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日本人どこから来たんだ?

1 :出土地不明:2006/12/09(土) 04:43:32 ID:6t5Sh0jd
どこ?

2 :出土地不明:2006/12/09(土) 07:13:39 ID:qk80maeA
アフリカ大陸から来たんだよ。さあ、わかったね。よかったね。

3 :出土地不明:2006/12/09(土) 17:10:18 ID:2nwim1L6
シベリア南東部アムール地方。

25000年前頃に古モンゴロイドの縄文人がアムールあたりから
当時はまだ陸続きだった樺太に入って日本列島に拡散し、
弥生前期末の2600年前頃に北方モンゴロイドの弥生人が同じく
アムールあたりの沿岸部から海路で海岸伝いに南下し、
そのまま九州北部に上陸して混成した人類集団。

4 :出土地不明:2006/12/09(土) 17:31:12 ID:bjR/uMo6
日本人先祖の大多数はインド東北部、東南アジア北部、中国南部から移住。

YAP+は縄文人、琉球古人、および南中国の2万5千年以上前の出土
人骨から高率で検出。

同時代シベリア南東部アムール地方の人骨からはほとんど未検出。

現在の中国西南部高地人と
沖縄や日本内地やアイヌの
YAP+のタイプの差は、別れた
時期の古さを示す

基本的には
南中国と日本人先祖は共通といってよい

ユーラシア大陸の日本海岸北部で
アザラシやトナカイを狩いテント暮らしをしていた
鄂倫春族や朝鮮族と近縁の者たちも流入し続けたということはあるだろう

5 :出土地不明:2006/12/09(土) 18:26:55 ID:2nwim1L6
日本人種のYAP+と東南アジア辺りのYAP+は別種。

日本人種のYAP+はht1。
東南アジア・中国南部あたりに微かに残るYAP+はht2。
白人や黒人のYAP+はht3。

ゆえに日本人種は東南アジア・中国南部とは無関係。

残念でした(嘲笑)

◎YAP+マップ

http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg

6 :出土地不明:2006/12/09(土) 18:53:47 ID:6t5Sh0jd
3000年前の世界の状況を洞察して議論しろよ


7 :出土地不明:2006/12/09(土) 19:47:17 ID:2nwim1L6
>>4が根本的におかしいのは、日本の渡来系はYAP-であるのに、
東南アジア北部、中国南部のYAP+(しかも別型)が
移住したと言っている点。

故意でないなら本気で死んだ方が良いだろう(嘲笑)

8 :出土地不明:2006/12/10(日) 00:03:09 ID:wcSpoQh1
8マン

9 :出土地不明:2006/12/10(日) 01:09:43 ID:9m6vRJIw
家から来ましたすみません

10 :出土地不明:2006/12/10(日) 21:03:50 ID:vzNZfPwK
>>7 が抜本的におかしいのは、
日本の渡来系は北からも西からも
南からもいるのに、YAP-だと思い込んでること。
北にYAP+がいないだけで、それ以外にはいることを
考えていない。しかも時代の考え方もない。
10万年以上前は、YAP+が東アジアの日本、中原、華南、
および千島列島、アリューシャン列島に
あまねく存在したことを無視している。
テーマとしている2万5千年前の時点で、
YAP+はそれらの地にいたのであって移入して
きたのではない。反対にベーリング海峡を渡って
北米に移住していった時期と重なる。
YAP+を持たない人間がバイカルやモンゴル、河北の地から
南へ移動していき、中国においては平地部において
YAP+を持つ人々を追い払っていったことと混同してはいけない。


11 :出土地不明:2006/12/10(日) 21:23:59 ID:9Cug7iWe
>日本の渡来系は北からも西からも南からもいるのに


西と南はおりません。

その証拠に弥生期までに西と南の土器文化や金属器文化が
一切伝わっておりません。



12 :出土地不明:2006/12/10(日) 21:47:17 ID:sbgfihNw
>>10
原人の時代の話は関係ないだろ。
日本はどうかんがえても、3万年よりも前には現代人はいなかったとおも
われる。YAP+は、東南アジア、およびオーストラリア起源だよ。
日本列島をつたって、シベリアやアメリカ大陸までわたったことがあきら
かだよ。どれも日本列島が北方アジアにおける中核地点になっていること
は分布から明らかだ。

13 :出土地不明:2006/12/11(月) 01:31:45 ID:tYb1HPoO
>>11
>西と南はおりません。
>
>その証拠に弥生期までに西と南の土器文化や金属器文化が
>一切伝わっておりません。

時代を混同してている。

14 :出土地不明:2006/12/11(月) 13:54:37 ID:G+YsAIf9
現世人類は10万年前にならないと出現しないだろ

15 :出土地不明:2006/12/11(月) 14:24:32 ID:km1KtxRI
その辺は数説ある

16 :出土地不明:2006/12/11(月) 18:50:48 ID:Dm4ODs0d
>>12
ウソはイカンなウソは。

YAP+の出現地の定説は西〜中央アジアだろが。

北方モンゴロイドは中央アジアを抜ける最短コースで
シベリア入りしたというのが定説。


>>13
18000年前まで大陸と地続きだったのに、
どうして渡来するんだよ?(嘲笑)

17 :出土地不明:2006/12/11(月) 22:47:01 ID:PmEIqakY
>>16
>YAP+の出現地の定説は西〜中央アジア
バイカル、モンゴル、満州、華北、朝鮮、ツングースにYAP+はいないな…
米大陸(南北)、北極エスキモー、アリューシャンや千島の列島、
日本、奄美、沖縄、ブータン、チベット、雲南、広西、貴州、四川、
シーサンパンナ、太平洋ポリネシアン(ハワイ〜マオリ)にはいるね。

18 :出土地不明:2006/12/12(火) 22:55:54 ID:zuw8bo3s
>>16
そういういいかたすると、いかにも嘘を書いたように見えるじゃないか。
自分が嘘を書くときの方法としてはちょっと面白いかもしれないが。
>>17 も書いているが、重要なことは、オーストラリアのアボリジニは、
ほとんどYAP+なんだよ。基本的にはアボリジニとパプアニューギニアあた
り、そして東南アジアに密集していて、この系統は本来のアジア系とは
違うんだ。およそ3万年かそこら前にオーストラリア、あるいは、
パプアニューギニアあたりを起点として太平洋の西海岸を北上し、台湾
や日本にいたり、さらに中国内部にまで進出しつつも、日本列島を中継
点として、さらに北に向い、アメリカ大陸まで至った系統がいたわけだ。
これが、YAP+の系統なんだ。その際に、大陸にもある程度浸透した。
それが、現在の中国や朝鮮半島のYAP+の系統だ。
これほど特徴的な変化は二度は起こらない。だから、YAP+は、もともと、
東南アジアというよりも、オーストラリア、パプアニューギニアが起源
だというのが定説になっている。

19 :出土地不明:2006/12/12(火) 23:47:58 ID:zpU2dZB6
まさか専門人が集まるこの板に現時点でYAP+が無い場所が
2〜3万年前も無かったなんて思っている馬鹿、脳弱、低脳、
居ないよね?w


>YAP+は、もともと、東南アジアというよりも、オーストラリア、
>パプアニューギニアが起源だというのが定説になっている。


ほーん。

で、その証拠は?




20 :出土地不明:2006/12/13(水) 02:45:48 ID:FZIEgoaw
>>18
>パプアニューギニア
人類の遺伝子進化の系統樹的には
もっとも進化した人種なのが
ニューギニア高地人だ

21 :出土地不明:2006/12/13(水) 08:02:10 ID:UJOasa3q
「クグの物語」に真実が書かれている

22 :出土地不明:2006/12/13(水) 13:42:51 ID:jh+xzRXl
.........
【“FIVE”の発音が出来ない韓国人】
アメリカ人での韓国人の印象(動画)
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thumor&nid=39177



【“C”と“D”の発音が出来ない韓国人】
ロス暴動で黒人が韓国系の店を襲った理由(動画)
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thumor&nid=39179




23 :出土地不明:2006/12/13(水) 19:38:15 ID:oV0x8ogn
>>18
>YAP+は、もともと、東南アジアというよりも、オーストラリア、
>パプアニューギニアが起源だというのが定説になっている。



おいどうした?

早く証拠を出せよ。

もう一日だけ待ってやる。

明日になっても証拠を出せない場合はウンコ南方人の
虚言、出まかせ、真っ赤なウソと確定する。

24 :出土地不明:2006/12/14(木) 11:05:19 ID:i65ce8Ys
「クグは昨晩,中央広場の焚き火に集まってきた仲間たちに,一族の長として,
自分たちのルーツを語って聞かせた。
 それは,はるか昔,百万年以上前にアフリカを出てアジアに向かった「原人」たち
が,中国大陸の黄河流域や朝鮮半島を経て,日本列島にたどりつくまでの,悠
久の歴史を物語るものであった。」

25 :出土地不明:2006/12/14(木) 19:42:29 ID:rxuomyDa
>>18
>YAP+は、もともと、東南アジアというよりも、オーストラリア、
>パプアニューギニアが起源だというのが定説になっている。


ハイ、時間切れ!タイムアウトォォォオオオオ!!!!



只今をもって、YAP+がオーストラリア、パプアニューギニアが
起源だという証拠などは一切無く、ウンコ南方人の虚言、出まかせ、
真っ赤なウソとという事が確定いたしました。





26 :出土地不明:2006/12/14(木) 22:13:41 ID:5vunixQH
https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
をみながら、
http://en.wikipedia.org/wiki/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroup
をみて、M174(Y染色体ハプログループD)をおいかけると、、、。
YAP+は、ハプログループのDとEに特徴的だ。起源は、アフリカで、いっしょ
にいったのが、M130だね(これは、グループとしては、Cに属す)。
ちょっと、M130と、M174を混同していたように思うので、オーストラリア、
とかニューギニアは、M130で、日本人やチベット人のM174とはちとちがう。
アメリカ大陸にいっていたのは、M130だね。もちろん、これも日本人には
ある程度存在する。M174と、M130がいっしょに行動していたことはほとんど
自明なので、その意味では、同じでもいいだろ。
いずれにせよ、YAP+は、アフリカから、インド、東南アジアを経て、日本に
は南方から入っている。

27 :出土地不明:2006/12/14(木) 23:26:14 ID:rxuomyDa
最短コースの中央アジア経由だろ。

わざわざそんな遠回りをする理由が無い。

28 :出土地不明:2006/12/15(金) 11:16:28 ID:whXq5Ji8
>>26
>YAP+は、アフリカから、インド、東南アジアを経て、日本に
>は南方から入っている。
同意。

29 :出土地不明:2006/12/15(金) 22:49:07 ID:ZVXN9kXy
オリオン座の第三惑星から着たんだよ

30 :出土地不明:2006/12/15(金) 23:43:39 ID:uZKSID/p
>>28
一人複数役で自問自答するのはやめようねw

31 :出土地不明:2006/12/15(金) 23:55:43 ID:9hfljKP9
>>26
>YAP+は、アフリカから、インド、東南アジアを経て、日本に
>は南方から入っている。
俺もそう思うよ。

32 :出土地不明:2006/12/16(土) 00:10:21 ID:yAaF+1Nv
ぜーんぜん思わない。

YAP+は定説通り中央アジア経由で日本に入っている。

創作で欺罔するのはやめな。ウンコ南方人よ。

33 :出土地不明:2006/12/16(土) 01:22:39 ID:7tBcEIVx
>>26
>YAP+は、アフリカから、インド、東南アジアを経て、日本に
>は南方から入っている。
オイラもそう思うよ。

34 :出土地不明:2006/12/16(土) 18:41:46 ID:GesUu92i
幼稚な奴だな。

YAP+は中央アジアあたりが起源で、日本にはシベリア経由で
入ってきている。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_26_03.jpg

35 :出土地不明:2006/12/16(土) 21:18:17 ID:1QGtBTPv
南と西はお前の地理感覚だと金属も粘土加工物も粗末な地域だがな。
で。何?
能動的交易技術はおろか木材加工認識すらない歴史の番外地はアクセサリだけで国を成り立たせたと言うのかな?

それと顔料についての文化伝搬はどうだ?
そんなもん視野に入れる必要ないニカ?w

36 :メイラックス:2006/12/16(土) 21:37:57 ID:1QGtBTPv
捏造のメソッドが技術に上ってないからなぁ
技術は必ず自らを疑うが、方法はオカルトだけでしかないのを、アジアの土人は何度諭しても
分からない。
駄目な韓を弟に持つ日本は何時までも哀れだな。

37 :出土地不明:2006/12/16(土) 22:20:33 ID:bIoTzucv
>>34
これだとアイヌや縄文人が長頭であることの説明がつくな。

38 :出土地不明:2006/12/16(土) 22:22:48 ID:XZxi6Swl
YAP+は、アフリカ人にも存在する。
>>34
のようなやつは、遺伝学の基本がわかっていないってことだな。
同じ突然変移が起こる確率というのは、皆無といってよいほど少ない。
よって、ひとつの突然変移は、その子孫に受け継がれるわけだ。
https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
の中で、Genetic Markers のところの、YAPをひっぱれば、一発でわかる
だろ。
それから、中央アジア経由でなく、南アジアから東南アジアを経て日本
にきている理由は、このYAPが非常に起源が古く、その当時の人の移動
はもっぱらアフリカから、アラビア半島、南アジア、東南アジアを経由
するコースしか考えられないからだ。
M174の経路をみればわかるように、東南アジアから日本に入り、そこか
ら、アジア内陸部に向かっていることもわかる。
このルートは、他のマーカー、たとえば、M130などでもわかりように、
環太平洋ルートというもので、採集的には、そのまま日本を経由して、
アメリカ大陸に向かうものだ。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_26_03.jpg
に書かれている内様は、むっちゃくちゃ古い。
このあたりの研究は、基本的に2年で超古代のデータといってよいほどの
古さなんだよ。20世紀のデータを持ち出されても、まったくなんの価値も
ない。
いいか、アフリカから中近東経由、中央アジアという経路はたしかに存在
するが、その系統とは、日本人の系統はつながらないし、またそれとアフリカ
人の系統との関係もほとんどない。
現状では、Genographic Project がもっとも新しいデータをあたえている。

39 :出土地不明:2006/12/16(土) 22:38:54 ID:GesUu92i
全く説得力がない。

なぜなら南方的な頭蓋を持つ古代人骨がないからだ。

鼻骨の隆起具合や顎の突き出し具合など、全く南方の古代人骨とは
かけ離れているからだ。

40 :出土地不明:2006/12/17(日) 02:44:01 ID:pMF3xOWJ
>>34
>YAP+は中央アジアあたりが起源で、日本にはシベリア経由で
>入ってきている。
在日コリアンの連中はその説に執着するよね…

41 :出土地不明:2006/12/17(日) 02:46:42 ID:pMF3xOWJ
>>39
>南方的な頭蓋を持つ古代人骨
ここ500年の間だけでも
日本各地の頭蓋骨の形は激しく変動しているよ

頭長指数 とかでググってみなよ

どれほど頭蓋骨の形が周期的な激変サイクルで
めまぐるしくかわってるか分かるよ

42 :出土地不明:2006/12/17(日) 16:04:06 ID:7Cs9Z6Z8
>>40
で、在日鮮人がその説に執着しているという証拠は?

下品で下劣きわまる東南アジア顔の台湾人くん。


>>41
変わるのは頭指数だろ。

鼻骨の隆起や顎・口元の出方は大して変わらんよ。

43 :出土地不明:2006/12/17(日) 17:57:17 ID:2Zs8V0OO
■『高木の神の原型も江南』<古代史>■

 国生み神話に現れるタカミムスヒの神は高木の神とも呼ばれる。
 正確にはアメノワカヒコへの矢返しのシーンから高木の神となる。この部分が朝鮮皇祖神話の神壇樹に
由来するという説も古い定説となってしまっているが、これは学問的無知による誤った説である。
 実は大樹を依代(よりしろ)とする神の原型も、中国南方神話の中にすでに見つかっているのだ。
樹木信仰と稲作の関連は、多くの中国少数民族の間で普通に儀式に穫り入れられている、と諏訪春雄が書いている。
ハニ族は田植え祭りの前に聖樹祭を行う。このとき稲霊を庇護する天神が聖樹を伝って降臨すると信じられており、
これは高木神そのものであろうと思われる。神話の到来する道は稲作の伝来ルートに一致する。
 それは南から北上して、文明地の信仰といったん混合したのち、さらに北上西行するものと、
現地からダイレクトにはいってくるものと、二種類あると見られる。
 日本は倭人の国であり、海上の島国である。ダイレクトな海の道を伝って来た伝承は当然ながら陸続きの半島より
多い。それが両国の大きな文化の違いであろう。
 もし、我々の先祖のほとんどが北方経由でやってきたとしたら、日本人の体格はもっと大きくなっていたはずである。
目はみんな一重になっていたはずである。頬骨はもっと高くなったはずである。

【高木神の原型は江南にある】
http://white.ap.teacup.com/applet/soudasui/200604/archive

 付け加えておくと、高木神とタカミムスヒ神は、本当は別の神である。
 高木神のほうが『古い神』であり、この高木神は、紀元前から信仰されていた太陽神であり、
稲穂を保護する女神である。つまり、もう一人のアマテラスなのである。
 高木神は、日女神(ヒルメ神=アマテラス)と同じく、中国南部にルーツを持つ太陽の女神であり、
実は日女神と同じタイプの神である。
 おそらく、古代九州地方には、日女神を信仰する部族と高木神を信仰する部族がおり、この二つの部族国家が
統一される際に、日女神と高木神の宗教的統一も行われたのだろう。
 アマテラスという神名は、日女神と高木神の統一名として創られたものであろう。
 それでは、タカミムスヒ神とは何か。この神は、おそらく7世紀から8世紀頃にかけて日本神道の神々が
体系化される際に、神学上の神として発明されたものであろう。だから、タカミムスヒ神よりも高木神のほうが
古い神なのである。
 高木神とタカミムスヒ神が結びつけられたのは、どちらの神も神名にタカ(高)の字が入っているのに加えて、
天皇家と関係が深い高木神の<位>を、造化三神の位に上げることにより、天皇家の権威を強調するためであろう。
 しかし、高木神の本来の<位>は、日女神と同じ太陽神であり、アマテラスの別名なのである。
高木神と日女神は、実は同じ神なのである。


44 :出土地不明:2006/12/17(日) 18:08:53 ID:P6hqL5Xn
またコリアンたちがファピョるよ

真っ赤っか遺伝子とか、南方があーたらとか、
同じ様式の土器がどーたらとか、、、ね


45 :出土地不明:2006/12/17(日) 18:59:07 ID:punEeEK6
>>44
で、真っ赤っか遺伝子とか、南方があーたらとか、同じ様式の土器が
どーたらとか言っているのがコリアンという証拠は?


ウンコ色の黒い肌、潰れて広がる広鼻、ギョロ目、突き出した口元、
分厚い唇、骨張った輪郭、


顔面から公衆便所の腐ったニオイを漂わせた下品で下劣で
醜悪きわまりない東南アジアヅラの台湾人くん。

46 :出土地不明:2006/12/17(日) 20:26:01 ID:blg07JpK
出た白人厨のコリアンバカ!

47 :出土地不明:2006/12/17(日) 20:42:13 ID:punEeEK6
日本人種のYAP+と東南アジア辺りのYAP+は別種。

日本人種のYAP+はht1。
東南アジア・中国南部あたりに微かに残るYAP+はht2。
白人や黒人のYAP+はht3。

ゆえに日本人種は東南アジア・中国南部とは無関係。

残念でした(嘲笑)

◎YAP+マップ

http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
http://native.way-nifty.com/./native_heart/images/y_chromosome.jpg

48 :出土地不明:2006/12/17(日) 22:57:28 ID:XrxH2Wse
>>34
もひとつ付け加えれば日本語の文法の起源の説明がつくな。
南方の母音調和の単語の問題だけが残ってしまうのだが。

>北方起原論者に期待したいことは、たとえばツングース語などの
>語彙をくまなく収集して、アルタイ語族の祖形を再建し、
>それと日本語の語根との対応を探ることである。
>母音調和は言語の系統の決め手ではない。無理な論戦で傷つくことで、
>本来最初になすべき作業を怠ってはならないのではあるまいか。

49 :出土地不明:2006/12/17(日) 23:47:58 ID:punEeEK6
2〜3万年前の北方アジアで話されていた言葉こそ日本語なんだろ。

下手をすると6〜7万年前の人種分化前の西アジアにいた頃の単語や発音も
入っているのではないか?

日本語こそ北方アジアで最も古い言葉を保存している言語だろう。

50 :出土地不明:2006/12/18(月) 20:46:20 ID:BY6LTlCy
>>49
>6〜7万年前の人種分化前西アジアにいた頃の単語や発音入っている
とすれば南方に残っている古い言語の単語と似ているのも説明がつくな。


51 :出土地不明:2006/12/18(月) 22:09:58 ID:xIXeyqEc
>>47
やっぱり資料がふるいんでないの?YAP+のハプログループの表現が、
一定してないから、20世紀の古い資料じゃないかな?
以下は、昨年程度のものだが、ハプログループの扱いはまともだから、
こっちでせつめいしよう。
http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf
これはPDFだけど、最初のページがY染色体の世界的な分布だ。
このうち、YAP+とされるのは、DとE(ExE3b,E3bとか含む)なんだよな。
日本人のYAP+は、基本的に、Dだ。で、これが多いのは、日本以外では、
チベットと、頻度は少ないが、スマトラ島の人達に多い。
なぜか、>>47で御紹介の
http://www.geocities.com/londonross1/china3.png
には、チベットの情報がまったくないのが不思議だよな。
チベット人は、氷河時代のころから、ヒマラヤ近辺にいたかなり古い
民族で、周囲が他に囲まれて、残ったというのが実状のようだな。
さて、D,Eは、どちらも、同じ系統で、3ページめにあるように、Bから
分岐した系統だ。かなり根っ子に位置する。で、D,Eが双方ともにYAP+
であるが、それ以外の系統では、YAP+は、ないから、D,Eの共通祖先の
段階で、YAP+の突然変異が起こったわけだ。Eは、アフリカに多く、また、
ヨーロッパにも一部いる。
ということは、基本的に、D,Eの祖先は、アフリカにいたことになる。
問題は、チベットと日本とどっちが早いか、という話だな。
状況としては、日本のほうが古い可能性が高い。
よって、アフリカから、アラビア、東南アジアを経て、日本、そから、
西にむかってチベットへ、という経路を通っていることになるんだよ。
YAP+が別の系統で発生することはありえないから、共通祖先は、アフリカ
ということになり、また、その起源が、5万年前ということからして、
出アフリカの第二陣くらいに対応することになる。
これで、わかったかな?

52 :出土地不明:2006/12/18(月) 22:33:54 ID:xIXeyqEc
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_D_%28Y-DNA%29
どうもこちらでいうと、
>>47のところでいう、ht とかいうのの分類はD1,D2,D3に対応するよう
だね。で、D1,D3には、以降の突然変異がないが、D2には、その後、多数
の変異がある、ってことは、起源としては、D2がもっとも古いことになる。
で、そうとすると、D2が古いんだから、それがたくさんいるところが、
古いわけで、それは、日本だ、ということだね。
このことから、D1のチベットや、D3の多い南部中央アジアと比べると、
日本のD2のほうが起源が古く、その結果として、日本からアジアに
ひろがったと考えるのが遺伝学的な考え方だよ。
で、このDのルートは、東南アジア回りってことになるね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroup
はなかなかよくまとまっているので、しっかり読んでおこうね。
日本語ページはまだないようだけど。

53 :出土地不明:2006/12/18(月) 22:44:13 ID:xIXeyqEc
>>49
ぜんぜんとんちんかんだよ。
YAP+の話題からすると、日本人の中で、YAP+のタイプ、つまり、ハプログループ
が、D2なのは、おもに、琉球、アイヌ系ってことになる。つまり、日本人の
中では、先住民系になるわけだ。アイヌ系があれほど北にすんでいながら、
南方的要素が強いっていうのが面白いよね。これはmtDNAのほうでも、この
琉球、アイヌ系に、M7a が多いんだよな。M7系統は、東南アジアから、
中国、朝鮮半島、日本に多く、これも南方系だ。M7aは、日本と朝鮮半島に
多く、M7bは、中国、M7cは、東南アジアだ。M7aが、だいたい起源が、
3万年というから、朝鮮半島と日本列島の固有の原住民系ってことになる
し、これが、YAP+のD2の系統とも一致するだろう。
つまり、日本人の旧石器時代人は、考古学的にもいわれているように、
南方系なわけだ。旧石器時代人骨とされるものは、どれも東南アジアなど
のネグリトなどに近い系統だ。縄文人の平均身長が150センチ(男性)ちょい
なのも、こういう系統に近いからってことになるだろう。ただし、北方系
は大きいけど。
中国では、こういう南方系の要素の人々がどんどんおいやられて、周辺に
しか存在しないが、日本では、まだまだかなり多い。その意味では、日本
は中国辺境系と考えられて、日本には多くの南方的要素が入ってきたと
いうことだな。もちろん、日本から出ていった系統もある。
まあ、それをざっくりまとめると、
https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
にあるとおりになる。

54 :出土地不明:2006/12/18(月) 23:08:08 ID:ykHY0yln
https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
にある、YAPの項目をちらっと訳しておこうか。

現在のサハラ以南に住む人たちは、人類の系統樹の中の特別な、三つ
のもののひとつで特徴づけられる。遺伝学者によって、これら古い
時代の分岐は、YAPと呼ばれている。

YAPは、北西アフリカで起こって、サハラ以南の人々の三つの古代の
分岐の中ではもっとも頻繁に見受けられる。これは、Aluの挿入として
しられる突然変異によって特徴づけられる。これは、300塩基のDNAの
断片で、非常だが、細胞分裂時に、人間のゲノムの領域に挿入される。

およそ5万年前に住んでいた一人の男でこの断片がY染色体に取り込ま
れ、それが子孫に受け継がれるようになった。時代とともに、この系統
はふたつのグループに分岐した。ひとつは概ねアフリカと、地中海沿岸
にあって、これは、M96というマーカーで定義され、それは、
ハプロタイプ E と呼ばれる。もう一方は、Dで、これはM174の突然変異
で定義され、アジアにある。


55 :出土地不明:2006/12/18(月) 23:17:18 ID:DO3J6vWA
>>50
オイロピーデ(コーカソイド)やインディアン諸人種と分岐した
ばかりのモンゴロイドの直系はアイヌ。

そこから枝分かれしていく。

分岐当時の状態が一番保存されている地域はどこなのかは
言うまでもない。

http://yamatai.cside.com/katudou/image/bunnkizu.png


>>51-53
なにテメエはいつまでも誘致工作してんだよ。

テメエの創作なんか一切聞きたかねえんだよ。

この東南アジア台湾ホッテントットが(嘲笑)

56 :出土地不明:2006/12/18(月) 23:41:49 ID:dM8gwZMf
バビロニアから来たって噂もあるぜ

57 :出土地不明:2006/12/19(火) 02:50:30 ID:b7VA7LUt
>>55
>オイロピーデ(コーカソイド)やインディアン諸人種と分岐した
>ばかりのモンゴロイドの直系はアイヌ。
日本語になっていないぞ…
ハングルで書かないとつらいか?

58 :出土地不明:2006/12/19(火) 19:20:40 ID:Ef3iKM8v
>>57
はぁ?????

単にテメエの日本語読解力が無いだけだろが(嘲笑)

毎日毎日、やる事と言えば日本人のルーツの江南&南方誘致工作。

否定されれば即、チョン認定。

チョン以上にロクでもねえよ。

ウンコ色の肌、潰れて広がった広鼻、ギョロ目、突き出した口元、
分厚い唇、骨張った輪郭、

顔面から香港スラムに漂う豚が腐乱したような凄まじい汚臭を放つ、
下品、下劣、醜悪きわまりない東南アジアヅラの台湾人は(ウルトラ嘲笑)

59 :出土地不明:2006/12/19(火) 22:53:01 ID:krwMA3kT
日本語が不自由なコリアンが逆上(^▽^)

60 :出土地不明:2006/12/19(火) 23:02:40 ID:Rt/d58TT
https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
における、Y染色体のハプログループDの記述を訳しておこう。
これ、もちろん、YAP+ね。日本人は、D2だという話はしたよね。

ハプログループDは、おそらくアフリカを5万年前ごろ出発した、
最初の大きな民族移動で、海岸氏族とされた(ハプログループC)
といっしょに移動したようだ。
海岸沿いの豊富な資源を有利に活かして、この大胆な冒険者たち
は、アフリカから南アラビア半島、インド、スリランカ、そして、
東南アジアへと海岸ぞいをおい続けた。
もっとも、そうではなくて、彼らはあとから海岸氏族の足跡をおい
かけて旅を続けたのかもしれない。この祖先の子孫の一部は周囲か
ら隔絶された中で、この古代のルートに沿っていまでも生きている。
とくに、東南アジアと、アンダマン諸島であるが、しかしインドには
いない。
この子孫はさらに後のふたつの民族移動を匂わせている。
それは、東アジアの海岸を北にむかったものたちで、それは日本に
到達した。そしてさらに最近の移動では、ここ数千年の間に、
モンゴルからチベットに入った子孫がいたということだ。

以下、この文章の感想ね。
ざくっと、アンダマン諸島あたりに痕跡があるから、東南アジア経路
であることは確定的なんだよな。アンダマン諸島の人々はかなり古い
民族であり、その場にずっと数万年前から住んでいた人々がいまでも
住んでいるところで、そのあたりは、他の遺伝子や、考古学的にも、
立証されている。
むしろ、モンゴルにからチベットに入ったのは、日本からモンゴルへ
むかったものたちの子孫ってことになるな。ようは、北方アジア人が
古代日本人の子孫の一部であり、日本人が北方アジア人から来た人達
の子孫ってのは、だいぶ後の話になるわけだ(弥生時代とかね)。

61 :出土地不明:2006/12/19(火) 23:10:03 ID:Ef3iKM8v
ハイハイ、誰も支持しないサイエンスフィクションをどうも。


62 :出土地不明:2006/12/19(火) 23:10:53 ID:Rt/d58TT
>>59
いや、そういうコリアンの話についていえば、このYAP+のころの話になる
と、朝鮮半島は日本列島とくっついたり離れたりしている氷河時代の話
なので、このYAP+の人達も、それ以外にハプログループCの人達も、日本人
と朝鮮半島の人々ではまったく同じで、これは、mtDNAのM7aが日本人と、
朝鮮半島人で共通することからもいえるよ。
ようするに、朝鮮半島、日本列島ともに、氷河時代の終りごろまでは、
基本的には、アフリカから、アラビア、インド、東南アジアをへて、
北上してきた人達の子孫だよ。現代人で、朝鮮半島の人々と日本人が
多少違うとしたら、それは、ここ2000年のことで、さらにいえば、
朝鮮半島がモンゴル帝国の支配をうけたことが大きな理由だということ
になる。言語的にも、1万5千年前までは日本と朝鮮半島で大きな違い
があったとは思えない、っていうよりは、その当時は、狩猟民族の常
として、半島にも列島にも、いろいろな言語があったんだろう。まあ
互いにそれなりに関係しあっていたとも思える。
ただ、氷河時代が終って、半島と列島が分離したあとは、多少なりとも
違う文化に変化していったわけだね。それから、日本列島には、北方か
らの移住者もいたことはたしかだろう。
ただな、アイヌ系といえども、Y染色体のハプログループCとDがかなり
いるわけだし、mtDNAでも、M7a が多い。沖縄の人達と基本的には同じ
だから、日本全体みても、縄文時代が終るまで、それほど北方系が多く
入って来た形跡はないな。

63 :出土地不明:2006/12/19(火) 23:14:11 ID:Rt/d58TT
>>61
いや、あんた以外からは普通に支持されているんだが、それに、このもと
のページ、あんたが英語読めないらしいから訳してあげたけど、かなりの
権威のあるちゃんとしたページだよ。文句つけるなら、まずIBMにでも、
いってくれよな。あんたが提示した資料はどれも、20世紀のもので、
古代の資料で、まったくもって時代遅れだよ。

64 :出土地不明:2006/12/19(火) 23:19:51 ID:Ef3iKM8v
では、日本人学者での支持者を教えてもらおうか?

サイエンスフィクションくんw

65 :出土地不明:2006/12/19(火) 23:26:27 ID:Rt/d58TT
>>55
アイヌの系統と、日本列島北方の人達は、たしかに、アメリカ大陸に移住
した人々と非常に近い関係にあることは事実なんだが、そのアメリカ大陸
の人々の多くも、Y染色体ではCとかが多くて、これはアフリカから東南
アジア経由、日本列島(およびシベリア)からアメリカに入るってことだ。
もちろん、アメリカ大陸にいった人の中には、mtDNAのXとか、ヨーロッパ
系と関連する系統もいるが、日本人の中では、Xは発見されていない。
で、20世紀末ごろの日本人の研究者の文献の中には、縄文人骨のmtDNA
が、ヨーロッパ型だったとかいう話があるが、その当時はハプログループ
の定義もあいまいだし、全長配列での解析はしてない。
前にも書いたように、それで大間違いしたのが、中国山東半島の白人
系って話だったけど、全長配列解析したら、結局mtDNAのM型の亜種で、
東南アジアから北上した人達だったことが判明したりしている。
研究の日付が20世紀中で、著者が国立遺伝学研究所とかの系統だと、
宝来先生とか斉藤先生のもふくめて、ちょっといまではまったく通用し
ない内容になっている。
ヨーロッパ人の中にも、たしかに中央アジア系がいて、その中には、
東にいたって日本や中国までいたった人々と共通祖先だったこともあり、
それもはっきりわかっているが、こと氷河時代末までの2万年前ごろ
までの話だと、日本列島は、北から南まで、どっぷり東南アジア系の
人々であるといえる。で、その一部がアメリカ大陸までわたったわけだ。

なお、もう少し加えると、こういう初期にアフリカから出た人々の子孫
は、2万年前ごろまで、形質的にはかなり古い特徴をもっている。
いわゆる北方系ののっぺり顔なんていなくて、髪の毛もたぶんちじれて
いて、肌もかなり黒い。このあたりは、日本の旧石器時代の人骨の特徴
でもあるし、さらには中国での旧石器時代の人骨の特徴でもある。
世界的にみて、現代人の地域ごとのいろいろな顔の特徴、肌の色などは、
ここ1万年か1万5先年ぐらいで形成されたもので、ヨーロッパ人も、
この時代、現代のヨーロッパ人と同じ顔をしていたとは思えない。
クロマニョン人一般も、骨だけからはアフリカ人と区別が付かないと
いう。だから、ドイツ発見のグリマルディ人が黒人の祖先とかいわれて
いるわけだ。まあ、北方東洋人ののっぺり顔が世界ではもっとも先鋭
的な顔であることも事実だわな。
あと、アフリカの黒人も黒くなったのは、ここ1万年かそこらだ。
もっと古い民族であるブッシュマンはかなり色が薄い。

66 :出土地不明:2006/12/19(火) 23:35:12 ID:Rt/d58TT
>>64
最近チェックいれているけれど、国立遺伝研関係とかのページの内容が
ほとんど更新されていない。20世紀のままになっていてまったくこま
ったものだよね。日本人の研究者がこのあたりでまったくもって研究
を発表していないんじゃないかって思うくらいだ。
以下のページが、日本人の書いたものだけど、読んでみてくれ。
全部は訳せないしな。
http://www.genome.org/cgi/reprint/14/10a/1832.pdf
これは、かなり網羅的な研究で、弥生時代以降のものと、それ以前では
まるっきり違う系統のようで、古い層は、南方系(mtDNAのMとかNとかの
系統)が多いということが書かれているぞ。ただ、非常に複雑なので、
簡単ではないが、とも書かれているな。
まあ、読んでみてくれ。

67 :韋駄天はふと考えた:2006/12/20(水) 03:00:51 ID:MbVV+ugi
鳥居は倭人の証。

2000年前の昔の人は、渡来朝鮮人集落と倭人集落を区別するために、集落の入り口に
木製の鳥居を設けた。いわば鳥居は倭人集落へ入るための門であり、倭人にとっては
重要な目印であった。

古代の日本には、こうした入り口に鳥居のある倭人集落と、鳥居がなく巨石を置いて
門や集落の目印代わりにする渡来朝鮮人集落とが別々に存在していた。

やがて人口が増えて倭人集落の規模が大きくなると、鳥居の外に家を構える倭人も
増えてきて、いつしか鳥居のある場所は、倭人集落の中で祝い事や豊作の祭事を行う、
重要な場所として位置づけられることとなる。

また倭人集落から死者が出たり災いが起きたりした場合は、この鳥居のある場所は、
死者の霊を鎮める場所や災いを振り払う場所として使われるようになった。
これが現在において神社といわれる場所となった。

一方、渡来朝鮮人集落では、巨石で囲った場所に死者を祭ったり、巨石と土を
盛り上げた場所を、渡来朝鮮人集落の近くに設けては、祝い事や豊作の祭事を
行う場所として使ったり、死者の霊を鎮める場所や災いを振り払う場所として
使われるようになった。
これが現在において古墳といわれる場所となった。

しかし、近年においては倭人集落と渡来朝鮮人集落とが混在するようになり、
鳥居のある神社が集落にあるからといって、そこが倭人集落とは決め付けれなくなった。

68 :出土地不明:2006/12/20(水) 03:15:01 ID:IpUzbP5N
>>67
>鳥居
雲南省、タイ北部山地、ベトナム北部山地に大昔からたくさんあるね。
糸引き納豆、羽子板で羽根つき、絣の着物、押し寿司、、、もある。
腰に刀を二本差しの部族さえいる。YAP+を持つ人たちが暮らす。
沖縄出身の人たちが行くと「懐かしい、沖縄みたいだ」と語る土地だ。

69 :韋駄天はふと考えた:2006/12/20(水) 04:05:34 ID:MbVV+ugi
2000年以上前の古代における倭人の領土は、東は関東平野から西の本州島、
四国島、九州島の日本列島全域、薩南諸島、琉球諸島、台湾島、中国大陸
揚子江沿岸全域、中国大陸東シナ海沿岸全域、中国大陸雲南省、北ベトナム地域、
ラオス北部、タイ北部、ミャンマー北部、ネパール、ブータン、チベット南部と
過去においても現在においても、モンゴル帝国やソビエト連邦に匹敵する領土を
有していた。(日本列島の東北地域と北海道地域はアイヌ人の領土だった)

しかし、中国大陸北部で騎馬民族モンゴル人の南下による略奪と混乱による、
戦火が激しくなると、武装難民となって逃れる漢民族の南下によって、揚子江流域から
平和な民だった倭人が武力によって追い払われて、さらに南下してきた武装難民の
漢民族によって、中国大陸を挟んで倭人国家が東倭人国家と西倭人国家のふたつに
分裂させられてしまった。

また、東倭人国家に属した日本列島でも、騎馬民族モンゴル人の南下による略奪と混乱による、
戦火が激しくなると、武装難民となって逃れる満州族の南下によって、朝鮮族の領土である
朝鮮半島が満州族の中の騎馬部族によって朝鮮半島北部が武力で奪われて、難民となった朝鮮族が
南下して、その一部が海を渡り九州や日本海沿岸の本州島まで渡ってきた。
こうして、九州や本州西部の日本列島国内でも倭人の領土が、朝鮮族によって侵される事態となった。

70 :韋駄天はふと考えた:2006/12/20(水) 04:06:43 ID:MbVV+ugi
そのころ西倭人村落国家の中で、邪馬台国地域を統率していた女王卑弥呼は、東西に分裂させられた
倭人国家をひとつにしようと、東倭人村落国家の奴国を中心とした九州の倭人勢力の村落国家と、
東シナ海の海洋ルートを通じて連携を取り、漢民族のこれ以上の南下拡大を抑えよう考え、倭人の
軍事力を強化するためと、揚子江流域を支配した漢民族を東西北方向の三方面から挟み撃ちで掃討する
ために、中国大陸北部の軍事大国の魏の国と同盟を結ぼうと使者を送った。

こうして、軍事力を強化させた東倭人村落国家の中の九州島においては、倭人勢力が渡来朝鮮族との
戦いに勝利し、敗れた渡来朝鮮族の集団は瀬戸内海を通じて近畿地域へと逃れていった。
その後、近畿地域に住み着いて勢力を拡大してきた渡来朝鮮族が、九州島の東倭人村落国家との戦いに
勝ち、西日本列島の倭人を従えることに成功した。
こうして勝者となった渡来朝鮮族によって、古代日本における倭人に関する歴史の記録と痕跡はことごとく
抹殺破壊処分されてしまい、渡来朝鮮族に都合の良い捏造の歴史記録と遺跡だけが残されてしまった。

71 :出土地不明:2006/12/20(水) 18:49:48 ID:e58uIW9a
>>67-70
デムパはいらねー


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

72 :メイラックス:2006/12/21(木) 00:56:26 ID:Dc3cLDab
汚い書き込みが目立ちますよネチズンさん。
君の他民族蔑視は許せないな。
本当に許せないな!

73 :出土地不明:2006/12/21(木) 19:28:48 ID:nuzhXCoR
「倭人」の源流を求めて 
     ー雲南・アッサム山岳民族踏査行ー

森田勇造 著、 講談社
    1982年9月発行
 
    ISBN4−06−200174−8

高床式住居、千木・かつお木、鳥居、いれずみと断髪、
歌垣、アニミズム、山岳信仰、赤米と穀霊信仰、そして
農具や木・竹・わらの道具、数々の発酵食品などの稲作
複合文化・・・・と、「倭人」の源流を求めてという
この本のタイトルからも伺えるように、著者は、雲南・
アッサムの山岳少数民族の生活風俗と古代日本のそれと
の共通項をもとに、両者のミッシング・リンクを埋める
興味深い仮説を展開する。中国の江南地方に住んでいた
倭人(江南人)と雲南山岳地帯の雲貴高原に住んでいた
人々、そして日本列島の倭人と、古代の東アジア世界を
思い描くことは、ワクワクさせられて本当に楽しいものだ。

ttp://www.mekong.ne.jp/books/explore/011101.htm

74 :出土地不明:2006/12/21(木) 19:44:04 ID:nuzhXCoR
タイ・ワット・カム・コーの社殿に続く通り

ttp://www.thaismile.jp/FotoGallary/ThaiPics/MaeHongSon/etc/WatKamKo/WatKamKo02.JPG

ttp://www.thaismile.jp/FotoGallary/ThaiPics/MaeHongSon/etc/WatKamKo/WatKamKo04.JPG

タイのアカ族の鳥居
ttp://tokyo.cool.ne.jp/woodsorrel/data/bunka_torii.jpg

タイのミャンマー国境近くにある素朴な鳥居
ttp://www.geocities.jp/xiaokobamiki1/images/huamaekham/huamaekham0013.jpg



75 :出土地不明:2006/12/21(木) 20:45:01 ID:79sLW0Zg
>>73-74
馬鹿丸出しですねw

76 :出土地不明:2006/12/21(木) 21:30:42 ID:xouDZjsh
>>73-74
その前に弥生文化に鳥居があったという証拠は?(爆笑)



77 :出土地不明:2006/12/21(木) 21:41:58 ID:Dc3cLDab
何でそんなに必死なの?上のひと

78 :出土地不明:2006/12/21(木) 23:59:05 ID:gZnJ8//M
日本人の先祖が東南アジアから来ていることになると
自分たち半島出身者が日本列島に住みづらくなるという
被害妄想でファビョってる韓国人や朝鮮人だからだよ

79 :出土地不明:2006/12/22(金) 20:49:48 ID:9QLWtBV6
>>77
>日本人の先祖が東南アジアから来ている


ほほうw

じゃあ何で弥生期の東南アジアに見られる印紋土器や三足土器や
ドンソン土器やバンチェン土器や青銅器の銅鼓が一切伝わってないのかね?

印紋土器や三足土器はBC20C頃までに、青銅器の銅鼓はBC10C頃には
東南アジア中で普及していたんだが。

80 :出土地不明:2006/12/22(金) 22:20:02 ID:/YjtwZCb
>>79
どういう頭の構造しているんだ?
ここで何度も書いているように、日本列島や朝鮮半島に東南アジアから
人々がやってきたのは、3万年前だ。そのころ土器があったか?え?
土器は、日本の土器が一番ふるいんだぞ!元祖だ。1万6千年前だ。
その、印紋土器やら三足土器やらが、氷河時代の3万年前に使われていた
という証拠があるなら、「どういう頭の構造しているんだ」を取り消してやる。

81 :出土地不明:2006/12/22(金) 22:46:08 ID:NjCv9nFN
>>80
だから、それを唱えている日本人学者を早く出してみなよw

サイエンスフィクションくんwwww

82 :出土地不明:2006/12/22(金) 22:51:20 ID:KeOEnQtF
>>81
だから、はやいところ、下のページを読んで、感想を書けよ。
どこがサイエンスフィクションだよ。
http://www.genome.org/cgi/reprint/14/10a/1832.pdf
それに何度もいうが、3万年前ごろの日本にやってきた東南アジア系
(もちろん、アフリカ、アラビア、インドを経てってことだが)ってのは、
朝鮮半島にも住み着いているし、現在でもその傾向は遺伝子からもよみ
とれるんだから、なにも、東南アジア系の存在が日本人と韓国人を分ける
とかなんとかいう話は筋違いだぞ。


83 :出土地不明:2006/12/22(金) 23:01:24 ID:9QLWtBV6
>>82
だから、それを唱えている日本人学者を早く出してみなよw

サイエンスフィクションくんwwww

84 :出土地不明:2006/12/22(金) 23:13:07 ID:KeOEnQtF
>>83
あのさ、>>82で示したページは、日本人のグループが書いたものだよ。
読めばわかるだろ。名前と所属くらいわかるだろ。
それとも、ローマ字が読めないか?

85 :出土地不明:2006/12/22(金) 23:17:49 ID:9QLWtBV6
>>84
だから、早くその日本人学者を出してみなよw

それに書いたのは日本人だけじゃないよなw

サイエンスフィクションくんwwww

86 :出土地不明:2006/12/22(金) 23:29:42 ID:KeOEnQtF
>>85
いまさら、日本人だけで、しかも外国の研究者とまったく交流せずに、
孤立して研究している人がいたら、そっちの研究成果を疑うぜ。
上の論文は大部分は日本人が書いているし、しかも日本の研究所(それも
なだたるところだろ)が中心になって行われた研究だよ。
英語ができないなら、ちゃんとできないといえばいいだろ。
そのくせ、「さいえんすふぃくしょん」などと英語らしい言葉を使う
から、日本人扱いされないんだよ。もういちど勉強しなおせ。


87 :出土地不明:2006/12/22(金) 23:37:43 ID:NjCv9nFN
そもそも3万年前ごろの日本にやってきたのが東南アジア系だなんて
断言できないだろ。

アルタイ方面から移動して朝鮮・日本や中国・東南アジアに分裂した
可能性だってある訳だろ。

88 :出土地不明:2006/12/22(金) 23:43:03 ID:NjCv9nFN
>>86
だいたいな、まともな論文なら和訳があるに決まってるだろ。

無いのはアングラ学者の巣窟だから。

まともな学者はみんな眉唾だろうな。

サイエンスフィクションくんwwww

89 :出土地不明:2006/12/22(金) 23:44:01 ID:KeOEnQtF
>>87
ない。理由は簡単だ。その系統の子孫が、断続的にきっちりと、アフリカ、
アラビア、インド、スリランカ、東南アジアに分布している。それと、
関連する人々がオーストラリアまで移住していることもある。
逆に、アルタイ方面にその当時いたのは、それこそ、アメリカ大陸まで
移住していったmtDNAのハプログループXの人々だが、この系統は、日本
列島にも入って来てない。
数万年前の人々の移動が現在まで痕跡が残っているっていうのは不思議
に思うかもしれないが、現実には、いろいろな分析法によって、くっき
りと遺伝子密度の勾配が見えるんだよ。
とくに、日本にやってきた東南アジア系という人々の系統がアンダマン
諸島とかと関係があるとなると、考古学的にも孤立した人々の話で、
かなり信憑性が出てくる。
遺伝子勾配も、数珠状につらなるアフリカからの流れも、ひとつひとつ
はそれだけだと、根拠はうすいんだが、相互に相補的に証拠としてでて
くるので、よほどのすごい発見がないかぎり、崩れない結論だ。
だから、ない!ときっぱりいえる。

90 :出土地不明:2006/12/22(金) 23:45:47 ID:KeOEnQtF
>>88
もう相手にするの疲れたよ。論文が日本語約が必ずあるって?
え?世界の文献の半数が英語で書かれているんだぜ現状。
その全部が日本語に訳されているなら、世界の文献の半分が英語で、
もう半分が日本語っておかしいだろ。
すこしは、頭つかえよな。世間しらずなら、それらしく振る舞えよ。

91 :出土地不明:2006/12/22(金) 23:56:50 ID:NjCv9nFN
>>89-90
いいだろうw

まともな論文なら1年以内に和訳なり関係書が出るだろ。

それ以外の日本人学者がどういう見解なのかが楽しみだなw

3万年前の人骨も出土しないのに、ミトコンドリ屋の
サイエンスフィクションを信じるほど俺は馬鹿ではないよwwww

92 :韋駄天はふと考えた:2006/12/23(土) 00:45:44 ID:emzThyes
>>1
あなたは研究の仕方そのものが間違っています。

ここにヒントを差し上げますので、自分の研究の仕方が
なぜ間違っているのかを、じっくり考えてください。

・古事記や日本書紀の文献を頼りに研究するのは、未来の考古学者が朝日新聞や聖教新聞の
記事内容から当時の歴史を研究するのと同じほど愚策。

・1500年後の考古学者が遺跡から発掘した朝日新聞全書(朝日新聞社が創刊から廃刊まで
発行したすべての新聞記事の内容)と聖教新聞全書(聖教新聞社が創刊から廃刊まで発行した
すべての新聞記事の内容)を頼りに1500年前の日本がどういう国であったかを研究したが、
疑問点ばかりが噴出して、研究者の間からも様々な説に分かれて論争が続くことになった。

・それはそうでしょう。朝日新聞や聖教新聞のように、支那人、在日朝鮮人、半島朝鮮人、
同和部落民、創価学会員らの都合の悪いニュースは全く記事にせずに、これらの都合の良い
ニュースばかりを記事にするような新聞記事から、当時の歴史が正確に割り出せるはずはないのですから。

・現在においても支那人や在日朝鮮人はウソつきで真実を伏せて捏造ばかりするのに、昔の支那人や渡来朝鮮人が
正直者であるという根拠はどこにもない。
したがって昔の支那人や渡来朝鮮人が書き残した文献の信頼性はないも同然。

・歴史の文献というのは敗者に都合の悪い内容となり、勝者に都合の良い文献として残されるのが大半です。
例:敗者の先住民族インディアンに都合が悪く、勝者の白人に都合の良い「アメリカ新大陸発見」の教科書の内容
他にも「オーストラリア大陸発見」「喜望峰発見」「マゼラン海峡発見」など、いずれも日本の教科書にまで
白人中心主観のままで記載されることとなる。

・ただし魏国と邪馬台国のように、お互いの国境が接することなく戦争も対立関係にない国家間の文献では、
都合の良いウソや捏造をする必然性はなく、真実を書き残している信頼性は高い。

・考古学を研究するには、当時の時代背景を知り、対立関係や利害関係まで知り尽くしてから、
文献を参考にしないと、「朝日新聞や聖教新聞の文献記事だけを研究して、西暦1930年〜2010年間の
日本の歴史を学びました」というバカな考古学者が1500年後にも必ず現れます。

93 :出土地不明:2006/12/23(土) 02:20:51 ID:QpgOcKY+
おそらく、いや、1500年後の考古学は現在と同じ手法では無いはず。
ましてや1500年前の新聞記事などを頼りに推理するはずがない
現在と同じ穴掘って物的証拠を挙げるなんてことはないといいきれないが
まず、ありえないことだな
1500年と言う時間は宇宙論から言えば一瞬だが、1500年後と言う時間は
人間にとっては余りにもながすぎる。
まあ、地球があればの話だが・・・。


94 :出土地不明:2006/12/23(土) 10:10:53 ID:AZiX8x7Z
>>91
でねーよ。出るのは、海外で有名になった一部の書籍だ。
研究者はほとんど論文を原著で読まないといけないし、また、世界に広く
しらしめるには、英語で書かないといけない。
日本語だけでやろうとすると、完全に時代遅れになるよ。
だから、そういう世間知らずなら、世間知らずらしく振る舞えよ。
すくなくとも、日本語に訳された本くらい読めよ。
この分野の最近の進展はむちゃくちゃ早いから、20世紀に書かれた本は
ほぼ壊滅的に内容が古い。
でな、そういう世間知らずなのに、さらにアホなことばかりいうと、ます
ますアホだということを宣伝するようなものだぞ。

95 :出土地不明:2006/12/23(土) 13:03:46 ID:I28l5/Qq
>>80
>日本列島や朝鮮半島に東南アジアから
>人々がやってきたのは、3万年前だ。そのころ土器があったか?え?
>土器は、日本の土器が一番ふるいんだぞ!元祖だ。1万6千年前だ。
>その、印紋土器やら三足土器やらが、氷河時代の3万年前に使われていた
>という証拠があるなら、「どういう頭の構造しているんだ」を取り消してやる。
拍手。

>>79 みたいなキチガイはしつこく同じ事を言い続けるだろうから
 迎撃、撃破、頑張ってください。

96 :出土地不明:2006/12/23(土) 13:46:42 ID:TsjOrXBx
>>94
だいたい、そんな重要な内容のものが、世界第二位の先進国の日本で
出版されない訳がないんだよw

出せないのは、ただ単純にアングラだからw

世間知らずらしく振る舞えだ?w

おまえ自身がなw

3万年前の人骨も出土しないのに、ミトコンドリ屋の
サイエンスフィクションを信じるほど俺は馬鹿ではないよw

97 :出土地不明:2006/12/23(土) 18:08:02 ID:xMjQV0hI
井筒和幸は、雰囲気と声が、亀田コウキのオヤジに似ている。

井筒和幸は、雰囲気と声が、亀田コウキのオヤジに似ている。

井筒和幸は、雰囲気と声が、亀田コウキのオヤジに似ている。

井筒和幸は、雰囲気と声が、亀田コウキのオヤジに似ている。

井筒和幸は、雰囲気と声が、亀田コウキのオヤジに似ている。

井筒和幸は、雰囲気と声が、亀田コウキのオヤジに似ている。


98 :出土地不明:2006/12/23(土) 22:21:07 ID:Dsb9VWD3
>>96
だいたいだれが翻訳しているとおもってるんだよ?
一般向けなものは別にすれば、多くの専門書は専門家の副業だ。
日本人しか英語から日本語への翻訳ができない。日本人の研究者はそんな
に暇じゃない。まったく、もっと世間知らずならそれらしく振る舞え。
もう、>>95がいうように、アホらしくなってきたので、止める。
たんに、「英語ができなくて、アホなこと書きました」といえば済むこと
だろ。自分の問題を直視できないようなやつがまともな議論ができるとも
思えないし、これ以上は無駄だな。

99 :出土地不明:2006/12/23(土) 22:25:58 ID:KkodDwfw
竹内文章読めよ

100 :出土地不明:2006/12/24(日) 16:28:52 ID:k948N7aW
>>98
と、口先だけはいつも偉そうだが、

弥生人の故郷を中国と出して、NHKを使って日本国民をダマした
凶悪詐欺集団のうんこミトコンドリ屋(嘲笑)

松本博士一人のgm遺伝子の足元にも及ばない(狂笑)

101 :出土地不明:2006/12/24(日) 18:31:21 ID:WEVxokmm
サイエンスフィクション君www>>85でマジ吹いたわw

102 :出土地不明:2006/12/24(日) 18:54:18 ID:VCtDC6Mu
■イギリスとフランスが中が悪い理由は(百年戦争)■
http://www13.ocn.ne.jp/~uk_fan/jpage/history/hs_q006.htm

 イギリスとフランスはたしかに仲が悪いが、イギリス人とフランス人は歴史というものを客観的に理解しているので、
お互いに尊重し合っている。フランス人は過去の歴史を持ち出して、イギリス人に謝罪を要求することはしない。
イギリス人も、フランス人に対して歴史問題で謝罪を要求することはない。
 ヨーロッパの民族は「大人」なのである。一方が絶対善で、もう一方が絶対悪、というようなキチガイじみた発想を
持たない。だから、冷静な外交が可能であり、国と国の関係も安定しているのである。

【七年戦争】
 七年戦争は、ヨーロッパにおいては、イギリスの財政支援を受けたプロイセンと、オーストリア・ロシア・フランス・
スウェーデン・スペイン(1762年参戦)及びドイツ諸侯との間で戦いが行われた。並行して、イギリスとフランスの
間では、北アメリカ、インド、各大洋上で陸海に渡る戦いが繰り広げられた。
 プロイセンとオーストリアとの戦争を第3次シュレージエン戦争、北米での戦争をフレンチ・インディアン戦争、
インドでの戦争を第2次カルナティック戦争とも呼ぶ。これらの戦争を総称して七年戦争と呼ぶこともある。
 オーストリアがフランスと同盟を結んだ外交革命、400万対8000万という圧倒的な人口格差など、
当初プロイセンは敗勢を余儀なくされ、その命運も尽きるかと思われたが、プロイセン王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)
の適切な戦争指導と、エリザヴェータ女帝の死によるロシアの離反によって戦局は打開され、幸運にも戦争はイギリス・
プロイセンの側に有利に帰着した。

 ヨーロッパの歴史は、まさに「互いに侵略し合う歴史」であり、ヨーロッパ人もそのことを正しく理解している。
だからこそ、第2次世界大戦後、フランスとドイツは和解することができたのである。
 戦後、フランス人は、ドイツ人のことを一方的な侵略者として扱わなかった。フランス人は過去の歴史を知っている。
ヨーロッパ人は歴史を客観的に学習しているのである。だから、ヨーロッパ諸国の間では健全な外交関係が成立するのだ。
 一方、東アジアの場合、シナ人や朝鮮半島人には、歴史を公正に見る精神が欠けているのである。
 シナ人や朝鮮人は、自分たちに都合が良い形に歴史を歪曲し、捏造する。歴史を正しく理解しない。
だから、この2国では正統な歴史学が育たないのである。歴史が政治の道具として利用されているからである。


103 :出土地不明:2006/12/24(日) 22:11:18 ID:GJHkcFzE
歯を調べればルーツがわかる。東南アジアか中国か北方アジアか
ロシア人学者によって日本人はツングースの歯に似ていると結論がでているよ。
邦訳され学校の図書館でも読めるんだよねw

104 :出土地不明:2006/12/25(月) 02:14:56 ID:qRRAoWnW
>>103
>ロシア人学者によって日本人はツングースの歯に似ていると結論がでているよ。
>邦訳され学校の図書館でも読めるんだよねw
だから南樺太も北方領土も北海道もロシアのものだと
言いたいんだよ、奴らは。ツングースは極東ロシアと
中国東北部(満州)と朝鮮半島にいるだけじゃ不満なんだよ。
ロシアは「獲得形質は遺伝する」なんて電波学説を
長期間、国を挙げて認めてたくらい、適当な奴ら。
ラスプーチンが帝政末期にのさばり、オウム真理教が
日本国内の倍の信者を獲得していたキチピー国だ。
んなもん、頭から信じるなよ。

105 :天ノ川 創:2006/12/25(月) 04:33:52 ID:iPPBSS4f
アマテラス降臨!

106 :天ノ川 創:2006/12/25(月) 07:28:57 ID:iPPBSS4f
あれっt

107 :出土地不明:2006/12/27(水) 22:08:20 ID:7MqO7Vvr
>>103
だから、そういう19世紀だか20世紀半ばの古い話を持ち出すのやめてくれないかな。

108 :韋駄天はふと考えた:2006/12/27(水) 22:15:26 ID:cxXLuIZI
間違い探しシリーズ 邪馬台国編1

考古学者や一般考古学ファンの間では、邪馬台国は九州説と畿内説に分かれて
論争をしているが、この論争の元となるのが魏志倭人伝の解釈の相違からくる。

ここで私から考古学者や一般考古学ファンに対して、魏志倭人伝の解釈について
大きな間違いがあることを指摘します。

まず第一の間違いは邪馬台国の方向についてで、魏志倭人伝では南となっているのに、
それを無理やり東と解釈して畿内説に結び付けようとしています。
ここで古代の人に代わって私から一言いわせてもらいます。

「おまえら古代人の方向能力をバカにするな!」

古代人は地図も方位磁石もない時代に、迷うことなく目的地に着けれる方向探知能力を持っています。
そもそも遠い外国へ大事な外交仕事に旅立つ使節団の人々に、方向音痴になって目的地にたどり
着けないような人を選任させるでしょうか?
国の命運を左右する大事な使節団なのだから、地図も方位磁石もなくても方向音痴にならずに、
無事に行って戻ってこれる人達を選任するのは当然です。

そんな彼らが南と東の方向を間違えて、後の書物に書き残すなどという大きなミスはしないでしょう。
現在の公文書もそうです。東京から北京へのルートを書き残した公文書があれば、そこに北京の方角は
西でなく北と書き残す大きなミスはしないはずです。
ですから魏志倭人伝においても南と書かれていれば南であり、東と書かれていないのだから東ではないのです。
畿内説に都合よくなるような解釈はやめましょう。

109 :韋駄天はふと考えた:2006/12/27(水) 22:21:59 ID:cxXLuIZI
間違い探しシリーズ 邪馬台国編2

しかしこの方向についてですが、古代において方向というのは厳格に表現されるものではなく、かなり大雑把に
表現される事が多いのは事実です。
これは現在人においても、かなりいい加減な方向を表現することでもわかります。

例えば北海道札幌市に住んでいる人に東京の方角について尋ねると、ほとんどの人が南の方角と答えます。
ではハワイの方角についても尋ねると、ほとんどの人が南の方角と答えます。
また大阪の方角についても尋ねると、ほとんどの人が南の方角と答えます。
さらに新潟の方角についても尋ねると、ほとんどの人が南の方角と答えます。
でもハワイ、東京、大阪、新潟は、それぞれが近い場所にあるのではなく大きく離れています。
それでも北海道の人にとって自分の住んでいる場所から南の方角にある地名はすべて南と答えるのです。

また福岡に住んでいる人に鹿児島の方角について尋ねると、ほとんどの人が南の方角と答えます。
では沖縄の方角についても尋ねると、ほとんどの人が南の方角と答えます。
また台湾の方角についても尋ねると、ほとんどの人が南の方角と答えます。
さらにシンガポールの方角についても尋ねると、ほとんどの人が南の方角と答えます。
でも鹿児島、沖縄、台湾、シンガポールは、それぞれが近い場所にあるのではなく大きく離れています。
それでも福岡の人にとって自分の住んでいる場所から南の方角にある地名はすべて南と答えるのです。

また大阪に住んでいる人に北京の方角について尋ねると、ほとんどの人が北の方角と答えます。
ではソウルの方角についても尋ねると、ほとんどの人が北の方角と答えます。
またウラジオストックの方角についても尋ねると、ほとんどの人が北の方角と答えます。
さらに札幌の方角についても尋ねると、ほとんどの人が北の方角と答えます。
でも北京、ソウル、ウラジオストック、札幌は、それぞれが近い場所にあるのではなく大きく離れています。
それでも福岡の人にとって自分の住んでいる場所から北の方角にある地名はすべて北と答えるのです。

110 :出土地不明:2006/12/27(水) 22:26:21 ID:uA/uleC2
かと言って、調査が古いからといって間違っているとするのもおかしい。

最近は新しい調査が間違っている事の方が多い。

例えば、北方アジア抜きの偏向調査で中国に誘致し国民をダマした容疑者、



 宝 来 聰 (国立遺伝学研究所助教授、総合研究大学院大学助教授)


 松 下 孝 幸 (土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム館長)


 植 田 信 太 郎 (東大理学部助教授)


 山 口 敏 (東京国立科学博物館名誉研究員)北方アジア抜きの偏向調査で渡来人の故郷を中国に誘致し



など。

111 :韋駄天はふと考えた:2006/12/27(水) 22:40:48 ID:cxXLuIZI
間違い探しシリーズ 邪馬台国編3

こういう傾向は西についても東についてもまったく同じです。
つまりは誰でも自分の住んでいる場所を基準にして、そこから南に位置してあれば、正しくは西南の方向に
ある地名でも南と答え、正しくは北西の方向にある地名でも西と答え、正しくは北東の方向にある地名でも
北と答えます。
こういった方向についての感覚は、古代人も現代人も同じはずです。

私が何が言いたいかは、魏志倭人伝に南と書かれていれば、南の方向だけではなく南東や南西の方向も
すべて南と書かれるのです。
この傾向を考古学者や一般考古学ファンが覚えておけば、古代の文書に記載された方向を、解読するのに
非常に役に立つでしょう。

次に魏志倭人伝に書かれた距離についてですが、古代の人はどうやって目的地までの距離を測ったのでしょうか?
魏志倭人伝には目的地までの距離を測る方法として、日数(移動時間)と100里とか500里とかの里歩で表しています。

現在において目的地までの距離を測る手段として、日本ではキロメートルを使っていますが、これは地図や車の走行距離
などに表示されるのを、読み取った場合にしか使えません。個人個人が機械を使わずに目的地までの距離を正確に測る
ことはできないのです。

そこで現代人の私達は、目的地までの距離が何キロメートルわからない場合は、目的地までの日数や時間を表現することで、
目的地までの距離を推測できるような手段を用います。
例えば大阪から東京までの距離を表現する場合には、知っている人なら約500キロメートル弱と答えますが、距離を知らない
人は、大阪から東京までは新幹線で約2時間50分くらいで、飛行機なら約1時間30分くらいと答えます。
また自動車なら高速道路を使って6時間から7時間くらいと答えるはずです。
(ここではあくまでも通常の一般人の感覚に立って表現するので、正確な時間の厳密さを表記しない)

このように現在においても、目的地までの移動距離を表現する場合には、実際の距離で表現したり主要時間で表現したりします。
これは古代人の目的地までの旅行についてもまったく同じ表現が使われたはずです。

112 :出土地不明:2006/12/27(水) 22:54:37 ID:7MqO7Vvr
>>110
宝来先生は、もうお亡くなりになったわけだし、その肩書ってかなり昔の
ものだよ。そんな古い時代の研究を持ってくるのはどういうことよ?

113 :韋駄天はふと考えた:2006/12/27(水) 23:18:06 ID:cxXLuIZI
間違い探しシリーズ 邪馬台国編4

では、現在人のみなさんは目的地までの移動距離を表現する場合には、どの手段を一番多く用いるでしょうか?

大阪から東京までの距離を表現する場合には次の方法があります。
1,直線距離にして約500キロメートル弱。
2,新幹線で約2時間50分くらい。
3,飛行機で約1時間30分くらい。
4,自動車で高速道路を走って6時間から7時間くらい。
6,自動車で一般道路を走って13時間から18時間くらい。
7,各駅停車の普通列車を乗り換えながら16時間くらい。
8,船で1日がかり。
9,自転車で6日くらい。
10,馬に乗って4日くらい。
11,歩いて15日くらい。
12,ジェット戦闘機で25分くらい。
13,ロケットで3〜4分くらい。

このうち一番多く使われる表現方法が、1〜4のどれかでしょう。それはなぜでしょうか?
それは通常の移動手段において、すでに使われなくなった移動手段、めったに使われない移動手段、
緊急の場合の特殊な移動手段、費用がかかりすぎる移動手段などでは、表現されにくいのです。
現代人の私達は目的地までの移動距離を表現する場合には、距離で表現しない場合には、実際の移動に費用がかからず、
一番効率が良く手っ取り早くて誰でも使える移動手段で表現するのです。

大阪から東京まで自動車で一般道路を走って13時間から18時間くらいと、誰も表現はしないでしょう。
こうした傾向は現代人だけでなく古代人も同じだったはずです。

古代人によって邪馬台国までの道程を表現しようと思えば、実際の距離、直線距離、歩いた日数、走って移動した日数、
船で移動した日数、馬を使って移動した日数、緊急時の最大速度で移動した場合の日数、各地をのんびり巡回しながら
移動した日数、のどれかで表現するはずですが、魏志倭人伝には日数(移動時間)と100里とか500里とかの里歩のふたつの
方法でしか表していません。

114 :韋駄天はふと考えた:2006/12/27(水) 23:53:06 ID:cxXLuIZI
間違い探しシリーズ 邪馬台国編5

魏志倭人伝ではなぜこのふたつの方法でしか表さなかったのでしょうか?

その答えは、歩きながら距離を測れる場所においては100里とか500里とかの里歩で表現をして、距離を測れない場所に
おいては日数(移動時間)で表現したのです。
つまり古代人は距離を測る手段を知っていたのです。

地図も羅針盤も持たずに機械も使わない古代人が、目的地までの方向を正確に知る手段を持ち、目的地までの距離を測る
手段を持っていたのです。どうやって?みなさんは疑問に思うでしょう。
私も疑問に思ってじっくりと考えたのです。

そしてひとつの答えが見つかったのです。
古代人は次のような手段を用いて目的地までの方向を知り、目的地までの距離まで測っていたのです。

目的地までの方向を知るには明るい昼間は太陽を地形を基準にして使い、夜は月や星を基準にして使っていたのは、みなさんも
ご存知ですので省略します。
みなさんも知らない疑問は、目的地までの距離を測る手段はどうしたかです。

100里とか500里とかの里歩で表現をできる古代人は、1里、10里、100里、1000里の距離がどれくらいかを知っていたのです。
1里の距離を知っていれば10里の距離も知ることができます。10里の距離を知っていれば100里、1000里の距離も知ることができます。
そこでまず、1里の距離をどのように知ったかです。目的地までの距離を表現できる古代人は1里の距離の基準を知っていて、その
距離を頭の中にイメージして記憶しているのです。どうやって?

115 :韋駄天はふと考えた:2006/12/28(木) 00:17:34 ID:TE0hBDuD
間違い探しシリーズ 邪馬台国編6

この距離が1里の基準だと誰かに教われば、その距離の感覚を頭の中でイメージして記憶するのです。
この方法は現代人でも登山家などの一部の人が同じことをしています。
例えば現代人が富士山の標高が3778mだと誰かに教われば、3778mの高さの富士山の風景を頭の中にイメージして記憶します。
次に箱根山付近の山の標高が1500mくらいだと誰かに教われば、1500mの高さの山の風景を頭の中にイメージして記憶します。

ここでその人の頭の中には、ふたつの山の形だけでなく風景を記憶することで、3778mと1500mの高さを基準としてイメージ
できる能力が備わりました。
その人が標高のわからない山を見て、基準としている3778mと1500mの高さをイメージしている脳の中で比較するだけで、この
山は3778mよりは低いが1500mよりは高い。3778mと1500mの中間ぐらいだから、だいたい標高が2000m〜2100mぐらいだろう。
と、地図も測定器具も使わずに、かなり正確に標高の高さをいい当てることができます。

もっとたくさんの高さの山の標高を記憶して、山の高さを風景としてイメージで比較できるようになれば、その人はどんな知らない
山の標高でもほぼ正確にいい当てることができます。
古代人もこの手法を使って知らない土地での距離を測ったのです。

垂直の高さを水平の長さに置き換えるだけです。
誰かから、ここからここまでの距離が1里の長さだと教わります。教わった人はそこの場所の風景とそこから見える周囲の景色や
山の形や島の形を記憶します。次に別の場所でもここからここまでの距離が1里の長さだと教わります。
そこでもまた、そこの場所の風景とそこから見える周囲の景色や山の形や島の形を記憶します。
こうしてこの古代人の頭の中には、ふたつの風景の中で1里の長さをイメージできる能力を備わりました。

今度は全く知らない場所に行っても、どこからどこまでが1里なのかを周囲の風景や山の形や島の形を、自分の頭の中に記憶させた
基準の1里の周囲の風景や山の形や島の形と比較イメージすることで、ここからここまでが1里だということをいい当てることが
できるようになったのです。

116 :韋駄天はふと考えた:2006/12/28(木) 00:50:05 ID:TE0hBDuD
間違い探しシリーズ 邪馬台国編7

もしこの人が1里の基準風景をたくさん記憶していて、10里の基準風景もたくさん記憶していれば、全く知らない土地に行っても、
周囲の風景をながめて「さっきまでいた位置から見たあの山の大きさがこれくらいだから、ここまで歩いてきた時に、あの山を
見るとこれくらいの大きさになったから、ちょうどこのあたりが、さっきまでいた場所から100里目の距離になる」とほぼ正確に
いい当てれるようになります。これは「距離勘」という能力になります。

目的地までの方向を見失ない方向探知能力だけでなく、こうした距離を距離勘だけを使って正確に測ることのできる古代人ばかりが、外交使節団
として選ばれて、倭国の各地を旅して回り、国(集落)から国(集落)への距離を、ほぼ正確にいい当てて里数を記憶したり
記録していったのです。

この「距離勘」の能力は生まれ持った才能から達人能力者へと進化させる人もいれば、努力と経験を積んで達人能力者へと進化
させる人もいます。現在においてもこの「距離勘」能力は様々な分野で必要とされています。

しかし、この距離勘能力を持つ古代の達人を持ってしても、ほぼ正確に距離を測れない場所が存在します。
それはどういった場所でしょうか?
1里の基準風景となった場所は、だいたいが集落はずれの場所だったり、田園風景の広がる平坦な場所だったり、道路は整備されて
いて真っ直ぐな道などで、1里の基準が定められています。
ですからこれらと良く似た風景の場所では、脳の中での比較イメージも難しくなく、簡単に距離をいい当てることができます。

しかし、全く見知らぬ土地を旅するのにこんな場所ばかりではありません。
真っ直ぐな道などほとんどなく藪の中を掻き分けながら、獣道のような狭くて曲がりくねった道を探しながら歩かないといけない
場所や、周囲の風景が全く見えない樹木がうっそうと茂った森の中を歩く場合、平坦な場所などなく急な傾斜の山道や谷や川底を
登り降りしながら歩く場所など。

117 :韋駄天はふと考えた:2006/12/28(木) 01:12:38 ID:TE0hBDuD
間違い探しシリーズ 邪馬台国編8

こうした場所での歩いた距離をほぼ正確にいい当てれるのは、優れた距離勘能力を持つ古代の達人でも困難だったに違いないのです。
したがってこうした所での距離を里歩で表現しても、その距離は実際の直線距離に比較するとずいぶんと長い距離として表現されて
しまいます。

さぁここでやっと原則の登場です。
※原則とは偏りの法則のことで、すべての物質や自然現象は力の弱い方向へと偏る性質がある。
※またすべての物質や自然現象は、原則とは逆に力の強い方向へ偏る場合もあり、この場合は反原則と呼ぶ。
※物質や自然現象が反原則になる場合は、爆発や反発と呼ばれる現象の時に起こり、力の弱い方向へと急激に偏りすぎることで、
原則の偏る力と原則の偏る力との間に衝突しあう強い力が発生して、それが今度は逆方向へ押し出そうとする急激な力となって、
反原則の力が生まれる。(詳しくは原則スレや理法書スレ参照)

人間というのは物質の中に含まれているので、人間の歩く動きや普段の動作にも当然原則の力が作用します。

みなさんもこんな経験はありませんか?
楽な仕事をしている時や、簡単な作業をしている時ほど、時間の経過が早いなと感じた時。
きつい仕事をしている時や、難しい作業をしている時ほど、時間がなかなか経たずに時計ばかりを気にする場合。
そうです。時間というのは感覚においても実際においても伸び縮みするものです。

楽な時や簡単な時ほど、小さい労力を使うだけでよいので力が弱い状態となり、偏りの力が発生して周囲から自分の方へと
力が偏っていきます。つまり自分と周囲とでは時間の流れが違って、自分の時間の流れる速度が速くなり、周囲の時間の流れる
速度は遅くなった状態となります。
またきつい時や難しい時ほど、大きな労力を必要とするので力が強いい状態となり、偏りの力が発生して自分から周囲の方へと
力が偏っていきます。つまり自分と周囲とでは時間の流れが違って、自分の時間の流れる速度が遅くなり、周囲の時間の流れる
速度は速くなった状態となります。

118 :韋駄天はふと考えた:2006/12/28(木) 01:28:54 ID:TE0hBDuD
間違い探しシリーズ 邪馬台国編9

古代人が、集落はずれの場所、田園風景の広がる平坦な場所、道路は整備されて いて真っ直ぐな道を歩く場合は、歩くのに
楽な時や簡単な時なので、スイスイ歩いてしまい、実際に歩いた距離と比較して時間の流れを速く感じます。

逆に、真っ直ぐな道などほとんどなく藪の中を掻き分けながら、獣道のような狭くて曲がりくねった道を探しながら歩かないと
いけない場所、周囲の風景が全く見えない樹木がうっそうと茂った森の中を歩く場合、平坦な場所などなく急な傾斜の山道や
谷や川底を 登り降りしながら歩く場所では、歩くのにきつい時や難しい時なので、ずいぶんと歩いた感覚なのに、実際に歩いた
距離と比較して時間の流れを遅く感じます。

つまりは、楽で簡単な道を歩いた場合には、実際の距離よりも短く記憶されて記録されて、きつくて苦労する道を歩いた場合には
実際の距離よりも長く記憶されて記録されてしまうのです。
ですから、魏志倭人伝に記録された、この国からあの国までの距離が何理というのは、すべてを同じ距離感覚だと判断するのは
間違いだということです。

ある国とある国との間の地形の険しさや道が整備されていない場合では、きつくて困難な道ばかりを歩かないといけない場合なので、
魏志倭人伝にたとえ1000里の距離と書かれていても、実際の国と国との直線距離は短くなって、500里しかなかった場合やたった
300里の場合もあるのです。
これとは逆に、ある国とある国との間の地形が平坦だったりなだらかで道が整備されている場合では、楽して簡単に歩ける場合なので、
魏志倭人伝にたとえ500里と書かれていても、実際の国と国との直線距離は長くなって、700里ある場合や1000里もある場合もあるのです。

当時の倭国内の状況を地形考えると、整備された道は少なく、日本列島独特の地形の険しさで、実際の国と国との直線距離や移動日数は
魏志倭人伝に書かれている距離や移動日数よりも、かなり短いと判断した方がいいでしょう。

ここでまとめに入ります。
魏志倭人伝に書かれた国と国との距離をそのままうのみにしない。
国と国との距離や日数は、地形や道の政治状況や移動手段によって大きく変わるということ。
まだまだ書きたいことがありますが、今日はここまで。

119 :出土地不明:2006/12/28(木) 03:38:13 ID:MtUUqGHG
>>1 北方系アイヌ人移住説
  黒潮ルート説
  中国大陸〜朝鮮半島から移住説
  の3点セットだと思います。

120 :出土地不明:2006/12/28(木) 04:34:39 ID:QRPV2mqj
>>1
1.インド洋から東南アジアを経てきたアイヌ人の先祖
2.約3万年前に中原や南中国から移住してきた人たち
3.約1万3千年前に太平洋沿いに移住してきたポリネシア系の人たち
4.約5千年くらい前から日本海を渡ってきたオロチョン先祖などツングース系の漁労民たち

121 :出土地不明:2006/12/28(木) 04:38:36 ID:QRPV2mqj
5千年前に
日本に水田技術を伝えた人たちの移動ルートは
稲のDNA追跡から、判明している。

江蘇、浙江、福建→日本西南部→朝鮮半島の順。

稲と共にどれだけの人が渡ってきたのかはまだ不明。

122 :出土地不明:2006/12/28(木) 04:45:40 ID:QRPV2mqj
>>121
>5千年前に
自己訂正スレ

日本への陸稲 8千年前に伝来
日本への水稲 3千年前に伝来

123 :出土地不明:2006/12/28(木) 19:23:35 ID:DX2E9DFX
いつものチャンコロ詐欺師>>120-122のその詐欺の簡単な見抜き方。


1.日本人やアイヌのルーツを中国以南としているのに、
日本語もアイヌ語もシナ・チベット語やマレー語系統の言語
とは全く異なる。

2.そもそも3万年前の人骨など出土しない。

3.ポリネシアに人類が住み始めたのは3500年くらい前なのに、
13000年前に移住してきたと言い放つ詐欺師ぶり。

4.5000年前の縄文遺構に北方新モンゴロイドの人骨なんか無い。
北方新モンゴロイドの人骨が出土し始めるのは弥生前期末頃から。

5.朝寝鼻貝塚の6000年前のイネプラントオパールは同時に
小麦プラントオパールも出てきており、明らかに誤調査。
稲作伝来はやはり3000年前頃。

6.8000年前でも3000年前でも、江南の炊飯道具だった釜や
三足土器が全く伝わっていない。

124 :出土地不明:2006/12/28(木) 20:05:22 ID:QOkjsvEe


http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1163367370/324


  ↑ここ神だからとりあえず来てみろ 

125 :出土地不明:2006/12/31(日) 19:45:55 ID:jInD7Lp/
http://www.athome.co.jp/academy/genetic/gen04.html

下戸の遺伝子(世界分布図)
何千年前に移動したのかがわからない


126 :出土地不明:2006/12/31(日) 19:52:33 ID:81FA7fl1
俺は北海道からやってきました。生粋の日本人です。


127 :出土地不明:2006/12/31(日) 19:56:40 ID:jInD7Lp/
http://www10.ocn.ne.jp/~kanam/distribution_of_a_blood_type.html

アジアでは日本だけA遺伝子が多いみたい。
なぜ???

128 :出土地不明:2006/12/31(日) 20:37:45 ID:1laCGphK
>>127
中国は地域によって全然違うよ

129 :出土地不明:2006/12/31(日) 20:53:57 ID:jInD7Lp/
>>128
中国も省毎に調べてほしいですね。
個人的な考えですが、2,000年前位に日本にきたのが>>125になっていると思います。
三重県に一番下戸が多いとの事なので、天皇のルーツもそうなのかな。

130 :出土地不明:2007/01/01(月) 13:47:11 ID:575awGdI
遺伝子や血液型の頻度は移動すると環境に応じて変わる。

日本の環境には血液型はA型が最も適し、下戸遺伝子は中部地方に
最も適していたため頻度を変えたと解釈するべきだろう。

ただし、渡来人の故郷はアムールあたりにある。

131 :出土地不明:2007/01/02(火) 21:59:09 ID:R8al9bsg
>>123
まだよくわからんことをいう。

1)日本列島に「東南アジア方面から」「旧石器人」がやってきたのは、
「3万年以上」前のこと。
この人々が、基本的に縄文時代の日本人のベースとなっている。だから、
アイヌや、琉球の系統にこの「原日本人」の系統が多いってことだ。
で、この系統は、朝鮮半島の人々のベースでもある。
2)日本列島から、中国北部やアメリカ大陸に向けて人口の拡散がおこって
いて、その時期は、2万年前から1万5千年前。これは日本列島とその
近隣(朝鮮半島も含む)からの「拡散」であって、日本列島への流入ではない。
3弥生時代の始まりとともに、あきらかに大陸から日本列島に稲作文化を
ともなった大陸人の移動があったが、これは、紀元前1000年ごろである。
朝鮮半島経由か、中国南方からかはわからないが、系統は中国南方の系統だ
とされる。

年代をしっかり整理してくれよ。3万年前、2万年前。そして3千年前だ。

132 :出土地不明:2007/01/03(水) 14:30:34 ID:whEH4G7g


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



133 :出土地不明:2007/01/03(水) 14:53:51 ID:9RnTYekN
>>132
日本には縄文土器という立派な土器が存在したので、やってきた南方中国人
は土器製作なんぞしなかったんだよ。だいたい、弥生時代初期の渡来系弥生
人とされる人々は、抜歯の習慣まで日本式のものを採り入れているんだから、
稲作という一点をのぞき、ほとんど完全に日本文化に同化したとみるべきだ。
縄文人が海を隔てた大陸、半島にいって、農民を勧誘してつれてきたという
見方もあながち嘘ではないかもしれない。

134 :出土地不明:2007/01/03(水) 23:49:15 ID:BkTQv0NZ
縄文人の男前さはガチ
トキオの長瀬と思えばいい

135 :出土地不明:2007/01/04(木) 11:17:58 ID:BjFlRKXl
>>133
思いっきり嘘ですね。

その論理だと今も縄文土器のはず。

それに稲作だけ伝えて、先進の炊飯器は伝えないなんて
不自然すぎる。

米を食わなかったのなら話は別だがな。

三足土器は古代中国大陸人のシンボルなのだから。

渡来人は中国大陸とはさっぱり関係ない北方アジア人。

136 :出土地不明:2007/01/04(木) 11:18:06 ID:WagT6UI2
日本人のルーツは偉大なる朝鮮民族です。これは学会では常識です。

137 :出土地不明:2007/01/04(木) 12:37:12 ID:BjFlRKXl
学会の常識でも北方アジア人だよ。

138 :出土地不明:2007/01/04(木) 12:39:08 ID:9jj4/vKp
「宇宙物理学者と生物学者と考古学者は、その生涯を研究と論争に捧げる」と言われるが

このスレを見ると、何となく理解できるw

139 :出土地不明:2007/01/04(木) 18:09:27 ID:54TJWNwv
>>135
>北方アジア人
YAP+が無い北方アジア人は無関係だろ
何を寝言いってんだよ

140 :出土地不明:2007/01/04(木) 18:24:47 ID:BjFlRKXl
>>139
寝言はおまえだろがヴォケ。

日本人は土着系がYAP+で渡来人がYAP-なのは常識だろが。

一回逝ってこい。

141 :出土地不明:2007/01/04(木) 18:40:06 ID:BjFlRKXl


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



142 :出土地不明:2007/01/04(木) 20:04:58 ID:54TJWNwv
>>141
>古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代っていつからいつだよ。
日本の義務教育を受けてるのか?
お前、バカって笑われてきただろ。

143 :出土地不明:2007/01/04(木) 21:49:06 ID:CA/1pmzl
長江流域では約6000年前に三足土器の鼎が登場し、漢代まで代表的な器形であった。


2. 長江流域は約1万年前からすでに米が栽培され、約8000年前には稲作が発達しました。
土器は丸底が主流で、約6000年前には三足の鼎(かなえ)が登場します。

 これらをまとめると、中国新石器時代の土器づくりは約1万2000年前に始まり、各地域
で形や種類、技法、文様などがかなり異なります。 また、農業の発達によって土器
づくりの技術も発達し、約6000年前には三足土器が登場。 中国の漢時代まで代表的な
土器の一つとなりました。土器はもちろん日常生活用品でしたが、一部は祭りに関連
したものと推察されます。
http://www.kaen-kaido.com/doki/oh.html

144 :出土地不明:2007/01/05(金) 08:57:13 ID:5mMU5Z45
三足土器出現以前に

古代中国では約6千年間の稲作時期を経ている。

中国で三足土器が使われたのは
約6千年前〜約2千年前の間。

それ以前の6千年間は使われていない。
それ以後の2千年間も使われてていない。

145 :出土地不明:2007/01/05(金) 15:24:44 ID:zsAgRLsC
中国全土で見れば三足土器は7000年前から使用されている。


3. 黄河流域では、約1万年前から粟やひえの栽培が始まり、約7000年前以降には
平底、丸底、三足の土器が出現。 約5000年前から土器が一変し、中流域では
灰色土器、下流域では黒色土器が現れます。
http://www.kaen-kaido.com/doki/oh.html

146 :出土地不明:2007/01/05(金) 15:46:20 ID:JH42DBD1
日本土人は韓国人の糞尿を食し育ったらしい

147 :出土地不明:2007/01/05(金) 15:54:45 ID:zsAgRLsC
長江流域では約9000年前から既に煮沸器の缶(罐)が登場している。
缶は弥生土器の甕にあたる器種で、縄文土器には見られない。


浙江ジョウ(山+乗)州小黄山遺跡:浙江省ジョウ州市にあり、
いまから約9000年前の新石器時代早期の遺物。石臼、砥石、
夾砂紅衣陶製鉢、缶などの器物数百点と大量の石材、陶器片が
出土した。
http://www.china-news.co.jp/culture/2006/05/cul06051302.htm

148 :出土地不明:2007/01/06(土) 10:52:39 ID:1cSLuIyM
三足土器出現以前に

古代中国では約6千年間の稲作時期を経ている。

中国で三足土器が使われたのは
約6千年前〜約2千年前の間。
(出現が千年ほど早くても2千年前以降も使ってた
 レアケースがあっても、些末なことはどうでもいい)

それ以前の6千年間は使われていない。
それ以後の2千年間も使われてていない。

149 :月光仮面:2007/01/06(土) 13:13:28 ID:QV7ogm0y
BP6400年頃、喜界カルデラ爆発により華南、南朝鮮、西日本が荒廃した。
これとの関係はどうだろうか。三足土器の起源は地理的にどこなのかが問題。

150 :出土地不明:2007/01/06(土) 17:52:22 ID:uqdPjn1d


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



151 :出土地不明:2007/01/07(日) 00:14:01 ID:F69g6Zhq
【稲作と中国】
6千年前までは,雑多な原始的土器や木製の甑を使って食べてました。
6千年前〜2千年前は,甑に加えて三足土器などで煮て食べてました。
2千年前以降は,三足土器での煮飯は廃れて金属器での炊飯に移りました。
また木や竹で作った甑による蒸し飯も広く普及しました。

古代中国が,三足土器で炊飯していたというのは嘘です。
三足土器の時代は「炊いた」のではなく「煮て」ました。

古代中国が、その期間を通じて三足土器で炊飯していたというのは嘘です。
その前は、陸稲中心の時代で生食したり、干したり、煮たり、焼いたり、
蒸して食べていました。三足土器の時代は二千年前に終わり、金属製や
植物製ではない土鍋での炊飯が傍流として続くのみです。

152 :出土地不明:2007/01/07(日) 18:20:50 ID:lRjFNmoH
相変わらず創作か(嘲笑)
これが正解。


【稲作と中国】
7千年前までは、米は黒陶の丸底釜や甑を使って煮たり蒸したりして食べていました。
7千年前〜2千年前は,甑に加えて三足土器で煮たり蒸したりして食べていました。
2千年前以降は,竈の登場によって三足土器は廃れて羽釜での炊飯に移りました。

古代中国が,三足土器で炊飯していたというのは本当です。
三足土器の時代は主に東部や南部で使用された鼎においては煮たり、
甑をセットして米を蒸していましたが、主に中原や北部で使用された
鬲においては甑をセットして米を蒸していました。

153 :出土地不明:2007/01/08(月) 00:14:42 ID:MOLXjAVj
 ↑
古代中国が,三足土器で炊飯していたと言い切るのは嘘って事じゃん。
一時期だけの話だろ。

154 :出土地不明:2007/01/08(月) 00:41:58 ID:Bg+Ptb7u
いずれにせよ、稲作文化が中国南部から周囲にひろがり、その中には、
日本も朝鮮半島も含まれるわけだが、そういう地域で三足土器がつかわれ
ていたわけではないのだから、稲作文化の拡散とそれに伴う農民の移動、
移住というものが、土器文化を伴わないことが多かった、ということにも
なるんだろうよ。とくに、日本のようにもともと土器文化が高度に発達
していたところでは、三足土器の文化を持ち込む必要もなかったんだろう。


155 :出土地不明:2007/01/08(月) 00:46:12 ID:MOLXjAVj
そう思う。

156 :出土地不明:2007/01/08(月) 18:33:24 ID:taJYZ6l3
>>153
7000年前から2000年前の古代中国は三足土器で炊飯している
というのは本当の事じゃないの。

史実なんだからどうしようもないだろが。


>>154
土器文化が高度に発達?????

じゃあ何で古墳期の半島帰化人がやって来たとたんに中国灰陶を
ルーツに持つ須恵器はもちろん、それまでに無かった器種や器形の
飲食器や炊飯器が伝わったんだね?

君の論理でいくと、土器文化が高度に発達していたんだから
彼らは稲作はもちろん、飲食器も炊飯器も全然伝える必要は
なかった訳だよ。

しかし彼らはしっかりと灰陶を伝え、それまでに無かった飲食器を
残し、炊飯器である羽釜を韓式土器で伝えている。

157 :出土地不明:2007/01/08(月) 23:57:21 ID:6tBqdyhJ
>>156
歴史と文化の伝搬ってのを簡単に考え過ぎているよ。
そんなに簡単だったら、なんでも楽だよな。
そんな論理でいけば、16世紀に世界でもっとも多くの銃器を保有して
いた日本が世界征服をしなかったのはなぜか?みたいな話になるだろが。

158 :出土地不明:2007/01/09(火) 09:11:44 ID:oPa5gKSf
いやはや朝鮮人ってのは…
なにもかも朝鮮マンセーにしたいのね。専門家のお話を興味深く読ませて戴いていますがここにもいたかとがっかり。
どのスレでも朝鮮人は強弁とねつ造専門ですね。
研究者にむいてないのでは?

お邪魔しました。
続きをドゾ


159 :出土地不明:2007/01/09(火) 18:14:08 ID:nO/YkNEw
韓国人は歴史とか文化とかその継続とはまったく縁が無いですから、
向いてないのは確か。百済も任那も滅ぼしつくしましたからねえ
革命を語らせる方が向いてるかも。テポドンの将軍さまも革命一家の出ですし。

160 :出土地不明:2007/01/09(火) 20:07:18 ID:q3eiyXLg
>>157
さーっぱりなりませんね。

今語っているのは、人間が生命を維持する上での最低条件
である食に関する事ですよ。

話の次元が違い過ぎる。

渡来後、稲作だけを伝えて、米を食わずに全部死滅してくれたと
いうなら話は別だがね。

でも、そんなSF、犬も食いませんよ。

炊飯する上で縄文土器の深鉢よりも三足土器の方が遥かに安定していて
使い勝手が飛躍的に良くなる事くらい物心付いた子供だって分かる事。

それが目的で丸底釜に三足が付くようになった訳ですから。

何故そんな画期的な良いものがさーっぱり伝わっていないのか?

ただ単純に、やって来ていないから。

やって来ていないから伝わっていないだけの話。

ただそれだけの話。

161 :出土地不明:2007/01/09(火) 23:30:20 ID:6cAszdQD
>>160
たんなる無知か。じゃあしょうがない。

162 :出土地不明:2007/01/10(水) 19:42:46 ID:Ddgbdnoo


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



163 :出土地不明:2007/01/10(水) 20:11:21 ID:F7+Owi34
福岡県珍敷塚古墳壁画 6世紀後半(西暦550年以降)黄泉の国と、黄泉の国へ
向かうための船 http://cyber.infoware-d.jp/kikaku/pictures/uzu02006.png
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat2.gif

エジプトのピラミッドの壁画、死後の世界へ旅立つ太陽の船とホルス神。
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat1.gif
ホルス神はエジプト神話のオシリスとイシスの子。ホルスはギリシア語。
ハヤブサの頭をした男、あるいは女神イシスの膝に乗った幼児。これはキリスト教
の聖母子像の原型とされる。

両者が全く関係ないというほうが無理がある。珍敷塚壁画を描いた人々は、
どうしてエジプトの太陽の船とホルス神の構図を知っていたのか

164 :出土地不明:2007/01/10(水) 22:42:22 ID:+Hc73nNm
いつもどこから来たかということばっかり
どうして始めから居たという事は除外されているのかが不思議

165 :出土地不明:2007/01/10(水) 23:03:57 ID:25YQtHVH
古代中国が,三足土器で炊飯していたというのは嘘です。
三足土器の時代は「炊いた」のではなく「煮て」ました。

古代中国が、その期間を通じて三足土器で炊飯していたというのは嘘です。
その前は、陸稲中心の時代で生食したり、干したり、煮たり、焼いたり、
蒸して食べていました。三足土器の時代は二千年前に終わり、金属製や
植物製ではない土鍋での炊飯が傍流として続くのみです。

166 :出土地不明:2007/01/10(水) 23:16:20 ID:ciTnK3tE
>>164
まあ、アフリカでホモサピエンスが現れてそれから20万年程度の間に、
世界に拡散したわけだということで、それを否定して、日本人が原人で
あったとしても、200万年前の原人が、っていう話になるから、日本で
人類が発生したわけでなければ、いつかどこからかやってきた、というこ
とではあるわな。

167 :出土地不明:2007/01/10(水) 23:22:06 ID:Ddgbdnoo
どこから来たかと作為的に問うて、

台湾人の場合は江南や東南アジアに、朝鮮人の場合は朝鮮半島に、
強制的に誘致していく事が目的だからね。

いつも強制的に江南、あるいは朝鮮に話を持っていかれる。

最近は朝鮮人は論破されまくって消滅し、
台湾人がただひたすら南方誘致に勤しんでいる。

だから誘致に邪魔な三足土器のコピペに必死に食らいついてくる。

江南を論破するといつも必ず朝鮮人呼ばわりして潰しに入ってくる。

台湾人とはそういう吐き気がするほど汚い人種という事だな。

一つはっきりと言えることは、台湾人にしても朝鮮人にしても、
彼らの選択肢には北方アジアという選択肢はないという事。

168 :出土地不明:2007/01/10(水) 23:24:15 ID:Ddgbdnoo
>>165
ソース持ってきな馬鹿ワンコロ。

169 :出土地不明:2007/01/10(水) 23:46:53 ID:+fGUL7w8
俺はいつもソースが出せるぞ。


×三足土器の時代は二千年前に終わり、金属製や
植物製ではない土鍋での炊飯が傍流として続くのみです。

○2000年くらい前に竈が普及し始めて、三足土器は廃れて、
竈専用の釜での炊飯に移行していった。


中国大陸から入って来た鉄製の釜(鍋)は図4のように土製の竈に
はめこみ式になっていて、釜の上端部と竈の上端部とは同じ高さに頭を
そろえているので、釜は竈の中にスッポリと落ち込んでしまいます。
http://www.komenet.or.jp/database/culture/culture04/culture04-2.html

170 :出土地不明:2007/01/10(水) 23:48:34 ID:+fGUL7w8
>古代中国が,三足土器で炊飯していたというのは嘘です。
>三足土器の時代は「炊いた」のではなく「煮て」ました。


古代中国が,三足土器で炊飯していたというのは本当です。
中国語で米を「炊く」事を「煮る」と言うのだから。


日本では言葉にもこだわりがあって、米を煮るではなくて炊くと言う。
しかし中国語では米を煮るという。
http://www.catv296.ne.jp/~t-homma/dd040818.htm

171 :出土地不明:2007/01/10(水) 23:50:10 ID:+fGUL7w8


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



172 :出土地不明:2007/01/11(木) 18:14:04 ID:ZTlfJfVy
三足土器は古代中国の一時期に特定の地域のみじゃん
断定的に言い切るものではない

「古代中国は三足土器」厨≒嘘つき

だね(´へ`)

173 :出土地不明:2007/01/11(木) 19:09:35 ID:IUq9Hs5w


2. 長江流域は約1万年前からすでに米が栽培され、約8000年前には稲作が発達しました。
土器は丸底が主流で、約6000年前には三足の鼎(かなえ)が登場します。
3. 黄河流域では、約1万年前から粟やひえの栽培が始まり、約7000年前以降には平底、
丸底、三足の土器が出現。 約5000年前から土器が一変し、中流域では灰色土器、
下流域では黒色土器が現れます。

これらをまとめると、中国新石器時代の土器づくりは約1万2000年前に始まり、各地域
で形や種類、技法、文様などがかなり異なります。 また、農業の発達によって土器
づくりの技術も発達し、約6000年前には三足土器が登場。 中国の漢時代まで代表的な
土器の一つとなりました。土器はもちろん日常生活用品でしたが、一部は祭りに関連
したものと推察されます。
http://www.kaen-kaido.com/doki/oh.html


174 :出土地不明:2007/01/11(木) 21:34:35 ID:ay8PqwJJ
>>172
>「古代中国は三足土器」厨≒嘘つき
そうだね。「古代中国は三足土器」強弁厨は
言い過ぎて墓穴を掘ってるね。
無理なことは言わなければいいのに。

6千年前から2千年前までの時期限定の土器。
それ以前も以降も、断定的に主張は無理だし、
強弁すると嘘つきということになる。

175 :出土地不明:2007/01/11(木) 21:46:53 ID:IUq9Hs5w
いつもソース一つ出てきやしない脳内創作だけをごり押ししてくる
君ら台湾政府ご用達のワンコロ工作員ほど嘘つきではない
ので宜しく(嘲笑)

176 :出土地不明:2007/01/11(木) 21:47:49 ID:IUq9Hs5w


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



177 :出土地不明:2007/01/11(木) 21:51:11 ID:IUq9Hs5w
ワンコロの故郷、江南に日本人のルーツを誘致するのに
非常に邪魔な存在の三足土器wwww

178 :出土地不明:2007/01/11(木) 21:58:00 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




179 :死ねやワンコロ:2007/01/11(木) 21:58:50 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




180 :死ねやワンコロ:2007/01/11(木) 21:59:28 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




181 :死ねやワンコロ:2007/01/11(木) 22:00:03 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




182 :死ねやワンコロ:2007/01/11(木) 22:00:42 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




183 :死ねやワンコロ:2007/01/11(木) 22:01:14 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




184 :死ねやワンコロ:2007/01/11(木) 22:01:52 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




185 :死ねやワンコロ:2007/01/11(木) 22:02:29 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




186 :死ねやワンコロ:2007/01/11(木) 22:03:04 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




187 :死ねやワンコロ:2007/01/11(木) 22:03:36 ID:z+uGlnJt


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




188 :出土地不明:2007/01/11(木) 23:15:48 ID:ZTlfJfVy
三足土器強弁厨は嘘つき(;-_-)

189 :出土地不明:2007/01/11(木) 23:50:50 ID:IUq9Hs5w
↑もはや嘘つき呼ばわりするしかない馬鹿ワンコロwwwww

190 :出土地不明:2007/01/12(金) 02:42:31 ID:vgYdW6/Q
俺も「古代中国は三足土器を使ってた」と強弁してる奴は嘘つきだと思う。

191 :出土地不明:2007/01/12(金) 03:39:17 ID:ypJakLtO
ワンコロってなんですか?
朝鮮人が虐め殺すと美味いと思ってるワンコの事ですか?

それはそうと台湾の少数民族って興味深いですね。

192 :出土地不明:2007/01/12(金) 09:43:45 ID:+QvAbD6l
人を嘘つき呼ばわりするくせに、
なぜか何の証拠のソースも出てこない馬鹿ワンコロwwwww

193 :出土地不明:2007/01/12(金) 13:18:28 ID:sZ8bK2VN
三足土器強弁厨は恥知らずな嘘つき

194 :出土地不明:2007/01/12(金) 14:39:50 ID:+QvAbD6l
人を嘘つき呼ばわりするくせに、
なぜか何の証拠ソースも出てこない馬鹿ワンコロwwwww


195 :出土地不明:2007/01/12(金) 18:30:51 ID:jHOIn20P
弥生中国人、2ちゃん閉鎖だって失業だな!気が済むまでコピペしとけ!!!

196 : 株価【35】 u:2007/01/13(土) 11:22:34 ID:zuMcWOGe
人類皆京大

197 :出土地不明:2007/01/13(土) 22:04:52 ID:9+EWkdpU
三足土器強弁厨は厚顔無恥な嘘つき* ̄O ̄)ノ

198 :出土地不明:2007/01/13(土) 22:23:10 ID:TTd7blI5



古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




199 :出土地不明:2007/01/14(日) 00:50:15 ID:eeM3Fdcw
三足土器強弁厨、しつこい嘘つきだな。

200 :出土地不明:2007/01/14(日) 01:17:59 ID:a7jaUeEw
約1万2千年間の中原稲作期間の内、

最初の六千年間は三足土器は無し。
次の四千年間に三足土器は有り。
ここ二千年間に三足土器は無し。

それだけのことだ。
「古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯」などと
不正確で曖昧なことを強弁するから嘘つきと呼ばれる。

201 :山下健三:2007/01/14(日) 01:51:35 ID:2BmF1/72
除福が日本を作りました。これ全くもって正論であります

202 :出土地不明:2007/01/14(日) 19:49:38 ID:0ox/LsGx
>>200
だったら古代中国では確かに三足土器で炊飯してるじゃないの。



意味不明




203 :出土地不明:2007/01/15(月) 01:18:18 ID:lIl9N7ri
古代中国のある時期、ある地域で
三足土器が使われていた(こともある)。

それなら嘘にならない。

日本人に胸毛のある人がいる。というのと
日本人には胸毛がある。というのは違う。

鳥は空を飛ぶ。というのは当該しない
ダチョウやペンギンのことを考えれば
不完全な表現。
鳥には空を飛ぶものもある。というのが
妥当な表現。

204 :山下健三:2007/01/15(月) 02:55:48 ID:KlzaHmu7
答えは一つじゃないだろう
日本人には様々な顔のタイプが存在する
南方系だなと思わせる顔立ちの人もいれば北方系もいる
いわばアジア人種のるつぼ的な感じなのが日本
混血が進んだ今では、それらの特徴が均質化している
日本に住む人をひとまとめに日本人と呼んでいるが
日本人という確固とした人種はいないだろうと思う



205 :出土地不明:2007/01/15(月) 15:20:16 ID:/2O2P/Fr
妹の生着替え画像を貼り付けたヴァカ。祭りになってます。
  ↓
[中2の妹がいまだに僕(高1)の前でパンツを着替える件]
http://game12.2ch.net/test/read.cgi/tanka/1156349670/

206 :出土地不明:2007/01/15(月) 20:24:37 ID:XICm81Bc
>>203
そういうのをな、ただの屁理屈と言うんだよ。

それなら、おまえは昔の話を絶対にするな。

昔、こうこうこういう事があったねなどという話など絶対に
してはいかん。

昔でも、ある時期、ある地域ではこうこうこういう事をしてないからだ。

したら、おまえは大嘘つきだ。

人の事は嘘つき呼ばわりして自分だけは嘘をつく、嘘つきの中の嘘つき、
大嘘つきだ。

脳内で思ってもいかんぞ。

207 :出土地不明:2007/01/15(月) 20:36:37 ID:XICm81Bc
>>204
あのなあ、例えば、アルプス人種にも東ヨーロッパ人種にも
様々な顔のタイプは存在するんだよ。

南方系の地中海人種を思わせる顔立ちの人もいれば、北方系の
ノルディーデを思わせる人もいる、それでも平均した容貌は
それらではないから、アルプス人種も東ヨーロッパ人種も
独立した人種としてカテゴラズされているんだよ。

日本人種は確実に存在している。

208 :出土地不明:2007/01/15(月) 21:59:50 ID:IuAktMk2
>>207
むりむり、海外の文献はいっさい信用しないし、そもそも、アルファベット
読めないし、なにいっても、自分の信じたいもの以外は信じない。
もうだめだよ。このスレは、そういうやつのしょーもないスレになって
しまった。別のところで、まともな議論しようぜ。

209 :山下健三:2007/01/16(火) 03:26:05 ID:kcH7iMEB
日本人のルーツが多方向にあることは事実だが
その日本人も、過去の民族大移動から数千年が経ち
列島内で大繁殖した結果、日本人という遺伝子の独自性を
持ち始めたのも事実だろう。

例えば中国人10人と日本人10人を一所に混ぜ入れて
それらが何人であるかを見た目で判別できるようであれば
日本人と中国人は違う人種系統になったと言えるのでは
白人と黒人の見分けは簡単である、皮膚の色が白か黒かで決まる
しかし、よくわからないと感じるのであれば、日本人は中国人と大差ない
ということになる。大体見た目でルーツは特定できる

210 :出土地不明:2007/01/16(火) 16:09:21 ID:2fZqdA5m


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。




211 :出土地不明:2007/01/16(火) 18:30:04 ID:zslnKN92
三足土器強弁厨は嘘つき

212 :出土地不明:2007/01/16(火) 21:26:52 ID:HY5pUQHN
■志羅紀の地理的位置■
 中国の史書『後漢書』の記録である。馬韓については「その北は楽浪と南は倭と接し、辰韓の西にあり」と
記している。また弁韓についても、「辰韓の南に(弁韓は)あり、その南また倭と接す」とある。
 『三国志』も同じく、「馬韓は南で倭と接す」とある。さらに「弁辰は十二国のうち、讀盧(どくろ)国は
倭と界を接す」とある。

「辰韓の南に弁韓あり、その南また倭と接す」
後漢書のこの記述は、ひじょうに興味深い。

・辰韓は北にある。
・弁韓は辰韓の南にある。
・弁韓の南に倭がある。

この記録は、稲飯命が建国した志羅紀(シラキ)の位置を語っているのである。

辰韓:ワイ人の国(後の新羅)。3世紀に南下して志羅紀を侵略する。
弁韓:倭人の国。神武天皇の皇兄=稲飯命が建国。天日矛命の国。
 倭:弁韓(志羅紀)の南方にある倭人国・ヤマト。日本国。

 こういうことなのだ。
 やはり、志羅紀と新羅は別の国なのである。シラキの王子=天日矛命が倭人であることが、『後漢書』の記録によって
証明された。天日矛命の子孫が神功皇后である。神功皇后の新羅征伐は、ワイ族(朝鮮人)に侵略された先祖の祖国=志羅紀
(シラキ=弁韓)を解放するための聖戦だったことが明らかになった。


■中国の古代史書に記された三韓の正式国号(日本名)■
馬韓→ 任那
弁韓→ 志羅紀
辰韓→ 志羅紀北部

 上記の『志羅紀の地理的位置』の文を読めば明らかなことだが、辰韓・弁韓・倭の三国は、南北の縦のライン上に
並んでいる。そして、後漢書の記録によれば、「馬韓は西側にあり、辰韓と弁韓は東側にある」と記録されているから、
辰韓と弁韓の位置は、カラ半島の東南部ということになる。この場所は、まさに志羅紀があった位置である。
 『後漢書』の記録は、3〜4世紀の志羅紀が南北(弁韓と辰韓)に分裂していた事実を示している。
 ここで、神功皇后と応神天皇の新羅征伐について考えてみよう。神功皇后の母方の先祖は志羅紀の王子=天日矛命である。
志羅紀は、神武天皇の皇兄=稲飯命が建国した国であり、古くから倭人が住んでいた。漢人はこの志羅紀の国を『弁韓』と
呼んでいた。その志羅紀が南北に分裂していたらしいのだ。そして、志羅紀北部は漢人からは『辰韓』と呼ばれていた。
 また、高句麗の広開土王碑には次のような記録がある。
「百済と新羅は、もともとは高句麗の属民だった。この2国は高句麗に朝貢しに来ていた。
しかるに、辛卯年 (391年) より海を越えて倭人が来た。永楽5年 (395年)、好太王は百済と□□と新羅を破り、
高句麗の臣民とした」
 好太王碑には、新羅人から「倭人に新羅(辰韓)の首都を占領された」という報告を受けたという記録があります。
この事実から、辰韓を支配していたワイ族(朝鮮人の先祖)は、高句麗と手を組んでいたことが分かります。
つまり、志羅紀(弁韓)は同じ日本民族の国であるヤマトの支援を受けていたのに対し、志羅紀北部を占拠していたワイ族は、
北方の大国=高句麗の支援を受けながら、志羅紀への侵略を何度も繰り返していたわけです。


213 :出土地不明:2007/01/17(水) 11:02:26 ID:5ZZC2+re
>>298
朝鮮系、朝鮮系といってるけど、そもそもその朝鮮系は北方からきた民族で
弥生時代なんかは朝鮮は他民族、稲作の遺跡も南端に集中してる。
そのへんの種族は倭人とかなり近いと思う。


214 :出土地不明:2007/01/17(水) 20:33:50 ID:7jn/80OK
土着系が陸分岐で半島と切り離された15000年くらい前は
もう縄文時代だがなw

古モンゴロイド縄文人を祖先に持つ中央モンゴロイドが
朝鮮半島の土着系。

その後、

満州中部〜南部にいた内陸部のツンギーデと混成したのが朝鮮人。

アムール〜沿海州北部にいた沿岸部のツンギーデと混成したのが日本人。

215 :出土地不明:2007/01/17(水) 21:55:46 ID:MGZ4b2nu
>>214
うーん、遺伝子的にいえば、日本人にそれほど北方的要素はないな。
あるとすれば、日本列島から北方に拡散したことによる、見掛け上の
北方系との関連だ。
ようするに、明確に北方系特有のものが、日本には来ていない。

216 :出土地不明:2007/01/17(水) 22:42:21 ID:7jn/80OK
>>215
で、その証拠は?

217 :出土地不明:2007/01/17(水) 22:53:59 ID:MGZ4b2nu
>>216
とりあえず、英語は読めるか?

218 :出土地不明:2007/01/17(水) 23:00:29 ID:7jn/80OK
とりあえず出してみな。

219 :出土地不明:2007/01/17(水) 23:10:34 ID:7jn/80OK
俺も真剣に話を聞こうじゃないか。

220 :出土地不明:2007/01/17(水) 23:11:34 ID:MGZ4b2nu
>>26あたりだけどさ。これで十分だろ。

221 :出土地不明:2007/01/17(水) 23:15:46 ID:7jn/80OK
これか。


26 :出土地不明 :2006/12/14(木) 22:13:41 ID:5vunixQH
https://www3.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
をみながら、
http://en.wikipedia.org/wiki/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroup
をみて、M174(Y染色体ハプログループD)をおいかけると、、、。
YAP+は、ハプログループのDとEに特徴的だ。起源は、アフリカで、いっしょ
にいったのが、M130だね(これは、グループとしては、Cに属す)。
ちょっと、M130と、M174を混同していたように思うので、オーストラリア、
とかニューギニアは、M130で、日本人やチベット人のM174とはちとちがう。
アメリカ大陸にいっていたのは、M130だね。もちろん、これも日本人には
ある程度存在する。M174と、M130がいっしょに行動していたことはほとんど
自明なので、その意味では、同じでもいいだろ。
いずれにせよ、YAP+は、アフリカから、インド、東南アジアを経て、日本に
は南方から入っている。

222 :出土地不明:2007/01/17(水) 23:19:46 ID:7jn/80OK
で、これのどこが、日本人にそれほど北方的要素はなく、
日本列島から北方に拡散した見掛け上の北方系との関連で、
明確に北方系特有のものが日本には来ていないというのかね?


223 :出土地不明:2007/01/17(水) 23:51:25 ID:MGZ4b2nu
>>222
だから、はっつけた、ページを読んでくれ。

224 :出土地不明:2007/01/17(水) 23:56:15 ID:7jn/80OK
>>223
読んだが。

で、どこに、

@日本人にそれほど北方的要素はない
A日本列島から北方に拡散した見掛け上の北方系との関連
B明確に北方系特有のものが日本には来ていない

と書いてあるのかね?

225 :出土地不明:2007/01/18(木) 00:16:10 ID:cWyf44Zr
>>224
移動経路をたどって読み取れ。それくらいできるだろ。
あとは、それぞれの経路についての説明をきっちり読め。いろいろ深い
ことが書いてあるぞ。

226 :出土地不明:2007/01/18(木) 00:31:49 ID:aSCZTfph
>>225
だから、どこに

@日本人にそれほど北方的要素はない
A日本列島から北方に拡散した見掛け上の北方系との関連
B明確に北方系特有のものが日本には来ていない

なんて書いてあるのかね?

その箇所の原文を抜粋して貼ってくれないか?

227 :出土地不明:2007/01/18(木) 01:47:04 ID:4iIdJc+7
>>226
>@日本人にそれほど北方的要素はない
>A日本列島から北方に拡散した見掛け上の北方系との関連
>B明確に北方系特有のものが日本には来ていない

おお真実の書き込みがある。

228 :出土地不明:2007/01/18(木) 20:44:43 ID:LJs8yrtd
■古代カラ半島の歴史研究◆日本と中国の資料が重要■

 3世紀から4世紀にかけてのカラ半島史には謎が多い。
 しかし、中国王朝の興亡の影響を受けて、カラ半島でも政治的動乱が続いていたことは、
さまざまな資料から分かる。
 あの時代のカラ半島の歴史を知るためには、次の資料を調べると良い。

・古事記と日本書紀
・後漢書
・三国志
・広開土王碑
・三国史記

 このうち最後の三国史記は、12世紀という中世の時代になってから書かれたものであり、
内容にも捏造や歪曲が多いが、他の4資料と比べながら読むことで、3〜4世紀のカラ半島の
政治情況を窺い知ることができる。

 神功皇后が、志羅紀にヤマト朝廷軍を派兵した363年頃から、志羅紀は任那日本府の管理下に
置かれたようである。つまり363年以降、志羅紀は任那を構成する国の一つとなったのだ。
志羅紀が『加羅』という別名で呼ばれるようになったのは、おそらく、この時代からであろう。

 任那はもちろん存在した。
 任那とは、中国の史書である『後漢書』や『三国志』で語られている馬韓のことである。
4世紀のカラ半島南部には、馬韓の他に、弁韓(志羅紀)と辰韓(辰国)が存在したが、この3国のうち最大の面積を
誇ったのが馬韓(任那)である。
 神功皇后が志羅紀に派兵した363年以降は、志羅紀も任那の一部となり、任那日本府の管理下に置かれた。
この時代から志羅紀は『加羅』という別名でも呼ばれるようになった。
 任那と志羅紀が合併したのは、314年から始まった高句麗と辰韓による侵略から志羅紀と任那を防衛する
ためである。北方の異民族勢力の脅威に対処するために韓地方の倭人勢力を政治的・軍事的に一体化する必要が
あったのである。
 任那は、西暦315年には旧帯方郡の漢城地方に進攻し、この地方を併合し支配した。伯済国(コマ)と名付けられた
漢城地方は任那を構成する一国となり、任那日本府の支配下に入った。つまり、363年以後、任那は志羅紀と百済(コマ)
を吸収し、カラ半島南部における最大国となったのである。
 そして、この任那を支配していたのがヤマト朝廷の政治・軍事機関である任那日本府である。


229 :出土地不明:2007/01/18(木) 21:00:17 ID:aSCZTfph
>>226
おい、まだか?

早くその箇所の原文を抜粋して貼ってくれないか?


230 :出土地不明:2007/01/18(木) 22:18:19 ID:LJs8yrtd
■任那日本府の謎

 任那日本府があった場所は安羅だと言われているが、
5世紀以降は熊津(公州市)に移動したのではないか。

475年に、百済の文周王が熊津(現・忠清南道=公州市)に首都を移したという記録がある。
熊津に任那日本府があったから、そこに都を移したのではないか?

 熊津の語源は『古末』だろうか? 古末と書いて「コマ」と読むのだが。


433年 百済、新羅と同盟。
     ↑↑
これも、本当に百済と新羅が同盟したのかどうか、怪しい。
百済が同盟したのは志羅紀(加羅=弁韓。倭人国)ではないか。
弁韓が馬韓(百済)を助けたのなら、まだ理解できるんだが・・・。


231 :出土地不明:2007/01/20(土) 01:00:35 ID:VWrx9Ow5
シュメール学の権威であるS・N・クレーマーによれば、
「ついこの間まで、プレアデス星団を指すシュメール語ムル・ムルと、この星々を
表す日本語「スバル」との間に、何か歴史的な、あるいは文化的なつながりを想定
するなど、だれにも夢想だにできないことだった。それが優れたオリエント学者
ロイ・ミラーが、権威あるアメリカ・オリエント学会の会長講演をもとに加筆し
“スバルの跡をたどれば、本当にシュメールの昔にまで行き着く”ことを論証した
のである」という内容の論文だった。

>>「スバル」=古事記、日本書紀、では「すまる、統る」とも記す。ちなみに
沖縄方言でムルブシ(星)八重山方言でムルカ星と言う。「スバル」星は「東」
の方角を指す道標。天皇(スメラミコト)も東に輝く「スバル」のミコトでは?


232 :出土地不明:2007/01/20(土) 01:26:10 ID:VWrx9Ow5
福岡県珍敷塚古墳壁画 6世紀後半(西暦550年以降)黄泉の国と、黄泉の国へ
向かうための船 http://cyber.infoware-d.jp/kikaku/pictures/uzu02006.png
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat2.gif

エジプトのピラミッドの壁画、死後の世界へ旅立つ太陽の船とホルス神。
http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/boat1.gif
ホルス神はエジプト神話のオシリスとイシスの子。ホルスはギリシア語。
ハヤブサの頭をした男、あるいは女神イシスの膝に乗った幼児。これはキリスト教
の聖母子像の原型とされる。

両者が全く関係ないというほうが無理がある。珍敷塚壁画を描いた人々は、
どうしてエジプトの太陽の船とホルス神の構図を知っていたのか

233 :出土地不明:2007/01/20(土) 02:47:09 ID:HgrwGqjr
>>232
>両者が全く関係ない
当たり前の事実。以上。

234 :出土地不明:2007/01/20(土) 03:41:24 ID:7vi4Zod3
朝鮮から来たお

235 :出土地不明:2007/01/20(土) 17:22:44 ID:/U0TBDUl
>>226
もう3日待ったぞ。

結局、何も証拠原文は出せず、逃げの一手か。

ふっ、大した人類学者だな。

236 :出土地不明:2007/01/20(土) 17:30:40 ID:PX/9YwRd
■-志羅紀の語源-■

 志羅紀(シラキ)の語源については、いろいろな説がある。
代表的な説を二つ紹介する。

(1)稲飯命の別名説
  シラキとは「知らす木」の意味である。知らす(シラス)は日本語古語で「治める」の意味であり、
  木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、知ら木(シラキ)とは、
  『国を治める皇孫』の意味であり、稲飯命の別名である。

(2)「後ろの城」説
   シラキとは、古代日本語で「後ろにある城(砦)」の意味とする説。
   まず、シラキのシラとは後(シロ。うしろ)の意味であり、キとは城(砦)を意味している。
   大和地方から見て、出雲国の後方に位置していることから、「出雲の後にある城(砦)の国」という
   意味で『シラキの国』と呼んだのである。
   京都の古代名を山背国(ヤマシロの国)というが、これは「山の後(シロ)にある国」という意味である。
   志羅紀も、出雲国の後方に位置していることから、ヤマト朝廷は「後城(シラキ)の国」と呼んだ。

237 :出土地不明:2007/01/21(日) 01:13:45 ID:/ymLpHla
アッシリアが支配した地域には、旧石器時代(→ 石器時代)から人々の居住がみられ、
北東のへりにあたる地方の洞窟で、ネアンデルタール人の2体の頭蓋骨が発見されて
いる。しかし、前6500年ごろまでは定住農耕生活はおこなわれていなかった。

最初の農村生活がどんな民族によっていとなまれたかは不明だが、その人々は、のち
に「スバル人」として知られる民族で、膠着語を話していたと考えられている。
前6千年紀のこの地方の農民は、小麦や大麦を栽培し、牛やヒツジ、ヤギ、豚を
かっていた。家はかたい粘土でつくられ、だいたい4つの部屋をもっていた。
パンをやくためのまるい竃(かまど)があり、穀物は粘土に瀝青(れきせい)をぬった
大きな容器に保管していた。また織物をおり、黒曜石などの石材でナイフや斧(おの)、
鍬(くわ)などをつくった。この時代の死者は、おもに体をおりたたんだ姿で、
墓地よりも家の地下に埋葬された。



238 :出土地不明:2007/01/21(日) 09:14:42 ID:fL46D+n7
>>235
どうせ、英語よめねーやつには、説明の必要などなし。
YAPのときにあんだけ、丁寧にかいてやったのに、「日本人が日本語で
書いたもの以外は信用できない」などとぬかしたやつに、だれが、解説
してやる気になるかな?
まあ、逆にいえば、わたしが提示したことを、否定する記述を、わたしが
提示したページから抜粋するようなことができたら、面白いぞ。
やってみな。

239 :出土地不明:2007/01/21(日) 16:23:12 ID:8O9SSGgS
>>238
プッ、それが4日間もかけて作った切り返しか。

苦しいな(激笑)

都合の良いサイトのリンクだけ貼って、あとは絶対に原文は出さず、
おまえの脳内創作だけを書き連ねて、いかにも原文にあるかように
思わせる。

おまえの手口など最初から全てお見通しなんだよ(嘲笑)

240 :出土地不明:2007/01/21(日) 19:01:05 ID:CkKhvOeV


http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1167105788/132


 きゃぁぁぁぁっぁ!!オナヌーオナヌー〜〜
 助けてオパーイちんちん!!

241 :出土地不明:2007/01/22(月) 00:33:32 ID:eNcWNoKF
ttp://atlantisinireland.com/DNA/Europeernas_DNA_files/image006.gif

figure 2-4. Key map for Y chromosome data
(also applies for Plate 2-1). Since data are
compiled from different studies, they vary a bit
in what they represent. Some represent a random
selection from a country, but most of the samples
represent a people (an ethnic group). Many of these
have their own territory, but not all―in the
latter case this map is necessary as a key to see
which polygon represents which people.
Orthographic projection with centre in "45 N, "60 E.

242 :出土地不明:2007/01/22(月) 10:54:15 ID:BDkQdPbM


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



243 :出土地不明:2007/01/22(月) 13:59:08 ID:rHYdaE/p
どの政党に投票すればいいか分からなくて困っている人、本当に日本をいい国にしてくれる政党に投票したい方は必見
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/i.cgi/news/2092/

244 :出土地不明:2007/01/23(火) 02:49:54 ID:CNtwJW1m
3千年前に
日本に水田技術を伝えた人たちの移動ルートは
稲のDNA追跡から、判明している。

江蘇、浙江、福建→日本西南部→朝鮮半島の順。

稲と共にどれだけの人が渡ってきたのかはまだ不明。

245 :出土地不明:2007/01/23(火) 02:55:59 ID:CNtwJW1m
6千年前〜2千年前の間にのみ使われた、
三足土器のことをコピペし続ける奴がいるけど、
日本に水際で入ってこなかったり、定着しないで消えた
中国文化は多いんだよ。

馬引き戦車、青銅製の矛や戈、手持ちの盾、クロスボウ、短弓。
諸刃の直剣。古代から中世のメイス武具やフレイル武具の多く。

儒教は入っても、科挙や宦官の制度は入らなかったしね。

246 :出土地不明:2007/01/23(火) 13:04:03 ID:MQU0tWr+


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



247 :出土地不明:2007/01/24(水) 13:22:19 ID:3ldxSJQU
高杯や三足土器の源流は三星堆文化にあり、という中国研究者も
いるようです。少なくともこの土器と三苗との関係はありそう。

http://www.max.hi-ho.ne.jp/stan/l_bbs/kkzod01.htm

248 :出土地不明:2007/01/24(水) 16:12:27 ID:MdajCfsW
>>247
俳優の内藤陳みたいな顔の像が出てきたとこだね
ttp://www.fdfz.cn/library/xxzy/taoyi/sxdys/ts/04_jpg.jpg

巨根…
ttp://img.tom.com/news/30138_1.jpg

内藤陳
ttp://www.t-kanazawa.jp/friday2/901030.jpg

249 :出土地不明:2007/01/24(水) 17:11:37 ID:0r2VcYRt
漏れのスレwあらせるものなら荒らしてみろw
http://psychic.bbs.thebbs.jp/1169613444/75-

250 :出土地不明:2007/01/24(水) 18:52:26 ID:1a346jE8
文献に「越」と呼ばれた人々が残した「越式鼎」の名をもつ青銅器を
系統的に分析し、中国東南部における「越」系の人々が担った多様な
地域文化と、それらの文化的統合について述べた。
https://nzn.jim.nanzan-u.ac.jp/Magic9Scripts/mgrqispi93.dll?APPNAME=GYOSEKI&PRGNAME=Search004-1&ARGUMENTS=-A019356,-AFACULTY,-A2,-A1,-A131011511

251 :出土地不明:2007/01/24(水) 19:07:08 ID:1a346jE8
一:三星堆文明の由来

もし三星堆で発見された文物は三星堆文明を代表していると言えるなら
、この三星堆文明が一体どこから来たのかをまず考えるでしょう。
三星堆文物を細かく鑑定しますと中原文化と多少関係ある点が段々
判明されてきました。中原文化代表の一つ・山東省の二里頭文化が
三星堆文明の来源だという説が出てきました。証拠が4つあります。

1,三星堆から何千件の陶器を出土しましたが、色んな形揃っています
けど、形が全部二里頭文化の陶器と似ている。特に三足陶器の表面飾り
の目図案は二里頭文化と全く同じです。
http://www.tf-travel.com/guanguang/sanxindui.html

特に三足陶器の表面飾りの目図案は二里頭文化と全く同じ
特に三足陶器の表面飾りの目図案は二里頭文化と全く同じ
特に三足陶器の表面飾りの目図案は二里頭文化と全く同じ
特に三足陶器の表面飾りの目図案は二里頭文化と全く同じ

252 :出土地不明:2007/01/27(土) 15:02:32 ID:PFCoBK5l
>>245
日本の農業は朝鮮半島南部経由とされているものの、たとえば、鵜飼いというのは
中国南部と日本にはあるが、朝鮮半島ではまったくみられない漁法なんだよな。
人の伝搬、文化の伝搬、農業の伝搬、それらはかならずしも一致しない。
日本の土器文化が基本的になんで使われたかしらないけれど、1万5千年以上まえ
から存在し、さまざまな用途でつかわれていて、そこに文化としての農耕が
はいってきたからといって、伝統的な土器をすべて中国式に変更する必要も
ないわけだ。
さらにいえば、納豆なんていうのは、あきらかに中国南部起源で、日本と、
インドネシアと、中国雲南ぐらいにしかないわけだが、これの起源がだいたい
DNA解析で、4000年前とでている。納豆のベースとなる納豆菌のDNAの
分析からわかったわけだが。日本では藁をつかって納豆を作るが、雲南では、
葡萄の葉っぱにゆでた大豆をくるんで作る。で、日本では納豆はおもに、
関東以北が中心で、最近でこそ関西でも食べるようになったわけだが、中国
でも孤立して雲南だけだな。雲南の山岳民族の文化は日本の文化と似ている
とされていて、かなり多くの文化人類学者が入り込んだが、言語などの点では
とくに類似性はない。しかし、日本の根底の文化との関係はかなりありそうだ。


253 :出土地不明:2007/01/27(土) 16:49:44 ID:RpMwjVqW
■朝鮮は他律的に歴史を歩んだわけではない■

 日本人は、朝鮮民族の歴史を正しく理解していない。
 基本的に、戦前の朝鮮史研究は主に日本人研究者の手によって行われてきた。彼らは、朝鮮を進歩のない
停滞した社会であるとみなし、朝鮮史の発展過程を常に外部勢力に起因する『他律的』なものと理解した。
 だが、そもそも外部から影響を受けることなく歴史を歩んできた国が、地球上に存在するだろうか。
古代の東アジアの超大国=シナですら、常に周辺の国々から大きな影響を受けてきたし、我が日本国も大陸や
半島からの政治的影響を受けながら、歴史を歩んできたのだ。
 朝鮮が、外部からの影響を一方的に受けながら歴史を歩み、国家を作ってきたという歴史観。
 これを「停滞史観・他律性史観」と呼ぶのだが、この説が明治以降の日本人に、朝鮮人に対する「侮り」の意識を
植え付け、結果的に朝鮮人に対する『警戒心』を失わせてしまったのである。
 朝鮮人が、自分たちの力で、自分たちの望む方向へ国を動かしていく能力がない民族であったならば、
我々日本人が、古代の日本領土である志羅紀・任那・百済を失うことはなかったであろう。
 朝鮮人は、古代から自律的に行動する民族だったからこそ、日本領土である志羅紀を奪い、任那を奪い、百済を奪うことが
できたのである。
 戦後、韓国人(朝鮮人)が日本国に不法入国・不法定住したのも、日本国の乗っ取り計画を推進しているのも、
日本領=竹島の不法占拠を続けているのも、彼ら朝鮮人の「自律的行動」なのである。
 朝鮮人を甘く見てはいけない。朝鮮人に対して油断してはならない。警戒せよ。

■-朝鮮人の日本侵略史-■
【第一次侵略=356年】
 ワイ人=朝鮮人の金奈勿(キン・ナブツ)が、日本皇族=稲飯命の子孫である志羅紀王族を虐殺し、
王権を簒奪、志羅紀を乗っ取る。稲飯命王朝が滅亡。金奈勿による金氏新羅(シンラ)の建国。

【第二次侵略=562年】 朝鮮人国家=新羅が、日本領=任那を武力攻撃。任那が滅亡した。

【第三次侵略=660年】 新羅が、唐軍と共に日本領=百済を侵略。百済が滅亡した。

【第四次侵略=811年・12月】
新羅の賊船が対馬近海に出没し日本人を襲撃するので、大和朝廷が海上警備を強化。

【第五次侵略=813年(弘仁4年)・2月】新羅人百人余、肥前小近島に来て島民を殺傷する。

【第六次侵略=869年(貞観11年)・5月】新羅の海賊、博多で掠奪する。
(後略・・・)


254 :出土地不明:2007/01/27(土) 20:18:23 ID:GhwgnCK/
朝鮮半島でも鴨緑江で鵜飼は見られる。

大豆は満州が原産で、朝鮮半島経由で弥生期に入ってきているが、
納豆は奈良時代に伝わった調味料が起源とされ、糸引き納豆が
登場したのは室町時代頃で、一般に広まったのはそれ以降の事である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

雲南の青銅器時代の青銅器には三足器はあまり見られないが、
笙、簫、ロ于、鐘、羊角鈕鐘、鈴、鑼、?、鼓介紹などの
青銅楽器が特徴という事で、やはり弥生期に伝わっていない
楽器ばかりである。

http://www.ghhr.fcu.edu.tw/speech.doc

255 :出土地不明:2007/01/27(土) 22:30:48 ID:dh18H6Xv
アフリカからに決まってるだろ。

256 :出土地不明:2007/01/28(日) 00:27:46 ID:D43gQzeu
>>254
>大豆は満州が原産
大豆は現在の中国東北三省が原産地
中国では5千年前から栽培してる

257 :出土地不明:2007/01/28(日) 02:26:23 ID:ZKTCZKfH
>>256
つまり満洲じゃないか・・・・・・。

258 :出土地不明:2007/01/28(日) 17:37:44 ID:/SR3fE0z


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は
空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)
の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋
(ふた)の間から,湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。
つまり「氣」です(後漢の『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



259 :出土地不明:2007/01/28(日) 19:41:11 ID:/SR3fE0z
福建省の弥生時代の遺物w



●福建浦城??西??越国大型聚落?址

器形有鼎、瓮、罐、盆、釜、?、?、杯、匏?、香栫A??等。
http://www.fjww.com/news1.asp?ID=32&PD=69




260 :出土地不明:2007/01/28(日) 19:55:33 ID:/SR3fE0z
雲南省の春秋戦国時代の八塔台古墓群からの遺物w



●八塔台古墓群

上述發掘出土文物1000余件,有兵器、生?工具、生活用品、裝飾品、
樂器和貨幣等,包括青銅、鐵、陶、玉、石等器物。器物中的兵器有刀、
劍、戈、矛;炊飲器有鼎、釜、罐碗等;裝飾品有?、珠、扣飾;
樂器有銅鼓、鈴等。
http://www.yn678.com/big5/zt_show.php?ztid=279&ztkind=10




261 :出土地不明:2007/01/31(水) 11:19:00 ID:B7I5udJr
雲南省の弥生時代の八塔台古墓群からの遺物w



●八塔台古墓群

上述發掘出土文物1000余件,有兵器、生?工具、生活用品、裝飾品、
樂器和貨幣等,包括青銅、鐵、陶、玉、石等器物。器物中的兵器有刀、
劍、戈、矛;炊飲器有鼎、釜、罐碗等;裝飾品有?、珠、扣飾;
樂器有銅鼓、鈴等。
http://www.yn678.com/big5/zt_show.php?ztid=279&ztkind=10

炊飲器有鼎、釜、罐碗
樂器有銅鼓、鈴
炊飲器有鼎、釜、罐碗
樂器有銅鼓、鈴

262 :出土地不明:2007/02/01(木) 19:40:03 ID:6GU66DlQ
■-允恭天皇の病を治した医師-■

 『日本書紀』に「三年春正月、使いを遣して良き医くすしをシラキに求む。秋八月に、医、シラキより至(もう)でたり、
即ち天皇の病を治めしむ」とあるが、『古事記』は天皇即位の時「シラキの国主、御調物(みつぎもの)八十一艘を貢進す。
爾(ここ)に御調の大使、名は金波鎮漢紀武(こむはちむかむきむ)という。この人深く薬方を知れり。故、帝皇の御病を
治め差いやしき」とある。
 『古事記』にはシラキから来た医者の名が記されている。『日本書紀』には、日本側が医者を求めたところ、
シラキが大使としてこの医者を日本国に送り、允恭天皇の病を治したとある。
 允恭天皇は、西暦454年に39歳で亡くなったが、この時代(4〜5世紀)、日本と新羅(シンラ。辰韓)は敵対関係にあり、
ヤマト朝廷は、新羅を征伐するために何度もシラキに軍を派遣している。433年に、日本領=百済と志羅紀が、新羅・高句麗=連合
の侵略から国を守るために同盟を結んでいる。この事実は、允恭天皇の治世において日本と新羅が敵対してことを示している。
 したがって、シラキから大使として送られた医者=金波鎮漢紀武は、新羅人(ワイ人。朝鮮人)ではない。
允恭天皇の時代に日本に来た金波鎮漢紀武は、志羅紀人(シラキ人。倭人)なのである。日本民族の国である志羅紀(弁韓)から、
コムハチムカムキムは派遣されたのだ。
 允恭天皇が亡くなった翌年、西暦455年に高句麗が百済を攻撃するが、この時、志羅紀が百済を救っている。
允恭天皇の時代には、百済と志羅紀の間に強固な同盟関係が成立していたことが分かる。
 512年〜525年頃に、新羅の侵略により任那と志羅紀は一時滅びたようだ。しかし、544年に高句麗が百済を攻めた時に、
志羅紀が百済を救援しているので、544年以前に、ヤマト朝廷の支援により志羅紀と任那は復活したのだろう。



263 :出土地不明:2007/02/02(金) 19:28:36 ID:ZLrSha+P


古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の
部分は空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた
簀のこ(すのこ)の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより
蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,湯気が立つ。
この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。



264 :保存しましょう:2007/02/03(土) 15:28:52 ID:ojWCHzHz
■古代カラ半島と日本国の古代史年表■

(省略・・・)
396年- 高句麗、百済を撃ち、58城を奪い、百済王弟を人質とする。
397年- 百済、倭国に救援を求め、太子を人質とする。
433年- 百済、任那・志羅紀との同盟を強化。
455年 高句麗、百済を撃ち、任那・志羅紀が百済を救う。
458年 百済余慶(蓋鹵王)、宋に使者を送り、臣下の叙授を求める。
472年 百済王余慶、北魏に使者を送り、高句麗出兵を求める。
475年 高句麗長寿王、百済の漢城を陥落させ、百済蓋鹵王を殺す。

475年- 百済文周王が任那に避難して即位。任那領=熊津(現・忠清南道公州市)に遷都。
477年- 百済兵官佐平解仇、文周王を殺し、三斤王を立てる。
479年- 百済東城王即位。
490年- 北魏、数十万騎百済を攻める(南斉書)。
495年- 高句麗、百済の雉壌城を攻め、志羅紀が百済を救援する。
501年- 東城王暗殺され、武寧王が即位。
512年- 新羅が于山島(国)を侵略し、併合。
512年- 倭が任那の西部四県と百済を合併する。
513年- 新羅が任那東部を攻撃。任那が滅亡。
513年- 新羅(伴跛)が己文の地を略奪。
514年- 新羅(伴跛)が爾列比、麻須比に築城し、麻旦奚、推封に連ねる。
      倭が新羅を攻める。
516年- 百済が漢城使=コマ使(安定)に副えて、使者(灼莫古将軍、日本の斯那奴阿比多)を派遣。
520年- 倭と百済の連合軍が、新羅の支配下にある任那領に侵攻する。任那の復興。新羅軍が撤退。
524年- ふたたび新羅が任那を侵略。倭国は再度、任那を失う。
525年- 百済と新羅の和平交渉が行われる。
529年- 百済と新羅の戦争が再開。倭と百済の連合軍、任那を奪還する。
529年- 近江の毛野、任那(安羅)へ派遣される。任那の地に志羅紀を復興する。
537年- 新羅が任那(志羅紀)を侵略。倭国が大伴磐、狭手彦を派遣。
544年- 高句麗と新羅の連合軍が百済を攻撃し、志羅紀が百済を救援する。
551年- 百済・志羅紀(任那)の連合軍が、高句麗から、旧百済領の漢城地方(コマ)を奪還する。
552年- 高句麗と新羅の連合軍が百済を攻撃し、ふたたび漢城地方を奪った。
554年- 百済聖王と志羅紀(任那)軍、新羅の管山城を撃ち敗死。百済威徳王が即位。
562年- 高句麗、百済の熊川城を攻撃。
565年- 高句麗の侵略により漢城(コマ)が滅亡。漢城人(コマ人)集団が倭国に帰化する。
594年- 新羅=真平王が隋に使者を派遣。隋により楽浪郡公・新羅王の冊封を受ける。高句麗への事大政策を中止。
598年- 高句麗が隋の遼西地方に攻撃を加える。これにより、隋と高句麗の戦争が始まる。新羅が高句麗と断交。
600年- 百済の武王が即位。
603年- 新羅の真平王が、隋に使節団を派遣し、朝貢する。 
616年- 百済=武王が、高句麗と新羅の関係悪化を好機と判断し、新羅の母山城を攻撃。
624年- 新羅=真平王が唐に接近。唐の冊封を受けて、楽浪郡公・新羅王の称号を得る。
638年- 百済が、新羅の独山城を攻撃。
641年- 百済義慈王が即位。
641年- 高句麗が新羅の七重城を攻撃する。
642年- 百済、新羅を攻めるために高句麗と同盟。
645年- 倭国(日本国)に、三韓(百済・漢城〈コマ〉・志羅紀)の使者が派遣され、三国の調の儀式が行われる。
      中臣鎌子と中大兄皇子が、蘇我入鹿を暗殺。
645年- 倭国と百済・志羅紀の連合軍が、新羅を攻撃。旧任那領を奪還する。
655年- 新羅、百済の刀比川城を攻撃。
660年- 唐・新羅連合軍、百済を滅ぼす。
663年- 倭国の百済救援軍、白村江(はくすきのえ)戦争で唐軍に大敗。


265 :出土地不明:2007/02/04(日) 02:21:33 ID:LY2yoJFm
北米のインディアンと一緒で数千年位は住んでるだろう。
まあ温暖湿潤で多雨だから、細工しやすい木製のものは容易に朽ちてしまうし、
節約・倹約は古代からの共通した生活術。手先が器用だから芸術品はかなりあったと思う。
違う言葉の単語の発音と意味が同じ所から民族の共通性を探すというのは聞いた事がある。

266 :"""":2007/02/04(日) 09:30:41 ID:2jy35dfb
芸能人H中画像
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E8%8A%B8%E8%83%BD%E4%BA%BAH%E4%B8%AD%E7%94%BB%E5%83%8F+uppics&lr=

267 :出土地不明:2007/02/05(月) 01:22:43 ID:gVP8IQXI
YAP+が無い朝鮮半島の住人と
YAP+がバリ濃ゆい日本人(アイヌ+和人+沖縄人)は
赤の他人だよ

268 :出土地不明:2007/02/06(火) 14:51:33 ID:uM4XpiWI
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

269 :出土地不明:2007/02/08(木) 03:26:21 ID:AyZCqj+a
YAP+が無い朝鮮半島の住人と
YAP+がバリ濃ゆい日本人(アイヌ+和人+沖縄人)は
赤の他人だよ

270 :出土地不明:2007/02/10(土) 19:48:15 ID:4EBwpY6r
日本人と朝鮮人が分岐したのは陸分岐した15000年前頃。

271 :出土地不明:2007/02/11(日) 02:45:44 ID:ll1vuWSs
>>270
その当時に朝鮮半島地域に暮らしていた人と
現在暮らしている人たちとは全く無関係

今の朝鮮人の先祖は日本海沿岸北部で
トナカイやアザラシを狩っていた
ツングース近縁の連中

272 :出土地不明:2007/02/11(日) 18:12:57 ID:qsaYhgr5
その15000年前に分岐した朝鮮半島の古モンゴロイドが寒冷化対応
していない新モンゴロイドである中央モンゴロイドに変化し、
やはりこれが朝鮮人の人種的母体となっている。

それから3000年くらい前に満州中部から南部にかけての内陸部に
広がっていた寒冷化対応した新モンゴロイドであるツンギーデ
(北方モンゴロイド)の数々の種族が断続的に朝鮮半島に南下し始め、
その土着の中央モンゴロイドと混成し、その後、同じく混成型の
中央モンゴロイドである華北人とも混成し、極めて複雑な混成型
中央モンゴロイドである朝鮮人が形成されている。

その日本海沿岸北部のオホーツク文化人である海洋性のツンギーデ
の一派こそ、海路で朝鮮半島東部沿海を抜けて日本までやって来た
弥生人であり、古モンゴロイドの縄文人と混成して日本人種が形成された。

朝鮮半島に侵入したツンギーデは内陸部のツンギーデ、
九州北部に侵入したツンギーデは沿岸部のツンギーデ。

系統的にも文化的にも別種族のツンギーデだがな。

273 :出土地不明:2007/02/11(日) 22:11:40 ID:YetQOFGG
>>272
それは朝鮮人の主張。

274 :出土地不明:2007/02/12(月) 11:59:12 ID:xk572JVc
ハキダメだなここは

275 :出土地不明:2007/02/12(月) 13:02:08 ID:DeV+ai8t
年度末だからかもしれないが、この板に
考古学関係者はほとんど居なくなったね。

それで、デンパ論の巣窟となったわけ。

276 :出土地不明:2007/02/12(月) 15:22:42 ID:hWnEbNv/
負け犬たちの遠吠えを見るのは実に快感ですよ。

いつも心の奥底から勝利者としての高笑い、

しっかりとさせてもらっていますw

277 :出土地不明:2007/02/13(火) 03:08:49 ID:sGFJrQZP
>>275
口汚い順にあぼ〜んしたら、けっこうまともなスレになったよ?
つぎは、ID:hWnEbNv/を消せばいいんだよね?


278 :出土地不明:2007/02/13(火) 13:46:43 ID:AoQjMUQR
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

279 :出土地不明:2007/02/14(水) 11:14:27 ID:YmeqwQ7Y
>>1
>どこ?
朝鮮半島経由以外のどこかからなら、問題ない。

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