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【婆沙羅大名】おまいら佐々木道誉ってどうよ?

1 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 19:00:01
「太平記」には謀略の限りを尽くしばさら大名として知られる佐々木道誉ってどうよ?
のち戦国大名として近江地方一帯を支配する六角氏にも繋がる佐々木京極氏について語ろう。

2 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 19:19:33
名前が問題。
出家前、佐々木高氏と言ったり、京極高氏と言ったり、
どの時代で区切ればよいのであろうか。

3 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 21:03:06
正式には「佐々木京極」というのが彼の名字だ

4 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 23:21:33
本当かな。
テストでその苗字で○がつくのだろうか?

5 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 23:25:42
>>4
それは出題する教師がどれくらい勉強しているかによるな。

6 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 23:32:07
それだけでは、説得力が生じない。
何か史料的根拠はあるのだろうか?

7 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 02:23:33
>>6
そこで何故自分で史料を見ようとしない?

8 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 02:25:37
わかった 佐々木道誉がアク禁になっているんだ

9 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 03:23:22
導誉は「京極」でいいよ
正式文書には「源」って書く
佐々木では、「六角」「高島」「朽木」「尼子」混ざってわかりにくい。
「京極判官」とか「導誉」って言ったら誰か分かる
「佐々木判官」では「六角判官」か「朽木判官」か分からない

10 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 06:48:12
結局、何なんだよ。
誰か整理してくれ。

11 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 08:08:02
姓は、宇多「源」
氏は、佐々木。ってか宇多源氏=佐々木氏。佐々木以外は全く栄えなかったからな。
苗字は「京極」。「六角」等と同じく、たくさんの佐々木を区別する為に名乗る。

諱は高氏。将軍と同じがワロス。出家して入道「道誉」。

12 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 10:37:19
姓は、朝臣
氏は、源
苗字は、佐々木あるいは京極
諱は、高氏
法名は、道誉
だろう。

13 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 12:25:30
道誉ってなぞの人物なのか?

14 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 12:43:29
足利尊氏はもともと源朝臣高氏
京極道誉ももともと源朝臣高氏

同姓同名ってやつですね。

15 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 13:44:47
宇多源氏佐々木の宗家(本家)は六角家であり、支族が京極家となる。
京極家の子孫である道誉が活躍していたときの六角家当主は時信。

しかし、時信は鎌倉幕府が滅ぶ間際まで六波羅探題を支援する
幕府寄りであったため、建武親政前から朝廷側についた道誉に遅れをとった。

このことから、道誉は勢いを持ち、佐々木の宗家を凌ぐ立場となる。
佐々木高氏と自ら称したのか否かは史料的根拠が不明のため、わからないが、
六角も京極も元々、佐々木であることから
佐々木高氏と称してもさしつかえない。


16 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 13:55:33
>>15
佐々木は道誉の活躍で、京極家が宗家と同格になってしまった
からね。両方佐々木と言って問題ないんだよな。

ま、結果区別するために京極、六角と言うようになり、室町では
佐々木とは言わなくなったが。

17 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 18:27:16
近江国を六角と京極で半国守護にして
つのつきあわせていったからね。
両方が佐々木を名乗ったら、
わけがわからなくなる。

18 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 18:31:52
>>17
半国といっても近江は太閤検地で80万石近い大国だから、
半分でも40万石(太閤検地換算で)。

京極はこの他出雲隠岐の守護職も兼ね四職の一角にも食い込んで
たからかなり美味しいポジション占めたな。道誉様様だろ。

逆に六角が室町幕府と微妙な距離になったのもわからんでもないw

19 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 19:52:55
六角は維持するのがやっとということであろう。

20 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 22:56:39
太平記にある隠岐の判官というのは佐々木の一族なんだね
出雲には出雲の判官がいたのか?

21 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:20:46
判官というのは衛門尉の官職のことだ。
佐々木の一族で隠岐に本拠を置いた衛門尉だから「佐々木隠岐判官」と呼ばれる。


22 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:51:15
>>2-20
おまいらアフォか?>>1の意図がわからんのか?
「おまいら佐々木道誉ってどうよ?」
「佐々木道誉ってどうよ?」
「道誉ってどうよ?」
「ドウヨってどうよ?」
「ドウヨってドウヨ?」
って駄洒落に突っ込みいれて欲しくてスレ立てたんだよ、>>1は。
気づいてやれよ!


23 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:55:19
>>1=>>22


24 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:05:45
>>22
お前、空気読めない奴ってよく言われるだろ?

25 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:33:45
>>22
>>1がそういう意図でスレ立てたんなら板違いだから削除依頼出して来い

26 :日本@名無史さん :2006/02/23(木) 22:56:55
スレ主だかどうだかわからん。
何せ、スレ主はトリップをつけていないからな。
因みに、
京極高氏は、佐渡大夫判官といわれた。

27 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 23:46:15
ちなみに、当時は「佐々木大夫判官」と言うと、
佐々木氏頼(六角)を指すことが多い。

28 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 00:44:27
>>16
室町後半でも六角や京極を単に「佐々木」と言ってる史料は山ほどあるのだが・・・。

29 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 00:48:55
>>11
宇多源氏の嫡流は堂上公家として明治維新まで残ってますよ。
庭田家とか綾小路家とか。
特に庭田家は維新後伯爵になってるから朝廷内でのランクも結構高いはず。

30 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 01:27:03
あれなんだよ いまでも佐佐木は佐々木のことばかにしてるの?
なにが違うの?


31 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 09:20:56
この人達の一部って江戸時代非人なわけ?

32 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 09:56:40
佐々木(京極)高氏
検非違使従五位下佐渡守兼左衛門少尉
この官位の後、剃髪し道誉と号す。
また、佐渡大夫判官とか四郎左衛門尉
ともいわれる。
父は宗氏(従五位下佐渡守兼左衛門少尉)
兄に定信(池田太郎左衛門尉)や
定氏(鐘左衛門尉・近江守)がいるが、
祖父(満信)や父が称した佐渡守を継承したのは、
高氏であった。


33 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 11:38:49
検非違使は賤民でしょ。近江源氏は江戸時代屋号を持って商売してたはず。

34 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 11:39:39
近江源氏は新羅系

35 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 11:42:32
佐々木って雀部で古墳の管理人の家系と紗々貴という豪族の家系がミックスされてるの?

36 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 11:44:32
この人達って南朝系でしょ。維新にも関係あるでしょ。

37 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 11:45:46
四つ目紋

38 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 12:28:18
>>16
京極の家格上昇は道誉一人の力ではない。
道誉の曾祖父の氏信が佐々木氏の一庶子に過ぎなかったにも関わらず
鎌倉幕府の評定衆をやってることも大きい。

39 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 12:45:53
六角と京極共通の始祖は
佐々木信綱。
彼は検非違使左衛門少尉。そして
近江守に任ぜられていたため
その子孫では、検非違使左衛門少尉。
さらに、近江守を称することが
佐々木家伝承当主として必要な資格の一つと思われる。
ところが、その息子泰綱(六角)は
検非違使左衛門少尉には任ぜられたものの、壱岐守。
その弟氏信(京極)は検非違使左衛門少尉に任ぜられ、
さらに近江守となり、
六角と京極の確執を惹起する起因の一つとして
問題を複雑化させてしまった。

40 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 13:14:11
>>35
佐々貴山君系だと思うぞ。
近江源氏は宇多帝の流れを仮冒しただけらしいが。

41 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 17:09:53
>>39
氏信は母方が北条得宗家。
得宗専制になりつつあった幕府内でおぼえがめでたかった。

42 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 18:10:27
京極氏信が近江守になったあと、息子の満信や孫の宗信
そして高氏は佐渡守となり、近江守にならなかったものの、
高氏の兄定氏が近江守となる。
一方、六角泰綱の子頼綱は備中守。
その子時信は検非違使左衛門少尉。
時信の子氏頼も検非違使左兵衛少尉となり、
近江守にはならなかった。
氏頼の曾孫政頼に至って漸く近江守となる。
両家の微妙な関係が近江守の任命で読み取れる。

43 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 18:12:41
佐々木氏って何で江戸時代屋号を持って商売していたの?ヒニンに落とされてたの?〜屋って部落でしょ。

44 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 22:06:44
>>42
室町期でも六角は備中守が多いね。
京極は室町だと加賀守が多い。

45 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:07:34
道誉って、検非違使やってたくらいだから元弘以前から後醍醐と面識あったのかな?
足利尊氏とか新田義貞とかは元弘以前に後醍醐とは面識がなかったみたいだけど。

46 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:27:28
導誉は鎌倉にいて得宗家に仕えているほうが活動のメインだったんじゃないの?
検非違使は先祖の先例にならって形式的に任命されただけだろう。
現に北条高時の出家のときにいっしょに出家している。

47 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:29:45
検非違使別当ならいざ知らず、尉ごときが

48 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:33:16
北条高時の33回忌の参列者のなかで高時と面識があったほとんど唯一の人じゃない?道誉って。

49 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 04:16:22
道誉は高時側近

建武政府雑決断所メンバー

尊氏側近

義詮側近

実に上手く泳いでいるよなw

>>48
だろうね。

50 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 14:27:04
>>49
高時の33回忌だと、尊氏正室の登子も既に死んでるからね。
それと義満初期にも道誉は活動している。
世渡り上手でしかも長命。

51 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 14:29:38
子孫のスレです。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1129932450/l50

52 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 22:31:06
基氏急死後の鎌倉へ行って事後処理をしたのも道誉。

53 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 09:39:06
要するに動き回るのが好きだったのだろう。

54 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 16:00:22
華道家でもある。

55 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 16:49:37
まず華道家の鼻祖的存在。

そして闘茶などを好み、後の茶の湯の源流の1人だ。

さらに観阿弥の師匠のパトロン的存在で観阿弥と昵懇
で世阿弥とも面識があった。

この人は生け花、茶の湯、能楽という室町の3大文化の
原点みたいな存在なんだよね。

そして婆娑羅大名は後の戦国大名の先駆けみたいな存在
だし。

生きた時代では常に政治的に枢要なポジションにいて、
歴史的には戦国大名の鼻祖みたいなポジションで、
文化的には室町文化の原点的ポジションにいる。

面白過ぎる存在ww

56 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 17:30:27
道誉と導誉、どちらが正しいの?

57 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 18:17:34
導誉が正しい

58 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 21:29:09
佐々木と京極というのは徳川における松平みたいなものですか?

59 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 21:35:15
>>58
違います。
「佐々木京極」でひとつの名字です。
佐々木家のように一族が広く繁栄した一族では、ただ「佐々木」と呼んだだけではどの家系の人か区別できないので、
「佐々木」の下にさらに家名をつけて「佐々木京極」「佐々木六角」「佐々木隠岐」「佐々木鞍智」などと呼んだのです。
三浦家、土岐家などでも同様のケースが見られます。

60 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 21:41:03
>>58
18松平なら似ているかも。

大河内松平とか大給松平とか。

ちなみに18松平では維新の際、新政府をはばかってか、
松平の部分を捨てて大河内とか大給とかに改姓した家が
結構あります。

61 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 21:57:51
>>60
それを佐々木京極なんかと同様の例としていいたいのなら「松平大河内」「松平大給」などというべきでは?
そういう表現が史料上あり得るのかどうかは知らないけど。
上杉の山内・扇谷・犬懸なんかは、「上杉山内」「上杉扇谷」「上杉犬懸」などと書かれることがあるから、佐々木や土岐なんかと同様のものといえる。
前半が本来的な苗字、後半が一族内の他家と区別するための家号とでもいうべきでしょうか。
但し佐々木一族の場合、京極や朽木は近世には佐々木を冠せずに単に「京極」「朽木」になってしまうようですが。

62 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 00:12:59
佐々木の子孫が増えれば、どこの佐々木ということになる。
そこで例えば居所などをとって佐々木に付す。
やがてその付した苗字が通称になる。

63 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 00:34:08
>>61
でも、日本語的には京極佐々木が正解と思うな。

だって京極の佐々木さん、六角の佐々木さんという意味でしょ。



64 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 01:12:06
>>63
一次史料で「佐々木京極」というのは見たことあるが、「京極佐々木」というのはない気がしませんか?
六角等の他の佐々木一族や土岐なんかもそう。

「佐々木一族の京極さん」の意が正解だと思うが。

65 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 01:18:55
>>64
その佐々木一族の京極さんの京極てのは邸の地名だしょ。

京極の方の佐々木さんという意味だから。

山内上杉も扇谷上杉もそう。邸位置。

だから上杉山内は違和感あるなあ。

66 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 13:38:23
>>65
ちゃんと史料とか見てますか?
違和感あるも何も、史料にそう出てくることはあっても逆はないんだから、
貴方が個人的に違和感があっても仕方がないよ。
その感覚は当時の人々のそれとは相容れないというだけで。

67 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 13:51:15
明智光秀の明智氏も、「土岐明智」というのは見ても「明智土岐」というのは見ないな。

68 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 14:21:32
佐々木という苗字の出である京極という苗字なので佐々木京極。
土岐という苗字の出である明智という苗字なので土岐明智。
ということになる。
そして後年、佐々木も土岐も苗字から氏という意味合いに変化する。
山内上杉や扇谷上杉の場合は、山内という苗字にはならず
山内という場所に居を構える上杉。扇谷という場所に居を構える上杉なので
山内上杉や扇谷上杉という言い方になる。
しかし、現代のように国語審議会があるわけでもないのだから、
逆に書いてあったとしても当時の人間には違和感というものは稀薄であった。

69 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 18:37:04
>>68
上杉山内とか上杉扇谷とかの表現も史料中には普通にあるような気がするけど。
京極や明智が佐々木or土岐を冠さずに単独で苗字として見なされるようになるのは戦国末〜織豊くらいの時期。(通称としてはそれ以前からありだが)
それ以前は、上杉における山内や扇谷も京極や明智と性格的には変わらないと思うが。

70 :日本@名無史さん :2006/02/27(月) 19:38:51
前後の書き方を問題視するのは
現代人の考え方。
当時は問題視するような問題ではない。

71 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 19:40:22
一次史料で「京極佐々木」とか「明智土岐」と書かれたものはありません。

72 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 19:57:46
>>71
資料主義の弊害でしょ。

はっきりいって本名はあくまで源〜〜であってあとは通称。

普通は京極殿とか佐々木殿とか官位名で呼ぶのであって、
それもあくまで通称だから何種類もあっておかしくない
し正式な通称なるものもあるわけでなし。だってあく
まで通称にすぎないんだから。

佐々木京極、京極佐々木、いずれにしても当人がそう
正式に名乗るわけでないから大して意味もないでしょ。

73 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 23:05:09
史料を読まないで歴史学が成立するとしたら驚きだな。
史料を無視して歴史を語る研究者がいたらさらに驚きだな。

74 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 23:06:42
当の本人はどのように名乗っていたのか?
それから話ははじまる。

75 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 23:11:17
本人は源〜〜と官位名だろうね。

通称も入れて名乗るなら普通は佐々木で十分。
佐々木と官位名で区別つくからね。



76 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 23:23:47
公式性の高い幕府発給文書(御判の御教書など)では、例えば朽木氏の場合、
佐々木朽木○○殿みたいに書かれることが普通。(○○は官途名)
私信に近い書状などでは、単に「朽木殿」が多いと思う。
官途名が入るようなあらたまった場面では「佐々木」と「朽木」の両方、
プライベートな場合にはただ「朽木」が多い。
但し鎌倉期だと官途名が入る場合も「佐々木○○殿」になっていて、「朽木」が
入るのは南北朝以降のようだが。

77 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 23:29:41
>>76
上杉の場合はどうなんだろう?

上杉山内が多いのか、山内上杉なのか。

上杉山内が多いなら、なんで山内上杉とか言われることが
多いのかねえ。

78 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 01:16:48
後世の軍記物なんかの影響かもね。

79 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 01:22:01
良く分からないんだけど、実際に当時喋ってた口調と文章で使ってる言葉は違うんでしょ?
それこそ○○でござるなんて文章では書かないわけでしょ?
つまり、実際に文章で佐々木京極だろうと京極佐々木だろうとどうでもいいけど、どちらかを使ってたからといって、
実際に当時の人がどう使ってたのかなんて分からないんじゃない?本人の書きやすさとか漢文風の韻とか、誰か分かれば
良い的なものだったんじゃないかなとは思うんだけど、まぁこういっちゃうと実際にこう呼んでたとは当時の人じゃないと分からないということに
なるんだけども。

80 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 01:38:04
しかしそういうことを言い出すと古文書学はそもそも成り立たなくなる。

81 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 02:04:01
>>79
漢文風の韻がどうとかいう以前に、当時の記録・文書はほとんど漢文そのものでしょ。
もちろん中世史料における漢文なんて中国式の漢文とはかなり異質な変体漢文だけどさ。
但し仮名書きで書かれた平安期の女流文学なんかはほとんど言文一致に近いといわれるし、
室町でも『お湯殿の上の日記』みたいなものは、当時の口語をかなりそのまま書いているといわれますよ。
・・・この程度のことはおそらくご存じだと思うと改めて書くのは恐縮ですが、一応。

82 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 14:25:00
>>81
誰も女流文学の話なんてしてないと思うが?

83 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 18:54:35
現代の感覚で当時を見ようというのが土台無理な話。


84 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 18:58:05
名前の話はどうでもいい俺ガイル。


婆娑羅@山田風太郎 読んだら好きになったぜ・・・。
結局何してた人かいまいちわからんけど
生きるのが上手いのか?とおもた

85 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 19:15:16
>>84
解読不能。

86 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 22:21:24
佐々木道誉って
結局、当時は、佐々木道誉といわれていたのか
それとも京極道誉といわれていたのか。

87 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 01:43:40
>>86
「佐々木佐渡大夫判官入道導誉」って感じ。

ちなみに導誉が「京極殿」とか呼ばれてる史料があるのかどうかは俺も知りたい。
なんか普通にありそうな気もするが、書状や日記はよく知らんので。

88 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 01:53:58
>>87
日記などで書かれている名称が、普段の口語で呼んでいる名称
とは限らない、むしろそうでないのが悩ましいところでしょ。

つまり現代でも、母親のことをお母さんと呼ぶ人間が日記に
お母さんと書く可能性は低い。普通、母と書く。

友人の「〜〜ちゃん」のことでも日記や書類には「〜〜氏」
かなりくだけで「〜〜さん」でしょ。「〜〜部長」という
ように肩書き書く場合も多い。現行一致文になった現代で
こうだから、口語と文語が一致してなかった昔はなおさら。

だから当時実際に何と呼ばれていたかはいくら資料みても
わからない可能性はかなりある。



89 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 02:32:58
>>88
ま、そりゃそうだわな。
ただ、まあ、それを言ったら話はそこで終わりになってしまうわけだが。

つうか、俺は導誉が「京極殿」とか書かれている史料があるのかどうかを
知りたかっただけなんだけどね。

90 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 21:06:11
言行一致が激しく崩れだすのは、
室町〜戦国〜江戸期にかけてで、
それ以前はむしろ言行一致だったようなことをどこかで読んだような希ガス。
口語がどんどん変化してくが、文語は変化がゆったりしているからとか。

91 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 02:05:33
>>90
「激しく崩れ出す」のはそうかも知れんが、もともと文語自体が
口語をそのまま記述する目的じゃないからね。

普段の口語をそのまま残す意図がない以上最初から不一致が
あることが前提。但し、そうはいってももとは口語だろうから
無視はできんが。

で、なかでも名前とか呼び方はもともと口語と文語で違う
確率が最も高い分野だから。「佐々木佐渡大夫判官入道導誉」
とはよほどあらたまった場でないと言わないだろう。理由は
単純でいちいちこんな長い言い方したら面倒w

多分京極殿とか京極入道とか言う感じになるはず。

92 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 08:19:04
>>91
だから、当時、導誉が「京極殿」とか呼ばれていた証拠はあるの?
「佐渡入道」とか「佐渡判官入道」とかいう略し方なら、まだ分かるのだが。

93 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 11:38:24
>>92
>>91は口語でどう略したかはわかりにくいって話の
趣旨じゃねえの?

京極殿とか京極入道てのは例でしょ。別段佐渡入道も
佐渡判官入道をも排斥してないじゃん。

94 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 15:45:31
京極道誉と記してある古文書を見たことがない。

95 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 15:53:10
大河ドラマでは「佐々木判官殿」と呼ばれてた。

96 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 18:27:12
佐々木判官は
佐々木佐渡大夫判官の略でしょう。

97 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 18:33:36
入道はつけそうだねえ。

佐渡判官入道とか佐渡判官が有力かなあ。

98 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 18:34:14
>>97
佐渡判官じゃなくて佐渡入道ね、間違えたw

99 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 20:36:32
系譜には、
佐渡大夫判官というのもある。

100 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 21:23:30
大河ドラマ「太平記」では佐々木道誉(陣内孝則)でクレジットされていたぜ。

101 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 17:59:17
>>87
道誉本人はわからないが、彼の子や孫の世代には普通にある。

102 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 19:05:21
道誉自筆の古文書って現存しないということか?

103 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 19:31:30
自称と他称は話が違ってくるぞ

104 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 15:06:18
他人が京極殿と書くことはあっても、自分で京極「殿」とは書かないだろう。

105 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 15:15:50
>>92
道誉本人については確証がないかもな。
「京極」の家号自体は道誉時代の屋敷地の場所に由来してたと思うが。
ただ「京極」が通称として普通に使われるようになるのは、康暦の政変の頃からじゃないかという気もする。
15世紀になれば、「京極殿」は普通にあるし、公家の日記なんかで「佐々木京極」と書かれてるのも見たことがある。

106 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 15:29:05
>>105
京極の家号はもう少し古いと思う。始祖氏信の邸が京極高辻に
あったことに由来し、その頃からのものらしい。

107 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 16:56:43
このスレも滝川一益スレの読み方みたいに
名字云々で1000までいきそうだなw

108 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:14:06
>>106
じゃあ佐々木本家の六角の家号も始祖泰綱の邸に因むの?

109 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:23:50
泰綱の父信綱の館は京都六角東洞院にあった。本家として館も相続したんだろ。

110 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:30:41
>>108
六角東洞院に京都邸があったからね。

ただ、ここが宗家なので、六角と言われるようになった
のは京極と区別するため。なので泰綱の孫の時信の頃から
らしい。

時信は道誉と同時代の人だから、道誉の台頭と関係がある
のでは?道誉が宗家に匹敵する勢力にならなかったなら、
普通に佐々木のまんまで良かったんじゃないかな。

111 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:34:21
本家にも元の苗字以外の家号があるのは、上杉や土岐も同様。

112 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 20:35:48
>>110
てか道誉の家系を京極というようになるのも南北朝くらいからでは?

113 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 12:56:17
佐々木六角もあるな。

114 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 00:05:10
>>110
室町・戦国の史料でも普通に「佐々木」のままで出てくるけど。

115 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 00:10:36
>>1
つかぬ質問ですが、このスレを立てた方は「女性ですか、どうよ」
と問われる方と同じ人ですか。

116 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 00:25:10
>>1
戦国時代に六角が近江地方一帯を支配してたって間違いでは?
京極・浅井の勢力が強い湖北、山門や朽木の勢力が強い湖西は六角の勢力範囲外かと。

117 :日本@名無史さん:2006/03/17(金) 10:49:58
佐々木って本当は沙々貴なんでしょ?

118 :日本@名無史さん:2006/03/20(月) 12:18:34
本当も糸瓜もない。所詮は当て字だからね。

119 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:38:43
佐々木の流れをくむ家は、尼子、六角、京極、宍道、大原、黒田ってとこだよね。
ほかなんかある?

120 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:39:18
佐々木の流れをくむ家は、尼子、六角、京極、宍道、大原、黒田ってとこだよね。
ほかなんかある?

121 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 19:11:59
黒田は怪しい。

確実なとこで朽木。

122 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 22:36:42
佐々木って子作り好きな奴多いよなw

123 :日本@名無史さん:2006/03/26(日) 22:46:34
ねずみと同じね


124 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 12:49:31
でも 江戸時代までは 子供を作ることはれっきとした仕事だしね…。

125 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 15:39:32
院というか犬というか 犬ならば射て殺さん

この台詞しか知らん。あとは猿革の腰巻か

126 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 15:42:07
>>125 釣りか? マジで勘違いしてるのかもしれんな

127 :日本@名無史さん:2006/03/27(月) 15:48:40
ググッたら土岐頼遠だった。正直すまんかった

128 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 11:06:50
乃木とか三井とかも佐々木

129 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 20:06:25
そういえば滋賀県に尼子って地名があったなあ。
恐らくあの辺は昔六角氏が支配した地域だったんじゃないかと思う。

130 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 21:11:05
>>129
尼子は京極の分かれなんだけどな。

131 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 22:33:45
>>129
滋賀県甲良町尼子は旧郡名だと犬上郡なので、京極側の地域ですよ。
道誉の墓もこの辺りにあるし。
犬上郡は佐和山城があることからも分かるとおり、戦国時代も六角じゃなくて浅井の勢力圏。

132 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 02:01:45
>>119
高島、馬淵もそうジャマイカ?

133 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 11:11:51
佐々木の本家が鎌倉中頃に4分裂したのが、六角・京極・大原・高島。
高島はのちにその庶流の朽木にとって代わられる。

134 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 11:58:35
大原氏も後に庶流の小原氏に取って代わられるんだっけ?

135 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 15:33:07

 この間まで ファミリー劇場で NHK大河ドラマ「 太平記 」をやっていたので、録画して視た。
( 本放送時は全く視ていなかった )
 佐々木道誉 は陣内孝則のイメージ通りなの ??



136 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 15:59:16
質問が大雑把すぎて答えようもないが、坊主頭でないのはイメージと違う

137 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 20:07:28
朽木氏ってのちは福知山の方を支配したんだよな

138 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 22:01:44
>>137
朽木本家は、明治維新まで近江の朽木にいる。
石高は9千石の旗本(交代寄合)だが。
分家が家光の側近になって大名に取り立てられ、福知山藩主となった。

139 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 11:27:14
大塔宮護良親王は、内裏に参内したところを逮捕された。

護良 「ぐあああ、は、離せぇぇ、うあああ、あおがああ、ひいあああ!!」
   「は、道誉!ど・・・どうしてここに?そなたはまろに同心していたのでは?」
道誉 「フッ・・・、宮が周囲から孤立していたのはわかっていた。負けると決まった
    お方につくほど、私は愚かではない」
護良 「なああっ!」
道誉 「フフフ、宮のおかげで廉子さまの信頼を得ることができた。ご苦労、心おきなく
    牢に入られるがよい」
護良 「ま・・・まろを利用して!征夷大将軍のまろまでも裏切っていたのか!」
道誉 「裏切りではない。これは知略だ!倒幕をした将はおのおのがひとつの宿命を持っている」
   「愛に殉ずる星『殉星』を持つ男、新田義貞。人のために生きる『義星』を持つ男、楠木正成」
   「そしておれの持つ星は最も美しく輝く星『妖星』!!人は裏切りの星と呼ぶがそうではない。
    『妖星』は天をも動かす美と知略の星なのだ、ハッハハハ!」

140 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:45:25
大塔宮を逮捕したのは名和長年では?

141 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 22:06:09
君たちにはスレタイに突っ込んでやる優しさはないのかね?

道誉ってどうよ
道誉ってどうよ
道誉ってどうよ
道誉ってどうよ
道誉ってどうよ
道誉ってどうよ
道誉ってどうよ

142 :141:2006/04/02(日) 22:16:55
おい、
なんだよ。
なんなんだよ!
無視すんなよ!
お、オレは>>1じゃないからな!
>>1じゃないぞ!!
断じて>>1じゃないからな!

143 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:44:54
>>141-142
上の方で誰か一応ちょっと触れてたぜ、1さんw



144 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:53:30
健介ファミリーのスレはここですか?

145 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 23:59:39
「佐々木道誉ってどうよ?」のフレーズを含むスレは、2ch日本史板の
発足当初から何度となく立てられては消えていった。

146 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 01:05:09
2ch日本史板の発足当初っていつ頃のことなの?

147 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 01:41:55
>>146
貴方が最近2ch始めた厨房でないのなら聞かなくてもわかるはず。

148 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 13:35:01
>>135
喰えない奴という意味では いい配役だと思うよ。

149 :日本@名無史さん:2006/04/03(月) 23:40:20
逆賊高氏は人類最大の悪!
ttp://meisou.com/books_data/00025/00025.htm

150 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 00:47:04
【衝撃】足利尊氏は朝鮮人だった!

http://english.chosun.com/w21data/html/news/200204/200204031021.html

the popular theory that Takauchi Ashikaga, an early
14th-century tribal lord of Japan, came from Korea,
the Ashikaga region is said to have been vaguely friendly
toward the Korean Peninsula.

151 :日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:49:59
夢窓国師は時々談義をするだけで、あとは何もしないで、尊氏から多大の領土や給与を受けていたので、
尊氏をできるだけ賛美せねばならない立場にあった。夢窓国師と尊氏とは互いに賞め合い、もちつもたれつの
関係にあった。だから夢窓国師が賞めたからといって、そのまま受けとるわけにはいかない。
第一のことも武将であれば皆その通りでなければならない。ひとり尊氏に限らないことである。
「第二に慈悲天性にして人を悪み給事をしりたまはず、多く怨敵を寛宥ある事一子のごとし。」とあるが、
既に吾が子直冬を放置して顧なかったことだけでも慈悲心があったとはいえない。また義貞を終生の敵とし、
また後で、弟直義を毒殺し、吾が子直冬を討たねば止まぬと気負っていたことを考えても、弟や我が子でさえ
悪んでいたのである。ただ敵を許したことがあったかもしれないが、それはそうすることが自分にも利になる時であった。
第三に、御心広大にして物惜の気なく……諸人の進物ども数知れずあったけれど、皆分かち与えたとあるが、
これも特別賞賛することでもない。一般の人でも、多くの品物が集まったときは、「お裾分け」とも言って、
知人や近所へ分けてしまうのである。食物であれば直に処置しないといけないし、食物でもない器物にしても、
既に自分の家にあるものが多く、邪魔になるだけであるから、持ち去ってくれると有り難いのである。
然し、尊氏も価値のある物には大いに物惜しみしたのである。その例の一つは、名刀恩丸、鬼切のことである。
斯波高経が新田義貞から奪った恩丸、鬼切を、尊氏は、これは末流の源氏などが持つべきではない。
急ぎその二振りの刀を我れ(将軍)に渡してほしい。足利将軍家の重宝として、本家筋において相伝えると
言って強要したという。そして高経が渡さなかったので、戦功のあった高経を敵に廻して討とうとまでしたのである。
そのため高経は直義側について、尊氏側としばしば戦った。尊氏は価値なき物は惜しまず、価値ある物は
惜しんだのである。また少し価値あるものも、それを渡すことによって自分に利になる場合は渡した。

152 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 16:10:03
佐々木道誉は、フランス革命期のフーシェのような印象。
どんな体制になっても重用される。

153 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:25:46
>>152
フーシェより上の印象が。

なにせ失脚してないし(流罪も名ばかりだったしw)、

日本の芸術史上における巨人だし、

それに婆娑羅思想というその後の日本の針路に大きな
影響を与えた思想の体現者だしね。

154 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 01:41:46
要するに日和見でええ加減なおっさんだったというわけだな  >道誉

155 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 19:11:55
細川清氏は日和見でええ加減なおっさんに追い出されたのか

156 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 09:20:47
>>154
あの時代、機を見るに敏でないと滅ぶんじゃないの?

157 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:16:23
没落はするが完全に滅ぶことは珍しい。

158 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:36:29
>>157
戦国にくらべるとそうだけどな。

でも、新田、名和、高、直義など完全に
滅んだのも結構いるからな。やはり大変な時代だわ。


159 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:37:13
>>155
斯波高経親子なんてのも追い出されたなw

160 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 16:45:29
>>152
フーシェというよりもタレーランの方が近いような・・・。
同じ策士、風見鶏でも、タレーランは貴族出身だからどことなく優雅。
道誉も、高時の側近をやってて官位もあり、茶・立花・申楽などの
新興芸術の立役者というイメージがあるから、政敵を失脚させる陰謀も、
どこかあざやかというか、見事という感じがする。

フーシェの場合、下層階級出身からか、冷酷・陰惨という印象で華がない。
頼朝死後の北条一族なんかが、しっくりくるな。

161 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:05:40
>>158
名和も高も完全には滅んでいない。
直義にはそもそも実子がいない。

162 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:10:15
>>161
そんなこと言い出したら武田だって尼子だって今川だって
朝倉だって北条だって完全に滅んでねえぞw



163 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:18:24
>>162
当たり前です。だからこそ>>158が「完全に」といってることが問題なのです。

164 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:22:05
>>163
>>158は生物として一族の誰かが生存していることを
意味してんのか?大名家の話なんだから、大名としての
基盤がなくなることを完全に滅亡したというんじゃないの?

直義に子がいない話もそうだ。後継者の直冬の後で直義家
って消滅してんだろ?もし消滅しないで血縁がなくても
養子の後継者でもたてたなら、直義家は滅んだとはいわない。
生物学的には血縁者じゃないなら滅んでいるけどね。

でもここは生物板じゃないからw

165 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:57:52
>>164
しかし貴方の基準に照らしても高は滅亡したとはいえないよね。
中央政界からも一族が消滅したわけではないし、関東公方の重臣としては
戦国期にいたるまで残っているわけだし。
もっともこの時代の武家を「大名」という概念で語れるのかという点がそもそも微妙だが。

166 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:59:42
>>162
ついでにいえば後北条は大名家としても滅んでいない。

167 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 02:05:16
>>165
高家って足利郎党の筆頭で、本来なら代々執事、後なら
管領になる家柄でしょ。

それが守護クラスからは全く姿を消して高級官僚クラス
に名を列ねるにすぎない存在に落ちた。

総理やる家柄から役所の局長が上がりの家柄に落ちたって
ことでしょ。こういうのを滅亡と言わないなら武家の滅亡
ってほとんどなくなるよ。

北条だってそうでしょ。関東300万石クラスの特大大名
から1万石クラス。そら形式的には大名だけど、こら単に
名跡残しているだけじゃない。家名は存続はしているけど、
いわゆる関東に割拠した北条家は滅亡したと見るのが素直
では?せめて国持大名に列せられるならまだしも。

168 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 02:05:24
とりあえず素人の歴史ヲタ談義ならいいけど、揚げ足を取られる可能性のある表現は、論文とか学会報告では使いなさんなってことだな。

169 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 16:09:19
戦国時代の小田原の北条氏のことを
単に「北条」という・・・素人の歴史ヲタ
「後北条」という・・・歴史研究者

170 :日本@名無史さん:2006/04/13(木) 20:05:08
秀綱と六角氏頼も佐々木判官と呼ばれてたんだね
同時代人は区別つくだろうが、史料的に取り違えとかしないのかな

171 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 20:19:30
導誉の場合は必ずと言っていいほど、佐々木佐渡判官とか佐々木佐渡大夫判官とかって出てくるから区別は付くだろ。

172 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 20:46:41
>>162
ついでにいえば後北条は今も創価学会の最高幹部で滅んでいない

173 :日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:47:07
>>172
それって河内狭山藩系?
それとも傍流の旗本とか?

174 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:54:17
【女子アナ】わずか1年足らず…フジ・佐々木恭子アナがTBS・池田裕行キャスターとスピード離婚
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1145912243/


ここで佐々木くんが暴れているのでどうにかしてください

175 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 00:49:41
佐々木 としか名乗らない 佐々木信綱の子孫の家ってあるよね?

176 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:07:32
>>175
信憑性のある系図を持つ家で佐々木なんて名乗っている家はないだろw

ほぼ100%自称子孫だな。

それにそこまで遡って子孫云々言う意味は全くないね。

177 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:13:20
そうだね。「名乗る」=意味は無いよね。

では生物学的に可能性として「佐々木を苗字とする家」=「佐々木信綱の子孫」である

というのは可能性としてあるよね?証明できるか、どうかは別として。

178 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:13:37
>>117
滋賀県の安土町に沙々貴神社というのがあってそこが佐佐木源氏の発祥の地になっているらしいね。

179 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:17:39
>>177
そういうレベルでいうなら怪しいもの自称も含めて何百万もいることになるから
全く議論する意味をなさない。
現代において宇多源氏佐々木を名乗れるのは信憑性を持って系図を遡れる家系だけ。

180 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:26:18
>>179
ありがとう。
宇多源氏を名乗る=証明できるかどうかは別として
人口でいったらベスト10に入る苗字の「佐々木」すべてが 全く宇多源氏と関係ないというのも
オカシナ話で。
何割かはその宇多源氏の子孫である(ただ証明は不可能)と考えるのが自然であって。
もちろん名乗る名乗らないは別問題。

181 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:29:10
>>180
DNAレベルの話と家系とか家の話は別だぞ

182 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 01:32:19
わかっている。
家の話は別にしてもあまりにも佐々木姓が多い。
これがぜんぶ100%佐々木氏の子孫じゃないっていう見方はおかしい。
いくら佐々木本家が京極、六角と名乗ったからといって。

183 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 10:18:01
>>175
嫡流である六角氏や京極氏は、室町末期まで公式には苗字は佐々木としか名乗らない。
他の一族との区別が必要なときだけ、便宜的に佐々木六角とか佐々木京極とかって書かれる。

>>176
>信憑性のある系図を持つ家で佐々木なんて名乗っている家はないだろw

明らかに宇多源氏の一族である尼子氏の子孫は、江戸時代でも苗字は佐々木のままだと思うが。


184 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 10:23:28
あと家系に信憑性の議論はあるが、江戸期以降で六角氏の子孫を名乗る家(例えば加賀藩に拾われた家など)は基本的に佐々木を苗字にしていることが多い。
大名として残った京極や朽木のほうが、何故か佐々木を名乗らなくなるが。
ちなみに朽木は戦国期までは佐々木朽木と呼ばれることが多く、単に朽木としか現れなくなるのは織豊期以降。

185 :日本@名無史さん:2006/04/27(木) 11:04:24

うちは現在青木だが佐々木支流との話。そう伝えられているだけ。
別段、声高に主張する気もないし、誰に迷惑もかけていない

186 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 14:34:11
佐々木氏は鎌倉幕府では、二階堂氏や長井氏と並んで朝廷と幕府の間の交渉を
引き受けて、文筆系吏僚として実務能力を評価されていたようだ。鎌倉末期に
評定衆や引付衆に、北条一門・御内人以外で名を連ねているから、かなり有能
だったんだろう。

道誉が室町幕府で、権力を増大させるのは「観応の擾乱」以降らしい。先祖代々の
事務処理能力の高さもあると思うが、直義派が幕府からいなくなり人材不足になった
ことも幸いしたんだろうな。

187 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 16:42:53
去年に大津にすむ京極という苗字の女性が事件を起こして全国ニュースになった
んだけど、滋賀というとやはり一族になるんですか?
自分の地元に京極の江戸時代のお城があってかってのお殿様だから、
この一族を尊敬してるんでがっくり。
京極はもう近江を離れて久しいと思ってたけど。

188 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 01:35:26
>>186
鎌倉時代に佐々木一族で評定衆になった人って3人くらいしかいなかったと思うよ。

189 :日本@名無史さん:2006/05/01(月) 17:25:01
>>187
公家の御子左流にも京極を家号にする家がある。
南北朝くらいで断絶してるが。

190 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 15:31:44
佐々木氏から出た評定衆は、調べてみると以下の4人。

佐々木信綱、佐々木(京極)氏信、佐々木(隠岐)時清、佐々木(京極)宗綱

佐々木(六角)は、信綱の息子の泰綱が九条頼経の側近だったので、北条氏に
警戒され圧迫を受けた。それでも、近江守護と惣領の地位は保持。

191 :日本@名無史さん:2006/05/03(水) 19:42:39
今日は丸亀でお祭りがあって京極さんが来てるんだけど、
今の御当主で31代目なんだって。
鼻筋の通った仁左衛門さんに似た品の良いおじさん。

192 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 00:43:52
>>190
宗綱って評定衆だったんだ。
それって鎌倉の評定衆でいいんだよね?
もしかして六波羅のほう?

193 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 06:42:32
>>192
もちろん、鎌倉のほう。1295(永仁3)年に在職の記録あり。
どの程度の期間、務めたのかは不明。

194 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 15:05:41
>>193
そっか、吾妻鏡がない時期なんだ。
吾妻鏡終了以後の鎌倉の政治史はなんか把握が難しい・・・。

195 :日本@名無史さん:2006/05/05(金) 17:30:47
宗綱(京極家2代目)の甥である宗氏と、宗綱の娘の間に生まれたのが高氏。
つまり、いとこ同士の婚姻。宗綱の跡を継いだ貞宗に男子がいなかったので、
京極家に養子として入った。京極家は佐々木一門の中でも、得宗家との関係が
良好で有力な庶家だったようだ。北条高時から「高」の字をもらっているし、
北条貞時の13回忌にも参列している。

196 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 20:08:19
氏信の「氏」や宗綱の「宗」だって得宗の偏諱だが。

197 :日本@名無史さん:2006/05/08(月) 16:45:07
どうよがでる小説でいちばんおもしろいのおしえれ

198 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 00:03:30
>>197
人物叢書はダメ?

199 :日本@名無史さん:2006/05/11(木) 22:53:16
>>197
「いちばんおもしろいの」がどれかはしらん。
 ワシが読んだのは↓コレ。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=30497162
 面白かったよん。

200 :日本@名無史さん:2006/05/12(金) 22:38:10
>>198>>199
thnx図書館でチェックしてみる

201 :日本@名無しさん@お腹いっぱい:2006/05/13(土) 14:55:42
五稜義士会掲示板
http://cat.zero.ad.jp/my_site/bbs/bbs.cgi?owner=zak08550&name=XXXbbs


202 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 20:44:43
道誉の子の高秀が、1391(明徳2)年に戦死したと、人物叢書『佐々木導誉』に
書いてあるけど、誰と戦って氏んだんだろう?この頃は、南朝軍なんてほとんど
活動してないだろうに。

203 :日本@名無史さん:2006/05/20(土) 22:53:32
高秀ってそんな頃まで生きてたっけ?
まあ1391年没なら、考えられるのは明徳の乱だろうけど。

204 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 06:43:55
>>203
うーん、高秀の戦死が10月11日と書いてあるんだよね。「明徳の乱」は
12月30日。つまり、「明徳の乱」前に氏んでるわけで・・・。
「明徳の乱」には、高秀の子の高詮が参加しているようだ。

205 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 11:25:49
>>204
佐々木哲先生にきいてみたらわかるかも。

206 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 01:25:54
>>204
編纂所のサイト見ると、高秀の死亡記事は『常楽記』『東寺王代記』
『佐々木系図』にあるみたいだけど、『常楽記』『東寺王代記』では単に
「明徳二年十月十一日、佐々木〈京極〉大膳大夫高秀他界」
としか書かれておらず、戦死のソースは、『佐々木系図』の高秀の項に
「明徳二年十月十一日、討死於堅田」
とあることだけみたい。
ところが、同系図には、高秀の兄で文和2年に戦死した秀綱の項にも
「文和二六十三、於堅田戦死」
とあり、堅田で戦死したという話は秀綱のことと混同されている可能性もあって
疑わしい模様。

207 :204:2006/05/22(月) 06:43:01
>>206
サンクスです。なるほど、秀綱と同じ場所だから単なる作成者のミスか。

208 :日本@名無史さん:2006/05/22(月) 22:34:12
高詮は「明徳の乱」で、出雲・隠岐の守護職を手に入れている。
出雲は道誉と山名時氏が守護職を争っていたけど、孫の代になって
ようやく決着がついたわけだ。

209 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 00:00:08
出雲・隠岐は元々佐々木塩冶氏が守護だったわけだし、塩冶氏が没落した以上、
同じ佐々木一族の京極氏が嗣ぐのは順当だったってことだね。

210 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 00:55:48
隠岐氏=塩冶氏?

211 :日本@名無史さん:2006/05/23(火) 21:52:44
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1129932450/l50
関連スレ

212 :日本@名無史さん:2006/06/11(日) 12:44:43
>>209
山名って、結局応永の乱以降、備後・安芸・石見あたりの守護職は回復してるけど、出雲・隠岐は諦めたみたいだね。

213 :日本@名無史さん:2006/06/12(月) 04:18:58
バサラ傾きセイント4
前田慶次
佐々木道誉
高師直
水野十郎左衛門

214 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:00:42
道誉は裏切り者の代名詞みたいな奴だからな

215 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:48:17
>>214
そうか?

216 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:06:42
婆娑羅の代名詞ではある

217 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 01:07:08
道誉がいなければ、義詮〜義満初期の幕府は持たなかったと思う。

218 :日本@名無史さん:2006/07/02(日) 02:07:26
ナポレオンにおけるフーシェやタレイランのような存在か。

有能すぎる(がゆえに?)よく裏切るしw

219 :日本@名無史さん:2006/07/04(火) 21:57:46
確信犯的に寝返ってるんだろ。
長い目で見れば結局彼の行動は室町幕府を強化することになってるし。

220 :日本@名無史さん:2006/07/09(日) 16:32:58
本当は導誉でしょ?

221 : 日本@名無史さん :2006/07/09(日) 17:34:45
傾き
団扇で涼しい前田利家
白装束が似合う伊達政宗


222 :日本@名無史さん:2006/07/19(水) 05:35:50
戦国織豊期の人物と比較してもなぁ。
道誉が道誉たる所以は彼が南北朝期の人物であることが大きいと思うのだが。

223 :日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:03:58
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。

224 :日本@名無史さん:2006/08/25(金) 14:41:31
苗字かっこいい

225 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 00:49:00
>>224
なにゆえ?

226 :日本@名無史さん:2006/09/10(日) 22:43:17
足利尊氏と同じ名前って凄いね。

227 :日本@名無史さん:2006/10/25(水) 22:44:30
ほんとだね

228 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 02:11:12
六角とか京極って名門なんだ・・・

信長の野望に出てくるショボイヤツだろ

229 :日本@名無史さん:2006/10/26(木) 03:17:26
>>228
お前の脳内はノブヤボが全てか。

230 :日本@名無史さん:2006/10/27(金) 05:44:52
南北朝時代でも五本の指に入る名将だぞ、道誉は。
数字で能力を表したら全部90以上になるようなやつだ。

231 :日本@名無史さん:2006/10/28(土) 18:16:53
>>230
能力値ヲタは以下のスレに移動願います。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1132562211/l50

232 :日本@名無史さん:2006/10/29(日) 19:09:17
230は子孫がしょっぱくて信長の野望で能力の数値が低いことを持ち出した228への皮肉だろ。

233 :日本@名無史さん:2006/11/05(日) 15:38:02
戦国期だって六角はなかなかのものだぞ。
義尚・義材の時期には六角高頼は2回も幕府軍の討伐をはねつけてるし。
しかも義晴の時期には六角定頼のお陰で室町幕府は持ってたようなものだし。

234 :日本@名無史さん:2006/11/06(月) 06:06:16
道誉は六角じゃなくて京極だよ。

235 :日本@名無史さん:2006/11/09(木) 23:45:13
>>234
まあまあ。
 >>233さんは>>228クンに対するレスでしょ。
 単なるアンカーの付け忘れ。

236 :日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:09:43
age

237 :日本@名無史さん:2006/12/18(月) 03:04:15
無知な奴が「六角佐々木氏」とか「京極佐々木氏」とか言ってるの見ると笑える。
「佐々木六角氏」、「佐々木京極氏」だろうに。

238 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:22:57
道誉さんの肖像画って、Web上にないですかね。
探しているんですけど・・・

239 :日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:46:57
どこかで見た記憶があるんだがどこだったか。
佐々木or京極、高氏or道誉で最低4種類の名前はぐぐらなければなるまいよ。
茶道や華道、太平記関連のサイトからリンクを辿って探し出すという手も考えてみたらいいかも。

240 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 11:00:17
「導誉」でGoogleのイメージ検索したらあったぞ
「道誉」でも小さい画像なら出てきた

241 :日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:56:23
>>240
あ、ありました。そうか、イメージ検索。
それと、私は佐々木道誉、佐々木導誉に、肖像なんてプラスしたりして
通常検索して見つからなかったので、へこんでいたところでした。
>>239さん、>>240さん、共々有難うございました。大変参考になりました。

今、太平記の時代の人物について、社内研修の教材でまとめていたところ
(IT関連の企業です、何か違和感あるでしょうが)でして、やはり佐々木
導(道)誉さんは婆沙羅の代表格として必須ですね。歴史は人物の顔があっ
た方が良いかな、と探していたところでした。
勝楽寺のサイトのものが、晩年のものとはいえ、以前見たことがあって、こ
のイメージでしたので、サイトにメールを送って使わせて頂くことにします・
でも、足利尊氏のイメージの馬上の武者が、実は高師直では? とか、
神護寺の源頼朝似せ絵が、実は足利直義だった? とか、何か昔のイメージ
と合わずに混乱しているところです。 いろいろ歴史のイメージも変わって
きていますね。

このスレも、「佐々木道誉」でググッたらかかったのでした。
本当に有難うございました。

242 :日本@名無史さん:2006/12/26(火) 04:22:54
>>239
正しくは「導誉」だから、これでも調べないと。

243 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:54:34
佐々木ドウヨは裏切り者

244 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 09:41:26
京極家の子孫はよく見るけど、六角家の子孫は見たことないな・・・。
どこに行ったか知ってる?

京極家は丸亀城、多度津城など分かりやすいけど・・。

245 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:13:16
裏切り者というより、風見鶏では?

246 :日本@名無史さん:2007/01/09(火) 22:19:33
>>244
小学校の頃だったが、大阪府茨木市で、同級生に「六角」君がいた。
やっぱり珍しかった。あだ名は「ロク」。
「ろくでもない」なんて誰かが言うたびに冷やかされていたが、先祖は
武将だったとか親から聞いたとか言ってた。ホントかどうか知らんが。

247 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:07:54
>>1
太平記には別に謀略の限りってほど詳しく描かれてないけどな。
気がついたら要領よく出世していたって感じだ。


248 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:09:40
>>245
そうでもないでしょ。
なんだかんだ言って、尊氏と義詮のことは裏切っていない数少ない存在。
新田軍に寝返ったことが一度だけあったが、それも尊氏が寺に引きこもっている間で
直義が指揮を取っていた時だから、それなりに筋が通っている。

249 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 11:22:39
でもいくら京都の六角堂に住まいがあったからと言って六角にしたんだろうな。
かっこ悪いよ。京極はかっこいいけど。本家として貫くなら佐々木氏として
生きていけばいいのに。
でも不思議に佐々木神社は京極家や黒田家の奉納はあるけど六角氏は誰も来てない。

250 :日本@名無史さん:2007/01/10(水) 23:06:20
>>249
六角堂じゃなくて六角通り。

251 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:34:01
>>249
六角、かっこ悪いか?佐々木なんてありふれた姓よりよっぽどいいような。

252 :日本@名無史さん:2007/01/11(木) 02:37:00
財閥系には佐々木氏を名乗る家が多い。

253 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 12:33:50
>>244
家は六角氏の分家の米原氏の末裔です。一応米原氏の末裔会に入っていますけど…
↑マイナー過ぎますかねorz

254 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 12:57:40
>>1

オマイもしかして
「道誉ってドウヨ?」って言いたいだけなんじゃぁ??

255 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:47:59
織田信長の生母の実家の土田氏も六角の一族じゃなかった?

256 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 16:20:57


257 :日本@名無史さん:2007/02/04(日) 17:35:50
>>254
実は僧なんです

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