが、
倭の先住民族の血が濃いという可能性はあるだろう。
いずれにしても本州の顔の傾向とはかなり異なるように思う。
福岡は3世代遡ると半数以上が九州の
他の地域に出自がある。もっとかもしれない。
福岡全域が九州の東京みたいなものなのです。

仰る九州の奥目系の江南出自だけれどもその可能性はDNA分析から
低い。現時点もっとも考えられる可能性は
倭の先住民族の末裔である。

723 :天之御名無主:2006/04/27(木) 12:56:26
九州人に時代劇の格好させても何か違和感があるように思う。

724 :天之御名無主:2006/04/27(木) 13:01:06
西川峰子の出身地筑豊は
香春岳があり古代大和朝廷に
鉄を供給した地域です。
ここの神様は辛国人を祀っている。
そして西川なんて苗字は
そもそもが畿内人に多い苗字である。
そして西川は筑豊や大分地域に多い。
福岡の苗字ではない。

725 :天之御名無主:2006/04/27(木) 19:29:46
芸能人の例が古いね
自説も江上に久米に古い広島郷土史
禿頭にカビが生えてそう

726 :白馬青牛:2006/04/28(金) 01:17:41
>>722
九州西部は、支石墓の低顔から形質から縄文系か現代華南系に近い顔の
集団であったろうと思える。DNAの日本各地の地域性については、
そういう資料を知らんので答えようが無い。縄文人は北方、南方様々な
集団から構成されておったようじゃが、形質的、文化的には南方要素が
強かったろう。

727 :天之御名無主:2006/04/28(金) 01:54:33
アイヌでさえ文化的には南方的傾向が強いとされる
だがアイヌは遺伝的には北方系と考えられている。
そしてアイヌの習俗は魏志倭人伝の倭人の習俗とも
比較的似通っている。

また台湾人との関係も考えられるが遺伝的には台湾人は南方系と
されている。だから遺伝的にアイヌと台湾人は似てはいない。
だが顔と習俗はにてる。

これはどういうことか???

この矛盾を解決する説はただ一つ。古代アジア人はみんな
奥目の低顔であった。おそらく遺伝的な距離は関係無く
みんな縄文顔であったのだ。
むしろ出目、高顔系の新モンゴロイドが極めて特殊な人種だったのである。
そしてこのアイヌの進化した新モンゴロイドが東アジア一帯に
拡散していったのである。

728 :天之御名無主:2006/04/28(金) 04:52:00
エゾとエミシとでは、発音上の変化ではなさそうだが?

729 :とおりすがり:2006/04/28(金) 12:52:01
>728
金田一の
古代ア*emciw→日エミシ
中世アenciw→日エンジュ>エゾ
(→は借用)
っていう仮説はだめですか。

730 :天之御名無主:2006/04/28(金) 16:43:44
25 :日本@名無史さん :2006/02/03(金) 16:32:27
小早川秀秋
毛利輝元
毛利秀元
宇喜多秀家
この4人の部隊合わせて約9万人いるよね?


26 :日本@名無史さん :2006/02/03(金) 16:35:05
そんなに兵力が気になるのか?
兵力マニアだな
おれもそうだけど^^


27 :日本@名無史さん :2006/02/03(金) 16:43:59
>>25
このメンツでは全員ヘタレで、戦力にならないよ。


28 :日本@名無史さん :2006/02/03(金) 16:49:31
西軍として本気で戦っていたのは、
石田隊、小西隊、宇喜多隊、大谷隊、約三万五千
ぐらいでしょう。
島津隊は最後の急行突破以外は戦ってなかったよな?

731 :天之御名無主:2006/04/28(金) 16:48:10
22 名前: >19 投稿日: 2000/10/22(日) 14:35

戦国時代各国の兵士の強さ
尾張 1
美濃 2
三河 5
甲斐 10
だそうです。鉄砲使いたくもなるわな。・・・板違いかな。






35 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2000/10/23(月) 12:16

三河 80
甲斐 80

尾張兵三人が三河兵一人に、三河兵三人が甲州兵一人にそれぞれ匹敵するとかいう話もありましたね。

732 :天之御名無主:2006/04/28(金) 17:38:02
関東武士は長頭で、その後頭部つまり後頭葉は視覚を司る部分らしい。
空間把握能力に長けていた結果、弓や射撃の名人、騎馬や剣術の達人が多かった。
弓の達人といえば那須与一、剣術の達人といえば新選組の局長・組長クラスが有名だな。
長頭の白人や狩猟民族アイヌは武勇に優れていた。

短頭の民族(アジア系)は車の運転が下手として知られてる。
ハリウッド映画ではアジア女性の運転下手は揶揄されてる。
白人女性は運転はへただが、とくにアジア系女性は輪をかけて酷いらしい。
これは女の脳が空間把握する部分が足りないためだ。

アジアの農耕民族は、狩猟を必要としなかったために短頭化が促進され
白人は狩猟民族が長かったために視覚を司る後頭葉の拡大がすすんだ。
短頭のスラブ民族(スキタイ人)も農耕民族である。

つまり短頭の朝鮮人や関西人は車の運転がへた。


何時だったか鎌倉時代の人骨が鎌倉から大量に掘り出されたが、ほとんど縄文人と区別つかなかったそうだ。
つまり、14世紀になっても関東の大部分は、まだ縄文人の系統が、マジョリティーだった。
関東の武士団は、土着の地方豪族たちで、土着の地方豪族たちは、土着の農民たちを兵としていたから、関東武士の骨が、縄文人の骨と区別が、つきがたいほど似ていた、
ということは彼らが居住していたであろう関東は、14世紀になっても縄文人系が多かった。

関東人は長頭、朝鮮人は短頭。
とくに鎌倉から発見された頭骨900体あまりは白人並に長頭。

鎌倉市材木座の八幡宮参道沿いで、一の鳥居のすぐ東隣から、
鎌倉時代の関東武士と推定される人骨が、1953年から1956年にわたる三回の発掘によって、少なくとも910体も発見された。

しかし、北部九州や畿内や山陰の古墳に埋葬されてる骨の多くは、短頭から中頭。それは何故か解るだろ?
朝鮮半島や中国からの渡来人だからさ。

733 :天之御名無主:2006/04/28(金) 17:46:54
デメキン、オウトガイ突出の長刀WWW

734 :天之御名無主:2006/04/28(金) 19:32:31
>>686
北条早雲は、出身不詳の素浪人。北条早雲の出身を特定する確かな証拠は、何一つない。
東国武将・東国武士は、基本的に土着の東国人。

朝廷が関西にあった関係で、家系図で関西系になっていても、
朝廷の味方である、朝廷と関係が深い氏族などでないと、高い官位がもらえなかった為、高い官位をもらうために、家系図を偽造して、出身を自称したり、
子供ができなくて、養子をもらう事もあるから、必ずしも家系図が正しいとは限らない。

徳川家康=松平家康も、三河守の官位をもらうときに、松平姓で頼んだら、朝廷から断られたので、得川氏の子孫を自称し、名字を松平から徳川に変え、三河守の官位を得た。

http://www2.harimaya.com/aoi/tokukeiz.html

本物の源・平とかであっても、京都を追放され、各地方に土着しているんだから、混血して、遺伝子的には、各地方人になってるだろ。

支配と書いてあるが、国主=大名と、各武将=各地方豪族の関係は、同盟関係に近い。

鎌倉幕府は、モンゴル軍との戦闘で没収地を得られなかったから、御家人に恩賞としての土地を渡すことができなくて、御家人に見捨てられて滅亡したし、

武田勝頼(甲斐・武田家)も、器量と人望がなく、配下の各武将=各地方豪族は、部下の兵を連れて、徳川などに次々とつき、
最後は、武田勝頼に付き従うものの数が50名位になり、武田勝頼は、天目山で切腹し、甲斐・武田家は滅亡した。

駿河・今川家の滅亡も同じ。

従って、家臣団のまとまりが悪い国が多かった。

明智光秀が、「敵は本能寺にあり」と言えば、織田信長を討つ事に異議をとなえる直属の部下はいないだろ。

各武将=各地方豪族も、自分の土地・収入を守らなきゃ生きていけないから、器量と人望のない国主=大名には、ついていかないよ。

>戦闘方法も早雲が 紀州から呼びよせた乱波に学んだと云うことじゃろう。
いくら戦闘方法がよくても、各武将・各兵が弱かったら勝てませんぜ。

735 :天之御名無主:2006/04/28(金) 19:36:32
弥生時代の関東の、縄文人と渡来系弥生人の共同集落、中里遺跡の発掘結果では、
縄文人95%:渡来系弥生人5%の比率。

この遺跡からは、鏃(やじり)や武器など戦いの証拠を示す遺物は、殆ど出土しなかった。

中里遺跡
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/kyousei.html

http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E4%B8%AD%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

>何時だったか鎌倉時代の人骨が鎌倉から大量に掘り出されたが、ほとんど縄文人と区別つかなかったそうだ。
>つまり、14世紀になっても関東の大部分は縄文人の直系とその混血系が多かったということ。

736 :天之御名無主:2006/04/28(金) 19:40:28
>朝廷が関西にあった関係で、家系図で関西系になっていても、
>朝廷の味方である、朝廷と関係が深い氏族などでないと、高い官位がもらえなかった為、高い官位をもらうために、家系図を偽造して、出身を自称したり、
>子供ができなくて、養子をもらう事もあるから、必ずしも家系図が正しいとは限らない。

随分とデメキンでオウトガイが突出した
土着だな〜WWWW


737 :天之御名無主:2006/04/28(金) 19:40:52
>>710
明治時代までは、戦で捕まえた兵とかの斬首や奴隷化なんかは、あたりまえだろ。

信長の「比叡山の役」、前田利家の越前始末、朝鮮の役での職人の強制連行や鼻狩り、
徳川氏政権による、九州の島原の乱などの、耶蘇弾圧に類する非戦闘員の虐殺や、上杉謙信の合戦記録にみられるような略奪・人身売買の黙認など、

日本全国どこででも、戦のたびに、斬首・虐殺・強姦・奴隷化・略奪なんかは、おきてるよ。

捕虜の人道的扱いが、国際法により、国際ルールとなっていたので、日本も、明治時代以降、あまり、捕虜を虐待・虐殺したりしないようになった。

しかし太平洋戦争前後に、日本は、
戦時国際法に違反して、中国を無差別爆撃して中国の民間人を虐殺し、
対米宣戦布告をせずに真珠湾を不意うち攻撃し、
ジュネーブ条約に違反して、連合国軍の捕虜を虐待・虐殺したりした。

これに、ぶち切れたアメリカ人は、日本全土を無差別爆撃・無差別攻撃し、日本に原爆を投下した。

アメリカは、ドイツとの交戦中に、ドイツへの原爆投下が可能になっていたとしても、
アメリカと同じ白人キリスト教徒国家のドイツへは、原爆は投下しなかっただろうという意見が多い。

現代日本でも、
高利貸し=サラ金や、
銀行の高い手数料や、
法律で民間の参加を禁止しておきながら、国・地方自治体だけで暴利を独占している、異常に高い控除率・税率の宝くじ・公営ギャンブルなどなど。

モンゴロイド=黄色人種の、やり方の汚さがでているね。
アメリカ・ヨーロッパなどの、白人キリスト教徒国家では、こういう事は、まずないよ。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際も、日本商人は、戦局悪化により朝鮮で飢えに苦しむ日本兵に、米数粒と金を交換したりして、悪どい事をしていたな。

日本人は、民度低いやつが多すぎ。W

738 :天之御名無主:2006/04/28(金) 19:45:28
まあそれは事実、
日本国は死ね死ね団
日本人はショッカー。
世界の常識WWW

739 :天之御名無主:2006/04/28(金) 22:32:33
広島人は、民度低いやつが多すぎ。W

740 :白馬青牛:2006/04/29(土) 00:03:06
>>734
北条早雲が、備中出身か畿内出身か定かではないが、流れ者であるのは、
徳川氏も先祖は、漂泊民の遊行僧で、長阿弥、徳阿弥じゃろう。
土着民とは思えん。三河は「傀儡子」(人形を舞わせて手品奇術、女性は
娼婦めいて媚態を示し行きずりの人と一晩の契りを結んだりする)の
産地でもあるし。
宗教家・芸能民・武士・侠客これらの漂泊民、社会的に賤民視された
集団の起源は同じじゃと折口信夫氏は戦前云われたわけじゃ。
>>735
弥生期は、西日本でさえ、縄文系の方が多いよ。古墳期から、北方系
新モンゴロイドが増え、関東まで及んだと埴原和郎氏は云うておられる。
西日本と較べれば東日本は、全体的に縄文系が多いが、東日本は、縄文系
とは云い難いよ。縄文系が多いのは、アイヌ人や琉球、南島諸島の
人達じゃろう。

741 :白馬青牛:2006/04/29(土) 00:30:36
>>737
『奥州後三年記』に、源義家が、敵将武衡を斬ろうする時、源義光は、
「つはものの道 降人をなだむるは古今の例なり」と捕虜を殺すのは
兵の道に外れると云うたんじゃが、義家は聞き入れず女・子供を含め
虐殺した。中国地方の毛利氏は、尼子の降人に寛大じゃった為、
残党が蜂起したんかも知れん。立花城を攻略した時も、籠城した城兵を
わざわざ豊後の大友のとこまで送っておるし。
米兵に較べると、露西亜兵や豪州兵の蛮行が多かったように、
日本全国と言うても、郷土により地域差があるよ。

742 :天之御名無主:2006/04/30(日) 19:57:25
戦後間もない頃に全国の頭長指数調べた
故・小浜基次(おばま・もとつぐ)博士のデータが、やっぱ基本中の基本でしょう。

小山縄文人口論、埴原二重構造説も、多分小浜説がベース。

743 :天之御名無主:2006/04/30(日) 20:20:11
誰かシベリア抑留邦人の県別身体データしらない?
ロシアが邦人とアイヌに興味しめして、
頭長のようなおおざっぱなものだけじゃなく
花の高さ、目の深さなど色々調べてるデータがある。
漏れの大学の図書館に本があった。

だれか大学関係の人がいたら図書館いって明日にでも
アップしてくれ!



744 :天之御名無主:2006/04/30(日) 20:21:54
漏れはハッキリと覚えてる。
東北はデメキンで新モンゴロイドの身体的
な特徴を持っているということを

745 :天之御名無主:2006/05/01(月) 02:27:23
じゃあ関西人は縄文人?

746 :天之御名無主:2006/05/01(月) 06:25:38
またそんな無茶な。

北陸から東北の日本海沿岸に
江戸期の交易を通じて弥生的な遺伝子が流れ込んでいるのは確か。
関東だと日本橋など商業区域と、紀州漁民が移り住んだ房総半島南端とか。

小浜研究でも東京が準短頭圏にはいっているけど、区ごと町ごとで長短の差がかなりあったらしい。

あと紀伊山地に意外と縄文系が多いのは、取り残された結果と思われる。

747 :天之御名無主:2006/05/01(月) 12:46:56
江戸期どころか古墳時代にはすでに蝦夷は新モンゴロイド化してる
はずなんだけれどね。
おそらく、小沢一郎のような風貌がアテルイの正体だろう

748 :天之御名無主:2006/05/02(火) 06:43:30
>全体的に縄文系が多いが、東日本は、縄文系とは云い難いよ

縄文優勢ってことね。
まあ東京なんて、明治以降少なからず関西から移住して
新モンゴロイド的な遺伝子をバラまいてるらしいし。

「華夷雑居」が東京の現実かな。

749 :天之御名無主:2006/05/02(火) 06:56:55
東日本の縄文は顔の薄い縄文ね、ブリヤート

750 :705:2006/05/03(水) 06:00:41
人種?のルーツはアテルイ以前から混ざりまくってた話しか知らないや
どれがエミシとかいえないのかも
紛争はしょっちゅうだったみたい


アテルイは京都まで捕虜として行ったんだっけ
色んな技術をそこで教えた後死んだか殺されたか
なんか京都にそういう伝承があるらしいね

751 :天之御名無主:2006/05/03(水) 11:29:19
腹黒京都人を信じたアテルイ哀れ

752 :天之御名無主:2006/05/03(水) 22:34:52
しかも坂上は朝鮮系だし

753 :705:2006/05/04(木) 02:52:43
信じたというか覚悟はしていたと思うよ
その上で献身的に技術を伝えていったのでは
だから讃えるような伝承が残っているんだと思うよ


てか職人技術者も捕虜として引っ張ってかれてたみたいだから
そいつら守りたかったんだと思…やべ 泣けてきた
妄想なのに泣けてきた

どうせ現代は混血しまくりだからいがみ合うのはイクナイよ

754 :三関:2006/05/06(土) 19:54:58
蝦夷ってーのは時代により変わってきたんじゃない?
はるかいにしえに溯れば三関以東は全て蝦夷ではなかったかと

755 :三関:2006/05/06(土) 21:19:06
何年か前、歴史民俗博物館が調査したら北部九州の初期弥生土器(夜臼U式)
が紀元前9世紀くらいのものだと判ったそうで、従来の説から500年も溯る
のだそうです。
更に溯るものが発見されるかもしれませんが、散発的な漂流を除けばおそらく
集落を造るほどの集団が最初に渡ってきた土地は北部九州の玄海灘に面した沿岸
平野部で3000年前ということになります。
最初に渡航移住を決心して来た人は随分勇気がいったと思います。
当時は渡来人の人口もずっと少なかったでしょうから、縄文人とのトラブルは少なかった
かもしれませんが、文字を持たず、変な言葉をしゃべり、明らかに異質な身体的特徴の人
達を見て野蛮人か化け物くらいにしか思ってなかったでしょう。
まだ少数派だったけど多数派の方を差別していたというか最初はなるべく近づかなかった
ことでしょう。
当時はまだ「蝦夷」という単語は無かったかもしれませんが、「土蜘蛛」とかそれに類する
呼び方で差別していたはずです。
つまり3000年前は福岡や佐賀沿岸の平野部以外は日本列島全て蝦夷(土蜘蛛居住地)
なんです。


756 :天之御名無主:2006/05/06(土) 21:25:05
土蜘蛛って九州北部の人を指すんですが・・


757 :天之御名無主:2006/05/06(土) 21:32:49
時代によって定義付けが変化していくならキリがないかもね

758 :天之御名無主:2006/05/06(土) 21:34:43
小沢一郎が蝦夷を自称してたような気がする。
あんな顔なんでしょうか?


759 :天之御名無主:2006/05/06(土) 21:39:52
弥生時代の文字って漢字?

760 :三関:2006/05/06(土) 21:46:21
>>756
違います。
「土蜘蛛」というのは原住民の蔑称の一つです。
常陸国風土記にも現地(今の茨城県)の原住民のことを「国巣」とか「ツチクモ」とか
「佐伯」とかのよび方で出てきます。
記紀や風土記編纂時の原住民を指す一般的な蔑称。
3000年前もそう呼ばれてたかは不明。でもそれに近い蔑称はあったとの推測を
書いたまでです。

761 :三関:2006/05/06(土) 21:54:48
「国巣」ですけど、
「そんなことする奴は人間の屑だ」とかいうでしょ?
その「屑」というのは、「国巣」と同義ではないかと思うんですけどね。
つまり捨ててもどうってことないゴミみたいなものの例えで。
多分、「屑」の方が先にできた言葉でしょうけど

762 :天之御名無主:2006/05/06(土) 21:57:24
土蜘蛛、熊蘇、隼人は九州の大和政権と対峙した勢力だよ。
茨城の先住系も土蜘蛛と呼ばれたらしいが。


763 :三関:2006/05/06(土) 21:57:40
「佐伯」は現在の佐伯さんと関係があるかどうかは知りません

764 :天之御名無主:2006/05/06(土) 22:06:16
http://www.dai3gen.net/mimitari.htm

佐伯は広島大分など瀬戸内関西に集中してある苗字、地名。
近畿の政権と密接なつながりのある地域を示す。


765 :三関:2006/05/06(土) 22:06:34
>>762
だから原住民をいろんな蔑称で呼んだんだって
それから皇室の歴史が九州から始まったとされるから九州の異民族のことが
良く記紀に出てくるのは当然のことですね。
つまり、東征する過程でのトラブルは記録されるが、中部山岳以東はおおむね
荒ぶる土地(土蜘蛛の多い)で未開拓だったということでしょう。
で、

766 :三関:2006/05/06(土) 22:08:07
>>764
ありがとうございます。
現在の佐伯とは関係ないようですね。

767 :天之御名無主:2006/05/06(土) 22:12:50
原住民というほど分離はしとらんでしょ、
渡来系と土蜘蛛のそれぞれの遺物がでてれば
理解もできるがそういうのは全くない。
土蜘蛛とは九州全土の勢力と考えるのが自然。

東日本ヒノポン歴史観から抜け出しましょう。
そのうち、黒い山葡萄原人とか信じてしまいますよ。

日本書紀の初期は総じて九州との対立を描いているわけである。
筑前筑後肥前豊前豊後風土記、逸文などにもハッキリとその戦いの
ことが描かれている。

768 :三関:2006/05/06(土) 22:20:29
黒い山葡萄原人はいないと思います。
私もテレビで見ましたがいくらなんでも考え難い。
まず朝鮮人が太古の昔から今の土地に居住してたらあんなに
真っ黒くはならないと思います。
北朝鮮の緯度が北緯40度くらいだから仙台とほぼ同じ緯度なのに
あんなに真っ黒くメラニン色素が沈着するとは考えられないです。

769 :白馬青牛:2006/05/06(土) 23:24:59
>>760
常陸風土記の「昔在國巣 山佐伯 野佐伯 普置掘土窟 常居穴」の
ことですか。国巣、土蜘蛛は、山地民を指したものじゃと思います。
近畿地方でも吉野や紀伊山地民も含むでしょう。
安芸佐伯部の中には摂津国猪名県から追放されて移された集団もあり、
東日本に限定される問題ではないと思います。

770 :三関:2006/05/07(日) 01:40:09
>>769
760は東日本に限定した話ではありません。
3000年前は日本列島全体が土蜘蛛の居住した土地だということです。
ここで私が言う「土蜘蛛」とは、3〜8世紀頃渡来人が原住民を差別して用いた
蔑称です。それ以前もそういう蔑称であったかどうかは分かりませんが、時代を
溯るほどお互いが異質な人々だと考えていたと見るのが自然です。
常陸風土記茨城郡の昔話として、黒坂命という人が国巣(土蜘蛛)の穴倉(竪穴住居?)
の中に棘のある茨を仕掛けておいて、国巣たちを馬で追い立てて彼らが穴倉に逃げ込ん
だら茨棘に刺さってちりぢりに死んでしまった・・・とか、明らかに殺戮を楽しんでる
ような記録があるという事実は、実際そういうことが行われたかどうかは別として、
その地の開拓者が原住民をどう見ていたかを示すものだと思います。

771 :天之御名無主:2006/05/07(日) 01:59:48
しかしその茨城の佐伯は人殺しなどもしていて周囲の人を困らせていたと
いう話じゃないか?それって国巣(クズ)、佐伯とはあるが土蜘蛛とは
かかれていない。
まあ朝廷側の言い分が全て正しいとは限らないが、
蝦夷は毛皮着て悪さばかりして困らせているという記述も多いからな・・・

九州の土蜘蛛は記紀によると概ね組織化された賊軍だが
茨城の佐伯や
蝦夷は概ね無法者という風に朝廷側は認識している。
その辺はどうなんよ?



772 :天之御名無主:2006/05/07(日) 02:07:41
そもそも縄文時代には東北北部まですでに木造建築があり
社会的組織は確立されているのに、未だに縦穴にすんで
悪さばかりしてるからそういうことになったんでは?



773 :天之御名無主:2006/05/07(日) 02:18:30
三内丸山遺跡ですか?

774 :天之御名無主:2006/05/07(日) 02:23:42
いっぱいあるよ、社会の変化になじめないのはいいとしても
悪さ、人殺しをしてれば警察組織にやられるのは仕方のないこと
そう記紀に書いてあるだろ。

775 :天之御名無主:2006/05/07(日) 02:37:56
>>771
そもそも縄文時代にもすでに栗やら稗やら、初歩的な栽培を始めてたということだし
「非農耕民→先住民全体」「非農耕民=抵抗者」という認識がもう古すぎるんじゃねえのか?
狩猟文化をもってた民にしても鰐田の恩荷みたいにさっさと朝廷について位もらったような
例もあるんだし、もっと複雑な実態だったんではないかと。

776 :天之御名無主:2006/05/07(日) 02:40:41
クズと呼ばれたくらいだし、漏れは古代のやくざか暴走族みたいな
椰子らだったとみてるがな。

777 :三関:2006/05/07(日) 02:46:10
>>771
>土蜘蛛とはかかれていない。
国巣 俗の語に都知久母、又夜都賀波岐と云ふ。山の佐伯、野の佐伯在りき。

>蝦夷は概ね無法者という風に朝廷側は認識している。
史書を書いた方は自分が正義で夷族側を悪であると書くに決まってるでしょ?

778 :天之御名無主:2006/05/07(日) 02:54:14
>国巣 俗の語に都知久母、又夜都賀波岐と云ふ。山の佐伯、野の佐伯在りき。
失礼

>史書を書いた方は自分が正義で夷族側を悪であると書くに決まってるでしょ?
にしても蝦夷の蛮行は記紀みるとまんざら嘘でもなさそうですよ。


779 :三関:2006/05/07(日) 02:57:49
>>774
>そう記紀に書いてあるだろ。
そう正書に書かれてあればそのまま鵜呑みにするの?
「チベットは昔から中国の一部だった」とか中国政府公認の歴史書に後世残したら
それを信じるかい?

780 :天之御名無主:2006/05/07(日) 02:58:53
>>777
>史書を書いた方は自分が正義で夷族側を悪であると書くに決まってるでしょ?
そりゃそうだ。
だがだからと言って当地の住民が単一民族で蝦夷征伐は民族紛争だったとか、
生活様式も山に住む狩猟民で共通していたとかそういう証拠にはならない。

>>778
記紀は完全に朝廷側の記述だからねー。

781 :天之御名無主:2006/05/07(日) 03:00:01
土蕃チベットが中国になったのは清朝の時だろう、中国は清朝の
正当なる承継者だよ。一応国際法上は認められているはずだろ。

782 :天之御名無主:2006/05/07(日) 03:03:48
記紀も大嘘まではついてないと思う。
記紀は朝廷側自分たちの落ち度も
認めているし、敵の行動も的確に把握してると思ったよ。
あれは当たらずとも遠からずな記述だと思うさ


783 :天之御名無主:2006/05/07(日) 03:05:47
>>781
チベットは清朝崩壊後に独立を宣言し、事実上国家として独立してた
中華民国はチベットやモンゴルの独立を認めてなかったが、それでもチベット政府と
交わされた公式文書のなかは独立国家であることを認め、中華民国への「参加」を提案し、拒否された。

784 :天之御名無主:2006/05/07(日) 03:11:06
>>782
「記紀は事実を基に、作者が虚構し創作(捏造)した完全なフィクションです」

785 :天之御名無主:2006/05/07(日) 03:14:43
>>784
漏れも読んだことがないときはそう思ってた
しかし、あの記述は有る程度正確な調査に基づいて
権力者側にしては比較的権威を押さえた記述に
なってると思った。
世間の噂は当てにはならないと思った一つの事例であった。



786 :天之御名無主:2006/05/07(日) 03:19:34
世間の噂なんて思いこみと偏見と無知が絡み合ってて
全然あてにはなりませんよ。

787 :天之御名無主:2006/05/07(日) 03:58:12
>>785
>784をもう一度よく読め
「事実を基に」と書いてるぞ
で・・・
「作者が虚構し創作(捏造)した完全なフィクションです」というわけだ。

788 :三関:2006/05/07(日) 09:12:16
国巣とか土蜘蛛と云われてた原住民が居たことを「事実を基に」書いてるし、
彼らが悪い奴らだったと「作者が虚構し創作(捏造)した完全なフィクション」な
わけです。

789 :天之御名無主:2006/05/12(金) 13:37:07
権威を抑えた記述って言う点が面白いね
陳寿が学問的使命や正義感と権力のハザマで苦慮した事が
漢字等の使い方で浮かび上がってくるという指摘を聞いたことが
ありますが それに似たようなものでしょうか


790 :天之御名無主:2006/05/17(水) 19:00:30
え み し の 起源

新人類 ホモサピエンス サピエンス に 叡智集団 がいて、その指導集団をする長たちのの中から、一族としての名門 が現れるのは、バイブルなどを読むと、AL20世紀 BC20世紀以前と考えられ
ます。

ギルガメシュら 古代王朝のの王たちは、叡智集団の長 達の一人でありました。 ギルガメシュもAn の啓示を受けるためには、叡智集団 の長たちの中の 神官 の補佐を必要とした事が 最古の神
話 ギルガメシュ叙事詩 に書かれています。

バイブルの中では、叡智集団の長達 に 預言者 と呼ばれる アブラハム、 エゼキエル、モーゼ BC1250 、イザヤ BC650 らが排出してから、叡智集団の名門のグループが誕生し、後にヨーロッ
パなどの世襲する 王家氏族 になっていったように思います。

名門グループの誕生は、叡智集団 が文明を作り始めてから、約2000年が経っている AL2000年の頃です。

日本の神話には、卑弥呼ら が 「倭の東進」 で打ち負かした 原大和朝廷 の人々は、記紀で エミシ と呼ばれています。

大陸周りで後に日本に渡来した 卑弥呼らは、南回りで先に渡来の 叡智集団 えみし である 原大和朝廷 を破って 新大和朝廷 を新倭地に建設し、ハツクニシラス イニエ を大王にしたのであり
ます。AL43世紀初頭 の事であります。

この時の 原大和朝廷 の 大王は、大三輪に坐 いま した 大国主 大物主 おおなむち アメノ下ツクラシシ大王 でありました。

大国主 は 天下を御創りになった大王であり、イニエ は 天下を治めた大王と言う意味の名前になっています。神の位階としては、天下を創った 大国主 か 上位であります。

イニエと同人格の 神武天皇 ハツクニシラス の大妃 おおきさき に おおなむちの娘 がなったと記されています。 その後も、出雲大国主の血統から大王妃や天皇妃が入る事になります。

神武天皇 に随伴した久米部の兵士たちも 日ノ本の人民 えみし の女を娶った事でしょう。

791 :つづき:2006/05/17(水) 19:00:48
日本書紀には、えみし を 悪者のように書き、古事記の 愛漲詩 愛の漲る士 恵比須 恵みを比すべき士 代えて 漢の史書に倣い 夷 を用いて 海老の夷 蝦夷 を使用し、えみし と読ませ 次第に
えぞ と読ませました。えみし が 正常の呼称 で、漢字は 当て字 であります。

史学上、えぞ と読むようになった理由は解明されていません。しかし 理由は、和気清麿 が 悪麿 、柿本人麻呂 が 猿麿、山部赤人 が 黒人 などと、後になって悪し様に書かれる事と同じ理由
であると思います。えぞ は更に えった えた と呼ばれるようになって居ました。

愛漲詩 恵比須 叡見し と言う呼び名は、 栄誉ある名前 であります。



792 :天之御名無主:2006/05/17(水) 19:01:23
同和 の 起源

日の本 の人々 えみし は、大国主の敗戦、大国主 が 出雲に神静まりました後は、敗北の民 新大和朝廷には 虜囚 と看做されました。そして新大和朝廷に従った者達を 熟蝦夷、従わない者達を
荒蝦夷 と呼びました。平安時代以降の文書には、 浮囚 浮夷 類之者 賎民 と書かれています。

えみし が日本島の全土に居た事は、 「神在月」 に説明する、参集する国王たちの国々 を見れば解ります。青森県からトカラ列島に及びます。又、 物部氏 と えた の全国分布を見ても理解出来
ます。

日の本の民 えみし には、苦難の後に、大和物部氏の台頭と共に、一斉に物部を名乗った者たちが居ました。名乗れずに、雑役、奴隷の身分になった者達も居た筈です。雑役たちは 同和 えた
の先祖 ではないかと考えられます。

何故なら、AL5000年紀に新大和朝廷によって追い詰められた エミシの後裔安部氏 の本拠 日高見の国 北上 岩手周辺 に、日本全国にある同和を示す 八幡 や 別所 や 新地 の地名が無いか
らです。神在月に参集する王達の地元の名も、岩手県には無いのです。えみし の棟梁の根拠地であればこその秘密が垣間見えます。

八幡 や 別所 や 新地 の地名は、新大和朝廷の占領下では、えみし の居住地を示すものでした。八幡 は、ヘブライ語で書かれた Bible 原典に在る An の称号 YHWH ヤーウエ の音囀日本語
ヤーサカ ヤーハタ の漢字当て字であり、本来は An を祭るところと言う意味であります。えみし の居住地でも重要なものであります。 別所 新地 は、新大和朝廷が出来てから、別の所や新しい所
に居住地としたと言う意味があります。

全国の 八幡神社 や 八坂神社 は、本来の御祭神が An ヤーウエ であったのです。新大和朝廷になってから記紀の神名になりました。

えみし には、何れにも属さない人々も居た事しょう。雑役を嫌って後に同和から逃れた人も居たと思います。えみし物部 はエリート族へ、雑役以外の人々は、一般民衆に浸透して行ったのです。


793 :つづき:2006/05/17(水) 19:02:32
桓武天皇の御代 延暦 18 年 AL.4799 、坂上田村麻呂 と同時代の下野国人の 「賎民男女二人に、姓 かばね 物部を賜う」 とあり、太田亮は、「先祖の姓に復したものであろう」 と言っています。
物部氏 も全国に分布して、村長 むらおさ 神官 などを仕事として居ました。

賎民 とは、平安初期 9世紀頃の官符に 浮囚 浮夷 と書かれた えみし エタ の事であります。 賎民の出自 は、安倍氏 でありました。安倍氏は、 えみし 蝦夷 えぞ であり、物部氏の 出自 であり
ます。近江国の賎民の 戸籍 を記した文書に あへ と名乗る者が沢山存在しています。 アイヌ ではありません。

同和 は、穢多 と言う字を当てる事があります。古から えた と言われて居ましたが、穢多 と漢字に書かれたのは貞治元年 AL.5362 師守記 からであります。大和朝廷 が用いる 浮囚 浮夷 に対し
て、えった えた は 民衆の用語 でありましたが、 えった と言う呼び名は次第に消えて行きました。

この漢字は悪し様な当て字であり、室町時代 の京都河原の死人を扱っていた頃、仏教用語 として当て字したと考えられています。別の漢字を当てている本がありますが、えた は、えみし から え
ぞ になり えた への音韻変化で、本来は嫌われるどころか 大国主 大物主 の末裔として 栄誉在る言葉 であるのであります。

えみし は、日本書紀 に えぞ と読む事を含めて 約90回 蝦夷 と書かれるのです。少し、悪し様ではなかったでしょうか。えみし と言う 本来の呼び名を変える必要は何処にあったのでしょうか。
新大和朝廷は えみし の名を 出雲 と同様に 畏怖 していたと言う諸論に符合するものであります。

日本書紀の「天智記」に、「鮎こそは島辺も良き。え 苦しゑ」 と言う記述が在りますが、え は古代語では感動を表します。 従って、えみし は「感動を見た人」と言う意味になります。

「大いなるもの An を感じた人々」 の事になります。まさに、エミシ は 叡見し であり 最高の叡智集団 の自称 として相応しいものであります。

えた に漢字を当てるとすれば、大国主 に係る 皇室を含む 叡智集団 の末裔として 叡多 が良いと思います。叡 には エ と言う音が在ります。



794 :つづき:2006/05/17(水) 19:02:46
また、狂言に、「さて人と言うものは、中にも えた芸 があるものじゃが」 と言う言葉がありますが、この えた芸 は、習得した優れた技 と言う意味です。

日本に渡来した 最高の叡智集団 には、ジグラットやその他の美術文芸を担った 技術集団 フリーメーソン が随伴した筈です。

その人々は、えた芸 を持っていました。日本での職種 は、農業ではなく 鍛治 酒作り 番匠 仏師 鷹匠 鍋師 漆屋 塗り師 弓打ち 畳刺し 石工 猿楽 鵜匠 鞘師 鞍師 紅売り 舞太夫 蓑作り 笠縫 土
鍋師 墨師 傀儡師 獅子舞 鋳物師 麹師 屠殺皮肉師 隠密 祝人 ほいと など、高度な技術を必要とする約40ほどを専門職種として居ました。

シュメール 以来の中心技術者 は、 石工 メーソン  であります。 シュメールでは、神殿の石積みを行う メーソン がそれら技術者の中心だったのです。その他の技術者を含めて フリーメーソ
ン と言ったのかも知れません。日本では、終戦前まで 鍛治屋 鋳掛屋 氷屋 等の技術行商は、 えた の専門職域でした。

この場合の えた は、役多 と言う当て字が良いでしょう。古語で 役 は え と言いました。 えた は、叡多 または 役多 を当て字とするのが良い事になります。
http://www.ani.gn.to/new_page_42.htm

795 :天之御名無主:2006/06/12(月) 04:13:29
鎌倉・由比が浜で見つかった、多数の関東武士の頭骨を調べたら、長頭で彫りが深かった。


ブレイス博士の武士=縄文系の視点はなかなか興味深いものです。
鎌倉時代に由比ガ浜だったですか、大量の関東武士の骨が出てきて
学者が調べると、現代日本人と頭骨が著しく異なることがわかりました。
つまり、現代人が中頭〜短頭なのに、これらの武士は長頭だったのです。
いままで、日本人の小進化だと思ってましたが、これが縄文系だとすると
合点がいきます。

武士道とは弓馬の道で、弓の技術が尊ばれ、刀が武士の命となったのは、江戸時代
でした。弓といえばアイヌが弓の名手として有名です。

幕末から明治にかけて来日した欧米人が日本人には2種類の人々がいて、武士階級
は名誉を重んじ、威風堂々として礼儀正しい人々だと書き残している。
また、一般の人々とは容姿も異なり、武士は背が高く、中高の精悍な顔をしている
と言っている。
絵巻物を見ても騎馬武者と兵卒では容姿が異なっている。

縄文人が、実は武士団に血統を色濃く残していたと
考えると、ブレイス博士の言ってることは、新鮮で興味深い。

796 :天之御名無主:2006/06/12(月) 04:15:14
形質は、その時代の環境によって大なり小なり変化するのだが、
人間においては混血でもない限り、その変化にも限界がある。

中国人は古代から現代まで一貫して中頭。
朝鮮人も三国志時代から短頭だったようだ。
日本人は短頭化が激しく、かなり変化しているが、
アイヌ人は古代から現代まで一貫して長頭だから、やはり日本人は環境からよりも、
混血によって形質が変化したと見て良いだろう。


特に20世紀以降の太平洋ベルト地帯に沿っての日本人の薄顔化・短頭化が著しいが、
これは朝鮮併合による在日朝鮮人の影響や、
朝鮮と同じで、薄顔地域・短頭地域である、濃尾平野から北九州の人々が、 鉄道などの交通機関の発達によって全国に拡散した影響だと考えられる。

797 :天之御名無主:2006/06/12(月) 04:16:57
>鎌倉武士はアイヌと近縁である


>アメリカから見た鎌倉:ブレイスのアイヌ−サムライ説


>1989年に、ミシガン大のローリング・ブレイス教授らは「Reflections on the Face of Japan」という論文をAmerican Journal of Physical Anthropologyに発表した。

>この論文で、ブレイスらは、鎌倉の材木座・極楽寺付近から出土した1333年の鎌倉攻めの犠牲者人骨の歯のサイズと頭蓋骨計測データを用いて、
>鎌倉武士はアイヌと近縁であるという説を唱え、アメリカで注目を集めた。

>今回、ブレイスの頭蓋骨計測データを新しい統計処理法を使って再分析した。

>また、歯の計測データに関しては、ブレイスらは歯の合計面積の平均値のみを使って集団間の血縁関係を議論したが、
>今回は、個々の歯のサイズのデータを用いて多変量解析を行い、それらの結果を報告する。

798 :天之御名無主:2006/06/12(月) 04:17:28
The American anthropologist C. Loring Brace,
University of Michigan,
(Science Frontiers #65, Sep-Oct 1989) reported that "pure-blooded Ainu
are easy to spot: they have lighter skin, more body hair, and
higher-bridged noses than most Japanese." Brace studied the skeletons
of about 1100 Japanese, Ainu, and other Asian ethnic groups and has
concluded that the revered samurai of Japan are actually descendants
of the Ainu, not of the Yayoi (original Mongolian) from whom most
modern Japanese are descended. Brace said further that "...this
explains why the facial features of the Japanese ruling class are so
often unlike those of typical modern Japanese. The Ainu-related
samurai achieved such power and prestige in medieval Japan that they
intermarried with royalty and nobility, passing on Ainu blood in the
upper classes, while other Japanese were primarily descended from the
Yayoi."
http://www.stormfront.org/whitehistory/hwr6a.htm
ネオナチサイトの「白人の歴史」のページ

799 :天之御名無主:2006/06/12(月) 04:18:05
194 :番組の途中ですが名無しです :2006/06/12(月) 01:14:17 ID:zdB3JXx90
>>5
日本人の50%位が持っていて、アイヌ人の90%位が持っている、
縄文人の固有遺伝子である「YAP+」を、朝鮮人は、1%位しか持っていない。

従って、朝鮮人は、縄文人の血を、ほとんど、ひいていない。


朝鮮半島の縄文人に似た人種は、縄文人ではなく、縄文人に似た南方モンゴロイド。

縄文人は、「YAP+」を持っており、長頭から中頭で、非絶壁頭。

南方モンゴロイドは、「YAP+」を持っておらず、短頭で、絶壁頭。


遺跡の分布の研究から、縄文人の90%近くが東海・北陸以東の東日本に住んでいた事が判明している。

西日本の縄文人遺伝子は、
鎌倉時代、江戸幕府樹立時等に、関東武士・東日本武士の一部が、西日本に移り住み、持ち込まれたもの。

800 :天之御名無主:2006/06/12(月) 04:19:17
日本人と朝鮮人の見分け方



※1
絶壁頭=短頭=朝鮮人

短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、
頭を横から見ると、
頭の前後の長さが上下間で、ほぼ同じで、
頭の後ろが、上下間で、ほぼ垂直に一直線になる。
頭を横から見ると、「□」形になる。
前←□→後ろ


非絶壁頭=長頭・長頭に近い中頭=日本人

短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、
頭を横から見ると、頭の後ろが、「つ」の字形になる。
前←つ→後ろ



※2
短頭=頭が左右に長く、前後に短い。頭を上から見ると正方形・正方形に近い・左右に長い長方形のどれかになる。=朝鮮人
長頭=頭が左右に短く、前後に長い。頭を上から見ると前後に長い長方形。=日本人
中頭=短頭と長頭の中間=日本人

801 :天之御名無主:2006/06/12(月) 11:29:48
?ようは、デカすぎ頭の武田鉄也は日本人

802 :天之御名無主:2006/06/12(月) 12:27:09
イザベラ・バードの「朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期」にでてくる”広くて知的なひたい”ってどうよ?

803 :天之御名無主:2006/06/12(月) 23:36:04
要するにあれだ、長文は読む気がしないってことだな。

804 :天之御名無主:2006/06/28(水) 21:21:13
えみしのさへき

805 :天之御名無主:2006/07/01(土) 07:26:08
ごく普通に考えて
東日本の縄文系住民を
ある時代はエミシと呼び、エゾと呼び
佐伯、ツチグモ、東人(アズマズ)
などと呼んだんでしょうね。

京都においては明治ぐらいまで、
関東出身者をアラエビスとか呼んでたし。

806 :名有りさん@帝王切開:2006/07/01(土) 23:48:44
「アラエビス」って明治期まで使ってたの?


807 :天之御名無主:2006/07/02(日) 00:14:46
東北で暴れてたエミシ

808 :天之御名無主:2006/07/02(日) 06:56:57
蝦夷(がまがえる)

カエルのようは出っ歯が特徴。

桓武の蝦夷征伐絵巻でも出っ歯、デメキン系の蝦夷顔が描かれている。

蝦夷は古墳時代の人骨からデメキンでっっっぱ!!!!!!!!!!!!





809 :天之御名無主:2006/07/02(日) 18:32:44
>>808
じゃあ明石屋さんまは蝦か??

810 :天之御名無主:2006/07/02(日) 20:29:40
>>808


人骨見つかり復元されている。


出っ歯ではなかったよ

811 :天之御名無主:2006/07/06(木) 05:44:56
「えびす」だけなら
昭和40年代まで京都の、
主として年寄りが使ってたそうな。

蜷川知事なんかも陰では
「エビスやけど、ようやってくれはる」とか言われてたらしい。

かわいそうなのは湯川博士。
ご両親は関西人で)?)たまたま東京で生まれたのに
「あの人もエビスや」とか言うアホウもいたとか。

812 :天之御名無主:2006/07/06(木) 14:46:23
男どアホウ京都人

813 :天之御名無主:2006/07/06(木) 14:59:28
蝦夷 東北だろがぁボゲ!

814 :名有りさん@帝王切開:2006/07/06(木) 20:39:59
>>808
カエルに歯があったとは・・

815 :天之御名無主:2006/07/06(木) 21:05:08
関東人は、あずまえびす。

816 :天之御名無主:2006/07/07(金) 02:26:14

阿部牧郎(作家・「それぞれの終楽章」直木賞受賞):両親が大館市出身。本人は京都生まれ

↑この人って京都人からみてどうなの?

817 :天之御名無主:2006/07/07(金) 06:51:51
縦って地名がチョンだし

818 :天之御名無主:2006/07/08(土) 01:53:55
女どアホウ京都人

819 :天之御名無主:2006/07/12(水) 06:45:20
エロ作家

820 :天之御名無主:2006/07/17(月) 15:08:22
昔、東北蝦夷差別発言による
サントリー不買運動があったそうだ。

821 :天之御名無主:2006/07/22(土) 20:09:23
正しくは「クマソ発言」ね。

822 :天之御名無主:2006/07/23(日) 00:59:09
誰か教えてくれ
エビスビールというのはアイヌとか東北に関係あんの?

823 :天之御名無主:2006/07/23(日) 20:31:32
まさか。
恵比寿様でしょ。

ハートランドの次にうまい。

824 :天之御名無主:2006/07/24(月) 09:13:01
えびす【恵比須・夷・戎・恵比寿・蛭子】
「えびす」を大辞林でも検索する

《「夷(えびす)」と同語源》古くは豊漁の神。のち七福神の一人として、生業を守り、福をもたらす神。狩衣(かりぎぬ)・指貫(さしぬき)・風折烏帽子(かざおりえぼし)をつけ、右手に釣りざおを持ち、左わきに鯛(たい)をかかえている。

◆歴史的仮名遣いは「えびす」で、「恵(ゑ)」の字は仮名遣いを無視した当て字。

[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

825 :天之御名無主:2006/07/28(金) 23:28:04
>>821
あっそれだ。

826 :天之御名無主:2006/07/30(日) 22:57:45
 こういう話は、安来の語部さんが得意かも。

827 :天之御名無主:2006/07/31(月) 20:38:18
京都人の名誉のためにいっとくけど、
東国人を見下したりするのって、
やっぱ低学歴、低層の連中だけだからね。

西陣・室町と言えども、そこそこの家で高等教育受けた人は
たとえ「京都セントリズム」に毒されてても、非京都圏を見下すことはない。

蝦夷=縄文系原住民を積極的にとなえているのも
京都学派だし。縄文文明なんて言い出してる。

828 :天之御名無主:2006/08/02(水) 01:25:52
ここのところ濃いアイヌ番組が続いたから楽しみに来てみたら閑散としてるな

829 :天之御名無主:2006/08/31(木) 09:08:18
エミシはアイヌ語でエムシ=刀
蘇我蝦夷は蘇我の刀、武士さんになる

830 :天之御名無主:2006/08/31(木) 19:50:35

東日本人のある時期の「自称」を

古代の関西人が聞き間違えた。

831 :天之御名無主:2006/09/02(土) 02:01:16
>>829-830
わけわからん

832 :天之御名無主:2006/09/02(土) 20:41:29
【日本書紀】
日高見国・・・・・勇み悍し
東の夷は識性暴び強し
その東の夷の中に、蝦夷は是尤だ強し
【続日本後紀】
弓馬戦闘は夷獠の生習
【続古事談】
近衛舎人は弓矢を具すといえども、武勇には及ばぬ者なり

833 :天之御名無主:2006/09/05(火) 01:30:48
>>799
関東武士の先祖って渡来系入植者や東下りの下級貴族でないの?
武蔵北部に郡が多いのは、渡来人を多く移住させたため分郡されたもので
そこから出たのが武蔵七党(称敏達帝後胤など)

>>820-821
クマソって九州人でないの?

834 :天之御名無主:2006/09/07(木) 06:14:02
渡来系入植者や東下りの下級貴族って、数的にはきわめて少数。

特に東くだりの中央軍事貴族を擬制的に始祖と仰ぎ、現地縄文系土豪が武装化したのが、
武士だと思う。
江戸末期にいたっても京都公家が、関東武士をエビスと呼んだのは、多分ゆえ無きことではなかろう。

835 :天之御名無主:2006/09/07(木) 22:16:00
>>833
渡来人の宝庫は大和国檜前とか。
中央貴種の血を在地豪族が取り込む。招婿婚。
秀郷流なら、母系・下野鳥取氏と父系・中央藤原氏(藤成)。

↓秀郷流平泉藤原氏


藤原魚名―藤成(伊勢守)―豊沢(母下野鳥取氏)―村雄(母下野鳥取氏)―秀郷(母下野鹿嶋氏)

秀郷流藤原氏は関東下野発祥。都に進出して鎮守府将軍も輩出してる。軍事貴族。
藤原兼光(足利,小山,平泉藤原祖)も鎮守府将軍。
坂東、都、それに俘囚勢力とも関わりがあった。
10世紀、坂東出身の軍事貴族が東北に進出してる。混血も進んだろう。
下野から都に進出、弓馬での狩猟から離れ、体も華奢になるかも。中央貴族の血も入るし。


・奥州藤原のミイラ(参考:富士大教授,七宮氏)
清衡⇒華奢な体型で手も小さい。父の藤原経清(都の軍事貴族出身)の血を受け継いだものか。
基衡⇒小太りでがっちり型。首の太い猪首。
秀衡⇒腹の出たがっちり型。首の太い猪首。母系の蝦夷の血か。

836 :白馬青牛:2006/09/09(土) 00:43:06
長い間このスレに書いとらんと、蝦夷妄想者が、湧いて出とるのう。
>>832-835
は、越後の越蛇に喰われた関東蛙君、野球・ボクシング青年にして、
白人や黒人に劣等感を抱く、いや関東兵が苦戦した蝦夷にも劣等感を抱く、
『戦国時代板』の「戦国最強の国」スレにも現れた、関東ロデオ武士賛美の
ハッタリ関東丁稚君のレスじゃのう。
>>834
奥州藤原氏は、人種的にアイヌ人や蝦夷、現代東北人よりも、
現代京都人に近いよ。
http://www.pref.iwate.jp/~hp0909/koto/koremade/jinrui/jinrui.htm
現代東北人も、縄文人や古代蝦夷の直系子孫でなく、歴史的に西国・
渡来系の、系統も人種的に増えたと云うべきか。
縄文の直系に近いのは、アイヌ人や琉球人じゃろう。アイヌ人でさえ、
蝦夷を圧迫した、ツングース系沿海州のオホーツク文化人の血も
入っておろう。いやはや、関東や東北の人間は、血族的にも西国や渡来系に
征服された事実を隠蔽する土着優先主義が多いんじゃね。

837 :天之御名無主:2006/09/09(土) 21:50:30
関西から見ると、関東・東北がどうしても同じ民族とは思えないが。

縄文人→蝦夷→アイヌ
   やや倭人かして関東・東北ってのは
文化人類学・自然人類学的定説ではないのか?

838 :天之御名無主:2006/09/09(土) 22:10:18
アイヌ、縄文人、蝦夷は全部別物だよ
蝦夷だって渡来系さ


839 :天之御名無主:2006/09/09(土) 22:30:21
東蛙、西ナメクジ、越後蛇で古代三すくみの完成だね



840 :天之御名無主:2006/09/09(土) 22:41:04
縄文蛇、弥生かえるナメクジ
くらいが一般の認識だろうけどな

841 :天之御名無主:2006/09/10(日) 01:56:01
>>836うし
つか、またアンカーの付け方間違ってるし。史板に来い。


実盛の言葉にあるように、坂東武者が強弓を自在にあやつり、強馬を訓練して人馬一体に乗りこなし、
恐れを知らない騎兵であったことが『平家物語』の他、『源平盛衰記』、『保元物語』などの記述からも
推察出来るのである。(1995年、愛知大・福田以久生氏)


(東国の武士)狩猟民の系譜を引いている者が多く、東国は狩猟民の社会。
東国の武士団そのものも殺伐とした側面が存在。
弓を得意とし、馬を巧みに乗りこなす者たち。

(実盛の発言)東国武士団が西国の武士団のように田畑を支配の中心にすえた武士団ではなかったことを
多少オーバーに述べているのであるが、事実東国は「殺生」や「死」というものについて
重大視しない社会であった。日常的に殺生が行われている社会であった。
(2001年、福島大・伊藤喜良氏)


【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束

842 :天之御名無主:2006/09/12(火) 13:22:39
うろ覚えだけど徳川秀忠の墓を開けたとき出てきた遺体は、腕毛が濃く骨太で、ちょうど今の人で言うと長嶋茂雄のようだった
とか言うような記述を見た記憶があるが、これは東国武士の末裔だからだろうか?それとも無関係で奥三河の縄文系の残存だったと言うことだろうか。

843 :天之御名無主:2006/09/13(水) 19:33:49
ムサシ七党のうちの一つはその先祖が天御中主、、、
そのグループは太陽信仰集団だった可能性が高い。
近所には東光寺が、、、鰻も食べないそうな。

844 :天之御名無主:2006/09/17(日) 12:37:47
あげ

845 :天之御名無主:2006/09/18(月) 05:25:48
蝦夷とアイヌは違うの?

846 :天之御名無主:2006/09/18(月) 13:20:26
原住民(縄文系)の、ある時点での近畿側からの呼び名が「蝦夷」。
多分原住民自身の自称からきているらしい。

恐らく鎌倉以降、東日本原住民と、北東北以北の原住民(どちらも縄文系)は、
別々の歴史を歩みはじめた。
その北東北以北の縄文系原住民が、中世末期(?)からアイタと自称した。

のではないかな?

847 :天之御名無主:2006/09/18(月) 13:34:29
>>845
>蝦夷とアイヌは違うの?
人種的、生物的には全く同じものを指しているよ。
日本はアイヌの国だったんだよ。

天皇がエイリアンなため、それを正視できない
日本史的にはその定義が、ねじくれてるけどね。

848 :天之御名無主:2006/09/19(火) 00:00:53
>>846,847
同じものだったんですね。
アリガトン

849 :天之御名無主:2006/09/19(火) 00:08:23
>>847
エイリアンはおまえだろw

850 :天之御名無主:2006/09/22(金) 20:21:54
蝦夷は強い

851 :天之御名無主:2006/09/30(土) 10:21:37
蝦夷の末裔安倍晋三が総理大臣に就任。
東日流外三郡誌によると奥州安倍家はナガスネヒコの子孫だから、
皇国史観的に言えば日本史上最大の逆賊の子孫が総理になったわけだ。
め で た い !

852 :天之御名無主:2006/09/30(土) 22:44:33
えぞはガマガエル

853 :天之御名無主:2006/09/30(土) 22:47:59
古墳時代から
蝦夷はエイリアン、
デメキン、デッパの
ガマガエルです。
安部といえば本州渡来人の第一波


854 :天之御名無主:2006/10/02(月) 02:56:02
失礼ですが、>>853氏は出自はどこですか?

855 :天之御名無主:2006/10/02(月) 07:20:15
蝦夷とはガマガエルのこと
古墳時代の東北関東の人骨は
デメキンデッパの長頭エイリアン

856 :天之御名無主:2006/10/03(火) 01:02:50
蝦夷とはガマガエルという意味は田しか

857 :白馬青牛:2006/10/04(水) 00:36:45
>>851
「東日流外三群誌」や「秀真伝」、「竹内文書」等、原理主義
新興宗教信者の妄言か。東北人はファンタジーが好きじゃのう。
http:www.yorozubp.com/0506/050619.htm
では、安倍氏を長州人としとる。文章にある「平安時代に大規模な混血を
経ず」とあるが、奥州藤原氏のミイラが蝦夷や現在東北人よりも、
現代京都人に近かったことから、混血は大幅に行われたろう。
蝦夷の人類学的末裔はアイヌ人であり、現代東北人は、北方渡来系と
縄文土着系の混合じゃろう。東北人は郷土の英雄が祭られてない靖国神社に
批判的であると思うとったがそうでもないらしい。
ベルツ氏が日本人種を渡来系の貴族に多い長州型と土着系庶民に多い
薩摩型に分類したんじゃが、まあそれは飛ばして、このサイトの縄文
マンセーの思考も驚いたよ。あんたは、安倍氏を蝦夷を支配下に置いた
征服者の阿倍比羅夫の末裔が安倍氏と解釈しとるんかねえ。

858 :白馬青牛:2006/10/04(水) 00:42:13
http://www.yorozubp.com/0506/050619.htm
じゃったか。弥生人と云うんも、弥生後期〜古墳期の北方渡来系の
ことであろう。

859 :天之御名無主:2006/10/04(水) 01:06:51
>>857

家系

安倍氏 (奥州)の出自と称する。前九年の役にて源頼義、
源義家率いる源氏に破れ、大宰府に配流された安倍宗任の末裔という。
(有力な証拠はないが、傍証する資料については安倍宗任と安倍晋三に
記載されている。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89

860 :天之御名無主:2006/10/04(水) 01:07:49
>>857

安倍宗任と安倍晋三
古沢 襄

◆ 安倍晋三官房長官の父・晋太郎と話をしたことがある。私が岩手県
の出身だといったら「安倍家のルーツも岩手県」と応じてきた。山口
県と岩手県が、どう結びつくのか、晋太郎は「安倍宗任の末裔なんだよ
」と言っていた。
◆ それは、そのまま忘れていたが、宮守村の村会議長だった阿部文右
衛門さんと四方山話をしていたら「安倍晋太郎は東北の王者だった安倍
一族の末裔だ」という。そして、ほどなくして裏付けとなる資料を送っ
ていただいた。石至下史談会の「原姓安倍氏 豊間根家の栞」がそれだ。
◆ そこには「前九年役の敗北」の項に次の記述がある。
安倍宗任、正任は朝廷軍に降り、肥前国松浦(まつら)また伊予国桑村
に流罪、宗任は後、宗像郡大島で生涯を閉じ、地元安昌院に眠る。(天
仁元年 1108)。七十七歳であったという。
宗任の末裔は今は亡き自由民主党幹事長の要職にあった安倍晋太郎氏で
又、子息の晋三氏は父の跡を継ぎて、衆院議員の要職に奔走されている
、とあった。平成十一年の記述である。
◆ 裏付けをとるために「姓氏家系大辞典」三巻で陸奥の安倍氏を調べ
てみた。そこには「肥筑の安倍氏」の項目に、鎮西要略に「奥州夷安倍
貞任の弟宗任、則任俘となり、宗任は松浦に配され、則任は筑後に配せ
らる。宗任の子孫松浦党を称す」と載せたり。宗任の配所は小鹿嶋なり
と伝ふるも詳かならず、とあった。

861 :天之御名無主:2006/10/04(水) 01:09:58
◆ さらに「筑前の安倍氏」の項目には、筑前国宗像郡大嶋に安倍宗任
の墓と称するものあり。伝えて云う。「宗任伊予国に配流せられ、後本
嶋に流され、終に此の地にて死せり。その子三人、長子は松浦に行き、
松浦党の祖となり、次男は薩摩に行き、三男此の嶋に留り嶋三郎季任と
云い、その子孫今に此の嶋に残れり」旧志略に見ゆ、とあった。旧志略
の方が鎮西要略よりも詳しい。しかしいずれも配流された蝦夷の頭目と
いう扱いになっている。
◆ それが平家物語になるとガラリと変わる。その剣の巻に「宗任は筑紫
へ流されたりけるが、子孫繁盛して今にあり。松浦党とはこれなり」と
ある。平家は西国の水軍と密接な関係があった。松浦党はまさしく水軍
で、後に博多湾に来襲した蒙古の軍船と壮絶な戦いを演じて、勇名を轟
かせた。
◆ また宗任の墓がある筑前国宗像郡大嶋は、水軍の根拠地となっている
。この松浦党は壇ノ浦の海戦で平家方についた。だが、源氏との恩顧も
忘れていない。平家物語は「源義家の請によりて、宗任を松浦に下して
領地を給う」としている。
◆ 安倍貞任は猪突猛進型の武将だったが、宗任は知略に優れた名将とい
われた。安倍一族を滅ぼした源頼義・義家親子は、宗任の武略を惜しみ
、死一等を減じて朝廷から貰い受けている。そして頼義の領地・伊予国
に連れてきた。配流とは名ばかりで、間もなく松浦の領地を与えた。
◆ さて安倍家が松浦姓を名乗らずに安倍の本姓を名乗ってきたのは何故
であろうか。安倍家は山口県大津郡油谷町の名門で、晋太郎の父親は安
倍寛、戦前の衆院議員である。晋太郎は自らを安倍宗任と末裔といった
が、その根拠はいわなかった。
◆ 私は宗任の長男が祖となった松浦党の系譜ではなく、水軍の根拠地
・大嶋に残った三男の末裔でないかと思っている。それなら安倍の本姓
を名乗ってきたことの説明がつく。安倍家には、その言い伝えが残った
のであろう。

862 :天之御名無主:2006/10/04(水) 17:56:04
安部なんてどうみても
天孫フジグループか
出雲韓国系に近い渡来系だろ。

863 :天之御名無主:2006/10/04(水) 23:02:32
阿倍比羅夫の征服w

阿倍比羅夫の蝦夷地旅行記

864 :白馬青牛:2006/10/06(金) 01:42:36
>>863
阿倍比羅夫の遠征は、蝦夷の饗応を受けたことから、蝦夷が恭順し、
海路による点と線の支配をした云うこと。
また、粛慎(オホーツク文化人)に圧迫された蝦夷の要請から、
蝦夷も引き連れ、阿倍比羅夫が粛慎征伐をした。旅行記じゃないね。
東北旅行記なら、後世の江戸後期の古川古松軒の『東遊雑記』や
イザベラ・バードの『日本奥地紀行』じゃろう。
『日本奥地紀行』で、山形やアイヌ人を誉める記述もあったが、
東北人の貧困、不潔さ、汚さ、吹出物が多く、目が悪いこと等も
出とるね。

865 :天之御名無主:2006/10/06(金) 02:02:22
仙台藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
仙台藩 (せんだいはん; 仙臺藩。以下、常用漢字の仙台 を使用) とは、江戸時代に陸奥国宮城郡仙台 (現在の仙台市) に居城 (仙台城) を構えた東北地方最大の藩。
表高(将軍家公表石高)は62万石であり、加賀藩、薩摩藩に次ぎ、尾張藩とほぼ同じだが、実質石高は200万石を超え当時の日本で最も大きな藩であったといわれる。
大広間詰国持ち大名。藩主は外様大名伊達氏。代々、将軍家より松平姓を許されていた。歴代藩主にはほぼ全員に陸奥守の官位が与えられた。

↑こういう人たちもいたでしょ?イザベラバードの本には仙台、南部地方はでてこないんでしょ?


866 :天之御名無主:2006/10/06(金) 02:05:21
新渡戸稲造
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ec/Inazo_Nitobe.jpg/180px-Inazo_Nitobe.jpg

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、文久2年8月8日(1862年9月1日) - 1933年10月15日)は、
農学者、教育者。国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、
流麗な英文で書かれ、名著と言われている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。

概要

現在の岩手県盛岡市に盛岡藩士 新渡戸十次郎の三男として生まれる。
祖父の新渡戸傳(つとう。十次郎の父)は幕末期に荒れ地だった南部盛岡藩の
北部・三本木原(現在の青森県十和田市付近)の灌漑事業を成功させ、稲造の
父・十次郎もそれを補佐していた。新渡戸家は傳を始めとした英才を輩出していたが、
稲造の曾祖父で兵法学者だった新渡戸維民(これたみ)が藩の方針に反対して僻地
へ流されており、父・十次郎も不祥事に連座したとして切腹を命じられるなど、
必ずしも恵まれた境遇ではなかったと言われる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B8%A1%E6%88%B8%E7%A8%B2%E9%80%A0


↑こういう人たちもいたんだし

867 :天之御名無主:2006/10/06(金) 02:11:40
地域にもDNAがある―水沢市で考えたこと(2)

2002年11月14日(木)
メディアケーション 平岩 優


仙台藩校にはロシア語講座

 大槻磐渓一家が帰郷した当時の仙台藩校養賢堂は幕末の日本で屈指の洋学研究機関だった。
『言葉の海へ』によれば、養賢堂の財政基礎は学田1万2000石に置き、その敷地は現在の宮城県庁と仙台市役所一帯を占める広大なものだった。

 「教授法の改革、蘭学など諸講座の増設、教員登用試験制度の新設、学生への文房具の官給、
他藩からの留学生寮の設置、聖廟の建設、印刷所と図書館の付設。また、江戸に住む大槻玄沢の
協力を得て、医学館と施薬所を藩校から独立させてもいる。いまの大学の医学部と付属病院にあた
るもので、内科外科を持つ総合西洋医学校は当時仙台藩だけのものだった。」さらに、「兵学講座に
鋳砲、操銃、造船の各科を置いて西洋式訓練とゲーベル銃を採用、ロシア語講座を新設、工学部に
あたる開物方を設け技術の研究指導機関とし、産業の開発をいそがせている。」こうした成果が、
松島湾内の造船所で進水した日本で初めての洋式軍艦「開成丸」に結実している。「同時に庶民教
育にも力をそそいでいる。養賢堂内に商人や農民の教育機関日講所を設けるほか、養賢堂分校の形で、
仙台市内に小学校を試みに開設している。藩の富国強兵には、まず教育の底辺の拡充が、
長期計画として立てられなければならぬという考えである。」

http://www.yorozubp.com/0211/021114.htm

868 :天之御名無主:2006/10/06(金) 02:28:14
大槻文彦について

 維新後、24歳になった大槻文彦は再び、東京に向かう。やがて母校である開成所(大学南校に改称)に入学する。
この旧幕時代の機関・人材が文部省の母体となる。文彦は「西洋文法と日本文法の比較研究をつづけ」明治5年に
文部省に出仕する。そして仙台・養賢堂構内に宮城師範学校を開設するために仙台に2年間赴任する。そして、帰京後、
17年間を費やして『言海』を編纂する。辞書が刊行されてから、文彦は本籍を父祖の土地に移し、岩手県に転籍して、
中学校の校長などを務める。後に東京に戻つてからも、仙台領出身者への育英事業にも精をだすし、
仙台にかかわる著述や高野長英など洋学に関する著述も続けていった。

http://www.yorozubp.com/0211/021114.htm

869 :天之御名無主:2006/10/06(金) 02:41:44

養賢堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1. 江戸時代の仙台藩の藩校。本稿に記述。
2. 東京の出版社。科学・工学・農学関係の専門書をおもに発行する。


養賢堂(ようけんどう)は仙台藩の藩校。正式には明倫養賢堂。


沿革

藩の子弟を教育するために、元文元年(1736年)5代目藩主・伊達吉村のとき、仙台城下・北三番丁細横丁の武家屋敷に開設した学問所を前身とするという。
宝暦10年(1760年)7月に医学教育を開始。宝暦11年(1761年)3月に北一番丁勾当台通り(現在の宮城県庁辺り)に移転。安永元年(1772年)に養賢堂に改称。

文化14年(1817年)の頃には、校舎の大幅な拡張工事が行われ、また、養賢堂から仙台藩医学校を分離設置した。
文政5(1822年)に仙台藩学校蘭科を開設し、わが国初の西洋医学講座を実施した。

養賢堂は、幕末には額兵隊の宿舎としても使用された。額兵隊隊長の星恂太郎も養賢堂の出身である。一説には、
新撰組の山南敬助もここで学んでいたというが、名簿に名は見当たらないらしい。戊辰戦争を期に賊軍となった仙台藩において、
養賢堂は明治政府に接収されて、後に宮城県庁として使用された。正門だけは移され、現在では泰心院の正門として残っている。
養賢堂はその後第二次世界大戦で焼失。現在は現代的な県庁舎が建っている。

他方、仙台藩医学校は、明治2年(1869年)に施薬所と改称し、以後、改組・改称を繰り返し、最終的には1912年に東北帝国大学医学専門部として包摂された。
現在は、東北大学医学部となっている。

870 :天之御名無主:2006/10/06(金) 02:43:03
>>869のつづき

学問

対象は八歳からで、三度落第したら退学という決まりになっていた。主に、孝経、小学本註、四書集註などを学んでいた。
その後藩内各所にも学問所等が開設され、仙台藩は諸藩と比べても極めて高い教育水準を持つこととなった。林子平、
高野長英などはここの出身である。仙台藩には、彼らに加えて建部清庵、大槻玄沢など蘭学者が多かったことから、
ある時期以降は蘭学も教えられるようになった。大槻平泉が学頭となったとき、大胆な改革が行われ、
以後息子の大槻習斎や親族の大槻磐渓(漢学者)など、大槻氏から多くの学頭が輩出されることとなる。

上記以外の出身者・関係者

* 大槻文彦(養賢堂で学んだ国語学者。日本初の近代的国語辞典『言海』の編纂者。大槻玄沢の孫で、大槻磐渓の息子)
* 千葉卓三郎(五日市憲法の起草者。養賢堂で学んだ)



正門

文化十四年(1817年)、講堂と共に完成。 明治維新後、養賢堂が新県庁舎に使用され、洋風の門が新たに建設されるのに伴い、
勾当台にあった養賢堂正門は、仙台市若林区南鍛治町に移された。養賢堂の遺構として現存する唯一のものである。

造りは、一間一戸の四脚門であり、屋根は切妻造、棧瓦葺であり、また伊達家の家紋「三引両」と「九曜」を配した漆喰塗の棟や細部の装飾などで重厚な外観となっているのが特徴である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%B3%A2%E5%A0%82



仙台藩は諸藩と比べても極めて高い教育水準を持っていたんですね。

871 :白馬青牛:2006/10/06(金) 23:11:05
>>865-866
イザベラ・バードの『日本奥地紀行』は、東北でも比較的豊かな出羽地方
経由で、仙台藩や岩手南部藩の地は経由しておりません。
http://homepage3.nifty.com/bagusnya/bengyu/kikin2.htm
仙台藩や南部藩・津軽藩も大変じゃったね。【飢饉とは】に、
「死人はおろか生きている人間まで殺してその肉を食べたという、まさに
生き地獄さながらの残酷悲惨な話が伝えられている。ところが、
武士階級の餓死者はわずかであったというから、飢饉の惨状に拍車をかけた
最大の要因は、まさに支配者と被支配者の生活条件の隔絶にあったと
いえよう。これが幕藩体制の一つの特質でもあった。」と、あるが、
幕藩体制のせいと云うより、東北の縦型隷属小作社会が悲劇に拍車を
かけたんじゃないか。上下の隔絶した社会、旧共産圏や現在の北朝鮮の
ような、まさに上下の隔絶した社会で、エリート層(共産主義社会の党員)
の教育水準が劣っておらんかった云うても、意味がない思うんですが。
庶民の教育水準を云うべきでしょう。東北の隔絶社会は西日本人が、
経済的に支配したせいじゃ。と云う言い分もあるでしょう。例えば、
http://www.kurikomanosato.jp/00x-50om-kaihatu-22.htm
の、帰化人(渡来人)の末裔、近江商人の東北進出のように。帰化人による
経済的支配は、蝦夷時代に遡るんでしょうけど。


872 :天之御名無主:2006/10/06(金) 23:31:56
 

藩主となった重村は、さっそく飢饉で弱りきっていた領民を保護する政策を打ち出しました。
 宝暦十二(1762)年より、百歳以上の老人に養老棒と称して二石の終身米を与え、
また明和二(1765)年からは、双子を生んだ母親に米五石、三つ子の場合は七石五斗を与えることと決めました。
 こういった動きに対して、藩内でも学者や僧侶層を中心として、幼児や妊産婦の保護についての関心が高まっていき、
寛政四年(1792)年には、すでに隠居していた重村と八代藩主・斉村(なりむら)が、
領民保護のための財源として合わせて二百両を下賜しました。
 そして、寛政六(1794)年には、「御先代様(斉村)思召を以って赤子養育御世話の儀」
(肝入文書)として藩でも本格的に保護策に取り組み始め、さらに文化四(1807)年には、
郡奉行・二瓶運治、郡方横目・新妻元之らにより正式に制度化され、それぞれの配下に
赤子養育方係横目を、また村々には大肝入の配下に赤子方村制道役という役職が設置されました。
 この役職は「赤子養育仕法」に則って領内の村々を巡回し、
・領民に対する堕胎・間引を防ぐための教育
・幼児の養育状態の監査
・懐妊婦の保護および出生調査の実施
・養育費の支給
 などを行いました。


http://homepage1.nifty.com/akabeko/kanshin1.JPG
赤子養育所が置かれた仙台城二の丸
 このような動きは、当時全国各地で見られましたが、仙台藩でも仙台城二の丸に赤子養育所を設置するなどして、藩全体で幼児の保護と養育に務めました。
 この江戸時代の母子福祉法は、明治四年(1871)の廃藩置県まで続き、多くの命を救っていきました。

観心院
http://homepage1.nifty.com/akabeko/kanshinin.htm

873 :天之御名無主:2006/10/06(金) 23:32:43

 この仙台藩の政策の陰に、ある一人の女性の姿がありました。
 その人こそ藩主重村の正室・年子でした。
 かねてよりこの政策に賛同していた年子は、寛政五(1793)年、
化粧道具などの身の周りの品々を売り払うなどして二万両もの私財を工面し、養育資金として提供しました。
 そしてこの資金は、翌年の赤子養育仕法の制定に大いに役立てられました。
 年子が幼児の養育に力を入れた理由として、彼女自身あまり子宝に恵まれなかったことが関係していると思われます。
 年子は、嫁いでから6年目の明和二(1765)年12月25日に長女、明和七(1770)年9月7日に次女、
そして安政四(1775)年の12月19日には三女と、3人の女児を出産しました。
 しかし、長女と三女は生まれたその日のうちに亡くなり、成人したのは次女の満姫だけでした。
(ちなみにその満姫は14歳で井伊玄蕃頭直富と結婚しましたが、その4年後に直富が他界したためにわずか18歳で後家となり、その後75歳で没するまで仏門で過ごしました。)
 そして重村と年子の間には男子が産まれなかったため、側室・郷子の生んだ斉宗が八代藩主となりました。

http://homepage1.nifty.com/akabeko/kanshinin.htm


874 :歓心院について:2006/10/06(金) 23:39:19

 領内の治安維持のために毅然とした態度を見せる一方で、領民思いで慈悲深い一面も見せています。
 当時、仙台藩の江戸藩邸の人足小屋は土間造りで、毎日の食物もとても粗末なものでした。
観心院はそれらを改めさせ、また火見櫓にいる者には、それまで許されていなかった頭巾の使用を認めました。
 囚人たちに対しても、牢舎の窓に紙を張らせて寒風を防いだり、一年に二回牢から出して髪の手入れや入浴をさせ、
さらには監内の散歩も許しました。囚人たちはこれらの改善を「観心院様の思召し」と呼び、非常に感激したとのことです。
 また寛政九(1797)年六月には、安南に漂流していた領内の八人の漁夫たちを城中に招き、苦労をねぎらったといいます。

http://homepage1.nifty.com/akabeko/kanshinin.htm


875 :歓心院について:2006/10/06(金) 23:40:02

 仙台城の東側には、仙台のシンボルのひとつである広瀬川が流れています。
 飢饉の時には、多くの人々が食物を求め、藩内はもちろん隣藩からも藩境を越えてこの広瀬川の近辺に集まって来ました。
 仙台藩では広瀬橋の付近に救助小屋を設け、粥を与えるなどの救助活動を行いましたが、それでも数万人もの人々が命を落としました。
 このときの被災者を供養するため、観心院は広瀬橋のたもとに桃源院という寺を建立し、灯ろう流しを始めたと伝えられています。
 以来、盂蘭盆に”川施餓鬼”を修行する慣例に従い、毎年灯ろう流しが続けられてきました。
 戦後、一時中断したものの、現在は毎年8月20日に実施され、仙台市民の間で晩夏の風物詩として親しまれています。

 観心院が眠る大年寺、そのふもとを流れる広瀬川の水面が数多の光で満ち溢れる頃、仙台には秋の気配が漂い始め、短い夏の終わりを告げます。

http://homepage1.nifty.com/akabeko/kanshinin.htm

876 :歓心院について:2006/10/06(金) 23:40:39

 そしてまた彼女は、藩の切り盛りをするほどの才知の持ち主だっただけに、なかなか機知に富んだ女性でもありました。
 それは、芝の増上寺で行われた将軍家の法要において、幼少であった藩主・周宗の代理として参列した時のことでした。
 そもそも山門に入る行列の順序は、徳川御三卿(田安、一橋、清水)・御三家(尾張、紀伊、水戸)の後に、加賀・薩摩・仙台と諸藩が続くのが慣わしでした。
 が、この時仙台藩の行列は、誤って御三卿の後に輿をつけてしまったのです。
 当然、境内警護の役人はこれを見咎め、行列を止めにかかりました。
 しかし観心院は臆せず、近習の侍に「関白近衛内前の娘年子」と名乗らせ、堂々と寺の中に輿を進めました。
 宮中の席次で言えば、関白は仙台藩はもとより将軍家よりも上席にあたるために役人は阻止できず、この行列を見送るしかありませんでした。
 この出来事はあっという間に広まり、人々は仙台の名産品になぞらえて「味噌屋の御後家様、男勝りの人」と言い合って、江戸市中で評判になったということです。

観心院
http://homepage1.nifty.com/akabeko/kanshinin.htm

877 :白馬青牛:2006/10/06(金) 23:57:45
わしは、帰化人(渡来人)による、東北利権収奪があったと思うんです。
http://homepage2.nifty.com/rekikon/kaisou_touhoku.html
の、17.に、黄金を献上した百済王敬福。24.鎮守将軍百済王俊哲の
跡を請けて百済系と密着し百済系と同盟的、同一視してよい、渡来人の
東漢系坂上田村麿らの蝦夷征伐は、敵は蝦夷でなく、東国に影響力を
持つ大伴氏(東国の防人を九州に派遣したりした。)から、東北利権を
奪うことにあったんでないんか。と思えるほどじゃ。
近江の蒲生郡は、百済系移住、鬼室集斯等700余人と日本書紀に出て
おるし、神前郡の百済400余人の記述もある。東北の歴史は、
渡来百済系の支配や商業資本による収奪要素を無視できんね。

878 :白馬青牛:2006/10/07(土) 00:45:12
>>872-873
ふーん、東北地方じゃ、堕胎、間引きなどの嬰児殺しが頻繁に行われ
とったんか。42歳じゃ駄目で、双子以上は「畜生腹」か。
間引きを罪悪と考える、浄土真宗の影響の強い安芸広島地方からすると
考えられんよ。
庶民間に、間引きが当然と考える社会に、為政者が、にわか仕立てに民衆を
教育しても庶民に浸透せんよ。東北社会も西日本のように、村の代表者は
選挙で決めるようにならんと。東日本に特徴的な世襲性じゃあねえ。
先進的近畿地方で育った年子さんも、後進的な東北地方で大変な苦労を
されたね。東北の山形で君主になった大分人の上杉鷹山も、伝統的に
民主的基盤のない専制縦社会の東北で苦労された。西日本の価値観を、
東日本へ流入させるのも大変なことじゃね。

879 :天之御名無主:2006/10/07(土) 01:05:55
明治四年までつづいた母子福祉法はにわかじゃないよ

880 :天之御名無主:2006/12/17(日) 03:43:44
みなさん、アザゼルが人間に何を教えたのか知っていますよね?

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/987989033/790-794

↑これを読んでください。以下の文が含まれています。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
794 つづき New! 2006/05/17(水) 19:02:46
また、狂言に、「さて人と言うものは、中にも えた芸 があるものじゃが」 と言う言葉がありますが、この えた芸 は、習得した優れた技 と言う意味です。

日本に渡来した 最高の叡智集団 には、ジグラットやその他の美術文芸を担った 技術集団 フリーメーソン が随伴した筈です。

その人々は、えた芸 を持っていました。日本での職種 は、農業ではなく 鍛治 酒作り 番匠 仏師 鷹匠 鍋師 漆屋 塗り師 弓打ち 畳刺し 石工 猿楽 鵜匠 鞘師 鞍師 紅売り 舞太夫 蓑作り 笠縫 土
鍋師 墨師 傀儡師 獅子舞 鋳物師 麹師 屠殺皮肉師 隠密 祝人 ほいと など、高度な技術を必要とする約40ほどを専門職種として居ました。

シュメール 以来の中心技術者 は、 石工 メーソン  であります。 シュメールでは、神殿の石積みを行う メーソン がそれら技術者の中心だったのです。その他の技術者を含めて フリーメーソ
ン と言ったのかも知れません。日本では、終戦前まで 鍛治屋 鋳掛屋 氷屋 等の技術行商は、 えた の専門職域でした。

この場合の えた は、役多 と言う当て字が良いでしょう。古語で 役 は え と言いました。 えた は、叡多 または 役多 を当て字とするのが良い事になります。
http://www.ani.gn.to/new_page_42.htm
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
↑この文に記されているえた芸こそ、アザゼルが人間に教えたものそのものである、と思うのです。

881 :天之御名無主:2006/12/26(火) 01:14:30
最近発覚した。どうも俺の父親の家系が蝦夷らしい。
父方の祖父が仙台出身、現在は静岡に住んでる。
ちいさいころからうちの先祖は武士だなんだいってたが…歴史の漫画なんかにも登場してるとかしてないとか。
蝦夷って力が強くて(野蛮?)恐れられていたとか聞いたことはあるが
たしかに父方の祖父は80近いのに180近い身長だし
父も俺も背はでかい。俺はガリガリだけど握力とか体重、見た目からは考えられないような数値だ。
またこれは別の問題かもしれないけど
どうも父のほうの家系だと女は早死に、男は長生きする、すごく元気。
父の兄弟は、男(父)・女・女・女・女の5人だけど50まえで女の兄弟が2人亡くなっている。
父の母も50前後だったとか。
俺の家は呪われてるのか?
なんかちゃんとした資料とかないから本当かどうかしらんが
もし先祖が蝦夷だとしたら得なのか?損なのか?

882 :天之御名無主:2006/12/26(火) 10:53:51
>>881
心配するな。安倍首相も安倍一族の末裔を謳っている。

883 :天之御名無主:2006/12/27(水) 22:52:25
>>881
蝦夷はサントリー飲んじゃだめ

884 :天之御名無主:2006/12/27(水) 23:50:33
>>883
東北人の俺は実際サントリー不買運動を経験した訳だが

885 :天之御名無主:2006/12/28(木) 00:51:21
>>884
ほほう

886 :天之御名無主:2007/01/04(木) 02:36:44
うし(笑)

887 : ◆H45v9/uSsk :2007/01/05(金) 23:11:06
ここは古巣じゃけんのう。


坂東殿ばらは弓は上手なるもの
空立つ鳥を射て落といたり
さても上手や空飛ぶ鶴を落といた
若い殿御が翔け鳥射たる弓手は
さても射たのふ見事や弓の姿は
(『田植草紙』晩歌一番)

重籐巻いたる弓のふりをしてな
坂東殿ばらの肩に掛からばやな
弓のふりして坂東殿御にほれたよ
何と言うても思うに寄らぬ我が身や
厳しいは坂東殿御の姿よ
(『田植草紙』晩歌三番)

田植草紙・・・鎌倉〜室町期の中国地方の小歌、広島県山県郡。

888 :白馬青牛:2007/01/10(水) 01:58:01
>>887
また同じコピーか。つまらん風評唄よ。実際の新田勢らの坂東武士は、
小勢の播磨赤松悪党軍(中国地方悪党集団も含む)にボロ負けじゃ。
戦闘下手よのう。

889 :天之御名無主:2007/01/13(土) 08:58:11
日本人の五割か六割は蝦夷、と言うか縄文人の血をひいてんだし。

むしろ今の世の中、純弥生系のほうが少数派だろう。

喜田サダキチが東北で講演したとき、「我々は蝦夷の子孫か!」
と抗議受けたとけど、「蝦夷>>>>>和人」を説明したら
喜ばれたとか。

890 :天之御名無主:2007/01/13(土) 18:47:33
ていうか明治以降の国内における日本人の流動性考えたら
ほとんどの日本人は縄文人や弥生人やありとあらゆる血が混ざってると思われ
むかーしの話だが80年代アイドルが全盛だった頃
NHKの歌番組(今でいうポップジャムみたいなもの)で
「アイドルの顔立ちはモンゴロイドが多い」みたいにマジで解説してたの覚えてるが
今のポリティカル・コレクトネス社会じゃありえん言説だな
俺は両親の血筋も生まれも育ちも東北だが
自分が純粋な蝦夷だなんて思ってないよ

891 :天之御名無主:2007/01/13(土) 21:13:02
東京の同期入社が東北のことをエゾだなんだと言ってたので
「関西から見れば関東平野もエゾ地や」と言ったら
(母が秋田出身なので)

まあ怒りやがったなあ。

892 :白馬青牛:2007/01/15(月) 22:21:12
>>889
弥生系云うんは、全国的に大多数を占めた在来縄文形質の弥生人じゃ
のうて北方新モンゴロイド渡来系弥生人のことじゃろう。
古墳時代の大量渡来系を含め、現代本土日本人は渡来系が多数派になった。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/kao-ten/kao/jomon/jomon01.html
終わりの文の方に「現代日本人は、平均として北方弥生系7〜8割、
南方縄文系2〜3割の比率で混血しているというのが、最近の人類学の
結論である。だから、日本人(和人)は北方系のイメージが強いので
ある。」割合については埴原和郎氏の7世紀の住民構成、縄文系1に対し
渡来系25〜8,6と様々じゃが渡来系が多数派であることに違いない。
右の方の解説に「被支配者として虐げられた縄文人の南方系の顔は、
甚だしい場合は鬼の顔にさせられてしまった。」とあるが、
ベルツ博士は、満洲・朝鮮由来の北方系の高貴な顔を長州型、南方系の
庶民的な顔を薩摩型と名称された。「純粋」な渡来系・縄文系は
確かに少数派じゃろう。つまり多数の渡来系と少数の縄文系の混血じゃ。

893 :白馬青牛:2007/01/15(月) 23:07:35
渡来系と縄文系は人間だけじゃのうてネズミにもある。
http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb/no22/index.html
「ミシガンへ」の右の方の図、「野生マウス亜種の分布から推測される
日本人の祖先とマウスの移動」で、ムクルクスは人の移動とともに中央部を
占拠し、カスタネウスは北に押しやられた。」とピンクのムクルクスが、
華北・朝鮮・日本列島の大部分を占め、華南や東北・北海道に緑の
カスタネウスが残ったこと。埴原和郎氏が本土日本人の中で縄文形質が
最も残っとるんが青森・岩手とされたことと関連するかも知れん。
秋田の方へ行くと韓国系の顔が増えるんじゃろうけど。今から20年ぐらい
前の日本TVの秋田美人の特集番組でも、秋田美人?のアイヌ説、白人説
もあったが、結論的に韓国人に容貌が近いんじゃなかったか。韓国人に
一番多いHLA遺伝子B44−DR13の北陸・東北西部への拡散か?

894 :天之御名無主:2007/01/17(水) 04:30:13
>>891
京都のばあちゃんはそういう認識だったよ
まあ間違ってないけどな

895 :天之御名無主:2007/01/18(木) 20:49:43
>縄文系1に対し
渡来系25〜8,6と様々じゃが渡来系が多数派であることに違いない。


直感だけど、

関西:弥生8、縄文2
関東、九州:弥生4、縄文6
東北:弥生6、縄文4
ウタリ:弥生8、縄文2

ってとこぢゃね?


896 :白馬青牛:2007/01/20(土) 00:32:43
>>895
一般的に近畿より東じゃあ、西から東、南から東へ行くほど縄文系が
残っとるんじゃないか。
http://www.han.org/a/half-moon/hm049.html
1、最初の方に、埴原氏の近畿地方や中国地方の古墳時代、
渡来系8−9割、縄文系1−2割の混血率、関東地方の混血率は
渡来系7割、縄文系3割になるんじゃろう。大量渡来の背景には、
イナゴの大発生や干ばつもあろうが、気候寒冷期の五胡、ゲルマン等
世界的な北方民族移動も考慮すべきであろう。
http://www2g.biglobe.ne.jp/~gomma/data99b.html
上の方に●関西顔?●作者から、埴原和郎氏の北部九州、中国、近畿地方と
その他の地方の形質の違い、近畿地方の貴族顔(本土西南部に多い長州型)
と東日本の庶民顔(薩摩型)との違い、近畿地方の弥生〜古墳時代に、
「その背景に百済、高句麗からの移民が多くあったこと」や、
東日本や南九州に比較的に縄文顔が残っとること。確かに関東・東北は
東南アジア系の容貌が西日本に較べ多いんじゃないか。
あんたの直感じゃあ、アイヌ系や東北人が九州、東北よりも弥生系(渡来系
のことと解釈する)が多いんは矛盾しとるよ。

897 :天之御名無主:2007/01/20(土) 02:01:14
近畿厨毒の白馬先生

898 :天之御名無主:2007/01/20(土) 07:00:58
ハニハラ先生は近畿人(弥生人子孫)のことを
「美的には面白くないほうに小進化した」とか言ってたからなあ。

899 :天之御名無主:2007/01/20(土) 23:19:42
関西の瀬戸内あたり、縄文時代に低湿地帯で
人がほとんど住んでなかったところ以外は、大体同じ。
津軽海峡は普通の船で渡れなかったので縁が薄くなった後で
別の民族が流入してきた可能性はあるけど、
後は、瀬戸内以外は大体同じ。つまり瀬戸内=侵略者なだけ。
つまり、瀬戸内に中国人嫌いの、中国人の子孫が集中しているだけ。

900 :天之御名無主:2007/01/26(金) 02:42:01
900

901 :天之御名無主:2007/02/06(火) 22:19:09
NHK教育 2月6日 22時25分

知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 
佐治敬三 良く稼ぎ、良く使え


こいつか。

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