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三井越後屋について

1 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 20:38:52
ほんとにお代官様と癒着してたんですか?

2 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 20:41:46


3 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 23:31:08
   ∧∧
  /(*゚Д゚) フトンサイコー
  /  У~ヽ
 (__ノ、__)

  _  カタカタカタ
 .//|:|   /'∧
 | |..|.|  (Д゚,ノ⌒ヽ フトンサイコー
  ̄ll ]-、と/~ ノ )
  ̄ ̄ ̄|(_ (  ,_)

4 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 23:34:03
三越が三井越後屋だと知っている人はあまりいない

5 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 23:35:26
>>4
江戸博に行ったことのあるヤツはみんな知ってるだろ

6 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:09:05
三越おぬしも悪よのう

7 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:11:12
ふっふっふ お代官様こそ

8 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:21:03
幕末期には幕府にも官軍にも資金援助していた。

9 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:41:28
どっちが倒れてもいいってことだな。
さすが商売人。こうでなくっちゃ。

10 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 01:52:46


商人の歴史を語るスレッドはなかった気がする。


あったか?

11 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 02:00:11
>>10
ないねぇ
越後屋は1673年誕生だっけ


12 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 02:01:27
>>8
資金援助って金貸しだろ。

13 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 02:08:02
三越岡田事件でも癒着してたナー
お代官様とじゃないけど

14 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 02:43:39
>>11
古くは馬借とかその辺から、堺とか近江商人とか
いろいろ語るとこあるよね。

15 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:56:21
翼をください

16 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 02:03:55
同意

17 :日本@名無史さん:2005/12/07(水) 17:11:23
就職戦線異状名無しさん :2005/10/17(月) 17:57:43
成城大学なんですけど、100社以上落ちました。
別に学歴で差別されるような大学じゃないですよね?
ちなみにネタじゃなくてまじで悩んでます。

18 :日本@名無史さん:2005/12/11(日) 00:43:21
     (・ω・)っ
     (っ ,r どどどどど・・・・・
      i_ノ┘

       ∧_∧
    ⊂(´・ω・`)
     ヽ ⊂ )
     (⌒) |どどどどど・・・・・
        三 `J


   ∧∧
  (´・ω・`)  おやすみやがな・・・
  _| ⊃/(___
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


  <⌒/ヽ-、___
/<_/____/

19 :日本@名無史さん:2005/12/16(金) 00:03:04
⊂二( ^ω^)⊃

20 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 20:05:18
age

21 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 19:55:37
アサヒ

22 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 20:08:51
水戸肛門の勤め先?

23 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 08:33:43
マッツィーニは

24 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 08:44:23
>>1
マジ話、癒着の度合いが一番低いから長い生命力を保ったと
思われ。

武家などの権力と組んだ商人が結局倒れたのを見てきたことと、
自らが紀伊家に散々迷惑を受けた経験から、武家と過度に関わる
なってのが家訓だったみたいだからね。

幕末、朝廷と幕府の両方に献金したなんてのもその現れだろうね。


25 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 10:37:33
なるほど

26 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 13:54:08
越後屋の後身は三越、三井住友銀行、三井物産です。

27 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:00:24
なんか最近、銀行の名前がわかんなくなってきたんだけど、
これってもしかして、財閥再建!?

28 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:02:17
アメリカ人に叩き売るのに、少しでも見栄えよくしなきゃならないじゃないか。

29 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:08:35
>>27
いや、財閥融合かと。

三井+神戸+住友=三井住友

東京+三菱+鴻池(三和)+東海+埼玉+協和=東京三菱UFJ

安田(富士)+第一+勧業+興銀=みずほ

30 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:20:32
越後屋つくる前に地元伊勢で金融業を営んでた
江戸に出てきたのはかなり年取ってから 
普通なら隠居する年齢から、息子たちを使って事業拡大

こういうところからしてロスチャイルドに似ている

31 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 23:10:01
三井高利さんだっけ?

32 :日本@名無史さん:2006/01/08(日) 23:21:02
平野屋、淀屋、天王寺屋とかは全滅だね。

淀屋は、岡山にもあって幕末まで続いていたそうだけど。

33 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 02:22:33
>>29
いつあさひが東京三菱UFJになったんだ

34 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 04:14:38
悪徳商人の代名詞が越後屋になったのはどうして?

35 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 04:17:18
代官  ところで越後屋。例の件、うまくいっているだろうな。
越後屋 はい、お代官様。万事計画通りいっています。
代官  そうか、楽しみだな。
越後屋 それにしてもお代官様もお目が高い。あんな器量のいい娘に目をおつけになるなんて。
代官  いやいや、そちもずいぶんと気に入っていたというではないか。
越後屋 いえいえめっそうもない。なにをおっしゃいます。お代官様もお人が悪い。
代官  まあ、飲め。 越後屋 そうそうお代官様。これはわたしどものほんの気持ちで。
代官  かわいいやつだ。今後もよろしく頼むぞ。しかし越後屋、お前も悪じゃのう。
越後屋 いえいえお代官様ほどではありませぬ。
代官  何を言うか。はっはっはっは。

36 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 14:57:29
明治以降の三井の歴代首脳バイオグラフィー
(三井11家は基本的に君臨すれども統治せずのスタンス)


三井大元方 総轄 「三野村利左衛門」
 
三井両替屋の筆頭番頭・三井銀行頭取など歴任。
外見風貌は豪放磊落な親しみやすい爺さん。その実すごい陰謀家。
小野組を潰したのは多分この爺さんの陰謀。幕府を見限って新政府につくという情勢判断もこの爺さんが主導。
江戸末期から明治にかけて三井が生き残ったのはこの爺さんによるところが大きい

37 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 15:07:52
三井元方 専務理事 「中上川彦次郎」

戦後のマスメディアからは一番のお気に入り。
実情は本来金融・商業資本の三井に工業資本を持ち込んで混乱させただけ。
三野村亡き後の混乱状態でのピンチヒッター的存在。次の益田の陰謀によって失脚

38 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 15:18:29

三井管理組 専務理事 → 
三井合名株式会社 理事長 「益田孝」

三井物産初代社長。三野村に輪をかけた陰謀爺さん。
親三菱の大隈が下野したときを狙い、三井家顧問の井上馨を使って危うく三菱を潰しかけた。海運以外の事業を岩崎家の直営に移していた三菱は何とか踏みとどまったが、船会社を取り上げられた弥太郎は怒りのあまり憤死。
長い歴史を持つ財閥にはこの手の陰謀爺さんが多い。三野村は外見は田舎の百姓のようだが益田は外見も絵に描いたような陰謀爺さん。美術品の収集でも有名。
合名会社組織にした初めての理事長でもある

39 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 15:25:33
三井合名会社理事長 「団琢磨」

三井鉱山社長から益田の後継として合名の理事長へ。MIT卒。東大助教授。
益田が三井物産を立ち上げたように、団は三井鉱山を立ち上げたといえる。
エンジニアで至誠の人タイプ。大財閥のトップとしては基本的にエリート人格者タイプと陰謀家タイプがあり団は前者の典型。

暗殺される。

40 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 15:30:05
三井合名会社専務理事 「有賀長文」

団暗殺後、池田が出てくるまでのつなぎ。よって「理事長」でなく「専務理事」
官僚出身。常務理事の福井菊三郎との共同統治。

41 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:09:42
団琢磨とか三井は損かぶってるイメージあるな
岩崎家なんてみんな元気なのに

42 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 21:06:00
三井合名会社 筆頭常務理事 「池田成彬」

三井銀行筆頭常務(頭取は三井一族なので実質的な頭取)から合名筆頭常務に。
自身のドル買いにより三井バッシング最盛期の三井指導者。様々な策を打ったことで財界ジャーナリストレベルの評価は高いが、実質殆ど逆効果。
三井の池田、池田の三井といわれ日銀総裁、枢密顧問官等を務めたわりに、三井内部ではたいした評価でなく、トップとはいえ有賀より低い「筆頭常務」の肩書きにとどまる。

43 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 21:11:54
三井合名会社 理事長 「南條金雄」

三井物産会長から合名の理事長に。(江戸秀雄氏の著書によると任期の後期でも「南條筆頭常務」と呼んでいるので、正式な理事長でなかったかも。このあたりはもう少し調べを要する)
危機の時代に関わらず決断を欠き、さして評価は高くない。任期も短く次の向井忠晴へのつなぎと見たほうが良い

44 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 21:15:41
団た(´(・)`)ノ

45 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 21:40:17
江戸英雄も有名だよね

46 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 21:46:26
パイプの煙

47 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 22:11:27
>>35
越後屋エロすぎ

48 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 14:29:46

三井総元方 理事長 「向井忠晴」 

三井物産会長から三井合名筆頭常務理事・さらに合名が改組された総元方の理事長へ。
「人材の三井」といわれるなかでも「三井の頭脳」とされ、歴代の大番頭の中ではおそらく最も傑出した存在。
正式の「理事長」をもらったのは合名以前の三野村を別とすると、益田、団、向井の三人だけ。
江戸英雄談「自分の生涯でこれほど頭の切れる人に出会ったことがない」。
一般に知れている在任中の業績として、財産税で合名が維持できなくなったことで、三井物産が合名本体を吸収合併し、その上に三井総元方という最高意思決定機関を設立。自身が総元方理事長と物産会長を兼任した。
山西事件の責任を取って辞任。戦後貿易庁長官・大蔵大臣を歴任。吉田茂の葬式で友人代表として答辞を読んだことでも知られる。


49 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 20:15:39
「向井忠晴」続き

往年の向井は「その前に出ると物産人は直立不動。よく見ると指先がブルブル震えていた」といわれるようなキャラだったが、晩年はすっかり好々爺に。
ポツリと「自分もずいぶん悪いことをしたから・・・」

同じ陰謀畑の池田の場合、ドル買いで大正不況の原因を作ったり、台湾銀行からコール引き上げて鈴木商店を倒産させたり、香ばしいことを色々やってるが、それらはたいていリアルタイムで叩かれてる。
226事件の裁判で北一輝に金を出してたことが暴露され、当時の(今も?)ジャーナリストが「三井批判を抑えるため」という理由をひねり出し慌てて火消しに回るという始末で、基本的に脇の甘さがあった。

益田や三野村の場合、没後何年もたって証言が出たり状況証拠が出たりして、当時してたことのあらましが浮かび上がる程度。

向井の場合は一番きわどい時期に重責を担っていたのに、何も出てこない。

50 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 20:24:42
「向井忠晴」続き

三井物産から「向井忠晴追想録」が出版されている。(非売品)
政財界の人間が亡くなった時この種の追想録が出版され、友人知人が文章を寄せ、当人を知る上で参考になるが向井本の場合殆ど役に立たない。
向井が98歳で死んだために先輩はもちろん、同僚・友人・知人・部下・後輩までも鬼籍に入り、入社試験で向井に面接を受けたことのある物産の会長みたいな人間の原稿の寄せ集めになってる。
一番謎の多い人物。

51 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 20:31:02

三井本社 常務理事 「小池正彰」&「川島三郎」

向井退任後、軍部からの要請でまたも改組をおこなう。物産と切り離し、三井本社を設立。
社長は合名の時と同様に三井家当主三井八郎右門。その下の二人の常務理事が三井の実質的トップ。
この二人はつなぎ的。

52 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 20:34:26

三井本社 専務理事 「住井辰男」

三井物産社長から三井本社専務理事へ就任。
GHQによる三井財閥の解体に立ち会う。


53 :日本@名無史さん:2006/01/11(水) 17:37:21
鈴木商店の件はどうしましょうか?

54 :日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:43:08
逆に、鈴木は高畑の進言を受け入れて自前の銀行を作っていれば
三井につけこまれることもなかった?

55 :日本@名無史さん:2006/01/12(木) 11:20:14
三井銀行会長 「佐藤喜一郎」

戦後、持ち株会社が解散されて、中心企業の三井物産も二百数十社に分割される。(これは「旧三井物産社員は三人以上集まって会社を作ることを禁ずる」というGHQの指令。)
その間、三井の司令塔として機能したのが三井銀行で、その会長の佐藤が事実上のグループのトップだった。

佐藤に関してはとかく批判があり、三井グループが三菱に抜かされたのは銀行が弱体だったからという説がいまだに根強くある。(帝国銀行との合併・再分離で体力消耗。)
三池のストなどにもうまく対応できないお公家さん的な三井を象徴する人物。
性格的に自由主義的だったため、グループの結束にも消極的でその意味でも三菱に差を空けられた。

56 :日本@名無史さん:2006/01/12(木) 11:37:32
三井物産会長 「水上達三」

分割されていた物産が1950年代の終わりから60年代初めにかけて、徐々に合併されて大合同に成功する。
またグループの結束を図るために「二木会」が結成され、三井銀行社長、三井物産社長、三井不動産社長の三者が幹事役となることが定例化。(御三家と呼ばれる。不動産が入ってるのは解散された旧三井本社の資産・人材を引きついでいるためプレステージが高かったから)

この時期(70年に会長を退任するまで)三井を率いた精神的なリーダーは物産の水上達三で戦後再び物産をトップに押し上げた功労者。
「二木会」は三菱の「金曜会」のようにトップ「代表世話人」をおかず、上記三社の代表が幹事を務めた。

57 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 16:31:31
三井銀行会長→
さくら銀行相談役→
三井住友銀行相談役 「小山五郎」

七十年代以降三井住友の合併にいたるまで、事実上の三井の総帥として影響力を保ち続けたのがこの人。
有名な三越の岡田社長解任劇もこの人物の判断によるものといわれ、その他王子製紙事件時の裏で暗躍してたとの説もある。
太陽神戸銀行との合併を画策したのもこの人物という見方が一般的。
会長退任以後は「相談役」の立場で、歴代相談役の中で指導的立場にあったとされる。
三井住友合併時には確か95。(最終回)

58 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 16:36:28
三井本家の人達はどうなったの?

59 :日本@名無史さん:2006/01/14(土) 16:38:10
財閥解体に遭遇したときの住井辰男の説明がえらく簡単な・・・

確か、この人は「少年社員」として入社してるんだが、要するに丁稚あがり?

60 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 14:22:32
丁稚あがりって江戸時代じゃないんだから…

61 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 14:25:30
三菱の岩崎独裁と三井の番頭政治では三井のほうが優れてたはずなんだがなぁ
三井としては重工さえあればといったとこだったのかね

62 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 16:31:23
(・ω・)9m(ビシッ

財閥って何

63 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 19:20:28
>>58
長老の向井氏が動いて、三井の商号・商標権なんかを三井家の収入に当てたとか
でも三井は11家もあるので岩崎(2家)に比べてそーゆー措置は行き届かないとか

>>59
住井さんも臨時的な人であまり重要な話はありません。
三井鉱山の川島三郎(>>51)が戦後下から突き上げられて退任要求を出されたとき、三井を代表して罷免要求に行き川島社長と怒鳴りあいの大喧嘩をしたとか、その手の小さなエピソードならありますが



64 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 16:36:51
三井は伊勢松坂の出身だった筈
なぜ越後?

65 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 18:40:42
戦国時代の先祖が越後守を名乗る武士だったから。

66 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 20:34:30
>>65信憑性は高いの?


67 :日本@名無史さん:2006/01/19(木) 18:45:19
三井っておちぶれもんの代表じゃね?
三井のイゲタなんて三菱のダイヤにくらべて知名度なさすぎ

>>66
間違いないよ

68 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 07:46:12
(´・ω・`)

69 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 11:59:37
<丶`∀´>

70 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 12:00:20
(`ハ´  )

71 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 11:56:25
。(´・ω・`)

72 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 13:13:53
<#`Д´>

73 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 13:14:26
人(`ハ´ )ノ

74 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 18:12:06
三井家ほどの大店になると、数百人の従業員がいて、職制も整備されていた。
時代劇の商家の大店のイメージとはかなり違う。

従業員は店の営業に関わる手代・丁稚と力仕事・雑用専門の下男に区別されていた。
前者は上方の身元のしっかりした家庭から採用し、見込みのない者は追い返された。
後者は江戸近辺の者から採用したが、営業職にはなれなかった。
ある意味、キャリアとノンキャリといえるかもしれない。

75 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 18:27:13
厳密に言うと、近江など上方の上層農家の子弟が十代前半で江戸に出て奉公し、
数年ごとの宿下がりの時期に商人として見込みのない者は、そのまま暇を出される。
これをくり返すことで、一人前の手代になる頃には同期の者がかなり淘汰される。

手代以上の役職なども何段階にも細かく職制が定められている。
支配人になる頃には、すっかり老人になっており、同期の仲間もほとんどいない。

76 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 20:25:16
なるほど

77 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 02:22:06
>61石川島播磨重工業

78 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 02:29:41
IHIって三井系なの?

79 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 02:34:08
三井は所詮三菱にはかなわない

80 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 02:49:28
>78三井系は社名に三井の文字がないのも多いからね(戦前から)。
東芝、王子製紙、新日本製鐵、電気化学工業…
三菱に負けてないよ

81 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 08:53:51
トヨタも三井だよ

82 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 15:55:18
>81 オブザーバーだが

83 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 00:25:23
三井は三菱よりもグループ間の結束がゆるいと聞いたが。
「三井」を関しているところは別として。

84 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 01:00:12
結束の住友

85 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 01:38:45
人の三井、組織の三菱

三井系は労災とか直ぐ下りるけど、三菱はなかなかねぇ…

86 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 04:21:33
江戸東京たてもの園
三井邸は趣味悪いよ

87 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 05:18:44
江戸時代から複式簿記らしきことやってたってホント?

88 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 07:27:31
ヒューザーの小嶋さん、越後屋が似合うと思う。

89 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 14:14:17
三井といえばディズニーランドだろう

90 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 23:53:21
ディズニーというより、浦安埋立地区全体。
それに三井だけでなく、地元フィクサーと8の野望に、三井と京成が乗っかり、役人を取り込んだ形。

91 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 20:57:35
┏┓┏┳┳━━┳━━┳━┳┓┏┳┓
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       Inspire the Next

92 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 21:29:47
>87本当です。

93 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 21:40:32
すげーな

94 :日本@名無史さん:2006/02/02(木) 23:45:58
>>90
三井は千葉の埋立事業に結構手を貸してるんだよな。
三井建設はバブル期は幕張に本社移転してるし。

95 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 02:08:13
トヨタは元来は住友系。
自動車に本格的に乗り出した時、
住友銀行の「天皇」といわれた堀田庄三が、
「織機屋(ハタヤ)には貸せても、鍛冶屋には貸せぬ」と言ったとか、
融資を断わったため、日銀名古屋支店長の仲立ちで、
その後三井に鞍替え。

96 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 17:51:08
そうだったのか

97 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 18:13:16
>>92
それって近江商人が作った仕訳だっけ?

98 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 03:44:02
エッチ小屋

99 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 19:16:03
財閥解体に立ち会った住井辰男は、明治前期に「少年社員」として物産に入り、
上海とかで働いてたそうだが、これって要するに「丁稚どん」なのか?

100 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 19:28:21
ニートに売る商品はありません。
お引取りください。

101 :日本@名無史さん:2006/02/16(木) 19:32:32
三井財閥の席順はどうだったの?

102 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 15:46:48
三井家は経営には携わらなかったんでしょ

103 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 17:38:45
>>101
三井家は出すお菓子も社長・部長・課長・平社員に応じて決まってた
戦前江戸英雄が平社員のときハンコもらいにお屋敷に行くと最中が出た
戦後三井不動産の社長になってから行くと羊羹がでた

104 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 23:30:56
おもしれーw

105 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 06:34:14
中2の息子の中間試験が近いので、夫が勉強を見ていた。
夫 :「じゃあ、江戸時代の学校はなんというか」
息子:「えー…」
夫 :「わかんなきゃヒント出すぞ。××屋」
息子:「えーとえーと…わかった!!越後屋!!」
そんな悪巧みしか教えないような学校は嫌じゃ。
(寺子屋からやりなおせ)

106 :日本@名無史さん:2006/02/19(日) 06:49:00
江戸東京たてもの園に三井本家の建物あるよ、
すげー趣味の悪い建物なんだ。

107 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 12:55:27
成金の見本みたいなものか

108 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 13:06:58
あれは京都の本邸を移築したものだろ。

109 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 14:02:57
>>108
客間と食堂部分だけ京都から移築し1952年西麻布に建てられた。

110 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 14:08:21
財閥解体後でも、邸宅を移築したり新築する余裕があったんだな。

111 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 14:17:10
平成4年に三井当主が亡くなったさいに相続税100億円を納めることができずに、
西麻布の土地を物納、建物は江戸東京たてもの園に寄贈。

112 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 14:37:12
ああ、あの旧三井本家邸か。西麻生のお屋敷街のちょうど
ど真ん中にあったよ。周りのお屋敷に囲まれるようにひときわ
でかいお屋敷があった。

今は跡地は高級マンションになっちまった。こうして街は
風情をなくして個性がなくなっちゃうんだよな。

113 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 14:48:24
ま、個人の大金持ちが一等地にどでかい屋敷地を占有してるよりは、
多少風情はなくなってもマンションになる方がマシだが。

114 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 14:57:30
趣味悪いってハースト邸みたいなの?
三井本館のほうはクラッシックで好きなんだけど
http://www.mitsuifudosan.co.jp/home/aboutus/quality/03/index.html

115 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 14:59:14
>>113
あのマンションに住んでる人間は物凄い金持ちだと思うぞw

116 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 15:07:00
金持ちでも広大な敷地の一戸建てには住めない世の中になったというのがいい。

117 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 17:13:47
エッチ小屋

118 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 17:27:40
>>114
三井不動産のマークなんだこりゃ
伝統ある井桁に三はどうした

119 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 19:32:05
三井造船が最近景気いいみたいだね

120 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 19:44:49
>>115
パークハウス西麻布、管理費と修繕積立金だけでも月10万円以上。
あんな所に住んでいる人は広大な敷地の別荘も持っているわけで。

121 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 21:04:04
たけー

122 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 21:13:12
141平米で31500万有り得ねー。


123 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 02:43:30
いつかまたどこかで出会えるといいな、イノセントワールド。

124 :越後屋オタ:2006/03/01(水) 04:19:59
三井家は元々士族です。
江戸時代の豪商で近代日本の大財閥となった三井家の元祖は、高俊の4男
三井高利(1622〜94)とされるが、三井家繁栄の基礎を築いたのが
高利の母、殊法(しゅほう)です。
夫、高俊は武士の生まれで商いにはうとく、連歌や俳諧などの遊芸にふけって
家業はもっぱら妻が取り仕切っていた。

夫、三井高俊の先祖は、もと近江源氏の流れを汲む六角佐々木氏に仕えた
武将で天正年中に佐々木氏が滅亡した為、高俊の父の越後守高安の代に近江
から伊勢山田へ移り、さらに高俊の代に松坂に移住し、ここで高俊は武士を
捨てて商人になった。
高俊は松坂の中心街・本町に酒と味噌を商う店を構えた。
当時、松坂の人々は高俊の店を「越後(守)殿の酒屋」と読んだので、
ここから三井家の屋号「越後屋」が生じたと言われている。



125 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 09:08:28
>33いや、>29さんの間違いでしょう。
住友(住友+平和相互)+さくら(三井+太陽神戸(太陽+神戸)) = 三井住友

東京三菱(三菱+東京<旧 横浜正金>)+UFJ(三和(鴻池+他2行)+東海) = 三菱東京UFJ

富士<旧 安田>+第一勧業(第一+日本勧業<旧 日本農業>)+日本興業 = みずほ

大和(旧 野村)+あさひ(協和+埼玉)+近畿 = りそな

多分こんな感じ

126 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 01:57:32
>>124
正解


127 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 02:44:57
>三井家は元々士族

そうだったのか
卒論で歴代商人の家柄って書いちゃった
住友は士族出身だってのは知ってたのだが

128 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 02:49:30
>>127
まあそもそも江戸時代の前は身分は固定されてないから。

商人も農民も武装してたから、庶民も武士といえるし、武士も
商人や農民といえる。

まあそれを一応ある時点で、正式に仕官している人間を武士
とし、それ以外を非武士としたのが豊臣徳川政権なわけで。

それにその江戸時代にしてから建て前はともかく実際は結構身分の
流動が激しかったことだしね。

129 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 03:21:45
>>128
江戸時代といっても250年もある

130 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 03:54:56
士族であったかどうかなんて関係ない。
三井では経営を番頭に任せていた、番頭が華族にもなっている。
もちろんオーナーの三井も華族に列している。

131 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 02:05:44
でも爵位は一番下の男爵なのが悲しい 三井も住友も

132 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 13:34:39
>>131
三菱の岩崎家も・・・

133 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 13:48:47
>>131-132
商人が上の爵位に執着してどうすんのさw

134 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 00:34:35
国家権力と結びついた政商のサガ・・・

135 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 03:14:53
>>128時々その説があるが無理がある。やはり正規の武士はいたと思う。地侍は武士とはいいづらい・・・
境界のあいまいの部分が大きかったというべきだろう


136 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 06:33:08
>>135
地侍を武士と言いがたいというけど、江戸時代の大名の主流は
地侍以下の階級からのし上がってきた連中だよ。

そもそも徳川家が地侍だからね。御家人じゃねえぞ、あそこは。
おまけに家康の男系始祖は流れ者だからねw

なのでまず徳川系大名がほぼ全部地侍以下。そして織田系大名
も地侍以下。

きちんとした御家人の家柄出身は土岐、細川、伊達、南部、相馬
小笠原、田村、秋田、佐竹、岩城、朽木、京極、毛利、立花、秋月、
島津、こんなもんだぞ。

137 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 18:35:01
>>136出自が地侍であっただけで戦国中期以降はもはや完全に兵農分離された武士でしょ。御家人系は侍。
庄屋の家系を辿ると地侍に行き着くが大抵というかほとんどは農地に縛れ付けられた地侍。農地から離れた時点で
武士ってのはどうだい?・・・ただ出自が地侍ってのも怪しそうだがな・・・農民の次男三男じゃね?


138 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 22:36:51
なるほどねぇ

139 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 22:48:14
兵農分離にも地域差はあるよね

140 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 01:20:58
現金掛け値なし。
店先での店頭販売。

それまでは、顧客の屋敷に出向いて、商品を広げ、購入代金は年末に一括払い。
それを顧客が店に来て商品を選び、その場で現金で支払いを済ませるシステムにした。

京都で呉服を作って、江戸で販売する。
上方は銀貨で江戸は金貨なので、江戸で儲けた金を銀に替えて呉服の材料を仕入れた。
この金から銀への両替部門が、後の三井銀行の前身になった。

というのが俺の三井越後屋に関する知識なのだが、あってる?


141 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 19:39:37
あってるとおもう

142 :日本@名無史さん:2006/03/18(土) 20:19:09
戦前は三井が一番大きかった。それで財閥解体も三井が徹底してやられた。
だから今は三菱グループの方が結束が固い。


143 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 02:07:27
ふむふむ

144 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 03:08:54
>>124
っていうか、士族じゃなくて、武士でしょ。

士族なんて言葉は、明治時代にできた言葉で、江戸時代武士だった人間を
さしたんだから、三井は士族ではない。江戸は平民だけど、士族が
あった時代は士族より上の華族だからいいじゃん。

145 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 03:11:17
そもそも、江戸以前は武士かどうかは証明できないし。
三井だって名門につなげた系図は捏造系図だろうからねえ。

146 :日本@名無史さん:2006/03/19(日) 20:12:40
三菱もかなりの規模で解体されたんじゃないの?
戦争への加担は三井より三菱のほうが強かったし

147 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 02:23:59


148 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 03:03:06
>>142
三井は重工系弱いでしょ。

149 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 03:07:35
国家企業の三菱と民間の三井なんだよ。

150 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 01:08:14
三井はみんなにやさしい企業が多い

151 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 21:50:38
商社に限れば
人材の評判は三井>三菱>>>>>住友>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>丸紅

152 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 01:12:17
>142戦前の日産コンツェルンは,三井を凌駕してる

153 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 03:23:41
最近は物産の評判落ち気味だけどね
商事は動きが軽やかで躍進してる

154 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 03:59:40
分野が違いますから。

155 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 08:47:18
>>150
三井って政商になることを嫌って(名門商家はみんなそうだけど)、
大名貸しとかもやらない主義だったんだよね。

156 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 09:06:26
総合電機メーカーでは昔はこう言われていた。

三菱電機・・・殿様
東芝(三井)・・・家老
日立・・・野武士


157 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 09:08:59
曽祖父は開業医だったんだけど、日米開戦のとき、
「三井と長屋が喧嘩をするようなものだ」と言って
薬を買い占めさせ、庭に埋めておいて、戦中・戦後に
ずいぶん助かったんだって。

158 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 01:17:21
>148重工には敵わないが,IHIと三井造船もなかなかだぞ

159 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 01:22:55
>152日産生命、日産火災、共に破綻。
日産銀行があれば…

日立製作所と日産自動車は、世界企業だがな。
あとは何だっけ???

160 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 05:56:58
石川島播磨って三井系じゃなかったっけ。
東芝が倒産しそうになったときに、石川島播磨から土光敏光氏を呼んで立て直したとか・・・


161 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 06:16:21
>>155
いや、創業当初は松坂に店があったので、その縁で
紀州家にかなりの大金を貸した。まあ領主だからつきあい
上断れなかったのだろうけど。で、それを見事に踏み倒さ
れたw

その教訓と、他の大名貸しの悲惨な末路を例に挙げた
家訓が生まれ、以後基本的に大名貸しはしてない。

162 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 07:46:47
>161御三家の中ではパッとしないな、奇襲

163 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 22:36:56
>>161
幕末期には官軍にも幕府にも金だしていたんじゃなかった。

164 :日本@名無史さん:2006/04/04(火) 22:51:54
>>163
あれは貸すのじゃなくて、保険としての捨て金では?



165 :日本@名無史さん:2006/04/08(土) 19:18:05
幕府から新政府に乗り換えるタイミングが絶妙。
でも戦後三菱よりきつくやられたのは三井首脳はビックリしたろうね なぜビックリしたかというと・・・

166 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 16:34:05
なんでなの?

167 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 00:25:18
>>166
状況証拠は集まってるけど確言は出来ない。

でも>>48>>49>>50

168 :日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:38:50
高島屋(旧・飯田高島屋)の創業家一族に連なる飯田常務がタイーホされましたな。100万円恐喝とはセコイ。
飯田高島屋といえば、飯田丸紅=伊藤忠兵衛商店(現・丸紅、伊藤忠商事)と兄弟会社だったかな?

169 :日本@名無史さん:2006/05/21(日) 23:52:11
へえ、そうなんだ?

170 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:40:51
初耳

171 :日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:53:40
三井物産の社員は威張りくさってて感じ悪いね

172 :日本@名無史さん:2006/06/18(日) 08:16:13
貴族への支援

173 :日本@名無史さん:2006/06/29(木) 21:34:21
三井財閥の元だっけ?

174 :日本@名無史さん:2006/07/03(月) 08:59:56
三井物産食品グループって、何処と何処と何処?

175 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 18:49:50
悪よのう

176 :日本@名無史さん:2006/08/08(火) 19:29:38
ウホウホ

177 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 01:02:18

>>36に事実誤認があったので訂正します。
面白いポイントだし、最近過疎ってるみたいなので今夜は連レスしましょう。

>>36で「小野組潰したのはこの爺さんの陰謀」としたが、近年の研究によるとここは違うらしい。

明治新政府で為替方に任命されていたのは三井・小野・島田の3豪商だったが、
民間預金のほとんどない時代、彼らは預かった政府資金を投資運用していた。
(例えば小野組は東北の鉱山)。政府も当初事実上これを黙認していた。
ところが1873年、政府が急に官公預金の担保を、預金額の四分の一要求する。
1874年には三分の一に引き上げ、この後さらに全額に引き上げる。
わずか二ヶ月で実施せよという政府命令に、小野組、島田組は破綻。
井上馨からの情報を事前に得ていて、「それに備えていた三井のみが生き残った」
というのが、昔からの定説的解釈だった。

ここを陰謀論的に膨らませて、そもそもこの担保要求自体が
三井家最高顧問だった井上馨に、三野村が働きかけて実施された政策では?
とする見方が従来から根強くあった。自分も三井のそれ以降の行動パターンから見て
概ね、んなところだろうと思ってた。


178 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 01:09:10

しかし近年の研究によると、
「小野や島田の放漫な貸し出しに対して、三井が堅実な貸し出しをしていたので対応できた」
とする従来の解釈は誤りのようで、やはり三井も貸付回収による抵当の増額はできず
オリエンタルバンク(ロス茶系)からの資金借り入れで、まかなった事が明らかにされている。
(石井寛治「体系日本の歴史12」)


179 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 01:15:27

問題の所在を明確にするために、この騒動の背景を簡単に解説しておく

「高校レベル」のおおざっぱな日本史では、こんなイメージだと思う。
当初、大久保利通が明治政府を率い、その下で伊藤博文が補佐していたが、
大久保の暗殺後は、伊藤がその後を受けて全権を掌握したと。

でも、もうちょっと細かく見ると
大久保の下で補佐していたのは、伊藤博文・大隈重信の二人で、
大久保の死後は、むしろ大隈の方が一時的に主導権をとった。
それが明治十四年の政変で失脚し、そこで初めて伊藤博文の独裁体制が確立する。


180 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 01:19:44
大久保利通というのは、一言で言うと「三菱のパトロン」で、
三菱が短期間に一気に巨大化したのは、大久保時代に新政府の御用を独占的に引き受けた為。
ちなみにW・ロストウがなんかの本でこう言ってた。
「世界で最も早いスピードで巨大化したのはロックフェラーではない。三菱だ。」

その意図としては、おそらく大久保の外資に対する警戒感があった。
(ご存知のように三井はロス茶との関係が強い)

大久保の後継者であった伊藤と大隈のうち、三菱との関係は大隈の方が引きつぐ。
反対に、伊藤・井上の三井=ロス茶との関係はそれなりに有名。


181 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 01:25:09
ここからが結論になるが、前記の
政府御用の三つの為替方に対する「担保要求・引き上げ」政策は「大久保全盛期」に実施されている。
だからこれは「三菱を背景とする大久保によって三井が潰されかけた」と見るほうが解釈としては妥当かもしれない。

その後、
オリエンタルバンクからの借金の返済期限が来た三井は、返済に窮し、
抵当として差し出していた三井銀行の株をオリエンタルバンクに譲渡する危機を迎える。
このとき、また三野村が動き、今度は大隈にかけあい、政府から資金を出してもらう。
具体的には
三井物産が政府米の輸出を請け負い、その輸出代金を三井組が流用できる仕掛けを作った。
(今なら完全に非合法)。でもこれで危機は回避。


182 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 01:31:14
三井というよりもロス茶との関係が強かった井上が(彼の三井家顧問就任はロス茶の意向)
三井をロス茶に買わせる意図で、1873、4年の抵当要求政策を主導したと見れないこともないが、
外資に警戒感の強かった大久保の全盛期にそういう政策が取れるとも思えない。
ロス茶の傀儡と当時から見られていた三井を、大久保が潰そうとしたと見るほうが自然に感じる。

また、大久保の部下である大隈が、ロス茶に買われそうに三井を、今度は救ってるのも、
その線で解釈できる。


183 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 01:41:36
外資と官公系の経済団体とのつばぜり合いは、今現在に至るまで続いていて、
日本近代史を眺める上で一番面白いポイントだと思うけど、印象としては
掛けるのはたいてい外資の側で、官公系は守勢に立ってるイメージが強い。
ところが1870年代段階では、政府サイドからかなり強引な「潰し」を
仕掛けてきているのが興味深い。

もうひとつ興味を引くのは、ロス茶べったりと思われがちな三井も
いざロス茶に乗っ取られそうになると、この時点では、慌てて政府に助けを求めてる点。


184 :日本@名無史さん:2006/08/24(木) 01:52:56
でもまあ、この時代の財閥がらみは出てくる資料が少ないから
ホントよくわかんないや。。。
財閥史の最高権威の武田晴人さんですら「よくわからない」「まだはっきりしない」
を連発してるぐらいだから。。。


なお
三野村は、オリエンタルバンクの件を解決した後亡くなるが、
あいだに何人かおいて、その地位を益田孝が継ぐ。

大隈が失脚して、親三井である伊藤博文=井上馨の政権になったあと、
>>38に見られるように、井上=益田のコンビが、こんどは三菱に襲いかかる・・・

ヤレヤレ

185 :日本@名無史さん:2006/09/18(月) 04:56:13
上の方,「○○火災破綻」は誤りだってw

186 :日本@名無史さん:2006/10/21(土) 13:57:59
っほー

187 :日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:33:40
そう?

188 :日本@名無史さん:2006/12/29(金) 18:06:47
そうよ

189 :日本@名無史さん:2007/01/06(土) 00:54:53

日本史板の常識

コテ=馬鹿


190 :日本@名無史さん:2007/01/21(日) 01:34:18
ふーん

191 :日本@名無史さん:2007/01/27(土) 10:41:22
これから日本で財閥が復興する可能性はあるのだろうか。

あるとすればどんな形になるんだろ。財閥っていうとメーカー、銀行、商社っていうイメージがあるが。
ソフトバンクなんかはIT財閥って言えるのか。



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