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何で陸奥と出羽はあんなに広いの?

1 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 22:23:47
初めて地図を見たときあまりの広さに笑ってしまったw
やはり中央政府にとってどうでもいい土地だから?

2 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 22:27:33
半ば渡来人の流刑地みたいな寒村(サムソン)
朝鮮人しかいきたがりません。


3 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 23:37:55


4 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 23:44:38
ほんとどうでも良かったに違いない作物は育たない。
死ぬほど寒い。


5 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 00:10:59
>>1
中学生?

6 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 00:21:44
>>1
もともと「ここより向こうは○○。先は知らない」って感じだったのよ。
それがのちに
「○○はここまでにしよう。その先は●●と呼ぼう」
「○○を二つに分けることにします。都に近いほうを上○、遠いほうを下○」

そんな風にやってたら、律令制な時代が終わっちゃってただけ。
大和朝廷が3倍強かったら(笑)、蝦夷島とかでも上日高、下日高とかできてたかもね。

間に合った例・・・高志(越)→大きくなりすぎたから、先のほうは出羽と呼ぼう。んで越は分割しよう!
           →越前、越中、越後→越前(から加賀と能登分割)、越中、越後(から佐渡分割)

間に合わなかった例・・・出羽


だから考えようによっては>>1は合ってるが、
「蝦夷在地勢力は強かった。大和朝廷弱すぎダサっ」とも言える。

7 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:15:12
実際は10倍弱い大和朝廷

日本最弱兵
大和山城

8 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 13:00:32
>>6
出羽も羽前・羽後に分けられた、明治に入ってからだが
陸奥も5個くらいに分かれた
蝦夷勢力が衰えたから

9 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 13:47:09
佐竹羽前守
伊達陸中守

10 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 14:38:50
まだ蝦夷勢力が強く、細かく当地区域を分割できるほどの力が
朝廷になかったってことだね。自治区みたいなもの。

11 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 15:01:01
>>1は今の都道府県も明治の頃から不変と思っているに違いない

12 :日本@名無史さん:2006/05/14(日) 15:01:12
平安朝は、結局北東北を直接「支配」できなかったてことね。

13 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 14:10:25
ほな、なんで、その後、国境に誰も手をつけんかったんや?
鎌倉〜室町〜江戸になると出羽・陸奥がでかすぎることくらいわかっとったやろ


14 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 14:31:24
>>13
室町くらいまでは人口や生産力の点ででかすぎるというほどではないから。
江戸時代には国境自体が有名無実化していたから。

15 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 21:16:10
よく言うじゃないですか、白河以北、一山なんぼってね

16 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 21:23:41
>>13
確かに武家の世になって、諸国の再編をしていないね。

17 :日本@名無史さん:2006/05/31(水) 22:29:03
秀吉に臣属するまで伊達は最大で何万石までいったの?
福島だけでも、かなりの石高だよね?

18 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 14:42:45
150万くらいじゃね?

19 :日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:26:29
そんなにないだろう

20 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:26:31
日本の最高気温は山形だよ!               ついでに北回り船!

            みんなわかって東北のアホ言ってるのか?

21 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:58:00
>>1 今の北海道と同じで稲作に適していなかったからだろう。江戸時代まで
地方の豊かさを石高で表現していたように。




22 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 21:58:34
福島と岩手は、県の真ん中に山あるから、たいした石だかじゃない


23 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 23:02:40
前に、岩手の岩泉に行ったんだけど、盛岡から岩泉町まで、
かなり時間かかったな。信じられないくらいグネグネの山道が続く。
トンネル工事してたみたいだけど、今は開通したのかな?
今の時代でアレだから昔なら、とんでもない時間かかったと思う。


24 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:26:27
>>21
明治の頃でも、まだ米の品種改良も進んでないし、
あまり裕福ではなかっただろうけど、
江戸期には北回り船が有名なように、
そのたいした石高のない東北は、明治には6県になる位経済力があった。
これは歴史の盲点だよ!三内丸山も最初は誰も信じてくれなかったよね。

25 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:55:27
岩手は四国ほどの面積があるし、福島も2県分位のサイズがある。

 東北、北海道はまだ開発の余地が十分あるな。仙台あたりへ首都移転
すればいいと思う。いや、雪が多すぎて無理か。




26 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 01:40:51
首都なんて九州にでも暮れてやれ

27 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:13:55
>>25
仙台は雪が少ないよ
東北では

28 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:25:01
なんでアジアってあんなに広いの?
初めて世界地図を見たときあまりの広さに笑ってしまったw
やはりヨーロッパにとってどうでもいい土地だから?

>>1はこんなレベル

29 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 13:35:09
>>26 首都が九州では日本が東南アジアの国と思われるだろう。北国の方が
先進国らしくていい。いっそ北海道にもっていけばいいのでは?



30 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 16:16:41
福島ってさ、高速でもいわきから会津まで一時間以上かかんのな


31 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 16:17:50
東京も高速では1時間以上かかるw

32 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 20:59:16
>>24
県が6つあるっていっても、
ひとつの県の面積が西日本の3,4県分に相当する。

薩長政府への反動から東北はもとは
豊かだったと思いたがる気持ちも分かるけど、
戦後に耐寒品種が開発されるまでは、
東北は紛れもなく不毛の大地だったんだってば。

33 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:03:59
>>32    君世間をしらなすぎだってば    なんで北回り船はあるの?    大阪で昆布は大人気なの?

34 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:25:31
>>33
単に、京や大坂の人間にとって
珍しい物が手に入るからだよ。

35 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 23:31:13
日本海側は平野も多いし、海路で言えば京都と近いし
物産的にも文化的にも豊かだっただろ
陸奥国はフォローできないが

36 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 23:51:03
>>34 君は珍しいだしでうどん食ってるんだね? 近間のかつおで食えよ、珍しい昆布で食わないで。

37 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 08:18:03
反論になってない 藁

38 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 16:29:41
出羽秋田は安東氏佐竹氏の二代で結構豊かになってたはず
物質的にも文化的にも
山形の方は小大名を乱立したから格差が出たね

南部は不毛の土地が多いわ、殿様はろくなモンは出ないわで
慢性的に一揆が起こってる

でも、一揆をする体力すらない、薩摩よりはマシかも知れん
薩摩よりヒドイ国は江戸時代の日本には早々無いだろう
武士階級の摂取で農民の犠牲の上に成り立ってるという意味では薩摩と会津は似たもの同士
その後、市民平等・教育勅語で武士層が農民層に「我々の藩は素晴らしかった」と教え込むのもソックリ

39 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 20:35:23
>>38 
その「はず」とか「知れん 」とか「ソックリ 」とか、
うんちく述べたいだけですか?なにが言いたいの?

>>37 馬鹿かこいつ 珍しいの意味が解らないらしい ここに来るな!

40 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 20:49:21
>1
俺も同じ質問をしたんだけど、反乱が起こったとき国を小さく分けていたら
軍を機動的に動かせないから大きく分けたと聞いたよ。

41 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 15:36:43
>>1 都の奴らは馬鹿だから、遠くほど大雑把になるからね。
   実際江戸時代の辺境の大名は、石高ちょろまかしてるよね、
   役人も行きたくないから、これでおさまるわけ、
   奥州藤原氏とか結構古くから力あるじゃん、三内丸山とか・・・
   経済力はあったけど、ちょろまかしてたに決まってるのよ。

42 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 15:58:25
ちょろは死ぬ運命なのだ

43 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 17:44:35
>>37 プスレのぷは馬鹿だな!珍しいの意味解らんらしい。

44 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 22:29:19
戊辰戦争で奥州諸藩のほとんどが会津に組する一方、
全般的に貧しい奥州の中で珍しく豊かだった秋田と津軽が
新政府側についたのは偶然ではないだろうね。

北前船交易で財をなした豪商をはじめとしたブルジョワ層の登場により、
徳川の権力体制にぶら下がる武士階級の地位が相対的に低下し、
近代市民革命の前提が整えられていた。

そう考えると、なぜ薩摩が長州に組して倒幕派に回ったのかが謎だ。
薩摩は会津をはじめとした多くの奥州諸藩と同じように、
守旧派に回るべきタイプの藩だったのだが
(倒幕後の国造りの段階ではさすがに地が出て、
大久保あたりの離反で下野を余儀なくされたが)。

45 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 22:38:44
>君世間をしらなすぎだってば    なんで北回り船はあるの?    なんで大阪で昆布は大人気なの?


46 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 22:43:56
>>44

東北で豊かだったのは、間違いなく仙台藩。ついで会津藩。
両方とも、官軍側についていますが。

ついでに言うと、秋田はともかく、津軽はかなり貧乏。
「弘前藩」という本によると、非常に多くの防犯の法令が出されている。
それだけ、当時から組織的な犯罪が多かった藩。

47 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 22:56:02
>>46
ん〜、それはあくまで武士の暮らし限定の話でしょ。
彼らは、激高の年貢率と米の投機を利用して、
庶民の暮らしを犠牲にして豊かな生活を満喫していた。

秋田と違って米も取れなきゃ産業も無い、
トドメに天保飢饉の荒廃が後を引いてたんだから、
仙台や会津も全体としてはかなり貧しい藩であったことは間違いない。

48 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 23:12:02
>>16
だって国境を決めるのは朝廷の専権事項だから。
武士にはそんな権限無かったもん。

49 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 23:34:04
>>47 仙台は穀倉地帯。米は沢山取れるぞ。

50 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 02:07:11
津軽と南部はロシアに対する防衛の軍役を負わされただけでなく
途中で家格が上がってるので負担が大きくなった
開墾の成果が皮肉にも自分の首を絞めてる
佐竹みたいに初期の段階で開墾や産業を広めておけば……といった感じ
土着だから難しかったって面もあるだろう
佐竹は秋田転封を機に、家中の近世化を行ってる

久保田藩は江戸も中頃に上杉や細川、真田と並ぶ佐竹義和や、
その父曙山などは書画人として平賀源内に絶賛され、菅江真澄が骨を埋め
幕末では安藤昌益や平田篤胤(は秋田じゃ目が出なかったけど)を輩出してる辺り
その土地の殿様の色って結構大事なんじゃないかと思うよ

51 :日本@名無史さん :2006/07/06(木) 02:07:13
>>48
それは建前だろう。足利義満が太上天皇になろうとしたんだよ。



52 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 13:27:32
>>50

いつも思うが、家格があがったからといって何が財政的に負担になるのだろう。

藩が江戸幕府に年貢を収めるわけでもないだろうに。

家格が上がると、藩同士の付き合いとか、幕府や朝廷内の儀式で
金がかかるということ? これが藩財政に対して、そんなに負担に
なるもんなのかな?

家格が上がったことで、「財政の負担が増えた」といって藩を罵倒する
奴がかなり多いからさ。

まあ、軍役が負担になったのはわかるが、これは国防上仕方が無いから
藩の責任じゃないしね。

軍役以外で、何か、経済的負担ってあったの?

53 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:31:15
>>52
幕府の普請に始まって参勤交代時の人数やら
江戸藩邸の暮らしぶりまで細かく定められてます。
別にどうしても守らなきゃいけないのものでもないけど
家格に似合わない質素な生活だとバカにされるので
体面を気にすると出費がかさむ

54 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:34:08
家格が二倍になれば軍役も二倍
その他、幕府からの要請や譜役も二倍
アンタも言ってるが、藩同士の付き合いや儀式も倍ドン
当然参勤交代でも家格なりの大名行列を行わなきゃならんので倍ドンで御座います
南部藩の場合、表高10万石で裏高が28万石だったので実質18万石の余裕があったのが
表高20万石じゃ、8万石の余裕しかねーよ

55 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 22:11:05
>>51
なろうとしたけど、なれなかった。で、終了。

56 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 22:15:22
まああんだけ一休さんにコケにされたらね。
恥ずかしくって表に出られんだろ。

57 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 04:36:50
>52-54
参勤交代では例えば土佐の山内と、加賀の前田は定数の上では同じだが、定数外の
陪臣などの数がどうしても加賀の方が多くなるので総数は加賀の方が5割から倍以上に
なってしまうという落とし穴があるね。
>49
仙台で米が多く取れるようになったのは昭和以降。品種改良がすすんでからだよ。


58 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 05:03:29
石高でいえば伊達は100万石あるし(裏石高)、東北はそれなりに
米どころだよ。江戸時代も。

59 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 06:08:43
仙台藩の特産はササニシキでも、ヒトメボレでもありません。

60 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 10:22:43
赤城山が噴火して地球規模で気温が下がり飢饉が頻発する前までは
津軽から白河まで米を大量生産し人口は爆発的に増えていったのよね

61 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 11:24:01










PUの自作自演です。




62 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 13:27:57
今も本州の1/3もある北海道がデンと
一つの地区なのと同じだろう。

63 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 14:05:35
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/161-166











東広島が一番広いわwww

64 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 18:01:17
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/161-166











東広島が一番広いわwww


65 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 23:39:45
江戸時代の豊かさ

全国平均>秋田>>仙台≧津軽>>会津≧現在の山形らへん>>>南部

66 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 10:05:12
こやつは酒田の本間様と山形の紅花を知らんのかえ?

67 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 23:26:13
古代の話のはずが、近世のお国自慢に・・・
まあ、最も、スレ建てた「1」がしょっぱなで答え出しちゃったもんな(爆)。
あ、僕は後三年の役のあった辺りに住んでます。

68 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 18:33:25
山形は小大名乱立してるから、山形という括りだと秋田仙台に下るだろう

秋田>>仙台≧現在の山形らへん>>>会津≧津軽>南部


武士階級のみだと
仙台=会津>>秋田・山形ら辺≧津軽>>南部

69 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 19:31:50
いいかげん鈴香県民のオナニーランクうざいんだけど

70 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 21:51:24
戊辰の怨みで秋田にネチネチ嫌がらせを続ける東北人

71 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 21:57:32
http://akiba.geocities.jp/ishindenchi333/
天皇陛下を馬鹿にする小学生

72 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 23:26:19
三春藩も今だ嫌いな人もいるらしいし>東北人

思ったけど、いつもワースト争いをする津軽と南部は土着の大名だな
だから内政が上手くいかなかったのかもな


73 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 21:58:37
age

74 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 22:11:56
で、結局、なんであんなに広いの?一言で言えば、どうなるんだよ。

75 :通りすがり:2006/07/22(土) 22:27:40
蝦夷・・・が支配してたからではないんでしょうか。飛鳥の
終盤になって初めて蝦夷が支配していた区域から土地奪うま
では日本にカウントすらされてなかったかと。
ぶっちゃけ、どこまで土地あるかも知らなかっただろうし、
区域分けするの面倒だったんじゃないでしょうか。(適当ですが

76 :日本@名無史さん :2006/07/22(土) 22:43:29
征夷大将軍の田村麻呂が拠点築いたのが現在の福島で、それ以北は鎌倉ぐら
いまでに徐々に開拓されていったんじゃないの?ただ、土着の蝦夷に対する
差別的な見解はいらないと思うよ。古くに列島に来た普通の日本人なら少な
からず血が混じってるはずだから。


77 :日本@名無史さん :2006/07/22(土) 22:47:04
中世以降に大陸から渡って来た中国人や朝鮮人は違うかもしれないね。

78 :日本@名無史さん:2006/07/22(土) 23:02:41
アイヌこそが純粋な日本人なんだよ

79 :通りすがり:2006/07/22(土) 23:22:09
坂上田村麻呂・・・ですか?彼が築いたのは岩手の胆沢城だったかと。
蝦夷の件においては差別的な観も否めませんが、そのことを気にする
ほうがむしろどうかと思いましたので。
不快な思いをされた方がいたなら謝ります。

80 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 00:39:09
>>74
>>28

81 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 02:27:55
違うな。
陸奥・出羽は「中央政府が決めた」行政区画。今の6県の様にもっと分割していいと思うのに何で?と言うこと。
ヨーロッパは別にアジアの政府じゃない。第一、東北より非東北の方がずっと広い。
「関係が余り深くないから大雑把に分けた」という点では似てるかも知れないが
>>28より>>1のほうがレベル上。

82 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 02:37:30
「関係が余り深くないから大雑把に分けた」
なので今の6県の様にもっと分割していいと思ったが、別にしなくてもいいやと思った
ヨーロッパは別にアジアの政府じゃないが、アジアの名前を付けたのはヨーロッパで、アジアが浸透してるのは事実

83 :日本@名無史さん :2006/07/23(日) 08:04:17
日本人を中国人や朝鮮人、モンゴル人と区別できる要素があるとすれば、
列島に卑弥呼以前からいたいわゆる蝦夷の血が入ってるか否かだけだと
思う。そういう混血民俗が日本独特の文化を生んだ。極々最近列島の西
方面に渡ってきたようなのは純粋な中国人か朝鮮人。文化も気質も違う。

84 :日本@名無史さん :2006/07/23(日) 08:21:15
要するに、もののけ姫が混血でアシタカは純粋蝦夷なわけだな、多分。漫画だけ
ど実際にあんな感じだったんだろうよ。

85 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 09:10:35
「何で陸奥と出羽はあんなに広いの」?

日本にとって、どうでもいいような地方だったからでしょ!



86 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 09:52:14
最後の植民地だからね。北海道や満州国なんてもっと広いだろ?

87 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 09:54:07
日本にとってどうでもいいような奴に言われたくないだろうな。ズーズの人

88 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 10:43:38
そもそも中央政府の統治が満足に及んでいない地域を中央政府が
細かく分割しても無意味でしょう。それだけのことではないでしょうか。

89 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 12:00:50
ああ、多分それが本質だね。88でやっと出たね(笑)。
残りの900何話す?

90 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 14:59:05
>>89
近世における開明的な秋田と暗黒時代のその他奥州との対比について

91 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 15:54:22
5県を相手にするのは分が悪そうだな。戊辰戦争でも山形に負けたし・・・

92 :日本@名無史さん:2006/07/23(日) 16:16:00
勝ち組に付いたのに蜜がほとんど無かったからな

93 :日本@名無史さん:2006/07/26(水) 21:44:25
世羅を殺して糞壺に浸けた仙台藩からの使者を、
12人も惨殺してやった秋田藩は天晴れであった。

94 :日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:31:44
age

95 :日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:37:10
平安時代、陸奥には安倍氏、出羽には清原氏が勢力を振るっていたからあんなに領土が広いんだよ。

96 :日本@名無史さん:2006/08/15(火) 13:38:02
平安時代の奥州はまだ熊襲のかっぽする文化程度の極めて低い未開の地だろ。

97 :日本@名無史さん:2006/08/15(火) 13:43:37
>>96 たとえ同じ人種だとしても、奥州の先住民は熊襲とは言いませんよ、プラムさん。

98 :日本@名無史さん:2006/08/15(火) 13:48:14
昔、そんなこと言った大会社の社長だか会長がいたな・・・
「熊襲」でなく「蝦夷」!それに平安時代は「俘囚」に昇格だ!

99 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 22:16:08
腐臭ってBの祖先なの?
随分配流されてるねw

100 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 23:34:44
岐阜県高山市は東京都よりも広い

101 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 22:48:30
昔:何で陸奥と出羽はあんなに広いの?

今:何で北海道はあんなに広いの?

102 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:11:34
タイガとツンドラしかないところを
細かく区分けしても仕方がない。

103 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 22:12:42
出羽もなくてもよかったのでは。陸奥だけで。
石城・石背が廃されて、出羽が残ったのはなぜなの。


104 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 15:59:58
蝦夷の隠れ家には最適だった出羽

105 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 16:44:09
単発質問です。
出羽⇒羽前,羽後
陸奥⇒陸前,陸中,陸奥
って書いてある本もあるんですけど、これはどういうことなんですか?
さっぱりわかりません。

106 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:31:21
明治になってそうなったということ

107 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:50:41
陸後がないのはなぜ?

108 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:55:36
>>105
昔は地名を「○○国××」と言ってた。
○○のところには旧国名が入るけど、××のところには色んな規模の地名が入る。
それこそ、郡の名前が入ることもあれば、いきなり集落名が入ることもある。

で、行政上の問題もあるだろうから、明治初期に出羽・陸奥を分割したんだと思う。

ちなみに、北海道にも旧国名は設定されてたよ。

109 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:57:50
>>107
陸奥で代用できるからでしょ。
京都からみれば、奥も後もたいして違わないと思う。

110 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 18:15:29
青森県の駅は「陸奥○○」
岩手県の駅は「岩手○○」

ついでに群馬県の駅に「上野○○」がないのはなぜ?

>>110
上野○○だったら上野広小路や上野御徒町も群馬県にあると誤解されるから?
                 ↓
        つまり「上野(うえの)」と紛らわしいから
だから群馬○○とあらわす たとえば群馬藤岡

111 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:07:01
>>110
北海道の駅は「蝦夷○○」?

112 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:49:57
>>110
必ずしもそうって訳でも無い
岩手でも陸中〜や陸前〜ってつく駅はちゃんと有る
個人的には盛岡の影響の強いところは岩手〜
離れていくと陸中〜や陸前〜になるって感じだけど

実際のところはなんとなくインスピレーションなんじゃないの?

113 :桜井よしこ:2006/10/28(土) 22:29:07
出羽また〜

114 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:26:09
>>110
「上州○○」というパターンもある。

>>112
「岩手○○」というパターンは基本的には旧岩手郡域限定ってことなんじゃないの?
>>110がいってる「群馬○○」というのも基本的には旧群馬郡域と見てよいだろう。
もっとも旧郡に対する意識が希薄になった近年の新設駅とかではその限りではないかも知れないが。

115 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:29:57
戦前期くらいなら、重複駅名を避ける場合のネーミングは、原則的にまずは
旧国名を被せるが、旧国名もまずい場合は旧郡名を被せるというのがデフォ。

116 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 22:59:37
で、北海道は「蝦夷地○×駅」?

117 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 23:42:38
>>116
明治初期に定められた国名を使っているケースは多いと思うが。

118 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 00:44:31
>>114
>旧岩手郡域限定ってことなんじゃないの?
でもない、明らかに岩手郡と関係ない地域でも岩手〜って駅は有る。

119 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 18:27:47
>>118
戦前からある駅ですか?

120 :日本@名無史さん:2006/10/30(月) 19:15:00
>>119
戦前から既に有る
つうかちょっと調べたら岩手郡じゃない地域の方が割りと有ったな
岩手〜とか付いてるのは

121 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 05:48:39
岩手郡って、会津郡なんかと同じような背景があるんじゃない?

122 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 10:07:33
無いよ

123 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 01:24:43
どういう背景?

124 :日本@名無史さん:2006/11/20(月) 15:49:20
>>100
東京都よりは狭い
大阪府より\
     広い
香川県より/


125 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:38:06
>>123
福島県の会津地方は、古代には全部まとめて一つの会津郡だった。
その後、平安時代以降に会津郡から耶麻郡・大沼郡・河沼郡が分立したため、
会津郡の領域は大きく縮小した。
しかし現在でも、単に「会津」とか「会津地方」とか言った場合には、
会津郡域だけでなく耶麻・大沼・河沼の各郡域も含んだ地域を指すのが普通。

126 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:47:19
アラスカがでかいのと同じ理由

127 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:14:11
>>1 北海道が都道府県のうち突出して広いのと同じことだろう。

 古代東北は中央にとっては今の北海道のような土地だったのだ。


128 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 03:32:54
ソ連がでかいのと同じ理由

129 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 07:32:37
武家政権以降の日本の指導者も馬鹿だね〜
内戦だの鎖国だのくだらない事やってないで北方探検やってれば樺太やカムチャツカも日本領になってたのに

130 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 09:04:13
しかし樺太(特に南部)は中世末から近世にかけては実質日本領だったわけだが。
しかしロシア人が北方に出没するようになったため、江戸幕府は19世紀初頭に
間宮海峡に敢えて日清国境の標柱(当時樺太対岸の沿海州は清国領)を建てて
樺太全島が日本領であることを内外に宣言している。

131 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 09:34:56
日本的生活では樺太では生活できなかった…。
アイヌやギリヤークから学ばなければ、冬を越せなかった。

南部でもこのありさま。北部なんか、夏のわずかな時期に探検に行くだけだった。

132 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 10:37:48
>>128
クリミア戦争後の経済難でアラスカ売ってなきゃ今もアラスカはロシア領だからな。
途方もない広さだ。

133 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:02:19
まあ日本が千島を領有しておけば樺太千島交換条約なんて結ばされる必要も無かったわけだしなあ。

134 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:10:54
>>130
外ヶ浜から喜界島までが中世から近世後期までの日本の領域

135 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:36:26
外ヶ浜とか鬼界島ってどこ?

136 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:05:22
外が浜・・・中世において津軽半島の北東側沿岸部を指した言葉。
鬼界が島・・・中世においてトカラ列島付近の島嶼群を指した言葉。

137 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 19:09:29
>>134
中世ならその認識でも良いが、近世においては、
・北海道に根拠地を置く松前藩が幕府から正式に諸侯として認知されていること
・琉球が実質的に薩摩藩の支配下にあってその石高が薩摩藩の石高に加算されていること
の2点からいって、その認識ではまずいだろう。

138 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 12:59:30
>>114
○州○○私鉄に限られる
国鉄は○州○○を嫌った?がなぜか播州赤穂は例外

139 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 13:03:30
陸中とか岩代とか分ける場合もあるけどな

140 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 17:25:51
>>139
それは明治維新後なので板違い。

141 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 19:48:12
>>138 摂州ではないが、摂津本山というのはあるな(神戸市東灘区)。

 東京にも武蔵○○というのを見かける。国鉄が嫌ったのは廃藩置県の影響か。



142 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:06:36
摂津富田もあるお

143 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:25:18
>>134、137
本来の日本の範囲は、分かりやすいように現代風の地名でいえば
南は鹿児島県の種子島・屋久島から北は青森県の大間崎まで。
ちなみに、伊豆諸島は青ヶ島まで、と聞きました。
まあ〜、中世からというより古代からの方が適切では?

144 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 20:57:40
京都の天皇から見た日本の範囲=六十六州
江戸の征夷大将軍から見た日本の範囲=樺太・千島から琉球まで

145 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:03:38
江戸時代の琉球は制度的には日本ではありません
琉球は清に朝貢して柵封を受けていた
清の役人が琉球に来ると薩摩の役人は屋内に隠れて琉球が薩摩の占領下にある事を隠そうとしていた
琉球から幕府への使者は外国の使節という扱いだった

蝦夷地は微妙だが、やはり制度的には日本国外


146 :日本@名無史さん :2006/12/25(月) 22:07:20
蝦夷地は日本領だろ。
松前藩がいた。
ロシアが蝦夷地を侵犯するようになってからは、東北諸藩や直参がオホーツク海沿岸や南樺太を警備している。

147 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:53:07
津軽外が浜から鬼界が島までっていうのは、源頼朝が認識していた日本の範囲。

148 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:03:32
>>145
薩摩藩の表向きの石高77万石には琉球分が加算されています。
琉球(約10万石)と奄美(約7万石)を除外した九州本土とその周辺離島の
石高だけなら、薩摩藩は60万石程度のはず。

なお奄美については、1609年(慶長14年)の段階で正式に琉球国王から
薩摩藩へ割譲されているので、この段階で既に日本の範囲が
鬼界が島(トカラ列島)までという認識は崩れています。

因みに鬼界が島というのは現在の奄美諸島の喜界島を指すわけではありません。
念のため。

149 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:06:57
カラフトは一時、日露混住地という合意があったらしいな。


150 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 23:33:03
>>149
1867年から1875年までね。

151 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 04:58:42
http://www.k3.dion.ne.jp/~karafuto/sinkarafutosiyakusho.html
ここが詳しい。

152 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 14:07:50
日本民族と琉球民族の境界線は北緯三十度線。 これは間違いないの?


153 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 14:26:20
北緯三十度以南の島々と蝦夷地は古代の五機七道に入ってなかったよな。
奄美が1609年に薩摩藩に割譲されたということは、逆に言えばそれ以前は完全に日本国外だった
ということだね。つまり、奄美は本来の日本ではなかったという分けで1609年まで北緯三十度線が
日本と琉球の国境線だったとうことかな?

日本の最北端の方でも確実に言えることは大間崎まで、ということだよね?



154 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 14:33:35
薩摩進出以前の琉球・奄美は高度な文化を持ってたの?
蝦夷地は論外だと思うが。

155 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 15:26:03
所詮、琉球・奄美が高度な文化を持ってようが、持ってなかろうが
琉球人・奄美人は琉球・奄美に引っ込んでろ。

156 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 14:44:34
中継貿易で儲けていた。だが所詮それだけ

157 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:10:02
>>153
中世には奄美諸島(南限は沖永良部島あたりまで)にも九州の勢力が
進出していたこともあるらしい。
そのソースは中世に九州で活動していた武家の所領譲状に奄美諸島の島名が
散見されるのだとか。
但し琉球王家が沖縄本島を統一した1429年以降、奄美諸島へも琉球王朝の
支配が拡大したため、16世紀にはトカラ列島と奄美諸島の間が日本本土と
琉球との境界として固定された模様。

なお中世には、奄美諸島と沖縄諸島の境界は沖永良部島と与論島の間とされる
ことが多かったらしいが、1609年に薩摩藩が琉球王朝に対して奄美諸島の
割譲を要求した際、琉球側が硫黄鳥島を琉球領に残すように嘆願したため、
代わりにそれまで沖縄本島に付属する島と考えられていた与論島が奄美諸島に
加えられて薩摩領に編入された。

158 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:18:11
人口1000万ぐらいにすれば、
ヒートアイランド現象で平均気温が5度くらいあがるんじゃね

159 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 13:57:12
日本地図見て陸奥と出羽広いな〜と感じたところで、
ほとんどが山地や湿地など不毛の荒野だったから、
可住地面積では近畿やその近隣の小さな一国より狭かった。

160 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:09:10
人口密度とか可住地面積なんかを比べるのなら、国よりも郡で比較したほうがいいよ。
古代の郡は1郡あたりの戸数が1千戸以内になるように設定されているから。

161 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:18:36
つーか最大の謎は陸奥を6ヶ国に分けたときの
磐城と岩代の国境線だよ
福島県の中通を二分する必要があったのかね

162 :日本@名無史さん:2007/01/01(月) 17:23:37
それよりも、何故武蔵は近隣の安房や伊豆と比べてあれほど広いのか?

163 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 08:01:45
土木技術が発展するまでは行けども行けけども湿地帯だからな

164 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 08:57:11
植民地だからさ。

165 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:20:25
>>161
会津+中通で1国、浜通で1国にすると人口や生産力の面で浜通がショボく
なりすぎる。
しかし逆に会津で1国、中通+浜通で1国にすると会津がショボショボに
なるのも自明。
で結局、古代の石城・石背の境界とも関係なく、中通を分断することになった、
って話を『福島県史』か何かで読んだような気が。

166 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 17:50:22
逆に志摩や伊賀ってあんな狭いのになぜ一国なの?
都には近いけどそれを考慮しても他国より狭すぎ。

167 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 04:58:21
古代の志摩国は現在の我々がイメージする志摩国より遙かに広く、
近世以降における紀伊国牟婁郡の北部(近代の北牟婁郡地域)や
伊勢国度会郡の南部を含んでいた。

168 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:29:53
>>141
単に同じ駅が複数あると事務処理がやっかいだから

169 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 00:41:57
>>128
ソ連がでかいんじゃねえ
シベリアと中央アジア諸国がやたらめったら広いだけだ!

170 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:15:30
>>138
てかそもそも播州赤穂って“播州”を冠する必要あるの?
他に“赤穂”駅なんてどっかにあるんだろうか?

171 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:52:29
>>138
そういえば天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)の遠州森駅は国鉄時代には
遠江森駅だったけど、3セク化されたときに遠州森に名称が変更された。
しかし同じ路線にある遠江一宮駅は3セク後もそのままになっていて不思議だ。

172 :日本@名無史さん:2007/02/22(木) 12:25:01
>>170
長野県駒ヶ根市の駒ヶ根駅が昔は赤穂駅だったらしい。

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