5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【治承】源平合戦総合スレ【寿永】

1 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 20:03:29
無いようなので立てました。このスレでは、源平合戦全般や、
奥州征伐などについてまったりと語っていきましょう。

2 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 17:29:39
とりあえず2get

3 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 22:43:58
驚異の過疎っぷりワロスwwww

4 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 11:55:32
4gets(フォ〜)

5 :日本@名無史さん :2006/10/09(月) 12:54:46
ちまたでは人気ある話題なのにねぇ。
ところで一般的になっている源氏の系図、
義朝十人兄弟とか頼朝八人兄弟のソースを教えてくれませんか?

あと平家物語にはその系図にない義朝の弟が出てきた気がする。

6 :河野通清:2006/10/09(月) 16:48:08
源さん、俺協力しますよ!!!

7 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 17:32:45
いや、ふつうにないだろ源平合戦。素材はいいのになあ。
判官人気も年寄りしかねえよ。


8 :日本@名無史さん :2006/10/11(水) 13:17:25
義経が舟の漕ぎ手を殺すよう命じた話は捏造ですか?

9 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 14:20:49
2!

10 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 20:31:18
平清盛の「南都焼き討ち」は、織田信長の「比叡山焼き討ち」を先取りした快挙!

11 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/10/13(金) 19:05:03
攻撃を仕掛けた際、うっかり延焼して大仏殿まで燃えてしまった様ですが。
園城寺もほとんど焼かれていますが、こちらは浄海と懇意にしていた延暦寺
が度々焼いており、鬼門の延暦寺や大仏の東大寺とは異なり、鎮護国家と関
わるものとされていなかった分、精神的な負担も少なかったのでしょう。
信長は延暦寺焼き討ちの後、吉田兼見に「南都も焼け、叡山も焼けた。鎮護
国家の大道場が両方とも焼けてしまった訳だが、京都は大丈夫か」と相談し
ています。
信長の焼き討ちも何が何でもと行われた訳ではなく、何度か好条件を提示し
て妥協(せめて中立でいてくれる様)求め、蹴られた後の行動でした。
本人達には、快挙という認識は無かったでしょう。
寧ろ「やっちまった」が本音であったかと。
寺社はアジールとされながらもしばしばその権利を侵害されており、頼朝の
弟の義経も勝尾寺を避難民の荷物ごと全焼させています。

12 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 02:25:38
平教経って結局一の谷と壇ノ浦どっちで死んだの?
吾妻鏡では、一の谷で安田に討たれたとあり、醍醐雑事記には
壇ノ浦で自害したとある。玉葉は一応首をとられたという記事があるが、
なんだか情報が錯綜している。もし、一の谷で死んだなら、一の谷死亡の
逸話や史跡が全く無いのが気になるが・・・・。

13 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 14:08:40
>>5
図書館にでも行って『尊卑分脈』でも見てこい

14 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 17:09:53
>>5
尊卑分脈もあやしいんだよな。実在したかどうかわからん奴がいたり。
ってなわけでまともな歴史の本で補完するのを忘れずに。

15 :ウイポジャンキー:2006/10/17(火) 16:14:16
 保元の乱で源義朝がもうちょっと謙虚やったら、その後の日本の歴史はどうなっていたのだろうか・・・・・・。
そのときの源氏は反主流派が勝っただけに。

16 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 02:02:57
義朝ごときじゃかわらん。


17 :ウイポジャンキー:2006/11/01(水) 18:11:36
>>16
 義朝は論功行賞に大きな不満を持っていた。その理由は、君主たる父為義と対立していたから。
その戦で負けた方は夜討ちをしなかった、関が原の戦いの直前の石田三成みたいに。

18 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 21:00:01
当時の清盛と義朝の官位の差をみれば、当然の結果だと思うけど。
それに清盛は崇徳方と見られて当然の環境にいたのに後白河方についた功績は大きいと思うが。

数年前まで、無位無官の義朝だ。保元の乱で出世のチャンスを掴んでも。
中央政治の魑魅魍魎な世界を渡っていく才能が武人肌の義朝には荷が重いのではないか?
それでも頑張ったと思うが、うまくいかないジレンマが平治に繋がっていくじゃないかな。


19 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 02:54:56
平泉

20 :shana.:2006/12/02(土) 18:49:39
義経って『悲劇の英雄』とされてるが、考えると方によれば、ただの卑怯者にすぎない。
背後からの奇襲や舟の漕ぎ手を射たり…
だが、俺としては義経が好きだから卑怯者ではなく英雄だったと思いたいが。。。
皆はどう思う???

21 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:09:29
>20
英雄と思っているんならそれでいいじゃん。
考え方は人それぞれなんだから。

俺にはそうは思えない。

22 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 19:45:03
すごい過疎っぷりだなw
俺は源平合戦は史上では1番好きなところなのに、結構人気無いのね1( ̄□ ̄;)!!
源平合戦について、あーでもないこーでもないって語り合いたかったのだが。。。
あえてのage

23 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 20:14:38
>>5
>あと平家物語にはその系図にない義朝の弟が出てきた気がする。

賀茂冠者義嗣と淡路冠者義久だっけ?
「尊卑」は義朝兄弟の半分も網羅できてないからな。


24 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 01:18:08
源範頼って凡将じゃないって聞いたけど、本当なの?教えてくれ。

25 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 09:59:18
このスレの問題は、
興味ある参加者や質問者がいても
回答する知識人が来ない事だな

26 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:07:28
>>22
源平時代ってじーさんばーさんにしか人気ないからなw
あと局部的な源平スレは乱立してるしね。

27 :日本@名無史さん :2006/12/09(土) 13:37:29
>>20
舟の漕ぎ手を射るなんて、ガセネタなんですけど。

28 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:04:08
>>24
範頼が凡将という証拠はない。
この人は合戦に負けたことはないし、
中国・九州遠征で補給に苦しんだけど、ちゃんと任務は果たしてる。
補給で苦しんで無能ならナポレオンもロンメルも無能になる。
義経が物語化され民衆のヒーロー化される過程で範頼は引き立て役にされてしまった。
近代になって小説家たちが義経を引き立てるために範頼を完全に無能者にしてしまった。
司馬も海音寺も吉川も範頼を無能として描いてる。その他の作家や評論家は言うまでもない。
歴史雑誌の義経の伝記の記事なんかで簡単に範頼を「凡庸」で斬り捨ててた。
その方が話が分りやすいし、昔の人は天才と無能の二元論でものを考えたがった。
テレビドラマでも無名の役者が演じて、出番も少なく無能かせいぜいお人好しと描かれていた。
さすがにおかしいんじゃないかと思う歴史愛好家は少なくなかったらしく
昔から地道に擁護論がちらほら歴史雑誌で言及されてた。
そのうち、世の中の風潮がだんだん変わって、いまでは範頼の扱いはだいぶよくなってる。
去年の大河ドラマでは、都知事の息子が演じて出番も多くひとかどの武将として描かれてた。
歴史関係本でも大軍を率いる将才のある人として書かれることが多い。
ただ、年寄りの作家なんかは、イメージの切り替えが出来ないのか、
やはり「凡庸」と言及することが今でもある。





29 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:33:20
範頼については平家物語での言及が少ないことが問題だった。
平家物語では義経の記述に集中した結果、範頼についての記述は少なく武勇談もない。
平家物語を膨らませた源平盛衰記で、範頼を貶める記述が2、3あり、
これが近代の小説家たちに動かぬ証拠にされ、義経の引き立て役にされた。
もちろん、平家物語も源平盛衰記も創作である。
その後、範頼は「凡庸」「目立たない人」で斬り捨てられる時代がずっと続いた。
最近になって扱いが変ったのは既に述べたとおり。
範頼は悪いことは特にしてないのも幸いだった。
99年に堀和久という作家が「蒲桜爛漫」という範頼が主人公の小説を出してる。
おそらく、唯一の範頼主人公の小説。
内容は、範頼を誠実で真面目な人として描いており、そのため話が単調で実は
あまり面白くは思わなかった。この作者も従来の「目立たない人」のイメージ
を引きずっているなと思う。
『吾妻鏡』によると、鎌倉武士と乱闘騒ぎを起こしたり、戦好きで、過激なことを言うなど乱暴な人だったらしい。

30 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:31:36
>>27
あれって、ガセネタなん?どこまでがホントの話なのか分からないことが多い…。

31 :日本@名無史さん :2006/12/09(土) 19:02:27
>>30
元ネタは平家物語にある、鎌倉軍が平家側の漕ぎ手たちを殺したという一節。
しかし戦術上のやり方で義経がやったとはどこにもない。
矢合戦にはじまり船をぶつけ合い斬りこんでの乱戦の中、
漕ぎ手たちが平家の兵もろとも皆殺しにされたという解釈のほうが普通。

32 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 22:26:09
鎌倉幕府で偉い地位になった人らって
辿ったら親戚とかばっかりなんだね和田と三浦とか

代表的な一族って
北条、比企、三浦、和田、安達、畠山、梶原、千葉
あたりを覚えておけば基礎知識としておkですか?

33 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 07:19:35
>>31
そりゃぁ、その考え方の方がしっくりきますね。
まだまだ、誤解していることが多そうだな・・・。


34 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 12:56:34
範頼ってやっぱ強かったんだな。おかしいと思ってたよ。頼朝が、範頼を自分
の弟という理由だけで関東御家人の総大将にするわけないだろうし。

35 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 19:47:53
>>34
結局幽閉されて殺されちゃうのも危険視されたからってことかね。


36 :日本@名無史さん :2006/12/10(日) 20:54:24
頼朝を中心に北条の閥が強くなるに従って、
旗挙げ以前には北条より強かった連中が退けられ始めた頃かな。
彼らには範頼を擁立して自分達の政権を狙う野心あったかもしれない。

37 :武陽陰士:2006/12/10(日) 21:57:23
範頼、義経が平家攻めの将となったのは優秀だからでない
(まあ実際、義経は頼朝も認める戦上手なのだが)。
頼朝在世の当時鎌倉府において、御家人の勢力の大小に関わらず原則(建前)
、鎌倉殿(頼朝)の前では平等という「不文律」がある。
御家人の中から総大将を選ぶと御家人間の間の統制が取れなくなる訳だ。
戦上手ということで言えば、和田義盛、畠山重忠だって相当のものだ。
しかし彼らがなる訳にはいかない。他の御家人たちが「同輩」に膝を
屈する訳にはいかないのである。
よって鎌倉殿の御身内である範頼、義経の同胞(きょうだい)が選ばれた
のである。この二人ならば御家人たちも納得するのである。



38 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 22:54:44
でも範頼は十分に戦上手だよなあ

39 :武陽陰士:2006/12/10(日) 23:10:18
範頼が戦上手かどうかはいってないし、ここでは
重要ではない。
余談だが範頼も義経も最後の最後でしくじりをやっている。
鎌倉殿の疑心を買ってしまったというしくじりである。
義経の同母兄阿野全成は頼朝の目を上手くやり過すことに成功している。
この男の方が上手と思うが如何。まあ戦がどうとうかこうとか
大衆文学上のトピックスに興味が行く人たちには関心外のことだろう。
これは老婆心だが小説、ドラマ、口承文芸のイメージで範頼
がどうしたこうしたはすっぱり止めるべきだろう。

範頼が戦上手かどうかどうだっていいが、義経が頼朝に任官問題
で怒りを買って平家攻めを外されたのに、範頼の平家攻めが
上手く進捗しないので、義経平家攻め再抜擢の次第、これはどう
せつめいするのだろうか?



40 :日本@名無史さん :2006/12/11(月) 06:04:07
阿野全成は範頼と違って北条氏と縁を結んでいるから疑われなかった。
しかし頼朝の死後に見事に疑いかけられて殺されていますがな。
範頼の平家攻略が上手くいかないといっても、
遠征して全くの敵地での戦いだから持ちこたえたことは評価できる。
義経が再抜擢されたのは東西から挟撃するためでは?
屋島での奇襲が成功したのも平家が西の範頼しか頭になかったから。

41 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 17:22:56
平将門に関する小説でオススメない?

42 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 22:57:37
俺も皆さんのように、語りたいのだが…
知識がそのレベルまで到達していないm(__)m
皆さんはどうやって知識を得たのですか!?
愛読書なんかがあれば教えとほしいデツ。。。

43 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 18:34:05
>>42
まず、吾妻鏡を嫁。

ttp://www.asahi-net.or.jp/~hd1t-situ/azuma.html

44 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 07:09:44
>>39
自由任官問題が実際にあったかどうかは疑問。そもそも、義経が勝手に検非違使に
任官したため、頼朝が激怒して平家追討使から外したと説明するのは、「吾妻鏡」
元暦元(1184)年8月17日条だけで、同時代の記録には見られない。

他に義経が自由任官をしたと書いているのは、「平家物語」(盛衰記)。ところが、
他の「平家物語」(延慶本・長門本・四部本)では、単に義経・範頼の任官記事を
一括記載するのみで自由任官・頼朝の激怒などという記述はない。「盛衰記」の自由
任官の記述は、著者による後補の可能性が高い。

45 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 07:25:18
義経の任官が頼朝の承諾のないまま行われたのであれば、頼朝の激怒も当然だが
頼朝の叱責を受けたとされる後も、義経は内裏・院御所への昇殿を行っており、
叱責による素行の変化は見られない。また、平信兼(山木兼隆の父)追討のため
平家の本領・伊勢に出陣するなど、代官としての職務にも変化は見られない。

義経への厳しい処罰がないということは、義経の叙位・任官は頼朝にとって
規制・処罰の対象ではなかったことを意味する。「吾妻鏡」8月17日条の記述は
当時の状況からすると、不自然なものといえる。後に、頼朝と義経が対立したので、
その理由づけのために「吾妻鏡」の編者が捏造した可能性も否定できない。

46 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 15:28:07
吉川弘文館から源平合戦辞典?だか百科だかが出るって広告を見たんだが。
高いんだろうなあ・・・

47 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:03:52
>>46
もう出てるよ。
7350円。



48 :日本@名無史さん :2006/12/20(水) 13:35:10
一の谷の戦いの主力戦は福原である件について

49 :武陽陰士:2006/12/20(水) 20:26:46
>>45
初耳の説だ。誰が言っているの?あなたの創見?
まあどうでもいいけど「吾妻鏡」って北条(時頼)サイドからの
記述が多いんだよね。なんで義経の「任官問題」周辺について捏造
しなくちゃいけないの?これについては信頼できる記述でいんじゃない?
もし捏造の理由(証拠はいいからさ。とりあえず
の仮論拠をね)があるなら教えてよ。45はあんまり理由になんない。
義経が軍人として有能だったからでしょう、それは。
>>40北条との婚姻が担保になるかね。全成は自分を抑えているよ。
頼朝の懐刀になったのも理由はそれでしょう。あなた、北条過大視
しすぎ。それこそ「吾妻鏡」の記述に踊らされすぎ。それに全成は
頼家が殺したんでしょ。北条にスケープゴート(まあ全成に野心も
ないことはなかったんだしょうけど)にされたんじゃない?
まあ範頼をそこまでヨイショする熱情はすごいけどね。義理でも
あるの?私は義経にも範頼にも思い入れなんてまったくないんでね。
あと範頼は恐れられていたから頼朝に誅戮されたとかいっている
レスがあったけど、そうかねー。同じころ、遠江守の安田父子、曽我兄弟
の異父兄弟も殺されているんだけど。彼らも頼朝に恐れられて殺されたの?
まあ学者によっては、範頼、安田父子、曽我兄弟につながりがあったって
いう見解もあるんだよね。

50 :武陽陰士:2006/12/20(水) 20:54:40
静御前の義経恋しの舞を頼朝が激怒して、それを政子が
諌めたって逸話あったでしょう。あれも吾妻鏡しか記載がない
ものなんだよね。横上手先生が、あの逸話は北条サイドによる
捏造かもしれないという推測を述べておられたんだけど。これなら
分かる。頼朝を偏狭な人間にして、政子を温情豊かな人間にしたのは、
いかにも北条サイドがやりそうなことだからね。
でも義経任官問題はどうなの?北条サイドがそういう捏造を加えた
ってのに意味があるの?他の御家人の任官問題も捏造なの?
それに盛衰記も平家物語も史料としてキツイよ。
まあ「吾妻鏡」もテキスト批判が必要なんだけどさ。


51 :武陽陰士:2006/12/20(水) 20:59:02
理屈はどうだっていいんで、吾妻鏡を読まなきゃね。
学者の書いたもの読むのは、それからでも遅くない。
平家物語なんかは後回し。

52 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 03:41:17
舞に怒るのって偏狭かなあ
他に観客もいたのだし、義経一派に同情的な空気が流れないよう
頼朝的にはあそこで怒っといて正解なのではと思ったのだが。
政子がフォローするのも折込済だったんじゃないかと
頼朝贔屓の自分は推測しまする

53 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 07:56:44
思い返せば昭和40年代、50年代の本では「範頼は遊女の子(だから無能)」
と言わんばかりの紹介のしかたがあった。
あの頃に歴史本を書いていた作家は、戦前の明治、大正生まれだから
「売春婦の子は糞」みたいな偏見が根強くあったんだろうな。
また、「どこどこの親父が売春婦を孕ませた」の手の話がゴロゴロあって
その手の子どもへの偏見が身近だったんだろうなと思う。



54 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 14:58:15
政子が静チャソをかばった時、「貞女二夫にまみえず」なんてホントに言ったんかね?
舞の一件はホントかもしれないが、台詞とかはなんか脚色っぽいなあ。



55 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 16:15:13
あの時代は貞操の観念が薄いよ
貞操観念がうるさくなったのは儒教の影響
天皇と上皇二代と犯りあってた中宮がいい例
特に御所は乱交だらけだよ


56 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 17:51:44
45の意見は「源義経の合戦と戦略」という本の内容から抜粋したと思う。平家
に苦戦してたといわれる範頼だが、不思議なのは屋島以後、山陽道や北九州では
目立った陸戦が行われてないんだよなあ。屋島を失ったとはいえ、本当に範頼が
大苦戦してたなら、山陽道や北九州を拠点に平家が巻き返しを図る動きがあっても
おかしくないのに彦島まで退却してる。これを見ると、攻略に手間取ったとはいえ
範頼はちゃんと仕事は果たしてるといえるし、むしろ慣れない西国の気候と飢饉に
よる食料不足の中で東国武士団の大軍を崩壊させずに、戦果を挙げた範頼の武将とし
ての資質はかなり高いと思う。

57 :武陽陰士:2006/12/24(日) 13:14:48
>>56
義経は独断専行の武将でしょ。軍目付の梶原景時の「告げ口」にも
あるようにさ。
ほら、あの逸話、景時の逆艪の進言を義経が撥ね付けたってやつ。
あれが事実かどうかは分からないけど、ああいう逸話からも義経が軍師とか
の進言を容れないで、己の判断で軍略を進めているのがわかるでしょう?
範頼のほうは、私は思うに、慎重だったし軍才というのは乏しかったと
思うんだ。だから守成しかできなかったんだと思う。采配というのが上手く
武将って結構いるんだよ。足利直義もそうだし。守が上手いというのはむしろ
軍目付(軍師OR軍監)とか下僚のおかげでしょう。範頼の軍目付は和田義盛
だったかな?



58 :武陽陰士:2006/12/24(日) 13:26:37
>>56
ところで誤解されちゃ困るんだけど、範頼を貶めて義経を顕彰
しようなんて気はさらさらないから。戦争における武将としては
義経が優れているという傍証が多く、範頼には戦が上手いという
はっきりした証拠がない(むしろ下手)んであまり優秀とはいえないと
いってるだけなんだよ。
こういうと多分あなたは気を悪くされるだろうけど。私は戦争中心
史観とか武士中心史観というのがよく分からないんだよね。
政治史的にははっきりいって範頼のほうが義経よりずっと面白い。謎
も多いし。高倉範季の養い子というのも興味をそそられるし曽我兄弟
とのつながりなんてのが少し垣間見れられるのも楽しい。
足利直義も学者に人気があるのも、別に戦争が強いからじゃないよ。
まあ、恐らくあなたは新撰組とか武士道とか好きな人なんでしょう。
ご自分のお好きな範頼が戦争に長けてないと気がすまないみたいね。

59 :武陽陰士:2006/12/24(日) 13:33:39
>>56
まあ周囲の意見を取り入れる調整型の武将というのもいるから、
もしかすると範頼もそうだったのかもしれない。
でもこれだと機動性がないよね。壇ノ浦の戦なんかで勝利をおさめる
のは範頼には無理だったでしょう。義経のような頼朝派遣の軍目付
の意見も斥けるくらい果断じゃなけりゃね。範頼に果断とか決断の早さ
ってあんまり見られないよ。そういうのって軍才の大事な部分と思うけどさ。
信長の今川との決戦のように素早くないと。

60 :武陽陰士:2006/12/24(日) 13:36:19
57
〔訂正〕采配というのが上手く武将って→采配というのが上手くない
武将って

61 :日本@名無史さん :2006/12/24(日) 13:40:20
一の谷では範頼が東部戦線で平家の本隊を引き受けていたからこそ、
義経の奇襲が成立したという説もありますね。
確かに範頼は義経や、のちの信長のような機動性はないけど、
家康のようなじっくりタイプだったと考えたらどうかな。
見た目はスピーディのほうがいいけど、
結果はどっちがどっちとはいえないよ。

62 :武陽陰士:2006/12/24(日) 13:52:45
>>52
よく読んでよ私の文章。あの政子のくだり自体が虚構かもしれない
ということだよ。あそこにかかわらず政子にはスポットライトが
ちょくちょく当たる(泰時もね。頼朝の峻厳さに比べたら泰時はまるで聖人善人様だよ)。
それが後世の北条サイドの創作じゃないかということなんだよ。
頼朝の酷薄さ、梶原景時の陰険さ、畠山重忠の武人らしさ、義経のあわれさ、
静のけなげさ、こういった今もパンピーが持っているイメージを吾妻鏡の記述
が供給してしまっている。北条サイドによって作られたイメージを今一度
疑って見る必要があるんでは?と上横手先生はおっしゃるんだよ。
きわめて妥当な意見だと思うけどね。
ちなみに頼朝、私好きだよ。大体、政治史かじってりゃあ頼朝贔屓だよ。
あなたのいうあおの場の空気って、吾妻鏡の描写じゃない。それが北条サイドに
よって政子ヨイショの可能性ってものを考慮しないのかね。

63 :武陽陰士:2006/12/24(日) 13:54:15
なるほど。確かにそういえばそういえるね。

64 :武陽陰士:2006/12/24(日) 13:54:50
>>61
なるほど。確かにそういえばそういえるね。

65 :武陽陰士:2006/12/24(日) 13:59:45
>>61
ただ、戦争が上手い下手はどうでもいいと私は思っている。
押し付ける気はないけど。
仮に軍師的な下僚及び軍監の意見を取り入れていただけでも、
範頼の器が受け入れたという次第だから、
それも範頼の武将として才ありとは言えるよね。
あなたのいうとおり義経とは違った軍才の持ち主といえるかもしれない。


66 :武陽陰士:2006/12/24(日) 14:10:02
まあどうでもいいけど、2ちゃんねるの日本史板って学者の創見
を流用して(パクッて)書き込んでいる人多いよね。ちゃんと出典明記して
欲しいよ。自分の意見のように得々と書いているのには参っちゃうし
恥ずかしいことだよ。

あと気になるのは武士中心史観が多いこと。私も武士は好きだしシンパシー
はある。ただそれを史学的議論で振り回すのは通俗と思うんだよね。
近年、学会の動向として武士像が見直されてきていて、それが堪らなく
刺激的なんだけど、そのへんの研究を恐らく参照してない人って結構
2ちゃんねるの住民には多いんじゃないかな。
まあかなりディープな御仁もいるから、2ちゃんも侮れないんだけど。

67 :武陽陰士:2006/12/24(日) 14:23:14
>>61
これで終わりにするから。最後に訊きたいんだけど。
範頼にそこまでいれあげるのは何故?
理由はないの?なんだか貴方から、鹿児島における西郷隆盛、
山口における高杉晋作、吉良における吉良上野介、といった
身贔屓(気悪くしたらごめんなさい)を感じるんだけど。
もしかすると後子孫の方?最近、梶原景時の子孫という人が景時の
伝記を出して景時をヨイショしたけど。それとは違うの?
何故そんなに範頼に入れあげるのか私には物凄く不可思議なんだよね。
つまらない例でいえば、範頼の軍目付は和田義盛(たぶん)なんだけど、
和田義盛の子孫の人が、
範頼の守の武将としての功は、和田義盛によるものだといったらどうする?
あなたのように義理のある(?)人物論だとそういう立論も成り立っちゃうけど
如何?まあ実際、和田義盛は相当の実戦を経た戦巧者だからね。
思い入れが勝ち過ぎる人物論から入った日本史って、気をつけないと
大衆文学、口承文芸、通俗歴史読み物の世界になっちゃうのよね。


68 :武陽陰士:2006/12/24(日) 14:33:24
>>52
〔訂正〕あなたのいうあおの場の空気って、吾妻鏡の描写じゃない。
→あなたのいうあの場の空気って、吾妻鏡の描写からの印象じゃない?

69 :武陽陰士:2006/12/24(日) 14:35:36
>>18
明らかに元木先生の本の記述から引用(流用)したものだね。

70 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 15:30:26
       ,ゞ=,.= ‐' /              .:i
        し¬_r=彳、            .:::i
            }c`'ー--- ───---:::'{
          ,. ¬、_O   ___O__...::::::_2!、
        /      .. ̄..  ....::::: ̄:: .:::::ヽ
        /         ,.-t_r‐テ=:.‐ャrテ‐x`.::::::::ヽ
     /      ,. イ `こニ ´゙  Fニ´「[`ヽ、:::::ヽ、
    , '"    ,.r‐'i"「:..._゙ゝ‐-ー- 、r  レ;z亠ッ`'ー゙=ミ- '
  ,f=‐:-,,-<. i::. l:. l:_,≦-`    ` -'" ´_=ミー"_,.:ヽ
 /.:.    `:.  ゙ヾ. l:..ヽ、彡,´        、ミミ゙ー"⌒:ヽ  やがて、このスレも消える・・・
_/.:._     :.   `'ー-、〃;"   ,,  ,、 、ヾツ   ...;;ヘ



71 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 17:39:36
和田義盛にえらくこだわってるけど、和田義盛は戦目付けのくせに東国に帰らせろと
範頼に進言したような奴だが、こんなやつが戦上手と言えるのか?それに一御家人に
すぎない和田に範頼を助けて遠征軍を指揮するだけの力量があるとは思えん。
また苦境の中で半年以上時間がかかったことを範頼の武将としての
能力のせいにしてるようだが、範頼が西国に行く時点の西国が飢饉の余波で
ひどい食料不足に悩まされて、そのなかでの遠征だったことを忘れちゃいけないよ。
完全に敵地で、食糧不足のなかでおまけに部下は東国の武士ばかりで構成された大軍
を率い成果をあげなきゃならないハンデを考えたら、とても範頼の武将としての能力が低い
なんて思えないんだよね。
そりゃ確かに義経のような果断さはないかもしれないよ。
でも大軍を崩壊させずに、戦線を維持し、山陽道や北九州を制圧してる働きを
見れば、将才に乏しいなんて評価はおよそ的外れとしかいいようがないし、
義経の快進撃を支えたという事実から考えても、範頼だって義経に劣らぬ名将であったという
評価を与えても何ら不都合はないと思うけどな。

72 :日本@名無史さん :2006/12/24(日) 17:57:07
>>67
どうも誤解されているようですが、俺は61のほかに範頼について書いたのは40だけ。
好きなのはむしろ義経ですよ。
このふたつで言いたかったことは、範頼と義経の役割分担のことですね。
範頼が源氏の本隊を率いて平家軍と正面から対峙し、
後方から遊撃軍を率いる義経が奇襲戦法で壊乱させる、
これが一の谷や屋島での源氏のやり方だったと考えています。
ちまたでは全てを義経の功績にする傾向にありますが、
これは本隊があってこその奇襲だということを述べただけであって、
とくに思い入れがあってよいしょするのではありません。

73 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:25:46
池沼・樹影の乱

74 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:51:06
将才といえば頼朝の将才はどうだったのだろう。
この人は平家討伐戦では富士川の合戦以降はほとんど自分で軍勢を率いて戦っていないはず。
実戦は範頼と義経に任せて関東を固めてて、結果的にはそれ良かったことになるけど、
武将としてはかなり異質だな。
親父の義朝、ひいひい爺さんの義家はもちろん自分で軍勢を率いていたし、後の時代も足利尊氏
は自分で軍勢を率いて戦っていたし、信長、秀吉、家康はもちろん主力決戦は自分でやってた。
武将としての本筋で言えば大手軍を率いるのは範頼ではなく頼朝であるのが中世の常識で
本来は大将とはそうあるべきものであったはず。実際に主力決戦を義経にやらせて、
後で面倒くさいことになってたし。これで、義経に足利直義ぐらいの政治力があったら、
信望が本格的に義経に集まってかなりヤバイことになってたぞ。
もしも、親父の義朝や死んだ兄貴の義平が頼朝と同じ立場なら確実に自分で主力を率いて
平家と戦っていた筈。
関東から動かない方がいい事情があったにせよ、頼朝は創業覇者として異質だな。
頼朝は自分で戦場に立つ将才がないと分っていたのかも。
小説にするとすると頼朝は少年時代の平治の乱の敗戦の心的トラウマで合戦上に立つと
錯乱状態もしくは心神耗弱に陥るとできるな。

75 :日本@名無史さん :2006/12/25(月) 09:14:35
なかなか面白いが、引っかかるところがあったので。

石橋山では少数といえども自身戦場に出てるし、
富士川も合戦にならなかったが率いている。佐竹との戦いでも頼朝が大将。
また天下をとった後の清盛は軍事を弟や子に任せてるし、
つねに先頭きって戦っているイメージの木曽義仲も、
直属の武将に軍を割いて戦わせてるぞ。

ただ頼朝が鎌倉を固めて範頼義経に完全に軍事を預けたのは、
上の例から見ると大規模すぎてあなたのいうように常識から外れてる。
自分が軍事家ではなく政治家であることを、頼朝はしっかりと見極めていたのかもしれない。

76 :武陽陰士:2006/12/27(水) 06:59:49
>>71
いや和田の名前出したのは、頭に浮かんだだけだよ。とりあえず誰だって
いいんだよ。それなりの戦績さえあればね。
>>74
頼朝、将才ないよね。将才なんか政権とるのに何の関係もないよ。
清盛だって義朝に較べたら、将才なんか全然ないしね。
清盛の勝因は多数派工作が上手かったからだね。
>>75
前にも書いたけど、義経、範頼の平家攻めの大将軍に任ぜられた
のは、鎌倉殿の前では原則(タテマエ?)御家人平等だからだ。優秀だから
じゃない。結果として義経は優秀だったが。

ところで範頼のことだが、やっぱり範頼はそれほどでないとも思う。
義経の例で言えば、梶原景時のことを想起して欲しい。景時がヤタラと
義経に戦のやり方について口を出している。それに対して義経は無視し独断専行
ともいえるやり方をとっているのは、みなさんも知っているよね。
つまり頼朝の軍目付というのはそれだけ頼朝威光を担っていたし軍才もあったんだろう。
そういうことでいえば、鎌倉殿の派遣員の顔色ばかりうかがっていたとしか
範頼は思えないんだよ。ようは範頼は、鎌倉殿の配下の指図に従っていただけということ。
まあ義経ほど自分勝手な振る舞いがないからこそ、義経より長生きできたというわけだ。

あとどうだっていいが、通俗小説に関することはなしにしよう。
しようもない憶測の生まれるもとだ。

77 :武陽陰士:2006/12/27(水) 07:09:16
いい足らなかったので。御家人平等だと、上に立つものは鎌倉殿
の後連枝とかの貴種じゃなけりゃならない。これは歴史学でもだいたいの
学者がいっていること。俺の意見じゃない(無論賛成ではあるが)。
この板の幾人かの、「範頼は軍才があったから、頼朝によって
平家攻めの将に任ぜられた」と本気で信じている人たちに訊きたい。
平維盛が頼朝征伐の大将になったのは優秀だからか?
この中世の初期(院政期よりを中世の始まりとする説に従う)
ともいえる時代は、軽いカースト制(by大山先生)なのだ。誰それが優秀
だから抜擢などという考えはない。中世史の約束事は踏まえないと、
しょうもない歴史小説や大河ドラマの歴史認識になってしまう。貴種だった
義経が軍事的に優秀だったのは稀有のことだ。
だからこそ、鬼一法眼に兵法を教わったなどの伝説も生まれたのだろう。


78 :武陽陰士:2006/12/27(水) 07:11:30
ついでに言えば、その後の北条覇権の礎を築いたもいえる
北条義時にも目立った戦績はない。

79 :武陽陰士:2006/12/27(水) 07:15:38
どうだっていいが俺は人物に思い入れがあんまりない。
でないと歴史を客観的(無論これも無理がある。人間は主観からは逃れ
られない)に見ることができない。まあ強いていいえば頼朝が好きか。
もちろんそれは政治史的にみて面白いというだけの話だ。

80 :武陽陰士:2006/12/27(水) 07:54:47
77だが
[訂正]後連枝→御連枝

81 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 08:49:43
>>76
>あとどうだっていいが、通俗小説に関することはなしにしよう。

イヤだね。なんでオマエの言うこと聞かなきゃならねぇんだよ。
海音寺や司馬、吉川、テレビドラマが描いた範頼の歴史についてたっぷり書いてやろうか。

82 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 19:53:18
>>81にひそかに期待

83 :日本@名無史さん :2006/12/27(水) 21:14:44
>>76
>そういうことでいえば、鎌倉殿の派遣員の顔色ばかりうかがっていたとしか
>範頼は思えないんだよ。

「範頼は大して有能ではないと思う、なぜなら俺は上のように思うから」
俺がこう思うからという、しょうもない憶測の典型的な例。
だったら「範頼は有能だと思う、なぜなら有能だから」で範頼は有能ということに。

84 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:31:56
>>80
[訂正]御連枝→五連投w

85 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:33:00
>>77
禿同 と言ってみる

86 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 23:03:43
範頼の件だが、俺は範頼が軍才があるから総大将になれたなんて一言も言ってない。
範頼が有能だといいたいのは平家討伐で西国にいった時の状況を述べて
そのなかで範頼が戦果を立てた事実に基づいて評価してるのに誤解されてるようだ。
あと戦目付だから軍才があるなんてどこに根拠があるんだろうか?
確かに範頼は頼朝にしきりに苦しい様子を報告してるが
任務としては正しいことをしてると思うぞ。見栄をはらずに
事実を述べて、その中で最善の方法を模索するのも総大将の仕事だろうよ。

87 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/12/27(水) 23:37:12
>>31
古墳時代の海戦図でも船端に楯が描かれており、船端の楯は『万葉集』にも
登場します。水夫が意図的にせよ、事故にせよ被害に遭うことは、以前から
常識的なことであったようですね。

『徒然草』で兼好が『平家物語』を評して述べている通り、同物語で義経の
行動ばかりが注目されて、範頼の行動が顧みられなくなったということは確
かにありますから、軍才があったとまでは言えないにせよ、不当な評価を受
けているとは言えると思いますね。>>29>>86氏に概ね同意致します。

>義経が軍事的に優秀だったのは稀有のことだ。
>だからこそ、鬼一法眼に兵法を教わったなどの伝説も生まれたのだろう。
寧ろ、義経の方ばかり注目された結果、義経=軍事的天才というイメージが
固まり、その理由として鬼一法眼などの登場する伝説が生じたように思いま
す。『吾妻鏡』を呼んでみても、富士川畔の出会い、一ノ谷や屋島の辺りは
他と比べて分量と描写が凝っている。
この時点で既に軍記の影響があったろうと思うのですが(腰越状も)、一ノ
谷は義経単独ではなく(大手は範頼)なのに範頼がこの時どうしていたかは
伝えられておらず、屋島の時に山陽で戦っていた範頼や、壇ノ浦でもそれま
で九州で戦っていた範頼はほとんど無視されている。
軍記物も、材料に軍記物を取り入れたといわれている『吾妻鏡』も、分量で
は義経>範頼な訳で、早くに物語化したせいで扱いに不当な差が生じたよう
に思います。やはり、屋島と壇ノ浦で直接平家と戦ったことに加え、遠く陸
奥まで逃れて同地で死んだ絵になる経歴のせいか。
義経の天才像は、範頼など他の要因を無視して出来た気がするのですが。
勝ったのは事実としても、搦手の大将でしかなかった一ノ谷を除けば、確実
なのは屋島と壇ノ浦の二戦ですからね。

88 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/12/27(水) 23:44:02
>>62
>あそこにかかわらず政子にはスポットライトが
>ちょくちょく当たる(泰時もね。頼朝の峻厳さに比べたら泰時はまるで聖人善人様だよ)。
>それが後世の北条サイドの創作じゃないかということなんだよ。
話が変わりますが、こちらも同意。例の政子の演説も出来すぎている気がします。
「山岳よりも深く〜」云々は、中古の文学にも見られる表現で、確か『源平盛衰
記』にも出て来たと思いますが、そうした文学に出て来るような「名文」を彼女
が宣言出来たかは疑問です。学と文才がありすぎる。
影に今でいうゴーストライターがいたのかもしれませんが、そもそも、御家人一
同に言葉を伝えることがあったかも分からないと思います。
子供時代に鞍馬を抜け出たとされる義経が『平家物語』に出て来る「腰越状」を
書いたかどうかも疑問。
あれは『世俗諺文』レベルの知識は無いと書けないでしょう。

89 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/12/27(水) 23:54:23
>なのは屋島と壇ノ浦の二戦ですからね。
当然ですが、対義仲戦も入れておきますか。
あれにも範頼が参戦していますが(やはり著名なのは義経の行動)。
正直、『吾妻鏡』の記述も北条関係以外に軍記も日記(明月記や玉葉など)
も参照していて玉石混交なので、今ひとつ信用し難い。
「テキスト批判が必要」という声も出ているので、今更でしょうが。

90 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:16:01
吾妻鏡に範頼が九州の平家勢力を破っている記事があるし、平家物語にも
対範頼戦で平家軍が勝利した記事を全く載せていないのを見ると、やはり
範頼の西国遠征も言われるほどひどい戦いじゃないように思えるな。
屋島戦の前後に山陽道方面で目立った動きがあるのは児島の戦いだが
これは源氏が勝利してるし、吾妻鏡にも範頼が安芸の国で論功行賞をして
る記事もある。これは何らかの形で範頼が勝ち進んでる証拠だと思う。
周防で確かに停滞したけど、芦屋浦で原田種直を破ってるんだし
討伐軍として十分仕事を果たしたとは思うし、範頼の武将としての能力も
かなりあると思う。ただ少し弱音を吐きやすい性格なのかもしれんな。
いざやってればできるくせに、すぐ愚痴を言う奴ってよくいるよな。

91 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 02:06:18
なんかそれ聞くと親近感がわいた

92 :日本@名無史さん :2006/12/28(木) 15:07:14
平家が壇ノ浦で戦いを挑まなければならなかったのも、
九州が範頼によって制圧され上陸できなかったからだろ。
兵糧や武具の補給も不可能になった平家が枯れるのは当然のこと。
平家の行き場を奪った範頼の功績は決して小さいものではなかったはずだ。

93 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:55:25
>>82
言いっぱなしではなんですので、書ける程度でまずテレビドラマの範頼を記憶
をたどって紹介しましょう。

まず大河ドラマ『草燃える』なにぶんにも小学生の時に見た30年近く前なの
で、記憶違いはご勘弁。なんで、範頼のことをよく憶えているかと言うと、
わたしは子供向けの「平家物語」を読んで以来、義経や頼朝よりも範頼が気に
なる変な子どもだったのです。仮面ライダーではライダーマン。ウルトラ兄弟
ではアストラ。ゴレンジャーではミドレンジャーが好きでした。

『草燃える』で範頼を演じたのは山本寛。調べたところ俳協所属で現在でも現
役の模様。頼朝の石坂浩二、義経の国広富之(当時は超人気俳優)、全成の伊
藤孝雄と比べると失礼ながら無名に近い方と言ってよいかと。
源氏兄弟のストーリーは頼朝、義経、全成を軸に進み、範頼はほとんどいや全
く登場せずに話は進みます。子供心に今日は範頼は出るか、次回は出るかと待
っていました。一の谷の戦いの後で、義経が任官されないエピソード。国広富
之演じる義経は酒を飲んで荒れて、「なんの働きもない範頼が三河守で、なぜ
俺は任官されないのだ!」という意味のことを言い放つシーンを覚えています。
一の谷の戦いでなんの働きもなかったようです。
義経が平家追討から外され、中国・九州遠征の鎌倉軍が出発するシーン。準主
役の北条義時(松平健)が従軍するのでロケの進軍シーンがあります。ここで
初めて馬上の範頼が登場。台詞はなし。
範頼の平家追討軍は兵糧不足で苦戦して、義時以下の鎌倉武士が疲労しながら
進軍するシーン。範頼登場、馬に乗って疲れている様子。やはり台詞はなかっ
たと思う。

94 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:55:44
そして、義経再起用、屋島で勝って、壇ノ浦の戦いへ。壇ノ浦の戦いの前に、
義時たちが船に乗って義経に合流します。これは松坂慶子演じる平家の女官が
義時の恋人だったから、演出上、義時が壇ノ浦の戦いに参戦する必要があった
のです。ここで和田義盛(伊吹吾郎)または畠山重忠(森次晃嗣)が「九郎殿
の軍に加われて良かった。範頼殿はとろくていかん」と言い合うシーンがあり
ます。要するに範頼は凡将ということです。
壇ノ浦の戦いが終わり、義経没落と話は進みますが、範頼は登場しません。
やがて不満を持つもの達が頼朝暗殺を計画します。画策するのは頼朝に恨みを
持つ伊東祐之(滝田栄)。祐之の甥の曾我兄弟を使って仇討ちにかこつけて富
士の巻狩りの機会に頼朝の暗殺を図ります。計画に加わった大庭景義(花沢徳
衛)と岡崎義実(小栗一也)が「鎌倉殿を殺して、その後は?」と問うと祐之
は「範頼がいるじゃねぇか」と不敵に笑う。範頼再登場。
暗殺決行の夜、鎌倉で政子(岩下志麻)と会う、祐之と範頼。不敵な祐之に比
べ、範頼は怯えた様子。暗殺を知らされ卒倒する政子。「あ、姉上!」と介抱
する範頼。
結局、暗殺は失敗。真相を知った頼朝は範頼を伊豆へ流す。うなだれた様子で
馬に乗り、伊豆へ流される範頼。その後、殺されることを示唆して、出番終了。
要するに『草燃える』の範頼は無名に近い役者が演じて、出番も少なく、台詞
もほとんどない。目立たず、凡庸で、度胸が据わらず、最後は滝田栄が怪演す
る伊東祐之に利用されて失脚という情けない武将でした。


95 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:12:12
草燃える面白そうだな
ビデオとか出てるなら見てみたい

96 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:44:16
次にテレビ画面に範頼が登場したのは。12年後の1991年。
NTV年末時代劇スペシャル第7弾「源義経」
主演の義経は野村宏伸(当時はかなりの人気)。頼朝は榎木孝明(「天と地」に
主演するなど格上昇中)。そして、範頼は竜川真…誰?
ググってみました。映画出演作「福沢諭吉」(1991)、「新極道の妻たち 惚れ
たら地獄」(1994)。テレビでは大岡越前や暴れん坊将軍、土曜サスペンスに出
演歴がある模様。失礼ながら野村や榎木に比べると無名に近い方かと。

「草燃える」は30年近く前なのに良く憶えいているのに比べて、NTV年末時代劇
スペシャル第7弾「源義経」は実はほとんど記憶が定かでない。はっきり言って
面白くなかった。全然、印象に残っていない。前年に東山紀之主演の「源義経」
があったけど、配役宝典によると範頼は登場自体していない模様。東山のって
梶原景時が衣川まで追ってきて、最後に義経に討たれるトンデモじゃなかった
っけ?
野村版「源義経」は結末すら覚えていないほど、全然印象がないんだけど、そ
れでも、範頼ヲタなので、範頼の登場シーンは辛うじて覚えている。黄瀬川の
対面。野村義経と榎木頼朝が涙ながらに対面。そこにもう一人の兄として滝川
範頼登場。「ともに平家を倒そうぞ」と肩を抱き合う。印象の希薄な「草燃え
る」の範頼に比べれば、いい兄という感じ。
でも、出番らしい出番はそこまで。一の谷の戦いで義経が逆落とし。範頼の陣
の場面に変わり、悪役景時が「九郎殿が勝手に攻撃をしかけました!」みたい
な台詞だったと。これに範頼は「なにぃ!」みたいな感じ。以上、わたしの記憶
はここまで。たぶん、もう出番はなかったのではないかと。
「草燃える」に続いて無名の俳優が演じて、出番も台詞も少ない。
この「源義経」。名作「忠臣蔵」「白虎隊」「田原坂」「五稜郭」を生み出し
たNTV年末時代劇スペシャルだが、もう末期でつくりがかなり粗雑になり出来が
悪かったと思う。ほとんど憶えていないことから俺もまともに見てなかったかも。



97 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 20:23:58
一旦さかのぼります。

時代劇のデータがかなり豊富な配役宝典によると範頼が映像に出たのはたったの7回。
これに対して義経は47回ですから差は歴然としています。頼朝は26回。
範頼を演じた俳優は以下。

小林十九二 ・ 37 ・ 静御前 ・ 1938 ・ 映画 ・
船越英二 33 新・平家物語 静と義経 1956 映画
太刀川寛 35 源義経 1966 NHK
山本 寛 草燃える 1979 NHK
竜川 真 源義経 1991 NTV
石原良純 43 義経 2005 NHK

戦前の小林十九二は日本映画データベースによると多数の映画に出演しています。
ただ、役どころはモダンボーイ、道化芸人、事務員、秘書。察するに山本寛、竜川
真クラスの脇役俳優だったのではないかと。

56年の「新・平家物語 静と義経」の船越英二はかなり有名な俳優で、船越英一郎
の父です。ウィキペディアによると船越英二は47年の大映第2期ニューフェイスとし
てデビュー以来美男俳優としてかなりキャリアを積んでおり、「大映の看板俳優」
と呼ばれていたらしく、33歳の脂の乗った時期でひょっとするとこの映画での範頼
は重要な役だったかもしれません。義経を陰ながらサポートする役とか。

1966年の大河ドラマ「源義経」では太刀川寛が演じています。ググったところ映画
「妖星ゴラス」や「マタンゴ」に出演されています。観たことがないので、役どこ
ろはちょっと分らない。仮面ライダーV3の第37話に「原子力科学研究所・井沢所長」
として出演しています。おそらくは山本寛、竜川真とあまり変わらないランクの俳
優だったのでは。大河ドラマ「源義経」は映像が現存しておらず、範頼がどのよう
な役だったのかは分らないが、おそらくは。

98 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:01:23
「新・平家物語 静と義経」(1956) goo映画を見ると船越英二の範頼は四番手で、
勝新太郎 (那須の与一) 上原謙 (源頼朝)の上にクレジットされてる。当時の
格は船越英二が勝新太郎や上原謙の上だったのだろうか?
しかし、あらすじを見るといつもの話、義経が退けられ範頼が大将に、しかし、
範頼は負けて義経が再起用。あとは出てこない。別段、義経を陰ながら助ける
とかではない。映画を彩るためにスターの船越をあまり重要な役ではないが、
とりあえず出しただけか?

99 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:49:17
どうにもさえない映像の範頼。いちばん良かったのが映画を彩るスターの顔見世
出演程度。凡将であることは変わらない。
ところが、2005年の大河ドラマ「義経」では扱いがかなり良くなる。
この辺の背景は90年代頃からの歴史関係書籍での範頼の評価の向上が絡んでいる
と思われる。それまで、作家連中に「凡庸」で切り捨てられていたのが、この頃
から「大軍を率いる将才」ぐらいに言われることが多くなった。なんとなくそん
な扱いになり、歴史ライターの人たちもいつまでも範頼を「凡庸」にしていては
時代遅れの頑迷扱いされると思ったのかも。この当たりは今川義元の再評価と似
ている。今どき義元をお歯黒のバカ殿に書いていたら時代遅れ扱いされて仕事が
来なくなる。
この頃に範頼ゆかりの寺から範頼の肖像が出るようになった影響もあると思う。
それまで、範頼の肖像はなかった。肖像画の範頼は美男で端正な貴公子といった
感じて好印象。もちろん、よくて江戸時代の作だろうけど。なんかあの絵は鎌倉
時代のものにしては綺麗過ぎる気がする。

大河ドラマ「義経」では都知事の息子の石原良純が範頼にキャスティング。船越
英二以来実に49年ぶりの有名俳優のキャスティングとなった。
スタジオパークに石原良純がゲストに招かれ、番組で役どころの範頼について紹
介される。もちろん、凡将なんて言われない。
範頼は第21話に登場。義経に兄として引き合わされ威厳たっぷり。その夜に自分
から義経の館を訪ねて共に酒を酌み交わし、気さくで、やさしく頼りがいのある
兄といった感じ。存在感のなかった「草燃える」の範頼とは全然違う。
義仲追討に際して、大軍を率いて近江へ出陣。やはり威厳を持って鎌倉殿の命令
を伝える。勢多・宇治川の戦いでは史実どおりに義仲を討ち取る。あやうく義経
が討ち取るかと冷や冷やした。
一の谷の戦いでも知盛(阿部寛)と互角に戦い、逆落としをした義経の労をねぎ
らう。


100 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:49:26
中国遠征では苦戦する。そうしないと義経の出番がない。壇ノ浦の戦いでは陸に
布陣して、義経をバックアップ。この描写はいままでなかった。陸から矢を射掛
けて、自らも矢を射掛け総理の息子の小泉孝太郎(資盛)を都知事の息子が討ち
取る働きをする。
これで出番終了。唐突に消える。平家物語で頼朝から義経討伐を命じられて範頼
が「そればかりは」と固持して「そなたも九郎の真似し給うなよ」と言われるシ
ーンがないのが惜しかった。「義経」は壇ノ浦以降は無駄なシーンが多く、なぜ
このシーンを入れて準レギュラーだった石原良純の終わりとしなかったのか不思
議。

「義経」では範頼は有名俳優が演じて、情のあるひとかどの武将として扱われて
おり、無名俳優が演じて義経の引き立て役に過ぎなかった「草燃える」の頃とは
隔世の感がある。

101 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:08:10
最後にドラマとしての評価だが、
これは「草燃える」が断然にいいとだけ断っておきます。
ヌルヌルの「義経」あたりとはストーリーの出来が断然に違う。
これは範頼の扱い以前の問題です。


102 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:31:11
草燃えるは萌える
まで読んだwww

103 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 23:16:17
源平期の武将で範頼ほど評価が変わった武将はいないだろうな。

104 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:39:42
>榎木孝明
テレ東でレオタード虐めてる人ね

105 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 12:00:20
最近ここで範頼がやたら話題になってるが、最近壇ノ浦で範頼も陸上から
参戦してたという記事もかなり見かけるがこれは事実なの?

106 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 12:20:44
あっそ

107 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:14:16
せっかく源平合戦について語ってたのに、最悪な流れだな


108 :武陽陰士:2007/01/01(月) 20:14:40
>>86
まあ分かった。そういうことであれば
範頼のことは貴方のいうことに賛同する。
ちょっとこれまでは範頼の評価多少低くかったかも。
これまでの他の諸氏の書き込みがあまりに感情的に
範頼ヨイショ(あなたじゃないらしいね)だったからさ。
事実関係をしっかりと見つめてほしかったのね。貴方の言い方は賛成だよ。
この言い方偉そうに聞こえたらすまない。
ただ軍目付についてだが、連中に軍才があるなんて正直思ってないよ。
鎌倉殿の目付だから発言権があるということさ。
連中に憎まれると「讒言」が頼朝に届くことになるからね。
軍監の景時より義経は(独断専行だが)将才ありだからね。



109 :武陽陰士:2007/01/01(月) 20:24:03
しかし近世(秀吉とかね)に比べて、ほんとうこのあたりの時代の
戦いは史料ないね。範頼が優れているかどうかも結局ヤブの中だよ。
おそらく86氏の言うとおりだとは思うんだが。そうではないことも
ありうる。
島原の乱において、幕府側の第二次総大将は松平伊豆守で、
手際よく(まあそうとうの苦戦もあり)勝利をもたらしたよね。
あの攻略の実務レベルは立花宗茂だったんだよね。確か。
これと同じことが範頼にもあるんじゃないかねって思ってね。
もちろんこれは単なる推測。実証不可能だ。まあ軍隊の
実務レベルを上手く使うのも将才だけどね。

110 :武陽陰士:2007/01/01(月) 20:35:09
実戦が弱いと魅力がないような感じで描くのは通俗作家です。
そんなのは読まなくていいのでは。私は読みませんが。
戦いに長けてなくても政治的に優れていれば面白いと思います。
戦争は政治の一手段として現れるのだから面白い(不謹慎に思われたら
ごめんなさい)のでは?
私の個人的な見解としては義経<範頼<全成<頼朝の順で
興味を持ちます。


111 :武陽陰士:2007/01/01(月) 20:37:10
>>86
そういった意味(範頼優秀総大将抜擢説)の他の人の書き込みにあったよ。
まあ貴方ではないということだけど。

112 :武陽陰士:2007/01/01(月) 20:40:59
>>81
まあ書いてよ。
間違いいっぱい指摘するかさ。
そんなのより吾妻鏡でも読みなされ。
吉川なんてデタラメだらけだよ。司馬もキツイ。
史料読めないんなら仕方ないけどね。
まあせいぜい書いて頂戴。恥ずかしくないのならね。


113 :武陽陰士:2007/01/01(月) 20:41:53
[訂正]指摘するかさ→指摘するからさ

114 :武陽陰士:2007/01/01(月) 20:50:31
>>83
まあそうかもね。ただ私がこれまで範頼有能説に反駁したのは
貴方と同じスタンスなんだよ。さしたる根拠もなしに、実戦において
範頼が有能と判断とこの板の住民の幾人かが書いていたからさ。
はっきりいって史料が不足しているのに、範頼の将才を、
推測という留保なしに断定的に言い過ぎているんじゃないか?って
思ったのさ。義経の将才はまだ史料的に伝わってくるんだよね。
別に判官ひいきじゃなくてさ。史料的に根拠がないことはっきり断定するのは
やめましょ、いうときは前置きに「推測云々」とつけときましょ、ってことね。

115 :武陽陰士:2007/01/01(月) 20:56:19
>>87
それは考えるよ。よくね。
ただ義経の同時代における人気ぶりを見るとね。
これを傍証とするのはだめかな。京でも義経の
オーラというのは皆感じてたでしょ。
これは後代の脚色とは別にね。
まあ確かに義経の人物像は口承文芸なんかが入り込んでいるのがキツイな。
曽我兄弟もそうだけど、実証的に見る際の障害というものだね。

116 :武陽陰士:2007/01/01(月) 20:57:43
>>81
テレビ関連はけっこう新知見ありだ。
まあもっとやってくれ。
しかし、こういうのってどこで調べるの?

117 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 23:38:39
程度はわからんが範頼はある程度の名将ということで落ち着いたみたいだから、
そろそろ別の話題にしないか?さすがに範頼ばっかじゃつまらんだろw

118 :日本@名無史さん :2007/01/02(火) 01:57:46
範頼軍だけで平家を滅ぼすことは無理だったのかな

119 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 23:38:49
話題が戻っちゃったか・・・。たぶん厳しいんじゃないかな?山陽道と北九州
を制圧したけど、すでに食料は乏しいし、配下の御家人の士気も低かったしね。
もともと範頼に平家の背後を制圧させて、追い込む作戦だったみたいから、
頼朝は範頼単独では平家を倒させようとは思ってないと思うなあ。
どこかの掲示板で平家にとって九州は全然重要じゃないから、そこを範頼が
押さえても大したことないといって範頼を評価しない人がいたが、勉強不足
としか思えない珍発言だよな・・・。

120 :日本@名無史さん :2007/01/03(水) 21:17:24
頼朝の死と落馬の関係について、質問です。

A.落馬が原因で死んだ>原因は怪我か何か。
B.病身の頼朝が具合悪くて落馬し、間もなく死んだ>死因はむしろ病気
C.心臓発作か何かで落馬し、間もなく死んだ>突然死
D.死ぬ前に落馬したことがあった>因果関係なし

ファイナル・アンサー!

121 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 18:31:23
範頼は無敗だったと聞いたのですが、
とあるサイトの年表を見ると、
1184年9月26日知盛に遮られて長門に進めずとあり、
10月13日の玉葉にも、長門の国で源氏軍が平家に追い落とされたとあります。

大きな戦では無敗だった範頼も、知盛には勝てなかったと見ていいのでしょうか。

122 :日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:00:08
>>112
吾妻鏡も割り引いて読んでね



123 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 00:48:31
>>53
亀レスですが、範頼が遊女の子だったから無能だろうという指摘は、
あながち荒唐無稽な推測とは言い切れないと思います。
私は、範頼が無能だったとは思いませんが。
当時の遊女が現代の売春婦の如き卑賤の職だったとは必ずしも思いませんが、
範頼は母方の家で養育されてます。
養育機関としての母方の存在は大きいです。養育機関というのは、
養育時代を通じての武将としての訓練と同時に、
手駒となる軍団中枢部の人材供給機関としての役割も大きいです。
これは、木曽義仲の養育機関がそのまま木曽義仲の軍団中枢部の人材供給機関として機能してることを想像してもらえればわかりやすいと思います。
遊女の家の子として、源の家に引き取られずに育った範頼を無能であろうと推定することは、それほど間違った解釈ではないと思います。
しかし、実際の範頼は無能じゃないですよね。
補給では苦しみましたが、大包囲網形成の一翼をちゃんとこなしてますしね。

124 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 01:10:23
吾妻鏡じゃ範頼軍が10月12日に安芸で論功行賞をやってる記事があり
一日で安芸から長門に到達するのは不可能だろうから、玉葉の記事の
源氏軍って山陽道の反平氏勢力を指してると思う。また仮に敗れたのが範頼
軍だとしても、本当に知盛相手に手も足も出なかったなら、当然周防・長門
に平氏の拠点が残ってるはずだから屋島敗戦後に彦島に平氏軍が篭る必要性が生じない。
よって上記の玉葉の記事が仮に本当だとしても結局のところ知盛は長門を放棄
したと見るのが妥当だろう。

125 :日本@名無史さん :2007/01/05(金) 01:29:32
それにしても、頼朝が平家討伐で西国へ出陣しないのが不思議。
鎌倉幕府の行政確立や奥州藤原氏に備えていたとはいうけど、木曾義仲も越後国で奥州藤原氏と隣接していたが別に木曾に残らなかった。

126 :日本@名無史さん :2007/01/05(金) 01:36:08
>>124
>彦島に平氏軍が篭る必要性が生じない。
生じる
陸の兵力では大差があるから、得意の海戦に持ち込むために彦島に篭ったと考えられる。
蒙古に攻められて江華島に逃げ込んだ高麗政府のようなものだ。


127 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 02:25:48
範頼の合戦について書かれたいい本ってありますか?
贔屓目とかじゃなく、なるべく公平で最新の研究結果が書かれているのがいいのですが

128 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 10:46:37
海戦に持ち込む以前に彦島は何も無い島だから立て篭もる戦略的意義がないと思う。
もし周防・長門を知盛が押さえていたなら、陸上の兵力で大差があるということは
ありえないだろ。普通に屋島以前に、範頼に周防・長門を押さえられて、もう
彦島しか残ってなかったから立て篭もったとしか思えん。彦島は元々知盛の拠点だ
から多少の物資はあったとは思うけどね。

129 :日本@名無史さん :2007/01/05(金) 12:14:52
>>128
高麗王朝も、陸に拠点は残っていたのに江華島に逃げ込んだ。
蒙古軍は結局、江華島に上陸できなかった。

海の戦では平家のほうが鎌倉軍相手に有利と戦えると思ったから、長門を放棄したと思う。
陸上の兵力差は大分あるだろう。平家の勢力圏であった山陽道・四国・北九州・伊勢は殆ど崩されている。






130 :武陽陰士:2007/01/05(金) 15:04:16
>>122
さんざん前に書き込んだよ。そういった意味のことね。
現代作家の妄想よりかいいよ、アヅマは。
小説って史料によった他人の妄想だよ。
史料読んで妄想したほうずっとましだね。


131 :武陽陰士:2007/01/05(金) 15:05:49
>>129
蒙古との対比はちょっといらないんじゃない?
鎌倉方は水軍のノウハウけっこうあるよ。
三浦党なんかがそうだ。

132 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 15:08:14
でも彦島に篭って海戦に持ち込むにしても長門や豊前といった勢力が平家の支配下
にあってこそ物資を調達できるんでありそれがなきゃ海戦の準備もできないんじゃ
ないかな?そんなに海戦に自信があるなら範頼軍が周防から豊後に渡る時に彦島から
水軍を出して撃滅するか打撃を与えてもおかしくないのに、そういった事跡が見られ
ない。彦島にいる平家にとって北九州は重要な拠点でここを取られれば彦島は孤立す
る。しかも陸上で大きな戦力差があるなら、どうして渡海する範頼を水軍で攻撃しなかった
のかが疑問なんだよな。得意の海戦に持ち込むという見方はもちろん
考えられるけど、範頼渡海の時の平家の無策を見る限り、やはり範頼軍に
長門を武力制圧されて彦島に追い詰められ、孤立させられて範頼軍の動
向もよく分からない状況になったと思うんだけどなあ。


133 :武陽陰士:2007/01/05(金) 15:19:59
>>127
ないよ。
自費出版本にもあるかも(こういうのは
贔屓の引き倒しなんだな。たいていね)。
紀要なんかにある論文にはあるかも。
奇特な院生なんかが書いてるかもね。
一般向けの鎌倉本に、一章立てられているのもあるでしょ。
実際読んだことがあるし、ここの住人もそういうの参照しているんじゃない?
どうでもいいけど、政治史(中世史の「主流」だ)においては範頼は脇役。
義経の場合は頼朝政権の樹立に大きく貢献しているんだな。
これは義経が戦争強かったとかいうゲームレベルのことじゃなくて、
義経追捕にかこつけて、守護地頭設置、奥州攻略などが成功したことね。
しかし範頼で一冊だったら、その前に、義朝だしてくんないかな。
人物叢書とかでさ。頼政は出てるけどね。それだけ重要ってことかな。
まあ歴史上の人物で一冊出るってのは、よっぽどのことだ。
あと狭義の戦争史をアカデミックに研究しているって人って少ない。
いることはいるけど。大体在野だね。



134 :武陽陰士:2007/01/05(金) 15:22:12
>>118
無理だよ。

135 :武陽陰士:2007/01/05(金) 15:25:01
機動力。これがないと劇的な勝利はのぞめない。


136 :武陽陰士:2007/01/05(金) 15:26:59
しかしこのスレって範頼のことばっかだよね。
ある意味すごいよ。まあ絶対子孫の人、書き込んでるよね。
けっこう子孫と称する人たちいるらしいから。
景時もそうだ。

137 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 15:44:19
てか誰かそろそろ話題変えろよ・・・

138 :日本@名無史さん :2007/01/05(金) 16:33:05
>>131>>132は同一人物かな。
じゃあ、範頼が三浦水軍に命じて彦島を攻略すればよかった。なぜしないのか?
周防に範頼が進駐した記事はあるが、長門を制圧した記事はあるのか?




139 :武陽陰士:2007/01/05(金) 16:37:31
>>138
違うよ。名前違うでしょ。

140 :武陽陰士:2007/01/05(金) 16:40:22
蒙古云々(水に対する弱さ。あれは極端だよ)は蛇足じゃない?
ということ。気悪くしたらすまない。

141 :日本@名無史さん :2007/01/05(金) 16:41:28
すまん。ただトリップではないので。
補給なら、江華島に1232年から1270年まで居続けたという高麗政府の実績がある。

142 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 17:45:25
吾妻鏡の二月の記事に範頼が長門から退いた記事がある以上、少なくとも
長門を制圧していたと考えることも可能ではあると思う。一月二十六
日に周防を出航してるから長門から退却したのは、渡海中の平家水軍の襲撃を
警戒したからだと思う。あと三浦義澄は軍にいたけど、水軍は持ってきな
いと思う。まあ、彦島を落とすための水軍力が範頼軍にはなかったから
彦島を直接攻撃できなかったんだろうね。長門が平家領なら長門から周防に退く範頼
勢を追撃することも可能だし、豊後への渡海も十分防げたはずだし。

143 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:27:22
>>137
禿同。
コテと信者の間だけで無限ループ繰り返すだけだろうしな
つか当事者いい加減に気付けばいいのにw

144 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 01:10:37
>>143
そんなら誰か新しい話題振れよw
俺が決めてやる。
次のお題は「源行家」だ。
策謀家とも、単なるお荷物のおっさんとも言われる人物だ。
一昨年の「義経」の印象では、大きな口を叩いて事業を立ち上げては失敗し
その都度、甥たちから借金をたかる、なにをやってもダメな叔父さんだったな。

145 :日本@名無史さん :2007/01/06(土) 14:00:30
120 :日本@名無史さん :2007/01/03(水) 21:17:24
頼朝の死と落馬の関係について、質問です。

A.落馬が原因で死んだ>原因は怪我か何か。
B.病身の頼朝が具合悪くて落馬し、間もなく死んだ>死因はむしろ病気
C.心臓発作か何かで落馬し、間もなく死んだ>突然死
D.死ぬ前に落馬したことがあった>因果関係なし


146 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 19:21:44
>>144
行家はいいネタでつね

147 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 19:42:07
>145
B.病身の頼朝が具合悪くて落馬し、間もなく死んだ>死因はむしろ病気
だと思います。
 糖尿病の悪化で目がかすむとか手足が震えるとかで落馬し、その時に負った些細な傷が糖尿病により思いがけなく悪化して(よく足を切断する方とかいらっしゃいますね)亡くなったのではないかと私は考えておりますが。皆様はいかがですか?

148 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:35:21
行家の功績って以仁王の令旨を届けたくらいだよなあ。なかなか武術に長けた
人物のようだが。

149 :武陽陰士:2007/01/06(土) 22:49:35
行家!
これまた渋いな。
しかし面白い。書き込みが楽しみだ。

150 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 23:15:31
頼朝は糖尿じゃないだろう

151 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 01:58:28
事故死、病死なら
葬儀の様子とか普通に吾妻鏡に書かかれててもいいのにね

所でよく歴史本とかで、頼朝は娘を天皇に嫁がせようとして
御家人の信頼を失ったと書いてあるけど、
御家人が反発したって記述はどの史料にあるの?

152 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 14:53:12
壇ノ浦は、決戦というより、九州四国を奪われ
包囲された平家の捨て鉢的な攻撃だったみたいだな。
似たようなのだと、長篠の合戦。
>>145
落馬のの治療に見せかけ、毒殺。


153 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 15:01:53
行家は重衡に負けすぎ

154 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 17:36:51
>150さま
「猪熊関白記」に「飲水病」って書いてありますよ。
>151さま
 武家の棟梁が馬から落ちたら恥ずかしいでしょう。
 その上そのときのちょっとした怪我が元で死んじゃったら情けないような。


155 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 18:43:32
>武家の棟梁が馬から落ちたら恥ずかしいでしょう

だったら病死とでも書けばいいのに

156 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 16:28:17
行家かぁ…。嫌いな歴史上の人物ベスト10にはいる人だわ(ーー;)
と言っても、行家は一昨年の大河のイメージしかなくて。。。
大河の知識だけで話をしていると、みんなに怒られるな(笑

157 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:49:30
大河や小説、歴史上悪者逆賊と語られる人を
資料をあさって多角的に見定めるのって面白いよ
製作者のライトの当て方、描き方次第で善にも悪にも見えるしね
勝てば官軍って言葉はよくできてるね

158 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 11:56:40
みなさんは吾妻鏡をどうやって読んでるんですか?
購入しているんでしょうか???

159 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 14:49:46
>>158
原文も現代語訳もネットにあるよ。
ちょっとググってご覧。

160 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:13:50
当時の武士の人数が30万人以上もいたかな、藤原氏の17万騎もいたのかな。

161 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 13:38:07
>>159
なにぃ?!
金はたいて買っちまった…orz

162 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 16:14:12
平家の直系子孫

昨年10月頃、フジテレビに見ました。
平→仟の名前に変わたという。
仟家25代目当主の本物がいた。
長野県内、古廷料理店にいます。

163 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 19:29:37
>>159
ちなみにどのサイトが読みやすいですか???
お気に入りのところなどがあれば是非教えてください!
現代語訳がついていれば嬉しいのですが…(笑

164 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 19:31:34

読めないんです><;

165 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 01:13:46
>>161
新人物往来社のヤツ?
いいなぁ、高くて手が出ないよ
岩波文庫の復刊しないかな
サイトのは
http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/genpon/azumatop.htm
が検索できて便利だけど原文のままだね

166 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 03:14:48
玉葉に「山手から攻めた」とあるから
逆落としをしたのは多田行綱なのかなと思うのですが、
でも吾妻鏡には手柄を上げた人物として、多田行綱の名前はありませんよね?

菱沼一憲氏は多田行綱が鵯越から最初に輪田泊を攻撃したから、平氏は逃げることが出来なくて
多くの犠牲者を出したと書いていましたし、
それでなくても先駆けはもっとも名誉なことのはずで、
なぜ、行綱の手柄が吾妻鏡に書かれていないのか不思議です。

167 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 06:56:52
菱沼さん想像妊娠です

168 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 17:07:41
>>166
摂津の多田行綱が一番活躍しただの、まして逆落としをしただのは
神戸の郷土史家が言ってるトンデモの類だよ。
そんな史料ない。
郷土史家は地元武将をひいきの引き倒しをするから真に受けない方がいい。
吾妻鏡を重視すれば、山の手または義経と別れた武将は義経軍に属していた安田義定。
戦果報告にも範頼、義経に並んで記述されている。
甲斐源氏の有力武将で遠江守に任官してるから格的にはある意味で範頼、義経以上の人物。
吾妻鏡が平家物語の影響を受けているとして却下して、玉葉を重視すれば
範頼、義経に並んで山の手を攻めたのは多田行綱。
しかし、玉葉には逆落としだの、多田行綱が一番活躍しただのどこにも書いてない。
少し調べると面白いよ。兵庫の郷土史家は多田行綱が活躍したと言ってるし、
山梨の郷土史家は安田義定が活躍したと言ってる。
前に郷土史家が書いた安田義定の地方誌かなんかの評伝記事を読んだけど、
こっちはこっちで安田義定を贔屓しまくって、故意か天然か寺伝の類を真に受けてる。
頼朝なんか流人のつまらない人物で、本当は安田義定と甲斐源氏が平家を倒したみたいに書いてた。

169 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 17:40:40
玉葉には、行綱が最初に山の手を攻撃したとあるから、
先駆けは行綱だった可能性が高い。
けれど吾妻鏡には名のある武将を討った人物として、行綱の名前はない。
このことから単純に考えれば、行綱は先駆けをしたもののたいして活躍は出来なかったってことじゃないかな。

問題は玉葉にある「山の手」がどこかってことだけど、
山の手とは鵯越の麓なりとあるのは、平家物語でも覚一本だけなんだよね。
その覚一本で山の手に配置されていた盛俊は、義経が討ったと吾妻鏡にはあるし。

逆落としが事実あったのかは不明だけど、多田行綱が逆落としをしたとする根拠が、
覚一本だけというのは、史実とするには無理があると思う。

170 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 18:31:51
>>158
学生時代にゼミで使うためにコピーしたやつ

171 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:05:18
>>165
いや、千秋社とか書いてある。
実はそこまで激高ではなかったw
自分が金無いから辛いだけで…
文庫で出てくれたら、読む時も手軽に読めて助かるねえ

172 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 23:28:25
関西だと吾妻鏡なんてそこらへんの図書館にはまず置いてないんだが、
まさか関東でもそうなの?

173 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 00:04:05
>>168
たしか「吾妻鏡」によると平教経ほか数人を討ち取ったのは安田義定の軍勢だった
らしいからな。でも後に粛正されてしまう(´・ω・`)
一条次郎なども粛正されちゃうし、甲斐源氏は家督相続のいさかいで衰退しちゃうんだよな。

そういえば平教経の最期にもいろいろ当時から風聞があったそうですが。

174 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 07:09:13
>>172
都内ではうちの区(新宿区)でも中央図書館と一部の図書館しか置いてないみたい。
読みたい場合は、中央図書館へ行くかネットで事前に区内図書館の貸し出し協力の取り寄せをお願いする。
早ければ翌日には来る。
関西でもシステムは同じだろ。

175 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 07:31:24
>>172
市町村レベルの図書館だと厳しいね。
都道府県立図書館だと間違いなくある。

176 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:20:49
>>172
大阪市内だったら中央図書館、もしくはどこかの区の図書館にあれば
取り寄せしてもらって近くの図書館で借りられるよ
なかったら府立図書館か市立図書館へGOだ

177 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:17:25
>>172
歴史系の博物館の図書コーナーにあることが多い。
借りられるかは知らないが

178 :172:2007/01/12(金) 19:45:58
図書館関連の話、レスありがとう。
関西の某政令指定都市に住んでるんだが
吾妻鏡も盛衰記も市立の中央図書館にしかなくて、
よその地域、とくに関東もそんなものなのかなとふと疑問に思ったもので・・・
しかし翌日に来るなんて凄いな。うちなんて早くても3日かかるわ。

179 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 02:10:23
>>178
もしかして俺と取り合いしてる人だったりwww
雑談スマソ

180 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 10:03:13
2chはこれからどうなってしまうのかな…。
好きな事について好きなもの同士が集まって話が出来る場所が無くなってしまうのは淋しい事だ。

181 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:19:18
閉鎖はネタですから
何年も2ちゃんにいるとひろゆきの集客手段が読めてくるのが困る

182 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 14:31:38
「源平合戦の虚像を剥ぐ」ってどうですか?
評判いいようなら読んでみようと思うのですが。

183 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 18:45:01
日本馬とサラブレットを体格だけで比較してる電波本

184 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 21:14:38
関西には政令都市は4つしかないので

185 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 21:20:08
当時の馬がポニーサイズだったのは事実でしょう。
そうなると進軍のときも戦の最中も、歩きか早足が主流で走ることはあんまり無かったってこと?

186 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:36:38
大きさが同じでも能力は別物。
東洋の馬はポニーサイズだからダメという事になっちゃう。

187 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:59:41
日本馬は人を乗せてそれなりに走れたっってこと???

188 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 10:31:12
モンゴルみたいに平原を何百`も突っ走るワケじゃないからね

189 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 22:35:10
>>182
面白いと思うよ。源平合戦に興味があるなら読んで損はない。

190 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 12:05:48
モンゴルはそのポニーサイズでユーラシア制覇したんだよな。

191 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 15:31:04
義経は実際、一ノ谷で逆落としせずに普通の陸路から平家の陣に攻め入った、ということを聞いたことがあるのですが、本当のところはどうだったと思いますか?
日本馬の体型や能力を考えると、急な崖を下れなかったんではないかと思ってしまうのですが…

192 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 17:13:05
ピザってたら転がれるからだいじょうぶい

193 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 18:58:59
>>191
日本馬はスタミナ劣るが、勾配には強いよ。
鈴木真哉を更に熟成させた感じの川合康(笑)

194 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:08:29
今年のセンター、治承寿永はぜんぜん出なかったね
何かさびしい…

195 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 08:03:26
東国原って何者?11世帯しかないけど

196 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 17:08:16
このスレとは関係ないんじゃね

197 :武陽陰士:2007/01/24(水) 21:01:49
>>166
そうだね。
まあ京武者だからと私は思うけど。
私は(これは完全に私の自説)、吾妻鏡というのは東国の「王国」
ともいえる鎌倉幕府のサーガだと思ってる。
サーガだからこそ、景時、義盛ほかの敵である北条に誅伐された東国御家人も記
述されているんだと思う。京武者じゃサーガには載せられないんじゃないかな。
まあ、確証はないんだが。

198 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:01:02
>>197
え? 鎌倉幕府って神奈川県にあるんだよね。
佐賀県じゃないよ。何を言ってるのこの人。

199 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 12:40:12
馬鹿コテ武陽陰士は無視、それがこのスレのルールだよ

200 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:19:54
物語と言わずにサーガと言っただけなんだし
スルー出来る範囲だろw

201 :武陽陰士:2007/01/25(木) 21:25:47
吾妻鏡がサーガだとマズイのか?
まあいいや。相当恨まれているようだな俺も。
また立論してくれ。
批判点があったら啓蒙してやるから。

202 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:34:16
サーガ菱沼

203 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:11:15
ヘタレ行綱て、たしか鹿ケ谷の一件で、一時は法皇より直々に平家打倒の武力を期待されたほどのヤシだよな

対して、その他大勢の源氏同様、世捨て人みたいな宮さまの令旨(あやしい紙切れ)を受けただけで鎌倉王国を築いちゃった人たちの立場からすれば、そのことも目障りだったんじゃね?

204 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:25:53
菱沼物語じゃね?

205 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 20:34:45
多田行綱ってその後どうなったんだったっけ?

206 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 01:11:48
元木は多田行綱の戦功が吾妻鏡に書かれていないのは、
行綱が頼朝の怒りを買ったからだって言ってるみたいだけど、
安田義定だって謀反の疑いで自害してるじゃん。
もっと言えば、義経なんて謀反人の見本みたいなもんだし、
範頼も謀反の疑いをかけられたっぽい。

行綱の戦功を隠さなきゃならない理由にはならないと思うけど?

207 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 01:33:20
元木氏も高望王の下向に幻想を抱いてるようだがw

208 :武陽陰士:2007/02/05(月) 23:05:22
>>198>>199
在野史学の傑作、山路愛山の『源頼朝』に、『吾妻鏡』を「信頼出来る伝説」っていう
くだりがあるんだよね。
それのある意味モジリなんだけど。
まあ、いずれにせよ君らは読んでないんだね。
いいけどさ。
誰かのフォローあるかなって、待ってたんだけど。なかったね。
>>206
元木氏どこでそれ(吾妻鏡に行綱の戦功が載っていない理由)
書いてた?
行綱ら京武者の大きな役割が吾妻に載ってない
理由は、元木氏の「頼朝軍の上洛」って論文には書いてなかったからさ。
教えて欲しい。そんなに簡単に言い切っていたの?元木氏が?

209 :日本@名無史さん:2007/02/06(火) 21:39:08
吾妻鏡って読むのに時間がかかるね。
暇があれば携帯で読むようにしているんだけど、数が多すぎる…。
義経が好きだから、とりあえず義経が死ぬまでか、奥州征伐まで読もうとおもうのだが、30年分の日記を読むのは大変だ〜(´・ω・`)

210 :日本@名無史さん:2007/02/11(日) 01:30:17
a


211 :武陽陰士:2007/02/12(月) 22:20:28
>>209
30年分ってどういう意味?
吾妻鏡って80年分あるじゃない記述が。
あと国史大系本じゃないと駄目じゃない?
岩波文庫のは途絶してるんだよ。校訂がね。以下未刊。校訂者が死んじゃって
るか永久未刊行。
新人物往来社のは読みやすくていいけどさ。
ネットで流布してるのは校訂どうしてるの?
テクストクリティークいいかげんじゃない?



212 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 03:42:06
>>211
ごめん、間違えてた。
義経殺害、奥州藤原氏滅亡までだから・・・
えっ!?たったの9年???
思ってたより年数は短かった。
俺はネットで和訳を中心に読んでるよ
漢文は苦手で・・・(´・ω・`)

213 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 07:58:19
あぼーんしてるのに糞にレスするなよ

214 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 09:21:10
>武陽陰士
某スレの影響で敵が多いなw

215 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 18:06:22
そいつは糞コテで有名
読む価値ないよ

216 :武陽陰士:2007/02/22(木) 22:04:09
>>212
和訳でもなんでも読んだが勝ちでしょ。
>>215
WWWW



78 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)