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人格者西郷隆盛先生は"反$ェ韓論者である

1 :日本@名無史さん:2006/08/25(金) 02:42:45
http://misouan.cocolog-nifty.com/weblog/2005/03/6.html
http://members.edogawa.home.ne.jp/hanmi-yoshino/21106.htm
http://www.rousyadou.org/1179.htm(北田大吉)
  ほいなら語っくれもんそかい

2 :日本@名無史さん:2006/08/25(金) 02:46:45
セクースしようとする度に

玉の海「勝昭…」
勝昭「この朝鮮人野郎!!」
高鐵山「北の富士は見るのも好きだった」
勝昭「もっと高鐵腰を振れ」
高鐵山「正直余計なお世話だと思った」
ってフラッシュバックするのか


3 :日本@名無史さん:2006/08/25(金) 13:41:07
またピザスレか・・・
芋でも食ってろデブw

4 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 17:23:43
12345678901234567890123456789012345678901234567890123456789012345678901234567890123456789012345678

5 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 17:41:30
征韓論だから善だとか悪だとかいう事は無いんだよ。
西郷は征韓論を支持していたが悪人ではなかった。

そして征韓論は時期尚早だったから誤りだった。

征韓論だから悪なのではなく、悪ではないから征韓論ではない訳ではない。

6 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 17:48:50
朝鮮には清がバックに居る事の意味を考えずに武力行使に訴える馬鹿丸出しの征韓論は元を辿ると木戸や板垣の意見。

西郷は必要なら武力行使を辞さないが、まずは自分が命を張って談判に徹しようとした。
話してダメなら力ずくでもやむなしという意味では征韓論なんだけどね。

7 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 18:02:05
李氏朝鮮の身分差別は酷かったらしいからなぁ。

8 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 18:05:25
征韓論か否かはどうでもいい。
西郷隆盛が空前絶後だったことは紛れもない事実なんだから。

9 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 21:38:12
>>8
それは違うな〜、西郷を語る上で征韓論問題は避けて通れない。僕は西郷と言う人間が大好きだからこそ
今の間違った西郷についての一般的なイメージ(堂々と征韓論をぶって、旧武士階級の不平、不満を解消
すために、それらを集めて軍隊を送り朝鮮を侵略、植民地化しようとした)を改めてほしいと思って、こ
のスレを立ち上げたのです。人間的な心の大きさ、優しさ、誠実さ、包容力、決断力。西郷はこれらをす
べて合わせ持った、長い歴史を持つ日本に置いても他に類を見ない、世界に誇るべき真の「英傑」です。
だからこそこの様なイメージが今や固定化されて蔓延していることが、非常に残念でならないのです。征
韓論と呼ばれるこの歪曲された見解を是正し、真の西郷さんを知ってほしいのです。

10 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 22:30:30
西郷の睾丸のサイズは空前絶後だということも紛れもない事実

11 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 22:50:35
何しろ空前絶後の大人物だからな。
色んな部分がとてつもないビッグサイズだったのさ。

12 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 22:56:16
>>9
西郷に会ったこともなければその時代に生きていた訳でもないくせに
何が「真の西郷を知ってほしいのです」だ。

13 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 22:58:56
>>12
歴史小説(特に司馬)を読んだだけで歴史を分かったつもりになってる奴にこんな奴が多い

14 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 23:01:10
真の西郷

それは皆の中に今も生き続ける。

15 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 23:05:43
伝説の大巨人サイゴー
彼は今も太陽系のどこかで静かに復活の時を待ち続けている。

16 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 23:09:29
-西郷は-
2度と鹿児島へは戻れなかった…。
睾丸と生物の中間の生命体となり
永遠に大韓帝国をさまようのだ。

そして死にたいと思っても死ねないので
―そのうち西郷は考えるのをやめた。

17 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 23:14:17
2chのこの手のスレを見ると
西郷は交渉で李朝を近代化することに失敗した場合に
初めて武力行使するつもりだった
(から他の軽薄な連中とはレベルが違う、
西郷は誤解されている)って
いう意見が支配的だけど、なんじゃそりゃ。

交渉や通牒を経ずにいきなり武力行使する馬鹿がどこにいる。
テレビゲームの信長の野望とか三国志の感覚で物を語るなよ。
それとも、小説や漫画では
そういうキャラクター設定になってるのか?

18 :信長:2006/09/09(土) 23:24:10
明治になって勝海舟は「西郷は征韓論者に非ず」といっていた

19 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 23:30:50
>>17
ゲーム?・・・ 西郷の本を1冊でも読みましたか?

20 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 23:33:16
>>19
その西郷の本とやらのタイトルを挙げてみて。

21 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 23:54:12
学陽書房「西郷隆盛」安藤英男著 西郷の入門書としては内容もそこそこ詳しく(本文約400p、全体約500p)て適当かと思います。
どうぞご一読を。

22 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 00:05:50
西郷の語録・エピソードを数多く取り上げているものとしては、石原出版社「西郷隆盛に学ぶ 世界は一つ」石原貫一郎著が
読みやすく、理解しやすいです。こちらもどうぞ。

23 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 04:50:16
木戸や板垣は日本人が朝鮮で危害を受け始めていたから迅速に武力行使して日本人を保護すべきと主張していたんだよ。

軽率な意見ではあるものの、既に日本人に対して実害が出ている以上は一理ある。

西郷はそういう意見を制して、まずは話し合いに徹しようとした。

そこで朝鮮が西郷を殺す程野蛮ならば武力行使も仕方ないと考えるのは当然。

24 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 08:17:20
とりあえず1は、自分の尊敬する根拠を具体的にここで示していくべきだろ
話はそれからだ

25 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 14:35:24
>>1
重複スレです。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109653451/

26 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 15:31:14
西郷はバカではないし頑迷でもないが大久保ほど合理的に割り切れない情緒
さを持っていたからどうしても自分を信奉する人々(特に薩摩武士団)を切
り捨てることはできなかったのだろう。

それと、西郷は農事方の役人から這い上がってきた以上どうしても発想が
保守的になり、今までどおりの農業を中心とした社会構造(その上に支配者
としての士族が君臨する)を善とする発想から抜け出すこともできなかったし
また商業というものを卑しく見てしまう精神構造からも終生抜け出すこともできなかった。

その点が近代国家建設の重要な要素である重商主義政策についていけなくな
ってしまい、政府高官を汚職役人という一面でしか見れなくなってついには
政府内で居場所が泣くなり正幹論争に突き進んでしまった。

27 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 01:49:12
>>23
何でそんな危害を加えられるようなとこにいたのさ?
そっちの方がおかしくね?

今で言えば勝手に危険地帯のイランやイラクあたりに行って
日本人が危害加えられたから侵略しろと言ってるようなもん

28 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 02:23:36
朝鮮は今も昔も蛮族だったんだから
征韓論はむしろ当然だろ

29 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 10:19:33
朝鮮人の多い場所は例外なく危険だ。
対馬藩は危険を承知で朝鮮と交易していたんだよ。

30 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 16:28:45
普通の船で軍人を連れず、軍事色を一切出さず、烏帽子直垂の礼装に身を包み、
日本政府の正式な全権である大使を一体どこの国がその場で殺すと言うのか?
当時の朝鮮はそこまで野蛮であったと言うのか?
裸になり、腹の中を全て見せて誠意を持って話し合えば、交渉は必ず成功する。
西郷にはその自身があった。 彼の親友で、薩摩藩士で後に枢密顧問官になった
黒田清綱は当時の西郷のことをこの様に語っている「西郷は朝鮮と戦争したり、
その国を奪おうという考えは毛頭無かった。彼は遣韓大使に一旦任命され、勅許
も下った時期、わたしにむかって、朝鮮のことはすぐ済みます、済んだら北京へま
わって帰ってきます。と語った。」 
西郷が戦争など考えていなかったことは明らかです。

31 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 23:55:09
元々朝鮮が日本の欧米化嫌って挑発したから征韓論起こったんだろ
アメリカは朝鮮の鎖国もとこうとしたが
あんな野蛮国相手にできんって手引いたし

32 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 06:50:21
ほっときゃよかったんだ。

近代日本最大の過ち。

33 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 21:27:31
西郷は戦争のことなど毛頭考えていなかっただろう
腹を割ってお互い話し合えば必ず交渉は成功すると本気で信じていたに違いない。

西郷に罪があるとすれば、談判決裂で大使殺害という最悪の事態になった際
のことを全く考えていなかったことだ。

一国を預かる者があらゆる事態を想定せず、己の能力を過信して国家存亡の
危機に陥るかもしれない大使派遣を強引に推し進めた西郷こそ後世の軍部独
走に匹敵する蛮行ではなかろうか。

34 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 04:26:09

   感   懐  (かんかい)
                
 幾 歴 辛 酸 志 始 堅   幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、
                    (いくたびかしさんをへてこころざしはじめてかたし)

 丈 夫 玉 砕 愧 甎 全   丈夫玉砕して甎全を愧ず。   
                    (じょうぶぎょくさいしてせんぜんをはず)

 一 家 遺 事 人 知 否   一家の遺事人知るや否や、
                    (いっかのいじひとしるやいなや)

 不 為 児 孫 買 美 田   児孫の為に美田を買わず。 
                    (じそんのためにびでんをかわず)

 (解)人の志というものは、幾度も幾度も辛い目酷い目に会って後、初めて堅く定まる
  ものである。そこで、真の男子たる者は、先ず幾多の辛酸をなめて志を堅くし、その
  堅い志を貫くためには、玉となって砕けることを本懐とし、志を曲げて瓦となって無
  事に生き長らえることを恥とする。
  それについて、自分が家法として子孫に残し置きたいと思う事が一つあるが、それが
  何であるかを知っている人があるか知らん。
  子孫のためにと言って、良い田を買わない事がそれである。

35 :抜忍二十八号 ◆F4lv11/qHs :2006/09/30(土) 06:14:52
昔、子供の頃小学校だか中学校の教科書での西郷どんの記述

1.大久保さぁと一緒に薩摩藩を率いて、倒幕維新の原動力となる。
2.征韓論を唱え、敗れて政府から去る。
3.鹿児島の地にて、最大最期の不平士族の反乱を起こす。


これだけ見ると、征韓論が通らなかったから、故郷の薩摩に帰って、
政府に反乱を起こした、我がままな理不尽な人物としか捉えられない。
事実そう誤解した人間は沢山いただろう。

歴史の教科書を、僅かな期間に子供に伝える範囲で一冊に纏めると、
どうしても誤解を生じるのだろうが、教科書編纂に当たる人たちは、
何卒西郷どんの記述に注意を払って戴ければ幸いなり。

それではこれから名無史でレスする。ノシ

36 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 07:08:27
自分が死んだらその機会を無駄にするなと板垣に言っているから戦争する気が毛頭ないとか自分が危害を受けた場合を考えてないというのはおかしい。
板垣や木戸は派兵を急ぐ急先鋒だから、朝鮮との戦争は西郷にとってもファイナルオプションとして意識にあったとしか考えようがない。

37 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 12:18:10
あの、ところで
>>4
ってなんか意味あるのか?
すこし気になるんだが・・・

38 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 14:50:45
本スレの続編が立ちました。
続きはこちらでどうぞ。

高潔 西郷隆盛は最高のサムライ2 道義
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1159595342/

39 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 09:55:00
コレがおいドンの芸でごわす。
ジジジジジィ〜
(自ら一物のチン毛を蝋燭の火で燃やしてる図)

40 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 09:46:03
西郷隆盛が靖国神社に祭られていない
明治22年に憲法発布の大赦で罪を赦され正三位を追贈されている
なぜ祭らない  おかしいではないか

41 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 18:41:09
政府にクーデター起こして戦死した奴を称えるわけにはいかんだろ

42 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:40:08
そう思うんなら上野の銅像を破壊してきたらどうですか。
2chで在日認定されそうだけど。

43 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:51:03
>>42
そういう意味じゃなくて、政府に反乱起こした連中の親玉を英雄認定したら
政府が反乱を許容することになっちゃうでしょ
だから好き嫌いや思想なんかは関係無しに、立場上絶対に許すことはできないってこと。

44 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 02:29:49
ところでよー
西郷は朝鮮へ行って誰と話ししようとしてたんだ?

45 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 07:05:33
興宣大院君
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E5%AE%A3%E5%A4%A7%E9%99%A2%E5%90%9B

46 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 08:02:06
天皇に刃向かった逆賊を天皇が許したのであれば、
臣民である我々がもはや許すも許さないも無い。

47 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 08:59:01
靖国は天皇に命を捧げた人を神として奉る施設だからね。
一応逆賊として命を落とした西郷さんは生前の貢献度や死後の特赦とは無関係で不採用なんです。

48 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 13:01:07
大久保利通、伊藤博文などの明治初期の要人は奉られているの?

49 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 13:22:13
>>45
ありがとう

しかし大した人物でもなさそうだなぁ。

50 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 16:51:32
>>34

それを国家とともにやろうとしたというわけか。
もし本気でそれを征韓論にもとめたとしたら、
なんとも激しいな。本質的な革命家ということか。
革命の原動力はやはり西郷だったという気がしたよ。

あと毛沢東の晩年に通じるところがあるといえな
くもないと思った。


51 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 16:55:24
そういえば、今やってるスカパーの翔ぶが如くの
大河の再放送でも、似たような解釈があった。
たとえ国家のほとんどを焦土と化し、日本人が
ことごとく死に絶えたとしても、残った日本人が
本当の日本を作り上げればいい。国家には金や生活よりも
守るべき大事なものがあるとか。


52 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 16:59:05
多分西郷という人間は一般の評判より、
内に巨大な情熱を秘めた人間だったと
いう気がする。


53 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 17:13:25
木戸が、西郷たいがいにせんか。。。っていったのに
少し違和感があったが、この詩で納得した。


54 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 19:54:30
>>50-53
いい書き込みしてくれてありがとう

55 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 21:05:08
晩年の毛沢東なんて最低の俗物だよ。
歯磨きの習慣が無い上に歯科治療を恐れていたから物凄い口臭だっただの、
14歳の愛人を囲っていただのと立ち居振る舞いが汚ならしい事この上ない。

56 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 09:37:32
文化大革命をおこしたところの動機と経緯が似てる。
まぁ、美しさの点では正反対ではあるが。


57 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 18:23:06
大久保とかは征韓論に反対しといて
翌年に台湾攻めちゃってるのが意味わからん
後者の方がリスク高かったと思うんだが


58 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 18:58:36
征韓と征台では状況が全然違うからな。

朝鮮が開国に応じないからといって力ずくで開国させようとするのは侵略になってしまう。

しかし台湾では日本人が現地人に殺害される事件が発生した。

日本は当然清国政府に抗議して責任を追及したが、
清国は「台湾は野蛮人が住み着いてる場所だから責任は取れない」と拒絶した。

外国相手にそんな事を言うのは「台湾は清の領土ではない」と明言するのと同じ。

だから清の回答を受けた日本は速やかに派兵した。

誰も領有していない土地は早い者勝ちだからだ。

59 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 19:25:45
>台湾派兵
従道が総大将で薩州(私学校党)からも参加させたんだよな

60 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 23:39:21
西郷も大久保も平和主義者ではないし征韓論争もそれぞれの権力基盤の確保
のために主張していたところがある。
特に西郷は征韓論争のときも西南戦争のときも下からの突き上げによって
動いたところがあるからよほど自己保身に敏感になっていたのだろう

61 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 23:46:19
西郷も、大久保も、真に日本の将来を憂えて激論を戦わせた。

西郷の立場は「朝鮮が近代化せず列強の植民地になれば次は確実に日本が危ない。圧力を加えてでも
朝鮮を近代化させよ」

大久保の立場は「今日本が朝鮮に介入すれば列強から睨まれ日本が危なくなる。
今は列強とことを構えられない。富国強兵に専念すべし」



62 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 23:58:37
問題なのは、征韓論争に際し「内治優先」を主張したにも拘らず、
後に台湾出兵した大久保の豹変である。
この大久保の豹変には、西郷に好意的でなかった木戸さえも
「征韓に反対し多くの参議と軍幹部を失ったにも拘らず、一年と経たず外征を唱えるとなれば、かの内治優先策は西郷等を下野させる為の詭弁だったとの謗りを免れない」
として激しく大久保を非難している。
更に後に大久保は、武力的圧力を背景にし朝鮮を開国させてもいる。
内政は世情不安の一途にあるにも拘らずに、である。
いったい大久保の真意はどこにあったのか?これが問題ではないか?

63 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 00:09:47
>>60
>自己保身

それは一歩間違えれば武闘派に暗殺(=犬死)されるからな

西郷は不平士族、近衛兵の激派、郷里の久光派の三方から突き上げ受けて、ストレスも凄かったろう
特に久光派の攻撃は辛かったらしい
本音は兎狩と温泉三昧の隠遁生活で余生を送りたかったに違いない

大久保は西郷と戦うことには断腸の思いだったが
>>61の件、江藤から太政官政府の主導権の奪回などで引くわけにいかなかった
また、西郷のような武力の背景が無い代わりに、突き上げもなかった


64 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 00:11:38
台湾は「化外の地」で、清国すら自国の領土と認識していなかったから出兵は可。
台湾出兵で清国と対立する可能性はゼロ。

大久保の朝鮮開国に転じたのは、富国強兵政策が一定の成果を挙げ、軍備も整ってきた
のに、隣国朝鮮が相変わらずの鎖国政策で近代化を行わなかったため業を煮やしたという
のが推定。ソースが無いのが残念だが。


65 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 00:22:34
>>62
>後に台湾出兵した大久保の豹変

台湾派兵の件>>58
これは私学校党の憤懣を緩和する意味もあった


>征韓論争に際し「内治優先」を主張

征韓論争自体、政争の意味合いもあった。したがって木戸の批判は当を得ている。

木戸は大久保以上に旧藩から自由であり、急進的な意見(理想論)を具申できる立場にいた。
しかし、病篤く、小言も増えたため、伊藤・井上など腹心たちの心は大久保に移った。
「明治六年政変」後の木戸は孤立感と焦燥に苛まれていたに違いない。


66 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 00:26:34
征韓論を政争に仕立て上げたは当時のマスコミ。
マスコミはいつの時代にも罪作りだ。

現代では、朝日新聞の低レベルな歪曲と偏向報道に辟易。
もう、誰も騙されないのに。

67 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 00:27:56
当時の大久保利通に関する直接的な歴史資料がないからインパクトに欠ける。


68 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 00:36:47
>>66
>征韓論を政争に仕立て上げたは当時のマスコミ。

いや、その一言で片付くほど事は単純ではない。
評論新聞が煽った事実はあるが影響は限られるだろう。


69 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 12:55:57
西郷が保身など考えるものか。

維新のとき薩摩がはじめて上京する直前、
京都に志士があつまって暴発の危機があった
ときも上の命令を無視して西郷は志士を集め
無秩序になるのを防いだ。たぶんこれと似た
ような役割を自身に課しただけだろう。

なんというか彼は昔からほとんどこういう
役回りばかりやってるが、あまり明確な
方向をしめすということはあまりやらない。
ただ筋を通すということは自分の立場や命に
かえても重視する人間であったようだ。


70 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 13:09:19
方向を考えるのは大久保で、西郷はその実行に
全責任を負うという車の両輪の関係だが、
岩倉使節外遊が長引き留守政府内を抑える
のに、どうしても方向が欲しかった。
大久保がいなかったために適切な方向に
むけられず、それが征韓論になった。

鳥羽伏見の前の諸藩が複雑な動きをしていたときも、
薩摩以外の志士との工作を担当していた西郷は志士たち
といろいろな約束をした。その約束には薩摩の
方針と異なるものもあったが、その約束を守る
ため薩摩を裏切る可能性も高かったらしい。
そのときも西郷は、「そのときはためらい
なく自分を切ってくれ」と大久保にいっていた
という。彼はそういう人間だ。


71 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 23:14:52
征韓論の何処が悪い?
今こそ征韓論を実践すべき時じゃないの?

特に北の方に

72 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 23:29:06
南の歴史教科書=妄想小説も何とかした方が良い。


73 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 02:12:50
西郷が保身で決起したとはバカバカしい話だな。

政府の要職をすぐに放り出して鹿児島で肥桶かついでたほど無欲な西郷が何で保身の為に反乱なんか起こす必要があるんだか。

地位や金銭に執着しない人間が保身に走る時には、逃げ出せばいいんだよ。

74 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 02:33:00
http://www.google.co.jp/gwt/n?mrestrict=xhtml&site=search&q=%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%95%E3%82%93&source=m&hl=


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75 ::2006/10/13(金) 02:36:03
>>1

76 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 10:08:57
て言うか。
明治六年政変時点の政府要人で、征韓そのものに反対した人っているのかな?
岩倉は風見鳥で訳わからんし。
大久保は後の行動から征韓そのものに反対した訳で無いことは明白。
木戸は吉田松陰の流れを汲む強行な征韓派だが当時は態度保留。
板垣・江藤・副島も言わずと知れた強行な征韓派。
皆揃いもそろって征韓を容認しているのに何故政府分裂にまで及び、挙句今日「西郷・板垣等は征韓論に敗れ下野」と言われるのか?
なにか非常に香ばしいのだが。。。


77 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 12:03:59
三条実美が倒れ、岩倉が太政大臣代理に任命された
太政、右、左の三大臣は公家でなければならなかったので
岩倉しかいなかった
岩倉は朝議決定を無視し、遣韓大使派遣と派遣の中止の両方を奏上し
朝廷内を工作、事実上天皇に中止の裁可をさせた

78 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 12:06:53
>>76-77
たしかに征韓は議論になってないもんな。
正確には遣韓大使派遣問題だね。


79 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 12:17:11
このころの西郷は長く体調を崩していて気分がすぐれなかったうえ
(フィラリアかなんか)自分がいると妙に担ぎたい連中があつまって
くるとかで厭世気分だったらしい。
斉彬が死んで、月照さんとの心中したときあたりから、
いつも死に場所をさがしてるところがあるね。


80 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 12:33:26
>>79
月照と一緒に錦江湾に身を投げ、月照は死に自分だけが生き残った
このことがあればこそ、その後の西郷がある
彼は自らの信念のためならいつでも死ぬ覚悟をもっていた、裏表のある心を激しく嫌った
だからこそ人を引き付け、偉業を成し遂げられた


81 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 12:58:22
しかも二度の遠島で「死中に活を求める」透徹した精神も培われたようだし
二度目の遠島から返り咲いた西郷は斉彬の言う
「西郷は悍馬で、余にしか使いこなせない」西郷とは段違いにスケールアップしていただろう

西郷は政治家、軍政家である以上に哲人だった
しかし、名声も一人歩きし始めた

82 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 13:11:06
↑正確には三度
奄美大島 徳之島 沖永良部島

83 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 18:23:06
↑正確には島流し二回で流刑地三箇所だな。

84 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 18:25:02
>>81
「西郷は悍馬で、余にしか使いこなせない」

これはわかるなぁ。状況で上の
命令無視するからな。上の面目丸つぶれ。

ちょっとあげるだけでも、久光上京のとき下関で
まてというのに、先行して京都の不穏分子をあつ
めたり(これが原因で流される)江戸進軍時にも
太政官に相談せずにきめたことが何度かあるし、
喜界島から村田新八を勝手に連れ帰ったりとか・・・
・・・まぁ数しれず。

上からすればたしかに使いにくい。
大久保は平時でも出世したろうけど、
西郷は使う人次第だな。


85 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 18:32:21
使いこなすといえば、スレ違いかもしれないが
久光は過小評価されてると思う。
だいたいあのころの諸侯のなかでは、一番結果を
出している。財政運営もなんとかしてるし、
大久保の抜擢だってかなり思い切った事だし、
西郷もなんだかんだいって遠島から帰って
きて後は、あまり口をださず任せるように
なっている。なかなかの君主だと思うけどな。


86 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 18:58:27
久光の評価は幕末維新史が明らかになるにつれ今よりも上がることはあっても下がることはないと思う
久光がオーナー兼野球監督だとしたら西郷、大久保、小松はコーチ兼主力選手なわけだ



87 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 19:45:29
そう小松帯刀も過小評価組ですね。
彼がいなければ、久光の下で二人が
あそこまで動けたのか疑問です。


88 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 21:42:11
仮に西郷が遣韓大使として渡韓したとしても西郷のようなデブで陰嚢水腫
で無教養な土人が朝鮮国王や大院君あたりを言い含めさせることなんか
できるわけないじゃないか

89 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 22:22:13
キムチ臭いのが湧いたな

90 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 22:29:56
西郷と大院君が直に談判していたら両国の誤解も晴れて関係改善を計れたなんて電波を金達寿あたりが飛ばしていたな。
朝鮮人の我田引水な妄想は民族性なのかねぇ…

大院君や高宗が西郷の説く文明化の意義を理解できるほど賢明な人物とは思えないけどな。

91 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 22:54:22
↑ 違うな
西郷は相手が誰であれ誠意と礼節を持って接する真の人格者、大丈夫である
確かに当時の朝鮮は排他的、閉鎖的であっただろう
しかし、それは僅か2・30年前の日本とて同じ事
国家間の問題であれ、最後の決着は結局は人間対人間
真に誠意と礼節を重んじて相手の立場を考え、何も包み隠さずに命を預ける
覚悟を持って話し合えば相手は必ず理解してくれる
西郷はこれを実践する事が出来る当時の日本で唯一の人間であった

92 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:26:59
全然違うよ。

朝鮮では秀吉との戦争が終わると、日本軍が銃火器を駆使して朝鮮軍や明軍を蹴散らしていた事から学んで急遽数百挺の火縄銃を購入した。

その後、どうなったかというと火縄銃は武器庫に仕舞い込まれたまま300年放置され、
李朝末期になって弓矢や槍だけではロシアや日本に対抗出来ないと気付いて慌てて引っ張り出したらほとんど全部が錆の塊と化していた。

日本では世界最高品質の火縄銃と射撃技術を生産、発達させていたのと正反対。

余談だが現代では前装銃を用いる射撃競技の種目に日本語由来のtanegashima、tanzutsu、hizadaiの3つが存在する程だ。

明治初期には薩摩出身の村田経芳が欧州留学中に射撃大会を荒らし回って優勝を重ねていた。

村田は維新前から西洋の武器から学んで国産銃の開発に務め、
西南戦争の僅か3年後には軍用小銃での世界最高性能を実現した13年式村田銃で世界の軍事関係者のドギモを抜いた。

日本人は明治になってから急に優秀になった訳ではない。

江戸時代の時点からポテンシャルが圧倒的に高かったんだよ。

儒教的な価値観に固執して進歩を自ら拒絶していた朝鮮とは全然違う境遇なのだ。

93 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 17:07:29
↑ 違うな
歴史的、宗教的な相違点を挙げ、それを異質、野蛮、時代錯誤などと指摘し
非難していては外交などできない
西郷にはそれさえも乗り越えて相手を包み込む(懐柔という意味ではない)
幽玄な懐の深さと、優しさを持っていたんだよ

94 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 17:52:34
違わないね

人の言葉を理解出来ない禽獣を言葉で説得する能力は西郷でも備えていない。

虎の子の火縄銃を300年間放置するような低能は自分達が日本人よりも桁違いに愚劣だという事実さえ自覚していない。

アル中大名の説得にも手こずり最後には暗殺を仄めかす事で無理矢理黙らせるのが関の山だった西郷には朝鮮みたいな愚劣国家を説得出来ない。

95 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 21:31:46
西郷・板垣の征韓論はなんにも間違っちゃいない。
後世の歴史教科書の書き方が間違っている。

96 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:16:27
というか教科書、ドラマ、小説・謎本レベルでは
明治六年政変までのすったもんだはかなり端折って描かれているから話が噛みあわねぇ

97 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 00:59:43
当時の朝鮮は中国以上に儒教国家
その朝鮮へロクな儒教素養も何の武力ももたないまま単に口先だけで交渉に
当たろうなどと思い上がりもいい方

西郷を道理の分る人格者だと信じていたのは日本国内のごく一部の泡沫士族
だけであって、当然海外には通用しないばかりかしかも朝鮮が望んでもいない
のに一方的な論理を押し付けるなどペリーと変わらぬ傲慢さ

これを現代に置き換えると、自己管理もできない巨体のしかも風土病で睾丸
が膨れ上がった低学歴がロクな民主主義・人権思想ももたないくせに身勝手
な正義感を振りかざしてたった一人で我が国に乗り込んでこようとしている
のと同じこと

98 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 01:24:47
>>94>>97ご尤も。
カァーッット!ハイ次!

99 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 02:13:06
西郷は儒教にも詳しいよ。
朱子学だけを儒教だと思い込む朝鮮人こそ無知無学。
西郷は朱子学が余りにも机上の空論過ぎる為に社会を停滞させると批判した陽明学を学んだ。
現実世界から乖離した朱子学しか知らない朝鮮人との議論では負ける筈が無い。

問題は、朝鮮人は阿呆過ぎて議論に負けても自覚できないという事だけだ。

100 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 02:30:25
遠島の時繰り返し読んでいたのが、佐藤一斎の「言志四録」だからね

101 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:09:11
西郷は軍人にして権謀術数にも長けていると同時に、学者でもあったと思う。
西郷が低学歴と言い切る奴はいないだろう。

西郷は陽明学。朝鮮の朱子学儒教とは発想が異なる。
知るは行うの始めにして、行うは知るの成るなり。
机上の空論で戦うのではなく、実践してなんぼ。


102 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:54:33
軍人というか軍政家 学者というよりは哲人

>机上の空論で戦うのではなく、実践してなんぼ。

議を言うより先に行動しているってことやね 書生論と正反対


103 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 22:59:04

林秀彦著「この国の終わり」(成甲書房、百十一〜百十三頁)に、
福沢諭吉の言が引用されてある。

その論旨は、西洋人の言説の本筋は何か?
それは、「商売せよ。しなければ殺す」 と言うことに尽きる、と。

しかしこれは、福沢諭吉が日本人に分るように、最大限にやわらかく表現
したのであって、西洋人の本音は、「ドレイに成れ。さもなくば殺す」であると。

つまり、お前はオレのドレイに成れ。さもなければ、オレはお前を殺す、と。

イルミナティのスローガンは、オベイ、オア ダイ!! Obey, or die!!
言うことを聞け! (言う通りにしろ!!オレさまの命令に服従しろ!!)
さもなければ殺す!!

もっとも、これは、彼等の原理であって、その原理は、当然のことながら
状況によって、変化し、変身し、変容する。

「敵」「相手」が強過ぎる場合、言葉、思想、イデオロギー、宣伝、口先によって、
この原理を実現しようとする。つまり、相手をペテンにかけるわけである。

従って、これは、言葉による、思想による、イデオロギーによる、世界観による、
宗教による、殺し合いである。

西洋は、何よりもまず、こうした言葉、思想、イデオロギーによる戦争で
勝ち抜いて来た最終勝者である。ことを、知らなければならない。

日本人、日本民族は、未だかって、このことを正面から調査研究したことがない。

会沢正志斎の「新論」は、ほんの少々この方向を歩み出している。
しかし、会沢正志斎も晩年、開国已むなし、などと言って、気勢の上がらないこと。

104 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 22:59:43

西洋と徹底的に戦えば、どう成るか?

士農工商の身分制度下で、農工商は、おかみについて行くのみ。

武士階級は、どう成ったか?

武士は二つに分裂した。死=全滅を賭して西洋と戦え派と、
殺されるのはイヤだから、西洋のドレイと成って生き延びる派、とに。

前者の代表は西郷南洲であり、後者の代表は、大久保利通と、
長州の木戸、伊藤、山県ら。

西南戦争で、西郷軍が潰滅したあと、日本の国家権力は、後者、
西洋のドレイと成って生き延びる派によって、完全に独占された。

そして今、どうなのか。イルミナティサタニスト世界権力は、日本民族
ひとり残らず皆殺し戦争の総仕上げにとりかかろうとする。

今、イルミナティによって操作=展開されている、北朝鮮共産政権との紛争は、
イルミナティの日本民族皆殺し戦争へ向かっての、着実な一歩であるだろう。

現在の日本の苦境は、明治六年、大久保、木戸、岩倉、三條、伊藤らによる、
西郷隆盛追放の政変に始まっていることを、日本民族有志は知らなければならない。

105 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 01:36:19
ここは電波スレですか?

106 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 08:55:47
西郷先生はそういう人も拒みません。

107 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 09:33:50
>103-104
禿しく同意。

脱亜論等と言う愚論をのたまい、日本を欧米の奴隷に仕立てた福沢某の言なんぞは知らぬが、明治六年政変と後の西南戦争に因って、日本が欧米の奴隷と堕した事は疑いようも無い事実。

明治六年、日本政府が失ったのは西郷その人だけでなく、日本民族の誇りを失ったのである。
明治十年、日本が失ったのは西郷その人だけでなく、日本民族の魂を失ったのである。

もはや今日、日本に日本人はおらず、欧米の奴隷がいるのみ。西郷の死と共に日本民族は滅びたのです。日本の運命等と言う物は欧米に握られているのです。





108 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 12:08:56
('O') ジュシンチュウ...シバラクオマチクダサイ


109 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 12:37:00
奴隷=自らの意思で人生を選択できない人。

たしかに欧米の権力者グループは狡猾だが、
その陰謀にのったのは強制ではないんじゃね?

そんなに現状が不満なら、もっと説得力のあること
をいって、人々の支持を集めまっとうな方法で権力を
握り対抗すればいいじゃん。できない?なぜ?

権力とは他人の支持を背景に他者を 動かす力のこと。
それを持つことができないとすれば他人の支持が
背景にないから。

仮にイルミナティがあるとして、陰謀に拠って
権力をもっているにせよ 他人から支持を得て
いるからであることは間違いない。

騙されていようが皆それを望んで信じているんだよ。
陰謀とは信じたいものを提供 することで可能になるから。

あなたが信じたいのは、日本をダメにしたのは
欧米の悪魔どもであるということ。
どっかの文章をよんだあなたは、本を買わせられる
陰謀に引っかかったわけだ。でも今の日本を選択した
のは日本人自身でしょう。


110 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 13:39:51
姑息で稚拙な小さなウソは、すぐにバレて嘲笑される
奇想天外、にわかには信じられない巨大なウソの方を大衆は信じ、騙されている
という感覚さえ失い、更に深く信じ込んで行く

111 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 14:52:05
たしかに911が自作自演であるいいたいの
でしょうね。たしかにそれが本当なら誰も
信じたくはないね。でもスレ違い。




112 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 14:57:20
日本語ヘン。

ところで西郷さん関連の大衆の信じたい側面といえば
上野の西郷像は、ちっとも似てないとか。
西郷を知る薩摩士族からもっとも不評なのが
あの浴衣姿。あんなみっともない格好はしたことがない。
彼らにいわせると、確かに庶民的な事を愛した人であるが
庶民的なところは、ちっともなかったといっていました。


113 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 14:59:17
子息の菊次郎(遠島時の長男)いわく、一番似ているのは
キヨソネの肖像だそうで、顔も庶民的ではなくかなり
ハンサムだったそうです。


114 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:44:21
西郷さんはアゴなしゲンさんに似てる。

115 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:25:40
>109
論外。岩倉右大臣も大久保内務卿も伊藤初代総理も、また戦中の東条総理も戦後の吉田総理も、国民の支持多数により選出された指導者ではない。
貴様は歴史を知らな過ぎて話にならん。消えろ。

116 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 22:39:37
国民の支持だったらどうだっていうのかねぇ。

117 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 12:57:10
国民の支持がある指導者によって営まれる社会は、
最悪の専制君主制よりマシであることが保障される程度。
歴史をしってればそれぐらいわかるんじゃねーか?

明治維新は、現代の日本のエリートにはおそらく
真似できない陽明学を地でいくような士族階級に
よってなされた。

西郷をはじめとする志士たちを支持したのは民衆ではなく、
この陽明学と武士道精神を信じる士族階級であった。

欧米支配のセイだかなんだか知らないけど、
傾き始めたアメリカが、もう面倒みきれないから
今日から自分でやってね?といわれても、
傾くアメリカにさえ、すみません見捨てないで
とスガるだけのことしか今の日本にはできまい。
これが、国民の支持をうけた政府のやることだ。


118 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 04:47:59
>>109
日本語おかしいよ。所々意味不明。
それから、ソースも説明も無しに断言的に語られても説得力無い。
根拠も示さず〜に間違いない、って言われてもねえ。。。

119 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 09:02:18
ソースが必要な話のようには思えないのだが。。

120 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 03:18:46
西郷の国創りの理想を具現化したのが私学校なのでは?

121 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 06:48:23
西郷は理想だけあって具体性のない思想好きの宗教家みたいなやつ
死学校にもほとんど関わってないし
西郷は結局どんな政府にも満足しないだろ

122 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 08:19:58
そもそも西郷が私財を投じて私学校を創ったのは、士族の再就職のため
いわば職業訓練学校のようなもの
それが一般には「私学校は士族の過激思想集団」や「西郷の私兵養成学校」だったって誤解されてる
西郷が私学校で自ら率先して進めてたのは、吉野台地の開墾と士族の営農化だし
私学校での軍事教練だって、日本陸軍に優秀な士官を送れるようにとした事
いわば「武を捨て切れない士族」が将来、日本陸軍に就職できるよう教育してた


それに西郷自身が明治維新で士族を無職にしてしまった事に対する、アフターフォローもしくは贖罪もあったろう。
西郷って人は、そういう人なんだよ
私利私欲からはとことん離れた存在の人

123 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 08:48:21
せごどんは、酒を呑むと素っ裸になって陰毛をむしりながら踊りだして
いたそうだが、そんな人格者が居るのか?


124 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 15:00:38
大の西郷どんファンだけど、
征韓論を否定する必要はないんだけどなあ
戦後の学校や社会の平和教育の影響で
時代に関係なく、植民地政策=絶対悪の構図にこだわりすぎてるから
人格者の西郷どんは非征韓論者だったとしなければならないとすれば
それはあまりにもあさはかだよ

125 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 16:36:16
>>122
しかし西郷の考えと取り巻きの思惑とはまた別だったし

>西郷が私財を投じて私学校を創った
県費で作ったのでは?

>>124
なんでも『今』の尺度ではかっちゃたしかにいけないね。
放映中の大河ドラマにしても一夫一妻が美徳に語られていてちゃんちゃらおかしい。
当時の尺度や背景を教えることも教育なのにねorz

126 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 19:06:50
>人格者の西郷どんは非征韓論者だったとしなければならないとすれば〜

これは考えすぎじゃないかな、俺なんかは西郷がどういう立場で
どういう見方をしていたのかを知りたかったクチ。

127 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 01:03:08
西郷は旧士族という「負け組み」のセーフティーネットを張ろうとしていたのだろう
遣韓で平和裏に話し合いが済んでも対ロシアが控えていたわけだし
西欧列強の脅威はともかく対ロシア戦までは西郷の視野に入っていたはず
ちなみに黒田清隆が北海道開拓に拘っていたのは西郷の遺策ということもある

128 :日本@名無史さん:2006/10/31(火) 09:41:53
>125
西郷の考えと取り巻きの思惑についてだけど。

桐野利秋日記を読むと、西郷と桐野の考えは実によく似ている。
大山綱良は大の西郷信者として有名で、西郷の意志に追随している。
篠原国幹は寡黙で有名で、その考えはあまり伝えられていない。
村田新八は熊本隊の佐々の伝によると、温厚で柔和な思想を持っていた。
永山弥一郎は桐野と昵懇の間柄であり、別府晋介は桐野の従弟であり、桐野に追随していたと考えられる。

主な私学校幹部の思惑と、西郷の思惑にそれほど違いがあるとは思えない。

129 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 02:38:06
私学校は、公に対しての”私”だからな。
そこにすべてが表現されていると思う。
文章家として一流だね。

私としたのは、彼がもっとも親しみをもっていた
士族精神のことだと思う。
士族精神は公に対する奉仕精神を最大の
特徴としているが、かつての公そのもので
あった士族精神が、次に公となった
(私利私欲にまみれていくように見える)
明治政府によって私になったことに対する
皮肉がこめられてるんじゃないだろうか。


130 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 03:03:45
西郷は陽明の徒だ。行動と心は根本で一致して
いなければならない。
その西郷は、私学校は人任せで、その頃もっとも
熱心に自分の行動でしめしていたのは吉野開墾社だ。

百姓と同じ事をすることになっても、
彼が愛した士族精神は不滅であらんとした。



131 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 03:08:17
西郷は大久保は結果を重んじることでは
同じだが、根本的に違うところは、
”目的や理念”と”行動の精神”のどちらを
優先するかというところだ。

西郷は、明治政府の理念とか体制に
対して具体的なイメージはほとんど
もっていなかったようだ。
多分重要視していなかった。
故に、肯定も否定もなかったろう。
この辺はシステム偏重精神論軽視の
現代人になかなか理解しにくいところ
だと思う。

かれの考えは多分シンプルだ。
大事なのはそれを行うものの心であって、
明治が天命に背く事になったとき、
その心(士族精神)をもつもの達で
ただせばよい。

ただ、西南戦争は明治がどう転ぶにせよ
彼には時期ではなかったんだろうと思う。


132 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 03:25:14
>>127
ごもっともですな。
征韓論は、確かに正確には朝鮮使節派遣問題。
当時のマスゴミと一部政局に利用した人によって
征韓論となった。

かれの本当の意図はまさに、ロシアまたは列強による、
朝鮮の植民地をおそれたというその一点のみだと思われ。


133 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 03:40:16
当時の朝鮮は朱子学に凝り固まった鎖国政策
をとる国。日本が開国した事に怒っていた。
ちなみに朱子学は一種の中華思想みたいなモノ。

日本の明治の開明な指導者からみた朝鮮は
非常に危なっかしかった。

地政学的に朝鮮を植民地化されると、
日本は防げないのは明白であったから、
なんとしても朝鮮の考えを変える必要があった。
その方法は二つ。

・上策:朝鮮の開国と日本・中国との同盟。
・下策:手段を選ばず、黒船がやったように
    戦火を交えて、朝鮮を日本の影響下におくこと。


134 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 04:05:17
ただ、当時、儒教的先進国であった朝鮮に
日本人の抱くイメージは、軽蔑的な意味は全く
なかった。(現に李舜臣は日本海軍の研究で
見いだされ日本海軍内では崇拝されていた)

影響下にいれる事は可能性として考えられて
いたとしても、当時の日本の情勢と国力を
考えても”占領統治化する”という発想は
なかったと断言できる。

また一戦交えても海軍で優勢であったし、
占領統治するという愚をおかさなければ、
海を隔てた日本と朝鮮では泥沼になる心配はないし、
朱子学の朝鮮が、列強の介入を許すことはありえない。

なにもしないことで、先に列強によって朝鮮が屈服
する方のリスクが高いとさえいえる。

とにかく後生の朝鮮を植民地化した後の時代をしる
人間の考えとは全然違うことは確かだ。


135 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 06:35:59
もう半月も書き込みが無かこつ・・・
おわはんら、どげんしたしもした?
もっと気張って書き込んでくれもはんか


136 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 07:09:32
江戸時代半ばに書かれた林子平の海国兵談を読むと、
朝鮮人は無駄飯食いのデクの棒だと書いてある。

儒教先進国なんて錯覚して変な幻想を持っていたのは林大学頭などの偏狭な朱子学者くらいしか居なかったというのが実状。

137 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 20:36:58
西郷さんあんな事で内乱起こすなんて馬鹿げてるよ
まあ、九州士族の突き上げとか色々あったんだろうけど

138 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 20:02:25
>>137
燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや
って奴じゃねーのか?

西南の役前後の行動やら言動をみても、
内乱は本意ではなかったのは確か。
(もっと大きなことを目論んでいたらしい)

ただ、最強薩摩の不満分子だけで内乱した場合。

内乱中と、内乱後の処置にいろいろな
不安定要素を生み出す。

内乱中は、軍がゲリラ化して乱が長期化するとか、
盗賊化してそれを抑えられない政府の権威が失墜し
治安がみだれが全国に広がる可能性がある。

統率のとれない軍は厄介だ。

内乱後の問題は、久光や西郷、そして、
政府内の薩摩士族の立場も非常に微妙になる。

内乱を抑えられなかった陸軍大将
西郷の統率にも疑問符がつき、
明治政府も西郷の非常に高い名望を
うまく利用していたが、それが利用できな
くなるだけでなく、責任を追及するという
難しい問題を抱える。この対処の仕方が
甘い厳しいのどちらでも、問題がある。


139 :日本@名無史さん:2006/11/22(水) 20:02:57
ところが、あの大西郷と最強薩摩士族の
コンビでも、平民政府軍に勝てなかった
となれば、士族の時代が終わったことを
印象付けられるし、もう誰も反乱を
おこそうとは思う人間がいなくなる。

現に西南の役は、日本で最後の内乱になり、
日本というひとつの国ができた。


140 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 20:47:23
自転車ツーキニストの疋田智氏の著書「日本史の旅は自転車に限る 天下を獲り損ねた男たち」では
「わしは韓国で斬られる。それを口実に士族を送り込めばいい」と彼はいった。
韓国人にとってはトンデモなく迷惑な話だが、
西郷のアタマは、もはや、職もなく、プライドばかりの士族たちをどうやって救うか
ということばかりだったのだろう。彼はただ単に士族に活躍の場を与えようとした。
勝敗などはもはや度外視だった・・・・・

と、ありますが、この発言は(真意は別として)事実なのでしょうか?

この文章をごらんになって、感じられること等、
何かご意見があれば、よろしくお願いします。

141 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 13:54:27
>>140
んじゃ一言
西郷もいいかげんにするお

142 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 13:16:54
>>140
まぁ、概ね事実なんでないでしょうか?

ただ、マスコミがよくやりますが、肝心なところを隠して、
一部だけをとりあげている感があります。

この主張の根拠はすべて、板垣宛西郷書簡です。

そもそも征韓論というのは、朝鮮使節派遣
問題を具にした、洋行帰りによる留守政府
への巻き返しを意図した主導権争いなんです。

西郷は、薩摩で不遇だった時代をみても
わかるように、この手の内部の権力闘争が
下手で、その変な大久保にまかせっきりです。

で長くなりますが、そのいきさつを。。。。。

143 :日本@名無史さん:2006/12/13(水) 13:26:17
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi012.html

定期的に幕府は朝鮮からの朝鮮通信使をうけいれてきました。
ここで口をすっぱくしても強調しておかなくてはならないのは、
司馬遼太郎の本にもかいてあるんですが、この頃の朝鮮は
もう常識はずれなレベルにおいて、どうしようもない儒教の
形式に凝り固まり、礼という形式を国家の国益以上にすべて
において優先する国家だったのです。



144 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:07:49
濡れ衣を 干さうともせず 子どもらが なすがまにまに 果てし君かな




145 :日本@名無史さん:2006/12/22(金) 12:26:41
まんまだな。(^^;
勝さんは詩は苦手のようだ。

西郷自身の反乱でないということは、
天皇、大久保、その他大勢の発言からも
伺える。自転車ツーキニストの疋田智
さんはちと、自前の論の展開のために
歴史的事実をおとしめすぎかと。


146 :140:2007/01/06(土) 18:03:10
>>142
お礼が遅くなりました。

朝鮮は「お前ら、身の程をわきまえろ」という態度だったんですね。
でも普通にありますよね。そんな態度。この社会でも。
でも朝鮮の場合、儒教によりガチガチになっていたんですね。

大東亜戦争の大本営参謀だった瀬島龍三さんも朝鮮半島は軍事的に重要な場所だったと書いておられますから、そんな態度でこられたら日本としたらやるしかないというところまで追い詰められてしまうでしょうね。。。

なるほど、知れば知るほど・・奥が深い。
大変、勉強になりました(本当に感謝します)

147 :145:2007/01/06(土) 18:04:31
>>145
ほんと〜〜〜ですね。
僕も、今日、ちょっと利口になりました。

148 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:05:33
ああ、訂正します。
147を書いたのは140でした^^

再度お礼を。。。みなさん、ありがとう。

149 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:12:38
>>140
143です。お礼のほどでもありません。
実は途中で書くのをやめてまして。(^^;

でも、>>146で 朝鮮半島は軍事的に重要な場所
ということを認識されておられるようなので、
まぁ付け足すこともそうないのですが。
知ったかぶりのものづきながら
一応続きを。。。。。


150 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:14:08
当時の指導層の列強に対する危機感は
非常に切迫してました。

廃藩置県という、普通ならありえない
クーデターがほとんど混乱もなく成立した
点がそれをよく示しています。

その危機感と朝鮮半島の安全保障の問題は、
当時の帝国主義的な常識では、日本の死活問題で、
事実その後の歴史の、日清、日露はすべて
朝鮮がらみの問題でした。

朝鮮使節問題(征韓論)は世界情勢への認識に
乏しい上頑なな朝鮮に変化が必要と考えた西郷の
行動で、彼はその朝鮮の認識を変えるためには
平和的にせよ日本への黒船のような方法にせよ行動
による変化が必要と考えていたと思います。


151 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 13:15:32
西郷はただそれだけを考えていたのですが、
征韓論は、その論争の直前に、欧米視察の
旅にでていた岩倉、大久保、木戸、伊藤など
の西郷以外の主力メンバーが、条約改定を
しくじって面目をおとし、留守時に政府の
重要な改革を次々に行った、江藤などの台頭
で、政権を失いつつありました。
それを阻止するため、大久保は征韓論を政争の具
につかいました。これは大久保も苦渋の選択だった
ようで、相当逡巡していたようです。

西郷はこの手の内部の政治が苦手でこれまでは、
大久保がやっていたのですが、この欧米視察で、
大久保と立場を異にしてしまった。

江藤派は、そこを狙い、大久保と西郷の分裂と、
国家の最重要問題の、この問題を押し通すことで、
政権主導権の確立を狙っていました。

朝鮮使節問題は、そんな政争以上に重要な問題で
あったため、まっすぐな西郷は引き下がれず、
そこを両者に利用されたんですね。


>なるほど、知れば知るほど・・奥が深い。

おっしゃるとおりで、
陰謀はどうなされるかをまざまざと
見せてくれる好例だと思います。

152 :140:2007/01/09(火) 20:45:05
再度の投稿ありがとうございます。
知ったかぶりなんてことはないです、大変、勉強になります。
投稿を拝読してから、以前に自分なりにまとめた年表を再度追ってみたら1873年に大きな動きが集中しているんですね、で、これを検索したら「明示六年の政変」にヒットしました(江華島事件も、その背景にガチガチの儒教思想があったということなんですね)

で、素朴な疑問が湧いてきたのですが、
大久保、岩倉も当然、半島の軍事的重要度は認識してたはずです。
だって半島問題は「政争の具」以前に、国家の軍事上の重大課題であったはずです。
この明治六年の時点で彼らには、半島問題に何か代替案があったんでしょうか?
>>大久保も苦渋の選択だった ようで、相当逡巡していたようです
この逡巡の意味は何でしょうか?

153 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:59:40
>>152
>大久保の逡巡
@盟友西郷と袂を分かつこと。
A@の結果、薩摩の武力的背景を失うこと(その代わりに西郷下野後、島津久光を取り込もうとしたが失敗している)。
B西郷、板垣を下野させることによる、政情不安(本人の考えはともかく、彼らは不平士族の代表とみなされていた)。

154 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:27:23
逡巡は完全に153は完璧な回答だろうと思います。

>大久保、岩倉も当然、半島の軍事的重要度は
>認識してたはずです。

認識していたでしょうね十分に。
ただそれより、政権を自分たちで持つことを
優先、つまり江藤のような理が先にたつだけの
連中にやらせては、それこそ日本の選択を
誤らせると思ったのでしょう。
自分的には西郷と江藤のペアと大久保派
の一部をとりこめば日本はそれなりにやって
いけたと思いますが。(^^;


155 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 09:29:03
>だって半島問題は「政争の具」以前に、
>国家の軍事上の重大課題であったはずです

そのとおりで、実際大久保は西郷下野で
政権を取り戻した直後しっかり対策してます。

その最初の一手がお調べになった江華島事件で、
大久保の死後も伊藤に受け継がれます。

つまり、大久保はまるっきり黒船方式を
とったわけです。

ifはナイといっても、西郷だったらどうだっただろうと
考えてしまいます。朝鮮使節問題時の西郷のイメージは、
長州征伐のときの直談判だったと私は 思いますが、
そうなっていれば歴史は 相当かわっていたでしょうね。

なんか、どうしても大久保批判な書き方に
なってますが、自分は西郷なみに評価して
るんだけど。。。。

どうしてこうなるんだろう。(^^;

156 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 21:16:34
再度の回答ありがとうございます。

>>153さまの回答が完璧とのことですね。
いや〜、みなさん博学ですね・・・!
私はてっきり朝鮮対応策の一手、飛車を失うかのような苦悩が伴ったのではないかと憶測してました。

>>黒船方式、つまり艦砲外交ですよね。

私が西郷さんに興味を持つようになったのも、
泥沼の日朝関係の由縁に興味があったからなんです。
どうしてここまで悪化してるの?という素朴な疑問です。
先に紹介した瀬島龍三さんは、職業柄、バリバリの右翼ですw。
この人にいわせれば日韓併合も、後ろ指を差されるようなことのない国際的にみても
なんら問題のない正当な条約という認識なんです。

確かに論理的にはそうかも知れません。
「論理」というのはそれぞれの立場でいくらでも創ることが出来るからです。
ヒットラーにはヒットラーの論理があり、フセインにはフセインの、大日本帝国にも。。
それぞれに、それぞれの論理があるんです。でも大切なのは「論理的であること」よりも「理性的であること」なんです。
そこが人間の真価だと思うんです。ときに自分に不都合なことも、自ら課さなければいけなくなるんです。
ここに「人格」というものが現われるんだと思うんです。


>>どうしてこうなるんだろう。(^^;
たぶんですね、大久保の論理力は認めつつも、西郷さんに論理に勝る理性を感じておられるからではないでしょうか?
私は「論理の大久保」「理性の西郷」・・というイメージなんです。
たぶん、ですが敬天愛人の”天”とは初期仏教でいう自然法と類似の意味を持っていると思うんです。克己修身、自律心、自制心。。です。

if,西郷さんだったら・・・・どうなっていたんでしょうねw
ありがとうございました。

157 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 08:14:42
その考察ではまだ不十分だ。
様々な史料から総合すると留守政府の舵取り役を担っていた江藤の言動が問題の中心にある。

江藤は薩長土肥の中で最も発言力の小さな佐賀閥の台頭という野心を抱いていた。
何故佐賀の発言力が弱かったかと言えば、滅多な事を口に出さない大久保さえも露骨に「佐賀のお国柄とは申しながら」と言い放つくらい臆病者の気風が際立っていたからだ。

大久保にしてみれば薩長土と比べて軍事力としては全く期待出来ないのが佐賀だった。

そんな中で新政府では長州が薩摩に次ぐ発言力を持っていたが、長州は長州でカネに汚いお国柄が発揮されて政治は早くも汚職の巣窟と化した。
江藤は維新直後から早速始まった政治腐敗を一掃する為に西郷の内諾を得て、
腐敗の元凶である長州閥を政権から叩き出そうと試みたのだ。

井上馨の事を「三井の番頭」と呼んでいた事で知られる西郷は元々私腹を肥やす腐敗官吏に好意を持つような性格ではなく、基本的には私腹を肥やしていない江藤にシンパシーを感じたのだろう。
江藤の方では「西郷は愚人である。まず西郷を使って長州を倒す」と述懐していたように長州、そしてゆくゆくは最大勢力薩摩に取って替わるつもりだった。

158 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 09:03:02
大久保や木戸らが海外に出た途端、江藤は長州閥の大掃除を開始した。
西郷に話をつけて薩摩を後ろ楯にした江藤が汚職の摘発に辣腕を奮うと、スネに傷を持つ長州の貪官汚吏は為す術なく証拠を突き付けられて処罰されていった。
世間では江藤時代が始まったともてはやし、長州閥はコテンパンに叩きのめされ風前の灯となった。

そこへ大久保らが長旅から戻って来た。
禁門の変で薩摩を恨んでいた長州を紆余曲折の末にやっと糾合した大久保の目には、
江藤が維新を台なしにしかねない危険な綱渡りをしているように映った事だろう。
大久保には薩摩人の事務処理能力の低さが頭痛の種だった。
「戦場では非常に役立つが役人としては殆ど使い物にならない」というのが薩摩閥に対する大久保の評価だ。

つまり分かり易く箇条書きにすると
薩摩閥…

軍事力◎事務処理能力×品行◎

長州閥…
軍事力○事務処理能力○品行×

佐賀閥…
軍事力×事務処理能力◎品行○

といった所だ。

佐賀が長州を政権中枢から駆逐しても、長州は厄介な反政府勢力として維新の足を引っ張るだけとなる。
その場合佐賀軍では薩摩の助太刀として期待できない。
しかし非力な佐賀を切り捨てても痛くはない

159 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 09:17:10
志士歴や所属藩の戊辰役での貢献度なども新政府での任官では重要だったろうから。
江藤がいくら有能でも序列は低かったろうな。肥前なんて勝ち馬に乗ったに近い形だし。

それでも割と貢献度の高い尾張や芸州が新政府の中枢に加えられなかったのは人材がいなかったのだろうな。

>>158
薩摩にも松方、寺島、五代など強力な人材はいたけどな。軍事畑ほど充実してはいないけど。

長州は金に汚い人物が多かったが、薩摩は女に弱いと言われていたらしい。品行は△?

佐賀は江藤、大隈らの個人プレイに近いから弱いよな。

土佐は藩が日和見のときの板垣の頑張りだけが貯金だったし、人材は二流どころだし。

160 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 09:18:28
つまり大久保は風前の灯として政権中枢から一掃される寸前だった長州閥に助け舟を出す事で薩長の分裂を回避し、
維新を台なしにしかねない勝負に打って出た軽率な江藤と西郷を切る事にしたのだ。

西郷を利用して薩長を分裂させようとした江藤の野望はこうして大久保に叩き潰され、
その副作用で長州閥による腐敗の病巣は残留した。

161 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 09:22:44
女に弱いのは汚職とは直接関係ない。
ここでいう品行とは権力を私する誘惑に対する耐性だ。
薩摩閥では女に狂って政治を腐敗させた形跡はほぼ皆無なので◎で問題なし。

162 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:06:27
長州人が品行方正だったらとか佐賀人が勇猛果敢だったらと夢見ても始まらないからな。
欠点まみれの人材を上手く使いこなすのが政治指導者の役目。

肝心要である維新政府の崩壊を防ぐ為にギリギリの選択で長州閥の不正を見逃して清廉潔白な江藤や西郷の方を潰す事を決断した大久保の指導力は瞠目に値する。
大久保が汚職に一枚噛むような人物ではなく、西郷とは命懸けで助け合う親友であったにも関わらず私情が全く挟まっていない。

163 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:15:09
>>161
黒田さんと北海道…

164 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:17:35
黒田と北海道がどうかしたかね?

165 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:26:13
黒田が酒に酔って妻を斬殺したという噂は全く事実無根だよ。
当時の関係者の証言を集めると妻の主治医らが病死と診断しているにも関わらず黒田の評判を下げる為に故意にデマを流された形跡がある。

大久保が汚職で肥え太っているという噂が立って暗殺された程の時代だから根も葉も無い噂の出所はハッキリしないが、
状況からは薩摩閥の弱体化を狙った勢力の仕業にも見える。

166 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:32:09
北海道は薩摩閥の植民地と形容される程薩摩出身の官吏が赴任していた時期があったが、それは伊藤博文が内務卿になってからの傾向。
ロシアの南下に備える為に薩摩閥の武力を必要とするという体裁で東京から左遷されたと見るのが妥当。

黒田の妻の死にまつわる噂といい、大久保の死後薩摩から主導権を奪った長州閥の意図が匂う。

167 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:39:11
長州が諸悪の根源だったのかw

168 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:54:23
例の法則は太陽系最強の生物と名高い薩摩武士さえも毒牙にかける。

169 :日本@名無史さん:2007/01/26(金) 16:13:03
 改心しないで、肉食で身が穢れている者は助からないのだ。天国でなくて地獄行きだ。
 出口王仁三郎 続・瑞能神歌(予言)
シベリア狐は死にたれど(ソ連崩壊) 醜の曲霊は種々に  妖雲呼んで東天は 北から攻め入る非道さよ
オホーツク海や千島船 樺太島を揺さぶりて  雪割草の間より 暗雲低く仇鳥の
舞い下り上る恐ろしさ  北海道から三陸へ 雪崩の如く押しよする
ここを先どと連合の 戦の場や神の国  華のお江戸は原爆や 水爆の音草もなき
一茫千里大利根の 月の光も哀れぞかし  残るは三千五百万 星条旗の旗の下
どっと攻め入るアメリカの 沖縄沿いや人のなく  非義非道の場所狭く 八百曲津見神八岐大蛇
哀れ崩るや日の本の 血汐に赤き統一も  アメリカの殺戮も ここに終わりて神の子は
再び原始に帰るぞかし
大江の幽山に立籠めし 醜の邪霊の重なりて  今は九尾の本姿 世界隅々またがりて
組んずほぐれつのたうつる 姿は哀れ曲津神  八百曲津見神八岐大蛇 その行くさまの凄まじき
物質界の曲津神 狂人の如く振舞いて  世は様々の相克ぞ
世の大本も散り失せて 月の輪台の影あわれ  お蔭信心なしいたる 信徒は今は離れ去り
真実の三千五百人 残る教の幕開きは  この時からと高熊の 山の五十鈴や清水台
国常立の大神の 岩戸開きはこの時ぞ  固き巖に手をかけて 振うて落す地獄道
ノアとナオとの火水霊 現れ出でて揺さ振れば  一天にわかに掻き曇り 矢を射る如く流星の
地球に向いて落ち来る 大地一度に震動し  吼へば地軸の回転も 止るばかりの大音響
物質浄土は忽ちに 地獄餓鬼道修羅と化す  山は崩れて原野裂け 人は哀れに呑み込まる
身の毛のよだつ凄まじさ 今明かに書き置くぞ  三段いよいよ開く時 三千余年の昔より
国の御祖の選まれし 中略  神代ながらの祭政一致 開き始めて日の本の 中略
ここに従ふ三五の 人の心ぞ尊とけれ  宇宙を拝し宣りませば 世界は輝きおのころの
東天に向い伏し拝む 地上天国この秋ぞ  


170 :日本@名無史さん :2007/01/27(土) 22:25:03
長州って陰謀だらけで、いつも責任なすりつける相手探してるんだよな。
真実をねじ曲げてまで・・・。

171 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 23:14:38
大久保の気高さと公正な治世を心から尊敬して見習おうとしていた伊藤は、
自分が内務卿になったからといって長州閥をエコ贔屓する気はなかっただろう。

ただ山縣や井上らが利権を貪る為に薩摩閥の足を引っ張る悪企みに奔走するのを抑えるだけの力量が無かっただけで。

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