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謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!5

1 :神奈川県民:2007/02/15(木) 23:00:01
魏志倭人伝によると「鬼道に事え、能く衆を惑わす」。
この女王卑弥呼を暴くことは日本古代史の永遠の謎、壮大な歴史ロマンである。
卑弥呼はいったい誰なんだ?!
古代史建国の謎を解き明かせ!

謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1167480597/l50
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!2
http://c-others.2ch.net/test/-/history/1168759518/i
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!4
http://www2.2ch.net/live.html


中国から帰還した倭人の娘ヒミコは、神託を受け乱世の倭国統一に乗り出した。謎の女王の生涯を通して古代史を鮮やかに描きだす


2 :神奈川県民:2007/02/15(木) 23:05:27
魏志倭人伝
http://ja.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D


3 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:05:41
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1167480597/
謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!2
http://c-others.2ch.net/test/-/history/1168759518/i
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!4(実質3)
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1170408597/
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!3(実質4)
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1170392537/

ここ使うなら上のスレッドをちゃんと使い切ってからにしろ

4 :神奈川県民:2007/02/15(木) 23:07:11
卑弥呼の死
http://inoues.net/nyumon/wa13.html

5 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:08:01
>>3に同意

6 :神奈川県民:2007/02/16(金) 00:55:51
前回の謎の女王 卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!4は無駄レス&意味不明レス多すぎです。
今回はそのようなことのないよう願います。

7 :神奈川県民:2007/02/16(金) 01:06:59

曲学の徒
http://www.kodaisi.com/yamataikoku.htm
この国宝は真っ赤な偽系図、それとも史実。あなたのご意見をお聞かせください。

8 :神奈川県民:2007/02/16(金) 01:15:55
豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
 豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
 内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。
http://www.isejingu.or.jp/gegu/gegu.htm

この豊受大御神と>>7の天豊姫の関係は?
どなたかご存知のかたいますか?

9 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:03:43
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

10 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:10:49
↑ 人多杉の原因はこれか?

11 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:47:23
今でも丹波杜氏の技術の高さは世界1ですばらしいよね、やはり日本海側がかなりの
発展をしていて国が合併したときに首都を奈良にしたのがミソだね。

12 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/16(金) 10:44:08
○人大杉を何とかするべし。自由に書き込めないぞ。

○卑弥呼はかなりの影響があった人物と思われるのに、
なぜ、敵対した勢力などの記録に名が残っていないのか、不自然だ。
卑弥呼への敵対勢力、他部族にも文化があった以上、
文字くらいはあったはずだろ?



13 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:56:50
記録なんか無いって。

文字無いんだからさ。


14 :太国:2007/02/16(金) 14:29:35
>>12 >>13
卑弥呼の時代にはもう文字はあったはずだ。ただ一般民衆は無いと
同然、文字は読めなかっただろうし、生活とかけ離れて無用だっ
たのか、まぁそういうところだろう。

というのは、卑弥呼より古い時代のはずの「漢委奴國王」の文字
入りの金印が志賀島から出ているからだ。これは当時九州にいた
国王が字が読めないんでは使用に耐えずに近く意味をなさない。
だから国王とその取り巻きあたりは一般と違い文字を読めたはず
である。

15 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 07:48:56
天皇陵を明けろと主張されている一つの理由として
もしかしたら、天皇陵など古墳の中に
漢字で書かかれた文献が出てくるかもしれない
期待から、そういうふうに言われている。

当時の日本は、神権政治であり
天皇や皇族は、ミコトといって、
神の言葉を伝える人だと言われていた。
つまり、死後の世界、言葉の世界でも
あらゆる階級で主導権を握っていた。

よって、下層階級までに漢字が伝わると
下層階級同士で言葉の伝達が広範囲に活発に行われ
当時の権力者の既得権益を侵す心配があった。

だから、それから数百年後、仏教が伝わった時
一部の保守派からは、外国産まれの邪教扱いだった。
何故なら、仏教とは文字で書かれた教義宗教であり、
この宗教によって、下層階級近くまでの
広範囲に文字が伝わり、それによって
権力者たちの既得権益を侵す心配があったからだ。

16 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 08:53:51
>>15
そんなもんねえよ。とっくに盗掘されてらあ。

宮内庁って言う名のクズ役人どもは、天皇陵が空っぽになるのを
待ってるんじゃねえのか?
ほんと、死んだ方がマシな連中だぜ。

17 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 09:01:34
うちの近所の古墳にはエロ本大量に投棄されてたぜ!
湿ったエロ本の思い出でした。

18 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 09:29:48
文字が無かっただから地名も漢字の使える渡来人が勝手に付けたので地名は全部朝鮮系のものが多いよね。

19 :唐松山:2007/02/17(土) 10:14:25
おーい この3人はどうだ
注目の3名に対比出来そうな記事を 書き出します。
景行12年
ホ38168  はゝミタあつさ ヒトタヰキ スメラギいのり とびあがる 
かれスミヨロシ ナヲリカミ モロハノヤシロ さらにたて これまつらしむ
景行18年
ホ38273  アフミヨカ ツクシチのチの タカタミヤ ヲホミケたをれ
景行20年
ホ38300  フソサミヱ キサラギヨカに ヰオノヒメ クスコウチミコ
イセノカミ まつるいわひは ツクシむけ ヒメコトシソヨ


20 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 11:30:57
伊賀の忍者もやはり渡来人系統でしょうかね、高い技術が要求される職業なので

21 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 11:59:03
忍者ってCIAみたいなもんだろう?
そんなもん、何処が紀元でもない。
あほうか?


22 :九州出身:2007/02/17(土) 12:58:59
かきこめない

23 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 13:32:07
えっ?

24 :九州出身:2007/02/17(土) 22:46:09
これどう思う?
意見を聞かせてもらおう!みなさん
http://yujiwww.web.infoseek.co.jp/h-kodaishi1.htm

25 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 22:49:36
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

26 :九州:2007/02/18(日) 00:41:40
神社だが、出雲系スサノウ一族の神社が8割、九州ヒミコ一族の神社が2割ていうところに注目!

27 :愛知県民:2007/02/18(日) 01:40:47
>>24
「スサノヲ」でなく「スサノウ」ですか?
帥升は107年の段階で、既に史上最初の倭国王となっています。
神武東遷が史実としても、卑弥呼以前ではないでしょうか。

28 :九州出身:2007/02/18(日) 01:45:56
素戔鳴だよ!
素戔鳴=帥升
日本で1番有名な神、素戔鳴が昔天下を治めた。

29 :九州出身:2007/02/18(日) 02:50:00
吉備から奈良に移住する者があった。唐子・鍵遺跡。
ナガスネヒコの祖先が奈良を支配。葛城一族?蜘蛛族?
2世紀、出雲はスサノウ一族、九州は卑弥呼一族が支配。吉備?関東?東北?北海道?
東海・関東・東北・北海道は縄文時代からの人々が暮らしていた。後にアイヌと呼ばれた。
奈良にも縄文時代からの人々はいた。

3世紀、出雲からニギハヤヒが奈良へ。モンゴリアンの風習を導入。
出雲系は、日本全国に進出し、神社を作っていった。
ニギハヤヒの死去後、九州日向から神武天皇を迎え、九州日向系(天皇系)が天皇、出雲系が皇后として統治する。古墳を作り始めた。まず、環日本海系が奈良・瀬戸内海・東海地方に進出した。
*このあたりのことや出雲のことは日本書紀は神話の世界に押し込めた。
だんだん九州系(現天皇系)が力をつけ、特に、4世紀から5世紀、10代崇神天皇から25代武烈天皇までは勢力が強くなった。当然、百済と親交が深い。*日本書紀は百済よりの発言が目立つ。

30 :一応九州王朝説:2007/02/18(日) 09:02:09
出雲勢力のピークはもっと古いんじゃないですかね。縄文期の黒曜石
文明の中心が、諏訪→出雲の順、と言うのが私の考えですが。
ただ、出雲は越、九州と、半島から流れ着く場所としては遜色ないです
が、耕地面積としてはどれだけ大勢力を養えるのか、という問題があり、
弥生後期・晩期の遺跡や出土品からも、今のところは九州北部の方が
勢力としては強勢だったかと。

ニギハヤヒは、三種の神器を持っていた。多分神武記からはそう思われ
ます。私は、神武もニギハヤヒも「筑紫」発だと思いますが、それはともか
く、三つの祭器が結構そのポイントになるのではないでしょうか。まず、剣
ですが、鉄の産地の半島からの流通としては、どちらも遜色はない。出土
しているのは圧倒的に九州ですが、銅剣は出雲も山ほどでてきましたよねw
鏡については、一番あたらしい祭器と考えられますが、やはり九州。鉄鏡な
んてのも日田からですが出ている。
しかしながら、その二つは決め手にはなりにくいと思います。出雲も銅鐸文
化圏と見れば、むしろ畿内と関係は強いし、ニギハヤヒも出雲かもしれない。

31 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 09:10:30
>>30
剣はないだろ流石に

32 :一応九州王朝説:2007/02/18(日) 09:14:06
さて、残る一つですが、勾玉については、もともとは出雲や越の翡翠
だったのが、弥生中期以降中国ガラスの定型品が出現し、九州はそ
れ一色になっていきます。出雲がセンターである必要が無くなり、平
行して生産力も飛躍的に向上、そして国譲り。そういう経緯だったの
ではないでしょうか。
もし出雲出身なら、その所有する祭器で神武のそれと比べて長脛彦
が混乱するでしょうか・・・。

と、ここまではニギハヤヒの出自の決定打にはなりませんねw
でも、「ニギハヤヒは物部」という強力な根拠があります。物部なら筑
紫に沢山あります。

ただ、「大和朝廷が必死に出雲で祭器を探した」という話もあるので、
やっぱりまだ確定とまで言い切る自信はありませんが。九州宗家に
対抗するための探索なのか、それとも本当に「唯一の祭器」があった
のか。
まあ、やはりニギハヤヒについての情報不足、そんなところです。

あと、三輪神社=蛇=オオナムチという説については、蛇=水の神と
いうことで、荒れに荒れた大和川を静めるための神様、と言うことで、
必ずしも出雲由来という必要性はないかと思われます。まあ治水技術
の移植という可能性もありますが。

33 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 09:16:51
半島軽油で移住するのが流行した時期につぎからつぎに渡来人がやってきましたが
在来から住んでた人は純朴ないい人がおおかったので自分から使用人になりました
古墳を造れといわれればハイハイと言って手作業で造りました

34 :愛知県民:2007/02/18(日) 09:38:35
>>32
日本書紀を見ると、垂仁天皇もアメノヒボコの曾孫・清彦から神宝を取り上げていますね。
ところが刀だけがひとりでになくなって、淡路島に行ったと。
淡路島は特別視されていたようなので、この話も興味深いです。
アメノヒボコの渡来も垂仁天皇3年というのは明らかにおかしいので、
孝霊天皇の頃かな? と思います。

35 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 10:52:30
>>29
これは貴方の今年の初夢ですか?

36 :愛知県民:2007/02/18(日) 11:39:49
>>35
ユング心理学では、神話は民族の集合的無意識の所産だとか。
ここは歴史板ですから、神話の取り扱いには注意が必要と思います。
ただ、神話と歴史は明確な境界が無いので難しいところがありますね。
神話にも史実が反映されているかもしれないし、
歴史にも神話的記事が混じっていたりしますから。

37 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 11:47:50
>>36
「出雲系は、日本全国に進出し、神社を作っていった」が特に解らない。
「3世紀、出雲からニギハヤヒが奈良へ。モンゴリアンの風習を導入」これも。
神話とは関係なく、この人の言ってる事が納得いかない。

38 :九州出身:2007/02/18(日) 11:58:31
>>30
出雲・九州は弥生時代に栄えたと私はみている。縄文時代は東北のが多かったらしい。
ニギハヤヒについては私も筑紫とみている。

>>35
>これは貴方の今年の初夢ですか?

君はいつもくだらない突っ込みするね。>>6をみてごらん。
>>29のレスは>>24のHPに書かれてた内容。流れをよく読め!俺の意見は少し違う。



39 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 12:58:07
>>38
[日本の神社のほとんどは、出雲のスサノウの子孫・家来が、日本全国に、進出して行くときに、作ったものである。
8世紀までに建てられた神社は、3000〜5000。そのうち、出雲系スサノウ一族の神社が8割、九州ヒミコ一族の神社が2割、その他少々]

このような資料をよくよめといわれてもねえ。第一、「九州ヒミコ一族の神社」だなんて・・・。
こんなの邪馬台国が九州に存在した事をまず前提としてるじゃないの。それを喧々諤々してるんでしょう。ちがう?
「九州ヒミコ一族の神社」が確定してるなら、邪馬台国の所在地を巡っての論戦や、ましてこのようなスレでの議論の必要も無い、苦労しないって。


40 :唐松山:2007/02/18(日) 13:13:42
こんなのは?
卑弥呼は、 住吉神社の 姫神
ホ38168  はゝミタあつさ ヒトタヰキ スメラギいのり とびあがる 
かれスミヨロシ ナヲリカミ モロハノヤシロ さらにたて これまつらしむ

41 :九州出身:2007/02/18(日) 13:24:11
>>39
だからほとんど解決してるんだよ。
客寄せパンダ的なのになってる「邪馬台国」「卑弥呼」の文字

>>40
読めません・・・

42 :唐松山:2007/02/18(日) 13:36:30
景行12年 景行が 九州遠征中
はは(卑弥呼) 高熱を発して倒れる 天皇 神に祈ったが通じず
かれ(卑弥呼)住吉 ナオリ神(豊作の神) 社をさらに建てて 祭る
景行18年 筑紫のオオミケ 死亡 景行遠征中
景行20年 イオノ姫(五百野皇女) 筑紫向け


43 :一応九州王朝説:2007/02/18(日) 13:54:45
出雲系列で多いのは、えべっさんですかw
現状は、お稲荷さんの系列、熊野神社系列、天神さん、八幡様、そのあ
たりが一番多い。そのサイトで、古い時代の神社の比率をどうやって算
出したのかがわからないのでなんともねえ・・・。まあ、古いものに多いの
は確かでしょうがね。なんといっても全国の神様が集まったわけですから。
その後政権交代に応じて宗旨替えという事もあったでしょうし。葛城と出雲と
も関係深いのは定説ですし、初期の天皇と出雲・吉備とが関係深いのは
確かだと思いますが。
それと、九州と環日本海系の2大勢力にわける手法は感心しませんね。
単純すぎかと。

八幡(万)神は、応神・神功由来で、その上にいますヒメ大神が卑弥呼
とかイヨ(トヨ)とも言われますが、要するに天皇家も宗旨替えした、初期
の神仏混淆形態です。実際、男山八幡宮はじめ、天皇家の行幸の多くは
八幡でした。吉野や熊野大社のような難路には行っても、伊勢神宮は
ほとんど行っていませんよね。
天神は、菅公が合祀されたからややこしいようですが、菅公のためだけ
の天神は稀少で、多くはそれ以前から存在しています。太宰府が本家で
すから、これが九州王朝説で特に問題にされる、「アメ氏の神社=天神」
ということです。私はこれは有力と思います。このことに言及した学者は稀
少ですよね。戦国時代になっても太宰府や宗像は特別な聖地として扱われ
たようです。
その他、宗像神社、綿津見神社も筑紫、淡島神社もそうだと私は思います。
伊勢内宮は、庶民は勿論天皇家にとっても禁足地であることを、神社本
庁は知ってるのかどうか。伊勢系列は、天皇家の全国支配と同時に広が
ったもの、明治以後国策で広がったものがあるようですが、私としてはそ
のトレンドや系統について等、正直よくわかりません。数が多すぎですよ
ね。でも、江戸末期のお陰参りは政治的に流布されたものという説もあ
ります。

神社については、イデオロギーが絡むので、特に太国氏のような方のレ
スはお断りいたします。荒れますし、学問としての歴史から逸脱しますから。

44 :唐松山:2007/02/18(日) 14:04:08
訂正
かれ(卑弥呼)×
かれ(オオミケ?) ○

45 :唐松山:2007/02/18(日) 14:16:03
イオノ姫が筑紫に下る時 80(沢山)人の 物部 及び20人の司 も 同行しています


46 :愛知県民:2007/02/18(日) 14:25:32
>>43
>九州王朝説で特に問題にされる、「アメ氏の神社=天神」

これは600年の遣隋使で、小野妹子が倭王の姓を問われて答えに窮し、
自らの祖先・天足彦国押人命を想起して「アメ・タリシヒコ」と答えた
ことから来ているのでは?
600年の遣隋使は九州王朝と結びつけるより、日本書紀が恥ずかしくて
書けなかったと考える方が良いと思う。
台与以来334年ぶりの華北中原への使者が、歴史的イベントどころか
赤っ恥をかいて帰国したことが、推古朝の大改革の起点だったのでしょう。

また来週・・・

47 :一応九州王朝説:2007/02/18(日) 14:31:09
アメ・タリシホコ だけじゃないですがね。天のなんたらってのは。
神話の登場人物にはいっぱい。

48 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/18(日) 14:31:53
『八幡の由来』

神武の東征完結を祝う(遠征守護神)が奉られている。
東征完結を成し遂げた神武は天皇家にとって英雄的存在。また、後代の天皇達も
、この英雄を祭り上げた皇祖達(神功皇后など)に対しても尊意を敬称し
宮を創建した。

その中でも、伊美郷の八幡分霊が八幡総本家の宇佐ではなく
わざわざ遠く離れた石清水八幡からの分霊であったことも興味深い。

49 :一応九州王朝説:2007/02/18(日) 15:10:59
それは何処の八幡ですかねw

まあ断定してる私も悪いけど、八幡の歴史や由来についてはまだ
よく分かってませんので。あしからず。
その読み方自体も百説あります。

50 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 17:04:37
>>41
ほう、これは驚いた。邪馬台国の謎が既に解き明かされたとは初耳だ。
数多い考古学者先生や、アマチュア考古学ファンを差し置いて、
おたくが出した結論とはいかがな代物ですかな?

51 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 17:51:49
九州出身さん、さっきの啖呵もどこへやら。黙ってると寂しいじゃないの。なんか反論ちょうだいね。

52 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 18:35:18
出雲系列は新羅系で日本の神社のほとんどが新羅系なので消しまくったらしいよ

53 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 19:18:12
>>52
神社はもともと新羅系の宗教だったわけですか?
古代の新羅には日本の神社の元となった宗教の痕跡があるんでしょうか?

54 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:20:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

55 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/18(日) 22:44:35
みなさまへ。>>54 は、スレ落ちしないようにから揚げしてくれているだけです。
荒らしではないのでご心配無く。

56 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:41:29
>>54>>55
いらんことするな

57 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/19(月) 02:09:48
>>56
私がしてるわけではありません。あしからず。

58 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 08:59:11
三足土器で炊飯の意味を早くときせつめいしてくれよ、耳にタコができるよ

59 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/19(月) 11:08:47
○人大杉状態をなんとかするべし、自由に書き込めないぞ。

○何かこのごろ出た本に、軍事的、戦略的には、九州北部以外に、
邪馬台国はありえないという結論が出されたそうだが?
たしかに、蛮族からの防衛を考えると近畿あたりは守りにくいか?

60 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 11:47:40
邪馬台国はアイヌの国だったので九州に限定される方が異常でもっと広い範囲に及んでいましたので
また国も100以上方々にあったので当然首都は出雲の近くにありました。

61 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 14:50:56
狗邪韓国についても考えてみる必要があるかもね。
倭人伝の記述の仕方を見ると、倭の一部のようにも取れる。
そうなると、中心地として畿内を考えるよりも、九州を考えたほうが
納得できるような気がする。

62 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 15:54:47
>>61
倭人の国です。

63 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 18:02:13
>>62
>倭人の国です。

妄想です

64 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 19:25:07
>>63
なんで?じゃー朝鮮人の国だってのか?

65 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 20:26:00
>>64
韓伝読めば判るだろう。書いてなければ誰にも判らん
倭人は、 倭人在帯方東南大海之中
韓半島が該当するような文ではない。

66 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 21:47:40
倭人は半島にもいました、むしろアイヌがほとんど日本にいましたので、
新羅系と百済系と高麗形の3者がいりみだれてわれさきに日本になだれこんできて、好きなように
国を造ってはりあいましたが、

67 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/19(月) 21:51:28
>>58
僕が思うに、「さん」「そくどき」「すいはん」とサ行の韻があることで、当人が気に入っているフレーズであり
炊飯というなんとなく暖かい家庭の団欒を思わせる言葉が入っていることから、
彼は暖かい家庭環境に飢えた寂しい少年時代を送っており、そのことが未だにトラウマになって彼を苦しめ、
時折このような行動に出るのではないかと思われます。

68 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/19(月) 21:56:18
>>58
さすがに文章で耳にタコはできないでしょう。
目にタコができるかもしれません。

69 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:07:25
>>65
倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。
旧百余國。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十國。
郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、
南しあるいは東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。

コレを読むと倭国の北境が狗邪韓国だと読めるが?
で、

始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。

半島に倭人がいたとしか理解できん。


70 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:17:34
>>69
そう、キーポイントは、「韓国を経て」というのと、「その北岸」と
言う言葉。狗邪韓国が倭人の国でなかったら、「韓国の南岸である
狗邪韓国に至る」となるはず。

71 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:22:21
倭国の乱れを嫌って渡海 新たに国を作る
 在りうるな

72 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:24:49
>>66
そのようなことは、朝鮮半島の歴史書である三国史記には全く書かれてい
ない。新羅本記には、倭人が攻めて来たという記録しか残っていない。
仮に、朝鮮半島からわたってきた勢力があれば、間違いなく朝鮮の人の
記憶に残っているだろうし、記録にもちゃんと残っているはず。

73 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:25:16
狗邪韓国 が 目的地ではない と読み下す。
ただの通過地点


74 :日本史@名無しさん:2007/02/19(月) 22:29:30
むしろ倭人とその近縁部族が古くからいたと考えるべきだと
思うが。「天下り」は日本だけじゃなく半島南部にもある。
弥生稲作を伝えた中国南東部の民族が流れてきた先が九州
〜半島〜日本海沿岸だった、という事だろう。

75 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:30:12
>>70 >そう、キーポイントは、「韓国を経て」というのと、「その北岸」と
言う言葉。狗邪韓国が倭人の国でなかったら、「韓国の南岸である
狗邪韓国に至る」となるはず。

「韓国を経て」と「韓国をへる(歴)」では、180度意味が変わります。

>其北岸(その北岸)

その北の岸  (其)は 東南大海の中 です。


76 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:35:56
>>74
私もそう思います。
日韓歴史論争でよく見かけますが、古代史に現在の国境線を引くことは愚かなことです。

77 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/19(月) 22:36:09
>>70

>そう、キーポイントは


もちろん『到』です。 この解釈が重要な鍵を握ります。



>>74は河童です。

78 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:41:28
>>75
しかし、三国志の韓伝にも「韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接」
とある。東西は海を以って限りとなし、南は倭と接する。
これからみても、朝鮮半島の南部は倭と思われる。


79 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:41:53
本スレこっち?

80 :74:2007/02/19(月) 22:43:23
違うよ。

81 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:46:46
>>74 倭人も韓国から金属を輸入していたから、交易拠点になる倭人の
マチはあったとは思うけど、後の任那地域ほどの広さではないと思う。
任那地域の拡大は三韓征伐(370頃〜400頃)でなされ、それ以前は
倭人のマチが数個あった程度ではないかな。

82 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:47:54
>>74
朝鮮半島の南部には鉄がある。これを求めて倭人がやってきていたらしい。
以前見かけたのだが、明らかに日本人町としか思えない町があったらしい。
今、ちょっと調べてみたのだが、見つからなかった。
もうちょっと調べてみようかな。

83 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:52:05
>>81
以前、見かけたものによると、交易ではなく、日本人自身が鉄を
掘っていたらしい。

84 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:56:24
日本史講座とかくらいの本でも常識です。

85 :74:2007/02/19(月) 22:59:14
対馬海流に乗って来たら対馬の北も南もほんのわずかな差
なんだと。
だから、九州だけに来ていたと考える方が不自然。

もちろん倭人の血はいろんな所からの流入による混血で、半
島、北方、南方いろいろだろうが、稲作をもたらした集団が江
南地方から来たのは間違いないと俺は思う。三国時代でもま
だ稲作に不適な寒冷地である地方を越えて半島南部に伝わ
ったとは考えにくい。未だに満州〜北朝鮮は麦。

86 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:06:54
>>85
古代の稲作とか鉄とかになると、決まってどこぞの集団が持って
やってきたということになる。しかし、有史以来いろんなものが
日本に伝わってきたが、どこぞの集団が大挙して持ってやってきたと
いうことがあったかな。
サツマイモは江戸時代に伝わったが、なんとなく入ってきた。
鉄砲にしても、宣教師が持っていただけ。

稲作だって、サツマイモなど多くの農作物と同じようにして伝わったと
考えるほうが妥当だと思う。

87 :神奈川県民 :2007/02/19(月) 23:11:29
謎に満ちた卑弥呼は誰?その謎を解き明かすものは現れるのか!
みなさんお意見を聞こう。

88 :74:2007/02/19(月) 23:14:20
例えとして適切ではないような。

芋は植えればいいし、鉄砲は使用も運用もある程度習った。
それに兵器の革命と言っていいものだし。

稲作は、技術とあるていどセットだったと思うんだが、どうか?

人口動態については、海で隔てられているので、時代が下る
ほど大人数の移動は減ったのでは。・・・んー、説得力無いな
あ。自分でも思うよ。

89 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:15:43
イネそのものは縄文時代からあることが考古学で分かったよね。
問題は水稲耕作の技術そのものってことになるわけだが。
ん〜技術ってことになるとなんとなくで済むんだろうか。

90 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:26:50
要するに、邪馬台国時代からあるいはそれ以前から、朝鮮半島まで
出かける勢力があった。三国史記によると、紀元前から倭人が攻めて
来たという記録が残っている。

これは九州の勢力だろうと思われる。九州以外の地域がこれをやるためには
まず、九州を支配しなくてはならない。

倭人伝には、持衰という人間が出てくる。これは、大海をわたることが
いかに困難だったかを示している。
となると、もっと穏やかに瀬戸内海などに船を出すのは容易だったに
違いない。だから、高地性集落などが出来た。

九州を中心に考えると、全てがうまく説明できるような気がする。
だから、邪馬台国は九州にあったと思う。

91 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:34:29
>>88
世界的に見ても、たとえばタバコはアメリカの原住民が吸っていたものを
コロンブスが持ち帰ったといわれるし、ジャガイモにしても、トマトにしても
南アメリカが原産だが、南アメリカ人が移住と共に持ってきたものではない。

古代の青銅器にしても、鉄にしても、伝わるときに人間が大量に
移住したという話は聞かない。
稲作にしても、たとえば、朝鮮半島に伝わったときにどこからか大量に
人間が移住してきたかというとそんな話も聞かない。

日本の古代についてだけ、何かが伝わると人間が大量に移住してきたと
いうことになる。これはおかしいと思うが。

92 :日本史@名無しさん:2007/02/19(月) 23:35:49
青銅器も鉄も民族ごと移住して広めた方の例だと思うが

93 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:45:09
>>92
鉄は全世界に広まったわけだが、全世界に移住した民族とは?

94 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:50:05
ちょっと話ズレてるかもしれんが。

実は初期農耕の伝来については西洋でも同じような論争があるよ。
いち早く農耕が始まったのは西アジアだけど、

西アジア人が移住してきた結果、西洋に農耕が伝来した 説。
西アジアとの文化的交流によって、西洋人が農耕を選択的に需要した 説。

ってことで日本だけって訳じゃないかな。

95 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:52:48
>>59
それは、トンデモ本だろう?


邪馬台国総論
http://yamatonokuni.seesaa.net/

96 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 08:42:39
>>75
> >其北岸(その北岸)
> その北の岸  (其)は 東南大海の中 です。

郡より 「倭」 に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、
南しあるいは東し、 「その」 北岸狗邪韓國に至る七千余里。

「その」は「倭」を受けているだろ?


97 :いろいろと問題の多い『安本流数理』:2007/02/20(火) 11:37:14
いろいろと問題の多い『安本流数理』歴史学批判

古代の王、一代十年説
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/zatu/zaturon.html#junen

安本ダイアグラム
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/zatu/zaturon.html#yasumoto

98 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 12:33:16
>>96

>「その」は(倭)を受けている。


いいえ。
ここまでの文で「倭」の領域範囲を確定する事は出来ませんから
※仮に「其北岸」の其を
「倭」と設定した場合
「倭の北岸」の(北岸)の場所は、(九州玄海灘沿岸、又は壱岐の北部沿岸、対馬の北部沿岸)と、なります。 それでいいの?

「其北岸」の「其」の視点を半島に求めた場合、半島には 北岸は存在しなく、(南、東、西)岸 しかありません。

つまり、「其北岸」の「其」の視点は対馬(朝鮮)海峡の“海の中”に置いて、同海域内の(北の岸)となります。

99 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 12:46:47
>>96

例えば

川を挟んで、北に(A)と 言う国、南に(B)と言う国が有ったと仮定します。

この場合、「其北岸」と 言う表現に符号する場所は、
※(B)と言う国の北側にある川に沿った川岸
(これは、A、Bどちらの国から見ても 同じ)

※もう一つは、
川の中に舟を浮かべ、(A)と言う国の南岸部分が、舟を浮かべている川の北側の岸となります。
(この場合、A、Bどちらかの国に視点を置いても成立しません。あくまで視点は川の中)です。

100 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 13:18:35
>>99
岸というものを、あくまでも海岸ととらえた場合でしょ?

この場合文脈はあきらかに倭国(倭国の境界線)の北岸としか
読めないですよね?

他に中国の古代文献でこういう表現があるかは私は知りませんが・・

また、韓伝の「東西は海を以って限りとなし、南は倭と接する。」という
地理説明とも一致します。

仮にあなたの主張される

>「倭の北岸」の(北岸)の場所は、(九州玄海灘沿岸、又は壱岐の北部沿岸、対馬の北部沿岸)

だと次に続く

「始めて一海を渡ること千余里、対馬國に至る。」

という説明とも矛盾します。


101 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 13:20:33
河童さんは全体的な視点に欠けている。
「北岸」という文字だけに注目して、その意味だけを考えようとしている。
今、問題になっているのは、朝鮮半島の南部が倭に属していたか、
そうでないかということで、その観点から考えなくてはならない。

陳寿も完璧な文章を書いていたとは考えられないわけで、あやふやな
部分もあれば、間違っている部分もある。
それを念頭に置いた上で、陳寿の意を汲み取ることが大事なわけ。

極端な言い方をすれば、北岸の意味などどうでも良くて、陳寿が
どういう意図で北岸と書いたのかが重要なわけ。

で、朝鮮半島南部は倭だったか、そうでなかったかどう思う?

102 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 13:23:35
狗邪韓国(クジャカンコク)と読むからカン違いするのかな?

クザカラまたはクザハラという国名かもしれないのに・・

103 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 13:54:41
>>100

申し訳ないけどそれって、和訳間違えていると思う。

>倭国の境界線。


これは良いと思いますが、境界線の位置は(陸?、海?)
それに、境界線を文中の何処から探るの?


意訳(和訳)違い箇所


>南は倭と接す。
「接す」じゃ、誤解受ける
>始めて一海を渡る
ここは「初めて」と「始めて」の使い分け、「度と渡」の違いを明確にしなくては


誤解生じる和訳かと

104 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 14:11:50
>>101


>陳寿も完璧な文章を書いていたとは考えられないわけで


出来たら「考えられない」と、主観しちゃう要因を教えてください。

わたしなんか足元に間も及ばない国学者に対して、その発言にコメントする言葉はありません。

105 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 14:22:58
陳寿が国学者???
おまいは中国人かw

106 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 14:31:00
>>104
あなたがずっと言われ続けていることですが
定説・通説と違う認識を提示した方が先に根拠提示しなければいけないのですよ。
(例)
河童 「相対性理論は間違っている!」
名無し「ほう、してその根拠は?」
河童 「まず正しいとする根拠を示せ、私は認めない」
名無し「だからどこをどう認めないのか具体的に」
河童 「しつこい奴だ、お前荒らしだろ!」

ALL  「荒らしはお前じゃああああああ!」

107 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 14:42:22
>>106

私は少しずつゆっくりと散々説明しています。
相手の気に入る説明かどおかは知りませんが?

108 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 14:56:42
>私は少しずつゆっくりと散々説明しています
していませんよ、あいも変わらずのはぐらかしに終始するのみです。
ところでそのハンドル最近使い始めたのに、散々ってあなたw
あなたには自演は無理です。

109 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 15:29:37
>>108


>>106のレスよく確認
私は>>106の「ずっと」に対して「散々」をしようしたまで

それに、最後の「自演」

なんですか?それ?
話の主旨と違う発言ですよ。 「自演」は倭人伝の何処に書いてありますか?

関連無い話に興味はありません。

110 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:36:19
>>109
>関連無い話に興味はありません
邪馬台国に関係は無くともスレには大いに関係ある
あなたがプラムだというのはお腹いっぱいなくらい誰もが分かっているわけよ
だからつまらぬ言い訳せずに根拠とやらを示してくれ、話はそれからだ
てか散々関係ない話を繰り返し書いてきたくせに、どの口がそんなこというのかね


111 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:50:44
>>97  これにレスするのも何だが。
在位平均年代論の批判はすこしだけまとも。
古墳比較表の批判は前提からダメ。

安本の全部を根底から否定しようとして自滅。

112 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 15:54:27
>>110

馬鹿みたいな野暮は止しなよ それじゃあガキ丸だしだ
以後関係ないレスはスルーする

荒らしの相手スる奴も荒らしだからな じゃあ

113 :100:2007/02/20(火) 16:33:15
>>103
wikipediaの一般的と思われる和訳です。

>南は倭と接す。
「接す」じゃ、誤解受ける
>始めて一海を渡る
ここは「初めて」と「始めて」の使い分け、「度と渡」の違いを明確にしなくては

この部分を、詳しく教えていただければれば有難いです。


114 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 16:59:27
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

115 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 17:01:20
狗邪韓国は倭人伝に出てくる倭人の国。


116 :河童 ◆EY2wfgakAQ :2007/02/20(火) 17:09:07
>>113
今チョット忙しいので、夜にレス入れておきます。

117 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 19:50:53
>>101

>極端な言い方をすれば、北岸の意味などどうでも良くて、陳寿が
>どういう意図で北岸と書いたのかが重要なわけ。

意味がわからないからって、「どうでも良く」はないだろう。
ちゃんと検証してあげなさいよ。

ヒントは「岸」とは基本的には「水陸の境目」のことだよ。
よほど特殊な用例であることが、前後の関係から明らかなでもなければ
普通に読めばいいんだよ。
だから、「其」とは「海」「川」「湖」か「陸地」のどちらかだ。
それと「其」とは既知の情報を示す代名詞だから「其」の正体は倭人で既に既出のものだ。


   倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。
   舊百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。
   從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、

「水」だとすると既出のものは「東南大海」しかない。
そして、「陸」はというと「該当なし」だろうね。
「倭人」は民族呼称(国名だと言い張る人もいるが)だし、
「倭」も国名だ、国名は国名であって「陸」と同義じゃない。
「山島」と言うことは、理屈の上では有り得るが、文章の上で意味が通じなくなる。
対馬より手前の「狗邪韓國」が「山島」の北岸じゃこまるからね。
つまり、正解は「大海」。狗邪韓國は大海の北岸にあるんだよ。
極普通の当たり前の話しだよね。
陳壽は、皆が悩むような可笑しな事は書かなかったのさ。


118 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 20:35:16
>>117
海の中からの視点とは!
考えつきませんでした。

ただ普通の読解力ですと理解できない部分もありますので
117氏の考える和訳をあげていただければ嬉しいです。

119 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 21:07:55
>>118

>海の中からの視点とは!

別に海側に視点が在るわけじゃないよ。
文中の『視点』、主体の所在地を言えばやはり洛陽か帯方だろう。
「大海」はあくまでも客体(倭)の所在地、
狗邪韓國はその縁に当たるので「大海の岸」と書かれただけ。

>和訳をあげていただければ嬉しいです。

WEBを捜せばいろいろな人の訳が入手できるよ。
微妙に違ったり、面白おかしいのもあるのでチャレンジしてみたら?

ちなみに俺の訳(ごく一般的だと思うが)はこんな感じ。

>倭人は帯方の東南大海中に倭人在り、山島依って国邑を為す。
>舊(もと)百余国、漢の時に朝見するもの有り。今、使訳が通じるところ30国。
>郡より倭へ至るには、海岸に従いて水行し韓国を歴(へ)る。
>南へ東へし、其の北岸狗邪韓國に到る、七千余里。

120 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 22:38:04
>>119
あれ?117は河童さんじゃないの?

121 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 22:39:44
どおしてそう言い切れますか

122 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 22:46:48
>>104
陳者が完璧な文章を書いていれば、みんな苦労はしない。
海を渡るにしても、「渡」と「度」が使われていたりする。
他の文献と比べても、「邪馬台国」と「邪馬壱国」の違い、「一大国」と「一支国」の
違いなど、字も間違っているんじゃなかろうかと思われる点がある。

倭国の国の戸数にしても不自然だし、距離にしてもおおざっぱだし、
あなたが言っているように、国から国に移動する基点にしても良くわからない。

国の位置関係にしても実態がつかめない。倭人伝を読んで、これが完璧な
文章と思うのは無理がある。


123 :一応九州王朝説:2007/02/20(火) 23:11:49
陳者>陳寿 のことですかねw

誤字脱字は陳寿の責任じゃないよ。

124 :サガミハラハラ:2007/02/20(火) 23:14:27
陳寿の文章について、原田実氏はその著「ウドンゲ花咲く邪馬台国」の中で次のように記述している。
ーー引用開始ーー
ところがハイ松之はその同じ上表文の中で「三国志」の欠点をも指摘している。すなわち叙述が簡略すぎて脱漏さえ見られること、
(失在干略、時有所脱漏)記事が錯綜して矛盾が多いこと(注記紛錯、毎多舛互)明らかに誤っていて論理的ではない叙述があること
(?謬顕然、言不附理)などである。




125 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 23:16:14
>>123
そう、陳者ではなくて陳寿。これはタイプミス。
SoftTalkWEBというソフトから書き込んだので、字が小さくて気づかなかった。
申し訳ない。このソフトの字を大きくする方法はあるのかな。

126 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/21(水) 06:24:57
>>121
「どおして」という言葉使いから容易に想像できますが、なにか。
ということは暗に私ですよと誇示しているように見受けられますが、なにか。
ということは御自分の説に大変自負していられるということでしょう。
ある程度学問的に突っ込んだ研究をしてこないとこのような自信は生まれませんが、なにか。


127 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:18:01
>>125
SoftTalkWEBではなくて、SofTalkWEBだった。
ギコナビもあるが、こちらのほうが使い勝手がいい。
書き込んでも、スレッドが上がらないのが難点。

128 :プラム ◆TOfHBAKZgM :2007/02/21(水) 09:42:20
>>120

河童の『其北岸』に対する意見は >>98-99にて述べています。

129 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:43:41
ひょっとして鎭守が適当に書いた文章がいまは現実のあたかも事実を書いた者に
変遷していってるということでしょうか。


130 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:51:16
>>128
専用スレで発言して下さいね。

131 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:11:30
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

132 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:35:24
プラム ◆TOfHBAKZgM

>専用スレで発言してくださいね


九州ですがさん了解しました。 プッwww

133 :神奈川県民:2007/02/21(水) 19:46:32
謎の女王の真実にせまる。
日本古代史 最大のミステリーを解け!

134 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:47:16
溶けた

135 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 21:26:03
>>119
>倭人は帯方の東南大海中に倭人在り、山島依って国邑を為す。
>舊(もと)百余国、漢の時に朝見するもの有り。今、使訳が通じるところ30国。

>郡より倭へ至るには、海岸に従いて水行し韓国を歴(へ)る。
>南へ東へし、其の北岸狗邪韓國に到る、七千余里。

この和訳を見るかぎりではやはり 「其の北岸狗邪韓國に到る」 の「其の」は
「郡より倭へ至るには」の 「倭」 を差しているとしか思えないなあ。

>文中の『視点』、主体の所在地を言えばやはり洛陽か帯方だろう。

であれば 「韓国を歴(へ)る」 ではなく「韓国の南岸」という記述になると思う。

136 :119:2007/02/21(水) 23:08:06
>>135

> >文中の『視点』、主体の所在地を言えばやはり洛陽か帯方だろう。
> であれば 「韓国を歴(へ)る」 ではなく「韓国の南岸」という記述になると思う。

「倭の北岸」と読むと「岸」とは「国境」くらいの意味になってしまう。
そう読んで読めないことも無いと思うが、かなり特殊な読み方でしょう。
私が「大海の北岸」と読むことに違和感を持たないのは、
狗邪韓國から大海渡航ルートの導入部として当然の表現だと思うから。
貴方は、貴方で韓國経過ルートの終点としてと考えてるんでしょうけどね。

ただ、それでは「東南大海之中、依山島爲國邑」「參問倭地、絶在海中洲島之上」と言う
倭地の概況説明と齟齬が生じる。
狗邪韓國倭説論の方々が、これについて難儀をされているのはご存知のことでしょう。

137 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 00:00:32
>>136
ただ、それでは「東南大海之中、依山島爲國邑」「參問倭地、絶在海中洲島之上」と言う
倭地の概況説明と齟齬が生じる。

そーなんですよねー
案外と魏の使者も、韓半島南部が韓人、倭人、中国系の雑居地だからこのような
どちらともとれる書き方にわざとしてたり・・

138 :九州出身:2007/02/22(木) 20:53:33
倭人在帶方東南大海之中
だから朝鮮半島は倭ではないとみえるが・・・どうかな?

139 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 22:41:02
倭人伝の書き方は、やはり朝鮮半島の南部が倭であるような書き方を
していると思う。そうでなくても、紛らわしい書き方といえる。

韓伝も「韓在帶方之南、東西以海爲限、南與倭接」と書かれているわけだが、
後漢書も「馬韓在西、有五十四國。其北與樂浪、南與倭接」とあり、
「弁辰在辰韓之南、亦十有二國、其南亦與倭接」とある。

また、倭人伝には、倭人は身に文をすると書かれているが、両書とも
弁辰は、倭に近いので、身に文をすると書かれている。

やはり、朝鮮半島の南部は倭だったと思う。

140 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 23:33:55
朝鮮半島南部には、任那と呼ばれる日本府があったことが日本書紀や
中国の書物に書かれているわけだが、その前身ではなかったかと思う。
『宋書』では、「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が登場するが、
魏志に書かれていた当時はもっと小さかったのかもしれない。

141 :119:2007/02/23(金) 00:40:20
>>140
> 朝鮮半島南部には、任那と呼ばれる日本府があったことが日本書紀や

 誤)任那と呼ばれる日本府
 正)任那にある日本府

> 中国の書物に書かれているわけだが、その前身ではなかったかと思う。

 中国史書に「日本府」って出てくるの?

> 『宋書』では、「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が登場するが、
> 魏志に書かれていた当時はもっと小さかったのかもしれない。

 弁辰が任那になったと書かれているわけじゃないだろう。

 「自稱使持節都督倭百濟新羅"任那"加羅秦韓慕韓七國諸軍事安東大將軍倭國王」

 武の自称の中で出てくる言葉 。
 洛東江水系を示すと思われる「加羅」と言う地名と併記されている。

142 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 15:01:03
要するに、倭の勢力は、壱岐や対馬だけでなく、朝鮮半島南部まで及んで
いたということかな。しかも、その時期は邪馬台国以前まで遡る。

>>141
中国の書物では、「任那・加羅」と併記されることが多いが、日本書紀では
加羅国、安羅国、斯二岐国、多羅国、率麻国、古嵯国、子他国、散半下国
乞サン国、稔礼国の十国を総称して任那と呼んだと言う記述があり、
加羅は、任那の一部だったと可能性が非常に高いといわれる。



143 :九州出身:2007/02/23(金) 18:41:46
天照大神は『魏志倭人伝』の卑弥呼女王であるという。
『天照大神』とは記紀によって付けられた尊称であるが、御神名としては大日霎貴という。
中国現存の最古の辞書といわれる『説文解字』は「みこ」と読んでいる。
「日」の字を付けて「ひみこ」と読み『魏志倭人伝』では独特の、
他民族を蔑んだ文字を使って「卑弥呼」としたもの。
すなわち、天照大神は「大日霊女貴 尊」(おおひみこ むちのみこと)であり、
卑弥呼女王ということになる。
他の人の意見を聞こう!

144 :九州出身:2007/02/23(金) 18:49:57
我が国の歴史の始まり、出雲国を創建した素戔鳴尊。
出雲大社では神祖熊野大神と尊称され古代から最も祟尊された神について語ろうではないか。

145 :サガミハラハラ:2007/02/23(金) 19:01:25
出雲の熊野神は天照大神とスサノヲノ命とのウケイの時に生じたクマノクスビノ神
ではなかったでしょうか?

146 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 19:06:41
倭の定義は小柄なサルみたいなやつと言うだけで日本人とは限らないみたいですよ、
女は小柄な女が良くて大柄な女は食い物にならないほどのひどいもので

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