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【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】

1 :秦氏末裔:2006/12/17(日) 01:39:59
全国の秦氏末裔、マニアよ、日本建国に貢献したわりに地味な秦氏だが、逆襲といこう。
秦人(騎馬遊牧北方系)は、西域〜中国西北部の土木・水利技術 集団?
秦造系氏族は始皇帝15世弓月王が率いる古代最大の大規模移民団?
宇佐吉備瀬戸の秦王国が応神大王と同盟して大和朝廷成立、大規模古墳時代が到来?
赤穂山城の秦氏太秦(族長)河勝が聖徳太子顧問として、中国に独立宣言?
17条憲法、12階位制度で天皇ヒエラルキーを祭司政治経済で確立。豪族の隷属民を
解放し、機織、須恵器、竈、文字を普及。テラや神社に束ね、律令国家経済を模索?
正倉院、宮内庁雅楽に残るペルシャトルコ中東文化は、ユダヤ景教徒説秦氏の証明?

前スレ【シルクロード】日本人と謎の秦氏?【始皇帝】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/

2 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 01:43:53
それがしがAGETでござる

3 :1:2006/12/17(日) 02:11:19
古墳研究から断定されるのは、3世紀前半の大和マキムクの中心は吉備勢力。
その前の1〜2世紀の最大の初期墳墓は吉備タテツキ。古墳文化は吉備が主導。
4世紀以降の半島、日本列島の古墳巨大化を技術的にも資金的にも推進
できたのは、渡来系殖産国際組織をもつ秦氏&応神大王の吉備河内連合
大和朝廷派。
族長太秦の任命権は天皇が所持していたらしい。
天皇の祭祀を司する少子部も「秦氏の子供たち限定」だったらしいので、
神道、仏教整備以前から秦氏が呪術的な天皇祭祀のマニュアルを管理か?

4 :1:2006/12/17(日) 02:21:30
東大京大の不毛な学閥(邪馬台国候補地合戦)対立の中で、無視されてきた吉備に注目。
日本で最初の「ハダ(秦)」は、日本書紀他にみえる。応神天皇が后の兄媛(吉備)を
追って吉備国まできて、ハダ(総社市秦村)の地に逗留し、ミトモ別(妃の兄)の接待
に預かり 吉備の地を与えるという日本書紀の話。
私はその地の一族の末裔だ。

2世紀最大の墳墓は吉備のタテツキ。それが大和のマキムクに引き継がれる(邪馬台国首都論争で有名)
4世紀当時最大の造山古墳 (非天皇陵では国内最大、墳墓全体でも4位)は吉備の王稜。
河内にいたとされる応神、仁徳から急速に古墳が巨大化するが、この土木技術は、他の堤工事実績から
秦氏以外には候補はいない。各種資料から当時の「ハダの支配地=吉備」なので、
少なくとも380年当時、応神の時代には、日本書紀の弓月王の渡来を応神が兵を出して助力したのは史実
だろう。秦氏京都移住は後年の話。初期の秦氏コロニーは宇佐、吉備、瀬戸諸国だろう。

5 :1:2006/12/17(日) 02:27:54
「仲哀8年(356年)、皇帝14世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、
日本朝の純朴なる国風を尊信し始めて来朝しこの地に勧請す。
后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年、
百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、
金銀玉はく等の宝物を献上す。 」日本書紀、古事記

後に天智天皇の時代に、白村江の会戦に、秦氏は吉備のニマ(吉備真備生誕地)
に国内から2万人!の将兵を結集し、秦水軍をつくり派兵している。
一夜で敗北した後に、多くが中国まで捕縛されるが、後に2000名ほどが吉備にも
帰郷してる。そのときに唐から進駐軍が福岡まで来たらしい。
そういうのをみると、秦氏渡来は、単純な難民亡命じゃないだろう。

6 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 02:47:26
聖徳太子の活躍した時代、「日本独立」
を認めさせるための日中軍事協定を提唱したブレーン=自称始皇帝末裔の秦川勝と小野妹子。
彼らの盟友たる隋大使が招かれ、帰国後わざわざ隋書倭人伝に残した「秦王国」記述にも
「ハダ(秦)=吉備」は符合する。この時代の瀬戸内の軍事交易権力は、まだ吉備が保持していた。

早くからの開拓地である吉備には「紀元8年頃の新時代の王蒙の貸せん」も大量にでるし、
邪馬台国時代の朱(水銀)も、国内に例のない大量使用の痕跡が発掘されている。

ちなみに、聖徳太子の顧問だった秦河勝(末裔の世阿弥うつぼ船モデル)と日本一有名な
桃太郎伝承は、共通の河から流れてきた卵誕生伝説。
ダビデと同じ葦船バージョンもある。日本書紀の聖徳太子=イエス伝承混入と同じか?

7 :1:2006/12/17(日) 03:32:44
8、9世紀の木管発掘の人名の多くが、秦氏名。文字を独占していた天皇官僚、祭祀、
建築、金属、機織職人=秦氏=納税者=天皇臣民 だから当然といえる。
福岡在住の住民(奴隷でなく市民)の8割が秦氏説。
初期納税者の大半が秦氏。ていうか、欽明天皇時代に創設した初代大蔵は太秦の
秦大津父卿で、彼らが模範となり律令制度と天皇直轄領地を全国に広げていった。
軍事は抵抗する在地豪族がもつが、経済殖産、祭祀宗教、文化芸術は秦氏が優位。

つまり、もともと華僑や海人らの交易コロニー都市が河川主要地にあり、
そこを拠点に半島南部、北九州〜西日本の倭人と秦氏が、周辺の古い地元民
(縄文と原弥生混血)と混じっていき、現在のわれわれに繋がる
「日本民族のプロトタイプ」を形成していったとみたほうが自然ではないだろうか?

8 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:48:52
>>4
日本で最初の「ハダ(秦)」〜
日本書紀では「吉備の葉田」とあるので、ハダと呼ばれていたことがわかる

>>5
日本書紀、古事記ーー誤記(若干異なる記述)
秦氏系神社解説ーー訂正   だったと思う

>>6
隋書倭人伝ーー誤記
隋書東夷伝ーー訂正

9 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:52:30
秦氏族でわかりやすいのは旧住友財閥系企業や新日鉄などです

住友財閥の住友家の起源は越前・福井県にある。
越前は白山信仰の大元の地
「白」は斯羅、即ち新羅という意味
白浜は能登国鹿島郡田鶴浜の西に隣る
『延喜式』白比古神社此所にあり(『神祇志料』)

白日神、白比古神社、白山神社、白浜、白山信仰、白水など

住友グループ主要企業の社長会=「白水会」

もともと秦氏は古代から鉱山に深く関わっており
経営者というよりも採掘技術や加工技術を知っている氏族だ。

鉱山資源を必要とされた時に
住友家の養子となって大きくなったが
住友家は桓武平氏だろう。

新日鉄だって昔は官営だった。

10 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:53:10
秦氏は技術者集団であると同時に
朝廷の財務官僚としての活動もしていたり
かなり多芸多才な氏族っぽい

秦といえば、京都の蚕ノ社の再建をした三井や幕末に土佐勤皇の
秦河勝系譜の長宗我部遺臣の蜂起集団、竜馬や岩崎の三菱だろ、普通。

秦氏は三菱三井住友安田いわゆる四大財閥すべてに
深く関わっているでしょ…恐るべし

西武コンツェルンの堤一族も秦氏(近江秦氏=依智秦氏)
秦氏族だから旧宮家の邸宅や別荘跡地にホテルを建てる特権得られた
だからホテル名はプリンスホテルとなった

上流社会と下層社会を同時に支配してるのかよ
いったいなんなんだよ秦氏ってのは
超すげー!最強

皇宮警察だけでなく、普通の警察も秦氏が支配してるよ。
秦氏族による「秘密結社」を利用して治安を維持してるのが日本の警察庁。
秦野章なんて警視総監もいたしね。あいつは秦氏。
東京オリンピックの時に治安を強化する必要があり、秦氏のボスの秦野章を警視総監にした。
そして現在の学習院の院長は波多野敬雄、やっぱり秦氏だね。

11 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:56:03
能登半島は越の国や山陰地方及び北九州と並び、古代大陸や朝鮮半島の先進文化を直接に吸収し、大陸や半島と同質の文化圏を形成していた地域である。
従って、当地方は渡来系といわれる人々が多く住み着いていた。
中でも新羅・加羅系の文化が栄え、渡来人の中では新羅系の秦氏が多かったようである。
神社については、能登半島の神社の八割が渡来系の神であるといわれている。
新羅神社に関係が深いといわれるのは田鶴浜町の白比古神社で、古くは新羅神社といわれていた。
中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社も、新羅の天日槍と同一人物といわれている都怒我阿良斯等神を祭神としている新羅(加羅)系の神社である。


能登を含めた越前・越中の地方は古代、越(高志)の国といわれ、対馬海流を北西の季節風に乗り対岸の朝鮮半島から多くの渡来があった。
なお、当地方も越の国と同様に、弥生時代には水稲耕作と玉造りの兼業が行なわれていたようである。

能登半島の神社で有名なのは気多神社(羽咋市)、白比古神社(田鶴浜町)、久麻加夫都阿良加志比古神社(中島町)、更に渡来人の子孫といわれる秦澄の創建した白山比刀iしろやまひめ)神社である。
白比古神社と久麻加夫都神社の由緒は夫々新羅系と高句麗系といわれているが、現在に残る祭りの形態等から考えると、二社は共に新羅系の渡来人が祭った神社であると思う。

12 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 03:56:46
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。
湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。

当地方も新羅・加耶系氏族に係る伝承や伝説が多く、神社の祭祀氏族としては、秦(はた)氏(朝鮮語のパタは海の意で、渡来海人であろう)が圧倒的に多い。
秦氏については古代中国の秦氏の移民説や加羅氏族説など、異説が多い。
当地の神社で新羅神社と標記される神社は現存しないが、標記の方法を変えて新羅(しらぎ)信仰を今に伝えている神社がいくつか残っている。
敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。
これらに加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。
当地方は応神天皇や継体天皇とのつながりが強い地方であり、いわゆる古代三王朝の内、二王朝、即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、越前・若狭地方と関係している。
両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かったであろう。

継体天皇は近江で生まれたが、越前で育っており、越前・若狭・近江などを含んだ地域は一つの文化圏といえる。
この時代、敦賀と大和の間を結ぶ重要な交通路である琵琶湖西岸には三尾氏、東岸には息長氏が勢力をもっていた。

13 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 04:15:26
新潟県は弥生時代の古代から新羅(加羅)系氏族が勢力を持っていた。
越の国といわれ、中でも新潟県は越後と称された。

新羅明神を祭る神社は頸城(くびき)郡妙高村関山の関山神社である。
妙高村関山は、正式には新潟県頸城郡(久比岐)妙高村関山といい、長野県との県境に近い。
妙高山の麓にあり、妙高山やそれに連なる山岳地帯を流れる関川に沿った街である。

元々当地方を開拓したのは日本海を渡って移り住んだ朝鮮半島や中国大陸の人々であり、
新羅(加羅)系の人々が本格的開拓を行ない、従前の信仰の対象である妙高山や関川と共に祖神を祭ったのであろう。
従って、当地方の開拓神は恐らく素盞鳴尊であった。
つまり出雲族と同族である。

14 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 04:16:14
京都府には北部から南部まで新羅の神々が祭られている。
北部では丹後地方、南部は山城地方の宇治市である。
南部の京都盆地には「新羅牛頭(ごず)山に座す素盞鳴尊」を祀る八坂神社や新羅系渡来人秦氏とつながりの深い賀茂神社がある。
丹後地方は古来、大陸や半島との往来が頻繁にあり、弥生時代には王国があったといわれている。
特に弥栄(やさか)町の新羅明神(溝谷神社)は渡来の人々(特に新羅系、或いは秦氏系の氏族)が祭ったといわれる。
丹後地方は但馬の出石郡に隣接しているが、出石郡は地理的には丹後の一部であり、新羅の渡来人、天日槍(あめのひぼこ)と縁の深い土地である。
また、京都府の太秦や園部町から続く丹波地方も新羅系渡来人の痕跡が非常に濃い。

15 ::2006/12/17(日) 04:17:10
秦氏のあまりに有名な京都平安京開発の300年前に、すでに河内のまんたの堤、
吉備秦にも高梁川のたたら堤がある。吉備平野の水利開拓という土木工事や
田園開発を行ったのは秦氏。秦風の川の神を祭祀した巨大な20メートルを超える
イワクラと12村に水流を整備した堤は今でも活用され健在だ。

天文機関でもあったタテツキ遺跡で暦を導入し、水の管理と農場開拓指導
をしたから自立経済市場が登場し、テラを拠点に中国産の貨幣なども使用するようになった。
秦氏渡来で文字、竈、須恵器が普及し、家族が自宅で食事をしるスタイルが一般にも
誕生し、鉄の鍬や牛馬の増産で水利の計画生産が向上した。

延べ150万人動員規模の造山古墳など墳墓の巨大化、殉死の悪習を吉備誕生の
埴輪で中止させて「豪族間の戦争経済」から公共事業経済に転換し、経済成長、
人口増加が日本でもいよいよ開始していく。

380年当時の秦氏渡来は、1250年も早い「古代日本のメイフラワー号」だ。

16 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 09:42:41
日本民謡とヘブライ語
ttp://www.sun-inet.or.jp/usr/hiro7733/public_html/minyo/minyo.html

角笛
ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/

日本語に残るへブル語
ttp://www.geocities.co.jp/Outdoors-River/7540/heburu.html

三神たけるのお伽秦氏
ttp://www.kitombo.com/mikami/back.html

聖書と日本
ttp://www.geocities.com/Heartland/Lane/7662/nihon/nihon00.htm

17 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 18:47:01
>「仲哀8年(356年)、皇帝14世の孫、功満王が漢土の兵乱を避け、
>日本朝の純朴なる国風を尊信し始めて来朝しこの地に勧請す。
>后(のち)の代に至り、功満王の子弓月王、応神天皇14(372)年、
>百済より127県(あがた)の民衆一万八千六百七十余人統率して帰化し、
>金銀玉はく等の宝物を献上す。 」日本書紀、古事記


これは日本書紀、古事記の文章じゃないだろ。
大酒神社の由緒書きで、後世の創作だよ。

そもそも九州の半分しかない偏狭な百済に127県もあるのか?
百済・高句麗滅亡時の亡命者でも数千人規模なのに何で18000人も来るのか?
18000人も持っていかれるのを百済が容赦するのか?

完全に創作だよ。

18 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 19:03:35
■失われた古代日本領=耽羅国は倭人の国であった■

 済州島は7世紀まで日本領土だった。もともとは倭人が住んでいたのだ。言葉も日本語が使われていた。
古代においては「耽羅(タンラ=タムラ)」と呼ばれていたが、タムラとは、「タムロ(屯)の地」という意味であり、
人間が大勢集まる場所ということから、そのように呼ばれたのだ。
 耽羅の最高行政官は、日本の天皇によって任命された。また、日本天皇の代理人である百済国主によって
任命されることもあった。
 耽羅国の最高行政官は、政主、または祭主と呼ばれた。韓国式の表記である「星主」は、セイシュの当て字であり、
オリジナルの称号「セイシュ」の名残りなのだ。島の統治者を「星主」と呼ぶのは不自然だが、もともとは「政主」
「祭主」と呼んだのである。
 星主は、日本語「政主」の当て字だと言われているが、別の説では、日本語の「村主」の音、ソンジュに間違った漢字を
当てたものという説もある。
 当時の記録によれば、耽羅には星主と呼ばれる支配者が存在していた。朝鮮・韓国では、この称号は新羅=文武王が与えた
とする中世朝鮮の文献を根拠に、新羅王が耽羅の支配者に与えた称号だと信じられている。
 いずれにせよ、耽羅支配者は、耽羅星主(ソンジュ)と呼ばれていたのである。韓国では、この称号が耽羅王を意味すると
信じられている。

 三国史記(韓国の歴史書)には、耽羅が476年に百済=東城王に服属したと書かれているが、以後百済に朝貢したという。
しかし、本当は百済ではなく、百済の宗主国である倭国(ヤマト)に服属したのだ。
 660年、百済が唐軍の侵攻によって滅亡すると、日本領=耽羅は大混乱に陥った。日本書紀によると、
このとき唐から帰国する日本の遣唐使船が、耽羅に寄港したところ、唐軍の侵攻を恐れる耽羅は日本に保護を求め、
朝貢を続けた。だが、新羅が半島を統一すると、新羅の勢力は耽羅にも及び、耽羅は統一新羅に服属することになった。



19 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 19:14:56
>9
>住友グループ主要企業の社長会=「白水会」

この白水というのは、豊臣秀吉の時代に中国の明の王族の「白水善」というのを
招いて、金山の開発精錬をやらせた それによって産金量が飛躍的に上がった
そのとき、住友の初代が「白水善」から精錬技術を学んだ
住友はその後、別子銅山で当てて財閥に成長した
住友は「白水善」の恩義を忘れないようにと、白水、泉、泉グループとも呼ぶ
白水会の白水は白水善から来ている 白山とは関係が無い

20 :月光仮面:2006/12/22(金) 14:25:35
ほだれ祭りレポート cf Baydara 頭付きの馬毛皮(アルタイ馬生贄儀式)を指すアルタイ語。
http://www4.plala.or.jp/igasaki/carnival/hodare/hodare.htm
「つぶろ」さしレポート cf Tubalaryとはアルタイ・トゥーバ人の呼称。
ちなみにアルタイの銅山は埃及・シュメールに並行するBC2800年代の世界最古級で
あり、鹿児島・東北・佐渡の産金地帯にナマハゲ、百足など類似風習伝承の残るのが
気になる。
http://www4.plala.or.jp/igasaki/carnival/tsuburo/tsuburo.htm
鼓を持ち、歓喜躍動たる姿の魔多羅神と二童子像。頭上に北斗七星を配している左の
童子・爾子多(にした)はシシリシニ、シシリシと歌う。右の童子・丁令多(ていれいた)は
ソソロソニ、ソソロソと歌う。これは殊勝の本尊である生死や煩悩の極致を行ずる姿を
舞い歌うのである。は殊勝の本尊である生死や煩悩の極致を行ずる姿を舞い歌うので
ある。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyougyou.html
たませせり、スセリ姫、ササラなど多くの古代語にでてくるs*s*r*
はそそるという言葉にもあるが励起するといった意味であろうか。
秦氏と古代鉱山冶金技術集団になんらかの関係があるようだ。

21 :月光仮面:2006/12/22(金) 14:34:03
秦氏牛祭り呪文シシリシニ、シシリシ、ソソロソニ、ソソロソは何語なのか、何の意味な
のかと考えているうちに佐渡のツブロサシでかなり見えてきた。佐渡の対岸とか表日本
川崎にファロス祭典のあること、川崎ではこれを金山神の祭りとしていることでかなり
しっくりしてきた。

22 :月光仮面:2006/12/22(金) 15:20:38
今思いついたんだが、「ハタ」とは白い衣装をまとった神官、古代においてはシャーマン、
を意味した言葉ではなかっただろうか。さもないとあまりにも多様な職業に関連してくる
理由がわからない。


23 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 17:32:23
四国高知の土佐郡に秦泉寺(じんぜんじ)と言う一族が今も集落をなしていると言うが、これも秦一族とつながっているのだろうか?
ちなみに長曾我部の家臣秦泉寺掃部が落ち延びた末裔と聞いている。
又、高知市秦泉寺町内付近では飛鳥時代の遺跡として秦泉寺廃寺跡というものが発掘されているが、これは何教の寺だったのか気になるところではある。
土佐の秦泉寺は現在神道系であるようだが、このあたりについて何か見識のある方はいらっしゃらないだろうか?

24 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 19:14:15
>>18
最近コンビニの回りに、数人の若い奴らがタムロして邪魔だな。

25 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 20:26:40
羽太氏は働き者で立派な業績を残したがいまひとつ表彰されないでいるのはおかしい

26 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 13:37:43
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ

27 :月光仮面:2006/12/23(土) 14:57:50
今朝のNHK三徳山・御幸行列・投入寺などを見ているとこの辺にも秦氏のルーツ
を見る気がした。出雲鰐淵寺の摩陀羅神社にも秦氏の秘密が隠されているはずだ。
多分それは秦氏が信奉した摩陀羅神の神話構造が吉備楯築墳丘墓の後卑弥呼により
銅鐸文明と共に政治的に葬り去られたことの反映にあると見ている。このとき卑弥呼は
狗奴国との深い対立を抱え込んだのではないかと見ている。

28 :月光仮面:2006/12/23(土) 15:23:11
卑弥呼は多分九州と本州の宗教的統合をアメンホテップ4世のように唯一の太陽神、
銅鏡、古墳、土器の規格統一で実現しようとし、従わないものに対しては吉備津彦が
見せた鬼退治のような仮借ない懲罰行為を行ったのであろう。そうした余韻の残る時代
に倭国に入った魏使は、卑弥呼はよく人を惑わすという風評として聴取、歴史に残した
のではないだろうか。アマテラスはそうした伝説を基に誕生するのであろう。


29 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:00:10
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ


30 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:24:56
波田氏はまじめにこつこつと働いたがむくわれなかった、

31 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:58:58
>>29
有名人はコテ変えても何も変らんよねwww

32 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 20:28:35
羽田氏は不幸なのか

33 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:54:24
矢田亜紀子の矢田は八田、秦だよな。確かに不幸だ

34 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:50:40
菊池ももこなんかは幸せなんかな、正確がびびりでこわい話はいやらしい

35 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 21:45:58
>>月光仮面この話どう?

一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。こ
れをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」という
結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説と合わなか
ったからだ。

 さらに同遺跡の下層には別の遺跡があり、推定で二万dから三万dにものぼる鉄滓(て
っさい‖製鉄した後の残留物)が発見されたほか、縄文式とも弥生式とも異なっていて、
中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものとよく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土し
ている。
http://www.minyu.co.jp/shasetsu/0305gatsu/0523s.html


36 :桃太郎:2006/12/26(火) 05:38:37
1986年 岡山県岡山市江道遺跡(えどう)で、紀元前4世紀の水田跡などが発見される。
1992年 以前から、九州では縄文土器の中に稲のモミの圧痕(モミが押しつけられた痕跡)があるものが発見されていたが、新たに岡山県総社市の南溝手遺跡(みなみみぞて)で、縄文時代後期末の形式の土器にモミの圧痕が発見された。、
  ※寺沢薫著『日本の歴史02 王権誕生』(講談社 2000年)P22−24

 これらの結果、以前の「紀元前3世紀初めころ水稲農業が伝わり、弥生時代が成立した」という説明は改められ、次のようになったのです。
 
○ 水稲耕作の伝来と弥生文化
遅くとも紀元前5世紀には、水稲稲作農耕が中国長江下流域から朝鮮半島南部を経由して九州北部に伝わり、各地に伝播。「短期間の試行段階」で、西日本院定着。
紀元前4世紀初めころには、西日本に水稲農業と弥生式土器を作る文化、弥生文化が成立。
http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/quiz/n01-6.htm

37 :桃太郎:2006/12/26(火) 05:49:34
>>27
吉備楯築王説もある吉備の英雄、鴨(カモ)別の伝承では、隼人ら薩摩勢力
(狗奴国か)に侵略された阿蘇の皇女から助けがあり、鴨は女装して敵陣に
乗り込み平定し、阿蘇=吉備同盟が成立するらしい。
造り山か楯築じゃなかったかな、墓石が阿蘇産出。
この逸話は、大和朝廷のヤマトタケルの英雄伝としていまに伝わる。

38 :月光仮面:2006/12/26(火) 10:10:21
>>25
鉄はアッシリア時代のコーカサス南麓で始まり、ヒッタイト時代に拡散が開始、
東方草原のノマドを経由して東トルケスタンで広まった後又西方に向かう。
一部は東トルケスタンから日本海沿岸、朝鮮半島、九州経由、呉・越に至った
のではなかろうか。極東の通過地点においては全くの異民族として周辺とは
交流せずに移動したのだろう。消滅した情報としては沿海州におけるBC10世紀
頃の鉄、東是人等、又、博多湾方面の杭の加工遺物等がある。

39 :月光仮面:2006/12/26(火) 10:47:26
殷商の青銅器文化に距離的に最も近いのは中国・アルタイ・モンゴル・
カザフスタンの国境の交差する南アルタイ山脈の西麓にある:
BC3千年紀のチュド銅山遺跡中のズメイノゴルスク地区銅山遺跡
http://www.museum.ru/museum/asrsm/exib/ad&a/adph2.jpg
ズメヨーワ銅山遺跡出土採鉱工具
http://www.museum.ru/museum/asrsm/exib/ad&a/adph3.gif
BC17-15世紀アルタイトレチャコフ地区の青銅器
http://www.museum.ru/museum/asrsm/exib/ad&a/adph4.jpg
この地方にコーカサスから鉄が伝わる可能性はある。


40 :月光仮面:2006/12/26(火) 10:57:47
中国における五山信仰、スサノオにおける蘇民将来、楚国はアルタイ鉱山文化の
南進を意味するのではないかと思わせるのがChudと言う知名だ。ロシア語にも
類似の言葉はあるがこの場所としてはつながらず、語源は不明とのこと。

41 :月光仮面:2006/12/26(火) 10:59:27
地名が知名になっていた↑

42 :月光仮面:2006/12/26(火) 11:25:16
岡目八目であるが、アルタイのこの時代はオークネフ彫刻石像↓
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image009.gif
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif
の時代だ。そしてこの神像の不可思議を説明するのは↓この下にある
銅の考察という行だ。
http://members.jcom.home.ne.jp/4313532601/page006.html
神像の髪型は百足のようで後のパジリクミイラの髪型、銅鐸の耳飾と似ており、
日本における百足・俵藤太伝説、スサノオ・オオクニヌシの百足と符合する。
早い話がアルタイ鉱山族は岩手の金山にまで来ているのだ。

43 :月光仮面:2006/12/26(火) 11:42:56
ベツのスレなんだが、ご参考まで↓
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066237353/529
>529 :月光仮面 :2006/12/18(月) 11:20:45 ID:rdnk/Pnb
>燕人衛満時代列島に到着した馬韓月支族の中にはアルタイ・パジリク時代
>のクマン(白鳥人)がおり、そのシャーマンの髪型に銅鐸の飾り耳
>http://www.websib.ru/noos/history/material/img/ladyaltay.jpg
>飾耳 http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/kouko10doutaku.html
>を見ることができる。刺青もこの頃のアルタイにはあるし、
>http://www.websib.ru/noos/history/material/img/tatu.jpg
>後の後漢・魏志韓伝でも三韓に刺青の到着していたことは読み取れる。
>この時代アルタイは馬の犠牲が活発でスサノオの馬皮生剥ぎはナマハゲ
>等の伝説になったのかもしれない。
>http://www.websib.ru/noos/history/material/img/pogreben1.gif
>
>


44 :月光仮面:2006/12/26(火) 11:55:45
日本人・チベット人とユダヤ人がなぜYAPなのか。YAPは縄文時代以来ずっと日本
にいて分岐したと言うが、そうではなく分岐したのは中央ユーラシアでではないのか。
そして日本には移住してきたのではないのかと言うのがこの話の出発点であった。
今、約12000年前のヤンガードリアス時代に中央ユーラシアで細石刃の元になる
遺伝子の突然変化が起こり、東南アジアとレバントから米・むぎなどの農業が始まっ
たのではないか。日本のYAPは中央ユーラシアで分岐の終了した集団が朝鮮半島で
中国オリジンの遺伝子と合流して弥生時代の日本に入ったのではないかとの推論
を持つに至った。

45 :月光仮面:2006/12/26(火) 12:49:46
>>37
>阿蘇の皇女
こういうお方ではないでしょうか。パンジャブ方面の美女といった感じ。↓
熊野座神社の神像(プルダウン)
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-Higo.html
「木葉山は石灰岩の山、稲佐の近くには白木村や白木八幡宮も存在する。
白木は『新羅』となると、木葉山も豊前香春岳と同じように新羅からの渡来人
が鉱物資源を探索、採掘した山。そして、稲佐に伝わる女神の御神像!
香春岳の阿曾隈の女神もこのようなお姿だったのではないでしょうか?」
参考 http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#新羅

46 :月光仮面:2006/12/26(火) 14:27:46
>>39
アルタイに背衛銅器文化をもたらしたのはアファナシエフ文化ではないかと言われるが
この文化の後は大体:
カラコルスカヤ (多色絵画・鳥・太陽人/動物像)BC2100-1900
オークニェフスカヤ (人面動物石柱・石板墓・円形石囲い) BC1900-1500
・・・モンゴロイド
アンドローノフスカヤ(幾何学模様土器)BC1500-1100
カラスク(箱式石棺墓)BC1100-800・・・モンゴロイド
パジリク(盛土クルガン墳)以下の2時期に分かれる:
パジリク・クルトゥースカヤBC800-600
パジリク・マイェミルスカヤBC600-500
パジリク・ボリシェレチェンスカヤ(パジリク最盛期)
(石囲い・積石土盛クルガン墳)BC600-200
パジリク・シビンスカヤ BC200-0
と言う風にモンゴロイド・コーカソイドが交代に入れ替わっているが、これが
楚・蘇・倭の祖先であって、西周から燕の時代に内蒙にいたのように山海経が
言っているのが朝鮮半島・日本に入ったのではないかと思う。パジリクはコーカソイド
のようだ。

47 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 15:13:37
http://homepage2.nifty.com/raputar/kansama1-2.htm

雲南省の古墳から出た貯貝器のレリーフ鳥・家(2千百年程前
http://homepage2.nifty.com/raputar/kan-img/senga1.jpg

奈良県の古墳から出た銅鏡絵の鳥・家
http://homepage2.nifty.com/raputar/kan-img/senga2.jpg

雲南省タイ族の民家(高床で千木、かつお木、テラス?がセット)
http://homepage2.nifty.com/raputar/kan-img/houce1.jpg

48 :月光仮面:2006/12/26(火) 15:35:18
>>35 >>38
参照を>>35とすべきを間違え、25とし、しかもとんでもない脱線をしてしまいました。
平にご容赦、ご理解賜り度。
さて、九州北東は箱式石棺墓、石蓋土坑墓と、アルタイ、モンゴル方面の文化が
いち早く集中しており、古代の海洋交通の要所であったのではないかと見られる。
墓制の変遷と題して箱式石棺墓、石蓋土坑墓、方形周溝墓の分布を研究した↓
http://www2a.biglobe.ne.jp/~haruki/homepage/story/b0002.html
これは大分県の国東半島にある重藤遺跡からの鉄剣、鉄滓を考える時に、これら
の文化を残したのが箱式石棺墓、石蓋土坑墓文化であったのではないかと考えたく
なる。この箱式石棺簿は沖縄に波及しているのでその直ぐ先の会稽・呉越へと技術
移転が行われた通過地点と解釈することもできる。ちなみに、東海に迦葉原ありという
高句麗の地名命名方法と香春というのがよく似ている。これは渡来したものが
そうした神話を持っていたということだろう。




49 :月光仮面:2006/12/26(火) 15:53:36
>>47
日本に千木・堅魚木の神社建設が始まるのは奈良時代だが、当時既に雲南省とは
文化的に完全に分断されており、技術交流は不可能。では、なぜこうしたパラレルが
見られるかを説明するには雲南省・日本は弥生時代の末辺りに中国西部の同一文化
を持つ民族が二派に分かれてそれぞれ渡来したと想定するしかない。

50 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:22:03
羽田氏はまじめにコツコツ働いたが、あまり出世しないままやや不幸せな
退職後生活を送ってるのかもしれない

51 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:38:27
>>50
羽田氏よりアンタの方が大変不幸な人生を送ってるんじゃないか!
幸せな人はストーカーみたいな事しない。

52 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 19:52:49
迦葉原=香春=カバラ=カッバーラ  ?

53 :桃太郎:2006/12/27(水) 06:18:29
秦氏と応神八幡神・天日槍・神武東征伝説(日本の中の朝鮮文化(10)、金達寿著、講談社文庫、1993年)
 「宇佐在来の比売神と合休して七世紀以後の応神八幡神ができあがった」ということには、
大変大きな意味が含まれる。安藤輝国氏や小島信一氏は「応神天皇は秦族の大王」で、
「女王国を征服したのは秦族の誉田別命、のちの応神天皇である」というのである。
応神天皇は秦族の大王であったといわれると、奏氏族がそれから出た新羅・加耶系渡来人集団
である天日槍集団の天日槍と、応神とのからまりが気になる。

---- う〜ん、金達寿だからな
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor1961849

54 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 06:20:11
まず、「古事記」応神段に天日槍(天之日矛)の渡来伝承がながながと書かれていて、
息長帯比売の神功皇后はその天日槍の外孫であるとしていることがある。そして、
「神武東征」伝説というのは、九州で生まれたという応神の「東征」または「東遷」のこと
をそのような形で語ったものではないかとみているが、すると、さきにみた(筑前の
「九州における天日槍」の項など)林屋辰三郎氏の「天日槍と神武東征伝説」という副題
をもった「古代の但馬」に、「私は、はっきりいって天日槍伝説というものは、神武東征
伝説という日本の国の、また、日本文化の最初にどうしても理解しておかなければならない
伝説と同形のものと考えている」とあるのも気になる。

55 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 07:12:58
応神と神功が、宇佐の比売大神の両隣だよな・・・
本当に謎が多い・・
しかし大分は秦性本当に多いよ〜


56 :月光仮面:2006/12/27(水) 08:05:35
神武東遷、神功帰還、天日矛は急激な前方後円墳の発生、それの瀬戸内海における
日向、吉備、大和間の移動と関係するもので、それ以前の箱式石棺墓、四隅突出型
墳丘墓、方形周溝墓と違い、三韓の支配層であったスキタイ騎馬民族、特にサカ族、
を含むもので、アルタイ西麓のサカ族の千木を持ち、樹皮で屋根を葺いた木造家屋
型の神殿が秦氏と共に登場するのは、この前方後円墳時代で、最初が天日矛、本格的
なのが神功皇后・応神時代であろう。

57 :月光仮面:2006/12/27(水) 08:14:24
しかし、これは三韓征伐により百済との関係が深まり、移民の形で神官・傭兵を受け入れ
大王の配下に置いたということであり、国内的には大和朝廷内部で相続争いがあったと
言うことに過ぎないのだろう。

58 :月光仮面:2006/12/27(水) 09:47:32
>>35
>中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものとよく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土

これは、時代的に見て多分燕の領域を通過したか、あるいは、山海経において倭は燕に
属すとされた燕の北方の内蒙綏遠地方にあった倭人が燕を経由して西周が殷から継承
してきた土器デザインを継承したものではないかと思われる。古代の製鉄は最近吉備
http://www1.harenet.ne.jp/~sugi/kouko/tetuiseki.htm
でも鉱石を融解する製鉄の遺跡が出てきたようであるが、砂鉄-タタラではなかったようだ。
こうなると倭人が弥生時代の日本のように裾野産業というか、窯業の伝統のないところで
いくらノウハウを持っていても生かしきれず、古代より窯業の発展している長江下流域
に生産基地を求めたと考えてもおかしくはないのではないかとおもわれる。中山和敬著
三輪神社でも天理教敷島大教会、三輪小学校辺りが磯城瑞垣宮あとである公算が大で
付近からはカナクソ、ふいご口などが出土するにもかかわらず考古学調査を経ずに
建設の行われたことをくいておられる。列島に到来したものはノウハウは持っていたの
ではないだろうか。

59 :月光仮面:2006/12/27(水) 09:58:50
呉は大分県人の末裔と言うことになり、陳寿さんには気の毒だが考古学的
物証があるんだからなー。

60 :月光仮面:2006/12/27(水) 11:36:24
沖縄の久米島 http://www.town.kumejima.okinawa.jp/kumejima%20no%20iti%20rekisi.html
これって正に東冶会稽の東に当たるのだが、島の名前の語源を米とするのはチト浅すぎる。
重要なことは養蚕を古くから行うことであり、三韓、阿蘇方面へ呉の養蚕を導入したのは
気候的にこの地を中継地とするのが最適である。島の名前は大和朝廷の警護兵と同様
山岳戦闘民族久米部隊であろう。それはこの島が倭国の最前線であった頃の名残だ。
つまり、四郡、弁辰に鉄を残した倭人はこの島を経由し、呉越に製鉄ノウハウと鉱石
サンプルを導入した。この記憶が斎の孔子、秦始皇帝、徐福、呉の銅鏡工人の脳裏に
残っていたのだろう。


61 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 11:49:05
>>59
いや、十分ありそうだな。。。。

大分は九州の北中部とでもいうのかな。それにしても不思議なのは
中世のフランシスコ・ザビエルやオランダの商船など.....
瀬戸内海向いているのに、初めて日本に上陸した場所が大分なんだよ。
大分北部。

どうしてわざわざ大分北部の瀬戸内海まで回り込んで初上陸したのか本当に謎。
長崎、鹿児島じゃなく国東辺りで上陸してるんだよ。
数年前かな、オランダの皇太子が来日してわざわざ再現したよww

中世まで日本に入港するのに国東、ってルートがあったのかな?と思うんだが。
しかし決して穏やかなルートではない。宮崎を北上したりする必要性が感じられない。
不思議なんだが。



62 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:05:53
「唐や大和の船が銭・黄金を持ち寄せる城(具志川城)・・・
この久米島伝承により、具志堅、串木野、クシフル峯が金に関連することがわかる。
同時に鹿児島、香具山、香具土などのカグには鉱山とか、鍛冶屋、ふいごの意味が
あったのではないか、また、カワという言葉には交わす、交易という意味があるという線が
出てくる。トルコ語でカワチには鍛冶屋、ジプシーの意味があるとの説もあり、河内に
ついては未だはっきりしないが、交易地点の意味も捨てきれない。

63 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:08:44
>>61
今でも外国船の検疫は関門の六連、これって海流の関係かな。

64 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:17:56
>>62
しからば、神武の祖は甑島あたりを橋頭堡として串木野の金鉱を探査し、霧島連山
を縦走、高千穂に天下りしたことになる。逆矛は敵地占領の印、又、鹿児島、大分
にはタンカンサーが多いが、トルコ・モンゴル語で天神はタンリ・タングリ・テングリ、
ジンギスカンのジンギスとは大洋という意味でバイカル湖などを指すようだ。北部
九州の渡来系が九州南部を征圧したと言うことだろうか。神武関連の山口県タギリ
宮は天神宮ということになるんだが。

65 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:20:46
神武の嫡子、タギシミミとはモンゴル的に解釈すると大洋の国の国王と言うことになり
鹿児島あたりの出身かと言うことになる。

66 :月光仮面:2006/12/27(水) 12:28:24
これは日本人が三韓及び縄文国を征圧するプロセスであって、当時朝鮮族というのは
漢の植民地で呻吟していたと言うのが実体であることを付言しておかないと曲解される
恐れがあるなー。

67 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 04:10:06
意味不明。一レスに纏めてくれ

68 :月光仮面:2006/12/30(土) 08:47:10
神功三韓征伐の後秦氏がどっと押し寄せたように、帥升の後漢訪問の後にも
多くの渡来人が随伴してきた。これは当時山彦と海彦の抗争の時代で、特に
九州南部の戦場に渡来した山戎傭兵が投入されたのではなかろうか。博多勢と
友好関係にあった出雲勢が周防灘勢力に外人傭兵でもって襲い掛かることも
あり、戦闘は吉備に移り、一度は吉備を中心として安定するかと思われたが、
最終的には海部系が大和に首府を移すことになった。とりあえずこの線で行こうか。

69 :月光仮面:2006/12/30(土) 11:00:19
山戎文化のルーツは北京から瀋陽に向かう途中の山中かな↓
http://www.shanrong.com.cn/g7.htm
これは牛頭天王とか、鳥居のルーツだと思う。
詳しくは↓
http://www.shanrong.com.cn/

70 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:00:20
>>68
秦氏好きは、
思考回路に欠落が多いのかな?w

71 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:06:37
いや
豚肉は美味しいだけじゃないよ
頭をよくするからお勧めだよ

72 :月光仮面:2006/12/31(日) 08:49:39
高千穂の天孫降臨という焼酎を飲み、夢で神楽を見ることにする。翁のお面のしたから
上野が原の博物館の先生が出てきて、鹿児島・大分の照葉樹山岳民こそ三内丸山の
子孫ですたいというような夢を見るだろうか。

73 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:53:01
豚肉食べてないんだねきっと・・・

74 :月光仮面:2006/12/31(日) 09:16:43
>>72 高千穂神楽↓
http://www.pmiyazaki.com/takachiho/kaguratitle.jpg
http://www.pmiyazaki.com/takachiho/kagura.htm
http://www.pmiyazaki.com/takachiho/kagura_gosintai.htm
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/suruga/kagura8.jpg
http://homepage3.nifty.com/muzina-press/kagura/photo/douke.jpg


75 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 09:36:52
豚タコだな〜

76 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 12:58:35
豚は頭がよおくなるのか

77 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:00:03
>>72
意味が分からない

78 :月光仮面:2006/12/31(日) 14:09:26
今年は天孫が降臨された年なのでそのほうもいっぱい呑んだらどうじゃ。
意味がわかるぞ。

79 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:13:54
>>78
馬鹿大将太国さん!
別コテでご苦労さんw
馬鹿さ加減がそっくりですね。

80 :月光仮面:2006/12/31(日) 14:29:46
↑神罰てきめんじゃわい。

81 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:31:05
>>78
あなたの書きこみはスレ違いなので消えて下さい。真面目に議論したい人達に迷惑です。

82 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:53:57
肉ダレダレじゃん

83 :月光仮面:2006/12/31(日) 16:03:20
http://homepage3.nifty.com/mori2/up/480/siromi_20.jpg
そこには霊芝が生えていて、宮殿や楼閣が目に入り、仙界の使いの者がいらっしゃり、
銅の色をしていて龍の形をし、体から発する光が輝いて天を照らしておりました。
そこで、わたしは再び拝してお尋ねしました。『どのような品物を御献上致したら宜しい
のでしょうか。』と…。すると海神さまは、『良家の少年少女たちと、さまざまな横械や
道具類を献上すれば宜しい。そうすれば延命長寿の薬は、得ることができるであろう。
』とおっしゃったのです。」と。秦の始皇帝は、非常によろこばれて、少年少女三千人を
送りだし、そのうえに五穀の種々と機械や道具類をそえて、貢ぎ物として、大神さまの
ところへ行かせた。徐福は、平らかで広い平野と、豊かで湿潤な沼のあるところにたど
り着き、その場所に留まって、そこの王となり、再び還ってくることはなかった。
・・・これが徐福が八幡神から貰った秦王国なのか。
http://www.soc.hyogo-u.ac.jp/tosuzuki/data/jyohuku.htm


84 :月光仮面:2006/12/31(日) 16:16:29
大分県人は霊芝・椎茸販売にかけては古来からかなりのノウハウを持っていたという
ことなのであろうか。

85 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:36:44
馬鹿大将太国さん!
別コテでご苦労さんw
馬鹿さ加減がそっくりですね。


86 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:43:45
>>84-85
意味不明。誰も読んでないからオナスレでも立てて一人でやってくれ。

87 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:44:41
訂正
>>83-84

88 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:47:17
>>83
千木と鰹木についての歴史がよく分からん。

がいやまんの知っている限りの知識を教えてくれ。



89 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:50:30
豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。


90 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:50:01
羽田氏はまじめに働きすぎて嫌われてたみたいです、いまは畑仕事をやってよすてびと
として元気でやったはるのやろか

91 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 13:56:16
豚が古神道の最高権威だぞ。 豚が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。

92 :月光仮面:2007/01/01(月) 17:02:04
>>88
謹賀新年

BC2300年頃までバサラビア(ジプシー発祥地とされることもある)にあったトリポリエ
の神殿は千木付で八幡、日吉方式、BC5世紀頃のアルタイ西麓に到来したサカ族の
住居は檜皮ようの樹皮で葺いて千木を持ち、峡谷部に立地、清水寺の坂上田村麿、
飛鳥バレーの蘇我氏と立地が似ている。小河墓遺跡の棺の上には横板が並べてあり、
棟持柱のようなものがあり、牛皮で包まれ、スサノオがアマテラスの小屋に上げた
ぶち馬の生剥の毛皮と同じで、現在も突厥系に習俗が残るようだ。これに関して
コーカサスに同様の牛の生贄を描いた青銅器があるようだが、墓制としては小河墓
より西部では見られないのでアルタイの旧石器、マンモスハンター時代からの葬礼
形式で、ウクライナのコステンキ・マンモスハンターキャンプなどと同じ起源ではないか。
アルタイ・トルケスタンには未発見であるが相当早くから鉄器文化があったのかもし
れない。雲南に千木高床が入るのはトルケスタン・甘粛方面から南下するのだろう。
小河墓遺跡には小麦の他に粟もあり、崑崙の蛇紋石も入っており、被葬者は西部
欧州人のようであるが、実際に作業をしたのはアルタイ人であった可能性が強い。

93 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:07:09
スレ違い。いい加減にしろ

94 :月光仮面:2007/01/01(月) 17:07:27
正月の獅子、龍、これらは共にスサノオの生剥(頭付き)風習が中国西部から日本、
江南に分流したことによるもので、倭人と呉人の風習の類似もこの辺にあろう・・・
今年はこの辺で走るか。

95 :月光仮面:2007/01/01(月) 17:25:58
小河墓遺跡の横木はアルタイ地方であれば箱型石棺墓とするべきところ、タクラマカン
には適当な石材がなく胡楊を加工し、AD HOCな、そしてユニークな葬制様式が出来上
がったと言うのが自分の所見だ。これがひょっとして堅魚木になるのでは?

96 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:38:08
羽田氏は真面目にきっちりとごまかしなしで働いたので嫌われたが、立派な人でした

97 :月光仮面:2007/01/02(火) 09:40:23
古墳とは石器環境における神社・仏閣であり、特に首長・豪族の埋葬されるものを
指したが、完全な宗教的用途のものとしては秋田・唐松神社、吉備・熊山遺跡などが
ある。出雲の形式が拝殿と本殿を階段、橋立でつなぐ前方後方墳である。後方という
のが本殿、前方と言うのが拝殿。拝殿がなく本殿の前に鹿石、神木、回向柱を配する
形態もある。後方部分はお賽銭箱がおいてあると考えるとよかろう。前方後方墳は
方形周溝墓、四隅突出型墳丘を基に出来上がり、後にモンゴリア西部・新羅・西都原
等を経由する西戎の太陽崇拝宗教の持ち主、これが秦氏の先祖で円墳をもたらし、
円墳をモンゴロイドの大地崇拝の方墳に置き換え前方後円墳ができる。古墳時代が
終わると八幡・日吉などの形体となる。つまり拝殿、橋立がない。さて、ポイントを
抑えると、秦氏とは前方後円墳祭儀を持ち込み、AD250年頃、箸j墓を建設、日本の
国土を築いた民族と言うことになる。


98 :月光仮面:2007/01/02(火) 09:50:14
で、出雲系統は縄文人かというととんでもない。これも渡来人なんだが宗教が大地と
天(太陽でなく)を崇拝するもので、言語的にアルタイか、形質的にモンゴロイドである。
秦氏のほうは言語的に印欧語、形質的にはコーカソイド。この2つの対立する集団は
二大政党のように対立を含有したまま朝鮮半島を南下、三韓に到着。最終的に統合
が完成したのは日本建国、箸墓の完成時であろう。自分は箸墓着工は卑弥呼の使い
が初めて公孫を訪問した時でそれはAD240年頃、これが布留式土器の開始と見ている。

99 :月光仮面:2007/01/02(火) 10:02:53
なぜ二大政党かと言うと、氏子、檀家といったものがなければ神主、僧侶、サムライ
だけでは経済が成り立たないからだ。インドにアーリア族が侵入したりする際、
ダリウス、アレキサンダーのように多国籍編成とするのと同じで、その際カーストと言う
階級制度が生まれるのであろう。軍隊の階級とも似たところがある。

100 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 10:15:32










月光仮面=豚















101 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 10:44:22
>>100
空気よめ

102 :月光仮面:2007/01/02(火) 14:00:30
さて、楯築墳丘墓、これには拝殿が2つある。月神、日神だな。これはフン、タタール
のヒゲ・クルガンとしてカザフスタン方面に残る。日本では月読命が失脚、月山関係は
裏日本と東北、例外として、土佐の西端に限定される。伝承的にはキビツヒコによるウラ
の征伐があり、どうやら、このフン、タタール的連中は東北に追っ払われたようだ。で、
秦氏はというと豊前から西都原に至る九州東岸から吉備に入ったと考えるのが順当。
吉備において出雲と国土分掌(神主の地割と言うか)が成立したようだが、もう一つ
銅鐸宗教勢力をたたいて鏡作りに転換させなくてはならない。秦氏は琵琶湖周辺で
豪族を口説き落とし、その結果息長氏などが生まれる。こうしたことが神代紀の裏に
あるんだろう。

103 :月光仮面:2007/01/02(火) 14:02:19
ただ裏日本の出雲その他にコーカソイド要素がまったくなかったかというと、そうでは
なく、関西神武、賀茂氏などの鳥トーテム(安倍氏のアビというのが極地水鳥の意味
なら安倍氏もそうなるが)ウグロフィン又はアルタイ語を話すコーカソイドであった
可能性は残る。九州神武はちゃんと奥さんもおり、秦系の人であって、関西神武とは
別人であろう。九州神武の嫡男がどこかで殺されると言うのはありえる話だなー。

104 :月光仮面:2007/01/02(火) 15:38:37
記紀の神武紀は単に資料を集めただけの感じが強い。やはり魏志倭人伝の描く
女王国を持って建国とする記述が正鵠を得ているのであろう。倭人伝では卑弥呼の
後継をイヨとし、その後も女王が元首のようであり、崇神は引き続いて、男王のような
存在を脱却できていなかったのであろうか。

105 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:33:16

>>101
どのように空気よむの?


106 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:40:30
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかに馬鹿だと思いませんか? QQQQQQQQQQQQQ



107 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:15:13
テレビ放映あった皇室のポロ・打毬
http://www.kunaicho.go.jp/10/d10-02.html
http://www.kunaicho.go.jp/10/d10-02-01.html
http://www.sportpolo.com/History/default.htm
はサカ族(大避・大酒)の風習なのであるからその起源は言われているよりも
古い可能性があり、少なくとも西欧の王朝よりは日本の皇室の方が古いのには
間違いはなかろう。

108 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:19:22
サクソンと言うのはサカ族がなまったもの、あるいはサカ族の末裔と言えるのだろうか。
東方起源のノマドであろう。そうすると出雲のウルフ(狼)神社というのは英語よりも古い
英語であったのかなーと思うのであるが。

109 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:29:59
日本の天皇陛下は馬術部の主将ということであるから、国際王族の位を決定するのが
馬術であるのなら、世界の元首の主将ということになる。格式にマッチしているのかな。

110 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:38:42
ちょっと言い過ぎたが、昭和天皇が騎馬民族説ファンであったということは、こうした
宮内庁行事を見るにつけよくわかる気がする。

111 :月光仮面:2007/01/03(水) 12:50:27
継体、その昔の、綏靖(カムヌナカワミミ)等は皇統が八ヶ岳の黒曜石、姫川のヒスイを
基にした中部・越・縄文文化につながることを示唆している。三韓・高句麗の日本亡命とは
日本史における一瞬の出来事であり、渡来系は一切臣下として大王に仕えたという
事実には揺るぎはないであろうが。

112 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:39:13


頭わりー


113 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 14:53:33
>>92
THX

ふーん、千木はBC23C頃にはベッサラビアなどの黒海北部に既に
出現していたのだな。

だったら地理的に近い西シベリアの高床式倉庫文化には余裕で
伝わっているわな。

そうなると東シベリアやアムールの高床式倉庫文化にも西シベリアから
千木は伝わっていたと見て良いだろう。

114 :日本@名無史さん:2007/01/03(水) 19:32:40
波田氏はさべつされてしまい つらい人生を送ったのでしょうか

115 :月光仮面:2007/01/04(木) 10:05:48
>>113
夏場の永久凍土地帯は熱帯雨林同様高床、ボート暮らしだし、ツングースは
湖南オリジンとも言われるしなー。生活環境にアドホックに適合させたとする
考えもできるし、高床をもって判断基準とするのは難しいところもあるね。で、
ベッサラビアはジプシー、これはロマ、コヴァチ、ルリなどいろいろ呼ばれるが
ナイル川の石工がスピンオフしたとも考えられる。昨夜の吉村さんの番組にあった
ピラミッドのうねる蛇は纒向の繞道祭、香港の龍踊りを見る想いだ。アステカ、
アマゾン(2つの隼人紋様)等にもこれを感じている。

116 :月光仮面:2007/01/04(木) 10:13:24
相当ずれるかも知らんが天日矛というのはアメンの日置部であり、アスカ・ナスカ
の石を大洋の天測の基に置いていたシャーマン、これが東上線比企で島津の祖と
なる。こういう因果で昭和天皇の御陵などもこの方面となっているのかな。

117 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 14:06:51
どうでもいいけど、普通に読めば理解できるように文章を書けよなぁ。。。

118 :月光仮面:2007/01/04(木) 16:57:14
大避神社の井戸と関連するのは秦氏関連でヨセフということになるが、アメノヒボコ
という言葉だけで考えるとウラルの殷並行時代のヨセフと同一視されるアミンベクという
発音の方が近い。アバーシェフ文化は独自にエジプトと接触しており、同じ話をユダヤ
人と共有している可能性がある。秦氏はユダヤ人であり、大避;大酒、サカ、アミンベク
とは関係ないとは言い切れない。中国の開封へユダヤ人が到達するのは相当遅れる。
エジプト文化はジプシー系ラピスラズリ商人、青銅器・石材加工関係民族などによって
日本に伝えられ、秦氏とはジプシーをも含む多様な集団であったとした方がよさそうだ。

119 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 22:16:27
渡来人がやって来なくても文化は伝達すると何度教えれてやれば良いのかね。

渡来人がやって来て定着すれば確実に渡来人の文化は伝達するが、

隣人から隣人へと何百年何千年もかけながら文化自身の移動でも伝達されるし、

こちらから行って持ち帰っても文化は伝達されるし、

渡来人がやって来て短期滞在で帰ってしまっても文化は伝達される。

120 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 00:49:49
太国鯖落ちさせるなよ
いつもながら馬鹿だな

121 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 02:48:45
この大国って奴は何者なの?
職業は?

122 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 02:55:09
古神道の権威w

123 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:01:15
捜聖記 みんな読んでるんだねぇ・・・

124 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:57:34
秦氏がもたらした技術で代表的なのは養蚕・機織、醸造、土木技術なので
日本の大企業のほとんどが波田氏なのかもね


125 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 11:00:55
>>121
月光仮面=太国
馬鹿コテ連合自演中w

126 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 19:12:35
ここではふといくにはぜんぜんでてないので、関係がないとおもうけどもさ

127 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:26:19

日本史板の常識

コテ=馬鹿



128 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 09:33:20
池田市の即席ラーメンの神様の安藤氏が天才だったのは偶然ではなく、池田市と言えば
呉服神社があり渡来人の古里みたいなとこで、酒もごしゅんと言う名酒があっていずれも羽田氏ががんばったのかも

129 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 02:50:57
語源:Hat= アイルランド語 hatter (帽子)から 中英語 h ae t → hatt 頭のための覆い
(形作られた王冠及び縁を備えたもの) ... この偉業を達成した人に
「栄誉を称えシルク.ハット ( Silk.Hat ) が贈られた事」に由来します。 ...

秦氏=ハタ氏=埴輪の帽子、とんがり帽子(ハット、Hat)をかぶった人物??

130 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 05:30:06
糞コテといい>>128といい、日本語下手な奴が多いスレだな。

131 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 10:17:29
呉の国の春で、ごしゅん

132 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 03:39:38
月光仮面さん
おめでとうございます

>>102
ここらあたりは勉強になります

応神天皇=秦氏 説というのは、実際どうなんでしょう?
彼らは広い意味での「古墳好きな一族」でしょうが、かなり性急に
半島を南下してきたのか、その速度はどうなんでしょう。

>>118
大避神社=ダビデ祭神 はどうみればいいのか? 単純な聖書伝承ではないだろうし
歴代末裔神主、宮内庁雅楽秦氏一族のいうように血統的にもユダヤ末裔なのか?

133 :月光仮面:2007/01/10(水) 08:05:01
>>132
おめでとうございます。
エジプト経済と言うのが今で言えばアメリカ経済。これに隣接するメソポタミア
シュメール経済。こうした消費地と金属・色石等のミネラル資源供給地であった
パミール・ウラル・アルタイとの間にシルクロードのような通商メーンストリート
が形成された。つーか、草原ノマドの風習が統一化される傾向が生じた。これに
インダス、ガンジス、黄河、長江といったものが次第にジョインを始めた。
そうしたノマドの一つがユダヤ人であり、長江方面黄河方面との間に入った羌、姜
等の部族だった。黒曜石、細石刃、青銅器、鉄器といった技術改革を基にして
鉱山開発、石切、土砂を使用したドルメン、メンヒル工法等が発展、エジプトにあった
ホルス、ラー等の神々とか、中近東の神々、神話の交流が行われた。と、こういう
序曲があって、秦氏が登場すると思うんですね。

134 :月光仮面:2007/01/10(水) 08:18:16
秦氏がやってきた新羅には単に中近東と言うのではなくローマ・ケルト方面
の西欧との交流の痕跡があるが、これは古代においてバルカン・カルパチア・
ブリテン等とも交易があり、その頃からのしがらみでいわゆる白人種も相当
ステップ地帯に入り込んでいた。これとは別に旧石器時代にマンモスを追って
シベリアに入り込んでしまっていたのもいる。そういうものとモンゴロイドが
共存しながらインダス峡谷、中国、朝鮮半島に入り込んだ。特に有名なのが
サカ、賽族であり、これが大避、大酒の語源でしょう。ところでウラルにある
アミンベクというヨセフと同じ話はユダヤ人とウラル人が同じイベントを共有
していたと言うことかもしれません。アメノヒボコというのはヨセフと同じくらいの
存在が次第に神格化されたものかなと思います。

135 :月光仮面:2007/01/10(水) 08:29:35
トルコ等には多少アジア系も見られるが、ハンガリー、フィンランド等は言語が
膠着語ではあるのに完全な白人であると言うことは、いわゆるフンと呼ばれるものが
アジアに古い時代に侵入してきた白色人種が騎馬民族として里帰りしたと言う方が
適切なのかもしれません。ところが、日本に入ってきた坂上田村麿等は名前からして
サカ族ターメルラン、チムールといった感じなのに加えて、形質も、肉食傾向も
白人であった模様です。今でもほんのわずかですが大鵬親方のような古い白人系
と見られる人がいますね。

136 :月光仮面:2007/01/10(水) 09:03:00
毘沙門天像にエリツィンそっくりなのがいて、多分、ロシアを追われたエリツィン
の先祖がオホーツクから日本に亡命して毘沙門天になったのではといわれますが、
ことさように、ウラル方面にはモンゴロイドの痕跡が残るし、フィンランドとの国境
沿いのロシアカレリア地方には7000年前からモンゴロイドがコーカソイドと共存
していたようです。つまりユーラシア北部では白人・黄色人種が相互乗り入れを
やっているようですね。

137 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:12:09
確か日本海北部(秋田とか)の一部の人からは白人が持つ遺伝子が出てるよ。

138 :月光仮面:2007/01/10(水) 09:55:56
>>134
アメノヒボコは単にアメン日神、つまり、エジプト起源の太陽神アメンということで
アミン・ベクもそうした意味があったのかも。こうなるとアマテラスがアトンということに
なるんだが。秦氏は歴史の台本も用意していたのかもしれない。


139 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:06:09
115 名前: 名無しのひみつ 投稿日: 2007/01/05(金) 00:28:38 ID:cPctGueS


福岡県珍敷塚古墳壁画 6世紀後半(西暦550年以降)
黄泉の国と、黄泉の国へ向かうための船
http://cyber.infoware-d.jp/kikaku/pictures/uzu02006.png
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat2.gif

エジプトのピラミッドの壁画
死後の世界へ旅立つ太陽の船とホルス神。
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat1.gif
ホルス神はエジプト神話のオシリスとイシスの子。ホルスはギリシア語。

ハヤブサの頭をした男、あるいは女神イシスの膝に乗った幼児。
これはキリスト教の聖母子像の原型とされる。


両者が全く関係ないというほうが無理がある。
珍敷塚壁画を描いた人々は、どうしてエジプトの太陽の船とホルス神の
構図を知っていたのか

140 :月光仮面:2007/01/10(水) 12:12:27
布留の御霊がホルスの御霊でないかと思っていたんだが、ありそうだな。

141 :月光仮面:2007/01/10(水) 15:29:41
秦氏のマダラ神、そのシンボルは茗荷というが、これは女性性器、佐渡でみられる
類似の神事からしてそれは性行為を表すようだ。そして牛と関係するこれは小河墓
遺跡の墓標が男性は軍配型女性性器、女性は赤いとがった六角柱。極めて生殖
を重視。これは綏遠の山戎が女陰と手の形を崇拝するのと同じ。又、小河墓の埋葬
形態は基本的に箱式石棺墓に似ている。そして小河墓は数百年後のトカラ族の故郷。
トカラ人は飛鳥時代の推古・斎明時代に大挙来日している。記紀によれば形質が白人で
キモイために海に捨てようとしたが、須弥山、石橋等の建造能力を売り込んだとある。秦氏はこの民族とさほど遠い関係にはなかったと考ええられる。現在ロシアの学者には
このトカラ人はカラスク青銅器文化を殷に導入したものとしている。サカ族というのは
これより時代が下るスキタイ時代のイラン系の部族であり、秦氏をサカ族とするのは
問題があるかもしれない。ただ、秦氏が古代の銅鐸、つまり、出雲とは何らかの関係が
あるようであり、出雲大社の裏に鰐淵寺というマダラ神の神社がある。

142 :月光仮面:2007/01/10(水) 15:46:32
イラン系、特にサカ族ではイラン神話のフマイという太陽の鳥、これがなまって
ウマイと呼ばれモンゴル高原のモンゴロイドの神様になったが、これが女性の
太陽神であるという。日本語にもウマシマジとということbがあるがこのウマと
いうのはサカ系の言葉かもしれない。そしてテングリというのが天神地神であり、
方墳なのに対してウマイの方は円墳、盆踊りも輪踊り、天神地神は二列縦隊
だそうである。

143 :月光仮面:2007/01/10(水) 15:54:59
ここでちょっとアルタイの考古学タイムラインを見ると↓
カラコルスカヤ (多色絵画・鳥・太陽人/動物像)BC2100-1900
オークニェフスカヤ (人面動物石柱・石板墓・円形石囲い) BC1900-1500
アンドローノフスカヤ(幾何学模様土器)BC1500-1100
カラスク(箱式石棺墓)BC1100-800
パジリク(盛土クルガン墳)以下の2時期に分かれる:
パジリク・クルトゥースカヤBC800-600
パジリク・マイェミルスカヤBC600-500
パジリク・ボリシェレチェンスカヤ(パジリク最盛期)(石囲い・
積石土盛クルガン墳)BC600-200
パジリク・シビンスカヤ BC200-0
ここでカラスクの上と下はイラン系統のようであるが、オークニェフというのが
非印欧系であり、セト神、スサノオのように百足に絡んだステラが多い。これが
銅鐸をもたらしたのであればカラスクとは人種が違っていたのかもしれない。


144 :月光仮面:2007/01/10(水) 16:33:33
生殖重視・女陰崇拝の山戎文化、これとエジプトのピラミッドで見られる磐舟
これには生殖を通り越した太陽の再生という概念があるようだ。顕著には加賀の
潜戸のキサカ姫、タケルガ峯近辺の岩戸を含む物部遺跡、熊本のトンカラリン
等で秦族も教義を理解しない縄文人にはさぞや閉口したのではないかと思うが
釈迦の嘘も方便の気持ちで地域住民に溶け込んでいったのであろうか。

145 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 19:39:56
9日まで正月休みだったのでしょうか、アメリカは2日から仕事らしいですね

146 :月光仮面:2007/01/11(木) 16:05:29
>>139
↓スレタイはずれを恐れちょっとよそに回ってました
ユダヤ人消えた10支族は日本に来たか?
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/min/1130193271/menu478
秦氏にある、例えば、雅楽であるとかのジプシー的タレントは秦氏が
ジプシー、北部インドの地中海的形質、
↓これは熊本県の熊野神社御神像(これって本当にジプシー系統と見える)
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-Higo.files/image002.jpg
アーリア系言語、であったかというと、例えば、金海伽耶の金首露王とか
http://enkan.fc2web.com/kantan/kr/kr_07.html
書紀推古・斎明紀の吐火羅(都貨羅)・舎衛の関係とかで、通婚する2つの
民族というあり方がわかり、また、芸術とは遺伝子の壁を越えて移動することから
秦氏をインド系とは言いにくいかなとの感じがするんですが、熊本県とか福岡県
等にはジプシー系の形質の人はいないでしょうかね。

147 :月光仮面:2007/01/11(木) 16:37:37
「私は阿踰陀(アユタ)国(インドにあった国。今のアヨーディヤとされる)の王女で、
姓は許(フォ)、名はファンオク)とと申します。年は十六になります。
・・・私はアメンのフォファンオク、アメノヒボコ、御許神社、宇佐神宮、こんな関係で
秦氏が担いだということがあるかも。アマテラスの起源かな。



148 :月光仮面:2007/01/11(木) 16:43:03
まー、いずれにせよ、後漢に時代からユーラシア・キャラバン・チェーンの主役は
スキタイ・トカラから現在のジプシーへと選手交代が行われたと考えるべきでしょうか。

149 :月光仮面:2007/01/11(木) 17:09:06
日韓両国後で金首露さんの結婚相手を考えてみると神武がイスケヨリヒメとであった
ような始祖王の女性太陽シャーマンとの新婚ということになるのでは。つまり、
許(=陽)黄玉←アメノヒボコ→天日矛・・・玉垂の起源もこの辺か。

150 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:38:27
羽田氏はまじめにこつこつと働いたが、利用されただけに終わった、最高の
位をもらえなかった理由はイケズをされたからかも

151 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 22:48:55
秦っていうとヤクルトの捕手、後に外野手 しか思い出さないw

152 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 10:19:52
>>133-149
月光仮面さん、ありがとうございます

この時代のユーラシア知識はまったくないので、イメージが弱いのですが、
トーテム信仰の遊牧民=秦氏部族(イラン、トルコ、一部白人系)にユダヤ的
文化が混入したと考えればいいのでしょうか?

始皇帝の秦と秦氏の関係は弓月王子孫が公称しただけで、無関係ですか?
それとも始皇帝滅亡以降、多くの秦国家が大陸には再登場するので、一族末裔
伝承を信じてもいいのか?
私は、五胡十六国時代の後秦(チベット系、鮮卑系説)などは、時代的にもかなり
怪しいと感じています。日本語とチベット語の類似や彼ら遠征軍のイエス文化伝承
とか、合理的な都市整備、国際的な宗教容認、屯田兵、住民移動政策などは面白い。
あと地名、王名称の移動とか。

153 :月光仮面:2007/01/12(金) 11:04:25
秦氏と言うのは、大分県人、長野県人にある教育投資性向、これは、岡山県も
そのようですが、これの非常に強いものがあった。そして、遣唐使で入唐、多くの
先進文化を身につけ、重要なことはこれを消化する能力があったということではな
いかということです。景教は「中国には,唐の太宗治世の635年(貞観9),ペルシア僧
のアラホン(阿羅本)を団長とする伝道団が堂々と長安に到着するや,太宗は宰相の
房玄齢らをして宮中に迎えしめ,その経典の翻訳を勅許し,布教を勧めた。3年後には
長安の義寧坊に一寺を建立させ,僧21人を出家させた。つぎの高宗も景教を保護し,
諸州にその寺院をおかせ,アラホンを崇(たつと)んで鎮国大法主とした。仏教に傾斜し
た則天武后の治世には少し衰えたが,玄宗によって保護され,アブラハム(羅含)やガ
ブリエル(及烈)といった有力な僧侶によって大いに教線を拡大した。

 

154 :月光仮面:2007/01/12(金) 11:21:28
コピペですが↓光明皇后はキリスト教の感化を受けて看護婦をおやりになった
ということで、今のハンセン病差別からは隔世の感があります。記紀の内容ので
あるとか、秦氏関連の寺社仏閣にもフィーフォバックで各種のメリハリがつけられた
のではないでしょうか。
「京都大学の池田栄教授によると、じつは聖徳太子の側近には、景教徒がいました。
聖徳太子の時代には、すでに非公式に少なからず景教徒たちが日本に入っていた
のです。
 池田教授によると、その景教徒の名は「マル・トマ」といい、これはアラム語で、
マルは先生、トマはトマスのことです。使徒トマスと同じ名前だったわけですが、
れは景教徒たちの間ではよくつけられた名前でした。
 つまり、聖徳太子の福祉・慈善事業は、景教徒たちの感化を受けたものと解せら
れるのです。
 また実際、その後736年に景教徒「李密医」らが日本にやって来て、天皇を訪問
しました(続日本紀)。その天皇の皇后、光明皇后は、この李密医から深い感化を
受け、やはり「施薬院」「寮病院」「悲田院」をつくっています。
皇后はそこで、自ら看護婦として働きました。奈良の法華寺には、光明皇后が患者
の膿を吸って吐き出したという浴室が残されています。
 光明皇后もまた、仏教界では篤く仏教を信仰した人であったと宣伝されていますが、
じつは彼女のことを深く調べてみると、景教の深い感化を受けていたことがわかります。
彼女はじつは景教徒であった、と述べる研究家もいます。
 そのほか、日本仏教界で有名な空海や、親鸞も景教にふれています。彼らの思想
を読むと、
「これは基督教の教えによく似ているなあ」
と思わされるものが非常に多いですが、これはそのためです。
 また景教徒は日本の文化・伝統にも計り知れないほど多くの影響を与えました。
詳しく書き記す紙面はここにはありません。しかし興味ある方は、拙著『日本・ユダヤ
封印の古代史2 仏教・景教篇』(ケン・ジョセフと共著 徳間書店刊)に詳しい記述が
ありますので、それをお読みください。」
http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2000/2000.09/2000.09.report.htm

155 :月光仮面:2007/01/12(金) 11:43:39
ユダヤ人がアウシュビッツジェノサイド、ポグロムの対象となるのはこの教育
投資による選民化であり、これは中国の客家も同じです。しかし、これは先天的
遺伝的というよりむしろ伝統的なものを重んじる傾向にあり、韓国人が洗礼をする
というのは韓国人が遺伝子的にユダヤ人というよりも、彼らはどちらかというと
儒教文化の影響を強く受けそれのアプリケーションとしてキリスト教に向かうのに
過ぎないと思います。秦氏をユダヤ人に限定してしまうと仏教、拝火教、古代エジプト
太陽神教が日本に導入するに当たって秦氏が果たしたであろう役割を解明する上で
大きな障害となり、秦氏の持つジプシー文化伝達等を考ええると、秦氏を単純に
ユダヤ人と決め付けてしまうのは早計だと思います。

156 :月光仮面:2007/01/12(金) 11:59:18
韓国人が割礼というのを間違えて洗礼としました。要はディープインパクト
のオーナーのように種付けでいい血統を増やすのが勝ちで、春うららとか
道産子のような馬は馬肉にでもなれといった精神がジェノサイド、ポグロム
を生むのでしょう。社会全体では狂牛病のようなものといえるでしょうか。

157 :月光仮面:2007/01/12(金) 12:19:32
脱線しますが、稲作とか、牧畜の人間価値が単純に偏差値表示可能である単一カル
チャー社会でニートにならないためには教育は重要。ユダヤ人などはいち早くこの
問題に取り組んだ民族ともいえる。人間の多様性を発揮するには芸術にも社会が
金を支払う社会構成、秩序、文明がファンダメンタルズとして必要。この点、秦氏を
取り巻く環境にはこういうものがあった。そしてこれは遺伝子ではなく情報として
伝達できるもの。すると、儒教の起源はユダヤと類似の思想が西方から伝わって
きたからだとすることもできる。・・・おっとっと、脱線。

158 :月光仮面:2007/01/12(金) 16:29:43
>>152
コウマン、ユウズウと名乗るハタと、素性が非常に怪しく秦と名乗る始皇帝Ying政
はともかく、後秦とかをつなぐものは姜、羌族です。又、チベットに入るタングート
も姜のようです。羌族の神話に金属加工に関連する共工があることを考えると、
アルタイの青銅器文化を殷に伝えたのはロシアの言うようにカラスク・トカラ系
というか、羌ではないか。戎とは祭壇でまつりごとをするという意味もあると聞き及び
ますので、羌と戎がダブってもおかしくないかと思うんですが。始皇帝も秦に成りす
ますパターンとしては羌、姜系の匂いがする。ハタというのは白人系統の血が入って
いるのではないかという感じが強い。ユダヤというのはどちらかといえばジプシー
に近いんじゃないのかなー、例えば↓
スペイン、ルーマニア
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Spanish_Gypsy_Girls_NGM-v31-p267.jpg
ポーランド、日本熊本県御神像にある、ナチスドイツが公認、合作映画に入れた
原節子にも似た長頭アーリア純正品↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:RomaWAPoland.jpg


159 :月光仮面:2007/01/12(金) 16:40:24
現在の2CHの古代史レベルは半世紀前の日本誕生-天照大神-原節子-
にたどり着くにははるかに遠いレベルですね。
http://www.jmdb.ne.jp/1959/ci004670.htm
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/joyuu12/setsuko2.jpg
http://club.pep.ne.jp/~shigmats.1/utusback/harasetsuko.htm
http://club.pep.ne.jp/~shigmats.1/utusback/harasetsuko.htm


160 :月光仮面:2007/01/12(金) 18:09:26
>>152
女性性器を印鑑の朱肉いれとかのデザインには現在も使用されており、
トーテムというか魔よけのような効用があるのでしょう。秦氏の広隆寺
牛祭りマダラ神神事も佐渡で行われる類似の呪文の性的な神事の
ようなものでこれは全国的に稲作の豊作を祈る儀式となったものと
同じでしょう。しかしその起源は太陽の再生を願うエジプトの太陽神
信仰にあっ多のではないかと思わせられたのが正月の吉村さんのテレビ・ピラミッド
の特集でした。広隆寺の儀式はキリスト教開始前にローマにあったミトラ
神事と似ているのではと思われ、ユダヤ文化ではなくエジプト起源のものかと
思うのですが。秦氏の三つ鳥居もユダヤの類似の曼荼羅のようなものではなく
井戸に捨てられ、エジプトに売られるアミンベク、これがユダヤではヨセフですが
そうした、秦氏の井戸掘り技術者としての過去を物語る可能性もあります。


161 :月光仮面:2007/01/12(金) 18:41:26
>>158 秦氏が白人であるかもしれないのは↓
「これについて、中国の考古学専門家は28日「最近行われたDNA鑑定で、始皇帝陵
兵馬俑坑には、2200年前の『ユーラシア西部の特徴』を備えた人類の遺骨が埋葬
されていることが判明した。死者は生前始皇帝陵の」建設に従事した労務者である」
と述べた。
http://www.china-news.co.jp/culture/2006/06/cul06062902.htm

162 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:40:15
シルクロードかあ

163 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 09:21:21
秦氏はなんで差別されてしまったかやわね、土木技術とかですごい日本に貢献したのに
位は低いし、まさか使い捨てされたんやろか

164 :月光仮面:2007/01/13(土) 11:04:04
DNAのロンダリングというか、姓と父系遺伝子のリンクがはずれたというか。
それと、(1)バラモン 他人のための祭式執行,ベーダ聖典の教授,布施の受納。
(2)クシャトリヤ 政治や戦闘による人民保護。
(3)バイシャ 農業,牧畜,商業,金貸。
(4)シュードラ 隷属的労働や手工芸による上位3バルナへの奉仕。
こういう風にすると秦氏はバラモン、しかし、天皇家の下に置かれ、サカ一族
などはクシャトリアとなろうが、頭でっかちでは国が滅びる。徳川時代も同じ。
白人遺伝子は上下から挟み撃ちにあったのだろうか。公家階級の斜陽化に
そうしたプロセスが残っているのか。

165 :月光仮面:2007/01/13(土) 12:42:10
物部、蘇我と古代豪族は没落した。氷山の一角のごとき頂点にいた白人遺伝子は
次第に消えてしまった。しかし、その頂点をのぞく渡来人集団のダークマターというか
モンゴロイド要素とはどんな遺伝子なのか。ここで一つの仮説であるがそれらは
チベットにはいった羌族同様YAP型ではなかったのかと思う。日本のYAPは縄文時代
からだとされる。だが縄文時代のTAPとは別に弥生時代に別のYAP、羌族が流入した
かもしれない。遺伝子分野の専門家と歴史学者の知識でこの謎が解かれることを望む。

166 :月光仮面:2007/01/13(土) 12:49:53
YAP以外に弥生時代渡来のはっきりしているY遺伝子にO-47xがある。これは、
韓国に残り、中国には残らない、中国オリジンのものであり、東夷としての倭が
これであり、YAPは羌、つまり、倭と羌が弥生時代の日本に入ったのではないか。


167 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 13:12:53


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




168 :1:2007/01/14(日) 02:02:34
1ですが、万が一2ちゃんねるが閉鎖になったら、どこに行けばいいでしょうか?
月光仮面さんとか、日本史板の常連さんたちが移民する先にここも移動しますので
教えてください。

閉鎖になったら、またどこかでお会いしましょう
この課題は、将来の日本国文化を考える上でも重要な話しだし、末裔関係者全体の
関心事ですので、ぜひ継続していきたいと思います。
よろしくご協力お願いします。

169 :月光仮面:2007/01/14(日) 14:23:21
スレ主さん、はじめまして。おめでとうございます。
「おー 闇の彼方 
 聞けよ 星のあゆみ 月の唄
 未知なる海に辿り着かん」 ってなことで
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs?BD=1&CH=5
↑こういうのはどうでしょう。


170 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:48:29
このスレ難しすぎるよ!
月光仮面よ、もっとわかりやすく言ってくれ。

171 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 22:25:55
2ch避難掲示板
http://levelup.jp/

2ちゃんねるプラスClone掲示板
http://networks.servebbs.net:9685/2chpls/

3ちゃんねる
http://www.3ch.jp/

172 :1:2007/01/15(月) 01:17:55
>>169
渡来人研究会清談掲示板ですね。
いいのですが、使い方がいまいちよくわからないです。最近の書き込みしか
みえないし、ティーカップはどう使えばいいのでしょう?

形式が同じほうがよいかも

173 :月光仮面:2007/01/15(月) 08:13:55
>>172
このスレと内容が最も一致しているようなんですが。詳しいことはわかりません。
他にもないか探して見ます。

174 :月光仮面:2007/01/15(月) 10:58:34
>>170
このスレタイはユーラシアから新大陸に至る細石刃、巨石、太陽崇拝から
エジプト、中近東文明とインド・中国文明・東南アジア・朝鮮半島・日本文化、
印欧語族、アルタイ語族の日本到来という議題を内在させている。つまり、
完新世世界史の中でもアジア文明の起源、そのエジプト・メソポタミア・欧州
文明との関連と日本の起源という問題を提起している。そういう意味でちと難し
すぎるところがある。勢い、断片的にならざるを得ない。こんな内容を簡単に
と言っても無理な話で、このスレの問題提起があまりにも核心を突きすぎた
ものということなんだろう。多少のことは我慢してフォローするしかない。

175 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 20:21:30
羽田氏はまじめにコツコツ働いたが、報われなかった、ろくに仕事もしてない氏族が
しゅ世していきました

176 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 20:50:42
あくまで秦氏は外様だもの仕方がない。

177 :月光仮面:2007/01/16(火) 08:10:56
羌の国チベットでハタグ・ハダは白布であり、神をくるむ。現在も白のネッカチーフ
を贈答する。細烏女は新羅に白布を送り、神功の腹帯は秋田唐松神社に送られる。
腹帯の水天宮は石上神宮から出ているようだ。こうした白布を織る職業として羌の
秦があった。秦と羌は中国の五胡十六国時代にもよく出ている。ところが、日本では
この羌ハタ、蘇我のコバンザメである。この蘇我というのは立地が飛鳥川沿いであり、
アルタイのIsi River・Katun Riverに立地するKumandin (Swan Tribe)と似ている。
葛野・鹿角等の地名、石川と言うことで先祖の地名にこだわっている。石板墓時代
つまり匈奴時代のアルタイからモンゴリア高原の主役はコーカソイドである。従い
これらは羌とは別であり、白狄のようなものであろう。クタラというのはScythiaという
意味だから、馬韓と言う漢字よりも日本語のクダラが適切であり、百済という漢字は
日本語のハセと同じ、モモソヒメノモモソというのがこれで、多数の移動民族の意。
物部は中国で言う戎の意味で、武具をもつ集団、日本の考古学的には銅剣銅矛
集団ということになり、石上神宮はそうした戎の社である。が、ここに収められるのは
主として武具のはずなんだが、そこから出た水天宮が腹帯とはちとおかしい。



178 :月光仮面:2007/01/16(火) 08:23:02
ツーことは、石上神宮には武具を奉納するが、本来水天宮のように腹帯を売っていた
と考ええるべきかもしれない。話は変わるがモモソヒメの刺したホトというのは逆木又は
宝刀(乃至は獣のデザインの柄を持つ銅剣)の柄の部分から地面に刺した、つまり、
土地の権利を掌握するという呪いで、これは鹿柱をさかさまに刺し、墳墓の上に墳墓
を築くという匈奴のしきたりによったものであり、もし、モモソヒメが刀剣を使用したもの
であれば、それは式典後石上神宮にホト・フツの御霊として奉納されたであろうと推理
できる。


179 :月光仮面:2007/01/16(火) 08:33:05
ハタというのはクタラ/サケ(=スキタイ)の神官である羌/秦と考えると馬韓には
幼児の頭に石を載せ頭蓋骨を平たくする大月氏トハラ族と同じ習俗のあることは
トカラ人が居住していたことを示すが、このトカラ人を月氏とすれば翻訳・通訳に
優れており、秦氏と共通する点が大きい。秦氏は羌であり、月氏であったが、狄、
白戎ではなかったようである。

180 :月光仮面:2007/01/16(火) 08:40:26
九州が常に上流であることからすれば久留米の水天宮の末社が石上神宮で
ある可能性が強い。平家物語と言うのはサダマサシの弾き語りの類である。

181 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 09:10:05
このように羽田氏が日本に来てからの話がいいと思います、
醸造の技術を持っていたのでさけ造りはとうじが田舎からきて酒を造っていましたが
やはり羽田氏がとうじには多いのでしょうか

182 :月光仮面:2007/01/16(火) 09:10:28
秦氏は神社・仏閣作りであるから何を造ってもいいのだが、松尾大社と言うのは
鏑矢で有名な冒頓単于、これをオオヤマズミとしており、ヤマズミというのが山戎
であることを示唆している。中国では山戎以外に西戎、犬戎と言うのがあるが、秦氏
等は西戎か。犬戎と言うのは犬飼ということであろうが、邪馬台国時代には狗奴国
といって倭から独立していたようである。これは日本における狛犬とかの分布に
関連するのかもしれない。

183 :月光仮面:2007/01/16(火) 09:23:29
「うまさけ みわのとのの あさどにも 出でて行かな みわのとのどを」 崇神天皇
宮中から御所に朝帰りするほどご公務が激しかったということであろうか。
下戸では勤まらんな。

184 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 09:25:36
AD794年の平安遷都にて時の桓武天皇に取り入った百済系氏族が
それまで官僚として表舞台で政治を取り仕切ってきた新羅系氏族の多くを排斥し
政治の表舞台から追放しただけでなく尊卑の位の卑の地位に一部の新羅系氏族を落とした
そのときの卑の位が現在の被差別部落に繋がっているというのが有力な説
新羅系氏族は当時の科学芸術神事医学分野において世界トップレベルであったので
そのまま建設土木治水製鉄演芸生物解体などが被差別部落民の主な生業となった
卑の位に落とされなかった例でわかりやすいのは神事仏事を司る役職
卑の位とせずにそのまま新羅系氏族に引き継がせた

新羅系氏族で超一大勢力を誇っていたのが秦氏一族で
日本の神社の9割以上の神官宮司は今でも秦氏による世襲である
八幡神社、稲荷神社、白山神社などすべて秦氏のものであり
現在の皇室に関わる神宮の神官宮司なども秦氏系
学習院などの皇族系教育機関や皇宮警察などの長も秦氏系氏族の世襲が現代まで続いている
ちなみに仏教を日本に伝来させたのも秦氏で古代は神仏分け隔てがなかった


185 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 09:28:00
クーデターで身分を落とされたのかな、かわいそうな新羅系羽田氏

186 :月光仮面:2007/01/16(火) 11:31:03
磔は左右からそれぞれ30回槍を指すのだが、それに先立って槍を交差させている。
これは荒神谷の銅矛の埋納方法が銃剣部分と言うか、広幅銅剣をクロスさせている。
おまけにX型の刻印を付す。これは小河墓の人形棺でも見られた辟邪方法、終戦後
まではいなかのまじないばあさんが鎌でXを切って邪気をはらってくれた。多少痴呆性
があり、暗いところの早業だから首をかききられる危険が大きく、子供心に怖かったの
を覚えている。フーフーと口から息をかけられ、唾液が冷たく額にかかった。
キリスト教もないのに磔だけは高度に発達していると言うことは多分
戎はイニエというのは四角の祭壇で生贄を殺し、神に捧げるのが職業であったの
であろう。未明に牛の四足を祭壇に打った御柱に縛り背中の真ん中によいとまけで
杭を刺し込み、太陽に噴出する血を捧げる儀式である。これを人に応用キリスト等の
磔も行ったのであろう。であるから、方墳、四隅突出型を持つ文化というのが戎である。
そして馬の首と生はぎの毛皮をつけたものを春駒に使用し、天照の葬式等で屋根に
かける。この風習が日本では禁止となったようであり、スサノオはツメ、ヒゲをはがされ
出雲に流される。


187 :月光仮面:2007/01/16(火) 11:37:13
逆にインドアーリア、イラン系統はこの祭壇部分がなくて太陽崇拝の円墳だけである。
モンゴロイド・アルタイ系の方墳における儀式はあまり歓迎しなかったようだ。が、崇神
のイニエというのはどういう意味なんだろう。

188 :月光仮面:2007/01/16(火) 12:00:27
ここで円墳と言っても日本の円墳は頂上に埋葬部のあるタタール式であるが、イラン系の
起源は地中に木槨とか木屋根で外装した棺の上部にクルガンというマウンドを作るという
ものだからどちらかと長野のニカゴ遺跡等に近いというべきであろうか。ところが韓国の
武寧王陵とかは横穴式であり、タタール式ではないようだ。

189 :月光仮面:2007/01/16(火) 12:29:19
>>183 >>187
崇神天皇の日本語は現代人以上にきれいな日本語だから、それが本当だとすれば
アルタイ人の野蛮な風習等とんでもなく、黒塚、ホケノヤマ等から出土する破鏡のように
銅鏡を忌部が銅矛のようなもので叩き割るといった供献儀式が行われたと考えるのが
順当なのかな。

190 :月光仮面:2007/01/16(火) 13:56:15
朕が三輪の殿戸と二度も歌う意味は三輪山西麓で東の戸に朝日が差し込む
のは午前10時頃なので、それまで酒盛りを続けその後公務にかかるので
心して呑めという意味なのじゃ。

191 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 19:18:42


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



192 :月光仮面:2007/01/17(水) 13:25:31
参考↓
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163094069/539
>539 :月光仮面 :2007/01/17(水) 13:15:34
>>>536
>>応神、仁徳、履中が百済王家みたいに「余」姓を名乗ってたってわけか…
>>扶余系大王・蘇我馬子と言う事だが、何故「蘇我」姓になったのだろう?
>仮説
>1)高句麗の農務相・ソガ(牛加)と言うのは牛頭天王とか、神農に似て頭に
>角をもつ。
>2)出雲大社の裏の古い岩に起源を持つ素鵞(ソガ)社、全国の素鵞神社に
>ある素鵞は白鳥と見るのが自然だ。一方、アルタイ・Kumandin族は白鳥族
>の意味であるが、御柱のような4本の柱で太陽に向けて馬の四足を縛り、背中
>に杭を打ち、「クルイ・クルイ」と言う呪文を唱え、噴出する鮮血を陽光に捧げる。
>生剥ぎにした頭付きの毛皮は冠婚葬祭に使用する。これはスサノオが天照に
>贈呈し、逆恨みをされたものだ。ナマハゲ、馬頭春狛、白鳥等は主として四隅
>突出古墳と箱式石棺墓と共に沖縄・九州・日本海沿岸・東北に分布し、欧州
>ではハンガリーのクマン族、スイスのナマハゲ、ポーランドクラコフのタタール・
>レイコーニク祭り等に多分フン族が導入したものと見られる。日本においても
>kum*及びkom*という要素を持つ地名、神社名などは非常に多いが、何らかの
>形でKumandinの結びつくようだ。久万高原近くの大月神社のはだか祭り等も
>その月型、舟形の巨石を初めとし全国に類例の多いものである。
>3)従って飛鳥川流域に陣取った蘇我というのは、もし、百済方面からの新参
>渡来人であるとすれば、それは百済には相当早くから南下し古くから倭国とも
>関係のあった有力なアルタイ系騎馬民族で、フン族の主力な部分をなすもので
【江上】騎馬民族説は今。。。vol.8【波夫】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163094069/
>あったのであろう。
この出雲大社の近所に鰐淵寺というのがあり、そこには秦氏のマダラ神が祭られる
が、これは秦氏が騎馬民族、蘇我氏と行動を共にすることの証左の一つではあるま
いか。


193 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 04:02:21
どうだかな?

194 :月光仮面:2007/01/18(木) 09:34:02
ソガの語源明確化はマジに考えなくっちゃな。ソガを素鵞、白鳥と考えることは素鵞社
と素鵞川がセットになっていることから曾我川、畝傍山一体が神武・欠史八代時代の
中心地とされていることを想起しよう。蘇我氏問題とは別に曾我川一体を精査する必要
があろうか。特に天香具山の巨石には月を作るつまり、時空創造主としてのイワレビコ
という伝承があったのではないだろうか。↓
http://sanzan.gozaru.jp/sn3/kg/tukiwais1.jpg
http://sanzan.gozaru.jp/sn3/map/sanzan-map.html#香久山
http://asukakaze.gozaru.jp/pt80/0505050011s.jpg
http://sanzan.gozaru.jp/sn3/kg/sanzan-k1.html
http://sanzan.gozaru.jp/sn3/kg/sanzan-k3.html
http://yujiwww.web.infoseek.co.jp/h-na10.htm


195 :月光仮面:2007/01/18(木) 09:45:03
ソグド人が蘇我ではないかとの話があったが、ソグド人というのは唐の時代の
お経の翻訳等で活躍したもののようであり、後のパタン・パシュトゥン人などとの
関係から新羅の波旦と言うのとか、日本のハタノというのとかは関係あるかもしれ
ないがハタとは簡単に同一視できないのではなかろうか。何でもかんでもハタ
ではなかろう。

196 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 09:05:49
4万人の技術者集団を呼び寄せた先遣隊長の

197 :1:2007/01/19(金) 10:07:56
どうやら、2ちゃんねる継続で渡来移民はしなくてよさそうですね
それはそれとして、最近宮内庁が天皇稜の公開調査を解禁しつつある
のは、どういう判断なのだろうか?

198 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 10:16:58
政治的に利用されたりするのかしらん?

199 :1:2007/01/19(金) 10:23:38
>>154
インドに布教した使徒トマスのイエス伝承が、チベット遠征軍経由で
後漢時代には皇帝のもとに届いていたらしいですね。
景教流行は7世紀でしょうが、イエス伝承自体は2世紀には流入していたらしいです。
当時すでにユダヤ教会、学校が中国にあったという説をアイデルバーグや
ジョセフ親子は提唱しています。

200 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 10:34:09
景況がそんなに影響力を持っていたのなら、なぜ仏教が
栄えて景況は広まらなかったのですか?

最近ユダヤとかキリスト教と日本の繋がりに興味持った
何も知らない素人ですが、素朴なギモン。。

201 :月光仮面:2007/01/19(金) 11:02:22
>>199
秋田唐松神社の愛子神、これは銅鐸の神香具土を読み替えたようですが、
神功皇后の腹帯を賜ったことに由来するそうです。
http://www.genbu.net/data/dewa/karamatu_title.htm
http://www.d3.dion.ne.jp/~stan/txt/ao1krmt.htm
銅鐸破壊の犠牲となった古代日本の神を愛子、イエスともよめる名称に
改めるこの神功時代は倭国と百済が接近した時代でもあり、ここにも
当時のキーワード・イエスが流れているのかもしれません。

202 :1:2007/01/19(金) 11:22:35
>>174
>>このスレの問題提起があまりにも核心を突きすぎた

自分自身、日本史業界の者ではないのでよくわからないのですが、政治、思想関係
からみても、防衛、外交、教育、宗教方面からみても「日本建国の文化基盤やルーツ」が
ここまで曖昧なままで、よくやってこれているなと思いますね。しかし民族としての
心理的な不安定さ(贖罪意識など、へたれ文化?)が、21世紀に入りこの国を揺さぶっている。

政治文化的な「国連核独占平和主義=米中歴史史観=日本属国・洗脳状態」と
日本民族始祖論争=半島史観、中華地方政権亡命説、曖昧なユーラシア・南北融合神話
の曖昧さはつながっいている感じがします。
戦前の富国万世一系神話でもなく、戦後の流行的な騎馬民族説でもない「建国論争」が
あるべきだと思います。さきの男系女系議論など、空想的ていうか漫画的でしたし。

203 :1:2007/01/19(金) 11:30:16
>>200
中国では一時期、長安で異常に流行して「国教」扱いされ
その反動でその後弾圧されていったときいています。

日本には、空海の密教などの形式を通じて、コンセプトは仏教の啓蒙に
応用されていますよ。仏教がイエスの思想を飲み込んだ形。(弥勒創世とか)
宗教が市場で力を持つときは、よりその民族の風土や土着の神々にとりいる
、入れ替わる形で浸透するので、ザビエル以前からイエス教は受け入れてる
と思いますよ。中世の宣教師もそういう認識をしていたらしいし。

204 :月光仮面:2007/01/19(金) 13:26:11
基本的に先ず日本の天皇制、神社仏閣を考古学的に武装すること。この過程で
現出する価値をできるだけ世界に提供すること。このためには英国王室とか、
各国の観光資源のように観光ビジネスの発展を図る必要がある。
次に考古学があまりにも対象分野が狭すぎ、巨石学とかその他
数知れない隙間分野が存在する。また世界史、日本史等あまりにも細かく分か
れすぎており、横の連絡がない。
基本的には宗教団体に対する課税が不明瞭で、報告責任が果たされていない。
完全に透明化して文化遺産の保護、観光資源の開発、皇室の経営が十分に
採算が取れるようにするべきである。史学、考古学、宗教、観光の宣伝費も
こうした経済の枠組みでキャッシュフォローを円滑にしなくてはならない。
宮内庁・神社本庁・創価学会も、パチンコ業界もこのままにしておけば今に
不二家のペチャンコとなるのは必然である。神罰をごまかしても社会のおきては
ごまかせないのだ。とまー、こんなことの上で歴史問題も子供がハリーポッター
を読むようなレベルまで面白いものにしてゆく必要がある。こんなことがいえるのも
2CHのいいところですね。議員さんに聞いてもらいたいなー。

205 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 13:43:20
>>203
なるほど。基本的には、仏教を広めるために
キリスト教(景教)エッセンスを取り込んだんですね。
軸足は、仏教からずれることはなかったのか・・
よく分かりました。ありがとうございます。


>>204月光仮面さん
いいですね〜 私ももっと皇室は宣伝すべきだと
思っています。絶対にああいうの好きな人は多いし、
国内外にファンが増えこそすれ、害にはならないと思う。
宮中参殿の引越しとかめちゃくちゃ興味深かったです。

でも、海外に宣伝すると、「八紘一宇の復活だ」とか
いちゃもんつける人が出てくるからムリか(^_^;)

206 :月光仮面:2007/01/19(金) 13:47:22
ロシア、中国、北朝鮮、イラク等ではちょっと怖いですね。

207 :1:2007/01/19(金) 14:52:48
>>204
基本的に同意。
実は終戦後、オリエント協会を創設した三笠宮時代からヘブライ文化と
シルクロード、天皇をつなぐ研究は、皇族みずから真剣にやっていた。
海部氏、元伊勢や天皇家に伝わる伝承や、やたの鏡のようなロマン。
秦氏にも詳しいユネスコ国連文化外交の平沼郁夫。
いままでの日本文化の流れをどの方向に向けて集約するのか。
たとえば、遺伝子研究で「一部日本人=トルコ系遺伝子」説が証明
されつつあるが「日本=シルクロード・東欧までみんな部族的な親戚」
となった時代の天皇文化、政治経済、文化戦略とか。
戦前のようなへまはすべきではないが、脱欧米主義など避けて通れない課題もある。

208 :1:2007/01/19(金) 14:54:13
平山郁夫の間違いでした。

209 :月光仮面:2007/01/19(金) 15:21:23
>>207
それを言われると一番頭の痛いのはイスラム原理主義民族運動の問題。こうなると
相当なレベルの人でないと妙案はないと思う。やってみるしかないが日本人のような
非原理主義、汎神論のような考えが、イスラムvsユダヤキリストといった対立構造
では生まれない水平思考的のものが生まれるかもしれない。タイ、インド、台湾、豪州
等との友好を重ね、そのうちにモンゴル、中央アジア、東欧等で仲間を募りなんとか
国連でも意見の通るようにしたいとは思うが。


210 :日本@名無史さん:2007/01/19(金) 21:11:21
シュメール学の権威であるS・N・クレーマーによれば、
「ついこの間まで、プレアデス星団を指すシュメール語ムル・ムルと、この星々を
表す日本語「スバル」との間に、何か歴史的な、あるいは文化的なつながりを想定
するなど、だれにも夢想だにできないことだった。それが優れたオリエント学者
ロイ・ミラーが、権威あるアメリカ・オリエント学会の会長講演をもとに加筆し
“スバルの跡をたどれば、本当にシュメールの昔にまで行き着く”ことを論証した
のである」という内容の論文だった。

>>「スバル」=古事記、日本書紀、では「すまる、統る」とも記す。ちなみに
沖縄方言でムルブシ(星)八重山方言でムルカ星と言う。「スバル」星は「東」
の方角を指す道標。天皇(スメラミコト)も東に輝く「スバル」のミコトでは?


211 :月光仮面:2007/01/20(土) 08:34:24
スメラミコトの淵源はスバルでしょう。出雲大社のモデルはピラミッドに封印されて
いましたね。本殿への階段はタレントの方が登りましが、正月の番組でも紹介された
ように本来は太陽の精が蛇の力によって社に入り、天に登ることから来た祭祀、
出雲大社に天孫が遣わすアメノホヒこそ、天孫がこの祭祀を実する主体であること、
すなわち、天孫はピラミッド、極北人の地アルタイ、アステカのマチュピチュ・ピラミッド
等に流れる太陽神アメンの孫であると言うことを意味します。このピラミッド建設に
携わり、万里の長城を築いた石工、メーソンの流れこそ秦の渡来であったのだと思い
ます。石工においては白人であるフン、タタール、トルコ族も活躍しましたが、太古の
姿を維持し、それを生きながら実行しているのが日本の皇室です。昭和天皇の葬儀に
各国の国賓が列席されたあの時の姿こそ日本の本来のあるべき姿だと思います。

212 :月光仮面:2007/01/20(土) 08:53:36
皇太子の立太子礼のときのあの長い帯は太陽の精をバックアップする蛇であり、
帯、タラシとなっている。オキナガタラシ姫と言うのは沖津宮と中津宮、天界と地上界
を蛇、タラシで結ぶ女王ということで天孫の機能を表すが、これは幻の出雲大社の
階段、天の橋立を上ることで、オズの魔法使いのドロシーは乱暴な竜巻によって
虹の大橋を渡り果たされるのですが、天地を行き来することを意味するのでしょう。
秦氏とはこのタラシを製作する機能を持った部民と解釈すべきでしょう。
東龍日百磯姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)が橋墓で登られたのもこの天上への階段
であったはずです。

213 :月光仮面:2007/01/20(土) 09:08:46
太陽とは繞道祭の日が村々をめぐるようにして天空を登るものとする光のページェント。
蛇の習慣のないアルタイ人が旧石器時代からの鹿の剥製毛皮をまとい、シシ踊りと
称して今も岩手ではおどりますが、獅子舞(正月のテレビのかくし芸では中国のもや
った)、龍の踊り・・・太陽を追っかけたり、咥えたりするものですね。大事なことは
アルタイ人が龍と鹿を変換することで夫与(鹿)、晨国/辰国間の変換が行われ、日本
には鹿飼いは来たが、夫余は来ていないんだなんて書面審査のようなことが行われて
いる。裁判官が書面審査だけなら世の中楽なもんだよなー。

214 :月光仮面:2007/01/20(土) 09:29:23
大避神社の井戸はヨセフの話と似ているが、実は、ウラルにもアミンベクという話があり、
井戸が出てくる。これは井戸を作る石工と言うのがピラミッド建設に関与し、アルタイの
銅山開発、殷商青銅器文明の創造に関わっているのだと思う。大避神社の井戸を聖書
のヨセフよ結びつける人もいないが、あまりユダヤばかりではいけない。ユダヤ以外にも
パミール、アフガニスタン等の交易人種がエジプトに出入りしている。

215 :月光仮面:2007/01/20(土) 10:32:42
本日は天上界にお招きあり丹波哲郎さんの同時通訳とのことで、ヨセフ元エジプト首相
にインタビューをさせていただきます。ヨセフさん、早速ですがこれは正月に放映された
大避神社の井戸でございますが、なにか思い出のようなものはございますか。
いやー、脅かすなよ。これってずばりわしが投げ入れられたものだ。歌劇アイーダさな
がらの閉所恐怖による地獄の責め苦じゃった。が、こうした井戸と言うのも各国の俘囚
の民がエジプトのために掘ったものだったんじゃ。エジプトとかその近辺に行けば腐る
ほどあるとは思うがのー。しかし、これが大避神社にあるとはのー。で、政府はその井戸
とか、文化財に幾分かのことはしているのかのー。一等地のマンション官舎、終身高額
年金には金をまわすが、そんなのはどうもといっているとか。ふーん。苦労が足りんよう
じゃ。よし、直ぐにもわしの子孫に見学させて見ようぞ。・・・とこのへんで目が覚めた。

216 :日本@名無史さん:2007/01/20(土) 10:50:15
夢かよっ!

217 :月光仮面:2007/01/20(土) 11:20:54
論理が破綻すると夢の回路を作り、正常の回路につなぎ、更に展開を続け、
ある時点で夢の回路の部分を除去し、正常回路のみで作動することを確認し、
論理を完結さすというトリックはよくあるよな。で、マジレスというのか、やや、そうすると
カツシカ、カツウラ、カツラギ、カドノ、アマカツ・クニカツ、カスガ・・・ここあるカツという
共通部分は鹿=龍と言う過程によって、光る龍のくねる道=繞道祭等をヒントにカツが
倭語ヒムカと同意義であることがわかる。カスガと飛鳥山から筑波に刺す日を見た時
更に飛び立つものが鳥ではないかと言うことになる。これから筑波、鳥羽、投馬、吐蕃
拓跋、トクハツなどが鹿、と同時に、泉、龍源の意味を持つのがわかるんだが、ちょっと
買い物に出る。忙しいなー。

218 :月光仮面:2007/01/20(土) 12:08:31
間違えて暴投隣のレーンに入った↓
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163094069/579
>579 :月光仮面 :2007/01/20(土) 12:05:35
>さて、【江上】騎馬民族説は今。。。vol.8【波夫】でおなじみの白馬青牛さんの↓
>引用
>ミ・ニャク族は、西夏王国支配者の末裔でしょうね。
>羌(チャン)族は、中国戦国期に秦が四川省の岷江の都江堰という
>水利施設を作ってから現代に至る二千年間、毎年冬から春にかけて、
>都江堰の修理工事に活躍し、また冬に山を降りて、山の産物の薬草や
>麝香を漢人に売り、春になって山へ帰る時は日用品を買って帰る。
>羌族は、堤防工事と井戸掘り技術に巧みで、成都平野の井戸の大半は、
>羌族の職人が掘ったものらしいのです。
>これ等は、日本の山と里の交流と似ておると思います。
>草原の遊牧民と違い、五胡時代に活躍した羌、?や高句麗等、
>山地農牧・農猟民は防御施設を持っており、それには土木・水利技術が
>必要であったのではないか。と考えております。 引用終わり
>ここで言われる羌族こそ秦氏の先祖で大避神社の井戸を掘ったもの、そして
>アルタイの熊野(白鳥)族/蘇我・素鵞族と関係するものであろう。


219 :月光仮面:2007/01/20(土) 12:30:35
ドラゴンと龍 Part2
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/min/1115005436/menu634-643
をしばらく参照願いたし。最近中国最古の龍は確か夏の時代という中国発
の考古学ニュースがあったはずなんだが、ちょっと探して見る。

220 :月光仮面:2007/01/20(土) 13:03:09
あったぞ、
http://www.ufoarea.com/aas_archaeologists4.html
Khufu王(BC2553-2530)時代北極にあったThubanつまり、龍、この思想をいち早く
キャッチしたのは夏王朝。幾百年の歳差を経てそれは多少移動を開始していたこと
であろう。約千年後のことであった (3700BP=BC1700)
しかし、中に対するこの解釈は高度に発達した文明が誕生しつつあったことを物語り、
後には龍の踊りとなるのであろう。これに反しアルタイの旧石器時代から続く部族は
それを鹿踊りとして表現した。ここに文明の規模の違いを見る想いがする。そして
朝鮮半島も南端に達した頃、鹿民族は龍民族に変身するがそれは台頭する漢民族
の影響であろう。そして岩手に残る鹿踊り、出雲大社、箸墓はやがて誕生する日本
の基となる。

221 :月光仮面:2007/01/20(土) 13:04:55
あれ、龍と打ったら中となっている。又、家事があるのでこのへんで。

222 :月光仮面:2007/01/20(土) 14:32:42
さて、羌族は青銅器原料の錫を求めインドネシア、バヌアツ、ニュージーランド、
アマゾン、北・中南米にまで足を伸ばしたのではと疑わなくてはならない。ミャンマー
には失われたユダヤ部族がいて現在イスラエルに帰っているらしいが、テレビ番組
ウルルン滞在記ではドルメンを造る山岳民族を紹介。これは欧州・極東の巨石文化
と同じ。アンコールワット遺跡には偽扉があり、エジプトの石工羌族のもの、石造建設
技術は錫生産地、インドネシアに渡り、ボロブドール遺跡を生んだのであろう。
ユダヤ・キリスト系ウェブサイトはこの地に残るYAP遺伝子を日本人の商活動とするが、
そうではなくこれは羌族とするのが順当。バヌアツとか中南米の縄文土器については
羌族と同じYAPの縄文人が遠征したのかもしれない。アマゾンの地底から超巨人
モンゴロイドと隼人の文様が発見されている。アステカのピラミッドでは蛇が稜線を
下る仕組みであり、エジプト建設に参加した羌族の石工が赤道反流を利用して渡米した
可能性がある。殷商の青銅器文明はこうした背景において誕生したと考えるべきでは
ないか。ナスカに残るハチドリと偽扉には関連がありそうに思える。勿論日本に到達した
戎、物部には日置部というのがある。筑紫でも、大和でも鳥型に同名集落を配置した
ようだ。

223 :月光仮面:2007/01/20(土) 14:38:50
肝心なことを言いそびれてしまったが、タイのバンチェン青銅器遺跡と言うのがあり、
アッシリアの鉞のような青銅器を作っているが、三星堆等も考慮すると殷商に青銅器が
始まるのはこの後か、同時期かと言う感じもする。殷の二輪車は明らかにスキタイ、
ギリシャ、アナトリア、エジプト等の影響だろう。

224 :月光仮面:2007/01/20(土) 15:28:38
しかし、YAPと言うのが新大陸にまで行っていないことは明確なので、もし縄文人
が新大陸に入ったとすればCとかのY遺伝子タイプになろうか。が、羌/秦氏系をYAP
とすれば東南アジアに入ったのは彼らである可能性はある。

225 :月光仮面:2007/01/20(土) 16:19:26
>>220
男鹿半島に鬼が上陸したのは前漢・武帝に時代だと言う現地伝承があり、石段
を造ったと言う伝承あり、鹿角に行けばクロマンタピラミッドが造られている。
月山、湯殿山、鳥海山の出羽三山もこうした文化の上に築かれたものだろう。
庄内平野には天神祭りと言う踊りがあるが、天神思想はタンカンサーと同じ
ルーツである。ナマハゲとトシドンは同じ。沖縄とポ^ランドには同じフン族の
春駒があり、スイスにはナマハゲがある。ボスニアでもピラミッドが発見された。
日本人ももっと商売気を出さないとピラミッド土産はボスニアで買わされる
羽目になる。


226 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:33:06
>>いよいよユダヤは本気だよ!

『新潮45』 2007年2月号
■ロスチャイルド、世界経済を総べるものたち……落合莞爾
http://www.shinchosha.co.jp/shincho45/

記事によると、ロスチャイルドの当主は、昨年から日本のホテルに宿泊することが
多くなっているが、六本木の防衛庁跡地に建設中の超高層マンションに入居する
ことが決定しているらしい。

227 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:55:10
>>226
何の話だか忘れたけど、ロスチャイルド家の一派の若い男性が
日本人の奥さん貰っただか、新婚旅行が日本だったかで、お伊勢さんに
いったとかネットで読んだことがあるんだけど、その関係の話でつか?

228 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:57:31
aaa

229 :月光仮面:2007/01/21(日) 07:50:39
>>227
卑弥呼の邪馬台国よりやや古い時代、対馬の対面ではインドとの国際結婚で
姫が来ているが、その顔については手がかりがない。ところがこの御神像の
鑑定をさせていただくとアレクサンダーの末裔かなとも見受けられる風情がある。
しかし東洋的でもある。そして何より金海伽耶とは地理的に離れていない。
何かつながりはないだろうかと言うことから始まっている。

230 :月光仮面:2007/01/21(日) 08:01:18
ユダヤ人と日本人は同じYAPであり、天皇家は太陽神を祀る点でユダヤの仕えた
エジプトのファラオに似たところはある。ユダヤが伊勢神宮に参拝、古代の姿を
回復しようとする気持ちはわかる。が、ユダヤのYAPはYAP-Eだが、日本・チベット
はYAP-Dであり、コイサン、ブッシュマンもYAP-Eに近かったと思う。ちと、違うかな。

231 :月光仮面:2007/01/21(日) 08:19:28
神武天皇がリレーしたかのようなフツの御霊と言うのは、平原、石上神宮出土品
から見て素環頭太刀であろうが、フツの語源が不明。歴史考古学的前後関係
からすれば箸墓を護る兵主神・蚩尤、仏教時代の毘沙門天信仰から見て、後漢
の時代の流行語・浮屠の可能性はあろう。これは金冠伽耶首露王にインドから
姫が嫁ぐと言う伝承、首露王遺跡にある極めてアーカイックな仏塔を考えると
払拭しきれない可能性といえる。

232 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 13:58:17
>>229
いや、そんなふるい時代のことじゃなくて
最近のこと言ってるんだよ。

233 :月光仮面:2007/01/22(月) 09:22:34
羌族がエジプトで働くと言うこともなかろう。しかし、ユダヤ民族に非常によく似たウラル・
アルタイ地方の部族がユダヤ同様エジプト社会に入り神官となり、北極星信仰の
一環として或いは金属・鉱物資源交易、取得のためにエジプトからウラル・アルタイに
入り、その際にピラミッド内部の出雲大社のごとき構造、コブラが階段を登るような
儀式とかを伝え、それをウラル・アルタイの羌族/秦族が継承する、乃至は、コーカソイド
形質であるそうした神官を上部構造におく民族移動形式で半島・列島に伝わったと
考えるのが順当かと思う。ユダヤ人がこのプロセスに入っていると言うことは時代が
古すぎて考えられない。

234 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:15:25
はじめは新羅系羽田氏の社会だったが、途中から百済系氏族にクーデターで
追放された羽田氏はくやしい思いをして生きてきた

235 :月光仮面:2007/01/22(月) 11:16:01
とりあえずこの辺でこのスレの課題をまとめてみれば、
エジプト石造建築・太陽神信仰の日本木造建築・日本各宗教への変転を背景と
する日本国家の誕生・・・ということになり、歴史・考古学的調査が必要な地域は、
エジプト、コーカサス、バシコルスタン、旧ソ連中央アジア、BMAC、パンジャブ、
チベット、ヒマラヤ、アルタイ、新疆ウイグル、ヤクーチア、ブリャートモンゴル、
モンゴル、内蒙、中国東北・・・ということになろうか。



236 :月光仮面:2007/01/22(月) 11:23:29
吉村作治-エジプト、中近東、石坂浩二-アフリカ、コーカサス、欧州、
松平定知-シベリア、中央アジア、モンゴリア、ヒマラヤ、インド、苅谷俊介-日本、
江守徹-極東、東南アジア、オセアニア、米州
こうしたメンバーによる放談会のような番組を作り、面白おかしく最終目的のハイビ
ジョンDVDサイズの大作を目指すのもいいと思うが、国連、各国大学を引き入れた
国際バージョンの製作のためにはわが国の教育・文化機関を動員する必要も
あろうか。

237 :月光仮面:2007/01/22(月) 11:30:10
ユダヤ人の金持ちがいるというのなら、多少なりと趣旨にご賛同を頂き、ご協力を願え
ればアブラハムへの供養にもなると思うのだがね。

238 :月光仮面:2007/01/22(月) 11:37:59
東儀さんの雅楽知識の薀蓄の一端でも例のロックフェラーとのテレビ討論の形で
聞かせれば相当効果はあると思うが。まー、日本には他にもジョンガラをとっても
大変なもんだし、目にみえないものはいくらでもある。

239 :月光仮面:2007/01/22(月) 12:23:08
NHKも金が集まらないんならプロジェクトファイナンス乃至はプロジェクト
ごとに番組を債権化して金融市場に売り出し、債権・番組海外に輸出して
経営を立て直すくらいの頭はないのかなー。キリストも財テクを奨励しているし、
秦氏の関連の大月氏では卑弥呼時代からコインを発行している。経営感覚は
2000年ほど遅れとるぞ、。

240 :日本@名無史さん:2007/01/22(月) 14:13:04
ABE=エイブ=アブラハムと言うシンクロニスチックな流れも無視できまい。

241 :月光仮面:2007/01/22(月) 14:51:38
ダイアゴナルな、ダイアクロニクな関係、パラレルだろうな。

242 :月光仮面:2007/01/22(月) 14:58:18
安倍と言うのは鳥見山の巨大古墳、桜井茶臼山、メスリ山だっけ。あの関係で
大王クラスかもしれんぞ。

243 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 01:16:30
月光仮面よ、
仕事しろよwww

244 :月光仮面:2007/01/23(火) 13:24:17
東国原というのは神武の名前にふさわしいと思わんか?


245 :日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:35:40
はじめは新羅系秦氏の独断社会だったが、途中から百済系氏族にクーデターで
追放された波田氏はくやしい思いをして移住したがそこは平和な土地でした


246 :白馬青牛:2007/01/24(水) 01:22:13
>>218
に関連して、「四川省を訪ねて」に、ミ・ニャク族と近い
嘉戎(ギャロン)族小学生や羌(チャン)族の女性が出ております。
http://kishuu.cool.ne.jp/sisen4/13s.htm
羌系の女性は背が高く美人も多いとありますが、西夏王国を築いた
タングート羌族も「身長が高く鼻が高い」という特徴と類似しています。

247 :月光仮面:2007/01/24(水) 08:50:33
>>246
よくわかりました。日本人のルーツが雲南に至ったということがよくわかります。しかし、
類似の形質は日本人の全てではなく、一部の弥生時代に流入したものであり、水稲
経済の膨張などに連動するのだと思います。戎と羌が共通なんでしょう。
秦氏が秦を称したことをなりすましと見るよりは、一般的に羌は秦と名乗り、日本に
秦として渡来したものも羌であったと見たいですね。

248 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 10:48:30
秦と名乗ったのは権威ずけしないと、ライバルに負けてしまうので適当なことを
言ったかも


249 :月光仮面:2007/01/24(水) 12:21:54
秦とは秦韓でも言っているし、嘘ではないだろうが、始皇帝の末裔の辺が多少
気になる。秦韓ではそうした発言は見られない。ただこれは日本を甘く見たと
言うのではなくたまたま秦韓のほうにはそうした記録が残らなかったともいえる。
ここで秦氏について多少考えて見ると形質的にはコーカソイドが残っていないので
モンゴロイドの羌族が主体。ただし宣教師団、騎士団的な集団のトップにはコーカ
ソイドがいたものと考えられる。で、完新世早期、秦氏の祖である羌は照葉樹林
文化圏よりの中国西部にあって西方からの宗教、農業、工業を漢族にリレー
したもので、他方、出雲に到来した白狄は膠着語を話すコーカソイドで、エジプト系
天地崇拝宗教を持っていた。これに対して天孫秦氏はこれよりは時代の下るスキタイ
時代にインドアーリア文化圏にあった太陽崇拝宗教を持ち込んだのかもしれない。
これは拝殿・階段のある出雲造り、トリポリエ神殿によく似た八幡造りの神社の
相違から推測される。基本的にいえることは宗教・技術の流れがあり、形質人類学的
民族移動と言えるものではなかったものの、カリスマ的な要素の渡来はあったと言うこ
とだと思う。


250 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 13:22:56
高杯や三足土器の源流は三星堆文化にあり、という中国研究者も
いるようです。少なくともこの土器と三苗との関係はありそう。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/stan/l_bbs/kkzod01.htm

251 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 13:40:44
三足彩文土器 イラン B.C.1500〜B.C.1200年頃
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/045.html
三足彩文壺 イラン B.C.1500年頃
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/043.html

252 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 15:28:36
2. 長江流域は約1万年前からすでに米が栽培され、約8000年前には稲作が発達しました。
土器は丸底が主流で、約6000年前には三足の鼎(かなえ)が登場します。
3. 黄河流域では、約1万年前から粟やひえの栽培が始まり、約7000年前以降には平底、
丸底、三足の土器が出現。 約5000年前から土器が一変し、中流域では灰色土器、
下流域では黒色土器が現れます。
4. 北方地域西北地方では、約6000年前以前の土器は発見されませんが、彩文土器が
発達したことが大きな特色です。
5. 北方地域東北地方では、約6000年〜5000年前に窯を使用し、彩文土器が出現しました。

 これらをまとめると、中国新石器時代の土器づくりは約1万2000年前に始まり、各地域
で形や種類、技法、文様などがかなり異なります。 また、農業の発達によって土器
づくりの技術も発達し、約6000年前には三足土器が登場。 中国の漢時代まで代表的な
土器の一つとなりました。土器はもちろん日常生活用品でしたが、一部は祭りに関連
したものと推察されます。
http://www.kaen-kaido.com/doki/oh.html

253 :月光仮面:2007/01/24(水) 15:53:32
このスレの価値は、秦氏がユダヤ人ではないかとする極めて衝撃的な発想に
端を発し、思いつきもしなかったところ、エジプト文明と日本文化の関係にわれわれ
の目を開いたことにあり、現在、ブリャート考古学会でも、モンゴル高原と中国の
戎、白狄との関係に言及している程度で、アルタイの学会も同じレベル。ウラルには
エジプトとの関係を論証するサイトがあり、モルダビアにはシュメールとの関係を
論じるサイトがある。しかし、日本とエジプトという発想はどこにもない。このスレだから
こそ出てくる。つまりユダヤ人と日本人と言う一切を飛躍した想像力がエジプトと
日本と言うアイディアを生む。これが立証できれば中国の夏・殷商文明の成立を
解き明かすことができる。極めて大きな賭けではあるが。幸いなことにわが国には
優れたエジプト研究があり、真面目にやれば立証できると確信する。

254 :月光仮面:2007/01/24(水) 15:58:08
古代対馬海峡にノルマンジーとか、元寇のような動きを想定すると世界の物笑いと
なろうが、ユーラシア大陸に駅伝、リレーのように正倉院、新羅のローマン・グラス
のような物と価値観の流れがあったことは全く自然なことであろう。

255 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 16:20:13
このスレ、ほとんど一人で盛り上がってるのね。
真実を書いてやろう

秦氏=弓月王ってのは、 
三日月をシンボルとする王という意味で、
三日月はトルコの国旗のように中東に広くシンボライズされている。
ここの王族。

天照大神という伝承は、後の朝廷書記が秦氏出身だったように、
そもそも秦氏の祖先伝承から来ている。
中東出身の先祖が、記載する伝承は、当地の神話を見れば明確。
それは、 アルテミスである。 アルテミス神殿があるように

女神アルテミスの伝承が、時を経て、 女神アマテラス に変わったのだ

 

256 :月光仮面:2007/01/24(水) 16:38:31
エンジンブレーキも必要かと思う。ユダヤ・キリスト・イスラム・仏教等の教義を根底から
覆す可能性があり、世界に与える衝撃も決して少なくはない。宗教とは人間の生命その
ものであり、動かしてはならない価値観だからだ。慎重にやる必要がある。

257 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 17:41:16
珍敷塚については吉村作治に見てもらいたい

258 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 18:51:07
秦氏はライバルが権威付けに成功してるのですぐに後れをとらずに権威付けに成功した
ゆみずきの王なのでトルコ出身だったが今日までばれなかった

259 :白馬青牛:2007/01/25(木) 02:19:12
>>247
日本人のルーツが雲南に至ったとは考えておりません。
渡来系弥生人は一部の地域でしょうが、渡来系古墳時代は広い範囲に
拡散しております。四川省に近いチベット系と日本人の容貌が似ておると
云うんは、河口慧海氏や西川一三氏も云われてますけど、確かに縄文系より
も渡来系の面長な容貌ですね。青海青銅器人と渡来系弥生人の類似も
あり、羌系と日本人は近いとも思います。

260 :月光仮面:2007/01/25(木) 07:47:33
>>259
日本のもともとの先住民、縄文人など・・・これをルーツとすれば、それが雲南に至る
と言うことはないということですね。よくわかりました。そして渡来系弥生人と青海青銅器
人が似ている。羌系と日本人が近い。よくわかりました。ありがとうございました。

261 :月光仮面:2007/01/25(木) 10:52:24
>>255
吉備楯築墳丘墓(中円双方型)はトルコ・タタールと共通する形式。
松江・田和山遺跡頂上には半月(弓月)の壇あり。又、
日御碕神社には
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file3/hinomisaki.htm
 月支国王玻瓊が兵般数百艘を率いて、日御碕に攻めてきた時、日御碕神社の
小野宮司の祖先が勇敢に防戦に当たり遠祖の須佐之男命も式上から大風を起
こしてこれを助けられた。これには月支国の軍勢もかなわず大軍はことごとく藻屑
となった(伝承) これは孝霊の頃といわれる
http://kankou.pref.shimane.jp/news/h_n/f_walk/course/izumo_PDF/33taisya02.pdf
http://www.genbu.net/sinmon/index.htm
日月紋は、菊花紋とともに皇室の紋章、錦旗に用いられた。
http://www.genbu.net/sinmon/hi.htm
http://www.genbu.net/sinmon/hoshi.htm
月星はトルコ共和国
http://www.sarago.co.jp/nfhtm/tr.html
にもあるが、日本では壱岐のデザインがこれに一番近く、やはり
馬韓月支国出自かな↓
http://www.genbu.net/sinmon/tukihosi.htm

262 :月光仮面:2007/01/25(木) 11:07:05
>>258
トルコ人はトルコに侵入してきたもので、多分日本にも島根・鳥取方面から入ってきた
もので、膠着語・アルタイ語を話すコーカソイドが上層にいた集団。秦氏が属したのは
印欧語のイラン又はトカラ系の言語を話す集団。前者はアマテラス・クニテラスの思想、
後者はアマテラスの思想。天地vs太陽。

263 :月光仮面:2007/01/25(木) 14:18:48
秦氏は菊花紋で、イスラエル、中近東、インドにも広がっているもの、出雲系は
日月紋でトルコ、フン等。神話に出てくる白鳥はアルタイ系に関するもの。記紀は
各種のオリジンのメドレーの感があり、古墳時も各種豪族間のリレーがあった
のだろう。

264 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:32:44
菊の歴史は古く西暦600年ころ朝鮮から伝わりましたので

265 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:26:15
日本の国章および天皇は朝鮮起源ですね
日本人は素直に自分の血がわたしたち朝鮮人によって生かされていると自覚してほしい

266 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:01:59

朝鮮人は朝鮮半島の歴史はすべていまの朝鮮民族のものと勘違いしている。
朝鮮半島は中国と日本の狭間にあり、文化も人も通過点であることを知るべきだな。
朝鮮という言葉そのものが中国人国家の名前だ。
朝鮮半島の文化は古代から中国文化のコピー文化だ。
だから、朝鮮の文化の起源を探ればすべて中国にいきつくだろう。
明治以降は日本文化のコピーをしている。

朝鮮国旗は中国陰陽思想の太極と日本国旗の白地に日の丸のミックスだ。
中国、日本という大国に影響されるおのれの様子を端的に示している。



267 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:14:11
菊の紋章をいますぐに日本由来の草花に変更できますか、でないと負けそうなので
いったいどうすればいいかな

268 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 10:38:51
>>267

朝鮮人よ、日本語が上手いな。それとも在日か?
日本人の下手なコピー版のような奴だな。
朝鮮語も勉強しろよ、母国語だろう。




269 :月光仮面:2007/01/26(金) 10:40:17
日本も海という自然の防壁があればこそ、半島の轍を踏まずに済んでいる。
その防壁のない半島は極めて哀れ。太国の地雷原となって国を消滅させてゆく
哀れさに同情を禁じえない。が、陽は朝にはさす。朝鮮の字のごとく美しく生まれ
変わることを望みたい。

270 :太国:2007/01/26(金) 10:41:59


271 :月光仮面:2007/01/26(金) 11:03:32
太国追随だけではなく、朝の太陽を拝み、大きな気持ちを持てということだ。
しまった、大国というのが太い国となっていたなー。ズマソ


272 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 11:59:53
269 日本は天然の防壁があるから自然に防衛できてるだけで、半島は気の毒すぎる
古代からとなりの怖い大男におどされたりなでられたりして生き抜くためには
しなんの苦労があったはずで、それをけいべつできようか、いや同じ人類としては
百済滅亡時のように救援の軍をはくすきえに差し向けるべきだ

273 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:21:33

>>272

乞食根性、たかり精神はもうやめろ!
おまえは醜い朝鮮人か?

高句麗、百済はいまの朝鮮人の先祖じゃないぞ。


274 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:29:18
>>267
日本は椰子の実の歌が象徴するように、
潮の流れに乗って、世界各地から色々な文化が
流れ着くところです。

どこぞの半島と違って人類や文化が、唐突に
自然発生wするわけじゃありませんので、「経由」と
いう単語が存在するのですよ。

「経由」は「Ke-i Yu」と読み、「目的地へ行く途中、
ある地点を通ること。」を言います。つまり言い換え
ると、「通過」のことですね。

275 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 13:30:49
>>269
毒や臭気や棘のある植物みたいなもんですよね。半島って。

276 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 10:24:05
朝鮮の意味はあざやかなあさひと言う意味でしょうか

277 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 10:56:25

ちがいます。超賤、ウルトラ賤です。

278 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 11:12:52
>>276
朝鮮という漢字を見れば一目瞭然だと思うんですが、
なぜ敢えて聴くのか。漢字が苦手にもほどがあるというか
「朝日」ではない。朝だ。

279 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 19:55:30
すがすかしい朝を迎えたよの意味でしょうかねえ

280 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:01:30
韓は井戸の枠
倭は矮小
朝は朝献の朝

結局中国の属国をアピる

281 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:05:06


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は
空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)
の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋
(ふた)の間から,湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。
つまり「氣」です(後漢の『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



282 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 19:58:57
シルクロードの終着点が日本で出発店がローマでした、途中には色々な国があり
そこを

283 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 01:23:00
そこを…なんだ?

284 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:31:44
上げてやったぞ。

285 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 21:55:21
ありがとうございます、

286 :日本@名無史さん:2007/01/30(火) 22:01:47
伊賀組紐が着物の帯締めで高麗織り、古代をひらいた服部氏、さなぐ氏

287 :月光仮面:2007/02/05(月) 16:39:45
NHKで昨日ネパール政情不安の件のニュース中、ダビデの星マークがネパール
にもあるので驚いた。ミャンマーにも失われたユダヤ支族がいたわけだからあって
もおかしくないが、いきさつがいまいち。ところで、伊勢神宮にもあるがどうもこれを
寄付したのはユダヤ人で、皇室も絡んでいるようだ。つまり、皇室にもユダヤと日本は
関係あるんじゃないかと言う考えがあるようだ。ところが、私も同じ考えなんだが、私の
考えはシュメール語とか、ウグロフィン・アルタイのような膠着語を話すコーカソイドで、
フルリ人というのがいて、これが多民族集団でエジプトに侵入した時に、付近にいた
ユダヤ人も一緒に入ったのではないかということだ。で、このフルリ系がウラルアルタイ
地方、パミール地方に銅、色石(ラピスラズリ)を求めて、或いは、北辰信仰によって移動し
新疆ウイグル、モンゴリア高原で後に鮮卑とか、秦になるモンゴロイドと接触し、この際に
後に天皇家に入る宗教形式が形成される。それはエジプトの太陽崇拝を基にしたもの
ではなかったのかということなんだ。ちと、乱暴なところもあるんだが大体この線で、なぜ
ミラミッドの中に出雲大社とか、磐船のモデルがあるのかの説明が付くと考えている。

288 :月光仮面:2007/02/05(月) 16:49:54
キリスト教、イスラム教の信者が多いもんだから、初めにユダヤありきで、ダビデ
紋、菊花紋も皆ユダヤのブランドだなんていう考えが横行しているが、注意深く
向こうのウェブサイトを見ていると、そうではなく、ユダヤがどこからとなく拾ってきた
ものだということになっている。ベドィンのような連中にそんなに高度な文化が生まれ
るわけがない。善光寺の菊紋の方が由緒正しいのかもしれないのだ。

289 :月光仮面:2007/02/05(月) 17:01:09
その後日本では奈良・平安時代にあたるが、ユダヤ教を信じる膠着語、これは
既にトルコ語みたいな物になっていたようであるが、これを話すハザールというのが
大きな勢力を持ってくる。先ほどのネパールなんかもこうしたユダヤ教文化の影響が
飛び込んだのかもわからない。ただ、日本に来たような話はない。

290 :月光仮面:2007/02/05(月) 17:13:05
皇室は時代と共に色んな宗教を取り込まれるが、それでいて日本古来のものは
ちゃんとやっておられるようであり、なかなか、さすが世界一の長寿皇室である。
しかし、無理をしてユダヤ・キリスト教に接近しなくとも歴史はそれより一回りも
格が上であることを証明してくれるはずである。

291 :七色仮面:2007/02/05(月) 19:30:16
八田氏は新羅系なので冷遇されてしまい、働き者でしたが歴史から消されました
消す方法は神社なら領地のとり上げでガタガタにしてしまう

292 :月光仮面:2007/02/08(木) 10:22:50
エジプト、ギリシャ、インド、中国に馬、二輪戦闘馬車、青銅器などを持ち込んだのは
同一の中央ユーラシア騎馬民族で、この最後の動きが万里の長城で跳ね返され
朝鮮半島南端に至る。これを引き受けたのが日本というわけで、アマテラスがスサノオ
の馬による耕作等に基本的に反対であったことは日本の史書の記すとおり。しかし、
車輪を表すヘロデ紋を初めとする大陸からの多くの文物と、思想、宗教の流入で
三韓経由日本に入ったものがユーラシア文化の中核的なものであったことがわかる。
日本とエジプトをつなぐのも、互いに受動的にこうした中央ユーラシア文化を受け入れ
たということであろうが、エジプトには形骸が残り、日本には精神が伝わったようである。

293 :月光仮面:2007/02/08(木) 13:06:08
エジプトにおいてユダヤ人は羊飼いであり、「嫌悪すべき存在以下のの存在」とされて
いたよし。このユダヤ人の「ヨセフ物語」というのは盗作のにおいが強いが、こうした
ユダヤの立場からすればアメリカンドリームというファンタスティックなはなしであるが、
ユダヤと同じく、エジプトに入ったと見られるウラルのバシコルドの伝説にある。
エジプトの史家マネトンの解釈に寄ればヒクソスとは馬王の意味だそうで、馬韓国王
といったものに非常に似ている。騎馬民族の王が羊飼い集団を率いて侵入するわけで
中国・殷商、馬韓等と同様のパターンのようである。面白いのはエジプトではユダヤ人
を羊飼い、(羌と同じだ)、「アミ」、「アメ」と呼ぶことで、アルタイの大王が羌族の神官
をアミ、アメと呼んだのかもしれない。ただエジプト人はその言葉に抱いたのは現在の
テロリストであるとか、戦前のナチスドイツとかスターリンの持っていたのとよく似た
KKK的感情のようだ。


294 :月光仮面:2007/02/08(木) 13:15:25
日本人はこうした西域の羊飼いの宗教をアマテラス、天御中主として伊勢神宮に
奉っているわけで、しかも、ガス室送りのユダヤ人を救出した実績すらあるんだから
伊勢神宮に灯篭がどこともなく献灯されても全く不思議ではない。これは日本人の
神徳というべきであろうか。

295 :月光仮面:2007/02/08(木) 14:50:52
>>287
出雲には古い青銅器製造遺跡が多い。銅鐸には古代出雲神殿のような
図案がある。そのルーツはエジプトのピラミッド内部↓
http://www.guardians.net/articles/images/Plan_Great_Pyramid.jpg
にあるのではないかと思う。ついでであるがここにある地下室、黄泉の国
遍歴の宗教体験ができるように工夫されているのが信濃の善光寺だ。
他にも熊本県等にはトンカラリンという宗教遺跡のようなものがある。
日本の銅鐸は内モンゴルにおいて発見されている。すなわち青銅器文化という
共通項がエジプト・殷商・日本を結んでいるのだ。勿論、青銅器文化はテン国、
タイ・バンチェン等にもあり、古代羌族の行動範囲も広かったのであろう。
そしてし、日本と長江下流の銅緑山の関係は邪馬台国・魏の時代に再燃する。
話は変わるが、ピラミッド内部の社殿は八幡・日吉・トリポリエククテニ神殿型
であり、出雲式ではないのが面白い。出雲人には何らかの癖があったようである。

296 :月光仮面:2007/02/08(木) 14:59:28
出雲は銅鐸
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?&pageId=E16&processId=01&col_id=J37433&img_id=C0003178&ref=2&Q1=&Q2=&Q3=&Q4=________1_41_&Q5=&F1=&F2=
この形式に忠実であるようだ。銅鐸教のバチカン的存在であったのだろうか。

297 :月光仮面:2007/02/08(木) 15:40:07
去年、一昨年、吉村さんのテレビ番組でピラミッドをやったとき、龍が階段を
横波運動をしながら登る廊下の説明をされ、さすがに工学博士、着想が
違うわいと思っていたんだが、横浜中華街の龍踊り、獅子舞等、三輪神社の
繞道祭等を見るに付け、空中飛行には水上遊泳同様横波運動を想定する
古代人の物理学者的発想の奥深いことに感じ入った。龍踊りとは新疆ウイグル
方面でエジプトピラミッド思想の中核部分が展開されて蛇、龍、鹿、獅子の踊り
に変化したのではないかと思う。

298 :月光仮面:2007/02/08(木) 15:46:39
この龍のようなものが天橋立、浮橋を昇るのに帯、タラシ、を利用するということで
沖(天界)中(地上)タラシヒメが生まれ、アマタラシヒコ、アマテラスが生じるのであろう。
するとこうした概念は弥生墳丘墓が立体化する古墳時代に始まったのだろうという
推測が付く。

299 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 19:56:18
百済系氏族は堺や鶴橋に巨大な百済寺やがあったが、枚方の百済王神社や高槻の方にも
いったが

300 :日本@名無史さん:2007/02/08(木) 20:25:43
高麗神社は関東に移住させられた理由はなんでやろ

301 :桃太郎:2007/02/09(金) 06:09:27
月光仮面は、相変わらず凄まじいな
ひさしぶりに読んだら、目がくらくらして、酔った。

誰かまとめサイトを!
酔い止めを

302 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 08:44:10
新羅系の羽田氏がいちばんつよい時代が最初みたいですね、その後に
百済系がはいってきて日本の在来の氏族と共同で開発していったかも

303 :月光仮面:2007/02/09(金) 10:04:59
【夏王朝】歴史の証明【伝説】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1087694006/menu311
古代、中国西方には羌と呼ばれる民族があり、こうした文化をリレーしていたが、その
子孫が歴史時代に秦の子孫を名乗るものになったのが多いようだ。ハタ氏のなかにも
こうしたものの子孫はいるんじゃなかろうか。


304 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:24:31
羽田は権威ずけのために名乗っただけで、本名はちがうかも

305 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 10:27:42
そんなこというのはてんさいてきなばかかも

306 :月光仮面:2007/02/09(金) 10:29:36
ハタ氏の場合、秦というよりも、タケシ(チクシ・ツクシとか言う意味ではなかろうか)ウチ
王朝時代の渡来人の一つであり、その語源は機織りなどのハタにあるようだ。ところが
ハタとは聖なる呪具、タラシ、等と関係し、単に繊維・縫製技術者ではなく、神主・伎楽・
芸術・防衛等の分野でも活躍したようである。ところで、伊勢神宮のヘロデ、ダビデ紋、
大避神社のヨセフの井戸、洗礼のプール、記紀に残る多くの聖書からの引用は秦氏が
ユダヤ人ではないかと思わせる。ユダヤ人はYAP+E、縄文人がYAP+Dとされる。チベット
雲南にもYAP+Dが多い。ところが顔を見比べたら直ぐにわかることだがユダヤ人は
白人、つーか、白人とアラブの中間程度。秦氏とか、雲南・チベットはどう見てもモンゴ
ロイドで関係はないと見るのが当然だ。

307 :月光仮面:2007/02/09(金) 10:43:21
ユダヤ文化がらみの問題は秦氏にあるのではなく、秦氏が仕えた功満王、融通王
といった王族にあるのだ。ロシア・アルタイ・トゥーヴァ共和国をヒュペルボレオイ
(極北人)の聖地とし、ギリシャのアポロを一年教育したクマンジン(白鳥)族は
タケシウチ王朝の立役者であり、ヒクソスの王であった。アポロン、エジプトには
旧太陽数は合い宗教を打破し、政権を獲得することを教える、エジプト、ギリシャ、
殷には青銅二輪戦車・馬をもたらす。スサノオとはこうした勢力の中心であり、
馬韓・百済に前線基地を置いていたようである。日本においてもホアカアリ、アカルヒメ
等の旧勢力の上にアマテラスという唯一太陽神で国家統一を図ったのだ。

308 :月光仮面:2007/02/09(金) 10:59:08
エジプトと羊飼い、これにはユダヤだけでなくウラル地方のもいたらしいが
相当羊飼いはイジメを受け、釣り馬鹿の西田は社長に釣りで取り入るように
ユダヤのヨセフは夢占いで取り入り、ウラルのアミンベクはギャンブルで勝つ。
ヨセフのお棺 http://www.freemaninstitute.com/images/joseph4.jpg
こうした釣り馬鹿話が旧約聖書にはいっているようだ。羊飼いはは「アメ」、「アミ」
等と呼ばれインドにおける不可触選民のようなものだったらしいが、大王であった
ヒクソスはウラルに引退した後も、周辺の羊飼いをこう呼んでいたのであろう。そうして
そうしたノマドを糾合し中国北辺経由朝鮮半島南端に達したものと考えられるのだ。

309 :月光仮面:2007/02/09(金) 11:06:35
>>307 ちょっと乱れてるようだ。
古い太陽教を打破する、唯一神の太陽教、アマテラスとか、アテンの神とかを導入し、
政権を掌握する。・・・日本ではアマテラスに足元を見られ出雲に追放されてみたり、
アマテラスもエジプト同様うまく働かなかったようである。太陽に税金を取られたのでは
当時のニートもどえらいことであったのであろう。しかし税収確保、税制改革こそ国家
存続の条件であることは永遠の真理だ。

310 :月光仮面:2007/02/09(金) 11:16:06
>>307
アルタイ・ヒュペルボレオイ(極北人)はアポロにオロチを退治し、自分で新神殿
を開けと教育している。スサノオなんかは出雲と大和で二回もオロチ退治を行っている。
ギリシャに水田があるわけはないが乾燥地のことなので日本同様水脈確保は
利権確保につながったのだろう。

311 :月光仮面:2007/02/09(金) 11:33:14
http://www.touregypt.net/featurestories/heli1.jpg
これはエジプトの太陽崇拝遺跡、注目すべき点としては全体的に石段を持つ日本の
神社社殿配置に酷似していること、及び、日本の神社の祖形と思われるモンゴリア高原
ケレクスルと基本的に同じであることだ。
http://www.touregypt.net/featurestories/heliopolis.htm
ヒクソスがヒュペルボレオイ(極北人)であったこと、それが馬韓経由日本に入ったことに
間違いはないと思う。又ピラミッドの起源を示唆するのがオベリスクの先端部分で
琥珀金で塗られ朝日に輝くのだという。カイラス山の朝日といってもいいのではないかな。


312 :月光仮面:2007/02/09(金) 11:43:40
>>310
ヒクソスへ移行期、アルタイ・オークニェフ文化ステラ(石碑)には天に登る
二輪車の絵がある。ギリシャ留学生アポロン君の黒板代わりであったのか。
が、後の高車丁霊の高車、かぐや姫の牛車のような感じも多少あるんだが。

313 :月光仮面:2007/02/09(金) 15:48:24
>>307
エジプト人が、ユダヤ人を憎み、いじめ、劣等民族の烙印を押した。これはユダヤ人の
選民思想が原因であったのかもしれない。いずれにせよ、時のヒクソス王にとっては、
「アメは愛い奴じゃ、頭が切れるのう。エジプト人は河馬か、馬鹿じゃのー。」なんて
言っていたんだろう。このヒクソス王がウラル・アルタイに帰国して周辺の東洋の羊飼い、
羌に対しても同様の態度で接し、自分を王とする集団を形成したのだろうが、満州に
入った頃は羌よりも、鹿飼いツングースの夫与等を引き込んだこともありえよう。高句麗
では諸加といって家畜別にサブグループとか、管理職を決めている。日本の加賀、甲賀、
伊賀などというのも鹿加、狗加、猪加であったのかもしれない。


314 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 16:17:23
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

315 :月光仮面:2007/02/09(金) 18:25:09
殷の湯王は太陽神の末裔ということなのでアルタイ語を話す白人であったのかも
知れないが、生贄に羌を殺すのが殷の習性なので、上記のユダヤ人への態度とは
少々違ったかも。卑弥呼政権は魏に生口を送っているが、羌はなかなか美男美女
だそうなので、卑弥呼の銅鏡見返り輸出の生口も相当のイケメンであったのかも
しれない。殷の崩壊にはこうした生贄役の羌族の不満もあったことだろう。

316 :日本@名無史さん:2007/02/09(金) 18:37:55
クジラ尺の名前は渡来人が来た時に四天王寺を造ったかもしれない金剛組の
こましゃくと同じで、

317 :月光仮面:2007/02/10(土) 12:15:18
ロシアの学者は殷をカラスク並行と考えている。
カラコルスカヤ (多色絵画・鳥・太陽人/動物像)BC2100-1900
オークニェフスカヤ (人面動物石柱・石板墓・円形石囲い) BC1900-1500
アンドローノフスカヤ(幾何学模様土器)BC1500-1100
カラスク(箱式石棺墓)BC1100-800
私は、夏と殷初頭にアンドローノフスカヤ文化が到達、戦闘二輪馬車、小麦
青銅器、彩陶などの文化が伝えられ、その後にエジプト・コーカサスの箱舟信仰の
影響を受けた箱式石棺墓が殷に伝えられ、殷はこの頃に崩壊し、箱式石棺墓
はモンゴリア、満州、半島経由九州沿岸に到達するのではないかと見ている。
アンドローノフスカヤと類似のスルーブナヤはスキタイ・キンメリアになってバルカン
半島をアドリア海・エーゲ海・トロイ方面、もう一派はアナウ近辺から近東経由パレス
チナ、エジプトに、もう一つはヴェーディック・アーリア族としてインダス峡谷に、
もう一つは河西回路を二里頭へと進むのであろう。そうして初期青銅器原料をウラル、
アルタイに依存したことで殷の王族にアルタイ系乃至は印欧系が入ったことが考えら
れるが、銅緑山等長江下流の鉱山開発と自国の窯業の発展と共に輸入依存はなくなり、
殷の体制は崩壊するのではないか。

318 :月光仮面:2007/02/10(土) 12:22:44
>>311
日本では次第に見られなくなってゆくが、福井県南部にあるこの日野宮神社
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/gazou/hi-miya21.jpg
この石垣が四角であることに上記のエジプト神殿との共通点を見出す。
日本ではこうした遺跡の保全は一切民間の浄財で行われるが、限りなく重要な
世界遺産だと思う。

319 :月光仮面:2007/02/10(土) 12:30:14
日本史が世界史の一部であり、日本の国民も、朝廷も一丸となって全ての世界で
失われたこの歴史を保存したことを世界に発信し、世界の人がそうした日本を理解
してくれることこそ、私の望むところなのだ。そしてこれが子々孫々に伝えられたとす
れば、これまで歴史を残してくれた日本の先人も必ず喜んでくれることであろう。

320 :月光仮面:2007/02/11(日) 08:04:59
【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】 ・・・繰り返すが、このスレタイは世界
史観を根底から覆す衝撃の事実を簡潔に述べたのだ。ヒクソスはユダヤ、クルド・・・
バシコルトスタン、トゥーバ、商(殷)、纒向(邪馬台国)に通じる。色即是空でいうなら
色とはヒクソス王国、殷、邪馬台国といった結晶化した状態のこと、空とはさまえよる
ユダヤ人、ジプシー、犬戎、西戎、北狄、倭人のような流動化した、分離電子の状態
ではあるがその本質は一つ、商、それは三輪そうめん、金屋子神、神農、スクナヒコナ
という商なのである。それはベニスの商人であり、結晶してはクシャン王朝を築き、
中間状態としてはハザール王国を現出した。

321 :月光仮面:2007/02/11(日) 08:24:14
史観の顛倒はコペルニクスの天動説さながらに、ピラミッド、聖書、コーランの世界の
呪縛を打ち破る。そして宗教がいかに史実をバイアスしたかを知らされる。全ては
砂に化した中央ユーラシアにあり、その無から欧州、中近東、インド、中国の文明が
生まれた。そしてそれはいまこの日本で復元される。
「殷の戦争は呪力と呪力の戦いだった。戦いには「媚」と呼ばれる巫女を伴った。巫女た
ちは軍鼓を打ち鳴らし敵に向かって呪詛を唱え攻撃した。甲骨文字には鬼方と呼ばれ
る強大な異民族を攻撃したときの様子が記されており、動員兵力数万人のうち投入さ
れた「媚」は3千人に達した書かれている。敵の「媚」を捕らえることは最大級の功績で
「蔑暦」と呼ばれたと記されている。「媚」は呪力を封じるために真っ先に殺された。また
異民族の地を進軍するときは道を整備し、土地かけられた呪詛や悪霊を祓うために異
民族の生首をかかげた。祓除を終えたところを「道」と呼んだ。甲骨文字は祭祀の過程
において発生したもので天意を記すために作られたものである。ごく一部の限られた
階層のものだけが読める神聖文字で一般の生活とは無関係だった。 「媚」に含まれる
眉の文字は顔料で眼の回りをくまどりし呪術的な化粧を施した象形であり、後世に転じ
て「媚びる」となった。「蔑暦」の「蔑」は「媚」を戈(ほこ)にかけて殺す形で「蔑む」などの
語源となった。 「道」に首の文字が含まれているのは祓うために首をかかげたことに
よる。」 http://lonelynight.blog66.fc2.com/blog-entry-3.html
多数の女官を擁する卑弥呼、名草の姫を八つ裂きにし、数々の女性シャーマンを
誅殺する神武は商の価値観(パラダイム)を持つ聖王であり、神武は簡狄に頼るが
ごとく鴨、ヤタガラスにたよる。簡狄の地には蚩尤があるが、兵主神として箸墓を
守る。後の世の毘沙門天もアルタイ、新疆ウイグルの神であろう。

322 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 08:31:01
クジラ尺というのはなんでクジラというかみなさん知ってますわね、
ヒントは焼き肉です

323 :月光仮面:2007/02/11(日) 08:35:42
記紀には新約、旧約、拝火教等のパラレルが多いというが、これは実は
顛倒夢想であり、旧約、新約、拝火教こそ、記紀の原典というべき思想から
派生したものというのが正鵠を得ている。アメノヒボコがアメンベクであり、
その分身が旧約創世記のヨセフである。アミンベクが黄金を得る井戸こそ
大避神社のいどである。つまり、アメノヒボコの井戸であり、これが秦氏の
神なのである。

324 :月光仮面:2007/02/11(日) 12:03:06
英国女王が中国大使に・・・先日差し上げた犬は元気ですか?中国大使・・・ハハー、
とても結構なお味でございました。・・・これは有名なジョークであるが、極東北部
では犬を食べる。10年ほど前に米国大学考古学チームはロシア・ウラル・サマーラ
川アーリア人遺跡のウグロ・フィン族シャーマン(もっとも危険な人種らしい)キャンプ
の脇の井戸から毛の付いた犬の骨を発掘した。これに関し米国学会では北欧オーディン
神が年末に12匹の犬を連れて吼えまわる、ローマには犬僧というのがいて犬皮の紐で
町に注連縄を張ることに関係があるのではという声があったという。ところが地元の
バシキール・クルド族は犬トーテムをもっており、どうやらエジプトに侵入したヒクソス
とか、パレスチナのユダヤ人の元になった種族のようだ。これが犬戎となり、山東半島
と遼東半島の高句麗の起源となたのではないかと考える。例の井戸の骨は生贄を
毛皮、骨ごと叩き潰し、生で共食する習慣のようだ。エジプトではシリウスが犬と関係
あり、ナイルの氾濫予想になるというがこれはヒクソスであるバシコルト族が教えたらしく、
この辺の功績が創世記のヨセフの手柄となっているのではなかろうか。話は長くなった
が、>>318 の日野宮神社にも大きな犬の伝承があり、キクリヒメ(高句麗)逃さん神社
にも近い。天孫卑弥呼とは仲が悪いが、付かず離れずする狗奴国というのはどうも
この辺ではないかと思う次第である。高句麗にはエジプト・熊野・浅草酉の市を結ぶ
ヒントがある。これだ↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Korean_three-legged_bird_mural.jpg

325 :月光仮面:2007/02/11(日) 12:09:18
月山神社というのが乱れてしまった。ついでだが、クングール、カンガール
というのはトルコ語で川、町という地名らしい。高句麗というのは川のほとりの
町という普通名詞に過ぎないのかもしれない。

326 :月光仮面:2007/02/11(日) 13:04:57
>>320
商というのは、雄略のような尾根縦走による探鉱、穴師とか、赤城の百足のような
資源開発、そして、奥州藤原三代、徳川の甲州、佐渡のような金鉱開発のようなスパンの
活動であり、現代で言えば豪州鉄鉱山のような山を当てるとそれを資源として交易をし、
国家を運営するということであり、例えば無錫旅情のような観光地となるともはや殷は
商というフェーズに移行する、蝶が変態するようなユーラシア-北アフリカに存在した
人の群れの流れなのである。ちなみに、俵藤太は松江に上陸、近江を経て赤城、奥州
へと向かうようである。


327 :月光仮面:2007/02/11(日) 14:13:25
>>324
太陽を追う龍、その前脚が馬脚を現しそうな思想、それはエジプト・ウラル・アルタイの
アポロンとも接点のある馬の思想、それは馬韓を生んだものであり、蘇我馬子を生んだ
騎馬民族思想が、別途中国に到達した龍の思想に切り替えられる心理状態を表して
いるような気がする。古代人は心憎い。

328 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 15:48:05
相変わらず、月光仮面のものを読んでると、とても眠くなる。小出しに語っても良いが、せめてもう少しだけ、文章力を鍛えてほしい。

329 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 03:16:06
俺も月光仮面の言ってる事がわかりにくいよ、
でも、月光仮面は嫌いじゃないけどな

330 :月光仮面:2007/02/12(月) 10:14:53
シルクロードはエジプト、バルカンと極東を結ぶ最も南よりの陸路であるが、
銅資源はこれよりやや北よりにあった。10年ほど前に米国大学調査団の
行った調査にある地図 http://users.hartwick.edu/iaes/map1.htm
にSamaraという川があるが、この辺からも銅が取れる。この地図の2本の破線に
囲われた部分がステップという草原地帯で、これから未だはるか東方にアルタイ
がある。ここも重要な銅の産地だ。


331 :月光仮面:2007/02/12(月) 11:09:47
これはSrubnaya(木槨墳)文化拡散の地図↓
http://users.hartwick.edu/iaes/map2.htm
北部の森林地帯と南部の草原(ステップ)地帯の境界線が右上に延びている。
その先にアルタイがある。アルタイに達する同時期の同様文化にアンドローノフスカヤ
文化がある。銅の産地を中心として発達する文化と馬、戦闘二輪車、後のスキタイ
文化が関係してくる。これが殷商、そして、千年の時間差で大和盆地に流入する。
最近進んでいるSintasgta-Arkaim遺跡の研究で大和盆地開発同様、宗教に基づく
地形の利用、蘇我氏の甘樫岡のようなもの、が特徴的であることが判明した。
参考までであるが、イランの考古学者はアーリア族は北方黄色人種に圧迫され
イランへの南下を開始したという。Sintasgta-Arkaim遺跡に近いバシコルスタンでは
トルコ系バシキール語とイラン系クルド語が共存している。バシキール人というのは
恐ろしい鬼のような顔をした人だそうである。

332 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 11:16:50
>>255
アマテラスと同じ、三貴神の一人、月読神は?

333 :月光仮面:2007/02/12(月) 11:21:11
スペルが難しいなー。正しくは→Sintashta-Arkaim複合遺跡というらしい。

334 :月光仮面:2007/02/12(月) 12:31:16
>>332
月読神とは秦氏が半島から壱岐経由、秦王国香春に持ち込み、南九州に入り
隼人となり、それが東遷し、吉備のあたりで卑弥呼に先行する男王となり、河内、
大和、紀伊、伊勢を攻略するも諸国乱れ終には卑弥呼共立となる、この男王
神武を支えた集団ではないかと思う。その神紋は左に月、右に星でトルコ族の
先祖であろう。
http://www.hayato.com/mado/f_menu.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/gesshin/ishiushi_to_tsuki/ishiushi.html
http://www.genbu.net/data/yamasiro/tukiyomi_title.htm
http://www.genbu.net/sinmon/index.htm
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/rekisi.html
http://www5.ocn.ne.jp/~tukiyomi/gaiyo.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/gesshin/hayato_gesshin/01futatsu_no_tsukuyomi/01futatsu_no_tsukuyomi.html
そして、月読神とは天神であり、アマテラスとは形式上はシンメトリーを成すものの、
別個の宗教を持つものであった。集団的にはアマテラスが天皇集団、月読神はそれに
従属するものであったと考える。


335 :月光仮面:2007/02/12(月) 12:41:53
天皇の渡来といえば、これは横綱のようなものであって、モンゴルの朝青龍も
何とか部屋に入ってふんどし担ぎからのし上がらなければ急になれるものではない。
天皇は北陸・近畿・中国の政治的均衡、女王共立の厳しいシステムの中から、難産の
末に生まれたもので、もはや日本独自のものとしか言いようはないのではなかろうか。

336 :月光仮面:2007/02/12(月) 13:25:25
「14年春2月:
弓月君が百済からやってきて、
「私は我が国の百二十県の民を率いて来たのだが
新羅に阻止され今加羅の国に留まっています」
と進上した。
そこで天皇は、葛城襲津彦を遣わしたが
3年経っても帰京せず
今度は16年8月:
平群木菟宿禰 と 的戸田宿禰 の二人を加羅に遣わし
兵を進めて新羅の国境に陣を敷いた。
これに恐れ慄いた新羅の王は速やかに罪に服した。
これだけの大集団で渡来したのだが、、
一帯この場所がどこなのか
大半は朝廷の近隣に控え多種多様な文明の利器を
伝授した事は容易に推察される。
京都の「太秦」近辺にはその伝承が多々散見されることを
念頭に入れ精査していきたい。
秦氏については次のような説が現在では一般的だが。
海外(中国や朝鮮)への格付・権威付の呼称として
「秦の末裔」を名乗った。
実際は、加羅の民であったそうだ。
この加羅は6世紀には新羅に変る」
http://www.hayato.com/shinwa/jofuku/23hata.html
加羅みたいな小国にこんな大勢の人間がもとからいるわけはない。
百済にいたと見るのが当然。それにしたも、倭国への渡来を当然のことと
考えているようであり、これは神功時代に百済と倭国間領民往来に関する
約束が成立していたのであろうか。

337 :日本@名無史さん:2007/02/12(月) 14:47:59
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

338 :月光仮面:2007/02/12(月) 15:00:10
>>335
たとえば、ギリシャの場合、アポロンがヒュペルボレオイ(極北人)から持ち帰ったのは
馬、白鳥伝説、八咫烏、二輪車、オロチ退治などであるが、日本に入ってくるのは
オロチ退治、白鳥(素鵞)、馬はスサノオ、神武は八咫烏、又、アポロの時代、地方には
なかった銅鏡などであるが、ばらばらに入ってきている。つまり、このことからも、三韓
から日本に征服王朝のようなものは来ておらず、ばらばらな集団が入ってきたことは
わかる。しかし国家として体をなすにはこれらを統合する必要があるが、日本では
3種の神器という独特のやり方を創造したのであろう。

339 :月光仮面:2007/02/13(火) 10:56:07
秦氏はユダヤ人というのは極めてホールインワンに近いショットだった。しかし、もっと
すごい発想は韓国人は英国人の祖先という発想↓
http://members.at.infoseek.co.jp/koreawatcher/docs/sanggo.htm
この2つとも天才と気違いは紙一重に似ているが、2CHで論議するには格好のテーマ。
これに私の提唱するミッシング・リンクは中央ユーラシア草原に埋まっているという説を
適用すると、全てが、多少の齟齬を除き、有効になってくる。大相撲黒海君の故郷に近い
ソチの支石墓群と、遼寧省、韓国、九州の支石墓が結びつく。競馬で本命を中心に
各種の二番手を想定して流す時の二番手のみをとって選ぶと確率的にとんでもない
めちゃくちゃになるが、これをタテメというらしい。これは絶対にあたらない。私の言う
のはブラックボックスの本命を想定し、それを中心に流すという論理なんだ。前置きが
長くなったが、エジプトのピラミッド建設に参加した多くの地方の住民が帰国して、
同じような概念で始めたのがドルメン、巨石文化ではないかというのが私の仮説だ。


340 :月光仮面:2007/02/13(火) 11:04:14
で、殷商と遼寧ドルメンを考えて見ると西方から極東に到達したのは南回り、北回り
と、2つのルートがあり、ヒクソスの王族のような2輪車型のものが殷商に、石工・農業・
戦闘要員的なものが遼寧にという結果となったのではないかと思う。そして日本には
そうしたものが朝鮮半島でミックスして到達する。

341 :月光仮面:2007/02/13(火) 11:23:25
弥生時代は稲作というが、稲作は極めて不合理、不経済な食料生産、量産システム
であり、日本のような亜寒帯気候ではそば、大麦が有利。稲作は王権、政治体制が
出来上がってからとか、広域流通とか、保存などにはある程度有効ではある。従って
渡来人が新たに生活を営んだ地方にはうどん、そば文化があるはずである。三輪そうめん
とか、稲庭うどん、麦きり等には裏の歴史があるようである。

342 :月光仮面:2007/02/13(火) 11:39:15
ブリャート共和国の仏教・考古学の大御所の卓見では蒙古高原を南北に縦断する
境界があり、その西部はエウロペイド、太陽、円形指向、東部はモンゴロイド、天地、
方形指向だそうである。今言う西方からの2本の道はどうやらこの辺で分岐している。
カラスク・オルドス・殷商への道、カラスク・遼寧への道、これは東胡ではないかと
言われている。この東胡は高句麗、出雲、若狭湾・三河方面、そして日向、瀬戸内は
公孫方面からの流れで、そこに秦氏が位置づけられるのではないか。

343 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 12:15:11
大阪の地が古代は新羅津と百済津で埋め尽くされてたけども
これは漢字が使える渡来人が付けた名前なので倭人の出るまくはなかった。

344 :月光仮面:2007/02/13(火) 14:35:52
モルダビア、トリポリエ・ククテニの高床式千木付き八幡造りの神殿モデルの焼き物
について、不思議な思いがしていたが、ちょうど、アポロンがヒュペルボレオイ(極北人)
から帰国する道筋、というか、東方草原のインドイラン族がバルカン、北中欧に侵入する
道筋にあるので、神殿の起源はアルタイの森林地帯と見るのが良いのかもしれない。

345 :月光仮面:2007/02/13(火) 16:32:51
アポロンはこの↓レンガ色の部分の一番右端、そこにはスサノオも、いたはずだが、
そこから、左の方に黒海北岸経由ギリシャに入った。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Indo-Iranian_origins.png
アンドローノフ文化と総称されるこの文化の中心がピンク色のシンタシュタ-アルカイム
文化であり、東方のグリーンの部分がアルタイ・アファナシエヴスカヤ文化であり、後に
カラスク文化となり、オルドス地方を経由して殷商、遼寧地方を経由して日本に向かう。↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Andronovo_culture.png
シンタシュタ-アルカイムがユーラシアのへそといってもいいのではなかろうか。

346 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 19:24:27
秦氏は権威付けのためにつけた名前で本名はちがう名前だった

347 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 20:35:57
秦河勝の顔見てみたい。太秦の広隆寺にある木像は見たことあるけどね。濃い顔だったんだろうか?

348 :日本@名無史さん:2007/02/13(火) 21:16:16
秦氏所属の部民のかつ部は仕事はなにをやっていたのかな

349 :月光仮面:2007/02/15(木) 07:35:40
>>346 >>347
「秦は伝説によれば殷の紂王に仕えた奸臣悪来の末裔とされる。しかしこの始祖伝説は
おそらくは秦が中国に入った後に作られたものと思われる。秦の本当の出自は後に
穆公が西戎の覇となることから考えて、西戎そのものではないかと考えられる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6
楯築遺跡ご神体石・・・この顔は大避神社雅楽面と似ている。
http://www11.ocn.ne.jp/~jin/TATETU.html
推定される盾築における秦王国の部民
参考資料「吉備における郡別部民分布表」
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/bemin-data.htm
しかし、ここに勝部はなくそれが出てくるのは↓
http://www.pref.shiga.jp/minwa/08/08-02.html
http://nttbj.itp.ne.jp/0775834085/index.html?Media_cate=populer&svc=1303
蘇我氏滅亡による物部、特に、神武に滅ぼされたウマシマジ、ホアカリそして、物部の
布津神、三輪の繞道祭が復活している。シンタシュタ-アルカイム遺跡では住居を
意図的に焼き払い、式年遷宮のごとく元の形を再建築した遺跡が謎とされている。
そしてそこは拝火教の発祥の地でもある。勿論、ユダヤ、仏教ヴェーダなど一切の
宗教の発生地でもある。
葛飾、勝浦、葛城、葛野等は何らかの平原、川などの東部である。勝には朝日、
輝き等の意味があったのではないかと思う。勝部は拝火祭祀集団ではないかと
考える次第。

350 :月光仮面:2007/02/15(木) 07:54:25
ついでに言えば、上記の春秋期の秦氏は西戎、アーリア系、であり、犬をトーテム
とする犬戎集団をその下部構造として持っていたものだと思われる。これは既述の
シンタシュタ-アルカイム文化圏のサマーラ峡谷遺跡で、良い土地はアーリア(西戎)、
悪い土地は多分タタールの祖であろう犬戎(井戸に残る犬の毛付骨)が発見されている
ことからこうしたことが考えられる。日本に狼、狛犬、巨大犬とか、地名の残るところは、
山陰から福井県、岐阜県、愛知県から関東にかけてが多い。秦氏とは異なる分布の
ようだ。狗奴国とか、関が原をはさむ合戦が多いことと関係があるのかも。

351 :月光仮面:2007/02/15(木) 08:10:11
世界中に残る天狼星伝説 http://socyo.high.hokudai.ac.jp/More_HTML/buturi/news/bsn9903/a15.htm
徳川時代のお犬様、現在も続く水天宮の腹帯、沖縄のシーサにも残る狛犬と、
犬の信仰もアヴェスタ・ヴェーダといったレベルよりも奥深い広がりがあるようだ。

352 :月光仮面:2007/02/15(木) 08:22:47
秦氏は確かに渡来人ではあるが、かりにその後産のようなものが百済の故地に残って
いるにせよ、本体は日本以外にはいない、れっきとした日本人集団であり、そこから
神武が出ても決しておかしくはない。むしろ自然なんだが、西都原の伝説ではオオヤマ
ズミが鬼をだまして古墳を作らせたと言うこともあり、原住民を天皇に擁いたことも
ありえる。しかし、参考資料「吉備における郡別部民分布表」
http://www.infonet.co.jp/nobk/okym/bemin-data.htm
こんなに部民が勢ぞろいをしている場所に天皇がいなかったわけはない。


353 :月光仮面:2007/02/15(木) 14:01:30
秦氏は、多分、商の中枢部にいたものが、箕子朝鮮として朝鮮を支配、その後、
衛氏朝鮮に追われ、三韓の支配層となり、多分、倭面土国王帥升の訪漢を契機に
筑豊、周防、安芸、そして吉備に至り、そこから大和、紀伊を攻撃するのであろう。
殷の女性シャーマン制度、奴隷制度の片鱗を留めるのは神武と卑弥呼であり、この辺
間では有力であったものの、卑弥呼の没後は、近畿以東の旧出雲勢力がぶり返して
くる。しかし、神功・応神移行、近畿・九州方面が強くなる。といった東西バランス型
になるが、出雲と共に秦氏も全国に拡大して行ったのであろう。いずれにせよ、秦氏は
単なる機織りではなく日本文化の基礎を築くのに最も大きな力となったものであろう。

354 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 17:15:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

355 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 18:36:49
>348 カツ丼を造っていたわけどもなく、

356 :月光仮面:2007/02/18(日) 12:39:31
ちょっと、暴投してしまった↓
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1106979203/330

357 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:53:20
ttp://www.youtube.com/watch?v=4T3tQGU8Q7c&eurl=

358 :月光仮面:2007/02/19(月) 12:38:12
「これほどの量の大型建物を出土した弥生集落の例はほとんどなく、当時、この遺跡が
近隣に比べて、大規模な勢力を有していたことが見て取れます。」「楼閣や方形区画を
中心として、これら7基の大型建物跡が円周上に配されているという点が指摘できるの
です。」
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/iseiseki.html
http://pit.zero-city.com/ise/ise.html
http://www.sakai.zaq.ne.jp/roman/ise2.htm
http://www.hyogo-c.ed.jp/~maibun-bo/iseki37.htm
「客家(ハッカ、北京語 : Kejia /客家語 : Hakka)は、中国の南部に住む漢民族のエス
ニック集団である。唐から元のころに華北から移住してきた人々の子孫であると伝承
されている。福建省の山間部では、外部からの襲撃を防ぐために、「土楼」(円形のもの
は円楼、正方形など四角形のものは方楼)と呼ばれる独特の集合住宅を築いて、一族
がまとまって居住している。また、広東省や香港では「圍」と呼ばれる、城壁のような壁
の中に村を築く方法も取られていた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E5%AE%B6
Sintashta-Arkaim Archeological Complex
http://www.oru.ru/forum/uploads/post-1900-1146499680.jpg
http://www.4ygeca.com/arkaim.jpg
http://www.bashedu.ru/encikl/aaa/str124_2.jpg
http://www.bashedu.ru/encikl/aaa/str124_1.jpg
これは近江に入った新羅からの渡来人天日槍(Sintashta-Arkaim Archeological
Complex地方ではイスラエルのヨセフ同様ヒクソスのアミンベクの話があるが
天日槍はこれであり、ハッカ、秦氏、ユダヤ人は機能的にヒクソス・殷の神主)であり、
秦兵馬俑を含む全てを通し一角獣、とんがり帽子、烏帽子の戦闘帽、死者、亡霊の
葬送装束が特徴的であり、ターリム盆地小河墓遺跡でも同様。ターリム盆地小河墓
遺跡の御棺は堅魚木(ハッチビーム状)・前後の棟持柱を有し、伊勢神宮の祖形である。
波多神社の角凝命もなんらかの関係があるのではなかろうか。

359 :月光仮面:2007/02/19(月) 12:44:26
垂仁が天日槍に対して、出石と淡路のどちらに国を提供しましょうかとの申し出に
対し、天日槍は自分で決めるから良いとして近江に入っている。つまり、多分近江の
オキナガ等と事前に打ち合わせ済みの行動であったようである。多分天日槍軍団は
多分に工兵師団のようなもので、箸墓建設に参加したものだろう。

360 :月光仮面:2007/02/20(火) 08:56:38
>>349
伊勢遺跡近辺には勝部の地名があり、勝部は拝火集団と推定。一方伊勢遺跡には
キャラバンサライ・拝火教祭祀の特徴がある。逆に、キャラバンサライが伊勢遺跡、
客家の圍、アルカイム遺跡から派生するものと考えるべきかもしれない。2世紀末頃
には、伊勢遺跡において銅鐸から鏡への転換、改鋳、卑弥呼共立があったと想定され
る。また、伊勢神宮的社の式年遷宮のスタートも考えられる。新太陽崇拝祭祀の樹立
による建国というヒクソス・商の戦略の実現が合ったのではないかとも考えられる。
また、国譲り儀式があったとすれば、オオクニヌシへのヨット、勝鬨橋、マリナー等の
天孫側のコミットメントはこの地で行われたと考えると天の安川は野洲川となる。
烏丸半島、和邇川という地名はその後の大和朝廷と和邇氏の関係の起源を語る
ようでもある。対岸の和邇川方面は丹後半島の籠神社・元伊勢から琵琶湖経由
大和に入る、魏使も通ったことであろう、要路に当たる。ヒコイマスというのが今津との
関連でなんとなく絡んでくくるのである。

361 :月光仮面:2007/02/20(火) 09:57:51
死人、幽霊の三角額当て、これをやってると、小河墓ミイラのように3800年後に生き返り、
赤頭巾ちゃん、おばあちゃんのように狼に食べられても出てこられる。だからKKKは
スキタイ、兵馬俑、日本の烏帽子のようなとんがり帽子をしている。これらの全ては
シンタシュタ-アルカイム複合遺跡にその起源がある。洋画の「怒りの葡萄」、「駅馬車」
は民族がなぜ移動するかを見事に描いている。ユーラシアのうねりは確かに日本列島に
到達している。波多神社角凝命とは落語家の頭のてっぺんに毛を立てた人がいるが
あんなものかナーと思ったりする。秦氏問題は奥が深い。

362 :月光仮面:2007/02/20(火) 10:16:32
人が生き返るには、血の滴る牛の生皮で覆った伊勢神宮の棟持柱2本、堅魚木付の
棺に入るのだが、これを真似たのがターリム盆地の北方にいたスサノオの先祖。
馬の首付生皮を霊屋の脇の柱に掲げた。唐津湾沿岸平原での女王葬儀に出席
したスサノオはこういうこともやらかして、八百万の神々の仕置きを受けたようだ。
ターリム盆地の方がスサノオよりはるかに正確な儀式をしている。ただ頭付の毛皮は
獅子舞、龍踊り、蛇踊り、鹿踊り等になって残っている。

363 :月光仮面:2007/02/20(火) 10:23:31
>>360
卑弥呼は、こうした動乱の山城、近江、大和、摂津、吉備では生まれ得ない。
孝霊が狩をした淡路、モモソヒメの神社が残る讃岐、それらを結ぶ阿讃播の
播磨南方の黒田こそ、卑弥呼、モモソヒメの生まれたところではないかと思う。
そしてこの地名が黒田の庵というように移動しながら大和南部に移ったと考えたい。
垂仁が天日槍に淡路とか出石を提供すると言えるのは、その辺の王族出身であった
からであろう。

364 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 07:55:13
↑疲れる…。

365 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 09:38:56
新羅系がほとんどなので出雲にいた邪馬台国女王卑弥呼は気候が温暖な大和に移住しました。

366 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 10:12:28
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

367 :月光仮面:2007/02/21(水) 12:41:17
>>363
神武記にシイネツヒコ、大和宿禰が神武艦隊航行のために明石海峡防衛線
を開くし、神功もこの敵対水域航行には非常な苦労をしていることからもわかるが、
阿讃播とは明石海峡-鳴門海峡を結ぶ近畿の防衛線であり、この地方の石積墳は
西都原他の模倣。ホケノヤマ、萩原1号、綾部出土の楽浪出土とドウハンの画文帯
同向式神獣鏡は楽浪と友好関係にあった出雲辺りから奪ったもので、阿讃播、
それから出たと見られる卑弥呼、孝霊等は土着人であり、秦氏のような渡来人では
なかったと見るべきであろう。日本の元首ナンバーワンは当時の日本人武人の出だ
ったと考えられる。

368 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 18:01:01
>>362
えひめ県には牛の頭、胴体を模した牛鬼と言う祭りがありますよ。

369 :月光仮面:2007/02/21(水) 18:06:05
>>368
阿讃の大滝山の首なし馬伝承といい、四国にもなんかありますね。

370 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:38:21
出雲にいた邪馬台国女王卑弥呼は四国によってから大和にはいりました。

371 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 01:31:15
>>367
>この地方の石積墳は西都原他の模倣。

ソースあったら教えてほすい

372 :月光仮面:2007/02/22(木) 07:45:03
西都原の模倣とは言い過ぎであった。阿讃播は中小の前方後円、中円双方等を
含む石積墳が多いが、これは各地の中小在地首長が西都原、吉備等の先進文化を
模倣して始めたもので、やや遅れて東海の中小首長が前方後円墳、前方後方墳を
始めるのと似ているのではないかといいたかった。しかし、↓
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9711/2003/k030320.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9711/2003/a030320.htm
阿讃播に共通する古墳文化があり、積石技術がある程度統一されていることは、例えば
捕虜とか、難民とかが吸収されて在地の首長に働かされたということも考えられる。

373 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 20:43:16
あぁ、言いすぎだったのか
でもレスありがとん

374 :月光仮面:2007/02/23(金) 08:50:33
>>367
>ホケノヤマ、萩原1号、綾部出土の楽浪出土とドウハンの画文帯
>同向式神獣鏡は楽浪と友好関係にあった出雲辺りから奪ったもので、
↑これもいいすぎだな。こういうことらしい↓
http://members3.jcom.home.ne.jp/wakokunosobo/hougen/gishiwa/dokyo.html

375 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 09:29:09
100枚の鏡は有力氏族に5枚ずつ分けてプレゼントされましたので
京都のあや部からもでて当たり前ですよね。

376 :月光仮面:2007/02/23(金) 11:18:59
画文帯同向式神獣鏡だけから何らかの特定地域は出せないでしょうね。古墳の形式
とかも加味する必要がある。しかし、孝霊、キビツヒコ、卑弥呼等の関係する時代と
すれば、倭国大乱(1)のHP↓
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-18tairan.htm
に描かれているよなことが背景にあるのかも。

377 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 12:14:02
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

378 :月光仮面:2007/02/23(金) 12:54:33
韓国情報↓
[原文]後漢書曰 : 倭在朝鮮東南大海中′依山島(為)居′凡百余国
[翻訳文]後漢書に至るのを 倭が 朝鮮 東南 大海 中にあるのに 山と島に頼って 住居
を する. 凡そ 百余国だ.上の記録を見れば 楽浪海 中にあった 倭 人らが大挙 日本
列島で 渡って暮しているということを分かる.
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1671751
倭国乱直前には鮮卑檀石槐の射程距離にあったものが、倭人伝では日本に
来ているので、倭国乱時代に日本に入り、天孫の配下に入り、その玄界灘、播磨征圧に
協力したものとも考えられる。この民族は春秋時代にはモンゴル方面にいたと山海経に
残っており、それより先に朝鮮半島に入った燕系の箕子系統とは違うものだろう。

379 :月光仮面:2007/02/23(金) 13:46:16
ただ、委奴国
http://www5.ocn.ne.jp/~ryutaiin/kininnituite.htm
も倭人国であるとすれば、金印出土地の志賀海神社に奉納された膨大な
鹿の角とナマハゲで有名な男鹿半島、ナマハゲ類似風俗の鹿児島、沖縄方面
への伝来(匈奴・フン的)なものも倭人ということになり、倭国乱時代の倭人が
海浜漁労生活者であるということでは倭人の内容が非常に広くなる。古墳前期
には裏日本の四隅突出墳丘墓と表日本の積石墓という二手に分かれる文化圏が
あるのも複雑である。倭人というのも韓人同様多民族集団ということであろうか。
スサノオは騎馬民族、鮮卑等と同様の系統で倭人らしいところがない。オオクニヌシも
アルタイ色が強い。

380 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 16:07:14
藤原氏最高!

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