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家康を再認識するスレ【やっぱりすごいかも】

1 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 11:18:43
徳川三百年の天下泰平の基礎を築いた家康
日本史上比類なき偉業を成し遂げた割には、一般的な評価はあまり高くない
徳川家康についてもう一度考えてみよう

2 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 13:31:09
まぁ、目新しいことなにもしてないしなぁ。
基本政策は秀吉時代を引き継いでるし。
信長・秀吉の後にスリップストリームで最終ラップで優勝したような

3 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 13:32:53
徳川家康=宝くじで一等あたったピザ
http://game10.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1143246304/l50

4 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 01:15:23
1だが、やっぱり人気ないw
わかる人にだけわかればいいってことか
そういう偉人がいてもいい

5 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 01:33:29
俺は子供のころ戦国三大天下人の中で家康が一番好きだったんだが。
おれみたいなのは稀なのかな

6 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 06:45:57
安心しろ、俺も家康が好きだ(静岡市民)

7 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 06:51:14
安心しろ、俺も家康が好きだ(かんとう○○○○市民)

8 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 07:30:47
徳川家康 (松平元康)

本拠地はともかく、自身の本名の苗字も名前も変えた事がある革新的な戦国大名。
後世、成功者であるが故に保守的な儒教的名君として様々に神格化されている。

史実では若い頃は三河一向一揆で約束破って平気で寺々を破壊したり、年老いては
豊臣との約束破って平気で城の堀を埋めたり、どうにも行動が老若とも同一人物に
しか思えないけれども不思議と影武者説などもある。織田との同盟関係は良好で、
関が原の合戦の後、信長の直孫(三法師だっけか?)の所領を没収、穴山梅雪、河尻秀隆
よろしく例によってターゲットは都合よく死去。まあ家康がやったという証拠は無いんだが。

なお、関が原の合戦では西洋の南蛮鎧でそれなりにカブいていたが注目されなかった。

9 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 00:22:12
大阪だが家康は割と好きだ。俺こそ稀だな

10 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 00:43:47
士気旺盛な武田軍に懸かっていったお馬鹿さん。将兵の命より面子とプライドですか。そんでアボンして食い逃げして糞漏らすんですか。イプソスの戦いのダレイオス三世以下ですな。

11 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 10:39:52
>>10
 そのお馬鹿さんとの対決で部下の暴走を押さえきれずに惨敗し、妹夫婦を離別させ
奥さんにしてくれと妹を差し出した上に実の母親を人質に差し出したエテ公。
 そのうえ自分の子供でもないガキを認知して、実の甥とその妻子を虐殺し、自分の
政権を終わらせるきっかけを作ったエテ公
 そのあげく「ガキを頼む。頼みます」と糞、小便、よだれ、鼻水、涙を垂れ流してダレイ
オス三世と比較するもおこがましい”糞漏らし”に哀願しながら死んでいったエテ公
 そのエテ公の下でえばりくさってて同期の武闘派から総スカン食らった自称超エリートくんが
相手だったから、たまたま天下が取れた”糞漏らし”
とこれぐらい罵倒する気概を持って欲しい。 
 いやマジで!
 

12 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 13:46:31
初代将軍 徳川秀吉

13 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 02:17:18
家康って三方ヶ原の戦いの時にうんこを漏らしたらしい

14 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 10:45:35
飯の味噌が雨でながれて鞍についたらしい。負け戦の暗い雰囲気を吹き飛ばす為に部下が殿、糞が漏れておりまする。と言ったらしい

15 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 10:49:44
雨の中、馬上で飯を喰ってたの?

16 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 11:41:36
鞍にぶら下げた飯の入った袋からだそうです。

17 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 11:52:08
なるほろ

18 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 21:43:51
家康を再認識というか再評価してみると、

「信長」はもともと大名の子として生まれ、
「秀吉」は出世して主家をのっとる形で大名となり、
「家康」は主家に謀反をおこして独立した大名となり名を変えた

一番下克上の戦国の世を感じさせるのが、実は家康の経歴。

19 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 21:48:34
まあ何だかんだで250年に渡る平和を作り上げた開祖なんだからスゴイわな。

20 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:12:09
当時としては長寿で元気だったのも良かったのかね
晩年の鷹狩で長鉄砲使って鶴打ち落としたりと、死去直前まで矍鑠としてたそうだから

21 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:18:26
>>18
いやアンシャンレジュームだった。
「信長」は将軍・天皇・寺社組織等の旧体制権力の破壊者だった。
「秀吉」は更に一介の農民から豊臣姓を得る程の出世をし、身分制自体への挑戦者だった。
「家康」は旧来の将軍を頂点とした幕府体制に戻し、身分の再固定化を行う事で、旧権力に擦り寄ったのである。

22 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:25:21
秀吉は検地と刀狩・石高確定を通して曖昧だった身分制度を固定化した張本人じゃんか…

23 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:40:02
つまり、誰でもトップに立ちたいし、自分をトップとして身分を固定化したい
よく言われるように、順序としては信長→秀吉→家康で正解だった

24 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/25(木) 22:46:15
>旧体制権力の破壊者
旧体制とか宗教勢力とかいった区分けではなく、単に敵対する勢力を破壊し
ただけでは。無神論者説も疑わしく、思想は中世のそれ。
信長は近代人であったかの様に言われていますが、寧ろ中世の最末期に位置
づけられる人物だろうと思います。秀吉・家康は近世。
勿論、三者揃ってでないと論じられませんが。

25 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:52:29
晩年の信長は自分を神格化したけど
別に他の宗教ぶっ潰せとはやってないし
あれだけしつこく敵対した本願寺に対してすら宗派撲滅を考えた素振りもない
神格化なら謙信や信玄も仏法の神に自分を仮託してやってるし

26 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 23:03:21
徳川家康の「徳川」という姓の人は家康の先祖にいたの
かもしれんが、やっぱり「今川」に対抗する意味で
つけた苗字かなあ・・・。

こう考えると今川氏真は偉人なのだ。(ていうか今川家が)

27 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/25(木) 23:12:57
>神格化なら謙信や信玄も仏法の神に自分を仮託してやってるし
毘沙門天と不動明王ですね。毛利や島津でも氏神に「なぞらえて」います。
信長が自身を「神の如く」崇めさせたという記録は宣教師のものにしかなく、
彼らの宗教に対する偏見によって生じた誤解であるとして否定する意見が
大勢でしたが、近年になって他の戦国大名も類似した行動をとっていた事
や神の「如く」振舞ったのであって自らを神としていた訳ではなさそうだと
いう事から、肯定する意見も出ています。
いずれの主張も、信長の独創としてはいないという点では共通している。
この後結実したのが本当に神とした豊国大明神であり、東照大権現だった。

なお、信長が「第六天魔王と自称した」、「無神論者であった」、「明を攻
める予定だと語った」、「自らが内裏であり国王であると称した」という
のも、宣教師の記録にしか出て来ない様です。
実際には、八幡神を信仰していたらしい。神はただ一つであるという世界観
からは、神の如く振舞う事=無神論者としか見えなかったのでしょう。

>「徳川」という姓の人は家康の先祖にいた
上野国新田郡徳川の地名ですね。独立して新たに由緒を主張する必要があっ
たからでしょうが、今川(だけ)を意識したかどうかは。

28 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 23:14:55
宣教師の記録ってキリスト教徒に対応が辛くなると、以前は布教に協力してくれてベタ誉めした人物でも平然とおかしく言うから
素直っちゃ素直だけどw

29 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 23:21:09
宗教対策については三河時代の家康が強烈でしょ
「元もままに戻す」と寺社側と講和したくせに寺ぶっ壊し
「元も野原に戻したんだ」とうそぶいた
一方で信教を理由に反逆した家臣らは咎めず
若いときから老獪の片鱗はあったんだな

30 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/25(木) 23:45:54
>>28
秀吉に関する記述は酷いですね。禁教前後から明らかに悪意が入っている。
容貌から性格までメタメタに書いており、碌に火薬も装備していなかった
朝鮮の軍も、秀吉と戦う相手というので軍備が充分な精鋭扱い。

>29
>「元も野原に戻したんだ」とうそぶいた
たまに聞きますが、どの史料に出て来る話なのでしょうか。

31 :日本@名無史さん:2006/05/25(木) 23:58:27
>>38
「参州一向宗一揆宗乱記」
もっとも無条件で破壊したわけじゃなくて、改宗した寺僧は許している
…と、いっても僧侶にとってそれは死刑に等しいかもしれんけど

32 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/26(金) 00:01:42
ありがとうございます。後日確認してみます。

33 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 21:23:23
>>26
とぅわしか新田源氏につならる「得川」姓を
松平家にこじつけられるっつーことで勝手に経歴詐称し
朝廷の去る筋に賄賂を送って恥とも思わず
 そのうえエガワと読むのを
漢字の得ではもんだいありっつー事で極悪非道にも徳の字に改め
強引に読み方もトクガワにしてしまったくせに
それでもあつかましくこれは新田源氏の出の徳川です
と厚顔無恥にも僭称し
自分の立場に物を言わせ極悪非道にごり押ししたと聞いたことがある。

34 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/27(土) 01:15:28
『雑談集』に既に「徳川」と書かれていますよ。
もっとも、私が持っているのは寛永21年版を底本としていますが。

35 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 09:08:51
天下を取ること自体極悪非道を重ねないと取れない
経歴詐称くらいまだましなほう

36 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 10:54:44
>>33
家康が徳川を名乗るようになった時はまだまだ小大名で
新田源氏とか征夷大将軍とかなんて夢でも考えられる時期ではないんだが?
源氏がどうこう言い出したのは関ヶ原後だろ

37 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 10:56:45
>>35
経歴詐称なら留学経験があると主張していた国会議員やAV出演歴があった某通信会社系子会社の女性社長だって
やっている。家康の詐称くらいたいしたことではない。

38 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 21:52:33
>>33
経歴詐称なら秀吉もやってるんだけどね、
近衛家の養子になることのは恥ではないの?
義昭の養子になろうとして断られたという
説もある。(?だが)

39 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:28:54
なんで養子(猶子)縁組まで詐称になるねん

40 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:02:15
藤原秀吉、平秀吉、天皇の落胤、日輪の子
秀吉厨は自分のことを棚に上げるから困る

41 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:14:26
堂々たる経歴詐称 藤原信長→平信長
壮大な経歴詐称  天皇の落胤、藤原秀吉 平秀吉 日輪の子 
ささやかな経歴詐称 松平→得川→新田→吉良(系図買いました)→徳川

42 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:20:43
>源氏がどうこう言い出したのは関ヶ原後だろ

もっと前から。
秀吉も太閤秀吉・将軍家康政権構想を抱いていた。

43 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:02:13
>>41
家康は頼朝を崇敬していたので、源氏以外興味なかった

44 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:22:05
氏姓がないと官位が貰えないから、種類はともかくやりたくなくても詐称せざるをえなかったんじゃないかね

45 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:46:04
松平から徳川に改めたときは
藤原姓を名乗っていた。
源氏への改姓は天正末、
関東入りの頃。

46 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:56:25
木下はねねの実家の苗字のはずだか。

47 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 11:21:24
あれ?ねねの実家”も”偶然 木下じゃなかった?

48 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 13:09:37
偶然ではないでしょう、
婿養子に入ったか、苗字がないから
木下を名乗っていたのではないか。
でなければ羽柴にかえる意味もないと思う。

49 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 14:02:57
秀吉の父が木下弥衛門。だから木下姓
と、いってもこの説は後世秀吉が木下姓を名乗ったことからの後付けともいわれる
一方で秀吉の妻の実家・杉原氏の本姓が木下氏といったから結婚を機に士分となり木下姓を名乗ったとも
はっきりいえば確定はないんじゃないかね、秀吉の名が正確な史料に出てくる少し前の話だし

50 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 17:01:46
明治3年に平民に苗字が許されるまでは国民全員が苗字があったわけではなく、秀吉も苗字は無かったと思う。

それと日吉丸って言われてるのも捏造なわけで、日吉だったのが有力な説だね。

51 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 20:15:23
そこそこ有力な百姓なら、当時は苗字を持っててもおかしくない
ただ、その場合は地縁を大事にして出身地名を苗字とした場合が多い
どっちにしろあまりいい出でなかったのは確かだろうね
秀吉は一説には奴婢にまで落ちたこともあったそうだし

52 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 08:28:30
農民でも名主クラスだったら苗字は持ってそうだが、本農民以下は持ってないだろう。

53 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 19:28:56
家康「やっぱり、謀反独立とか権力乗っ取りって良くないよね。」

今川・豊臣「お前が言うな!お前が!」

※なぜ今川家や豊臣家が怒ってるのかはナゾ

54 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 20:46:55
利根川は
家康が江戸に入る前は江戸湾に流れ込んでいた。水量が増すと江戸は洪水に呑まれていた。
そこで、利根川を現在の位置に移動させ、運河として使った。つまり東北からの物資を利根川を遡り、隅田川を下って江戸に入るようにしたのだ。
これにより、千島海流と黒潮をぶつかる、海の難所、房総沖を船が経由しなくて良くなったのだ。

55 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 08:11:49
大体さ。

松平(徳川)が今川に背いたのが「独立」で、
松永久秀とか荒木村重とかの場合は「謀反」なんだろ?

もうこんな客観性のない恣意的な言葉の使い分けなんか
学問とは呼べないよね。旧ソ連軍大尉の伝記と同じだよね。


56 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 08:45:07
松永久秀 将軍暗殺 信長を2回裏切る
荒木村重 本願寺に米を横流しする

これのどこが独立?

57 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:16:24
松平元康 氏真に反旗を翻しその領地に侵攻する

じゃあさ〜、これは謀反じゃないの?


58 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 15:32:59
この作品じゃ自衛隊やっつけてんだからやっぱ凄いんじゃね?

http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=ms_d_p_1_p1/249-9084775-5269145?a=B000F72NTY&uid=NULLGWDOCOMO&edi=tAh%2B%2BxJ1h6YFbP1Tyc4PLNPo5C%2B9CvbjVGSheYUUNdI%3D

59 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 15:53:40
>>57
もともと人質だったから独立と呼んでいるだけだろ
今川領地への侵攻はまた別
謀反と呼びたい人は呼べばいいだけの話

60 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 16:04:20
>57もともと三河の領主だから独立なんじゃね??

61 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:18:29
それをいったら荒木や松永も元々自立性を持った領主…

62 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 22:47:11
元々自立性を持った領主だから独立じゃなくて謀反になるのでは?

63 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/06/06(火) 01:19:18
>>50-52
私的な名乗りなら、寄り合いなどの記録で見る事が出来ます。
公に名乗れないだけ。

>地縁を大事にして出身地名を
そもそも、「名字」とはそういうものでしょう。近世には土地から離れて
血脈の方に注目した「苗字」表記が広まりますが。

>日吉「丸」
丸自体、元々省略される事が多かった気が。>牛若(丸)、乱(丸)など
愛称として相手の名に「丸」をつけて呼びかける場合もある。
厳密な違いがあったのでしょうか。

64 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 10:23:28
身分制が確立したのは江戸時代からで、それまでは百姓から武士になど自由になれた!ただ武士にとって姓は自分を正当させるため重要、官位を授けてもらう事で力ある百姓から武士として認めてもらう必要アイテム松平はその土地の有力名主であったはず!

65 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:35:29
家康は人間のクズです

66 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 22:11:30
ですね

67 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 22:31:30
>>65のいう「人間のクズ」と俺の考えている「人間のクズ」はどうやら違うようだ


って俺家康嫌いなんだけどね。上杉景勝、直江兼継が好き

68 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 22:42:20
あくまで個人的な意見だけど
家康を正しく評価できない事が現在 日本人が持ち合わせてしまった相対主義に陥ってしまう問題点だと思う

69 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 11:53:14
北陸民だが天下取った時点ですごいと思ってあげちゃいかんのかい

70 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:50:52
織田が突き・羽柴が捏ねし天下餅・座りしままに喰らう徳川

これが日本人のだいだいの認識だから

71 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:58:11
徳川はなんで新田の家紋を使わず、京都賀茂社の神紋である葵を使ったのか?

72 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 01:28:08

徳川家は将軍家になった時点で信長さまに喧嘩売ったも同然。

尾張者は三河者を血祭りに上げるべし。


73 :日本@名無史さん:2006/07/11(火) 12:49:25
荒っぽいな

74 :日本@名無史さん:2006/08/11(金) 19:00:28
上げたりして

75 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 00:11:29
>>70
信長が突いていた時には家康も一緒に突いている
秀吉の時には小田原ぐらいしか協力していないが途中まで敵対していたので仕方がない
その後も関ヶ原や大阪で戦っていたわけで座りながら食うような楽をしていたのではない

76 :日本@名無史さん:2006/08/12(土) 08:28:53
>>70
それはむしろ誉め言葉だろう、少なくとも家康はそう取っていたはず
「為さずして成る」、これが理想の境地
本当は一番苦労したけどね

77 :匿名希望:2006/08/29(火) 03:32:36
天ぷらくってしんだらしい

78 :日本@名無史さん:2006/08/29(火) 08:27:28
60才にもなって3人も男子を得たことがすごいな。
しかも3人とも成人し、御三家の初代当主となる。
これで支配体制が磐石。

79 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 17:32:11
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

80 :日本@名無史さん:2006/09/01(金) 18:25:16
家康は棚ボタで天下取ったイメージで、捉えてる人がいるけど、それは間違いだろう。
幼少期から他国での人質としての生活、松平家に復帰してからも織田、武田の大国に挟まれるという
これ以上ない悪条件の土地でのギリギリの松平家存続を賭けた闘争。
さすがに関が原では官僚エリートの石田光成が天下人に成るのは、叩き上げの戦国武将の意地が許さなかったのではと思う。


81 :日本@名無史さん:2006/09/02(土) 14:26:09
思うって言われても・・・

82 :日本@名無史さん:2006/09/02(土) 21:10:33
>>80
普通にその通りだよ。
あの関ヶ原でさえ負ける可能性もあったし、政権樹立後も死ぬまで
気を抜いてない。天下取る過程でも別にボーっとしてたわけじゃないし
むしろ生れ落ちて死ぬまで戦い続けた男だよ。
棚ボタって言うか運がよかった面もあるけど、彼自身の努力こそが天下を取った最大の理由なのは間違いない

83 :80:2006/09/04(月) 11:11:37
俺は歴史学者じゃないし、見てないことを断定する必要もないから、「思う」でいいと思うw

84 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 11:19:53
なにげに戦場往来歴が最長だった件について。

もっと長い武将がいたら教えてエロい人。

85 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 11:21:07
半島カルタ

あ あちらこちらでスリ強盗
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/2249559dff61832c1be6fed8591e076f.jpeg
う うまく化けてもエラは隠せず
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/fc4c714aa4c6b6960ead282e4729f293.jpeg
お 親は鮮人子は不良
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/f8172390c8918fe47717403986a5da1f.jpeg
か 韓国人を取り締まれ
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/4ea628010f397c18eed8ccd4eec03c23.jpeg
き キムチの臭いだ緊急出動
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/3b12473e1d9b5759779dac95c0206741.jpeg
く 糞食う民族犬も当然
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/fc5e0c286b47705d432a789e004f20a0.jpeg
さ 財布を擦られたまた鮮人か
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/a5dd7ac04de5b9f19dbc3a9396234ab5.jpeg
ぬ 濡れ衣差別といつものいいぐさ
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/e0e8b8b9b9e85924c82953199cec74b2.jpeg
み 密航してでも日本にいきたい
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/176f464cf55ff2be49b29efa95077056.jpeg
や 優しい新聞本名のせず
ttp://img2.echoo.jp/photo/blog_b/ac4d10544ea6d6b38e21cadf1e2f4870.jpeg

86 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 11:31:59
まあ、家康が凄いってより
未だに実質的な首都の座にあり日本を実質的に統治している
三河が偉大だってことなんじゃないかな

特に岡崎や挙母あたりね

87 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 11:40:45
いや三河人は尾張人に搾取され、
その尾張人をうまくたぶらかして商売するのが伊勢人。

88 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 13:31:46
で、それをさらに裏から金でしばるのが近江人

89 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 17:57:51
>>84
えーと、家康の初陣が寺部城合戦(1558)で、最後の戦が大阪夏の陣(1615)で57年。
初代福山藩主水野勝成が初陣が高天神城攻め(1574)で、最後が島原の乱(1638)で64年です。

90 :89:2006/09/04(月) 18:05:58
間違えた。徳川の高天神城攻めは1581年3月でした。
島原の乱は1638年2月末に終わっているから、ほぼ57年弱ですな。

寺部城合戦は1558年2月から始まっていて、大阪夏の陣の終局は1615年6月4日ですから、ほんの数ヶ月ですが、家康の方が長いですな。

失礼しました。

91 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 18:59:28
田舎者だけに朝廷の怖さも十分にわかっていたんだろう。その点取り込まれまくった
インテリ・光秀とは違う。

その家康が範としたのが源氏というのも意味は明白。天皇制の権威と相当距離のあっ
た鎌倉幕府に習ったわけで。改めて畿内に首都を置くことも出来たのに、そんなこと
はしなかった。

いわば、天皇制存続下での封建的支配を極限まで押し進めたのが家康。しかしながら、
いかに精緻に仕上げても、結局は天皇の一配下という建前を残している限りは、外様を
一掃して自分の配下を配置することは出来なかった。鎌倉幕府が独自に守護・地頭を送
り込んだより後退しているとも言える。

で、結局はあれだけ押さえつけて貧窮の極にたたき込んだ筈の天皇勢力に敗北してしま
った。信長のように、自ら国王にならなかったことで、幕府の滅亡も必然であった。

92 :日本@名無史さん:2006/09/04(月) 20:38:02
>>87
伊勢人?イセエビ?何処それ?

ちなみに尾張名古屋人は岡崎城に五体倒置して毎年巡礼していますよ
世界の首都・岡崎にね

93 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 00:00:04
家康の逸話で、さすがだと唸ったのは、武田勝頼の首級に対しての振る舞い。

ttp://www.rakudo.jp/12_tokugawa.html


94 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 02:34:10
世界の首都・岡崎

95 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 03:01:14
三方ヶ原は
スカトロ→ハメ盗り
すげーな
負け戦だけど、変態人間的には究極の勝利の方程式だ
色んな意味で黄金リレー

96 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 05:02:46
また名古屋人か

97 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 11:08:27
>>95
極限状態の戦場では、珍しいことじゃない
ヤクザの出入りでも洩らす人間は結構いるらしい

98 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 12:34:10
くそ漏らしは一流じゃねえな

99 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 12:35:43
敗走した大将は数多いるが
ウンコ垂れ流しながら逃げた奴はまずいまい

100 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 12:53:48
ウンコじゃないだろ、腰弁当の味噌だ。

101 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 13:04:30
尾張も三河も見栄っぱりの田舎者だからな。

名古屋の豪華結婚式のメンタリティ=家柄マンセーの坂東武士

102 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 13:23:21
幼少時、今川の人質だった頃に馬鹿にされてしまい突然、縁側に出て立ちションしたって聞いたことが…

小さい頃からすでに黄金伝説は始まってたのだ!

103 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 13:24:38
尾張人は三河者ほど田舎者ではありませんが何か?

104 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 13:28:21
家康よりも、秀吉の方が名古屋色。
だぎゃ〜、とか言う、下品チックな名古屋人の精神は実は秀吉メンタリティ。


105 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 13:33:23
三河者が血統とか笑えるw

106 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 13:35:25
酒屋の血統

107 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 13:57:57
>>99
歴史に残ってないだけで、初陣で洩らした武将は結構いると思うよ
家康はオノレの恥を隠さずに今後の戒めとしたことで、
後の小牧、長久手の戦いでは、そのときの信玄の作戦で見事に数で勝る秀吉軍を蹴散らしたんだから
そういう姿勢は見習えれるけどな。
実際、どんな立場の人でも一度も恥かかない人生なんて、ありえないだろ?

108 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 14:00:08
別にウンコが評価に影響はしないから心配するなw

109 :107:2006/09/05(火) 14:02:25
>>108
たしかに。あんた冷静だなw

110 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 15:57:44
あれは携帯食の味噌
それを大久保が士気を持ち直させるため糞といって笑い話に仕立てたという説もある

111 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 16:06:55
大嘘を言うなw
脱糞失神して遁走した家康は日本の恥。
評価に影響しないどころか、三河者の劣等ぶりを端的にあらわしているw

112 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 17:41:43
>>111
お前は哀れな奴だな

113 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 17:55:22
また名古屋か

114 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 19:05:14
天下人にまでなった人が自分の恥になるような逸話を後世に語られるような事はしないと思うけどな…

『実は味噌』に1票〜!

115 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 19:11:00
>天下人にまでなった人が自分の恥になるような逸話を後世に語られるような事はしないと思うけどな…

阻止するのは無理

116 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 21:16:00
家康の本質を馬鹿な庶民から遠ざけておくためあえてこの話を残したというところだろうな

ウンコだとか脱糞だとかせいぜい騒げばいいw

117 :日本@名無史さん:2006/09/05(火) 21:18:25
>>110
とりあえずその「説」を誰が唱えているのか教えてくれ
家康の脱糞は笑い話でもあんまり気持ちのいい笑いじゃないだろw

118 :日本@名無史さん:2006/09/07(木) 20:46:47
三方が原アッー!の由来】

武田家当主に扮した信玄らが上洛を開始
 ↓
「武田が攻めてきております!」 「三万もの大軍です!」などの
会話を経て軍儀。
 ↓
支城を次々と落とされ、「強い軍だなぁ」などと恐れる
 ↓
浜松城を素通りされ、「アッー アッー!」と悶える
 ↓
佐久間と協議をしながら2人の家来に三河武士の意地を見せる。「突撃じゃー!」と悶えながら
浜松城を出陣。このあと、武田軍がひきかえし、三方が原で徳川軍と激突
「死にたくねえなら前に出い!」と家康は勃起させながら声をあげる。
 ↓
忠勝らも加わり合戦が始まる。ヤラれるばかりだった家康が反転、浜松城へと向かい、
糞を漏らしながら逃げ始める。小刻みに腰を振りながら、「アッー、アッー、出る!」
と叫んで、家康も鞍に勢い良く脱糞。
あと酒井忠次に、「漏らしましたね?」と言われて、「これは焼き味噌じゃ!」と言い訳したらしい。

119 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 05:14:23
でも実際のところ、合戦の真っ最中に便意をもよおしてしまった場合は
どうするのが正しいんだろう?
「ちょっとその木陰で‥‥」「あそこの草むらで‥‥」となるんだろうか?
しかし、踏ん張っている後ろから敵兵に突き殺されるのは、
垂れ流しながら敗走するよりも数倍恥ずかしい気もするが‥‥

やっぱり戦場では、いざとなったら垂れ流しながら戦うしかないんではないの?

120 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 06:32:53
アレは味噌ですよ、そもそも世界の英雄はウンコをしません
あと岡崎は神の国ですから日に5回は岡崎に向かって礼拝をするのが日本人の義務ですよ


ちなみに名古屋や挙母の人間は他府県では図々しくも岡崎出身を騙るので注意しましょう


121 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 10:55:45
武田を死ぬほど恐れ、設楽原までは防戦一方だった腰ぎんちゃく大名だったのに、
運がいいとしかいえないわな。

122 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 11:00:49
家康のチョンマゲ欲しぃポ

123 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 22:12:12
一般的な評価は高いだろ(笑
凄すぎて粗を探したくなる存在

124 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 23:53:21
信長が鉄砲を使いこなす→天才
家康が大砲を使いこなす→卑怯
信長が桶狭間で逆転勝ち→天才
家康がメッケルが西軍勝利と断言した関ヶ原で逆転勝ち→卑怯

世間の偏見というものは身勝手なものだよな

125 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 16:36:33
>>121
わかってねーな
信長だって信玄のことは相当に恐れてただろ。ともに生まれた時点で、国力、環境ともに条件は信玄に負けていたし・・
ただ信長や家康の凄いところは、普通の人なら一度、ビビッた相手には逃げるか服従が相場だが
この2人はついに信玄越えを果たしたところが、天下人たる凄みだとおもうけどな。

126 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:42:12
ぶっちゃけ、家康が人気ないのは、今の日本の体制が江戸幕府を倒して出来た体制だからだろ
戦前戦後を別の体制と考える事もできるけど、実際、黒船以降は米国が親なのかも・・・話ずれた

127 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:49:57
現実に自分が家臣や領民として生きることを考えたら、家康が一番いい。
信長や秀吉は勘弁してほしい。

128 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 20:02:02
信長みたいな主君だったら、いつもピリピリビクビクしてないといけないし、
秀吉も天下人になってからはボケてたからな。

129 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 20:04:53
まるで3人に会ってきたような口ぶりやね

130 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 10:58:19
>>127
家康は自分の子供には大領を与えているが、家臣にたいしてはシブイね。
信長、家康とは大違い。

131 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 13:11:02
>>130
主だった譜代の家臣達は、関ヶ原の時は秀忠軍にいて、会戦に間に合わず、
当然ながら補佐不十分の責任を取らされた。3万8千の主力軍を肝心な時に
遊ばせたんだから仕方ないさ。秀忠だって廃嫡されそうになったぐらいだ。

徳川四天皇の中では、井伊直政だけが家康と行動を共にしており、
関ヶ原の主力決戦に参加し、大功を上げたから、彦根32万石。

132 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 13:32:06
>>131
本多忠勝は?
彦根32万石も間違い。

133 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 17:40:07
>>130
領土がシブい代わりに、幕政参加権を与えてる。
それに、与えられた封領はほとんどが多くても10万石だが、その場所は畿内や東海や江戸の近く、
遠方に飛ばした外様大名を押さえ込むための要衝の地ばかりで、当然幕府も譜代大名達に
必要な役目を期待するから、石高以外でそれなりに援助を与えてた。
城も頑丈だし、普請のための金も貸した。

>>131
直政の代は近江佐和山18万石で、彦根(佐和山城を廃して彦根に築城)35万石に加増されたのは
その次の直孝の代だ。
幕政に大きく貢献して5万石加増三回に、天領2万石分の城付米預かりで、合計35万石。



134 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:42:06

家康公の遺訓と遺言碑

東照公遺訓

 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
いそぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。

 堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ、勝つ事ばかり知りて、
まくること知らざれば害その身にいたる。

 おのれを責めて人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。

 慶長(けいちょう)8年1月15日  家康

(人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。
急いではいけない。いつも不自由していると考えれば、
不満が生じるはずがなく、欲心が起きたときには、自分の過去にあった苦しい時代を思い出すことだ。
 「堪忍」こそが無事に長く安泰できる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
また、人生では勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
 自分の行動を反省し、人の責任ばかりを追求するな。
何かをやるとき、なかなか到達できないほうが、やり過ぎてしまっているときよりは良い)


135 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:46:32
家康公遺言碑

 わが命旦夕(たんせき)に迫るといへども、将軍斯(か)くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、
艱難(かんなん)することあらんには、たれにても其の任に代らるべし、
天下は一人の天下に非(あら)ず天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務をとりたりとも
四海安穏(しかいあんのん)にして万人その仁恵を蒙らばもとより、
家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし  

 元和2年(1616)

 (もはや自分《家康》の命が終わりに近づいたが、
将軍《秀忠》が政治を立派に行っているので、天下のことは心配ない。
しかし、将軍の政道が道をはずれ、多くの人々が苦しむことになれば、誰でもその座にかわるがよい。
 天下というものは、一人のための天下ではない。
天下はすべての人のものであり、そのすべての人のために天から任されたものであった。
 たとえ、誰かが天下を治めようとも、四海安穏で平安に万人の幸せに通じるのなら、これは家康の望むところである)


136 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:49:00
個人的な意見だけど、信長と家康は不幸な幼少期を送っていて、けしてお坊ちゃん育ちじゃないという共通点があるんだけれど、
信長は今川義元に実力以上の奇跡の勝利を収め、家康は当時の実力どうり信玄にボロカスに負けたってのが後の両者の運命を決めた気がする。

137 :日本@名無史さん:2006/09/12(火) 23:46:31
信長の桶狭間みたいな華々しい合戦のエピソードは無いもんな>家康
スター性というか、向日葵と月見草というか、そういう星の下に生まれちゃったとしか言いようがない

138 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 11:25:18
信長の桶狭間に対抗できるのは義経の鵯越くらいなものだろう。
うんこ漏らせば十分だ。

139 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 11:40:55
小牧・長久手と関ヶ原
信長厨は、あまり歴史を知らないんじゃないか?

140 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 11:43:14
>>138
桶狭間クラスの戦いなら戦国には結構あるよ

141 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 12:06:03
>>139
確かに小牧長久手の手並みは見事すぎる
あと関ヶ原の内応工作とかとても信長にはできない芸当

142 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 22:54:15
家康の凄いのは本人だけじゃなくて多くの男子を産み、しかも皆ひとかどの人材ばかりだったことだな。
文(秀忠、義直、頼房)・武(信康、秀康、忠吉、信吉、頼宣)それぞれにバランスもいい。これ、武家の
棟梁としては当人の能力以上に重要なことで、信長や秀吉は個人的な能力こそ家康を凌駕していたかも
知れないが、その子供たちはいずれも父の業を継承するには質も量も余りにも貧困であったと言わざるを
得ず、結局は信長・秀吉の個人プレーで終わってしまった観がある。そこへいくと家康は優秀な子供たち、
それから強固な家臣団も含めた総合力で最終的に天下人となり、さらに覇業を子孫へ継承できた。
これ、古代中国で言えば項羽と劉邦の構図にけっこう当てはまるんじゃないかな。項羽が信長・秀吉で、
劉邦が家康。劉邦も文帝のような優れた子供がいたし、優秀な家臣団によって天下をとった。

さらに家康と劉邦の共通点で言えば、その後の子孫もそれなりに優秀な人材を輩出し続けたこと。
徳川家では保科正之、水戸光圀、6代家宣、8代吉宗など。マイナーどころでも極端に暗愚な人物というのは
あまり見られない。漢帝国の劉氏では昭帝、武帝、宣帝ときてどかんとでかいのが光武帝劉秀。
世襲制政権においては、一個人の能力だけでなく一族全体の能力の平均値がどれだけ高いかに、その
政権の寿命がかかってくると思うが、その意味では徳川・松平一族というのはかなり平均値が高い武家
だったといえるんじゃないだろうか。その祖であり、家臣団も含めて一族を見事に統率した家康は。武家の
棟梁としてはかなり完成された存在だと思える。

なんかまとまりがない長文でスマソ

143 :142:2006/09/13(水) 23:03:55
>>142の11行目は ×昭帝 ○景帝 でしたorz 細かいですが。父の文帝と合わせて「文景の治」と称されたそうな。
要は、世襲政権を長持ちさせる優秀な人材を子孫に輩出させたという意味で、その祖である家康は「やっぱりすごいかも」
ってことです。あんま学問的な話題じゃなくてすんませんが。

144 :日本@名無史さん:2006/09/13(水) 23:51:15
>>142
光圀はあまり評価できないと思うぞ。大日本史編纂は確かに偉業だが、おかげで水戸藩火の車…。

武帝も「文景の治」のころに蓄えられた資産とか使いつぶして出征とか贅沢しすぎて、前漢衰退の遠因とも言えなくも無いわけで。

145 :日本@名無史さん:2006/09/14(木) 00:34:44
>>137
信長も秀吉も関ヶ原のような戦を経験したことはない
家康の関ヶ原に対抗できるのは日本史上でも皆無と言っていい

146 :日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:06:54
天下分け目が何度もあるはずもない

147 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 11:13:41
>>145
石田三成

148 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 12:49:05
三成だから対抗できないんじゃにゃいか。

兵力だけでいえば、小田原北条攻め、朝鮮の役あたりで
秀吉はその規模にいたっているな。

149 :日本@名無史さん:2006/09/17(日) 16:32:21
役立たずなへたれですが西軍総大将は毛利輝元です。


150 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:52:06
毛利輝元って頭悪いよな。
一族の吉川広家が大反対してたのに関わらず、大軍を引き連れ大坂城に入って、西軍の総大将となり、戦わずして家康から領地を大減封されたし。
祖父の元就の苦労が水の泡に消えてしまった。


151 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 13:44:17
>>146
動員兵力では秀吉の九州征伐や小田原征伐など関が原を上回る。
「天下分け目」...結果的にそうなっただけ、小早川の動向や
その後の西軍の動き(たとえば毛利が大阪城で持久)によっては
そうならなかったかもしれない。


152 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 13:53:38
>>144
光圀を挙げたのは、江戸初期の武断政治から文治政治へという時代の流れを象徴する人物の一人だから。
確かに無償の文化事業に惑溺して藩財政を傾かせるなど、為政者としてはバランスを欠いた人物だったのは
間違いないと思うけど、江戸期の文化的側面における重要な一人であることも確かで、そうした意味で家康の
子孫の厚みを示す存在でもあると思う。まあ結果的に江戸幕府の寿命を縮める一因にもなったけど。

武帝は個人的資質のいい悪いを超越して、その後の中国歴代王朝絶頂期の皇帝像のスタンダード(前代までの
国力の充実→外征により中華帝国の版図拡大→内政の疲弊招く)を確立したという意味で歴史的存在だからねー。
時代の流れに合わせるかのようにそういうカリスマ的存在を産み出したという点で帝王の家系としての劉氏の凄み
があると思う。一応昭帝や宣帝のようなそれなりにフォローする存在もその後いたし、そういうバランス感覚が
働いていたことが、王莽による簒奪のあと漢の復興を望む声に繋がって光武帝の出現を後押ししたとも言える。

>>150
輝元はホントにお人好しだよなー。毛利家がその後徳川家に対して恨みをもったとか言うのはむしろお門違いで、
輝元の無能さで墓穴を掘っただけとも言える。前田家のようにうまく立ち回って中立を保つなりすれば、家康とて
手出しできず、結果関ヶ原は起こらず豊臣体制下において徳川・毛利の2大巨頭制になってたかも知れない。
それはそれで政情が安定しなかっただろうけど(関ヶ原で毛利が積極的に動けばよかったという論もあるだろうけど、
家康が関ヶ原まで駒を進めたのは吉川広家の消極的裏切りを知ってたからで、広家も含めて毛利が一枚岩なら
家康はそこまで踏み込めなかったと思う)。毛利は徳川を恨むよりも、あの重要な政治的劃期に輝元程度の
人材しかいなかったことを恨むべきで、そもそも完全に取り潰されてもおかしくなかったんだから。

153 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:24:16
>>152
別にお門違いでもないだろ、家康が一方的に盟約を破って毛利を取り潰そうとした事や
減封した事実なんだし、結果的に騙された毛利が恨みに思うのは当たり前。

154 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:33:32
ま、他人を騙さずに、他人から恨まれずに天下人になれというほうが無理だわな

155 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 14:35:32
>>153
でもその盟約って輝元自身が関与してたわけじゃないし、広家が勝手にことを進めてたんだからなぁ。
臣下のそういう勝手な動きを統制することもできなかったってのは、当主としてどうかと思う。広家も
広家で、当主の意向も無視して家の方針の統一を乱すようなことをやらかしてるんだから、忠に似て
忠にあらず。百戦錬磨の家康相手に両者ともあまりに人が好すぎたとしか思えない。

156 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:23:27
>>151
九州征伐や小田原征伐は両軍の戦力が拮抗してないから比較の対象
にならないよ。


157 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 19:07:53
>>155
大坂城退去の際に所領安堵の盟約を交わしてるし、
人の良さ(っていうのも変だが)を利用して騙してるんなら
尚の事恨まれるだろう。

158 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 19:20:48
頼朝研究と薬の研究がすごい

159 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:01:07
>>152
>あの重要な政治的劃期に輝元程度の 人材しかいなかったことを恨むべきで、
>そもそも完全に取り潰されてもおかしくなかったんだから。

長州藩士が関ヶ原の敗戦は、藩祖・輝元が無能だったからだなんて言おうものなら
良くて切腹悪くて磔刑になると思う。

160 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 07:32:01
毛利輝元って人が良いというか愚かな人物って感じがするね。
将軍・義昭を備後に匿ったり本願寺に兵糧を入れたりしたために、信長から敵視されて攻められる羽目に陥るし
もっと思慮深い人間だったら、絶対に強い者と同盟を結んだり臣従したりして、他の小さな敵を滅ぼし自分の力を伸ばすんだけどな
祖父の元就は、尼子が強い時は尼子についてたし、大内が強い時は大内についてたりと時流に乗ってたわけで
それと、輝元は祖父の遺言である「天下を目指してはいけない」というのを破ったために、10ヶ国だったのが、たったの防長2カ国に減封され、祖父にどうして申し訳が立つのかな

161 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 10:08:00
吉川広家がいなかったら毛利は廃絶

162 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 14:04:38
>>161
逆に毛利幕府。

163 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 15:20:28
>>162
脳内をまとめてから万人に理解できるように書いてもらえますか?


164 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 17:51:56
吉川広家の南宮山での長弁当がなければってことだろう。

165 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:19:52
毛利が豊臣を差し置いてなにができるんだってーの。
戦場に赴かない総大将に付いてく武将なんていない。
長州オタって妄想が激しすぎ。

166 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 22:21:29
幕府は無理でも奥州藤原氏系の地域自治国家くらいにはなれたんでね>毛利

家康が死ぬまで持ちこたえないといけないが。

167 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 08:36:31
それは豊臣家に対する謀反だな。

168 :日本@名無史さん:2006/09/21(木) 09:13:57
二大支柱である吉川、小早川当主の器量があの程度だから仕方ない。
(すでに小早川は支柱ですらないが)
小早川は言うも愚か。吉川広家にしても極々小粒な家康類似の謀略家。
手玉に取られて当然であり、こういった状況も把握できず三成に言われるが
まま総大将なんぞになって、子守りを理由に戦場にも出てこないんでは
荒大名たちの心を獲ることなど土台無理。
せめて隆景、元春のどちらかが存命していたらこんなことにはならなかった
かも知れないがね。

つくづく人材って重要なんだねぇ。

169 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 07:21:30
家康からも三成からも舐められてた毛利輝元と小早川秀秋ってカッコ悪い
俺が吉川広家だったら、輝元なんぞに長門・周防なんて渡さないんだけどな
元就が輝元に対して「天下を狙えば毛利家は滅ぶ」と遺言する理由が輝元の暗愚さにあるんだな

170 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 13:59:33
曲がりなりにも西軍総大将として公文書に署名までしてたわけだしなぁ、輝元。
西軍の諸将が軒並み斬首や領地没収・削減されたというのに、名目上とはいえトップの位置に
あった毛利をそのままにできるわけがない。そんな政治的判断もつかず本領安堵の誓約を信じて
ノコノコ大坂城立ち退いてんだから人の良さも極まれり。というか虫がよすぎるって。吉川広家の
見込みも甘過ぎで、前田や島津のように地政学的に僻地ならまだしも、中国地方の大半を占める
毛利領をそのままにしてたら戦後の大名配置のバランスから言っても危険なことになるのは自明
だったんだから。輝元も広家も、結局それぞれ一人踊りをした挙げ句に家康にいいように利用された
だけということ。かなりの部分は自業自得だよ。

171 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 17:15:05
周防と長門だったっけ?
輝元にはまさにそれがお似合いだったな

172 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 17:22:07
>>151
関ヶ原と一口に言っても実際には本拠地の江戸から東北上杉討伐へと向かい
東海道、中山道の反乱分子を鎮圧しつつ西国連合体勢を崩壊させたんだから
事実上の国際大戦。
これは信玄、今川の上洛以上の出来だと思うぞ。
関ヶ原と一口に言っても実際には本拠地の江戸から東北上杉討伐へと向かい
東海道、中山道の反乱分子を鎮圧しつつ西国連合体勢を崩壊させたんだから
事実上の国際大戦。
これは信玄、今川の上洛以上の出来だと思うぞ。

173 :日本@名無史さん:2006/09/23(土) 20:50:10
毛利輝元は西軍総大将なのだからもっと削ればよかった。
蝦夷へ転封でいい。表高は30万石でどうだ?

174 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 11:48:24
いや、毛利は長門、黒田は福岡でいいんだよ、九州、四国への押さえになるから。

本能寺以降毛利は旧敵秀吉の先兵として戦い大老の地位にまで昇った訳だし
徳川時代の毛利も、いざ九州、四国討伐のさいには手柄を立ててやろうと
考えていただろうな。
家康なら当然見透かしていたと思う。

175 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 21:33:07
毛利は島原の乱で役に立ってませんが。

176 :日本@名無史さん:2006/09/24(日) 23:00:55
つか島原の乱鎮圧はほとんど九州勢で、しかも統制取れてなかったとか。毛利は出さないだろう。
まあ、毛利の居る周防は切支丹の本拠地だったから本人はそれどころではなかったかも?

177 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 20:26:41
>>174
だから、毛利家の生地の安芸広島をとりあげ、山がちの二国に押し込め、
立地の悪い萩城を築城させて、監視の意味で西国の押さえに水野勝成を
福山に置いたんだろうな。

まあ、その監視のために置かれた備後福山藩は水野氏断絶で阿部氏に
藩主が変わり、大政奉還の後、長州に攻め込まれて恭順して、対旧幕府軍
の尖兵になるんだから皮肉なもんだ。

178 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 10:31:24
福山藩ってイメージ悪いな。戊辰の時に薩長連合軍に寝返った藤堂と同じ

179 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 12:34:08
でも親分の慶喜自体水戸の尊皇攘夷だったためどっちつかずで恭順してたからな。
単に軍事バランスで語って良いものかどうか。

180 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 23:55:30
藤堂は糞だ!!

181 :日本@名無史さん:2006/09/28(木) 23:57:16
だなw 藤堂のような風見鶏には反吐が出る

182 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 00:14:41
よく生き残ったから有能だったとかアホな負け惜しみいう奴がいるけど
お前らが生き残っても俺らにはなんの関係もないってw
命を惜しんで名を穢す そんな俗物になんの魅力もない

183 :関東人:2006/09/29(金) 07:38:55
愛知県県庁所在地名古屋
なんで三河国岡崎じゃないんだ??天下泰平徳川生誕の地だよ♪
朝敵徳川発祥の地でもあるけど(-o-;)
尾張徳川は御三家筆頭にもかかわらず最後は子が親に弓矢を弾いたではないか!!
道徳の終焉と思う。名古屋空襲で金鯱名古屋城が焼けたの天罰かな??


184 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 12:27:44
ここで偉そうに言ってる人間のうち、実際にいざとなったら命や財産より筋を重んじる人間はいないだろうw

185 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 12:42:36
だから?

186 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 15:11:51
>>183
天罰くだる!

187 :武田信玄:2006/09/29(金) 15:12:41
今川殿の人質だった時の小僧か。
お屋敷の縁側で、わしらの方をじっと見ていたので
何か用かと言うと、あの小僧小便をして笑いよった。




188 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 15:40:38
>>184
西暦2006年だってわかってる?
バカじゃねえの。


189 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 17:17:17
命や財産より義理を重んじる人間のほうが偉いのか? どちらも普通に大事だろう。
金や命を粗末に扱うヤツが通したスジなんて自己満足と裏表だよ。
だからオイラは家康を評価する。

190 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 17:29:48
家康が凄いんじゃないよ尾張名古屋人の思想が偉大なんだよ
大名古屋人は選ばれた最良の人間なんです

幕末に勝手に自爆していた土民とはエラい違いですよね

191 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 21:01:06
>>189
大事な命をかけるからこそ美しいんだろ

192 :日本@名無史さん:2006/09/29(金) 23:20:13
>>191
命なんか大事じゃないって。
一遍を莫迦にした絵巻物とか見てみろって。
当時の命の価値がよくわかる。
だから、時宗なんてふざけた新興宗教が流行った。

193 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 07:10:59
なら藤堂や伊達や真田はアホということで

194 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 11:24:28
そもそも命を懸けて忠義を尽くす美徳と言う思想自体徳川が戦国武士に再教育したものじゃね?

>190
名古屋人と三河人では、どえりゃー違うんでにゃい?

195 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 14:14:47
イスラムの自爆テロも美しいのか?
テロリスト本人は満足してるんだろうけどな、蛮行だ。

196 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 16:11:32
兵士が戦争で死ぬのはあたりまえ。
戦で死ぬのが武士の仕事。国土と国民を守るのが領主の仕事。

裏切りや恭順で領民が戦禍からまぬがれたのならそれはそれで良し。

197 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 20:20:46
一度裏切ったものは何度でも裏切る つまり信用を無くし潰される

198 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 20:25:06
>>195
さあ?オレは日本人だからどうでもいい

199 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 21:12:28
>>198
うそつくなよ朝鮮人

200 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 21:16:54
>>197
このスレ的には家康は潰されなかったからおけー?

201 :日本@名無史さん:2006/09/30(土) 23:30:34
まず少年竹千代は家臣の裏切りで織田の人質になった。父広忠も家臣に殺された。
やがて家康は主家豊臣を裏切り。関ヶ原では多数の大名を寝返らせ豊臣に忠義を尽くした三成を潰す。

裏切りの恐ろしさを本当に知っているからこそできた離れ業だな。

202 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 00:11:46
豊臣家には刑事ドラマでいうところの潜入捜査とかおとり捜査みたいなもんで
潰すことは裏切るもなにも予定調和として当たり前の行動だね

203 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 00:56:58
それは逆の見方をすれば秀吉が家康を監視下に置いたとも言える。
曹操が劉備を手元に置いたように。

204 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 01:40:00
家康は織田のおこぼればかり。
三河はずっと今川の植民地でしょぼい歴史しかない。
織田が今川に勝ったから駿府から脱出できた。
たんなる凡人だよ。

205 :辻小姐:2006/10/01(日) 01:47:49
織田信長は織田信友を裏切っているし、豊臣秀吉は織田信孝を裏切っ
ている。徳川家康が豊臣秀頼を裏切ったことは事実だが、主家を裏切
ることが、武将の評価を下げるとは、わたしは思わない。

206 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 02:04:41
だからどうでもいいって家康なんて。
戦国の一番困難なところで何もしてないからさ。
できあがっ餅食っただけw

207 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 02:22:06
>>205
秀吉が主筋としているのは信忠直系の三法師であって信孝ではない。

208 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 05:04:56
>>207
秀信の扱いを見ても忠義だとは言えないわけだが。

209 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 05:05:59
>>206
一番困難なのは安定した政権を樹立することだぜ。
信長にも秀吉にもそれはできなかったんだから。

210 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 06:44:30
裏切って生き延びて天下を取るならまだわかるが
ただ生き延びるだけってのは糞だね 

211 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 06:51:59
>>208
大名として遇してるし、秀信自身が西軍に付いたりしてるから
豊臣家を悪くは思って無かったであろう事は推測できる。
忠義と言えるほどではないが、不忠と言われるほどでもないと思う。

212 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 06:56:21
信長のバカ息子達より孫の三法師のほうが余程聡明だとは思うよw

213 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 07:10:41
真田信之とか本当どうでもいいよな
よくコイツを持ち上げ昌幸・信繁をけなすアホがいるけど
真田家が幕末まで生き延びようとそんなことは俺たちにとってはどうでもいい
昌幸の篭城戦での活躍や信繁の大阪の陣での奮闘 そして死こそが真田の
名を上げたのであって信之が生き延びたことなどはどうでもいい

214 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 07:28:44
なさけなくも無様に生き延びました 偉いでしょ?エヘッw
ってばーか 潔くねーんだよお前はw 尊敬なんてされねーよ
ただの恥知らずだけだろ

215 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 07:40:13
藤堂の穢れた裏切りの血は幕末で発揮されたな
あれだけ家康に重用されたのにw これでこいつ(藤堂家)の真価は決まった

216 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 08:29:38
>>211
秀信が分をわきまえてただけだろ。
あれで安土に入って豊臣家に従わなかったら秀頼と同じような目に遇わされてたよ。

逆に言えば秀頼だって分をわきまえていれば滅びずに大名として生きて行けただろ。
もっと石高は減らされるだろうが。

217 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 08:34:42
織田の下僕なら織田を食いつぶしてのし上がるのが忠義ってもんだw

218 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 08:38:11
織田家がバブルしたのもすべて外様のおかげだもんな
信長も織田家なんてどうなろうと知ったことではなかったろうよ
秀吉&家康に乗っ取ってもらって感謝してるだろう 地獄で

219 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 08:56:24
>>213
むしろ本人も自分より弟のほうが優れていたと認めてるしな
無様に長生きしたことを恥じ入ってるくらいだし

220 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 09:29:43
無責任で厨なこと言ってる連中がいるけど、
真田の家臣団の立場なら、信之の存在は十分に意義がある。

昌幸はともかく、大坂城に籠城した信繁こそどーでもいい。

221 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 09:33:53
と真田の家臣が申しております

真田の家臣じゃないオレからすれば信之なんていてもいなくてもどうでもいい
その家臣もな

222 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 09:39:25
真田の家臣団の立場<<<<<<<<<<<<<<<<<<<、越えられない人格生き様の壁<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<他の忠義の家臣団

223 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 09:42:42
同じやつが連投してるのがよくわかるスレだなw
真田なんてどうでもいいスレなんだよ。

家康が長生きしたのも、うまく順番がまわってきたのも、幸運といえ
ばそれまでだが、運も実力のうちだ。でも運だけで天下は取れない。

224 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 09:44:57
家康は運がついてたよな(糞もらし)

225 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 10:20:45
で、家康の子孫の松平定信の息子が真田の養子になって老中になってるんだよな。

世の中、わからんもんだ。

226 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 11:31:53
家康が江戸時代に儒教を奨励したのは正解

227 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 16:46:38
>>226
たしかに。
家康は少年時代から近隣大名による圧迫。家臣の裏切り。一向宗の反乱と、
足元の根底からこづき回されて来た。
宗教や思想教育について非情なまでの理想と現実を混在して持っているのが家康。

228 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 18:46:42
>>215
藤堂高虎が裏切りだらけの人生と思い込んでいる馬鹿がまだいたかw

229 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 19:48:41
>>228
現代の転職だもんな。
自分を高く評価してくれる主君に仕えた合理的な武士だ。

230 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 00:25:29
儒教を取り入れて確立させたことにより徳川は落ち目になっても長々と続いて政策的には正解だったけど

いざ落ちると過去をほじくられて「裏切り最低、不忠は武士に非ず」
と儒教思想の人達に叩かれてたいへんだな

231 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 06:48:39
>>229
幕末に裏切ったのは一体どういうわけだろうね?高く評価されたのかね
官軍にw

232 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 06:52:46
幕末に関ヶ原依頼の復讐を果たした
薩長 島津&毛利のほうがよほどかっこいいな
藤堂は結局また主君を裏切る ただの変節野郎だ

233 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 07:28:41
>>195
お前は本当におめでたい奴だな
正義なんてものはひとそれぞれ持ってるものなんだよ
この世の戦争は正義と正義のぶつかり合いだ
正義は一つと思ってるお前は平和ボケの糞野郎だ

234 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 07:35:07
家康が凄いってより三河の人間が神ってだけだと思う

実際に三河の人間って現代でも優秀でカッコイいいから憧れるよね
俺は名古屋出身で東京に在住してるけど
三河って永遠の憧れだしさ

235 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 07:37:23
尾張人は妙な釣りは止めてください

236 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 07:59:15
>>235
つ尾張小牧ナンバー圏

237 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 09:39:15
>>231
幕末の話なんかしてないスレの主旨も流れもわからんのか?
藤堂高虎は幕末の人物だったのか?
オマエの脳細胞は生きているか?

238 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 12:50:02
>>237
家康を騙るのに幕府を語ってなにか不都合でもあるのか?

239 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 13:03:24
脳内が、家康≒幕府
250年も思考が停止したままw

240 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 13:08:25
家康の失策 島津と毛利に恨みをかって藤堂は優遇


241 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 13:17:48
>>239
>>1

242 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 14:02:39
幕末の藤堂の裏切りと家康の評価になんの関係があるだね?



243 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 14:06:22
>>242
裏切り者を生かしておいたから幕末で潰される 徳川


244 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 14:11:11
>>241
可哀想に・・・日本語も読めないのか。

245 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 14:48:56
228 :日本@名無史さん :2006/10/01(日) 18:46:42
>>215
藤堂高虎が裏切りだらけの人生と思い込んでいる馬鹿がまだいたかw


246 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 15:19:40
ここで原点に戻ってみる 

家康ってすごいのか???w

247 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 15:34:54
どう考えてもすごいだろw
人事や根回しだけとっても近代の総理で言ったら田中角栄以上の政治力だよ
我々の想像を遥かに超える政治家だ。

藤堂なんてどっちつかずの土豪が裏切るのも家康には想定の範囲内だよ。
将棋で言えば「と金」を敵陣の手前に打って置いたようなものだ。
捨て駒が敵の手駒に取られるのは想定内。

逆に徳川御三家という飛車角まで錦の御旗に取られてしまったが・・・

248 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 20:25:31
>>247
戦略眼に優れてなけりゃ退却せずに関ヶ原に布陣なんぞしない罠

戦術眼も優れてるから自らの不利を演出出来るし



人間性は置いといて
軍人兼政治家としては非の打ちどころは無い罠


信長は軍人としては家康なんぞ太刀打ち出来んかったが平時の政治家としての安定思考の資質が欠けてるし
秀吉は貧乏臭いってか権威主義の軍人で政治家としては家康以上だけど軍人としちゃ疑問だし



249 :日本@名無史さん:2006/10/02(月) 21:27:52
長生きすればいいなら天海僧正の天下だわなw

250 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 01:21:06
信長秀吉は人を発掘することに関しては家康より上だと思うよ、ベンチャーからのし上がって
大企業に成っちゃったホリエモンな感じ。
家康は潰れかけた町工場のあととりからプロジェクトXで復活した

信長は敵将道三をライバルとして研究しマネして成功した、若いから道三より長生きできるからな
家康はたぶん信玄や今川だろう。

251 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 04:16:44
家康って武芸者としてはどうだったんだろう。

252 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 05:10:07
>>251
鉄砲から剣術まで真面目に師匠について習ってたらしいな。
信長は鉄砲、秀吉は個人的な武芸の心得は無さそうだが。

253 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 08:33:39
個人的な武功としては、家康が自ら戦ったのって三方ヶ原の敗戦の時弓で敵を射倒して逃げたくらいじゃないかな?
信長の場合は、斎藤氏に雇われた刺客達を威圧してビビらせて追い払ったり、自ら戦場で林美作守を討ち取ったりとかしてるけど

254 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 08:57:06
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、                       

勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。

己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。



255 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 08:57:32
>>253
三河の一向一揆相手には家康は陣頭指揮してる。
それで逃げた旧家臣や家康の危機に一揆から寝返った元家臣がいたはず。

256 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 09:02:13
ウィキによると・・・

家康公遺訓
「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし・・・」で有名な家康公の「御遺訓」は、
明治時代に元500石取りの幕臣、池田松之介が徳川光圀の遺訓とされる「人のいましめ」
を元に家康63歳の自筆花押文書との体裁にしたものを高橋泥舟らが日光東照宮など各地
の東照宮に収めたものであることを尾張徳川家の徳川義宣が考証した。
また、これとよく似た『東照宮御遺訓』(『家康公御遺訓』)は『松永道斎聞書』、
『井上主計頭聞書』、『万歳賜』ともいう。これは松永道斎が、井上主計頭(井上正就)
が元和の初め、二代将軍徳川秀忠の使いで駿府の家康のもとに数日間の滞在した際に
家康から聞いた話を収録したものという。江戸時代は禁書であった。一説には偽書と
されている。

↑これだと御遺訓は2種類あることになるが、同じものじゃないの?

257 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 09:49:35
>>255
ああ、家康に背いたくせに戦場では戦えないんだ、と逃げた武将がいたとかの話か
でもこれって冷静に考えるとコントだよなぁw

258 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 10:28:52
まあ甘いと言えば甘いが、
ようやく独立できた自分たちの殿さんを
自分の手にかけるというのが嫌だという気持ちもわからんでも無い。

そういう甘さがあったからこそその後の講和が成立したんだろうし。
もっとも、家康本人は家臣と宗教の統制の必要性を痛感してそれが
その後の政策に繋がってるんだが。

259 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 16:22:44
いくら家臣でも心の問題に介入してはいけないとか?


260 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 16:45:05
政教分離だろってことだろ
詭弁弄してまで一向衆の拠り所である寺を三河から一掃しとるし

261 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 16:49:54
政教分離なんてできるかね?キチガイじゃないとできないだろ

262 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 17:52:56
じゃあその政教分離をやった信長・秀吉・家康はキチガイか…

263 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 17:53:51
三キチガイだな

264 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 18:08:47
信教の自由を認めないんだから
キチガイだね 信長秀吉家康の三馬鹿

265 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 19:41:18
いや、三人とも世俗に介入する教団などは規制したが、宗派や信仰そのものを排撃したことはないぞ
安土宗論でさえ「他宗派を攻撃するな」程度の罰則で終わったし

266 :日本@名無史さん:2006/10/03(火) 22:19:03
>>251
家康は技術的には達人クラスだよ。
まず上泉伊勢守秀綱が門人「奥山急加斎(休賀斎)」に神蔭流剣法(奥山流)を七カ年学んだ
奥山神影流とは現在の直心影流や鹿島神流の系統だな。
さらに弓は竹林派の石堂藤右衛門の免許。馬術は大坪流、八条流共に印可皆伝。鉄砲は稲富流免許
剣、薙刀は新当流(有馬流)の奥義皆伝、ちなみに有馬流は家康が宗家代理だった。

267 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 07:58:27
それらのものは実力なのか?
主であるとか身分の高い人だから、の「義理許し」じゃないの?
実戦経験がないから、畳の上の水練という可能性も

268 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 08:29:27
>>267
実戦の経験は山のようにあるだろw

つか、馬術は見りゃわかるし鉄砲は狩りの時の記録が残ってるが
ちゃんと獲物を仕留めてるぞ。

269 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 08:38:01
つか、ガチで実戦で剣術使った経験のある剣豪なんて足利義輝くらいだろうに
江戸期の剣豪なんて実戦経験なんてないしな

270 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 08:39:27
>>264
明治政府もキチガイだなw

271 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 09:06:04
この場合は実際に武芸を生かした場面が実戦であったか、では?
普通に戦場に出た、ということなら他の大名だって殿様芸ではありえないことになるし

272 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 09:10:21
大将が武芸を活かすような場面がごろごろあったらマズいんじゃないか?
そんな大将は戦国時代じゃあまり長生きできまいよ。

273 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 09:22:11
この場合は、武芸の腕が本物かどうか?というネタで雑談してるわけで
大将が個人的武勇に頼るもんじゃない、という意見とはまた別でしょ(実戦でも個人武勇を何度も見せた信長すら、一騎打ちした氏郷をたしなめてそれは大将のやることじゃないと言ってるし)

274 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 09:24:41
>>273
だからそのレベルで本物認定できるのは上で出てる足利義輝だけなんじゃないの。

275 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 09:30:46
自ら敵七騎を倒した佐竹義重なんてどう?

276 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 09:33:22
>>275
具体的な武芸の腕かどうかわからんしょ。
戦場では勇敢さが物を言う場合も多いし。
もちろん、個人的武勇に優れてないとは言わないけどね。
それと武芸の腕というのはまた別じゃないかと。

277 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 09:51:06
上に立つ者はひとを使うのがうまければいいんだよ。
超ワンマン体制の豊臣政権は呆気なく滅んだ。

278 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 10:29:55
>>276
てめぇは屁理屈ばかりでつまらん人間だな

279 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 10:35:37
>>278
もともと>>267がつまらん質問だろ
お前のレスも俺のレスもそうだがな

280 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 10:53:13
実際、柳生新陰流の伝書を最初に但馬守から得たのは大名で
それ以前は一門継承でしょ
実力的に優れていたから貰えた、というのは疑問
と、いうか本当に実力があれば自分で一流立てるか、そもそも道場剣法に興味ないんじゃね?w

281 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 10:54:19
>>280
実力があった義輝は将軍の癖に剣法オタクでしたがなにか?

282 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 10:58:54
逆に言えば義輝一人ぐらいだろ
そういうのを普通は「例外」とするのでは?
北畠具教も最期についての異説(織田に通じた家臣に謀殺されかかったが、返り討ちにしまくってラストは自害)を信じるのなら、かなりの腕だったことになるが

283 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 11:02:58
剣術習ってた大名の中でも印可まで貰えた大名は少ないんじゃないか?
全部が実力とは言わんけどさ

284 :日本@名無史さん:2006/10/04(水) 15:07:04
少しは家康の話もしてやってください。

285 :九郎散人:2006/10/04(水) 18:36:25
たしかに武芸の世界には「義理許し」の免許はある。
だが大名豪族の殿様がすべて義理免許という考えは早計だろう。
上泉伊勢守、塚原ト伝、柳生石舟斎、小笠原源信、長野無楽斎、松本備前守、中条兵庫・・・
いずれも小豪族や大身の武家、若き日の家康と同じ弱小大名だ。

>本当に実力があれば自分で一流立てる
そのとおり。有馬流は実質上家康が宗家代理となって立てた流派と言っていい。

286 :日本@名無史さん:2006/10/05(木) 23:00:24
家康は武田の遺臣を多くかかえたと言うけど詳しい人いる?

287 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 12:56:28
抱えたといっても多くが陪臣以下だからなー
甲斐同心なんて半農レベルだし

288 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 14:53:43
井伊の赤備えは武田の旧臣

289 :日本@名無史さん:2006/10/06(金) 21:59:43
NHKの日本史で水戸藩に入れたとか言ってたなかったかなー?

290 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 12:34:06
大久保長安ぐらいじゃね?有力な徳川家の直臣になれたのって

>>288
だからそれは井伊の家臣だから、家臣の家臣=陪臣

291 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 20:59:12
井伊が勝手に抱えたんじゃなくて家康が付けてやった。
確かに陪臣だが家康の意向なら家康の功績に違いない。

292 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 21:24:11
>>287
武田の一門とか家臣とかで旗本になってる家はけっこうあるけどな。

293 :日本@名無史さん:2006/10/07(土) 22:32:17
武田家を継いだのが家康の実子信吉なんだよな。

294 :日本@名無史さん:2006/10/08(日) 01:38:15
八王子千人同心も身分は旗本ではあったようだが、百姓でもあったようだし。

295 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 11:01:01
譜代・親類衆重用主義を貫いたから家康政権は安定した
だから武田家の遺臣を重用するには限度があったのは当然
長安だって没後は怪しい不正をとがめだてられ、遺骸を暴かれ晒された上男子の遺児は皆殺しという目にあってる

296 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 21:16:46
北条の遺臣の中山信吉は水戸頼房の付家老だもんな。
陪臣ながら大出世。

297 :日本@名無史さん:2006/10/09(月) 23:38:22
陪臣だから出世できたのでは。直参だとどうだろ?

298 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 01:50:33
よく家康は、豊臣家を裏切ったとか言われるが、実は家康こそが豊臣家の正統後継者
である事を誰も指摘しない。
家康は秀吉の数少ない肉親の妹を正室にしていて、秀吉の義弟であった。
一方の秀頼は当時から、秀吉の子では無いと噂され、事実秀吉の正妻である、ねねも
秀頼に味方せず、家康に付いた。
秀頼が秀吉の子でない以上、義弟である家康にこそ、豊臣を継ぐ資格がある。
大坂冬の陣は、豊臣家を乗っ取らんとする側室淀殿陣営とそれを阻止すべく戦った、
正室ねね・義弟家康連合の戦いであった。
こうして見ると、家康陣営が勝利したのも当然で、家康こそが正義であったことが分かる。

299 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 08:09:49
家康って我慢強いようにいわれるけど、結構執念深くて残忍な面があるんだな
長安の不正については幕府の政争絡みの冤罪っぽいし
今川の人質時代に鷹狩で迷惑かけたために嫌味いった相手(今で言えばボールを他人の敷地内に蹴り込んで叱られたようなもの)をずーっと後になって切腹させてるし
戦場でイラついてたからって傍にいた自分の旗本を斬り付けたこともある
対外的に忍従していた反動かね?

300 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 10:53:58
戦国の世とはいえ、幼少時に叔父に売り飛ばされて人質生活を送り、
父親もさっさと殺されちゃえば普通に育たないだろう。

301 :日本@名無史さん:2006/10/10(火) 11:20:06
家康が売り飛ばされた金額って、当時一般的だった人買いの相場と比べてもかなり安かったんだっけか

302 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 16:57:40
三河人の気質というのは関係有るか?

303 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 02:49:13
徳川家康は素晴らしい!
小心者であるからこそ、天下を取れたのだ!
毛利元就、武田信玄は小心者だったからね!

304 :日本@名無史さん:2006/10/12(木) 17:41:24
運と決断力が無いと天下は取れまい。

305 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 18:23:26
>>298
そうならやっぱり源氏でなく、豊臣朝臣を名乗ってほしかった
あるいは秀康を豊臣姓に復して、存続させてほしかった

306 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 20:52:03
雑魚が家康家康ってうるせーな!
一人ずつ処理してやるからこいや!
おれには勝てねーよ!
http://pr3.cgiboy.com/s/4657088/
最高だろ?


307 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 21:21:47
>>303
家康は小心者というより優柔不断だったらしい
わが殿はにえきらなくて・・・と家臣がぼやいたという話をどこかで読んだ

308 :日本@名無史さん:2006/10/13(金) 21:33:07
三方が原の軽挙で失敗したから、考えが慎重になったのだろう。
どう批判しようとも子孫が260年も政権トップにいられる基盤を
築いたのから、すごいに決まっておる。


309 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 01:04:02
>>308
たまたま運がよかっただけだろ。
運良く株で連勝し、80億稼いで子孫が安泰になったとしても、
ダレもえらいとは思わん。
政策には見るべきものがない。

310 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 14:46:13
>>309
「仮想的有能感」の見本ですね。

311 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 14:51:27
政策は優秀な官僚、大臣にやらせればいいんだよ。
大事なのは組織の人事権を掌握する事、でないと勝手に暴走されちゃう。
天下取っても家来に暴走されたら意味がない。

312 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 15:56:25
>>309
頭の悪い陳腐な例えだなw
スレタイは「えらい」じゃなくて「すごい」だよ。
80億稼げばすごいだろ。

313 :日本@名無史さん:2006/10/14(土) 16:36:42
>>312
そもそも桁が違うしw
80億程度だとゴロゴロしてるし・・・・・

314 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 01:16:48
80億儲けるレベルの実力ってことだろう、
確かに生き延びる力は相当あるかもしれないが、
刀狩や信長の諸政策のようなアイデアがない男ではある。

315 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 02:42:06
楽市楽座とかは斎藤道三のマネでしょ、信長のアイデアでは無いし。
刀狩なんて派手な名目つけなくても徳川幕府は安定期になってから正雪や無宿人、
生類憐れみ令などにかこつけて武器取り締まりを行っている。
また、切支丹禁教にかこつけて檀家制度を一般百姓のすみずみまで組み込み完成させる。
さらに息子に対してすら将軍職は世襲させつつ源氏長者は譲らない念の入れよう。

このようにじわじわと多角的に締め付けてくる政策こそ徳川の恐ろしさだよ、
教科書に書かれて無いから無策だったとは言えない。

316 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 16:44:26
>>314
部下の謀反で殺されたら無能そのもの。
人心掌握も危機管理も全くなってない。

317 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 18:42:07
信長なんかは人心無視してやるのがとりえだけどね
光秀が謀反起こしたと聞いて、「是非もなし」
そのくらい徹底していれば気持ちいい

318 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 18:47:57
80億以上儲けたら人生の勝ち組だろう

319 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 20:01:35
流れをぶった切って漏れの家康像。

乱世にあって、戦災や権力闘争から逃げ回ってただけだが、
最後の最後で奮闘、秀吉の座をすべて引き継ぐ。清朝以後の支那のごとき武将。
こんな感じがする。最初から最後のお家乗っ取りまで戦略を考えてたのなら
まさに天才だけど、実際そうなのかな?運が良かっただけなような・・

320 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 21:50:09
三河一向一揆で一向宗の寺を徹底的に破壊し
今川から遠江を切り取り
本能寺後は甲斐・信濃を切り取り
秀吉の大軍と小牧長久手で戦い
秀吉から母と妹が送られるまで頑として臣従しない家康が
戦災や権力闘争から逃げ回ってただけ?君は歴史を勉強しなおした方がいい

321 :日本@名無史さん:2006/10/15(日) 22:29:51
信長から秀吉そして家康で完成したようなもんだからこの三人のうち一人でも欠けていたら、天下泰平の世はなかったと思う、   楽市楽座は六角氏もやっていたんだね。信長

322 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:06:42
信長が最後まで同盟を結んでいたのが家康。
秀吉が徹底的に恐れていたのが家康。
伊賀甲賀根来の忍びを丸抱えしていたのも三河松平家。

そんなに簡単に運良く天下を取ったわけでは無い。取れるべくして取ったのだ。

323 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:08:04
運だけで棚ボタ式に天下が転がり込んできたとすれば、そのほうがすごいかも

324 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 01:41:55
>>322
信長が最後まで同盟を結んでいたのが家康。→同盟という名の主従
秀吉が徹底的に恐れていたのが家康。→四国、九州征伐後はいつでもつぶせた
伊賀甲賀根来の忍びを丸抱えしていたのも三河松平家。→そんなバカな


325 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 12:44:38
家康って群馬県出身?と聞いたけど?

326 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 13:33:52
>>325
そりゃまたトンデモな話を聞かされたなw

327 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 16:33:03
信長・・曹操
司馬懿・・秀吉
司馬炎・・家康

328 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 18:37:21
>四国、九州征伐後はいつでもつぶせた

↑無理。小牧長久手の戦いを見れば野戦能力の格の違いは一目瞭然。
変幻自在に陣を敷き、諜報攪乱に優れた家康に秀吉の戦術は通用しない。
それに、もし戦えば全国の反豊臣を寝返らせることは家康には可能だったろう。
時期を見、財力を蓄えていただけ。

329 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 19:06:33
関ケ原の西軍の総大将は石田三成ですよね?それと、家康が討死し影武者が指揮をとったと説がありますが、この説はどこからでてきたの?書物から?

330 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 19:46:01
http://www.google.co.jp/gwt/n?mrestrict=xhtml&site=search&q=%E8%A5%BF%E8%BB%8D&source=m&hl=ja&ei=CV8zRZqDHMbUJIDdxW4&ct=res&cd=1&rd=1&u=http%3A%2F%2Fhomepage1.nifty.com%2FSEISYO%2Fseki-ni.htm

331 ::2006/10/16(月) 20:16:08
家康は大阪夏の陣の時、後藤基次に大阪の和泉の地にて棺おけに隠れている途中
槍で刺され死んだと噂をききました。その後家康のあと天海の坊さんが
影武者となり最後まで指揮をとったと言われております。


332 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 21:16:51
>>329
釣れますか?

333 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 23:31:02
>>328
小牧・長久手でも、もしあのまま続けていれば家康は潰れていた。
伊勢方面では同盟していた信雄方の城が物量の差で落とされ続けて
信雄は単独講和を考えていた。
緒戦のパールハーバーで戦果をあげても圧倒的に物量に差がある秀吉
には勝てるわけがない。
秀吉は両面作戦を避け、紀州の反秀吉勢力(雑賀・根来)、四国の長宗我部、
九州の島津と西国の平定を優先し東国は後回しにしただけ。
毛利とも最初は戦って苦境に陥ったこともあったが、
臣従した後は特に潰そうとはしていない。
家康も同じで最高顧問となって配下になった国粋会を潰す必要はない。


334 :日本@名無史さん:2006/10/16(月) 23:40:31
家康の凄い所は天下統一をあえてしなかった所。
子孫にも天下統一せよと遺言しなかった。
だから江戸時代は発展し、子孫も生き残れた。
対して一党独裁のシナ、チョンの人民の悲惨さ

335 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 00:09:36
>>315
ぶっちゃけ家康が「アイデアがない」とか「古い」とか言われてるのは
内容云々以前に、実際に家康の統治方針が「江戸時代」という形で
最終的に一時の日本全体の統治形態のスタンダードと化して、かつそれが
「過ぎた時代のお話」になってしまったことに起因すると思う。


336 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 07:57:20
信長や秀吉を踏み台にしたやり方が、神君マンセーが通じない時代ではウケないんだと思う
あと、やっぱり英雄だと人々が認める条件のうちいくつかを満たしていないとか(悲劇的な最期を遂げてない、とか劇的な劣勢を逆転する手腕を見せたわけじゃないとか)

337 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 17:41:47
松平家当主でありながら人質という状況は立派な逆境。

338 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:12:33
なんで義元は広忠なきあと三河の直接支配に乗り出さなかったのだろう。
当主もいないのに、人質なんてとってる意味ないじゃん

339 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:38:39
>小牧・長久手でも、もしあのまま続けていれば家康は潰れていた。

だったら講和に乗らず戦闘を続けた方が秀吉にとって得策だったはずでは?

340 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 20:45:19
>>339
潰せればね・・・

戦術レベルでは秀吉の完敗だからこその講和なんだけどねw


341 :日本@名無史さん:2006/10/17(火) 21:34:50
秀吉ですら家康と結ばない事には東国に手をつけられないのは確かだろうな。

342 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 02:12:34
>>339
長宗我部と雑賀が大阪城を攻撃する勢いだったので2正面作戦を避け、
家康をつぶすのを後回しにしただけ。
結果的には長宗我部一味の動きはたいしたことはなかったので、
家康を潰しておくべきだった、秀吉の判断ミス。

>>341
そんな馬鹿な、当初北条との周旋に熱心でなかった徳川に怒り、
徳川に対して陣ぶれを発しようとしたほど。
徳川・北条が連合したとしても秀吉には簡単にひねられること
を知っていた家康は、あわてふためいた徳川は急遽、
北条にたいして圧力をかけ氏規を上洛させることに成功、
しかし結局北条征伐となり先鋒をかってでた。



343 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 02:19:02
こんなスレ立てて再認識お願い、とかやってること自体、
雑魚だと言ってるようなもの。

344 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 06:13:55
秀吉って晩年の痴呆での明征伐の失敗以外、一度も戦に負けたことないよね?

345 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 08:36:35
秀吉が家康を潰すつもりなら朝鮮出兵に参加させたことだろう。
しかし家康は名護屋までしか行ってない。秀吉には家康を渡海させ
るだけの力は無かったのだろう。

346 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 17:43:22
>>344
秀吉が家康の前でそれ自慢したら、小牧長久手の敗戦をお忘れかと言われたんだろ。

347 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:08:59
>雑賀が大阪城を攻撃する勢いだったので2正面作戦を避け、
>家康をつぶすのを後回しにしただけ。

・・・それって完全に家康の策にハマッてる事だよ。
それに小田原合戦はどういう理由で始まり、最後に誰が一番得をしたか考えてみれば
真の黒幕の恐ろしさがわかるはずだ。

348 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:28:57
>>346
小牧・長久手では伊勢方面では秀吉の勝ちで、尾張・三河方面では引き分け。
家康は秀吉軍の攻勢をしのぐだけで手一杯で、秀吉方の中入りが失敗(池田勝入斉)
したあとも基本の構図には変化はなかった。
家康は、雑賀+根来+長宗我部+佐々+信雄+家康の連合で秀吉に対抗していた
わけだが、家康はうまく危地を脱したと言えるだろう。
雑賀衆・根来衆の大坂攻撃は明石元次郎のロシアでのかく乱工作と同じような成果
を上げた。
しかし、かつて同盟していた諸侯が征伐されて九州も平定されしまっては、
対抗するどころではなく臣従(ペコペコ)するしかなかった。

349 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 18:50:05
諸侯征伐こそ家康にとってチャンスだよ。
秀吉が敵を一つ一つ潰していってくれるのだから黙って内側から見ていればいい。
秀吉も信長が敵を潰しておいてくれたから織田を乗っ取るだけで天下を取る事ができた。
家康は臣下の礼を取りながら豊臣を乗っ取れば良いだけだもの。

350 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 20:09:00
そんなに最初から戦略を持ってたのかなあ。なんだかあれよあれよと言う間に列島を統一したような感じがするんだが。

351 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 21:51:39
で、最後に全部かっさらった家康はすごい。
ということで。

352 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:36:00
>>348
あの時点で家康に対抗しぬくつもりはなかったろうな。
「抵抗するぞ」という覚悟と「容易には潰せない」という意識を
植えつけて、安易な扱いを受けないようにするのが眼目だった
と思われる。小牧長久手後も交渉レベルで粘りまくってるし。

逆を言えば常に秀吉から睨まれる立場に自分を置いたわけで、
むしろここでナンバー2の地位を守りつづけたってことが
家康の凄さのような希ガス。

353 :日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:52:28
戦国時代
http://hobby8.2ch.net/sengoku/

354 :日本@名無史さん:2006/10/19(木) 00:05:04
>>352
兵法三十六計反客為主だな。
客として居たヤツが重役職になり、いつの間にか主人に取って代わる。

高祖劉邦も項羽に頭が上がらず辺境の地へ飛ばされたが、結果として辺境で力を蓄える
事となり、反項羽陣営の拠点となる。

355 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 22:47:22
豊臣秀長、小早川隆景、前田利家あたりが長生きしてたら家康の天下はなかった。

356 :日本@名無史さん:2006/10/20(金) 23:04:17
そうなの?

357 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 08:17:20
家康は「待つ」ところがすごい
他がバタバタこけて、もう家康しかなくなるまで待つ

時期が至れば一気呵成
ため込んだパワーを放出しまくる
運がいいといわれるのはそういうこと

358 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 10:40:28
豊臣家の内紛を軍事面で実現させた関が原。豊臣家の弱体化に成功。
秀忠軍は遅れて安泰、結果論とはいえ上手すぎる。

359 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:52:27
>>355
秀長はともかく
隆景は三成に加担する義理も無いから内通して御家安泰を企む可能性が高い
中国大返しの隆景と関ヶ原の広家は末路が違うだけでやってることは同じ
利家は牽制役には使えるが家康を打倒できるほどではないし
現に利家在命中にもためらいなく天下取りの下準備をしていた
さっさと病死したから見苦しいところを見せずに評価を落とさなかっただけだろう

360 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 22:33:54
>>357
実際その「待つ」過程も決して楽なもんじゃなかったしな。
織田との同盟時は主従の関係に近い犬馬の労を厭わず、
睨まれたときは息子の首すら差し出してるし。
秀吉に臣従した際も、実力で手に入れた遠駿三の領地から
江戸の田舎への国替えを受け入れてる。
結果生き延びたものの、実際その時その時まさに「死地」
だったろうな。


361 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 23:58:18
うーむ、すごい人生だ。
ある意味信長より身内の血で血塗られた天下人ではあるな。

362 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 03:48:25
>>359
しかし、利家のほうが家康より長命なら天下は取れなかった。
秀吉亡き後、何回か家康を抹殺する機会がありながら出来なかったのは
病で気力が衰えていたからだろう(秀頼の後見役なので立場は家康より優位)。

もし隆景が存命なら関ヶ原のような事態さえ発生せず、
いわゆる集団指導体制が続き徳川の天下はなかっただろう。
輝元+吉川広家では家康の専横を抑えられないが、隆景なら重みが違う。
それでも関ヶ原のような事態が発生したら、大阪城で秀頼を手中にし、
しかも、家康に対抗できる声望があるので西軍につく武将も多く、
天下が狙えたかもしれない。(もちろん金吾の裏切りもない)


363 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 09:14:36
まあ、そのじいさん達が死んだら近い内に豊臣は分裂を始めたろうね。
バブルはいつまでも続かないもんさ。見た目は強大でも構成はボロボロ。

毛利だってもともと豊臣の家臣では無いが家康に対抗するために担ぎ出されただけ
だろうし、命をかける義理はないからあんな感じだったんだよ。

364 :日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:50:08
秀吉に頼れる一門衆や譜代がしっかりと居ればまた話は別だったろうけどねえ…

365 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 22:21:28
家康がすごくないとしたら、同時代の誰がすごいんだ?


366 :日本@名無史さん:2006/10/24(火) 23:01:06
今川氏真の蹴鞠がすごい

367 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 15:51:45
当代記という史料によると、三方ヶ原戦では実は家康は信玄を見逃して持久戦することを決意してたらしい
ところが信玄軍を監視させていた物見が敵に石を投げて挑発しているうちになし崩しに戦闘になり、慌てて出て行ったら大負けしたと……
負けを承知で飛び出していった、という「武士らしい」話は家康を英雄に仕立てるための作り話?

368 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 23:04:22
武士らしいかもしれんが、大将としては最悪だな。

369 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 00:18:04
「あの」信玄に立ち向かったと言うんで武将としての評価は高まったようだが

370 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 01:02:17
まあ、最初から勝ち目のある戦ではないからな。
あの今川ですら信玄には情報が筒抜けだったらしいし、織田を潰せば家康は
屈すると考えたんだろ。

371 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 01:10:18
>>365
秀吉しかいないよな。
徒手空拳で天下人になったというのは空前絶後だ。
明智(11日間天下人)や家康は当時は落ちぶれていたとはいえ
領主層に属していたが、秀吉はまったく違う。

372 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 02:19:56
50才頃に14才を側室にしたロリ変態親父なんでしょ

373 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 03:43:00
>>372
ねね様だって結婚当時それくらいの歳じゃなかったっけ?
うらやま(゚η゚)

374 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 10:19:32
秀吉って肖像画を見ると白人みたいな顔してるよな。ロシアのプーチン大統領を日本に閉じ込めて30年くらいしたらあんな顔になるのでわ?

375 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 10:38:41
逆にぶくぶく太りそうだぞw

376 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 11:26:58
権力者に側室を上げるのは名誉って時代だからなんとも…
秀次事件みたいに酷いとばっちりの原因になることがあるからなぁ
そう言う意味では権門からの側室迎えるのをほとんどしなかった家康は変わってるかも

377 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 12:00:38
信長の側室は三人だけだっけ?
信長にもっとも愛されていたとされ、嫡子を産んだこともあり正室並の扱いを受けていた生駒氏
近江土豪の娘の鍋氏
あと坂氏(身分の低い女性だったとされる)
秀吉はもとより、家康にも負けて(?)るな

378 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 16:57:41
>>377
お蘭がおるよ

379 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:36:16
>>371
つーか家康の場合むしろなまじ属していただけにヤバかった
ともいえる。
なんも持ってないやつの命をあえて取ろうとする奴はいないって
意味では、あの時代の弱小領主ほどやりにくいものはない。
特に家康の場合、今川の人質→織田との同盟→秀吉への従属と
人生の大部分を「自分以外の人間の胸先三寸で首が飛ぶ」
ところで生きてるわけで。
確かに家康が秀吉の立場では上手く行かなかっただろうが、
逆もまた然りだろうな。


380 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 22:50:32
実際自分の息子の首が飛んだわけだしな
家臣とかもつまらん理由で殺されているし何時裏切られるかもわからない。
戦場に出さる時は最前線。 ・・・いやいや大変だ。

381 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:43:25
腐った正室、築山御前。

382 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 11:26:42
ずっとNo.2だった家康が、秀吉が死んでNo.1になれそうだった時、
あえて秀吉の遺命に背いて諸将の反応を試した時期がある。

No.2時代の経験をNo.1になってからも活かせるのはすごいと思う。
秀吉はNo.1になってから判断ミスだらけ。

383 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 21:36:22
>>381
つ旭姫

384 :日本@名無史さん:2006/11/07(火) 22:02:34
三河武士ってどうよ?

385 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 14:25:42
譜代の三河武士は忠誠心が厚い。つか厚すぎる
宗教絡み以外では家康を裏切ったのって石川数正ぐらいでしょ
天下を取っても家康の子などは何十万石の大封なのに、自分達は最功臣でもせいぜい10万石程度
そんな冷遇でも満足するんだから

386 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 14:42:03
思い込みとは妄想の世界

387 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 15:36:26
>>385
三河武士が忠誠心篤いという説は、家康家臣からきている部分大だろう
家康自身のキャラが妙に説得力あったということ
普通に言えば人格者だった

388 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 15:44:34
>>382
試したって?

389 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 16:21:22
三河武士は犬、と揶揄されるような連中だからな
でも結果的に家康を守り立てたのは正解だったわけで

390 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 21:25:33
三河武士の家族的団結が強すぎて、天下人になってから
身分の違いが認識できない彦左衛門みたいなのに手を焼いた

391 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 00:24:27
>>388
家康の専横に対して追従する奴、黙認する奴、拒絶する奴

それで関ヶ原のような事態になったとき、どう行動するかが見当つく

392 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 02:04:38
織田→エンジントラブルでリタイア
豊臣→ピットでミス
徳川→後続押さえとけば優勝



393 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 04:49:06
>>389-390
たまに狂犬(水野勝成)とか牛(井伊直政・直孝)も混ざってたけどな。
でも、忠犬とか呼ばれる奴等よりも、はるかにそいつらのほうがその後の三百年を上手く世渡りしてるけどな。

酒井・本多・榊原は転封されまくったというのに…。

394 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 10:03:22
井伊は三河武士ではありませんが。

395 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 18:51:52
姻戚の水野勝成を同列に入れるのはいかがなものか

396 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 20:43:59
良く家康はケチ、といわれるが本当にそうだろうか。秀吉の譜代格大名の
筆頭は蜂須賀氏だが、阿波一国。その他の子飼いも多くて10から20万石の
間で落ち着いている。家康の家臣団も大体10万石前後。

秀吉の場合、家康に関東を与えたり、有力大名の家老に大封を与えたり
しているから気前が良く見えるのかもしれないが、これらは外様の弱体化
や政権運営のための手であり、別に本人の好悪によるものではない。

397 :OPS:2006/11/10(金) 21:39:21
三河武士というのがわからない方は岡崎城に行ってみたほうがいいと思います。

398 :日本@名無史さん:2006/11/10(金) 21:59:02
>>396
加藤清正や福島正則とか浅野は蜂須賀より多いだろう
彼らは譜代というより親藩かもしれないが

399 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 22:41:51
服部半蔵正成は三河武士に入れていいんだよね?

400 :OPS:2006/11/11(土) 22:56:56
>>399
出身が三河もしくわ伊賀ということになっています。

401 :日本@名無史さん:2006/11/24(金) 23:20:04
>>393
四天王の酒井は庄内藩から動きませんでしたが。
遅レスで保守だ。

402 :日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:10:55
【大阪】「格差社会は家康が悪い」…世間の好ましからざる出来事をすべて徳川家康(東京)のせいにして論じる座談会、20年ぶり復活
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1164549468/l50

403 :日本@名無史さん:2006/11/27(月) 05:01:45
>>401
四天王とは別格の雅樂頭系酒井家も本家が前橋→姫路、分家(忠利系)が川越→小浜と結構引越しとは縁が薄いみ
たいですね。

404 :日本@名無史さん:2006/11/28(火) 23:57:45
>>401
藤沢周平サマサマ

405 ::2006/11/29(水) 12:49:28
禿バカ

406 :日本@名無史さん:2006/12/11(月) 13:27:13
60才過ぎて4人の子女に恵まれ、早世したのは女の子1人。
残りの男子3人はそれぞれ御三家の祖となったのだからすげえよ。
信長や秀吉とはこういう面でも違っている。
一番最初に死んだ義直ですら52才だもんな。

407 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 00:09:32
秀吉はともかく、信長は割りと一門に恵まれてたし、御家争い対策も
してたと思うけど。本人と跡継ぎが同時に死亡とかいう不測の事態が
起こったから混乱しただけで。

408 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 09:41:50
こんなスレあったんすか。

勝海舟が、「家康は万一徳川が潰れる時には一気に潰れるように、
わざと天領を全国に分散させておいたのだ。
もし内戦状態が何十年も続き、幕府が外国から借金まみれになって潰れたら
日本は西洋人の植民地になっていただろう。
明治の日本があるのは家康のおかげだ」
って言っていたな。
まあホラ吹きじじいの言うことだからあまりあてにはならんが、
確かに幕府が簡単に潰れてくれたおかげで、(清国とかとは違い)
飛躍的な近代化をなし遂げた、というのは事実。

409 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 10:56:04
>>408
>家康は万一徳川が潰れる時には一気に潰れるように、
>わざと天領を全国に分散させておいたのだ。

分散してたら一気に潰せないだろ。本当に海舟が言っていたのか?
どう考えても分散は各地で反乱があった時のための押さえだろ。
意味不明な分析だな。

410 :日本@名無史さん:2006/12/16(土) 11:29:46
天領を分散させたのは徳川の威光を全国津々浦々に浸透させるためだったんだろうが
確かに一箇所にまとまっているよりは潰れやすそうだな

411 :日本@名無史さん:2006/12/17(日) 23:35:38
>>409
天領自体は多いのだが、分散させることによって、
反乱時に地方から江戸へのの交通が遮断されると
一気に手足をもぎとられる。

まあこの見方に賛成するか否かは自由だが、
いずれにせよ確か氷川清話の中で、勝海舟はそう言っている。

412 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 15:14:06
天領は江戸や大坂の周辺にまとめれば便利だったろうにな。
農作物の不作を分散させる意味もあったかもしれない。

413 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 15:38:21
家康で見逃してはならない点は、戦国時代の武将にしては
意外に学があったということ、あるいは学問好き、古典などから
学ぶ力があったということ、これは今川の人質時代に基礎学問を
習っていたせいだろう 無学な武将も多かった時代に知識人としての
側面も持ち合わせていたのだろう だから天海などの話を理解する
能力があった ある面、学びの天才といえるかもしれない

414 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:55:23
>>412
後年になってそれやろうとした水野忠邦は失敗して失脚したしな

415 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 08:48:13
確かに明治維新が長引いて、
太平天国みたいな泥沼状態になっていたら
日本は清と同様(というかそれ以上に)
列強に侵略されまくっていただろうな・・・

416 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 07:06:41
>>413
>戦国時代の武将にしては 意外に学があった
>無学な武将も多かった時代
何か戦国時代に対する大きな誤解を抱いているようだな。

417 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:29:31
武田信玄みたいな名門の出にはインテリもいただろうが
まあ確かに、無学な武将も多かったことだろう。

しかし無学DQNの代表であるT臣H吉でさえ、
茶道を愛好する風流な面を持つ(と自称していた)ところをみると
やはり基本的には、
戦国武将は高い教養を持つべきものと考えられていたはず。

418 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:38:53
戦国武将中の一番のインテリはやはり細川幽齋だろうね。
これは武将という域ではなく、この時代きっての知識人。

それに次いで信玄とか安国寺恵瓊とか荒木村重とか、
インテリはたくさんいる。

419 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:00:01
新正口號(武田信玄)

淑氣未融春尚遲
霜辛雪苦豈言詩
此情愧被東風咲
吟斷江南梅一枝

淑気未だ融せず春尚遅し
霜辛雪苦豈詩を言わんや
此の情愧ず東風に咲われんことを
吟断す江南の梅一枝


九月十三夜陣中作(上杉謙信)

霜滿軍營秋氣清
數行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷憶遠征

霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁月三更
越山併せ得たり能州の景
遮莫家郷遠征を憶ふ

420 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:06:13
太原雪斎がセンセイなら、当時としたらかなりの教育水準だろ。

岡崎にずっといたら、それだけの教育をいけられていたかどうか

421 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 16:43:24
寄らば大樹の陰と言うが、やはり織田、今川はすごいよ。
後の家康に必要な修行がほとんど行えたはずだ。
もっとも父祖が残した人材もすごかったが。

422 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 08:34:05
戦に強く有能な政治家でもある。しかも長命。
まさに最強。

423 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 08:48:59
そうそう。
長く安定する政権を作り出したという点では、
日本史上、天智・天武両帝と並ぶ。
信長だの秀吉だのといった一発屋とは比較できない。

424 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 14:43:36
火事場泥棒が達者だったから良かった
信長の遺産をちょっとだけ、秀吉の遺産をほぼ丸ごと横取りした手腕は素晴らしい

425 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 20:13:04
戦の強さ(勝った・負けた)で言えば

徳川家康≧豊臣秀吉>明智光秀>織田信長

となるな。

426 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 23:53:07
山岡荘八の家康読んで再認識した。

もし家康がいなかったら泥沼の戦国時代が
長く続いていただろう。

427 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:24:32
武田信玄>徳川家康≧豊臣秀吉>明智光秀>織田信長

428 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:59:21
His judgement cometh and that right soon

男性諸君、結婚すると不幸になる。女の外面は綺麗で清潔で良い人、内面はずるくて汚いため、口も悪い+嘘つき+女同士も上辺仲良し裏では悪口三昧
女の成分はA(性悪陰湿残忍+損得自己中感情)+B(良い女演技+体形+整形化粧+ファッション)
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★捨てた女は優しい真面目男が結婚(残飯処理)してくれるさw★

それでも結婚する君へ究極護身法→[夫婦財産契約登記]
夫婦財産契約により、自分の稼いだ財産はすべて自分の物
離婚時に財産の半分を配偶者に取られない

弱い者いじめは最低と言いつつ、赤ちゃんを殺す母親(そして無罪判決(笑
狙撃は女子のほうが強い。男は、ノイローゼになってやめてしまうが
女は何人殺してもノイローゼにならない。そして、骨盤が安定しているため

ナチスの拷問で、女の拷問の残虐非道さを見て、拷問をしていた男達もひいたという
拷問しながら楽しそうに笑みをうかべていたそうだ。罪悪感や引け目が無い

・有史以前が女尊男卑の時代だったことを指摘したのは、スイスの学者バッハオーフィン
アマゾン女族の女王は、法律を定め、男達には卑しい奴隷の仕事を課した
男児が生まれたら、生き埋めにするか、脚と腕を不自由にして、戦えなくし奴隷とした
・王位継承権が女性にだけあった古代エジプトでは女性権力が非常に大きかった
・日本でも卑弥呼が女王
http://kr.img.dc.yahoo.com/b1/data/dci_etc/76.wmv ←女集団が、女一人をリンチしている動画(執拗に蹴り続けながら皆楽しんでる

女は虐げられてきた?父系社会など人類の歴史から見ればほんのわずかな期間に過ぎない。むしろ・・

429 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 06:10:44
医学に造詣が深かったが、その知識を自分にだけ使った吝嗇家。
また運動の重要性を認識しており、馬、鉄砲撃ち、水泳、鷹狩で
健康を保ち、75歳まで生きて、豊家を滅ぼした。

430 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 13:15:16
でも家康って何か凄い戦術で勝ったことあった?
信長の桶狭間や稲生原合戦みたいな逆転劇ってないでしょ
小牧長久手で秀吉軍別働隊を奇襲したぐらいでは
まともに合戦したら信長に及ぶとは戦歴を見ると思えないが

431 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 15:14:51
小牧長久手は負けなければいい戦だったわけだし、関が原は書状攻め
で寝返らせる戦術を使った。派手である必要なんかない。
結果が全てよ。
信長の火縄銃三段攻めを信じてるわけではないんだろ?

432 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 15:31:19
だから戦術なら、という話ではないの?

433 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:21:27
だから戦術として、
戦の前に既に勝敗を決して、万全の体制で臨んだ、ということだろう。
忍者とか使いまくってたみたいだし。
見えないところでかなり暗躍しないと、ああ着実に天下を取り
それを何百年も持続させることはできないとオモ

ってかその割には、武田信玄と真田昌幸にはボロ負けしてるがwww

434 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:55:55
会津に向かうと見せ三成を挙兵させ、大垣に籠もろうとするのを関ヶ原におびき出し
豊臣子飼いの将を懐柔し、敵の総大将の親族を裏切らせ結果自分は無罪放免。
終戦協定で堀を埋め敵の城を無力化してしまう。

いったいどう計算すればこんな戦略が思いつくんだ!?

435 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:23:08
武田信玄に負けたのは仕方ないんちゃう? 格が違いすぎたでしょ。
対真田昌幸戦には家康は出陣してないし。

436 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:23:01
>>434
その前に三成を自分の屋敷にかくまったこともすごい計算だよ。


437 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 23:52:50
掛川城攻防戦

438 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:22:11
>>434
あまり凄いと思わせず淡々とこなしてる風なのが凄いかも

439 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 02:12:05
うつむいて、家康は爪を噛んでいる。
「意見を述べろ。ただし手短に言え。長談義に時を移しては、佐竹に怪しまれる」
「殺すべきです」
と井伊直政がいう
待たれい、井伊どの、待たれい、本多正信は
「それがしは治部少輔を失うこと不承知でござる」
「わけを言え」

440 :日本@名無史さん :2006/12/29(金) 02:48:03
家康の弟・内藤信成に興味がある。
三方ヶ原でもしんがりを務めたぐらいなのに、最後の所領が近江長浜4万石。
国1つ与えても良かったのに。。


441 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 11:55:59
家康嫌いな厨って大抵
「信長は武田に代表される旧体制を打破し、
新たな世界の幕を開いた。秀吉がそれを継いだ」
とか思ってるよね。

実際には信玄を師とし、仏教に深く帰依し、
日本の過去の歴史を丹念に読んでそこから教訓を得、
足利氏や吉良氏等過去の名族を積極的に保護した家康が
新しい時代を築いたわけだが。

442 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 14:52:36
仏教に深く帰衣していた?
そこだけは違うだろ

443 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 14:58:08
>>442
山岡の家康を読むと、仏教にはまっていたようらしい。

444 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 15:34:37
信玄を師って小説家の創作でしょ
三方ヶ原の負け姿を絵に書かせたことから膨らませて
本人は遺言で「三河以来の法は変えるな」と遺言するほど父祖伝来を大事にしていた
中世豪族体制を代表した信玄を師としていたのなら、近世化の流れを受け継いだりしない
第一、高家として保護した家にはそれこそ新興だった織田家も含まれてるし……

445 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 15:57:34
三河一国と遠江分国程度の時代の家康に2倍以上の兵力で勝ったお陰で後世過大評価される信玄は幸運な武将だが
そのお零れで過大評価のおすそ分けに与る謙信はもっと幸運

446 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 17:27:12
家康は戦の前日には仏寺に参拝し、住職と問答したりしたらしいが、
信仰のためというよりは戦の覚悟を決めるためだったらしい

信玄を尊敬していたのは本当だろう
後に信長・秀吉のことはあまり言わなかったが、
信玄のことはよく例に出した

447 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 20:37:40
家康は毎日日課として念仏だか写経だか熱心にしてたはずだよ。
ただ、禅の修行には熱心でなかったようなのが、
代々の足利将軍や信玄との違い。(そのせいで、以後白隠が出るまで臨済禅は停滞期に入った)


あと信玄を恐ろしく尊敬していた、という話は方々に出てくる気がする。
まあ旧武田家臣を取り入れるための方便、というのも一部はあるだろうが、
全くそれだけではないだろう。
そういう流れは部下にも伝わっていたらしく
井伊の赤備えは旧武田配下のを引き継いでいるわけだし。

448 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 20:55:49
徳川は浄土宗だから、禅はやらんな。ナム阿弥陀仏だな

449 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 22:38:37
天台宗じゃないの?

450 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 22:42:13
>家康は毎日日課として念仏だか写経だか熱心にしてたはずだよ。

それは晩年に贖罪のため

451 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 22:47:05
家康は鎖国論者じゃなかったってほんと?

452 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 03:07:58
もともと松平家の菩提寺は浄土宗じゃね?
桶狭間の合戦で今川義元が討ち取られてしまい19才の青年家康は何時敵に攻め殺されるかと絶望し
自決するべく祖先の眠る大樹寺へ籠もった。

大樹寺の登誉上人はそんな家康青年に仏道を語り『南無阿弥陀仏』を唱え書かせ
心を落ちつかさせたと言う。
家康が今川から独立し岡崎城に入城するのはその三日後の事。
以来家康の陣には『厭離穢土・欣求浄土』の旗が掲げられる。

453 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:45:29
>>451
家康自身は海外貿易に積極的だったが、
家康の政策理念を究極的に推し進めると「鎖国」になると思う

454 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:45:39
徳川家の菩提寺の寛永寺は天台宗。
増上寺は浄土宗。
わけわかめ。

455 :日本@名無史さん :2006/12/30(土) 13:51:07
>>454
家康が晩年に重用した天海が、比叡山の天台座主で天台宗だから。


456 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 16:33:16
家康時代の寛永寺は菩提寺ではなく祈祷所だろ。
つーか寛永寺が建ったのは家光の代だし。
家康自身の墓所は東照宮だったか?

457 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:49:34
宗派ごとに門徒を固定したのは江戸幕府の政策だから、
家康の時にはそれほど宗派で固定はしてなかったとオモ

快川和尚を招いて臨済禅に打ち込んでいた信玄も、比叡山から僧位を受けたりしている。
家康自身は念仏者だが、崇伝や沢庵は臨済僧だったわけで、
他宗派にも一定の理解はあったはずだ。

っていうか、むやみに他宗を否定したがるのは、
それこそ形骸化した教団の盲信的信者だけだよ。
日蓮宗みたいにもともと排他的な宗派もあるが、それはむしろ例外的だと思う。

458 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:09:40
複数の菩提寺があって、かつ宗派が違うってアリか?
蛇足ながら我が家は代々真宗本願寺派なんだが。



459 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:10:28
そうヘンでもない。同じ宗派で婚姻ってわけでもなかったので家と個人が違うことも。
名目上は家の宗派だが。
家康も源氏の長者的に天台にしてるが、じつは浄土系がホント。

460 :日本@名無史さん:2006/12/30(土) 23:27:34
大名なんかは領国と江戸に複数の菩提寺が有ったらしいな。
将軍家では他に浄土宗伝通院が菩提寺だな。於大の方や千姫とか奥方や子供が主か。
伝通院も家康による開基だったな。

461 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 00:18:12
諸宗派に八方美人的に処遇をしたのは、宗教統制のあらわれ。
本願寺には兄弟双方に寺領を与えて、結果的に分断統治に成功した。
浄土真宗には若い頃さんざんやられたからね

462 :日本@名無史さん:2006/12/31(日) 01:18:49
タフネスいえやす
60にんの子供、ヤるね!

463 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 03:40:14
家康は何かの決まりきった特許モデルのあるビジネスを核にして
中小企業から始まり大企業の下のほうまで一代で作り上げて
その過程では他の人の技術や特許盗んだり乗っ取りもした
それを跡取りの2代目に相続させる
みたいなモデルケースで最高に優秀な人なんだと思う
言わばオーナー創業者が跡取りがどう会社潰さずに残すかの見本になる人
国家レベルでそれやっちゃうと問題あるかな
みたいな感じ

464 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:51:27
それは家康だけでなく他の天下人もやってるとオモ

465 :日本@名無史さん:2007/01/07(日) 05:15:08
>>464
自分の一族をずっと「天下人」にしとくための体制つくりの意味じゃないかと
自分の「領地」をずっと一族に継がせるでなく
「領地」(企業)でやること「天下」(国家)でやるのは弊害が多い

466 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:20:56
鈴木眞哉なるこの板でも有名な歴史研究家の御大の説

・家康が天下を取れたのなんて運がよかっただけ。
・人間的スケールは三成のほうが大きい。
・小牧長久手は家康の負け。
・その後も秀吉はいつでも家康を潰そうと思えば潰せたけど、
 西国、そして中国攻めに関心があったからほっておいただけ。
・秀吉が家康に人質を差し出したのは考え方が色々あるだろう。
 けれど秀吉が家康を恐れたなんて徳川御用史観に冒されただけ。


個人的に小牧長久手の戦いだけに限定すれば、
講和に持ち込めた秀吉の勝利と思うが、
家康を降伏させられなかった事、そしてその後の家康への外交策を見る限り、
やっぱ秀吉は家康に対しては気兼ねをしていた、と観るのが正しいと思うのだが。
少なくとも家康を潰せなかった事は、結果論ではあるが秀吉の最大の失策。

あと家康は運だけ、というが、
その運が巡ってきた時に、運を生かすだけの資格を有していたのと、
努力を払った事は大きいのではないか、と。

運を生かすだけの資格、と言うと、
三河統一時以降旗本衆を強化して、
その当時の戦国大名にありがちだった「領主連合」から、
一歩専制体制に近い組織を作り、自身の権力の基盤を固めていた事。
運を生かすだけの努力と言うと、
関ヶ原の戦い以降に見られるような用心深い行動の数々。

全てがいいように傾いたからそれは運だ、といえばそれまでのことだが、
そうなるように努力したことは評価されるべきだと思う。

467 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:37:56
あと家康で評価するべきことは「天下を取った」ことよりも、
その後その体制を維持させた事だと思うんだけど。

江戸幕府の機構は家康一代ではなく、三代家光の辺りで完成するわけだけど、
家康は秀吉やそのほか先人達の例を参考にして、その基盤作りには成功してる。

それは武家諸法度の発布による大名の統制であり、
禁中並公家諸法度で朝廷、ひいては天皇までも法度で縛り、
事実上幕府の監視下に置くことに成功したことなど。

こういう基盤作りをしっかりさせたことは評価があっていいと思う。

少なくともこういう基盤作りがあったために、
鈴木眞哉がいう「天下人史観」も生まれることになるのだから。
そうじゃなかったら、今日まで「天下人史観」は残るはずがない。

468 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:38:06
確かに家康以上に才能があった人なのに、
運がなく散っていってしまった人もいるだろう。

しかしそれだからと言って、
「家康は家臣団の意見や先人達の例を参考にするばかりで、
独創性は全くない、運だけの無能人」
というのは極論過ぎる気がする。

先に書いたように、
「領主連合」の色合いが強かった大名家の家臣団の統率に苦労をした当時にあって、
家康は専制体制に近い組織を作っているわけだし、
また「他の人を模倣し応用する」ことこそが家康の才能だったといえなくもない。

鈴木達が「家康は無能」と評価する部分こそが実は、
家康の才能の最たる部分だったのでは?


と思うのだけど…
これって家康を過大評価しすぎてますか?

469 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 18:40:24
過大評価でもない、むしろ陳腐すぎてレスもつかない

三方ヶ原のウンコで運がついたんだろ、家康

470 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 18:44:21
アンチが幼稚園児レベルだなw

471 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 19:25:09
陳腐というが鈴木のような考え方が極論すぎるだけだろ
まあ彼は通説批判の名のもと自説をごり押ししたいのだろうが
けど最近は「天下人史観」について語らなくなったね。専門の合戦分析に戻った感じ

472 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 20:21:30
>>471
> 専門の合戦分析に戻った感じ

武光誠さんにもそうしていただきたいものだが。

473 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 21:36:07
鈴木の場合、合戦分析については冷静に資料集めて持論を展開してるからまだ説得力があるが、
家康論は嫌悪感むき出しの論理を展開して、冷静さにかけるから説得力がない。
自分でもそのことを薄々自覚してるから、
なんとか正当性を主張しようと、
自説に対立する意見には異様に攻撃的になるんだろう。 つか上にあるとおり家康が磐石の体制を築いたからこそ、
鈴木の言う天下人史観が生まれたのであって、
彼がこれに噛み付けば噛み付くほど、
個人的にはいまなお歴史に影響を与えるほどの権力を手にした家康すげーと思っちゃうのな。
陳腐な考えかもしれんがw

474 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 21:40:33
合戦において信長・秀吉のように苦境ながらも独力で実力の拮抗した相手を
年数かけて打ち破ったというのある?三河一向一揆、負けはしたが三方ヶ原、
これも援軍あるけど、家康は共同戦線多いよな。秀吉も信長配下の時は
各地で独力で戦線支えてるけど。まぁ家康にあれだけ信長から救援ようせいされて
さらに武田北条相手にどこまでやれというのか、という感じか。

475 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 21:55:48
豊臣つぶし
秀吉が死んでから15年以上かけて、天下人の家を滅ぼした

476 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:10:14
今川とか豊臣とか

477 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:14:08
今川はともかく豊臣が拮抗してたのは金銀の脅威じゃないか

478 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:19:49
>>477
金銀も何も豊臣は時の天下人じゃん
家康は秀吉からの懇願もあって最初はこれに臣従してたけども、
秀吉死後、諸勢力をまとめながら天下の実権を奪い、
江戸幕府を築き、最終的に脅威の芽となるであろう豊臣を強引に滅ぼした。

秀吉逝去から幕府開府のあたりまでの家康が行っていた政治的駆け引きは、
運とかいうような言葉で簡単に説明のつくようなものじゃないよ。
下手すりゃ自らの身を滅ぼしかねない危険な勝負だった。

479 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 22:34:39
そうだな、関ヶ原から15年と限定したのかと勝手に勘違いしてた
別に石田三成を極度に過小評価したわけじゃなかったすまない。

480 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 23:24:07
考えてみりゃ、
信長死後、家康と秀吉とは微妙な政治駆け引きの連続だよな

時には合戦を行い、
またある時には互いに人質を送り、
そして主従関係を結ぶけれども、互いに何処か遠慮があって

秀吉死後一気に情勢が流動化するけれども、
豊臣家家臣の石田三成は毛利輝元を旗頭に対抗勢力を総結集させて、
家康を潰そうとしてくるし、
関ヶ原勝利後も豊臣家、全国諸大名、そして朝廷との微妙な関係は続いたわけで

このスレでは叩かれるかも知れんが、
「家康は取るべくして天下をとった」
という事に異論を唱える鈴木真哉には同意。

実際はそんなに生易しい状況ではなく、
いつ破滅してもおかしくない状況だった。

そんな修羅場を権某術数を駆使して勝ち抜き、
260年の天下を築いたところに家康の魅力があるのだろう。

481 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 02:49:44
>>471
>けど最近は「天下人史観」について語らなくなったね。専門の合戦分析に戻った感じ
それらについて書いた本は既に絶版だし、
鈴木に批判的な意見も少なくなかったからな
だから方向性をチェンジしたんじゃないの?


482 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 03:05:37
源氏でもない家康はよく将軍になれたな。


483 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 08:29:13
武士のとりわけ旗本とかの2男3男は
ニートといっても差し支えないよな

484 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 14:36:35
家康のことを色々知りたいと思うのですが、
皆さんはどういう書籍を通じて家康のことを知られましたか?

485 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:17:28
抽象的すぎてどう答えたらいいかわからん
入門程度なら歴史群像のムックとかでいいだろうが、
専門性を求めるなら北島正元や藤野保、煎本増夫らの専門書、
あと「徳川家康文書の研究」は外せないだろうな

486 :日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:19:48
>>484
きっかけは小学館だったかが出していた「マンガ日本の歴史」
あおむら純?とかいう人が作家のやつ
あのマンガ内でのド狸ぶりの家康を見て、
「ああ、天下をとるってのはこういうものなのか」と思ったな

487 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 00:44:34
俺は25年ぐらい前に日本TVでやってた
アニメの歴史物で家康に興味もった。

488 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 02:20:48
んでもさ、やっぱ鈴木はスゲーよ。あれが通説になれば世の中変わるぜ?大河ドラマ見れなくなる

489 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 03:26:10
合戦分析は評価すべきと思うけど、
鈴木の言う「天下人史観批判」についてはねえ…

こんなこと言っちゃ元も子もないけど、
歴史なんてのは所詮史料をもとに独自の推論を立てるしかないわけで、
鈴木の見解もその推論の一つに過ぎないわけじゃない?

で、鈴木の「天下人史観批判」についていえば、
鈴木の好き嫌いが激しすぎて極論ぶちまけすぎの嫌いが否めないな
まあ鈴木にすれば家康なんかは「歴史を歪めた悪の権化」だから手厳しくなるのだろうけどw

鈴木の欠点だと思うけど、自説に凝り固まりすぎて、
通説や他説を必要以上に貶めすぎるんだよな
で、その悪い部分が「天下人史観批判」では露骨過ぎるかな
というか「天下人云々」は鈴木の専門外だと思うから、
合戦分析に比べて魅力がないのは仕方がないのかもしれないけど

そういう批判があったのかどうか知らないけど、
最近はこの方面についての活動はやめちゃったようだけどね
「天下人史観批判」の2冊ほど出してた本もいずれも絶版になってて、
本来の合戦分析の方向に戻ってる

鈴木は専門の合戦分析で頑張ればそれでいいと思うよ

490 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 18:08:00
>>489
鈴木自身が「天下人史観」の本のあとがきで、
「精一杯やったが自信がない」ようなこと書いてるしな

鈴木の家康論の場合欠点を上げれば、

・幸運に恵まれただけと強調するが、
 幸運に恵まれた際家康が具体的にどう動いたかその検証もなく、
 またその行動についての評価もない

・小牧長久手の合戦のあと、家康に対し有利であったはずの秀吉が、
 なぜ自分の身内を家康に人質に差し出したのか、
 「唐攻めしたかったから」というだけで、
 秀吉が家康をどう認識していたかについての説明がない
(ただし秀吉は家康が自分の後釜を狙えるほどの実力を持っていたであろう、
と認識していた事は認めている)

・甫庵信長記を、
 「甫庵は江戸時代の人間で、脚色も多く信憑性がない」
 とあれほど批判しているにもかかわらず、
 家康のエピソードを描く際には同じ作者の甫庵太閤記を参考史料にしている

といったところか

けど手厳しく家康批判をする割には、
「江戸時代は暗黒時代ではなく、またその時代が築かれたのは家康の存在を無視できない」
と評価をしていたりもするんだよなw

491 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 19:34:06
しかしまあある意味日本史上唯一のシナ型の英雄。
シナとは人文地理環境が違うからあんな風になったが、
シナ型英雄にありがちなある種の人間としての品のなさ、陰湿さ、
人が寄ってくる鷹揚さ、田舎っぽさ、質素さなどを兼ね備えた人物。
こういうアンビバレンスを一人格で統一してるケースは日本人には少ない。
曹操は中国人離れした人物だが、逆にこの手の型は後の日本でしばしば出ている。

492 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 20:52:41
中国の英雄って、漢の高祖のように実務的能力は果てしなくゼロに近いが
カリスマ性だけは恐ろしく高い人間だろ?

家康は全然違うと思うが。

493 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 20:52:55
信長のほうが(ry

494 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 21:02:50
日本は朝廷という大義が揺るがない点、中国や欧州のように権力者が
全部塗り替えるということがないから、時代が変化するときは民意みたいな
世の流れみたいなものが外国の関与等と関係しつつ後押しして世の中が変わる
そういう意味で家康って日本っぽいと思うけど。
頼朝、尊氏も一度は敗者になっても世の中が作った権力者として復活。
誰か権力者が一から組みたてるというより、朝廷を守りつつ現状を考えつつ臨機応変という形。
ただ西欧列強が進出を受けた戦国と明治維新は例外に変革されたけど、大航海時代をうけても
もう一回幕府を開く家康は日本らしさを保全したと思う。

495 :日本@名無史さん:2007/01/17(水) 21:40:25
たぶんシナ型英雄の概念が司馬ライズされてるんじゃない?
ヒキ算で毛沢東からイデオロギー性を控除すると、
資料の数で最も多いシナ型英雄が顔をのぞかせる。
周恩来のように都会っ子でもないし、公共的でもない。
案外家康みたいな人物だよ。

496 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 11:17:24
>>491
秀吉がほとんど当てはまると思うが

497 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 11:49:39
まあ「シナ」なんて言ってるレイシストの言うことなど、何の説得力もないがw

普通に中国って書けよ、ウヨ坊。

498 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:10:51
家康の凄さは寿命だ。
これに尽きる。

499 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:35:28
>>498
都合の良い時に都合の良い人が死ぬ、という運もある

500 :日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:37:07
>>491は確かに、家康よりも秀吉の方がずっとあてはまるな

(500ゲトかな?)

501 :日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:53:23
ヒストリーチャンネルの「徳川家康と徳川幕府」はしょぼい(特に画像がw)。

502 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2007/02/15(木) 21:23:51
あれこっそり黄門様が映ってたぞ

503 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 19:27:38
凄いのはあの時代にあの家に生まれたことだ。

504 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 20:54:28
>>1
徳川三百年といっても家康一人の功績は最初の50年程度分だろ
後は後継の徳川家臣団代々の功績
まあ泰平といっても儒教で縛って進歩的なものを悉く弾圧し、
ひたすら忠君のみに徹し骨抜きした武士道によって飼い慣らし、
公務員化した武士リーマンの上に安住した、シナ朝鮮と似たような政治体制だったから別に功績とはいえない。
もうちょっとで危うくシナ同様列強に食い荒らされるところだった。

505 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 20:58:03

前田家はなんで外様なの?
利長は関が原で家康側についてたのに。
利政が三成側についたからかな?


506 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 23:07:11
>>505
外様=西軍じゃないぞ

507 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 12:27:51
東軍の主力はほとんど豊臣系なんだが。


508 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 13:29:00
地方の有力大名は、徳川への貢献度を問わずみんな外様扱いだよ

大領を与える代わりに、一切幕府中枢の政治にタッチさせなかった
その代わり、後に、松平姓を与えたり、婚を通じたりして懐柔もしているが

509 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 19:15:07
>>504
その代わり別の「文明」築いたからね
幕末の西洋人の観察記見てると、こちらが恐縮するくらい
植民地にならなかったのは意外に、そんな影響も大きかったのかも

510 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 00:51:47
日本の行政中枢機構である江戸幕府は軍事政権であり、
政権トップは、連邦軍総司令官で、政権を構成する公務員たちは軍人だったわけだ。
江戸への参勤は、各地方領主たちが、総司令官への忠誠を示すための軍事的賦役。

幕末には、欧米の最新技術から取り残されたり、官僚主義が行き過ぎて、やや形骸化していたとはいえ、
常に自国(藩)の防衛が念頭にある軍人官僚たちが、政治権力を握っていたことも、
日本が独立維持出来たことに関連していると思う。文治主義の多い東アジアの中でも異色。


511 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 21:25:10
軍人といっても幕末時の旗本八万騎の体たらくをみれば、張りぼてにも程がある
農民徴兵の奇兵隊に手もなくやられる程度の弱体ぶりでは列強の侵略を防げるものではない
武士とはいえ、その内実は今の文官と何ら変わらない
軍事訓練を行うわけでもなく、単に二本差してるだけであれを軍人とはとてもいえない

戦国時代には日本の軍事力はヨーロッパにさほど劣らなかった
仮に織田、或いは豊臣の天下が続いていれば、或いは泰平ではなかったかもしれないが、
鎖国などという政策を取ったはずもなく、世界から取り残され植民地化の危機に晒されることもなかったかもしれない。
江戸文化というものは鎖国が作り上げた一個の興味深い文化ではあるかもしれないが、
それは密閉された温室で不自然に培養され作り上げられた、壊れやすい人工的な変種に過ぎない
その証拠に開国後、周りの環境に適応出来ず瞬く間に滅んでしまった。

この政策の滑稽なところは、出島からちゃっかりと外の世界の情報を十分得ていながら、
それでも鎖国を維持し続けていたという茶番性にある。いきなり黒船が来て、開国してみてはじめて西洋文明の凄さにびっくりした、
というのではなく、もともとわかっててやってたという確信犯だから呆れる。

512 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 22:58:50
家康が鎖国したわけじゃないと何度言ったら・・・

513 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:01:56
家康が鎖国したとは一言も書いていないが

514 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:28:05
ここ家康スレじゃないのか?

515 :日本@名無史さん:2007/02/19(月) 23:57:36
スレの流れを読め

516 :日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:01:43
>>511
「張りぼてにも程がある」まで読んだ


517 :日本@名無史さん:2007/02/23(金) 10:19:02
世界的にみても類をみない平和な時間を謳歌し
文化・環境も非常に成熟した。という良い点は完全無視?


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