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江藤新平について

1 :さすらい:2005/12/06(火) 18:02:34 ID:aubDYdvy0
江藤フリーク集まれ!!!

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/06(火) 18:50:55 ID:HW+e4I6C0
2get

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/06(火) 19:02:17 ID:tfRVB7m90
「名前なんてどうでもいい。ニイヒラとよんでくれ。」

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/06(火) 20:28:40 ID:aubDYdvy0
江藤胤雄は佐賀の乱の首謀者。島義勇と共に、さらし首になってしまった。


5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/07(水) 01:56:14 ID:xCU2uXhPO
大久保が・・・

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/07(水) 10:10:13 ID:gZZx59xg0
大久保利通は、内務省の自分の部屋に江藤のさらし首の写真を飾っていた。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 17:10:09 ID:I/JV/NUT0
ほんまかいな?

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 18:12:39 ID:55m/jP6v0
ホンマですよ!

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 18:28:12 ID:WYc7zmb3O
大久保の日記にもかなりヒドイ江藤の悪口が書かれていたよーな。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 21:10:52 ID:HGig1QCK0
>>9
本当です。しかし裏を返せば江藤が怖かったかも???

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 17:49:45 ID:eMz+8eKA0
生首写真怖いお

12 :平成天誅党:2006/01/07(土) 07:14:18 ID:HcmxfyXs0
江藤新平さん。いいぜ。
不器用なところがいい!世渡り下手なまま
死んでいったぜ!かっこいいぜ!
(言うまでもなく大久保利通は大嫌いじゃ。)



13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/12(木) 18:01:24 ID:KekOPNDm0
江藤は素晴らしい人物である、高俊はたいしたじんぶつでない!!!!

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/13(金) 01:49:04 ID:EJhiWwjuO
確か伸介の凸凹大学校で
面白い絵描いてた人。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/07(火) 15:29:50 ID:loz1pzpx0
江藤新平さんの欧州視察が実現してたらなあ。
逸材だったのに。
惜しいなあ。もっと司法関係で活躍できたろうに。
大久保のワナにはまってあんな死に方することも
なかったろうに。
 もっと顕彰されていいよ。新平さん。
「ただ皇天皇土の我が心を知るあるのみ!」

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/08(水) 03:12:22 ID:+OQsnZH00
たねお よりは しんぺい のほうがかっこいいな

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/09(木) 22:50:43 ID:J2ZU7bd60
自分が作った刑法で処刑される気持ちはどうなんだろう!

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/10(金) 00:54:15 ID:bi2vy4AB0
大久保は日記でわざわざ「江東」と誤記してるよね。
江藤は日本を法治国家にすることを目指したが、
大久保がまともな裁判もやらずに、人治主義で処刑したわけだ。
法治国家としてまともな裁判をしていたら
政治犯なんだから処刑になんぞなるわけがない。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/10(金) 11:38:25 ID:6Ni+CFe+0
>>15
確かに江藤の先見性には目を見張るものがある。
しかし、江藤は薩長への憎悪というのか、ひがみ根性に引きずられすぎ。
法治を持ち出したのも、薩長を掣肘する道具として使った面も大きかったのでは?

本当は、江藤のような官僚・学者タイプが欧米に行って、
大久保のような権勢政治家は日本にとどまって国内を固めるべきだった。

しかし、実際は逆になった。
大久保は、日本をどこへ導くべきかを自分の目で確かめるため、
国内の勢力を失う危険を知りつつ、自ら欧米へ行ってしまった。
逆に、江藤は、大久保の居ぬ間に薩長の勢力削減をもくろむため、
日本に残ることを選んだのだろう。
あえて言えば、決定的な瞬間に、
大久保は公を選び、江藤は私を選んでしまったのではないか。

大久保と江藤のどっちが日本に必要だったかと言えば、大久保でしょ。
江藤がまいた法治への種は、ちゃんと育ったわけだし、江藤の仕事は終わってたのかも。

大久保の右腕になっていれば、最強のコンビだったろうにね・・・。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/10(金) 23:06:49 ID:sx3/+9Gy0
そうだね。新平さんは「私」を選んだのかもしれない。
地元の仲間に引きずられて決起してしまったし。
生まれてくる時期が早すぎたのかもね。もう少し
後の時代なら活躍できたかも。
「大久保の右腕になっていれば・・・」うまく大久保と
組めてれば確かに最強コンビだったろうね。あの2人は
どこか似ているがゆえ、相手の考えが読めてしまって
反発しあったんだと思うよ。
もったいないなあ。組めてれば歴史も違ったものに
なっただろうにね。


21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 07:26:54 ID:dNIIaSJB0
 悪口だけど。
 大久保利通の悪口。たまにはいいでしょ。
 「江藤新平の生首写真を自分のオフィスの壁に飾った」
 変質者。政治家としての資質を疑う。しかも、この件で部下に怒られた
らしいじゃないか。上司としての権威なし。
 暗殺される時、暗殺チームの証言では、大久保は「金か?」とか、
「何を欲しいのか?」というようなことを口走ったらしい。
 「刺される前に泰然としてコートのほこりをはらった」ウソ!
これは後世の作り話。実際は刀を見て慌てたらしい。
 まあ、「天罰」と言っていいでしょう。
 (死者を悪く言うのはこの辺でやめておこう。)

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/20(月) 17:30:31 ID:6jGBfpdJ0
俺、大久保も好きだが近代法治国家を作り上げようとした江藤も好き。
両方とも各々魅力があって好きなんだよなあ。

23 :民族派見習青年:2006/02/25(土) 00:24:34 ID:7CE1JdjF0
政治思想板から参りました。
ここのスレの住人の方は、江藤新司法卿の御曾孫らしい方が、焼身自殺された
ということは御存知でしょうか?

『芸術の上では百万人の人を殺しても、ただ紙の上で殺すにすぎないのに、一たん現実の行為に入
ると、百万人の殺人は歴史上ぬぐいがたい罪になるのである。すなわち、芸術はどこまでいっても無
責任の体系であるのに、政治行為はまず責任から出発しなければならない。そして政治行為は、あ
くまで結果責任によって評価されるから、たとえ動機が私利私欲であっても、結果がすばらしければ、
政治家として許される。また、動機がいかに純粋であっても、結果が見るもおそろしいものになった場
合に、その責任はみずからが取らなければならない。
 現在の政治的状況は、芸術の無責任さを政治へ導入し、人生すべてがフィクションに化し、社会す
べてが劇場に化し、民衆すべてがテレビの観客に化し、その上で行なわれることが最終的には芸術
の政治化であって、真のファクトの厳粛さ、責任の厳粛さに到達しないというところにあると言えよう。
 東大安田城攻防戦は、大ぜいの観客を集め、人々はテレビドラマに飽きた目をブラウン管に向けて、
時の移るのを忘れた。あるイギリス人のことばによれば、それは巨大なシアターであった。そこに登
場する俳優は遺書を書き、「かっこよく散るぞ」という落書をして、あたかも死のポーズを見せたが、一
人として死ぬ者はなく、手をあげて全員逮捕された。そしてその一幕は終ってしまい、人々はまたそ
の芝居を忘れて、日常の生活へ帰っていった。
 しばらくして、二月十一日の建国記念日に、一人の青年がテレビの前でもなく、観客の前でもなく、
暗い工場場の陰で焼身自殺した。そこには、実に厳粛なファクトがあり、責任があった。芸術がどうし
ても及ばないものは、この焼身自殺のような政治行為であって、またここに至らない政治行為である
ならば、芸術はどこまでも自分の自立性と権威を誇っていることができるのである。私は、この焼身自
殺した江藤小三郎青年の「本気」というものに、夢あるいは芸術としての政治に対する最も強烈な批
評を読んだ一人である。 』
三島由紀夫著『若きサムライのために』(文春文庫)P21より

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/07(火) 11:21:32 ID:oQBDD16e0
そうですか・・・。
まあ、お教えいただきありがとう。
ところで、確か江藤新平には実子はいなかったはず。
妾との間に、女児が生まれるも夭折しているし。
参考までに・・・。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/08(水) 01:22:40 ID:Ra3rqJ4iO
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

意外とおもしれーぞ

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/12(日) 00:35:58 ID:jWeOnjsp0
>>23-24
ttp://f4.aaa.livedoor.jp/~mugaku/page003.html

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/13(月) 20:59:35 ID:3nEwbETK0
「佐賀の乱」と「西南戦争」。江藤と西郷が
申し合わせて同時に戦争おこしてれば
歴史は違ったものになったかもね。佐賀軍は最後
には敗北しただろうけど、はじめは福岡から久留米
あたりで官軍を釘付け、その間に西郷軍が北上して官軍を
撃破して九州制圧ののち、東京へ向かって東上。
あの大久保利通は大慌て。大阪あたりで西郷率いる士族連合軍
と官軍が決戦とかね。その中には江藤新平の姿も。
結局は負けたかもしれないけど。
激しい銃砲撃の中、自刃する江藤新平。そして西郷隆盛。
なんてね。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/14(火) 00:35:22 ID:FqV+ov3/0
井上馨をいてこましたのが好きっ!

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/16(木) 20:40:10 ID:8hDm9p540
最凶ツンデレ

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/26(日) 13:13:29 ID:bHFcOegr0
秀才だけど人を糾弾しまくって恨みを買うタイプかね。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/27(月) 01:25:56 ID:oyXjhYuR0
最近出ている、「日本を変えた44人の改革者」って本に江藤新平が書かれてるね。
法制改革や規制緩和が遅々として進まない今の日本に一番欲しい政治家だ。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/27(月) 12:07:28 ID:zZJ4HTCW0
靖国神社には合祀されてはいませんが
佐賀県護国神社には合祀されております

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/27(月) 12:30:05 ID:rVZnuJkX0
新撰組の永倉新八きょう首の写真持ち歩いていたらしい。出てこ内かなぁ早く!

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/30(木) 13:53:45 ID:p4MqlfvL0
江藤新平司法卿。朝臣。なるも、賊名を着せられ刑死・・。
今の時代じゃ出ない人だね。こんなドラマチックな人は出ないね。
・・・
江藤新平は今頃あの世から現世を見下ろして何を思っているだろう?
インターネットの掲示板に自分のスレがある。
現世人が何人か勝手に意見を書き込んでいる。
あきれてるか。笑ってるか・・・。
どうだろう?


35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/30(木) 17:19:38 ID:IhA5CNBb0
江藤もどってこんかい、と叫んでみる

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/30(木) 22:58:15 ID:RPv4Pq7H0
巨人ファンに間違われるのが関の山

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/31(金) 00:04:36 ID:o6IA50uV0
極貧武家に生まれ
   ↓
藩の小役人
   ↓
脱藩浪人
   ↓
藩に戻って永久自宅謹慎罪
   ↓
こっそり志士活動
   ↓
藩主勅命で特使として上京
   ↓
朝廷の小役人
   ↓
国家の大臣
   ↓
辞職して一般人
   ↓
反乱軍の首魁
   ↓
   首

藩の罪人から首になるまでがたったの8年間というの人物が他にいるか?

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/31(金) 17:01:14 ID:8iDd8x680
江藤醜態笑止也

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/31(金) 20:11:00 ID:QF3ytT5N0
身から出た錆

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 23:19:48 ID:wOe4O62W0


41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 03:55:03 ID:1eAXajTcO
大久保は藩閥には拘わらなかったのでは?
しかし、後継の伊藤と井上は…

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 04:02:33 ID:PBvUncip0
http://d.hatena.ne.jp/zenjuro/

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/04(火) 01:12:16 ID:gjo3cocL0
江藤新平は全国各地の書生を全収入を投じて抱え込み、
勉強や学校の世話をしていたから、自らは粗末な衣服を着て、
書生には栄養のある洋食を食べさせていた。

普通に立派なことだと思うが、これをただ、
粗末な衣服を着続けていたことのみを取り上げて、
「ケチ」と一言で片付けている人々が当時も現代もいることは、
非常に残念なことだなあ。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/04(火) 01:16:22 ID:fTRSge6VO
>>43同感ですね。彼の行動はなかなか真似できるものじゃないしね。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 21:42:07 ID:XQvPNSMI0
我輩も同感。
江戸で江藤は、自分を暗殺しにきた男が江藤と出会えずヤケをおこして
隣家の屋根の上で寝ているのを見て、なんと自邸に招き入れて、その男
の話を聞いてやったとか。男は江藤を目の前にして、もはや刺せなかった
とか。
江藤新平。案外、包容力のある人だったのかもしれないね。


46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 22:14:25 ID:xoQmJCIr0
大久保は江藤の才能が怖かったから、裁判ともいえないような裁判を
やって無理矢理処刑。さらし首。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/07(金) 00:35:27 ID:V7AsBeLC0
福島安正は、江藤家の書生時代に新平さんに徹夜で看病され、
司法省役人に推挙してもらった恩を忘れず、
江藤死後は自宅の神棚に霊を祀り、
67歳で死ぬ前年まで佐賀の江藤の墓まで墓参りを続けていた。

福島安正の義理堅さもすばらしいが、江藤新平以外に、
明治の政治家でここまでされた人物がいるだろうか。


48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 15:09:02 ID:DdwJlfOr0
おりませぬ。とかく政治家は「大局で見る」などと言い、発熱した書生など、
ほったらかすのが常でしょう。
「在野時代の志は、政庁に入るとすぐ消える。」といいますが、江藤は常に、
在野時代を忘れず、草莽の人であり続けたといえるでしょう。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 15:12:17 ID:DdwJlfOr0
47殿にうかがいます。
 福島安正という人物は、たしかシベリア横断か南極横断かを
なした方ではありませんか?
 当方、恥ずかしながら不勉強なので・・・
教えてください。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 15:28:23 ID:mlQNzwQv0
なんかこのスレの書き込みの典拠は『歳月』ばかりだな。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 18:45:18 ID:5+OnAN+q0
>49
福島安正
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%AE%89%E6%AD%A3

>50
的野半介の「江藤南白」以上にしっかり書かれた資料がないからな。
司馬遼太郎も「歳月」を書く際には「江藤南白」を参考にしている。

因みに、アマゾンで江藤新平で検索をかけるとたった9冊だった。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/250-2837813-8398658

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/12(水) 22:31:05 ID:mKEgddsh0
「人権の父」江藤新平を題材に歌製作

 小城市の作曲家、山崎剛昭さん(63)と唐津市の歌手池田輝男さん(53)が、旧佐賀藩
出身で「日本の人権の父」江藤新平を題材にした曲を制作した。14日、佐賀市の神野公園
である「江藤新平銅像まつり」で披露する。佐賀新聞社を訪れた2人は「歌を通じて、江藤
の偉大さを伝えていきたい」と話した。

 タイトルは「人権の父 あゝ江藤新平」(キングレコード)。山崎さんが、江藤の「人間はみ
な平等」という考え方に共感し、制作を決心。作詞は東京都在住の長内譲さんが手掛けた。

 同曲はスケールの大きなメロディーが特徴。1番と2番の間にある詩吟は、佐賀の乱で
倒れた江藤の短い生涯を惜しむ内容で、山崎さんは「曲名にもある『あゝ』に自分の思いを
込めた」と言う。池田さんは「郷土の偉人の曲に身の引き締まる思い。全力で歌いたい」と
力強く語った。

 「人権の父−」はカセットテープで定価1200百円。問い合わせは池田音楽事務所。また
は佐賀市の仁位次治さんへ。

04月12日


http://www.saga-s.co.jp/

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 12:19:24 ID:hMR3D+Gd0
男子須く巌頭に悍馬を立たしめよ

って好きな言葉だったんだが、某政治家が座右の銘にしてるらしいんで、
なんだかなあ…

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 13:31:39 ID:K5qbUt400
人智は空腹より出づる

脳の神経ネットワークの構築は、空腹時の方が活発化するというのが
最近分かったと、この間、何かのTV番組で言っていた。


55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/28(金) 11:50:09 ID:2ru8xLSk0
 佐賀に行ったとき、江藤が処刑された場所にいってみた。
佐賀気象台付近。
 あたりの道路で、江藤が刑場に連れて行かれる時、
一緒に決起した島義勇のことを役人にきいた話を思い出して、
そのシーンを想像した。
 「島はどうなったか。」
 「すでに斬った。」
 「ああ、天というものはあるものか・・・。」
 江藤が斬られた場所をながめて、その地面に何か
悔しさの情念のようなものが滲みているを感じた。
 

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/28(金) 22:28:04 ID:MaWy935SO
徳政の人って出てた。夥しい流血の犠牲の成果が戮賊の巣窟では驚嘆と落胆に映るんだろね。権力者たる責任の在り方はこの人を手本としてるのかも。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/12(金) 16:37:26 ID:zO4sEbzI0
>>55
おどろいた。謀反をおこして打ち首獄門にされようとしているのに、
罪を悔いるどころか悪逆仲間の身を案ずるとは。
しかも「ああ、天というものはあるものか・・・。」とは・・・。
絶句。お前がそれをいうかよ。
天というものがあるからこそお前は生首にされるんだろうがw

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/12(金) 23:21:29 ID:GG1QUYH60
>57

わかりやすい釣りだな。w

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/13(土) 04:43:58 ID:hghZDxO00
>>58
でも言ってることは極めて正常

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/13(土) 23:07:56 ID:RH92gaRU0
自分で自分をフォローすんなよw

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/14(日) 11:44:43 ID:ewHGHGhF0
明治六年政変は、江藤追放のために大久保・伊藤が策動したもの

これ定説

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/14(日) 23:49:36 ID:BazjfQfp0
江藤って自分の整備した法律で逮捕されちゃったということで
中国古代の商鞅とキャラ被るみたいな言い方されてると思うが
「江藤は頭は良いが法律万能主義で徳のない商鞅みたいな奴だ」みたいな文脈で
江藤のイメージダウンのために言われ始めたのかなと思ったりもする

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/19(金) 00:14:02 ID:TYJHkUd40
江藤が捕まって、佐賀城で判決を受け執行されたとき、
それを指図した大久保には、江藤を裁く権限は全くなかった。

もちろん、佐賀へ向かったときは全権を持っていたが、
江藤下向に合わせるように、高慢で有名な岩村県令任命、
反乱が起こる前の鎮台出動指令。
同じく反乱が起こる前の大久保の佐賀下向準備
岩村県令の佐賀士族への度重なる挑発で士族暴発、佐賀城占拠。
戦線消滅後も佐賀に大久保自らが居続け。

確か、ここらで江藤の命を危惧した、三条、岩倉、木戸、副島らが、
大久保の全権を解いて、江藤が東京へ護送されたときの除名嘆願準備を始める。

江藤捕縛の際、東京高等裁判所へ送られるべきところが、
大久保が待ち構える佐賀へ護送。
政府は、江藤、島を、殺さず東京へ護送せよという命令を発信。
大久保は政府からの使者との面会を拒否。親書受け取りも拒否。

公判を行わず打ち首判決。

そりゃ「天というものはあるものか。」と言いたくなるな。
漢字多いけどごめん。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/20(土) 06:37:35 ID:ivMv/f4B0
佐賀の乱で敗れた後、何故長崎から上海辺りにでも渡って、政治亡命しなかったのだろうか?

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/20(土) 23:03:28 ID:OtQSwgdi0
別人と記憶違いかも知れないけど、確か、
清国にまで密偵が出されていたんじゃなかったかな。

江藤としては亡命よりも、最高裁判所で事の始終を話し、
大久保の謀略で反乱が勃発したことを訴えたかったらしいことは、
山中や香月ら付き人に語っていることから明らか。

江藤本人はそのときに、反乱に加わった士族の助命嘆願を、
首謀者とされた自分と島を死罪にすることで申し出ようとしていたそうな。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 09:23:18 ID:GNBWf+9e0
せっかく山県と井上を追放したのになあ。
西郷のアホめが

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 04:10:58 ID:mbKDYo7a0
ドナルドキーンの明治天皇という本にも江藤について
なんで近代法律や自由民権運動の先駆者であるはずの聡明な人物が
こんな破滅的な封建主義の残滓みたいな連中と交わってしまったのか・・・・
みたいな疑問を書いていたな。

ここらへんが明治時代の最大の謎なんだよな。
なぜ先進的な自由民権運動と古くさい身分制にこだわる守旧の不平士族は表裏一体になっているのか。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 04:45:58 ID:+uSrF2H+0
法治国家の礎を築いた人が
人治主義によって斬罪に処されたのは皮肉だね。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 05:30:12 ID:0576GTWY0
自由民権運動の中核は維新によって利得権益を失った者(士族から非人まで)じゃないの。
敵の敵は味方、呉越同舟、現体制を攻撃できるならなんでもよい。それだけよ。
左派から右派までいる民主党が良い例。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 05:51:45 ID:Hm+N9K6dO
顔が変だから腐女子の魔手がのびてないね

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 15:16:46 ID:KJd6VRxF0
>>67 「江藤先生は腰抜けか、それでも武士か」とか何とか言われたんじゃないの?

>>70 そうでもないよ(笑 男子かもしれんが...
ttp://nansyuu.hp.infoseek.co.jp/toubou.htm


72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 22:35:08 ID:jw/3xy8F0
>>71
どうも腐女子くさいね。
ホモを描いてないだけマシか。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 22:41:21 ID:qIDlHhzF0
原敬萌え、原敬イラスト満載のページがあったな。
管理人は男

世間は広い

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/28(日) 00:00:03 ID:BXdB/rYM0
歳月を読んでいたら、西郷×江藤で妄想できるじゃんと思った。
最後の一夜など腐が好みそうなシーンだ。
しかしどっちもブサメンなので腐女子は食指を動かさない。いいことだ。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/28(日) 00:08:35 ID:hh02Qb2X0
リアルホモには受けそうな造詣なんだが。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/28(日) 02:05:32 ID:HUU3Kz620
沖田総司はどうなるのかと。。。。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/02(金) 23:32:00 ID:4FjbLtMu0
ホモの話するなよ。まあ、西郷は経験あったかもしれんが。薩摩には男色の風習
あったらしいからね。
しかし佐賀は土地柄からして、男色家は即座に斬られたと思うよ。

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/03(土) 22:42:11 ID:t3GDXjtQ0
つ 忍ぶ恋

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/04(日) 22:11:08 ID:PU3IwsWR0
江藤の弟の子供か孫が本出してた希ガス。
あの話のラストでは大久保が馬車越しで見た江藤弟を
江藤本人だと思ってガクブルしたらしいけど本当かな…

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 23:41:14 ID:vlBgEnV70
>79

江藤新平の弟源作の長男源九郎の娘、鈴木鶴子さんの書いた本だな。

大久保は、その翌日から、わざわざ人気の少ない道を遠回りして
通勤するようになったのは事実であり、理由不明で謎とされている。

佐賀の乱以降は江藤家はどうもついてない。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/06(火) 05:06:30 ID:ZCnkNfSt0
>>79,80
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4797429291/250-4937786-9961004
これではないの?

82 :79:2006/06/06(火) 13:02:45 ID:cdwn+rPS0
>81
作者は女性で江藤の血縁の人だったから多分>80氏のだと思う。
でも、他でもよくあるよねこの逸話。やっぱ、意識してたんかな。
暗黒裁判といい、「江東」といい大久保らしからぬ粘着さを感じる。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/06(火) 22:06:23 ID:UcGstaNR0
大久保は江藤に対してだけじゃなく、普通に政敵に対しては粘着だったと思うが・・・・。
ただ、歴史の勝者側の中心人物であるが為に、ネガティブに書かれてないだけ。

粘着=執念深い=信念が強いは、見方を変えれば根底では同じ意味。


84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/06(火) 23:06:41 ID:J9j66e9NO
大久保が江藤並もしくはそれ以上にボロクソ書いてるのあったっけ?教えてエロイ人
江藤の末路はアレだけど、もうちょっと評価されてもいいと思う。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/09(金) 01:33:51 ID:ib+Va8ER0
大久保の事はまだボロクソには書けないだろぉ〜。
政財界の中心に大久保の曾孫世代が大量にいるしなぁ。

ただ最近、明治六年の政変の事は、大久保を中心とした外遊組と長州閥の、
法を無視したゴリ押しの政権奪回クーデターだと書かれているものが多い。




86 :84:2006/06/09(金) 22:18:12 ID:Y6vfZEiGO
書き方が悪くてスマソ。
大久保が貶めている人は江藤以外にいるかと聞きたかったんだorz

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 01:29:07 ID:fc3S/vFP0
いないだろ。
江藤以外は事前事後、共に何も言わずに殺してるよ。w
大久保が江藤を殺したことを満足気に語ったり物証を残してるのは江藤だけじゃない?

憎悪か嫉妬か何にしても普通じゃないな。
大久保以外の当時の大物は全員が江藤の助命行動を起こしてるから、
やっぱ嫉妬かなあ。w

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 08:21:44 ID:E2X8zUCt0
生首写真持ち歩いてたりとか>大久保
木戸ですら助命嘆願をしてるのに大久保ときたら…
ガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 15:46:39 ID:8BUjIIrl0
>>21 Oくぼノ醜態モ笑止ナリ。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 21:18:06 ID:6FgLPxMe0
>21、89
自分が聞いた話では「無礼者!」って一喝したとかあったけど。
まあ、どちらにせよ真相はテロリスト達と大久保しか知らんだろう。
…こう言ったら源作氏の大久保ガクブル話in馬車も眉唾ものだけどさ。
個人的に馬車越しの対面話での試合に負けて勝負に勝った感が好きなので
小説で江藤の話を書く作家さんにはあれを採用して欲しい…

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/12(月) 22:14:23 ID:NROtSyAE0
無礼者ぉ!!金が欲しいなら欲しいと言え!何が欲しいんだ?!

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 00:32:32 ID:gmndbpLK0
>91
ちょっwwwwwww
おまwwwww
…そんな大久保は嫌だorz

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 22:55:25 ID:nvAc2+gd0
大久保ならセレッソ復帰ほぼ確定だよ

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 14:56:14 ID:v7qGu1qA0
>>91 「欲しいのは、大久保!高慢チキな貴様の生首じゃ!」
どおせならテロリストらしく(?)O苦ぼの首を切り取って、さらしてほしかったな。


95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 23:49:33 ID:nfj8cXx+0
最近の明治初年について書かれている本では江藤の名前が出てくる事が多いね。
今までは、ヒドいのになると初代司法卿が大木喬任になってたりしたのに比べると凄い進化だ。w

この調子で初代文部省長官として、学制公布までの企画立案してたことや、
その間に宗教改革や民法を立案実行していたのも、まだあんまり知られてないな。

どうも、外遊時や明治六年の政変の大久保の評価が見直される度に
江藤の評価が見直されてる気がする。。。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/27(火) 22:28:46 ID:v4VcFnVE0
そうだ!見直そう江藤新平。佐賀の乱とか、さらし首ばかりで有名なのでシャクだった。
やっとまともな評価をされてきましたね。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 00:05:38 ID:mbQZTpW70
明治2年11月〜明治6年10月までに11もの役職に就き、
しかも、複数職の兼任が多く、民政、民法・司法面での活躍ばかり目立ち、
国政面では裏方に徹して、最後は反乱軍の首魁として死んでるので、
調べるつもりで調べないと分からない人物なんだろうな。

国政面では、岩倉からの依頼で、建国策を起草し御礼状をもらい、
国政改革案を起草して、大久保と連名で二人で三条に提出しに行ったり。。。。
明らかに明治初年は国体国政に関しては、三条、岩倉、大久保から頼りにされてたのに。。。。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 06:59:00 ID:sDUnrayF0
97 「大久保と連名で二人で三条に提出しに行ったり」
そう? 知らなかった。2人にはそんな時もあったのか・・。行く途中で
どんな話をしたのかな。まだ藩の縄張りとか一人一人の欲が出る前の、
みんなで一生懸命な頃だったんだろう。
大久保も佐賀の乱が終わってから、その頃を思い出すことがあったんだろうか。
江藤を葬り、西郷を倒し、ひとりさめざめと泣く大久保利通の姿・・・。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 01:09:49 ID:7oY3hphn0
>98

まあ、全ては何の成果も無かった外遊中に、ビスマルクに洗脳されてしまった大久保が悪い。

江藤は、対立意見全てを理路整然と一言で江藤案に覆され続けた恨みや、
列強からも、国内マスコミからも評判の良かった立法や警察機構の構築で、
着実に国の根幹を握っていってた江藤に対しての嫉みで私刑してしまい。

西郷には、青年期に会ってから親友面をしながらも、幾度となく西郷を窮地に陥れたのに、
その都度、以前よりも強力になって復活する姿に恐怖を覚えて戦死させ。。。。

粛正と恐怖でやっと手に入れた独裁体制なんて長続きはしないわな。


とりあえず、嘘は書いてないが誰か釣れるかな。


100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 01:15:16 ID:6JS8DJJt0
大久保は西郷はともかく、江藤を葬った後はプゲラしてるだろ。



101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 07:27:02 ID:I12CMR4x0
>>100
>江藤を葬った後はプゲラしてるだろ。
そういう、大久保のポーズ/虚勢自体が、大久保を小さく見せるよね。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 14:12:30 ID:6JS8DJJt0
大久保も日記で超然としてれば良かったのに。
江藤も江藤で佐賀に戻らず、大人しく(?)民権運動をしてれば
そのうち大隈とタッグを組んで肥前閥が出来てただろうに。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 22:58:24 ID:7oY3hphn0
余程の恨みと劣等感があったから、江藤を殺した事ではしゃいだんだろうな。


104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 23:21:22 ID:6JS8DJJt0
最近勉強中なのであまり詳しくないんだが…
大久保から見れば江藤は征韓論の第一人者なだけじゃなくて
薩長閥を必要悪だとする大久保に対して、長州閥を壊滅状態まで
追いやった江藤は秩序を乱す政敵以上に殺しても飽き足らないくらい
憎い相手だろうよ。しかもよりによって親友西郷を担ぎ上げてるし。
ボロクソに書きたくなる気持ちもわからんでもない。
同じ肥前閥の大隈も江藤を批判してるあたり
(ソースは三好徹の史伝伊藤博文…)
江藤自身も薩長憎しの「私」の部分があっただろうし。

こんな事を言ってるけど、江藤も大久保も好きだ。
江藤の民主制も大事だけど、大久保の独裁制も必要悪だと思うよ。
当時はそんなに民度が高くなかっただろうし。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 12:42:16 ID:b0aiQpQB0
大久保の悪口ばかり言ってるのもなんなので
河野敏鎌はどうですか?人によって評価が180度違うんだけど。


106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 00:45:34 ID:PEHw3jt50
>>104
おおむね同意だな。
どれだけ陰謀だと言おうが、あの時点で、少しでも世界情勢がわかっていたなら、
日本を滅亡させたくないなら、無駄に国民を殺したくないなら、軽々しく征韓論にくみするべきではなかった。
くみしたとしても、帰国した使節団からの実情報告を聞いたらなら、征韓論を捨てるべきだった。

江藤ほどの賢い人物がかたくなに征韓論にくみしたままだったのは、薩長打破の絶好の機会と思ったんだろうが。
そのために国家を戦争の危機に陥れるのはどうなんだろうか。
江藤が国家情勢も読めないバカな人物でなかった(だろう)だけに、なんとももやもやした気分にさせられる。
(それを言っちゃ数年後の大久保の行動もアレなわけだが)

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 06:48:53 ID:9fA6fFVu0
>>106
>江藤ほどの賢い人物がかたくなに征韓論にくみしたままだったのは、
というのは歴史教科書では定説のようですが、最近の研究では、
そうじゃないみたいですよ。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 22:59:23 ID:KNubNzdd0
明治六年の政変前に政府首脳で言い争われていたのは、
「征韓論」ではなく、
西郷を朝鮮へ派遣するか否かという事。

西郷を朝鮮へ派遣する理由は、
新国家の名実ともに代表たる西郷が朝鮮へ伺い、
明治初年よりのわだかまりを、西郷自ら解き、国交を開くというのが目的。

論理的にみてこれ以上に正当な手順は無く、
論理や正義・公平が好きな江藤にしてみれば、絶対的な正解になる。

薩長閥を打破することになるとすれば、
・外遊組は、失態だらけで税金の無駄使い集団と世論から罵られていた。
・外遊組のメインメンバーは薩長出身者が多い。
・留守組で長州閥は、汚職の限りを尽くして、主要ポストを外されていた。
・西郷派の征韓派と言われるメンバーは留守政府首脳。
・大久保派の内治優先派とされるメンバーは外遊組。

という事実から、西郷の朝鮮への派遣が決まれば、
長州閥は、ほぼ息の根が止められ、薩摩閥は勢力半減する。
という極自然な成り行きでしかない。

明治六年の政変も最近は、外遊組による
政権クーデターだとする意見が強くなってきている。

江藤に関しては読みやすい資料がほとんど無いから、
ほとんどの奴は司馬遼太郎や他の歴史小説家の影響を受けすぎだな。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 23:30:40 ID:IfQyjqa80
>>108
とりあえず、江藤のことはおいとくとして、征韓論が使節派遣だという学説に真っ向から
反論して、打破したと豪語する学者さんのHPを見たことがある。
その征韓論使節説は、かなり前の毛利氏の説が元になっていると思われるが、そのHPを見るに、
また、残っている文献を見るに、征韓論ではなく使節派遣が目的だったというのはかなり信頼性に
欠けるように感じた。
今、>>108の述べている平和使節説がどのようなものか知らないので何ともいえないが、次のよう
な点はどう述べられているのか。

そもそも、朝鮮人が新生日本に対してかなり無礼な態度をとったというところからこの問題は始まる。
日本は倭館の守備用として軍艦数隻と陸兵若干を派遣すべきかという閣議がおこった。
そこで、西郷が、「いきなり兵を派遣したら確実に戦争になる。まずは使節を派遣すべきだ。」
というようなことを主張したのは有名だ。この言葉だけを見れば、確かに征韓論ではなく使節
派遣問題のように聞こえる。しかし、残された多くの文献は、事がそれだけではなかったと明示している。

1.西郷は自分が殺されれば、公然とした戦争の理由ができる。士気もあがると思っていた。主張していた。
これについては、多くの人間(本人含む)の日記手紙証言など史料が残っており、史実としてみて間違いないことである。
征韓論使節説はその辺をどう解釈しているのか。
たとえ、名目上、使節だと言ったところで、その結果戦争が起こる可能性が濃厚ならば、内治論者達が
反対するのは当然だ。結果的に、また、伊藤の用ようとした策略が政治クーデターの形になったからといって、
それが、外遊組の陰謀だった、クーデターが目的だったとみるのは、物事の本質をねじまげすぎていやしないだろうか。
間違いないく、「西郷は戦争が起こると思っていた」(くどいようだが本人の手紙も残っている)し、
外遊組は「戦争を止めようと必死だった」と思う。

本当に多くの当時の人間(征韓論派、内治派、その他、本人含む)が、使節派遣を第1として、
第2段階に確実に戦争がくる(起こす)と見ている。
それを後生の史料で事実を想像するしかない学者達が、史料のどこをどう解釈して、
「征韓論はでっちあげ、実は政治クーデター」などという極論に動いているのか知りたい。
>>108がその辺を詳しく知っているなら教えて貰いたい。
もちろん、>>108がそのような学説を見たというのを疑っているわけでないのであしからず。
学説というのは間違っているものでも、一般人から見れば流行ったりするものだ。(当時の毛利氏説しかり)
あるいは、自分の知らない、政治クーデター論の新史料が出たとでもいうのであれば、その史料の内容に
よっては納得するが。
そうでないなら、征韓論使節説というのは、西郷神聖視しすぎるあまり、今の日本の平和理想主義に無理に
でも彼をおしこめようとした幻想に見える。

110 :109:2006/07/13(木) 23:33:54 ID:IfQyjqa80
肝心の江藤と征韓論について触れてないが、江藤について触れる前に、征韓論
の位置づけをはっきりさせておいた方がいいと思うので、スレ違いっぽくてスマソ。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 06:07:19 ID:rT5wiUUs0
ウィキペディアでも、「征韓論」、「明治六年政変」ともに項目がある。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E9%9F%93%E8%AB%96
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%85%AD%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%94%BF%E5%A4%89
>>108の言いたいことは分からんでもないが、「明治六年政変」という考え方は、
別に西郷を神聖視しているものでもないのでは。

江藤については、物事の筋や手続きを重視し、政治的に潔癖すぎたため、
特定勢力に嫌われたのだろうけど。


112 :111:2006/07/14(金) 06:09:03 ID:rT5wiUUs0
すみません。上の「108」は>>109の誤りです。m(_ _)m

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 22:42:55 ID:dn1nmx440
みんな・・・
内容がすんごいね。議論白熱だねえ・・・。
我輩は鹿児島の鰻温泉にでも行ってくるぞ。


114 :108:2006/07/14(金) 23:48:44 ID:XZvthW7J0
>109

西郷が朝鮮を侵略する云々の話は会議などの公式発言では一切無く、
ただ、板垣への手紙で味方について欲しいが為に、板垣の望む事を書いただけ。

朝鮮王国の明治新政府に対しての振る舞いは、大人気ないとは言えるが、
朝鮮王国からみれば、明治新政府は、親の敵を討ってくれた恩人を殺害した悪党になる。
例えば、今、アメリカで突然軍事クーデターによる新政権が誕生すれば、
我々日本人が、その新政権を信用するかを考えても想像できるんじゃないか?
西郷は、そう言った不信感を払拭するには、国家の代表が出向いて説明するしかないと考えた。
一国の元首が、就任後に友好国へ訪問するのは当たり前だよね?

西郷が朝鮮へ行けば殺されるというのもナンセンス。
朝鮮人は礼儀の通じない土人ではない。仮にも礼を尊ぶ儒教国家だ。
それに、西郷が行くとすれば鉄鋼船になる。
いくら、護衛兵を付けずに行くとしても、当時の朝鮮には到底作りえないもので行くわけだから、
西郷を殺せば、攻め込む大義名分を与えてしまう。攻められれば簡単に占領されてしまう。
その程度の事が分からない朝鮮王国首脳でもないだろう。

西郷の戦略としては、主君島津斉彬の提唱していた、日中韓三国同盟を樹立して、
共同でロシアの南下策にあたるというのが戦略だったに違いない。
江藤も、図海策で、朝鮮北部にロシア南下に対して駐留軍を置くという考えを示している。
(工業の無い朝鮮には兵站を担当してもらうという事らしい。。)

因みに江藤は図海策執筆時点で、ドイツの伸張や、フランスの敗戦などを熟知しており、
英国の隆盛が海洋交易にあることも知っており、日本が手本にするべきは英国だとしている。
しかも、ドイツがその内ヨーロッパ中を敵に回した大戦を起こすことも予言している。
というのは余談。(でもスレ的には本流かw)

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 00:14:09 ID:EItLgHX20
>>111
d。Wiki見てきたよ。征韓論、の西郷の後の()の中身は、やはり毛利氏説のを採用してるようだな。
どうやら、自分は>>108の言いたいことを読み違えてたようだ。>>108は江藤が征韓論に賛成した
理由を書いてたわけだな。別に、征韓論というのは、政権クーデターを隠蔽するための隠れ蓑、とか言いたかったんじゃないようだな。
早とちりスマソ。

だた、とすると自分がひっかかるのは、>>108のこの文だ。
>明治六年の政変も最近は、外遊組による
>政権クーデターだとする意見が強くなってきている。
上の書き方では、まるで、外遊組が自分達が政権をとるためだけに、征韓論潰しを行ったように聞こえる。
>>109にも述べたように、実際の所は政権を取る以外に、征韓論をつぶすことができなかったからそうなったということだ。
確かに用いた手段は、政権クーデター的なものであった。
だが、忘れてはいけないのは、少なくともその時点では、外遊組=内治派であり、征韓論を潰そうとしたのも、
純粋(まあ、少々の不純物は混じってそうだが、特に江藤に対する感情は不純物の方が多そうか)に、外征を行うわけにはいかない。
という強い意志からだ。これについては多くの史料が残っているから読んでみればいい。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 00:51:01 ID:EItLgHX20
>>114
ああ、やはり毛利説だったか。西郷が板垣を説得するためだけに板垣の心をくすぐる文を書いたと主張していたな、毛利氏は。

ちなみに、西郷が主君の提唱していた三国同盟樹立に熱心だったのは確かだろう。
だが、そのためにはどうやっても軍を伴った征韓論以外に韓国を変える手だてはない、と見て西郷が征韓論にあそこまで固執したというのが正しいと思われる。
なぜなら、西郷が死の決意をかため周囲にそれを漏らしだしたのは、外務卿副島の、「これ以上(朝鮮との)交渉の余地はなく、あとは兵を伴う問罪使を派遣
するのみ。その問罪使には外務卿たる自分がなる」
という報告を聞いてからであると思われる。それ以前は、西郷は本気で平和交渉が成り立つと考えていたようだ。

話は戻って、使節派遣が一度決定してからも、さらに、こんなことを手紙で送ったのも、板垣を喜ばせたいためなのか。
『(韓国で)無茶をするつもりは無いが、もし自分が死んだら、「西郷は自分から殺されにいった。」という論が起こり、
戦争を回避しようとする策をめぐらすことは確実だ。その時は是非とも、自分の死を無駄にしないようお願いします』

また、板垣だけでなく、黒田清隆に対しては、征韓準備のためすみやかに、軍局の論を定めるように運動してほしい、と手紙で頼んでいる。
黒田は反征韓論であるし、後輩だ。
西郷の目的が平和使節派遣であれば、このような運動を促す必要はあっただろうか。

さらに、別府に対しては、「土州人も一人は死んだ方が跡がいい(一人の土佐藩士が同行を願い出ていた)だろうと考えています」
とのどぎつい手紙も送っている。
それ以外にも辞世の句のような詩も作り、多くの知人に自分が言って殺されたら日本は奮い立つ、そのためなら死は恐れない
というようなことを言っているのだ。
>西郷が朝鮮へ行けば殺されるというのもナンセンス。
西郷が殺されるのがナンセンスというならば、その西郷の覚悟すらナンセンスということになるが。
実は全然ナンセンスではない。少なくとも当時の人間にとってはナンセンスではなかった。
まず、当時の朝鮮について、アメリカ公使フレデリックは、国務長官宛に「朝鮮はペリー渡航前の日本よりも
さらに厳しい鎖国状態にある」と送っている。
というのも、大院君支配下の朝鮮は清人の入国さえ禁じ、入国した一般の清人は全員が暗殺されている。
(明治5年に、日本の外務省から派遣された探索員の報告)。
清人に対してすらこの仕打ちである。西郷が無事である保証がどこにあるのか。
さらに、アメリカの艦隊ですら、江華島からの砲撃を受けている。丸腰の鉄鋼船で行ったところでどうやって、
大院君のいる漢城までいくつもりなのか。
もう一切使節は受け取らんといい、実際そのようにしめしている朝鮮の国内を、丸腰で、海岸ぞいにあるわけ
でもない漢城まで行こうというのだから、殺されないと思う方が不自然だ。

自分が、西郷を神聖視(あるいは、あくまでも善い人物であると見がっている)しすぎと思うのは、これだけ(他にも史料がもっとある)本人が、使節派遣の
結果的には軍を派遣することを予期し、それを望んでいたにもかかわらず、Wikiの「征韓論」にすら、西郷の論は、派遣説だった。というような
説明書きをしているからだ。確かに、形だけみれば派遣説だ。だが、その中身をみれば戦争を起こす気満々なのに、遣韓論はありえないだろう。



117 :108:2006/07/15(土) 01:30:06 ID:t4W5vDPt0
>116

勉強不足だったよ。↓見て国交開くのムリじゃんって思った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E5%AE%A3%E5%A4%A7%E9%99%A2%E5%90%9B

ただ、「本気で国交を開くための大使」と、「戦端を開く大義名分になるために殺されに行く」のは、
どちらも真剣だったと思うな。
西郷ほど食えない人間なら、一つの目的を達成する為に複数の手段を考えたはずだし。

しかしまあ、よく考えてみれば、主君の夢を叶えられるか、念願の死に所を得るかのどちらかなわけで、
西郷からしてみれば、実はどちらでも良かったというのが本心だったりしてな。w

さあ、江藤ネタに戻ろうか。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 23:02:40 ID:UZMCpCPt0
し、しかし、やはり「江藤新平」に書き込む御仁には勉強家が多いですのう。
江藤自身が勉強家だったからねえ。
みんなが書き込みしてるうちに江藤の情念がのり移ってきてるんじゃないか?
うしろを見てみろ。そこに立ってるぞ。
(・・・ウソ)

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 23:23:13 ID:tBXQ+XJU0
江藤かと思ったらエトゥーだった

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 21:57:26 ID:aJq8HK5SO
話を元に戻すと、征韓論がそういう性格のものであるにも関わらず、
江藤がこれに与したのはやっぱ薩長閥を倒そうという政治的動機からってこと?それともほんとに征韓を考えてたんか?

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 16:49:46 ID:mXWyQQme0
考えてたろ、薩長×も倒そうと考えてたけど
対外論では積極的帝国主義者だし
法律制度以外だと3流

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 06:44:01 ID:B5pZX+xY0
時代背景を考えると帝国主義政策を採るのは当たり前。
時代背景を考えずに現代の価値観で非難するのは如何なものか?

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 08:00:04 ID:UGv79AzS0
帝国主義だと三流なら、大久保利通も三流。
当時の政治家ほとんど三流ということか。。。。。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/29(土) 23:52:43 ID:Ak1BPWzC0
主義うんぬんじゃねく、国内外の状況冷静に分析もせず状態知らず過激に走ってる
思想が先で現実軽視は左翼や右翼と変わらん
要するに法制いがいは3流

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 01:37:54 ID:ACA4EG9J0
その時代の日本で現実を直視していた奴はいないだろ。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 12:55:43 ID:TdRCTaYM0
>>124
ただ、政治ってある程度極端をいわねばならないこともある。
常に冷静で客観的な意見を言ってると、傍観者ちっくで評論家にしかなれない。

口では極論・理想論を言って国民をまとめつつ、
頭の中はあくまで冷静で客観的な認識を持っているべき。
最終的に、「強硬派の、あの人が譲歩するのだから、しかたがない」という感じで、
対外交渉をまとめられるとベスト。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 16:11:23 ID:RVPx8lKd0
江藤は民政家や法律家として超一流だと思う。

民政も法律も、現実を分かっていないと、
的外れな施策や立法で民衆の生活が混乱するが、
立法では、近代日本の基礎を確立し、
民政では、江戸庶民の生活などを大改善している。

江戸後期からの国際情勢は、佐賀藩士なら当たり前のように知っており、
江藤の分析はその中でも、特に秀でていると言われていた。



128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 23:19:09 ID:RKkm7EBj0
そもそも「征韓論」自体が江藤追い落としのためのスケープゴートだったってことが最近の研究で明らかになりつつある。
歳月が好きで4〜5回は読んだけど、江藤を悲劇のヒーローにするにはああいう性格づけがてっとりばやかったんじゃないかな。
ようは大久保に泣きついた山県や井上馨を助けるために仕組まれた罠ってことみたいだね。
そういう意味じゃ薩長に楯突いたらこうなるぞとの見せしめ的意味合いが強いな、あの写真は。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 23:31:46 ID:vSpzkRNl0
遣欧使節の失敗の挽回(大久保)+汚職続きで窮地に陥った長州閥(伊藤)
=征韓論(実は江藤追放が目的)

ってのが毛利さんの図式

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/20(水) 23:52:08 ID:RKkm7EBj0
汚職追求中に征韓論騒ぎに巻き込まれてまんまと嵌められた江藤が悲しい・・(涙)
でも江藤がこの国の歴史にいたというのは最高に嬉しいぞ、俺は!

131 :sage:2006/09/21(木) 01:34:53 ID:TD3dV5Xh0
胤雄の相方の島義勇は札幌開拓の祖として、
札幌市役所のロビーに颯爽と屹立しております
http://www.katch.ne.jp/~a-plaza/history/travel_kita2.htm

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 22:48:19 ID:pyJaI6220
そうよ。北海道では島義勇はよく知られている。札幌の北海道神宮が島に関する本を出版
していた。その中には江藤に関する以外な情報もあった。しかし、今はあの本は絶版だろう。
まあ、北海道神宮に行ってみないとわからないけど。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/23(土) 23:59:57 ID:hRakn+4g0
>128

>129

佐木隆三という作家が、推理や法廷文学的な観点から、
同じようなことを15年くらい前から言ってるな。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 00:18:26 ID:Yt5p4LTk0
>同じようなことを15年くらい前から言ってるな。

そいつがパクリだろ
というか、毛利氏をぐぐってこんなのが出てきた
http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/saga.htm

おまいがいうかって感じだ

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 01:39:39 ID:ZlPDJ+Q10
いっちゃ悪いか

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:56:30 ID:sNVeTL6B0
しかし面白い人生だな、この人は
不器用を絵に描いたような男だが、俺は好きだ
と言っても上で批判されてるように「歳月」の影響がほとんどなんだけどね

他に江藤について面白い本があったら教えて欲しい

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 22:40:01 ID:itQ4LM9Z0
おまえら
明治六年秋の廟堂会議で、
大久保が遣韓使節派遣に論理立て反対した事実はない、
は知っているよな。


138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 23:35:44 ID:JvkXe78z0
>137

うん。
説明を求められても順序立てた弁論はしていないな。


139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 22:49:24 ID:QflmYrax0
江藤新平のさらし首の写真はどこでみられるんだ?

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 23:38:33 ID:+x2AzXI40
イメージ検索

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 23:41:21 ID:WKiF9DhU0
http://www.kanken-ds.jp/
学問の佐賀がんばれ、超がんばれ

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 17:38:56 ID:pWWZ47qC0
江藤は、欧米の政治経済、法律、軍事の専門知識や国際時事をよく知っていたが、
それらの知識源は、オランダ・ロシアの書物だったそうだ。(読解筆記はできたらしい。)
糖分が脳に回ってない状態で凄いなあと思っていたが、
江藤の、「人智は空腹より出ずる」は本当だったんだな。

ttp://www.bonsoir-production.com/blog/2006/02/post_0d0b.html
ttp://www.rda.co.jp/topics/topics1248.html

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