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○戦国公家衆○

1 :名無しでおじゃる:2006/04/05(水) 20:03:43
戦国の世の公家について話し合いましょう。
一条家・一色家・九条家・鷹司家・四条家・日野家
二条家・山科家・近衛家・西園寺家・宇都宮家
花山院家・三条家・中御門家などなど
天皇即位の資金も得られぬ朝廷で公家衆は何をしていたのか?
まさか蹴鞠や和歌ばかりをしていたとは思いませんが・・・

2 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 20:07:23


3 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 20:48:05
今川氏真は武家なのか公家なのか?

4 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:08:21
今川家は立派な武家です

5 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:09:47
公家と武家のガチンコ戦ってあったんでか?

6 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:17:00
一色???

7 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:25:06
今川氏真て武家出身なのに蹴鞠の達人だったのか?!
あらためて氏真を尊敬・・・

8 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:34:37
一瞬、戦国公衆WCって見えた

9 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:36:38
公家は意外と強い

10 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/05(水) 22:23:02
・文人貴族の末裔である。
・歌が好きで、『古今和歌集』や『新古今和歌集』を愛読した。
・私家集もある。連歌も巧であった。
・蹴鞠もやっていた。
・大成される前の茶や立花にも手を出しており、能も舞っている。
・『源氏物語』や『徒然草』も愛読していた。

しかし、氏真と違って文化人のイメージがない毛利元就。

11 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:41:02
大江広元って公家より武家になりたかったんじゃね?
だから息子達を武士にしたと

12 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 22:53:11
>>1が宇都宮を公家としていることに誰も突っ込まないのは何故?

13 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:04:51
>>10
毛利は下賎な卑しい産まれだからな

14 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:41:16
>>11
逆だよ。
広元は公卿になって堂上公家の家格を手に入れたかった。
しかしすでに受領階級になりつつあった大江氏出身の彼には朝廷内では
出世の見込みがなかった。
だから自分自身は頼朝にスカウトされて鎌倉へ下ってもそうした思いは消えず、
その執念からのちに長男の親広を土御門通親の養子にした。
通親の養子になれば、朝廷内で公卿に出世するのはそう難しい
ことじゃないからね。
しかし親広は承久の乱で後鳥羽に加担して流罪となり、その可能性はなくなって
しまった。

15 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 16:32:22
関白・山科言継が尾張の織田信秀に蹴鞠を教えたり
和歌を一緒に読んだりしたのは聞いた事あるが・・・

16 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 16:42:57
結局江戸時代になるまでみんな公家衆になりたかったんでしょ?

17 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 17:10:29
>>10
氏真は残念ながら戦国武将として評価できる実績がないので、
余技である蹴鞠が目立ってしまう。

元就は戦国武将としての実績が凄まじいので、誰も余技にまで
目を向けないw

余技のレベルが佐々木道誉くらいになればまた別なんだろうけどねw

18 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 17:12:57
氏真はちゃんと京都に引きこもらずに領地にいたじゃん


19 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 17:31:28
氏真は今川家の正当な後継者だぞ!
今川家は足利家に次ぐ名門の武家。
元就ごとき下賎とは違う!

20 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 17:32:53
>>39
戦国時代に血筋の良さ誇ってもねえwwww

21 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 17:34:58
20です。

>>39>>19に訂正w

22 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 17:35:39
>>39???

未来から来たの?

23 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 17:37:46
伏波将軍

24 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/06(木) 18:54:59
>>17
まあその通りなのですが、この板や三戦板でもあまり取り上げられないので。
佐々木道誉は、面白い人物なのに今は知名度が低いのが残念。
『平家物語』はともかく、『太平記』は知られなくなりましたね。
下手をするとこれらや小栗判官、甲賀三郎より洋モノの方が知られている。
自国の文学世界ぐらい、知っておきたいものです。

しかし、義元の鉄漿や輿(許可制)が否定的に捉えられる風潮はどうか。
実力以外に、許化された笠や輿が権威として働いていた時代ですからね。
>戦国時代に血筋の良さ誇ってもねえwwww
というレスも出ていますが、血筋や権威「も」重要な時代。
最後に死んだというだけで、扱いが悪すぎるのと、貴族的というとマイナス
イメージ(堕落など)で考えられるのは改められるべきです。
北条の家中でも、上方由来で鉄漿をつけていたのに、今川や大内の例を挙げ
て「貴族化したから堕落して滅んだ」のだという言説が多い。
貴族的・文化的である自体はマイナス要素ではないし、必要でもあった。

>>15
天文2年7月に下向して、蹴鞠や連歌を織田や熱田大宮司の家の人間に伝
授した時の話ですか。『言継卿記』によれば至れり尽くせりで。

25 :名無しでおじゃる:2006/04/06(木) 21:01:05
>>23
!煤i゜∀゜)
な・・・何故それを?!


26 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:03:53
風流じゃのう

27 :17:2006/04/06(木) 21:29:38
>>24
そもそも信長が所望して氏真に蹴鞠を所望したんでしたよね。

信長の性格からして悪意じゃなくて、好意と好奇心で氏真の蹴鞠技を
見たかったのでしょう。

あと、大内は確かに義隆本人は尼子攻め失敗後武から離れた嫌いが
あるので、軟弱化したという側面は否定できない部分がありますが、
義元に関しては全然軟弱化なんてしてないですよね。死の間際だっ
て太刀しかないのに、槍でかかってきた服部や毛利相手に大奮闘
してますしね。

当時の武将が出陣に際して化粧してたこと、そして義元クラス
になると化粧の中にはお歯黒もあることが知られてないんで
しょうね。

28 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:44:55
>>15
山科言継は関白ではない。

29 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 21:47:06
>>16
戦国時代の公家は武家になりたがった人が多いよ。
近衛前久・信尹父子が好例だな。

30 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/06(木) 23:10:53
>>27
>義元クラス
「クラス」という点が重要なのですが、「古い無能で退廃した勢力」が「新
しい肯定すべき勢力」に駆逐されたのであり、それが正しいのだという、
歴史とは別の「歴史観」がある様に思います。
公家は退廃、武家は質実剛健として、後者を贔屓する風潮もある。
新井白石らが近世に喧伝し、近代まで持続した歴史観らしいのですが。
大内も公家との接触は尼子攻め失敗以前からありましたが、それ以前には
むしろ積極的に行動しており、備後を中心に勢力を拡大している。
公家との接触自体があるまじき失敗だったのだ、というのは先入観。

>29
武家になりたがったというより、地位の向上の為に外に向けて動いたという
か。近衛家の立場からすれば、やはりあるべき姿は摂家のそれでしょう。

31 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:42:49
>>15
山科が関白って・・・。
あんた根本的に日本史わかってないでしょ?

32 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:50:31
公家文化に浸る(今川などのように)のが悪とみなされるのは、
やはり平家の印象があるのかもしれないな。

33 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/07(金) 00:08:44
平家というか、『平家物語』の印象ですね。特に斎藤の台詞。
実際には富士川には斎藤は従軍しておらず、夜討の最中に水鳥の羽音に驚い
て逃げ出したという事実もない。
「奢ったから」平家が敗れたのだという物語作者が創り上げた虚構の中での出来
レース。それが、後に武士の本分を忘れたとかいう話になってくる。
どういう風の吹き回しか、この間の「その時歴史が」でも少しやっていた通り。

34 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/07(金) 00:13:23
連投失礼。それと、室町幕府が鎌倉や江戸の幕府に比べて脆弱であったとい
うのも、「京文化・公家文化は駄目だ」というのに一役かっていそうです。
朝廷(後白河院)→平家→朝廷(後鳥羽院)→室町幕府
で、「やっぱり駄目だ」と。『吾妻鏡』を愛読して鎌倉に倣っていた家康以降
の時代にこの手のイメージがどんどん強化されていった。

35 ::2006/04/07(金) 00:27:40
>>24
朝倉孝景(義景の父のほう)も、
その経歴に「塗輿御免(許可されたよやっほー!)」と輝かしく残っていますよね。
お神輿わっしょい。


で、

>>10
・弓は小笠原流免許皆伝
・武士の嗜み、犬追物まで大規模に主催しちゃって
・和歌の教養も高く、貴族たちの列席で曲水の宴まで主催しちゃって
・蹴鞠の素養もあったらしく
・連歌師とも親交があり
・記録によると、相当の財力があったらしく
・前関白の娘を妻に持ち
・では直接軍を率いればといえば、一向一揆の大群を粉砕し
・部下に率いさせた軍は、あの織田信長をとことん窮地に追い込むこと数度


そんな朝倉義景も、文武共にもう少し評価してあげてくださいませ。



36 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 03:17:53
で一色って?

37 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 06:38:25
偉い人々貴族苗字

http://c-docomo.2ch.net/test/-/geo/1107317869/35-36

38 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 10:48:02
伏波将軍


39 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:16:10
伏波将軍BBSかCHATに来い!!

40 :名無しでおじゃる:2006/04/07(金) 16:17:46
近衛家と島津家は古くから交流があったとは聞き及んでいますが・・・
島津家は源頼朝公が守護地頭を任命した時から薩摩の田舎にいるそうですね
どちらの家も公家と武家との違いはありますが歴史の古い家なので
その分、付き合いも古かったのだと思います。
たしか島津家と相良家を和睦させたのも近衛家ですし
後年、近衛信尹様は薩摩に3年間配流となりましたが自ら望んで行きましたし
とにかくも・・・公家も武家と交わりがあった事は事実ですね

41 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 17:32:26
大永7年の桂川の合戦で、日野の誰かが討死していなかったっけ?

42 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 18:00:42
島津はもともと藤原摂関家の家来。
関ヶ原のあと、島津の家臣をかくまって島津が取り潰されないように家康と交渉したのが近衛前久。
家康は源氏、徳川を名乗るのに前久に世話をしてもらっていたので恩があった。

43 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:25:50
島津荘はもともと近衛家領荘園。

44 :名無しでおじゃる:2006/04/07(金) 23:30:23
近衛家の権威恐るべし!
しかし逆に権力はなかったりするんでしょうね・・・
名ばかりの官位役職の売買をしたりと公家も悲しいものです。

45 :17:2006/04/07(金) 23:34:01
>>44
でもね、近衛家は倒幕に際しての薩摩の朝廷工作の窓口になった
からね。こうしたつながりは何百年も続くんだよね。

46 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:39:06
ねえねえ、土佐一条は?


47 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:52:21
島津氏は単に島津庄の地頭であるだけでなく、領家である近衛家の元で
庄務全般を請け負っていたらしいから、中世の頃から持ちつ持たれつ状態で
あったといえる。

48 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 23:54:12
伊予西園寺家もはずせないぞ

49 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 01:46:45
伊勢北畠氏・飛騨姉小路氏・土佐一条氏のことを俗に三国司などというが、
南北朝期から現地に土着している北畠氏・姉小路氏に対して、応仁の乱以降に
現地に下向した土佐一条氏は成り立ちが異なる。
成り立ちという点に着目すれば、むしろ土佐一条氏よりも伊予西園寺氏のほうが
北畠氏や姉小路氏に似ているといえる。

50 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 03:29:40
>>46
小舟で豊後に渡られました。

51 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:08:15
「三国司」というのは単なる語呂合わせの俗説で書いてある本によって顔ぶれも異なるんだよね。
伊勢北畠と飛騨姉小路は確かに「国司」(受領とは違いむしろ知行国主に近い)だが、ほかは説によっていろいろ入れ替わる。
伊予西園寺は南朝の残党という意味で確かに伊勢北畠や飛騨姉小路に似ているな。
土佐一条はあくまで土佐に荘園を私有していたのを根拠地に変えたもの。
規模は小さいが播磨の下冷泉、加賀の勧修寺、若狭の土御門、因幡の日野なども同じパターンだ。
もっともこれら4家は武家化したとまでは言えず京都との間を往復していたようだが。

52 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:12:49
>>51
もう荘園の年貢がまともに送られてくる御時世じゃ
なくなってたからね。自ら領地に赴いて年貢確保する
公家は結構いたろうな。で、中には武家化するのも
いたろう。

53 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:25:53
>>51
伊予の西園寺は、京都にいる西園寺本家が伊予の知行国主ではある。

54 :海王:2006/04/09(日) 12:43:26
島津家久の死因?

55 :海王:2006/04/09(日) 12:45:09
伏波将軍答えろよ。

56 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 14:29:37
>>52
九条政元

57 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:03:54
九条政基が和泉に下向した理由は年貢のためとかじゃないよ。

58 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 18:04:58
人殺して勅勘喰らったんじゃなかったか?
山科言継の息子も勅勘喰らって大坂に逃亡したよね?

59 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:08:06
九条政基が殺したのは唐橋在数。

60 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:39:03
菅原は藤原に殺される運命かw

61 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 02:02:07
もともと九条家と唐橋家は家礼関係にあるけどね。

62 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 07:12:06
金借りて返さないから督促されたのを逆ギレして殺したんだよな

63 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 13:04:42
担保は何だったのだろう?所領の年貢?

64 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 16:06:31
てか自分より格下の公家から借金するってどういうことなんだろ?
当時は九条家より唐橋家のほうが裕福だったのかな?

65 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 19:22:29
>>64
室町時代になると、格下が才覚で裕福だなんてざらだろうてw

しかし逆切れ殺人カコワルイw

66 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 19:30:12
唐橋は九条の家礼だし、家格も低いから日ごろ何かと都合よく使われてたんじゃないの?
金策とか。
で、借りれるあてがなくなったから仕方なくなけなしの金を自腹で貸したが返って来ない。
ぶちキレて九条邸に乗り込んだら殺されちゃったと。

まあ想像だが

67 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:02:21
唐橋「へっへー、トンさん借りた物を返さないのはドロボーといいまっせ。こちとら慈善事業で貸してるわけではおまへん。九条のトンさんだからお貸ししたでっせ。返せないならおヒーさんを売り飛ばして返しなはれ。」

68 :じぇふ@6:2006/04/10(月) 23:18:19
伏波将軍、スレを立てたのはいいが、レスが少なすぎなんだよ。
糞スレを立ててしまった将軍に栄光あれ!

69 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 23:24:41




http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

70 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:33:07
唐橋在数の殺害は計画的殺人だよ。
九条邸にやってきた在数を九条政基・尚経父子が2人がかりで殺害した。
最初から殺すつもりだったらしい。

71 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:57:23
詳しく

72 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:59:53
ウィキに「唐橋在数」が本日新規UPされた件について

ここの住人なんじゃないの?(・∀・)ニヤニヤ

73 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:17:00
http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

74 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:30:17
>>72
確認してきた。
しかしちょっとこれ日本語おかしくないか?

>唐橋家の一族である菅原氏の一族は猛烈に抗議し、政基、尚経父子は勅勘を受け朝廷への出仕を止められた。


75 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 08:49:28
近衛前久が地方巡業をしたのも、困窮した公家衆の生活資金を送ってもらうため摂関家筆頭としての責任感で逝ったのかな?

76 :海王:2006/04/11(火) 09:44:19
名無しでおじゃる=伏波将軍だよ〜ん!!将軍、キサマ「益山の戦い」の質問に答えられなかったという事でお前は薩摩失格のようだな・・・。フフッ。

77 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 11:00:14
>>75
前久自身の「趣味」の問題かと。


78 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 11:30:28
>>77
なんか、強いお相撲さんについて歩いている好事家みたいな
感じだよね、前久の大名巡りw

79 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 14:14:14
山科の地方巡業は資金集めのため。
近衛のは関白たるもの実際の政治にコミットしないと朝廷は落ちぶれる一方という危機感。
尊皇の志を説いてまわったりね。

近衛家には四段の箪笥があって、それぞれ仁義礼智となっている。
仁には歴代の天皇が作った茶匙、義には公家が作ったもの、
礼智には大名、武将、茶人が作ったものが入っている。
有名な戦国武将のものもある。
誰が集めたのか気になるところ。

80 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 18:11:03
公家が家芸で金稼ぎを始めるのも戦国期からだね

81 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 19:47:18
>>80
それ以前でもあると思うが。

82 :海王:2006/04/11(火) 20:12:16
おいAM


83 :名無しでおじゃる:2006/04/11(火) 21:40:58
名無しでおじゃるが、戦国と言えば徳川家康に決まってるだろう。
そもそも、私は島津が今まで愛していたが、ケロロ>島津になってしまった。
今日も妹者を見て自分を慰める日が続く・・・。
僕は何で今まで島津を愛してきたのだろうか。

84 :海王:2006/04/12(水) 00:16:38
おい少し落ち着け。お前今日学校でもうケロロ飽きたし。とか言ってなかったか?もしや嘘か?

85 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 00:27:22

公家や華族苗


http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

86 :海王:2006/04/12(水) 00:30:01
おめ何だ?




87 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 12:18:47
近衛前久と二条晴良って仲悪かったんでしょ?

88 :海王:2006/04/13(木) 19:05:50
将軍の筋肉痛治りやがった・・・。

89 :名無しでおじゃる:2006/04/14(金) 20:26:28
何か、手前の立てた愚スレが荒らされておるような
我がスレの治安が乱れて行くのを見るのは実に忍びない・・・
おまけに麻呂の偽者まで出るしまつ。
ただ公家について知りたかっただけなのに〜!!


90 :名無しでおじゃる:2006/04/14(金) 22:06:18
ナヌ??ワレはもともと「名無しでおじゃる」という名前なんだが・・・。
そもそも、誰だっけな??このスレはほとんど見てないと言ってた
スレを立てた張本人は・・・。立て逃げか??
息子自慢の将軍、ガンガレ!!

91 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 02:58:33
>>1
成り上がりもの に妾の供給。
娘を産ます種馬。

92 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:12:43
>>87
どうして?関白争いとか?

93 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:57:02
それもあるし、信長支持か義昭支持かでも一時期対立していたような。

94 :日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:00:42
>>91
結局、血しか価値がない連中だったということか

95 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 07:52:00
大学で公家史の研究をしてるけど、案外研究者が多いことには
びっくりした

96 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 13:08:48
>>95
公家は消えるべき存在でしたよね?
少なくとも鎌倉時代以降は

97 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 17:01:09
>>95
やっぱメインになるのは五摂家筆頭近衛家の歴史なの?

98 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 17:08:45





http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html


公家や華族の御苗を持つ人々

99 :95:2006/04/21(金) 17:36:47
>>96
そうは思わんね

>>97
そうでもないよ
山科とか三条とかも色々研究されてる。


100 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 20:25:45
近衛家は陽明文庫が使えるから研究がしやすいんだろう

101 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 20:45:52
公家で研究が進んでいる家=歴代当主の日記がたくさん残る家。

102 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 20:53:11
>>99
公家がいたせいで武家も公家も没落したと思ってるんですが。
で、残ったのは天皇家だけと。

103 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 00:31:38
>>102
あんたの言ってること意味不明だよ。

104 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:24:24
公家の武装は承久の乱で禁止されたの?

105 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:29:18
公家の武装が禁止されたのは秀吉時代以降。

106 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 04:06:59
>>105
公家侍だったら江戸時代でも召抱えているが?
公家の所領の軍事警察の行政権が剥奪されたという意味なの?

107 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 04:17:59
京都の行政権は足利義満のときに完全に朝廷から奪取されたらしい

108 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:21:27
>>107
奪取というより朝廷にそうした権限の実態がなくなってしまったから
武家側でやるしかなくなったというレベルのものだと思うよ。

109 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:22:26
>>104-105
公家の武装禁止は禁中並公家諸法度からです。

110 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:25:58
>>106
ここでいう武装は、公家やその従者の個人レベルでの帯剣のような武装の
ことではなく、集団としての軍事力を保持のようなことだと思うよ。
もっとも江戸期だと個人レベルでも公家の鉄砲所持は禁じられていたようだが。

111 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/23(日) 23:26:11
検非違使廳と国衙の機能の移行という事であれば、義満の時代ですね。

112 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 02:05:10
江戸時代の朝廷、公家所領の行政は誰がしてたの?
全て京都所司代がして、朝廷・公家の家来は口出しできず?


113 :海王:2006/04/25(火) 21:48:53
キサマのせいでまだ腕がいてぇ

114 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:36:22
>>112
口出しできないなんてことあるのか?

115 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 23:36:39
>>112
当然口出しなんてできないよ。
もともと江戸時代の村落は村民の自治が徹底していたしな。
そもそも所領といってもある程度地域的なまとまりのある領地を持っていたのはごく一部の公家だけ。
ほとんどの公家はあちこちの村にバラバラに配置された徴税権を少しずつ与えられていただけだ。
ひとつの村が何軒・何十軒という公家の「所領」に分割されていることも珍しくない。
年貢米はいったん全部二条城の幕府所有の米倉に収められて所司代からまとめて支給された。

116 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:34:20
>>115
近衛の伊丹なんかも所司代が行政権もってやってたの?

117 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:35:40
天皇御料地、公家領の住人から勤皇の志士が出るなんてことはなかったの?

118 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:37:59
旗本も知行地の徴税権だけで行政権無し?

119 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:42:08
すでに室町くらいの段階で公家領荘園の直務なんてほとんどない。

120 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:43:03
公家はナマケモノ

121 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 06:22:15

勤皇の志士


なんてーのは、別に本来「勤皇」なんかどうでもよくって
現状に不平不満のある奴が
反発・改革・革命の大義名分として掲げただけで・・・
あとは単なる時代のブーム
たまに「染まっちゃう」バカもいただろうけど。


70年代とかの学生に似てるな。
なんか看板つけとかないと「ノンポリ」とか言われてwww

122 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 09:52:55
>>121
昨日その世代の教師から言われたわ、それw

123 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 10:32:02
反幕府は下級公家だったらしい。
近衛、西園寺は親幕府。

124 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 10:33:42
鎖国は恐れ多くも神武天皇がお決めになったわが国古来の法である。>>121

125 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 13:39:34
江戸時代の西園寺って影薄くない?
やっぱり西園寺が一番存在感を発揮したのは鎌倉時代かと。

126 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 20:57:41
西園寺がいちばん存在感を発揮したのは昭和時代だろ。


127 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 22:10:24
>>125
江戸時代は京都所司代に呼び出されて一方的に幕府の言い分を伝えられるというのが多かったからね

128 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 22:26:13
京都所司代=在日アメリカ軍
朝廷=日本政府

129 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 22:39:19
朝廷はもはや自ら行政やる能力や意思さえも無くなっていただろう>>128


130 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:02:55
>>126
この板では近代史はスレ違いですが。

131 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:11:32
>>96=>>129

132 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 10:28:01
鎌倉時代の西園寺は代々天皇の外戚みたいな感じだからね。
それでも摂関家にとって代わる(あるいは閑院流が五摂家と同格の地位を獲得する)ことがないのは、すでにこの時期には公家の家格の固定化が進んでいたからってことかな。

133 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:45:29
西園寺家の権力の源は武家伝奏を世襲して幕府との窓口になったからだよ

134 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:57:58
武家伝奏と関東申次の区別もつかないような厨は邪魔だからどっか逝ってくれよ。


135 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:00:25
>>132
公家の家格の固定化はもっと早いよ。
藤原忠実が鳥羽天皇の摂政になるとき、天皇の母方の叔父である藤原公実が自分が摂政になることを望んだが、閑院流は摂関になれる家柄ではないということで退けられている。


136 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:03:19
室町期に日野流が皇室や足利将軍家と縁戚になって
俄かに幅を利かすようになった理由は何なのかな?
名家なのに大臣まで昇進してるし。

137 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:03:50
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138 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:07:56
鎌倉期の西園寺家は関東申次として幕府と結び、
摂関の九条、二条、一条を抑えて朝廷の実権を握って数代に渡って
太政大臣を歴任したんだから、公家の家格になどこだわってなかった
のではないかと思う。

139 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:10:45
まあでも公実の子の実行は太政大臣まで昇ってるね。
これが無ければ閑院流から清華や大臣家を多く出すという事
はなかっただろうね。

140 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:12:07
公家は武士に諂うことで利権獲得という文字通りの寄生階級。
おこぼれにもあずかれなかったものが南朝とか反幕府。  

141 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:15:51
でもさ
西園寺公宗なんて謀反の疑いで処刑されたりしてんじゃん?
コイツラってめちゃくちゃエライ貴族なわけだろ
それなのに処刑されたりさ、どういう精神構造なんだろうな・・・
俺にはさっぱり分からんのだが
そんな平安の藤原氏もそうだけど身内同士で権力争いしてどうすんだろうね?
何が目的なんだろう??
今みたいに金があったら何でも買えるわけでもあるまいし
どういう力学が働いてんだろうね
決して現代みたいに欲望が突き動かしてるとは思えないんだけど

142 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:27:58
>>117
↓ここなんか有名だよ。
http://sakigake-festa.yamaguni.com/yamaguni_tai.html
http://www.sonoda-u.ac.jp/private/K25022/Yamaguni/Yamaguni.html
〔現在は合併により京都市右京区〕

143 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:37:44
武士と違って自ら地方開発せずに、地方武士から寄進された荘園の相続権めぐって陰湿な内ゲバだろが。

144 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:46:08
内ゲバ鎌足
内ゲバ不比等

145 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:40:50
>>141
西園寺公宗の処刑は事故みたいなものだろ。
それに南北朝分裂後の北朝では西園寺家は普通に復権してる。

146 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 21:33:17
>>145
公宗の子の実俊というのは武家執奏になって、朝廷で彼に逆らえば罪だ
といわれるほどの権勢を誇ったようだ。しかし、せっかくお家再興を果たした
のに、子が早逝し孫の代には義満に実質的に北山第を奪われた。
やはり朝廷にとっての最大の敵は義満だったのか。

147 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 21:59:15
てゆうか醜い殺し合いは武家のほうがはるかに酷いでしょ。
徳川忠長も切腹させられてるじゃん。
農民からの搾取も武家のほうが酷い。
寄生してると言ってもいい。武家だって自分で労働してるわけ
じゃないんだから。農民の子孫達が武家に勝手な親近感持つのって、
通俗ビジネス本やドラマの悪影響のせいなんだろうか。

148 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 22:18:12
>>147
フィクションの世界では武家=ヒーロー、庶民の味方。

歴史的真実は武家=残忍・陰湿な支配者、庶民の敵。

大衆は真実には興味ないから、真実を書いても商売にならんのよ。
百姓一揆の話なんてまずドラマにならんもんね。佐倉宗吾とか、
松本城の天守閣が農民の怨念で傾いた話とか。





149 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 01:30:31
一宮氏って公家だったよな

150 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 01:37:27
公家・貴族・士族
http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

幕末武士
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/iwaemon/

151 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 01:51:58
>>146
朝廷が義満を敵視or危険視していた証拠ってあるの?

152 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 10:40:02
>>151
ないな。
むしろ公家たちは義満の簒奪政策に積極的に協力している。

153 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 10:50:29
公家は武士と違い精巣に負けても出家という平和な文明人です。

154 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 10:51:57
そうそう、武家も公家も節操のない連中が多い。
公家の多くにとって天皇は利用するだけの存在。
勤皇の公家ってのもいるが、内実はどうなんだろう。

155 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 10:54:27
勤皇の公家も幕府にこびるよりは天皇をかついだほうが得だ、という連中が多いな

156 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 22:20:52
どなたか戦国期の公家について詳しく
書かれている本を教えていただけませんか?

157 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 00:39:44
>>156
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/30941114
 面白かったよ。

158 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 02:18:23
>>148
同感。ある意味、ブタに歴史はない。ある意味ねw

159 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:38:31
>>156
池享「戦国・織豊期の武家と天皇」がおすすめ

160 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:59:32
手抜きマンション事件の犯人たちは、姉歯には直接具体的に違法なことをしろとは言っていないかも知れない。
しかし、鉄筋の量を減らせ減らせとアネハに迫り、もう無理だと言っている人間に無理に減らさせた。
建築家なら、それは即強度不足になることは分かっていた筈だ。
しかも、鉄筋の量を減らしても強度は維持できるなどと言いながら、具体的にどうすれば良いか
姉歯には全く示していない。勿論、その方法も本当は知らなかったのだろう。
唯、鉄筋の量、コンクリートの量を減らせとばかり迫れば、とんでもない物が出来ることを知りながら、
姉歯が勝手にやったんだみたいな構図を作ろうとしていた様だ。
そんなことで責任逃れ出来ると思っていたらしい。

これ天皇がしたことと同じだね。
そしてその後右翼が天皇をかばってる言い分とそっくりだ。

「天皇はそんな指示はしていない。軍隊が勝手にやったんだ」

天皇制は日本社会の不正の根源だな。
天皇制を残しておく限りは、日本から不正は無くならないだろう。

不正は日本の文化であり伝統なんだから、偽造マンションの被害者は諦めなさい。


161 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:46:08
スレの趣旨もワカランとは厨はむごいわねw

162 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 21:17:44
>>160は辛い人生を生きてるんだよ。みんな、彼の悲しみをわかってあげようよ。

163 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 11:09:08
>>160
「へぇ、民族学校ではそう教えるんだ」と思った。


164 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 19:31:15
まんが「公家侍秘帖」では
日野西家も所領持ってたことになってるがうそ臭い

165 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 20:41:14
>>164
日野西家は、
山城国 葛野郡 上桂村内 200石
だそうな
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/hinokeshoryoh.html


166 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 21:47:20
阿野廉子の阿野家は公家として生き残ったの?

167 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:20:44
>>166
旧公家(羽林家)出身の阿野子爵家がその子孫だろうが。

168 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:53:27
常総平氏スレはちょっとアレなんでこっちで質問。
上のほう、今川や朝倉に許された輿やなんかの話がありますが、常陸平氏が府中の青屋祭や鹿島の大祭(御軍祭・御船祭)のときに許されてた格式ってのは、どこらへんにランク付けされるんですか?
「大使役に際し、常陸大掾は勅使に准じ衣冠を正し、四方輿に乗り、鹿島社神官の列席のもと、神殿に昇ることを許された。祭使に当る地頭は、臨時に大掾の官に補された。」(『茨城県史中世編』)
「年々官位ニヨラズ、位官ノ装束ニテ冠ヲ用、青屋ノ祭ヲ摂行ス、大掾ニ替テ是ヲ行フ、立傘、打物、袋黒ラシャ、紐、紫、房付、白袋参内傘、馬先ニ用、金紋調度懸、紫幕、同紫三ノ白馬、紫ノ厚房、此則大掾世々家ノ規ボトス。」(「芹沢家譜」)
『鹿島長暦』から多少捕捉すると、「大掾大使たり、目官小使として、共に勅使に准じ」ってところでしょうか。
系図なんかに書いてあることをまるっと信用するのは問題あるでしょうが、よろしくお願いします。

169 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 01:06:09
>>167
子孫じゃないよ。分家傍流だ

170 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 04:26:30
>>169
養子は入ってるかもしれんが、阿野子爵家は阿野公廉、実廉の家の系統だろう?

171 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 11:48:53

公家

には入らないかもしれないんだけど、江戸時代の滝口武士に
「豊臣氏」がいるんだkど。

誰だこいつ・・・

172 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 15:40:43
いるね。
漏れもだいぶ前から気づいていて気になっていた。
「地下家伝」で調べればわかるんじゃないかと思うんだけど何しろ高くてね・・・

173 ::2006/05/02(火) 17:47:07
わたしもどっかのDATA系なHPで見たことあります。<滝口豊臣
でも、いまざっと探しても見つかりませんでした・・・

「秀吉に貰った」のでしょうかね。


174 :バロン曽志崎:2006/05/02(火) 19:41:00
滝口というと豊臣姓木下氏の事だと思うけど、「地下家伝」では出自まで
は載せてないので何とも言えませんね。
通字も「秀」の様ですが、地下人の家系なんて戦国武将並に信用ならない
ですから。

175 ::2006/05/03(水) 00:05:23
系図先生がきた!

>>174
まさにそれです。

うーむ、そうっすか。わからないですか。
でもさすがに朝廷勤めですし、「豊臣朝臣木下氏」なんて大胆な行動を江戸時代に!
・・・となると、さすがになにかしらの由緒はあるのではないでしょうか?

でも出自まではわからないんですよね・・・。
江戸のいつごろ名前が出てるんでしょう?


176 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 00:45:30
豊臣朝臣で木下の名字を名乗った家ならほかにもいくつかあるが。
大名では豊後日出25000石の木下家と備中足守20000石の木下家。
旗本でも何家かあるようだね。

177 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 00:46:39
>>175
ヒント:http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/jige18430201_takiguchi-konoefu.html

178 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 01:07:56
>>177
ホントだ。豊臣いるね。

179 ::2006/05/03(水) 02:00:46
>>177
わたしが見たDATA系のHP、そこです。
ナゾですなー

1843年だと、余計にわからんですね。
これが江戸初期なら
「なにかしらの由来もなく名乗れる時期ではない」となるのですが。

滝口の武士=地下だから、>>176氏のような大名筋とかじゃあり得ないと思いますし。
あれそういえば木下家って、他の大名家にありがちな「分家して旗本」っているんですか?
旗本木下家があったとして、木下家ぐらいじゃ高家扱いとかならないんですか?
うむー???
まぁ、わざわざ「分家して地下官人」ってのも変ですよね。あり得ないか・・・。


連休の宿題です。休み終わるまでに提出するように。>ALL

180 ::2006/05/03(水) 02:18:47
ひとつ自己解決

日出藩に交代寄合の分家ありましたね。高家じゃないとは思いますが。
(例の、木下延由のとこです。)
そこの分家に、300俵ぐらいの小身な幕臣の家があったらしいです。
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/index.htm
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/kinosita.htm

300俵の幕臣と、1800年代の滝口武士
どっちがマシかなぁ・・・

181 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 04:32:36
旗本の不良息子が滝口に厄介払いされたとか?

>>177
身人部とか下毛野なんてのもいるのか。すごいね。

182 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 08:15:38
>>180
「マシ」がどういう意味かによるが、経済的には300俵の幕臣のほうが
マシなんじゃないの?

183 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 09:21:00
滝口の武士=北面の武士?

184 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 12:48:58
滝口と北面は別だよ。滝口は禁裏勤務、北面は仙洞勤務。


185 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 12:54:07







http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

186 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 18:16:22
仙洞ってどこ?

187 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 18:35:38
南面の武士というのも居たの?

188 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 19:40:41
院の御所

189 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 00:33:34
>>187
西面の武士なら聞いたことがある。

190 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 00:34:59
>>184
でも別に院御所以外の邸宅とか寺院とかの警固でも北面とかっていうよね。

191 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 13:39:29
六波羅探題が京に駐留軍としていた頃、彼らはどうしていたの?
御所のぐるりも関東弁話す連中がやってきて取り囲んでいたの?>>180-190


192 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:12:17
当時の閑院内裏や土御門内裏は、六波羅探題とは別の場所ですが。

193 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:22:57
公家は京に在住する掟があったのか?

194 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:37:17
なんか一行質問厨がわいてるが。

195 :庶民:2006/05/06(土) 02:59:16
>>193
ないよ。でも公家の存在意義は朝廷 でもってそれは京都にあるから必然的に公家さんは京に集まるわな  だから京の郊外や奈良でも田舎扱いしてるし

196 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 03:10:27
京都行ったら京都御所行こう! GWは一般開放されて見れる筈。案外、小さい。でかい城壁建てて庶民から身を守らなにゃならんかった他国と違い日本は良いね〜と朗らかな気分に浸ってみて

197 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 07:03:26
>>196
大名は城壁に囲まれた家に住んでいたが。
外国でも大した壁に囲まれていない宮殿なんぞ腐るほどあるが。
百済んウリナラマンセーだな。

198 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 23:21:30
>外国でも大した壁に囲まれていない宮殿なんぞ腐るほどあるが。

例を挙げて。ほれ。

199 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 02:07:41
ヴェルサイユ宮殿
シェーンブルン宮殿
サンスーシ宮殿

200 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 06:53:16
つか、ヨーロッパの宮殿ってまともな壁で囲まれてないのが大半じゃないのか?

201 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 08:07:11
都市ごと城壁で囲んでるよ。

202 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 08:14:15
(´・ω・`)
http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

203 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 08:33:23
仙洞御所=現在の御所?

204 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 08:34:39
光源氏は道長がモデル?

205 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 08:41:30
名門(言わずもがな当時は藤原氏しか無い)の娘でない女人から生まれたので親王宣下をもらえず放逐(賜姓)された悲劇の主人公、
ということで、作者はアンチ藤原氏の立場か。

竹取物語も、讃岐の造の田舎娘に、権門勢家の貴公子が、入手不可能な結納品を要求されて弄ばれるという筋だから、
作者はアンチ藤原氏の立場だと思う。


206 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 13:40:40
>>205
源氏の作者知ってる?作者の主人知ってる?

207 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 13:42:37
別に母親が紀氏や橘氏でも親王宣下の例は多々あるが。

208 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 15:52:37
204
いや違う 上皇用の御所だよ 歴代ずっと住んでたわけじゃないけど

209 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 16:31:30
>>206
為時も宣孝も名門ではないだろう
それをいうなら彼女が誰に仕えたかを言うべきだな

210 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 21:08:45
>>209はかなり頭が悪そうだ。

211 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 21:31:53
為時の祖父は中納言・藤原兼輔(堤中納言)だが、
その子の代で受領階級に没落してるね。

兼輔の従兄弟、三條右大臣こと藤原定方の子孫の一派が、
のちの勧修寺流。勧修寺流の堂上の新家に堤家(子爵)という
家があり、この家名は平安の昔の堤中納言に因んだものか。

212 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 21:35:19
>>210
同意。厨房の巣窟2ちゃんねるでも、これほど低脳なレスを発見することは珍しい。

213 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 21:44:11
>>205の前半は何?そーゆー新説あるの?

214 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 19:38:55
井沢の説

215 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 21:50:15
おお!井沢先生先生の御説なら間違いであるはずが無いな。
これに反対する奴は全員反日ブサヨ、マルクス儒教かぶれだ。

216 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 09:24:12
公家から商人と縁組は無い?

217 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 09:29:33
自己紹介スレで面白いのを見つけました。
右翼思想の話や世界情勢やマネーロンダリング、株や、
ロシア人とのセックス話など満載のスレです。
マッチョになる体の鍛え方も満載。

新スレ
【宇宙を翔る大和魂】萬スレ18【国際恋愛特攻隊】
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/intro/1147125402/


戦争論、何でもあり。参加者は熱い奴ばっかり・。

218 :庶民男:2006/05/09(火) 16:05:32
京都の商人で角倉とか有名だけど公家から嫁迎えたとか聞かないな 誰か詳しいやついないか?

219 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 17:39:28
富小路家

220 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 17:42:43


http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

221 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 21:11:35
>>216
住友

222 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 22:17:55
松下幸之助は公家華族の娘と結婚?

223 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 23:00:28
>>222
そんなら、三洋は公家の会社ですかい。

本当は婿養子に新華族のいらん息子をもらっただけ

224 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 11:47:28
,r';;r"            |;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;
 ,';;/             /;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;
 l;;'            /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;
. ,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;iソノ
ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
 l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、l
 | `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;;;;;;;;/ l |
. ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;ノヽ'/
. l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ
 ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
  ', i、-----.、       `''"i`'''l
.  ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,
   ヽ ヽ〈    i|          Vi゙、
    ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
.    ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,
.     ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \
     ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙     /
,、 - '''´  |  ヽヽ /,、ィ     /
やっと待った甲斐があった!この二階堂盛義が224ゲットじゃ!

225 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 02:55:29
公家出身の現職国会議員はゼロ?

226 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 11:21:59
公家の直系子孫じゃ0人ジャマイカ?

先祖に公家の血が入っている人は何人かいそうだが
たとえば名門出身の麻生フロッピーとか
(詳しく調べてないので本当に公家の血が入っているかどうかは不明)

227 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 12:06:14
>>225-226
公明党の池坊保子議員がいる。

華道の池坊家に嫁いだけど、実家は梅渓という源氏系の公家。
爺さんとお父さんが貴族院議員。

228 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 21:21:18
梅溪家は村上源氏。
徳川家治生母の実家でもある。

229 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 11:28:58
公家⇒高家の家なら若干ある

230 :日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:25:17
>>196-193
亀レスだが、室町期には御所を築地塀ではなく、
武者走りのついた城壁で囲む計画があったような。

231 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 01:39:10
age

232 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 13:48:12
>>229
例えば?

233 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:33:08
今川家
静岡県の公式見解では室町期は公家。
江戸期は高家。

234 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 16:37:36
>静岡県の公式見解

県の公式見解でも間違いは間違い。
昇殿も許されず三位以上の位階も持たない者を公家と呼ぶことはできない。


235 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 16:40:03
>>229
「公家⇒高家」というのは正確ではないな。
公家の子弟で、家を継いだり新家を起こしたりできなかった者が旗本として取り立てられて高家に任じた例ならある。
旧守護大名の家が没落して高家になったように、堂上公家の家がそのまま高家に移行した例はない。


236 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 17:25:44



http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

237 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 19:07:29
大沢家



238 :日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:49:10
細川元首相には公家の血も入っているだろう。
主流は武家であるが。

239 :日本@名無史さん:2006/05/29(月) 02:24:37
六角家
藤原北家日野流。公家烏丸光広の次男六角広賢を初代とする。
徳川家綱に召し出される。石高は2000石。


240 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 02:56:26
>>238
それをいうなら、上流武家で公家の血が入っていない(公家と縁組をしたことがない)家のほうが珍しいだろう。

241 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 18:49:05
武士はお姫さまフェティな香具師だったから。

242 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 18:50:14
かつて自分たちをあごでこきつかっていた公家の娘を立場が逆転して組み敷くときの快楽と言ったら

243 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:09:34
公家の直系絶滅てマジですか?

244 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:37:06
>>243
今も続いてるとこ結構あるよ。


245 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 23:16:42
>>240
金目当ての結婚

246 :日本@名無史さん:2006/06/04(日) 23:18:12
北條伸作

247 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 01:48:29
持明院基久は戦国公家には入らんか?

248 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 00:48:13
>>242
さすがに戦国期くらいで大名クラスの武家なら、公家に顎で使われた経験はないだろう。

249 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 10:39:03
公家が権力をもってたのって鎌倉初期くらいまで?

250 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 10:45:22
>>249
近代まで。

251 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 11:13:38
>>242
源平時代の頃の武士だったら、そうだろう

252 :日本@名無史さん:2006/06/06(火) 11:44:50
源平後で武家が確立したわけじゃないだろ
公家の子分である武士ってのがある意味下克上みたいな感じで
公家になれるチャンスがあるというだけの世界になっただけ
江戸幕府でいろいろ法度が整ってからがくっきり公家と武家が分けられるんじゃないんか?

253 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 00:21:45
武家(武門の家)の出身者は、例え昇殿を許されようと、
官位的に公卿になろうとも、公家ではなく武家と見なされます。

254 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 20:34:18
「武門の家」とは?定義あるのですか?

255 :日本@名無史さん:2006/06/07(水) 22:55:22
農家(百姓の家)の出身者は、例え昇殿を許されようと、
官位的に公卿になろうとも、公家ではなく高家と見なされます。

合ってるだろ?
253は間違ってるよw


256 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 18:35:02
秀吉は公家の落胤と僭称しただろ

257 :日本@名無史さん:2006/06/21(水) 21:52:03
>253

今も武家と公家は区別されてるよ。
愛子の誕生の時に弓もってびろ〜〜〜〜〜〜〜んて前田と徳川の当主が。
近衛の当主なんかご機嫌伺いくらいで何も役目無し。

258 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 04:41:42
武官=武家
文官=公家

??>>257

259 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 09:15:47
武官は六衛府とかの官職をさすんじゃないのか?
公家の羽林家の官職だから武家じゃないだろ

260 :日本@名無史さん:2006/06/22(木) 15:32:35
公卿と諸大夫とを分けるみたいな?
それにしても意味ワカラン

261 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 00:30:04
>>259
確かに羽林家は、そういう官職を歴任することを昇進ルートとする家だけど、
かといってそういう官職に武家が任官できないというわけではない。

262 :日本史@名無史さん:2006/07/01(土) 17:23:39
今さら気づいたんだが、羽林家にせよ清華家にせよ殆どが藤原北家の末裔出身だった
幼い頃に日本史の授業とかで、藤原家は平安期にその栄華を極めたとか言われても
たいして実感湧かなかったが、こうして見てみるとなるほど凄いもんだと改めて思った


263 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 18:16:22
清華家だの羽林、名家だのといっても
所詮は鎌倉以降は没落して
お稽古事の家元が存続しているようなものだが


264 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 23:56:35
むしろ名家は鎌倉以降に家格が上昇した家だと思うが。

265 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 21:55:44
名家が羽林家と完全に同格と見なされるようになるのは室町くらいから?

266 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 23:07:44
持明院基久って誰?

267 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 02:13:38
>>266
尊卑分脈でも見ろ。

268 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 13:42:11
>>266
公家なのに何故か大坂の陣で豊臣方に加わって戦死した人。

269 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 14:40:59
でも戦国期なら、公家が戦争に参加したり戦死したりすることは珍しくもなんともないと思うが。

270 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 14:59:55
公卿達は智謀に富む、そして静かに温順しい。之は大和民族の特徴である。
熊襲族は所謂隼人で勇敢であるが乱暴である。
熊襲族は立替に使はるべき種族であつて、統一は矢張りおとなしい大和民族でなければ出来ぬ。


271 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 16:30:45
ババアの悪夢、再びスレッド

272 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 09:43:21
公家と武家
似たようなのを二つ作って名門だのなんだのやったこの二重支配構造が
日本の歴史の深みでもありわかり辛くしている面でもあるのかねえ


273 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 00:51:00
寺家を忘れてまっせ!

274 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 01:00:18
【衣冠】大掾大使・目官小使、共に勅使に准じといっているので、大使は公卿勅使に准じた?
【四方輿】四方を開け放つことのできる輿。
【立傘】日傘。
【打物(袋黒ラシャ)】太刀を黒い羅紗の袋に入れた?
【紐(紫・房付)】
【白袋参内傘】室町時代、守護大名が幕府から免許された「白傘袋毛氈鞍覆」の白傘袋と同じ?
【金紋調度懸】弓矢を飾った台。
【紫幕】ぐぐっても神社しかヒットせず。
【紫三ノ白馬】白馬または葦毛の馬。
【紫ノ厚房】馬が前掛けのようにつけているもの。
>>168ですが自分でどんなものかだけは調べてみました。
(鞍についての記述が一切ないけど、輿に乗るからいらないのかなあ)
これは格としてはどうなんでしょう。

275 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 17:05:48
むむ

276 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 18:57:35
荘園からの年貢が激減し、牛車を輿に変え、奉公人をリストラし、戦国大名に娘を差し出して、経済援助を受けても、中下級の公家は相当辛かったはずです。
どうやって生き抜いていたのですか?

277 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 19:17:31
それは秘技!家伝の芸能文化の伝授ですがな
 大内、朝倉あたりへ行ったの有名ですな

278 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 22:30:16
ぎょうさん、儲かったんでっしゃろか?
ほなら、地下はどないでっしゃろ?これこそほんまにヤバいんとちゃいまんの?

279 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 23:18:17
でもドサクサで公家になった竹内家ってのもあるし、
それなしにしたたかに生きていたのかもしれない。

280 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 23:40:52
あと摂関家の一条家が土佐の荘園に下って戦国大名化したのあったな
 本家は京に残ったけど

281 :日本@名無史さん:2006/07/16(日) 10:37:02
竹内さん言うたら、清和源氏でっしゃろ。如何なる経緯で公家として認められはったんやろ。武門として生きてはった頃もあったんとちゃいまっか?

282 :日本@名無史さん:2006/07/18(火) 20:59:31
>>281
同じ清和源氏である足利将軍家の推薦によって、地下官人から堂上公家に昇格。

283 :日本@名無史さん:2006/07/27(木) 21:23:57
いつ頃まで、日常的に牛車を利用していたのでおじゃるか、教えてたもれ。

284 :日本@名無史さん:2006/08/06(日) 13:10:44
室町くらいだと、ほとんどの公家は牛車なんて自分の家では持ってなくて、
儀式とかで必要なときだけレンタルしてたって聞くけど。

285 :日本@名無史さん:2006/08/06(日) 14:06:49
街路での牛車同士の競走なんてのもあったらしい
人を2人轢き殺した「駿牛」とかいたそうで
バクチのタネにもなってたみたいだよ

286 :日本@名無史さん:2006/08/08(火) 20:59:18
室町時代に既にレンタカーがあったとは、驚きだ!

287 :日本@名無史さん:2006/08/08(火) 21:03:39
役人か 獄殺裁き人

288 :日本@名無史さん:2006/08/25(金) 00:19:49
>>284
レンタル業があったわけ?

289 :日本@名無史さん:2006/08/25(金) 01:15:30




http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

290 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 01:04:44
>>288
自前で持っている裕福な人から個人的なコネで借りてくるだけだろ。

291 :日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:32:12
>>258
武官=羽林家
文官=名家

292 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:12:54


293 :日本@名無史さん:2006/12/21(木) 04:31:14
>>285
くらべ馬なら聞いたことがあるが、くらべ牛なんてあったの?

294 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:28:23
競馬(くらべうま)
競牛(くらべうし)

295 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:19:42
>>181
下毛野氏嫡流の調子家あたりは地下のなかでも結構有名なほう。

296 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 20:41:59
秀吉の甥と淀殿の妹の娘が嫁いだのは九条家だっけ。
どんな意図だったのかな。

297 :日本@名無史さん:2007/02/20(火) 00:52:34
http://noel.lib.net/

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