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【一生の】今川義元 Part2【不覚】

1 :無名之介:2007/01/18(木) 20:59:02
§ 溢れる気品、秀でた能力。
§ ひと時は最も先進的な政を布いた一代の傑物。
§ 海道一の弓取りとは麿のことよ。
§ 尾州のうつけなどとは並べて欲しゅうもない。
§ それがあの戦で後世まで笑いものになろうとは。
§ 不覚、不覚!まさに一生の不覚よ!

・・・ここは、今川義元と今川家を語るスレです。

前スレ

【目指せ】今川義元【京都】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1096879587/

今川義元はなぜ人気がないのか?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083821036/


2 :日本@名無しさん:2007/01/18(木) 21:05:20
ふたつなの はじもさらせし いまがわの むかしをどこに たずねけむかは

3 :葛山何某:2007/01/18(木) 21:16:41
http://www.geocities.jp/rekishi_chips/okehazama.gif

前スレでもあったけどこの葛山勝嘉って何もんだよ!!

4 :日本@名無しさん:2007/01/18(木) 21:42:22
>>3
備中守でんがな。


5 :日本@名無しさん:2007/01/18(木) 21:56:43
てか、この葛山ってのどうやって、半島に陣ひいたんだ?水軍使いか?

6 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 00:59:19
1550年代、今川義元が実力あるのはわかるが
それでも中央の実力者である三好長慶にはちと及ばなかったのでは。この人が当時の事実上のNo1でしょう。

7 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:30:18
時には大友義鎮のことも思い出してあげてください

8 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 01:35:14
                l;:;:;:;:;:;:;:;:l;:;:;:;:;:;:;:;:`丶、;:;:;:;l
               ,l;ィ'----┴――--、、;:丶、!
               ,ノ7 '"^   ^`'   ,ィ'三ミ、_〉
               {:/, ニ丶  ,r,=-、 ヾ:::::::ミヾ
              〃ィ'。`>ソ { ィ'。`'ァ::..  !::::::ミ:l  おお 新スレとな!
                 l:! `~´/ ,l、  ̄´   ,. }:::::三<
               ll   (、 っ)     : ,l::::シ久'l   
                  l   ,.,__、     ,:' f::/ン ノ/  麻呂は苦しゅうないで おじゃるぞ
                 l 、 f{二ミァ ,)    {,ツ>-‐'′
               ヽヽ`ー ' : ヽ   ,_ソ/
                丶、__, -―''"/,/
                ,} ヽニニ  =彡シ,ンヽ,
               ,/(`=- r‐ ''" / ,/丶、
              ノヽヽ、_;__,∠..ィ"-――ュ、
            ,∠三二二,,___,,.  -― ''"~⌒`丶、、_
      ,, - '"´ ̄/        /             /``
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9 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 02:27:55
戦国時代
http://hobby9.2ch.net/sengoku/

10 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 13:15:05
後裔の今川一策は評価高いのに、何で今川家は人気がないんだ?

11 :日本@名無しさん:2007/01/19(金) 17:50:04
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    |  | |          .| 三|  _     _   |三 !
    .|  | |          | 三|  三シ  ! ヾ三.  |三 |
     |  | .|         | 三'-、_.,.ノ i;;iヽ、,.,___、 i三 |
   .  |  .| |          ト、ニ|``ィヽOン , .;'iィKOン |三.|
     |  ,l、.゙l、        ', iヽ!  、 ‐' /  !、 ーシ |シ,イ 
    ..l_,..-−-`-、       i,ヽリ    ,' :  !.     |f ノ  
  _,..-l´-'"~二二~`'=、_    .ヾ!  / i ,、 ,..、ヽ    lノ
 / / ̄ _;,: =‐、‐'ト、_ ヾヽ    .|   ,__,.-;-;-;、._、ヽ l
 `、.ヾi´   _,,....L:;_)`t、'´    l  イ,=,=,='='='=l'ヽ /、
   `〉  ''"~´  _j,, )`´     ゙i.、   `'"~⌒~"'  /'"\
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    〕  、-''"´ _,..、〉      ,ィ|、  \     /_,、-'" _,.-''´ `丶__
    i゙:';;  ,ィ-'゙   !i   _,. イ  | ヽ_ 二=''" _,. -''´  """""´´ `、

12 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 05:01:29
義元が一般的に人気がない理由。
劇画で簡単に信長に討たれるから。
しかも信長や秀吉、家康らが中心人物として描かれる場合
討たれる以前の勇猛な義元の描写が少ない場合が多いため
なおさら大したことのない公家風殿様のイメージがある。

13 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 10:01:08
義元って勇猛じゃないじゃん。


14 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 11:04:44
>>13
桶狭間で織田の旗本3人と戦い2人を再起不能にしてる

15 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:06:01
>>14
足軽の膝を割って、同じく足軽の指を食いちぎっただけだろ。
そんなんが勇猛ならほとんどの武士は勇猛になっちゃうよ。

16 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 15:39:09
義元は今川家の総大将だよ。
それでそれだけ出来たら
世間のイメージからすれば大したもの。
バカ殿ではなかった。

17 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:24:16
領土的に旨みが無い割りに小煩い山猿軍団の武田と婚姻を結び
関東の銘菓上杉憲政を動かして元はといえば居候のくせに
最近デカイ面をしていい気になってる北条を叩き駿河から駆逐。

東を向いてたら隙を狙って三河にうつけの父親がのこののこと侵入
するも余裕で追い出す。

関東制覇ゴッコに巻き込まれ泥沼に陥る前に武田北条と三国同盟を結び
西進するための戦力集中を可能にする。

あっさり討たれて上記の功績が吹き飛ぶ。


18 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:27:20
当時、この合戦は
どれぐらい大きな事柄だったのだろう。
全国に衝撃が走ったのかな。

19 :日本@名無しさん:2007/01/20(土) 16:41:10
朝倉宗滴(1477年-1555年)

伝承

臨終をむかえた際、当時無名であった尾張の織田信長の台頭を予言したと伝わる。 『朝倉宗滴話記』に
「今すぐ死んでも言い残すことは無い。ただあと3年は生きていたい。 遣り残したことや命が惜しくて言って
いるのではない。 織田上総介の行末をもう少しだけ見てみたいのだ。」(意訳) と記されている。

彼の死後、5年。桶狭間の戦いが起こった。

20 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:42:44
大将が襲われてるのに、親衛隊?は何をしてたんだ??
義元は、桶狭間で見捨てられてたのか?

21 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:46:25
びっくらしたけど大勢に影響はないだろと考えられてたと思われ、
表紙破れちゃったね、なくらいの物かと。

22 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:48:24
21は>>18へのレスす


23 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 16:48:42
>>21
あぁ…義元いなくても氏真がいるから大きな変化はないと思われたのか。

24 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 20:31:19
大名が侵攻先でチョンボやらかして討死ってパターンは特に珍しくもない

25 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:17:36
>>17
河東一乱は相当手こずっていたと思うぞ。

26 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 09:07:29
>領土的に旨みが無い割りに小煩い山猿軍団の武田と婚姻を結び

小煩わしいどころかボコられています。恐いから辞を低くして和を請うた。

>関東の銘菓上杉憲政を動かして元はといえば居候のくせに
>最近デカイ面をしていい気になってる北条を叩き駿河から駆逐。

大恩ある北条を裏切って武田と結んだために、怒り心頭の北条にあっさり河東を占領された。
しかも河東を返してもらうために上杉も裏切った。

>東を向いてたら隙を狙って三河にうつけの父親がのこののこと侵入
>するも余裕で追い出す。

織田にも押されっぱなしだったが、雪斎和尚の功績によりなんとか戦線を支える。
当然義元には何の功績もない。

>関東制覇ゴッコに巻き込まれ泥沼に陥る前に武田北条と三国同盟を結び
>西進するための戦力集中を可能にする。

北条は既に関東で圧倒的な勢力となっていた。
一方今川は弱く、武田の助けなしには到底北条に太刀打ちできなかった。
が、武田も今川救援にばかりかまけているわけにもいかない。
3国同盟は弱体の今川が生き残るための唯一の策だった。

>あっさり討たれて上記の功績が吹き飛ぶ。

ド素人義元が何を勘違いしたのか自ら出陣し、実力通りに頓死した。

27 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 10:39:49
元康はどういう処遇にしていくつもりだったんだろ?
三河に閉じ込めておくのか、参謀格にするつもりだったのか

28 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 14:05:20
>>27
別にただの地方豪族扱いだろ

29 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 15:05:29
なもん働きと態度次第で変わりまんがな

30 :日本@名無しさん:2007/02/02(金) 15:52:51
外戚重臣以上には、どうせなれん>元康

31 :日本@名無史さん:2007/02/02(金) 18:26:23
桶狭間の前に、若手No1ともいうべき朝比奈泰朝と競わせるように
2つの砦を同時に攻めさせているので、二人をライバルにして、次代の
両輪とする気だったんじゃないか。

32 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 00:11:40
>>28
今川の親族の関口氏の娘を嫁にしてやったりして、結構優遇してる。
結構、おべっかがうまかったに違いない。

33 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 01:12:17
>>32
築山殿ですね。尾張攻めが成功してたら、
有力武将の一人くらいにはなるんじゃないか?

34 :日本@名無しさん:2007/02/03(土) 01:20:44
元康の事だ、最初は大人しくても周りの勇将が老いたら、信康を立てて専横するに違いない。
狸はどこまでも狸。

35 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 09:18:25
まあ、武田家における木曽以下の扱いではあっただろうね。

36 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 14:06:47
桶狭間では、織田が降伏の会見を桶狭間で行うとだまして奇襲したという説もあるが、
実際に降伏していたら、今川方の武将として織田、松平は結構活躍したかもしれん。

37 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 14:54:43
元康が氏真を失脚させて、自ら今川家当主となり駿遠三の国主になる道はなかったのか?

38 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 15:13:49
元康が今川家当主は無理だろう
信康を氏真の養子にさせて乗っ取るなら可能かも

39 :日本@名無しさん:2007/02/03(土) 16:25:46
残念ながら、義元亡き後に台頭する武将は元康しかおらんよ。後は、皆、雑魚武将しかいないもんwwwww
今川家wwwwwwwwwwww 岡部元信と朝比奈くらいか。

40 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 18:52:27
信長の野望では雑魚武将ばっかりだね。

41 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 20:11:38
しってるか?
最近の研究ではヨシモトは実は団子屋の親父で
部下達が担ぎ出したカイライにすぎなかったってさ

42 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 21:17:59
上洛説は嘘で実は三河と知多半島確保の制圧説あるね考えると
三河ー尾張ー美濃か伊勢ー近江ー山城ルートでいくと地元大名踏み潰して
いっても制圧でなく占領だし残党蜂起も危険だし、将軍か朝廷から上洛頼まれてもいないだろし
血筋はいいからそこはいけそうだけどルートで同盟か友好勢力もみえないしね。

43 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 21:21:35
上洛するのに通り道の大名を倒していく必要はない。

44 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 22:18:27
元康も信長みたいなDQN武将の風下に立つくらいなら、今川家の実権を掌握して
駿遠三の太守となる道を選んだ方がよかったのにな。

45 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 23:27:38
まともな男子は義元のような麿の下よりも信長のような風雲児の下を好むと思われ。

46 :日本@名無史さん:2007/02/03(土) 23:59:49
通り道の大名倒さなくってもというけど無視すると自国落としかねない勢力が縄張り通るし
警戒する気もする、信長も美濃確保のち浅井同盟して義昭通して朝倉中立にさせて道確保したし
家康も素通り(自同盟国攻撃目的だが)する武田追撃したしせめて根回したとも聞いたことなしですけど

47 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 00:06:52
そりゃ警戒くらいは当然するでしょ。

48 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 00:34:40
織田家では篭城するかどうかで揉めていたのだから?

義元は輿に乗っていたらしい。

49 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 00:36:45
>>41
信長も団子屋じゃなかったか?

50 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 00:37:29
そんなことより、なんで日本史板はPCだと人多すぎになってしまうんた?

51 :日本@名無しさん:2007/02/04(日) 00:45:19
          ____
        /      \
       / ─    ─ \
     /  (●)  (●)  \
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      \    ` ⌒´    /ヽ
      (ヽ、      / ̄)  |
       | ``ー――‐''|  ヽ、.|
       ゝ ノ      ヽ  ノ |
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

お団子一つくださいな♪

52 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 01:02:20
警戒はほぼ敵対、たとえ通り道大名が交渉承知か篭城して見て見ぬふりしたとしても
京にいる三好とは一戦はするだろしそれだと補給路の確保がみあたらないし決戦して追い出しても
本拠地から京まで遠く制圧用意でないし三好と小競り合いするだろから山城安定せず自軍を維持するのが難しいのでは?
あと素通りした大名が叛意したら孤立戻る道なく危険、今川水軍ももってるけど三好もあるし物資運送がおそらく目的となる今川水軍しかも目的地までの海路も
確保してないと思うし、しかも三好水軍地元今川戦闘船撃破せずとも輸送船沈めればいいしね。


53 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 01:21:08
義元の真の目的が尾張攻めだったか上洛だったかは別として


仮に上洛するつもりだったとしても、別に三好と戦う必要はないし、三好の方も戦う理由がない。
謙信の上洛と同じく、帰国するのをおとなしく待っていればいいだけのこと。
そもそも(守護)大名が上京するなど、
本来は珍しくも何ともないことだった。
いくら乱世とはいえ、守護が上京するのを拒む理由は付けにくい。



54 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 03:33:46
それだと二万大軍の意味がなくなりますね、謙信は一説だと八千の兵とともに上洛したとありますが
当時の謙信足場はそこまで安定してませんので数十名の家臣でいったらしいそのため三好も下手にでこと構える必要ないですし
守護の上洛は珍しくはありませんが当時の足利の権威は地に落ちていたはずいく意味すくないですね
謙信は王道権威主義者信長は父信秀、平手の尊王献金により朝廷評判が良好それを背景に当時足場がための意味を込めて上洛
くらべ今川は名門官位もあり足利途絶えれば吉良が次吉良が絶えれば今川がと言われるほどの家柄
ご機嫌伺いにいく意味が見当たりません、数名でいくならまだしも中核家臣団に大軍率いていくのはただことでなし
三好も軍事力による傀儡政権なのでそんな威力上洛させて見過ごしたら自政権の崩壊を招きますし交戦必須はかと思われます
信長も数名上洛のときは相手にされませんでしたが軍隊率いていけば交戦するはず現に軍隊率いていったら戦いましたし義昭
要していたので義昭の意見で三好一党害されると思い交戦したかもしれませんが信長は再三通り道義昭上洛を唱えていき三好も六角
組んで防いでいます、自分らが政権ゆずるならまだしも六角組み込んでまで軍事背景にした上洛軍をいれるわけにはいきませんでした
なのであの時の今川の上洛は大軍有してのこと戦闘は必須かと。


55 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 03:46:20
今川義元は織田信長をあまりにもなめすぎ油断したそうです。
北条氏康だったかな?あれでは死にに行くようなものだと言った
そうです。
もし桶狭間で織田に勝ったとしてもこれでは天下は取れそうも無い
ような気がします。

56 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 10:29:10
>>54
どうでもいいけど、人に読ませるために書いてるんなら、
もうちょっと句読点、改行について留意した方が良いよ。
あまりにもひどい。

57 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 12:05:47
>足利途絶えれば吉良が次吉良が絶えれば今川がと言われるほどの家柄

よく見かけるセリフだが出典が不明。俗説か?

58 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 12:44:05
昨日、杉並区の観泉寺に行ってきました。
メトロ丸の内線の荻窪駅から歩いて行きましたが、西武新宿線の井荻駅から
の方が近かったようです。

59 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 12:47:51
今川本家は明治に絶えたが、品川家の子孫はいまでもいるのだろうか?

60 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 14:55:01
>>54
謙信は義輝に御下命あらば我が兵で三好勢(3万)を打ち破って見せましょうと
進言したようだが、義輝は決心がつかなかった。
結局、謙信の帰国後に松永弾正の謀反でお陀仏。

61 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 16:02:59
>60
謙信上洛したとき手勢恐らくすくないのでその次点は無理でしょうしもしそれが三好に漏れたら
謙信京からでられないはず、あとそのときは足場固まってませんし討伐出兵したら自国の守りが
手薄になるので危険なのでは?越山と違ってはるかに距離もあるし義輝も無理だとわかりつつ、謙信も儀礼だと思います。

62 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 16:49:12
今日の風林火山で谷原義元初登場。

63 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 17:57:49
自信過剰な謙信なら、5000も手勢がいれば三好くらい一ひねりと思ったのかもしれん。
三好もにわか政権だからな。基盤は決して強くない。

64 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 19:10:47
>>61
日本語でおk

つーか、日本人?

65 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 21:34:40
携帯厨だろ。

66 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 09:32:12
一応歴史的な流れを見ろよな

ついこの前まで畿内で大軍勢が西軍東軍とか言いながら入り乱れていて
そこで一応の勝者であったはずの大内があまりにも中央に干渉しすぎてしまって
国許での求心力を失い尼子やら陶→毛利に乗っ取られてしまっている状態だ
結果大大名達は中央政治に口を出さなくなってしまって三好さらには松永が中央でやりたい放題
北面の武士である朝倉ですらすぐ近くにある京都へは信長がのさばるまで不干渉を貫いてるだろうに

67 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/05(月) 10:20:08
というか、天下をどうすれば統一できるか?
の発想が戦国初期には無かったのでは?
そのうち足利将軍がなんとかするだろう、くらいにしか。

○「人大杉」人多すぎ状態を何とかするべし。
自由に書き込めないだろう。



68 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 10:37:39
足利将軍・・天下を統一したいが無力
戦国大名・・自分の領土を拡げたいだけ

もし今川義元が尾張を併合し、武田・北条との同盟も守られ
史実どおり道三・義龍も死に美濃も手に入る
その段階で足利義輝が上洛を要請、三好・松永を駆逐すれば
今川の天下も夢ではない

足利義元と改名して第二次足利幕府が成立

69 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 11:52:19
>>66
もともと中央政治に口を出せる格の大名はごく一部。

70 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 12:52:32
ってかな
よく勘違いされるんだが
戦国時代=全ての大名が天下取りを目指していた
というのが大間違いなんだよ
信長ですら義昭が包囲網とか余計なことをしなければあのまま畿内を治めて
すげーじゃんで終わったのにな

実際に秀吉が統一を急いだのは外敵要因じゃないかと言われておりまして
各地方大名が勝手にポルトガルなどと交易をして利益を上げていたので
それを独占したいとおもったということらしい
それを江戸時代に鎖国という政策で完了するわけだが

71 :日本@名無史さん :2007/02/05(月) 13:46:03
名門の今川なら朝倉や北畠、六角もすんなりと従ったかもしれないし
案外上洛は早くできたかもね

72 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 13:47:23
>>71
今川が上洛をするメリットは?
義元上洛中に国許で何か起こる可能性が高いのに
上洛するほどのメリットはあるのかね?


73 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 14:31:27
三好と一戦なんてのは、信秀の代から
ちょっかいだしてくる織田を黙らしてからだろ。
京に行くかやっぱやめるかは尾張をおとしてから考えればいいこと
尾張をおさめることの延長線に上京や天下がみえてくる

74 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 14:37:34
尾張を落としたら美濃・近江へ進むのか、それとも伊勢・伊賀へ進むのか。


75 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 17:23:14
駿河・遠江・三河・尾張ここまで領土化すれば
一国しか領土が無い大名はすり寄ってくる
それに室町時代の価値観では今川は家柄がいい
有力な武田・北条が同盟国、毛利・長宗我部とは家格が違う

一時的には今川の覇権はあるだろう

76 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 18:12:21
で、無能な氏真を隠居させて元康が継承、今川元康として覇権を握ると。

77 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 18:20:13
>>75
すり寄ってはこないよ
義元死亡で崩壊というシナリオだろ

78 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 19:24:30
大丈夫!氏真は優秀

79 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 19:51:08
元康が今川元康になって、結局、史実どおりの江戸時代になりそうな・・・

80 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 20:08:52
元康なんて最前線で流れ弾に当たって終わりでしょ。

81 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 23:33:14
元康だと氏真の子供の代あたりに外戚として権力握ってそうだな
執権北条氏のようなポジションというのも面白い気がする

82 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 00:06:16
まぁ元康は有力外様ぐらいだろうな

83 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 07:11:02
せいぜい三河先方衆の旗頭程度だろ。

84 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 10:21:07
もし尾張に影響力を残せる形で義元が死んだとしても
氏真の代になれば統率力を見せねばならず
反抗した勢力を叩き潰して当主の座をアピールせねばならんのだが
実際跡を継いだ氏真の所業を見ているととてもそういうことは下手っぽいんだよね

85 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/06(火) 10:51:45

○今川義元はかなり学問をし、外交能力はあったと思われる。
が、実践兵法は苦手だった。

○東海地方を制しても、北条、武田がいる以上、簡単に京都には進めない。
上杉謙信が軍とともに一度京都に行ったが、将軍に会っても何も出来なかった。

○人大杉状態をなんとかするべし。自由に書き込めないぞ。



86 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 10:57:08
>>85
京都に進めないんじゃなくて
京都に行っても意味がないってことだ
謙信もそうだろ?大義名分がいるんだよ

義元がもし桶狭間で死ななければ
義昭奉戴を名目に上洛することも可能だろう
そして自分は副将軍になって事実上の天下人として覇を唱えるだろうが
息子の代まで睨んでというほど長期間地元を離れていたら
まちがいなく地元豪族が独立反乱を起こして帰る場所がなくなるだけだ

87 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 11:26:05
ただの負け戦じゃなく総大将が討たれた
義元の影響力より信長の影響力が残ったんよ

88 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 16:53:57
>>86
○天皇、将軍がいる京都に行くこと自体に意味がある。

○駿遠三三カ国程度の大名が独力ではるか彼方の上方に遠征するなど自殺行為。

○管領、管領代ならともかく、副将軍なんて今川には夢の又夢。

○もし仮に長期間副将軍として天下に覇を唱えられるとしたら、
 そのころには上方に数カ国の地盤が出来ているだろう。
 駿河に帰る必要なし。

○人大杉状態をなんとかするべし。自由に書き込めないぞ。

89 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 16:58:10
>>88
今川家は過去に副将軍を輩出しているので
義元も状況が許すならば当然副将軍にはスムーズになれますよ


90 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 17:46:15
>○駿遠三三カ国程度の大名が独力ではるか彼方の上方に遠征するなど自殺行為。

これ以上の国力を持ったヤツってかなり限られるだろw
まあ中央になんの根回しもないまま上洛したところで意味がないからする必要もないわけだが


91 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 18:36:34
独力はツライね、副将軍になっても制圧地維持する軍事力ないし半農兵できてるだろうから
長期はいられないだろうし、外交がおざなりすぎるんだよね役職もらっても他の追随ゆるさない
軍隊いるしあと謙信上洛はほぼ数十人でいったので三好追い出すはあそらくはったり
武田と揉めてたしそれそのまま兵隊つれてったら自国危険武田の信濃侵攻やめさせてくれって
いいに京までいったようなこと聞いたな。

92 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 19:48:41
携帯厨読みにくい

93 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 11:32:21
春だねえ


94 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 11:42:34
挨拶周り程度の上洛なら、少数で行けば済む事。信長も謙信もやっている
日本古来からの政治経済の中枢を抑えるような展望が無ければ、本国から離れた長期遠征なんて馬鹿げているだけ

95 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 11:47:30
>>94
しかもその馬鹿げていることをずっと応仁の乱と称してやり続けて
そのすぐ後の時代だからなおさらアホらしいんだよな
だから戦国時代=だれもが天下を狙っていたなんて嘘は撤廃して欲しいもんだ

96 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 11:55:10
>だから戦国時代=だれもが天下を狙っていたなんて嘘は撤廃して欲しいもんだ

そんな当たり前のことを今更・・・。
お前自身が最近嘘だってようやく気付いたんだろう?
バカマルダシ

97 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 12:04:39
尾張を落としてから長期的視野で天下をねらえばいいだろ
すぐに大軍で上洛してどーのこのじゃない
それがわからん義元でもないよ

98 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 12:25:55
>>96
つまりおれがいいたいのは
今川家が天下狙ってたってのもその嘘の中に含まれるって話だ
普通に尾張攻撃だろ、平定すら危うい
織田家に絶対的勝利を得て知多半島以東を確定させたかっただけの戦いだってことだ

99 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:01:57
天下取ろうなんていう途方も無いことを考えつくほうが異常で、さらに実施する人間は稀

100 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 15:20:58
天下を統制する中央政権が没落したからこその戦国時代
価値の暴落を見たものを、再び苦労背負い込んで再生させようとは思わないだろうな
地方割拠が目標だったんじゃないか

101 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 22:26:57
>>98
いや、そんな当たり前の話を、わざわざ書き込むと。
あたかも最近知ったばかりの知識を喜んで披露しているようで恥ずかしいよ、
ってことだと思うが。

102 :日本@名無史さん:2007/02/07(水) 22:36:43
まあまあ

103 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 08:52:14
春だねえ

104 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/08(木) 10:33:19
○人大杉、ひと多すぎをなんとかするべし、
自由に書き込めないだろう。

○桶狭間で今川義元が逃げ遅れたのは、地酒に酔っていて馬に乗れなかったから。
と推測、

105 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 10:37:52
大軍を上洛させて将軍を廃立して天下に号令・・大内義興が試みて失敗
それ以降は地域割拠主義が主流、頭の良い毛利元就も上洛しないように遺言している

今川が上洛するとすれば力の誇示と尾張守護の公認を求めるためだろう
天下を獲ろうとした信長は壮大な馬鹿かもしれない


106 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 10:44:53
>>105
信長も別に天下を狙ったわけじゃないだろう
中央の争いに参入して気がつけば勝ってしまっただけの話だ
実際どういう形で天下を治めるかすら構想する前に死んでしまうわけだが


107 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 11:58:36
>>106
天下を狙ってたでしょ
天下布武の印を用い、他の大名が無視した足利義昭を奉じる。そして全国の大名への影響力の行使
例えば島津大友間を調停したりとかね
もし信長がその気なら、それこそ中央なんかに進出せず本貫地尾張の周辺に固執したはず。旧今川領という格好の餌があったことだしね
天下統一前に死んだ信長が天下人とされるのは、天下統一(一統)という構想をぶち上げて実際にその道筋をつけたからだよ
極端に言えば秀吉や家康、果ては信玄や謙信といったライバル達の天下志向は信長の後追いに過ぎない

108 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 12:01:56
>>106
美濃を取ってから、「天下布武」などと言い出してるが?

109 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 12:30:48
俺的には今川のイメージって志村けんのバカ殿なんだよw

110 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 14:10:13
>>105
>大軍を上洛させて将軍を廃立して天下に号令・・大内義興が試みて失敗

大内が天下に号令しようとした??


111 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 14:16:28
信長は三好党との政権争いには参加したが天下という明確なビジョンは持ってなかったじゃん
義栄追って義昭を15代将軍に据えたまではよかったが幕府の官職一切もらってないし
しまいにゃ義昭と対立して袂を分かってるし
そんなに信長が天下を取りたかったならばそれに向けての軌跡があるはずだか全然見えないんだが
まあ一応朝廷の官位は上がってるがそれくらいじゃね?
それも秀吉と比べて別段早い速度でガンガン上がってるわけでもないしなあ

112 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 15:02:39

   ∧_∧, オオキニ
  ( ・ω・)オイデヤス
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http://society5.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1145305314/

113 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 18:07:06
信長は義昭を擁して天下に号令するつもりだったが
義昭が逆らったので自分が天下人になるしかなかった
義昭に味方するものを滅ぼしているうちに
本人のもくろみ以上に巨大になってしまったと思っている

大内義興は将軍を擁して上洛しているだろう?
足利義稙を山口に保護、1508年に義稙を奉じて上洛
将軍足利義澄を追放し足利義稙を将軍職に復し、
管領代・山城守護として11年間、幕府を牛耳っている
その間に地元の中国地方では尼子経久が台頭した

信長は尾張・美濃・伊勢の守護になったのかな?

114 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 18:11:06
号令するつもりがあたら管領なり副将軍なりやってるさ
本人は幕府要職をことごとく断ってんだぞ

115 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 18:17:37
>本人は幕府要職をことごとく断ってんだぞ

これがどういう事を意味するか足りない脳味噌フル稼働して考えて見ろ。

116 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 18:30:06
>>115
おまいこそよく考えろ
将軍奉戴して上洛してるのに要職についてないんだぞ

117 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 18:49:05
>>116
だったら信長は義昭や足利幕府のために無料奉仕したのか?
家臣や同盟者(徳川・浅井)も慈善事業に付き合ったのか?

要職につかないことはむしろ恐ろしい野心があったからではないのか?

118 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:02:24
幕府の役職を辞退したのは信長が謙虚な人間だったからですw
信長は足利義昭公の忠臣ですw

119 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:13:57
>>113
で、大内義興が天下に号令しようとしたと?
大内程度がそんなこと出来るわけないし、義興程の人物がそんな夢想家なわけないじゃん。
ただ将軍を擁立しで細川よりもしたの、でも分不相応な管領代を褒美にもらっただけだろ。

120 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 08:52:12
東海の信長が、わざわざ他の大名から総無視喰らった義昭を助けてわざわざ畿内まで出張る時点で何の意志も無いと考えるほうが無理でしょ

121 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 09:16:26
中央の政争に参加して一旗上げようとは思ったと思うが
天下を取るっていう意味ではなかったと思うよ

122 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 09:20:14
つ天下布武

123 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 09:44:46
幕府に取って代わろうとするのを天下取りと仮定するならば
そういう思想なりバックボーンがないといかんわけだが
そういう学問なり思想なりが蔓延してたと思うか?
将軍の首を挿げ替えて影響力は持っただろうが信長自信が幕府を作るとかという構想はどこにあるんだ?

124 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 09:48:33
一旗上げるのが目的なら、それこそ中央に出て行くなんていう難儀なことしないで地方でブイブイ言わせてればいーじゃん
わざわざ北に本拠地変えたり、岐阜という大陸の故事に倣った改名したり、天下布武の印を使い出したりその意志を感じさせる証拠が多い
だいたい天下取り=幕府と限定している理由がわかんね

125 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 09:56:34
>>124
当時の価値観からして武士が天下取るのは幕府だろ?
だから信長は義昭を将軍に据えるために上洛したんだろ?
それ以外での天下取りというのを当時の価値観を鑑みて示してくれないか?

126 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:00:46
>>125
秀吉は武家関白っつーことで天下を取りましたが
平清盛という前例もあるし、幕府だけなんていうのはそれこそ狭い視野じゃないか?

127 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:03:31
話を整理してみてくれよ

信長がわざわざ総すかんくらってる義昭を連れて上洛して将軍に就けたってのが天下布武なんだろ?
後で義昭との関係がこじれるのは置いといて、これで信長は天下取ったという認識だろ?
幕府を否定するのは現代人の感覚だからであって当時はやはり幕府=天下だったんじゃないのか?と問うているわけだが

まさか義昭なしで勝手に山城周辺に軍勢がいるからといって天下人とは認識されんだろうによ

128 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:07:05
>>127
いや、それはおかしい
「信長公家一統の政道、五百年以前の如く申し行うべきの由、存じより候」(三条西実澄書状)
当時の公家の書状だが、公家と武家の統一政権への期待を表している
そもそもその幕府の将軍を追放したのが信長だしね

129 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:12:40
天下布武は別に義昭奉戴の上洛限定のスローガンじゃないでしょ
その後も使ってるわけだから
むしろ晩年に使い出した龍の印章から、中国式の主権者を志したんじゃないかって説もある

130 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:16:49
易姓革命で織田王朝か?

131 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:22:44
白熱した議論が展開されていらっしゃる中、非常に申し上げにくいんですが
ここは今川スレですので信長の天下布武につきましては信長スレでお願いできないでしょうか?

132 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:23:45
三官推任を蹴った信長だからなー
あるいは三官兼職という日本史上に無い地位を狙ったのか
単純に「天下の儀も御与奪」と伝えた息子の信忠のほうを出世させて欲しかったから自分の昇任はスルーしたのか
旧来の官位に拠らない権力基盤を作ろうとしたのか
まぁ、想像の世界だよな。本人が政権構想諸共灰になったんだから……

133 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/09(金) 10:26:36
○人多すぎ状態を早くなんとかしてくれ。自由に書き込めないぞ。

○上杉謙信は一度軍を率いて京都に行っただろう?
しかし将軍が煮えきらず効果は無かった。
むしろ、その教訓から、武田、北条を滅ぼして、大勢力になった方が
天下を統一できると考えていたような感じだ。


134 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:47:42
こらこら
謙信は関東管領だから関東にこだわるんだろw


135 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:56:11
そういえば義元って幕府の官位はなんか貰ってたのか?

136 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 11:04:57
つ 駿河守護

137 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 11:10:33
駿河守護が、関東公方・管領の敵である後北条と同盟組んで東日本で猛威を振るう、か
幕府権力なんて形式だけのものだね
分国法でも「オレ(義元)の力量でこの法律やるんだぜ」と豪語してるし

138 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 12:15:57
>>137
良くも悪くもそれが室町幕府だw

139 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 12:24:27
>>127
>信長がわざわざ総すかんくらってる義昭を連れて上洛して将軍に就けたってのが天下布武なんだろ?

×

>後で義昭との関係がこじれるのは置いといて、これで信長は天下取ったという認識だろ?

×

>幕府を否定するのは現代人の感覚だからであって当時はやはり幕府=天下だったんじゃないのか?と問うているわけだが

×

>まさか義昭なしで勝手に山城周辺に軍勢がいるからといって天下人とは認識されんだろうによ

×

0点。

140 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 17:05:58
家柄もいい義元だから
天下を狙っていたかもしれんが
上洛すれば天下をとれるものでもなし
それこそ孫の代までかかるだろうし
中央が混乱してる時こそ地元をおさめなければなるまい

141 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 19:11:56
「天下を取る」という言葉のもともとの意味は
「取る(盗る)」じゃなくて「摂る」、
「てんか」とは殿下、転じて摂政や関白のことで、
早い話が「(中央の)政務を摂る」という意味だったんだが、
いつしかまるで横から天下をつかみ取りするみたいなイメージになっているな。
これも司馬遼太郎が売れて以降の影響か?

142 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 19:22:26
>133
上杉謙信が天下統一?アホらし。
戦国大名はみんなチャンスがあれば天下を狙っていた、
なんてのは後づけの思い込みに過ぎないよ。

143 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 20:11:44
チャンスがあれば狙ったろ
チャンスがないだけで‥
誰でも天下を狙ったというのは違うと思うが
誰も天下を狙ってないというのも違くないか

144 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 20:34:41
>>141
信長曰く 「天下布武」

司馬遼太郎は全然関係ないね。

145 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:07:53
>>144
とりあえず司馬遼って言ってみたかったんじゃないの?
なんかこういう人時々いるよね。ちょっと歴史をかじると司馬遼をやり玉に上げたがる人。
司馬遼なんて有名だけど小説家にすぎないのに。

146 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:49:22
武田騎馬隊
鉄砲三段撃ち
司馬遼太郎
天下統一

147 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:56:28
>>144
信長の天下布武ってのは、
天下を正すため武断政治を行なうって宣言しているんであって、
足利幕府の実権を横から奪い取ってやるぜ、って言ってるわけじゃないでしょ?
結果的にはそうなったけれど、最初からそういう意図が当たり前のようにあったようなイメージが定着しているのはどうして?って話をしたつもりなんだけど。

148 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 22:57:58
>145
別にやり玉になんか上げてないのに、その頓珍漢な反応は何なのかと。
言うまでもないことだが、
売れっ子作家の影響は決して小さくないよ。
信長や秀吉に限らず、世間で思ってる歴史上の人物のイメージなんて
ほとんどが物語からのものだしね。
こっちはただ司馬遼太郎が乱世史観にというものに基づいてその手の小説を書き、
しかもそれがバカ売れしたのは事実で、その影響は大きいんじゃね?
って言ってるだけ。
違うってんなら乱世史観がここまで流行った他の原因を教えてくれよ。


149 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 23:20:11

コーエー信長の野望ハンドブック&武将ファイル

150 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 03:28:49
信長の父が朝廷に莫大な献金をしていたり、朝倉が見向きもしなかった義昭
を擁して上洛など、他の領土を拡大したいだけの戦国大名?とは違うだろ。

151 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 06:49:39
杉並区の青梅街道の「八丁」交差点付近が今川家陣屋跡(遺構は無し)
とのことで、そこへ行ってきました。
八丁交差点から北(観泉寺の方)へ続く道を100mくらい行くと、
東西方向の続く谷があります。
現在は完全に宅地化されていますが、地形がはっきりと残っています。
これは陣屋の堀の遺構か、陣屋ができる前から谷があったのを堀として
利用していたのではないかと思います。
陣屋と距離が近いので、この地形は防衛線として利用しないはずがないと
思います。
・・・ということを想像しながら、その近所を散策してたら、楽しい気分に
なってきました。

152 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 11:10:13
今川義元の義の字は将軍義晴の一字を貰ったものだが
中央情勢に対して何か活動したって話は聞かないね
使者ぐらいは送ったりしてたんだろうか?

153 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 11:33:52
氏真には一字もらってやろうとしなかったのだろうか?

154 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 16:58:47
足利将軍家の権威は没落の一途を辿ってるから
わざわざ一字貰う意味はないと思ったんじゃないの?

155 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 19:39:45
もらう前に義元が死んだんじゃないのか。
しかも、そのあと幕府も義輝が殺されて空位時代が続いたし。

156 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 19:46:30
もし貰ってたら「輝元」になってたのかな?>氏真


157 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 20:04:29
義真じゃね?

158 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 21:02:27
氏真って誰から一字もらったの?

159 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 21:11:55
氏は今川家の通字だろ。

160 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 21:49:54
そういえば北条も氏康・氏政・氏直だな

161 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 22:05:49
伊勢長氏→北条氏綱→北条氏康→北条氏政→北条氏直
今川氏親→今川氏輝→今川義元→今川氏真
武田信縄→武田信虎→武田信玄→武田勝頼→武田信勝

162 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 22:49:08
ん?

163 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 23:36:38
何で義元ばかり「義」が付いて「氏」が付かないの??

164 :日本@名無史さん:2007/02/10(土) 23:36:48
信玄は出家後の法名で、イミナは晴信だろ。

165 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 00:06:14
「氏」を付けないで「義」にしたので、義忠・義元と…。

166 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 08:47:30
俺の家系は、
不明→善次→庄三→龍應→英輝→俺

名前に一貫性が無いです。

167 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 10:46:05
>>166
特定しますたw

168 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 11:44:34
今川義元は出家していたぐらいだから嫡子ではないんだろうな
後継者争いの内戦に勝利して国主になったなら実力派だろ

信玄・・父を追放、謙信・・兄を追放、信長と政宗・・弟を粛清
みんな似たようなものだが


169 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 13:25:57
正室腹だったから周りがお膳立てしてくれた。

170 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 09:14:45
>>168
あんぐり
兄貴がだれかも知らんのか。。。

171 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 12:20:11
義元のアニキ?
雪珍とかいう香具師だろ?

172 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 16:52:46
くぐったら今川氏親だてよ
ウィキによれば享年27さい
実子がいないため弟達の花倉の乱へと

173 :日本@名無史さん:2007/02/14(水) 23:40:00
まずは大河ぐらい見てから来てくれ

174 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 02:25:52
テリー伊藤は雰囲気でてたよな

175 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 11:05:38
 大河や映画、小説、漫画、ゲーム、通説という所から
スタートするからどうしても、あの義元のイメージが
刷り込まれてしまうよね。
 負の印象の原因追及したり(恰幅がよかった+公家風→
デブ+ぷよぷよ→馬に乗れないほど短足 みたいな)、
一級資料を基に復元したり、当時の常識や風俗をふまえれば
なかなかの武将だったってことが分かる。
 因みに公家顔の殿様=無能でヘボいってイメージは、
かなり志村けんのせいだと思うw

176 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 13:27:03
なんでも雪斎の功績にしちゃうのは、徳川史観の影響?

177 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 13:48:51
徳川史観というか後世の人間からみたら雪斎死後衰退してしまうから余計にそう思えるんだろうが
雪斎が生きていてもいつかはそういう流れになるんだがな
直江とか鍋島とか秀長人気と似たようなもんだとは思うけどね

178 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 14:22:47
雪斎は家康の師匠(この時点で史実的にすげー疑問だが)
今川が強かったのは雪斎のお陰、つまり雪斎の弟子である家康が優秀でかつ今川家に取って代わったのは当然!

…ってな感じか?

179 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 16:33:35
っていうか、義元個人の功績って何?

180 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 16:54:20
義元個人の功績ってか
当時は血統だけでも重要な要素だからなあ
今では信長や秀吉の功績になっているものも配下のだれかの功績だろうし
明治維新くらいまで近代だとそれが如実に記録で残っているから伝わっているだけの話だし

181 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 17:19:29
人間は社会的な動物なんだから、
個人だけ切り離してその功績はなんて言い出したって始まらん。
裸一貫で成り上がる奴だって誰かしらの世話にはなる。
仮に義元の智謀が全て雪斎だとかいっても、
その雪斎の意見を取り上げて実行するのは義元の裁量。

182 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 17:53:39
>>雪斎は家康の師匠(この時点で史実的にすげー疑問だが)
家康の器量を見込んだ義元が後々のことを考えて
雪斎に今川万歳思想を刷り込んでもらうつもりだったんじゃないかと思えてしまう

183 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 18:13:35
雪斎って坊主のくせに、なんであんなに強いの?

184 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:02:46
>>179
ない。義元は先進的な大名家の正室の子として生まれただけ。


185 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:21:12
東をかためて西にのばせるようにした
わりとまともな戦略じゃん

186 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:21:28
母親の寿桂尼の存在も大きかったんじゃない?
信玄も彼女が死ぬまでは手を出せなかったわけだし。

187 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:42:35
桶狭間は軍事作戦に問題があったんかいな?
だとすれば雪斎は軍務的に重要だったのかな?
義元は内政や外交は強くても戦には弱いタイプのイメージ

188 :日本@名無しさん:2007/02/15(木) 23:57:38
お家騒動が年中行事の今川家で24年間主を勤められているんだから、立派なもんじゃないの?

189 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:05:56
>183
同意だね、まさに天才ってやつだね歴史において時折現れる人物こういう奴
みると神とか仏とか信じれるね人を作ったといわれる者に、けど義元配下に
岡部とかの猛者心服(当人義元の首もちかえてった)させてたし、雪斎の策かもしれんが信虎退けたし
北条とも戦ったしなにより軍事二万の大軍を維持動かせた時点で総合的な戦下手とは一語にいえないのでは、数に勝るもの
ナシっていうし戦術戦略云々より油断だと思うけど?


190 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:51:38
雪斎は小豆坂で織田信秀も叩いているし、信虎も手玉にとったところを
併せて、想像を絶するスーパー和尚だ


191 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 07:41:42
>>188
義元が当主になってからは対抗馬はいなかったような。

192 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:02:05
有能な人材を活用するもの能力のうちでしょ
雪斎が亡くなってから桶狭間が起こるまで今川の勢力は拡大の一途だったんだから、なんでもかんでもっていうのは疑問

193 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 11:09:12
よく考えれば三国同盟はすべて滅亡だな

194 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 17:57:27
>>192
雪斎が死んでから桶狭間までに今川を傾けることの出来る当主がいたとしたら、
そいつは世紀の大暗君だろうね。
領国においては伝統的な安定君主、東と北は同盟国、西は自分の足元も固められないお漬け物。
これほど恵まれた大名もめずらしかろう。

195 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 18:34:00
一応三国同盟も盟主的存在だしな


196 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 20:18:44
そうだっけ?一番弱かった(武田を攻めては大敗、北条に攻められては
武田の援軍のお蔭で何とか戦線を支える)のが今川だと思うが・・・。

197 :日本@名無史さん:2007/02/16(金) 20:42:03
自国の安全のためには三国同盟しかなかったんだよ。

当初
今川・北条VS武田    武田に勝てない
 ↓
義元と武田の娘がケコーン
今川・武田VS北条    勝てないと見るや婚姻政策 しかし北条ブチキレ

どっちと組んでもどっちかに怒られる。そして被害を被るのは今川。
だから雪斎は頑張った。 

198 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 12:49:48
双方相手に勝てなかったから同盟になったんでしょ
もし今川だけが突出して弱かったら潰されてるよ

199 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 13:35:09
そういうのは1対1の関係の場合。
1対1対0.5の三つどもえの場合は1+0.5対1となるか、
0.5対1+1で強者が弱小を分け取りにするかだよ。
どっちにしろ主戦場は駿東で一番困るのは今川。

200 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 13:59:23
>>199
数値化で判断するヤツw
ゲームのしすぎじゃね?w

201 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 19:50:09
数値化するのはいいのだが、あまりに大ざっぱ過ぎだな。
ゲーム厨と思われても仕方ない。


202 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 20:57:23
あんなのが数値化って・・・
ゆとり世代か??

203 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 21:44:11
一対一っつーのが数値化ですかねw 斬新な発想だわ
11対11でボール蹴り合うゲームはどうなんだろうね
こんなこと言ってる時点でゲーム厨ですかw


204 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 22:54:31
数字が出てくると即数値化=ゲームと思い込んでしまう子なんだろう。
可哀想だからそっとしておいてあげて。

205 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 12:16:42
石高や、内政の改革度を見たら今川は北条についで二番手で、未だ信濃も制圧しきれなかった武田が一歩劣るように見えるが
実際に武田の対今川援軍は当主自らが参陣しなきゃいけない清洲同盟の徳川状態

206 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 17:31:12
>>205
今川は甲斐一国すらろくにまとめ切れてなかった武田に負けっぱなしだよ。
清洲同盟で例えるならば、長篠まではるばる救援にやってきた信長=信玄、
武田に攻められて顔面蒼白の家康=義元だね。
信長は家康を外征にこき使っていたが、義元は自分が攻め込まれたときに信玄に助けてもらっていたんだよ。
北条に一方的に本領を侵略されて、信玄自ら救援に出陣しなければ立ちゆかない今川なんて、
お荷物以外の何ものでもないね。

207 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:27:30
そういえば、今川義忠討ち死に以降、今川の当主ってあんまり戦場に出てなくね?
駿府を出陣しても戦場まで行かなかったり。

208 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:16:20
今川は公家だからな

209 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 10:03:53
大体伊勢氏を支援して伊豆を乗っ取られてしまうのがねえ
そこで伊豆返せって戦争仕掛けて負けてる時点でダメダメだな
対武田はまああんなもんだ
なにせ尾張一国もまだ手中に収めていない対織田ですら決定的な勝利を
得られてないんだからな

210 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 11:02:36
織田は尾張一国も統一していなかった時代でも
美濃や三河にちょっかい出してるよ。
信秀時代は結構強かった。

211 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/19(月) 11:03:33
○人大杉状態を何とかするべし、自由に書き込めないぞ。

○桶狭間の油断が言われているが、当時は夜襲を警戒して、夜酒を飲まなかった。
むしろ昼間に飲んだ、とかいう話が出始めたな。
となると、別に油断でもなくなるが、、、むしろ警戒線の問題か。

212 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 11:32:48
強かったのに尾張もろくに統一できなかった信秀と
弱い(?)のに遠江と駿河をがっちりキープできていた義元?
なんか矛盾してねーか??

213 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 11:58:43
>>212
身分の差
アホでも二世三世なら簡単に国会議員になれるし
有能でも学歴も家柄もなければ難しい

214 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 12:21:16
>>212
織田信秀の家系がどのようなもので、信秀がどのような立場で動いていたのか調べましょう。

215 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 12:46:28
今川家ってまさに華麗なる一族だよね

216 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 12:47:10
>>214
そっとしといてやれよ
尾張の国主が歴代織田家世襲だと思いこんでるんだろうからさw

217 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 14:47:58
花蔵の乱はあっさり終わったように見えて、実は結構根深いよ
義元の戦歴のほとんどは既存の領国内での反乱鎮圧ないし粛清で、外部に介入できるようになったのは結構後
そのやり方も、前代までの侵攻路線からパトロン化(松平氏の保護・川中島合戦では今川からの支援物資は荷改めしないように、という信玄の触れが出ている)することによって間接的に安全化しようという方法
義元の力量が発揮されたのは主に内政部門なのは状況からして当然なのかもしれない

218 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 15:03:49
>216
おまえそればっかりだな
能無しのレスはいらん

219 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 15:29:54
               斯波氏(尾張守護)

        織田大和守家        織田伊勢守家 (守護代)
             ↓
        織田弾正忠家(守護代の家老三家の一つ)

220 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 15:37:51
今川氏(駿河守護)

221 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 18:02:14
>>218
お前よりは能があると思われ

222 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 18:11:18
織田弾正忠家で経済に明るい信秀は当時港町だった清洲を地盤にして一気に力をつけていきます
息子信長の代に伊勢守家、大和守家、そして斯波氏すらも従えて事実上尾張統一を果たすわけです

223 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 18:15:51
ところで甲斐や駿河・遠江には守護代はいるの?


224 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 18:18:01
今川義元はそもそも今川家という駿河守護の家に生まれる
長男氏輝死後に環俗し後継者争いに名乗りを上げて花倉の乱を戦い勝利
その後も必死に内部結束を保つ努力と共にどちらかと言えば関東方面での戦いが目立っていた
北条、武田との三国同盟を結ぶに当たり東西に長い戦線を西だけに絞り三河掌握と尾張攻略に
力を注ぐも桶狭間の戦いにおいて討ち死に
その後息子氏真の代に武田と徳川に両面から攻められあえなく領地を失ってしまう

225 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 18:30:13
>>222
オイオイ、清洲じゃないだろ津島だろ。

>>224
関東方面つーか、駿河東部だな。

226 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 20:22:19
今川の当主っていつ頃から麻呂になったの?
やっぱり寿桂尼の影響かね?

227 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 21:26:48
>>226
麻呂ってなんだよ
公家風って事か?
日本史板なら正しい日本語使おうぜw

228 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:52:35
そういえば大成した麻呂大名っていないような。
東西二大麻呂(今川義元・大内義隆)両方とも末路は惨めだったしな。

229 :日本@名無しさん:2007/02/20(火) 00:08:03
>>228
大遠征して失敗し、家をぶち壊したこともな。

230 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:54:38
というか、麻呂なのに(大名として)生き残った大名っていないんじゃね?

231 :日本@名無しさん:2007/02/20(火) 01:01:43
京 極 家。

232 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 01:09:12
京極高次の息子の名は熊 麻 呂。
まさに麻呂一家です。

233 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 01:54:37
「京は武士を腐らせる」ってやつですな

234 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 02:01:20
マジレスする
今川の当主は公家で馬鹿殿のふりをしてみただけ
信長みたいなかんじで

235 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 02:08:32
京とのパイプ作りでしょ?
それでもあくまで結果として、公家に近づいた武家は大成しないってことで

236 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 04:27:22
くだらん

237 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 07:12:38
大内義隆卿は百済系らしいね。
武田信玄は新羅系だそうだ。
今川義元は高句麗系?

238 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 08:47:17
大内はまあ中央で権勢を振るったので公家化したと言えますね
今川の場合は義元自信が京の寺にいたことが京風文化にかぶれた理由っぽいなあ

239 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 08:50:55
かぶれたも何も、連歌師の来訪を受けるのは織田家でもやってるよ
公家風の衣装は家格により、元々今川家自体が京からの下向組だから当然

240 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 09:56:44
連歌師が来たからと言って麻呂化したとは言えないし、
今川は京からの下向組じゃないし。

241 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 10:09:21
今川家がいつ京都にいたのかと
義元は坊さん時代に京都在住だが

242 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 10:16:25
今川家は公家。

243 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 10:24:18
従四位下では微妙だな

244 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 11:01:13
本当に麻呂だったのか?
時代劇の見過ぎじゃないの
お公家さんが槍でつきかかってこられたのをかわして脛に反撃の斬撃飛ばしたり、首取られかけても敵の指食いちぎったりできるとは思えないわ

245 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 11:27:27
>>244
公家も討ち死にする時代だよ

>槍でつきかかってこられたのをかわして脛に反撃の斬撃飛ばしたり、

これは見事だが

>首取られかけても敵の指食いちぎったりできるとは

これは武将の作法ではあるまい

246 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 11:32:30
母親は公家の出・平和な駿河を頼って多数の公家が京から頼ってきた
そういう背景が公家化伝説の素地になってるんじゃないの?
「自分の力量で領国を支配する、旧来の特権なんて認めない」と仮名目録追加分で示した姿勢なんてもろ戦国大名じゃん

247 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 11:40:12
駿河・遠江の2国を完全支配なんて家柄が良いだけじゃ治められませんて
しまいにゃ三河と尾張に仕切りに介入してるし

248 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 11:46:20
ただ、合戦での活躍がないと後世マンセーしにくいのは確か
戦国武将に触れるのって、大抵が合戦物の創作物でしょ?
戦で撃たれましたが内政は良かったです、だとコアな玄人以外には見向きもされない

249 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 12:06:21
まあ通常
戦国モノといえば信長で
今川義元が出てくるとなれば桶狭間というのが定番だもんな
いきなり出てきて討たれる巨大大名というイメージが定着するのも仕方ない

250 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 12:06:57
内政って、贅沢三昧とか戦三昧とか、余程ひどいことやらなきゃ悪くはならないんじゃ?

251 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 12:14:53
>>249
同意。しかも巨漢の麻呂大名なんだもん。
インパクトでかすぎ。

252 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 12:31:53
>>250
このころはすでに豪族達を抑えて自分が国主であることを誇示しつづけなければならない時代だから
内政と一言でいっても内輪もめの仲裁やらで結構大変
一つ間違えば内乱だからな

253 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 13:19:25
実際隣じゃ信虎追放されてるしな

254 :日本@名無しさん:2007/02/20(火) 13:25:00
>>252
そればかりではなくて、今で言う「制度改革」も同時進行させなければならないし、
なおかつ「暮らしが豊かになった」という実感を持たせなければならない。
結局は、どこか別のところから金や技術を導入しないとダメなんだな。



255 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 13:28:44
そもそも義元も父と同様国内を二分する争いに勝ちあがって
しかもほぼ完全な統治状態を作って他国を併呑していく
実力を見せていた立派な戦国大名なのに、名家の流れだけで
苦労知らずに育ったみたいな見られ方をされるのが気の毒。

まあそれも今年で風向きは変わるんだろうが。

256 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 13:50:51
でも実際に今川家って
戦の数だけは多いが実入りが少ないから配下豪族は不満タラタラだったんだろうな
義元死後あっけなく崩壊したのはその辺の恨みも込みだろ

257 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:33:11
>>255
でも家督争いの頃はまだ高僧に尻穴を献上して可愛がってもらうのが務めの稚児小僧で、
まわりがお膳立てしてくれたから家督を継げたわけだし、
統治体制は氏親の頃からかたまってたし、
他国に併呑されなかったのは律儀に当主自ら助けに来てくれる武田のお蔭だし、
西に勢力を伸ばせたのは織田家の尾張統治が不安定だったからだし・・・。
結局今川義元、氏真ってのはいいとこのボンボンにすぎないんだよね。

258 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:44:47
信玄、氏康のような修羅場をくぐってきた武将と比べるとひ弱感はぬぐえないな。
ほとんど唯一といってもいい合戦で数に劣る織田に完敗、戦死してるという点も大きい。

259 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:54:23
>>258
そういえば、東西二大麻呂の両方とも自分ではほとんど戦場へ行かず、
珍しく自ら指揮をとった戦いで完膚無きまでの敗戦をしてるね。
義元は自分自身が戦死、義隆は養子が溺死してる。

260 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 16:56:45
今川義元・大内義隆だけ麻呂なのは不公平だ。
朝倉義景や大友宗麟は麻呂じゃなかったのか?
細川昭元や畠山高政はどうなんだ?

261 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 17:37:39
一条氏とか吉良氏とか足利氏とか北畠氏とか上杉氏とか

262 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 17:59:09
麻呂という基準がわからん
公卿の列せられていたとか京風文化を地元に根付かせたとかそういう具体的な基準がないとな

263 :日本@名無しさん:2007/02/20(火) 18:36:41
まあ麻呂麻呂いっているが、室町後期から織田信長の時代までは
荒廃した京都の文化や産業の担い手の受け皿となって
「小京都」を作ることに守護(戦国)大名たちもやっきになって
いたんだから、どうこういうもんじゃないんであって。

それで一応成功したのが今川と大内というだけ…




264 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 19:13:57
そうか?大名たるもの自国が栄えるような施策をとるもんだが、
べつに京都文化の受け皿やら小京都やらをつくろうとしたわけではないと思うんだが。
大内以外は。

今川だって義元母が公家の出で、その縁で時々公家が来てたようだが、
べつに小京都とか考えてないんじゃね?

265 :日本@名無しさん:2007/02/20(火) 19:18:26
>>260
大友宗麟は少なくとも麻呂では無い。

266 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 19:19:31
>>264
義元って武士と麻呂のハーフだったのか。
なるほど。

267 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 19:28:59
義元は麻呂は麻呂でも務めは立派に果たしていた麻呂。
大内義隆は敗戦ショックで現実逃避して家来に滅ぼされたダメ麻呂。
同じ麻呂でも、実情はずいぶん違う。

268 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 19:39:50
でもさあ、義元はなぜよりにもよって麻呂なんかになっちゃったんだろう?
誰か止めてくれる人はいなかったのか?
武田北条織田に松平なんかみんな秘かに笑ってたんじゃねーの?

織田「麻呂キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!」
北条「義元m9(^Д^)プギャーーーッ」
武田「( ゚д゚)ポカーン」
雪斎「義元(#゚Д゚) ゴルァ!!」
朝比奈「今川(´Д⊂ モウダメポ」
松平「チャンス!(`・ω・´) シャキーン」

269 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 20:57:37
なんで麻呂をマイナス扱いしているのが多いのよ
大内義隆は子供が死んだからの厭戦気分になっただけだし
そんな大名割といるだろ

270 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 21:53:48
長曽我部元親でさえ息子の信親が死んでから精彩がない
三好長慶もそうだったな



271 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 22:14:09
長曽我部ってなんか麻呂っぽいよね。
いい家に生まれてたら絶対麻呂化したと思う。
ところで今川氏真も麻呂だったのだろうか?

272 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 08:54:52
蹴鞠の名手に向かってなんて口の利き方。。。

273 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:04:33
麻呂ってか、当時の公家風のステイタスをバカにしすぎw
他の大名は、したくてもできなかったの。
あのころ信長や氏康や信玄が公家風にしてたら、
身の程しらずで笑いもになったからだよ。
大学生ばかりのコンパに、浪人生が参加するようなもんだ。
ちと違うか?w


274 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:09:02
麻呂呼ばわり自体がネタだろ
逆に個人資質に帰したくなるほど桶狭間の敗戦が不思議だということだ
本隊は2万5千の圧倒的大軍(公記だと4万)、伊勢一向衆を誘い国レベルの挟撃作戦を実施
実際の戦況も砦を幾つも粉砕して小勢の織田軍を粉砕。あとは清洲の信長をじわじわ締め上げるだけという状況で奇襲だから

275 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:24:18
>>274
奇襲説は最近劣勢ではなかったか


276 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:31:40
それは迂回奇襲説(戦前の軍部が結果から逆算して想定)が正面奇襲説(信長公記の記述を忠実に信頼)に変りつつある程度じゃ?

277 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:36:14
公家だったからいくさの仕方を知らなかったんでねーの?

278 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 11:04:23
今川家は公家じゃないぞ、武家だぞ
まあそれ以前に当時は公家と武家の間に明確な区分けすらないわけだが

279 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 12:10:04
麻呂の実力

北畠顕家>京極高次?>今川義元>=大内義隆>今川氏真

280 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 14:27:37
正真正銘の麻呂、一条家を忘れるな


281 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 14:29:00
ゲームかドラマでの知識しか無いようなレベルの低い奴ばっかだな


282 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 15:34:34
レベルの高い>>281氏が為になる講話をしてくださるそうです。
皆さん静かに拝聴しましょう。

283 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 16:02:45
いや、戦国板ならまだしも、日本史板では>>281がいうように
レベルが低い人が多いのは確か。
それなりにしっかりした人がいるのが救い。
学問日本史板らしい良スレにしようぜ、マジで。

284 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 16:24:57
        |:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:i;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;|
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       |______|_____|
       | 三|  _     _   |三 !
       | 三|  三シ   ヾ三  |三 |
       | 三′  .._     _,,..  i三 |
       ト、ニ| <でiンヽ  ;'i"ィでiン |三.|
       ', iヽ!  、 ‐' /  !、 ーシ |シ,イ
        i,ヽリ    ,' :  !.     |f ノ
        ヾ!    i ,、 ,..、ヽ   lノ
         |      _ _    イ l
           l    ,ィチ‐-‐ヽ  i /、
            ゙i、   ゝ、二フ′ ノ/'"\
             | \  ー一 / /   _,ン'゙\
         ,ィ|、  \     /_,、-'" _,.-''´ `丶、__
      _, イ  | ヽ_ 二=''" _,. -''´  """""´´  ``ー

285 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 17:48:27
今川了俊って実力派なの?

286 :日本@名無しさん:2007/02/21(水) 17:59:52
>>285
九州の南朝勢力を一掃した猛者。その猛者ゆえに時の将軍、足利義満に疎まれた。

287 :日本@名無しさん:2007/02/21(水) 18:02:20
>>271
麻呂ぢゃなく、かなりの戦国武将タイプでしょう。元親は小さい時にひ弱だったのでそういうイメージがあるが
実際は、身長は180以上の巨漢だったらしい。息子の盛親もね。

288 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 18:09:12
長曽我部元親って巨漢っつーよりやせ形じゃなかった?

289 :日本@名無しさん:2007/02/21(水) 18:26:08
長宗我部盛親
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AE%97%E6%88%91%E9%83%A8%E7%9B%9B%E8%A6%AA

人物
身長は6尺(180cm)あったとされ、父と兄(長宗我部信親)同様に当時としては大男であったと言われる。
また墓所のある蓮光寺には、肖像画(原則非公開)が残されており、父によく似た剛毅な風貌を伝えている。


ガリって事は無いと思うよ。

290 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:38:34
wikiソースは・・・あてにならんw

291 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 21:00:01
背が大きかったとしか書かれていないな。

292 :日本@名無しさん:2007/02/21(水) 22:49:57
父によく似た剛毅な風貌を伝えている。

肖像画ミロ。 ガリヤセオタクドモ。

293 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 23:31:33
>>292
でかい口叩くのは元親の肖像うpしてからにしれ
デブマロヲタクメ


294 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:11:21
元親は剛毅か?w
キョトンとした顔だがw
まあ、スレチだからそろそろ軌道修正しないとな

295 :日本@名無しさん:2007/02/22(木) 01:29:05
ここは、東の麻呂こと義元様のスレでごじゃるぞ?四国の一領具足の田舎者と一緒にされては困るのぢゃよ。おほほほほほほ。

296 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 02:07:25
お前ら麻呂と馬鹿にするけど、古代の坂上田村麻呂は蝦夷征討に名を馳せた
勇将だぞ

297 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 07:49:24
>>296
中世の今川義麻呂は桶狭間で泥にまみれながら足軽の指を相手に格闘した猛将ですが。

298 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 09:28:17
えーっと。。。春モード突入されてしまってる中でブツブツいうのもなんだが
もし義元が麻呂風ファッションに傾倒していたとしても
当時はそれが上流階級の嗜みだったりそういう格好ができること自体がステータスだったし
だれかれできるものではないのでうらやましがられるわけだがな


299 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 09:46:42
>>298
武家の上流階級のたしなみではないだろ。
義元は従四位下にすぎず、同程度の官位の大名は珍しくない。
が、麻呂大名は多くはない。
勢力的にも今川を上回った大名は多いが、彼らは麻呂化していない。
家柄的にも今川はそれほどいいわけでもない。(例の足利絶えれば吉良が継ぎ〜ってのは出所不明の与太話)
麻呂化が武家においてもステータスだったんなら、義元級の有力大名は軒並み麻呂化してると思われ。
武士の麻呂化はただの趣味だろ。

300 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 10:30:52
当時は武家とか公家の区別は曖昧
はっきり区別しなおしたのは家康が幕府を作る辺りから


301 :○「本能寺の変、425年目の真実」:2007/02/22(木) 10:54:47
○人大杉状態をなんとかするべし、自由に書き込めないぞ。

○今川義元の桶狭間敗北原因は、織田が攻勢には決して出ないだろう、確実に篭城だろうと
いう一方的な思い込み。
これを考えるに織田重臣内部に大物スパイがいたのかもしれない。
前夜会議は篭城に決まっていたらしいし、、、

302 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 11:07:13
そもそも義元が麻呂風なのは何か出典元なんだ?

303 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 13:17:19
>>300
曖昧つっても、公家の家柄は固定されてたし、武家と公家の区別はあったからなあ。
まあ麻呂になっても文句言う人はいなかったんだろうけど。

304 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 13:32:35
義元が輿に乗っていたというのが麻呂に繋がるのではないか?

305 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 19:20:21
>>298
義元は公家じゃなくて足利将軍を模倣していたんじゃないの?


306 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 19:21:03
>>299
>義元は従四位下にすぎず、同程度の官位の大名は珍しくない。

そうなの?義元以外に何人くらいいた?

307 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 20:21:57
ある程度家柄のある有力大名って大体従四位下じゃね?


308 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 21:40:55
義元のまわりだと武田、北条、上杉、斯波、小笠原、吉良・・・
いや調べてないからわからんけど。

309 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 23:28:32
>>307
左京大夫右京大夫修理大夫大膳大夫衛門督弾正少弼
このへんは従四位下になってる可能性が高い

310 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 08:36:03
北条は従五位下だな

311 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 10:02:54
大内の方が官位高いな、従三位ぐらいだろう

足利将軍でも従四位下・左馬頭ぐらいから始まる

312 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 10:10:51
大内は義興が従三位、義隆が従二位

313 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 10:15:46
まあ大内は事実上応仁の乱の勝者だからなあ
あのまま地元で尼子なりが暴れなければ大内が天下取ってたろうに


314 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 10:18:14
官位貰うとお礼をするのが慣例になっているが、同じ従四位なのに細川高国が百貫払ったのに対して義元は二十貫
将軍家繋がりだから安くて済んだのか?w
それとも実はあまり京方面に興味はなくて、公家のほうから平和な駿河に下ってきただけだったりして

315 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 12:41:30
今川もどれくらいの想像をされていらっしゃるかわからんが
副将軍を出したこともある家柄なのでそれほど悪い家柄ではない
だが細川や畠山や斯波や吉良とは比べるべくもないがな
義元が家督を継ぐ辺りでは圧倒的に大内が一番だな

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