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☆いざ☆鎌倉時代史総合スレ☆鎌倉☆

1 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/14(金) 20:25:11
二品招家人等於簾下。以秋田城介景盛。示含曰。皆一心而可奉。
是最後詞也。故右大将軍征伐朝敵。草創関東以降。云官位。云
俸禄。其恩既高於山岳。深於溟渤。報謝之志浅乎。

鎌倉時代史の総合スレです。時期は1192年〜1333年ですが、
話の延長線上で、院政期や南北朝時代に関ってもよし。
総合スレですので、個別の専門スレを排除する意図はありません。

2 :日本@名無史さん:2005/10/14(金) 20:25:29
2

3 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/14(金) 20:31:29
1に出す文章に「最後之詞」というのも「ゆゆしき」ものという気がします
が、どうも鎌倉時代が本格的にスタートしたのがこの詞からという気が
して、気に要っているので、採用致しました。

『方丈記』、『とはずがたり』から、『明月記』、『古今著聞集』までなんでも
あり。説話集が最盛期を迎えた時代でもあり、軍記物も元気がいい。

4 :日本@名無史さん:2005/10/14(金) 20:34:28
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5 :(`・Θ・´) ◆SaRASHiYAo :2005/10/15(土) 02:41:31
>>1
1192〜1333年までのスレなのでギリギリ大丈夫だと思うけど、
”新田義貞”について、貴方の評価を聞いてみたい。


6 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 18:24:21
>>5
難しいですね。私の場合、人物評価は当人の残した著作や日記、漢詩などを
利用しているのですが、義貞の場合、それに相当するものが無い。
「『太平記』に見える義貞像」なら考えられそうですが、いずれにせよ時間がか
かりそうです。戦争や政治を基準に評価する人とは志向が違うもので。
何か相当する史料がある様でしたら、申し訳御座いません。
史実の人物像というものも、時間をかければなんとかなるのでしょうが、一次
史料から辿るのも一苦労ですので・・・申し訳御座いません。

7 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 18:32:19
思い入れがおありでしたら、どうぞご発言なさって下さい。
新田氏と何かご縁がおありなのですか。
私は『雑談集』に、何かのきっかけで「上野国新田郡世良田」が出ていた事
ぐらいしか、思い出せないのですが・・・。

8 :定ちゃん:2005/10/15(土) 18:45:35
やまのやきん先生こばーゎ!
奈良県人にょ定ちゃんが、ご挨拶に荒らしに来ましたデチ。ョ !
大仏ゃたら、負けてなぃデチッ!
ヾ(`・π・)ノ゛
 (   ダイブツ フォー

9 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 19:00:38
俺は楠木正成についての意見を知りたいな。特に幼年・青年時代について。

10 :定 子:2005/10/15(土) 19:02:45
山野野衾 様
 
新スレ立て。おめでとうございます。
わたしも、自スレの雑談スレがありますので、そちらに居りますが、日本中世史のコトなどまたいろいろご教授ください。ませ。
文学を少し、以外は何にも知りませんので ..
鎌倉時代?!あんま知らねっ!フォー

11 :定ちゃん:2005/10/15(土) 19:16:35
定ちゃんの【雑談スレ】もどき。に、
楠 正成にょコト書いてみゅデチッ!
ヾ(`・π・)ノ゛
 (   マサシゲ フォー

12 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 19:28:05
政子は直接演説をしてないのに、
あたかも御家人の前で堂々と、夫の恩を説いたと思われてるのはなぜなんでしょうか・・・
軍記ものではそうなってるんでしょうか・・・

13 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 20:13:35
『承久記』は、古態と言われる慈光寺本を始め、政子が直接発言したとして
います。『承久兵乱記』では、安達を通して間接的に述べている。
『六代勝事記』は、『吾妻鏡』や『承久記』に先行して成立したと考えられてい
おり(慈光寺本には影響が無いとも言う)、本文は『吾妻鏡』とほとんど同文
ですが、やはり直接発言したものとされています。
編纂当時、安達をクローズアップしないといけない理由でもあったのやも?

14 :定ちゃん:2005/10/15(土) 20:27:38
スルーデチカ?!
。・゜゜(>_<)゜゜・。

15 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 20:30:23
それはまあ、ご自分から荒し宣言をされたからには、一遍上人が鎌倉
入りを阻まれた時の如く。

16 :定ちゃん:2005/10/15(土) 20:35:36
ごめんなしゃぃデチ ..
もぉ来ません 。。
ペコリン ↓
m(_ _)m

17 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 20:41:43
荒しでなければ良いというのに・・・不可分というご性分なのでしょうか。
生憎、私は清涼寺や善光寺のご本尊の様に来る者拒まず、という訳には。
        ↑『宝物集』や『海道記』で知られた存在

18 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:03:00
>>15
一遍は、切り通しの外で踊念仏。
どこの口でしたっけ?
「日本の中世」はお読みになりましたか?

19 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:17:37
私は頼朝が好きです。
偉大だと思いますが・・・

20 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:33:55
>山野さん
絵巻物で好きなのはなんですか。
私は吉備大臣です。

21 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 21:34:01
>>18
『一遍聖絵』には、小袋坂から入ろうとして出され、「山のそば、みちのほとり」
で教えを説いたとありますね。他はどうだったか。
『日本の中世』は、全て家にある訳ではありませんが、おおよそは。

>19
人物の評価は難しいといった口でなんですが、偉大か否かといったら、それ
は確かに偉大と言っていいでしょうね。しかし、兄弟の方は・・・
範頼が無視されて、義経ばかり取り上げられるのは、どうにかならないので
しょうか。義経の兄弟ですら、大河ドラマにも出してもらえなかった。

22 :定 子:2005/10/15(土) 21:39:11
野衾さんは、バーバラ・ルーシュ(コロンビア大学名誉教授/中世日本研究所所長)さんと、宗教学者の山折哲夫さんの対談を読まれたコトありますか?
山折哲夫氏は、わたしの実家と同なじ生駒にお住まいです。
わたしは、山折さんの
「専門に入りて。のち、専門より出ずる。」という言葉が好きです。

23 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 21:40:25
>>20
これはまた、難しい。しかし、好きな話題です。
『融通念仏縁起』や『石山寺縁起絵巻』はどうでしょうか。
『一遍聖絵』や、やや時代が下って『慕帰絵』も風俗描写が好きですね。
『目無経』が完成にこぎつけなかったのは残念です。
『男衾三郎絵詞』の後半部分や、『吉備大臣入唐絵巻』の一部の欠脱も。

24 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:41:02
>>21
私は1・2・4・7巻が面白かったです。

範頼のほぼ無視は平家物語からですか?

25 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 21:42:17
>>22
あのお二人が対談ですか。仄聞にして存じませんでした。
どちらに掲載されているのでしょうか。
ルーシュ先生の御名前は、女性史でよく拝見しますね。
山折先生は、一般向けのご出演が多い。

26 :定 子:2005/10/15(土) 21:48:50
×山折哲夫→ ○山折哲雄
変換間違えていました。
講演会で(なぜかディナー中の講演なのにテーマは粗食 ..orz)お見かけした印象は、小柄で温厚な感じの方でした。

27 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 21:50:42
>>24
>私は1・2・4・7巻が面白かったです。
貴方とは気が合いそうです。よろしくお願い致します。

>範頼のほぼ無視は平家物語からですか?
『徒然草』に、「九朗判官の事は委しく知りて書き載せたり。蒲冠者の事は
よく知らざりけるにや、多くの事どもを記し漏らせり」という『平家物語』
評がありますから・・・。

28 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/15(土) 21:51:42
>>26
ディナーで粗食の話題とは、流石流石(笑)。
京都だと、色々お話も耳に入って来る事もありますよ。

29 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:52:20
石山寺縁起絵巻はテンポがよいので好きな方です。
年中行事絵巻の女性の笠の上に、
鳥獣戯画が乗ってるのはなぜなんでしょうかね?
当時実際にあったのか、作者のユーモアなのか

30 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:56:03
>>27
>貴方とは気が合いそうです。よろしくお願い致します。

私は初心者なのですが、こちらこそよろしくお願いします。



31 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 22:17:30
>>13
ありがとうございました。
安達景盛の頼朝ご落胤説となんか関係あるんでしょうかねえ・・・


32 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 22:22:30
花はいけるんでなくて、立てるんですね。

33 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 22:40:15
山野発見

34 :日本@名無史さん:2005/10/15(土) 22:59:55
ぼくも便乗してついてきちゃった。あは。ふつつかものですがよろしくです。

35 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 00:25:36
おら、出て来いよ山野!

36 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 11:14:16
八幡宮と鎮護武士国家の大仏と武家政府と武家法令があった鎌倉。
組織力はたいしたものだと思う。
承久の乱後は、朝廷も武家に気を使っていた。

37 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 11:27:05
たとえば1192年7月12日(建久3年)に頼朝が鎌倉幕府を開いたと
歴史の教科書で教えられるわけですが、この時の西暦というのは
グレゴリオ暦が用いられているのでしょうか。
1582年にそれまでのユリウス暦から現在のグレゴリオ暦に変更されたわけですが、
1582以前の日本の年号というのは、グレゴリオ暦を1582以前にさかのぼって
逆算して求めたものなのでしょうか。それとも、ユリウス暦での西暦なのでしょうか。
気になって眠れません。よろしくお願いします。

38 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/16(日) 11:59:31
>>37
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
『日本暦日総覧』を購入されるか、図書館で閲覧なさって下さい。

39 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 12:07:58
何様だコイツ?

40 :おぎまる ◆7Ps5px287U :2005/10/16(日) 12:51:26
山野さん、先日は失礼しました。こちらで活動されてたとは。
皆さん待ってますのでほとぼりが冷めましたら帰ってきてください。

>>39
自分で調べる癖くらいつけような。

41 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/16(日) 12:57:49
>>40
まあ、私がいなくなった事で、事態がどうなるかを観察致したく。
雑談スレでの規制には思うところもありましたが、とりあえず実験し
てみない事には分かりませんからね。言葉だけ重ねるよりこの方が。

さて、>38での言い方は敢えて突き放した様なものにしましたが、
出典不詳というのであればまだしも、質問スレ以外で突然質問をし、
しかも「調べれば分かる」というネタであった以上、こんなものかと。
「調べてみたいのですが、どうすればいいのですか?」というご質問
であれば、もっと協力的に振舞えたのですが。精進第一です。
別に、スレからの排除などを目的とした訳ではありません。

42 :定ちゃん:2005/10/16(日) 13:18:16
こんにちゎ〜 ♪
〉25
多分、図書館でチラ読みした「宗教再考」の山折しゃんにょ対談連載だたょぉな ..?
奈良県立図書館ゎ、11月かゃリニューアル・オープンデチォ〜
奈良ゎ、天理大図書館といい国立国会図書館といぃイケてゅデチネー
〉39 横レスデチガ ..
スレ主様デチネ 。鎌倉様ゎ、頼朝デッチ ..
(´・π・)ノ ))
( つq■~~ ~

43 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 13:18:18
基本的には出鱈目な人間なのだが
さすがに自分の立てたスレでは一応の
軌道修正を試みるんだなテラワロス

つーか上レスをみると、まるっきり頭悪いようではないなw
きっちり予防線をはりやがった!

44 :43:2005/10/16(日) 13:18:56
スマソ↑誤爆

45 :定ちゃん:2005/10/16(日) 13:22:11
〉44
なんだなんだテラワロスwww

46 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 13:45:20
〉45
あんたは想定外
気にしないでクレ

つーか、そのコテ
ポンバシの定食屋常連かい?

47 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 13:46:24
自演はやめよう。

48 :定ちゃん:2005/10/16(日) 15:18:10
>>46
このスレは質問スレでゎなぃょぅな ..?


49 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 15:50:26
日蓮が土御門天皇の皇胤という説があるらしい。

50 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 16:26:00
>>41
>まあ、私がいなくなった事で、事態がどうなるかを観察致したく。
>雑談スレでの規制には思うところもありましたが、とりあえず実験し
>てみない事には分かりませんからね。言葉だけ重ねるよりこの方が。

心を入れ替えて、日本史板を本拠に再出発するつもりかと思ったいたら、
まだそんな尊大で傲慢な気持ちだったのか。
そういう自分を高みに置いて、他人を小馬鹿にして見下したような態度が
むこうの雑談スレで批判されることになったわけでしょ。
いくら言葉遣いだけ丁寧にしていても、あんたの本質は「唯我独尊」だよ。

51 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 16:30:19
>まあ、私がいなくなった事で、事態がどうなるかを観察致したく。
要するに、自分がいなくなったら、むこうの人間が困って泣きついてくるとでも?
そういう不遜な態度は反感を買うだけですよ。

>とりあえず実験してみない事には分かりませんからね。
あなたは何様ですか?あなたがいなくても、日本史や古典のネタがなくても、
世界史板のスレは世界史の話題で進行させればすむことです。
何も困りません。

52 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 17:03:39
その通り!
山野は二度と戻って来るな!

53 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 17:28:21
>>49
日蓮は漁民の子でいいんでないかな。
自分で漁師の子とか、センダラの子とか言ってるから。

54 :山野野衾代理:2005/10/16(日) 18:12:39
>>49
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
『はじめての日蓮』を購入されるか、創価学会員の方に伺って下さい。


55 :山野野衾:2005/10/16(日) 18:55:54
私のにせものは消えなさい!

56 :定ちゃん:2005/10/16(日) 19:07:59
〉45 ゎ、定ちゃんにょ真似っ子しゃんデチネェー 〉46 も、知ゃにゃぃデチ ..
ま。いぃデチケドモ ..
(´・π・)ゞ ポリポリ
( σ

57 :定ちゃん:2005/10/16(日) 19:16:07
おとー 〉48 にんも、真似っ子しゃん居てたデチネ
も。自分にょスレちやぅかゃ。放っとくデッチ
ヾ(`・π・)ノ゛
 (   ニセモノ フォー

58 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 19:35:17
日本史板から尻尾を巻いて逃げだしたと思っていた山野は
世界史板でも何かやらかしたのか(苦笑

こういうタイプが荒らしに変貌すると性質が悪いから
あまり虐めずに生暖かく見守ってやれ>おまいら

59 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 19:37:49
ヾ(`・π・)ノ゛
 (   そうはいくかよ フォー

60 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:07:11


61 :タケル ◆VDRF1Lwnpk :2005/10/16(日) 20:21:28
スレを荒らすのはやめなさい!

62 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:22:29
ヾ(`・π・)ノ゛
 (   そうはいくかよ フォー


63 :タケル ◆VDRF1Lwnpk :2005/10/16(日) 20:23:03
やめなさいったらやめなさい!

64 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:25:14
山野本人はここからも遁走か・・・

65 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:25:29
ヾ(`・π・)ノ゛
 (   鎌倉 フォー



66 :タケル ◆VDRF1Lwnpk :2005/10/16(日) 20:27:15
ちくしょう!
このコテ名であちこちに書きまくってやる!
おぼえてろ!

67 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:29:12
●●日本史板共有コテハン『タケル ◆VDRF1Lwnpk』サービス開始のお知らせ●●

今日からあなたもこれで『タケル ◆VDRF1Lwnpk』

名前欄に「タケル#タケル」と入力してください
あら不思議!今日からあなたも世界史板共有コテハン『タケル ◆VDRF1Lwnpk』です!


68 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 20:30:49
ヾ(`・π・)ノ゛
 (   そろそろ本人 フォー




69 :タケル ◆VDRF1Lwnpk :2005/10/16(日) 20:43:22
色々書きまくってきた フォー

70 :タケル ◆Sh8bbupdxE :2005/10/16(日) 21:08:04
>>69
真似すんなよ

71 :タケル ◆VDRF1Lwnpk :2005/10/16(日) 21:09:33
俺は生まれつきタケルだ!
何が悪い!

72 :タケル ◆Sh8bbupdxE :2005/10/16(日) 21:13:05
年はいくつだ?

73 :タケル ◆Sh8bbupdxE :2005/10/16(日) 21:14:51
>>71
お前のやり方は、クズ以下だぞ
わかってるのか?

74 :タケル ◆Sh8bbupdxE :2005/10/16(日) 21:15:44
何とか言ってみろよ 糞野郎

75 :タケル ◆Sh8bbupdxE :2005/10/16(日) 21:16:43
IDが出る板でやろうぜ


76 :タケル ◆Sh8bbupdxE :2005/10/16(日) 21:17:02
僕ちゃん どうしちゃったのかな?

77 :タケル ◆Sh8bbupdxE :2005/10/16(日) 21:17:23
早く出てこいよ

78 :タケル ◆Sh8bbupdxE :2005/10/16(日) 21:18:42
構って欲しいんだろ?池沼野郎が けっ

79 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 21:23:36
どうでもいいが自演で荒らすな。

80 :日本@名無史さん:2005/10/16(日) 21:37:25
ワロス

81 :日本@名無史さん:2005/10/17(月) 11:53:26
鎌倉時代の話がしたいなぁ

82 :日本@名無史さん:2005/10/17(月) 12:28:43
どうして荒れてるんだ?

83 :日本@名無史さん:2005/10/17(月) 12:31:31
山野本人が立て逃げしたからだろ。
スレが軌道に乗るまでは、しっかり面倒みとけよ。

84 :日本@名無史さん:2005/10/17(月) 13:20:25
鎌倉時代の開始は、1185年かな。

85 :日本@名無史さん:2005/10/17(月) 13:54:45
いや、幕府成立は80年だろう

86 :山野野衾代理:2005/10/17(月) 17:15:01
>>84>>85
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
>>1"時期は1192年〜1333年ですが、"


87 :日本@名無史さん:2005/10/17(月) 17:31:27
北条氏って優秀なの多いよな。


88 :日本@名無史さん:2005/10/17(月) 17:51:02
まだ初々しいというか、擦れてないというか、バカ殿、暴君、色魔の類はいないですね。

89 :日本@名無史さん:2005/10/17(月) 17:54:16
ごめん高時はいますたね

90 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/17(月) 20:00:37
北条泰時は、『古今著聞集』では武内宿禰の生まれ変わりとされており、そ
の死が惜しまれていますね。『沙石集』では理想的裁判官。
時頼は、『徒然草』の逸話や『増鏡』などの廻国伝説で著名。
ほぼ同時代から、その才名と人格が好かれていたのでしょう。
どうも、時宗より父の方がこの手の逸話は多い様です。
高時は、元から犬を輸入する程の犬好きでしたが、それなりの教養はあった
様ですし、幕府が滅亡していなければ、ああまで言われなかったやも。

91 :日本@名無史さん:2005/10/17(月) 22:46:13
何度更新ボタンを連打したって書き込みが無いものは無い。

仕方ないよね、誰も中世なんて興味ないし。

92 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:23:41
中世は結構面白いと思うし、好きだけど?

高時は結構、政治にも取り組んでいたと思うけど。
北条一族があれだけ死んだのは、高時に求心力があったからだと思うが。

93 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:28:43
敗軍の将は多くを語らず、いや語れないわけで、確かに集団自決は鎌倉武士の団結を物語る

94 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:36:41
古代は全滅までは戦わない。
全滅まで、あるいは集団自決まで戦うのは中世的な現象。

95 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:38:42
平安朝は死罪すらないわけで、北条はもののふらしい

96 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:39:51
…馬鹿ばっかり。

おまいらもうちょっと歴史を学べと。

97 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:43:50
>>96殿

貴殿の御高説を賜りたく存じます。。。

98 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:44:33
平安時代は私的な死罪はあったぞ・・・

99 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:48:29
無言で貼る

272 名前:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 投稿日:04/08/04 17:34


『拾遺往生伝』を見ると、地方で捕えた盗賊の首を刎ねるくらいの事は行われていたようですね。
他には手足の切断や投獄が行われました。 また『今昔物語集』などを見るに、郷・荘内での殺人には
地元民の意思による 処刑が行われたらしい。院政期の処刑の方法は、通常は木に縛り付けて射殺するもので、
武士であれば首を刎ねられたようです。 『今昔物語集』には参加を断るようなら首を刎ねるという主の命令に
逆らえず狩猟に参加して母の生まれ変わりであった鹿を射殺してしまった武士も登場しますが、掟は苛烈
であった模様。 『古事談』には、白河院が殺生禁断令を出していた時代に上からの命令で鳥を獲って捕まり、
「公の罰なら死罪にはなりませんが、私どもの間で重科といえば首を刎ねられることです。」と言った武士が
登場しますが、こちらは呆れた白河院の命によって流罪に処せられたそうです。『宇津保物語』には、
主の関白に「息子を見つけられなければ獄に下すぞ」と言 われた下人たちが「首を召されても構いません」と
答える場面がありますが、この辺りのやり取りは貴族と武士や庶民の意識の違いを示していて面白い。
公の死罪が無かったというのは仰る通りで、九条兼実もその日記『玉葉』の中で死罪を復活させた事が
信西の命を縮めたと述べています。もっとも頼長が勝利していてもやはり執行するつもりであったそうですが。

100 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:55:06
鎌倉の切り通しには、武家の真骨頂が見える気がする。

101 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 12:03:00
鎌倉は海に開いた港湾都市でもあった
実朝の大船はなぜ沈んだんだろうか?

102 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 12:30:27
93 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/10/18(火) 11:28:43
敗軍の将は多くを語らず、いや語れないわけで、確かに集団自決は鎌倉武士の団結を物語る
94 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/10/18(火) 11:36:41
古代は全滅までは戦わない。
全滅まで、あるいは集団自決まで戦うのは中世的な現象。
95 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2005/10/18(火) 11:38:42
平安朝は死罪すらないわけで、北条はもののふらしい




さらしあげ

103 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 12:32:09
投資顧問会社を経営している元彼Y(元暴力団員)との体験記です。
覚醒剤の売人・覚醒剤に溺れる人達・警察捜査情報横流し・未公開株詐欺の手口・二八商法に騙された人達・・・実話です。
http://hic.daa.jp/
人気WEBランキング日記部門1位
Yは、『俺は、綾瀬警察と、中央警察にスパイを置いているからな。情報
は、すぐに入ってくるんだよ。』
と、いっていました。
この後、Yは移動した覚醒剤を、他の暴力団員に売らせています。
その暴力団員も、また、会社の社員です。
私は、この時の出来事を、綾瀬署に確認しました。
確かに、誰か、Yに連絡した事実はあると、綾瀬署、捜査の高橋さんが
言っていました。
警察は、家宅捜査する前に、前もってYに情報を流していたのです。

104 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 12:39:50
>>102
どこがさらしアゲなの?意味ワカメ

105 :山野野衾代理:2005/10/18(火) 13:22:36
>>49
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
>>93
>敗軍の将は多くを語らず
『はじめてのことわざ』を購入されるか、国語の先生に伺って下さい。

>>95
>平安朝は死罪すらないわけで、
『嵯峨天皇の前も平安時代だよ』を購入されるか、歴史の先生に伺って下さい。


106 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 13:29:35
山野が日本史を見捨ててたわけだ。
漫画レベルの知識しかない奴ばかり。

107 :日本@名無史さん:2005/10/18(火) 13:30:22
山野さんはどうしたの?

108 :北条高広:2005/10/18(火) 13:46:27
ごめんちゃい。

109 : :2005/10/18(火) 16:13:04
最近は漫画より大河のほうがひどいね・・・

110 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/18(火) 17:45:28
集団自殺と言うと、平家・三浦・鎌倉幕府滅亡時が思い浮かびますね。
それ以前だと、『陸奥話記』の例もあります。
最後の一兵までという事であれば、『承久記』の伊賀光季や『義経記』の義経
一行が有名ですが(落伍者も相当いたとされている)、頼朝の挙兵後、衣笠
城にいた89歳の三浦義明が一人残って討死し、他の一族の者は逃れ出た
という話が『吾妻鏡』にもある様に、総力戦でも無い限り、城を死守する事
は無く、逃げるぐらいの柔軟性はあった様です。
一族滅亡時ともなれば、全員で死ぬしかありませんが、一行目に記した様
なそうした事態は、なかなかあるものではありません。
もっとも、全滅というか最後まで行動を共にしたのは一握りでしたが。
切腹の事例は、『続古事談』以降語られる様になりますが、鎌倉時代にはま
だ様式が定まっていなかったらしく、バリエーションが存在した様です。
平安時代も、院政期になるまでは無かったかもしれません。
胸を突いたり、首をくくったり、入水する方法もありました。
武士の刑罰として制定されたのは、伊勢貞丈も述べている通り意外と後に
なってからの事で、それこそ秀次あたりが古い例かもしれません。
家中の法として定めたのは、確認出来る限りでは加藤清正が最古らしい。

111 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/18(火) 19:12:30
秀次より、信康の方が古いですね。この調子で遡れば面白そうです。

112 :日本@名無史さん:2005/10/19(水) 10:47:04
切腹は中世からあったが、形式化したのは近世かららしい。
500石以上は大名などの屋敷内で、
それ以下は牢獄でしたとのこと。
木刀を腹にあて、その時介錯したようだ。

113 :日本@名無史さん:2005/10/19(水) 10:53:53
平家は入水したが死に切れなかったものも多い。
女御たちはあの辺で売春を生業としたものも多かったとか

114 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/19(水) 20:35:51
>>113
以前もそうした話を見た事がありますが、何が典拠なのですか。
近世の稗史か何かでしょうか。どうも売春(遊女カ)のイメージが、近世の
それという気がするのですが。それに、女御たちとは。

115 :日本@名無史さん:2005/10/19(水) 21:15:35
典拠無しに妄想の翼を羽ばたかす香具師が
自分以外にもいるということが
それ程不思議なのか?

116 :定 子:2005/10/20(木) 00:35:18
野衾さん。こんばんは!
質問ではなく、雑談のつもりなのですが、「姥捨て伝説」って実在したのでしょうか?山姥との関連は?
どう思われますか?

117 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/20(木) 01:05:54
所謂「姥捨て」伝説には、難題を解いて解決する「難題型」と、
捨てに行った先で自分も捨てられると悟って止める「もっこ型」があります。
前者は『雑宝蔵経』に出て来る話で、『枕草子』が書かれた頃には、既に日本
の話として定着しており、その後も文芸の世界に行き続けました。
もっこ型の話も、『沙石集』に出て来ますが、やはり外来でしょうね。
実際に常態として行われた形跡は無い様ですよ。
山姥とは無関係かと。なお、山姥伝説は世阿弥の能に出て来るのが古い。

118 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 13:05:56
日本は独鈷の形をした神国。

119 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

120 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/20(木) 19:01:43
>>118
『沙石集』ですか。それとも、龍が支えていた当時の地図の解説ですか。
従来の蜻蛉説も歌論書などに出て来ますね。

121 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:22:09
千鶴はどうよ?ネットで顔写真見ると座敷ワラシみたいだけど、動いてるところを見ると悪くない。

それどころか、愛撫を受けているときのウブな反応…頬を染めて肩ふるわせて、小さく「ン…」とあえぐ。
そして、スレンダーな裸体、薄い乳房!優しい固さを見せるクリがイイ!

イマイチだったのは喪失シーンだね。この手のアレにはありがちだけど、生理中でやんの。
痛がってたし血もたくさん出てたけど、破瓜血なのか生理血なのかわからん。処女でいてほしかった!

122 :定 子:2005/10/20(木) 22:16:02
〉野衾さん
「姥捨て山」は、実在しなぃ。
。。していなぃ
と。思われますか?

123 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/20(木) 22:32:46
>>122
そう思います。生活苦による捨て老人はありましたが。
生類哀れみの令が出た頃の何処か(仙台伊達家でしたか)ですから、時代は
ずっと下りますが、江戸の影響を受けてか、捨て親が禁止されています。
捨子や捨て馬を禁止した土地もありましたが、なんとか養える様であれば、
誰も最初から捨てはしません。

124 :定 子:2005/10/20(木) 23:17:48
〉117
灰で縄をつくるエピソードですよね?釘とか ..
「楢山節考」って、読まれたコトありまつか?

125 :日本@名無史さん:2005/10/20(木) 23:26:52
ん?

126 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 00:04:05
スレ違い。

127 :定 子:2005/10/21(金) 00:28:36
〉126
 
・・・
 

128 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 00:40:45
>>127
嫌い。マジ!
大嫌い!
(`・π・)ノ⌒●
( σ ホンマニ キラィヤワ コノヒト

129 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/21(金) 00:51:38
>>124
読んではおりません。まあ、この辺で。

130 :山野野衾代理:2005/10/21(金) 06:15:26
>>129
”姥捨て”が実在しないというのならば、なぜ後世に逸話が残されるのだろう



131 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 07:03:37
楢山節考の作者、草加市でダンゴ屋やってたなぁ。

132 :定 子:2005/10/21(金) 07:03:55
〉130 代理どの
「姥捨て」のお話しは、定ちゃんのスレでしませんか?鎌倉あんま関係ないから ..

133 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 12:22:24
>>120
行基地図。作られたのは鎌倉期か南北朝期。
日本は独鈷。中国は三叉独鈷。インドは五叉独鈷。

134 :山野野衾代理:2005/10/21(金) 12:22:59
>>132
”定ちゃんのスレ”とは日本史板にあるんでしょうか?
もし日本史板にあるんだったら板の主旨としておかしいですね。
独善的なスレ運営はそれが許されている板でするべきです。

また話の流れでスレの方向性も変わるものです。
☆いざ☆鎌倉時代史総合スレ☆鎌倉☆というスレタイで
いつの間にか新撰組の話になっていることだってあるわけで。
○○とは違うからと移動を勧めるのはどうか。

ということで、姥捨て山は私の祖母の実家に実在しましたので、
山野野衾 ◆a/lHDs2vKAさんはそれを論理的に否定して下さい^^

135 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 13:17:50
3. 固定ハンドル(2ch内)に関して

スレッド
 固定ハンドルが題名に入っている・固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法を目的としている・等は、
自己紹介板・最悪板・夢・独り言板・おいらロビー・なんでもあり板・PINKのなんでもあり板以外では、原則とし
て全て削除または移動対象にします。
tp://info.2ch.net/guide/adv.html#saku_guide

136 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 13:57:02
姥捨山は、昔話・伝説の類じゃないの?

137 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/21(金) 18:32:24
>>130
姥捨て伝承というのは、結局は老人を大切にするべきだという話です。
難題型は老人の智慧の大切さを、もっこ型は誰もが老いる事を述べている。
老人問題というのは、何も今認識され始めたものでは無い。

福祉関係で言うと、この時代には各寺院にも設けられていた悲田院が重要。
『徒然草』にも悲田院の上人が登場しますが、捨子や病人や老人を救済して
くれたものです。弱者を救う収入源を悲田、三宝の為のものを敬田と言う。
癩病患者の救済では、律宗の僧侶が有名。

>>133
金沢文庫や仁和寺にあるものが有名ですが、そうした説明は無かった様な。
独鈷云々は『渓嵐拾葉集』にも出て来ますが、それとも違う様です。
どれを参考になさったのか、お教え頂けませんか。

138 :日本@名無史さん:2005/10/21(金) 18:54:20
山野もなんでこんなレベルの低い奴らの相手をしてるんだ…。

139 :山野野衾代理:2005/10/22(土) 06:18:29
>>137
昔話の類を言っているわけではないです。
私の祖母の実家近くにある山に”姥捨て山”が実在したことを言っているのです。


140 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 06:52:53
アホだこのこ

141 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 09:50:21
井上三太さんとか山本英夫さんとか、一コマづつ写真を撮って描いてる作家さんも実際におられますよね。

名前: ももんじい | 2005年10月22日 午前 08時44分


142 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 09:52:05
僕の先輩の先輩も死体洗いのバイトをしましたので実在します。

143 :定 子:2005/10/22(土) 11:41:03
秋祭りの季節ですね。
近所の町内に「布団山車」という山車があって、(昨年の夏に越して来たので一回見ただけ ..)
この山車だけが、お御輿のかたちをしていて変わった動きをしていました。
お神酒だといって、道端で振る舞われていたビールを飲んで酔っていましたから、記憶が違うかも知れませんが ..
野衾さんも京都でしたよね?
布団山車をご覧になったコトがありますか?

144 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/22(土) 13:47:13
>>139
貴方のお婆様の出身地や実態が分かりませんので、なんとも。

145 :定 子:2005/10/22(土) 14:52:16
げっ!スルーされてる。
出禁っ?!
鎌倉しかダメなんかぁ〜
ご自分のスレのスレ違いには、かなりお厳しぃのでつね ..

146 :山野野衾代理:2005/10/22(土) 15:33:39
>>144
富山です。

147 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 16:22:09
あんたねえもうちょっと民俗学とか勉強してきた方がいいぞ。
それともまさか、地名のことを言ってるのか?
そんなのなら、古くは古今和歌集に出てくる姥捨て山を始めとして日本全国にあるわい。

148 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/22(土) 16:22:44
>>145
冨山ですか。ただ、具体的に町史などで確認がとれない事には。
あなたの仰る「習慣」の事実というものが、何時頃まであったのか、何によ
って知る事が出来るのかといった問題がありますので。

149 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/22(土) 16:25:46
失礼。148は146氏宛てです。長野かと思いました。
147氏の指摘にもある通り、和歌で有名ですので。
それと、「具体的に」というのは希望であって、わざわざ貴方の個人的な情報
を暴こうというのではありません。
ただ、そうでなければ考えようもなく、なんと仰られましても「そうですか」
と申し上げる他無いのです。ご理解下さい。

150 :定 子:2005/10/22(土) 16:49:55
山野野衾 先生。
さようなら ..
鎌倉総合スレのご繁栄を、お祈りしています。

151 :日本@名無史さん:2005/10/22(土) 21:47:02
地獄の様相は「往生要集」のイメージと聞く。
源信はどこからそのイメージを持ちえたのか?

152 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/23(日) 00:23:34
『往生要集』に、出典が記されています。
『智度論』、『瑜伽論』、『諸経要集』など。孫引きもしている。
しかし、名前の通りほとんどは浄土へ往生する要諦を記した書で、地獄に関
する記述は、ほんの一部に過ぎません。序盤だけです。
鎌倉時代の説話には、地獄までの距離を京都〜鎌倉間と表現した例がありま
すが、地獄は十万億土の彼方の浄土よりは娑婆と近い世界と考えられており、
「他国」扱いされていた様です。これは中国の説話でもそうですが。

153 :山野野衾代理:2005/10/23(日) 17:32:38
>>148
はぁ?
貴方は姥捨て山という存在を否定しているわけですよね?
町名を確認しようがしまいがまず姥捨て山の存在を否定しているわけですから、
そんなものを聞く必要があるのでしょうか?

祖母の実家である富山県の某地方で「姥捨て山」がありました。
はい、どうぞ。


154 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/23(日) 17:55:08
>>153
実態も証拠も提出される事なく、その様に仰られましても。
それでは、「そうですか」としか申し上げられませんよ。
自分がそうだと言っているのだから認めろ、ではUFO談義と変わりありま
せん。否定も肯定も致しませんというか、私には出来ません。

155 :山野野衾代理:2005/10/23(日) 18:26:26
>>154
仮にUFO否定論者なら
「それは○○であって、UFOではありません」と科学的に否定しますよ?
歴史は”科学的”に否定できないでしょう。
貴方の薄識分野で軽はずみに歴史を否定してもらいたくないだけです。


156 :日本@名無史さん:2005/10/23(日) 18:34:20
山野もどうせならスルーすればいいのに。

どうせ富山の姥捨て伝説ってあれだろ、姥捨て駅があるところだろ。
典型的なもっこ型の伝説がある土地。
つーかこんなもん日本中にあるわアホ。
落ち武者伝説を真に受けるくらいのアホさ加減だな。

157 :日本@名無史さん:2005/10/23(日) 21:08:37
山野野衾代理はよほど自分の祖母を山に捨てたいらしい

158 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 01:36:21
おーれはあらしー

159 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 01:36:51
でてこいさんや!
おれはここに居座ってるぞ!

160 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 12:49:36
記紀を捏造したものとしての中世神話
海中の大日如来の印を独鈷の変じたもので探り当てる
最も記紀自体も胡散臭いがw

161 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 13:44:36
●世界史雑談vs日本史雑談 お前らクタバレ●
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1130128949/


162 :定 子:2005/10/24(月) 17:55:03
山野野衾 先生。
逃げたね ..

163 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 19:24:43
>>162
逃げたのではないだろう。俺もスレッド立ててある程度まで行くと、流れに任せるよ。
あなたは >>143 で鎌倉とは関係ない話題を振って、山野から返事がないと、 >>145
もう少したおやかにすれば、山野も色々相手するだろうに。

山野も話題が姥捨て山になるとは思わなかったに違いない。
しかし姥捨て山の、山野の見解は出ているぞ。



154 名前: 山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日: 2005/10/23(日) 17:55:08 
>>153 
実態も証拠も提出される事なく、その様に仰られましても。 
それでは、「そうですか」としか申し上げられませんよ。 
自分がそうだと言っているのだから認めろ、ではUFO談義と変わりありません。
否定も肯定も致しませんというか、私には出来ません。

164 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 19:32:26
山野は引退すればいいよ。

165 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 19:45:40
とりあえず代理は氏ね

166 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:03:10
>>162
あなた自身、碌に話題もふれない癖に「逃げたね」はないでしょうよw

167 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:04:29
つーか、定は消えろ。

168 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:26:36
おい山野、追い出された気分はどうだ?
悔しくて眠れないだろw

169 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:27:44
世界史の雑談スレでは着々と日本史禁止の流れに向かってる。
もうお前の座る椅子は無い。

二度と帰ってくるな。




日本史ネタやめれw

170 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:58:34
>>162
山野さんと祭りの話などをしたいのなら、雑談スレに行ったほうがよいと思います。
ただ、馴れ合いを過度に毛嫌いする人もいるので、その辺は気をつけて。


>>169
お前か。雑談スレなのに、日本史ネタ禁止など偏狭なことを言っているのは。

171 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:02:09
>>170
別に俺だけじゃないし。

172 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:29:51
荒らしてるのは山野信者だろ
いやっひーーーーー

173 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:33:21
鎌倉幕府7代将軍源惟康は二度の元寇の時何やってたんですか?
北条氏って所詮は一御家人だよね。何故将軍が権力を行使出来なかったの?

174 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:40:07
山野信者世界史雑談スレ荒らしにヒッシ!
これは報復措置と思え

175 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:53:32
●山野信者の罪●

世界史板雑談スレにおいて…

日本史一色に染め、スレの荒廃を招いた
怒れる住民に追い出されたことを根にもちスレを荒らした
板違いなど存在しないと詭弁を吐いた


176 :日本@名無史さん:2005/10/24(月) 22:14:51
ニュース議論板のサヨクコテハンで、天皇と上皇の区別がつかないアホがいた。

177 :定 子:2005/10/24(月) 22:30:32
あの ..
〉162 が偽者なのですが ..
わたしは、その時間、残業してました 。。
ま。いぃけどw

178 :163:2005/10/24(月) 22:43:19
>>177
そうだったのか


>>173
答えたいんだが分からない。蒙古襲来のときの執権は有名な北条時宗だよな。
執権政治とかいわれているけど、源氏将軍は何をしていたんだろうね。
って言うか、私は源氏将軍は3代で滅んで、将軍職もないと思っていたので、
鎌倉幕府7代将軍源惟康というのを見て、ビックリした。

179 :やまんば:2005/10/24(月) 22:50:17
日本史板の住民を名乗る方が、私らの議論板に殴り込みに来ました。w

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news2/1128355170/
>>370 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2005/10/24(月) 01:03:01 ID:7NQafJV0
>>368
>幕府に反逆して島流しにあった天皇の事を知らないの?

>日本史板の者だけど、承久の乱で島流しになったのは、
>治天の君の後鳥羽と、順徳、土御門の3人の「上皇」だけで、
>当時在位していた仲恭天皇は島流しになっていないよ。

>あまり歴史には詳しくないみたいだけど、
>知ったかぶりや下品なレッテル貼りは止めた方がいいよ。

当時島流しにあったのは「上皇」だったから、「天皇が島流し
にあった歴史的事実はない」という珍しいご意見のようですが、
果たして、これは日本史専門の方々の「常識」なのでしょうか?

発言した方はすぐ逃亡した様なので、こちらの先生方のご意見を
お願いします。


180 :やまんば:2005/10/24(月) 23:29:22
>>176
ああ、見落としていた。
「逃亡者」の方がこんな所でひっそり「sageて」いたのね。(藁

天皇と上皇の区別をどうぞ説明して下さい。



181 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

182 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 00:44:24
現在6つの雑談スレが並立中
マジ笑えるwwwww

183 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

184 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

185 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 11:29:46
鎌倉時代の話がしたいなぁ

186 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/25(火) 18:48:03
>>160
とりあえず、『沙石集』巻1−1から。
「去し弘長年中に、太神宮に詣で侍りしに、ある神官の語りしは、
「当社には三宝の御名を言はず、御殿近くは僧なれども詣でざる事は、昔こ
の国いまだなかりける時、大海の底に大日の印文ありけるによりて、大神宮
鉾さしくだして探り給ひける。その鉾の滴り、露の如くなりける時、第六天
の魔王遥かに見て、『この滴り国と成りて、仏法流布し、人、生死を出づべ
き相あり』とて、失はんために下りけるを、大神宮、魔王にあひて、『我三
宝の名をも言はじ、身にも近けじ。とくとく帰り上り給へ』とこしらへ仰せ
られければ、返りにけり。(中略。それで伊勢では表向き仏を拝まない)
都ては大海の底の大日の印文より事興りて、内宮・外宮は両部の大日とこそ
申し侍れ。天磐戸と云ふは都卒天なり。たかまの原とも申す。」

こうした逸話のせいで、中世には天照を対象とした起請文が却下される事も
ありました。実際には、時折見かける事もありますが。
「そらごと」を口にした神とされた為です。

187 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/25(火) 18:55:00
>>178
四代目の三寅(藤原頼経)は有名かと。寅の年・日・刻の生まれ。
源氏三代、藤原二代、親王四代です。惟康親王は、一時後嵯峨源氏。
執権としては、元々時宗より父時頼の方が「鉢の木」などで有名だったので
すが、分からないものですね。時宗の方が逸話に乏しい。
時頼の廻国伝説については詳細に記した『増鏡』も、元寇に関しては比較的
軽い扱いで済ませています。

突然ですが、悪口のお話を。鎌倉時代までに存在したものでは、ヲコノモノ、
シレモノ、ホンヂナシ、タワケモノなどがありました。
「馬鹿者」という言葉が出て来るのは、南北朝時代からですが、鎌倉時代末期
には、使用されていた可能性があります。
しかし、仏典に出て来る「莫迦」=痴愚が語源という説はどうもおかしい。
古くは近世の随筆『塩尻』などに出て来る説ですが、中世には今の様な頭が悪
いという意味では無く、「狼藉者」という意味で使用されていました。
近世の書で中世を語った時、両者の用法が混在している例もあります。
とにかく、「頭が悪い」という意味の仏典説は成立しません。
時々わざわざ「莫迦」の方を使用している物書きがいますが・・・。
秦の二世皇帝の時代に、馬と鹿を引き出してという逸話も有名ですが、これ
も「愚か者」という意味ですから、成立しません。
これに由来する言葉は『江談抄』に見える「馬鹿」で、読みはバロク。
物のあやめがつかないという他に、奸臣を指す場合にも用いられました。
では本当の起源は何かというと、これがまたはっきりしませんが、白居易の
詩に由来するとも、仏教説話の故事に由来するとも言います。
それで、物は相談なのですが、どなたか世界史板の劉邦スレの>99氏にこ
の事をお伝え頂けませんか。書き込めないもので。

188 :やまんば:2005/10/25(火) 20:39:49
>>176
天皇と上皇の区別がつかない人間(日本人)はアホ、と言い切る以上は
それを説明できないこのスレの日本史の先生方は皆「アホ」という認定で
よいかな?(藁



189 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:46:09
>>188
禿げしく桶!

190 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 21:15:32
>>188
天皇が息子などに代を譲って、引退しすると上皇になるの。
上皇には「天皇より上」の意が含まれている。
妻の立場の人は「皇太后」と呼ばれる。



これぐらいは日本史研究者は必須のこと。
多分、質問スレで質問しなさいということでしょう。

191 :やまんば:2005/10/25(火) 21:25:42
どうも回答を有り難う御座います。

では、その日本史研究者の中では、

<幕府に逆らって島流しにあったのは「上皇」であるから、
「天皇」が島流しにあった歴史的事実はない>

という事が一般常識なのでしょうか?

192 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 22:11:09
>>191
まぁ、一般常識かどうか、はともかく、
無邪気に「島流しにあった天皇がいる」というと
叩かれるでしょうね。

検討の対象になるのは「元弘の乱で、鎌倉幕府に敗れた後醍醐天皇が
隠岐に配流された」ケース。
配流されるにあたって彼は退位させられ、光厳天皇が位についているので、
幕府により「天皇ではなく上皇として」配流された、ということができます。

しかし、後に鎌倉幕府は足利尊氏などによって滅び、
後醍醐が京都に還御したあとは、光厳天皇の即位は「なかったこと」と
されてしまっているので、後醍醐本人の主観と、その後の政治的建前からいうと、
「天皇が、隠岐島に行幸していた」という話になってしまったわけです。

この史実を牽強付会すれば、「天皇が島流しにあった例」とすることもできるでしょうが、
まぁ、島流しにあうようなときは、「天皇」ではいられず、「上皇」にされてしまう、
とするのが順当でしょう。



193 :やまんば:2005/10/25(火) 22:53:04
>>192
どうも回答を有り難う御座います。

ふむ、そうすると私の「無邪気な」記述が2ちゃんらーの日本史専攻の
方々から「叩かれる」のは当然としてもw、大学入試の試験問題などでは、
「後醍醐天皇が元弘の乱の敗北によって隠岐島に配流された」とかいう記述は
間違いという事になり、「後醍醐<元>天皇(=上皇)が承久の乱の敗北によって
隠岐島に配流された」が唯一正しい記述という事になりますね。

う〜ん、そっか、後醍醐上皇と書かなければやはり間違いだったのかあ??(w

194 :やまんば:2005/10/25(火) 22:56:18
この記述↓も間違いですね?

>後醍醐天皇 ごだいごてんのう
>1288〜1339 第96代とされる天皇。在位1318〜39年。
>1321年(元亨元)には父の後宇多天皇の院政を廃して朝廷内での天皇親政
>を確立、公家社会の家格にとらわれず吉田定房・北畠親房・日野資朝(す
>けとも)らの人材を登用した。親政機関である記録所を復活するなど政治の
>革新につとめ、武芸や学問の振興をはかった。やがて鎌倉幕府の打倒を
>計画し、24年(正中元)正中の変、31年(元弘元・元徳3)元弘の乱に失敗して
>隠岐にながされたが、護良親王や楠木正成らの反幕勢力が力をえると脱
>出して討幕運動を指導。足利尊氏らの協力で幕府をほろぼすと、帰京して
>政権を樹立し、建武の新政を開始した。
"後醍醐天皇," Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2000. (C) 1993-1999
Microsoft Corporation. All rights reserved.

195 :やまんば:2005/10/25(火) 23:12:17
>>192
>この史実を牽強付会すれば、「天皇が島流しにあった例」とすることもできるでしょうが、
>まぁ、島流しにあうようなときは、「天皇」ではいられず、「上皇」にされてしまう、
>とするのが順当でしょう。

ふむ、そうすると確かにある大統領が銃撃にあって暗殺された場合、その死亡確認と
時期大統領の指命によって、間もなく「元(前)大統領」の肩書きになることは間違いありませんが、
そうすると歴史書の記述でも、「ケネディ大統領は暗殺された」というのは誤りで、正確には
「ケネディ<元>大統領が暗殺された」と書くべきなのですね?(藁

196 :日本@名無史さん:2005/10/25(火) 23:36:06
日本史板住人のひとりとして保証する。
この問題はやまんば氏の完全勝利。

197 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:00:06
まぁ195をみるかぎりではパラノイア系だがな・・・
もうちっと弄ったらどうだろうか>ALL

198 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:05:01
>>195
いや、ケネディ大統領は撃たれた時点でも「大統領」でしょ?
で、副大統領が一旦職務を代行して、その後大統領になる。

後醍醐天皇は一旦、上皇とされてから、配流されている。
配流されてるときには天皇は別にいる。
これは淡路廃帝といわれた淳仁天皇も同じ。
さらにいえば、後醍醐天皇は、「あれは配流ではない。行幸だった」
って言ってるわけで。

つまり、天皇はいきなり「配流させられる」のではなく
「退位させられる」→「配流される」という手順を踏むということ。
そういう厳密なことを言ってるんですよ。
この違いを「屁理屈」と笑うか、きちんと踏まえるか、は、
論ずるときのTPOによりますよ。

辞書の記述とか、試験の正解レベルでは「後醍醐天皇が配流された」で結構。
あなたの記述で正解です。
だが、天皇と上皇の違いを論ずる場合には、>>192でやはりそう間違ったことを
言っているとはおもえないんですがね。

荒しにマジレスしたのが失敗だったな。半年ロムってくるわ。

199 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:09:46
北朝鮮による拉致被害者とその家族に
罵詈雑言浴びせて喜んでる左翼系の基地外コテハンらしい。
しかし、今時「藁」ってw

200 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:12:27
>>198
横レスですまんが
最近の中学受験では
以前
十七条憲法を制定したのは  聖徳太子
だったのが、今年は     厩戸皇子
になってるらしいがそういうようなことか?

201 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/26(水) 00:14:54
>>198
同じ行動はとれませんでしたが、貴方が行動をおこされた事を、賞賛致します。

>200
そもそも、十七条憲法自体後世の作と見做されるのでは。
しかし、変化するものですね。

202 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:18:53
>>198
屁理屈

203 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:22:08
>>201
学校の試験なんてものはそこまで踏み込んではいけないものなのかも
知れませんね。歴史マニアみたいな同級生が問いに対する回答が
間違っていないと日本史の先生に喰いついていたことがありましたが
結果却下されました。一般的にそうみなされているものが正解と
されるのもおかしな気がしますが、時代によって試験の内容も回答も
変遷してくるものなのですね。

204 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:23:27
>>200
えっとですね。

受験とか試験とかは、もともと
「出題者の期待する正解」が存在するんですよ。
だから、その中学がいわゆる一般常識を期待しているなら、どっちも正解でしょうし、
その中学が、日本史の最新(?)かつ厳密(?)な知識を求めているなら、
聖徳太子と回答すると三角というか、減点するかもしれないですね。
しかし、赤本(中学受験であるのかなぁ)とか模試なんかでは、
後者を模範解答として記載しておくべきでしょうね。

>>201
スレ汚し、申し訳ございません。

>>202
確かに政治史的にみれば屁理屈として無視すべき場合もあるでしょうね。

205 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:32:37
>>201>>204
解りやすい説明ありがとうございます。
>>203のように中学でもその時点での正確さで回答したのに×だった
生徒が先生に抗議したところ、目の前で解答用紙を破られ減点されたと
いう話も聞いたことがある(隣のクラスだった)
「なるほど」と○にする先生もいるから先生の器にもよるものかな。

206 :やまんば:2005/10/26(水) 00:37:58
>>196
あ、どうも。有り難き御言葉、痛み入ります。w

まだこの後にもいろいろ反駁もありそうなので、「完全勝利」は後日の愉しみに
取っておきますよ。(まだまだやる気!藁
今晩はコレで寝ますので失礼致します。

207 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:40:48
>>206
。のあとにwなんだ(何気にプ
しかも藁も忘れてはいないw

208 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 00:43:30
荒しの相手をする人も、荒しです。

その伝なら、>>198なんかは究極の荒しだな。

209 :やまんば:2005/10/26(水) 00:49:09
>>199

ニュース議論板方面から流れてくる学問板に無縁(「無用」)のアラシにご用心!!w

210 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 02:43:24
>>208
オマエモナー

211 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 07:03:48

「日本史で話題提起すんな。ここは世界史板だ」

おぎまる
「雑談スレでの日本史は板違い」 「テンプレで規制」

とてた
「このまま(山野派跋扈状態)であればIDを導入するべき」

犬童知遠
「日本史さんたち、やりすぎですね…」

カラジチ
「規制やむなし」

Ryuju
「山野さん達が追い出されるのは当たり前。ここは世界史板だ」


212 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 07:07:53
残念ですが、山野は完全にコテハン連中に嫌われたようです。

ワロスワロス

213 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 08:30:40
「後醍醐<元>天皇(=上皇)が承久の乱の敗北によって

じ、承久の乱はスルーなのかいな?皆様w

214 :やまんば:2005/10/26(水) 09:12:36
>>213
済みません。訂正を忘れていました。
「元弘の乱」の間違いですね。

文脈的に言うと、以下の通りです。
>>193
>大学入試の試験問題などでは、
>「後醍醐天皇が元弘の乱の敗北によって隠岐島に配流された」とかいう記述は
>間違いという事になり、「後醍醐<元>天皇(=上皇)が元弘の乱の敗北によって
                                  ^^^^^^^^^^
>隠岐島に配流された」が唯一正しい記述という事になりますね。


215 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 12:10:05
後醍醐なくして明治帝なし。
宋学の信奉者だが異形の王権でもある。
後醍醐がいなくて近代天皇制が生まれなければ良かった。
仏教天皇が一番親しみやすい。

216 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 12:50:06
興福寺の神木である
春日大社の山が枯れる
これは、興福寺の作為か?

217 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 16:38:32
日本はやっぱり仏教国だと今日再認識した。
性別に関する調査で、日本においては

「今度生まれ変わったら男が良いですか、女が良いですか」

という質問方法だった。
しかし、アメリカや韓国、中国、ヨーロッパでは

「生まれる前に性別を選べるとすれば、男がよかったですか、女がよかったですか」

という質問だった。

世界で同時に調査された社会調査だったが、日本だけリインカネーションを当然とした設問設定で、
これは完全に仏教的な思想が根付いているのだと思った。

218 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 20:40:41
>>217
それは、出題者がリインカネーションを当然としているというだけの話でしょ。
回答者の立場から見れば、米韓中欧の方式の質問でも、別に違和感ない。

219 :日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:04:17
まあもうちょっと社会調査を勉強してから来い。

220 :定 子:2005/10/27(木) 00:01:19
>>217
日本は神の国...

221 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 00:19:10
>日本は神の国
ありがとうございます。仏教国という意味ですね。


222 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 00:31:58
こんな時になんだが・・・

君は・・・・・・・・・・・・・

説明しよう・・・・・・・・・!!

なんで誰も・・・・・・・ーーー!!!

223 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/27(木) 00:53:26
この当時、神国といったら通常は「仏の垂迹たる神の恵みがある国」という
意味ではないかと。和光同塵の方便がどうのこうのと。

224 :お 定:2005/10/27(木) 01:05:24
わたしの偽者のカキコ!
許すコトは出来ない。真似が上手過ぎるから ..わたしの独創性を侵すパターン!
のち程すぐ、トリップ アリにて訂正させて頂きたいです。
以降、偽者訂正の以外は、このスレに来ません!から!

225 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 08:27:39
>>214
きみ、ものを知らんねー。
その程度のことで目くじらたてるなら、そもそも「後醍醐天皇」
という呼称はどうよ?後醍醐なんて名前が決まったのは、天皇没後だよ。
「元弘の乱に敗北した今上天皇を退位させ、新院として隠岐島に
 流した」と叙述するの?
「元弘の乱に敗北した後醍醐天皇を隠岐島に流した」で十分。

226 :やまんば:2005/10/27(木) 10:54:11
>>225
あのおーー、折角の御言葉ですが<目くじらをたてた>のは、私やまんばではなくて
「日本史板」住民を名乗るこのお方↓ですね。

拉致事件を本音で語れ! 偽善排除 30スレ
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news2/1128355170/
>>370 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2005/10/24(月) 01:03:01 ID:7NQafJV0
>>幕府に反逆して島流しにあった天皇の事を知らないの?

>日本史板の者だけど、承久の乱で島流しになったのは、
>治天の君の後鳥羽と、順徳、土御門の3人の「上皇」だけで、
>当時在位していた仲恭天皇は島流しになっていないよ。

↓↓↓↓このスレ
>>176 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/10/24(月) 22:14:51
>ニュース議論板のサヨクコテハンで、天皇と上皇の区別がつかないアホがいた。

↓↓↓↓
>>192 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2005/10/25(火) 22:11:09
>まぁ、一般常識かどうか、はともかく、
>無邪気に「島流しにあった天皇がいる」というと
>叩かれるでしょうね。

227 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 14:03:03
煽りがループし始めてるぞ。
もっとがんばれ。

228 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:10:44
後鳥羽や後醍醐が「天皇ではなく上皇」だとしたら、日本史上の天皇のだれひとりとして「天皇」と呼ぶことはできなくなるな。
「天皇」と呼べるのは今上天皇ただひとりということになる。

229 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:13:28
>>228
屁リクツ。

つーか、上皇と天皇の違いを考察するにあたって
なんも生み出さない点で、学問板として意味のないレス。

230 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/27(木) 23:16:32
そもそも、近代まで追号組は基本的に「○○院」と呼んでいましたが、学校
では何故か諡号・追号の区別を教えませんね。
しかし、光格天皇も諡号好きな方で(そんな軽い問題でもありませんが)。

231 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:21:23
そもそも学校の歴史教育ではほとんどの天皇は脇役か端役。
実際脇役だから仕方ないけど。

232 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:23:55
>>229
何も生み出していないという点ではこれまでの議論もおまえのレスも同様だが。
単に表面的な呼び方にこだわって屁理屈をこねまわしあっているだけで生産的な議論は何もなされていない。


233 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:24:58
>>231
主役になれる天皇ってそもそも
ほとんどいないような。

鎌倉時代だと、後醍醐くらい。
上皇まで含めて、やっと後鳥羽くらいか。

234 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:25:47
>>232
そう思ってるあたりがあなたのダメな点。

235 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:29:45
>つまり、天皇はいきなり「配流させられる」のではなく
>「退位させられる」→「配流される」という手順を踏むということ。
>そういう厳密なことを言ってるんですよ。
>この違いを「屁理屈」と笑うか、きちんと踏まえるか、は、
>論ずるときのTPOによりますよ。

これが学問板として意味のあるレスなのか。ひでえ話だな。


236 :やまんば:2005/10/27(木) 23:39:09
>>227
>煽りがループし始めてるぞ。
>もっとがんばれ。

ホンなら折角の御言葉なので、もう少し「煽り」ましょうか?(藁

本題からすると、「天皇が島流しにあったか、なかったか」、その「天皇は上皇であったか、文字通りの
天皇であったか」などという議論は<末節な話>であったわけだね。

問題は、当方のスレの常連バカコテが、いつもの如く、クサアアーーイ屁タレを思いっきりぶちかまして
以下の奇想天外な説をぶち挙げた事に始まっている。

>>366 名前:無用 ◆MUYOxpPRF. [sage] 投稿日:2005/10/23(日) 22:58:18 ID:CQMdwJXd
>ば〜か

>合法も糞も幕府は政府ではないしぃ 藩の治領は「御上」からの預かり物だ

>所有者である朝廷の腹ひとつでどうにでもなるのが「当時の法則」だが

>また「現代の基準」で過去を語る「時空を超えたバカ発作」かしら?

すなわち、
@幕府は政府ではない
A藩(おそらく江戸時代の会津藩)の治領(→所領のこと?)は「所有者」である
朝廷からの「預かり物だ」
B従って藩の所領の取り上げ(会津藩の取り潰し)は朝廷の腹一つで決まった

という3つの文脈において、大珍説、大妄説を披露した事にはじまる。
(本人はもちろん、今でも真面目にその説を信じているらしい。)

237 :やまんば:2005/10/27(木) 23:40:23
>>236
従って、その説を私が「奇想天外な知識」「お笑いネタ」「ウヨ漫画」等々と口汚く罵った事が、
「下品なレッテル貼り」(上記レス>>370)であったかどうかという問題はともかく(笑)、
少なくともその説への私の批判に理論的な反論を提示する以上は、上記の無用氏の大珍説
に対する「日本史板住民」氏の所見が、最初に述べられなければならなかったはずである。

わが「日本史板住民」氏が、単なる学術的な関心から(つまり聞きかじった知識を披瀝したい)、
議論の流れとは別に、私の単純な「天皇島流し論」につけ込めると勘違いして、スレ違いの
クレームをつけに来たというなら分からないでもない。

だがまた、この「日本史板住民」氏は、「天皇は島流しされた歴史的事実はない」という認識に
固執する事で、間接的に「天皇の絶対的権威」を擁護したかったのかも知れず、上記の
無用氏の主張と同様に、客観的歴史事実を180度ねじ曲げてまで、一体何の為にそんな
無益な珍説、妄説を吐き続けるのか、(今更、絶対的天皇の権威を擁護して一体何をやろう
というのか、)という疑惑も全く払拭されないまま残されたのである。
またいつもの、プチネットウヨの安っぽい愛国的夢物語の再版なのか?
天皇の責任を上皇にすり替えたところで、朝廷の権威が高まるとは思えず、「愛国度合い」も
深まるとは到底思えないが・・・。
一般民衆の意識では、上皇と天皇とはその肩書きで区別する理由など全くなかったであろう。
権威とはまさに実績であって、名目上の官位で決まるわけじゃない事は常識だ。
時の将軍より大御所さまの方がよほど偉い場合もある。(藁

238 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:43:16
>>236
そんなよそのスレのバカコテの話なんぞ知るか。
つーか、なんで近世のバカコテの話を鎌倉時代スレで振るんだ。

>本題からすると、「天皇が島流しにあったか、なかったか」、その「天皇は上皇であったか、文字通りの
>天皇であったか」などという議論は<末節な話>であったわけだね。
そんなことひとことも言ってないだろ。

天皇と上皇の違い、を考える際には、意味が大きい。
政治史上の議論、たとえば「鎌倉幕府と朝廷の関係」を考える際には、
あまり意味がない。

そして、この話題のもともとは、>>176>>192が答えたのは>>188
つまり問題とされているのは「上皇と天皇の違い」ですね。

これでわからんようじゃ、どうしようもないね。
どうぞ、あなたの「完全勝利」ということでよろしいですよ。

どういったら満足して帰ってくれるかな。
「ぎゃふん。参った〜、やまんばさん、ボクみたいな阿呆に
日本史を教えてくださって、ありがとうございました。」
これでどう?それとも、三遍まわってワンとなこうか。

見えないだろうけど、今、モニターの前で三遍まわったよ。
「わん!」
これなら十分だろう。

239 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:49:32
>>192みたいな愚にもつかないクソヘリクツを日本史板住民の常識だと思われてよその板に持ち出されると困るんだが・・・

240 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/27(木) 23:52:19
>>233
鎌倉時代前後は、かなり面白いと思いますよ。
後堀河院は、影の薄い方でしたが・・・。
前世は高僧、滑って転んで四条院。人妻大好き、『鳴門中将物語』の後嵯峨院。
『とはずがたり』で愛欲肯定、後深草院。子供多すぎ亀山院。
なんと、大阿闍梨にまで後宇多院。和歌がお上手、伏見院。
後伏見院、後二条院は確かに影が薄い。後はまた有名どころに。

241 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:53:53
>>240
後宇多院のキャラクターはなんか興味ありますね。
後醍醐の行動に「父を超えたい」っていう要素を見出したのは
誰でしたっけ。

242 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:54:20
>>240
見事なまでに政治史に関与してませんな。

243 :日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:56:45
>>242
いやいや、「滑って転んで」は、ある意味、四条院が
政治的に行った最大の事績ではあるまいか、と思われ。

244 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:04:16
山野氏は中世の天皇たちを政治史の文脈から読むことを故意に拒否しているのではないか?

245 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/28(金) 00:05:10
>>241
誰でしたか・・・(申し訳ない)。
後宇多院は、前三者とは対照的です。以前、亀山院と間違えてしまうという
非常に失礼な真似(亀山院にも)をしてしまった事がありますが。

>242
私が政治史寄りではないものですから(笑)。
そう言えば、『増鏡』でも『とはずがたり』でも、元寇系の記事はほとんど
ありませんね。比較的詳細な前者も、逸話で済ませている。
戦闘描写は、『八幡愚童訓』など僅かな手がかりしかない。

246 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:11:33
山野さんは明恵ファンクラブには入会されないんですか?

247 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:17:31
後伏見院も実は2度にわたって院政を執っているのだが如何せん知名度が低い。

248 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:19:29
後宇多ほかの理解から見て、山野氏はかなり年配の方とみた。

249 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:21:30
年配の方なら、鎌倉時代の朝廷なんぞに興味はもたないかと。
幕府一辺倒のはず。
まぁ、年配の加減にもよりますな。さすがにネット使える人は
いなさそうな「年配」でありますが。

250 :248:2005/10/28(金) 00:25:51
いや、肥後和男氏とかと同年配かと。

251 :248:2005/10/28(金) 00:28:48
連続スマソ。
だって、後嵯峨上皇を人妻好き、で片づけてしまうんだから、
橋本義彦さんより年上だろー。

252 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:31:08
>>250
うーん。なるほど、いわゆる「中世史家」ではなく、
民俗学とか、古代の方から入った方なら、ありうるかも
しれませんねぇ。

ま、しかし、ネットはつかえないでしょう、100歳前後の方は。
しかもこの時間に。


253 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:39:39
>245
>戦闘描写は、『八幡愚童訓』など僅かな手がかりしかない。

↑この数年間にコレを書くのは何十回目?モウアキタヨ・・・
柞原文書の女武者なんかに萌えるのは漏れだけなのかな?
面白い逸話だと思うのだが何故スルーされているのだろうか(欝

とりあえず燃料投下(不発かw

254 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/28(金) 00:44:42
>>251
「面白さ」を出そうと、ゴシップ系でまとめてみたのですが。
初心者の方も入り易い様にと思ったのでしたが、要らぬ世話でしたか。

>253
まあ、語って下さい。私は寺社縁起の方ばかりですので。

255 :248:2005/10/28(金) 00:48:43
ゴシップ系なら、やっぱり大覚寺統のどろどろな女性問題
ださにゃいかんだろ。

256 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/28(金) 00:59:25
>255
清少納言「駿馬之骨ヲバ不買ヤ。アリシ」ト云々。

257 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 08:51:56
京と鎌倉、2つの王権

258 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 08:59:49
王権と呼べるのは天皇だけなんじゃないかなあ。
公卿にもなれない北条氏の政権が王権のはずない。

259 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 11:20:55
京と鎌倉、2つの政権

260 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 12:43:33
政権と呼べるのは朝廷だけなんじゃないかなあ。
公卿にもなれない北条氏の談合が政権のはずない。

261 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 13:18:15
政権と呼べるのは幕府だけなんじゃないかなあ。
幕府の意向次第で簡単に首をすげ替えられる治天や天皇が率いているのが政権のはずない。

262 :やまんば:2005/10/28(金) 19:22:35
>>238
>そして、この話題のもともとは、>>176>>192が答えたのは>>188
>つまり問題とされているのは「上皇と天皇の違い」ですね。

まあ、その通りなのですが、お答えが当初から予想された内容なものでしたから
(「上皇と天皇の違い」なんて,、カレーライスかライスカレーの呼び名の違いに過ぎない。)
>>176氏(議論板にきた住民の方)への批判の矛先があなたに向けられたのですね。
勿論、>>176氏の様に逃げないで、真正直に回答を頂いたという点では評価し、
感謝しております。

ま、私は元来性格が淡泊なことで知られていますので(?)、折角作り上げたキャラクター
のイメージを壊すのも何ですから、ひっこく皆さんにまとわりついてこれ以上ご迷惑をおかけ
するつもりはありません。

これにて撤収致します。どうもお騒がせしました。(^_^)v


263 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 19:29:47
>「上皇と天皇の違い」なんて、カレーライスかライスカレーの呼び名の違いに過ぎない。

なかなかうまいことを言う。まったくそのとおりだw

264 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:11:51
>>262
やまんば=水w ●自慢のスネオ野郎!頭悪いノータリン嫌味ホモ!自称「ネ申」wwww

265 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:53:38
生きる力。藁藁

266 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:59:22
>>255
北朝の女性関係もどろどろでんがな。

叔父さんの息子を「ありゃ、実はわしの子や」って
置き文ものこってたりしますし。

267 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 21:21:56
>>266
関西人氏ね!w

268 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 23:11:31
中世史が専門の山野の正体は皇太子。広島ネタはカモフラージュにすぎない。

269 :日本@名無史さん:2005/10/28(金) 23:12:15
光厳院の置文ね。自分の息子崇光院の系統は宮家に落として従弟直仁親王の系統を持明院統の嫡流に据えた謎の置文。
どこまでほんとうなのだろうか・・・

270 :おぎまる先生と板の平和を考える市民の会 ◆IAbni.BnIA :2005/10/30(日) 00:04:30
> 474 名前: ?「水」員党銀鹿?( ´,_ゝ`) ◆TCygujgOWY 投稿日: 2005/10/29(土) 23:34:41 0
> >>473
> 俺もうすぐ●の期限切れだから書けなくなるよ。
> 後1ヶ月くらいじゃね?クレジットカードないから更新できんのだよ。


──────────────────────────────


♪♪♪良コテハン「水」氏引退記念パーティーのお知らせ♪♪♪

良コテハン「水」氏と、世界史板名無しの方々を囲んで、おぎまる先生と板の平和を考える市民の会主催の
おわかれパーティーをいたします。 どうぞ、ご家族おそろいで、またお友達も誘っていらして下さい。

日時:10月 30日(日曜日)午後9時より

場所:●世界史雑談vs日本史雑談 お前らクタバレ●
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1130128949/l50
A48(AA書店のあるビル)
7階 おぎまる先生と板の平和を考える市民の会のラウンジ

住所: 2ちゃんねる世界史板
http://academy4.2ch.net/whis/

連絡先: 世界史板の歴史
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1087380689/l50


美味しいタイフードや日本食、デザートなどを提供いたします。

271 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:00:30
承久の乱の戦後処理って、後堀河天皇を即位させて後高倉院を治天の君にする事で三人の上皇を島流しにしたんでしょ?

>236
><末節な話>
新しい天皇と治天を据える事で乱を起した上皇たちを罰することができて
>237
>間接的に「天皇の絶対的権威」を擁護したかったのかも知れず
上皇という絶対権威を裁くために、新しい絶対権威を幕府が擁立したわけですよね?

272 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:07:02
違うね。「新しい絶対権威」は鎌倉幕府自身。後高倉院は鎌倉幕府の傀儡に過ぎない。
承久の乱の結果、鎌倉幕府は、上皇さえも「謀反人」として処罰できる権限を獲得した。
元弘の乱に際しての後醍醐院の配流は、この権限の行使の結果。

273 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:07:27
>180
>天皇と上皇の区別
現職=天皇
元職=上皇(天皇を任命できる)
これじゃやばい?

274 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:23:35
やばくないけど学問的に意味があるかどうか疑問だ

275 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 08:52:49
>273
やばすぎ。上皇は複数いることがしばしばある。
天皇の任命に関われない人がいるのは明白。

276 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 09:00:50
>273
あと、これは細かいことだけど、
272に出てる後高倉上皇とか、
元職じゃない上皇も僅かながらいる。

277 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 14:50:06
純粋な質問なのですが。

後高倉院は、
いわゆる「院号宣下」によって「後高倉院」になったのか
それとも「太上天皇」になって、崩御後に「後高倉院」と
追号されたのか、

どっちなのでしょうか。
ご教授いただければ幸いです。

278 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 17:35:48
>>277
院号宣下後、生前はあくまで「太上天皇」です。
死後に「後高倉院」と追号されています。

279 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 18:26:06
>>278
ありがとうございます。
「後高倉院」はあくまでも追号なのですね。
良くわかりました。


280 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 18:46:33
>>272
>違うね。「新しい絶対権威」は鎌倉幕府自身。後高倉院は鎌倉幕府の傀儡に過ぎない。
>承久の乱の結果、鎌倉幕府は、上皇さえも「謀反人」として処罰できる権限を獲得した。
>元弘の乱に際しての後醍醐院の配流は、この権限の行使の結果。
朝廷から幕府への権限委譲ではないのでは?
幕府の意思に従って処置を決めたといえ決定権は朝廷にあるのでははないのですか?
権限委譲なら幕府が勝手に処置を決定し、幕府の名前で実施出来ることになる。

>>273
>180
>天皇と上皇の区別
>現職=天皇
>元職=上皇(天皇を任命できる)
>これじゃやばい?
天皇を任命する人は治天の君(天皇家の当主) って感じが正しいのでは。

大抵の場合、治天の君は天皇を経て上皇となり権力を揮っているが天皇位に就くことは必要条件ではない。
天皇同時に一人しか存在しないけれども上皇には数の制限がなく、治天の君でない上皇もいる。

大覚寺統と持妙院統に分かれた後って治天の君は二人と考えていいんですかね?


281 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/30(日) 19:19:58
>>275
例えば、承久の時には新院・中院・本院といらっしゃいましたからね。
なかなか盛り上がって来た(?)様で・・・。

282 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 19:22:30
では盛り下げるか。


283 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 20:09:42
>権限委譲なら幕府が勝手に処置を決定し、幕府の名前で実施出来ることになる。

そのとおり。承久も元弘も幕府が勝手に処置を決定し、幕府の名前で実施した。
決定権は朝廷にはない。

284 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 21:12:08
>280
治天の君は一人だよ。天皇を出してる皇統のボスが
治天だ。

285 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:04:55
(´・π・)ノ⌒▼
( σ ウッフン


286 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:05:36
(´σπ・)ノ 
(  ユメ ノ ナカデ ナラ イィワ


287 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:06:08
ヽ(・π・`)ノ
ヤマノシャン キテッ! ハヤクゥ )


288 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:06:39
|π・`) ヤサシク シテネ
⊂      イツモ ..


289 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:43:16
☆いざ☆鎌倉時代史総合スレ☆鎌倉☆

ここは日本史板住民の鎌倉時代史理解の為のコミュニケーションの場である。
院政期、南北朝時代も含めてあらゆる情報交換に利用せよ。

ただし、経験上スレの荒れる原因はパターンが決まっている。
そこで、それを防ぐ為にスレ諸法度を定める。


    鎌倉時代史スレ諸法度

一、鎌倉時代史学問ネタを中心に熱心に打ち込むこと。
二、新しい鎌倉時代史スレ造りは、固く禁止する。テンプレ改変の場合も、必ず>>1に申し出ること。
三、スレが荒れた場合でも、相手にすることなくスルーすること。
四、住民は私闘をしてはならない。
五、>>1の許可なく結婚してはならない。
六、何事も>>1の決めた掟の通りに従わなくてはいけない。


290 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:43:51
よし、ただ今よりこれを採用しよう。
山野さん、いいよね?

291 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:04:26
>>1は、許可があっても結婚できない

292 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:11:21
>>1の好みのタイプとの結婚は民法で禁じられているからねw
ロリとかショタが好いと言っている変態コテは世界史板へ逝け!

293 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:18:07
★★★ロリ・ショタ・ペド野郎の歴史★★★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1103094508/l50

>>292さんはこちらにお帰りです。

294 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:29:48
お詳しいこと・・・

295 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:32:40
>>289
横レス、失礼。趣旨にはげしく同意。

中世らしくちょっと文言改編してみますた。
みなさん、添削よろしゅうお願いします。

禁制        (花押)

条々

一、スレ内甲乙人等荒狼藉之事
一、スレ内押買喧嘩其外非分之事
一、竹木伐採並殺生之事
一、国質所質之事 付自作自演之事

右条々堅令停止畢、諸人弥可抽鎌倉時代史学問並書込等精誠、
若至違犯之輩者、削除人江可令注進交名者也、
為後日所定置如件、
 平成十七年 十月 日      


296 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:33:56
読めないよ

297 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:40:37
>>296
じゃぁ、書き下しを。
条文のとこはそのまんまだからいいよね。

「右の条々、堅く停止せしめおわんぬ。諸人、いよいよ
鎌倉時代史の学問、ならびに書込みの精誠をぬくべし。
もし、違犯の輩にいたりては、削除人へ交名を注進せしむべき
ものなり。後日のため定め置くところ、件の如し。」

298 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:43:29
いいかんじ〜

299 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:44:45
白文と書き下しを併記すればいいよ。
あと、

> 五、>>1の許可なく結婚してはならない。

これは絶対入れてほしい。

300 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/30(日) 23:49:29
>295
面白いので、こちらも。
鎌倉時代史摺(スレ)衆等可存知條々事
一、於摺在住者複数人者、一人不闕、皆共可盛上者、
一、於不知案内者并厨房之輩者、不可書込者、
一、荒煽等出来之時者、発見者最前可磨(スルー)者、
一、書込所可被儲置出典者、
右、各守此起請文、可令存知、若於此状違背之輩者、速可令改易摺住人之状如件、
  平成十七年九月廿八日始之、

301 :日本@名無史さん:2005/10/30(日) 23:57:55
旧暦かよ、そこまでするかw

302 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 00:00:16
>>299
結婚ねぇ、ちょっと待って。

一、スレ住人、濫娶妻妾事、
但、於>>1有免許者、不有其限」

「ひとつ、スレ住人、濫りに妻妾を娶ること、
但し、>>1の免許あるにおいては、その限りにあらず」

ちょっとしまらないなぁ。

>>300
そっちもいいですね。

やっぱり形式としては、禁制よりは、
起請文や一揆契状のほうがふさわしいですか。

「うん百万の毛穴より云々」って感じで。

303 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 00:17:22
☆いざ☆鎌倉時代史総合スレ☆鎌倉☆

鎌倉時代史ぷろふぃ〜る♪

Q、いつ生まれたの?
A、鎌ちゃんは2005年10月14日生まれ、まだ零歳です!

Q、将来どんなスレになりたい?
A、鎌倉時代を中心として院政期、南北朝時代も語りたいな〜。

Q、荒らしさんってどう思う?
A、寂しい人だなって思う。鎌ちゃんは真面目な人が好き!

Q、じゃあスレ違いの人は?
A、うーん、個別の専門スレを排除するつもりはないよ。

Q、荒らしさんに一言
A、スルーでおながいしまつ。

今日取材した鎌ちゃんは、デビューしたての新鮮ギャルだ!
とっても初々しかったぞ。
これから住民のみんなで応援してあげちゃおう!
鎌ちゃんへのファンレターはこちら
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1129289111/l50



304 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 00:24:56
303が一番良いですな。

305 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/31(月) 00:30:16
>>301-302
ついでに、乙酉と記しておきましょうか。呵々。
>303と併用で、295がいいでしょうか。次スレがあれば、1に。

306 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 00:32:40
ぼくは、歴史に疎いけど鎌倉の近くに生まれたのでこのスレにいたいです。
いいですか?鎌ちゃん、お願い!

307 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 00:39:20
>>305
いやいや、>>300でよいでしょう。
なんといっても>>1(笑)が書いたわけで。

禁制よりも、起請文のほうが雰囲気もよさそうでつし。
>>303もギャップが大きくて笑えますから、まぁ、併用ということで。


308 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/10/31(月) 00:54:29
>306
貴方の興味と精進次第と思われます。

>307
私は、追放されなければ後はスレがどう転んでも(まともな転がり方でした
ら)満足ですので。まあ、次スレはまだ先の話ですし、ぼちぼちと。

309 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 01:09:31
303ですが、すんません、冗談なんで併記しなくてもいいです。
つか、しないで下さい…。

310 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 01:12:15
>>309
え〜面白いのにぃ〜。

>Q、じゃあスレ違いの人は?
>A、うーん、個別の専門スレを排除するつもりはないよ。

このへんなんかサイコー。


311 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 02:40:47
脇田さんの『日本中世商業発達史の研究』復刊してほしい。
高いよ。

312 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 02:58:51
復刊してもそこそこ高いだろうなあ、あの厚さでは。
個人的にはもう読む必要ないと思う。一昔。二昔前の理論だし。
今となっては学説史的意味しかないと思う。もちろん名著ではあるが。

313 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 13:44:01
脇田さんて表彰されてた?

314 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 14:49:48
うん、勲章もらったんだっけ?

315 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 17:24:14
アゲ

316 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 20:14:08
脇田晴子さんが文化功労者になりましたがそのことですか?

317 :日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:42:07
勲章と違うのか?

318 :山野野禽 ◆XBusCUEzTA :2005/11/01(火) 05:13:16
私のいきつけの古書店では4万円です…。
買えません。絶対買えません…。

319 :日本@名無史さん:2005/11/01(火) 12:12:39
図書館にないの?

320 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/11/01(火) 21:07:45
某古書サイトで検索してみたところ、2万円で売っていましたよ。
今更無理をして購入される事も無いと思われますが。
今京都の百万遍知恩寺(ここも歴史がありますね)で古書市がありますが、
関西にお住いでしたら、日曜日までにお探しになるのも良いでしょう。

321 :日本@名無史さん:2005/11/01(火) 21:17:45
夏と秋は埃っぽいから嫌い
つか初日にいかないと掘り出しもんなんか残ってねいしな

322 :日本@名無史さん:2005/11/01(火) 22:38:13
初日初めに並んで並んで開いたと同時に走ってお目当てのちびまる子ちゃんの漫画を何故か買う快感。

一度こんな奴を見たなあ…。

323 :日本@名無史さん:2005/11/01(火) 22:47:53
誰かが目の色変えて走り出すと追いかけずにはいられないって
馬かwおまいは・・・

文頭と文末の描写が妙なのはデフォ?

324 :お 定 ◆e8G3HDKGd. :2005/11/01(火) 23:48:36
〉10は、
偽者ですが ..なんで?!

325 :お 定 ◆e8G3HDKGd. :2005/11/01(火) 23:53:08
〉324
誤爆しました。すみません ..orz

326 :定 子 ◆e8G3HDKGd. :2005/11/02(水) 00:15:00
誤爆ちがぅ 〉10は、わたしが書いてぃますた。スレごと勘違ぃでした。
少量のチューハイで泥酔してぃるみたぃで ..祝盃過ぎっ?!
では。また 。。

327 :日本@名無史さん:2005/11/02(水) 00:33:37
結局山野の雑談スレになってるんでやんの

328 :日本@名無史さん:2005/11/02(水) 12:30:01
日食月食には、天皇と将軍を筵で包み隠していた
王権の保護のため

329 :日本@名無史さん:2005/11/03(木) 19:30:01
今日のNHKのPM7:00のニュース見てたら、
聖マリアンナ医大の研究で由比ヶ浜の遺跡調査の結果、
鎌倉時代の平均寿命は24歳だってやってたな。
もうちょっと、上だと思ってたんだが・・・。
まあ、平均寿命は幼児死亡率によってかなり左右されるからな。

330 :日本@名無史さん:2005/11/03(木) 21:12:24
ということは、よく「得宗家の歴代はみな早死にだ」と言われるが当時としてはそうでもなかったのか

331 :329:2005/11/03(木) 21:36:48
どうだろうねえ。今では欠かせない抗生剤が無い時代だからねえ。
前に読んだ本では、最古の癌患者は弥生時代の人骨から、結核の痕跡は古墳時代から、
と言うものがあったからねえ。

平安中期の藤原頼通なんか82歳まで生きてるし。
まあ、俗に平均気温が一番低かったのが江戸時代で、平均身長も一番低かったのは江戸時代という話があったな。

>>330
今の感覚では間違いなく早死にだけど、当時もそういう雰囲気・感覚があったのかね。
同時代の文献資料ではどういう風に思われてたんだろう?やっぱ因果律で説明されてんのかな?
ただ、一番高い乳幼児期の洗礼をくぐり抜けてきた中で、また10代・20代で落命するのも多い。
突飛な感染症でも平気で死に至る時代だからね。

332 :日本@名無史さん:2005/11/03(木) 21:44:56
平均寿命24歳の社会ってどんなんだったんだろう? 子供が成人する(16歳?)まえに
親が死亡する場合が半数はありそうな余寒。そうすると、家族単位で一軒家に住んでたとも
思えない気がするし…。当時はどんなもの食って着て住んでたのか?

333 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/11/03(木) 21:59:58
戦前の没年齢を調べたら、還暦ぐらいまでは生きているのが普通であったと
か、前近代もそう変化が無かったという話があります。
閑な時に六国史に出て来る没年齢を計算してみたことがありますが、若死に
(50歳以前の死)はあまり無く、割と高い数値が出ました。
角田文衛先生が紹介された通り、延喜年間の阿波や周防の戸籍を見ると65
歳以上の高齢者もおり、周防の玖珂郡には100歳以上が二人も。
角田先生は近世の『宗門改人別帳』も参照されたそうですが、こちらでもや
はり80代以上が割と見られました。
今より歳の数え方がいい加減だった可能性もありますが、『日本霊異記』や
『大鏡』を見る限り、年齢は誕生年の干支から算出した様です。
鎌倉時代の身長の件ですが、男性なら160〜170cm代も割といた筈。
女性はそれよりやや低いくらいで、一番低かったのが幕末から明治まで。

>332
>平均寿命24歳
幼児の死亡率を除けば、それなりに長生きだった筈ですよ。
食物は、京なら(米)・麦・粟・大豆・ささげにおかず少々といったところ。
山間部であれば、粟が主食でした。庶民は近代までそう変化が無い。
問題が量の方で、一日六合は食べていました。

若さと言えば、『梁塵秘抄』に、女の盛りは14、15、16で、35、36にも
なれば、「紅葉の下葉に異ならず」とありますが、せいぜい18歳までが女
盛りと見做されていました。これは『新猿楽記』などからも推測出来る。
無住も『沙石集』の中で、年齢を聞かれた女性が、
「18で御座います。40年前は」と答えたという話を紹介しています。

334 :日本@名無史さん:2005/11/04(金) 00:52:48
>>329
骨?だったら合戦に駆り出された働き盛りだったとかは?

335 :日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:19:10
───世界史板山野問題をご存じない日本史板住民のみなさまへ───

山野野衾というコテハンは、かつて日本史板の住民でした。
しかし、「日本史は厨房が多すぎる」という彼の考えにより、世界史板へと流れてきました。
世界史板で山野は日本史の話題を続け、ウザがられ、とうとう先日追い出されました。
現在では、仕方なく古巣の日本史板に住居を構えているようです。

つまり、山野から日本史板住民は見下され、世界史板住民からはウザがられているという構図なのです。

336 :日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:52:41
>>335
ごく一部の人間が彼の知識に嫉妬して、うざがっていただけ。 
慕っている人がたくさんいる。 
追い出したのは強硬派の犯行。



337 :日本@名無史さん:2005/11/04(金) 02:11:20
>>334
俺もそう思ったよ。
記事を見ていないのでよくわからんけど、
由比ケ浜といえば、和田合戦とか新田義貞の鎌倉攻めなんかの戦死者の骨が多い気がするしな。
てか、そもそもなんで由比ケ浜の骨だけで鎌倉時代全体の「平均」寿命まで分かるんだろう?

338 :日本@名無史さん:2005/11/04(金) 02:24:45
>337
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/430_2.html

339 :日本@名無史さん:2005/11/04(金) 04:36:22
犯行だって…プ

340 :日本@名無史さん:2005/11/04(金) 09:03:37
ニュー速+では、相変わらず厨な話が続いているが、一つ面白いデータがあった。

24.0歳 (32.9%) 帝政ローマ支配下のエジプト 33-258 Bagnall & Frier
24.3歳 (21.8%) イングランド 1301-1425 Russell
33.7歳 (n.a) イングランド 1541-1556 Wrigley
37.7歳 (17.1%) イングランド 1620-1626 Wrigley
34.6歳 (19.5%) イングランド 1726-1751 Wrigley
40.8歳 (14.4%) イングランド 1801-1826 Wrigley
24.8歳 (29.6%) フランス 1740-1749 Blayo
38.8歳 (18.1%) フランス 1820-1829 Blayo
37.8歳 (20.3%) スウェーデン 1751-1755 Gille
32.2歳 (27.7%) 日本 1776-1875 Jannetta
33.7歳 (29.5%) 日本 1800-1850 Yasuda
37.4歳 (21.6%) 日本 1751-1869 Saito

これをみると特に低いというわけじゃないな。

341 :日本@名無史さん:2005/11/04(金) 13:51:49
乳幼児死亡率が高かったという話
今でもそういう国はある

342 :日本@名無史さん:2005/11/04(金) 23:06:01
>336
>慕っている人がたくさんいる。
>慕っている人がたくさんいる。
>慕っている人がたくさんいる。
>慕っている人がたくさんいる。

山野さん名前欄書き忘れてますってば


343 :日本@名無史さん:2005/11/05(土) 08:32:31
鎌倉時代の平均寿命は、死亡率の高い乳幼児を引けば、
50歳くらいじゃないか?

344 :日本@名無史さん:2005/11/05(土) 08:52:41
どうでもいいよね。

345 :お 定 ◆e8G3HDKGd. :2005/11/05(土) 09:01:13
山野先生おはようございます。
頼朝の愛妾だった、「亀の前(亀御前)」には、官位てか肩書きがあったのでしょうか?
あと ..

346 :お 定:2005/11/05(土) 09:05:41
あと。
「御所」っていうのは、位階でしょうか?
位でしたら、かなーり偉いのでしょうか?
例えば、岩倉具視よりは↑ですか?
(カサノヴァ以降、肩書きづいてます ..)

347 :海野:2005/11/05(土) 09:55:35
亀の前には官位ない。
御所は尊称。鎌倉幕府関係だと「竹の御所」なんてのがいて、
これは源頼家の娘。もっと勉強汁。


348 :日本@名無史さん:2005/11/05(土) 10:06:34
ちょっと辞書をひけばわかることなのに・・・ものぐさなやつだ

349 :日本@名無史さん:2005/11/05(土) 11:53:19
どうでもいいよね。

350 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/11/05(土) 14:37:44
>>345
前者(というか北条政子についてですが)については、アエラムックの
『日本史がわかる』をお奨め致します。初心者向き。
後者については、やはり辞書ですね。天皇や将軍を指す事もありましたが。

>348
餅ぐらい拾えと言われますよ。・・・あれは室町時代ですが。

351 :日本@名無史さん:2005/11/05(土) 15:23:39
家臣が主君の一字を拝領するということが始まったのは鎌倉時代(頼朝あたり)からですか? 
平家の家人に盛が付くのがいるけど平家が始めなんでしょうか。

以前、北条泰時は何故頼朝からせっかく貰った頼時から改名したのかって聞いたら
戦国時代あたりと違って鎌倉時代は名前を拝領するという行為がそれほど重視視されていなかったので
変えても別に不思議はないというようなお話を聞いたのですが。



352 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/11/05(土) 20:49:48
偏諱を賜る話ですか?簡単なことなら出て来るかもしれませんが、詳しい
論文については、今は心当たりがありません。申し訳ありませんが。

353 :定ちゃん:2005/11/05(土) 21:52:51
山野しゃんとセックスしたぃデチ..

354 :お 定:2005/11/05(土) 21:55:06
わたしは..真剣です...

355 :お 定 ◆e8G3HDKGd. :2005/11/05(土) 22:08:00
>>353>>354
偽者です。
すみません。実はネカマなので ..

356 :海野:2005/11/05(土) 22:18:23
偏諱はあくまでも「ものしり」に類する話で、
論文になるほどの深みは期待できない。やめとけ。

357 :お 定:2005/11/05(土) 22:22:00
山野氏と結婚したい..

358 :お 定 ◆e8G3HDKGd. :2005/11/05(土) 22:26:04
>>357
偽者です。
今後は、否定カキコしません。
トリップがない「定」カキコはすべて偽者です。

359 :らら:2005/11/05(土) 22:28:12
おちんこちょうだい..ダレか..

360 :ジョーカー:2005/11/05(土) 22:35:20
・・・・・

361 :らら ◆e8G3HDKGd. :2005/11/05(土) 22:43:58
>>359
コテハン「らら」に関しましても、このレスと同なじトリップがない方は偽者です。

362 : ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/06(日) 05:39:31
山野ここはお前の日記じゃねえんだ
わかんねえなら黙ってろキモイ

>家臣が主君の一字を拝領するということが始まったのは鎌倉時代(頼朝あたり)からですか? 
まずは以下を参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BF%E8%AB%B1

親>子へ一字を継承していくのは遅くとも平安時代から確認できる
藤原摂関家や成和源氏の系図がよくわかるんじゃないかな
http://page.freett.com/keizusoko/keizu/sekan/sekan.html
http://page.freett.com/keizusoko/keizu/seiwa_genji/genji_seiwa1.html

11世紀には一般化した風習と言えると思います

>平家の家人に盛が付くのがいるけど平家が始めなんでしょうか。
名前どころか
伊藤(藤原)景清>平景清
なんて例もあります
(彼の場合後世創作が多く例としては不適切かもしれませんが)

拙考ですが烏帽子親から字を取る例が多いことからも
養子、猶子に類する家臣取り込みの手段だったとも言えるかもしれません


363 :352:2005/11/06(日) 10:27:10
>>362
情報ありがとうございます。
親子や兄弟で共通の字を使う風習は平安初期からありますよね。(兄弟全員ではないにしろ)
平将門兄弟の「将」とか、その父親達の「良」とか。
高級貴族でも藤原良房・良門の「良」とか。

戦国時代だと賜った一字を捨てる(変える)のは主君を変えたりしたときに行う結構重要な決断ですよね。
松平元康から家康(今川から独立)、浅井賢政から長政(六角から織田への陣営変更でいいのかな?)など。

北条泰時の場合は何故なのかなと不思議です。
頼朝の「朝」は結構貰っている人が多いですが「頼」は少ないですよね、貴重だと思わなかったのかな。





364 : ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/06(日) 11:23:45
泰時の改名ですが「北条氏系譜人名辞典」を引いても
1194有力御家人が居並ぶ中で元服、頼朝が烏帽子親を勤め
「頼」の一字を与えられて時頼と名乗る(13歳)
泰時への改名の時期は未詳だが1201頃には改名した

とあるだけです。具体的なことは未詳でしょう
しかし、同時に改名した北条一族がいます時房(時連)です。
こちらは時期がわかっています
1202年6月です、理由ははっきりしませんが、小説や漫画だと
(頼家の側近であり)頼家から改名を促されそれに従いながらも心の中では
不満を抱えていたってことにされてますね。

結構、的を得た推論ではないないかと思います

でいくつか説を
1、頼家が自分の世代になったことを主張するために子飼いの家臣に改名を迫った
2、泰時自身が頼家をはばかって改名

2は「そもそも頼朝から賜ったものだろ」と言われそうですが
それは 頼朝>頼家 という価値観であり
頼家は別の価値観を持っていそうな気がします

推論ばっかりでごめんなさい

ついでに誤字訂正
×成和源氏
○清和源氏


365 :日本@名無史さん:2005/11/06(日) 15:00:48
山野しゃん..

366 :日本@名無史さん:2005/11/06(日) 15:02:35
定ちゃんゎ、山野しゃんと鎌倉デートしたいデチ..

367 :日本@名無史さん:2005/11/06(日) 15:04:04
そして、山野しゃんのおちんこを..

368 :日本@名無史さん:2005/11/06(日) 15:07:38
本田美奈子さん死去 ミュージカルで活躍
「1986年のマリリン」などのヒット曲で知られ、ミュージカル女優としても活躍
した歌手の本田美奈子(ほんだ・みなこ、本名工藤美奈子=くどう・みなこ)さんが
6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で死去した。38歳。
東京都出身。
葬儀・告別式は9日午前10時から埼玉県朝霞市溝沼1259ノ1、朝霞市斎場で。
葬儀委員長は高杉敬二BMIエグゼクティブプロデューサー。
喪主は母美枝子(みえこ)さん。(共同通信)

369 :日本@名無史さん:2005/11/06(日) 16:18:13
頼朝の正四位下は参議相当、従二位は(権)大納言相当って言う含みがあったのでしょうか?
上洛していないから議政官の地位は与えられないけどそれ相当だよって言う含みが。

370 : ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/06(日) 18:02:59
>369
頼朝は権大納言に任命されて返上していますが?

今ひとつ質問の意図がわかりかねるので噛み砕いてよろしく

371 :日本@名無史さん:2005/11/06(日) 19:04:42
権大納言、それと右大将も上洛時ですよね。
つまり聞きたいのは上洛前の有位無官の時期の話なんです。
本位に復した後、義仲追討で正四位下、平家追討で従二位。しかし無官の前兵衛佐のまま。
これは在京でないと議政官・近衛武官としての任が果たせないから官は与えないって言う
朝廷側の意向なんでしょうけど、正四位下、従二位と言う位階自体に準議政官の含みが
有ったのかな?と言う疑問なわけです。

372 :日本@名無史さん:2005/11/07(月) 14:06:16
別に頼朝は欲しがってないよ。
任命されても返上してるし。

373 : ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/07(月) 21:24:04
いやいや、>371 は
頼朝は一代で覆される貴族的権力よりも
関東武士を基盤とした新権力の獲得を目指した
対して後白河法皇は名を与えて実を与えぬ目的で
右大将、権大納言を与えたが、頼朝は関東武士を統括しするのに
ふさわしい征夷大将軍の地位にこだわったため返上した

という従来の説は頼朝視点であり、当時の朝廷側では別の意図もあったのでは
と聞きたいわけだ、
官位はあくまで実よりも名にあたる部分であり、それほど裏の意味は無いんじゃないかな
鎌倉時代の貴族研究は今ひとつなので今後に期待かな


374 :日本@名無史さん:2005/11/07(月) 21:27:47
にゃん

375 :日本@名無史さん:2005/11/07(月) 21:34:55
美奈子カワイソス

376 :日本@名無史さん:2005/11/08(火) 08:27:43
>>373
>鎌倉時代の貴族研究は今ひとつ
373の勉強がたりないだけ。

377 :日本@名無史さん:2005/11/08(火) 09:48:23
↑以上、夜勤のコメントでした。

378 :日本@名無史さん:2005/11/08(火) 11:57:18
中世の貴族は、文化が武器

379 :日本@名無史さん:2005/11/09(水) 09:25:46
和歌どころか連歌までも武器にした。
家職の成立の関係かな?

380 :日本@名無史さん:2005/11/09(水) 13:37:29
>>363
兄弟が同じ字を使うのは、中国に起源がありそうな気がしますが…

381 :日本@名無史さん:2005/11/09(水) 19:56:06
院、将軍、執権、北条家得宗、内管領
偉い人が多すぎて誰が偉いのかがさっぱりわかりません。
執権までの権力の下降は仕方がなかったような気がしますが、
得宗、内管領に至っては意味がわかりません。
他の御家人と軋轢を抱えてでも執権権力の強化を目指した方が有利だったんではないかと思いますが、
鎌倉最高権力史について詳しい本の紹介キボンヌ

382 :山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/11/09(水) 20:57:37
>>380
名前に関しては、
飯沼賢治「女性名から見た中世の女性の社会的位置」(『歴史評論』443号、1987年)
同「人名小考―中世の身分・イエ・社会をめぐって―」(『荘園制と中世社会』、1984年)
郭明昆『中国の家族制および言語の研究』東方学会、1962年
以上を参照されるとよろしいかと。

383 : ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/09(水) 23:35:24
>380
おそらくそうでしょうね
http://www.japanology.cn/paper/jp/06yamada.html
ここの「7.実名と通字」で触れられています

余談ですが「源」は源が同じ、という意味の中国故事に由来します
親子で同じ字を避けるという風習はなぜ伝わらなかったのかが不思議ですね


384 : ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/10(木) 00:19:04
>>381
執権までの権力の流れは理解されているようですね
有力御家人を次々と倒していった北条氏は幕閣内の重要職をほぼ占めるようになります
そうなると一族内での権力争いの芽が出てくるため
時頼は執権職を表向きは引退し、息子時宗の後継者としての地位を固めるべく奔走します
いわば、院政に似た形態です
こうして北条宗家が得宗として一族を統括する得宗制度ができあがったのですが
次に得宗家の内部を取り仕きる身内人がそれに伴って権力を強化します

参考資料としては「鎌倉執権政治ーその展開と構造」安田元久 
なんて簡単に読めて私的にはお勧めです

385 :日本@名無史さん:2005/11/10(木) 09:43:20
>>384
>そうなると一族内での権力争いの芽が出てくるため
>時頼は執権職を表向きは引退し、息子時宗の後継者としての地位を固めるべく奔走します
>いわば、院政に似た形態です

時頼が執権を引退して赤橋流の長時に譲ったのは、大病を患ったのに後継者の時宗が幼少という状況での
緊急避難的処置ではなく、ある程度計画的だったということですか?

天皇と上皇の立場の違いのように、執権だと幕府の組織にある程度掣肘されるけど
執権職を離れて得宗という立場になると自由に活動活動出来ると考えたのでしょうか。


386 :日本@名無史さん:2005/11/10(木) 19:52:28
実朝暗殺後、政子が頼朝の末子貞暁(母常陸介藤原時長の娘)に将軍にならないかと声をかける一方、
血の繋がった頼家の子供たちは殺害されたり自害しています。
実の孫を差し置いて、なさぬ仲の子を後継ぎに据えようとは、随分おかしな話に思えますが。
これって貞暁については断られることを予想して格好つけに声をかけただけで、
源氏の子孫は抹殺(少なくとも政治的には)してしまうつもりだったのでしょうか?

387 :日本@名無史さん:2005/11/10(木) 20:09:46
>>384
古すぎ。
>>386
そうだろうね。

388 :日本@名無史さん:2005/11/10(木) 20:31:31
>>386-387
>源氏の子孫は抹殺(少なくとも政治的には)
ほほぅ。
じゃあ竹御所についての政子の対応はどう説明しますね?(変化球だけど)

389 : ◆vnP7OkJTv2 :2005/11/10(木) 21:34:31
>緊急避難的処置ではなく、ある程度計画的だったということですか?
もちろん30歳で執権職を退いたのは赤痢をわずらったためという理由もありますが
時頼自身が前執権の兄経時の遺児を出家させて時宗の障害を排除しています
そのあたりは計画的といってもいいのではないでしょうか

さらに吾妻鏡「執権職を武州(長時)に譲らる・・・但し、家督(時宗)幼稚の眼代なり」
とこの記述をそのまま受け取れば
「俺の後継者は時宗だ、それまでの中継ぎだってことを覚えておけ」
と解釈されていますね

その後病から回復した時頼は37歳まで得宗政権の基盤を固めることになります
結果論と言えばそうですが

390 :日本@名無史さん:2005/11/10(木) 23:52:09
一度執権を退いた時頼が、再度執権に就こうとしなかったのも不思議ですね。
というか執権に2回就任した人がいませんね。
室町時代の管領だと何回も就任・辞任することが珍しくないのに。
最も室町後期の管領は儀式の際など必要なときに短期間だけ就任しているようですが。

長時没後に時頼が執権に返り咲こうとしなかったのは何故でしょうね。



391 :┐(゚〜゚)┌ :2005/11/11(金) 00:43:00
>>390
長時:文永元年(1264)政村に執権職を譲り出家→死去
時頼:弘長三年(1263)死去

392 :日本@名無史さん:2005/11/11(金) 09:26:32
>>391
あれ、失礼しました。
長時は早死にというイメージで、時頼より先に死んだと思い込んで書き込みしてしまいました。


393 :日本@名無史さん:2005/11/11(金) 09:34:54
北条氏は初期に郎等を侍に準じさせようとして失敗したようです。
一方御内人は侍身分ですよね。
系譜的に繋がるかどうかはともかく、御内人は明らかに北条家郎等の後継ですよね。
そうすると、結局なしくずしに北条宗家郎等の侍化が進行したのでしょうか?
あるいは元々侍身分だった者達を御内人に組織していったのでしょうか?

394 :日本@名無史さん:2005/11/11(金) 09:44:20
ヒント:細川重男の仕事

395 :日本@名無史さん:2005/11/11(金) 10:46:42
>>393
>御内人は明らかに北条家郎等の後継
という理解は現在では否定されてる。
御内人の大半は御家人でもある。

396 :日本@名無史さん:2005/11/11(金) 12:06:32
京と鎌倉の2つの王権のあった鎌倉時代

397 :日本@名無史さん:2005/11/14(月) 10:31:45
頼朝の天下草創

398 :日本@名無史さん:2005/11/14(月) 12:19:44
九代将軍守邦親王の幕府滅亡直後の死って、すごく怪しげ。
単なる偶然で病死なのか、なにか事情があったのだろうか?

399 :日本@名無史さん:2005/11/14(月) 13:49:54
殺されたのか?

400 :日本@名無史さん:2005/11/14(月) 18:33:41
わざわざ殺されるほどの重要人物ではない

401 :日本@名無史さん:2005/11/14(月) 18:54:31
しかし、あのタイミングで死ぬってのは怪しい

402 :日本@名無史さん:2005/11/14(月) 19:07:08
北条高時があのタイミングで死ぬのも怪しい

403 :日本@名無史さん:2005/11/14(月) 19:21:08
>わざわざ殺されるほどの重要人物ではない
そこが源家滅亡後の鎌倉幕府のすごいところだな。
ところで、源氏は3名中2名(1人は退位後だが、もしかすると3名とも)、
足利は15名中2名が殺されている。
徳川は一応みんな少なくとも表向きは畳の上で死んでるな。
やはりだんだん平和になっていくのか。

404 :日本@名無史さん:2005/11/15(火) 09:07:45
>>403
足利は3名

405 :北条高広:2005/11/15(火) 09:12:19
義教と義輝あと誰だっけ?

406 :日本@名無史さん:2005/11/15(火) 09:49:05
>>405
つ義満。



407 :北条高広:2005/11/15(火) 10:46:26
ああそういう説ってことですか。。。

408 :日本@名無史さん:2005/11/15(火) 12:24:00
義満の暗殺者は一休宗純

409 :日本@名無史さん:2005/11/15(火) 12:35:03
蜷川新右衛門はどっちの見方でふかね?

410 :日本@名無史さん:2005/11/15(火) 12:42:28
山野氏はどうしたん?

411 :日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:19:29
あっちで寝惚けてる

412 :日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:21:41
定ちゃんの。日本史板【雑談スレ】もどき。パート2
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130763813/l50


413 :日本@名無史さん:2005/11/17(木) 11:18:28
鎌倉時代は1185年から

414 :日本@名無史さん:2005/11/17(木) 16:42:23
>>413
何をもって幕府開幕の年にしているのですか。

415 :日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:08:41
幕府開幕か・・・馬から落馬だな

416 :日本@名無史さん:2005/11/18(金) 10:49:12
普通は1185年じゃないの?

417 :山野野衾 ◆a/lHrXCS16 :2005/11/18(金) 11:44:41
>>414>>416
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
『征夷大将軍』を理解されるか、図書館で『吾妻鏡』ではない『東鏡』を御覧なさって下さい。

418 :日本@名無史さん:2005/11/18(金) 12:27:20
幕府の成立時期については,
(1)92年の頼朝の征夷大将軍就任に求める伝統的見解は,今はほとんど
  支持されておらず,
(2)80年の東国における独立国家の成立,
(3)83年の〈寿永二年十月宣旨〉による東国支配権の公認,
(4)85年の守護・地頭設置の勅許,
(5)90年の日本国惣追捕使の地位確認,諸国守護権の付与,
などの時期に求める諸説がある。

419 :日本@名無史さん:2005/11/18(金) 12:27:54
幕府の成立時期については,
(1)92年の頼朝の征夷大将軍就任に求める伝統的見解は,今はほとんど
  支持されておらず,
(2)80年の東国における独立国家の成立,
(3)83年の〈寿永二年十月宣旨〉による東国支配権の公認,
(4)85年の守護・地頭設置の勅許,
(5)90年の日本国惣追捕使の地位確認,諸国守護権の付与,
などの時期に求める諸説がある。

420 :日本@名無史さん:2005/11/18(金) 14:52:40
(2)〜(5)の段階的成立説ってもなかったけ?

421 :日本@名無史さん:2005/11/18(金) 16:18:08
1183年がいいんじゃないか?

422 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/18(金) 18:22:36
もう少し数を加えてみると、
@1180年 頼朝挙兵→地域支配
A同年末   南関東軍事政権成立
B1183年 十月宣旨による東国支配権の公認
C1184年 公文所・問注所の開始
D1185年 「守護・地頭設置の勅許」
E1190年 頼朝が右近衛大将に
F同年末   頼朝が日本国惣地頭・惣追捕使に
G1192年 説明不要
H1221年 承久の乱

423 :日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:10:44
結局幕府そのもの定義が統一されていない以上、
成立時期が特定されないのは当然としか言いようがない。

424 :日本@名無史さん:2005/11/18(金) 23:48:54
鎌倉幕府と室町幕府と江戸幕府はそれぞれ別物。それぞれ異質。
いっしょに論じること自体まちがい。

425 :日蓮:2005/11/20(日) 13:12:49
題目を唱えてりゃいいんだよ、ヴォケども

426 :日本@名無史さん:2005/11/21(月) 11:40:35
承久の乱以降の鎌倉幕府に朝廷は擦り寄っていった
室町幕府は朝廷の権限を吸収していった

427 :日本@名無史さん:2005/11/21(月) 11:49:41
>>417
東鑑じゃだめなのかい

428 :日本@名無史さん:2005/11/21(月) 13:19:42
江戸幕府は朝廷を押し込めた

429 :日本@名無史さん:2005/11/21(月) 19:11:09
>>415
「ばくふかいまく」じゃないの?
「へいばく」なんて言葉は聞いたことないし…

430 :日本@名無史さん:2005/11/21(月) 20:00:33
「開府」だね。

431 :山野野衾 ◆a/lHrXCS16 :2005/11/21(月) 22:23:53
>>429
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
漢字ドリル(ry


432 :日本@名無史さん:2005/11/21(月) 22:31:25
>>431
ありがとうございます!
おかげで助かりました!

433 :日本@名無史さん:2005/11/22(火) 04:26:54
>>427にも答えてやれよ

434 :日本@名無史さん:2005/11/22(火) 12:04:10
権門体制論てもう使えないの?

435 :日本@名無史さん:2005/11/22(火) 12:40:03
古いなw

436 :歴史ラブA:2005/11/22(火) 13:35:43
今週末に学校で、北鎌倉に行くんですけど、どこか
良い所ってありますか?


437 :山野野衾 ◆a/lHrXCS16 :2005/11/22(火) 13:54:54
>>436
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
auのEZナビ(ry

438 :日本@名無史さん:2005/11/22(火) 13:56:05
>>437
ありがとうございます!
vodafoneから乗り換えることにします!

439 :日本@名無史さん:2005/11/22(火) 14:58:01
円覚寺と建長寺はいい

440 :日本@名無史さん:2005/11/22(火) 23:50:28
>>429
開幕の文字だけで、幕府が開かれたことを意味する。
倒幕は聞くけど、閉幕は聞いたことないし、変な感じがする。
閉じるというのがなんか奇妙に感じる。
終幕(聞いたことないけど、ありそうな予感)の方がかっこいいぜ。

441 :日本@名無史さん:2005/11/23(水) 03:06:47
開府だろ

442 :日本@名無史さん:2005/11/23(水) 10:57:15
開府だね。開幕は日本語としては不適当。
「かいまく」になっちゃう。

443 :日本@名無史さん:2005/11/23(水) 10:58:36
http://kei11.k-server.org/enter.htm

444 :日本@名無史さん:2005/11/24(木) 11:27:28
石合戦を中止したが、
飢饉となり、石合戦を認めた北条時宗

445 :日本@名無史さん:2005/11/24(木) 16:02:52
飛礫だな

446 :日本@名無史さん:2005/11/25(金) 11:29:45
網野か?

447 :日本@名無史さん:2005/11/25(金) 14:16:49
桓武平氏の嫡流って熊谷直実?と言ってみたりする。

448 :日本@名無史さん:2005/11/26(土) 03:37:44
でしょ。貞盛ー維将ー維時ー直方の直系だから。
次が北条か。その次が城か。海道とか。

449 :日本@名無史さん:2005/11/28(月) 17:10:17
行基式日本地図

450 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/28(月) 18:11:22
>>446
日本思想大系の月報28号に、「飛礫覚書」がありますね。
他にもどこかで出ていた気がしますが。
『年中行事絵巻』以外に描いた例はあったでしょうか。

>449
独鈷形の日本国について、一言。

451 :日本@名無史さん:2005/11/29(火) 11:16:42
朝鮮半島にも飛礫はあったとか

452 :日本@名無史さん:2005/11/29(火) 16:50:44
さすが山野様
博識です

453 :日本@名無史さん:2005/11/29(火) 19:12:12
飛礫だけに、博識をを披瀝したってか。

454 :日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:15:40
山田くぅ〜ん!座布団一枚!

455 :日本@名無史さん:2005/11/30(水) 19:34:36
「飛礫」をわざわざ「ヒレキ」と読むやつもめずらしいな

456 :日本@名無史さん:2005/12/01(木) 12:01:55
独鈷の形をした日本地図。
南蛮渡来の世界全図との整合性やいかに

457 :日本@名無史さん:2005/12/01(木) 13:18:49
ピリーレイスの南極図
中南米の部分図との整合性やいかに

458 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 03:39:59
>>455
えっ、他に何て読むの?

459 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 11:05:10
萌えるなぁ。独鈷の日本。

460 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 22:37:45
>>458
そういうトンチキには
レスはなしのつぶて。

461 :日本@名無史さん:2005/12/02(金) 22:50:52
日本の三大内ゲバ組織

鎌倉幕府、新撰組、連合赤軍

462 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 06:55:25
>>460
いやいや、マジで分かんないんだよ。
トビツブテ? トバシツブテ?
ずっとヒレキとしか読んでこなかったからさ。教えてよ。

463 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/03(土) 11:40:47
>>456
中世神話では、薬師如来の国土とされていましたね。
東照宮の本地仏が薬師なのは、単に「東照」だからでしょうか。
「日本大権現」という候補が下げていますから。
この頃、三嶋、祇園、住吉などの本地が薬師でしたね。

>>462
書いて下さっていますよ。「つぶて」でよろしい。

464 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 11:48:52
空海の死体は残ってないのですか?
ミイラではないというのは他スレで聞いたのですが…。

465 :日本@名無史さん:2005/12/03(土) 18:46:38
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1133600641/l50

466 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 01:29:03
>464
院政時代の治天の君が見た、という文書だか何だかが
あったはずである。仁和寺の御室が一緒に行ったんだっけか?
うろ覚えでスマソ。


467 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/04(日) 01:42:19
『栄花物語』に、道長が生きているかの様な姿を目の当たりにしたとありま
すが・・・『院政期高野山と空海入定伝説』という本があります。

468 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 01:45:25
で、結局ミイラはあるのかな?
今はないんだろうけど。

469 :山野野衾 ◆a/lHrXCS16 :2005/12/04(日) 03:03:48
>>468
だからナイって言ってるでしょ、あんたもしつこいな(`Д´)

470 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 04:21:52
うっ…すんまそん。
まさか山野さんに叱られるとは…(笑)

471 :山野野衾 ◆a/lHrXCS16 :2005/12/04(日) 04:32:23
>>470
しつこい人は嫌われますよ。



貴方、彼女イナイでしょ?

472 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 04:39:11
>>463
「礫」一文字で「つぶて」なのに、「飛礫」も「つぶて」なの?
変なの。

473 :山野野衾 ◆a/lHrXCS16 :2005/12/04(日) 04:45:59
>>472
質問スレでは無いので、ヒントだけ差し上げておきます。
漢字ドリル(ry


474 :ケンシロウ:2005/12/04(日) 04:58:04
>472
強敵と書いて「とも」と読むようなものよ。

475 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 07:30:15
それはちょっとちがうだろ。もっと何かいい例無いかな

476 :日本@名無史さん:2005/12/04(日) 11:39:46
つ和泉

477 :秀平@奥州守護:2005/12/04(日) 20:28:08
鎌倉なぞ藁だな

478 :ケンシロウ:2005/12/05(月) 14:11:26
>475
鎌倉・室町幕府に仕えた「摂津氏」は「せっつ」じゃなくて
「つ」と呼び習わしてたんだよね、確か。これでどうじゃ?

あとさあ、頼山陽の子孫の中国文学者、頼惟勤という人の名前は
「つとむ」。あれ?「惟」はなんて読むの?というと、
「惟」は置き字で読まんそうだ。さすが中国文学。
あっと、これはまた違うタイプだな。


479 :日本@名無史さん:2005/12/05(月) 15:08:45
和泉もそのパターンかね?

480 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 08:43:06
好字2字にするためてのは分かるが、何で「和」なんだろ。
で、結局「飛礫」の類例はないのかね。
てゆうか、そもそも本当に二字でも「つぶて」なの?

481 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 11:15:25
漏れのパソコンだと、つぶてで、「礫」と「飛礫」がでるよ

482 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 11:52:27
鉄漿を「かね」と読むのは?

483 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 11:57:44
国語から勉強しなおせ馬鹿ども。

484 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 14:20:19
鎌倉に住んでるが湿っぽくて嫌なとこだよムカデとか多いし心霊スポだので騒がしい。
これも鎌倉武士の怨霊なのかね!?

485 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 17:21:12
後白河天皇の第六皇女、宣陽門院に関しての文献や史料ありませんか。

486 :日本@名無史さん:2005/12/06(火) 22:24:43
>485
『国史大辞典』くらい引きなさい。いっぱい出てるから。
宣陽門院の長講堂領は、室町時代でいいなら収入の具体例も
判明しておる。ともかく莫大な量だ。八条院領はもっと多い
わけだから、そりゃあいい暮らしが出来たんだろうなあ。

487 :日本@名無史さん:2005/12/08(木) 12:03:28
ムカデと蛇が戦って、蛇が勝った。

488 :日本@名無史さん:2005/12/08(木) 21:24:47
今昔物語ですか?

489 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/08(木) 23:24:41
『神道集』の方かもしれません。

490 :日本@名無史さん:2005/12/09(金) 11:31:45
女を抱いたら、あそこがなくなっていた。

491 :日本@名無史さん:2005/12/09(金) 23:46:15
■■■姫路市■■■
●世界文化遺産=1……姫路城(国宝建築物8、国重文建築物74他で構成)
●国宝建築物=8棟
姫路城大天守、姫路城東小天守、姫路城西小天守、姫路城乾小天守、姫路城イ渡櫓、姫路城ロ渡櫓、姫路城ハ渡櫓、姫路城ニ渡櫓
--------------------------------------------------
■■■大津市■■■■
●世界文化遺産=1……比叡山延暦寺(国宝建築物1)
●国宝建築物=9棟
比叡山延暦寺(根本中堂)、石山寺(本堂、多宝堂)、日吉大社(西本宮本殿、東本宮本殿)、園城寺(新羅善神堂、光浄院客殿、勧学院客殿、金堂)
--------------------------------------------------
■■■鎌倉市■■■
●世界文化遺産=なし
●国宝建築物=1棟  円覚寺舎利殿 のみ
--------------------------------------------------
京都や奈良を持ち出すまでもなく、いかに鎌倉がイカサマ臭いかがよっく判りますね。(笑

492 :日本@名無史さん:2005/12/10(土) 06:40:32
姫路や大津の素晴らしさにケチをつけるつもりは毛頭ない。
だが埋蔵文化遺産まで視野に入れれば、鎌倉だって負けてないよ。
それに大仏や金沢文庫まで含めれば、国宝・重文の数は増えるし。

もっともそれで世界遺産になれるか、というと厳しいのかもね。

493 :485:2005/12/11(日) 01:23:48
>>486
ありがとうございます、遅くなってすみません。
申し遅れましたが、宣陽門院と東寺に関する史料を
主に探してます(後出しでごめんなさい)。
弘法大師信仰とかその辺りの関係ででして…失礼しました。

494 :日本@名無史さん:2005/12/11(日) 09:20:31
>493
それならアミノ酸の『東寺なんたら』をまず読むこと。
宣陽門院と東寺の僧侶、それに付随する人間関係を
当時の政治状況の中で抑え、それに宗教的な味付けすれば
宜しいのでは。

495 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 01:03:01
度々すみません…
「アミノ酸の東寺なんたら」が皆目検討つきません!!
網野さん?『東寺』何??
詳しい書名ごとお願い申し上げます(ノд`)ゴメンナサイ!

496 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 08:15:00
その程度も理解できない奴がこのスレに出入りするな。
死ね。

497 :452:2005/12/12(月) 08:20:20
そんな意地悪いわんと・・。
網野善彦氏の『中世東寺と東寺領荘園』(東京大学出版会)ね。
図書館いけばあるよ。

498 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 10:07:37
網野なんて一般人だって読んでたのにな。
著者名わかってるのに自力でググれないんだから馬鹿は困る。

499 :日本@名無史さん:2005/12/12(月) 11:26:55
頼朝の天下草創に萌え

500 :日本@名無史さん:2005/12/13(火) 10:36:00
頼朝は頼りになるな

501 :日本@名無史さん:2005/12/14(水) 11:12:42
頼朝なくして武家政権なし

502 :日本@名無史さん:2005/12/15(木) 12:13:25
東国の王権

503 :日本@名無史さん:2005/12/16(金) 10:50:03
近畿の王権と東国の王権

504 :日本@名無史さん:2005/12/16(金) 12:26:09
>>496
何ですか。
この2ch板は学者さんが使ってるのですか?w

505 :日本@名無史さん:2005/12/16(金) 13:00:12
網野くらい学者さんではなくても知ってると思うけど。

506 :日本@名無史さん:2005/12/16(金) 13:09:17
戦後日本の寂しさ

門(かど)に立つのは
苦しそうに勉強している、うその苦学生、
辛い思いをしたかのような、うその廃兵、
まるで国際援助をしているよな、うその主義者、志士、
馬車、自動車に乗るのは
金の事しか頭に無く、うその紳士、大臣、
他人のことはどうでもよい、うその貴婦人、レディイ、
それから、新聞を見れば
権力主義の、うその裁判、
幸せになれると過剰に期待をする。うその結婚、
さうして、最も悪いうその教育。
経済大国になって浮世小路(こうぢ)は繁(しげ)けれど、
与謝野 晶子も、ついぞ真(まこと)に行(ゆ)き遇(あ)はぬ。

507 :日本@名無史さん:2005/12/16(金) 15:24:31
柳は緑花は紅。

508 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 11:55:07
日食の時に、鎌倉将軍は、つつまれた

509 :日本@名無史さん:2005/12/18(日) 21:44:15
安達盛長と足立遠元は同族?

510 :日本@名無史さん:2005/12/19(月) 12:16:54
鎌倉街道ってのは何本くらいあるの?

511 :日本@名無史さん:2005/12/19(月) 20:16:41
>>509
ttp://spaces.msn.com/members/km45/?partqs=ayear%3D2005%26amonth%3D11&_c11_blogpart_blogpart=blogview&_c=blogpart

512 :日本@名無史さん:2005/12/20(火) 11:34:18
権門体制って何?

513 :日本@名無史さん:2005/12/20(火) 13:57:55
え?権門体制も知らんのか?困ったもんだ。じゃ、まとめてみる。
1970年頃、大阪大学の黒田俊雄氏が提唱した説。
中世日本は天皇を中心に、公家・武家・寺家が相互に補完しながら
支配者層を形成していたという学説。
平安時代後期から戦国時代までを見通す壮大な仮説であり、
いまもなお中世国家史では定説となっている。
(ちなみに京都大学の元木泰雄氏により、「複合権門」概念が
 提唱され、理論の一層の発展が試みられている)
こんなところで、どお?

514 :日本@名無史さん:2005/12/20(火) 22:03:13
>いまもなお中世国家史では定説となっている
そぉ?

515 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 12:01:06
権門大勢が当てはまるのは平安後期。
東国に武家政権ができてからは当てはまらないよw

516 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 12:55:36
>515
東国の武家政権といっても、征夷大将軍に任じるのは
天皇なんだから、やはり日本の中心は天皇で、
幕府はその権限を代行してるだけ、と考えるべきなのでは?
というわけで、権門体制。これ最強。

517 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 13:08:53
>>516
でもその天皇を決めるのは得宗。

518 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 15:16:33
>>517
うぞお!?史実を捏造してはいかんぞ。

519 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 19:24:49
ここで押し問答してるのが元木さんと本郷さんだったら笑える

520 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 19:38:49
>>518
無知な奴がいる

521 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 22:49:26
age

522 :日本@名無史さん:2005/12/21(水) 23:44:36
元木さんと本郷さんは仲が悪いの?

523 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 02:19:01
元木:権門体制を批判的に継承
本郷:卓袱台返し

ってカンジ?

524 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 11:25:39
承久で上皇3人島流しした幕府が朝廷の一権門か?
頂点の権限を吸収した室町幕府が朝廷の一権門か?
NOだろ?

525 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 11:35:23
頂点→朝廷

526 :日本@名無史さん:2005/12/22(木) 12:03:47
>>524
>頂点の権限を吸収した室町幕府が朝廷の一権門か?
>NOだろ?

まあ、落ち着け。
室町幕府はNOなのか?一酸化窒素なんだな?


527 :日本@名無史さん:2005/12/23(金) 11:55:23
鎌倉中期からは新天皇をどうするか幕府にうかがってから決め、
室町では新天皇を幕府が決めていた

528 :日本@名無史さん:2005/12/24(土) 15:09:03
鎌倉や室町幕府が権門体制なんて今どきありえないしw

529 :日本@名無史さん:2005/12/24(土) 16:07:53
H郷さんは論外

530 :日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:06:02
>>528
それがいるんだよ
ほんの一部のバカウヨだけど

531 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 10:50:43
黒田さんはマルキストなのにねw

532 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 11:01:06
京都と鎌倉を比べると違う点は?

533 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 12:21:57
>山野野衾さん
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history2/1135426948/

534 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 17:50:02
H号さんは2ちゃん見てるって聞いたYO

535 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 18:35:37
>>534
見てるだけとは思えんねw

536 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 19:10:27
ご主人のほう?奥さんのほう?

537 :日本@名無史さん:2005/12/25(日) 22:14:40
仄聞したのは旦那の方
嫁はシラネ(・з・)

538 :日本@名無史さん:2005/12/26(月) 12:29:58
頼朝の天下草創による関東の王権

539 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:18:22
九郎ちゃん呪いの屏風見たんだよ

大河スレで芸術云々いってるのは三河先生?

540 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 03:45:34
三河先生って三河系?

541 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 15:24:44
武士なら誰しもが尊敬していた頼朝
畿内に京都政権を閉じ込めた功績は大きい

542 :日本@名無史さん:2005/12/27(火) 20:17:23
それは頼朝の功績じゃなくて義時の功績だろう

543 :日本@名無史さん:2005/12/28(水) 02:15:33
大江広元ってゲッペルスのイメージだよな

544 :日本@名無史さん:2005/12/29(木) 12:04:29
大江広元。いいじゃないか。
頼朝の知恵袋。功績は大だ。
頼朝の墓の少し奥に墓がある。

545 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/29(木) 19:12:33
頼朝と広元の墓が、整備されたのは安永年間。島津氏によるもの。
ttp://www.geocities.jp/hidekihayasijp/sekitou/tou/ooenohiromotohaka.html
どうもはっきりしなかった様で、墓というより、後年立てられた供養塔なの
かもしれません。
『吾妻鏡』成立に関ったのが広元の係累であった為に、とにかく功績を強調し
たという説もあります。

546 :日本@名無史さん:2005/12/30(金) 11:09:53
頼朝の葬式は盛大に行われたでしょ。
墓もしっかりしたものを作ったはず。
うもれたのは後の時代。

547 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/30(金) 13:32:13
大河ドラマ『北条時宗』で出ていたでしょう。法華(三昧)堂ですよ。
宝治合戦で、三浦や毛利が集団自殺していた場所です。

548 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 12:18:55
>>547
今は石塔が残ってるよ

549 :日本@名無史さん:2005/12/31(土) 13:59:40
>>548
三浦の事件の説明文も立ってたぞ

550 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 04:58:17
初めて書き込みさせて頂きます。
鎮西奉行についてですが、設置当初から西方奉行、東方奉行の二頭体制だったのでしょうか?
それぞれの初代奉行もご教示下さい。
よろしくお願いします。

551 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 11:47:30
あ、3さんですね!
得意の自作自演爆裂ですか!!

552 :武蔵:2006/01/02(月) 11:49:08
和紙は、足利の子孫じゃー(マジ)

553 :武蔵:2006/01/02(月) 11:50:20
わしの先祖足利尊氏が鎌倉をほろぼしたのじゃー

554 :武蔵:2006/01/02(月) 11:53:06
太刀があるし長刀もある


555 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 11:57:37
尊氏から何代目になるんですか?

556 :歴史ヲタク:2006/01/02(月) 11:58:14
こんにちは、初めまして僕歴史が大好きな小学生です・・・
みなさん足利家のだれが好きですか???
僕は足利義満です。優れた知能バンゼン最高です。
あの人将軍辞めた後、太政大臣だっけ?になったんですよ!!!

557 :武蔵:2006/01/02(月) 12:03:20
俺は、足利がいなかったらこの世には、もういない
ちなみにおれ は、義昭から17代目かな。

558 :武蔵:2006/01/02(月) 12:04:18
だいたいね

559 :歴史ヲタク:2006/01/02(月) 12:06:47
すごいですね・・・
室町幕府を倒した織田信長は嫌いですか??

560 :武蔵:2006/01/02(月) 12:08:20
まーしょうしょううらみたいけど
好きなところもある・・・
応仁の乱さえこなければ・・・

561 :武蔵:2006/01/02(月) 12:21:54
おーい
いきてんの?
返答せよ

562 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 12:38:36
>>548
後から作ったものに決まってるだろハゲ。
当時の貴人の墓はああいったお堂が基本だ。

563 :日本@名無史さん:2006/01/02(月) 12:42:44
(´-`).。oO(…尊氏が鎌倉をほろぼしたのかぁ へぇー)

564 :武蔵:2006/01/02(月) 12:44:40
義経の首塚は、鎌倉のどこにあるのやら・・・

565 :武蔵:2006/01/02(月) 12:46:07
あと新田義貞が協力したのかな
もともと幕府は、源氏のものだし・・

566 :武蔵:2006/01/02(月) 23:38:15
武蔵
ただいま参上!!

567 :山野野衾 ◆a/lHrXCS16 :2006/01/03(火) 00:36:18
>武蔵
義昭から17代目ですか。
苗字は何を名乗っていますか?

568 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 00:38:41
ん〜 鎌倉スレか・・ 
昔すぎて意見なし まかせる!

569 :武蔵:2006/01/03(火) 10:33:06
>>567
個人情報もれるからむりだな

570 :武蔵:2006/01/03(火) 11:07:38
おーーい戦死したのか
応答せよ

571 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:27:30
応仁の乱が日本史のターニングポイント!
承久の乱もか?

572 :武蔵:2006/01/03(火) 11:47:09
戦国時代の始まりだー

573 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 12:56:10
荒れてるな
武蔵野合戦

574 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 13:36:44
承久の乱が朝廷衰微のきっかけ
致命的失敗は後醍醐の挙兵、朝廷の自己否定

575 :武蔵:2006/01/03(火) 14:48:59
1467年の応仁の乱さえこなければ・・・
将軍だったのにーーーーークソーーーーー最悪だーーーー!!
室町幕府かえってこーーーい

576 :武蔵:2006/01/03(火) 14:51:18
親が、長男じゃないからむりだ・・・

577 :日本@名無史さん:2006/01/03(火) 15:12:52
足利の直系といえば平島公方家だろう。

578 :日本@名無史さん:2006/01/04(水) 17:59:07
鎌倉時代は何年からがいい?

579 :日本@名無史さん:2006/01/04(水) 18:27:55
┐(´〜`)┌ .。oO(…冬だのぅ)

580 :日本@名無史さん:2006/01/04(水) 18:31:09
スレ主は立て逃げか?

581 :日本@名無史さん:2006/01/05(木) 21:07:08
>>578
1185年が開幕がいいかな?

582 :日本@名無しさん:2006/01/06(金) 00:37:07
頼朝が将軍に就いた1192年から3,4年後、将軍職を辞職したよね?
間違っていたらゴメン。

583 :日本@名無史さん:2006/01/06(金) 12:06:31
それがどうしたの?

584 :日本@名無史さん:2006/01/07(土) 12:04:45
源氏が滅亡してからのほうが、
東国政権は強固になった気がするが?

585 :世界@名無史さん:2006/01/08(日) 19:42:20
鎌倉時代の時、現代の東京あたりにも都市は開発されていましたか?

586 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/08(日) 23:47:22
『吾妻鏡』に浅草寺が出て来ますが、『とはずがたり』に周辺の風景が語ら
れていますよ。ご一見を。
室町時代、万里集九が訪れた頃には、栄えていた様です。

587 :山野野衾 ◆a/lHrXCS16 :2006/01/09(月) 10:08:20
>>585
開発されていませんよ。


588 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 10:49:35
江戸が京都をぬいたのは、江戸中期か?

589 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 22:14:56
>>587
「都市的な場」は存在したのでは?

590 :日本@名無史さん:2006/01/09(月) 22:34:09
出たな、「都市的な場」w
道が通ってて、ちょっとでも経済活動の臭いがするとすぐ持ち出されるけど
胡散臭スw

591 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 10:52:15
都市はたくさんあったよ。
江戸時代に城下町以外は農村にされたけど、
実は各地に都市があったんだよね。

592 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 18:04:46
こんなんありますた

ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980176318

593 :日本@名無史さん:2006/01/10(火) 20:25:59
鎌倉時代には、現在の青森県から鹿児島県まで統一していたので
都市は全国規模であったんじゃない?
まだ発掘されてない都市跡はたくさんあると思う。たぶん・・・

594 :日本@名無史さん:2006/01/11(水) 08:47:31
全国規模であった。
開発でさらに発掘は進むだろう。

595 :日本@名無史さん:2006/01/12(木) 08:48:37
市をちゅうしんとした都市化

596 :日本@名無史さん:2006/01/13(金) 08:44:56
市?

597 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 10:27:39
外が浜から奇怪が島まで鎌倉幕府の支配地

598 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 11:06:11
そもそも「都市」の定義は?

599 :日本@名無史さん:2006/01/15(日) 12:55:46
封建制度の長所と短所を述べよ。

600 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 10:15:25
>>598
人口が一定以上集中し、職人がいて商人がいて、生産より消費が多い。
これが都市では?

601 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 12:23:24
日本史で最後に名前が出てくる天皇は
後醍醐天皇でFA?

602 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 12:44:41
>>600
>職人がいて商人がいて
免田をもらってる職人やら問やら運送業者は
どうなの?

>生産より消費が多い。
その「生産」「消費」の定義は?計算基準は?
米、絹布、銅細工ではどう比較する?

603 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 14:12:31
>>602
>免田をもらってる職人やら問やら運送業者は
>どうなの?
都市民でいいんじゃないかな

>その「生産」「消費」の定義は?計算基準は?
>米、絹布、銅細工ではどう比較する?
よくわからんが、米でいいでないかい?
手工業品だと、都市の生産のほうがが大きいこともあるのでは


604 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 15:29:57
政権泥棒の北条氏
現代まで生き延びている末裔はいないのか?

605 :日本@名無史さん:2006/01/16(月) 17:27:06
>>603
>都市民でいいんじゃないかな
不勉強なもので、なぜそういいきれるのか
理解できないのですが。

606 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/16(月) 17:39:53
>>600
アクバル大帝の「町」の定義に、同じ様な発言がありましたね。
一定の面積と人口密度を有し、二次・三次産業が発展している。
ただ、都市史や歴史地理学の方には、法・権利を共有し、封建的貴族身分に
対抗する市民身分が形成されており、自治を行っている事、という言があり
ませんでしたか。この理屈だと、平安時代の京などは都市ではない、となる。
日本でも堺が真っ先に想起される様に、中世には諸身分が法・権利を共有し
た共同体を形成し、自治も行う様になっていたという指摘がありますが。

607 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/16(月) 17:45:38
>自治も行う様になっていたという
(堺の様な)自治都市も存在する様になっていた
自治だけやっていればひなびた田舎でも自治都市になれる訳では無い。
一定の人口密度云々の要素も必要でしょうが。
私もあまり突っ込んで調べたテーマではありませんが、とりあえず出ないよ
りはましというぐらいの気持ちでお話しております。

608 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 01:12:12
甚だしい鼬害ではあるが・・・

汎インド(?妙な呼称だなwイスラム圏ともちと違うので便宜的呼称として)において
町(特に港湾都市)の自治の強弱は内陸部との交通頻度の度合いに左右されている。
まぁ完全に領域国家の影響を受けずに自立した「町」は、極めて稀ではあるがw
内陸部においても二次・三次産業が発展しているかいなかは交通路の要所に位置しているかどうかの差が
日本とインドでは比較にならぬ程大きい。

606-607を門外漢が読んでも、何故日本史板の「町」の定義においてアクバルなのか
その意図が皆目分かりません。もう少し説明する必要があるのではないかと・・・

もっとも私もあまり突っ込んで調べたテーマではありませんので、
御心の内の一端なりとも御教授戴ければ幸甚かと存じレスした次第ではありますが。

609 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/17(火) 01:32:03
いや、単なる連想です。「町の風景」と聞いて連想する「一般的情景」は
こんなものであろうと。深くお考えにならなくてもよろしいですよ。

610 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 16:50:12
厳密な判別は無理でしょう。
消費>生産の観点はどう?

611 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 17:24:37
>>610
たとえば京都でさえ、
かつての大路・貴族の邸宅・寺院あとが田んぼに
なっていたというし。

京都は水の便がいいから、下手な荘園よりも
農業生産性が高かったかもしれない。
農業以外の生産を勘案すると、
都市は「消費<生産」だった可能性もある。

612 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 17:52:21
鎌倉時代の主だった都市は平安京、太宰府、鎌倉、平泉
あとどこかあったっけ?

613 :日本@名無史さん:2006/01/17(火) 20:49:52
>>612
十三湊(w

614 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 09:09:23
中世にはここかしこに都市があったと思うが?
>>612は大都市

615 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 11:32:30
>>612
鳥羽とか白河はダメ?

616 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 16:23:55
宇治は?

617 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 20:02:23
福原は?

618 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 21:18:39
元平城京はどうなん?

619 :日本@名無史さん:2006/01/18(水) 22:58:01
博多湾沿いは?

620 :日本@名無史さん:2006/01/19(木) 13:23:09
堺は?

621 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 09:23:58
琵琶湖周辺は?

622 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 16:18:52
日本史のターニングポイントはやはり応仁の乱?

623 :日本@名無史さん:2006/01/20(金) 16:28:53
戦国時代じゃないかな

624 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 09:58:45
日本史は応仁の乱の時代からあとを学べばそれでよい

625 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 16:03:16
鎌倉幕府が出来たとき、幕府(源氏)の直轄支配地は
今の関東地方でしょうか?
今の福島県も幕府の支配地になっていたんでしょうか?
誰か教えて下さ〜い。

626 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 16:47:21
関東御領、関東御分国

627 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 22:46:03
>626
本当にすいませんが、もっと具体的に教えて下さるでしょうか?

628 :日本@名無史さん:2006/01/21(土) 23:48:36
1185年 鎌倉時代の始まりじゃ〜〜〜〜〜

629 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 07:46:01
>>628
今はその説が有力かな

630 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:16:48
源頼朝は何で狭い鎌倉に都市を造ったのかな?
現在の東京湾沿いの方がもっと大規模に都市を造れたろうに。

631 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:39:24
開府は右大将がするもの

632 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 13:43:17
>>625
福島県は、1189年の奥州藤原氏滅亡後に鎌倉幕府が設置した
奥州総奉行が管理していました。

福島県の一部は頼朝によって三浦氏の所領となりました。その子孫が芦名・猪苗代一族です。



633 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 13:46:36
>632
ありがとう、助かりました。

634 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 13:50:46
632です。蘆名でした。訂正します。

伊達氏・相馬氏・留守氏・小野寺氏・寒河江氏も
頼朝によって奥州に所領を与えられた人の子孫です。

635 :日本@名無史さん:2006/01/22(日) 14:56:46
>>604
吉良、今川の子孫には時政の血が流れているよ。

よって上杉綱憲の子孫の上杉家には北条の血が入っている。

さがせばもっと沢山いるだろうけどね。

636 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 09:32:56
鎌倉時代と室町特に戦国時代とは、かなり違う。
前期後期で分けてるとはいえ、同じ中世でいいのだろうか?

637 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 10:23:11
>>636
欧州流に中世と言わなくてもいいのではと思う。

武士の時代という意味では共通。

そして荘園支配を基本とした時代としては鎌倉と戦国時代
以前の室町とはひとくくりにしても良いかと。これを武家の
時代前期。

そして前期は御家人中心の前々期と、非御家人をも武家に
取り込んだ前後期とにわけていいかも。前後期は貨幣経済
が本格化した時代ともいえる。

荘園支配から領域支配への転換という意味で戦国、江戸時代
はひとくくりにできるかと。そして武家一統が完成した安土
桃山を分岐点にそれ以前が後前期、それ以後が後後期にわけ
ればいいのでは?

638 :日本@名無史さん:2006/01/23(月) 22:30:53
わかりにくいね

639 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 09:08:40
室町幕府は、鎌倉幕府が発展したものと解釈してよいのだろうか?

640 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 10:13:43
>>639
良いのではないかと思う。

実際組織は鎌倉幕府とほぼ同じだし、関東の鎌倉府は鎌倉幕府
のミニチュア版だし。

西国中心に登場した非御家人の悪党を取り込むため幕府が拠点
を関東から西国に軸を移動したって感覚ではあるまいか。

赤松のように悪党から侍所の所司にまで上り詰めるやつも出た
し、将軍直属軍の奉公衆の多くは元悪党層の連中だし。

641 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 14:34:51
鎌倉時代後期の特徴を知るためのお奨め参考文献ありますか?

642 :日本@名無史さん:2006/01/24(火) 21:51:04
細川重男「鎌倉政権得宗専制論」

643 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 01:38:26
「悪党層」ねぇ・・・

644 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 08:34:35
室町幕府は足利さんちの家政機関が発展したモンなんだろ?

645 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 09:00:52
室町幕府はなぜ朝廷の権能を吸収できたのか。
南北朝統一のせいかな?

646 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 10:25:51
南朝を吸収して、天皇権力を一気に手中に収めたせいだろう

647 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 14:32:07
室町幕府は六波羅探題の発展したものでは?
五味文彦「在京人とその位置」

648 :日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:54:34
室町幕府の朝廷接収は公家衆を将軍の家臣化したことによるところが大きい

649 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 10:12:40
公家衆は強いものにつくからな。
金閣参りしてるし・・・

650 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 18:32:38
鎌倉時代で一番の事件ったら何?

651 :日本@名無史さん:2006/01/26(木) 19:28:20
>>650
考えてみたら、日本史上でも大事件の多い時代だな。150年くらいの
期間なのに。

元冦とどちらにしようか迷ったが、やはり承久の変かな。武家が
治天の君を武力で打倒したことの意味は大きい。あそこで上皇側
が勝っていたら、元冦で日本が勝てたかどうかはかなり微妙だしね。

652 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 11:10:28
承久の乱でしょう。日本史の転換点。

653 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 15:21:10
世間知らずの後鳥羽上皇に萌え〜

654 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 16:11:54
律令制度と武家制度どっちが好き?

655 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 16:23:29
律令制度が好きな人なんているのか?

656 :日本@名無史さん:2006/01/27(金) 16:32:03
律令制度は古代の中央集権社会のことだよね?

657 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 13:28:07
律令制度って今の中国や北朝鮮みたいな制度ですよ、基本的に。

そんなの良いと思う日本人っていないでしょ。

658 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 20:54:15
武家制度は主人が個人的に気に入らない家来をカンタンに殺してしまえる制度だけどな。


659 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 20:55:35
>>658
そら質の悪いテレビの見過ぎだよw

現実にはそんなことしたら主人もただではすまん。

660 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:13:11
聞くなら律令制度か封建制度どちらがいい、と聞いた方がいいんじゃない?
律令制度=共産主義的な制度だとは知らなかった。

661 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:43:50
>>659
それは江戸時代の話だろ。
戦国時代までは武家奉公人や百姓は武士に簡単に殺されていた

662 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:49:20
>>661
はあ?なにもシランのだな。

戦国時代の百姓なんて武士と区別つかんぞ。
勝手に百姓殺してみろ。戦争だぞ。

663 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:31:06
>>662
男衾三郎絵詞も知らないのか・・・

664 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/28(土) 23:51:02
あれは、門前を通る山伏が対象だった筈。>首を切り懸けよ云々
下人に対する扱いが苛烈であった事、時にはそれが死にも繋がった事や、
徴税が時には「耳ヲキリ、鼻ヲソギ」といった事態を引き起こしたのは確
かですが。江戸初期までは、割と簡単に切られていますよ。
逆に奉公人が仲間の死に納得出来なくて仇を討った話もありましたが。

665 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/28(土) 23:55:39
首を切るという行為は、『宇津保物語』や『今昔物語集』でも兵・武士の家
以外の下人が不手際・不服従を理由に対象とされていますから、何も武
士に始った事では無かったかもしれませんが。
とはいえ、『宇津保物語』では、主の関白が「獄に下す」と言ったのに対し、
下人の側から「首を召されても結構」と言っているので、公家の側からは
基本的に忌まれた行為であったとも考えられます。
『今昔物語集』で首を召そうとしたのも、兵の家出身では無かったのに武
を誇っていた藤原保昌でした。もっとも、現在のイメージとは異なって、
こうした武を玩ぶ貴族は、中世までかなり存在していましたが。
『古事談』には、武家の重罪=斬首と出ています。

666 :日本@名無史さん:2006/01/28(土) 23:58:39
>>663
あれは鎌倉時代の話じゃん。農地の生産性が上がり、農民に力が
ついが室町くらいだと話は随分違ってくるよ。室町中頃以降は領主
の方が百姓の機嫌取るのに四苦八苦だ。その頃の百姓は武装している
からある種領主の側も命がけだ。下克上も絡んでいるから下手して
百姓敵にまわすような能無し領主は下の連中にとって代わられちゃう。
無意味に百姓殺すような好き勝手が簡単にできるほど世の中単純じゃ
なくなっているんだよ。

667 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 00:00:23
>>665
公家が武をほぼ捨てたのは南北朝が治まったあたりですかね。
足利幕府に家臣化されたあたり。

668 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/29(日) 00:27:43
>>666
生産性の向上に留まらず、それまでは意見を述べられなかった中小農民も発言
権を獲得し、「農村」部が組織化される様になりますね。
確かに地位が向上している。

>>667
家臣化という表現は疑問ですが、朝廷が勢力を失うのは、検非違使庁と国衙の
機能が武家に吸収された足利義満の頃からでしょうか。
近世は言うまでも無く、初期には、既に江戸を都と呼ぶ慣習まで成立している。
私も南北朝頃までしか心当たりがありませんが、大内や長尾に避難していた公
家が乱の際に殺されている例を見ると、何かしら不味いものと見なされる点が
あったのではないかという気がします。
確か、この頃の近衛家の誰かさんも意気盛んでしたし。
禁中並びに公家諸法度で言われていた頃までは、「武」とも縁があったのでは。
なお、公家が天皇や朝廷という意味から転じて殿上人の階級を指す様になって
武家と並ぶのは12世紀ですが、貴族という言葉がその意味で最初に使用され
たのが『太平記』です。武家と並立し得ないという意識があった?

669 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 07:00:53
>>666
戦国大名が「領民を好き勝手出来る」権力では
けっしてなかった、という見解には賛成。
ただし、「政基公旅引付」みると、ワラビの粉を盗んだ、
というだけの罪で、おっかさんと子どもたちが
同じ村人から皆殺しにされてる。政基も「不憫」とは書いているが、
その制裁が間違っているとは書いてない。
江戸時代と中世とでは命の価値がまるで異なっていたと
考えた方がよいのではないかな。

670 :日本@名無史さん:2006/01/29(日) 12:08:02
>>668
陶隆房の叛乱の際は、大内義隆の公家優遇(後継ぎの義尊の母方の祖父は公家の小槻伊治)や
官位獲得のための朝廷への度々の献金などが家臣の反発を買っていたのではないでしょうか。

長尾氏の話は御館の乱ですか?
管領上杉憲政と一緒にいたから殺されたのかな?



671 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/29(日) 16:21:03
>669
>『政基公旅引付』
命が軽い時代でしたね。「一銭切り」も信長に限らなかった。
事件の起きた文亀四年は飢饉の真っ只中で、緊迫した状態にあったというの
も一因でしょうが、この一月後、似たような疑惑が持ち上がった時、政基は
なんと訴人なしで証拠と白状をもとに処刑させています。
しかし、平安〜戦国期の公家の日記を読んでいると、最盛期には庶民の命が
軽かったのが、段々人間味が出て来た様な。
公家の衰退と、「庶民」の地位向上が原因でしょうが。

>>670
失礼、越後ではなくて越中でした。天文14年、長尾為景が越中松倉城を攻
めた際、徳大寺実規ら公家衆九人を殺害しています。
徳大寺は、越中守護畠山氏の親類。
殺害理由についてですが、京との連絡もとっていた公家を殺すより優遇した
方が朝廷側の覚えも目出度いのではないか、反発だけで殺すのは割が合わな
いのではないかという考えがあったのですが、昨日そうかもしれないと思っ
たぐらいの事です。
直接戦うというのではなく、生かしておいたら後々反乱した旧知の側の為に
政治的な活動をされる恐れがあったのではないか、と思い付き。
(とはいえ、畠山が上記の時滅ぼされた訳でも無し、単なる巻き添えか。も
っとも、助命が図られなかったとすれば、これはこれで興味深い)

672 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 09:11:59
各村に乞食が養われていて、
紛争の時に敵に下主人として渡していたというのは本当でしょうか?

673 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/30(月) 13:00:45
>>672
藤木久志先生が指摘された事です。もっとも、戦国期の話ですが。
下手人として引き渡すというより、普段扶養されていた弱者(村にとっては
失っても労働などの面でも問題が無かったもの)が、磔などの形で責任を負
わされました。
罪とは穢れであり、犯した人物の責任や贖罪よりも、何らかの儀礼的行動で
「祓う」事が目的とされていた為に、犯人以外の死で解決するという方法がと
られ、被害者側からも容認されていたものと考えられています。
その日の為に養われていた訳ですから、一方的な被害という訳でもありませ
んが、乞食も今の観点から言えば気の毒です。

674 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 13:12:19
>>673
今の観点から見たら、江戸より前が残忍なのは仕方ないですよね。
考え方も価値観も違いますから。

ただ、農奴に近い常態と思われる律令制、荘園制下の農民と違って
室町中期以後の農民は、独立独歩の自治体としての惣村を形成して
まとまった動きをはじめたという感じがしますね。そうした村々を
取り込んで、荘園ごとにばらばらだった日本を領域形態で再編成
したのが戦国大名たちであり、それをさらにまとめたのが織豊徳川
政権なのでしょうね。

荘園が貴族や寺社の支配下のままで、武士は単にそこの管理人的存在
のままだったら、こうした惣村の形成はうんと遅れたのではないか
と思ったりします。

675 :日本@名無史さん:2006/01/30(月) 14:21:51
「村の戦争と平和」と「雑兵たちの戦場」はどちらが面白い?

676 :日本@名無史さん:2006/01/31(火) 09:06:31
「村の戦争と平和」って日本の中世のシリーズのか?

677 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 09:18:43
独鈷が欲しいんですが、
どこかで売ってるんでしょうか?

678 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 09:19:30
>>675
「戦国の作法」じゃないの?

679 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/01(水) 17:23:01
>>677
高野山、十万円。

680 :日本@名無史さん:2006/02/01(水) 21:08:02
>>677
そんなもんどこの仏具屋でもふつうに売ってるがな

681 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 12:35:22
独鈷の通信販売はしてるでしょうか?

682 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 16:36:00
一体、独鈷を何に使うんだい?
呪詛でもするのかw?

683 :日本@名無史さん:2006/02/03(金) 16:38:12
ケツの穴あああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああ

684 :日本@名無史さん:2006/02/04(土) 20:32:54
>>681
楽天で検索しろ

685 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 04:06:03
現在鎌倉在住。知り合いに「自分には霊能力がある」と信じている人間がいるのですが、その人の霊体験です。
夜中に外からガチャガチャ音がする。
なんだか聞いたことの無い音だったので窓の外を見てみると鎧兜の行列が家の前の道を行進していたとの事です。
その人曰く「鎌倉時代にはこのあたりは戦場だったから」とのたもうてます。
さて、鎌倉時代の合戦では鎧兜の武将が行列で歩くことがあったのでしょうか?
どなたか教えてください。
長めの文章申し訳ありませんでした。

686 :日本@名無史さん:2006/02/05(日) 04:36:25
>>1
さようなら。
いろいろお世話になって、ありがとうございました ..

687 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 01:50:59
頼朝家系が滅びて源氏将軍が居なくなったけど、頼朝の兄弟の家系をなぜ将軍にしなかったんだろうか?

688 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 08:35:24
源氏vs平氏という構図で考えると、
源氏嫡流は3代で滅び、幕府を牛耳ったのは北条家
源氏政権のようで平氏の政権だったのね。

689 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 08:40:18
ところで鎌倉以降、
はっきりと平氏と証明できる家系は
どれだけ残っているのですか?
源氏と比べると、曖昧な家系が多いので。

690 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 08:55:19
>>689
実に少ないですな。

まず北条がアウト。それに三浦も怪しいらしい。

千葉、上総などの忠常系統は一応平氏といえるのかな。

畠山は鎌倉初期に滅びているし。

上杉執事としての長尾もはっきりとはできない。

691 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 09:00:38
信長は兵士か?

692 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 09:09:02
>>691
信長が平氏でないことだけははっきりしている。

なにせ最初は「藤原」を名乗ってたからw

その藤原さえ怪しいらしいw

織田、徳川系大名で出自のはっきりした家はほとんどない。

細川くらいかなあ。

693 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 09:58:43
南北朝時代が日本の歴史のターニングポイントか?
古代がぐちゃぐちゃにかきまわされた感じ

694 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 10:05:24
>>693
ですな。

そもそも古代国家の残滓ともいえる荘園制が崩壊しかけたから
鎌倉末期の悪党の跋扈がはじまり、それが南北朝の争乱の
きっかけになった。

そして争乱でまず公家が完全に没落。そして争乱の中で芽生えた
下克上の精神が武家の下部に行き渡り、荘園制の終焉とタイアップ
するように国人連中が勃興し、上の守護層を倒してのし上がって
いったからね。守護の連中は古代国家の氏の系譜の連中が多かった
けど、国人層はもっと雑多だからその過程で古代国家の残滓が
消滅するような感じになったのではないだろうか。

695 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 12:22:46
荘園制は戦国時代に崩壊し、秀吉で完全につぶれた

696 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 13:45:23
荘園公領制だろ?

697 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 18:16:00
皇室が荘園もってたくらいだから、公領なんてほとんど残って
なかったろうね。

それに国衙の力なんてなくなってたからわずかに残ってた
公領土なんて押領のし放題だったのでは?

698 :日本@名無史さん:2006/02/06(月) 21:09:42
源平合戦だけをみると、西の平氏vs東の源氏だと思いがちだけど、
鎌倉以前の坂東武者は圧倒的に平氏。
西国、東北は国人化した藤原氏が多く、源氏は畿内の勢力
源氏が武家として頭角を現すのは源頼信、頼義から
当初は朝廷における権力闘争の代理戦争
摂関家、公家の没落にともない、武家の勢力闘争に発展
勝利した源氏が東国に新国家を建設。
一時北条氏に権力を奪われるもの、
源氏の棟梁を頂点とする武家国家が成立。
こんなところで良いですか?

699 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 11:25:27
やはり、守護・地頭の設置が荘園公領制度崩壊の始まりか?

700 :日本@名無史さん:2006/02/07(火) 12:03:37
頼朝が後白河法皇を脅したのが効いたのだろう

701 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 12:41:59
坂東武者は家族の屍を乗り越えていく

702 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 13:58:46
おやもうたれよ、子もうたれよ、
死ねればのりこへのりこへたゝかふ候

703 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 14:03:00
西国のいくさと申は、おやうたれぬれば孝養し、いみあけてよせ、
子うたれぬれば、そのおもひなげきによせ候はず。
兵糧米つきぬれば、田つくり、かりおさめてよせ、
夏はあつしといひ、冬はさむしときらひ候。
東国にはすべて其儀候はず。


704 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 14:11:57
俺の屍を越えてゆけ

705 :日本@名無史さん:2006/02/08(水) 22:13:10
やだね武士は野蛮で

706 :日本@名無史さん:2006/02/09(木) 12:08:43
西国武士のカルチャーショック

707 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 11:10:25
武士が政権を保ち続けた日本史の異常さは、
日本にとって幸福だったのか不幸だったのか

708 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 11:35:22
近代に武士道が持ち込まれたのは不幸なことだ
ありもしない武士道が軍人に吹き込まれ、
日本軍を狂わせた

709 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 17:16:39
>707、
俺の考えでは不幸だったと思う。
>708、
俺もそう思う。

総括して言うと世界の中でもなぜか日本だけが異質に見える。(俺は世界の歴史は無知だけど)
武士が政権を取ったのは世界でも日本だけだろう?それも何百年も、 異常だろう。
国内で一族が滅ぼすか、滅ぼされるかをずっとしてきたんだろう。
それで血筋で因縁関係を持ったりなんたりと。
例えばヨーロッパとかは古代から現代まで普通の政府が国家を
統治してきたんでしょう? 一族が滅ぼすか滅ぼされるとか、そんな
争いはしてないんでしょう? 





710 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 17:33:04
昔の日本人より昔のヨーロッパ人のほうが慈悲深い気がする。
今日でも日本人よりヨーロッパ人のほうが慈悲深い気がする。
(なんの根拠もないことだけど・・・)


711 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 20:02:10
(゚Д゚)ハァ?

712 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 21:27:59
>709、710
おおバカだなこいつは

713 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 21:49:18
710的には、さしずめイスラム教徒なんて悪の権化なんだろうな・・・

漏れは、あらゆる時代・階層を通じてもっとも住み難いのがキリスト教圏だと認識している。

714 :日本@名無史さん:2006/02/10(金) 22:05:07
後醍醐天皇の子孫が皆殺しにされなかっただけでも日本人のほうがヨーロッパ人より慈悲深い

715 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 01:34:57
西国武士は東国の武士を恐れたと言うが、
これは平氏が源氏の武力を恐れていたのか、
それとも東国の国人たちを恐れていたの?
元々の坂東武者というのは、平氏が多いような気がします。
八幡太郎義家が東北を平定してから、源氏は関東に影響力を持つようになったんですよね。
えらいひと教えて

716 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 10:54:30
>>685が少し気になるw

717 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/12(日) 10:59:08
>西国武士は東国の武士を恐れたと言うが、
これの根拠がよく分かりません。斎藤実盛が『平家物語』で放った台詞の事
なら、そもそも彼は実際には富士川行きの中にはいませんでしたからね。
西国武者(平家)の敗北を必然とする物語の構成上の虚構です。

718 :685:2006/02/12(日) 21:53:10
>>716
ありがとうございます。
放置プレイと心がけておりますが心優しき方の回答が無いかと
毎日催促も出来ずにただただ眺めるばかりでございます。

719 :日本@名無史さん:2006/02/12(日) 22:07:10
鎧が着られるほどの身分の高い武士なら徒歩じゃなくて馬に乗ってるんじゃないの

720 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 12:21:54
>>716
どう気になるの?具体的に!

721 :日本@名無史さん:2006/02/13(月) 13:59:12
>>719
平治物語絵巻だと、徒侍も鎧着ている。

722 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 12:15:58
承久の乱の圧倒的勝因は何か?

723 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 12:52:59
つか朝廷側が弱すぎだろう

724 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 13:00:10
>>722
坂東御家人の危機感が切実だったのが大きいかと。

あの三浦でさえ後鳥羽からの文をそのまま幕府に
届けているしね。当時三浦は北条と相当な緊張
関係にあったから裏切って普通の状況だった。現に
後鳥羽側は相当あてにしてたようだし。しかし、
三浦は積極的に後鳥羽に立ち向かった。

あとは求心力としての政子と後鳥羽の力量差も大きい
かと。あの演説(直接は安達景盛が読んだらしいが)
は日本史上屈指だろう。あんな演説されたら一致団結
せざるを得ない。

725 :日本@名無史さん:2006/02/14(火) 14:39:02
>>724
>当時三浦は北条と相当な緊張関係にあったから裏切って普通の状況だった

少なくとも当該期の平六タンについては、義時とマブだったってのが最近の見解でね?

726 :定です〜:2006/02/14(火) 23:28:25
きょうはバレンタインデーです。
「友チョコ」ですけど、どぉーぞ ♪
 *
つ■ ))
 

727 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 14:42:57
後鳥羽は勝機があると思ってたようだが、
それは彼の読みの甘さか、
世間知らずか。
如何?

728 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 16:47:39
結果を知ってる人間は後からなんとでも言えるわな。












それが歴史を語る際の楽しみ方のひとつでもあるけどね。

729 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 17:06:14
少なくとも日本開闢以来、朝廷が朝廷外の勢力に首都を落とされ
るような敗北を喫したことはないからね。壬申の乱は朝廷内の
内戦だし。

だから、いざ、院宣を出せば多くの武家が味方について勝利
疑いなしと思ったんだろうな。

戦術も悪くない。幕府全体を敵にするわけでなく、あくまで北条
義時に絞ってたし。

鎌倉幕府の中枢に有能な人間が少なかったらかなりやばかった
のではないかと思うな。日本の歴史見ると、武家は結構日和見
で勝ちそうな方にどっと味方する傾向にあるからね。

政子、義時、泰時、ここいらは日本史上でもかなりの出来物
だからな。

730 :日本@名無史さん:2006/02/15(水) 22:21:54
>>729
京都周辺の武士は大概朝廷側に付いたから、そのへんで楽観視したのかも知れないですね。
幕府側が予想より早く体制を整えて出兵してきたのが敗因かなー。



731 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 11:43:29
上皇側の大将が逃げ延びてきたら、
上皇は門を閉めて知らん顔をしたらしい。
これは事実かな?
事実とすればえげつないこっちゃ、
でも考えてみれば、当然のことか?

732 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 12:20:01
>>731
公家てのはいつでもそんなもんw

だから権力を奪取されてしまった。

733 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/17(金) 19:47:35
藤原忠実も似た様な行動をとっていますが・・・公家が「そんなもん」「だから
権力を奪取されてしまった」として、武家が権力の座にある事の正当性を主張し
たのが新井白石で、以後近現代にまで、
武家→質実剛健だから権力に相応しい 公家→堕落して没落
というイメージが根を張っています。しかし、先入観という気もする。
負けるべくして負けたというものの、本当にそうであったのか。平家等も同様。

734 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 23:47:26
公家より武家のほうがあくどかったというだけだろ。

735 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 23:49:41
平家は生き残ってるという説は言われてるんですか?


736 :日本@名無史さん:2006/02/17(金) 23:54:57
うちの近所に自称平家の子孫が生きてるよ

737 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 00:12:05
自称平家もうからん
えせ同和もうかる

 よってえせ同和の勝ち

738 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 00:37:21
自称平家ってなんでわざわざ身分を隠す必要があるわけ?
源平の戦いとかいっても、実際には平氏も源氏も敵味方に入り乱れてるわけじゃん


739 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 02:18:24
「平家」と言えばふつうは平清盛とその一族だけを指す。
平氏と言ってしまうと北条とか三浦とか千葉とか平氏の鎌倉御家人は腐るほどいる。
「平家」なら鎌倉幕府から謀反人として追っ手がかかっているから身分を隠す必要があっただろうな。

740 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 02:35:54
>>739
鎌倉で僧侶になったのが結構いたから、平家滅亡時に幼かったら助命されたのでは。
まあ、僧侶なら子孫はいませんけど。

平頼盛の子孫はどれくらいの地位の貴族として残ったんでしたっけ。
息子はたしか実朝暗殺の際、京都から来ていたんですよね。


741 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 02:41:55
>>740
頼盛の子孫はだんだんジリ貧になって頼盛のひ孫の代までで朝廷から姿を消しています。

742 :日本@名無史さん:2006/02/18(土) 03:39:42
>>733
いまごろ何言ってんだよ。
わざと高橋無視か。

743 :定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/02/18(土) 04:41:13
>>733
自己板で失恋しますたorz
   〃
(´σπ・)゜゜・。
(   ウワァーン
 

744 :定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/02/18(土) 04:43:08
お邪魔しますた。ごみんなしゃい ..
m(_ _)m ↓

745 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/18(土) 14:31:09
>>721
歩兵用の腹巻でしたね。南北朝時代になると、下馬する事の多くなった騎馬
の士も大鎧に代って着用する様になっている。

>742
なんの事やら。

>743
雑談スレにて。

746 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 05:19:35
2月22日、竹島の日
『嫌韓流2』ついに発売!

45万部のベストセラー『嫌韓流』をまだ読んでないやつは、今のうちに買って読んでおこう

747 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 13:29:37
古代の集団戦法が、中世には騎乗射撃中心になっていった
集団戦法のほうが強かったんじゃないか?

748 :日本@名無史さん:2006/02/20(月) 14:23:09
富山の山奥に、村人全員平の字がつく苗字の村があるが

749 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 12:51:34
>>748
それは落ち武者村だろ

750 :日本@名無史さん:2006/02/21(火) 22:21:34
>>747
>古代の集団戦法が、中世には騎乗射撃中心になっていった
>集団戦法のほうが強かったんじゃないか?

訓練された騎兵相手だと、歩兵は相当不利ですよ。 中国や西洋の例を見ると。
後方や側面に回りこまれて弓や投槍などで攻撃されて混乱する、そこを人馬一体となって突撃されて敗走ってパターン。
対抗する歩兵も数揃えるだけじゃなくて、装備・訓練が必要だから当時の日本では整備するのが難しかったのでは。

そもそも、武士が台頭する以前って集団戦法とってたのかな?
いちおう律令制整備するときに、農民から徴兵する建前が出来ましたけど、すぐ地方豪族の子弟が軍の担い手になってますよね。


751 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/21(火) 22:28:46
>中国や西洋の例を見ると。
騎兵のみの、それも集団での突撃は、日本では無かったでしょう。
>そもそも、武士が台頭する以前って集団戦法とってたのかな?
騎兵に一方的に率いられるのではなく、古代には騎兵と歩兵の連携が見られ、
南北朝時代以降に再度復活したという指摘があります。
集団戦法というか、確か令では一隊十楯として、二隊を前列後列として編成
していた筈。

752 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 05:38:28
>>751
日本は草原がほとんどなく、平地はたいてい田畑。
田畑に用いられないような土地は雑木林が多い。

河原にしたところでそれ程広いわけでもない。

室町中期以前の河口付近は灌漑技術が未成熟だったので
複雑に入り組んでいる状態。

騎馬集団突撃するような地理的環境にないもんね。

753 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 16:36:07
死傷者率は古代の集団戦法のほうが、
中世の名乗り合戦より高かったらしい。

ま、言われてみればそんな気もするが、
意外な気もする。

754 :日本@名無史さん:2006/02/22(水) 17:29:41
実朝以後のマイナーな将軍たちは幕府の扱いはどうだったんでしょうか?
一応は形式的にも決済したりしていたんでしょうか?
それとも完全にひな人形?

755 :日本@名無史さん:2006/02/23(木) 12:03:47
形式的には最高責任者。天皇と同じ。
だから担ごうとするやからも現れ、壮年になると将軍は取り替えられた。
これも天皇とにてるなw

756 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 13:51:25
鎌倉の将軍も、日食の間は、天皇と同じく、かくされていたとか。

757 :日本@名無史さん:2006/02/24(金) 22:17:40
age

758 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 21:46:30
頼朝は傑出した政治家と思うが、どうよ?

759 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 21:55:39
ブレーンのおかげじゃないか?

760 :日本@名無史さん:2006/02/25(土) 22:39:37
>>759
それを使いこなすのも力量がいる

761 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 13:31:28
>>758
傑出してますよ。

頼朝と北条政子他北条一族がいなかったら、
武家政権は日本に誕生しなかったかもしれ
ない。

そうしたら封建制もなく、日本は朝鮮や中国と
決定的な違いのない国のままだったかもしれない。

大きな存在だよ。

762 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 17:29:10
中国や朝鮮にも武家政権は誕生していますが。
日本は平安時代段階で中国と朝鮮とは充分決定的な違いのある国だった。

763 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 17:37:19
>>762
武家政権というのは封建制度のことでしょ。

中国朝鮮は19世紀まで律令制じゃない、基本は。

単に武人が政権のトップにたつのであれば世界中
別段珍しくもなんともない。

平安時代から日本と中国朝鮮が違う道を進みはじめ
たのは事実だけど決定的になったのは封建制が制度
として確立した時でしょう。平将門がその嚆矢だろう
けどまだ制度化まではいかなかったからね。

764 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 17:40:54
日本の封建制を西欧とは違う何かだと言う意見もあるね。
網野氏などは、日本の封建制を違う概念の呼び名にしようと
言っている(日本の中世6)。

765 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 19:59:44
奈良・平安時代の日本の律令制も中国朝鮮とは全然違うと思いますけど。
科挙合格者による官僚制じゃなくて、家柄に基づく政治体制だから。
平安時代も後半になると、代々役職まで引き継ぐようになってそれぞれの家の家職になっちゃうし。




766 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 22:22:06
日本の封建制はよかった方なの? 仮に日本で封建制が発達してなかったとして
律令制でずっと支配してたらどうなってたかな?

767 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 22:37:37
ニダーランドみたいになって生産性が上がらなかった
よって資本の蓄積が進まなかったと思われ
江戸時代の百姓とニダーランドの農民とでは豊かさが
違った たとえば農器具だけでも日本の百姓は江戸期に
おいて10本程度の農器具を持っていたのに対し同時代
のニダーランドの農民は多い方で2〜3本程度生産性が
上がるわけはないと思う

768 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 22:57:00
幕末に小銃を買うにしても一丁、20〜40両前後でしょ
薩長のように一万丁買うにしても30万両、
商業も発展してないと国民国家、国民皆兵も無理

769 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 22:58:20
>>766
封建制って西欧も日本もそうだけど、近代的所有権とか、
個人の人格を前提とした契約とかの極めて重要な前段階
なんだよね。

戦乱とかの物凄い紆余曲折はあるが、この封建制を得る
ことでまず武士層を中心に約束だの権利だのの観念が
確立し、それが武士層ともともと混在一体だった庶民
層にも拡大し、江戸中期以降、日本は亜近代法治主義
の社会になった。

幕末の日本の知識人は日本の社会の支配の根本を法と
道義に基づく支配だと認識しているくらいだしね。

ちなみに封建制度を得てない東アジア大陸では、未だに
法治社会じゃないからね。あそこでは法家主義に基づく
統治はあっても法治はないから。権力者が法の例外に
あるんじゃダメだからね。律令は法をもちいているけど
法家ではあっても法治じゃないんだよ。

770 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/26(日) 23:11:47
欧州の例と比較して、主従間の双務契約関係が薄弱であったとか、「庶民」層
の法の場における権利主張の機会やその為の団体が未形成であり、自前の近
代化は達成出来なかったものの、中国や朝鮮と比較して欧州に倣った近代化
を自ら達成する事が容易であった、と言われますね。
ただ「法」に対する観念としては、上から強制されるものであって本来無い方
が良い刑罰とセットになったものという印象が持たれており、法という単語
が権利をも意味していた欧州とは今でも異なるという指摘があります。

裁判員制度とか陪審員制度というのも、あれは「法」というものを自ら参加し
て勝ち取る権利と見做しているからこそ望まれるものであって、法に対して
及び腰な日本人の精神風土では違和感が残る。

771 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/26(日) 23:14:35
前半についてですが、要するに近代化は出来なかったがそれに近い、下地と
なりうる状況を形成する事は出来たのが日本、という事です。
>法に対して及び腰な
敢えて付け加えておくと、日本人の考える「法」のイメージがお上からのもの、
裁かれるもの、歓迎すべからざるものとなっている為。欧米では法=権利。

772 :日本@名無史さん:2006/02/26(日) 23:26:47
直接民主主義の精神の残滓。ね
普段何を読んでいるんだか・・・

773 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 00:11:50
>>770>>771
わたし、多少法の知識があるものですから、そういうふうに
いわれていることも良く承知してます。

でも、それは近代西欧法を継受する際の偏見がかなり入っていて
それを前提にした考えが濃厚だと思いますよ。なにせあの当時は
江戸時代以前の日本を全て遅れてダメだという前提にたち、その
上で近代法を導入するという思想が根本にありましたから。そし
て今の法学者は日本の歴史に基本的に無知ですから、そういう
近代法を継受した際の先人の考えをほぼ無条件に受けいている
例が極めて多いのです。

良く言われる陪審は近代法の象徴でもなんでもありません。
あれは日本で言う村の寄り合いがそのまま継承され近代の衣
をまとったものと見るのが妥当です。陪審はイギリス法特有の
制度でイギリス法は日本で言うところの御成敗式目がそのまま
残ったようなコモンローをベースにした法で当時の村落共同体
のルールが基本ベースなんです。そしてイギリス法はイギリス
以外の欧州の法体系と基本的に何の関連もないんですよw

774 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 00:18:26
続きですが、日本の法は上から与えられ云々といいますが、
国家レベルの法は現代でも上から与えられるものであって
決して下が作るものでもなんでもありませんよ。

民主主義は法を下が作っているというフィクションを形成する
ことで議会に正当性を与え、社会の安定を図る装置にすぎません。

つまり統治される側の「納得」するための壮大な建て前が
民主主義なんです。

だからこれを絶対化して考えるのは一種の宗教であって客観的
な話ではないと思います。

統治される側が納得するなら別に民主主義である必要なんて
ないんです。

江戸時代が世界史でも稀に見る安定した統治を実現したのは
それだけ民衆が納得して統治されることに成功したからであって、
これが民主主義に劣るとか優るとかいう話にはならないと
思いますよ。

775 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 00:44:06
統治される側が納得するなら非法治社会でも構わんの?

776 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 00:48:10
>>775
法治じゃなきゃ普通納得なんてしないでしょ。

レベル低い社会なら別だけどね。

777 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/27(月) 10:46:03
>>773-774
>江戸時代以前の日本を全て遅れてダメだという前提にたち
唱えられたのがずいぶん前であり(最近では死の直前に石井進先生も似た趣
旨で論じてらっしゃいましたが)、そうした思想的バイアスのかかった人に
よって引用された例もあります。ご懸念はその事でしょう。
しかし、下でも述べる通り、法への意識の違いを述べたかっただけです。
欧州というよりは西欧と言うべきであったかもしれませんが、「都市の代表」
による身分制議会への参入といった形の政治参加や、都市民による革命とい
った行動が日本で起こりそうになかった事(に見える違い)は確かでしょう。

778 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/27(月) 10:47:19
>あれは日本で言う村の寄り合いがそのまま継承され近代の衣
陪審制という制度そのものではなく、それらを受け入れる現代の「法」意識
の下地、文化的環境というものの違いについて述べるのに言及しました。
アンケート(というのも聞き方次第ですが)結果からも、どうも「日本人的」
な制度ではないものを、欧米から安易に借用する事には反対です。
少なくとも歓迎されていない事、政府の説明で納得して受け入れてもらえる
様なものでない事は、明らかかと。

>これが民主主義に劣るとか優るとかいう話にはならないと
そもそも私は>770−771の中で西欧との優劣を問題としていません。
日・中・欧の歴史上で「違い」と類似があったと述べているだけです。
(上で述べた革命云々についても同じで、起こりえなかったから悪いとか劣
っていたなどと言いたかった訳ではありません)
後半(774)で述べられた「反論」自体そうした誤解の下に成立している
様ですが、そもそも「民主主義」の優越性を論じていないので、私に向けら
れる必要性を感じません。

貴方の書き込みは、日本の歴史が民主主義中心の史観から冒涜されたのでこ
れに反論する、という主旨であった様に見受けられましたが、そんなつもり
で書いたのではありませんよ。

779 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/27(月) 10:57:23
以前、漫画家のみなもと太郎先生が江戸後期の打ちこわしが何故フランスの
様な「革命」に発展しなかったのかという疑問を提示され、どうやっても分か
らなかったと述べておいででしたが・・・
(あの先生も、歴史観が古いところがおありで、開国が善、民衆が善といっ
た視点が見受けられますね。「進歩」の為の「迷信」打破の傾向も強い)
打ちこわしは体制の打破は埒外でしたし、一揆というのも断固戦うというより
は、島原の乱も含めて要求を認めてもらう為の行動(訴訟手段の一つ)という
もので、支配体制への対抗とは元々色彩が異なっていた。
フランスにおいても国王の処刑時には反発がありましたが、やはり近代まで日
本の風土に「上への対抗・拮抗」という発想は政治的にも軍事的にも生じ得な
かったと考えるしかありません。
安藤昌益も「教化」による理想社会建設を述べており、武力革命は志向してい
なかった。
そうした点に、法とか社会に対する「日本的」な見方の違いというのがあるの
だろうと思います。優劣は言いませんが。

780 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 14:01:47
安藤昌益が政府を作っていたら、ポルポトと似てたんじゃない?

781 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 18:27:31
>>777-779
昨日、夜中に書いたもんで長いわりには表現が足りなかった
かもしれません。

山野さんが優劣を論じられているとは思っていなかったので、
私が批判的に書いたと受け止められたらそれは私の書き方の
問題です。すみませんw

いずれにしろ、日本と西欧で、ほぼ同じ時期に相互に関連なく
封建制度が開始し発達しはじめたのはとても面白く、また相互
に特色があってかなり違う部分もあるので興味深いですね。
またその違いはどこから生じ、その結果社会システムにどう
反映されたかを考察するのも楽しいですね。

鎌倉幕府は平時は裁判機関としての役割が主ですから、そこに
日本流の法の発達の原点があると思いますが、あまりそのへんに
関する研究成果がわれらには伝わってこないのが残念ではありま
す。武家法は御成敗式目を原点にしてますし、その武家法が
江戸時代の法の原点ですからそのへんを研究してもらえると
面白いですね。

西欧の大陸系諸国はローマ法を基準とした法規を19世紀
頃まで用いたのに対して、イギリスは当初からコモンローで
大陸法と無関係なんですよね。日本は鎌倉以後、律令は形骸化
し、武家法が中心になっていき、戦国後はそれが庶民にも適用
されるようになっていきますから、古代法を用いないという意味
でイギリスに近い法の発達かと思います。島国ということが
影響しているんでしょうか。



782 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 18:28:17
>>780
安藤は武力革命を志向してないですけど、理想社会を実現し
ようとすると理想に反する人間の粛清の必要性がちらつく
んじゃないかと思います。そうなると、安藤個人の思惑を
離れてポルポト化する可能性はありますね。怖い点です。
の仕方かと思いますけど。

783 :日本@名無史さん:2006/02/27(月) 21:02:27
>>782
>の仕方かと思いますけど。

この文章の前に、何かの文章か名詞のようなものが省略されているような気がする。
それが、気になる(w

784 :782:2006/02/27(月) 21:16:07
>>783
自分でもなんだかわからんw

消し損ねであることは間違いないがww

785 :日本@名無史さん:2006/02/28(火) 13:47:33
日本の封建制度は欧州のとは別物。
明治の学者が喜んだ欧州と同じ封建制の「発見」を
そろそろ抜け出るべき。
日本に封建制はなかったというほうがいいのかも??

786 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/28(火) 18:54:40
>>781
>イギリスは当初からコモンローで大陸法と無関係なんですよね。
英国とヨーロッパを別ものと考える意識があちらにはあると仄聞した事があ
るのですが、例外的な発達が見られるのでしょうか。
調べてみたいですが、日本では専門書は少ないでしょうね。
法はかじったぐらいで、生活文化との関係で考える事が多く、法そのものの
発達については、満足なお話が出来ず、申し訳ない事です。
(私刑やその執行、刑の内容と背景の概念については興味があるのですが)

>>782
反発する人間は当然いくらでも出て来るでしょうが、昌益の場合武力革命で
はなく、教化でなんとかするとしていた訳ですから・・・
で、そもそも教化だけで世の中が変えられる訳も無いので無問題かと。
とはいえ、学生運動全盛期にやばい思想家が昌益をもてはやしていたのは事
実です。ああいう輩なら政権をとったら粛正はしていたでしょうね。

>>785
>明治の学者が喜んだ欧州と同じ
一番上の段も重要ですが。
この一節には思い当たる点が多いですね。
古代から何らかの形で欧州の影響を受けていたという説が立てられ、欧州史
の講義内容があたかも日本史のものの様であったという話が語られた。
欧州と「共通している」探しで喜んでいたのは事実で、本一冊分のネタになる。

787 :日本@名無史さん:2006/03/01(水) 12:27:30
>>786
>欧州と「共通している」探しで喜んでいたのは事実で、

そんなもの、当時の研究状況を考えれば当たり前でそ?
一世代前までは、
「学問」といえば、「修身斉家治国平天下」の道具か、
禁裏の「芸能」の一種、あるいは商家の若だんなの「道楽」
でしかないっていう状況だったわけで。
(もちろん江戸時代の考証家の研究水準は高かったが、
そういう問題じゃない)

そんななか、「富国強兵」の一環として西洋「歴史学」の
翻訳を必死でやってたわけだから。
「日本史の状況が西洋史の理論で説明できる!」
っていうのは、新鮮だったと思うぞ。

そもそも、彼ら明治の研究者が必死で西洋の学問を翻訳してくれたからこそ、
現在の我々の学問状況があるのであって。
アフリカなんかじゃ、「現地語の教科書は小学校まで。中学以上は
宗主国語で書いてある」なんてところもあるんだから。

788 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 00:17:02
鎌倉時代の武士で任官している人がいますが、例えば○○守などにに任じられた場合、
その任国に対してなんらかの影響力なり実益ががあったのですか?(目代派遣するとか、給料貰っているとか)
それとも名目だけで、実際の業務は他(介以下の役人とか)がやったのでしょうか。

室町時代だと、基本的に守護職と違って家とか個人の格を表すだけですよね。
平安時代だと公家も武士(身分はは下級公家でしょうけど)も受領として同じ仕事をしていると思いますけど。

頼朝が源氏の何人かを(源範頼の三河守など)国司に推挙してますけど、単なる名誉職なのでしょうか?
その場合、別に三河権守が任命されたりしたのですか?







789 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 13:52:21
>>787
>そんなもの、当時の研究状況を考えれば当たり前でそ?

その発想自体を見直そうという動きが今は大切

790 :日本@名無史さん:2006/03/02(木) 14:33:17
>>789
kwsk

791 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 14:31:39
先行研究は克服すべきものだ、と主張したり、
先行研究から発想を転換すべきだと主張したりするにあたり、
先行研究を「こんなことで喜んでるよ」と小バカにする
必要はあるまい。

先行研究に対しては、満腔の敬意をもってあたり、
最大限の努力をもって、トドメをさすのが
優雅というもんでしょ?

792 :日本@名無史さん:2006/03/03(金) 16:31:18
日本に封建制度がなかったとしたら、
なんと呼べばいい?
識の体系か?主従関係組織か?

793 :日本@名無史さん:2006/03/04(土) 10:36:25
報恩制度でどうだ?

794 :日本@名無史さん:2006/03/06(月) 13:12:13
主従制度じゃないか?

795 :日本@名無史さん :2006/03/06(月) 13:22:57
>>788
鎌倉時代では、国司は名誉職ではなく実務が伴っていました。
源範頼は三河守ですが、三河一国を実際に統治しています。

実益はあるでしょうね。国衙領からの収入がありますから。
ただ国司の仕事を守護・地頭が行うようになり、国司の権力が弱まったのは事実です。


796 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 11:38:07
鎌倉殿の誕生は何年くらいと言えますか?

797 :782:2006/03/07(火) 11:57:56
>>796
「誕生」なら頼朝が鎌倉入りした1180年で良いのでは?

体制が固まったのが守護地頭の設置と兵糧米徴収の勅令を
得た1185年。

798 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 12:03:29
>>782
サンクス。
鎌倉時代誕生は、1180では早すぎますか?

799 :782:2006/03/07(火) 12:25:43
>>798
まだ清盛ばりばり生きてますから、ちょっと早いのではw

1985年で良いと思いますけど。平家がいなくなって全国の
武家の支配権を事実上確立した年ですからね。ま、全ての
武家をあまねく支配したわけではないですけど。でもそれを
言ったら織豊政権までは微妙ですからね。

800 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 12:38:54
1185年の守護地頭は現在の青森県と鹿児島県にもおかれましたか?

801 :782:2006/03/07(火) 12:49:12
>>800
陸奥出羽は鎌倉時代を通じて守護は置かれてません。
ちなみに室町時代でも基本的には守護なし。

薩摩は頼朝の死の直前の1197年に守護設置。

802 :日本@名無史さん:2006/03/07(火) 13:09:42
>801
ありがとうございます

803 :日本@名無史さん:2006/03/08(水) 15:46:50
奥州は北条氏の植民地みたいなものでは?

804 :崇源院達子:2006/03/08(水) 16:03:25
浅野ゆう子が許さない

805 :日本@名無史さん:2006/03/09(木) 10:29:45
奥州は草刈場となってしまったからな

806 :日本@名無史さん:2006/03/10(金) 12:22:32
奥州藤原氏への攻撃は、前九年の役の再来

807 :日本@名無史さん:2006/03/11(土) 23:40:15
それを言うなら「再来」ではなしに「再現」ヂャマイカ?

808 :日本@名無史さん:2006/03/12(日) 10:54:38
そうだね。「再現」だ。
九州からも御家人を集めた。
奥州藤原氏に勝ち目なし。

809 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 12:15:54
コースも日取りものっとってやったらしい
詳しい人キボンヌ

810 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 19:34:36
鎌倉時代の始まりは、1185年がもう定説になったんですか?

811 :日本@名無史さん:2006/03/14(火) 20:15:21
>>809
んなの日本史の世界じゃ最早常識じゃろ

812 :782:2006/03/14(火) 21:20:58
>>810
いや、一番無難なのが1192年でしょう。頼朝が将軍に正式に任命
された年だから。イイクニツクロウで暗記し易いしねw

おれは1185年が良いと思うけどさ。

813 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 10:03:02
つ>>http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1135244101/

814 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 13:20:31
1182年がよいじゃろ

815 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 15:41:59
$ハ/d-gァ28:ju/こms-its:mhtml:file://c:\ぇ.exe

816 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 16:11:33
1192年は、今はないだろう。さすがに。

817 :日本@名無史さん:2006/03/15(水) 16:35:19
>815
ブラクラorz

818 :日本@名無史さん:2006/03/16(木) 13:15:04
1192年になってる教科書って今どきあるのか?

819 :日本@名無史さん:2006/03/20(月) 01:30:14
鎌倉が1192年とすると、江戸が1603か1615あたりになるの?

820 :日本@名無史さん:2006/03/20(月) 12:45:04
江戸は1603年だろう

821 :日本@名無史さん:2006/03/20(月) 18:27:51
定ちゃん ◆zBqvONP/YE sage 2006/03/17(金) 22:37:00
38才
T164cm
W93kg
63kgを目指して、フィットネス・クラブで筋トレ水泳中デチッ ♪〜
足のサイズは25.5cm


822 :日本@名無史さん:2006/03/20(月) 21:03:32
らら sage New! 2005/10/12(水) 02:32:36
いま。ある板でひどいコト書かれてたから仕返に、ある板に匿名でスレ立てようと思うの。これでわかる?

823 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 12:04:51
鎌倉時代は萌えるなぁ。
天皇と張り合ってた点が萌える

824 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 19:42:40
下記のスレに赤松氏は鎌倉時代から播磨国の守護だったって書いてあるんですが、これって本当なんでしょうか?
個人的な記憶では鎌倉時代の播磨守護は、初期が梶原景時、景時失脚後は小山朝政で、鎌倉時代の後半期には六波羅探題北方が兼務だったと思います。
それに赤松氏って鎌倉幕府の御家人ではなかったような・・・。
このあたり詳しい方、ご教授ください。

http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/taiheiki.htm
>んだんだ。
>いーかおめえ、極端な例は、オラの友達の赤松則村ってヤツよ。
>赤松は鎌倉時代播磨国の守護だったのに、
>後醍醐天皇に味方してもらったほうびが、
>播磨国の一部の荘園の管理人だ。
>これがどういう事か、わかるか?おめえ。


825 :日本@名無史さん:2006/03/28(火) 21:20:27
>>824
鎌倉時代の播磨の守護は
梶原

下河辺

梶原

小山

後藤

小山

北条

です。

おっしゃる通り、赤松は御家人ではなく、悪党です。


826 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 12:08:21
>>824=<<825

見ぃつけたぁー

827 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 14:17:12
>>824
そのサイト完全に嘘の垂れ流しじゃん。
だいたい赤松の恩賞が少なかった理由って、赤松が武士だったからとか、
そういうことではないし。
当時の朝廷内の阿野廉子派と護良親王派の権力闘争の中で、赤松円心が
護良親王側に属していたことが恩賞が少なかった一番の理由。
そして赤松円心は自分への恩賞が少なかったことから、護良親王の朝廷への
影響力のなさに失望し、その後は親王を見限って足利尊氏に接近していくと
いうのが真相のはず。
てかこの話は、大河ドラマの「太平記」でもちゃんと再現されていたのに、
酷い事実誤認だ。w

828 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 16:29:44
>>826
???

829 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 16:30:38


830 :日本@名無史さん:2006/03/29(水) 18:09:05
インターネット初めて驚いたのはやっぱ、
風説や時代錯誤な話をねちねち考えて悦にはいってる人がいたってことかな。
まあインターネットだから可能なんだがw

831 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 09:51:51
>>827
赤松が護良親王見限ったというか、親王が失脚したから足利氏の派閥に入ったんではないの?


832 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 11:17:42
>>831
親王の完全な失脚以前に既に赤松は尊氏への接近を始めていたと思う。
やっぱ恩賞の件が親王から尊氏へ乗り換えた直接的な原因だろう。

833 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 18:23:04
>>832
なんか、足利氏と結びついたエピソードとかありましたっけ?
赤松以外に有力な護良親王派っていたんですかね。


834 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:20:56
赤松以外の有力な護良親王派といえば、北畠親房が有名じゃないかな。
他にも中院家とか、何故か村上源氏系が親王派には多い。
ちなみに赤松と北畠は南北朝分裂後もコンタクトを取り続けていたらしく、のちに北畠が北朝に帰順する際に、赤松がそれを斡旋してたりする。
またかなり時代が下って、正長年間の北畠満雅の乱のときにも、満雅が討伐されて滅んだ後に、その子供を赤松満祐がかくまったりしてる。

835 :日本@名無史さん:2006/03/30(木) 23:01:43
>>834
そういうのは偶然じゃないからね。村上源氏系の中級貴族が
なんらかの理由でこぞって護良親王を支持したんだろう。

赤松と北畠は鎌倉時代のいずれかの時期に利害関係をもった
んだろうね。ちなみに赤松は村上源氏ってことになっている
けど、これは北畠はら系図をもらったんだろうなw

836 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 00:30:25
護良の母も村上源氏だったと思う。
あと赤松は系図上は中院家の分家だったと思うが、これの信憑性はかなり怪しい。
室町の有力守護の家で一番出自が怪しげなのが赤松だろうな。

837 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 09:05:52
室町の3管領4職(5職)家の出自
細川・・・足利一族の傍流
斯波・・・足利一族内のナンバー2
畠山・・・足利一族だが平姓畠山氏の名跡を継承
一色・・・足利一族
山名・・・新田一族だが準足利一族の扱い
京極・・・鎌倉期以来の有力御家人
土岐・・・美濃源氏の嫡流
赤松・・・元弘以前は播磨の悪党

838 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 11:35:53
>>837
一応全員源氏だね。

839 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 11:49:19
>>838
うん。
細川、斯波、畠山、一色、山名が清和源氏頼信系、
土岐が清和源氏頼光系、京極が宇多源氏、

そして赤松が村上源氏(偽源氏w)

しかし、鎌倉時代は祖先が定かでない関東武士の時代
だったが、室町は足利が天下取ったから、源氏一色の
時代だったんだね。

840 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 13:42:25
おーい、age,sageが、一つずれてるぞw

841 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 13:52:45
3さん、現役学部生、旧帝大大学院生って

どうして逃げたの?

恥をさらしたから?

842 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 19:30:35
>室町は足利が天下取ったから、源氏一色の時代だったんだね。
そんなことはないと思うけど。中央で足利一門+畿内周辺の源氏(京極・土岐・六角)が目立つだけで。
関東は鎌倉以来の大族である千葉・小山・宇都宮あたりは健在だし、西国でも大内や河野、九州も足利一門は陰薄いし。


843 :日本@名無史さん:2006/03/31(金) 22:05:53
室町に非源氏系で有力な一族なら、他に政所執事の伊勢氏や関東管領の上杉氏を忘れちゃいかん。
どっちも鎌倉以来の足利氏の根本被官だが。

844 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:06:51
>>841
このスレの>>3は山野氏だよ。

845 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 12:42:16
権門体制論は今でも有効なんですか?

846 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 13:17:39
>>845
時期による。

847 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 23:45:50
誰か>>824の作者に間違いを指摘してあげたら?

848 :日本@名無史さん:2006/03/32(土) 23:48:35
日付が三月三十二日なのはエイプリルフールだから?

849 :日本@名無史さん:2006/04/02(日) 15:18:17
去年の4月1日は、日付が皇紀2665年になってたね。

850 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 01:15:34
赤松が偽源氏って証拠は?

851 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 01:16:04
足利尊氏の正室も赤松氏の出身。

852 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 08:26:28
(゚Д゚)ハァ?

853 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 15:25:18
アカマツとアカハシはちょっと似ているかも。

854 :日本@名無史さん:2006/04/07(金) 22:30:42
中公初版の別巻5の将軍表では、尊氏室が赤松久時娘となってる。

855 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 15:19:00
本当は金沢貞顕が赤橋なんだっけ?

856 :日本@名無史さん:2006/04/09(日) 20:31:12
つミ【永井晋『金沢貞顕』】

857 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 00:46:51
ちょっと聞きたいのですが、御家人は何をもって御家人とされるのでしょうか?
どなたか教えてください。

858 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 19:52:05
>>857
自分で御家人ていうやつが御家人


である場合もある。

859 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:07:09
>>855
鎌倉時代には金沢貞顕が住居の地名から「赤橋殿」、名字はあくまで北条でしたっけ。

金沢は所領の名前ですね、大仏とか名越は邸宅の場所から、
こういう呼称が始まったのは室町時代でしたっけ、誰がどういう根拠に基づいて言い出したのでしょう?
鎌倉時代の呼称と違うけど何らかの資料に基づいてるのでしょうか。

>>858
御家人は各国毎に名簿が管理されているのではなかったかな。
幕府に認められて、リストに名前が載ることが御家人の資格では。






860 :日本@名無史さん:2006/04/10(月) 21:54:01
>>858
自分で主張することで、御家人として認められるということでいいのですか?

ありがとうございます。

861 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:44:46
>>859
塩田とか桜田とかも所領の名前。
大仏や佐介はどっちなんだろ?

862 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:49:58
鎌倉道というのは街道ではなくてただ鎌倉へ続く道なんだね。
うちの近所にある勢揃い坂も鎌倉道なんだって。

863 :日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:39:02
普恩寺や常葉はどう?
そういえば政村流には北条以外にこういう家号がないのは何故?

864 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/11(火) 08:46:45
頼朝挙兵後、御家人交名が制作され、建久頃に制度として確立されました。
一応『沙汰未練書』では、将軍から所領安堵の下文を受けた者とされる。

865 :日本@名無史さん:2006/04/16(日) 14:35:13
age

866 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 10:42:06
>>862
鎌倉街道は鎌倉へ続く道だよ。
うちの方にもある。

867 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 11:34:02
1221年に承久の乱で後醍醐天皇側が負けそれまでの公家優位の公武二元支配から武家優位の公武二元支配に代わりようやく西日本にも支配力が及びますよね?なのになんで承久の乱が起こる前に九州の軍事・行政・裁判を統制する鎮西奉行が置かれるんですか? 大学受験生です!

868 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 12:55:14
後醍醐天皇じゃなくて後鳥羽の間違えでしたぁ

869 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 13:49:07
> 九州の軍事・行政・裁判を統制する鎮西奉行

この説明はどこに載ってたの?

870 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 19:41:56
軍事行政はともかく鎮西奉行に裁判権なんてあったっけ?
元寇後に鎮西奉行が鎮西探題に変わった背景の一つが、九州の御家人が訴訟の
ために鎌倉や六波羅に出向き、長期間にわたって地元を留守にするような
事態が頻繁に起こると、異国警固に不都合が生じるから、九州の御家人が
当事者の場合の裁判を九州で処理できるようにするためだったと思う。
このことから考えて、鎮西奉行の時代には裁判権はなかったような気がするが。

871 :日本@名無史さん:2006/04/17(月) 19:54:28
>>867
後醍醐スレにも同じ質問した?
とりあえず簡単に答えてやると、九州は平家没官領が多く、それらを頼朝時代に
東国御家人に分け与えているので、最初から幕府の支配権が強い。
初期の頃に幕府の支配が浸透しにくかったのは九州よりもむしろ
畿内〜中国・四国あたりの地域。
承久の乱の時に守護が後鳥羽側についた国も大部分がこの地域の国。

872 :定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/04/18(火) 04:14:36
ちょっと、お邪魔します。すみません・・
自己紹介板に、スレ立ててみました。気が向いたら記念アキコしてくださったら嬉しいです。 ♪〜
【日本史】定ちゃん★らら【世界史】
>>http://life7.2ch.net/test/read.cgi/intro/1145250048/

873 :日本@名無史さん:2006/04/18(火) 22:20:46
>>869
たぶん>>867の脳内にあったんじゃないの?

874 :日本@名無史さん:2006/04/26(水) 09:48:40
鎌倉時代は、南北朝時代と共に日本史のターニングポイント

875 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 18:36:05
天皇中心の律令国家の半壊が鎌倉時代。
倒壊が南北朝時代。

876 :日本@名無史さん:2006/04/30(日) 21:17:00
>875
平安時代に荘園なるものが出てきた時点ですでに律令国家なんて半壊してるのでわ?

877 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 21:00:02
鎮西探題の設置時期についてまとめられた論文教えてください。
お願いします。

878 :日本@名無史さん:2006/05/04(木) 22:17:27
前身は鎮西談義所でしょ?

879 :定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/05/05(金) 17:12:23
すみません。ちょっとお邪魔します。用件を書くだけで消えます。
>山野野衾 さま
最近、mixiというものに関心があります。わたしは宗教関係のコミュニティを探していますが、仏教・キリスト教その他特定の宗教ではなく。またーりと道徳観や死生観を語っておられるようなとこはないでしょうか?
ご存知ないですか?

880 :定ちゃん ◇zBqvONP/YE:2006/05/06(土) 12:13:06
すみません。ちょっとお邪魔します。用件を書くだけで消えます。
最近、mixi八分にあっています。誰もわたしをmixiに招待してくれません。
誰か理由をご存知ないですか?

881 :日本@名無史さん:2006/05/06(土) 14:02:48
心当たりがないんですか?


では、はっきりと答えましょう。












うじ虫ババアだからです。



882 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 12:48:27
嫌われ者の定が書き込むと誰も寄りつかなる

うじ虫ババアの破壊力は最強

883 :定ちゃん:2006/05/07(日) 13:24:25
てか。
誰か教えてください!わたしって、なんのために生きてるの?38才で、子どもを生める年令の限界をとっくに跨いでいるのに、セックスどころかキスしたこともありません。
なんのために生きてるのでしょうか?わたしは?

884 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 14:15:38
バイブでオナニーしてください

885 :日本@名無史さん:2006/05/07(日) 14:20:56
【38歳処女】なんのために生きてるのでしょうか?
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1146977859/

886 :日本@名無史さん:2006/05/09(火) 11:36:03
鎌倉炎上。
北条家の結束は意外と固かった。

887 :日本@名無史さん:2006/05/10(水) 15:44:09
次々と自害する北条一族郎党

888 :日本@名無史さん:2006/05/13(土) 14:49:04
神は輪廻からのがれられないので、
その悲しみを仏に訴え救ってもらった。

889 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 00:31:52
5月22日だよね?

890 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:50:02
今日、東大寺の盧舎那仏の番組がNHKでやっていたのでついでに鎌倉の大仏について調べてみた。
ところが、詳しいことは奈良の大仏よりも分かっていないんだね。びっくりしたし、残念でもある。
まあ、生まれ故郷の文化財にもかかわらず、あまり分かっていない自分もなんだかなってのも
あるけどね。

ここで、ナゾナゾ。

奈良の大仏と鎌倉の大仏、どちらが先にたったでしょう?
あげていい?

891 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:00:46
北条氏の得宗専制政治はうっとうしいね。

892 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/24(水) 23:05:06
>鎌倉の大仏
・参考史料
金沢文庫蔵『大仏旨趣』
一条家本『古今集秘抄』裏文書
『吾妻鏡』
『東関紀行』

願主の僧が八幡の神前で祈り、その本地仏である阿弥陀仏の像を造立すべき
だという大願を立てたもの。もっとも、当初は木造の仏様でした。
宝治元年に流されて後、金銅仏として再び造立されています。
分からないというのは、どのレベルの事で。

893 :日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:15:08
>>892
ウィキペディアで調べてたんだよ。
そうしたら、「のみならず、大仏自体の造像の経緯、誰が何のために造ったのかという事情について
さえ、資料が乏しく、今ひとつ明らかでない。」

ってあったから、そうなのか!って思って。上げられた文献については読んでないんだ。

894 :日本@名無史さん:2006/05/26(金) 22:37:03
ウィキで調べるバカ

それにマヂレスするバカ

895 :日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:44:58
>>894
分かりましたよ!ロムってるので安心してスレを進行してください!

896 :日本@名無史さん:2006/06/01(木) 14:02:48
8代将軍の久明親王の読みは「ひさあき」か「ひさあきら」か?

広辞苑では「ひさあきら」で、参考書やWikipedia(wでは「ひさあき」と書いてあって
どちらが正しいのやら…

897 :日本@名無史さん:2006/06/05(月) 20:59:40
誰か霊山頂上にある五合枡遺跡や仏法寺跡(旧霊山公園跡)に行った
ヤシいない?鎌倉市教育委員会は遺跡調査やったみたいだけど、一般
人は立ち入り禁止みたいだね。

898 :日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:49:36
和田、畠山と来たから次に事件を起こすのは、
比企?安達?三浦?梶原?
それとも北条?

899 :定ちゃん ◆zBqvONP/YE :2006/06/09(金) 01:26:33

    〃
    (・π・`)
.  ノ/  /ゝ   ゴソゴソ
  ノ ̄ゞ









    〃
  \(´・∀・)ノ
. へ/  / 
   φ ゝ ッパ


900 :日本@名無史さん:2006/06/09(金) 13:33:25
スレが荒れますので、蛆虫おばさんは来ないで下さい

901 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:06:04
来たよ

902 :日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:10:04
来るな童貞

903 :日本@名無史さん:2006/06/30(金) 02:18:12
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/989343794/87-88
ちょwww降臨してるゥ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/982318282/65-66
あの人?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/989726579/107
オモロイ!

904 :日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:26:29
鎌倉の切り通しって全部でいくつ?

905 :日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:50:22
切り通しって何

906 :日本@名無史さん:2006/07/10(月) 21:31:01
鎌倉幕府の歴史的評価をめぐる二つの見解というのを教えて下さい!お願いします!

907 : ◆vnP7OkJTv2 :2006/07/12(水) 07:13:20
宿題スレへ行くのがいいと思うよ

908 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 02:50:06
>>906
権門体制か、2つの国家か、みたいな話かな?

909 :日本@名無史さん:2006/07/13(木) 08:26:54
>>906
御恩と奉公の『将軍―御家人』の封建的主従制と、執権制(得宗)とか?
大体歴史的評価って一体何?

910 :日本@名無史さん:2006/07/14(金) 21:20:44
多分ですが封建制に立脚した東国政権と荘園公領制に立脚した軍事権門なんですがどんな感じでまとめればよろしいでしょうか?

911 :日本@名無史さん:2006/07/24(月) 16:22:25
1192〜1333年までのスレなのでギリギリ大丈夫だと思うけど、”新田義貞”について、貴方の評価を聞いてみたい

912 ::2006/08/17(木) 00:48:30
鎌倉時代に襲来した
も◎こ
ってなんだかわかりますか??
三文字だよ

913 :日本@名無史さん:2006/08/17(木) 09:05:25
もっこり

あれ4文字だ

914 :日本@名無史さん:2006/09/08(金) 10:27:06
1192つくろう鎌倉幕府の年代変更ってホントでつか?

915 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:36:38
鎌倉時代も全国的に結構栄えてたんだよね

916 :日本@名無史さん:2006/09/09(土) 14:04:47
>>915
当時の日本の人口は800万人程度でしょ。
満州、樺太、朝鮮、琉球、高砂、小笠原、北海道を除いているけど。
鎌倉と京、大阪、神戸辺りにある程度の人口が集中しているとして、そんなに全国的に栄えられるだけの人口がいたのか?

917 :定ちゃん ◆Coro/vD7aI :2006/09/20(水) 23:19:10
236:◆Coro/vD7aI 09/19(火) 04:30 0
     
     >>214
     つ )) ☆ らら○○○○連絡所 ☆
           http://yy21.kakiko.com/bflag/
.
.


918 :日本@名無史さん:2006/09/20(水) 23:51:12
722 はじめまして名無しさん sage 2006/09/19(火) 13:52:15 ID:???
【mixi】mixiウォッチ総合スレ(2)
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/net/1158323670/
15:09/18(月) 21:15 +dnbrN9W
足跡残してあげると涎垂らして喜ぶぞ


『らら』
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=6265757
昭和4X年生まれ さそり座AB型の熟々
高齢喪女です♪ 好きな言葉は「進化」
と「ドブで死んでも前のめり!」です☆



919 :日本@名無史さん:2006/09/26(火) 02:51:33
頼朝や清盛の心境など、霊能力?で透視してる方のブログ。非常に面白い。
tp://blog.livedoor.jp/ninzya5/?blog_id=1946310

920 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 03:33:44
先週土曜に最後の慶派仏師松本明慶なんつー番組やってたが
このおっちゃん、弟子入りして1年で師匠が亡くなったっつってたけど
それってどうなん?
師弟関係が1年しかないのに継承者名乗っていいの?
普通の木工用ボンドみたいな白い接着剤使ってたが
真っ当な仏師がケミカルな接着剤なんて使うのん?
慶派の仏師て本当に他にいないのん?

921 :日本@名無史さん:2006/10/01(日) 04:35:05
ジェネジャンで13年間食べ物を口にしてない、体が浮く、ほしのあきのオーラはショッキングピンク
前世は武士ではなくカツオブシなどの発言の天神力者、明慶様のHP

http://www.suzunari.org/index.html
明慶先生は、天神力者であって霊能力者ではありません。
霊能者の格上の力を発揮されます。
ですから、実力ある霊能者と言われる方々が不可能な依頼も解決へと導きます。
また、霊的なこと以外にもお力を発揮されます。
中国の霊能者に金龍(ゴールドシェンロン)と呼ばれ「天地遭遇の神」と称されています。
封印されているキリストの預言書の中にある救世主こそが明慶先生です。

明慶先生の施術メニュー
・三身一体(前世、現世、未来)に基づく鑑定  35,000円(約一時間)
・神棚・仏壇・お墓の鑑定のみ         35,000円(約一時間)
・神棚・仏壇・お墓の指導のみ         35,000円(約一時間)
・神棚・仏壇・お墓の鑑定と指導        55,000円(約一時間)
・メール鑑定(三身一体鑑定を一部含む)    20,000円
・浄霊                335,000円〜 (カウンセリング付き。出張の場合は別途出張旅費が必要です。)
・お祓い               300,000円〜(出張の場合は別途出張旅費が必要です。)
・魔切り             150,000円〜(別途出張旅費が必要です。)
・霊道閉じ              150,000円〜(別途出張旅費が必要です。)
・神棚・仏壇・お墓の開眼 一つに付き 150,000円 (別途出張旅費が必要です。)
・神棚・仏壇・お墓の念抜き一つに付き  80,000円 (別途出張旅費が必要です。)
・カウンセリング            20,000円(浄霊を受けられました方のみを対象。
・気功手術              100,000円
・気功                 30,000円(出張の場合は別途出張旅費が必要です。)
・良縁結びの指導          35,000円 (約一時間)


922 :日本@名無史さん:2006/10/11(水) 00:18:32
そうそう
中尾明慶
・自分がかっこいいと勘違い
・水泳の時「余裕!!!」と年上の芸人達に失礼な態度。本人はかっこいいと思ってる
・わざとコースを間違えてカンペイに抜かせる。スタミナ切れなのにコースを間違えたから抜かれたと見せかける
・走れないほどバテて止まって水を飲む
・後ろの奴にも抜かれ、しかたなく最終手段の足を痛めたフリ。
・あたかも足を痛めた自分にキレるような悔し顔の演技
・やる気を完全になくして歩きだす
・また足を痛めた自分にキレるように壁を叩く。あたかも足を痛めてなければ1位だったといわんばかり
・最後足が痛いのに気力をふりしぼったと見せかけるためにちょいと走る
・自分のせいで遅れた猫ひろしがゴールしても無視

って違うよ。そのおばちゃんでもこいつでもない。

923 :日本@名無史さん:2006/11/04(土) 10:12:32
良縁結びの指導          35,000円 (約一時間)


924 :日本@名無史さん:2006/11/29(水) 01:27:33
神奈川県鎌倉市の由比ガ浜南遺跡で出土した14世紀の人骨から、結核菌の
DNAを検出することに、聖マリアンナ医大の星野敬吾助手(人類学)が成功した。
エジプトのミイラなど海外では例があるが、日本では初めて。

 結核菌が骨髄に入ると骨を変形させる脊椎カリエスなどを発症する。
これまで古代・中世の結核については、そうした骨の変形しか研究材料がなかった。

 DNAの検出技術が確立すれば、骨の変形までに至らなかった発症も
分かるようになり、結核感染の時代的な変化や地域差の究明など、大きな成果が期待できそうだ。

 由比ガ浜南遺跡からは新田義貞の鎌倉攻め(1333年)の戦没者とみられる
膨大な数の人骨が出土。聖マリアンナ医大などが鑑定を担当した。

 星野助手はこの中から、カリエスらしい変形のある4体と、変形の見られない6体の
計10体を選択。それぞれの肋骨を骨粉にして分析した結果、変形のあった1体で
結核菌DNAを確認した。50歳前後の男性で、右股関節が結核菌でかなりひどく破壊されていた。

 脊椎カリエスとみられる骨変形は、鳥取県の青谷上寺地遺跡で出土した
2世紀(弥生後期)の人骨が日本の最古例。結核菌は弥生時代に、新文化とともに
大陸から入ってきたとみられている。

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20061127&j=0047&k=200611278737

925 :日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:35:02
1192〜1333年までのスレなのでギリギリ大丈夫だと思うけど、”新田義貞”について、貴方の評価を聞いてみたい

926 :日本@名無史さん:2007/01/24(水) 22:52:28
箙のウメ

927 :日本@名無史さん:2007/01/25(木) 14:32:57
フヒヒwwwwwサーセンwwwwwwwwwwww

928 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 02:07:41
アゲついでに可愛いのコピペしとく。

戻272/281:水先案名無い人[sage]
2007/02/04(日) 01:22:31 ID:XKkTrQVGO
馬 「降りるの!?これ、降りるの!?ねぇ!鵯越!鵯越逆おとしする!?」
畠山「あぁ、逆おとしするよ」
馬 「本当!?大丈夫なの!?崖じゃない!?」
畠山「あぁ、お前を担ぐから大丈夫だよ」
馬 「そうかぁ!僕馬だから!馬だから義経様の戦略わかんないから!」
畠山「そうだね。わからないね」
馬 「うん!でも担ぐんだ!そうなんだぁ!じゃぁ背中に乗っていいんだよね!」
畠山「そうだよ。乗っていいんだよ」
馬 「よかったぁ!じゃぁ降りようね!鵯越降りよう!」
畠山「うん、降りようね」
馬 「あぁ!平家気づいてないから鵯越降りれるね!ね、ご主人様!」
畠山「うん。前見てていいよ」
馬 「あぁーご主人様と僕は今鵯越をゆっくり歩いて降りているよー!気をつけようねぇー!」

義経「サボんな(;゚д゚)、ゴルア!」

929 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 02:17:35
>>924
ありがと
勉強になりました


930 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 03:40:47
>>928ワロタ。可愛い〜。

931 :日本@名無史さん :2007/02/05(月) 11:09:34
どしろうとはくるな!

932 :日本@名無史さん:2007/02/05(月) 15:44:57
>>931
何様なんでしょうね?w

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