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※九州王朝はなかったのか?※ 11

1 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/05(月) 04:19:05
※九州王朝はあったか?※の復活です。
九州王朝を肯定する人も否定する人も、立場の違いを超えて、思う存分語りましょう。
九州王朝に関心がある人は、おおいに語りましょう。
九州王朝に関心のない人や、九州王朝に関りの無い主張は、書き込まないでね。

前スレ
10:http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1141320606
9:http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1081624257
8:http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1074276043
7(6'):http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1072200231
6:http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1072200119
5:http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1051320510
4:http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1043480614
3:http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1040657852
2:http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1039343232
1:http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1036071791


2 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 04:28:22
お疲れ

3 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 09:54:33
ここのコテさん達って似ていて

揃って畿内と九州の並立を主張しているW
両雄並び立たずでね
どっちかは王朝じゃないのにねW
あと揃って記紀至上主義には笑うよなW
もう少し気の利いた自作すりゃいいのにねW

4 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 10:16:07
記紀や新撰商事録がフィクションであることからまず固定しなければ、
架空の上の架空のお話で終わるよね

5 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 10:26:37
同感!
記紀なんて参考資料程度にして
相反する資料の存在意義を考えて欲しいな。

6 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/05(月) 11:16:06
>>3
このスレシリーズのコテで並立論者はいままで1人もいないぞ。
どのコテが並立論者だ?

7 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 11:21:30
いや、原点批判を理解している人は、結果として記紀を鵜呑みにしてしまうことはあるにせよ、
初めから鵜呑みにするつもりはないはず。

原点批判をやって、著者や編者が何を避けて書いたか、何をごまかして書いたか
どんな論理を構築したか、なぜこんなことを書いたか書かなかったかなど、
作者の言いなりにならずに、その裏から原典を浮き彫りにしなければ、学問とは
いえないでしょう。


8 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 11:34:45
変説ニートにはかなわんわW

9 :橿原一派 ◆6Zok7FAjsY :2007/02/05(月) 11:55:39
>>1
乙です。いつも拝読しております。

10 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 13:13:26

自分の過去レス位読みなおせ!
めちゃくちゃ論展開して、
方々でアホ扱いされてるくせにW


11 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 14:56:35
太国さんがやるべきことは、自説をあれこれ広げることよりも、
他人が理解でき、納得できるテーマ選びと論理構築でしょう。

12 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 15:08:21
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

13 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/05(月) 15:14:14
>>11
このスレには、太国さんは殆どこられませんよ。
来られても、自説を展開されたことはありません。

14 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 15:32:40
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。
古代日本では,底の尖がった土器を土に突き刺して炊飯していました。

15 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 15:35:04
お前もだよ!
能天気なとこまでそっくりなお前の過去レスだよ!
方々で馬鹿レス三昧だっただろ!W

16 :太国ファン:2007/02/05(月) 15:46:15
太国がんばれよw

17 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/05(月) 16:04:42

>>15は、どこかのスレで僕に、生暖かくえぐり取られ突っ込まれた様ですね?

18 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 16:41:58
お前のアホレス貼りつけたろか?W

19 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 18:29:56
>>17
虚勢か?
妄想か?
馬鹿なのかw

20 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:18:46
畿内王朝は九州王朝の分派から生じて本家を蹴散らしたようですが、
それなら、兄王・弟王のシステムは畿内王朝にもあったのかもしれませんね。

21 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 07:27:00
↑太国説だな

22 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 09:07:22
兄王・弟王のシステムは畿内王朝にはなかったようです。
隋書の記事にはあったように書かれていたが、あれは、畿内王朝の幹部たちが体裁を取り繕うためにうった芝居です。
そのもとは魏志倭人伝です。

23 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 09:14:03
畿内説では、タリシヒコ、倭の5王、年号がどうやっても綺麗に説明できない。
九州王朝説なら、記録がないから言いたい放題って方向でOK?

24 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 10:09:47
あったけどもすぐに滅ぼされた

25 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/06(火) 11:53:10
>>20
畿内では結果的には兄弟統治システムにはならなかったようです。
天武没後の畿内と九州の権力抗争のなかで、持統が卑弥呼の様に兄大王(兄天子)位につき、大嘗祭をしたようですが、
文武は九州を武力制圧し、兄王弟王の権力を一手に手を入れたので、
兄弟統治システムの必要がなくなったようです。
これが後に地方王権である国造を廃止し国司派遣システムになったと考えます。

以上は未だ十分にはあたたまっていない仮設です。(詳細では欠陥だらけ)

参考:九州王朝の統治システム
兄大王(兄天子)のもとに、弟大王(弟天子)(筑紫・肥から選抜)及び地方6大王(出雲・浪速・越・尾張・夷・蝦夷)と
地方王(多数)が従属するシステム。

26 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 14:43:13
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

27 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 21:13:00
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1141320606/951


28 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:32:17
九州の倭王朝から見ると、北の半島も、東の本州も基本的に同じような
ものでしょうね。

29 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 22:55:03
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ



30 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/06(火) 23:31:24
>>27
>>29
太国氏のレスを何故コピペしたの?????
意味不明

>>28
東の本州畿内のほうが遠い外国だったと思う。

31 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 00:01:36
>>30
言葉はどうだったんでしょうかね。
倭国の人達は、北の半島と東の本州と、どちらの方がよく通じたでしょうかね。

32 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/07(水) 11:36:47
>>31
半島1/4〜1/3の南部では倭語(日本語)地帯ですから、
遠い畿内より近い半島のほうが判り易い方言だったと思います。


7世紀までは朝鮮語は半島東部日本海側でしか使われていません。
半島北部2/3の東シナ海側は、8世紀までは日本語に最も近いと見られる扶余系言語(高句麗語)。
半島の3言語の朝鮮語化統一は新羅統一の8世紀から。
半島では3種類の言語が使われていたので、言語統一の為の文字がハングル。
やっと表音文字と熟語による表記、それまでは漢文表記。
ですから、半島では、表音文字(万葉仮名のようなもの)や漢字訓読みは発達できませんでした。

白村江戦の頃日本に渡って来た百済難民は扶余系言語語又は半島倭語を使っていましたから、
日本語(列島倭語)には何の苦労もしなかったと思います。

33 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/07(水) 18:43:19
朝鮮半島の範囲についてのコメント
平安南道と咸鏡南道の南部以南
西朝鮮湾と東朝鮮湾を結ぶライン以南
北朝鮮の朝鮮半島に含まれる部分はその面積の南側1/4程度
朝鮮半島の北1/4が北朝鮮地域、南3/4が韓国


34 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:56:07
最高権威なニートのコメント

35 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/07(水) 21:44:44
ニートではない。
最高速度275km/hドイツ製2座スポーツカーに乗っている60代のおっさん。

36 :大好きさんFAN:2007/02/07(水) 22:09:05
でもついこの間まで、50代の現役でいらっしゃいましたね。
定年退職後、しばらく2chご無沙汰されていたので、
さびしかったです。

37 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/07(水) 22:16:54
>>36
車種板・株板・市況板・不倫板に行っていました。

38 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 23:32:41
>>32
半島の統一が新羅以外の国によっていたら、その後の歴史はサマガワリだった
訳ですね。半島・列島の統一倭国ができていたかも知れないですね。ただし、
その場合は、シナ帝国の朝貢国であったか、日本のような独立国であったか・・・・。
ところで、古代の言語分布がそのような状況であったことを示す根拠は何か
あるのでしょうか。

>>33
すみません。何をおっしゃりたいのか全く分かりません。

39 :大好きさんFAN :2007/02/08(木) 00:34:13
>37
いつか、大好きさんの体系的なお考えを、どこかでご披露願えませんか?

40 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/08(木) 12:11:06
>>38
>>33について
半島範囲が間違っていると判断を大きく間違える可能性が高いから敢て書き込みました。
西朝鮮湾と東朝鮮湾を結ぶラインの北と南では地球科学的地質構造が異なります。
これにより、地形風土が異なり、人間の活動が影響を受け異なった文化を持った人が生活するようになります。
これは歴史に大きな影響を及ぼすので、間違った地形概念を持つことは判断を歪める原因となります。
高句麗と百済、唐・渤海と新羅、遼・女真と高麗、北朝鮮と韓国、其々の国境は風土地形の影響を大きく受けています。

41 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/08(木) 12:38:49
>>38
>古代の言語分布がそのような状況であったことを示す根拠は何かあるのでしょうか。

中国半島の古文献、地名、地形等の其々では小さい情報が集積繋ぎ合わさった結果です。
そうなると、公開土王碑の高句麗と倭の戦いで出てくる「渡海」の意味も自明の事となります。

>>39
体系的なものはありません。
徐々に、一進一退、ある時は突然、視界が開けるだけです。

42 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 12:58:15
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

43 :銀大O教授:2007/02/08(木) 13:04:20
三足土器は青森県の縄文時代遺跡から発掘されています。

44 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:26:33
金関が粛慎との交流物だと見解している。

45 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:41:35
>>43
スルーすればいいものを・・・(笑)
でも、この青森の三足土器、すごい遺物ですよね。
北海道、樺太・・・と北回りで、大陸につながっていたのかな?

46 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:50:27
違う。

津軽が朝鮮北部辺境と直接交流があったという事。

47 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:59:01
>>46
へー、そうなんだ・・・、ふーん・・・。

48 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 14:10:40
粛慎のいた豆満江下流からやはり三足土器が出てくる。

49 :銀大O教授:2007/02/08(木) 18:33:24
どうやらそのあたりから直接日本海を横切って青森と往来したようである。

50 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 20:37:59
ほほう。

51 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 21:41:50
邪馬台国は九州か?

大和政権(畿内)と邪馬台国の関係は?

52 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 21:42:29





頭の悪いニートのバレバレ自作はもうするな(^^)/     







53 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 22:04:04
>>51
>邪馬台国は九州か?
邪馬台国はなかった。

>大和政権(畿内)と邪馬台国の関係は?
無関係の関係。

54 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 22:08:41
>無関係の関係。
誰だか直ぐ解るwwwwwwwwwwwwwwwwwww

55 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 11:10:28
>>54
太国とか言うのじゃまいか?

56 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 13:24:46
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

57 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 13:37:07
>>56
古代日本にも,いわゆる三足土器がありました。
古代日本にも,いわゆる三足土器がありました。
古代日本にも,いわゆる三足土器がありました。
古代日本にも,いわゆる三足土器がありました。
古代日本にも,いわゆる三足土器がありました。
古代日本にも,いわゆる三足土器がありました。
古代日本にも,いわゆる三足土器がありました。
古代日本にも,いわゆる三足土器がありました。

58 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 13:47:03
>56は、コピペ・マルチ・ポスト

59 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 14:29:22
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

60 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 14:30:56
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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61 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 14:32:04
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

62 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 14:32:50
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

63 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 14:35:05
コピペ・マルチ・ポスト警報発令中

64 :九州王朝大好き:2007/02/11(日) 13:32:01
津軽の三足土器を忘れていたな。
津軽独立政権を忘れていたんだ。
畿内朝廷も武力支配できず、いつのまにか消滅したんだよね。
阿弖流為のいた北上王国とは別だよね。

65 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 21:13:19
無視をする学問は古代だけ
コレ指摘されて返事出来る学者全くいないよ
しかしいい訳が滑稽だよね


66 ::2007/02/13(火) 21:20:00
意味不明。

67 :名無し:2007/02/14(水) 18:09:42
今日は、福岡の千代町に行って来たのですが、
そこに「松原水」という井戸があったのですが、
自分は、てっきり大昔からある井戸かと思ったのですが、
残念ながら、明治の初めに掘ったとのこと。

見当違いでした。

68 :九州王朝大好き:2007/02/14(水) 19:39:55
「千代紙」はその千代町が語源かな?
君が代「わが君は千代にましませ」の千代。

69 :福岡在住 ◆9N4nUN7jEY :2007/02/14(水) 19:42:24
>>68
それは、古今集の歌ですか?

70 :九州王朝大好き:2007/02/14(水) 20:30:57
>>69:福岡在住◆9N4nUN7jEY

志賀島神社の歌

「君が代は九州王朝の賛歌」でググって。

71 :福岡在住 ◆9N4nUN7jEY :2007/02/14(水) 20:36:19
やまほめ祭りで、歌われるのですね。

72 :福岡在住 ◆9N4nUN7jEY :2007/02/14(水) 21:28:47
あと、千代の「山神社」にも行ってみたのですが、
祭神は、大山祇大神ではなく、なんか残念でした。

稲荷神社になってました。
玄徳稲荷神社って、書いてあったと思います。

73 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 02:13:25
まぁ九州にクニがあったんだからそれでいいじゃん。
妄想はやめようぜ。

74 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 02:27:48
後進国の大和に比べて、巨大な権力と領土を持った国。
元号を制定して大和にもその元号を使用させ、
「評」という行政単位を大和にも使わせ、
支配下においていた九州王朝というただの国があっただけ。

大和が支配していたなんて妄想はやめようぜ。

75 :倭奴国:2007/02/15(木) 16:36:57
Wikipediaについて注意。「九州王朝」関係の項目で、著作権の侵害があったり、出典の明記していないものがあり、
削除が行われたり、「要出典」の印などがつけられたりしている。これは一見、九州王朝否定派の「荒らし」のようにも見えるが、
Wikipediaのルールに則った処置。

1.著作権
著作権のあるもの(ブログやホームページなどを含む)から切り貼りしたような表現をWikipediaに投稿しては
いけない。そのような著作権違反のある「版」は削除される。また、その「版」を編集した「版」も削除される可能性が大きい。
(続く)

76 :倭奴国:2007/02/15(木) 16:42:37
「Wikipediaについて注意」続き。

2.「要出典」
Wikipediaは、以下のように「検証可能性」のあるものだけを執筆することになっており、それ以外のものは例え「真実だと思われるもの」でも執筆対象にすることはできない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7
従って、出典の明らかになっていない記事は、「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、
誰でも取り除くことができます」という原則に従い、削除されるはず。

77 :倭奴国:2007/02/15(木) 16:44:33
「Wikipediaについて注意」
(さらに続き)

例えば、以下の表現は出典が明らかにされない限り削除されると思われる。

1)「九州王朝」の「問題点」
「九州王朝説を主張する人は「通説で洗脳された者が九州王朝説の概要を知らずに部分的な解説書
を読むと理論展開を強引だと感じてしまう事がある、また九州王朝説の中にも仮定に仮定を積み重ねた
トンデモ説としか思えないものもあり、初めて読んだ本がこれらの場合には九州王朝説全体をトンデモ説
だと思ってしまう事もある。」と述べている。[要出典]」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC#.E5.95.8F.E9.A1.8C.E7.82.B9
2)「柿本人麻呂」
「また九州王朝を主張する論者による、九州王朝縁の人物ではなかったのかという説[要出典]もある。」など
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E9%BA%BB%E5%91%82

人大杉のときは、
http://janestyle.s11.xrea.com/oosugi.html
なども使える。


78 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 17:15:01
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

79 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 18:48:15
「Wikipediaについて注意」
(さらなる続き)

要は、Wikipediaのルールを守り、説の信憑性を失わせるようなことはやめようということ。

80 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:53:18
信憑性が元からない説はどうしようもない。

81 :名無し:2007/02/15(木) 21:38:18
安曇氏のことなのですが、志賀島を根拠地にして、
朝鮮半島などにも、船で行っていたんですよね?

それがどうして、長野県に移住?をしたんですかね?

でも、今でも志賀海神社の宮司さんは安曇さんですから
全員が行ったという訳ではなく、一部だったのでしょうか。

長野県に移ったということは、もう船を捨てたということでもありますよね。

82 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 20:03:06
九州のコテさん達は誰もいなくなった
これはどうしてなの?

83 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 20:46:00
来たら九州王朝が否定されるから。

84 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 20:54:02
荒らしが来るから
>12>14>26>42>56-62>78

85 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 22:00:58
みんな引っ越した
■■■■古田武彦の多元的古代史観 01
ttp://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1169204480/l50


86 ::2007/02/21(水) 22:12:05
そっちは大嵐。
こっちは無風。

87 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 22:13:53
>>85
住人が1人しかいなかったの?
その返事おかしくない?

88 :太国:2007/02/21(水) 22:29:29
卑弥呼≠比売大神と分かってから、俄然古代史の謎が氷解して来た。
これを等号としていたのが盲点であり、卑弥呼の4世紀の生存は疑っ
ていなかったわけである。しかし今や間違いがはっきりしている。

卑弥呼は3世紀の開化〜崇神世のころの人物
比売大神は4世紀の神功〜應神のころの人物

但しもう少し幅があるやも知れぬ。

九州王朝の始まりが女王国となろう。そして漢委奴国王とか帥升は
倭の五王の始まりとなるべき「下積み九州王朝」で、勢力は充分
ではなかった。
五王の短期九州王朝でない、本筋のほうの九州王朝は女王が多い
系だということが分かってきた。

89 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 22:43:21
>>88
大変興味深い説です。ソースをお願いします。
また、貴殿のなりすましが出ています。トリップを付けられたい。

90 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 22:45:14
>>88
大変興味深い説です。ソースをお願いします。
また、貴殿のなりすましが出ています。トリップを付けられたい。

91 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 22:49:07
太国さん、トリップつけてください。贋者が横行してます。
このサイトで ↓ 
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E8%A1%A8%E7%A4%BA%E6%96%B9%E6%B3%95&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

92 :太国:2007/02/21(水) 23:06:43
理由の一部は「2倍念暦」のスレ >520 に書きました。

年表は「邪馬台国は大和朝廷になったのかpart21」の
>411〜>499 (>485 訂正)にあります。

眠いね。zzzzzzzzzzz

93 :太国:2007/02/21(水) 23:15:33
訂正は その >673 でした。すみません。いったん起きzzzzz

94 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 23:24:57
ここで解説:ただいま太国さんが緊急瞑想に入りました。

95 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 00:58:19
>>91
またコンピュータウイルスなんて貼ってるのかオマエは。

96 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:27:00
    _, ,_  パーン
 ( ‘д‘)
  ⊂彡☆))Д´) >>95 グルタン

97 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 02:06:54
    _, ,_  パーン
 ( ‘д‘)
  ⊂彡☆))Д´) >>96 グルタン


98 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 02:08:39
>>96

懲りねえ奴だなグル馬鹿も…

99 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 02:12:14
太国さんへ

一度登録すれば、Cokkieの設定をOFFにしない限り継続されます。
fusianasanは、正式にはフュージャネイザン、又はフュジャネイザンと読みます。
元々はアメリカの学生達の間で、チャットの時にセキュリティを強化する為に
開発されたシステムです。これを行うことにより同一人物が書き込んでいるか
どうか判別する手段が遮断されるので安心です。ぜひ書き込む前には
名前欄にfusianasanと入力してください。自分の身は自分で守りましょう

100 ::2007/02/22(木) 03:43:37
これは嘘。

101 :太国:2007/02/22(木) 07:35:51
>>88 >>92
神武天皇は始馭天下之天皇というわけだが、この別名には『始』の
字がついているのに注視すべきである。

この文字のツクリは【台】であるが、これは神武以後に続く
漢委奴国王と帥升の下積み王朝から短期の本格王朝「邪馬台国」の
始まりを示唆する台の字なのである。つまり倭の五王朝の国であり、
これこそが「邪馬台国」である。

一方、ヘンの【女】はここの【台】字からの邪馬台国にかかるん
ではなく、ヘンとツクリは互いに独立しており、女王の知らす長期
の本格王朝たる「邪馬壹国」に当たる。それはもう一つのハツクニ
シラスの崇神朝に対比され、この前後ころ女王国が九州王朝の
始祖的国としてその九州に存在することになったということだ。
そして魏の景初元年は崇神即位元年で237年である。

だいたい【女】という文字は忍びでは「くノ一」であり、【く】
は九州の「九」を【一】は「邪馬壹国」を隠匿した文字に思えて
仕方が無い。「ノ」は【く】と【一】との接着を意味しているか?
今後いよいよ面白くなる。w

102 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/22(木) 11:00:34
太国さんへ

>>99は悪意を持って書き込んでいます。
試してはいけません。


103 :名無し:2007/02/22(木) 12:45:42
すいません、81に答えてもらえますか?

104 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 13:57:26
太国さんへ



105 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/22(木) 14:18:36
太国さんへ

トリップの付け方
@書き込み画面で「名」の欄に、「太国#太国」と書き込み、本文欄に本文を書く。(#は半角で入力)
A書き込みボタンを押す。
B書き込まれたレスの名前の欄は「太国◆yVAs7uaYlY」となります。
C#の後の文字は自由に選んでください。文字は全角半角どちらでもかまいません。#の後の有効文字数は全角の場合で4文字です。

106 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/02/22(木) 15:03:58
>>103
>>81について
個々の件についてはわかりません。
博多湾岸の安曇氏(部族)が権力抗争(戦争)に敗れて、部族の一部が信濃に落ち延びたのでしょう。

神社等を調べると、よく似たケースは数多くあります。
出雲→諏訪
出雲→関東平野(埼玉・茨城)低地部
北九州→大阪(物部)
北九州→奈良(神武)



107 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 17:02:23
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

108 :太国:2007/02/22(木) 17:32:44
>>101
富士山には富士穴があるのかな?

竹内文献によれば、孝靈72年に秦の始皇帝の命により徐福が不老不死
の薬を入手のためか? 来朝したという記述があるそうである。
倍暦の関係で、景初元年は崇神即位元年の237年と計上した。この
ことから孝靈72年は秦の時代に当たらず、後漢の靈帝の中平2年
(実年代185年)に相当することになる。

この文献の記述な関わった大元の者がこの記事を通常暦で記載
したようだが、どうも倍暦を知っていたようで、その示唆をこの話
の中にひそませたのではないのかと感じてやまない。

孝靈の時代は3倍暦をやっており、

 72÷3=24(フシ 不死、富士=蓬莱)

と読め、計算結果で実質72年は24年と出ている。

実は、秦の時代での日本はウガヤ朝70数代の時に当たっているの
が本来ではないだろうか? 『靈』の字の中の □ □ □ は
三つの富士穴か?w

九州王朝大好きさん アドバイス有難うございます。いずれ捕離符
を使うときが参るかもしれません。

109 :太国:2007/02/22(木) 17:51:13
>>108
中平2年ころに中国から日本への人物渡来があったか否か?

奈良県天理市の東大寺山古墳から某年鉄刀が出てきたが、その銘文
に以下の文字がある。

「中平□□ 五月丙午 造作支刀 云々〜」

当時(孝靈72年=実年代185年=中平2年)後漢から来日があったの
であろう。

110 :九州ですが ◆uZFVMLIhZI :2007/02/22(木) 19:01:34
プラムさん心配してくれてるようだけど、倭人伝を「行き当たりばったりの文章」
とか言うのに対して、一人の魏使が見聞して書いたのではなく、
複数の魏使によって、倭国は見聞されているのは疑いないことだと言いたかったわけよ。
「たくさんの」とはそういう意味なの。

111 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 19:20:19
えへっ、太国さん、
そんな古神道だか2倍暦・3倍暦だか、その世界の問題について
大好きさんからアドバイスって、そりゃちょっと難しいと思いますよ。>>108

112 :太国:2007/02/22(木) 21:03:32
比売大神は九州の女島に生まれたか、由緒がある人物であろう。
仁徳50年に日女島の雁の卵の話が記述されているところから考え
ると、比売大神は仁徳世までも生きていた可能性が残っている。

神功〜仁徳世は3倍暦の時代にて事実上年代が短縮されているから、
たとえば神功世の終わりころに生まれていれば、應神の世を通り
過ぎて仁徳世まで生き残っていたと云いうる。卑弥呼が崇神
前後の時代の女王と分かれば、比売大神と卑弥呼は別人だという
ことに傾き、古代史の謎は氷解して来る。

宇佐神宮においても、比売大神の左右に應神、神功が祀られて
いることから、比売大神が崇神世の人物とは考えにくい。宇佐神宮
創建が725年ならば、双方を同一人物だと当時の神宮の関係者が思
っていたとは思わないほうがいい。両者がイコールならば比売大神
とせずに、卑弥呼大神とかの直接名称で祀れるはずであるからだ。

113 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 22:12:39
坂の上田村麻呂は百済系の人で、百済群平野郷に祖神の杭全神社がある
元の本拠は飛鳥のひのくまにあり、平安初期の将軍として各地の開発を行いました。

114 :九州王朝大好き:2007/02/23(金) 12:12:44
>>113
>平安初期の将軍として各地の開発を行いました。

違うだろう?
各地への侵略戦争や反乱鎮圧弾圧をした。

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