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【信長】まむしの娘及び松姫の謎【信忠】

1 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:47:31
織田信長正室濃姫や織田信忠許婚(室?)だった
武田松姫について語りましょう。
信長や信忠の奥に関係している人以外の話題はご遠慮ください。
史料もとづく憶測、推測はOKですが、
たんなる希望的観測や妄想はなるべくご遠慮ください。
なお「〜マンセー」「厨」「アンチ」など、明らかな誹謗中傷の
言葉を慎み荒らしはスルーでお願いします。
荒らされないためにsage進行で行きましょう。

前スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1159689153/

2 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:50:12
>>1 武田も入れちゃうあたりがワロタw
とりあえず乙!

3 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:52:45
勝手に松姫入れてんじゃねえよ馬鹿

4 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:53:08
>>1 乙!

5 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:54:08
>>3
乗っ取られるよりマシ。

6 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:57:20
関連

【美濃】斉藤道三について熱く語れ【マムシ】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1142326248/
悲劇の☆お姫様伝説☆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1055001525/
姫さま総合スレ  in  戦国時代板
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150038398/
【道三の放った】濃姫(帰蝶)総合スレ【毒苺】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152424560/
織田勝長総合スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151724055/
美濃斎藤家
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150539318/
*  織田信忠  *
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156156397/

7 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:58:51
信忠⇔松姫vs家康
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159638811/

8 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:03:43
松姫が主流になりそうだ

9 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:07:14
松姫イラネ

10 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:08:27
スレ立て代行のスレがあるのに
前スレの1は相当なアホだな

11 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:12:15
そしれこの結果

12 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:13:49
すんごいブスだったから信忠が嫌って破談になったというのに。
武田に人質にいっていた勝長から松姫の容貌を聞かされていたそうだ。
ブスで後ろ盾もないいわくつきの貧乏姫なんて織田の嫡男が相手にするわけもない。
松姫は今でいうストーカーだな。
破談になったことを受け入れられずに「自分は信忠様の妻」と
粘着質に思い込んでいたのだろう。
キモイ姫様だ。

13 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:14:20
マジで松姫もいれんのか勘弁してください
史板濃姫専用スレたてていいか

14 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:15:08
>>13 真面目なスレタイでお願いします。
こっちははきだめスレになりそうなんで。

15 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:15:53
>>12 今までの松姫論で一番説得力がある。

16 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:16:16
>>13
お願いします。
まともなスレ立てようとしたら、自分もホスト規制でたてられなかったので。

17 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:23:18
立てたぞ
誘導
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%95%B7

18 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:23:52
なんでwiki?w

19 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:24:47
このスレの住人はわがまますぎ

20 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:24:50
まちがったwww正しくはコッチ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1161084144/

21 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:28:01
>>20 サンクス!GJ!!

22 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:32:13
こっちのスレはどうなるの?

23 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:07:53


  \                            /
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  ∧_∧   ∧_∧   ∧_∧   ∧_∧     ∧_∧
 ( ・∀・)   ( `ー´)  ( ´∀`)  ( ゚ ∀゚ )    ( ^∀^)
 (    つ┳∪━━∪━∪━━∪━∪━∪━┳⊂     つ
 | | |  ┃ このスレは終了しました    ┃ | | |
 (__)_) ┻━━━━━━━━━━━━━━┻ (__)_)



24 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:15:03
本スレage

25 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:17:43
いっそこっちを松姫専用スレにしちゃえばいいんじゃない?

26 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:52:31
本家スレに必死で妨害しにくる松姫マンセーの馬鹿ども。
いい加減にあきらめろ。
誰一人相手にせずスルーされてるだけだぞw

27 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:04:21
↑重複スレに必死に書き込み続ける馬鹿

28 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:04:52
松姫ネタだけではもたんな。
倉庫行き決定。

29 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:25:17
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆注意☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ここは重複スレです。
濃姫について語りたい人は↓の本スレに移動してください。

【第二巻】信長の正室帰蝶・まむしの娘の謎
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1161084144/



30 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:30:06
>>29
やめろ。同類だと思われる。

31 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:31:02
同類だもんwwwwwwww
オウム返ししかできない馬鹿wwww

32 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:31:54
とりあえず、勝長が人質になった頃の織田と武田の考察でも
始めてみないか?

33 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:35:13
>>32GJ
1572年あたりか

34 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 23:12:45
もう少し遡って信友が岩村を攻めることになった
あたりからの方がよくね?

それから信友が岩村を攻めたのは信玄の命令と言う話と
信友が暴走して勝手にやったという話があって
暴走した理由が信友が家康から預かっていたの人質の
松平源三郎勝政(はて?)という人に逃げられたという
汚名返上のためらしいんだと。
汚名返上については人質になった経緯バージョンもあるんだけどね。

35 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 23:19:41
逃げられたって猛牛マヌケすぎw

36 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 23:31:19
>>34
信友が岩村に信長の息子が養子に入ったのを知って
奪いに行ったという話のことか?
だったら、まずは信玄に報告してどうするか指示を仰ぐだろう。

37 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 23:35:25
信玄に報告しても奪いに行けだろうから結果は一緒だな。

38 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 23:50:41
ん?奪いに行けとは限らないんじゃないのか?
あの頃の織田と武田はほぼ絶縁状態だから危険な思いをしてまで
わざわざ人質を取りに行く必要性なんて本来はないだろ?
当時の武田が劣勢ならまだしも。

39 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 01:17:33
で、断絶はしたものの信玄からの打診もあって信忠と於松の文通は
許されたという話はどの程度信用できるものなの?
経緯はどうあれ甲府に連れて行かれたご坊の様子を知るためには
これってかなりの有効手段だから許したとかならありかなと思うけど。
でも、信玄死後は不可能だったともいうからそうなるとこの推測って
崩れ去ってしまうけど。



40 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 02:17:34
>>39
許可を得て文のやりとりなんて、何に書いてあるんだ?

41 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 02:41:44

信松尼の「信」は、信忠の「信」

42 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 10:07:09
>>39
普通に考えて婚姻中でしか文通はありえないよ。
両家断絶となったのに敵方と文通していたら内通していたと
疑われる。信忠は廃嫡のどころか、下手したら
信康の運命をたどったぞ。

いいかげん信忠と松姫の悲恋伝説の線はあきらめないと。
信忠なんて嫡男といっても正室の実子ではなく、
立場は微妙だったんだから、信長の機嫌を損ねるような
真似は絶対しないよ。

松姫一人が勝手な妄想を抱いて脳内信忠の妻でいた可能性はあるけどな。

43 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 11:24:01
>>42 信忠とのことは松姫の自作自演かもしれんと?

44 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 11:57:42
>>42-43
あまりのバカさに晒しage

45 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 12:20:55
そのうち信忠と松が婚約したという話も
松の自作自演による妄想だと言い出すぞw
何でもかんでも否定していたら史学なんて発展しない。

46 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 14:04:42
>>44-45否定するわりには、否定するだけの根拠となる資料もないわけだよな?
だから濃姫軍団に馬鹿にされるんだよ。

47 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 14:13:40
>>42
信忠の立場が微妙なわけないだろ。御台の養子になり嫡男として
周知されているしその立場が揺らぐことなんてまずない。
だからといって、二人が断絶後も密かに文通していたと
言っている訳じゃないぞ。
ただ、確かに敵対同士であるが故に情報収集のツールとして
この二人の文通を黙認して利用しようと考えていたのではないかという
推測が出るのは止むを得まいとは思う。

48 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 14:56:26
>>47 手紙の内容を第3者に知れるという条件で文通していたなら
手紙に相手をかく乱するために偽情報を書いてくる可能性もでてくるぞ。
松姫もどきがなりすまして文通していたらどうすんだ?
そんな危険な情報網誰が信じるか!

信忠が養子になった時期はどの資料にも書いてないんだよ。
産まれて早々だったら問題ないが、後年である可能性もある。
もしそうなら非常に微妙で不安定な立場だったんだよ。
養子になる前にお濃に実子が産まれたら嫡男の席はなくなったわけだしな。

49 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 15:22:43
ちなみに武田に人質になった勝長こそが濃姫と信長の実子である
とまことしやかに別スレで推測されている。
確かにそれなりに根拠のある資料も残ってはいるし、
織田に戻ってから勝長は信長に厚遇されている。

50 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 15:39:42
誰かこいつに年表を教えてやれ

51 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 15:49:03
アホに付ける薬はないからスルーするかいっそ弄んでみますかw

52 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 15:52:46
>>50-51 馬鹿だな、お前らみたいなリアクションをするからますます馬鹿に
されるんだよ。悔しかったら年表と資料で詳細に反論してみろ。
ちなみに「武功夜話」「甲陽軍鑑」は資料ではなく、
創作歴史小説と見なされているから、それ以外の信憑性の高い資料で頼むぞ。

53 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 15:56:02
こいつどこまで何様?

54 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 16:16:47
つうか信玄が信長との同盟の証として娘を奇妙に嫁がせると
決めたということは、織田家内での奇妙の立場は明白。
それだけでも十分だろうに。
仮に勝長が濃の実子であったにしても、岩村に置かれた段階で
奇妙との差は付けられている。

55 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 16:37:44
>>54 信忠と松姫との婚約直前に勝長が誕生。
したがってその頃はまだ嫡男に松姫をもらったという意味合いではなく、
同盟の証として信長長男に松姫をもらう、という認識であったことも大いに考えられる。
信玄の手前嫡男候補の実子が誕生したことを伏せておきたかったとも考えられる。

岩村の城主夫人(未亡人)は信長の実伯母。
養子にいったとはいえ、一族の伯母が女主人として采配をふるっていた
岩村に養子にだすのは、他の兄弟(乗っ取り目的)とは明らかに意味が違う。
その気になれば簡単に織田の支配下におけると想定し、
いずれ呼び戻すことも容易にできる。養子云々のことは実子ではありえないと
推論できるほど強い説得力はないんだな。

56 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 16:48:39
勝長が永禄11年の生まれだったら、婚約直後に妊娠になるけどね。

57 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 17:08:48
>>55
当時の岩村遠山氏は織田から遠山夫人が嫁いでいた関係もあって
武田方ともつなぎはあったようだが織田領内の国人扱いで
あのあたりは織田の支配下。

58 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 17:48:36
>>46
そういう言い方は濃姫好きの一人として誤解されるから迷惑なんだけど。
第一、バカになんて私はしてないよ。
松姫を含めて武田家は良質な史料がほとんど残っていなくて
仕方ない部分があるんだから、甲陽軍鑑すら出すななんて言うのは
正直横暴なんじゃないのかな。

あとね、前スレに参加していて思ったんだけど、濃姫が好きなのはわかるけど
だからといって他の姫や女性のことについてバカにしたり、さげずんだりは
少しやりすぎなんじゃないのと思う。

59 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:31:34
>>58
当時の生駒家や塩川家は織田家に比べて格が落ちる。
武田は没落したので織田とは釣りあわなくなった。
というのは客観的に見ても事実なのでバカにしてるわけじゃない。
でもブサイクだのどうだの言うのは、根拠がないから言いすぎだな。

60 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:38:26
>>57
だからこそ内側から武田に寝返る国人が出ると困るということで
実子を送り込んだんだろうな。
簡単に支配下におけるなんて舐めてかかっているなら養子とって
その子を送れば言い訳なんだし。
舐めてかかるような場所でも城でもねーよ。岩村は。
でなくても武田には信勝というは苗木遠山の血を引いている
子もいるんだからさ、武田の方が若干有利だな。

61 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:48:02
>>59
嫁取りに関しては家格の釣り合いばかりが条件ではない。

62 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:50:06
>>58 甲陽軍鑑てまず山本勘助が架空の人物だということが明らかになってしまった
ので、信憑性が問われている。同姓同名の人はいたらしいんだけど
あんな天才軍師ではなかったらしい。名前だけ拝借した架空の人物なんだ。
だから甲陽軍鑑を持ち出すならその箇所に偽りがないか他の資料と
照らし合わせてからじゃないと信用できない。横暴でもなんでもないよ。
歴史考証では複数の資料を照らし合わせて、矛盾があるかないかを
調べ上げるのも仕事。一つの資料、それも後年編集されたような
甲陽軍鑑のようなものに固執すれば当然認識も偏り、誤った知識を
持つようになる。

松姫に関しても当時の武田と織田の関係をみても、婚約破棄後に
やり取りするわけがないだろう。同盟も破棄になり敵対国になったのに、
織田家の嫡男(に一番近い男)と敵国の姫が交渉を持つはずがない。
それぞれの家への裏切り行為だ。

愛だの恋だのと戦国時代に生きた二人のことを今の感覚で語るのは
愚かだと言っているんだよ。

63 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:52:39
>>59 >>46だけど、俺はブサイクなんてどこにも書き込んでないが?


64 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:11:38
>>60 
信長の伯母が跡取りがいなくて困っており、信長の後押しも欲しいということから、
固辞し続けた信長にようやく了解をもらって勝長を養子にむかえた。
その伯母さんがどうしても信長の実子にこだわったんだよ。
その時の信長の手ごまは勝長しかいなかったので、必然的にそうなったわけ。
武田も徳川も狙っていたのは知っていたから実の伯母を信頼して実子を養子に
だしたら、まんまと裏切られたようなことになったので、のちにそお伯母は
逆さ磔にされるほど信長の怒りをかったわけだ。

65 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:13:16
>>62
どうでもいいけど偉そうに講釈をいうなら史料と資料の
区別ぐらいいい加減使いわけろよ。

66 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:16:37
>>64
ふ〜ん、舐めてかかっていたという件は?

67 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:19:17
>>65 史料→歴史研究の資料、文献資料 資料→研究、判断の材料

使い方に問題はありませんが?

68 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:21:15
>>59
58の後半3行に対するレスだから、46の事を言ってるわけじゃないよ。
家の格が落ちるというのは客観的事実だから、
誹謗中傷の類ではないよってことを言いたかっただけ。

69 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:29:17
>>66 勝長は養子に行って岩村城主となったものの、まだ幼かったため、
事実上この伯母さんが女城主として采配をふるってた。でもいずれ
勝長が元服を迎えれば伯母は一線を退くだろうから、そうなれば実父信長の
思うがままだよね。実の伯母だから北畠家みたいに皆殺しまでしなくても
他家よりは簡単に行くと思ったからしぶしぶながら承諾したんだと思う。
まさかあんな展開になるとは信長もさすがに読めなかったろうけど。

70 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:35:57
読めなかったというより信玄を信頼していたんだろ。
信長は変に人を信じるところがあるからな。


71 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:41:45
>>70 どちらかというと、伯母さんが城に攻め入った武田方の武将秋山信友と
結婚する、というのが想定外だったと思う。信玄も家康も突然何をしても
おかしくないという時代だけど、よりによって信頼していた身内の伯母さんが
まさかの再婚で寝返りなんて…と呆然となったと思うよ。
伯母さんといってもけっこう美人だったというけど、あり得ない展開。
しかも伯母さんの方から婚姻を申し入れたというだから。

72 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:48:59
>>71
>しかも伯母さんの方から婚姻を申し入れたというだから

ソースは?
通説では信友から条件と言われているが…。

73 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 20:00:20
>>72 この伯母さんの参謀みたいな存在だった織田掃部が秋山信友の
合戦をかわすため、伯母さんと信友を縁組し、勝長の養育を条件という
和睦を申し入れるように伯母さんに提案した。
最初は難色を示した伯母さんも城が耐え切れない状態になったので、
その案に従うことにしたそうだ。
正確には織田掃部の案に従って婚姻の申し入れをしたというわけだが、
秋山はその和睦の条件をのんだということ。

ソースはネット上のどっかの資料だったかな?
ごめんはっきりとは覚えてない。

74 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 20:03:39
そして掃部助も粛正されたって訳か

75 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 20:18:20
【おつやの呪い】
信長によって逆さ磔で処刑される時におつやは
「信長も必ずあっけない死に方にさせてやる」といったという。
事実信長は、本能寺の変であっけない最期を遂げた・・・
本能寺の変は明知光秀にとりついたおつやの怨霊のなせるわざ!?

76 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:42:07
誰も>>73の意見に相違はないのけ?

77 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:21:54
オレ様な奴と論議する気がないだけ
他の人間には史料どうのと言っておきながら自分のソースが
某サイトの参考資料とはちゃんちゃらおかしい話

あと、勝長が生まれたと推測される11年前後の奇妙について簡単に書いておく
永禄10年11月:武田松姫と婚約(総見記)
〃12年5月:信長がフロイスを饗応した時に信忠を隣に置いていた(日本史)
 〃11月 :近江長命寺の保護と諸役を命じる(長命寺文書)

これを見てもわかるとおり、客のもてなしに同席させ、寺に対しての保護や諸役を
命じることが許されていたのだから嫡男とみなしても差し支えないし
たとえ11年にお濃が男児を産もうと、その後に寺へ命じていることから
その立場が不安定ということもまずない。
故にこの頃は既に正室養子としてまた嫡男として認識されていたのだろうから
わざわざそれを覆してお家騒動の火種を撒くようなこともまずないはず。

78 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:50:46
長命寺諸役の命じたのではなく免じだぞ。
寺への諸役免じなら元亀2年に崇福寺にも出してるよ(崇福寺文書)。
同じ頃に西美濃の一部も貰っていなかったっけ?

79 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 07:56:38
>>78
バテレンが残した記述がはっきりと誰かまでは書いていないから
それが信忠なのか信雄なのか別の子なのか断定はされていないけど
状況から信忠が一番妥当という見方が強いかなと。
信忠がちょくちょく文書に出てくるのが松姫との婚約が成立してから以降で
地盤固めや当面の実務面は河尻達が行っていた感じだろうけど徐々に
統治の基礎教育も始まっているから、武田との縁組が整ったことで
嫡男としての地位を確実にしていった感じも否めないかな。
嫁が決まったのだから当たり前ったら当たり前なんだが。

80 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 08:33:10
嫡男との婚姻でなくても一時的な和睦を結ぶ事は可能だったから、
松姫との婚姻が信忠の嫡男説を強める根拠としては薄い。
たまたま松姫と似合う年恰好の男子が長男の信忠だったというだけとも
考えられる。もし信忠がすでにだれかを娶っていたら次男の信雄との
縁組になっていても、同盟成立したでしょ。
それから織田掃部の話は有名だぞ。
密かに織田と武田をてんびんにかけ、信長に揺さぶりをかけて
勝長を養子にむかえるように指示したのも織田掃部らしい。
武田と内通していたと疑われまさに粛清。
内通はありえるかもしれん。

81 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 09:11:06
ところで松姫と信忠に関する記述のある史料を具体的に教えて欲しいんだけど。

82 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 09:12:55
講談師見てきたような(ry

一時的な和睦ってこの頃は別に敵対関係だったわけではないんだが…。
婚約話を持ち出したのは織田方だろ。それではまるで武田方から
言ってきたような話しぶりだな。
いい加減、オレ様説をさも事実のように語るのはやめてくれないか?

83 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 09:25:31
>>82 いい加減て?
自分は今回はじめて書き込んだのだが??
それに武田方からの申し出とどこを読んだらそうなる?

>>82はなんなんだ???

84 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 09:41:49
>>83 気にするな、無視しろ。
だいたい*  織田信忠  * スレがすでにたっており、重複
しているのに無視して無理矢理嫌がらせで立てたアホスレにまともなやつが
レスしてはいかん。

>>82の思い込みと妄想ぶりは明らかだろ?
書いてることも妄想だらけの空想君だから相手にすんな。

85 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 10:25:31
>>82みたいのはいつも幻聴や幻覚があるんだろうな・・・


86 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 16:40:47
>>77-79
要するにみなさんは既に嫡男だったという推測なのでしょうか?
それとも限りなく嫡男に近いただの御台養子→確実な嫡男という感じに
変わっていったということなのでしょうか?

>>80
掃部が揺さぶりをかけれるほど権限があったとはとても思えません。
そんなことをしたらその場で首が飛んでいると思います。
信玄方の使者がこういう話を持ってきているがどうしたらと相談したというなら
わかりますけど。(こういう場合は揺さぶりとはいいませんよね?)
仮にご坊を養子にと彼が指示としたら、遠山夫人と一緒に処刑されていると
思いますよ。天正7年まで生かしておくことはまず無かったと思います。

87 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 17:36:21
普通に考えて分国に対して織田方の一武将が指示なんぞできるわけなかろう。
それこそ遠山家臣にてめー何様だと思われるのがオチだ罠

88 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 18:27:20
>> 信玄方の使者がこういう話を持ってきているがどうしたらと相談したというなら
わかりますけど。(こういう場合は揺さぶりとはいいませんよね?)

断固固辞の姿勢だった信長を口説き落とす手に、「実は武田方からも・・・」と
いう話をして、勝長を養子にだしてもらったという憶測はたつな。
その場合揺さぶりといえば揺さぶりじゃないか?
岩村城がどうでもよいところなら信長は絶対実子を養子に出すことはせず、
養子にした男子を養子として送り込んだと思うから。

89 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 18:56:21
どこが揺さぶりなのかと小一時間


90 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 19:09:17
>>89
どこが揺さぶりなのかと小一時間考えてもわからない馬鹿w


91 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 19:14:20
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156156397/
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1141826121/

信忠、松姫関連なら↑の方がいい。
ここは昨日からの流れでまともなこと書いても荒らされるだけ。

92 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:06:27
>>88
>岩村城がどうでもよいところなら信長は絶対実子を養子に出すことはせず、
>養子にした男子を養子として送り込んだと思うから。
では、信長は武田をどうでもいいと思っていたんですかね?なにしろ勝頼に
養女を娶わせていますから。

93 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:18:50
岩村は絶対織田の所領にする気満々。
武田とは同盟関係が結べればOK。
その差がでただけ。
でもその養女は遠山勘太郎に嫁いだ信長の実妹が生んだ娘だから
信長の姪。信長が実子同然に手元で育てていたんだよ。
武田と岩村を同格に論じていることがボケ茄子。

94 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:43:33
>>93
自分の言動がこれまでと振り返って、何箇所矛盾ダブスタを演じているか
数えてみなボケ茄子。

95 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:45:18
>>92 信長の嫡男と信玄の娘が婚約してんじゃんよ。
どうでもいいと思ってるわけねぇだろ。

96 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:48:07
>>94->>82は一緒の妄想野郎だな。
明日にでも精神科に行けや、池沼さん。

97 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 23:56:17
>>94 ムキになってるw

98 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:09:29
>>94は明らかに挑発するような発言だよね?
正直第三者が読んでも気分がいいものではない。
反論されれば感情的に反発するだけだし、
これでは前向きな情報交換できない。
ああいいうレスの書き方する方もどうかと思うよ。

99 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 00:15:28
アンチや荒らしはスルーというルールを守りましょう。

100 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 01:27:19
100

101 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 02:05:57
>>98
それは>>93も同じ。

>>93
そう断定的に書くならソースを出した方がいいぞ。
武田は織田から見れば背後の位置関係だからこそ岩村は
大事だったとも言える。逆の言い方をすれば武田の脅威が
なければ岩村は重要視されることもなかっただろうに。
だから岩村城の攻防と武田は切っても切れない間柄。
100歩譲って君のいうとおり岩村を分国ではなく
直統治にすることさえできるなら武田は適当に同盟さえ組んでいれば
いい相手とタカをくくっていたのなら、信玄はそのあたりを
勘ぐって松の輿入れを伸ばしていたのかもしれないな。
1%でも負の恐れがあればそれに備えるのが信玄流だからね。
まっ、実際にはそんな甘い考えでは無かっただろうし
武田と織田の婚約が決まったころは遠山景任もまだピンピンしていたから
遠山家を乗っ取ろうなんて国人の離反を招くような愚考なんて
まず無かっただろうけどね。

102 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 08:27:11
>>101 ソースソースと騒ぎながら自分も書いてること全て妄想と憶測だけの
見解について

しょせんここの住人の程度が知れるよ

103 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 08:46:07
>>101 そう断定的に書くならソースを出した方がいいぞ。


104 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 10:03:32
婚約した同じ月に勝頼に嫁いでた信長養女が出産後死亡or肥立ちが悪く
瀕死の重体になってますよね?
国の主なので割り切っていたとは思うのですが、養女とはいえ嫁いできていた
娘がそういう状態なのに、すぐさま次はと言ってきたことに信玄は何か
憂慮することが心の内にあったとは考えられないでしょうか?

105 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 11:09:24
そういう親心はもちろんあったかもしれない。
大名と言えど人の子、子供の幸せを願うことは親としては
当たり前の心境だろうな。冨士御室浅間神社及び北口冨士浅間神社には
娘への親心を表す願文も残っているからね。

106 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 12:28:46
信玄はすぐに輿入れさせても構わなかったけど甲斐の国人や家臣達が 
それに猛反発した可能性はないのけ?勝頼の時と違って於松と奇妙の婚約には 
かなり難色を示した者が多かったという話もあるぞよ。

107 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 13:25:00
親心どうのというより106の推測の方が何かしっくりきますね。

108 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 13:26:38
織田家だって同盟が結べればよかったわけだから急ぐ必要もなかったと思う。
現に同盟が破棄させるまで友好関係が続いたわけだし。

109 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 14:43:40
>>104 信長お必死さが伝わっただけじゃないか?よほど武田が脅威なんだなと。
実際脅威だったろうから。この時代は縁組による同盟は一代限りという
決まりがあったから、いくら遠山夫人が子供を生んだところで、遠山夫人が
亡くなれば同盟も消滅する。間をあけずに武田とは同盟を結んでおきたかったんだ
ろうな。

110 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 15:54:29
>>101 岩村城は1570年に信玄から攻められ信長の援護でなんとか持ちこたえている。
その翌年に当主の遠山景任が病死し、その年に御坊が養子に迎えられた。
この流れから信長がただ養子をあげて終わらせるはずがないと思わんか?
同盟関係にありながら、岩村を援護し御坊を養子にしたあたりから
信長の下心が見えてくるわけで、内心はどうだかしらんが、
御坊を犠牲にしても利のあるかけにでたように思う。
結果的に岩村城攻撃の立派な大義名分もでき、卑怯な手をつかったが
手中におさめ、勝頼から無事に御坊も取り戻してるしてるし、
結局は当初の狙いどおりいったのではないかな。

111 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 16:28:22
別に思わん。 
岩村が落ちれば尾張や美濃への道を開けることになるから 
死守したかっただけじゃないかな。あの頃の信長に二兎を追うような余裕なんて 
まずなかっただろうし、あのあたりは離合を繰り返す国人が多いから 
一歩間違えば西に東に挟まれて最悪アボン

112 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 16:38:32
岩村は東の岩村、西の大垣と俗称される軍事、交通の要衝だったから、
武田も織田も徳川も欲しかった。要となる陸路をおさえることは軍事的な
利益だけではなく、産業的な利益も生む。

>>111 少なくとも御坊が養子になって2年後には信玄死亡。
信玄亡き後は赤子の手をひねるレベルになった武田軍。
二兎追うどころか、一石二鳥であっという間に両方ゲット。

113 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 16:45:45
信玄死後わずか2年後には長篠合戦で勝頼敗退。
その後すかさず岩村城を攻め落としたんだったな。
なんでも信玄が死んだ事を悟られないように
必死で隠そうとしていたそうだが、あっさり
ばれてたらしい。そのせいで信玄公の墓の謎が
生まれたのかな?

114 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:02:25
東濃18城がガンガンに落とされたのは信玄死後だお 
長篠の結果が同じ負けでも重臣があそこまで戦死しなければ 
岩村は守り抜けたと思うお 
勝頼は武将としてなら優秀だお

115 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:09:16
重臣の死=大将の愚

116 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:17:32
114 戦略に長けていても、大将の器ではなかったということだな。
でなきゃ、武田家があんな形で滅亡せん。

117 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:25:05
それを言ったらみんな愚将だ罠。 
勝頼は采配を持たすより戦わせた方が良いタイプだったとオモ。 
そして高天神を落としたのは評価してあげるべきだな。

118 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:33:03
確かに高天神城を落としたのは素直に凄いと思うよ。

119 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:35:29
家の存続という一番大事な使命を果たせなかったことで、勝頼の評価が
悪くなっても仕方ないね。武将の評価って勝った負けただけでは
ないと思う。名門武田家を勝頼親子の代で終わらせちゃったのは本当に残念だ。
松姫なんか本当にかわいそうだよ。落ちに落ちて八王子でその日暮らし。
八王子に集まった武田衆も悔しかったろうに。

120 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:39:55
>>118 では高天神城の戦いPartUの評価はいかに?

121 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 17:48:15
勝頼と言うより信玄が残した負の遺産が 
全てを決定づけていたようなもんじゃね? 
勝頼に全ての責任を押し付けるのは酷というものだろう 
松姫の場合も、信忠とのことは心痛察するに余るところだが 
秀吉や家康の側室に強引にされることもなく 
政治利用にも使われず、武田の遺臣達に囲まれて暮らしていたのだから 
苦しくともこの時代の姫の中では幸せな方だろうて。

122 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 18:18:07
>>121 でもさ、勝頼の母親は滅ぼされた諏訪氏の姫で信玄の側室になり
その子は諏訪氏継いだ。信玄公亡き後の武田家の当主は自分の孫。
諏訪御寮人は不幸ばかりとはいえないと思うけど。諏訪氏の血が武田家嫡流
になったわけだし、諏訪氏に生まれた姫として立派な仕事をしたよ。
茶々も秀吉の寵愛と嫡男を産んだことで浅井の血を持つ子を天下人に
することもできた(途中までだけど)。江与もまさに政治の道具
としてあちこちやられたけど、将軍家にも天皇家にも浅井の血を残した。
当時の側室って権力者の慰み者という認識ばかりではないと思うよ。
もし松姫が秀吉の側室にあがり、茶々よりも先に男子を授かれば、
嫡男のいない秀吉の寵愛を一身に受け、武田を何らかの形で復活
させるほどの力を持てたかもしれん。

松姫は最初は苦労したが、家康の保護のおかげで
晩年は穏やかに暮らせたようだし、旧武田衆の心の拠り所的存在だった
そうだから、それはそれで不幸だとは思わないけど。

123 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 18:21:39
相変わらずな無茶苦茶な理論に萎え

124 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 18:22:04
>>121 信玄の負の遺産というが、元々信玄の代から甲斐統治は不安定な
地盤だったんだからカリスマ信玄公が亡くなったらとたんにああいう形で滅亡した
のもうなずける。

125 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 18:22:55
>>122 松姫は早々に出家したから手が出せなかったのだろう?

126 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 18:23:46
>>123のような荒らしはスルーしましょう。せっかくレスが軌道に乗ってきたので

127 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 18:27:55
>>125 というか、家康も後々家来から聞かされるまでその存在を把握して
いなかったから、意図的に敵から身を隠していたんじゃないか?
一緒に落ち延びた姫たちもいたそうだし。

128 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 19:15:53
>>122 全て同意とはいわんが、手っ取り早く実家や自分の身を建て直す
手立てではあるな。城を攻め落とすこと同様、敵の大将の子供を産むというのも
戦略のうちかもしれない。


129 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 19:25:18
秀吉は実子が一人もいなかったから、側室になった女性たちも実は野心満々
だったかもな。自分が男子を産めば豊臣家の嫡男生母。正室に次ぐ立場に
なれるからな。茶々なんて自分から色目を使って秀吉に取り入ってたりして。

130 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 19:29:19
茶々の場合は復讐心も相まっていたかもしれない

131 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 19:33:53
男子さえ産めばどうせ老い先短いじい様だと思えば、数年の信望だ罠。


132 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 19:41:10
>>112
それは結果論にすぎない。ご坊を養子に出した時に信玄の死期を
わかっていたかのような推測はあまりにも都合が良すぎ。

133 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:18:49
もし遠山夫人が信長実子だったら、実孫にあたる信勝を自殺に追いやるようなことを
したかな?いくら自分の養女の産んだ子とはいえ、義孫の首を京にさらすというのも
むごいな。(養女でも自分の実姪だったというのに)

134 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:19:22
>>124
う〜ん、自分も信玄の負の遺産だと思うな。
外交面ではあれだけ周りに敵を作りまくり、さらに駿河侵攻や
一方的な同盟破棄など信頼を失うような前科作り
家内では義信死後のしこり解消や長いこと跡目未決定、そして順番から
いえば跡目妥当と思われる勝頼に嫡男教育をすることもなく
立場も明確にせず、国人衆対策に有益かもしれなかった盛信の立場も
どうしたわけではない。

例え地盤が良かったとしても内外にこれだけ負の遺産が残っていれば
衰退するのは必然だよ。織田も力をつけだしていた時期でもあるし。
逆に言えば地盤が悪いところにとどめを刺すだけ刺して逝ってしまった
ようなもんじゃなかったのかな。
もちろん、勝頼にも非は多々あるけど・・・。

135 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:39:13
>>134 
勝頼は諏訪氏を継いだ信濃・伊奈谷の高遠城主。
そのため武田の家臣からよそものという違和感をもたれていたらしいけど、
結束の固かった武田家臣を上手く統率できなかったのは
勝頼の力量のなさだと思う。裏切り、寝返りが敗戦の要因ともいえる。
それに信玄の時代から武田氏自体が甲斐の絶対君主などではなく、
国人領主の盟主という不安定な基盤に立っていたわけで、つまり
武田氏と利益を共有する「利益集団」的な体制だった。
武田氏の勢いが萎えてくれば利益の共有が危うくなり、
その利害関係はあっという間に崩壊していく構図になっていた。
武田家崩壊は国内からの崩壊も原因の一つ。
負け戦よりもこっちが大きいかもしれない。

136 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 21:58:47
>>133
信勝は信長の孫という織田方である前に勝頼の息子という武田方だから
両家が講和でもしない限り、戦となり劣勢となれば死に追いやられるのは
いか仕方ないことだったと思われ。
ただ、信長公記では信勝の最期を褒めたり面差しまで書いていたり、
関八州古戦録では滝川が勝頼父子を殺した他で出家したいと
申し出て信長が了解したと書いてあるのが何ともな…。

>>134
同意。三国同盟のドンだった今川を攻めたのはまずかったな。
甲斐は土地が貧しいから領民の生活のためにも仕方なかったと
いう見方もあるようだが、氏真を追っ払ったのはちとね・・・

137 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:19:29
せめて北條に何かしらの配慮をしておけばなぁ〜
執拗に今川に救援隊を送ってきているから氏康の怒りは
凄まじかったんだろうな…。
それから徳川との駿河−遠江割譲案の反故もかなり痛い
これで無用の恨みを買ったも同然だもんな。

駿河侵攻前後の信玄は血迷っていたとしか思えん。

138 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 01:04:49
>>136
この部分だね。改めて読返してみるとベタ褒めだし勝長同様に
かなり詳細に書き残しているのが印象的だな。
勝頼の段もそうだけど武田方に同情的だったり褒めていたりもするから
牛一の目には信長の武田への思いはただ憎かったという側面なのではなく
真髄は可愛さ余って憎さ百倍みたいなもんのように写っていたのかもと
ちょっぴり思うよ。

(信長公記・武田滅亡より抜粋)
勝頼の子武田太郎信勝はこのとき齢十六、さすが名門の子とあって容貌美麗、
肌は白雪のごとくで、美しきこと余人に優れ、見る者であっと感じ入りつつ心を
奪われぬ者はなかったほどであった。しかし会者定離の悲しみ、老いたるを残して
若きが先立つ世の習いからは、この者とて無縁ではいられなかった。
まことに朝顔の夕べを待たぬがごとき、蜻蛉にも比する短き命であった。
信勝は家の名を惜しみ、けなげにも敵勢の中を切ってまわり、ひとかどの功名を
残して果てていったのだった。

(同・四郎勝頼の部分より抜粋)
天をも恨まず人をも咎めず、闇より闇道に迷い、苦より苦に沈む。
嗚呼、哀れなるは四郎勝頼。

139 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 07:52:17
牛一は>>138の現場に居合わせたの?
牛一は信勝を実際見たことってあるのかな?

140 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:35:19
>>138 内心そういう気持ちがあれば、京都に首を持っていってさらす
ような真似はしないと思うんだけど。討ち取ったという事実で充分。
孫(義理だけど)までさらし首にしたというのは、ちょっとなぁ。

141 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 09:39:05
大田牛一は槍奉行として信長に仕えていた頃の日記を元に作ったのが信長公記。
年代的なことや事件、出来事など客観的な事実と思われることに関しては
かなり信憑性があると言われているけど、それ以外の主観的な感想と
思われる部分などは、参考程度。江戸初期に自分の日記を信長公記として編集
した時に、ある程度肉付けをする必用から付け足したとも考えられるので。

142 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 09:43:36
自分も晒しただろうと思う。そのあたりは戦国大名だから非情に
割り切ったと思うし、それは仕方ないことじゃないかなと。
私情を挟む前に武田を滅ぼしたと言うことを確実に周囲に周知させて
織田の力を誇示させるには、獄門にかけるというのは必要なことだった
だろうから。京都に晒したのも方々から人が集まるというのを利用すれば
全国に知れ渡りやすくなるし公家や朝廷への牽制も兼ねていたと思うよ。
毛利に知れれば毛利家内の士気が下がる可能性も否めないし。
それと確かに身内に甘い感がある信長だけど136も言っているとおり
孫であっても信勝はあくまで武田の人間。そして長男にして嫡男で
年齢も元服の頃合だから、勝頼だけ晒して信勝を晒さないというのは
できることじゃないとオモ。

143 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 10:10:55
>>138
>天をも恨まず人をも咎めず、闇より闇道に迷い、苦より苦に沈む。
>嗚呼、哀れなるは四郎勝頼。

天候をも恨まず穴山をとがめず、長篠敗退から家臣・家内・国内統制に迷い
御館の乱から外交オンチのドツボにはまり撃沈する。
バカ親父信玄のせいで・・・勝頼は被害者なんだよ、カワイソウニ・・・・

といった感じかな。

144 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 10:31:24
>>143 つまり、信玄が悪い、勝頼親子は被害者、勝頼親子がさらし首になったのは
信玄の不徳の致すところで、信長様は悪くない・・・

と第3者に思わせたくて、牛一が書いたわけだ。

信長に早い段階で恭順の意を示し、一諸大名に甘んじても
武田家存続をはからなかっっておれば、信長死後またまた
戦局は変わったかもしれなかったのに。

145 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 10:55:20
>>137
確かに北条との事前交渉は必要だっただろうが賭でもあるからな…。
だが、氏真が上杉と手を結びつつことなどを強調しつつ、
河東割譲や早川殿の出来る限りの保護などちらつかせれば、
北条も戦国大名、共闘は無理でも黙認くらいは取り付けられる
可能性は少なくないと見るから、やはり事前協議はすべきだった
のだろう。結局、北條に侵攻されて一時的だが駿河からの完全撤退を
余儀なくされているわけだから。

146 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 10:59:13
北条・今川ネタは完全スレチ。
よそいってやっとくれ。
うっとうしくて邪魔。

147 :143:2006/10/21(土) 11:32:25
>>144
>つまり、信玄が悪い、勝頼親子は被害者、勝頼親子がさらし首になったのは
>玄の不徳の致すところで、信長様は悪くない・・・と第3者に思わせたくて、
>牛一が書いたわけだ

そこまで言い切る気は自分には全く無い。

>>146
確かにスレチだけど自分の推測(妄想)を元に突っ走る奴よりよほどマシ

148 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 11:46:15
>>147 スレチの方が明らかなルール違反。
2チャンルールで相当するレスに移動するのが当然だと思うが?
マシかどうかの問題ではない。

149 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 11:54:11
>>146
私は鬱陶しくないですよ。このあたりは複雑に絡み合って
いるわけですし。かなり詳しそうな方々かなとも思うので
いろいろな視野で考察してくれそうかなという期待も。
もう少し様子見でもいいと思います。

150 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 11:58:44
>>149 君一人の意見を通そうとするのは我侭だ。
少なくとも私は鬱陶しいし、今川、北条、武田の件で
情報交換したかったら、自分でスレをたてればいい。
信長、濃姫、松姫、信忠とはまったくかけ離れていくだけだし、
いくら関連者のことであっても、ある程度逸脱したら
レスの書き込みを遠慮するのが当然だ。
内容を批判しているのではなく、スレ違いはルール違反だと
言っているのだよ。

151 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:06:36
元々松姫オタが濃姫スレの嫌がらせでたてたスレだから内容が武田がらみになるのは
当たり前。武田関係以外は無知丸出しなのでバレバレ。


152 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:28:24
ここの住人から武田ネタをとりあげたら書き込むネタなしw

153 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:33:27
確かに。人物像を追求するのもいいけど外交戦略等の側面から
二人の婚約や婚約破棄、それに付随する織田と武田の外交等を
語るのもまたいいのではないかな。
今川や北條も関係していないようでしているし
駿河侵攻の背景には甲尾同盟もあるのだから。

154 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:40:27
>>153 言い訳がましい反論なんかしないで、スレチはスレチと認めて
しばらく話題を慎んだらどうだ?荒れて困るんだよ。


155 :通りすがり:2006/10/21(土) 12:50:32
荒れている感じはしないな…。
ヲタ臭が漂いやすい姫スレに外交戦略などハード面での
考証をしそうな史板らしい雰囲気になってきたから
参加するのを楽しみに来てみたのだが、どうやら
私の勘違いだったようで残念だ。

156 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:58:16
>>155 最初からよくロムるように。それにすでに今日荒れてるだろうに。
このむちゃくちゃなスレタイを見たってまともな情報交換なんて
期待するだけ無駄。残念がってないで、自分のお望み通りのスレをたてればよい。


157 :通りすがり:2006/10/21(土) 13:54:22
単発スレは負担がかかるから遠慮しとく。
まともな情報交換ができるかどうかはスレタイ関係なく住民しだい。
それにむちゃくちゃでもないうな?
自分は信長父子に関する妻女と受け止めているが。

158 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 14:01:02
>>157 遠慮しないでたてろ。
単発スレに何の負担があるのか疑問。
埋もれていくのを自演で必死でageするのが大変だからか?
ここが信長親子に関する妻女のスレと思うならならその話題限定で盛り上げろ。
ぐだぐだ武田家の滅亡のことで今川、北条の話まで持ち出すな。
それなら書き込んでもいいぞ。

159 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 14:06:14
>>1に>>信長や信忠の奥に関係している人以外の話題はご遠慮ください。

とあるんだから、今後は↑をきちんと守りましょう。
武田家にまつわる話ばかりで濃姫のことも松姫のことも
まったく触れられていないけど?

160 :通りすがり:2006/10/21(土) 14:11:19
サーバーに負担がかかることも知らず、急に自演とわめき
ageの意味すらわからないとは・・・もしや初心者坊やか?

161 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 14:24:48
>>160 つか、それがすでにスレチの書き込みなんですけど?
心の中の声までいちいち書かないでくれる?迷惑なんですけど。

162 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 14:58:02
一人で必死に暴れて荒らしているのがいるなw

163 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 17:31:03
>>162 >>160のことだろ?もう病気だな。


164 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 19:01:45
>>161
160ではないけど自分からもお濃なりお松について何か書いたらどうかな?

165 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 19:34:51
>>164 そんなこと人に言う前におまえがまず書け

166 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 19:39:59
分家のあの勢いはどうしたんだ?
本家は荒れずにちゃくちゃくとレスをのばしてるぞ。


167 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 20:16:42
>>166 日本語でおK

書き込みたくてもむやみなことは書けんよここでは。
自分は織田・武田・(上杉も出るかな)・北條の外交や戦略側面から
松姫逃亡時〜信忠の許に向かうまでのことで議論したいことがあるけど
結局松姫とは関係ないとか、他家話=荒らしだとい出だす人が
出てくるだろうからスレの雰囲気を壊さないためにも書き込まないでいる。

168 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 20:26:25
>>167 書き込めないというなら、わざわざのぞいてちょこちょこ関係ない
レス書き込まないでくれる?非常に鬱陶しいんだけど。ここにいつまでも粘着せずに
信忠レスにでも好きなだけ書き込んでくれば?

169 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 20:29:05
>>167 ここなら好きなだけ信忠&松姫に関して自分の妄想を書き込めるぞ。
とっとと移動しろ。

「もし本能寺の変で信忠が生き残ってたら?」
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1141826121/

170 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 20:38:57
>>166 分家にはまともに織田家のことを語れるやつがいないから仕方がない。
>>167のように、強引に武田や北条と結びつけることからしか導入できんのよ。
誰一人斉藤家と織田家から濃姫、信忠、松姫、と議論を進められるだけのやつが
いないくせに、このスレに粘着してしがみついている池沼ばかりさ。

171 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 21:01:32
分家もまさに三日天下で終わったな・・・・・

武田の残党は松姫を追って八王子にでもいくのかな。

172 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 21:27:20
本家か分家か知らんがはたから見ればどちらも一緒だ。
だが、外交政策や戦略など複雑に絡み合う当時の情勢も含めた
視野も含めて考察しようとする心意気があるだけでも、
濃姫のことさえ語れれば良しとする所よりかは何ぼかまともに感じる。
結局、語れる奴がいないんではなく語ろうとする芽を摘む人の方が
多いのがこのスレの問題点に思う。
議論なんていうのはどう発展していくかわからないのだから
頭ごなしに荒らしだと否定したら何にも話にならない。

173 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 21:31:42
何がまともなんだか

174 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 21:37:44
>>172 
>>外交政策や戦略など複雑に絡み合う当時の情勢も含めた
視野も含めて考察しようとする心意気があるだけでも、

これは>>172の勝手な思い込み。
スレタイにも>>1にもどこにも書いてないよ。
>>1には>>信長や信忠の奥に関係している人以外の話題はご遠慮ください。
とあるじゃないか?
勝手にスレの主旨を勘違いするな。

それと>>濃姫のことさえ語れれば良しとする所よりかは何ぼかまともに感じる。

どこがいけないんだ?スレたてた人の勝手だろうに。
自分勝手な思い込みで他人の領土をけなしてんじゃないよ。
気に入らなければのぞかなきゃいいし、他のスレを非難する必要はないだろ?

自分がとことん納得できるようなスレを戦国版にでもたてればいいじゃん。
戦国版にはすでに武田家関連のスレがいくつもあるから重複しないようにな。

175 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 21:39:54
>>172 ちょっと間をおいてみたら?
しばらくは何を書いても叩き返されるだけだと思うけど?

176 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:24:10
>>172
僕も>>175に同意
言いたいことはよくわかるけどここはマジレスしても無意味。
あっちの隔離スレみたいなもんになっているから。
逃亡ルートとか討伐後の甲信統治の影響とか探るとおもしろそうな
話題が松姫にはあるけど、そういう話題も今の段階ではご法度らしい。

177 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:38:50
>>172
何にしろ他スレを貶めて自分を持ち上げるのは見苦しいよ。

178 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:55:53
はいはい。そうやって粘着してれば〜?

ところで話題をそろそろ戻さない?
外交系だと反発でそうだから置いといて、例えば信松尼公記にある
松姫が向嶽寺に一ヶ月近く隠れ住んでいたと言われている期間は
正しいかとか高遠城に移ったのは実際にはいつ頃なのかとか
信忠の高遠城攻めの不可解な点とかそのあたりを仕切り直しも兼ねて

179 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 23:11:01
>>178 GJ!
公記中にある向嶽寺滞在は2月下旬から3月24日と書かれているけど
信忠達が甲府入りしたのは信公では3月5日だから、信忠が甲斐入り
してから約19日、善光寺での一門仕置きや勝頼達が自刃してからは
13日〜14日だから、その間に見つからなかったというのは
この寺の立地からして少し無理があるように思う。
実際はもう少し前倒しだったんじゃないのかなと。

180 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 23:19:45
向嶽寺って恵林寺の隣だっけ?

181 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 00:19:06
隣ではないけどこんな位置関係
http://maps.google.co.jp/?promo=JP-HA

182 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 00:26:51
ごめん、こっちの方だった。
http://map.livedoor.com/map/?MAP=E138.43.35.5N35.42.9.4

183 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 00:39:50
信松尼公記って、北島藤次郎さんの著作のこと指してるのか?


184 :180:2006/10/22(日) 00:53:01
>>181-182
ありがと。位置関係がよくわかりました。

185 :178:2006/10/22(日) 01:58:08
>>179
実は私もそこが引っかかっている。
もし、それが本当なら信忠にしても滝川や河尻にしても
一体どういう残党狩りをしてたの?状態かなって。
お寺側も隠すのに限界があるだろうし。
ただ、肝心の向嶽寺に以前問い合わせをしたら言葉を濁されたり
そんな話はないと怒られているような?返事だったりと
曖昧というか話したくないというかな感じで、お寺にはお寺の
事情もあるだろうからこれ以上確認のしようがない…。

>>183
そうですよ。今のところ逃亡関係についてはこの書籍が
良質史料と言われていますので。

186 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 08:44:19
実際に伝わっていないのかあっても事情があって出さないのかは
定かではありませんが管理人さんがそこのお寺で松姫について聞いたみたら
門前払いされてしまいあれは一体何だろう?と書いてあるサイトもありますね。
素性の良く知らない来たり者にはむやみなことは言わない、教えないという
風潮がある山梨なのである意味らしいといえばらしいエピソードですね…orz

187 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 09:43:57
>>185
牛一も残党狩りとは書いているけど実際はそんなに
熾烈を極めるような戦後処理では無かった感じは
否めないから結構抜けてたんじゃないかな。
織田側が処刑した人間も戦後処理なら仕方ない連中だし
荒木の時のような残酷な処理方法はしていない。極真っ当な方法。

188 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:58:09
>>185
史料という言葉の用い方、間違っていないか?

自分も信松尼公記は持っている。
あれは松姫への愛情に満ちた好ましい著作で、今も大切にしている。
督姫や貞姫、香具姫のことについても丹念に訪問して聞き書きし、
本当に素晴らしい本を残されたと思っている。
だが、あれは「史料」ではないぞ。

(断っておくが、北島氏を貶めているわけだは全く無い)
あれは史学には全くの素人であった氏が、手探りで取材し
足を使って探索し、たくさんの史家や地元の方々から教えをうけ
聞き書き・研究した結果の労作で、個人の研究成果をまとめた本だろう。
たくさんの手がかりを後続の者に残してくれた愛すべき本、
だが、史料とは異なるものだ。

>>186
檀家でもなく、知己でもなく、紹介者もなく
突然に訪ねたきた者に色々と喋らない云々は、
別に山梨に限ったことじゃないよ。
(歴史好きなら経験はあると思うけどね)


189 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:07:30
そうですね。良質な参考文献と書くべきでした。すみません。

190 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:31:59
>>188 中には門外不出という史料もあるからね。
「信松尼公記」は自分も読んだ。松姫の生涯がよくわかって興味深かった。
ただわずかに残された史料や足跡を少し強引に自分の憶測に結び付けている
感はあったかな。
それと刊行されたのが1972年のためか、解釈の感覚が
現代的すぎるところがあったのも気になった。
大まかな松姫の足跡を知るのにはわかりやすい一冊だと思う。
松姫に関しては信忠との悲恋物語より、落ち延びて八王子で
必死で生き抜いて、元武田家臣たちの心の拠り所となる後半生が
素晴らしいと思った。

191 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:34:02
>>188
186はそんなことは知った上で書いてると思われ


192 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:02:12
残党狩りが抜けていたのか?
寺にいるのは知っていたが敢えて見て見ぬふりをしたのか?
同じく知っていたが何か目的があって逃がしたか?
(この場合は逃げれるよう風聞を流し領民を混乱させるなど
さりげなく助けた可能性もある)
さらにこれらを踏まえて、
松姫逃亡劇の信忠軍との共謀だったのか?
同じくこの逃亡劇は北條が一枚噛んでいたのか?・・・etcまで
いろいろと考察したらおもしろそうだね。

193 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 13:36:35
>>189 >>190
きつい言い方をしてたかもしれないけど、レスありがとう。

「信松尼公記」は素人の方が信松院を通じて松姫に興味をもち、
伝承や故事を拾い集め、思いをめぐらすという視点もあり
また著者は学者ではないので検証に不十分な部分もあるのは当然なのに
「史料」扱いされると、
「でも、嘘書いてあるじゃん」的な見方をされることも起こり得て、
信松尼公記の前書で述べられた著者の思いが伝わらなくなる。
それも何だかなぁ、と思ったのできつい言い方したかもしれない。

話の流れを切って失礼しました。


194 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 15:39:39
「信松尼公記」今度読んでみます。
ところでこの「信松尼公記」には松姫と信忠のことはどう解釈されていますか?


195 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 18:13:02
通史どおりの解釈

196 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 19:02:33
>>194『寛政重修諸家譜』 第十八巻の下嶋の政茂
武田信玄及び勝頼に仕へ、勝頼没落の後政茂信玄の女を携て、
織田信忠が許に送らんと尾張國に至る。
信忠害にあふてのち東照宮かの女をもつて大久保長安にあづけらる。
政茂これに属して長安が許にいたり、彼家にありて死す。法名蓮心。」

これをそのまんま。

しかし松姫は勝頼の娘、兄の娘、武田家臣の娘も連れての逃避行なので
敵の大将だった信忠のもとへ喜んでいくくつもりだったかどうかは疑問の残るところ。

197 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:05:14
>>196 元婚約者という縁で自分と姫たちの命乞いをお願いし、
なんとか段取りがたったところで本能寺の変がおきたんじゃないか?
なんか再度結婚とかなんとかはあまりに信憑性がない話だけど、
姫たちの命乞いに一役買うぐらいの、そのぐらいの松姫への情が
信忠にあったと信じたいな。

198 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:28:44
八王子に逃れたのが正解だったな。
家康は松姫の義姪の下山殿を側室にして、その間に生まれた
男子に武田姓を認めている。家康の側室の中ではもっとも血筋が
良かったし、武田の血筋を尊重してくれたのだろう。
家康が松姫を厚遇したのも、そんな背景があったかもしれない。

199 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:47:25
信玄ブランドって戦国大名でもありがたがったのではない?

200 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 00:21:59
どちらかというと甲斐武田家ブランドだと思われ
信玄だけが一人歩きして独立したのはどうも
家康の信玄loveが影響していると思う。

201 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 12:48:10
>>197
小山田の娘→郡内と御師(修験)系も(?)
勝頼の娘→諏訪で周辺国人と諏訪大社大祝関係も(?)
盛信の娘→仁科で高遠周辺国人もしくは油川(川窪)で甲斐国人

松姫への情もだが、甲信はそれでなくても長いこと国人が強かった
地域だから、領国経営の面からも信忠は一役買ってくれたかもしれんし
そうなると、変な言い方になるが、人質みたいな感じで信忠の所に
行こうとしていたのかもしれんな。
で、ほとぼりが冷めた頃に養女にして嫁ぎ先の世話やお家再興をすれば
織田の株も上がる。

202 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 13:10:42
下2行は養女にはしていないけど家康が使った手だね。

203 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:14:06
>>201
松姫に託された姫三人、そんな思惑は無いだろう。
そのような痕跡や文献はなにも無いからな。

信忠を頼りにしようというなら、
織田の甲斐侵入時に投降することも可能。
信忠と松姫の関連をひきずりたい意識?で
想像しすぎなのではないかな。

204 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:23:14
>>196 肝心の信忠はその頃京都にいて尾張にはいなかった。
知らなかったのか?

205 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:46:15
滅ぼした後の領国経営や国人対策では血縁者を取り込むというのは
無難な方法の一つだから全く否定してしまうのもどうかと思うよ。
信忠がその姫たちを連れていることを知っていればの話だけど。

投降についても信長が甲斐から去った後なら兎も角甲斐入りする前に
投降したら下手したら殺されてるよ。高遠遺臣もいたのだし
仮に松は助かったとしても彼らは間違いなく処刑される。
高遠攻め前ならどうにか助かるかもしれないけどね。

206 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:05:14
濃姫の「の」

207 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:06:41
本能寺の変後旧武田領は家康の支配下になったから松姫や他の姫も家康の庇護を
受けることができたんだろうな。
松姫たちは明らかに命の危険から逃亡していたのだろうから、
俺もあの段階で織田方に捕まれば命の保証はなかったかも。
出家するからとか、それこそ織田家有力者の側室になるなどの
保身をはかる以外はそのまま生かしていくことはなかったろうな。

208 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:07:16
濃姫の「う」

209 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:13:12
>204
送ろうとして尾張に行ったという意味なのか、別に目的地があって
そこに送ろうとしていた道中に尾張があり入ったという
意味なのかでかなり違ってきますね。

210 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 09:39:58
>>209 >>織田信忠が許に送らんと尾張國に至る。

(信忠は岐阜城主だったから)尾張國の信忠の許に送ろうと尾張國に到着した。

その前後を読んでも↑のようにし解釈できない。
信忠は武田攻めが終わり、信長が帰ったあとに武田家に加担した恵林寺を焼き討ち
するなど新領地の仕置を任され、信長に遅れること一ヵ月後に安土の信長のもとに
行き(5月14日)、その後信長より先に中国攻めのために5月27日に京にのぼり、
尾張には帰ってないんだ。
それなのに松姫を信忠の許に送ろうとして尾張国に来たというのは
不自然。信忠不在を松姫たちが知らないはずはないよ。手紙などでやり取りして、
信忠の承諾を得ていれば、尾張にはいないから京都に来るように
指示するはずだろうけど、でも京都に呼んだところで信忠は明日にも毛利攻めに
出立するかもしれない戦局で、その緊迫した状態でそんなやり取りができたかも
疑問。
まだ命を狙われている危険な身の上の姫を八王子から尾張にしろ京にしろ
呼び寄せるというのも松姫に愛情があればよけいあり得ない話。
その時松姫一行は北条氏照に保護されていたのだから、その時期あえてそんな
危険を冒す必要も無い。
なので頼る人もいなく、信忠になんと助けてもらおうと事情も知らずに尾張まで来て
本能寺の変を知ったという説も信憑性がなさすぎる。

これらの矛盾が下嶋の政茂の箇所は後年の捏造史料といわれる所以。

211 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 11:43:28
>信長が帰ったあとに武田家に加担した恵林寺を焼き討ち
焼き討ちは4月3日、信長はその頃まだ山梨にいたよ。
信長が甲斐から出たのは4月10日頃。

>その時松姫一行は北条氏照に保護されていたのだから
保護まではしていない。

それと捏造するなら大久保長安の名はむやみに使わないと思われ。

212 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 12:43:43
>>211 「信長公記」には4月2日に信長は諏訪を発ったとある。
信長が発った後に事後処理を全てまかされた信忠が恵林寺の焼き討ち等の
仕置きをしたということ。どっちにしても信忠はその後尾張には帰っていない。

松姫たちが当初八王子で身を落ち着けたのは心源寺の別院金照庵。
心源寺の住職のト山禅師は、城主北条氏照の禅の師でもあり、
氏照が一時養子に出た大石氏の家系でもある。
このような寺にかくまわれたのは明らかに氏照の保護下に置かれていないと不可能。
敵方松姫一行の存在は北条家にとって非常に危険なことにもかかわらず
氏照縁の寺でかくまったわけだから。

捏造となったら信憑性をだすためにどんな著名な人物でも名前を使う。
江戸期以降編纂の史料なんてひどいもんだ。
武功夜話の元本だってむちゃくちゃだぞ。甲陽軍鑑だって信玄と
山本勘助のやり取りは全て捏造。甲陽軍鑑の中の山本勘助は想像上の人物だから。

213 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 12:54:03
松姫はえらい!
勝頼を裏切って寝返った家臣の娘まで面倒をみたなんて。

214 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 13:07:10
考えてみたら武田の残党狩りの大将が信忠なわけで、その信忠の
誘いを信用して応じるかな?罠かもしれないのに・・・と思ってみた。

>>213 知らなかったけど、本当なんだ。優しい姫様だったんだな・・・
ええはなしや。

215 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 13:53:24
>>212
諏訪を発った後に甲府に入ってんだろ
そして10日に甲府を発って大宮経由で13日に駿府入り(信長公記)
それと当時の寺は一種の治外法権。そこの住職に采配によることが
多いから氏照どうのはあんまり関係ないだろ。
氏照が逃亡の手引きをしていたというなら話は別だが。

216 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 14:22:25
>>215 私が>>信長が帰ったあとに、と書いたのを、みなさん勝手に「安土に帰った」
と解釈しているようですが、信忠に事後処理を一任して信忠と別れて諏訪を発った、
という意味。どういう経路で帰ろうが、帰途についてることには違いないわけで
そのことについてなぜえんえんからまれのか理解できない。
どっちにしてもそれ以降信忠が尾張にいた事実がないわけで、
松姫が「尾張國に至った」という記述と矛盾するということが
わかってもらえればけっこう。

氏照が見てみぬ振りをしなければいくら住職に権限があっても無理なこと。
氏照が姫たちの引渡しを要求し、それを住職が拒めば、
信長の手前、心源寺も恵林寺同様焼き討ちをされてたかもな。

217 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 15:19:36
『寛政重修諸家譜』の
信忠害にあふてのち東照宮かの女をもつて大久保長安にあづけらる。

ここも変なんだよな。
信忠は1982年に亡くなった。家康が江戸に入って八王子の支配についたのが
1591年。八王子に松姫や武田衆がいたのは大久保長安が北条の旧領地を
もらって赴任してくる前なのに?

>>政茂これに属して長安が許にいたり、彼家にありて死す。法名蓮心。

政茂は長安が赴任してくる10年近く松姫と行動をともにしたの?

218 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 15:28:09
>>215 >>当時の寺は一種の治外法権。そこの住職に采配によることが
多いから氏照どうのはあんまり関係ないだろ。

治外法権の寺に身を寄せて庇護してもらっているならなおさら危険を冒して
信忠の許へ行く必要はない罠w


219 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 15:29:48
下嶋は武田家臣だから守役として一緒にいても不思議ではあるまい。

220 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 15:41:08
松姫が家康の意向で大久保長安の預かりとなったという事実はないんじゃないか?
八王子に赴任してきた大久保が松姫の存在を知り、個人の支援の後、
家康が知ることとなって、家康も松姫たちの面倒をみたんじゃなかったか?
寛政期からみたら結果的にそういう見解にしたのかもしれんが。


221 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 15:48:19
てか、そもそもその尾張って戦国期の尾張?
江戸期の尾張?

222 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 15:48:46
>>216
アジールってご存知?
当時寺社に逃げ込んだ存在は俗世権力は手が出せなかった。

これを否定したのが信長。しかしあくまで信長の権威権力が宗教を上回った
から可能になったのであって、全ての俗世権力(戦国大名、武将)がアジール
を否定できたわけでも、拒否られたら焼き討ちができるわけでもない。

223 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:03:52
>>222 じゃあ信長軍がきて焼き討ちするだろう。見せしめにな。
恵林寺が焼き討ちされたの六角義弼の引渡しを寺が拒否したことに
かこつけた見せしめ。


224 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:11:03
義経は寺にこもったけど、自害するまで追い込まれ、寺ごと焼かれたよな・・・

225 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:15:12
>>221 どっちでもいい。どっちにしても信忠はいなかった。

226 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:19:17
北條と織田を一緒に考えるとはめでてー頭をしてんだな。


227 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:22:05
>>224 そうそう、延暦寺も信長に焼き討ちされる前に何度も時の権力者と
争い、焼失してる。細川政元も延暦寺を攻めて一部灰にしてるしな。


228 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 16:24:37
>>226 北篠とはなんぞや?ひょっとして「北条」のこと?
かなーりめでてー頭をしてんだな。

229 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 17:14:50
条の旧字体が條だし書簡でも両方が見受けられるから
後北条(便宜上そう呼ぶ)に変わりはないと思われ
寺の焼き討ちも個人の宗教観や情勢などが左右するから
やる人間もいればやらない人間もいた。

で、後北条の絡みだけど当時の織田と北条の関係からすると
織田から武田や小山田の残党を見つけたら出してねという
要請が出されていれば別だが、そういう話が無ければ
さして何をするわけもなかっただろう。あくまで北条領国内の
ことだからそこまで織田が干渉することもできない。
だから存在は知っていても氏照があっそと思えばそこまでの話。
自ら火種に近づくことも無かっただろうしさ。

230 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 17:53:40
>>229 ぷぷっw 旧字体だってさ。負け惜しみばっかり。

結局のところ松姫は氏照に存在をスルーされ、織田家に密告されることもなく、
身の危険は回避されたわけだろ?「アジール」のおかげで。
ということは、危険を冒してまで信忠のいない尾張に行く用事はないわな?
つまり『寛政重修諸家譜』 第十八巻の下嶋の政茂 の箇所は
捏造だと思われても仕方ないなw

231 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 17:59:08
織田方の連中が勝手に相模領にまで入って残党を追ってることを
氏照はよく思っていなかったという話があの周辺にはあるらしい。
真偽は全くの不明だけど。
北条も織田への接近については家内がまとまっていなかったり
実際北条に匿われた武田や小山田残党も少なくなかったらしいから
あながちかもなんて思ってみたりして。

232 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 18:57:24
下嶋政茂って本当にいた人物?
くぐっても情報があまりに少ないんだが。

233 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 23:54:25
軽輩のことだしなぁ・・・

234 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 13:41:13
山本勘助同様創造上の人物と思われ

235 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 14:02:29
「おんな風林火山」でしか出てこない人物だな。

236 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 16:48:32
>>233
遺臣のほとんどは依田氏・保科氏など一部を除けば軽輩ばかり

237 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 18:27:49
下嶋の行動なんて、自分の家の先祖自慢のための家系図箔付けだと
ずうっと思ってたけどね。
単純に考えて、あの混乱の時期にそんなドラマじみたことできるかよ。
街道はどこを通ったのか、供の人数、構成は? 松姫は徒歩?輿?
また、他にそれを示唆するような文献なり、
ましてや「伝説」さえも無いのに、その件がさもあったことのように
2ちゃんで語られ始めたのが不思議だったよ。

信忠と松姫の逢引にしたってそうだな。
三法師の母が松姫・・・なんて与太説も言語道断だ。
あの滅茶苦茶な説を必死になって唱えてた奴、今なにしてるんだろう。

238 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 18:54:49
>>237 松姫と信忠の空想物語は、冗談ぬきで「おんな風林火山」の影響が大きかったのかも。


239 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 20:38:32
松姫伝説自体は八王子〜神奈川県北西部にかけてきちんとあるよ。
松姫のかは断定されていないけど桧原村では武田菱の入った
手鏡などが発掘されている。
下嶋については箔をつけるためにと思ったりもするけど
だったら保科正之につけられたといわれる高遠遺臣や千人同心の誰かを
使うんじゃないかなと思ったりして。大久保長安はその死体が磔に
されるほど家康の怒りを買った事件が有名だし連座して大久保家は
ほとんどが切腹させられてもいるから、汚名を晒すことはあっても箔を
つけることはまずないんじゃないかな。

240 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 20:50:05
甲斐から八王子に落ち延びてきたのは事実なんだろ?
ただようやく落ち着いた八王子から、3ヶ月足らずでまた尾張に
旅立って信忠に会いに行くか?しかも信忠は尾張にいなかったぞ?
となるので、それは嘘なんだろうけど。

241 :237:2006/10/25(水) 21:08:27
>>239
多摩地区の生まれ育ちなんで、甲武に残る松姫の逃亡路伝説は
承知してるよ。
ただ、下嶋氏の家伝承が胡散臭いという事。

242 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 21:19:31
最終目的地が尾張じゃなかったらという選択はここの住民はないらしい。

243 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 21:28:45
尾張まで行って本能寺を知ったとなっているだけで
尾張が目的地とは書いてないね。
また、信忠がきちんと自分の城の奥に話しを
通していたかどうかも分からない。
勝手に行ったのどうのといっているが、
もしも、信忠と打ち合わせの上で向かったのなら
信忠がいようがいまいが、城に迎えられて待っているという
手はずになっていたとも考えられる。
信忠が死んでしまったわ、戦になって織田家中混乱だわの中で
八王子に落ちたと考えられもする。
あと、八王子に落ちたあとに尾張に向かったという事も
書かれておらず、八王子に落ちる前に向かったという
説もあるので、その辺の事は分からない。

否定も肯定もしないが、ちょっと考えれば
この程度書けるくらいには、いくらでも選択肢があるだろうに。

244 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 22:15:38
>>243 
だいたい信忠が妻としてもらいたいというなら、織田家嫡男の正室に
相応しい待遇で迎えるのが普通だろうに。
当時の嫁取りは政治問題そのものだから、こそこそ奥だけで決められることじゃ
ないんだよ。
それに信忠は中国攻めに行くわけでいつ帰れるかもわからず、
自分の生死の保証もない戦にいくんだぞ?
そんな状態で松姫を無責任に呼び寄せたりするわけないだろうが。
しかも信忠がいつまで京都にいるかも自分自身だってわからん状態だったんだぞ。
すぐにでも秀吉の援軍に行く予定だったんだから。
尾張でなければどこに呼ぶつもりだったというんだ?
行く予定になっていた備中の高松か?

ちょっと考えろという前にもっと当時の織田の情勢を勉強しろ。
君の提案している選択肢はどれもこれもありえなさ過ぎる。

245 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 22:51:36
普通に岐阜によびよせるつもりだった。
ふさわしい待遇で迎えるためにも、まず織田家の庇護下に入れる必要があった。
(身寄りのない女を仰々しく飾り立てるために)
別に想像でよければ、これくらは思いつく。ありえないというほどではない。

246 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 23:19:50
尾張には犬山に顔見知りだっただろうにの勝長がいたし
犬山近郊には織田の奥向きに詳しかったと思われる信長乳母の
養徳院もいたから、庇護場所としてはここらは最適なんじゃないかな。
突然、岐阜城に入れるよりワンクッションがあった方が旅の疲れも
癒せるし、連れている遺臣(下嶋以外にもいたと思うんで)の
様子を見張れる。うまくすれば甲斐の国侍等情報も聞き出せるだろうし。
あくまで憶測の範囲だけどね。

247 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 00:11:31
そういや勝長は信忠と違って尾張に戻っていたっぽいね。
信忠も安土に行く前に道すがら岐阜に立ち寄ってるだろうから
留守役にそれなりの話を通していても不思議ではない。


248 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 10:09:23
まず、下嶋家の家伝に信憑性があるのかを考慮してから
行く先云々を考えるべきだな。
あと、織田家サイドに松姫を迎える用意があったような事跡も
見当たらず、八王子周辺や信松院にもそんな伝承が無い。
松姫とて旅程の危険を冒してまで信忠のもとへ向かう理由もないし。

>>245
>身寄りのない女
って、信玄の娘には変わりないぞ。その点についてなら・・・
嫁入りの支度をするなら、(本能寺の変の前なら)穴山梅雪も健在
異母姉の梅雪夫人もいる。話をとおすことも良かろう。
木曽義昌夫人とているんだ。
滅びた武田の娘といっても、時流にのった血縁者はいる。
信忠の庇護下の置くまでの事前の保護なら、依頼はできるだろう。

北条氏照は4月の時点で戦勝祝いに信長に鷹を贈っているぞ。
松姫を改めて正室にと思うならば、滅びた隣領の姫の保護くらい
容易に頼めるであろうし、もっと公にしたって不思議はないよな。

信長の後継者の妻になろうというなら、
他の記録に何も残されていないような供をつれてお忍び的にしなくても
方法はいろいろとあったはずだな。

憶測に憶測で応えてしまったけど、
なんで松姫と信忠をこうも繋ぎたがるのか不思議だ。

249 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 10:33:42
信長が朝廷倒してどうのなんていう奇抜な政権構想ではなく
家康みたいに自分は後ろで糸を引けるような構想だとしたら
次代の嫁は変に力がある実家持ちより実家がないもしくは
しゃしゃり出てこれない、かつ、それなりの家格の方が
都合が良かったのではないかな。そういう意味では松は
最適の一人だと思う。腐っても鯛ならぬ滅んでも武田家。
立場は正室か側室かはわからなけど、実家没落どうのなら
庇護下においた後に信長と懇意だったと思われる三條西家を通じて
いろいろこじつけて三條家の養女にねじこみ、信忠に嫁がせるぐらいの
考えを信長なら考えそうにも思う。

250 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 10:39:30
>>248
氏照(というか氏政)が鷹を贈ったけど不興を買っているんだが…。


251 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 11:08:45
木曾夫人もこの頃はまだ旦那に抗議の意味合いも込めて
山中に籠っていたようだし、穴山がいても徳川配下でもはや
徳川家家臣みたいなもんだからな。芦名でいう小笠原みたいな
客人とは訳が違う。

252 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 11:52:23
>>251
以下の推論は、松姫が織田家に向かうのだったら、
こういう方法も考えられるじゃないかと言う>248のレスへの
反レスについての応答レスのようなものとして書く。
自分は松姫の信忠行きは無かった、と思ってる者だからね。

穴山の正確な位置付けが徳川家家臣かどうかはともかく、
それならなお更、織田家の意向が浸透しやすい関係じゃないのかね。
安土、堺訪問は、家康の同行者としてでもあるけれど、信長の招きだろ。
梅雪といえば家康に差し出した下山殿・お都摩の方の例もあり、
自分の係累が織田家の室になるのだったら、
天下の権力者と繋がりが出来る、喜んで輿入れの準備しそうだが。

あと、木曽義昌夫人を頼るとは言っていない。
>身寄りのない女、という語彙に引っ掛かって
親類縁者ならまだまだ健在だろうということを言ったまでだよ。
それと、木曽義昌夫人が山中に篭る・・・という境遇は
下総での一万石没収後の晩年以外にもそういう行動が記録されてるのか?
その話は何に載っていたのだろうか。

253 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 13:01:22
何かと言い訳がましい奴がいるな。ここにはw

254 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 13:26:19
はい。うんざりして反論する気も起きません。

255 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 13:50:01
塩川氏が正室だとか言ってたやつだったりして

256 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 16:54:27
>>253
言い訳ととるならそれはそれで、
その言い訳者にも納得できる理由を呈して欲しいな。

わざわざ名の知れてない家臣が、あの混乱の時期に
武蔵から尾張方面まで連れて行こうという・・・
二人をとりまく当時の環境を踏まえて、
誰の主導で?何のために?疑問譜が多くつくのは当然だろう。

>>255
塩川氏に関しては信忠の子を産んだ側妾ととらえてるけど?
自分が塩川氏贔屓で正室にしたいがため、
松姫の尾張行きを否定していると思っているなら、了見違いだよ。
話の土台が違う問題にひっぱらないでくれ。

257 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 17:06:23
>>249 
確かに信忠で考えればそれもありかもね。 
自分の血縁をどこかの家の養女にして自ら公家界に入り込むようなあからさまな態度に出て 
公家達の反発を買うより大義名分というこじつけとはいえ比較的反発を買いにくい方法で 
松姫が公家の養女にできるなら、それを利用して養女にしてから信忠に嫁がせれば 
自然と公家界に信忠は入り込むわけだし。武家の名門と公家の名門、 
両方取れて信忠の代にはウマーな状況かも。前例をかざして三条夫人が嫁いだ時みたいに 
朝廷から勅使を出させればより箔もつくわけだし。 
 
と過大な妄想をしてみました。

258 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 22:19:04
なるほど。なかなかおもしろい。

259 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 23:36:33
織田家が松姫の輿入れを望んでいたという仮定の上にたった妄想。

260 :258:2006/10/27(金) 00:02:57
そんなことはわかりきった上での返レス。

261 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 01:02:25
松の輿入れを望んでいたかいなかったかすら
分からないのに、望んでいた仮定の上に立ったら
駄目とする理由が分からんなぁ。

262 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 08:22:54
ですよね。両方の見方があってもいいと私は思います。
これからどう動くかの直前に本能寺が起きてしまったのが
かなり痛いですね。

263 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 14:55:10
信長にその気があったなら、織田家嫡男の正室に相応しい待遇で家来を付き従え
豪華な輿をやって丁重に迎え入れただろう。
それがこそこそ名もない侍従を連れ、こっそり安土の城の奥に迎える?
それだけでも松姫の輿入れを望むどころか頭の片隅にもなかったということさ。
戦国期の輿入れは家と家の問題。実家がなくなり、後ろ盾ののなくなった
松姫には正室になる資格すらなかったというのに、そういう武家の常識を
きちんと認識してから妄想してもらいたいもんだ。

当主である兄を京にさらし首にされた姫などではなく、これから反対勢力になりそうな
九州、中国の有力大名から信忠の正室を政略的にもらうつもりだったというなら
まだ妄想も理解できるがね。

ただ100歩譲って信忠が個人的に哀れんで側室にして面倒をみる
気があったという案は考えられなくもない。
でもその場合生涯松姫という身分を伏せ、どこぞで見初めた下級武士の
身寄りのない娘、という位置付けだったろうな。

両方の見方なんてありえないんだよ。
一方的な武田寄りの都合のいい妄想にすぎないのさ。

264 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:29:00
本能寺の変の時三法師は2才だから、信忠がその後正妻をもち、その間に
男子が授かればそっちが嫡男になっただったろう。
そう考えると信忠の正室はそれなりの家柄からもらわないといかんな。
島津、毛利などの大名も考えられけど、奥州だって可能性は捨てきれない。
信忠には敵対勢力との縁組で、その子の代から摂関家や宮家との縁組で
嫁の実家に権力なし、しかし権威と格式はある、という図式の嫁鳥取り
になっていったように想像する。
ようするに、徳川将軍家とまったく一緒のパターン。

265 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:52:44
【警告】

史料もとづく憶測、推測はOKですが、
たんなる希望的観測や妄想はなるべくご遠慮ください。

スレッドの主旨を守りましょう。

266 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 15:53:40
そうなると佐竹とか最上あたりかな。
でも、そう考えるとなんだかんだ言っても一番無難なのは
とりあえず武田なんだよね。あの時点では結局ねw
滅んでいるからこんな都合がいいことはなし。
三條家との縁組とそれに伴う勅使を立てた前例もあるから
公家や朝廷へ前例ないとは言わせないという強みもあり
信玄の娘に変わりないと養女ねじ込みも十分可能。

267 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 16:09:02
>>266 あの時点だったからこそ武田はありえない。
だってまだ天下統一してないから。
嫁取りは大事な戦の戦略。そんな大切な手を武田の姫につかう価値はない。
どうしても松姫を手元に置きたければ側室で迎えれば充分お互いの
利益を享受できたわけだから。正室と側室の意味合いが全然違うんだよね。

それと松姫を公家の養女にしてから娶るという考えもまったくのナンセンス。
いったん養女にしてしまったら、武田とは縁切りという立場での嫁入り。
それでは意味が無いんだろ?
武田の姫というところに価値をおくなら、その考えこそ否定するべきだよ。
養子縁組をするとあらたな養い親の家から嫁ぐことになり、
武田の血はつながっていても武田の姫扱いはされないから。

268 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 16:16:18
>>257 >>266
公家との養女縁組にこだわりたいみたいだけど、
武田家と転法輪三条家の婚姻とは情勢も公家に対する考え方も違うだろ。

信長の行動からして、今さら公家の権威をありがたがると思う?

269 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 16:41:05
「気の毒な松姫を側室にして庇護する」というありえそうな妄想ではなく、
まわりくどく「公家に養女にだしてから信忠の正室に迎える」という無理矢理な
妄想になるのだろう?

それと>>247では勝長が尾張に戻っていたっぽいということだが、
なんの史料にそう書いてあったのか知りたい。信忠付与力の勝長が
中国攻めを前に信忠の元を離れて単独行動をしたとは思えないのだが。
二人は二条御所で共に自刃しているわけだしな。

270 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 17:35:33
史料、文献の提示を求めると、とたんに黙り込む妄想民。
反論できない場合に完スルーを決め込み、
うやむやに終わらせるパターンも有り。

271 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 18:33:05
一文無しで実家がなくなり、何の後ろ盾もない貧乏姫様の松姫。
松姫ファンは苦肉の策で公家に養女という形で「公家の姫」の衣を羽織らせ、
時の最高権力者の嫡男の正室として結婚させたいわけよ。

そうそう、家系図で織田信忠の室と記載されていた件だけど、図書館で
織田家の家系図をいくつかみたが、どれもこれも違うんだ。
子供の数が違う、兄弟姉妹の順番が違う、信忠のところに「室松姫」
の記載がないものだった。
織田家だけでも10以上の家系図があるそうで(恐らくもっとたくさん)。
家系図は2級史料の参考程度のものでしかないということなんだな。
幕府公認の家系図だって格藩で江戸期に提出した資料をもとに作成した
わけだから、たまたま提出したのがその史料だったというだけだろう。
俺が見た史料のなかには勝長が信玄養子と記載されているものもあったが
その事実はない。勝長は遠山家の養子になったのは事実なのにその記載も
ないものもあった。
後年作ったような家系図はしょせんその程度の信憑性ということだ。
松姫ファンもそんなもので浮き足立つなよ。

272 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 19:20:36
>>271
自分は松姫ファンwだけど、
彼女の人生に過剰な劇的さは求めていないよ。
むしろ、好きだからこそ信憑性の乏しい伝承や
悲恋話に疑問を持っている。
こういう松姫好きは他にもいると思うけど。

織田の家系図について、
色々と調べたことを書いてくれてありがたいです。
幕府に提出した家伝の系図といえど、
提出時の事情や背景で内容も違ってくるだろうし、
幕府側がいちいちその申請内容を検証してたわけでは無いよね。

その人物が好きゆえに飾りこみたい気持ちがあるのだろうけど、
一つの伝承や系図のみを頼みに、他系図には目を向けず
憶測ばかりで語るのはいただけないと思ってるよ。




273 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 19:42:29
実家が滅び後ろ盾もないが名家というだけで生き延び
江戸時代には高家になった氏真という人もいるから
滅びたとか後ろ盾とかはあんま関係ないと思う。

274 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 20:13:32
>>273 武家や貴族社会に限定すると、男と女では全然違う。
女は嫁ぐ前は家の父兄に庇護のもとにあり、嫁いだら夫と嫡男の庇護におかれる。
女の縁組は実家の格と経済状態で相手が決まり、父親や後継ぎの後ろ盾がない女は
嫁ぎ先も制限された。
こういった特権階級の女性の結婚事情は戦国期にかかわらず、戦前まで続いていた。

松姫のような女が表舞台で生き残るとしたら、それなりの権力者の側室となって
子供を産むことだけしか道は無かったろう。正室は家と家との縁組だが、
側室は正室に腹を貸すだけだから、名家だろうと卑しい出自だろうが
関係なくなれたから。

日本の歴史を語るには「家制度」「家長制度」ぬきに語れない。
関係ないどころか、日本の歴史はほとんどがその制度の上に
なりたっているんだから。

275 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 20:22:29
今川氏真と松姫を同じレベルで語ってるやつがいてびっくりした・・・・・

276 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 20:58:30
>>263
織田信長は、実家が滅ぼされて(正確には別流に支配されて)政治的後ろ盾を
失って価値のなくなった濃姫を正室として遇し続けてますよ。

277 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:30:32
政治的後ろ盾も無くなってというなら上杉景勝もだな。伊達政宗も同じ。

278 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:40:53
>>276 
当たり前じゃん。信長正室として正式な婚姻関係があるんだから。
結婚後は織田家の庇護のもとに生きていくのは当たり前だ。
濃姫が信長と結婚した頃は圧倒的に斉藤家の方が勢力があっての縁組だったし、
織田家がぜひにと望んだ婚姻だったのは、全て斉藤家の後ろ盾あってのこと。
もし縁組前に武田家が滅んでいたら当然織田家との縁組はなかっただろう。
それに実家が滅んでも織田家嫡男を養子にしている濃姫は堂々と
織田家で女主人としての立場を維持できてたよ。

実家の後ろ盾のない松姫はまともな相手とは婚姻関係を結ぶ資格がないと
言ったつもりだけど理解してもらえないようだね。
仮に信忠の正室で織田家の人間だったら武田が滅ぼされても
織田家の正室として堂々と君臨し続けられただろうにな。

279 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:44:40
>>277 大名夫人なら、築山殿、江与の方、ガラシャもだな。
江与は秀吉が後ろ盾になっているから徳川家に嫁げたんだろうけど。

280 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:52:43
>>276
濃姫、築山、ガラシャ、景勝夫人、政宗夫人はいづれも嫁いだ時点では
実家に力があって婚姻をむすぶ意味があったが、松姫は嫁ぐ前に実家が滅びたんで
織田家からしてみればわざわざ嫡子の正室に迎えるだけの価値がなくなった。
濃姫は比較する対象にならない。


281 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:54:10
これまた凄い断言だな。どこぞの家に養女という手もあるだろうに。
大名筋なら例えば佐竹、一門筋なら例えば穴山、秋山、逸見
母方実家の川窪等
平安あたりからそうだけど、実家が没落ないし後見がいない
家格が釣りあわない場合等は養女にして嫁がすという手を
まま使ったりしたそうだ。

282 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:57:37
>>281はどれに対しての意見?

283 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:03:14
>>281 そこまでして松姫にこだわる理由はあるか?
養女にしたら武田の姫が穴山に姫、秋山の姫、逸見の姫として輿入れになり、
格下扱い。せっかくの武田の血は無視される。
武田の姫が欲しかったら実家が武田を名乗ってなきゃだめなんだよ。

284 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:04:09
>>280
いちいちageてんじゃねーよ。
価値がない?甲信を丸く治めることと武田遺臣集めとという
重要な役割があったんじゃねーか?
釣りであっても滅亡したり没落した家を再興させるっていうのも
統治する上に案外重要だったりするんだぞ。特に古くから長いことそこを
治めてきた国人集中地域はな。

285 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:05:24
>>281
織田家にとってそこまでして松姫を迎える意思もその必要もない。
何で松姫オタは無理矢理でも信忠とくっつけようとするの?

286 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:06:11
>>284
ageたぐらいでごちゃごちゃ言うな。

287 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:12:43
実際のところわからないのに断言的に書くから突っつかれることに
いい加減に気づいたらどうですか?

288 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:13:58
>>284 そんなこと言ったら、滅ぼした国の姫をその都度正室に迎えないと
その国は統治できないわけか?国人衆はね、利害関係で時の当主と
強く結びついたり、あっさり離れてりしてきたんだよ。信玄の時代から
そうだったろ?その後甲斐を治めた家康はどうだ?松姫がいなくても
立派におさめたぞ。武田家の姫を二人「側室」にしたが、どちらも
正室にはしらおらん。当時家康には正室がいなかったにもかかわらずだ。
松姫には織田家嫡男の正室になるだけの価値がないというのは
紛れもない事実だったんだからしょうがないだろ?

289 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:14:42
>>287
実際のところわからないのに自分の妄想を書くから突っつかれることに
いい加減に気づいたらどうですか?

290 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:20:46
>>280
景勝と政宗のかみさんの場合はどう考えても違うだろ。
特に政宗のかみさん実家なんて佐竹や芦名に押されまくって
実力があったとはとても思えん。
正直もっともらしいこと書く割りに(ry

291 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:21:55
>>288
実際後に甲斐を治めた家康にしたって側室こそ迎えたが、そこまで気を使わなくても
うまく甲斐を統治してるぞ。武田遺臣にしたって織田に遺恨を持つものは
少なからずいるだろうが、より強い者が現れればそちらに靡くのが戦国の常。
すでに滅びた武田家に忠義立てする物好きはほとんどいないよ。

むしろこれから平定する中国以西や東北の大名、もしくは朝廷から迎えるという
選択肢の方が織田家にとってメリットがある。
亡国の姫をわざわざ正室にする意味なんてないんだよ。

292 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:22:37
>>288
家康の側室になった「武田家」の姫って誰?

293 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:25:04
>>291
ホント馬鹿なんだな。
まがいなりにも大名家として存在してるし、伊達家にとっても
葦名家に対抗する上で結ぶ政治的意味はあった。
この意味で家が滅亡した松姫よりも濃姫や景勝夫人に近いんだよ。

294 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:25:59
>>288
>>291

295 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:26:12
×>>291
>>290だった


296 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:27:55
本スレから来たけど荒れてるね

297 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:29:23
だ・か・ら武田家の姫って誰?

298 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:32:00
>>290 政略結婚は必ずしも対等な力関係から生じるとでも?
当時の伊達家は弱小大名を事実上の配下におくためにどんどん縁組してたんだよ。
愛姫の祖父母も伊達の先代の姫。当時の田村は伊達あってのお家存続だった。
だからぜ〜んぜん不思議じゃない縁組だよ。
織田家だって濃姫との縁組の時点では圧倒的に斉藤家>>>織田家だぞ。

299 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:33:17
>>297
武田信吉の母だな。
正確に言うと武田縁者の娘。

300 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:36:00
>>297 武田家縁の姫だろ?下山殿とお牟須。正確には武田家臣の姫。

301 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:39:08
武田新吉の母親は秋山の姫だったが穴山信君の養女になってた。
穴山の実母は武田信玄の姉で、妻は信玄の姫だったから
一応は武田の姫に準ずる立場だったのに、側室だったな。
下山殿の義母の穴山夫人のおかげで子供に武田姓を賜ったんだろうと思う。

302 :日本史@名無史さん:2006/10/27(金) 22:43:49
滅びた家の姫は、いくら名家出身でも側室がせいぜいだろうね。
諏訪御寮人しかり、淀殿しかり、三の丸殿しかり……
信忠が生きていたとしても、松姫もそうなるだけ。


303 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:44:36
それは武田家の姫とは言わないんですが?

304 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:44:58
>>301 秋山の実子、穴山の養女でも家康の側室にしかなれんわけだな。
じゃあ>>281の案なんて無理じゃん。松姫が秋山の養女になっても
穴山の養女になっても、織田家嫡男の正室なんて絶対無理じゃん。
残念!

305 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:45:45
303は>>299-301

306 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:49:13
>>302 諏訪御寮人も淀君も三の丸も正室がいたから仕方ないというのも
あるけど、じゃあ正室がいなかったら正室になれたかというと無理だったろうな。
敗戦国の美女は勝者の側室としておかれることがお決まりだもんな。

307 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:50:17
織田家内≠徳川家内他
何でもかんでも一緒にするのは良くないとオモ
諏訪も淀も三の丸も正妻がいたから側室なのは仕方なし。
いなかったらどうなっていたかはわからない。

308 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:52:06
>>274 >>275
禿同。
れっきとした守護大名家の元当主と、姫一人では比較にならない。

>>281
281がどの意見に対するレスか不明だけど、
松姫に関しては養女云々の痕跡が無いから、仮定されてもな。
あと、家康側室の下山殿・お都摩の方(妙真院)は秋山虎康の女で
穴山家から家康のもとにいったことくらい、知ってる人は多いぞ。

>>284
285と288をよく嫁。

309 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:55:11
>>307 ループするが、諏訪も浅井も京極もああなっちゃったら
大将の側室になれただけでもラッキーだったよ。
京極殿は秀吉に土下座して弟の命ごいと引き換えだぞ?
諏訪も淀も家臣や身内の保身のために側室になったようなもんだ。
正妻にしろという立場じゃない。

310 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:55:21
>>301
下山殿・お都摩は側室ではあったけど、
家康の侍妾のなかでは「殿」付けされて、
地位は高いほうかと。

松戸の本土寺に水戸家の建てた立派な墓があるしね。

311 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 23:00:12
>>310 でも側室は側室。嫡男を産んだわけでもなく、その他大勢の側室の一人。
確かに一応出自がわかっている側室の中では下山殿が一番名門の姫といってよいと思う。
武田姓を与えたのもそのことの影響は否定できないけどね。

312 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 23:07:17
>>311
あのー、側室としての下山殿の説明をしただけなのに、
>でも側室は側室。
なんて、きつい言い方されても困るよ。


313 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 23:15:41
最初から読んでみたけど都合よく解釈してるのが暴走していてワロス。
ぶっちゃけ前後のレスが噛み合っていないというか
すり替えられているというか。

まぁ、なんだ。実際の戦国時代なんて正直誰もわからない。
絶対あり得ないとも言えないしあり得たとも言えない。

314 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 23:18:13
松姫に関する信忠とのくだらん妄想話は付き合いきれないけど、八王子で
苦労して姫たちを育て、旧武田衆の心の拠り所となって生涯を終えたという
話の方がよほど興味がある。あの時代の深層のお姫様では考えられない
人生だ。いいかげん、舞台を八王子に移したいんだが…

315 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 23:20:04
戦国の姫さまは深層じゃないだろ

316 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 23:28:19
ごめん、「深窓」・・・。




317 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 00:03:19
これみろよ。もろ捏造だぜ
http://ime.nu/www.youtube.com/watch?v=-oi7cDsK1L4

318 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 00:04:40
あー。少し落ち着いたか。

でも、以前のこのスレで下嶋氏系図の添え書きの信憑性の怪しさは
充分に指摘されていたのに、また蒸し返しだったな。
他にネタもないからループするんだろうけど。

>>314
その後の信松尼といえば、保科正之と生母・お静(志津)の方との
関係が目立つことの一つかな。
ともに甲斐から逃れた三姫のことについては概出だよね。
仁科盛信の姫は尼になって八王子に留まったけど、
早世して気の毒なことだった。




319 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 01:48:26
下嶋の添え書きの信憑性が怪しいなら寛政家譜集そのものも
怪しいことになりかねない。そうなると史学で使われている
家系図も全て怪しいから史学の一部は崩壊しかねない。
とんでもない発見をしたんでつねw

320 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 02:01:01
>>318
ループさせたいの間違いだろw
人の意見には耳を貸さず自論を押し付けるオレ様くん。

321 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 10:02:33
>>319 >> 271にあるように家系図は2級3級の資料なんだよ。
ある程度信憑性のある史料と照らしあわせて人物を特定する
作業に使うけど、確かに子供の数が違っていたりは当たり前。
まったく一緒のものは存在しないかも。
有名な大名や公家の家系図なんて全国に何通りもあるよ。
例えば松姫が信忠室と記載されているものは、
二人が婚約中に見切り発車で書かれた家系図に継ぎ足されていったもの。
明らかに捏造とはいわんが、信憑性はその程度と思っていればいいのさ。
別の言い方をすれば、「信忠室」とあるから二人に結婚の実態があったはずだ!
と主張すれば、笑いものにされるよ、ということ。

322 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 10:42:01
>>321 すでに松姫妄想オタは笑いものになってますだw

323 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 11:06:12
まぁ、織田家が幕府に提出した系譜(「寛政譜」)では、はっきりと
「(正)室は武田大膳大夫晴信入道信玄が女」となってるけどね。
後世においては当の織田家でも公認されているって事でしょ。

324 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 11:23:06
>>323 だからその認識でいると笑いものになると言ってるのに。
公認もなにも正室になった実態がないのは後世では武田家からの史料でも
織田家からの史料からでも明らか。
家系図と数点の史料を照らし合わせて確かかどうかを考察するもんだよ。
家系図だけでそう主張するのは歴史を語る資格のないド素人ですな。

325 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 11:27:19
信忠と信玄の娘との正室としての婚約がなったが、織田家と武田家
との手切れ、武田家の滅亡、信忠の本能寺の変での戦死に伴い、婚
約が履行されることは無かったって事でしょ。何の問題もない。
信玄の娘が武田家滅亡後、信忠を追っかけてったなんて話は全く別
問題。

「寛政譜」の記述が正しくないと反証するなら、一級史料じゃなく
とも「信忠の正室は別人である」であるとい史料を提示すればいい。

326 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 11:34:55
>>325 婚約と婚姻とでは全然違うでしょ?
婚約中に婚約破棄になったのに、どうして信忠の室という記載があるの?
そこがおかしいでしょと言っているの。
輿入れせいずに、室扱いなどしませんので。
正式に婚姻関係にもない相手を家系図に「室」と記載している
家系図のどこに信憑性があると言えるのでしょうかね?

それとも正式に婚姻関係にあって、松姫が織田家に輿入れし、
信忠とともに夫婦として織田家の城で暮らしたという
史料でもあるのですか?
あるなら教えてくださいな。



327 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 11:41:41
正式に婚姻が履行されはしなかったが、織田家としては正室と「認識」して
いたって事でしょ。当の織田家がそう認識しているのだからしょうがないで
しょ。

328 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 11:57:23
>>327 信長の時代がどうだったかの真実を知るための家系図でしょ?
当事者の信忠が見に覚えのない正室が存在してたったこと?
それならその当時のことに関して他のこともまったく信憑性のない
家系図だということになる。
それにその家系図だったと思うが、
勝長が武田晴信養子という記載もあった。
勝長は信玄と正式な養子縁組などしていない。
養子扱いの人質になっただけ。
しかも遠山家への養子縁組のことなどは記載もされていない。
そのことをとってもいかに家系図はアバウトかということがわかるわけだ。

家系図とはしょせんその程度の参考資料にしかなりえないということを
言っているのに、なぜいつまで松姫の記載にこだわるのか
理解できないね。

329 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 12:04:52
現代人の感覚では理解できなくても、そう認識してる事実があるんでしょ。
かくたる反証史料もないのに、うけうりの一般論を振りかざすのは危険で
すよ。
理解してほしいとも思わないし、させる必要もない。
一資料を提示しているだけです。どうとるかはスレを見てる人におまかせ
します。

330 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:07:01
>>327 武田家の家系図はどうなってるの?織田家嫡男の室になっているという
記載があるの?婚姻関係にあったなら両家が合致してないとな。

331 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:14:52
>>329 反証史料は織田家関連史料全てということだよ。
どっこにも信忠と松姫の婚姻の実態の記載がない。
松姫の輿入れの記載も、その後いつ武田に返されたのか、帰ったのか
もどっこにも書いてない。ゆえに二人は婚約段階で破棄なってそれっきりの
関係ということ。

武田方の史料にはどこかに松姫が信忠に輿入れしたという記載のあるものが
あるの?あったらぜひ知りたいから教えてくれと言ってるんだけどね。
ないんだろ?

それと松姫のことが事実という認識なら、勝長のことはどうやって
事実と認識させるの?勝長が遠山家の信長伯母の養子になったことは
いろんな史料にもあるのに、どうして記載されてないの?
晴信の正式な養子になったという武田方の史料はあるの?

矛盾だらけの家系図を事実とかたくなに信じられる思考が不思議でならない。

332 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:20:32
寛政譜の家系図って信長室が二人いるやつ?
濃姫と生駒。濃姫は信長死後も生きていたことを証明する史料が
ぞくぞくあるから、生駒が室になれるわけもないのに。
生駒マンセーが鼻息荒かったのはこのせいもあったわけよ。
作る方も適当すぎるんだよ。


333 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:24:53
室が正室の場合はあるけど、室=正室じゃないだろ

334 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 12:30:14
>>330
武田側の系図では記述によってニュアンスが若干違いますが、例えば群書本
の「武田系図」では「永禄十年十二月約織田城介信忠不約。為尼。」とあり
ますね。

>>331
不思議と思うならスルーして下さい。

>>332
「寛政譜」には信長の室は「斎藤山城守入道道三が女」としかありません。
見もせずに適当な事は書かないで下さいね。

>>333
「寛政譜」では室は「正室」の事で意外に区別して書かれています。
側室(妾)はその子の「母」としての記載されるだけです。
ですので信長の室の記載は道三の娘だけで、生駒氏は信忠の母としか
書かれていません。

335 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:32:10
>>332 でも生駒以外の側室の記載は誰もないんだ。
茶々などは「秀吉妾淀殿」という記載だったから
側室扱いなら「妾」と記載されただろうな。
なのでこの場合は明らかに正室として記載されていた。


336 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 12:32:14
訂正します。
「永禄十年十二月約織田城介信忠不嫁。為尼。」

337 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:35:50
>>334 俺は「寛政譜」とは断定してないぞ。お前こそよく読んでから書け。



338 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:36:49
>>334
「寛政譜」では室の区別はちゃんとつけてあるのか。
それなら室=正室のパターンなんだな。

339 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 12:37:54
>>337
ハイハイ。

340 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:40:19
「永禄十年十二月約織田城介信忠不約。為尼。」

これと信忠の正室だったということがどう証明されるんだ?
松姫が出家の理由をこの史料を書いた人物に直接語ったとでも?

341 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:40:57
>>334 勝長の件は?

342 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:43:23
松姫となると張り付いてくる人物がまたきたね。
いつもと同じパターンで、だんだん立場がやばくなると
逆切れして、荒れるし迷惑なんだよな。
あいかわらず松姫と信忠の幻の結婚に粘着しててさ。
いいかげんキモ杉。とっととでてって欲しいな。

343 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:45:44
松姫が出家したのは武田一族が滅んだ事を弔うためがメインでしょう。
なんで身内を滅ぼし、自分の国を奪った大将を弔うために出家するんだよ。
自分の身内よりも敵のために出家するような大馬鹿でいいの?

344 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 12:50:59
一資料を提示しているだけですよ。キモければスルーして下さいね。

345 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 12:54:07
>>343 松姫はな、甲斐が滅ぼされて命からがら八王子まで逃げてきたのに、
その後すぐにのこのこ敵国尾張まで信忠恋しさからやって来る大馬鹿だったんだよ。
だから、自分の兄や甥がさらし首にされ、家臣の多くが死に、武田家菩提寺を
焼き討ちされたのに、それでも信忠が愛しくて出家したのさ、チャンチャン。

346 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 13:00:10
>>345 今でいう「ストーカー」に近いもんがあったのかもな。
「私の夫は信忠様ただお一人!」と勝手に思い込んで、
アポなしで尾張までやってきたとか。

347 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 13:03:44
>>346
いや、それは無いでしょ。
その気になれば、信忠は武田攻めで甲斐に来ていたわけだし、その時に出頭
すればいいだけじゃない。

348 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 13:15:55
松姫のいる高遠城を信忠が総大将で総攻撃してるんだよな。
この時松姫の兄の仁科盛信は戦死したけど、場内の女子供は
落ちているはずだから(現に松姫は脱出してるし)、
どうしてこの時信忠のもとに命乞いに行かなかったんだろう?
信忠も降伏を勧告してからの総攻撃だったから、非戦闘員は
皆殺しにするつもりもなかったろうに。
後日信忠に尾張まで会いに行くというのはどう考えても不自然なんだけど、
もし二人にそんな気持ちがあったら落城の時に松姫が
信忠のもとに姫たちを連れて命乞いに行くというなら自然なんだよね。
そういうことが出来ない間柄、つまり同盟破棄後は織田家は敵になってしまい
兄を殺した憎い織田家の総大将、というふうに思ってたのかな。

349 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 13:50:09
>>334生駒が信忠の母というのも織田家関連の史料に明記されているもの
って実はないんだよな。
武功夜話と生駒家に伝わる書簡だけだそうだ。
武功夜話は言わずと知れた偽書だし、生駒家に伝わる書簡もなんだかなぁ。

350 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 13:59:30
生駒が信忠を産んだとされる根拠は、翌年に信雄、五徳と
立て続けに信長の子供を産んでいるので時期的に相当するというだけ。
あとの証拠とされるものは、全部生駒家の手が入っているものばかり。

351 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:04:04
>>346
八王子から尾張に向かったことじたいが
眉唾話だからなー

352 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:43:15
どうでもいいけどバロン曽志崎さんが御本家の濃姫スレにも
顔をだし、思いっきり無知をさらけだしているようです。
それこそ家系図にものってないような女を義龍の正室だとほざいています。

353 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:55:42
どうでもいいんなら書かなきゃいいのに。
そういう粘着の方がキモイよ。

354 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 18:20:39
>>353 本人乙!

355 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 18:43:39
ソース出せずに逃亡しちゃったみたいだね。


356 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 19:01:40
武田家の家系図では松姫は誰の室にもなっていなくて「信松院」とあるだけ。
つまり武田家では織田家に正室として松姫が輿入れした公認していない。
織田家が公認していたから事実なんだという言い分は通用せんよな。
なんで武田家の家系図のことは一切触れずにあんだけ言い切れるんだよ?

357 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 20:28:41
俺は「信玄の娘が正室として信忠に嫁いだ」史実があるとは言ってないでしょ。
当の織田家では形式上にしろ正式に公認していた事実があると言ってるだけ。
一般論で出典が系図だからといって叩くのではなく、反証資料を出して検討
してみたら?と言ってるだけ。
俺は系図・軍記の類でよけりゃ、婚約が沙汰止みになったという資料を提示
できるよ。
そうしなきゃいくら2chとはいえ、都合のいい脳内ソースだけで話しててもつ
まらないでしょって事。
例えば
「八歳にて織田信忠と婚を約し、十二歳の時絶婚、(中略)、親族婚を勧めれ
ども聞かず、十八歳にて薙髪尼となる。」とかね。

358 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 20:52:04
>>357 それならば
>>まぁ、織田家が幕府に提出した系譜(「寛政譜」)では、はっきりと
「(正)室は武田大膳大夫晴信入道信玄が女」となってるけどね。
後世においては当の織田家でも公認されているって事でしょ。

と発言する前にまず自分で「武田家家系図では公認されてない」という反証資料
を検討してから意見を書くようにしてくれませんか?それこそ都合のいい
脳内ソースだけで話をしててもつまらないよ。

それと婚約が破棄されたのは、信長が徳川に援軍を送ったという事実からだけで
充分証明できてます。同盟破棄になったので婚約破棄になったのだから。

なんだかあなたは何を主張したく、何を証明したいのかさっぱりわからん。

359 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:03:48
「八歳にて織田信忠と婚を約し、十二歳の時絶婚、(中略)、親族婚を勧めれ
ども聞かず、十八歳にて薙髪尼となる。」

1567年に婚約したからその時8歳なら、本能寺の変の時は
1582年だから23歳。本能寺の変があって信忠の死後出家したから
18歳で剃髪したというのでは全然計算が合わんが?

すでに怪しげな史料をだしてるし・・・・・

360 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 21:07:55
>>358
「寛政譜」云々は「松姫が記載されていない系図がある」に対し、江戸時代
の最も公的である系図に記載があるというレス。

>>信長が徳川に援軍を送ったという事実からだけで充分証明できてます。
状況証拠はあくまで状況証拠。推論でしかない。
同盟破棄になっても婚約破棄になっていない(普通考えられないが)可能性
は0%とはいえない。
二級、三級資料であろうとも、文書なり記録なりを提示するのが大事。

>>359
怪しい、怪しくないは資料を検討するのが大事。
婚約破棄が「否」なら、婚約遂行が「是」でいいの?

361 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:16:04
>>360 では婚約破棄をしていないという状況証拠ではない明らかな
証拠を提示してください。2級、3級でもかまいせんよ。文書なり、記録を
提示するのが大事なんでしょ?

あなたが提示してきた史料には年代の矛盾はともかく「十二歳の時絶婚」と
あるようですけど、これはどう解釈するの?この表現では婚約破棄は
決定ということ。だから親族は松姫に結婚を勧めたわけでしょう?
自分で婚約破棄が明確ととれる史料を提示してきて、とても矛盾した
主張をしているようですけど。

362 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:20:55
バロンさ〜ん、ここ戻ってたのね。
濃姫関連のスレであなたのこと探してましたよ。
ソースがどうたらとか、どこの一条さんだとか、早く行ってレスしてきてね。

363 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 21:22:30
>>361
よく文意を読んでください。
私は「婚約破棄」を否定していません。
一級史料による確定が出来ない以上、両説の資料を提示しているだけです。

364 :バロン曽志崎:2006/10/28(土) 21:28:54
>>362
複数の軍記資料に義龍と一条氏、その子がほぼ同時に無くなったとあります
が、あのスレッドに資料価値の低い軍記類を提示する必要はないでしょう。
興味のある人は、土岐氏関連あたりの軍記を参照してください。

365 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:38:12
>>363 
両説といっても、あなたが提出している資料は明らかに婚約破棄を証明するもの。
武田家の家系図も同様。
織田家関連の史料には松姫の輿入れに関する箇所はどこにも見当たらない。
織田家の家系図の記載だって、勝長一人とっても矛盾だらけの記載で
いくら公的なものといってもそれを信用するに値するものではない。

婚約遂行を証明するものは何もないですね。
松姫の墓も織田家とはまったく関係のないところにあるし。
信忠正室なら、織田家のものが同じ菩提寺に葬ってくれたでしょうけどね。

366 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:40:02
>>364 敵前逃亡か。卑怯だな。じゃあ何であのスレに書き込みしたんだよ。

367 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 22:21:25
>>359 こんなちょっと自分で計算すればわかるような矛盾だらけの史料を
えらそうにだしてくるようじゃ、あちらにいったら袋叩きだな。

368 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 19:44:07
もし松姫が正式に信忠と結婚していれば、武田家の菩提寺だった恵林寺の
過去帳に松姫のところに、「織田信忠室」みたいな記載があったはず。
寺の過去帳は檀家のことなら下手な家系図より確かだから。
でも焼けちゃったろうな・・・

369 :家康:2006/10/30(月) 19:53:33
松姫ハァハァ

370 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 22:46:37
織田家関連の一応信憑性の高い史料には松姫と信忠との婚約、
それにともなう織田・武田の同盟のことは一切かかれてない。
したがって松姫との婚約の事実すらなかったのではと推測している。
実際そのような話はあったのかもしれないが、具体化せずに終わったのだと思う。
松姫が何年も婚約状態のまま据え置かれ、織田家に嫁ぐこともなかったことも
説明がつく。婚約そのものの事実がなかったからだ。
三方ヶ原の戦いでは武田と同盟関係にないので武田と交戦中の家康に援軍したのだろう。
信長の養女と勝頼が結婚したことで武田、織田の同盟関係が
あったことは事実だろうが、遠山夫人が亡くなったことで
両者に同盟関係がすでになかったのだから問題はない。

と、織田家末裔の友人が力説してたよ。

371 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:19:20
三法師の母を思わせる資料は存在する。しかし、出典は教えられない。
まだどこにも発表してませんので。
でも、信忠の正室ではつりあわないでしょう。
あと、キリスト教の宣教師に信忠は一夫一妻制さえなかったらキリシタンになると
語ってることを皆さんご存知?

寛政譜の記述の論議になってますが、その織田家はただたんに公記を参照しただけ
ではないでしょうか。

義龍室一色氏は若狭か丹後出身ではなかったかと思います。
龍興も一色氏を名乗ってますが何か。

372 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 23:28:42
>>371 何のレスなの?大丈夫?

>>キリスト教の宣教師に信忠は一夫一妻制さえなかったらキリシタンになると
語ってることを皆さんご存知

信忠さん死んじゃったから誰一人そう語っていたのを聞いた人はいないよ。
あなたには聞こえたの?
明日にでも精神科に行って、↑と織田信忠さんという人が言っている
と医者に言おうね。今日はもう遅いから眠剤のんで寝なさい。

373 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 00:06:21
××の末裔から聞いたという話ほど怪しいものはなし

374 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 00:45:29
>>371
>しかし、出典は教えられない。
 まだどこにも発表してませんので。

何に対しての反レスか、または誰の事跡に関しての史料かくらい
ちゃんと書いてよw

>>373
また、いい加減な(自称)史料の存在を掲げた奴が
その史料の成立事情を聞かれても答えずにあいまいにスルーしたり
「門外不出なので、詳細は語れません」というのも良くある例だよね。


375 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 05:43:42
372は無知ですね。フロイスの日本史ですよ、出典は。信雄は父がキリシタンになるなら
自分も従うといい。信孝は自分はなかばもうキリシタンであると言ってます。
三人が南蛮寺を訪れた際に語ったもので三人の性格を表した比喩としてよく引用
されてると思いますがご存知ないんですか?一度読んでみては。

374さんいいかげんに思わせるようなかきこしてごめんなさいね。
史料は門外不出ではなく、見落とされてるか、専門家でもスルーされている史料
なんでしょうかわかりませんが、女性史研究している大学の教授は少ないから
ですかね。

376 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 08:34:28
>>375 ぷぷっフロイスか…
バテレンに好意的な人物のことはあからさまにもちあげ、反キリストの人は
ぼろくそに書いてあるあれね。あんなものを根拠にえらそうに…

377 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 08:38:33
フロイスって時事はともかく、信仰に関する記述はいい加減だし

378 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 10:28:25
松姫が信忠の子供を産んだなんて信じている馬鹿まだいるのか。
当時の姫様はいずれ敵対する他家に嫁ぐために城の内部すら
出歩く事を禁じられて、ましてや外出なども制限され、
国内、城内の情報が他家に漏れないようにされていたというのに。
どこでどうそんなことができるんだ?ということも考えないなんて
ウルトラ浅はかな女性史研究だな。

しかも結婚前に私生児を産むなんて名家の姫にあってはならぬ
大不祥事。もし松姫が結婚しずに妊娠したら、子供は堕胎薬で始末され、
出産してもその場で殺されるか、寺にでも預けられるかで、密かに処理されただろう。
織田家だって誰の胤だかわからん子供を信忠の子と認めて引き取るわけがない。
当時の婚姻制度、奥の制度すら無視したウルトラお馬鹿な女性史研究だな。

379 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 10:32:32
>>378
なんか変な事言ってる人って三法師の母親は
信忠と身分の釣り合わない別の女性だと言っているのではないの?
正室になれない身分ってことだし。
これで塩川女とか言われちゃったら大笑いだけど。

どっちにしろ、史料も提示できないような世迷い言を
まともに聞いてても仕方がないと思うけどね。

380 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 11:43:24
塩川氏女が三法師の母親であっても別に不思議じゃないよ。
正室であったという説には大いに疑問があるというだけ。


381 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 11:54:12
>>379 >>どっちにしろ、史料も提示できないような世迷い言を
まともに聞いてても仕方がないと思うけどね。

同意同意。
まさに世迷い言だね。
フロイスの世迷い言を根拠にしてくるとは、驚きだ。

382 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 12:44:33
>>375は手遅れにならないうちに病院に行けばいいのに。


383 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 14:01:01
>>380
ん?
自分も塩川女でも疑問はないよ。
これまでさんざんスレで出てる説を
ご大層に言っている>>375が言い出したら
大笑いだって事。

384 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 15:45:06
>>375
フロイスの記した織田家の面々と信教の関連話なら
そんなに勿体ぶって明かさなくても、
たくさんの歴史好きが知ってることだと思うけどな。
ただ、彼は布教を目的としてはるばる来日したわけで
書き残した内容も、彼らの目的や任務を考慮したうえで
読み解かねばならぬ部分もあるってことを、
わきまえてる人は多いから、注意して引用する人が多いだけで
別に無知なんかではないんだと思うよ。

あと、史料についての意見だけど
文意がとりづらい文面で、言わんとしてることが不明瞭。
その史料は発表されてないと前レスで言ってるけど、
>専門家にもスルーされている史料
なら、ある程度は内容の明らかなものととるけどね。

このレスにはいちいち応じなくても良いけど
スレタイ内容に一説を投じるなら、もう少しきちんと理屈たてて、
わかり易い文章で書き込んで欲しいな。



385 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 16:46:35
「日本史」におけるフロイスの人物評価

織田信長
『彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、髯は少なくはなはだ声は快調で、
極度に戦を好み、軍事的に修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格で
あった。彼は自邸においてはきわめて清潔であり、自己のあらゆることを
すこぶる丹念にしあげ、対談の際、遷延することや、だらだらした前置きを嫌い、
ごく卑賤な家来とも親しく話をした』

明智光秀
『裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが・・・(略)
忍耐力に富み計略と策謀の達人であった』

豊臣秀吉
『彼は優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが気品に欠けていた。
彼は身長が低く、醜悪な容貌の持ち主で、片手には六本の指があった。
関白は極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺しており、
抜け目なき策略家であった』

露骨に主観入りまくりで、どこを信用してよいものやら。
信長って比叡山焼き討ちしたりしたけど、そういう残虐行為はスルーなのね。

386 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 18:07:24
大友家の耳川合戦のときは、寺社焼き討ちを大絶賛していたな。
大友義統が棄教したときは「女とヤりたいから教えを棄てた」とか批難していたし。

387 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 18:12:24
ああ、奈多夫人なんて「怒れる獅子」って散々ないい様だもんね。

388 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 18:25:47
奈多夫人はキリスト教を嫌ってたから宣教師が「イザベル」と記してるくらいだものな。
もっとも最初は自分も教会に行ってたらしいから何か決定的な出来事があったのかも。

389 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:15:24
>>385イエズス会は寺社破壊を奨励していた。なんてキナ臭い説もあったりw

390 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:22:04
秀吉が多指症というのは本当か?
墓を掘り返せば真偽がわかるけど。

391 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:43:01
>>389
説じゃなくて、実話ですぜ。
たしか大村純忠が洗礼を受けてイエズス会からの援助を取り付けたときは、その
交換条件で領内の寺社を焼いている。
他に信者を扇動して寺社の焼き討ちもやらせている、フロイス自身もどこぞの寺
にいってそこにあった「悪魔の像」を持ち出してブチ壊して薪にしたとか報告書に
書いている。のに、後秀吉からキリシタンの寺社焼き討ちを詰問されると「それは
信者が勝手にやっていることで我々バテレンは無関係デース」とか言っている。

392 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 19:50:42
フロイスって過激だったんだな。
悪いやつだ。

393 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 12:42:41
384さんフロイスのあのくだりはご存知でしたようですけど、372は明らかに
知らなかったと思うレスですよね。松姫の男性観は分かりませんが信忠の女性観は
これ以外ないと思われるので紹介したのですが。また、安土城に入った三法師に
付き添ったのは濃姫ではなく信忠の乳母だった女性で(正法山妙心禅寺米銭納下帳)
母は表舞台に出てきません。塩川氏が三法師の母というのは自称子孫の大学学長の
系譜にでてくるもので名前の寿々(もしくは鈴)というのもここからが出典で、岐阜
の円徳寺の住職で郷土史家でもあった松田氏が発表されたもので、後に一条氏に再嫁
しているのは荒木略記が出典である。

世迷い言ととらえられるのも仕方ないとは思いますが誰も指摘されたことのない
資料をここで出しても、病院行けとか眠剤飲んで寝ろとか言う方に言っても仕方ない
でしょう。人のことあれこれ言うとかネットだけで検索せず一度自分自身で調べてみたら。
新しい資料に出会えた喜びなんかは382なんかは一生味わえないのでしょうけど。

394 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 15:42:45
>>393史料がどうの以前の問題。子供じゃないなら、一言逃げに一々反応するな。

395 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 16:06:03
信忠の女性観と言っても、一人の人を愛したいか
複数の人を愛したいか以前の問題として
一人だけと結婚するというのが無理な立場であったという
表現であると思えるけどね。
織田家の当主として一杯子供を作らねばならなかったという
現実的な事情があるから、信忠の女性観というのもなぁ。
もっとも、その割に子供が少ない、側室を置くのも、
遅かった父親よりも更に遅いと思われるってことで、
女性に対して淡白だったか、何か他に理由があったかは
考えられる事ではあるけどね。
あと、三法師に付き添ったのが安土殿なんて言っている人間は
このスレには誰もいないし、ちょっと自分の論が先走ってるよ。

396 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 16:13:54
あ、それとね、信忠のその箇所のところだけど、
フロイスの日本史においては、直接信忠がそういったとは
書かれていません。
そのように言っている武将が多数あって、信忠は宣教師と話して
それは、おそらく、フロイスが書く肉欲以前の問題として、
「(後継者確保のための慣習上難しいので)便宜を図ってはどうか?」
と、話し合ったと書かれているのですよ。

397 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 21:31:23
>>393 >>信忠の女性観はこれ以外ないと思われるので紹介したのですが

女性観の問題なんかじゃないよ。
戦国時代においては婚姻関係は大事な戦略の一つ。
大名クラスの婚姻は全てといってよいほど敵国、あるいは傘下に治めたい
国との同盟関係を結ぶための手段に過ぎなかったんだよ。
そのために手駒を多く作るのは当主の務めであって、世継ぎのスペア以外に
男女ともに大勢必用だったわけ。信忠が一夫一妻制に賛同しかねたのは織田家嫡男として
当たり前のことだ。非常に浅はかな見解だね。
こんな当たり前のこと女性史の側面からだって学ぶだろうに。
いったい何勉強してるんだ?

398 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 21:47:47
>>396 そうかやっぱり>>393はありもしない妄想を書いていたんだな。
だから早く病院に行けと言ったのに。>>393明日こそ病院行って来い。

399 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 21:59:43
>>398
ちょっと、はしょって書いたんだけど、その箇所は
フロイスが武将達の肉欲だの姦淫だのという誘惑に負けて
信仰を選ばないと嘆いている箇所なのよ。
それさえなければ入信すると言っている武将は大勢いるのだが……って
信忠に関しては、キリスト教に好意的であったとしていて
それさえなければ入信するという風にフロイスは解釈しているようだけど
「便宜を図れば入信者は増えますよ」と言って
3〜4回話し合ったとしているだけで、自分が一夫一婦制でなければ
などという直接的な話しはないのさ。
むしろ、フロイス側に婚姻における政略構想というものの理解がなく
一夫一婦制を武将が拒む理由を、肉欲のみに根拠を求めているから、
その辺りの説明をしたけど分からなかったという風に読み解くのが
いいと思える感じかな?

400 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 23:03:23
>>フロイス側に婚姻における政略構想というものの理解がなく
一夫一婦制を武将が拒む理由を、肉欲のみに根拠を求めているから、

だから
>>関白は極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺しており

の評価になるわけだな。
外国人だから日本の文化を理解するのは難しいだとうけど、
それにしてもものっすごく偏ったものの見方だな。

401 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 02:25:04
>>393
すまん。
相変わらず文意がとりづらい。
5W1Hとまでは言わないが、主語を入れたり
何年何月の誰それの行動については、的な文章で
わかりやすく自論展開してください。

402 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 02:38:27
393の文章は改行も変だよな。
もっと他人が読んでもわかりやすい文章を書いた方がいい。

403 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 09:51:32
みんな>>393を責めるなよ。
精神を病んでいるんだから何を言っても無駄。

404 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 10:02:58
そういう煽りカキコはいただけないよ。
確かにまともな文献も提示せずに持論のみを展開しているのは
責められるべきだと思わなくはないが、だからと言って、
病んでるなんて言い方がいいとは思えないけどね。

405 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 10:58:59
滋賀県の聖衆来迎寺に『織田秀信公の母「鈴」の墓』というのがあるが、
そこは一条家の菩提寺なのか?

406 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 12:07:09
そこは、実は、森可成の墓があるんだよね。
だから自分は、森家関係の女性の可能性を考えていたんだが。

407 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 12:09:20
あ、でも、森家の菩提寺って訳でもないよ

408 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 13:03:53
信忠の側室が他の家に再嫁することって実際にあり得たの?
いちよ三法師の母と言われているような人なら普通は再婚って
あり得ないんじゃないの?
それにその一条氏ってどこの?
公家?土佐?

荒木略記を疑うわけじゃないけど、元助後妻の件もあるから
何かと混合してるんじゃないのと思ったりもする。

409 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 14:11:19
>>408 
死別などなら女性の再婚はあっても不思議じゃない。
家康実母も何度か離婚、再婚してる。
信忠亡き後塩川女が再婚してもまったくおかしくはないけど、
普通は織田家嫡男生母として織田家で堂々と面倒をみてもらえるはずなのに、
再婚しているのは不思議なんだよ。
信忠死後実家に戻り、塩川家の事情で他家に嫁がされたのかな?としか考えられない。
そうなると、実家に戻ったということは三法師の実母というのも怪しくなる。
もっとも三法師亡き後、織田家嫡流が事実上絶えたので、実家に戻り
再婚したならそれは筋が通るけど、その頃塩川女は再婚するような年では
ないと思うな。

410 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 15:29:29
吉乃末裔同様、塩川末裔も自分の祖先が織田家嫡流の作った女性が
いたとかたくなに信じたいんだよ。
それらしい文献をネタにね。
吉乃末裔なんて歴史小説の武功夜話と生駒家だけに伝わる書簡だけが
根拠だから驚きだよ。他のどの史料にも信忠生母という書き込みはないのに。
塩川学長さんも必死なのはわかるけど、塩川家が織田家を援助して助けていた
ので、縁組があってしかるべきだったみたいなことも言ってるし、
ご先祖マンセーは見苦しいな。

411 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 15:53:14
>>371 >>義龍室一色氏は若狭か丹後出身ではなかったかと思います。
龍興も一色氏を名乗ってますが何か。

おいらはこれが何が言いたいのかが気になるんだけど。
義龍の正室に一色氏なんていたか?
浅井長政の姉が正室で、その後一条氏という女性が正室になったという
説があるが、それを証明するだけの史料などは残ってないし、
浅井家と同盟関係でなくなった時期と義龍が亡くなった時期から
長政姉が義龍の正室のままだったと考えられるのが通説だ。
義龍が斉藤家と袖を分かつために一色を名乗るようになったので、
息子の龍興も一色を名乗っただけなのに、>>371は何が言いたいのかな?

412 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 15:53:49
武功夜話がなかったら、書簡まで疑われる事もなかっただろうにね

413 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 16:34:34
武功は生駒家が作ったもんじゃないからな。
生駒家を責めるより、前野家末裔吉田家を責めるべき。

ただ、自称吉乃の末裔が、大喜びで吉乃正室説を
至る所で語っているから同じ事かな?

414 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 16:41:47
塩川利員氏も至る所で大喜びで語ってるんだよね。
塩川家先祖鈴姫が秀信と秀則兄弟の実母だって。

415 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 16:56:15
まぁそういう意味では、三法師の生母が塩川女じゃない文献があるなら
出してきてもらいたいものだと思うね。
あの学長にはイライラさせられるのは事実だ。

416 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 17:18:56
>>409
嫡男生母であっても子供をおいて離縁して実家帰りというのは例がないわけじゃあない。
そちらも挙げている、徳川家康生母のこと。
他には竜造寺隆信の生母が鍋島に嫁いでいたりもしたな。

417 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:01:33
>>416家康の実母も龍造寺家の慶ァも家のための再婚だから、
塩川氏が織田家のために一条氏に嫁ぐことによって織田家にメリットが
生じたというものがあればそれもありえるけど、
当時の織田家と一条家に(どこの一条家でも)そんな利害関係あるか?
慶ァは当時としても異例の家臣との再婚だったけど、鍋島直茂を
息子隆信と義兄弟とすることで、龍造寺の家を守ってもらいたいという
計算ずくの再婚で、このかけは見事に成功してる。

418 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:07:56
>>393の隠し玉の資料って荒木略記のこと?
塩川氏がさんざん言いまくってるけどな。
ちょっと期待してたのに、正直今さらだな。

419 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:11:57
え〜、いくらなんでも、まさか荒木略記はないんじゃないの?
もし本当に出してきたら、ちょっと真面目に1から歴史を学べと言いたくなるけど。

420 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:20:02
でも、本人雲隠れしちゃってるし・・・!?

421 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 21:10:11
>世迷い言ととらえられるのも仕方ないとは思いますが誰も指摘されたことのない
>資料をここで出しても、病院行けとか眠剤飲んで寝ろとか言う方に言っても仕方ない
>でしょう。

「誰も指摘されたことのない資料」みたいだからね。
細かい事言うと、「誰にも指摘されたことのない」か「誰も指摘したことのない」じゃないのかと。

422 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 22:28:27
>>405 >>406
坂本の聖衆来迎寺は滋賀県を代表する名刹の一つだよね。

自分の持ってる歴読増刊1992年(素人臭くてゴメン・・・)の
「戦国名将の夫人と姫君」の夫人・姫名鑑での徳寿院は、
(正室とあて書きしてあるけど、そこんとこは昔の歴読なんでw)
出自は不詳で、塩川氏とも森氏ともいわれるが詳細は不明の旨
書かれているんだ。肖像画も載っている。
何で森可成の娘説が?と思ってたけど、
可成の墓があるためなのかぁ。勉強になりました。

423 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 22:38:45
森可成の娘のなかには信長との間に姫をもうけた人も
いたらしい。(岡田氏の信長総合辞典より)

424 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 23:41:11
そうだとしたら、森家が三法師に対して
それほど庇護していないのは何故だろう?

425 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 00:25:14
森家は長可が本能寺の変の2年後に死んで
当時若干15歳の忠政しか生き残って居なかったから
鈴が森家の娘だったとしても庇護する能力があったかどうか

426 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 00:57:30
森家って、清洲会議に出てたっけ?
三法師と、信孝のどっちについてたっけ?

427 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 10:44:29
可成の後を継いだ長可は本能寺の変後は旧領地に逃亡してるから、
清洲会議では森家は圏外だったのでは?
後に秀吉に味方をし、小牧・長久手の戦いで戦死してから弟の忠政が
森家家督を相続して、秀吉から羽柴姓をもらうほどの関係だから
秀吉サイド=法師側だろうな。

428 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 14:49:04
>>415 塩川氏息女、秀信と秀則、それぞれ墓があるわけだから、
遺骨からDNA鑑定をすれば一発じゃないか?
秀信と秀則が塩川息女と同腹かどうかもわかる。
塩川家がかたくなに調査を拒むと思うけど。
あくまでグレーゾーンにしておきたいだろうからな。

429 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 15:38:26
>>428 ついでに秀信と松姫のDNA鑑定をすればお馬鹿な妄想をするやつも
いなくなってすっきりするのだがな。

430 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 17:42:10
>>428
塩川氏息女と確定している墓じゃなく、秀信の母の墓でしょ?
森氏息女の可能性すらある女性の墓だからね、意味ないよ。

431 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 17:51:38
当時の信忠の側室と考えると、塩川氏はともかく
森氏の娘が側室に入っていてもおかしくない程
織田家と森家は密着状態だからなぁ。
意外と秀信の母親は森氏息女であったと判明しても
誰も驚かないと思う。
森氏息女の生んだ子供であったなら、安土殿が
三法師擁立に、秀吉の策略が分かってただろうに
異を唱えなかった理由も分かる気がする。
森長可があんなに早く死ぬなんて思わなかっただろうから
秀吉だけではなく、森家も実家筋としてもり立てていくだろうと
考えたのかもしれない。

432 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 18:56:02
>>430 鈴姫って塩川家の姫かどうかも不明瞭だったの?
家系図とかに載っていた女性だから学長さんも自信満々なのかと思ってた。
森家出身の側室でも不自然なことはなにもないな。
森可成の墓所と同じ寺院に埋葬されているなら可能性は否定できないね。
むしろ塩川家とはまったく関係ないところに墓があるなら
そっちの可能性の方が高そうだ。

>>431 実母が誰であれ濃姫は信忠を養子にしたわけだから
嫡流が信忠の系統になることに異存はなかったと思う。
信孝に嫡流がいってしまえば、正室の子供(義理だけど)の
系統がないがしろにされるわけだから、信孝派には賛同しかねたと思う。

433 :バロン曽志崎:2006/11/03(金) 19:25:26
信長と森可成の長女との間に生まれた子(落胤)とされるのは、加賀藩士で
芳春院付きだった生駒内膳直勝。

434 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 19:38:46
>>433
それ、信忠の子供とは関係ないじゃん

435 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 19:40:04
勝長の子勝良も加賀藩士になってるな。

436 :日本史@名無史さん:2006/11/03(金) 19:53:12
その勝良の母親も森氏の娘だっけ?

437 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 19:53:38
なんで森家の女の子供はご落胤扱いなんだ?
森家ほどの家柄なら文句なく側室にあがって、生まれた子供は正式な織田家の子供
扱いされて当然だし、手駒の子供が一人でも多く欲しかったろうに。
織田姓も与えられず、落胤扱いなのは不思議だな。
信忠も誕生後のことだろうし。

438 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 20:08:13
勝良の母親は池田恒興の娘じゃなかったか?

439 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 21:23:57
>>437
要するに、現在有力説として言われている信正の
庶子にもなれない扱いと同じなんじゃね?
信長の正式な側室じゃなく、ちょっと手をつけちゃった。
でも、その時信長の他にも通ってたか婚姻してた男がいた。
そして、信長の子供か、その男の子供か分からない。
だから、正式な庶子に出来ない。
でも、信長の子供である可能性もあるから、
ある程度の配慮はした。

って事なんだろうな。

440 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 23:13:12
>>439 でもさ、武家のそれなりの家の娘ならそんな誰の子かもわからん
子供を身ごもるようなことになるのはありえん話だし、信長の手がたった
一度でもついたらなんの躊躇もなく側室にすると思うんだよね。
もし何らかの事情で信長以外の男の子の可能性もあるような子を
身ごもったら、人知れず堕胎薬で始末をするなりのことで
子供のことは闇に葬られるのでは?森家の女にとっても
傷ものにならずにすむし、森家の世間体だってあるだろうに。
たんにご落胤という噂にすぎないんじゃないかな?

441 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 23:20:07
生駒内膳直勝ってことは、生駒家に養子にだされて、それから加賀藩に行ったの?



442 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 23:30:22
ま〜た生駒家がからんでくるの?
信長様のお子様が養子になっているので生駒家にも信長様の血が
云々かんぬんってか?

443 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 00:22:40
そんなに信長に信頼されてたら、信長時代に生駒家は
もっと取り立てられているはず。
それこそ、土田御前が美濃土田の出身なら親戚なんだからさ。
でも、母衣衆に取り立てられた生駒勝介の他には全然だめじゃん。
生駒勝介は個人の能力だったぽいし。
そう考えると、眉唾だね。

444 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 03:03:29
>>443
嫡男の母の実家が有力にならないように深慮遠謀だろう

445 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 10:11:36
>>444 信忠が生駒の子でも濃姫の養子になったわけだから
完全に生駒家とは切り離され、扱いは他の家臣と平等だったはず。
純粋に信長に認められるような能力がなかったんだよ。
敵方だった美濃衆を厚待遇にし、嫡男の周囲を固めさせていたの
だって将来的な美濃攻略のためという理由もあるだろうけど
やはり能力的に秀でたものがあったからだと思う。

446 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 13:02:46
信長は能力が優れてると思ったら誰だろうと重用しただろうからね

447 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 14:00:39
その最たる例が秀吉。
百姓あがりを大抜擢。

448 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 13:40:47
北条と小山田と(葛山)と武田の関係を見ると松姫逃亡には
氏照が一枚かんでいても不思議ではないよ。
小山田の娘を連れているならなおのことね。

449 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 13:52:14
つか武田一族が根絶やしで、行く先々武田の残党狩りの最中、
頼る相手は敵方であっても多少なりとも縁のある北条しかなかったん
だと思う。幼い姫を連れて辛かったろうな。


450 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 16:57:03
信長も信忠も根絶やし命令なんぞ出しとらんぞw 
自害以外の処刑された面々を見ても至って普通の戦後処理だって。

451 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 17:28:25
だね。織田は武田討伐で根絶やしをしようと徹底的な武断的な行動を… 
一方家康はそんな織田軍の目を盗んでは遺臣を匿うという温情な行動を取り(略 
なんていうステレオプロバガンダからはいい加減目を覚ますべき。 
葛山信貞だって徳川に殺されたという見方の方が最近は強いし 
向嶽寺での鎧掘り起こしも昔あったことを真似て広めた都合良い美談じゃないの? 
と実は思っていたりする。

452 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 19:57:37
なんで織田信忠正室が織田から逃げまわるんだ?
この事実からも信忠正室話はまったくの架空だったとわかる。
後年織田家が武田の裏切り行為を強調し、徳川への援軍の正当化をするために
当時武田と同盟関係だったということにしたくて、家系図に書き加えただけだろう。
婚姻話だって怪しいもんだ。武田がらみの史料からしか記載がない。
織田がらみの史料ではそれに関してまったくスルー。

453 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 20:27:05
>>451
もしかしなくても昔あったことって重信の伝承のことだよね?
確かにこの話と向嶽寺での話はよく似てるんだよね。
埋めることになった状況までまんまそっくりだから怪しいとは
俺も思っているよ。火事場泥棒を正当化するためだったりしてなw

信貞の死については諸説があるけど徳川に殺されたと地元では伝わっているんだよ。
よりによって家康が隠居した駿河地域の駿東にもかかわらずね。
信貞が養子に出た葛山は少し複雑な家で、今川健在時は今川国人だったけど
血統的にみると実は北条の方との関係が深いんだよね。
で、信貞が養子に出たときに小山田の娘が嫁になったという話もある。

454 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 23:37:58
あの鎧って徳川が河尻あたりからかっぱらって埋めといたんじゃねーのか?w

455 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 01:23:39
甲信どうのではなく信玄様〜loveという純粋無垢な気持ちから
つい欲しくなってだったと思えば家康もかわいい奴よのうということで
仮にかっぱらったとしても許してあげようぜ。

456 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 01:43:58
家康が信玄ラブだったのは信玄の埋蔵金とかを狙っていたからでは?
信玄は金山経営で相当もうけていたそうだし(奴隷売買でも)。
お金大好き家康公だからねぇ。

457 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 02:03:14
長安に黒川金山の再掘をさせて成功しているぐらいだからな〜。
あながちかもしれんよな。三河の連中は甲府に多く移住して
後の悪名高き甲州商人の礎を築いてもいるわけだしなぁ。

458 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 10:48:49
お金大好きじゃない武将を探すほうが難しいと思うけどね。
合戦するにも謀略戦するにも先立つものは金だろ。

459 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 13:00:01
徳川の埋蔵金ちゅうのもあったな。
家康は細川に金を貸して恩を売ったりしている。

460 :日本@名無史さん:2006/11/15(水) 19:59:00
大名クラスだと嫁にだすほうも大変だったんだよな。
花嫁道具どっさり、持参金どっさり、お付の侍女多数、
一代限りの固有財産である化粧料をもたせ嫁がせた。
逆にいえばそれができる後ろ盾の実家がなければ縁組もできないということ。
没落した松姫にはそれだけの後ろ盾はなかったから、それなりの相手との
縁組は不可能だったし、一緒に落ち延びた姫たちがそれなりの縁組で嫁げたのは
家康が後ろ盾になったからこそだろうな。

461 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 10:04:35
>>460 後ろ盾を失った名家の姫は有力者の側室になって庇護を請うしか
なかったわけだな。でも当主の子供を産み、それが男子で、しかも
嫡男にでもなったら人生一発逆転劇の可能性もあったろうけど。
勝頼の生母ってそういう人生じゃなかったか?

秀忠が堅物でなく側室を持つ男だったら、松姫に目をつけた
家康が連れの姫達の将来を保証と、八王子の武田衆の保証を条件に
松姫を還俗させて秀忠の側室にすることも考えられたかもな。
甲斐国や、八王子周辺に多くいた旧武田の残党への徳川への忠誠も
得られるし。男子を産めば正室の江与より格上の出自だし、
どこぞの国の大大名になったことは間違いないだろう。

462 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 11:21:42
家康は武田縁の姫を側室にしてなかったか?
その側室に生まれた男子に武田姓を認めていたはず。
もし>>461のように松姫が秀忠の側室になって、男子を産めば
武田姓を認め、大名にしたかもしれん。
つか、家康が松姫を側室に狙ってたという噂あったよな?

463 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:40:53
松姫は秀忠より20歳近く年上だよ。
無理がある。

464 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:27:26
家康の女狩りは与太話だというのにwww
史板か戦国板でもその話題は巷説、稗史と言われてるよ。

>>46
下山殿やお竹の方の話は色んな板でさんざん概出なのだが。
前のこのレスにいた人たちが居なくなったのかな?
またネタがループか。

秋山虎康の娘で穴山家から家康の側妾にあがった下山殿・お都摩の
産んだ子が万千代の武田信吉で、天正十一年生まれ
(天正18年下総小金三万石、文禄元年佐倉十五万石、
慶長7年水戸二十五万石、翌8年死亡)だよ。


465 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:16:05
家康は秀吉みたいに高貴な血筋の女をありがたがっている様子はまったくないし、
秀忠以降の将軍も正室以外はむしろ出自の悪い側室が好まれていたからな。



466 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:57:22
>461
>勝頼の生母ってそういう人生じゃなかったか?

諏訪頼重が死んだだけで、諏訪氏自体は残っていて影響力を持っていたから、
またちょっと違うなぁ。

467 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:14:44
>>466 諏訪氏を継いでいた勝頼を武田家嫡男としたことが
武田滅亡の要因の一つだったな。
武田の家臣にしてみれば勝頼をしょせんよそ者。

468 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 12:57:29
信玄は勝頼を嫡男になんてしてねーよ。

469 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 13:20:47
えっ?勝頼は武田家の跡取りじゃなかったの?
じゃあ嫡男は誰だったんだ?
信玄が勝頼の息子を当主にすることを遺言したという
説もあったが、そのこと?

470 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 13:38:20
嫡男は勝頼の息子の信勝だね。
勝頼は信勝成人までの後見役。

471 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 15:00:16
>>470 その話は一次史料の裏付けがないから、俗説扱い。
勝頼は信玄が亡くなった年に、家督を相続し、武田氏第20代当主となったと
考えられてるよ。ただ嫡男として幼少期から養育されてはいない。
嫡男は長兄の義信だったけど、信玄と対立したことから幽閉、
次男は盲目だったので出家、三男は夭折したために、自動的に
後継ぎになっただけ。
幼少期に諏訪氏を継ぎ諏訪四郎勝頼と名乗ってたぐらいだから、
当初は信玄は武田家の当主にする気はさらさらなかったはず。

472 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 19:24:28
一次史料厨いい加減ウザイ
【武田家内】に関する一次史料なんて無いに等しいから
一次史料では裏づけがといちいち否定していたら
【武田家内】の話なんてほとんどが俗説だ罠

473 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 20:00:22
>>472 その通りだよ。「甲陽軍鑑」なんて「武功夜話」レベルのフィクション
小説だからね。松姫に関することも織田家の資料には出てこない。
信忠と婚約した事実はなかったという見解の専門家もいる。

婚約後何年も嫁入りせずに甲斐にいたままだったという
のは不自然だが、婚約の事実がなかったなら説明がつく。
当時の嫁取りは人質を取ることと同義語だから、
信長が松姫を尾張に迎えないと同盟関係にはなりえないからな。


474 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 23:31:31
でもさ、江戸時代にブームを巻き起こし
たくさんの人々に愛読された甲陽軍艦と
台風の夜に出現した武功を一緒くたにするのも可哀想。

>>461
自分は松姫が好きだけど、過大評価はしたくないなー。
家康が関東に入府した天正18年の頃合いだったら、
多摩地区・八王子には後北条の浪人や帰農民が大量に居たわけで
>旧武田の残党
より、滝山城・八王子城の氏照に仕えた後北条の残党のほうが
多かったんじゃないかと思ってるしね。
だいたい、天正十年の時点で大量の武田遺臣が家康に起請文を書いて
仕官してるわけだしね。

>松姫を還俗させて
そんな、青岳尼や家光のお万の方みたいな事もちょっとねw
松姫の影響力を過大評価はしないけど、
祖先の菩提を弔いつつ修行の日々を送る旧主の姫だからこそ
地元民の崇愛を受けていたのではないだろうかね。



475 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:41:30
>>474 >>祖先の菩提を弔いつつ修行の日々を送る旧主の姫だからこそ
地元民の崇愛を受けていたのではないだろうかね

おいらもそう思うよ。なのに信忠に会いに行ったとか、信忠の子供を産んでいた
なんていう俗っぽい話で松姫のイメージが損なわれているのが残念だ。

476 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 16:29:06
「甲陽軍艦」は一般大衆向けに創作された歴史小説。
昭和期に作られた歴史小説の武功夜話とさほど変わらん。


477 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 11:47:59
山本勘助は創造上の人物、従って勘助と信玄のやりとりや、勘助の軍師としての
大活躍は全て創造というわけだ。松姫のことも怪しいかもな。
良く考えたら甲斐に館をこさえて、そこに住む理由はない罠。
その費用を持参金に、とっとと織田家に輿入れするのが普通だもんな。

478 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 12:23:11
創作物については事実を基にしたフィクションというものもあるからな。
武功にしても甲陽にしても全てが全て嘘というものではないだろ。
そうでなければ甲尾同盟自体も怪しくなるわけで、比叡山焼き討ち後の
正月頃に信玄から夕庵宛てに出された書簡の内容も矛盾してしまう。

479 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 15:58:18
「信長の棺」同様に、史実と実在した人物を登場させ、そこに空想話をいれると
真実味がまして感じるものだ。
実際の「信長の棺」はありそで、なさそで、絶対ない話がばればれで
興醒めだったけどな。登場人物も時代的にめちゃくちゃだし。
「武功夜話」などその典型。
そんなことをしたせいで、事実と思われる箇所も全て懐疑的に思われるようになって
しまった。「甲陽軍艦」も同様な位置付けだと思っている。

甲尾同盟は遠山夫人が亡くなった時点で同盟が消滅していたと考えれば
一番すっきりする。当時の婚姻に伴う同盟は一代限りが原則。
婚姻=人質に差し出す、ということで成り立っていた同盟関係だったからだ。
なので信忠と松姫の婚約話はなかったか、
あるいは、婚約話はあっても実現できずにポシャッたのでは?
婚約しても肝心の松姫が甲斐にとどまっていたのでは人質にならず、
同盟関係はなかったのだろう。

「同盟関係にあったのに信長が裏切った」ということをでっちあげるために
後年付け加えたのだと思っているよ。

三方ヶ原の戦いの前に信長が家康に武田との合戦を考慮して
指示をしたためた書簡も残っている。
最初から家康を傀儡し、主導権をとった上での戦いだとしたら、
同盟などなかったと考えた方が自然だろう。
織田家関連の一次史料には信忠と松姫の婚約話は一切のってないしな。

480 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 20:03:05
信長の棺と武功や甲陽を同じに考えるとはいやはや・・・失笑

481 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 21:02:03
実在しない山本勘助が大活躍しちゃうんだから偉そうないえん

482 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 22:35:56
歴史読本かなんかに誰か投稿したら?

戦国女人哀史の常連登場人物・松姫と信忠との婚約は無かった!
婚姻話は甲陽軍艦のでっちあげ、とネット上でもっぱらの噂!


483 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 22:43:06
>>482 俺が大学に在学中(15年前)に既に教授にそう教わったよ。

484 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 23:09:52
歴史読本には信忠と松姫悲恋のことが小説風によく載ってるよ。
かつての婚約者で相思相愛であった相手が総大将で城攻めに・・・
兄を殺され城を落ち、八王子に落ちのびた松姫は生涯夫をもたず、
信忠だけを思い続けた。
信忠の呼び出しに応じ、会いに行く途中で本能寺の変で信忠が自害。
松姫はその後出家し、生涯信忠を弔った。
松姫は信松院と名乗り、信松院の信は「信忠」の信の字をとったと
言われている・・・というお決まりのオチ。

信松院の信は実父の「信玄」の信だろ、普通に考えて。

485 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 23:56:20
信は両家の通字なんだから別にどっちでもいいんじゃねーの?
小さい頃の洗脳みたいな教育は大人になってもなかなか解ける
ような簡単なものじゃないんだし。
滅ぼすか滅ぼされるかの時代、そのあたりは案外ドライだった
可能性だってあるし、現代の感覚では到底理解できないことが
あってもおかしくはないだろ。

486 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 01:43:13
歴読の戦国女性特集の常連だからね、松姫。
踏襲逸話の焼き直しばかりで、もう飽き飽きしてる。

松姫が信忠と密会して出産した説を2ちゃんで展開してた人
今どこに居るんだろう・・・?

487 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 10:07:43
そもそも法名は髪をおろして、本山の認可を得てからもらうもの。
自分の好みの法名なんてつけられん。
法名は出家前の人柄、人物像を示す漢字を用いるので、
信松尼は信玄縁の姫ということを配慮してつけたものだと考えるべき。

488 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 11:12:51
「信松院殿月峰永琴大禅定尼」美しい字感ではあるよね。

489 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 11:37:36
信玄公の娘、松姫殿、山頂はるか彼方に輝く月のごとく、厳かで、涼しげな
趣があって、琴の音のようにはかなげながら、凛としたお方でありました・・・

というイメージかな。
本当に美しい字感だね。

出家後の松姫を考察すると、かなりの賢婦でたくましい一面もあったから
信忠正室として嫡男をもうけていたら歴史は変わっていたかもしれない。

490 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 20:21:14
信松院殿→【院号】 天皇や上皇が居住していた場所などを示していたことが始まり
          自身が開基した「信松院」からとったものと思われる
          院殿号は身分が高いことを示す 

月峰→【道号】家名、地名、趣味、性格などを示し、戒名と組み合わせてある
       一字は必ず実字を用いることが約束事となっている
       この場合は「月」が実字 
       
永琴→【法号】いわゆる戒名 本来はこの漢字2字のみが戒名であったが、
       全部合わせて戒名という認識になっていった
      
大禅定尼→【位号】信仰心の厚さに比例して与えられる
         出家した尼僧の中では「大」がついているので格式はかなり高い

戒名から伝わることは、院殿号を与えられているので、生前の身分は大名や
その室なみに高かった事。
出家していて、信心深いことを認められていること。
「月峰」が何を示しているのか詳しくはわからないが、
茶道や華道における呼び名でなければ、生前の松姫の性格
や容姿や様子を示す漢字であったのかも。

松姫の戒名はこの法名である「永琴」なので、信松尼と名乗ったというのは
かなり疑問が残る。院号を名乗ることは考えられないので、
「永琴尼」と名乗っていたはずだが。

例えば父親の武田信玄の戒名は「法性院機山信玄」なので、
法名の「信玄」が通り名になっている。

491 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 21:49:19
保科正之の生母、お志津が大宮氷川神社に納めた安産願文には
信松禅尼とはっきり出てくるから信松尼と名乗っていたのは
間違いないんじゃないの?

うやまって申祈願の事

南無氷川大明神、当国の鎮守として跡を此の国に垂れ給い、
衆生普く助け給ふ。
ここにそれがしいやしき身として太守の御思ひものとなり、
御胤を宿して当四五月頃臨月たり。
しかれども御台嫉妬の御心深く営中に居ることを得ず。
今「信松禅尼」のいたわりによって身をこのほとりに忍ぶ。
それがし全くいやしき身にして有難き御寵愛を蒙る。
神罰としてかかる御胤をみごもりながら住所にさまよう。
神明まことあらばそれがし胎内の御胤男子にして、安産守護し給い、
二人とも生を全ふし、御運を開くことを得大願成就なさしめたまはば、
心願のこと必ずたがひたてまつるまじく候なり

慶長十六年二月 志津

492 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 22:36:58
日陰の身でありながら、将軍御台の悪口や男子が欲しいなどと
継承問題に関わる重大なことを文書に残すか甚だ疑問なんですけど。
これが公になれば一族ただでは済まないんじゃない?
後年保科正之が将軍御落胤であるという証拠づくりのための偽書???

493 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 22:39:16
>>491 「信松禅尼」じゃなくて、「信松善女」と記されているものを
みた事がある。

494 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 23:13:22
地元民などには「信松院に住む尼僧」ということで、
信松尼様と呼ばれていたのかもよ。

ところで信玄は生前は自らを「信玄」と名乗っていたのか?
出家後の書簡などにはどう署名していたんだろう?




495 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 01:10:42
>>492
じぶんに都合が悪い文書は全て偽書かよw

496 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 01:38:59
というか・・・。
志津が氷川に納めた願文(所蔵は元氷川社人の岩井家)での
その部分はしんしょうせんにとかなで書かれてあるから
それが禅尼なのか善女なのかは不明なのが実際の所だけど
状況からすれば禅尼が妥当といった見方が有力。
どちらにしても松姫はこの頃には信松+敬称で普通に呼ばれていたのは
間違いなさそうだよ。

>>494
信玄(花押)

497 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 08:57:27
【善女】 - 仏法に帰依した女子

【禅尼】 - 仏門に入った在家の女性

松姫は在家じゃないので、「信松善女」が正しい。

498 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 11:34:39
>>497
善女が在家で、禅尼が出家だろ


499 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 13:48:57
>>498 ↓

「善女」→http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%c1%b1%bd%f7&dtype=0&stype=1&dname=0na

「禅尼」→http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%c1%b5%c6%f4&dtype=0&stype=1&dname=0na

500 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 14:50:05
帰依って仏教を信じたって意味で、出家したって意味じゃないよ

501 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 14:53:42
【善女】 - 仏法に帰依した女子 → 仏教の信者の女性
【禅尼】 - 仏門に入った在家の女性 → 寺に入らず在家で出家した女性

松姫は出家しているので禅尼が正しい

502 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 14:56:21
>>491 お静の安産願文に一番世話になった見性院のことがまったく触れていないのは
なぜだ?出産後は見性院の子として養育され、お江与の追求にも「自分の子だ!」
と突っぱねたと聞く。信松院に匿われていたというわけではないし、
八王子の信松尼がどれだけ助力したのかも疑わしい。
保科家の養子になったのだって、見性院とかつて武田家の武将だった保科正光
とのからみからだし、保科正光は甥を養子にすることを諦め、血のつながりのない
わけ有りのご落胤を引き取る事になったのも、ひとえに見性院の尽力あってのことなのに。

秀忠の子供を授かったとされる女性は複数いるんだ。
お通という人物もそうだという。
ただし、子供ができても堕胎させられるという暗黙の処置がされていたそうだ。
それを拒んでお静が強引に出産したのだろう(最初の子は堕胎したとされる)。
親子の命にかかわることだから隠密に、表ざたにならないようにしていたことだろうに
これだけ後世に事情が詳細に知れ渡っているのは不思議なことだ。

503 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 15:16:31
>>500 「帰依」とは、仏法僧の三宝を堅く信じて修行の拠り所とすることであり、
仏教徒としての出発点。つまり、仏教の教えを信じたものであれば
出家したものも、しないものも含まれる。

>>501 松姫が松信院を創建したのは1590年。そこに住んで尼として暮らしていたので
在家出家ではない。お静が安産願文を書いたのは1611年。当然信松尼は在家信者ではないわな?

なので信松禅尼はありえん。
信松善女が正しい。

504 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 16:03:36
信松院は松姫の時代は普通に庵でしょ。

505 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 16:05:30
見性院は信玄正室三条夫人の姫だったな。
松姫と違って武田家没落後早くから家康の庇護を受けられたのは、
信玄公の姫だったからかな。
東浦和にある清泰寺(うちの近所)に墓所があるんだけど、
墓の手前に葵のマークがついた鉄扉?があったがなんでだ?


506 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 16:23:57
>>504 
【庵】
1 世捨て人や僧侶などの閑居する小さな草葺(くさぶ)きの家。
2 大きな禅寺に付属している小さな僧房。

出家してすぐに松姫は心源院に居住し、
その後八王寺の御所水の草庵に居住を移した。そこが後の信松院。
在家というのは、在俗のまま仏教に帰依した人や
正式の戒を受けていない人をいうので、正式に出家した松姫には
どっちみちあてはまらんのさ。


507 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 21:26:12
お志津の手紙にある「しんしょうせんに」は「信松善女」に決定だな

どっちにしても松姫を指し示す言葉なんだからどうでもよいと思う



508 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 21:50:26
>>496 ところで信玄は戒名なんだから本来「武田信玄」というのはありえない名前よね?


509 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:12:54
>>508のあまりのバカさに晒しage

目を皿にしてじっくり見てみろよw
ttp://museum.umic.jp/ikushima/kishomon/86-takeda-shingen-ganmon.html

510 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:26:29
生前付ける戒名を、逆修戒名という。
戒名を名乗ったりもする。
例えば、謙信も戒名。

511 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 23:05:44
>509
>502や>505もかなり頭が悪そうだyowwwwwwwww

512 :488:2006/11/22(水) 23:32:12
>>490
自分の知ってる塩山市の人は、もっぱら機山公と呼んでいたね。

>>491 >>496 >>497
自分の持ってる本の原文掲載は「しんしようぜんに」

>>505
忘れていないか?
見性院は穴山梅雪夫人だったことをw

『柳営婦女伝系』には、お静(志津)の避難先として「信勝院比丘尼」
「信勝院尼」と書いた部分があるという。
まあ、柳営婦女伝なので記述も混乱。

513 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 09:51:13
道号と戒名を合わせて名乗ることはあったと思うよ。
法号は戒名と組み合わせてあるものだから。
一休宗純は一休が道号で宗純が戒名。
小さい頃は苗字が一休で名前が宗純だとばっかり思ってたけど。
信玄は生前出家した後は徳栄軒を軒号に徳栄軒信玄と名乗ってたようだ。

>>512 信勝院は下山殿のことでしょ?
お静が懐妊した頃は信勝院はとっくに亡くなってるんだよね。
柳営婦女伝系には信勝院のことを「武田信玄の御娘也」
なんて書いてあるぐらいだから、見性院と混乱していると思われる。

514 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 12:39:02
余談だけど、正之の子の代になって松平姓を認められはれて会津松平家になった。
時は流れ、現代の徳川宗家18代目当主は、会津松平氏の当主を父にもつ
徳川恒孝氏が1963年に継承している。

515 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 16:02:22
>>514 へぇ〜

516 :512:2006/11/23(木) 23:31:36
>>513
うーん、水戸家から始祖の母として扱われ
「妙真院」という号をもつ下山殿(天正十九年死亡)を、
信松院や見性院と間違えるとは思えないけどね。
柳営・・・の記載は、やはり見性院と信松院が混同されて
なおかつ、家康の侍妾になったという誤解のまま書かれていると
思うけど。

ちなみに、家康の側室・お竹の方(一般に市川氏・良雲院)の
出自を「信玄公女」と記してあるものまであるらしい。

こういうお竹や下山殿・お都摩の存在や出自の諸説から
「松姫の身代わりになって家康のもとへ」の巷説が出来たのでは?
と自分は思っています。


517 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 08:39:40
>>516 しかし『柳営婦女伝系』には「信勝院殿は神君の御八男信吉卿の御母堂の事也」
とあるので、明らかに下山殿をさしている。
家康の息子なのに武田姓を継ぐことを許されたので、武田信吉の母下山殿が
信玄の御姫と誤解され、なおかつ、見性院とごちゃごちゃになったのでは?
信松尼のことは静の祈願文が後世公になるまで表立ってでてない存在だと思うんだけど。

518 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 02:03:22
柳営婦女伝系のその辺りの記事は
混同のままの誤記も多いということで・・・。

519 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 23:01:02
それに柳営婦女伝系の記載のみを頼りに
人物の詳細を語る研究者もいないしね。


520 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 12:45:22
ところで、松姫が信忠室だったと本気で信じている人たちに質問なんだけどさ。

祝言をあげた事実がない、当然夫婦?が一緒に暮らした形跡がない。
妻の?松姫がいるのに高遠城攻めの総大将が信忠。
夫であるのに?信忠が松姫スルーで松姫命からがら逃避行。
城落ちした松姫一行に織田家はいっさいノータッチ。
織田家が信雄で落ち着いた頃になっても、
松姫の機織や寺子屋での収入によるその日暮らし。
信忠正室なのに織田家の墓に入ってない。
信松院にある松姫の墓にはかの有名な武田菱の武田家家紋が
ばっちりある。

↑の事実をどう解釈して、信忠室の話がありえると納得できるのか知りたい。
ちゃかしではなく、自分は絶対あり得ない話だと思っているのだが、
別の視点があるのかなと思って。



521 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 20:29:34
結局
お互いの本当の気持ちは、当事者しか知らないのではないかと

522 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 20:57:43
気持ちも何も本人達は「はぁ?とっくの昔にポシャッた縁談話なんですけど・・・」
と思ってると思うよ。

523 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 22:11:43
西山家文書って今はどこで眠ってるんだろw












524 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 00:34:11
>>520
とりあえず織田宗家になんで幕府に提出した家系図で信忠室を
信玄女としたのか?もし違うなら訂正してもいいと思われるのだが
なぜ未だ訂正しないのかということを聞くのが先だと思われ。

525 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 01:50:16
改竄やこじつけが他家に散見されるのが普通なんで
いちいち審査したり追及なんてしなかったんじゃないの?

526 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 02:18:26
というか>>520はヘリクツを並べたただの煽りだからスルーするがよろし。

527 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 02:48:41
久しぶりに覗いたらまた変なのが沸いていてワロタw
両家が戦状態なら仮にそれまでは婚姻状態であっても
離縁になるというのに…まじでアホじゃねーの?

528 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 02:50:23
勘違いされると困るから補足、>527は>520のこと

529 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 04:07:24
坊丸奪還までは、信忠が松姫を云々の噂は積極的に織田が流した可能性もあると思うけどな
1581年に武田が坊丸を返したのはあまりにうかつな出来事だ
坊丸が織田にいるかぎり、織田は武田に攻め入れなかったようなのに
勝頼は坊丸を返せば嫡男信忠に甘い信長と再度同盟を結べると踏んだのかもしれないが
これは勝頼の方が甘かったな

530 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 08:27:04
>>527 でも二人に婚姻関係がなかったのは両家の史料からも明らかじゃないか?
婚姻関係にない二人は離縁になんてならんよ。
そもそも婚姻が成立していなかったら同盟関係も成立してない。
武田家の家系図には松姫は未婚となっているが、そっちはスルー?

531 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 10:04:14
>>529 1575年の長篠の戦いで織田家と合戦して負けてる。
でも勝長が報復で殺害されることはない。
信長も躊躇なく武田をちゃくちゃくと攻めてるし、坊丸の人質としての
存在価値がないことがわかってあっさり帰したのかも。


532 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 10:18:17
「息子さんは無事にお返ししますので、ここはひとつ!」だったかな。

533 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 12:55:11
当時の情勢で考えてみるとご坊の人質としての存在価値がなくなったと
いうのは結果論にすぎないように思うな。
逆にいえばあの情勢で返すなんてことは普通ならやらないだろ。

534 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 13:44:52
そんなこと言ったって実際返しているわけだしさ。
すでに同盟関係にないのに威嚇材料にもならない人質を
おいておく意味ないじゃん。
殺せば織田家にとって武田侵略の口実を与えるだけだし。


535 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 16:03:41
>>527 おれも君にワロタw
婚姻状態もないのに離縁て?
…まじでアホじゃねーの?


536 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 16:33:17
てか527は仮定上の話をしているだけに過ぎないと思われ。
乱暴な言い方になるが後年の織田家で室として認められているのなら
信忠室でも別にかまわんだろ。武田家もそのことに対して抗議している
わけでもなし。そもそも他人がとやかくいう問題ではない。

537 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 16:49:42
>>535 おれも君にワロタw
「仮に」って断ってるのに
…まじでアホじゃねーの?



538 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 17:00:00
>>536おいおい、当事者の武田家では認めてないのになんでかまわんのさ。
武田家が抗議してないのはいまさらする理由がないだけだろ?
それに織田家の全家系図に信忠室と記載されているわけではない。
何十種類も存在する家系図の中で数件のみ。(自分が見たのは寛政期のものと
別のもう一件だけ)

>>537 さらに君にワロタw
「仮に」なら>>520の疑問に対してなんの回答にもなってないだろ?
…まじでアホじゃねーの?

539 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 18:20:39
今さら武田家が訂正を求め、それを織田家が承諾しても、
今さら寛政譜の訂正は不可能でしょ?
江戸期に作られ幕府に提出した資料なわけだしさ。
統括する幕府もないし。
今現在の織田家に伝わる家系図がどうなっているのか気になるところだけど。
織田家家系図といっても庶流で家系図が異なっているという話もある。
結局家系図一つでは何の証明も証拠にもなりえないということさ。
いくつもの家系図を照らし合わせて、一次史料等で事実確認をして、
人物特定をしたりするもんだ。特に女の場合は名前すら記載されないので、
双方の家の家系図を照らし合わせて人物特定をする。
だいたい松姫といわれる姫は四女説や六女説もあって、
武田家家系図でそれぞれ記載されているのを見た。
ちなみに両方とも「織田信忠室」という記載はなかった。

540 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 18:36:16
家系図を盲信すべからず ↓参照のこと

寛政譜は寛政年間に幕府が編纂した大名、旗本の公式系譜集である。
各家の系譜を提出させ、さらに編纂過程で疑問が生じればそれも記すという
厳正な態度が執られた。
しかし、各家提出という特性から、故意に系図を書き換える者もいたようだ。
かつて、武家は出自の良さに価値を見いだしていた。
少しでも自家の出自を良くするため、系図を書き換えることもしばしばあった。
そうした系図の書き替えを商売にする者もいたようだ。

541 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:22:00
>>536
それを言いはじめたら、歴史学なんて必要なくなるw
抗議する、しない云々も的はずれのような・・・

>>539
今の流れから少しそれるけどゴメン、
自分は上杉家譜と米沢林泉寺に残る菊姫の享年から逆算した生年から
姉・松姫、妹・菊姫と認識してます。

>>540
現代でも「系図屋」は存在しているし、
だいたい徳川家も出自を操作しているわけだしね。



542 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:56:39
>>538 おれも君にワロタw
俺は>>527じゃないから答える義理なんてないのにw
…まじでアホじゃねーの?


543 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 01:35:30
アホ合戦はそろそろ止めたらどうかと思う。

544 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 08:33:20
>>542 いい加減うざいからやめてくれないか?迷惑なんだよ。

545 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 08:43:05
寛政譜に関しては明らかな捏造と思われる他家の家系図の存在もわかっている。
捏造だったのか、昔の事実確認ができなくて適当に書いたものを提出しただけかもしれんがね。
少なくとも織田家のそれに関しては、他の資料と比較検討しても
正式に松姫が輿入れした事実も、離縁して実家に戻ってきたという事実は
どの史料にもないので、寛政譜の家系図は明らかな誤記(捏造?)だと思われる。
家系図の誤記は別に珍しいことではない。
また婚約期間が数年に及び、その後婚約破棄ということも二人の年齢を考えても
不自然なことで、(濃姫と信長は話がまとまって2ヶ月余で輿入れ)
婚約した事実があっても、その後比較的すぐ破談になったと考えるほうが自然な
流れであろう。

546 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 15:42:58
>>541 甲陽軍鑑によると、菊姫は長島一向宗派の願証寺の僧と婚約をし、
その後破棄になったということだが、この二人の婚約に関する史料や、
本願寺側の記述がまったく見当たらないんだよね。
松姫のことといい、どの程度まで史実に忠実なのかが疑問を感じるよ。
もし松姫が菊姫より先に生まれていたとしたら、年の順で松姫が景勝に輿入れする
白羽の矢を立てられたと思うんだよね。
信忠のことで縁談を断っていたなんていう俗説なんてでたらめだしな。
当時の大名の姫に当主の決めた縁談を断る選択肢はないから。
二人のどっちが姉でも構わないけど、そのへんに疑問は残る。

547 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 17:21:04
>>533
勝頼の外交オンチここに極まりって感じだよな。勝長の返還。
自分の引退、信勝は即元服させて当主、織田に臣従+信忠が所望するなら
松姫もやるぐらいのオプション付けて返せば武田家の末路もまた違った
だろうにと思う。所領は減っても信濃2郡と甲斐一国ぐらいは安堵して
くれたかもしれんしさ。上杉が雪で動けなくなる時期を目の前にして
返すとはもはやヤキがまわって自殺行為をしたとしか思えん。

548 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 17:39:04
>>547 どんなにへりくだった条件をつけて勝長を返還させても、結果は同じだったと
思うよ。信玄亡き後の甲斐は国人衆の武田離れも著しく、勝頼では家来の統制もできず、
内部崩壊が進んでたからな。その期に乗じない信長ではなかったろう。
強国甲斐を徹底的につぶして、他国へのみせしめにするという意味合いもあったろうし。
勝長を信長が厚遇したのは、武田の人質だったのに長篠の合戦をして勝長の
命を危険にさらしたことや、勝長が人質になった経緯が自分の身内への甘さから
という罪悪感もあったからかも。
信忠以外の息子には冷淡だった信長が、勝長には破格にいい扱いをしているのは
他家で苦労した分器量も備わっていたからというのも大きいと思うけど。
もし勝長の器量が信長も認めるほどのものであったとしたら、
幼い頃から身近に接した信玄や武田家の武将の影響だろうな。

549 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 20:22:28
なんだその結果論

550 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 20:34:22
てか国人衆が著しく武田離れしたのは木曾が離れて以降。
国人なんて己や領民を守るために常に強い方に傾く傾向があるから
武田に限らず家が衰退した場合なんざ最期はどこもそんなもんだ。

551 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 21:44:05
滅びる時はどうあがいたって滅びるもんさ。
ただ正統に武田家が残る方法はあったと思うよ。
織田家にもっと早く恭順の意を示せば家の存続は可能だったんじゃないかな。
もっとも豊臣、徳川の時代でどうなったかわからんな。

552 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 14:03:52
>>551
武田家が存続したら、
本能寺の後、家康は大大名になれない。
てことは、秀吉に簡単につぶされて、江戸幕府の時代が来ない。

553 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 15:11:36
武田家が存続したら本能寺自体も起きたかは未知数
そうなると秀吉の時代も来なかっただろう

554 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 21:14:08
来年の大河は楽しみだ!
松姫と信忠のラブロマンスはどうなるんだろう?

555 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 01:16:11
割愛希望っす。
三法師の名前の意義を考えてると、三法師生母が信忠の寵愛を得ていたような気がしてきたので。
信長は信忠に三郎と名づけなかったけど、家康の子に三郎と名づけたり、この名に執着している。
最初は勘九郎は美濃斉藤家の当主でもあるしという意味で気楽につけたのだと思っていたけど
滅多やたらに三郎を連発していることに気がつくと、斉藤家の意向に負けて勘九郎にせざるを得なかったと考える方が
自然な気がしはじめた。元服1572年だし。ピンチの時に美濃に頼ったんだろう。
三郎を襲名できている間は拘らなかったものが、襲名できないとなると大きく感じられてきたのだとすると
三法師の名は、この子には三郎を襲名させる予定であるという宣言のように感じられる。

そんで、この名をつけたのは、信長じゃなくて、信忠だと思うんよね。
信長なら、もっとトンチの効いた幼名にするだろうから。(根拠が全く無いのは申し訳ないが)

後、吉丸生母も三法師と一緒だったらいいなぁと妄想中
乱丸は乱法師と記載されていることもあるし、そんな風に、吉丸が吉法師でもあったのだとすると
名そのものが、側室の子だと侮らず敬えと厳命してるぜよ。

松姫伝説は、甲斐調略の手段で、甲斐を平定してしまえばそれまでだったのが
タイミング的に解明されずに残っただけかと。

いくら嫡男信忠の子でも、側室の子が当主となるには、生前の根回しもあったのだと感じる今日この頃。
だって、基本の立ち位置は、信雄も信孝も三法師も変わらんもんなぁ。(全員側室の子)
普通は大将も任されていた信孝が後継ぐだろ。

556 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 01:44:23
>>555
>だって、基本の立ち位置は、信雄も信孝も三法師も変わらんもんなぁ。(全員側室の子)

全然違うよ。

信忠は、信長の嫡男というよりも、家督相続は済んでるから、堂々たる織田家当主。
三法師はその庶長子。
信雄・信孝は、信忠から見れば弟で、他家に養子に出されて、織田家の籍はない。

信長と信忠が同時に死んだからややこしいが、
信忠がすでに継いでいた織田家家督は、その長男が継ぐのがスジ。

557 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 03:05:31
というか、三郎という名は織田家嫡男に代々使われている名乗りだから
正妻も定まらずの信忠はむやみに使えなかったんじゃねーの?
言い方を変えれば嫡男にするつもりなら信長に説明して使ったと思うし
信長だって事情が事情なのだから了承するだろ。

松姫伝説も甲斐平定のためならもっと早い時期から誇張して過大宣伝しまくっただろ。
情報戦は織田のお得意技だしな。

558 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 08:54:20
同じ側室の子でも、当主が正室を娶ってから出来た子と娶る前に出来た子とでは
扱いが天と地ほど違うんだよ。
正室を娶る前に出来た子は「家の恥」とされ、子供とすら認知されないことも
珍しくない。認知されても庶子扱いで、明らかに正室がきてから出来た側室の子
たちとは扱いが別とされた。
正室を娶ってからの側室の子は「正室の借腹」ということで堂々と認知され、
当主の子として扱われた。
嫡男は原則として正室の産んだ長男。
正室に子がなければ側室の産んだ子を正室の養子にして実子扱いされ、
嫡男の権利を与えられた。

本来三法師は婚姻前に出来た側室の子なので、扱いはかなり低かったはず。
庶子の長子にすぎず、名前の問題を論ずる以前に家督相続の権利なんてなかった
存在。嫡男になるためも諸条件を満たしていないので信雄も信孝も三法師擁立に
意義を唱え、信長実子である自分たちの正統性を主張したわけだ。

松姫伝説はもうあきらめなよ。
松姫が信忠の正室だったら、早々に松姫の養子にするなりして
三法師を嫡男として披露してたろうからさ。
信忠死後あれだけ後継者争いでもめたってことは、別の見方を
すれば松姫のことなんてまったくのでたらめだということでもあるんだから。

559 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 09:59:58
三法師の存在は清洲会議で初めて知ったという武将も多かったと思うよ。
「・・・秀吉の用意した替え玉?」という疑念もあったかもしれん。
正式な披露目をされていない非公認の子供なら身内ですらその存在を
知らない可能性もあるしな。
聞いてないぞ〜なんでそんな怪しげな子供が?と反対意見がでるのも納得だ。
信忠存命なら信正同様の運命をたどったような子供だったんだろうに。

で、塩川息女正室説はきっぱり消えたんかな?

560 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 13:11:12
>>559
>塩川息女正室説はきっぱり消えたんかな?
もともと、某学長の妄想だから。
三法師の母親が、塩川氏女かどうかも本来は分かってないからね。
墓の事を考えると、森可成の娘の可能性の方が高い気がするけど。

561 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 14:19:18
塩川学長のご先祖が三法師を産んだといってもかまわんよ。
その息女が信忠の側室にあがったという史料でも残っているなら。
ただ「織田家嫡男の正室」というのだけは、どこをどう検証してもありえないので。
学長さんは歴史が専門じゃないのかな?
戦国〜安土桃山の大名の結婚制度というもんをきちんと認識していれば
そんな妄想するわけないのに。
生駒の話も同様。
歴史上側室から正室になったケースはないし、ありえないことだ。

562 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 20:15:27
三郎に関しては、源三郎を貰ってる勝長こと信房が気になるところだな。
信長の実子で、三郎がついてるのが信房だけだからなぁ。

563 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:56:09
信勝濃姫実子説はちょっと無理があると思う。
事実なら正室の産んだ子なので、何かしらの記録があって然るべきだと思うし。
側室であっても生母がはっきりわかっている子供のことを考えてもあり得ないよ。
信忠以外の他の息子たちより厚遇されているのは、信長が気を使っているというか、
自分の不手際で幼い頃から人質生活の不自由をかけ、命の危険を負わせてしまった
ことへの罪の意識というか、謝罪の気持ちや罪悪感から、厚遇しただけだと思う。
信房が武田にいるのに、長篠の合戦があったわけで、信房が見せしめに殺されても
仕方がない状況もあったわけだしさ。
「三」の字は他の息子達にも使ってたりするし、特別な意味はないんじゃないか?
信忠がすでに嫡男として家督を相続してたし、兄弟間で確執がおこるような
真似を信長がするとは思えない。自分も家督争いで苦い経験をしてるんだから。

564 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 03:42:43
『三』の字だけ使っているなら兎も角も『三郎』となると話は変わってくるだろうて。 


565 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 08:11:09
「源」「三郎」だからなぁ。

「源」=物事の起こるはじめ。起源。根源。源流。
「三郎」=織田家の跡取りの通称。

「信房」の方になると、
「信」=織田家男子の通字。
「房」=束ねる。

極めて意味深だね。
信雄が信房の子供を、信房に戻る前の勝長からとって、勝良にして
信房って名前を隠蔽しようとしたと思われても仕方がない名前だ。

566 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 08:44:24
>>565 
信忠の与力ってことは、他の子供達と同様嫡男の家来という扱いをされていたし、
信長もそうしたったことだろ?兄達より厚遇されているかのような印象があるけど
信房が織田家に戻ってきた時期が他の兄達と違ってすでに織田家が勢いに乗って
天下を取る、取らないの大勢力になっていたから、その当時の織田家の息子に
相応しい対応をされたというだけのことだよ。
信長には10人〜12人(養女含むかどうか不明)姫がいたということだから
濃姫が出産したというなら、そのうちの誰かと考えたほうが自然かな。
姫なら女子としか記されず、生母の記載がある方が珍しいぐらいだ。

567 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 09:47:35
自分も濃姫が生んだのは女子だと思う。
勢州軍記には若君がいなかったってなってるから
姫君はいたんだと思う。
ただ、前に「冬姫かも」と書いている人がいたが、それはないと思う。
勢州軍記の作者は、蒲生氏郷の家臣だった父親のメモを元に書いているから
冬姫が濃姫の子供だったら、それこそ絶対に記録に残ってるだろうから。

568 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 10:20:00
>>561
まあ、大陸には曹操の例があるがこの際は無関係。

>>558
地方のマイナーの話だが、上総の真里谷氏が正室娶る前の側室にしか男子が出来なくてそいつに家督を譲って隠退したところ、正室が男子を生んで御家騒動となって里見・北条両氏の介入を招いた。

569 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 10:21:53
http://otoku17895687.web.fc2.com/tokutoku.html

570 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 10:54:19
仮に信房が濃姫の子供とする。
「お前が本来の嫡男だぞ」と織田家嫡男に縁のある源三郎の名前と
織田家当主を示すかのような信房の名前を与える。
だけど「嫡男は信忠だから」と、信忠の下におき、与力として
完全に主従関係を強いるような配置をされたわけだ。
信房にしてみれば、そんな屈辱的なことってないよな?
信忠だって、そんな境遇の信房と穏やかに信頼関係を築けるかな?
しょせん自分は側室の子であることに危機感を持つようになっただろうな。
それにものすごい火種を残すような人事を信長がするとも思えない。
信房が側室の子であれば、信忠も信房もその人事を躊躇なく受け入れるだろう。
信長がそうしたなら、やはり素直に信房の出自にはなんの含みもないんだろうと
思うよ。

>>567 濃姫の産んだのが姫で、生存していたとしたらどの姫が該当するんだろう?
嫁ぎ先がはっきりわかっている姫の他にずいぶんいたようだね。
危険にさらされぬように、信頼のおける家臣でしかも安土近辺に
住めるような相手を選んで嫁がせたのかもな。
他の姫たちの嫁ぎ先も明らかな敵国に差し出すようなこともせず
無難な相手を選んでいるし。(養女の遠山夫人は除くけど)
冬姫のいた日野城も安土城は10キロと離れていないところだったそうだし。
本能寺の変後に嫁ぎ先が断絶でもしてしまって織田家の家系図に詳細が
添付されなかったのかもしれん。

571 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 11:42:07
>>570
はた目にはそう見えてたのかもな。
だから三河物語なんかに、信忠が逆心か?なんて信長が言ったって
書かれちゃったのかもしれない。

572 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 13:12:29
信忠と親子喧嘩して、信長が馬を送って仲直りした話を
聞いたが、それって史実だっけ?歴史小説の創作エピだっけ?

普通に考えて信忠にその気があったとしても天下統一目前の
あの時期ではなく、統一後織田政権が安定してからことをおこすんじゃないか?

573 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 14:37:27
>>568 すいませんが、その続きはどうなったか教えてください。

伊達家も愛姫が輿入れから10年近くたってようやく男子を授かったので、
それまで誰もが嫡男だと思っていた側室の産んだ長男があっさり
退けられているよね。それまでその長男を嫡男と想定して厳しく養育して
たというけど。
その後愛姫は40才過ぎても子供を産んでるのもびっくりだが。

574 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 18:35:50
>>567
逆に考えれば、冬姫が濃姫の子だと知っていたからこそ
子がいなかったではなく、若君がいなかったと書いたのかもしれないよ。

575 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:05:23
某歴史関連の霊視ブログでは、濃姫の子供は冬姫じゃないかと書いてあったな。
ただ例の寺での出産の時の子供の件に関する質問でそう答えおり、
蒲生との縁組の年代を考えてもその時の子が冬姫ということはありえないので、
やっぱり眉唾。

576 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:15:27
霊視wwwwwwwwwwwwwwwww

577 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:38:35
歴読の霊界通信っていう企画まだあんのか?


578 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:46:51
>>570
なんだその結果論。


579 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 23:34:10
正直、信忠、信房、秀勝、信秀、信高、冬姫、全部まとめて濃姫の子だと思ってる。
信高は、席次の謎から(あと他のお鍋の子と扱い違いすぎる)。信秀は信高との幼名の類似性から。
秀勝、信房は双子で。
一人しか子が生めなかった人が安産のご利益ありなんて言われるとは思えん。
姫だけでも居たら信長と仲が良好だった正室の子だもの、総領姫だのどうだのこうだの
煩く騒いでるに決まってるのに。
皆覚えてんのに、姫が居たともいわず若君はいなかったとか歯切れ悪いったら。
要はタブーだったんだろ。
まことしやかに秀頼の父が石田三成ではと噂するように(有り得ん)、当時の情報工作は陰湿だ。
秀信殺しちゃったから、徳川政権としてはせめて「どの腹とも解からん子だし」って風に正当化したかったんだろ。
織田の当主2代続けて母親も解からずって、徳川260年はやっぱりすごいわ・・・・・・。

後、信房は、信包と名前が良く似てる気がする。
統率がどうというより、非常に清廉潔白で常に兄を助けた信包のように育って欲しいという意味ではないかな。
分家として残すという意味もあったかもしれないが(房=家)

580 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 23:47:02
>>579
なんか、その、うん、チャレンジャーGJ

581 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 00:30:23
>>563
たぶん、人質の意味について誤解がある。
あなたが言ってる人質は現代の意味であって、当時の人質は意味というか概念がことなる。
現代の誘拐犯の「人質の命が惜しければ〜」なんて同じことで戦国武将が「人質の命が惜しければ
降服しろ」とか戦に負けろとか言い出したら、逆に「オマエ、戦で勝つ自信が無いんだなこのヘタレ
が」と周囲から部下から全てから馬鹿にされて威信も名誉も地に落ちるだけです。

582 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 09:58:14
>>581 そんなことは言わないが、根本的な意味合いは同じ。
差し出した側の行動を制限し、威嚇材料に使った。
逆らったために女子供でも人質が処刑されている例もけっこうある。
戦国時代の戦ははかなりえげつなくて卑怯な手を使っていること知らんのか?

583 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 10:15:24
>>579
濃姫のタブーって、ナニ?。


584 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 10:56:04
濃姫のタブーというより、信雄とか秀吉とか家康のタブーって意味合いじゃないの?

585 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 11:06:14
秀吉のタブーって秀吉は百姓どころかエタ出身だったってやつ?

586 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 11:11:09
>>579みたいに、あれだけ濃姫の子供って仮定に立つと、タブーということは
秀吉が秀勝暗殺したのかもと言われていることとか、
家康が信秀殺しちゃったこととか、信雄は信忠と同腹と言い張ってることとか
って意味じゃないの?

587 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 11:22:07
自分は他の子供はともかく、秀勝が濃姫の子供というのだけは疑問だけどね。
秀勝が亀山城主になった時に一緒に暮らしてるから、
安土殿として知行を信雄から貰っているのがおかしいことになる。
それに、秀吉が近江の城に来ているところに、わざわざ生母側が亀山城から
出掛けて会ったりするのは、なんだかなぁ。
でも、吉田兼見は秀吉への訴訟の口入れを、秀勝の生母に頼んでいるから
秀吉への影響力はあったんだろうか?
でも、濃姫が秀勝生母だったとしても、吉田兼見が濃姫の事を「御次御袋」なんて
書くとは思いにくいけどね。
信長公御台も一緒に書くと思える。

588 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 12:16:56
「御袋様」は大名家の場合は、「男子(特に嫡男)を産んだ側室への敬称」として
用いられることが多いから、正室には用いないと思う。

589 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 13:23:59
>>582
だから、人質の意味が違うんですよ。通常の人質と、信勝の場合は。

通常の人質というのは、文字通り人による質(担保)です。本来の人質というのは、
忠誠の担保として「自らの意思」で差し出されるのです。借金を返せなければ担保
の土地が好き勝手に処分されるように、忠誠を裏切れば担保の人質の命を自由に
処分されるわけです。この場合、人質を受け取っている側には、その命を好きに
扱える権利が生じるわけです。だからこそ「差し出した側の行動を制限し、威嚇材料」
にもなったのです。

しかし信勝と信長はそうではありません。信勝は信長の意思で武田にやられた人質
ではないのです。信長からすれば拉致されたもので、その意味では現代の誘拐など
犯罪による人質の意味であって、中世における武士社会の慣習としての通常の人質
ではないのです。だから当然、武田には信勝の命をもって信長を威嚇したり行動を
制限したりできるものではありません。そんなことをすれば、武田は礼儀知らずの
マナー、ルール違反者として威信、名声をなくすだけです。

それから「戦国時代の戦ははかなりえげつなくて卑怯な手を使っていること」とのこと
ですが、そんなことは当然です。しかしそれでも、武家社会にはマナーとルールと
があり、それに背いた者は武家社会からはじかれてしまうのです。「マナーとルール」
の内容が、時代とともに変わってゆくことはあっても。
>563の言うような、合戦に負けたから人質でもない存在を腹いせに殺すなんてことをして
いたら、たちまち武家社会から白い目でみられますよ。

590 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 13:41:17
マナーとルールはいいから、何度信勝じゃなく勝長、または信房と言えば……

591 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 14:03:27
信勝といえば、武田勝頼の嫡男に決まっておろうが!

592 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 14:44:00
すいません、素で間違えました

593 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 14:44:44
信勝は信長の弟で、信行のことだよな、確か。

濃姫に関しては、「帰蝶」という名前はホントかどうか微妙。
「勢州軍記」「言継卿記」などから美濃制圧後も存命だった。
そんなところじゃないか?勝長が正室の腹って話はどっからでたんだ?

594 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 14:49:43
>>589 だったらとっとと「勝長」を織田家に返すべきだったのではないか?
君の理屈なら武田はとっくに礼儀知らずだよ。
あれは秋山が信玄に対し織田家に寝返っていないという証拠のために
差し出したものだ。「勝信」は武田方のいわば戦利品。
戦利品がどのような扱いを受けようと勝者に文句は言えないのさ。
それも戦国時代のいわばルール。
家康だって転売同様に織田家に人質としていた。
今川時代も人質だ。人質だったから三河衆はただ働きで今川に
従って戦の最前線に駆り出されてたわけだよ。
波多野兄弟と光秀の母親(姑という説もあるが)のケースだって戦国時代にはあったわけだよ。
秀治と秀尚は信長の命で磔にされたため、人質になっていた光秀の母親は
仕返しに磔にされ殺された。
それでも双方が世間から白い目でみられることはなかったろうさ。
人質に出すということはそういう結末も想定内だから。

595 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 15:11:01
勝信って誰?


596 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 15:29:20
>>594
つまり、勝長は「秋山&おつや夫妻が武田に差し出した人質」であって、信長が差し出した
人質ではないのですね。信玄および勝頼は秋山に対して「裏切ったり逆らったりしたら勝長
を殺すよ」とはいえるが、信長に対しては言えないのです。
ちなみに家康の場合は、まず織田に売られた時の場合は父親はまったくその命を考慮せず
そのまま今川への臣従を続行。宙に浮いた形の家康の身柄は、実質は人質でも信秀は客分
を預かったかたちにして一応遇した。今川時代はまったく問題ない。家康は松平家の総意
として今川に身柄を預けることになったのだから。たとえそれが岡崎衆にとって不本意な
ものであっても。
光秀母の件はさらに問題ない。あれは波多野兄弟の命の保証する担保として母が差し出された。
だから波多野兄弟が殺されれば契約違反として母が殺された。これらは戦国時代の通常のルール
の範囲です。よって世間から白い目でみられることもない。
しかし何度もいいますが、勝長は信長の意思で武田に差し出された人質ではないのですよ。

597 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 15:29:34
みんな、もっと落ちついて書き込みしよう。
誰が誰だかわからん。

ところで>>593
後年当て字でそう記されたと記憶している。
「きちょう」「こちょう」「ききょう」とかなんとか
呼ばれていたらしい。

勝長実子説は永禄11年「近江國輿地志」に「曾織田信長と御台所倶に当院に止宿す。
不図平産あり。〜」の記載があったから。
男子ならば生母不詳の勝長が該当するのでは?ということになり、
その説を裏付けるように幼名「源三郎」や元服名の「信房」が
含みがありそうだ、ということになった。

598 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 15:44:53
人質は人質。
殺されようが、だまし討ちにあおうが、おめおめと人質にとられたのは信長の失策。
その人質を殺そうが、いたぶろうが、誰も非難せんよ。
勝長なんぞという屈辱的な名前を与えていたことからも
扱いの程度がしれる。
人質を送る大義名分や事情はいろいろあるが、結果的に人質の意味合いは一緒なんだよ。

599 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 16:14:34
>>596 それじゃなんの目的があって勝長は長いこと武田家におかれていたの?


600 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 16:36:19
>>597
補足するなら、「近江國輿地志略」のそれが書かれている箇所は
学問所として有名な成菩提院の箇所で、記述の元ネタは
一緒に書かれていることなんかから判断して、
成菩提院に残っている記録であったようだ。
成菩提院の記録群は、本格的に史学者に研究されたことがほとんどなくて
極一部のみ活字化されている箇所もあるが、信長の時代のものではない。
史学者が研究して、これがどういう経緯で記録に残されたのか
調べてほしいところだな。

自分は、やっぱり、勢州軍記の
「彼ノ信長公ノ之御台斎藤山城入道ノ之息女ノ腹ニ無若君也」
にこだわりを持ってしまうから、姫だったと思うんだがなぁ。
しかし、それならば、何故織田復帰後の「信房」に倣わず、
武田時代につけられたと思われる「勝長」に倣って、
信房の子供に勝良という名前を、信雄が付けたのか疑問が残るから、
信雄の立場的に、信房系統の血筋は追い落としたい何かがあったのかと
思えなくはないな。
安土での対面は、やはり、印象に残る程のものだったから信長公記に残されたんだろうし。

601 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 16:39:38
>>597
>幼名「源三郎」
幼名じゃなく、通称だよ。
幼名は坊丸。
寺で生まれたから、坊なのかなという気もするけど。

602 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 16:51:22
もっと別の理由で勝良を織田家の家系から抹消したかったのかも。
勝良がもすごい家の恥になるようなことをしでかしたとか?
勝の字を用いるのは確かに変だよね。
もしかしたら、本当に勝長の子供だったか怪しい存在だったので、
信の字を使いたくても使えなかったとか?

603 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:27:52
宿泊先での急なお産。
しかも火事までおきて・・・

さすがの信長もも〜のっすごいあせったろうな。

火事がおこって、あわてて逃げ出ているうちに産気づいたとかじゃないかな?
TVとかだとショックなことが引き金にお産が始るシーンをよく目にするが。

その後京都まで新生児を抱えてどうやって移動したんだろうか?
横になりながら移動できるようなものがあったのかな?
と疑問だ。

604 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:39:04
>>603
信長の正室くらいになれば、輿に乗れる身分だから輿だろ、普通に。

605 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:43:28
>>603
「永禄年中織田信長当寺に止宿の節俄に舞馬の変に遭ぬ。」
の一文があってから、
「曾織田信長と御台所倶に当院に止宿す。不図平産あり。時に護摩堂より失火。 」
って、文に続くから、火事があった上で産気づいたんだろうね。
「舞馬の変」っていうのが火事の比喩だし。

606 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:59:29
>>604 あの輿って寝れるスペースあんのか?

>>605 「御台様〜火事です、お逃げください」
「なに、火事!あっ!」(破水の水がたらたらたら・・・)
っていう感じだったのかな。

せめて安産だったらよかったな。
火事、お産、難産、なら目も当てられん。

607 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:03:40
>>606
女性用の輿って、意外とでっかいよ。
完全に仰臥は出来ないかもしれないけど、
出産後に仰臥していなきゃいけないのは、
当時でも丸1日くらいだと思うよ。

現代では初産なら8時間後、二度目以降なら
4時間くらいで、歩かせて悪露をおろすのうながすし。

608 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:21:12
意外かもしれんが出産後すぐに横になれるようになったのは近代に入ってから。
それまでは出産後はすぐに横にはなれずに背もたれによっかかって
半分起きた状態で数日過ごすのが当たり前の習慣だったそうだ。
(その方が悪露が出やすいと思われていたから)
江戸に入るとこの習慣に輪がかかり、一週間はお産椅子があれば椅子に
ずっと座り続け、ない場合は藁を積んだものによっかかりと・・・。
産婦にとってはまさしく地獄の一週間だったと思われ。

他にも出産後は丸一日寝ないようにおしゃべりの相手をさせられたり
寝そうになると酢を嗅がせられたりと拷問かよwといわんばかりの
ことも普通にあったらしい。

609 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:32:57
>>608
じゃぁ、普通に輿で移動だね。
新生児はいきなりで乳母がいなかったかもしれないから
正室が授乳しつつだろうか?
それとも、急遽乳母を募集したので、周辺住民に出産がばれたとか?

やっぱり、京都で御台の寝所に人を近づけさせなかったのは
新生児を守るためかな?

610 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:33:45
そんなことするから産婦死亡率も高い訳だ。納得。

611 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:45:19
>>609 
乳母は急遽呼ばれてつれてこられたと思うよ。
母乳は赤ちゃんに吸ってもらわないと出が悪くなるから
乳母は乳飲み子のいる女性に限られていたはずだし。

まったく地理に疎いのだけど、その出産したという
寺と尾張、京都の距離ってどのぐらいで、
当時ならどのぐらいの時間をかけて移動していたんだろう?

612 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:48:05
会陰切開をしなければ、出産後すぐに座ったり、歩いたりは可能。
帝王切開だとそのへん楽だけど、切腹の傷が麻酔が効かないほど痛い。


613 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:56:56
しかし、産婆がいなければ、会陰切開どころか会陰裂傷でずたずたになるぞ。
経産婦だったら、そんなことはないから、裂傷も起こさず生まれたかもしれないけど。
あと、火事で俄に産気づき・・・だったら、少し早めに生まれて、
赤ん坊が小さくて裂傷になってないかも。
それでも、初産だと難しいな、裂傷なしは。
産婆がいるかいないかで、その後の行動の制約は、随分変わると思うぞ。
何せ、産婆は産道に手を突っ込んで、赤ん坊の頭を縦長にして生ませる技術を
持っていたらしいからな。
生まれた子供は1ヶ月くらいかけて、元の丸い頭に戻したそうな。

614 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:57:13
おまつはそんなことを8回も・・・
えよは10回か?


615 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 19:02:15
>>613 それがタイミングよく産めれば無傷で産めるそうです。
出産にともなって収縮しやすくなってるそうで。
昔は粗食のせいもあって、赤ん坊も小さく、お産が軽くすんでいたとか。
昔の暮らしは自然と身体を使うことが多く、
そのこともお産が軽いことにつながったそうですよ。
大名の奥方も、広い城内を歩くだけでもかなりの運動量だったと思う。

心配なのは前置胎盤などの出血を伴う出産でしょう。
遠山夫人などもこれが原因で亡くなったのかもしれませんね。

616 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 19:04:43
>>613 産婆や医師はさすがに同伴していたと思うな。
それと当時は自宅出産だから、実家にいた頃お産を身近に
経験している侍女などもいたと思う。


617 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 19:05:07
>>615
遠山夫人というと、岩村城の方と勘違いされるから、
遠山夫人(勝頼夫人)って書く方がいいお^^。

618 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 19:11:24
遠山夫人といえば、岩村の毒女の最期は、
逆さ磔、信長成敗、城に篭城したまま自刃、
と諸説あるけど、どれが正しかったのかな?
信長よりも年若い叔母で、かなりの美女だったというけど。

619 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 19:19:03
>>598
そうだね。信長にとって勝長は拉致された存在。信長にとっては子供をみすみすと
奪われた屈辱の事件ではあるだろう。でも別に武田に差し出した人質ではないので。

妻子を拉致拘束して脅迫というのはそりゃ中世にもありましたよ。でもそれは山賊
夜盗の類のすることであって、まっとうな武家の行いではない、とみなされるのです。
とにかく、「人質」という単語が同じだからといって、現代と中世ではその意味合い
が異なるというのはこの件に限らず普通にあることです。その違いを抑えないと豪い
間違いをしでかしてしまいます。

620 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 19:31:44
もし寺の出産が濃姫であれば、待望の子供が誕生した、というのではなく、
既に何人か無事に出産したので、ある意味余裕の出産、だったのでは?と思った。
京都まで遠出するのもへっちゃらで、信長もそれを許したということは
濃姫が経産婦で、しかもお産に強い体質だったという裏付けではないだろうか?
当時の彼女の年齢を考えてもかなりお産に自信がなければ同行はしないと思う。
そう考えると、既に一人以上は出産経験があると想定されるな。

621 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 20:04:26
>>611
>まったく地理に疎いのだけど、その出産したという
>寺と尾張、京都の距離ってどのぐらいで、
>当時ならどのぐらいの時間をかけて移動していたんだろう?

今の米原の辺りだね。
http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E136.24.10.5N35.20.40.3&ZM=5

成菩提院に泊まったのが上洛戦の時と仮定して、信長公記によると
永禄11年9月21日、成菩提院宿泊
22日、桑実寺
24日、守山
25日、瀬田
26日、三井寺の極楽院に陣構え
28日、東福寺に陣を移す
29日、勝竜寺寂照院に陣を移す
30日、山崎
10月2日、池田城を攻める
その後、14日に京都に戻る
戦の途中だから、比較的ゆっくりの進攻だったのが幸いしている感じだ。
29日の辺りで、御台が京に残ったか、そのまま池田城攻めについていったか分からないが。


622 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 20:23:46
>>621 わぁありがとう!
さらにびっくりだけど、出産翌日にもう移動して、しかも合戦に行く
途中だったんだね。
輿での移動で、ゆっくり進んでいるようだからあまり妊婦に負担には
ならなかったろうけど。
しかしなんでそんな状況で、しかも身重の濃姫を同行させたかったのかな?
戦国時代は合戦の時は女人、特に妊婦は禁忌と聞いたけど。

623 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:00:14
出産後とりあえず濃姫は城に戻ったのでは?


624 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:21:58
>>622
合戦時に女は禁忌というのはよく言われる話だけど実際のところは疑問。
というのも、池田隊には女小隊が実際にあったし家康も側室を連れていってる。
それと女が禁忌というのは出陣前までで出陣したら無礼講もんだったらしい。

625 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:42:08
永禄12年の年明けに、御台が京にいた記録があるから、
京都に伴って、そのまま曲直瀬道三のとこにでも預けたんじゃないかな?
丁度中間くらいのところだし、護衛付けて濃姫だけ戻すより、
信長の側においておいた方が安全。

626 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:49:14
濃姫がそこまでして京都に行かなければならない理由って一体なんだったんだろう?

627 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:57:33
意外と、妙覚寺で道三の法要でも弟に頼むつもりだったとか?
13回忌あたりだろ、確か。

628 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:14:42
身分の高い人物との拝謁を御台も一緒に賜らなければならないことがあったとか?

629 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:15:33
>>624
池田の女小隊は、鉄砲隊だったというね。
鉄炮で敵を殺しても、首を取れないから報償に関係ない女性がになったのかもな。
鉄砲なら、体力的に男性に負けても平気だし。

630 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:20:26
死化粧隊や慰安部隊も軍にくっついてぞろぞろいたらしい。
合戦は女達にとっても小遣い稼ぎの場でもあったわけだな。
敵の首を笑いながら洗って死化粧しているおあむ絵巻をみると、
当時の感覚なら妊婦が長旅するぐらいのことどうってことないかも。

631 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:54:56
>>628 逆にすごーくプライベートな理由だったかもよ。
何か神事的なこと(厄払いとか願掛け)で、京都の寺に用事があったとか。
それこそ妙覚寺に仏事的な用事があったとか。

632 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:02:58
夫婦そろって茶器収集に夢中になっていて、茶器購入のために
どうしても京に行きたいとゴネたとか?
あるいは公方とも一緒になっているから、公方の招きとか?

633 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:21:17
織田家興隆のために共に頑張ってきた正室と共に、将軍を擁して堂々と上洛したかった。
なんて理由だったら、萌えるんだが。

だが、真面目な話、当時の社会慣習上、公式の場で夫婦同伴でなくてはならないような
話はないから、公式なものではなく、信長側の個人的な理由だと思う。

634 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 13:37:44
その出産したのは側室の誰かじゃないか?なんという推測もあったけど、
そんな状況で無理をおして信長と同行するなら、側室とは考えられないな。
織田家の何かしらの重要な用事のために、御台も上洛する必要に迫られていたんだろう
と思う。

635 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 19:51:01
永禄11年「近江國輿地志」の御台出産の件だけど、
ttp://tenkafubu.fc2web.com/yosijoraku/htm/gifu.htm
この方の説明書きによると、信長は上洛戦が成功した美濃への
帰途の10月27日にもこの寺に泊まっているらしい。
さらにその後150石の寺領を寄進した、ということだ。
もしかしたら出産は美濃への帰途のことだったかもよ?
あるいはやはり行きに出産し、信長は戦の後いったん一人で美濃へ帰り、
濃姫は子供を産んだばかりなので上洛したまま京都にとどまり、翌年また信長が
迎えにきて合流、という流れだったかな?
翌年も濃姫が京にいたという史料の記録があるからそっちのほうが
ありえる話かもしれない。
どっちにしても寺への寄進は、安産の感謝の意味と火事のことを配慮して
寺に寄進したということかもしれないし、御台出産の話は信憑性が高いと思った。

636 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 20:47:21
>>150石の寺領を寄進

男子誕生ゆえの出血大サービス?

637 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 21:09:13
>>635
そのサイト見ると、成菩提院は天正6年に火事が起きてるね。
しかし、「近江國輿地志略」では永禄年中に信長が泊まった時に火事が起きてる。
意外と頻繁に火事が起きてるのかな?
信長が泊まったときは、敵方の放火だったりして。

638 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 21:36:12
もしかしたら護衛のもっていたたいまつなどの火が
風にあおられて寺に燃え移ってボヤとかになったのかもね。
そうしたら寺に大迷惑をかけたから寄進ぐらいしなきゃばちがあたるわな。

>>637 この地誌ではない別の地元の地誌に永禄11年に寺での出火のことが
記載されているとどこかで読んだ。そこの検証では、逆に火事は事実だろうが、
地元民の信仰心を得るために、信長や御台の出産の話を捏造して火事の話に
くっつけたのでは?ということだったけど。この話のメインは
火事でまいあがった書仏が柿木に引っかかり、その直後に火事がおさまった、
その時とても身分の高い方のお産があったので地元民がその書仏に安産祈願を
するようになった、というあくまで地元の伝承話みたいだった。
だけど、本当に濃姫出産と火事が同時期におこったのかもな。

639 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 21:58:00
スレチだけど>>635のサイトの寺の説明のところの

>>歴代住職の中には徳川家康の懐刀といわれた天海大僧正がいる

に、90へぇ。
ここで家康とコネクションもったのかもな。
っつうことは、光秀=天海説はありえないよな?
顔われてるし。

640 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 22:17:17
成菩提院の記録の研究に期待したいね
誰か研究してくれないかな?

641 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 23:34:58
山奥の田舎寺かと思ってたらすごい古くからの歴史ある寺だったんだ〜
それに80へぇ。

642 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 23:55:50
坊丸だっけ?信房の幼名。
信房がこのとき誕生した子なら坊丸が誕生した、
寺の宿泊所という意味の「宿坊」からとったのかな?
坊そのものに、「幼い男の子」という意味もあるから、
まんまつけた可能性もあるけど。
「人」とつけるような親父だし。

もし信忠が濃姫の子だったら誕生後すぐに嫡男決定だから、
吉法師とか○法師という名前をつけたのかな。

643 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 01:07:03
森乱の弟にもいるじゃん、坊丸。
あの時代の平凡な名づけだと思っているけどね。

644 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 10:57:45
あの時代では平凡な名前でも信長の名づけの傾向からすると
御坊丸ってかなりまともな名前というか、唯一子供への愛情を
感じられる名前感じるけど。奇妙、茶筅、三七なんかに比べたらさ。
人なんて下になればなるほど適当になっていく。


645 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 13:13:03
奇妙はどういう意味でつけたか解からないけどな。
”まれにたえなる”の意味でつけたのかもしれないし

生まれたばかりの子供って、ものすっごい不細工じゃない?
翌日になったら、見違えるほど可愛くなる。
初日のすごい状態をみてインパクトが強かったかとすると
「へんてこるん」の意味での奇妙は、信長が信忠の誕生に立ち会った証拠になってしまう。

wikiのは酷いけど、岐阜市立博物館にある信忠の肖像画はまぁまぁで
こっちの顔の方が本人に似てるんだとすると、当時のセンスを考慮すると美男だし。

646 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 15:20:56
Hするとどうしてこんなもんが女のあそこから産まれるんだ???

と医学的な知識のない当時の信長が素朴に「奇妙だなぁ」と
感じたので、そのまんま名前にしたのでは?

647 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 15:47:57
御坊丸って信行の子供で津田信澄の幼名といっしょ。
よりによって信行の子供と同じ名前つけるかな?
大事な子と思うならその名前は避けると思うけど。

648 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 17:03:31
信行の子が大事な子だったんだからそれで良いんじゃ。
信澄は、信長の側近だよ。
信長の子達だって、そんな地位には登れなかった。
自分の2男3男には織田姓を名乗ることを認めなかったが
信澄は津田姓だし。
馬揃えでは、信孝の次に登場して、5番目。
謀反人の子なのに5番目って、信長本人の気持ちとしては
信忠の次にでも登場させたいくらいだったんじゃないかな。
だからこそ、本能寺の時に信孝に殺されたんだろうし。

信行って、当時の書類では信勝の名乗りだったらしく、信行は見つかって無いらしいよね。
で、ノブカツって音を、信雄に名乗らせてる訳で、(貴族になるまではノブカツだったらしいね)
弟を殺さないといけなくなったのが、よっぽど無念だったんじゃね?

649 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 18:55:28
信雄の読みは、「ノブオ」「ノブカツ」どちらとも判明していないと思ったけど。

650 :バロン曽志崎:2006/12/16(土) 19:30:44
>>647
信澄の幼名については別名としている資料があるにはあって、甥との混同か
もしれない。

>>649
かなり以前から「お湯殿の上の日記」に「のふかつ」と仮名で書かれていて
判明してますよ。

651 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 00:38:44
自分も、ノブカツ以外の読みかたをしたことないな。

652 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 01:41:25
>>644
奇妙や茶筅や五徳・・・とかの名のほうが
信長独特の愛情を感じるのだがなw

653 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 09:28:40
>>652
どっちも全く愛情を感じないんだけどw
幼名に関しては、「見たまま」「感じたまま」適当に決めたような気がするw
「変な顔。奇妙でいいや」
「生まれたばっかりなのに髪の毛ふさふさで茶筅ゆえそうw茶筅でいいや」
「3月7日生まれ?んじゃ三七でw」
「おっとこんなところに五徳が。んじゃ五徳で」

こんな気がするんだけどw

654 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 10:22:49
坊丸以外はどの大名の子の名前にもないようなユニークな名前。
そこを親の愛情ととるか、無関心ととるかじゃないか?
坊丸もよくある名前なら無関心ととるか、他の子よりも愛着があったのかととるかだな。

個人的な見解では、この時代男女ともに代々嫡男を示すような幼名以外は
あまり意味のないものだから、信長がひらめきだけでつけた適当なもので、
そこに大きな含みはないと思う。



655 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 10:50:28
>>653
そんな感じするw
アイススケートの子孫の人見てるとw

656 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 12:36:08
>>654
>坊丸以外はどの大名の子の名前にもないようなユニークな名前。
どっかの大名の幼名は姫何とかじゃなかったっけ?
あと親の愛情を全く感じないような変な幼名の武将が
他にもいた気がする・・・。誰だか忘れたけどw

657 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 12:41:44
そういや姫の名前は五徳は変わってるけど、
他はいたって普通だな。(冬姫、栄姫 etc.)
それともこれって創作?

658 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 13:07:39
ユニークといえば政宗長女の「五六八」。
「いろは」という響きはいいけど、
ぱっと見た目「ごろはち」と読んでしまう。
男子を欲しがっていたからそんな名前にしたという説もあるけど。
最初に女子が生まれたら、男っぽい名前をつけると次は男子が産まれてくるんだって。
だしかにその通りになってるんだよね。

659 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 13:25:20
>>652 >>653
どっちでも考えられていいんじゃない。
命名は大事なことだけど、
ほんとに各家庭の思惑によって・・・だろうからさ。

でも、五徳の場合は徳姫のほうが周知されてるな。


660 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 13:58:38
姫の名前こそ信長の個性がでててもいいよね。
順番に一姫、二姫、とつけるとかさ。
そうしてくれれば冬姫が長女なのか、五徳が長女だったのか、
一目瞭然でわかったのに。

661 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:12:50
でも姫の名前って気合入れて名づけてもあんまり意味がないのかもね。
この時代、夫や息子、住んでる場所なんかで女の呼称はころころ変わるし、
話題になってる五徳にしたって「岡崎殿」って呼ばれていたみたいだし。

昔は、近しい人物(両親、夫)などが本名(幼名?)で呼び、
それ以外の人物から「○○御前」「○○の御方様」「○○殿」みたいに
呼ばれていたのかと思っていたけど、
信長晩年の側室・興雲院(お鍋の方)なんかは、元夫の小倉実澄の姓から
信長に「小倉」と呼ばれていたようだし、親がつけた名があるとは思うんだけど
それは基本的に、夫などでも呼ばないものなんだろうか。
濃姫も信長がつけた名前という説があるけど、その辺どうなんだろう。
夫でも他人行儀な呼び方(本名ではない呼称)をするんだろうか。

662 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 17:31:20
秀吉は手紙の中でねね様を「そち」という呼称を用いたいたので、
他のお殿様も普段は御台と相対の時はそう呼んでいたのかもしれませんね。
もしかしたら、お床の中では本名を呼んでたりして・・・ぽっ(恥)


663 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 20:39:32
>>662
間違って側室の名を叫んで、正室にぶっ飛ばされないように、すべて「ソチ」で統一してました

664 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 08:36:01
正室が側室にやきもちをやくとうのは現代人の感覚だよ。
大名のお姫様クラスなら、自分の親兄弟がみな多くの側室を持ち、
異母兄姉弟妹大勢の中で育っているから、側室がいるのが当たり前の環境だった。
正室、側室の立場も充分把握して育っているから、やきもちなんてそうそう
やかないと思うよ。
ねねは下級武士の出身だから大騒ぎしてたけど、
信長は「なんで正室なのにそんなことで大騒ぎしてるんだ?」と
半分理解できなかっんじゃないかな。
身分の高い女性のたしなみとして感情を露骨に出さないという
作法もあったから、少なくとも表面上は悠然とふるまってたと思うよ。

665 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 13:46:37
当主のほうも正室は他家からのお預かりもの、側室は自分の子供を
産むもの、という一線をきちんと引いていたろうしね。
当時の婚姻は男女ともに若いから、信長&濃姫みたいなカップルは
幼馴染みたいな愛着も生まれてきたろうと思うな。

666 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 21:42:12
徳姫は側室の子なのに、姑の讒言を行ったようだけども
当時の常識とは別に、個人の考え方もあるんじゃないかな

667 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:07:05
>>666 姑の讒言はともかく、信長が激怒したのは武田との内通のことだから。
家康もグルだったのかもしれんが、とにかく母息子を粛清することで
信長の疑念を払拭した。
もし武田内通のことを父親に報告したとしたら、それはスパイでもある
正室の仕事だから当然なことをしたまでだな。
でも家康は徳姫を実家に返すときに化粧料を持たせたというし、
後年徳姫に1700石以上の所領を与えているし、恨んでいる様子はない。
信長に五徳がチクリの手紙を書いたなんていうのは嘘じゃないかと思ってるよ。

668 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 05:12:57
>>667
自分らのトラブルを織田父娘になすりつけた可能性大

669 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 09:50:15
>>666
築山殿の悪行申し立てといっても、
実のところはどれだけ徳姫の意志が動いた不明ではないかな。
政略婚の習いで、徳川家には姫付きの家来や侍女がともに入って
実家に情報を流していたわけで
讒言の件も姫の周囲が行ったものだとか、諸説あるではないか。

それに>側室の子なのに・・・というのは意味がわからない。



670 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:03:32
そもそも、徳姫が出した手紙の現物どころか写しもないんだよね。

671 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:35:15
将軍となったからには過去のダークな部分をなんとか偽装工作するに
かられて、信長や徳姫の死後、家康が悲劇の夫&父親、という
脚色がされたんじゃないか?
築山殿が家康の命で家臣に殺害されたのも、信康が自害しのは事実だから、
徳川家で一大事がおこり、家康の一存で粛清したが、正室と嫡男を死に追いやったというのは
世間体が悪いので、残虐というイメージがある信長に悪役になってもらい、
信長のせいでそのような無慈悲なことをやらざるを得なかった、
というのが真相だったりして。
だいたい娘が姑の愚痴を手紙でかいてよこしたら、
ねねの手紙にはあれだけ心温まることを書いてくれる信長様だから、
「姑殿と諍いをおこすな、敬いなさい、そなたは信康殿の正室だぞ、
次は徳川の世継ぎを産め、この手紙を家康殿にもみせなさい」
なんていう返事を書いてよこしそうだが。

672 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:37:55
>>671
自分の娘は、ほとんど政略結婚にも使わず、近しい信頼おける家臣の子供辺りに
嫁がせている信長が、徳姫だけそんな謀略使わせるはずもないよな。
徳姫の不幸は、信長にとっても想定外だったんじゃないかな?

673 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:05:08
そうそう、冬姫なんて安土城からわずか5〜6キロしか離れてない日野城に
嫁いでる。しょっちゅう実家に入り浸ってたりして。
でもそのおかげで本能寺の変後濃姫以下信長の妻子が助かったんだよな。

674 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:15:49
冬姫といえば、永禄元年生まれ説と、4年生まれ説のどっちが正しいんだろう?

675 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:49:45
『氏郷記』では12才で輿入れ、『蒲生氏郷記』では9才で輿入れ
と記載されている。永禄元年説なら冬姫が長女となるけど、
徳川との婚儀が1567年、蒲生との婚儀が1570年ということを
考えると、順番からいって長女から嫁ぐだろうから、
やはり徳姫が長女だと思うな。


676 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:03:10
>>673
嫁に行った時点ではまだ実家は岐阜城だから。
結婚後数年たって実家の方が近所に引っ越してきたの。

677 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:09:32
嫡男を15歳で元服させた信長に順番通りを期待するのは難しいと思う。
純粋にどちらの史料が信頼性が高いかで決めた方が良い気がする。

678 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:10:45
>>676 信長が娘かわいさに婿殿の家を実家近くに配置したとか?

679 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:55:32
もともと氏郷の日野城の側に安土城を築いたんだよ。
偶然だろうけど。

680 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:01:03
hosyu

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