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苗字帯刀 Part2

1 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:59:37
庶民で苗字帯刀を許されていた人々について語ってください。
亨和元年(1801年) お触書の発布
      領主により苗字・帯刀を許可された庶民
       1.郷士のように由緒あって以前から許されていたもの
       2.奇特の行為によって褒賞として新たに許されたもの
       3.町年寄・庄屋・名主・御用商人・本陣などの役柄によるもの

前スレ
苗字帯刀
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1059398495/

2 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 23:02:37
つーget

3 :日本@名無史さん:2006/03/22(水) 23:05:56
村役人でも苗字帯刀は少ないよ
age

4 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 00:19:19
ナエアザタテワキさんについてマタ〜〜リはなすスレはここでつか?

5 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 01:08:33
名主の家なんか昔は平気で日本刀がうじゃうじゃしてたそうだが・・・

6 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 01:22:55
名主じゃなくても錆びた刀
は大戦中の鉄不足に戦艦か

何かに鉄の一何にかなっています。

7 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 01:52:35
>>5-6
刀が家にあることと「帯刀」とは違う。
藤木久志の『刀狩り』(岩波新書)を読むべし。

8 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 02:37:51
家にあるのが刀だけなのは屁の突っ張りにもならん。
せめて鎧兜ぐらいないと。室町時代ぐらいの。
この条件で偽名家は一掃されるw

9 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 10:38:32
前スレ墓写真アップのものですが・・・話の流れだと墓と戒名は後で作ったという感じですか?そういったことって結構あるの?

10 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 19:56:58
天領の本陣は許されてたのだろうか?

11 :日本@名無史さん:2006/03/23(木) 23:04:50
>>9
あると思うよ。
江戸期の墓石にも流行があるから、それで判断も出来る。

慶安だっけ?
その頃は、村の富裕層でも二字戒名が一般的だろうし。

12 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 01:44:55
>>9
正面に名前(俗名)はありえないが
横に名前(もしくは世襲名)はありえる
なので墓と戒名は後で作ったとは断定できない

が、江戸前期にショボかったが江戸中期以降に隆盛したような家なら
2文字戒名を4文字、4文字を院号へ変更、
その流れでショボい墓を立派な墓に建て直すこともある

話を聞く限り貴方の家はもともと地侍のような家っぽいので違うだろうけど

>>11
>村の富裕層でも二字戒名が一般的だろうし。
>>9の家は話を聞く限り(墓も見て)2文字戒名はない


13 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 02:42:01
>>11あの写真の形態だといつごろのと思われますか?
>>12地侍でしょうね。戦国期に小さな城の城主だったようですが・・・ただ、郡下にいくつかの同姓の名主家があり
どの家が直系の家かは分からないようですが一応子孫という事になってるようです。
 戦前までは郡下1,2の名門といわれてたそうですが没落、上記の名主家も一軒を除いてほぼ没落。
調べた限りでは元禄期の検地において200石の年貢を納めたという事と検地以前に大規模新田開発を
願い出て許されたという記述。
 戦国期には戦役感状がいくつか・・・この程度しか分からないんですが。


14 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 05:05:00
ただ、郡下1,2の名門と言われるわりには門は薬医門でわりと質素だった様です。まあ、近くに長屋門の家は現存してませんが


15 :日本@名無史さん:2006/03/24(金) 15:58:43
藤原氏の末裔・・地名と苗字
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/geo/1107317869/

16 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 01:48:42
>>13
先祖自慢スレなどによくいるなんちゃって子孫なんかと違い
貴方の家は名家の部類だと思う

ちょっと聞きたいというか調べると面白いと思うのは、

・先祖はいつから土着したのか?
・菩提寺の開山は何年か?
・菩提寺の開基は誰なのか?
・慶長検地での田畑と屋敷の大きさはどれくらいだったか?
・幕末黒船のときにお上から徴収されたのは何両か?
・江戸時代の戒名で院号ありの数と院号なしの数の比較はどれくらいか?



17 :日本@名無史さん:2006/03/25(土) 09:46:39
>>13
笠付角柱型の墓石だったね。

笠付角柱型というのは、武家や有力町人、有力農民の墓石。
本陣だった家の墓石を見た事あるけど、江戸後期以降は笠付角柱型が並んでた。
『笠付角柱型』は造立年代として江戸初期には見られない形態。
江戸初期の富裕層の墓石を挙げれば、宝篋印塔が代表的。

>>16
慶長頃の検地帳があればかなりラッキーだなぁ

18 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 03:42:24
>>16なるほど・・・土着については定かには分かりませんが城が築かれたのが1500から1520年頃
といわれており戦役感状が1540年頃なので現在地に土着したのは1530年頃と思われます。。。
 菩提寺については以前図書館で調べた事がありますが室町末期で何とか和尚とか書いてありました。
慶長検地や幕末徴収についてはどうやって調べたらよいのでしょうか?
 戒名については前スレでも書きましたが江戸期中期はOOOO居士、後期になるとOO軒OOOO居士
幕末になると分家に時折OO院OOOO居士が見当たりますが、本家は幕末期に死人は出てないようで
明治になりOO院OOOO居士となっています。



19 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 03:46:33
>>17墓の形態についてですが江戸期の墓ですが傷みが激しいのがあって笠が無いのもありますが
おそらく形式的に同じなので割れたりして撤去したと思われます。
 ただ、明治期になると形式が変わり笠は無くなり長方形で結構一般的なお墓に比べると横幅がある
ものになります。

20 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 03:49:22
郷士 って 土佐藩だけだろ

他所の藩に郷士つー分けかた馬鹿にされてなんじゃ?
って言われていたからな

21 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 04:08:22
薩摩もいるよ・・・基本的に兵農分離が上手くいかなかった地域に多い。だから、徳川家系の藩にはほぼいない。

22 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 04:09:22
追記:水戸なんかは幕末にそれなりに召抱えて行ったそうだが・・・

23 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 04:19:06
>>18
>慶長検地や幕末徴収についてはどうやって調べたらよいのでしょうか?
幕末徴収はごく限られた裕福層を対象に徴収したので郷土史に載っていると思う
慶長検地も郷土史に載っているケースが多いけど
数が多いので載らないケースが多いかもしれない

>江戸期中期はOOOO居士、後期になるとOO軒OOOO居士
>幕末になると分家に時折OO院OOOO居士が見当たります
居士になる人と院(軒)号の人の割り合いはどうなの?


24 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 12:10:15
>>19
笠付きの墓石は江戸中期にも造られてる形態だけど、写真のは後期造立だろうね。
中期頃(1700年頃)の苗字入り墓石でよくあるのが舟形。
墓石中央右に没年月、中に戒名、左端に施主名など。施主佐藤氏とか佐藤傳右衛門とか入る。
石の厚みがないのでサイドには彫れない。
墓地に舟形墓石はある?

>18
菩提寺の開基って誰だかわかる?
あなたの先祖が開いた可能性もあるかも。

25 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 13:52:50
>>18
曹洞宗に軒なんて号あるのか
初めて聞いたぞ


26 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 14:28:22
あるというよりあったというべきか最近はみんな院号だが昔は軒号や庵号など最近はみない

27 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 19:20:24
>>23江戸後期まで本家と主要分家は全てOOOO居士。末期、嘉永、文久ごろから本家に近い家はOO軒OOOO居士
因みにこの時期本家は死人が出てない。この時期のOOOO居士とOO軒OOOO居士の割合は8対2ぐらい。
 明治以降はだいぶ差が付けられ始めて本家と本家に近い家はOO院OOOO居士、江戸期の主要分家はOO軒OOOO居士
以降分家はOOOO居士。昭和三十年以降は本家、主要分家ともどもOO院OOOO居士。分家はOOOO居士です。

>>24舟形墓石はないです。
  開基は分かりませんが開山は調べてみた所、室町の地頭の次男が坊さんになって云々という話です。



28 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 01:14:18
>>27
舟形墓石は地域によって差があるけど、自然石墓碑で古そうなのある?
自然石が多い場所は舟形が少なかったりする。

個人(一族)持ちの寺が、寺檀制度の浸透で一般村人の葬式寺にもなっていく。
その典型なんだろうな。

29 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 01:37:48
>>28自然石墓碑については分からないですね。手元の写真ではそれらしきものは写ってはいないのですが
一番上にある祠のような墓の周辺には確かに石がたくさんありましたが墓を形成してたかどうかは分かりません。
 今年は夏に墓参りに行く予定ですので写真を撮ってきますが自然石墓碑とはどのような形態でしょうか?


30 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 03:22:26
>>29
自然石墓碑=大きい石をほとんど加工せずに立てたタイプの墓。
先祖は何藩なの?


31 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 16:44:41
前スレで天領とあったぞ

32 :日本@名無史さん:2006/04/05(水) 17:30:11
なえあざ たてわき

33 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:48:27
>>30それは無いと思います・・・墓場は石垣状に3段でなっており一番上が一番古い墓群ですが大きな石は存在しません。
   天領です。


34 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:21:34
>>29
自然石墓碑は>>30の言うような大型のものから、小さいものまで。
明治期以降には、凝った造りの自然石墓碑が増えてる印象。
江戸期だと、有力者の自然石墓はやっぱり大きめ。
それと、墓地整理の影響で元来の墓石が失われていたりなどは、よくあるケース。

27の話に戻るけど、その地頭ってのはあなたの先祖関係の人?

35 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 01:04:18
>>34先祖の元主君の先祖の弟らしいです。その地頭の苗字の人は郡内にあまりいない、かつ嫡流は滅んだようです。


36 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:16:11
>>35
地元はどこ?


37 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 20:42:42
>>35
その戦国期の地頭はどこかに仕官したのかな?

38 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:25:50
>>36それはちょっと・・・黙秘させていただきます。
>>37結構有名な家ですよ室町期は守護に任命されず守護と年中戦ってたようですが、そのころうちの先祖が何してたかは
不明。家来だったかどうかも不明。


39 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 19:59:57
>>38
絶対見つけてやるという意気込みでやれば、
判明する可能性が無きにしも非ず。

40 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 21:16:51
俺の先祖は500町歩地主だったけど普通なの?
祖先は足利義満からの分家


41 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 21:22:57
>>40地域によるし大地主の大多数は明治以後に集積したもの、それ以前は普通の地主の可能性が高い。


42 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 23:13:42
>>41
江戸時代に500町歩で明治〜終戦まで400町歩だった

43 :日本@名無史さん:2006/04/12(水) 00:11:47
>>40
幕府を開かれましたら、臣下としてお力になりたく思います。
未来を見越し理想の支配体系を作り上げましょう。

44 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:39:11
本題の苗字帯刀はどうなった??新撰組関係で多摩の豪農は治安維持の為に幕末に苗字帯刀を許されたとあった
が詳細ギボン

45 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:41:47




http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

http://www.eva.hi-ho.ne.jp/iwaemon/

46 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 18:43:07
    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!
       `ヽ_つ ⊂ノ       
              地主じゃなきゃヤダ

      _, ,_
     (`Д´ ∩ < ヤダヤダ 
     ⊂   (       
       ヽ∩ つ  100石以上じゃなきゃヤダ
         〃〃

    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( つД´) < ヤダヤダ
       `ヽ_ ノ ⊂ノ     
              苗字帯刀で官位がなきゃヤダ



47 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 19:21:31
当家は500石クラスの地主でしたが何か?

48 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 19:25:22
>>47

500石では小規模クラスの殿様

49 :日本@名無史さん:2006/04/21(金) 19:39:06
うん。
だからこそありえる話だと思ってね。

そんなに立派すぎず、手ごろな地主が祖先だね。
一応〜地方のお殿様

って言われていたよ。

50 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 00:07:57
徳川って262万石だっけ?
すげー地主

51 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 01:30:33
>>48
500石の農民てありえるのか?

52 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 03:53:31
1000石の小作人とかなw

53 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 04:40:48
>>48
てきとうーほざくなw
500石の殿様なんてどこだよwww

>>51
500石はだいたい何町歩必要か計算したことあるのか?
>>48に釣られるぐらいだからよく分かってないだろ?w

まぁ、バカにも分かるように教えてやるよ
あとは自分で計算してみれ

1石≒150kg、1反≒600kg
1町歩=10反、1町歩≒40石
江戸期に1000町歩地主は10家もないが、100町歩地主はわんさかいた。
10町歩地主なら吐いて捨てるほどいる。


簡単にいうとな、
「500石の農民てありえるのか?」という質問自体がアホ質問ということだ。


54 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 04:46:41
>>53
500石取りともなると、堂々たる武家。旗本であれば
禄高200石以上は「殿様」と呼称される。

ま、>>48はそういうことを言いたかったのではないか。

55 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 05:11:06
前スレの「勢いだけで主張は支離滅裂なDQN」はいまだ健在か。

56 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 05:51:14
1町って10石分だよね?

57 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 07:41:11
そうだな。

58 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 10:18:04
>>56
耕地整理で生産高が進歩する前なら1町はおよそ10石
なので500石取りなら50町歩
こんなもんで殿様なんて聞いた事がない

59 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 13:43:46
上で書いた〜のお殿様と呼ばれていたご先祖を持つものです。
地主としては確かに500石と大した事はないですが
村が不作だった時や、河が氾濫した時などは我が家が財産を切り捨てて
村を救ったりしていたみたいです。

また、副郡長みたいなのもやっていてその地主としての規模よりも
政治力として周囲に認められていたみたい。

当時は貧乏な家ばかりで、当家は500石といえども庭に滝が流れているような
県の重要文化財に指定されるのされないのという、伝統のある屋敷だったみたいで
そういう意味でも「〜〜のお殿様」と呼ばれていた訳で実際に殿様であった訳ではありません。

60 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 16:34:47
48
>>54あなたのおっしゃるとおりです。
>>53てめぇ!むかつくんだよ!その口の利き方よ!

素直な意見を申し述べました。

61 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 20:01:29
思うに、全スレからチョーシこいてる馬鹿は、精神科か心療内科に通院して
抗鬱薬を処方されてるんじゃないかという気もする。

62 :日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:27:45
>>59
石高で村の豊かさは決められないけど
500石・・・むちゃくちゃ大したことあるよw
土地集積して、肥大化した大地主なのかは知らないけど。

屋号で『おだいじん』とか『なぬしさま』とか呼ばれてる旧豪農はあるよね。

旗本で500石なら中級クラス
殿様、奥様、若殿様

63 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:13:35
>>62
宇喜田秀家に仕えていて500石だった。
土地集積したのではなく、河が氾濫する度に財産を村人の為に使って
どんどん貧しくなりました。

64 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:27:41
>>63
500石の所領を宇喜田家より与えられて、
その領地を戦国〜江戸を通して所有していたということ?

65 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:40:29
戦後の農地改革まで所有していた。
実際はもっと減っていたらしいけれど、結局村の為に土地を切り売りした
という過去の歴史は語り継がれていた。

「昔はこのあたりの土地は全部〜〜さんちの土地だから」
「〜さんの家は県議会議員だけれど、結局このあたりの土地は全部〜さんの家の土地
だったからねー」

とかそういう感じで。

66 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:02:42
実家は江戸時代に田畑のみで300町歩、山林も合わせると600町歩地主でしたがなにか?
遡れば新羅三郎に仕えていた板垣氏までいけますがなにか?

67 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:13:06
主導する役が必要だね
66さんやってってよ

68 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 01:28:43
ほえー。
当家は苗字帯刀を許されてたけれどたかが500石の無名武士かと
思っていました。(一応清和源氏らしいけれど)

清和源氏の名門の板垣氏の子孫ですら6000石なんですね。
大体どのような基準なのかっていうのが理解できていいですね。
でも500石ですら県議員なんだから、6000石というと国会議員クラスですよね。
それがあの板垣退助だったり・・・

69 :66:2006/04/23(日) 01:54:52
>>68>>59の人?
>>59の人なら質問

500石というのはいつの時代の話でその当時の身分はなに?

70 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 02:18:22
>>66

板垣氏の祖は武田信義の子、兼信ですよね?
新羅三郎に仕えていたというのは誤伝ではありますまいか?

71 :66:2006/04/23(日) 03:10:26
>>70
史実(?)では曾々孫が板垣氏の始祖となっているが
家伝では、板垣某氏は義光に仕え、
その後兼信が板垣氏の養子となり継いだのが兼信扱いにしている


72 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 05:49:36
>>69

関が原の戦いだから1600年くらい。
宇喜田秀家に仕えてたので武士になるのかな?

その後は帰農して庄屋、大庄屋をやっていた。

73 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 08:35:15
>>70

簡単に地域に溶け込む為には有力土豪の養子となるのが最善ですし、
義光の孫の清光辺りから国中に一族を散らしていますからね。
レスサンクスですm(_ _)m



74 :70:2006/04/23(日) 08:39:20
うほ!朝からレス間違いでъ( ゚ー^) 誤爆スマソ

>>73>>71へのレスです


75 :三光作戦:2006/04/23(日) 11:21:35

日中戦争時、抗日ゲリラに手を焼いた日本軍は、強圧的に拡大して
満州と中国との国境とした万里の長城線一帯を無人化する作戦を実施した。
指定地域内の住人を総て強制収容所に移住させ、ゲリラと住人との接触を断ち
ゲリラ出没地域での耕作を一切禁止するというものである。
その過程において、首を切り落とすなどして殺害した農民は8万1千人、
拷問のため施設送りの後処刑した者4万6千人。合計127000人を殺害した。
集落によっては村民が殆ど皆殺しになった所もある。
人囲いと言われる強制収容所は粗末なもので、宿舎は無く、移住させられた住民は露地に藁を敷き、露天で寝るしかなかった。
宿舎としてのバラックや要壁などは住民の手で作らされた。
農期には収容所近くの耕地で農作業を強制された。
収容所の環境は劣悪で、満足な食料、薬もなく、病気や飢えで何万もの人が命を落とした。

表題の三光とは、殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くすと言う意味である。

幾つか例を挙げると

豊潤県潘家峪では一度に1230人が虐殺された。
密雲西白連峪では、全村落を破壊し、最後に破壊から偶然逃れていた一軒を発見し、そこに居た70歳重体老人を家ごと焼殺、幼児2名を銃殺。
王廠溝、南大門一帯では、580人を逮捕し、380人を虐殺し、残り200人を強制労働の為、東北へ送り、内80%が死亡。
石柱子村では、村民700人中300人を虐殺。
興隆県秋木林、大莫峪では、全130戸から180人の青年壮年男を逮捕し、虐殺。寡婦の村とする。
興隆県ではその一帯に多数の寡婦の村が出来た。
更に寡婦の村を襲撃し、逮捕した者で使えそうな者を日本兵の慰め者にし、残りは処刑した。
興隆県では、人口16万人が戦後、10万人に減少していた。
大帽峪の村人など120人を後手に縛り、虐殺。
引っ立てて来た魯家峪住人を一人ずつ目隠しをして井戸の前に座らせ、
日本刀で首を跳ね飛ばしては井戸の中に放り込んだ。


76 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 12:44:53
>>75
で、その「三光作戦」なるものの名称は、どこの国が考えたの?
日本でないことは歴史的に証明されている。
中国が命名者なら、そんな名称の作戦は日本には無く、中国の妄想になるが。

77 :66:2006/04/23(日) 12:57:32
>>72
庄屋、大庄屋時代はどれくらい所有?



78 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 14:34:23
>>75
その作戦、今中共行って実施して来い

79 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 15:34:26
>>77
わからない。

ただ隣町まで他人の土地を通らずに行けたらしい。

80 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 15:40:16
>>66
お勤めご苦労さまです。
思うに雑魚は資料提示しろで黙らせるに限るかと。
始祖載ってないのは無効って言えば簡単です。

81 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 18:07:47
>>79
おまえ、ガセ臭いな

82 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 18:14:35
>>81
ガセじゃないって。
鳥取県のすげー奥深い田舎なのに東大行ったりしてる。
俺も早稲田だし。

あんな田舎から当家だけ学力的に優秀なのもオカシイだろ?
もう一軒、日下部さんっていう家が同じぐらい優秀。

あとは全部農民。

83 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 18:21:41
>>81
そもそも、県や、市、村の議員や助役、学校の校長とか教員、医者等
その地域の名士は我が家と、日下部家と、中村家で独占しているようなもの。

それは何百年も前からそうう状態であって、庄屋、大庄屋時代にどれくらいの
石高っていうのは意味がない。

84 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:35:16
そんな我が家の家訓は「押して駄目なら引いてみな」


85 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:42:54
>>82
うちも青森の田舎で、農家ばっかりだけど、別に東大とかそんなの普通に勉強出切る子
は行くし。家柄いいから勉強できるってか?

86 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 19:50:30
いや最初は家柄が良いなんて知らなかった。
ただ、我が家はなぜか東大とか総計とか旧帝大とか卒業した人が居た。
こんな農家になんでだろう・・・・

と幼少期に思っていたが、後で知ったらそこそこ家柄も良い事がわかった。
現代ならば別に農家が東大行ってもおかしくないけれど
東大ができたころは下宿させるだけでもお金が掛かるし、そもそもそれだけの
教育を受けさせるのが不便である。
当家は農民だけど、地主で裕福だったから市内の塾や予科?やなんかで浪人させて
東大やできたばかりの早稲田に通わせたりしたらしい。
本当に優秀ならば国立の医学部に行かせるのが王道らしいんだけれどね。

87 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:15:13
>>85
ありえん話でもないと思う。
庄屋・名主層ならば戦前までならそこそこ金は持っていただろう。
維新後、士分ならば軍・警察・市町村長になることが多かったなら、
豪農なら農地解放まで、>>83にある職業に就くハードルはそれほど高くなかったのでは?

88 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 20:57:03
500石の人に質問します。
検証するということが何たるかを知らず、
家柄についても理解していないのは、
まあどうでもいいことなのですが、
いやそのような姿は見苦しいので何か言いたいのですが、
やっぱり私から見るとどうでもいいことなので黙ります。

で聞きたいのですが、
あなたは農民つまり下の者を見下しているのでしょうか?

89 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:01:33
概して士籍外の者の苗字帯刀は、終身、永々、その身一代等が基本だが、
被差別部落民の頭や小頭クラスの苗字帯刀について、詳しい人いたら教えて! 


90 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 21:48:38
>>88
検証とは?
ただ、我が家が庄屋や大庄屋を勤める地主(小規模)で
たまたま学力と金銭的余裕があったので、大学に進学できたとそれだけですが?

家柄と言ったって中の下程度だろうし、大したことはありません。
検証するほどの名門でもないわけですし・・・

農民は見下していません。戦後の農地改革で我が家の土地を二束三文で没収され
それによって我が家の何倍もお金持ちになった農民や、商売で大成功した小作人も居ましたし。

91 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:21:45
庄屋?百姓ではないか。

92 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:34:21
500石を所領する武士(地頭所)と
500石の高持ち百姓である庄屋では全くの身分違い。      


93 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:42:39
名家だとか言うのは勝手だが、
単なる寄生地主にすぎないのでは?

94 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 22:56:21
>>90
書き込みを見て、説明する必要はないと判断しました。
でもあなたが知識を得れば、推測することができるようになるのかな。
たとえば一連の流れで、ここで92さんが何を言いたいのか考えてみて下さい。
知るということは色々なことが見えるようになることでもありますので、議論する際には勉強することが必要です。
ただ由緒や家柄をどう見るかについては、一度細かく示してくれる人が現れないことには、
なかなか判断できないことなのかも知れません。大雑把に語れるものではないですので。

質問に関してですが、なかなか心が広いようで見直しました。
それだけで無知の害はチャラですw

95 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:28:08
>>89
「人権板」へ、どうぞっ!!

96 :日本@名無史さん:2006/04/23(日) 23:38:14
>>95
人権板に行きましたがあの板はレベルが低すぎて誰も知らないようです。
関八州の各地に散在するエタ小頭クラスによくある苗字帯刀とは、
その領主から与えられたのか、
それとも弾左衛門に与えられた私的な格式にすぎないのかを知りたいと思いまして。        
尚、>>92は私です。

97 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:30:52
>>91
そのとおりですな。

98 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 00:49:50
うちも苗字帯刀を許されてたらしくて、高祖父が明治10年ごろから30年程
村長をしてたんだけど、それって結構いい家だったと思ってもいいのかな?
親や祖父母から何も聞いたことないんだけど
うそっぽい話なんで信じてなかったけど、先祖が源頼朝の家臣をしてて、
頼朝の重臣のある人物について、今住んでる地方に住み着いたという話は聞いたんだが

99 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:09:56
>>98
単なる村のボスです。
先祖が頼朝の重臣だとかは、どうでもよい話。  
ちなみに聞きますが、その苗字帯刀の格式は、誰から与えられたのですか?
また、その格式は、あなたの先祖にあたる「家」に与えられた格式ですか?
それとも、あなたの先祖が「個人」の資格で与えられたのですか?

100 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:13:31
>>98
>源頼朝の家臣
ならば鎌倉御家人だから、歴史上に名前が残る

101 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:32:10
察するに幕末動乱期に高祖父様個人に与えられていたかと。
帝国憲法下では知事は内務大臣の指名、市町村長は知事の指名だったはず。
家に与えられていたならば、村長も世襲が続いていたのでは?
(ウチがそうだったから、他の地方はわかりませんが。)

102 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 01:37:02
与えられていた苗字帯刀の格式と、
村長の職とは直接関係ないと思うが?   
また、同一村内に、苗字帯刀の格式を与えられた人が複数いる例はよくあるが?

103 :98:2006/04/24(月) 01:51:56
家に与えられたのか、個人だったのかわかりませんが
高祖父の次の村長も親族から出てはいます。
あと高祖父は村長以外に郡長というのをしていたそうです
頼朝の家臣というのは多分事実ではないだろうと思うんですけど
うちはあまりない苗字なんですが、頼朝の家臣に自分と同じ苗字の人物はいます。
そしてうちの先祖が付いてきた人物というのが頼朝の重臣だったのは
事実のようです。
自分自身があんまり詳しくなくて、ゴールデンウィークに祖父の家に行くんで
その時に詳しく聞いてこようかと思います。

104 :68:2006/04/24(月) 07:28:11
>>90
おまえさ、ネタ臭くてたまらんぞ

だいたいね、「家柄」っていうのは
田舎であればあるほどいろいろんなことで近所から”そう”見られるから
調べなくても分かるもの、実感するもの

子供ながらになぜかうちだけ○兵衛や×衛門などの”屋号”でよばれることなく
”○○様”だったのか不思議だった
近所の爺さんや婆さんは俺にだけ○○ちゃんと呼びほかは呼び捨てだったりした

そうやって家柄なんてのは親から口伝されなくても不思議と分かるんだぞ


105 :68:2006/04/24(月) 07:34:55
続き

それからさ、このスレは苗字帯刀のスレだろ
ということは江戸期の話をすべきところだというのに
なぜか関ヶ原前の話、なぜか帝大やらの明治期以降の話、
「江戸期は庄屋、大庄屋でした」でスルー
なんか違うだろ?

しかも主であったという宇喜多と宇喜田の区別もつかない自称早稲田出身って・・・


106 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 11:22:01
そうだな。
本題である「苗字帯刀」についての記述が少なすぎる。
苗字のみ御免や、帯刀にしても脇差のみか大小両刀か、
他にも苗字帯刀に付随する麻裃や背割羽織等の御免についても、
まだまだ語る余地がありそうだ。

107 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 11:44:31
「漏れの先祖は庄屋さま」と統合したから庄屋ネタが多いんだぞ。新規さんが多いのかな?

108 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 11:49:29
>>107
庄屋さんかよW

109 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 18:54:57
>>105

そんな小さなネタはつかない。
つくならもっと大地主だの凄い家柄だのいうでしょ。
江戸時代は庄屋、大庄屋を拝命して、里正やなんかもしてたみたい。

里正ってのに任命されると帯刀も許され地域の治安なんかも任されるみたい。

110 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 18:59:13
里正と庄屋・名主は同じだよ
呼び方が違うだけ

111 :109:2006/04/24(月) 19:04:57
里正、大里正、郷佐役、大保正 とかいう役職についてたらしい。

112 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:08:21
多分、大里正と大保正は同じ意味なんだろうけど(大庄屋)
郷佐役ってなに?

113 :109:2006/04/24(月) 19:21:55
100戸で1里、5里で1郷

郷長、郷佐、とかいう役職があって司法とか行政を担当したらしいです。

114 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:38:19
>>113
d
考えてみると名称としての里正も、郷里制なんかの名残なのかな

115 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 19:47:28
>>103
何かを断定しようするのなら、まず最低限、実家に帰って話を聞いてからにするべきです。
ですが、口伝ほど疑って損はないものはありませんので、注意した方がいいです。
で、誰の子孫であるかとかは、余程特別だと思われない限りどうでもよいことです。
有史以前より血なんてものは混ざり合うものでしかありませんし、
中央の血も源平時代あたりからいっきに分散していきますからね。
人類皆兄弟は極端かもしれませんが、知ってみる限りそれに近いことを実感します。
ですので、この場合も、頼朝の家臣、つまり一族の子孫という話も否定することではないと思います。
実際系図研究してる人なんかにはそれで通用するんだと思います。
ただ800年続く家ということに関しては、明確にすることができない限り、
主張するのはいいのですが、強調することはやめた方がいいです。見苦しいだろうからです。
仮に800年家が続いているとすれば、あなたの家は、初代が国誌あたりに著姓として記され紹介ぐらいはされているはずです。
そして、確かにこの人物が初代にあたると、あなたは示すことができると思われます。
ただ、これまで私がネット上でそう確信できた家は、自家の歴史を日々発信しているある一つのところだけです。

蛇足ですが、貴家が立派な家であるのは間違いありません。もちろん前の方も同様でしょう。
しかし、ここは先祖や家柄自慢スレではないです。68さんも言っておられますね。
ここはあなたにとっては苗字帯刀を理解するです。
理解した上での自慢であるなら、参考になることもあると思います。
実例を説明して下さるわけですからね。

>>109
あなたの家は1000家に一つとか、そういうレベルだと思います。

116 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:31:40
>>115
完全同意。

我が家の祖の一流は、
豊前小倉藩小笠原領の某手永庄屋の陪流ですが、
苗字帯刀・馬一匹・小者一人・槍一筋御免であり、
なお且つその手永庄屋「職」に対して(家や個人ではなくあくまでも職)扶持米を給された、
家中の士分にも準ずる格式ではありますが、
その許された苗字は、手永名をそのまま姓とするのが原則であり、
幕末の例外的措置(対長州征伐における小倉口の戦い以後)を除いては、
藩より軍役をいっさい課せられず、
あくまでも年貢を収める立場であり、その点では明らかに百姓身分と言えます。

117 :日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:41:30
>>114
>里正も、郷里制なんかの名残なのかな

里正は漢語だよ。古代の遺称というより、中国風がカッコイイとされていたから。
大名を諸侯というようなもの


118 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:04:27
>>117
あっそうか、なるほどね

119 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:22:13
中納言を黄門って言ったりとか

120 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 02:48:41
うちは近隣8村の大庄屋だった。
近隣8村の石高は慶長時代で約2,500石、天明時代で6,000石。
菩提寺の開基で、永代総代、代々の当主と妻には院号が付いてる。
屋敷は現在でも3000坪で家紋付きの土蔵も2つ現存。
家紋は大中黒で家伝では新田氏流。

121 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 10:13:36
>>120
このスレは苗字帯刀について語るスレだよ?
せめて、苗字の話くらい入れたら?

122 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 10:35:38
>>121>>107


123 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 17:59:18
>>121
>>120の内容からして苗字帯刀だってのは当然だろw

124 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 18:20:37
スレタイを一瞬「なしろたてわき」と思った漏れは疲れてるのか・・・

125 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:39:11
コギャルにでも憑かれてるんじゃないか。

126 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:40:01
庄屋だからって所領とカン違いしてるヤツがいるような気がする
ん?書きかたヘンか?眠い

127 :西川史子:2006/04/27(木) 10:25:58
>>126
同意。
高持ちの百姓なすぎないのにな。


128 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 10:27:26
うちの場合は、元は地侍だったらしいけど証拠はない。
江戸初期に肝煎やってた時、藩の土木工事の現場監督として、名乗り帯刀乗馬を
認められ、工事完工のご褒美に甲冑と杯もらい、その後は村役人になった時だけ
公文書に苗字あり、苗字ある時は全部名前一緒、ない時名前ばらばら。

129 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 12:43:36
上の人みたいに書いてくれる人がいいのにね。
120なんかネタ臭い上に何が言いたいのか全く分からん。
本当だとしてもだから何?って感じだし。
所詮はクソスレに期待するだけ無駄か。

130 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 15:21:35
120の内容からどういう家なのか理解できない人間が紛れてますねww


131 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 18:41:30
武家でないことくらい理解できるわ

132 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 23:05:57
武家は武家でも老中でさえ貧乏な時代だからな


133 :日本@名無史さん:2006/04/28(金) 10:19:05
私事ですみませんが、
うちの母方の家が埼玉の豪農の一族なんだが、
次男で江戸初期にさる譜代藩に仕官し家老を勤めた人物が出たが、
その実家、あるいは本家は父祖伝来の地において百姓(名主)としてあり続けたが、地頭旗本から苗字帯刀と幕末に用人“格”(世襲ではない)を与えられたにすぎない。
また別の親戚の家だが、
下級の地役人のような事を兼帯していた百姓であるが、
藩公の遠国への転封に際し随行を願い出て、次男を連れて武家として分家した。
長男が百姓である本家を継ぎ今に至っている。
こちらは苗字帯刀に関しては確かなことは伝わっていない。
こういうケースは多いと思う。

134 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 01:18:42
>>133
あなたには文章力が少し欠けているようです。
もう少し読んだ人が理解できる文章を書くよう努力ましょう。

先生より

135 :日本@名無史さん:2006/04/29(土) 03:13:55
>>133
チョンが日本語変換をしたような文章だなwww


136 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 22:56:42
兵農分離によって、「武士」の直営地が無くなった?
江戸時代藩主自身の所有地というものが殆ど無いのはそのため?

137 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 23:00:55
>>134
意地の悪い先生みっけ

138 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 23:05:49




http://wolfpac.press.ne.jp/daimyo06.html

139 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 01:27:42
10 日本@名無史さん 2006/03/23(木) 19:56:58
天領の本陣は許されてたのだろうか?


140 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 02:00:37
許された場合が多いと思います。ただし苗字帯刀が世襲・相続されたかどうかは不明です。


141 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 04:23:30
天領の場合純粋の本陣は少ない気が・・・本陣格の旅籠など。。。

142 :日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:58:34
age

143 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 12:27:45
地方史を見てると公式の郷士ではなく武士が帰農して郷士と名乗っている事がしばしばあるようですがこの場合苗字帯刀は
どうなんでしょうか?また、明治に入ってから士族編入願いを出していてほとんどは拒否されてるようですが認められた場合も
あるのかな?この辺の異常なこだわりと言うか執着みたいなのは何で消化?

144 :日本@名無史さん:2006/06/03(土) 12:40:25
郷士って土佐藩独特

145 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 01:31:03
>>144
土佐だけじゃないだろw

146 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:22:58
>144
薩摩とか有名だよ
桐野利秋も郷士

147 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:40:00
壬生郷士、十津川郷士、上州郷士etc

148 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 14:35:00
>>143
半農半士の足軽同心等は苗字帯刀で士族編入
それ以外の郷士は各々場合による
執着を持つのは農民侍の性

149 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 15:53:20
藩的には庄屋や自作農でも本人たちが郷士と名乗っているケースは時々見るんだよね。


150 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 17:17:18
当初は牢人と名乗ってるけどね江戸後期になると郷士と称するようになる。中期以降浪人はならず者のイメージが付いたため
といわれてるが、まあ郷士と名乗るのは先祖が武士だった、つまり浪人と言ってるだけだけだと思うけど。

151 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:44:34
それは領地を持たず放浪していた名残じゃないのか

152 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:08:06
郷士なんて郷士身分株を取得したものが大半
とくに土佐郷士なんてのはその典型だ
「土佐では関ヶ原が260年続いた」なんてのはアホの考え


153 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:14:52
新撰組の局長となる近藤勇は1834(天保5)年、武州多摩郡上石原(調布市)の豪農・宮川久次郎の三男として生まれた。
また、副長となる土方歳三も翌35年、武州多摩郡石田村(日野市)の豪農・土方隼人の四男として生まれている。
この限りで、二人は多摩の農民出身であることにまちがいはない。

 しかし、いずれも豪農(土方家は洪水で移築され、苦境にあったが、村では「お大尽」と呼ばれていた)であり、地域をまとめる重要な地位にあった。
宮川家は立地から考えて幕府のお鷹場となんらかの関係があったはずだし、土方家は三沢十旗衆の一旗を構成する武門の家。
剣をたしなむことになるのは運命のようなもの(宮川家には道場があった)だといえる。

 沖田総司は1842年、江戸白川藩屋敷で藩士の子として生まれたようだが、家を継いだ姉・ミツの婿は日野の井上林太郎(井上源三郎の縁者)で、多摩の人。
また、日野・井上家は八王子千人同心家なので、源三郎は「郷士」だといっていい。

154 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:15:44
多摩の地域性

 多摩は全域が天領で、藩、すなわち藩士が存在しない。だれもが武士であり農民である郡(面積は日本最大)なのだ。
この地はもともと武ばった所で、その在地勢力が鎌倉幕府を押し立てる。家の子・郎党の「いざ鎌倉」精神は、甲斐・武田や後北条にもうけつがれ、
関東入りした徳川家康も、この在地勢力の上に幕府を築く。

幕府の天領支配は武田の家臣・大久保長安、北条の家臣・江川太郎左衛門に委ねられるが、
在地勢力を信頼する彼らは、多摩の兵農分離をやらなかった(秀吉の「刀狩り」も甲州では行われたが、多摩にはない。

秀吉の多摩支配は八王子城下で数ヶ月だけ。実績が挙がらぬまま家康に託された。つまり、秀吉の全国統一はまやかしなのだ)。


農家の刀

 刀狩りのなかった多摩では、豪農が武具を所持するのは当然のこと。
新撰組のスポンサーで知られる日野・佐藤家には常時手入れの行き届いた刀剣が長持に2棹(50〜60振り?)、
小野路(町田市)の小島家には約30振りが備えられていた。

 また、日野宿の御用と多摩川の渡船場を預かっていた佐藤家には十手・取り縄のほか、御用ちょうちん、さす股、袖がらみといった捕縛用具も揃っていた。

155 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:16:55
千人同心

 大久保長安が八王子(八王子市千人町)に設けた武田家遺臣による幕府防衛隊で、
唯一の公的な半農半士組織(同心身分でありながら、禄が低く、かわりに農業が許された)。
当初は500家で出発。関が原の合戦直前に二倍に増強され、千人同心(→八王子千人隊)となった。

 その際、農業に専念していた多くの北条家臣が参加したため、多摩の人々にとって、士→農、農→士の垣根は低く、上下意識も希薄だった。

北条家の滝山城(移転して八王子城に)大手防衛隊「三沢十騎衆」のひとつだった土方家からも千人同心家が生まれていて
(三沢の土方家・新井の土方家―ともに日野市)、歳三の生家を「百姓」とするのは、明らかに誤りなのだ。

 千人同心は日光東照宮の防衛、江戸の火の番などに当たり、幕末には北辺防備(ロシア南下への備え)のため、多くが屯田兵となって移住・開拓を行う。
そのため文武の備えを怠らず、幕末には唯一の実戦可能な武士団として第一次長州征伐などに活躍する。

156 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:31:02
天領の場合は結構刀を保有してたみたいね。秩父事件時豪農を襲った暴徒は佐久の各地で大量の日本刀を奪った記述がある。
上州や多摩は農民でも剣道をやる土地柄だからってのもあるかもね。

157 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:41:49
673 :日本@名無史さん :2006/06/09(金) 23:36:19
武家社会において、それぞれの武士は武士団を構成し、軍事行動においては、通常、一門・一家と呼ばれる一族全体としてこれに当たっていた。
したがって土地・財産を分割されても、庶子家はまたく独立したわけではなく、一門の嫡家(本宗家)の長である惣領を中心とした強い団結を保持していた。
いわゆる惣領制である。

 幕府は、御家人を掌握するためにこの惣領制を利用し、御家人役の納入・勤仕の際にも一族の分を惣領に一括して納めさせることが多かった。
 惣領は数いる兄弟のなかから嫡出の長子が指名された。これは、先祖の祭祀という責を負うことと、勢力を保持する意味でもより正統のものが選ばれたのであろう。

そして、惣領は代々の苗字を名乗り、分家した庶子らはそれぞれ分割してもらった土地の名を新たに名乗り、多くの苗字が生れた。
それは、家紋の場合も同様で、惣領家の紋に丸を付けたり、四角を付けたりして惣領家のものと区別していた。

 時代が下ると、庶子に分割する土地も少なくなり、「惣領制」は御家人らが窮迫する一因ともなった。
さらに、時代が変化していくと、強力な統率力と指導力をもった惣領が求められ、
たとえば、南北朝期における肥後の菊地氏にみられるような庶子家から惣領になる者もでてきた。

 鎌倉期から室町期をみた場合、多くはさきに出た「惣領制」にならっている例が多い。惣領制が崩れるのは、やはり戦国時代に至ってであろう。


 江戸時代にいたって、百姓らが苗字を名乗ることを禁止されたのは、惣領制と関係があった。つまり、分家して新たに苗字を名乗ることを禁止されたわけだ。
ここに、苗字がある意味で土地と不可分な関係であったことが分かるのである。

158 :日本@名無史さん:2006/06/10(土) 02:31:59
>>153>>155
勉強になったよ

159 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:34:08
そうだね

160 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 01:39:02
hoshu

161 :日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:54:06
上記に天領は苗字帯刀はまず無いとの記述と>>153〜のを考え合わせると地侍そのままですねw

162 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 00:44:59
八王子千人同心はいわゆる武家だけれども、
それ以外は地侍ということかな?

163 :日本@名無史さん:2006/07/07(金) 20:16:11
郷士と言われている桐野利秋だが、実は城下士身分が本当らしいね。
城下士と言っても、西郷とかと一緒で最底辺の層だけど。
桐野は鹿児島城下の外れに住んでおり、尚且つ貧困であり、「唐芋」の逸話も
残っていることから郷士として後世に伝わっているんでしょう。

164 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 16:59:39
へえええ

165 :日本@名無史さん:2006/07/15(土) 21:27:55
尾張の織田家は誰でも彼でも織田を名乗っているな



166 :治郎右衛門:2006/08/02(水) 09:21:59
凄く小さいが、伊賀国の下阿波村で「阿波」と苗字が名乗れたた家があった。今もその家は「阿波」と名乗り
近くに住んでる人は「ほり」と呼んでいるが、伊賀国の終りのほう?からあるらしい土で盛ってあって、そこに
木が立っている。

167 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 11:53:23
>154全域が天領?
嘘書くな!

168 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 13:48:28
漏れの母方の先祖は庶民だが帯刀を許されていたらしい。江戸時代頃撮られた写真に写っている先祖の腰にも刀が写っている。帯刀を許された理由が知りたい。スレ違いすまん

169 :日本@名無史さん:2006/08/02(水) 14:09:53
っか土佐ぐらい厳しい郷士聞いてびっくらこいだ!


長州・薩摩 土佐みたい郷士って身分の隔たりないから 阿呆の容童 ありが決めだした身分だよ

170 :日本@名無史さん:2006/08/04(金) 02:06:36
>>168
写真用に誰かから借りたんだろ
それか江戸末期は苗字帯刀乱発したので価値はない



171 :日本@名無史さん:2006/08/22(火) 14:10:16
借りたというのは無いだろう。
そんな写真の所持がバレたら問題になるんじゃないか?

172 :日本@名無史さん:2006/08/22(火) 15:01:29
江戸時代は庶民でも道中差で脇差一本差すのはOKだった。

173 :日本@名無史さん:2006/08/31(木) 12:35:17
山口県周南市 高専女子学生殺害事件

逃走に使用しているバイク

ホンダ・エイプ

Ape50
ttp://www.honda.co.jp/motor-lineup/ape/images/pht_color_05.jpg

逃亡中の19歳の容疑者
ttp://www.imgup.org/iup254255.jpg


174 :山野野衾:2006/09/01(金) 00:12:22
>>171
いまでもウェディングドレスは借りるだろw


175 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 22:47:42
このスレの存在、すっかり忘れてた。
agehoshu

176 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 23:49:54
うちも苗字帯刀だったよ。 ちゃんと一族の墓に元禄くらいまでの
墓は確認できたし。  ただ、今は一族全体的に落ちぶれているし、ウチもとても家格を
誇れるような家じゃないし、村全体に渡る言い伝えとか、あそこの家の婆さんは
実はな・・・なんて衝撃事実聞かされても、誰に語る事ももう出来ず
自分の胸にしまっておくだけだ・・・
単にしがらみだけが残ってちっとも良い事なんてないよ・・・

177 :山野野衾:2006/09/11(月) 01:52:02
>>176
どういう理由で苗字帯刀の許しを得たのか述べてみよ

178 :日本@名無史さん:2006/09/11(月) 21:33:52
土地の支配を任されていたからじゃないのかね? 江戸時代に赴任してきた領主よりも
はるか昔から土地に根付いていたから。自治権があったのでは? 郎党もいるしね。

でも、今はその郎党の家系の方が土建屋やったり不動産屋やったり腹黒く出世して
ウチも含め本家は没落しちゃって全然ダメじゃw 
・・・まあ、貧乏したのが早かったおかげで、土地の狭い共同体から抜けられて
普通の近所の住人と仲良くなれたからいいけどね。

179 :山野野衾:2006/09/13(水) 02:52:51
>>178
>土地の支配を任されていたからじゃないのかね?
(゚Д゚)ハァ?

>江戸時代に赴任してきた領主よりも
>はるか昔から土地に根付いていたから。自治権があったのでは?
(゚Д゚)ハァ?

自治権?(゚Д゚)ハァ?
面白いことをいうなwww






180 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:29:11



自治権(?)って有り得ね〜 …クスクス(笑)

181 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 15:46:12
全然あり得るよ。 新しい統治者が赴任してもその家来が全部その地域を直接的に統治支配する
訳じゃないっしょ。 監督監査はあっても元々いた地元有力者に実質的な支配は任せてしまうのは
ごく普通にあるだろ。 イラクと一緒だよ。

182 :山野野衾:2006/09/18(月) 22:44:03
>>181
>新しい統治者が赴任してもその家来が全部その地域を直接的に統治支配する
>訳じゃないっしょ。
(゚Д゚)ポカーン

>監督監査はあっても元々いた地元有力者に実質的な支配は任せてしまうのは
>ごく普通にあるだろ。
(゚Д゚)ポカーン

>イラクと一緒だよ。
(゚Д゚)ポカーン


ネタだよな?

183 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 22:57:41
一部の民衆には自治権を与えられていた。
彼らの中で犯罪が起こった場合、町奉行所ではなく、
彼らの長が、彼らの白州で裁きを与えた。
彼ら専用の牢に収容され、処刑された。
刺青刑も彼ら一族と判るように決められ、独自の刑(鼻削ぎ・耳削ぎ)
が執行された。
しかし一般民の行刑も又、彼らの仕事であった。

184 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:12:41
幕末、日野の年貢は千人同心の禄米とされ、江戸には送られず、直接八王子で換金(市が立ち、独立の米相場があった)された。
八王子・日野は経済圏としても自立していた。


185 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:15:43
天明の大飢饉は多くの失業者(無頼の徒)を生み、治安が悪化する。
1805(文政10)年、幕府は関東の治安維持のため、代官の手付、手代からなる「関東取締出役(しゅつやく)」を編成。関東の巡回(八州廻り、八州さま)に当たらせるとともに、
天領の村々を寄場(よせば)と呼ぶ広域行政地区(現在の中核都市並か)に組織。寄場名主の下に地域の治安防犯体制を確立する。
日野寄場(日野市)は佐藤彦五郎俊正、小野路寄場(町田市)は小島鹿之助為政、砂川寄場(立川市)は砂川源五右衛門泰忠などが寄場名主を拝命している。
彼らが自衛のため、剣術に注目するのは当然のことである。佐藤邸には天然理心流の、小島邸の近所の橋本邸(橋本本家は名主、道場があったのは橋本分家)にも天然理心流の、砂川邸には神道無念流の道場ができ、領民に手ほどきをしている。


186 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 00:31:31
>>154釣りかな? ツッコミ所満載だが…

>全域が天領 → 天領・譜代大名領・旗本領が混在
>面積は最大 → 多摩(多磨)より大きな郡=津軽,糠部(→北(のち上北・下北)・二戸・三戸・九戸),秋田,会津(→会津・耶麻・大沼・河沼),那須(→那須・塩谷),葛飾,伊那,新川,吉野,牟婁,宇和(→宇和・喜多),松浦,臼杵
>鎌倉幕府を → 横山党・西党が有力御家人か?
>甲斐・武田や → 武田家に支配されたか?
大久保・江川に> → 関東郡代は直ぐに伊奈家に
兵農分離もやらなかった> → 不完全だがやりました

藻前の知識はどこから???

187 :山野野衾:2006/09/19(火) 00:54:40
>>181の池沼はどうしたんでしょう?wwww
自治権があって苗字帯刀(プププププ
面白いですねwwww


188 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 00:58:56
>>186,187
日野宿 佐藤家 で愚具ってみ

189 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 00:59:54
>>183
弾ザ衛門?

190 :山野野衾:2006/09/19(火) 01:25:03
>>188
ググりましたが、なにか?w
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rls=GGLJ%2CGGLJ%3A2006-31%2CGGLJ%3Aja&q=%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%AE%BF%E3%80%80%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%AE%B6&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

で、自治権はどうしたの????www

191 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 01:34:32
>>188
186ですが何か?

192 :山野野衾:2006/09/19(火) 02:17:32
>>181の池沼はまだですか?www

自治権とか痛い話の続きを聞きたいんですけどwww

193 :日本@名無史さん:2006/09/19(火) 21:51:22
>>192
負け惜しみwww

194 :山野野衾:2006/09/20(水) 00:41:02
自治権!自治権!





このスレで最強のフレーズですね

195 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:43:32
なにこの意味不明なキチガイ

196 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 02:11:55
181 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2006/09/18(月) 15:46:12
全然あり得るよ。 新しい統治者が赴任してもその家来が全部その地域を直接的に統治支配する
訳じゃないっしょ。 監督監査はあっても元々いた地元有力者に実質的な支配は任せてしまうのは
ごく普通にあるだろ。 イラクと一緒だよ。

182 名前:山野野衾[] 投稿日:2006/09/18(月) 22:44:03
>>181
>新しい統治者が赴任してもその家来が全部その地域を直接的に統治支配する
>訳じゃないっしょ。
(゚Д゚)ポカーン

>監督監査はあっても元々いた地元有力者に実質的な支配は任せてしまうのは
>ごく普通にあるだろ。
(゚Д゚)ポカーン

>イラクと一緒だよ。
(゚Д゚)ポカーン


ネタだよな?




テラワロスwwwww
>>181は逃げたのか?wwww

197 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 16:04:57
本陣や庄屋って髪型は農民カット?侍カット?

198 :山野野衾:2006/11/10(金) 03:08:34
>>197
侍カットってなんですか?
初めて目にしましたwwww

199 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 11:50:50
推して量るべし

200 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 14:52:20
 苗字について。
 百姓でも苗字は普通に持っていた。
 ただ一般には「公式に名乗ることが許されていなかった」。
 天領ではそのあたりのしめつけが緩かったので、残っている古文書にはいくらでも苗字が載っている。
 諸藩では締めつけが厳しく、はるかに苗字の記載が少ない。
 この点を知らない人がいるようなので記しておく。

201 :山野野衾:2006/11/11(土) 17:44:37
>>200
>百姓でも苗字は普通に持っていた。
大間違い

>ただ一般には「公式に名乗ることが許されていなかった」。
これは正解

>天領ではそのあたりのしめつけが緩かったので、残っている古文書にはいくらでも苗字が載っている。
【いくらでも】載ってないから




202 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 17:47:08

うちのとこも天領だけど、庚申塔とか金石には普通に苗字彫ってある



203 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 17:49:00
大まかに言って農民でも地主は苗字もち、小作人は苗字なし…でO.K?

204 :日本@名無史さん:2006/11/11(土) 17:55:22

将軍直轄領の百姓は、大名や旗本の領民より
格式が高いとか??

205 :山野野衾:2006/11/12(日) 01:30:48
>>203
>大まかに言って農民でも地主は苗字もち、小作人は苗字なし…でO.K?
天領は基本的に大庄屋は存在しない。
なので天領の農民で苗字帯刀は基本的にありえないが、年貢が軽いので金持ちが多くなる傾向。

例外として○○藩預などのさいに取り立てられ士分格になり苗字帯刀というケース。
500町歩以上を領した豪農と呼ばれる家々のほとんどは、
天領で財を成して土地集積をはかり、その後に○○藩に取り立てられたのがほとんど。


206 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 02:03:25
大庄屋じゃなくて普通の庄屋でも苗字は持ってた気がするけど・・・

207 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 09:40:54
江戸時代で500町歩以上の豪農って・・・ほとんど無いような気が。

208 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 09:44:28
基本に戻ろう>>1に庶民で苗字帯刀を許されていた人々
とあり1に郷士があるのだが突っ込まないのか?

209 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 10:03:43
>>205土豪がそのまま帰農した場合はどうなの?門はあるし黙認?

210 :山野野衾:2006/11/12(日) 23:00:19
>>206
>大庄屋じゃなくて普通の庄屋でも苗字は持ってた気がするけど・・・
釣りか?
とりあえずソースよろ。

>>207
>江戸時代で500町歩以上の豪農って・・・ほとんど無いような気が。
釣りか?w
1000町歩以上なら10件もないが500町歩以上ならそれなりにいる。

>>209
>土豪がそのまま帰農した場合はどうなの?門はあるし黙認?
どこの話だ?天領での話しか?
門とは長屋門のことか?

そもそも土豪が帰農しようが江戸期は士族>農民に変わりはなく、
有力な農民が取り立てられ士分となればそれなりの家格になるだけの話。








211 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 23:01:50
↑こいつこそ先祖に苗字が無さそうだ

恥ずかしいからもう来るな!!


212 :山野野衾:2006/11/12(日) 23:15:02
新平民乙


213 :日本@名無史さん:2006/11/12(日) 23:19:18
↑バーカ

214 :安藤某:2006/11/13(月) 16:10:50
皆さん
ひい爺さんね時代のことも朧気なんですかね…ホントに意外です
お墓参りとかしないんですか
ボクは、昔の人を思い起こしてあげるのが供養だと思うんだけど
仏壇やお墓を立派にするより意味があるよ

215 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:09:07
>>210
このスレは庄屋と大庄屋の区別が付かない連中が多いんだよ


216 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 02:58:55
大庄屋ってのは庄屋の庄屋みたいなもんじゃね

217 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 03:15:15
>>210
>ソース

こことか。名主が名主役任命・苗字帯刀許可につき申渡状もらってるよ
ttp://www.city.inagi.tokyo.jp/inagisi_info/bunkazai/05_shi_11.htm

218 :日本@名無史さん:2006/11/14(火) 09:53:42
寄場名主ってのがある。日野って天領じゃないの?

219 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 01:15:45
>>217
まず名主=庄屋、名主≠大庄屋とは限らん。
その藩や地域で名主≠庄屋、名主=大庄屋ともなる。

それから安政4年に苗字帯刀の許可になっているけど、
何度もこのスレ(前スレでも)で出ているように、黒船以降は苗字帯刀を乱発した。
だから「天領で苗字帯刀は基本的にない」や、
「庄屋で苗字帯刀は基本的にない」というような基本法則は
黒船以降には当てはまらないケースが多い。

それを分かっているのかね?分かっていれば、

>>206
>大庄屋じゃなくて普通の庄屋でも苗字は持ってた気がするけど

なんてアホなことは言えないはずだろ

220 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 01:28:54
庄屋なんだ自治会長さんかW?屋だから商売人でしょ

221 :安藤某:2006/11/16(木) 01:45:01
ボクの先祖は、京都の丹波地方に領地があった官人でしたが朝廷に出仕している時は武官として遇され名字を名乗りますが、隠居すれば庄屋で名字は名乗りません
武官とは言え、北面武士は士分ではありませんたら二本差しではないですね
他に、百姓でも素養があり容姿に優れた者を徴募教育し、北面武士として雇用しました
一般隊員は若年退役しますが、下士官クラスに昇進した者は村役人の手代や物書きとして再雇用したそうです
いずれも現役時代は名字ありでも退役後は百姓です
但し、有事には地域の民兵組織は近隣の藩に編入されるため、名字帯刀を許されました
徒侍とは言え、下士官クラスの官位は六位ですからね


222 :日本@名無史さん:2006/11/16(木) 02:48:40















http://bari3.net/bari3m/soc/rankname.asp?Pmd=rank

223 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

224 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:08:00
age

225 :日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:40:36
享保の頃、ウチの先祖が私財をなげうって用水路を引いたら殿様からご褒美として下馬御免の特権を与えられたんだよ。
ウチは殿様より出自がよろしい鎌倉御家人の子孫だから、名字帯刀は当たり前。
親戚は「先祖が颯爽と馬に跨り登城する姿は格好良かった」と言っているけど、身分が農民だったからそのようなことはまず無かったとオレは思う。

226 :日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:05:56
>>225
>ウチは殿様より出自がよろしい鎌倉御家人の子孫だから、名字帯刀は当たり前。
誰?


227 :日本@名無史さん:2006/12/23(土) 08:27:17
下馬御免ってのは、馬から下りることを許されたわけ?


228 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:43:22
>>26>>227
ネタにマジレス禁止


229 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:45:10
>>225
>親戚は「先祖が颯爽と馬に跨り登城する姿は格好良かった」と言っている

その親戚は何歳だ?w


230 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 11:56:08
>>229
明治維新から約160年経ってて、なおかつ鮮明に覚えているってことは
10歳以上だろうな。




ということは現在最低でも170歳以上かwww


231 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 15:01:51
で、下馬御免ってなによ?

232 :225:2006/12/24(日) 22:02:20
>>226
それを言ったら身元がばれるんで・・・
ただ、何処の馬もの骨かわからない、元藩主の家より古い家だと言うことです。

>>227,231
城の下馬札を超えて乗馬したまま登城しても良いということ。でも、ウチは身分上百姓だったんでそういうことは現実にはなかったと思うんですよ。

>>230
誰も見ていないよ。下馬御免の家だと言うことで、親戚が妄想膨らませているだけです

233 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:57:12
うちは伊達家に仕えていた下級武士だったらしいんだが
奥州仕置のせいかなんかで移住させられた上に帰農したらしい

当初はそれなの田畑があったそうだけど
用水路を引いてからは没落の一途(なんかこのパターンの家多い?)
そして戦後の農地改革であぼ〜ん

苗字はあったようだけど帯刀は許されていたかどうか…
それに家系図も寺が燃えて残っていないという胡散臭さがw

ただ祖父の母方(士族)の祖母が3000石ほどの武士の元側室だったり
祖父が出兵する時には備前長船を軍刀に拵えて渡してくれる叔父がいたりと
それなりではあったみたい

ちなみに家紋は数が多いことで有名な三ツ星一文字のあれね

234 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:58:00
下馬御免じゃなくて下馬札御免だろ


235 :225:2006/12/26(火) 05:11:33
>>233
>うちは伊達家に仕えていた下級武士だった

( ´,_ゝ`)プッ
大方30石くらいのビンボー侍だろwww


236 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 10:29:34
>大方30石くらいのビンボー侍だろwww

四国の伊達だと、カナーリ裕福。
十俵とかが平気でいる。

237 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 13:42:57
そりゃまたすげえなw

238 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 18:19:36
当然だろ
今の県より大きくって、独占的な特産品がある藩もあれば
町村クラスまであるんだから
東北の小藩なら30石でも中堅だよ


239 :225:2006/12/26(火) 21:06:18
>>236
ニセ者は失せろ!

>>234
ゴメン、そうですね。

240 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 21:38:33
>>233

なんかうちと似てる境遇だな。
叔父から「うちは伊達の家臣で1000石取り、維新後帰農したがいまは何も残ってない」という話を聞かされた。

さらに「オヤジ(祖父)は平民だが、長兄の叔父と養子に出た末っ子の叔父は士族だ」というんだが、なにぶん証拠がない・・・

母方のほうは土豪が帰農し、名主職になったというありがちなパターン。
こちらのほうはそれなりに刀槍や具足なんかは残ってる。




241 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:43:01
>>240
士族なら藩士録とかその辺に記録残ってるよ。図書館行って司書に聞いて調べてみ
あと学校の卒業証書や昭和40年以前の戸籍謄本にも士族と載ってたそうだ


242 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:22:16
>>大方30石くらいのビンボー侍だろwww

そもそも武士でやっていけなくて帰農しているんだから貧乏なのは当然だろう?

243 :日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:31:14
その辺の武士より庄屋や豪農のが裕福だしなあ

244 :225:2006/12/28(木) 04:04:31
>>241
>あと学校の卒業証書や昭和40年以前の戸籍謄本にも士族と載ってたそうだ

尋常小学校時代は学年ごとに『学年卒業証書』を出してる
そこに『平民』『士族』と出てるぞ

ちなみにうちは新田源氏の傍流で関ヶ原以前から松平家に仕えた旗本の宗家だ
世が世なら殿様のオレ様とおまえら新平民とは格が違う


245 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 05:18:39
>>244
そうだね、格が違うね。
貧乏旗本の自称宗家を世が世なら殿様なんて言っちゃう池沼はこのスレには君くらいだよwww









松平家臣の新田源氏って時点で何か気付かないのかな?www

246 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 05:52:53
世が世なら殿様などと言う人間ほど品性下劣な人間はいないと思うが。
ご先祖様も君程度の器の小さな人間だったんだろうと思われるだけだよ

247 :本物の225:2006/12/28(木) 07:46:00
>>244
ニセ者退散!

ウチはさほど有名じゃない鎌倉御家人の子孫だよ。県史なんかには載っている。
小御家人だから世が世でも同じ境遇だよ。曾爺さんまでは地元では「殿様」と呼ばれていたそうだけど。
ウチの近所で同姓は分家、別姓は奉公人の子孫。

248 :日本@名無史さん:2006/12/28(木) 17:36:08
なんだ成りすましか。失礼した

249 :本物の225:2007/01/02(火) 00:11:29
>>248
失礼した?



新平民のくせになまいきな口を利くんだな

250 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 00:30:40
>>249
俺のとこは大昔から名字名乗ってるよ

251 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 00:46:43
くだらねぇ

252 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 01:09:24
今、現在の瞬間が充実してなきゃ、古代に天皇だろうが意味ないんだよ

253 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 01:34:30
正月を2ちゃんで過ごす瞬間が一番充実しています☆


254 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 01:58:57
正月早々2ちゃんねるやってる>>252は相当充実してるようだ

自分を棚に上げて他人様に説教するようなのに
ろくな人間はいないってばっちゃが言ってた

255 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 01:59:25
そして俺モナー

256 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 03:47:43
もう俺らみんな新平民でいいよ。

257 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 06:37:01
タダの農民や町民が朝臣姓をもらうのはどういうとき?

258 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 06:37:03
タダの農民や町民が朝臣姓をもらうのはどういうとき?

259 :日本@名無史さん:2007/01/02(火) 21:39:13
あそん姓を頂くことはほとんどないろうね
秀吉位じゃないのかな
IME・・・あそん位デフォで変換してくれ

260 :本物の225:2007/01/06(土) 05:09:41
>>257>>258
おまえら下賎民が姓を貰うわけねーだろww


261 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 07:00:09
>>257
ただの農民や町民だと朝臣どころか姓を賜った奴すらいないだろ。
秀吉だって賜った時点では武将だし。
それに姓自体、秀吉の後だと皇族が下る際にしか出されてないはず。
それも源朝臣が標準だし養子も多かったから、純粋な賜姓って事で言うとやはり秀吉が最後。

農民が賜わる事があったとしても、武内宿禰とかの時代でしょ。

262 :本当の本物225:2007/01/08(月) 00:02:02
>>249,260
また偽者かw
ウチは近世の身分は農民。近代以降は当然平民だよ。
鎌倉末期に零落して歴史の闇に消えただけ

263 :本当の本物225:2007/01/08(月) 01:26:38
>>262の続き
そして江戸時代は水呑み百姓
「穢多」と差別されたときもあった。


264 :日本@名無史さん:2007/01/08(月) 03:28:59
また偽か。もういいよ

265 :日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:38:08
槍御免ってのもあった?
なんかそういう風にばあちゃんから教わったんだけど。
名字帯刀槍一筋御免だとか。

266 :本当の本物225:2007/01/15(月) 00:13:13
>>265
そんなものねーよボケ。


ばあちゃんから聞いたとかいうけど
お前のばあちゃんは尋常小学校中退とかだろ?w
俺のばあちゃんは師範学校出だ文句あっか!

267 :日本@名無史さん:2007/01/15(月) 01:51:14
ばあちゃんといっても今は40代のばあちゃんもいるわけで
ばあちゃんの年も書かないと

268 :本当の本物225:2007/01/16(火) 02:06:02
>>267
>>265はネタだっつーの。

名字帯刀槍一筋御免なんてないから。



269 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 12:22:03
高等女学校しか出ていないうちのばあちゃんが言ってたけど
「うちは名字帯刀正座御免だ」そうだがこんなのあんの?

270 :日本@名無史さん:2007/02/17(土) 17:27:28
苗字帯刀胡坐御免もあるかもな


271 :日本@名無史さん:2007/02/18(日) 12:17:30
ウチは名字帯刀和式便所御免だ

272 :本当の本物225:2007/02/21(水) 16:54:17
ツマンネ

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