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関白、太政大臣、征夷大将軍

1 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 21:49:04
この三つのうちどれか一つの官職を与えられるならおまいらはどれを選ぶ?
理由も詳しく。

2 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 23:00:02
天皇

3 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 23:12:41
関白だろ当然。

一番位が高い

4 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 23:19:32
生きてるうちに正一位太政大臣になるのがいい

5 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 00:02:45
正一位と
太政大臣は意味が違うだろ

位と職 職なら関白が一番上の職 皇族以外の最高職

秀吉⇒正一位関白
家康⇒正二位征夷大将軍のち正一位太政大臣


6 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 01:50:01
4は官位ともにトップになりたいって書いてるだけじゃん。

ちなみに俺は、ここにはないが、摂政。関白より上だからな。

7 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 01:51:54
じゃ俺はもっと偉い宮家でいいや

8 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 03:19:09
俺ゴキブリ

9 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 08:02:14
>>5
正一位は追贈専用、生前は従一位だろ


10 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 08:05:06
そうなんだけど秀吉だけは例外だったはず。
てか武家風情が関白っていうのも例外中の例外。

11 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 11:44:45
上といっしょ

秀吉は唯一生前にもらっていた
家康は死後だが

12 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 11:54:38
現存で従一位を持ってるのは 中曽根康広

戦後貰った人で 佐藤栄作や吉田茂は死亡時受位

ということは 1億3千国民で皇族の次の地位は中曽根という事か


13 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 12:21:19
関白;トヨタ自動車会長

太政大臣;トヨタ自動車社長

征夷代将軍;トヨタ自動車仙台支社社長

14 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:06:06
>7
江戸時代の例では 摂政・関白>宮家 なのだが。

15 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:07:50
>13
トヨタの仙台支社は他の支社に比べて特別な地位にあるのか?

16 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:20:57
女院より格下の人たちだね。

17 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:21:43
>14
で、室町〜江戸後期は、摂家自体将軍の家来みたいなもんですしね。
秀吉は別として、この時期の摂関は、将軍からすればはるかに下位の存在ですね。

>12
あれは、「死んだら従一位を貰えるんじゃないか」という話ではないですか?

18 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:31:04
>>12
現在は官位の叙任については死去後でないとできないことが政令で
決められているはず。
生前に認められているのは勲位だけですよ。
中曽根氏は死去後、従一位と大勲位菊花章頸飾が贈られるのが
濃厚。

19 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:36:51
>>7>>14
光格天皇は自分の父が臣下である関白や大臣より下座に座るのは
忍びないとして、幕府に父を太上天皇(上皇)にしたいと頼んだ。
結果は拒否され、明治時代に慶光天皇と追号されたが。

20 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:38:47
>>17
摂関家と将軍家は別次元の存在。
伝統や教養や地位という面において、摂関家に対しては一目置いていた。

21 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:39:04
>>15
「征夷」だからかも?

22 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:50:32
そもそもトヨタ自動車に「仙台支社」なるものは存在しない。

23 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:54:37
>19
将軍家斉は認める方向で考えてたんだけどね。
自分の父も大御所にしたかったし。

結局、松平定信は「太上天皇」も「大御所」も認めなかった。

24 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:03:35
>20
例えば近衛家でいうと、
近衛教基、政家、尚通、稙家、晴嗣(前久)と言った具合だし、九條、二條と
いったところでも偏諱を拝領したり、拝礼に行ったりしていますね。

江戸時代でも、将軍から摂家への書状などは、自分の方が「様」付、五家には
「殿」付だったそうだし、家康や秀忠上洛時などには、関白以下の公家が拝謁
に登城、といった具合であり、将軍が摂関を下位に遇していたこと、摂家側も
意を迎えるように行動していたことは明らかですね。

25 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:07:04
征夷代将軍はそもそも近衛大臣以下だろ

26 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:09:31
関白>>太政大臣>>>(永遠に超えられない大宇宙)>>>征夷代将軍

27 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:18:13
>14 >19
席次は
天皇家の親王>摂関>宮家の親王>大臣

でしたかね。

28 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:25:59
リビアのカダフィは大佐なのに国家元首だし、名目上の地位や席次と実際の権力は
一致しなくたって何もおかしくない。

29 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:38:51
>28
リビアに将官は存在しないので大佐は最上位なわけだが。

30 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:57:06
あはは、リビアにだって将軍はいるよ。カダフィが大佐どまりなのは単に彼のカッコつけ。
おかげで>>29みたいな知ったか解説かます阿呆が世界中に涌いてきたが。

31 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:05:56
征夷大将軍は京都に常駐する必要がない官職だから
地位は低くても反京都系の江戸幕府には都合が良かった。
江戸時代の慣習は異端であって、これをもって日本の伝統とするのは間違い。

32 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:20:00
シャアもネオジオン総帥だが大佐だよね。

33 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:21:59
>29 >30
1979年までにカダフィは一切の公職を退いていて大佐でもなんでもない。
軍での最終階級も大尉であり、「大佐」は単なる愛称。
もちろんリビア軍に将官はいる。

34 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:23:15
徳川は京都系なんだけどね。京都賀茂社の紋である葵を家紋にしてるのは
徳川だけだよ。家康は征夷大将軍になるために源氏の新田の末裔だと言った
わけだけど、新田の末裔がなんで新田の家紋じゃなく京都賀茂社の葵の紋を
使ったかわかるか?

35 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:23:26
そもそも摂関自体が、「本官にかかわらず…」の典型ですからね。
>31
室町時代から、五家は将軍の家礼のような存在でしたが。「地位が低くて…」も
意味不明だし。
公家の中でも、摂家以外の家は、大中納言であろうとも摂家の少中将の下位にあっ
た等々、「家格>官位」は異端でもなんでもありません。

後、
>29
カダフィにせよ、あるいはアメリカの大統領にせよ、「軍の最高指揮官」の地位は
元首なりの職務に付随しているもので、「軍人の階級」で指揮するわけではないで
す。ジミー・カーターが海軍少佐で退役したからといって、「少佐」として将軍や
提督に命令をするわけではありませんから。「伍長勤務上等兵」が将軍や提督たち
を部下としていた国も、「その点に限れば」別に特殊という訳ではないですね。

36 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:24:23
歴代有名征夷大将軍
坂上田村麻呂・源頼朝・足利尊氏・足利義満・足利義教・徳川家康・徳川綱吉・徳川吉宗・徳川慶喜

歴代有名関白
藤原基経・藤原頼通・近衛前久・豊臣秀吉・豊臣秀次

歴代有名太政大臣
大友皇子・道鏡・藤原道長・平清盛・足利義満・豊臣秀吉・徳川家康(死後)

37 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:25:19
遷都すれば関白でも近衛大将でも山城京都にいる必要はないのだが
秀吉は玉体を大坂に移動しようと企てたという説があるのを聞いたことがあるが?

38 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:25:59
>>34
それはいわゆる駆け引きだよ。
そういう配慮は見せつつ反京都系でしょ。


39 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:56:16
>>36
義政と家光は入れとけよ

初代、三代、八代は有名の法則w(鎌倉は執権のみ、将軍にはあてはまらなかった)

40 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:13:14
秀吉は関白になった前後  藤原や平を名のった気がするけど

なんで?

41 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:50:11
>>40
しまいには天皇のご落胤なんてことまで言い出した。
それはまあ精神医学の範疇だが、後から色々捏造するなら
なんで最初から源氏の家系をでっちあげて征夷大将軍にならなかったのk。

42 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:53:47
秀吉は明らかに百姓出身なので源氏も名乗れず、征夷大将軍を諦め、関白をもらったて本当?


43 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:54:56
百姓出身かどうかもわからんくらい怪しい出自なんだから
かえって源氏でも何でも名乗れそうなもんだが

44 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 02:08:54
家康は生前に太政大臣になってるぞ。

45 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 02:09:57
豊臣関白・徳川将軍体制を構想していた。
いわば大統領と首相の関係。

46 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 02:13:09
生前正一位は、橘諸兄ほか何人かいる。
なんて基礎的なレスが、何で今までされてないんだ。
夏休み終わったのに、まだリア厨ばっかか。

47 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 02:14:18
>>45
もちろん、家康は断ったが。

48 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 02:19:58
46

せめて戦国以降の話にしようぜ
古すぎてリアリティー無い

49 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 02:27:24
正一位関白太政大臣
とりあえず武家が到達した最高地点

50 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 02:31:52
>>46
痛い奴だな。遠慮がちにそっと指摘しておけば尊敬されるのに。
日常でも知ったかかまして煙たがられてるだろ?

51 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 02:33:40
天皇になる
天皇の猶子となり、譲りを受けて天皇になる
日本では誰もなしえなかったことだが

52 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 03:09:18
>日常でも知ったかかまして煙たがられてるだろ?
そうだよ。それが楽しくて生きてるからw

>遠慮がちにそっと指摘しておけば尊敬される
こんなさもしい人間にはなりたくないからね。

>天皇の猶子となり、譲りを受けて天皇になる
後花園他いくらでもいるよ。

53 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 03:13:48
全くの土民である秀吉が天皇の猶子になり、譲りを受ければ日本も面白くなっただろうな。

54 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 09:24:14
臣籍から天皇になった人物は一人しかいない
藤原氏以外で関白になったのは秀吉、秀次のみ

55 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 17:11:09
>54
「臣籍から天皇に」というのはやや不適切だと思う。
実際には、「天皇の子」が「天皇の子」として「親王」に戻った上で天皇に
なったわけだし。

>52
>後花園他いくらでもいるよ。
後小松院の猶子になったのは、「後光厳流断絶」を形だけでも避けようとした
後小松側の事情によるものではないでしょうか。

56 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 16:13:12
やっぱ征夷大将軍だろ

57 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 16:18:48
総理大臣と征夷大将軍はどっちが上かな・・・・・・

58 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 16:21:50
>>54
当時の羽柴氏は藤原朝臣ですが。

59 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 16:50:19
羽柴って 苗字 まだあるよね

60 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:03:32
思いっきりテレビの構成作家に「羽柴秀彦」って人がクレジットされてる。

61 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:08:39
>>12
中曽根は戦時中の海軍士官時代にもらった位階しか持ってないはず。
最終階級がポツダム少佐だったから、正七位くらいか?
戦時中、既に大蔵省の高等官だった宮沢もそれくらいの位階持ってるだろう。

自分の知ってる元大学教授(いま80代前半のはず)も授業中、
「こう見えても、ボクも正八位で少尉で小隊長だったんですよ」などと言ってたなw

62 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:46:36
蒸し返して悪いんだけど。
>>41-43
今谷明さんは
「秀吉が長久手の敗北により、将軍任官=幕府開設の断念に追い込まれ
・・・従来とは異なるタイプの武家政権の構築を余儀なくされた」
(今谷『日本の歴史5 戦国の世』岩波、173頁)
って書いてらっしゃるけどどう思う?

63 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 17:54:50
>>42の説をとるとしても、
「源氏しか征夷大将軍にはなれない」という慣例よりも
「摂関家しか関白にはなれない」という慣例のほうが
基経以来秀吉まで例外もなくてよほど強固だったしね。
そのこともあって「義昭が秀吉を養子に迎えることを拒否」
という補説が出てるんだろうけども。

64 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 20:06:07
>>55
源姓を名乗ったことはないが、たまたま源氏の子として生まれ
父とともに皇族になり、のち天皇になった醍醐天皇って‥‥

65 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 01:14:46
清和源氏なら山名や細川など利用できる駒は、秀吉側にはいっぱいいる。
足利だって義昭だけが生き残っていたわけでもない。

小牧役前後の秀吉は、主家織田を超える権威を身につけることが
急務と考えていたから、得やすい官位を次々に獲得しようとした。
その延長線に晴季の奇策で関白になったということ。

66 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 00:31:56
たとえば豊臣秀次は関白になっても正二位(内大臣〜左大臣)のままで
従一位太政大臣の秀吉の下におかれたままだし、越官の関白も値打ちが低いよな


67 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 02:33:00
豊臣関白、家康将軍(徳川幕府)の二重政権体制を考えていた。
いわば大統領と首相みたいなもの。

68 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 03:29:18
>>67
いつの時点の話?
最後は秀頼が成人するまでは5大老による合議制を望み、
全員が秀頼を守り立てていきますという誓紙を(何回も)出させてるんだが。

69 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 04:03:27
小牧長久手の頃。家康の右馬寮御監の任官を認めたとき。

70 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 13:34:10
秀吉も当初は内大臣の関白だったと思うけど。

71 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 19:17:26
>>70
ただし従一位には叙されていた

72 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 21:59:47
右馬寮御監は右近衛大将の兼官のはず。家康が右近衛大将右馬寮御監に任じられたのは
将軍宣下のときでは。

73 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 03:23:27
秀吉が生前に正一位になったってのはウソだろ?
ヤツも贈正一位ではないか?

74 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 15:05:26
>>27

席次は
摂関>天皇家の親王>宮家の親王>大臣

>>72
家康は左近衛大将だったはず。



75 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:25:37
>74
大臣の方が親王より上席のはずですよ。

摂関>三公>親王>前官の大臣>諸親王>前官の大臣(清華)

の順で、「但儲君各別」ということだったと思います。

76 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:26:29
>>63
>「源氏しか征夷大将軍にはなれない」という慣例

鎌倉幕府の公家将軍と宮将軍

77 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 21:40:43
近世の宮中席次は正確には下記記述のようになる。

@摂関→A准三宮→B三公(太政・左・右大臣)→C親王→D前摂関→E摂家の前三公
E諸親王(三世以下の親王。宮家の親王)→F清華家の前官大臣(左・右大臣)
G内大臣→H前内大臣→I准大臣→J従一位→K本座宣下→L権大納言→M前権大納言

以下略。但し>>75にもあるように、E諸親王であっても、「儲君」すなわち、
天皇の跡継ぎとなれば、格別となる。

78 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 21:46:50
秀吉以外にも橘諸兄とかが生前に正一位になったりしてたはず
どちらにせよ極めて例外的な措置であったのは間違いないが

79 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 21:59:19
既に指摘済みだったか
スレ汚し失礼

80 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 22:09:26
太政大臣が欠官のときは、内府の席次はどうなるの?

81 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 22:15:29
三条実美が生前に正一位になった時、橘諸兄以来っていわれてなかったっけ?
秀吉は生前に正一位にはなってないんじゃねーの?

82 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:12:44
>>78
秀吉は従一位にはなっていない。公卿補任を見れば分かるだろうが。
公卿補任第三篇P512には、秀吉が慶長3年8月18日、太政大臣従一位で
死んでいる事が載っている。

>>80
太政大臣の在任の有無に係わらず、内大臣の席次は同じ。三公とはあくまでも、
太政、左、右大臣の事。内大臣は、数の外の大臣とも言い、大宝令以後に置かれたため、
員外大臣に過ぎない。

>>81
正確には、橘諸兄(天平21年任)の後、藤原永手(神護景雲4年)が正一位に叙されている。


83 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:47:38
>>76
そうそう
ソレ俺もずっと気になってたんだけどさ
あれだけ秀吉や家康が源氏に拘ったのって、結局のところ
「源氏しか征夷大将軍になれない。幕府を開けない」って原則があるからって歴史で習ったわけだけど
実際には藤原将軍や親王将軍が存在するわけだからな
だから秀吉が征夷大将軍になろうと思えばなれたハズだ
あれだけの権力持ってたんだからな
つまり敢えて関白になったんではなかろうか

84 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:50:49
>>83 アホ 氏ね

85 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:55:36
>>84
あ?じゃなんで秀吉は幕府開けなかったんだよw
源氏じゃなくても征夷大将軍になれるのによw
私見じゃ、秀吉は西日本・商業に地盤を持っていたし、
農民以下の存在からのし上ったから、武士のように一族郎党を率いていなかったため、
源氏のような土地所有・稲作を地盤にできなかった
だから征夷大将軍になるより貴族の最高峰である関白になったんだよ
それしか天下の主になれなかったってことだ

86 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 00:13:53
85の時代認識はむちゃくちゃだな

87 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 00:35:37
>>83
源氏じゃないと征夷大将軍になれないと言うのは室町時代に
足利家が世襲してから慣例化されたんじゃ。
徳川の将軍宣下では征夷大将軍と共に淳和奨学院別当と源氏長者も
一緒に補任されるが、これも足利将軍以降に慣例になったし。
それに秀吉がそのまま関白になったわけじゃないから。
関白は摂関家しかなれないと言う慣例に従い、摂関家(近衛家
だっけ?)の猶子になって、摂関家一族と言う形にしてから
関白になっている。
史実かどうかわからんが将軍になるために足利義昭の猶子を
願い出て断られたらしいが、受け入れられていたら将軍に
なったと思うよ。

88 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 00:44:32
確か徳川家康は朝廷より足利将軍家の後継者と認定されて
将軍になったんじゃなかったけ?
徳川将軍家の儀式なども足利将軍家の儀式から由来した物が
多数しな。
一部の将軍を除き、将軍宣下のさいに源氏長者に任命されたこと
から見て、源氏の者しか将軍になれないと言う慣例があったと言う
のは事実と見て良いと思うなあ。

89 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 00:49:41
>>85
たんに摂関家に金を払ったら養子にしてくれたから
関白になっただけだろ?
武士である以上、将軍になりたかったと思われ。

90 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 01:16:03
どうしても将軍になりたかったのなら、秀吉の手腕があればどうにでもできただろう。
そこまでこだわっていなかったから、より簡単に地位が手に入る関白になった。

91 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 08:56:49
京を追放され鞆の浦に落ち延びても足利義昭は征夷大将軍だった。
もうスレ違いだからやめよう。

92 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 09:51:29
> 京を追放され鞆の浦に落ち延びても足利義昭は征夷大将軍だった。

そんなことは全員わかった上で話してるんだよ
それが理由で征夷大将軍になれないというなら
信長への三職推任もおかしくなってくるよね

93 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 21:12:33
晴豊の「将軍になさるへきよし」、誠仁の「いかようの官にも」
信長もいまいち信用度に欠けるこいつらの誘いに乗ってよいのか
態度を保留しているうちにあぼーんしてしまった
朝廷側が本気で平姓の信長を関白や将軍に任じる気があったかどうかは?である

94 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 23:58:17
むしろ秀吉は征夷大将軍という地位が存在していたことを完全に忘れてしまっていたのではないか
家康は関白になれないしなる気など微塵もないだろうということで家康に後見を頼んだが
家康には征夷大将軍になる道が残されていることを全然考えていなかった
もし忘れてなければ豊臣恩顧の誰かを将軍にしてそれを関白の家来に位置づけるなど
対策を取ろうと思えばできたはずだし

95 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 10:10:08
>>94
>>87の下3行が史実。

96 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 10:26:29
>>95
その、「義昭に断られたから」説ってよく聞くけど、
大元のソースはどの文献なの?

>>93
> 朝廷側が本気で平姓の信長を関白や将軍に任じる気があったかどうかは?である

正親町帝にしてみれば、
信長を朝廷の官位制度に取り込むことは
信長に対する朝廷の勝利を意味するので、
任じる気がなかったどころか熱望していたはずだよ。

97 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 13:33:13
まあ少なくとも将軍になるより当時の情勢なら関白の方が楽だったんだろうなあということは想像つく

98 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 13:49:10
義昭が将軍だからって何なんだ
将軍職を取り上げりゃいいだけのこと
義昭の猶子以外にも源氏を名乗る方法はいくらでもあるだろうに

99 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 14:33:39
>>98
別に源氏でなければ将軍になれないわけではない。
秀吉はなろうと思えばいつでも将軍になれた。
(なる気はなかったようだが)

100 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 20:31:14
100

101 :日本@名無史さん :2006/09/20(水) 20:42:44
関白になっても一座宣下や内覧宣下を受けなければ
トップではないから秀次のようになる。
征夷大将軍でも従五位下左馬頭じゃ、足利義栄のようなもの。
太政大臣でも一座を関白に譲れば関白の風下。
摂政・関白や太政大臣そして征夷大将軍を兼ね備えた新たな職を作るしかない。
そして職掌には一座にして内覧も含むと添える。

102 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 20:46:08
将軍になれなかったから関白になったちゅう説は、
関白よりも将軍が高貴でえらーいということにしたかった
徳川幕府の捏造ということでいいんでしょうか?

103 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 20:49:34
>>101
?????
太政大臣は常に関白(内大臣だろうが)の下。
関白つうものを知らんのでは?

104 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 20:51:29
補足
たとえ太政大臣であっても、他の大臣が関白または摂政に任官していれば
その下位となる・・・つうこと

105 :日本@名無史さん :2006/09/20(水) 20:53:34
関白が太政大臣の上位にいられるのは一座宣下を受けているからだ。
秀吉が関白を秀次に譲っても一座まで秀次には譲らなかった。
そして秀吉は関白を秀次に譲ったものの太政大臣は上表せず
薨去を迎える。

106 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:29:19
>>105
あふぉか?

107 :日本@名無史さん :2006/09/20(水) 21:34:26
関白は就任にあたって一座宣下や内覧宣下も同時に受けることが通例であるため、
一座宣下を受けている関白が太政大臣より上位になるという通説が出てくるが、
現実には個々のケースを見ていかないと見誤る。
因みに一座とは首座・首席ということ。

108 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:37:10
ということは、一座宣下を受けなかった関白も存在したということでしょうか?

109 :日本@名無史さん :2006/09/20(水) 21:57:10
秀次がその例。

110 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 22:26:21
もしかして・・・・・・・・
太政大臣―関白(左・右・内大臣)という変則的な地位関係にあったのは
この武家関白期だけではないでしょうか?
その他の事例あったらキボン

111 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 22:27:42
太政大臣が一の人でその下に関白がいた・・・って意味で

112 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 22:30:00
清盛のときはどうだったんだろ。太政大臣の彼と
藤原の関白どっちが一座?

113 :日本@名無史さん :2006/09/20(水) 22:44:31
平清盛は一座宣下を受けず太政大臣になったため、
摂政藤原基房の下位。

114 :日本@名無史さん :2006/09/20(水) 22:46:32
例えば
摂政にして右大臣の藤原基経。左大臣源融より下位。
摂政にして内大臣の藤原頼通。太政大臣藤原道長の下位。
関白にして左大臣の藤原頼通。太政大臣藤原公季の下位。
関白にして左大臣の藤原基実。太政大臣藤原伊通の下位。
摂政にして左大臣の藤原良経。太政大臣藤原頼実の下位
関白にして左大臣の近衛房嗣。太政大臣一条兼良の下位。
関白一条教房。太政大臣二条持通の下位。
関白一条教房。太政大臣近衛房嗣の下位。
関白二条持通。左大臣足利義満の下位。
関白にして左大臣の鷹司兼輔。太政大臣近衛尚通の下位。
関白鷹司忠冬。左大臣一条房通の下位。


115 :日本@名無史さん :2006/09/20(水) 23:34:50
>>114
これは鋭い指摘。こういう書き込みを期待したいものだ。

116 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 23:51:36
実は江戸時代にも越官は一度だけある
右大臣一条兼輝が、左大臣近衛基煕を越えて関白任官。

117 :日本@名無史さん :2006/09/20(水) 23:56:25
太政大臣にもなっていない左大臣の足利義満が
関白より上位というのが目につく。
いかに足利義満の権勢が強大であったかの一端を垣間見ることができる。

118 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 00:45:01
>>114
こんなもの、公卿補任を丹念に拾えば何でもない。暇なのか、おたくなのか?

119 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 00:53:53
趣味でデータベース化して、2ちゃんで披瀝して楽しんでるんでしょう。

120 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 00:57:13
「こんなもの、何でもない」とかほざいて自分は何もしない馬鹿よりは価値あるよ>>114

121 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 01:10:38
令制の最高位は太政大臣ですよね。
関白も征夷大将軍も令外の職
武官の令制最高はやはり左近衛大将でしょうか?

122 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 05:47:54
>>121
形に拘りすぎ
令外官だろうが実質上の最高位>関白・征夷大将軍


123 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 05:50:24
韓国は「なぜ」反日か?5
別名:「韓国はなぜ反日か?」応援スレ極東本部

■ 韓国は“ な ぜ ”反日か?
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea  (本サイト)

http://newsstation.info/jump/to.php?id=106 (本サイトへジャンプ)
http://symy.jp/?I5d               (本サイトへジャンプ)



124 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 07:01:02
>>113
ねえ、太政大臣が一座の宣旨・・・っておかしいでしょう。
その場合関白が一座の宣旨を受けてるから関白>太政大臣では?
>>114
それって関白が一座の宣旨を受けてない例を挙げてくれたのかい?
関白って通常一座の宣旨を受けるから上位の大臣よりも上座になるんではないの。



125 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 08:34:14
>>118
ひねくれた性格だな。
食えない歴史学者もどきか?

126 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 09:44:42
読解力の無い輩ばかりが集まっているな。


127 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 10:28:24
本当にこの板はくだらないスレを良スレ化するクリエイティブな板だな

128 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 12:15:14
>>124
お前は読みこなしの出来ない屁たれだな。

129 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:21:03
>>128
自分が間違ってるからって荒れないでよ

130 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:21:36
一番楽そうだから関白でいいや

131 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:28:40
亭主は太政大臣にも将軍にもなれないが関白にはなれる。


実力があればだが…orz

132 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:39:23
>>114
藤原氏の場合、関白・一座・内覧・氏長者は4点セットなので、
太政大臣が他に存在していても常に関白が上位!!!
という結論でヨロシクねん

133 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:55:04
位階が逆転していたのは秀次だけですか?

134 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 13:18:39
>>130
関白近衛前久なんか諸国を遊び歩いてほとんど京都にいなかったもんな。

135 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 15:02:35
>>132
勝手に解釈すればいいじゃん。

136 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 15:03:25
>>129
意味不明

137 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 15:04:33
>>133
自分で調べろ!

138 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 15:05:54
>>134
草津温泉に湯治にも行ったしな。

139 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 15:09:33
>>132
勧学院や学館院別当も付随しているぞ、

140 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 15:12:49
5連投?

141 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 16:12:18
で、あるか?

142 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 18:25:06
で、ある。

143 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 18:27:02
そうか?

144 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 18:34:21
118=128が連投の疲れと自説の稚拙さが暴露したことで
暴れださないようにそ〜っとしてあげて欲しい

145 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 18:37:17
114=128=134〜139の間違えでしたん・・・・orz
俺が一番アフォだった・・・・・

146 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 18:41:48
で、あるか?

147 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 18:42:59
で、ある。

148 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 18:43:53
そうか?

149 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 18:47:58
関白、太政大臣、征夷大将軍
この中で一番字数が多い将軍の勝ちぃぃ!!

150 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 18:55:02
それはよかった。

151 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 19:22:47
それでは天皇にも勝ってしまうではないか。
やはり字数が少ないほど偉いのであるぞ。

152 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 19:55:38
それだと王が一番偉いことになるな。
平家討伐は以仁王の宣旨が根拠だったから
王が一番偉いってことでいいよ。

153 :日本@名無史さん :2006/09/21(木) 20:59:09
皇帝にきまっているだろう。

154 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 19:58:04
>>152
細かいようで恐縮ですが、宣旨ではなくて令旨ですよん

155 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 21:20:17
神祇伯と執権と鎮守府将軍から選ぶとしたらどれがいい?

156 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 21:42:07
そら、一番偉い神祇伯

157 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 23:59:58
執権って将軍の私的な組織の役職名で官職ではないだろ。

158 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 03:39:30
楽そうだから仁義箔

159 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 10:12:41
おれ尾張守

160 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 14:06:31
神祇伯の中世以降の位階相当は何

161 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 14:21:18
従二位権中納言

162 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 16:41:46
征夷大将軍の位階相当は何?

江戸時代は位階相当が上がったっていう人がいたんだけど。

163 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 19:44:43
ねーよそんなもん

164 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 19:51:49
てか内覧左大臣が最強だろ。

165 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 20:30:12
俺、阿衡がいいや。
仕事しなくてよさそうだし。
引きこもってても偉そうにできるし。

166 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 18:25:04
江戸の将軍は上皇の格式だったというのは本当でしょうか?

167 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 13:52:59
>>160
相当というのは当てはまらないけど、徳川将軍は正二位内大臣〜従一位左右大臣と
追贈されてるから正二位相当と言っていいと思う。

徳川家康(松平元康→徳川家康) 1603-1605 従一位右大臣。将軍辞職後、太政大臣。
徳川秀忠 1605-1623 従一位右大臣。将軍辞職後、太政大臣。
徳川家光 1623-1651 従一位左大臣。太政大臣宣下固辞。
徳川家綱 1651-1680 正二位右大臣
徳川綱吉 1680-1709 正二位右大臣
徳川家宣(綱豊→家宣) 1709-1712 正二位内大臣
徳川家継 1712-1716 正二位内大臣
徳川吉宗(松平頼方→徳川吉宗) 1716-1745 正二位右大臣
徳川家重 1745-1760 正二位右大臣
徳川家治 1760-1786 正二位内大臣
徳川家斉 1787-1837 従一位太政大臣
徳川家慶 1837-1853 従一位左大臣
徳川家定 (家祥→家定) 1853-1858 正二位内大臣
徳川家茂(慶福→家茂) 1858-1866 従一位右大臣
徳川慶喜 1866-1867 正二位内大臣

168 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 14:01:40
>>160
んでコレが足利将軍家
足利尊氏 (高氏→尊氏) 1338-1358 正二位権大納言
足利義詮 1358-1367 正二位権大納言
足利義満 1367-1394 准三宮従一位左大臣。将軍辞職後、太政大臣。
足利義持 1394-1423 従一位内大臣
足利義量 1423-1425 正四位下参議右近衛中将
足利義教(義宣→義教) 1429-1441 従一位左大臣
足利義勝 1442-1443 従四位下左近衛中将
足利義政 (義成→義政) 1449-1473 准三宮従一位左大臣
足利義尚(義尚→義煕) 1473-1489 従一位内大臣
足利義材 (義材→義尹→義稙) 1490-1493 従四位下参議右近衛中将
足利義澄(義高→義遐→義澄) 1494-1508 従三位参議左近衛中将
足利義稙 (義材→義尹→義稙) 1508-1521 再任。従二位権大納言
足利義晴 1521-1546 従三位権大納言
足利義輝 (義藤→義輝) 1546-1565 従四位下参議左近衛中将
足利義栄 1568 従五位下左馬頭
足利義昭 (義秋→義昭) 1568-1573 実は出家時の1588年までは名目上在任。従三位権大納言

徳川歴代将軍の方が位階は平均して高い。
が、皇室への影響度もあると思うけど任期が長ければそれだけ位階が高くなりうるしね。

169 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 21:39:03
家康、家慶は将軍就任時にすでに従一位だったから、徳川将軍で就任後従一位に
昇叙したのは13人中4人だけですね。
徳川将軍の権勢からすると意外なほど少ないけど、
将軍就任後、従一位に昇叙してる人が少ないのは何故だろう?

170 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 03:56:16
別に必要ないし

171 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 09:58:08
頼朝は、権大納言・右大将。実朝は、右大臣・左大将。

実朝は父を超えていたんだな、あの若さで・・・。

172 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 07:27:47
藤原永手も生前、正一位だったんだ。宝亀4年10月1日に改元記念になっている。
(公卿補任)

173 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 07:33:24
秀吉が生前正一位はガセネタ。少なくとも公卿補任には記録がない。

174 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 11:25:48
安倍総理には北チョンに制裁加える前にぜひ征夷大将軍になってもらいたい。


175 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 20:21:04
正二位関白内大臣はたしかに哀しい

176 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 01:13:25
家格>>位階?

177 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 19:53:18
家格が定まった頃には
家格>位階だろうな。
正三位の名家よりも正五位下の摂家の御曹司じゃないかな?

178 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 12:55:58
家格っていつ決めたの?

179 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:47:28
>>178
いつのまにか。

180 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 09:58:48
平安時代の藤原家全盛から気がつけば家格が出てきてなんじゃこりゃー

181 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 21:16:25
関白・太政大臣とか
征夷大将軍・太政大臣とかはいるけど

関白・征夷大将軍
は、ついに出現しなかったねw

182 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:30:23
令外の官2つ貰っても意味ないだろ。


183 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 22:10:58
関白・内大臣
征夷大将軍・内大臣
中納言・検非違使別当

いずれもダブル令外官で・・・

184 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 22:58:25
考えてみりゃ頭中将もダブル令外官だな。
太政官やら近衛やらは令外官といっても毛色が違うってこと?

185 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 12:49:55
>>181
そうですね。で、考えてみたら関白は天皇の代理人であり、
将軍は本来、遠征先における生権与奪の非常大権を有し
鎌倉以降は全国武家の棟梁。
両者ともに極めて特殊で強大な権力をもったスーパー特別職ですよね。
だからいくらなんでも誰もそんな関白・大将軍なんて二股は思いもつかなかったのかな?
それとも天皇に近侍する関白と遠征軍司令官の将軍との兼務は制度・理論上ありえなかったからでしょうかね。


186 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 13:06:01
将軍職って基本的に臨時付与だったんじゃないっけ?


187 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 13:23:39
>>185
鎌倉幕府とか江戸幕府では、天皇がいる京都から離れすぎて宮中の仕事をするのは無理だろうが
室町幕府の将軍だったら、宮中の仕事兼務も可能だっただろう
摂政、関白まで奪うことをしなかったのは、藤原家に遠慮でもしたのだろうか

188 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 16:22:26
徳川将軍家の場合、将軍宣下の勅使は将軍の下段にすわりました。
また、将軍から天皇にだされる手紙の書式は対等で、将軍から五摂家および親王にだされる手紙の
書式は、将軍から、御三家に出す形式と同等だったそうです。
日本の歴史上、天皇の地位にもっともせまったのは、足利義満、二位が
天皇にたいし禁中並び公家諸法度をつきつけた家康といったところでしょうか。



189 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 16:23:32
小早川秀秋関白にするべき!

190 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 16:40:09

石田につけば小早川は関白なれた。

191 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:11:11
>>190
なれたかもしれんが、秀頼元服後には義兄同様あぼーんだ罠


192 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 20:19:43
>>187
義満については遠慮したんじゃなくて関白なんてつまらん職につく気が無かった。
摂関政治なんて衰退して宮廷は上皇による院政が普通になってたから
宮廷を意のままにするには関白じゃなくて上皇を目指さんといかん。
だから便宜的に上皇をなくして、自分がその後を継いだ。
義満以降は将軍が宮廷に深く関わろうとしなかったからね。
義満に関しては幕府側に随分不満があったらしい。
義政以降はそもそも将軍位すら危ういのに、それ以外に色目使う余裕は無かったろうw

193 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 21:21:35
現代における征夷大将軍は内閣官房長官では?

194 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 21:31:03
>>188
徳川家が天皇家を対等と扱ったのは、不敬というよりもやはり、
世の中を上手く収めるためなんでしょうかね。
将軍が天皇を敬っていればそれを利用してクーデターとか起こるだろうし


195 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 23:35:32
>>193
蔵人頭じゃねえの>官房長官

196 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 00:19:54
官房長官は武官じゃないだろ

197 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 00:57:37
羽賀研二・・・・誠意大将軍

198 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 01:00:13
武官のトップなら統合幕僚長だが

199 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 08:38:43
検非違使別当は警察庁長官?

200 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 08:46:39
警察庁長官は火付盗賊改方長官・長谷川平蔵のことでしょう

201 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 09:05:47
それは幕府の制度でしょ
朝廷のじゃない

202 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 10:51:36
使庁の別当はもっと偉い。
国家公安委員長クラスだな。
中納言が兼ねるのが多いこと、別当宣を出せたことを考えれば
官僚ではなくて大臣クラスと考えるのが妥当。

203 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 11:10:43
うむ
警察庁長官は下から上がってきた警察官なので
上から配される公卿の検非違使別当よりは
武士が出世してなる少尉くらいに相当する感じだね

204 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 15:06:42
>>203
おい、警察庁長官は東大卒のキャリアの最終到達点だぞ
もうちょっと相当を上げてやれよW

205 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 18:40:11
日本じゃ試験が出来るだけではなかなか公卿にはなれん罠

206 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 20:32:30
やはり太政大臣だな
関白は令外官だし、将軍は武家の棟梁にすぎないし

207 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 20:41:01
現在でいうならば太政大臣は
中曽根さんだな

208 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 21:14:16
中曽根は准三后

209 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 01:08:21
太政大臣は現在で言う内閣総理大臣。
太政大臣を初めとする太政官を廃して内閣官制が発足したんだから。
>>204
いくらキャリアの最終到達時点と言っても認証官ではない一般職
だからな。警察庁長官は。
警察庁長官より、検事長や侍従長の方が格上。

210 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 01:10:11
准三后は近衛通隆氏

211 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 03:00:48
http://www.google.co.jp/gwt/n?mrestrict=chtml&site=search&q=%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%85%8B%E9%A1%95&source=m&output=chtml&hl=ja&ei=pIJLRcimN8fQJKmKvtIC&ct=res&cd=6&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwwwz.fujitv.co.jp%2Foh-oku2003%2Fstory02.html

212 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 05:39:28
>>209
太政大臣って一般には政務は行わない名誉職だったらしいよ


213 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 19:15:05
防衛庁長官は文官だから兵部卿か?

214 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 15:40:43
太政大臣は首相、将軍は防衛庁長官として、関白は何?

215 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 15:58:18
>>214
将軍は今で言うところの前線指揮官に過ぎないのでは?
防衛庁長官に当たるのは兵部卿か近衛大将のどちらかだと思う。

216 ::日本@名無史さん :2006/11/05(日) 16:42:37
>>207
中曽根=ぬらりひょん

217 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 17:21:54
>>214
関白の建前は外戚だから、粉屋のオーナー

218 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 17:50:06
関白は直線的な官制の中では解釈しがたいものなので
対応させるなら複線型の構造を持ってこないと難しいんでは?
というわけで関白=自民党総裁

219 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:18:29
>>215
征夷大将軍はもっと偉いよ。現地での賞罰、人事、作戦の遂行など、臨時政府(幕府)の長なんだから
総理代行か、特命全権大臣とでもいったところかな。

官位に関しては兵部卿(従三位)でもよさそうな気もするが、
田村麻呂、綿麻呂は共に近衛大将(田村麻呂は兵部卿兼任)経験者だから
近衛大将=防衛庁長官
兵部卿=統合幕僚長
って所じゃないか?

220 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:39:30
将軍は満州軍総司令官大山巌のイメージ。
今はない官職だけどw

221 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:42:21
従一位摂政関白内覧太政大臣=内閣総理大臣+衆参議長+宮内庁長官

222 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:47:13
>>212
原則は「職掌なし」という事そうだけど、実際には当人の政治力次第次第。
実力者が就任した場合には「職掌なし」が「職掌に制限なし」に化けた。

223 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 10:00:53
征夷大将軍はかなりの非常大権を持っているから
基本的に軍政権を持たない現代日本では存在しない職でしょ



224 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 17:28:08
現代の征夷大将軍はオシム
イビチャ=オシム

225 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 20:38:41
てか、関白も太政大臣も征夷大将軍も今で言えば全部総理大臣にあたるんじゃね?

226 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 20:50:17
>>221はけっこう的を射ている

227 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 21:29:09
三権の長を全て独占だろう。

228 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 22:51:58
征夷大将軍は現代で例えるならGHQのマッカーサーが近いんじゃないか?

229 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 04:26:16
本来の征夷大将軍と頼朝以降の征夷大将軍は別もんだな。
元々は天皇の権威の下に朝廷に従わない勢力を征伐する持節将軍だろ。
それが何で幕府を開けるんだ?

230 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 04:52:27
>>229
名前からして『征夷』だもんね。

231 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 05:08:40
将軍の陣営を幕府と呼ぶからねぇ。


232 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 07:19:45
>>229
初期鎌倉幕府の性格は公卿としての源頼朝の政所だよ。

233 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 08:58:39
>>231
本来は近衛大将の陣営じゃなかった。


234 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 09:17:06
>>233
頼朝は右大将だったから幕府と呼んだんだよ


235 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 09:58:14
征夷大将軍には関東での徴兵権があるんじゃなかったっけ?
そもそも頼朝の権力基盤は守護・地頭の任命権を認めさせたことだろ
これで徴税権まで手に入れている
徴兵権と徴税権があってさらに裁判ができる、これは立派に政府だなわ

236 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 12:39:36
征夷大将軍がどういう位置づけかで論文が書けるな

237 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 13:32:01
幕府の成立と権力基盤を考えるだけでご飯が3杯食べれる

238 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:34:47
信長は 将軍
  
    関白


    太政大臣
   


     のどれかにしろと言ったらしいが



       結局どれにも

       なれなかった






          。 

239 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 18:15:31
信長は自身よりも信忠の昇進に熱心だったからね
秀吉の治世を見るに
自身が関白になってすぐ太閤へ
信忠を関白へという形での世襲を望んでいたのかな?
でも関白は独占するわけにはいかないだろうから将軍職を希望したかもしれんね

240 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 18:16:43
>>233
【幕府】
シ陣中で将軍がいる所。柳営。
ス近衛府の唐名。また、近衛大将の居館。
セ武家政権の政庁。また、その権力組織。
源頼朝が建久元年(1190)に右近衛大将に任ぜられたことからその居館を幕府と称するようになった。

以上、決して間違いじゃ無いですね。

241 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 22:51:16
>>239
秀吉は関白職を豊臣家で世襲独占したいからこそ、すぐに
秀次を関白にしたと思われ。
皇后と摂政も元々は皇族しかなれなかったのを藤原家が奪って
慣例化していったんだから、関白職が2〜3代続けて豊臣の
人間が就任するとそれが慣例になっていったと思われ。

242 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 23:29:33
本来の職掌を無視してでも幼少関白を作り出していたら
状況は変わったかもね。この場合徳川氏が政所の執権として
北条氏化していたかもしれないがw

243 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 09:25:54
>>241
秀次を殺してしまわずにその次辺りを見てみたかったね
本当に豊臣一家独占が出来たのかどうか
今となってはもうタラレバの域だけど秀次VS摂家

244 :日本@名無史さん:2006/11/08(水) 19:11:16
徳川が実権を握ってる状況なら豊臣家の関白独占はありえんよ。
武家の豊臣より摂関家の方が操縦しやすい上に、伝統からしても摂関家の方が自然だから。
運が良くても大臣家くらいの家格で生き残るのが限界でしょ。
大臣家なら近衛大将をかけることができないので、徳川に危機感を与えることもない。

245 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 10:06:49
豊臣家って結局どういう扱いだったの?
摂家の一つとして認められていたの?
秀吉が関白になったときは近衛家の名前を使ってなったと記憶しておりますが
豊臣家ってのはそうすると近衛家からの分家みたいな形で認められていたんですか?

246 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 10:39:02
>>243
秀次は貴族らとも仲良かったから、
普通に摂関政治的な状況になっていったかもしれない。

秀次政権なら周辺で、貴族側近vs武家側近という対立が生まれたかもしれない。



かもしれない、ネタだけどね。


>>244
>大臣家なら近衛大将をかけることができないので、

という先例をも打ち破ったかもしれないよ。


>>245
「新規設立の摂関家」
ここから新しい”先例”が始まる、みたいな。

247 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 11:47:44
>>245
「豊臣」は天正十四年(一五八六)に太政大臣となって、天皇より賜った姓氏。
いわゆる、源・平・藤・橘にあたるもので、「近衛」とか「鷹司」などの家名とは別(どちらも藤原氏)。

秀吉は出自を偽るのが無理とみて、新しい姓氏を賜って、藤原氏の五摂家以外に豊臣氏でも関白になれるようにした。


248 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 15:48:07
豊臣姓は摂家なのかな?それとも特別枠?

249 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 15:55:25
二代も関白を出してる以上、摂関家と言っていいと思う

250 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 16:24:19
秀頼の官位昇進スピード(最後は右大臣)は摂関家待遇だったみたいですね。
ただ、秀頼で断絶して定着しなかったので、辞書など一般的には摂関家に含めてませんね。
秀吉の思惑は、公武を統合する“第六の摂関家=豊臣”を目指してたかもしれませんけど。

251 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 14:18:32
>>132>>139
御所へ参内するときに車に乗ったまま下車せずに敷地内まで入れる
牛車宣旨とかいうのも一緒になかったか?

252 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 14:26:06
>>192
関白が朝廷運営を主導していた最後の例って、鎌倉期の鷹司兼平だっけ?
それ以降は朝廷の運営は原則治天の君の天皇か上皇ばかりになるとか。

253 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 14:29:57
>>242
将軍は確かに幼少でもなっている例があるけど、
幼少の摂関はあり得ないのか。
まあそれがあり得るんなら、秀次を消した直後に秀頼を摂関につけるか。

254 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 16:11:33
摂政、関白が幼少だと、天皇の総摂、補弼の役をなさないからね
頼朝が征夷大将軍をそうしたように、秀吉も武家関白を
それまでと違う性格の官職に変えれば秀頼に譲れたんじゃないかな

255 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 16:33:52
頼朝が守護・地頭を全国にばらまいて征夷大将軍の権限にしたのと同じようなことを
秀吉はやらなかったよね?
一応各国の大名の任命とかはやってたけどそういう組織みたいのって作らなかったよね
五奉行と五大老くらい?

256 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 16:51:02
>>255
そういう部分がぬかってる、といえばぬかってる。

だが、
江戸政権も、初期は結構いい加減なシステム。
途中から前例が積み上がって、それがなし崩しに制度化されただけ。

257 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 20:51:33
豊臣政権も何の役職もなかったとは考えにくいな。
大坂城とか伏見城とかの中には勘定方とか台所役人とか倉庫番みたいな役人もいただろうし、
普請とか作事の担当者もいただろう。
実際、城の中で多数の家臣たちがいるんだから、日常的庶務や雑事を担当する諸役人はいたはず。

258 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 20:57:26
何の役職もなく、大名や武士が城の中でゴロゴロしてるって状況はありえないから、
名称はなんであれ、また固定した永続的な組織ではないにせよ、経理・出納の担当者や
城中の営繕担当者、物品・用度の管理者に警備担当者などの役割の分担はあったろう。

259 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:18:56
>>255
豊臣政権は、基本的には既に各地方で一円領主化していた戦国大名をほとんど
当知行安堵という形で政権下に組み込んでいったわけだから、畿内周辺等の
一部を除けば政権直属の(秀吉から見て陪臣ではない)武家領主はいずれも
各々の地方の一円領主なわけで、こうなると最早中世の政権のような守護制度は
必要なくなってしまう。
また地頭についても、太閤検地の結果として中世的な荘園公領制が完全に崩れて
しまった以上、最早地頭職を補任するための土地単位がないわけで。

260 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:17:47
知行といえば
豊臣政権が、後の徳川政権と大きく違った点として

「能力給制度」

が垣間見られることを挙げたいなぁ。
(これも織田政権からの発展なんだけどさ)

例・○○家100石スタート→優秀な当主出現→大抜擢!!
   →○○家大領地大軍勢→そいつ死亡→○○家大削減(元の100よりは多い。遺族年金みたいなww)

こんなケースが時々ある。
いわば職能給というか、能力ある奴にどーんと預ける、とでもいうか。

これが徳川政権だと、「先代がこつこつ積んだ」領地はほぼそのまま継承、となる。
まぁこれも、「天下の平穏・安定」という意味では正しいんだろうけど。



261 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:48:03
ヒント:足高の制

262 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:48:18
禁裏守衛総督と征夷大将軍はどっちが上ですか?

263 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:10:48
>>261
・江戸幕府がそこに辿り着くまで、かなり時間を要した。
・足高は結局、次世代相続するときに「先代の功績で」といって
 元領地と合算されて相続されることが主流→いままでと変わらない。


階級制度化していた役職制度に「下流でも頑張れば上流入りできる」
という新ルールを加えたに過ぎないのが足し高。
それもどっちかっつーと、
紀州から連れて来た奴らや、自分で登用したオレ派閥の人材で、
幕府内部を掌握するための方策、でしかない。

おまけにそれって、幕府の公領がどんどん減るって事では・・・

264 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:51:57
そこで上知令ですよ。

265 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 17:48:45
>>238
関白 太政大臣 将軍
関白は藤原氏限定
将軍は源氏限定
織田氏は自称平氏だから関白にも将軍にもなれなかったと思う。
もしなってたしたら太政大臣だろう。


266 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 17:51:15
>>265
関白になろうとして藤原氏に改めたら藤原教通の子藤原信長とダブッちまうな



267 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 17:52:59
>>266
藤原信長は教通から関白を譲られそうになったが伯父頼通によってかなわず

268 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 19:43:22
役職を偉い順に並べてくれ

269 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 19:50:30
源氏でないと征夷大将軍にはなれないの?

270 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 19:53:32
>>269
そんなことはない。
源氏以外の征夷将軍もいるよ。

271 :日本@名無史さん :2006/11/17(金) 20:13:51
摂政、関白、将軍。
足利将軍家がは、摂家同等。
徳川将軍家は、摂家より上位という扱いね。

江戸時代、関白江戸下向の際も、常に将軍が上座。
秀忠の時代は、関白や勅使が上座だったが、家光の時代から、
将軍が上座になったようだ。家光将軍の時代は、父秀忠太政大臣、家光左大臣で将軍家
が位人臣を極めていた事情もあるが。
家茂の時代に、勅使が上座に戻された。

272 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 20:31:33
>266
まあでも最初は藤原信長だったからなあ。
いつから平になったんだっけ?

273 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 20:57:04
信長の先祖が越前で神主やってた頃は、まだ藤原姓だったはず。

斯波の殿様と一緒に尾張に来て守護代とかなる頃には平姓になったのかな?

それとも、信長の代に変更があったのかな?

274 :日本@名無史さん:2006/11/17(金) 22:01:33
平姓でも「関白か太政大臣か征夷大将軍か」お好きな官職についてください
と朝廷から推任されましたよ>信長

275 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 01:06:51
>>274
征夷大将軍については鎌倉期の摂家将軍・皇族将軍を考えれば、自称平姓の
信長に朝廷が就任を勧めることは、先例主義の朝廷としても、さほど
イレギュラーではないと思う。
むしろ藤原良房・基経以来、藤原氏しか補任されたことがない摂関の地位を
信長に勧めたことのほうがインパクトが大きい。

さらにいえば、院政期に待賢門院の父の藤原公実が外戚ということで摂関就任を
画策するも「摂関の地位は既に御堂流に確定している」という理由で退けられた
ことを考慮すると、摂関は藤原氏のなかでも特に“北家嫡流である御堂流で
なければならない”という意識が平安末期には既に成立していることになる。

そういう意味では信長に関白就任を勧めることについては征夷大将軍を勧める
ことよりも、ずっとイレギュラーな事態といえる。
もっともこの段階でこうした先例的にはあり得ないことを平気で(というか
ある意味柔軟に)朝廷が考えていたとすれば、のちの秀吉・秀次の関白就任の
一つの前提になるのかも知れない(但し秀吉は豊臣賜姓前は藤原だが)。

276 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 01:10:54
>>273
織田氏の本姓については忌部氏という説もある。
但しこれのソースは、平安中期の藤原行成の『権記』に越前の織田剣神社の
神職として忌部氏を名乗る人名が見えるということだけだが。

277 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 01:27:51
信長がこわかったからビビッて思わず
「関白になってもいいよ」って言っちゃったw

278 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 03:13:47
>>168
でも死後の追贈も含めるなら、足利将軍も最後の義栄・義昭以外は最終的には
従一位で太政大臣か左大臣くらいを送られているね。

279 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 03:18:37
ところで、秀吉が近衛家の猶子ということで藤原姓を名乗って関白に就任したときって、藤原氏長者の地位はどうなってたの?
秀吉が関白と一緒に長者にもなってたの?

280 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 03:34:20
>>271
そうすると、摂家と同等の足利将軍家は代々偏諱を摂家当主に与えているのに、
摂家より上位の徳川将軍家は二条家以外の摂家には偏諱を与えないのはどうして?

281 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:10:35
>>271
しかし江戸期の場合、摂関家のいくつかは皇別摂家なわけでしょう?
しかも秀忠から家光くらいの時期だと、近衛家と一条家の当主はときの天皇の弟。
それにも関わらず将軍家のほうが上座って凄いな。

282 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:43:26
ところで、太閤も入れておくれよ。

283 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 11:52:49
和子入内の状況を見ると藤堂高虎の要請で関白を扈従させてるね。
徳川の権威を背にしてるとはいえ、一介の大名に命令される程度の存在なんだろう。

284 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 12:21:22
>>270
坂上田村麻呂

285 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 12:41:54
ところで、室町時代の摂関は、どうして二条家の独占状態みたいな感じになっちゃってるの?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1032360038/651-657n

286 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 14:55:47
>>284
文屋綿麻呂

287 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 17:38:13
足利将軍家は京に幕府を開いたから
朝廷に直接関与できた
特に足利義教による後花園天皇即位など

江戸期では天皇即位は公家主導で行われた
特に後桜町天皇即位など

288 :日本@名無史さん :2006/11/18(土) 18:25:36
281
葵徳川3代って大河がある。
天皇実弟の関白近衛信尋公が江戸下向の際
家光の前にひれ伏しているシーンがある。
秀忠時代は、信尋公が上座で将軍がひれ伏してたのだが。

吉宗って大河がある。
家宣の舅の太閤近衛基煕公が、江戸下向の際、上座の家宣の隣に
侍っているシーンがある。


289 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:31:15
そういえば近衛基煕の日記『基煕公記』って新井白石をもの凄く褒め上げているね。

290 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:37:32
>>287
しかし、かといって彦仁王(後花園天皇)の即位のときに他に選択肢って
あったのかな?
仮に後小松上皇とか関白二条持基とかが朝廷を主導してたとしても、
結局は伏見宮家の彦仁王に行き着くと思うよ。

291 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:39:03
a


292 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 00:15:24
>>288
将軍のほうが御所に参内したときはどうなるの?
家光が上洛したときとかはどんなだった?

293 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 13:12:33
天皇>将軍>廷臣・幕臣(官位順)

こうなるんじゃない?普通に。

294 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 13:45:55
>>292
幕末に家茂が参内したときは関白や左右大臣の下座だったらしい。
なにしろ「いよおおおおっ、征夷大将軍!!」と高杉晋作から路上で
野次られたくらいの権威低下の時期だったらしいよ。

関白だろうが将軍だろうが太政大臣だろうが、地位の上下はとにかくそのときの
実権によるということじゃないの。

295 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 14:19:52
>>293
摂関か清華家の誰かが太政大臣で、将軍が左右大臣くらいのときはどうなる?

296 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 14:32:11
摂関が左右大臣で清華家が太政大臣なら、当然、摂関が上であるように、
将軍(江戸中期以降は大抵は右大臣)の方が清華家より上だろう。

297 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 15:47:48
将軍は摂関同様、一座宣旨を蒙っているということですか?

298 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 16:03:39
>>297
違うよ、江戸の将軍=実質的な日本国王 としての権力の力によるものだよん

299 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 16:12:49
そして、その絶対的権力が崩壊しつつあった幕末に、
家茂は関白どころか左右大臣の下座にて参内したということ


300 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 18:01:22
>>298
征夷大将軍+源氏長者=日本国王って説の信者の方?

301 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 19:19:14
>>300
実質的なつう意味がわからんのか、 ヴァカ
流れ読めよ ハクチ

302 :日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:27:54
実質的な日本国王w

303 :日本@名無史さん :2006/11/19(日) 23:02:43
294 
292
将軍が拝謁、廷臣は左右に侍るんじゃないか。

293
家茂の時代に、勅使の待遇改善され、
勅使は上座、将軍は下座して、勅を拝命というふうになったはず。
これは大河の慶喜で解説されている。

大河は勉強になるよ。

304 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 00:08:16
ドラマで勉強したつもりになる禿発見!!死ね低能

305 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 00:17:46
>>252
むしろ江戸時代は幕府の掣肘いう条件下で摂関家が朝廷の全権限を有していた。
さっき出てきた後桜町天皇擁立なんて五摂家当主の会議のみで決まった。

306 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 01:04:42
>>305
すまん。近世は考慮に入れてなかった。

307 :日本@名無史さん :2006/11/20(月) 19:42:10
304の低脳くんですな。ドラマにも良いドラマとくだらんものが
あるのをわかってない。独眼流はともかく、

ジェームズ三木脚本は、一般人には理解が難しい
玄人好みドラマつくるんだ。

葵徳川3代と、吉宗はジェームズ三木脚本で
かなり歴史マニア向けな濃い内容になっている。
葵徳川3代なんて、宮中とか公家をなんで
ここまで登場させるのかてくらい出てくる。
後水尾天皇と家光の対立から和解するまでもしっかり描かれている。

308 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 23:07:14
>>307
確かに葵徳川三代と吉宗は良く出来ていたと思うが徳川慶喜は
ちょっと?と言う感じだったぞ。
脚本家によって、当時の制度や史実を忠実に脚色化しているのも
あれば、今やっている大河ドラマみたいに糞な脚本もある。

309 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 23:27:36
256さんのいうとおり。
組織というのは先例の積み上げ。
江戸幕府いうても体制が整ったのは三代家光の頃。
室町幕府は足利義満と細川頼之が実質的に創設。
鎌倉幕府に至っては実朝の死後、承久の乱以後ようやく政権としての体裁が整った。
要するに法制を整え、体制を確立するには政権発足から20〜30年かかるということや。

秀吉も豊臣政権を武家関白公儀と位置付け、制度化を急いだものの、結果はみなさんご存知のとおり。

310 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 11:27:43
一番分かりやすいのが明治政府だね
維新起こしてまず5年で一段、9、10年くらいで第二段という形で政策を出している
政権運営能力ってそれくらいかかるんだよね
それの効用が出てくるのにさらに時間かかるしさ

311 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 11:49:19
征夷大将軍は中国皇帝に対する朝鮮国王みたいなものだろ
建前では中国皇帝(=天皇)の臣下であるが、その実効支配が
及ぶ範囲内のおいては、絶対的権力を有するみたいな感じで

312 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 12:23:53
元来そうであったとしても承久の乱以降をそれになぞらえるのは無理

313 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 13:09:37
>>311
ちがいます
もうちょっと上の方から読み直してください

314 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 14:35:35
結局は権門体制か2つの国家かってこと?

315 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 14:47:41
支那が共産政権になってもなお歴代王朝の影を引きずっているのと同様
日本も連綿と続く権力の二重構造を保持している。

316 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 16:31:47
日本は二重どころじゃないけどね
天皇→摂関→将軍→執政(管領・老中など)

317 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 17:24:42
石田三成に味方したら小早川秀秋 関白になれたのにな!

徳川政権なかっただろうし

318 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 17:32:27
>>317
歴史にifはタブーだろうが
もしあそこで小早川が裏切らなければ決定的な勝敗が付かず
応仁の乱みたいに泥沼になってたと思うよ
地方では黒田やら伊達やらみたいなのが動いてたんだし


319 :日本@名無史さん :2006/11/21(火) 20:06:54
>>316
日本では、政など下賤なことは下々のものがやればよく
やんごとなき身分のお人は、風流、わび、さびを感じて、和歌を詠み、
管弦で遊び、源氏物語を研究し、古今の文学芸術に通じ、文化人として
超一流でなくてはならないのです。
南朝の軟弱な六朝文化は日本に引き継がれたといっても過言ではないのです。
中国のような皇帝独裁政治で、政を最上位におく国とは根本的に違うのです。

天皇→将軍→老中→ |家老→実務官吏|
所詮老中は殿様なので何もできません。
|家老→実務官吏|が政策をまとめて、他の老中の家臣と政策調整し、
 老中会議では既に判子押すだけ。というのが幕府の政治なのです。
 つまり課長係長級の職員政策が国政になるようなもんです。

320 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 20:30:48
左近衛大将がいいだす

321 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 22:24:56
蝦夷千島王なんかいいね!

322 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 23:22:01
俺は造酒佑でいいや

323 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 23:44:50
摂関にしろ征夷大将軍にしろ、職名が同じでも時代によって様相は異なるよね。
源頼朝は朝廷の侍大将を脱しきれてない。
しかも右近衛大将家の家政機関という色合いが濃い。
徳川家康の場合は国政を担当する政治組織の首班。

関白職にしても平安時代における藤原氏の関白と豊臣政権における関白を同一視するのは無理があるよね。
もちろん法制上の職務内容に差異はないだろうけど、豊臣秀吉の場合は諸国を支配する大名と封建的主従関係が政権の基礎として存在するわけだから、その性格は藤原氏とは大いに異なるんだよ。


324 :日本@名無史さん:2006/11/21(火) 23:50:22
>>318 確かに、伊達は怖い。

325 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 00:26:16
>>324 元々、伊達は石田側につくつもりだったよな、伊達陣は徳川本陣の後ろ側に陣構えていたけど。


伊達と小早川の兵を いっきに徳川本陣めざし崩す事も非ではなかったのでは・・・・・・・・

326 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 01:20:12
伊達が関が原にいたのか

327 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 02:10:13
伊達は上杉に攻められてた最上を支援してたから、何も行動を起こさなければ
徳川方だったと弁解できる立場のはず。

328 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 09:16:18
>>323
その頼朝の思惑とは別に
まあこれは平安末期の放置政治のツケなんだろうが
治安の取り締まり強化を守護・地頭の設置で解決したところ
徴税権やら徴兵権やらが幕府についちゃって。。。って感じ
上の方でも出てるけど基本的には頼朝が将軍でトップなんだろうけど
本人は中央での昇進にご執心でこれがどういう意味を持っているのか知っていたのかいなかったのかw
関東豪族はそれをフル活用して朝廷以外の統治機関としてうまく機能させ
後に鎌倉時代と呼ばれる政治体制を確立しその後は武士の時代と言われる基盤を作ったわけで

その後は朝廷との主導権争いやらなにやらで微妙に変化し続けて室町末期から安土桃山辺りでもう一度体制再編
この頃のトップは信長やら秀吉やら家康やら自分達の才能でのし上がってきた人達なんで頼朝と違ってはいて
貨幣経済から米経済への移行と身分制度の確立という改革をその意味を分かって実行
紆余曲折あるも江戸幕府と呼ばれるモノを作ってトップを将軍とし、それを世襲させることに成功した江戸幕府が
長期安定政権として平和をもたらしたわけだが

同じ幕府と一言で言っても鎌倉と江戸ではこれくらい差があるんだがね
室町は専門外なんで専門家にまかせた

329 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 13:51:42
室町が専門外で、鎌倉と江戸はたっぷり語れるってのも不思議な人だね。

330 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 16:17:48
>>325は毛利かなんかと間違えてるのか?

331 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 17:38:45
>>330
あれじゃね?なんかのゲームでIfシナリオプレイしたとか。

332 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 20:04:08
関ヶ原の合戦がシナリオにあるゲームってあったっけ?
あったらやってみたいなあ。にしても>>325はあわれ。

333 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 21:53:59
室町は奥が深いのだよ。専門じゃない奴が遠慮するのは謙虚なのだ。

334 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:35:01
うむ

335 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:57:55
まあ室町は焦点が絞り難いというのもあるが、義満主人公のは見てみたいな。
ラストで突然の死によって夢潰える。

336 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:58:43
奥が深いというか単純に難しい。
将軍の立場も幕府のありかたも、その時々で全く違う。
高氏と義満と義政と義材と拾うだけでも、とても同じ将軍職にあったとは思えない。

337 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 23:03:26
すまんスレ誤認による誤爆だ。

338 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 23:09:47
そういう言い方でいえば、鎌倉だってそうだよ。
泰時(嫡流すら危うい状況)、時頼(得宗専制)、高時(御内人長崎エンキの専横)
と拾うだけでも同じ執権職とは思えない。
頼朝、実朝、頼経、宗尊、とても同じ将軍職にあったとは思えない(まあ
将軍職のほうは無理していわなくていいかな。大雑把ににいって源氏将軍と摂関家皇族将軍
の二分割とするか)

339 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 23:12:59
摂関 天皇の代理人、執事セバスチャン、管領、大老みたいな物。
   制度上の位は無いが太政大臣よりも力は上。
   格も平安中期以降、太政大臣を超える。

太政大臣 律令制上の人臣最高の位、ただ、任所は特に無い名誉職的な感じ。
     摂関よりも制度では上だが清華の太政大臣よりも摂家の納言の方が
     上座。摂関でもこれになるには少々長生きしなければならない。

将軍   朝廷では4位相当のかなり低い官。何故武士棟梁がこれになりたがる
     のかと言うと、遠征軍の指揮官=幕府を開くことが出来ると解釈した為
     位自体が低いので鎌倉将軍は右大将、大納言など3位相当官、足利は
     納言−左大臣+源氏長者(末期は除く)徳川は襲名後、内大臣、歳を取る
     度に太政大臣まで上がる等、公卿相当官を兼任することによって朝臣との
     バランスを取ったと思う。実質日本を統治する者としてはそれなりの官位
     も必要だったって事。 その他の武家では老中が4位侍従、大老が4位中将等
     驚くほど官位は低い。

340 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 03:42:29
征夷大将軍って官位相当制の対象外なんじゃないの?
摂政・関白と同じで最初から兼官が前提。

官位相当表で征夷大将軍って見たことないし。

341 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 10:51:35
>>339
遠征軍の指揮官=国家総動員の軍事行動で、非常時軍事権を完全掌握し、委任されているから。
            担当地域の非常時政策、徴税、人員管理などの権限を全て持てる。

幕府ってのは、その軍営のこと。
○○幕府時代ってのは名目上、その非常時軍備体制が全国に発布され、長々続いている状態。

「ちょっと非常事態なので、軍の誘導に従ってくださーい」
「え、政府(朝廷)の言う事聞かなくていいの?」
「ここは戦場です!ですので軍がその都度、臨機応変に判断します。”その権利は貰ってます”」
「いつまでー?」
「とりあえず、たぶん明日もです。
 えーとまず米は全部、朝廷じゃなく軍がもらって管理しまーす。次に・・・」

名目上は、ね。


ちなみに鎮守府将軍でも「幕府は開けた(設置できた)」はず。
軍営(&占領地軍政本部)と言う意味で。


>>340
非常時の特設・令外官だったから逆に、
「○○と比べて上とも下とも言えず、なんとでも解釈できる」のが便利だったのです。
そこが、鎮守府(大)将軍と征夷大将軍の大きな違い。


342 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 14:14:47
どうしたら左近衛大将になれるんでつか

343 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 15:38:45
要するに征夷大将軍が四位相当官だといってる>>339は嘘吐きってことだね。

344 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 15:41:42
俺は>>339ではないが
俺は他の所でも征夷大将軍が四位相当官だというのは見たことがある気がする。

345 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 16:12:39
てか>>339は「その他の武家では・・・」と言っているのに、実際には江戸幕府の
老中・大老しか「その他の武家」について書いていない。

鎌倉幕府の場合は、三位以上(公卿)になれるのは基本的に将軍だけ。
執権・連署でも従四位下が最高(官職としては武蔵守・相模守・越後守などが
多い)。

室町幕府の場合も、三位以上(公卿)になるのは普通は将軍と関東公方だけ。
三管領家が世襲する官職も一番高いもので、細川=右京大夫、斯波=右兵衛督、
畠山=左衛門督でいずれも四位相当の官。
但し管領家や有力守護家の当主が例外的に三位に昇進することが偶にある。

346 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 19:57:59
それは貴族社会でも一緒。
特定の家しか、三位以上になれない、というだけの話。

それぞれの家の「家格」の問題で、将軍の価値(相当位)という話とは別だとおも


347 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 20:40:00
でも「征夷大将軍将軍」の肩書きだけじゃ三位以上の官位は上げてなかったのも事実なんでしょ?
大臣なんかの地位と併せてはじめて三位以上になれたってことは、実質征夷大将軍は四位以下相当
だったと結論しても間違いではないよね。

なーんか、令外だのなんだの理屈こねて、実態を無視しようと頑張ってる人がいるね。
なんなんだろうね。征夷大将軍の官位が低いと損した気分になる武家オタク?w

348 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 23:00:57
>>347
じゃあ他の大臣との兼任が原則の摂政・関白も、その官(摂関)だけなら四位以下とでもいうのか?藁

どうしてそういう結論になるのか意味不明。
その官自体は官位相当の対象外で、その官だけでは位階が決められないから、他の官との兼任が前提になるんだろ?

349 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 23:09:32
>>346
てか貴族社会の場合、いわゆる堂上公家というのは、いずれも三位以上に昇進できる資格を持っている家格の家ってことなんだが。
まさかそれ以下の地下の家も「貴族」の範疇に含めるとでも?
普通のイメージでは地下官人のトップの小槻氏(壬生家)や中原氏(押小路家)でも貴族とはいわないだろうし、それ以下の家は無論貴族ではない。

350 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 23:17:55
藁 ←いまどきこんなの使う奴痛すぎ。内心言い負かされたと思ってるんだろうね。。。

351 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 23:25:07
征夷大将軍が政治色を強めたのは室町幕府でしょう。
足利尊氏が東国を重視しつつも京都を本拠地にしたのは朝廷がもつ権力を幕府内に取り込もうとしたしたから。
もちろん後醍醐天皇と対立し新しい天皇を擁立したことや、足利家の権力基盤が脆弱だったこと等から、公武合体路線を採らざるをえなかったという側面もあります。
後の豊臣政権、江戸幕府も室町幕府の政体に影響されているのでは。

352 :日本@名無史さん:2006/11/23(木) 23:58:47
摂政関白は天皇の代理人代行者なんだから官位相当に
できないんじゃ?
天皇に官位を与えるもんではないか?

353 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 00:07:58
>>347>>350は間違いなさそうだ。

354 :348:2006/11/24(金) 00:18:13
>>350
厨房丸出しだったな。すまなかった。
論破されそうで悔しくてついイキがってしまった。今は反省している。

355 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 00:53:27
>>344
それはおそらく頼朝以前の征夷大将軍になった人物が四位くらいでなった例が多いということからの憶測だと思われ。
但しもちろん頼朝以前にも公卿の身分で征夷大将軍になっている例もある。
逆に頼朝以後でも、元服(最初の任官)と征夷大将軍就任が同時みたいなケースでは、征夷大将軍就任時の位階が五位という例もある。

ただ征夷大将軍は本来的に卑賤の者がつく官職ではなかったことはいえるだろう。
頼朝以前の征夷大将軍について見ても、木曽義仲のような例外を除けば、征夷大将軍経験者はほとんどの場合、最終的には公卿身分になっている。

356 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 01:03:36
>>339
>その他の武家では老中が4位侍従、大老が4位中将等
>驚くほど官位は低い。

武家の場合、将軍とその親族(室町期なら関東公方、江戸期なら三家三卿)とか
以外の一般の武家なら、四位でもかなり高いほうじゃないの?
武家の官位だと一般的には、鎌倉期の有力御家人、室町期の守護、
江戸期の大名でだいたい五位くらいだし。
もちろん室町期の有力守護や江戸期の大大名のなかには四位がデフォの家も
あるけどさ。

357 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 03:24:32
護良親王が征夷大将軍を要求してるじゃん
一品の親王は臣下なら一位クラスだぞ

358 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 04:31:14
源頼朝・足利尊氏が将軍になったときの位階は正二位だね。
徳川家康が将軍になったときの位階は従一位だね。

359 :350:2006/11/24(金) 04:56:25
>>354
俺のほうこそドキュソ丸出しで煽ったりしてすまんかった。
厨房は俺のほうだ。土下座して謝るよ。

360 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 05:23:15
>>341
確かに、鎮守府将軍になってた奥州藤原氏の居館である柳の御所なんて、
つまりは柳営=幕府って意味だよね。

ただ頼朝が鎮守府将軍よりも征夷大将軍を選んだ理由は、既出だけどやっぱり
相当する位階が決まっていなかったことが大きいんだろうな。
試しに歴史手帳の官位相当表を見たら、征夷大将軍は載ってなかったけど、
鎮守府将軍は従五位上相当の官として普通に載ってた。

尤も官位相当は絶対じゃないし、律令時代の官位相当制なんて既に平安末には
崩れかけてることも事実だろうけど、もともと官位相当の枠外の征夷大将軍のが
より自由度が高かったってことか。

361 :日本@名無史さん :2006/11/24(金) 07:20:22
いかに前例をつくるかだ。
実朝が右大臣まで昇進した時点で征夷大将軍の権威はあがった。
義満が太政大臣まで昇進した時点で征夷大将軍の権威は更にあがった。
家斉が将軍在職のまま太政大臣に昇進した時点で征夷大将軍の権威は更に更にあがった。



362 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 13:30:09
348と350のやり取りにちょっと感動したw

363 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 13:31:01
数ある将軍職の中で征夷大将軍が特別なのは坂東武士の徴兵権があるからなんだよね
なんだかんだで最大の陸軍供給地であった坂東での徴兵権は絶大な権力だよ
その力を使って中央の政争に乱入、朝廷制度を維持したまま実質武士の時代を迎えるわけだが
中央の官位や将軍の出自などと共に日本国中に赴任していった坂東武士の親分だという名目として
征夷大将軍ってのは欠かせない権力基盤要素だよね

364 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 13:32:27
>>361
だね。
江戸幕府においては、歴代将軍は大抵従二位はもらえてる、
正二位や従一位なんかも見られるから、江戸時代においては将軍の権力が
鎌倉時代、室町時代に比べて上がってきてる証拠といえるのでは。

まぁ高家の吉良で中将とかだから、鎌倉時代に言われてた四位相当じゃ困るんだろうがw

365 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 16:31:38
>>364
鎌倉期に極官が四位相当なのは将軍じゃなくて北条得宗家だよ。
鎌倉将軍の最終的な位階は、頼朝・頼家・実朝・頼経が正二位、頼嗣が従三位、
宗尊と久明が一品、惟康と守邦が二品のはず。

366 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 16:34:38
>>361
征夷大将軍の左大臣昇進の初例はどうなんだろ?
死後の追贈なら足利尊氏みたいだけど、生前の叙任は足利義教が最初?

367 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 16:36:33
と思ったら義満が左大臣もやっていたか。

368 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 16:46:51
だからそれらはあくまで左大臣や太政大臣の権威であって
征夷大将軍の権威じゃないじゃん。池沼揃いだね。

369 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 16:49:26
贔屓目のあまり現実が見えない武家オタ寒いよ。

370 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 16:52:22
造酒佑になりたいでつ

371 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 17:12:42
征夷大将軍が重要な論点になったのって足利の時からでしょ?
前政権から政権を奪うに当たって武家の棟梁は清和源氏の嫡流であり征夷大将軍の。。。ってやったから


372 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 21:29:15
幕府のトップが征夷大将軍なのは既に鎌倉段階で確定してた。
足利尊氏は自らが征夷大将軍になって幕府を開くに当たってその正統性の根拠として清和源氏(のなかでも頼朝と同じ河内源氏)の嫡流であることを主張した。

373 :日本@名無史さん :2006/11/24(金) 21:33:08
征夷大将軍兼左大臣 足利義満
          足利義教
          足利義政  
          徳川家光
          徳川斉昭(太政大臣)
ですな。足利義満が武家と公家の頂点にたち、清盛と頼朝を超えた
ときから将軍の権威は摂家を凌いだわけだ。
さすがに太閤太政大臣:鷹司政通と比較するのは難しい。

どちらにしろ、将軍が上座、勅使が下座というルールが家茂時代までの
運用されたてたわけで、これは官位の上下でなく徳川将軍の権威と思うが。    

374 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 21:43:35
徳川斉昭はいつ征夷大将軍兼左大臣だったんだ?

375 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 21:54:12
源頼朝の死後、頼家が相続したのは総地頭職と総守護職。
その後、征夷大将軍に補任。
つまり、鎌倉殿の実質的な権力の源泉は諸国の守護と地頭の統括にある。
征夷大将軍という職は、いわば鎌倉殿の権威付け。
では頼朝がなぜ征夷大将軍を職を選んだかというと、
過去に藤原秀衡が鎮守府将軍に任命されたことを意識し、
これを上回る武家の棟梁たる地位を意味する職を欲したため。
そうなると征夷大将軍か鎮西将軍となるが、
東国沙汰権を獲得した鎌倉殿には征夷大将軍が適当となるわけ。

376 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 02:59:00
でも幕府の制度としての守護・地頭は頼朝段階では完全に確立しているとは言い難いよね。
制度として完全に確立するのは承久の乱後。

377 :日本@名無史さん :2006/11/25(土) 09:04:04
孝格天皇 天皇在位37年
鷹司政通 関白在職30年
徳川家斉 将軍在職50年
やっぱこの時代が江戸時代で一番安定していた時代やな。
将軍の権威、天皇の権威、関白の権威。どれも立派。


378 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 12:06:15
公卿補任って元和8年以降は武家を全く載せていないけどどうして?

379 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 12:36:36
武家の官位は朝廷の定員外とされたから。
言いかえると、武家官位は正規の朝廷の官位ではないイミテーション。

380 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 14:14:50
公家と武家の官位は別枠になりました。>>378
例えば将軍が右大臣在任中に公家が右大臣に就いても問題なくなりました。
まーその時代公卿になれる武家は徳川姓を名乗る家以外では従三位宰相の
前田家だけですが。


381 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 14:37:02
で、当時の庶民は朝廷と幕府(天皇と将軍)の関係をどうとらえてたんですかね。
(そもそも両方知っていたのかも含め)
「昔の人って天皇のこと知ってたんですか」スレ見てもさっぱり分からん。

382 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 14:52:20
>>381
当時の庶民という書き方はえらく広いのでなんともいえませんw


383 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 15:21:54
>>382
じゃあ平民にします。

384 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 16:49:54
>>380
武家の官位は定員外てのは将軍については当てはまらないのではなかったか?


385 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 17:24:38
現在は国民主権。俺達が一番偉い。
主権者の国民は天皇に命令して使役する事ができる。
天皇は国民の命令に逆らってはならない身分。
天皇の職は国民により任命され、過半数の国民の意思により国民が天皇をクビにする事もできる。
天皇と皇族は国民のために存在し国民に養われる事への報恩として国民のために死ぬ事を義務とされる。
国民主権に敵意を抱き国民から主権を簒奪する者及び簒奪の呼びかけは内乱罪及び予備罪となる。

386 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 18:15:49
何この気違い書き込み

387 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 18:32:06
>>380
公卿補任に武家が見えなくなる直前の元和初年だと、毛利とか上杉とかも載っていたような気がするのだが。

388 :日本@名無史さん :2006/11/25(土) 20:47:52
武家の官位を定員外にしたのは良い知恵だと思う。
豊臣秀吉が関白になってから、有力武家がみんな公卿になってしまって
ポストがなくなって公家が昇進できなくなってしまうという弊害がおきた。
自民党の大臣ポストみたいに、公家は絶妙な人事で家格に応じて
等しく重要なポストにつけ、不満がでないよううまく回してきたわけだから。

389 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 22:01:23
武家の官途を定員外にする発想は既に室町段階から暗黙の了解である程度はあった。
それを完全に制度として確立させたのが江戸幕府。

390 :日本@名無史さん:2006/11/25(土) 22:15:15
たしか、秀吉が死んだ時の最高位が内大臣徳川家康という
異常事態になったんじゃありませんでしたか?

これじゃ専横化するよね。

391 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 02:04:47
天皇は日本国王認定委員会会長というところか

392 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 02:07:47
天皇と将軍が、それぞれ時代によって外国語にどう訳されていたか
まとめてる資料かサイトないかな

393 :日本@名無史さん :2006/11/26(日) 07:04:18
中国の正史の宋書、旧唐書の日本伝では
天皇号が使用されている。さすが中国人は器がでかい。

お隣の半島人は決して認めないんだけど、その隣の大国は
正史できちんと記載しているのだ。

394 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 07:46:21
むかしからウザイ国だったと想像つく・・・あの半島

395 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 09:19:30
安土桃山時代の宣教師が

天皇=ローマ法王
将軍=皇帝
各武将=諸王

という見立てをしていたというのがあったはず。

396 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 14:31:42
日本経済新聞(2006/11/25)夕刊によると、
イエズス会の1583年報告(フロイス著)や、秀吉に仕えた大村由己の「柴田退治記」、
家康家臣の本多忠勝の書状などから、賎ヶ岳の戦いに勝ち、大坂城築城を始めた1583年から
1584年の間に大坂遷都が実現する予定で、天満に天皇の御所が設けられる計画で、土地の造成
も行われており、天皇、朝廷のすべての役人、国司、がすべてがやってきて、
本願寺を誘致するなど、秀吉は京都という市そのものを移転させる命令を出していたそうだ。
ただし、朝廷側には記録なし。
ところが、84年の小牧・長久手の戦いで家康に敗北して、征夷大将軍就任、大坂幕府の計画
とともに遷都も挫折し、秀吉は公家になり、逆に京に近付くコースに向うことになったそうだ。

397 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 14:44:11
信長は明確な天皇廃位の意図をもってたフシがあるし、
秀吉も当然影響受けてただろうね

398 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:16:15
>>396
天満のあたりに御所を造る予定だったらしいね

399 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 16:36:22
秀吉は支那の皇帝になろうとしたんだから信長の上行ってるだろ。

400 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:14:57
>>397
釣れますか?

401 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:18:45
信長は民の皇帝になりたかっただろうが、秀吉は分け与える土地がほしかっただけ

402 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:43:16
明の皇帝になれば天皇ごときは島国の小国王にすぎない。

403 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 01:06:30
>>397
その説の根拠とされているものは、逆に朝廷尊重説の証拠となっているものばかりだがな。

404 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 12:58:30
で、結局
みんなはどれがいいの?

405 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 13:34:54
俺は鍋奉行がいいな

406 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 14:52:14
ブギョー

407 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 15:03:47
造酒佑の給料はどんくらい?

408 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 16:47:26
時代によって違うのはわかるが
上の方の書き込みをいろいろ見てみて
歴代の中で一番権力的に強かったのは征夷大将軍ってことになるの?

409 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 17:20:37
    ____
   |    |
 九条右大臣 揚名関白
   ・
   ・
___・_______
|     |    |
御堂関白 七日関白  中関白
   ・
   ・ 
 __・___
|      |
悪左府 法性寺入道関白

410 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 17:21:32
頼朝は奥州征伐をしているので本物の征夷大将軍

411 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 17:31:45
>>410
頼朝以前は全部本物じゃね?

412 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 18:00:11
>>411
木曽義仲ゎ奥州征伐してなくね?

413 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 18:13:14
>>412
あっ、義仲がいたか
失礼

414 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 10:15:05
権力的には関白だって強大な力を持っていたぞ
そもそも律令制度外の特別職だし

415 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 10:38:41
征夷大将軍は関白や太政大臣の方より官位は低いが、確実に教科書に名が残るからな

416 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 11:01:28
位階のことか?
征夷大将軍は非常職なので本来は位階相当がない。
ただ大将軍なので三位以上でないとなかなか任命は難しいかも知れない。
全く不可能ではないが。
関白は天皇を自由にコントロールできない状況の場合、
天皇の強い意向を制御するまでの権力はない。
決裁権は天皇にある。
摂政や太政大臣の場合だと天皇を傀儡化できる。
というか、天皇家を傀儡できて初めてなれる官職だが。

417 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 14:17:32
教科書に名前の残ってるのって鎌倉源家三代と室町・江戸幕府各15代ぐらいだろ
あと田村麻呂もか

宮将軍とか綿麻呂とかないんじゃない

418 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 14:33:42
関白かて藤原某でそこそこ教科書に載ってるだろ

419 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 14:41:38
田村麻呂が任命されたときは、三位なんて届いてなかった気がする。
足利将軍の若いのや、九条藤原将軍は三位じゃなくてもなってる。
あと義仲。
でも、綿麻呂は「征夷将軍」であり、
「”大”将軍(三位以上じゃないから)ではなかった」という説もあるし。


関連して、
鎮守府将軍は、三位以上がなるときは「鎮守(府)大将軍」と呼ばれた。

420 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 15:27:11
元々は蛮地(関東)を成敗する将軍だからね。
征夷。


421 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 15:29:25
まあ、前関白、太政大臣、内覧、征夷大将軍、正一位というのが最強。
姓は朝臣、氏は藤原か源あたりで。

422 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 15:31:45
>420
多賀が手に入った頃には北上を任務としていたにも関わらず
なんで征「夷」大将軍のままだったの?

423 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 15:46:01
「東北」ってなぐらいで、

畿内から見たら全部「東夷」




424 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 16:10:10
>>417
何だかんだ言って文室綿麻呂ぐらいはみんな知ってるし、藤原将軍だって資料集見りゃ載ってるレベルだろ?
受験生の頃は俺も覚えた
一方で鎌倉以降の摂関など誰も知らんし、権力も持たない

425 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 16:59:44
>423
なるほどね。
なんで日本には「東夷」しかいないんだろうね?
戎、蛮、テキがいないのはなんで?
例えば、ヤマトが北西の方から来た民族で、
列島南方から畿内に上ってきたおのぼりさんだったら、
これらには説明がつくんだよね。

426 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 17:17:02
鎮西

427 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 17:23:43
鎮と征では意味が違う

428 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 17:42:53
鎮守府将軍貞盛

429 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 18:29:08
正一位摂政関白内覧太政大臣贈太上天皇が最強

430 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 18:29:18
>>425
熊襲は古代に退治されちゃったからよう。

431 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 19:34:15
頼朝の根拠地が九州だったら大宰帥が武家の棟梁のシンボルになったかも。
ある意味征夷大将軍より格上だよね。

432 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 20:09:30
>429
贈太上天皇が臣下に下った例ってあるのか?

433 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:14:03
征西将軍はあんまり権力なかったのか?

434 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:18:52
朝議を経て、太上天皇号を追贈する旨の宣旨が足利義満に対して出されてるね。
幕府が受けなかったけど。
ここのみなさんは知ってるだろうけど。

435 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 21:53:33
普通に内覧左大臣が最強だろ。

436 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 22:51:11
外国に名が知られているのは将軍だな。

437 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 00:42:09
鎌倉執権、室町管領、江戸大老
どれを選ぶ?

438 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 00:45:46
独裁権力なら執権だなあ

439 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 01:59:06
鎌倉六波羅探題 室町鎌倉公方 江戸京都所司代

440 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 09:50:22
>>439
江戸京都所司代

441 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 12:50:17
>>436
昔、アメリカのTVドラマでSYOGUNってのがあったな。

442 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 13:08:17
全然関係ないけど
おれ元勲になりたい

443 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 13:49:08
主上の面倒みるのマンドクセし、将軍の言うこと聞かなくていいから
鎌倉公方

444 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 13:50:02
>>443
ヘタレると関東管領に乗っ取られるドキドキ感がたまらないね

445 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 14:34:45
権力の強さで言うと
執権>管領>大老になるのかな?
ナンバー2って言うよりも足利、徳川の家老筆頭的な役割でしょ?
足利親族筆頭の斯波家なんかはどうして俺が臣下のやる執事にならなければ
いけないんだって怒ったッテ言うし。それで執事が管領になったはず。
大老は初期の土井酒井や井伊直弼を除けば殆ど名誉職的だし。

446 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 16:09:22
春嶽も言ってるやないか

447 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 17:12:01
>>445
保科保科

448 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 17:24:39
>>447
将軍の弟様は、大老にはなってませんよ。
っていうかあの人、役職には一切ついてない(つけなかった)と思う。

「以降、会議には保科臨席で。
 こいつが言うことは俺(将軍)の言葉だと思えよ」
という特例措置というか、結局親族だからダメだったんだと。

449 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 18:03:58
>>445
歴代大老12人のうち4人を除くって、1/3を一部扱いというのはどうかと。

450 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 19:27:05
1711年以降は譜代筆頭の井伊家の名誉職的な位置だよ。
直弼は別格だけどね。

451 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 21:04:19
蝦夷のアテルイの肩書は何だろう?

452 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 22:09:57
俘囚

453 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 01:00:25
そもそも「大老」と「老中筆頭」の区別が曖昧だし。

454 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 01:14:33
当時の待遇としてはいろいろ細かい差があり、大老は別格だった

455 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 01:53:39
たとえば?

456 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 04:44:06
大老になれる家のうちで江戸城の詰間が溜間なのは井伊家だけ。
井伊は大老の中でも別格。

457 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 12:53:02
戦国時代の豪族、30万石の藩主、県知事 どれ選ぶ?

458 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 13:16:48
藩主

領地の若い女を召し上げまくるわ。

459 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 13:39:49
>>458
殿、逼迫する財政を鑑みて
女子も酒も遠慮くださいませ!

460 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 18:00:34
豪族ってピンからキリまであるけど・・・・

461 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 18:15:08
蜂須賀小六みたいなんがいいね。盗賊の頭から殿様だよ。

462 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 18:28:39
徳川だってちょっと遡れば盗賊の頭だろ

463 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 18:47:16
ちょっとって何代だよw

家康の代まで、あれだけ続いてれば大名として十分だろ。

464 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 21:39:37
もとは卑しい商人の出だった千家すらいまや名家だから

河原者の歌舞伎一家ですら国宝w

士農工商の二番目の階級だった俺ら一般市民が一番損する時代

465 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 22:06:08
実在が確実な松平信光からかぞえても「ちょっと」じゃないな


466 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 22:14:20
天皇>摂政>関白>太政大臣>征夷大将軍
日本の歴史を考えるとこうだろ

467 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 22:38:28
摂政・関白や大臣、征夷大将軍を比べるならともかく、
天皇をそれらの臣下なんかと比べるなよ。
天皇は別次元な存在だぞ。
どんな状況でも天皇が上座につくんだから。

468 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 23:25:03
名前だけの将軍なんか参議以下のカスだろ?
将軍が偉いのでは無く、天下を取った武家の棟梁が偉いだけ。
天下を取ったら結果的に征夷大将軍が付いてくるという話。
ここにいる人間に官位やるって言ったら俺なら摂関選ぶな。
力無くても天皇代理人だしね。

469 :日本@名無史さん:2006/11/30(木) 23:48:36
一般人がイメージする征夷大将軍像を確立したのは足利義満
だろうな。
義満以降、付随する官位や官職も慣例化したしな。
もし義満に鹿苑太上天皇号が追贈されていたら、以降の
将軍も死去の際も慣例として、太上天皇号を追贈され
その墓は陵として扱われたかもな。

470 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 01:24:47
準三后はどうなの?

471 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 09:15:57
>>464
士農工商ってのは当時の価値観的にあまり符合しないだろ


472 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 09:45:46
20世紀に「職業に貴賎なし」という言い回しがあったから
20世紀には職業に貴賎がなかった
・・・と後世の人間が推論するようなものかもな

473 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 11:24:32
武士と百姓の世界かね

474 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 12:12:13
>>252
それは違う。
ある意味江戸時代が最も関白の朝廷内での発言権が大きかった時代。
関白の任免の実権は幕府が有していたから、その摂関に権力集中させたほうが幕府の朝廷監視がやりやすかった。

475 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 12:31:48
そこまで朝廷を支配して有名無実化してたのに天皇廃位はしなかったっていうのは
本当におもしろいというか謎だよなぁ

476 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 12:44:36
有名無実だからこそ廃しないのがよかったという気も
有名無実というはつまり朝廷を廃したら
名分上は打撃なくせに実利はないというこったろ

477 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:12:21
475みたいな疑問が出ると必ず476みたいに分かったような顔して
何も分かってないアホレスが帰ってくる件。

478 :476:2006/12/01(金) 13:15:48
ごめんなさい。反省しますorz

479 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:35:16
なんで天皇は交代されなかったの?
宗教的な理由だけなら宗教人として残すってことでOKなんじゃね?

480 :476:2006/12/01(金) 13:37:33
僕が本物の476です。
ごめんなさい。反省しますorz

481 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:38:24
>>477の演説待ち

482 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:40:02
謎は謎のままでいい。

483 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:41:18
じゃあ日本史板来なくていいよばいばい

484 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:41:20
朝廷を維持するだけでも結構な費用になるんだけどな
公家とか朝廷御料とか

485 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:43:08
謎は謎のままでいい。

486 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:46:06
>>484
> 公家とか朝廷御料とか

そのへんの禄高だけなら朝廷全部の御料を合わせたよりも
よほど多く取ってる大名はたくさんいたでしょう

487 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:46:08
じゃあ日本史板来なくていいよばいばい

488 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:48:39
人のことをアホと言うこと以外には何もできない子に何を求めても無駄だよ

489 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:48:47
天皇をなくそうと思えばできただろう。
それでも徳川はいずれ薩長あたりに滅ぼされただろうが、新政府は
どんな政体をとっただろうか。

490 :488:2006/12/01(金) 13:51:10
488って俺のことじゃんorz

491 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:52:23
あれ?
>>488=>>477なの?

492 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 13:55:52
違うだろ
たぶん他人のレス番騙って頭の悪いレスをする奴がいるのさ
まあその子は人をアホ呼ばわりする以外にも
その程度の芸くらいならできるってんだから褒めてやらなきゃ

493 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:00:40
天皇位をかけて内乱ってのがはっきりしているだけで2回
天武天皇の時と南北朝の争いで起こってます

中国でも近代中国は置いといて、皇帝は必ずいますよね
で、皇帝の血統交代=王朝が交代しながらも王朝というもの自体は維持されてきております
日本の場合は幸い禅譲という精神がないからか
天皇位を奪い取った人達がたまたま天皇家の人間だった(ということになってるってのも含めて)
ということで王朝交代にはなっておりません
その代わり天皇家との血の交流が多い藤原家が突然突拍子もない
権力を持った特権階級を世襲してみたり
天皇家から臣下になった遠縁の親戚(と自称する人も含めて)が軍事大権を手中にして軍事政権を世襲させてみたりとか
王朝内の腐敗とかなんとか言われそうなことをそれとなーくうまーくやってきた結果が今の日本です

494 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:04:58
で、そいつらが天皇を存続させた理由は?

495 :493:2006/12/01(金) 14:07:31
>>494
そこまでは知りませんあなたが考えてください
他人の意見にいちゃもんつけるばかりで恥ずかしくないんですか

496 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:10:45
>>488参照

497 :494:2006/12/01(金) 14:11:26
はて?誰がいちゃもんつけてるのかな?w
ずいぶんと被害妄想の進んだ方のようでw

498 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:16:11
血縁同士で箱庭の争いしかしてこなかったのが日本
中国のようなダイナミズムは望むべくもない。朝鮮にも及ばない
日本人の歴史はつまらない 日本に生まれても何も面白いことがない

499 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:16:43
>>493
今谷明『室町の王権 足利義満の王権簒奪計画』は
その理由に答えることが本の目的であると前書きで謳っているけど
どう答えようとしているのかいまいちわかりにくかったような憶えがある
もちろんそれとは別にとても面白い本だった

500 :494:2006/12/01(金) 14:18:55
いや、俺はただ単に理由を知りたいだけだ。
ダラダラ能書き並べてる割に本質には全く触れてないんじゃ困る。

501 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:24:31
天皇家は渡来人の血が入っていた。
舶来ブランドを愛する日本人にはそのへんが微妙に有難かったんじゃないのかな?

502 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:28:55
>>501
渡来人とかもうね・・・


日本列島オンリーで、原始生物から人間まで進化した奴はいない。

503 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:41:13
天皇を崇敬する気持ちと昨今の韓流ブームは相通じるものがあるとは間違いない

504 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:48:36
歴史上朝廷が幕府を倒そうとしたことは三度ある。
一度目は後鳥羽上皇による承久の乱である。
そして二度目は後醍醐天皇による企てであり、結果として鎌倉幕府は倒れた。
続く武家政権はこの前例を活かして朝廷を潰すべきであったが何故かそれをせず、
三度目の明治天皇により江戸幕府は倒れた。
このように幕府を倒そうとする勢力が現れた際に担ぎ出す
唯一の精神的権威が天皇である事は明白である。
それでは何故歴代の幕府はそれを残したのか?

505 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:57:00
つまり日本人には天皇家に逆らえないようにDNAが設定されているということかにゃ

506 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 14:58:39
渡来人の高貴なDNAに神威を感じたからだな

507 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:01:12
ああ、ユダヤ王の末裔だもんな。

508 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:09:14
天皇制廃止とかわめいてる連中も半島系なのは単なる偶然ではない。

509 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:23:06
まああまり政権の正統性とか考えたことのない人間にはわからんと思うが
朝廷がなければ幕府は作れないのだよ
当たり前の話だわな

510 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:24:46
天皇がいた方が色々都合がいいからだろ。
GHQも失くさなかったし。

511 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:27:30
自分が皇帝になってやれってのが大陸的発想だがな

512 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:33:54
>>504みたいな疑問が出ると必ず>>509みたいに分かったような顔して
何も分かってないアホレスが帰ってくる件。

513 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:42:52
>>512
具体的に、どの辺がわかってないのか、詳しく。


514 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:46:07
>>509
天皇が幕府設立の許可を出す、というのは単なる儀礼に過ぎない
将軍が天皇に取って代わる事も出来るはず

515 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:49:04
>>486
朝廷・公家は副収入が違う。

官位のお礼(禁裏だけでなく、院・中宮・東宮・摂家・宮家・武家伝奏始め、
長橋局などの女官や大外記などの地下官人にまで入る)
家業の免許料
縁戚大名からのお手伝い

変わったところでは、大名の侍従成りに際し、
懸緒(冠が落ちないようにする顎紐の免状)の免状が飛鳥井家から出る。
これの礼金が黄金(大判=小判10枚)で3枚(だったはず)。
「あご紐使っていいよ」というそれだけでww

516 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:49:28
そりゃまあ朝廷温存路線だからこその幕府なわけで
朝廷を温存しないなら幕府の体裁をやめるだけのこと
>>509みたいな当たり前の話をしても何の足しにもならんぞ

517 :509:2006/12/01(金) 15:51:28
なんだよ何も分かってないだのほざいといて
一つも実のある反論が来ねえじゃねえか
低脳がw

518 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:51:39
>>515
486だけど、補足ありがと
副収入を念頭において「禄高だけなら・・・」という
言葉遣いにしたんだけど他の人にはわかりづらかったかもね

519 :476:2006/12/01(金) 15:52:18
なんだよ何も分かってないだのほざいといて
一つも実のある反論が来ねえじゃねえか
低脳がw

520 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:52:46
>>514
できない
なぜなら朝廷が任命しなくてはいけないからw
朝廷を新しく作りかえればいいんだがその作業がめんどうなのかどうなのか
日本の実力者たちはやってこなかったんだよね

521 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:55:06
やっぱりほぼ「一民族」だったというのが大きいと思うんだけど。
また実際に実力を行使しているのは朝廷だの幕府だので、そもそも天皇にさえ認められれば
(ちょっと語弊があるが)権力者となれるという便利な制度があるのだから積極的に利用したほうがお得。
たまに現れる実効支配型天皇(後醍醐とか)も、「権力者」が退位させて
別の使いやすい奴にしてしまえばよかったわけだからね。
そもそもおおよそ日本という地域のかたちが出来た当初から、
権利関係はほとんど日本の中だけのシャッフルだったわけで、その大枠まで壊す必要はないんだよね。
あなたも私もよく知ってるこれまでの方法をちょっと延長させるだけで済むのなら、これほど楽な事はない。
そんで一度このモデルができたので、あとの歴史はそういうふうに「ロック」されてしまった。

でもここに異民族が入ってくると話は別。
異民族は彼らなりのやり方があって、それは日本という地域のものとは違うわけだ。
人と人を繋ぐ権利関係も、土地と人とを繋ぐ権利関係も、全く異質なものが入ってくる。
彼らはこれまでの「日本型の」遺産を使う事はできない(無理にやろうとするとダブルスタンダードが
できることになり、これは大変よろしくない)。
それならば天皇家を頂点としたシステムにはちょっとどいてもらって、
新しいシステムを行使しますよ、という風になるわけだ。
こういう状態になったのが大陸。むしろそっちのほうが普通だったわけだけど。
それでも、例えば支那でも周から秦に至るまではそれなりの躊躇があったし、三国志の時代も劉という
漢の帝の血筋が尊ばれたよね。随唐のトウバツもしかり。
こっちも一度そういうモデルができ、それがずっと続いていったので、そのように「ロック」されてしまったわけだね。

522 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 15:55:49
>>517
いや>>509のお前のレス自体中身が無いからw

523 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 16:04:26
>>521
補足すれば
別に異民族でも同民族でも王朝というシステムがしっかりしていたので皇帝ごと変えても
たいして問題なかったのが中国
逆に同民族ばかりのはずなのに天皇がいないと朝廷というシステムが機能しないのが日本
とも言えますわな


524 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 16:23:49
朝廷はたとえは悪いけどカイコみたいなものだよね。
だから皇后陛下もカイコを養っている。

525 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 17:39:44
フラクタルな視点で見ると、天皇はマダガスカル島の珍しい生物と大差ない。
余談であるが、私は島国の王朝を環境朝廷と呼んでいる。

526 :日本@名無史さん:2006/12/01(金) 20:55:54
キムチ臭ぇな

527 :日本@名無史さん:2006/12/02(土) 12:36:21
高天原は高句麗だったからな。

528 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 07:03:45
>>419
征夷大将軍就任時には四位や五位でも、征夷大将軍の経験者は、追贈も含めると
木曽義仲以外は全員最終的に三位以上になってたと思う。

529 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 07:15:34
>>424
>一方で鎌倉以降の摂関など誰も知らんし、権力も持たない

鎌倉に入っていても、五摂家が完全に分立するところまでは、参考書とかに
系図が載ってたし、高校段階で普通に覚えてたよ。
鎌倉将軍頼経と同世代の近衛兼経・鷹司兼平・九条教実・二条良実・一条実経の
5人のところまでな(因みに後ろの3人は頼経の実兄)。

それ以降の摂関でも、鷹司冬教、二条良基、一条兼良、九条政基、近衛前久、
、二条晴良、近衛信尹、近衛基煕、鷹司政通、九条尚忠、二条斉敬あたりは、
高校のときには知ってたよ。

530 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 07:22:15
>>445
足利将軍家の中だけのプライベートな役職としての「執事」を、幕府の職制の
一つとしての「管領」にした段階で、管領の権限は大きく強化されている。
室町幕府において鎌倉以来の評定衆や引付衆が有名無実化する原因の一つに
管領の権限強化があるはず。
もっともそれ以外にも、幕府の事実上の最高意志決定機関が、将軍臨席の元での
有力守護などによる重臣会議(これの制度上の位置付けは極めて曖昧)に
なったこともあるが。

531 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 07:25:28
>>456
井伊氏は戦国以前の家系が徳川なんかよりもずっとはっきりしている名門だから・・・。

532 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 07:32:25
>>515>>518
江戸時代の朝廷って儀式の費用とかはその都度臨時で全部幕府持ちなんだよね。
だから、近世の皇族や公家の場合、禄高として入ってくる収入のほとんど全部が
自分のものになる。給料を払わなければならない家人や使用人も少ないし。
これが大名や旗本などの武家領主の場合は、そうはいかない。

533 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 11:51:28
このスレは勉強になるな

執権と管領と大老の違いって正直よくわからなかったw

534 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 13:46:18
天皇だけ残して公家は全部放逐、律令官制も廃止、
皇后も側室も全部徳川一門、天皇周辺の世話役も女官含めて全部徳川の家臣、
親王家も設けず、血筋が絶えて天皇制が自然消滅するのを待つ。
などということは誰も考えなかったのかな。
やっぱ中途半端か、そこまでやるなら即廃止かな。

535 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 13:50:08
>>532
それは甘いぞ。
公家や皇族の所領は一番多い近衛家や一部宮家が3000石で100石以下の公家だって相当した。
しかも「武士や農民と違って公儀(幕藩体制)に奉仕していない」という理由で余程のことがない限り加増はまずなかった。
いくら全部自分の物になるといっても下級武士並みの石高ではやっていけるわけがない。
だから公家が内職まがいの事をする事になるわけで……。

536 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 13:52:30
>>534
結局日本の歴史って革命ではないんだよね
だから天皇陛下がいなくなると自分達の正当性すら失われちゃうのさ
あくまでも同じ王朝内での主導権争いの域を出ていないのさ

537 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 14:30:42
そうかなあ
カペー朝だカロリング朝だブルボン朝だとかって
外国には王朝名が沢山あるけど、
その都度易姓革命が起こった訳じゃないっしょ
血統が絶えてしまったり女系相続したりすると
体制は同じなのに王朝名だけが変わったりするでしょ
高校時代、世界史嫌いだった理由の1つなんだが、、、
(社会人になってからは暗記から解放されて、むしろ好きです)

538 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 15:21:30
>>536
素晴らしく安定している歴史、ということだよ。

539 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 15:26:15
天皇を神様みたいに崇拝してる連中きもい
日本人きもい奴ばっかり

540 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 15:53:01
朝鮮には崇拝の対象なんていないもんな。まあ昔は天皇を崇拝していたが

541 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 15:59:09
>>535
家職を持っている公家や大名との縁戚関係が多い公家は、
そちらからの収入が多かったから、結構楽だったと思うけど、
新家で御蔵米30石なんてところは、苦しかったろうな。
家職も無いし。

542 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 16:01:16
結局はちゃんと神話を整備して継承してきた持統天皇以下の体制がよかったってこと?

543 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 16:56:23
>540
おそらく「国王」か「天子」の間違いだろうと思うが、
学問歴史板ではたとえウッカリでもしてはいけないミスだな

544 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 16:58:24
朝鮮人も戦前は日本の天皇を崇拝していたっていう意味だけど?

545 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 17:00:32
ウリナラの話はどうでもいいから
日本史の話をしようぜ

546 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 17:05:44
皇国史観は板違い
歴史が苦手だから皇国史観なんて試験で通用しない捏造の世界に逃避したんだろう。
皇国史観のレスは頭が悪そう。
事実を見ないし現実を逃避、普通の人には耐えられる社会の苦難にも負けて天皇や宗教に奔る。
他人との接触が無いから天皇や教祖が一般だと間違った認識で間違った知識を真で語る。

547 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 17:09:49
>546=>>539
キムチは漬け終わったか?

548 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 17:19:43
>>534 >>536 >>546
この流れになんかスゲー左翼っぽさを感じるんだけど。
ここ数日皇国史観の話なんてあった?

549 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 17:19:52
ネットウヨってきもよね
こんなところでコソコソ天皇賛美してる

550 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 17:43:19
>>548
>>536はおれの発言なんだが左翼っぽいのか?

551 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 17:54:03
>>535
まず最初に指摘しておくと、近世の公家で一番石高が多いのは近衛家ではなく
九条家。

>>541
家業がある家は、それで副収入がかなり得られるから潤っていたみたいだよね。
あと婚姻関係がものをいうのはそのとおりだね。
有名な話だが、幼い頃の明治天皇は母方の中山家で養育されていたが、
肝心の養育費用のほうはその殆どを天皇の外祖母の実家である平戸藩松浦家が
出していたって話もあるし。
維新後の松浦家が、領知高5万石に満たない旧大名家の中では異例の伯爵に
叙せられたのも、こうした背景があるとか。

公家の話に戻すと、確かに家業等による副収入や他家との婚姻関係なんかを
考えても、近世以降に新たに成立した家だと経済的には厳しい家があったのは
事実だろう。
ただそれでも、朝廷の儀式等への参加が原則自腹だった戦国期以前の公家社会に
比べれば、近世の公家はかなり手厚く身分保障をされているといえるけど。

552 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:00:46
>>535
>武士や農民と違って公儀(幕藩体制)に奉仕していない

中世の場合だと、公家が武家との姻戚関係に伴う相続などを通じて、もともと
武家領主の職である荘園の地頭職なんかを持っているケースがある。
そういう場合、本来的に武家が持つべき所領を所持しているという理由で、
本人が身分上公家であっても幕府への奉公義務が発生するなんて話もあるね。

553 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:00:50
>>550
いきなり革命なんていわれるとね。
それだけならともかく、前後にあるレスがアレだからな。

554 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:06:25
>>553
ああ、そうか
易姓革命といわなきゃいかんかったか 失礼

555 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 20:08:47
>>534ですけど、天皇制廃止論に見えました?
征夷大将軍の任命主体としての天皇の必要性ということなら、
公家は別に要らないんじゃないの?という疑問をもっただけで、
別に現行の天皇制を廃止しろとかそんなこと思ってないし、言ってもいないです。
もちろん天皇一人では何も出来ないわけですが、
手続き関係は徳川の家臣が行えばいいわけです。
それでそこまで考えた時、
そう言う状態になると天皇の存在がどんどん希薄になるわけで、
突き詰めて言うといてもいなくても大して変わらない存在になる。
そこまでくると、徳川の立場になれば飼い殺しで自然消滅を待つって言う発想が有り得る
なって思っただけです。

556 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:10:13
蝦夷千島王がサイキョ!

557 :日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:11:00
モンゴルが100年くらい日本を支配してたら面白かったのに。

558 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 03:20:47
戦国時代の官職
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1165061168

559 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 09:30:02
公家もいらんというが
神話も知らないとは言わせないぞ
結局徳川家でも神話の再編という作業は考えてなかったみたいだし


560 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 12:30:34
>>551
>近世の公家で一番石高が多いのは近衛家ではなく
>九条家。

厳密に言えば、
最初は九条家が一番多かったが、
6代将軍家宣のときに、近衛家が加増されて近衛家が一番多くなり
(家宣御台所が近衛家から嫁した+父である近衛基熈の政治力)
さらに、幕末に九条家が加増されて(条約勅許問題で幕府に協力的だったから)
また九条家が一番多くなった。

561 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 13:53:29
表高は九条>近衛でも、実収は近衛が最高だったらしいってのは本当?

562 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 15:41:09
>>561
酒所の伊丹や茶所の宇治に所領を持っていたからな
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/konoekeryou.html

563 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 19:03:17
>>555
天皇が天皇たりえる理由は数多あるとは思うが、
天皇というのは単なる個人に帰結する権威のように見えて
公家も含めた伝統伝承の権威という側面を無視して天皇を語ることはできず
したがって貴殿のような考察は意味を成さないと思われる。

564 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 21:25:11
> 公家も含めた伝統伝承の権威という側面を無視して天皇を語ることはできず
> したがって貴殿のような考察は意味を成さないと思われる。

今の天皇制に公家ってございませんが

565 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:12:07
江戸時代の話をしてるんだろ。

そもそも、天皇制に公家があるわけじゃないし。
日本語の使い方身につけてから来い。

566 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:41:09
いやだから、江戸時代に徳川が
天皇制をいじるとしたらの話だから
>>563みたいなこと言っても仕方ないだろ、
って話だよ

567 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:42:42
江戸時代の現実の朝廷の話で
>>555に返すのは論点先取もいいとこだ

568 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:43:34
しかし>>563に日本語を云々されるとは思わなかったw

569 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 22:50:36
まあ江戸時代のことは別にしても
秀吉の武家関白制は実際に>>555の前半部分のようにして
公家社会の蚕食を狙ったわけだからな。

570 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:15:02
秀吉による公家の加増って摂家だけなの?

571 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:41:23
>>568
お前の負け

572 :日本@名無史さん:2006/12/05(火) 23:56:21
・・・かける言葉が見つからんよ

他の人々、基地外の相手をした俺が悪かった
気にせず公家の収入の話に戻ってくれ


573 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:15:45
勝ち負けゲームがしたい人は他所に行ってくれないか。

>>570
秀吉による加増なんて清華家でもいくらでもあるよ。
何か特定の時期の加増のことを言ってるのか?

574 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:20:21
飛鳥井家は蹴鞠の免状で大儲けしたそうじゃないか。

575 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:21:00
久我家は按摩の元締めやってて大儲けしたそうじゃないか?

576 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:47:32
どれくらい儲かるもんなんだ、按摩の元締めって

577 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 02:00:45
相撲興行と横綱免許で五条家も大儲け‥‥
のはずだったが、吉田司家のバカ野郎!

578 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 07:14:54
>>572
論点ずらして、内容についての反論をしていないお前にも問題あると思うが。
他を味方につけたような気になっているが、俺はお前の味方ではない。勘違いするな。
と、勘違い野郎のことはここまでにして、

>>575
按摩の元締めに至る背景はご存知ですか?
蹴鞠や歌道といった家業ならば分かりやすいのだけど…

579 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 09:41:02
いいからお前はどっか行ってくれ。

580 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 09:49:32
武家側から見た天皇の存在意義が征夷大将軍の任命権者であると言うことにつきるとした
場合、公家は必要不可欠な存在ではない気がする。
しかし現実には公家は存続したわけで、そうすると天皇の存在意義は他にもあったのだろ
うか?まあなんでも武家側の思い通りに動かせたかどうかと言う問題はあるが。
天皇を存続することを決断した以上、ある程度の無力化は試みるにしても大改革は行わな
いという方針かもしれない。
また、そもそも天皇をどうしようかとか言う命題すら武家側の意識に存在せず、最初から
対処療法(できうる限りの無力化?)しか考えていなかった可能性もある。

581 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 09:58:38
>>578
>按摩の元締めに至る背景はご存知ですか?

575じゃないけど、↓の中ほどのやや下のほうに詳しく書いてある。

http://www.0105.jp/~mizuki/tennoukughounoseido2.html

582 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 10:05:56
>>580
武家官位を員外と定めたのは幕府側だったよね?
これは、豊臣政権のように朝廷を飲み込むことはしないという
明確な意思表示に思える。

秀吉の死の直後の空白期に朝儀が滞ったのは確かで、
そこを武家で埋める(豊臣政権の方針)か
公家で埋める(徳川幕府が現実に行った方針)かを
選ばざるをえなかった、そして幕府は後者を選んだ
ということじゃないかな。

秀吉時代に前者の方針で朝廷が運営できてたのも確かだから
前者の方針も原理的には不可能ではないはずだけれど、
幕府という形式と共存させるのは無理がある感もある。

583 :日本@名無史さん:2006/12/06(水) 10:15:29
江戸幕府の朝廷に対するスタンスってのは前政権の支配装置に対するソレだよな
公家と武家をちゃんと区別することによって公家には実権を渡さすしかし潰さず
もし朝廷全部とか公家一掃とかやろうと思ったらスムーズに政権交代できなかったろうに
日本の天下争いって結局は派閥抗争みたいなもんだから多数派工作みたいのが多い

584 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 12:45:58
大日本史編纂は江戸時代における神話再編とは思えませぬか?

585 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 13:16:17
水戸学が倒幕の原理になったんだから
そういう効果があったといえばそうかもね

586 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 15:14:01
鎌倉幕府の頃に摂関家や親王を傀儡ながら将軍に据えた例もある。秀吉が将軍にならなかった、あるいはなれなかったのは何か別に理由があるのだと思います。

587 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:13:24
秀吉が源姓でなかった、
あるいは足利義昭の猶子となることに失敗したというのは、
あくまでも俗説にすぎない。
征夷大将軍になったところで、
足利幕府の後継政権では意味がないと判断したのではないでしょうか。

足利家が京都を幕府の本拠地として選んだ理由の一つは、
朝廷のもつ権限を政権に取り込ためといわれるが、
秀吉は関白職に就くことでこれを更に強化したかったのでは?
しかし、秀吉が自らの政治体制について苦慮していたのは事実でしょう。
自分の死後、どういうかたちで武家関白制を維持するは大きな課題であったはず。
政権の本拠地も当初は大坂城、関白就任後は聚楽第、関白辞任後は伏見城と、
転々としたのもそれなりの意味があると思います。
それに聚楽第破却後、御所の東隣に高台殿という高大な邸を構えたのも、
いずれ豊臣氏の後継者が関白として天皇に近侍し、
政務を執ることの担保と考えていたのではないでしょうか。

588 :日本@名無史さん:2006/12/07(木) 22:27:30
>587
ソースとまで行かないまでも、根拠は欲しいね
妄想と断定するには早すぎるが、賛否いずれにともコメントするには早すぎる

589 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 12:23:59
>>587
頼朝以来の「武家の棟梁」としての将軍位というものを
軽く考えすぎでは。

秀吉自身が古臭い形式に拘らない人物だったとしても
世間へのインパクトを考えれば、
「鎌倉以来の先例」の中にもぐりこめなかったのは大きな挫折だったのでは?

徳川狸が覇権掌握後、関白ではなく躊躇無しに将軍位についたのを見ても、
足利家の後では体裁が悪いという発想は無かったのでは?


590 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:40:28
秀吉を考えるときには必ず信長を考えなきゃいかんよ
信長が義昭を奉じて三好一党を追い出し畿内に覇を唱えた時点で
応仁の乱以降の混乱は収束していくわけだけど
当時の人間としてみたら細川VS大内がグダグダになっていって三好やら松永が暗躍する時代が信長に変わっただけだ
信長本人も朝廷にも幕府にも要職を得ず一応官位はもらっているが制度外の覇者として振舞っているわけで
天下国家の安泰というものを築く気があったのかなかったのか

秀吉は織田家の後継争いから始まり権力を得ていくわけだが
ただの畿内覇者である織田家というモノの定義が希薄だったのである意味後継者を決めるだけで主導権を握れたわけだが
で、その織田家を大義名分に畿内を掌握した時点で他に目を向ければもう織田家外のことが必要になってくるわけだ
そこではじめて秀吉自身の権力基盤の必要性が出てくるわけだが、この時点ではまだ朝廷も幕府も存在しております

さて、この前提において、もし義昭が将軍職を下りた場合
秀吉が取れる最善の策としては織田将軍家、羽柴管領家幕府構想だがどうだろう?多分やりはしないだろうw
朝廷の官位制度を使えば主家を潰さずに追い越すことができるわけだ、織田家だってそこそこの官位をもらえてるわけだし
追い越したところで不義理にもならんから大義名分も立つわけ
で、関白になってみる
これで初めて名実共に秀吉の天下となるわけだが問題が多々あってまあ大変って感じだな

家康はこれをまったくもって逆手に取って秀吉没時に官位が一番高いので自然と主導権を握れるわけで
関白就任を秀頼と争うと主家に不義理なので丁度義昭がいなくなって開いていた征夷大将軍をいただいて幕府を開くわけだ


591 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:46:00
秀吉相続時点で足利幕府が存在してたんだ

592 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:59:32
>>591
それはちがうな。足利幕府はなくなっていたが、
足利義昭は征夷大将軍を解任されてはいないという状態。


593 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 14:00:09
幕府としての機能は義昭追放により事実上崩壊ですわな

594 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 14:09:27
事実上はそうでも名目上は違う。
征夷大将軍を奪う形にはしなかったことで、秀吉は織田と足利両者への面目を
形式上は立てたってことだろうな。

595 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 14:18:14
単純な疑問なんですが
信長が義昭を追放したのが1573年ですよね
信長が死んで秀吉が実権を握るまでの間ってどうやって統治されていたんですか?

596 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 14:27:09
名目上は義昭も信長も秀吉も天皇の配下。
実質的には各国の武将がそれぞれに統治してた。
だから戦国時代なんだろーが!

597 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 14:43:38
>>594
信長も義昭の将軍解任には消極的だった。
なんせ幕府の滅亡は一回きりでしかもその時は一応朝敵だったから問題がなかったが、
一介の大名が幕府を滅ぼした事によって生じる反響の大きさが読めなかった。そのため、義昭には取りあえず将軍にいてもらって自分はそれより官位上は格上の右近衛大将となった。


598 :日本@名無史さん:2006/12/08(金) 14:49:13
このスレを見て戦国時代の見方が変わった。。。

599 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 00:40:30
だいたい足利将軍が京を追われることなんて日常茶飯事だったから、
1573年当時の人は誰も幕府が終わったなんて認識は無かっただろうね。


600 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 02:34:35
足利義栄みたいにそもそも入京しなかった将軍もいる品。

601 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 03:49:18
足利将軍が落ち武者狩りに遭うのは
前代未聞だった気がするけども

602 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:50:38
「堺幕府」なんてのもあったし、将軍と幕府の実態が
いまいち一致しない時代だな。

603 :日本@名無史さん:2006/12/10(日) 21:21:19
幕府=将軍のベースキャンプ、
という意味?

604 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 00:06:46
>603
元々の意味はね。
政所と幕府の違いがよく分からんな。
たとえば徳川将軍家は正従一位左大臣以上には必ずなってるが、
幕府の他に政所を組織していた訳じゃないよね?
鎌倉時代や室町時代にはあったのに江戸時代にはなんでないのだろ?

605 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 00:54:38
政所って呼び名がなかっただけで大老老中以下江戸城にあった役職に分割されたんだろ?

606 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 01:50:07
庄屋仕立て

607 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 08:24:43
政所ってもともと公卿の家政機関だよね。だから秀吉も政所を組織したんだっけ?
徳川政権は武家の官位を完全分離する方針だったから、幕府の組織もそれにしばられなかった?

608 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 09:18:27
>>607
そんなところだろうね。
それまでは、

・将軍ないしは執権が「武家社会」「公家社会」の”両方を統括している存在”
 (武家社会と公家社会の両社会が並立)

だったんだけど、江戸幕府は禁中ならびに公家諸法度で完全に

・将軍家は武家政権の統率者。公家社会は武家政権の下に組み込まれる

と制定してしまったから。


609 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 11:52:26
幕府は通常軍政機関なんだよね
だから征夷大将軍は職務上坂東にて募兵し東北を攻めたわけだ
大権の中には坂東武士への徴兵権ってのがあって職務が終わったら
軍を解散して京へ帰ってたんだよな



610 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 14:11:59
>>604
>徳川将軍家は正従一位左大臣以上には必ずなってるが、

生前にはなっていない。生前の極官は以下のとおり。

従一位太政大臣まで昇ったのは、家康・秀忠・家斉
従一位左大臣までは、家光・家慶
従一位右大臣までは、家茂
正二位右大臣までは、家綱・綱吉・吉宗・家重・家治
正二位内大臣までは、家宣・家継・家定・慶喜(但、明治に入ってから従一位)

611 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 15:34:26
家茂公高いな。あえて高くしたのか。

612 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 15:40:46
>>611
和宮貰ったから

613 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 15:57:54
おれ官位いらないから皇女を嫁さんに欲しいな

614 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 16:00:29
後期は正二位がデフォか。

615 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 16:10:32
>>614
中期な

家光は太政大臣を固辞し、家綱は左大臣を固辞してるから、
そこを考慮して、(家宣・家継を除く)綱吉から家治まで正二位右大臣止まりになったのでは?

家宣・家継・家定・慶喜の四人が内大臣どまりなのは、在任期間が短いからだし。

616 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 17:13:40
>>612
あぁ・・・orz

617 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 17:18:47
>>590
そんな場当たり的なもんなんか?天下って
もっと計画的に統治機構とか権力根拠とかないもんなのか?


618 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:32:53
>>590の最後の二行は無理がある。
特に最後の一行はありえない。
わざわざ秀次の後を空位にしておいたのに摂家に関白を返したのは家康だし。
これは争う以前に秀頼の関白就任を不可能にするため。

619 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 21:44:35
マッカーサー=征夷大将軍
GHQ=幕府

これって、どう?

620 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 22:05:45
正二位内大臣、右大臣って摂家どころか清華家より低いな。

621 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 23:19:44
鎌倉幕府の政所は、1184年に公文所として発足。
これが頼朝の右近衛大将補任の後に政所と改称されます。
つまり、頼朝の家政機関から右近衛大将の政庁という位置づけになるわけです。
後世、鎌倉幕府と称せられる軍事政権の諸機関は、
発足当初において右大将家政庁及び附属機関として合法化されたといえるでしょう。




622 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 00:12:48
徳川家康は関白職など眼中になっかたでしょう。
しかし、政権簒奪計画において当初から征夷大将軍の職を狙っていたのは明白です。
関が原の合戦後も豊臣家は、家康はじめ諸大名にとって主筋であり、
家康はその枠組みの中で政務を執らなければならい立場にあった。
こうした状況においても、武門を束ね豊臣家に忠誠を尽くすという建前があれば、
征夷大将軍任官は理屈がとおると考えたんでしょうね。

摂関家への関白職返上にしても、豊臣家は依然として摂関家同様の格式を有するわけですから、
決定的なダメージを与えたとは言い難いのでは。
ようするに豊臣家が滅亡しないかぎり、徳川将軍家は形式上、
豊臣家の臣下という立場を脱することができなっかたということです。

623 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 03:14:22
易姓革命の観念がないと、こうも政権簒奪はやっかいなものになるのか

624 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 10:05:57
家康は関白など眼中になかったんではなくて取れないんです
家康がスムーズに権力基盤を整えられたのはあくまでも豊臣家中で筆頭家老だったのと
対抗馬であるはずの重鎮前田利家の死によって一人勝ち状態を築けたことでしょう
秀吉死後、秀頼元服までの間にどれだけ足元を固めておけるかが天下の分かれ目になるわけですが
多数派工作は朝鮮出兵時の亀裂をうまく利用し文治派と武断派をうまく切り分け
対抗馬のいないことをいいことに婚姻するわ勝手に豊臣家の領地を分け与えるわですっかり武断派の首領になって
関が原を迎えるわけで
結構えげつないオヤジですよw
でもさすがにまだ権力基盤は豊臣家筆頭家老でしかないわけでそこで幕府という過去の遺物を使っての基盤を整えるわけです
この時点において家康には選択肢はそれほど残ってないんです
関白を補佐する新しい役職を作って実権を握るか?しかしこれはありえんでしょう
するともう征夷大将軍として幕府を開くしかないわけですよ
家康が新田系清和源氏の系図を整えた時期について諸説あるわけですが早い説などもあることを考えると
実は信長後のことを睨んですでに幕府プランを持って行動していたのではないかと思われます
その長年かどうかわかりませんが計画通り、征夷大将軍、淳和・奨学両院別当、右大臣の黄金セットをいただいて幕府体制を確立させるに至ります

あとは豊臣筆頭家老からじわじわと豊臣の骨抜きをして名目上も天下人になっていく作業に入るわけですが
ここで身分制度の制定固定化からくる浪人の大量発生などにより予想以上に豊臣家に味方が増えてしまったのは多分計算外だったことでしょう
大阪両陣を経て秀頼死亡により豊臣筆頭家老から解放され名実共に天下人になるわけですが
家康としては主家殺しの汚名を被りたくなかったので秀頼を生かしておきたかったのではないかと勝手に推測をしたりして

文字数などの関係でかなり簡略化してますので足りないところや表現の違いなどありますが
朝廷や幕府などというのはこのように便利に使われておりましたとの事実だけうまく伝わればと思います
駄文長文失礼

625 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 10:17:24
家康が関白になったところで、五摂家は健在なのだから徳川家の世襲と
いうわけにもいかず、江戸城を居城とするわけにもいかず、不便なこと
この上ない。北条滅亡後の関東移封時に新田流清和源氏を称した時点で
征夷大将軍しか眼中になかったろう。

626 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 10:24:13
>>624
大筋同意だが、秀頼の遺子を切っている時点で初めから秀頼を生かすつもりは無かったと思われる。

627 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 10:35:05
>>624
公家諸法度などを制定している時点で豊臣家に対する骨抜きは完了だと?
家康の欲深さから豊臣家断絶は狙い通りだったと思うけどな

>>625
秀吉がもうちょっと長生きしてたら五摂家ルールをどうするかは見ものだったね
でも実際には秀吉死後次の関白は秀頼待ちだったわけでしょ?


628 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 10:56:26
>>627
>秀吉がもうちょっと長生きしてたら五摂家ルールをどうするかは見ものだったね
>でも実際には秀吉死後次の関白は秀頼待ちだったわけでしょ?

どうするも何も、近衛信輔(信尹)は関白がだめならせめて内覧でもと懇願したために薩摩に流された。
摂関家なんて名前だけで事実上清華と同一の扱いにされたのでは?

629 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 11:16:29
>>627
公家諸法度の制定は、大坂夏の陣の後。
まあ、それ以前にも公家向けの細かい法度は出してるけど

630 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 12:48:05
秀吉は西国・商業を基盤にしてたから公家のトップである関白になろうとした
家康は東国武士・農業が母体だから武家のトップである征夷大将軍になった
それ以外の理由はないよな
源氏じゃないと将軍になれないとか言うけど
関係ないと思うんだ
秀吉も家康も自らの権力の地盤をよく分かってたってことだろう


631 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 13:56:32
>>630
>秀吉は西国・商業を基盤にしてたから公家のトップである関白になろうとした

西国・商業と公家のトップが結び付く理由をおしえてください。


632 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 14:01:12
西国の商圏を奪い合って堺の商人が細川を、博多の商人が大内を担ぎ上げたという事実を
知らない人なんだろうから無理矢理突っ込んじゃいけないよ

633 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 14:04:09
家康が関白になったとしても既に63才だ。
あまりにも遅すぎる。

634 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 14:14:40
仮に征夷大将軍への任命権者として天皇が必要だったと仮定した場合、
それでも公家官制や公家は不要かつ危険物ではないだろうか?
公家官制による征夷大将軍の相対化の危険も存在しうる。
現実に王政復古は、太政官の復権・再構築・有力大名の取り込みという形式を取っている
わけで、危険物は除去してしまった方が武家側としては安心のような。
公家と公家官制という手足を取り払ってしまった丸裸の天皇、
つまり武家による象徴天皇制の方が扱いやすいのでは?
公家の追放は社会不安を招くというのなら、
公家は幕臣にしてしまって、幕臣で宮内庁みたいなものを作るとか、
あるいは公家と幕臣の人事交流を進めてなしくずしに幕臣化するとか、
いろいろ手の打ちようがあったじゃないかな?
丸裸の天皇を幕府本拠に抱え込む(身も蓋もない言い方だと監禁)って手もあるな。
結局武家も潰すのが面倒くさかったてのが真相なのかな?

もっともこんな考え方もできる。
無力とは言わないが徳川政権内ではあまり影響力のない公家を排除し、
天皇周辺に幕臣を置いた場合、その幕臣が公家化する危険性がある。
この場合は徳川内部での影響力と、担ぐべき御輿である天皇(権威)を
兼ね備えた公家以上の危険物ができあがる可能性もある。

この場合天皇周辺の幕臣(事務官・世話係・女官含む)は全部2,3年交代という力業も
あるな。
お世話係が短期間で変わってはいろいろ意に添わないこともあるだあろうけど、武家側と
してはしったこっちゃないと言うスタンス。

635 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 14:15:59
征夷大将軍って実質ナンバーワンだけど儀礼上はナンバーツーで、
名義上はナンバーツーかどうかすら怪しいという不思議な存在。
そこを突かれて幕末の実力が衰えた頃になると儀礼上もナンバースリー以下に落ちてしまった。
それを防ぐには、名義上もナンバーツになり、さらに公家を家臣化して公家と天皇を直結
させないとか(足利義満方式?)。
この場合一番邪魔なのは摂関家で、
江戸幕府は公家統制に摂関家を利用したんだけど、
摂関廃止・摂関家排除して、他の公家は家臣化、
将軍の名代としての清華家・左大臣を最上位にする方法もあったな。
潰すのが摂関家だけならさほどの社会不安もなかったのではないだろうか?
まあ家康は意識的か無意識かとにかく秀吉のやり方をさけたふしがあるので、
やらなかっただろうな。結果的に秀吉方式以外で成功したわけだし。

636 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 14:40:47
えーっとね、どこから説明しましょうかw

天皇制と一言で言われますが基本的には天皇家+藤原一族体制が確立したのは
天智天皇辺りからだと思いますが
この頃に神話ができてますよね
これが支配根拠なんです

蘇我一族の頃にもあっただろう神話をその後推古天皇の頃に藤原一族が書き換えたのが今の神話ね

その中心メンバーの藤原氏をはずして朝廷ごと乗っ取ろうと思ったヤカラは義満やら秀吉やらいるんだが
1代限りで

日本の歴史的にみて、天皇は父系で繋いでいるがその母親の家系ってのが実の権力者であることが多い
実際に母親の実家の力加減によって即位できるか貧乏親王で終わるかがはっきりわかれるわけだ
皇族以外の皇后を持つことになったのも実は藤原氏以降とされてますね


637 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 14:49:45
尊氏が京を基盤として幕府を開いた件

638 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 15:25:33
>>636
wなんかつけて力説されていますが、スレの流れとは何ら関係なく、
スレタイの単語もひとつも出てこないのですが、読めますか?
ネタですか、そうですか。

639 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 15:37:29
尊氏は本当は鎌倉に幕府を開きたかったが
情勢的に南朝が出来ちゃったんだから争いの元に近い京都で幕府を作っただけだろ


640 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 18:56:51
>>631
つまり異形の王権を思い出せってことさ
正規の定住民である農民上がりの「武士」とは違って、
商業をやってた人たちだ
馬借やらさ 彼らも武装してたんだよ
彼らも彼らなりに武士だったんだ
でも東国の「武士」からは相手にされなかったから貴族に庇護を求めてた
秀吉も同じだよ
非定住民だった一番の下層階級だったから、蜂須賀のような連中とつるんでた


641 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 18:58:03
>>632
バーカ

そんなもん極一部の代表例だろが

どんだけ商業が盛んに行われてたか知らんのかwww

アホなのか?

堺の商人や博多商人が日本全国を仕切ってたのか?

バカすぎるぞお前

642 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 20:47:02
>>640
家康だって有徳人集団が出自だし、最初は公家に接近して
三河守をもらったりしている。将軍を意識するのはやはり関東入封からでしょう。

643 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 21:54:45
>>608
細かい事だが禁中並び公家諸法度は朝廷を直接統制したわけではなく、その統制の法的根拠を定めた法度。

644 :日本@名無史さん:2006/12/12(火) 22:12:43
>>641
>>641
>>641

645 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 04:42:17
そりゃ格はいつまでたっても、天皇や摂関のほうが上。
何たって日本のナンバーワンとナンバーツーなんだから。(皇太子はよけといて)
しかし実質的には遙かに以前から武家の方が上。

646 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 09:14:25
>>641
>>631に回答してから威張れや。


647 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 10:15:20
>>645
よけなくてもいいんじゃない?
皇太子なんて崇光天皇の直仁廃太子から江戸時代の東山天皇までいなかったんだから。

648 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 10:42:55
一気に香ばしくなってしまったな
西国商人が幕府や有力大名と結びついてって>>632が書いてくれてるのに
どこから公家と結びつくんだか
寧波の乱とかって知ってるか?

649 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 11:21:46
>>630は大漁だったということかorz


650 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 12:56:37
おれは関白がいいな
貴族のお嬢さんやり放題

651 :631:2006/12/13(水) 14:22:05
マジレスした俺が悪かった。スマン

652 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 15:32:08
>>651
あんたは悪くないよ。
開き直るしか能のない>>641みたいな知ったか無知野郎が悪いんだ。

653 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 16:19:05
>650
たぶん偏見なんだろうが、
寸詰まりの大根足、細目小鼻の下膨れ、
って感じがしてあまりうらやましくない。

654 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 16:30:45
>>653
そんなことより、鉛中毒になることが心配だ。


655 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 16:39:13
>>653
当時の価値観に馴染めば多分大丈夫w

冗談はさておき
写真の残るような時代になってそれまでの絵とは違いやっぱし美人や美男子の基準は
それほど今と変わっていないような気もしますがね
文章的表現と日本古来の画法デフォルメのなせる表現方法だったのかと


656 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 16:56:58
下膨れのおたふく女が美人とされていたんだろう?

657 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 17:38:56
せっかく良スレだったのに

658 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 20:14:57
>657
ごめん。下膨れの責任は俺がとるよ。
下膨れつながりで。
清少納言と紫式部は仲悪かったとか言うけど、
宮廷での地位はどっちが高かったの?
(話題提供なんで、あんまりは叩かないで下さい)

659 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 23:41:56
女院と北政所と将軍御台所ならどれがいい?

660 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 23:56:35
将軍御台所ってエッチしてもらえないんでしょ?

661 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 00:13:48
一応お江与も御台所なんだけど

662 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 08:23:27
>>1に摂政がないのははぜ?


663 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 08:50:51
>>662
復僻したらしまいだから

664 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 09:28:42
>>663
信長の三職補任問題とかけているんだろ?
まあ、信長は太政大臣ならいいよという事だったらしいが、それを朝廷に正式に申し出る日の未明に本能寺で……。

665 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 09:31:52
信長が太政大臣希望
秀吉が関白獲得
家康が征夷大将軍獲得

さあどれがいい?

666 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 10:41:31
征夷大将軍に決まってんじゃん。
江戸幕府二百数十年とは言うけど、太政大臣とか関白は言わないな。

667 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 10:57:22
江戸幕府なんかより関白が支配していた時期の方が長いんでないか?

668 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 16:05:19
江戸幕府は徳川家の世襲、関白は五つの摂家の持ち回り。
任意なら世襲できる方を選ぶだろう。

669 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 16:12:14
徳川家だって御三家御三卿による親戚世襲じゃん
摂家とそうかわらないと思うんだが

670 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:23:09
徳川宗家に人材がいれば無理矢理取って替わることはない。
人材がいない場合のみ親戚筋から跡継ぎを迎えた。
摂家とは全然違うのだが。

671 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:32:38
摂家とは違うが明確にルールがあるわけでもない点で摂家のような交代制に
なってしまったのが実情だろう。7代目までは宗家嫡子が基本だが、吉宗選ぶ時点で
迷ってるし、家茂慶喜あたりもかなり微妙だし。

672 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 17:38:38
いつも関心することなんだが
おまいらこんな駄スレでよくここまで専門的な良スレに仕上げるよな

673 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:07:40
>>672
自作自演で只でさえ恥ずかしいのに
自画自賛なんて...

674 :日本@名無史さん:2006/12/14(木) 20:00:54
>>673
煽ってるだけのお前が一番恥ずかしい

675 :672:2006/12/14(木) 21:47:55
畜生、なんで自演がバレるんだろ
うまくやってきたつもりなのにorz

676 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 09:46:00
なんか香ばしい臭いがしてきたと思ったら冬か

677 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:18:36
秀頼が生まれなきゃ豊臣家が関白を世襲していったんじゃないか?

678 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:22:38
秀頼が生まれる

秀次にお前の次は秀頼で頼むと依頼

秀次、えーーー

一族郎党処刑

679 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:11:42
>>671
紀伊家から吉宗を迎えたから次は尾張家からだれだれね、という
持ち回りはなかったろう? 吉宗の血統が絶えたから水戸家の慶
喜を迎えた。五摂家の持ち回りとは全く違う。

680 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 13:19:41
どうでもいいけど
近衛前久って結構アクティブに動き回ってんのな

681 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 17:18:17
確かにどうでもいいな

682 :日本@名無史さん:2006/12/15(金) 20:42:29
藤氏長者と源氏長者ならどっちがいい?

683 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 01:49:41
「源氏でなければ将軍になれない」なんて、いつ誰が言い出した事なんだろうか。

684 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 01:51:58
>>679
「16代将軍」田安亀之助は吉宗の血統なのだが

685 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 09:57:46
どれか一つって、絶対天皇しかなりたくないでしょ。
だれが好んで奴隷になりたいの?



686 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 11:22:50
天皇には絶対なりたくないでしょ。
だれが好んで奴隷になりたいの?


(このあたりが日本の権力構造の特質だよなあ、
   上に行くほど実質的な権力が無くなっていく)


687 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 13:34:32
天皇は官位じゃないだろう。

688 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 15:49:28
>>537
が真実でしょう。大体、中国の歴史の方が特別だよな。
カリフなんか天皇ソックリだし。

689 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 23:44:19
源氏長者が日本国王とセットなら源氏長者のほうが天皇よりいい

690 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 15:43:04
平氏って長者いないんだっけ?

691 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 20:42:00
>>690
いるだろうけど、たぶん高棟王流だろうな。

692 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 20:55:23
【速報】超人気歌手・安室奈美恵さん(30)死亡  
http://music5.2ch.net/test/read.cgi/musicjf/1164458146/

693 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:51:39
橘氏長者なんか藤原氏にとりあげられちゃったし

694 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 09:42:24
>>683
上の方読め

695 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 12:08:16
征夷大将軍のほうがカッコイイ。

696 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 12:28:55
>>693
kwsk

697 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 16:26:52
征夷大将軍と関白と太政大臣すべて兼任。これ最強。無理だけど。

698 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 18:03:58
ありえねー

699 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 18:17:18
なんで関白と征夷大将軍どっちもやった人はいないのだろうか。

700 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 18:42:50
九条頼経か頼嗣は将軍辞任後に関白やってても不思議ではないのだが

>>691
時忠は平氏長者になれたの?

701 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 19:29:34
前スレかなんかに関白より摂政のほうが偉いとかあったけど基本的に摂政と関白は同格でしょ?

702 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 19:35:22
天下統一をめざすなら征夷大将軍になるべきだろうな。関白は所詮公家のポストだし。

703 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 19:37:56
殺生関白?

704 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 19:41:40
藤原道長は関白辞めた後に太政大臣になったんだよね?

705 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 19:47:10
道長は摂政じゃなかったか。どっちにしてもスレ違い。

706 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 20:06:51
関白

707 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 20:18:03
>>697
兼任はおろか、歴任もいないんじゃない? 2つまではけっこうあるが。

708 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 20:25:21
どうでもいいけど、道長は内覧→太政大臣。
なぜ道長が前関白として扱われるのは分からんので教えて、エロい人。

摂政は後見人兼代理人。関白は単に代理人。
民法の概念で行くと摂政の場合、被後見人のした行為に追認をしたり、
被後見人のした行為を取り消しうべきものとして扱える。
関白の場合、被代理人の承諾・追認がない代理行為は被代理人に影響を及ぼさない(知らんぷりできる)。
となるが、これは古代から慣習的にそうだったとオモワレ。

709 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 20:34:27
道長は外戚として権勢は凄かったろうが実際に摂政または関白にはなってないよ。太政大臣のみ。

710 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 20:45:35
摂政にも関白にもなってないけど関白なみの権力を誇ったということだろ。
御堂関白記なんてのがあるくらいなんだから。

711 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 21:19:23
>>696
Wikiの「是定」の項参照

橘氏長者は最終的に九条家が世襲

712 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 21:32:35
>709
一応後一条の摂政にはなっていたと思いますが。形だけ、でしょうけど。

713 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 21:40:47
道長は内覧の期間が長いのは確かにそのとおりだが、摂政になってるだろ。
関白にはなってないけど。

714 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:43:14
内覧は実質関白だよ。

715 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:43:26
>>700
鎌倉幕府が摂家将軍から皇族将軍に変わった背景の一つとして、朝廷内における
九条道家はじめとする九条流の没落があるだろうから、仮に頼経・頼嗣が
長命だったとしても摂関の地位がまわってくる可能性は低いと思うぞ。

716 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:45:40
中世以前の関白は太政官の会議に携わらないっていう慣習あったらしいよね
単なる内覧は知らんけど

717 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 22:58:21
内覧は太政官の会議に携われる。
だからこそ道長は関白にならずに内覧のままだったんじゃなかったっけ?

718 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:27:41
>>700
桓武平氏(高棟王流)の嫡流は時忠の系統じゃなくて、後の西洞院家や平松家に
つながる系統じゃないかな?

>>701
摂政と関白は同時に併存することが歴史上あり得なかったし、想定もされて
いなかったから、どっちのほうが席次が上かみたいな議論は、根本的に
ナンセンスだと思うよ。

719 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:38:41
元服前の天皇につくのが摂政、元服後の天皇につくのが
関白だからね。
摂政歴任後、天皇元服に伴い関白就任のパターンだから併存は
ありえない。

720 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:46:58
そもそも平氏長者の宣下なんてあったのか?


721 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 03:15:53
征夷大将軍ってネーミングがカッコイイな。

722 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 03:21:47
勘定奉行のほうがカコイイよ

723 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 04:03:40
>>720
もともと藤氏長者や源氏長者は宣下ではなく氏の中で勝手に決めていたものだった。
それが何時の頃からか朝廷による宣下になったはず。

724 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 07:41:14
で、結局御堂関白は摂政にもなってなかったんだっけ?


725 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 08:31:03
摂政になってるて言ってるだろがボケ
しつこいよ

726 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 09:18:16
長和六年(1017年)正月、彰子の生んだ後一条天皇が即位すると、その摂政となった。

727 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 09:31:52
太政大臣は天皇の師たる臣下、
関白は天皇の口と耳と頭脳の代理者、
征夷大将軍は遠隔地であることを理由に大権が裁量権の範囲と認められる役職、

とこう考えて行くと、
太政大臣と関白、太政大臣と征夷大将軍は兼任が可能だが、
本来遠隔地にあるべき筈の征夷大将軍が関り白すのも変だ。

まあ、足利将軍は15代に渡って京都にいたわけだが。

728 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 09:54:06
事実上室町幕府以降の征夷大将軍は別物と考えないといけないね


729 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 10:47:06
>>710
>御堂関白記

「御堂関白記」というのは、江戸時代に近衛家熈が名付けた。
それ以前は、「御堂御日記」。
藤原道長は関白にはなって無いけど、その時代は摂関政治の最盛期だったから、
それを称える意味を込めて。

近衛家熈という人は、陽明文庫の収蔵品を整理して、写本なんかを沢山作らせた。
お蔭で、一級史料が今に伝わる。

730 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 13:14:25
なるほど

731 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 14:21:06
関白になってないなら御堂摂政記にすればよかったのに。

732 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 14:31:47
>>727
>まあ、足利将軍は15代に渡って京都にいたわけだが。

14代将軍足利義栄は将軍在職中に一度も京都に入っていなかったと思う。

733 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 14:41:08
>>732
突っ込もうと思ってたのに、先越されたorz

734 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 15:18:21
>>731
そこが家熈さんのwitや
道長が関白になっていないことは、当然分かっていることを前提とした。
公家社会で生きていた人なんだから。

未来の世の中において、2chなんかで無学な輩があ〜だこ〜だ言うなんて、
思ってもいないもの。w

735 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 16:09:22
>>732>>733
突っ込もうと思ったけどあまりにバカバカしいのでスルーした

736 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:00:25
摂政藤原道長

737 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 19:42:53
道長は関白になるのが嫌だったのかなりたいけどなれなかったのか。

738 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:56:01
どうでもいいが亭主関白ってのは含蓄というかユーモアのある表現だよなあ。
本当の権威はカミさんにあるってことを暗示してるんだもんなあ。

739 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:06:33
摂関経験者以外が内覧になってるケースって、後一条即位前の道長と
保元の乱直前期の頼長くらいかな?

740 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:32:24
>>737
道長は太政官を政治的基盤として維持するために関白就任を望まなかった。
摂政関白は「天皇の代理人」であるため、天皇臨席などの例外を除いては、
太政官の会議には参加しない(あるいは決定には参与しない)慣例があり、
太政大臣・左大臣が摂政・関白を兼任している場合にはその次席の大臣が
太政官の首席の大臣として政務を執った。
道長は天皇と関白が対立した場合には、政治的決定への決裁権も太政官以下の
諸役人を指揮する権限も持たない関白が政治的には無力化する可能性があることを
考慮して関白に就かなかったのだといわれている。

741 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:02:30
道長が摂政を1年程勤めたのも取り敢えず1回位はやっとくかてな程度。

742 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:04:39
じゃ頼通はどうしてずうっと関白なの?

743 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:40:54
頼通は摂政をやりたくなかったんだよ。それだけ関白が好きだったんだと思うよ。

744 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 00:07:42
単に頼通時代には元服していない天皇がいなかっただけじゃ?
天皇が幼少なら自動的に摂政でしょ。

745 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 00:53:10
道長からバトンタッチしたばかりの頃は後一条ってまだ幼帝では?

746 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 00:57:24
頼通は最初の数年間は摂政のはず。

747 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:24:58
藤原頼通
寛仁元年(1017)3月16日〜3年(1019)12月22日
後一条天皇摂政
寛仁3年(1019)12月22日〜治暦3年(1067)12月5日
後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇関白

748 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:34:37
ただし幼帝に摂政、成人天皇に関白とは限らない。
藤原道隆は正暦元年(990)5月8日一条天皇の関白となり
同月26日摂政となり、4年4月22日再び関白となった。


749 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:53:08
摂関政治の最盛期といっても道長本人は摂政を1年しかやってないなんてね。

750 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 02:58:20
でもずっと前から内覧だから。

751 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 10:11:25
>>739
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%A6%A7

醍醐天皇の時に摂政・関白が置かれず、藤原時平・菅原道真が内覧となった。

冷泉天皇の時に摂政藤原伊尹が亡くなると、弟の藤原兼通が関白となることになったが、
未だ中納言の官で関白就任の要件を満たしていなかったために、一旦内覧・内大臣に任じ
られて後日内大臣の資格で改めて関白に任じられた。

一条天皇の時に関白藤原道隆が重態となり、嫡男伊周が道隆が回復するまでの期間限定で
内覧となった。だが、道隆は他界して伊周の内覧も停止された。

南北朝時代の近衛経忠は北朝の光明天皇の関白であったが、出奔して南朝に参加した。
後醍醐天皇は摂政・関白は置かない方針であったが、この経忠の忠節を喜んで特に内覧に任じた

752 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:32:56
関白宣言

お前を帝に即位させる前に いっておきたいことがある
かなりきびしい話もするが 俺の本音を聴いておけ
俺より先に寝てはいけない 俺より後に起きてもいけない
勅令は上手く作れ いつも傀儡でいろ
出来る範囲で 構わないから

忘れてくれるな  
戦も出来ない貴族に
朝廷を守れるはずなどないってことを
お前にはお前にしかできない事もあるから
それ以外は口出しせず
黙って俺についてこい

753 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 15:04:45
はいはいわろすわろす

754 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 17:43:35
今までで一番、位を極めたのって義満?

755 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 18:02:37
藤原永手じゃね?

756 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:10:04
道鏡

757 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:26:32
生前正一位は、藤原鎌足(正確には大織冠:死の直前)、
藤原武智麻呂(死の直前)、橘諸兄、藤原仲麻呂、藤原永手だけだった思う。
官の方は各内大臣(死の直前)・左大臣(死の直前)・左大臣・大師(太政大臣相当)・
左大臣だったと思う。

758 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:31:32
>757
もまい詳しいな。
うろ覚えなあたりが地力だけで書いてるのが窺える。

759 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:36:46
家康も死の直前に太政大臣になってなかったけ

760 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 20:14:32
律令制下の勲一等ってもらった人っていますか?

761 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:39:28
>>751
近衛の例は建武以前に一旦関白やっているから質問の対象外だな。
江戸時代に桜町天皇時代の関白左大臣の一条兼香が病気の時に息子の右大臣道香が内覧になって父親復帰後も内覧を続けた。
後に父の譲りを受けて関白になる。

これもウィキに出ているな。

762 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:28:13
摂関政治の礎を築いたのは頼通なんだから道長より摂関在任がながいのは当たり前。政治的な能力も道長より頼通のほうが上でしょ。

763 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:32:21
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152118867/l50
ここに「秀吉は将軍になれた」と妄想を振りまく
中野区というコテハンがいるので論破して下さい
お願いします。

764 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:41:59
>>757
三条実美が千年ぶりの生前正一位

765 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:45:48
征韓論騒ぎでヒステリー起こして倒れるような奴が正一位かよw

766 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:33:04
しかし三条がいなければ明治維新が成立しなかった。

767 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:36:09
>>765
大久保側から見れば、結果的に時間稼ぎができ良かった。
多大な貢献をしたと言える。公家が千年培った処世術である。

768 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:42:26
ブックだったのかw

769 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:55:17
そういえば崇徳が即位したときに外祖父の藤原公実が摂政になれなかったのはどうして?

770 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 02:15:02
>>769
崇徳が生まれる前に藤原公実没してます

771 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 02:21:39
摂政は天皇の決裁権を行使するのだから、天皇の譲位や
皇太子を決めることもできるんでしょうか?
(白河天皇の院政が始める以前の摂政について)

772 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 02:37:38
そういえば昭和天皇が東宮のとき
大正天皇の摂政になってますね
なんで関白にならなかったんだろ

773 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 02:52:52
>>772
近代の皇室典範には摂政の規定はありますが、関白の規定はありません。

774 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 03:05:28
そんな摂政な

775 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 03:14:23
>62
あなたの言っていることはだいたい正しいね。
ちなみに中曽根は従六位だよ。

776 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 04:42:28
>>770
崇徳じゃなくて鳥羽です。

777 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 07:48:46
中曽根って 大勲位従六位 なのかw

778 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 10:50:51
>>777
戦後は、位階を貰えるのは死んでからになった。
つまり、現代では贈位のみ。

中曽根の従六位というのは、戦前軍人だった頃に貰ったんだろう

779 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 11:44:05
ていうか今は勲章だけでいいだろ。
死んでから位階なんてバカじゃねえの?

780 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 13:55:51
誠意大将軍は?

781 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 18:28:30
位階ってのは、本来は役人の等級だからな。
戦前は位階と高等官○等というのが併存していて重複のきらいがあった。

現代は公務員の級がそれに当たるんだろうが、○号俸とかいうのも味気ないな。
まあ、武士の石高みたいなものと思えば、納得できるがw

782 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 19:01:39
この間立ち読みした「萌え萌え階級辞典」って本だと、少尉が正八位で階級が一つあがる
と位階も一つあがって少佐が従六位、中曽根大勲位は確か少佐じゃなかったけ?

783 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:28:08
>>782
海軍主計少佐

784 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:40:47
>>782
>「萌え萌え階級辞典」


785 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 21:58:37
>781
主事、主査、主幹などの職階(格)、
○等級○号俸、の俸給(禄)、
係長、課長、所長といった職務(お役目)、
俺は地方だが、公務員世界は今でもそんなだよ。
まあ、俺はそんな公務員世界に萌え萌えな訳だが。
ちなみに、職階相当職という概念があって、
これは位階相当とよく似た概念。
同じ係長でも主査の係長と主任主査の係長がいたりとかな。
主査から係長昇進後、1年後改めて主任主査昇進兼同じ部署の係長とか。
いったん出先で主幹相当職の所次長歴任後、本庁付課長補佐就任とか。
同じ職階でも職掌で差が出る。
俸給はその時点ではあまり変わらず、そのかわり将来性が変わる。
よほどでなければ皆職階は主査までは進むが、
職掌は適任者のみ選任とか、
歴史好きにはヨダレものの慣例がたくさんあって楽しすぎる。

786 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:33:35
明治以後は位階も乱発・大安売りだから
徳川時代以前と共通で論じるのはおかしいんだけどな

787 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 23:37:38
戦争でコテンパンに負けても位階制度の断片が残ったんだから
負けなかったり回避してたら窮屈な身分制度がなお幅を利かせていただろう。
やはり日本は負けてよかったのだ。

788 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:00:19
負けていいわけあるかよ
何言ってやがる。

789 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:07:39
負けてなかったら、いずれ中国・東南アジア各地でベトナム戦争みたいな
泥沼に足を突っ込んでた可能性が高い。やはり負けてよかったんだよ。

スレ違いだね。でもたまには敗戦をプラスに考えることを偏狭で物を知らない
ウヨ房にも勧めるよ。

790 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:08:50
俺も小学生の頃は負けてよかったと思ってたけどな。

791 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:22:06
負けて良かったなんて平然という奴は狂気の沙汰だな。
戦争はやるからには勝たなきゃ意味がない。
負ける戦争なら最初からすべきではなかった。

いずれにしても負ける戦争をしてそれで良かったというレスには吐き気がする。

792 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:25:44
まあ、小学生の頃の話だから許してください。
しょうもない教師の影響を受けてた恥ずかしい過去ということで。
大人になってもそういう考えならかなり痛いやつだと思うが。

793 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:26:08
どちらにせよ勝てるはずもなかったが

794 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:27:16
負けてよかったかどうかはおいておいて、しなかったほうが良かったのは間違いが無いと思うな。
そして負けてはしまったが、少なくとも戦後の日本はそれほど悪い社会でもないと思う。

795 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:22:18
ただ負ける戦争をせずに良い社会にしていくことが最善の選択肢であったことは疑いようがない。

796 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:24:29
>>792
>大人になってもそういう考えならかなり痛いやつだと思うが。

貴方の教師はそういう痛い大人だったんですね。

797 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 01:26:02
結局理屈としては、親が子供に「負ける喧嘩なら最初からするな」と諭すのと
同じ論理だね。

798 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 09:40:36
松本重治は負けてよかったとは言わないが
「日本は民主主義を負け取った」と言ってるね

799 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 09:42:21
おまいらなんの話をしてんだよ

800 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 10:10:04
ひとつ言わせてくれ

負けたことが良かったんじゃなくて、負けたあとにこの現在の状況にこれる状況を作り出せたことがよかった
負けたらドイツみたいに分割されたりして、国体が無くなることだってありえた。

負けることは、避けたい事態であることは世界共通の認識である。

負けてよかったなんて言ってるのは、馬鹿左翼に洗脳された馬鹿だけだよ。


801 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 10:17:29
昔、俺が幼稚園に入る前くらい・・・
俺の姉が「弟みたいなチンチン欲しいよう!!」
で、答えたおやじ
「大人になったら嫌ってくらいチンチンよってくるから今から欲しがらなくていいんだよ」
・・・
これの意味が厨房くらいになって理解し俺のおやじはすげ〜奴だなとオモタ


802 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 10:17:59
スマン誤爆した

803 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 10:23:54
征夷大将軍になったらマンマンが寄ってくるのかな?
映画大奥でも見に行ってはぁはぁ妄想にふけろうかな

804 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 11:55:58
鎌倉幕府の機構は元々、頼朝個人の家政機関だったって説があるな。

805 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 13:02:29
頼朝自身は昇進に夢中でどうでもよさげだったけどな

806 :804:2006/12/22(金) 15:08:51
>805
そんな言い方しなくていいじゃん。

っていう展開にしたかったのに普通にレスが来ましたよ

807 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 18:42:43
>>779
あげるほうの問題だろう。国家がどういう人間が表彰されるべきかを
示して宣伝する。

朝廷離れを試みた信長を死後に太政大臣にして朝廷のシステムに引きずり戻した秀吉もそう。

808 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 22:37:36
大日本帝国は、後から、wktkして見ると面白い国だね。

その中で生活したいとは思わないがw

809 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:17:31
近代になって位階が安売りされたとは思えないな。
前近代には極官が権大納言でも、高齢になれば従一位(死ぬ直前じゃないよ)になった。
それと近代は違う。
明治にはけっこう旧藩主とか公家とかがもらってはいるが
総理大臣でも正二位止まりが多い。
戦後の首相では吉田茂、佐藤栄作しかもらっていない。それも死後。

昔の権大納言なんて、今ならせいぜい重要閣僚クラスだろう。


810 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 01:27:32
>>807
その宣旨に「重ねて太政大臣に任ずる」という一文があるため、信長は太政大臣内諾説に繋がっているわけだが。

>>804
朝廷だって中世以後は半分家政機関。
例えば財政を本来は内廷財政機関の内蔵寮が担当するようになったりとか。

811 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 09:31:51
元々家政機関から出発したのが先祖帰りしただけだな。
っていうか律令制でも半分家政機関みたいなもんだし。
そもそも国内のみの発展の実情を考えれば、あんな大がかりな制度つくらなくても、
家政機関に毛の生えた程度で十分だったんだよね。

812 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 18:06:56
初期鎌倉幕府の公文所が政所になったのは、頼朝が公卿身分になったのと同時だね。

813 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:51:36
そんなこといったら征夷大将軍なんて全部違うようなもんだし

814 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:04:18
そもそも家政=財政だから
政所も摂関や将軍家の財政を扱う

鎌倉幕府も頼朝の私的組織から発展するにつれ、政所も幕政機関になっていったてことだ

815 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:51:15
自家領地の経営と、御家人連中の訴訟の仲裁が室町までの幕政の基本。
領地の安堵というのは最重要。尊氏が天下をとれた最大のポイント。

816 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 16:21:52
徳川氏だって大政奉還以後も家政機関として
老中若年寄勘定奉行なんか任免してるしな
幕府が完全に崩壊したのは慶喜の水戸退隠

817 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:55:16
老中などの江戸幕府の組織だって、そもそもが家康が一大名に過ぎなかった頃からの
徳川氏の家政機関をそのまま全国統治のための組織に拡大・整備しただけだからね。

818 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:59:57
鎌倉幕府の行政文書の多くが政所下文という形式で出されるという事実は、
本来的に幕府=家政機関であるということを如実に示している。
そして将軍家の政所に限らず、親王家・摂関家などの政所においても
家の当主に代わって政所の運営を取り仕切る役職のことを執事(執権)と呼ぶ
ことが多く、それを拡大解釈したものが鎌倉幕府において北条氏が世襲した
執権職であったと。

819 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:06:39
>>816
最終段階での若年寄は、そのまま静岡藩の家老に移行。

820 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 21:04:23
要するに鎌倉幕府は頼朝の家政機関であった
それを取り仕切った執権職を北条氏が世襲した
まあここまでは通常理解できる範囲なんだよね

ただ鎌倉後期になると執権も形骸化して
実権は北条氏の嫡流である得宗家に集中すると共に
得宗本人も祭り上げられて実権が内管領に移っていく

将軍→執権を首相→官房長官とするなら
鎌倉時代は官房長官を世襲する家柄が出来た上で
実権が官房長官からその家の当主に移り
更に当主の私設秘書がすべてを決めるようになった

821 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:29:07
足利幕府になるとそれが「執事」と「伊勢氏」になるわけか
伊勢氏ってあまり印象強い人物いないし、将軍家の家政ばっかりやってたイメージがある

822 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 00:27:53
室町段階になると、伊勢氏の地位はあくまで幕府の一機関としての政所の
トップって感じが強くなるよな。
いつの頃からか政所執事も侍所などに倣って政所頭人と呼ばれるようになるし。

一方いわゆる将軍家執事(初期に高師直が就いていた職)のほうも、義詮期以降
幕政上の権限を大幅に上乗せした管領という幕府の一機関になる。

823 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 04:22:33
折檻

824 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 09:03:58
征夷大将軍の公的な配下には副将軍・軍監・軍曹以下があるわけですが、
どうしてこれらはオミットされちゃったんでしょうね。
あくまで部下であって家臣ではなくて格の上下はあっても天皇の元では同等という形式が
嫌われたんでしょうか?

825 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 10:25:57
まさに既得権益保護と実質的権力闘争回避の歴史


826 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:16:12
鎮西大将軍

827 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:44:19
副将軍ならどこかの御老公が自称して全国を歩き回っているらしいよ

828 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:28:38
伊勢氏は、そこから抜け出た人間の方が有名だったりするわけねw

829 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:34:43
>>828
彼や彼の子孫は関東へ行ったあとも、京都の伊勢本家とコンタクトをとって
親戚付き合いを続けているわけだが。

830 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 00:05:43
>>827
自称というよりほとんど自嘲だが

831 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 04:28:23
少しは自重してもらわないと。

832 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 11:01:38
伊勢新九郎が足利一門の今川の援助を受け伊豆奪取
その後関東の揉め事にクビを突っ込んで関東制覇とはこれまた面白い歴史のあやだわな

833 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 01:28:09
外様を国政に参与させた豊臣政権は、
異例なんでしょうね。

834 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 01:33:46
関白だ、関白にさえなってしまえば…
もう、誰も私に命令など出来なくなるぞ…
どんな爺共でも余の足元にひれ伏すのじゃ〜ははは!

835 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 01:38:55
信長や家康の様に先祖の代からつかえている普代の家臣がいないからね

836 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 01:49:42
>>809
位階って死後に貰って
なんか得なことあるん?

837 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 02:10:21
貰うほうより贈る側にメリットがあったと思われ
死者を粗末に扱うと、のちのち怨霊化して困ると考えた


838 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 04:05:23
>>833
成り上がり過ぎた者の悲しさよ。
信長や家康も成り上がり者だけど、元々殿様の子。
秀吉はドン百姓の子。

>>836
貰った者の遺族・子孫が喜ぶ。

839 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 04:15:25
そんなドン百姓のせがれに
よく関白なんて官職をくれてやったもんだな

840 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 20:20:07
まぁ当時史上最大の軍事力と経済力もってる権力者があらわれたんだし。
秀吉が王になって家康が将軍になるという噂もあったらしい、ソースも知らんがw

841 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:54:41
>>833
豊臣政権は、平安末の平氏政権に傾向が似ている。
いずれも武家政権として出発しながら、一族・側近を朝廷内で高位・高官に
つけるという手法をとる。
公卿補任を見ていると、平氏政権と豊臣政権のときだけ大量に武家の名前が
出てくるが、他の時代では武家で公卿補任に名前が乗るのは将軍等ごく少数で
あるのと比べると、かなり違和感がある。

842 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 23:10:40
豊臣政権成立時にはまだ足利義昭が征夷大将軍だったから、関白を代わりとなる武家の棟梁としようとした。

843 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 10:04:40
平家も豊臣も独自の政権機構がなかっただけのこと
二官八省が実質に機能していたわけではないから、序列識別の意味しかない

844 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 12:30:03
>>842
征夷大将軍は一度なったら終身というわけではないから、もしその気があれば
足利義昭を辞めさせることは不可能ではなかったはずだが。

関白就任に当たって、現任の関白(二条昭実)を辞めさせることができたのに、
その秀吉をして現任の征夷大将軍を辞めさせることは絶対に不可能などという
論理はない。

845 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 02:02:56
http://www.youtube.com/

846 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 11:18:12
>>844
関白の時はあくまでも二条・近衛の争いを収拾するために秀吉が関白を預かるという名分があったからじゃないの?

847 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 14:03:00
秀吉って武士として初めて全国を一元支配した訳でしょ(正確には太閤検地からか)。
だから武家・公家両方に君臨できる地位の方が良かったんじゃないの。
頼朝、尊氏も武家の統領として「将軍」になる必要があったけど、
裸一貫から実力で全国を平定した秀吉が、武家の統領なのは自明。
上には天皇しかいない関白になったのは積極的な意味からだと思う(次善の策でなくね)。

848 :日本@名無史さん:2007/01/05(金) 18:51:54
清盛最強!

849 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 01:08:42
平清盛の政治活動が本格化するのは太政大臣辞任後。
自ら親政を行うことなく、圧倒的な軍事力と経済力を背景に院を牽制し、
朝議を操った。
この段階では未だ政権を掌握したとはいえず、
のちに「平氏政権」とよばれる体制の樹立は、後白河法皇を幽閉し、
院政を停止させた治承三年のクーデターを待たなければならない。
したがって、清盛にとっての太政大臣は、
平家一門が院の侍大将から有力権門へと脱皮することにおいては大きな意味をもつが、
政権運営においては何ら必要のないものであった。

一方、豊臣秀吉の関白就任は、天下統一とその後の政権運営に欠くべかざる要素であった。
政権基盤が脆弱な豊臣政権は短期間に全国を平定する必要に迫られていた。
これを可能にするには王政復古による敵対勢力の制圧という手段が選ばれ、
さらに天下統一後も残存する勢力を律令体制に組み入れることによって序列化し、
その頂点たる天皇の代理人として君臨するという方法を採らざるを得なかった。

このように平氏政権と豊臣政権は表面上の類似点はあるものの、
その本質には大きな違いがあることを理解しなければならない。

850 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 03:54:30
清盛って准后になってたんだぬ。

851 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 21:01:42
准后ってさあ、なんとなく第二婦人とか、お二号さんって感じがする単語だよなw

852 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 04:46:17
>>851
無知とは怖いものですね。

853 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 05:52:17
「后」って字面からは、むくつけきオッサンは想像しにくいw
「准三宮」の方だったら、変な連想もしないんだがw

854 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 06:09:44
中世が専門なら『満済准后日記』とかは常識だけどね。

855 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 10:12:42
后って字の本来は尻の穴の意味で、転じて「きみ」・「きさき」になったとか、
司の字をひっくり返して「きみ」の意味で区別することにしたとか言う説があって、
別に本来は男でも問題ないらしい。
まあ日本語での后は女性限定だけど。
この場合あくまで三后に準ずる待遇って意味だから、男女関係ないんだろう。
けどそう言うことを知っていてもやっぱり、字面は女性っぽく感じる。

856 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 23:49:05
「准帝」としなかったのが日本史の妙というか知恵というか。

857 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:43:32
あくまで臣下に対する処遇を「帝に准ず」とは日本じゃなくても普通にできないと思うが。

858 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:17:10
あくまで「正帝」ではなく「准帝」なんだから、アリと思うけど。

859 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:32:30
>>858
貴方のご専門はなんですか?

860 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:52:20
>>859 行政法、民事訴訟法が専門です

861 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 21:58:55
摂政、関白、征夷大将軍宣下の宣旨(補任状)は、どのくらい
現存しているのだろうか?
征夷大将軍補任状は徳川家康・家光のを書籍で、関白補任状は
豊臣秀吉のをNHKで見たことがあるけど、徳川将軍とかは歴代
全部のが残っているのだろうか?

862 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:23:17
維新後含め、徳川家の蔵が火事や戦災で全焼したなんて話あったか?
ないなら残ってないほうが考えられないが。

863 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:42:24
>>862
江戸城本丸などは何度も焼け落ちている。
大奥などの記録なども維新のさいに燃やしてしまっているから。
家康のは久能山東照宮が家光のは輪王寺は保管していたから現存
しているのではないかな?

864 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:01:08
補任後や退任後、死去後に寺院などに寄贈していたら残っている
可能性はあるけど、幕府などの政庁に保管していたら火災などで
消失している可能性が大。
考えられるのは
鎌倉→滅亡のさい
室町→応仁の乱や後期の混乱で消失
江戸→本丸火災時や幕末江戸城明け渡しのさい公文書を一緒に
   燃やす。

865 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 23:08:44
家康のは日光か? 他は内閣文庫に残ってないのか?

866 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:21:08
将軍の権威の拠り所になるような最重要文書なんだから
火事があったって真っ先に持ち出すんじゃないの?

867 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:38:56
でも家康以外は見ないんだよね。
足利将軍家とか鎌倉将軍とかはまったく見ないし。
摂家などは応仁の乱以後の補任状は近衛、九条、一条、鷹司家
本家で保存しているだろうけど。

868 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 01:24:30
義満の将軍宣下の宣旨の写真は見たことあるぞ。


869 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 08:59:13
藤原氏(近衛)ゆかりの陽明文庫には、何か残っていそうな気がする。

870 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:59:25
陽明文庫は千年の時を経て現在に至った家宝が眠る
日本最高の家宝文庫だ

871 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:03:15
松永久秀と三好らは将軍義輝を討ったわけだが
その後に義栄を将軍に立てている。
将軍の存在が気に入らないから義輝を討ったわけなのに
なんですぐに将軍を立てたんだろ
自分が将軍になればいいじゃん。


872 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 12:52:26
>>871
将軍にはそう簡単になれないのと
そもそも三好やら松永ってのは足利家の主導権争いをしていたに過ぎないからってのと
まあ大人の事情ってヤツも含んで考えてみれ

873 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 13:25:21
大人って・・・大人って・・・

874 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 13:33:34
将軍は朝廷から任官されるもの
この時代は足利家が将軍職にある
しかし義政以降は権力としては有名無実化(権威としては有実)
京都付近の守護やその被官らが無能な将軍の傘の下で事実上権力を握る
だから将軍はだまって座って言うことを聞いていてくれたらいい
しかし義輝はそうではなかった(将軍職を遂行しようとしたし、有能であった)
だから義輝の存在は松永らにとっては邪魔であった
暗殺後は傀儡の義栄を将軍に就けた
これで今まで通り好き放題できる
めでたしめでたし

871の意見は
「天下取りたいんだったら周りくどいことしないで家康は天皇殺めちゃえばいいじゃん」
とほぼ同列であると考える

875 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 14:03:34
でもさ〜
将軍を討った連中が立てた将軍を利用して好き放題出来るっていうってなんか変じゃね?
将軍殺してもお咎めないってことじゃん。

876 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 14:36:53
>しかし義輝はそうではなかった(将軍職を遂行しようとしたし、有能であった)
それほどでもない、ちょっと気の強いお兄ちゃんだったって程度。

>>875
傀儡の意味調べてみたらどうかね。

877 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 15:51:14
>>876
分かりやすくするために誇張してしまった。
他の将軍と比べると、という面を強調したかった。
今は反省している。

878 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 15:53:18
>>875
世の中には大義名分というものがあるんだ
そういう仕組みの分からない奴が日本史板なんぞうろうろするな。


879 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 21:37:34
今川義元や武田信玄が上洛を企てたのも、
三好や松永と同じ思想の延長線上にあるってことよ。

880 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 23:39:10
上洛企てたのか?

881 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 23:55:53
>>870
陽明文庫はすげえよな

882 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:12:35
真実はわからんがそういう風に解釈されてるよね

883 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:24:39
>>874
鎌倉幕府の北条家一緒だな。
傀儡の摂家将軍や皇族将軍が成長し、政に口出ししそうになると
将軍交代。

884 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:44:58
>>883
そういうことだね。

で、最後の駄目だしが信長であると。
まあ駄目だしってか将軍の権威さえ役に立たなくなったからポイ捨てしただけど。
殺す意義すらなかったわけで。

885 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 02:29:06
>>871
足利義輝が死んだのは事故みたいなものだったと考えるほうが無難。

実際には松永や三好が意図していたことは、明応の政変のときに細川政元が
義材(義稙)を幽閉しようとしたように、自分たちの意のままにならない義輝を
どこかに押し込めて代わりの将軍を立てる程度の構想だった可能性が高い。

しかし義輝が予想外の抵抗をして戦死してしまったというのが実状とされる。

ただ結果的に松永等は将軍を殺したということになり、周囲が敵だらけになり、
最終的にこのことが織田信長に上洛の大義名分を与える結果となった。

なおこのことは後年、信長が室町幕府の存続を否定しようとする一方で、
足利義昭の扱いにはかなり慎重になった(殺害も幽閉もしなかった)背景の
一つでもあるといえる。
信長は、義昭を泳がせて彼が諸国の大名に反織田政権を説いて廻ることの
リスクよりも、義昭の身に危害を加えたることによって対立する勢力に
打倒織田政権の大義名分を与えることのリスクのほうをより重大視したという
ことになる。

886 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 02:30:07
>>874
貴方の意見は京兆専制論そのままですね。

887 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 09:00:13
ヨーロッパ征服したかったら、ローマ法王殺しちゃえよ。

888 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 10:13:13
義元は足利一門衆なんで上洛してそれなりの権力を握りやすかったとは思うが
信玄は義昭が呼びかけた包囲網に参加しただけだし
もし信長を破って上洛を果たしたところで今度は包囲網参加諸氏との権力闘争が始まるだけだがな
結局は応仁の乱以降の中央政争に地方大名を巻き込む構図が変わっていないってこったな

889 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 11:01:00
ふーん

890 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 11:08:08
義元が上洛していたら今川義元から足利義元になるの?

891 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 11:21:41
なんでやねん

892 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 11:23:47
>>890
なるよ、足利一門だしな。義元上洛により義輝様はそのまま隠居して頂く流れになる。

893 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 11:49:33
今川は足利一門だが
吉良の傍系だからいきなり将軍になるのは無理じゃね?
足利本家の人と吉良家の人と周囲を説得するのにかなり時間食いそうだぞ

義元はその時点で傀儡将軍を立て副将軍か別の特別職をつくり娘を将軍の嫁にして生まれた子が次の将軍になる
って方がこのスレの流れ的には正統な気がするが

894 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 16:57:31
>>892
自動的になりゃしないだろ
家名をなんだと思ってるんだ

895 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:20:14
大高のような小城の後詰めに自ら出向くぐらいだから、
将来上洛する気は満々だったんだろうな。
でも、上洛後は今川貞世の再来として幕府中興を
目指したような気がする。


896 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 08:56:15
ちなみにもし足利家が絶えたとしても
今川家から将軍を出そうと思ったら結構困難なんだよね


897 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 09:11:11
鍋将軍

898 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 09:15:48
闇鍋将軍

899 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 10:23:16
足利幕府ってかなりショボイよな

900 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 10:37:50
>>892
現存の将軍がすぐに隠居なんてするわけねーだろ

901 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 14:38:56
一門衆として管領あたりにされるか、今川幕府かどっちかだろ

902 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:16:37
鎌倉幕府の源氏将軍が3代で絶えた時点で足利が即将軍にならなかった
わけだから、かなり離れた傍流がいきなり将軍になるなんてことはない。
時の実力者が全然関係ない公家や宮を迎えて傀儡政権樹立。

903 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 15:56:15
執権北条が将軍職につかなかったようなもんだ
義輝いなくなっても足利家傍流がいるのに、周囲が今川幕府に納得するかっての

904 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 18:43:49
>>902
その頃とは事情が違うだろ
鎌倉幕府の時は別に将軍さえかついでいればよいという程度の扱いだが
室町幕府の頃はその反動から清和源氏の棟梁=征夷大将軍という価値観になってるわけだし
その清和源氏の棟梁の座を足利と新田が争って足利勝利というわけだし
足利一門の争いになれば今川だってご先祖が幕府中興の祖でもあり東海道という要所を押さえていることもあり
うまく混乱が続けば将軍として君臨できた可能性は否定してはいかん

ただやはり義元が上洛していきなり将軍ってことは当時の政治状況からしてもありえんがなw

905 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:07:54
将軍になるには天下を統一しないとな

906 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 19:16:12
んなこたない

907 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:24:19
近衛家というものは五摂家の筆頭である。
その五摂家の筆頭である近衛公爵を馬のように駆らせるとは
何ということだ!

908 :武陽陰士:2007/01/12(金) 23:27:05
>>902
>>904
源氏の流から将軍を出すのは、北条(得宗家)がいやがったんだよ。
景時(武田を担ぐ。吾妻鏡にあるが本当か?)、阿野(頼朝甥。自身)、時政(平賀)、
和田義盛の息子たち(頼家の遺児)他、という事例がある。皆源氏の庶流だ。
これらは将軍になろうとして皆ことごとく北条得宗家によって潰された。
朝廷側から将軍を迎えた理由は、北条が仕切りやすいというのと、もうひとつ
は、朝廷からの権威を得て西の朝廷に対する東の王国として自立しようとする
意志からだね。だから後鳥羽も皇子を将軍として送り出す約束を、
もうひとつ朝廷を作るようなものだといって、幕府との約を反故にして皇子
送らなかったんだよね。まあ実朝も死んでたからってのもあるけど。
「源氏から将軍」をというのも鎌倉初期から出た価値観ではないかな。
事実、九条将軍は頼朝と血縁にあるし。
まあ義元から話がだいぶそれた。


909 :武陽陰士:2007/01/12(金) 23:36:24
足利だって将軍になれたし、なろうと思う野望を抱いたって
おかしくない。家柄的には申し分ない。ただ足利のそうした行動は
記録にはない。尊氏の祖父の例の七代後三代後云々の自決話くらいだ
(難太平記)。足利が野望を抱かなかった一因は、余りに北条と近接
していたためもあるかも。まあついでにいえば安達家も北条と近しい
間柄だったが、源氏の血(本当なら泰盛は頼朝のひ孫ということになる。)
を引いているとか
言いふらしているという言い掛かり(事実?)で、得宗に滅ぼされたわけ
だが。当時から源氏の血を引くというのは将軍になる条件だったわけだ。
源氏でなければ、皇族くらいの貴種でなくては将軍職には就けなかった。

910 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 23:39:06
安達泰盛は源氏将軍家の復活を夢見て、7代将軍惟康王の親戚降下を画策した。
その結果、王は親戚に下って源惟康となり、源氏将軍家が復活した。
そしてさらに源惟康は頼朝の先例にならって右近衛大将に任官した。
しかし霜月騒動で安達泰盛が滅びると、源氏将軍家の存在を嫌う北条得宗家に
よって、源惟康は皇族身分に戻され、その後親王宣下を受けて惟康親王となる。

911 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 23:43:20
足利は影が薄すぎて不憫だよな

あの時代はほんと文化が花咲いた時代だったのにな

政治でしか歴史を見れないなんて教科書は間違ってる

912 :日本@名無史さん:2007/01/12(金) 23:54:49
室町ほど政治史が面白い時代もないと思うが。
3幕府の中で将軍の個性が一番よく表れやすい幕府だし。

913 :武陽陰士:2007/01/13(土) 00:00:47
>>912
同意見。

914 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 04:52:47
二日酔い将軍とか、連日酒盛りの室町幕府最高だよな

915 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 09:15:01
毎度くじ引きにすれば応仁の乱は無かったのに

916 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:52:31
室町幕府は大した幕府でもなかったのに
なぜに230年余りも続いたのか。

917 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 13:43:53
義栄でも将軍になれたからな。まあ、義晴、義輝、義栄、義昭あたりはみなショボイけど

918 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 14:33:09
もともと連合的要素の強い幕府だったし、君の言葉を借りれば大した幕府じゃ
なかったから、逆にそれを利用しつつ寄生しつつという輩にとっては意義があったから
長く続いたと考えることはできる。あと、京都にあるし。

919 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 18:20:39
義材は根性だけはあったな

920 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 18:33:45
>>916
義満が凄すぎたから

921 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 18:45:06
そんな親父大嫌いの義持もなかなか
金閣残してくれてありがとう

922 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:16:04
つづきは

こちら

室町時代がやたら影が薄い件について
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1110023632/

923 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:33:51
義満の惰性で続いたとでもいうのか!

924 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:37:05
>>916-917
室町幕府は大した幕府じゃなくてショボい将軍が多いっていってるけど、じゃあ
鎌倉幕府や江戸幕府はどうなんだ?
鎌倉幕府も江戸幕府も後半は一部例外を除きショボい将軍しかいないわけだが。

特に鎌倉幕府なんて最初の3代以外は自分で幕府の運営の中心になることは
全くなかったといっていいし、江戸幕府も9代家重以降は最後の慶喜を除いて
自分で幕府を運営しようという意志も能力もほとんど持ち合わせていない
将軍ばかりじゃないか。

その観点からすれば、室町幕府の場合は義晴や義輝くらいの時期でも将軍は
自ら幕府を運営しているイメージがある。
もっとも将軍自らが主導権を握ろうとするから臣下の武将との間に衝突も
起こるわけではあるが。

しかし表面的には平穏でも他人に任せきりで自ら幕府を運営する気のない将軍に
比べれば、室町幕府の将軍は末期でも将軍らしい将軍が多い。

925 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:56:47
室町幕府は将軍本人より将軍を支える官僚機構が弱いイメージがある。
実際は江戸幕府よりは落ちるにしても鎌倉幕府よりは整備されていそうなものだけど、
その辺はどうなんでしょうね?

926 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 20:02:28
義教みたいのが出ちゃうのは室町だけ!

927 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 20:14:16
時代が違うのに、それを考慮せず比較されたら…

後小松上皇みたいなのがワキ固めてたり、一番室町幕府が濃いよな

928 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 20:21:14
>>924
そのかわり、江戸幕府は組織がしっかりしてる!多少ボンクラでも機能するようにできてる

929 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 20:31:03
つか病気で寝てても江戸幕府は動き続ける
海上を逃げて勢いそのままに隠居しなければ大丈夫。
鎌倉室町は将軍が斬られる可能性がある。

930 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 21:16:17
幕府比較論は単独スレがあってもいいように思う。


931 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:32:36
足利尊氏が初めて任命した守護家が多かったからじゃないの?

932 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:04:19
鎌倉:将軍が不幸
室町:将軍がキワモノ
江戸:将軍がいなくても平気
って感じですか

933 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:29:17
日本史ざーっと見てると日本人が好戦的なことに驚く。
今の日本みたいになったのが奇跡だな
やっぱ江戸時代に完全に牙を抜かれた犬になっちゃった

934 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:41:20
>>933
知ってるかも知れないけど「喧嘩両成敗の誕生」て本で紹介されてた
室町時代のエピソードに正直ひいた。
往来で笑われたからって坊さん同士が死者の出る喧嘩とか。
ま、笑われるってのは当時相当な侮辱だったそうだが。

935 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:58:37
>>933
アメリカと戦後の左翼にだろ

936 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:08:47
>>933
そうかね?同じ時代の他の地域見たら、もっと酷いところもあったし、似たり寄ったりなんじゃね?

937 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 02:14:16
ニラニラしながら仲良くし、
でも本心では復讐を誓ってるのも室町文化
キレやすく陰険ってやつか

938 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 12:58:44
>>233
そだね。男だてが死んで、訳のわからない武士道とやらが残っただけ。
要するに権威に弱い狂犬、新撰組とか半次郎、以蔵みたいな連中w

939 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 14:05:16
>>930
三幕府比較の単独スレは自分も賛成。キリ番なった人が立ててくんないかなあ・・・
井沢氏じゃないが3つを比べれば、人気の室町幕府が脆弱な原因もよく解るようになると思ふ。
「影が薄い」スレと重複の面もあるが、比較という観点からはほとんど語られていない様だ。

とりあえず自分の考えでは、
「鎌倉」は、従来の制度では「弱者」であった武士の権益を守るため必要であったが、
(だからこそ「鎌倉」滅亡後、すぐに同じような仕組みの「室町」が出来た。)
その「室町」になると、武士が守護領国制みたいに自前の権力を「半端」に振るえる様になったのが幕府の弱さの原因かな。
あくまでイメージ・・・

940 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 23:28:18
室町時代、今川や吉良が将軍職継承権があるのに
細川や畠山にそれがないのはなんで?

941 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 23:30:23
細川は早い時期に分かれて、一門というより家臣扱いだった。
畠山は滅ぼされた平姓畠山重忠の名跡を継いだから。

942 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 23:42:13
>>941
ヘー
というと三管領の一つ、シバっていうのもそんな感じ?

943 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 00:15:31
上記2氏とは逆に、斯波はかなりあとまで足利を名乗っており、家格が高かった。
管領になれと言われたときも、家臣扱いになるのに難色を示したほど。

944 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 00:18:52
足利の一門扱いで「御一家」と言われているのは、吉良、渋川、石橋の3氏。
このうち石橋氏は南北朝期に没落したはずだが、どういうわけか9代義尚の頃の
六角征伐に同行した幕臣たちの一覧に吉良殿、渋川殿とならんで石橋殿がある。

945 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 07:49:04
>>925
奉行人層は鎌倉より室町のほうが厚いと思うぞ。
むしろ鎌倉幕府では合議制の基礎であった評定衆や引付衆が室町ではごく初期を
除いてほとんど機能していない。
だから特に義満以降は将軍独裁色の強い政権になる。

>>939
武士が権力を振るえるようになったというより、南北朝の内乱の結果、朝廷の
統治機構がほとんど機能しなくなったため、鎌倉段階での当初の武家政権が
想定していなかったような権限までが幕府のほうに集約されていったが、それに
武家側の意識や幕府の制度が追い付いていっていないような状態では
ないだろうか。

>>944
あと奥州には南北朝初期に奥州探題だった石橋和義の子孫が現地に土着した
塩松氏が戦国期まで残っている。

946 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 19:14:52
>>933
だね。

947 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 19:21:14
それぞれ説明してください

948 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:48:15
今川は将軍職継承権があるとはいえ
当時の官職は守護職のみか。
それも将軍にはなれそうにもない遠い傍系だし、こんな権利もってて名誉以外に意味あったのかね

949 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:08:35
当時の官職は守護職のみか。
当時の官職は守護職のみか。
当時の官職は守護職のみか。


950 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:38:48
今川家は公家かぶれのキモい大名だったから、それで満足だったんだよ。
だけど無能なのに分不相応な夢を見て京に行って将軍に即位しようとした
今川義元は間抜けな最後を迎えた。

951 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:54:50
義元って治部大輔以外に官職持ってた?

952 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 08:21:38
>>951
上総介 三河守

953 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 08:45:24
てか室町期の今川氏の当主なら上総介は必ず一度は任官する官職。
今川氏の官職というのなら先ずは上総介を思い浮かべなければおかしい。
それに対して三河守は今川氏の当主の中では多分任官したのは義元だけ。
治部大輔は義元を含む数人程度。

954 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 10:56:20
今川家の義元時点を見ていると実に天下に近いということがわかると思うが
御一家としての渋川、石橋、吉良がいるわけだが、渋川も石橋も中央政治に口を出せるほどの
権勢はなく、吉良に至っては今川家に幽閉されている状態
他の有力一族大名だった斯波や畠山も長年の内乱で下克上にあっている状態で事実上壊滅
足利一門衆では確かに一番天下に近い存在であるわけだ

しかし中央に興味があったかどうかは不明
例えば桶狭間の合戦と呼ばれるものが上洛戦だったと仮定し、さらに尾張を無事通過でき上洛できたと仮定を広げた場合
畿内での状況にもよるが三好や松永らを駆逐するか手を組むか
いずれにしてもまず今川家としてできることと言えば征夷副将軍になることかな
事実上将軍を傀儡にしつつ副将軍として権勢を振るう


955 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 11:58:00
今川はドラマでマロ扱いだが、足利だってマロだろと思うんだ
三管四職もマロだと思うんだ
田舎大名の京被れは大内が筆頭だと思うんだ

>>954
そんなIFは戦国板でやれ

956 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 12:25:35
>>955
都の文化を受容した人間とそうでない人間とでは違うだろ。
今川にしても下向した公家の影響無くしては都文化に被れることすらできない。
たとえ血筋を遠く都に求めることができるとは言え、地方に土着してる武士団が
公家言葉を日常的に使うわけないだろうが。

957 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 12:33:10
大内にしろ今川にしろ
一度は京都で権勢を誇っていたのだから仕方あるまい
いつの時代も都文化というのは支配層や教養人にとっては魅力的なもんだ

958 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 12:47:15
>956
言ってる意味がわからないが、
>955は薄眉、お歯黒で輿に乗るということを言ってるんだろ。


大内は塗り輿許されてたっけ?
官位は十分だけど

959 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 13:02:36
大内て応仁の乱の勝者だろ?

960 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 13:10:04
>>956
>今川にしても下向した公家の影響無くしては都文化に被れることすらできない。

それもあるが、義元の場合は、元々京都の妙心寺に入ってたからな。
公家との付き合いもあっただろう。

961 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 13:29:19
>>960
確かにそうだった。都への郷愁というのもあったのだろう。
足利家にそういう要素はないだろ?

962 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 13:36:52
>>961
義元時代の前後なんて室町殿ですら京にいられない、京に入れない、そんな人達ばっかりだ。
鎌倉殿とか阿波公方とか、忘れんな。

963 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 13:49:32
戦国時代しか興味ない人とかなら驚くかもしれんな
戦国時代だって結構人の移動とか交流ってあったんだがな
他国に使える親戚同士が正月の挨拶に訪問したりして

964 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 13:50:34
>>963はすんげースレ違い
失礼

965 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 13:51:07
とりあえずお前ら、こっちで盛り上がれ

室町時代がやたら影が薄い件について
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1110023632/l50
室町時代総合として機能してるスレがこんな煽りの如きスレタイだなんて、とは思うが

966 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 14:23:12
>>956
ロマノフ王朝の宮廷ではフランス語で日常会話していたわけだが

967 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 14:42:41
>>966
だから?死ねば?

968 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 14:59:57
マロ疑惑の参考文献として、多くの戦国時代劇では
義元も義昭も義氏も見た目はマロ。ゲームでもマロ。
義輝は剣豪将軍のイメージがあるせいなのかマロじゃない。

969 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:19:51
世の中いくら武士の世とは言っても朝廷が存在していて多少の権力を持っているとなれば
その中での栄達を求めるのが世の常ってもんだ
足利家は立派な公家の家になったってことなんだよ
その一門である今川だって貴族風になって何が悪い?
大内だって国許が怪しくなって急いで国許に戻っているが京風文化を持って帰っているし
中央の文化に染まって何か悪いのか?
逆にそういうことも感じない無粋な人間がその後国を乗っ取るわけだが
それが格好良いとでも思っているのか?

970 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:30:40
そうだよな!
誰でも正一位を拝領したら
その日からマロ気分になっちまうよ!

971 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:34:01
俺はむさい国人あがりよりマロの方が好きだけどな!
一条兼定とか

972 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:35:57
このスレはガチで笑える

973 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:39:33
七、八百ぅ〜?wwwwwww
ほははははははwwwwww勘助wwwwwww
二万五千と七、八百www
ネズミの糞ごとき数よのぉwwwww

974 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 15:44:51
これだけはいえる!
今年も大河ドラマ「風林火山」で今川義元を演じる
二枚目俳優谷川章介によって、マロ義元のイメージは大きく改善されると!

975 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 16:39:03
ぶっちゃけ室町時代の朝廷ってそんな憧れとかってあったのかな?
南北分裂しちゃった時点で伝統もクソもないだろうし
それをなんとか立て直して体裁を取り繕って幕府までお膝元に置いて
統治機構を充実させたのが室町幕府なんだろ?

976 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 16:44:58
官位争奪戦は、大義名分争奪戦だったり外交工作の一面もあるしな
公家文化が持てはやされたって、それは朝廷っていうより京への憧憬ってところじゃないか

977 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 16:50:56
>>976
公家文化の流行だって
戦だけじゃないよ、文化にも造詣の深いよっていう守護代以下の取り繕いだしな。

978 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 19:54:24
>>960
妙心寺じゃなくて建仁寺だと思う。
あとこの時期の今川氏の公家との姻戚関係については静岡県史に載っている
系図が詳しい。

>>966
プランタジネット朝時代のイングランドでも宮廷の公用語はフランス語。

979 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:22:02
【目指せ】今川義元【京都】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1096879587/l50

980 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:54:42
>>978
ブランジネッタ朝の国王はフランス諸侯の一員じゃないか。

981 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:59:49
>>974
谷原章介もヤサ男だし、変な頭巾かぶってる場面もあったから、文弱なイメージは引きずってるなw

982 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 21:14:15
そもそも義満が「武家故実」を考えだして、諸将たちの公家化がはじまったんだろ?
今川にしても、大内にしても、上杉にしても室町の大名はみな同じ。


983 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 22:41:19
>>981
>変な頭巾かぶってる場面もあったから、

それってさ、予告編に出ていたんだから序盤だろうし、普通に考えて義元が
還俗して間もない頃(まだ髪の毛が生えそろってない頃)の描写だろ。

どうやら>>981は、武田信玄や上杉謙信が頭巾を被っているのは何とも
思わなくても、今川義元が頭巾を被っていると、それだけで文弱だと
思いたいようだ。

984 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 22:46:14
公家=文弱ってイメージなんだろうが、
公家だってばりばり戦ってるのにね

985 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 22:56:55
最後に来てバカばっかりのスレになってしまったな。


986 :985:2007/01/16(火) 23:03:20
まあ俺が一番バカってことは自覚してるからw突っ込まれる前に自分で言っとくw
本当は俺は利口ってことwwwワロス

987 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:04:08
スレタイに摂政が入ってないからかね?

988 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:31:35
天皇に即位するのと、
摂政に即位するのと、
関白に即位するのと、
太政大臣に即位するのと、
征夷大将軍に即位するのと、
一番メリットが大きいのはどれ?

989 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:35:01
即位…か

990 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:36:11
鎌倉幕府と江戸幕府は全国を支配する政権だったが、
室町幕府は弱々しいお公家政権だったので、全国を支配する能力がなかった。藁

991 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:37:34
例えば各幕府の将軍のなかで公家みたいな細長い帽子をかぶっているのは室町だけ。

992 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:40:01
摂家将軍や皇族将軍は被っていたんじゃないか?

993 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:40:49
でも頼朝はちょんまげ

994 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:42:07
平家も元は武士だったのにお公家化したために滅んだよね。

995 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:44:19
豊臣家も公家みたいな格好をし始めたから滅びた。

996 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:46:21
ハットリバー王国、シーランド公国 最強!

997 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:47:56
羽柴誠三秀吉最強!

998 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:49:55
       \
 お そ .い ヽ
 か の や  |
 し  り  `  ,. -──- 、 
 い .く   /   /⌒ i'⌒iヽ、
    つ /   ,.-'ゝ__,.・・_ノ-、ヽ        
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 ̄ \ヽー' !. t´ r''"´、_,::、::::} ノ`     ,.i'・ ,!_`,!::::::::::::ヽ  征夷大将軍は天皇より
    ヾ、 ゝゝ、,,ニ=====ニ/r'⌒;    rー`ー' ,! リ::::::::::::ノ   偉いと思うんだ
       i`''''y--- (,iテ‐,'i~´,ゝ'´     ̄ ̄ヽ` :::::::::::ノ
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999 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:50:36
それは三上のおっちゃん

1000 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:51:10
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 お そ .い ヽ
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 い .く   /   /⌒ i'⌒iヽ、
    つ /   ,.-'ゝ__,.・・_ノ-、ヽ        
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 ̄ \ヽー' !. t´ r''"´、_,::、::::} ノ`     ,.i'・ ,!_`,!::::::::::::ヽ  弱々しいお公家は
    ヾ、 ゝゝ、,,ニ=====ニ/r'⌒;    rー`ー' ,! リ::::::::::::ノ   滅びるべきだったと思うんだ
       i`''''y--- (,iテ‐,'i~´,ゝ'´     ̄ ̄ヽ` :::::::::::ノ
       .|  !、,............, i }'´    _   、ー_',,...`::::ィ'
     ●、_!,ヽ-r⌒i-、ノ-''‐、    ゝ`ーt---''ヽ'''''''|`ーt-'つ
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