5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】

1 :秦氏末裔:2006/12/17(日) 01:39:59
全国の秦氏末裔、マニアよ、日本建国に貢献したわりに地味な秦氏だが、逆襲といこう。
秦人(騎馬遊牧北方系)は、西域〜中国西北部の土木・水利技術 集団?
秦造系氏族は始皇帝15世弓月王が率いる古代最大の大規模移民団?
宇佐吉備瀬戸の秦王国が応神大王と同盟して大和朝廷成立、大規模古墳時代が到来?
赤穂山城の秦氏太秦(族長)河勝が聖徳太子顧問として、中国に独立宣言?
17条憲法、12階位制度で天皇ヒエラルキーを祭司政治経済で確立。豪族の隷属民を
解放し、機織、須恵器、竈、文字を普及。テラや神社に束ね、律令国家経済を模索?
正倉院、宮内庁雅楽に残るペルシャトルコ中東文化は、ユダヤ景教徒説秦氏の証明?

前スレ【シルクロード】日本人と謎の秦氏?【始皇帝】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/

331 :月光仮面:2007/02/12(月) 11:09:47
これはSrubnaya(木槨墳)文化拡散の地図↓
http://users.hartwick.edu/iaes/map2.htm
北部の森林地帯と南部の草原(ステップ)地帯の境界線が右上に延びている。
その先にアルタイがある。アルタイに達する同時期の同様文化にアンドローノフスカヤ
文化がある。銅の産地を中心として発達する文化と馬、戦闘二輪車、後のスキタイ
文化が関係してくる。これが殷商、そして、千年の時間差で大和盆地に流入する。
最近進んでいるSintasgta-Arkaim遺跡の研究で大和盆地開発同様、宗教に基づく
地形の利用、蘇我氏の甘樫岡のようなもの、が特徴的であることが判明した。
参考までであるが、イランの考古学者はアーリア族は北方黄色人種に圧迫され
イランへの南下を開始したという。Sintasgta-Arkaim遺跡に近いバシコルスタンでは
トルコ系バシキール語とイラン系クルド語が共存している。バシキール人というのは
恐ろしい鬼のような顔をした人だそうである。

332 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 11:16:50
>>255
アマテラスと同じ、三貴神の一人、月読神は?

333 :月光仮面:2007/02/12(月) 11:21:11
スペルが難しいなー。正しくは→Sintashta-Arkaim複合遺跡というらしい。

334 :月光仮面:2007/02/12(月) 12:31:16
>>332
月読神とは秦氏が半島から壱岐経由、秦王国香春に持ち込み、南九州に入り
隼人となり、それが東遷し、吉備のあたりで卑弥呼に先行する男王となり、河内、
大和、紀伊、伊勢を攻略するも諸国乱れ終には卑弥呼共立となる、この男王
神武を支えた集団ではないかと思う。その神紋は左に月、右に星でトルコ族の
先祖であろう。
http://www.hayato.com/mado/f_menu.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/gesshin/ishiushi_to_tsuki/ishiushi.html
http://www.genbu.net/data/yamasiro/tukiyomi_title.htm
http://www.genbu.net/sinmon/index.htm
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/rekisi.html
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/gaiyo.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/gesshin/hayato_gesshin/01futatsu_no_tsukuyomi/01futatsu_no_tsukuyomi.html
そして、月読神とは天神であり、アマテラスとは形式上はシンメトリーを成すものの、
別個の宗教を持つものであった。集団的にはアマテラスが天皇集団、月読神はそれに
従属するものであったと考える。


335 :月光仮面:2007/02/12(月) 12:41:53
天皇の渡来といえば、これは横綱のようなものであって、モンゴルの朝青龍も
何とか部屋に入ってふんどし担ぎからのし上がらなければ急になれるものではない。
天皇は北陸・近畿・中国の政治的均衡、女王共立の厳しいシステムの中から、難産の
末に生まれたもので、もはや日本独自のものとしか言いようはないのではなかろうか。

336 :月光仮面:2007/02/12(月) 13:25:25
「14年春2月:
弓月君が百済からやってきて、
「私は我が国の百二十県の民を率いて来たのだが
新羅に阻止され今加羅の国に留まっています」
と進上した。
そこで天皇は、葛城襲津彦を遣わしたが
3年経っても帰京せず
今度は16年8月:
平群木菟宿禰 と 的戸田宿禰 の二人を加羅に遣わし
兵を進めて新羅の国境に陣を敷いた。
これに恐れ慄いた新羅の王は速やかに罪に服した。
これだけの大集団で渡来したのだが、、
一帯この場所がどこなのか
大半は朝廷の近隣に控え多種多様な文明の利器を
伝授した事は容易に推察される。
京都の「太秦」近辺にはその伝承が多々散見されることを
念頭に入れ精査していきたい。
秦氏については次のような説が現在では一般的だが。
海外(中国や朝鮮)への格付・権威付の呼称として
「秦の末裔」を名乗った。
実際は、加羅の民であったそうだ。
この加羅は6世紀には新羅に変る」
http://www.hayato.com/shinwa/jofuku/23hata.html
加羅みたいな小国にこんな大勢の人間がもとからいるわけはない。
百済にいたと見るのが当然。それにしたも、倭国への渡来を当然のことと
考えているようであり、これは神功時代に百済と倭国間領民往来に関する
約束が成立していたのであろうか。

337 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 14:47:59
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

338 :月光仮面:2007/02/12(月) 15:00:10
>>335
たとえば、ギリシャの場合、アポロンがヒュペルボレオイ(極北人)から持ち帰ったのは
馬、白鳥伝説、八咫烏、二輪車、オロチ退治などであるが、日本に入ってくるのは
オロチ退治、白鳥(素鵞)、馬はスサノオ、神武は八咫烏、又、アポロの時代、地方には
なかった銅鏡などであるが、ばらばらに入ってきている。つまり、このことからも、三韓
から日本に征服王朝のようなものは来ておらず、ばらばらな集団が入ってきたことは
わかる。しかし国家として体をなすにはこれらを統合する必要があるが、日本では
3種の神器という独特のやり方を創造したのであろう。

339 :月光仮面:2007/02/13(火) 10:56:07
秦氏はユダヤ人というのは極めてホールインワンに近いショットだった。しかし、もっと
すごい発想は韓国人は英国人の祖先という発想↓
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/sanggo.htm
この2つとも天才と気違いは紙一重に似ているが、2CHで論議するには格好のテーマ。
これに私の提唱するミッシング・リンクは中央ユーラシア草原に埋まっているという説を
適用すると、全てが、多少の齟齬を除き、有効になってくる。大相撲黒海君の故郷に近い
ソチの支石墓群と、遼寧省、韓国、九州の支石墓が結びつく。競馬で本命を中心に
各種の二番手を想定して流す時の二番手のみをとって選ぶと確率的にとんでもない
めちゃくちゃになるが、これをタテメというらしい。これは絶対にあたらない。私の言う
のはブラックボックスの本命を想定し、それを中心に流すという論理なんだ。前置きが
長くなったが、エジプトのピラミッド建設に参加した多くの地方の住民が帰国して、
同じような概念で始めたのがドルメン、巨石文化ではないかというのが私の仮説だ。


340 :月光仮面:2007/02/13(火) 11:04:14
で、殷商と遼寧ドルメンを考えて見ると西方から極東に到達したのは南回り、北回り
と、2つのルートがあり、ヒクソスの王族のような2輪車型のものが殷商に、石工・農業・
戦闘要員的なものが遼寧にという結果となったのではないかと思う。そして日本には
そうしたものが朝鮮半島でミックスして到達する。

341 :月光仮面:2007/02/13(火) 11:23:25
弥生時代は稲作というが、稲作は極めて不合理、不経済な食料生産、量産システム
であり、日本のような亜寒帯気候ではそば、大麦が有利。稲作は王権、政治体制が
出来上がってからとか、広域流通とか、保存などにはある程度有効ではある。従って
渡来人が新たに生活を営んだ地方にはうどん、そば文化があるはずである。三輪そうめん
とか、稲庭うどん、麦きり等には裏の歴史があるようである。

342 :月光仮面:2007/02/13(火) 11:39:15
ブリャート共和国の仏教・考古学の大御所の卓見では蒙古高原を南北に縦断する
境界があり、その西部はエウロペイド、太陽、円形指向、東部はモンゴロイド、天地、
方形指向だそうである。今言う西方からの2本の道はどうやらこの辺で分岐している。
カラスク・オルドス・殷商への道、カラスク・遼寧への道、これは東胡ではないかと
言われている。この東胡は高句麗、出雲、若狭湾・三河方面、そして日向、瀬戸内は
公孫方面からの流れで、そこに秦氏が位置づけられるのではないか。

343 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 12:15:11
大阪の地が古代は新羅津と百済津で埋め尽くされてたけども
これは漢字が使える渡来人が付けた名前なので倭人の出るまくはなかった。

344 :月光仮面:2007/02/13(火) 14:35:52
モルダビア、トリポリエ・ククテニの高床式千木付き八幡造りの神殿モデルの焼き物
について、不思議な思いがしていたが、ちょうど、アポロンがヒュペルボレオイ(極北人)
から帰国する道筋、というか、東方草原のインドイラン族がバルカン、北中欧に侵入する
道筋にあるので、神殿の起源はアルタイの森林地帯と見るのが良いのかもしれない。

345 :月光仮面:2007/02/13(火) 16:32:51
アポロンはこの↓レンガ色の部分の一番右端、そこにはスサノオも、いたはずだが、
そこから、左の方に黒海北岸経由ギリシャに入った。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Indo-Iranian_origins.png
アンドローノフ文化と総称されるこの文化の中心がピンク色のシンタシュタ-アルカイム
文化であり、東方のグリーンの部分がアルタイ・アファナシエヴスカヤ文化であり、後に
カラスク文化となり、オルドス地方を経由して殷商、遼寧地方を経由して日本に向かう。↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Andronovo_culture.png
シンタシュタ-アルカイムがユーラシアのへそといってもいいのではなかろうか。

346 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 19:24:27
秦氏は権威付けのためにつけた名前で本名はちがう名前だった

347 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 20:35:57
秦河勝の顔見てみたい。太秦の広隆寺にある木像は見たことあるけどね。濃い顔だったんだろうか?

348 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 21:16:16
秦氏所属の部民のかつ部は仕事はなにをやっていたのかな

349 :月光仮面:2007/02/15(木) 07:35:40
>>346 >>347
「秦は伝説によれば殷の紂王に仕えた奸臣悪来の末裔とされる。しかしこの始祖伝説は
おそらくは秦が中国に入った後に作られたものと思われる。秦の本当の出自は後に
穆公が西戎の覇となることから考えて、西戎そのものではないかと考えられる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6
楯築遺跡ご神体石・・・この顔は大避神社雅楽面と似ている。
http://www11.ocn.ne.jp/~jin/TATETU.html
推定される盾築における秦王国の部民
参考資料「吉備における郡別部民分布表」
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/bemin-data.htm
しかし、ここに勝部はなくそれが出てくるのは↓
http://www.pref.shiga.jp/minwa/08/08-02.html
http://nttbj.itp.ne.jp/0775834085/index.html?Media_cate=populer&svc=1303
蘇我氏滅亡による物部、特に、神武に滅ぼされたウマシマジ、ホアカリそして、物部の
布津神、三輪の繞道祭が復活している。シンタシュタ-アルカイム遺跡では住居を
意図的に焼き払い、式年遷宮のごとく元の形を再建築した遺跡が謎とされている。
そしてそこは拝火教の発祥の地でもある。勿論、ユダヤ、仏教ヴェーダなど一切の
宗教の発生地でもある。
葛飾、勝浦、葛城、葛野等は何らかの平原、川などの東部である。勝には朝日、
輝き等の意味があったのではないかと思う。勝部は拝火祭祀集団ではないかと
考える次第。

350 :月光仮面:2007/02/15(木) 07:54:25
ついでに言えば、上記の春秋期の秦氏は西戎、アーリア系、であり、犬をトーテム
とする犬戎集団をその下部構造として持っていたものだと思われる。これは既述の
シンタシュタ-アルカイム文化圏のサマーラ峡谷遺跡で、良い土地はアーリア(西戎)、
悪い土地は多分タタールの祖であろう犬戎(井戸に残る犬の毛付骨)が発見されている
ことからこうしたことが考えられる。日本に狼、狛犬、巨大犬とか、地名の残るところは、
山陰から福井県、岐阜県、愛知県から関東にかけてが多い。秦氏とは異なる分布の
ようだ。狗奴国とか、関が原をはさむ合戦が多いことと関係があるのかも。

351 :月光仮面:2007/02/15(木) 08:10:11
世界中に残る天狼星伝説 http://socyo.high.hokudai.ac.jp/More_HTML/buturi/news/bsn9903/a15.htm
徳川時代のお犬様、現在も続く水天宮の腹帯、沖縄のシーサにも残る狛犬と、
犬の信仰もアヴェスタ・ヴェーダといったレベルよりも奥深い広がりがあるようだ。

352 :月光仮面:2007/02/15(木) 08:22:47
秦氏は確かに渡来人ではあるが、かりにその後産のようなものが百済の故地に残って
いるにせよ、本体は日本以外にはいない、れっきとした日本人集団であり、そこから
神武が出ても決しておかしくはない。むしろ自然なんだが、西都原の伝説ではオオヤマ
ズミが鬼をだまして古墳を作らせたと言うこともあり、原住民を天皇に擁いたことも
ありえる。しかし、参考資料「吉備における郡別部民分布表」
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/bemin-data.htm
こんなに部民が勢ぞろいをしている場所に天皇がいなかったわけはない。


353 :月光仮面:2007/02/15(木) 14:01:30
秦氏は、多分、商の中枢部にいたものが、箕子朝鮮として朝鮮を支配、その後、
衛氏朝鮮に追われ、三韓の支配層となり、多分、倭面土国王帥升の訪漢を契機に
筑豊、周防、安芸、そして吉備に至り、そこから大和、紀伊を攻撃するのであろう。
殷の女性シャーマン制度、奴隷制度の片鱗を留めるのは神武と卑弥呼であり、この辺
間では有力であったものの、卑弥呼の没後は、近畿以東の旧出雲勢力がぶり返して
くる。しかし、神功・応神移行、近畿・九州方面が強くなる。といった東西バランス型
になるが、出雲と共に秦氏も全国に拡大して行ったのであろう。いずれにせよ、秦氏は
単なる機織りではなく日本文化の基礎を築くのに最も大きな力となったものであろう。

354 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 17:15:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

355 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 18:36:49
>348 カツ丼を造っていたわけどもなく、

356 :月光仮面:2007/02/18(日) 12:39:31
ちょっと、暴投してしまった↓
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1106979203/330

357 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:53:20
ttp://www.youtube.com/watch?v=4T3tQGU8Q7c&eurl=

358 :月光仮面:2007/02/19(月) 12:38:12
「これほどの量の大型建物を出土した弥生集落の例はほとんどなく、当時、この遺跡が
近隣に比べて、大規模な勢力を有していたことが見て取れます。」「楼閣や方形区画を
中心として、これら7基の大型建物跡が円周上に配されているという点が指摘できるの
です。」
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/iseiseki.html
http://pit.zero-city.com/ise/ise.html
http://www.sakai.zaq.ne.jp/roman/ise2.htm
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/iseki37.htm
「客家(ハッカ、北京語 : Kejia /客家語 : Hakka)は、中国の南部に住む漢民族のエス
ニック集団である。唐から元のころに華北から移住してきた人々の子孫であると伝承
されている。福建省の山間部では、外部からの襲撃を防ぐために、「土楼」(円形のもの
は円楼、正方形など四角形のものは方楼)と呼ばれる独特の集合住宅を築いて、一族
がまとまって居住している。また、広東省や香港では「圍」と呼ばれる、城壁のような壁
の中に村を築く方法も取られていた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6
Sintashta-Arkaim Archeological Complex
http://www.oru.ru/forum/uploads/post-1900-1146499680.jpg
http://www.4ygeca.com/arkaim.jpg
http://www.bashedu.ru/encikl/aaa/str124_2.jpg
http://www.bashedu.ru/encikl/aaa/str124_1.jpg
これは近江に入った新羅からの渡来人天日槍(Sintashta-Arkaim Archeological
Complex地方ではイスラエルのヨセフ同様ヒクソスのアミンベクの話があるが
天日槍はこれであり、ハッカ、秦氏、ユダヤ人は機能的にヒクソス・殷の神主)であり、
秦兵馬俑を含む全てを通し一角獣、とんがり帽子、烏帽子の戦闘帽、死者、亡霊の
葬送装束が特徴的であり、ターリム盆地小河墓遺跡でも同様。ターリム盆地小河墓
遺跡の御棺は堅魚木(ハッチビーム状)・前後の棟持柱を有し、伊勢神宮の祖形である。
波多神社の角凝命もなんらかの関係があるのではなかろうか。

359 :月光仮面:2007/02/19(月) 12:44:26
垂仁が天日槍に対して、出石と淡路のどちらに国を提供しましょうかとの申し出に
対し、天日槍は自分で決めるから良いとして近江に入っている。つまり、多分近江の
オキナガ等と事前に打ち合わせ済みの行動であったようである。多分天日槍軍団は
多分に工兵師団のようなもので、箸墓建設に参加したものだろう。

360 :月光仮面:2007/02/20(火) 08:56:38
>>349
伊勢遺跡近辺には勝部の地名があり、勝部は拝火集団と推定。一方伊勢遺跡には
キャラバンサライ・拝火教祭祀の特徴がある。逆に、キャラバンサライが伊勢遺跡、
客家の圍、アルカイム遺跡から派生するものと考えるべきかもしれない。2世紀末頃
には、伊勢遺跡において銅鐸から鏡への転換、改鋳、卑弥呼共立があったと想定され
る。また、伊勢神宮的社の式年遷宮のスタートも考えられる。新太陽崇拝祭祀の樹立
による建国というヒクソス・商の戦略の実現が合ったのではないかとも考えられる。
また、国譲り儀式があったとすれば、オオクニヌシへのヨット、勝鬨橋、マリナー等の
天孫側のコミットメントはこの地で行われたと考えると天の安川は野洲川となる。
烏丸半島、和邇川という地名はその後の大和朝廷と和邇氏の関係の起源を語る
ようでもある。対岸の和邇川方面は丹後半島の籠神社・元伊勢から琵琶湖経由
大和に入る、魏使も通ったことであろう、要路に当たる。ヒコイマスというのが今津との
関連でなんとなく絡んでくくるのである。

361 :月光仮面:2007/02/20(火) 09:57:51
死人、幽霊の三角額当て、これをやってると、小河墓ミイラのように3800年後に生き返り、
赤頭巾ちゃん、おばあちゃんのように狼に食べられても出てこられる。だからKKKは
スキタイ、兵馬俑、日本の烏帽子のようなとんがり帽子をしている。これらの全ては
シンタシュタ-アルカイム複合遺跡にその起源がある。洋画の「怒りの葡萄」、「駅馬車」
は民族がなぜ移動するかを見事に描いている。ユーラシアのうねりは確かに日本列島に
到達している。波多神社角凝命とは落語家の頭のてっぺんに毛を立てた人がいるが
あんなものかナーと思ったりする。秦氏問題は奥が深い。

362 :月光仮面:2007/02/20(火) 10:16:32
人が生き返るには、血の滴る牛の生皮で覆った伊勢神宮の棟持柱2本、堅魚木付の
棺に入るのだが、これを真似たのがターリム盆地の北方にいたスサノオの先祖。
馬の首付生皮を霊屋の脇の柱に掲げた。唐津湾沿岸平原での女王葬儀に出席
したスサノオはこういうこともやらかして、八百万の神々の仕置きを受けたようだ。
ターリム盆地の方がスサノオよりはるかに正確な儀式をしている。ただ頭付の毛皮は
獅子舞、龍踊り、蛇踊り、鹿踊り等になって残っている。

363 :月光仮面:2007/02/20(火) 10:23:31
>>360
卑弥呼は、こうした動乱の山城、近江、大和、摂津、吉備では生まれ得ない。
孝霊が狩をした淡路、モモソヒメの神社が残る讃岐、それらを結ぶ阿讃播の
播磨南方の黒田こそ、卑弥呼、モモソヒメの生まれたところではないかと思う。
そしてこの地名が黒田の庵というように移動しながら大和南部に移ったと考えたい。
垂仁が天日槍に淡路とか出石を提供すると言えるのは、その辺の王族出身であった
からであろう。

364 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 07:55:13
↑疲れる…。

365 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:38:56
新羅系がほとんどなので出雲にいた邪馬台国女王卑弥呼は気候が温暖な大和に移住しました。

366 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:12:28
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

367 :月光仮面:2007/02/21(水) 12:41:17
>>363
神武記にシイネツヒコ、大和宿禰が神武艦隊航行のために明石海峡防衛線
を開くし、神功もこの敵対水域航行には非常な苦労をしていることからもわかるが、
阿讃播とは明石海峡-鳴門海峡を結ぶ近畿の防衛線であり、この地方の石積墳は
西都原他の模倣。ホケノヤマ、萩原1号、綾部出土の楽浪出土とドウハンの画文帯
同向式神獣鏡は楽浪と友好関係にあった出雲辺りから奪ったもので、阿讃播、
それから出たと見られる卑弥呼、孝霊等は土着人であり、秦氏のような渡来人では
なかったと見るべきであろう。日本の元首ナンバーワンは当時の日本人武人の出だ
ったと考えられる。

368 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 18:01:01
>>362
えひめ県には牛の頭、胴体を模した牛鬼と言う祭りがありますよ。

369 :月光仮面:2007/02/21(水) 18:06:05
>>368
阿讃の大滝山の首なし馬伝承といい、四国にもなんかありますね。

370 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:38:21
出雲にいた邪馬台国女王卑弥呼は四国によってから大和にはいりました。

371 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:31:15
>>367
>この地方の石積墳は西都原他の模倣。

ソースあったら教えてほすい

372 :月光仮面:2007/02/22(木) 07:45:03
西都原の模倣とは言い過ぎであった。阿讃播は中小の前方後円、中円双方等を
含む石積墳が多いが、これは各地の中小在地首長が西都原、吉備等の先進文化を
模倣して始めたもので、やや遅れて東海の中小首長が前方後円墳、前方後方墳を
始めるのと似ているのではないかといいたかった。しかし、↓
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9711/2003/k030320.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9711/2003/a030320.htm
阿讃播に共通する古墳文化があり、積石技術がある程度統一されていることは、例えば
捕虜とか、難民とかが吸収されて在地の首長に働かされたということも考えられる。

373 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 20:43:16
あぁ、言いすぎだったのか
でもレスありがとん

374 :月光仮面:2007/02/23(金) 08:50:33
>>367
>ホケノヤマ、萩原1号、綾部出土の楽浪出土とドウハンの画文帯
>同向式神獣鏡は楽浪と友好関係にあった出雲辺りから奪ったもので、
↑これもいいすぎだな。こういうことらしい↓
http://members3.jcom.home.ne.jp/wakokunosobo/hougen/gishiwa/dokyo.html

375 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 09:29:09
100枚の鏡は有力氏族に5枚ずつ分けてプレゼントされましたので
京都のあや部からもでて当たり前ですよね。

376 :月光仮面:2007/02/23(金) 11:18:59
画文帯同向式神獣鏡だけから何らかの特定地域は出せないでしょうね。古墳の形式
とかも加味する必要がある。しかし、孝霊、キビツヒコ、卑弥呼等の関係する時代と
すれば、倭国大乱(1)のHP↓
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-18tairan.htm
に描かれているよなことが背景にあるのかも。

377 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 12:14:02
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

378 :月光仮面:2007/02/23(金) 12:54:33
韓国情報↓
[原文]後漢書曰 : 倭在朝鮮東南大海中′依山島(為)居′凡百余国
[翻訳文]後漢書に至るのを 倭が 朝鮮 東南 大海 中にあるのに 山と島に頼って 住居
を する. 凡そ 百余国だ.上の記録を見れば 楽浪海 中にあった 倭 人らが大挙 日本
列島で 渡って暮しているということを分かる.
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1671751
倭国乱直前には鮮卑檀石槐の射程距離にあったものが、倭人伝では日本に
来ているので、倭国乱時代に日本に入り、天孫の配下に入り、その玄界灘、播磨征圧に
協力したものとも考えられる。この民族は春秋時代にはモンゴル方面にいたと山海経に
残っており、それより先に朝鮮半島に入った燕系の箕子系統とは違うものだろう。

379 :月光仮面:2007/02/23(金) 13:46:16
ただ、委奴国
http://www5.ocn.ne.jp/~ryutaiin/kininnituite.htm
も倭人国であるとすれば、金印出土地の志賀海神社に奉納された膨大な
鹿の角とナマハゲで有名な男鹿半島、ナマハゲ類似風俗の鹿児島、沖縄方面
への伝来(匈奴・フン的)なものも倭人ということになり、倭国乱時代の倭人が
海浜漁労生活者であるということでは倭人の内容が非常に広くなる。古墳前期
には裏日本の四隅突出墳丘墓と表日本の積石墓という二手に分かれる文化圏が
あるのも複雑である。倭人というのも韓人同様多民族集団ということであろうか。
スサノオは騎馬民族、鮮卑等と同様の系統で倭人らしいところがない。オオクニヌシも
アルタイ色が強い。

380 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 16:07:14
藤原氏最高!

171 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)