5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1

1 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 03:56:09
君が爺さん、婆さんから聞いた、リアルな実体験話を
皆に聞かせるためのスレッド。

歴史上の有名人との接触
歴史上重要な出来事に関わった話
先祖が英雄で、身内しか聞けない話
その他、どうでもいいがおもしろい話

こんなところかな
個人的には黒船から日露戦争までの時代の話を聞きたい


とあるスレのご希望により立てさせていただきました。

183 ::日本@名無史さん :2006/11/17(金) 21:05:59
川崎や新宿、渋谷にもやつらが居座ってしまった。
男の居なくなった戦後も土地不法占有したり、女犯しまくったし。

184 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:09:25
>>182
神社の御神体が仏だったり
神を拝む寺があったり
現世利益(密教)の神社があったり、
もう教義がグチャグチャだったからな。
今でもそれほど余り状況は変ってないが。

185 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:53:30
耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ

186 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 22:03:08
>>185
トルコはイスラムの国だが、
欧州の影響が強く、クリスマスは盛大に祝う

187 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 22:08:10
>>182
自然は破壊されてない。戦後の復興時と、それ以上に自然は自然のままが1番!と言う馬鹿な自然保護を訴えてる今が一番酷い。

188 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 23:17:45
>>187
工工エエェェ(´д`)ェェエエ工工
熊楠の努力知らんのか

189 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 08:02:43
>>188
製材業について詳しく調べてみるといいよ。

190 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 08:13:51
その結果、鳥も動物も棲まない死の森が多数できたわけだが

191 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 08:26:00
まぁどうだか知らんけど
とりあえずスレ違いだと思うんだ

192 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 08:32:22
爺さんの戯言だ、そっとしておいてやれ。

193 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:23:38
>>186
イスラムではキリストも予言者の一人だが・・・

194 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:37:16
すれ違うってば

195 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 12:10:28
廃仏毀釈もあったが、神社統合も酷いもんだ。
あれのお陰で鎮守の森が無くなったり、地元民に親しまれていた社が無くなったりな。

んで田舎の婆ちゃんに話を聞きたかったが、大正生まれだから幕末明治大正の話は聞けなかった。
聞けたのは、爺ちゃんが海軍呉工廠の職員で大和建造の工員だったとか、
第二次大戦での昭和20年の呉空襲で港にいた軍艦が次々に爆撃され哀しかったって事ぐらいだった。
スレ違いスマソ。

196 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 15:11:12
>>193 ←このヴァカは、イスラムの国全てで
クリスマスを祝うとでも思っているのか?w
アラブの国じゃクリスマスは祝わないよ。
イスラムではトルコぐらい。

197 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 15:15:21
>>196 ←このヴァカスレ違いだ

198 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 17:50:42
>>196←このヴァカは、何一人で勝手に決めつけて一人で発狂しているんだ?
人が言っていないことがそんなに可笑しいのか?
可笑しいのはお前の頭だ

199 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:07:47
馬鹿同士仲良くしろよ


ちなみに第三者には両方ともに朝鮮人並のオツムの持ち主にしか見えないよw

馬鹿は別の板に移住してくださいねw

200 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:58:06
185 :日本@名無史さん :2006/11/17(金) 21:53:30
耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ

これは明らかに間違い。
間違いを指摘された198は、逆切れしてしまった


201 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 19:56:23
>>200
キリストはイスラムと全く無関係ではない。予言者の一人とされているからイスラム教徒が敬意を払うのは全く不自然というわけではない。
仏教や神道とキリスト教は何か関係あるのかな?
あなたが信じているカルト宗教では大ありかも知れないがw

202 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 20:17:39
>>201

スレタイ嫁。

爺さん婆さんから聞いた幕末明治大正の話 その1

× 予言者
○ 預言者

203 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 22:49:29
>>165
ばあちゃんから日清戦争の歌を聴いたことがある。
「にっしんだんぱんはれつして おにの〜」までしか覚えてないが、全部聞きたかった

204 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 23:40:38
>>201
しつこいぞ。お前の言う
「耶蘇でもないのにクリスマスを盛大に祝うのは日本人だけ」
は、明らかに間違い。

間違い指摘されたからって逆切れするな。チョンコか?
自分の間違いを認めろ。

205 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 01:31:10
>>195
ぜんぜんスレ通りの内容ですよ。
軍艦が空襲で沈没するのが悲しかったという、
その時代の視点が平凡でも、今の世では確認すべきことだから

206 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 02:40:05
近藤勇の処刑の場所は板橋の馬捨て場で当時は川が流れていたらしい

207 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 04:15:45
たんなる情報ではなく当時の人間の息吹を感じる「人」の証言こそがこのスレの趣旨と思う

208 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:35:56
>>207
同意
少々事実とのギャップがあっても、一つの物語として聴きたいね

209 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:50:00
明治生まれの俺の爺さんが父親(俺のひい爺さん)から聞かされた話だが、
ひい爺さんは西南戦争に従軍していたらしい。西郷軍には戦国時代の鎧兜姿や
火縄銃を持って従軍した兵士がいたそうだ。そこらへんに腐乱死体が転がっていて
悪臭がひどかったとか聞かされた。

210 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 18:35:48
あげ

211 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 02:16:01
世の中あっという間に変わる。
戦争は嫌だね。

212 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 07:27:05
他スレから拾ってきた
第二次の話だけどね
玉音放送が15日だから本当にぎりぎりだな

41 :日本@名無史さん :2006/11/17(金) 08:22:11
うちの祖父は軍属で樺太に派遣され、8月14日に引き上げたそうだ
終戦の混乱で帰宅が遅れ、家族が心配していたところある日の真夜中に帰ってきたらしい
祖母は深夜に目覚めたら枕元に祖父が立っていたので、死んで夢枕に立ったのかと思ったそうだ
祖父は帰宅まで8月16日のソ連侵攻を知らず、その後シベリア抑留があったことを知ったときには
正直肝が冷えたと言っていた

213 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 18:50:48
なぜか西南戦争ものが多いな
語らなきゃという文化が残っていたからかなー

個人的には満州や東南アジアなどで生活した体験談とかも聞きたいね

214 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 00:59:40
あげ


215 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:53:06
祖母から聞いた歌が「クロポトキンの首をとり〜」
日露戦争時にはやった歌の一部らしい



216 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 22:40:33
うちの曾祖母が明治生まれだからいろいろ聞いてみるかな

217 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:20:50
>>215
お手玉しながら唄うヤツだろ
漏れは母親から聞いたorz

ゲキレツランパン破裂して
日露戦争始まった
とっとと進むは日本の兵
さっさと逃げるはロシアの兵
クロポトキンの首を取り
東郷元帥万々歳

だったな。1行目は意味不明。なんでクロポトキンをやって東郷が万歳なのかもわからないし。

218 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:34:20
うちの婆ちゃんのお手玉の歌はこれだった。
もちろん全然意味が判らなかったが、
ガキの時にさんざん聞いたから耳から離れない、今でも歌える。
文部省唱歌だったんだな。

旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の 所は何処水師営
庭に一本棗の木 弾丸あともいちじるく
くづれ残れる民屋に 今ぞ相見る二将軍

219 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 02:17:17
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を思い出すな

220 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 09:43:27
うちの死んだ爺さんは明治30〜40年ぐらいの生まれだが、学校を
出てから海軍に入隊するまでの間、帯刀してたらしい。曽祖父が60
ぐらいの時に生まれたそうで、その曽祖父は西南戦争で薩摩軍に参加
した郷士だったらしい。都城の戦いで負傷し、西郷隆盛と涙の別れを
したと聞き、色々調べたが、そんな史実はなかった(笑)
それと、話題の手毬歌だが、僕の聞いたのは、こうです。
 にっぽんの 乃木さんが 凱旋す
 すずめ めじろ ロシア
 野蛮国 クロバタキン 金の玉
 負けて逃げるは チャンチャン坊 棒で叩くは犬殺し
 シベリア鉄道長けれど 土瓶の口からはきだせば
 バルチック艦隊万々歳

221 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 20:58:17
220>
すごいな!あんたの曽祖父!
おそらく天保とか弘化の生まれちゃうか!
もろ江戸時代をしっとる世代や!薩摩藩士か?
ちなみに俺の曽々祖父は、明治になっても新政府
に抵抗した備中松山藩士!田舎侍やが、俺は誇りに思っとる!

222 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 11:34:34
良スレあげ

223 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 11:53:22
うちの母方はそれほど裕福な家庭でもなく
昭和のはじめだというのにうちの母親は奉公に出されている
小学校には通えたが奉公先の赤ん坊のお守りをしていたのでロクに授業など受けれず
いまだにアルファベットは読めない

スレ違いだと思いますが昭和の時代でもこんな感じです

224 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 12:15:48
>>223
あんまり関係ない話ですが、戦前の教育を受けた人って
小学校ぐらいしかでてなくても、字がきれいな人が多いですよね。
やっぱり学ぶ機会が少ない分、それだけ授業にも身がはいっていたのかな。

225 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 16:17:08
明治生まれの亡くなった祖母も小学校4年ぐらいまでしか通ってなかったみたい

226 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 18:34:51
おれも婆さんからいろいろ話を聞いたけど、
印象に残ってるのはほんと差別が凄ぇな昔は。
橋がかかってる場所のこっち側と向こう側では別世界、
例えるなら白人居住地と黒人居住地みたいな差別があったらしいな。
地方や集落により様々だろうけど、
今の時代もてはやされる双子ちゃんは、
犬畜生みたいな捉え方で、生まれてすぐ・・・してたと聞いたな
特に男と女の双子は心中したもんの生まれ変わりで
最も忌み嫌われたらしいなぁ

227 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 20:24:26
じいさんが大正4年生まれ。
生まれつき病弱で小学校には6年中5年しか通えなかったけど、算数(数学)と
習字が得意だったそうな。あと>>226にもある通り、じいさんの生まれ育った
中国地方某村でも双子はあまり歓迎されていなかった。ただし幼児死亡率が
高かったため、里子に出したり間引いたりという惨いことはせず、どちらか一方を
1年か2年若く戸籍に登録させたそうだ(母方の祖母の姉もこのケース)。

228 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 21:28:11
うちのひいおじいちゃんは空襲で亡くなった。
当時の蘇我は川鉄があったからよく空襲にあったらしい。
空襲警報が鳴って、急いで近くの防空壕に入ったんだけど
その防空壕は狭くて、まだ子供だったおじいちゃんとその兄弟を押し込み
自分は入れなくて、外にはみ出ていたらしい。
そこに爆弾が命中。おじいちゃんやひいおばあちゃんは助かったけど
ひいおじいちゃんは亡くなった。
会ったことも、見たこともないひいおじいちゃんだけど
子を思う親の愛はすごいなって思って、涙が出た。

あと、おばあちゃんに聞いたんだけど
終戦の直後も米軍の飛行機が飛んでいて怖かったらしい。
しかも林の中とかに隠れていないと、米兵士に連れて行かれる。と言っていた。

貴重な話を聞けるこの時代に生まれてよかったと本当に思う。

229 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:45:14
ばあさんが明治生まれ
本家の娘が高等女学校に逝ってて、許婚がいたのに好きな東大生と駆け落ちしたそうな
それで学問をすると不良になると、ばあさんの家では男は中等学校まで、女は尋常小学校までしかいかせてもらえなかった

230 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 04:03:51
母親の爺ちゃんは明治初め生まれ。まぁ俺にとっては曾爺ちゃんだな。
爺ちゃんの家は四国の何処だか忘れたが結構な地主の長男だったらしいが遊び人だったそうな。
そんな爺ちゃんが九州に遊びに行った時に知り合って仲良くなって好きあった娘さんが、顔も知らない歳も
離れた人と結婚しなくてはいけなくなったそうで、爺ちゃんとその娘さんは結婚間際に夜逃げしたそうだ。
んでその娘さんと結婚して各地を点々としていたそうだが夜逃げから半年後に四国の実家に帰ると
実家の土地の山が一つ売られていたんだそうだ。理由は娘さんの結婚相手に対する侘びに必要な金を工面
する為に売ったんだそうだ。んで爺ちゃんは父親に勘当され家を追い出されたんだが、まぁ世間体を考え勘当
したんだそうで、その代わり結構な金額を手切れ金?としてもらったそうな。
その後爺ちゃんは遊び癖が治らず遊んでばっかだったそうだが、遊びで手に入れた金と婆ちゃんの働きで5人の
子供を自分の様な遊び人とは無縁の立派な人に育て上げた。
だけど死ぬまで遊び癖は治らず金は入っても直ぐ出て行くみたいで、死んだ時の遺品がひょうたん一個だけだったそうな。

豪快な生き様だとは思うが、マネはしたくないw
長文スマン

231 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 09:33:08
うちの母方のおじいちゃんは徴兵されたが身長が足りなくて
兵隊じゃなく船の調理係として採用されたらしい。
でも行く途中の船が爆撃され上陸もしないままあぼーん。
フィリピンのミンダナオ島沖です。
ばあちゃん当時25歳で4人の子供を抱えた未亡人になってしまった。
でも散々苦労して4人をちゃんと育て上げました。
親戚も多かったからみんなから助けてもらってたみたいだけど。
でも私が1歳の時に62歳の若さで亡くなった。
乳がんだけどちょうど私も生まれて忙しくしてたから病院に行けなかったらしい。
(自主的に病院に行く人じゃないらしいけど)
おかんは今でもその事を悔やんでるけどおばあちゃんは愚痴とか人の悪口とか一切言わなかったらしい。
晩年はたくさん孫がいて幸せだったんじゃなかったのかなと思う。

あとうちの親父が長崎の原子雲を見たと言っていたが福岡の内陸部の筑後川沿いの村から見えたのかなー?
近所で大騒ぎになったそうです。


232 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 15:16:46
俺の婆さん(90歳。ご存命!)が子供の頃、近所に住んでいた老婆は
(天保以前、ひょっとして文化、文政生まれくらいか?)
少女の頃、打ち首になった自分の父親の首をフロシキに包んで、家まで
持って帰ってきたらしい。「ミニにたこができる」ほどこの話を聞かされた。

233 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:51:52
>>232
リアルだな…


234 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:09:03
ドラマティックな人生のほとんどが世の中の流れの影響受けてるんだと再確認。
だからこそ戦時中などは心の中にしまってあるドラマ多いんだろうな。
それを聴きだして世に出してあげる役目だな、このスレは

235 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:38:41
俺の爺ちゃん
若い時、本田宗一郎の知り合いで
本田宗一郎がバイク屋を始める時に
一緒にやらないか?と誘われたが
金にならないからと言って断った
爺ちゃんの見る目無し!

236 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 01:10:24
>>235


 ウ ホ ッ !  や ら ま い か ?

237 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 01:11:00
当時本田家の近所(赤坂?)では「スピード狂のオヤジ」扱いだったらしい

238 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 11:09:51
世界を変えるのはいつも奇人変人
凡人はその後をついていくだけなのだ

239 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 17:17:04
明治生まれの俺の祖母は戦争中に近所の人を田舎の実家に疎開させて食料とかも世話してたからみんなに感謝されたって俺に自慢げに話してた


240 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 19:26:32
>>239
いい祖母さんだな。その祖母さんの子孫としての誇りを持って生きろよ

241 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 22:54:03
良スレには、荒らしの入る余地がないな!全く・・・。
俺の父親(昭和40年入社。来年春定年予定)が新入社員の時、
ひいきにしてもらってたお客さんの家には、まだ慶応生まれの
爺さんが生きていて、会話もしたらしい!維新から97年後の
1965年の話。ほんと、時代の転換点やったんやな〜。

242 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 11:05:26
この板では全然盛り上がらないだろうが、オレが入社した時、職場で再雇用されてはたらいていたおじいさんが元海軍の航空整備士。
プロペラが後ろに着いた飛行機が飛ぶのを見たって・・・・それ震電だろ

243 :日本@名無史さん:2006/12/03(日) 23:13:10
税所篤の縁者がタイフォされた。
明日のトップニュースだ。

とんだ政争の巻き添え。

244 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 02:48:34
>>235
もし受けてれば今頃お前は大金持だな

245 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 03:08:52
うちの母親桂太郎が韓国の小さな幼皇帝日本に招き京都の街連れて
あるいてイルのみてあぁもうすぐ合併だなぁ、と思ったそうだ。
おやじは日清戦争でチャンコロやっつけろと幼少の身ながら町を練り
歩いたそうな 今でも変わらんナァ

246 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 03:41:33
100年も前か。あんたも結構な年だな

247 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:48:58
父からのまた聞きの話だが、
うちの爺さんかひい爺さんは、幼いころの与謝野晶子のご近所さんで、
与謝野晶子は近所では「あの子と遊んじゃいけません!」なんて言われている
不良娘だったらしい。

248 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 19:08:08
>>245
日本語で書き直してくれ。

249 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:07:22
明治〜大正〜昭和〜平成〜4世代を生き抜く力

250 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:52:13
>>247
ま、今では当たり前だがその頃恋愛結婚なんてふしだらな事やったんだからな
40年前にジーパン履いて歩き回るようなもんだよ

251 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:13:26
うちの曽祖父曾祖母はお互いの顔を結婚式当日まで知らなかったらしい
父方も母方もそう言ってるから「結婚は家同士で行う」って意識が強かったんだろう

そんな曽祖父ですが、はっちゃけた伝説が多いらしく親戚からは割りと白い目で見られてたそうな
北関東の片田舎から東京の下町に出てきて店おこしただけで結構大変なことと思われてたらしい
(大正期の話ね)

その夫婦の娘(=ばあちゃん)とこに婿入りしたじいちゃんは
太平洋戦争時に大陸で戦ってきたんだそうだが
非常に体格が良いので兵隊に甲種合格したのが自慢
自分が小さい頃、一緒に風呂入ると肩やら鎖骨やらの傷見せてきて
「こっから鉄砲の弾が身体ん中入ったんだ」
と教えてくれたっけな
50年くらいたってようやっと摘出手術受けてたけど…

ばあちゃんは随分前に死、甲種合格のじいちゃんも今じゃ半身不随
とりあえず死ぬまでは優しくしてあげたいと思います。

252 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:11:58
うちの祖父は関東軍で、終戦でシベリアに抑留され復員したのは昭和24年。
その時うちの親父は5歳で、写真でしか自分の父親を知らなかったから
写真とは変わり果てた父親から「お父さんだよ」と言われても実感がなく、
見知らぬおじさんだと思って逃げてしまったそうだ。祖父も辛かっただろうな。
シベリアの収容所では全員が栄養失調で、毎日のように戦友が死んだそうだ。
夕べ「おやすみ」と言い合った仲間が、朝になったら死んでいる。
「こんなところで死ねるか、絶対に生きて帰ってやる」と強く思いつづける事で
生き抜いた、と言ってた。8年前に死ぬまでロシア人を呪っていたよ。
祖父の口グセは「ロスケだけは信じるな」だった。

253 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 21:43:30
子供の頃、婆ちゃんが字が読めないということに気付いたときは、
ちょっと厳粛な気持ちになった。

254 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 01:18:58
>>253
明治生まれの俺の婆ちゃんも漢字はあまり読めなかった
小学校は4年ぐらいまでしか通えなかったみたいだし

255 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 01:25:27
爺さん婆さんの話って時系列がゴチャゴチャになってるし人名とか固有名詞も適当だから困る

256 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 01:41:16
うちの曽祖父は、天誅組と戦った。
マジで凄い。

257 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 05:47:45
>>256
それは凄いですね
良かったら詳しく教えてください

258 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 08:22:05
曾祖母は乗馬となぎなたの名手で、大変なお転婆娘だったそうです。
で、おとなしい曽祖父(従兄妹にあたる)に嫁として押し付けられたそうです。
おそろしく気が強くプライドの高い女性だったとか。
昔は同族結婚ばかりしていたみたいですよ。

259 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 10:20:51
明治生まれの祖母は英語読めたけど当時としては珍しいのかな?

260 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 11:15:00
>>256
詳しくお願いします。

261 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 11:15:50
死んだ祖父の親戚見たことないなあって思ってたら実はお妾さんの子供だったらしい
親がこの前ポロッと言って、あんた知らなかったっけ?と言われた
旦那はけっこうな大店の主人だったらしい(妾は子供三人生み、贅沢な生活ができてた)が…
調べたいが病床の祖母には聞きにくいorz
でも今聞かないと知ってる人いなくなるだろうしなあ…

262 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 12:22:05
曽祖父はクリスチャンになって(元は曹洞宗)、ピアノを弾きながら賛美歌を歌っていたそうです。
表紙が子羊の皮の大きな聖書が残っています。
伊達男だったので、英国直輸入の生地で洋服をあつらえさせていたそうで、
当時は洒落ていたという帽子も残っています。
元は武士でした。ずっと昔に郷里から取り寄せたという戸籍が士族になっていますし、
郷里には親戚もいるし、県とか町の郷土史みたいのにも苗字が出ているそうです。
家宝はないので傍流だったんでしょうが、明治維新後にうまく転身できたんですね。
子孫はパッとしないですけどw

263 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 13:01:05
明治生まれのうちの爺ちゃんもクリスチャンで、
子供の頃からカナダ人宣教師に教わっていたから英語が出来た。
戦後、米軍が進駐して来たら引っ張りダコになったが
通訳の仕事は板挟みになるから嫌だ、と言って嫌がっていたそうだ。

ただ、うちの親父曰く「爺ちゃんの英語は変だった。学生時代、
家で爺ちゃんに英語を教わっても、それを学校で話すと英語の先生に
間違いを指摘されて混乱した。aをアじゃなくて、エと読んでいた。
でも爺ちゃんが進駐軍の将校と早口で喋っている姿は何度も見ているし、
我々のジャパニングリッシュじゃなくて、本当の英語だったんだろうな」
とのこと。ちなみに爺ちゃんには子供が4人、孫が7人いたが
誰も英語はモノにならなかった。英語を教えるのは苦手だったみたいだ。

264 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:21:24
>>261
戦前にお妾さんになる女性が多かったのは、
女性の就職機会が極めて少なかったのと、
社会福祉制度がほぼゼロに近かったため、
女性が男性に依存せずに生活してゆくことが
難しかったことによるものでしょう。
もちろん人生の幸福は本人の価値観によるものですが・・・

265 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:43:45
>>264
それは関係ないんじゃないか。
今のように女性の就職機会が多くて、
社会福祉制度があっても、
妾になる人はいくらでもいるよ。

266 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 21:42:35
うちの曾祖父
晩年はボケてしまって、隣家の囲炉裏端に座って隣人が帰ってきたら「よくいらっしゃったなあ」とか言ってたそうだ
徘徊老人のはしりだな

267 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 22:23:15
>>265
本番ありの風俗やAVにいく女性も増えてるね。
不景気にも関係あるんだろうけど。

268 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 02:28:03
バブル期でも風俗に行く女性はいっぱいいたから
景気より手っ取り早く大金が稼げるってのが大きいのかもね

269 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:46:23
>>262-263
うちはひい爺さんの代に田舎から出てきたけど、檀家にしてくれる寺を探すのに苦労したらしい。
なんとか小さい寺に引き受けてもらえたけど、最後まで見つからなかったらクリスチャンになってたかも。
ちゃんとした葬式を出してもらうあてがないまま死ぬのが物凄い恐怖だったらしいね。

270 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 09:08:18
誰か明治30年〜45年頃の話を聞かせて


271 :OPS:2006/12/26(火) 19:13:27
>>270
僕の死んだ曾祖母は明治41年生まれ


272 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:37:06
うちのひいばあちゃんは明治35年(1901)生まれ、でもって話好き。
四国の生まれだが8歳のとき蝦夷開拓移民団で北海道へ
17歳で四国に帰り大阪へ奉公に
そこで結婚した。
北海道へ行く時の船は四国から、下関 金沢 新潟 函館 と(江戸廻船!)ルートだったそうな。
途中で日露戦争の大砲の音を聞いたといってた・・
北海道の開拓はものすごかったが若かったのでおもしろかったとか
クマの話や馬橇に乗るのは病人の出たときだけだったって。
結婚したら米騒動、
鈴木商店や三菱(大阪)の倉庫の周りを
銃剣つけた兵隊さんが囲みその周りを竹やりのおっちゃんたちが囲んでいるのを目撃したらしい。
「男が俵もって逃げるのを見てたら、
ほいねぇちゃん・・いうて米ぎょうさん地面にこぼしてくれて、
おおきに いうて手ですくうて前かけいれて・・」と話し出すときりがない・・・
ばあちゃんの小さいころすでにおばあさんだった人から
エエジャナイカ参りの話を聞いて「昔はむちゃしたんやなぁ」と思ったそうです
99まで生きて2000年没

273 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:33:48
>>272
すげーな。
もっと聞かせておくれ

274 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:50:09
それでは・・・
おばあちゃんのうち(下町の長屋)には太平洋戦争中もでかいユニオンジャックがあった
これは、日英同盟のとき町内会で購入したもので
日の丸とぶっちがいにして家の前に飾った
大きな木綿の布なんて戦争中は貴重品だったけど
「柄が柄やから、買出しの風呂敷にも使えん」
仕方がないので、押入れで布団を包んであったそうです
みんな1945年3月の大阪大空襲で焼けた


275 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:32:20
婆さんが子供の頃、決して刃物を使ってはいけない厳しく言われた時刻があった
(6時から7時だった気がする)。と言うのは、この時刻に何代か前の先祖が
切腹したかららしい。
なぜ切腹させられたかというと、勘定役だった先祖の部下が仕事中にうまの合わ
ない同僚を刀を抜いて切り殺したそうだ。その場にいた人たちは、先祖も含めて
クモの子散らすように逃げ出してしまった。江戸時代後期になると武士も結構軟
弱になったてたのだろう。
その士道にあるまじき行為を咎められ、上司としての部下の管理責任も問われ、
先祖は謹慎を命ぜられた。処分は近親だけだったが、それを恥じて切腹したらしい。

276 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:02:19
蜘蛛の子散らしたように逃げる武士たち
ちょっと微笑ましいな

277 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 18:44:39
幕末に流行った「ええじゃないか」の逸話が聞きたい

278 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 14:29:08
ええじゃないか参り うちのおばあちゃんの話
明治の終わりごろすでに年寄りだった人からの伝聞
 (at 徳島県北部)
最初はどこから始まるんかわからんのやけどな
道を行列でひとがくるらしい
おなかがすいたら、
人のうちの台所(だいどこ)に大勢で勝手に入って
そこにあるもん勝手に食べるんやて
文句ゆうたら
「ええやないか、ええやないか、なんでもええやないか」
それだけ言うて、ほかにはなんにもしゃべらへん
人数の勢いで食べたら出て行くねんて
大勢で入れる台所やから大きな家でそんなとこは
しゃないなぁ・・ってことになるらしい。
(徳島だから)船も「ええやないか」でどやどやのったら
乗せていってくれたんやて。
お伊勢さんのそばまで行ったらもう歩かれへんほどの人で
おまつりみたいやったそうな
「帰りはどうしたん?」(by孫)
さぁどうしたんやろなぁ
とにかく、返ってはきはったらしいで、四国まできたら
お遍路さんのお接待もあるさかいねぇ・・・

こんな話です。(あたしと母とで思い出した分のみ)
あんまり話が面白いのでうちではテープにとったものがあるのですが、
昔のオープンリールなので再生ができん。


279 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:30:19
>>278
>昔のオープンリールなので再生ができん。
それってすごく惜しい!
伝承館とか博物館とか?そういう側でも聞いて見たいんじゃないかな。
貴重だと思うよ。

280 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:43:37
>>278
大学かどっかの研究機関なら涎垂らすぐらい欲しいんじゃないか?それ。

281 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:46:02
278です
じつは私も少し関係のある分野にいるのですが
ええじゃないか参りについては曾祖母も伝聞ですので
あまり資料価値はない様に思うのです

むしろ、米騒動は彼女が実際に経験したものですし
いち庶民の事件への受け取り方の例として意味があるかもしれないとは思っていました

ちなみに、うちの父の家は商家で、米騒動のときは襲われて逃げたほう
店を閉めて表戸に筋交いを張り、
二階の物干しから裏の家の屋根に逃げたそうです
表戸はすぐに壊されたそうですが
「いつも来てくれるお客やのに、顔色が変わってた、」
「ああ○○はん・・って名前呼んでも聞こえへんみたいやった」
「引いてはまた戻ってきて波みたいになんべんも入って品物もっていった」

曾祖母は母方でこちらは米の高騰で
一ヶ月近く米櫃がほとんど空だった状態を経験してます
上に書いた鈴木商店倉庫の話はそのときのもので
「あのおっちゃんはええひとやった」
「あのときほど男が頼もしかったことはなかった」
「銃剣つけた兵隊さんもなんもせえへんかった」
「目ぇそらして見えへん振りしてたで、しゃぁなかったんやから」

これはおもしろいとおもいました




282 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 19:48:05
>>281
父方の話は父方の大叔父の話です
曾祖母と同世代 

283 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:59:38
嫁の母親の曽祖父は、寺の坊主だったが志願して兵になり、
武士の資格を手に入れた。
戦争では鉄砲玉を身体の中に食らったまま戦い、それでも
生きて帰って来た。
そのおかげで、嫁の実家は「会津武士の末裔」をいまでも
誇りにしている。

89 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)