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田中正造神話を粉砕しよう

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:04:56 ID:3Bt/M4aI0
皆さんは、小学校の国語、中学の社会、高校の日本史で、足尾鉱毒事件について、田中正造が政府が何もしてくれなかったので、明治天皇に直訴したと教わったと思います。
しかし、これは真っ赤な嘘です。
当事者の古河鉱業は、加害者責任をすぐに認めて被害者に賠償金を支払い、政府は徹底した公害防止対策を立ててこれを命じ、古河はそれを忠実に実行し、その結果、被害農地は直訴以前に回復の兆しが現れ、直訴の3年後には完全に回復しているのです。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 22:11:57 ID:6tgeuDXJ0
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              し \:::
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                  \

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 23:09:06 ID:vNg5h0F20
       ____
     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   蔵の中で面白い組み木細工みつけたお!
  |     |r┬-|     |   相当な年代ものだから値打ちがあるはずだお!
  \      `ー'´     /

       ____
     /⌒  ⌒\
   /( ⌒)  (⌒)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   これ、お前らに上げるお!彼女にでもプレゼントするといいお!
  |     |r┬-|     |   うはwww気前ヨスwwwww
  \      `ー'´     /
_____       (⌒)  
|―┤| |__|       ノ ~.レ-r┐、  
|―┘| |__|       ノ__  | .| | |
| ┌┴ュ┐ |    〈 ̄   `-Lλ_レレ
| ̄|  [_ |‐'|     ̄`ー‐---‐‐´
|_| ̄|_| .| |ことりばこ本館  【8箱+3箱】 
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1157797995/



4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 20:27:45 ID:tu/PrIKw0
一番問題なのは、早くも小学校の国語教科書で「田中正造」を教えていることです。
教育出版の6年の教科書に載っている、童話作家来栖良夫の「田中正造」がそれですが、次のような部分があります。
「明治政府も、銅山のあたえる被害を認めないわけにはいかなくなった。鉱山側も、わずかの補償金を出して、被害地の人たちをなだめすかし、あるいは、<(欧米の)機械を入れて、鉱毒を出さないようにする。>と言ったが、被害はますます激しくなるばかりである。」
事実は全く違います。


5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 21:22:34 ID:U/H+j67q0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0
wikiにもそんなこと書いてないなあ。
明治天皇への直訴のときはまだ古河鉱業になってないし。
ただ直訴状の原文を幸徳秋水が書いたってのが気になる。
キリスト教ともつながりがあるし何か匂う人物ではあるね。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 21:49:48 ID:Ir+HX+Vd0
安彦良和の「王道の狗」に出てきた田中正造像は豪快で面白かったな。

この漫画での悪役は外務大臣の陸奥宗光。次男が古川鉱業経営者の養子だし、
議会で田中正造の質問を「意味が分からない」と一蹴したからね。

住民から石を投げられても、国策の為と自分の考えを曲げない陸奥。どちらも
男だけど、住民はたまったもんじゃないわな。移住するにも知識・資金がないとね。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 09:49:25 ID:FWrby6ps0
現実問題として、いまだに足尾ではまともな米も野菜も作れない。作ったと
しても売れない。
>>1の意図が解らない。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 10:50:59 ID:wjiPjcSd0
いまだに足尾の植樹とかやってるのを知らないんだろ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 15:42:36 ID:qEjjh6280
>>5
幸徳秋水に文章を書いてもらったのは
思想的な問題よりも文章能力の問題らしい。
ttp://www.shimintimes.co.jp/yomi/aruku/34.html
http://natto.2ch.net/mass/kako/1013/10133/1013329247.html (320あたりから)

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 21:14:57 ID:+VOB/N0+0
田中正造が始めて国会で質問をした2ヵ月半後には、政府は「原因は足尾銅山からの排出物にある」と官報で公表しました。「認めざるを得なくなった」のではありません。
足尾銅山主の古河市兵衛も、この結論に何一つ異議を挟まず、すぐに被害農民と示談交渉を始め、8500戸ほどの被害民に総額で10万円(今のお金で10億円)ほどの損害賠償金を支払いました。
この行為が、なぜ「なだめすかした」ことになるのでしょう。




11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 21:33:02 ID:IudpM3hL0
>>10
ソースは?

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 22:05:59 ID:UaxPih5Z0
>>11
古川工業の社内報じゃないの?w

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 23:02:20 ID:ubQ2KkJp0
北海道大学の構内、図書館横には
古河講堂なる明治に古河から寄贈された金で造った
白塗り木造の洋風建築があって今も研究室が入ってる。
観光目的での立ち入り禁止。
横を通る度に「汚い金で作りやがって・・・」と思ってた。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 23:07:43 ID:2WO3qrhc0
>>1は古川工業の社員。
ブルジョワの狗は血祭りに上げなければならない。
PCに詳しい人、1の個人情報を晒せww

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 23:27:17 ID:u2Iv+g+n0
『直訴は必要だったか砂川幸雄著。足尾鉱毒事件の真実との副題、興味をもって読みました。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 23:32:50 ID:IudpM3hL0
直訴しなきゃ、陸奥宗光に握りつぶされていたんじゃ?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 23:47:10 ID:u2Iv+g+n0
足尾の植樹運動凄い。今年の夏見てきました。もう一度足尾の歴史を見直さなければね。「公害の原点の町」なんて気の毒です。



18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 23:56:28 ID:u2Iv+g+n0
足尾の植樹素晴らしかった。今年の夏みてきたよ。『公害の原点の町」なんて気の毒です。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:28:15 ID:u7i7hACe0
足尾の人達にこのスレ教えてあげたい。どういう反応するか・・・


20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 09:38:58 ID:kjYZJ4WS0
>>18 >>19
君の言ってる通りなら、公害には企業もかく対処すべしと言うモデルケースとして、
「公害の原点の町」は妥当だし、むしろ誇りにすべきキャッチフレーズではないかな?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 21:11:25 ID:D36LGMxo0
「被害が激しくなった」のも、加害企業のせいではありません。明治29(1896)年の夏、渡良瀬川に3回もの大洪水があったため、深刻な不作になったのです。
日本の公害の歴史において、最初から加害者責任を認め、示談金を支払ったケースはありません。
ですから、政府や市兵衛を誉めるのが本当で、文句をつけるのは筋違いというものです。


22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 00:23:28 ID:E2ZZIHYRO
>>1は足尾に行ったことあるのだろうか?
未だに植樹を続けなくてはいけない状態の山肌や鉱山跡地を見たことはあるのだろうか?
ゴタク並べてないで自分の目で足尾の現状見てみろよ。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 01:06:35 ID:++T3rKhh0
>>21
2chでメールアドレス曝すのは、危険きわまりない行為としか言えない気がするのですが…。
かく言う、オレのメアドもスパムメールが99%のとんでもない状況で…。昔ネット懸賞やりまくって
あちこちにメアドを書きまくったせいだろうなあ。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 04:30:53 ID:nX1Anq9B0
渡良瀬遊水地って、田中正造が住んでた村を政府が潰して造ったんだってね。


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 12:02:03 ID:BP7wT5R20
山間部で洪水になるっていうことは、樹木が枯倒して山自体に保水力がなくなった
から起こることだよね?その枯倒の原因になったのはなんでしょう?鉱毒だよね。
(当時としては山の保水力とか大気に含まれる鉱毒成分が樹木に悪影響を及ぼす
なんてことは認識されていなかったのだろうけど)
そして洪水になったから不作になったのではなく、洪水に貯水池の鉱毒がまざり
当年はもちろん、その後何十年も不作に悩まされる結果になったと歴史書物は
語っているが、それはでっち上げだとおっしゃるのかい?
仮の話で申し訳ないが、自分の生まれ故郷が足尾のようになってしまってら、
「認めた」り、「補償された」でその汚染原因の企業に対してあなたは同じ態度
でいられるのかい?sunagawaさん?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 15:28:35 ID:Vzde40DMO
田中正造は死んだ時はほぼ無一文
いかに選挙妨害され続けても常に当選
人望も厚い人物

古河は陸奥を始め政府要人とズブズブ
結果古河は癒着による繁栄が続いた
銭ゲバ


27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 20:28:35 ID:Et/1jZ8jO
川淵キャプテンと岡ちゃんも元古河電工社員(サッカー部員)だよな。
ちなみに古河とジーメンスの合弁企業が富士電機(両社の頭文字から)で、そこから独立したのが富士通。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 21:46:02 ID:BvtEoOIs0
貴重なコメントをいただきましたので、この辺で、皆さんのご意見にお答えいたします。
Aの方へ。アマゾンの『直訴は必要だったか』にある、読者の感想文を読んでみてください。
Dの方へ。明治30年(1897)6月、古河市兵衛の個人商店は、組織を改革して「古河鉱業事務所」と名前を変え、丸の内の三菱館に移転しました。古河鉱業の『操業100年史』に書いてあります。知ったかぶりをしても、すぐ底が割れますよ。
Fの方へ。足尾の地勢は、米や野菜を作るのに適してはいません。
Kの方へ。古河鉱業は、名前が変わっていますが、世間が怖くて、絶対に田中正造のことなど社内報に書きませんよ。
Lの方へ。北海道、東北、九州の三帝国大学は、古河鉱業が、その創立資金すべて(校舎の建設費その他)を、政府の要請で寄付したのです。ご存知でしたか?
Mの方へ。@が誰かはすぐに分かってしまうでしょうが、今は明かしません。ただし、古河とは無関係です。
Oの方へ。陸奥宗光が政治的に動いた証拠はゼロです。田中正造が言っていたとしても嘘です。正造の虚言は、全集を読めばすぐ見つかります。
Rの方へ。「足尾歴史館」には、公害防止工事の写真が沢山展示されていますから、鉱毒事件の真相は、あなたより詳しいと思います。
Sの方へ。鉱毒問題が解決して田畑が復旧したのですから、「公害問題解決の原点」というべきだと、そのうち分かるでしょう。



29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/22(金) 22:16:09 ID:2CLAXrwe0
国語教科書(小学6年)の「田中正造」という文章は、きちんと教えるべき歴史的事実を、生徒に教えないように図っています。
それは、被害民が、「大挙上京請願行動」(「押し出し」と呼んだ)という実力行使を2回も実施したことから、これに対応した政府が、古河市兵衛に徹底した公害防止工事を命令し、市兵衛が、足尾銅山の年商の半分以上の巨費を掛けて、この工事を完遂させたという事実です。
そうしておいて、話を3回目と4回目の押し出しに飛ばすのです。
これは、不都合なことは隠蔽してしまおうという、だましのテクニックにほかならず、生徒に対する裏切り行為です。



30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 10:25:51 ID:I009/Owo0
年商の半分使っていようが、多くの人間が被害を受けて大変な目に
あったんだからなあ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 00:54:33 ID:3SpEFdC90
>>26
人望も厚い人物と思っていましたが、どうも違うようです。神話になっている一つに「歳費辞退届」を提出し無報酬で国会議員を続ける道を選んだことがあげられるが、その裏では無収入のため選挙支援者やその他の人からの借金を踏み倒して恨まれたらしい。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 12:43:57 ID:Z5QxMTLh0
借金を踏み倒したのはどうやら事実らしいが、現代のように支援団体が
あるわけでもないし、現実問題として「返せなかった」のではないかな?
どうして歳費を辞退したのか考えてみよう。
事実だけを理詰めで追求し、その時代のバックボーンや風潮、当事者の
心理心情状態などを無視して当時を語るのは一面性しか捉えていないのと
同じことだ。ソースソースと泣き喚く2チャイルドみたいなまねはおよしなさい。


33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/25(月) 21:42:49 ID:jv3/vzHy0
国語教科書の問題点の続きです。
「田中正造」という文章は、政府に公害防止対策を実施させた1、2回目の押し出し(上京請願デモ行進)については何一つ書かず、
3回目と4回目の押し出しに関しては非常に細かく書いています。
しかし、3,4回目の押し出しは、公害防止工事の効果が出るのを待ちきれなくて実施したもので、
明らかに間違った闘争でした。
4回目の押し出しの翌年に豊作の農地が出始めるからです。
それなのに、作者は、農民を弾圧する政府を告発するごとくに、4回目の押し出しのことを、
子供たちに向けてこう具体的に説明するのです。
「(明治33年2月)13日朝の出発のときに、2千5百人ほどであった一行は、1時間余りで、
1万2千人にもふくれあがり、昼過ぎに、群馬県川俣の利根川のわたし場へさしかかった。
この時、東京へ向かう農民を防ごうと待ち受けた警官、2、3百人が、時の声をあげておそいかかってきた。
農民たちは、田畑をにげ回った。しかも、栃木県界村の助役野口春蔵ら68人は、裁判所へ送りこまれた。」
いったいなぜ、こんな不確定な数字まで小学生に教える必要があるのでしょう。
「裁判所へ送りこまれた。」という文から、作者が、裁判所は何をするところかさえ知らない、ということが分かります。



34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/26(火) 20:15:39 ID:ks1LhI510
デモ隊の参加者数は、主催者側と警察側では大幅な違いがあるものです。
教科書はデモ隊側の立場で書いているのですから、明らかに偏向した情報といえます。
岩波新書の『田中正造』も当然デモ隊に同情的ですが、それでも、この部分は下記の
ようになっています。
「館林警察の記録によれば、その数は2500余人という。<下野新聞>1万2000人、
その他被害者の回想では3000あるいは3500人ともいい、その数は確定できない。
被害民の隊列は、渡良瀬川を渡り、館林の町並みを抜けて利根川の河畔に着いた。
ここに防禦線をしいた警官隊180名、憲兵10名と衝突。」



35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 01:32:58 ID:kvXWbLe9O
田中は聖人
古河は銭ゲバ



36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 21:23:49 ID:B0BFbPg/0
田中正造のことを「人望も厚い人物」と信じておられる>>26の方に。お金を貸したのに
返してもらえず、「金返せ」と悲痛な叫びで訴える農民・島田熊吉、増田清三郎の正造宛
の手紙を、ぜひ読んでもらいたいと思います。全集で、明治41,42,43年の分を探せば、
簡単に見つかるはずです。
歴史は、元の資料に直接当たらなければ、本当のことはわからないものです。


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 22:18:19 ID:kvXWbLe9O
田中は私腹を肥やす事無く民の為に一生を捧げた大人物
古河は政治家とズブズブになり私腹を肥やした銭ゲバ


38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/27(水) 22:27:40 ID:HBbqfdd60
1さんの言うことが事実として、古河財閥がなぜ歴史的にそのような濡れ衣を着せられるに
なったかについて教えてください。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 08:03:37 ID:E1UU54w2O
この後の自虐史洗脳教育へとスムーズに移行できるようにするための布石に決まってんだろ。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 21:59:09 ID:/kMJKTvS0
全集から探すのは面倒という人のために、正造に貸し金を踏み倒された、埼玉県河辺村の
増田清三郎の督促状を、手を加え、短くして紹介します。
彼は、4年前に、1割2分で人から200円(今の200万円ほど)借りて、正造のために融通し
たのですが、何度催促しても駄目で、東京の逸見斧吉から代わりに少し貰っただけ。
持っていた畑まで借りた人に取られており、残金170円を早く返せと、狂ったように正造を責
め立てています(原文でなければうまく伝えられませんが)。長くなるので以下次回。



41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/28(木) 22:21:52 ID:gk2liO3H0
狂ったように責め立てたって
>死亡時の全財産は信玄袋1つで、中身は書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、
>小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ伝の合本だけであった
くらいなので逆さにしたってはなぢも出ません。
小石3個は借金取りにぶつけるためかな。



42 :あき日和の夫:2006/09/28(木) 23:42:54 ID:fvpwykJs0
足尾の人間です。足尾は公害の原点というレッテルが貼られていますが、
日本の産業の原点でもあると思っています。
日本が植民地になるのを防ごうとした「明治維新の気概」を支えた一つが
足尾です。
足尾には光の部分と陰の部分が併存しています。陰があったからこそ、光が
生じたと思っています。
激動の歴史が足尾から生じましたが、近代産業の基盤としての鉱業が、日本
に根付いていく過程で生じた陰の部分を鮮明にし、それを解決していったこ
とこそ足尾の光だと捉えています。
その一番端的な出来事が、鉱害の無害化だと思っています。鉱山は、地中で
安定していた硫黄分を外部に出すことになります。それを人間にとって無害
な形に変えていくことが、鉱山にとって必然的な使命となります。
田中正造の言に疑問は多々あります(『直訴は必要だったか』読むべし)が、
「鉱害を防ぐ」が足尾の根本的な方針として根付くきっかけとなったのは事実
で、それが亜硫酸ガスから硫酸をつくりだす技術の創造につながったと思って
います。(だからどうなのと、ことの善悪を論じ出すときりはないと思います)
人が生きていくことは必然的に負の部分が生じることであり、それをできるだ
け小さくしていこうとするのが、人としての生き方として真っ当だと思ってい
ます。足尾をぜひ訪れてください。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 16:36:34 ID:qTkBb1CxO
まあ民の為に一生を捧げた政治家(田中)と
金の為に一生を捧げた銭ゲバ(古河)の違いって事だ


44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 17:44:07 ID:d9/Hq4fG0
陸奥宗光に言わせると…「日本が欧米に占領されないためにも、富国強兵の道は
必然だ。そのため、多少の犠牲はやむを得ない。明治維新によって移住の自由は
保障されているのだから、嫌なら移住したらよい」ってコトになるんだろうな。

そりゃ、夜中に襲撃されるわな。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 19:35:49 ID:diZlDnBd0
これこそ右翼と左翼の論点だな。

右翼・・・国家繁栄の為に多少の犠牲やむなし。文句言う奴は非国民。
左翼・・・市民の生活を脅かす企業や、その肩を持つ国は糾弾すべき。

マンガ日本の歴史でも言い争う場面があった様な。
当時は国家繁栄しなければ欧米列強に脅かされる時代だったから。
難しい問題だ。


46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 22:02:13 ID:x6W3SP+W0
(田中正造宛増田清三郎の督促状・明治42年6月20日付)
「貴君は鬼であるか蛇である。盗賊である。所持の田畑を君の利子のために取られてしまい、
家族9人は毎日食べるものがない。いよいよ乞食です。小生は昨年1月より病気です。
この体で毎日毎日仕事に出ている。田中君、君にはゼニがなくても人が食わせる。泊めもする。
人力車も引きます。小生、実に力なし。この書面つき次第に、田中正造殿、刀を持って家族9人
を殺してもらいたい。よく見ろ、考えろ。大至急小生宅の9人を殺せ。鬼どん、殺せ、殺せ。」
.>>26の方は「死んだときは無一文」と感心していますが、自分で稼ぐことをせず、逸見斧吉等から
お金を貰い、貧乏な農民からまで無心する人が、無一文なのは当然でしょう。
これが、皆さんが知らされていない田中正造の一面の真実です。


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 22:56:28 ID:d9/Hq4fG0
>>46

http://homepage2.nifty.com/kinenkan/kakogyuj2.htm

利島・川辺勝利百年記念フィールドワーク
= 2002鉱毒激甚地をあるく 〜2ヶ村運動美事正造〜 =

このフィールドワークに…「10.正造翁霊堂(増田清三郎家裏)」ってのがあるぞ。
いがみ合ってばかりいたなら、こんなコトをさせるとは思えない気が…。結局最終的に
何らかの形で和解したのではないのか?


48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 09:08:53 ID:+o4j9GlBO
人気のある人物(田中)にアンチはつきもの
まあ銭ゲバ(古河)よりマシってこった


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 22:45:11 ID:Ii1Irwjn0
>>47の方の解釈はあくまでも願望で、時間的に成立しませんよ。
増田清三郎を含む利島村、河辺村の人々が谷中村の闘争を支援したのは、2002年の100年前
ですから、明治35年になるではありませんか。お金を貸したのは明治38年です。



50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 23:29:38 ID:Ji2/2o7I0
>>49
で、それがどうして願望だと?
だって、増田清三郎氏の墓のすぐ裏に正造の「霊堂」があるんでしょ?
和解したんじゃないのか?

51 :秋雨前線:2006/10/01(日) 21:48:30 ID:7UhRD6lF0
ある方の話を聞いたことがある。家に田中正造が時々来て、また来たという
感じだけれど、来ると金を用意してもたせていたという。無一文だったので
きっと今時のカンパというところかな。
それにしても、国会議員の報酬を返上して、皆さんに公然と金をもらいに来る
とは、今時の新興宗教の教祖みたい。 

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:06:22 ID:/RGruQVh0
今はそういうのは警戒されて殆どないんだけど、数十年くらい前なら
宗教関係や募金関係で「お金をください」って家々をまわってあるく行為は
ふつーに見られたコトだよ。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:39:22 ID:7UhRD6lF0
 そうか。もらえるから、国会議員の報酬を断っていちかばちか生活できる
とカンパ生活に入ったのか。
 それにしても、職業に就いたことがないと聞いてますが、そうなんですかね。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:09:00 ID:HEC23pqe0
きっと>>1は、似たような行為でお金を集める詐欺をやろうとしたけど誰にも相手にされなかったため、
田中正造に八つ当たりしているのでしょう。
そっとしておいてあげてください。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 23:28:27 ID:/RGruQVh0
ちなみに宗教関係の戸別訪問の募金が警戒されるようになった最大の原因が
統一協会の綺麗な女信者による夜中の募金から。

せっかく慈善事業に募金をしたと思っても、実は韓国に送金されてて、宗教活動
に利用されていたという…。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 09:09:18 ID:hTWEji5Q0
 田中正造は国会の歳費を断って聞こえはいいけれど、農民のなけなしの金まで
借りて返さなかった。古河は鉱毒予防工事命令に従い104万、今の金にすれば104億
を独力でやっている。金のけたが違うし、内容も違う。自分のやろうとすることの
為に生活費を人に出させる人、本末転倒と公害を防止しようと年商に匹敵する金を
つぎ込みやろうとする人。だからあの渋沢栄一がその人柄に惚れ、終生の友とした。



57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 11:13:12 ID:OoBvC46EO
田中は民の為に生きた本当の政治家
古河は金の為に生きた本当の銭ゲバ


58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 19:47:55 ID:hTWEji5Q0
よく目を開けてみてごらん。頭からちょっとそれを外すと、もっとものがよく見
えるのに。見えない人、気の毒。
選挙支援者、示談金をもらった農民からまで借金を踏み倒し、憎まれていた。
悲痛な手紙が残っているの読んでみて。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 12:54:49 ID:WKu/L0Fx0
あまりにもつくられてしまっている偽像だったんですね。あの写真を見たら
イメージが一瞬に崩れ、納得できましたよ。つくられてしまう像、そういうことは、
よくある話ですからね。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 21:05:30 ID:BGz/cASr0
田中正造は、立ち退きに反対してこの村に残った島田熊吉からも借金し、踏み倒しています。
全集には、3年7ヶ月たっても返してもらえないとして、明治43年4月3日に正造に宛てた島田
の手紙が載っていますが、これもまた、あまりにも非常識な内容です。
島田熊吉も、立退き料を貰った村人から借りて正造に融通したので、もし返してもらえなければ、
自分がいつか政府から補償金を貰ったとしても、その返済で消えてしまうと、嘆いています。
正造に貸したのは340円ですが、手紙には「財産を失うのがいやで、この村で頑張り、乏しき、
貧しき生活をして、仮小屋で、僅かの手稼ぎでその日その日を暮らしていますので、あなた様
にご用立てした金円、至急ご返済願います。」とあります。
彼は、遊水池にされる谷中村の農民を助けるために、この村に住み込んだはずです。
それなのになぜ働いて稼ごうとせず、その農民を平気でこのように苦しめたのでしょう。


61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 21:45:40 ID:KDMJ8C4d0
島田熊吉って調べてみると、田中正造の遺体を一時保管したり、遺品を持っていたりしているぞ。
そんなに酷い関係だったら、ふつーそんな世話したり、遺品もらったりするわけないわな。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 15:55:28 ID:My/7Aseq0
61:のお話しはおかしいですよね。60:のお話しは、実際にあったことでしょう。
こんなにはっきりわかっているんですね。よーくわかってきました。
酷い関係でも、死んでしまったら仕方がないんじゃないんですか。ひどい人でも
正造の遺品持っているからおかしいとは言えないでしょう。そういうことって
ありますよ。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 17:00:31 ID:IXWP7eW80
>>62
レッテル張りスンナ

>>60
農民は古河の大開発以降の酷い現状から脱却したい。
古河は、反対運動を抑え込むために、硬軟使い分けて努力する
(当然、事業に対する損を抑え込もうとしてのことである。)
そうしたところに運動家が入ってくる理由があるわけだが、
最初から補償金額つりあげ交渉をやってるゴロじゃないので、
運動にかけた時間と手間に見合った金が入ってくることはないし、
古河の政治的インパクトからすれば、完全勝利など全くムリな状況。

勝ち目の無い戦いを挑んで、一定の成功は挙げたけど、
所詮は近代日本の産業化の流れの中では、主流になりえなかった。
それだけのことであって、金を返せないうんぬんで叩くのは意味が無い。

端から勝ち目の無い戦いを指導して農民を苦しめた、というのであれば、
大東亜戦争とかいって国民を煽り立てた連中の方が、よっぽど失敗しているし、多くの犠牲者を出しているわな

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 18:50:42 ID:My/7Aseq0
随分理屈こねる人。そして何気取ってんの。そんなことは全然ないでス。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 21:57:13 ID:LgzMGUY90
田中正造の側近でもっとお気の毒な人に、左部(さとり)彦次郎がいます。
群馬県池田村の酒造家の跡取りだった彼は、鉱毒反対闘争の始めから、正造の忠実な弟子として
この運動に没頭し、活動家中ただ一人、正造に従って谷中村にも入りました。
しかし、家業は職人に任せ、活動資金も自腹を切っていたため、代々の酒造家で豪農でもあった
左部家も、このとき没落の憂き目にあっていたのです。
やむなく彼は、正造に黙って谷中から離れ、栃木県の土木部に就職したのですが、腹を立てた正造
は、「谷中もいよいよ盗賊が侵來せり。サトリ、川ナベ今悪魔。」と、知人への手紙で非難しました(川
鍋とは、やはり正造の前から突如消え去った谷中村の活動家)。
この手紙は明治40年2月22日付けです。全集で確認してください。
情報は一応疑ってみるべきです。



66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:06:49 ID:2lviMZKn0
「歳費辞退」について「どうして辞退したのか考えてみよう」とおっしゃる.>>32の方へ。
私が調べた事実を紹介します。
早稲田大学卒の左部彦次郎は、側近の活動家中一番のインテリで、『歳費辞退・田中正造翁』を自費で
出版しましたが(明治32年)、この本によれば、800円を2000円に歳費を増額しようという政府提案に、
正造は最も強硬に反対しました。
しかし、多数決で政府案は通ってしまったのです。
その時正造はどんな行動をとったでしょうか。
増額分1200円を拒否したのみならず、歳費そのものの受け取りを拒否する「歳費辞退届け」を議会に
提出したのです(明治32年4月19日)。
政治家としてなんと立派な人なのかと、皆さんは感心すると思います。
実際彼は、支援者に向けて、次のように見事な言葉を吐露しています。


67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:14:54 ID:OoxYdrMF0
>>65
両者ともしょうがないと言えばしょうがないつーかw
その程度は目こぼしできんのw > 反田中派の人

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 23:48:20 ID:pNWkItGd0
田中正造は明治の田中康夫だったわけですね。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 21:53:47 ID:WJ6Ittjj0
>>66からの続き。辞退届けの2日後に甥の原田定助に宛てた正造の手紙です
(明治32年4月21日)。
「今、議員歳費2000円を辞す。人は馬鹿という。(しかし、この行為は)人心の腐敗に幾分の
矯正を為すこと疑いなし。嗚呼、世の政治家の馬鹿、この理を知らず。宗教・道徳家また、良く
これを行うものなし。」
しかし、正造の後援会の台所事情は大変でした。
すでに明治25年には、佐野銀行への債務は1500円以上ありました。
これは、後援者等が800円の正造の歳費を抵当にして借りたもので、彼らは、
歳費の半分を強制的に取上げ、これで佐野銀行への返済をし続けていたのです。
ですから、支援者の一部の人々は失望のあまり正造の行為を恨み、同情は地に落ち、
反対者も増え、その後、選挙民は正造に何も相談しなくなった、ということです(柴田三
郎著『義人田中正造翁』)。



70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 01:10:12 ID:wd3MIgoe0
砂川幸雄?

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 03:32:49 ID:X+GQHvOF0
うーん徹底的な調べ、だから見えてきたんですねー。しっかりと。
田中正造の狂気としか言いようがありませんね。何考えているんでしょうね。
それは支援者は怒るはずです。自分だけいい子になるって感じかなぁ。
嗚呼、世の政治家の馬鹿、この理を知らず、とか言ってかっこつけてますが。
立派な言葉を並べて自分を大きく見せている感じがありますね。この立派な
言葉にだまされるんじゃないでしょうか。歳費を断ったことまでで判断して
しまうと大変素晴らしいと思って聖人にまでなってしまうんでしょうね。
自分を支援してくれている人たちのことは思いやることもできないで、かっこ
つけてもしょうがないですね。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 13:03:52 ID:8J6+AX950
なんか、史料引っ張ってきてる書き込みを読めば読むほど、
田中正造に対する尊敬の念が生れてきたぞ(笑)

学校の授業じゃ、ただの市民運動家の走りみたいで嫌いだったが、
あんな連中、目じゃないぐらいのトンデモない人物だったんだなぁ

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 14:40:26 ID:c4H/iZy90
仮に田中がいなかったら、渡瀬川周辺の公害問題はチッソ以上のもの凄い状況に
なっていたに違いない。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 22:26:02 ID:X+GQHvOF0
73:どういう根拠でもの凄い状況になっていたと言うのですか。教えてください。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 22:33:27 ID:X+GQHvOF0
間違った資料を読んでいれば尊敬の念が生まれるんでしょう。
本当にとんでもない人物だったんです。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 00:35:57 ID:OVIzO/pn0
>>74
自主的に古川鉱業が公害対策とるのかw
その可能性は低いんじゃないのか?

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 03:26:11 ID:ePxSqlmz0
>>75

ここのスレの田中批判のために挙げられた史料って間違ってたの?
全部でたらめな批判だったわけ?!

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 11:45:11 ID:t58Sl2GE0
とんでもない信念で引っ掻き回しまくったんだな、田中正造
よかった、周りにこんな信念の人がいなくてw

1はイイ奴だな。
古河も頑張りやさんだと思ったが田中も逝っちゃってて楽しいと思ったよ

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 20:09:23 ID:IyPAq7Uf0
公害対策って?世界中の科学者が考えて古河が80年以上止めるのにかかったのに、
偉そうに何が自主的に公害対策とるのかWなんて、簡単に言えたものだ。低かったら
今電気は使えない。そのおかげで、電気を安全に使えるんだし、あなたが出した
ゴミのダイオキシンも無害にできるようになったのよ。





80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 20:27:57 ID:IyPAq7Uf0
鉱毒ってなんだか全然わかっていない。鉱毒ってどんな毒?
亜硫酸ガスは硫黄分。それを鉱毒なん言わない。鉱物の中には含まれている。
鉱物から金属を取り出す時には、硫黄分は二酸化硫黄になってでる。
それをしなければこの世に金属はない。飛行機も自動車も・・・すべてない。
誰かがどっちみちやったこと。それがだめというなら、電気も携帯も電車もない
世界に戻るしかない。


81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 20:44:24 ID:IyPAq7Uf0
渡良瀬川はそんなこととは関係なく年中洪水でした。足尾銅山がなくても。
支流が26もあり、関係ない支流のうずま川が氾濫している写真もある。
今の時代の感覚でものを見ていると、ちょっと違う。
治山治水がきちんとなされていない時代です。


82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 21:20:40 ID:tyQzam9E0
実際、収入がゼロになった正造は、きれい事などどこへ行ったか、「600円貸してくれ」
と蓼沼丈吉に無心を要求し、その手紙(明治34年2月23日)に、こう書くのです。
「金銭大必要の最中に歳費を辞したれば、一銭の抵当となるべきものなく、他借の道絶
え非常に困却の折柄、(栃木)第3選挙区民よりは、辞退は名利のためなぞと悪口せられ、
ほとんど進退に苦しみたり。昨春より今春に至るまでは、どしどしやってはおりましたけれ
ども、借金は出来(しゅったい)いたい申し候」
因みに、蓼沼丈吉は正造から選挙区の地盤を譲り受けた人で、当時は三好村村長。正造
の後釜の代議士になっています。正造に渡したお金は選挙の運動資金だったわけです。


83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 01:10:45 ID:1n04ConH0
「国の政策に反対しているのだから、国の禄を食むのは筋違い」
とでも思っていたんじゃないの?

結果として、国の為にもなる仕事をしたんだから
堂々と受け取ればいいのに・・・
だが、そういう堅物だからこそ尊敬されるんだろうね。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 15:06:33 ID:V+bFGGMYO
民の為に生きた清貧の男と金の為に生きた銭ゲバとの違いは大きいね


85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 03:41:22 ID:w+i6I2Au0
環境ゴロのカリスマ扱いには
本人が一番憤慨するだろうな。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 12:41:27 ID:yCNH5XF10
■雅子妃の祖父 水俣病ー江頭豊がしたこと■

1.水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し続けた。
2.患者や家族に謝罪したが補償に応じようとはしなかった
3.謝罪した後も悪質なデマを流し患者や家族を冒涜した
4.患者や報道カメラマンを暴力集団に襲撃させた
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/surf18.html
http://aileenarchive.or.jp/index.html
興銀からチッソ社長に就任のいきさつや、衝撃的な写真他 、うさんくさい事のテンコモリが書かれています。
特に江頭家と小和田家、慚愧しない人と、その娘婿の辺りは読んで損はないです


87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 13:14:51 ID:gy/FO6s3O
つまり江頭と古河は同類の銭ゲバってこった


88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 18:45:25 ID:ncP1hlRl0
いやそれと一緒にされたら古河がかわいそうだろ

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 21:31:57 ID:myUKCkJM0
>>61の方はお分かりと思いますが、島田熊吉の弟は、正造を崇敬の対称にしていた島田
宗三で、正造の手紙その他、徹底的に資料を集めた人です。
全集に載った熊吉の2通の催促状は、字の書けない彼のために宗三が代筆しているのです。
1通目には、正造が病気をしたときに貸した、と書いてあります。
兄弟は、気持はかなり違うかもしれませんが、正造に鄭重に返済を求めていると思います。
遺品を持っていても、何ら不思議はないではありませんか。


90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 02:04:40 ID:Xgy8A/gq0
チッソと一緒ではかわいそう。チッソとは大きく違う。よく調べ、事実を知った
方がよい。民のために清貧に生きた男?事実を知らなすぎ。人から金の無心ばかり
している人が?しかも、農民のなけなしの金とか、選挙区を譲り受けた弱みに
つけ込むとかして、無心している。84:思いこみ激しすぎ。金のために生きた
ゼニゲバなら今の国立三大学、北海道大学、東北大学、九州大学建てるのに
105万、今の金で、105億の寄付はしない。国に金がなかった。古河にしても
5年分割で払うほど、大変な金額。金があったとしても、この大金を寄付するのは大変。
自分の活動のため、しかも農民のためとか言いながら生活費を無心する人。
本末転倒。政治家らしそうに、とてつもなく良いことをしているような、大変
偉そうな物言いだけど。聞こえはいいですからね。誠実な人がみんなだまされる。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 02:42:12 ID:1fftO8u0O
山の神みたいなもんか?たしか野垂れ死にするんだよな
あのおかしなしゃべり方する作家が
尊敬する人物にあげてた。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 07:48:09 ID:BZjwqezC0
生活費って…田中は極限まで切りつめていたんだから、それほど大した額に
ならなかったんじゃないのか?豪遊していたわけでもないしね。


93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 13:38:10 ID:3JJPmrk0O
古河は陸奥宗光の息子を養子にし政府とズブズブに癒着し、
多少の寄付こそしたが銭ゲバとして結果莫大な資産を築いた

田中は民の為に尽した聖人らしく死んだ時は無一文


94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 12:37:03 ID:ii80Exv50
本題の「小学校国語教科書の検討」に戻ります。
明治34(1901)年12月10日は、田中正造が直訴を敢行した日ですが、
作者の来栖良夫は、そのいきさつを次のように、いかにも感動的風にまとめて、
教科書に書いています。

「(明治34年)12月9日の夜、正造は、<万朝報>の記者幸徳秋水を訪ねている。
<もはや、私に残された道は一つである。幸徳さん、あなたはすぐれた文章家だ。
私の下手な文ではおそれ多い。あなたに書いてもらいたい。><田中さん、それは
いけない。やめてください。>」
「若い新聞記者は、おどろいて手を上げたが、正造は石のように動かない。目には、
なみだが光っている。秋水も断りきれず、その夜、正造の下書きをもとにして書き上
げた苦心の文章こそは、天皇への直訴状であった。」

しかし、田中正造の研究者がもしこれを読んだら、飛び上がって驚くでしょう。
デタラメもいいところの捏造話で、作者があまりにも無知だと分かるからです。



95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 01:31:34 ID:A5mjOxUq0
教科書にも間違った記述がなされている。こう反論してくれる人は少ない。そし
て教科書に限らず、日経、産経、足尾に関する記事のでたらめも多い。産経、HP
の記事16年4月4日探訪足尾銅山の記事中、「木炭に変わってコークスが使われ
はじまると、排煙に有毒の亜硫酸ガスが発生、被害は下流域まで拡大」とある。
燃料が何であれ、亜硫酸ガスは量は、鉱石中の硫黄の量によってのみで決まる。
燃料の種類によって左右されることはない。一流の新聞記者でも中学生ほどの
科学的知識もなくこんな記事も平気で書かれてしまうことに驚く。間違いだら
けの記事である。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 09:29:17 ID:Gh1wSPTX0
コークス作るときに、硫黄とコールタールが出るからそれの影響じゃないのか?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 09:53:31 ID:2SgNhFpx0
>>94 からの続きです。
12月9日の夜は秋水は家にいませんでしたから、正造が訪ねることも話を交わす
ことも不可能です。
直訴の翌々日、12月12日に秋水は正造に宛てて手紙を出していますが、それには
「恩師の中江兆民が危篤で、しばらく中江家に詰めておりました。ご無沙汰していて
申し訳ありません。」と書かれているからです(秋水、正造の両全集に載っている)。
実際は、この直訴文を秋水は、すでにひと月前に書き上げていました。
『幸徳秋水全集・第9巻』の「自記年譜」には、「明治34年11月12日、田中正造
直訴文を草す」とあります。

ですから、事実は、秋水の草稿をもとにして正造が修正を加えたのであって、
「正造の下書きをもとにして書き上げた(秋水の)苦心の文章こそは、天皇への
直訴状であった。」は、事実とは全く逆なのです。


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 18:52:24 ID:vYaJNw6L0
どれも徹底的な調べだ。だから、事実として見えてくるものがある。


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 19:14:28 ID:hAJAY2NpO
でもマクロな視点でいえば富国強兵をかかげ近代化を急ぐ明治政府の明治時代の光と影を足尾銅山事件に見ることができるという点で田中正造という人物が歴史上クローズアップされるのは別に奇異ではないと思うが。
立松和平?だった
田中正造を尊敬してたのは

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 21:54:07 ID:8A5ZDY4A0
田中正造が問題なのではなく、田中正造を己に都合よく造り上げようとするマスコミが問題なのだ、というのがこのスレの趣旨か?
てか自分のブログあるんだからそこでやるべきでは?宣伝と見なされてもしょうがないですよ。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 03:27:26 ID:KFn2IGW1O
清廉潔白の士とはいえ生活していかなくてはならないから。援助を受けるのはおかしくない。
綺麗事だけでは飯食えないからね。
田中正造をたたくならもっとほこりでる政治家はいるだろう。田中正造は結局路端で死ぬらしいですね。遊興や贅沢にふけるためじゃなかったんだからそういう異端者的な政治家もいたということも日本の懐の深さを示していいと思うけど。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 20:18:17 ID:fZq6a0Cd0
田中正造を称える歌(何をしたとか、どうしたとか)を、よぼよぼの老婆が鳴り物をならしながら
歌っているのをTVで見たことあるな。
単にマスコミ受けだけなら、単に知名度上げる為だけなら、老婆はこんなことをしないだろ。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 21:40:01 ID:Jc1s5Kxw0
そもそも、直訴の計画自体、この年の6月8日、秋水とその友人の石川半山が、
同席していた正造に勧めたというのが定説です。
この日の半山の日記には、「余曰く、今は唯一策アルノミ、田中曰く、何事ぞ。
余曰く、容易に語るべからず、田中曰く、謹んで教えを受けん。僕曰く、君唯佐倉
宗五郎タルノミ。田中之を快とし、決起の断行を誓う。」とあるからです(岩波新書
の『田中正造』参照)。

「もはや、私に残された道は一つである。」「あなたに書いてもらいたい。」と、
前日に頼んだとは、あまりにもお粗末な作り話ではありませんか。


104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 20:02:28 ID:TMUaF9Ru0
>>46
> (田中正造宛増田清三郎の督促状・明治42年6月20日付)
死ぬ2ヶ月前の大正2年7月2日、増田清三郎は、
「お祭りのゆで饅頭ができたから食べにきてくれ」って正造を
招待してる。
正造は黒砂糖をなめながら饅頭をたくさん食べた。
踏み倒して許せないんなら、饅頭食いにきてくれなんて言わない
だろ。
だいたい、いよいよ困ったら、証文持って足利の原田家に行けば
原田家でいくらかくらいは工面してくれたはずだし、増田はそれ
くらいのことは知ってたはず。
正造は借りたことはすぐ忘れるし、督促されても督促されたこと
もすぐ忘れるのでこういう文面なんでしょうな。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 20:36:05 ID:MtHdxNca0
>>95の方が産経の記事のデタラメぶりを指摘されていますが、日経も同様で、
小島編集委員の記事の間違いを批判したところ、驚いたことに、1千万円の
損害賠償を請求して裁判を起こしてきました。

その記事というのが、田中正造の議会演説を引用して、「住友の公害対策は
古河のそれよりはるかに進んでいた」という内容だったので、「それは大間違
い。この演説には何一つ真実が見当たらない。」と正直に書いたために、腹を
立てた日本経済新聞社が私を訴えたわけです。

こんなこと信じられますか?
弁護士に頼らずに、自分で準備書面を書いて対応しましたが、地裁、高裁とも
原告の請求を却下しました(『判例時報』第1814号140頁参照)。
詳しくは、いずれまた書かせていただきます。


106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 20:39:52 ID:GRZwmtKi0
特定できますねこれは・・・

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 23:06:44 ID:TMUaF9Ru0
>>104
訂正
誤:死ぬ2ヶ月前
正:正造が死ぬ2ヶ月前


108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 23:34:43 ID:q70h9Uom0
>>106
砂川幸雄だろ?特定もなにも。
1は自分のブログでやれっての。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 23:58:40 ID:TMUaF9Ru0
>>107
物はついでなので。
砂川は、まるで1897年の予防工事で鉱毒がなくなったか
のような書き方をしてるけど、その後も鉱毒反対運動は
(田中の死後も)えんえんと続いて、実は今でも(砂川の
著書の発売後も)まだやってます.....

1917年には、群馬県の農民が陳情を行い、
1925年には栃木県と群馬県の用水路組合が陳情を行い、
1939年には洪水があって鉱毒が田畑に流れ込み
1940年代後半には、鉱毒流して三栗谷用水が抗議を行い、
1958年には、スライム(ゲームに出てくるやつじゃなくて
本物)が大量に流れ出し、
1970年代には米からカドミウムがでて、
1980年代に土地改良がはじまり、
1999年に土地改良が一応おわり、
でも、全部は終わって無くて、

最近の動きとしては、おととしあたり、(砂川の著書の
発行以後)桐生市議会が、
足尾町(当時)中才浄水場に自動採水器をとっととつけろ、
っていう決議をやってます。


110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 19:53:34 ID:TjcRcEU20
田中正造が良いか悪いかは別として、田中正造を利用して自分達の主張を成し遂げようという輩が多いのが事実。

特に小学校の教科書で田中正造を取り上げて、戦前の政府は国民に暴政をしいたなどという発想を小学生に植え付け、だから日本は戦争に負けて良かっただとか現代の日本は民主主義の発達した良い社会だなどというところへ
誘導させようとする勢力の格好の材料にされている。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 20:09:21 ID:20yZpOmz0
されてねーよ。歴史は歴史として学ぶだけ。

同じ理論で大塩平八郎も教えちゃいかんのかいなw

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 23:19:43 ID:YZphcODN0
>>111
まず日教組の存在を思い出し、次に>>110を100回読み直せ

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 23:51:24 ID:20yZpOmz0
ほぼ崩壊している日教組…その存在におびえるネットウヨ。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 12:47:27 ID:SQxdjW7+0
明治後半から勃興してきた社会主義者が弱者である農民の味方で絶対善、古河
は権力と組んで金儲けに終始した絶対悪とし、戦後もこの様に公害の原点として、
ことあるごとに標的にしてきた。田中正造の言った言葉、嘘で評価が定着した。
これらをこの様に信じこんでいる。台風や豪雨によってもたらされた土砂災害、
洪水。治山治水の遅れで、台風の度に各地で土砂災害、水害に見舞われている。
当時の治山治水は現在とは比較にならない程お粗末で河川が至るところで氾濫
した。これを全部、足尾銅山の鉱害としている。
鉱毒といっているが、鉱毒というものはどんなものなのか。そういう名のもの
は存在しない。銅,Fe,Mg,Zn,Pは人間の身体に必要なものミネラル。カドミウム、
鉛、砒素などと違い人体に蓄積して病を発生させることはない。微量は必須ミネ
ラルで鉱毒改め鉱薬である。その証拠にこの様な長い公害歴史中、死人も病人
も一人もいない。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 13:06:52 ID:Xd2gfaA20
無茶苦茶…。鉱石には銅や鉄だけが入っているわけじゃない。
カドミウムやヒ素、鉛などの成分も微量にはいっており、それが人間に害を及ぼすわけだ。

また微量必須元素である銅も多量に摂取すると、毒になる。以下wikiより引用
***
このように、銅は生物の代謝が正常に行われるうえで必須の元素であるが、同時に過剰供給
されると、足尾銅山鉱毒事件に見られるように毒性を示す。例えば多くの動物にとって慢性的
に過剰な銅の摂取は毒性であり、反芻動物では銅の過多により肝硬変や発育不全、黄疸、な
どが起こりうる。また無脊椎動物の多くは過剰供給となって代謝異常を起こす閾値が脊椎動
物よりも低い

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 19:34:48 ID:SQxdjW7+0
鉱石には銅や鉄だけではない、等ということはよーく存じ上げております。
かってに過剰供給にするな。大量にとれば毒 少量なら薬、微量なら無害。
そんなことWikiから大げさに引用するまでもない。ジョーシキ!

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 20:06:48 ID:lHH6zLYg0
>>114
右だ左だの話にしたいのは分かりますが、
足尾銅山からはカドミウムも砒素も出ていて、
実際、検出されてます。それくらい調べてから
書きましょう。
あと、鉱毒原因物質にはほかに硫酸もあり
ます。
銅は、鉱石中に含まれていて安定している
硫化銅の段階と、精錬して単体の銅になった
ときでの毒性はまた全然違います。
精錬途中の銅が、同じく精錬の過程でできる
硫酸と反応して硫化銅になるとこれまた毒性
が違います。


118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 20:17:32 ID:Itkemy/r0
教科書に明治政府の言論弾圧の漫画とか田中正造の話が載ってる
わけで、私も左翼の暗躍により反政府的なことが載りやすいのかと
思ってたわけです。

ところが戦前の明治大正昭和回顧80年史を見ても
皇国の躍進に関する写真が中心なのに、そんな中にも
しっかりビゴーの日本のいびつな近代化を表した漫画や、
足尾鉱毒事件と田中正造の直訴が載ってた....あれ?何の話しだっけ






119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 21:43:49 ID:SQxdjW7+0
>>117知ったかぶりだが、製錬も精錬も区別できていないじゃないですか。
製錬の過程では、硫酸は出ません。出るのは、亜硫酸ガス、SO2、硫酸
は出ません。それがSO3となり、それが水分と反応して硫酸になるのです。
知ったかぶりで、いい加減な書き方はやめましょう。誤解を生みます。
足尾銅山からだけではありません。何処の鉱石にもカドミウム、砒素は
入っているのです。ですが足尾はカドミウムは少ないのです。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 21:59:01 ID:Xd2gfaA20
1971年には毛里田で収穫された米からカドミウムが検出され出荷が停止された。
とあるが??

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 22:00:46 ID:lHH6zLYg0
>>119
そりゃどこの鉱山にも入ってるだろうけど、
垂れ流していたかどうかは鉱山によって違うでしょうね。
垂れ流した鉱山と垂れ流さなかった鉱山があって、
垂れ流したけど下流に農地がなかった鉱山も
あったかもしれない。

で、毛里田のカドミウム汚染は足尾銅山だって
断定されてますが。
桐生の砒素検出はどうしますか?

二酸化硫黄のことは分かってますけどそこまで
細かく言うつもりが単になかっただけです。
CuSから鉱毒原因物質が生まれるまでの化学式
全部書けば満足ですか?

砂川は、毛里田の話をすると突然、毛里田は
関係ない、明治時代の話じゃないみたいこと言い出す
ので一応書いておくと、
毛里田の用水路組合は、明治30年代には古河と
示談交渉をはじめています。途中で古河が
「状況が変わった」とか言いだして交渉を打ち切っ
ちゃうんですけど。
100年前に交渉打ち切りをしなければ、話はずいぶん
変わっていたかもsぢれませんね。


122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:59:36 ID:lHH6zLYg0
あともう1つだけ書いておくと、
古河は「1897年の工事で鉱毒はなくなった」
とは言っていません。それは砂川しか言ってません。

古河の主張は、
1897年以降、政府の基準に従っているのだから、
鉱毒が流れても、古河の責任ではない、

です。

鉱毒はなくなった、とか書いてあった時点で、
砂川が古河の手のものでないことは分かりました。

しかし、古河が主張してないようなことを、
あたかも古河の主張のように言うのはやめましょう



123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 13:13:05 ID:sGRrDaMn0
1875(明治8)年の創業以来,古河の経営は完全に市兵衛が独裁するところであった。
彼の基本方針は産銅シェアの拡大を主目標とする積極政策で,具体的には足尾を中心
に大規模な設備投資を行うとともに,全国の金属鉱山,特に銅山を買いあさったので
ある。

しかし市兵衛の周囲には,渋沢栄一,陸奥宗光などその積極拡大政策を危ぶむ
者は少なくなかった。1897年の鉱毒予防命令に際し,渋沢の第一銀行は工事費の融資
の条件として経営方針の変更を求め,以後経営の主導権は陸奥の次男で市兵衛の
養嗣子・古河潤吉の手に移った。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 20:45:39 ID:ldI/jXH60
>>104 の方へ。資料の出所は書いてありませんが、あなたの言うようなことが
あったとすれば、その事実は否定できません。
しかし、正造に貸した金を踏み倒されて、増田清三郎が恨みの手紙を書いた
事実もまた、否定できません。
その両方の資料をよく検討して、自分で何がどうおかしいかを、より客観的に
判断すればそれでいいのだと思います。

しかし、「正造は黒砂糖をなめながら饅頭をたくさん食べた。」そうですが、何
で甘いものをなめながら甘いお菓子を食べたのでしょう。不思議です。

あなたは、「原田家でいくらかくらいは工面してくれたはず」だとおっしゃいます。
しかし、正造の甥で、長期間にわたり仕送りを続けてきた原田定助が、すでに
明治37年5月15日の時点で、手紙にこう書いています。工面はできないでしょう。

「伯父上にも、昨年はおよそ1000円(今なら1000万円です)もご用達いたし、本
年もすでに170余円に上がり候につき、お気の毒ながら今後1ヶ月20円にご改正
下されたく候」(全集に出ています。皆さんは自分で確認してください)


125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 23:53:01 ID:iog/s14b0
>>124
島田宗三の『田中正造翁余録』に出てますよ。

あと、原田さんの商売があまりうまくいかなくなって、
晩年、原田家からはあまり金が出せなくなった(だから
こそ農民からも借りた)のは知ってます。
だから「いくらかくらいは工面してくれたはず」って言ってる
わけで決して残額全部原田が払ってくれるとは思いません。

晩年の正造は、金を借りて返さない相手と、
借りて必ず返す相手と、金は決して借りず、泊まる場所と
飯だけをいただく相手に分けていた。農民も、正造に貸した
ら普通は返ってこないことは知っていて、「うちは返して
もらったから格が下だ」とか言っていた。とかいう話は、島田の
息子の嶋田早苗が言ってます。ただ、嶋田早苗って
あんまりものを書いて発表する人じゃないので、こっちの
話は確かめたかったら本人に聞いてください。


126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 21:00:51 ID:usNhfjB00
.>>122の方の偏見に満ちた主張は、次の事実で覆されるでしょう。

足尾銅山がある栃木県の学校教師たちは、「栃木県連合教育会」という組織を
持っていますが、同会は、県にゆかりのある人物の簡単な伝記集を、自ら執筆
・編集して『下野人物風土記』という副読本にして刊行しました。
その第3集(1970年刊)の52頁には、次のように書かれています。

「(政府の命令を受けて)銅山がわでは、全力をあげて沈殿池を増設し、たい積
場の完成をいそぎ、抗水・廃水・からみ・廃石・硫煙の処理・護岸工事など、あら
ゆる方面に万全の努力をつくしたのである。」
「かくして、いろいろの予防工事は、予定どうり完成し、長い間の鉱毒問題も、最
後の解決に達したのである。」

「砂川しか言っていない」は、明らかにとんでもない曲解だとわかります。



127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 21:08:31 ID:1wvej5Uu0
122番の方は、菅井益郎氏ではないかと私は推察します。
足尾鉱毒事件は、田中正造の政治力や被害農民の住民パワーを受けた明治
政府の公害対策と、加害企業の古河鉱業の誠実な対応により、栃木県連合教
育会の説明のように解決を見ているのに、彼は、この事実を無視し、昭和にな
って発生したまったく別の公害事件をこれに結び付け、『通史・足尾鉱毒事件
1877−1984年』という本を書いています。

いったい、100年以上もひとつの事件が続くことなど、あり得るでしょうか。
「足尾銅山の公害問題」とすべき内容を、公害事件と断じたのです。
そして、解決した鉱毒事件を「百年公害」などと宣伝しているのです。
そのうえ、平凡社や小学館の百科事典に事件の説明文を書いて、虚偽の
情報を世間に流し続けているのです。

国学院大学教授・菅井益郎こそ、北朝鮮を理想の国家といい続けていた
左翼の学者文化人に連なる、はなはだ罪深い学者の一人ではないかと、
私は思っています。皆さんはこういう輩にだまされてはいけません。



128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 22:34:28 ID:lwo1maAE0
>>127
何の根拠も無しに書き込みの相手を個人と認定して、
実名を挙げて攻撃することが果たして適切な議論のやり方でしょうか?

「北朝鮮を理想の国家といい続けていた
左翼の学者文化人に連なる、はなはだ罪深い学者の一人ではないかと」

これこそ「まったく別の」「事件をこれに結び付け」る議論で、誹謗そのものです。

>>122の主張の妥当性を批判することが悪いとは思いませんが、
貴方の主張の妥当性を無にするがごとき書き込みは、慎まれてはいかがかと思います。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 23:38:07 ID:MhReZrkE0
>>126
「鉱毒を流していない」と
「鉱毒問題が解決した」ってのは
全然違う話では?

鉱毒は流れ続けたけど、治水
したからもう川の外に鉱毒は
出ないよ、ってのが政府と古河
の主張でしょ。

「砂川しか主張してない」って
言い方が気にくわないなら、
「少なくとも古河や政府は
そんなこと言ってない」でもいい。

それに、栃木県連合教育会は、
「下野人物風土記」の改訂版の
「しもつけ物語」(1988ごろ)を
出してるけど、そっちには
鉱毒はなくならなかった、って
わざわざ追記がしてある。
それは砂川は知ってるはずなのに、
なんで改訂版の出てる本の旧版を
引き合いに出すのか分からない。

鉱毒問題が解消した、って言い方を
してる文献ならほかにもあるだろうに。

ひょっとして砂川のふりした煽り?


130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:01:36 ID:33oUnBVX0
どうしてこう悪者にしたがるんだ。だいたい人の揚げ足ばかりとって、善人
ぶって鉱毒、鉱毒垂れ流しって、鉱毒ってどんな毒。鉱毒という科学物質
は存在しない。台風の度に押し寄せた洪水を鉱毒、鉱毒と政府や古河に抗議
した。実際はすべて土石流。直情径行な田中正造のでっち上げた鉱毒事件に
左にスタンスを置いた某評論家先生は嘘の論理を上塗りしている。誰も反論
しないから何処でもここでも嘘だらけ。足尾に関する記事の何と荒唐無稽なこと。


131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 00:48:08 ID:l7XZ9v2x0
まあほら、足尾のは周りに天皇家の土地やらがあって煙巻いちゃいけないからって煙突が低かったからしょうがない。
そのせいで足尾だけ被害が酷くなっちゃったわけだし。
てか鉱毒という化学物質は存在しないとかってそれは本気で行ってるわけですか?
そりゃ「鉱毒」という名前のは存在せんでしょうよ。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 03:03:42 ID:hlsjPo250
先日、子どもと一緒にテレビを見ていました。水俣の美しい景色と、
竹細工のとても趣のある色々な駕篭が映りました。感動しました。





先日テレビを見ていると美しい景色と、色々なとても趣のある竹細工の駕篭
を職人さんが作っている様子が映りました。何と情緒豊な水俣の風情。
水俣というと、公害の水俣病しか思い浮かばなかった何と愚かな私。
もしかして足尾も同じか。公害の町のイメージ。田中正造翁を神様の
ように思っていただけに、皆さんの議論を興味を持って読んでいました。
既成概念を持って物事を判断してはいけないと今回のテレビの件で痛感
したので、皆さんが今まで取り上げた本も参考に読んで見ます。高度の
議論の途中にごめんなさい。



133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 03:10:49 ID:hlsjPo250
132です。はじめて書き込んだので失敗。勉強します。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 12:03:02 ID:bVbi/kD20
>>131もち、本気よ。嘘も百回並べられると本気にしていく人もいるから言ったの。
足尾だけが被害がひどくなった?ブー。地域的条件で他の所はあの時代何処も止め
られなかったから高い煙突を立てたの。希釈されちゃった所もあったの。みな
条件が違ってた。そしてそれを止めたの。その技術で、あなたが今、毎日出して
いるゴミのダイオキシンを無害化してるんじゃないの。そして、今あなたがこう
やってメール送れるのも、電車に乗れるのも、電気使えるのも、馬鹿言っていら
れるのも、・・・。この銅があったからよ。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 17:57:43 ID:5818Z9Vs0
もうちょっとわかりやすく頼む

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:25:24 ID:syHj7w/n0
1から読んだが、日本語が不自由な田中正造たたきが一人張り付いてるね。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 01:30:04 ID:sFuSrzsz0
46>>読んで、増田清三郎の手紙を読んでみたいと思って探しました。
田中正造全集・別巻にありました。原文の迫力はすごい。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 01:38:33 ID:rFJz3pfV0
>>136
このスレ自体が田中正造たたくために立てたようなものだからな。


139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 06:43:32 ID:3jQZP6hF0
砂川が自著の宣伝のために立てたものと理解してたが

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 13:04:49 ID:jYwIXAYp0
私も公害の原点と言うことしか知りませんでした。足尾銅山と古河の歴史、もち
ろん負も含め感動しました。大変な予防工事とそれをやり通そうとした精神力、
そして技術者達が亜硫酸ガスを止めた世界最高の技術を作っていったその執念
につながり、今に至ります。そして、負をプラスに変えていった技術で、私たち
の今の生活が出来ると思います。後に続くものは、良きにつけ悪しきにつけ見習
うことができました。そして今、砂川氏が徹底的な調べで真実を書いてくれて
います。

素人ですがこれらは、簡単なものではないと思います。

時は百年前、今の時代に当てはめて見てしまうとちょっと違うかもしれません。
本当に困難な時代を乗り越えて、負をプラスに変えるため頑張った人たちの、
足尾に生きた人たちのことを知って欲しいと思っています。そして、後に続く人
がいてここまできたと思っています。もちろんこれだけでなく足尾のその他の部
分も含めてです。



141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 19:34:24 ID:dL4FjdPs0
>>140
亜硫酸ガス(二酸化硫黄)を止める技術は海外
からの輸入で、古河の独自技術ではありません。

古河は、世界で2番目だ、って言ってます。

さすがに古河も砂川もそこまでのことは言って
なかったと思いますが、どこでそんなデマ聞き
ましたか? 参考のためにお伺いします。


142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 20:30:25 ID:bLisIABD0
また、本題に戻ります。
小学6年の国語教科書は、田中正造の直訴の重大性について次のように書いて
います。

「直訴の罪は重く、これが江戸時代であったら死罪はまぬがれず、このころでも
不敬罪に問われて、どうなることかわからない。正造は、死を覚悟したのである」

さて、秋水と正造の合作になるその直訴文には、どんなことが書かれていたか。
文章の断片を以下に紹介します。
「魚族斃死し、田園荒廃し・・・」
「二十年前の肥田沃土は今や化して黄茅白葦(黄色いかやと白いあしの)、満目
(見渡す限り)惨憺たる荒野となれり」
「数十万の無告の窮民空しく雨露の恩をこいねがうて干天に号泣するを見る」
「しかも政府の当局は常に言を左右にしてこれが適当の措置を施すことなし」
「聖明(天皇様)矜察を垂れ給わんことを。臣(私は)痛絶呼号の至りに耐うるなし」

上記の訴えは、本当のことだったのでしょうか。実は違うのです。


143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 20:33:59 ID:dMLEyJuf0
皆さんは驚くでしょうが、>>142 に記した直訴の引用部分は、全くのフィクションです。

政府は4年前に徹底した公害対策を施しています。従って「政府の無策」は明らかに嘘。
被害民は、田中正造が止めに入っているのに、4回も歩いてデモ行進して政府に陳情
・請願運動をしています。ですから、「無告の(苦しみを告げる当てのない)窮民」も嘘。

「満目惨憺たる荒野」の真偽を検討するために、直前の新聞を見てみると、
「両毛の米作(桐生・小山間)十二分の作柄にて、平年の収穫より2割内外の増収
あるべし。」「激甚被害地を除いてきわめて豊作にして、1反につき1石6斗ないし
2石位の収穫を得ること難からずという。」(朝日新聞・明治34年10月6日)
などと報道されています。だから、これも全くの嘘です。


144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 21:12:10 ID:0SJgro9U0
激甚被害地=足尾ちゃうん?

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 23:48:44 ID:w5nfK4Bz0
「国語の」教科書の内容批判って、

歴史小説が史実を描いていない!
という批判と同じぐらい不毛だよね・・・。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 19:35:35 ID:H4rkTfid0
>>127
砂川は、「田中正造と明治政府と古河鉱業三者
の努力で解決されたといってよい「足尾鉱毒事件」」
と書き、まるで明治時代に鉱毒事件が解決したか
のような書き方をしていますが、これは真っ赤な嘘。

建設省関東地方建設局渡良瀬川工事事務所発行
「渡良瀬 水と緑のふるさと」には、こう書いてあります。

 日本の近代化を支えた足尾銅山は、その一方で、
精錬による有害な煙などで周囲の山々の緑を奪って
しまいました。
 そして、むき出しになった土肌からは洪水の度に
大量の土砂が流れだし、下流の沿川に多くの被害を
もらたし続けました。
 このため当時の内務省は、昭和12年6月、東京土木
出張所足尾砂防工場を開設して、荒廃の著しい仁田元川
で井戸沢口ダム、仁田元ダム、横場山腹工に着手した
のが砂防事業の始まりです。

政府でさえ、昭和12年当時、足尾鉱毒事件の被害が
続いていたと断言しているのに、どうして明治時代に
解決したと言い切れるのでしょう。


147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 20:50:08 ID:D+KcdU4l0
>>143 からの続きです。
幸徳秋水が在籍し、当然田中正造を徹底して支持していた『万朝報』でさえ
「被害の薄き部分にては、素人が見て気のつかざる位に稲などのできたる
ところあり。」
「表面の毒土を堀り取りて、大きなる塚をつくりたる毒塚の間は、稲などか
なりに出来おる所もあり。」
などとレポートしています(明治34年10月20日)。
つまり、被害農地は、間違いなく回復の兆しを見せていました。ですから、
直訴文は、とんでもない嘘をついていたことがわかるのです。

ということは、秋水と正造が明治天皇に対して、堂々と嘘の直訴をしたこと
は明らかです。「死を覚悟した」はずの人が、何で天皇にまで嘘をついたの
でしょう。不思議なことではありませんか。



148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:05:38 ID:xx4A/jhN0
>>141の方への答え  大変長くなりますが。何処で聞いたのではなく事実なのです。
お断りしておきますが、私は古河とはまったく何の関係もありません。

従来の溶鉱炉、反射炉から出てくる排煙中の亜硫酸ガスの濃度は低く、硫酸として
回収利用されるには不向きだった。

1949年(フィンランド)オートクンプ社は反射炉を改良し、自熔炉を完成させた。
自熔炉とは、鉱石中の鉄Feと硫黄S分を燃料とする為、燃料も熱源もいらない画期的
なものでした。これは、排煙中の亜硫酸ガスの高濃度化を達成した。しかし、これだ
けでは硫酸を回収することはできないのです。

銅の鉱石には、多種の元素の化合物が含まれる。排煙には多種の重金属と亜硫酸ガス
が混じった状態である。これら多種の金属をを完全に除去し、純粋の亜硫酸ガスのみ
にしないと硫酸を回収することはできないのです。すなわち亜硫酸ガスを止めること
はできない。排煙中の重金属すなわち不純物を除去し、きれいな(99,9%等の純度の高い)
SO2にすることが大問題だったのです。


149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:10:56 ID:xx4A/jhN0
1956年 足尾で独自に開発された電気集塵機は製錬全排ガスを完全に精製する技術
(全量完全に高純度硫酸に転換できるのが特徴)を開発していったのです。触媒である
酸化バナジュウム(V2O5)にSO2を三回接触通過させればよいのですが、鉱石中の砒素が
触媒であるV2O5の寿命を縮めます。すなわち硫酸の生産コストに大きく響くのです。
そこで「耐蝕性の電気集塵機」を開発していかなければなりませんでした。これには
大変な努力と時間を要したのは言うまでもありません。1916年からはじまっているの
ですがその間、戦争も入る為中断もされることにもなります。
この技術に先ほどの(フィンランド)オートクンププロセスとモンサントの硫酸製造
プロセスを前後に組み込んだ新しい銅生産システムを誕生させたのです。組み合わせる
ことも物理と化学に精通していなくてはできないものなのです。

しかも大型の理想的な自熔炉技術を持つことに成功しました。これらは大正15年(1926)
に東大理学部助手I氏、先の東大教授らより依頼を受け、足尾に移り研究・開発がはじま
ってからでも10年もかかってしまいました。

しかし、これは銅産業が抱えていた“公害という宿命”を完全に乗り越えることができた
足尾銅山時代から現在へつながる世界で生き続ける完全無公害銅製錬方式(古河プロセス)
世界最高の技術なのです。そして、国内の他の製錬所もこれに追随していったのです。


150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 22:16:51 ID:xx4A/jhN0
そして、三菱は遅れること三年、独自の技術を開発していきました。

先に、住友(別子)は転炉からの排煙を硫酸にもっていけました。
ただし全部ではなく、全量でなく部分的(半分)に成功していましが、残りは
どうしても完全にできないため、被害が出ることがわかっているので、製錬所
を島、海にもっていったのです。

フィンランドの「オートクンプ社」が開発した「自熔炉技術」と「古河」が開発
した「耐蝕性電気集塵機」硫酸回収技術は、SO2を全量完全に高純度硫酸に転換
できたのです。きれいなSO2にすることが大問題であったわけです。たったこれ
だけのこと、されど世界中の科学者が考えてもできなかった技術なのです。
しかも、これらを組み合わせることに成功しました。で、とびますが今あなたは
電気を使い、あなたが出すゴミのダイオキシンを無害にできる技術等々に発展
していったのです。3回に分け大変長くなり失礼致しました。以上ご質問のお答えでした。

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 20:05:30 ID:/HsPKQaK0
>>148
古河鉱業の「創業100年史」には、オートクンプ社の
自熔製錬炉(練の字は正確には火へんに楝のつくり)
は、燃料費が不要で排煙から硫酸が全量回収できる
無公害の技術だってはっきり書いてありますよ。
P602から603、特に603ページ下段の説明を読んで
ください。古河の独自技術だなんて一言も言ってない。
ページをめくって604ページに、古河独自の改良を加え
た、って言葉がようやく出てきます。

つまり、古河は、オートクンプの自熔炉は、それだけで
排煙を無公害化する技術だ、と言っていて、それに改良
を加えたものを「古河式自熔製錬炉」(恐らくこれが、
「古河プロセス」とやらのことでしょう)と呼んでいるのです。

古河が改良しなければならなかった理由は、オートクンプ社
の技術は、オートクンプ社の使っている銅鉱石では確かに
煙害除去に役に立ったけれど、足尾の鉱石には少し不向き
だった。だからそこの部分を改良した、というのが実際です。

サイトにもはっきり書いています。100年史がないのでしたら、
こちらをごらんください。

http://www.furukawakk.co.jp/product/metal/

ここでも、「古河・オートクンプ式自熔製錬技術を確立。」と
あり、しかも、それがオートクンプ社の技術を改良したもの
である旨表記してあります。恐らくこれが、あなたの言う、
「古河プロセス」とやらで、100年史では「古河式自熔製錬炉」
と呼ばれている技術でしょう。

それに、電気集塵機の話だって、古河の公式サイトだと、
どう見ても海外からの技術輸入としか見えない書き方です。

http://www.furukawakk.co.jp/environment/torikumi.html

何でも古河がえらかった話にしたいのは分かりますが、
古河でさえ自分の手柄だって言ってない技術を、古河の
手柄にするのはやめましょう。
まるで、古河が、自分では手柄だと明言できないので、
外部の者を装って宣伝をしているようにも見られてしまい、
古河にとっても迷惑でしょう。
(もちろん、そうでないのは分かっています。もし古河関係者
なら、足尾の鉱石とオートクンプの鉱石の違いや、それが
オートクンプ式だけではうまくいかなかった理由であることを
知っているはずですから。それに、古河プロセスなどという、
オートクンプ社の怒りを買いそうな表現は、今ではできない
はずです)


152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 03:32:56 ID:OpMUiJZlO
なんで田中正造を今更たたくのか理由がわからない

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 18:27:59 ID:VwBclApV0
>>152
戦前の日本=悪という図式をもって
自虐教育の材料にされるからでは?

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 20:27:05 ID:qFIc5CSf0
田中正造の遺品に新約聖書があったらしいけど
洗礼は受けていたのかな。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 23:30:05 ID:3Kn4/TFK0
>>153
田中正造ほどの愛国者はそうそういないぞ
格好の題材じゃないか

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 01:35:21 ID:SK87XSI90
そうかぁ・・田中正造なんか叩いても仕方ないと思うのは俺だけか??

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 10:39:03 ID:1hEbwqie0
単に精神異常者なんでしょ。1が。
ネットの議論系にはこういうちょっとネジのはずれたのがたまにいる。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:21:33 ID:SK87XSI90
歴史上の人物ってみな大なり小なり虚像と実像があるわけで。
わからないでもないけど。1さんは大学かどこかで研究してんのかなぁ。
もっとおもしろいテーマがあるように思うんだけどな。

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:07:11 ID:+tFm7UFO0
>>127
122ですが、すいませんが私は菅井氏ではありません。
むしろ、「足尾鉱毒事件は解決していない」と言ったのは、
そもそも菅井氏ではありません。
たとえば黒沢酉蔵も、板橋明治も、森永だって足尾鉱毒事件は
続いている、って言ってる。何で菅井だけを標的にするのか
わからない。高橋の「百折不撓」の帯だって、「日本の公害の
原点・渡良瀬川鉱毒事件に迫る。一世紀に及ぶ農民の苦難と
「勝訴」への苦闘を再現する。」って書いてあるのに。

それに、菅井なら、ちゃんとした学会の論文誌でちゃんとした
反論をするでしょう。私は、反論のために資料を集めていた
だけです。ただ、砂川論文への反論を書くと、砂川論文よりも
長大になるので(しかも、学術的に全然有用でない)受け取って
くれる学術誌が見つからないので野ざらしにしてただけです。

ところで、砂川は2006年11月5日にこんなことを言っています。

>しかし、この教科書は、政府が、日本の公害の歴史上最も
>徹底した公害防止対策を施し、加害企業の古河鉱業が、
>加害者責任を一切否定せず、被害農民に損害賠償をし、
>足尾銅山の年商の半分以上を使って大規模公害防止工事を
>ほどこし、その結果、5,6年後には農地が回復しているのに、
>歴史上重要なこの事実を完全に無視して、政府と企業を
>攻撃する虚偽の歴史を書いているのです。

これは嘘です。古河が損害賠償を行ったのは、1974年の毛里田
地区鉱毒根絶期成同盟会との調停が最初です。それまでの金銭
提供は、「協力金」などの名目で、決して「損害賠償」ではありま
せんでした。これは菅井以外の著書でもいくらでも言及があり
ます。
農地が回復しているというのも、一部の農地のみです。毛里田村
と三栗谷は鉱毒被害がこの後も続き、しかも、激甚化しました。
むしろ、被害地が減少して、(しかし、被害の総量が減少したという
研究はない)より被害が激甚化したことにより、毛里田と三栗谷の
農民は、他の被害地からの協力を得ることができなくなって、
まるで鉱毒被害がなくなったかのような世論の中で、孤立した
鉱毒反対運動を続けざるを得なくなった、というのが実際です。
『待矢場両堰々史』、『足利市史』別巻鉱毒編などを参照して
ください。砂川は、これらの、鉱毒研究者なら当然参照しなければ
ならない文献を敢えて無視して議論を進めようとしています。


160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 23:19:50 ID:+tFm7UFO0
>>159
追記。
足尾鉱毒事件関連学会の渡良瀬川研究会の
『田中正造と足尾鉱毒事件研究』Vol.14.2006が
出ましたが、砂川論文に関する言及はありません
でした。
これが不当なものだとは思いません。砂川は
自身の論文に関する渡良瀬川研究会の布川からの
問い合わせに、
「このやりとりを皆さんはどのように考えますか。」
「私は「正誤表などつける必要はありません」という
返事を出しました。 」
という回答しか提示していません。これでは布川も
言及のしようがないでしょう。

砂川は誤解しているようですが、渡良瀬川研究会と
田中正造大学は全く別個の組織です。


161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 18:13:50 ID:XjojMBNj0
122ですが、訂正です。
「田中正造と足尾鉱毒事件研究」Vol.14-2006を
よく見返したところ、西成健が砂川に少し言及して
いました。
砂川に関しては「別稿にゆずりたい」って書いてる
ので、論文は西成が書くと思いますので私のほうは
書くのはやめておきます。


162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 20:04:06 ID:jBrma4NV0
さて、明治34年12月10日の直訴後のことを、国語教科書の「田中正造」は
次のように書いています。
「この事件は日本じゅうをおどろかした。新聞は、いっせいに十日のできごとと、
正造の直訴文をかかげ、鉱毒事件を伝えた。」
「世論はわきたち、鉱毒問題の演説会が開かれるたびに、多くの人が集まった。
被害地の視察にくり出す者もいた。」

世論は一時的にわきたちましたが、それは、東京に住む社会主義者、婦人運動家、
キリスト者、仏教徒、学生たちなど一部だけで、しかも短期に終っています。


163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 20:06:04 ID:jBrma4NV0
直訴は被害農民を救うのが目的だと、教科書は言っていますが、実際の被害民の
反応はどうだったのでしょうか。
直訴に対しては、彼らはむしろ冷ややかでした。
正造の養女ツルの夫で、「田中党の総大将」といわれた活動家の山田友治郎
は、直訴の直後に正造宛に次の手紙を書いているのです(「全集・3巻」8頁)。

「謹啓。本日の各新聞を見るに、一昨日謹奏せし全文掲載これあり。実に驚き
いり申し候。その文意如何は問わず、はなはだ軽率なる振る舞いと申すべく候
様小生は愚考いたし候。」
「鉱毒被害民のために死を決して尽力するは貴下年来の覚悟なれども、以上の
振る舞いにいたっては、小生帝国臣民として傍観に忍びず、如何なるご所存に
これある候や、謹んでご回答相待ち申し候。」(明治34年12月12日)

正造の返事は、「回答いたさず候。」でした(上記と同じ8頁)。


164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 21:57:41 ID:dS1De+0c0
自分の取りたい様に意味を取ってないか?
直訴した後のその手紙の中身を見て冷ややかというのはいかがなものか?
小生帝国臣民としてとある様にそこまで大それたことをと言う意味合いでは?

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:04:34 ID:uib9apik0
>>163からの続きですが、被害農民が正造に反発したのは、運動方針が決定的に
違ったからです。

教科書に説明してあるように、正造が足尾銅山を操業停止に追い込むことだった
(たとえば、清水書院の「中学歴史」)のに対し、農民たちは農地の回復だけが目
的でしたから、正造に反発せざるを得なかったわけです。

川俣事件で逮捕された左部彦次郎は、その裁判で「請願は、操業停止が目的な
のか?」という検事の質問に対して、「いや、敢えて望みません。鉱毒の流出しない
設備を望むだけです。」とはっきり答えています(朝日新聞・明治34年9月2日)。

渡良瀬川の沿岸農民が、一体なんで収穫物を買ってくれるお得意様である足尾
銅山に閉山を求めたりするでしょうか。
田中正造は、農民の気持ちなど理解していなかったのです。



166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 19:56:18 ID:Qn3BoSKV0
>>165
事件直後に大島村で発刊された「毒砂の原」に
「請願書を認めて銅山停止に願い出し」という文言
があるので、それは当てはまらない。
仮に左部がそう言ったからといって、残りの50人の
被告全員がそう言っていたという保証はないし、
残りの数千の農民全員がそう思っていたのかも
分からない。
野口春蔵に至っては、警察が2月12日(川俣事件
前日)、雲龍寺で鉱業停止を訴える演説をした、と
裁判で言っている。鉱業停止してほしくないなら、
集まった数百の農民は野口のあとくっついて押出し
なんかしないで帰ればいい。農民は馬に乗った野口
にくっついて押出しを始めたんでしょ?

さらに妄想が炸裂してるのは、銅山が被害地農民の
収穫物を買ってくれるお得意様とか書いている部分。
何で自分の意見と違っているだけで別に嘘でもなんで
もないことは平気で全部「嘘」とか言い切れるのに、
ここまで堂々と嘘がつけるのか。

当時の鉱毒被害地から足尾まで、農産物を運ぶ
ルートはない。水運は足利郡梁田村までしかないし、
鉄道は桐生まで。そこからは40キロ以上ある銅街道
を、馬に乗せて運ぶしかない。
(一応、桐生の梅田まで鉄索があった時代もあるみた
いだけど規模も輸送量も不明。どっちにしろ、細尾峠
路線よりは輸送量が少ないのは確実な上、桐生から
梅田までさらに軽く10キロ以上ある)

当時の足尾銅山の物資輸送は、日光の細尾から
足尾の神子内まであった鉄索っていうケーブルカー。
足尾鉄道はまだない。

日光側から物資輸送をしてるんだから、農作物は
当然、日光近辺の今市か鹿沼付近から調達する
ほうが輸送コストもかからないし、わざわざ鉱毒
被害地からしなびた鉱毒入りのまずい野菜や米
を調達しなきゃならない理由が全くない。


167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 20:41:13 ID:VXeotNyQ0
小学校の国語教科書はまた、正造の直訴後のことを次のように書いています。
「明治政府も、ようやく、<鉱毒調査会>を作り、足尾銅山には、<鉱毒を取り除く
ように。>と命令し、」

しかし、「ようやく<鉱毒調査会>を作り」も、当然真っ赤な嘘。
すでに5年前に「鉱毒調査委員会」ができていたわけですから。
その第2次の調査委員会は、第1次の委員会(明治30年)が命じた公害防止工事
の効果について、その調査結果から「効果があった」との結論を出しました(明治36
年6月)。
同時に、政府は足尾銅山に堆積場の排水の改良、沈殿池の設備改善などの工事を
命令しました。これは明治政府が足尾銅山に発した5回目の命令です。

つまり、このときはじめて「鉱毒を取り除くようにと命令した」というこの教科書は、事実を
完全に無視し、小学生を完全にだましているわけです。



168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 02:08:25 ID:Q0GEdUF20
>>166収穫物を買っていたって、足尾に運ぶために買っていたっていう意味でなく、
買い上げていたという意味にもとれるんじゃないんですか。大きく勘違いのよう
に思いますが。労を要して、当時の輸送手段を書いていますが。

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 02:19:35 ID://IzEvw60
で 田中正造をおとしめて誰の名誉回復を図りたいの??
もしくは何を主張したいのですか?

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 10:18:32 ID:Q0GEdUF20
おとしめる?誰を?そんなことはしません。事実を書いているのでしょう。
名誉回復?何のために誰が?何のためでも、誰のためでもないでしょう。
これも事実ですから。あまりにも違う人物に作られていってしまっているからで
しょう。真実を書いているだけでしょう。

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 22:16:44 ID:Q0GEdUF20
>>166そこから40q以上を馬に乗せて運ぶしかないとかおっしゃいますが、足尾
銅山まで買ってくれるんだから運びますよ。明治時代の感覚の40qなんて、今の
感覚と違いますよ。全部歩きなんだから、歩くのが当然な時代でしょう。たいし
て苦にしないと思いますよ。既にあなたは現在の感覚で考えているのが間違いの
元ですね。ケーブルカーだけだだの、鉄道がないだの、40q以上あるだの、これ
は現代の人の考えること。ないのが当然の時代の感覚とは違うでしょう。
やはりそこら辺が既にわかっていない。それに今市が近いからといっても、当時
の足尾の物資輸送には馬何百頭も使い運んでいます。そのぐらい人口もあるので
食料が必要です。同然遠くからでも買うでしょうね、そして食べたでしょうね。
あなたが言う鉱毒入りというやつを。そして死ななかったですよ。死ぬわけない
でしょう。

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 01:04:09 ID:V6ppnF6E0
あまりにも違う人物に作られていってしまっているからで
しょう。真実を書いているだけでしょう。

再三再四 カキコしたんですが
あなたを突き動かす原動力を教えて欲しいと申し上げているのです。
田中正造という人物になぜそこまで魅せられているのか。
ということに興味があるのです

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:17:50 ID:OztP5/5P0
>>166
中学・高校の教科書からは、被害農民がみんな田中正造の下で公害反対運動に
加わった印象を受けます。
しかし、事実は反田中派が大部分で、田中派が足尾銅山の操業停止請願をおこな
った時、反田中派2万2182名は操業非停止の陳情をしました(明治30年2月)。
田中正造の信奉者・花村富士男によっても、この署名数は田中派の10倍近いという
ことです(『田中正造の生涯』)。
つまりは、操業停止派の農民は、被害が最も激甚だった時でさえ、全体の1割程度だ
ったわけです。
ところで、彼らがこの年4月に刊行した本には、次の文章があり、>>165の主張を裏づ
けています。

「足尾町は栃木県有数の都会で、一個の工業都市を形成している。そのため、沿道の
各地方も運輸交通その他、各種の事業にかかわって利益を得ており、当銅山の盛ん
な消費力は、栃木群馬両県の農工商業のほとんどに、広く潤沢な利益を与えている。
もし、操業を停止したら各地の商工業はどうなるのか。」(『資料足尾鉱毒事件』319頁)

仕入れた知識だけでは、100年前の流通経済の実態は判定できないのです。



174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 11:59:04 ID:XZ3RFIUQ0
ここまで凄いオナニーは初めて見た。
ID変えてまで同じ事を繰り返す。


175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 13:21:07 ID:d1p3gsCd0
>>173
そりゃ商工業の話で農業とは書いてないように
見えますが。
それに何度も書くけど、わざわざ越名村や渡瀬村
あたりから(越名は野口春蔵の出身地、渡瀬村は
大挙請願(押出し)のスタート地点)足尾に農作物を
運ぶくらいなら、たとえば神戸(ごうど)、大間々、
桐生、笠懸あたりから運んだほうがはるかに輸送コ
ストは安いでしょうが。(しかも、それらの地域はど
こも鉱毒被害地ではない)

渡良瀬川沿岸から農作物を運んだことは否定しませ
んが、何で近い神戸や大間々からでなく、敢えて
越名や大島あたりから運ばなきゃならないんだかそっちの
理由がない限り、そんな珍説には賛同できませんな。

それに、農民が最初から鉱業停止でまとまっていた
わけじゃない。うちの田んぼに鉱毒が入らなきゃそれ
でいい、そんな農民が大多数だった。ところが砂川は、
左部が鉱業停止を望まない、って発言した、っていう
発言をもって、大多数の農民の心がこの頃に正造
から離れていったかのような印象操作をするから
怪しまれるんでしょうが。

その、鉱業停止ではまとまらない農民たちを組織化し、
「おらたちの村にはあんまり鉱毒被害ないんだよなあ」
「そこをなんとか、押出しに加わってくれ」ってまとめて
大挙請願をやって遂げたのが鉱毒事務所であり、正造
なわけでしょう。(正確には正造は第1回から第3回の
押出しには加担していません)


176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 20:17:18 ID:7kJK4YFp0
当時、日光細尾から鉄索(ケーブル)で、峠を越えた後は、馬車鉄道と言って、
馬の背にではなくて、線路を引いて馬に引かせていたのです。テクテクでなく、
スムーズにしかも、平トロという荷物専用の台座付き、棒を四隅に建てて、板
を入れれば沢山の物を入れられます。町内はもちろん群馬は沢入まで馬車鉄道
をかけ、その沢入も黒坂から鉄索で足尾への石灰を運んでいるので、沢入駅前
は旅館も繁盛していました。もちろん渡良瀬沿線、大間々も足尾のおかげが沢山
あったのです。

40qなんてたいしたことないですよ。フルマラソンで人間だって走れる距離で
町中線路を引いてスムーズに馬に引かせていたのです。歩くのが普通の時代です。
良くお考えください。
当時、資材や生活物資も輸送されてくるので、牛馬が長い列をなし、大間々警察署
から他の交通に支障になると、牛車輸送を差し止められたくらいです。
明治21年の上州路は、馬車400輌、牛車120輌 手車200輌がひしめいていました。
それでもまだ、馬車123輌が不足だと言っています。それで馬車鉄道をかけたの
です。しかもそれを運んでくる人、それに関わる人を入れたら大変な数になります。

明治中期には、従業員だけで約1万人を持つ足尾銅山は近代産業都市だったんです。
おかげを被る人々は足尾だけに留まりません。総人口で言えば2万〜3万人の
胃袋を満たすには、どこからでも運ぶのです。沿線だけ、近い等という理由は
成り立ちません。そこからだけなどでは、到底間に合いません。

念のため、梅田にかけた鉄索(ケーブル)は明治33年沢入〜山地(梅田5丁目)
間に延長6339mの鉄索を架設しました、これは石灰石を運んだのです。

車、鉄道がないから輸送手段がないなどとは思ってもいない時代、歩くことが
当たり前の時代。鉄道がないだの、遠いだのそんなこと言っていられない足尾の状況
等も、良くお考えください。

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:54:32 ID:d1p3gsCd0
>>176
それは時代が違うでしょ。
明治21年当時はそうだったかもしれないけど、
鉱毒が激甚化、押出しするのは明治30年頃。
川俣事件は明治33年。
明治23年には細尾峠の鉄索はできているんだ
から、21年には大量にいた馬も、23年以降、
量も需要も減ったとみるのが正解でしょう。
それに、何度も書くけどこの時代(明治30年代)
の輸送のメインルートは細尾峠の鉄索。
物資輸送のためにわざわざ鉄索つくったのに、
使わないわけはないでしょう。つくったのは、そ
ちらのほうがコストが安いとふんだからでしょう。
なら、農産物も日光から鉄索で運ばれたと考え
るのが妥当で、大間々からの人馬輸送は残った
としても補助的(たとえば鉄索故障時に備えて
予備ルートとして残していた)と考えるのがもっと
妥当でしょう。
それに、どこからでも運んだのなら、ますます
わざわざ鉱毒被害地から食料を購入する必要は
なくなりますが。
鉄索で峠を越えたあとは馬車鉄道で運んだのも
知ってますよ。ただ、それは、全部を馬車で運ばせ
るのよりは、鉄索を使って一部を馬車にしたほうが
コストがかからないからでしょ。

何で都合のいい時代の値だけ出してくるのかも
これまた分からない。
それに、足尾銅山はこの時代、極端に人を減らし
ています。
明治23年には1万8千人いた従業員が、33年には
6571人に。足尾町の人口も減ってます。
30年推計で27426人、35年推計で22708人。
36年の内務省の値は突然3万を超えますが、それ
は川俣事件のあとの時代です。

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 22:03:50 ID:d1p3gsCd0
>>177
村上安正『銅山の町 足尾を歩く』123ページだとこうですね。

索道は明治二三年八月から工事を開始し、一一月には
運転を開始している。最後に残った細尾と日光駅間の
馬車鉄道が二六年一一月完成、足尾銅山への輸送路は
日光路に集中することになる。

このとおり、鉄索開通後、大間々方面からの輸送は
相当減ったことが分かります。

この本は砂川も参考文献に出してますよね。


179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 03:01:45 ID:f78VGKDn0
明治30年鉱毒予防工事のため延べ58万3000人の人が働きます。多い日で7000人少な
い日でも2000人。その人たちの食料はどうするの。
鉄索もフル回転ですが、明治30年のその時、群馬側、日光側に馬150輌追加して
います。何度も書くけど、減るどころではありません。それに>>177のあなた
明治35年の人口は32708人ですよ。1万人も減らしちゃ困りますね。それに
明治30年以降の人口は増えているのです。減らさないで!足尾では戸籍を
もたない人も随分いますからそんなどころではありません。ちなみに明治36年
には明治35年よりちょっと少ない31077人よ。内務省の値は突然3万人越える?



180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 09:03:26 ID:HmHPUvin0
>>179
予防工事やってる間は銅山止めて、
鉱夫も全員、予防工事に回ったんでしょ。
予防工事用だけのために膨大な人間を
別に雇ったわけじゃない。
あとは元から足尾にいた人たちを、手弁当
で動員しました。(ボランティアって言われて
ますね)
それに、フル回転の鉄索も馬車も、
予防工事用の資材輸送でフル回転なんでしょ。
確か、あのとき、日本のセメントの何割って
数えられるくらいの量を足尾で買ったはず。
セメント輸送でフル回転なわけで、別に食料
輸送でフル回転なわけじゃない。
馬車を増やしたから食料も大間々から入れた、
って理由にはならんでしょう。
それに仮にそのとおりだとしても、それは
明治30年というひとつの年だけの例外でしょ。
31年も29年もそんなことはやってないんだから。
そして川俣事件は何度も書くけど33年です。

人口の数字は、『銅山の町 足尾を歩く』に
よります。どっちにしろこの時代の足尾は
推計しかできないからその値もどこかの
推計値でしょうね。

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 14:02:40 ID:f78VGKDn0
明治28年人口11549人 世帯数2962
明治30年人口27426人 世帯数3516 明治28年の問題は世帯数と人口の格差から
いって30年の人口/世帯数を適応すると推定の2倍に達すると、問題としている
のですが
明治28年23000人 明治30年27426人 明治35年32708人 明治36年31077人 明治40年34824人
明治22年に少なくても2万人半ばまで達していると言われています。その他に要するに
足尾の場合戸籍を移動しない無届けの分を入れると楽に3万人は居るはず。二本の日光側
からの鉄索は一本は荷物専用としたら、もう一本だけでは3万人の食料を調達は大変・・・私調べ。
でも、これは「どうせどこかの推計値」なんてもんじゃないことだけはお断りしておきます。

明治30年以降減ってるどころか、3万〜それ以上を維持しています。

大正5年38428人最高の人口の時、戸籍を持たない方を入れると5万人いたと言われ
ています。この時は既に鉄道も開通していますが。この様に足尾の場合戸籍を
移動しないで来ている方も沢山いるのでどこかの推定値以上、多めに勘定してね。

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 16:25:17 ID:HmHPUvin0
そうはいってもこの村上の値そのものがそうやって
「水増し」されてるのかどうかも分からない。
水増しした値に水増しをしてさらに水増しをしていっ
たら、100人が10万人にでもなってしまう。
まあどっちにしろ明治30年代に2万から3万人ってい
う推計で話を続けるけど、鉄索で運びきれない分を
大間々から輸送したのは事実かもしれないし否定は
しないが、それはあくまで予備ルート。鉄索で運びき
れないから食料を全部大間々から運んだわけはない
でしょう。
そして仮に大間々から輸送したにしても、わざわざ
渡瀬村や越名村から足尾へ送るべき理由がない。
まわりに笠懸でも新田でも藪塚でも、近いところに
農業地帯はいくらでもあるんだから。

史料を掘り返してみたけど、明治35年に、お上から
「沿岸で鉱毒反対運動をやってなくて、銅山に依存
して生計を立ててる町村はないか」って調べが(何故か
極秘で)来て、大間々町と黒保根村と東村の分の
集計が出てる。ただ、酒と醤油と材木と石灰の数値
しか出てなくて、それ以外の食料を運んだのか運ば
なかったのかは分からない。ただ、そこから分かる
のは、明治30〜34年の間で、輸送量が一番少ない
のは予防工事をやった30年。あとは数字にはあまり
変動はなかった。

輸送業者の数が大間々で10人っての少なすぎる
ような気もするが、東村380人ってのは多すぎ。
ちなみに黒保根は78人だった。
多分、兼業の人も入れてて、馬車鉄道の輸送員も
入れてる(終点沢入は東村)んだろうけど。

ちなみに明治34年大間々から足尾に送り出され
た荷物の量は、
酒7216.320円、醤油36909.360円。
これを見る限り、大間々からの輸送は日持ちのする
加工品類が主だとみていいだろう。だとすると、
まかり間違って鉱毒被害地から足尾へ農作物が
行ったとしても、それは大間々の酒屋や醤油屋を
通してであって、鉱毒被害地は「大間々の醤油屋が
麦を買ってくれる」とは思っても、銅山が買ってくれ
るとは思ってないだろう。
(群馬県史 資料編20)


183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 18:39:18 ID:MRdETdtN0
農民は商工業とは関係ない」とおっしゃる>>175さんへ。
農家は生産(農業)だけでなく、それを流通卸売り業者に売る(商業の一翼を担う)こと
で暮らしを維持しているのですよ。

本題に戻りますが、直訴よりも半年少し前の明治34年4月28日、正造は、自分のいう
ことを聞かなくなった被害民への不満を、野口春蔵ほか9人の活動家に宛てて、手紙に
次のように書いています。全集で確認してください。
「被害地の馬鹿は自家の権利を縮めることにのみ汲々とし、請願の上京を怖れ、悔い、
・・・嗚呼、これらの馬鹿に貼付すべき良薬なし。・・・(彼らと違い)諸氏は沿岸の先覚な
り。沿岸の神なり、仏なり。・・・よって諸氏の責任や甚大なり。」
正造にとって、自分のいうことを聞かない被害民は、馬鹿でしかなかったわけです。


184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 18:40:57 ID:MRdETdtN0
明治36年になると、正造と活動を共にする活動家はわずか3人しか残っていませんで
した。この年の7月10日に大出喜平、野口春蔵、左部彦次郎の宛てた正造の手紙は
こうです。
「正造は諸氏の護衛兵なり。しかもなお沿岸の人民には分からぬ。・・・諸氏の智、諸氏
の明にして、万一にも少々にても厘ほどにても疑う点あらば、その行き違いよりくる損害
は、幾千円幾万円の金にも変え難からん。小生も諸氏を信ずるあまりに申し上げ候。」

さらにその後、何かのことで野口が正造に腹を立てていたと聞いて、野口春蔵に次のよ
うな詫び状を書いています(同年10月30日)。
「とにかく正造は盗人なり。野口君や大出君や二人の功名を盗んだり。また山本君や
青木君や田野入君や亀井君や稲村君や谷君や糸井君や小野君や新井君矢の功名を
盗んで、正造はこれを我物顔にせし不埒不届きの盗賊の魁である。」

窮地に立った正造が、ほめ殺しの手に出たことが分かります。




185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 21:18:26 ID:XTcQIBjV0
>>183
いやその話じゃなくて。
銅山は農作物を買ってくれるお得意さんなんだから、
鉱毒被害地の農民が鉱業停止を主張することなんか
ない、っていう主張は間違いだ、って言ってるだけです。

ちなみに、梁田村と毛里田村の農民数百人は、この
時代(川俣事件の時代)「鉱業停止」の請願書を出してます。
非常に少ないですが、「鉱業停止」を唱えた村はあった
のです。足利市史や群馬県史といった、ごく基本的な
文献に載ってますからちゃんと参照した上で、誤った
認識は直してから出直してください。

ちなみに、足利市史のほうはたまたま手元にあるので
ページも言っておきますね。
別巻資料編鉱毒の413ページ、「銅鉱製錬所禁止の
請願書」が、1901年、梁田村263名の連署で出てます。

先足尾銅山ニ於テ銅鉱製錬ヲ直チニ禁止シ以テ我々
帝国臣民ノ権利ヲ回復シ生命保存ト納税ノ義務ヲ完全ナ
ラシムル様致度ニ就キ銅鉱製錬禁止ノ請願速ニ御採用
被下度此段謹テ悃願仕候

どうです。105年前の梁田村の農民の悲痛な叫びが、
世紀を超えて伝わってくるでしょう。


186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 20:04:12 ID:S/qDcr+j0
小学校の国語教科書の「田中正造」は、さらに次のように続きます。

「(直訴後に設置された鉱毒調査委員会が)渡良瀬川と利根川の合流点に近い
栃木県谷中村をとりつぶし、ここを遊水池に変えることにした。洪水のとき、河底
の鉱毒をおし出す水をたくわえるダムがあれば、鉱毒が広がらずにすむ、という
のである。」

この説明もまた、作者の偏向した解釈を子供たちに押しつけたフィクションです。
政府の命令で実施された公害防止工事が、鉱毒の除去に成功したのを確認して、
この鉱毒調査委員会は、渡良瀬川沿岸の洪水防止対策として谷中村の遊水池化
を計画したのです。
それなのになんで、「鉱毒を貯めるダム」などと嘘を言うのでしょう。

「公害防止工事が鉱毒の除去に成功した」という調査委員会の結論は、岩波新書
の『田中正造』にも明記されています。作者はもちろん、教科書の編集者も、この
教科書に疑問を感じない先生方も、あまりにも不勉強ではありませんか。

しかもこの遊水池案は、上流の被害農民も例外なく賛成した計画です。
それをこの作者は、あたかも農民たちの反対を押し切って推進したごとくに書いて、
政府を批判しているわけです。

いったい、文部科学省はどうして、こんな教科書の検定を通したのでしょう。



187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 19:23:54 ID:jS/Q6Flj0
>>186
由井(岩波新書版「田中正造」の著者)は、第二次鉱毒調査会
が、鉱毒はなくなったと調査委員会が報告した、などとは書いて
ませんよ。
いくら何でもそれは史料の捏造がひどすぎるんじゃないですか。

第二次鉱毒調査会の調査結果は、「鉱毒は減った」です。
なくなった、でもなければ、被害がなくなった、でもない。
由井の本を念のために開いてみましたが確かにそう書いて
あります。
嘘を前提とした主張をするのはやめてください。

ほかにも嘘の主張をされてますが、そこまではツッコミを入れる
気もおきません。


188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 21:46:57 ID:Wqu+su/90
.>>187のコメントへ。
岩波新書の『田中正造』の177ページにこうあります。
「調査委員会の<足尾銅山に関する調査報告書>は、明治36年5月の
第18議会に報告された。この中で委員会は、作物に被害を与える胴分は、
30年の鉱毒予防命令以前に銅山から排出されて、銅山付近および渡良瀬
川の河床に残留するものが大部分で、現在の操業によるものは比較的小
部分に過ぎないとして、古河鉱業の責任を解除した。」




189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:55:54 ID:vxDWK6bT0
>>188
「公害防止工事が鉱毒の除去に成功した」
ってのは由井の本のどこに書いてあるんですか?
どこにもないと思いますが。
「この中で委員会は、作物に被害を与える胴分は、
30年の鉱毒予防命令以前に銅山から排出されて、銅山付近および渡良瀬
川の河床に残留するものが大部分で、現在の操業によるものは比較的小
部分に過ぎないとして、古河鉱業の責任を解除した。」
というのと、「公害防止工事が鉱毒の除去に成功した」というのは、
日本語では全く意味が違います。
由井の本に書いてないことを、あたかも由井が主張したかのように
言い張るのはやめてください。
ちゃんと由井は、「鉱毒は減ったがなくならなかった」「調査委員会は
そう報告した」と書いているではないですか。


190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 22:51:17 ID:j2LUtwoO0
被害農民の一部は明治30年から足尾銅山の鉱業(操業)停止を求めたが、
明治34年の10月の段階では、その反公害運動の理論的指導者だった左部
彦次郎でさえ、「鉱業(操業)停止は敢えて望みません」と、裁判で検事にそ
の本音を語った。

以上が私の主張したことですが(>>165)、これに反撃を加えたつもりの方は、
わざわざ私の主張した事実を裏づける証言をしたにすぎません。
「野口春蔵が、明治33年2月に 雲龍寺で鉱業停止を訴える演説をした」(>>166
事実も、「梁田村と毛里田村の農民数百人が川俣事件の時代に鉱業停止の請
願書を出した 」(>>185)事実も、私の主張を正当化するだけではありませんか。
私は、彼らの意識がその後変化したといっているのです。
反論するなら、もっとパンチの効いたものにしてください。


191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 20:17:39 ID:D19bZILD0
>>190
>165で、
>渡良瀬川の沿岸農民が、一体なんで収穫物を買ってくれるお得意様である足尾
>銅山に閉山を求めたりするでしょうか。
とか嘘をつくから、いや、梁田村や毛里田村は鉱業停止の請願を出してる、って
証拠を出しただけでしょ。


192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 21:14:32 ID:KyPSH88n0
国語教科書の「田中正造」は、最後に、彼の死の時を次のように書いています。

「被害地の視察に出てたおれた正造が、栃木県吾妻村のある農家へ
運びこまれたのは、1913(大正2)年の8月2日である。
<山や川を元に回復することができれば、正造は死なぬ。それができなければ、正造は
山や川とともにほろびる。私を気づかう前に、人の住める土地をとりもどしてくれ。>
かけつけた農民たちに語る71才の正造の体は、あせにまみれた。やがて9月4日、
正造の死を知らせる雲龍寺のかねがひびいていった。」

もし、正造の語ったことが本当だったら、聞いていた農民たちは、
飛び上がって驚いたと思います。理由は次回から説明します。


193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 20:14:48 ID:KiWumyhl0
正造は「人の住める土地をとりもどしてくれ」といって死んだということですが、
それより10年前(明治36年)の秋には、全集別巻の年譜によれば、「鉱毒被
害地の稲は豊作」となり、正造も10,11月の10回にわたる演説会で、「被害地
豊作の実況」などと題して8回演説した、ということです。
つまり、だいぶ早い段階から「人の住める土地」は戻っていたのです。

同年10月23日の日記に、正造は次のように書いています(全集第10巻)。
「渡良瀬、利根沿岸中、河川接近低地、毒の入り易きは、激甚地の小部分は
稲作豊作なり。これ天の与うる地勢論の御勝利として、御会員様に対し謹んで
御礼申し上げざるを得ず。また我々の請願意見の通りに候。人は悪事を働くも
天は真のありがたきをお示し賜れたり。」

また、彼が作った、同年10月29日付けのPR用チラシにはこう書いてあります。
「当年の豊作は天の神様の賜物なり。神仏の恵みである。」
「激甚地の一部は5倍以上の豊作なり。」(全集第16巻66頁)



194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 21:17:08 ID:SolFfcta0
>>193
一応ツッコミいれとくか。

五倍の豊作になったのは、激甚地の「一部」でしょ。
で、正造が言ってるのは、今は豊作でも、次の洪水で
鉱毒が流れてくるかもしれないし、そこで凶作にならない
とも限らないから、一時的な豊作にうかれるな、ってこと
でしょ。
それは砂川がかなり恣意的な引用をしているストロングの
正造の伝記にも載ってるんでしょ。

ちょっとでもよくなったような史料があると、「全部回復した」
かのような書き方をするのは嘘でしょう。

それに、確か1910年だかの大洪水の鉱毒被害も
正造はずいぶん細かく調査してる。この年鉱毒被害が
「なかった」っていう話は正造はしてないですな。ってのも全集に
載ってるけど、何で1903年に豊作になったってとこだけ
引っ張ってて、そこは無視しますかね。


195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 21:05:22 ID:PVeiQ0i70
今の毎日新聞とは無関係の、当時の『毎日新聞』は、正造の友人の島田三郎
の経営で、徹底して正造を支持していた少数派の新聞ですが、同紙でさえ明治
36年10月16日には、次の記事を書いているのです。

「いわゆる堤外地、すなわち毒土数尺を堆積せし所、かえって濃濃たる禾穀を
生じ、多年一穂の穀実を穫ざりし被害民蘇息の思いを為し、世上一般意外の
現象に一驚するに至れり。」

「山や川を元に回復することができれば、正造は死なぬ。」といったそうですが、
10年も前にこれほど田畑が回復していながら、なぜこんなせりふを吐いたので
しょう。敢えて嘘をついたとしか考えられません。


196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 19:46:09 ID:9CvXr1+S0
大正2(1913)年8月24日、正造の死の10日ほど前のこと、正造を支援していた
弁護士の花井卓蔵と卜部喜太郎が、栃木県吾妻村下羽田の庭田方見舞いに
訪ずれました。
都新聞記者の柴田三郎は、この二人から、その時のことを次のように聞き取っ
ていますが(『義人田中正造翁』、大正2年)、卜部はこう語っています。

「鉱毒が激甚だった頃は、この辺がことにひどかった。実に満目惨憺で、青いも
のは見たくも見ることができないという有様だった。このくらいの大きい竹が引っ
張るとすぽんすぽんと抜けた。」

「そういうわけで、いよいよ中央にもこの鉱毒というものが認められて政府の方
でも十分の調査をすることになり、鉱毒調査委員会というものができた。そのた
めに古河鉱業主は莫大な金を使っている。」

「しかるに、先達て見舞いに行ったときに見ると、もう、その付近は草木青々と
繁茂して、米もできれば桑も育っている。木々の梢には蝉が鳴いている。どうも
見違えるほど賑わしくなっている。」
「かくこの地方を復活せしめて賑わしめたのは、これ全く翁(正造)のお陰である」


197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 20:14:29 ID:hVBJc3sx0
>>196 からの続きですが、卜部とともに正造を見舞った弁護士の花井卓蔵も、柴田
三郎の取材を受けてこう話しています(『義人田中正造翁』、大正2年)。

「田中君は、問題を一身に引き受けて官権、富豪と戦った。ついにその効があら
われて除外工事となり、渡良瀬川沿岸一帯の被害はほとんど復旧し、かつては
稲も実らず桑も出来ず、草さえ生えなかった土地が、今は青々と草木繁り、稲も
実るようになった。これひとえに田中君の功であると言わなければならない。」

「見舞いに行ったときに、野口春蔵君という鉱毒問題当時の大将が看護に来て
いて、<私どもが先祖伝来の土地をこれほどまでに救われた御恩は、とても神
や仏の及ぶところではありません。もし万一のことがあったときには、どうしても
神社でも建てて、遠き数百年の後まで、その御恩を記憶しなければなりません>
と言っていた。」


198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 21:42:22 ID:gJdUkbzT0
正造の側近の活動家だった野口春蔵も、谷中村問題では正造と反対の行動を
とりましたが、正造の危篤に接してこのとき看護に駆けつけていたわけです。
彼以外にも、正造から離れていた大勢の公害反対派の農民が、正造の死の床
に集まり、野口同様心から感謝の気持ちをいだきました。

そして、「先祖伝来が土地がこれほどまでに救われた御恩」を何としても伝えた
いと、庭田家に「田中翁病中事務所」を設けて看護に熱中しました。
このように事態が急変した事実は、被害農地が如何にすばらしい回復をとげた
かを、如実に物語っています。
農民は現実主義者ですから、正造がいくら熱心でも、田畑が元に戻るという実質
がなければ、正造を尊敬するわけがありません。


199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 20:22:38 ID:W49BM7xn0
被害農地の復旧は、もとより、正造だけの功績ではなく、農民の活動家たち、政府
当局、栃木・群馬の県会、古河市兵衛などを含めた関係者すべてにあって、彼らが
誠実に努力した結果です。しかし、正造に心酔してやまない『万朝報』の記者・高橋
鉄太郎は、公害防止工事の効果を裏づけに、正造を次のように称賛しています。

「もとより、暴悪なる富豪古河の経営せる足尾銅山除外工事は、決して完全なるもの
というべからず。彼(田中)がこの施設に満足せざるは当然なるも、この工事あるが
故に鉱毒の被害を薄くしつつあることは、公平なる識者の一致する所にして、しかし
て、この除外工事を設けしめたるは、彼が10年獅子吼のたまものたるを失わず。
この点において不本意ながらも彼(田中)は瞑して可なり。」(『義人田中正造』)



200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 20:11:55 ID:yWDY3m/+0
新聞記者・高橋は、正造を神として崇敬すべきだと、被害民に次の如く説いています。
「十万町歩の耕地によりてその生活を営める50万の農民は、彼が被害民のために
樹立したる勲功の甚大なることを思うてこれを銘記し、子々孫々に至るまで彼(正造)
の恩を記せしめざるべからず。」
「足尾の鉱毒にその生命財産を奪われんとしたりし渡良瀬川沿岸の人民は、少なくと
も彼を神として子孫に伝えて厚く祭祀せざるべからず。」(『義人田中正造』、大正2年)


201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/04(月) 19:53:06 ID:WUEbWgCJ0
正造が所属していた政党の党首であり、当時鉱山業を所管する農商務大臣として公
害防止工事を命令した大隈重信は、正造に対して次の弔辞を贈っています(全集別巻)。

「家を忘れ身を献げて下民の困難を救わんと欲し、議院の内外に呼号して一世の惰眠
を覚破し、よく渡良瀬沿岸十万無告の民を救済せり。君の功もまたあに偉ならずや。」

新聞記者の高橋鉄太郎と政治家の大隈重信の発言から、農民が如何に救われたか、
つまり農地が如何に回復したかが、よく分かると思います。



202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 20:28:57 ID:iZ2slDxR0
しつこいかもしれませんが、鉱毒事件が公害防止施設によって解決をみたという証拠を、
更に付け加えます。
昭和10年刊の『国民百科大辞典』(冨山房)で「田中正造」を引くと、次のようにあります。

「義人。・・・足尾銅山鉱毒問題に身命を忘れて奔走。すなわち流出鉱毒が渡良瀬川沿岸
6万町歩を荒らし、136か村、30万人の生命財産に及ぼす被害にかんがみ、対策を講ぜ
んとしたもので、官民ここに悟り、ついに現時の施設を見る。」

正造の努力は報われず、鉱毒問題は解決しなかったという、現在の教科書や事典の記述
とは、全く反対のことが書いてあることが分かると思います。


203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 21:29:50 ID:6nGmDtqt0
>>202
しばらく放っておいたけど、たまには出てきますか。

で、その冨山房の本には「施設ができた」って書いて
はあるみたいですが、
「鉱毒がなくなった」ってどこに書いてあるんですか?


204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 07:12:42 ID:qwxEL1qxO
粉砕してどうすんの?自分のブログなりで大いに開陳すればいいのにな。


205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 20:21:33 ID:+FqN2TNn0
鉱毒問題が解決した否かは、このことに直接かかわった当事者が一番よく知っているは
ずです。
正造の下でこの運動に身を投じた指導者の一人永島与八は、前述した野口春蔵と同じく
被害農民が救われたことに感激し、これを正造の功績に帰して次のように書いています。

「私はつくづく思う。もし田中翁なかりせば、この事件は如何に成り果てたであろうと。かく
のごとき不祥事の起こったことは、実に日本の国史上一大汚点であり、日本国民の一大
不幸であったが、たまたま田中翁のごとき人傑があってこれを適当に解決してくれたことは
日本の国史上一大美点であり、日本国民の一大幸福であった。」

「私の見た田中翁は・・・内容が豊富で高く、広く、深く、大きい。すなわち翁はわが日本が
生んだ奇跡的一大存在であった。ただに明治の義人というだけでなく、実に永久不朽の
義人であり、哲人であり、詩人であった。また古今稀なる政治家であり、道徳家であり、
教育家であった。しかして更に一大宗教家であったと私は思う。」(永島著『鉱毒事件の
真相と田中正造翁』、昭和13年)


206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 22:33:17 ID:OciTLU3L0
>>205
はいはい。じゃあ一応相手してあげますね。
この昭和13年っていう年は、渡良瀬川で大洪水が
あって、鉱毒がまたまたまたまた(中略)またまた
沿岸に流れた年。そのちょっと前の昭和9年にも
鉱毒被害が出てますね。

でもって、永島はこの時代の最大激甚地、三栗谷と
待矢場のどちらの住民でもありません。
待堰か矢場堰周辺の住民がこの時代に「鉱毒が
なくなって幸福です」って書いてる文書があったら
提示してください。
鉱毒被害地は永島の出身地安蘇郡だけじゃあり
ません。
佐野周辺で鉱毒が減ったからって、それはなくなった
わけじゃない。しかも、正造が死んで鉱毒被害地の
ネットワークもなくなると、永島みたいな安蘇郡の
住民は、山田郡がどんな悲惨なことになってるか
それすら知らないままのうのうとこんな文を書い
ちゃう時代になっちゃったんだ、ってのがよくわかる
文書です。

もちろん山田郡足利郡の被害地ではちゃんと
鉱毒なくせって運動をやり続けてます。それも、
正造がまだ生きてた時代から、連続して続けて
いて休んだりしてないわけです。
だから、待矢場の鉱毒反対運動は、田中正造の
ものをひき続いたもので、少なくとも当事者たちは、
そうだと思っていますし、碑にもそう刻んでいます。

大正時代から昭和時代初期の鉱毒反対運動を
なかったことにしたがっているようですが、残念ながら、
とっくの昔に近代足利市史がそれを否定しまくって
くれています。

あと、永島の文には思ったより虚構があってかなり
指摘されてるので利用には注意しましょうね。
(足利市史にも捏造文書だって言われてる文書が
ひとつか二つ紛れ込んでますが、それは、鉱毒被害
が始まった年を異常に早くした文書くらいだと思いました)


207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 20:10:22 ID:pyq4zX+60
農民や公害反対運動の活動家、この事件を取材していた当時の新聞記者たちが、正造を
神格化していた事実は、これでうなずけると思います。
しかし、現在の教科書や辞典類の執筆者や、正造の研究者や学者による正造の神格化と
は、その理由が当時のそれとは大きく違っています。
当事者たちが、鉱毒の被害は、正造の政治力によって解消されたとしているのに対し、今の
研究者たちは、正造の政治力では鉱毒問題は解決しなかったと結論づけているからです。

解決しなくてもなお神格化すべき存在だとしているわけですが、いったいなぜこんな不自然な
結論が生まれたのでしょう。
それは、正造がよく嘘をつく人間だという事実を無視しているからです。


208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 14:56:06 ID:QaICgKlD0
キリスト教徒なのによく嘘をつく?

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 21:00:22 ID:aaY4IBNP0
明治36(1903)年の秋に、鉱毒被害地の稲が豊作となり、正造も「激甚地の一部は5倍
以上の豊作」などと演説していたという事実は、すでにお伝えしました(193)。
ところが彼は、「豊作になった原因は断じて政府の公害防止対策のせいでない」と言い放ち、
とんでもない作り話をでっち上げて、何としてもこれをだれかれに納得させようと、演説で話し
て歩いたり、親友の経営する『毎日新聞』にちょうちん記事を書かせたり、チラシを作ってこ
れを配布して回ったりするのです。
その捏造話には、皆さんもきっとすごく驚かされると思います。


210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 20:07:18 ID:8+GO/cRk0
『田中正造全集・第16巻』の16頁に、明治36(1903)年10月29日の日付のある宣伝ビラ
が載っていますが、正造はそれに次のように書いています。

「予防工事は昨年ことごとく破れて、5か年間積もりおきたる毒は、一時に流れ出たるほどな
りしも、これと同時に十里以上の山々崩れ、新たなる山土は天然の新肥料となり、稲は旧年
に比して5倍の豊作となりせば、いかなる愚鈍いかなる馬鹿にも新土のためなるを解しえて、
今は3歳の小児といえども、予防工事のためでないと認めたれば、今回は政府の官吏中に
すらも、往々鉱業停止論を主張するものあるに至れり。」


211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:48:55 ID:OLcwxi0H0
とても解りずらい文章なので、簡単に書き直せば、豊作になったのは去年の十里以上の山
崩れのせいで、その土が畑の上に載ったからである。このことは、どんな馬鹿でも幼児でも
理解できるし、だれしも豊作は公害防止対策のせいでないと認めているので、政府のお役人
にも、足尾銅山の鉱業(操業)停止論に賛成する人が現れてきた、ということでしょう。

正造の「山崩れ豊作説」がいかにお粗末な嘘かは、十里以上の山崩れはありえませんし、
崩れた土が何十キロも遠くまで移動できませんし、かぶさった土が肥料になるはずはあり
ませんから、皆さんにもよくわかると思います。

「3歳児でも解る」という言い方の中に、彼の自信のなさがほの見えていないでしょうか。
すでに明治34年の秋、つまり直訴の前に、新聞は豊作の兆しがみえると報道しているので、
35年の山崩れ説は無効ですし、被害地の農民たちは、「自分の田畑に新土がかぶさった」
などと、誰一人言っていません。あまりにもナンセンスな捏造話ではありませんか。



212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:50:45 ID:OLcwxi0H0
10月29日付の宣伝ビラには正造は更に次のように書き、今度は農民たちを脅しています。

「地方人もしこれを知らず、村の悪人等市兵衛の犬どもに欺かれ、あるいは酒を飲ませら
れて、おのれの被害民たるを忘れ、油断して安眠し安座し、運動を怠れば、たちまちまた
神仏の罰を受け、今後は妻子を殺さるるほどの天災も来たらん。」
「まことに正しい運動をなして正しき人たる道に働き、神仏の罰を受けざるこそ、まことに
人たるものの本意である。」(全集・第16巻66頁)

豊作は予防工事のためでないから、足尾銅山の鉱業(操業)停止運動を進めなければ
ならない、古河市兵衛に繋がる連中にだまされて、私の指導する運動に従わなければ、
妻子を殺されるような目にあうだろう、というわけです。
自分の運動目標だけが正しい。これに背けば罰が当たるとは、何と独善的なのでしょう。


213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 19:52:36 ID:OLcwxi0H0
同じ年の11月11日付けのビラには、正造はこう書きます(全集・第16巻70頁)。
「鉱毒被害民同志に告ぐ。昨年新土入り、本年豊作の小局部は、20年前300円の
田畑も、昨年までは35円に下落のところ、新土豊作により、たちまちこの局部100円
位には引き戻りたるべし。」

「なお、鉱業を停止せば、年々回復して3、4、500円とも登るべし。よって市兵衛の
田地買収策は破れたれば、彼は離間(仲たがい)の悪策をめぐらして今度は損害賠
償の裁判とか何とか、または鉱業非停止の請願を出さしめ、銅山より旧のごとくどし
どし鉱毒を流し、田地の価を下落せしめつつ、山林盗伐も自由にできる法案の議決
を求めつつあり。群馬栃木の山林は大いに警戒を要し候。」


214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 20:56:48 ID:cb66AJqg0
予防令で鉱毒はなくならなかった、って、国土交通省も言ってるのに、
まだやってるよこの人。
自説を成立するために、事実を無視するのはやめましょう。

http://www.ktr.mlit.go.jp/watarase/07_ryuik/0702_hstr/6_5_1.htm

国土交通省は、渡良瀬遊水地は、鉱毒沈殿目的でつくられた、と、はっきり
書いてます。
1897年の予防令で鉱毒がなくなったおかげで1903年に豊作になった
のが事実なら、1904年過ぎに谷中村に遊水地を作る計画を立てる
必要などないはずです。
(谷中村に渡良瀬遊水地を作る計画が明らかになったのは1904年頃
です。正造もその頃、谷中村に移住してます)
これこそ、1903年の豊作が、予防令による工事のおかげでないことを
明白に証明しているではないですか。

っていうか、国土交通省も、いや、古河でさえ、鉱毒予防令で鉱毒が
なくなったなんて今ではいってないのにそんな嘘をいい続けるのはやめ
ましょう。
(戦時中、終戦直後の国会答弁でそういうのがある(鉱毒は解決済みとい
う答弁が行われたことがある)のは知ってますが、あれはやっぱり不完全
だった、と、あとから認めた時点で古河や国土交通省はまだマシです)
古河の社長が1974年にはんこをついた証文には、直接は書いていません
が、公害等調整委員会が、古河が1877年から1974年まで連続して鉱毒を
流していたことを前提とする計算で古河の負担金額が計算されています。
いわば、古河は、1877年から1974年までの97年間、鉱毒を連続して流して
いたことを認める証文に間接的にはんこをついてしまっているのです。
(当時の社長の姓は古河ではありませんが)

予防令では鉱毒はなくなりませんでした。この時代に鉱毒がなくなった、
なんていうのがそもそも砂川の妄想です。
ちょっと豊作になった、っていう新聞記事を見つけると、たちまち、
鉱毒が全部なくなったかのような超拡大解釈をするくせに、国土交通省
がはっきり言い切ってることはまだ見えないようです。
国土交通省、ちゃんと鉱毒はなくならなかった、って書いてますよね。

>結局、鉱毒問題は、はっきりと解決されぬまま、下流部の谷中村(藤岡町)を
>鉱毒の沈殿場にすることで一応の決着とされました。
by国土交通省 渡良瀬川工事事務所


215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 21:13:11 ID:cb66AJqg0
追記。
台風のときに、鉱毒被害地に莫大な新しい土が
積もったために豊作になった、ってのは、国土交通省
も言ってますね。
国土交通省も認めている事実に、
「あまりにもナンセンスな捏造話ではありませんか。 」
などと書くのはあまりにもナンセンスではありませんか。

http://www.tonejo.go.jp/jigyou/1-2.htm

>明治35年8月 利根川洪水。渡良瀬川の氾濫により、
>鉱毒を含まない土砂が堆積し収穫が回復、鉱毒問題は
>急速に下火となる
by 国土交通省 利根川上流河川事務所


216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 00:17:07 ID:MLQ0XNeF0
田中正造ってうそつきなんですね。なかなかむずかしくて入れないですが、読んで
いて、212は本物って感じですね。教科書にフィクションが書かれたために、みんな
日本中の子どもたちがそれを勉強してしまった。それで、義人を信じてしまって
いる人が多くなったのです。

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 05:32:14 ID:b7NLeN8dO
近代化を急ぐ明治国家の光と影を象徴するのが銅山事件であり田中正造という人物だろ?
教科書ではそういう扱いのはず
そして公害というのが国家をあげて取り組まなければならないことを教えてくれる。それでいいじゃん。
異様に見える。
田中正造たたくよりもっと埃でるやつたくさんいるだろ。


218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 20:18:33 ID:s5hK517x0
>>213からの続きです。
古河市兵衛は、正造の最初の国会質問前に対策を立て、質問の直後に損害賠償の
示談交渉を始め、政府の命令にはすべて即応して公害防止工事を履行するなど、公
害の歴史では異例といえる誠実な対応をした経営者です。

総合雑誌『太陽』が実施した「明治十二傑」という読者の人気投票(明治32年6月)で
は、だから伊藤博文や福沢諭吉を押さえて、得票数がトップで、絶対的に人気者だっ
たのです。
このような市兵衛が、正造の言うようなことをするでしょうか。

しかし、教科書などで正造は偉人だと洗脳されている今の人たちは、正造が捏造した
このような悪口を信用して、古河市兵衛が悪者だと思いこんでいるのです。


219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/18(月) 21:20:54 ID:eFdoogq60
>>218
いや、「太陽」は確かに当時の代表的な
雑誌だけど、そもそも古河は「太陽」の会員。
ただの購読者じゃなくて、会員。
つまり、太陽は、古河や他の会員を宣伝する
ための雑誌なんだから、そこで1位になっても、
そういう派手な宣伝したんだな、っていうことしか
分からない。

鉱毒事務所が人気投票やって田中正造が1位に
なるようなものですな(そんなことやってないけど)。


220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 19:30:51 ID:o45tE2v70
明治36年11月13日、正造はまたビラを作り、脅しで農民を説得しようとします。
ここでもまた、ありもしないうわさ話を創作していますから注意深く読んでください。
全集・第16巻の70頁で確認してみることも、お勧めします。

「鉱毒被害民同志に告ぐ。陽には豊作豊作と騒ぎ、陰には鉱毒停止無用なり云々の
書面を秘密裡に上申せし悪漢あり、との悪説あり。政府も為に大いに欺かれてます
ます被害地のためにならぬ悪事をも、またまた企てたりと。嗚呼今日いまだ毒薄しと
て油断せる土地の村人よ、後悔臍を噛んで死することなかれよ。」

公害がなくなり豊作になったことを喜んで、何が悪いのでしょう。
当事者の農民だからこそ、豊作の原因は山崩れでないことを確認したはずです。
どうして、第三者である正造の捏造話など信じるでしょうか。
「村人よ、後悔するな」とは、あまりにもナンセンスではありませんか。


221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 20:37:53 ID:WppttXW70
>>220
国土交通省利根川上流河川事務所が
鉱毒を含まない土砂が堆積して豊作になり、
鉱毒反対運動が下火になったと明言している
ところはどうしますか?

どう見ても都合の悪い情報だけを意識的に排除して
理論を組み立てようとしているようにしか見えないん
ですが。しかもその内部で矛盾があるし。


222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 20:27:19 ID:+QpQ9NoS0
田中正造をこよなく尊敬しているらしい>>214>>215>>221の方へ。
国土交通省の言うことが正しいとする根拠は何ですか?
理由のない主張は、裁判では採用されませんよ。
正造は、政府の言うことなど頭から全く信じない反骨の人だったのに、理由もなく
政府を信用するのは、正造ファンのあなたにしてはかなりヘンですね。

私は、文部科学省検定の教科書がウソを書いていると批判しているのです。
「国土交通省が言っているからその批判は間違いだ」という反論は、「兄がこう言って
いるから弟の言い分は正しい」というのと同じで、裁判では採用されません。
論争というものはどう進めるべきか、もっと考えられたらいかが?



223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 21:10:24 ID:pmu9N46Y0
>>222
じゃあ、当時の政府がこう判断したとか、
当時の権威ある学者がこう言ったとか、
そういう言い方もやめたらどうですか。
政府から給料もらっている東京帝国大学の
入澤の言及なんか、全くあてにならないん
ですよね。何で入澤論文なんかに言及した
んですか? もちろん、「政府の」鉱毒調査委員会
なんか、全くあてにならないんですよね。何で
鉱毒調査委員会がこう言ったとかいうのを根拠に
出してくるんですか?(しかもその中身が嘘だし)

私は国土交通省と砂川のどちらが子供だましの
嘘かと言われたら、砂川が嘘という方をとります。

証拠もないのに子供だましだとか、都合のよさそうな
情報だけうのみにするとか、それで理論が成立する
なら、「砂川の言うのは子供だましの嘘だ」で、
すべてが済みますが。それでいいんですね?
あなたの言っているのは、「自分の言っていること
と信じていることはすべて正しい」「それ以外は嘘」
という理論の組み立て方なだけではないですか。
自分のほうは子供だましの嘘ではなくて、国土交通省が
子供だましの嘘だ、って判断できるだけの材料を提供
してください。今のところ「砂川がそう言ってた」という
以外の材料しか見つかりません。しかし、足尾にも
鉱毒被害地にも行って検査したことのある国土交通省
の結論が嘘で、鉱毒被害地など行く必要もないとか
言っている砂川のほうが正しいとはどうしても判断でき
ません。もし独自に検査した結果とかあるのなら提供して
ください。今後の鉱毒研究に非常に参考になると思います
から。

どうせ、田村に似たことを言えば「田村の犬」とか、
菅井に似てれば「菅井本人」とか言うだけだから、
わざわざ田村も菅井も言及していない国土交通省の
サイトをひっぱってきてあげているんじゃないですか。
どういう根拠があればご満足ですか?

あなたの主張に沿うならば、
政府の鉱毒調査委員会は、「鉱毒の主原因は足尾銅山
ではない、と判断した」「鉱毒は減少した、と結論した」。でも、
これは政府という嘘つきの出した結論だから嘘だ。
鉱毒の主原因は足尾銅山だし、鉱毒は減りもなくなりも
しなかった、ということになりますよ。ご自身の主張をご自身で
完全に破壊するのはどうしてですか?

あと私は正造ファンでも何でもないです。古河も鉱毒被害地
で言われるほどは悪人じゃないかもしれないし、もう少し違う
評価をされてしかるべき人間かもしれない。ただ、嘘を前提に
善人にされたって、古河は喜ばないでしょう。古河は「太陽」
の会員だ。本人はそれを隠していない。にもかかわらず、
あえてそこを隠して「古河は太陽の明治十二傑の一位になった」
って言って本人喜びますかね。


224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/20(水) 23:18:46 ID:U7bGS1+i0
 医療事故で民事訴訟中の患者が、病院の前で焼身自殺する−−。こんな衝撃的
な事件がこの秋、発生しました。病院側の取材協力は得られませんでしたが、そ
の遺族に話を聞く機会がありましたので、事の経緯をまとめました。「自殺」に
至るというのは特異なケースかもしれませんが、自殺せざるを得ないほど、病院
側の対応に不信感を持っていたことは確かです。医療事故後の対応がいかに重要
か、痛感させられる一件です。

Nikkei Medical Online
http://medical.nikkeibp.co.jp/
◆12.14 病院前で患者が抗議の焼身自殺〔from REPORT〕
http://cmad.nikkeibp.co.jp/?4_5030_40491_4

              (橋本 佳子=日経メディカル オンライン編集長)

ソース
最先端医療の闇 筑波メディカルセンター病院の医療過誤訴訟
http://www003.upp.so-net.ne.jp/medical/

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 09:56:40 ID:x2WdbPzy0
そかー,鉱毒は消えていたのかー
しかし今日も遊水地では噴水船が綺麗な虹を作っております
あれは一体何の為なのかな?

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 20:19:02 ID:FhK3RSh40
>>219に関してですが、「太陽は、古河や他の会員を宣伝する ための雑誌」とは、
あなたはいったい何を勘違いしているのですか。この雑誌を読んだことがあるの
ですか?「雑誌の王者」といわれた高級な総合雑誌なのに。笑われますよ。
参考までに記せば、明治30年1月20日号には、田中正造の「議員の質問と政府
の答弁」という5ページの記事が載っています。

いったい太陽の、何の会員ですか?何かの会員だとして、なぜ市兵衛を他の会員
と区別してトップに選んだのですか?
トップになったのは読者の人気投票の結果ですが、どんな手段で太陽は市兵衛を
最多票にできたのですか?

ちなみにこの時の得票数は、1.古河市兵衛:2万3782、2.伊藤圭介:2万1274、
3.伊藤博文:2万394、4.大隈重信:1万9291、5.福沢諭吉:1万8422でした。
200人以上の得票者のリストには、田中正造は入っていません。



227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 21:55:50 ID:Fweu853e0
>>226
そっちは本題じゃないですから。
太陽の会員について証拠出せとか言われるかも
しれませんが、資料を掘り起こすのに手間が
かかるのでそっちは置いておいて、

あなたの主張(政府は嘘つき)を受け入れるならば、
鉱毒調査委員会の報告も嘘で、鉱毒の原因は銅山で、
しかも、予防令以降も流れ続けた、ということでよろしい
のですね。こちらには反論されていませんものね。

一応いっておくと、私は政府は嘘つきとまでは言って
ません。予防令で鉱毒が多少減ったのは事実でしょう。
鉱毒の主原因は銅山ではないというのは嘘ですが、
それは後の時代の政府が取り消しをしていますし。

太陽の会員の話はあとできちんと調べておきます。

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 21:15:50 ID:FBRyREzz0
>>219のコメントの典拠はどこにあるか調べてみました。
おそらく、早稲田大学教授兼一橋大学名誉教授の山本武利著『公害報道の原点』に違
いないと思います。同書の165頁にこう書いてありました。

「当時の最有力総合雑誌<太陽>の鉱毒報道は皆無に近い。それどころか、1899年
6月号の<明治十二傑>という増刊号では、実業家の唯一の代表として古河市兵衛を、
伊藤博文らと並んで選び、彼の実業家としての手腕を称賛し、彼のキャプテン・オブ・イ
ンダストリーのイメージを高めようとしている。ちなみに彼は、<太陽>の賛助会員の一
人であった。」

これでは、読者の人気投票と無関係に雑誌社が勝手に市兵衛を十二傑にしたことになり
ます。こうした嘘をつくことで、山本は太陽と市兵衛が癒着していたとの印象を読者に与え
たのです。田中正造に好意をいだき、古河市兵衛に悪意を感じてのことでしょうが、嘘を
ついて読者をだますとは、学者として最低ではありませんか。





229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 22:01:02 ID:1h2D/3Re0
>>228
だから会員なんでしょ。で、太陽も古河市兵衛も、
それを隠していないんでしょ。で、自身の雑誌で
明治十二傑を選んだら古河が1位だった、と。
別に太陽も古河も、隠れてこそこそ自分を1位に
しようとしたわけじゃない。
ところが砂川は、肝心の「古河は太陽の会員」
というところを隠して(書き方からすると知らなかった
のかもしれないけどそれは単に調査不足)、あたか
も古河とは何の関係もない第三者機関的な雑誌が
選んだかのような印象操作をするからそれは誘導
だと言っているのです。
山本の評価が正当かどうかは知りませんが、
古河が太陽の会員だっていうのは事実でしょう。

で、肝心の「政府は嘘つきだから、鉱毒調査委員会の
結論も当然嘘で、鉱毒の主原因は足尾銅山で、予防令の
工事も効果がなかった、と受け取ってよろしいですね」
という部分には未だに回答がないのですが、これは同意
していただけたのですね?


230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 21:53:56 ID:NF7Y0ZUJ0
一橋大学名誉教授の山本武利は、「<太陽>の鉱毒報道は皆無に近い」と批判しながら、
「被害民の機関紙的役割を持ち、記事や投書が一方に偏していた」と自ら認める(前掲書
118頁)『毎日新聞』(現・毎日とは無関係)に対しては、「鉱毒報道に熱心だった」と評価
し、正造との癒着など問題にしていません。

私は、かなり詳細に調べて、『太陽』が相当しばしば鉱毒問題を取り上げていたことを確認
しています。だからこそ読者は、同誌に登場することが皆無だったのに、古河市兵衛を高
く評価したのだと思います。

そして、癒着について言えば、『毎日新聞』の社長は正造の親友、主幹は正造に直訴を勧
めた石川半山、名物記者が、社会主義者でその後正造と親密になる木下尚江ですから、
客観報道に徹しなければならない新聞社としては、常軌を逸した関係だったのです。
次回から書きますが、次のような事実があります。


231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/24(日) 23:38:59 ID:pAhuKZ3F0
>>230
だーかーらー、田中正造の癒着以前に、彼が
鉱毒問題において果たした功績を評価しろよ。

密接な関係にあろうが、これまでマスコミが取り上げなかった
題材を取り上げられた事で鉱毒問題が解決へ向けて大きく一歩
踏み出す事になったのなら、それはそれで評価すべきでしょ?

アンタは何でそこまで古川を評価して、
一方的な資料ばかり提示したがるのか判らんのだがね。

教科書的史観を批判したいのなら、それこそ自分のHPなり
ブログを立ち上げて、そこで資料をまとめて掲載すれば良い。
細切れにしか出せない2cなぞでそこまで張り切る貴方の
行動の根拠が全く見出せないのだが?

もっと公的な世界で自説を披露する度胸が無いと言う意思表示なのかい?

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 05:17:01 ID:2+2gLZhXO
そうなんだよ
全く賛成だ。
近代化を急ぐ明治国家の影の部分を
田中正造という人物にスポットあてることでうかがいしることができる。
おそらく似たようなことはあちこちで
発生していたんだろ。高度成長期に大きな社会問題になった公害問題の萌芽をこの事件に見ることができるという点と
公害は政府をあげて取り組まなければ解決をはかれないということをこの事件は教えてくれる。
そしてその運動の中心人物が田中正造。どうかご自身で
ブログなりを開いてやればいい。
研究してるなら
あちこちに論文を
持ち込めばいい。


233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 22:27:01 ID:MCIoMXJh0
田中正造の直訴の直後、『毎日新聞』は、「鉱毒地視察修学旅行」という事業計画を立て、
連日社告で東京の学生や生徒に参加を呼びかけました。こんな風に。

「今や学校は冬季休暇に入った。これを空費するより、渡良瀬沿岸の鉱毒地を歩き、わが
窮乏する同胞に一片の同情を寄せてはいかがだろうか。諸君、どうかこの美挙に賛成し、
仲間を誘って参加してほしい。」(明治34年12月19日付け)

弁当2食持参で、交通費などの参加費用が60銭でしたが、12月27日には、この呼びかけ
に応じた、東京大学ほか30余の学生、生徒千人以上が参加したということです。

これを契機に学生運動が盛り上がったのは歴史的事実ですが、いったい、新聞社がこんな
ことにまで手を出すべきでしょうか。明らかに、報道機関としての目的を逸脱した行為ではあ
りませんか。


234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 22:33:48 ID:UMUESsCT0
>>230
「客観報道に徹しなければならない新聞社」とかいうのは
あなたの幻想でしょう。そうしなきゃならんというルールは、
少なくとも私の住んでいる日本国にはありません。仮に
そうだとすると、どこかの政党に都合のいいことばかり書いて
いるあの新聞やあの新聞は存在してはならないことになりますよ。

当時の毎日新聞は、「衆議院議員島田三郎主宰」ってのが
売りなんだから、当然、読者は島田三郎の政治的方針や、
島田の政党の主張を知りたくて毎日新聞を読むはず。
そして毎日新聞は、それを隠していない。逆に売りにしている
わけだ。紙面に島田三郎の名が毎日載っていたかは知らない
が、少なくとも数日おきには島田三郎が署名入り記事を書いて
るはず。そして、読者は、その紙面を見て、島田や島田の政党
は、鉱毒問題にこういう形で取り組んでいるのだというのを知る
わけだ。そこには何の欺瞞もない。「島田はこう考えます」
「島田の政党はこう行動します」それを伝えるための毎日新聞。
仮にそれを禁止したのなら、どうやって島田や島田の政党は、
自身の主張を世間に知らしめますかね。テレビもラジオも
インターネットも何もない時代だ。国会の議事録がボタン1つで
出てくる時代じゃない。あなたの言う嘘つきの政府から、
大日本帝国臣民をどうやって守りますかね?

ところで「太陽」は、多少なりとも古河の息のかかった雑誌だ、
ってのを毎号のように表記してたんでしょうかね。山本の
ツッコミはそのへんにあるのでしょう。


235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 22:35:02 ID:UMUESsCT0
>>233
報道機関が何をして何をしていけないかはあんたの
決めることじゃないでしょう。


236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 00:18:54 ID:z162fJx60
>>233
そんなアジテーションなぞ。現在でも何処の報道機関でもやっている。
それこそ太陽だって美術業界等で
「○×美術にもっと着目してみよう!」だとかアジっているでしょ?

それは美術だから無問題?

だったら、アナタは朝日や産経、赤旗や聖教新聞、それから
日中戦争時に、露骨な親国民党報道を行ったTIME等も

報 道 機 関 の 資 格 無 し

と言いたいワケですな?

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 21:56:27 ID:4djL2Qv+0
私は、公害を肯定したり、田中正造の功績を否定したりする発言はしておりません。
教科書にある田中正造の記述が、事実と違うといい続けているだけです。
しかし、>>231,>>232のコメントは、私が正造を全否定していると誤解して、私を非難して
います。
困ったことですが、教科書による洗脳の効果ですから、やむを得ないのかもしれません。

ところで、明治の『毎日新聞』の本題に戻りますが、鉱毒の被害にあった田畑が明治36年
の秋に豊作になった折、同紙は驚くべきことに、農民から取材して事実調べをするのでなく、
田中正造のでっち上げた、ばかばかしくて誰も信じないような豊作の原因説を、そのまま全
面採用してわざわざ3回分の社説を書いているのです。

新聞社が特定の人物と癒着すれば、報道が如何にゆがめられるかということが、この社説
を読めばよくわかります。
内容は次回にします。



238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 22:30:35 ID:5Wh/1BTe0
>>237
>>田中正造の功績を否定したりする発言はしておりません。

そもそも功績については一切無視してるしね

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 23:21:17 ID:cY3o78Pp0
>>237
古河は太陽の会員だけど、砂川はそれを伏せて
あたかも第三者機関的な雑誌で1位に選ばれた
ように見せている、って指摘にはどう答えて
くれますか?
毎日新聞が、その責任で(そして島田三郎の責任で)
鉱毒被害を報道するのは全然問題ないでしょう。
島田は隠れてこそこそやってない。

で、政府は嘘つきなら、予防令の効果はなかったと
いうことになり、この年(明治36)の豊作も予防工事
とは何の関係もない、という、正造の主張と同じ結論
になるわけです。これは再三指摘した上に反論されて
ませんよね。それ(「明治36年の豊作は予防令の
工事によるものではない」)があなたの主張なのです
よね。ところが今回はまるで逆のようなことを言い出す。
これでは会話が成立しませんよ。「政府は嘘つき」か
「予防令の工事で豊作になった」のどちらかを取り下げて
ください。この2つは両立しません。

公害を正当化するつもりがないなら、古河の社長が
はんこをついた証文の意味をよーく見極めてください。
古河の社長は、1877年から1974年まで97年間連続し
て鉱毒を流していた、というのを前提に計算した証文に
はんこをついたのです。当時の計算方法は公開されて
います。古河ですら、この時代(明治36年頃)に鉱毒が
なくなった、とは(今は)言ってません。
まさに百年鉱毒であることを古河自身が間接的に認めて
いるではないですか。(1977年に測定された値が基準を
超えたため、本当に百年鉱毒になってます。3年足りない
とか言わないように)


240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 01:50:25 ID:d0GN+hhA0
>困ったことですが、教科書による洗脳の効果ですから、やむを得ないのかもしれません
爆笑

あなたの発言の趣旨は田中正造は貧しい人からも寸借詐欺まがいな
ことをしていた卑劣人ってことなんですよね?
スレタイからして「神話を粉砕しよう」だしね
で鉱毒は田中正造の活動より以前に古河の手で自発的にとりくまれた結果
もとのような豊かな農村に戻った。。ってことなわけですよね?
田中正造っていう人物の歴史的評価を正そうってひとり2ちゃんで気をはいてる
わけだけど。
田中正造は立派な人物です。少し狂信的なとこもあるけどね。
これは疑いようのない事実ですよ。
多くの資料を集めて自分なりに読み解いてる姿には感服するけどね。
住民運動のさきがけとしても十分に評価に値する人物。
社会運動家としてもまた実践的思想家としても十分評価がなされている。
すこし狂信的なとこもあるけどね。
政治家として最後は無一文で路傍に死すなんてなかなかできることじゃない。

あなたのスタンスはあきらかに公正を欠いているといわれても仕方がない。
そもそも何の目的で洗脳するんだ?おしえてくれ。




241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 01:54:49 ID:ccBUsIMg0
>>237
>私は、公害を肯定したり、田中正造の功績を否定したりする発言はしておりません。

どう見ても田中正造が公害問題に果たした問題を無視して、意図的に
彼の否定的側面(どの程度真実か疑わしいが)を過剰に取り上げ、
古河を哀れな被害者呼ばわりしている様にしか見えないが?

一連の公害問題の中で、田中正造が何をして、どう影響を与えたか再評価する
観点で「鉱毒問題の運動の中で彼は、恐喝まがいの事までしており、
彼をTVアニメの様なヒーロー扱いする事はおかしい」と言うなら、
それは確かに傾聴に値するがアンタのコメントは単に
「田中正造はタダのエコロジーアジテータに過ぎないクズ野郎」
と言っているに過ぎない。

もう少し広い視点から論じいかない限り田中正造以下のアジテータ扱いされて終わりだよ。アンタ?
教科書が一方的な見方しかしないから、自分も一方的な見方で構わないと言うのかい?

大体教科書をそのまんま信じているヤツは
@単に歴史のテストで赤点にならない為に覚えていて、
その後、単に忘れずにいた、歴史に興味の無い一般の人
Aタダ信じ込み易い人。逆に言えば「田中正造の負(?)の側面」を読んだら
「彼はタダのクズ」と一方的なソースを撒き散らす様な輩。

のいずれかに過ぎないと思うのだがね?

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 02:08:09 ID:ccBUsIMg0
>>237
あ、後オレは>231だが
>困ったことですが、教科書による洗脳の効果ですから、やむを得ないのかもしれません。

それを覆したいなら、尚の事、こんなまとまった意見を書くのに
最も不向きな2ちゃんでなく一般の書籍や雑誌、HP、最低ブログ等で
まとまった形で、系統だった資料を基に世に訴えるべきだ?

で、それをしない理由は何?出来ない理由でもあるの?
それとも「2ちゃんでウケが良かったらボクちゃん出版してみよっかな?」
とか考えているのかい?

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 05:22:43 ID:d0GN+hhA0
おそらくは自費出版になると思うが。。。
まさに針小棒大、
ひとつの否定的一面を掘り起こしたいがために
田中正造という人物の評価を一方的に目をつぶっているあたりは
みのがせない。
そもそも洗脳とは?洗脳して何の益があるとでもいうんだ???
どうせ書くなら
せっかく調べてるんだし、もう少し書きようもあるだろ?????
後世の視点は神の視点なんだよ。
一方的に否をあげて断罪することは厳に慎まなくてはならない。
なぜ田中正造が多くの人の評価を受けているかを
調べたほうが近道だと思う。


244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 21:30:28 ID:NRPo9Kam0
的外れなコメントばかりなので、かまわずに『毎日新聞』の社説を紹介していきます。
明治36年10月16日の一回目の社説には、こんなことが書かれています。

「世間、本年の意外なる豊穣を見て、従来被害の愁訴を否認せんと試みる者あり。はな
はだしきは、これをもって鉱毒問題は解決せられたりと即断し、その効を除外工事に帰
せんとするものあり。この間、また一種の狡猾の徒付会の言葉をつくりて世人を欺瞞し、
この問題全部を打ち消して、社会に忘却せしめんとする者、また決して少なしとせず。」

豊作になったのは、政府と古河鉱業による公害防止工事ではない、工事の効果を肯定
する者は世間をだましているのだ、とまで言っています。正に、正造の主張の代弁に他
なりません。


245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 22:11:46 ID:WHqjGuGi0
>>244
はて。政府は嘘つきとかいっているくせに、
何で政府の命じた工事に効果があったとか
言えるんですか?

あなたは、自分に都合の悪いことを全部「嘘」って
片付け続けたら、自分自身の言っていることが
嘘であることを自ら証明してしまったのですよ。


246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 22:13:44 ID:WHqjGuGi0
そもそも、田中正造はこの時期足尾に行ってない
んだから、山崩れがあったかどうかなんて分からないはずだ、
そう主張してるんですよね。

じゃあ、鉱毒被害地に行ったこともない砂川が、
何で鉱毒がなくなったって断言できるんですか?


247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 01:01:24 ID:vZ9Nrus80
>>244
>的外れなコメント
アナタの田中批判の方がナンボか的外れだと思いますがね?

それとも都合の悪い意見は黙殺ですか?

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 08:16:33 ID:xE9w8+fSO
なぜこういうアプローチで田中正造にせまろうとしたのか
そうとう個性的な人なんだな。
精一杯好意的に解釈してるつもりだが。


249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 20:51:30 ID:HlyyevcP0
二回目の社説は3日後の10月19日に1面トップに出ていますが、まず豊作の原因に
ついては次のように説明します。
「昨年9月28日の大風雨は、渡良瀬川本支流より山土を推流して、毒地の上に厚き良土
を置きたるもの、この豊穣の原因となれり。毒土そのものの変質せしにあらず、荒地の回
復せしにもあらず、良好の新土をもって旧廃の地を覆えるものなり。」

ここに書かれていることは、豊作になったのはこの新土のためで一時的だった、鉱毒は無
くならなかった、という現在の教科書の説明と関連しています。

更に、工事の効果を理由もなく否定して、こう書いています。
「明治30年以後、予防工事何の功を奏せず。鉱毒調査会は事実を調査せしのみ、その
結果を公表せしのみ、工事を命令せしのみにして、何等見るべきの施設なき故に、新旧
の工事は、この豊作に何等の関係なきこと明確なり。」

なぜ明確なのかは、全く説明されていません。つまりは正造に言われた通りに書いている
に過ぎません。




250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 20:42:37 ID:LqQ2oNpJ0
三回目の社説は翌10月20日で、驚くべきことが書かれています。

「昨年の大風雨が(渡良瀬川の)本支流水源の山岳を破壊してあまたの新土壌を送り、
浸水引き去りし後に2尺(60センチ)の置土をなす所あり。本年意外の収穫は、この置
土の作用にして、1年に5分との古老の話(これまで、洪水の度に5分の沃土が田畑に
運ばれていたという経験談)を標準とせば、2尺は50年分を一時に流出せしものなり。」

この時は、谷中村周辺以外は洪水は起きませんでした。
何十キロ先で起こった山崩れで、60センチもの厚さの土は運ばれてきません。
その上、そうした置土が良土だったので豊作は当然だった、と次のように結論づけてい
ますが、なんというナンセンスなのでしょう。

「本流の水源足尾より来るものは毒土あるといえども、良土の分量それよりも多く、支
流の良土を合わせれば更に多量なり。本年の奇異なる現象は、吾人の観察において
当然の結果にして、決して奇異のものにあらざるなり。」




251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 22:41:03 ID:nFMh6fVc0
>>250
> この時は、谷中村周辺以外は洪水は起きませんでした。
あんたの見たことのある史料にないだけで起きてるの。

> 何十キロ先で起こった山崩れで、60センチもの厚さの土は運ばれてきません。
何で?

「60センチ積もった」って言った人がいたってのは事実なんでしょ。
おおげさなことを言う老人がいたのかもしれないけど。
局地的にふきだめみたいな形で積もったとこがあって、そこでは
60センチ積もった、って言ってるだけじゃないですか。
「一晩で60センチ雪が積もった場所がある」って発言に、
気象台は10センチだとしか言ってないって文句言うような
もんですよ。それは。どこもかしこも60センチ積もったって
書いてあるわけじゃない。


252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 01:22:30 ID:VVcRaahU0
>>249,250
つーか、お前の田中正造その人そのものに対する評価は何なのよ?
多分そこを提示しないとお前の言う事はタダの妄言扱いされて終わりだぞ?
そもそも誰に対して、コメントを放っている?

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/30(土) 02:13:42 ID:UZS5RBAn0
直訴も事実だし、足尾鉱毒も事実
田中正造という人物が主導的役割を果たしたのも事実。。。

だがそれについて突っ込むと
洗脳されてるだからな、話になんない。
これは新手の田中ふぇちだろう。そう思うしかない。
きっと田中正造に不利益をこうむったんだよ。

でだれも耳を傾けてくれない。
結果2ちゃんに出動、


254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 14:10:26 ID:nHGU2otU0
『毎日新聞』の社説は、次のような主張で終わっています。

「今日まで弱者貧者をおさえて、強者富者を庇護せし政府は、断然たる処分を施さず。」
「昨年の大水、良土を流出して、その置土のために本年の現象ありといえども、いやしく
も鉱山を処分して水源を清むるにあらざれば、河水は依然毒物をもたらし、置土は再
び毒化せん。怨嗟の声は、社会の良心を感奮せしめん。明年は再び前年来の暗黒な
る形勢を現わさん。」

足尾銅山を鉱業停止(閉山)にしなければ公害は解決しないという、田中正造の主張を
代弁していることが、お分かりと思います。

しかし、政府は、期限内に完工しなければ鉱業停止にするとのきびしい条件で、公害防
止工事を命じ、加害企業の古河は、今のお金に換算すれば100億円以上をかけて命令
に従い、その結果豊作になって、被害民は政府や古河への要求を止したのです。

それなのに、当事者の意志を無視して、第三者の正造が政府に閉山を求めるとは・・・。
単に自己の信条から、国家権力に闘いを挑んでいるだけに他なりません。

つい最近、『小野崎一徳写真帳・足尾銅山』という写真集が出ました(新樹社、3570円)。
足尾銅山の専属カメラマンによる歴史的に貴重な記録ですが、上記の工事写真が数多く
載っており、とても迫力があります。機会があれば、どうかご覧ください。



255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 20:25:00 ID:iECabi0e0
>>254
結局他人のツッコミは全て無視か。
アンタが中傷する田中正造と同レベルに

自 分 は 他 人 の 話 に 聞 く 耳 を 持 た な い 人 間

だと宣言したかったワケですな。

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 19:56:24 ID:54se9nbe0
『毎日新聞』以外は、正造の「山崩れ豊作説」など当然無視しました。
『万朝報』も正造を支持した新聞で、同紙記者高橋鉄太郎など「田中正造は真に偉大
にして嵩厳、神聖にして霊光あり」とまで言っていますが、それでもこの件に関しては、
「この予防工事あるが故に鉱毒の被害を薄くしつつあることは、公平なる識者の一致す
る所」と明言しています(高橋著『義人田中正造』)。

つまり、当事者である被害農民をはじめとする同時代の人たちが無視した正造の虚言
「山崩れ豊作説」は、70年後に昭和の学者たちによって真実として復活し、「鉱毒問題
は解決しなかった」説の根拠になるのですから、不思議としか言いようがありません。
その最初の学者は、宇井純あたりだと思います。




257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 20:59:20 ID:/oMXJMfg0
>>256
まだやってたみたいから相手してあげる。
明治35年に渡良瀬川流域で大規模な洪水があって、
田畑に泥が流れ込んだのは間違いのない事実。
『足利市史』に載ってますからちゃんと読んでください。
1902年11月、梁田村から、洪水で田んぼが泥かぶって
困ってるって嘆願書が出てます。正造が豊作の原因は
泥かぶったからだって言い出す1年近くも前です。

つまり、この年、谷中村周辺以外では洪水はなかったなどと
いうのがそもそも真っ赤な嘘。

そもそも、下野とか上毛とか、ちゃんと現地の新聞の原紙
当たったんですか? 東京の新聞は東京近くのことしか
書きませんよ。鉱毒事件が載ったのは、それほどまでに
巨大な事件だったのと、川俣事件の控訴審を東京でやった
からです。毎日以外が載せなかったのは、単に鉱毒事件に
興味がなかったからでしょう。1903年だと仙台控訴審も
終わってますし、単に東京のマスコミの興味がよそに移った
だけでしょう。そういう指摘は以前からありますしね。
当時の新聞が何ページあると思ってるんですか。渡良瀬川に
泥が流れて豊作になった、なんて、行を割いて書く新聞のほうが
少数派なのは当然でしょう。それとも「洪水で泥が流出して
豊作になったわけではない」と明言した新聞でもあったんです
か?


258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 21:13:53 ID:/oMXJMfg0
>>256
同盟会長の板橋明治はそれよりずっと前から「鉱毒は八十年
やってる」って言ってますがどうしますか?その前の同盟会長の
恩田も同じようなこと言ってましたね。
そう言ってるのは学者だけじゃないですよ。黒沢酉蔵だって言ってる
じゃないですか。黒沢は明治の鉱毒反対運動に参加し、
田中正造全集が出るまで生き続け、そして、鉱毒事件はまだ
終わってない、って言い続けた人だ。
板橋は物心ついたときにはもう自分ちの田んぼに鉱毒溜が
あって、村内至る所に毒塚があったところに住んでた人だ。
まだ死んでないから生きてる本人の存在そのものが鉱毒が
百年続いた十分すぎる証拠ですね。

毛里田の鉱毒反対運動の歴史を消そうとしても、
ちゃんと証文とかが残ってるのでどうにも消しようがありませんよ。
『待矢場両堰々史』、『待矢場両堰土地改良区史』、『足利市史』、
『群馬県史』はどこまで読み終えたんですか?
桐生市議会は今でも、鉱毒関連費用を予算に計上してますよ。


259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 20:52:14 ID:blee1pCJ0
このスレッドが、なぜか過去ログ倉庫に格納されていたのでしばらく入力不能ででした。
私のコメントを阻止しようとする人の仕業なのでしょう。
しかし、アクセスの仕方を変えてみたら可能になりました。不思議です。>>256の続き。

昨年の11月に74歳で亡くなられた沖縄大学名誉教授宇井純は、「公害j研究の第一人者
として世界的に知られた学者」(朝日)です。

東京大学都市工学科助手だった彼は、1970年から15年間「自主講座・公害原論」を同大
で開講しました。それは、彼自身が「今ふり返ってみても、夢のような偉業であった」と自
讃するほど(『わたらせ川』1996年号)意義深いものでしたが、その記録を見てみると、
足尾鉱毒事件に関する限り、学者にふさわしくない発言を堂々としている実態が浮かん
できます。

彼は、この講座で、正造の「山崩れ豊作説」をそのまま真実であると理解して、次のように
話しています(『公害原論・1』、亜紀書房、1971年、234頁)。
「1902(明治35)年、もう一度洪水がありまして、その時に運ばれてきた土が、被害地のそ
れまでの鉱毒の上にかぶさったために、被害がやや軽減する傾向が出た年です。」

「(被害農地の上に)運ばれてきた土がかぶさった」は、明らかに正造の虚言のままです。
宇井純は、学者なら検証すべきことを全く怠り、正造の嘘を信じて偽の情報を世間にさら
に広げてしまったわけです。


260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 22:50:23 ID:eLMMABtg0
>>259
1970年なら、毛里田同盟会の恩田のほうが先ですね。
恩田は1958年にはもう半世紀やってるって言ってるから。

あと、2ちゃんねるは板の場所がひんぱんに変わって、
ちょっと前と同じ方法でアクセスできなかったり、調子が悪くて
書けなかったりすることがよくあります。
別に誰かの陰謀ではありません。私も書いたはずの内容が
消えちゃったことがあります。
むしろその程度で何かの陰謀を感じてしまうほうがどっかが
おかしいと思います。

ところで、梁田村から1902年に出ている田んぼが泥かぶった
って文書のほうはどうしますか。
この年、谷中村周辺以外には洪水はなかったという大嘘を
ひっくり返してくれる重要な文書ですが。

そもそも、谷中村周辺以外で洪水はなかった。だから、田畑が
泥をかぶったこともないし、従って1903年の豊作は、田畑が泥
をかぶったせいではない、という理屈でしたよね。実際に泥かぶ
っちゃってる田んぼが足利郡梁田村から出てきちゃいましたが
どうするおつもりですか?


261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 21:23:17 ID:rOmvrafU0
私の発言に執拗に反論する人がいるので、その主張の矛盾を証明します。

谷中村の遊水池計画はなぜ生まれたのでしょう。
明治35年9月の大豪雨が、谷中方面の堤防が破れていたため、この村一帯に
流れ込み、逆に上流の沿岸一帯が氾濫を免れたからです。
そこで、洪水に見舞われなかった農民たちは、野口春蔵等正造の側近だった
者を含めて、皆この政府案に賛成したのです(田川大吉郎著『嗚呼鉱毒論』)。

正造は「銅山から鉱毒が流出し続けている」と主張していたので、「洪水の後の
豊作」説は立てられません。洪水中の鉱毒は沿岸の田畑を汚染するからです。
ですから、彼は「10里以上の山々崩れ新たなる山土が天然の新肥料となりたり」
という話を作ったので、洪水ではこの珍説そのものが成立しません。

これで、私への反論が全くトンチンカンだということが、お分かりと思います。



262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 21:26:22 ID:rOmvrafU0
>>259からの続き。
しかし宇井純は学者ですから、正造のように徹底してはいませんでした。「公害原論」では
「鉱毒防除防止工事完全無効説」は採用せず、次のように話します(前掲書226頁)。

「この工事が有効だったかどうかはかなり疑問でして、相当の手抜きがあったのではない
かという推測も当時なされました。それを裏付けるように、この命令を出した東京鉱山監督
局長の南挺三は、工事が終わりますとまもなくやめまして古河に入社します。」

「工事が有効か無効かは疑問」だとお茶を濁しています。しかし・・・
自分の会社の施設を自分のお金で作るのに、手抜き工事をする馬鹿がいるでしょうか。
工事の監理者の天下りは、手抜きの証明にはなり得ません。憶測にしかすぎません。
学者としてはずいぶんお粗末な理屈で、全く低レベルです。


263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 22:05:35 ID:a1uf+CxL0
>>261
はて。その後も鉱毒は流れ続けましたよ。
それは古河鉱業自身が認めているではないですか。
1903年までに鉱毒がなくなったなどという研究結果は
当時発表されていません。
第二次鉱毒調査委員会の報告ですら、「鉱毒は減った」
としか書いてないというのも既に指摘済みではないですか。
少なくとも、1902年、渡良瀬川沿岸では、谷中村周辺以外
では洪水は起きなかったというのはそもそも大嘘なので、
そこはきちんと認めてください。
大嘘を積み重ねてでたらめの結論を導こうとするその
姿勢こそが問題視されるべきです。

ところで同盟会の恩田のほうはどうなりましたか。



264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 22:14:03 ID:a1uf+CxL0
>>261
嘘に嘘を積み重ねるとこういうことを平然というように
なってしまいます。
>そこで、洪水に見舞われなかった農民たちは、野口春蔵等正造の側近だった
>者を含めて、皆この政府案に賛成したのです(田川大吉郎著『嗚呼鉱毒論』)。
田川は当時、堂々と名前を出して正造の批判をした人物で、
その著書にはなるほどうなずける部分も多くあります。
しかし、誤りも多いのも事実です。田川の本には、古河が
待矢場両堰普通水利組合と永久示談をしたかのような表現が
あって、契約書とやらも提示されていますが、実際には待矢場
両堰普通水利組合は永久示談を絶対にしませんでした。
後の交渉でも、古河側は20世紀はじめに待矢場両堰と永久示談を
したなどと主張したことはありません。
これは、田川が嘘を書いたというよりは、古河から借りた資料の
中に、準備中の契約書がまぎれこんでいたと解釈されることが
多いです。

しかし、まるで全員が谷中村の遊水池化に賛成したかのような田川の
表現はもちろん大嘘です。実際、栃木県議会にかけられたときは、
強硬な反対意見が出ました。足利鉱毒救済会の荻野萬太郎は、
反対票を投じていますよ。荻野自身は農民ではないとしても、
鉱毒救済会の主宰者だ。田川がこの部分でいかにでたらめを書いた
か、ということだけはよく分かりますね。


265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 20:30:17 ID:9D7te3KK0
宇井純の講義は、更にこんな風に続きます。
「この年(1902年)に谷中村を遊水池としてつぶす案が栃木県会に上程されまして、何回
かの反対をへて1904年に県会を通過します。」
「田中正造はもちろん谷中村をつぶしたって決して鉱毒事件はなくならないことを見ぬい
て、遊水池化案に反対し、谷中村に住みつきます。」

明治政府は、公害防止工事によって鉱毒の流出がなくなったことを確認したからこそ、
それに続く洪水対策として谷中村遊水池化案を立てたのです。
政府は「谷中村をつぶせば鉱毒事件はなくなる」などと、ひとことも言っていないのに、
なぜこんなことを言うのでしょう。


266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 20:39:07 ID:mzKReNzr0
>>265
鉱毒がなくなったなんて明治政府は言ってませんが。
それも何度も指摘されてるのに何で無視するんですか?
鉱毒調査委員会の報告は「鉱毒は減った」でしょう。

それと、島田三郎の毎日新聞に対しては正造の
言ってることをうのみにしているとか文句を言うのに、
田川は古河の言うことをうのみにしているって文句を
言わないのは何でですか?
田川には既に批判があるんですよね。批判のある
文書を、批判があるという部分を隠して提示するのは
何でですか?


267 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 22:57:15 ID:Jr/A5jtI0
そして、宇井純は、田中正造の行為を全面的に肯定して、次のようにも話します。

「1907年までの県のいろいろの策謀によって谷中村の住民は少しずつ追い立てられ、
この年の7月、住民は全部強制的に立ち退かされます。この立ち退きによって、足尾
の鉱毒事件というのは実質的に終わります。」

遊水池化は、谷中村の住民には苛酷ですが、その上流の住民にとっては、洪水から
身を守ってくれるのですから歓迎すべきことでした。そこで、彼らはこぞって賛成しま
した。
この場合、谷中の住民を支持する方が正しい、という結論は出せないはずです。
このように政府を批判することは、学者の立場を逸脱する行為といえます。



268 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 22:58:58 ID:Jr/A5jtI0
しかしまた、「被害農地は復旧しなかった」と言ってしまった宇井純は、農民からの
抗議運動が起きなかったわけを説明する必要を感じたのでしょう。
何と、次のような空想上の理論を展開するのです(前掲書236ページ)。

「その後、鉱毒事件に対する運動というのは、ついに(第二次大)戦後まで何も起こ
らない。これは、何十年にわたる鉱毒の被害というものが、代が一代変わってしま
うと、農民にとっていわば自然の一部になってしまい、一人一人の努力なり農業技
術なりで鉱害に耐えねばならなくなる。しかも鉱山側の政治的な力を何十年も見せ
付けられ、立ち上がるだけの運動のエネルギーはなくなってしまうのです。」

農民には公害に対する抵抗力はないとは。学者というものは何と傲慢なのでしょう。


269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 20:01:37 ID:VewCDjMa0
>>267
だからこぞって賛成なんかしてないって。
荻野萬太郎県議が住む足利は、谷中村より
上流でしょ。
それに県議会だって反対票は確か12票出てるんだ。
どこかにどういう県議が反対票投じたのかとかいう
研究なかったかなあ。

反対運動が大戦期まで起きなかったとかいう
のは、宇井が『待矢場両堰々史』とかを単に読んで
なかっただけでしょうね。復刻が出るまでは相当に
読むのが難しい文献だったそうなので。(1971年に
はまだ出てません)近世足利市史もまだ出てません
ね。
『近世足利市史 鉱毒編』は、あれ1冊で足尾鉱毒事件の
研究が全部ひっくり返っちゃったくらいの文献なので、
読まずに鉱毒を語ろうとすると痛い目に逢いますよ。
ってもう逢ってるか。


270 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 15:04:07 ID:FUDJS8xu0
田中正造にとって鉱毒問題は生涯をかけたライフワークだったので
政府の政策で鉱毒問題が解消されても困るし、鉱毒問題が下火になるのも困る。
田中にとって「政府=悪」「鉱毒=不滅」「住民=永遠の被害者」という構
図は絶対に崩すことの出来ないものだったのです。

271 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 20:33:35 ID:fhmtt86D0
マスコミの寵児だった宇井純の影響力は非常に大きく、田中正造の作り話に疑問
を抱く人はずっといなかったようです。
早稲田大学教授で、『田中正造全集』を編集した由井正臣は、これを機に田中正造
研究の権威者となり、岩波新書に『田中正造』を書きました。
当然、その影響力はどの類書より大きいはずですが、由井も正造がでっち上げた、
子供でもすぐばれるような作り話を、何の疑いもなく本当の話として受け入れ、驚い
たことに、実際を目で見ている被害農民まで批判します。引用してみましょう。

「(明治)35年9月の大洪水は、10里にわたる山崩れによって鉱毒に侵されない新土
を沿岸にもたらしたため、36年10月の収穫期にはまれにみる豊作をもたらした。この
ことが、政府や古河派の言う、予防工事は効を奏したとする宣伝を信ずる被害民を
生み出し、彼らに治水によって鉱毒被害を防げるかのような幻想を与えたのである」
(183頁)

もしこの年が洪水だったとすれば、鉱毒水が畑を汚染するわけですから、「鉱毒に侵さ
れない新土がもたらされた」、という正造の嘘すら根拠を失います。
由井は、こんな矛盾にさえ気がつかず、豊作の原因をよく知っている被害農民を、正造
の嘘を信じないからといって逆に批判しているのです。あきれるほかありません。



272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 21:14:11 ID:EWND2xew0
>>271
だから梁田村から11月に出ている文書はどうするの。


273 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/23(火) 21:58:45 ID:tYOT+/7b0
岩波新書の嘘は、どんどん広がったようです。
ウイキペディアで「足尾鉱毒事件」を見てみたところ、次のような記述がありました。

「鉱毒反対運動は、(中略)特に1902年の大洪水で鉱毒汚染土の上に汚染されていない
土が積もったことによって豊作になると弱体化した。」

つまり、、「山崩れ豊作説」を採用していたわけですが、私は、試みにこれにクレイムを
つけてみました。昨年の7月ごろだったと思います。
すると、「これはまずいことを書いた」と反省したのでしょう。その次に点検してみたら、
次のように訂正してありました。

「鉱毒反対運動は、、(中略)特に1902年以降、足利郡、梁田郡、安蘇郡、下都賀郡、
邑楽郡の鉱毒被害地が豊作になると弱体化した。」

田中正造は偉い人だと思い込んでいるので、どんなにお粗末な作り話でも、本当の
話だと信じてしまうのです。人間は意外に弱いものだということがよくわかります。


274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 20:35:34 ID:J+GsaM8r0
第2次世界大戦中の日本人は、大本営という政府の情報機関の嘘に完全にだまされ、
あのような悲劇を味わうことになったではありませんか。私たちは簡単にだまされる体
質を持っているわけです。

しかし、政府やマスコミの流す虚偽情報は、今、当時よりずっと大規模になっています。
昨年の秋に私は、日本在住のカナダ人、ベンジャミン・フルフォード著の『暴かれた9.11
疑惑の真相』と『9.11テロ捏造』を読みましたが、ブッシュや小泉にもともと不信感をもっ
ていたので、アルカイダによるテロはアメリカ政府の自作自演だということを、ただちに
納得しました。つまり、世界中の人々が、情報操作に引っかかっていると了解しました。

理由は、次回に説明します。

275 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 12:42:05 ID:eKoMFrjQ0
おもしろいね

276 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 19:22:34 ID:PiniRqqX0
>>273
Wikipediaみたいな、自身に一番不都合な文書を
持ってくるとは思ってもいませんでしたが、
足尾町での鉱毒反対運動とか、入澤論文を入澤本人が
否定してる話とか、鉱毒がその後もどんどん流れた
こととか、ずいぶん不都合なことがいっぱい書いてあります
が。

Wikipediaの方針には「Wikipedia:中立的な観点」って方針が
あって、敵のために書け、と書いてあります。そう書いた
本人が常にそう思ってるわけではありません。
何なら、私がWikipediaの記事に少々書き加えてあげましょうか?
泥をかぶって豊作になった、と。

ところで、1902年11月に梁田村から出ている文書はどうしますか?
未だに「洪水が起きたなら」とか書いてるようですが。
実際に1902年9月には渡良瀬川大洪水があったのです。




277 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 19:24:38 ID:PiniRqqX0
>>274
そうですね。大本営があった時代の
政府は、鉱毒問題についても大嘘をつき続け
ましたからね。まるで鉱毒がなくなったかのように。

ところで梁田村には大本営がありません。
1902年11月に梁田村から出た文書はどうしますか?


278 :東アジアニュース速報+:2007/01/25(木) 19:52:54 ID:TUwmYb2G0

東アジアニュース速報+ 板
ttp://news21.2ch.net/news4plus/
【韓国/歴史】 「九里を高句麗の歴史都市に」…広開土大王碑も建設 [01/25]
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1169710335/
【韓国】『ヨーコ物語』国内販売中止[01/25]
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1169696118/
【韓国/食】 板前目指す若者たち [01/25]
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1169717396/
【韓国】 親子で習う茶道 [01/24]
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1169623256/

279 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 21:46:11 ID:iCid8T8Y0
フルフォードさんの本によれば、アメリカ政府が同時多発テロのハイジャック犯だと発表
したアラブ人のうち、7人が生きていて「自分は犯人でない」と訴えています。

WTCツインタワーの崩落の様子は、我々が何度もテレビで見せられていますが、飛行機
が衝突した程度ではあのように完璧に、鉄骨が粉末になったように崩壊はしません。
ビル解体のプロが、高度なテクニックで爆薬を仕掛けて爆破する以外は無理です。爆発音
を聞いたという証言も数多く存在します。

意外なことに、ツインタワーに隣接する超高層の第7ビル(47階)が、当局の避難命令が出て
直後に爆破解体されました。その理由は謎のままです。

以上の3つの超高層ビルは、6週間前にリース権者がシルバーシュタインに代わっていますが、
彼はテロ保険に入っていたので、46億ドルを手にしたということです。

「テロとの戦い」は、アメリカ政府がアルカイダの犯行だと見せかけてでっち上げた、「架空の
テロとの無意味な戦い」の可能性が高いのです。



280 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 22:12:35 ID:PiniRqqX0
>>279
どっちにしても鉱毒事件はでっちあげじゃないですから。
古河の社長がはんこを押した証文もちゃんとあります。

で、何で足尾鉱毒事件のスレで同時多発テロの話なんか
してるんですか?


281 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 22:17:35 ID:PiniRqqX0
>>279
書き忘れたので書き足しておきます。

で、1902年11月に梁田村から出た文書はどうしますか?
田畑に泥かぶったって書いてありますが。


282 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 21:35:48 ID:UzC/IoKO0
真珠湾の奇襲が成功して太平洋戦争が始まったとき、アメリカ政府は、その奇襲を
事前に察知していながら、知らなかったふりをして日本側をいい気にさせ、アメリカ
国民の士気を鼓舞させるという見事な情報操作を行ないました。

戦争に勝つことが確実になっているのに、広島と長崎に原爆を落として何十万という
無辜の日本人を平気で殺しました。

歴史をふり返ると、アメリカ政府はどんな嘘でもつき、どんな非情なことでも実行する
という現実を知ることができます。同時多発テロをでっち上げることだって、彼らにと
ってはそれほど難事ではないに違いないはずです。


283 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 23:18:58 ID:Qk/fgnJE0
>>282
確かに大嘘つきですね。
1902年、渡良瀬川沿岸では、谷中村周辺以外では
洪水など起きてない、とかいう輩は。

ところで、1902年11月に梁田村から出た文書は
どうしますか?


284 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 23:21:45 ID:Qk/fgnJE0
>>282
確かに大嘘つきですね。
1902年、渡良瀬川沿岸では、谷中村周辺以外では
洪水など起きていないとかいう輩は。

ところで、1902年11月に梁田村から出た文書は
どうしますか?
洪水が起きて田んぼが泥かぶったって書いてありますが。


285 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/31(水) 09:40:39 ID:YW/F64MaO
http://m.ameblo.jp/m/flyid.do?url=ashio-jiken

286 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 15:27:44 ID:yAe5yPe+0
http://www.rondan.co.jp/html/mail/0702/070214-2.html

この人?

287 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 15:42:47 ID:J/A61mUvO
こいつはカス


288 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 15:46:27 ID:GCqPdPkdO
ラノベ板でやれ

289 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 15:47:26 ID:2nVyMoLPP
wikiをソースにするな
情報ソースは動画と紙媒体のみ認める

これで大抵のネット電波は破滅する

290 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 15:48:08 ID:AuA1wk4d0
Wikipediaをwikiと略すなー

291 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 15:54:00 ID:Xnqgzr/S0
ええと、まずサーバ移転に気づかずに「アクセス不能」になり
「抜け道」(新しいサーバにちゃんとアクセスするだけ)をみつけて安心してたら
サーバの高負荷のために、read.cgi切ってその結果人大杉になった(専用ブラウザで回避可能)のを
「シャットアウトされ、結局、コメントが全くできなくなってしまいました。」と言ってるわけですね
それをもって「言論統制」やら「言論の自由を奪う」と主張して、論壇目安箱に投稿した、と

本人に連絡可能な方がいらしたらぜひ伝えてやってください


「 半 年 R O M っ て ろ 」 と

 

292 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 16:03:38 ID:Npz+lr0t0
すな!!!

293 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 16:24:31 ID:7ZBINranO
ニュー速からの援軍が押し寄せてくるぞ

294 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 16:29:07 ID:oaC0U8Cx0
ν速からきました

295 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 16:31:27 ID:lCuaj0wS0
ν即からきたよ

296 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 16:39:27 ID:Lg1cXMJu0
【ひどい】言論の自由を奪う「2ちゃんねる」
トラックバック:http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1171433707/

297 :言論統制中ですw:2007/02/14(水) 17:25:25 ID:SMzTwFzAO
おまいらwまた人多杉になっちゃうぞっ☆

298 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 18:26:08 ID:ORjQ9gRT0
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299 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 18:55:37 ID:bsr5eSwY0
なんで復活してるん?

300 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 18:56:40 ID:bsr5eSwY0
300ゲット

301 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 19:48:59 ID:9BvRRK/N0
( 平成19年02月13日 ) 投稿者:  砂川幸雄

教科書でも誤って教えられている 「 足尾鉱毒事件 」 の真相を、この欄のほ
かに、このところ 「 2ちゃんねる 」 の掲示板も使って言い続けてきました。
教科書に嘘があってはいけないからです。

しかし、コメント数は300以下なのに、最近、1000以上で始めて適用され
る 「 過去ログ倉庫 」 に格納されてアクセス不能になりました。

ともあれ抜け道があって、何とかこの障害はクリアできたのですが、今度は、
あり得るはずがない 「 人大杉 」 ( アクセスする人が多すぎる ) でシャットア
ウトされ、結局、コメントが全くできなくなってしまいました。

主宰者の西村博之氏に 「 何とかしてほしい 」 と手紙を書いてもナシのつぶて
でした。マスコミが聞く耳を持たないから、インターネットに頼っているのです。
ネットまで言論統制する世の中って、なんて不健全なのでしょう。

http://www.rondan.co.jp/html/mail/0702/070214-2.html

302 : ̄ω ̄・ ◆KoNaTaxW6M :2007/02/14(水) 20:07:59 ID:KbJ52otH0 ?PLT(10100)
アホの立てたスレがあると聞いて飛んできました

303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 20:57:46 ID:6b+HQ9oe0
>>302
お前よりかはずいぶんとマシでしょうね

304 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 08:57:24 ID:2Ci3eHZGO
確かに足尾鉱毒事件について言われている事は、?が多い。
田中正造が神格化されている事で、
批判をゆるされない風潮もある。

305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 11:15:17 ID:TyJ7W72k0
心情ウヨの砂川君が、鉱毒事件を矮小化したい気持ちはわかる。
そのために、田中正造の私生活をたたき、古河を賞賛する手法をとったのも理解できる。
ただ、反論されて一言も返せないのは情けないと言わざるをえない。
もうすこし勉強されてから2chaに押し出すべきだったように思う。
今後のより一層の精進を期待する。75点。

306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 17:53:58 ID:nvRIA6uK0
砂川おじいちゃん、もっと2ちゃんねるの使い方を学習してからいろいろ言った方が恥ずかしくないと思うよ。

○過去ログ倉庫に格納されていた!言論弾圧だ!
 →スレッドに誰も書き込みしなかったので、DAT落ちした。二度と誰も書き込むことは出来ません。
  2ちゃんねる全体にやたらにスレッドが増えるのを防ぐ為、書き込みが1000に達しなくても過去ログになることが頻繁です。
  人気のないスレを立ててしまったのが運の尽き。本当に過去ログになってしまったのであれば諦めましょう。
  でも砂川じいちゃんの場合は過去ログじゃないよね。鯖移転しただけ。

○過去ログ倉庫にあったのに書き込みできるようになった!抜け道だ!
 →抜け道でも何でもありません。このスレッドを統括する『板』がサーバー移転したため、旧アドレスでは書き込みできなくなっただけ。
  ttp://academy5、になっているでしょう?このスレのアドレス。砂川じいちゃんが立てたときはhttp://academy3で始まっていなかったかな?

○人大杉ってでる!言論弾圧だ!
 →ひろゆきはこんなくだらないスレッドに目を止めていちいち弾圧するほどヒマじゃありません。
  このスレッドの置かれているサーバーが断続的に過負荷になるため、IEなどを使っているとそう表示されるのです。
  2ちゃんねるブラウザを使うとこの『人大杉』という表示は出ません。

○スレをたてることが出来ない!言論弾圧だ!
 →ニュー速+など、『+系』の板にスレを作ろうとしていないかな?+系の板は、特定の記者さんしかスレを立てることが出来ません。
  そのほか、板によってはスレを立てるために、いろいろ規制がかかっている場合があります。
  (●持ちじゃないとだめ、●持ちでbeログインが必要、記者キャップが必要)
  各板のガイドラインをよく読みましょう。
  なお、記者さんにはぽっと出のその辺の爺さんが、簡単になることは出来ません。念のため。


どうして初心者の人って、自分で調べることもしないでひろゆきに手紙とか送ってしまうのwww
こんなんちょっと調べればいくらでもわかることなのに恥ずかしいなwwwwwww

307 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 17:03:18 ID:6Ax3L5DQO
晒しage

308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 00:12:47 ID:p52UXcBpO
ニュー即でやれ

309 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 12:44:14 ID:IT8O9KOn0
うはっ。
ワロス

310 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 14:14:18 ID:yp/94gqc0
帰ってこないなと思ったら
まだ人大杉か

311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 22:16:11 ID:g1uhUINVO
おじいちゃんマダー?

312 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/23(金) 01:26:17 ID:/SwvN3Qd0
砂川祭り

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