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なんで西郷が維新三傑なん?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/11(水) 21:47:27 ID:krC2JS9pO
理解に苦しむ

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/11(水) 22:26:13 ID:cKuoL1eb0
一傑と言うべきだね

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/12(木) 10:42:43 ID:z/YFUSqZO
西郷はただの倒幕三傑に過ぎない。
国造りの段階では、ただの抵抗勢力。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 23:24:19 ID:vG1Jrsfp0
ちなみに維新三傑とは

大久保利通(薩摩)
西郷隆盛(薩摩)
木戸孝允(長州)

の3人です。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 00:33:31 ID:/VfFaMNm0
木戸はバランス調整でいれららたきがしてならん・・・

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 01:15:37 ID:ObRMg0Ye0
え、幕末維新の傑人は、木戸と大久保の二人だよな。
西郷?だれそれ?
あれってただの置物でしょ。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 17:48:34 ID:OC12YxfbO
坂本龍馬が生きてれば…

8 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 07:15:21 ID:+dpYF8dn0
○新説維新八傑

高杉晋作    1839〜1867(28)長州藩 病没
坂本竜馬    1835〜1867(32)土佐藩 暗殺
中岡慎太郎   1838〜1867(29)土佐藩 暗殺
大村益次郎   1824〜1869(45)長州藩 暗殺
江藤新平    1834〜1874(41)肥前藩 処刑
西郷隆盛    1828〜1877(49)薩摩藩 自決
木戸孝允    1833〜1877(45)長州藩 暗殺
大久保利通   1830〜1878(48)薩摩藩 暗殺

───天寿ライン───超えられない壁───

岩倉具視    1825〜1883(58)朝廷 病没
三条実美    1837〜1891(55)朝廷 病没
山田顕義    1844〜1892(49)長州藩 事故死
後藤象二郎   1838〜1897(61)土佐藩 病没
黒田清隆    1840〜1899(59)薩摩藩 病没
伊藤博文    1841〜1909(68)長州藩 暗殺
井上聞多    1836〜1915(79)長州藩 病没
板垣退助    1837〜1919(82)土佐藩 病没
大隈重信    1838〜1921(84)肥前藩 病没
山県有朋    1838〜1922(85)長州藩 病没
田中光顕    1843〜1939(96)土佐藩 病没

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/16(月) 17:20:23 ID:CCtupGDD0
明治まで拡大すれば、
大久保利通
伊藤博文
陸奥宗光
東郷平八郎

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/16(月) 17:55:28 ID:NrLKVsx70
大久保、西郷、木戸は志士活動歴が生きて明治維新を迎えた
他の志士達よりも古いという事と幕末の藩外交において
各藩の代表的人物であったからだろう。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/16(月) 22:01:29 ID:25HW9TqsO
明治三傑

大久保利通
伊藤博文
山縣有朋

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/17(火) 00:50:56 ID:ofnBjey70
広沢も松方も入ってないし、どういう基準で選んでるんだ?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 00:23:27 ID:PKn15oIBO
普通に考えて岩倉、大久保、木戸だろ。
次点が伊藤、西郷、坂本


14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 01:44:40 ID:vNL2lmHY0
なぜ坂本がはいる、あいついれるくらいなら、大隈いれてやれよ。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 12:20:37 ID:qhPZDd71O
明治天皇に逆らった逆賊西郷がなぜ上野恩賜公園に銅像があるのか…理解できん

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 22:30:10 ID:E3pY25a40
>>15 人気が有ったから。それに名誉回復って意味もあるし

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 22:30:58 ID:4LM+a5OG0
http://blogs.yahoo.co.jp/kmlyshk/folder/951825.html

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 23:07:42 ID:IVunG9rZO
>>15
天皇に叛旗を翻したわけじゃないよ、俗に言う「君側の奸」を討つ、ってやつだ。実際明治天皇のお気に入りだったし。
でも確かに政府に逆らった人間を顕彰するってのは珍しいね。それだけ人々に慕われていたって事だし、また日本の寛容の精神の深さを表しているね。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/31(火) 18:01:02 ID:v9oXI9Q20
その前に上野の銅像が軍服で鹿児島の銅像が和装なのは逆だろ?

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 23:04:35 ID:4EA92kZxO
大久保・久坂・武市

裏(工作)の三傑。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/07(火) 04:22:25 ID:RVCHzgbx0
維新後の重要な時期に大久保と木戸は岩倉と外遊してる。
その間の留守政府に国政を御していた代表者は西郷だから。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 15:50:03 ID:KpyMpuHe0
ケツがでかかったのか?  知らなかったよ。

ケツのでかい残り2ケツは、誰なんだよ?

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/07(火) 23:47:57 ID:PuEU1Sy6O
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

意外とおもしれーぞ

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/30(木) 12:32:05 ID:4of3kU0r0
勝海舟の本を読んでなんとなくわかったような気がする

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/19(水) 23:23:06 ID:0VliK7L20
>>8
木戸の「暗殺」っていうのは俗説でしょ?

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/21(金) 00:36:27 ID:TnCpTdC6O
丸腰の、おいを〜
韓都に遣わしてたもんせ…
凄い人だったんだね〜
と感じる、今日この頃 (◎o◎)

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 04:14:22 ID:QoT0i2AE0
>>8
>高杉晋作    1839〜1867(28)長州藩 病没
>───天寿ライン───超えられない壁───
>伊藤博文    1841〜1909(68)長州藩 暗殺
おかしくね?

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/20(土) 22:56:45 ID:jeydU4OUO
西郷ヵ≡

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 09:46:08 ID:GNBWf+9e0
維新政府の国賊三傑
岩倉具視
山県有朋
井上馨


30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 14:59:45 ID:OLc0WbT10 ?
明治維新って薩長のクーデターなんだろ
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1148190752/


31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 02:39:44 ID:mbKDYo7a0
廃藩置県は明らかに西郷の指導力のおかげだろ。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 10:28:22 ID:eI0s6P9D0
西郷は倒幕までのひとでしょ。
すぐに鹿児島に帰っちゃったし、新政府をどうするかの展望も持ってなかった。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 13:06:05 ID:OOwRJK/H0
担がれたらすぐその気になるのが西郷さん。廃藩置県も西南戦争も
本人の脳内では同じようなもの。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/29(月) 19:38:27 ID:XQ+j3uh00
>>31
そもそも西郷がいなければ、スムーズに進んだと思われ。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/29(月) 22:17:34 ID:g/tm1qWi0
>>1
他のニ傑には疑問を持たないのか?


36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 12:02:28 ID:bOFQVsiJ0
>>34
明治維新の最大の問題は維新最大の功労者である武士のほとんどが失業者となったという事だった。
最強の薩摩武士団が薩摩に帰ってからは彼らの不満が暴走しない様に、また自分を担ぎ出そうとする考えを排除させる為、西郷は黙々と畑仕事を続けた。
薩摩武士を抑えられるのは西郷ただ一人しか居なかった。
薩摩武士団が本気で明治政府に反旗を翻せば、日本各地の失業武士団がこれに呼応し、明治政府が潰れる事は明白だった。

しかしいよいよ薩摩武士の不満を抑えきれぬ事態に至り、西郷は自らの命を捨てる覚悟をした。
明治維新の最大の矛盾である失業武士団ともに自分も滅びようと決意した。
彼もまた自分の作り上げた明治政府をやはり愛していたのだ。
これが西南戦争の発端である。

明治維新においてあれほど天才的な策謀をめぐらせた西郷が、西南戦争においては何の策も講じず、
桐野利明の言うままに隣の難攻不落の熊本城攻略に無駄に時間を費やし、
最後は、最初から予測していたように「もうここらでよか」と言い、見事切腹して果てた。

西郷はやはり明治維新最大の功労者であった。


37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 12:18:31 ID:nLZ3mv4Z0
西郷は唯の担がれデブ。ぶひーぶひー言ってるだけ。
勝も「こいつラクショー」って後に述べてる。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 20:24:59 ID:390T1IO+O
>>36
倒幕段階に西郷の天才的な策謀なんかあったっけ?
江戸城明け渡しの談判でも、勝に一杯食わされてるしさ。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 20:59:07 ID:z4lPc26F0
>>36
そのストーリーは西郷を肯定する立場で西郷の都合の良いように解釈した話だよね。

武士の利益代表者として中央政界に残る選択もあった。
帰薩しなければ反乱軍は蜂起の中核を得られなかった。
現実の西南戦争では諸国武士団は蜂起せず、この点からは明治政府の敗北は明白どころではない。
熊本城の攻略が戦術上愚策であったといのも単なる主観。
すでに回天後の西南戦争のいきさつをもって維新全体の最大の功労者と評すること自体にもムリがあるし。



40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/01(木) 16:40:23 ID:lkAdC8JM0
西郷は、統幕や維新後に絶対に必要な人物とは言えないが、
西郷内閣とも言える留守政府時代に、近代国家、
法治国家に必要な改革が続々なされていったのは事実。

国民への負担は大きかっただろうが、
幕末以来多発していた農民一揆はいきなり激減(それでも多かったが)し、
士族反乱も無かったのは、西郷の影響力のお陰なのも事実。

西郷が去り、外遊組政府に変わった途端に、
再び農民一揆が増加し、士族反乱が続発したのも事実。

何がどうとは別にしても、やっぱ西郷偉大じゃないの。
派閥で成り上がった木戸、大久保と比べるのは失礼。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/01(木) 18:51:19 ID:1aQTjXj60
>>37
でぶって言うな><

42 :名無し募集中。。。:2006/06/05(月) 04:01:53 ID:rNRe975oO
西郷南洲遺訓を購入した僕が来ましたよ
天皇の世紀と併読するのが楽しみです

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 12:17:23 ID:PSh39CDf0
>>39
そんな風が吹いたら桶屋が儲かるみたいな話を言ってはいけない。
西郷が帰薩したのは征韓論が受け入れられなかったからだ。
あのとき征韓論を実行していればその後の歴史もずいぶん違ったものになったろう。
日露戦争も日清戦争も、日本が講和条件の第一に挙げたのは朝鮮半島の支配権、朝鮮半島の独立、であった。
西郷は朝鮮半島が維新を行わなければ日本の安全保障はなしえないことを見通していた。

しかも明治政府(大久保)は西郷の征韓論をあれほどかたくなに否定しながら
西郷下野直後に鬱憤のはけ口として征台を実施している。
それならばなぜ征韓を実施しなかったのか?

風桶の話をさせてもらえるならば
もしも西郷の望む明治政府が完成していたら
日本は今のような不幸な歴史を歩まずに済んだろうと思う。
やはり西郷は維新最大の偉人である。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 13:23:53 ID:zQ2lIFxkO
>>43
風桶にしても限度ってもんがあるだろ。


人的資源も天然資源もない当時の日本が
破滅を20世紀中盤まで先延ばしにできただけでも
明治以来の為政者の施策は上出来だと思うが。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 19:32:08 ID:U+Y2/UxM0
>>43
風桶の話をしてるのはあなたであり>>36

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/08(木) 18:26:34 ID:18CwM9C+0
正直、西郷の征韓論にどれほどのプランがあったのか疑問ですけどねえ。
朝鮮半島の支配を考えていたのは当然として彼の内政、改革論なんて
まるでないじゃん。勢いだけの男。それがデブ西郷。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 03:46:46 ID:pgbb0Xmk0
244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 03:38:12 ID:pgbb0Xmk0
★幕臣・小栗上野介(おぐりこうづけのすけ)


彼の先見性は驚くべきもので、
明治新政府の施策の多くは、彼の発案です。
郡県制などが有名です。

また、現在の技術立国日本の礎を築いた人でもあります。
横須賀造船所がそれです。

彼はポーハタン号での訪米の時(咸臨丸が同行)、一本のネジを持ち帰りました。当時日本にもネジはありましたが、一本一本手作りでした。
機械で作られたネジ、それに将来の日本の技術の目指すところを見つけたのでした。

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 14:38:54 ID:YiwxdF0fO
小松 帯刀

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 17:17:07 ID:BJOpjkXN0
あの当時の日本の国力で征韓なんて不可能だよ
まさに亡国の道だ
必ず清とロシア、そして当時の列強の干渉を受けて頓挫する
勢いや情念で政治をすると失敗する典型例だよ

やはり西郷には革命家という評価しかない
高杉も天才的な革命家だが、彼が長生きしてたら日本にとって害になっただろう

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 18:54:58 ID:5rQCLe6U0
西郷の政治力がなければ維新は成立してないよ。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 19:40:26 ID:qx2ZWXTw0
西郷は人望の方だろ
政治力なら大久保の方がダントツ上

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 19:48:12 ID:qyqug2cD0
西郷隆盛は繊細な感受性の持ち主。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 23:14:46 ID:MDvszk1K0
大久保は政治力というより謀略・陰謀力。
政治力なら伊藤の方がはるかに上。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 23:25:16 ID:uFbGMtrj0
待たれよ!伊藤は交渉力が大久保より上なんだよ
政治力はやっぱ大久保だろ

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 00:12:33 ID:/0VbfE/30
>54

政治を、権力維持の為の力の行使と捉えるなら、大久保は日本史上最高クラスの能力だ。
が、この場合に必要な能力は、謀略や陰謀の才になる。

また、国家を維持統治する為に様々な利害関係を調整していくことを政治と捉えるなら、
大久保よりは確実に伊藤の方が上だが、どちらにしても西郷の足元にも及ばない。

これらとは別に、政策立案、企画実行の能力が政治だと言うなら、
大久保は江藤新平には遠く及ばない。

やっぱ西郷最高じゃね?

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 00:40:09 ID:keIQrieL0
いや、まて!
なぜそこで西郷が最高になるw


57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 09:33:55 ID:rrS7zHmJ0
利害調整能力が最高の人が不平士族の叛乱の首魁になって敗れ去るわけか。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 17:51:39 ID:hRtWFy220
西郷に才があるかはともかく倒幕で健闘したのは認める。
ただ倒幕活動においても西郷の代わりは別に幾らでも居たと思う。
明治新政府においての西郷の征韓論に至っては何の計画性も無い、
帝国主義に過ぎない。
帝国主義自体は当時の常識だし植民地支配も勿論、慈善事業ではないが
計画性の無い植民地化を提案だけした西郷が新政府内で孤立するのは
当然の事。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 22:47:04 ID:w6Onz8AT0
>58

西郷は、板垣への手紙以外で朝鮮征服の事は書きも言いもしてないんだよね。

たぶん彼の中では、崇拝と言えるほどに尊敬していた主君島津斉彬の提唱していた、
日中韓の三国同盟を実現させるために、何が何でも朝鮮と国交を開きたかったんじゃないかな。
朝鮮を植民地化するというのは、西郷の思想からは全く見られない。

それに、西郷が新政府内で孤立化というのもどうかと。。。
明治六年の政変前は西郷派が明らかに多く、むしろ大久保の方が孤立状態に近い。
大久保の味方は、外遊組と一部長州閥くらい。



60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 00:10:33 ID:rgqdJui30
なんでこれが話題にならんのだ

「それは早急に過ぎもす。兵隊などを派遣すれば、
朝鮮は日本が侵略してきたと考え、要らぬ危惧を与える恐れがありもす。
これまでの経緯を考えると、今まで朝鮮と交渉してきたのは
外務省の卑官ばかりでごわした。
そんため、朝鮮側も地方官吏にしか対応させなかったのではごわはんか。
ここは、まず、軍隊を派遣するということは止め、位も高く、
責任ある全権大使を派遣することが、朝鮮問題にとって
一番の良策であると思いもす。」

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060628-00000416-yom-soci
ttp://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai11.htm
ttp://pecan.cocolog-nifty.com/fudge/cat4340356/index.html

今までの教科書は完全に歴史の歪曲じゃないか
板垣に対する書簡については意見が分かれるだろうが・・・
扶桑社の教科書はどうなんだろ

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 16:10:35 ID:7wv21b1p0
大久保利通
政治力 ★★★★★
人望  ★★
彫り  ★★★★★

西郷隆盛
政治力 ★★★
人望  ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
睾丸  ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

木戸孝允
政治力 ★★★
人望  ★
神経質 ★★★★★

あとのひと誰かよろ

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 17:02:17 ID:UnuVkE6z0
○新説維新八傑

高杉晋作    1839〜1867(28)長州藩 病没
坂本竜馬    1835〜1867(32)土佐藩 暗殺
中岡慎太郎   1838〜1867(29)土佐藩 暗殺
大村益次郎   1824〜1869(45)長州藩 暗殺
江藤新平    1834〜1874(41)肥前藩 処刑
西郷隆盛    1828〜1877(49)薩摩藩 自決
木戸孝允    1833〜1877(45)長州藩 暗殺
大久保利通   1830〜1878(48)薩摩藩 暗殺

───天寿ライン───超えられない壁───

岩倉具視    1825〜1883(58)朝廷 病没
三条実美    1837〜1891(55)朝廷 病没
山田顕義    1844〜1892(49)長州藩 事故死
後藤象二郎   1838〜1897(61)土佐藩 病没
黒田清隆    1840〜1899(59)薩摩藩 病没
伊藤博文    1841〜1909(68)長州藩 暗殺
井上聞多    1836〜1915(79)長州藩 病没
板垣退助    1837〜1919(82)土佐藩 病没
大隈重信    1838〜1921(84)肥前藩 病没
山県有朋    1838〜1922(85)長州藩 病没
田中光顕    1843〜1939(96)土佐藩 病没


63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 00:50:43 ID:HczExOR90
俺的な維新三傑は、坂本、西郷、高杉で、
維新後の明治新政府三傑なら、大村、江藤、副島だと思う。

西郷、高杉は、薩長の軍事・謀略の実質的指導者で、
バラバラ薩長の力を結びつけたのは坂本の尽力。

新政府では、軍事の基礎は大村が組み立て、
内政は江藤、外交は副島がそれぞれ、明治国家の礎を築いている。
新政府下では、この三人と、人望で西郷が衆を抑えていれば良く、
はっきり言って、大久保、木戸はいらね。
二人共すねて引き籠りばかりやってるし。


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 01:58:49 ID:QnejzFWR0
278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 14:45:01 ID:XCiPmHxN0
うんこ愛好家の方に、たまらない魅力を放ち、
肛門拡張愛好家達を惹きつけてやまない桂小五郎
それなのに信じ難い程の、この無人気ぶり。

ウンチ漏らして敵から逃げのびるだけ。

やはりこの人生、普通の方達には共感し難いものがあるんだろうな。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 02:18:38 ID:CCnT/oTsO
>>63 小松帯刀も入るが余りにも無名か?


かなり有名だけど 西郷より低い知名度。


>>63ほか、禿同

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 02:59:35 ID:9oV2hrMM0
お前らに
これだけは言っておく
大事なのは
今の俺たち日本人に何が出来るかだ
【在日や韓国人の日本強奪計画を阻止せよ!】外国人参政権に反対する主なる理由

以下この法案の主な問題点を挙げます。

・参政権とは国政や地方を問わず「国民固有の権利」であり、この法案は明らかに憲法十五条に違反している。
・日本国民は民主国家日本と運命を共にせざるを得ないが、外国籍の者は日本と運命を共にする義務は無い。彼らが本国に帰る事は自由である。
・参政権は人権問題ではない。外国人は本国の参政権を持っているはず。無いのなら、それは彼らの本国の怠慢でしかない。
・永住外国人とは、特別永住資格を与えられた韓国・朝鮮籍の方々が殆どを占める。彼らが本国からの干渉を全く受けない、とは言えない。これは内政干渉とも考えられる。
・この法案を提出しているのは公明党の議員である。公明党とは、ほぼ創価学会員で構成されており、支持母体は創価学会。公明党がこの法案に熱心なのは、創価学会が韓国での布教を有利にする為であるとも言われている。
 (金大中元韓国大統領と池田大作SGI名誉会長の間の取り決め)
・この法案に賛成してる政党は、票田を獲得する為に「国民固有の権利」を売ろうとしているのは明らか。民主党は韓国民潭との繋がりを強めている。創価学会の信者には在日朝鮮・韓国人も多い。
・この法案に賛成してる議員は、個人的な贖罪意識の為に「国民固有の権利」を売ろうとしているように見える。
・友好を言うのなら、相互主義でなければならない。
・日本は他国とEUのような強力な結び付きのある同盟関係が有るわけではない。外国人の参政権を認めているのは、EUのような一つの国を目指している国々や、経済的繋がりが強力な北米圏のような特殊な国々のみ。
・この法案が成立した場合の将来、永住外国人が人権を盾に、被選挙権と国政参政権を求めた場合はどう対処するのか説明が無い。


67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 03:26:22 ID:9oV2hrMM0
今、日本にいる在日朝鮮人のほとんどは「強制連行」された人やその子孫ではない。
 (在日本大韓民国青年会等の韓国人自身による調査により明らか)
 彼らのほとんどは、経済的理由などにより彼ら自身の意思でやってきた。
 従ってこれを理由に地方参政権ぐらいなら与えてあげてもいいということにはならない。
※ 朝鮮人が言う「強制連行」とは、戦争中に日本本土、台湾、朝鮮半島など、当時の日本国
 全土で実施された「徴兵」「徴用」のこと。
 特に朝鮮人に差別的に行われたわけでもなく、朝鮮人の徴用が行なわれた期間は昭和19年9月から関釜連絡船の閉鎖された昭和20年3月までの6ヶ月間に過ぎない。
 これを「強制連行」と呼ぶのは明らかに不当で歪曲も甚だしい。
 また徴兵・徴用で日本に来た朝鮮人たちには、帰国船が用意され、
 ほとんどが帰国済み。それで帰国しなかった人たちも、戦後60年の間ずっと
 帰国する機会はあったが、自分の意志で居残った。
 それが今の在日朝鮮人だ。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 03:42:39 ID:9oV2hrMM0
もちろん外国には認めている国もある。
それらの国は、特定の国に対して相互的に認めている。
また認めている国にも、国家統合を目指しているEU諸国など、それぞれの国内事情
があり、日本と比較することはできない。
なお、日本に対し参政権を求めている在日韓国人の母国である韓国では2005年7月に
在韓永住外国人の地方選挙権が認めらたが、
日本に永住する在日韓国人は50万人以上なのに対し、韓国でその対象に
なる在韓日本人はわずか10数人であり(H16年度)、相互主義が成立する条件にはない。
●韓国の永住資格を持つ在韓日本人は59人(H16年度)だが、その中で実際に
韓国の地方選挙権を付与される人数はさらに少なく、わずか10数人程度。


69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 03:50:26 ID:9oV2hrMM0
国政参政権はともかく、地方参政権だけならいいのでは?
●国防などで大切な役割を占め、時としてその決定を左右する地方選挙権を与えると、
外国人の多い自治体では日本人より外国人を重視する政策を行う首長が誕生する可能性がある。
また教育や福祉、条例制定に関わり、日本人以外に都合のよい自治体となる可能性がある。
さらに、国会議員は選挙時の支援を地方議員に頼る部分が多く、地方議員1人1人
の考えが国会議員の考えや政策にも影響を及ぼすのは明らか。
もし地方議会だけであっても外国人に参政権が付与されてしまうと、地方議員は
外国人の票を気にするようになり、その地方議員の支援を受ける国会議員も、
立場上、外国人に対してはっきりものが言えなくなり国政にまで影響される。
よって『地方参政権だけだったら付与してもいいだろう』とは言えない。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 04:00:36 ID:9oV2hrMM0
【韓流捏造ブームの背景にある恐ろしい狙い】
 ・韓国を美化・賛美してノンポリお花畑日本人をまず洗脳
 ・中国の反日(これも問題だが)を大々的に報道して韓国賛美に利用
 ・日韓交流や友好を名目に韓国人観光客ビザ免除の推進
 ・在日参政権付与の推進(もちろん日本人にはひた隠し)

ここで深刻なのは在日参政権です。
 (特に対馬が危ない。人口4千人のこの島は常に韓国に狙われています。もう既に対馬は
 歴史的に韓国領土という捏造論文を発表したり、韓国領をアピールする為に「対馬の日」まで制定しています。
  ●最悪な例 :参政権獲得後→日本各地から在日が対馬に大量移住→媚韓派議員を大量選出
  →議会乗っ取り→対馬独立条例可決→対馬韓国領土化条例可決→日本政府と対立・・・)
要はこれらの下地つくりです。
外国人参政権が認められると、合法的に日本の過疎地域から一地域ごとに乗っ取る事が可能になってしまい、
そう遠くない将来、日本が旧ソ連やユーゴ、レバノンの様な内戦状態に陥る事だってあるかもしれません。
この法案は一度成立してしまったら二度と取り返しがつかなくなる可能性大です。

日本人はこれから、戦わないといけない相手がいっぱい出現して大変な時代になります。
今現在、これらを物凄い勢いで後押ししている日本国内の団体・・・
民潭、総連は言うに及ばず、公明党=創価学会、朝日やTBS・NHKなどの売国大マスコミなどなど・・・
 「推進派は地方参政権だけと主張していますが、日本の歴史で戦国時代に《大阪城の堀を埋めるだけ》という
  徳川方の言葉を信じたばかりに、結局最後に滅んだ豊臣家を忘れてはいけません。歴史の教訓に学べです」

スイスが永世中立国を保つ為に自国民に配布している、国家防衛マニュアルの「民間防衛」には、
『敵の宣伝工作・敵国との情報戦においては、どんな事があっても戦うべし』と説いています。
コピペ、メール、はがき、デモ、なんでもいい、私たちはできる限りのことをしましょう。
↓工作員の書き込み例
  ∧_∧ 
 <=( ´∀`) 自分は嫌韓だけど、在日の地方参政権なら別にOKだな。
 (    )  だって税金払ってるんだし、差別はやばいよ。
 | | |  あと、この話題板違いじゃないか?
 〈_フ__フ

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 04:09:14 ID:9oV2hrMM0
「外国人参政権に反対する会」
ttp://www.geocities.jp/sanseiken_hantai/

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 20:57:38 ID:WwicS3T30
「西郷隆盛=征韓論」は古い 鹿児島知事、発行元に要望
ttp://www.sankei.co.jp/news/060716/sha039.htm

西郷どんは征韓論ではありません−。
西郷隆盛が武力で朝鮮に開国を迫る「征韓論」を唱えたとされていることについて、
西郷の故郷・鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、平和的解決を目指した「遣韓論」も
記述するよう高校教科書の発行元に要望書を送っていたことが15日分かった。
都道府県知事が教科書記述の変更を求めるのは極めて異例。
伊藤知事は「西郷の本当の姿が伝えられていない」と訴えている。(教科書問題取材班)

<<中略>>

(1)西郷が閣議などで征韓を主張したという史料は見つかっていない
(2)逆に、即時出兵などの強硬論を抑え、非武装の使節として自らを派遣するよう求めている

−などの事実から、征韓論ではなく、平和的・道義的解決を模索した遣韓論だったという説も有力だ。
学界をほぼ二分しており、代表的な歴史事典も両論を併記している。

<<後略>>

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 21:43:34 ID:8nHG/Bun0
何れにしても西郷に新政府の方針が無かった言い訳にはならないよ。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 22:27:59 ID:OSu/rSJS0
>>72
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 00:51:01
ああ、やはり毛利説だったか。西郷が板垣を説得するためだけに板垣の心をくすぐる文を書いたと主張していたな、毛利氏は。

ちなみに、西郷が主君の提唱していた三国同盟樹立に熱心だったのは確かだろう。
だが、そのためにはどうやっても軍を伴った征韓論以外に韓国を変える手だてはない、と見て西郷が征韓論にあそこまで固執したというのが正しいと思われる。
なぜなら、西郷が死の決意をかため周囲にそれを漏らしだしたのは、外務卿副島の、「これ以上(朝鮮との)交渉の余地はなく、あとは兵を伴う問罪使を派遣
するのみ。その問罪使には外務卿たる自分がなる」
という報告を聞いてからであると思われる。それ以前は、西郷は本気で平和交渉が成り立つと考えていたようだ。

話は戻って、使節派遣が一度決定してからも、さらに、こんなことを手紙で送ったのも、板垣を喜ばせたいためなのか。
『(韓国で)無茶をするつもりは無いが、もし自分が死んだら、「西郷は自分から殺されにいった。」という論が起こり、
戦争を回避しようとする策をめぐらすことは確実だ。その時は是非とも、自分の死を無駄にしないようお願いします』

また、板垣だけでなく、黒田清隆に対しては、征韓準備のためすみやかに、軍局の論を定めるように運動してほしい、と手紙で頼んでいる。
黒田は反征韓論であるし、後輩だ。
西郷の目的が平和使節派遣であれば、このような運動を促す必要はあっただろうか。

さらに、別府に対しては、「土州人も一人は死んだ方が跡がいい(一人の土佐藩士が同行を願い出ていた)だろうと考えています」
とのどぎつい手紙も送っている。
それ以外にも辞世の句のような詩も作り、多くの知人に自分が言って殺されたら日本は奮い立つ、そのためなら死は恐れない
というようなことを言っているのだ。
>西郷が朝鮮へ行けば殺されるというのもナンセンス。
西郷が殺されるのがナンセンスというならば、その西郷の覚悟すらナンセンスということになるが。
実は全然ナンセンスではない。少なくとも当時の人間にとってはナンセンスではなかった。
まず、当時の朝鮮について、アメリカ公使フレデリックは、国務長官宛に「朝鮮はペリー渡航前の日本よりも
さらに厳しい鎖国状態にある」と送っている。
というのも、大院君支配下の朝鮮は清人の入国さえ禁じ、入国した一般の清人は全員が暗殺されている。
(明治5年に、日本の外務省から派遣された探索員の報告)。
清人に対してすらこの仕打ちである。西郷が無事である保証がどこにあるのか。
さらに、アメリカの艦隊ですら、江華島からの砲撃を受けている。丸腰の鉄鋼船で行ったところでどうやって、
大院君のいる漢城までいくつもりなのか。
もう一切使節は受け取らんといい、実際そのようにしめしている朝鮮の国内を、丸腰で、海岸ぞいにあるわけ
でもない漢城まで行こうというのだから、殺されないと思う方が不自然だ。

自分が、西郷を神聖視(あるいは、あくまでも善い人物であると見がっている)しすぎと思うのは、これだけ(他にも史料がもっとある)本人が、使節派遣の
結果的には軍を派遣することを予期し、それを望んでいたにもかかわらず、Wikiの「征韓論」にすら、西郷の論は、派遣説だった。というような
説明書きをしているからだ。確かに、形だけみれば派遣説だ。だが、その中身をみれば戦争を起こす気満々なのに、遣韓論はありえないだろう。

らしいよ。




75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 23:28:50 ID:WwicS3T30
>>74
勉強になります。thx。最終的な武力行使を見据えていたという事ですね。

>>73
ごめんなさい、反応を見て記事内容の確度がどうか知りたかっただけです。
ざっと検索掛けても西郷スレ二つしかなかったんで・・・過去議論については全く関知しない素人です。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 22:19:15 ID:r14gavuO0
どっちも説得力あるなあ・・・
こういうのを学校とかでイデオロギー無しで生徒らに討論させて欲しいもんだ

77 :名無史さん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 23:40:25 ID:Dd1H2GFd0
廃藩置県は木戸や岩倉達のいない間に、留守組の西郷らがドーンとやったことだろ。
西郷だからできたと俺も思うが。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 00:22:23 ID:+1TScjuH0
よく西郷の留守政府の急激な改革に対して、一揆が頻発していたというのを見かけるが、
一揆自体の発生件数は、留守政府になり西郷が仕切りだした途端に激減している。

元の数が多過ぎた方が問題だと思うが、
外遊組(歴史の勝者側)の方が仕切っていた時代だからか、
あまり問題提起されることが無いのは変だ。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 07:18:25 ID:3aijBYY+0
江戸城無血開場とあとはキャラクターだろ

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 18:37:20 ID:XdFA1caY0
西郷  森
大久保 小泉
木戸  小渕

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 22:59:48 ID:cm9hP/H80
>>77
廃藩置県は岩倉使節団出発前だ。大久保と岩倉が決めて西郷、木戸を引き込んだ。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 23:55:45 ID:qe9wKg8b0
西郷は明治維新の軍事的立役者でもあり維新後も政府の首領として
特に軍事的威圧感を示して廃藩置県等をバックアップしたからやはり三傑の1人にあげられるだろう

大久保は維新前も維新後も政治的指導者として常に薩摩や新政府の中枢にあり3人の中ではもっとも責任感を持って国事に対処していたからやはり三傑
の1人にあげられる。

木戸は長州の代表として薩摩とともに維新を成し遂げ維新後も長州勢力の基盤を確立し明治日本の政治の象徴ともいえる後の伊藤山縣政権の下地を作った
からやはり三傑の1人にあげられる。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:33:04 ID:9YWsRajj0
>>81
木戸が推進し、大久保と岩倉を巻き込んだというべきだろ。


84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:35:21 ID:9YWsRajj0
西郷はただの抵抗勢力だから、この件では考察すべきではないな。
反対していたら、政府から追い出されるか、
山縣あたりに暗殺されていたんじゃね。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 02:16:22 ID:P5TFhylrO
薩摩藩賢人


西郷 小松 大久保

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 08:26:00 ID:93p4MoHY0
西郷は封建反動の首魁。薩摩武士団の野望に殉じたことが、封建制を脱却していない近代日本の
遅れた大衆の人気を得た。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:09:13 ID:49JDuH8K0
西郷自身は本当に朝鮮を武力をもって開国させるつもりだったのか?
それとも言葉の通り、あくまで平和的に交渉しようと考えていたんだろうか?
西郷ってのは理解に苦しむ

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:09:40 ID:OXkroAiE0
あの偉大な大久保と、西郷や小松の小物を同レベルで語るな。


89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:34:23 ID:TT+7t1sjO
>>86に全てが集約されている。
西郷をさん付けで呼んでるような奴らは、
トカゲを葉っぱで蒸し焼きにして食ってる
ジャングルの少数民族をテレビ番組で観て
日本人の忘れてしまったものを持っていると感化される連中と同類。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 07:00:55 ID:XZDvd7BX0
なんだかんだいっても西郷の功績は大きい
大久保や木戸の代わりは居ても西郷の代わりは居なかったし

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:03:26 ID:/wTS8FGZO
小松帯刀 は重要人物である。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 18:06:12 ID:M98ZJEiZ0
たしかに西郷ように害悪を与える代わりは日本にはいなかったな。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 06:15:35 ID:gAqn3LJo0
維新の勲功として西郷、大久保、木戸が別格なんだから、当たり前だろ。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 06:22:02 ID:gAqn3LJo0
>>86
西郷は感情量の大きな人だったから、彼らが不遇になるのを見捨てられなかった。
大久保は国権を拡大し、富国強兵するのを選んだ。

洋行組は廃藩置県の後、洋行した。西郷は廃藩置県の後片付けをした。
彼自身が不平士族に命を預けることによって。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 07:45:32 ID:nl0O87kQO
また司馬厨か

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 08:26:44 ID:zCxGp6fg0
西郷=気の優しいデブって構図何とかならんか?

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 08:37:19 ID:pMSPbWJUO
小松帯刀

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 14:37:01 ID:hNnoeARrO
>>95
それ否定したらこのスレは成り立ちませんから。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 20:23:37 ID:6SEGUm+E0
官吏の才しか見えないやつに西郷は理解できん。

制度は人間をある方向に促すということはできるが、
結局運営する人間次第。

今の日本が、江戸や明治の制度より、汚職に対し
強力で法律も精緻を極め、理念も崇高な制度なのに、
不正は一向になくならない。それがわかりにくく
なるようにより、複雑になっていくだけ。



100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 20:24:57 ID:6SEGUm+E0
当時の制度はもっとシンプルだったが、
今より不正が多かったかといえば多分
そう変わらないか、あるいは少なかった
かもしれない。

それに決定的な差は、維新の時のようなことが
今のエリートたちに、もう一度できるかだろうか。

それを憂えたからこそ、私学校なんだよ。
これは公に対する反意語だ。
私学校で何を教えたかというと、私ではなく士族
精神の核にある考えの公を教えた。
まさに、明治の官吏的なものを否定しようと
志したのさ。まぁこの辺が、本質的に革命家なんだが。


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