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南北朝時代に有名で、戦国時代は落ちぶれてた家系

1 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 04:12:36
南北朝時代にはブイブイ言わせてたのに、戦国時代ではひっそりとしか生き延びられなかった武家などを語ろう。

2 :長谷部タイ子:2006/08/20(日) 04:15:33
導尿カテーテル2げと

3 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 05:41:30
とりあえず、足利一門の2流組はどうなったんだ?
仁木、石橋、石塔、吉良、桃井、渋川あたり。

4 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 08:50:45
>3
ちゅーかそのへんは足利一門の一流どころでは?
二流どころの細川、畠山は役目(管領)を与えられて
影響力を行使したけど、一流どころはこれらの役目に
就くこともなく(江戸時代でいうなら御三家が大老・老中などに就かない
のと同じ意味)目立つことも無く将軍家と共に衰微していったと。

斯波家は一流中の一流で、最初は「そんなもん家来筋が就くべき職だろうが」と
嫌々管領に就任したが、結果的には歴史上メジャーな存在になれたと。

5 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 11:42:55
南朝勢では?
菊池、北畠、楠木、新田、結城、小田、名和

戦国になってから熱くなったのは伊達くらいか

6 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 16:42:53
関東八屋形(千葉・小山・結城・宇都宮・佐竹・小田・長沼・那須・・・だったかな?)。

鎌倉以来の名門も、戦国期は弱小勢力に転落(佐竹を除く)。

7 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 17:50:56
>4
そうだねぇ。もしも将軍家が断絶するようなことがあれば
どこが将軍家を継承するかクローズアップされることに
なったんだろうけどねぇ。

足利家は繁殖力旺盛(後継ぎ以外は僧籍に入れるほど余裕!!)で
結局これらの家の出番無しに足利幕府滅亡。

3代で断絶した鎌倉将軍家やたびたび断絶して御三家・御三卿が
注目された徳川将軍家と大違い。

8 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 19:34:12
>>5>>6
とりあえず、基準はゲームに登場しないか、登場しても速攻で滅ぼされるor気づかない勢力かな。

宇都宮、北畠は半国以上の勢力はあるから失格。
那須は昔から勢力が変わらない。ただ、上下那須氏こそ統一したものの上那須氏の配下は独立的に。

小田、千葉は確かにかなりしょぼくなった。それでも無名ではない。
小山・結城連合は小山氏の乱と結城合戦で消耗しすぎた。
長沼氏はこのスレにふさわしいな。一時期落ちぶれたので、会津移住や皆川氏との関係が不鮮明になってしまっている。
菊池は確かに九州戦国史に詳しくないと知らないほど埋没してる。
名和も肥後史に詳しくないとな。故地に残った一族は居なかったのか??
新田本宗家は死亡したけど、岩松はそこそこ著名。
楠どこに行ったんだろ?一族は細川、畠山の被官になっていたとしても不思議ではないが。

9 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 20:30:25
長禄の変以降の赤松はどうなった?

10 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 20:47:02
播磨で復権したよ。
西播磨で一族、国人を糾合して浦上氏などと戦っていた。
宮本武蔵の生家の田原氏も赤松一族だった希ガス。

11 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 21:02:40
足利兄弟の家臣に和田なんとかってのがいたから、
楠はその配下にでもなってたんでは


12 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 21:05:11
あ、違う。楠正虎がいたじゃないか。松永久秀の祐筆だったな

13 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 21:39:58
正虎の親父は誰なんだよ。

14 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 21:52:35
>9
有馬記念って知ってる?


15 :日本@名無史さん:2006/08/20(日) 22:18:04
>>13
正成─正儀─正秀─正盛─大饗盛信─盛宗─盛秀─長成─成隆─楠正虎

ということらしい

16 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 04:13:00
由比正雪の師匠の楠木不伝こと楠木正辰(楠正辰)は?

17 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 07:28:22
その辺のゴミ捨て場から涌いて出たんだよ

18 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 12:59:42
菊池一族だろ!南北朝時代に一時は九州をほぼ制圧したのに戦国じゃすぐに滅びる(;´Д`)

19 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 15:59:41
おらが先祖の忽那氏はどうでしょうか
南北朝時代初期が最盛期で主に瀬戸内西部と伊予に影響力をもっていたらしいのですけど
建武前後は信濃あたりまで転戦したり
でも一族が尊氏の九州落ち→京都へのハッピーリターンに船を出したり
かと言えば懐良親王を匿って九州まで届けたり
いつのまにか凋落して戦国期には河野一族にあごで使われてたり
それなのに大正時代には南北朝時代の功績で叙勲されたり

・・・ええ、ドマナイナーな家系なのは承知しております

20 :日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:21:11
山梨じゃなくて、安芸(広島)の武田氏は?

21 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 23:41:18
若き元就が一戦してあっさり滅ぼすまではそれなりの力を持ってたんじゃない?
それより少弐氏だよ

22 :日本@名無史さん:2006/09/02(土) 02:44:50
少弐氏は、九州探題時代の今川了俊による暗殺事件以降衰退。
混乱する北部九州の一勢力としてのみ存続。

23 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 15:15:36
信長にあっという間に支配された伊勢北畠氏は、あの北畠氏だよね?
なんであそこまで弱体化してるの?
あと伊勢には伊勢氏が権勢を誇ってたはずなのに、どこへいったの?

24 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 00:21:18
九州・中国でぶいぶいいわせてた足利直冬の行方は

25 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 00:41:42
足利幕府は、守護を幕府のある京都に集める政策をとったため、
足利に近い、幕府で主要な役割を果した家が、
領国を守護代や国人に乗っ取られる傾向がありました。

伊勢氏は京都勤めが長すぎたのでしょう。
ちなみに後北条氏の北条早雲は、元の名を伊勢新九郎といいました。

足利直冬の行方は不明です。
勢力が衰えると、いつの間にか歴史から消えてしまいました。

26 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 01:07:29
楠木、名和なんかは鎌倉時代も無名だけど北畠、新田といったところは程度の差はあれ名門だな

27 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 15:25:32
でも伊勢の北畠は結構信長苦しめなかったっけ?
篭城戦で城の中に水が無いのを悟られないために馬の体を
米で洗って偵察に来た兵士の目を欺いたのは有名な話
北畠具教が相当やり手でかの信長でさえも苦しめたとか
やっぱ落ちぶれたとはいっても名家であるだけのことはある

28 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 23:52:21
最終的に信長の馬鹿息子に姓を奪われたな。

29 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:17:08
今の天皇は南朝の天皇を殺して三種の神器を奪った北朝の子孫

30 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 22:20:51
>>29
は孝明天皇で絶えて南朝後胤の大室寅之祐が明治天皇になった


というのが2ちゃんの意見

31 :日本@名無史さん:2006/09/22(金) 23:11:50
別に殺して奪ったわけではないだろ。
騙して奪ったんだろ。

32 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 23:09:00
>>3
そのなかで戦国期には完全に消えているのは石塔と桃井だな。
どっちも筋金入りの直義派だったから、観応の擾乱が決着したあとは衰退する
一方だったということか。

>>23
室町幕府の政所執事の伊勢氏って、鎌倉時代以来の足利氏の根本被官の
家だったと思うが、この伊勢氏が伊勢で権勢を誇っていたことなんてあったのか?

33 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 23:21:32
吉良は天下を取れる大名だった。

34 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 18:29:25
吉良も観応の擾乱前後の立ち回りがまずかったね。

35 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 18:32:19
安保

36 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 04:35:21
>>35
鎌倉御家人にいたね。

37 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 08:22:12
>>20-21
安芸武田の遺児が安国寺恵瓊で
小早川隆景の側近、毛利家の使僧として秀吉と毛利に20万石も貰ってた。
皮肉にも安芸武田が滅ぼされた後に全盛期が来たといえるかもしれない。

>>23
北畠はちっとも弱体化してなかった。伊勢一国を抑える大きな勢力だった。
それが信長にあっさりと滅ぼされたのは
信長の優秀さと彼が抑えていた尾張・美濃の強国ぶりゆえ。
全国でも五指に入る豊かな二国だし、この時点で信長は並の国なら四、五カ国を持つ大名にも等しかった。
伊勢を抑えている北畠といえど太刀打ちできる相手ではない。

>>30
大室寅之祐の簒奪は確定事項ではない。

>>33
そうそう今川や家康を倒すチャンスもあった。

38 :日本@名無史さん:2006/11/01(水) 08:29:11
>>37
恵瓊が20万石?
伊予6万石だろ?
他にも収入はあったらしいが。

39 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 00:48:00
戦国期の吉良は今川によって飼われているだけの存在。
今川が衰退したあとは飼い主が徳川に変わっただけでやはり飼われているだけの存在。

40 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 01:12:16
安国寺エケーが安芸武田の裔ってのはよく聞くが、どうつながるの?
元就にあぼんされた武田元繁の子孫?

41 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 02:57:44
武蔵.入間郡の武井

42 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 03:01:21
それよりも金地院崇伝が一色氏とどう繋がるのか知りたい。

43 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 04:05:36
>>40
これね
http://www.ttec.co.jp/~fudouin/ekei/e-kakei.html

44 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 19:17:03
>>43
安芸武田・若狭武田の系統って、室町のなかばくらいから通字が「信」から「元」に変わるんだね。

45 :日本@名無史さん:2006/11/02(木) 21:49:31
畠山高国


46 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 00:05:07
>>45
誰それ?
細川高国なら知ってるけど。

47 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 06:41:45
畠山高国・国氏親子は奥州探題をしていましたが、「観応の擾乱」で直義派の
吉良貞家に滅ぼされました。戦国期に伊達政宗に殺された畠山義継は子孫ですね。

48 :日本@名無史さん:2006/11/03(金) 10:43:54
その段階では「奥州探題」じゃなくて「奥州管領」では?

49 :45:2006/11/03(金) 11:24:15
二本松畠山は戦国時代でも一城の主だったのだから、スレタイの落ちぶれていた家系
に該当するかは微妙だけれども。

ところで畠山系図を見るといつも感じるのだけど、高国の系図上の位置に違和感が在るのだよね。
国清・義深兄弟と比較すると、時国と高国の間に一人・二人抜けている気がする。


50 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 10:34:47
九州探題もこの段階では鎮西管領というのが正解だよね。

51 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 15:18:53
松浦の波多と大和国高市郡波多郷の波多は何か関係が有るの? 

52 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 22:52:42
>>49
でも、畠山スレッドの凋落ぶりと、
管領家の一族のくせに・・・ということを考えると、やっぱさびしい状態だわな、二本松。
周囲の勢力からは一段格上に見られてて、だから滅ぼされずにあそこまで生き残れた、
という話もあるけど。
世田谷の吉良氏(足利氏)みたいだね。


>>51
俗に「波多」「波多野」「畑野」「秦野」といったあたりはイコール「秦氏」だと言われてるね。


53 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 15:14:28
>>1
天皇家。

54 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 04:41:58
奥州と九州に多そうなイメージ。
少弐とか渋川とか菊池とか浪岡とか高水寺とか二本松とか塩松とか。

55 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 05:54:11
>53
確かに南北朝時代は有名で戦国時代はぱっとしませんな。

56 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 12:48:42
野望チャンス

57 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 16:37:48
>>55
大覚寺統限定ならね。

58 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 22:37:57
北畠は国司といっても実際の勢力範囲は伊勢半国にすぎない。
したがって尾張美濃の織田信長の敵ではなかったということでOK?

59 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:33:06
北畠の実質的な勢力範囲は一志郡と飯高郡の2郡だけです。
それより南の飯野・多気・度会の3郡は、郡全体が伊勢神宮領だったはず。

60 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:01:18
>>58>>59
半国でも2郡だけでも大したものジャマイカ。
信長もあの手この手使っているし敵でなかったなんてことはないよ。
曲がりなりにも戦国時代後半まで生き残ったわけだし。

61 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 05:10:02
>>60
むしろ室町段階では2郡だが(しかも義教のときの北畠満雅の乱では、その
2郡さえ存亡の危機だったわけだが)、戦国期になって勢力を拡大したんじゃ
ない?
戦国期には南の伊勢神宮領だった地域(いわゆる神三郡)や、守護勢力が
いなくなった北部へも自らの勢力を浸透させている。

62 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 23:26:23
阿野家

63 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 00:05:08
厚東

64 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 00:16:01
南北朝の大悪党、赤松。
でも戦国では落ちぶれる、それで大名辞めました。

65 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 04:12:31
辞めましたというより、辞めざるをえなかったというか‥‥

66 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 07:51:04
分家の有馬氏は大名身分のまま明治維新を迎えるけどね。

67 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 16:51:13
>44
それ、通字っていうより、
細川京兆家を烏帽子親にしたとかそういう方向だったような。
勝元・政元らの「元」が降りてきてるだけだよ。

68 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 15:25:23
最初から落ちぶれているより高い所から落ちてきた方がなんか悲しいな。

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